2019/10/23

大好きな『ソニーズ・クリブ』

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https://open.spotify.com/album/469Y1IVCrttWSp2qQYzioA?si=lsIl30ouSwquRW0QSRyd7Q
(オリジナル・アルバムは5曲目まで)

 

初期ソニー・クラークでいちばん好きなアルバムが『ソニーズ・クリブ』(1957年録音58年発売)。この作品のばあい、アルバム・タイトル曲を収録した B 面は個人的にイマイチで、スタンダードばかり三曲で構成された A 面こそがずっと好きで聴いてきました。いちピアニストとしてより作編曲家としての才能が抜きに出ていたと思っているソニー・クラークですが、このアルバムにかぎってはスタンダード曲サイドのほうがいいですね。

 

まずオープニング1曲目の「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」。この急速調にアレンジしたのが大成功ですよね。A 面三曲はいずれもスタンダード・ナンバーなため、ソニー・クラークがどんなアレンジを施すかによって勝負が決まると思うんですけど、三曲ともいい仕事です。なかでもこの「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」のテンポ設定はいいですね。

 

トップ・バッターで出て爽快にかっ飛ばすドナルド・バードのトランペット演奏も見事。さらにもっと見事だなと思うのは、そのドナルドに対位法的にからむジョン・コルトレインとカーティス・フラーのオブリガートです。彼ら二名、テナー・サックスとトロンボーンのフレーズは、あらかじめソニー・クラークが書いて用意していたのか、それとも二名のアド・リブだったのか、そのへんは判然としませんが、きれいに決まりすぎているので、アレンジされていたとみてもいいですね。

 

もちろんそういったからみはテーマ演奏部のあいだだけで、各人のソロに入ればなくなります。ソロまわしとその内容については今日は省略しましょう。まあビ・バップとかハード・バップとかフリー・ジャズとかって、結局ソロを聴くしかない音楽だなと思うんで、音楽作品としての全体的把握みたいなことは薄くなっちゃいますよね。あ、でもぼく、カーティス・フラーのこのちょっとくぐもったような音色は大好きなんで、彼のトロンボーンが出てきただけでいい気分です。

 

とにかく、ふだんはバラード調でやることも多いこの「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」という曲を、こんなアップ・テンポにアレンジしてソロを取らせただけでも大正解。アルバム幕開けにまことにふさわしい雰囲気で、アレンジャー、ソニー・クラークの面目躍如だと言えましょう。最終テーマ終了時の三管でのまわしもいいアイデアです。爽快に幕締めとなっていい気分。

 

2曲目の「スピーク・ロウ」は A メロ部分でラテン・リズムを使ってあるのが特色ですね。以前、ソニー・クラークのふだんのなかにもいっぱいラテンがあるぞという記事を書きましたが、実際多いんですよね。「スピーク・ロウ」はそんな感じにアレンジされることが多い曲であるとはいえ、メインストリーム・ジャズなどアメリカ合衆国音楽のなかにも中南米要素は抜きがたくあるということです。
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-4a2c.html

 

3曲目の「カム・レイン・オア・カム・シャイン」。カーティス・フラーがあの音色でテーマを演奏するのがなんともいえず大好きなムード。ぼくはホ〜ントこのトロンボーニストのことが、特に音色が、たまらなく好きなんですね。ここではテンポがとまりそうになるほどのゆっくりした調子でやっていますが、こういったテンポ設定はたぶんボスのソニー・クラークの指示ですね。ソニーのピアノ・ソロも親しみやすくてグッドです。この曲はワン・ホーン・カルテットでやったほうがよかったかも。

 

(written 2019.9.26)

2019/10/22

アンジー・ストーンが心地いい(2)〜『ドリーム』

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https://open.spotify.com/album/2hDF82eJV1l8SQ75qC7U0G?si=8ZgjzztOST2jdFEqfTN4hw

 

アンジー・ストーンの過去作をざっと聴いてみて、いちばんピンと来たのが2015年の『ドリーム』です。まずなんたって出だし1曲目がいいですよ。ビートの効いたアップ・テンポの「ダラー・ビル」。大好き。トラック・メイキングも見事だし、それにこういったソウル・ジャンパーに乗るときのアンジーの声の出しかた、置きかたがすごく好きなんですよね。いいノリじゃないでしょうか。

 

もうこんな「ダラー・ビル」だけでじゅうぶん好きになってしまうアルバムなんですが、その後はやっぱりどっちかというとしっとりめのバラード系のもののほうが中心ですかね。2曲目はデイヴ・ホリスターをゲストに迎えてやるヘヴィなナンバー。ひきずるようなビート感が特色ですね。デイヴが目立っていますが、こういった重たい曲想のものでもアンジーの発声は見事です。

 

3曲目「クローズ・ドント・メイク・ア・マン」は、たぶんこれ、モーニング娘。の「LOVE マシーン」を…、じゃなくてバナナラマの「ヴィーナス」(ショッキング・ブルーのかもしれないけど)のリフをサンプリングして使っていますよね。けっこう派手なワン・ナンバー。ちょっとケバケバしい感じもしますが、派手なソウル・ジャンパーを歌うときのアンジーの発声が大のお気に入りで心地いいぼくには楽しい。

 

その後、4「マグネット」、5「ドリーム」と続くしっとり美しめのバラード・セクションがこのアルバムのハイライトなんでしょう。実際、すばらしい。2019年最新作をふくめ何枚かアンジーのアルバムを聴いていると、こういったおとなしめのしっとりきれいなバラードを歌うのが本領のひとなんですかね。なんだかそんな気がします。表現力があるし、立派に聴かせるできにしあがっていて、アルバム『ドリーム』でも文句なしです。

 

アルバムではその後もどっちかというと落ち着いた曲想のものが続いていますが、9曲目の「シンク・イット・オーヴァー」はバラードでありながらややドラマティックなフィーリングも持ったスケールの大きな曲ですね。淡々としたなかにもりあげるアンジーのヴォーカル・パフォーマンスもすばらしいものです。トラック・メイクも見事ですね。特にバック・コーラス。

 

切なく哀しい9曲目「フォーゲット・アバウト・ミー」を経て、アルバム・クローザーの10「ドント・ブレイク・ミー」はふたたびテンポのいいアップ・ビート・ナンバーで、大好き。やっぱりどうしてもこういったビートの効いた曲を歌うときのアンジーがいちばんのお気に入りなんですよねえ。『フル・サークル』の「セイム・ナンバー」で惚れちゃったせいですかねえ。

 

(written 2019.9.17)

2019/10/21

アンジー・ストーンに癒されて(1)

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https://open.spotify.com/album/6KhoIz4SDYW5zEnl0O9bRB?si=z3n7GbzCSS2SI2Q5h2gcuw

 

bunboni さんのブログで知りました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-09-12

 

ぜんぜん存在に気づいてもいなかったレイディ・ソウル・シンガー、アンジー・ストーン。いやあ、実にいいですねえ。こんなにいい歌手がいたんだなあ。最新作の『フル・サークル』(2019)を聴いてみたら一発でハマっちゃって、過去作もざっと聴きましたが、すばらしいのひとことです。今日は『フル・サークル』のことだけ。

 

アンジー・ストーンって、いままでなにも知らなかったからわかりませんけど、けっこうクラシカルなソウル・シンガーなんですかね。アルバムを聴いているとそんな気がします。近年のヒップ・ホップ R&B シンガーみたいな感じは薄いです。でもしっかりした土台があって、その上で間違いない歌を聴かせてくれていますよね。

 

最新作『フル・サークル』のばあい、ぼくはまず2曲目の「セイム・ナンバー」で KO されちゃいました。このテンポのいいアップ・ビート・ジャンパー、気持ちいいったらありゃしません。バック・トラックのつくりかたも完璧だし、歌うアンジーのリズムへのノリも文句なし。いやあ、こんな気持ちいいソウル・ナンバーはなかなかないですよ。快感というしかないです。

 

アルバムのぜんぶの曲が「セイム・ナンバー」だったらいいのに、と思うほどなんですけど、ちょっと書いておくと、アンジーのこのアルバムをはじめて聴いたとき、ぼくはちょっと個人的に落ち込むことがあって気分が暗く憂鬱だったんですね。ところがこの「セイム・ナンバー」ですっかり癒されて元気になっちゃったんです。ぼくを癒し救ってくれたのがアンジーの歌う「セイム・ナンバー」だったんですよね。

 

しかしアルバムではこの手のアップ・ビート・ナンバーはこれだけ。ほかはもっと重心の低いミドル・グルーヴァーですね。でもそれらも完璧に見事です。1曲目「パーフェクト」から、まるでブラック・コーヒーを飲んでいるかのような味わいのアンジーのヴォーカルは絶好調。3曲目「ダイナソー」もすばらしい。この3曲目はアルバムのなかでも目立ってできがいいかもしれないです。

 

続く4曲目「ゴナ・ハフ・トゥ・ビー・ユー」ではジャハイムとのデュオ歌唱で。ちょっとスティーヴィ・ワンダーが書きそうな曲ですね。特に曲終盤でファズの効いたエレキ・ギターが粘っこいソロを弾きながら終わるっていう展開もなかなかグッド・アイデアで胸に迫ります。

 

アルバム全体ではホント落ち着いた曲調のものばかりなんですけど、それでも終盤の9曲目「ワイル・ウィ・スティル・キャン」、10「レット・ミー・ノウ」ではややラフなサウンド・タッチをわざと施して、ドラマティックにもりあがる感じがありますね。この二曲が、個人的にはこのアルバムで「セイム・ナンバー」の次に好きです。

 

(written 2019.9.16)

2019/10/20

秋の夜長に 〜 ブルチュ・イルディス

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https://open.spotify.com/album/09q2PIt0pjTkX2xjENNsqZ?si=Cukq8AsASZOiz8aKqAP28w

 

トルコのハルク歌手ということなんですけど、Burcu Yildiz というこの名前はどう読めばいいのでしょう、ブルチュ・イルディス?とりあえずそういうことにしておきましょう。2019年の(たぶん)デビュー・アルバム『O Günler』がなかなかいいですよ。しっとりしていて落ち着けて、これからの秋にはピッタリの内容じゃないでしょうか。

 

このアルバムの編成の基本は、アクースティック・ギター+ベース(ときにエレキ)+ドラムスで、これを中心とし曲ごとにゲスト参加のミュージシャンがかわるといった具合。どんな楽器がゲスト参加しているかは本当に曲によってさまざまで、ウードだったりネイだったりストリングスだったり管楽器バンドだったりで、そこに一貫性みたいなものはあまりないみたいです。

 

1曲目「Suskun」でギター・トリオの演奏にウード(アラ・ディンクジアン)がくわわってフォーキーな演奏をはじめ、そこにブルチュのヴォーカルがしっとりとからんでいくあたりから、すでに引き込まれてしまいますよね。実にいい雰囲気じゃないでしょうか。演奏も歌も決して派手に盛り上がらず、ずっと一定の落ち着いたムードをたたえたまま進みますが、そんなところもいい感じです。

 

2曲目のゲストはたぶんチェロ奏者でしょうか。ここではリズムがやや快活、というほどでもないんですけどこのアルバムのなかでは目立つほうでしょう。途中からやや劇的なストリングスも入ります。それに乗ってブルチュのヴォーカルにもすこし力が入っているような。ドラマーもリム・ショットで派手にやります。こういうのもありですね。

 

3曲目の管楽器隊はちょっとバルカンブラスみたいで、だから曲全体もやや東欧的な感じがします。リズムも2曲目よりもっと派手になって、ぐるぐる回転するようなにぎやかなものですよね。バック・ヴォーカルが聴こえますが、これはブルチュの多重録音の可能性があると思います。こんなにぎやかな3曲目はこのアルバムではやや例外的かもしれません。やや大道芸的な音楽?

 

しかし4曲目以後はふたたび1曲目同様のしっとり落ち着いたハルク路線に戻って、秋の夜長をうるおしてくれますよ。夜長などといってもこのアルバムはたったの33分しかありませんけどね。4曲目ではネイやクラリネットがゲストの模様。哀しげ&切なげな演奏と歌の雰囲気でこの曲も貫かれています。でもドラマーは背後でけっこうやってますねえ。

 

5曲目以後もずっとそんな暗くしっとりした陰なムードが一貫しているんですが、ブルチュのヴォーカルは開放的な発声をしていて好感が持てますね。しっとり感を維持しつつ伸びやかさを保っています。アルバム・タイトルになっている5曲目はウードとギターのデュオ演奏で歌い、6曲目はストリングス+ホーンズ入り。ここでもホーンズがちょっぴり東欧的に聴こえますけど、トルコと地理的に近いせいなんでしょうか。6曲目は若干ドラマティックに盛り上がるかもしれません。

 

ウードのアラ・ディンクジアンと男性歌手オニク・ディンクジアンをゲストに迎えた7曲目はウード+ギター・トリオだけの伴奏でどこまでもしっとりと。これを経てアルバム・ラスト8曲目ではアラのウード一台の伴奏だけでブルチュが歌っています。7、8曲目ではブルチュの声の美しさがきわだっていて、特筆すべきできばえですね。ウードだけで歌う8曲目なんか実にすばらしく、個人的にこのアルバムのベスト・トラックです。

 

(written 2019.9.18)

2019/10/19

大は小を兼ねるというけれど

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https://open.spotify.com/album/0Oivkm8f3O3YIIvPEJJr05?si=7Xrk9YWpSJOIEpXRtSe3cw

 

大学生のころ、クラシック音楽マニアだった英文学教授が言うにはですね、「若いころは大規模なシンフォニーとか、そりゃあ好きで、気合を入れてどんどん聴いていたけれど、この歳になるとそういうものはちょっとしんどい、短い小品なんかがちょうど具合いいんだ」と。そのときはへえぇ〜と思っただけでして、ぼくは大学生でジャズに夢中で、レコード二枚組の大作なんかも平気でどんどん聴いていました。

 

むかしはそういった大きな作品を聴くのがしんどいなんて思ったことなかったんですけど、最近ですね、ちょっとそんな感じが出てきているんですね。ひとつには加齢ということがあるでしょう、というかこれがたぶん最大の原因です。体力・気力が徐々に落ちてきているせいで、集中力が持続しにくくなってきていますよね。前段で引用した教授の話もこのたぐいのことです。

 

これはおそらくだれでもそうなっていくんでしょう。ただ BGM としてだらだら流しているだけなら途切れないほうがいいから長大なアルバム(やプレイリスト)がいいんですけど、しっかり向き合って気持ちを入れて集中して聴ける時間の長さには、年齢的な限度の変化があるでしょう。だからぼくも最近短めの小品のほうが、どっちかというと聴きやすいと思うことが多いです。

 

もうひとつには、いままでなんどかくりかえしていますが、最近音楽アルバムの長さが短めになってきているなというのも原因のひとつかもしれないです。CD だと一枚で最長80分が収録できますけどそんなのは最近なくなって、一枚のアルバムで30分とか40分とかが主流になってきているでしょう。なかには25分くらいなのもあったりして、かつての LP 時代よりも短時間になってきているような気がします。

 

音楽アルバムの長さが短くなったのは、どう考えてもネット聴き、それもストリーミングで聴くのが世間の主流になったからですよね。それで CD など物体で聴くときでも同じ短さで、ぼくもそんな傾向にすっかり慣れちゃったというのがあるんじゃないかと思います。聴取習慣というか、一個40分程度までっていう、なんというか心理的な区切り、フレームみたいなものができてしまったかもしれません。

 

そんなわけで二つの理由 〜 年齢的な衰え、アルバムの短時間化 〜 によって、長い収録時間のアルバムを聴くのが、まあ流し聴きなら問題ないんですけど、気持ちを入れて向き合うのはややしんどいと感じるように、最近なっています。集中力を途切れさせず維持したまま一気に聴けるのは、アルバム一枚40分か45分くらいまでじゃないですかね。一時間以上あると、聴く前に「うぇ〜」と感じちゃうようになりました。

 

だからそんな一時間超えの長さのアルバムなどは、途中でいったん休憩したくなっちゃいます。これはだから、長大なアンソロジーとかコレクション(SP 時代の音源集大成とか)なんかだと、実際休憩しやすいですからいいんですよね。そういった長いものはそもそも続けて一気にぜんぶ聴くことは想定されていないと思いますから。ぼくの言っているのはオリジナル・アルバムということです。

 

長いものより短めのもののほうがいいっていうのは一曲単位でも言えることで、最近はシングル曲基準の三分程度が最も心地よくて、五分とか八分とかあると長い、長すぎるとか感じてしまうこともあります。これはむろん例外も多くて、最近だとたとえばヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのウォマド1985ライヴ。1曲目も2曲目も20分を超えていますが、わりとあっという間に聴けてしまいますからね。長いと感じたことがありません。

 

な〜んだ、音楽的にすばらしければ長さを感じない、楽しければあっという間だと、そういう世間のみんなが知っているだけのことなのか、と言われそうですけど、まあそれが事実です。でも曲単位ならそうでも、アルバム単位となると充実作でも長いとちょっと…、と思うことはままありますね。なんというか人間としての生理というか、やっぱりあんまり長い時間は集中できないですよねえ。だから創り手、届け手さん側にもちょっと考えてほしいと思うこともあるんです。

 

(written 2019.9.25)

2019/10/18

気持ちいいスキャットマン・クローザーズ

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この CD のリリースは bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-08-21

 

ジャスミン盤アンソロジーの『ロックンロール・ウィズ・スキャット・マン』(2019)、いやあ、爽快で気持ちよくカッコイイですよねえ、スキャットマン・クローザーズ。ジャズ/ブルーズ/ジャイヴでかっ飛ばすこのシンギングがたまりません。スキャットマンのヴォーカルには、どこか夢中になりきっていない醒めたクールネスもあって、そんなところもジャイヴな味といえましょう。ちょっとキャブ・キャロウェイにも通じるところででしょうか。

 

でもハチャメチャなナンセンス・シラブルを速射砲のように繰り出すスキャットマンの歌で、ぼくのほうはすっかり夢中。ガーシュウィンの「アイ・ガット・リズム」とかファッツ・ウォーラーの「手紙でも書こうか」とか、このヴォーカルのスウィンギーさといったらたまりませんね。軽快で爽快で胸をすく思いです。

 

ぼく個人の感想と断っておきますが、ロックンロール・ヴォーカルに通じるものだって感じました。それは「ビ・バップ・ア・ルーラ」「ハウンド・ドッグ」といったロック・スタンダードを歌っているからというわけでは必ずしもなく、もっとこう、このスキャットマンの持つスピード感とテンションの高さ、リズムのハネといったものがロック・ミュージックに通じる部分もあるなと思うわけなんです。

 

「イグザクトリー・ライク・ユー」「アイ・ガット・リズム」などのこのパワフルさやハチャメチャ、キテレツな破裂ぶり、「マイ・ブルー・ヘヴン」「手紙でも書こうか」などの痛快にハネるスウィング/ドライヴ感、「(アイ・ウォント・トゥ)ロックンロール」「キープ・ザ・コーフィー・ハット」などのこのタメの深い(R&B ふうな)ノリなど、それらはたんにジャズ・ヴォーカル、ジャイヴ・シンギングという枠におさまりきるものではありません。

 

思えば、ジャズとロックは、ジャンプ・ミュージックをあいだにおき、ひとつづきなんです。スキャットマンのすこし前、1940年代に一世を風靡したルイ・ジョーダンは、基本ジャズのひとですけど、ジャンピング・ジャイヴともいうべき独特の芸風で、約10年後のチャック・ベリーの先駆となりました。ジャズ/ブルーズ/ジャイヴのルイ・ジョーダンは、そのままロックンローラーにつながっているんですね。

 

今回ちゃんとしたリイシューがなったスキャットマン・クローザーズは、ジャイヴ/ジャンプ・シンガーでありながら、というかそうであるからこそ、ジャズとロックの中間あたりで、あるいは双方をまたにかけて、歌芸を爆発させたヴォーカリストだったんじゃないか、というのがぼくの見方です。

 

参考プレイリスト。
https://open.spotify.com/playlist/3ALeKbDAMHeESPhYeQYewH?si=YRi9SxzFQRuffgPv8cfr4w

 

(written 2019.9.13)

2019/10/17

ロバート・ランドルフの高揚感が戻ってきた 〜『ブライター・デイズ』

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https://open.spotify.com/album/0O2cq6Qpljvqt4zBas4On2?si=fNSgavWlQLqvorIKx0PFgA

 

実はファミリー・バンドで活動するようになってからのロバート・ランドルフにはイマイチ乗り気でなかったんですね。ペダル・スティール・ギターをぐいぐいとジミ・ヘンドリクスばりに弾きまくるのが大好きだったんですから、歌もやり、ギター・プレイは全体の一部として構成のなかに入れてしまうというのになんだかなじめなくて。でもアルバムが出れば買ってきたし、決してやっている音楽のレベルが下がったとかいうことじゃなかった。セイクリッド・スティールを集中的に聴きたかっただけ。

 

で、ロバート・ランドルフ&ザ・ファミリー・バンドの今年の新作アルバム『ブライター・デイズ』(2019.8.23)。このアルバム題や収録曲の一部の曲題から、ちょっぴりのルーツ回帰というか宗教的、ゴスペル的な含みもあるのかなと想像して聴いてみましたら、たしかにそんな雰囲気がありますね。この独特の高揚感、ペダル・スティールを弾きまくってぐいぐいともりあがるこれこそ、セイクリッド・スティールの世界ですよ。

 

1曲目の「バプタイズ・ミー」からエネルギー全開でぶっ飛ばすロバート。このアルバムでもやはり歌っていますけど、いままでに比べてややギター演奏に比重が置かれているかなと感じられるのも個人的には大歓迎。ヴォーカルのあいまあいまに入るオブリガート・フレーズも今作ではめっちゃキレているし、ソロに入ればかつての興奮を取り戻したような豪快な弾きっぷりで、すばらしい。

 

2曲目「ドント・ファイト・イット」はファンクとロックの中間みたいな感じでスライ&ザ・ファミリー・ストーンみたいですけど、異様な熱を帯びるのはテンポが止まっての中間部の掛け合いパートです。ヴォーカルとギターのコール&レスポンスがとても熱いですよねえ。沸騰しています。そのパートが終わったらリズムが前半部とはガラリと変化して、ロックンロール・ビートみたいになっていますよね。そうかと思うともとに戻って曲が終わります。

 

これらの曲でも典型的に表現されている(ペダル・スティール・ギター弾きまくりを中心とする)音楽の高揚感、それはまさにゴスペル・ミュージックが持っているものですけどそれをポップ・フィールドに応用転化して表現する異様な盛り上がり、こういったことが今回のアルバム『ブライター・デイズ』を貫く基調なんですね。

 

4曲目の「ハヴ・マーシー」しかり、激アツな5曲目「カット・エム・ルーズ」も同様、ファンクな6曲目「セカンド・ハンド・マン」でもそうなら、スピリチュアルな曲調の7「クライ・オーヴァー・ミー」でも同じです。アルバム終盤の二曲ではロバートのギター・ソロがかなり聴かせる場所をつくっているし、バンド全体としてもどこまでも熱く高揚するような演奏で、なかなかいいです、今回のこの新作。

 

(written 2019.9.15)

2019/10/16

マグレブ・ロックなサブリ・モスバ

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https://open.spotify.com/album/73xyZLpWt7P6n4YirKhKEm?si=i-NQJOfVSm6rdAZMJb2Ypg

 

サブリ・モスバ。30代のチュニジア人だそうです。アコール・クロワゼ盤2017年のデビュー・アルバム『Mes racines』にいまごろようやく気づきました。これ、聴きやすくてなかなかいいんですよね。アルバム題は「マイ・ルーツ」の意なので、チュニジア音楽のルーツへの回帰をもくろんだ作品ということになるんでしょうか。でもなかなかロックっぽい曲もけっこうあったりしますけど。

 

チュニジア音楽のルーツといってもぼくはなにも知りませんのでわかりませんが、汎マグレブ音楽的なものを感じないでもないですね。なかでもこのサブリ・モスバにぼくが強く感じるのはモロッコのグナーワ音楽の痕跡ですね。あの独特の反復パターンが産む呪術的催眠効果が、サブリのこの『マイ・ルーツ』にもあるように思います。

 

それをしかしストレートにではなく、まるでブルーズ・ロックに展開したかのようなサウンドで聴かせてくれているっていう、そんな音楽でしょうか。また、アクースティック・ギターやウードで弾き語る、ややフォーキーなテイストの楽曲もありますよ。ちょっぴりだけスアド・マシっぽい?というのはぼくの勘違いでしょうか、でも独特のあの憂いがサブリのアクースティック・サウンドにもあるんですよね。

 

アルバム『マイ・ルーツ』の全10曲は五曲づつ前半と後半に分けられると思います。5曲目まではファズの効いたエレキ・ギターのサウンドが組み立ての中心になっていて、3曲目のアクースティック・サウンドだけが例外なんですけど、それ以外はちょっとロックっぽい感じがあります。エッジの尖ったハードなサウンドですね。ドラムスの音も派手に目立っています。リズム・パターンがロックではなく、やっぱりマグレブ・ビートかなとは思うんですが。

 

6曲目でしんみりとウードの音が聴こえてきたら、アルバムの後半では様変わり。このパートは基本弾き語りですね。ちょっぴりだけアリジェリアのシャアビっぽい感じがなきにしもあらず。ヴォーカルなんかは多重録音でコーラスにしていますので、必ずしも弾き語り一発録りじゃないんですが。哀感と憂いが強く、こういったフィーリングはマグレブ音楽特有なんですかね。このアルバム前半部のアッパーな感じとはかなり違っています。

 

打楽器も、アルバム後半ではドラム・セットを基本的には排し、北アフリカ地域の伝統パーカッションを使うようにしている工夫が見てとれますね。そんななかで、特に7、8曲目はグナーワ・ディフュジオンにちょっと似たようなものがあったような気がするんですが、気のせいしれません。でもこのサブリ・モスバのほうがもっとローカルな伝統色が強いような。

 

あれっ、と思うと8、9曲目ではエレキ・ギターとドラム・セットが使われていて、曲の仕上がりもややロックっぽい感じがしますね。グナーワ・ディフュジオンっぽいマグレグ・ミクスチャー音楽ということなんでしょう。10曲目だけはサブリひとりでのアクースティック・ギター弾き語りで、伴奏はいっさいなし。暗く沈み込むようなつぶやきヴォーカルが印象的です。

 

(written 2019.9.14)

2019/10/15

なんだって、いちばん最初は手入力(川柳)

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今日はグチしか書いていません。

 

iTunes に CD からインポートする際に出る音楽家名、アルバム名、曲名などは、もちろん iTunes がそのデータを持っているわけじゃなく、ネット上の CD データベースを読みにいってコレだというものを表示しているわけです(だから間違うこともあり)。ぼくの憶測ですけど、たぶん Spotify や Apple Music などの音楽ストリーミング・サーヴィスだって、いちからぜんぶ手入力したわけないと思いますから(あまりにも膨大)、大部分が同様にネットにあるデータベースを参照しているんでしょう。

 

データベースにないものは出ませんので、自分で手入力しないといけませんね、だから。あまり有名でない CD を iTunes にインポートしたことのあるみなさんなら、そんな経験もなさっているでしょう。ぼくもなんどかあって、つい先月もエンリッキ・カゼスの2019年新作が Spotify にないので iTunes に入れようとしたらなにも出ませんでしたので、自分で手入力しました。それをもちろんデータベースに上げています。

 

つまりどんなばあいもおおもとはすべて CD データベースです。これが諸悪の根源なんですね。ハナから存在したわけがありませんので、どんな一般的なデータだっていちばん最初はだれかがしこしこキーボードを叩いて手入力していったわけですよ。考えたら気の遠くなる作業です。いったいああいったデータベースに、有名人気 CD だけでもどれだけあることか。

 

で、問題は、たとえば今日上で貼った画像みたいなのです。ガブリエル・グロッシのライヴ・アルバムですが、アルバム・タイトルに「ライヴ」とあるのに、曲名欄でもぜんぶ同様に「ライヴ」の文字がくっついているでしょう。こういうのがぼくはうっとうしいわけです。ライヴ・アルバムなんだから全曲ライヴ音源に決まっているでしょう、それをいちいち書くのはなぜなのか?ワケわかりませんよねえ。ライヴ盤のなかにスタジオ音源があったら知らせてほしいかもですけど。

 

ライヴ・アルバムでぜんぶの曲名に「ライヴ」と書いてあってウンザリするなんてのはすごく多いわけですけど、似たようなことはたくさんありますよ。たとえばビートルズの『アンソロジー』シリーズ。たとえば『アンソロジー 3』のばあいも、ぜんぶの曲名の次に「アンソロジー 3 ヴァージョン」と併記されています。そんなんいらんちゅ〜ねん。いまぼくが聴いているのは『アンソロジー 3』なんだから!とかって、ちょっとイラっとしちゃいます。

 

この種のことが iTunes に CD をインポートする際も Spotify で見ても完璧に同一なもんで、だから iTunes が読みにいっているデータベースと同じものを Spotify も参照して曲名など表示しているんだなと推測できるわけです。そんで、iTunes では CD からインポートする際、ぼくはぜんぶこういったわずらわしいだけの不要情報を手作業でデリートしていました。

 

だって、ライヴ盤の曲名に「ライヴ」とか「ライヴ・ヴァージョン」とか100%不要ですから。iTunes にインポートする際はだからそうやってカスタマイズできるんですけど、Spotify の曲名表記なんかはいじれませんからねえ。うっとうしくなっているのをそのまま眺めているだけで、最近ぼくは音楽を聴く時間の大半が Spotify で、ということになりましたので、さすがにもうやや慣れたというか、このうっとうしさもあきらめ気味なんですね。

 

この種のことは、もとを正せばすべてネットにある CDデータベースの表記に問題があるせいなんですけど、そのデータベースは、いちばん最初はといえば、個人が手作業で入力していってそれをアップロードしたものです。あの種の(複数ある)データベースの発足時にはまずかなりの量を当事者のかたがたが入力なさってサーヴィスがはじまったということじゃないでしょうか。

 

いずれにせよ、まずいのいちばんは手作業によるコツコツ入力だったわけですよね。ぼくがイラッとくるライヴ盤の曲名ぜんぶに「ライヴ」と入っていたりするのも、だからどなたかが(親切心で??)併記してくださりやがったということなんでしょうか。ああ、つまらんことをしてくださったもんです。いちばん最初の手入力作業で、ちょっとおかしなことをしてくれたわけですねえ。

 

その最初の手入力作業のおかげで(たぶんこの先もずっと末代までも)ライヴ盤の曲目ぜんぶに「ライヴ」と書いてあったりするというおろかな表記を目にし続けないといけないわけですね、ぼくたち音楽好き人類は。Spotify にはもはや無限といってもいいほどの音楽があるわけですから、いまから修正するなんてことは不可能でしょうし、ぼくも求めません。ただただこの状態に慣れていく、それしかないんです。

 

(written 2019.9.8)

2019/10/14

ミシシッピのディープ・ブルーズ 〜 R.L. バーンサイド

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https://open.spotify.com/album/30AT3tYydbsfhO5EDu5UKp?si=MYksOPNKSwa8g-rDLcWo4w

 

昨日ノース・ミシシッピ・オールスターズの新作のことを書きました。そのなかに R.L. バーンサイドの「ピーチズ」があったわけですけど、そうしたら俄然聴きなおしたくなって聴いたんですね、RL の『トゥー・バッド・ジム』(1994)を。そうしたら、そのブルーズ表現にあらためて感銘を受けちゃいました。いやあ、なんてすごいディープさなんでしょうか。

 

今回特に感心したのは RL ひとりでの弾き語りナンバーで、『トゥー・バッド・ジム』のなかには三曲あります。3「ショート・ヘアード・ウーマン」、7「ミス・グローリー・B.」、9「デス・ベル・ブルーズ」。これら以外もほぼドラマーひとりが伴奏につくだけというシンプルなアルバムですけど、本質的にブルーズの歌いかた、ギター奏法が弾き語りナンバーでは異なっていますね。その意味では、ドラマー伴奏が付くとはいえ2曲目の「ウェン・マイ・ファースト・ワイフ・レフト・ミー」も弾き語りみたいなもんです。

 

こういった RL だけでの弾き語りブルーズではギターの味も特徴的で、エグ味があって、まるでとぐろを巻くようにどす黒いですよね。でも本人はあんがい軽〜く弾いています。こういったブルーズ演奏は生活の一部なんで、ミシシッピの深南部ではですね、だからなんてことないふだんの姿ですけど、それがぼくらにはこれ以上ない極上の味わいに聴こえるわけです。

 

ヴォーカルのほうも、うめくような漂うような、叫ばず、こっちも普段着のまま軽くすっと歌っているだけなんですけど、この上なくディープですよね。日常生活のなかにこういったブルーズを歌う姿がどこにでもある、そんなヒル・カントリーの黒人たちの伝統のなかに RL もいて、ただそれを淡々と表現しているだけなのが、こっちにはたまらないディープさになるんです。

 

アメリカ黒人ブルーズ・メンのなかにギター弾き語りを披露するひとは、それこそ無数にいますけど、こんな深南部のディープでコクのあるブルーズを聴かせるとなると限られてきますよね。RL は間違いないホンモノのひとりでした。肩の力の完全に抜けた日常のフィールでこんなにも深い表現ができるんですから、ブルーズがからだの深奥にしみこんでいるということですよね。

 

RL は、1994年の『トゥー・バッド・ジム』のあとはバンドで演奏することばかりになって、しかもロッカーなどとの共演も多くあり、今日話題にしているようなひとりでのギター弾き語りブルーズをやることはなくなりました。いまふりかえると、ちょっともったいなかったなという気もします。複数回の来日といった人気獲得とひきかえに手放したものがあったかもしれないですね。

 

(written 2019.10.12)

2019/10/13

ヒル・カントリーのブルーズ・ロック 〜 ノース・ミシシッピ・オールスターズ

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https://open.spotify.com/album/5jEiXH4G09AiHqBkEm2ZMM?si=Bjyf_APXTX-ObzQHRAdMog

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2019/10/08/up-and-rolling-north-mississippi-allstars/

 

ジム・ディキンスンの息子、ルーサー・ディキンスン率いるノース・ミシシッピ・オールスターズ。若い世代ながら、往年のアメリカン・ブルーズ・ロック、サザン・ロックがお好きなみなさんにはうれしい存在じゃないでしょうか。今年の新作『アップ・アンド・ローリング』(2019.10.4)も、このジャケットの雰囲気だけで中身の音楽がどんなものかじゅうぶん物語っていますよね。

 

ノース・ミシシッピ・オールスターズの面々は以下。アルバム『アップ・アンド・ローリング』では、これにくわえゲスト参加のある曲がけっこうあります。

 

ルーサー・ディキンスン(ギター&ヴォーカル)
コディ・ディキンスン(ドラムス、キーボード、ちょっとだけヴォーカル&ベース)
カール・ダフリーン(ベース)
シャリース・ノーマン(バック・ヴォーカル)
シャーデー・トーマス(ファイフ&ヴォーカル)

 

アルバムではオープニングの1曲目「コール・ザット・ゴーン」からノース・ミシシッピのヒル・カントリー・ブルーズを土台にしたハード・ロックが炸裂していますよね。もう完璧にぼく好み。ファイフ(笛)が入っているのがいかにもヒル・カントリーっぽいですよね。ヴォーカルはそれを吹いているシャーデーとルーサーとのコール&レスポンスみたいな感じで進んでいます。ルーサーはまたファズの効いたエレキ・ギターを弾きまくってもいて、それも大好き。

 

3曲目、ステイプル・シンガーズの「ワット・ユー・ゴナ・ドゥー」ではなんとご本人メイヴィス・ステイプルズがゲスト参加で歌っていますが、それを通り過ぎて5曲目で、あれれっ?これも知っている曲だけどなんだっけ?と思って曲目欄を見たら、R. L. バーンサイドの「ピーチズ」じゃありませんか。そうだ、あの曲だ、『トゥー・バッド・ジム』でやっていたやつですね。R. L. はヒル・カントリー・ブルーズ(・ロック)の大先輩。

 

ノース・ミシシッピ・オールスターズ・ヴァージョンの「ピーチズ」は、比較的 R. L. のオリジナルに忠実に沿った内容で、それをそのままロック化したような感じですね。ところでここでもギターを弾くルーサーは、楽器のほうはいいんですけど、声のほうはちょっと弱いですよね。そんなわけでやはり女性ヴォーカルとのデュオ形式にしています。自分でもわかっているんでしょうね。

 

続く6曲目がなんと有名曲「ミーン・オールド・ワールド」。ここではドゥエイン・ベッツ(ギター)のゲスト参加が耳を惹くところ。そう、かのオールマン・ブラザーズ・バンドのディッキー・ベッツの息子ですね。この曲後半ではパッとリズム・パターンが変化して、長めのギター・ソロ・ジャム・パートになっていて、ドゥエインが弾きまくります。そこもいいですね。

 

やはりヒル・カントリー・ブルーズの大先輩ジュニア・キンブロウの曲をやったり(8「ロンサム・イン・マイ・ホーム」)、また上述の R. L. バーンサイドの孫セドリック・バーンサイドを二曲で迎えて歌わせていたりなど、そこかしこに北ミシシッピはヒル・カントリーの音楽伝統に敬意を払いながら進みつつ、それを自己流のブルーズ・ロックに転化しているルーサーは、やはりぼくらには頼もしいかぎりです。

 

アルバム・ラストの音質の劣るワン・トラックは、ルーサーとオサ・ターナー(シャーデーの祖父)との共演音源で、たぶんこれは私家録音みたいなものなんでしょう。その前の11曲目はやはりセドリックに歌わせるゴスペル・スタンダードの「テイク・マイ・ハンド、プレシャス・ロード」で、ルーサーはペダル・スティール・ギターをぎゅんぎゅん弾いています。そのせいでちょっぴりセイクリッド・スティールのワン・ナンバーみたいに聴こえるのもおもしろいところ。

 

(written 2019.10.11)

2019/10/12

リンダ・ロンシュタットの再来、ドーリ・フリーマン、マジでいいよ

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https://open.spotify.com/album/3nrtejgwleUGvNPWXMymV2?si=kuW8cVv4Q5uzE3gHAm806g

 

萩原健太さんにご紹介いただきました。
https://kenta45rpm.com/2019/10/01/every-single-star-dori-freeman/

 

いいですねえ、ドーリ・フリーマン。アメリカ人シンガーですが、まるで往年の、そう1970年代の、リンダ・ロンシュタットそっくりじゃないですか。今年の新作『エヴリ・シングル・スター』(2019.9.27)は三作目だそうですが、これではじめてドーリを知ったぼくはすっかりゾッコン。こんなにチャーミングなポップ・カントリー・シンガーがいまどきほかにいるでしょうか。リンダ・ロンシュタットの再来じゃないのでしょうか。いやあ、好きだぁ、ドーリ!

 

で、本人はヴァージニア生まれで、今回のアルバムもブルックリンで録音したみたいですけど、このサウンドの感じは完璧ウェスト・コーストのそれですよねえ。カントリー・ベースのポップ・ロックで、かすかにラテン香味もあり。ラテンありっていうのがいかにも西海岸的ですよ。こういった明るい陽光のもとで楽しく歌っているような(カリビアン・)カントリー・ロックって、ほ〜んとにいいですよね。曲の歌詞は陰影に富んでいるみたいですけど、サウンドは陽です。

 

曲も書きギターを弾いて歌うドーリを聴いていると、現代のモダン・カントリーが失ってしまったようなナイーヴな素朴さ、ナチュラルなチャーム、簡素な美しさとか、そんなような往年のこの種の音楽の魅力をとことん取り戻しているような、そんな気がします。それはつまるところ1970年代にはリンダ・ロンシュタットが体現していたようなアメリカン・ポップの最も良質な部分でもあって、だからドーリはリンダの再来じゃないかなとまで思っちゃうわけなんですね。

 

アルバム『エヴリ・シングル・スター』でぼくが特に気に入っているのは、ドーリひとりでのアクースティック・ギター弾き語りでしっとり聴かせるしんみりとした4曲目「ユー・ライ・ゼア」、10「アイル・ビー・カミング・ホーム」とかもいいんですけどそれよりも、たとえば幕開け1曲目「ザッツ・ハウ・アイ・フィール」のポップでライトな味付けで歌い出す瞬間とかです。この歌声を聴いてみてくださいよ。

 

その1「ザッツ・ハウ・アイ・フィール」、2「オール・アイ・エヴァー・ワンティッド」、そしてなにより大好きな7「ダーリン・ボーイ」などには、あきらかな中南米風味がありますよね。リズムのハネとかサウンドには間違いないラテン・テイストがあります。三拍子の曲「ダーリン・ボーイ」なんかメキシカンですもんね。

 

だから西海岸的に聴こえるなってぼくは感じるんですけど、実際アメリカ合衆国南部で誕生したカントリー・ミュージックには、南部発祥だからこその近接するメキシコやカリブ地域など中南米音楽要素が抜きがたくあります。ま、アメリカの音楽はなんでもぜんぶそうですけども、カントリー界も例外ではないっていうことですね。

 

そんなカントリー・ミュージックの本質的な部分はしっかり継承しつつ、往年のシンプルでポップな味付けで軽快に歌ってみせるドーリ・フリーマン。まだまだこれから飛躍しそうな気がします。しかしながらいまの時代に「新しい」音楽要素がなにもないっていえばそうなんで、だから2020年代に大人気となったりしないとは思いますが、地道に活動を続けていってほしいですね。応援したいです。

 

(written 2019.10.10)

2019/10/11

ベテランの安定感 〜 ゼカ・パゴジーニョ

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https://open.spotify.com/album/4fN80AnER7ua5DH8U1A7k9?si=QwmBHCYeQxiyJ2xVw3z1cQ

 

ブラジルのサンバ歌手ゼカ・パゴジーニョの2019年新作が届きました。『マイズ・フェリス』(2019.9.17)。これがなかなかいいんですよね。もうベテランのゼカですけど、安定感は変わらず、良質の、そんでもってかなりポップなサンバ・アルバムとなっております。ゼカは歌いかたが、ちょっとこう、投げやりというか乱暴というか、まあそんな感じのひとなんですけど、新作でも人懐こい味はそのままに、伴奏陣は豪華でポップっていう。

 

アルバム『マイズ・フェリス』では、どっちかというと明るく楽しいサンバのほうが多いかなと思います。1曲目のアルバム・タイトル曲をはじめとして、テレーザ・クリスチーナがゲストのカルトーラ作4曲目、瀟洒なストリングス入りの5曲目、ヤクザな感じの6曲目、パーカッションがにぎやかなやや北東部ふうの7曲目、アコーディオン参加の11曲目、コクのある歌の味わいを聴かせる12曲目、大西洋的な明るさのある13曲目と、これらはアレグリア路線ですね。

 

つまりこれら八曲以外はどっちかというとしっとり哀感系、すなわちサウダージ路線がまさっているというか、サウダージがしみ出していると思うんですが、それらも沈んでいる感じはちっともなく、人生とはこういうもんだとでも言いたげな前向きの説得力をもって聴き手に迫ってくるしっとりした情緒があって、いいですねえ。

 

サンバって人生の歌そのものだと思うんですが、生きてりゃいろいろとつらいこともあれば楽しいこともあり、よかったり悪かったり、悲喜こもごも、ないまぜになってぼくたちは生きていると思います。ゼカのようなベテランのサンバ歌手がこの新作でも表現しているのは、そんな人生の機微みたいなものかなぁって思うんですね。

 

アルバム『マイズ・フェリス』では伴奏陣とバック・コーラスを豪華にして、わりと派手めなアレンジをほどこしてあるのも成功ですね。上でも書きましたがゼカはこういった持ち味の歌手なんで、そのまま少人数の地味めな伴奏陣でやると、ちょっと雑な感じに仕上がってしまうかもしれません。今回はどこまでもていねいに装飾をつけたことが、ゼカの投げやりな歌い口をかえってイキイキと聴かせる結果になっていると思いますね。全編でハーモニカも効いています。

 

しかしですね、アルバム・ラストの14曲目「アペロ」(バーデン・パウエル)、これだけはオーケストラ伴奏じゃなくて、アミルトン・ジ・オランダ(バンドリン)+ヤマンドゥ・コスタ(7弦ギター)のデュオだけがバックを務めているんですね。きわめて控えめな伴奏ですよね。この曲での伴奏二名の達人技もすばらしいですが、二本の弦楽器だけに乗って淡々と綴るゼカのヴォーカルがこれまたいいんですよ。ホ〜ント、味ですよね。これぞサンバ。こういうのを聴くと、シンプルな伴奏でゼカの歌をアルバム一枚聴いてみたいという気がしたりもするから、ぼくも勝手なもんです。

 

(written 2019.10.9)

2019/10/10

アクースティック・ビートルズ・セレクション

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https://open.spotify.com/playlist/6TSkSbbLFDuRORn5EHqpwU?si=Kp772WkBR5-DsoOzorsFmw

 

ロック界においてアクースティック・サウンド(電気増幅しない生楽器演奏だけの音)がちょっと特別なものとして注目されるようになったのは、たぶん1990年代の例のアンプラグド・ブームからですよね。MTV の企画番組。テレビ放映され、DVD や CD も作成発売されるのが通例となりました。エリック・クラプトンのやつ(1993)が大ヒットして以後ですかね、人気拡大となったのは。

 

ロック・ミュージックはエレキ・ギターの台頭とともにジャンルそのものが成立したような面がありますので、だからアクースティック(・ギター)・サウンドがややフレッシュに、いつもとはちょっと違った感じに響くというようなことがあるんでしょう。ビートルズのばあいは、しかしけっこうたくさんのアクースティック・ナンバーがありましたよね。

 

そんなビートルズのアクースティック・セレクションのことは、これまた以前このブログで書きました。
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-92e3.html

 

昨日の『アンソロジー』記事同様、今日のこの文章も、そのプレイリストを Spotify でつくりましたのでみなさんどうぞ聴いてね、というだけの意味しかありません。でもなかなか大きなことでしょ、聴けるか聴けないかはね。昨日の『アンソロジー』セレクションと違って、今日のアクースティック・セレクションは、ぼくの iTunes にあるのと100%同一です。

 

でも iTunes 内プレイリストは最近つくりなおしたんですよ。昨2018年暮れに『ワイト・アルバム』の50周年記念ボックスが出たでしょ、あれにイーシャー・デモがありました。CD ならまるまる一枚分になるイーシャー・デモはオール・アクースティックで、エレベも、それからドラムスも使われていません。複数台のアクギとヴォーカルと手拍子と簡易打楽器だけ。それで『ワイト・アルバム』の曲を中心にたくさんやっているですね。ぼくはけっこう好きなんです。

 

イーシャー・デモからは、しかし二曲しか選びませんでした。やっぱりくりかえしじっくり聴きこむと、完成品のほうが出来がいいんです。だからイーシャー・デモからは、これはとってもおもしろい、どうしても入れておきたいというものだけにしました。また、数年前に iTunes のプレイリストとしてアクースティック・ビートルズ・セレクションをつくった際には外した「イエスタデイ」「ノーウィジアン・ウッド」を今回入れました。せっかく公開するんですから。つまるところ、過去作成のものに四曲が追加されることとなり、その結果、トータルでのプレイリスト再生時間は CD 一枚相当分をちょっと超えるということになりました。

 

さて、アクースティック・ビートルズ・セレクション(といいながらコンプリートに近い面がありますが)は、基本的には年代順・収録順に素直に並べてあります。ただ、聴いて楽しめるようにという効果を考慮したので、そこから大きく or 小さく外れているケースがあるのはごらんのとおりです。また、『リヴォルヴァー』にこんなにたくさんあったとは、自分でもやや意外です。サイケデリック期の一枚だけにですね。

 

「ブラックバード」〜「ジュリア」までは、『ワイト・アルバム』一枚目 B 面の流れをほぼそっくりそのまま持ってきました。正直言って『ワイト・アルバム』でいちばん好きなパートです。すこしエレキ・ギターが入るので「ワイ・ドント・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード」を外さなくちゃいけなかったのがやや残念ですが、でもあの二枚組は全体的にビートルズがアクースティック・サイドを表したものだと言えるかもしれません。

 

それに関連して一個おわびを書いておきます。今日のセレクションに入れた『ワイト・アルバム』ヴァージョンの「ハニー・パイ」にはちょっぴりだけ効果音的にエレキ・ギターが使われています。今日はこれ一曲だけが例外です。オール・アクースティックじゃないので基準からしたら選んじゃいけないところ。でもこの(本質的に)アクースティックなサウンドで展開するグッド・オールド・ミュージックを外すことがぼくにはできませんでした。

 

その「ハニー・パイ」が終わったら、たとえば『アンソロジー』ヴァージョンの「アクロス・ザ・ユニヴァース」なども流れてきますが、このヴァージョンではジョージがシタールとタンブーラを弾いていて、サウンド・アイデンティティがやや曖昧(無国籍的?)になっているところが、かえっておもしろく聴こえるんじゃないかと思うんですね。アクースティックなサイケデリック風味もあります。

 

ア・カペラの「ビコーズ」を経て、美しいストリングスと落ち着いた曲想でおだやかな気分にひたれる「グッド・ナイト」で今日の幕引きです。リンゴのヴォーカルもいい味ですし、ジョージ・マーティンのオーケストラ・アレンジもグッド。こんな落ち着いてやわらかい眠りに誘うようなゆっくりしたいい音楽が、ビートルズのなかにもあるんです。

 

(※)「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」もイーシャー・デモ・ヴァージョンに差し替えました。

 

(written 2019.9.3)

2019/10/09

ビートルズ『アンソロジー』ベスト・セレクション

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https://open.spotify.com/playlist/5PSewTdqkZP678KqaZlhH3?si=NJDD1nRNSPeOWEEd0zBYlg

 

三巻にわたるビートルズの『アンソロジー』CD シリーズ。そこからのベスト的なというかハイライト・セレクションを、つまりアンソロジー・オヴ・アンソロジーズを、ずいぶん前につくって楽しんできました。四、五年ほど前からの話でしょうか。そんなプレイリストがいままでずっと自分の iTunes 内にあったんですけど、つい昨日 Spotify で同じもの(100%同じにはなりませんでした、後述)をつくって公開しておきました。それが上のリンクです。みなさん聴けます。

 

『アンソロジー』シリーズのなかに、けっこうちゃんとした、聴ける完成品があるぞ、そういうのだけ抜き出しても CD で一枚程度にはなる、それはかなりいい、という話は、このブログでも三年前に書きました。この過去記事は自分でつくった iTunes プレイリストを聴きながら書いたんですね。
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-a603.html

 

今日の文章はこれのプレイリストを Spotify でつくりましたよ、みなさん聴けますどうぞ、というだけの意味で、だからここで終わりにしてもいいんですけど、ちょっとだけ付言をば。それはぼくの iTunes 内にある『アンソロジー』ベスト・セレクションは、『アンソロジー』三巻と、シングル EP『フリー・アズ・ア・バード』『リアル・ラヴ』と、全曲これらのなかから選曲したんですけど、二枚の EP は Spotify にありません。その EP でしか聴けないカップリング曲があるため、だから Spotify プレイリストはぼくの iTunes プレイリストと100%同一にはなりえません。

 

それは二曲。「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」と、(今日は入れなかった)「ヒア、ゼア・アンド・エヴリウェア」です。数年前に iTunes でプレイリストを自作したときは、前者が『フリー・アズ・ア・バード』EP 収録のものを、後者は『リアル・ラヴ』EP 収録のものを、それぞれ選びました。ところが、それらはまったく Spotify にはないんですね。

 

その「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」はスタジオ・アウトテイクで、ギター・ソロの内容などがアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』収録のものとは異なっています。また「ヒア、ゼア・アンド・エヴリウェア」もスタジオ・アウトテイク。バック・コーラスほぼなしでエレキ・ギターを弾きながらその伴奏だけでポールが綴る淡々としたもので、実にいいんですけどねえ。どうして Spotify にないの〜?

 

こんな事実からも、アップルが公式にフィジカル・リリースした音源が100%ストリーミングで聴けるわけじゃないとわかりますし、っていうことはまだまだぜんぜんどんなかたちでもリリースしていないビートルズ公式音源がかなりあるんじゃないかと勘ぐりますよねえ。今日はそれを述べるのが主眼ではありませんので、ひろげません。

 

ともあれそんなわけで、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」は『アンソロジー 1』収録のヴァージョンに差し替えました。iTunes プレイリストでは「タックスマン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」のあいだに入れていた「ヒア、ゼア・アンド・エヴリウェア」は Spotify にありませんので、消えることとなったわけですね。でも違いはこの二点だけ。

 

また、念のため書いておきます。今日のプレイリスト6曲目の「ベイビーズ・イン・ブラック」は『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル』から選んでいます。あれっ?『アンソロジー』シリーズの外じゃないかと言うなかれ。シングル EP『リアル・ラヴ』にそれが収録されていたんですから。ハリウッド・ボウル・ライヴが公式 CD リリースされたのはもっとずっとあとのことです。アップルもちょろちょろと小出しにしていたんですね。

 

まあそれはいいとして。どうです、ちょっとお聴きになってくだされば、『アンソロジー』シリーズのなかにもかなり立派な完成品がたくさんあるとおわかりいただけるはずです。しかも1960年代に公式発表されていたマスター・ヴァージョンよりもひょっとしたらおもしろいかも?と思えるものだって混じっていますよね。

 

公式発表は『レット・イット・ビー』に収録されてでしたけど初期楽曲の「ワン・アフター・909」のこのノリとか、ジョージがひとりでアクースティックやエレキのギターを弾きながらシンミリと語る「ワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「サムシング」や、あるいは「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」「ゲット・バック」「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプリーズ)」の荒削りでワイルドな魅力。

 

ポールの当初の意図どおりに仕上がっている「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」や「レット・イット・ビー」などの素朴で素直な可愛らしさ、さらにオーケストラ伴奏なしのシンプルな「マザー・ネイチャーズ・サン」や「グッド・ナイト」(後者はリンゴがヴォーカルで、終盤ちょっとだけオケも出ます)らのナイーヴなチャームなど、どれもこれもなかなかすばらしいと思うんです。

 

それらはこっそりマスター・ヴァージョンの代わりに差し替えても通用する立派な出来じゃないかと思えます。ビートルズの『アンソロジー』シリーズって、1995/96年に発売されたときは、こんな未完成のデモや断片みたいなものばかり聴かせてどうすんの!?みたいな意見が多かったと記憶していますけど、21世紀になってジックリふりかえったらこんな見事な玉もたくさんあったんですよね。

 

(written 2019.9.2)

2019/10/08

ボサ・ノーヴァっぽいクラウジオ・ジョルジ 70

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https://open.spotify.com/album/0s0snGDig75H8zoIDLoQGU?si=DD9jIWwARjKxJZ3JkjH5VQ

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-09-02

 

70歳記念のクラウジオ・ジョルジ(ブラジル)の『サンバ・ジャズ、ジ・ライス』(2019)。これってボサ・ノーヴァ・アルバムですよね。伝統的サンビスタであるクラウジオがサンバとジャズとの融合みたいなことを試みて、結果、ボサ・ノーヴァっぽい音楽に仕上がったと、そういうことじゃないかと思うんです。っていうか、理屈じゃなく素直にそのまま音楽に耳を傾ければ、クラウジオがどういう音楽家なのか知らなければ知らないほど、このアルバムの音楽はボサ・ノーヴァに聴こえるはず。

 

ボサ・ノーヴァというか MPB っぽくもあるんですけど、音楽性の根っこに伝統サンバを持ちながらもこういった現代性、ポップネスをも兼ね備えたサンビスタってなかなか得がたい人材ですよね。昨日書いた2001年の『コイザ・ジ・シェフィ』は伝統サンバをそのままやって、その上にモダンでポップな MPB 色を加味したような作品でしたが、今年の『サンバ・ジャズ、ジ・ライス』は1曲目の出だしを聴くだけで、あっ、ボサ・ノーヴァだなとわかります。

 

いちばんボサ・ノーヴァっぽいなと感じるのは三点。ギターのリズム・カッティング、ドラマーの叩きかた、特にリム・ショットの入れかた、クラウジオの書いたメロディの動きです。どれをとってもサンバのそれじゃない、というか根底にそれがあっても現代的で、これはほぼボサ・ノーヴァになっているんじゃないでしょうか。楽器編成でジャズ・バンドのそれを模したということとも関係あるかも。

 

もとからポップなソングライティング資質とヴォーカル資質を持つみたいなクラウジオですけど、このアルバムでの、特に曲づくりには、たとえばアントニオ・カルロス・ジョビンを彷彿させる部分が随所にありますよ。半音で動いてヒョイっと飛躍したりするあたりとかですね、「デザフィナード」をジョアン・ジルベルトが歌うのを聴いているような感じがします。

 

ジョアンといえばですね、このアルバムでのアクースティック・ギターの刻みもジョアンのスタイルに似ていますよね。あの独特のリズム感にクラウジオ自身が寄せてきているんじゃないかとすら思えます。ジョアンを意識したというよりジャズっぽくサンバをやろうとしたその結果としてそうなったということかもしれません。

 

全体的にサンバの土着性みたいなものがうすく、都会的でおしゃれな音楽に仕上がっているこのクラウジオの『サンバ・ジャズ、ジ・ライス』、やっぱり土台に伝統サンバがあるひとなんだなとは聴けば納得なんですけど、仕上がりはボサ・ノーヴァ/MPB 色の濃いモダンな音楽になっているなと思います。3曲目とか4曲目、8曲目なんか、マジでジョビンの曲を聴いている気分なんですけどね。

 

(written 2019.9.11)

2019/10/07

明るく喜びに満ちたサンバ 〜 クラウジオ・ジョルジ(1)

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https://open.spotify.com/album/1oXaPKmz0U6c3IuxJ0BVQF?si=WHP1WGLaRBy8Vwkv90HPvQ

 

bunboni さんに教わりました。お書きになっているのは2019年最新作なんですけど、ぼくは知らないひとだったので、紹介されている三枚を2001年作の『Coisa de Chefe』からぜんぶ聴き、すっかりその最初のやつが好きになっちゃいました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-09-02

 

いやあ、こんなに明るく楽しいサンバがあったんですねえ。聴いていてうれしいことこの上なしのクラウジオ・ジョルジ『コイザ・ジ・シェフィ』(2011)。ブラジル音楽では一般的な翳り、哀感というか、要はサウダージといったものではなく、明るい喜びに満ち満ちたサンバを書き歌いギターを弾くひとなんですね。

 

リズムも快活、大編成のバンドやマス・クワイアも喜びを全身で表現していて、これはもちろんクラウジオの書く曲がそうなっているからですね。アルバム『コイザ・ジ・シェフィ』でも、聴きはじめの1曲目「O Samba Melhor do Brasil」から楽しげで、聴いているこっちの気分も浮き立ちます。特に中盤ごろからカイーシャ(打楽器)のアンサンブルがにぎやかなビートを刻みはじめ、同時に大編成コーラス隊が歌いだしたら、もうたまりません。楽しいぃ〜っ!打楽器とコーラスだけのパートなんかも最高ですね。

 

こんな具合なので、2曲目以後もこんなアレグリア路線をどんどんまっしぐらに突き進むクラウジオ。ずっとそんな調子なのでモノ・トーンにならないかな?と思うと、不思議と飽かせずアルバム・ラストまで聴かせてくれます。約一時間が楽しいったらありゃしない。いやあ、いままでサンバを聴いてこんなに楽しい喜びの感情に満ちたことってありましたっけ?

 

アルバム中、でもちょっとした変化球がないわけではありません。特に10曲目「Só Você」とラスト14曲目の「Samba pro Luisāo Maia」。この二曲は基本インストルメンタル・ソングで、でも前者では後半しっかりクラウジオの歌が出るんですけど、後者では歌らしい歌はなし。どっちもインストルメンタル・サンバにして、ちょっぴりアメリカ合衆国西海岸のフュージョンを想起させますね。特に14曲目のほう。

 

サンバとジャズ・フュージョンはそこそこ関係があると思っていますけど、ブラジルの本家伝統サンビスタがこうやってお手本を聴かせてくれたらうれしくなります。14曲目のほうはこれでアルバムを締めくくっているわけで、それがかなりフュージョン寄りのインストルメンタル・ミュージックになっているのは、サンバのアルバムなのだと思うとやや意外というか、意表を突かれるおもしろさです。

 

聴くひとだれをも笑顔にしてくれる、そして踊らせてしまう、クラウジオの『コイザ・ジ・シェフィ』、CD とかは日本ではもはや入手困難みたいですけど、聴くだけなら特に問題ありませんから。

 

(written 2019.9.7)

2019/10/06

ニュー・ソウルへのサザン・ソウル側からの回答 〜 1972年のアル・グリーン

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https://open.spotify.com/album/58eMx3QrTkiRmGGbSz2XL0?si=CdR3DTdiRiSbAyeQic1TJQ

 

『レッツ・ステイ・トゥゲザー』ってそういうものかもしれないなって、最近思うことがあります。アル・グリーンのこの名盤は1972年の作品ですし、72年といえばニュー・ソウル最盛期じゃないですか。戦争や差別などを扱った社会派でシリアスな歌詞を、ふわっとやわらかい快適なサウンドに乗せたようなサウンドで、曲も自分で書き、さらにその音楽もソウル・マンが自己管理しセルフ・プロデュースするようになっていた時代に、メンフィスのハイのアル・グリーンらは一種の回答のようなものを出していたと言えるような気がします。

 

『レッツ・ステイ・トゥゲザー』にしても、サウンドやリズムは黄金のハイのそれですけど、歌詞は全編恋愛だけを扱っていますよね。こういった、ニュー・ソウルとは正反対ふうな、社会的に拡散しないかのように一見思えてしまう、パーソナル・アフェアだけをこうやって綴っていくのは、しかし実は普遍的な人間性を獲得しているのかもしれないです。

 

アルのアルバム『レッツ・ステイ・トゥゲザー』だと、1曲目のタイトル・ナンバーが必殺で、それだけですべてが決まってしまいますが、個人的にかなり好きなのが7曲目の「ハウ・キャン・ユー・メンド・ア・ブロークン・ハート」です。おなじみビー・ジーズの曲ですね。そのカヴァーですけど、ここでのアルのヴァージョンはオリジナルとはぜんぜん違います。

 

アルやウィリー・ミッチェルらは、このラヴ・バラードをも三連のサザン・ソウルに仕立てているんですね。このリズムとやわらかいサウンドがたまらなく心地いいですよねえ。曲題どおりそっとやさしくなぐさめているようなそんなソウル・フィールの上に、これまた抑制の効いたアルの羽毛のようなヴォーカルが乗って、えもいわれぬ快感じゃないですか。

 

このカヴァー・ソング以外はこのアルバムのためのオリジナルなんで、カヴァー・ソングでかえってウィリー・ミッチェルやアル・グリーンらハイ・サウンドの特色、特長が目立っているなと思うんですね。こんなヴェルヴェットのような肌ざわりのよい音楽って、なかなかないでですよねえ。デリケートにデリケートに、傷ついた心をソフト・タッチで撫でてくれるような心地がします。

 

こんなようなデリケートな音楽の組み立ては、1970年代前半当時のアメリカのソウル・ミュージックの世界では、アル・グリーンとハイのサウンド・メイカーたちが群を抜いてすばらしかったかもと思うんですね。だから、そのころ台頭していたニュー・ソウル連中に対しメンフィスのみんなは、こんな音楽の創りかただってありますよ、とちょっとした対抗意識があったかもしれないなあって感じることがあるんです。

 

(written 2019.9.1)

2019/10/05

いまどきの必殺スウィート・ソウルふたつ

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https://open.spotify.com/album/07PqTotv8diLUNtKwYFrxd?si=0OuE9kGdT8ysdvtgWiNk1g

https://open.spotify.com/album/5qgjDKdzAt2fTNdOgx0qmK?si=3I-ZyXTNS6S-lzhmN6R1WQ

 

今日の文章は、萩原健太さんのブログの複数の記事にインスパイアされて書きました。
https://kenta45rpm.com

 

さてさて、ソウル〜いまどき R&B 素人のぼくですが、どなたか紹介してくださるかたがいらしてぼくの気分も向けば、こういったいまどきの R&B バラードを聴くこともあります。ふたつといっても一個のほうはまだアルバムになってなくて、一曲だけ先行発売みたいになっているだけなんですけど、それも極上なんですね。

 

まずは、デビュー・アルバム『トゥ・マイセルフ』(2019.8.22)をリリースしたベイビー・ローズのほう。アトランタ生まれのレイディ・ソウル・シンガーなんですが、この声!この声をもって生まれてきた、この声で歌えるということだけで、もう勝負が決まっちゃっているような、そんな天性の素材ですよねえ。まるでニーナ・シモンみたいじゃないですか。

 

曲づくりにも参加しているみたいなんですが、もうこのベイビー・ローズのヴォーカルを聴いているだけでじゅうぶんいい気分です。サウンド・メイクや、またヴォーカル・スタイルは、若干古風というか伝統的なソウル・ミュージックのそれを継承しているかなとも思わせつつ、この暗く沈み込むようなダウナーでブルーなノリは、いかにも2010年代末の R&B 仕様じゃないですか。

 

4曲目「プレッシャー」なんか、だれがこのリズムを考えたのか、ちょっと奇妙な変拍子(5+6)を使ってあって、オッ!と耳を惹きますし、しかし主役歌手の歌はまったくよどみないですよね。ドラムス・サウンドいっさい抜きで、エレピとオルガンだけの伴奏で歌うシグネチャー・ソングの6「オール・トゥ・マイセルフ」もとっても切なくてグッド。サウンド・メイクの成功でもありますね。だれがアレンジャーなんだろう?

 

それが終わったら次の7曲目「イン・ユア・アームズ」でやはりドラム・マシンが鳴るのも気持ちいい。アルバムの曲はどれも恋愛関係を扱った歌(失恋)ですけど、歌詞の内容はともかく、サウンドやリズムやヴォーカルに、このベイビー・ローズならではのスウィートさ、メロウさがあって、暗いブルージーさとうまく混じりあっています。まあ全体的には陰鬱なんですけど、それも時代の空気です。

 

もう一個。上で貼った二番目のリンクのドゥラン・ジョーンズ&ジ・インディケイションズの「クルージン・トゥ・ザ・パーク」(2019..8.28)。この一曲しかいまはまだリリースされていないんですけど、アルバムが発売予定ということなんですかね。これは先行シングル?たぶんそうだと思うんですけどね、どうです、この必殺スウィート・ソウル。むかしのことばでいう甘茶ソウル・バラードですね。

 

いやあ、この曲、最高じゃないですか。こっちもぼくはいままで知らなかった連中なんですけど、この一曲だけですっかりファンになっちゃいました。いまどきこんな古風な甘茶なスウィート・ソウル・バラードを聴かせてくれるなんて、考えてもみませんでした。来たる(であろう)アルバムが楽しみですね。

 

(written 2019.9.12)

2019/10/04

ライヴ・ダンス・バンドとしてのタミクレスト

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2019年10月1日、中央線武蔵境駅すぐの武蔵野スイングホールで行われたタミクレストのライヴに行ってきました。このために上京したわけではなく、翌2日にわさみんこと岩佐美咲ちゃんのコンサート・イベントがあるため前乗りしただけですが、1日にタミクレスト公演があると知り、行かない手はないなと思ったわけです。

 

この写真は開演直前のステージです。演奏中は撮影できませんから。

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武蔵野スイングホールはわりと小さめの会場。午後7時の予定ぴったりにライヴははじまりました。ヴォーカル&ギター、サイド・ギター、ベース&サイド・ヴォーカル、ドラムス、パーカッション&サイド・ヴォーカル(&一曲だけギター&リード・ヴォーカル)という編成。最初、会場の雰囲気をさぐるかのようにじわじわと演奏をはじめた彼らですが、徐々に熱を帯びていきます。

 

その熱は、演奏だけ聴いていると、完璧にダンス・バンドのそれでしたね。ドラマーも大活躍でしたが、リード・ギターリストが延々と反復するシングル・トーンのリフ・パターンにかなりのパッションがあって、リズムもダンサブル。実際、第一部からシートにすわったままからだをゆすっているお客さんも多かったです。自然とからだが反応してしまう、そんなビートを、特にリード・ギターリストが出していましたね。

 

第一部はそれでも様子見といった感じで終わったんですけど、約15分の休憩をはさんだ第二部では演奏にグッと熱が入り、リード・ギターリスト(はフィンガー・ピッキング)のはじきだすフレーズの沸点がかなり高まるというようなことになりました。白人サイド・ギターリストとのからみもよりカラフルに。

 

タミクレストがライヴでこんなにも熱くなるバンドだとは CD だとイマイチわからないことです。またやはり CD ではわかりませんがライヴでは一曲の演奏時間がかなり長くなっていました。ぼくも興奮していましたので長さを感じませんでしたが、CD 収録の何倍もの演奏時間におよんでいましたね。即興でどんどん長尺化していたわけです。

 

実際、CD とかで聴く限りでは、タミクレストの演奏能力の高さが伝わりにくいと思うんですけど(砂漠のブルーズのバンドはどれもそうかな)、現場での生演奏を聴くと相当な実力の持ち主だとわかります。演奏したのは CD 収録曲ばかりでしたが、いい意味で原型をとどめていませんでしたからね。どんどん高い熱を帯び、かなり即興的に大胆に展開していました。

 

そんな熱は第二部の終盤でとうとう爆発。バンド・メンバーにうながされて観客も大部分が椅子から立ち上がり、客席前方の空間にまで一気に詰め寄せて、みんながタミクレストの演奏にあわせて激しく踊りはじめたのです。これには正直ビックリでしたね。タミクレストがここまでのライヴ・ダンス・バンドだとは、ぼくはわかっていませんでしたから。

 

もちろんぼくも立ち上がって、肩を腰を足を手を激しく動かし踊りました。そうしていると、実際の演奏時間はかなり長かったと思うんですけどそれを感じず、あっという間にエンディングということになりました。タミクレストがここまで踊れるバンドだなんて、やっぱり CD だけ聴いていたんじゃわかりませんよね。

 

(written 2019.10.2)

2019/10/03

岩佐美咲と三人の歌仲間 2019.10.2

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2019年10月2日、北区は王子の北とぴあ、つつじホールにて行われた「三人の歌仲間」コンサートに出かけてきました。これは同じ長良事務所(長良グループ)に所属する三組の歌手、岩佐美咲(わさみん)、はやぶさ、辰巳ゆうとのジョイント・コンサートで、伴奏も生バンドによる演奏を使用するとあって、ふだんはカラオケ伴奏で歌うことの多いわさみんのファンのぼくとしても大いに期待していたものです。

 

今日のバンドはドラムス、(コントラバスふくむ)ベース、(アクースティック&エレキの)ギター、グランド・ピアノという必要最小限のもので、幕が開いてこれを知ったぼくは、このリズム・セクションだけというミニマム編成で、あのわさみん楽曲の数々をどうこなすのか、たいへんに興味深く見守っていました。それに乗ってわさみんがどう歌いこなすのかも見ものでしたね。

 

今日のこのコンサートは来2020年2月にチャンネル銀河で放送されますので、ネタバレになってはいけませんから、三組の歌手とも具体的な曲目などは書かずにおきましょう。わさみん歌唱分についていえば、オープニングとクロージングで三組合同で一曲づつ計二曲、後半、はやぶさのヤマトとのコラボで一曲、単独では持ち歌を前半二曲、後半一曲、カヴァー・ソングを後半一曲、歌いました。

 

わさみんの歌の調子というか出来はといえば、まあまあというかイマイチというか、はっきり言って一曲目の「む〜〜〜〜」でちょっとアレッ?と思っちゃいましたが、その後は徐々に立て直していけたかなと思います。まあでもこの日のわさみんは音程がやや不安定だったような気がしないでもないです。特に生バンド伴奏だった曲ではそうです。

 

といいますのは、この日、生バンド伴奏じゃなくカラオケを使用したばあいも(三組とも)あって、そのほうがわさみんもふだん歌い慣れているせいか、やりやすいという面があったんじゃないかと思います。カラオケだと分厚いキーボード・シンセサイザーやストリングスやホーンズも入っているわけで、ところがこの日はリズム・セクションだけという伴奏ですので、ふだん慣れないスカスカ・サウンドでわさみんには難度があったかもしれないですよね。

 

四人による生バンド伴奏はたいへんよく練られたもので、アレンジャーさんも紹介されステージに登場しましたが(名前を忘れましたゴメンナサイ)、「む〜〜〜〜」にしろ「さ〜〜〜〜〜」にしろ、これをリズムだけたった四人の生演奏でどうこなすのか、どんな音をどの楽器にどう担当・配置させるのか、細部まで考え抜かれたものでしたし、演奏もこなれていました。四名とも譜面を見ながらの演奏でしたが、演奏能力も読譜力も高いのだとわかりました。リーダーシップはギターリストのかたがとっていました。リハーサルも重ねていたでしょう。

 

だからこそ、主役であるわさみんがもっと安定した歌いっぷりを聴かせないといけなかったと思いますが、ちょっとリラックスしすぎていたのかもしれないですね。コンサート開演前の本人のツイートなどにもありまように、同じ事務所の気心の知れた三組でのジョイントということで安心感ハンパないとのことで、緊張感がやや失われていたのでしょうか関係ないのでしょうか。

 

それでも前半と比較して後半はわさみんもグッと安定感を増し、聴かせどころでしっかり聴かせる安心の歌唱をみせましたので、計二時間のコンサート全体では及第点をあげていいんじゃないかと思います。なにしろ抜群に調子いいときのわさみんを知っちゃっていますので、どうしても比較すれば採点が辛くなってしまうのですが、いまのわさみんの歌唱力はいまの日本人演歌・歌謡曲歌手たち全体のなかでも上位に入るものですからね。

 

ぼくは生初体験だったはやぶさ、辰巳ゆうとの見事な歌も聴けましたし、終演後には三組のみなさん計四人とも(二回ループで)握手できて、最終的にはたいへん楽しいコンサートになりました。それにやっぱり生バンド演奏はいいです。ふだんはカラオケで歌っているわさみんですが、ときどきこうやって生バンド伴奏で歌える幸せをかみしめてもっと精進してほしいなと思います。リズム・セクションだけとはいえ、バンドの生演奏が聴けたのも、この日の収穫でしたね。

 

(written 2019.10.2)

2019/10/02

おだやかで静かなマダール・アンサンブル

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https://open.spotify.com/album/7IUs2n4N3xesUVzkLnz7Er?si=F_0zZbfRQY6cB1Y09K0vUw

 

ジャケットがいいでしょ。マダール・アンサンブルはパレスチナ人ウード奏者とオランダ人ベーシストを中心に、クラリネット(オランダ)、ヴィオラ・ダモーレ(チュニジア)、パーカッション(ヨルダン)を加えた五人組のバンドというかユニット?プロジェクト?たぶんヨーロッパのどこかで活動しているんだと思いますが、ともかく作品はまだ今年リリースのアルバム『アカマール』(2019.5.10)一枚だけです。

 

しかしその『アカマール』のことをぼくは気に入ってしまったんですね。民族的な音楽要素を土台にしつつジャズ/ネオ・クラシックみたいな展開を聴かせるのは、たとえばブラジルやアルゼンチンにも、特にアルゼンチンにかな、たくさんあると思うんですけど、マダール・アンサンブルのばあいは、そのフォーク・ベースが中近東にあるんだと聴こえます。だからやっぱりウード担当のパレスチナ人ニザール・ロハーナが中心人物でしょうね。

 

中近東地域のアラブ歌謡を聴き慣れている耳であれば、完全インストルメンタル音楽を展開するマダール・アンサンブルのなかにも同様の旋律の動きを聴きとることができるはずです。旋法も同様のものを使っていますしね。しかしときおりそこから離れてフリーなインプロヴィゼイションを展開する時間もあったりなど。即興は決して熱く激しく盛り上がったりはせず、淡々としておだやかで静かなこのユニットの音楽性をどこまでも維持しているんですね。

 

即興と書きましたが、しかしこのマダール・アンサンブルの音楽は、かなりな部分記譜されているものだろうと推測できますね。ウード、クラリネット、ベース、あるいはそこにヴィオラ・ダモーレも参加したりしてアンサンブルを奏でていたりする部分は、アド・リブでは実現不可能なもののように思えるからです。記譜済みアンサンブル部分のほうが、どっちかというとこのユニットの音楽の大きな部分を占めているんじゃないでしょうか。

 

ウードやベースよりも、クラリネットは音も鮮明で大きいですから、目立つといえば目立ちます。オランダ人らしいんですけど、そのクラリネット奏者がソロを吹いている時間にはアラブ色はほぼなしですね。クラシックとか西欧ジャズだとかに近い内容に聴こえます。しかしそれだけじゃないでしょうか。ほかはソロもアンサンブルもアラブ・フォーク・ルーツに根ざしているのは間違いないですよね。

 

マダール・アンサンブルの特色は、そんな民族色を濃ゆい表現にはせずに、どこまでも西洋的に洗練された、おだやかで静かで落ち着いて美しい、まるで夜のしじまにゆったりと漂っているかのような、そんな風景を見せているところです。決して熱情的にはならず、あくまでクール。そこがこのユニットの、このアルバムの音楽の、魅力じゃないでしょうか。

 

だからじっくりと腰を据えて聴き込むというのもいいけれども、それよりも、ちょっとしたナイト・タイムの BGM なんかとして最高にいい雰囲気をつくってくれる作品だなと思いますよ。ちょっと暗いっていうか陰鬱、ダウナー(で、やや幻滅するように退廃的?)な音楽なので、気分を選びますけどね。

 

(written 2019.9.2)

2019/10/01

想像力の涵養

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音楽を聴く効用のひとつに、想像力の涵養ということがあると思います。この音がこう来たら、次はどうなるだろう、たぶんこうだ、とまだ鳴ってもいないサウンドが頭のなかにかきたてられるわけです。こういったことは、たくさん音楽を聴いてきているリスナーのみなさんであれば必ず体験していることだと思うんですね。はじめて聴く曲でも次の音が想像できる、これはわりとふつうのことです。

 

音楽を聴いていて、この音はこの先どうなるのか、次にどんな音が来るのか、あるいはこういったサウンドだったならきれいだなあ〜って頭のなかで思い浮かべることですね。そのとおりに音楽が進むと、よしっ!っていう気分になったりするし、期待が外れると、う〜んこうだったらよかったのに〜とちょっと残念で悔しい気もしたりなど、みなさん体験していますよねえ。

 

これは、こういう音楽ならこういったサウンドの並びになっていくだろうっていう、ある程度のパターンが自分のなかに刻み込まれているからであります。だから裏切られたときに、それが楽しく美しかったら新鮮な驚きで、うれしい気分になったりもしますよね。思ったとおりに次のサウンドが来ても、マンネリなパターンだとつまらないって感じるのも当然です。

 

一種のミュージシャン、あるいはプロデューサー感覚ということに近いことかもしれないですが、音楽を創っていくようなそんな立場に、頭の想像のなかでだけなっているということです。この感覚があるかないかは、ただ聴くだけのファンであるぼくが聴いて楽しむだけのときにも、その享楽感覚の深さを支配する大切なことになっていたりするんですね。

 

音楽をぼくは創造するわけじゃありませんが、音楽を想像するということは毎日どんどんやっているわけです。CD でも配信でもどんどん聴いていて、その聴いている音楽の理想的な姿、目標を思い浮かべることは日常的にやっていますよね。すると、目標が高いせいなのか、その理想レベルに達している作品に出会うことはなかなかありません。でも、たまに出会えると運命の相手だ、人生パートナーだって思えますよね。

 

そんな想像=創造の理想的パートナーともいうべき音楽作品を自分のなかでどんどん増やしていくことが、音楽だけ人生を歩んできているぼくにとってはかなり大切なことで、滋養にもなっているし、いざというときには助けられたりもするし、生活のうるおいになって、生活、人生が充実しますよね。

 

こういったことは、音楽を長年にわたりたくさんどんどん聴いていないとたぶんできないことかもしれません。音楽のある程度のパターンを脳裏に刻み込んでいく、そのストックが増えれば増えるほど、自分のなかでの自在な(音の)想像力もたかまりますから。だから、まったく聴いたことのない新鮮なパターンの音楽に出会って、しかもそれがすばらしいものであったときの感動も、またいっそう大きいんですね。

 

そういった想像力の涵養は、創造というものに(頭のなかでだけであったとしても)姿を変え、それはもの(音楽)をつくりだすだけでなくて、自分の人生をつくりだしていくことにも大きくかかわります。そうです、音楽を聴いて想像力をたかめることは、人生を創造することにつながるんですね。

 

(written 2019.8.24)

2019/09/30

アクースティック・ギターのキレるライの1977年ハンブルク・ライヴ

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https://www.youtube.com/watch?v=C-9R6A05e3s

 

なんだかよくわからない会社から発売されているライ・クーダー1977年のハンブルク・ライヴの CD / DVD。バンド名がライ・クーダー&ザ・チキン・スキン・バンドとなっていますけど、この名前でツアーしたのか、それとも CD リリースに際し勝手に命名されただけか、ちょっとわかりません。いずれにせよ前年にスタジオ録音による大傑作『チキン・スキン・ミュージック』がありますので、それにあやかったものですね。

 

実際『ライヴ・イン・ハンブルク 1977』のバンドも、フラーコ・ヒメネスら『チキン・スキン・ミュージック』でのそれをだいたいそのまま起用したものですし、CD 収録の曲目も似た感じなんですね。知らない会社から発売されていて、権利関係もあやしいですけど、これはたぶん当時のテレビ放送用音源を流用したものですね。DVD も発売されているのはそれがソースでしょう。

 

細かいことはいいとして、ライの『ライヴ・イン・ハンブルク 1977』、音楽の内容はかなりいいです。ライのライヴ・アルバムのなかでも上等の出来に入るかもしれないですねえ。1977年のツアーですから、ライ自身最も充実していたし、充実するのが当然だったというべきでしょうか。フラーコのアコーディオンも斬れ味鋭く切れ込んできます。

 

まずは『チキン・スキン・ミュージック』でもやっていた「スタンド・バイ・ミー」をそのままのスタイルで披露。その流れで3曲目のおなじみ「ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」まで行きますが、その「ダーク・エンド」は、でもなんだかよくわからない内容です。前半はライらしいギター・インストルメンタルで、『ブーマーズ・ストーリー』(1972)でやっていたとおりだなと思っていたら、後半はヴォーカルが出ます。

 

しかしそのヴォーカルがあまりちゃんと聴こえないので「なんだかよくわからない」という印象になってしまうんですよね。録音状態のせいかミキシングかマスタリングかわかりませんが、当日の会場ではたぶんこんなことはなかったのでは。ヴォーカル隊はテリー・エヴァンズら三名のコーラス。「ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」後半でもその合唱でこなしていると思うんですけど。

 

でもその次の4〜7曲目の、ライのアクースティック・ギター弾き語りセクションがなかなかの聴きものなんですね。トラッド・フォークとかブルーズとか、ゴスペルみたいなものもあったり、オールド・タイム・ミュージックふうだったりもします。ギターのサウンドがキレていて、かなり内容がいいなと思います。7曲目の「レット・ユア・ライト・シャイン・オン・ミー」でコーラス隊が入る以外は、完全にライひとりでの弾き語りです。

 

このアクースティック・ギター弾き語りコーナーがかなり聴かせるものなので、だからそこにこのハンブルク・ライヴの価値があるんだと思うんですね。1977年だからライのギター演奏の腕前には1ミリの疑いもありません。いやあ、見事。うまいのひとことで、降参するしかない凄腕です。何気なくパラパラっとはじいているときですら、音色がキレまくっていますよねえ。

 

そのアクースティック・ギター・セクションが終わると、ライはふたたびエレキ・ギターを持ち、フラーコらバンドも戻ってきて、ライ言うところのポルカ・タイムに入ります。それがおなじみ「ド・レ・ミ」。そうか、こういうのはポルカといえばいいんですね。それもテックス・メックス・ポルカだと言えましょう。そのままこれもおなじみ「グッドナイト・アイリーン」に入り、ラストはメキシカン・ランチェーラ「ボルベール、ボルベール」で締めとなります。

 

(written 2019.8.30)

2019/09/29

ガブリエル・グロッシの最新ライヴ盤がいいね

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https://open.spotify.com/album/1IGs9QujlA2FedF4C8jDhY?si=H5xaH1wORcSG4SUMCltIaA

 

https://gabrielgrossi.bandcamp.com/album/motion

 

きれいなジャケットですねえ、ガブリエル・グロッシの最新アルバム『#モーション(ライヴ)』(2019.6.28)。ガブリエルはブラジルのクロマティック・ハーモニカ奏者。アルバムはライヴ収録で、編成は自身のハーモニカ以外、トロンボーン、ピアノ、コントラバス、ドラムスのクインテット。ほか若干のゲスト参加がある曲もふくまれています。全体的にはジャズ寄りの作品と言えるでしょう。

 

しかしこの『#モーション(ライヴ)』、2019年リリースの UK 盤なんですけど、今年の作品じゃないんだろうと思います。というのも bunboni さんが昨年ブログでとりあげていらっしゃったガブリエルの2018年盤『#Em Movimento - Ao Vivo』が同じジャケットで、読むかぎり内容も同じだとしか思えないからです。ということは2017年のライヴ収録ですね。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-09-17

 

だから、今年になって UK リリースの再発盤ということでアルバム題も(ほぼ変わらない意味の)英語にして出しなおしただけのものじゃないですかねえ。そのへんちゃんとした事情がぼくにはわかりませんが、とにかく2019年のついこないだ八月にディスクユニオンが新リリース品として宣伝していたツイートを読み、去年のことをすっかり忘れていた(買わなかったから)ぼくは喜んで聴いて、つまりひっかかって、こりゃあいい!といまごろ思っちゃったんで、せっかくだからちょっこっと書いておいてもいいでしょ〜。

 

ガブリエルの『#モーション(ライヴ)』、全体的にはやはりジャズ・ハーモニカ作品ですけど、なかにはサルサっぽい展開を聴かせるものや、ショーロ寄りかなと判断できるような演奏もあります。サルサっぽいとは、エルメート・パスコアールが参加している5曲目「ラテン・ブラザーズ」のこと。特にエルメートがなにやら叫んでいるパートが終わったあと、ピアノのエドゥアルド・ファリアスがサルサ・スタイルの弾きかたをしていますよね。

 

もっといいなと思うのがアルバムの後半ですね。7曲目の「エンブレイシング・エイニョルン」以後。ここからラストまではマウリシオ・エイニョルンへのトリビュート・セクションになっていて、そして実際、終盤にはマウリシオ本人もゲスト参加しているんですね。マウリシオはクロマティック・ハーモニカ界におけるガブリエルの大先輩です。もう80代なかばを越す年齢じゃありませんでしたっけ。

 

トリビュート・セクション1曲目の「エンブレイシング・エイニョルン」もやさしくあたたかい手ざわりで曲題どおりの演奏で、とってもいいですよねえ。トロンボーンも地味に効いていますし、なにより曲想とハーモニカ&トロンボーンの演奏するこの独特の哀感こもる情緒、これこそサウダージですよ。ジャズであるとはいえブラジル人じゃないと表現しえないフィーリングですよねえ。いやあ、たまりません。

 

「バンゾ」「ア・トリビュート・トゥ・ビツーカ」では、ジャズ・ハーモニカ奏者としての一級の腕前を聴かせてくれます。いやあ、凄腕テクニシャンですね、ガブリエルって。いま現在の世界のクロマティック・ハーモニカ界ナンバー・ワンの実力者じゃないですか。クインテットのアンサンブルも見事。セルジオ・コエーリョのトロンボーンとのかけあいもすばらしいですよねえ。

 

そして、続くアルバム10、11曲目こそこの作品のハイライト、ガブリエル・グロッシとマウリシオ・エイニョルンとの共演コーナーです。いやあ、これは本当に聴きものなんです。10曲目の「ディファラント・ビート」では二名のからみがまだそんなに目立たないんですけど、11曲目のピシンギーニャの書いた名ショーロ「カリニョーゾ」が極上。これはハーモニカ奏者二名だけの完全デュオ演奏なんですもんね。こんなシンミリ沁みる「カリニョーゾ」、あまり聴いたことないです。現存する決定的なヴァージョンになったのではないでしょうか。このハーモニカ・デュオによる「カリニョーゾ」一曲だけのためにこのアルバムを聴いても損はないです。

 

(written 2019.8.29)

2019/09/28

マーク・コーンとブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマの共演盤がいい

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https://open.spotify.com/album/5Cp0uOeUGaNgGuT0fPlgko?si=JDm__PnHSwSaalcVtm3Pkw

 

なにものだかぼくはよく知らないマーク・コーン。今2019年にブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマとの共演盤がリリースされたことを、萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2019/08/14/work-to-do-marc-cohn-blind-boys-of-alabama-bmg/

 

今年リリースされたマーク・コーンとブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマの共演盤『ワーク・トゥ・ドゥー』(2019.8.9)。後者はもちろん名門ゴスペル・ヴォーカル・グループですが、前者はどうやらシンガー・ソングライターみたいです。知らなかったんですけど、かじってみたところ、ちょっとポール・サイモンと共通するようなスピリチュアルな持ち味の、やはり同様に黒人音楽やゴスペル・ミュージックに通じたひとなのかもしれません。まだちゃんと聴いたとは言えませんが。

 

ともあれ新作『ワーク・トゥ・ドゥー』がかなりよかったんですよね。マーク・コーンとブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマの全面共演が実現したいきさつについては、上でリンクした健太さんのブログにくわしく書かれていますのでお読みください。『ワーク・トゥ・ドゥー』では冒頭三曲がスタジオ録音の新作で、残り七曲がテレビ・ライヴ音源です。

 

ぼくの胸を打ったのは、もう断然ライヴ収録分ですね。七曲のうち、ゴスペル・スタンダードみたいなのは「アメイジング・グレイス」(ここでは「朝日のあたる家」のメロディで歌われる)だけで、ほかはすべてマーク・コーンの自作ナンバーです。それが実にスピリチュアルな感触で、いいですよねえ。ゴスペル・ソング的と言ってもいいくらいです。

 

マーク・コーンというシンガー・ソングライターは、ふだんは特にゴスペルとは関係ない世界でやっているひとだと思うんですけど、あ、いや、よく知らないですけど、たぶん。しかも『ワーク・トゥ・ドゥー』に収録されているものは、ブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマとの共演による最新の再演であるとはいえ、曲じたいは以前からの旧作レパートリーばかりです。

 

それがここまでゴスペル・ソングっぽく聴こえるというのは、もちろんこのベテラン・ゴスペル・グループのコーラス(&リード)・ワークのたまものでありますけど、曲そのものにそうなりうる可能性がもともとひそんでいたからだと考えるべきでしょうね。1991年デビューらしいマーク・コーンなので、もっと早くチェックしておくべきでした。

 

デビューといえば、今回再演されている「ゴースト・トレイン」「ウォーキング・イン・メンフィス」はその1991年のマークのデビュー作が初お目見えだったようです。ここでのブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマとの共演ヴァージョンのすばらしさといったら、格別ですよねえ。バンドも見事な演奏ですけど、なんといってもリードのマークとバックのコーラス隊のやりとりがすばらしいです。鳥肌ものですよ。

 

特にマーク・コーンのシグネチャー・ソングらしい「ウォーキング・イン・メンフィス」が、このライヴの目玉でしょうね。南部ブルーズやエルヴィス・プレスリーなどを歌い込んだ、マークなりの黒人音楽トリビュート・ソング。それがブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバーマの手を借りて、ここまで荘厳なゴスペル・ソングに変貌しました。もとからスピリチュアルな感触を持った曲だったのですが、このライヴ・ヴァージョンは本当にスペシャルです。

 

(wrtten 2019.8.28)

2019/09/27

多彩なリズム・アプローチのブラジリアン・ジャズ 〜 ベト・コレーア

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https://open.spotify.com/album/0PPwShQGs4lO9OYZMfsMMz?si=KHe9OW19RuisQhY1WFJDyQ

 

bunboni さんのブログで読みました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-03-30

 

ブラジルの新進ピアニスト(&アコーディオン奏者)であるベト・コレーアのデビュー作『Dias Melhores』(2018)。この作品最大の特色は、リズムの多彩な表現にあるんじゃないでしょうか。たぶんブラジル人ミュージシャンでしか演奏できなさそうないろんなリズムをジャズのなかに活かしているっていう、そういう音楽じゃないかと思います。さらに、躍動的でありながらサウンドの当たりはやわらかいんです。メロディがきれいだからですね、きっと。

 

いきなり1曲目「Corredeira」 の出だしでピアノ・リフが鳴りはじめるところからして鮮烈な印象を残しますし、ベトのピアノに引っ張られるようにバンド全体が奏でているリズムも活き活きとしていて、しかもさわやかですよね。さらに、書きましたようにベトの書くメロディはきれいなので、聴いていてやわらかい印象があります。リズムのさわやかさ、華やかさ、に加えて当たりのいいきれいなメロディ、こういったことがベトのこのデビュー作の特長ですね。

 

リズムの躍動感を抑えた、かなりロマンティックでリリカルなアルバム・タイトル曲の3「Dias Melhores」を経て、続く4曲目「Baião de Agradecimento」はタイトルどおりバイオーンです。ベトがアコーディオンを弾くこの曲がぼくは大のお気に入りなんですね。ブラジル北東部出身のバイオーンのリズムがやっぱりなんといってもいいんですけど、同時に、まあアコっていう楽器の音色のおかげもあるとは思いますがあたたかみのある曲で、ソフトで聴きやすいですよね。

 

言い換えれば親しみやすさっていうか、このデビュー・アルバムでベトが書いている曲はどれもファミリアーな感触があって、聴いていてなごめて、角ばったところがなく、だから好きなんですよね。4曲目のアコでバイオーンを弾くっていうのは定番ですけど、ベトならではの親近感のある仕上がりになっているのが好感触です。

 

やや抽象的に展開する5曲目「Pega o Saci」ではピアノで演奏する細かい反復リフが耳につきますが、続くヴァルサ(ワルツ)の6曲目を越して、7曲目「Novilho Brasileiro」ではやや野生的っていうか土着的なフィーリングがしますよね。ドラマーもパーカッション群を重ねていますが、このリズムの洗練されていない感じが、かえっておもしろい味をこの演奏に加えていると思います。

 

4曲目のバイオーンと同じくらい好きなのが、リズムが複雑で入り組んでいる8曲目の「Cinco Entrevado」。これ、しかしなんだかわからないリズムの組み立てになっているなあと思ったら、アルゼンチンのチャカレーラの3拍子+2拍子の応用であると bunboni さんに教えていただきました。こう書くとむずかしそうに思えますが、ベトらのパフォーマンスは実にスムースで違和感なしです。すごいなあ。斬新で、なめらか。

 

やはりアコーディオンをベトが弾く9曲目の親しみやすさを通過して、アルバム・ラスト10曲目はいかにも2010年代後半の現代ジャズといった趣。これだけはアメリカ合衆国人のジャズ・メンでも書いてやりそうな曲です。リム・ショットも効果的に入れているドラマーの叩きかたがぼくは好きです。

 

(written 2019.8.27)

2019/09/26

2ビートは跳ねる

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まず実例をちょっと聴いていただきたいと思います。これはつい最近リリースされたばかりのダヴィーナ・アンド・ザ・ヴァガボンズの新作『シュガー・ドロップス』1曲目「ボーン・コレクション」。

 

https://open.spotify.com/track/2SD4YlWHQw4YGeJwzaw097?si=GuMJj7gMRu-yOen1wo6e_Q

 

レトロなグッド・タイム・ミュージックを得意とするダヴィーナのこの「ボーン・コレクション」という曲のリズムは、2/4拍子ですよね。一小節に四分音符が二つ並んで、1と・2とで強弱・強弱と。それをくりかえすものです。さて、こういった2ビートを聴いていて感じるのは、わりと大きく跳ねているなということです。

 

1&2でボンとこの曲ではコントラバスが音を置いていますが、そのあとの「と」のところが空いていますよね。空間、スペースが生まれています。その空けられたスペースで大きく跳ねているようなフィーリングをぼくは感じるんですね。「と」でスネア・ロールでも入っていれば完璧です。

 

2ビートの、この空間でポ〜ン!と跳ねる感覚は、たとえばジャズ・ミュージックなんかで聴ける、その後の4/4拍子と比較してみればいっそうよく理解できると思います。4ビートの曲の実例をあげる必要はないでしょうけど、4ビートだとこういった跳ねるスキマはなく、もっとスッと平べったく、一直線に進むような、そんなフィーリングですよね。

 

言い換えれば、2ビートは流れず、大きくポン、ポンと跳ねる感じ。4ビートは平べったくズンズン進む、流れる感じ。4ビートはびっしり敷き詰める感じで、逆に2ビートは空間が空いて、そのスキマでボンと大きく跳ねることができているような、そんなふうに聴こえませんか。

 

2ビートと4ビートのこの、リズムがジャンプする感覚の違いはおもしろいですよね。一般に、アメリカン・ミュージックがリズムにシンコペイションが効かせ跳ねるようなフィーリングを持ちはじめるのは、ジャンプ・ミュージックやリズム&ブルーズ(やその後のロック)など、8ビート・ミュージックが一般的になってきてからと考えられているのではないでしょうか。

 

シンプルに考えて、アメリカン・ミュージックのビートは、2拍子→4拍子→8拍子→16拍子と細分化されてきたと言えるでしょう。しかし、最初のころ、19世紀末〜20世紀初期の2ビートにこそ強く跳ねる感覚があって、実はそれが8ビート・ジャンプの感覚に近いものだったんじゃないかという気も、最近しているんです。

 

今日はたまたま最近聴いたもので、素材は新しいほうがいいかもと思って、いちばん上でダヴィーナ・アンド・ザ・ヴァガボンズの2019年最新作から一曲とりあげました。でも、こういったことはこのダヴィーナの曲に限った話じゃなくて、一般に2/4拍子のなかにずっと感じているものなんです。2ビートというと、アメリカン・ミュージックではごく初期のジャズやジャズ系のポップ・ソングで主に使われていてものだという気がしますよね。気がするというよりそれが真実だろうと思います。

 

2ビートを主体とする、ジャズなど初期のアメリカン・ミュージックは、カリブ海地域の音楽とかなり密接な関係があったんですけど、そのことも関係あるような気がしますよね。カリビアン・ミュージックのリズムの特色は、跳ね・シンコペイションにありますから。

 

4ビート・ジャズの、あのフラットに(平坦に)ずんずん進む感覚は、ぼくの見るところアイリッシュ・ミュージックのリールにそっくりで、たぶんその影響も強かったと思うんですけど(アメリカにはアイルランド移民が多い)、跳ねる2拍子の感覚がどこから来たのかというと、どう考えてもカリブ海地域の音楽からだとしか思えないです。

 

ジャズなどが、最初期はそんな跳ねる2ビートの感覚を持っていたにもかかわらず、時代が進むにつれその感覚を(いったんは)消して、跳ねずにフラットにスッと進む4ビートに移行したのはどうしてだったのか、そのあたりは社会文化的な側面もあわせて考えてみないとたぶんわからないことだろうと思うので、今日のところはこのへんでやめておきます。とにかく2拍子はおもしろいですよ。

 

(written 2019.8.27)

2019/09/25

なるべくたくさんの音楽をぜひネットで聴けるようにしてほしい

Spotifybloomberg

「手軽に聴けること」も、ポピュラー・ミュージックの重要な要素のひとつですよね。イージー&カジュアルに、パッと聴けることは大切です。アナログ・レコード世代でありながらレコードを買ったり聴いたりするのをやめて CD にほぼ全面的に移行したかたがたの最大の理由もここにあるんじゃないかと思うんです。CD はレコードと比較してとにかく取り扱いが簡便で容易です。だから聴きやすい。したがって気軽にパッと取り出して軽い気分で聴けるんですね。持ち運び、外出時に聴くのだってラクチンです。

 

そんなわけだから、いまやその CD も廃れて、いや、廃れなくていいんだけどそのままでいいんだけどふだんはネットで聴く、たいていはストリーミングで聴く、ということにみんなが移行しつつあるのも当然の流れのように思えます。とにかく録音音楽再生の歴史はこの一方向の流れでずっと進んできているんですね。19世紀末の蝋管プレイからこのかたずっと一世紀以上。

 

ネット経由であるといってもファイルをダウンロードして自分のローカル・ストレージに置きそれを聴くというのは、またちょっと世界が違っているなと思うんですね。最大の理由はストレージ容量がどんどん減っていくところにあります。ダウンロードしたファイルはたまる一方でしょう。しかし手元のパソコンなりスマホなりのディスク容量は限りがありますから、いつの日かダウンロードできなくなります。

 

このことは部屋のなかに レコードや CD(や書籍)があふれていて足の踏み場もないという状態になっていくというのと本質的に同じことですね。物体やダウンローディッド・ファイルで聴くというのは、モノがあふれかえって収拾がつかなくなるという事態を招くという点では、人間生活を破壊するという面がなきにしもあらず。もちろんたっぷりの経済力があって、部屋(やディスク・ストレージ)も大きなものを用意できるという裕福なかたがたなら話は別ですけどね。

 

こんなような意味で、音楽を CD やダウンロード・ファイルで買わず、ストリーミングで聴くというのはとても大きな意味のあることなんですね。しかも検索すればパッと容易にお目当のアルバムや曲や音楽家が見つかりますから、その場でクリック(タップ)すれば即座に聴けます。ナイス&イージー、いいことじゃないでしょうかねえ。

 

その〜、まあぼくらは、あ、いや、ぼくは、手間に意味を見出すタイプじゃないんで、こと音楽聴取にかんしてはですね。レコードや CD を買ったり再生したりするのはその手間が、部屋やストレージがパンパンになってしまうことが、心のなかでの一種の儀式みたいなものとなって意味を持ち、それで音楽の価値が増すとか、ちゃんと聴けるとか、そんなことはぼくのばあいは全然ないわけです。簡単・手軽に手間なしで聴ければ聴けるほど、くりかえし楽しめるし、そうすればリスニング体験も充実するんです、ぼくはね。

 

もうひとつ、みんなでシェアできるというのがストリーミングで聴く際のとってもとっても大きなメリットですね。この音楽アルバムはすごくいいですよ、ちょっと聴いてみて〜と思っても「CD 買って」「ダウンロードして」じゃあ、たぶんなかなか(ほとんど)実現しません。いい音楽をシェアできないです。どなたかが勧めてくださっているものをバンバン CD でまず買ってみるなんていうのはソ〜ト〜奇特な部類なんですよ。

 

Spotify でも Apple Music でも、オススメにはリンクを書けばいいだけっていう、だから読んだひともそれをクリック(かタップ)すればそれだけでそのまま即聴けて、そのままリアルにレスポンスがあるっていう(まあなかったりも)、そこが音楽を食べて生きている人間にとってはかなり大きなことなんですね。そういったことが SNS を舞台に起きていることなんですね。

 

あとはやっぱりなんだかんだ言って CD を買わなくても聴ける、高音質でフルに聴けるっていうのは、経済的にとてもメリットの大きいことですね。だれだって無制限に買いまくれませんから、裕福なみなさんのことは知りませんよ、ぼくのことです。またそれから、ネット聴きだと新作でも発売されたら待たずにすぐ聴けるというのも大きなことですね。「待つ」ということに意味を見出すかたがたがいらっしゃるかもしれませんが、リリースを知ったらすぐ聴きたいというのも、わりとあたりまえな世間的人間心理だと思います。

 

(written 2019.8.18)

2019/09/24

いまに息づく小洒落たスウィング・ジャズ・コンボ 〜 ホット・クラブ・オヴ・カウタウン

Wildkingdom

https://open.spotify.com/album/02RByYHPAxCsLYWz4VaZaG?si=zt8Cgyu8TnSV0dKlHgidfg

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/09/19/wild-kingdom-hot-club-of-cowtown/

 

今年の新作『ワイルド・キングダム』(2019.9.13)ではじめて聴いたホット・クラブ・オヴ・カウタウン。ギター、フィドル、ベースの三人組で、アルバムではほかにもピアノやドラムスが参加しています。ところでこのバンド名はジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリのそれを意識したんでしょうかねえ。音楽性をみてもなんだかそんな気がします。

 

だからホット・ジャズっていうか、スウィング・ジャズ・コンボですよね。いちおうウェスタン・スウィングのフィールドにいるらしいので、カントリー・ミュージックとも関係あるんでしょうけど、アルバム『ワイルド・キングダム』を聴くかぎりでは、ほぼジャズ・コンボですね。そのへんは線引きなどできないのですけども。

 

『ワイルド・キングダム』の全14曲では、有名スタンダードのカヴァーが三曲(「スリー・リトル・ワーズ」「ロック・ロモンド」「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」)。ほかはメンバーの書いたオリジナルですけど、オリジナルといってもこのアルバムで聴くかぎりではまったくおなじみのスウィング・ジャズ路線で、いい意味で新鮮味はありません。

 

つまり(若干の例外はあるものの)アルバム全編が既視感ばりばりのスウィング・ジャズ・スタイルというか、ジャンゴ&ステファンのフランス・ホット・クラブ五重奏団のようなというか、まったくその感じで貫かれていて、こういうのって好きなひと(ぼくはそう)はどこまでも好きだけど、受けつけないひとにとってはぜんぜんダメだろうなと思います。

 

ちょっと1曲目の「マイ・キャンディ」を聴いてみてくださいよ。もうそれだけで判断できると思いますよ、こういう音楽が好きか否か。アルバムは(いい意味で)金太郎飴状態ですから、一つ聴いて楽しいと感じるばあいは、アルバムとおしてぜんぶ楽しめるはずです。あ、そうそう、9曲目の「ウェイズ・オヴ・エスケープ」だけは5拍子でスウィングするんですよね。

 

また三人の楽器演奏技巧がこれまたなかなかすごいですよね。特にギターのウィット・スミスの腕前にはうなります。ウェスタン・スウィング界隈ってみんなうまいのらしいですけど、そうなんだぁ〜、すごいですよこのギターリスト。フィドルのエラナ・ジェイムズも、アイリッシュ・フィドルの痕跡を残しながらジャジーに弾いて、腕達者です。

 

こういったカントリー・テイストをともなったおなじみの(古くさい)スタイルのスウィング・ジャズ三人組が、アメリカでいまでも現役で活動できるのが、アメリカン・ミュージック・シーンの健全さなんだなと思うわけなんですよね。(いい意味で)新鮮味はないとか既視感100%だとか言いましたけど、安心して身をゆだねられるいつものくつろぎの場所、そんな音楽ですね。

 

(written 2019.9.23)

2019/09/23

モノクロ無声映画のように 〜 サマンサ・シドリー

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https://open.spotify.com/album/2MLZZN2JBPpxsIXfn0Dj6I?si=YKP5TcsKSYGlcIhBNv0Qng

 

萩原健太さんの紹介で知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/09/17/interior-person-samantha-sidley/

 

サマンサ・シドリーってだれでしょう?ぼくはなにも知りません。リンクした健太さんのブログに書いてある情報がぼくの持つすべてです。ともかくそのデビュー・アルバム『インテリア・パースン』(2019.9.13)が心地いい。これはレトロなグッド・タイム・ミュージックなんですね。そして同時にラテン・テイストもはっきりあるんです。そんなわけで大のぼく好みな音楽。

 

健太さんもお書きですけど、このジャケット・デザイン、モノクロ無声映画のようなこれが中身の音楽をよく物語っていますよね。たぶんアメリカン・ポップスの根底に、こういったティン・パン・アリー的なというか、ジャジーなオールド・タイム・ポップスがいまでも流れ、ひっそり息づいているということじゃないかと思うんですね。だからいまでも折に触れて表層に出現するんでしょう。

 

サマンサの『インテリア・パースン』のばあいは、書きましたようにラテン・テイストがそこそこ濃厚にあるというのが特色で、ほかのレトロ・グッド・タイム・ミュージックとは一線を画すところですね。もう一個、きわめてプライヴェイトな音楽であるという肌ざわりがするという、なんというかあくまで内輪向けの内向き音楽だなという感触もあるのが大きな特徴でしょうね。開放的な感じがしないです。

 

このアルバムにある鮮明なラテンは、1曲目「アイ・ライク・ガールズ」、6「リスン!!」、8「ビジー・ドゥーイン・ナシン」の三つ。最後の曲だけが今回のアルバムのための曲ではなく、ブライアン・ウィルスンがビーチ・ボーイズのために書いたもののカヴァーですね。ほかはアルバムの全九曲とも用意された新曲のようですが、サマンサが書いたというわけじゃないんだそうです。

 

1曲目の「アイ・ライク・ガールズ」のこの淫靡なラテン臭はどうでしょう。なかなかの味じゃないでしょうか。セクシーですしね。パーカッショニストが独特の跳ねるシンコペイションを演奏しているのが印象に残ります。トロンボーン・ソロもよし。控えめに小さく入るオルガンも効いているし、サマンサのヴォーカル(多重録音?)もおもしろいですよね。

 

アルバムのどの曲もジャズ・バンドが伴奏をつけているんですが、6曲目「リスン!!」ではヴァースみたいなのをピアノ伴奏で歌ったかと思うと、リフレイン部でいきなりリズムが派手にジャンプしはじめますね。どう聴いてもラテンなシンコペイションだと言えましょう。やや派手で明るい感じがするのが、暗く陰にこもった印象のこのアルバムのなかでは例外的かも。ブライアン・ウィルスンの8曲目「ビジー・ドゥーイン・ナシン」はボサ・ノーヴァですね。これもやや明るい感じ。

 

これら三曲のラテン・ジャジーなもの以外は、すべて2ビート、4ビート系のストレートなジャズ・リズムを持つオールド・ポップスに似せてつくられて演奏され歌われているんですね。20世紀はじめごろの感じですね。聴いていて心地いいし、リラックスできて部屋のなかでゆっくりくつろげるし、なかなかインティミットな質感の音楽ですし、しかも仲間内だけよとでも言いたげなクローズドな雰囲気もあって、なかなか得がたい個性のアルバムが出現したんじゃないでしょうか。

 

(written 2019.9.19)

2019/09/22

ルシアーナ・アラウージョの新作がいいよ

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https://open.spotify.com/album/4LWZnp7eN93aHXLnMlpIf8?si=ZlPbj-nGRFOpNYm105itbw

 

ルシアーナ・アラウージョ(ブラジル)の新作『サウダージ』(2019.5.23)がけっこういいですよね。表題ほどには情感が表に出ておらず、もっとサッパリした感触ですけど、それがいいと思うんですよ。わりかしジャジーですしね。そう、ルシアーナのこの『サウダージ』はある種のジャズ・アルバムとも言えます。同じブラジルなら以前のアンナ・セットンなんかに通じるようなフィーリングの作品じゃないでしょうか。

 

正確にはジャジーなポップ(MPB)・アルバムというべきでしょうか、ルシアーナのこれ、そのなかにサンバやボサ・ノーヴァや、またバイオーンや北東部のリズムが生かされているなという、そんなつくりでしょうかね。なかではサンバを活用してある曲が三つと、最も多いと言えるでしょう。でもサンバでもボサ・ノーヴァでもノルジスチでもこれみよがしじゃなく、実に薄味にというか、アッサリと溶け込んでいるのが好印象です。

 

アルバム『サウダージ』を彩るサウンド面での最大の特色は、アコーディオンが大活用されていることでしょうね。ブラジルでは北東部の音楽でよく使われる楽器ですが、ルシアーナのこのアルバムでは特に北東部ふうでとはかぎらず全曲で活かされています。泥くさいフィーリングを出すことの多いものなんですけど、ルシアーナのこのアルバムでは(ショーロ・アコーディオンに通じるような)洗練されたサウンドに聴こえます。

 

さらにおもしろいのはポルトガル・ギターがかなり使われていることです。ファドの伴奏なんかでみなさんおなじみのあの音色です。このアルバムはブラジルとならびポルトガルでも録音されたそうで、ポルトガル・ギターはその際に挿入されたんでしょうか。現在サン・パウロ在住のルシアーナにはリスボンでの活動歴もあるので、そういった経緯も理由のひとつかもしれません。

 

そういった特徴的な伴奏陣が活かされているのは、アルバムのなかでも特に4曲目のバラード「ムクリピ」じゃないかと思います。この曲ではアコーディオンとポルトガル・ギターだけが伴奏なんですね。その二台だけのデュオ演奏に乗ってルシアーナが、ここではサウダージ横溢のヴォーカルを聴かせます。シットリ聴かせる力があって、このワン・ナンバーは絶品ですね。アコーディオンとポルトガル・ギターのからみってこんな感じのサウンドになるんだという、新鮮さもあります。

 

8曲目の「ジュラ」もシンプルな伴奏編成でアコーディオン中心、ここでのルシアーナの歌もかなり聴かせますよ。7「クピドス」はややロック調、6「ジガ」はシンプルなボサ・ノーヴァで、北東部ふうのエキゾティズムを持つ3「ジャブチカベイラ」(のイントロをポルトガル・ギターが弾く)や5「シンプレズ・アシン」では、パーカッション群もにぎやかに活躍しています。

 

ルシアーナの『サウダージ』、全体的に演奏もヴォーカルもこなれていてサッパリ味、後口よいさわやかさじゃないですか。アクなんかはぜんぜんないので、まあガツンとくるものもないっていうか、ひとによっては物足りなさを感じるかもしれない音楽ですけど、こういった軽い口あたりのあっさりミュージックもたまにはいいですよね。良質のブラジリアン・ポップ・ミュージックだと思います。

 

(written 2019.9.21)

2019/09/21

ニューポートのマイルズ 1967

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https://open.spotify.com/playlist/6LLl0Tg2bir2hGZYeLDRAp?si=QbpqKidJS1K1IgKyDuChZg

 

昨日1966年ニューポート・ジャズ・フェスでのマイルズ・デイヴィス・クインテットのことを書きました。CD だとレガシーの四枚組ボックス『マイルズ・デイヴィス・アット・ニューポート 1955-1975』の二枚目前半ですが、後半が同じクインテットによる67年7月2日出演分なんですね。だから続けて聴いたんです。そうしたら、そっちもなかなかすごいじゃないですか。やはりちょっとメモしておきましょう。

 

1967年の7月というと、前年の10月に録音したスタジオ作『マイルズ・スマイルズ』が2月に発売済み。さらに次作『ソーサラー』も5月にぜんぶ収録しておりまして、それは暮れ12月に発売されることになりました。7月のニューポートというと、ちょうどその中間的な時期ですね。7月2日のニューポートで演奏されたなかに、しかし『ソーサラー』のレパートリーはありません。

 

イントロダクションとクロージング・テーマをふくめても計32分間と短いですが、フェスティヴァルの一幕なので、こんなものだったんでしょうね。演奏は実質四曲。「ジンジャーブレッド・ボーイ」「フットプリンツ」「ラウンド・ミッドナイト」「ソー・ワット」。なかでもやはり最初の二曲が変形ラテン8ビートをともなっていて、耳を惹きますね。

 

特に「ジンジャーブレッド・ボーイ」。このトニーのドラミングがこりゃまた鬼すごいじゃないですか。バンドのリズムは基本4/4拍子で、ベースのロン・カーターが4ビートのラニング・ベースを弾いていますが、トニーはおかまいまくガチャガチャと複雑な8ビート系のポリリズムを入れ込んでいますよねえ。やっぱりすごいドラマーだったなあ、60年代のトニーは。

 

だいたいテーマ演奏がはじまる前からトニーによるイントロはブチ切れていますもんねえ。スネアのリム・ショットも入れながらかなり手数の多い細かい変形ラテン・ビートを生み出しているんですね。テーマ吹奏、マイルズのソロ、ウェイン・ショーターのソロとメーターは振り切ったまま。特にウェインのソロ部でのトニーが鬼の形相で激しく派手に叩きまくっているでしょう。三番手ハービー・ハンコックのソロになるといったんおとなしくなりますが、ハービーがハードに弾きはじめたらそれにあわせてやはりトニーもふたたび表情が変化します。

 

こんな「ジンジャーブレッド・ボーイ」が1曲目なので、もうこれだけで勘弁してくれ〜っていう気分なんですけど、2曲目のウェイン・ナンバー「フットプリンツ」も、バラードなのに3曲目の「ラウンド・ミッドナイト」も、4曲目の「ソー・ワット」も、相当ハードにスウィングしていますよねえ。「ジンジャーブレッド・ボーイ」がこんなにカッ飛んでいなかったら、それらだって相当すごいと聴こえたに違いありません。特に「フットプリンツ」最終テーマあたりでのハービーには要注目ですよ。

 

この1967年には、書きましたようにアルバム『ソーサラー』を完成させているマイルズですが、そのなかには「プリンス・オヴ・ダークネス」「マスクァレロ」といった、リズム表現に重きを置いた二曲があるんですね。それらでは特に、変形ラテン8ビートを表現するトニーのドラミングが聴きものです。アルバム最大の聴きどころにして白眉でもあるし、つまりこのころマイルズはリズム表現の多彩さに踏み込んでいたなと思うんです。

 

そんな音楽的変化が、7月のニューポートでも出ているよねえとぼくは思うんですよね。「ジンジャーブレッド・ボーイ」にしろ「フットプリンツ」にしろ『マイルズ・スマイルズ』からのレパートリーですが、67年7月のニューポート・ヴァージョンでは演奏内容が刷新されていて、『ソーサラー』の内容にあわせた新しいものになっているなと、特にトニーのドラミングにそれが最も顕著に表れているなと、そう感じます。

 

また、この1967年7月のニューポートのステージでは、一曲演奏して次の曲に入る際、間をおかず、音が完全に消えないうちにボスがトランペットでキューを吹きはじめているのがおわかりでしょう。だからワン・ステージがまるで<一曲>みたいにつながっていますよね。これはこの後ずっとマイルズ・ライヴの特徴となった手法で、本格的には同67年冬の欧州ツアーからそうなったんですが、夏のニューポートですでにこのスタイルが完成しつつあったんですね。ジェイムズ・ブラウンらのソウル・レヴューにならったものでしょう。

 

(written 2019.8.25)

2019/09/20

マイルズの1966年ニューポート・ライヴがすごい

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https://open.spotify.com/playlist/52dFiN3YERxekbc06xO0oC?si=wB5CNOcPTAOPOmaGU_KPpA

 

1966年7月4日、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演したマイルズ・デイヴィス・クインテットの演奏を聴きなおしたのはうっかりミスでだったんです。どういうことかと言いますと、こないだ1969年ニューポート・マイルズのことを書いたでしょ、そのとき CD をひっばり出してそっちでも聴きかえそうと思って、レガシーの四枚組ボックス『マイルズ・デイヴィス・アット・ニューポート 1955-1975』をテーブルの上に持ってきたわけです。

 

それで1969年分はディスク3冒頭なんですけど、それを聴こうと思ってボンヤリしていて間違えてディスク2を CDプレイヤーのトレイに乗せて再生ボタンを押しちゃったというわけですよ。二枚目前半は1966年分なんです。マイルズ、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズのバンド。ちょうどスタジオ作『マイルズ・スマイルズ』録音の三ヶ月ほど前にあたります。

 

しっかしこの、聴くつもりなくウッカリ聴いちゃった(だから音が出てアレレッ?と思った)1966年マイルズ・クインテットのライヴが、かな〜りすごいじゃないかと、そう感じたんですよね。それ以来くりかえし再生しては感銘を受けるというハメになっているんで、だからここらへんでちょっとこのマイルズ1966年ニューポートの内容がいかにすごいか、メモしておこうと思います。

 

ところでこの時期マイルズ・バンドはほとんどスタジオ録音もライヴもやってなくて、ウェインを迎えたニュー・クインテットになって以後、1965年の1月にアルバム『E.S.P.』を録音したあとは、かの有名な12月のプラグド・ニッケル・ライヴ(シカゴ)までいっさい活動なし。これは以前も書きましたがマイルズの健康状態が悪かったからです。実は66年に入ってからもスタジオ録音なし、ライヴも五月にポートランドで一回やったのみで、その後が今日話題の七月のニューポートで、なんとこれでぜんぶなんですよ。ようやく十月にスタジオで『マイルズ・スマイルズ』を吹き込んだだけ。

 

1967年になったらスタジオ・セッションもライヴ活動もさかんになってきますので、65年初頭の健康状態悪化が66年もまだ続いていたのかもしれないですね。たんなる個人的憶測で、確証はありません。どこかにそのへんの事情を記してあるドキュメントがあったりするかもですが、見つけていないんです。

 

ともあれまだ壮年期の音楽家が、しかも新進気鋭のサイド・メンをかかえてこんな状態では、フラストレイションがたまるいっぽうだったろうと思うんですね。だから1965年12月のプラグド・ニッケル・ライヴもそうだったように、たまのライヴ・セッションでは一気に引火・爆発してしまうのも当然でしょう。66年7月のニューポート・ライヴだってそうなんです。

 

つまりひとことにして激情的。パッショネイトにスウィング、というかハード・ドライヴをくりひろげているんです。それは冒頭の「ジンジャーブレッド・ボーイ」を聴いても実感できることじゃないですか。このジミー・ヒース・ナンバーは10月のスタジオ・セッションで録音し『マイルズ・スマイルズ』に収録されたものですから、7月のニューポート・ライヴ・ヴァージョンはまだ初期型なんですね。それでもうこんな具合ですから。

 

1966年ニューポートの「ジンジャーブレッド・ボーイ」、ちょっぴり頭が切れちゃってますけど、出だしのトニー・ウィリアムズのドラミングからしてぶっ飛んでいるじゃないですか。トニーはこの66年7月ライヴ全体でキレまくっています。トニーはまだ血気盛んな10代の若者だったんで、ボスが(健康状態のせいとはいえ)なかなか活動しないから不満がつのっていたはずです。だからたまのレギュラー・クインテット・ライヴではエネルギーが暴発しちゃうんでしょうねえ。

 

もちろん自身のリーダー作ふくめ、いわゆる新主流派のレコーディング・セッションでみんな活躍していましたけど、ああいったスタジオ作品の特色は<抑制が効いている>というところにありましたから。ナマナマしい一気の発散放出なんてありえません。だからバンドのライヴでは、トニーにしろ、ここで聴けるような猛演奏ぶりになっているんでしょう。ぼくはそう推測します。

 

「ジンジャーブレッド・ボーイ」では、しかもなんだかよくわからないポリリズムをトニーが叩き出していますよねえ。ちょっぴりラテンな変形8ビートみたいなものです。そしてパートによっては4/4ビートになるんですけど、基本、ハービーの弾くブロック・コード連打といっしょになって8ビートを演奏しています。トニーの演奏する8ビートはこのころからロック・ミュージック的ですね。しかもロックにはないしなやかさも兼ね備えています。

 

マイルズもウェインもハービーもソロでかっ飛ばしていますが(特にマイルズ)、いずれも背後でのトニーの猛プッシュあればこそなんです。これは2曲目の「オール・ブルーズ」でも同じ。『カインド・オヴ・ブルー』に収録されていたこの曲はもともと3/4拍子でしたが、この66年ニューポート・ライヴではときおり4/4拍子に展開したり、ふたたび3拍子に戻ったりします。

 

しかもその3/4拍子パートはかなり速くて細かくて、まるでハチロクのビートに接近しているかのように一瞬聴こえないでもないですよねえ。こういうふうにビートを細分化するのがリズム展開ではおもしろいところなんですけど、そのせいでここでもちょっぴりロック・ビートに似て聴こえたりするんですね。そうでなくともトニーがおかずをガチャガチャとたくさん入れて、かなりにぎやかなドラミングを聴かせていますし、そのせいでハード・スウィンガー、いや、ドライヴァーになっています。4ビート部分ではそうでもないんですけど、3ビート・パートでそうなっていると思うんですね。

 

続く3曲目のバラード「ステラ・バイ・スターライト」も驚くべき演奏内容ですよ。バラードと書きましたが、途中からなんと急速調に展開し、ハードにグルーヴしはじめるんですね。これ、本来はあくまできれいにやるリリカル・バラードなんですよ。ところが一番手マイルズのソロ途中の二分すぎごろからトニーが突然アップ・ビートでシンバル・レガートをやりはじめ、バンド全体で激しくノリはじめてしまっているでしょう。まるで夜空のもと猛ダッシュで駆けているかのような演奏じゃないですか。

 

ハードにドライヴしたままウェインのソロに入り、その途中でいったん落ち着きますが、やはりミドル・テンポで軽快にスウィングしているので、美しいバラードといった雰囲気はないですよね。三番手ハービーのソロ途中で、またもやトニーがアップ・ビートにチェンジし、激しい演奏になったままマイルズに戻り、苛烈な演奏で「ステラ・バイ・スターライト」は終了してしまいます。

 

残り二曲の「R.J」「セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン」もグルーヴ・チューンですし、いったいなんでしょう、この1966年7月のニューポートにおけるマイルズ・クインテットはハードに突き進むばかりの展開で、その中心に(マイルズと)トニーがいて、猛プッシュでみんなをぐいぐいひっぱっているという、そんなステージだったのではないでしょうか。いやあ、すごいなあ。若さゆえってことでしょうかねえ。若くてエネルギーに満ちていたのに、ボスがなかなかライヴをやらないもんだから、たまのこういった機会で自己制御できず爆発しちゃったんでしょうか。

 

(written 2019.8.24)

2019/09/19

さわやかな、マリア・テレーザ

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https://open.spotify.com/playlist/5wO6v4Dd1nxK6OnvjtBNmR?si=pPSPzEv5RlKNmX0ooDEolw

 

http://elsurrecords.com/2019/03/01/maria-teresa-de-noronha-integral/

 

https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-01-27

 

今2019年の、初春ごろ、いやまだ冬だったか、日本でもふつうに買えるようになったマリア・テレーザ・デ・ノローニャ(ポルトガル)の全集ボックス。そのうち最後の DVD を除いた CD 収録分はもちろん残さず Spotify で聴けますので、一個にまとめたプレイリスト(上掲、全六時間半)をふだんから BGM にしてずっと楽しんできています。だから、そろそろこのへんでちょっとした感想メモを手短に記しておきたいと思うんですね。

 

それは簡単に言って、マリア・テレーザの歌はさわやかで口あたりがよく、スムースでナチュラルだなっていうことです。重くない。同じファド歌手で同世代だとやっぱりアマリア・ロドリゲスが圧倒的な存在だと思いますが、アマリアにある濃厚さ、激しさ、情緒表現の過剰さ、重さは、もちろんそれがアマリアの魅力なんですけど、マリア・テレーザには薄いですよね。

 

薄いっていうのは悪いことじゃなくて、マリア・テレーザの全集を聴いていて感じるのは、清廉さですよ。しかもなんだかちょっとキラキラしていて明るいっていうか、さわやかで心地いいような、そんな声と歌じゃないでしょうか。特にメイジャー・キーの曲だと。伴奏サウンドはアマリアと同じような典型的なファドのそれですから、違いは主役歌手のヴォーカル資質です。

 

マリア・テレーザのファドでは、ときおり地中海の、あ、いや大西洋か、の青さを連想させるような、その上に青い空がひろがっているような明るさもあるっていうか、そんなさわやかなサッパリしたフィーリングが聴けますよね。(悪い意味でなく)軽い。そして濃すぎずやわらかい。こういったことがマリア・テレーザのファド全集を聴いていて感じる最大の要素です。

 

だから、何時間続けて聴いても、マリア・テレーザのファドは疲れないです。どんどん聴いて、いいなあ〜っていう心地よさを感じて、部屋のなかでおだやかな気分でゆっくりすわっていられます。心にさざ波が立たないっていうか、ときには立ったほうが刺激的でいい音楽作品ってことになるかもですけど、ふだんの愛聴盤としては薄味でサッパリさわやかなほうがいいですよね。

 

マリア・テレーザのファドは普段着姿の大人の女性っていう感じで、決して飾りすぎず、派手でけばけばしくなく、ヴォーカルにおける感情の表出もストレートで素直で、ナイーヴに感じることすらあります。豪放さはなく繊細ですし、いま2019年にオススメできるファド黄金期の歌手を選ぶならば、ナチュラルでなめらかなマリア・テレーザじゃないですかね。現代のフィーリングにフィットするような気がします。

 

それでもファドですから、哀切に満ちてはいるんですけどね。マリア・テレーザのばあいは、その哀切がひとびとの日常の生活感覚に根ざしたものだっていう気がするんです。

 

ただまあ全集となると DVD ふくめ全七枚とサイズも大きく、エル・スールで12800円と高価でもあるので、これからむかしの(黄金期の)ファド歌手をちょっと聴いてみたいんだけど…、という向きにそのままではオススメしにくいような気がしないでもないです。ですから Spotify とか活用なさっているかたならばそちらで聴けますので、ちょっと覗いてみてください。フィジカル派には、CD で二枚組程度のベスト盤みたいなのがあったら喜ばれるのになあ〜って思います。

 

(written 2019.8.26)

2019/09/18

衝撃のチャールズ・ロイド『ヴァニッシュト・ガーデンズ』

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https://open.spotify.com/album/2q6z7yobPwN2YTkR8U4i1z?si=IeCXe3NISU-kqs1eofePXg

 

チャールズ・ロイドがマーヴェルズを率いルシンダ・ウィリアムズと組んだコラボレイション・アルバム『ヴァニッシュト・ガーデンズ』(2018)が傑作でしたよねえ。ぼくが知ったのは今年に入ってからのことです。なにかのきっかかで Spotify で気づき、どんなもんかちょっとだけ…、と軽い気持ちで聴きはじめ、ぶっ飛んじゃいました。なんてスケールの大きい、懐の深く広い、そして情け深くあったかい音楽なのでしょうか。ロイドもいい歳なんで最近あなどっていました。ごめんなさい。

 

シンガー・ソングライター、ルシンダ・ウィリアムズと組んだのが今回の大きな目玉でしょうけど、マーヴェルズを率いる近年のチャールズ・ロイドははじめて聴きましたので、このサウンドにはかなりビックリしました。バンドの中核はエレキ・ギターのビル・フリゼールとペダル・スティール・ギターのグレッグ・リーズの二名です。この二名の出す浮遊感とひろがりのあるサウンドは、アメリカーナへと大きく舵を切ったいまのロイドにとってまさにピッタリ。

 

アルバム『ヴァニッシュト・ガーデンズ』の全10曲は、偶数曲がルシンダのヴォーカルが入る彼女自身のオリジナル・ソング(過去曲の再演あり)で、ロイドのテナー(と一曲だけフルート)をフィーチャーしたインストルメンタル・ナンバーと交互に並んでいます。ルシンダのヴォーカルがあってもなくても、サウンドの統一感に差異や乱れはなく、全体がスーッと違和感なく流れていきますね。古参人のジャズ・アルバムとしては驚異的とも言えるかも。

 

ロイドがルシンダと組んだのは、たぶん彼自身の近年の音楽性ゆえですよね。悠然とした広大なアメリカの大地をおもわせるようなフォーク、カントリー、ブルーズ、ゴスペル、ジャズ、ロックなど、さまざまなルーツ・ミュージックが渾然一体とした近年のいわゆるアメリカーナを表現する方向にロイドは向いているので(その点、ビル・フリゼールの貢献も大と思えます)、そんな世界でいぶし銀の歌を聴かせるルシンダとのコンビを考えたのでしょう。

 

アルバム出だしの「ディファイアント」の出来がとにかくすんばらしくて、もうぼくにとっては衝撃ですらあったほどの見事さで、なんなんですか、ロイドのこのテナー・サックス・ブロウは。二名のギターリストがからみあいながら創る空間で、印象的なハチロク(6/8拍子)のビートに乗って、ロイドは実に雄大な演奏を聴かせます。しかもこのフィーリングというか情緒感がこれまた物哀しくて切なくて、もう聴いていて感極まってしまうんですね。

 

ロイドのテナー・プレイは、ひょっとしたらいま絶頂期にあるのかもしれないとすら思えるほど、このアルバムでは絶好調じゃないでしょうか。切なくしかし力強い音色、怒涛の迫力ブロウ、大きくしかも細かくフレイジングしていく奔放自在なさま、リスナーの心にすっと自然に入ってきて揺り動かすような、そんな感動的な表情 〜〜 どこをどう切り取っても現在最高のジャズ・テナー演奏家かもしれないです。

 

アメリカのなにもない広大な大地を思わせるような、そんな悠然としたサウンドをつくるのに貢献しているのは、やはり二名のギターリストですね。ビル・フリゼールとグレッグ・リーズの二人をバンド・サウンド形成の中核に据えたことも、ロイドの目の確かさを物語るものですし、いま自分がどんな方向性の音楽を目指しているのか、そのためにはどんな演奏家を呼べばいいのか、しっかりわかっている証拠です。

 

アルバム・タイトル曲の3「ヴァニッシュト・ガーデンズ」では、バンド・メンバーの四人がまったく対等な比率でからみあいながら演奏が進むのも印象的で、ほとんどの曲でロイドを大きくフィーチャーしているだけに、ここではテナー、2ギターズ、ベース、ドラムスとみんなが同じように音を出しながらコレクティヴ・インプロヴィゼイションをくりひろげているのがおもしろいところです。

 

後半で熱く(特にドラマー)盛り上がる8曲目「アンサファー・ミー」を経て、アルバム・ラストの二曲は有名曲のカヴァーです。セロニアス・モンクの「モンクス・ムード」とジミ・ヘンドリクスの「エンジェル」。しかもこれら二曲では伴奏がビル・フリゼールひとりだけなんですね。「モンクス・ムード」ではロイドとのデュオで、「エンジェル」ではそれにルシンダの歌が入るトリオでという具合です。

 

それら二曲での落ち着いたフィーリングもなかなかの聴きもので、ぼくは大好きですね。こういった静かなムードで、動的なアルバムをしめくくったのには、ロイドのトータリティ志向があるんじゃないかと思います。「モンクス・ムード」のほうは標準的な演奏内容かもしれませんが(どっちかというとビルの生み出す空間を聴くものかも)、ジミヘン「エンジェル」はおそろしいと思いますよ。心の奥底から滲み出てくるような悲哀に満ちていますよね。三人ともすごい。

 

(written 2019.8.22)

2019/09/17

音楽で味わう幸福 〜 エラとルイのデュエット集

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https://open.spotify.com/album/07tbMxw9qeVsNIq0l7xBBX?si=OcPAN9F-TQSpQZ5FdKBoGg

 

昨2018年のリリースだったエラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングの『チーク・トゥ・チーク:ザ・コンプリート・デュエット・レコーディングズ』。もう何回聴いたかわからないほど聴いています。こんなにも幸せな気分になれる音楽もなかなかありませんからね。ぼくにとっては最高の音の幸福なんですね。音楽命の人間ですから、音の幸福の最高ということは、人生で No.1のハピネスってことです。

 

『チーク・トゥ・チーク』は、おなじみ『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』『ポーギー・アンド・ベス』を基本として、エラとルイのデュオ歌唱集を、デッカでのシングル盤音源までふくめてあらいざらいぜんぶ集大成した、CD なら四枚組。サウンドの幸福感という点に絞って言えば、『アゲン』が終わる三枚目冒頭まででじゅうぶんじゃないでしょうか。やっぱり『ポーギー・アンド・ベス』パートに入ると雰囲気かわっちゃいますからね。

 

そんでもって『チーク・トゥ・チーク』四枚目は、ほんのちょっとのライヴ音源のほかは別テイク集ですから、これもあまり考えなくていいように思います。幸せな気分にひたれるのは、四枚八曲のデッカ・シングルズ、『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』分で、完全集 CD だと三枚目の2曲目までということです。『ポーギー・アンド・ベス』もいいんですけれども。

 

エラとサッチモのデュエット集となれば、ふつうみんな『エラ・アンド・ルイ』から思い浮かべるだろうなと思うんですけど、完全集『チーク・トゥ・チーク』ではその前にまずデッカ・シングル音源八曲からはじめています。たんに録音・発売順ということですけど、そうでなくともこの順序が大正解だと思えるんですね。だってこの八曲のフィーリング、極上じゃないですか。

 

デッカ・シングルズではジャズ・オーケストラが伴奏をつけています。そのビッグ・サウンドに乗ってエラとサッチモがシルクのようななめらかさで歌いつづっていくラヴ・ソングの数々。かけあいながら、ソロで、会話しながら、このリラクシングなムードを最高度にまできわめていますよね。ここまでのシルキーな音楽はなかなかないと思いますよ。ぼくからしたら、この『チーク・トゥ・チーク』こそ No.1のシルキー&メルティ・ミュージックです。

 

そのデッカ・シングルズからそうなんですけど、扱っているラヴ・ソングの歌詞のなかには、哀しく切なくさびしいロスト・ラヴがわりとありますよね。9曲目以後の『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』パートまでぜんぶふくめて見てみたら、どっちかというと失恋を歌い込んだもののほうが多いはず。想いが実っているようなハッピーなウキウキ恋愛歌は少ないんですね。

 

ところが、エラとサッチモが歌っているのを聴くと、そんなつらい感触などぜんぜんありません。あたたかく(夏なら涼しく)空調の効いた居心地のいい部屋のなかで、ロッキン・チェアにすわりながらくつろいで、ゆっくりと楽しんでいるような、そんなフィーリングで全体が統一されていますよね。これはたぶんかなり驚くべきことだと思うんです。どんな歌をやってもハッピー&メロウに聴かせる二名の歌手の実力の高さということですよ。

 

伴奏もそんな雰囲気に沿って実にいい感じのなめらかさじゃないですか。デッカ・シングル音源ではオーケストラですけど、『エラ・アンド・ルイ』『同アゲン』パートで伴奏をつとめるのはオスカー・ピータースン・カルテット。オスカーのピアノのほか、ハーブ・エリス(ギター)、レイ・ブラウン(ベース)、バディ・リッチ or ルイ・ベルスン(ドラムス)。

 

彼ら四名の伴奏ぶりも、熟達の腕前とはまさにこのことだというようななめらかさじゃないですか。四人とも決して目立たず、弾きすぎず、地味に地味に歌伴に徹していますが、ここぞというツボだけを着実におさえていくような、そんな名人芸をここに聴きとれます。どこでどんな音をどんなタイミングで置けば、エラやサッチモの歌(やトランペット)が最高度に輝いて聴こえるか知り尽くしている演奏家たちの、まさにプロの仕事です。

 

そんな円熟の極みのような伴奏に支えられ、フロントで歌う二名もつとめてムードを出すように、このシルキーな音楽をなめらかに表現するように、きれいにきれいに歌っています。これはしかし、決して甘い世界というわけじゃありません。伴奏者たちもエラもサッチモも、このなめらかできれいで白鳥のようなスムース音楽表現の水面下では、必死で水かきしている努力がうかがえますよね。

 

しかし表面的にはそれを絶対に見せないっていう、それがプロというものでしょう。演奏も歌も、最高のプロフェッショナルたちが揃って、失恋歌をかなり多くふくむラヴ・ソングの数々を、あくまでどこまでもやさしくやわらかく、メルティ&メロウに徹して創りあげた結果が、『チーク・トゥ・チーク』で聴けるシルキー・ハピネスなんですね。

 

まったく感服するしかない世界ですが、しかしふだんは聴いていてそんな考えにもおよびません。ただただ、この聴こえてくる楽しく幸せな音楽の世界に身も心もひたして、部屋のなかでゆっくりくつろいで 、日常の、人生の、細々したいやなこと、つらいことを忘れていくだけです。プロがプロの技に徹して届けてくれる音楽の最高娯楽、それが『チーク・トゥ・チーク』なんですね。

2019/09/16

ナンシーのモルナ集がいいよ 〜『マーニャ・フロリーダ』

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https://open.spotify.com/album/4aVnUc5xZKouziXNAVHr8S?si=calhLZv0R1qzeJATOsGerg

 

カーボ・ヴェルデの歌手、ナンシー・ヴィエイラの最新作『マーニャ・フロリーダ』(2018)。淡々としていて、実にいいですねえ。やっているのはだいたいモルナばかり。カーボ・ヴェルデ音楽のなかでもポピュラーな種類のものですね。ゆっくりと座って聴くような歌謡音楽です。カーボ・ヴェルデにはコラデイラやフナナーみたいなダンス・ミュージック系もあるんですけど、ナンシーのこの『マーニャ・フロリーダ』のなかでは少数です。

 

少数とはいえ、それらもなかなかいいっていうのが事実。アルバム『マーニャ・フロリーダ』のなかでは、たとえば5曲目の「Bocas di Paiol」がコラデイラですね。聴けばわかるように快活なダンス・ミュージックになっていますが、演奏も歌も出来がいいのではないでしょうか。オブリガートで入るソプラノ・サックスも効果的です。伴奏は、このアルバムもやはり基本ギター(系弦楽器)多重奏で、このコラデイラ・ナンバーでも変わりません。4曲目「Sô Um Melodia」と9曲目「Fé d'Um Fidju」も若干コラデイラ寄り(のモルナ?)かな。

 

でもこれらだけ。ほかはどこまでも歌謡音楽モルナなんですね。このアルバムでのナンシーはじっくりと歌を聴かせようっていう、そういう目論見があったんだなというのは間違いないと思います。しっとりと歌い込んで、現在カーボ・ヴェルデ No.1と言えるかもしれない歌のうまさを味わってもらおうっていうプロデュース意図だったのかもしれないですね。

 

アルバム全体を通して聴くと、ゆったりモルナ系ばかり続くので緩急に乏しく、だからちょっと一本調子に響かないでもないですね。だからそんなたいしたアルバムじゃないのかもしれないけど、でも当代随一のこの歌手の実力を味わうのにはもってこいの作品になっていると思いますよ。繊細微妙なヴォーカル・ニュアンスの変化、表情のつけかたなど、すばらしい歌のできばえだと言えます。

 

個人的にいちばん好きなのは、なぜか3曲目の「Les Lendemains de Carnaval」です。これ、でも曲題もそうだけど歌詞がフランス語ですよね。アルバムに収録されているのを聴くと、べつにフランス色はしないふつうのモルナ・ナンバーですけど、これ、どうしてフランス語なんでしょう?歌詞と曲を書いたのがセザーリア・エヴォーラとのコラボで知られるテオフィロ・シャントルですけど、セザーリアの歌ったなかにこの曲あったっけなあ。

 

ともかくナンシーのこの「レ・ランドマン・デ・カルナヴァル」は本当にいいと思います。最初ナイロン弦ギター一台だけでの伴奏でテンポ・ルパートで歌いはじめるパートから引き込まれますし、その後カヴァキーニョや打楽器なども入って軽くテンポ・インしてからも、ナンシーの歌はゆっくり落ち着いていて、じっくり聴かせるフィーリング。実にいいですねえ。その後、ゲスト歌手のラファエル・ラナデールが歌い、曲後半はナンシーとラファエルとの合唱で進むのもグッド。

 

(written 2019.8.19)

2019/09/15

カラオケの出現

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https://twitter.com/pitchfork/status/1148849358059843584

 

いまやすっかり世界で通じる国際語のカラオケ(Karaoke、カラオキ)。ピッチフォークのこの記事では、日本でこれが初登場したのが1971年だったとなっていますが、これは意外でした。もっと遅かったと思っていましたから。実際、ぼくがカラオケ装置というものに出会ったのは1982年に大学院に進学してからで、当時、カラオケ・バーみたいな場所に誘われてついていって歌ったというのが初体験でした。

 

いまでも鮮明に憶えていますが、当時、修士課程一年生のとき、東京都立大学大学院英文学課程の同級生中野くん(専門はシェイクスピア)に誘われて、院生数人で自由が丘のカラオケ・バーに行ったのです。東横線で都立大学駅の隣ですからね。これが人生初のカラオケ体験。中野くんは飲むのが好きなやつで、ぼくは下戸だけどみんなで楽しく騒ぐのは好きだから、八雲での大学院の授業が終わったあと、いっしょによく遊んでいました。

 

そのときぼくがなにを歌ったか、うまい歌だったのか、なんてことはどうでもいいです。上掲ピッチフォークの記事でカラオケを1971年の項に位置付けているのは、記事中にもありますように、井上大佑の主張をくんでのものですね。しかしカラオケを井上の発明としてしまうのはちょっとどうかとぼくは思います。生演奏による伴奏をぜんぶの機会で実行するのはかなり大変だからあらかじめ録音しておいてそのテープを…、という発想はもっと前からあったでしょうし、実行もされてきていたでしょう。

 

歌手や音楽家ではないぼくたち一般庶民がストレス発散の娯楽としてカラオケ(バーやボックス)で歌うという装置の登場が1971年と言われたら、最初に書きましたように意外なほど早かったんだなと感じますが、プロ音楽現場では、たとえばバック・バンドの演奏だけ先に完成させておいて、リード・ヴォーカルをあとから吹き込むという手法は、1960年代後半には一般的でしたからねえ。そんなのはいわゆるカラオケじゃないよ、と言われそうですけど、同じことです。そんな種類の発想からいわゆるカラオケが誕生したのは間違いありませんから。

 

マイナスワンということばをご存知のかたもいらっしゃるでしょう。たぶん歌というより楽器演奏練習法のひとつとしてあるものですが、曲の完成品から1パートだけ削除したもののことです。お目当の楽器の音だけ抜いたそれを聴きながら、その伴奏にあわせて自分の楽器を演奏して練習するんです。いつごろからあるのかなあ〜、もう死語だと思うんですけど、いわゆるカラオケの登場と相前後するのではないかと思うんです。ジャズの世界で使われることばなんですかね〜、マイナスワンって。よくわかっていません。

 

歌ということに話を限定すると、レコード収録などのスタジオ、あるいはラジオ放送、テレビ放送などで、完成品の録音済み伴奏を流して、歌手はそれを聴きながら現場で歌うという手法は1960年代からあったんじゃないかと推測します。娯楽目的の一般のファン向けにも、マイク入力つきの8トラ・ミュージック・ボックスや伴奏用ミュージック・テープなどが、いわゆるカラオケ普及前から存在したみたいですよね。

 

ですけれども、いわゆるとくりかえしておりますように、みんなが知っているあのカラオケ装置の爆発的普及以前と以後とで、ぼくたち一般のファンがふだん歌を歌って享楽のひとときを過ごすという体験が根本的に変化したのは間違いありませんよね。それがぼくの実感だと1980年代初頭ごろからだったんですけど、実際にはもっと早かったんでしょうね。

 

一般にカラオケは演歌やそれに近い歌謡曲分野を中心に、まずは普及していったと思うんですが、それらの分野、特に演歌かな、ある時期以後はシングル CD を発売する際にも、メインの歌とカップリング曲のあとに、カラオケ・トラックを収録してあるのが一般化していますよね。大好きな岩佐美咲ちゃん(わさみん)も例外ではありません。

 

わさみんのシングル CD に入っているカラオケ・トラックのばあい、しかしぼくたちファンの娯楽用というだけではない目的があるかもしれないです。歌唱イベントやコンサートでのわさみんは、基本、カラオケ伴奏で歌っているからです。CD 収録のものを(短縮編集したりもして)使っているのではないでしょうか。そんな気がします。

 

ほぼ毎週末ごとに全国各地で行われているわさみん歌唱イベントでは、その現場その現場の音響スタッフさんがオケをコントロールして流すわけですから、どこで歌唱イベントやるかによってその担当者はかわります。だからその際、どなたが担当なさろうとも同じオケが流れるようにしておくのは、わりと大切なことなんじゃないかと思えるんですね。

 

わさみんだけでなく演歌系の歌手のみなさんはどんどん各地でイベントをやり、ショッピングモールのなかの広場や、レコード・CD ショップなどのイベント・スペースなどで歌っているのが通例だと思いますが(いわゆる地方営業)、そんな歌手のみなさんも、たぶんですけど、わさみんみたいにシングル CD 収録の作成済みのカラオケ伴奏を流して、それにあわせて歌っているんじゃないかという気がするんですね。

 

いわゆるカラオケ装置って、最初は一般のリスナー、音楽ファンの日常の娯楽に供するために開発・提供されたものに違いありません。もちろん上で書きましたようにその起源は、プロ歌手が、ある時期以後は完成済みの伴奏をスタジオで聴きながらレコード収録などやるようになっていたことにあるとは思いますが、現在のいわゆるカラオケは、ファンのためのものです。

 

それが、わさみんや演歌系のみなさんなど、最近はプロ歌手でも現場で使うようになっているというのはなかなかおもしろい現象ですよね。もちろん、プロ歌手の歌唱現場での伴奏がカラオケでいいのか?!という疑問というか不満を表するかたは一定数いらっしゃるようですね。理解はできる気持ちなんですけど、たとえばわさみんも機会を捉えて生バンド演奏で歌ってはいるんですよね。

 

それにですね、どんなに立派なプロ歌手だって、レコードや CD 収録などの際に生バンドとの一発同時演唱でやる、やれる、というかたが、はたしてどれほどいらっしゃるのでしょうか?ずいぶん前に、生前の美空ひばりさんが原信夫さんのシャープス&フラッツを従えて、一発同時演唱でレコード収録をしていらしたと、読みました。

 

そんなのは伴奏者の側にもたいへんに高い緊張が要求されるんですね。前で歌う歌手が完璧な歌を聴かせている真っ最中に、もしミス・トーンでも出したらすべてがオジャンですからね。またぜんぶいちからやり直しとなります。歌うほうも伴奏するほうも、かなり神経すり減らすのではないでしょうか。完成品の精度・練度を簡便に上げるという意味では、伴奏トラックだけを先に完成させておいて、スターである歌手はあとから、そのカラオケを聴きながら歌入れする、これがある時期以後は一般化したはずですし、いまはほぼ全員がこのやりかたで行っていると思いますよ。

 

(written 2019.7.27)

2019/09/14

野太い真性アフロビート・ジャズ 〜 マイケル・ヴィール

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https://music.apple.com/jp/album/vol-two/1445521828?l=en

 

Astral さんに教えていただきました。
https://astral-clave.blog.so-net.ne.jp/2019-08-12

 

イエール大学で教鞭をとる音楽学者、マイケル・ヴィール。フェラ・クティやアフロビート研究の世界的権威らしいんですが、もうひとつの顔がミュージシャンということで、担当楽器はエレキ・ベースです。やっている音楽もド直球なアフロビート。しかもジャズ・フュージョンふうにアダプトしたとかいうんじゃなく、もろそのまんまなフェラ・クティ仕様のアフロビートをやって、それをジャズに展開しているっていう、そういう音楽家です。

 

そんなマイケル・ヴィール&アクア・イフェの最新作が『Vol. Two』(2018)。これがすごいんですよね。重たくずっしりくる正統派、王道のアフロビートで、なおかつそのままジャズをやっています。こういうのはアフロビート・ジャズっていうんでしょうか、ジャズ・ミュージシャン、DJ、プロデューサーたちのあいだでもアフロビートは人気で、どんどん取り入れ横断されていますが、このマイケル・ヴィールのやりかたはひとあじもふたあじも違います。

 

さすがはフェラ・クティ研究家だけあるっていう、野太い剛球ストレートなアフロビートを展開していて、それはリズム・パターンだけ拝借した(とかいうものは多いし、ぼくは決して嫌いじゃないというか大好き)んじゃありません、バンド・アンサンブルまるごとがフェラ・クティ・マナーなんですね。これはアフロビートが先かジャズが先かわからないっていうような、完璧な一本化じゃないでしょうか。

 

そのへんとてもよくわかるのが4曲目の「スーパー・ノーヴァ」です。そう、ウェイン・ショーターのあの曲ですね。ここでのマイケル・ヴィール・ヴァージョンだと、まずソプラノ・サックス・ソロがあって、そのあとにホーン・アンサンブルでかの有名テーマが演奏されます。そこを聴いてほしいんですけど、フリーなアヴァンギャルド風味だったウェインのあれが、完璧なアフロビート・アンサンブルに変貌しているじゃないですか。

 

しかも「スーパー・ノーヴァ」でも、この野太いグルーヴに貫かれています。リズム・セクションが、といった次元ではなく、バンド全体の出すサウンドにゴッツイ感じがありますよねえ。これ、もともとはジャズ・ナンバーだったんですからねえ。いやあ、ここまでのアフロビート仕様なジャズが仕上がるなんて、マイケル・ヴィール、すごいなあ。「スーパー・ノーヴァ」だけでなく、収録曲はどれも熱くごりごりハードなグルーヴをしていますよね。決してシャープじゃない(いい意味で)。

 

ヴォーカルはいっさいなしのマイケル・ヴィール『Vol. Two』。上に乗るサックスなどの管楽器ソロもたいして意味を持っていないようにぼくには思え、なんたって聴きどころはこのバンド・トータルでのグルーヴの野太さにあると思います。やっぱりアフロビートって聴くのにちょっと気合がいるなというのはこのアルバムでも変わらない印象なんですけど、準備万端で聴けば最高のジャズ作品のひとつが登場しました。ぶっといグルーヴに身をひたしたい気分のときはこれ以上ないアルバムです。

 

(written 2019.8.17)

2019/09/13

ザクザク気持ちいいジュニオール・フェレイラのアコーディオン

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https://open.spotify.com/album/4dmztbYKuEFHMC4Q5eCDJM?si=TZWW9lpoT9qpb1q6z8BQew

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-07-20

 

ブラジルはバイーア州出身らしい新人アコーディオン奏者、ジュニオール・フェレイラ。そのデビュー・アルバム『カーザ・ジ・フェレイラ』(2018)は、個人的にショーロ作品だと感じます。バイーア人らしいリズムの快活さ、多彩さも目立つ愉快な『カーザ・ジ・フェレイラ』で、本人は歌ってもいますが、そっちのほうはぼくはイマイチ。やっぱりアコーディオンの腕前の確かさにうなりますね。

 

だからアルバム『カーザ・ジ・フェレイラ』でも2曲目の出だしからオオッ〜ってなるんですね。リズムはいかにもバイーアふう。ドラマーのリム・ショットも効いていますが、その上にばば〜っとアコーディオンのサウンドが小気味よく乗ってきたらも〜う快感ですね。途中のエレキ・ギターふくめ、アド・リブ・ソロも歌心満点で、それはやっぱりショーロのそれ由来だなと思わせるのも好感度大。

 

4曲目、5曲目、7曲目、8曲目、11曲目、12曲目と、ほ〜んとリズムのおもしろい曲が多く、カヴァー・ソングもありますけど、ジュニオールの自作だといかにもやっぱりバイーア出身だけあるなというリズム感覚です。しかもその上に自身の軽快な小気味いいアコーディオンが乗ると、心地良いのひとことです。さわやかで、サッパリしていて、ほ〜んと軽やかで気持ちいい!

 

しんみりしたバラード系みたいなのも聴きもので、特に6曲目「Jorge do Fusa」、そしてなんといっても10曲目「Mais Que Bem Querer」は特筆すべきいい出来です。後者なんか、伴奏はいっさいなしのアコーディオン一台だけでの弾き語りなんですもんね。いちおうゲスト・ヴォーカリストがいますけど、ここまでできるジュニオールのアコと歌(もここではグッド)に感心します。ガロートの書いた前者でも、冒頭の無伴奏ソロ部なんか思わずグッと引き込まれるすばらしさ。

 

アルバム最大の聴きもの、白眉は、ぼく的にはラスト12曲目の「Assovio de Cobra」ですね。高速ナンバーなんですけど(フレーヴォ)、アルバム中これでだけホーン・アンサンブルが起用されています。ビッグ・バンドふうにも響くその管楽器のサウンドがこれまた歯切れよく、ジュニオールの弾くアコーディオンとからむと、なんともいえないさわやかみがありますね。サックスやトロンボーンのソロなんかもありますが、やっぱりその後のジュニオールのアコ・ソロのテクニシャンぶり、それなのにそうと感じさせないさわやかな軽快さにゾッコン参っちゃいました。

 

(written 2019.8.16)

2019/09/12

わりかしふつう、ラテン・ジャズ最前線??〜 カーティス・ブラザーズ

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https://open.spotify.com/album/4pmkKBYuZRCoS78iBFsOAb?si=KQ-gCQvkRLu8H43ofWTKDQ

 

<ラテン・ジャズ最前線>などという謳い文句をみかけたので、それについついうっかり釣られて聴いたカーティス・ブラザーズの最新アルバム『アルゴリズム』(2019.8.23)。これ、しかしふつうのハード・バップ作品じゃありませんか。ことさらラテン・ジャズというほどの内容じゃないよう〜。いま2019年にこういった1950年代的ハード・バップがどこまで意味を持っているのかわかりませんが、でも最近ふだんは聴かなくなっているスタイルですから、かえってちょっぴり新鮮で、最後まで聴いちゃいました。そんでもって、ほんのりかすかにはラテン色がありますね、たしかに。

 

ラテン・ジャズ云々と言われるのは、カーティス・ブラザーズの実体であるベーシストの弟ルケス・カーティスと兄であるピアニストのサッケイ・カーティスがプエルト・リコ系のジャズ・メンだからじゃないでしょうか、たぶん。でもってラテン、サルサ系の音楽家との共演キャリアもしっかりあって、といったような両名の素性・経歴でもって、そんなレッテルを貼られているということだろうと思います。

 

しかし中身はふつうのハード・バップである『アルゴリズム』収録の九曲はすべてサッケイが書いているらしく、またバンドのメンツはピアノとベースのカーティス兄弟に、ブライアン・リンチ(トランペット)、ドナルド・ハリスン(アルト・サックス)、ラルフ・ピータースン(ドラムス)。そしてどうやらこのアルバムはライヴ収録のようですね。

 

ごくごくあたりまえにふつうのハード・バップである1曲目「スリー・ポインツ・アンド・ア・スフィア」で幕開け。この後も基本この路線で進むんですが、なかにところどころラテン・ジャズっぽい演奏も出てきますので、そういった部分だけメモしておきます。2曲目「ファイ」でドラマーのラルフ・ピータースンがちょっとおもしろいキューバン・ビートを叩き出していますね。サッカイのピアノとあいまって、ちょっぴりボレーロ/チャチャチャっぽいといえるかも。ホーン・アンサンブルもそんな感じですね。

 

ドラマーのことを書きましたが、実際このラルフ・ピータースンは、今作においてはカーティス兄弟以上の主役ですね。あたりまえの4/4拍子のメインストリームなジャズ・ビートを演奏しているときにでも、手数多めでにぎやかで、ややポリリズムっぽい入り組んだリズムを表現していますよね。このアルバムを最後まで飽きずにぼくがなんども聴けたのは、ひとえにラルフのドラミングのおかげと、あとはベテラン、ドナルド・ハリスンのパッショネイトなアルト・サックス・ソロのおかげです。

 

4曲目「パラメトリック」。これは完璧なラテン・ジャズだといえましょう。いやあ、こういった曲や演奏はいいですねえ。サッカイのコンポジションもピアノ演奏も見事です。各人のソロ内容もいいですが、やはりぼくはそれらのバックでサッカイが弾くややサルサっぽいノリのブロック・コード伴奏と、ラルフのポリリズミックなドラミングに耳が行きます。

 

ラテン・ジャズとはいえないものの、かなり美しいバラードである5曲目「トーラス」を通過し、7曲目の「アンディファインド」。これがかなりの聴きものです。ストレート・ジャズとラテン・ジャズの中間あたりにあるような曲ですけど、熱量がハンパじゃないです。各人のソロ内容も、特にドナルドのアルトなんか、聴いているこっちが溶けそうになるほどパッショネイトですし、みんなの背後でラルフがこれまた壮絶なドラミングを展開しているのが白眉ですね。いやあ、この7曲目の演奏はマジすばらしい。

 

この激アツな7曲目をアルバムのハイライトとし、あとは一種のクール・ダウンみたいなもんですね。しかしラストの9曲目「センセイ」は特筆すべき出来ですよ。このラスト・ナンバーだけホーンはおやすみのピアノ・トリオ演奏なんですけど、三者が三者とも複雑なラテン・リズムを、それもかみあわないズレたそれを各々がレイヤーしているんです。ことにピアノのサッカイとドラムスのラルフのスリリングなインタープレイには耳を奪われますね。この三人でこういったラテン・ポリリズミックなピアノ・トリオ作品を創ればいいのに。そう思わせるほどチャーミングに聴こえます。

 

(written 2019.9.10)

2019/09/11

アイリッシュ・フィドル・ミーツ・インディ・クラシック 〜 マーティン・ヘイズ

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https://open.spotify.com/album/2iGUlszOxQeRFb7x31UiP0?si=JO_ndURjQbymyvLPymoPvQ

 

これってクラシック音楽のアルバムかと思っちゃいますけど、実際そういった側面はあるかと思います。アイリッシュ・フィドルの演奏家マーティン・ヘイズの新作『ザ・バタフライ』(2019.8.9)。共演しているのがブルックリン・ライダーという、ロック・バンドみたいな名前ですけど、インディ・クラシック界の弦楽四重奏団なんですね。ジャケットで正面向いているのがマーティン、横向きの四人がブルックリン・ライダーで、『ザ・バタフライ』はオール・インストルメンタル作品です。

 

バンド名のとおりニュー・ヨークはブルックリンを拠点に活動しているらしいブルックリン・ライダー。ヨーヨー・マと関係があるみたいですけど、ふだんは現代音楽のフィールドに身を置きながら、同時にフィールド外の、世界のさまざまな音楽にチャレンジし共演したりしてきているようなので、だから今回のマーティン・ヘイズとの共演もブルックリン・ライダー側から持ちかけたアイデアだった可能性があるのかも。

 

アルバム『ザ・バタフライ』でとりあげられているものは全12曲中ふたつだけを除きアイリッシュ・トラッドばかりです。だからこの点ではブルックリン・ライダー側がマーティン・ヘイズ側に寄った内容かもしれませんが、しかしそれらのアレンジはいずれもブルックリン・ライダーのメンバーがやっているので、まあそれは内容を聴けばわかることですけど、ということはアダプト、解釈では現代音楽側にあるような作品なのかもしれないんですね。

 

実際、このアルバムはやや不思議な肌ざわりを持っていますよね。以前からくりかえしていますようにアイリッシュ・フィドル(の特にスウィング感)が大好きなぼくで、『ザ・バタフライ』もアイルランド人フィドル奏者の作品ということじゃなかったら聴かなかったろうと思うんですけど、インディ・クラシック界の弦楽四重奏とはこんな感じなのか、というのは実は今回はじめて知ったんですね。しかし上に乗っているというか、マーティンのフィドルはどこまでもアイリッシュ・スタイルを貫いています。

 

そんなマーティンのアイリッシュ・フィドルとブルックリン・ライダーの調性感のうすいストリング・カルテットがうまく混ざり合っているのかどうか、よくわかりませんが、わりと相性はいいんですね。聴いていてとくに違和感がないです。アイリッシュ・トラッドの持つ独特の土着性、泥くささみたいなものはとことん薄められ、イメージが180度くつがえっていますが、ハナからこういう音楽が存在するんだと思わせる説得力はあります。

 

またアイリッシュ・トラッドをそのままアイルランドのバンドが演奏するときのようなスウィング感もほぼありません。でもここはブルックリン・ライダー側も腐心して、曲によってはけっこうスウィンギーに聴こえるばあいもあります。というかそんなものをインディ・クラシックに求めるのはおかしいのかもしれませんが、なにしろマーティン・ヘイズがアイリッシュ・スタイルを崩さず弾いていますから。

 

泥くさいアイリッシュ・トラッドの世界と透明感の強いインディ・クラシックの世界とのちょうど中間あたりに着地したように聴こえるアルバム『ザ・バタフライ』。融通のきくマーティンが、それでもこのスタイルを貫いていなかったら個人的にはイマイチだったかもしれませんが、伝統的なアイリッシュ・フィドルが聴こえるおかげでうまくインディ・クラシック入門できたかもしれないです。

 

(written 2019.9.8)

2019/09/10

メンフィスへ 〜 フォイ・ヴァンスのアメリカーナ

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https://open.spotify.com/album/5DtQQgT9d9Ut0I5SoZYfPJ?si=K4D2GikfQnCK1rMauxbLCQ

 

北アイルランドのシンガー・ソングライター、フォイ・ヴァンス。今2019年6月の『フロム・マスル・ショールズ』は、こりゃあやりすぎと思うほどの一本気なサザン・ソウルまっしぐらでしたね。ところでこれしかしレコードも CD も見つけられなかったんですけど、どこで入手できるんでしょうか?どなたかマジで教えてください。
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-13ba2d.html

 

このアルバムがリリースされたとき同時に来たる九月には『トゥ・メンフィス』という、アメリカーナをテーマにした今年二作目をリリース予定であることが、すでにアナウンスされていました。はたしてそのとおり9月6日に出たというわけです。ジャケット・デザインも同一基軸だし、アルバム題だって「フロム・マスル・ショールズ・トゥ・メンフィス」と展開できますね。

 

キリスト教の宗教色も強く漂う九月の新作『トゥ・メンフィス』でのフォイ・ヴァンスは、ぼくの聴くところ、1960年代末のザ・バンドによく似ているなと思います。ザ・バンドはひとりのアメリカ南部人の持つアメリカーナ的要素を、ほかのカナダ人が解釈・展開してみせたバンドだったわけですが、フォイ・ヴァンスも米南部からすれば異邦人、北アイルランドの人間です。

 

フォイのばあいは、ザ・バンドにおけるリヴォン・ヘルムみたいな役割のパートナーがいないと思いますから、みずからアメリカ南部音楽のアメリカーナの深奥にわけいって、今度はそれをある意味客体化し、整然と聴かせる成果にまで持ってくるという、これらぜんぶをたったひとりでこなしているわけでしょう。

 

実際、『トゥ・メンフィス』で聴ける音楽は(同郷のヴァン・モリスンなんかにもやや相通ずる)カントリー・ソウルみたいなものを中心とし、もっとグッと深いゴスペル風味、アメリカーナ的カントリー・フォーク、あるいはブルージーなもの、ストレート・ソウル、さらにはカリブ音楽テイストまでとりいれて、それらを渾然一体化してロック・ミュージックというスープに仕立て上げるという、要はザ・バンドの2019年版 by 北アイルランド人とでもいったところでしょうか。

 

かつてのザ・バンドにあまりなかったもので、個人的に興味深いなと感じるのは2曲目「オンリー・ジ・アーティスト」と4「ハヴ・ミー・マリア」で聴ける鮮明なカリブ音楽風味です。アルバム全体はややテンポのないようなふわっと漂うようなビート感をしていますから、これら二曲ではっきりとラテン・シンコペイションが聴けて、また4曲目はまごうかたなきアバネーラ(跳ねる二拍子)で、ぼくなんかにはうれしいところです。

 

考えてみれば、19世紀末〜20世紀初頭のアメリカの大衆音楽が姿かたちを整えたころには、カリブ/ラテンな音楽要素は、特にアバネーラとクラーベが、しっかりあったんでした。そういったものをルーツとして根底に置きつつ、アメリカン・ポップ・ミュージックは成立したんですよね。それもメンフィスのような南部の都会を舞台にして。

 

メンフィスは、米南部にあって、この大陸にある各種音楽のまじわる要衝でした。アメリカ大衆音楽史上、最重要地点だったと言ってもさしつかえありません。そんなメンフィスへたどりついたフォイ・ヴァンスのアメリカーナの旅は、同じ南部のサザン・ソウルをとことん煮詰めて究めた六月の『フロム・マスル・ショールズ』からそのまま一直線を描いているんでしょう。

 

(written 2019.9.9)

2019/09/09

ショーロ新作二題(2)〜 典雅なエポカ・ジ・オウロ

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https://open.spotify.com/album/73EofgQvUUid1jNXa2v4Up?si=-D7YQ0_zS2KhnYSDocSpzw

 

ブラジルの名門ショーロ・バンド、コンジュント・エポカ・ジ・オウロ。今年の新作『ジ・パイ・プラ・フィーリョ』(2019.7.3)のジャケット・デザインはどうしてこんなにも瀟洒なんでしょうか。楽団名なんか金で押箔されているんですもんねえ(インナー・ブックレットでも同じ)。そのほかパッケージはいかにもクラシカルな雰囲気横溢で、この名門バンドのことや、そもそもショーロという音楽のありよう、伝統をそのまま表現したようで、これを眺めながら中身を聴くだけで贅沢な気分が味わえて、実にいいです。

 

偉大なジャコー・ド・バンドリンを創始者とするこのコンジュント、現在のエポカ・ジ・オウロはバンドリンのロナウド・ド・バンドリンを核とする六人編成。バンドリン、ギター、7弦ギター、カヴァキーニョ、フルート、パンデイロです。今年の新作でもどの曲も基本的にはこのメンツで演奏されています。いろんな曲をとりあげていますが、アレンジはロナウドが担当しているものが多いみたいですね。メンバーのなかでは、たとえば7弦のジョアン・カマレーロなんかも目を惹くところ。パンデイロのセルシーニョは、ジョルジーニョ・ド・パンデイロの息子です。

 

『ジ・パイ・プラ・フィーリョ』で聴ける新進の特色は、三曲で多重録音が駆使されていることでしょうか。主にフルートのサウンドを重ねて、まるで複数のフルート奏者が合奏しているような、やわらかい木管のふくらみを持たせ、バンド・サウンドに丸みを帯びさせているのが成功していると思います。別の一曲ではセルシーニョがパンデイロだけじゃない打楽器をオーヴァー・ダブして、がちゃがちゃとしたリズムの華やかさを出す工夫も聴けますよ。

 

アントニオ・ローシャの吹くフルートは、このアルバム『ジ・パイ・プラ・フィーリョ』の主役だと思うんですね。ロナウドの参加していない曲はすこしありますが、アントニオが吹かない曲は一つもないですからね。どの曲でも主旋律を(ばあいによっては多重録音で)担当し、弦楽器がその伴奏をしたりカウンター・パートを演奏するというパターンが多いです。このアルバムを聴いて最も耳に残るのがフルートのサウンドでしょう。

 

実際、フルートは(ギター、パンデイロなどとならび)ショーロにおけるいちばん伝統的かつ一般的な楽器のひとつです。常にどの時代でもコンジュント編成だと旋律を演奏する主役を担ってきました。ブラジル音楽の父とまで言われるかの黄金のピシンギーニャもフルート奏者(のちにテナー・サックス)でしたし、1930年代サンバ・ショーロ全盛期の代表的名手ベネジート・ラセルダにしてもそうでしたね。

 

エポカ・ジ・オウロのアントニオも、2019年にそんな伝統を背負って立つにふさわしいフルート演奏の風格と、それでもなおかつリキまないショーロならではの軽み、やわらかさをよく表現できています。ユーモア感覚もじゅうぶんで、これでこそ名門ショーロ・コンジュントのフルート奏者にふさわしい柔軟性を存分に発揮していると言えましょう。

 

アルバム『ジ・パイ・プラ・フィーリョ』では、ほぼどの曲も典雅でクラシカル。エレガントに舞いただよっているような、そんなムードに満ち満ちているんですね。ショーロはもともとストリート・ミュージックでしたが、誕生した19世紀後半の早い時期に、室内楽的なみやびを身につけました。実際、クラシックのチェインバー・ミュージックと区別できないそんな感じも、現代ショーロ最大の特色のひとつです。

 

エポカ・ジ・オウロの新作『ジ・パイ・プラ・フィーリョ』は、いちばん上でジャケットの雰囲気のことを言いましたが、中身もまさにその同じクラシカル路線をとっていると思うんですね。このアルバムはクラシック音楽作品ではありません。がしかしどこからどうっていう線引きをキッチリやるのは、ブラジル音楽ではあまり意味のないことなんですね。特にショーロだとそうです。

 

今回の新作では、しかしそんななかに、3曲目「ジ・パイ・プラ・フィーリョ」、6「ボラ・ナ・レデ」のように軽快にスウィングするものがあったり、7「タヤン・ノ・マリーニョ」(ルイス・バルセロス作)のようにリズムの激しい華やかなエキゾティズムも聴かれ、もちろんしっとり泣くようなサウダージ系ショーロも複数織り交ぜつつ、ラスト12「メストレ・ピシンガ」は爽快なポルカでズンズン進む感じです。このラスト・ナンバーではアントニオがフルートだけでなくピッコロも多重録音していて、まるで小鳥のさえずりのような軽快なかわいらしさが耳を惹きますね。

 

(written 2019.8.21)

2019/09/08

エンリッキの世界カヴァキーニョ歩き 〜 ショーロ新作二題(1)

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http://elsurrecords.com/2019/07/31/henrique-cazes-musica-nova-para-cavaquinho/

 

ところでエンリッキ・カゼス(ブラジル)のアルバムって、どうしてどれもこれも Spotify にないんでしょう?これじゃあまるで山下達郎みたいじゃないですか。聴けるのは『ポケット・ピシンギーニャ』と『エレトロ・ピシンギーニャ』だけというに近くて、ピシンギーニャ関連だと解禁になるんですかね?わかりませんが、もったいないことです、この現在最高のショーロ・カヴァキーニョ奏者の音楽をシェアできないじゃないですか。

 

まあしょうがないです。そんなエンリッキの今2019年最新作が『ムジカ・ノーヴァ・パラ・カヴァキーニョ』で、ショーロのカヴァキーニョを徹底的に追求したような内容になっているんですね。プロデュース意図としてはやや学究的というか、そういった側面も強く持っている音楽家だけに、と思うんですけど、CD をとおして聴くと立派なエンターテイメントになっていて楽しめるのがさすがというかショーロだけにというか。

 

それでも3トラックだけエチュードが収録されているのがこのアルバムらしいところですね。エンリッキのカヴァキーニョ独奏で、指ならしみたいな練習曲です。曲はエンリッキ自作で、ショーロ・カヴァキーニョの歴史を研究してきた何十年というこのひとのキャリアがにじみ出ている、そんな成果発表みたいなものでしょうか。でも演奏技巧を楽しめるものではあります。

 

また、アルバム中いちばん長い七分以上ある9曲目が「カヴァキーニョと7弦ギターのためのディヴェルティメント」になっているのも特徴的。ディヴェルティメントとはクラシック音楽用語で、遊奏曲とでもいったところ。これもエンリッキの自作ですが、曲題どおりの二台のデュオで、エンリッキの相手役はジョアン・カマレーロ。3パートで構成されているこれは典雅な雰囲気で、ゆっくりくつろげますね。

 

その9曲目のディヴェルティメントのクラシカルなデュオ演奏が終わった次の10曲目ではパッと世界がひらけて、特にヴァイブラフォンのサウンドも入っているのが耳を惹く軽快なエンターテイメント。ショーロでヴァイブってなかなか珍しいじゃないですか。エンリッキのカヴァキーニョと同じくらいけっこうフィーチャーされていて、明るく暖かで、アルバム中きわだったサウンドを聴かせてくれています。

 

続く11曲目のカヴァキーニョとチェロ二重奏のエチュードが終わったら、アルバム・ラスト12曲目の「エスキジティーニョ」です。これはアコーディオンも入るコンジュント編成。リズムがちょっとエキゾティックで、ややタンゴっぽいザクザク刻みながらハネる、そんなおもしろ風味なんですね。パーカッションのベトも控えめながら活躍しています。だれかがソロをとるというよりみんながからみあいながら演奏が進みますが、そのあいだを縫うようにエンリッキのカヴァキーニョが走ります。

 

さて、アルバム『ムジカ・ノーヴァ・パラ・カヴァキーニョ』は、まずヴァルジール・アゼヴェード作のかっ飛ばす痛快速カヴァキーニョ・ショーロ「ヴィラヴォルタンド」で幕開けするんですね。こういったものはエンリッキのカヴァキーニョ追求の最大の成果でありつつ、聴き手の耳を楽しませる最高のエンタメですよね。実際、聴いていて実に気分よくスカッとしますもん。

 

その後はいかにもショーロっていうようなしっとり系のサウダージを聴かせる感傷的な泣き(ショラール)のショーロ(2)やヴァルサ(3)なども織り交ぜつつ、軽くて明るいなかにやや湿ったサウダージのこもった曲が来たかと思うと(4、ベトにも注目すべきリズムのハネ)、5曲目はアゼヴェードに捧げた中庸テンポのエンリッキの自作で、全面的にカヴァキーニョがフィーチャーされています。

 

うんまあカヴァキーニョ・フィーチャーはアルバム全体をとおしてそうなんで、そんなアルバムをエンリッキは創ったわけですから、だいたいぜんぶそうですね。ショーロ史やカヴァキーニョ奏法についての長年の研究成果が、決して小難しい学問的作品ではなく、愉快に楽しめる娯楽ショーロ作品になって結実した、見事な一作と言えますね。

 

ライスから日本盤も出るんでしょ、これ。

 

(written 2019.8.19)

2019/09/07

マイルズ『ラバーバンド』発売さる

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https://open.spotify.com/album/0m3hXmvbvwjpIXai7HOWys?si=wvb1eBRMSWWUzLB84LznDw

 

本日9月6日、マイルズ・デイヴィスの未発表新作アルバム『ラバーバンド』が発売されました。フルに聴けるようになりましたので、ちょっとした感想メモを残しておきます。どのお店で買っても CD の到着はすこし先になるみたいですから、それが届いてまた新規に書くべきことあらば、そのときにあらためて。

 

マイルズの失われた幻のアルバム『ラバーバンド』については、このブログでもいままでに四回書きました。これらは主にラバーバンド・セッションの事情と、2018年に先行発売されていた表題曲「ラバーバンド(・オヴ・ライフ)」(の各種ヴァージョン)についてと、そして今日のアルバム・リリース決定にかんして記したものですね。

http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-b4d9.html
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/down-blue-7ca8.html
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-c5c347.html
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-79962a.html

 

アルバム全体が不足なく聴けるようになりましたので、その第一印象はといいますと、2010年代末的な今様の R&B っぽく仕上がっているコンテンポラリー・ミュージックと、いかにも1980年代的なフュージョンっぽいサウンドとが混在しているなということです。どこまでがオリジナル・レコーディングでどこからが今回のポスト・プロダクションなのか、音を聴いただけではあまりわかりませんのでそのことはおきますが、古くさく響くどのインストルメンタル曲も全体的にブラッシュ・アップされているような気はします。

 

強いビートの効いたアッパー・ファンクは、だいたいどれも1980年代的フュージョン・サウンドですよね。あの時代、ブラック・コンテンポラリーと呼んでいたものにも近い感じがあります。「ディス・イズ・イット」「ギヴ・イット・アップ」「メイズ」「ザ・リンクル」、そしてアルバム・ラストの「ラバーバンド」などがそうです。ちょっとビートもサウンドも古くさく感じてしまいます。1985/86年のレコーディングですからもちろんそうなりますけれども。

 

やや興味深いのは「メイズ」でしょうか。ラバーバンド・セッションの実施時期は1985年の10月以後の数ヶ月なんですが、先立つ85年7月の来日公演(よみうりランド)で演奏されていた曲です。FM 放送されたソースからブートレグ CD になったその音源と比較しますと、7月の東京ライヴではボス、ボブ・バーグ(テナー・サックス)、ジョン・スコフィールド(ギター)の順で若干長めのソロまわしが続き、それをつなぐフックとして(テーマ・)リフが演奏されていました。

 

『ラバーバンド』ヴァージョンの「メイズ」ではマイルズ以外のソロはあまりなく、ソプラノ・サックスを軸とするリフ演奏が主体で、あとはリズム。つまりグルーヴで聴かせるワン・ナンバーになっていますよね。合奏されるリフはライヴとスタジオで同じなんですが、音楽の組み立てがかなり違っています。またテンポやグルーヴ・タイプも、スタジオ版のほうが遅く落ち着いてやや暗い、ダウナーなフィーリングに変化しています。

 

また、「ギヴ・イット・アップ」は、ちょっとレア・グルーヴっぽいノリを持った曲で、1990年代的なフィーリングもあるかと思います。リフ合奏のパートとトランペット・ソロの一部は、1992年リリースの『ドゥー・バップ』のためにイージー・モー・ビーがサンプリングして転用していますよね。そっちをずいぶん前から耳タコになるほど聴き込んでいるせいでレア・グルーヴっぽいと感じるのかもしれません(「ハイ・スピード・チェイス」)。

 

それから、『ドゥー・バップ』にかんするイージー・モー・ビーの説明によれば、そのアルバムの曲「ファンタシー」では、ラバーバンド・セッションでの「レッツ・フライ・アウェイ」という曲からトランペット・ソロをサンプリングしたとなっていますが、そんなタイトルの曲は今回ありません。でもこれはたぶん「パラダイス」となっているものがそれじゃないかと思います。同じオープン・ホーンの、ソロ・パートが(部分的に)同じですから。

 

その「パラダイス」は、今回発売されたアルバムで女声ヴォーカルをフィーチャーしているにもかかわらず今様のコンテンポラリー・サウンドではないものです。ナイロン弦ギターやフルートなんかも使われている、ややフラメンコっぽい曲調のスパニッシュ・ナンバーですね。スパニッシュ好きのマイルズ、やはり一曲はレコーディングしていたということでしょうか。今回ヴォーカルをオーヴァー・ダブして曲題も変更したんでしょうね。

 

前段で書きましたように、アルバム『ラバーバンド』で聴ける女声ヴォーカル入りのものは、「パラダイス」以外、まさにいま、2019年という時代にフィットするフィーリングの R&B っぽい、ブルーでダウナーでダークな今様 R&B に仕上がっていますよね。これは発売に際してのランディ・ホール、ゼイン・ジャイルズ、ヴィンス・ウィルバーン三名のプロデュース・ワークのたまものでしょう。レディシが歌う「ラバーバンド・オヴ・ライフ」のことはいままでなんども書きましたが、レイラ・ハサウェイがヴォーカルをとる「ソー・エモーショナル」だって立派なものです。

 

そしてその「ソー・エモーショナル」でも実感するんですが、マイルズのトランペットのサウンドが、実にコンテンポラリーに聴こえるっていう、いま2019年に聴いても時代にフィットしているように響くというのが、ちょっと不思議というか驚くべきことだというか、すごいことですよねえ。トランペット演奏パートは1985/86年のものなんですよ。それでここまでモダンなサウンドをしているなんて。

 

この点では、今回発売されたインストルメンタル曲のなかでも、「カーニヴァル・タイム」(の出だし)、「シー・アイ・シー」、「エコーズ・イン・タイム」(1:42からの「ザ・リンクル」を外して)の三つは、コンテンポラリー・ヴォーカリストの助けを借りなくても2019年に同時代的に響く現代サウンドを持っているなと思うんです。アルバム『ラバーバンド』でぼくが最も気に入っているのがこれら三つ、特に「シー・アイ・シー」ですね。この、真っ暗な都会の夜を彷徨うような、不気味に重く退廃的で沈むようなフィーリング、大好きですねえ。

 

もっとも、「シー・アイ・シー」は、曲「ラバーバンド」とともに、ワーナー公式でも2010年発売のアンソロジー『パーフェクト・ウェイ:マイルズ・デイヴィス・アンソロジー、ザ・ワーナー・ブロ・イヤーズ』ですでに聴けたものですけれどもね。それでも今回しかるべき単独アルバムにちゃんと収録されこのムードのなかに置かれることで、いっそう異様な妖気を放つようになっているなと感じました。

 

(written 2019.9,6)

2019/09/06

シンプルでたおやかな歌謡サンバ 〜 ジュレーマ・ペサーニャ

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https://open.spotify.com/album/2XliiOB2WdRqDUITsrsh5h?si=zu4qgdL5TIOd7qZGAgItyQ

 

ブラジルのサンバ歌手ジュレーマ・ペサーニャ。それなりにキャリアのあるひとらしく、いまや中堅どころといった存在なのでしょうか。ぼくは最近までぜんぜん知りませんでした。今年の新作『リーニャ・ジ・フレンチ』(2019.7.5)は、こじんまりした地味な作品ですけど、なかなか充実している良作じゃないかと思います。最大の特色は、伴奏がかなり小編成であるというところ。うっす〜いとすら感じるほどのミニマム編成の伴奏なんですね。

 

アルバム全体を聴くと、ジュレーマがやっているのはエスコーラ系の伝統サンバで、なおかつそれにつきものの大きめのバンドや大きなコーラスなどを排し極力シンプルにして、自身の単独ヴォーカルだけにフォーカスしようとしたっていう、そんな内容のアルバムじゃないでしょうか。歌にはなかなか味のあるひとで、実力もじゅうぶん安定的、いい仕上がりのアルバムとなりました。

 

まず1曲目「Rabo de Saia」はフルートの音とともに伝統的なサンバ・スタイルではじまりますが、この曲ではゲスト男声ヴォーカリストがいます。それがどうやらモナルコらしいんですね。でもここでのモナルコの参加は特別どうってことはないような気がします。たしかに存在感のある声で見事ですが、アルバム全体の色調に影響は与えていないですね。

 

こういったものよりもこのアルバムで印象に残るのは、たとえば2曲目「Força Estranha」でも、かなりの時間、ギターとパーカッションそれぞれ一台づつだけの伴奏でジュレーマが単独で歌っているでしょう、そういうところです。きわめて質素でシンプルなサウンドなんですけど、あたかもサンバが映し出す日常風景の、そのとりたてて変化のない淡々とした様子をそのまま反映したような、そんなしっとり淡白感がありますよね。だからこそ、サンバ=人生だと感じてしまうようなリアリティがこのジュレーマの歌にはあるんだと思います。

 

そういった、淡々とした日常をそのまま切りとったような淡々としたサンバ・サウンドは、このアルバムではだいたいどの曲でもずっと一貫しているんですね。特筆すべきできばえだと感じるのは、アルバム・タイトル曲の4「Linha de Frente」(サウダージ横溢)、やや北東部っぽい感じの5「Mulé DIreita」、泥くさく跳ねるリズムの8「Rara Beleza」(打楽器だけ伴奏のパートあり)などですが、なんど聴いてもグッと胸に迫るのが7曲目の「A Beleza, o Samba e o Caos」ですね。

 

特にこの7曲目ではハーモニカが使われていますよね。その切ないサウンドでのオブリガートが実にたまらないいい味を出しているなと思うんです。この曲の伴奏はハーモニカ、ギター、パーカッションだけ。やっぱりこういったシンプルで素朴であっさりした薄味サウンドに乗って、ジュレーマがこれまた淡々と綴るのがいいんですよね。特に激しさもなく、感情をたかぶらせることも切ない味を強調することもなく、ジュレーマは素朴に素直にストレートに歌っているだけです。同様の伴奏とあわせ、これぞ人生を映した真実の歌だと、そう思わせる説得力のある音楽じゃないでしょうか。

 

(written 2019.9.5)

2019/09/05

カイピーラ・ギターのネイマール・ジアスによるグッド・イージー・ミュージック

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https://open.spotify.com/album/39TPjPHhvOxgcIh6E7U0dM?si=EenqwlvVS1WKVyc4uW3DTA

 

ネイマール・ジアス(Neymar Dias、ブラジル)というひとはアンドレ・メマーリ・トリオのベーシストらしいんですけど、アンドレ・メマーリに興味のうすいぼくは、ネイマール自身の今回の新作アルバム『Minhas Cançōes Instrumentais』(2019.7.25)ではじめて知りました。しかも弾いているのはベースではなくカイピーラ・ギター。カイピーラ・ギター(ヴィオーラ・カイピーラ)とはブラジルの楽器で、複弦5コースの鉄弦を張ったアクースティック・ギターです。

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このネイマールの『ミーニャス・カンソイス・インストルメンタイス』、文句なしに心地いいなあと感じました。収録の全11曲はすべてネイマールの自作ナンバーみたいです。演奏の編成はカイピーラ・ギター(ネイマール)、ベース(イゴール・ピメンタ)、鍵盤(アジェノール・ジ・ロレンジ)、打楽器(ガブリエル・アルテリオ)のカルテット。クラシックなのかポップなのかムジカ・カイピーラなのかよくわからないとディスクユニオンの紹介サイトに書かれていますが、ぼくの耳には極上のポップ・ミュージック、それもイージー・リスニングに聴こえます。

 

ぼくが使うと褒めことばであるイージー・リスニングっていうこの言いかたがもし悪ければ、トラヴェル・ミュージックでもいいんですけど、ちょうどこう、テレビの旅番組かなにかのバックでよく流れている心地いい流麗な音楽があるでしょう、そういったものにこのネイマールの『ミーニャス・カンソイス・インストルメンタイス』はかなり近い肌触りがあるなと思いますよ、ぼくが聴くところではですね。

 

アルバム1曲目の「ラ・ヴァルス」はちょっとクラシックの室内楽ふうなんですけど、また6曲目の「バロッカ」も曲題どおりバロック音楽にやや近いかな(ネイマールの前作はバッハ集らしい)、9曲目「ソベラーナ」もバロック音楽ふう、それからラストの「プレリュード第一番」もちょっとクラシカル、しかしそれら四曲でもネイマールの書いた旋律はキュートで愛らしく、やさしくほほえみかけているかのよう。そう、楽曲のメロディじたいがチャーミングで可愛いというのは、『ミーニャ・カンソイス・インストルメンタイス』全体で一貫していることなんです。

 

だから軽いビートが効いてポップ・ミュージックに寄っていっているようなものだと本当に快適で、たとえばちょっぴり北東部っぽいエキゾティックなアフロ・リズムを持つ3曲目「ジポイス・ダ・セーラ」なんかもおもしろいし、リズムの快活さという点では10曲目「シーガ」がかなりファンキーで楽しいです(二曲ともリズム・セクションがいい演奏)。ぼく的には10曲目がこのアルバムでいちばんグッと来るものですね。ドラマーの演奏も見事、それに乗るギターとピアノのソロもノリよく極上です。ちょっぴりアメリカ合衆国のフュージョン・ミュージックっぽいかもと聴こえ、それもぼくにはグッド。

 

4曲目「アゴラ・エ・アシン」や5曲目「ケン・ジーシ?」、また7曲目「ノーヴァ 7」といったチャーミングな小品でも、曲づくりの細部まで練りこまれているし、ちょっぴりクラシカル?と匂わせながらも、かわいらしくポップに漂うこのキュートなビートが気持ちいいですねえ。それにくわえ上でも書きましたが、ネイマールの曲はメロディがきれいでかわいくて、しかも聴いていて心地よく快適にリラックスできるフィーリングがあります。これらポップ寄りの曲ではしばしばオルガンが使われていますね。サウンド・エフェクト的にちょっぴりだけシンセサイザーも。

 

実際、列車の旅なんかでシートにすわりながら車窓から外の風景を眺めつつ、こんな音楽を耳に入れていれば、格別の極楽気分になれるだろうっていう、そんなネイマール・ジアスの『ミーニャス・カンソイス・インストルメンタイス』、まあやっぱり半分くらいの成分がクラシック音楽かなとも思いますけど、ポップ・サイドからじゅうぶん聴ける、静かで落ち着いた美しい極上のリラクシング・インストルメンタル・ミュージックです。

 

(written 2019.9.4)

2019/09/04

パワー・ステイションのあの妙なドラムス・サウンドとリズムがアガる

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https://open.spotify.com/album/4IpUyI6R1fyDtJF3cmJS4E?si=94xIZt74QvC_bMmZY05tjw

 

そう、かつてわりと人気だった英国のバンド(というかユニットみたいなもん?)、パワー・ステイション。1980年代なかごろでしたか。ヴォーカルがかのロバート・パーマーなんですよね。ロバート以外はアンディ・テイラーとジョン・テイラー(デュラン・デュラン)、トニー・トンプスン(シック)で、この四人がメンバーです。1985年にアルバム『ザ・パワー・ステイション』が出ていますが、ぼくはそれを自分で買ったことはなし。ロック好きの弟が買ったレコードが自宅にありましたが、当時はレコードよりなんといっても MTV ですね。「サム・ライク・イット・ホット」と「ゲット・イット・オン」のヴィデオがバンバン流れていましたよねえ。

 

実際、フル・アルバムがあったとはいえ、パワー・ステイションといえばその二曲で決まりとしてもいいのではないでしょうか。「サム・ライク・イット・ホット」と「ゲット・イット・オン」は7インチ・シングルも発売されていたようですがやはり知らず。本当にもっぱら MTV で流れてくるこれら二曲を耳にしていただけです。だからそれがアルバム・ヴァージョンだったかシングル・ヴァージョンだったか、いまだわからず。でも妙に耳に残る忘れられないサウンドでしたよね。

 

いま Spotify でアルバム『ザ・パワー・ステイション』を見ると、オリジナル・アルバム分のあとにいくつか入っていて、7インチ・シングル・ヴァージョンも同様に流れてきます。聴いていると、ミョ〜〜に気分がアガるなあ〜という1985年当時からの印象は変わりません。そしてかの T. レックスの有名曲「ゲット・イット・オン」(マーク・ボラン作)を、ぼくはこのパワー・ステイションのヴァージョンではじめて知ったんですね。

 

「サム・ライク・イット・ホット」も、基本「ゲット・イット・オン」のパターンで組み立てているように聴こえないでもないですから、パワー・ステイションとは要するに1985年に「ゲット・イット・オン」をデュラン・デュランでカヴァーしたかったバンド、と言えるんでしょうか。アルバムのなかにはいろんな曲があるみたいですけど、いま聴いても魅力を感じるのはこの二曲ですからね。シングル・カットされたのは正しかったんでしょう。

 

それら二曲で最も強く耳に残るのは、ロバート・パーマーのヴォーカルだとかアンディ・テイラーのギターだとかいうんじゃなく、この圧の強く激しいドラムス・サウンドじゃないかと思います。これは当時そう感じたしいまでもそうです。なんなんですかこのおかしな音は。音響調整の具合というか、録音とミックスの際にイジるとこうなるんでしょう、まるでドラム缶を叩いているようなこのドラミング・サウンド。

 

しかも音色が妙なだけでなく、音圧も音量もすごく高いですよね、このドラムスの音。だからこれもミックスでそうしたんだと思いますが、ロバート・パーマーのヴォーカルなんか正直あまり聴こえないと言いたいほど。主役はトニー・トンプスンの、あ、いや、エンジニアがつくった、このドラムス・サウンドですね。カンカンカン!って、ちょっとやかましいですけど、ど迫力ですよね。

 

「サム・ライク・イット・ホット」でも「ゲット・イット・オン」でも、そのドラミング・パターンもそうですし、ホーン・セクションもギターも一体となって表現するこのグルグル回転するようなリズム・フィギュアがこれまたおもしろいように、いま聴いても感じます。一定の決まった短いパターン・フレーズをどんどん反復する(コピー&ペーストの)ループ感覚みたいなものがありますよね。1985年ですから、ちょっとヒップ・ホップ・ミュージックを先取りした手法であるかのように思わないでもないです。だれもパワー・ステイションでそんなこと言わないでしょうけど。

 

(written 2019.8.15)

«短いからいいというものがある 〜「イン・ア・サイレント・ウェイ」

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