2018/08/17

マイルズ・クインテットでがんばろう

『ワーキン』は大学生のころかなり好きだった。その後やや縁遠くなったけれど、かつてはなんども繰り返し聴いていた。最大の理由はジャケットが好きだったから。マイルズの後方に道路をならす例のやつ(名前、なんていうの?)が見えるでしょ。あのクルマのことが、写真でも現実生活で間近に見るのも、意味もなくどうしてだか好きだった。『ワーキン』ジャケットは、そのほかデザイン全体も好き。

中身はというと、かつてのぼくは A 面にある二曲のきれいなトーチ・ソングとバラードばかり聴いていて、まあ実際いい内容だよなあ。どっちもマイルズ自身もっと早くに別の編成で公式録音しているのが発売もされているが、大学生のころは『ワーキン』ヴァージョンのほうが好きだった。いまではこの印象がほぼ逆転している。

つまり、『ワーキン』1曲目の「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」(1956年5月11日録音)は、ブルー・ノートへの1954年3月6日録音が先行する。ピアノがホレス・シルヴァーのワン・ホーン・カルテット編成で、現在ではアルバム『ヴォリューム 1』に収録されている。これ、いいんだよ〜。ハーマン・ミュートじゃなくマイルズはカップ・ミュートで吹くのが枯れていて、いい音色だ。
『ワーキン』3曲目の「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」も五月のセッションでの録音。これは同年3月16日に同じプレスティジに録音したのがアルバム『コレクターズ・アイテムズ』B 面に収録されている。ソニー・ロリンズとトミー・フラナガンの参加が耳を引くところ。
それにしても1950年代半ばから後半ごろのマイルズが、こういったバラードやトーチ・ソングを、ハーマン(じゃなくても)・ミュートを使ってきれいでデリケートに演奏するのを聴くのは、本当にすばらしい体験、至福の時間だ。なんど繰り返して聴いても実にいい。「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」も「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」も、2ヴァージョンのどっちがいいかは、結局のところ、個人の好みでしかない。

『コレクターズ・アイテムズ』には、『ワーキン』収録セッションで再演した同じ曲がもう一個あって、『コレクターズ・アイテムズ』での曲名は「ヴァイアード・ブルーズ」。『ワーキン』5曲目では「トレインズ・ブルーズ」という名前になっていて、作曲者もジョン・コルトレインにクレジットされている。このブルーズも三月ヴァージョンのほうがぼくは好きだ。特にロリンズの味が。
しかし五月のオリジナル・クインテット・ヴァージョンにも目立った特徴がある。いちばんはポール・チェインバーズのソロが終わったあと、マイルズ&トレインでアンサンブルを演奏しているところ。そこはチャーリー・パーカー・コンボのダイアル録音「ザ・ヒム」のラインだ。おもしろいなあ。バードの「ザ・ヒム」のあれは、ジェイ・マクシャン楽団時代にさかのぼる由来があるけれど、書いていると長くなってしまうので省略。ダイアルへのそれは1947年10月28日録音で、マイルズもいる。
同じ曲でも「ヴィアード・ブルーズ」ヴァージョンにはない「トレインズ・ブルーズ」ヴァージョンのあの「ザ・ヒム」の合奏ラインには、ゴスペル・ソングっぽいニュアンスがあるよね。しかも同時に童謡っぽい素朴な旋律の動きでもあって、つまりはホレス・シルヴァーがよく書き演奏するファンキー・タッチなラインに酷似している。だからおもしろいんだ。

この「ヴァイアード・ブルーズ」だか「トレイズ・ブルーズ」だかの初演に、実はマイルズはいない。ポール・チェインバーズ名義の1956年3月1日か2日録音で、同年九月発売のジャズ・ウェスト盤レコード『チェインバーズ・ミュージック』に収録されたその曲題は「ジョン・ポール・ジョーンズ」。コルトレインとチェインバーズとフィリー・ジョーの名前を取って並べただけ。でもレッド・ツッェペリン・ファンも反応しちゃうよ(笑)。ピアノはケニー・ドルー。作者はコルトレインにクレジットされている。
これら三種類では、ぼくの趣味だと「ヴァイアード・ブルーズ」ヴァージョンがいちばん好き。やっぱりソニー・ロリンズのあのユーモラスなファンキーさ、それはホレス・シルヴァーなんかにも通じるものだけど、あのへんの作曲や演奏のタッチが好きなのだ。みなさんはいかがでしょうか?

『ワーキン』収録曲は、ほかの「ザ・テーマ」「フォー」「ハーフ・ネルスン」も、ぜんぶマイルズ自身のリーダー・セッションか、あるいは関係したかたちでの先行録音ヴァージョンがある。

「ザ・テーマ」は1955年11月16日にオリジナル・クインテットでプレスティジに録音。それが『マイルズ』(ザ・ニュー・マイルズ・デイヴィス・クインテット)に収録されている。マラソン・セッションの五月回で2テイクも録音したのは、たんなる曲数かせぎだったのかなあ?

「フォー」は1954年3月15日にホレス・シルヴァーらをしたがえたカルテットでプレスティジに録音したのが『ブルー・ヘイズ』に収録されている。これは以前も書いたがエディ・クリーンヘッド・ヴィンスンが書いたものである可能性が高い。マイルズの名前が書いてあるけれど、このちょっとした黒っぽいリズム&ブルーズ感覚は、やっぱりヴィンスンっぽいよね。

「ハーフ・ネルスン」は、チャーリー・パーカー・コンボ時代の1947年8月14日に、サヴォイに録音している。名義はいちおうマイルズ・デイヴィス・オール・スターズとマイルズのリーダー・セッションで、四曲やって SP 発売されたけれど、もちろん中身はテナー・サックスに持ち替えたバードのリーダーシップ。この日の四曲ともマイルズの書いたオリジナル。
あれれ〜っ?ってことは『ワーキン』だと B 面の「アーマッズ・ブルーズ」だけということになるけれど、これはレッド・ガーランドが主役のピアノ・トリオだけの作品で、曲題どおりマイルズご執心のアーマッド・ジャマル・ナンバー。

な〜んだ、この『ワーキン』っていうアルバムはいったいなんなのか(笑)?1959年12月に発売したプレスティジは、なんらかの編纂意図を持っていたってことなのかなあ?たんなる偶然?でも、レコードの内容はかなり好きだ。むかしはもっとずっと好きだった。

2018/08/16

レコード音楽時代のトロバドール 〜 ホセ・アントニオ・メンデス

以下の記事本文は、これらの続編です。

エル・スール盤のホセ・アントニオ・メンデスの CD 三枚。すべて後半部がホセ・アントニオの自作自演で、しかもひとりでのギター弾き語り。それら計26曲をピック・アップしてぜんぶ並べても一時間ちょいなので、自分でプレイリストをつくり、iTunes で聴いたり CD-R に焼いて聴いたりして楽しんでいる。すると、おもしろいことがわかってくるのだった。

まず整理しておくと、エル・スール盤『フィーリンの真実』(Escribe Solo Para Enamorados)の後半12曲が、スタジオ録音での弾き語り自作自演。1950年代終わりごろのラジオ放送音源か?というのが原田尊志さんのご推測。『フィーリンの誕生』(Canta Solo Para Enamorados)の後半七曲と『フィーリンの結晶』(Usted...el amor...y: José Antonio Méndez Vol. III)の後半七曲が、ライヴ録音での弾き語り自作自演。原田さんの解説文では、場所はホテルか?ナイト・クラブか?ということで、録音時期は判然としないらしい。やはり1950年代後半〜末ごろ?

それはそうと、計1時間6分のこのホセ・アントニオの自作自演ギター弾き語り音源。ディスク一枚に収録できる長さだし、CD-R かなにかで発売すればいいのになあ。どうですか、エル・スール原田さん?ホセ・アントニオの代表曲はぜんぶあるし、おもしろいし、楽しく心地良くて、ラウンジっていうか自室でもルーム・ミュージックとして極上の雰囲気をつくってくれるし、夜ひとりで聴いていいムードだし、おそらくはカップルとかで聴いても最高なんだと思うし、売れるかも?って思うんですけど。

まあいい。ホセ・アントニオは、こないだ書いた19世紀末〜20世紀頭ごろのキューバのトロバドール(吟遊詩人)、シンド・ガライたちの末裔なのだ。そんなことが弾き語り音源だとよくわかる。っていうかですね、上でリンクを貼った五月の記事を書いたときにはピンと来てなくて、その後、シンド・ガライの『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』が到着したので聴いて、それではじめてぼくみたいな人間でも気づいたことだった。

八月にシンド・ガライの記事でも書いた『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』の6曲目「ラ・バラソエーサ」。マノロ・ムレットによるこれが、まるでフィーリンそのもの、っていうか、あの文章のときの正直な気持ちを述べると、エル・スール盤三枚で聴いていたホセ・アントニオの弾き語りにあまりにもクリソツだというところだった。ビックリしたというのが近いかも。

もちろんマノロ・ムレットがやる「ラ・バラソエーサ」はシンド・ガライの曲だから、シンガー・ソングライター的な意味合いからすこしずれる。だけど、シンド自身のひとりでの弾き語りが一個もないあの CD アルバムで、あるいはひょっとしてシンドはこんな感じだったのかも?と想像を逞しくするに十分なワン・トラックだった。

19世紀末〜20世紀頭ごろのキューバ(や周辺カリブ諸国でも?)で活動したトロバドールたちは、たぶんだけど、あんな「ラ・バラソエーサ」をやるマノロ・ムレットみたいなやりかただったのかもしれないし、その後、1950年代になってホセ・アントニオがやったようなギター弾き語りは、そのまんまの末裔なのかもしれないよね。

吟遊詩人の弾き語りが、ぜんぶ個人的恋愛を扱っているわけじゃない。もっと時代がさかのぼっての中世ヨーロッパでは、恋愛も歌うが社会問題もやったりしたようだ。以前、南フランスで活動するマニュ・テロンら三名による『シルヴェンテス』のことを書いた。中世の古オック語でのトゥルバドゥールたちの歌を再現したもの。それは社会派プロテスト・ソングだった。
しかしこのときも、中世南仏の吟遊詩人たちは恋愛を扱うこともあったらしいと書いた。時代が下って19世紀末ごろからのキューバなどでのトロバドールは、やはりもっぱら個人的恋愛を歌ったようだ。ホセ・アントニオらによるフィーリンだって、ほぼ100%ラヴ・ソングばかり。そのへんはたしかにボレーロからも継承している。

ボレーロにしろフィーリンにしろ、それらがそもそも古いキューバのトローバから流れてきているものなんだっていうこと。これを最近ようやくボンヤリと感じとることができるようになったのだ。しかしシンド・ガライらトロバドールと、ホセ・アントニオの弾き語りにはかなり大きな違いもある。

トロバドールの時代には、レコード商品としてどんどん複製されることは想定されていなかった。結果的にそうなりはしても、第一義的には「その場」の、「現場」の、オーディエンスだけを想定して曲創りをし、相手にして弾き語ったはず。シンガー・ソングライターだったというのは、このリアルなトポスにこそ意味があった。それがトピックとしての恋愛事情。

ホセ・アントニオの時代になると、もちろんライヴ演奏などはその場の聴衆を楽しませることがまずは第一義的に念頭にあったかもしれないが、そういうものだって、歌のありようとして、もっと広い仮想オーディエンスを相手にできる内容を持った音楽に仕上がっているじゃないか。全26曲のホセ・アントニオ弾き語り音源は(ラジオ放送用の?)スタジオ収録も「現場」でのライヴ収録も、ぜんぜん差がないんだから。

こう考えれば、フィーリンのホセ・アントニオは、歴史的な流れとしてはシンド・ガライら古いトロバドールの末裔なのかもしれないが、どっち方向を向いているか、どのへんでどう共感してもらえるか、あるいはどんな(大勢のヴァーチャルな)ひとたちの気持ちを汲み取ってラヴ・ソングを、たとえば「至福なる君」も「あなたがわたしをわかってくれたなら」も「君が欠けていた」も書いて歌ったのかという点で 〜〜 端的に言って音楽家としての立ち位置やアティチュードは異なっているんだよね。

そんなことを、前から聴いているエル・スール盤 CD 三枚で聴けるホセ・アントニオの弾き語り音源と、こないだはじめて聴いたシンド・ガライのアルバムとで、ちょっと考えてみたのだった。

2018/08/15

All we need is music

Summer's here and the time is right
For dancing in the street.

All we need is music, sweet music.
There'll be music everywhere.
There'll be swinging and swaying and records playing,
Dancing in the street.

Oh, it doesn't matter what you wear
Just as long as you are there.

everywhere around the world
They'll be dancing.
They're dancing in the street.

There'll be laughing, singing, and music swinging,
Dancing in the street.

No matter where you are!

サマー・セレブレイション!

モータウン・レーベル最大のシグネチャー・ソング「ダンシング・イン・ザ・ストリート」。60s モータウン・ヒットのなかではぼくもいちばん好きだ。書いたのはマーヴィン・ゲイとウィリアム・'ミッキー’・スティーヴンスンとアイヴィ・ジョー・ハンター。

この「ダンシング・イン・ザ・ストリート」という曲の最もストレートなとらえかたは、音楽賛歌&恋愛賛歌、つまり端的に<楽しもう>、Let The Good Times Roll というものだね。最初のヒットはマーサ&ヴァンデラスによる1964年7月31日のシングル・レコード。正確にはゴーディ・レコーズ・レーベルだけど、モータウンが最も勢いのあったころ。くわえて重要なのは、アメリカ社会でちょうど公民権運動の最盛期だったことだ。
しかし今日はそんな社会的意味合い(いま2018年でも通用する "すべての抑圧されているマイノリティに自由を” "社会をいい方向へ変えていこう" 的アンセム)は抜きにして、この「ダンシング・イン・ザ・ストリート」という歌が楽しいんだという話だけ、ちょこちょこっと手短に書いておきたい。パーティ・ソングなんだから。

"Dancing In The Street" でぼくの iTunes 内を検索して出てきたものをテキトーに並べたのを Spotify で探したら同じものがぜんぶあったのでプレイリストをつくっておいたのがいちばん上のリンクだ。マーサ&ザ・ヴァンデラスのをトップに持ってきて、それ以後は録音・発売順を必ずしも考慮せず、カヴァー・ヴァージョンのなかでは最大のヒットになったデイヴィッド・ボウイ&ミック・ジャガーのものを二番目に置き、三番目以後はマジ、テキトーだ。

ボウイ&ミックのものは1985年8月19日にシングル盤が発売されているが、その前の月にミュージック・ヴィデオが全世界公開されている。これもやっぱり社会活動というか慈善行為の一環だったんだけど、いま振りかえって観て聴くと、シンプルに音楽的楽しさしかないよね。っていうかそうなってないとお金を集められないわけだけど。当時、このヴィデオは MTV でバンバン流れていたので、ぼくだって記憶がある。
「ダンシング・イン・ザ・ストリート」は歌詞もいいが、リズムとサウンドがもっといいよね。さらにどの面でも、特に歌詞面でかな、リピートが多い。同じようなことをなんども繰り返し延々と歌い、(ヴァージョンによるけれども)リズムもホーン・セクションのリフも同一パターンの反復でできているのが楽しい。これを単調、ワン・パターンだと言うなかれ。ポピュラー・ミュージックってこういうもんだ。

しかもダンスするっていうかジャンプするようなリズム感だよね。アフター・ビートを、特にドラマーがスネアをかなり強くバンバン叩いて表現している。そのときに聴いているぼくの身体までジャンプしそうになり、だから本当に「どこにいようとも」「どんな格好をしていようと」その場で踊り出したくなる。そんな音楽だ。

歌のなかで「ぼくたちに必要なのは音楽だけ、楽しい音楽だけだ、どこにでも音楽がある」と賛えるのは、音楽内音楽行為だからメタ・ミュージックだということになるけれど、あっ、いかんいかん、またそっち方向のメンドくさい話に持っていきたがるぼくだから、今日はやめとこう。

「ダンシング・イン・ザ・ストリート」を聴けば、それにあわせて踊れば、それだけで文句なしに楽しいひとときを過ごせる、真夏のイヤな酷暑も忘れるほど気持ちいいというのは間違いない。楽しい音楽がどこにでもある。聴いて踊れば、あなたがぼくが、だれだろうと、なんだろうと、どうだろうと、関係ないんだ。

それでいいじゃないか。

2018/08/14

『ザ・テディ・ウィルソン』拡大版

1930年代後半、テディ・ウィルスン名義でブランズウィック・レーベル(当時コロンビア傘下)がレコード発売したスウィング・コンボ・セッションのこと。それをぼくがどれほど好きか、いまさら繰り返す必要などないはず。

しかしそれにしても『ザ・テディ・ウィルソン』というかつての二枚組レコード(CBSソニー)の選曲と並び順は実によく考え抜かれていた。昨日ディスコグラフィを書いたテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション全曲集から、自分でもセレクションをつくってみようとしたら、すぐれた曲はことごとく『ザ・テディ・ウィルソン』が選んでいる。録音順から変更して並べた曲順の流れも美しく楽しく、気持ちいい。外れた曲に秀逸なものはほぼなし。

その編纂者は油井正一さん、粟村政昭さん、大和明さんの三名。おこがましいけれど、やはり慧眼だったと言うしかない。ただし、意図的に外すしかなかったビリー・ホリデイもののなかにはやはりすごくいい歌がある。一連のテディ・ウィルスン on ブランズウィックのセッションでビリー・ホリデイが歌ったものをぜんぶオミットしてあるわけじゃないけれど、たぶんこれは当時の日本盤レコードでビリー・ホリデイ名義のアルバムに入っていないものから選んだということだったんだろう。でも「ウェン・ユア・スマイリング」とかは、両方にあったけどなあ。

CBSソニー盤の二枚組レコード『ザ・テディ・ウィルソン』の収録全33トラック32曲は、登場順に以下のとおり。

Blues in C Sharp Minor
Mary Had a Little Lamb
Too Good to Be True
Warmin' Up
Sweet Lorraine
Sugar Plum
Christopher Columbus
All My Life
Rhythm in My Nursery Rhymes
Why Do I Lie to Myself about You
Guess Who
Here's Love in Your Eyes
Sailin'
Right or Wrong
Tea for Two
I'll See You in My Dream
He Ain't Got Rhythm
Fine and Dandy
I'm Coming Virginia
Yours and Mine
I'll Get By
Mean to Me
I've Found a New Baby
Coquette
Ain't Misbehavin'
Honeysuckle Rose
Just a Mood (Blue Mood) Part I
Just a Mood (Blue Mood) Part II
You Can't Stop Me from Dreaming
When You're Smiling
Don't Be That Way
If I Were You
Jungle Love

このとおりにつくったプレイリストがこれ↓
あっ、いまではやっぱりちょっと説明しておかないといけないのかな、1930年代後半のテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションとはなんだったのかを。

テディ・ウィルスン名義でブランズウィック・レーベルが発売した1935〜1939年の一連の録音は、「ジューク・ボックスのために流行歌曲をパンチを効かせてジャズ化する、編成は七、八人、アレンジ料はなし」といった方針のもとにはじめられたもの。プロデューサーというかお目付け役がジョン・ハモンド(ここはジャズのファンや専門家が言わないところ)。

だから、1939年1月30日にビリー・ホリデイのヴォーカルで四曲を録音したセッションを最後にジョン・ハモンドが手を引くと、テディ・ウィルスンのこのブランズウィック・セッションもしりすぼみとなり、昨日のディスコグラフィをご覧になっておわかりのように、編成も大規模になってアレンジャーが参加。かなり雰囲気が違ってしまい、シリーズそのものが終了してしまった。

テディ・ウィルスン名義のこのスウィング・コンボ・セッション・シリーズが、いつごろどうしてはじまったのか?いつごろどうして消滅したのか?については、ぼくの知る限りいままで世界でだれひとりとして明言した記載をしていない。だから、今日ここに書いておく。すべては(コロンビア系レーベルと関係が深かった)ジョン・ハモンドの指揮下にあったということ。

ってことはつまり、あのビリー・ホリデイの録音集についてぼくも書いた際の記事で触れた内容と、かなり重なっている、というか同じものなのだ。まず最初2001年に、その後そのまま同じ内容で2009年に、コロンビア/レガシーがリリースしたビリー・ホリデイ CD10枚組ボックスの中身は、むろんテディ・ウィルスンがいないビリー・ホリデイのレコードもあるけれど、大半がテディ名義のブランズウィック録音。歌がビリーというだけ。
テディ・ウィルスンのこのブランズウィック・セッションでいちばん数多く歌ったのがビリー・ホリデイだけど、もちろんほかの歌手が参加したセッションもあり、なかには男性だっている。歌手のいないインストルメンタル・チューンも多いが、それらだって素材は当時のポップ・ソングがほとんど。結果、最高のスウィング・ジャズ・コンボ演奏が仕上がっているわけだから、「ジャズとはなんぞや?」「ジャズとポップスとの関係/境界線は?」という問いに、おのずと答えが出ているように思う。むかしも21世紀のいまも同じだ。

今日の記事のいちばん上でリンクをご紹介したプレイリストは、基本『ザ・テディ・ウィルソン』を尊重しそのまま活かして使い、そこにすこしだけぼくが追加すべきと判断したものを差し込んだだけのもの。追加品はすべてビリー・ホリデイの名唱でバンド演奏も極上品というもの。そうであるがゆえ、むかしもビリー名義のレコードに必ず収録されていた名演名唱だから、『ザ・テディ・ウィルソン』には選べなかった以下の五曲。

What A Little Moonlight Can Do
Miss Brown To You
It's Like Reaching For The Moon
Foolin' Myself
I Can't Believe That You're In Love With Me

この五曲は録音順に登場するように扱って、しかし録音順の曲収録じゃない『ザ・テディ・ウィルソン』プレイリストのどこに差し込むかは、やはり聴いて楽しい審美要素をぼくなりに最大限に考慮したつもり。その結果、いちばん上のリンクである自作プレイリスト "The Teddy Wilson expanded" ができあがったってわけ。

こういった傾向のジャズがお好きなみなさんの日常の楽しみのささやかな一助にでもなれば、これ以上の幸せはありません。

2018/08/13

Teddy Wilson Discography on Brunswick 1935-1939

New York City, July 2, 1935.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Roy Eldridge (trumpet), Benny Goodman (clarinet), Ben Webster (tenor sax), Teddy Wilson (piano), John Trueheart (guitar), John Kirby (string bass), Cozy Cole (drums), Billie Holiday (vocal).

B 17766-1 I Wished On The Moon (Brunswick 7501)
B 17767-1 What A Little Moonlight Can Do (Brunswick 7498)
B 17768-1 Miss Brown To You (Brunswick 7501)
B 17769-1 A Sunbonnet Blue (And A Yellow Straw Hat) (Brunswick 7498)

NYC, July 31, 1935.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Roy Eldridge (t), Cecil Scott (cl), Hilton Jefferson (as), Ben Webster (ts), Teddy Wilson (p), Lawrence Lucie (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

B 17913-1 What A Night, What A Moon, What A Girl (Brunswick 7511)
B 17914-1 I'm Painting The Town Red (Brunswick 7520)
B 17915-1 It's Too Hot For Words (Brunswick 7511)
B 17916-1 Sweet Lorraine (Brunswick 7520) - omits Billie Holiday

NYC, October 7, 1935.

Teddy Wilson (piano solo).

B 18129-1 Every Now And Then (Brunswick 7543)
B 18130-1 It Never Dawned On Me (Brunswick 7543)
B 18131-1 Liza (All The Clouds'll Roll Away) (Brunswick 7563)
B 18132-1 Rosetta (Brunswick 7563)

NYC, October 25, 1935.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Roy Eldridge (t), Benny Morton (trombone), Chu Berry (ts), Teddy Wilson(p), Dave Barbour (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

B 18196-1 Twenty Four Hours A Day (Brunswick 7550)
B 18197-1 Yankee Doodle Never Went To Town (Brunswick 7550)
B 18199-1 Eeny Meeny Meiny Mo (Brunswick 7554)
B 18209-1 If You Were Mine (Brunswick 7554)

NYC, November 22, 1935.

Teddy Wilson (piano solo).

B 18295-1 I Found A Dream (Brunswick 7572)
B 18296-1 On Treasure Island (Brunswick 7572)

NYC, December 3, 1935.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Richard Clarke (t), Tom Mace (cl), Johnny Hodges (as), Teddy Wilson (p), Dave Barbour (g), Grachan Moncur (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

B 18316-1 These 'n' That 'n' Those (Brunswick 7577)
B 18317-1 Sugar Plum (Brunswick 7577) - omits BH
B 18318-1 You Let Me Down (Brunswick 7581)
B 18319-1 Spreadin' Rhythm Around (Brunswick 7581)

NYC, January 17, 1936.

Teddy Wilson (piano solo).

B 18517-1 I Feel Like A Feather In The Breeze (Brunswick 7599)
B 18518-1 Breaking In A Pair Of Shoes (Brunswick 7599)

NYC, January 30, 1936.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Gordon Griffin (t), Rudy Powell (cl), Ted Mcrae (ts), Teddy Wilson (p), John Trueheart (g), Grachan Moncur (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

B 18612-1 Life Begins When You're In Love (Brunswick 7612)
B 18613-1 (If I Had) Rhythm In My Nursery Rhymes (Brunswick 7612) - omits BH

NYC, March 17, 1936.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Frank Newton (t), Benny Morton (tb), Jerry Blake (cl, as), Tom McRae (ts), Teddy Wilson (p), John Trueheart (g), Lennie Stanfield (sb), Cozy Cole (d), Ella Fitzgerald (v).

B 18829-1 Christopher Columbus (Brunswick 7640) - omits EF
B 18830-1 My Melancholy Baby (Brunswick 7729)
B 18831-1 (I Know That You Know - unissued, master no longer exists)
B 18832-1  All My Life (Brunswick 7640)

Chicago, May 14, 1936.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Roy Eldridge (t), Buster Bailey (cl), Chu Berry (ts), Teddy Wilson (p), Bob Lessy (g), Israel Crosby (sb), Sidney Catlett (d).

C 1376-1 Mary Had A Little Lamb (Brunswick 7663) - RE v
C 1377-2 Too Good To Be True (Brunswick 7663) - TW also on organ
C 1378-1 Warmin' Up (Brunswick 7684)
C 1379-1 Blues In C Sharp Minor (Brunswick 7684)

NYC, June 30, 1936.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Jonah Jones (t), Johnny Hodges (as), Harry Carney (cl, bariton sax), Teddy Wilson (p), Lawrence Lucie (g), Jonh Kirby (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

B 19495-2 It's Like Reaching For The Moon (Brunswick 7702)
B 19496-2 These Foolish Things (Brunswick 7699)
B 19497-2 Why Do I Lie To Myself About You (Brunswick 7699) - omits BH
B 19498-2 I Cried For You (Brunswick 7729)
B 19499-2 Guess Who (Brunswick 7702)

Los Angeles, August 24, 1936.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Gordon Griffin (t), Benny Goodman (cl), Vido Musso (ts), Teddy Wilson (p), Allen Reuss (g), Harry Goodman (sb), Gene Krupa (d), Lionel Hampton (vibraphone), Helen Ward (v as Vera Lane), Red Harper (v).

LA 1158 A You Came To My Rescue (Brunswick 7739) - HW v
LA 1159 A Here's Love In Your Eyes (Brunswick 7739) - HW v
LA 1160 A You Turned The Tables On Me (Brunswick 7736) RH v
LA 1161 A Sing, Baby, Sing (Brunswick 7736) RH v

NYC, October 21, 1936.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Irving Randolph (t), Vido Musso (cl), Ben Websrer (ts), Teddy  Wilson (p), Allan Reuss (g), Milton Hinton (sb), Gene Krupa (d), Billie Holiday (v).

B 20105-1 Easy To Love (Brunswick 7762)
B 20106-2 With Thee I Swing (Brunswick 7768)
B 20107-2 The Way You Look Tonight (Brunswick 7762)

same place, October 28. 1936.
same personnel.

B 20142-3 Who Loves You? (Brunswick 7768)

NYC, November 19, 1936.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Jonah Jones (t), Benny Goodman (cl as John Jackson), Ben Webster (ts), Teddy Wilson (p), Alan Reuss (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Biillie Holiday (v).

B 20290-1 Pennies From Heaven (Brunswick 7789)
B 20191-1 That's Life I Guess (Brunswick 7789)
B 20292-2 Sailln' (Brunswick 7781) - omits BH
B 20193-1 I Can't Give You Anything But Love (Brunswick 7781)

NYC, December 16, 1936.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Irving Randolph (t), Vido Musso (cl), Ben Webster (ts), Teddy Wilson (p), Alan Reuss (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Midge Williams (v).

B 20410-1 (I'm With You) Right Or Wrong (Brunswick 7797)
B 20411-1 Where The Lazy River Goes By (Brunswick 7797)
B 20412-2 Tea For Two (Brunswick 7816) - omits MW
B 20413-1 I'll See You In My Dreams (Brunswick 78169 - omits MW

NYC, January 25, 1937.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Buck Clayton (t), Benny Goodman (cl). Lester Young (ts), Teddy Wilson (p), Freddy Green (g), Walter Page (sb), Joe Jones (d), Billie Holiday (v).

B 20568-1 He Ain't Got Rhythm (Brunswick 7824)
B 20569-2 This Year's Kisses (Brunswick 7824)
B 20570-1 Why Was I Born? (Brunswick 7859)
B 20571-1 I Must Have That Man (Brunswick 7859)

NYC, February 18, 1937.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Henry 'Red' Allen (t), Cecil Scott (cl, as, ts), Prine Robinson (ts), Teddy Wilson (p), Jimmy McLin (g), John Kiby (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

B 20698-2 The Mood That I'm In (Brunswick 7844)
B 20699-2 You Showed Me The Way (Brunswick 7840)
B 20700-2 Sentimental & Melancholy (Brunswick 7844)
B 20701-1 (This Is) My Last Affair (Brunswick 7840)

NYC, March 31, 1937.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Cootie Wiilams (t), Johnny Hodges (as), Harry Carney (cl, bs), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

B 20911-3 Carelessly (Brunswick 7867)
B 20912-1 How Could You? (Brunswick 7867)
B 20913-1 Moanin' Low (Brunswick 7877)
B 20914-1 Fine And Dandy (Brunswick 7877) - omits BH

NYC, April 23, 1937.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Harry James (t), Buster Bailey (cl), Johnny Hodges (as), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Helen Ward (v).

B 21034-1 There's A Lull In My Life (Brunswick 7884)
B 21035-2 It's Swell Of You (Brunswick 7884)
B 21036-2 How Am I To Know? (Brunswick 7893)
B 21037-1 I'm Coming, Virginia (Brunswick 7893) - omits HW

NYC, May 11, 1937.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Buck Clayton (t), Buster Bailey (cl), Johnny Hodges (as), Lester Young (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), Artie Bernstein (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

B 21117-2 Sun Showers (Brunswick 7917)
B 21118-2 Yours And Mine (Brunswick 7917)
B 21119-1 I'll Get By (Brunswick 7903)
B 21120-1 Mean To Me (Brunswick 7903)

NYC, June 1, 1937.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Buck Clayton (t), Buster Bailey (cl), Lester Young (ts), Teddy Wilson (p), Freddy Green (p), Walter Page (sb), Joe Jones (d), Billie Holiday (v).

B-21217-1 Foolin' Myself (Brunswick 7911)
B 21218-2 Easy Living (Brunswick 7911)
B 21219-2 I'll Never Be The Same (Brunswick 7926)
B 21220-1 I've Found A New Baby (Brunswick 7926) - omits BH

Los Angeles, July 30, 1937.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Harry James (t), Benny Goodman (cl), Vido Musso (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), Harry Goodman (sb), Gene Krupa (d), Boots Castle (v).

LA 1380 B You're My Desire (Brunswick 7940)
LA 1381 A Remember Me? (Brunswick 7940)
LA 1382 A The Hour Of Partying (Brunswick 7943)
LA 1383 A Coquette (Brunswick 7943) - omits BC

Los Angeles, August 29, 1937.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Harry James (t), Archie Rosati (cl), Vido Musso (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), John Simmons (sb), Cozy Cole (d), Frances Hunt (v).

LA 1404 A Big Apple (Brunswick 7954)
LA 1405 B You Can't Stop Me From Dreamin' (Brunswick 7954)
LA 1406 B If I Had You (Brunswick 7960)
LA 1407 B You Brought A New Kind Of Love To Me (Brunswick 7960)

Los Angeles, September 5, 1937.

Teddy Wilson Quartet:
Harry James (t), Teddy Wilson (p), Red Norvo (xylophone), John Simmons (sb).

LA 1408 C Ain't Misbehavin' (Brunswick 7964)
LA 1429 A Just A Mood (Blue Mood) - Part I (Brunswick 7973)
LA 1430 A Just A Mood (Blue Mood) - Part II (Brunswick 7973)
LA 1431 A Honeysuckle Rose (Brunswick 7964)

NYC, November 1, 1937.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Buck Clayton (t), Prince Robinson (cl), Vido Musso (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), Walter Page (sb), Cozy Cole (d as Swing Roo), Billie Holiday (v).

B 21982-1 Nice Work If You Can Get It (Brunswick 8015)
B 21983-1 Things Are Looking Up (Brunswick 8015)
B 21984-1 May Man (Brunswick 8008)
B 21985-1 Can't Help Lovin' Dat Man (Brunswick 8008)

NYC, November 12, 1937.

Teddy Wilson (piano solo).

B 22025-1 Don't Blame Me (Brunswick 8025)
B 22026-1 Between The Devil And The Deep Blue Sea (Brunswick 8025)

NYC, November 17, 1937.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Hot Lips Page (t)?, Pee Wee Russell (cl), Chu Berry (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g, sb, d), Sally Gooding (v).

B 22192-2 My First Impression Of You (Brunswick rejected)
B 22193-1 With A Smile And A Song (Brunswick rejected)
B 22194-2 When You're Smiling (Brunswick rejected) omits SG
B 22195-2 I Can't Believe That You're In Love With Me (Brunswick rejected) omits SG

NYC, January 6, 1938.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Buck Clayton (t), Benny Morton (tb), Lester Young (ts), Teddy Wilson (p), Freddy Green (g), Walter Page (sb), Joe Jones (d), Billie Holiday (v).

B 22192-4 My First Impression Of You (Brunswick 8053)
B 22194-3 When You're Smiling (Brunswick 8070)
B 22195-4 I Can't Believe That You're In Love With Me (Brunswick 8070)
B 22255-1 If Dreams Come True (Brunswick 8053)

NYC, March 23, 1938.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Bobby Hackett (cornet), Pee Wee Russell (cl), Tab Smith (as), Gene Sedric (ts), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), Al Hall (sb), Johnny Blowers (d), Nan Wynn (v).

B 22611-2 Moments Like This (Brunswick 8112)
B 22612-2 I Can't Face The Music (Without Singin' The Blues) (Brunswick 8112)
B 22613-1 Don't Be That Way (Brunswick 8116) - omits NW

NYC, April 29, 1938.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Bobby Hackett (c), Jerry Blake (cl), Johnny Hodges (as), Teddy Wilson (p), Allan Reuss (g), Al Hall (sb), Johnny Blowers (d), Nan Wynn (v).

B 22822-2 If I Were You (Brunswick 8150)
B 22823-1 You Go To My Head (Brunswick 8141)
B 22824-1 I'll Dream Tonight (Brunswick 8141)
B 22825-2 Jungle Love (Brunswick 8150)

NYC, July 29, 1938.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Jonah Jones (t), Benny Carter (as), Ben Webster (ts), Teddy Wilson (p), John Kirby (sb), Cozy Cole (d), Nan Wynn (v).

B 23305-1 Now It Can Be Told (Brunswick 8199)
B 23306-2 Laugh And Call It Love (Brunswick 8207)
B 23307-1 On The Bumpy Road To Love (Brunswick 8207)
B 23308-1 A-Tisket, A-Tasket (Brunswick 8199)

NYC, October 31, 1938.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Harry James (t), Benny Morton (tb), Edgar Sampson (as), Benny Cater (as), Lester Young (ts), Herschel Evans (ts), Teddy Wilson (p), Albert Casey (g), Walter Page (sb), Joe Jones (d), Billie Holiday (v).

B 23642-1 Everybody's Laughing (Brunswick 8259)
B 23643-1 Here It Is Tomorrow Again (Brunswick 8259)

NYC, November 9, 1938.

same personnel.

B 23687-1 Say It With A Kiss (Brunswick 8270)
B 23688-1 April In My Heart (Brunswick 8265)
B 23689-1 I'll Never Fail You (Brunswick 8265)
B 23690-1 They Say (Brunswick 8270)

NYC, November 28, 1938.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Bobby Hackett (c), Trummy Young (tb), Toots Mondello (as), Ted Buckner (as), Bud Freeman (ts), Chu Berry (ts), Teddy Wilson (p), Albert Casey (g), Milton Hinton (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

B 23760-1 You're So Desirable (Brunswick 8283)
B 23761-1 You're Gonna See A Lot Of Me (Brunswick 8281)
B-23762-1 Hello, My Darling (Brunswick 8281)
B 23763-2 Let's Dream In The Moonlight (Brunswick 8283)

NYC, January 30, 1939.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Roy Eldridge (t), Ernie Powell (cl, ts), Benny Carter (as, ts), Teddy Wilson (p), Danny Barker (g), Milton Hinton (sb), Cozy Cole (d), Billie Holiday (v).

B 24044-1 What Shall I Say? (Brunswick 8314)
B 24045-1 It's Easy To Blame The Weather (Brunswick 8314)
B 24046-1 More Than You Know (Brunswick 8319)
B 24047-1 Sugar (Brunswick 8319)

NYC, May 10, 1939.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Karl George (tp), Shorty Baker (tp), Floyd Brady (tb), Jake Wiley (tb), Pete Clark (as), Rudy Powell (as), Ben Webster (ts), George Irish (ts), Teddy Wilson (p, arrange), Albert Casey (g), Al Hall (sb), J.C. Heard (d), Thelma Carpenter (v), Buster Harding & Edgar Sampson (arr).

B 24498-1 Why Begin Again? (Brunswick rejected, and Tax [Sd] m-8018 [LP])

NYC, June 28, 1939.

Teddy Wilson and His Orchestra:
Karl George (tp), Shorty Baker (tp), Floyd Brady (tb), Jake Wiley (tb), Pete Clark (cl, as, bs), Rudy Powell (cl, as), Ben Webster (ts), George Irish (ts), Teddy Wilson (p, arrange), Albert Casey (g), Al Hall (sb), J.C. Heard (d), Buster Harding & Edgar Sampson (arr).

B 24824 B Jumpin' For Joy (Brunswick 8438) - ES arr
B 24826 A The Man I Love (Brunswick 8438) - TW arr

NYC, July 26, 1939.

same personnel as previous session with Thelma Carpenter (v).

B 24931 A Love Grows On The White Oak Tree (Brunswick 8455) - TC v, BH arr
B 24932 This Is The Moment (Brunswick 8455) - TC v, TW arr

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Regarding CDs.

All of them are available on Classics label (France) chronological series. 7 CDs separately. There are some trivial mistakes among discographies printed on leaflets.

"Teddy Wilson 1934-1935" (Classics 508)
"Teddy Wilson 1935-1936" (Classics 511)
"Teddy Wilson 1936-1937" (Classics 521)
"Teddy Wilson 1937" (Classics 531)
"Teddy Wilson 1937-1938" (Classics 548)
"Teddy Wilson 1938" (Classics 556)
"Teddy Wilson 1939" (Classics 571)

Sony/Legacy label (USA) released all Billie Holiday things on 10-CD-boxed-set "The Complete Billie Holiday on Columbia (1933-1944)" (Legacy 88697538062).

In April 2018, Mosaic label (USA) released 7-CD-boxed-set "Classic Brunswick & Columbia Teddy Wilson Sessions 1934-1942" (MD7-265 88983460662). This set excludes not only Billie Holiday stuff entirely (quite understandable), but also some other tunes (I don't know why).

265


2018/08/12

ソングライター、シンド・ガライ 〜 夏向き

この CD でシンド・ガライ本人の歌はついこないだはじめて聴いたばかりなので、なにか言えるような人間ではありませんが、それでも本当にこれはいい!と、ほかの歌手たちがカヴァーした曲もいい!と、感じているのは間違いのないことだから、自分用のメモとしてチョチョっと書いておこう。そして、これまた bunboni さんに教えていただいたものだ。感謝します。この記事がなかったら、エル・スールへの入荷に気づくのが遅れて、買い逃した可能性がある。
キューバでヌエーバ・トローバという流行があったよね。だからもちろん旧っていうか大元のトローバがあって、19世紀終わり〜20世紀はじめごろ、ちょうど独立期のキューバ(や周辺のカリブ諸国でも?)におけるシンガー・ソングライターたちのことを、中世の吟遊詩人になぞらえてトロバドールと呼び、そんなひとたちの自作自演をトローバと言った。

CD アルバム『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』附属リーフレットの解説文1ページ目には、サンティアーゴ・デ・クーバを中心に活動したトロバドールたちの名前がたくさん並んでいるが、なかでもペペ(ホセ)・サンチェスとシンド・ガライの二名あたりは、特別すぐれた存在で知名度もあるんじゃないだろうか。

その解説文によれば、シンドは舞台俳優でありかつ、歌手兼作曲家だったそうで、音楽関係のことはともかく、俳優でもあったとはぼくは知らなかった。がしかしさもありなんと思う。世界のいたるところで、ポピュラー・ミュージックの発生はライヴ・ステージでの演劇や芸能と密接な関係があったのだとは、みなさんご存知のとおり。北米合衆国の音楽だってそうなんだ。キューバでもブラジルでも、インドネシアでも、そしてもちろん日本でも。

ちょっと脱線するようなしないようなこと。日本テレビ日曜夕方の番組『笑点』。おなじみのとおり落語家、お笑い芸人、マジシャン、楽器をやりながら歌う芸人(音楽家?)など、ごたまぜで登場する…、でもなくて前半部の演芸コーナーと後半部の大喜利コーナーに二分されているけれど、小屋での寄席演芸ライヴのやりかたをコピーしているものなんだよね。音楽好きのお芝居好きで落語好きっていうのは、理解しやすい至極まっとうなありようだ。

キューバのトロバドールとシンド・ガライ。彼らも19世紀後半の舞台演劇と結び付いたかたちで曲を書き、そして歌ったはず。トロバドールという以上はもちろん自作自演のシンガー・ソングライターで、しかしたぶん、書いて歌った曲がほかの歌手にカヴァーされるなんてことは、その当時から頻繁にあったことなんだろうと推測できる。

レコード商品が人気流通品になって以後はもちろんそうなった。CD『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』収録の全14曲のうち、シンド自身が歌うのは四曲だけ(1、12、13、14)で、ほかはカヴァーなんだよね。シンドが1968年に亡くなって以後のトリビュート・アルバムから収録したもののよう。

アルバム収録曲はすべてシンドの自作だけど、ひとつ、10曲目の「トルメントス・フィエロス」だけ、曲はシンドだけど詞を別なひとが書いている。しかし雰囲気に差はない。さらにぼくにとっての驚きは、シンドの自演曲(といっても全部デュオなんだけど)と他演曲とのあいだに差異が聴きとれない。一貫したフィーリン(グ)がアルバム全体にある。

といっても、曲「ラ・バラソエーサ」。6曲目にマノロ・ムレット・ヴァージョンがあり、13曲目にプライヴェイト録音からというシンドとマリガリータ(孫)とのデュオ・ヴァージョンがあり、この二つはムードが違っている。6曲目のマノロ・ムレットのは、フィーリンっぽい、というよりこれはまさにフィーリンだ。ホセ・アントニオ・メンデスのギター弾き語り音源をみなさんお聴きでしょう、それとソックリだ。

だから、この「ラ・バラソエーサ」は曲そのものがフィーリンの先取りだったのか?とか思って13曲目のマルガリータとデュオでシンドがギターを弾きながら歌うものを聴くと、あんがい?そんなふうではない。ふつうのカンシオーンだなあ。何年ごろの録音か推測できないが、やはりひとりでギターで弾き語るとフィーリンに近づくということなのか?それもシンガー・ソングライター然とすれば?
このことはフィーリンの本質にかかわりそうで、ホセ・アントニオ・メンデスの弾き語り音源集とあわせて考えてみたいテーマなので、今日は掘り下げないことにする。また、たとえば7曲目「ネウローシス」(ドゥオ・カブリサス・ファルチ)、10曲目「トルメントス・フィエロス」(アドリアーノ・ロドリゲスとドミニカ・ベルヘス)、11曲目「ジャ・エス・タルデ」(ドゥオ・アルメナーレス・マルケス)といったビート・ナンバー(これら以外はフリー・リズム)は、ボレーロやソンのリズム感覚に通じるものがある。

ってことは、トローバというかシンド・ガライらのカンシオーンは、キューバ歌謡のおおもと、大源流ということになって、そんな大きなテーマは、到底ぼくなんかの手に負えるものじゃないから、夢想だけしておいて、これらについてはこのへんですごすごとケツまくるしかない。

ところで CD アルバム『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』全体をひとつの空気感が貫いていると上で書いたのが間違いないぼくの実感で、シンド自演も他演も、商業録音も私家録音も関係なく、スーッとひとつのトータリティでもって一枚聴き終えることができると感じている。

それがなんなのか、ぼくがなにを感じとっているのか、よくわからないというか言葉になりにくいんだけど、今年の日本のあまりにひどい猛暑下で聴くのにちょうどいいヒンヤリした涼感みたいなものがあるなあ、と思うんだ。おかしな感想かなあ。

なんというか、熱くないんだよね、シンド自演も他演もぜんぶの14曲が。クールな感触がある。このへんも、退散するといいながらまたちょろっと書いちゃうが、シンドの曲のなかに、フィーリンの持つあんなクールネスに通じるものがあったのかも。しかし(後年の)ソンなんかは熱い音楽だよなあ。シンドの曲はビート・ナンバーでもヒヤ〜ッとしている。おかしい。がしかし、これが、ぼくの実感。

アルバムの14曲、どの演唱も伴奏がおおげさではなく、バンド形式はひとつもなく、すべてがシンプルなギター弾き語りばかりで、このへんは、シンド自身の録音はもちろん、カヴァーしたひとたちもトロバドールのスタイルを尊重して継承したということなのだろうか?

14曲がすべてシンドの自作曲であることが最大の共通項であるのは、もちろんそうだ。だから、トロバドールは、基本、みずからの弾き語りシンガー・ソングライターというのが本質だという見方に、すこし疑問を投げかけないといけないのかもしれない。他演でも同様のものが仕上がるわけだから、コンポーザーという面で最も秀でていたと言えるかも?

SP から起こしたシンドの自演は、二曲とも息子のグアリオネクスとのデュオ歌唱で、ギターはシンド自身だけど、そのデュオ歌唱のなんだかフワ〜っとしたハーモニーでもないようなというか、ハモっているのかいないのかよくわからないようなポリフォニーがひろがりを感じさせるものだけど、2〜11曲目のカヴァー集も、多くが似たような自由二重唱であるのも、アルバム全体でのトータリティを感じさせる一因かもしれない。

はたしてシンド自演の SP が(ひょっとしてぜんぶ?)「シンドとグアリオネクス」で発売されたからカヴァーする歌手たちもそれにならったのか、あるいはそもそもそういうものとして書かれた曲だったのか、そこまではぜんぜんわからない。

ともかく、シンド・ガライというトロバドールは、そうだから自作自演こそ真骨頂なんだろうという脳みそ先行のぼくの頭でっかちは、アルバム『デ・ラ・トローバ・ウン・カンタール...』を聴いてみて、大きな部分が消し飛んだ。ソングライターとしてこそ、再評価したい。

2018/08/11

岩佐美咲「佐渡の鬼太鼓」(特別盤)のカップリング曲を聴く

岩佐美咲のオリジナル曲「佐渡の鬼太鼓」については、以前ぼくなりに書いたつもりなので、ご覧いただきたい。
この「佐渡の鬼太鼓」特別盤 A、B、C の三種類が、昨8月8日に発売され、ど田舎愛媛県大洲市のぼくんちにも今9日午後に到着。カップリングの四曲で一個のプレイリストをつくり、現在無限ループ再生中だけど、なんだこりゃ?すんごくいいぞ。こりゃもうなにか書けそうな気がしてきた、というかもう、書かずにおらりょうか。ぼくが書かずにだれが書く?(思い上がりもいいところ)。

三枚の「佐渡の鬼太鼓」特別盤に収録されているカップリング曲を整理すると、以下のとおり。

ABC共通「旅愁」 (西崎みどり、1974)
作詞:片桐和子/作曲:平尾昌晃

A「手紙」(由紀さおり、1970)
作詞:なかにし礼/作曲:川口真

B「大阪ラプソディー」(海原千里・万里、1975)
作詞:山上路夫/作曲:猪俣公章

C「風の盆恋歌」(石川さゆり、1989)
作詞:なかにし礼/作曲:三木たかし

美咲ヴァージョンのアレンジャーがどなたなのかは記載がない。ぼくの根拠レスなヤマカンでは、たぶん野中”まさ”雄一さんなんじゃないかという気がする。ここのところの美咲が歌って作品化されているもので野中さんが編曲と明記されているものに相通ずるサウンドに聴こえるんだけど、違っているかもしれない。

上記四曲のうち、美咲ヴァージョンをぼくが過去に耳にしたことがあるのは「風の盆恋歌」だけ。2018.2.4. 恵比寿で聴き、それをパッケージ商品化した DVD(or Blu-ray)『岩佐美咲コンサート2018』にも収録されている。今回の 8.8 CD ヴァージョンについては後述したい。
それ以外の三曲の美咲ヴァージョンを聴くのは、ぼくははじめて。だからやや意外な感じがしたものがある。由紀さおりの「手紙」だ。いや、むかしから由紀さおりのものを聴いていたはずなのに、いつのまにやら身勝手にねじ曲げたイメージが脳内にできあがっていたらしい。美咲ヴァージョンを聴き、意外だと思って、由紀さおりヴァージョンも聴きなおしたら、美咲のものはほぼそれに忠実になっている。

由紀さおりの1970年オリジナル・シングル・ヴァージョンは Spotify で見つかった。これだ。
しかし、YouTube で検索したら見つかったこの2009年ヴァージョンのほうがもっと好きだ。コメント欄には否定的な意見もあるけれど、かなりいいぞこれ。1970年オリジナルが持っているちょっぴりラテンなフィーリングをグッと拡大し、離別の歌が持ちがちな過度に濃厚な情緒を中和、爽やかで軽快な雰囲気を高め、由紀さおりという歌手の持ち味であるアッサリとしたナイーヴさを前面に出し、歌手本人もそういう方向で歌っている。それにしても、由紀さおりさん、きれいですね、容姿も声も(関係ない話だった)。
ナチュラルでスムースでナイーヴな歌唱表現こそが岩佐美咲本来の持ち味なんじゃないかとぼくは判断しているのだが、そういうところ、つまり濃厚な情緒を、まるで引きずるように、号泣せんばかりに、出しすぎるような、グリグリとやりすぎるような、そんな一般的な<演歌><抒情歌謡>のステレオタイプに、はまっていないところ 〜〜 そういうのが美咲と由紀さおりとの共通点じゃないだろうか。

一言にすれば、成熟した大人が持つアッサリした爽やか感。テレサ・テンやパティ・ペイジもそうだった。テレサや由紀さおりたちがそれをそういうふうに表現できるのはみなさんご存知だろうが、美咲はまだ若いじゃないか…、と思われそう。でもそれは違うんだ。芸の持つ力とはそういうもんじゃない。生物学的年齢が若くて人生経験が浅くとも、ひとたびマイクの前に立てば、それを超える表現をなしうる、ばあいによっては性別をも超える 〜〜 それが芸の力であり、歌手の、音楽の、ものすごさ、おそろしさなのだ。

美咲も、そんな超越的破壊力を持っているんだよね。素直にスッと歌うからこそ、由紀さおりのように大きな歌の深い世界を表現できるし、聴き手の心に沁みてくる。そんなタイプなんだ。それを、今日はじめて聴いた美咲ヴァージョンの「手紙」で再確認した。いやあ、すごいね。美咲ヴァージョンは、基本的には由紀さおりの1970年オリジナルを踏まえているようだが、それと同等の表現ができているとは、驚きでもあった。がそれは、もはや失礼だと言うべきだ、いまの美咲に対しては。

今日、ぼくが言いたいことの本質は、ここまででぜんぶ言い切ってしまった気分。だけど「風の盆恋歌」についてだけは、以前から 2018.2.4 ヴァージョンのことを散々書いてきてはいるけれど、それでもやはり今日、言葉を重ねておく必要がある。今日さっきから聴いている CD ヴァージョンのアレンジは、あの日、恵比寿ガーデンホールで聴き DVD でも確認したものと同じだ。ってことは、あれの準備段階から野中”まさ”雄一さんさんが仕事をなさっていたということなのだろうか?

アレンジにもとづいた伴奏は同一だけど、美咲のヴォーカルはかなり深化している。間違いなく二月四日よりあとにじっくり歌いこんで、「風の盆恋歌」という歌を、さらにいっそう自家薬籠中のものとした歌唱表現になっている。その結果、あの 2.4 ヴァージョンよりも激情や濃厚さが薄くなり、今日繰り返しているが、素直で爽やかでナチュラルなフィーリングが出てきている。

石川さゆりの「風の盆恋歌」とは、ご存知のようにあんな内容なもんだから、やりようによってはしっとり濃厚すぎるパッショネイトなフィーリングになりがちだよね。ところが 8.8 発売の美咲ヴァージョンではアッサリ感すら漂わせ、ナイーヴな衣をまとって、それでこんな内容をさらりとこなしているなんて…。言葉が出ない…。そのせいで、つまり逆の意味で、また泣きそうだ。

お持ちのかたは、美咲の「風の盆恋歌」を 2.4 ヴァージョンと 8.8 ヴァージョンで聴き比べていただきたい。ややドスが効いていた 2.4 ヴァージョンに比して、8.8 ヴァージョンでは声にキュートな可愛らしさすらあるじゃないか。・・・(ちょっと中断してタオル…)・・・。

全体的にそうなんだけど、「若い日の美しい私を抱いてほしかった」(一番)、「この命ほしいならいつでも死んでみせますわ」(二番)、「生きて添えない二人なら」「遅すぎた恋だから、命をかけてくつがえす」(三番)など、この歌で特にヤバい部分で、美咲はリスナーにあえて訴えかけず、泣かせようとはせず、特別に強い表現もせず、逆に爽やかなキュートさを出しながら歌っているようにぼくには聴こえる。

2.4 ヴァージョンも聴きなおしたが、こうではなかった。もっと濃厚なシットリ系演歌という路線を強く出している。8.8 ヴァージョンは濃厚すぎず、かといってドライにもなりすぎない、しかもアイドル系女性シンガーの持つ可愛らしさをも出して、こんな「風の盆恋歌」みたいな内容をしっかり歌い込んでいる。

これは、かなり、すごいことなんじゃないだろうか。ど演歌ふうな空気を出していた 2.4 ヴァージョンと比べ、これはアイドル時代への逆戻りじゃない。美咲の歌がいっそう深くなった、成長したという証拠なんだよね。由紀さおりがむかしからそういう歌いこなしをしているように、スムーズで素直にスッと伸びるきれいな声でもってサラッとこなしているからこそ、歌に大きな深みと凄みが出るんだよね。

あぁ、またタオルを…。

2018/08/10

『ビッチズ・ブルー』はこわい?〜 あの時代の刻印

そう、「こわい」「おそろしい」と言われたことがある。大学生のころのこと。マイルズ・デイヴィスの二枚組アルバム『ビッチズ・ブルー』について。このことは、しかし当時もいまでも、わりと理解できることではある。しかもマイルズのこの作品のサウンドについて、ポイントを突いている表現かもしれないので、ちょっと思い出して、それがどんなことだったのか、憶えている限りのことをメモしておこう。

いまでも女性関係はダメなぼくだけど、これはむかしからホント〜にどうしようもないという意味で、愛媛大学の学生だったとき、たぶん一回生か二回生(この言いかたは西日本でしか通じない)のころ、米文学購読(とかなんとか、正確な授業名は忘れちゃった)で、同学年のある女子学生の隣の席に腰掛けたことがある。

関係ないけれど付記しておく。当時の(いまも?)愛媛大学法文学部には法学科と文学科があって、文学科のなかに各専攻があった。英文学専攻とか哲学専攻とか、そのほか数個。その専攻は、入学してすぐには決まらない。一回生の終わりか二回生の終わり(どっちだったか忘れちゃった)に、それを選ぶんだけど、しかし教員数が多くないので人気のある専攻(はっきり言って英文学専攻のことだけど)は抽選みたいなのが実施される。だから、書類提出時に第二、第三希望まで書く欄があった。

たぶんこれは、大学入学時の18歳は、まだどうなるともわからない、なにを専門的に学びたいかが自覚できていない存在なんだから、一年間か二年間は文学科のなかで専攻を決めず視野をひろく持って学び、そのなかでじっくりと自分にどんなことが向いているのか考えてほしいという意図もあったんだろうと、いまなら思う。

しかし、こういう方向に進みたいという考えがもう心のなかに決まってある学生のためにもそうでない学生にそれを考えてもらうためにも、一回生時から専門領域の講義や演習を受けられる枠が、限定的だけど用意されてあって、だからぼくは(上で「米文学購読」と書いたような)そんな、いわゆる一般教養科目ではない専門科目を、可能な範囲でどんどん受講していた。それで取得した単位は、専攻に進んでのち、加算されることになっていた。そう、いまでもこれがあるのかな、一般教養科目と専門科目の区別。

そんなことで、一回生か二回生のときの、たしか夏休み前の暑い時期の米文学購読の、ある週の授業に出席するのがぼくは遅くなって開始時刻ギリギリかちょっと遅れて(といっても、むかしは教師のほうがずっと遅れて教壇に登場していた、その慣習のなかそのまま育って大学教師になってしまったので、ぼくも10〜15分程度遅れて教室に行っていた時期が長い、筒井康隆の『文学部唯野教授』にもそんな描写が出てくる)教室に入ったのだ。

夏の暑い時期に急いで走るようにして教室に入ったので、汗もかいていたと思うし、すこし息が上がっていたはず。そのまま着席したのが、上のほうで書いた、とある同学年女子学生の隣の席。教室の机が横長であることは大学ではふつうだけど、そのときのその教室は椅子も長椅子というか、ソファじゃないけれど、机の横長サイズに合わせたもので、並んで一つの椅子に数名が座るスタイルだった。

その女子学生(名前も顔も忘れた)の隣に、息が上がって汗もかいた状態で、しかも勢いよくドンと、さらに密着するような距離で座ったのは、そこしか席が空いていなかったから。それしか理由はなかった。人気授業の開始時刻に間に合わないくらいの到着だったんだから、席が埋まりかけているのはあたりまえのことだ。

それでそのままふつうに授業を受けて終わったのだが、数日経ってから、席が隣になったその女子学生が、どうしてだかぼくに話しかけるようになった。態度が変わった(と当時は気づいていない)。これはなんだろう?と、あのころ不思議な気分だったんだけど、18か19歳だったんだから、そんなこと、理解してもよさそうなもんだよねえ。アホだ。

とにかく当時のぼくにはあまり意味がわからなかったが、その女子学生とときどきしゃべるようになって、ぼくが音楽、特にジャズ好きだというのを彼女は知り、「戸嶋くん、レコード貸してくれない?たくさん持っているんでしょ、なにかこれがいいっていうのを、私ジャズはわからないから、適当に選んでくれない?」と言われ、貸したなかにマイルズの『ビッチズ・ブルー』も混ぜておいたのだ。

ええ、そうです、ぼくは本当になにもわかってなくて、その女性はジャズが聴きたいんだなと(この把握じたいは間違っていなかっただろうけれど)、たんなる音楽的意味として思っただけなので、でもどんな嗜好の持ち主かわからないからぼく自身がすでに好きだったレコードを10枚くらいかな?貸したんだ、大学まで持っていって。

というのは不正確で、実際にはレコードからカセットテープにダビングしたものを貸した、んじゃなく、あげたんだ。今日の本題にあまり関係がないことを先に書いておく。その女性は、大学がその後すぐ夏休みに入ると、ぼくんちに遊びにきた。そのころのぼくは実家暮らしだから、両親と弟二人もいた。

ええ、そうなんです、自宅に遊びに来てもそれでもなお、ぼくは彼女の気持ちに、なにも気づいていなかった。20歳前あたりの男女が部屋のなかでふたりになったらなにができるのかもわかっていなかった。いや、たんに読みかじる知識としては持ってはいたかもしれないが、実感も体験もないので、知っていた、わかっていたとは言えないね。

だから、そのときも、ぼくは部屋のなかでその女性とふたりで座ってお話して(たぶん大学生活のこととか英文学関係のこととか、音楽の話もかな)、いっしょに並んでジャズのレコードを聴き…、っていうそれだけ。ただそれだけだった。う〜ん、アホでしたね。いまでもあまり変わらず。

母はさすが女性で、以前も書いたがぼくの実家はお店で当時すでに生花も売っていたから、母は店頭から何本か抜いて花束をつくり、帰りがけのその女性に手渡したのだった。そのときも、ぼくなんか、たんなるプレゼント、遊びに来てくれてありがとうというお礼かおみやげみたいなものだったんだろうという、それしか意味がわからなかったもんなあ。まあでもやっぱりそれだけのことだったかもしれないが。

マイルズ・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』。その女性にあげたカセットテープ10本かその程度のなかにそれを入れておいたのが、しばらく経ってほかのアルバムのものとあわせて、感想が返ってきた。『ビッチズ・ブルー』はなんだかこわい、おそろしい、これは、戸嶋くん、なんなん?と言われたのだった。

前から書いているように、ぼくが『ビッチズ・ブルー』のことをおもしろい、楽しい、カッコイイと心底感じ入るようになったのは、大学四年目の終わりごろの三月お彼岸のお墓参りから帰ってきての自室で二枚目 A 面の「スパニッシュ・キー」を聴いて、天啓みたいなもの、背筋がゾクゾクするようなあの体験があって以後のこと。あのとき以後は、本当にすごい音楽だと楽しめるようになった。

しかし、それ以前も、わからないなりにこの『ビッチズ・ブルー』の音楽はただならぬものだ、なんだか知らないがすごいことが展開されているぞ、と直感してはいたのだ。じゃなきゃああんなに聴かない。むろん、世評があまりにも著しく高いというのも繰り返し聴いていた理由だ。ぼくにとっては、特に油井正一さんが絶賛なさっていたのがかなり大きかった。でもぼくなりに「なにか」を感じていたはずと思う。

でもその「なにか」がなんなのか、ちゃんと自覚できていなかった。だから、今日思い出しているその女性に『ビッチズ・ブルー』をカセットに録ってプレゼントしたのは、そんなモヤモヤ感の表出だったかもしれない(は違うのだろうか、たんにやっぱり自分が好きだっただけか)。とくにジャズとかに興味を持ったわけでもなかった(といまではわかるけれど)だれかが、それでも聴いてさえもらえれば解明の糸口を見つける手助け、きっかけをくれるかもしれないとかいう、そんな細い糸をたぐるような心持ちがぼくのなかにあったかもしれない。彼女はそんなこと、思いもしなかったはず。ぼくだって彼女のなんらかの気持ちに1%たりとも気づかなかった。

その女性が『ビッチズ・ブルー』のことをこわい、おそろしいと感想を述べたのは、しかしわりと的確にこのマイルズ・ミュージックの質感を言い当てていたんだよなあと、いまでは思う。直接的にはベニー・モウピンの吹くバス・クラリネットの、あのトグロを巻くような木管サウンド、あれが出す雰囲気にはたしかに怖ろしい感じがある。

それだけじゃない。アルバムのほぼ全体のサウンドもリズムも荒々しくハードで、不穏で落ち着かないフィーリングが強いよね。いま考えたらあの二枚組アルバムは、1969年8月の(かのウッドストック・フェスティヴァルの翌日から三日間での録音セッション)時点での、アメリカ黒人音楽家であるマイルズ・デイヴィスが抱く不安、時代の不穏なフィーリングを、うまく音楽に乗せて表現できていたんじゃないかなあ。

録音に参加した人員数そのものだって多い。フェンダー・ローズの電気ピアノ奏者は、多くの曲で三名が同時演奏。ドラマーも二人合同演奏でパーカッション奏者もいる。ベーシストもウッド・ベース奏者とエレベ奏者の二名が同時に弾く。しかもそれらはクラシカル・ミュージックのオーケストラのように整然と合わせて演奏したりなどしない。ゴッチャゴッチャの混沌状態だ。

リズムも多重的だけど、サウンド・テクスチャーも複雑。それがしかもカオス状態のままどんどん進む。だれがどこでなにをやっているかもわかにくいし、整ったソロらしいソロもあまりない。「リズム・セクションの上に上物ソロが乗る」みたいな構造が崩れているもんね、『ビッチズ・ブルー』では。マイルズやチック・コリアがキュー出しはしているけれど、だいたいがヤミ鍋みたいなまま、まがまがしく、同時進行している。そう、まがまがしいよな、この音楽は。

そんな音楽を、現在56歳であるぼくのいままでの音楽体験や知識から、こういうものだと言い表すことはむずかしいことじゃない。実際、いままで書いてきている。がしかし、なんのきっかけだったかわからないが昨夜ふと思い出した大学生のころのあんなエピソードで、『ビッチズ・ブルー』ってどんな音楽?という表現を、あのときその女性がけっこう的確にしたなあ、とふりかえったのだった。

2018/08/09

ストーンズが切り取った静物画

二人のうちロック・ギタリストだったほうの弟の自慢のひとつだったのが、ローリング・ストーンズのライヴ盤『スティル・ライフ』(1982)1曲目「アンダー・マイ・サム」のことで、これを出だしのリフからソロ部も含めキース・リチャーズと同じように弾けるっていうもの。だからミック・ジャガーにぼくはなり、部屋でふたりでよく遊んだ。それの前にこのアルバムには、デューク・エリントン楽団の「A列車で行こう」(ビリー・ストレイホーン作)が導入として使われている。ラストのアウトロがジミ・ヘンドリクスの弾く「スター・スパングルド・バナー」。

アウトロの真似はむずかしく、イントロ部はぼくの持つエリントン楽団のレコードで「A列車」をちょろっと鳴らし、すかさず弟に弾きはじめてもらった。ドラマーやベーシストやサイド・ギタリストやキーボード奏者はもちろんなしだから、やっぱりイマイチだったんだよなあ。じゃあ実際にバンドでやればよかったんじゃないかと、いまでは思うけれど、当時10代〜20代頭のころの五歳差ってのはデカかったんだぞ〜。ムリだ。ぼくも弟も高校生時分を中心にスクール・バンドをやっていたわけだから。

やっていた音楽の種類はまあおんなじようなもんだったけれどね。ぼくのほうがレッド・ツェッペリン・コピー、弟のほうは甲斐バンド・コピーだから。けっこう気持ちの入った甲斐バンド好きで、ぼくが東京に来てからも、弟が甲斐バンドのライヴを観にきたりしたこともあった。ぼくがマイルズ・デイヴィス来日公演を追っかけていたのと同じメンタリティだったのかもなあ。甲斐よしひろは活動中だからまだ可能だが、その気はずいぶん前からないらしい。

ともかくロック・バンドのライヴ盤とは、真似するアマチュア連中にとっては格好の教材なのだ。もちろんレッド・ツェッペリンもローリング・ストーンズもそのほかも、ライヴ収録後にスタジオでオーヴァー・ダブしたり音を差し替えたりなど、手はくわえてある。1981年のアメリカン・ツアーからとった『スティル・ライフ』だってそう。だけどそれでもまだやりやすいんだっていうのは、みなさんご納得いただけるはず。

あ、そうだ思い出したぞ。B 面の「タイム・オン・マイ・サイド」も弟とよくふたりで真似して遊んだ。こっちはストーンズのオリジナル曲じゃない。弟とぼくも1960年代のストーンズ版初演じゃなくこの『スティル・ライフ』のをなぞっていた。っていうか弟がどうだったか知らないが、この曲をぼくがはじめて知ったのが『スティル・ライフ』でのことであって、ストーンズ・オリジナルじゃないってこともはじめのうちはわかっていなかった。

「トゥウェンティ・フライト・ロック」(エディ・コクラン)も「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」(ミラクルズ)も「ジャスト・マイ・イマジネイション」(テンプテイションズ)も、ぜんぶ、ストーンズのこのライヴ・アルバム・ヴァージョンがまず最初の道案内役だったんだ。この(音楽)世代の白人ロック・バンドにはそういった功績だってある。

ストーンズの『スティル・ライフ』は、ロニー・ウッドが正規メンバーになって以後なら『ラヴ・ユー・ライヴ』(1977)に次ぐライヴ・アルバムだけど、あの二枚組とはかなり雰囲気が違う。あっちのほうはなんだか(いい意味で)まがまがしい感じがしていた。わりとはっきりした黒人音楽トリビュートというかオマージュでもあって、それはエル・モカンボ・サイドのことだけじゃなく、作品全体がそうだなあと聴こえている。

それに比して『スティル・ライフ』は R&B/ロックンロール・アルバムだよね。しかもどす黒くはなく、軽くて爽快な感じだって、むかしもいまも変わらずする。だから真似しやすいのか…。そこらへんの正確なことはやっぱりわかりきらない。ほかに『ラヴ・ユー・ライヴ』とのサウンド面での大きな差は、鍵盤奏者イアン・マクレガンがいて、さらにもっと大きなのはサックスでアーニー・ワッツが参加していることだ。

それからビル・ワイマンのベースが(ストーンズにしては)わりとクッキリよく聴こえるというのもほかにあまりない特徴だ。もちろんビルもいつだってふだんから弾いているんだけど、どうもね、ちょっとなかなかわかりにくいというか、ミキシングの際に音量を下げられているんじゃないの?おそらくはミックの意向で?じゃあどうして『スティル・ライフ』ではこんなに聴こえるの?そのへんは、どなたか詳しいかたにお任せしたい。

歳月の経過とともに聴き手は変わるけれど音楽じたいも変わるっていうのは、ぼくがふだんから繰り返していること。ストーンズの『スティル・ライフ』でもこれを痛感する。かつてはストレートなロック・ナンバー、たとえば2曲目「アンダー・マイ・サム」、3「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」、10「スタート・ミー・アップ」、11「サティスファクション」などが大好きだった。

ほかだと、やっぱりこのサックス奏者自身のことが好きなアーニー・ワッツが目立ってソロをとる6曲目「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」、9「ジャスト・マイ・イマジネイション」なんかでのそれが、やっぱりジャズで鍛えた旨味だと感じていて好きだけれど、それがそもそも直接的にはリズム&ブルーズ・フィールだともわかっていなかった。関係は深いんだけどね。

ストレート・ロックな曲であるはずのエディ・コクランの5曲目「トゥウェンティ・フライト・ロック」なんかは、このリズムの、なんちゅ〜かこう〜、ヨレて突っかかり止まったり進んだりする感覚がむかしは嫌いで、なにこれ?もっとストレートにふつうにやってちょ〜、って感じていて、聴く際にスキップすることすらあったのがいまでは正反対だ。すごい解釈だ、さすがはストーンズ!と、いまでは感心する。

この『スティル・ライフ』ヴァージョンの「トゥウェンティ・フライト・ロック」、これはクラーベ・パターンの延長線上にあるリズム感覚なんだよね。たったの二分間もない小品になっているけれど、特に出だしなど毎コーラス冒頭部での引っかかる感じがラテンっぽくて、最高だ。リフレイン部ではふつうのストレートな8ビートになってはいるが、そこもスムースじゃない感触があるのが好き。むかしは嫌いだったんだけど。

アーニー・ワッツのソロがいいなあとずっと感じ続けていた「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」「ジャスト・マイ・イマジネイション」二曲のリズム&ブルーズ楽曲カヴァーでも、こっちはいまでもやっぱりこのサックス奏者のことが本当に好きだけど、ちょっと違う印象も出てきている。それは、いままでもボンヤリ無自覚に感じとっていたものかもしれないが。

「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」では、冒頭部からチャーリー・ウォッツがフロア・タム(じゃないかなあ?)を叩くパターンで表現するノリがいちばんの聴きものだといまでは感じる。ちょっとね、言いすぎかもしれないが、ブラジルの音楽でスルドが使われているときの感触に近いような気がするんだよね。ストーンズとチャーリー・ウォッツでサンバとかスルドとか、おかしな妄想かもしれないが。

おかしなぼくだけの妄想だったんだという、テンプテイションズの「ジャスト・マイ・イマジネイション」。このストーンズのライヴ・アルバム『スティル・ライフ』で、いまのぼくがいちばんグッと来るのがこれだ。『サム・ガールズ』収録のストーンズ版初演よりも、そしてテンプテイションズのオリジナルよりも、好きだ。

いちばんいいなと思うのが、ビル・ワイマンのベースで特にわかるシンコペイション。この作品だと珍しく(?)ビルのベースがストーンズ作品で聴こえやすいのが謎の美点だと上で書いたが、この9曲目「ジャスト・マイ・イマジネイション」でいちばんクッキリ聴こえるよね。そのエレベのラインが実にいいなあ。ちょっぴりカリビアン・ニュアンスのある跳ねかただ。アーニー・ワッツのサックスがソロ(短い)でもオブリガートでもいい味。

2018/08/08

転調

というみなさんおなじみのものがあるよね。曲の途中で、特に後半(終盤)部で、パッと別のキーに変わる(たいていは上がる)ことで、聴き手をハッとさせ劇的な効果を生み出し盛り上げる、あれだ。かなりの快感。だからやみつきになるけれど、同一パターンを繰り返しすぎた快感はやがてつまらなくなるように、音楽も最後まで一調とかワン・コードのものがいいなと思ったりすることもあったりするんだなあ。

転調はもちろん世界の音楽にある。といってもぼくは世界の音楽をあまり知らないが、民俗音楽や、それを土台にした大衆音楽では、いわゆる転調は少ないのかもしれない。そもそも転調はコーダル・ミュージックの世界での出来事だしね。そうじゃない音楽だって多い。さらに転調は、たぶん西洋のクラシック音楽で用いられるようになったのがはじまりなんじゃないかと思う。

西洋クラシック音楽の影響は世界のいたるところにおよんでいるので、古典楽曲での効果的な転調に感激してポピュラー・ミュージック界でも用いられるようになったんじゃないかと推測している。日本の大衆歌謡(は流行歌でも演歌でも歌謡曲でも J-POP でもどれもだいたい同じ)での転調は、多くのばあい、キーを一個(半音)か二個(全音)上げるというかたちになっている。

特に曲終盤部でこれをやって、一個か二個キーを上げて転調し、激情的な演歌やパッショネイトなフィーリングを表現したJ-POP(いま同じことを二回言った)で、それをいっそう強調し、聴き手の感情を揺り動かすのを狙っている。その結果、レコードや CD や配信など商品がより多く売れたらいいなという、作曲者や制作側の意図だよね。
しかし直前のリンクはジェフ・ベック&ロッド・スチュワートの「ピーピル・ゲット・レディ」(1985)。もちろんカーティス・メイフィールドの書いたインプレッションズ時代の曲で、彼らによる1965年ヴァージョンがオリジナル。それからしてすでに転調がある。しかしそれがなくとも、ジェフ・ベックらは転調を入れた可能性があるだろう。
もちろんこんな例は世界のポピュラー・ミュージックのありとあらゆるところで聴けるもので、いちいち具体例なんかあげていられないから、みなさんちょっと脳内検索して思い出すなり聴きかえすなりなどしていただきたい。そしてそういった大衆音楽界での転調は、やはり西洋クラシック音楽でそれが行われているのを範としたんだとぼくは思っている。

西洋クラシック音楽界において、曲終盤部での大胆な転調が著しい効果を生み出しているのが、いちばん上で Spotify のリンクを貼ったモーリス・ラヴェルの「ボレロ」(作曲、初演とも1928年)なんじゃないかと思う。画像はそのアルバムじゃなく、ぼくの持っているレナード・バーンスタイン指揮のものを出しておいただけ。この「ボレロ」には、転調がそれまでも一般的だった西洋クラシック音楽の歴史のなかでも特異に聴こえる点がいくつかある。

さほど重要でない、というか一般的な事項から書いておくと、ロマン派の時代にすでに大胆で複雑怪奇な転調は多くなっていた。古典形式における転調は、メイン・キーと関係を持つ近親調へ行くのが一般的だったのが、ロマン派以後はそれも弱くなって、だから「ボレロ」でラヴェルが C メイジャー(ハ長調)→ E メイジャー(ホ長調)と転じているのも、1928年なら奇異じゃない。かなり遠く関係も薄いキーだけどね。

もっと重要なこと。それはラヴェルの「ボレロ」終盤部におけるあの C→ E への転調があんなにも効果的なのは、曲全体がワン・パターンだからだ。まず、リズムは本当に一個の定常ビートが最初から最後まで維持されて、ぜんぜん変化なし。単調とも言いたいほど平坦なオスティナート・リズムがずっと続いている。

その上に乗る旋律だって二つのラインしかない。それを仮に A、B とすると、最後の二小節でだけ変化するものの、ラヴェルの「ボレロ」は AとB の2パターンの旋律をただひたすら延々とリピートしているだけなのだ。これも単調というか平坦というか、約16分間、リズムはずっと同じ、メロディはたった二つをひたすら反復するだけっていう、全体的には大きな一つのクレッシェンドでできているが、よく発表できたな、こんな変化なしの曲。

「ボレロ」はもとはバレエ楽曲なので、踊るためにはリズムもメロディもワン・パターンの反復形式になっていたほうがやりやすいという面はあったはず。しかしラヴェルはたぶんそんな理由だけでこんな淡々とした曲を書いて発表したんじゃない。ワン・グルーヴ反復継続の快感とその最後の最後でトンじゃうことのメタファーとして、あの大胆な転調を入れたんだというのがぼくの見方。

西洋クラシック音楽では、書いたようにロマン派以後、大胆で複雑な転調が一般的となり、しかも一曲のなかで頻繁に繰り返すようになって、じょじょにもとのキー(主調)がなんだったのか、どのキーに転じたのか、それらを把握しにくくなって、現代音楽で調性概念が崩壊することに結びついた。

ポピュラー・ミュージックの世界には無調の楽曲や演奏はあまりない。あくまで商品としてなるべくたくさんの一般大衆に売れないと(=ポピュラーにならないと)意味がない世界だから、調のない音楽はやっぱり人気が出にくいだろう。だから作者や演奏者も避ける。一部のジャズでも聴けるアトーナルな演奏は、やっぱり一過性のものでしかなかった。

しかしラヴェルが「ボレロ」で示したような暗喩としてのワン・グルーヴ維持と転調フィニッシュの快感は、似たようなものが、特にブラック・ミュージック界になかなかあるようにぼくには思えている。特にアメリカのブルーズやファンク・ミュージック、またアフリカン・ミュージックの一部でよく聴けるように思う。

基本のビートはずっと同じものを維持し、そのワン・グルーヴ(ペダル・フィギュア、またはベース・ヴァンプ)の上で<平坦な>ラインを楽器奏者も歌手も演唱。ワン・パターンの運動継続が快感を生み、オーラスの大波=フィニッシュ=転調に結実する、これはまさにファンク・ミュージックなどのやりかただ。ファンクでは必ずしもフィニッシュで転調はしない。しないばあいがほとんどだ。そのままいつまでも続けていることが多く、レコード商品ならフェイド・アウト処理、ライヴ・ステージでなら突然パッとぶった切って終わる。

2018/08/07

いまでも新しいクール・ファンク 〜 スライ『フレッシュ』

『暴動』を経て蘇ったバンド、新生スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『フレッシュ』(1973年6月30日発売)。かなりクールだよね。これがあのスライなのか?『スタンド!』までのように楽しくにぎやかに跳ね回るホットな感じはまったくない。もちろん前作『暴動』(1971)でそれが消えたわけだけど、しかし『フレッシュ』は落ち込んでいるばかりではない。生命感があって、しかもスカしたクールネスもあるっていう。だからぼくとしては『暴動』より『フレッシュ』のほうが好み。なんだかジャジーでもあるしね。

『暴動』でのリズム、特に打楽器はリズム・マシンを中心に組み立てていたが、『フレッシュ』だとそれをそのまま続けて使い、しかもバンドの新ドラマー、アンディ・ニューマークの生演奏ドラミングと混ぜているのが最大の特徴だ。アルバムの随所で聴ける。

生演奏ドラミングには湿った質感というか、う〜んとうまく言えないが、こう、つまり肉体(fresh ならぬ flesh)感が宿る…ってあたりまえなことだけど、リズム・マシンのあのカチャカチャっていう乾いて無機質なあんな感触と混ざって、『フレッシュ』では不思議で形容しがたいグルーヴを生んでいるよね。

そのグルーヴ感がどんなものだか的確に表現することは、ぼくの筆力ではむずかしい。1曲目「イン・タイム」で、まず最初ドラム・マシンが鳴りはじめたなと思った次の瞬間にアンディの生演奏ベース・ドラムが来て、そのほかも入ってくる。ギター、ベースとくわわってスライが歌いはじめ、ホーン・セクションが入ってくるあたりで、かなりの快感。この「イン・タイム」の乾いているんだか湿っているんだかわからない摩訶不思議な音の質感がマジでいいね。

アルバム『フレッシュ』のことは、ここまででぜんぶ言い尽くしてしまったような気分。スライのヴォーカルも、『暴動』のようにはひどく落ち込んでも荒れてもおらず、アルバム『スタンド!』やシングル曲「サンキュー」までのような艶ややかすら感じられる。絶望感はやはり漂っているが、暗く落ち込んでいるようなところからはすこし上向いている。いや、ちょっと開き直ったというか…、うんまあわかりませんが。

絶望と開き直りみたいなものをアルバム『フレッシュ』でぼくが一番実感してしまうのが、スライの曲ではない9曲目「ケ・セラ、セラ」。そう、古めのアメリカン・ポップス愛好家のみなさんもご存知、あのドリス・デイ1956年のヒット曲。もとは映画の挿入歌だった。こんな感じ↓
だからこれはちょっとノーテンキな、ということじゃないにしても、まあ楽観主義な歌なわけ。それをスライはこんなにもアーシーでソウルフルで、かなりブルージーで(ギター・サウンド)、しかも重たく暗い絶望に富む一曲に仕上げてしまった。原曲が超有名ポップ・ソングなだけに、それだからこそ、いっそうスライのこの気分が沁みてしまう。これはちょっとしんどくて聴けないときがある。

アルバム『フレッシュ』全体にこんなヘヴィな感触が濃厚に漂っていて、しかしサウンドとリズムには軽く跳ねるライトネスもあり、必ずしも『暴動』のように落ち込み路線まっしぐらはない。黒人同胞(特にブラック・パンサーなど急進派)のプレッシャーから解放された 〜 『フレッシュ』の録音は1972年にはじまっている 〜 ということも影響したかもしれない。

アルバム10曲目「イフ・イット・ワー・レフト・アップ・トゥ・ミー」は、1968年ごろまでのスライでよく聴けたようなわらべ歌系の一曲で、しかしあっという間に終わってしまう短いもの。こんな路線の楽曲もまじっている、それも「ケ・セラ、セラ」の次にそれが来るというのはおもしろい。これ、ホント、かつてのあのころのスライ・ナンバーにそっくりだよ。シリアスでヘヴィなブラック・ミュージックの愛好家にはそこがイマイチかも。

重たいのか軽いのか、暗いのか明るいのか、そのへんがよくわからないが、有機と無機のリズムとサウンドを合体させ、唯一無二の不思議な質感のファンク・グルーヴを編み出してしまったスライの『フレッシュ』。『ヴードゥー』 のディアンジェロなど、現在の21世紀型音楽につながっているのは、このアルバムのスライだよね。いまでも新しい。

2018/08/06

グナーワ・ディフュジオンにぼくが感じていたものとはなにか

(こないだ、フランス在住のカビール音楽家アムジークのことを書いた際にぼんやり浮かんだことの続きです)

20世紀末に、新宿丸井地下ヴァージン・メガストアのワールド・ミュージック・コーナーで発見して買ったグナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』(1999)。あの当時、どうしてあんなにハマって聴きまくったのか、そのすこし前から狂い聴きしていた ONB(オルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス)のデビュー・ライヴ・アルバムとともに、ぼくにとってのマグレブ音楽入門、ひいてはアラブ音楽入門だったわけだけど、いったいなんだったのか?ああいったミクスチャー・バンドはその後しぼんだように見えるのだが、それも本当なのだろうか?

マグレブ系ミクスチャー・バンドが尻すぼみになったかどうか、時流に疎いぼくにはなんとも判断できない。たしかにそうなんじゃないかと見えているんだけど、それでも HK などはかなり現役トップ・ランナー感が強く、2013年には『脱走兵たち』の大傑作もリリースしているし、だからやっぱりわかんないや。でも、ONB とグナーワ・ディフュジオンの二つのバンドは、たしかに不活発になっている。

この二つのバンドこそ、ぼくにとってのワールド・ミュージック新世紀を切り拓いてくれた存在で(それ以前は中南米とサハラ以南のアフリカばかりだった)、いまでも大きな感謝の気持ちを忘れていないつもり。そしてこの二つのバンドにはかなり大きな違いが二つある。一点は、ONB が大規模な寄り合い所帯で、だれがリーダーとも言えず(いちおうユセフ・ブーケラが主導権を握っていたが)いわば大部屋で大勢がゴッタ煮になって騒いでいるようなバンド、というかプロジェクトなのに対し、グナーワ・ディフュジオンのほうはアマジーグ・カテブのカリスマ的リーダーシップがすべてのワン・マン・バンドだ。

二点目。こっちのほうがいまのぼくには重要だ。この2バンドとのそれぞれ初邂逅だった二作『アン・コンセール』と『バブ・エル・ウェド・キングストン』で比較してもはっきりしているが、前者 ONB のほうはにぎやかな祝祭感が強く、なんというかこう、ディスコで騒いでいるような高揚があるのに対し、後者グナーワ・ディフュジオンは暗く、沈み込むようにダウナーだ。

現在2018年7月末時点でのぼくにとっては、グナーワ・ディフュジオンのほうがしっくり来るし、聴いていて、たとえば20世紀の作品である『バブ・エル・ウェド・キングストン』でも、いまの時代の空気感にピッタリ来るというか、そのなかにいるぼくが強い共感をおぼえるようなものだ。これは、いったいなんなのか?

ここで正直に言ってしまわないといけないのだが、ぼくにとってのグナーワ・ディフュジオンとは、これすなわち1999年の『バブ・エル・ウェド・キングストン』のことであって、この一枚こそが「すべて」。その後の作品に対する共感度は低いんだ。初体験で惚れちゃったということはもちろんある。しかしそれだけじゃないような気もするんだよね。

グナーワ・ディフュジオンは、というかアマジーグは、この作品後ますます政治的戦闘姿勢を強め、ポリティカルな反米姿勢を鮮明すぎるほどに打ち出すようになって、反骨精神を最大のバネにして、たとえば2003年の『スーク・システム』のような傑作も生み出した。これを大手ワーナーから発売できたというのが信じられないくらいだ。

しかし同時に、『バブ・エル・ウェド・キングストン』にあった大きなもの、ぼくにとっては大切だったものが、失われたわけではないが薄くなっていったように感じないでもない。ちゃんと聴けばそれはまったく失われてなんかおらず、悲しみや苦しみが根底にあってこそアグレッシヴな姿勢をとることができている。鬱が攻撃性となって現出するというようなもんかな。

『バブ・エル・ウェド・キングストン』あたりだと、特にシャアビ(ふう)・ナンバーに色濃く出ていると思うんだけど、深く沈み込んだ暗く苦い気持ちがめくるめく美しい旋律に乗せて、宝石のキラメキとなって直截的に表現されている。と、ぼくは、いま2018年になってようやくそう感じるようになった。美しい。本当に、美しい。

これを踏まえると、たとえばレゲエやラガマフィンなどを基調とする曲の数々でも、『バブ・エル・ウェド・キングストン』では、そんな重く暗い沈む悲哀と一体化している官能美を表すシャアビ要素がそこかしこに溶け込んでいるんだなとわかる。純音楽的には、というか、音の高さ、強さ、並びかただけを聴いて、1999年当時から気づいてはいたかもしれないが、たんにミクスチャーなのだとしか思っていなかった。

グナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』で各種音楽要素が渾然一体化しているのは、マグレブ伝統音楽要素とアメリカ合衆国やカリブなどの大衆音楽要素のフュージョンとか、ふつうの意味でのいわゆるミクスチャーとかじゃないのだった。うんまあ、真の意味でのミクスチャーとは、今日ぼくが言いたいような意味で一体化しているもののことを言うのだろう。たんについ2018年までぼくがわかっていなかっただけだ。

でもいいじゃないか。ようやく気づけたんだから。2018年、56歳になって。あの20世紀末というか1999年に、グナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』に、新宿丸井地下で偶然出会って、あの音楽が当時からいまでも、ぼくにどう聴こえているか、ぼくになにをもたらしてくれているか、どんなものとして、いま2018年7月のぼくに作用し、ぼくの心にどう触れてくるか、なんとなく書けたのかなあ。

2018/08/05

シドニー・ベシェのヴィクター録音集に聴けるデューク・スタイル

シドニー・ベシェが日本で初 CD 化されたのが BMG ビクター盤1990年の『シドニー・ベシェ』。とだけ書いてもあれなタイトルだけど、英副題が『The Legacy of Bluebird』ということで、つまり1930年代のブルーバード(ヴィクターの傍系)とヴィクター・レーベルへの録音集。1932〜1941年の10回のセッションからのセレクションで、計22曲。かの「ブルーバード栄光の遺産」シリーズの一枚だ。

このアルバムのなかには、特別な意味を持つセッションがふたつ含まれている。ひとつは1、2曲目の1932年9月15日録音。これはベシェの生涯初リーダー・セッション(ニュー・オーリンズ・フィートウォーマーズ名義)だ。もうひとつは14曲目の「ザ・シーク・オヴ・アラビイ」で、1941年4月18日録音。これがなんとすべての楽器をベシェひとりの多重録音でこなしたワン・マン・バンド。

さらにもう一個特筆すべき重要点がある。ひとつのセッションでということじゃないが、ベシェは計10回のヴィクター・セッションで、デューク・エリントンの曲を四つもとりあげている。これは同時代のジャズ・マン(ベシェのほうが先輩)としては例外的なことなんだよね。ほかにはほぼだれもいない。今日話題にしたい CD アルバム『シドニー・ベシェ』はそこから二曲、「ザ・ムーチ」(19)と「ムード・インディゴ」(21)を収録。

特に「ザ・ムーチ」はデューク最大の代表的レパートリーでシグネチャー、まさにトレードマークだったから、この時代にはほかのだれもカヴァーなんかしたこともない。できないんだよね、あのジャングル・サウンドを体現したあの一曲は。それを1941年という時点ですでにカヴァーした音楽家の例が、ほかにあるかのかなあ、ないだろう。

アルバム『シドニー・ベシェ』19曲目の「ザ・ムーチ」では、ベシェらもかなり健闘して、デュークのやったようなサウンド表現にトライしている。トランペットのヘンリー・グッドウィンとトロンボーンのヴィク・ディキンスンがプランジャー・ミュートを付けてグロウルし、そのあいだを縫うようにベシェの湿って濁った音色のソプラノ・サックスが走る。サビ部で金管がミュート器を外しパッと明るい世界になって中和するという、あのデュークのアレンジ・スタイルも踏襲している。
そんなわけで、このベシェ・ヴァージョンの「ザ・ムーチ」では個人のソロは出番なし。全編アレンジされたものをみんなが演奏しているのもやや珍しい。ことにベシェはニュー・オーリンズ出身のジャズ・マンで、典型的なニュー・オーリンズ・スタイルのジャズはやらなかったとはいえ、この時代のコンボ録音でソロなしの曲をやるのはちょっとした冒険だったかもしれないよなあ。

といってもベシェはそもそも音楽性の幅がひろい人で、たんなるすぐれたいちリード楽器奏者、マルチ・インストルメンタリストにして歌手、というだけでなく、いい曲も書くし(「小さな花」)、バレエ音楽のスコアも残している。ジャズとはアド・リブ・ソロ音楽だという(おかしな?)固定観念を、ジャズ史上最初の偉大なソロイスト自身がひっくりかえしているじゃないか。

それでもやっぱりひとりのリード奏者として考えたら、「ザ・ムーチ」だけでなく、デュークの曲のああいった雰囲気をベシェはわりとよく表現できるサウンドを、特にソプラノ・サックスで出していたように思う。ベシェのソプラノ・サックス最大の特徴とは、透明度100%ではないところだからだ。格別美しいのだが、そのサウンドにはちょっとした濁り、ディストーション、三味線でいうサワリ音成分が混じっていて、だからこそぼくたちには至高のものだと響いてくるんだよね。

ひょっとしてベシェが同時代人としては例外的にデュークの曲をたくさんとりあげたのは、自身も作曲をやるからデュークのコンポジションが抜きに出ているというのが強く沁みていたいうこと以外にも、自身のソプラノ・サックスの持つあんな濁りみ成分が、デュークのやるジャングル・サウンドに相通ずると感じていたからかもしれないよね。

そういうのが CD アルバム『シドニー・ベシェ』でいちばんよくわかるのが、18曲目のベシェ自作「ブルーズ・イン・ジ・エア」。いやあ、いいですねえ、こういったサウンド。ベシェら各人のソロ部だけでなくアンサンブル・パートも実にすばらしく、ベシェの譜面書き能力も実感する。ソプラノ・サックスでブワ〜ッと濁ったダーティなサウンドを出しているのが快感だが、その最中に背後で入る金管アレンジも見事だ。
さらにこの「ブルーズ・イン・ジ・エア」は1941年10月14日録音のベシェ自作曲だけど、アレンジ手法にだってあきらかにデューク・スタイルの痕跡が聴けるように思う。はっきり言って痕跡なんてものじゃなく、そのまんまというに近いものがあるかも。だからやっぱりベシェはデュークのコンポージング能力をかなり尊敬していたんだと思うんだ。ベシェのヴィクター録音集のなかにデュークがいる。

CD アルバム『シドニー・ベシェ』で聴ける1941年近辺だと、同年9月13日に録音した「アイム・カミング・ヴァージニア」「奇妙な果実」の二曲も印象的。ビリー・ホリデイによる黒人差別告発を、ニュー・オーリンズ・クレオール(であることの意味は大きいんですよ)のベシェが切々と吹く後者もいいが、ぼくは前者、ビックス・バイダーベックも得意にした「アイム・カミング・ヴァージニア」がかなり好き。
なにがそんなにって、最大の理由はトランペットのチャーリー・シェイヴァーズがもうホントにぼくは好きなんだ。シェイヴァーズは黒人だけど、この手の、有り体に言えば<ビックス・バイダーベック後>ともいうべきコルネットやトランペットのことが、心の底からぼくは本当に大好きだ。ディキシーランド〜スウィング・ジャズ系で、白人であることが多いが、こうして黒人のなかにもいる。明るくて、華やか。レックス・スチュワートなんかもここだ。

チャーリー・シェイヴァーズのそんなパキパキ、ポキポキっていうような歯切れのいいトランペット・スタイルは、この CD『シドニー・ベシェ』だと20曲目「12番街のラグ」でも発揮されている。こういうのが、特に1920〜30年代録音ものが、いいっていう、ぼくの奥底からの本心は、同世代だとかなり熱心なジャズ・ファンにも共感してもらえない。というか、世代問わず存命のかたではほぼ出会えず、さびしい思いをしています。
そんなわけだから、CD アルバム『シドニー・ベシェ』では、オープニングを飾るベシェの生涯初リーダー録音の1932年9月15日の二曲「メイプル・リーフ・ラグ」「アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー」や、また、サッチモことルイ・アームストロングのホット・ファイヴが隠しテーマになっている、中盤8〜10曲目、1940年録音の「ワイルド・マン・ブルーズ」「セイヴ・イット・プリティ・ママ」「ストンピー・ジョーンズ」も、大好物。

1932年のそれらではトランペットがトミー・ラドナー(ラドニア)。1940年のそれらでは「ワイルド・マン・ブルーズ」でのトランペットがシドニー・ド・パリス、残り二曲ではレックス・スチュワートのコルネット。特に「ワイルド・マン・ブルーズ」「セイヴ・イット・プリティ・ママ」は、1920年代後半にサッチモが名演を残しているのを、二人ともかなり意識しているなと聴きとれるんだよね。

さらに、「セイヴ・イット・プリティ・ママ」「ストンピー・ジョーンズ」を録音した1940年9月6日は、その前の月に亡くなったジョニー・ドッズ追悼セッションでもあって、だからベシェもそれを踏まえての吹奏ぶり。しかしながらドッズだって1925〜27年はサッチモ・バンドのメンバーだった。だから同じコルネット奏者、レックスの演奏ぶりにそれを意識しているところがあるんだよね。このときのピアニストはアール・ハインズだしね。

「ワイルド・マン・ブルーズ」https://www.youtube.com/watch?v=PASIYeu7OD4
「セイヴ・イット・プリティ・ママ」https://www.youtube.com/watch?v=W6_3VtyTgHU

2018/08/04

わたしはタイコ、魂を清め邪気を払う 〜 ハイチのチローロ

チローロ「ドラム・ソロ」
ハービー・ハンコック「ディス・イズ・ダ・ドラム」
アフリカとラテン(含むカリブ)とジャズと、三つの音楽の関係がぼくにわかっているはずありませんが、とにかく最高に楽しく心地良いハイチのドラマー、チローロの音楽。ぼくが持つチローロの音源はたったの CD 一枚だけ、というか CD で探す限り、世界にこれしかないらしい『ベスト・オヴ・チローロ』(The Best of Tiroro: The Greatest Drummer In Haiti)。中村とうようさんの選曲・編纂・解説のもので、2002年のライス(オフィス・サンビーニャ)盤だ。その解説文末尾に、1994年にオーディブックで発売したものだとある。それのリイシューってことだね。2013年にもリイシューされたらしい。

チローロはハイチのドラマー(生没年不明だが1910年代?〜70年代末?)。いちおう念のために付記すると、ドラマーといってもいわゆるドラム・セットを演奏するわけじゃない。とうようさんの解説文によれば「丸太をくり抜いて一枚の皮を張っただけのドラム」とのこと。ジャケット絵やいくつかの写真では、コンガとかジェンベみたいな縦長の樽型に見えるけれど、皮はもっと薄いものを使っているかもしれないという音が聴こえる。バタとか、あるいはなんらかのトーキング・ドラムに近い?そのへんはぼくにわかるはずもない。

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トーキング・ドラムと書いたけれど、『ベスト・オヴ・チローロ』を聴いていると、まさにしゃべっているような、会話(自問自答)しているかのような、そんな闊達自在で多彩なドラム・サウンドが聴こえる。むろんタマみたいな西アフリカのトーキング・ドラムとは違う音なんだけど、チローロの音楽を聴いているとリズムの色彩感に感動するよね。

大きくノルかと思うと、細かい装飾音を重ねていったりロールを入れたり、テンポは曲によって違っているのはもちろん、一曲のなかでもどんどん変化する。『ベスト・オヴ・チローロ』収録の音楽は、ほぼすべてがチローロひとりでひたすらドラムを叩いている(+アルバム後半では歌も)だけのものだけど、決して飽かせず、自由奔放な、でありかつデリケートなフレーズのインプロヴィゼイションに、こ〜りゃカッコイイ!と快感しかない。

タイコのみを演奏するだけなのに、単調(モノトーン)なんていう世界の正反対にあるチローロの音楽。それはハイチという、カリブ海諸国でも最もアフリカ比率の高い国だからなのか、格別西アフリカの音楽のリズムを体現しているもののように聴こえる。北アメリカ合衆国の南の海で。このことを踏まえると、チローロから北上し、米合衆国黒人音楽、ことにジャズ(から派生したロックなども)とかラテンとかファンクとかヒップ・ホップなどにあるリズム・ニュアンスの謎を解くきっかけになるかもしれない。

チローロのドラム・ミュージックは、むろんそれじたいが楽しくおもしろく快感だ。CD アルバム『ベスト・オヴ・チローロ』は、これを流し聴きしているだけで気持ちいいんだけど、上で書いたようにチローロに至るまでにアフリカからなにがどう流入し、チローロ(的なもの)からなにがどう北上したのかを考えると、ゾクゾクしてくるよね。

たとえば、ふとあるきっかけがあって昨晩聴きなおしたファニア・オール・スターズの『ライヴ・アット・ザ・チーター』二枚。サルサ、つまりニュー・ヨーク・ラテンの音楽だけど、どの曲のどこがどう?なんて指摘も不可能なほど、チローロのリズムが<そのまんま>ここにある。正真正銘掛け値なしだ。ファニアのチーターはネット配信でもいつでも簡単に聴ける。Spotify で聴けるチローロはたぶんこのへんかなあ。
Apple Music だとこのへんもある。
ファニアのチーターのリズムのことは、かなりアフリカンだなと聴こえるパートもあるし(それも、ある曲の途中でパッとかたちが瞬時に変貌し、そうなる)、そのほか書きたいことがいっぱいあるので、今日はこれ以上言わず別の機会に。『ベスト・オヴ・チローロ』を聴くと、そんな北米ラテンだけでなく、ハイチやプエルト・リコやキューバなどカリビアン・ミュージック、そして北米ニュー・オーリンズのビート感、さらにそこから誕生したジャズをはじめとするアメリカン・ブラック・ミュージックの種々のリズムの根幹があるなあと、これは間違いない最近の実感だ。

チローロと、米国人ジャズ・ドラマー、マックス・ローチとの関係は、わりとよく知られていることらしいから、書かなかった。『ベスト・オヴ・チローロ』附属のとうようさんの解説文にも詳しい記述がある。ただひたすらチローロのタイコ演奏にだけフォーカスしたライス盤『ベスト・オヴ・チローロ』。ポピュラー・ミュージックのリズム、ノリ、タイミングの感覚の真髄を感じとることができるはず。チローロから敷衍すれば、いろんな音楽のことも説明できるかも。リズムこそ音楽の核心部分だから。

だから、こないだ日曜日に当ブログに文章をアップしたハービー・ハンコック1994年のアルバム『ディス・イズ・ダ・ドラム』は、チローロ・トリビュート作品だったんだよね。今日いちばん上でご紹介したチローロの「ドラム・ソロ」が、CD『ベスト・オヴ・チローロ』の1曲目。何年の録音かは判明しないようだけど、1950年代??ハービーはそこからサンプリングして使った。そのナレイションはチローロじゃないけれどね。

2018/08/03

Directions in Music by Miles Davis

このエンリコ・メルリンさんの1996年の論考。どなただか存じ上げませんが、このかたのおっしゃる "Coded Phrases" とは、簡単に言えばキュー出しみたいなもののことなんだろうか?ササッと読んでみただけだとそんな印象。なんども繰り返し出てくるものだから、キーワードなんだよね。キューのことだったとしても、おもしろい内容だし、1968〜75年のマイルズ・デイヴィスのやりかたを的確に描写したものだと思うので、ご紹介かたがた、すこしコメントしておきたい。

マイルズ・デイヴィスの手法に抜本的な新方向が出てきたのがチック・コリアとデイヴ・ホランドがバンドに加入した1968年の秋あたり。初公式録音が同年9月24日の「マドモワゼル・メイブリー」「フルロン・ブラン」(『キリマンジャロの娘』)。そして同年暮れにジョー・ザヴィヌルがゲスト参加するようになって、決定的な新展開が訪れる。

ジョーがマイルズと初共演した1968年11月27日の3トラックのうち2つはジョーの曲「ディレクションズ」だ(ほか一個もジョーの曲)。CD ジャケットだとイマイチわかりにくくなっているがご記憶だろうか、『キリマンジャロの娘』『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』の三作の表ジャケットには "DIRECTIONS IN MUSIC BY MILES DAVIS" とかなり小さく記されている。

あの三作にだけそう記されていて、最初、高校の終わりごろに買ったときは、これはなんの意味だろう?たんに新方向ってことなだけだよね、それ以前のマイルズ作品と比べたらたしかに違う感じだし、プロ・ライターのみなさんもそうおっしゃるのを読むし…、とかって思ってたんだ。ジョーの「ディレクションズ」をマイルズも1968年の暮れにスタジオ録音で完成させたという事実は、1981年に二枚組の未発表集『ディレクションズ』がリリースされるまでちゃんとは確認できなかったことだ。

ジョーの曲「ディレクションズ」は、いろんな意味でそれまでマイルズがやっていた曲、やりかたとは異なっている。まず、キーが違う。この曲は E メイジャーなんだけど、このキーはジャズ演奏家はあまり使わない。しかし一方、ロック・ミュージックでは主要なものなんだよね。たくさんあるが、この時期のマイルズ関連でいうと、たとえばジミ・ヘンドリクス。のたとえば「パープル・ヘイズ」も E メイジャー。

あ、そうそう、これも最近になってようやく気づいたが(^_^;)マイルズ『キリマンジャロの娘』の A 面ラスト「プチ・マシャン」のメロディ・ラインのかたちは、ジミヘンの「パープル・ヘイズ」のそれに似ているじゃないか。このマイルズ作とクレジットされている曲を書いたのはギル・エヴァンズひとりだ。マイルズ/ギル/ジミヘンのトライアングルにかんしては以下で書いたつもりだったが、書きなおさないといけないなあ。
それはいい。ジョーの「ディレクションズ」をマイルズがやったという話。キーが E なだけでなく、さらに重要な変化がある。この曲にはいちおうのテーマ・メロディ・ラインがあるけれど、テーマ演奏後のアド・リブ・ソロ部は、E のキーだけそのまま使って自由に展開していいということでやっていて、それ以外、テーマ部とソロ部に関係はない。

またジョーの書いたテーマを演奏中から(エンリコさんのことばを借りれば)ベース・ヴァンプがあって、この1968年11月マイルズ・ヴァージョンのばあい、それはウッド・ベース(デイヴ・ホランド)とフェンダー・ローズ(は三名いて個人を特定できる耳をぼくは持たない)を重ねて創ってある。このベース+鍵盤のダブル・ペダル・フィギュアが、この「ディレクションズ」という曲の最も根底にある土台で、いちばん重要で不可欠なものだ。

だから、「ディレクションズ」にはいちおうのテーマ・ラインがありはするものの、それは演奏の際にはなんの役割も果たしておらず、そしてぼくも前から言うように、このすこしあとくらいからスタジオでもライヴでも、マイルズが演奏するものにはテーマそのものがまったくなくなっていくんだよね。

ジャズの伝統マナーだと、テーマ部の持つ和音構成にもとづいてソロを展開するということになっているわけだけど、マイルズのばあい、1969年のあたまごろから、この概念が消える。ソロのよりどころとなるのはテーマのようなものではなく、一個のベース・ライン(フィギュア)、ヴァンプ、コードかモード、あるいはちょっとした短いモチーフというかショート・パッセージみたいなものだけ。しかもそれら曲構成のパターンはビートをも指し示し、ハーモニーの土台であるだけでなくリズム面でもキーとなっている。

スタジオでの初演奏の際には、想像するにマイルズかサイド・マンかジョーのようなゲストか、とにかくだれかがそんなかたちを用意していって(譜面化はされてなくとも)、それでリハーサルやテイクを重ねていくうちに整って充実していったものを、テオ・マセロは1968年以後マイルズのスタジオ・セッションの<すべて>を録音したわけだから適切に切り取って、リリース商品とするべく編集したんだろう。それにはマイルズ本人も立ち会ったケースが多い。

エンリコ・メルリンさんの論考でも重視してあるように、ライヴ演奏の際がもっと問題だ。マイルズのライヴ・コンサートがワン・ステージでひとつながりの<一曲>みたいになって以後(ぼくの知る限りでは1967年の欧州ツアーからそうなった)、次の演奏曲へと移行する際の、だからキューとして、エンリコさん用語では coded phrases が演奏されている。

スタンダード・ナンバーや自作曲でもテーマを持つものをやっていた時代には、主にマイルズがそのテーマ・メロディのさわりをチラッと吹いて、それも移行前の曲の演奏途中最後にリズム・セクションがまだそのパターンを維持したままのときに吹いて、さぁこの曲へ行くぞという合図にしている。それがキュー出し。

しかし「ディレクションズ」をスタジオ録音し、チックとデイヴだけでなくドラマーもジャック・ディジョネットになった(が、なぜかアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』収録素材ではトニー・ウィリアムズが叩いている、謎だ)その翌1969年のツアーからは、そもそもテーマなんかない曲をどんどんやるようになって、マイルズによるキュー出しの基になるものが変化した。

それがエンリコさんが coded phrases という表現でいちばんおっしゃりたいことだとぼくは解釈している。たとえばスタジオ録音はアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』に収録されて発売された「イッツ・アバウト・ザット・タイム」。これにもテーマがないというか、要するに song じゃない。ウッド・ベースとフェンダー・ローズでダブル演奏されるリズミカルな短いパッセージの反復しかない。それがこの曲の土台、というかまあ<テーマ>だ。

だからさ、「ディレクションズ」のやりかたとおんなじなのだ。「ディレクションズ」では、書いたようにベース・ヴァンプというかペダル・フィギュアみたいなものをウッド・ベースとフェンダー・ローズで重ねて合奏しているのがこの曲の、テーマ・メロディ部じゃなくそれが、土台になっているんだけど、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」でも同様のことになっているじゃないか。

もっとも、「ディレクションズ」ではペダルは一個。それが延々と反復されているが、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」では3パターンある。その三つがジョン・マクラフリン、ウェイン・ショーター、マイルズのソロのあいだ同じ順番で登場し、ソロ展開の土台となり、というよりもそもそもこの曲を構成し、どこでもって「イッツ・アバウト・ザット・タイム」という曲だと認識するか、いまどこを演奏しているか、(ぼくらは)どこをいま聴いているか、のアイデンティティになっている。

そんなわけで1969年以後のマイルズ・バンドのライヴ演奏では、次の曲へ行くぞという合図、キュー出しは、マイルズがトランペット(や、ある時期以後はオルガンでも)で、そんなベース・ヴァンプというかペダル・フィギュアをちょろっと吹いて指し示すという具合になっている。それが coded phrases。

ジョーの曲「ディレクションズ」は、いちおうはテーマ・ラインを持つ曲だけど、ライヴでは(開始時に)演奏されないようになり、ある程度演奏が進んでから、ばあいによってはかなり終わりがけの演奏終了間際になってから、はじめてそれが出現する。だからいわゆるテーマなんかじゃない。申し訳程度のコピーライト支払い行為でしかない。

それでも1969年バンドのライヴでは最初にテーマを演奏しているが(でもチックがあのベース・フィギュアを弾いているのが土台だ)、それが1970年以後は消えてなくなって、取って代わってベーシスト(デイヴ・ホランドかマイクル・ヘンダスン)が一定のパターンを演奏するペダル・フィギュアに乗ってマイルズ以下がソロを取るというやりかたになっているよね。キーが E のこのベースによるショート・パッセージだけが肝なのだ。それでしか「ディレクションズ」だとアイデンティファイできないのは、たぶん演奏者本人たちも同じだったはず。

ライヴで演奏するほぼすべての曲がそうなっていったし、1969年夏の『ビッチズ・ブルー』録音セッションあたりからはスタジオでの演奏も同じことになった。作曲行為、曲創りの意味合いが根底から変化したのだった。マイルズがそんなやりかたを録音史上はじめて採用したのは、1959年録音の「フラメンコ・スケッチズ」(『カインド・オヴ・ブルー』)だったんだよ。

2018/08/02

ナターリア・ラフォルカデの汎ラテン・アメリカン古謡 Vol. 2

メキシコ人女性歌手ナターリア・ラフォルカデ。といってもぼくはぜんぜん知らず、ジャケット・デザインとアルバム題だけで推測して期待して買った今2018年新作『ムサス Vol. 2』(Musas: Un Homenaje Al Folclore Latinoamericano En Manos De Los Macorinos, Vol. 2)が初ナターリアだったのだ。だから vol. 1 をあわてて追って買った。こんなやつ、いないよねえ。ナターリアは知名度のあるシンガー・ソングライターらしいのに。

そう、このプロジェクト?バンド?とにかくかのロス・マコリーノス(ミゲル・ペーニャ&フアン・カルロス・アジェンデ)とやっているこれの二枚目がよかったんだ。じ〜っくりよくよく聴き込むとちょっとあれかな、と思わないでもないんだけど、第一印象の極上さを信用して、なにかちょっとメモしておきたい。一枚目はまだオーダーしたばかりで届いていないので、一耳惚れだった二枚目のほうについてだけ。

ナターリアはメキシコの有名シンガー・ソングライターと書いたけれど、『ムサス Vol. 2』は(Vol. 1は未聴だからなにも言えない)は、上で副題を書いておいたのでおわかりのとおり、中南米のフォルクローレをとりあげた内容。これが初ナターリアだったのは、ぼくにとって幸運だったのかどうかわからないが、声にちょっぴり幼さとかイノセンスを残しているように聴こえ、言ってみればアイドル・ヴォイスかもしれないので、そんなトーンでこんな渋く悲哀に富む曲群をやるのは、ちょうどいい適切さに感じる。

『ムサス Vol. 2』の全13曲のうち、ラスト12曲目「ガボータ」(マヌエル・ポンセ)はナターリアの歌わないギター・デュオ・ピース。すなわちロス・マコリーノスのみをフィーチャーした、アルバムのコーダのような役割なんだろう。だから1〜12曲目までに話題を限定してさしつかえないと思うけれど、そのうちナターリア自作は三曲のみ。ほかは他作と伝承曲で構成されている。

他作曲も20世紀前半に書かれたものが中心で、だからトラディショナル・ナンバーとあわせ、そしてそういったものとあわせるようにソックリな曲想で書かれたナターリア自作と、それら全体で <フォルクローレ> だという意味づけなんだろうね。メキシコ系ばかりでなく、キューバなどのカリブ音楽、(ブラジルを含む)南米大陸音楽にも踏み込んだ、汎ラテン・アメリカン古謡集といったところ。

なかにはボサ・ノーヴァ・スタイル(8曲目、マルガリータ・レクオーナの「エクリプス」)もあったりして、これはこのアルバムでは例外的かな?と思わないでもない。それ以外はほぼすべてが伝統スタイルの演唱で、アレンジャーをだれが務めているのか、附属ブックレットの字の小ささと地の紙色と文字色のコントラストの低さに、読むのを断念するしかなかった。が、たぶんナターリアとロス・マコリーノス三人の共同アレンジとプロデュースかな?

(ナターリア自作、他作も含め)フォルクローレ・ナンバーのリズムは、3/4とか6/8とかの三拍子系統が多いのも、いかにもラテン・アメリカン・フォークロアの世界だ。アイドル・ヴォイス的な適度な幼さを残しているというぼくの印象のナターリアだけど、適度っていうのは、かなりキュートで可愛い声質でありかつ落ち着いていて、しっとりと沁みてくるような歌いかたをして、それでもってラテン・アメリカ歌謡の深い根っこ部分を掘っているなという、そういうイメージなんだよね。

一曲だけナターリアじゃない女声が聴こえるが、10曲目「デスデニョーサ」(ベニグノ・ララ・フォステル)で、あのオマーラ・ポルトゥオンドが参加している。なんでもオマーラは『ムサス』の一作目にもゲストとして歌っていたらしい。しかしここでのオマーラの声はかなり若い。失礼ながらとてもこの年齢の老婆歌手とは思えないみずみずしさ。ナターリアと並んで聴こえてきても、デュオ部分でも、まったく遜色ないばかりか、むしろ自然体で無理なくスッと歌っているオマーラのほうが…。

そう、つまりナターリアの歌は、やはり良くも悪しくも<意欲的>なのだ。ラテン・アメリカ歌謡の核心部分に降り立って表現しようというこのプロジェクトの壮大さゆえ、やや構えたような姿勢が声のトーンに聴きとれるような気がぼくはする。決して否定的な意味ではない。ナターリアは大健闘し、成功をおさめていると確信している。

そんなナターリアの意欲を、しかし浮き足立たないように地道に支えているのが、やはりロス・マコリーノスのギタリスト二名、ミゲル・ペーニャとフアン・カルロス・アジェンデ。ヴェテランだし、彼ら二名のギター演奏にだけフォーカスしてアルバム『ムサス Vol. 2』を聴くことだってできるほどのナイス・ワークだ。見事というしかない。

ナターリア自作の1曲目「ダンサ・デ・ガルデニアス」の強いダンス・ビートに乗ってナターリアが歌うのにクラリネットやトランペットがからんだり、ロス・マコリーノス二人だけの伴奏で歌う2曲目「アルマ・ミーア」(マリア・グレベール)でのしっとり感や、カーボ・ヴェルデのモルナっぽい5曲目「ドゥエルメ・ネグリート」(伝承曲)もいいし。

こんな哀感もなかなかないと思うほどの(しかしキュート・ヴォイスでそれを歌うわけだが)6曲目「ルス・デ・ルナ」(アルバロ・カリージョ)が沁みるし、7曲目「デレーチョ・デ・ナシミエント」(自作)がキューバのアバネーラ・リズムであるのも個人的にはポイント高し。古いバルス・ペルアーノである9曲目「ラ・リョローナ」が、これまたしっとりしすぎていると思うほど。哀切感も強いが、声質はかわいい。

これも激しいパッションをダンス・ビートで表現する11曲目「テ・シゴ」(オスカル・アビレス)にもグッと来るが、なんたってアルバムの実質的ラスト・ナンバー、12曲目「ウマニダード」(アルベルト・ドミンゲス)のメキシカン・ボレーロが最高にすばらしく、聴き惚れる。伴奏はロス・マコリーノスのギター二台だけというに等しい。これは、いいなあ。

2018/08/01

#notBlueNotebutBoogaloo 〜 エディ・ハリス

ジャズ・テナー・サックス奏者エディ・ハリスの『ジ・イン・サウンド』。1965年8月録音66年発売のアトランティック盤で、だから当然、レーベル公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』には入らない。がしかし、まったく同傾向の一曲がある。そう、言うまでもない、アルバム・ラストの「フリーダム・ジャズ・ダンス」。アルバム全体を通すと、まあふつうのモダン・ジャズ作品かなと思うんだけど、この一曲の魅力は絶大だ。
エディ・ハリスの『ジ・イン・サウンド』も、ドラマーがこれまたビリー・ヒギンズなんだよね。エディ・ハリス自身は、たぶんなんでもない、って言うと語弊があるのか、ふつうのメインストリーマーだろうと思う。黒人ジャズ・サックス奏者にしては音色が軽く薄くてクールなのが特色だけど、それゆえにファンからは軽視もされてきた。しかし今日話題にするアトランティック盤『ジ・イン・サウンド』はやや感じが違う。ブラック・グルーヴィだよね。

全六曲のこのアルバムでおもしろいのは、多く見て四曲。でも『ブルー・ノート・ブーガルー』的視点に立って絞ると二曲だ。アルバムのおしりにある5曲目「ス・ワンダフル」と6曲目「フリーダム・ジャズ・ダンス」。やっぱり特にマイルズ・デイヴィスもカヴァーした後者だけど、前者はボサ・ノーヴァ・アレンジで、これもいいぞ。楽しいよ。ほか、3曲目「ラヴ・フォー・セール」、4曲目「クライン・ブルーズ」(後者はエディ・ハリス自作)もグルーヴィだ。

コール・ポーター作のスタンダードにおけるエディ・ハリスの吹きっぷりはかなりすごい。クールとのイメージとは正反対のゲキアツなサックス・ソロを聴かせてくれていて、伴奏のビリー・ヒギンズも猛プッシュ。ソロのあいだ、だれか(ビリー?)がウン!ウン!とうなり声をあげているのがまあまあ音量大きめに入っているが、うん、たしかにこれは気持ちが入っているなあ。

次のノリのいいオリジナル・ブルーズとあわせ、それら二曲こそがふつう一般のモダン・ジャズ・ファンにとっては美味しいものってことになるはずだ。あ、そうそう、エディ・ハリスの『ジ・イン・サウンド』は、基本、カルテット編成なんだけど、3、4、6曲目にだけトランペッターが参加している。レイ・コドリントン。どんなひとか、ぼくはよく知らない。当時の新人じゃないかなあ?

ベースを弾くロン・カーター(当時マイルス・デイヴィス・バンド在籍中)もいいが、ピアノのシダー・ウォルトン(大好き!)のブルーズ・ピアノはやっぱりうまいな、と思っていると、次の5曲目で軽いタッチのボサ・ノーヴァにアレンジしたガーシュウィン・スタンダードが来る。こんなふうな「ス・ワンダフル」はほかでは聴けないよねえ。

前から言っているが、ビリー・ヒギンズはこういうのを叩かせると本当に上手いんだ。ブルー・ノート作品ならデクスター・ゴードンの「カーニヴァルの朝」(『ゲティン・アラウンド』)とかもあったよね。カルテット編成でやるエディ・ハリスの「ス・ワンダフル」では、やはりリム・ショットを効果的に入れている。と同時にスネアをブラシでなでなでしているのが、まるでシェイカーみたいに聴こえたりも。

音色がクールなエディ・ハリスのばあい、こういったやりかたの「ス・ワンダフル」みたいに(フェイク?・)ボサ・ノーヴァでちょうどいい適切なノリを表現しやすいと思うんだよね。ブラジルの、たとえばショーロのサックス奏者って、ピシンギーニャもそうだけど、みんな音色が薄いでしょ、スカスカで。あれでちょうどいい。エディ・ハリスも、だから、ここではいいんだ。

しかしその次、アルバム・ラストの「フリーダム・ジャズ・ダンス」は、どうしたんだこれ?突然こんな、それまでこの音楽家のなかになかったような、ブラック・ラテン・グルーヴが、つまりブーガルー・ジャズが誕生しているじゃないか。突然変異みたいなもん?しかも、モダン・ジャズ界でならディジー・ガレスピー、ホレス・シルヴァー、セロニアス・モンクらの持つあのユーモア感覚、旋律がひょこひょこと上下する滑稽味でもってファンキーさとするあの感覚がこの「フリーダム・ジャズ・ダンス」オリジナルにはある。

これをエディ・ハリスが書いたっていうんだから、マジで降って湧いたような天才の発揮だよなあ。しかもこの曲はワン・コードのモーダル・ナンバーだ。テーマ演奏部では旋律の上下が大きいのでわかりにくいかもしれないが、三人のソロ部でならずっとコードが変わっていないと気付きやすいはず。

コード・チェンジをシンプリファイしてモーダルなアプローチにし、さらにそれを活用してエディ・ハリスもレイ・コドリントンも、ところどころアラブ音楽ふうにソロ・ラインをくねくねと展開するパートがあったりもして、そんでもってそのボトムスを支えるリズムはラテンな8ビート・ブーガルーで、ブーガルー・ジャズ・ドラマー、ビリー・ヒギンズが大活躍。

カヴァーしたマイルズ・ヴァージョンではそれらがすこし消えているものなんだけど、エディ・ハリス・オリジナルの「フリーダム・ジャズ・ダンス」、これほど楽しいモダン・ジャズ・ナンバーもなかなかないよね。愉快でカッチョエエ〜〜。だ〜いすき!

2018/07/31

スペインとアラブ(2)〜 リズムもね

在仏カビールの三人組バンド、アムジーク(Amzik)の2016年盤『Asuyu N Temzi』がすごくいい。一聴しただけで好きになっちゃった。ぼく的にはこれもスペインとアラブ(圏にあるもの)との共通性を感じさせるアラブ・アンダルースの音楽だ。そんでもって、20世紀末からずっと大好きでありつづけているアマジーグ・カテブ(グナーワ・ディフュジオン)の音楽にかなり近いようにも感じる。在仏カビールだから?

そのへんのことは今度また考えてみるとして、アムジーク(ってのは音楽 muzique にひっかけてある?)の『Asuyu N Temzi』は、カビール・フラメンコ作品だ。というのがぼくのとらえかた。旋律はもちろんよくて、そうなんだけど、なによりリズムのこのグルグルまわるダンサブルさ。それがスペインのフラメンコだなって思うわけ。おかしな聴きかたかなあ?

いやいや、もちろんフラメンコじゃなくてカビール・シャアビの持つリズムなんだけど、でもさあこのアムジークの『Asuyu N Temzi』では、そのリズム回転ぶりが、ふつうのシャアビとかカビール歌謡とか、アルジェリアとかマグレブの音楽よりも、いっそう強いように思うんだよね。気のせいかなあ?とにかくぼくにはスペインのフラメンコっぽく聴こえるし、もっと言えばこのアムジークの音楽は汎スパニッシュ(or 汎アラブ・アンダルース)音楽のひとつの結実でもあるかもしれない。

だからぼく的に3曲目「Ilemzi」からあとがずいぶんすばらしく聴こえる。1曲目、2曲目は、なんだかこう、あれっ、清廉な爽やかネオ・アコースティック系みたいにはじまったぞって思っちゃう。それがよくないっていうことじゃなくて、3曲目以後は、あのイベリア半島にある独特の翳りとか憂いが「表面的にわかりやすく」表出されているのがぼく好み。その哀感は強いダンス・リズムをともなっているからこそ、強調されている。だからつまり、フラメンコのパッションに近いじゃないか。

3曲目「Ilemzi」、4曲目「yenna-d w ul」、5曲目「Amek ara-3icagh」とカビール・フラメンコが続くけれど、リズム・アレンジはずいぶんと凝っている。生演奏ドラマーが参加しているけれど、パーカッショニストも複数名いて、ベンディールやデルブッカのような典型的なものだけでなく、(あまり聴こえないが)カホンやタールやシェイカーも演奏しているとのクレジット。

そしてこのアルバムのリズムはそんな打楽器系のものばかりでなく、というよりもむしろ弦楽器のめくるめくフレイジングでこそ表現されているというのも、スパニッシュ・フラメンコのやりかただ。アムジークのばあい、ギター奏者もいるがそれはゲストで、バンド・メンバーとしてはバンジョー/マンドールをヒルディーン・カティが弾いているのが、最高にリズミカルなんだよね。

バンジョーかマンドール&打楽器群の織りなすこのリズムこそ、ぼくにとってのアムジーク『Asuyu N Temzi』におけるいちばんの聴きどころで、最初に書いた「一聴で好きになっちゃった」っていうのはここなのだ。5曲目「Amek ara-3icagh」では、しかし同時にディスコっぽくもあるよね。

ちょっとした驚きは6曲目「Ifen」だ。これはタンゴなんだよね。一曲全体ではないものの、まず出だしでタンゴを演奏するし、その後カビール・シャアビにチェンジしてからもまたふたたびタンゴのリズムが出てきたりして、混交折衷しているようなフィーリング。うまく溶け合っておらずかみあっていないのかもしれないが、おもしろい実験だと思うなあ。

タンゴはアルゼンチン発祥だけど、キューバのアバネーラにルーツがあって、それはセバスチャン・イラディエールの手によってスペインでも花咲いた。アラブ・アンダルース音楽がイベリア半島で花咲いたのはその数百年も前の話だが、ちょっとワクワクしない?

7曲目「à tin hemlagh」は、1曲目同様アクースティック・ピアノの音ではじまるけれど、ストリングス(はシンセサイザーだろう、演奏者明記がない)のあと、マンドールが入ってきて以後は、やはり強いダンス・ビート・ナンバーに変貌。そこからが大好き。まあ、有り体に言っちゃってシャアビなんだけど、でもちょっぴりフラメンコふうじゃない?

シャアビといえば、8曲目「Azaglu」と10「Ibabur」は典型的なそれ。トラディショナル・マナーにのっとって、アムジークの三人とゲスト・ミュージシャンたちもやっている。そこらへんのふつうのシャアビ古典アンソロジーを手にとればいくらでも聴けそうなものだけど、オジサンであるぼくちんはこういうのがホ〜ント大好きなんですよ。この二曲に確たるフラメンコっぽさは聴きとれない。でもこの旋律の動きがマジでいいんだよ、シャアビはね。美しい。

ベンディールのサウンドで幕開けする9曲目「ger layas d usirem」が、このアムジークのアルバム『Asuyu N Temzi』での個人的クライマックス。一箇所でグルグル回転しながらすこしずつ前に進むみたいなリズム・フィールと、兄弟デュオがユニゾンで歌うアラブ・アンダルースのメロディ展開と、このふたつが溶け合った最高の一曲だ。泣けちゃうなあ。なおかつ同時に、ロック・ミュージック的な推進力と快感もぼくは感じるよ。

2018/07/30

ジャズとソウルを昇華するアリーサ

アリーサ・フランクリン2007年のライノ盤二枚組『レア&アンリリースト・レコーディングズ・フロム・ザ・ゴールデン・レイン・オヴ・ザ・クイーン・オヴ・ソウル』。しっかしなんだこのフル・タイトルの長さは?こんなの、短文レビューだったらアルバム題で字数の半分がうまっちゃうぞ(笑)。

どうでもいいことだった。タイトルどおりアリーサのアトランティック時代の未発表&レア音源集で、1966年の「アイ・ネヴァー・ラヴド・ア・マン(ザ・ウェイ・アイ・ラヴ・ユー)」から1973年の「アイム・イン・ラヴ」まで、全35曲。こ〜れが!とうていレアだとか未発表だとか、到底考えられないクォリティの高さ!本当にデモ、アウトテイク、シングル B 面、別ミックス、別テイクなのか??!!まったく信じられない。

この1960年代後半〜70年代前半にソウルの女王として君臨したアトランティク時代のアリーサにもオリジナル・アルバムがたくさんあるし、しかもどれもだいたい傑作で、だから入り口に立って「どこから入ればいいの?」と戸惑っていらっしゃるかたとか、あるいはとっくにファンであるみなさんでも、今日ちょっとアリーサを味見したいがどれにしようかな?という向きとか、要は "全員" に、迷わずこの『レア&アンリリースト・レコーディングズ』を手にとってほしいとオススメする。

つまり、この二枚組は蔵出し音源集なのに、それと同時に、宝石が並んだベスト盤なんだよね。掛け値なしだ。こんな信じられない事態がほかの音楽家でありうるだろうか?アリーサ自身だってこの時期の音源でしかなしえないことだ。いやあも〜う、ものすごいの一言に尽きる。とにかく、この『レア&アンリリースト・レコーディングズ』を聴いてほしい。

このアルバム、フィジカルだと二枚組で、一枚目だってすばらしいけれど、今日ぼくが言いたい趣旨からすると二枚目のほうがピッタリ来る。それに、個人的事情だが今日はちょっと時間の余裕がないんだ。だから、今日だけは『レア&アンリリースト・レコーディングズ』二枚目に話題を限定したい。そのうちフル・アルバムでもとりあげたいと思っている。

今日ぼくが強調したいこと、それはこの時期のアリーサに「ゴスペル」だ「ジャズ」だ「ブルーズ」だ「ロック」だ「ソウル」だなどとの区別がなかったということ。簡単にいま言いましたが、実際の歌でそれを実証するのはなかなかの至難事じゃないだろうか。『レア&アンリリースト・レコーディングズ』を、特に二枚目を聴いていると、アリーサにはこの区別を無効化するパワーとテクニックがあったのだと痛感する。

前から繰り返しているが、アトランティック時代のアリーサはもちろんすごいが、きわめて個人的にはその前のコロンビア時代がかなりの好物であるぼく。まあジャズとかブルーズとかが大好きな人間だからなんだけど、たったそれだけの理由なんだけど、『レア&アンリリースト・レコーディングズ』二枚目でのアリーサにはけっこうジャズ(っぽいものも含め)・ナンバーがあるし、ゴスペル・ソング(レイ・チャールズと共演するデューク・エリントン楽曲) だってある。

なんだかんだ言って、でもやっぱり『レア&アンリリースト・レコーディングズ』二枚目のオープナー「ロック・ステディ」別ミックスがあまりにもかっこよすぎて、超絶グルーヴィで、この曲、ここまでカッコよかったっけ?ここまでのソウル・ナンバーだったんだっけ?とびっくりしちゃったのは、ぼくの認識不足のせいだ。でも、マジでこの別ミックスはカッコよすぎるぞ。『ヤング、ギフティッド・アンド・ブラック』収録の本ミックスよりいいんじゃないかな。

その後もやっぱりソウル・ナンバー中心で進むけれど、そのなかに、たとえば「アイ・ウォント・ビー・ウィズ・ユー」「アット・ラスト」「ラヴ・レターズ」「アー・ユー・リーヴィング・ミー」といった、あまりにも沁みすぎるジャズ・ナンバーが含まれているんだよね。

それらは正確にはジャズ・ナンバーとは言えない。全体的に『レア&アンリリースト・レコーディングズ』で聴くアリーサのヴォーカル&ピアノは、ジャズでもソウルでもなんでもない、もっと違う次元の普遍性を獲得しているのだ。ちょっと聴くと、コロンビア時代のジャズ・シンギングに戻ったかのような印象の曲も含まれているけれど、そうじゃない。

素地にゴスペルを持ちつつジャズやブルーズ・ナンバーを中心に歌ったコロンビア時代と、その後、ソウルの女王となったアトランティック時代のその経験を踏まえ、ジャズ・ソングやジャジーにやるポップ・ナンバーでも、ジャズとソウルを合体吸収し昇華した、ありえない高みにアリーサは到達しているんだよね。ぼくにはそう聴こえる。これはジャズでもソウルでもない。しかし、ほかのなんでもありえない。

『レア&アンリリースト・レコーディングズ』で聴けるアリーサのやるものとは、ただの "歌" なのだ。それもとてつもなくすばらしすぎる、歌なんだよね。これらを前にすると、ジャズだソウルだロックだなんだかんだとやかましく言いたてる(わが)行為の愚かさが身にしみる思いだ。アリーサはなにもかも超えて、普遍的な歌のポピュラーさに、ほかのだれも到達しえない高次元で、到達している。

その結果、アリーサの歌は、わかりやすさ、とっつきやすさ、親しみやすさを獲得し、しかし同時になんぴとをも寄せつけない威厳と誇り、接近できないおそろしさをもまとっている。それは歌というものが、ひいては人間というものが、みんな持つ、存在としてのポップさとプライドみたいなもの、すなわち「真実」というものなのだろう。

そんなことを、『レア&アンリリースト・レコーディングズ』でのアリーサの歌を聴いていて、思ったんだ。

2018/07/29

わたしはタイコ 〜 ハービー 94

ハービー・ハンコックが、いや、ジャズ畑の音楽家が、最もアフリカに接近したのが1994年の『ディス・イズ・ダ・ドラム』(マーキュリー)。冒頭二曲がカッコよすぎて死にそうだよ。それ以後もすごいしな。11曲目までが全世界共通で、それ以後のボーナス・トラック(はリミックス)は流通国によって変わるみたい。ぼくが持っているのは「コール・イット・95」と「モジュバ」のリミックスが収録されている日本フォノグラム盤だけど、そんなわけで今日の話題は11曲目までに限定したい。

ビル・ラズウェルのマテリアルと組んだ1983年の『フューチャー・ショック』以来、ハービーはメインストリーム・ジャズと並行して、エレクトロ・ファンク、またはヒップ・ホップ・ジャズ、あるいはインストルメンタル・ヒップ・ホップとでも言えるものをずっと追求し続けていたが、その路線の最高傑作が、私見では『ディス・イズ・ダ・ドラム』。

しかも最初に書いたように、『ディス・イズ・ダ・ドラム』はかなりアフリカ的というか、アフリカ音楽の、特に打楽器サウンドに侵入しているよね。図らずも、いや、わかっていてやったのだろう、ヒップ・ホップ・ミュージックの持つアフロ特性をあばきだす結果ともなっているのがかなりおもしろい。それは結局、ジャズ・ミュージックが本来的に備え持つアフロ性でもあるのだろう。

未聴のかたも、いちばん上の Apple Music のリンクをぜひ踏んでいただきたいのだが(Spotify にはないようだ)、とにかく頭の二曲「コール・イット・95」「ディス・イズ・ダ・ドラム」がすばらしすぎる。聴きどころはリズム、というかグルーヴ構成とそのフィールだ。ソロらしいソロといえるものはほぼなし。ハービーが弾いたり、ウォレス・ルーニーのトランペットもあるが、ジャズ的な意味ではソロとも呼びにくい。

ちょっと先に付記しておくと、このアルバムでのトランペッターは故マイルズ・デイヴィスだ。ウォレス・ルーニーなんだけど、彼は1991年にマイルズがモントルーでビッグ・バンドを伴奏にギル・エヴァンズのスコアを再現した際のライヴ・コンサートで影武者役をやって以後、マイルズになってしまった。

は、まあ言いすぎなんだけど、ウォレス自身、強く意識するようになったのは、その後の活動内容を聴くと間違いない。ハービーがアルバム『ディス・イズ・ダ・ドラム』でウォレスを起用したのも、マイルズ似であることを活かしたかったから。その上で、さらにあえて似せて吹けと指示したに違いないとぼくには聴こえる。1985〜88年ごろのマイルズのことを思い出してほしい。

つまり、ジャズ界からアフリカに接近する際のキーとして、ハービーもマイルズに吹いてほしかった。が、もはや故人だったからということじゃないかと思うんだよね。かつてのボス、マイルズが1968年以後なにをやったのか、1994年のハービーは検証しなおして、アルバム『ディス・イズ・ダ・ドラム』の四曲(1「コール・イット・95」、8「ハンプ」、10「ラバー・ソウル」、11「ボ・バ・ベ・ダ」)にマイルズを、じゃなくてウォレスを起用した。

それはそうとどんどん話がずれていくが、その10曲目「ラバー・ソウル」っていう曲題は、やっぱりビートルズを意識したものだよねえ。rubber sole じゃないんだし。曲を聴いても、音楽的にあのアルバムとの直接的な関連性はなさそうだけど。それは抜きにして、この曲のリズムの大きなノリは気持ちいい。曲題といい、3曲目のビート・トラック「Shooz」と呼応してんのかなあ。

その「ラバー・ソウル」でも「シューズ」そうだし、ほかのほぼすべての曲でもなんだけど、ビル・サマーズが各種のタイコを担当している。それも西アフリカ由来のものばかり。ジェンベ、バタ、シェケレ、ビリンバウ(は太鼓じゃないのか)、コンガなど、あるいは all sorts と書いてある部分もある。特にバタが多く使われている。

バタ(ヨルバ系打楽器)は、たとえば7曲目「ジュジュ」では、うんこの曲題だけでも示唆的なんだけど(ウェイン・ショーターへの言及でもある?)、バタ奏者がビル・サマーズを含め三人もいる。アルバムのほほ全編で、リズム・アレンジもビル・サマーズが(ハービーと共同で)やり、そもそも打楽器アンサンブルとリズムのノリが主役のアルバムで、いかにアフリカのほうを向けるか?が主題の作品なんだから、ある意味、主役はビル・サマーズなんだ。ほぼ共作というに近い。

1曲目「コール・イット・95」は、それでもまだまだアメリカン・エレクトロ・ファンクに近いなと思うんだけど(しかしもんのすごくカッコイイよね!)、2曲目「ディス・イズ・ダ・ドラム」以後はアフリカ大陸へ、各種タイコをチケット役にして、ぐいぐい踏み込んでいく。その色が薄い4曲目「ザ・メロディ(オン・ザ・デュース・バイ・44)」、6曲目「バタフライ」(1974年『スラスト』からの再演で、今回のフルートはベニー・モウピンじゃなくヒューバート・ロウズ)、8曲目「ハンプ」は例外的だ。それらはかなりプリンスっぽい。カッコイイね。

それら以外の収録曲では、あくまでこのリズム、特に各種ドラム群(いわゆるドラム・セットや、叩くものではないパーカッション類を含む)の織りなすアフリカン・グルーヴこそが聴きもので、音楽の肝だ。上で書いたようにビル・サマーズがかなり貢献しているが、ビル以外にもいろんな人物が音創りにかかわっているみたい。しかし最終的にはハービーにしかできない音楽に仕上がっているのが、この(ジャズ系)鍵盤奏者の深さ、デカさなんだよなあ。

いつでもあくまで知的で冷静で、クールで熱くはならず、ハメも外さずぐいぐい迫りまくらないハービーだけれど、だからこそこんな『ディス・イズ・ダ・ドラム』みたいなアフロ・キューバン&アフロ・ブラジレイロな、いや直截的にアフリカンな、ジャズ・ヒップ・ホップ作品を完成させることができたんだとぼくは考えている。

特に2曲目「ディス・イズ・ダ・ドラム」、5曲目「モジュバ」、7曲目「ジュジュ」、11曲目「ボ・バ・ベ・ダ」、これらに匹敵しうるほどのカッコいいアフリカン・ジャズ・ヒップ・ホップって、1994年時点でほかにあったのかなあ。なかったよね。すごいなあ、ハービー!

2018/07/28

ラテンな『ポップ・スンダ』〜 ウピット・サリマナ

ディスコロヒアの『インドネシア音楽歴史物語』にも一曲収録されている、西ジャワの歌手、ウピット・サリマナ。エル・スールからこの『ポップ・スンダ』が発売されるまで、たぶん名前も聞いたことがなかった。エル・スール・レーベルや同系のものや、オフィス・サンビーニャもの(ライス、ディスコロヒアなど)は、なにか出たら即ぜんぶ買うと決めているからウピットの『ポップ・スンダ』もすぐ買っただけ。

めくら撃ちみたいなもんなんだけど、そうやって知らない領域に踏み込んでいかないと世界がひろがらないもんね。結果というか成果というか、ぼくなりにちゃんと得られたものがあると思っている。実際、クォリティは高い。マレイシア(?)のサローマにだって、そうじゃないとぼくは出会えなかったか、もっとずいぶん遅くなったはずだ。その他たくさんあるぞ。

それはいい。西ジャワのウピット・サリマナ『ポップ・スンダ』。この歌手のことや曲のこと、スンダ歌謡のことなど、ぼくはマジでまったく知らないのに、日本語か英語で読める情報があまりにもすくなくて、だから結局のところ、買ったエル・スールさんのサイトに書いてあること、CD-R をはさんである紙パッケージ裏に記載されてある短文、あとは検索したらこれまた bunboni さんのブログ記事が出てきたのでそれ、と、要はこれだけ。吉岡修さんはどこかでお書きじゃないのかな?

それらによれば『ポップ・スンダ』に収録されている26曲は1960〜70年代の LP レコードから抜粋したベスト・セレクションみたいな内容らしく、しかも日本でこれだけまとめてウピット・サリマナのポップ・スンダが聴けるのはこの CD 発売時が初だったらしい。その後も便りを聞かないので、ないんだよね、きっと。インドネシア本国にもこんなアルバムはないとのこと。

伴奏楽器には多くのばあい(たぶんアメリカ音楽から流入した)ポピュラーな楽器がメインで使われている。エレキ・ギター、ベース、ドラム・セット、電気鍵盤などなど。ところどころインドネシア現地の?民俗楽器かな?と思うようなサウンドも聴こえるが、例外的だと言っていいかも。音の重ね方もアメリカン・ポップス、から来た東南アジア・ポップス流儀?に近い。それにしても、ギタリストのこういった弾きかたは汎東南アジア的なのかなあ?

さらに楽器編成で特別ぼくの耳にとまったのはトランペットの使いかた。たくさんの曲でどんどん入っているが、ほとんどのばあいミュート器を使ってある。それがえもいわれぬ情緒をかもしだしているのがぼく好み。こういったミューティッド・トランペットのオブリガートは、あまり聴かないなあ、ぼくは(って、東アジア歌謡のこと、日本のもの以外、なにも知りませんが、でもアメリカン・ポップスにもあまりない流儀だ)。

ご存知のようにぼくはマイルズ・デイヴィスがこの世でいちばん好きな人間なので、だからトランペットの音が聴こえてくると、やはりどうなっているのか耳をそばだててしまう。ウピット・サリマナの『ポップ・スンダ』でこれだけどんどん同じようなミューティッド・トランペットが使われているということは、専属アレンジャーか、専属でなくとも同一アレンジャーが手がけたということがあるかもしれない。

この件でオッと思うのは2曲目「Gambang Karawang」。ここでのトランペットはソン(キューバ音楽)のスタイルだね。ミュートはつけておらずオープン・ホーンで吹いている。こころなしか曲全体もキューバン・ソングのよう。に聴こえるのはぼくがラテン・ミュージック好きで東アジア歌謡無知だからってだけ?

いやいや、そうとばかりも言えないよ。ウピット・サリマナの『ポップ・スンダ』にはラテン調のスンダ歌謡がかなりたくさんある。どの曲がそうか?などとお聞きになる必要すらない。それほど質量ともにしみ込んで増幅している。1960〜70年代なら西ジャワのスンダのなかにもラテン・ミュージックが入りこんでいて当然だ。遅く見ても1950年代あたりまでには、全世界にラテン音楽、特にキューバのそれが大拡散しまくっていたんだから。

そんなわけで日本の歌謡曲だってラテン・タッチばかりだと前から強調しているが(たぶん直接の起因は、日本の歌謡作曲家もジョルジュ・ビゼーの「カルメン」を聴きまくったことにあるんだろう、それは1864年の作品で、その起源がスペインの作曲家セバスチャン・イラディエールの「ラ・パローマ」で、だからやっぱりキューバ起源のアバネーラ)、同じくラテン音楽の影響が色濃いウピット・サリマナの『ポップ・スンダ』に、日本の歌謡曲、特にあの1960年代あたりのものと類似しているものが多いのも当然なのか?

『ポップ・スンダ』だと、特に13曲目「Orde Baru」以後が日本の歌謡曲に似て聴こえる。あのころの日本にもこんな歌、実にた〜くさんあったよなあ。あるいはインドネシアから日本に流入しているとか、その逆とか、相互方向の交差影響があっただとか、地理的にもさほど遠くないんだし、そんなことだって想定できるかも。

ちょっとビックリは『ポップ・スンダ』6曲目「Sampeu」がレゲエっぽいことだ。世界のいろんな音楽におけるレゲエ爪痕は、たいていのばあいエレキ・ギターで表現される裏拍の刻みだが、このウピット・サリマナのはオルガンが裏拍でビャッ、ビャッと入れているのがユニーク。こんなの、聴いたことないよ。楽しい。トランペットだって南洋ふう。

12曲目「Kongkorong Hajum」の途中ではアフリカン・リズム(っぽいもの)になっているのもおもしろい。アフリカンは言いすぎかもしれないが、それくらい打楽器ビートが中間部でものすごい。特にシンバルの叩きかたに着目してほしい。ポリリズムに近づいているのではないだろうか。

レゲエにしろアフリカン・ビートにしろ、全世界でそれが頻用され一般化するのはもっと時代が下ってのことじゃなかったっけ?ウピット・サリマナの歌う曲をだれがアレンジしていたのか、本当に知りたいぞ。15曲目「Dikantun Tugas」はキューバン・ボレーロっぽいしね。近年、ヴェトナムの女性歌手たちの多くが、こういうボレーロな抒情歌謡を得意とするようになっているけれども。

そんなレー・クエン(現在 No. 1 のヴェトナム歌手 in my 私見)の2018年新作も、ぼくだってそろそろ買えそうなのだが(エル・スール原田さんに送ってくださいと告げるだけ状態)、バラディアーだとかボレーロ歌いではないものの、インドネシアは西ジャワのウピット・サリマナの楽しさ、ほんわかする抒情味と暖かみ、庶民的(ある意味、農民的?)な親しみやすさなど、いま一度、再確認しておきたい。ラテン・テイストとともに。

2018/07/27

マイルズ・クインテットで暖まろう(真夏なのに)

マイルズ・デイヴィスのプレスティジ四部作のなかでいままでいちばん聴いていないのが『スティーミン』で、しかしこれ、特に理由といった理由はないなあ。むかしちょこちょこっと聴いて第一印象がイマイチなだけだったんだろう。いま聴きかえすと、マイルズとリズム・セクションの演奏内容はいいもんね。むかしのぼくには耳がなかったんだね。いまもそうか…。

『スティーミン』ってアルバム題からもジャケット・デザインからも内容からも、冬の音楽っていう感じがしていたのも事実。しかしこの印象だって、いまこの猛暑の季節に聴いてやっぱり悪くないから、くつがえる。そりゃ冬のセッションで録音されたものでもなければ、冬向け商品としてリリースすべく発売企画されたものでもないから、あたりまえみたいな話だ。

『スティーミン』全六曲のなかには、ジョン・コルトレインがまったく吹いていないものが二つある。A 面ラストの「サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト」と B 面ラストの「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」。このふたつ、歌の内容は真逆だけど、どっちもリリカルに美しく演奏しないとサマにならないものだから、トレインを外したんだね。

ところで「サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト」は本当につらく苦しい失恋歌だけど、他方、ぼくが恋に落ちたらそれは永遠にだ、そうじゃなきゃ決して恋なんかしないぞという「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」っていう曲、ぼくは本当に本当に大好きだ。歌詞もメロディの動きもどっちもいいけれど、インストルメンタル・ヴァージョンをたくさん聴いては感動してきた身としては、やはりこの旋律の動きがいいという印象なのかなあ。

いや、あるいはやっぱり歌詞内容を知っているからこそ、それを表現するメロディ・ラインの美しさが身に沁みるということかなあ。どっちだかわからないが、ここで正直に告白します。あまり好きじゃないキース・ジャレットのスタンダーズ(with ゲイリー・ピーコック&ジャック・ディジョネット)。1995年に CD 六枚組のブルー・ノートでのライヴ・ボックスが出たのを、ぼくは持っている。

なぜそれを持っているのかというと、21世紀に入ったころからしばらくあいだ、深夜によくネット・ラジオを聴いていたが、そのときふと真夜中にピアノ・トリオでやる「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」が流れ来たのだった。聴けばキース・ジャレットのタッチだとわかるし、かのスタンダーズ・トリオの演奏だともわかる。こ〜れが、美しかったんだ、マジで。

どのアルバムに収録されているとかは番組で言わなかったように思うのでネット検索し、このトリオによるこの曲は、『キース・ジャレット・アット・ザ・ブルー・ノート:ザ・コンプリート・レコーディングズ』六枚組に収録されていると知り、買ったんだよね。あのあまりにもリリカルな「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」をもう一度聴きたくて。まるで街の通りでふとすれちがっただけのきれいな女性に一目惚れし、探して逢いに行くかのように。この六枚組、ほかの収録曲はひょっとして一度も聴いてないかもな。
キース・ジャレットの話はここまでにして、マイルズ・クインテットのやる「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」。1950年代だから、こういったバラード(やトーチ・ソング)なら例外なくハーマン・ミュートをつけて吹いていたマイルズで、ここでもその本領を発揮している。

マイルズがワン・コーラスのテーマを吹いたらレッド・ガーランドのソロに交代する。レッドもきれいに決めているが、その後ふたたびマイルズに戻りテーマを演奏し、終了。ってことはつまり、この曲でマイルズはアド・リブ・ソロなし。実はこのファースト・クインテット(やその後もすこし)ではよくあることで、ボスはテーマをひたすらきれいに(薄くフェイクしながら)吹くだけ。アド・リブ・ソロはサイド・メンに任せるっていうパターン。よくある。

これはマイルズに限らず、ジャズ・メン、特にホーン奏者、それもワン・ホーン・カルテット演奏にはしばしばあることなんだ。リリカルすぎるバラード吹奏では常套手段で、アド・リブ・ソロはサイドのピアニストによる<間奏>みたいなものだけにする。ホーン奏者のボスが "ソロ” をとっていないとは言えないと思うよ。『スティーミン』の「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」でのマイルズも、格別の美しさだよね。やっぱりロマンティストなんだね、このひとは。しかも内面にややフィーメイルな部分もある。乙女心?

『スティーミン』A 面ラストの「昨晩見た夢」はつらいので割愛し、たとえばアルバム・トップの「サリー・ウィズ・ザ・フリンジ・オン・トップ」。この曲そのものの演奏もたくさんあるスタンダードだけど、そのメロディの一部がほかの曲の演奏内で引用されることのほうがもっとずっと多いような気がしているのはぼくだけ?やはりきれいに吹くマイルズに次いで、無骨で未熟なトレインが入ってくるのはイマイチかもしれないが、チャーリー・パーカー・コンボ時代のマイルズだって逆な意味で雰囲気を壊していた。三番手レッドのピアノ・ソロは立派だ。

ピアノ・ソロといえば、『スティーミン』では B 面のセロニアス・モンク・ナンバー「ウェル、ユー・ニードゥント」でのものがかなりいいよね。以前『リラクシン』の記事で、「オレオ」でのレッドのソロが壮絶で迫力満点と褒めたけれど、この「ウェル、ユー・ニードゥント」でも似たような感じで左手の低音部を強調。実にいいね。『スティーミン』ではこの曲だけが10月録音で(だからトレインがよくなっている)、ほかはぜんぶ5月のセッション。それからこの「ウェル、ユー・ニードゥント」は事前にアレンジされている。

『スティーミン』にあるハード・グルーヴ・ナンバーはもう一個、A 面の「ソルト・ピーナッツ」。ビ・バップ・スタンダードだけど、1956年時点ではもはや時代にそぐわないというか、あまりおもしろく聴こえない。ここでのマイルズ・ヴァージョンはフィリー・ジョー・ジョーンズのショウケースで、でもそれしか聴きどころがないよなあ。マイルズはあまりドラマーにソロをとらせないひとで、実際、このトランペッターの望む音楽性のなかでは存在理由が小さかったような気がする。

2018/07/26

いまならわかる (^_^;)ゼップ『プレゼンス』のファンクネス

最近はアイオナ・ファイフ(スコットランドの新人バラッド歌手)を聴けばなんでもオッケーなんだけど、前までムシャクシャするとレッド・ツェッペリンの『プレゼンス』(1976)をものすごい大音量で聴いていた。高校〜大学生のころからのずっと変わらない習慣で、特になにかの鬱憤や嫌な気分を晴らしてスッキリしたいというときにゼップの『プレゼンス』を超爆音で聴いていた。そうでなくとも、ハード・ロックはそう聴かなくっちゃ。

しかしですね、この『プレゼンス』、むかしのぼくはオープナーの「アキレス・ラスト・スタンド」しか眼中(耳中?)になかったかもしれない…、なんてのはウソで、いまでもはっきり憶えているが高校生のときにやっていたゼップ・コピーのスクール・バンドでいちばん得意にしていた曲が『プレゼンス』のラスト前「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」だったんだよ。もちろん「ロックンロール」とか「コミュニケイション・ブレイクダウン」とか「移民の歌」とか「ハートブレイカー」などだってたくさん歌ったけれど。

いま CD(やネット音源)で『プレゼンス』を聴きかえすと、「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」はなんでもない一曲のように思える。正直言って高校生のころだって似たような感想を持っていたかもしれないが、じゃあなぜこの曲を?というと、このアルバムのなかでアマチュア高校生四人バンドのギタリストくんがコピーしやすいから。多重録音がさほどでもないもんね。ヴォーカル・ラインもイージーだ(と思っていた)。あと、すこしコミカルな感じがするところも好きだったが、この部分はいまでも感じる。ストップ&ゴーのあのフィーリングもいいね。

ストップ&ゴーといえば、アルバム4曲目「ノーバディズ・フォールト・バット・マイン」。むかしもいまもすごくいいと感じるし大好きだ。曲題と歌詞はもちろんブラインド・ウィリー・ジョンスンのかの有名ゴスペルからコピペしているが、曲はゼップ四人のオリジナルだ。それにしてもこの曲のストップ&ゴーは合わせにくいんじゃないのかなあ。特に止まってから再開するタイミングはどうやって計っているんだろう?ぼくら高校生にはむずかしかった。

このへんまでは個人的思い出と直結した部分の話だが、関係なくアルバム『プレゼンス』が異様な輝きを放っているのは間違いない。しかもゼップの全作品中ユニークでオリジナルだ。つまりほかにこんなのはほかに例がない。まず鍵盤楽器がまったく使われていない。これは正真正銘だ。アクースティック・ギターもいっさいなし。というとウソで、5曲目「キャンディ・ストア・ロック」のベーシック・リズム・トラックで使われているのが、いま聴ける完成品でも痕跡があるよね。でもほとんど聴こえないというに近い。

結局『プレゼンス』はエレキ・ギターのみでサウンド・メイクをしたギター・オリエンティッドな一枚なんだよね。と、これだけ読むとハード・ロック・バンドとのイメージが強いからあたりまえじゃんと思われるかもしれないが、このバンドの音楽性はなかなか多彩で、アクースティック/エレクトリックな弦/鍵盤/管の楽器が種々使われていて、曲想もヴァラエティに富む。

この事実を踏まえると、『プレゼンス』がゼップの全キャリア中唯一無二の異質な存在であることがわかるはず。書いたようにエレキ・ギターだけで組み立てたサウンドの質感もアルバム・トータルで均質なら、曲想も均質で、そして、これから書くことが今日ぼくのいちばん言いたいことなんだけど、ファンク・リズムが活用されたヘヴィ・グルーヴをどの曲も持っていて、この点でもアルバム全体に統一感がある。

そう、ファンクなんだよね、『プレゼンス』の(ほぼ)全曲のリズム、特にジョン・ボーナムのドラミングが表現するものは。ゼップの音楽のなかには、たぶん『聖なる館』(1973)の「クランジ」あたりからかな、明確にファンク志向が顕在化するようになっていたが、ああいった(変態拍子だけど)ストレートなジェイムズ・ブラウン・トリビュート的なものからじょじょに消化され、バンドの音楽全体のなかに溶け込んだ最高到達地点が『プレゼンス』だと思う。

1曲目のギリシア神話の英雄譚に歌詞の題材をとった「アキレス・ラスト・スタンド」でも、颯爽と爆進する疾走感満点なナンバーでありながら、ひきずるような重さ、粘り気、跳ねるシンコペイションがあるよね。もとは別な二つの曲だったのを、ギター・オーヴァー・ダブしまくって力技でくっつけちゃったジミー・ペイジのプロデュース・ワークも見事だが、そのせいか関係ないのか、リズム変化の多彩さも聴き逃せないところ。それにしてもこの曲、こういった題材だからというんじゃなく、サウンドがホント〜ッにヒロイックでカッコイイよなあ。聴いていて夢想して惚れちゃうよ。歌詞とサウンドの英雄像に。

2曲目「フォー・ユア・ライフ」はグッと重心を落とした、これはモロそのまんまなファンク・チューン。まあファンク・ロックと言うべきか。やはり主役はジミーのギター・ワークとボンゾのドラミング。というかだいたいアルバム全体でこの二名を聴くべき作品で、ロバート・プラントのヴォーカルはたいしたことないし、ジョン・ポール・ジョーンズのベースなんて聴こえない(ごめん、ウソ、でもそれくらいのもんだ)。

「フォー・ユア・ライフ」でジミーが弾くギター・リフの反復パターンが快感で、このリピートされるマイナー・エクスタシーに、曲後半の同リフではメイジャー・コードをフレーズ終わりで重ねてあるのも大好き。その多調性のおかげで、ハーモニーがジャンプしている。リズムはもちろん(重たいとはいえ)ファンキーに跳ねている。

3曲目「ロイヤル・オーリンズ」。バンドが米ニュー・オーリンズで定宿にしていたホテルの名前から曲題をもらったらしいが、それは歌詞には出てこず、出現するのはソウル歌手、バリー・ワイト。でも音楽的には強い関係がなさそう。それよりもやはりニュー・オーリンズ・ファンクみたいなジャンピーさを持っていることに着目したい。同時に沈み込む感じがあるところも似ている。大サビで(バーボン・ストリートがどうたら…ってところから)パーカッション群が派手に使われているのもニュー・オーリンズふうカリブ性。

5曲目「キャンディ・ストア・ロック」は、基本、1950年代の米ロカビリー・ナンバーだけど(たぶんジミーというよりロバートの趣味だね)、この複雑なシンコペイションとポリリズムはロカビリーにはない。またサビに入るとパッとパターンがチェンジしてカリビアンになるところもファンクネスの発揮だ。ゼップのルーツたるロカビリー/ロックンロールを土台にして、なおかつ同時代的なファンク・ミュージックと、さらにカリブ音楽のニュアンスも取り込んで、陰影に富む多義な一曲に仕上げている。

2018/07/25

キューバ革命でしぼんだ黄色いさくらんぼ

「黄色いさくらんぼ」。

この曲、ぼくの世代だとゴールデン・ハーフの歌(1970)で知っているわけだけど。あのころ、つまりぼくが小学校高学年で、大人のお色気なんかわかるはずもないとしごろに、テレビの歌番組でゴールデン・ハーフがどんどん歌った(彼女たちはぜんぶカヴァー曲で、オリジナルはない)あんなちょっと軽めで健全セクシー路線の歌謡曲はホント楽しかったなあ。もちろん歌の中身のことはなんにもわかっていなかったが、もしわかっていたならば、小学生なら気持ち悪いとすら感じたかもしれない。

そんな(小学生には)気持ち悪く(大人には)たいへん楽しいお色気ムンムンの歌謡曲をやったのが、「黄色いさくらんぼ」を初演したガール・グループ、スリー・キャッツ。三人組。彼女たちのやる「黄色いさくらんぼ」はすごいぞ。放送禁止ギリギリの線だ。あ、いや、実際当時の NHK では放送禁止になったらしい。歌っていると親に怒られたとかいうエピソードも各所で読む。

上で「軽めで健全セクシー路線」と書いたがゴールデン・ハーフ・ヴァージョンの「黄色いさくらんぼ」に言及しているからであって、スリー・キャッツのオリジナルは不純異…、あ、いや、なかなかその〜…、うんまあ、べつになんでもありません。エロやセックスはまったく健全で純なものだしね。性は生。あたりまえのことだから、とやかく言うことはない。

スリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ」は、松竹映画『体当たりすれすれ娘』(1959年8月公開)の主題歌として歌われたものらしい。ぼくはもちろん知らない。この映画の主人公が歌い踊る女性三人組で、そのアテレコ(歌だけ別な歌えるひとが吹き込んで映像にあてはめる)をやった三人組が、映画のトリオと同名のスリー・キャッツとしてレコード・デビュー。

だからやっぱり「黄色いさくらんぼ」がデビュー・シングルなのかな。たぶん映画『体当たりすれすれ娘』のなかでほかにも歌が出てきたんじゃないかと思うんだけど、チョチョっと調べてみただけではそのへんがわからない。とにかくぜんぶがシングル・レコードかアルバム用に録音したのかも判明しないんだけど、現在、一枚の CD『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』(コロムビア、2007年)に計16曲が収録されている。

この CD アルバムは二枚のレコードを、いわゆる 2in1 化したリイシューもので、前半部が『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』(第1集、1959年12月5日発売)。後半が『スリー・キャッツのセクシイ・ムード 〜桃色の風〜』(1960年5月15日発売)。だから、ウィキペディアの記載は部分的に間違っている。

二枚目に「桃色」とあるわけだけど、ところで「桃色」とか「ピンク」とか「赤(紅)」とかって、日本語ではエロにつながっている。英語だとこの系統の色は共産党の連想をひきおこすものだ。エロ関係の色は blue。日本歌謡界だと、たとえばピンク・レディーなんていう命名も、ちょっとしたセクシー路線みたいな意味合いがあったんだろうなあ。

CD『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』。全体的にはお座敷小唄みたいなもんかな。いま聴くとイマイチだなと、ぼくの世代でも感じるばあいがあるが、そうでない曲もわりとある。そうでない、つまりいまでもおもしろく楽しめると思うものは、ラテン(中南米)音楽ふう、はっきり言えばキューバン・スタイルのセクシー歌謡になっているもの。

CD『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』からそんなラテン・ソングを抜き出すと、以下の九曲となる。

・黄色いさくらんぼ
・チョンチョン娘
・ピンク・ムーン
・あの時帰れば
・こんな私じゃなかったに
・おへその曲り角
・甘ずっぱい夜
・いい感じ
・パパ恋人にあって

これらのなかでも特に傑出していると感じるのが以下の三曲。

・黄色いさくらんぼ
・おへその曲り角
・パパ恋人にあって

二枚目の LP レコードが1960年5月に出ているわけだから録音はそれより前だが、フィデル・カストロらによるキューバ本国での革命は1959年完遂。以前から書いているが、誤解をおそれずに言えば、あの革命後、キューバ音楽に潤いが弱くなっていた時期が長い。どうも音楽とか芸能とか芸術とかって、政治や社会の倫理や正義と相反するようなかたちで美を発揮したり失ったりすることもあるよなあ。ねじれてて、残念だけど、事実だ。

そんなことも含め、また、ちょうど革命前あたりの1950年代キューバ音楽と昭和エロ歌謡との関係についても、以前一度書いた。スリー・キャッツの名前も出してある。
20世紀初頭か19世紀後半からキューバ音楽は全世界に拡散していて、アラブ音楽にもトルコ音楽にも、もちろん日本の流行歌、演歌、歌謡曲、J-POP(と、あえて分別してみた)のなかにも色濃いラテン・テイストがある。ラテンというよりもだいたいはキューバ音楽風味だけど、ときにはブラジル音楽に接近したりもした。

ボサ・ノーヴァとか MPB とか最近のものの話じゃないんだよ。生田恵子っていう歌手が1950年代に活躍した。彼女はバイヨン歌いだ。また、美空ひばりの歌のなかにもラテン・ソングがかなりあるじゃないか。それもティーネイジャーのころに。
実際、日本の歌のなかにあるラテンなフィーリングはどうにもこうにも抜きがたい。21世紀の新世代演歌歌手、岩佐美咲のなかにだってあるんだもんね。
キューバ現地の音楽テイストや新潮流の勢い・拡散力が弱くなってからでもどんどんあるわけだから、ましてや全世界に拡散しまくっていた革命前はさぞや波は大きかったはずだ。スリー・キャッツのなかにも、だからあって当然のものだとはいえ、しかし彼女たちのばあいは、格別にキューバン・テイストが強調されているように思う。その目的はセクシーさ、官能性をお茶の間でも楽しめるようなポップ・エンターテイメントとして歌謡曲化するためだったと思う。

CD『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』収録の16曲は、大部分を浜口庫之助が書いている。編曲もそう。ばあいによっては歌詞も浜口だったりするが、しかし星野哲郎であることが多い。それであんな歌詞とメロディとあのサウンドやリズムで、セックスにわりとはっきり言及し、だからテレビで聴いたのを子供が真似して鼻歌でくちずさんでいると注意されたり、NHK で放送禁止になったり。
この直前のリンクでは山本リンダについて書いてあるが、リンダが爆発的ブームになって国民的歌手となり、その後の日本歌謡界でもあんなセクシーなアクション歌謡がふつう一般の流れになったのも、ラテン/キューバ音楽のパワーを借りてのことだったと、それも指摘してある。

スリー・キャッツのばあい、お座敷小唄系と上で書いたが、実際、オーディエンスは踊るというよりも座って聴いて、演者のお色気を楽しむというような趣に仕上がっているよね。山本リンダ以後みたいに踊り狂い飛ばせば卑猥さはなくなる、というか(猥雑ではあっても)別次元に到達し昇華されるわけだけど、スリー・キャッツの歌は、濃厚なエロみがそのままいやらしく表出されている。

上で抜き出したスリー・キャッツのキューバン歌謡九曲のなかに、強いダンス・フィーリングを持つものは「パパ恋人にあって」だけ。だからこの歌に直截的なセックス表現は感じられない。それ以外の八曲はミドル〜スロー・テンポで、ゆったりじっくり雰囲気を昂めていくようなものばかり。

歌詞の中身を具体的に説明しないほうがいいが、サウンドだって、たとえば金管がしばしばプランジャー・ミュートを付けてあのグロウリング・サウンドを出して「わぁ〜わぁ〜」と言っているよね。ラテン・パーカッション群も盛んに入り、リズムにアクセントをつけ、いい刺激になっている。

1970年のゴールデン・ハーフ・ヴァージョンの「黄色いさくらんぼ」は、テンポを上げ疾走する感じに再アレンジし、軽快かつスピーディで爽快な一曲に変貌していた。あの時代にはピッタリ来るフィーリングに解釈しなおしたってことだね。彼女たちのは歌はどれもそうだ。

でもその約10年ほど前には、同じ歌でスリー・キャッツのものみたいに淫靡(美)な世界を展開していたってことも忘れられないことなんだよね。たんなる懐メロとかなんとか、そんなことで片付けないでほしい。ぼくだってリアルタイムでは知らないんだから。たんにヴァーチャルな懐古趣味かもしれないが、ラテン音楽、特に革命でしぼむ前のキューバ音楽と、その影響下にあった世界の歌謡界では大きくふくらんでいたものがあったのは間違いないんで、そんな時代があったからこそ今の21世紀歌謡があるんじゃないかと思うんで。

2018/07/24

スティーヴィ『インナーヴィジョンズ』のポップネス

バート・バカラックと化している『インナーヴィジョンズ』 (1973)になると、スティーヴィの音楽はソウル/ファンクという枠を超えて、もはや黒人音楽でもなく、分別できないひろく一般的で普遍的なポップ・ミュージックとして聴こえてくる。一作飛び越えて、1976年の『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』に近づいている。ただしこのことがはたしていいことなのかどうかは、判断がむずかしいばあいがあるかもしれないけれど。

つまり元レーベル・メイトのマイケル・ジャクスンと同じ次元に、先にスティーヴィのほうが到達しつつあった。彼らのあとには(レーベルは違えど)プリンスがいたということになる(スティーヴィひとり存命とは…)。ぼくはだ〜いすきだけどね、こういった『インナーヴィジョンズ』みたいな音楽が。まあモータウンのカラーみたいなもんでもあった。

スティーヴィにしろマーヴィン・ゲイにしろ、1970年代初頭にセルフ・プロデュースのできる自立した大人の音楽家としてモータウンと再契約して新音楽を展開したけれど(いわゆるニュー・ソウル)、結局のところ、1960年代にこのレーベルが持っていたのと同じようなポップネスにたどりついた(戻った?)んだという見方だってできるのかも。モータウンがえらいのか?スティーヴィやマーヴィンは苦闘の末自力で到達できたからえらいということなのか?

まあいい。『インナーヴィジョンズ』。三部作とぼくが勝手に把握している『トーキング・ブック』『インナーヴィジョンズ』『フルフィリングネス・ファースト・フィナーレ』のうち、やはりこれがいちばん音楽性の幅がひろく、というのはいろんなカラーの曲があって多彩だとかいうことではなく、パーソナルであると同時に社会や世界のユニヴァーサルな問題に同時に踏み込んでいるから(歌詞面だけでなく)。それと、収録曲の調子やサウンドが世に受け入られやすいわかりやすさを発揮しているからだ。

実際、『インナーヴィジョンズ』に、黒人音楽でのいわゆるファンキーさ、ブルージーさ、ソウルフルなフィーリングなどは、ふつうの意味ではほぼ聴きとれないように思う。かろうじて5曲目の「ハイアー・グラウンド」がブギ・ウギだなと思うけれど、しかしここにリズム&ブルーズなどにも直結したあの粘っこい黒人感覚は薄いよね。と、ブギ・ウギ好きのぼくなら感じるんだけど。まあでもこの「ハイアー・グラウンド」は、ちょっぴりだけ黒っぽいのかも。

それはそうと「ハイアー・グラウンド」と次の6曲目「ジーザス・チルドレン・オヴ・アメリカ」の二曲は宗教ソングなのだろうか?歌詞はそうでも、しかしここにもいわゆる黒人ゴスペルみたいなサウンドやリズムはないし、キリスト教的内容のようでいて、サウンドのわかりやすいポップさとあいまって、もっと普遍的な人間の考えかた、ありようを歌っているんだと受けとったほうがいいんだろう。2曲目の「ヴィジョンズ」もそうかな。

このことと密接な関係があるが、『インナーヴィジョンズ』には社会や政治の問題を歌ったものが三曲もある。麻薬中毒問題を扱った1曲目「トゥー・ハイ」、黒人差別など社会や街のことを歌った3曲目「リヴィング・フォー・ザ・シティ」、当時の米大統領リチャード・ニクスンを皮肉った9曲目「ヒーズ・ミストラ・ノウ・イット・オール」。

しかしながらこれら三つも、曲調やサウンドやリズムにシリアスな様子はなく、明るく楽しく跳ね回っているようなフィーリングの演唱になっていて、もちろんスティーヴィはすべて用意周到に計算づくでそんなふうに仕上げている。シリアスな社会派的内容を楽しく美しい曲に仕立てるのは、やはり上で書いたように『キー・オヴ・ライフ』の先取りでもあったんだよね。

直接的には『インナーヴィジョンズ』の次作となる『ファースト・フィナーレ』で社会派アプローチが薄くなって、恋愛問題や個の人生のことを歌った内容が多く、それは歌詞だけじゃなく曲全体のあのフィーリングがそうなっていると思うんだけど、そういうのは、もちろん『インナーヴィジョンズ』にもある。4曲目「ゴールデン・レイディ」、7曲目「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」、(ちょっと違うかもしれないが)8曲目「ドント・ユー・ワリー・バウト・ア・シング」。

8曲目「ドンチュー・ワリー・バウト・ア・シング」はラテン・タッチというか、わりとはっきりしたサルサ・ナンバーで、もしソウル曲だといえるとすればサルサ・ソウル(すごい言いかただ)。これも『キー・オヴ・ライフ』での白眉たる本編ラストの「アナザー・スター」の先駆けだ。
「アナザー・スター」は、あんなに強靭でファンキーなサルサ・グルーヴに乗せてロスト・ラヴを歌った内容だった(「ぼくにはあなたの瞳の輝きしか見えないが、そんなとき、あなたには別のもっと輝ける星があるんだね」「ぼくの心を引き裂くひとのことを好きになってしまった」)けれど、暗く落ち込む歌ではなく激しくダンスしまくることで、ある種のポジティヴさを獲得できていたような一曲だった。

『インナーヴィジョンズ』の「ドンチュー・ワリー・バウト・ア・シング」はもっと明るい。気に病んだってなんにもならないんだからさと歌うと同時に、これは失恋歌ではなく、"もしも" のときはぼくがそばにいるんだから心配すんなと語りかけている内容なんだよね。サルサ・ナンバーにして、同時に、上で言及したマイケル・ジャクスンの歌った「アイル・ビー・ゼア」「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」と同列のテーマなんだよね。いいなあ、これ。ラテン・タッチでこう歌うんだから。

「ゴールデン・レイディ」「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」の二曲のラヴ・バラードは、もちろん女性を称えたり愛の美しさを賛美したりする普遍的な内容。それでも「ゴールデン・レイディ」のほうはスティーヴィ節だし、まだすこし黒人音楽っぽいファンキーなノリがあるかなと思わないでもないが、「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」にいたっては、上で書いたようにバート・バカラックの書く官能ラヴ・ソングと同次元に到達している。すごいの一言に尽きる。

スティーヴィは、実は以前からそうだし、この1970年代前半も、それ以後現在も、黒人らしさ(ってなんのことだか、本当はよくわからないものなんだけどね)とか、人種差別や関連の社会問題を歌うことが多くても、彼本来の持つ資質、音楽性はもっと普遍的でポップなんだよね。バカラックのことを引き合いに出したけれどフランク・シナトラにも似ているし、同じ黒人音楽家でいえばナット・キング・コールやサム・クックらと同じ地平に立っているのだろうと実感している。20世紀アメリカン・ポップスの最良の部分が、1970年代前半だとスティーヴィひとりに凝縮されているんだよね。くどいようだが、その後はそれをプリンスが引き継いだ。

2018/07/23

no. 9... no. 9... no. 9...

Following is a depiction of the soundscape 'Revolution 9' from the album "The Beatles" aka "The White Album" (1968) by The Beatles.

•0:00 (dialogue)
Bottle of claret for you if I'd realised.
Well, do next time.
I'd forgotten all about it, George, so I'm sorry. Will you forgive me?
Yes.

Cheeky bitch.

•0:09 (piano sounds: kind of a theme in B minor)

•0:11(speaking: also sounds like keynotes)
Number 9, number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9, number 9, number

•0:24 to the end (sound collage, much of which consists of tape loops)
(including sampled concrete natural sounds, human voices, speakings, monologues, dialogues, laughs, cryings, shouts, and excerpts from some music works, piano sounds)


•1:00
Then there's this Welsh Rarebit wearing some brown underpants
About the shortage of grain in Hertfordshire
Every one of them knew that as time went by
They'd get a little bit older and a little bit slower but
It's all the same thing, in this case manufactured by someone who's always
Umpteen times
Your fibres giving it diddly-i-dee
District was leaving, intended to pay for

(human laughs)

•1:56
Number 9, number 9...

• 2:00
Who's to know?
Who was to know?

(baby crying)
(a bit Indian music = prob. guitar notes sampled)

•2;11
Number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9, number 9

•2:16
I sustained nothing worse than
Also spoken for
Whatever you're doing
A business deal falls through
I informed him on the third night
When fortune gives

•2:35
Number 9, number 9, number 9

•2:42
Right, right
Right, right, right, right
Right, right

•2:59
9, number 9, number 9, number 9

•3:02
I've missed all of that
It makes me a few days late
Compared with, like, wow!
And weird stuff like that
Taking our sides sometimes
Floral bark
Rouge doctors have brought this specimen
I have nobody's short-cuts, aha...

•3:38
9, number 9

•3:47
With the situation
They are standing still
The plan, the telegram

Ooh ooh

•3:57
Number 9, number

Ooh

•4:03
A man without terrors from beard to false
As the headmaster reported to me
My son he really can try as they do to find function
Who could tell what he was saying, and his voice was low and his hive was high
And his eyes were low

•4:13
All right!

•4:27
Number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9

•5:03
So the wife called, and we'd better go to see a surgeon
Or whatever to price it

•5:08
Right!

•5:11
Yellow underclothes
So, any road, we went to see the dentist instead
Who gave her a pair of teeth which wasn't any good at all
So I said I'd marry, join the bloody Navy and went to sea
In my broken chair, my wings are broken and so is my hair
I am not in the mood for wearing

•5:48
Um da
Aaah

•6:00
How?
The dogs were dogging, the cats were catting
The birds were birding, and the fish were fishing
The men were themming, and the when were whimming
Only to find the night-watchman
Unaware of his presence in the building
Onion soup

•6:31
Number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9

•6:34
Industrial output
Financial imbalance

Thrusting it between his shoulder blades

The Watusi
The Twist

El Dorado

•6:53
Take this, brother, may it serve you well

Maybe it's nothing
Aaah
Maybe it's not that; it's
What? What? Oh

•7:05 (Yoko speaks)
Maybe even then
Exposures in London
It's a difficulty being
By exposure
Because it's almost like being naked

•7:52
If you become naked

•7:55
That line
Hold that line
Hold that line
Hold that line
Hold that line

Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick

2018/07/22

ウェザー・リポートの熱帯地上舞踏音楽トリロジー(3)〜『ヘヴィ・ウェザー』

今日が三週目の完結編。
それでも『ブラック・マーケット』までは、アルバム・トータルで聴くと突出している曲があったりイマイチだったするものも混じっていたけれど、1977年3月発売の『ヘヴィ・ウェザー』には一分の隙もない。完璧なんだよなあ。いやあ、こんなアルバム、どんな音楽世界にもなかなかないもんだよ。

オープナーの「バードランド」や、ジャズ視点からは実はあんがいこっちのほうがすごいクローザーの「ハヴォナ」(大傑作!)などだけでなくぜんぶがいいし、また A面B面の差もなく、B 面トップのライヴ音源だって有効に機能しているし、片面四曲づつの構成が見事なら、全八曲すべて曲創りも演奏も文句をつけるところがない。レコードで盤面ひっくり返して聴いて完璧だったけれど、CD(やネット配信)でトータル連続再生でも完璧っていう、こんなアルバム、ほかにあるのか?

ふつうのジャズ・ファンやウェザー・リポート好きがいちばんアレッ?って思うのが、たぶん7曲目の「ザ・ジャグラー」(ジョー・ザヴィヌル作)なんだよね。この曲だけはやっぱりイマイチなんじゃないの?って思われそうだけど、ラテン・アメリカ音楽視点からは興味深いもの。この曲の土台はアフロ・ペルー音楽だ。アンデス音楽とも通じていそう。これら二点、二年以上前に recio y romantico さんにご教示いただきました。感謝します。
『ヘヴィ・ウェザー』を録音した当時のこのバンドのレギュラー・ドラマーはアレックス(アレハンドロ)・アクーニャ。周知のとおりペルー出身の打楽器奏者。「ザ・ジャグラー」の作者はジョー・ザヴィヌルだけど、アレックスが持ち込んだものがかなりありそうだ。『幻想夜話』『ブラック・マーケット』と、二つの記事でも書いてきたが、ジョーとウェイン・ショーターのワールド・ミュージック志向がこのころからジャズ・フュージョンのなかに溶け込んでくるようになって、その後もずっと続いている。

「ザ・ジャグラー」のばあいは、(たぶんかなり直接的に)アレックス・アクーニャからの流入があったと思うんだけど、ウェザー・リポートが取り組む前から独自にブラジル音楽と融合したウェイン(『ネイティヴ・ダンサー』、1974)がバンドに還元したものや、ジョーの独自開拓したものだってたくさんある。だからアレックスの教示がなくてもたどりついた可能性は高い。

アフロ・ペルー音楽というとマリネーラ、ランドー、フェスティーホあたりかな。ウェザー・リポートの「ザ・ジャグラー」のばあい、アンデス音楽的なペンタトニック・スケールを使ってあるけれど、リズムの三拍子はフェスティーホ系のものかもしれない。しかしかなりシンプルなビートにしてある。マリネーラもランドーもフェスティーホも、もっと複雑なポリリズムなんだけど、ジャズ・フュージョン化するにあたりジョーが整理したのかもしれない。ジョーはギターとタブラも演奏している。

祝祭のダンス・ビートといえば、『ヘヴィ・ウェザー』には5曲目に「ルンバ・ママ」があるよね。1976年夏のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ録音。マノロ・バドレーナとアレックス・アクーニャの打楽器デュオ演奏で、特に後半 1:37 あたりから二名がシンクロして猛烈にグルーヴしはじめてからはすごい快感だ。だからあっという間に終わってしまう。

しかし次の瞬間に6曲目「パレイディアム」冒頭の轟音が響きわたり、ジャコ・パストリアスがラインを刻みはじめたら、さらにまた違う快感が来る。この曲ではウェインもかなり活躍しているが、ジョーのアレンジ、オーケストレイションも見事だ。オーバーハイム・ポリフォニック・シンセサイザーを使えるようになったので、まるでビッグ・バンド・アンサンブルのような広がりが…、っていうのは先週きっちり書いたので省略。でもなんだかんだ言って、ジョーはまだまだ ARP 2600とフェンダー・ローズをメインに使っている。

それからアクースティック・ピアノの響きが格別美しいってことも『ヘヴィ・ウェザー』の特長の一つだ。それを痛感するのがおなじみ1曲目「バードランド」。印象からするとエッ?と思われるかもしれないが、このスタジオ・オリジナルでいちばん目立って活躍する鍵盤楽器はグランド・ピアノなんだよね。重厚なアンサンブル部ではもちろんオーバーハイム・ポリフォニック・シンセとウェインのサックスを重ねてある。

「バードランド」(や「ア・リマーク・ユー・メイド」「ティーン・タウン」)の魅力については語られ尽くされているように思うので多言無用だ。ただ一つ、あの印象的な導入部(と中間各所)のシンセ低音。ARP 2600で出していると思うんだけど、これ、1976年末〜77年初頭の録音だ。ってことは、たとえば楽器はすこし違ってもスティーヴィ・ワンダーなんかがまったく同様のシンセ・ベースを使っているアルバムが発表済みだった。スティーヴィはムーグ・ベース(シンセ)なんだけどね。

ジャズ・ファンのみなさんには、スティーヴィの『トーキング・ブック』(1972)〜『フルフィリングネス・ファースト・フィナーレ』(1974)をぜひちょっと覗いてみてほしいんだよね。ジョーが「バードランド」でやっている低音シンセの使いかたと同じものが、すでにある。ジャズ界でも、っていうか、1970年代半ばまでにはふつうのシンセ活用法となっていた。

あっ、そういえば、チューバやスーザフォンなど管ベースと、弦ベースと、(オルガンなどの)フット・ペダル・ベースと、こういった鍵盤シンセ・ベースと、これら四者の関係を考えてみたらおもしろいかもしれないよね。

「ア・リマーク・ユー・メイド」については、以前詳しく書いた。
アルバム・ラスト「ハヴォナ」。上でも書いたがジャコ作のこの一曲は、ある意味アルバム『ヘヴィ・ウェザー』でいちばんすごい演奏だ。白眉と言ってもいい。かなりジャジーで、4/4拍子を基調としているし、順にソロまわしが続くという組み立てもストレート・ジャズに近いアレンジ構成。そして、ジャコのベースが!とんでもないね!

ベース・ソロ部分できわめてリリカル(このひとのベース・プレイ最大の特徴だ、スペイシーさとあわせ)で美しく、間の活用も見事。ストラヴィンスキーを引用したり、細かいパッセージを弾く部分と大きく乗る部分とのコントラストも完璧で、もう文句なしの絶品じゃないか。「ティーン・タウン」よりすごいぞ。

さらにジャコは自分のソロのあいだだけじゃなく、ジョーやウェインのソロの背後でもベース・ソロを弾いている(ようなもんだ)し、それはアンサンブル部分でも同じ。ジャコもほかの三人も(そう、「ハヴォナ」ではマノロのいないカルテット演奏)、ソロといい合わせる部分といい、この完璧さをかんがみるに、ジョーがかなりな部分までアレンジしてあったとは思う。だけどそれでも、ここまでのスポンティニアスさを持ちかつ構成のトータリティも美しい音楽にはなかなか仕上がらないもんだよなあ。

2018/07/21

多様社会の寛容と愛好を 〜 ライのメルクマール 1998

(フランスがサッカーW杯で優勝したばかり、それもキリヤン・ンバペが主役級の大活躍でスターダムにのしあがったばかりだから、すこしの期待を込めて、でもジネジーヌ・ジダンを擁し1998年にも一度優勝したけれど…)

といっても、ライ歌手と呼べるのはハレドだけだし、披露されているレパートリーも多彩だけど、ハレドと、ラシード・タハ、フォーデルの三人をフィーチャーし、1998年9月26日、パリのベルシー総合体育館で行われた記念碑的コンサートを収録した CD+DVD『1、2、3 ソレイユ』(1998)。あのころのフランスはいまとはすこし違っていた。

21世紀に入ったころからか、フランスだけじゃなく(日本も含め)世界が不寛容になってしまっていて、異・他質なひと・ものを排除し、多様性を認めないようになっているが、すくなくともあの1990年代末ごろのフランスで『1、2、3 ソレイユ』みたいな大規模コンサートが成功したという事実だけをもってしても、あのころはまだ…、と思ってしまう。この発言を後ろ向きの懐古主義と思わないでほしい。社会とはそういうものなんだから。一国、一民族、同様、同質などという<純粋主義>は、ありもしないたんなる幻想に過ぎない。

1998年9月26日のベルシーでの主役は、やはり当時の最大級スターだったハレドかな。実際(CD だと)全13曲のうち最もたくさん歌ってフィーチャーされている。ラシード・タハもすでにスターだった。フォーデルはまだ新人というに近い存在だったよね。ところでフォーデルくん、この DVD で観る当時はかなりイケメンでカッコイイが、最近は…。

まあ見た目はどうでもよろしい。歌にかんしては、当時すでにフォーデルも一級品だった。彼ひとりがフィーチャーされている(CD だと)10曲目の「Tellement N'brick」でも、そのコクのある喉を堪能することができる。ライ歌手に分類されることもあるフォーデルだけど、この曲はライじゃない。冒頭部はシャアビっぽい。そのテンポ・ルパート部でアラブ歌謡のコブシをぐりぐり廻していて、いいなあこれ。フォーデルの声のトーンは塩辛く、それも魅力的だ。テンポ・インしてからはライっぽくなるね。

ぜんぜんライとかすりもしないのが(CD だと)4曲目の「N'Ssi N'Ssi」。ハレドの歌だけど、フレンチ・ポップスみたいなものだ。ハレドがこんなふうに歌わずフランス白人がやれば、なんでもない一曲になっていたかもしれないものだ。フランスに移住したある時期以後のハレドは、賛否あるとはいえ音楽性の幅がひろがったので、こういった歌もこなしたのだった。しかし喉とコブシ廻しにしっかり(オランの)ライ印が読みとれる。ハード・ロックなエレキ・ギター・ソロはスティーヴ・ヒレッジかな。DVD を観返せばわかることだけど。

スティーヴ・ヒレッジは、もちろんラシード・タハ人脈で参加したのだろう。この日のコンサート・イヴェント全体のトータル・プロデューサー役も務めているのがしっかりクレジットされている。イギリス人ロック・ギタリストなんだけど、ラシードはヒレッジと組んで活動してきていたのだった。

ライのばあい、ふつうは打ち込みビートとシンセサイザー(と生演奏打楽器)を中心に組み立てることが多いけれど、『1、2、3 ソレイユ』だと(たぶん)ほぼすべてが人力の生演奏で、リズム・セクションやギターはもちろん、ストリングスもホーンズも全員生演奏。これは豪華だ。いまだったら考えられないよなあ。それらのアレンジをぜんぶスティーヴ・ヒレッジが手がけている。

ってことは、この日のコンサートの内幕は、ハレドというよりも、二歳年上のラシード・タハがある程度まで主導権を握っていたという可能性があるだろうか。そのあたりの詳しいことはぼくにはなにもわからないのだった。ラシードはライ歌手でもシャアビ歌手でもなく、というかアラブ音楽歌手とも言いにくいひとで、ロッカーみたいな感じだよね。だから(カルト・ド・セジュール以後は一貫して)スティーヴ・ヒレッジと組んだんだろう。

しかしそんなラシード・タハにだってアラブのアルジェリア・ルーツに回帰したような伝統路線のアルバムもある。そんななかからの最大のヒットとなり、曲じたいリヴァイヴァルしたのが「ヤ・ラーヤ」(Ya Rayah)。言う必要もないが、ダフマーン・エル・ハラシの書いたシャアビ最大のスタンダードだ。

その「ヤ・ラーヤ」が、『1、2、3 ソレイユ』でもクライマックスだ。コンサートの一番最後に、彼ら在仏マグレブ移民のシグネチャー・ソングとして(っていうかモロそういう内容の歌だ)披露されている。伴奏スタイルは、ラシード・タハ・ヴァージョンに即しているが、そもそもそれがエル・ハラシらのシャアビ古典マナーにのっとったものだったよね。

スーパー・スタンダートを、トラディショナル・スタイルでそのままやって、しかしそれが1998年の時代に訴えかけるパワーとモダンさを獲得し、いやいや、そうじゃない、2018年といういまのこの不寛容な世界にすらもアピールもしているような、そんな演唱に聴こえないだろうか。ぼくはそう感じるんだけどね。

1997年には、ぼくがマグレブ音楽、ひいてはアラブ音楽にハマっていくきっかけをつくってくれた衝撃の ONB(オルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス)デビュー・ライヴ・アルバムもあった。あれの中身は1996年のフランスはエヴリのアゴラ劇場におけるコンサート。やはり人種混交の多彩音楽で、1996年の ONB ライヴも1998年の『1、2、3 ソレイユ』コンサートも、北アフリカ系のひとたち、黒人たち、フランスなど欧州系白人たちがみんないっしょくたになって、あわせて踊ったのだった。

2018/07/20

『ソーサラー』『ネフェルティティ』に聴くマイルズ・ブーガルー

このマイルズ・デイヴィスのプレイリストには『E. S. P.』『マイルズ・スマイルズ』からも選んであるが、それらについてはいままでそこそこ詳しく書いてきているつもりなので省略し、今日は『ソーサラー』(1967.10)『ネフェルティティ』(1968.1)の二作だけに話題を限定して、マイルズ・ブーガルーのことをメモしておきたい、自分用に。

というのは、そういう聴きかたをすれば、ぼくにも『ソーサラー』『ネフェルティティ』はおもしろく聴こえるようになってきているということ。最近までどう思っていたかという話はしない。大学生のころからリズムが楽しい曲も含まれているぞとボンヤリ感じていたが、今年六月ごろから執拗に書いているレーベル公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』 #BlueNoteBoogaloo のおかげで鮮明になってきた。遅すぎ?

しかし『ネフェルティティ』には「ライオット」一曲しかない。でもこれ、かなりおもしろいよね。曲の作者はハービー・ハンコック。トニー・ウィリアムズのドラミングが、上記プレイリスト収録曲のすべてでもそうだが、変形ラテン・ビートを叩きだしているのが、とてもいい。「ライオット」でもかなりすごいよなあ。8ビートだけど、同時にメインストリームな4/4拍子も(主にハイ・ハットで)維持している。

「ライオット」でもほかのものでも、マイルズ、ウェイン、ハービーのソロ内容そのものをそんなには重視していない。ロン・カーターとトニー・ウィリアムズ二名の伴奏が鬼のようにカッコイイと感じて、そればかりに耳がいく。タイトなトニーと違って、ロンはどこを弾いてどこにいるのか、どこへ行きたいのか、フワフワしていて、よくわからない不穏な感じなのが、またいい。

『ソーサラー』には鮮明な変形ラテン・ビート、というかマイルズ・ブーガルーが三曲もある。そのうち「リンボ」(ウェイン作)は、しばらくのあいだブーガルーとは気づかない。このクラシカル・ワーク二枚でみなさんもぼくも最も強く感じている典雅で静的な感じではじまって、しばらく続く。

しかし二管でのテーマ演奏中からトニーがじょじょに熱を帯び、ソロ・パートに突入すると俄然8ビート・ブーガルーへと変貌するんだよね。それが続いているあいだは(ぼくは)気持ちいい。ロンはほんとなにやっているんだろう?どの曲でも、今日選ばなかったものだってそうだけど、浮遊感が強い。ここでのトニーはフリー・ジャズ・ドラミング的でもある。

「プリンス・オヴ・ダークネス」「マスクァレロ」(どっちもウェイン作)の二曲だと、どこからどう聴いてもブルー・ノート・ブーガルーと共通する、というかそのままじゃないか。8ビートの変形ラテンで、いやあ〜、カッコよく楽しいですよねえ〜。トニーのドラミングにはロック・ビート由来だと聴きとれる要素もあるぞ。ところで、この後のライヴで「マスクァレロ」は頻演されたけれど、どうして「プリンス・オヴ・ダークネス」はやらなかったのだろう?

こういったものを重視するのは、その後のマイルズの歩みを考えてのこと。アクースティックなレギュラー・クインテット演奏であるとはいえ、「スタッフ」(『マイルズ・イン・ザ・スカイ』)「フルロン・ブラン」(『キリマンジャロの娘』)などに直結しているし、『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』などの大傑作や、また1970年代のマイルズ・ミュージックのことを考えてふりかえれば、どなただっておもしろいとお感じになるんじゃないだろうか。

参考までに、公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』。
https://open.spotify.com/user/bluenoterecords/playlist/1OAOMYbP4EDgKstUio9FdD?si=Z1lFcI3_SP-_7NmC1xje1w

こっちはマイルズ・ブーガルー。
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-479a.html

2018/07/19

エキゾティック・ディラン 〜『欲望』

ローリング・サンダー・レヴューと題したボブ・ディランのかのライヴ・ツアー。1975年分と76年分と二回あったが、この2レグのあいだにリリースされたスタジオ録音作が『欲望』(1976年1月)。録音時期は1975年7〜10月。

公式発売されている CD 二枚組の『ライヴ 1975:ザ・ローリング・サンダー・レヴュー』は、1975年11月&12月のツアーからの収録で、だから翌年一月発売の『欲望』はすでに録り終え完成もしていた。実際、前者ライヴ・アルバムにも、(登場順に)「ロマンス・イン・ドゥランゴ」「アイシス」(英語だから)、「ハリケーン」「コーヒーもう一杯」「セアラ」がある。これら『欲望』からの新曲は、1975年ツアーの観客にとっては未知のものだったはず。

そんなライヴ・ヴァージョンもそうだけど、もともとのスタジオ・オリジナルだってにぎやかでエキゾティックな雰囲気があって、本当に楽しいんだよね。アルバム『欲望』は、ひょっとしてディランのスタジオ作品のなかで最も色彩感豊かでワイワイやっている一枚かもしれないよ。ぼくも本当に大好きだ。多国籍的だしね。

だからアルバム『欲望』では、ぼく的には1曲目「ハリケーン」、4「コーヒーもう一杯」、7「ロマンス・イン・ドゥランゴ」がすごく魅力的だということになる。「アイシス」「モザンビーク」「セアラ」もかなりいいなあ。それら以外は、実はイマイチだったりすることもある。だから、そういう曲の話は今日はしない。

『欲望』のなかで、ぼくもいちばん好きだし多くのみなさんも同意見を表明なさっているし、日本のバンド、たまも麦茶にしてカヴァーしているしで、やっぱり魅力的に聴こえていることが多いんだろう、間違いないと思うのが「コーヒーもう一杯」。たまのも下に貼っておく。
ディランのオリジナルのほうには、ヴァイオリンのスカーレット・リヴェラが参加しているのと、女性サイド・ヴォーカリストとしてエミルー・ハリスがいるのとがかなり大きな特徴&特長だけど、それはこの曲だけでなく、アルバム『欲望』のほぼ全編でそう。この二名がくわわっているのが、このアルバムの色彩感とエキゾティズムを増幅する役目を果たしている最大要因かも。

エミルー自身はべつにエキゾティックな歌手じゃないだろうが、ディランがみずからのリーダー作品で、しかもかなりたくさん、ほぼ新人の女性歌手と寄り添いながら歌ったことはそれまでなかった。混声でヴォーカル・ラインが進むばあいが多いことで、カラフルで楽しく、しかもポップなニュアンスだって出せていると思うんだ。

スカーレット・リヴェラのヴァイオリンは、やはり異国ふうなニュアンスを『欲望』に与えることになっているとぼくは聴いている。むろんヴァイオリン、というかフィドルは、ディランがそれまでやってきていたような音楽には特別な楽器じゃない。だけど、このアルバムでのスカーレットの弾くオブリガート(ソロはないはず)は、ディラン(+エミルー)の歌のラインと対位的に、離れつつ近寄って、多国籍的サウンドの拡大をもたらしている。

「コーヒーもう一杯」は曲そのものがやや中近東ふうだから、っていうのが最大の要因だろうけれどもね。でもスカーレットが弾く、たとえば1曲目「ハリケーン」にも、ストレートなロック・ストーリーテリングというだけじゃない異・他な音楽ニュアンスがあると思うよ。コンガが入っているからでもあるけれど。

7曲目「ロマンス・イン・ドゥランゴ」も相当に好きな一曲。テックスメックスっぽいよね。マリアッチふうな雰囲気もあるよ。ディランの音楽のなかにはメキシカンなラテン要素がかなりあるぞと、以前記事にした。そのときとりあげたカヴァー・アルバム『アイム・ナット・ゼア』に「ロマンス・イン・ドゥランゴ」はない。「コーヒーもう一杯」はあるので、ぜひ。
複数の曲でアコーディオンもあるし、マンドリンや、あるいはブズーキ(ギリシアの弦楽器)だって入っているものがある。アルバム・ラストの「セアラ」(か「セイラ」、でも「サラ」と発音している箇所もあり)は、当時の妻セアラに、どうか行かないでくれと懇願しているような歌で、これにもスカーレットがヴァイオリン・オブリガートでからんでくれているおかげで、ただのラヴ・ソングというだけでない多彩性を帯びている。でも、ふつうのラヴ・ソングとしてだけ聴いても、ディランの書いた最高のひとつじゃないだろうか。大好きだ。

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