2016/12/07

「汚く」濁った声でのハード・スクリームで実感するアメリカ黒人音楽の「美しい」昂揚感

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アーチー・ブラウンリーがいた頃のファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピの録音集を僕は CD で 三枚持っている。リリース順に1987年の P ヴァイン盤『ジ・オリジナル・ファイヴ・ブラインド・オヴ・ミシシッピ』、89年の CEDAR(と書いてあるがなんだこりゃ?)盤『ユー・ダン・ワット・ザ・ドクター・クドゥント・ドゥー』、99年の中村とうようさん編纂のMCAジェムズ・シリーズの一枚『ゴスペルの真髄:ブラインド・オヴ・ミシシッピ 1950-1974』。

これら三枚のうち、P ヴァイン盤はヴィー・ジェイ録音集なので他の二枚とはダブらない。問題は CEDAR と書いてあるものととうようさん編纂のだなあ。CEDAR と書いてあるものを見るとチェコスロバキア製となっている。Gospel Jubilee とも書いてあるが、どっちがレーベル名だろう?

とにかくそのチェコスロバキア製 CD ととうようさん編纂の MCA ジェムズ・シリーズの一枚は内容がかなりダブっている。とうようさん編纂のは MCA 系だから当然ピーコック原盤の録音集だが、チェコスロバキア製の CEDAR(だか Gospel Jubilee だか)とかいうのもピーコック録音集なのだ。

僕がアーチー・ブラウンリーというもんのすごいハード・シャウター(というか実際聴いてみたらスクリーマーだね)がいるというのを知り、彼が在籍したブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピというゴスペル・カルテットを是非聴きたいと思って最初に買えたのが、その CEDAR だとか書いてあるチェコスロバキア製の1989年盤 CD なのだ。

ヴィー・ジェイ録音を収録したPヴァイン盤 CD の方が二年早く出ているが、その1987年頃は僕の場合まだこのゴスペル・カルテットとアーチー・ブラウンリーのことは知らなかった。チェコスロバキア製の CD を聴いたらとんでもなくものすごくて、聴きながら椅子から転げ落ちそうになるほどビックリして激しく感動し、それで慌てて CD ショップに行き探して P ヴァイン盤も見つけて買ったのだ。

アーチー・ブラウンリーみたいなドロドロに濁った声でシャウト、というかスクリームする歌手こそ最高に「美しい」と心底感動するわけだから、そりゃオペラ歌手などクラシック音楽の声楽家やなんかどこがいいんだかサッパリ分らんわけだよ。上記 MCA ジェムズ盤の解説文で中村とうようさんも全く同じことを書いているなあ。

逆にクラシックのオペラ歌手がキレイな声だ、素晴らしいと感じる大勢のリスナーの方々にとっては、アーチー・ブラウンリーみたいな歌手は「汚さ」の極致に違いない。しかしファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピの録音集を聴いていると、アメリカ黒人音楽の昂揚感とはまさにこういうものだ!と信じるものだね。

P ヴァインが CD リリースしているヴィー・ジェイ録音も素晴らしい。ピーコック録音になんら劣るところはない。特に七曲目「レッツ・ハヴ・チャーチ」とか八曲目「アイム・ウィリング・トゥ・ラン」なんか壮絶の一言で、黒人教会におけるサーモンとはこういうものなのかと思うド迫力。

またヴィー・ジェイ録音では伴奏のギターがあのウェイン・ベネットだったりするものがあったりもして、ブルーズ・ファンだって聴き逃せないものなのだ。しかしそんな P ヴァイン盤の話までしている余裕はないので、今日はピーコック録音集 CD 二枚だけに限ることにする。

さてアーチー・ブラウンリーの声が凄い、ドロドロに濁っている、そんな「汚い」声でハード・シャウトというかスクリームしていて、昂揚できることこの上ないと書いたけれど、ひょっとしてまだご存知ない方がいらっしゃるかもしれないので、ちょっとご紹介しよう。チェコスロバキア製 CD でもとうようさん編纂のでも一曲目の「ジーザス・ゲイヴ・ミー・ウォーター」。
この曲は1950年録音で、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピはまだア・カペラ・グループだった頃のものだ。ゴスペル・カルテットというよりちょっぴりジュビリー・スタイルが残っているが、特に後半とんでもない声で叫ぶアーチー・ブラウンリーのスクリームを聴いてほしい。

同じ1950年録音でドラムス一台が伴奏の「アワ・ファーザー」。これはチェコスロバキア製 CD には収録されていない一曲だが、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピ最大のヒット曲だ。ピーコックでのセカンド・セッションでの収録曲で、このあたりから楽器伴奏が入りはじめて感じが変わる。
またこれもファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピのピーコック録音中最も素晴らしいものの一つ「イン・ザ・ウィルダネス」。チェコスロバキア製 CD では四曲目、とうとうさんのでは五曲目。これが両方に収録されているのは納得というか当然だ。
この曲でのアーチー・ブラウンリーも、特に中盤から後半すんごい濁った声でスクリームするが、こういうのこそ僕たちアメリカ黒人音楽ファンは「美しい」と心の底から実感するんだよね。クラシックのオペラ歌手など声楽家や、そういうのを基準にしてやっている大衆音楽歌手の澄んで「キレイな」声の歌手などではなくてね。

チェコスロバキア製 CD のアルバム・タイトルになっている「ユー・ダン・ワット・ザ・ドクター・クドゥント・ドゥー」。だから当然それに収録されているが、とうようさん編纂のにも収録されている1959年録音。「ジーザス・ゲイヴ・ミー・ウォーター」や「イン・ザ・ウィルダネス」などと並び、これが収録されないなんて考えられないから当たり前だ。
お聴きになれば分るように、これまたアーチー・ブラウンリーのド迫力の「汚い」声でのスクリームがすごく「美しい」。さらに楽器伴奏が既にかなり賑やかだ。少なくともギター、ピアノ、ベース、ドラムスは聴き取れる。ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピは1952〜54年あたりから徐々にこんな感じになって、サウンドの彩りが豊かになる。

この「ユー・ダン・ワット・ザ・ドクター・クドゥント・ドゥー」を録音した1959年1月は、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピのピーコック復帰セッションで、その前56〜58年はヴィー・ジェイに吹込んでいた。それらから収録したのが上記 P ヴァイン盤だ。

音源を紹介してきたアーチー・ブラウンリーのこういったドロドロの濁声スクリーム、ハード・シャウトこそ、そして彼のそんな声と歌い方を支えるこのゴスペル・カルテットのリズムこそが、中村とうようさんはじめ、僕たちアメリカ黒人音楽ファンにとっては音楽の理想形としての声、歌い方、スタイルなんだよね。

MCA ジェムズ盤のとうようさんの解説文によれば、とうようさんはエルヴィス・プレスリーが RCA から第一弾シングル「ハートブレイク・ホテル」をリリースして大ブレイクする前年に、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピのヴォーグ盤 LP を聴いて、離れられなくなったんだそうだ。

僕はそんなファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピを LP 時代に全く知らなかったので、それだけは痛恨の極みだが、しかしアナログ盤 LP ではちゃんとしたものがなかったらしいので、CD 時代になってしっかりリイシューされたもので聴けて幸福なのかもしれない。

そんなファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピのピーコック録音集で僕が初めて知ったのが、書いているように1989年のチェコスロバキア製 CD で、これでぶっ飛んでタマゲてしまい、僕もまたとうようさん同様離れられなくなってしまった。くどいようだがクラシックのオペラ歌手やなんか聴いている方々には、そんなとうようさんや僕の気持は到底理解できないだろう。

チェコスロバキア製 CD は、音楽家名がアーチー・ブラウンリー・アンド・ザ・ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピになっていて、だから当然アーチーをリード歌手とした時代のピーコックへの1948〜59年の録音だけを全部で18曲収録したもの。

それに対しとうようさん編纂の MCA ジェムズの一枚は、1960年にアーチー・ブラウンリーが亡くなって以後の録音もかなり含まれているのが最大の違い。とうようさんのではアーチー時代の録音は16曲目までで、それ以後の10曲は当然リード・シンガーが違う。最後の一曲は1974年録音だ。

僕としてはチェコスロバキア製 CD でアーチー・ブラウンリーのあの声に激しく感動したわけだから、彼が死んでしまったあとのファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピなんか聴いたって仕方がないだろうとか、正直言ってそんな気分で、とうようさん編纂のものが1999年にリリースされた当時も、17曲目以後はそんなに熱心には聴いていなかった。

今回ちょっと気を取り直して17曲目以後を真剣に聴いてみたら、これはこれでなかなかいいなあ。というか大健闘でアーチー・ブラウンリー亡きあともそんなにレベルを落とさず水準を保ちながら活動していたことがよく分る。特に22曲目以後のヘンリー・ジョンスンはいいリード歌手だ。

そりゃアーチーと比較するなんてことは誰にとっても不可能だけど、それでも(おそらく)1964年加入のヘンリー・ジョンスンはなかなかの歌唱力の持主で、アーチーのあの恐怖すら感じるド迫力の濁声スクリームをまあまあ受け継いでいる。

特にいいのが24曲目の「ジーザス・ロウズ」。やはり当然ピーコックへの1964年録音。こりゃ素晴らしいリードじゃないだろうか。アーチーに肉薄すらしていないけれども、なかなかのスクリームぶりで迫力満点だ。まあでも MCA ジェムズ盤のとうようさんの解説も、アーチー時代の曲に比べたらアッサリとしてはいる(笑)。
それにしてもアーチー・ブラウンリー在籍時代のファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピのピーコック録音って何曲あるだろう?全部聴きたいんだが、コンプリート集みたいなものって見たことないよなあ。ゴスペルはアメリカ黒人音楽でもジャズやブルーズよりリイシューが遅れているから仕方がないのか。

そんなジャズやブルーズですら、古いものは本家レーベルがなかなか完全集にして復刻リイシューしたがらないというのが事実だから、ましてやゴスペルなんか放ったらかしなのかもしれない。ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピにしたって、ピーコック録音を本家筋からリイシューしたのはとうようさんのだけだもんなあ。

そんなわけなので、収録内容が少し異っているチェコスロバキア製 CD ととうようさん編纂の一枚のと、それらを曲目をダブらないようなプレイリストを自分で作って CD-R に焼いて楽しんでいる僕。なかには前者収録曲で後者には入っていない素晴らしい曲もあったりするからね。

そんなのでファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピを聴いていると、本当にこういう声と歌い方とハーモニーとリズムこそが、ディープ・ソウルの高揚感、ファンクの強烈な持続力などなど、音楽の内部から湧き出る抗いがたい肉体的かつスピリチュアルな強い快感の根底にあって、それこそがアメリカ黒人音楽の髄だと、心底痛感する。

2016/12/06

ハモンド B-3 のシャワーを浴びる

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ハモンド B-3 オルガンをフィーチャーした『Organ-ized』というアルバムがある。このタイトルはなんとも日本語にできないよねえ。そのままカタカナ書きすらできないので困ってしまうが、みなさん意味はお分りだと思う。1999年発売の CD で High Street というところがリリースしている。知らないレーベル名なんだけど、配給は BMG だ。

このアルバムは副題が『アン・オール・スター・トリビュート・トゥ・ザ・ハモンド B3 オルガン』というもので、その名の通り計13名のハモンド B-3 弾きが一堂に会し、一曲ずつこの楽器を弾いてみせ、B-3 サウンドの魅力をこれでもかというほど知らしめてくれるというものだ。

といっても収録の13曲にこのアルバムのための新録音はないのかもしれない。既発音源から一つずつチョイスして寄せ集め並べたコンピレイション盤なんだろうけど、ハモンド B-3 のサウンドが大好きでたまらず、それをいやというほど全身に浴びまくりたいというリスナーには好適な一枚だ。

だから大のハモンド B-3 好きの僕にはもってこいの一枚。みなさんご存知の通りハモンド・オルガンは、元々パイプ・オルガンのエミュレイターとして開発されたもの。パイプ・オルガンはかなり大掛かりな装置で、僕の知る限り全楽器中最もサイズがでかい。僕も一度現物を目の当たりにしたが、デカすぎるねあれは。

パイプ・オルガンは主にキリスト教会や劇場などで使用されるものだけど、あまりの大きさと、したがって値段も高いので、そうそう簡単に設置できるというものではないようだ。クラシック音楽のレコードや CD で聴くその音色は大変に魅力的なものだけど、あれをもっと簡便に再現する代用楽器はないのか?という声は前からあったらしい。

それで1935年にロウレンス・ハモンドが電気機械式のものを開発し、それに「ハモンド・オルガン」という名称を付けたのが、僕たちもよく知るポピュラー音楽の世界におけるオルガン史のはじまり。それまでオルガンという用語はイコール、パイプ・オルガンのことだった。当時はまだ B-3 モデルではなく、現在ではモデル A と呼ばれるもので、B-3 モデルは1954年発売開始。

1935年のハモンド・オルガン開発以後は、クラシック音楽の世界でもこれが使われることが出てくるようになり、そして僕たちがよく知っているジャズやゴスペルやリズム&ブルーズやロックなど様々なアメリカ(発)音楽で頻用されるようになって、ある時期以後は不可欠な楽器となった。

僕が聴いている大衆音楽の範囲内で、オルガン弾きのなかのパイオニアはトーマス・ファッツ・ウォーラーだ。僕の持つ全音源中、ファッツが最も早くオルガンを弾いている。しかしそれは1926年だからハモンドじゃないはずだ。また彼のオルガン・プレイは、あの時期のジャズ・ピアノ同様オーケストラ・スタイルで、基本的には一人で完結しているもの。

それを管楽器みたいにシングル・トーンでソロを取るメロディ楽器にしたのは、これまた僕の知る限りだがジミー・スミスだ。ハモンド B-3 を最大限にまで活用した最も早い一人に間違いない。そのジミー・スミスが『Organ-ized』にも参加して一曲弾いている。例によってギターとドラムスというトリオ編成で「ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー」をやっている。

この世界をご存知ない方はベースがいないじゃないかと思われるかもしれないが、専業ベーシストはハモンド B-3 奏者には不要。なぜならばフット・ペダルでベース・ラインを出すことができるからだ。だからハモンド B-3 を弾くジャズ・オルガニストはたいていの場合ベース・レス編成でやるのだが、これを一般化したのもまたジミー・スミスの功績だ。

アルバム『Organ-ized』でもほぼ全曲ベース・レス編成。専業のベーシストが参加しているのは、五曲目のギャラクティック、八曲目のリッキー・ピータースン、11曲目のリューベン・ウィルスンの三者だけ。全てファンク・ミュージックだ。

と思いつつ聴き直してみると、アルバム・ラストのブラザー・ジャック・マクダフがやる「ミスティ」。これのベース音はフット・ペダルの音じゃないように聴こえるなあと思ってクレジットを見たら、やはりベーシストがいる。なんでもない普通のジャズ・バラード演奏なのに、ちょっと不思議だ。それは(ベースとしか書かれていないが)ウッド・ベースの音だ。

ブラザー・ジャック・マクダフといえば、まあ確かにジャズ・オルガニストではあるものの、1960年代にジョージ・ベンスンを雇いデビューの機会を与えた人物だ。そのあたりからはソウル・ジャズ〜ジャズ・ファンク系のものをやるようになっていたので、いわゆるレア・グルーヴ好きのみなさんもご存知のはず。

だから『Organ-ized』にも「ミスティ」なんかじゃなく、そんなソウル〜ファンク・ジャズ系のものを選んでくれたらもっとよかったのにと僕みたいな趣味の人間は思ってしまうが、まあいいや。『Organ-ized』の一曲目はジョーイ・ディフランシスコだ。マイルス・デイヴィス狂なら全員知っている名前。

僕が CD ショップ店頭で『Organ-ized』を発見し、これを買おうと思った最大の理由がジョーイが一曲目だったからだ。彼は1988年末の数ヶ月間だけ、オルガンではなくシンセサイザー奏者としてマイルス・バンドのレギュラー・メンバーだったし、公式録音もあるんだよね。

マイルス・バンドでのスタジオ録音では、1989年5月リリースのワーナー盤『アマンドラ』二曲目「コブラ」(録音は88年暮れ)でだけシンセサイザーを弾いている。スタジオ録音はたったこれだけ。恒常的にライヴ活動はしていたので、録音はそこそこあるが、公式盤はこれまた一枚だけだ。

それがワーナーが1996年にリリースした『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』。これは1988〜91年のマイルスの各種ライヴ録音からチョイスして編集した一枚で、冒頭二曲が88年12月のニュー・ヨーク録音なのでジョーイが弾いている。一曲目は「イン・・ア・サイレント・ウェイ」だもんね。

アルバム『Organ-ized』とは関係ない話になるが、1988年のマイルス・バンドのライヴ・オープニングはいつも必ずジョー・ザヴィヌルの書いた「イン・ア・サイレント・ウェイ」だった。1969年2月に作曲者自身も演奏で参加して録音して以後、マイルスは死ぬまでこの曲が大好きだったのだ。

といってもザヴィヌルがなかなか許諾を出さないので、公式にアルバム収録するなどは叶わなかったらしい。1988年にもライヴでは使っていたものの、当然ザヴィヌルも存命だったので、公式発売はできなかった(ブートレグでならマイルスの死後すぐに出ている)。

といっても「イン・ア・サイレント・ウェイ」が一曲目の『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』がリリースされた1996年というと、ザヴィヌルはまだ生きている。ってことは彼のこだわりが弱くなっていたか、あるいはかつてのボスはもう五年前に死んでいるんだからもういいだろうということだったのか。

あ、そういえばマイルスの1969年のアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』でもザヴィヌルが担当したのはフェンダー・ローズではなくオルガンだよなあ。ハモンド B-3 の音がするじゃないか。これ、なにか今日の本題と関係あるのかなあ?あまりないように思うけれど。

ともかく1988年に本来はオルガニストだったジョーイ・ディスランシスコをレギュラー・メンバーとして雇いシンセサイザーを弾かせたマイルス。死んだ年1991年に活動した最後のレギュラー・バンドのシンセ奏者も、デロン・ジョンスンという、これまた本来はオルガニストの人だった。

アルバム『Organ-ized』の話題に戻ろう。ジョーイ・ディフランシスコが弾く一曲目はなんでもない普通の4ビート・ジャズだ。この人、マイルス・バンドではまあまいい演奏するなあと思って、リーダー作を一・二枚買ってみたものの、どうってことないオルガン・ジャズで、かなり退屈なんだよね(苦笑)。

『Organ-ized』二曲目はあのジョン・メデスキ。こりゃなんと言ったらいいのか、ヒップ・ホップ・ジャズみたいなフィーリングだ。ハモンド B-3 以外にいろんな音が聴こえるんだけど、それは生演奏ではなく、DJ ロジックがターンテーブルを操作して出しているもの。JTNC 系のものがお好きな方にもウケそうだ。
三曲目はアート・ネヴィル。ここまでの三人と、上で名前を出した五曲目ギャラクティックのリチャード・ヴォーゲル、六曲目のジミー・スミス、ラスト13曲目のブラザー・ジャック・マクダフ。これら六人だけが僕が『Organ-ized』を買う前から、その演奏スタイルもよく知っていた人たちだ。

それら六人以外のオルガニストは1999年に『Organ-ized』を買って初めて知り演奏を聴いた人たちなんだよね。ほぼ全員カッコイイなあ。知らなかった人たちの演奏のなかに普通のいわゆるオルガン・ジャズは一曲もなく、全てファンキーなソウル・ジャズ〜ジャズ・ファンクばかりなのもいいね。

七曲目のマイク・フィネガンがやる「ジャスト・ア・リトル・ビット」なんか最高だよなあ。あ、しかしこれ、記載がないないが、これも明らかにフット・ペダルのベース音じゃないなあ。間違いなく専門のエレキ・ベーシストがいるぞ。それにくわえエレキ・ギター、ドラムスというカルテット編成だ。

そのマイク・フィネガンのやる「ジャスト・ア・リトル・ビット」は、もうどこにもジャズがないような完璧なファンク・ミュージックだ。ハモンド B-3 の音も、ドローバーをスライドさせて切り替えるこの楽器の持つ多彩な音色で華麗に弾きまくっている。
八曲目リッキー・ピータースンの「ドロップ・ショット」は、ハモンド B-3 もさることながら、ハタハタというスネアの強い音と、五本入っているホーン・セクションのサウンドの方がむしろ目立つような演奏。これも1ミリもジャズがない完璧なファンク。さながら歌のないジェイムズ・ブラウン・バンドというような趣。
歌のないジェイムズ・ブラウン・バンドといえば、11曲目リューベン・ウィルスンの「イエス・サー」も、冒頭オルガンではなく、ジミー・ノーラン風に刻むエレキ・ギターのリフがまず鳴りはじめ、しかし全体のサウンドは少し柔らかめのソフト・ファンクというか、いい意味でのイージー・リスニング風な感じがちょっとだけする。
もっと面白いのが続く12曲目のミック・ウィーヴァー。なにが面白いかというと、12曲目はジョー・ザヴィヌル・ナンバーの「マーシー、マーシー、マーシー」だからだ。リズム・セクションとホーン陣もいるが、あくまでハモンド B-3 がメイン。
オリジナルであるキャノンボール・アダリー・ヴァージョンでのザヴィヌルはフェンダー・ローズだったのだが、あるいはザヴィヌルがオルガンで「マーシー、マーシー、マーシー」をやったならば、さしずめこんなフィーリングになったのかなと想像できるようなもので、こりゃ最高だ。途中ちょっとだけテナー・サックスのソロも出るが大したことはない。

続く13曲目、ブラザー・ジャック・マクダフが弾く「ミスティ」でアルバムはおしまいとなる。上でも書いたようにこのオルガニストはもっとファンキーな路線の方が絶対いいんだけど、でもハモンド B-3 のサウンドで聴くジャズ・スタンダード・バラードはしっとりと落ち着いてて、終幕に相応しくはあるね。

2016/12/05

ブギ・ウギ・ベースのロックンロールとサイケの合体〜『メイン・ストリートのならず者』再び

Rollingstonesblueandlonesome

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リリースされたばかりの11年ぶりの新録音による最新作『ブルー・アンド・ロンサム』がなかなかの快作であるローリング・ストーンズ。CD などフィジカル現物はまだ買えないけれど(12/03時点)、我慢できないので iTunes Store でダウンロード購入したのを CD-R に焼いて聴いている僕。

『ブルー・アンド・ロンサム』は伝えられていた通り、全曲アメリカ黒人ブルーズのカヴァーで、かなりの有名曲から、熱心なブルーズ・ファン以外には馴染が薄いだろうようなものまで全てキレキレの演唱で、このバンドのキャリアを考えたらありえないとすら思える新鮮さだ。ポール・サイモンといい、2016年は老人が活躍する年なのか?

むろん音楽的中身が斬新だったポール・サイモンの『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』と違い、ストーンズの『ブルー・アンド・ロンサム』は全てが完全なるモダン・シカゴ・ブルーズだから、キレキレとはいえ目新しさなどは全くどこにもない。しかし老成の境地かというとそうでもなく、むしろこのバンドのデビュー当時のような瑞々しいサウンドなのだ。

ただ一点、ご覧の通りジャケット・デザインだけがどうにも面白くないようには思う。ブルーズだから青色で、それの上にストーンズのベロ・ロゴなんだろうが、もうちょっと工夫できなかったのかなあ。かなりテキトーに仕上げたようにしか見えないのが残念。中身はいいだけにね。

なお次号の『ブルース&ソウル・レコーズ』誌附属 CD に『ブルー・アンド・ロンサム』全曲のオリジナル・ヴァージョンが収録されるそうだ。九曲をユニバーサル、三曲を P ヴァインが原盤権利を保有しているので可能だったようだ。もしご存知ない曲があるという方には格好の機会じゃないだろうか。

そんな『ブルー・アンド・ロンサム』は CD 現物が届いて詳しいことが判明したらまたなにか書くかもしれないが、おそらくそれは来年のことになるだろうなあ。今日は前回書いた時の予告通り、またまた1972年の最高傑作『メイン・ストリートのならず者』。
この時は「シェイク・ユア・ヒップス」と「ダイスをころがせ」の話しかしていないように思うんだが、このアルバムについては書きたいことが山ほどあるからなあ。あともう一つ、ストーンズのカントリー・ソングについて書いた際に「スウィート・ヴァージニア」の話をしただけだよなあ。
だから今日はそれら三曲以外の話をいろいろとしたい。それはそうと僕はこの『メイン・ストリートのならず者』の CD を、一番多い時期で五枚も持っていたことがある。アホだとしか言いようがない。

たくさん買ったからといって、AKB48やその他みたいに握手券がもらえるわけでもないのに、どうして五枚も持っていたのか自分でも分らない。バッカじゃないの。そのうち三枚はパッケージング含め完璧に同じものだからなあ。だからその三枚のうち一枚はかつて卒論指導をしていたさなかの学生にあげた。

以前も書いたんだけど、その学生はボブ・ディランで卒論を書きたいということで僕が指導教官をやったのだった。音楽専攻コースなんか存在しない大学だったので、僕が所属していた文学部やその他の学部でも、米英大衆音楽で卒論を書きたいという学生が出ると、教務部は全部僕のところへ廻していただけ。

外国文学専門の学部もなかった時期が長いので(なんたって日本のことについてが本領の大学)、米英の小説や、あるいは米英でなくても20世紀小説や批評論で卒論を書きたい学生の面倒も見ていた。ミラン・クンデラ(チェコ)やガルシア・マルケス(コロンビア)などいろいろと。

ともかくボブ・ディランで卒論を書く学生といろいろとディランやその他ロックの話をしていて、ある時関連でストーンズの話題になったので突っ込んで聞いてみたら、『メイン・ストリートのならず者』は聴いたことがない、持っていないというので、じゃあ僕は何枚も持っているからと一枚あげたのだった。

卒論指導は一ヶ月に一回やっていた。次回来たときにその学生は「参りました、凄いです、傑作です」と『メイン・ストリートのならず者』のことを言ってくれた。18年か19年くらい前の22歳だから、今は40歳程度になっているであろう男性。CD だと一枚ものになっているというのも、かえって聴きやすいのかもしれない。

昔話はこのあたりにしておいてストーンズの『メイン・ストーンズのならず者』。一曲目の「ロックス・オフ」は、これに先立つ「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」(この曲はアルバムによって「ジャンピン」だったり「ジャンピング」だったり一定しない)とか「ブラウン・シュガー」みたいだよね。
つまりキース・リチャーズが冒頭からカッコいいギター・リフを弾いてかっ飛ばす爽快なロックンロール。似たような曲が『メイン・ストリートのならず者』にもう一曲ある。二枚目B面一曲目の「オール・ダウン・ザ・ライン」。こっちの方は聴いたらオープン G の五弦テレキャスターだとみんな分るものだ。
ストーンズやキース・リチャーズ・ファンはみんな知っているが、キースは1968年か69年頃に、ひょっとして最初はライ・クーダーから教わったのかオープン G・チューニングでギターを弾くようになり(ライはこの類のことにあまりにも詳しい)、その際6弦がルート音の G じゃなくなるので、張らなくなった。

1〜5弦の五本だけ張って、一番低音の5弦が根音のGなので、どこも押さえずそのままジャ〜ンと鳴らせば G の和音になるというもの。ギターのオープン・チューニングは、アメリカでもかなり古くから、例えばブルーズ界にもたくさんあって、オープン G や A 系と並びオープン D 系などもよく使われる。ギターのチューニング・スタイルはその他たくさんある。

一番とんでもないのがクラシック・ギターの世界におけるチューニングだろうなあ。どうなっているのか聴いてもさっぱり分らないものがいろいちろあるもん。近年知ったビルマ・ギターのチューニングもワケが分らない。そこいくとブルーズやロックにおけるギター・チューニングはまだ分りやすい場合が多い。

分りやすいというか慣れているだけなんだろうけどさ。ともかくキースはそれまでレギュラー・チューニングで弾いていた曲でもオープン G チューニングで弾くようになったりもしている。オープン G の五弦テレキャスターだと誰でも分りやすいのが「ホンキー・トンク・ウィミン」。あれは曲のキーも G だからそのまま全弦解放で鳴らせばオッケー。

『メイン・ストリートのならず者』では「ダイスをころがせ」もオープン G だ。このチューニングじゃないとあの印象的なリフはちょっと弾きにくい。僕は最初これを知らずレギュラー・チューニングでコピーしようとしていたので、どうしてこの曲のリフを弾くときはこんなヘンテコな指の形になるんだと思っていた。

でも「ダイスをころがせ」をレギュラー・チューニングで弾けないってことはない。指の形が若干いびつになるのを我慢すれば充分いけるのだ。しかしある時事実を知りオープン G にしてみたら、な〜んだ楽ちんじゃんって(苦笑)。本屋でタブ譜本を買ったらしっかり書いてあったもんね。もっと早く買えばよかった。

そんなオープン G の五弦テレキャスターで弾いている「オール・ダウン・ザ・ライン」も超カッコいいロックンロール。特にキースが弾きはじめてミックが一節歌ったその次のジャカジャカジャカっていう短い数秒間がスーパー・クールだ。すぐにミック・テイラーのスライド・ギターも出てきて、僕は完全に昇天。

さっきからロックンロール、ロックンロールと書いているが、ロックンロールとロックは完全に同じもの。区別する人もいるが無意味だね。特に日本の内田某がなにかというとすぐにロケンロールとか言ってバカじゃないのと。僕はそう考えているのだが、たまにこれはロックンロールと言う方が相応しいと思う場合がある。

その一つがキース・リチャーズがチャック・ベリー・スタイルのああいったギター・リフを弾く場合だ。ホントそういう感じのものが多いよね。『メイン・ストリートのならず者』における「ロックス・オフ」や「オール・ダウン・ザ・ライン」もそんなもののうちの二つ。しかしこの二曲には違いもある。

それは「オール・ダウン・ザ・ライン」が終始一貫チャック・ベリー風ロックンロールなのに対し、「ロックス・オフ」の方は中間部でかなり雰囲気が変るのだ。音の質感も変ってかなりくぐもったようなモヤモヤした音でサイケデリックな曲調に変化して、それが少しのあいだ続くんだよね。

最初の頃、僕はあのサイケデリックな中間部が嫌いで、ミックのヴォーカルも妙な音加工が施してあるし、なんでこんなことしているんだ?ストレートにやってくれよ、「ブラウン・シュガー」みたいにさとか思っていたのだった。そんな中間部以外は明快にカッコイイから昔から大好きだったんだけど。エンディングでフェイド・アウトしていきながら入ってくるミック・テイラーのソロもいいよね。
 
それはそうと「ロックス・オフ」で聴こえるピアノは完全なるブギ・ウギ・スタイルのロック・ピアノだから、間違いなくイアン・スチュアートだろうと思って見てみたら、ニッキー・ホプキンスなんだよね。意外だなあ。ああいった弾き方ならスチュの方が得意なように思うのに、どうして弾かせてあげなかったんだろうなあ。

「ロックス・オフ」においてブギ・ウギ・ベースのロックンロールで、サイケデリックな中間部を挟むというあの発想は、それまでのストーンズにはなかった。「サティスファクション」「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」「ブラウン・シュガー」などストレートなロックと、それ以外のサイケ路線は分けていたもんね。

それをアルバム一曲目のなかで両者を合体させているのはちょっと面白い。本当に面白いと僕が感じるようになったのはわりと最近で、1990年代半ば以後のこと。どうして面白いかというと『メイン・ストリートのならず者』というアルバム全体の構造を、いきなり一曲目で暗示しているように思うからだ。

『メイン・ストリートのならず者』におけるブギ・ウギやブルーズや、それ由来のストレートなロックのことは、いまさら書かなくてもいいだろう。「ロックス・オフ」中間部における音処理とサイケデリック風味は、例えば二枚目A面四曲目の「アイ・ジャスト・ワント・シー・ハー・フェイス」が同じだ。
https://www.youtube.com/watch?v=EymLq0htbL8

続く五曲目「レット・イット・ルース」も似たような感じだよなあ。キースの弾くギターの音に、これはおそらく弾いている時にではなく録音後にスタジオで加工処理が施されてあって、サイケデリックな響きになっている。この曲ではマック・レベナック(ドクター・ジョン)その他大勢のコーラス陣が入る。
一般に二枚目A面では、トップのキースが歌う「ハッピー」が一番人気があるはず。僕も長年同じだった。でも最近は二〜五曲目の展開の方が面白いように感じている。二曲目「タード・オン・ザ・ラン」はアメリカ南部ブルーズ風だし、三曲目の「ヴェンティレイター・ブルーズ」のレイジーな雰囲気もいい。
一枚目B面三曲目の「スウィート・ブラック・エンジェル」ではかなりクッキリとギロ(ヒョウタンの側面に刻みを入れて、それを棒でこすってギジギジという音を出す打楽器)の音が聴こえる。パーカッションとのクレジットになっているジミー・ミラーの演奏だろう。それがハーモニカやマリンバと絡む。
どうでもいいがこの「スウィート・ブラック・エンジェル」という曲名は、おそらく B・B・キング・ヴァージョンが一番有名なあのブルーズ・スタンダードと全く同じだ。でも全然違う曲。紛らわしいよなあ。全く異ジャンルの音楽家ならそうでもないんだろうが、ストーンズはアメリカ黒人ブルーズを実によくやるバンドなもんだから。

一枚目B面では続くラストの「ラヴィング・カップ」も面白い。一番面白いのはこの曲もやはり中間部が少しサイケデリックになりかける瞬間があるのだ。ホーン・セクションが入ってくるところだ。ジミー・ミラーの叩くドラムスはドタバタしていてチャーリー・ワッツとは比較できないが、そんなに悪くもない。
なお「ラヴィング・カップ」にはスティール・パンが入っている。えっ?スティール・パンなんか聴こえないぞって言われるだろう。確かにほとんど聴こえないが、ヘッドフォンで耳が痛くなるほどまでにかなりヴォリュームをあげて、その状態で相当に耳を凝らして集中して、それでようやくかすかに分る程度。

だから「ラヴィング・カップ」におけるスティール・パンは無視してもいいんだろう、普通のリスナーは。だって書いたようにしないと聴こえないもんね。『メイン・ストリートのならず者』がメチャメチャ好きなファンじゃないと気付いてないはずだ。しかしストーンズはあの曲にどうしてスティール・パンを入れたんだろう?

もう一つだけ、二枚目B面二曲目のロバート・ジョンスン・ナンバーについて書いておこう。その「ストップ・ブレイキング・ダウン」ではミック・テイラーのスライド・ギターが大活躍。なんて美味しいんだ。ストーンズがアメリカ黒人ブルーズをたくさんカヴァーしているもののなかでは、僕はこれが一番好き。
ミック・テイラーのスライド・ギター・ソロは全4コーラス。3コーラス目が終わりかける刹那に、あまりにカッコイイのでミック・ジャガーが「もう一つ!」と叫んでいるもんね。その瞬間に入るピアノのフレイジングも好きだけど、これもスチュじゃなくてニッキー・ホプキンスだと書いてあるなあ。

ロバート・ジョンスン・ナンバーはいろんな UK ロッカーがカヴァーしているけれど、個人的な好みだけなら僕はストーンズのやった「ラヴ・イン・ヴェイン」と「ストップ・ブレイキング・ダウン」で決まり。ストーンズのそれらはロバート・ジョンスンの原曲の持つかたちではなく、フィーリング、本質から汲取っているもんね。

2016/12/04

油井正一の名著、復刊文庫化なる!

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油井正一さんの著書のなかで僕の最大の愛読書だったのは、アルテスパブリッシングから復刊もされた『ジャズの歴史物語』(スイングジャーナル社)ではなく、東京創元社から出ていた第一著書『ジャズの歴史』。元々これの中身は雑誌『ミュージック・ライフ』における1953(昭和28)〜56(昭和31)年のあいだにわたる連載だ。

その連載をまとめて東京創元社から単行本として初めて出版されたのが1957(昭和32)年。これが評判になって結構売れて、『ミュージック・ライフ』誌連載時にはまだ専業のプロ・ライターではなかったらしい油井さんも、ジャズ関連の文筆一本で食べていけるようになったそうだ。

僕が今でも大事に持っている大学生の時に買った東京創元社刊『ジャズの歴史』奥付を見ると「1981年19版」と書いてある。81年というと僕は大学三年生だが、もっと前に買ったはずだという記憶があるから、古い版を買って読み、その後81年版を買い直したので、それ以前の版は処分したってことだろうなあ。

1981年版を最後に東京創元社からは出なくなったので、僕はてっきりこれが絶版になったままなんだと思い込んでいて、後生大事にその81年版を今でも持ち続けている。その油井さんの『ジャズの歴史』、僕が気が付いたのはつい先月のことなんだけど、去る九月に文庫で復刊されているじゃないか!

アマゾンをぶらついている時に発見したその文庫版、僕が自力で発見するまで全く誰も話題にしていなかったはずだ。それで二ヶ月間も気が付かなかったんだなあ。お前はいつも他力本願じゃないかと言われるだろうが、それでもこんな面白い本の復刊文庫化なんだから、誰かジャズ関係者が話題にしてもよかったように思う。僕はあわてて即買った。

リットーミュージックから出た立東舎文庫である油井さんのそれは、しかし『ジャズの歴史』という書名ではない。『生きているジャズ史』だ。このタイトルは『ミュージック・ライフ』誌連載時のタイトルに戻したもので、しかも立東舎文庫版にある最初のあたりの説明書きを読むと、1988年にシンコー・ミュージックから『生きているジャズ史』のタイトルで一度復刊されていたんだそうだ。

僕はその1988年の復刊を全く知らずに今まで来た。今年九月の立東舎文庫版『生きているジャズ史』末尾には「一九八八年のジャズに思う(昭和六十三年増補稿)」という一章が追加されている。さらに油井さん自身が88年3月の日付で「はじめに」を書いているのが載っている。それによればこの本に縁が深いシンコー・ミュージックへの復帰を云々とある。

東京創元社刊の1981年版『ジャズの歴史』の内容は三訂版(1968年版)で、「一九六七年のジャズに思う」という一章で終わっている。81年版はその三訂版の19刷なんだよね。だから上で書いたように、僕が最初に(高校生の終りか大学生のはじめ頃)買ってその後処分したのも中身は同じだった記憶がある。

今回、立東舎文庫版『生きているジャズ史』を買って、またいちから読み直し、また僕は初体験の「一九八八年のジャズに思う(昭和六十三年増補稿)」も読んだ。本当に面白いなあ。東京創元社刊の81年版『ジャズの歴史』は活字が古く、しかも何刷もしたように文字がやや潰れかすれて薄いので、今の感覚だと読みにくいかもしれない。

僕くらいまでの世代だとそんな古い活版印刷の文字も読み慣れているのだが、立東舎文庫『生きているジャズ史』は新たに組み直した、というか間違いなく新たに作り直したコンピューター製版だから、文字が鮮明でクッキリとしていて大変読みやすいのがいい。若い方にも違和感なく見えるはず。

油井さんは1988年3月の日付になっている「はじめに」を書いた三ヶ月後に亡くなっているので、「一九八八年のジャズに思う(昭和六十三年増補稿)」以外は東京創元社刊『ジャズの歴史』81年版とほぼ変わらない。じっくりと読み比べてみたが、88年版刊行に際し加筆訂正した部分はほとんど分らない程度。

だから最大の違いはやはり「一九八八年のジャズに思う(昭和六十三年増補稿)」なんだけど、それはマイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』とそれに関連するその後のジャズ関連音楽についての話題だ。しかも粟村正昭さんの『モダン・ジャズの歴史』終盤における『ビッチズ・ブルー』論を踏まえてのものになっている。

粟村さんは『ビッチズ・ブルー』で「ジャズ」という音楽に一区切りがついた、言ってみれば「終った」と考えるのが妥当なのではないかと『モダン・ジャズの歴史』のなかで結論づけているのだが、油井さんも「一九八八年のジャズに思う(昭和六十三年増補稿)」のなかで似たようなことを書いているんだなあ。

ただし『ビッチズ・ブルー』を理解しなかった粟村さんとは違って、油井さんはこれに極めて高い評価を下していた。それは「一九八八年のジャズに思う(昭和六十三年増補稿)」にも書いてある。ただ一度オープン・テープで試聴しただけなのに「歴史を揺るがす傑作ついに出ず!」と『レコード芸術』誌に書いたんだそうだ。

そうではありながら、『ビッチズ・ブルー』以後、1988年当時の呼び方だったブラコン(ブラック・コンテンポラリー)までの黒人音楽の流れと内実を見ると、いわゆるジャズ系とされるハービー・ハンコックやクインシー・ジョーンズなどの作品ですら、もはやジャズではないだろうと。

だから油井さん自身、粟村さんの言う1969年の『ビッチズ・ブルー』でジャズは終ったのだという考えに、近年徐々に傾きつつある、「この辺で一本の線を引いた方が、ジャズという音楽の全体像がスッキリ掴めるような気がするのです」(p. 375)と結論づけている。いま引用したこの一文が立東舎文庫版『生きているジャズ史』のエンディングだ。

今の若いジャズ・ファンにはこんなことが書いてある「一九八八年のジャズに思う(昭和六十三年増補稿)」が最も興味を惹く部分だろう。ですがねぇ、油井さんの『生きているジャズ史』(『ジャズの歴史』)の本領はそんなところにはないのですよ。この本の大部分はビ・バップ以前の戦前古典ジャズの話で、八割以上を占めるそんな部分でこそこの本での油井さんは輝いているんだよね。

『生きているジャズ史』(『ジャズの歴史』)は、まずニュー・オーリンズでのジャズ誕生から話しはじめ、その後は「初期のニグロ・ジャズメンたち」でバディ・ボールデンとフレディ・ケパードを扱い、「ルイ・”サッチモ”・アームストロングを分析する」で、特に1920年代後半録音を中心にサッチモのスタイルの変遷を詳細に分析、「エメット・ハーディという男」ではビックス・バイダーベックの影響源を論じている。

さらに「ジャズにおける人種的偏見」ではベニー・グッドマンが黒人ジャズ・メンを雇った話や、戦前の黒白混成バンド、「レコードをききながらの妄想」ではベニー・グッドマンのクラリネット・スタイルについて、「ジャズ・ヴォーカルの変遷と鑑賞」ではベシー・スミスの歌い方を詳しく解説。

はたまた「ブギー・ウギー物語」「ジーン・クルーパ物語」「ベニー・グッドマンという男」「エディ・コンドンという男」と、立東舎文庫版『生きているジャズ史』なら183ページまで、これ全て戦前古典ジャズの話題だ。184ページでようやく「ウディ・ハーマンという男」というのが来る。

がしかしその「ウディ・ハーマンという男」も1944年スタートのいわゆるファースト・ハードにはじまるモダン・バンド時代より前の話が中心だから、ウディ・ハーマン楽団のモダン時代のことが書いてあるのかと思って読むと当てが外れちゃうんだよね。

その後はまた「ディキシーランド・スタイル」「ディキシーランド・リヴァイヴァル」を経て、はじめてモダン・ジャズの話題になるのが235ページからの「クール・ジャズ」という章。そして東京創元社刊『ジャズの歴史』初版はここで終っていたのだ。

その後続く「モダン・ジャズに関するノート」「ジャズの将来について」「ファンキー考」は1961(昭和36)年刊の第五版で書き加えられた章であって、さらに、収録順ではもっと前に入っているが「カナ書き談義」「デューク・エリントンという男」も後年の加筆だし、また収録は後ろの方である「一九六七年のジャズに思う〜オーネット・コールマンの出現と日本のジャズ」は三訂版(1968年版)で書き加えられたもの。

ってことは要するに油井さんの『生きているジャズ史』(『ジャズの歴史』)のメインはあくまで戦前古典ジャズの話題であって、モダン・ジャズに関する考察はあくまで付け足しに過ぎない。そんな本、いまどきないんじゃないかなあ。2016年に文庫で復刊できたのが奇跡のように思える。

しかも東京創元社刊『ジャズの歴史』初版だった「ウディ・ハーマンという男」までの部分と、その後改訂のたびに加筆された部分とでは、油井さんの語り口が変化しているのがよく分る。初版分までの文章では、なんというかいわば岡目八目的野次馬精神が横溢していて、実に楽しい。

批評的分析だとか論考なんてものじゃなく、ある種の講談なのであって、それをそのままテープから起こしたような文体なんだよね。僕が最初に東京創元社刊の『ジャズの歴史』を買って読んで大いに楽しんだのも、そんな気さくな油井さんの語り口だったのだ。

音楽的鑑識眼と文筆力には磨きがかかっていくものの、そんな気さくな部分がその後の加筆稿部分でやや失われている原因ははっきりしている。加筆部分はプロのジャズ批評家時代に書いたものだけど、初版部分のもとになった『ミュージック・ライフ』連載時には、油井さんはまだ専業的プロ・ライターじゃなかったからだ。

プロではなかったにもかかわらず音楽を聴く耳は確かで、聴いたものを文章化する際にはそんなアマチュア精神が大いに発揮されて、初版分までの章では文章が闊達で伸び伸びしているし、読んでいて堅苦しいところが全くなく実に楽しい。いくら「講談師」油井正一さんでもその後はその味が少し失われているからね。

今年九月刊行の立東舎文庫版『生きているジャズ史』でも、当然中身の八割方以上が戦前古典ジャズの話題で、シンコー・ミュージックからの1988年版からは当然文章にも手が入っていないので、語り口もそのまま。いまや古いジャズに興味を示すファンが減っているなか、分りやすく親しみやすい入門的<読み物>としては格好の一冊だなあ。

というわけなので、もしひょっとして戦前古典ジャズに興味を持ちはじめ少し聴いていて、なにか手引・入門になるものはないのかなとお考えのそこのあなた、あなたですよ!是非!油井正一さんの立東舎文庫版『生きているジャズ史』を買ってみてください。税抜900円ですよ。

以下蛇足。

この文庫化に際し、解説を菊地成孔が書いている。じっくり読んでみたが、菊地の文章自体はこの油井さんの名著の値打を下げるものだとしか思えない。がしかしいわゆる現代ジャズに強い興味を示し、それをどんどん聴いているファンにも菊地は人気がある。菊地が解説を書いているならばと立東舎文庫版『生きているジャズ史』を手に取る人もいるのかもしれない。だからあながちマイナス材料とだけも言えないんだろう。

2016/12/03

二拍子と三拍子がカリブでクロスした「アメリカ」の混血音楽

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欧州列強による植民地支配。あれは悪いことばかりだったというのが一般的な認識かもしれないが、こと世界のポピュラー・ミュージックの歴史を考える際には、そうとばかりも言切れない。と言うと誤解されそうだけど、あれがなかったらポピュラー・ミュージックは今のような姿じゃなかったはずだし、ひょっとして誕生すら遅れていたかもしれない。

例えば20世紀大衆音楽では最も売れている北米合衆国(産)音楽。もちろん全て混血音楽だ。北米大陸がスペインに植民地支配され、その後英国による支配、その結果奴隷としてアフリカから大勢の人間が来るという、いわば北米大陸+ヨーロッパ+アフリカという史上空前の文化衝突がなかったら、ジャズもブルーズもロックもなにもかもなかった。

そんなことはない、カントリー・ミュージックやブルーグラスは純白人音楽で、ブルーズなどは純黒人音楽だとおっしゃるかもしれないが、一例をあげればカントリーやブルーグラスでは実によくバンジョーを使うよね。バンジョーはアメリカにおいて黒人が造り出したアフリカ由来の楽器だ。

真っ黒けなものだと思われているブルーズにもヨーロッパ白人的な要素はある。これも一例をあげるにとどめておくが、誕生期の初期型ブルーズはバラッド色が濃い。そんな欧州〜英国〜アイルランド由来のフォーク・ミュージック的な要素は、第二次大戦後のモダン・ブルーズでも聴ける。

そんな北米合衆国音楽は中米カリブ音楽の影響が強いのはもちろんの話。そもそもカリブ地域での音楽文化揺籃がなかったらアメリカ大衆音楽は少し遅れてしか誕生しなかったかもしれないし、誕生後もその姿はかなり異なるものになっていたはず。そんなカリブ地域の音楽文化も混血的だ。

すなわち原住民と、植民地支配したスペインなど欧州各国と、そこで働かせるためにアフリカから強制移住させた黒人たち。これら三種類の持つ文化が衝突・合体・融合して、あるいはひょっとして世界初のポピュラー・ミュージックがカリブ地域で誕生した。

と簡単に言っているが「カリブ地域」の定義はちょっと難しい。キューバ、ハイチ、ドミニカ、プエルト・リコなどを含む大アンティル諸島と、小アンティル諸島と、ドミニカ、マルティニーク、トリニダード・トバゴなどを含むウィンドワード諸島から成るというのが一般的な地理的認識のはず。

けれどもポピュラー・ミュージックの世界では、「カリブ」のなかに海域ではない中米地域や、南米大陸の一部であるコロンビア、ベネスエーラ、フランス領ギアナなども含めて考えた方が面白いし、そうしないと分りにくいことがある。北米大陸の一部であるメキシコはもちろん入れないといけないし、場合によっては北米合衆国の南部地域、例えばニュー・オーリンズを含むルイジアナなどは入れた方が楽しい。

なお今日の記事タイトルの一部にし、内容もここまで全て「アメリカ」の話だが、ここで言う「アメリカ」とは United States of America のことではない。そもそも「アメリカ」という言葉は一国を指すものではない。南中北のあの大陸(と場合によっては海域も含め)全体を指す地理的名称だ。それを一国名として使ってしまうのは本当はオカシイ。

僕も普段からアメリカ、アメリカと言うが、主にそれはあの国のことを指すのが明確である場合であって、カリブ中南米の音楽、すなわちラテン(・アメリカ)音楽と並べて話をする際には必ず「北米合衆国」と書いてきているはずなのは、みなさんお気付きだろう。アメリカ= USA みたいな発想が僕は嫌いなんだよね。

かつての僕の専門は英語で書かれた北米合衆国小説であったにもかかわらず、一度もアメリカ文学会に所属したことがない。単なる学会嫌いなだけでもあるんだけど、「アメリカ文学」会を名乗っているのに、20世紀半ば以後はあれだけ隆盛のラテン・アメリカ文学を全く扱わないのが許せないからだ。

アメリカ文学会の世話役の方からは、こないだの論文が面白かったからそれ関連の話を学会でしてくれ、学会誌に書いてくれと何度も言われたが、全て断っていた(のもオカシイんだが)。そうして僕は北米合衆国のディープ・サウスの小説家であるウィリアム・フォークナーとラテン・アメリカの小説家、例えばコロンビアのガブリエル・ガルシア・マルケスやチリのホセ・ドノソとの関係、そしてそれが北米合衆国にフィード・バックしたようなスティーヴ・エリクスンなどについて書き続けていた。

そんな仕事を学者が読むものではない一般の刊行物でやるのを、僕が28歳の時に初めて紹介してくださったのは、以前も一度話をした篠田一士さんなのだ。篠田さんは定年退職したら「真の意味での」アメリカ文学会を作るからと常日頃からおっしゃっていたのだが、定年を迎えるその年に急死してしまった。アルゼンチンのホルヘ・ルイス・ボルヘスを日本で初めて紹介したのは篠田さんなんだよね。

話が音楽となんの関係もない方向へそれているが、僕は専門分野でもそんな人間だったのであって、音楽についても北米合衆国の音楽と中南米カリブの音楽を結びつける傾向が以前から強い。それら全てひっくるめて初めて真の意味での「アメリカ音楽」と言えるんだと思っている。

話を戻してカリブ音楽というものに、世間一般でいういわゆるカリブ地域だけじゃなく南北米大陸地域の音楽の一部も含めた方がいいというのは、中村とうようさん編纂の『カリビアン・ミュージック・ルーツ』(2002年、オフィス・サンビーニャ)でも明言されている。というか僕のこれは正直に言えばとうよう説の丸写しだ。

とうようさんは岩波新書『ポピュラー音楽の世紀』で「ラ・パローマ」をとりあげて、スペイン人作曲家の書いたものだとはいえキューバ音楽的であるこの曲こそが、世界のポピュラー音楽の誕生を告げる最重要曲だと指摘していた。僕が「ラ・パローマ」をコレクトするようになったのは、それを読んで強い感銘を受けたからだ。

オフィス・サンビーニャ盤『カリビアン・ミュージック・ルーツ』は、そのカリブ地域=世界のポピュラー音楽揺籃の地というとうようさんの自説を、実際の音源を並べて実証したようなCDアルバムだ。といってもカリブ地域の音楽に限定されているので、スペイン楽曲「ラ・パローマ」は含まれていない。

そして上で書いたようにいわゆるカリブ地域の音楽だけでなく、コロンビア、ベネスエーラ、ペルー、ブラジルといった南米大陸音楽もかなり収録されているし、それに加え北米大陸の一部であるメキシコと、そして一曲だけ北米合衆国の音楽家の録音もあるんだよね。

それが僕も上で書いた南部ルイジアナはニュー・オーリンズの人であるジャズ・マン、シドニー・ベシェのものだ。『カリビアン・ミュージック・ルーツ』にあるベシェは20曲目の「トロピカル・ムーン」で1939年録音。ベシェは52年に「可愛い花」(Petite Fleur)を書き、日本でもザ・ピーナッツが59年に歌ってデビューしたので有名なはず。

そんなベシェはニュー・オーリンズ生まれのクリオール(Creole はフランス語由来の言葉だから「クレオール」表記が正しいが、英語文脈ならクリオールだ、が Sidney Bechet はフランス系の名前)であって、クリオールはジャズ誕生期のニュー・オーリンズで大きな役割を果たした。ニュー・オーリンズはそもそもカリブ海に繋がる港町だ。

『カリビアン・ミュージック・ルーツ』20曲目のベシェ「トロピカル・ムーン」を聴くと、1939年録音にしてはかなりラテン風味が強いというか、アフロ・キューバンなラテン・ジャズが多くなるのは一般的には40年代以後だから、やはりカリブに繋がるニュー・オーリンズの人間だけあるなという感じだ。

もっともルイ・アームストロングやデューク・エリントン楽団その他が1930年あたりに、当時大流行していた「南京豆売り」を録音している。サッチモはたぶん単なる一流行歌としてやっただけだろうが、エリントンはその後もプエルト・リカンであるファン・ティゾルを雇い「キャラヴァン」をやっているよね。39年よりも前だ。

その他いくつかあるので、『カリビアン・ミュージック・ルーツ』のベシェ「トロピカル・ムーン」の曲目解説でとうようさんの言う「40年代にアフロ・キューバン・ジャズが出現する以前のジャズの録音では、ほかにこれほどラテンっぽいものはないと思う」という文言はちょっとどうかとも僕は思うけどね。

それはいいとして『カリビアン・ミュージック・ルーツ』を通して聴いていて、オッ、これはいいぞ違うぞと感じるのは10曲目と19曲目だ。この二曲では部屋の空気が一変する。前者はピシンギーニャとベネジート・ラセルダの、後者はセステート・ナシオナルの録音だ。前者は言うまでもなくいわゆるカリブ音楽ではない。

ブラジルのショーロだよね。その10曲目「ヤオー」は1950年と録音が新しいせいもあって、グッと新鮮に響くのだが、録音のせいだけではないはず。「ヤオー」はショーロというよりルンドゥー、すなわちアフリカ音楽の痕跡が強く残るもので、とうようさん用語で言えば「跳ねる二拍子」。

そんな跳ねる二拍子のルンドゥーをピシンギーニャとベネジート・ラセルダはグッとモダンなフィーリングで演奏している。ベネジートのフルートのせいでそんな印象が強くなっているのもあるが、ピシンギーニャのテナー・サックスの入り方がショーロの王道コントラポントだから、そのせいもあってモダンに聴こえるんじゃないかなあ。

ピシンギーニャとベネジート・ラセルダの「ヤオー」はライス盤『ショーロの聖典』には収録されていないが、僕が iTunes Store で買ったこのコンビの録音全集には当然入っている。それでは曲名が「ヤオー・イ・ガスタオ・ヴィエナ」となっている。どこかこのコンビの録音全集をCDでリリースしてくれないかなあ。

『カリビアン・ミュージック・ルーツ』19曲目のセステート・ナシオナル「ボンゴー万歳」は当然キューバのソン。1927年録音で、まだトランペッターが参加していない時期だけど、キューバのソンがいかにタイトでいかに音楽的に完成されていたかがクッキリと分ってしまう。

とうようさんも曲目解説で、キューバのソンのカッチリした強固なまとまりのせいで、この曲だけがアルバム全体のなかで浮き上がってしまわないかとの懸念を書いているくらいだ。それでもまだ雑然とした感じの初期録音をチョイスしてみたと書いているが、他のいわゆるカリブ地域音楽を収録したものと並べて聴くと、やっぱり違うサウンドだ。目立ってしまい印象が違うように聴こえる。

『カリビアン・ミュージック・ルーツ』と(広い意味での)カリブ地域音楽の話、そしてその地域ではおそらくはアフリカ由来の二拍子系リズムと、おそらくヨーロッパ由来の三拍子系リズムが交錯してクロス・リズムになり、タ〜ン・タ・タンという付点つき二拍子、つまり跳ねる二拍子になって、それがキューバはじめカリブ地域音楽のリズムの特長になったという話をしたいと思って書きはじめたのだが。

そのクロス・リズム、跳ねる二拍子が表現された典型があの「ラ・パローマ」であって、それはスペイン楽曲だから『カリビアン・ミュージック・ルーツ』には収録しない代わりに、一曲目に同じハバネーラ・リズムを使ったキューバの「トゥ」(ホセ・マヌエール・ロドリゲス)が収録されている。

『カリビアン・ミュージック・ルーツ』では、その後、北米のメキシコ、南米のコロンビア、ベネスエーラの音楽が続き、ハバネーラのリズムがどう活かされてどう変化しているのかを実証している。なかにはそんなリズムの交錯が6/8拍子的、いわゆるハチロクになっているものもある。

トリニダード・トバゴ、ハイチ、パナマ、ジャマイカ、マルティニークなどと続いているが、全てフォーカスはクロス・リズムの面白さに当てられている。時に三拍子が強く出たり、鮮明なハチロクになったりなどする。アフリカ由来の(つまり黒人奴隷が持込んだ)カリンダ、ベレが基層となり、そこからハバネーラ、ビギンなども誕生し、さらにダンサ、ダンソーンが形を整えたのが分る。

そんな汎カリブ音楽、言い換えれば真の意味での「アメリカ」音楽の現代版がレゲエで、『カリビアン・ミュージック・ルーツ』のラストにはマルティニークの音楽家カリのやるレゲエ「フリーダム・モーニング」が収録されている。レゲエはカリブ発でありながらワールド・ビートであり、しかも元々のルーツ地域であったはずのアフリカの音楽家にも強い影響を与えているよね。一種の里帰り?

こんなリズムのクロスする面白さが、いわゆるカリブ地域で世界で初めて誕生した(のかもしれない)世界のポピュラー音楽の魅力であって、世間一般でいういわゆるアメリカ音楽(=北米合衆国音楽)もそうやって俯瞰しないと真の魅力が分りにくいんじゃないかなあ。

したがって北米合衆国の音楽も、これすなわち全て混血音楽であって、南中北米カリブを全部含めた真の意味での「アメリカ音楽」こそが魅力的であって、狭い意味でのアメリカ音楽が20世紀以後の世界で最も人気のあるものになりえたのも、そんな要素を内包していたからこそに違いないと思うんだよね。

2016/12/02

マイルス・ミュージックの真相

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マイルス・デイヴィスは、自分が雇った歴代ギタリストのなかでジョン・マクラフリンを一番信用していたような気がする。といってもマクラフリンはレギュラー・メンバーとしては起用されたことがない。『イン・ア・サイレント・ウェイ』になった1969年2月録音のセッションで初起用して以来しばらく使っているが、全てその時だけのゲスト参加だ。

だが1981年の復帰後にもマイルスはマクラフリンを使ったアルバムが二枚ある。どっちもコロンビア盤の『ユア・アンダー・アレスト』と『オーラ』だ。両者ともアルバム収録曲の全てにマクラフリンが参加しているわけではなく、一部で弾いているだけなんだけど。

『ユア・アンダー・アレスト』も『オーラ』もほぼ同時期の録音。前者が1984年から85年1月にかけて、後者が85年1月と2月に録音されている。がしかしリアルタイムでは『ユア・アンダー・アレスト』しかリリースされなかった。そしてそれがリアルタイムではマイルスのコロンビア最終作になった。

『オーラ』が発売されたのは、マイルスがワーナーと契約していた1989年。これは鮮明に憶えている。どうしてかというと、僕が CD プレイヤーを買ったのは『オーラ』のせいだからだ。そう、このアルバムは当時 CD でしかリリースされなかった。のはずなんだけど、調べてみたらアナログ LP でも出ていたみたいだなあ。

つまり僕が見つけられなかっただけか。あの当時の僕が音楽録音物を買っていたのは渋谷と新宿と池袋だけ。本当にこの三ヶ所だけだった。マイルスの<新作>がリリースされたというのでその三ヶ所で探したのだが、僕はその新作『オーラ』は CD しか発見できなかった。

当時の僕は CD プレイヤーを持っておらず、というか正確に言うと迷っていた時期で、いろんな新作や旧作が CD で出るようになっていたから、そろそろ買わなくちゃいけないのかなあとぼんやり感じていたのだった。そこに最愛の音楽家マイルス・デイヴィスの<新作>が出て、それは CD しかないぞ!となったのだ。

それでこれも憶えているがタワーレコード渋谷店で『オーラ』の CD ソフトだけをまず先に買い、その直後にそれを聴きたいがためだけに CD プレイヤーを買った。もし『オーラ』のアナログ盤を当時買えたならば、僕が CD プレイヤーを買うのはもっと遅くなっていたはず。

1990年代に入って古いアメリカ音楽がどんどん CD リイシューされるようになったので、1989年にそれを再生できる機器を買っていたのは、結果的にはピッタリのタイミングだったなあ。それはそうとアナログ盤プレイヤーに比べて CD プレイヤーはやや寿命が短めのような気がするんだが、僕だけだろうか?

ともかく1985年に録音されていたにもかかわらず四年間リリースされなかったマイルスの『オーラ』と、ほぼ同時期に録音され、こっちは即発売された『ユア・アンダー・アレスト』の両方にジョン・マクラフリンがゲスト参加して、少しギターを弾いている。

しかしこの二つのアルバム、中身はかなり違う。録音が少しだけ先の『ユア・アンダー・アレスト』は当時のレギュラー・バンドを中心とするファンク・アルバムなのに対し、『オーラ』は全面的にデンマークで録音された現代音楽のオーケストラ作品なんだよね。

だから『ユア・アンダー・アレスト』の方は当時のいつもの調子なので、ファンであれば理解はたやすい。収録曲もアルバム・リリース前後からライヴでよくやっていた。晩年のマイルスにとっての必須レパートリーになった二曲のポップ・バラード「ヒューマン・ネイチャー」と「タイム・アフター・タイム」のアルバム初お目見でもあった。

ところが『オーラ』の方は西洋白人現代音楽なんだよね。ひょっとしてそういう内容だからコロンビアは四年間もリリースしなかったのだろうか?デンマーク録音の『オーラ』制作の端緒は1984年12月にデンマークのレオニー・ソニング音楽賞をマイルスがもらったことだ。

そのソニング賞の授賞式出席のために1984年12月にデンマークを訪れたマイルス。どこの国のどんな音楽賞だって、普通、授賞式ではもらった人が演奏したり歌ったりするよね。この時のマイルスも当時のレギュラー・バンドからギターのジョン・スコフィールドと、甥のドラマー、ヴィンス・ウィルバーン二名を伴ってデンマークへ行った。

そのソニング賞授賞式の際の(オーケストラ)作品を書き演奏したのが、デンマークの音楽家パレ・ミッケルボルグ。マイルスは当初、オーケストラ作品なら常にそうしてきたように、ギル・エヴァンスに委託しようとしたのだが、断られてしまったのでミッケルボルグになった。といっても授賞式本番ではマイルスは吹かなかったそうだ。

その授賞式の時のミッケルボルグ作編曲指揮のオーケストラ作品がマイルス本人には評判が良かったので、そのままミッケルボルグに依頼して、翌1985年初頭に再びデンマークへ、そして今度はギターはジョン・スコフィールドでなくジョン・マクラフリン(とドラマーのヴィンス・ウィルバーン)を伴い行って録音されたのが『オーラ』だ。

とまあしかしそんな経緯をいくら書いてもあまり意味がないことではあるなあ。なぜならば『オーラ』はちっとも面白くないアルバムだからだ。少なくとも僕みたいに1969年以後のマイルスにはブラック・ファンク〜ロック系のものを求めてしまう人間なら全員間違いなく放り出すだろう。

退屈極まりないマイルスの『オーラ』。『マイルスを聴け!』のなかで中山康樹さんも同じことを書いているが、中山さんの場合は1949/50年録音の『クールの誕生』に関しても同意見で、全部の曲が同じに聴こえるとか、誕生と同時に死を迎えたような音楽とまで書いているので、ちょっと割り引いて読まなくちゃいけない。

僕にとっては『クールの誕生』は面白いからね。そんでもってそれと『オーラ』は通底するものがあるのは確かだから、どっちもダメだという中山さんの見解は一貫性があって納得はできる。つまりマイルスがキャリア初期から強く持っていた「白い」音楽性、すなわち西洋クラシック音楽的な要素だ。

中山さんと僕との違いは、マイルスのなかに強くある西洋白人音楽的なものが全てダメだとは思っていないところだ。そりゃそうだろう、前々から言っているようにアクースティック時代の作品と限定すれば、コンボものもなにもかも全て含めても、1957年の『マイルス・アヘッド』が一番好きな僕だから。

ギル・エヴァンス編曲・指揮のオーケストラとやった『マイルス・アヘッド』にアメリカ黒人的、さらにいえばアフリカ的というような音楽要素を聴き取ることは、少なくとも僕の場合難しい。そしてクラシック音楽側からマイルスを聴いている方々も、『マイルス・アヘッド』が好きだという意見になる場合が多いのだ。

がしかし同時に僕は大のブルーズ好き人間でもあって、それもマイルスのなかに非常に強くあるもので、だから西洋クラシック音楽的に美しければなんでもいいとか(あるいは逆になんでもダメだとか)いうような嗜好の人間でもないんだなあ。ものごと、なんでもいい塩梅じゃないとね。

そうなると僕にとっては「いい塩梅」の『クールの誕生』や『マイルス・アヘッド』にある重要なものが、『オーラ』には決定的に欠けているようにしか聴こえないんだなあ。『オーラ』を高く評価するファンも実はたくさんいる。そのほとんどはアルバム中のマイルスとマクラフリンのソロを褒めている。

僕が聴くとマイルスのソロ部分も『オーラ』ではつまらない。マクラフリンのギター・ソロ(は全十曲中三曲だけだが)だけが唯一聴けるかなと感じるだけ。バックのオーケストラ・サウンドなんかどこにも全く面白味がないよなあ。クラシック音楽ファンであれば違う意見になるかもしれない。

ただ『オーラ』で聴けるマイルスのトランペット・ソロの音色とフレイジングだけ抜き出すと、普段とどこも変わらないのは確かだ。だからそれだけはいいという意見の中山さんと正反対に、だからこそ僕はダメだと思う。だいたいマイルスは普段からそんな面白くて旨味のあるトランペットを吹くことは少ない。

バック・バンドにいい味を出す人間を起用して、そのスウィンギーだったりファンキーだったりするバンド・サウンドの上に自分の西洋白人的なトランペットを乗せていたというのがマイルス・ミュージックの真相じゃないかなあ。だからバック・バンドが面白くなく、同時にマイルスもいつもの調子でしか吹かないと、全然ダメな音楽に仕上がってしまう。

マイルス・ミュージックとはだいたいの場合、極上のバンド・サウンドと極上のサイド・メンのソロを聴くべきものであって、ボスのトランペット・ソロだけ抜き出すと、それ自体にそんな強い旨味は感じられない場合が多いんじゃないかなあ(一部例外を除く)。そんな音楽じゃないのかなあ、マイルスのやっていたものって。

これはおそらくチャーリー・パーカー・コンボ時代に、壮絶極まりないパーカーだけでなく、同じ楽器ならディジー・ガレスピーみたいな人を間近で体験していたがために、自分にこの人たちみたいな真似は到底できないぞと観念して、自分は自分の音楽家としての生きる道を探り見定めたということじゃないかなあ。だから初リーダー作が『クールの誕生』みたいなビ・バップとは似ても似つかないものになった。

さて「スウィンギーなバンド・サウンド」と書いたけれども、そこが『クールの誕生』『マイルス・アヘッド』その他と『オーラ』との決定的な違いだ。僕は西洋クラシック音楽でも曲や演奏家がスウィングしているものが好みなのだ。クラシック音楽にスウィング感を求めるのはオカシイかもしれないが、間違いなく聴き取れる場合があるよね。

バンドのサウンドがスウィンギーだったりファンキーだったりすればいいが、いつものそんな感じでなくなるのであればマイルスはいつもと違う吹き方をしないといけないのに、『オーラ』でもいつもと変わらないトランペット・ソロだから、アルバム全体が面白くないものになっているんだと僕は思っている。

作編曲指揮のパレ・ミッケルボルグもトランペッター。そして彼の最大のインスピレイション源がマイルスとやる時のギル・エヴァンスのスコアだったらしい。僕はミッケルボルグの他の作品は全く聴いていないのでなんとも言えないが、『オーラ』を聴いて判断する限りでは、マイルスを活かせるようなサウンドは創れない人だなあ。

『オーラ』にもエレクトリックなファンク・チューンはある。1985年録音だからミッケルボルグも時代を意識したんだろう。一曲目の「イントロ」、四曲目の「オレンジ」、五曲目の「レッド」、八曲目の「エレクトリック・レッド」がそういうものだ。

それら全てでヴィンス・ウィルバーンが電子ドラムスを叩いている。いかにも1980年代風のチープなサウンドで、今聴くとやっぱり面白くない。でもあの時代のドラマーはほぼ全員叩いていた。日本の村上ポンタ秀一だって使っていたもんね。だからそれ自体は別にどうってことはない。

問題はミッケルボルグの書いたリズム・アレンジがうわべだけのファンクだってことだなあ。一応リズムのかたちはファンクではあるものの、それはリズム・セクションの内側から自然に湧き出るような(ファンクはそういうもんだから)ものじゃなく、本当に格好だけ借りましたというようなものでしかない。

うわべのかたちだけファンクの衣を借りたみたいなものよりは、まだそれがどこにもない西洋クラシック音楽的な曲の方がまだマシだ。二曲目「ホワイト」とか、ハープの音ではじまる三曲目「イエロー」とかね。またマイルスがあまり吹かない六曲目「グリーン」や、全く吹かない4ビートのジャズ・ナンバーである九曲目「インディゴ」も、極端には悪くない。

上でも書いたように『オーラ』で最も聴ける、というか唯一聴けると思うのがジョン・マクラフリンのギターだけど、彼が弾いているのは一曲目「イントロ」、四曲目「オレンジ」、そしてアルバム・ラストの「ヴァイオレット」の三つだけ。といってもギタリストは現地のデンマーク人も参加していて、どこがどっちというクレジットはないので、僕の耳判断だけ。でも自信はある。

そのなかでマクラフリンのソロも、マイルスのソロも、バック・バンドの演奏も一番マシなんじゃないかと思うのがアルバム・ラストの「ヴァイオレット」だ。これはブルーズなんだよね。エレベのラインもいいなあと思ってクレジットを見たら、あのニールス・ヘニング・ペデルセンとなっているじゃないか。

ペデルセンのエレベ・ラインと、ヴィンス・ウィルバーんの電子ドラムス、それにくわえシンセサイザーが浮遊する上でソロを取るマイルスとマクラフリンのブルーズ演奏はなかなか悪くない。パーカッション・サウンドが聴こえるが、それはマリリン・マズールによるもの。
マリリン・マズールの名前は僕たちマイルス狂は忘れられないものなんだなあ。彼女はニュー・ヨーク生まれの黒人だが六歳からデンマークに住んでいた。この『オーラ』の時の演奏をマイルスは気に入って、数年後にバンドのレギュラー・パーカッショニストとして雇ったのだ。

マイルス・バンド時代のマリリン・マズールは1988年の来日公演時もメンバーだったので、僕も人見記念講堂で生演奏を体験した。その時のライヴではマズールのパーカッション・ソロをフィーチャーした曲もあったなあ。かなりセクシーな容姿と扮装の女性で、その点でも僕はお気に入り(笑)。

さてさて同じ1985年1月に、同じジョン・マクラフリンを加えてレギュラー・バンドで録音され、アルバム『ユア・アンダー・アレスト』に収録された「カティーア」のことを少しだけ書いておこう。B面一曲目だったこれではほぼ全面的にマクラフリンのギターをフィーチャーしている。
当時のバンドのレギュラー・ギタリスト、ジョン・スコフィールドは全く弾いていない。一応A面四曲目の「ミズ・モリシン」でもギターはマクラフリンとのクレジットだが、これのギター・ソロはスコフィールドのスタイルに似ているから、イマイチ判然としない。

だから「カティーア」と(その前の「カティーア・プレリュード」)だなあ、僕には。アップ・テンポのかなりハードでタイトなファンク・チューンで、これ、どうしてレギュラー・ギタリストのスコフィールドじゃなく、マクラフリンに弾かせようとマイルスは考えたんだろうなあ。

ボスの心中は分らないし、なにかそれについて書いてある文章も当時から現在に至るまで僕は見たことがない。だが、最初に書いたように、どうもマイルスはギタリストに関してはマクラフリンに最大限の信頼を置いていたと思えるフシがあるんだよなあ。

ジミ・ヘンドリクス的なサウンドを持っていて、なおかつ1960年代ジョン・コルトレーン的な音の配置ができるギタリスト。そんな風にマイルスはマクラフリンをみなしていたんじゃないかと僕は思うのだ。1969年2月のセッションで最初に起用したのはトニー・ウィリアムズの推薦だったのだが、ボスはかなり気に入ったみたいだ。

それにしてはレギュラー・メンバーにしなかったが、それはおそらくマイルスの一種の音楽的保守性と、以前書いたように和音を出せる楽器奏者としては、どっちかというとギタリストよりも鍵盤楽器奏者を重視したせいじゃないかなあ。マクラフリンとの出会いがあと二・三年遅ければ、間違いなくレギュラー・メンバーとして雇っただろうと僕は思う。

2016/12/01

ココモの肉声的ギター・スライドとシティ・ブルーズの痕跡

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少し前にロバート・ジョンスンの話をし、つい先週もその系統のブルーズ・メンについて書いたばかりなのに、今日もまたロバート・ジョンスンへの最大の影響源の一人でもあった人の話をしたい。うん、まあ好きなんだよね、ロバート・ジョンスンがね。今日の話題はココモ・アーノルド。

といってもココモの録音集を聴いていると、ロバート・ジョンスンの大きな栄養源なんていう枕詞は完全に消し飛ぶ。そんなこととはなんの関係もない魅力を持ったブルーズ・マンなんだよね。僕にとっては特にギター・スライドが素晴らしく響く人で、戦前のブルーズ界におけるスライド・プレイ最大の名手の一人だ。

ココモがギターを抱えて演奏でもしているような写真は残っていないらしいし僕も見たことがないんだが、彼はギターを膝の上に寝かせて、その上からスライド・バーかボトル・ネックかナイフかなにか分らないが、それで押さえるという弾き方をしていたらしい。いわゆるハワイアン奏法だね。

いや、ハワイアンとだけも言えないのかな。カントリー・ミュージック界なんかにも結構そういう人は多いよなあ。しかしながらカントリーでそんな弾き方をする(それしかできない)楽器ペダル・スティール・ギターはハワイがルーツだ。

そんでもってセイクリッド・スティールみたいなアメリカ黒人宗教音楽もあるわけで、だから人種や音楽ジャンルの区別をやりすぎるのはあまり意味がない。全部ズルズルと繋がっているんだよね。特に欧州イベリア半島から南北アメリカ大陸にやってきたギター(の起源はアフリカのはず)に関してはそうだ。

さてココモのギター・スライドを聴いていると、この奏法がいかに表現力豊かなもので、これを活用することによりギターがヴォーカルと同じだけの表現の幅を獲得したんだということが非常によく分る。戦前ブルーズ界におけるスライド奏法最大の名手はやはりロバート・ジョンスンになるんだろうが、数年前のココモが既にそれを確立している。

僕が普段よく聴くココモの録音集は、日本の Pヴァインが1998年(と見えるんだけど、なにしろ文字が小さくて老眼鏡をかけても判然としない)にリリースした『オールド・オリジナル・ココモ・ブルース』という一枚物CD。全24曲で、1934〜38年のデッカ録音集(最後の二曲だけ30年録音)。

デッカは元々英国の会社なんだけど、アメリカ支社が1934年に設立され、メイヨ・ウィリアムズというプロデューサーがデッカの黒人音楽部門で働いて、彼がアメリカン・デッカ設立早々に見つけだして録音させたのがココモだった。1934年からの四年間で90曲以上も吹込んだらしい。

僕はそんなココモの全貌は聴いていない。前記 Pヴァイン盤と、あとは各種戦前ブルーズのアンソロジーに一曲程度選ばれることも多いので、そんなものは結構前から聴いていた。そのうちの二つが日本の中村とうようさん編纂の『ブラック・ミュージックの伝統〜ブルース、ブギ&ビート篇』と、やはり日本の Pヴァインがリリースした『戦前ブルースのすべて 大全』。

それらのうち、とうようさんの『ブラック・ミュージックの伝統〜ブルース、ブギ&ビート篇』にある「オールド・ブラック・キャット・ブルーズ」は単独盤『オールド・オリジナル・ココモ・ブルース』にもあるが、『戦前ブルースのすべて 大全』にある「ミーン・オールド・トゥウィスター」は単独盤には入っていない。

その「ミーン・オールド・トゥウィスター」も1937年シカゴ録音でデッカ原盤だ。これもなかなかいいブルーズだから単独盤にも収録したらよかったのになあ。同じ Pヴァインだから重複を避けたってことでもないと思うんだけど、どうなんだろう?
ココモの単独盤『オールド・オリジナル・ココモ・ブルース』一曲目は1934年録音の「ミルク・カウ・ブルーズ」。曲名だけですぐにロバート・ジョンスンのルーツ曲だなと誰でも気がつくと思うので、その話は割愛する。そんなことより、既に魅力的なギター・スライドのスタイルが確立されているのが重要。
聴き進むと、魅力的なココモのギター・スライドはまあだいたいどの曲でも同じようなパターンで、はっきり言ってそんなに多彩なパターンは持っていなかったブルーズ・マンだったんだなと分ってしまう。ヴォーカルもそんな感じで、どの曲でもよく似ている。


ココモの録音では、曲中彼が実に頻繁に掛け声を入れる。「プレイ・イット!」「ヤー、メン!」とかそんな戦前ジャズでもよくあるやつ。そのうちでちょっと面白いのが、ボーナス・トラック的に入っている末尾の1930年録音(だからデッカ原盤ではない)の24曲目「パドリン・マデリン・ブルーズ」。


なにが面白いのかというと、「パドリン・マデリン・ブルーズ」で聴けるココモの掛け声は「フィドル・イット・ナウ!」だからだ。もちろんヴァイオリンのことではない。ココモ一人でのギター弾き語りだ。彼の叫ぶ「フィドル・イット」とは「スライドで弾け」の意味なのだ。
せわしなくバー(かなにか分っていないそうだが)をスライドさせるココモのギター・スタイルがお分りいただけると思う。そんなスライド奏法のことを「フィドル」と呼ぶのはちょっと面白いんじゃないだろうか。スライド・ギター・スタイルを「ギット・フィドル」と呼ぶことがあるんだけど、バーなどで音をスラーさせることからフィドルっていうのかなあ。
そういえば音程を連続的かつ滑らかに変化させるのをクラシック音楽ではポルタメント(はとうようさんも使っている言葉)と言うけれど、ギター・スライドはまさにポルタメントだ。そんでもってポルタメントはクラシック声楽とヴァイオリンなど擦弦楽器での演唱法なんだよね。
ヴァイオリン、すなわちフィドルだよね。ココモの「フィドル・イット」の掛け声でギター・スライドが入るっていうのは、そういうことなのかなあ。いやまあ僕にはよく分らんけれども、勝手な連想と憶測を並べてみただけだ。でもあながち的外れでもないじゃないと思う。


「フィドル・イット・ナウ!」の掛け声でスライド奏法をやる「パドリン・マデリン・ブルーズ」(ともう一曲)は1930年録音だから、まだデッカのメイヨ・ウィリアムズに見出される前で、これら二曲をA面B面にしたレコードは全く売れず、やはり34年にデッカに録音するようになって以後の四年間がココモの全盛期。


1934年以後録音のブルーズでは、俗にココモ節と呼ばれるお馴染のスタイルで、上でも書いたようにどの曲のギターもヴォーカルもほぼ似たようなパターン。ココモはカントリー・ブルーズ・マンには違いないけれど、34年以後という録音時期を考えたらシティ・ブルーズの影響があってもおかしくない。


そして実際聴けるのだ。一番ハッキリしている二曲が単独盤12曲目の「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」と13曲目の「ボ・ウィーヴィル・ブルーズ」。曲名だけでみなさん瞬時にお分りのはずの超有名曲だから説明不要だろうね。


のはずなのに、Pヴァイン盤のライナーノーツにおける小出斉さんの記述はオカシイ。こうあるんだ。引用する。
 逆に(13)「ボー・ウィーヴィル・ブルース」は、いわずとしれた
 リロイ・カー・ナンバーで、こういうのを聴くと、
 ああ、ココモもシティ・ブルースマンと思ってしまうが(以下略)

あの〜、小出さんがお分りでないなんて絶対に考えられないので、12曲目・13曲目と連続しているがために、ちょっと誤記してしまっただけなんだろうと僕は判断している(にしては曲名まで明記してあるのは不可解だが)。「いわずとしれたリロイ・カー・ナンバー」とは言うまでもなく12曲目「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」の方だ。あるいは僕の知らないリロイ・カーの「ボ・ウィーヴィル・ブルーズ」があるのかなあ?
13曲目の「ボ・ウィーヴィル・ブルーズ」の方は1920年代のいわゆ通称クラシック・ブルーズの女性歌手たちが得意にしたレパートリーである古い伝承もので、マ・レイニーもベシー・スミスも録音しているのを僕は持っているし、カントリー・ブルーズ・マンではチャーリー・パットンのヴァージョンもある。
録音時期は当然マ・レイニーとベシー・スミスの方が先だが、録音を聴くと1929年であるチャーリー・パットン・ヴァージョンの方が、ブルーズのありようとしては古い姿を残している。そもそも彼女たちは最も早く録音したブルーズ歌手なので「クラシック」・ブルーズと呼ばれているだけであって、別にブルーズの「古典的」スタイルなんかじゃない。だから本当はこの呼称はやめるべきだよね。


ともかくココモの「ボ・ウィーヴィル・ブルーズ」を聴くと、直接的にはチャーリー・パットンらカントリー・ブルーズ・メンのを下敷きにしているが、じゃあ通称クラシック・ブルーズの女性歌手ヴァージョンの影響はゼロかというと、そんなこともないように僕には聴こえるなあ。
だいたいココモのデッカ録音は全てシカゴかニュー・ヨークで行われている。どっちも大都会だ。そんなこともあるし、1930年代半ば〜後半という録音時期のことを考えても、ギター弾き語りスタイルであるとはいえ、ココモのブルーズに都会のブルーズの痕跡は間違いなくある。


一番ハッキリしているのがリロイ・カー・ナンバーである12曲目の「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」。弾きはじめのギター・スタイルはリロイ・カーのピアノをそのまま移しかえているような弾き方だし、どう聴いてもこれはシティ・ブルーズのスタイルだ。
ところでココモがやるリロイ・カーの「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」。これをカヴァーする人はみんな「ハウ・ロ〜ング、ベイビー、ハウ・ロ〜ング」と歌いはじめるんだけど、ココモはリロイ・カー・ヴァージョンの ”Went and asked at the station: 'why's my baby leavin' town?’” ではじまる二連目から歌い出しているよね。
もっともココモは ”Sat and asked 〜〜”と歌っているけれどね。そんでもってまた文句を垂れるけれど、Pヴァイン盤についている歌詞カードの「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」のところでは、この歌い出しが ”Standin’ at the station〜〜” と記載されているんだなあ。
これはオカシイ。僕の耳にはそうは聴こえない。末尾に聴き取り担当者として Chris Smith という名前が記載されているが、これ、本当に英語ネイティヴの方なんだろうか?英語ネイティヴではない僕だって明らかに違うと分るのにヘンだなあ。


というのもこんなのが昔からあって、特にロック・レコードの日本盤を買うと必ず付いていた歌詞カード(今は知らん)に聴き取り担当者名が記載されてある場合があって、まるで英語ネイティヴであるような名前が記載されていたが、ありゃ今考えたら絶対ウソだね。英語聴き取り能力がイマイチな日本のレコード会社関係者だったとしか思えない。


まあいいや。重要なことは「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」でなくても、ココモの弾くギター・スタイルにはリロイ・カー的なシティ・ブルーズ・ピアノの影響が明らかに聴き取れるってことだ。ダダダ、ダダダっていうピアノ鍵盤を叩く例のやつを、そのままギターでやっているんだよね。


例えば単独盤七曲目の「フロント・ドア・ブルーズ」弾きはじめの数秒間は、ギターを弾くリロイ・カーだ。これはほんの一例で、他でも随所で聴けるから、やはりココモには明らかにシティ・ブルーズの影響があるね。それにカントリー・スタイルの肉声的スライド・プレイを合体させているんだなあ。
こんな田舎のブルーズと都会のブルーズをギター弾き語りで合体表現したのが、ロバート・ジョンスンにかな〜り大きな影響を与えたんだが、それを説明する余裕が今日はもうなくなってしまった。歌詞でも「スウィート・ホーム・なんちゃら」とか「2たす2は4」とか「ベイビー・ドンチュー・ワナ・ゴー」とか「アイ・ビリーヴ(・アイル・ダスト・マイ・ブルーム)」とか、その他いろいろとココモの録音に頻出するぞ。


一人でやるのは寂しいからやっぱり女、女がダメならオカマでもいいぞと歌うから笑ってしまう「シシー・マン・ブルーズ」(sissy の意味をちょっとネット検索してちょ)とかの話はもう完全にできなかったので、ちょっと聴くだけ聴いてみて。

2016/11/30

プリンスのスウィート・ソウル

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プリンス1996年の三枚組『イマンシペイション』。個人的には大好きなアルバムでリリース当時は聴き狂っていた。最大の理由はかな〜りスウィートだからだ。個人的に大好きでいい曲がいっぱいあるんだが、しかしその多くはプリンスのオリジナル曲ではない。そう、『イマンシペイション』にはカヴァー曲が多い。

多いと言っても三枚組全36曲のうち4曲だけなんだけど、『イマンシペイション』以前には他人の書いた曲をやることなんて全く一つもなかった(はずの)プリンスなので、だからこれはむしろ「四曲も」あると言うべきだろうなあ。そして1996年のこの三枚組以後も死ぬまでカヴァー曲はやっていない。

あ、いや、1999年の『レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』にシェリル・クロウの「エヴリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード」があったなあ。がしかしあの曲ではシェリル・クロウは歌や演奏で参加していない。同アルバム中他の曲では参加しているのに、本人の曲で参加しないなんてヘンなの。

しかしあれも例外で、一つのアルバムに四つもカヴァー・ソングがあるなんてのは、プリンスでは『イマンシペイション』だけ。彼の音楽キャリア初のことでもあったから、あれはどういうことだったんだろうなあ。ソングライターとしても、以前から繰返しているようにアメリカ大衆音楽史上最高の一人だったかもしれないのに。

説明不要だけど、『イマンシペイション』にあるカヴァー・ソング四曲とは一枚目六曲目のスタイリスティックス「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」、十曲目のボニー・レイット「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」、三枚目五曲目のデルフォニックス「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」、十曲目のジョーン・オズボーン「ワン・オヴ・アス」。

四つとも『イマンシペイション』におけるプリンス・ヴァージョンの出来も素晴らしい。特に「ワン・オヴ・アス」はどう聴いてもジョーン・オズボーンのヴァージョンより上だ。なかでもドラムスのサウンドがいいように思うけど、これ、生ドラムスなのか打込みなのか、僕の耳では判断できない。

スネアの叩き方なんかを聴くと、やっぱり生のドラム・セットをプリンス自身が叩いているんじゃないかと思うんだが、他の部分はデジタルな感触もあるから、やっぱり自信がない。「ワン・オヴ・アス」でのそのスネアが実にいい感じで跳ねていて、僕は大好きだなあ。

ボニー・レイットの「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」は、やっぱり彼女自身のオリジナル・ヴァージョンの方が沁みてくる感じでプリンスのよりいいだろうとは思う。プリンス・ヴァージョンの方は冒頭からエレクトリック・シタールが効果的に使われているのが印象的。

エレクトリック・シタールといえば、『イマンシペイション』では実にたくさん使われているよねえ。三枚全部で計ピッタリ三時間という収録時間(ヘンな凝り方だ)なので、全部じっくり聴き直すのがちょっとしんどいんだけど、たくさんエレキ・シタールが使われていたように思う。

記憶では二枚目の「ソウル・サンクチュアリ」と「セイヴィア」にもエレキ・シタールが入っていたような気がして聴き直してみたが、どっちにも入っていないぞ。う〜ん、記憶違いか。まあしかし他の曲で使われているものが確かに多かったのは間違いないはず。

どうして「ソウル・サンクチュアリ」と「セイヴィア」がそうだったような気がしたのかは、自分でもちょっと分るような気がする。この二曲はややエキゾティックな曲調とサウンド・アレンジなのだ。ややインド〜アラブ風な雰囲気があるように思うのは僕だけだろうか?単に僕がインド〜アラブ風なものが好きなだけ?

「ソウル・サンクチュアリ」ではタブラではないが、ちょっとそれに似た音の打楽器がはっきりと聴こえるしなあ。「セイヴィア」の方は聴き直したら特にエキゾティックでもないぞ(苦笑)。エキゾティックではなく、プリンスお得意のファルセット唱法で理想の愛を歌い上げるアメリカン・ポップ・バラードだ。

そして「セイヴィア」終盤では自身の弾くエレキ・ギターがドラマティックに爆発するという、こりゃまたなんとも壮大な展開だ。この曲こそ『イマンシペイション』二枚目のクライマックスだね。プリンスにとってのセイヴィア、すなわち救世主だったマイテを称えた曲。

『イマンシペイション』二枚目では露骨だけど、他の二枚でも当時結婚したばかりのマイテとの蜜月ぶりから来るスウィートさ、多幸感が全体に満ち溢れていて、それまでのプリンスの音楽を知っていると思わず「よかったね、プリンス」と声をかけたくなるような気分なのだ。

だから『イマンシペイション』は全体的にウキウキしていて、非常にポジティヴで前向きのラヴ・ソングが多く、聴いている僕までなんだか幸せな気分になって微笑んでしまう。それがこの三枚組が大好きである最大の理由なんだよね。そしてそんな気分を象徴しているのが前述二曲のソウル・クラシックス。

スタイリスティックスの「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」は1972年の、デルフォニックスの「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」は1968年のもので、どっちの曲も双方のグループの代表曲にして最大のヒット曲。ソウル・クラシックスとしてカヴァーする人は多い。

プリンスみたいな音楽家の志向を考えると、そんな誰でも知っている有名ヒット・ソングを、それもライヴ・コンサートなどではなく自身のリリースする新作アルバムでカヴァーするなんてことは、それまでなら考えられないことだった。おそらく二曲ともそのメロディの美しさゆえじゃないかなあ。

『イマンシペイション』附属ブックレットで一曲ごとに付いているコメントを読むと、「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」のところでは「今まで書かれたなかで最もプリティなメロディじゃない?」とある。「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」のコメントでは「もう一つの大好きな曲」だと。

『イマンシペイション』にあるプリンスのカヴァー・ヴァージョンは例によって紹介できないので、それぞれのオリジナル・ヴァージョンを紹介しておこう。

スタイリスティックス「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」https://www.youtube.com/watch?v=nkG0YOMUNs4
デルフォニックス「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」https://www.youtube.com/watch?v=baNbyst7aW0

お聴きになれば分るように、『イマンシペイション』でのプリンスはほぼ忠実にカヴァーしている。「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」冒頭のあの印象的なソプラノ・サックスも、「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」出だしのあのドラム缶を叩いているようなスネアの連打も。

『イマンシペイション』ではこんなスウィート・ソウル・クラシックスのカヴァーだけでなく、オリジナル曲も似たような多幸感・祝祭感があるものが多く、だからアルバム全体にわたって、プリンスがまるで甘茶ソウルの人間になったかのような雰囲気だよなあ。

「甘茶ソウル」(スウィート・ソウル)はソウル・ファンのあいだでの専門用語なので、プリンス・リスナーでご存知ない方がいらっしゃれば是非ちょっとネット検索してみてほしい。「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」も「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」も甘茶ソウルのコンピレイションによく入っている。

もちろん『イマンシペイション』ではそんなスウィートなソウル・バラードばかりではない。一枚目ではダンサブルなファンク・チューンが中心だし、三枚目はややハウス〜テクノっぽい打込みメインで、やはりクラブ系のダンス・チューンが多い。なかでも一枚目のオープニング「ジャム・オヴ・ザ・イヤー」は腰が動くね。

「ジャム・オヴ・ザ・イヤー」出だしのベース・リフ。あれいいよなあ。短いファンキーなリフ・パターンを繰返し弾いていて、僕は大好きだ。すぐにドラムスが入り、鍵盤とホーン・セクション(シンセサイザー?)との合奏が入ってきて、プリンスのファルセット・ヴォイスが聴こえはじめると、あぁ、パーティーがはじまるんだなと思うよ。

そんでもってパーティーの幕が開くと、その中身はなんとも甘い展開が続いて、例えば以前も書いたけれど完全なる1930年代風スウィング・ジャズ・ナンバーの五曲目「コーティン・タイム」(は「求愛のとき」という意味)に続く六曲目が「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」だなんてね。

なお、上でも書いたが一枚目十曲目のボニー・レイット「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」だけは、彼女本人のヴァージョンの方がいい。『イマンシペイション』収録のプリンス・ヴァージョンのファンが多いようだから、そんな方には是非ボニーのオリジナルも聴いてほしいので、貼っておく。ギターがよく話題になるボニーだけど、ヴォーカルもいいよ。なんて切ない歌なんだ。

2016/11/29

ブ〜ギ・ウ〜ギ!

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ブギ・ウギについて一度きちんとまとまった文章にしておかなくちゃねと思いつつ、このパターンは米英大衆音楽を聴いているとどこにでもどんどん無限に見つかるものだから、どうにも収拾がつかないというかキリがないんだよね。これは裏返せばブギ・ウギがそれだけ浸透・拡散しまくっている証拠だ。

すなわち、ブギ・ウギがいかに米英大衆音楽の血肉となり、いかに重要な役目を果たしているかということを如実に物語っている。そんなブギ・ウギ、これをピアノで演奏するブルーズのなかではアメリカ音楽史上最も重要なものだと言うと、一面真実でありながら、片面では真実を捉えていないことになるだろう。

「ブギ・ウギはピアノ・ブルーズ」というのは録音されたものだけ聴いていると分りやすいだろうが、真実を捉えていないというのはどういうことかというと、ブギ・ウギの発生〜展開をよく俯瞰した場合、必ずしもピアノ(・ブルーズ)音楽のスタイルだとばかりも言えないんじゃないかと思うからなんだよね。

ブギ・ウギの商業録音は1928年にはじまって、その後30年代後半に一躍大ブレイクした。大ブレイクのきっかけは、これはもうみなさんご存知の通り1938年12月23日の『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサート・イヴェント。もちろんCDでもリイシューされている。

『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』アルバムには全部で四曲ブギ・ウギ・ピアノ演奏がある。ミード・ルクス・ルイス、アルバート・アモンズ、ピート・ジョンスンのトリオで二曲(のうち二曲目は伴奏付)、ルクス独奏(にはちょっぴりスネアのリム・ショットが聴こえる)が一曲、アモンズ独奏が一曲。

あれで全米にブギ・ウギというピアノ演奏スタイルがあるんだということが知られ、かのアルフレッド・ライオンもそれを現場で聴いてブルー・ノート・レーベルを興そうと決断したというくらいのインパクトがあった。このあたりからのブームに乗っかって白人トミー・ドーシーの楽団がブギ・ウギのレコードを発売した。

トミー・ドーシー楽団が1938年に発売したレコード「ブギ・ウギ」はこれ。ブギ・ウギ・ピアノのファンであればお分りの通り、これはパイントップ・スミスのピアノ独奏「パイントップス・ブギ・ウギ」(1928)をビッグ・バンド用に焼直したものだ。
このトミー・ドーシー楽団のレコードが全米で大ヒットして、ブギ・ウギは市民権を得た。大ヒットに味を占めたトミー・ドーシーは同曲を何度か繰返し録音・発売している。そんな1930年代末〜40年代前半には、アメリカでブギ・ウギを知らない音楽ファンはいなくなっていたんじゃないかというくらい浸透していたようだ。

そんな具合だし、そもそも史上初のブギ・ウギ・レコードが1928年7月16日録音のカウ・カウ・ダヴェンポートによる「カウ・カウ・ブルーズ」なもんだから、やはりブギ・ウギはピアノ(・ブルーズ)音楽だということになり、そのパターンがのちに他の楽器に移し替えられたんだという認識になる。

ところがブギ・ウギという名称で知られるようになるあのパターンは、1928年よりももっとずっと前から存在していた。僕の推測では19世紀末にはこのスタイルは確立されていたはずだ。僕の読んだ一説によれば、1870年前後にはアメリカの黒人コミュニティ内に既に存在したものなんだとか。

その頃にはまだブギ・ウギ、あるいはブギとかウギとかいう呼び名はなかったはず。のちにそう呼ばれるようになるこのパターンは、要はダンス感覚のこと、というかダンス名の一つだ。人々が一ヶ所に集まってワイワイ賑やかにやりながら楽しく踊る。その際の伴奏音楽にある種のスタイルがあったということだなあ。

そんな1870年頃の録音はおそらく存在しないので実態は確かめられない。そんなダンス音楽に用いられる楽器は必ずしもピアノとは限らないだろう。室内で踊り騒ぐならピアノであった可能性が高いけれど、ギターだったかもしれないし、室外なら間違いなくギターだ。そしてどちらもヴォーカルを伴っていたんじゃないかなあ。

ブギ(boogie)という言葉の初出は Oxford English Dictionary によれば1913年。意味はハウス・レント・パーティー(家賃捻出のために音楽をやって踊り騒ぎお金を取ったもの)となっている。となると、ブギ・ウギ・ミュージックの世間一般の認識とここで一致することになる。

僕も大学生の頃から、ブギ・ウギとは主にシカゴでハウス・レント・パーティの際に雇ったピアニストが演奏した音楽スタイルのことだと散々読んでいる。しかしそれは必ずしもピアノ一台だけだったとは限らないんじゃないかなあ。室内パーティーでもピアノに他の楽器やヴォーカルも加わっただろう。

その証拠に、例えばブラインド・レモン・ジェファースンやレッドベリー(は二人ともギタリスト)の録音には、1928年のピアノ・ブギ・ウギよりも早い時期に同様のパターンを演奏し、しかも歌詞のなかにブギという言葉が出てくるものがある。もっともこの二名とも録音開始前のピアノ・ブギを聴いて憶えたのかもしれないが。

ピアノが先かギター&ヴォーカルが先かは僕には分らない。ピアノでやったのが先か、あるいはギター弾き語りとほぼ同時だったかのどちらかなのか、いずれにしても自信を持って言いたいのは、19世紀末〜20世紀初頭にハウス・レント・パーティーで演奏された音楽はピアノ一台だけとは限らなかった可能性がある。

だがレコード史上ではブギ・ウギの初録音からしばらくの間はピアノ独奏ばっかりなのは確かなことだから、これがピアノでやるダンス音楽、しかもだいたいの場合楽曲形式はブルーズだということになる。このピアノ演奏パターンにブギ・ウギの名称が付いたのがいつなのかは明確になっている。

上でトミー・ドーシー楽団がビッグ・バンド・スタイルでやった「パイントップス・ブギ・ウギ」だ。1928年12月28日録音。お聴きになれば分るように、曲中でパイントップが「ブギ・ウギ」という言葉を使っている。それはダンスの指示なんだよね。
「メス・アラウンド」という言葉も出てくるのが聴こえるね。これもパイントップが指示するダンス名なのだ。一般にはアーメット・アーティガンが書いてレイ・チャールズが録音した曲の名前として広く知られているだろうが、そのレイのやった「メス・アラウンド」はブギ・ウギそのものだ。ルイ・アームストロングの1925年オーケー録音に「ドント・フォーゲット・トゥ・メス・アラウンド」というのがある。

そんなことで1928年録音の「パイントップス・ブギ・ウギ」の頃には、それ以前からハウス・レント・パーティの意味だったブギ・ウギが、その際のダンスの名称に変化していたってことだなあ。それをパイントップが曲中で喋るのをそのまま曲名に用い、用語自体全米各地に大きく広まることとなった。

これ以後、特に1938年の『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』イヴェント以後は、もう「ブギ・ウギ」という言葉のオン・パレード。曲名なんか使われすぎなんじゃないいかと思うほど多い。白人トミー・ドーシーですら遠慮なく使ったんだから、黒人音楽なんかそんなのばっかりだよなあ。

重要なのは、このブギ・ウギ・ピアニストが左手で弾くパターンが、のちにバンド形式のジャズ・ブルーズ音楽で頻用されるようになり、それが1940年代のあのジャンプ・ミュージックの礎となったことだ。具体例をあげているとムチャクチャ多いので困ってしまうが、一つご紹介しておくことにする。

中村とうようさん編纂の MCA ジェムズ・シリーズの一枚『伝説のブギ・ウギ・ピアノ』25曲目にあるアンディ・カーク楽団の1942年録音「ブギ・ウギ・カクテル」。ピアノはケニー・カーシー。この人はジャンプ系楽団を渡り歩いた人のようだ。
とうようさんのこのアンソロジー『伝説のブギ・ウギ・ピアノ』では、これの次のアルバム・ラストにライオネル・ハンプトン楽団1946年録音「ジャック・ザ・フォックス・ブギ」が収録されているが、それよりも同じシリーズの一枚『ロックへの道』収録の同楽団44年「ハンプス・ブギ・ウギ」の方がいい。
この曲で聴けるピアノはハンプ自身とミルト・バックナーの連弾だ。後半から怒涛のように入ってくるフル・バンド合奏の迫力は、まさにビッグ・バンド・ブギ=ジャンプ・ミュージックだというれっきとした証拠。このあたりまで来るとブギ・ウギが音楽的に完成されているのが分る。

そんなフル・バンド・ブギをもうちょっと後の時代にスモール・コンボ化して、その上にジャイヴィーなヴォーカルを乗せたのがご存知ルイ・ジョーダン。1946年録音のこれは、ブギしている&スウィングしている&ジャンプしている&ロックしている。
こんなのが1950年代に入ってチャック・ベリーのロックンロールの土台になった。彼のロックンロールとはすなわちギター・ブギ(というタイトルのギター・インストルメンタル曲だってチャックは録音しているよ)に他ならず、それがもっとあとの、例えばキース・リチャーズの弾くギター・リフのそのままお手本になった。

またこれもロック・スタンダード化しているレッド・ツェペッリンの「ロックンロール」もチャック・ベリー風ギター・ブギだ。つまりロック・ビートの基本になったのがブギ・ウギのパターンで、それなくしてロック誕生はありえなかった。ブギ・ウギは今ではロック・ギターのスタイルとして認識されているはず。

というわけだから、上の方で書いた「ブギ・ウギはピアノでやる音楽の一種」という認識は不完全であるということになるんだよね。録音史的には確かにピアノでブルーズを演奏する際のアメリカ音楽史上最重要スタイルだとなるけれど、それだけではなくなったのというのがもっと重要な事実なんだよね。

2016/11/28

消える直前の炎の輝き〜ロイ・オービスンとトラヴェリング・ウィルベリーズ

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1988年の(日本では)11月に突如登場した謎の覆面バンド、トラヴェリング・ウィルベリーズ。覆面バンドなどといっても、そのあまりに明白な声とサウンドに、ファースト・アルバムを買ったリスナーは全員の正体が分っていた。個人的にはあの時初めてロイ・オービスンの魅力に気が付いて、すっかりあの声の虜になってしまった思い出がある。

ロイ・オービスンといえば1964年の「オー、プリティ・ウーマン」だけど、この曲は1982年にヴァン・ヘイレンがカヴァーしたのがリヴァイヴァル・ヒットしていた。がしかしあの頃はヴァン・ヘイレンとか僕はバカにしていてちゃんと聴いていなかったもんなあ。

1990年のアメリカ映画『プリティ・ウーマン』の主題歌にもなったわけだけど、あの映画も観なかった。ただまあそんな具合だったので、一応「オー、プリティ・ウーマン」という曲があるっていうことと、それはロイ・オービスンという歌手が歌ったものだという知識だけは持っていた。

あの時初めてロイ・オービスンの魅力に気が付いてと書いたけれども、『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1』が1988年11月に日本でリリースされた翌12月に、ロイは心筋梗塞で死んでしまうのだ。その時ロイはまだ52歳。僕が現在54歳であることを考えると、なんだか震えてくるなあ。

ロイの「オー、プリティ・ウーマン」がリリースされた1964年というと、トラヴェリング・ウィルベリーズのうち、ボブ・ディランとジョージ・ハリスンは既に大活躍中。ジェフ・リンも活動していたが、この人は1970年に ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)をはじめてから大注目された。

1950年生まれのトム・ペティも60年代末から活動はしているが、大成功したのはやはり1976年にトム・ペティ・アンド・ザ・ハートブレイカーズを結成して以後だ。以上五人がトラヴェリング・ウィルベリーズの本隊で正体。これにドラムスでジム・ケルトナー、パーカッションのレイ・クーパー、サックス奏者が参加しているが、彼らはゲスト扱い。

ベーシストがいないじゃないかと思われるかもしれないが、彼らは超一流のプロ・ギタリストたちなわけだから、普通の四弦ベースであれば間違いなく全員弾きこなす。実際にはトム・ペティが二枚のアルバムの両方で(ギターとあわせ)ベースを担当している模様。

二枚のアルバムと書いたけれど、1988年に一枚目が出て以後、二枚目が出たのは1990年。しかしそれのタイトルはなぜだか『Vol. 3』だ。これは当時いろんな憶測を呼んだ。ロイが一枚目のリリース直後に急逝してしまったがために『Vol. 2』の計画が頓挫しただとか、デル・シャノンがどうたらこうたらとか。

そのあたりはネットで検索すれば日本語の記事もたくさん出てくるので、もしご存知ない方で興味をお持ちの方はちょっと調べてみてほしい。でも真相みたいなものはいまだにはっきりしていないと思うんだけどね。いずれにしてもトラヴェリング・ウィルベリーズのアルバムは上記二枚で全部。

書いたように僕にとってはロイ・オービスンの「声」こそがトラヴェリング・ウィルベリーズ最大の魅力のように聴こえていたので、ロイのいない二枚目はどうもイマイチであまり繰返し聴かなかった。でも今聴き直してみたら『Vol. 3』も音楽的に面白い部分がまあまああるなあ。

ただ、二枚目『Vol. 3』のオープニング曲「シーズ・マイ・ベイビー」ではいきなりハードなエレキ・ギターが鳴りはじめ、曲全体もハード・ロックな趣で、僕の大好きな分野ではあるものの、トラヴェリング・ウィルベリーズにそういうものは似合わないというか、僕は求めていなかったというのが正直な気持。

あの「シーズ・マイ・ベイビー」でのハードなエレキ・ギターはゲイリー・ムーアらしいね。好きなギタリストだけど、トラヴェリング・ウィルベリーズの一作目のあのちょっとレトロ風のオールド・アメリカン・ポップ〜ロックンロールにはイマイチ似合っていない。

あれよりも『Vol. 3』を今聴き直して面白いかもしれないと思うのは、三曲目「イフ・ユー・ビロング・トゥ・ミー」、四曲目「ザ・デヴィルズ・ビーン・ビジー」、五曲目「7・デッドリー・シンズ」だなあ。この三曲以外はいまやどうでもいいような気がする。

「イフ・ユー・ビロング・トゥ・ミー」は」ちょっとカリブ風というか、いわゆるボ・ディドリー・ビート(3・2クラーベ)を使っている。かなり薄い感触だけど、間違いなくある。それをアクースティック・ギターで表現しているんだなあ。そこがちょっと面白いように思う。
「ザ・デヴィルズ・ビーン・ビジー」ではシタールが、といっても例のギター型のエレクトリック・シタールだけど、使われている。おそらく弾いているのはジョージだね。ジョージってことはアクースティック・シタールじゃないかと言われそうだけど、そういう音には聴こえない。
「7・デッドリー・シンズ」では、僕はなぜだかギル・エヴァンスを連想する。あれを聴いてそう思うリスナーはいないだろうなあ。でもあの曲の出だしで「せゔん〜、せゔん〜、せゔん〜」と追いかける輪唱があるんだけど、それがあの日本のテレビ番組『ウルトラセブン』の主題歌の出だしによく似ているんだなあ。
『ウルトラセブン』の主題歌ではホルンが効果的に使われている。こう書けばもうギル・エヴァンスとの繋がりはお分りのはず。ギルも(フレンチ・)ホルンやチューバなどの、ジャズでは通常使われることの少ない管楽器を効果的に頻用した。
トラヴェリング・ウィルベリーズの二作目にある「7・デッドリー・シンズ」からギル・エヴァンスへ繋げるなんて、まるで連想ゲームだけど、まあ単に僕が『ウルトラセブン』(に出演なさってブレイクしたひし美ゆり子さん)とギル・エヴァンス狂いなだけ。

トラヴェリング・ウィルベリーズの二作目『Vol. 3』で今でも面白いと思うのは以上で全部。やはり僕にとってのこの覆面バンドはロイ・オービスンのあの声が聴ける一作目こそ全てだ。といってもロイが歌っているのは三曲だけなんだけど。

ロイの歌う三曲のうち、一曲を通しロイだけがリード・ヴォーカルを取っているのは五曲目の「ナット・アローン・エニイモア」だけだ。いいなあこれ。YouTube には同じ曲が他にも上がっているが、ロイやその他メンバーの顔が見えるこれが一番楽しい。
お聴きになれば分るように、これは1960年代のロイのヒット・ナンバーに似せて創られた一曲だ。誰が書いたのか分らないが、曲もサウンド創りも間違いなく意識している。特にジム・ケルトナーがスネアを二連符でバン・バンと叩くあたりは、「オー、プリティ・ウーマン」その他にソックリ。

「ナット・アローン・エニイモア」は、歌っているのがロイだということを踏まえると歌詞も沁みてきて泣きそうになるが、まあそれはただの個人的感傷みたいなもんだから、公の文章で詳しく書いてみたところであまり意味もなく、お読みになる方々にとってはアホみたいなものだろう。

『Vol. 1』一曲目「ハンドル・ウィズ・ケア」で歌いはじめるのはジョージだけど(そもそもこの曲はジョージのソロ・アルバム『クラウド・ナイン』のスピン・オフみたいなもの)ブリッジ部分をロイが歌っている。
このミュージック・ヴィデオが1988年当時流れたもんだから、このトラヴェリング・ウィルベリーズ、覆面バンドもくそもないだろうと全員笑っちゃったんだなあ。全員顔と声でバレバレじゃん。ジョージやディランは僕も既に大ファンだったけれど、ロイ・オービスンの声に惚れちゃったのだ。

「ハンドル・ウィズ・ケア」でロイが歌っているのはブリッジ部分だけで、メインはあくまでジョージ。スライド・ギターが入るけれど、それは音だけ聴いてもジョージが弾いているものだと分る鮮明なスタイル。ロイがブリッジを歌ったあと、お馴染のディラン(と他の人とのコーラス)の声が聴こえる。

『Vol. 1』で部分的にロイが歌うもう一曲は、四曲目の「ラスト・ナイト」。ここでのメイン・ヴォーカリストはトム・ペティ。ロイはやはりブリッジ部分だけを担当しているが、その部分に来るとやっぱりいいなあ。
ところでこの「ラスト・ナイト」はサウンドがかなり面白いんじゃないだろうか。まずドラマーのスティック音が聴こえるが、その部分ではダブ的なサウンド処理が施されている。曲全体もカリブ調、というかジャマイカン・レゲエ風のものだよなあ。サックスもそんな雰囲気だ。

『Vol. 1』にはカリブ風サウンドがもう一曲ある。八曲目の「マルガリータ」だ。まずシンセサイザーの音が聴こえるが(誰が弾いているの?)、それに続き薄く入るアクースティック・ギターのカッティング、ヴォーカル・コーラス、スライド・ギターと来て、ベースが鳴りはじめる。
そのトム・ペティが弾くベースが聴えはじめたあたりからは鮮明なカリブ音楽になる。はっきり言えば 3・2クラーベのリズムだ。ベースは明らかに 3・2と弾いているしなあ。リード・シンガーはディラン(とトム・ペティ)で、ブリッジ部分がジェフ・リン。

しかも一曲全体で聴こえるジョージが弾いているに違いないスライド・ギターの音は、普通のエレキ・ギターじゃなくちょっとペダル・スティールっぽいものだよなあ。普通のエレキ・ギターなのかペダル・スティールなのか、僕の耳では判断できない。どなたか教えてください。

もしこれがペダル・スティールだとすると、カリブ風な 3・2クラーベのリズムを使って、曲調も南洋風なロック・ソングのなかにそれが入っているなんていうのは、かなり珍しいんじゃないだろうか?ロックじゃなければたくさんあるように思うんだけどね。

リリース直後に亡くなってしまうロイ・オービスンのあの独特の声の魅力を初めて教えてくれたので僕には忘れられない『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol. 1』。今聴き返してもやっぱりロイの声が聴える三曲が群を抜いていると思うけれど、カリブ風だったりする部分は当時は聴き逃していた。

それに『Vol. 1』はアルバム全編を通しエレキ・ギターが派手じゃなく、アクースティック・ギター中心のサウンド創りなのも、最近の僕の気分にはピッタリ来る。それまではロックはやっぱりエレキだぜとか思い込んでいたんだけどね。

2016/11/27

ジャズ・ブルーズにおける曖昧な和音構成と明快なドラムス・ソロ

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以前も書いたけれど、ソニー・ロリンズ畢竟の超傑作である1956年のプレスティッジ盤『サクソフォン・コロッサス』で一番好きなのがアルバム・トップの「セント・トーマス」とラストの「ブルー・7」。以前書いた時はどっちの話もするつもりだったんだけど、前者の方を書いているうちに長くなった。
それで書きそびれてしまったので、今日は「ブルー・7」の話。しかしこの曲、『サクソフォン・コロッサス』のなかでは最も人気がないんじゃないかなあ。いろんな意味でかなり面白い12小節ブルーズなんだけど、一般のジャズ・ファンは「セント・トーマス」と「モリタート」の話ばっかりするね。

「セント・トーマス」のことは上記リンク先のカリビアン・ジャズ(・ファンク)関係で詳しく書いた。「モリタート」もいろんな人が書いているよね。専門家が書いたもののなかでは粟村政昭さんの『モダン・ジャズの歴史』(スイングジャーナル社)における記述・分析が一番読み応えがあるんじゃないかなあ。

あとはA面二曲目のスタンダード・バラード「ユー・ドント・ノウ・ワット・ラヴ・イズ」かなあ、一般的な人気があるのは。それらに比べたらB面ラストの「ブルー・7」なんて誰かが話題にして詳しく書いているものなんて、僕はまだほとんど読んだことがない。しかしあの曲は本当にいろんな意味で興味深いんだよね。
まず「ブルー・7」は12小節ブルーズ形式の楽曲なんだけど、トーナリティがはっきりしない。この曲のキーはなんだ?僕が聴くと B♭と E のどっちなんだか分らないんだなあ。最初ダグ・ワトキンスのウォーキング・ベースではじまり、しばらくそれが続く。その部分のキーは B♭だけど。

マックス・ローチがハイハットで入ってきて、その入りはじめのハイハットのサウンドにもゾクゾクするんだけど、直後にロリンズがテーマらしきものを吹きはじめると途端にキーが分らなくなる。少なくとも僕にはそうだ。書いたように B♭と E のバイ・トーナルな雰囲気のサックス吹奏なんだなあ。

そもそもあれは通常のいわゆる<テーマ>・メロディではない。ダグ・ワトキンスの弾くベース音に乗ってロリンズがその場で即興的に思い付くまま吹きはじめたものだろう。ということは曲を聴いての僕の個人的意見であって、ロリンズ本人や専門家がどう言っているかは知らない。まあでも間違いないはずだ。

だから「ブルー・7」の演奏前に決っていたものは、ブルーズをやろう、キーは B♭だ、テンポはこの程度で、この三点だけのはず。ブルーズっていうものはそうやってだいたいキーだけ決めればあとは全部簡単に即興でできちゃうものなんだよね。そんな風にして録音されたものはジャズでも多い。

だからダグ・ワトキンスも B♭で弾きはじめる。ところがロリンズが吹きはじめた途端に、書いたようにバイ・トーナリティを暗示するかのような演奏になるもんだから、僕みたいな素人は混乱する。混乱ってのは悪い意味じゃない。面白いっていう意味だ。調性的には崩壊寸前みたいな演奏だ。

それでも伴奏ピアニストのトミー・フラナガン。この人はブルーズも上手いジャズ・ピアニストなんだけど、そんな複雑な和音構成での演奏は得意じゃない人で、ブルーズを弾く時もかなり明快でブルージーな弾き方をする人なわけで、だから「ブルー・7」でもやはりそんな風な弾き方になっている。

ロリンズが和音的崩壊へ向うような吹奏をしているあいだでも、フラナガンは明快に B♭ブルーズでのバッキングをしている。しかもその伴奏フレイジングはかなりブルージーで、いつものフラナガン節だよね。そんな分りやすくブルージーなフラナガンが支えているロリンズのソロは、しかしかなり抽象的だ。

「Blue 7」というこの曲名は、おそらくブルーズのブルー、そんでもって7thコードの7から来ているんじゃないかと思う。セブンスのコードはブルーズ(やそれ由来のロックなど)では必須なのだ。そんな曲名で、12小節で、典型的なブルーズのコード進行なのに、あのロリンズのサックス演奏はヘンだ。

ロリンズのソロにはブルーズ・フィーリングを全く感じ取れないからなあ。ちょっとだけそんな雰囲気があるような気もするけれど、本当に一瞬であって、全体的にロリンズが吹く部分は和音的にもフレイジングの組立てもかなりアブストラクトで、数年後のフリー・ジャズに近づいている。

ブルーズをやってフリー・ジャズになる、これはある意味フリー・ジャズの一面の真実じゃないかなあ。デビュー当時のオーネット・コールマンを聴いても分るんだけど、フリー・ジャズの土台にはブルーズがあって、ブルーズ・スケールを用いて、いや用いていないが、そんなフィーリングで演奏している。

そんでもって例えば『ジャズ来たるべきもの』でもオーネットの音の組立てはフリーというよりモーダルなのだ。モードとは要はスケールのことであって、ブルーズもスケールにもとづく音楽だよね。マイルス・デイヴィスも言っているじゃじゃないか、「ああいうフリー・ジャズ連中のやっているのはブルーズだ」と。

この「フリー・ジャズはブルーズ」というマイルスの言葉は、まあ彼はなんでもかんでも土台にブルーズがあることにしたいという人間で、僕も米英大衆音楽に話を限ればほぼ同じような発想を持った人間なので(これはマイルスの聴きすぎのせいではないように自分では思う)、かなり分りやすいものなのだ。

フリー・ジャズの話はおいておいてロリンズの「ブルー・7」。書いているようにボスが吹くあいだは和音的な根拠が曖昧で、一体なにを吹いているのか分りにくいようなフレイジングで、それはどうやら最初に吹いたテーマ、というかモチーフに基づく、いわばシーマティックなアドリブ手法なんだよね。

シーマティック・インプロヴィゼイションというのは、この1956年あたりかちょっとあとくらいから、ガンサー・シュラーやジョージ・ラッセルやビル・エヴァンスなどがやりはじめ、それと強く連動してマイルス・デイヴィスが大きな果実を実らせたので一般的には有名な、いわゆるモーダルな演奏法のことだ。

ロリンズが吹いている部分はコーダルな意味では曖昧で抽象的なんだけど、そういうシーマティック、すなわちメロディ由来の水平的なアドリブだと考えれば分りやすい。1956年録音だから通常のハード・バップ全盛期で、モーダルなやり方や水平的なメロディ展開が一般化するのはこの数年後だけどね。

実はこういうことは、上で名前を出したガンサー・シュラー、彼はジャズ研究家でもあって、彼が書いた文章のなかではっきりと言っていることなのだ。僕が今日ここまで書いたこともだいたいシュラーの「ソニー・ロリンズとシーマティック・インプロヴィゼイションの挑戦」で指摘されていて、大筋それを(和訳して)なぞっただけなのだ。
ただしシュラーが書いていないことをここから書くけれど、僕が「ブルー・7」で一番好きなのが上でも指摘した明快にブルージーなトミー・フラナガンの伴奏ぶりとソロ、そしてもっと好きなのがマックス・ローチのドラムス・ソロなんだよね。前者が好きだというのはブルーズ好きの僕だから納得しやすい。

だから元からブルーズが上手いフラナガンのソロがブルージーでいいという話は今日は広げない。聴けば誰だって分ることだ。それよりもマックス・ローチのドラムス・ソロに注目してほしい。ロリンズの一度目のソロが終り、フラナガンのピアノ・ソロも終って、4:05 からローチのソロになる。

ローチのソロになる前にロリンズが少し吹くので、これは例の四小節交換がはじまるなと思うとそうならず、そのままローチのソロになだれ込む。その部分をお聴きいただければ分るはずだけど、ローチはブルーズの12小節構成を強く意識した叩き方だ。明らかにコード進行を踏まえてソロを演奏しているよね。

以前ブルーズ進行について書いた際、メロディやコードを出せる楽器奏者だけでなく、ドラマーもコード進行を意識して叩いているのだと書いたけれども、コードやコーラスが変る節目節目でフィル・インを入れてアクセント付けするだけなく、ソロでもそうなんだよね。「ブルー・7」でのローチのように。

4:05〜6:21までのローチのドラムス・ソロは三つのパターンで構成されるリズムの形を反復している。三つのリズム・フィギュアを繰返しているのは、12小節ブルーズは三部構成になっているからだ。これは僕も以前指摘したし、ブルーズでは当り前の事実なので繰返す必要はないはず。

さらにこのローチのソロ構成はブルーズ楽曲であるという形式を充分に踏まえたものであると同時に、その後に出てくるロリンズの二度目、三度目のソロへの伏線にもなっているんだよね。その部分ではロリンズも三つのパターンをリピートする構成のソロ展開を繰広げていて、曲全体に一貫性を与えている。

大学生の頃に初めて『サクソフォン・コロッサス』を聴き、アルバム・ラストの「ブルー・7」を聴いた時に一番感心したのが、ロリンズのソロでもフラナガンのソロでもなく、他ならぬそのローチのドラムス・ソロなのだ。そしてこういう叩き方のソロは、もっと前、1930年代からあることも少しあとになって知った。

それはシドニー・カトレットだ。戦前の古典ジャズに興味のあるファンであれば間違いなく全員知っている名ドラマー。個人的にはジャズ史上で最も好きなドラマーだ。それほど大好きになったのは大学生の半ばか後半頃で、戦前や中間派のジャズをたくさん聴いていると、カトレットがよく登場するからだ。

カトレットは上で書いたローチのソロのような、ステディな4ビートを保ちつつ、そのままそのなかでシンプルなリズム・フィギュアの反復で構成されるソロをよく演奏するんだよね。そしてモダン・ジャズしか聴かないリスナーのみなさんにも注目してほしいのだが、彼はモダン・ドラミングの先駆けなのだ。

ビ・バップでモダン・ジャズ・ドラミングを開発したのはケニー・クラークだということになっている。しかしそのクラークの最も大きな影響源がシドニー・カトレットに他ならない。カトレットのスタイルのルーツはズティ・シングルトンとベイビー・ドッズだが、そこから独自のものを生み出しているんだよね。

カトレットは1951年に亡くなっているが、45年にディジー・ガレスピーとも録音しているんだよね。それは完全なるビ・バップだ。カトレットが旧時代出身でありながら、モダン時代に対応したドラマーであることを証明し、ケニー・クラーク、マックス・ローチ、アート・ブレイキーなどへの橋渡し役だったこともよく分るのだ。

あんまり古いジャズ・マンの話ばっかりしているとだんだん嫌われそうだけど、なんだかビ・バップがまるで突然変異みたいに天から降って湧いたようなものであるかのような考えをしている人が多いんじゃないの?だってそれ以前のジャズを聴こうともしないってのはそういうことだとしか思えない。

ソニー・ロリンズの「ブルー・7」はブルーズ形式なのに、ボスのテナー・サックス・ソロは全然ブルージーではなく和音的にも曖昧だとか、それと比較してブルージーなトミー・フラナガンのピアノが好対照だとか、マックス・ローチのソロが曲の構造を踏まえた面白いものだとかいう話だったのに、なんだかまたいつもの調子になってしまった。

2016/11/26

グナーワ・ディフュジオンで聴くマグレブ伝統音楽

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北アフリカ大衆音楽を、その地域からの移民の多いフランスではなんでもかんでも「ライ」と呼んでしまう傾向があったらしく、グナーワ・ディフュジオンの連中もこれに随分と悩まされたらしい。今ではこのバンドについて日本語、英語、フランス語で書いてあるもののなかに、そういうものはないみたいだ。

グナーワ・ディフュジオンがアルジェリア系のアマジーグ・カテブを中心にフランスのグルノーブルで結成されたのは1992年のことらしく、翌93年に五曲入りのミニCD『レジティム・ディフェランス』がリリースされてる。がしかしそれは自主制作盤で、広く流通するものではなかったんじゃないかなあ。

少なくとも僕はデビュー作『レジティム・ディフェランス』は持っていないし、全く聴いたことがない。聴いているのは1997年の二作目『アルジェリア』から。これ以後は買いやすくなった。がしかしその『アルジェリア』はリアルタイムでは僕は知らない。グナーワ・ディフュジオンは三作目で知った。

すなわち1999年の『バブ・エル・ウェド・キングストン』。これはオルター・ポップからリリースされた日本盤が日本のCDショップ店頭にも並んだのだった。今でも非常に鮮明に憶えているが、僕がこれを発見したのは新宿丸井地下にあったヴァージン・メガストアでのこと。全く見たこともない名前だった。

アルバム・ジャケットのただならぬ雰囲気(以前の繰返しになるが、CDでもジャケ買いはあります!)と、アルバム・タイトルに強く惹かれたのだった。『Bab El Oued Kingston』なのに、日本盤タイトルははなぜだか『バベル・ウェド・キングストン』。だがそれがかえって魅力を強くしていたなあ。

買って帰って聴いてみて、一発で『バブ・エル・ウェド・キングストン』というアルバムと、グナーワ・ディフュジオンというバンドに惚れちゃたんだなあ。告白するが(以前もしたような気がする)、僕がレゲエやラガマフィンやダブを聴くようになったのは、1999年にこのアルバムを聴いて以後なんだよね。

『バブ・エル・ウェド・キングストン』では実際レゲエ、ラガマフィンの要素が強い。そもそもアマジーグの最大のアイドルがボブ・マーリーらしく、アマジーグはマーリーの音楽のなかに強いアフリカ性を感じ取っているらしい。アマジーグだけでなく、アフリカ音楽家で同様の人は多いようだ。

しかしダブがあるのか?と言われそうだけど、『バブ・エル・ウェド・キングストン』には一曲だけかなり鮮明にダブ風になるものがある。他ならぬ四曲目のアルバム・タイトル曲がそうだ。特にピアノの音の録音後の処理は完全なるダブの手法だ。
ピアノの音は処理は露骨なダブだけど、それ以外の部分でもこの曲ではダブ風じゃないかなあ。クッキリ鮮明にダブだと言えるのはこの一曲だけとはいえ、アルバム全体を通しちょっぴりダブっぽいような処理というかフィーリングは聴き取れるように思う。レゲエとラガマフィンはいくらでもあるじゃないか。

アルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』のどこがレゲエでどこがラガマフィンだなんて指摘するのもバカらしいほどだもんなあ。ボブ・マーリーをアイドル視し、レゲエやそれに類する音楽手法を用いながら、しかしグナーワ・ディフュジオンの音楽には北アフリカ音楽の要素がもっとはるかに色濃い。

僕が1999年に『バブ・エル・ウェド・キングストン』を最初に聴いて、そしてその後も繰返し聴き今でもよく聴くという、そんなに気に入っている最大の理由は、グナーワとシャアビという、前者はモロッコの、後者はアルジェリアの音楽要素が非常に強く活かされているのを聴き取れたからだった。

といってもグナーワは一種のルーツ音楽で、モロッコで誕生したものであるとはいえ、ルーツはサハラ以南のブラック・アフリカにある。奴隷として西アフリカ地域から強制移住させられた黒人たちがモロッコでやった音楽がグナーワで、しかもこれはポピュラー音楽というよりも、民俗音楽だというのが実態に近い。

ところがアルジェリアのシャアビの方は現代大衆歌謡。何百年も続くアラブ・アンダルースの伝統的古典音楽を土台に1920年代にアルジェのカスバで現代的庶民音楽として誕生したのがシャアビだ。だからブラック・アフリカの奴隷によるルーツ音楽的なグナーワとはかなり様相の異なる音楽なのだ。

シャアビはアルジェリアのアラブ系による音楽。しかしながらグナーワ・ディフュジオンのアマジーグはアラブ系ではない。ベルベル人なのだ。アマジーグの父親で高名な文学者であるカテブ・ヤシーンは、自分の息子にベルベル人の自称である al-Amāzīgh という名前を付けたんだよね。

そんなベルベル人でアルジェリア系のアマジーグがフランスにおいてグナーワとシャアビを根底に据えた音楽をやっているというのはなかなか興味深いものがある。しかしですね、僕は1999年にグナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』を聴くまで、それらをよく知らなかった。

『バブ・エル・ウェド・キングストン』を聴いて初めて鮮明にグナーワとシャアビを意識したのだ。もちろんその一年前にオルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベスのデビュー・アルバムを聴いていて、それにもグナーワとシャアビがあったけれど、あのアルバムにはライもあり、しかも全てが現代的かつポップに融合している。

だからあのONBの『アン・コンセール』でマグレブ音楽にどハマりしたものの、ルーツ的な鮮明さは分りにくかったのだ。それが翌年のグナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』では、かなりルーツ的に鮮明なグナーワやシャアビをやっていて、それがすんごく魅力的に聴こえたのだった。

アルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』における鮮明なグナーワだと言えるのは、九曲目の「サブリナ/天然ガス」だけ。しかも前半の「サブリナ」の冒頭だけだ。出だしはゲンブリの音とカルカベの音とヴォーカルだけで構成されているからね。
しかしすぐに鍵盤シンセサイザーが鳴り、ドラムスとマンドーラも入り、しかもエレキ・ギターがレゲエ風のリズムを、それもインヴィクタス系みたいなクチュクチュという音で刻みはじめる。そうするとアマジーグがラガマフィン・スタイルの歌い方に移行して「天然ガス」になるので、グナーワはほんのちょっとだけ。

アルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』で鮮明なルーツ的グナーワだと言えるのは、その九曲目「サブリナ/天然ガス」の冒頭部分だけ。でも1999年の僕にはそれだけで充分だった。なんとも魅惑的でトランシーな音楽だなあって、特にゲンブリとカルカベの出すサウンドに痺れちゃったのだ。

するとアルバム中随所にグナーワ要素が聴き取れる。ルーツ的に鮮明でなくたって、断片的に、あるいは有機的な音楽構成要素としてグナーワが活かされている。三曲目「カバリウ」、五曲目「フムーム・ザワリア」、六曲目「シンディカイナ」などにはそれがかなりハッキリと聴き取れるんじゃないかなあ。

シャアビはもっとはっきりと『バブ・エル・ウェド・キングストン』にある。一番鮮明にシャアビだと言えるのは二つ。七曲目の「シャラ・アラー」とラスト十曲目の「夜の奥のガゼル」だ。特に前者は完全にストレートなシャアビだ。美しい旋律だなあ。
そう、シャアビは旋律美だと僕は思うんだよね。この「シャラ・アラー」でも表現されているマンドーラで奏でるメロディ・ライン。なんて美しいんだ。アマジーグのヴォーカルもいいけれど、僕はなんといっても冒頭や歌の合間を縫うマンドーラ(とダルブッカの合奏)の美しいメロディに惚れている。

「シャラ・アラー」では一曲通しアマジーグのヴォーカル以外にはマンドーラとダルブッカのみ。冒頭でかすかにピアノの音が効果音的に使われているのと、終盤でグナーワ風にトランシーなハンド・クラップが出てくるだけという、まあ完全に伝統スタイルのシャアビなのだ。この曲がこのアルバム中一番好きだ。

アルバム・ラストの「夜の奥のガゼル」は、フランスの詩人ルイ・アラゴンの詩にアマジーグがメロディを付けたもの。この曲はグナーワとシャアビの合体だ。まずゲンブリとパーカッションが出てグナーワだと思うと、マンドーラがシャアビ風に弾く。
アマジーグのヴォーカルが出てくると、伴奏はほぼ自身の弾くゲンブリ一台のみになり、ハンド・クラップが入る程度。ほんのかすかにスライド・プレイによるエレキ・ギターの音も聴こえる。と思って聴いていると、アマジーグがワン・コーラス歌い終わると、再びシャアビ風のマンドーラが入ってくる。

レゲエやラガマフィンやダブといったものじゃないマグレブ伝統音楽ベースのもの、つまりグナーワ・ディフュジオンの場合、グナーワとシャアビだけど、この二つがアルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』のラスト「夜の奥のガゼル」で一つになって溶け合っているんだよね。電気楽器はぼぼゼロに近い。

そんな伝統マグレブ音楽要素は、僕が聴いた順番は逆になったけれど、『バブ・エル・ウェド・キングストン』の前作1997年の『アルジェリア』の方がもっと鮮明に色濃く表現されている。特にグナーワ色がかなり強い。『バブ・エル・ウェド・キングストン』で知られたグナーワ・ディフュジオンだけどさ。

僕も『バブ・エル・ウェド・キングストン』でグナーワ・ディフュジオンに惚れたわけだし、世間的に、特に日本ではこのアルバム以後認知されるようになったけれど、現在の僕は前作1997年の『アルジェリア』の方がより好みのトラディショナルな感じで、こっちの方がいいかもしれないなあ。

最後にバンド名について付記しておく。Gnawa Diffusion はフランスのバンドなんだからグナーワ・ディフュジオンと表記してほしい。決して「ディフュージョン」なんかじゃない。実際『バブ・エル・ウェド・キングストン』のオルター・ポップ盤ではグナワ・ディフュジオン表記になっているぞ。

それがどうしてグナワ・ディフュージョンになってしまったのかははっきりしている。2003年作の『スーク・システム』が大手ワーナーからリリースされ、これの日本盤が出た際に日本のワーナーの関係者がグナワ・ディフュージョンという名前でリリースしてしまったからだ。

それでそれ以前はグナワ・ディフュジオンで通っていたこのバンドの日本でのカタカナ表記がグナワ・ディフュージョンになってしまい、音楽ライターさんたちもほぼ全員がこの大手レコード会社の採用した勘違い表記にならってしまったのだ。そういう態度はアマジーグの姿勢からは最も遠い。

2016/11/25

マイルスが「フランスで食ってた」という事実はありません

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2016年11月21日付の蒲田耕二さんのブログ記事。タイトルは『ハミルトン』。このなかにマイルス・デイヴィス狂であればちょっと見逃せない文言があったので、今日はそれについて書いておきたい。
お読みになれば分るように「アメリカで不遇だったマイルス・デイヴィスが、フランスで食ってた」という発言が出てくる。これにはちょっとビックリだ。僕だけでなくマイルス・ファンなら全員エッ?と思うはず。なぜならばこんな事実は存在しないからだ。マイルスがアメリカで不遇だった時期なんて一度もないし、フランスで食っていたと言える時期もない。

蒲田さんのこの記事は、別にマイルスについて云々しているものなんかじゃなく、ドナルド・トランプ次期アメリカ大統領が、『ハミルトン』というミュージカルの主演俳優に対し、そのアピールはハラスメントだと噛みついていることをとりあげて、アメリカ(と日本)の芸能界の前近代性を指摘したものだ。

その際、『ハミルトン』主演俳優のアピールは正当なものだったことと、それを許そうとしないアメリカ(白人)社会のおかしさを、同国の黒人女性歌手アーサ・キットを例にあげて説明している。アーサ・キットは当時のジョンスン大統領夫人に反戦を訴え、その結果以後10年間(1968〜78)アメリカのショウ・ビジネス界から閉め出されたために、そのあいだヨーロッパ(とアジア)で活動して切り抜けた。

そんなアーサ・キットの例を、同じアメリカ黒人音楽家であるマイルスと並べて、「アメリカで不遇だったマイルス・デイヴィスが、フランスで食ってたのと同じ」と蒲田さんは書いている。しかしながらアーサ・キットの方は事実だが、マイルスの方にはこんな事実はない。少なくとも僕は知らない。

マイルスとフランスといえば、誰もがジュリエット・グレコと、そしてルイ・マル監督の映画『死刑台のエレベーター』を想起するだろう。どちらもマイルス・ファンでない方にも有名なので、ご存知の方が大勢いらっしゃるはず。しかもこの二つは関連があるみたいだ。

マイルスがグレコと知り合ったのは、どうやらマイルス1949年の初渡仏時のことだったらしいが、日本語でも英語でもフランス語でも正確な情報がないので、あくまで推測。だけどおそらく間違いないんろう。グレコについてのウィキペディアには「マイルスがフランスへやってきた1949年には2人は結婚したと言われている」との記述があるが、これはウソだ。

マイルスがグレコと結婚したという事実はない。引用したウィキペディアの記述も「言われている」だとか、あるいはそのあとに「要出典」の文字も見えるので、やはり疑わしいものだと判断されているんだろう。マイルスの結婚歴は三回。1958年のフランシス・テイラー、68年のベティ・メイブリー、81年のシシリー・タイスン。これで全部だ。

正式結婚ではなく、深い関係にあって事実上の婚姻状態だったとか子供をもうけたということなら他にもあるので、ジュリエット・グレコとの関係もそんななかの一つに入れてもいいのかもしれないが、グレコはフランスに住み、マイルスもアメリカにしか住んだことがないので、いくら深い関係といってもなあ。

マイルスは1949年の初渡仏以来頻繁にフランスを訪れているが、そのほとんどはライヴ・コンサートなど一時的な音楽活動のためであり、したがって短期滞在にとどまっている。僕の知る限りではマイルスがフランスといわずアメリカ以外の国・地域に半年以上滞在した事実はない。

そんなフランスを含むマイルスの欧州での音楽活動も、アメリカで不遇だったせいではない。ことジャズ関連のアメリカ黒人音楽家なら、マイルスほど優遇された人物もいないんだ。とにかく売れに売れて、黒人・白人・何人の区別なくアメリカ人ジャズ・マンで最も成功したのがマイルスなんだよね。

イリノイ州アルトン生まれで、イースト・セント・ルイスで育ったマイルスだけど、18歳の時にニュー・ヨークに出てきてからは、死ぬまでニュー・ヨークに住み続けていた。だが1981年の復帰後は、カリフォルニアのマリブともう一ヶ所に別荘を持っていて、時々足を運んでいたんだよね。

アメリカで不遇だった音楽家が、同国内に二ヶ所も別荘を持つことなど不可能だ。蒲田さんもそんな大成功後のことを念頭になんか置いておらず、おっしゃる不遇とは若い時分に活動が滞っていた時代のことなんだろう。僕の知る限り若い時分のマイルスがそうだったのは一回だけ。

それは1950〜54年あたりの話だ。その時期、マイルスはどのレーベルとも契約がなく、したがって全てのレコーディング・セッションは一回・一回の取っ払いみたいなもので、スタジオでレコーディングしてはその場でキャッシュをもらっていたような具合。そしてそもそも録音数自体が少ない。

スタジオ録音が少ないばかりでなく、レギュラー・バンドも持っていなかったので、恒常的なライヴ活動も当然不可能だった。あの約四年間のマイルスは食うにも困るような状態だった。がしかしそれは「不遇」ではない。全ていわば自業自得だったのだ。

すなわちヘロイン中毒が最もひどかった時期で、そのせいで音楽活動も私生活もいろんなことが上手く運ばなくなっていた。あの時代のジャズ・メンのヤク中を全て自ら招いたものみたいに言うのは少し違うかもしれないが、「不遇」「冷遇」状態とも違うだろう。

不遇とは、自らの才能と努力で一定の成果を出しているにもかかわらず、世間から評価されず満足のいくような仕事を与えられないので経済的にも恵まれず、活動継続が困難な状態のことだろう。その多くの場合が差別や偏見その他理不尽な理由にもとづいている。

ジャズ・メンでもブルーズ・メンでも、その他全ての音楽・芸能者の場合でも、肌の色が黒いというだけでアメリカ本国ではそんな冷遇状態に置かれる場合がしばしばある。冷遇とまでいかなくても居心地がかなり悪い。それで実際フランスその他欧州各国に活動拠点を移した人物は多い。

ジャズ界のケニー・クラーク(ドラマー)、ブルーズ界のメンフィス・スリム(ピアノ)などは、完全にフランスに永住してしまった。それほどアメリカにおける黒人差別はひどく、アメリカほどではないにしろ人種差別意識はあるフランスその他欧州各国の方がまだマシということらしい。

そんなフランスではあるけれど、しかし例えば1998年のサッカーW杯フランス大会で地元フランス代表が優勝した際、あのチームは「真のフランス代表」とは呼べないなどと発言するフランス白人がいた。アフリカ系やアラブ系の出自を持つ選手も多かったせいだ。

現在スペインのレアル・マドリードで監督をやっているジネジーヌ・ジダンは、あの1998年前後のサッカー・フランス代表チームの心臓的存在で、ジダンなくしてあのW杯優勝はありえなかった。あの時は “Merci Zizou” というのが凱旋門に映し出されたりもした。そんなジダンはマルセイユ生まれで、アルジェリアのベルベル人移民の息子だ。

現在の例をあげるなら、やはりレアル・マドリードでプレイするフランス人サッカー選手カリム・ベンゼマ。サッカーの能力は誰も疑わない優秀な選手なんだけど、この人もアルジェリア系であるせいで代表チームに呼ばれないことがあるんじゃないかと、本人と所属チームのボスである同じアルジェリア系のジダンは明言している。

ベンゼマの場合は、セックス現場を録画したものをネタに同じフランス代表のチーム・メイトを恐喝したと疑われたのが、代表に呼ばれなかったり、フランスの首相までもが「ベンゼマを追放しろ」と公に発言したりする直接の理由だ。逮捕だけされたものの、どこまで真実なんだろうなあ?現在法的には代表に招集可能となっているが、今年夏の EURO(欧州選手権)の時は呼ばれなかった。

また日本人である僕はある時のフランス旅行の際のパリのレストランにおいて、これはアジア人(日本人?)差別だろうとしか思えない処遇を受けたことがある。強い憤慨を覚えたので今でも鮮明に記憶しているが、あとからレストランに入ってきた白人と思しき客はどんどん席に案内されるのに、僕たち日本人夫婦はいつまで経っても放ったらかしだった。

店員にクレームすると、かな〜り渋い顔で仕方なくという仕草で席に案内されたのだが、それは店の奥の暗い片隅のテーブルで、しかもオーダーした料理がこれまたなかなか出てこなかった。ありゃ絶対にアジア人(日本人?)蔑視だったね。

フランスだってそんな具合の国なんであって、僕みたいななんでもない一般人はもちろん、サッカー・フランス代表で大活躍する(した)スター選手に対してすら、アフリカ系、アラブ系がかなり混じっているとの理由で「真の」フランス代表じゃないなどと発言する白人がいるほどだからなあ。

だからアメリカ黒人ジャズ・マンのマイルスが、そんな事実は存在しないのだがもし仮にアメリカ本国で不遇時代があったのだとしても、それだけでフランスに一時的にでも活動拠点を移し、そこで「食って」いこうと考えたかどうか、ちょっと僕には分らないのだが。

まあ同じアメリカ黒人ジャズ・マンの先輩ケニー・クラークその他の例があるので、フランスで食っていきたいという気持を持つことがあった可能性は、マイルスの場合も否定はしない。しかし「事実」が確認できないからなあ。本国ではないある場所で食うとは、一時的にでもその場所に拠点を移すということだろう。マイルスは一度もフランスを拠点にしたことはない。

マイルスもフランスでのライヴ録音盤ならたくさんある。公式盤だと最も早いのがタッド・ダメロンと一緒に渡仏した1949年のパリ・ライヴで、最後になったのが1991年7月のニースでのライヴ収録盤。その間、死後リリースのものも含めれば数多く存在する。

公式盤だけでなくブートレグまで数えれば、マイルスのフランスでのライヴは本当に多い(といっても、本国アメリカでやったライヴ盤は比較にならないほどもっとずっと多い)。しかしそれらは全ていっときのライヴ・コンサートであって、その場一回限りのもの。場合によっては二日間・三日間連続出演するケースもあったけれど、一週間以上滞在したことは一度しかない。

その一度が1955年結成のファースト・クインテットを57年にいったん解散したその年には、フランスに少し長めに滞在した時だ。そこでジュリエット・グレコとも再会し、またルイ・マル監督の映画『死刑台のエレベーター』のサウンドトラックも現地で録音している(その際のドラマーが前述のケニー・クラーク)。

その1957年の、何ヶ月間だったのかはやはり今でも不明だが、フランス滞在がマイルスの全生涯で最長の在仏経験なんだよね。半年もいなかったはずだし、現地のフランス人ジャズ・メンを起用してライヴを行うこともあったけれど、それは確認されている限り57年の11月と12月だけだから、食べていたとはちょっと言いにくいんじゃないかなあ。

とにかくマイルスは本国アメリカでこそ最もたくさんレコードやCDを売り、ライヴ活動も盛んに行って、巨万の富を得た人物。アメリカの黒人(いや、白人も含めても)ジャズ・マンのなかで史上最大の金持ちになったのがマイルスで、その金の源泉はほぼ全てアメリカ人の、それも白人の財布だ。

なお、ジャズに限らずアメリカ文化全般そうだけど、ジャズの場合も最も早く「文化」、あるいは「アート」として正当な評価を下してきたのはヨーロッパ人、特にフランス人であるというのは間違いない。なんたって世界初のジャズ批評書はフランス人が書いた。

それが1934年出版のユーグ・パナシエの『オット・ジャズ』(Hot Jazz)。さらに現在でいうディスコグラフィーという用語もフランス人の開発。それが1936年出版のシャルル・ドゥロネの『オット・ディスコグラフィ』(Hot Discographie)。

シャルル・ドゥロネの方は、1956年リリースのMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のアルバム『ジャンゴ』のなかにある「ドゥロネズ・ディレンマ」というジョン・ルイスの書いたオリジナル曲のタイトルにまでなっている。

また現在でもフランス国内に Classics という復刻専門レーベルがあって、ここは戦前の古いアメリカン・ジャズばかり、ジャズ・メンごとにクロノロジカルに集大成してどんどんリリースしている。僕もそれで随分と助かっているのは事実だから、今でもアメリカのジャズを正当に評価してくれているのはフランス人だと言える。

今日のこの記事、蒲田さんのそのブログ・エントリーにコメントするだけでもよかったんだけど、なにしろ蒲田さんのブログには随分前に二回コメントしているものの、いまだに全く表示すらされていない。今日のこれももしそうなったら、ご本人以外誰も読めないことになるので、自分のブログ記事にしたという次第。

蒲田さんのブログにある「コメントは実名で願います」も本当はオカシイと思うけれどね。だって筆名や芸名で公に活動している作家や音楽家や芸能人の、その活動名のままでの発言は、全て受け入れられないものなのか?っていうことになってしまうからね。なかにはそんな活動名で立派な発言をしている方々も多いじゃないか。

場合によっては本人ですら「実名」が分らない場合もあるからなあ。例えば日本のテレビで活躍するサヘル・ローズ。この女性はイラン出身なんだけど、例のイラン・イラク戦争の際のイラク軍の空爆で13人の大家族全員が亡くなってしまい、生き残ったのは彼女だけ。

その時まだかなり幼かったために自分の名前も生年も憶えておらず、四歳(となっているが)で孤児院に入り、その際に付けられた「便宜上の本名」がサヘル・ローズなんだよね。その後来日(時には八歳だったとなっているが、生年が不明だから)し、日本の養母に育てられ日本の学校に通って、現在日本で大活躍中だってわけ。

そんなサヘル・ローズに、コメントは「実名で」願いますなんて言葉を向けることができるのだろうか?サヘルは日本語読解能力になんの問題もない人物だから、蒲田さんのブログを見る可能性は充分にある。

がまあしかし蒲田さんのご要望があることだから、今日のこの記事にだけ末尾に僕の実名で署名を入れておく。

戸嶋 久

2016/11/24

ロバート・ジョンスンが生きていればこうなった

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ロバート・Jr・ロックウッドとジョニー・シャインズ。二人ともロバート・ジョンスンと深い関係があるブルーズ・マンだ。どう関係があるのかは、ブルーズ・ファンには説明不要だろうと思うので省略する。ロバート・ジョンスンがもしあと15年でも生きていればこうなっただろうというような人たちだ。

そんなありえない歴史上の「もしも」を実際の音で体感できるアルバムがある。ロバート・Jr・ロックウッドとジョニー・シャインズ二名による1950年代前半の JOB セッションを収録した『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』というPヴァイン盤CDだ。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』は、僕の知る限り世界中にPヴァイン盤しか存在しない。つまり日本盤がオリジナルだ。これのコンパイラーが小出斉さんでリリースは2001年。タイトル通りシカゴのレーベル JOB への二人の録音を集めたもの。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』では、前半のロバート・Jr・ロックウッドが全11曲12トラック、後半のジョニー・シャインズが全9曲10トラック。このアルバムを聴くと、この二人がロバート・ジョンスンから受けた大きすぎる影響がよく分る。

影響云々というよりほぼそのまんまなんだよね。1938年に若くして亡くなってしまったロバート・ジョンスンは、世代でいえばマディ・ウォーターズと同じだから、戦後まで生きていた可能性は充分あった。死因は確定していないが毒殺という説が有力なので、なおさら一層そういう思いが強くなる。

そして1950年代にもしロバート・ジョンスンが、同じミシシッピ・デルタ出身の後輩マディ・ウォーターズみたいにシカゴに出てきていれば、間違いなくこんなブルーズをやったはずだというのが分るのが『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』なんだよね。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』前半のロバート・Jr・ロックウッドは、主にロバート・ジョンスンのやったシティ・ブルーズ・スタイルを継承している。すなわちブギ・ウギのパターンだ。それをエレキ・ギターを使ってバンド形式でやっている。

ロバート・Jr・ロックウッドのそういう特徴は、なにも『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』に限った話ではなく、そもそも普段からいつもそうなのだ。特に1974年の来日公演盤などは日本のブルーズ・ファンは忘れられないもので、それもシティ・ブルーズ・スタイルがほとんどだよね。

なんたってあのロバート・Jr・ロックウッドの1974年来日公演盤『ブルーズ・ライヴ!』のオープニング・ナンバーは「スウィート・ホーム・シカゴ」だもんね。ロバート・ジョンスンの録音のなかでは最も明確にブギ・ウギのパターンが聴けるシティ・スタイルのブルーズとして有名な一曲。

「スウィート・ホーム・シカゴ」は『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』にも収録されている。といってもそういう曲名にはなっていない。10曲目の「アウ・アウ・ベイビー」がそれだ。聴けば一瞬で全員「スウィート・ホーム・シカゴ」だと分ってしまうほど明確。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』というこのアルバム・タイトルにしているんだから、やはりシンボリックな代表曲なんだろうなあ。その「アウ・アウ・ベイビー」は1955年録音で、ギター+ピアノ+ベース+ドラムスというバンド編成だ。

そんなバンド編成での「アウ・アウ・ベイビー」では、ギター&ヴォーカルのロバート・Jr・ロックウッドはかなり忠実にロバート・ジョンスンのパターンを踏襲している。ってことはつまりロバート・ジョンスンの録音したオリジナルが既にそんなモダン・バンド・ブルーズ的だったってことだよなあ。

ギターをエレキにしてリズム・セクションを付けさえすれば、そのまま戦後のシカゴでも通用する、そんなブルーズをやったのがロバート・ジョンスンであって、決してデルタ・カントリー・スタイルの、いい意味での野卑なブルーズ・マンではなかったんだよね。ロックウッドはそれをそのままやっているだけだ。

また『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』のロバート・Jr・ロックウッドによる1曲目と12曲目はどっちもこれまたロバート・ジョンスン・ナンバー「ダスト・マイ・ブルーム」だ。この曲は戦後エルモア・ジェイムズがエレキ・ギター三連スライドでやった。

そのエルモア・ジェイムズの1951年トランペット録音ヴァージョンで「ダスト・マイ・ブルーム」は一気に有名になり、またそれがエルモアの初録音でもあったので、エルモア自身これが大ブルーズ・マンとしての出発点になり、同曲で披露したエレキ・ギターでの三連スライドが名刺代わりになった。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』にあるロバート・Jr・ロックウッドによる「ダスト・マイ・ブルーム」2ヴァージョンは、1曲目、12曲目と離れてはいるものの、同日の同メンバーによる同じセッションでの録音で、実はエルモアの初録音よりも先なのだ。

ただしその1951年 JOB 録音の二つの「ダスト・マイ・ブルーム」は、解説の小出斉さんによればどっちも当時はリリースされなかったらしい。だからリアルタイムではエルモア・ジェイムズ・ヴァージョンの方が先に知られることとなった。比べるとロバート・Jr・ロックウッドのはかなりおとなしい。

おとなしいというか、ロバート・ジョンスンのオリジナルをそのまま電化バンド形式でやっているというようなもので、エルモア・ジェイムズ・ヴァージョンのような拡大解釈はしていない。その分、最初から書いているようにロバート・ジョンスンが1950年代に生きていればこうだったと実感できるような感じだ。

ちょっぴりシカゴ・スタイルなギターの弾き方も出てくる。ビッグ・ビル・ブルーンジーを思わせる瞬間もあるからね。拡大解釈したエルモアのは強烈にモダンだが、ロバート・Jr・ロックウッドのもダウン・ホーム感がありながら充分モダンというか洒落ていて、どっちがいいかは聴く人の好み次第だ。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』にはロバート・Jr・ロックウッドの名前で収録されているが、実はサイド・ギタリストとして参加しただけで、ピアニスト、サニーランド・スリム名義の五曲、同様にドラマー、アルフレッド・ウォレス名義の二曲も面白い。

コクのあるヴォーカルの味はサニーランド・スリムの五曲がいいなあ。ロバート・Jr・ロックウッドよりも上だ。しかもそれら五曲は相当に洗練されたモダン・シティ・ブルーズで、サニーランドのピアノもそうだけど、ロックウッドのギターの弾き方も T・ボーン・ウォーカー〜ジャズ系の音使いだ。

そんなのを聴いていると、ロバート・Jr・ロックウッドは完全にロバート・ジョンスン・スタイルの継承者としてのブルーズ・マンでありながら、同時に戦後のブルーズ新時代にも適応した、いわばアグレッシヴさと都会的洗練を兼ね備えた人だったことが、1950年代初期 JOB 録音で既に分る。

さて駆け足で『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』後半のジョニー・シャインズを。全て基本的には(ブルーズ・ハープ奏者が入るものはあるが)一人でのギター弾き語り。まず最初の13曲目「ランブリン」。これも完全にシャインズ一人でのエレキ・ギター弾き語りブルーズ。

「ランブリン」というタイトルだけど、これはロバート・ジョンスンの「ウォーキン・ブルーズ」だ。続く14曲目「フィッシュ・テイル」というタイトルでのこれまた完全にシャインズ一人での弾き語りは、やはりロバート・ジョンスンの「テラプレイン・ブルーズ」。改作とか焼直しでもなくそのまんまだ。

ギターとヴォーカルのディープさは、ジョニー・シャインズの方がロバート・Jr・ロックウッドよりも強く感じる。ロバート・ジョンスンにあった(といっても録音数自体はかなり少ない)デルタ・スタイルの継承者だといういうだけでなく、一人での弾き語りの時はそんなディープな持味のブルーズ・マンだよなあ。

また17曲目以後の五曲ではウォルター・ホートンのブルーズ・ハープと不明のベースが入っていて、シカゴ・ブルーズの初期型バンド・スタイルみたいな色が濃くなっている。ブルーズ・ハープがかなり大きくフィーチャーされているので、さしずめモダン・ハーモニカ・ブルーズといった趣でちょっと面白い。

また19曲目「ノー・ネーム・ブルーズ」、20曲目「ブルータル・ハーティッド・ウーマン」におけるジョニー・シャインズのギターはデルタ・スタイルではなく、ロバート・ジョンスン直伝のウォーキング・ベース、すなわちブギ・ウギのパターンを弾いている。まるでロックウッドみたいだよなあ。

ロバート・Jr・ロックウッドも時々デルタ・スタイル直伝のものをやることがあったし、だから主にロバート・ジョンスンのデルタ的側面を受け継いで云々といったジョニー・シャインズだって、シティ・ブルーズのスタイルであるブギ・ウギを弾いたっておかしくはないどころか、当たり前だろうなあ。

2016/11/23

むかし歌にはヴァースがあった

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ポップ・ソング、特に20世紀前半までに書かれたものには、リフレイン(コーラス)部分の前にヴァースがある場合が多い。でもこれ、専門家か熱心なファンじゃないと知らない場合が多くなっているかもしれないなあ。なぜならば歌ったり演奏されることが殆どなくなっているからだ。特にインストルメンタル演奏でヴァースからやることなんて、稀な例外を除きほぼない。

スタンダード化したポップ・ソングをジャズ・メンがインストルメンタル演奏する場合にヴァースをやらないのは当然だ。なぜならばヴァースとは歌の本編ともいうべきリフレインの前置説明であって、歌詞があるからこそ意味があるものだからだ。楽器演奏でヴァースをやる意味はない。

そう、ヴァースとは本編のリフレインに入る前の序文であって、その序文があるからこそリフレイン部分の歌詞を充分に理解することができる。これは原語(多くの場合は英語)を理解できる方がヴァース付きの歌を聴けば、必ず納得していただけるものだ。

多くの場合は英語と書いたのは、今日の話題はもっぱら20世紀前半に創られたアメリカン・ポップ・ソングを対象とするけれども、他国の大衆歌謡の場合でもヴァースが付く場合があるからだ。例えばフランスのシャンソンにもある。以前も書いたけれど「枯葉」のお馴染のメロディはリフレイン部分であって、実はその前に長すぎるとさえ思えるヴァースがある。

さてやはりアメリカン・ソングブックに話を限ると、20世紀前半までに書かれたポップ・ソングの多くに前置説明のヴァースがある理由は、レコード商品をまず第一のものだとは考えていないからだ。殆どがブロードウェイ・ミュージカルや映画その他様々な場面で歌われるものとして書かれた。

そんな(生)演唱の舞台では、お芝居のなかに歌が出てくるわけなので、いきなり本編を歌いはじめると唐突な感じになってしまって、歌に入る前までのお芝居とスムースに結びつかないのだ。だから言葉のやり取りであるお芝居と歌本編を繋ぐものとしてヴァースが置かれた。

だからポップ・ソングにおけるヴァースは歌の一部でありながら、あまり歌っぽくない語りに近いようなもので、実際ヴァースを聴くとメロディの起伏・抑揚に乏しい。メロディアスでなくリズミカルでもない。殆どの場合がかなりゆっくりとしたテンポ・ルパートで綴られる。

そしてヴァースでの前置説明を終えリフレイン部分に入ると、途端にテンポ・インしてリズミカルになり、メロディも明快になって、僕たちがよく知っているいわゆる「音楽」「歌」というものになるんだなあ。ヴァース部分は導入ナレイションだから、聴いても音楽的には面白さが小さい。

そんなこともあってか、ミュージカルなど種々の生舞台では間違いなくヴァースから歌いはじめるのにもかかわらず、レコード商品にするために録音するとなると、ヴァースは多くの場合省略される。これはティン・パン・アリーのソングブックがレコードになりはじめる最初期からそうだ。

もう一つの理由としては、ポピュラー音楽の世界ではSP時代が長かったので(録音音楽の約半分)、当然約三分間という物理的制約があるために、本編であるリフレインだけを演唱していたってこともあるのかもしれない。ヴァースからリフレインまで丸ごと全部やって三分以内におさめることは、やや難しい場合がある。

そんな録音習慣と、さらに前述の通り音楽的には面白味が薄いのでやはり省略したいということと、主にそれら二つの理由で、レコードにする際はヴァースは歌わないのが常識化したので、テープ・レコーダーとLPメディアが出現し長時間録音が可能になって以後も、そのかたちをそのまま踏襲したのかもしれないなあ。

そんなヴァース付きのポップ・ソングはもちろん元々ジャズの世界の歌なんかじゃないんだが、まあでも曲の成立はジャズがアメリカ大衆音楽の王者だった時代なので、レコードにする際はやはりジャズ歌手やジャズ系のポップ歌手が歌うことが多い。これは戦後もそうだ。

ある時期以後、元はロック畑で活躍していた歌手、例えばリンダ・ロンシュタットやロッド・スチュアートなどがそんなアメリカン・ソングブックを歌った企画アルバムも出るようになってはいるが、実を言うと僕はなんの関心もなくCDでおそらく一枚も買っていない(はずだが部屋のなかを探せばなにか持っているかも)ので、話はできない。

だからやはりジャズ(系)歌手が歌うヴァース付きポップ・ソングの話になるんだが、エラ・フィッジェラルドのあの例の『ザ・コンプリート・エラ・フィッツジェラルド・ソング・ブックス』に沿って話を進めたい。どうしてかというと、このCD16枚組でエラはヴァースがある歌は全てヴァースから歌っているからだ。

もちろんこのエラの16枚組でなくたってたくさんあるのだが、ヴァースがあったりなかったりするのを一個一個探してピック・アップするなんて作業はかなり面倒臭く、憶えてもいないので、僕にとっては不可能に近い作業だ。そんなわけでエラのソング・ブック・シリーズにほぼ限定する。

エラのこのソング・ブック完全集については、以前も一度詳しく記事にした(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-b4fa.html)。エラはジャズ歌手ではあるけれど、書いてあるようにこのソング・ブック完全集を、いわゆる「ジャズ」なんていう狭い枠のなかだけで捉えるのは甚だしい勘違いだ。

そんなジャズ歌曲集じゃなく、上掲記事で書いてあるようにアメリカン・ソングブックの宝石箱として、あらゆるジャンルをまたぐアメリカ大衆音楽を愛するファンには是非聴いてほしいんだよね。ジャズ作曲家だったデューク・エリントンのソングブックを除き、全て黄金時代のティン・パン・アリーのものだし、だからこの16枚組で大きな部分を把握できる。

エラのこの16枚組では、しかし唯一『ザ・ジェローム・カーン・ソングブック』でだけはヴァースから歌っていない。例えば収録されている、カーン最大の有名曲「オール・ザ・シングス・ユー・アー」。これもヴァースがある歌なのだが、エラはヴァースを省略している。他のソングブックでは全部歌っているのにどうしてかなあ?

ただ「オール・ザ・シングス・ユー・アー」の場合は、エラでなくてもヴァース入りで歌っているヴァージョンはかなり珍しいというか、殆どない。正直に言うと僕はただの一度も聴いたことがないし、この曲に関してだけ部屋のなかのCDを探し廻って聴いてみたが、一つもないんだなあ。

それで YouTube で探してみたら、ヴァース入りの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」をバーブラ・ストライザンドが歌っているのが見つかった。聴いてみたらこりゃなかなかいいなあ。これ以外にも少し見つかったが、このバーブラのが一番いい。
さてジェローム・カーン集でだけどうしてヴァースを歌わないのか分らないが、他は元々ヴァースなんか書いていないエリントン・ソングブックを除き全てヴァースから歌っているエラのソングブック完全集。アルファベット順だとコール・ポーター集が一番先に来る。

コール・ポーターもヴァース入りの曲が多い。「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」「ナイト・アンド・デイ」などの超有名曲も全てヴァースがあり、エラもヴァースから歌っている。

それらのうち「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」は僕も大学生の頃からヴァースを知っていた。なぜならばフランク・シナトラがキャピトル盤『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』で歌っていたからだ。そのシナトラ・ヴァージョンは、というか『スウィング・イージー』との2in1レコードはかなりの愛聴盤だった。

そんなシナトラだが、コロンビア時代に歌った「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」ではヴァースを省略している。シナトラの場合、キャピトルやその後のリプリーズ時代に歌った有名スタンダード曲の多くを、既にそれ以前のコロンビア時代に歌っているが、少しずつ姿を変えている。

シナトラと歌のヴァースといえば、ほぼ全員がリプリーズ時代の「スターダスト」を言うだろう。ナット・キング・コールの歌もかなり知られているこの超有名曲を、シナトラはコロンビア時代、キャピトル時代にも歌っているが、リプリーズ時代には、なんとリフレイン抜きでヴァースしか歌わなかった。
歌の本編であるリフレインを歌わず、歌われないことも多いヴァースだけ歌うなんてのは、つまりケレン味の極致みたいなもんだ。元々そんな部分のある歌手だったシナトラだけど、こんな「スターダスト」はちょっとやりすぎかもしれないよなあ。しかし僕はこんなシナトラのケレン芸が案外嫌いではない。

エラのコール・ポーター集にある、例えば「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」なんかはヴァースを聴かないと、リフレイン部分の歌詞の意味はもちろんのこと、曲名の意味すら理解できない。エラのそのヴァージョンをご紹介しておく。
お聴きになれば分るとは思うけれど、一応ヴァース部分を引用すると以下。

As Dorothy Parker once said
To her boyfriend, "fare thee well"

As Columbus announced
When he knew he was bounced,
"It was swell, Isabel, swell"

As Abelard said to Eloise,
"Don't forget to drop a line to me, please"

As Juliet cried, in her Romeo's ear,
"Romeo, why not face the fact, my dear"

ヴァース部分で四つの具体例をあげ、いざ本編のリフレイン部分の歌い出しで「まあそんなことだわよ」(It was just one of those things)と言っているわけだから、ヴァース抜きではいったいなにが「ゾーズ・シングズ」なんだか理解できず、だから曲名の意味すら分らないはずだ。

21世紀の僕たちの感覚からしたら相当古臭いというか、理解が難しいようなこのヴァース部分での四つの具体例。しかしこれ抜きで「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」という歌も理解が難しいのも事実。だから普段聴かないのはいいとしても、頭の片隅に置いてあってもいいんじゃないだろうか。

ヴァース云々とは全く無関係だけど、せっかく英語(詞)の話題だから書いておく。エラのコール・ポーター集にもある「エニイシング・ゴーズ」。これはむかし和訳題がひどく間違っていることがあった。”anything goes” とは「なんでもあり」という意味だぞ。

もっとおかしかったのは、エラのソングブック完全集には当然入っていないマット・デニスの書いた「ザ・ナイト・ウィ・コール・イット・ア・デイ」。これも昔とんでもない邦題が付くことがあった。”call it a day” とは「終りにする」「もうやめる」の意だから、この曲名は「僕たちが別れたあの夜」という意味だ。ボブ・ディランも歌っている曲だよね。

なんだかエラのソングブック完全集を話題にすると宣言しながら、コール・ポーター集の話しかしていないのに、もうこんな長さになってしまったのでそろそろやめなくちゃ。ガーシュウィン・ソングブックスでもエラはヴァースを歌っている。

ガーシュウィンものだと「オー、レディ・ビー・グッド」「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・イット」「サムワン・トゥ・ワッチ・オーヴァー・ミー」(ヴァースまあまあ長い)「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」その他がヴァース付きで、エラもそれを歌っている。

ガーシュウィンものでヴァースがない最有名曲は、間違いなく「ザ・マン・アイ・ラヴ」だろうね。もちろん他のソングライターのものでもヴァースのない歌はある。例えばコール・ポーターなら「オール・オヴ・ユー」「アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン」などはヴァースがない。

ロジャース&ハート・コンビものだと「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」「ビウィッチト」、そしてこのコンビが書いた最も有名な、有名すぎる超スタンダードの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」もヴァースがあって、エラもヴァースから歌っている。ご存知ない方が多いかもしれないので紹介しておく。
「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」に関しては、大学生の頃からフランク・シナトラの前述『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』収録ヴァージョンで親しんでいた。しかしあのケレン味満載歌手であるにもかかわらず、ヴァースは歌っていないのだ。

同時にマイルス・デイヴィスが演奏する同曲に大いに感動し愛聴してきているが、最初に書いたように、どんな曲であっても楽器奏者がヴァースから演奏するなんてことは意味がないんだからほぼ皆無。当然マイルスも吹くわけがなく、長年「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」とはこういう曲なんだろうと思い込んでいた。

2016/11/22

黒き救世主にして黒き呪術師キャノンボール

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1970年(の何月何日かは不明)にロス・アンジェルスのトゥルバドゥールという小さなクラブに出演したキャノンボール・アダリー・クインテット。五人の編成はボス以下、ナット・アダリー(コルネット&ヴォーカル)、ジョージ・デューク(エレクトリック・ピアノ)、ウォルター・ブッカー(ウッド・ベース)、ロイ・マッカーディー(ドラムス)。

この時のライヴ演奏が公式録音され、キャノンボールが契約していたキャピトルから『ザ・ブラック・メサイア』という二枚組LPでリリースされたのが1972年のことだった。プロデューサーはデイヴィッド・アクセルロッド。がしかしこのアルバムはあまり売れなかったんだそうだ。

『ザ・ブラック・メサイア』については以前一度だけ、キャノンボールとジョー・ザヴィヌル関連で触れたことがある(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-2357.html)。キャノンボールの作品のなかで現在の僕が最も愛するものがこれなんだけど、そんなジャズ・ファンはおそらく他にいないだろう。

『ザ・ブラック・メサイア』、アナログ盤では一度も聴いたことがなかったなあ。1972年にリリースされているが、おそらくすぐに廃盤になったまま再発されなかったはずだ。そもそもそんなアルバムがあるってことすら僕は知らなかった。なかなかCDリイシューもされず、もはや存在しないも同然みたいな状態だったもんなあ。

キャノンボールの『ザ・ブラック・メサイア』がCD化されたのは2014年のことで、しかもそれはリアル・ゴーン・ミュージックというなんだか知らないレーベルからのもの。(おそらく)1972年のアナログ盤リリース以後その時まで、このアルバムの存在は人々の記憶から抹消されていたのだ。

上記の通り僕も存在すらしらず、気が付いたのは上記リンクの僕のブログ記事に書いてあるように、ジョー・ザヴィヌル本人が編纂したコンピレイション盤『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』のラストに、『ザ・ブラック・メサイア』から「ドクター・ホノリス・カウザ」がチョイスされて収録されていたからだ。

『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』は2004年のキャピトル盤CD。つまり『ザ・ブラック・メサイア』はまだCDリイシューもされていないし、アナログ盤中古もひどく入手が困難な状態だったはずだ。でもその「ドクター・ホノリス・カウザ」がかなりいいので気になったんだよなあ。

それで『ザ・ブラック・メサイア』を是非聴きたいと思ったものの、書いているような状態だったもんだから入手できず、ただ『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』にある「ドクター・ホノリス・カウザ」だけを繰返し聴いていたような具合。2014年になって初めてフル・アルバムが買えたのだ。

だいたい『ザ・ブラック・メサイア』をジャズ・マスコミはガン無視状態だったもんなあ。それは今でも同じ。これについてジャズ(系)・ライターでもブロガーでもどなたかがしっかり書いているのを僕は日本語ではいまだに全く見たことがない。英語でならネット記事(ブログ?)が三つほど見つかったけれど。

だから日本語のものとしては僕の今日のこの文章が初になるはずだ。どこまで書けるか分らないが、その三つの英語記事を参考にしつつ、また『ザ・ブラック・メサイア』のリイシューCD附属ブックレット英文解説(はビル・コップというブロガーが書いている)も踏まえながら、なんとかやってみたい。

キャノンボールの1970年録音『ザ・ブラック・メサイア』が長年ジャズ・マスコミからはガン無視され続けてきたというのは、音を聴けばまあ理解はできる。このアルバムはま〜ったくジャズではないからだ。ちょっとその面影がかすかに伺える程度で、ロック〜ファンク系の音楽なんだよね。

ジャズ側に百歩譲ってもフュージョンかなあ。でも普通のジャズ系フュージョンではないし、じゃあスタッフみたいなブラック・ミュージック由来のインストルメンタル音楽としてのフュージョンなのかというと、それとも違う。アルバム・タイトル通り、黒い肌の救世主としてのキャノンボールが呪術を展開しているような内容なのだ。

「黒い救世主」という意味のアルバム・タイトル曲は、この二枚組ライヴ・アルバムのオープニング・ナンバー。それはアルバム中最も長い16分以上もあるので、やはりこれがハイライトなんだろうなあ。書いたのはジョージ・デューク。フランク・ザッパの一連のアルバムで大活躍するようになるジョージ・デュークだが、この1970年時点だとザッパと知り合ったばかりという時期かなあ。

ジョージ・デュークが弾くエレクトリック・ピアノはフェンダー・ローズの音ではない。おそらくはウーリッツァーじゃないかなあ、そんなサウンドに聴こえるなあと思って情報がないか探したら、CD附属ブックレットの解説文にウーリッツァーだと書いてある。

がジョージ・デュークはそのままストレートにウーリッツァーを弾いていない。エコープレックスとリング・モジュレイターを使って音をかなり歪めてあるんだなあ。普通のジャズ・リスナーはこんなの嫌いだよねえ。ちょうどファズが効いたエレキ・ギターの音を嫌うようにね。

僕は前々から繰返しているように歪んで濁った音の方が「美しい」と感じる性分の人間で、それは楽器(や人声)のアフリカ回帰だと思うっていうのもあるが、それは後付けの理屈であって、昔からただ単に気持良いっていうだけの話なんだよね。そりゃレッド・ツェッペリンみたいなものから洋楽に入門したわけだからさ。

アルバム一曲目の「ザ・ブラック・メサイア」では兄弟の二管によるテーマ演奏に続き、兄キャノンボールのアルト・サックス・ソロになる(彼は曲によってソプラノも吹く)。それにジャズ・サックスのソロみたいな雰囲気を聴き取ることはかなり難しい。少なくとも1958〜59年にマイルス・デイヴィス・コンボでやっていたようなものではない。
マイルスの名前を出したけれど、ちょうど1970年あたりのマイルス・ミュージックと『ザ・ブラック・メサイア』で聴ける同時期のキャノンボール・ミュージックは完全にシンクロする。それに上でも名前を出しているジョー・ザヴィヌルと、あるいはハービー・ハンコックなどなど、みんな共振していたよねえ。

「ザ・ブラック・メサイア」ではキャノンボールのソロに続き、弟ナットのコルネット(もジャズ風ではない)、ジョージ・デュークのエレピ・ソロと続く。ジョージ・デュークはそもそも1960年代後半のデビュー当時からピュア・ジャズの人間ではないから、ここでのエレピ・ソロだってファンク系の弾き方だ。

アルバム『ザ・ブラック・メサイア』で僕が愉快でたまらないのが(トラックでは四つ目だが曲は)二曲目の「リトル・ベニー・ヘン」だ。なぜならばジャズはほんのひとかけらすらもない完全なるロックンロールだからだ。チャック・ベリーだろうとしか思えないブギ・ウギ・パターンのギター・リフを弾いているのはマイク・デイジー。
ヴォーカルもファズの効いた音でのギター・ソロもマイク・デイジーだし、その後に出てくるサックス・ソロはこの日のゲスト参加だったアーニー・ワッツによるテナー吹奏。なにもかも全てがブルーズ・ルーツのロックンロールだ。ここまで明快に非ジャズなのは、『ザ・ブラック・メサイア』のなかでもさすがにこれ一曲だけ。

こんなのぜ〜ったいにジャズ・ファンは大嫌いだ。間違えて普通のジャズ・ファンがもし仮にキャノンボールの『ザ・ブラック・メサイア』を手に取ることなどあったならば、この「リトル・ベニー・ヘン」が鳴り出した瞬間に腹を立てて再生をストップすること必定だよなあ。わっはっは。

『ザ・ブラック・メサイア』一枚目ラストが前述の「ドクター・ホノリス・カウザ」。もちろんジョー・ザヴィヌルの書いた曲だけど、そのオリジナルはザヴィヌルのソロ・アルバム『ザヴィヌル』の一曲目収録。それも1970年録音なんだよね。録音月日は不明だが、キャノンボールがカヴァーしたのは間違いなく直後だ。

しかもザヴィヌルのソロ・アルバム『ザヴィヌル』がアトランティックからリリースされたのは翌1971年だから、キャノンボールが『ザ・ブラック・メサイア』になったトゥルバドゥールに出演した時は一般聴衆には未知の曲で、キャノンボール自身リリースされたのを耳にして知ったのではない。

ご存知の通りザヴィヌルは長年キャノンボール・バンドの中核的存在として大活躍していたわけだし、トゥルバドゥール出演の1970年というとバンドを脱退した直後だから、間違いなくザヴィヌル本人から「ドクター・ホノリス・カウザ」という曲をなんらかの形でもらっていたんだろう。

『ザ・ブラック・メサイア』での「ドクター・ホノリス・カウザ」では、演奏に入る前にキャノンボールがかなり興味深いことを喋っている。この曲はハーバート(ハービー)・ハンコックのためにザヴィヌルが書いた曲だということだ。ハービーは、この頃グリネル・カレッジから名誉博士号を授与されていて、それを祝うという意味で(?)ザヴィヌルが書いたんだとキャノンボールは言っている。

ハービーがグリネル・カレッジからもらったのは英語だと Honorary Doctor of Fine Arts Degree なので、それで「ドクター・ホノリス・カウザ」という曲名になっているっていうことなんだろう。しかしこんな事実は僕は長年全く知らなかった。

前述の『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』が2004年にリリースされた時、それに収録の「ドクター・ホノリス・カウザ」はその演奏前のキャノンボールの喋りから収録してあるので、その時点で僕は初めてこの曲名の由来を知ったのだった。

そういえば「ドクター・ホノリス・カウザ」のオリジナルであるアトランティック盤『ザヴィヌル』にはハービー・ハンコックも参加してフェンダー・ローズを弾いている。一曲目の「ドクター・ホノリス・カウザ」にももちろん参加。だからそもそもザヴィヌルはハービーとの共演を念頭に置いてこの曲を創ったんだなあ。

『ザ・ブラック・メサイア』の「ドクター・ホノリス・カウザ」は、しかし『ザヴィヌル』のオリジナルよりもはるかにカッコイイぞ。真っ黒けでグルーヴィーで、『ザヴィヌル』ヴァージョンにあるジャズ風な残滓は『ザ・ブラック・メサイア』ヴァージョンには薄い(ゼロではない)。
『ザ・ブラック・メサイア』の「ドクター・ホノリス・カウザ」ではキャノンボールはソプラノを吹いている。その後ナットのコルネット・ソロ。二人のソロのあいだ、ジョージ・デュークがエフェクターで歪めた音のエレピでバックを支えている。後半エレピ・ソロになるが、その部分でのサウンド創りは相当に先進的というか、エレピを弾くソニー・シャーロックみたいな感じだ。

『ザ・ブラック・メサイア』一枚目はこれで終り。今日ももう随分長くなったのであまり書いている余裕がないが、二枚目一曲目の「ザ・チョコレート・ヌイサンス」はジャズ・ロック/ファンク。

『ザ・ブラック・メサイア』二枚目五曲目の「エピソード・フロム・ザ・ミュージック・ケイム」は、これまたゲスト参加のクラリネット奏者アルヴィン・バティストの書いた曲で、やはり彼のクラリネットをフィーチャー。続く六曲目「ヘリティッジ」で歌ってるのはキャノンボール本人かもしれない。

『ザ・ブラック・メサイア』CDパッケージにはパーソネルの明記がなく、ネットで調べて判明しているわけだけど、それによればギターのマイク・デイジーがゲスト参加で歌うもの以外、ヴォーカルはナットということになっている。がしかしそれらと「ヘリティッジ」で聴けるのとでは声が違うんだよね。

もっとも『ザ・ブラック・メサイア』では曲間で非常によく喋っているキャノンボールのその喋りの声と、「ヘリティッジ」での歌の声はかなり違うんだけど、まあいざ歌うとなれば喋っているのとは声が変わるのが一般的だから、可能性はあるんじゃないかなあ。

ところでその「ヘリティッジ」。楽器のソロはなく伴奏するだけで全面的にヴォーカルをフィーチャーしているが、これはデューク・エリントンの曲だとどのネット情報にも書いてある。がしかし僕はこの曲は全く知らないんだなあ。少なくともエリントン(楽団)自身による演唱ヴァージョンは存在しないはずだ。

ってことは1970年時点ではまだ活躍中だったエリントンが、キャノンボールのバンドのために書いて提供した曲なのか?そのあたりに関してはどんなネット情報もない。どこにも一言もないんだけど、英語で書いている(おそらくアメリカ人の)みなさんはどこからこれがエリントン作だという判断をしたのか?

どっちにしても今の僕には分らんからいいや。『ザ・ブラック・メサイア』でも弾いている当時のキャノンボール・クインテットのレギュラー・ベーシストのウォルター・ブッカーは、ウェイン・ショーターの『スーパー・ノーヴァ』でもザヴィヌルの『ザヴィヌル』でも弾いている。この人もまた1960年代末〜70年代初頭のキー・パースンの一人だね。

2016/11/21

ザ・バンドのワールド・ミュージック的アティテュード

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ザ・バンドの四作目1971年の『カフーツ』。人気ないよねえ。評価も低い。僕も決して傑作なんかじゃないと思う。特にこのザ・バンドというバンド(面倒くさい名前だ)の大傑作とされる一作目『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』、二作目『ザ・バンド』とは全く比較にならないかも。

それは僕も納得しているものの、『カフーツ』だって意外に好きなのだ。というか個人的趣味嗜好だけなら『カフーツ』が僕にとってのこのザ・バンドというバンドの諸作中モスト・フェイヴァイットなんだよね。まあこんな意見のリスナーはロック・ファンには少ないと思う。がワールド・ミュージック・ファンのなかにはいるかも。

そう、『カフーツ』はザ・バンドの諸作中最もワールド・ミュージック的なアティテュードを感じるものなのだ。いろんな音楽をお聴きのリスナーであればこの意見に納得していただけるかもしれない。元々アメリカーナ的なルーツ・ミュージック志向の音楽集団だったザ・バンドがどうしてこうなったのか?

1970年の三作目『ステージ・フライト』までで、いや69年の二作目『ザ・バンド』まででやりたい音楽をやり尽くしてしまい、その後は方向性が定まらなくなったとか、バンド内の人間的力関係の変化が影響しているだとか、いろんな意見を読むけれど、僕はそのあたりにあまり詳しくなく興味も薄い。

単にできあがって今でもCDで聴ける音でだけいろいろと考えて判断しているだけだ。そうなった場合、僕にとってのザ・バンドは、これらに尽きるとまで言われる最初の二枚はちょっと息苦しいというか、じっくり何度も聴き込まないと分りにくいような部分もあって明快じゃないし、ポップでもないもんなあ。

だから僕はザ・バンドの最初の二枚は普段あまり聴かない。だってしんどいもん。僕が一番よく聴くザ・バンドのアルバムは1972年の二枚組ライヴ・アルバム『ロック・オヴ・エイジズ』だ。やっぱりライヴ盤好きで二枚組好きの僕。そんでもって『ロック・オヴ・エイジズ』と『カフーツ』は関係がある。

『ロック・オヴ・エイジズ』ではホーン・セクションが大胆に起用されているが、それのアレンジがアラン・トゥーサンだ。アランがやった仕事のなかで僕が最も好きなものの一つなんだよね。マジックだとしか思えないアランのホーン・アレンジがあるからこそこの二枚組ライヴ・アルバムが大好物なのだ。

『ロック・オヴ・エイジズ』では、元はホーン・セクションなど入っていないザ・バンド・オリジナル楽曲でもアラン・トゥーサンが絶妙極りないアレンジのペンをふるっている。そのあたりのことも含め、いろいろと面白いこの二枚組ライヴ・アルバムについては機会を改めて一度じっくり書いてみたい。

そんなアラン・トゥーサンとザ・バンドとの初顔合わせが1971年の『カフーツ』だったのだ。すなわち一曲目「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」のこと。リヴォン・ヘルム・ロビー・ロバートスン、リック・ダンコ三名の共作名義で、歌うのはリヴォンとリック。この曲でのホーン・アレンジが見事だ。

いったいどういうわけでザ・バンドがアラン・トゥーサンを起用したのかは僕は知らない。なにか書いてあるものがありそうだけど、調べていない。アランのアレンジはいつもそうだけど、「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」でもごく自然。これみよがしな部分が全くなくスッとバンド・サウンドに溶込む。

そんなアラン・トゥーサンのペンとザ・バンドのサウンドの融合具合が最高に発揮されたのが『ロック・オヴ・エイジズ』なんだけど、ホントまた別の機会に。アレンジを書いているのか書いていないのか分らないような感じでバンド・サウンドにごく自然に馴染むという点では、クインシー・ジョーンズの手法に少し似ている。

ホーン・セクション(の編成は書かれていないし、調べても分らず、また僕の耳では聴いてなんの管楽器が何人と判断することも不可能)が参加していることもあって、『カフーツ』一曲目「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」は賑やかな印象だ。それが僕は好きなんだ。若いのにこんな地味な老成バンドの音楽としては。
『カフーツ』にはもう一曲、B面五曲目「ヴォルケイノ」にもホーン・セクションが入っているが、そのアレンジはアラン・トゥーサンであるというクレジットはない。聴いてみてもこれはアランの仕事じゃないな。だって一曲目「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」とはアレンジのスタイルがかなり違うから。
「ヴォルケイノ」でのホーンの入り方は不自然というのではないが、ちょっと取ってつけたようなというか、バンド・サウンドとの融合具合がイマイチに聴こえる。だからクレジットがないように、どう聴いてもアラン・トゥーサンの仕事じゃないのは間違いないように思う。『カフーツ』でホーン・セクションが入るのはその二曲だけ。

ホーン・セクションではないが「ヴォルケイノ」ではサックスのソロが入る。吹いているのはガース・ハドスンだね。曲調もバンドの演奏もホーン・セクションのサウンドも、いかにも火山が噴火するといった派手で賑やかな内容で、ガースのサックス・ソロもいいし、これもアルバム中まあまあ好きな一曲だ。

『カフーツ』で一曲目「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」の次に好きなのが続く二曲目「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」だ。これはボブ・ディランの書いた曲だけど、ディラン本人のヴァージョンはまだ未発表だったので、このザ・バンドのヴァージョンで知れらていたもの。
実を言うと僕は「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」のボブ・ディラン自身によるヴァージョンをいまだに聴いたことがない。でも調べてみたら『グレイテスト・ヒッツ Vol. II』に収録されているようで、僕はその二枚組を持っているなあ。オカシイぞ。どうして憶えていないだろうなあ。

まあいいや。『カフーツ』二曲目の「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」。冒頭でフェイド・インしてくるのがガース・ハドスンの弾くアコーディオンで、すぐにリヴォンの歌が出る背後でもずっとアコーディオンが鳴っていて、ヴォーカルが終わると、またしてもアコーディオンでソロを弾きながらフェイド・アウトする。

『カフーツ』の「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」でのそんな部分にも、僕はアティテュードとしてのワールド・ミュージック志向を感じ取っている。ガース・ハドスンのアコーディオンの弾き方はややアメリカ南部風なもので、ちょぴりザディコっぽく聴こえたりもするのが面白い。

「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」、ホント、ボブ・ディラン本人のヴァージョンはどんな感じなんだろうなあ?『グレイテスト・ヒッツ Vol. II』を引っ張り出してきて聴かなくちゃ。一応ザ・バンドの『ロック・オヴ・エイジズ』現行CDにもディランが歌うのが収録されている。

それはもちろん2001年リリースの際に追加されたボーナス・トラックで、『ロック・オヴ・エイジズ』のアナログ盤にはない。ちょっと聴いてみたけれど、「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」もごくごく普通のいつものディラン節でアコーディオンは全くなし。あまり面白いもんじゃないなあ。

やっぱり『カフーツ』の「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」こそが面白い。これに比べたら、いかにもワールド・ミュージックっぽいB面一曲目の「シュート・アウト・イン・チャイナタウン」での取ってつけたようなわざとらしいエキゾティック趣味はあまり好きじゃない。
『カフーツ』A面ラストの「4%・パントマイム」にはヴァン・モリスンがゲスト参加して、リチャード・マニュエルと掛け合いで歌って面白いやり取りを聴かせる。リチャードはピアノで三連フレーズを叩き続けている。作曲はヴァンとロビー・ロバートスンの共作名義。これもなかなかいいなあ。
僕が現在持っている『カフーツ』を含むザ・バンドの全作品は、米キャピトルが2000年にリイシューしたもので、どのアルバムにもたくさんボーナス・トラックが収録されている。そのなかにはかなり興味深いものがあるので、オリジナル通りじゃないとダメだというリスナー以外にはオススメなのだ。

『カフーツ』のオリジナルは全11曲だけど、2000年リリースのリイシューCDには5トラック収録追加されている。「五曲」と書かないのには理由がある。ラスト16トラック目は「ラジオ・コマーシャル」だからだ。聴いた感じ、タイトル通りおそらく『カフーツ』リリースにあたってラジオで流した宣伝音源だ。

「ラジオ・コマーシャル」は約一分間。そんなもの聴いてもしょうがないだろうと言わないで。ちょっと面白いのだ。いきななり「ジプシーの、ミンストレル・ミュージシャンの」ザ・バンドというナレイションが流れて、それに続いて三曲の断片が流れ、「ザ・バンドの最新作、キャピトルから!」と言っている。
流れる断片のアルバム収録の三曲は「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」「シュート・アウト・イン・チャイナタウン」「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」の順で出てくる。つまり全てワールド・ミュージック志向のものばかり。ってことはキャピトル側もそんな音楽性を売り出したかったのかもしれないなあ。

また15曲目に「ドント・ドゥー・イット」のスタジオ・アウトテイクが収録されている。この曲、もちろんマーヴィン・ゲイのあれだけど、当時ザ・バンドによるスタジオ録音は未発表のまま。1972年の『ロック・オヴ・エイジズ』に収録されたのだけが20世紀のあいだはザ・バンド唯一のものだった。

その『ロック・オヴ・エイジズ』オープニングの「ドント・ドゥー・イット」が、冒頭で弾きはじめるリック・ダンコのベースといい、アラン・トゥーサンのアレンジしたホーン・セクションの入り方といいえらくカッコよくて、僕は最初にレコードで聴いた瞬間にこのアルバムが大好きになったものだった。
それに先立つスタジオ録音ヴァージョンがあって、それが聴けたってのが嬉しかったんだなあ。基本的にはドラムスのサウンドを基本に組み立てているマーヴィン・ゲイのオリジナルに即したものだけど、『ロック・オヴ・エイジズ』でのアラン・トゥーサンは、間違いなくまだリリースされていなかったこれを聴いてアレンジしたんだなと分るものだ。

2016/11/20

ナット・キング・コールのジャイヴィー・ジャズ

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歌が売れるようになったので、1955年に自身のレギュラー・コンボを解散してヴォーカルに専念する(ことが多かった)ようになったナット・キング・コール。それ以後はご存知の通りの大人気ポップ歌手になる。僕はそんな時代のナット・キング・コールの歌も今では好きで時々聴いている。

ナット・キング・コールのそんな時代の歌のなかには、スペイン語で歌ったものがフィーリン(といってもジャズ・ファンの方はご存知ない場合が多いだろうけど、ソフトで軽いフィーリングのキューバ歌謡の一種)のコンピレイションに収録されていたりするし、なかなか面白いんだなあ。

しかしながら僕がそんなナット・キング・コールの歌が好きになったのはわりと最近の話で、大ヒットしたポップ・ソングにもすんなり馴染めるようになってからだ。それまではナット・キング・コールといえば1940年代のトリオものばかり聴いていた。今でもジャズ・ファンの多くはそうじゃないかなあ。

その気持はすごくよく分る。僕だってほんの数年前までは完全に同じだった。「モナ・リーサ」(は1950年初録音だけど)なんか甘ったるくて聴いていられるかっていう気分だったなあ。今でもジャズ・サイドからナット・キング・コールを語る人の多くがそうかもしれない。かつては辛口のピアニストだったと言う。

そんなシリアスなジャズ・ファンが好きであろうナット・キング・コールの戦後録音ものは、おそらく1956年録音翌57年発売のキャピトル盤『アフター・ミッドナイト』だけだろう。これは僕も大学生の時分から大好きだった。今では1999年リリースの完全盤CDもある人気の一枚。

『アフター・ミッドナイト:ザ・コンプリート・セッション』は複数のセッションを収録しているのに、ジャケット表の表記が “Sessions”  になっていない。ちょっと不思議だ。まあそれはいいが、英語版 Wikipedia では「1987年リリースの完全盤」と記載されているが、それはちょっとオカシイんだよね。

Wikipedia 記載の「1987年の完全盤」とは全17曲収録で「キャンディ」で終っているが、1999年のはそのあとにもう1トラックあって、全部で18トラック。紙ジャケット好きの僕は、18トラック入りのその完全盤をアメリカ盤のプラスティック・ジャケットのとあわせ二つ持っている。

1999年リリースの『アフター・ミッドナイト:ザ・コンプリート・セッション』。紙ジャケの方は日本盤。プラスティック・ケースのアメリカ盤と中身は完全に同じだから、アホだとしか言いようがない。このアルバムは少人数コンボ編成での完全なるジャズ録音で、ナット・キング・コールもピアノをジャジーに弾くし、だから普通のジャズ・ファンに大人気。

そんなジャズ・ファンが1940年代のナット・キング・コール・トリオが大好きだと言っても、しかし主に聴くのはキャピトル時代のものだろう。『ヴォーカル・クラシックス』『インストルメンタル・クラシックス』というバラ売り二枚のキャピトル盤LPで出ていた。

それらキャピトル録音のナット・キング・コール・トリオは1943〜47年と49年録音で、今では両方あわせて『ヴォーカル・クラシックス・アンド・インストルメンタル・クラシックス』として一枚物CDでリイシューされている。13曲目の「ザ・マン・アイ・ラヴ」以後がインストルメンタルものだ。なかなかいいんだよね。

『ヴォーカル・クラシックス・アンド・インストルメンタル・クラシックス』はLP時代から見れば 2in1 だけど、そう考えるのは本当はヘンなんだよね。なぜならオリジナルはLPではなく、言うまでもなく全てSP盤で発売されたからだ。だからどんなLPもCDもコンピレイションに過ぎない。

大学生の頃から僕が好きだったのは、どっちかいうとヴォーカルものの方。キャピトル盤『ヴォーカル・クラシックス』に収録されているものなかで、かつての僕の最大の愛聴曲だったのが「スウィート・ロレイン」。以前一度書いたけれど、ナット・キング・コールの歌を真似して完璧にソラで歌っていた。

それくらい「スウィート・ロレイン」が大好きだった。誰もいない部屋のなかやお風呂の湯船に浸かりながらなど、よく鼻歌で口ずさんでいた。「スウィート・ロレイン」はアール・ハインズのレパートリーだけど、これをナット・キング・コールが録音したのは1943年のキャピトル盤が初ではない。

ナット・キング・コールは「スウィート・ロレイン」をまず最初、1940年にデッカに吹込んでいる。その40年と41年録音のナット・キング・コールのデッカ録音集が絶品なんだなあ。デッカ録音集も昔からレコードがあった。『イン・ザ・ビギニング』というもので、これも大学生の頃から大好きだった。

そもそも専業ピアニストだったナット・コールが歌うようになったきっかけが「スウィート・ロレイン」で、ある時のナイト・クラブでの出演時に、ある客から歌ってみろとリクエストされて、とっさに憶えていたこの曲をやったら評判が良かったということらしい。その結果、偉大な歌手になるわけだから、人生、なにがきっかけになるか分らないねえ。

『イン・ザ・ビギニング』は1940年代初期ナット・キング・コール・トリオの完全集ではなかったはず。今CDでも買い直している『イン・ザ・ビギニング』。このアルバム、紙ジャケット日本盤CDでは全12曲だけど、プラスティク・ジャケットのやはり日本盤は16トラック入っている。この人の1940年代初期デッカ録音は、全部で16曲17トラックあるんだ(一つは別テイク)。

僕がそれらをコンプリートな形で買えたのは、『ヒット・ザ・ジャイヴ、ジャック』という1996年リリースの米MCA盤が初。これがもう最高なんだよね。シリアスなジャズにして、なおかつ楽しくジャイヴィーな芸能ジャズでもあるという、この時期のナット・キング・コール・トリオの姿が非常によく分る一枚だ。

ナット・キング・コールの、特にヴォーカルにあるジャイヴィーな持味は、その後のキャピトル時代のトリオものにもしっかりあるんだけど、その前、1940年と41年録音の全17トラックのデッカ録音の方がより分りやすいのだ。キャピトル時代のナット・キング・コール・トリオのファンも是非聴いてほしい。

ナット・キング・コール・トリオのデッカ録音集『ヒット・ザ・ジャイヴ、ジャック』の一曲目「スウィート・ロレイン」から五曲目「ディス・サイド・アップ」までが1940年12月6日の自己名義初録音。ヴォーカルに既にジャイヴィーな味が出ている。特に「ゴーン・ウィズ・ザ・ドラフト」がそうだ。

最大の得意曲で、数年後のキャピトル録音はもちろん、前述の戦後録音『アフター・ミッドナイト』でも再演している「スウィート・ロレイン」だって、1940年のデッカ録音には強くジャイヴィーな味があるもんなあ。1943年のキャピトル録音でもまだあるけれど、戦後の再演では消えてしまう。

デッカへの1941年3月14日録音の四曲ではもっとジャイヴィーな味が強くなっている。特に「スコッチン・ウィズ・ザ・ソーダ」なんかは完全なるジャイヴ・ナンバーだと言って差支えない。こんなフィーリングがどんどん強くなっていく。
それが最大限に発揮されているのがデッカへの1941年7月14日録音の五曲と同年10月22日録音の四曲。前者にある「アイ・ライク・ザ・リフ」(https://www.youtube.com/watch?v=68oQ6FGeSxE)とか、後者にある「コール・ザ・ポリース」(https://www.youtube.com/watch?v=lOjhAqY_bEs)なんかいいなあ。

もっとはっきりしているのが「アー・ユー・ファー・イット」(https://www.youtube.com/watch?v=8h2Rmb99Ah8)と「ヒット・ザ・ジャイヴ、ジャック」(https://www.youtube.com/watch?v=6vhjZ6J3kvw)だ。1941年10月録音のこの二曲は同時期のルイ・ジョーダンによく似ているじゃないか。

実際ナット・キング・コールとルイ・ジョーダンはデッカにおける盟友みたいなもんで、ルイ・ジョーダンの初録音はデッカへの1938年だけど、大成功したのは1941年以後だ。つまりナット・キング・コールと同時期なんだよね。41年4月にデッカが「セピア・シリーズ」というのをはじめてからだ。

デッカのセピア・シリーズとは、それまでのいわゆるレイス・レーベルから移行したもので、黒人ジャズ・マンでありかつクロス・オーヴァー的に売れると判断した人たちの録音を一枚35セントで発売したもの。この1941年開始のデッカのセピア・シリーズでルイ・ジョーダンもナット・キング・コールもリリースされたのだ。

このシリーズで最も人気が出た黒人ジャズ・スターが言うまでもなくルイ・ジョーダンだけど、同じ1940年代初期のナット・キング・コール・トリオがほぼ同じフィーリングの音楽をやっていたことは、上で貼った数個の音源を聴いていただければ充分納得していただけるはずだ。

ナット・キング・コール・トリオのデッカ録音でちょっと面白いのは、「コール・ザ・ポリース」「ストンピン・アット・ザ・パナマ」など数曲の中盤でちょっとだけピアノがブギ・ウギっぽくなる瞬間があることだ。1940年代初頭の録音なんだから、ブギ・ウギのパターンを弾いても全く不思議じゃない。

そんなナット・キング・コールに歌い方を教えたのはキャブ・キャロウェイらしい。といってもジャイヴ・ヴォーカルではなく、白人聴衆にも売れるようにするためには口を大きく開けてハッキリ発音しないとダメだよとキャブはナット・キング・コールにアドヴァイスしたらしい。いつ頃のエピソードなんだろうなあ。

そのキャブの指導が身を結んだ最大の典型例があの1950年初録音の「モナ・リーサ」だ。確かに明瞭で分りやすい発音だよなあ。しかしあれはキャブの歌い方には似ていないものだ。音楽的な意味でキャブと結びつくのは、やはり1940年代初頭のデッカや、同前半のキャピトル録音のジャイヴィーな味だ。

デッカ録音集『ヒット・ザ・ジャイヴ、ジャック』は、ナット・キング・コール・トリオ全17トラックのあとに5曲6トラック、エディ・コールズ・ソリッド・スウィンガーズの録音が収録されている。ベースのエディ・コールはナットのお兄さんで、弟ナットは兄のバンドで活動を開始したんだよね。

今では弟ナットの大人気のおかげで、その最初期録音を聴くという意義でナットが参加した兄エディ・コールのバンドの録音もCDリイシューされているということなんだろう。アルバム『ヒット・ザ・ジャイヴ、ジャック』収録のそれらは1938年7月28日年シカゴ録音。ナット・キング・コールの処女録音かもしれない。

2016/11/19

ヌスラット最後期の声

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ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの聴衆の前での生涯ラスト・パフォーマンス(ということになっているが?)を収録したライヴ・アルバム『スワン・ソング』。1997年5月4日のライヴで、しかしこれ、どこでやったものなんだろう?どこにもそれが書かれていないなあ。

『スワン・ソング』がリリースされた1999年当時、なにかの音楽メディアでこのライヴの収録場所を読んだような読まなかったような、あるいはどこで披露したライヴ・パフォーマンスなのか不明だとか、いやあ、もう忘れちゃったなあ。今なら情報があるだろうと思いネット検索したけど、やはり不明。

あの『スワン・ソング』については毀誉褒貶あるというか、絶賛する人がいる一方で全然ダメだという人も多かった。後者の意見の大半は、肝心のメイン・ヴォーカリストの声の衰えを指摘したり、主役のリード・ヴォーカルよりロック風なバック・バンドの音が大きくてやかましいだとか言っていたなあ。

『スワン・ソング』を絶賛する意見の代表が故中村とうようさん。具体的にどう書いていたかはもう忘れちゃったし現物も手許にないけれど、確か伝統的カッワーリーと現代的ロック〜ポップ・サウンドの合体・融合に果敢に挑み、それに成功しているというようなことを書いていたような気がする。

僕はというと、とうようさんの意見を理解しつつ、『スワン・ソング』実物を何度聴いてもやっぱりイマイチに聴こえてしまうという実感を拭い難く、そんなに高くは評価できないなあと思っていたというのが正直な気持だった。それに現代的サウンドとの融合云々というならもっと前からたくさんあるもんなあ。

すなわちヌスラットがマイケル・ブルックやピーター・ゲイブリエルらと一緒にやった一連のリアル・ワールド・レーベルのものだ。現代的クラブ・ミュージックが好きなファンであれば、ああいったものもお好きだろとと思うし、僕もリリース当時は面白いなあと感じて繰り返し聴いていた。

しかしながらそうであると同時に、伝統的カッワーリーのパーティーでやったもの、例えばオコラ盤のパリ・ライヴ五枚とか、日本JVC盤『法悦のカッワーリー』二枚とか、あれらを聴くと、リアル・ワールドから出ているクラブ・ミュージック風なものよりもヌスラットの声ははるかに凄い。

リアル・ワールドのものは、ヌヌラットのヴォーカルの凄まじさだとか、伝統的カッワーリーのパーティーが演奏するヒプノティックなグルーヴ感だとか、そういうものをもっとこうダンサブルにというか、伝統的宗教/民俗音楽に馴染の薄いポップ・ファンにも伝わるように分りやすくしたものだったよなあ。

だからあれはあれでいいんだけど、いったんそれでヌスラットのヴォーカルの魅力に取り憑かれたら、やはり伝統的カッワーリー演唱を聴いてほしいとも僕は思っていたんだよね。ワールド・ミュージック系のものについてはトラディショナルな傾向のものを好むという僕の趣味嗜好も間違いなくあるはず。

ヌスラットの生涯ラスト・ライヴである『スワン・ソング』は、だからそんなリアル・ワールド・レーベルから出ていた一連のものの続きを、スタジオでのリミックス作業でとかではなく一回性のライヴでやったというようなものだと言えるのかもしれない。電気・電子楽器奏者もたくさん参加している。

そういえば『スワン・ソング』でたった今思い出した。このCD二枚組がリリースされた当時、親交のあった男性音楽ファンの方がスキーに行って派手に転倒したらしく、足を骨折して入院した。彼とはネット上で知り合ったのだが、病室で音楽を聴きたいからいくつか持ってきてくれとメールで言われたことがある。

その男性の事実婚の奥さんは、自宅にあるレコードやCDを全く把握してなくて、頼んでもそもそも音楽に興味がないから希望のものを探して持ってきてはくれないんだと嘆いたので、あんな熱心な音楽ファンがそれでは可哀想だと思って、僕がMD(が当時のダビング・メディア主流)に録音していった。

MDに多分15枚か20枚くらいダビングして病室へ持っていったかなあ、そのなかに当時リリースされたばかりのヌスラットの『スワン・ソング』を入れたおいたのだ。彼も熱心なヌスラット・ファンで、しかしあのライヴ・アルバムは未聴だと(メールで)言うので、ダビングして混ぜておいたんだよね。

するとそれを聴いたその男性は、これはダメだちっとも面白くないと言っていたなあ。その方は僕以上の中村とうよう信者なので、とうようさんは絶賛していたとよと言うと、とうようさんは褒めすぎだと思うとね。その病室ではそのまま別の音楽の話題に移ったのだが、実は僕も内心似たような感想だったのだ。

『スワン・ソング』をとうようさんがあそこまで絶賛した気持は、今『スワン・ソング』を虚心坦懐に聴き返してもやはりどうにも理解しにくい。ヌスラットの挑戦的姿勢は僕も買う。がしかしそれだけなら上で書いたようにリアル・ワールド・レーベルでやっていたんだから、格別目新しいことじゃないはずだ。

ってことは『スワン・ソング』は、現代的なものと伝統的なものとの融合を試みるというサウンド創りでの挑戦的姿勢においても斬新ではなく、またその一方でヌスラットのヴォーカルが凄いのかというと、一番肝心なものであるはずのその声がやや衰えているようにすら聴こえるので、いったいどこがいいんだろう?

ヌスラットの生涯ラスト・ライヴだったということは、要は歳取ったということなんじゃないか、それはどんな凄い歌手だってみんな大抵そうなるんだからと言われるかもしれないが、ヌスラットが1997年に亡くなった時はまだ48歳だったんだから、その意見はちょっと違うかもしれないと僕は思う。

もちろん48歳どころか30代でボロボロになって亡くなってしまった音楽家もいるわけだから、一概に年齢だけでは云々できない。がしかしヌスラットの場合そうじゃないというのが証拠として録音され発売されている。2001年リリースのCD二枚組『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』だ。

『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は発売が2001年になっただけで、スタジオ収録されたのは亡くなるずっと前、『スワン・ソング』になった1997/5/4よりもはるかに前だという可能性がある。このCD二枚組のジャケットや附属の紙のどこにも録音年月日の記載がないんだけれどね。

ネットで調べてみてもやはり『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』の録音年月日のデータは出てこない。がしかし「ファイナル」と銘打っているからには最晩年ではあるんだろう。そしてこの二枚組で聴けるヌスラットの声は往時のような張りのある強靭なもので、素晴らく聴き応えがある。

『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』をプロデュースしているのは、なんとあのリック・ルービンだ。デフ・ジャム・レコーズの設立者にしてロック〜ヒップ・ホップ系の音楽を手がける音楽プロデューサー。彼はアメリカン・レコーディングズ・レーベルを1988年に立ち上げている。

ヌスラットの『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』もそのアメリカン・レコーディングズからリリースされている。そんでもって同社代表のリック・ルービンがプロデュースしているってことは、要はあのリアル・ワールドのヒップ・ホップ系カッワーリーみたいものかと思うと、さにあらず。

正反対に(というのはちょっとオカシイ言い方だが)リック・ルービンがプロデュースしたヌスラットの『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は、全編伝統的カッワーリーのパーティー編成による録音なんだよね。リック・ルービンはそれに手を入れていない。

『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は、ヌスラットをリード・シンガーとするカッワーリーの伝統的パーティーでの演唱を一切いじらずそのままパッケージングしたものなのだ。伴奏楽器はハーモニウムとタブラだけ。あとは手拍子とサイド・ヴォーカリストたちのコーラスだけなんだよね。

そして『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』で聴けるヌスラットの声が、上で書いたように素晴らしいものなのだ。言っちゃあ悪いが『スワン・ソング』で聴ける声とは比較にならないとまで僕は思う。ライヴ盤の後者ではやはりヌスラットも「終り」だったんだなと感じたのだが、全然そんなことなかったんだよね。

『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』の録音年月日が分らないもんだから、『スワン・ソング』との比較はなんとも言えないけれど、前者も最晩年ではあるんだろうから、そこで聴けるヌスラットのヴォーカルの見事さを聴いて考えるに、『スワン・ソング』がダメなのは<衰え>ではないんだろう。

録音がどっちが先なのか分らないんだけど、『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は伝統的パーティーで、『スワン・ソング』はロック風のモダンなバンド編成だから、そのせいで前者は良くて後者はダメだなんてことも僕はちっとも思わない。その点では中村とうようさんと同意見。

リアル・ワールドから出ている一連のものだってヌスラットの声はいいもんね。そんでもって『スワン・ソング』は最晩年だからとも思わない。おそらくほぼ同時期の録音であろう『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』ではあれだけいい声を出しているわけだからね。なにか別の理由なんだろうなあ。

『スワン・ソング』の時は、ひょっとしてヌスラットの喉のコンディションがたまたまイマイチだったとか、それくらいの理由だったんじゃないかなあ。その程度の軽い原因でああいったあたかも衰えたかのような声に聴こえるだけなんじゃないかなあ。ロック風バンドの演奏もまあ良いとは言い難いけれど。

特にソプラノ・サックスのサウンドはダサいよなあ。ラシッド・フセインという名前が書いてあるこのサックス奏者のことは全く僕は知らないが、極上のジャズ・サックス奏者の演奏をこれでもかというほど何十年も聴き続けている僕に言わせたら、『スワン・ソング』のサックスはどうにも聴きようがない。

他のエレキ・ギター、キーボード・シンセサイザー、ベース、ドラムスとかの演奏はそんなに悪いものじゃない。それに『スワン・ソング』で一番目立つ楽器の音はタブラなんだよね。録音上のことなのかミキシングの際のことなのか分らないが、タブラの音が妙に大きい。全体のバランスを崩しているじゃないかと思うほどだ。

『スワン・ソング』におけるヴォーカルでは主役のヌスラットがイマイチ調子悪いせいか、サイド・ヴォーカリストのラーハットが大健闘している。こう見てくると、この二枚組ライヴ・アルバムは、やはり主役の体調というか喉のコンディションが良くなかっただけの話だったんだろうと僕は思う。

だから『スワン・ソング』になった、場所は分らない1997年5月4日のライヴの時に主役歌手が完調であったらなあと思わざるを得ない。もしそうだったならどれほど素晴らしいライヴ・アルバムができあがっていたかと、僕はちょっぴり残念なのだ。モダン・ポップ・カッワーリーの大傑作になっただろうなあ。

2016/11/18

マイルス・ロスト・クインテットの公式盤はいまだにこれだけ

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前々から僕はマイルス・デイヴィスが率いた1969年のバンド、いわゆるロスト・クインテットにこだわる傾向が強いんだけど、それはどうしてかというと、マイルスが率い恒常的に活動していたものでは、初の電化バンドだからなんだよね。といっても電化されているのはチック・コリアの弾く鍵盤楽器だけなんだけど、バンド全体のグルーヴ感が既に従来のジャズ的ではない。

あのいわゆるロスト・クインテットは長らく公式音源がなく、ブートレグでしか聴けなかった。がしかしブートレグでならアナログ・レコード時代から『ダブル・イメージ』という二枚組があって、これは僕の知る限りおそらくマイルス関連初のブート盤だ。

僕はそのLP二枚組『ダブル・イメージ』を確か大学生の頃に、ってことはつまり松山のレコード店で買った。当時の松山に音楽ブート・ショップなど存在しない(今もない?)。普通のなんでもない店で正規商品に混じって並んでいたのだった。こういうことはCD時代になってもよくある。

東京に出てきてからもディスクユニオン各店(特に御茶ノ水店)やタワレコード各店(特に渋谷店)でよくマイルスのブートCDを買った。だいたい正規商品と海賊盤との厳密な線引は不可能だからね。その後渋谷マザーズ・レコードや、通販だけど名古屋のサイバーシーカーズなど専門店も見つかった。

ともかくマイルスの『ダブル・イメージ』はアナログ盤二枚組ブートとして、マイルス・マニアは30年以上前から聴いていた。それくらい有名だったのだ。ってことは公式盤は一枚もないものの、1969年ロスト・クインテットの音源は、結構前から一つだけ聴けはしたってことなんだなあ。

もちろんライヴ盤であって、『ダブル・イメージ』は1969/10/27のローマ公演。CD時代になってもすぐにCD化された。それはそうとこの二枚組、ある時、日本クラウンがバラ売り二枚のCDで出したのを新宿丸井地下のヴァージン・メガストアで発見したことがあった。あれはなんだったんだろう?

まあだからブート盤と公式盤との境界線は引けないっていう一つの証拠だけど、新宿ヴァージン・メガストアで発見したその日本クラウン盤二枚はジャケットもダサかったし、内容的には購入済の完全に既知の音源だし、僕は当然買っていない(がそれは『レコード・コレクターズ』誌にレヴューも載った)。その後『ダブル・イメージ』は内容・音質が拡充したものがブートで出た。

それが『ダブル・イメージ・アップデイティッド・ロング・ヴァージョン』という CD 二枚組の SO WHAT 盤。SO WHAT はおそらく日本人がやっている日本の業者なんだろうと推測するんだけど、マイルスのブートCDをメチャメチャたくさんリリースしていて、海外でもかなり有名。僕は渋谷マザーズで根こそぎ全部買ったなあ。

マイルス1969年のロスト・クインテットはブートでもライヴ盤しかない。っていうのはこのマイルス+ウェイン・ショーター+チック・コリア+デイヴ・ホランド+ジャック・ディジョネットによるバンドのスタジオ録音は、ただの一曲も存在しないのだ。少なくとも2016年現在でも確認されていない。

だからかなりたくさん出ているロスト・クインテットのブート盤は全てライヴ収録。公式盤だとこのバンド初のものは1993年リリースの『1969 マイルス』になる。しかもこれは日本のソニーがどうしてだか日本でだけ発売したもの。日本国外の熱心なマイルス・ファンは日本からの輸入盤を入手していたという話だ。

その後全世界的にロスト・クインテットの公式ライヴ盤(スタジオ録音はないので)がリリースされたのが、レガシーが2013年に出した『ライヴ・イン・ユーロップ 1969:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 2』というCD三枚+DVD一枚盤。日本国外だと2016年現在でも公式ではこれしか存在しない。

ちなみにどうして『ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 2』かというと、「Vol. 1」 は2011年に『ライヴ・イン・ユーロップ 1967』というCD三枚+DVD一枚がリリースされているからだ。それの裏ジャケを見るとまだレガシーではなくSony Music となっているなあ。

マイルスの「ザ・ブートレグ・シリーズ」というのは、今年2016年にも1967年の例の黄金のクインテットのスタジオ未発表音源三枚組が「Vol. 5」としてリリースされた。このシリーズ名は言うまでもなくボブ・ディランの一連の例のやつから取っている。ディランの方の最初は1991年リリース。

マイルス・ロスト・クインテットの音源では、現在『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』四枚組が公式盤では一番いいものだけど、というか全世界的にはこれ一つしかないからそうなってしまうが、しかしこのCDは三枚である公式盤はやや問題もあるのだ。まずこれの一枚目は前述の『1969 マイルス』だ。

同じものなんだよね。フランスでのライヴなので冒頭にフランス人によるフランス語でのMCが入っているが、それは『1969 マイルス』ではカットされていたのが『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』一枚目にあるというだけの違いしかない。演奏内容は一秒たりとも違わないので、僕たち日本のファンはガッカリ。

『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』の二枚目は、一枚目、すなわち『1969 マイルス』の翌日、1969/7/26に同じフランスのフェスティヴァルに連日出演した二日目の公演で、これもブートではかなり前から『1969 マイルス:セカンド・ナイト』として流通していた既知の音源なのだ。

しかもブート盤『1969 マイルス:セカンド・ナイト』の方が、冒頭のフランス人によるMCがほんのちょっと長く入っているという不可解さ。公式盤『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』二枚目の方は、その冒頭のMC出だしをなぜだか数秒カットしてあるんだなあ。三枚目だってちょっと問題あるぞ。

『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』三枚目は1969/11/5のストックホルム公演で、この日2セット演奏したのがヨーロッパのFMラジオで放送されたので、それをソースにブート盤が前々から流通していた。それなのに『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』ではファースト・セットしか収録していない。

これは2013年に『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』がリリースされた時の最大の謎にして最大の憤慨だった。1969/11/5のストックホルム公演は、ロスト・クインテットのベスト・パフォーマンスとしてマイルス・ファンの間では評価が定着しているが、それは2セットあわせてのことなんだよね。

その2セットがそのまま公式化するのであればこんな嬉しいことはない、これでブートを買い漁るようなマニアではない一般の音楽ファンの方々にも、ようやくマイルスの1969年ベスト・ライヴを聴いていただけると喜んだのも束の間、レガシーはアホなのか?と怒りの感情しか湧いてこなかったなあ。

レガシーの名誉のため書き添えると、『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』三枚目の11/5、ストックホルム公演ファースト・セット音源は、ブート盤で聴ける同日同セット音源とはほんの少し内容が違う。ブート盤では聴けない部分が少しだけど収録されているのだ。それはセットの冒頭と末尾。

1969/11/5、ストックホルム公演ファースト・セットの一曲目は「ビッチズ・ブルー」。ブート盤にも公式盤にも収録されているジョージ・ウェイン(スウェーデンまで行っていたんだね)のMCに続き、ブート盤ではいきなりチックのフェンダー・ローズが聴こえる。ところが公式盤ではベースの音ではじまる。

デイヴ・ホランドが、既にスタジオ録音済(リリースはまだ)の「ビッチズ・ブルー」でも聴ける冒頭のリフを弾きはじめ、0:15 に初めてチックのフェンダー・ローズが入ってくるが、その15秒目のチックのエレピがブート盤では一曲目の一秒目なのだ。つまり公式盤は15秒だけ長く収録されている。

末尾が違うというのは、ブート盤だとこの日のファースト・セットの最後は「マスクァレロ」で、それが完全収録ではなく、チックがアクースティック・ピアノでソロを弾いている途中でフェイド・アウトして終っている。それが公式盤では、やはり不完全でフェイド・アウトは同じだが、そのあともう一曲あるんだなあ。

公式盤では「マスクァレロ」がフェイド・アウトしたのち、続いてチック作曲の「ディス」が収録されている。それは約六分間。これら書いているような冒頭と末尾の違いはある。公式盤の方が少しだけ充実しているのは確かだから、やはりオフィシャルだけはあるなという内容だ。

しかしこれでレガシーの面目躍如とは言えないだろう。それら冒頭と末尾以外は完全に同一であるばかりか、前述の通り同じ日のセカンド・セットをどうしてだか収録していないからだ。録音テープがあるのは分っているんだぞ。なぜリリースしなかったんだ?セカンド・セットの方が演奏はむしろ凄いのになあ。

『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』の一枚目(『1969 マイルス』と二枚目(『1969 マイルス:セカンド・ナイト』)になった1969/7/25〜26のライヴではちょっと面白い発見もある。七月というと『ビッチズ・ブルー』のスタジオ収録前だけど、同二枚組収録曲を既に演奏している。

「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」と「スパニッシュ・キー」だ。「サンクチュアリ」もやっているが、この曲のマイルスによるスタジオ初録音は1968年2月のセッションだった。だがしかし『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』収録のライヴ演奏は、一ヶ月後録音の『ビッチズ・ブルー』のと同じパターンだ。

1969/7/25〜26のライヴでは、1967〜68年の例の黄金のクインテットのレパートリーもやっている。「フットプリンツ」「ネフェルティティ」などなど。面白いのは25日の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」、26日「スパニッシュ・キー」、ならびに「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」。

なにが面白いかというと、それら三曲においてウェイン・ショーターはソプラノ・サックスでソロを吹いているが、実に頻繁にショーター・ファンならオッ!と思うに違いない同じフレーズを繰返し演奏している。なにかというと「スーパー・ノヴァ」だ。そう、1969年リリースのブルー・ノート盤一曲目。

あのショーターのリーダー・アルバム『スーパー・ノヴァ』は1969/8/29と9/2に録音されている。そこでレコーディングされる曲のテーマ(というかモチーフだが)の断片を、同年七月のマイルス・バンドでのライヴで繰返し吹いているのがその時の即興的思い付きだったとは僕には思えない。

自身のリーダー作でのレコーディングはたったの一ヶ月・二ヶ月後なんだから、ショーターの頭のなかに「スーパー・ノヴァ」のモチーフは既にあったと判断するのが妥当だろう。そう考えないと絶対に理解できないほど、完全に同じフレーズを、それも違う曲のなかで何度も何度も吹いているからだ。

また7/26における「スパニッシュ・キー」では、フェンダー・ローズを弾くチックが、のちのリターン・トゥ・フォーエヴァーで開花するスパニッシュ路線のフレーズを断片的に演奏する瞬間もあってちょっと面白い。『ビッチズ・ブルー』録音後の1969年のマイルス・スタジオ録音などでもそうなる瞬間は垣間見えたからね。

2016/11/17

ソウルフルなボブ・ディラン

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1960年代に登場した白人(シンガー・)ソングライターのなかで、ボブ・ディランはその書いた曲が最も多く黒人歌手にカヴァーされている一人かもしれない。といってもバート・バカラックやキャロル・キングなどのことは今日は考慮に入れない。なぜならば彼らは最初から黒人歌手のために曲を提供したから場合も多いからだ。

ディランはそうじゃない。彼の場合は全ての曲がまず最初は自らが歌うために書く人だ。というかおそらくそのためだけにしか曲を書かないという人だろう。一部例外を除くビートルズと少し似ている。両者とも1960年代にデビューし、ビートルズ・ソングもまた多くの黒人歌手たちにカヴァーされている。

そんなディランやビートルズの曲をアメリカ黒人歌手がカヴァーしているものは相当に数が多いので、全貌を把握することは僕には不可能。だからとりあえずのとっかかりとして英エイス・レーベルのリリースした「ブラック・アメリカが歌う」というシリーズで聴いて楽しんでいる。

ディランの方は『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』。ビートルズの方は『カム・トゥゲザー:ブラック・アメリカ・シングズ・レノン&マッカートニー』『レット・イット・ビー:ブラック・アメリカ・シングズ・レノン、マッカートニー・アンド・ハリスン』の二枚。

どっちの話を先にしてもいいけれど、今日は今年話題の人物であるボブ・ディランのカヴァー集についてだけ書くことにしよう。エイスが『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』をリリースしたのは2010年のこと。しかし僕がこれに気が付いて買ったのは今年2016年だ。

『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』は全20曲。しかしそれは収録されているディラン・ナンバーのオリジナル・リリース年順には並んでいないし、また収録の黒人歌手によるカヴァー・ヴァージョンのリリース年順でもない。通して聴いて楽しめるように並べてあるのかなあ。

またこのエイス盤CD附属ブックレットにある曲目解説も収録曲順にではなく、また収録されているカヴァー・ヴァージョンがリリースされた順にも書かれていない。ディランがそのオリジナル曲を発表した順に並び替えて曲を紹介・解説しているんだなあ。ちょっと分りにくいが、あるいはディランには馴染が薄いという黒人音楽リスナー向けなのかもしれない。

収録のカヴァー・ヴァージョンのリリース年はブックレット冒頭の曲目一覧のところに書いてあるのですぐ分る。このエイス盤『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』の収録20曲について全部書いている余裕はないので、以下特に気に入ったものについてだけかいつまんで。

全20曲のうち僕が特に気に入っているというか美しいなあと思うのは、九曲目のネヴィル・ブラザーズによる「ウィズ・ガッド・オン・アワ・サイド」と14曲目のブッカー・T・ジョーンズによる「天国の扉」(ナッキン・オン・ヘヴンズ・ドア)だ。この二曲はどっちも黒人ゴスペル・ソング風に仕上がっている。

「ウィズ・ガッド・オン・アワ・サイド」のディラン・オリジナルは1964年作『時代は変わる』収録。つまりいわゆるフォーク時代(という言い方が僕は嫌いだし、ディランの本質も表していないと思うのだが便宜上こう書いておく)におけるトピカル・ソングの一つだ。はっきり言うと反戦歌。

それをネヴィル・ブラザーズは1990年のアルバム『イエロー・ムーン』のなかでやっていて、歌うのはエアロン(アーロン)・ネヴィル。反戦を歌うトピカル・ソングとしてエアロンも歌っている。さらに歌詞のなかの重要な部分を大胆に書きかえているんだなあ。
ディラン・オリジナルでは「第二次大戦」云々ではじまる連を、エアロンは「ヴェトナム戦争」云々にして歌いはじめ、その連は全面的に歌詞が異っている。ディランのは1964年の歌だったのが、ネヴィル・ブラザーズのは1990年のだから、その時点における解釈変更、フィーリングの変化だなあ。

もっと重要なのは上掲音源をお聴きになれば分るように、ネヴィル・ブラザーズのライヴでは定番の「アメイジング・グレイス」と全く同じサウンドと歌い方だってことだ。エアロンのあの声とフレイジングは「ウィズ・ガッド・オン・アワ・サイド」でも同じだし、伴奏も教会オルガン風シンセサイザーが中心。

それで荘厳な雰囲気を醸し出していて、それに乗ってエアロンが反戦を切々と歌う。サウンドとメロディ・ラインがかなり美しく響くので、歌詞内容は突き刺さるようなトピカル・ソングであることを、聴いているあいだは思わず忘れてしまい、エアロンのあのヴェルヴェット・ヴォイスに聴き惚れてしまう。

ディランとは無関係なんかじゃなく実に深い関係があるんだけど、サム・クック・オリジナルである「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」も、ネヴィル・ブラザーズの『イエロー・ムーン』にはあるよね。それもエアロンが歌っている。サムのあれはディランに触発されて書いた曲だというのは有名だ。

もう一曲『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』で僕が最高に美しいと感じるのが、14曲目のブッカー・T・ジョーンズによる「天国の扉」(ナッキン・オン・ヘヴンズ・ドア)だ。これはこの曲の数多いカヴァー・ヴァージョンのなかで最も美しいかもしれない。

以前、アントニー・アンド・ザ・ジョンスンズのやる「天国の扉」があまりにも美しく、まるで聴いているこっちまで本当に天国の扉を叩いてしまいそう、すなわち死の香りがして危険ですらある美しさだと書いたけれど、ブッカー・T・ジョーンズのは、個人的にはそれよりさらに上をいく美しさだなあ。
どうですこれ?美しいなんてもんじゃないでしょう?冒頭から鳴っているオルガンはもちろんブッカー・T ・ジョーンズだ。それに控え目かつ効果的に絡むエレキ・ギターは誰だろう?続いてブッカー・T ・ジョーンズのノン・ヴィブラート唱法のヴォーカルが出てくる。
 
黒人歌手は多くの場合使うヴィブラートやメリスマが一切なく、ストレートな発声と歌い方で「天国の扉」を綴るブッカー・T ・ジョーンズのヴォーカルに聴き惚れる。そして歌いはじめる前から歌のあいだ、そして歌が終わっても、一曲のあいだずっとあの印象的なオルガンが鳴り続けているのも効果的に響いている。

個人的にはエイス盤『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』で最も素晴らしいと感じるのが、その14曲目のブッカー・T ・ジョーンズ「天国の扉」だ。これを聴いたら、ここまでの13曲はイントロ、ここからの六曲がアウトロのように思えてきちゃうもんね。それくらいいいじゃないか。

ブッカー・T ・ジョーンズの「天国の扉」を僕は知らなかったので、エイス盤ブックレットを見てみたら1978年のリリースとなっている。それを手掛りに調べてたら、『トライ・アンド・ラヴ・アゲイン』という A&M リリースのアルバムに収録されているみたい。しかしそれはCDでも配信でも入手不可能だ。

う〜ん、こりゃ困った。アナログ盤中古しかないのか・・・。ブッカー・T ・ジョーンズの『トライ・アンド・ラヴ・アゲイン』をどこか早くCDリイシューしてくれ。配信でもいいぞ。こんなにも美しい「天国の扉」を僕は聴いたことがないっていうのに、オリジナル・アルバムの入手が難しいとは・・・。

さてエイス盤『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』には僕の大好きなディラン・オリジナルが二曲ある。12曲目の「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」、19曲目の「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」だ。どっちも同じような曲だ。

歌詞内容も同じようなシンプルで明快なラヴ・ソングだし、そもそも曲名が似たようなもんじゃないか。しかもこの二曲はどっちもカントリー・バラードだ。どっちのディラン・オリジナルも僕は大の愛聴曲。エイス盤では「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」をビル・ブランドンが歌っている。

そして「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」を歌うのはエスター・フィリップス。「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」のビル・ブランドンは僕は知らないソウル・マンだった。ディランのこのカントリー・バラードも殆ど(全然?)黒人歌手はやっていないはず。

「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」を歌うエスター・フィリップスはもちろん超有名人。このディランの書いたチャーミングなカントリー・バラードを、エスターは1969年に他の数曲とともにレコーディングし、同年にシングル盤でリリースしている。しかしアルバムには未収録。

ビル・ブランドンの「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」も、エスター・フィリップスの「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」も、シンプルなラヴ・ソングらしいチャーミングな歌い方を両者ともしている。エスターの方は例のあの声で粘っこい感じにはなっているけれど。

ディランの曲では歌詞の意味の深いものや辛辣なものやトピカル・ソングも好きだけど、こういう二曲のようなカントリー・ソングで、しかも単純明快なラヴ・ソングも同じくらい好きなんだなあ、僕は。それにしてもエイスはビル・ブランドンもエスターもシングル盤しかないものを選ぶとはなあ。

レアなものをチョイスしてくれるよなあ。前述のブッカー・T・ジョーンズの「天国の扉」だって未CD化だし、なんだかこのエイス盤『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』じゃないと聴きにくいものが結構あって、しかもそれがことごとく全て魅力的なんだなあ。

さすがは英国でアメリカ黒人音楽のリイシューを専門に手掛けているだけはあるエイスだ。今日は特に大好きなもの四曲だけしか書いていないけれど、『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』にはファンク・チューンもあったりして、なかなか楽しいディラン・ソングブックだよ。

2016/11/16

「作曲」ってなんだろう?

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「作曲」という名で知られる行為の中身を正確に把握したり、どういう行為なのか厳密に定義したりすることは、案外かなり難しいよなあ。というか僕たち素人リスナーにはほぼ不可能だ。という意味のことを、例の佐村河内ゴースト・ライター騒動の時に彼をどんどん攻撃しているジャズ・ファンに面と向かって言ってみたことがある。そうしたらあんな汚いウソツキを擁護したと受け取られて、次の瞬間にブロックされてしまった。

そのジャズ・ファンの方をフォローしたのは、例の JTNC 系のものに関し中心人物の柳樂光隆君に批判的な発言を繰り返していたから。僕もあれに関しては完全に同意見で、僕の場合は柳樂君本人に対しはっきりそう言ってしまい(僕はだいたいいつもそうであるダメ人間です)、柳樂君には速攻でブロックされた。

僕がいろいろと柳樂君の名前を出したり出さなかったりして、彼の Twitter 上での発言を引用できるのは、彼は大人気者だから、僕がフォローしている人もどんどんリツイートするから見えるだけのことなんだよね。おかげで随分といろんな意味で楽しませてもらっている。

佐村河内騒動の一件で僕をブロックした方のツイートも読める場合があって、それは僕がフォローしているジャズ・ライター林建紀さん(自称はジャズ研究家。「評論家」は大それているとお考えらしい)がリツイートするからだ。林さんの専門はローランド・カークだけど、僕から見てもかなり古いと思う戦前ジャズもたくさんお聴きで発言なさるのでフォローしている。

まあこのリツイートという Twitter の機能。おかげでブロックされている人のツイートも読めるので助かるといえば助かるんだけど、一方で自分をブロックする人の発言なんか見たくないという方も大勢いるらしく、このリツイート機能を改善しろという声もあるんだそうだ。

僕の場合、以前も言ったけれど、普段(相手は)敵対関係にあると思っている人間の発言でも、マトモだったりポジティヴな意味で面白かったりすれば、大いに納得してうなずく人間だから、やっぱり僕をブロックしている方の発言も見えた方が嬉しいんだよね。

そういえばエル・スール界隈の有名人であるレコオヤジさん。僕はフォローしてただ読んでいるだけでただの一度も絡みがないのに、なぜだかある時ブロックされてしまっていまだにそのまま。でもエル・スールさんのアカウントはじめ同店関係者の方々がリツイートしてくれて、おかげで読めるのでありがたい。

そんなことはともかく、「作曲」という行為。これの正体を把握して定義するなんてことは、およそ不可能じゃないだろうか?コンポーザー、あるいは大衆音楽の世界ならソングライターと言うべきか、彼らはいったいなにをしているんだろう?という根源的な問いを僕に最近投げかけてくれたのが、あの佐村河内騒動だ。

あの佐村河内守と新垣隆の関係においては、新垣隆のあの暴露・告白記者会見以来、新垣=本物、善人で、佐村河内=偽物、悪人という図式がすっかり定着してしまい、これはおそらく今後も変わることはない。佐村河内が現在なにをやっているのか分らない一方で、新垣は表舞台でどんどん活躍できるようになっている。

しかしこの定着した図式は、本当にこのまま受け取ってもいいものなんだろうか?本当の真相(っておかしな言い方だが)は当人たちにしか分らないはずだし(当人たちにも分らない?)、クラシック音楽の世界だから僕は全く分らず、肝心の新垣が書いて(たんだろう?)佐村河内の名義で発表された作品も全く聴いたことがない。

洩れ聞く話では、しかし佐村河内もある程度の「指示」みたいなものは出したそうじゃないか。その全部が佐村河内本人の発言で、もはや彼の発言の信用度はゼロだから誰もマジで受け取っていないだろうが、譜面は書けないなりに、言葉や図形みたいなものは示したと発言している。

この「指示」に関する佐村河内の発言が本当だったとすれば、彼は「作曲した」とまで言えるのかどうかともかく、少なくともその一端に関わった、ちょっぴり作曲行為の片隅に加担したと言えるんじゃないかと僕は思うんだよね。今日最初に書いた、僕をブロックしたジャズ・ファンの方にも具体的にはそう言った。

曲を書くというのは、音楽的才能を持つ特定の個人がたった一人で部屋のなかでうんうん唸って散々頭を悩ませて、その結果独力でなんとかかんとかウンコみたいに捻り出す、そういう行為だと考えているファンが多いんじゃないかなあ。ひょっとしていまだに全員そうだろうか?

僕はそんな風には作曲行為を捉えていないんだよね。いやまあ僕は一曲たりとも自分で曲を創った経験なんかない人間だから、本当は今日のこの文章も、プロのソングライターの方からしたらお笑い種だと思うんだけど、でもなんとなく素人なりの考えを書いているだけ。

音楽に限らず文学でもなんでも、なにか作品を産み出すっていうのは特定個人の天才的産物で、個人の独創である、それが個性というもので、作家・作品のアイデンティティだとするような発想は、実は近代西洋の産物なんだよね。音楽の世界でいえば、いわゆるクラシック音楽がそういうものとして成立して以後だ。

歴史的・地理的に見ると、そういう発想の方が実は少ないんだよね。作品とは特定個人の独創で、そこに権利(したがって金銭)が発生するという考えじゃない時代・地域の方が一般的だ。そんな時代・地域においては、ほぼ全てが社会共同体の共有財産だから、個人が権利(と金銭)を主張したりはしない。

歴史的に振り返ると、どうも西洋史におけるルネサンスからじゃないかあ、そういうオリジナリティみたいな考えが全面的に支配するようになったのは。どんな分野でもそうだけど、特に音楽の世界ではバロック音楽成立直前あたりだ。ってことはやはり一致するじゃないか。

そんな西洋音楽が全世界を席巻してしまい、個人の独創を譜面化するのが作曲だということになって、クラシック音楽のシステムは西洋だけでなく世界的に普及して、20世紀以後は特に人気が出たアメリカ大衆音楽の成立にも非常に大きく関わったがために、そんな世界でもやはり作曲という行為は個人の独創の譜面化だと考えられるようになった。

譜面・譜面、書く・書くというけれども、実は書かない・譜面化しない音楽も多いぞ。譜面の書き読み能力がなかったり、そもそも目が見えなかったりする音楽家はかなりたくさんいるじゃないか。聴力を失って以後も目は見えたので、頭のなかで音を鳴らして作曲したベートーヴェンみたいな存在は、例えばアメリカのカントリー・ブルーズの世界ではありえない。

アメリカ黒人ブルーズの世界では、そもそも誰のオリジナル曲なのか?作者は誰か?が全く分らないまま歌い継がれてきている曲も多いのはご存知のはず。伝承もの、パブリック・ドメインってやつ。どれがそうだと指摘するなんて不可能でバカバカしい。全部そうだもん。

まあでも一例あげておくと、戦後のシカゴでマディ・ウォーターズがやって有名にし、UKロック・バンドもそこからバンド名をもらったので、おそらく最も有名なブルーズ・ソングであるはずの「ローリン・ストーン」。これもマディが「作曲」したものなんかじゃないもんね。

マディはミシシッピ・デルタ出身で、デルタ時代に、かなり前からミシシッピに伝わっている作者不明の古い伝承ブルーズ・ソングを聴き憶え採り上げて、録音は残っていないが間違いなくデルタ時代にレパートリーにして弾き語っていた。それを戦後のシカゴで、今度はエレキ・ギターでやってみただけの話。

実際マディがやって有名にした「ローリン・ストーン」は、その1950年録音よりもっとずっと前からデルタ・ブルーズ・メンが録音しているもんね。多くは「キャットフィッシュ・ブルーズ」の名前でね。一番有名なのは1941年のロバート・ペットウェイ・ヴァージョンかなあ。1941年というのもこの曲の演奏時期としてはかなり新しい。

こんなのはほんの一例で、ブルーズの世界ではこっちが常識。誰が書いたオリジナル楽曲か?作曲家は誰か?なんていう概念がない。これは西洋音楽とその影響下で19世紀後半に誕生した職業ソングライターの世界、いわゆるティン・パン・アリーのシステムとは関わりなく存在した世界だからだ。

そして世界中の、そして人類史上のいろんな音楽を見渡す、というか聴くことは不可能な場合も多いので、現在残されていて聴けるものから推測するだけなんだけど、そんな個人の独創が譜面化するのが作曲行為、オリジナリティ第一主義という考え方の方が少ない。

西洋近代音楽やその影響下でシステム化した大衆音楽の場合は、作曲=個人の独創という把握の仕方は間違っていないのかもしれない(がその西洋近代音楽だって、ルネサンス以前の中世やそれ以前の音楽からの由来を考えたら・・・)。でもそんな発想をそういうシステムでは成り立っていない世界に押し付けないでほしいのだ。

僕の最もよく知るアメリカのジャズ音楽の世界だと、最も偉大な作曲家に間違いないデューク・エリントンがいるが、エリントンの場合も1939年にビリー・ストレイホーンを専属作曲家(兼ピアニスト)として雇って以後は、この「真の作者は誰か?」が分らない場合がある。

今までも何度か指摘しているが、エリントン楽団におけるビリー・ストレイホーは「影武者」だった場合が多かったようで、ここ20年近くの研究ではコンポーザー欄にエリントンの名前しか書かれていない作品でも、実はストレイホーンの独創だったケースがかなりあるらしい。

これは新しいオリジナル楽曲の場合についてだけの話であって、ストレイホーン加入前にエリントンが書いた曲をストレイホーンがアレンジし直して、それを譜面化し楽団が演奏してレコードになったというものは、数え切れないほどある。研究書にもそう書いてあるし、そうでなくても僕の耳判断だけでもそう思えるものがある。

ってことはだ、新垣隆が書いて、彼の名前を伏せたまま佐村河内守の名前でこの世に発表されたものと、このストレイホーン/エリントンの関係はどこが違うんだ?本質的な違いは全くないじゃないか。エリントンを偽物、ウソツキ呼ばわりする専門家やファンはこの世に一人もいないなあ。

全面的に新垣の名前を隠した佐村河内と違って、エリントンはストレイホーンの名前をクレジットすることが時々あったから、それが免罪符になる?いんや、全然ならないね。なにも違いはないはずだ。マイルス・デイヴィスもこんなことは多いよなあ。ビル・エヴァンスとの一件しかり。

例えばアルバム『カインド・オヴ・ブルー』B面ラストの「フラメンコ・スケッチズ」は、前年のビル・エヴァンス「ピース・ピース」そのままなのに、エヴァンスの名前はクレジットされていないし、またA面ラストの「ブルー・イン・グリーン」の場合はもっと入り組んでいる。

「ブルー・イン・グリーン」では、事前にマイルスがビル・エヴァンスに二つのコードを示し「この二つでなにができるか考えろ」と指示して、その結果エヴァンスが「ブルー・イン・グリーン」という曲に仕立て上げた。にもかかわらずやはりエヴァンスの名前はクレジットされていない。

こりゃあれだ、佐村河内が言葉や図形で新垣に指示を出し(がどこまで本当かは分らないのだが)、それをもとに結果新垣が具体的な曲として譜面化して佐村河内に提供したっていうのと全く同じなんじゃないかなあ。「ブルー・イン・グリーン」を含む『カインド・オヴ・ブルー』についても、マイルスを盗人呼ばわりする人は皆無だけどさ。

別に僕は西洋音楽ではないものの具体例をあげて西洋近代音楽の発想が間違っていると言っているわけではない。佐村河内/新垣の作品もクラシック音楽らしいから、やはり佐村河内は完全なる偽物、ウソツキなのかもしれない。そんなクラシック音楽の世界でだって20世紀以後のいわゆる現代音楽の分野では、作曲家の概念はしばしば揺らいでいるじゃないか。

それにねえ、音楽の世界でもどんどんデジタル化が進んでいるので、もはや紙の譜面にすることは少なくなっているようだ。最初からデジタル・データの形で着案し、デジタルで展開させて、場合によってはアナログ演奏なしでコンピューターで音創りして、完成したものも一度もアナログ化せずデジタルなまま出荷する。しかもそれら全ての段階で複数による共同作業。たった一人でなんでも全部やるという方が稀だろう。

ただ唯一、つい数日前だったか日本で行われたなんちゃらかんちゃらでギターを弾かなかったとクレームされているジミー・ペイジ。今のペイジはギター業の方はもはや引退同然状態で、自らが関わった過去音源の発掘・リイシューなどプロデュース業に専念しているようなもんなんだから、そんな人物にギター弾かないじゃないかとクレームする方がオカシイと僕は思う。チケット買うのがそもそもの間違いだ。

そんなジミー・ペイジのレッド・ツェッペリン。あれだけはイカン。個人的には佐村河内より許せないんだ。今からでもちゃんとクレジットしてリリースし直してほしい。念の為書き添える必要はないと思うけれど、いちおう書くと僕は大のツェッペリン好きだからね。

2016/11/15

「噂のグループ」スタッフの来日公演盤

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フュージョンなんか・・・と言ってバカにするジャズ・ファンはいまだに結構多いみたい。特に僕と同じかその上の世代にはいるなあ。僕はフュージョン世代ど真ん中(実はちょっぴり後追い)なもんだから、10代後半〜20代前半あたり、すなわち1970年代末〜80年代初期のフュージョンに強い思い入れがある。

その点もっと世代が下の音楽ファンであれば、フュージョン・ブームが終焉したあとに聴きはじめたはずだから、同時代的な共感も反発もあまりなく、ニュートラルにこの音楽に接して、フェアな音楽的評価を下してくれているんじゃないかなあ。例えば柳樂光隆君とかの30代後半以下ならば。

柳樂君の名前を出したのには理由があって、彼はしばしば「フュージョンがダサいというのはもう時代遅れの発想だよね」と、はっきりフュージョンの名前を出して発言しているからだ。一連のあの JTNC 系のものなどについてはちょっとどうかと思う僕だけど、フュージョン関連のこういうのはいいぞ。

もっとどんどん言ってくれ。柳樂君やその他の方々みたいに強い影響力を持つようになっているライターさんたちが「フュージョンはいいんだ、もっと聴こうよ」と繰返し発言してくれたら僕は嬉しい。そんでもってその結果フュージョンの、その肝心の音楽的中身について正当な批評が出てきてほしいのだ。

フュージョンの最盛期はやはり1970年代半ば〜末頃、あるいは80年代前半までだったと思うのだが、あの時代に最も人気があったフュージョン・バンドがご存知スタッフ。僕も当時から現在に至るまで大好きで、心身ともに疲れていてヘヴィーな音楽は敬遠したいという気分の時は今でもよく聴くんだなあ。

スタッフのアルバムは全てCDリイシューされている。このバンドのリーダー名義のものは全部で七枚しかない。といってもそのうち一枚はリチャード・ティーが1993年に亡くなったあと追悼の意味で94年に出た『メイド・イン・アメリカ:ア・リメンブランス・オヴ・リチャード・ティー』だ。

さらにレコーディングされたのは現役活動中の1976年だけど、リリースは日本で2007年、世界で2008年になった『ライヴ・アット・モントルー 1976』(CD版とDVD版)があるので、結局リアルタイム・リリースされたスタッフのアルバムは全部で結局五枚だけしかないんだなあ。

あんなに人気があったのに当時は五枚だけだったってのはちょぴり意外だな。そのうち二枚がライヴ・アルバムだから、オリジナル・スタジオ・アルバムなんか三枚ぽっちだ。もっとあるような気が当時はしていた。だがそれは人気があったがゆえの勘違いか、歌手のサポートをしたものも多かったせいか。

スタッフのアルバムたった五枚のうち、僕が一番好きなのが1978年11月20日、東京郵便貯金会館でのライヴ収録盤『ライヴ・スタッフ』。やっぱり僕はライヴ盤好き人間。スタッフ現役当時はもう一枚1980年の『ライヴ・イン・ニュー・ヨーク』があるが、こっちははっきり言ってイマイチだ。

『ライヴ・イン・ニュー・ヨーク』は、スタッフの連中の本拠地だったミケルズでのライヴ収録なんだけど、フェイド・アウトするトラックが多く、満足感があまりない。本拠地でのライヴ演奏だということもあるし、スタッフの六人が全員揃っているライヴ盤もこれ一枚だけなんだけどね。

そう、『ライヴ・スタッフ』(や活動停止後にリリースされた『ライヴ・アット・モントルー 1976』)では、ツイン・ドラムスの一人クリス・パーカーが参加していない。理由は僕は知らない。だけどできあがったこれら二枚のライヴ盤を聴けば、中身は『ライヴ・イン・ニュー・ヨーク』より上じゃないかなあ。

活動停止後の2007年リリースの『ライヴ・アット・モントルー 1976』は「伝説の」とか「噂の」とか言われていたらしい(がリアルタイムでの僕の実感はゼロ)パフォーマンスで、ライヴを収録した1976年7月2日は、スタジオ収録のファースト・アルバム『スタッフ』リリースよりも早かった。

ってことは、あの日のモントルーの聴衆は、スタッフというバンドの存在は知っていたんだろうが(だって活動はしていたから)、恒常的に活動する独立的専業バンドという認識はまだなかったはずだ。それであの素晴らしいパフォーマンスを繰拡げたので、伝説や噂になったんだろうなあ。

そんな伝説は日本にも入ってきていたようだ。というのはファースト・アルバム『スタッフ』日本盤レコードの小倉エージさんによるライナーノーツには、「噂のグループ、スタッフのアルバムが発売されることになった」と書いてあった(のがそのままリイシューCDにも載っている)。

そんでもって小倉エージさんはそのライナーノーツ(がそのままコピーされたもの)のなかで、その1976年モントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴを収録した映像が日本でも放送されたんだと書いていた。スタッフというこんな凄いバンドの凄いパフォーマンスがあるんだと、その時日本の音楽ファンも知ったんだろうね。

そんな伝説のライヴであるCDとDVDの『ライヴ・アット・モントルー 1976』のリリースが2007年になったというのは、どういうわけだったんだろう?あんな素晴らしいパフォーマンスが、しかも記録され日本のテレビでも流れたというのにオカシイね。まあスタッフに限らずそんなのがいっぱいあるけどさ。

2007年になって初めて聴いた『ライヴ・アット・モントルー 1976』には、だから僕は思い入れは薄い。スタッフはやっぱり少し遅れつつリアルタイムで聴いていた記憶があるからさ。そんでもってリアルタイム・リリースのライヴ盤二枚のうち、『ライヴ・イン・ニュー・ヨーク』はイマイチだと上で書いた。

そんなわけでライヴ盤好きの僕が、しかもライヴでこそ本領を発揮したであろうスタッフのそんなアルバムでは、唯一1978年の日本公演盤『ライヴ・スタッフ』のみが愛聴盤だったのだ。今は『ライヴ・アット・モントルー 1976』もあるし、音楽的充実度は後者の方が上だろうとは思うんだけどね。

1978年日本公演盤の『ライヴ・スタッフ』。一曲目が「フッツ」。スタジオ一作目『スタッフ』のオープニング・ナンバーだから、みんな知っているお馴染の一曲。コーネル・デュプリーの乾いたギター・サウンド(テレキャスター?)とエリック・ゲイルのフルアコ・ギターの湿ったサウンドの絡みがいい。

「フッツ」ではリチャード・ティーはアクースティック・ピアノを弾いている。ドラマーがスティーヴ・ガッド一人なわけだけど、クリス・パーカーなしで全然不足なく充分グルーヴィーだ。こういう音楽で叩かせた時のガッドは本当にいいドラマー。ブルーズとかロックとかではどうにもちょっとねえ。

だからある時期以後のエリック・クラプトンのアルバムやライヴ・ツアーでスティーヴ・ガッドが起用されているのは、僕には全く理解できない。全くグルーヴしていないじゃないか。これはガッドがダメなドラマーなわけじゃない。フィットしない音楽に起用するボスが分ってないだけなんだ。

クラプトンの話はさておいて、『ライヴ・スタッフ』2トラック目はジュニア・ウォーカーの曲三つのメドレー。ジュニア・ウォーカーは「ショットガン」の大ヒットでみなさんご存知の、モータウンで活躍したリズム&ブルーズ〜ソウル〜ファンク・ミュージックのサックス奏者兼ヴォーカリト。

そんなジュニア・ウォーカーの三曲メドレーではベースのゴードン・エドワーズがヴォーカルを担当。味があると言えなくもないが、はっきり言ってヘタクソだ(笑)。聴きものはヴォーカルではなく、スティーヴ・ガッドのドラムス・ソロだね。彼の定番みたいなソロ廻しで、当時よくコピーされていた。

それにしてもサックス奏者の曲をカヴァーしているわけだけど、スタッフにはなぜだかサックス奏者がいないよなあ。あんなテイストの音楽、つまりジャズ系というより、むしろもっと黒いもの、リズム&ブルーズとかソウルとかファンク由来のインストルメンタル・バンドでサックスなしは少ないんじゃないかなあ。

スタッフにサックス奏者も専業歌手もいなかったのは、おそらくこのバンドはこのバンドだけの演奏を聴かせるというよりも、他の音楽家のサポート・バンドだというのが本質だったからかもしれないなあ。そんなアルバムの方がスタッフの連中の演奏も活きるし、フロントで歌う(演奏する)人も活きた。

『ライヴ・スタッフ』3トラック目は「ニード・サムバディ」。セカンド・アルバム『モア・スタッフ』収録曲で、ここで歌うのはやはりヘタクソなリチャード・ティー。ヴォーカルを聴くものじゃなくて、歌いながらティーが弾くフェンダー・ローズの柔らかい響きと、エリック・ゲイルのギターがいい。

『ライヴ・スタッフ』4トラック目は、スタッフのライヴでは定番であるスティーヴィー・ワンダー・ナンバー。ここでやっているのは「サインド、シールド、デリヴァード、アイム・ユアーズ」。スティーヴィーのオリジナルよりもグッとテンポ・アップして、疾走するようなフィーリングでの演奏だね。

「サインド、シールド、デリヴァード、アイム・ユアーズ」では、リチャード・ティーは再びアクースティック・ピアノをグルーヴィーに弾き、コーネル・デュプリーとエリック・ゲイル二人のギター・サウンドの絡みも最高だ。最初はゲイルがカッティング、デュプリーがシングル・トーンでメロディを弾く。

途中からは右チャンネルのエリック・ゲイルも単音ソロを弾く。その後リチャード・ティーのピアノ・ソロ、スティーヴ・ガッドのドラムス・ソロを挟んで、メドレー形式で「スタッフのテーマ」になだれ込む。その部分ではエリック・ゲイルがソロを弾くまくり、ティーとガッドの有名な掛合いになる。

『ライヴ・スタッフ』五曲目の「ラヴ・オヴ・マイン」(がメイン・アクトのラスト・ナンバーだったようだ)は割愛して、おそらくアンコールだったんだろうアルバム・ラストの「ディキシー」。ファースト・アルバム『スタッフ』でもラストを締めくくっていたトラディショナル・ゴスペル・バラード。美しいよなあ。

アルバム・ラストの「ディキシー」では、リチャード・ティーにしか出せなかったあのフェンダー・ローズの柔和なサウンドに乗せて、エリック・ゲイル(が先に出る)とコーネル・デュプリーが泣きのギター・ソロを聴かせてくれる。スタジオ・オリジナル・ヴァージョンとほぼ全く同様の展開だ。

違うのは『スタッフ』ラストの「ディキシー」は、キャロル・キング・ナンバー「アップ・オン・ザ・ルーフ」とのメドレーとクレジットされていたのに対し、『ライヴ・スタッフ』では「ディキシー」しか書かれていなこと。それでもやっぱり後者も「アップ・オン・ザ・ルーフ」とのメドレーになっている。

どうしてクレジットしなかったんだろうなあ。それにしても「ディキシー(〜アップ・オン・ザ・ルーフ)」などを聴いていると、エリック・ゲイルといいコーネル・デュプリーといい本当に上手いギタリストだなと実感する。決して音数は多くなく、高速フレーズを華麗に弾きまくったりはしない人たちだけど。ギターが上手いっていうのはこういう人たちのことであって、上で名前を出した英国人なんか・・・。

さて『ライヴ・スタッフ』には、書いてきたような具合でモータウンの音楽家のカヴァーや、(同じモータウンの)スティーヴィー・ワンダーのカヴァーや、伝承ゴスペルや、リズム&ブルーズ・グループのために書いたキャロル・キングのカヴァーがあったりして、オリジナル曲も黒いフィーリングがあるよね。

そう見るとスタッフというバンドの音楽的な本質が見えてくるんじゃないだろうか。現役当時のスタッフは、主にジャズ・ジャーナリズムがとりあげることが多かったけれど、このバンドの本質はジャズ系フュージョンというより、リズム&ブルーズ〜ソウル系インストルメンタル音楽の人たちだったんだよね。

2016/11/14

とみー(1031jp)さんのソロ・アルバムは柔らかくて暖かい

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Twitterでフォローしている日本の音楽家にとみー(@1031jp)さんという方がいる。the HANGOVERS(ザ・ハングオーヴァーズ)という3ピース・バンドのギター兼ヴォーカルだ。ウィキペディアによればインディーズ・ロック・バンドとなっている。
Twitterでとみーさんといつ頃どうして知り合ったのかはもう忘れちゃった。まあ音楽関係のツイートに面白いものがあるっていうので僕がフォローしはじめたことは間違いないだろう。あと幼少時代のポートレイトを使ったアイコン(上掲右)も僕好み。でもアイコンは何度か変わっている。

やり取りするうちに the HANGOVERS というバンドをやっていることも知り、ちょっと買って聴いてみたら、これはまあ上記ウィキペディアの記述通りだと言える音楽性。決して嫌いじゃないけれど、かといって大好物というほどでもない僕だったのだ。

その the HANGOVERS のギター兼ヴォーカルのとみーさんが今年五月末頃だったかな、初ソロ・アルバムをリリースした。1031jp 名義でアルバム名も『1031jp』。収録は五曲だけで、計たったの18分ほどというミニ・アルバムだけど、これがなかなか悪くないんだよね。

衝撃のソロ・デビュー作だとか、時代を揺るがす傑作だなどとは言い難いというか、まあそんなものではない『1031jp』だけど、ほんわか暖かく柔らかい感触の音楽で、なかなかの佳作だと言えるのは間違いない。これはとみーさんが僕と仲良くしてくださっているから言うんじゃないんだ。

僕はそんな「仲間だから/敵だから」みたいな発想はほぼ持っていない人間。ただ単に言動内容そのものや、作品の中身そのものでしか評価しない。普段どんなに仲が良くてもオカシイなと思えばはっきり言うし、普段どんなに敵対しててもマトモな内容だなと思えばそう評価する。だいたいみなさんそうじゃないかな。

だから今日のこの文章はとみーさんのソロ・ミニ・アルバム『1031jp』がなかなかいいなと思うので書いているだけだ。おそらくご本人もお読みになるだろうと思うので書きにくい部分もあるんだけど、言いたいことははっきり言うつもり。

さて『1031jp』は全五曲があまりロックっぽい音楽ではない。the HANGOVERS を知っているとこれは最初に聴いた時にちょっと意外だったのだが、恒常的に活動するレギュラー・バンドとは区別したいという意向があったはずだ。感じるのはロックではなく、ボサ・ノーヴァだ。

いかに「ロックしないか」がテーマにもなっているんじゃないかなあ。縦ノリの8ビートを避け、横ノリのグルーヴ感を出そうと腐心してできあがった結果だというのは聴いているとよく分る。五曲全てそうだけど、特に典型的に出ているのが一曲目「ハニービー」と二曲目「六月のレイトショー」。

いやまあ他の曲もちょっぴりブラジリアン・テイストというかボサ・ノーヴァ風なノリが軽く表現されているが、最もそれが鮮明なのが上記二曲。しかもサウンドはエレピ(フェンダー・ローズに似た音色だけど、そうではない)以外ほぼアクースティックな響きで、それもいい感じだなあ。

だいたいとみーさんは the HANGOVERS ではエレキ・ギターを弾くことが多いんだけど、『1031jp』ではエレキは効果音的に軽く入っている曲がちょっとあるだけで、ほぼ全編アクースティック・ギター。これはロックっぽくなくしたい、ボサ・ノーヴァ風なフィーリングを出したいという目論見ゆえだろう。

もっともそうは言っても収録五曲全てで聴こえるドラムスはコンピューターを使った打込み。『1031jp』はとみーさんたった一人でコツコツ録音を繰返して創ったもののようだから、まあ仕方がないんじゃないかな。ヴォーカルとギターとベースとエレピ以外の楽器音も全てコンピューター・サウンドかもしれない。

しかし重要なことは、そんな一部を除きデジタル・サウンドで構成されているにもかかわらず、『1031jp』の音楽には人肌の温もりが感じられることだ。かつてのある時期のいかにもペラペラでチープで無機的なコンピューター・サウンドにはなっていない。

そのあたりはちょっと一時期のプリンスにも通じるものがある。なんて書くとこれをお読みになったとみーさんは勘弁してくれ、褒めすぎだと言うだろうなあ。僕も褒めすぎだろうと思うし、それに最近はコンピューターを使って人間的な温もりのあるサウンドを創る音楽家はたくさんいる。

だからこれはとみーさんや『1031jp』だけの特長じゃないだろう。でもなあ、あのとみーさんのヴォーカルの柔らかさや暖かさはやっぱり特筆すべきものだよ。それは the HANGOVERS でも同じなんだけど、『1031jp』ではロックをやらないという意図があったと思うから、より一層それが強く出ている。

ボサ・ノーヴァを強く感じる最初の二曲に続く三曲目の「彗星」はリズムに軽いファンキーさがあるのがいい。ハンド・クラップ音も効果的に入っているけれど、これは自分で叩いているのか MIDI 音源の素材を使っているのか、両者を混ぜているのか、ちょっと分らない。

そういえばハンド・クラップは三曲目だけでなくほぼ全曲で効果的に使われている。ドラムスが打込みサウンドなだけに、そこに人肌の温もりを加えるのに大きな効果をもたらしているよね。だからリズムの感触が無機的なものにはなっていない。

ハンド・クラップが特に大きな効果を出しているのが四曲目「シネマの朝食」と五曲目「エイチビー」。この二曲におけるハンド・クラップ音は、人力演奏では難しそうなかなり細かいフレイジングだから、少なくともこの二曲でのそれはコンピューター作成のものだろう。

また『1031jp』では全五曲そうだけど、街の雑音というか雑踏、環境音みたいなのが入っているのも僕好み。これもやはりコンピューター中心のサウンドに人間らしいザワザワしたものを出そうとしての試みなんだろう。成功している。少なくとも僕はかなり気に入っている。

サウンド・エフェクトといえば、四曲目「シネマの朝食」ではちょっとアナログ・レコードを再生する針音というかスクラッチ・ノイズみたいなのが聴こえるけれど、僕の聴き違いかなあ?それが鳴っているなと思って聴いていると、指をパチンと鳴らす音をきっかけにそれは止み、打込みドラムスとハンド・クラップが入ってきたりする。

なお『1031jp』では全五曲、とみーさんの柔らかい声がちょっと多重録音で重ねられている部分があるようだ。基本的には独唱だけど、ちょっぴり二重唱っぽくなったりコーラスになったりする瞬間があるので間違いない。このソロ・ミニ・アルバムで僕が最も気に入っているのが、そんなとみーさんの声なのだ。

アルバムの五曲でほぼ全てやや高いピッチの、ちょっと中性的なヴォーカルだけど(とみーさんは男性)、三曲目の「彗星」でだけは低めの男性的な声で歌いはじめ、それが一曲続くなあと思って聴いていると、途中からは多重録音のコーラスが入ってやっぱりちょっとだけ中性的になる。

クラシック音楽の声楽家はあの発声法が僕はどうしても好きになれないんだけど、ポピュラー音楽のヴォーカリストの魅力の八割以上は、その元から持っている喉、声にあると僕は考えている人間。訓練した技巧は上達しても、声だけはどうしたって変えられない宿命なのだ。

楽器奏者の場合は、練習しまくってどんどん上手くなる(一方でマンネリになったりもする)わけで、生得的な魅力っていうものはかなり小さいんじゃないかなあ。あ、いや、管楽器奏者の場合は口や唇の形や歯並びが影響するなあ。でもそれも矯正できる部分がある。

がしかし歌手だけはそうはいかない。持って生まれた声が勝負。だからいい声を持って生まれた歌手は、それだけであらかじめ魅力を付与されているようなもの。とみーさんにはその魅力があるように僕は思うんだなあ。楽器技巧のことや音創りのちゃんとしたことは、素人の僕には分らないけれど、声の魅力はみんな分るよね。

『1031jp』では、ひょっとしたら中性的でソフトで暖かいとみーさんのヴォーカルの魅力を最大限に浮かび上がらせるために、伴奏をあまりハードじゃないサウンドに、ロック風ではないもものに工夫してあるのかもしれないなあ。ご本人がどこまで自覚しているのか分らないけれど、僕にはそう思える。

なお、とみーさんのソロ・ミニ・アルバム『1031jp』、僕はご本人がTwitterで個人的に直販なさっていたので、それで直接メールして買った(送料込2000円)けれど、路面店でも売っているようだし、アマゾンなど通販サイトでも売っているので、今日の僕の文章を読んで興味を持った方は是非一枚。
まあ『1031jp』、全部通し20分もないのであっと言う間に終ってしまって、だから二度・三度とリピートしたくなる。もっと長い50分とか60分とかのフル・アルバムが聴きたいんだよなあ。ミニ・アルバムを一枚創るだけでも相当大変だったようだから(もろもろ赤字なんだそうだ)、気長に待ってますからお願いしますよ、とみーさん。

2016/11/13

いっぱいキスして

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という意味の「ベサメ・ムーチョ」というラテン・ナンバーは、普通のジャズしか聴かないリスナーや普通のロックしか聴かないリスナーだって全員知っているはずだ。ジャズ・ファンならアート・ペッパーのヴァージョンで、ロック・ファンならビートルズのヴァージョンで。でも後者はあんまり有名じゃないかも。

ビートルズの「ベサメ・ムーチョ」は1995年リリースの『アンソロジー 1』にしか収録されていないからだ。だから当然初期のもので、1962年6月6日録音。ってことはまだレコード・デビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥー」のリリース(62年10月)はおろか、録音(同年9月)よりも前ってことだ。

その時期のビートルズはラテン・ナンバーだけでなく(といっても「ベサメ・ムーチョ」もコースターズのを下敷にしているが)、いろんなスタンダード曲をレパートリーにしていた。当時のライヴではそういうものをよくやったようだ。『アンソロジー 1』にはそんなようなものの残滓が少しあるよね。

解散間際のビートルズがそんな初期の姿に戻ろう(ゲット・バックしよう)としてやったのが1969年の例のゲット・バック・セッションだったのは有名な話。公式盤では96年リリースの『アンソロジー 3』でちょっとだけそんな姿を垣間見ることができる。ブートでならたくさん聴けるんだろうなあ。

ビートルズはここまで。「ベサメ・ムーチョ」はメキシコ人女性コンスエーロ・ベラスケスが1940年に書いたもの。ラテン歌手によるものでは、僕はプエルト・リコ系アメリカ人女性歌手ビルヒニア・ロペスのヴァージョンと、キューバ人女性歌手フレディのヴァージョンしか持っていない。前者はなかなかチャーミング。後者はなんだか強引に迫られているような気分になる(笑)。

ラテン楽曲としての「ベサメ・ムーチョ」の話も今日はおいておく。特別ラテン音楽に強い関心のない一般のジャズ・ファンでもみんなこの曲を知っているというのは、間違いなくジャズ・アルト・サックス奏者アート・ペッパーのおかげだ。ペッパー最大の得意レパートリーの一つで、死ぬまでやったからだ。

僕がジャズに強い関心を持つようになったのが1979年なわけだから、リアルタイムな経験では当然それ以後のアート・ペッパーしか知らない。彼は75年の(二回目の)復活以後も「ベサメ・ムーチョ」をよくやっていた。82年に死んでしまうペッパーだが、それでも松山にだって二回ライヴ公演で来たもんなあ。

僕が二回とも行ったそのアート・ペッパー松山公演でも、二回とも「ベサメ・ムーチョ」をやった(はず)。とにかくペッパーがこれを演奏しないライヴはなかったんじゃないかというほどなんだよね。死後いくつもリリースされた75年復帰後の晩年のライヴ収録盤にもほぼ全部入っている(はず)。

晩年におけるスタジオ録音もある。1978年のインタープレイ盤『アマング・フレンズ』のB面に収録されていた。アート・ペッパーがやる「ベサメ・ムーチョ」を、一回性のライヴではなく繰返し聴けるレコード・アルバムで聴いた最初がこれだった。タイトル通り旧友との再会セッション盤。

「ベサメ・ムーチョ」のスタジオ再演がある『アマング・フレンズ』でピアノを弾いているのがラス・フリーマン。そんでもってアート・ペッパーがラテン・ナンバー「ベサメ・ムーチョ」を生涯初レコーディングした1956年11月25日録音のタンパ・レーベル盤でのピアノがラス・フリーマンなんだよね。

そのタンパ盤のタイトルが『ジ・アート・ペッパー・カルテット』。1956年録音だけど、ペッパーはまだまだかなりいい時期だ。以前書いたように(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-82b4.html)、この人は1950年代初期のディスカヴァリー録音集が一番いいと思うんだけど、50年代いっぱいは悪くないんだ。

1950年代初頭のディスカヴァリー録音集の次に僕が愛するアート・ペッパーがそのタンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』なんだよね。でもこれ、アナログ・レコードは一度も買ったことがない。僕がペッパーを好きになった頃には著しく入手困難で、指をくわえて我慢するしかなかった。

だからジャズ喫茶でかけてもらってそのタンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』は聴いていた。これより前のディスカヴァリー盤は普通に買えたのにヘンだなあ。ディスカバリーもそうではあるけれど、おそらくタンパというもっと超マイナーなインディー・レーベルのせいだったのかもしれない。

タンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』は、プレスティッジ録音盤などをリイシューしている例の OJC(Original Jazz Classics)が1994年になってCDリイシューしてくれて、僕はこの時初めてこの<幻の名盤>を我が手に入れたのだった。そりゃもう嬉しかったなあ。

タンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』で初演された「ベサメ・ムーチョ」を OJC のリイシューCDでじっくり聴くと、1975年復帰後のスタジオ録音ヴァージョンや数多い晩年のライヴ・ヴァージョンとは比較すらできないキラメキがあるんだなあ。他の収録曲も全部そうなんだけどね。

タンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』における「ベサメ・ムーチョ」はこれ→ https://www.youtube.com/watch?v=v8xW2uG5KpI   これに対し前述1978年インタープレイ盤『アマング・フレンズ』の同曲はこれ→ https://www.youtube.com/watch?v=5f6ORlV3NjQ  後者も悪くはないけれど。

というか僕にとって長年スタジオ録音ヴァージョンのアート・ペッパー「ベサメ・ムーチョ」は後者しかなかったので、充分満足していたのだった。ベースの音が例のピック・アップ本体直付のこの時代のアレなので、それだけはいただけない。でもその後の数々のライヴ・ヴァージョンは今ではちょっと聴きにくいように思うなあ。

ガッカリしてもらいたくないので、探したら YouTube にいくつか上がっていたそういうものは貼らないでおこう。一言で言えば演奏時間が長すぎる。どれもだいたい15分超え、なかには21分とか22分間とかやっていて、アート・ペッパーがモーダルなソロをコルトレーンばりに延々と吹いている。

しかもそのアルト・サックス・ソロの途中で、コルトレーンの『至上の愛』のパート 1「承認」で聴ける例の呪文みたいなリフが出てくる。アート・ペッパーは麻薬療養施設に入っていて引退状態だった時期にいろんなレコードを聴いて勉強していた(と本人が語っている)ので、その成果の一つなんだなあ。

アート・ペッパー自身は、かつての自分は感覚だけ、インスピレイションだけで吹いていた、それを反省して勉強し直していろんなことが分るようになり表現の幅が広がったのだと、インタヴューでも語っていたし自伝『ストレート・ライフ』(の僕の持つのにはペッパーのサイン入り)にもそう書いてある。

だが音楽家にもいろんなタイプがあって、楽理や演奏法について詳しく教育を受けて、その学習の成果がないと演奏が充実しないタイプと、そんなことは理屈では考えず(分っていないということではない)、いわば生得的直感みたいなもので閃きのあるプレイができるタイプがいるんだと僕は思うんだなあ。

アート・ペッパーはどっちかと言うと後者タイプの典型だ。日本のプロ野球選手で言えば清原和博みたいなタイプ。野球をご存知の方には説明不要だけど、清原も全然理知的な理論派なんかじゃない。その正反対で、体をどう動かすかなんていう理屈抜きで(繰返すが「分っていない」ということは絶対にありえない)、自然に体が反応して打ててしまうという天才肌。

もちろんなんの理知的自覚もなくそうできるようになるまでには、清原も繰返し練習したに違いないわけだけどね。アート・ペッパーもこのタイプの典型的天才なんだなあ。奇しくも両者とも違法薬物に手を出して人生が破滅した(ペッパーは復帰したが)。天才の一瞬の直感的閃き、それがペッパーの魅力じゃないかなあ。

それは上で音源を貼った1956年録音のタンパ録音ヴァージョン「ベサメ・ムーチョ」を聴いていただければ分っていただけると思う。タンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』は「ベサメ・ムーチョ」が異様に名高いが、僕はもっといい演奏があると思う。二曲目の「アイ・サレンダー・ディア」だ。
この曲は古くからのジャズ・メンがやるスタンダード・ナンバー。初演はビング・クロスビーらしいんだが、僕はそれは聴いていない。僕の持っている最も古い録音はルイ・アームストロングの1931年オーケー録音。これがかなりいい演唱ぶりで僕は大のお気に入り。

いかにも1930年代末頃までの古典ジャズ界にしか存在せず、その後のモダン・ジャズ時代には完全に消え失せた、あの独特の情緒が感じられるメロディで大好きだなあ。サッチモのその1931年ヴァージョンをちょっと貼っておくので、是非耳を傾けてみてほしい。
その後テディ・ウィルスンやベニー・グッドマンや、フランス人ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトやいろんな人がやっている「アイ・サレンダー・ディア」。モダン・ジャズ界ではセロニアス・モンクがピアノ独奏でやっている(『ブリリアント・コーナーズ』)。アリーサ・フランクリンもコロンビア時代に歌っているなあ。

僕が一番好きな「アイ・サレンダー・ディア」はやっぱりあの前掲1931年のサッチモ・ヴァージョンだけど、モダン・ジャズ・ヴァージョンでは、音源上掲リンクのアート・ペッパー・タンパ録音ヴァージョンが一番好きだ。ペッパーは「ベサメ・ムーチョ」もそうだけど、「アイ・サレンダー・ディア」みたいなああいう湿った哀感を持つ情緒のある曲が得意だったね。

アート・ペッパーのタンパ盤はもう一枚、ピアニストのマーティ・ペイチ名義のものがあって(上掲写真右)、録音もほぼ同時期で編成も同じワン・ホーン・カルテット。中身も似たような雰囲気でなかなかいいよ。

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