2017/08/19

岩佐美咲ベスト・セレクション by としま

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なんについて書くときでも僕の文章は肩に力が入りすぎで、いわばオーティス・レディング・タイプの熱唱型(えっ?たとえがあまりにもだいそれているって?)。強く大きく声を張り、グリグリとコブシをこねくり廻しまくり、メリスマを限度いっぱいまで効かせて、たっぷりすぎなヴィブラート。『妖怪人間ベム』の真似して言えば、「はやくテレサ・テンになりた〜い」!

岩佐美咲もまた、パティ・ペイジや鄧麗君タイプの自然体歌唱法を身につけている天才歌手。だからそんな人についてそのナチュラルな感性と魅力を伝えようとするならば、書き手の僕もスムースな筆致じゅなきゃいけないだろうと思うにもかかわらず、そんな書き方がなかなかできない人間なので、まあいつもどおりやるしかないね。こんな僕の文章で、はたして岩佐美咲の魅力が伝わっているのだろうか?という強い疑問はおいておく。

今日は僕がふだん最も頻繁に、まあはっきり言えば文字どおり毎日聴いている岩佐美咲の iTunes プレイリストを公開したい。オリジナル楽曲・カヴァー楽曲あわせ全16曲で計1時間5分。あくまで僕の好みで抜き出したセレクションだから、ほかの方々の参考にはならないと思うけれど、それでも岩佐美咲を聴こうかどうしようかと入り口に立って迷っていらっしゃる方々にだけはちょっとした参考程度にはなるかも。熱心な岩佐美咲ファンのみなさんは笑い飛ばしてください。

さて、岩佐美咲の音源は、いままでの各種 CD と二枚の DVD で全部のはず。二枚の DVD『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』でかなりたくさんいろいろ聴けるのだが、DVD 音源は一曲単位で抜き出しにくいんだよね。この曲をと一つ再生だけするなら簡単だが、取り出して、ほかのもの、CD 音源に混ぜて並べたりするのは、ちょっと苦労する。不可能でないが、手間がかなりちょっとね。だから!なんども言っているように同じ音源を CD でもリリースしてくれ!

岩佐美咲にかぎらず、僕はどんな音楽家についてもこういうマイ・ベスト的コンピレイションを実によく作る人間なんだよね。ところがかなり面白いものが DVD にしかなかったりする岩佐の場合、ここだけがちょっとその〜…。だから!CD を!まあそんなわけで DVD をリッピングして、それをオーディオ・エディターで一曲単位にトラックを切り分けて、改めて iTunes に読み込ませる…、というめんどくさいことをやっていない現在、僕の岩佐美咲マイ・ベスト・セレクションは CD 音源だけから作成してある。

以下、それを記しておこう。

1. 無人駅(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)
2. もしも私が空に住んでいたら(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)
3. 鞆の浦慕情(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)
4. 初酒(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)
5. ごめんね東京(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)
6. 鯖街道(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)
7. 越冬つばめ(アルバム『リクエスト・カバーズ』)
8. 北の螢(アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)
9. なみだの桟橋(アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)
10. 石狩挽歌(シングル「鯖街道」通常盤)
11. つぐない(アルバム『リクエスト・カバーズ』)
12. ブルーライト・ヨコハマ(アルバム『リクエスト・カバーズ』)
13. ラヴ・イズ・オーヴァー(アルバム『リクエスト・カバーズ』)
14. 20歳のめぐり逢い(シングル「初酒」生産限定盤)
15. 涙そうそう(アコースティック・バージョン)(アルバム『美咲めぐり ~第1章~』初回限定盤)
16. なごり雪(アコースティック・バージョン)(シングル「鯖街道」通常盤)

以上、どうでしょう?1〜6は岩佐美咲のオリジナル楽曲すべてをリリース順に並べてある。カヴァー曲とあわせなんどもなんども聴くうちに、最初はカヴァー・ソングのほうがいいよなあ、そりゃやっぱりもとの楽曲の出来が違うんだから…と考えていた僕だけど、最近はどうやらオリジナル楽曲でのほうが岩佐のチャーミングさがよりよく表現されているんじゃないかと考えるようになりはじめている。

7以後は、みなさんお馴染の有名曲のカヴァーだけど、最初に「越冬つばめ」(森昌子)を持ってきているのは、オリジナル楽曲篇とカヴァー・ソング篇との境目にピッタリだと思うからなんだよね。あの出だしのアクースティック・ギターのアルペジオが、節目にまさによく似合うし、大好き。岩佐美咲が歌いはじめる部分でも、まず最初はギター・アルペジオ・オンリーで、ドラマーがハイ・ハットをチャチャとやってから、いろんな楽器が入ってくる。

その後、岩佐美咲のカヴァー曲のなかでは特に出来栄えのいい「北の螢」(森進一)、「なみだの桟橋」(森昌子)、「石狩挽歌」(北原ミレイ)の三連発でノックアウト。この三曲での岩佐は本当に素晴らしい歌いっぷりで、録音も最近のものだから、歌手としてグンと一段も二段も成長しているのを実感できる。

そのあとの11〜16は完全に僕の趣味嗜好だけで並べたカヴァー・ソング。「つぐない」(テレサ・テン)がアバネーラ歌謡であることは、先週書いた。「ブルーライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)は歌い方、というか言葉の置き方がすんごくチャーミングでカワイイ。岩佐美咲の歌う「あなたと二人、幸せよ」の「せ」と「よ」のあいだの一瞬の表情の変化の絶妙さに僕は降参している。「ラヴ・イズ・オーヴァー」(欧陽菲菲)は単に好きな曲だからというだけ。でも岩佐の、男との別れをドロドロ引きずらない薄味で、この曲の魅力を再発見したのだった。

14「20歳のめぐり逢い」(シグナル)が、いままで岩佐美咲が歌ったカヴァー・ソングのなかで、僕が聴いているなかでは群を抜いている素晴らしさだというのは、もういままでもさんざん繰り返してきたのであまり言わないでおこう。本当につらくて切なくて哀しくて。こんな歌を歌える歌手って、そうそういないんだよね。

今月23日発売予定(もうあと四日だ!)の「鯖街道」特別記念盤に収録予定の「糸」(中島みゆき)が、そんな「20歳のめぐり逢い」を超えて、いままでの全岩佐美咲史上最高屈指の出来栄えだったと、現場でライヴを体験なさったみなさんは口を揃えておっしゃるので、本当はそのリリースまで待って、その「糸」を聴いてから今日のこの文章も書けばよかったのかもしれないが。まあ僕は 思い立ったらすぐやらなくちゃ、いてもたってもいられなくなる人間なので。

15、16の「涙そうそう(アコースティック・バージョン)」、「なごり雪(アコースティック・バージョン)」は、いわばこのセレクション・プレイリストのエピローグ、音楽でいえばコーダ。岩佐美咲自身の弾くギター弾き語りを中心に、まったく派手ではなくしっとり落ち着いたフィーリングでの歌と伴奏で、約一時間を聴いて満足した僕の頬を、優しく一筋の涙が伝う。

2017/08/18

マイルズ『ウォーター・ベイビーズ』も B 面あってこそ

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マイルズ・デイヴィスが1975年夏に一時隠遁(っていうか「一時」かどうかも、当時、分らなかったはずだし、本人にすら)を決め込んだため、新録音が途絶え、会社側の緊急避難措置、戦略的な意味で1976年に発売された未発表集『ウォーター・ベイビーズ』。…という言い方をされることが多いんだけど、いまになって考えてみればそれはちょっとオカシイ。だって『ウォーター・ベイビーズ』は1967年(A 面) と68年(B 面) の未発表録音集だけど、その後69年あたりから75年までのほうがお蔵入りしていた音源はずっと多いんだもん。

だからあたかも<新作>であるかのようにコロンビアも装うなら、70年代録音の未発表ものを出せばよかったんじゃない?いまでは公式リリースもされているが、数だってかなりあるし、なにより70年代にリリースするならば、音楽内容的にもコンテンポラリーだったはずだしなあ。アナザー『ビッチズ・ブルー』、アナザー『ジャック・ジョンスン』、アナザー『オン・ザ・コーナー』、アナザー『ゲット・アップ・ウィズ・イット』なんていうのを、いまなら僕みたいな素人だって作れちゃうぜ。それもかなり楽で気軽に。機会があればそんなプレイリストも書いてみましょう。

だから1976年にリリースして、マイルズの一時隠遁後初作品にするにしては『ウォーター・ベイビーズ』みたいなものをコロンビアとプロデューサーのテオ・マセロがどうして企画したのか、ちょっとそのあたりの真意は僕には掴めない。だが、音楽内容的には『ウォーター・ベイビーズ』だってなかなか面白いには違いない。まずジャケット・デザインがいい。曲題からのそのままだけど、黒人の子供たちが、水道栓から放出される水で水遊びをしている様子。苦々しい顔でそれを見つめる黒人の大人。このイラストは『オン・ザ・コーナー』と同じデザイナーが手がけたもので、実際、よく似ている。

大学生のときの僕なんか、レコード・ショップの棚で『ウォーター・ベイビーズ』を発見し、それがマイルズのいったいなんなのかちっとも分らなかったが、ジャケットを一瞥しただけで買おうと思ったくらいだもんね。いま2017年時点でも、マイルズの諸作中、ジャケット・デザインだけなら最も好きな部類に入る一枚。

『ウォーター・ベイビーズ』。A 面と B 面でガラリと内容が変わる。A 面三曲はオール・アクースティックで、例のセカンド・クインテット(マイルズ、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)による1967年6月7、13、23日録音。この時期はちょうどアルバム『ネフェルティティ』になったものを録音していた時期で、実際、この三日で同アルバム収録曲も同時録音している。

『ウォーター・ベイビーズ』B 面二曲は1968年11月11日録音で、だから当然すでに電気楽器を導入済み。上記セカンド・クインテットから、ベースがデイヴ・ホランドに交代し、さらにチック・コリアがハービーと二人同時でフェンダー・ローズを弾いている。この時期、すでにハービーはバンドを去っていて、チックのほうがレギュラー・メンバー。つまりハービーは一時的に呼び戻されたことになる。

このハービーを呼び戻したという事実はかなり興味深いと思うんだよね。だってこれ、1968年11月11日録音でしょ。当時のリアルタイム・リリース作品で言うと、これの次が翌69年2月録音のアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』になるわけだからさ。もっともいまではそのあいだに(廃棄された分を除き)計7トラックの録音があると分っていて、公式リリースもされている。そのなかの最重要曲が、以前から僕が強調する「ディレクションズ」。つまりジョー・ザヴィヌルが、作曲・演奏で参加していた。

1968年末ごろ、レギュラー鍵盤奏者のチック一人だけで奏でるサウンドでは、マイルズはすでに満足できなくなっていて(1975年来日時のインタヴューで、この時期の鍵盤奏者複数起用について、確か「シンフォニック・オーケストラみたいな響きがほしかったんだ」みたいな意味のことを言っていたように思う)、だからまず1968年11月11日にハービーを呼び戻しフェンダー・ローズ二台にし、その後すぐの27日にもう一人、ザヴィヌルも起用して三台にしたってわけ。ほぼ同じこの体制でその後70年まで続く。

その間に『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』という、マイルズの音楽全生涯における最重要作二つが誕生。どっちも(ほぼ全曲で)電気鍵盤が三台。フェンダー・ローズを中心に三人同時演奏でゴージャスな、マイルズ言うところのシンフォニックな重層的サウンドを創りだしている。これがあの二作のサウンド・テクスチャーの根幹にある。ファンキーなグルーヴはあくまでアフロ・アメリカン・ミュージックのものだけど、その上に(マイルズも大好きな)西洋白人音楽的な分厚いサウンドが乗っかっているっていう。

こう考えると、マイルズの録音歴で一番最初に鍵盤楽器奏者を複数同時起用したのが、1968年11月11日録音の二曲「トゥー・フェイスト」「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」であって(これの直前がチック一人の『キリマンジャロの娘』収録曲一部を録音の68年9月24日)、その後は三人に増員したままずっと続いたことを踏まえると、これら二曲が B 面になっている『ウォーター・ベイビーズ』だってかなり興味深いよなあ。

『ウォーター・ベイビーズ』のB 面「トゥー・フェイスト」「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」の二曲は、だがしかし実際かなりファンキーでカッコイイ。チック&ハービー二台のフェンダー・ローズ同時演奏でも、(まあザヴィヌルがまだいないせいかもしれないが)クラシック音楽的な音の広がりはあまり感じない。むしろどっちかというと、リズム&ブルーズ〜ソウル〜ファンク・ミュージックでの複数鍵盤みたいなタイトな響きだ。どこにも記載はないが、右チャンネルがハービーで左がチックだと僕は判断する。

「トゥー・フェイスト」21:41から
「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」39:43から

翌1969年2月録音の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」の、リズムとサウンド・テクスチャーの粗い骨格はすでにできあがっているよね。69年8月録音の『ビッチズ・ブルー』だってはっきり見えるし、マイルズのトランペット・ソロ内容だけ抜き出せば、70年4月録音『ジャック・ジョンスン』の、あのカッコいい「ライト・オフ」だって先取りしている。そうに違いないように僕には聴こえるね。

ところで「トゥー・フェイスト」におけるマイルズのソロでは、『ビッチズ・ブルー』の「スパニッシュ・キー」と同じフレーズが出てくる。それでいつものように中山康樹さん批判だけど、『マイルスを聴け!』のなかで中山さんは、『ウォーター・ベイビーズ』における新発見というか面白いものは、その「トゥー・フェイスト」だけだと書いている。まあ A 面三曲が実験的模索品にすぎないという点では僕も中山さんと同意見だけど、B 面の「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」までもそうだと中山さんは断じている。

ですがね、僕が聴くと『ウォーター・ベイビーズ』B 面では、どっちかというと「トゥー・フェイスト」よりも「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」のほうが面白くカッコイイと感じるんだけど、みなさんどうですか?曲題だってそもそもファンキーじゃないか。リズムのグルーヴだってこっちのほうがタイトでファンキーでグルーヴィだし、チック&ハービー二台の鍵盤サウンドも楽しいし、ボスのトランペット・ソロ内容なんか、どう聴いたってこっちのほうがシャープでいいぜ〜。

『ウォーター・ベイビーズ』A 面の三曲「ウォーター・ベイビーズ」「キャプリコーン」「スウィート・ピー」は、ぜんぶウェイン・ショーターの書いた曲。当時お蔵入りしてしまったせいなのか、ウェイン自身のリーダー作品『スーパー・ノーヴァ』で、ガラリと姿を変えて再演されているから、機会を改めて、ウェインのそのアルバムに絡めながら書いてみたい。

2017/08/17

真夏にピッタリ 涼感音楽クロンチョン (4)〜 ワルジーナ篇:インドネシアとハワイとブラジルをつなぐ

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数あるクロンチョン・アルバム。僕が持っているのはほんの少しだが、そのなかでこれが一番真夏向きの涼感をかもしだしてくれるかもしれない。なぜならばハワイアン・スラック・キー・ギターも入っているからだ。ワルジーナのライス盤1999年の『グサンを歌う』のこと。田中勝則さんのプロデュース作なんだよね。田中さんがワルジーナをプロデュースするのはこれが三作目だけど、『グサンを歌う』が一番いいんじゃないかなあ。

ワルジーナの『グサンを歌う』には山内雄喜が参加してギターその他を弾いている。言わずと知れたハワイアン・スラック・キー・ギターの日本人名手。このアルバムでは全曲参加ではないものの、要所要所でギターやウクレレやカヴァキーニョやティプレの見事な腕前を披露。おかげでクロンチョン・アルバムにして、この音楽とハワイ音楽がどっちもポルトガル由来だという親戚関係も感じるし、また月曜日に書いたようにどっちもヒンヤリ涼感音楽だから、二者の相互作用で冷感アップ。真夏にこれ以上快適な音楽アルバムはない。

さらにブラジルのショーロ演奏家、エンリッキ・カゼスも、やはり部分的に参加。テナー・ギターとカヴァキーニョを聴かせてくれている。ショーロは冷んやりクールな面もあるものの、どっちかというと熱を帯びてホットにドライヴする音楽である場合が多いように思うけれど、ワルジーナ『グサンを歌う』でのエンリッキは、落ち着いて冷感のある控えめな伴奏に徹している。ショーロだってポルトガル・ルーツの音楽だよなあ。

これらインドネシア+ハワイ+ブラジルの三者合体(といっても、ブックレット記載の一曲ごとに書いてある演奏メンバーを見ると、山内雄喜とエンリッキ・カゼスの共演は一曲だけ)で、ワルジーナの『グサンを歌う』は、正統派クロンチョン・アルバムでありながら、スケールの大きい世界的な音楽作品の趣があるんだよね。三者ともに親交のある田中勝則さんじゃないとなしえなかったプロデュース・ワークだなあ。

ワルジーナの『グサンを歌う』でもオープニングは「ブンガワン・ソロ」。グサン曲集だからこれで幕開けするのは当然のように思うけれど、この一曲目のヴァージョンはかなり面白い。まず山内雄喜のスラック・キー・ギター独奏ではじまり、それにストリングス・アンサンブルが重なり(これはオーヴァー・ダブらしいが効果満点)、次いでワルジーナが歌いはじめるが、そのヴォーカル伴奏も山内のギターが中心。小さくフルートやヴァイオリンがオブリガートを入れるだけ。中間部でスギオノのヴァイオリン・ソロと山内のギター・ソロがある。

そしてそのインドネシア&ハワイ合体ヴァージョンの「ブンガワン・ソロ」では、打楽器はぜんぜん入っていないものの、リズムがかなり面白いんだよね。このゆっくりとして穏やかなスロー・テンポで大きくゆったりと乗り、タン、タ、ターンと跳ねる感じの二拍子。間違いなくアバネーラのリズム・パターンだ。打楽器なしだから、イマイチ鮮明には感じ取れないないかもだけど、山内雄喜のギター・フレイジングのリズム、ストリングスの奏で方にハッキリと聴きとれる。ワルジーナの歌い方だって、セバスティアン・イラディエールの「ラ・パローマ」みたいなノリだもんね。また、エンディング部での転調の仕方はハワイ音楽スタイルだ。

スロー・テンポで大きくゆったりと、のどかにのんびりくつろいでいるかのようなアバネーラのリズムで歌い演奏されるグサンの「ブンガワン・ソロ」。こんなにもスケールが大きくて、音楽的にはメチャメチャ高度に洗練されていながらも、そんな部分は聴感上ほぼ意識しないほどの高いレヴェルで分りやすさを獲得し、近づきやすい親しみを感じさせ、真夏の日本の聴き手に涼感を与えてくれリラックスさせてくれるなんて。こんな「ブンガワン・ソロ」は、ワルジーナの『グサンを歌う』一曲目でしか聴いたことがない。あ、いや、この曲というに限らず、またクロンチョンに限らず、ここまで心地良い音楽演唱って、ほかにあったっけ?

ワルジーナの『グサンを歌う』には、アルバム・ラストにもう一回「ブンガワン・ソロ」がある。それについては月曜日の文章の最後で触れた。一曲目のような面白さは薄いものの、こっちはこっちで和める雰囲気があって、なかなか素晴らしい。だが音楽的には、一曲目ヴァージョンの「ブンガワン・ソロ」の(真の意味での)音楽的ものすごさと比べることはできないなあ。

アルバム収録曲は、もちろん全てグサン・マルトハルトノの書いたクロンチョン・ナンバーだけど、伴奏スタイルはクロンチョンのそれとは限らない。というか、正統派トラディショナル・スタイルのクロンチョン伴奏はかなり少ない。多くの曲で、おそらくプロデューサーの田中勝則さんの着案でいろんな楽器を使い、いろんなスタイルで、クロンチョン楽曲を歌うクロンチョン歌手ワルジーナのバックを支え、彩をつけている。

でも、月曜日からずっと毎日僕が書いているクロンチョン・リズムの面白さ、すなわち、細かくせわしないクロス・ビートに乗って大きくゆったりと横たわるように乗って歌い演奏する 〜 この二種混交リズムのうねりの快感は、ワルジーナの『グサンを歌う』でも全曲守られているので安心。これはやっぱりクロンチョンでは外せない必須要素だってことなんだろうか?ぜんぜん知らないが、なんとなく漠然とそう感じている。

また10トラック目の五曲メドレーもかなり面白い。かなりユーモラスなフィーリングの曲が続き、ワルジーナもそんな味のヴォーカルを聴かせる。伴奏だって、パーカッションは(ブラジル録音で)ベト・カゼスが細かいリズムを刻み、弟エンリッキもカヴァキーニョで参加し、やはりカチャカチャとせわしないように弾くのが楽曲のコミカルさを際立たせ、しかしやはり上物は大きくゆったりと乗る。

三曲目の「がっかりのスタンブル」ではマンドリンがややアラブ音楽風な響きだったり、四曲目の、これも「ブンガワン・ソロ」と並ぶ名曲「ハンカチ」ではピアノ伴奏が中心。かと思うと後半は正統クロンチョン・スタイルに変化。マイナー・キーの九曲目「別離」は日本の演歌調にも聴こえるもので、オブリガートを弾くヴァイオリンとアコーディオンだってそんな雰囲気だ。

なお、曲目解説で田中勝則さんがこの九曲目「別離」を、ショーロとクロンチョンの融合を試みたと書いているのは、ちょっとした取り違えじゃないだろうか?カゼス兄弟は参加していないようだし。田中さんの言うのは二曲目「車輪のクロンチョン」のことじゃないかと思う。そっちの二曲目のほうではカゼス兄弟の演奏をフィーチャーしているしね。でもやはり出来上がりはクロンチョンであって、ショーロと融合しているという印象は僕には薄い。

ワルジーナのヴォーカルの味は、昨日書いたヘティ・クース・エンダンとはずいぶん違い、というか正反対で、一昨日書いたネティの気品高さ、崇高さに近いものがある。じゃあ近寄りがたいイメージなのか?というとそんなことはなく正反対で、身近な親しみを感じることのできる味が歌声にあるので不思議だよなあ。アメリカ人歌手なんかだと、このあたり、分離している場合が多いけれど。

ワルジーナといわず誰といわず、またクロンチョンといわずどんな分野でも、インドネシアの大衆娯楽音楽って、どうやらそんな不思議な魅力があるんじゃないかと、最近感じはじめるようになっている。

2017/08/16

真夏にピッタリ 涼感音楽クロンチョン (3)〜 ヘティ・クース・エンダン篇

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ヘティ・クース・エンダンは別にクロンチョン歌手ではない。広い分野でヴァーサタイルに活躍するインドネシアのポップ歌手だ。『ポップ・ムラーユ』や『うぶ毛がそそり立つ』なんかが有名な人だしね。そんなヘティのクロンチョン曲集が『クロンチョン・コレクション』で、2000年にオフィス・サンビーニャから日本リリースされた。

ヘティの『クロンチョン・コレクション』はオリジナル・アルバムではない。このインドネシア女性歌手のアルバムを、マレイシア国内でリリースしているライフ・レコーズのカタログにもとづいて、日本の田中勝則さんと田中昌さんが編纂したコンピレイション盤で、日本での配給はオフィス・サンビーニャだけど、あくまで『クロンチョン・コレクション』の制作・販売はマレイシア・ライフで、マレイシア国内でも同内容の CD が発売された(はず)。

タイトルだけでお分りのように、このアルバムは幅広く活躍するヘティ・クース・エンダンが歌ったクロンチョンだけにフォーカスを当て、それらだけを集めて一枚にしたもの。これを聴いていると、ヘティの歌手としての素晴らしさも実感するのと同時に、かなりポップなかたちに姿を変えているクロンチョンの面白さ、どうアレンジし歌い方を変えてもクロンチョンらしさは失わない懐の深さみたいなものが、インドネシア音楽素人の僕にだって実感できる。

ヘティの『クロンチョン・コレクション』。一曲目が言わずと知れた名曲「ブンガワン・ソロ」。ヘティもなんどか録音しているらしいが、収録されているのは1978年ヴァージョン。ふつうみんなフルートでやりはじめるイントロのメロディをシンセサイザーで代用。ギター、チェロは生楽器でやっているみたいだけど、チャックやチュックはなし。またドラム・セットが入り、バック・ビートを叩き入れている。

そんな感じの楽器編成、アレンジ、演奏スタイルでやっている「ブンガワン・ソロ」だから、かなりポップなフィーリングに仕上がっていて親しみやすく聴きやすい。米英のポピュラー・ミュージックを中心に聴いている僕やみなさんにも馴染みやすい感じのクロンチョンじゃないかなあ。

それでも一昨日、昨日と書いたクロンチョンのチャーム、すなわちリズム・セクションがややせわしなく細かいクロス・ビートを刻む上で、ヴォーカリストが大きくゆったりと乗って歌い、フルートやヴァイオリン(の代用品)も同じく大きくうねるように演奏するという、この細/大の絶妙なぶつかり合いが生む大海の波のようなノリ(=グルーヴ)は、ヘティ・ヴァージョンの「ブンガワン・ソロ」でもまったく変わらず、しっかり表現されている。

二曲目の「クロンチョン・リンドゥー・マラム」もトラディショナルなクロンチョン名曲だが、ヘティ・ヴァージョンはモダンでポップ。しかもユーモラスというかヒョウキンだ。歌のオブリガートやブリッジ部でシンセサイザーが入れるフレーズなんか、頭の固い伝統派だったら怒り出しそう。でもそんなヒョウキンさが、みなさんご存知、へティの持味なんだよね。

クロンチョンをやりながらポップでコミカルで軽快なフィーリング、というのは三曲目「クロンチョン・クマヨラン」でも同じだ。昨日、ネティの記事でも触れた古典名曲なんだけど、へティのこれはシンセサイザーとドラムスが大活躍し、さしづめ YMO 的テクノ?・クロンチョンとでも呼ぶべき仕上がり。

四曲目以後は、もはやクロンチョンだかなんなんだかよく分らないポップさ。六曲目「竹笛」なんか相当に甘いマイナー・キーのしっとりバラードで、エレベも入り、特にクロンチョンだなんだと言う必要もないものだよなあ。ヘティの歌い方も大人びた(これを録音したころは実際そんな年齢になっていたらしい)もので、普通のメロウ・ポップ・バラードとして聴ける。真夏だと熱帯夜みたいなフィーリングだ。

ところが七曲目の「クロンチョン・バハナ・パンチャシーラ」は、いろんな意味で正統派でトラディショナル・スタイルのクロンチョンになっているから面白い。ヘティのヴォーカルも伝統派クロンチョン・シンガーの歌い方に近づいているし、バック・バンドの楽器編成も演奏スタイルもそう。正体が分らないが小型のギター族弦楽器であろうものが、繰返し細かく小さく同一音程フレーズを弾くのも効果的。しかしエレベは入っている。

そのあたりは、どうやらブディマン・BJ(と彼のグループ)のプロデュースのたまものらしい。ヘティ&ブディマン・コンビで、1978〜84年にかけてオリジナル・アルバムが八枚あるらしい。ブディマンの指導で、ヘティも独立後のインドネシア国民音楽みたいになったクロンチョンをちゃんと本格的に歌おうという決意をしたらしいんだよね。

『クロンチョン・コレクション』では、上記7曲目〜12曲目までの六曲が、ブディマンのプロデュースしたクロンチョン作品で、これがかなりいい。8曲目「スタンブル・ティンガル・クナンガン」でのスケールの大きさといい、9曲目「バリ島」での力の入りようといい、ワルジーナの得意レパーリーである10曲目の「ガンバン・スマラン」で聴ける粘り気のある歌い廻しといい、素晴らしい。

その10曲目からすでにそうだが、またやはりヘティ&ブディマン・コンビの作品である11曲目「キチル・キチル」、12曲目「ダユン・サンバン」あたりは相当にファンキーでもあって、もとからコミカルな味のあるヘティが、正統派本格クロンチョンを経て、それを本来の持味と合体させて余裕たっぷり。かなりポップで面白い仕上がりになっている。

アルバム『クロンチョン・コレクション』の残り三曲は、マントース時代。最後の二曲はプロデュースもマントースで、ポップでモダンでありながら、伝統的な部分も感じられるクロンチョン。ヘティの歌い方にもより一層の余裕(綽々といった印象だ、聴くと)とスケールの大きさが感じられて素晴らしい。

2017/08/15

真夏にピッタリ 涼感音楽クロンチョン (2)〜 ネティ篇

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昨日書いたようにどっちにしようかなあと迷ったが、今日はネティにしようっと。もちろんディスコロヒア盤『いにしえのクロンチョン』。どうしてかって、ネティの単独盤 CD は、僕の知る限り、いまでも全世界でこれ一枚しかない。あと、数種のクロンチョン・アンソロジー、インドネシア音楽アンソロジーに一曲、二曲入っているが、それらもぜんぶ日本盤で、しかもどれも中村とうようさん編纂か田中勝則さん編纂かのどっちかで、インドネシア本国に目を向けると、ネティの歌はまったくただの一曲も CD 化されていないようだ。

だから日本に住む僕たち音楽愛好家はまだかなり恵まれているんだよね。だってさ、ネティの単独盤アルバム『いにしえのクロンチョン』を聴いていると、こんなにも魅力的な歌手って、ホントなかなかいないなあって強く実感するんだもんね。インドネシア音楽のことをなにも知らない僕だけど、こりゃインドネシア大衆音楽史上、ナンバー・ワン歌手なんじゃないの〜?少なくともクロンチョン史上では最高の女性歌手じゃないかなあ?

そして世界中を見渡しても、ディスコロヒア盤『いにしえのクロンチョン』で聴ける1950〜60年代のネティの数々の名唱に比肩しうるものを歌えたヴォーカリストは、かなり少ないはず。ネティの場合、スムースでナチュラルな発声、決して押し付けがましくなく、こちらの気持に寄り添ってくれるかのような柔らかい歌い廻し、聴き手をふんわり優しく包み込んでしまうような大きな包容力、透明感があってキラキラしていて、それでいて肉太な存在感 〜 などなど、あらゆる点で、東アジア圏では台湾出身の鄧麗君(テレサ・テン)に並ぶ存在だ。いや、東アジアに限定せずとも、ネティやテレサほどの歌手はあまりいない。

そこまで言える存在であるネティの単独盤 CD が、全世界で『いにしえのクロンチョン』たった一枚だけだという事実はなんとも嘆かわしいのだが、しかしこれ一枚あるだけでも大変にありがたく、感謝して愛聴している僕。そんな人はいないと思うけれども、ひょっとしてまだネティのこのディスコロヒア盤をお買いでないという方がいらっしゃれば、いますぐこれをクリック!
さて、ネティの歌について言いたいことはもう全部言い切ってしまったような気がするが、それはそうと彼女の『いにしえのクロンチョン』にしろ、ほかのいろんなアルバムにしろそうなのだが、クロンチョンばかりをどんどん続けて聴いていていまふっと思ったのは、これ、コード進行がぜんぶ同じじゃないの?どの曲もぜんぶ。いやまあそんなことはないと思うけれど、ソックリに聴こえるよなあ。ちゃんと聴きなおさないとあれだけど、かなりの部分のクロンチョン楽曲が同じコード進行を使っているかも。のように僕には聴こえる。

さらにワン・コーラスの小節数もどれも全部同じじゃないかなあ。場合によってはキーまでぜんぶ同じ。そして主旋律の動き方も同じ、伴奏バンドの演奏スタイルも同じで…、ってことはクロンチョンって「ぜんぶ同じ」なのか?これはそう聴こえてしまう僕の耳がダメなのか(未知の分野は、最初、なにを聴いても「同じ」に思えるもんね)、あるいは誰が聴いてもマジでそうなのか、どっちだろう?

もちろん僕の言っている「ぜんぶ同じ」という台詞を、そっくりそのまま文字どおり受け取ってもらっても困っちゃうのだが、しかし一種の真実を突きたい気分で言ってみている。これは世界のありとあらゆるポピュラー・ミュージックのなかで最古の歴史を持つインドネシアのクロンチョンの、なんというか古典的に完成された表現様式ということになるんじゃないだろうか?

昨日も書いたクロンチョン・バンドの基本編成を軸に、っていうか、だいたい昨日の僕のあの箇所はネティの「クロンチョン・モリツコ」に例をとって書いたのだから、同じものが一曲目に収録されていて、二曲目以後も同系統が続く『いにしえのクロンチョン』でそうなっているのは当たり前だ。

ギター族小型弦楽器のクロス・リズムがチャカチャカと細かいビートを刻み、その上にネティのスケールの大きなヴォーカルがゆったりと大きな抑揚で横たわる。フルートやヴァイオリンも、同様に大きな旋律をゆっくりと奏で、リズム伴奏の細かいリズムとぶつかって、2種リズムの混交で大海の波のようなウネリが生じているのが心地良い。心地良いウネリ、それはアメリカ音楽でならグルーヴと呼ばれるものだ。

ネティの『いにしえのクロンチョン』。ところで、一曲目の「クロンチョン・モリツコ」もそうだし、二曲目「スタンブル・プサカ」、三曲目「クロンチョン・クマヨラン」にしても同じだが、こりゃまたずいぶんと懐かしいというか、相当前から知っているぞ、まるで日本国内でも古来から伝わっている伝承民謡みたいな素朴なメロディじゃないかと僕は感じるのだが、妙な感想だろうか?よく知っている馴染のある曲であるかのように聴こえる。既視感なら既聴感。

四曲目の「ペルシ・ルサック」以後は、伴奏の楽器編成も演奏スタイルも少し変化し、レパートリーにもそんなデジャ・ヴュ感は薄い。じゃあ四曲目以後は古典的様式を抜けてモダン化したクロンチョンなんだってことだろうか?それでも主役ネティのヴォーカル・チャームはなにひとつ変化していない。透明で柔らかく優しい声でおおらかに歌っている。安心して身を委ねてリラックスできて、しかも昨日も書いたようにヒンヤリ涼感のある音楽だから、クロンチョンはね。だからいまの猛暑期にはこれ以上ピッタリ来る音楽もなかなかないよね。

ネティの単独盤『いにしえのクロンチョン』では、17曲目「クロンチョン・テレモヨ」以後、アルバム・ラスト25曲目「愛の物語」までの九曲、1950年代末〜60年代初頭?あたりの録音こそが、歌手ネティにとっても音楽クロンチョンにとっても黄金期・全盛期だったと言えるはず。ネティのヴォーカルだって格調高く気品があって、それなのに身近に感じ、親しみやすい分りやすさ(なかには歌いこなすのに高度な技巧を要する難曲もあるのに)。

特にアルバム・ラストの「愛の物語」。これもネティと、夫アフマッド・ザエラニとのデュオ歌唱で、ふんわり和やかで柔らかい。そうだなあ、過激とか前衛的とか衝撃的とか、そんな種類の決め台詞が似合う音楽とはまるで正反対、対極にある音楽だ。僕はまあやっぱり過激にトンがった音楽だっていまだに大好きなんだけど、ネティ(とか鄧麗君とか、その他)のこういったヴォーカル表現の味わい、深み、真のものすごさも、最近、なんとか少しは実感できるようになっている。

2017/08/14

真夏にピッタリ 涼感音楽クロンチョン (1)

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(「耳が聴こえない」云々のシリーズ名を書くのはもうヤメ。いつまで続くか分らないから)

インドネシア音楽のクロンチョン。真夏に聴くのにこれ以上なくピッタリ来るヒンヤリ爽やかな涼感があるんじゃないだろうか。ジャンルそれじたいがほぼ丸ごとそうであるものって、クロンチョンとか、あとハワイのスラック・キー・ギター音楽とか、いろいろあるけれど、今日はクロンチョンの話だけをしたい。

日本で手っ取り早くクロンチョン入門をしようと思ったら、田中勝則さんの編纂・解説でオフィス・サンビーニャから2006年にリリースされた CD『クロンチョン歴史物語』が、いまはいちばんいいものに違いない。以前、中村とうようさんのオーディブックで『クロンチョン入門』が出ていて、その後もやはりオーディブックで『魅惑のクロンチョン 1』『魅惑のクロンチョン 2』と、計三枚あった。しかしオーディブック・シリーズは、いまや入手が難しい。実は僕もあまり持っていない。

だからライス・レーベルで、やはり例えばへティ・クース・エンダンやワルジーナや、また会社変わってディスコロヒアだけどネティとかのアルバムをつくってくれている田中勝則さんの編纂した『クロンチョン歴史物語』が、2017年時点では一番格好のクロンチョン入門盤として万人にオススメできる。ネティとワルジーナだって収録されているもんね。

『クロンチョン歴史物語』にあるネティは三曲。三つのなかでは、やはりアルバム・オープニングの一曲目を飾っている「クロンチョン・モリツコ」こそがネティの最高の名唱でもあり、クロンチョンの代表曲でもあり、またこの音楽をまだご存知でない方に、クロンチョンってどんなものかを分りやすく紹介するのにもうってつけだ。音楽の「分りやすさ」を、音楽の低級さと勘違いしてバカにするリスナーがたまにいるんだけど、真逆なんですよ。

ネティの歌うそのヴァージョンの「クロンチョン・モリツコ」。彼女名義の単独盤『いにしえのクロンチョン』でも同じものが冒頭を飾っている(そっちのほうが音質がいいなあ)それは、残念ながら YouTube などにはないみたいだからご紹介できない。伝統クロンチョンの最重要作品にして最高傑作、さらにネティにとっても最高の名唱に違いない。ご紹介はできないが、素晴らしいことは折り紙つきなので、ぜひ『クロンチョン歴史物語』か、ネティの『いにしえのクロンチョン』を買っていただきたい。できうれば両方を!

言及しているヴァージョンのネティの「クロンチョン・モリツコ」は、おそらく1950年代頭ごろの録音なんだろと推定される。だがクロンチョンという音楽の成立はもっとはるかにずっと時代を遡って、ポルトガル人が植民地支配していた16世紀か17世紀には成立していたのかもしれない。そんなに歴史の長いポピュラー・ミュージックは、世界中探してもないよね。しかもただ伝統的というのではなく、例えば話題にしているネティの「クロンチョン・モリツコ」でも分ることだが、古い時代のクロンチョンの要素を受け継ぎながら、しかも出来上がりは極めてモダンに洗練されている。高度な洗練を極めているからこそ、それが涼感音楽に聴こえる一因なんじゃないかとも思う。

そのネティの「クロンチョン・モリツコ」では、まずフルートの奏でる、やはり涼やかなサウンドで幕開け。この曲の演奏がクロンチョン・バンドの基本編成だ。フルート、ヴァイオリン、ギター、チュック(ウクレレ)、チャック(バンジョー)、チェロ、ウッド・ベース。確かにいかにもポルトガル由来だというような楽器編成だよね。ブラジルのショーロの楽器編成(もポルトガル由来)にも似ている。

僕が強調したいのは、『クロンチョン歴史物語』で聴ける、ネティはじめフロントで歌う歌手たちの素晴らしさもさることながら、伴奏リズムの面白さだ。「クロンチョン・モリツコ」でもそうだしほかの収録曲でもほぼ同じだが、土台を支えるウッド・ベースはかなりシンプルにボン・ボンと、フルートとヴァイオリンはゆったりと大きく長めの音で演奏し、チュックとチャックが細かい音でクロス・ビートを刻む。これらのリズム・パターンの混交が絡まり合って、まるで真夏の大海を進んでいるかのようなウネリを感じさせる。細かくせわしないと同時に大きくゆったり。この2パターンの混じり合った伴奏リズムが、僕にとってのクロンチョン最大のの面白さ。そしてこれも、真夏に聴くと部屋のなかの体感気温を下げてくれるようなヒンヤリ感をもたらしてくれる一つの要因なんじゃないかなあ。と、僕は勝手に推測している。

さて、『クロンチョン歴史物語』でも、まだ一曲目のネティ「クロンチョン・モリツコ」の話しかしていない。まあしかしこの一曲のみにフォーカスすることで、クロンチョンという音楽がどんいうものなのか、ある程度は知ることができるんじゃないかと思うんだよね。実際、この CD アルバム附属ブックレット解説文の田中勝則さんも、この曲での解説が一番長く、詳しく説明していて、かなりの力の入りよう。

『クロンチョン歴史物語』収録の、ほかの一曲一曲に言及するのがもうちょっとあれだけど、例えば二曲目、クロンチョン・オルケス・エウラシアの「クロンチョン・ブターウィ」には、キューバのアバネーラみたいなフィーリングがあって、カリビアン&インドネシアン・ストリング・バンドの演奏みたいで、かなり面白い。

カリビアン〜ラテンっぽいものは、『クロンチョン歴史物語』にほかにも何曲もある。例えば九曲目スルマニ「蘭の花」は、ほぼ完璧なタンゴ・クロンチョンだ。アコーディオンも入ってザクザク刻む。ラテンじゃなくてもハワイアン・スタイルのギターが入るものだってある。アバネーラとかタンゴとかハワイアンとかは世界中に拡散しているので、こっちの方が先に成立していたクロンチョンのなかにだって、ある時期以後はどんどん流入したのは間違いない。

最後に、『クロンチョン歴史物語』には2ヴァージョン収録されている、こっちも名曲クロンチョンである「ブンガワン・ソロ」のことを書いておこう。「クロンチョン・モリツコ」がトラディショナル・クロンチョンの最高傑作なら、グサン・マルトハルトノの書いた「ブンガワン・ソロ」はモダン・クロンチョン最高の名作。アルバムには16曲目にイラーマ・トリオ(歌はヘリジャティ)のヴァージョンが、ラスト24曲目にグサン&ワルジーナのデュオ・ヴァージョンが収録されている。

ピアニスト、ニック・ママヒット率いるイラーマ・トリオについては、以前少し書いた(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/1950-4315.html)。『クロンチョン歴史物語』収録の「ブンガワン・ソロ」でも、ママヒットはいかにもジャズ・ピアニストらしい大胆なコードの使い方、置き換え方で、なんだかぜんぜん違う曲みたいに聴こえる。ヴォーカルの伴奏最中でもありえないようなコードを使うので、ヘリジャティはさぞや歌いにくかったに違いない。そんな緊張感が音から伝わってくる。

アルバム・ラストに収録されている、ワルジーナと作者グサンとのデュオ・ヴァージョンの「ブンガワン・ソロ」(はいきなりこれだけ新しいステレオ録音になるのでやや面食らうが)は感動的。グサンの声はさすがにちょっと衰えているかなとも感じる年輪があるが、ワルジーナがそれを補ってあまりある充実の歌唱を聴かせてくれる。中間部ではこの二名のほのぼのとした会話もあって、気持が和む。伴奏は伝統スタイルのクロンチョンだから、やはり涼やか。

このワルジーナとグサンのデュオによる「ブンガワン・ソロ」は、ワルジーナのアルバム1999年のライス盤『グサンを歌う』に収録されているものが使われている。明日はこのアルバムのことを書こうかな。あ、いや、ネティの『いにしえのクロンチョン』にしようかな。

2017/08/13

ヘッドフォンで聴く 〜 原田知世と伊藤ゴローの世界(2)

(ヘッドフォンだとまあまあマトモに聴こえるシリーズ 一回限り)

以前も触れたが、スピーカーから出るものなど空中の音を捉えるのが、耳の病気のせいでまだちょっと苦手な僕だけど、不思議なことに全く同一音源でもヘッドフォンで聴くとそこそこマトモに聴こえてくる。ホントどうしてだろうと思って耳鼻科医にこのことを告げてみたら、「音圧が上がるからです」と即答された。ふ〜ん、そうなのか。

じゃああれか、スピーカーでも、いま僕は部屋のなかで左右二台で聴いているだけなのを、もっと増やして四台とか六台とかにして同時に鳴らすと音圧は上がるはずなので、少しいい感じに聴こえるのかなあ?しかし僕がいま使っているプリメイン・アンプのスピーカーへの出力端子は二系統しかないから、このままだと同時に四台までしか鳴らせない。スピーカー本体も、いま使っているもののほかに、もうワン・ペア持ってはいるが、そっちはかなりショボいものだからなあ。でも物は試しだ、今夜あたり、ちょっとやってみようっと。

そんなわけでヘッドフォンだと音楽が少しマシに聴こえるので、いろんな音源をヘッドフォンで聴いているのだが、ものによっては聴こえ方、印象が違い、場合によっては違う音楽に聴こえたりすらするのでちょっとビックリ。それもごく最近の録音作品でこれが多い。2010年代以後の音楽作品で、特にこういった違いがあるように思う。

それを、僕がふだん聴きのもののなかでいちばんハッキリと感じるのが、原田知世だ。昨日、岩佐美咲はマジで「文字どおり」毎日聴いているのだと書いたが、原田知世も同じなんだよね。本当に毎日聴いている。といっても僕が買って持っている原田知世は六枚だけ。ぜんぶ伊藤ゴローのプロデュース作品で、一番上のリンク先の過去記事で書いてあるように、ラヴ・ソング・カヴァー集『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』があまりに素晴らしかったので、原田知世+伊藤ゴローのコンビ作品を探してぜんぶ買ったのだ。

いまのところの最新作『音楽と私』にくわえ、過去作の2007年『music & me』、2009年の『eyja』、2014年の『noon moon』。これに2015年『恋愛小説』、2016年『恋愛小説 2 - 若葉のころ』〜 これで伊藤ゴローのプロデュースする原田知世はぜんぶのはず(だよね?)。まあホ〜ント!どれもこれも素晴らしいが、僕はまだこれら六枚しか聴いていないし、今月23日に過去の代表ヒット作のオリジナル・ヴァージョンを収録した二枚組ベスト盤がリリースされるので、それを聴いたら、それらをリメイクした最新作『音楽と私』と聴き比べ、なにか書けることがあるかもしれない。

とにかく今日は、特にやっぱりこの二枚が本当にいいと思って、文字どおり聴かない日はない『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』の二枚だけについて、ヘッドフォンで聴くと、耳がマトモだったころにスピーカーで聴いていたのとはずいぶんと感じ方が変わるもんだなということについてだけ、かなり短い文章で記しておきたい。今日はマジで短いですから^^;;;。だってあまり書くことないもんね。

そこそこ上質なヘッドフォンで聴くと、まだ右耳の聴力がイマイチ回復していない僕でもこれが一番違うと思うのが、歌手、原田知世の声の表情だ。スピーカーで聴くのとはずいぶん表情が違う。ヘッドフォンで聴いたら声の表情がずいぶん豊かだ。また、細やかで、実に微細な部分にまで神経を配って歌っているのが非常によく分る。えっ?スピーカーでそれが分らないアンタの耳がヘボいんだって?まあそりゃそうなんですけれど。

ヘッドフォンで聴くと『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』で歌う原田知世の声は、若干ハスキーにも聴こえる。ややかすれ気味の、というとちょっと違うのか、なんだか吐き出す息のシューという音と歌声が混じっているかのような、しかも優しくささやくかのようにそっと置くように言葉をかけてきてくれる。耳が悪いので弱っている僕のメンタルをそっと優しく撫でてくれているかのようにね。

そんな原田知世のウィスパリング・ヴォイス&シンギングは、伊藤ゴローのアレンジ&プロデュース・ワークが見事なせいで、より一層際立っているんだよね。『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』二枚での伊藤ゴローの仕事ぶりについては、最初に貼った過去記事リンクをお読みいただきたい。それに付け加えることは、現時点の僕にはまだない。ため息をつきながら、うっとりと聴き惚れ続けているだけだ。

曲によっては、原田知世の歌い廻しの細かい部分が、スピーカーで聴くのとヘッドフォンで聴くのでは違っているかのように聴こえるので不思議だ。だってフレイジングそのものが違っているみたいに聴こえ、実際にはそんなはずはないわけだから、じゃあ原田知世の歌声を存分に味わうには、ヘッドフォンじゃないとダメってこと?う〜ん、僕はスピーカー派なんだけど…。使い分けりゃいいのか…、う〜ん…。

一つだけ具体例をあげておこうっと。日本の歌謡曲のラヴ・ソング・カヴァー集『恋愛小説 2 - 若葉のころ』にある、アルバム・ラストの「SWEET MEMORIES」(松田聖子)。原田知世が歌いはじめて、2リフレイン目の「幸せ?と聞かないで / 嘘つくのは上手じゃない」(歌詞は松本隆)部分の「上手じゃない」。これの「じょうず」の「じょ〜(ず)」での原田知世の声の出し方と歌い方の表情のつくり方が、こりゃも〜う、あまりにも絶妙すぎる。なんて上手いんだろう。

最後に付記。リンクを貼った過去記事では『恋愛小説 2 - 若葉のころ』の「September」(竹内まりや)が個人的モスト・フェイヴァリットだという意味の書き方をした。あの時点では間違いなくそうだったが、いま8月10日時点で僕にとっていちばんグッと来ているのは、六曲目の「年下の男の子」(キャンディーズ)だ。毎日こればっかリピート再生している。

2017/08/12

岩佐美咲のダンス演歌

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 21)

岩佐美咲(ブラジル滞在中)の歌は「本当に日常的に」聴いている僕。もはや無条件降伏状態なのだ。だから毎日(「のように」ではなく文字どおり毎日)聴いていて、それでいろんな考え、というかまあ音楽的妄想が、言い方を換えれば頭の体操、冒険が浮かぶ。今日の文章もまたそんな一つなので、岩佐美咲に興味がない、え〜っと AKB なんちゃらの女子タレでしょ〜、そんなもの…、などというお考えの方々は、どうぞ無視してください。

さて、ふつう、演歌は「聴く」ものだ。それに合わせて「踊る」人は、確かにいるだろうが少数派かもしれない。しかしもともと演歌には日本におけるラテン歌謡、タンゴ調歌謡の一形式みたいな部分もあったので、ダンス・ミュージック的な要素だってあるにはあったと言えるはず。

春日八郎「別れの一本杉」(曲は船村徹)みたいな演歌(調歌謡曲だが)に多いあんなリズムの感じ、ちょうどイタリアの「オ・ソレ・ミオ」によく似ているあの感じは、どっちもルーツを辿るとやっぱりセバスティアン・イラディエールの「ラ・パローマ」に行き着くんだろうなあ。もっとも演歌に多いあんなリズム・フィールは、直接的にはアバネーラの影響というよりも、アルゼンチン・タンゴのリズムが流入したと見るべきだと中村とうようさんは指摘している。

しかしながらいまちょっとネットで調べてみたら、「別れの一本杉」を書いた船村徹は、ジョルジュ・ビゼーの例の高名なオペラ『カルメン』にあるアバネーラを聴いてヒントにしたのだという記述が出てくる。う〜ん、確かに考えてみたら、日本人大衆歌謡作曲家だって、ヨーロッパのクラシック音楽作曲家のものをどんどん聴いて参考にしていたのは間違いないんだろう。どんな分野であれ作曲でメシ食っている世界の人間が、西洋のクラシカル・コンポジションを聴いていないなんてありえない。じゃああれか、日本の演歌(調)で聴けるあんな跳ねる感じのリズム・フィールは、「直接的には」ビゼー『カルメン』からの流入か。

といってもアルゼンチン・タンゴにしろビゼーの『カルメン』にしろ、ルーツは同じもの。もとはキューバのアバネーラ。さらにそれを耳にして自分の作品に使ったスペイン人コンポーザー、セバスティアン・イラディエールの「ラ・パローマ」だ。イラディエールのこの曲のいちばん最初の楽譜がマドリードで出版されたのが1859年だから(この曲にかんしては、これ以外の正確な年号が判明しない)、ってことはこれより前に「ラ・パローマ」はできあがっていたはず。

フランス人ビゼーがフランス語で書いた『カルメン』の場合も、何年作曲との正確な年が分らないのだが、少なくともパリでの初演は1875年。ということはイラディエールの「ラ・パローマ」を知らなかったとは思えない。「ラ・パローマ」はヨーロッパ各地で親しまれ、さらにアメリカにも渡って人気があった。実際、ビゼーは「ラ・パローマ」ではないが、同じイラディエールが1864年に発表した同じリズム・パターンの「エル・アレグリート」から直接借用し、それがかの有名な「カルメンのハバネラ」となった。

アルゼンチン・タンゴのあんなリズムの感じだって、こっちはスペイン人経由ではなく、直接キューバからアバネーラのパターンが流入し、ああなった。こっちはほとんど書いておく必要がないだろう。

つまり日本の演歌(調歌謡)に多い、あんなような跳ねるリズム・フィールも、直接的には(中村とうよう説に反し)タンゴの流入ではなく、ビゼーの『カルメン』のアバネーラを下敷きにしている、というか間違いなく『カルメン』のレコードを船村徹にしろ誰にしろみんな聴いていたはずだから、それを借用というか取り入れて、日本の(演歌調)歌謡曲なりに活かしたということになる。それでも、なんもかんもぜんぶひっくるめてそもそもの《起源》はキューバのアバネーラにあるんだよね。

ってことはいつごろのことかはっきりしないが18世紀末か19世紀あたりかにキューバであんなリズム・パターンが誕生していなかったら(それをキューバ滞在中のスペイン人イラディエールが耳にしなかったら、という部分もあるが)、日本の演歌調歌謡曲だって、ある時期以後いままで続いているような、あんな感じのものは生まれなかったことになるぜ。カリビアン・ミュージック様さまじゃないのさ。

岩佐美咲から少し離れてしまった。岩佐がいままで歌って CD などのパッケージ商品にしている曲のなかにも、ラテン調のダンス・ナンバーはいくつもある。まず、オリジナル楽曲が、最新の「鯖街道」まで六つあるが、そのうち三つがかなりダンサブルだ。「無人駅」「初酒」「鯖街道」の三つ。これら以外の「もしも私が空に住んでいたら」「鞆の浦慕情」(ハード・ロック!)「ごめんね東京」にも軽いダンス・フィールはあるように僕には聴こえる。

でもまあ最も顕著にダンサブルなのは「初酒」と「鯖街道」だな。「初酒」はズンドコズンドコっていう、むかしから演歌調にはよくあるリズム・パターンで、いかにも日本の農民ダンスに似合いそうな調子のもの。日本農耕民族感覚のダンス・チューンだというのは、演歌調のものが日本全土でどういうものとして想定(デザイン)され、どういう受け入れられ方をしているかを考えるときに、まあまあ重要なことなんじゃないかと思うんだよね。詳しいことは難しそうだからやめとくよ。

「鯖街道」のほうは、曲題とおりマーチ調…、とはちょっと違うのか、でもそれにちょっぴり似たような、街道を行進していくようなズンズン進む感じのダンス・リズムだ。しかも「初酒」でも「鯖街道」でも(いま僕が聴いているのはオリジナル・シングル・ヴァージョン)、岩佐美咲の歌い方にはモッサリしてリズム感の悪いようなところがぜんぜんない。モッサリしてリズムのノリが悪い歌手が、日本の(演歌調)歌謡歌手のなかには少しいるよね。岩佐はぜんぜんそうじゃない。確かに発声はキュートで可愛いアイドル・ヴォイスだが(なにが悪い?)、歌い廻しは大人のサッパリした歯切れのよい感じで、スパスパ軽快にリズムに乗っているのがイイネ。

岩佐美咲のカヴァー曲のなかにもダンス演歌がある。いちばんはっきりしているのは(いま僕は CD だけ聴きかえしているので、DVD でたくさん聴けるカヴァー・ソングのことは考えていない)「石狩挽歌」だ。これが超ダンサブルな歌だっていうのは、北原ミレイのオリジナル・ヴァージョンからそうだったので、改めて言う必要もないだろう。こっちは農耕感覚じゃなく漁業感覚のダンス・チューンか。どっちにしても日本第一次産業的ダンス・フィールだ。岩佐のヴァージョンでもドラマーの、特にスネアとタムの叩き方が素晴らしく跳ねているが、歌手本人の歌い方だって、まあ北原ミレイには及ばないと言わざるをえないが、各種あるカヴァー・ヴァージョンのなかでは、僕の聴くところ、いちばん優れている。北原ミレイのオリジナルをじっくり聴いて勉強したに違いない歌い方と出来栄えだ。無表情を装ったアッサリ感がソックリだから、疑いえない。

岩佐美咲が歌う「いわゆる」演歌調じゃないカヴァー・ソングになら、ダンス・チューンはもっとたくさんある。「リンゴの唄」「東京のバスガール」などもそうだが、特にすごくいいなと思うのがテレサ・テンの「つぐない」とシグナルの「20歳のめぐり逢い」だ。どっちも強くダンサブルで、前者はラテン調、というよりも鮮明にアバネーラの跳ねるパターンを使い、後者は、例えばビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」みたいな、いわゆるシェイクってやつ。

どっちも岩佐美咲ヴァージョンをご紹介できないので、初演歌手のものを貼っておこう。まず三木たかしが書いたテレサ・テンのアバネーラ歌謡「つぐない」。
岩佐美咲ヴァージョンでのアレンジもほぼこれに忠実にやっているのだが、どうです、このリズムの跳ねるフィールは?完璧にアバネーラじゃないだろうか?特にベーシストの弾き方なんかにもはっきりしているし、ドラマーの叩き方だってモロそのまんまだ。三木たかしがアバネーラを(直接)意識したかどうかは、さほど重要な問題ではないと思う。重要なのは、こんなふうなカリブ〜ラテンなダンス感覚が、日本の(演歌調)歌謡のなかにもうすっかり染み込んでいて、作家自身、歌手自身が意識しなくとも自然に表出されるほどまでになっているという事実だ。

シグナルの「20歳のめぐり逢い」はこれ。う〜ん…、いかにも一時期の日本のいわゆるフォーク・ソングだ(このオリジナル・ヴァージョンだけだと、僕はちょっと苦手かも?)。
岩佐美咲ヴァージョンの「20歳のめぐり逢い」も、アレンジの基本はこれに沿っているのだが、こんな暗く哀しい(曲ではありますが、確かに)フィーリングがやや弱くなっていて、まあそれは歌う人間の性別や資質がぜんぜん違うからというのが一番大きいだろうが、伴奏アレンジだって、途中、ドラムス(は打ち込みっぽい音だ)が奏でるリズムが、まるでグルグル廻りながら一箇所で跳ねているような眩惑的なグルーヴ。シェイクっぽいよ。岩佐の「20歳のめぐり逢い」をご紹介できないので、ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」 を貼っておこうっと。

2017/08/11

ファンキーでポップになっていったマイルズ

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 20)

以前、ウェザー・リポート関連で、サウンドがポップになったりファンキーになったりするのを嫌うジャズ・ファンは、実に世界中にいるんだと書いた(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-2b77.html)。これと同じ事実はマイルス・デイヴィスにかんしても当てはまる。

マイルズがポップになったと言えるのは、私見では1985年以後、特に88年以後だけど、ファンキーになったのは1969年あたりからだと思うので、時代順にそっちの話からしておこう。曲単位で言えば同69年2月録音の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」(アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』B 面)が、マイルズ録音史上初のエレクトリックなファンキー、いや、ファンク・ナンバーだ。

だが、約半年後の録音だった二枚組『ビッチズ・ブルー』も含め、この1969年のライヴ・ツアー(を行なった当時のレギュラー・バンドを、通称ロスト・クインテットという)音源を聴くと、まだまだぜんぜんファンキーじゃない。それどころか60年代フリー・ジャズにかなり接近しているような音楽を繰拡げていて、まぁあれじゃないかなあ、30年以上前から言う人がいたが『ビッチズ・ブルー』は、一面、60年代フリー・ジャズの落とし前をつけるみたいな部分もあったから、そこだけ取り出してグッと拡大したようなライヴ・パフォーマンスだったんだよね、69年バンドは。

ファンキーさと抽象さのあいだでどっちつかずで揺れているような状態が解消され、ライヴ演奏でも明快にファンキーで、リズムもファンクっぽいタイトなものになり、全体的なサウンドも聴きやすく分りやすいものになったのは1970年の夏ごろから。スタジオ録音作でもこの前後あたりから、例えば『ジャック・ジョンスン』みたいなものが出てくるようになっていた。

ところがですよ、世のジャズ・ファン、あるいは熱心なマイルズ愛好家のあいだでも、1969〜71年あたりのマイルズ・ミュージック、特にライヴ音源で最も人気が高いのは69年のロスト・クインテットものなんだよね。これは間違いないというかなり強い個人的実感がある。マイルズ69年ライヴのブートレグ音源はトレードしましょう、コピーしてくださいという種類の依頼メールが、各国から以前はよく届いていて、いまでも少し届く。反対に70年半ば以後のものは、僕が YouTube にどんどんアップロードしているものにだって、関心を示す世界のジャズ・ファン、マイルズ愛好家は少ない。その差たるや、愕然となってしまうものがある。

じゃあどういう方々が1970年代半ば以後のファンキーな(ファンクな)マイルズ・ミュージックに関心を示すのかというと、主にロックやファンク、リズム&ブルーズなどがお好きな音楽リスナーたちなのだ。あと、ジャズ・ファンでもコテコテのがお好きな方は面白がるし、また僕みたいにマイルズの音楽ならなんでもぜんぶ聴きたいというキチガイじみた愛好家も、これまた世界中にいる。さらに外国の(セミ・)プロの音楽ライターさんも、仕事柄なのか、興味を示す場合がある。

しかしふつうの(ってなにが「ふつう」か、基準が分らないが)ジャズ・ファン、マイルズ聴きにとっては、電化サウンド導入後で一番「良い」のが1969年ロスト・クインテットだとなってしまうらしいんだよね。その後のファンキー、いや、ファンクそのものみたいなマイルズ・ミュージックには無関心。嫌悪する場合すら多い。

1970年代マイルズのスタジオ・アルバム(は五作しかないが)で最もファンキーなのは、72年リリースの『オン・ザ・コーナー』と74年リリースの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』だ。しかしこの方面をしっかり本気で掘り下げる気持がある方には、これら二作そのものよりも、2007年リリースの CD 六枚組ボックス『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』をぜひにぜひにと強く推薦しておきたい。

『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』は1972〜75年のマイルズ・スタジオ録音作品の(可能な範囲での)全集だからだ。だから『オン・ザ・コーナー』はぜんぶあるし、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』も、70年録音の一曲「ホンキー・トンク」を除き、ぜんぶある。

さらに重要なことは、『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』には、もっともっとファンキーでカッコいいファンク・チューンがたくさんあるんだよね。それらの多くが1970年代当時は未発表のままだったか、未 CD 化だったか、(ブートレグしかないなど)著しく入手が困難になっていたものだ。面白いことは、この六枚組でじっくり辿ると、ファンキーさにポップさを加味していくようになったプロセスも垣間見え、復帰後1985年あたりからのポップ・マイルズ路線の先駆けみたいな部分すら感じるものがあるんだよね。

具体的に少し触れておくと、『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』CD5の最後の三曲「ヒップ・スキップ」「ワット・ゼイ・ドゥー」「ミニー」が面白い。三つともオフィシャルには2007年まで完全未発表だったもので、最初の二つが1974年11月6日、最後の「ミニー」が75年5月5日の録音。
特に最後の「ミニー」はかなりポップでスウィートで、メロウさすらあって、かなりいいんじゃないだろうか。これ、2007年まで未発表だったけれど、ブートレグには「アンタイトルド・ラテン」の名で収録され、マイルズきちがいはみんな知っていたもの。そう、ラテンっぽい曲だよね。前年の1974年10月7日録音で、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』一枚目 B 面に収録されすぐに公式リリースされた「マイーシャ」に続く系統だけど、「ミニー」には「マイーシャ」にない程度の甘いポップさがある。ところで、曲題はミニー・リパートンのことなんだろうね。

1975年のマイルズ・スタジオ録音はこれ一曲しか確認されていないので、そのままなにかのアルバムに収録してなどでは発売することができなかった。しかし、何年か遅れてでももっと早く、もしかりに発売されていていたら、1981年の復帰後85年あたりからポップでメロウになったマイルズのことも、みんなにもっと理解してもらえたんじゃないかなあ。コロンビア最終作の85年『ユア・アンダー・アレスト』のこととかさあ。

『ユア・アンダー・アレスト』には二曲のポップ・チューン「ヒューマン・ネイチャー」(マイクル・ジャクスン)と「タイム・アフター・タイム」(シンディ・ローパー)があるばかりか、ほかの収録曲も、ポップ・チューンというに近いアーバン・ディスコ・ナンバー「サムシングズ・オン・ユア・マインド」(D・トレイン: https://www.youtube.com/watch?v=jHXSowK9plU)があったり、タイトなファンク・チューン「カティーア」があるかと思うと、超変態ジャズ・ナンバー「ユア・アンダー・アレスト」(難曲!)があったりもする。

さらにマイルズ自身の既存曲でも、『ユア・アンダー・アレスト』トップには「ジャック・ジョンスンのテーマ」(1970)の焼き直しである「ワン・フォーン・コール/ストリート・シーンズ」 があって、ほかの二名にくわえマイルズ本人がラップ・ヴォーカルを披露…、と呼んでいいのか、ただフツーにしゃべっているだけだが、ただこれ以前にはありえないことだったし、はっきりしたポップさだ。マイルズがしゃべっている言葉の内容は、自ら体験した深刻な黒人差別の告発だけどね。

2017/08/10

グルーヴ、それは溝に刻まれた楽しい躍動感

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 19)

音楽用語として使われる際のグルーヴ(groove)とは、もちろんアナログ・レコードに刻まれた溝のこと。そこを針が進んで、最終的に音になる…、ってちょっと考えただけじゃ、物理的な溝から最終的にスピーカー(など)がつくる空気の振動=現実の音になるまでのプロセスは、やっぱり僕なんかにはピンとこない。CD でも配信音源でも同じだけど、摩訶不思議というに近い感覚すらあるもんなあ^^;;。

そんなレコードの溝=グルーヴ。このグルーヴはいったいいつごろから演奏のノリとか、賑やかで楽しい一体感とか、ダンサブルで高揚するフィーリングなどを指すようになったんだろう?形容詞化してグルーヴィとか言うもんね。

グルーヴもグルーヴィも、僕だってふだんかなりよく使う言葉だ。アナログの溝に針を落とすことはなくなった僕だけど、グルーヴは毎日たっぷり味わっている。しかし溝のことを意味したグルーヴが、いったいどうしてダンサブルに高揚する演奏のノリ、フィーリングを指すものへと変化したのかは、ちゃんと調べないと、僕にはいまちょっと分らない。

レコードの溝には波のような感じがあるみたいだから(顕微鏡で拡大した写真などを見るとね)、寄せては返す波のうねりのようなものを指すようになって、レコードのグルーヴは音楽用語には違いないので、次第に音楽演奏のうねりを指すようになり、結果的にノリノリの快感ダンサブル・フィーリングを指すことになったのだろうか???まあちゃんと調べりゃ分るんだろうが。

音楽作品で、レコードの溝という意味ではなく演奏のノリノリ・フィーリングという意味で、このグルーヴという言葉を使った最初の一例は、僕の知る範囲では、ジャズ・ピアニスト、レッド・ガーランドのプレスティジ盤『グルーヴィ』だ。1957年12月リリース。もちろんもっと早い例があるはずと思うんだけど、いまいちばん最初にパッと思い付いたのがレッド・ガーランドのこれ。

レッド・ガーランドの『グルーヴィ』、 僕はレコードも CD も一度も買ったことがない。むかしジャズ喫茶でよくかかっていたので、その記憶があるだけなんだよね。確かにグルーヴィなピアノ・トリオ演奏に違いないと僕も思うが、自分で買う気にはなれない程度のアルバムだったよなあ。悪口言っているみたいになってスミマセン。もちろん悪くはないと僕も思うよ。買うこたぁないけれど。いま YouTube でふつうに聴ける。

レッド・ガーランドのアルバム『グルーヴィ』に同名の曲はない。だから全部録り終えて、ポスト・プロダクションも終えたプレスティジのボブ・ワインストックが、1957年12月のレコード発売時に考案したアルバム・タイトルなんだろう。楽しくてダンサブルだし、跳ねるようなフィーリングもあるし、特に A 面一曲目の「C・ジャム・ブルーズ」(デューク・エリントン作)なんか相当いいじゃんねえ。マイルズ・デイヴィスのアルバムのいろんな曲でさんざん聴けるのと完璧に同一パターンだけどね。
こういう(のやその他の収録曲の)ジャズ演奏を「グルーヴィ」と名付けたボブ・ワインストックのネーミング・センスはなかなかいいよね。といっても1957年時点で彼が考え付くわけだから、彼のまったくの独案なわけがなく、グルーヴやグルーヴィをこんな意味で使う用法は、もっと前からしっかりあったのだということになる。ホント、いつごろから溝→演奏のノリと意味が変化するようになったんだろう?

上掲の「C・ジャム・ブルーズ」のようなノリは、この曲を書いたデューク・エリントンの、彼の楽団による初演、1942年ヴィクター録音ヴァージョンでもしっかり聴ける。グルーヴィというかスウィンギーだ。12小節定型ブルーズで、シンプルなリフを反復するだけ。あとはアド・リブ・ソロが続くのみという、まるで1930年代のカウント・ベイシー楽団みたいな演奏で、エリントンらしくない(これはいい意味で)。
しかしこれ、共作者としてエリントン楽団のクラリネット奏者バーニー・ビガードの名前も登録されていて、しかもバーニー・ビガード自身のグループで一年前の1941年に録音もあるんだよね。曲題が「C・ブルーズ」だけど。ってことはこりゃまたボスのエリントンがイッチョ噛みした、というよりそのままいただいちゃって自分の名前をクレジットにくわえちゃっただけなんだろうね。この当時の慣例で、楽団員の書いた曲の版権登録には、必ずボスが名前を連ねるか、自分だけの名義にしてしまう。

でも今日だけはシーッ!デューク・エリントンだということにしておきたい。それは今日話題にしている「グルーヴ」という言葉の使い方にかんし、スティーヴィ・ワンダーのあの超有名曲に言及したいからなんだよね。とこう書けば、もうみなさん「な〜んだ」とお分りのはず。そう、1976年リリースのアルバム『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』収録の「サー・デューク」のことだ。
この「サー・デューク」は、アルバム『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』の一枚目 A 面ラストだった。CD なら五曲目。1977年にはシングル・カットもされている、音楽愛そのもの、偉大な先達たちへの敬意を歌った一曲で、エリントンだけでなく、カウント・ベイシーやグレン・ミラーやルイ・アームストロングやエラ・フィツジェラルドの名前も登場するので、ジャズ・ファンのみなさんだってもちろんご存知のはず(?)。あれっ、ジャズ・ファンのみなさんには二枚目 A 面トップだった「イズント・シー・ラヴリー」(可愛いアイシャ)のほうが有名なのかな?

さて、上でご紹介した「サー・デューク」の歌詞のなかに、以下のような一節が聴きとれる。

But just because a record has a groove
Don't make it in the groove

う〜んと、前後もちゃんと引用しておいたほうがいいな。

Music is a world within itself
With a language we all understand
With an equal opportunity
For all to sing, dance and clap their hands
But just because a record has a groove
Don't make it in the groove
But you can tell right away at letter A
When the people start to move

さて、「But  just because a record has a groove / Don't make it in the groove」部分。一回目のほうのグルーヴはもちろんレコードの溝のことだ。しかし二回目のグルーヴを、スティーヴィはどういう意味で使っているんだろう?「レコードにはもともと溝があるからってだけで、それを溝に落としちゃダメだよ」?あるいは「レコードにはもともと溝があるからってだけで、音楽を型にハメちゃダメだよ」ってこと?

しかしスティーヴィだってグルーヴという言葉をそんなシンプルには使っていないはず。「Don't make it in the groove」部分では、 グルーヴ=演奏のノリ、動き出したくなるようなワクワクするダンサブルなフィーリングという意味にだってひっかけてあるはずだ。しかし演奏のノリという意味だと解釈すると「レコードをノリノリでつくっちゃダメ」と歌っているようにも解釈できちゃうので、う〜ん、どうなんだろう?

「But just because a record has a groove / Don't make it in the groove」部分の前で、音楽には歌い踊り手拍子をとる権利がみんなに平等にあると歌っている。後でも似たようなことを歌っている。だからやっぱりこの問題の箇所は「レコードにはもともと溝があるからってだけで、溝にハメる=決まりきったことをするだけじゃダメだよ」という意味で、直接的には、使っているのかも。

前と後で音楽のダンサブルなフィーリングのことをスティーヴィは歌っているんだから、これはあくまで直接的にはということ。暗示的に演奏のノリ=グルーヴィさという意味での groove も含んでの歌詞なんじゃないかと僕は考えているんだけれどねっ。

2017/08/09

アメリカ音楽の地域差

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 18)

アメリカ人音楽家は、ライヴでのメンバー紹介の際に必ずと言っていいほど、「どこそこ州(どこそこ町)出身のだれそれです」って言うよね。日本人音楽家でこれを必ず言うという人は少ないはず。僕の知っている範囲の日本人音楽家で、自分のライヴ・ステージで、起用している外国人でも日本人についても必ずこれを言うのは渡辺貞夫さんだ。アメリカ人なら、例えば「サン・フランシスコのベイ・エリア周辺から…」だとか、また「ジャマイカ生まれで、水泳の奨学金をもらって渡米、そしていまどうしてだかこのステージに立っているという…」だとか、日本人でも「野力奏一、京都出身です」とか、貞夫さん、言ってたもんなあ。

貞夫さんのああいった姿勢は、やっぱりアメリカ人ジャズ・メンの例にならったということなんだろうか?アメリカ人音楽家ならば、ジャズだろうとロックだろうとなんだろうと、ほぼ全員がライヴ・ステージでこれを言う。リーダー格、あるいはおしゃべり担当(アイヌのヴォーカル・グループ、マレウレウだとまゆんさん)のメンバーか、あるいは司会者みたいな人がいる場合でも、みんな出身地を紹介するじゃないか。

出身地を紹介しない場合も当然あるんだろうし、日本人でもどこの人でも、紹介する場合だって多いんだろう。メンバー紹介で出身地を言うというこの慣習は、音楽の場合、地域性が音楽性と密着しているせいもあるからなんじゃないかという気がする。むろん、たんに誰かのひととなりを紹介しようと思ったら、音楽家に限らず、出身場所を告げるのが当たり前のことではあるんだろう。だが特にアメリカ音楽の場合は、国内での音楽的地域差、地域的特色差を踏まえないと面白さが分りにくい場合があるように思う。

アメリカ音楽の場合、演奏家の出身地を告げる=どんな持味の音楽家であるか、どんな音楽的特徴があるかの名刺代わりになるケースがかなりあるように見受けられる。国が違えば、あるいは大陸や諸地域など大きなエリアが違えば音楽が変わるのは当たり前のことだから、それは今日はまったく考慮に入れていない。あくまでアメリカ合衆国という同一国内での地域差の話だ。

別にジャズがアメリカ最初のポピュラー・ミュージックじゃないだろうが、商業化、特にレコード産業が本格化した時代に乗って、そのままジャンルじたいが大流行しはじめたのがジャズ。それにしてはジャズ界初のレコードは1917年とあんがい遅いが、これには事情がある。今年はピッタリ100年なので(ジャズ録音史100周年に際し、今年中になにか書くつもり、大晦日にでもアップできれば)、だからアメリカ音楽産業が、レコードの普及で大爆発し、産業じたいが活性化した最初のきっかけは、やはりジャズによってだったと言って差し支えないんじゃないかなあ。そのジャズは、同国南部ルイジアナ州ニュー・オーリンズで誕生した。これに異を唱える専門家がむかし少しいたみたいだが、いまやそんなヘソ曲がりは消えた。ジャズはニュー・オーリンズで生まれた。これは間違いない。

ジャズ・ミュージックの特色を考える際には、生誕の地がニュー・オーリンズであったことと、この都市の文化的特色を踏まえないと、十分に理解することができないんだよね。これについては詳しいことを今日書く必要はないと思うので、もしかりにご存知なくてご興味のある方は、油井正一さんの二冊『生きているジャズ史』『ジャズの歴史物語』をお読みいただきたい。僕なんかが説明するより100万倍よく理解できる。

カリビアン・クリオール文化の北米大陸における<首都>とも呼ぶべきニュー・オーリンズで生まれたジャズだから、この音楽のなかにも、主にニュー・オーリンズ・クリオールたち(がジャズ誕生期の主役)が担い表現し、その後(いわゆる)黒人、白人ジャズ・メンにも色濃く流入したカリブ〜ラテン音楽文化要素が存在する 〜 しかし、こういったことが今日問題なのではない。

今日僕が言いたいことは、そんなニュー・オーリンズで産まれたジャズがアメリカ全土に拡散してのちのことだ。全米各地で、その州その州の、その都市その都市の独自音楽に変化した。その背後には音楽と密接に結びついているローカル・カルチャーの存在があって、それが音楽にも反映されて、音楽的特色の地域差を生んだのだと思う。

ことジャズだけに限定しても、ニュー・オーリンズの次にジャズのメッカになったシカゴ、そしてニュー・ヨーク、カンザス・シティなど。すべてジャズ・メンの傾向や演奏の特色が異なる。ニュー・オーリンズ、シカゴ、ニュー・ヨーク、カンザス、これらすべて第二次世界大戦前にジャズ(関連)音楽が花開いた都市だけど、戦後なら西海岸もメッカの一つになった。同じ西海岸でもサン・フランシスコとロス・アンジェルスでは、やはり音楽性が異なっている。

いまは情報拡散のスピードがとんでもなく速く、その日にできあがった音楽を即ネットにアップロードして、現実の物理的距離があってもネットではそれはゼロに近いから、アップした次の瞬間に、遠く離れた場所にいるほかの音楽家がパソコンかスマホで聴いて、イイネと思って自分の音楽に取り入れるなんてことも朝飯前だが、むかしはそこまでではなかったから、ある時期まで、地域差は保たれたままだったはず。

そして地域差が保たれないと誕生すらもしなかったような種類のアメリカ音楽もあったんじゃないかとも思うのだ。ニュー・オーリンズがあんなふうでないと(あんなかたちの)ジャズなんか絶対に誕生しえなかったのも典型例だが、それ以外でも、例えばブルーズ・ミュージックだって、深南部の黒人共同体内部でしか産まれえなかったものだが、その後、北部や全米各地に飛散して地域差を獲得したし、またカントリー・ミュージックだって、ブルーズほど深い場所でないにしろ、やはり南部の田舎町で誕生し、しかもそもそも聴衆層の中心として南部田舎町の白人を想定して存在していた。

この点では(も)黒人ブルーズと白人カントリーは共通性がある。もともとカントリー・ミュージックは、黒人ブルーズのレパートリーを白人がとりあげて、ヒルビリー・ブルーズとして彼らなりにやったところがそもそもの出発点だということも大きいが、両者とも(最初は主に)南部田舎町で、(黒人・白人の)労働者階級のアイデンティティに訴えかけるようにデザインされた音楽だったということが言えるはず。カントリーはそもそもそういうものとして1920年代に誕生した。ブルーズのほうは「デザイン」化されるようになる前の時代から存在していたので、その時代には100%マジで対面して貧乏黒人ブルーズ・メンが貧乏黒人労働層を相手にしていたんだろう。

アメリカ南部や、南部でなくとも一定の地域、都市、州の地域性に根ざしたアメリカ音楽は、ジャズ、ブルーズ、カントリー以外にもいくつもある。ロックやソウルやヒップ・ホップの世界その他でもたくさんあるじゃないか。ネイティヴ・アメリカン(アメリカン・インディアン)の音楽。サザン・ロック、LA スワンプ、LA メタル。サザン・ソウル、メンフィス・ソウル、フィリー・ソウル、デトロイト・サウンド。ヒップ・ホップも、ある程度イースト、ウェスト、サウスと、そのサウンドで区別されたりするみたいだ。ジャズやブルーズに地域差があるように、カントリーだってナッシュヴィル・サウンドとベイカーズフィールド・サウンドは違う。

まあ第一には、(ある時期以後の)アメリカ合衆国は国土面積が広いというのと、その広大(にその後なる)国土も、ある部分がもともとスペイン領だったりフランス領になったり、また戻ったりして、結果的にアメリカ領になっただとか。またメキシコ領になったかと思うとアメリカ領になったりだとか。

そんな事情もあるし、またアメリカ国内に住む人たちだって、先住民族(の子孫)たち以外はすべて他国・他地域からの移民(の子孫)たちであって、さらにそれがその後ミクスチャーした。だから祖先たちがアメリカ大陸へやってくる前に住んでいた場所の音楽文化の記憶が DNA 的に残っていたりもしたんだろう、しかも人種・民族によって居住地域を限定されていた時代もあったから、余計に一層音楽的地域差が鮮明になって、しばらく経って入り混じったとかいう事情だってあるだろう。

いまの時代の、あたかもアメリカ一国内での音楽的地域差がかなり薄くなった21世紀のアメリカ音楽だって、そんな地域的音楽差が鮮明だったころの音楽が息づいていて、それがなかったらいまのアメリカ音楽だって、こんな姿じゃないんだよね。でもいまでも音楽における鮮明な地域差はあるそうだ。僕はあまりよく知らない事情なんだけど、ちょっとご紹介しておこう。ニールセンが発表した次のようなデータだ。
これをお読みになれば分るはず。ニールセンが発表したこのデータは、非常に分りやすくアメリカ人音楽リスナーの聴取行動傾向を示している。いまや音楽はネットがあればどこでも聴くことができるようになった。でも音楽を聴く手段は千差万別。iTunes ストアもあれば音楽ストリーミング・サーヴィスもあり、 またモバイル・ディヴァイス、カー・ラジオなど、デジタル音楽サービスが普及しているアメリカならば、なおさら選択肢が分れている。

上掲インフォグラフィックでは、音楽ストリーミング・サーヴィスを利用している割合 (無料&有料)、音楽を聴くディヴァイス、初めて音楽を見つける (ミュージック・ディスカヴァリー)方法、日常で音楽視聴に割く率を地域別に出している。例えばオレゴン、ワシントン、カリフォルニア、アラスカ、ハワイの西海岸は、音楽ストリーミング・サーヴィスの利用が全米で最も高くなっているし、またどの地域でも音楽を聴く手段にカー・ラジオがあるところは、自動車社会のアメリカらしい。

2017/08/08

レコードや CD を処分しないで

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 17)

音楽好きじゃない方々にはなんの意味があるんだ?と思われるに違いないのだが、まったく面白くない、もう絶対に聴かないという音楽レコードや CD を処分せずにいつまでも持っておくのは、実はあんがい大切なことだったりする。そうしないと食べていけないとか、なにか深刻で特別な理由がない限り、そう簡単に音楽作品を売ったり処分したりなどしないほうがいい。もちろん背に腹はかえられないというようなことがあったりするとは思うけれど。

レコードや CD の処分。 僕の言う「処分」とは、もちろん中古レコード・CD 買取・販売店などに売るという意味であって、ゴミとして「捨てる」などという選択肢はない。そんな神をも恐れぬ超非人間的所業なんかはハナから想定していない。しかしそんなことができるメンタリティの持主がこの世に一定数いるのは事実だけれど。いらなくなったらレコードでも CD でも本でなんでもどんどんゴミに出すという人たちが確かにいる。あなた方、それは文化財ですぞ。穴が空いて履けなくなった靴下をゴミ箱に入れるのとはワケが違うんですぞ。

でも、特に季節の変わり目や引越しシーズンなど、やはり出現するんだよね、Twitter のタイムラインなど僕の見る範囲にも、捨てます、捨てました、というような人たちが出てくる。いくら自分にはもう絶対に不要だからといっても、音楽の好みなんて本当に人さまざまなんだから、捨てるんじゃなく他人の手に渡るようにしてくれないかな。セカンド・ハンドでそれを入手して聴いた人が喜ぶ可能性は十分ある。レコードでも CD でも本でも、中古品であれ、どなたかの幸せにつながれば、それが作品、作家にとっても幸福なんだから。そうなれば最初に買った自分だって嬉しい気持になるんじゃないの?ごくたまにゴミ置場に文庫本なんかが廃棄してあったりなどするのを目撃すると絶望的な気分になって、まるで我身を切られるような痛みを感じるよ。

だからせめて中古買取店に売ってほしいのだ。あるいは一円にもならないが、興味があるという、あるいはなくても、友人などにプレゼントするとかさ、それもありだ。これらが僕の言う レコードや CD の「処分」。そういえば、僕はいらなくなった CD は売らずにどんどんあげてるなあ。売ればちょっとのお金になるのにどうしてしないのかというと、相手がどんな音楽趣味の持主で、どんな喜び方、喜ばなさ方をするか少しは知っている、つまり音楽的「素性」の分っている人のところに行ってほしいという気持があるからなんだよね。

でも僕がどんどん人にプレゼントするのは、例えば1987/88年の初回 CD 化の際に全部買ったビートルズの全アルバムを、2009年のリマスター盤でまたもう一回ぜんぶ買ったから、最初のそれらはプレゼントしたとか、マイルズ・デイヴィスのアルバムでも同様の事情が、しかも繰返しあるとか、あるいは、意図せずまったく同じものをダブって買ってしまい、意味がないからあげるとか(以前記事にしたシェバ・ジャミラ&リベルテのライヴ盤なんか、なぜだか五枚も持っていたが、理由がぜんぜん分らない^^;;、二枚はあげた)、そんな事情のものだけだよ。

一枚しか持っていないのに、面白くなかった、もう聴かないよとなっただけで中古で売った経験は、僕の場合、まだ一度もない。それはしない方がいいという体験をなんどもしているからだ。もう既にみなさんお分りでしょうが、CD を手放すなと僕が主張するのは、自分の音楽の好みや自分のなかでの評価なんてコロコロ変るもんだし、なんど聴いても気づかなかった部分に、何年後かに初めて気づく新鮮な発見があったりするからだ。そんな体験をなんどもなんどもしたから、きっと今後もあるだろうと思う。

勘がよく耳の超えた優れた音楽リスナーのみなさんであればこんなことはないんだろう。数回聴いて「すべて」が分って、それで不要だと判断して処分なさっているんだろうとは思う。僕はそんなリスナーではない。良さ、面白さになかなか気づかない場合だって多い。こんなものツマンナイじゃん、あるいは場合によっては腹が立ったりして、フ〜ン、もう二度と聴くもんか!とかいう気分になるんだけど、しばらく経って気を取りなおしてもう一回聴くと面白かったり素晴らしかったり、ときには激しく感動したりなど。

だからほんの五回や十回程度しか聴いていないものを、即断して処分しないほうがいいと僕は思う。個人的具体例を少しあげておこうかな。例えばチャールズ・ミンガスの『直立猿人』。これの面白さが分るのに、僕は20年くらいかかったもんね。約20年間、一曲目のアルバム・タイトル・ナンバーがまぁ〜ったく面白くなかった。ところがそれがいまでは大の愛聴曲。

またユッスー・ンドゥールの最高傑作と言われる1990年『セット』。これもなんど聴いてもピンと来ず。なんでもない普通のアフロ・ポップじゃないか、次作の『アイズ・オープン』のほうがずっといいなとか、わりと長いあいだ感じていたのが、いまでは完全に逆転している。まぁあの『セット』の素晴らしさになかなか気づかないなんて人間も少ない、というかほぼいないだろうが。

またこれは以前詳しく書いた山内雄喜の『ハワイ・ポノイ』。これもそもそもオープニングが大の個人的愛聴ソング「ラ・パローマ」であることすら忘れていて、というか気づきすらもしておらず、二曲目以後の印象なんかぜんぜんぼなくて、二、三回聴いてそのまま CD ラックの奥で肥やしになっていたのが、いまではこれ以上に面白い音楽もなかなかないと心の底から信じ、聴くと感動する。
僕みたいなヘボ耳の音楽愛好家にとっては、こんなのはほんの氷山の一角でしかない。ほかにもホ〜ントにたくさんあるわけなんだよね。それでかなり強く痛感しているのが、音楽レコードや CD は処分しないほうがいいということ。いつ、面白く聴えはじめるやら分らないもんね。早いときはその日のうちだが(http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-07-28 、荻原和也さんホンマ、スンマセン)、場合によっては何十年もかかったりする。

ひょっとして僕だけじゃないんじゃないの?だから、音楽レコードや CD を処分しないで。時間を置いてでも、辛抱強く聴き続けて。

2017/08/07

スティーリー・ダンの復活ライヴ、なかなかいいよ

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 16)

昨日、エレベ奏者トム・バーニーに言及し、彼はスティーリー・ダンの復活ライヴ・アルバム1995年の『アライヴ・イン・アメリカ』で弾いていると書いたら俄然これを聴きなおしたくなり、いま聴いているけれども、まあやっぱり耳の聴こえはまだまだダメだなあ。よく知っている大好きな既知音源だから、こんな聴こえ方じゃないはずだと分る。まあいい。いまの聴こえ方で感じることだけ書いておこう。それにヘッドフォンで聴くと、スピーカーで聴くよりまだマシなんだよね。これはどうして?スピーカー(やその他空中の音)はダメでヘッドフォンなら OK(に少しだけ近い)というのは、どういう科学的根拠があるの?どなたか教えてください。

ともあれスティーリー・ダンの1995年リリース作『アライヴ・イン・アメリカ』。これは1980年にファイナル・スタジオ作『ガウチョ』をリリースし、このバンドが活動を停止して以後、初の復帰アルバムだった。もっともこれの二年前、93年にドナルド・フェイゲンのソロ作『カマキリアド』があるにはあった。これもフェイゲンのソロ名義作としては『ザ・ナイトフライ』以来11年ぶりだったもの。そして『カマキリアド』では盟友ウォルター・ベッカーがベースとギターを弾きプロデュースもやっているので、この93年あたりで、最後のほうはこの二名だけのプロジェクトになっていたスティーリー・ダン本格復帰への地ならしができていたんだろう。

渋谷東急プラザ内の新星堂(ここでかなり買ったのだ、職場へ行く前とか帰りとか、京王井の頭線の乗り降り場所からいちばん近かったので)で スティーリー・ダン『アライヴ・イン・アメリカ』CD 現物のパッケージを見たときは、ちょっと目を疑った。こんなタイトルだからライヴ盤なんだろう?裏ジャケットにははっきりと大規模屋外ライヴ会場みたいなのが写っているし、フランケンシュタインが(死んだ?)美女を抱えている表ジャケットだって、アルバム・タイトルとあいまって、死からの再生のメタファーみたいなものなんだろう(だから復活第一弾盤)?アメリカ・ツアー収録盤か?と分るものの、裏ジャケに書かれてある曲目一覧には、『エイジャ』や『ガウチョ』の収録曲もかなり並んでいたからだ。

ファンのみなさんには釈迦に説法だけど、スティーリー・ダンのライヴ・パフォーマンスは1974年のものが最後になっていた。スタジオ・アルバムで言えば三作目の『プレッツェル・ロジック』のあたりまで。あのへんまでは、このバンドもまだ「バンド」だったよなあ。あ、そうだ、band という英単語が音楽集団を意味するようになったいきさつについては、しぎょういつみさんの名著『よりみち英単語』p.14で説明されているので、ぜひご一読を。Kindle 版なら Loc. 2502の145。ホント面白いんですよ、この本。

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そんな感じで band ではなくなって、ある時期以後ライヴ活動を完全にやめて、オーヴァー・ダビングの繰返し、あまりにも多い回数の録りなおし、気狂いじみた編集作業など、スタジオ密室作業で音楽を創るようになっていたスティーリー・ダンの、そんな方向性における傑作が、上でも書いた1977年の『エイジャ』、80年の『ガウチョ』。がしかしそれゆえに、これら二作で聴ける曲はライヴ演奏など間違いなく不可能だと、周囲やファンはもちろんそう思っていたし、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカー本人たちだって似たような考えだったんじゃないかなあ。

それが1995年に店頭に並んだライヴ盤『アライヴ・イン・アメリカ』には、『エイジャ』『ガウチョ』のレパートリーがたくさんあったのだ。しかもスタジオ作、ライヴ作の別を問わず、そもそもスティーリー・ダンの復活第一作だったし、そりゃもう躊躇なく東急プラザ内新星堂のレジに、いつものようにほかの二・三枚と一緒に持っていった僕。

帰宅して CD プレイヤーでかけた『アライヴ・イン・アメリカ』。一曲目があの「バビロン・シスターズ」なんだけど、客席のかなり小さい音量での喧騒音に続きバンドの演奏がはじまった瞬間に、こりゃ傑作だ!と確信した僕。うんまあ、そりゃスタジオ・オリジナルと比較したならばね、もちろんイマイチなんだけど、これ、一回性・一発録りのライヴ演奏ですから。

しかも聴いた感じ、録音後にスタジオで手を加えた形跡もない。どの曲もすべてそうだ。全11曲、綿密なリハーサルを繰返したに違いない出来だけど、最終的にはライヴ会場での一発録りをそのまま収録したんじゃないかなあ。ドナルド・フェイゲン/ウォルター・ベッカー・コンビの、というかフェイゲンの、スタジオ密室作業でのあのこだわり方を知っていると、ライヴ・アルバムではかえって逆に修正しない(で済むように準備はしているわけだけど)ままなんじゃないか、そういう性格の音楽家なんじゃないかと僕は思ったりもする。曲間のつながりをスムースにする編集ならかなり綿密にやっているけれど、曲の演奏じたいには手を入れていないかも?

『アライヴ・イン・アメリカ』。一曲目に「バビロン・シスターズ」を置いた(ライヴ現場でどうだったかは知らない)のは大正解だ。これは見事なツカミだからね。しかし僕がもっと好きなのは二曲目「グリーン・イアリングズ」三曲目「バディサトゥバ」のメドレー。前者が1993年のアーヴァイン(カリフォルニア)公演、後者が94年のデトロイト公演からのピックアップだから、スッと自然につながって聴こえるその部分だけはもちろん繊細な編集作業のたまもの。

だがこれら二曲での演奏そのものがいいんだよね。僕が一番好きなのは「グリーン・イアリングズ」で叩くピーター・アースキンのドラミングだ。アルバム『アライヴ・イン・アメリカ』では、1993年ツアーでも94年ツアーでも、バンド(ブックレットでは「オーケストラ」との記載)・メンバー編成は、基本、同じだが、ドラムスだけが93年はアースキン、94年はデニス・チェンバーズで、ここだけ入れ替わっている。

化け物デニス・チェンバーズは本当に awesome(フェイゲンのコメント)だと納得だけど、好みだけで言うと、僕はピーター・アースキンに軍配を上げてしまう。たんにジャコ・パストリアスと一緒だったウェザー・リポート全盛期のドラマーだったからとかいうんじゃない。だいたいあの1970年代末〜80年代初頭ごろのアースキンは、まだまったくたいしたことないじゃないか。

と〜ころが、『アライヴ・イン・アメリカ』二曲目「グリーン・イアリングズ」でのピーター・アースキンはめちゃくちゃ上手いよ。最高のグルーヴを叩き出している。全般的に素晴らしいが、特にスネアの使い方が気持イイ。アースキンの十八番である例のハタハタ・スタイル。一番カッコイイのがドナルド・フェイゲンがツー・コーラス歌い終えて 1:50 で ウォルター・ベッカーのギター・ソロになるのだが、弾きはじめて以後、途中 2:08 で転調するまでのあいだのスネア・ハタハタがチョ〜キモチエエ〜〜!!
『アライヴ・イン・アメリカ』にある、ピーター・アースキンが叩く1993年ツアー分は、この「グリーン・イアリングズ」と、六曲目の「ブック・オヴ・ライアーズ」(アルバム中、この曲だけウォルター・ベッカーが歌う)、八曲目の「サード・ワールド・マン」と、たった三つだけ。これらのうち、「ブック・オヴ・ライアーズ」は、曲じたいがなんでもないものだと思うのであれだけど、「サード・ワールド・マン」でのアースキン・ドラミングがこりゃまた最高なのだ。ドナルド・フェイゲンも "Erskine perfect" とコメントを寄せている。以下はアルバム収録ヴァージョンそのままではなく、それの現場でのオーディエンス録音。
なんだかピーター・アースキンのドラムスの話しかしていないが、まあねえ、あれなんだ、耳の聴えが悪い現状況下、ドラムスの音なら、バスドラを除き、なぜだかけっこうしっかり聴えてくるんだよね。特に金属音、つまりシンバルやハイ・ハットが目立つが、スネアも聴こえる。ほかの楽器やヴォーカルのサウンドはイマイチだったりダメだったりがまだ続いている。そんなもんで、ドラマーの演奏だけにフォーカスして聴きたい音源なら、いまちょうどピッタリなんだよね。ドラムスだけが、まるでミックスを変えたみたいに浮き上がって聴こえるもん。特にシンバルとハイ・ ハット。

同じドラマーでも、『アライヴ・イン・アメリカ』ではこっちのほうがたくさん叩いているデニス・チェンバーズのことをほとんど書いていないじゃないかと言われそうだけど、デニスのことはみんな褒めているじゃないか。だから僕が改めて言う必要はないはず。あまり言われないが、ドナルド・フェイゲンが1994年ツアー収録分に混ぜて93年録音分も、それもまるでメドレーみたいにして並べて違和感なしと判断しただけあるという出来だよ、このアルバムでのピーター・アースキンはね。

2017/08/06

「鷹匠」渡辺貞夫

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 15)

最初にとんでもない妄想を一言書いておく。渡辺貞夫さん、サカキマンゴーさん、OKI さん。このお三人で、ぜひ共演作を創っていただきたい!

荻原和也さんのブログで、スティール・パン(スティール・ドラム)をフィーチャーするビバップ・バハマのアルバム『ビバップ・バハマ』のことがとりあげられていたなかに、同じスティール・パンのアンディ・ナレルの名前があったのに僕はニンマリ。懐かしく思い出すことがあって二つコメントをつけてしまった。荻原さんの返信にあった「貞夫さんは若手起用の天才」ということについて懐かしいことがいろいろ浮かんでくるので、今日はそれについて少しだけ書いておこう。本当に短い文章になると思うよ。
渡辺貞夫さんは自身のリーダー・アルバムに、というよりもライヴ・ツアーに、その時点ではまだ無名の、しかしかなり有能な若手ミュージシャンをどんどん起用していた。いまでも?いまの貞夫さんの活動はフォローしていないので分らないのだが、貞夫さんは鼻が効くんだよね。だからいわば名伯楽、タレント・スカウト、鷹匠(はちょっと違うのか?)みたいな人なのだ。

これは以前も書いたけれど、1980年か81年の日本ツアーでの貞夫さんのメンバー紹介。松山市民会館大ホールでのこと。正確な言葉は忘れてしまったが、「本当は別のベーシストを用意してリハーサルも積んでいたんですが、急遽、あるジャズ・マンのバンドに参加することになったので」と貞夫さんは言っていた。そのとき貞夫さんの言う「別のベーシスト」「あるジャズ・マン」が誰なのか、僕が知るわけもない。

すると少し経ってマイルズ・デイヴィスの六年ぶりの復帰作である1981年の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』がリリースされ、全面的にマーカス・ミラーがエレベを弾いていたのだった。続くライヴ・ツアーを行うカム・バック・バンドにもマーカスが起用された。

あの貞夫さんのライヴ・コンサートで言われたのがマーカス・ミラーだったとの確証は得られない。マーカスの名もマイルズの名も、貞夫さんはおくびにも出していなかった。出せるわけがない。が、これは絶対にそうに間違いないという確信はあるんだよね、僕には。直接証拠はないものの、種々の状況証拠その他から見て、疑いはないと僕は思う。

あのとき貞夫さんの言ったのはマーカス・ミラーで、既に貞夫さんの日本ツアーに向けて準備していたにもかかわらず、ビッゲスト・フィギャーに声をかけられたら、そりゃ誰だってそっちを選ぶよねえ。だから貞夫さんとしては、まああっちの方が先輩だしはるかに大物だし、スンナリ諦めざるをえなかったとは思うけれど、実は心中複雑だったかもよ。

あの時点でのマーカス・ミラーが知っていたかどうかは分らないが、マイルズ・バンドの待遇は、ジャズ界では超破格の、というかたぶん最高級の良いものだったんだよね。マイルズ本人はもちろんサイド・メンのギャラといい、ツアーで宿泊するホテルの格・質といい、その他いろんな意味で。1985年にマイルズ・バンドをやめたあとのアル・フォスターがマイルズに電話してきて、「マイルズ、いま僕が泊まっているホテルがどんなものか、見せたいよ」と嘆いたらしい。

さらに!その貞夫さんがあのとき(マーカス・ミラーの)代役として急遽起用したエレベ奏者が、なんとトム・バーニー!1980(か81)年なんだよ。マイルズ・ファンならご存知のとおり、トム・バーニーは、マーカス・ミラーの後任として83年にマイルズ・バンドに起用された。僕はマーカスもマイルズ81年の来日公演で観聴きしたが、トム・バーニーも、やはりマイルズ83年の来日公演で、大阪中之島フェスティバルホールで、二日連続で、体験した。

あの1983年のマイルズ来日公演で初めてトム・バーニーを知ったというファンが多いと思う。僕ら貞夫ファンは、その数年前に知ってたぜ。貞夫さんが起用してくれたおかげでね。メンバー紹介での貞夫さんは「その人が急遽来られなくなったのは残念ですが、代役のこちらの彼も有能ですから大きな拍手を」と言っていたはず。80年とか81年にトム・バーニーを起用できるなんて、貞夫さん、やっぱりすごいタレント・スカウトじゃないか。ロック・ファンのみなさんにとってのトム・バーニーは、スティーリー・ダン復活後のライヴ・アルバム1995年の『アライヴ・イン・アメリカ』で全面的に弾いているので知っているという存在かも。

マイルズ関係で言うと、貞夫さんは1884年の日本ツアーで、ギターにロベン・フォードを起用。ロベンもまたまた二年後の86年にマイルズに起用されることとなった。マイルズと貞夫さんのこの種のことは、マーカス・ミラー、トム・バーニー、ロベン・フォードの三人でぜんぶのはずだけど、起用したのはみんな貞夫さんのほうが先だったんだぜ。どっちが名伯楽なんだよ?マイルズは若手発掘名人とか、むかしからみんな言うけれどさぁ。貞夫さんのこともちょっとは言ってくれないかなあ。

スティール・パンのアンディ・ナレルだって、アンディのバンドをそっくり丸ごとそのまま全部バック・バンドに起用した貞夫さんの日本ツアーが何年のことだったか、正確なことを忘れたが、僕の大学院生時代の、たぶん博士課程在籍時だったと思うから、すると1986年か87年だ。少なくとも僕はあのとき初めてアンディ・ナレルというスティール・パン(兼キーボード)奏者を知って、な〜んてカッコイイんだ!スティール・パンってこんなに複雑で高度で繊細な表現ができるものなんだ!って、南洋カリブの、なんだかのどかでのんびりとしたイメージしかなかった楽器(僕のなかでだけ?)だが、180度ひっくりかえってしまった。

もちろんアンディ・ナレルがそれだけの腕前のスティール・パン奏者だからってことだけど、日本ではまだ無名だったはずのアンディを起用した貞夫さんの眼力がなかったら、それもなかなか知りえないことだったんだよ。かなり遅れてしか知ることができなかったはず。何年のことか忘れちゃったんだけど、そのライヴ・コンサート、一曲目がお馴染「オレンジ・エクスプレス」だったんだけど、そ〜れが!もうカッコイイのなんのって!

「オレンジ・エクスプレス」の主旋律を貞夫さんがアルト・サックスで吹きはじめる前に、やはりお馴染のリフがあるでしょ、それをアンディ・ナレルのスティール・パン中心でやるんだよ。いきなりカリブ海に突入。貞夫さんの吹く主旋律はイースト・アフリカンっぽいからなあ。しかも貞夫さんがそのアフリカン・メロディのサビ部分を吹くあいだ、その背後でアンディがスティール・パンでギャン、ギャンと伴奏リフを叩くんだけど、裏拍で入れるリフだから、ジャマイカのレゲエみたいなフィーリングもあったんだよ。

あのときの「オレンジ・エクスプレス」。貞夫さんのアルト・サックス・ソロが終ると、リズム・ブレイクがあって、ドラマーとパーカッショニストだけが叩いているパートがある。バンド全体がなんどかバンバンとブレイク・リフを演奏する合間、ずっと打楽器だけのパートが。そのブレイク部分からアンディ・ナレルはスティール・パン・ソロを叩きはじめるんだよね。

そしてリズム・ブレイク部(というかあれはブリッジか?)が終る刹那にバンド全体でキメを演奏するんだけど、それに続いて、リズム伴奏付きの本格的なスティール・パン・ソロになる。その出だしでビャ〜ン!って、まるでフル・オーケストラ・サウンドをスティール・パンで出しているみたいな音がする。その瞬間にも〜う、背筋がゾクゾクして震えてシビレちゃった。完璧に僕はイカされちゃったんだよね。

2017/08/05

ジャズというかりごろも 〜 フィーリンとボサ・ノーヴァの時代

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 14)

キューバのフィーリンとブラジルのボサ・ノーヴァに、北米合衆国のジャズの影響はあるのか?ないのか?というちょっと面倒くさいテーマを考えてみようと思う。荷が重いなあ。気が進まない。本格的なものは無理だから、やっぱり短めの文章で、ほんの軽く触れるだけにしておこう。耳もやはりまだあまり聴こえないしね。

フィーリンとボサ・ノーヴァに、ジャズっぽい「ような感じ」が聴きとれるというのは間違いないことだ。最も顕著にはハーモニーの創り方、コード進行、そして伴奏の楽器編成だ。あ、いや、楽器編成はそうでもないのか?ジャズで最も重要な楽器であるドラム・セットは、フィーリンやボサ・ノーヴァにはないことの方が多い。だから主に和音構成とコード進行かな、フィーリンとボサ・ノーヴァでジャズっぽく聴こえるのは。

フィーリンとボサ・ノーヴァ。前者の流行の方が先に成立したはず。1940年代末ごろのキューバで、ボレーロ(恋愛歌)の新しい表現方法として、最初はあまり目立たない動きだったが徐々に広がって、しかしフィーリンが本格化するパイオニアだったホセ・アントニオ・メンデスがブレイクしたのは1950年代のメキシコにおいてだった。キューバ本国でなかなか受け入れられなかったからなのか?あるいはマーケット的にメキシコでのほうが活動しやすかったということなのか?これは僕には分らない。

ところで、このフィーリンの創始者(?)José Antonio Méndez の名前のカナ書きについて、ちょっとだけ。「ホセー」と表記する人がかなり多い。中村とうようさんもホセー表記だ。しかしこの人のライヴ音源で名前が紹介されているのを聞くと José の sé は長い音じゃない。短くホセだ。本人のしゃべりじゃないのでイマイチだけど、僕はだからホセと前から書いている。とうようさんはアクセントのある音節はなんでもかんでもぜんぶ音引きをつけてしまう傾向があっただけだ。まだ日本で知名度のないもの/人の発音がどうなのか、分りやすく示そうとしてそうやったのは理解できる。長音でなくても音引きをつけた。僕たち全員が真似することはない。ぜひ、「ホセ」・アントニオ・メンデスでお願いしたい。

さて、フィーリンの、はっきりとはしない誕生期はおそらく1940年代末で、流行期は50年代以後。ボサ・ノーヴァのほうはわりとハッキリ言うことができる。アントニオ・カルロス・ジョビンの書いた「想いあふれて」(シェガ・ジ・サウダージ)をジョアン・ジルベルトがギター弾き語りで歌ったレコードの録音が1958年。同じ年に三ヶ月だけ早くエリゼッチ・カルドーゾが同曲を歌ったものが先にレコード発売されているのは以前触れた。ジョアンのヴァージョンも同じ年だし、この58年をもってボサ・ノーヴァ誕生と見ていいんじゃないかなあ。
そう見ると、ボサ・ノーヴァの誕生はフィーリン流行より約10年弱遅かったことになるのだが、まあ同じ1950年代だし、同じ中南米圏だしね。またもっと重要な共通性がある。それはフィーリンもボサ・ノーヴァも、その名称でもハッキリ示しているように(Feelin = 感じ、Bossa Nova = 新感覚)新しい楽曲様式ではなく、演唱の一つの方法論でしかなかったということ。フィーリンもボサ・ノーヴァも新しい流れが生まれたので、それにあわせて新しい曲が当然どんどんできて歌われたものの、曲そのものの新しさではなく「ちょっと違った新鮮な感じでやってみようよ」という程度の音楽傾向だった。だから既成曲もとりあげて料理しなおしたりもした。しかも本質的には従来音楽と違いがない。ボレーロ = フィーリン、サンバ = サンバ・カンソーン = ボサ・ノーヴァ。

キューバとブラジルで、ちょっと違った感じで音楽をやってみようじゃないかと、こんなふうに彼らが考えていろいろ探して北米合衆国ジャズにヒントを見つけて、そこから「借用」したやり方、感じ 〜 それがフィーリンとボサ・ノーヴァに聴けるちょっとしたジャズっぽい和音構成とコード進行だったんじゃないかなあ。すなわちやはり方法論だったのだと僕は考えている。

だからそれをジャズの「影響を受けた」とか、あるいはもっと言えば(キューバ音楽やブラジル音楽が)ジャズに「支配された」などと言うのは間違っているはずだ。もしかりにそう言うのならば、フィーリンとボサ・ノーヴァの本質を捉えていないのだと考えざるをえない。もちろんジャズっぽさはハッキリある。だからジャズが、まぁある種「流入」はしている。がしかしこの場合、「影響」という言葉の意味を再定義しないといけないような気がしちゃうんだなあ。

「影響」ってはたしてどういう意味なんだろう?1950年代なら北米合衆国音楽産業の力は絶大だった。だから一種の支配勢力だったと呼んで差し支えないはず。支配勢力の文化をそのまま受け入れてそれに追従するのを「影響された」といい、一方、流入してくる支配勢力に、あたかも屈服したかのように表面上は装いながら、それをうまく(かりの)「衣」としてまとってみせるものの、実は内面に自国文化の伝統感覚をしっかり維持して離さないのも「影響された」と言うのなら、この「影響」という言葉を安易に使うのは、大衆による音楽文化の動きの本質を隠蔽してしまうだけかもしれないよね。

キューバのフィーリンやブラジルのボサ・ノーヴァが、表面的にジャズの(仮)衣をまとっているかのように聴こえるのは、あれは戦略としての流用だっただったんだろう。ちょうどこのころ、ジャズの国、北米合衆国ではロックンロールが大爆発し、全世界に大拡散せんとしていた時期だったから、そのままなにもしない、とキューバでもブラジルでも音楽はロックに塗り替えられてしまっていたかもしれない。それを防いで自国の音楽伝統を守り続け、演唱し続け、伝え続けていきたいという気持も彼らにあって、それでジャズの衣を借りてまとっただけの意図的戦略だったのかも。

ちょうどジョアン・ジルベルトがそんなことを以前しゃべっていたように記憶している。自分たちのボサ・ノーヴァはジャズの影響下で生まれた音楽じゃないんだとハッキリ否定していた。正確にジョアンがどう発言したのか、いま手許にないので曖昧な記憶だが、確かにそう言っていたぞ。ジャズっぽさは「かりごろも」だみたいな言い方はしていなかったと思うけれども。

つまり、ロック大流入への防波堤の役目になったということだと思うんだよね。ブラジルだと、ジョアンの直後の次世代にあたるカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらが、米英ロックにかなり強く「影響された」ような新音楽をやっていたが、彼ら新世代のなかにもサンバ以来のブラジル音楽の伝統がしっかり根付いて離れず息づいて、血肉となっているじゃないか。それはジョアンに代表されるボサ・ノーヴァ・パイオニアたちがやったことのおかげじゃないかなあ。

カエターノは「MPB の歴史は二つの時代に分けられる、ジョアン・ジルベルト以前とジョアン・ジルベルト以後に」と、中原仁さんのインタヴューにこたえて明言したそうじゃないか。

2017/08/04

マイルズの中流音楽

Unknown

Milesdavis








(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 13)

今日(7/31)は文章を書く気がしない。耳の聴こえがかなりダメだからだ。ぜんぜん聴こえないわけじゃなく、ちょっとは聴こえるのだが、しかしどんどん悪化する一方だなあ、この僕の右耳。どうなってんの?そこそこ聴こえるというところまでアンプで音量を上げると、今度はスピーカーからの音が割れてビリビリ鳴って、しかもベースやバスドラなどの低音で床があまりにもズンズン振動しすぎてしまい、テーブルも鳴り、こりゃまるで低級ディスコだ。

しかし発症からちょうど二週間。マジでどんどん悪くなっているのだけれど、治る見込あるのか、この耳?いまちょうど夏休み中で、今日も午後は耳鼻科に行くけれど、医者に思いのたけをぶちまけて泣かないとダメだなあ、こりゃ。最終的には手術しないといけないかもしれませんと、土曜日(7/29)に言われている。こんな状態が続くようであれば、音楽愛好家としてはちょっとどうなの?じゃあとっとと手術してもらおうかな?それで聴こえが改善されるかどうか分らないが、どっちみち聴こえなくなるのであれば、なにかトライしなくちゃ。

そんなわけでいま午前中はなにも書く気がしないけれど、それでもちょっとだけなにか書いておこう。マイルズ・デイヴィス関連で。そんな必死こいて毎日書かなくたって休めばいいじゃないか、アンタのブログ更新なんか、そんな誰も期待してないぞ、休め休め、うるさくなくなってこっちはせいせいするぞと言われるかもしれないが、ゴメンナサイ、そうはいかんのだ。まったくなにも音楽を(聴こえないなりに)鳴らさず、文章も一行も書かないとなると、そっちのほうが僕のメンタルはずっとひどく落ち込んでしまうんだよね。

こんなようなことも、吐き出す愚痴もなにもかも、耳の聴こえが改善しさえすれば、消えてしまうはず。100%戻ることはもう期待していない。70%か、せめて50%でも戻ってくれば、ぜんぶ吹っ飛んで消えてなくなってしまうのは分っている。ケロッとなにごともなかったかのように僕はふるまうだろう。それまで(って、いつまで?いつ治る?)お目障りであれば、どうぞ僕のブログは無視してくださって結構。

だから本当に少しだけマイルズについて書いておこう。具体的音源の話は耳が聴こえないんだから無理。したがってマイルズ関連で、前から僕がちょっと気になっていることにかんし、少し触れておきたい。

なにかというと、マイルズは、マイルズ・ミュージックは、決して貧乏労働者や低層の味方なんかじゃないってことだ。どっちかというとマイルズの音楽は、どの時代でも常に、白人インテリ層中流向けのものであり続けている。むかしから、その後も、そしていまもそうだ。まったく変わっていない。

その最大の原因は、ひょっとしたらマイルズの生い立ちにあるのかもしれない。生誕の地はイリノイ州アルトンだが、ここはセント・ルイスとほぼ同じといっていいほどの近隣で、マイルズ一歳のときに家族で同州イースト・セント・ルイスに引っ越して、その後マイルズもニュー・ヨークに出てくるまで同地で育った。

そのマイルズの両親というのが、父は歯科医、母は学校教師で、息子は1926年生まれという世代のことと、黒人であることを考えたら、かなりいいほうの階層じゃないかなあ。低く見ても裕福中流に違いない。実際、マイルズ本人も食べるに困ったりなどはぜんぜんなく、なに不自由しない子供時代を過ごしていた。

それに第一にだ、ニュー・ヨークに来てからも、長いあいだマイルズには父(も同名のマイルズ)からまあまあな額の仕送りがあったのだ。チャーリー・パーカー・コンボを卒業して独立しソロ活動するようになって以後も、父マイルズからの仕送りはずっと続いていた。あの仕送りはいったい何年ごろなくなったんだろう?ひょっとして1955年に大手コロンビアと秘密契約し、アドヴァンス・マニーみたいなものをもらうまで続いていたんだろうか?

そんなこともあってか、まあ育ちのいい、言ってみれば「いいとこのボンボン」だったマイルズ。それがいくら憧れだったからといっても、いきなりニュー・ヨークの、あんな苛烈で生き馬の目を抜かんばかりのビ・バップ・ムーヴメントの渦中に飛び込んでいったわけだから、じゃあさんざん苦労して、世間の底を舐めているかのような人たちの気持が分るようになって、そんな人たち向けの音楽を志向するようになったのかといえば、まったくならず。

チャーリー・パーカー・コンボ時代からあんなお上品なトランペットを吹いていたマイルズだが、初リーダー作品が例の『クールの誕生』だもんね。面白くて僕は好き(この際はっきり言うが、ムード・ミュージックとしてだよ)なんだが、一般的見方としては、西洋白人音楽寄りの、難解で、とっつきにくい、実験的室内楽じゃないか。だからいま JTNC 系のみなさんにとりあげられるんだよね。ああいった最近のジャズ(周辺)は、要はクラシック音楽に寄っていっているわけだから。

ジャズ(・ファン、専門家含め)関係者のクラシック音楽コンプレックスって、いったいいつまで続くんだろう?「早くクラシックになりた〜い!」っていう、むかし『妖怪人間ベム』っていうテレビ・アニメ番組があったんだけど、みなさんご記憶でしょうか?

マイルズの『クールの誕生』だって、結果的に(僕にはムード・ミュージックに聴こえる)あのソフトでフワフワしたサウンドに仕上がって悪くないと思うけれど、あんなもの、貧乏マイノリティは聴かないね。ましてやいまから30年以上前に寺島某が、なんだっけ、学究的に聴けとか学問的に聴けだっけ?なんだかそんなようなことをこのアルバムについて書いていたんだけど、あれが某靖国と僕との出会いだったので、その後現在まで、無視していい存在だと分ってしまった。

まあしかし『クールの誕生』にはじまり、 その後もマイルズ・ミュージックの基本線はずっとこれだった。裕福中流のリスニング・ルームで聴くための音楽。これをぜんぜん踏み外したことがない。1970年代にファンク・ミュージックをやっていた時期のものだって、以前僕は、汗臭さ(=ファンク)をまったく感じない「知的ファンク」だと書いたことがあるが、体の芯から思わず滲み出てくるかのようなクッサ〜イものは、マイルズ・ファンクにはないよね。
だから、あの1970年代にファンキーだった(ように僕は思う)時代のマイルズの音楽も、購買層のメインは欧州系白人だった。コンサート会場の客層も、実際、白人が多かったようだ。マイルズ本人はこのことを嘆いていて、「どうしてオレのコンサートにはブラック・ピーピルが少ないんだ?オレはオレの音楽に彼らを取り戻したい」と発言していた。がしかし、マイルズ、本気でそんなこと思って発言していたのか?本気だったとしたら、音楽家としての自己認識・分析能力がなさすぎるんじゃないの?

つまり、今日、僕が言いたいことは要はこれ 〜 自分は中流インテリであるくせに、低層貧乏労働者の味方であるようなことを言って、音楽もそんなものが好きであるかのような格好をし、強く愛好するかのようなフリをしている、いや、フリではなく本人はマジでそういうものが好きだと心底思い込んでいる 〜  こんな僕のこれは、まさしくマイルズ・デイヴィスのありようそのまんまだ。

だから僕はマイルズが好きなんだろうか?う〜ん…、どうなんでしょう?

2017/08/03

78回転SPの「古い」音が好き!

Unknown

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 12)

いま、アフリカ音楽集の『オピカ・ペンデ:アフリカ・アット・78・RPM』と東南アジア音楽集『ロンギング・フォー・ザ・パスト:ザ・78・Rpm ・エラ・イン・サウス・エイジア』の二つのボックスを聴きながら、いや、聴くというよりも、耳の聴こえがやはりまだダメなのでなんとなくボヤ〜ッとしか聴こえないそれらをダラダラ流しながら考えているのだが、アフリカやアジアでもアメリカでもどこでも、僕はどうやらこういった78回転 SP(グラモフォン)の音が大好きなんだなあ。

アメリカのそんな時代のジャズとブルーズの話はふだんから散々書きまくっているのであれだけど、それらのことをやっぱり今日も書こう。だってね、ホント〜ッに心の底から大好きでたまらないんだ、僕は78回転 SP の音がね。と言っても僕が聴いてきているのは、リイシュー LP やリイシュー CD だけ。SP 盤そのものの音はまだ一度しか耳にしたことがない。そんなに好きだというならそれじゃあダメじゃんと言われるのは必定だけど、経済的その他いろんな理由があって、SP 盤蒐集は諦めざるをえない。

一度だけの機会を除き(おそらく今後もない)、100%リイシュー・アルバムでしか聴いていない78回転 SP の音は、あんがい悪くない。それどころかかなりいいぞ。この世界のことをあまりご存知でなく、1970年代あたり以後からの録音物でしか音楽を聴いたことがあまりない方々には、SP の「音がいい」と言うとエエ〜ッ??!!って言われるんだけど、たくさんお聴きになっている方々からは、おそらく賛同の意を表明していただけるはずだ。

僕が(アメリカでの場合)1950年あたりまでの SP 盤時代の音楽が大好きだという理由は大まかに分けて二つある。一つは、第二次大戦後にようやく誕生したような新興ジャンルではない、19世紀後半〜20世紀初頭に花開いた種類のポピュラー・ミュージックの場合、その後約50年間ですっかり爛熟し絶頂期を迎えたので、そのいちばんいいときの姿は SP 盤にしか残されていないということ。

そりゃ誰だっていちばんよかったころの姿を知りたいんじゃないのかなあ?ジャズでもなんでも好きになればなるほど、そういう気持になるはずだ。最も輝かしかった時代の音を、それがたとえ現在の録音基準ではかると「悪い」録音状態だと言われるものでしか聴けないのだとしても、やっぱりぜひとも聴いてみたい、聴いて、絶頂期の姿を知って、できうれば愛したい 〜 こういう気持になるもんじゃないの?それが音楽愛好家の至極当然のありようじゃないか。もうはっきり言っちゃうが、そういう考えに至っていないジャズ専門家なんか、ジャズのことがぜんぜん好きじゃないんだよね。

録音技術の誕生・普及によってレコード産業が成立し、大規模なものになってレコード商品がどんどん売れるようになって以後の時代における音楽の変化速度は、それまでの何千何百年という人類音楽史のことを考えたら、全く比較にならないほど速い。あっという間に、場合によっては一年もかからずに新スタイルが誕生・拡散し、またまた次の別の新スタイルが出てくる。

そんなようなことになった20世紀以後は、だからジャズでもブルーズでも、アメリカじゃない他の国のなんでもいいが、既にあった音楽が、腐り落ちるギリギリ寸前の最高の旨味を発揮している爛熟状態にまで到達するのに50年も60年もかかったりするわけがない。だから上で書いたように古くから存在する種類の音楽のいちばんいいものは、78回転の SP 盤でしか聴けないんだよね。SP 盤そのものじたいで聴くのはいまではちょっと特別な機会じゃないと難しいので、そんな音源を LP でも CD でもなんでもリイシューしたアルバムで聴けばいいんじゃないか。それで充分(と僕は自分に言い聞かせている)。

そんなこと 〜 ジャズでもなんでも好きな音楽のいちばんいいものが SP 盤音源の世界にしか存在しない 〜 これが僕が SP 音源集を聴く一つの理由で、そしておそらく最大のものだろう。

もう一つは、最初のほうで触れたように SP 時代の音ってあんがい良いいんだよね。それが僕は好きなのだ。でもそうじゃなくても SP 時代の古い音は、ただ単に「古い」からという理由からだけで好きだという部分が僕にはある。いまはコンピューターでノイズ除去をするのが当たり前になったのでなかなか聴けなくなったが、復刻 LP なんかじゃよく聴けた SP 音源の スクラッチ・ノイズ。あれが聴こえるだけで、もうそれだけで、愛おしい。

振り返って考えるに、僕も最初からそんな古い時代の音が好きだったわけじゃない。いくらなんでもそれはありえない。ジョナサン・ウォードやその他大勢や、日本でなら保利透さんや毛利眞人さんやその他お三方のように、僕もその音楽そのものや、時代や、その時代と音楽のありように興味を持ったのがはじまりだ、そんな時代の音楽が素晴らしいんだと、いろんな(ジャズだと、最初のころは主に油井正一さんの)本で読み 、そんなにいいのなら是非聴きたい!油井さんやその他のみなさんがあんなに褒めるルイ・アームストロングやデューク・エリントンの1920年代録音をぜひ聴きたいぞとなって、手探りでレコードを買って聴いたみたのがまず最初のとっかかりだったはず。

だから最初は音の「状態」そのものが好きだったわけじゃなく、最高傑作なんだからとみなさんが言うその音の「中身」にだけ興味があった。正直に告白するが、最初はキツかったよなあ。例えばサッチモの二枚、CBS ソニー盤 LP の『サッチモ 1925-1927』『ルイ・アームストロングの肖像1928』だって、買って聴いた最初のころは、こ〜りゃ厳しい、特に28年録音集のほうがダメだ、あのズティ・シングルトンのドラムスなんだかなんなんだか、あのチャカポコ音はなんだこりゃ?!となっていて、25〜27年録音集の方がもっとマシなように聴こえていた。

この、サッチモの1920年代オーケー録音では、28年より25〜27年が(音質も)いい、特に27年の録音がいちばん状態が良いんじゃないかというのは、実はいまでもそうだと思っている。ウソだと思う方は、ぜひ聴きなおしてみてほしい。サッチモのコルネットの音だって、28年のより艶があって輝かしく聴こえるよ。スタジオ(やライヴなど)現場などでの生音は逆だったはずなのにねえ。

サッチモでも誰でも、僕もさすがに最初はこんなひどい音は厳しいと感じながら、またもう一つ正直に告白するが、しばらくのあいだは「我慢しながら」聴いていたのだった。この我慢は録音状態についてだけでなく、演奏内容にかんしても我慢していた。みんなあんなに褒めるのに、いったいどこがいいんだこれ?だいたいこんな悪い音(と当時は思っていたのが、いまでは正反対の気持)では演奏内容の良し悪しなんか判断できるかっ!という気分だったのだ。

SP 時代のジャズ音楽で、一度聴いた即その瞬間に「こ〜んりゃ楽しい!」と感動したのは、ベニー・グッドマン楽団の1930年代ビッグ・バンド録音の数々と、少しあとのグレン・ミラー・オーケストラと、デューク・エリントン楽団の1940年ヴィクター録音と、その数年あとのチャーリー・パーカーの一連のサヴォイやダイアル録音と、それくらいだけだったんじゃないかなあ。それらぜんぶ、SP 時代としてはもう末期、というかいちばん新しい部類なので、音は良い。演奏も最高なのだが。

デューク・エリントン楽団でも、そのヴィクター録音の1940年録音分が B 面だったレコードの A 面は1920年代録音集で、「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」とか「ザ・ムーチ」とか「クリオール・ラヴ・コール」とか代表作が並んでいたが、そしていまではそれら20年代録音が好きで好きでたまらない僕だが、むかし最初にレコード買って聴いたころは、はっきり言うがまあしんどかった。サッチモの20年代オーケー録音集同様に。

しかしなんどもなんども繰返し聴いたのだ。素晴らしいんだ、最高の名演集なんだと油井正一さんその他のみなさんがおっしゃるのを信じて、僕も分るようになりたい!という一心で、そりゃもう毎日毎日厳しい思いに耐えながら聴いたのだった。本当に繰返し繰返し。カセットテープにダビングしたそれを。だってレコードはあまり頻繁に再生を繰返すと、磨耗して音が劣化するとみんなが言うからさぁ。あれって本当なんですか?

硬いスルメをがしがし噛んでいるうちに美味くなってくるようなものなのか、あるいは女性にとってのセックスみたいなものなのかどうなのか、僕は男性なもんでそこは分りませんが、最初はつらかった1920年代のジャズ録音が、だんだん快感になってきてヤミツキになって、とうとうどうやってもやめられなくなって、それは痛いことが快感になるというマゾヒズムではなく、ふつうの意味で本当に気持良くなってきたんだよね。あの古い音じたいが超快感になって、ある時期以後いまは、もう絶対に離れられない。

そうすると「古い」とは感じなくなってきて、だから今日最初から書いているように、SP(音源)の音って、あんがい、かなり良いと聴こえている。どうして SP の音が良いと思うのか、中音域がしっかりしているとかなんとか、オーディオ面の科学的分析でなにか言えることがあるんじゃないかと思うんだけど、そのあたりは素人の僕にはサッパリ分らないので、できる方にお任せしたい。僕なりに表現すると、なんだか丸くてまろやかでふっくらしていて、とげとげしくなく、特にヴォーカルなどが生々しく響く。(リイシュー)CD ですけどね、聴いているのは。

いや、ヴォーカルだけじゃないなあ、まあ主にヴォーカルの音が良いなと思う SP 音源だけど、それ以外でもソロでフィーチャーされているトランペットやサックスやクラリネットなどの管楽器も良い響きだし、ヴァイオリンなんかも素晴らしく活き活きとした生々しいサウンドに聴こえる。ウソだと思う人は、ぜひアメリカで録音したギリシア人ヴァイオリニスト、アレヒス・ズンバスの1920年代録音集『ア・ラメント・フォー・エピルス 1926-1928』を聴いてみてよ。腰抜かすよ。

2017/08/02

レコード・リリースの年月日もかなり重要

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 11)

ディスコグラフィ(はもともと録音物目録の意ではなく、録音物研究の意)など各種情報源の類には記載されない場合もあるレコード(CD、配信)の発売年月日。音楽の日付で最も重要視されるのは、むかしもいまも、あくまでパフォーマンスが行われた当日の年月日だ。録音しないライヴ・コンサートであれば、もちろんそれだけでいい。そもそも聴衆を前にして行うライヴは、それがリリース= お披露目、発売なわけだから、その日付さえあればいい。それが録音・録画されパッケージ商品となるのは副次的なことだ。

ところが、スタジオ(やフィールドなど)での録音となると、それじたいは聴衆を面前にしない(場合が多い、例外はある)もので、スタジオには音楽家とプロデューサーと、エンジニアその他の録音技師などレコード会社関係の人たち。演唱される音楽をその場でそのまま同時に耳にできるのは、本人たちを除くとそれらの人たちだけ。

スタジオ録音物が公にお披露目されるのは、もちろんレコード商品となってリリースされたとき。演唱時がそのまま同時に公開時となるライヴ・パフォーマンスとは、この点で非常に大きく異なっている。言うまでもなく録音技術発明・普及以前の長い長い時代には、やはりこの二つは同時だった。生演奏しか存在しないわけだから。あ、いや、西洋クラシック音楽その他の譜面出版があるか。あれも確かに「音楽作品の発売」だったよなあ。う〜ん…、譜面出版のことは今日は無視するしかない。あくまで録音に限定しよう。

となると、僕たち一般聴衆が音楽作品に触れるのは、演唱が行われるまさにその瞬間に同時体験できるライヴ・コンサートか、そうでなければレコードなどの録音物を、なにかの店か自宅かどこかにおいて再生装置で聴くか、この二つしかありえないはずだ。それでライヴ・コンサートの場合は演唱/聴取の時間ギャップがないわけだから、今日の僕の話題では問題が小さい。問題はスタジオ録音され、レコード商品となって発売されるものの場合だ。

何年何月何日に録音が行われたのか?ということは、もちろんものすごく重要なことだ。みんなそう考えて疑っていないからこそ、それが記載されないディスコグラフィなど存在しえない。そんなものは無価値だ。何年何月何日に録音が行われたのか?というデータは、当の音楽家がその録音時においてどんな状態・過程にあったのか?録音時に、音楽の背後にどのような社会状況があって、どんな影響を受けたのか?また録音前にどんな音楽作品が既に存在していて、それらからどのような影響を受けたのか?そもそもどれを聴いていたのかどうか?などなど、諸々を判断できる最大の根拠だ。

しかしいま直前で示唆したように、その音楽家のその作品録音時にどんな音楽作品が世に出ていたのか?をちゃんと知るためには、レコード(CD)がいつ発売されていたのかが分らないと判断できないよね。これが僕の言うリリース年月日重視説の根拠だ。もちろん重視する方はむかしからたくさんいて、発売年月日をちゃんと記してあるディスコグラフィも多い。というか、全体から(って「全体」を僕は知らないが)すれば、そっちの方が多いように見えている。

レコードのリリース年月日が記されない場合もしばしばあるのは、一つには、録音年月日よりは重視しなくていいという認識がまだまだある?のと、もう一つは、調べてもちゃんとした日付が判明しない場合もたくさんあるからなんじゃないかという気がする。まあこれは録音年月日でも同じだけれどね。ディスコグラフィのたぐいに録音日付の記載がない音源だってかなりある。分らないものは記しようがないんだから。この調べても判明しないというケースが、リリース日付の場合はもっとグンと増えるんじゃないかなあ。

調べても分らない最大の原因を推測するに、レーベルやレコード会社側も、録音日付は記録してあっても発売日付は記録しないケースがあるらしいんだよね。というのは、録音は一回こっきりだから日付も一個だけ。これを記録するのはたやすい(はず)だし、記録する意味も大きい。ところが発売は一回だけじゃないもんね。複数回発売されるケースが多いじゃないか。

〜 言うまでもないが、一回だけしかリリーされず、売れず、まったく売れないので再発もされず、そのまま埋もれて、世の多くの人々の記憶に残ってすらもいないという音楽レコードが全体の大部分を占めているはず。アメリカ合衆国音楽だと、特にこれがひどい。アメリカほどクズ音楽レコードを、それも膨大な数を、一世紀半以上もどんどん発売し続けている国は、世界にほかにない。〜

そんなわけで、記録しやすく、記録する意味も大きい録音日付と違って、リリース日付は記録されなかったり、同一内容の音楽作品が(パッケージングなどを少しずつ変えて)なんども繰返し再発されている場合には、そもそも会社側もワケが分らなくなってしまうのかもしれないよなあ…、なんてことはないか、まあでも全部を記録することは難しいんだろう。それにかなりの音楽愛好家を除き、多くの人はなんども再発されるような、そんな人気音楽商品を買って耳にしているんだろう。僕もそうだ。

とは思うものの、「初回」リリースの日付はやはり一個しかないわけだから、これは記録しておいてくれてもいいんじゃないかなあ。なんども再発される場合でも、できうればぜんぶ記録しておいてほしいのだ。なぜならば、優れた音楽作品であればあるほど、発売されるたびに毎回再評価され、毎回の発売時に初めて耳にしたという世の人たち、特に音楽家に再び影響を及ぼすからだ。その影響具合を詳しく考えようとしたら、(毎回の)リリース日付が分らないと難しいんだよね。会社によっては、また同じ会社でも重視している大物音楽家の場合は、それらをぜんぶしっかり記録してあって、だからいま僕の手許でも参照できることも多い。そう、つまりマイルズ・デイヴィスの場合がこれだ。だいたいぜんぶ分っている。考える際には助かるんだよね。

一つの音楽作品が発売されたことで、それが世のなかにもたらしたインパクトや、その後のいろんな人たちの音楽展開に与えた影響など、それらを考える際には、やっぱりリリース年月日こそが重要なんだよね。ある意味、録音年月日以上に重要かもしれないと僕は考えている。

例えばボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』とフランク・ザッパの『フリーク・アウト』の関係とか、ザッパの『アブソルートリー・フリー』とビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の関係とかさ、かなり面白く興味深いものがあると思うよ。これらの関係を考えるためには、やはり発売年月日の正確なところを知りたいよね。本人たちもそうだし、リスナーたち、社会との関係も。

また、「その後のいろんな人たちの音楽展開に」と書いたが、録音技術が普及してレコード商品が一般流通するようになると、外国にもたらされることが容易になった。最初は本国盤の輸出入だったかもしれないが、ある時期以後は発売当国でプレス作業をやることも一般化した。

ある国のある音楽作品が、他国にいつ入ってきたのか?当国プレス盤はその国でいつ発売されたのか?など、情報がどんどん交錯して複雑化することになる。僕の言うリリース年月日重視説は、こんな事情も当然含んでいる。当たり前だ、そりゃそうだろう、僕が今日強調しているのは、音楽レコード商品(やそのラジオ放送などその他いろいろ)が、世のなかに、人々に、特に音楽家に、リアルタイムでどのようなインパクト、影響をもたらしたかを考える際には、ということなんだから、同じ作品でも国によって発売年月日が異なるものは、そのデータがすべてほしい。そもそも「世界同時発売」などという謳い文句が当たり前になったような現在より以前は、すなわちほんのちょっと前までは、すべての音楽商品は国によって発売年月日が異なっている。直接の輸入だって、当然本国での発売よりは後だ。

そうなると、一つの音楽作品が発売されて、それを聴いたその国の人たちがそれをどう聴いて、どう捉え、どう考えて、その国の社会にどんなものをもたらして、また特にその国の音楽家にどれくらいの影響を及ぼしたのか?そもそも彼らはいつそのレコード(CD)を買って聴いたのか?〜 これを考えるには、やはり各国別のリリース日付が重要になってくるはず。最低でもいつ(なんらかの意味で)輸入されたのか、知りたい。

しかしこんなことになると、今日ここまで僕が書いてきたことをぜんぶ克明に記録して、ディスコグラフィカルな一覧にして(紙でも電子データでも)出版するのは、やっぱりかなり難しい、というか、まあ不可能なんだろう。う〜ん…。すべてのリリース年月日が判明すれば、もっともっと録音音楽作品の研究、だけじゃなく楽しみ・面白さも拡大すると思うんだけどなあ。

2017/08/01

声と楽器

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 10)

ジャズとショーロとクラシック。ヴォーカルものもたくさんあるけれど、この三つは基本的にはやっぱりインストルメンタル・ミュージックだよね。しかもなんだかこれら三つは関係があるみたい。クラシック音楽の話はできないが、ジャズとショーロは大好きなポピュラー・ミュージックだから、いままで僕もたくさん書いてきている。でもまあやっぱりジャズだよなあ、僕にとっては。いまみたいなショーロ好きになったのだって、ちょっとジャズみたいじゃないかと感じたからだもん。

だからやっぱりジャズの話に限定しよう。ヴォーカルなしの楽器演奏オンリーというものがやっぱり多い、というか大部分そうだと思うジャズだけど、最近の僕はこれがどうもちょっとイマイチな感じがする。人の声を聴きたい、というのはたんに僕が寂しがっているだけかもしれないが、日常生活では僕だって誰の声も聞かないなんて日は少ない。おやすみの日は一日中部屋のなかで音楽を聴くだけの生活で誰とも会わないけれど、そうじゃない日は自分もしゃべるし、他人の声も聞く。

だから人肌恋しいみたいな気分で人声聴きたいというのでもないはずだと思うんだけどなあ。それなのに自室で聴く音楽がインストルメンタルものばかりになってしまうのがイヤだから、ヴォーカルものとのバランス、混ぜ具合を考えて、インストルメンタルものを聴いたら、次はヴォーカルものとか交互に聴く、というのではもはやなく、いまの僕がふだん聴く音楽の九割程度がヴォーカル・ミュージックで、インストルメンタル・ミュージックはその合間にほんのちょっとだけ流すという、そんな具合になっている。

また昔話。大学生のころジャズ・レコードばかりどんどん聴いていたころは、この事情がまったく違っていて、楽器演奏のみのジャズ・レコード(がやっぱりジャズでは多いからなあ、特にモダン・ジャズは)ばかりをどんどん続けて聴いていた。そりゃもう何時間でも続けて聴いていたよなあ、楽器演奏ばっかり、飽きもせずそればっかり。ジャズ・ファンになってしばらくして戦前古典ジャズの虜となってこのあたりが多少変化はしたものの、それでもインストルメンタル演奏の方に、より強く惹かれていたのは間違いない。

あのころのことから考えると、いま僕がヴォーカル・ミュージック中心の音楽生活を送っているなんて、ちょっと不思議というか妙というか。いまは楽器演奏のソロでも、ヴォーカル・パートのあいだにほんのちょっと、四小節とか八小節とか出てきたのでもう充分すぎるほど満足な気分で、ソロなんかなくたって、歌のオブリガートでちょろっと演奏するのが聴こえたり、歌に入る前のイントロ部で楽器演奏があったりなどなど 、もうそれくらいで充分満たされた気分。

だからそんな気分から逆算すると、ハード・バップとかフリー・ジャズとか、ロックでも1960年年代末後半〜70年代初頭のものとか、延々何十分もソロを吹いたり弾いたり叩いたりする音楽はちょっと勘弁してほしいのだ…、という気分になっているかというと、実はそんなことはない。ああいったものはそれはそれで聴けばかなり楽しめる。おそらくグレイトフル・デッドあたりが発端で、1990年代あたり?に大流行した(している?)ダラダラ即興演奏をやっているだけみたいなジャム・バンドだって、いまでもやはり好きなんだよね。聴けば楽しいよ。

しかしながら全体量からすれば、そんなモダン・ジャズ(含むフリー)とか一時期の一定傾向のロックとかジャム・バンドみたいなものを聴く回数は減っていて、UK クラシック・ロックでも、まだ演奏が長時間化する前の存在だったビートルズその他や、また、ある時期までのローリング・ストーンズやなどのレコード(CD)などなら、今日僕がいちばん言いたい<声/楽器>の配分具合が実にいいのだ。バランスがいい。一曲の時間も長くない。三〜五分程度で、ヴォーカルによる歌がメインで、楽器演奏はあくまでそれを支える役目。イントロ部、中間部のソロ、歌のオブリガート、ほぼこれだけ。イイネ。

これが、やっぱりいまでもいちばん好きなロック・バンドであるレッド・ツェッペリンとなると、スタジオ録音作品ではそんなことないものの、ライヴ演奏ではいつも長尺。ときに、これは無意味なんじゃないか、どうしてこんなに延々やるんだ、しかもさほどのメリハリもなく…、と思ってしまう。むかしは唯一のライヴ盤だった『永遠の詩』一枚目 B 面の「幻惑されて」(Dazed And Confused) のこと。大学生になって長尺インプロのジャズ演奏が好きだったころにはよく聴いたあの「幻惑されて」だが、いまやスキップしている。

あのへん、ツェッペリンもやはり1960年代末デビューという時代のロック・バンドらしかったということなんだろうなあ。グレイトフル・デッド的なジャム・バンド風で、さらに、ブルーズ・ベースのハード・ロック・バンドだからあまり言われないが、プログレシッヴ・ロック的な部分も色濃いといまでは思う。プログレは、キング・クリムズンがそうであるようにブルーズを土台に置いていないから、ツェッペリンとプログレはあまり結びつけられないんだけどね。

ロックの話はいいとして、ジャズ。じゃあいまのキミは、基本、ヴォーカルがメインで、楽器演奏は脇役のものがいいというのなら、ジャズ・ヴォーカリストの作品をどんどん聴いているのか?と思われそうだけど、歌手一本でやっている専業ヴォーカリストのものは、実はそんなにたくさんは持っていないのだ。いや、持ってはいるが、日常的にどんどん聴くものは限られている。ビリー・ホリデイの戦前コロンビア系録音全集10枚組とか、戦後だけどエラ・フィッツジェラルドの例のソング・ブック・ボックス(on ヴァーヴ)16枚組とか、あと少し。それらは「本当に日常的に」聴いている。

そんでもってビリー・ホリデイの10枚組のほうなんかは、それらの大部分を占めるテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション(でビリーが歌ったもの)の事情をご存知のみなさんには釈迦に説法だけど、もともとビリーをフィーチャーする目的で録音されたものじゃない。ビリーはあくまでワン・コーラス歌うだけの、言葉は悪いが<添え物>にすぎないもんね。ステーキをオーダーすると皿の脇にちょこっと載っているポテトとか人参とか、そんなもんなのだ。いや、そうでもないのか。あの一連のブランズウィック・セッション、むろんインストルメンタル演奏オンリーの曲もたくさんあるが、歌手を起用しているものでは、歌と演奏が50対50くらい?いや、歌30で演奏70くらいか?

いずれにしてもあのテディ・ウィルスンのブランズウィック全セッション、ビリー・ホリデイだけじゃなくほかの歌手も同様だけど、フル・コーラス歌っているものなんかは一個もない。ぜんぶワン・コーラスだ。それだけ。ただ、楽器演奏のソロのほうだとワン・コーラスやっていることなんか絶対なくて、四小節とか八小節とかでトランペットやクラリネットやサックスなどのソロがどんどん流れてくるだけだから、それに比べれば、まだ歌手はフィーチャーされていると言える?

そんななかからビリー・ホリデイが歌った録音だけがピック・アップされ、ビリー名義の10枚組に収録されているわけなんだよね。それらは、今日、僕がいちばん言いたい人声/楽器のバランスが実にいいんだ。心地良い。ヴォーカルか楽器演奏かのどっちかだけに傾いてはいない。ちょうどいい配分具合なんだよね。

こんな事情が、戦前古典ジャズ録音では多い。上の方で触れたことをようやく書けるけれど、専業歌手名義の録音集よりも頻繁に僕が聴いているのは、楽器奏者兼歌手だというジャズ・ミュージシャンの録音集。誰の?などと問わないで。ビ・バップ勃興前までは多くがこれだったのだから。たいていみんな楽器もやって歌もやる。それが当たり前のナチュラルなジャズ・ミュージシャンのありようだった。

だから誰のどれでもいいが、二例だけあげると、ルイ・アームストロングのオーケー録音集でもライオネル・ハンプトンのヴィクター録音集でも、サッチモはコルネットを吹きながら歌い、ハンプもヴァイブラフォンを叩きながら歌っている。インストルメンタル・オンリーの曲もあれば、ヴォーカルの方に大きな比重が置かれてあるものだってある。それらが混ぜこぜに流れてくる 〜 これがいいんだ。

モダン・ジャズ愛好家に戦前古典ジャズを、お勉強ではなく好きで、楽しみで、どんどん聴くという人が多くないように見えるのは、ひょっとしたらこのせいもあるのかな?楽器ソロにだけ集中して耳を傾けることができないし、ちょろっと出てきてはすぐ終わるので「本格的」じゃないし、じゃあヴォーカルにフォーカスしているのかというとそうでもないっていう、言ってみれば<曖昧な>この古典ジャズのありようがお好きじゃないのかな?

他人のことはまったく分らないがゆえ書けないが、僕自身はそんな<人声/楽器>の混ぜこぜ具合が五目炒飯みたいになっていて楽しんだけどね、戦前古典ジャズは。以前、まぁ〜ったくなんの関係もない(はず)ラテン・ロック・バンド、サンタナ関連でも、こういうことは書いた。サンタナも歌だけ or 楽器演奏だけ、っていうんじゃないもんね。混ぜこぜになっている(ことが多い)。
楽器演奏もいいが、人の歌声をもっと聴きたいんだよね。いまの僕はね。

2017/07/31

岩佐美咲と演歌の本質

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 9)

熱狂的岩佐美咲ファン(わさ民)であるわいるどさんのブログ。2017年07月29日21時06分14秒付のエントリーがかなり面白く刺激的で、こちらの想像力をもかきたててくれる素晴らしいものだったので、ご紹介しておきたい。
これを読んだ僕は興奮し、たまらなくなって、思わず二個もコメントをつけてしまった。それも上のリンク先で読める。わいるどさんのエントリー本文と、僕の二個のコメントをお読みになれば、もうそれでもう十分だろうと思うものの、そこから僕なりに少し展げてみたい。日本大衆歌謡史上、岩佐美咲がどれだけ大きな存在なのかということについてね。

上掲ブログでわいるどさんは、ブログ「歌の手帖」の岩佐美咲担当である村田編集長さんの文章に言及している。
確かに村田編集長さんのおっしゃるように、岩佐美咲の発声法・歌唱法には、世間一般でいういわゆる「演歌歌手らしさ」がない。全般的には岩佐を褒めているのだが、「鼻にかかるアイドル発声で、演歌歌手としては損をしている」とも指摘されている。

わいるどさんはこれに異を唱え、演歌歌手としてはステレオタイプでないがゆえに<損> <欠点>となりうるかもしれない部分こそが、実は岩佐の最も大きな魅力で、しかも演歌界の将来にとって非常に大切なことなんじゃないかと指摘されている。僕も完全に同意。

いま僕は演歌界と書いたけれど、実は「そんなものはない」。わいるどさんのブログ記事へのコメントでも書いたし、僕自身のブログ、特に岩佐美咲関連の記事ではいままでなんども強調している。演歌も、そうじゃない歌謡曲(J-POP)も、フォーク・ソングも、ジャパニーズ・ロックも、ラテン(風)歌謡だって、ハワイアン(風)歌謡だって、ぜ〜んぶ同じもので、同じ世界に存在しているのだ。

それが日本大衆歌謡史の真実。

でもことさらジャンル分けをしたがる傾向はかなりよく理解できるものではある。まず第一にレコード会社、レコード・ショップ側の商略、販売方法としても、レッテル貼りして分けた方が売りやすいのは間違いない。 さらにリスナーのみなさんにとっても、この人たちは自分にとって特別と思う音楽家は別個のものとして分けてとっておきたい、それで愛好したい、少しの共通点を見出してそれでくくりたい、その際、(大同小異の)「大同」と呼ぶべき部分は無視したい 〜 こんな気分だってあるだろう。

演歌の場合、この分野の発生は、おそらく1960年代前半あたり、ひょっとして1963年(昭和38年)に日本クラウンというレコード会社が独立・誕生し、この日本クラウンは一定傾向の歌を専門的に扱う会社として発足したあたりからかなあ。

その63年前後に、海外からもいろんなポピュラー・ソングがどんどん流入するようになって日本の大衆歌謡は多様化し、実にさまざまな傾向のヒット・ソングが世に流れるこになった。だから差別化する必要があったかもしれない。この1960年代前半に日本クラウンが「演歌」の呼称を用い、演歌専門レーベルとして活動するようになったので、どうもこのあたりからじゃないかな、日本の大衆歌謡で演歌という言葉が改めて誕生し、一定傾向の流行歌をここに分類し認識するようになったのは。

違う見方もある。 演説歌→演歌、しかし旧来の演歌(=演説歌)はフォーク・ソングにかたちを変え、演説歌の呼称が消え、それが演歌であるとの認識もあやしくなったので、一定傾向の流行歌の派生形を、改めて演歌と呼ぶようになり、それを除くものを総称して歌謡曲と呼ぶようになり、それが現在の J-POP という呼称に受け継がれたと。

どっちの考えであるにせよ、ある時期以後いまでも使われる(ティピカルな)「演歌」とは、ある時期、意図的に、故意に、作為的にでっちあげられた表現で、音楽の本質的変化に根ざした自然発生的なものではない。人工的なもので、確かにここに分類される流行歌には、一定傾向の共通性が見出せるものの、歌・音楽の本質としては、それ以外の多くの流行歌 = 歌謡曲、J-POP などとなんら違いはない。

いや、アンタ、ヨナ抜きの五音音階は演歌独特のものじゃないか!と、ひょっとして誤解なさっている方がいらっしゃるかもしれない。日本のいわゆるフォーク・ソング、ある時期の言い方だったニュー・ミュージック、アイドル・ポップスなどにもヨナ抜きはものすごく多いんだぞ。

坂本九「上を向いて歩こう」、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」、加藤登紀子「知床旅情」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、谷村新司「昴」、きゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」、いきものがかり「笑顔」、Superfly「Beautiful」、星野源「恋」〜〜 これらほんの氷山の一角だけど、ぜんぶヨナ抜きだ。そして、なんたって AKB48「恋するフォーチュンクッキー」もまたヨナ抜き音階。

音楽学者の故小泉文夫が、ピンク・レディーのデビュー・ソング「ペッパー警部」の旋律を分析し、これは平安時代の歌に聴けるメロディの動きと本質的に同じであって、日本歌謡の伝統に沿ったものだと指摘したことも僕は鮮明に憶えている。つまり「ペッパー警部」の曲を書いた都倉俊一(ピンク・レディーのヒット曲はすべて都倉俊一&阿久悠コンビ作)だって、意識はしていなかったのかもしれないが、日本歌謡の伝統の末端に連なっているんだよね。まるで生物が意図せずに先祖の DNA を受け継いでいるかのように。

さて、岩佐美咲だが、日本の大衆歌謡と、そのなかでのいわゆる演歌の、いままで今日僕が書いてきたような歴史的真実を、彼女自身は意識していないかもしれないが、その歌そのもので立派に実証してくれていると僕は思う。そんな(いわゆる演歌)歌手は、日本中を見渡しても、僕の聴いている範囲ではほかには見当たらない。

演歌にもいろんな歌い方があるはずだ。あってしかるべきだと僕も思う。「典型的」な演歌の歌唱法 〜 強く(大人の)声を張り、ガナったり、ぐりぐりコブシを強く廻したり、すすり泣くように、また号泣するかのように、怨み節を思い切りぶつけたり 〜 こういうことを岩佐美咲は一切やらない。キュートで可愛い声質、スーッとナチュナルな発声とフレイジングで、スムースな歌唱法を実践している。

それはおそらく岩佐美咲が持って生まれたある種の生得的資質なのかもしれないが、歌手としてやっていこうと決断し、AKB48の一員となって以後、あえて選択したものでもあるんじゃないかなあ。またこれを選択後、訓練して、この自然体歌唱法に磨きをかけ、立派なものに仕立て上げたのだということも言えるはず。

そんな岩佐の自然体歌唱法は、もしかりに彼女が演歌の歴史的真実をさほど学んでいないのだとすれば(それも考えにくいが)、意図せず日本歌謡の DNA を受け継ぎ表現しているということになる。これを「天賦の才」と呼ばずして、なんと呼ぶ?

演歌も、歴史的にはもともと演歌などという、あたかも独立した一分野である(いま、そう思われているけれども、肝心の歌手のみなさんたちにですらも)かのようになる前は、もともとフツーの日本の流行歌だった時期、特定の呼び名なんか存在せず、誰ももジャンルとして区別もせず、いろんなものと並べて一緒くたに聴いて楽しんでいた時代があったのだ。

そんな時代の歌、歌い方を、岩佐美咲は思い起こさせてくれているじゃないか。

都はるみも「わたしがデビュー当時、”演歌”などという呼び名はなかった、みんなほかのものと混ぜて”流行歌”と言っていたし、わたしもそう思っていた。だからいま、自分の歌をあえて”演歌”、自分のことを”演歌歌手”、と呼ばれるのは抵抗があります」と言ったことがある。

ある時期以後は日本演歌界の大御所女性歌手みたいになった美空ひばりだって、フツーの、いや、大変優れた、ポップ・シンガーだった。

岩佐美咲のあんな歌い方って、そんな歴史を紐解くかのような、日本の大衆音楽史のDNAを発掘して僕たちに見せてくれている、実際の歌で演歌の、いや、日本の流行歌全般の、大衆歌謡の、歴史的真実を証明してくれているんじゃないかなあ。

つまり演歌というものがいったいなんであるか、この音楽の「本質」を、岩佐美咲は自分の歌でもって身をもって聴かせ証明してくれている。そんないわば歴史的歌遣いを、岩佐美咲は実践していると僕は断言する。

そこまでできる歌手、なかなかいないだろう?というか、ほかに誰かいるの?もはや日本歌謡史に大きな足跡を残していると言えるんじゃないだろうか?現時点で既に。

ちょっと大げさな文章になったかもしれないけれど、僕の正直な気持、本音だ。だから!みんな、岩佐美咲をちょっと聴いてみてくれ!残念ながら Spotify にはまだ一つもないけれど(どうして入れない?徳間ジャパン!?)。 来たる8月23日発売の CD マキシ・シングル「鯖街道」特別記念盤(通常盤)に収録予定のライヴ・ヴァージョン「糸」(中島みゆき)は、とんでもなくものすごいらしいぞ!

2017/07/30

今夜うんと奢るからな

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 8)

いつまで続くのか分らないこのシリーズ。とりあえず7月28日現在でも、まだ耳はよく聴こえない。右耳が聴こえなくなったのが16日の朝だもんなあ。まあいいや。辛抱強く治療を続けるしかない。耳鼻科で毎日30分の点滴に通っているけれども、そのほかでも最近は病院での待ち時間がけっこうあるので、いろんな本を、特に音楽書を読みなおしている。

油井正一さんのものや中村とうようさんのものや荻原和也さんのものなど、どれもいままで読んでいたときには気づかなかったことに気づく新鮮な新発見があり、それは間違いなく僕自身が音楽についてどんどん書くようになったからだよね。このお三方の本を、病院での待ち時間や点滴中などに読むと、いかに僕が無知無理解な人間なのか思い知り、こ〜りゃ恥ずかしい、もう音楽について書いて公にするのは絶対に嫌だ!やめる!と思うと同時に、こんなに面白く刺激的な一行は、ぜひ自分でもグリグリ展げてみたいと思ったり、ど〜すりゃいいのよ!?

ここ数日は油井正一さんの『生きているジャズ史』を少しずつ読みなおしているが、この本、油井さんの筆致が本当に素晴らしい。中身の面白さではアルテスパブリッシングからリイシューされた『ジャズの歴史物語』(もとはスイングジャーナル社)のほうに軍配が上がるだろうが、まるで小説でも読んでいるような、あるいは寄席で落語家や講談師のうまい話を聴いているような、グイグイ迫る活き活きとした描写では、断然、立東社で文庫化リイシューされた『生きているジャズ史』(もとは東京創元社『ジャズの歴史』)のほうが上だ。断言する。
7月27日の僕の Instagram にはアップしてあるが、油井さんの『生きているジャズ史』、大いに泣けてしまったり、しかも泣く際に思わず声が出てしまうほど真に迫る文章のうまさで、そのときちょうど点滴中で、僕がウゥ!と声を出てしまったせいで女性看護師さんが次の瞬間に慌てて飛んできて、「どうしたんですか?戸嶋さん、大丈夫ですか?気分悪いんですか?」と心配され、泣いている理由を説明せざるをえない羽目になってしまったり。


今日7月28日に糖尿病治療で二ヶ月に一回通っている大病院での待ち時間でも続きを読んだ油井さんの『生きているジャズ史』。今日、最も面白く笑ってしまったのが「レコードをききながらの妄想」という一章(pp. 89 - 97)。なかでもとくにそのなかのワン・セクション「ご馳走と名演奏」だ。


結論から言ってしまうと、いい演奏をするためには美味しいご馳走を食べて満足しないと、あるいはそうなるように食べられるという見込みがないと、音楽もダメなのである、お腹が空いたままでその空腹を満たすのがいつになるやら分らない状態のままだとか、あるいは食べても粗末な食事だったりすると、決していい演奏はできないのである、ということで、まあ当たり前の話だよなあ。ジャズに、音楽に限らず、世の中なんでもそうじゃないか。


べつに油井さんのその「ご馳走と名演奏」を読む/読まないに関係なく、僕はむかしから料理好き人間で、美味しいご飯を食べるのも好きだが、つくるのも好きで、いまは自分一人のためにつくっているだけだが、結婚していた当時も食事をつくるのは常に僕だった。妻が料理下手だったとか、共働きだったので家事の妻夫での役割分担を考えてなど、そんな理由からなんかじゃない。たんに僕が料理したいだけだからやらせてくれ!と妻にお願いしていただけ。


料理だけでなく、僕はそもそも家事好きで、家のなかのことをいろいろやるのが、必要に迫られてではなく、やることじたいが楽しくてやっている人間であるのは、僕の Instagram アカウントをご覧になっている方はみなさんとっくにご承知のはず。



いっぽう外に出て働くのは嫌いな僕だから、もしかりに今後もう一度結婚することでもあれば、ぜひ妻のほうに専業的に働いてもらい、僕は家の中でもっぱら専業主夫をやりたいと願っている。音楽聴きながら(と言っても家事をしながらだと聴こえにくい場合があるが、換気扇とか掃除機とか水道とかさ)できちゃうしねえ。

しかし今後またもう一回僕が結婚できる可能性なんてゼロだとしか思えないのではあるが。


とにかく油井さんの『生きているジャズ史』にある「ご馳走と名演奏」には笑ってしまうのだ。笑うと同時に、こりゃこの通りだよなと大いに納得。日本にだって「腹が減っては戦ができぬ」という表現がむかしからあるし、アメリカのジャズ・メンでも、どこの国の人間でも、どんな職でも、万国共通普遍的に当てはまる真実だよね。


油井さんが例証にあげているのは二つ。一つは1930年代後半、テディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションでビリー・ホリデイが歌うもの二曲。もう一つは何年のことか記載がないがルイ・アームストロングの来日公演の際の実地体験エピソード。後者の方は音源がないので、こっちから触れておこう。


油井さんによれば、サッチモの来日公演でも、楽屋でラーメンを食べたり、残り汁にチャーハンを混ぜて食べたりしていた夜には、彼は決して最高の演奏はしなかったのだが、神戸の聚楽館(もうないよなあ、1978年閉館だ)での二回目がはじまる前に、駐留米軍からの使者がやってきてこう言ったそうだ。


「我らが敬愛する偉大なるアームストロング様、当地の司令官がディナーを準備してお待ち申し上げております。」

油井さんが言うには、いったいなにをご馳走になったのか知らないが、その夜の二回目のステージでのサッチモは魂から躍動していた、滞日全期間を通じてまさしく最高の演奏を繰り広げたのだったと。


人間ってこんなもんだよね。サッチモほどの超一流プロフェッショナルになれば、腹が減っていようと粗末な食事だろうなんだろうと、聴衆の面前で披露する演奏が「一定水準」を下回るなんて事態は起きえない。しかし、その一本引いた線のギリギリ上を行くという程度の出来ならしばしばあったのかもしれない。それをグンと上廻り、はるか上空を飛翔するか否かは、やっぱり環境にもよるよなあ。

美味いご馳走で体も心も満足なら、充足してほかのことはどうでもいいとはならず、気力・体力ともにみなぎって、仕事方面でも上手く行くっていうもんじゃない?


油井さんがもう一個例証にあげているテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション。1935年7月2日録音の二曲「ワット・ア・リトル・ムーンライト・キャン・ドゥ」「ミス・ブラウン・トゥ・ユー」。この二つはビリー・ホリデイの名唱が聴けるので、彼女の CD10枚組完全集にも当然のように収録されている。まずご紹介だけ先にしておこう。
「What A Little Moonlight Can Do」  https://www.youtube.com/watch?v=YB_qFu1Lbec
この二曲、確かに素晴らしいなんてもんじゃない躍動感だ。以前ベニー・グッドマン関連でも僕は触れた。ベニーのクラリネットも最高にチャーミングだが、ロイ・エルドリッジ(トランペット)もベン・ウェブスター(テナー・サックス)も絶好調なら、ジョン・カービー(ベース)、コージー・コール(ドラムス)らリズム・セクションのノリも極上。
そして油井さんも指摘しているように、この二曲(とほか二曲)を吹き込んだ1935年7月2日は、その後1939年まで200曲以上を録音するテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション・シリーズのファースト・デイトだったのだ。そしてこれら二曲は、同じくビリー・ホリデイが歌い、こっちはレスター・ヤングらが参加した1938年録音の「ウェン・ユア・スマイリング」と並ぶ、テディのブランズウィック録音最高傑作だと呼んで差し支えないほどの出来栄え。


ここからが油井さんの妄想なんだけど、そこまで最高の出来栄えになっているのは、油井さんによればテディ・ウィルスンが、今日は僕の最初の(リーダー)吹き込みだから(その記念に)セッションが終わったら、あとで最高のご馳走をふんだんに食べてもらおうと準備しているんだよ、とスタジオのみんなに「一発ブったにちがいないと思うんです。」(『生きているジャズ史』立東社文庫 p. 94)。


確かに、このあと最高のお楽しみが待っているんだ、まさに美味しい料理が運ばれてくるときの食器のカチャカチャ鳴る音を耳にし、いい香りを嗅いだ際のワクワクする胸の高鳴り・期待感が、上掲二曲にはみなぎっているよね。油井さんは「うそだと思ったら聴きなおしてください」とまで書いている。この1935年7月2日、同じ日にもう二曲録音されているもの:「アイ・ウィッシュト・オン・ザ・ムーン」「ア・サンボネット・ブルー」のことには一切触れずに(爆)。
まあなんにせよ、得られる教訓はこれ:人の上に立つ者の心得としては、「今夜うんと奢るからな」という殺し文句でハッパをかけること。それで部下、サイド・メンは働く。

2017/07/29

AKB48は大衆娯楽の本道だ

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 7)

音楽はもともとそうなんだから、メディア・ミックスなんてぜんぜん新しくないよなあ。レコード商品が一般化し、録音物で音だけ聴くのこそが音楽体験だみたいになる前の時代、すなわち聴覚だけでなく同時に視覚にも、場合によってはもっといろんな部分に同時に訴え快感を与えてくれ楽しむという時代に戻っただけだ。そしてまた日本でも最近、そんな時代の音楽と、それを含む総合エンターテイメントのありように戻ってきつつある。

最近、と書いたとき僕の念頭にあるのは AKB48はじめ日本で秋元康がプロデュースするガール・ポップ・グループや、そこから独立して活動している女性歌手・芸能人たちのこと。でも、彼女たちのあんな姿は目新しいありようではないかもしれない。書いたように録音物だけを売る産業が誕生・拡大する前の19世紀までのステージ・エンターテイメントの時代に戻っただけというのもあるけれど、もっとグッと最近なら少しかたちは違っても、1980年代前半にアメリカで大流行しはじめ、その後一般化したミュージック・ヴィデオ。あれはメディア・ミックスじゃないか。

一般的には1982年マイケル・ジャクスンの「スリラー」と84年マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」「マテリアル・ガール」。これら三つのミュージック・ヴィデオが大ヒットして、録音された音楽だけでなく、聴きながら同時にヴィデオを観るというメディア・ミックス商品が大流行したあたりからじゃないかなあ。

マイケルの場合は黒人で、黒人の顔を大いにさらしながら、黒人であることじたいを前面に打ち出して人気をあおるというあのやり方は、アメリカ音楽産業のそれまでの歴史全体からしたら、やはり大逆転の発想だった。100年以上前、ミンストレル・ショウで白人が顔を黒く塗ってステレオタイプな黒人性を演じ聴衆の笑いをとるという、あの人種差別エンターテイメントをまるで逆手にとったかのようなものだよね。

しかもマイケルはモータウン(の音楽はあまり黒くない)というブラック・ミュージック・ビジネス主流優等生社会のなかから出現したのだという点でも、かなり興味深い。が、マイケルの場合、その後、外見をどんどん白人化していって、ずっとむかしの黒人が髪の毛を白人みたいにストレートにする薬剤を使ったりするのと同傾向のことをやりはじめてしまった。それをどう見たらいいのかは今日は触れない。

マドンナは、新時代のメディア・ミックス的音楽エンターテイメントの流れを、20世紀末に決定づけた最大の功労者だ。だいたいむかしからガール・シンガーの世界は容貌が大きな売りもの。アメリカ音楽産業でも当然そうだ。美人でキュートでセクシーなルックスの女性歌手(まあ女性だけじゃないだろうが)の場合は、歌に少々難があっても、容貌だけでも商品価値があるという世界だし、業界もそれを大いに利用してきた。アメリカでは特に1950年代あたりからかなあ。

マドンナはこの歌+容貌のミックスで売るという音楽業界の手法を、アメリカ音楽史上、おそらく最も強く自覚的かつ最大限にまで活用しスターダムにのしあがり億万長者になった女性歌手だ。この点ではアメリカ女性歌手史上、疑いなくナンバー・ワンじゃないかなあ。(ミュージック・ヴィデオなどを通し)自身の視覚イメージに、マドンナほど決定的な役割を担わせてきたアメリカ女性歌手は、史上ほかに例がない。

マドンナの場合は、上で触れた AKB48はじめ現在の日本のガール・ポップ・グループへとつながる流れをつくった最大の功労者かもしれないと僕は考えているので、ここも強調しないといけない。マドンナは CD(デビュー当時はまだレコードだった、僕も買ったよ)とヴィデオだけでなく、視覚ファッションのさまざまな部分をキャラクター商品として切り取って売り、つまり視覚シンボルの商品化をどんどん推し進めてきている。

そのため、あんな露骨なセックス・イコンであるにもかかわらず、アメリカ本国でのマドンナには男性ファンより女性ファン、それも10代の少女ファンが多い。ティーネイジ・ガールたちこそが、マドンナ関連の最も多種の商品を購入してくれる優良顧客なのだ。

マドンナは、例えばエルヴィス・プレスリーあたりまでは確かにいた「神格化された」存在ではない。もっと身近なもので、ファン、特にティーネイジ・ガールたちが感情移入しやすく、通俗的なフェミニズムだと笑われるかもしれないが、女性が自分らしさを守って生きるという自己実現のイメージ、メタファーとして機能している。

神を自分に重ねる一般人は多くない。重ねやすいのは身近で親近感のわくポップ・アイドルで、マドンナはこれに近いんじゃないかなあ。彼女自身、自分がそう機能している、だからこそ売れているという事実を、非常に強く自覚しているのは間違いない。

と、ここまでお読みになれば、日本の AKB48やその他秋元康プロデュースのガール・ポップ・アイドルにかんして僕が今日なにを言いたいのかは、もはやお分りのはず。

彼女たちの場合もファン層はかなり広く、女性、男性、どっちかに決めなくとも、おばあちゃん、おじいちゃん(に僕も近づきつつある)からティネイジャー、さらに場合によっては小学生までなど、本当に多岐にわたっているみたいだけど、イメージは一貫している。それは「強い親近感のわく」「近づきやすい」そのへんのおねえちゃんが歌い踊り演じているということだ。

僕みたいに(AKB48の卒業生である)篠田麻里子とちょっと一回チュ〜したいだとか、(HKT48の)森保まどかにもそれにちょっと似たような気持が湧きつつあるだとか、そんな妄想を抱く男性ファンだって、世代を問わず多いはず。

ナニを憶えたての男子中学生あたりだと、間違いなくそのときに自分のが好きな(AKB48の誰かの)写真を見ながらナニカしているよねえ。あっ、そういえばもう卒業したけれど、僕が2011年に転職した直後に教えた中二男子は、下敷きに板野友美の写真をはさんでいて、なにかヘンなこと言ってたなあ、授業中に(笑)。

AKB48系列のガール・アイドルたちはそんなふうにも機能しているのはマドンナと完璧に同じだし、またマドンナと同じく、自分たちがそう機能していることで関連商品がどんどん売れるのだという自覚だってあるだろう(に間違いないと分ってきた、ようやく最近)。また自分の娘だと思って、我が子を見守るような気持で熱烈な応援を続けている年配女性&男性ファンだって多いみたい。また、ティーネイジ・ガールたちにとっては、まさに女性の自己実現のロール・モデルみたいなものとして機能しているんだろう。

「私もあんなふうになりたい」「頑張ったらなれるかも」「だからじゃあ頑張ってみよう!」〜 こういう(まあはっきり言ってしまうと幻想かもしれないが)気持にさせてくれるっていうのが、ああいった AKB48所属中や卒業後の女性たちが日本で果たしている最も大きな役割かもしれないよなあ。それはブルーズやロックンロールが持つ原初音楽衝動、つまり僕たちもちょっとやってみようよ、ギター鳴らして歌ってみようじゃないか、バンドやろうぜ、ビートルズみたいになれるかも!?っていう、ああいうのと同じかも?と僕は思うんだよね。

そして21世紀の日本では、AKB48関連のガール・アイドルたちが、ブルーズやロックンロール以上に、もっと親しみやすい近づきやすいイメージで(と思えるように業界が仕組んだだけものにすぎないかもしれないが)、僕みたいに、どっちかというと神格化されたカリスマティックなイメージの音楽家や芸能人のほうが好きな人間でも、例えば(AKB48卒業生の)岩佐美咲なんか、やっぱりいいなあって思うんだよね。まあ岩佐の場合は「歌」がいい、歌に惚れちゃったというのが最大の理由ではあったんだけど。

それでもいま二枚ある岩佐美咲の DVD を観ながら、僕は愛媛県住まいだから、主に首都圏で開催される岩佐のコンサートに気軽に足を運ぶことが容易じゃないから DVD を観聴して、歌(聴覚)だけでなく歌い姿や、歌いながら客席を歩いていたりなど可愛くキュートで(視覚)、しかも今年あたりからどんどん大人の女性の顔つきになってきている岩佐のことをちょっぴりセクシーだなと思い、チュ〜の妄想はこれからは麻里子ちゃんじゃなくわさみんですることにしようかなどとチョ〜アホなことを考えたり(聴覚&視覚以外の+α) 〜〜 つまりこれ、まさにメディア・ミックスにほかならないじゃないか。メディア・ミックス以外のなんだと言うんだ?

しかも篠田麻里子も岩佐美咲も、彼女たち以外にもたくさん僕はフォローしている AKB48関連の女性芸能人たちは Twitter アカウントを持っていて、「日常」を投稿してくれる。つまり CD や DVD やライヴ・ステージなどが「表」だとすれば、それは「裏」、すなわちミュージック・ヴィデオによく附随するメイキング部分みたいなものかもしれない。

ミュージック・ヴィデオにメイキング映像が附属するのは最初のころからそうだった。上で名前を出したマイケル・ジャクスンもマドンナも、また同じころ人気が爆発したプリンスも、その他みんな同じ。しかし彼らのミュージック・ヴィデオに附属するメイキング部分は、素の姿そのままではない。制作現場の裏側といっても、観せるための商品として巧妙に仕組まれたもので、つまりあれも組み立てられた虚構だ。

しかし AKB48やその他に関連する女性たちのツイートの数々は、うんまあ僕が分っていないだけかもしれないが、どうもちょっとした本当の日常、真の裏側、素の姿に見えるんだけどね。

もちろん彼女たちは自分の Twitter アカウントが見られていることを強く意識しているはずだから、ツイートもまた一種の(ファン拡大のための)商略なのかもしれない。彼女たちの多くがやはりやっている Instagram も含め SNS という新手段を活用した新時代の、これもメディア・ミックスなのかもなあ。ってことは僕の感じ方はやっぱり幻想なのかもしれない。

そのあたりのちゃんとしたことは僕にはやっぱり分らないのだが、それでもいままでとは「なにかが違う」という非常に強いものがある。少なくともライヴ・ステージで客席に背中見せたまま棒を振るクラシック音楽の指揮者や、クラシックではないが同じくクルッと廻って客席にケツ向けること頻繁で、サイド・メンのソロのあいだは袖に引っ込んでしまったりしていたマイルズ・デイヴィスなどとは、根本的に娯楽提供の考え方が違っている。

そんなマイルズだって、1988年あたりからはライヴ・ステージでニコッと笑ったり、メンバーや曲紹介をしたり(一時隠遁の75年までなら絶対にありえないことだった)その他いろんなことをライヴ・ステージ上でやるようにはなっていたんだよね。だいたい歌いはじめたしな。

あのへんから、真面目なジャズ・ファンはマイルズを見放したんだけどね。油井正一さんはそんなポップ・マイルズを「サーカス(・ミュージック)」と呼んで貶したんだけれどね。確かに「我々の知っている」マイルズではなくなっていた。それを「変節」と捉えようが構わない。僕は好きだ。変節などという言葉を使う人は、所詮、その対象のことを本気で愛してなどいないのだ。

2017/07/28

「ミストーンなんてない」〜 パーカーからマイルズがもらったもの

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 6)

マイルズ・デイヴィスが、サイド・メンや、あるいは自分が雇っているのではないほかのミュージシャンたちに対してでも、いろんな謎の指示言葉を発していたのはご存知の通り。「そこにあるものを弾くな、ないものを弾け」「お前が分っている音をオレに対してぶつけるな」などなど、いっぱいある。

それでも次の二つは、言われた当人もまだ理解しやすかったんじゃないかなあ。

一つ。「イン・ア・サイレント・ウェイ」の録音セッションにて、ジョン・マクラフリンに「ギターの弾き方が分らないというふうに弾け」。これは出来上がりの作品を聴けば誰だって納得できる。あの、ギター素人がフレット上で音を探りながらポロン、ポロンとおぼつかない様子で(あるかのように)シングル・トーンを弾いているあれだ。

しかし後年の述懐によれば、ジョン・マクラフリン当人は、ボスのマイルズにそう言われた瞬間は、やはりどうもナンノコッチャ?とハテナ・マークが頭のなかに浮かんだらしい。ご存知のようにマフラフリンは超絶技巧ギタリストで弾きまくりタイプだからね。でもボスの言うのはこういうことなのかな?と理解できないなりにちょっとやってみてボスの顔を見たら、「そうだ、その調子だ」というような表情に見えたからそのまま続け、しかもそれはリハーサルのはずだったもので、そのつもりで(同じくリハだと思っていたベースのデイヴ・ホランド含め)軽い気持でちょっとトライしてみただけなのに、発売されたレコードを聴くとそれがそのまま商品になっていた。

アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』になったものを録音した1969年2月のセッションでは、例えばフェンダー・ローズのハービー・ハンコックやドラムスのトニー・ウィリアムズあたりは、マイルズのこのスタジオ・セッションのやり方 〜 ワケの分らない謎指示を出す、リハーサルも本番もなくぜんぶ録音している 〜 に既に慣れていたはずだ。同じくフェンダー・ローズのチック・コリアとベースのデイヴ・ホランドは、マイルズ・バンドに正式参加してまだ一年も経っていなかったので、やっぱり新鮮というか驚きだったのかなあ。

もう一つ。マイルズの謎指示で、こっちは分りやすいだろうと思うのが「ミストーンなんてないんだ」というもの。 "Do not fear mistakes. There are none." ってやつ。「ミスをおそれるな、そんなものはない」。この「ミスをおそれるな」部分だけであれば、世界中のどんな人間もだいたいみんな誰かに対して言うものだ。ミスを犯すのをおそれていてはなにもできない、ミスは恥ずかしいことじゃない、失敗は成功の母、成長過程では、あるいはすっかり成熟しても、人間みんなミスを犯すものなんだから、ましてや若手初心者は失敗をおそれずどんどんやれ!という、ごくごく当たり前の言葉。なにかを教えるいう職・立場にある人間ならなおさら、これを言わない日はないんじゃないかと思うほど。

マイルズもまず第一義的にはそれを言いたいだけだろう。そういえばこれに関連してのマイルズの言葉で、たぶんこれは1940年代のチャーリー・パーカー・コンボ在籍時の経験から来ているものだろうと思うけれど、「まだ成長過程にある若手ミュージシャンを、激励もせずただこき下ろすだけなんて、絶対に間違っている」というものがある。パーカー・コンボ時代のマイルズは、まああんな感じだったからさ。クビにしろとかなんとか、そりゃ罵倒を浴びたんじゃないかと思うんだよね。後年、心臓に毛が生えたみたいな存在になったけれど、あの当時はかなりウブだったマイルズ。そんなウブでナイーヴなメンタリティは、1991年に亡くなるまでわりと残ってはいたんだよね。

くだんのマイルズの発言で「ミスをおそれるな」に続く部分は、考え込むとちょっとややこしそうだ。「そんなものはない」。つまり、音楽演奏において失敗なんてないんだ、いや、音楽というより、やはりジャズと限定するべきなのかなあ。そうなるとジャズにミストーン、間違った音はないんだと言っているんだと解釈できるよね。そういえば、1959年録音の『カインド・オヴ・ブルー』についての研究書に、「ジャズには間違ったノートはない」(Ashley Kahn "Kind of Blue: The Making of the Miles Davis Masterpiece" )というマイルズの発言が紹介してあった。

このたぐいのことを、マイルズは生涯通じて繰返し発言している。そんなの当たり前じゃん!とか思わないで。確かに間違った音なんてないんだから、失敗をおそれずどんどん前に出て積極的にトライしろよ、その結果面白いものができあがるんだぜ、失敗するときというのは、たいがい少なくともなにか新しいことをやろうとしているわけだから、とか、そんな気分が第一優先ではあったんだろう。だから今日、そんな深刻にとりあげなくてもいいかもしれない。

そういう解釈だと、マイルズはこれをかつてのボスで恩師であるチャーリー・パーカーからなんども繰返し言われていたようだ。「ジャズに間違いなんかないんだ」「どんなキーでどんなコードを使っているときでもどんな音を鳴らしてもいいぞ」「おそれずどんどん前に出てやれ」などなど、パーカーはマイルスによく言っていた。上で一節引用したアシュリー・カーンの『かインド・オヴ・ブルー』本には、こういうのも出てくる 〜 「オレがジュリアードをやめたばかりの未熟なガキのころ、バードは『ミスをしてもそれをもう一回繰返し、そのあとでもう一回やるんだ、そうして三回同じことをやってみろ、そしたらわざとそういうふうに演奏していると思われるだろうよ』と言ってニヤリとした」。

そんなパーカーから吸収して、マイルズも自分のバンドを持つようになって以後は、自分のバンドのサイド・メンやほかのミュージシャンたちや、インタヴューを取りにくるジャズ・ジャーナリストなどに、まったく同様の発言を繰返していたんだろう。死ぬまで言っていたみたいだから、つまりマイルズはパーカーの薫陶よろしきを得た見習い時代のことをずっと憶えていて忘れなかった。僕たち一般人の世界でも、どなたかから教わったり優しくされたりしたことをそのまま同じように別の続く人たちに教えたり優しくしたりするのと同じで、マイルズもそうだったんだろう。

これで今日の文章は終りにしたいのだ、本当は。難しいことを考えなくちゃいけなくなるからね。

音楽、というかジャズに間違った音はないというパーカーやマイルズの発言は、しかしやっぱりたんに「失敗をおそれるな」と若手初心者をエンカレッジしているだけではない、なんらかの音楽的「真実」を含んでいるような気が、僕はするんだよね。う〜ん、やっぱりこりゃちょっとやっかいそうだぞ。だからこのあとほんのちょっぴり表面をそっと撫でるかのように触れるだけにしよう。

録音時期的に最も早いもので、この「ジャズに間違った音はない」を実感できる具体例が、1928年のルイ・アームストロングのオーケー録音に(瞬時に思い出せるものだけだと)二曲ある。普通の聴き方だと、こりゃサッチモは絶対音を外したな、ミスだなと判断するしかないものだ。いま耳が聴こえにくいので億劫だが、それでも iTunes のヴォリューム・スライダーを最右端にした上で、アンプのヴォリュームつまみを(時計の)11時の位置くらいにまで廻せばなんとかなるんだ。11時の位置ってヤバイよね。ご近所さん、ごめんなさい。

いずれも1928年12月録音。
一つは「ノー、パパ、ノー」で、0:34、1:43の二回。
もう一つは「セイヴ・イット、プリティ・ママ」。こっちは 0:42までの一回目のコルネット・ソロが、どことピンポイントで指摘できないほど全般的にどうもちょっと”オカシイ”。特に最後の 0:42 の一音は、こりゃなんだ?完全に”外れて”いる。”ミス”だ。後半のヴォーカル部分でも、2:29 "save it all for me" の "me" がオカシイ。ほかの部分でも歌が全般的に調子外れだ。アトーナル?フリー・ジャズ?
もちろん1928年にスケール・アウトという概念は存在しない。いまなら上記例はいわゆるスケール・アウトの典型例であって、まったくなんの問題もない音の出し方として片付けられる。ジャズ界でまだスケール・アウトの考え方がなかったころでも、1950年代末からのフリー・ジャズ手法や、コーダル、モーダルでもそれに影響された1960年代以後の演奏法でも同じことはやっている。もちろんマイルズだって60年代後半からはどんどん活用するようになって、和声面での表現を拡大した。

しかし僕の言いたいことは、ジャズってたぶん「自由に音を出していい」ものなんじゃないかなということなんだよね。つまりそもそもの音楽のありようとして<フリー>なのがジャズ全般。1928年のサッチモがそうなんだから、まだ本格的に、というか自覚的方法論としては和声拡大していない1956年のマイルズが、「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」(プレスティジ盤『ワーキン』)で音を”外して”いたって別に問題ないよ。一番鮮明なのが 0:34 だ。シャーリー・ホーンはマイルズ本人に向かって「あれは吹きミスね」と指摘してくれちゃったそうだけどさ。
パーカーが実行し、マイルズに教え、そしてマイルズも自分のバンドで同じことをやり、また他のミュージシャンたちにもジャーナリストたちにもどんどん伝えようとしたこと:「ジャズにミストーンはない」は、ひょっとしたらこんなようなことも含んでいたのかもしれない。よく分らんのだが。

2017/07/27

プリンスってニッチ?

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 5)

少し前に発売されたプリンスの『パープル・レイン』拡大盤。僕はもちろん問答無用で四枚組の方を買ったのだが、届いたそれを聴いて(いまではない、いまは耳が聴こえない、届いてすぐ聴いたころの記憶)、結局、二枚目までで十分というか、それで完璧なかたちになるのだという結論に達し、iTunes では二枚目までを一つにしたプレイリストをつくってある。よしっ、僕、えらいっ!と思ってアマゾンで改めて見てみたら、まさにそうなっている二枚組を売っているじゃないか。な〜んだ、僕、アホやっ!

『パープル・レイン』の拡大盤については、耳がちゃんと聴こえるようになったらまた聴きなおし、しっかり書いてみたい。書きたいことがあるんだよね。

我慢できないからちょっとだけ先走ると、二枚目の未発表集一曲目「ザ・ダンス・エレクトリック」は完璧なファンク・チューンで、しかもそのグルーヴ、ノリは僕の大好きな『パレード』B 面トップの「マウンテンズ」にクリソツ。スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「スタンド!」からの影響である終盤のキー&リズム・チェンジは、「ザ・ダンス・エレクトリック」のほうにはないものの、11分以上もあって、快感が持続して最高なんだよね。しかもなんだかタマ(西アフリカのトーキング・ドラム)みたいな音が聴こえるぞ。

この未発表集一曲目が「お、これええよ、としまさん買いなさい」と、なかなか『パープル・レイン』拡大盤を買おうとしない僕にハッパをかけてくれた、二児の母である松山市在住の熱狂的プリンス・マニアの方に感謝します。しかし彼女の耳はやっぱりちゃんとしてるよなあ、さすがはプリンス狂じゃないかと感心してしまった。失礼な言い方になってしまったが。

ここまでぜんぶ記憶に頼って書いた。あぁ〜、早く耳聴こえるようにならないかな!

そんなわけでまだ耳があまりよく聴こえないので、『パープル・レイン』拡大盤についてではなく、その松山市在住の女性プリンス狂の方が以前から繰返している、こっちはやっぱりちょっとどうなんだ?と思うことについて、このあとちょっとだけ書いておこう。ごめんな。決して否定したいとか悪口言いたいとかではないんやで。ちょっとどうなん?と思うだけ。それを言いたいだけなんや。分ってくれ。

その女性に言わせればプリンスは「ニッチ」だということになるらしい。みなさんご存知のとおり、ニッチって隙間産業、小規模分野ってこと(もとは建築物にあるくぼみの意)。ってことはプリンスが好きで聴く、どんどん買うなんていう人間はそんなにたくさんはいない、どっちかというと少数派で、プリンスは決して大人気のスーパー・スターではない、ジャンジャン売れまくっているわけではないちょっとした日陰の存在的な音楽家 〜 こういうことになってしまうよなあ。

あぁ、しかしこう書いてみて、さすがにその松山市の女性もこんなふうにプリンスのことを捉えて「ニッチ」だと言っているんじゃないんだと、いま初めて気がついてしまった^^;;。なんて鈍感な僕…。だってプリンスがアメリカでも他国でも、もちろん日本でも、これだけ売れまくっている大人気音楽家で大金持ちで、マジョリティ側の人間で、決して小規模産業なんかじゃないということを、いくらなんでも捉えそこなっているとは絶対に考えられない。分っているはずだ。

ってことは、今日はもうこれ以下の文章は書かなくてもよくなったなあ。困った。まあいいや。頭のなかにあることをやっぱり綴っておこう。

思い出すのは僕が東京都立大学の英文学研究室の助手として勤務していた三年間(1988〜1990)のこと。そのころ、僕は薄給なのに、勤務が終ると後輩大学院生をなんにんも引き連れて、行きつけのとんかつ屋へ行き、全員にとんかつ定食の一番値段の高いやつとビール(僕は下戸なので飲まず、後輩だけ)を奢り、ぜんぶ奢ってやっているんだからというんじゃなく、僕は単なるおしゃべり好きで、誰かを相手にすぐ単独講演会を開催してしまうタチの人間なので、英文学を中心にいろんなことについて、僕だけがペラペラとウンチクを垂れまくっていた。

しかし、あの(東急東横線都立大学駅前にあった)とんかつ屋での講演会。間違いなく毎週、というか場合によっては二日に一回程度もやっていたんだけど、ホントどこにそんなお金があったんだろう?本当に毎回毎回全員に奢っていたけれど、不思議だ。いまでもそうだけど、僕は誰かなにかをする、食事を奢ったりなにかをプレゼントしたりなどなど、どんどんしてしまう人間で、やることじたいが自分の快感なだけだから、相手がそれで喜ぶどうかなどはまったく眼中になく、だからましてやリターンなんかぜんぜん求めない。そんな発想じたいが頭のなかにない人間なのが僕。

しかしホントあれ、毎週数回も、不思議だなあ。当時の僕(は東京都の公務員)がもらっていた月給なんて、確か20万円あったかなかったか程度だったはずだ。それで自分は自分のレコード(や CD)をどんどん買い、そして本職である英文学作品や研究書も買いまくっていた。まあ英語の原書は、研究職にある人間だからということで、都立大学の英文学研究室に出入りしていた取次の丸善に丸ごと全部借金していたんだろうなあ。出世払いみたいなことで。

その上でどんどん大勢に奢りまくるって、マジでどこからそんなお金が出てきていたのか、いま振り返ってもサッパリ理解不能だ。単にお山の大将的なことを気取っていい気分になっていたんだろうけれどね。

プリンスとは無関係な廻り道に入ってしまった。そのとんかつ屋での食事会という体裁の講演会だけど、たまに二人とか三人程度になることもあって、あるとき大学院在学中の後輩女性と二人でとんかつを食べることになり、その女性(ニシダさん)は英文学徒にしてアマチュア・ヴォーカリストでもあるので音楽の話になって、1980年代末だから当時人気のあったマイケル・ジャクスンやマドンナや、その他いろんな英語圏の歌手のことをしゃべり、そしてとうとう話がプリンスに及んだのだった。

するとその後輩女性は、プリンスなんて大嫌いです、すごく気持悪いんです、まるで爬虫類みたいじゃないですか!?と、僕が大のプリンス好きであると言っているにもかかわらず、そう言い放ってしまったのだ。あのとき初めて、そっかぁ〜、人によってはあの感じは爬虫類的気持悪さに見えてしまうんだな、特に女性にとってはそうかも?と認識した。

どうだったんですか?EPO の曲などをアマチュア・バンドで歌っていたというニシダさん?あの爬虫類的な気持悪い感触、と人によっては見えてしまうものは、裏返せば極上のセクシーさということじゃないかと僕は思うんだけどね。

まあセクシーさといっても、プリンスの場合かなりの粘着質で、しかもかなり変態的(僕が音楽とセックス関連で「変態」と言うときは褒め言葉なので、僕に向けられてもそう受け取る)だから、しかもそれがルックスだけじゃなく歌い方や演奏にも露骨に表現されているから、それらが総合的にあいまって、やはり人によっては生理的に無理、受けつけられないということになってしまうかもなあ。

プリンスはそんな人なわけだから、「万人受け」は決してしない音楽家で、しかしだいたい万人に受け入れられる音楽家なんて果たしてこの世に一つでも存在するのか?と思ったりもするけれど、例えば引き合いに出すのはどうかと思うけれど、イギリスのビートルズみたいな受け取られ方はプリンスにはありえないとも思う。

そのビートルズにしてからが、やはり嫌いだ 、買わないという人が、それも大の音楽愛好家のなかにだってたくさんいると僕は知っているから、そうなると、ようやく話を戻せるけれども、やっぱりプリンスは「ニッチ」なのか?あんなに大人気で、いつでもどこででも聴けそうな『パープル・レイン』ですら隙間産業で小規模分野なのか?

あと、もう一つ、自分が心から本当に愛しているというものや人の場合、こんなに素晴らしく輝いている存在はみんなに知ってほしい、みんなに愛されるようになってほしい、どんどん人気が出てほしいと強く願う一方で、その反面、自分だけのものにしたい、誰にも邪魔されないよう、自分だけが愛でることができるように隠しておきたい、百歩譲ってひそやかな内輪の愛好対象というにとどめておきたい 〜 こんな気分もあるんじゃない?

この一枚の紙の表裏みたいな相反する気分、アンビヴァレンスって、う〜ん、やっぱりあるんだろうなあ。プリンスがニッチだと言う松山市在住の女性プリンス狂二児の母の気持は僕には分らないが、まあなんとなくね、ちょっと考えてみました。としまさんのブログは長文すぎるけん読めんといつも言うとるけれども、どう?ぜんぶ読めた〜?

2017/07/26

なんでも聴くって本当ですか?

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 4)

音楽なら「なんでも聴く」「雑食だ」というのを標榜する方の場合、よく観察すると、たいてい限られた狭い範囲の同質のものを単食しているにすぎない場合が多い。(複数の)どなたか特定の方を念頭に置いての発言ではない。僕自身が完璧にこのタイプの人間だったのを振り返って言っているだけのこと。

このタイプって、いままでの僕の経験からすると、ジャズ(中心)・ファンとクラシック(中心)・ファンに多いような気がするけれど、そうでもないのかなあ。他人のことはぜんぜん分らないので僕自身の内面(もやっぱりよく分らないことが多いが)を振り返って考えるに、本気で「僕はなんでも全部聴くんだぞ」と自覚して公言していたのではなく、ある種の「格好つけ」にすぎなかったように思う。他人に対し、自分はこんなにすごいんだぞと威張ってみせているだけだった。

もちろん僕もジャズばかり聴いていた17〜23歳ごろには「なんでも聴く」という威張り方はしていなかった。そうじゃなく、ジャズってこんなにもすごい音楽なんだぞ、どうしてアンタ方はこんな素晴らしいものをを聴かないんだ?アホちゃうのんか?そんなのを聴いている自分、偉いっ!とか、もうあんまり憶えていないが、おそらくはこんな感じの内容を(このままの言い方ではないが)他人に対してしていたんだろうなあ。いま考えたらどうにもこうにも恥ずかしすぎて、誰にも見られないところに消え入りたいが、レッキとした事実だから認めなくちゃ。

これがちょっと(外見だけ)変化してきたのが、24歳でキング・サニー・アデに出会って、まずアフロ・ポップ、その後そこから少しづつ広げて、アメリカ産のジャズだけじゃなく、ちょっとだけいろいろ聴くようになってからだ。僕のうぬぼれは、ジャズって、みんなが聴いていないそれを聴いている僕って、偉い、から、みんなこんないろいろ聴かないだろ?せいぜいアメリカ産のジャズとかロックとか(日本人含め)それ系のポップ・ミュージックだけだろ?そんなの、音楽世界のごくごく一部なんだぜ、僕はその広い世界に分け入っているんだぜ 〜〜 (だから)僕は音楽ならなんでも聴くんだよ、な〜んてうぬぼれへと変化した。

言うまでもないことだが、2017年7月現在でも、僕が聴いてきている音楽世界なんてきわめて狭い。耳にしているのはごくごく一部であって、しかもこれを聴いてみたいと気持があっても、どうにも触手が伸びない、興味がわかない、生理的に無理そうだ、ピンと来ないだろうっていうものだって多い(でも実際聴いてみたら素晴らしくて惚れてしまうことも多く、だから聴いてと薦めてくださる方々には本当に感謝している)。僕の音楽趣味はすごく偏っている。音楽的偏食者だ。

あっ、偏食と書いたので、また脱線する。僕は音楽(その他いろいろ)も偏食だが、文字通りの偏食人間なのだ。食べられないというものがかなりある。しかし一つ言っておきたいのは、偏食者に対し、それを「好き嫌い」があるんですねと表現する人がかなり多いけれど、それはやめてほしい。好きとか嫌いとかで食べたり食べなかったりするんじゃない。生理的に不可能なのだ。身体が受け付けない。ダメなものも以前から僕はいろいろチャレンジはしているが、どの場合でも戻してしまうのだ。人前で戻すことはできないから、それで食べない、というか食べられない。好みの問題じゃないんだ。好き嫌いとか興味があるという点でだけ言えば、僕だっていろんな料理にすごく興味があるし、まあ「好き」だ。食べたいんだ。でも無理。

音楽的偏食でも、人によっては生理的に無理、受け付けないという場合もあるみたいだよね。気持悪くなっちゃうとかあるらしい。僕はといえば、音楽にかんしてはいままでのところそれがまだ一度もない。単に、フ〜ン、これ、どこが面白いの?ぜ〜んぜんツマラナイじゃん、もう二度と聴かないよとなるだけで、(気分的な意味で)戻したりすることはまだない。でも人によってはそれがあるんじゃないかと思うから、そうなると正真正銘の音楽偏食だよね。

そしてさらに、最近この思いがどんどん強くなっているのだが、世界中のいろんな音楽をいろいろたくさん聴いている方々だって、多かれ少なかれ、みんな音楽的偏食者なんだということ。言い換えれば単食主義者だ。真の意味での雑食聴き、なんでも聴きリスナーなんて、本当はこの世に存在しないだろう。それなのに「私は雑食です」「なんでも聴きます」「この世で”音楽”と名のつくものことごとくありとあらゆるものに興味があります」などとプロフィール欄に記載があったり発言したり、それぞれ一名ずつ計お三方、パッと思い浮かぶネット知り合いの実人物がいるんだけど、具体例を出して話をするのは遠慮しておく。僕も大差ないからだ。お三方とも同質の音楽しか聴かない単食主義者にすぎないことが、ふだんの発言内容から判断できる。

この種の話は、ネットでちょっと検索するとたくさん出てくるものなんだけど、そういうものを読むと、僕が今日ここまで書いた内容とは少し質が違っているみたいだ。単食/雑食、狭い範囲聴き/なんでも聴きの判断根拠が、ある特定の分野だけに限定されている。例えば日本の歌謡曲(J-POP)世界内での単食/雑食とか、そんなたぐいの話ばかりなんだよね。それはそれでぜんぜん構わないけれど、例えばアメリカ産ジャズと、トルコ古典歌謡と、ナイジェリアのフジと、インドネシアのクロンチョンと、などを並べてある例は一つもなかったなあ。

う〜ん、こう書くと、アンタやっぱりそう思ってんじゃないの?と思われそうなんだけど、単食/雑食の話をするのに均質分野のなかだけで判断するのも、ちょっとどうなんだろうなあ?つまり、例えばクラシック音楽ファンで、バロックもロマン派も現代音楽もぜんぶ同じように並べて聴くから雑食、古典的なものしか聴かない人は単食とか、例えばジャズ・ファンなら、ニュー・オーリンズ・ジャズもスウィングもビ・バップもハード・バップもフリーもぜんぶ聴くから雑食だなんて、そりゃちょっとおかしな判断じゃないかなあ。

僕の場合は、いまだになんだかんだ言ってやっぱりジャズ・ファンでブルーズ好きだ。ここがいまでも一番大切。でも「知っている」か「聴いている」かどうかを問われれば、ある程度ちょっとだけ自負があるのはマイルズ・デイヴィスだけ。本当にこの人だけだ。さらにマイルズについても、僕なんかよりずっとたくさんしっかり聴いている方々が、日本人に限定してもたくさんいるし、世界中を見渡すことができれば無数にいると分っている。だからマイルズ関係についてすら、僕はどっちかというと「知らない」部類に入るはず。

ってことはマイルズ・マニアを標榜している僕は、いったいぜんたい音楽でなにを知っているというんだろう?なにも知らない、なにひとつ聴いていないということになってしまうよなあ。そんでもって事実その通りだろうと最近思う。井の中の蛙みたいなことに気がついていなかった時期よりは少しマシになっているのかもしれないが、井の中からまだ出ていないもんなあ。聴いていないものが実に多い。そして一番どうしようもないのが、これこれこのような音楽がこの地球上にあるのだという、その存在じたいにまだまったく気がついてすらいないもの。たくさんあるはずだ(はず、としか言えない、だって存在すら知らないんだから)。

僕もふだんこんなことを意識して考えることなんてなくて、ただのんきに音楽聴いて楽しんでいるだけなんだけど、まあいま耳が聴こえにくくて、音源聴いても、全然聴こえないなんてことはないんだけど、どんな姿かたちなのか細部が把握しにくいからさ。だからボンヤリ聴こえるなにかを適当に流しながら、そして中耳炎とはまったく関係なく、最近どうも「私は雑食のなんでも聴き音楽リスナー」を標榜しつつ、実は狭い範囲の均質のものばかり聴いているという具体例に遭遇することが複数回あって、それで人のふり見て我がふり直せとばかりに考えたことを、今日はちょっと書いてみただけ。

2017/07/25

ヒップ・ホップが打ち砕いてくれた近代西洋のオリジナリティ信仰

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 3)

アクースティクであれエレクトリック/エレクトロニックであれ、人力演奏の方がいまでもやっぱり断然好きである僕。そうではあるけれど、近代音楽史、というかあるいはひょっとしたら人類近代史における大転換/大逆転についてはとりあげて、高く評価しておかないとダメだよね。それは(主にヒップ・ホップ・ミュージックとその手法の普及以後に拡散した)サンプリングその他のことだ。

サンプリング(とレコード・スクラッチもあわせて)の手法は、個性・オリジナリティこそが音楽にとって最も重要なものであるという考えを、まあそれは幻想かも?と僕は思うんだけど、木っ端微塵に打ち砕いた。サンプリングを死体処理だとか破壊行為だとか言う方々もいるけれど、僕はそうは思わない。正反対に面白いことをやりはじめてくれたと評価している。一度「死んだ」ものに息を吹き込んで蘇らせてくれているとも思うので、死体処理・破壊行為どころか、むしろその逆じゃないか。

その人にしかない(悪く言えば押し付けがましい)独自個性とかオリジナリティとかいう考え方、それこそが音楽表現において最も重要なもので、それがない音楽作品なんてなんの値打ちもないのだとする考え方 〜 これは僕も前々から繰返しているが、近代西洋の考え方なんだよね。こと西洋に話を限定しても、このオリジナリティ第一優先主義の歴史は浅いし、また20世紀後半以後は既にこの歴史は終っているように見える(ポスト・モダニズム)。

西洋に限定しなければ、この独自個性第一優先の考え方が支配している場所や歴史の方が少ないんじゃないかなあ。あたかもそれが支配している(いた)かのように見えるのは、近代西洋のそんな考え方が最も分りやすい、というかはっきり言ってしまうが、最も音楽業界の経済流通がしやすい、もっと端的に言うと「お金儲けしやすい」システムに直結するからだ。

このことは20世紀以後なら世界最大の音楽マーケットであるアメリカ合衆国の事情をちょっと考えれば誰だって分る。おそらく19世紀末〜20世紀初頭のティン・パン・アリーの時代に、そんなジャンジャンお金儲けできる音楽産業システムが成立した。曲や歌詞を書く人が「独自考案した」新曲の譜面は「オリジナリティ」の発揮であって、そのソングライター個人の才能にだけ由来するものだから法的独占「権利」を主張できるのであって、それを別の人が使用するなら「金銭」が当然のごとく発生する 〜 このシステムでアメリカ音楽産業は2017年までずっと変わらず動いてきている。

もちろんアメリカにだって、そんな個性=権利=金銭という考え方とは無縁に存在していた音楽世界もいろいろある。一つだけ例をあげれば、南部の黒人コミュニティ内におけるカントリー・ブルーズの世界にはこんな考え方はない。このことはいままで散々繰返しているので今日は詳述しない。「曲」(とかいうもの)も(主にギターの)演奏パターンも、すべてが社会の共有財産で、それを誰か個人のブルーズ・マンが受け継いでそのまま表現しているだけだ。そこに個性なんかない。だから権利も金銭も(ほぼ)発生しない。

それがあたかも発生しているかのように見えるのは、アメリカのレコード会社がこの世界に入り込んで録音し、レコード商品として売るようになったからだ。レコードにはふつう曲名・作者名・演唱者名がレーベル面に記載される。それが権利と金銭の発生する「オリジン」であるとみなされることになるわけだけど、それが「自分のもの」ではないと分っている当の南部黒人ブルーズ・メンはどうだっただろうなあ。

アメリカ音楽業界はこの著作権の世界に一世紀半以上しがみついてきた。これこそが業界秩序で、これがなかったらなに一つできない、というかまたまたはっきり言うが、商売にならない。お金が入ってこないのだ。そういうシステムになってしまった。最初のころは白人支配だったアメリカ音楽業界も、最近は上層部にだってアフリカ系はじめいろんな人たちがいるはず。それでもまったく同じ著作権ビジネスをやってきているじゃないか。

ヒップ・ホップの台頭まではね。

ヒップ・ホップは音楽に限定された用語ではないはずなので、ヒップ・ホップ・ミュージックと言わないといけないが、それが多用するラップ・ヴォーカルは、おそらくジャマイカ由来。ジャマイカでレゲエ・ミュージシャンがつくったダブ(カラオケみたいなもの)に乗せ DJ がしゃべる(トースト)。これはキング・タビーと彼が起用した DJ である U・ロイあたりが最初なのかなあ、まあそのあたりだよね。彼らが既存音源をいじくって「別のなにか」を編み出して、その上におしゃべりを乗せるということをやりはじめ、それがヒップ・ホップ・ミュージックの基本手法のはじまりだ、たぶん。U・ロイは元祖ラッパー。 はっきりしないが1960年代末あたりのこと。けれどジャマイカでも一般化するのはあくまで70年代以後だよね。

キング・タビーだけじゃなく、ジャマイカのレゲエ(系)・ミュージシャンは、アメリカ合衆国の黒人音楽から非常に強い影響を受けている。それは上で書いたようにあくまで秩序を守った業界主導のレコード商品、それを(権利金を払って)流すラジオ放送などによるもの。だが著作権(=オリジナリティ)を水戸黄門の印籠のようにふりかざすアメリカ音楽業界内で誕生した流通商品から影響を受けてやりはじたのだとしても、ダブとトーストの基本手法は、完璧にそんな秩序を破壊する方向へ向かい、アメリカ合衆国に逆輸入されたのだと言える。

ジャマイカにおけるダブと DJ によるトーストの手法。これは、その影響でアメリカ合衆国において1970年代末以後、特に80年代半ばからどんどん大流行しはじめ、いまやこれなしでは誰も音楽作品を創れないかのようになっているサンプリング手法と、それを活かしたヒップ・ホップ・ミュージックの直接かつ最大のルーツだ。ジャマイカ黒人たちのそれはゲリラ的な発想(貧乏人音楽だったから)だったのだが、それがアメリカ合衆国に持ち込まれ、やはりゲットーの貧乏黒人たちの共感を呼び、サンプリング、ラップ、スクラッチなどアナーキーな方向へ突っ走り、どんどん支持を拡大して、その結果、大資本の音楽業界主流にまで食い込んで、いや、食い込んでいるなんてもんじゃなく、いまや完全に逆転支配しているじゃないか。

アナーキーと書いたが、これは誇張とかある種の格好つけとかじゃない。アナログ・レコードの盤面をターンテーブル上でわざとギシギシと、それも手で逆回転させ、針を乗せたままだから引っ掻くような音がするのを商品に入れて、それを「演奏」と等価なものとして扱うスクラッチ。既存の音楽商品から許諾なしに(最近は許諾を得ることも)音の一部分を切り取って、それをそのまんま「自分の」音楽作品のなかに無断借用し、それを流通商品化するサンプリングとブレイクビーツ 〜〜 これらはアメリカ音楽業界を、いや近代西洋以後の人間世界を牛耳ってきた個性とかオリジナリティの考え方を完全否定しているわけだから、近代西洋思想を根底からぶち壊してしまうものでなくてなんだというんだ?アナーキーとはそういう意味。

人間世界、文化全般なんて大きな話は僕には無理なので、ポピュラー・ミュージックの世界にだけ限定して書いたが、特に20世紀以後のアメリカ音楽業界が高度にシステム化した、曲・歌詞を書き歌い演奏する人間が持つ個性、オリジナリティ(らしきもの)で著作権利を担保し、それでこそ金銭が発生するという、これを大前提とした業界経済の全歴史を、ヒップ・ホップは盛大に裏切ってしまった。僕の言う裏切りとかアナーキズムとかは、この場合はもちろん最大級の称揚の言葉だ。

ある種の人たちにとっては、そんなものはやはり単なる音楽の破局・終焉を意味するものかもしれない。しかししつこく繰返すがオリジナリティという考え方は近代西洋だけのものだ。考え方ですらなく、それは一種の信仰。そしてこの信仰の強さが招いた巨大収益システムもまた近代アメリカが組み上げたもの。歴史的・地理的に大きく俯瞰すると、世界の音楽はそんなものでは動いていない。このことをヒップ・ホップ・ミュージックは教えてくれているんじゃない?

2017/07/24

アメリカ黒人音楽史の真実と岩浪洋三

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 2)

『スイングジャーナル』誌の編集長だった時代もあるジャズ・ジャーナリストの故岩浪洋三さん。あまり、いや、ぜんぜん面白くない人だったように思うんだけど、この岩浪さんは愛媛県松山市生まれで、僕の母校である松山東高校の先輩 OB なのだ。これを僕が知ったのは、まだジャズ・ファンになる前の東高在学二年目のとき。秋の文化祭の講演で岩浪さんが来たんだよね。

といってもまだジャズなんかちっとも知らなかったから、「岩浪洋三」という名前と、それとあわせ演題が大きく垂れ幕(?)かなにかに書いてあった(はず)けれども、その人と題とがどなたでなになのか分るわけもなく。ただ校長だったか誰かの紹介で我が校 OB なのであると言われたので、ああそうなんだ、でもなにやってる人なんだろう?有名人かな?知らないなぁとか、その程度で、もちろん講演で岩浪さんがしゃべった内容なんかまったく1ミリたりとも理解できるはずがない。何十分間かがひたすら退屈で、体育館で腰掛けてただただ内的苦痛にもだえながら耐え忍ぶばかり。

まあ確かに取り柄の少ない(ない?)岩浪洋三さんで、僕としては尊敬もせず、ジャズ関係の執筆などの活動も評価できないと思っているんだけど、それでも生講演に接する機会なんて、その後から振り返って考えればまずありえないと知ったわけだから、ちょっともったいなかったよなあという気持もある。その高二のときに既に僕がジャズ・ファンで「岩浪洋三」という名前の意味するところを知っていたならば…、とは思うのだ。

僕が個人的に岩浪洋三さんをポジティヴな意味で面白いと思わず評価もできないと考えているのはともかくとして、日本でジャズ評論家の看板を掲げているフリーランスのジャーナリストさんたちの、ある時期の代表的存在だったことは疑いえない(のはちょっぴり悔しいが)。21世紀に入ってからかその少し前か、まだ島田紳助と石坂浩二が司会だった時代のテレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』に、ブルー・ノート・レーベルの全アナログ・レコードのオリジナル・プレス盤コレクションを見てほしいと、 ある素人ジャズ愛好家の方が出演したことがあった。

あの『開運!なんでも鑑定団』の鑑定士軍団(と番組が呼ぶもの)には、レギュラー出演の方々にまじり、そういったときどき出現する、ふだんはない特殊専門分野の鑑定依頼があると、それにあわせ臨時にその分野を鑑定できるプロを呼んでいた。ブルー・ノートのオリジナル・プレス盤コンプリート・コレクションの鑑定士として出演したのが岩浪洋三さんだった。小川隆夫さんでもよかったような気がするが(小川さんはブルー・ノートのオリジナル盤コンプリート・コレクターとしても有名だ)小川さんの本職は医者だから、専業プロの岩浪さんが呼ばれたんだろうなあ。

岩浪洋三さんは「間違いなくすべて完璧なオリジナル・プレス LP です」とかなんとか言っていたような気がするけれど、そのへん、レコードのオリジナル・プレス盤とかいう(「音」が違うとありがたがられているらしい)世界にまぁ〜ったくなんの興味もない僕は、いろんなブルー・ノート盤のジャズ・レコード・ジャケットが続々とテレビ画面に映し出されるという、この世でまずありえない、見ることなど不可能な光景を嬉しがっていただけ。ホントあのとき一回だけじゃないかな、ジャズのアナログ盤ジャケットがあれだけどんどんたくさん民放地上波テレビ番組に出現したのは。

その面白さもさることながら、岩浪洋三さんがそういう鑑定ができる人物なのだと(かなり失礼な言い方だ)いうことを、僕はあのときちゃんと知って、でも考えてみればそりゃ専門家だからなあ、できるんだろうなあ、なんでもオリジナル・プレス盤かどうかを判別する術があるらしい、レーベル面記載か?ジャケット記載か?の番号とか?が違っているらしい(が僕はマジ興味ないから知らない)から、ジャズ・レコードの専門家なら見分けられるのかとか、そう思ったんだよね。

岩浪洋三さんのジャズ評論文章なんて、いまでは一顧だにする気もない僕だけど、それでも大学生のときに読んだこれ一個だけは、心の底からうなずける、納得できる、素晴らしいといまでも本当にそう思うものがある。1970年代に来日した際のクインシー・ジョーンズに岩浪さんがインタヴューした内容が、岩浪さんのなにかの単行本に載っていたものだ。

その文章のなかで岩浪さんはクインシーに「ジャズの伝統的な4ビートというものは、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人たちが白人社会に合せるために、自らの黒人性を薄めて白人社会にいわば”迎合”しようと、あえて選んでいたものじゃないんですか?1970年代に入る前後から8ビートでファンキーなものがジャズ界にもどんどん出てきたのは、彼らが自らのアフロ・ルーツな文化を取戻しただけということなんじゃないんですか?」(括弧に入れているが引用ではない、手許に本はないので記憶だけ、だから正確じゃない)と聞いていた。

するとクインシー・ジョーンズはすかさず「その通り、あなたの言う通りだ」と答えていたように記憶している。クインシーのこの返事は、来日時に日本のジャズ・ジャーナリストにインタヴューされてのリップ・サーヴィス的な社交辞令まじりだったのかもしれない。がしかし本音がかなりあるように僕は大学生当時も感じていて、その思いはいまではどんどん強くなっている。アメリカのブラック・ミュージックの歴史ってそういうもんだよね。

お前、岩浪洋三の悪口ばかりふだん言っているじゃないか、そもそも岩浪の単行本なんか買って読んでいたのか?とか思われそうな気がちょっとだけするから書いておく。そう、買って読んでいたのだ。しかもどんどんたくさん。自らすすんで買って読んだんだ、岩浪さんの本を、何冊もね。最初のころはそもそもどなたが信用できる面白いジャズ・ライターで、どなたがそうじゃないかの区別なんかできていなかったというのもあるが、もっとはるかに大きな理由がある。それは要するに「ジャズに惚れた」ということ。これだ。

ジャズでもなんでもゾッコン惚れてしまうと、なんでもかんでも手当たり次第追いかけて、根掘り葉掘り漁りまくって、レコード(でもなんでもいいが)をなんでもぜんぶ聴きまくり、それに関係するあらゆる文章という文章を誰のなんでもいいから「すべて」熟読する 〜 こういうもんじゃないの?好きになる、惚れるってことは?音楽だけじゃなく人間でもなんでもね。インターネットの普及でやりやすくなっているはず。

ジャズに惚れてしまって、それ以外のことが頭のなかから完全に消えてしまっていたかのような一時期の僕は、レコードも自宅やジャズ喫茶で聴きまくるけれど、聴きながらジャズ関係の雑誌や単行本を、これまた自宅やジャズ喫茶で読みふけっていた。入手可能なもの文字通り「すべて」をね。新刊・中古の別問わず本屋で買えるものは、お財布事情的に可能な範囲でぜんぶ買い、それが不可能でもジャズ喫茶の書棚に置いてあるものはそこで読み。だから音楽レコードを聴きながら本を読む、こればっかり。な〜んだ、55歳のいまでもちっとも変わってないじゃないか(苦笑)。

そんなことで単行本や雑誌でもジャズ関係の文章は可能な限りすべて読んでいたので、たくさんあったと記憶している岩浪洋三さんの単行本だってもちろん自らすすんで僕は買って読んだ。そのなかのどの本かはもう分らないのだが、上でご紹介した岩浪さんとクインシー・ジョーンズとのやりとりがあったのだった。

ふだんどんなにつまらない、いい加減だと思っている人間だって、本当にまったくどこにも取り柄がないなんて、学ぶところがマジでまったくないなんて、そんな人はいないよねえ。場合によっては反面教師的な意味合いになってしまうかもしれないが、上でご紹介した岩浪さんとクインシーとのやりとりは、そういうことではぜんぜんない。岩浪さんは立派に、正面切って、アメリカ黒人音楽史の真実を突いたのだ。それもクインシーのような大物を相手にして。

だから、この一点を除くと、まあやっぱりジャズ評論家としては信用できない、面白くないと僕は思う岩浪洋三さんだけれど、僕みたいなちっぽけな人間のなかに、たった一つだけでも、心に残る宝石みたいな(は言いすぎか?)ものを残すことができたっていう、もうこれだけで岩浪さんは立派に「仕事をした」と言えるのかもしれないよ。最近、僕はそう考えるようになっている。岩浪さんだけじゃなく、ほかのどんな人でも自分自身のことについても。ほかの人の心にほんのちいさなカケラをたった一個だけでいいから残すことができたら、それで…(でも僕がどなたかほかの方の心を一瞬でも打つことなんてないはずだ)。

ここで正直にやっぱり告白しておく。ジャズでもなんでもアメリカのブラック・ミュージック史をじっくりたどると、時代を遡れば遡るほどブラックネスが薄くなっていて、下れば下るほど逆に音楽的人種意識が高揚し、リズムやサウンドにネグリチュードが濃厚に出現するようになっていて、いまではアメリカ黒人音楽家の誰もこれを薄めたり隠したりはしない 〜 このアメリカ黒人音楽史の真実にかんし、そうなんだと指摘しているのを僕が生まれて初めて読んだのが、上でご紹介した岩浪洋三さんとクインシー・ジョーンズとのやりとりだったんだよね。これは間違いないという記憶がある。これがいままでず〜っと僕のなかに残ってきているんだよね。まず最初のとっかかりが岩浪さんのあれだった。

このアメリカ黒人音楽史の真実が具体的にどう出現しているのかは、僕もいままでなんかいも書いてきたつもりだ。ふだんジャズ関連でも書いているし、ブルーズ関係でも、リズム&ブルーズでも、新興ジャンルのソウルやファンクなどについても、僕なりに書いた。いますぐパッと思い浮かぶものだけ二つ、過去記事のリンクを貼っておくが、これら以外にもいっぱいあるよ。今後もかたちを変えて書くだろう。
う〜ん、ってことは岩浪洋三さんはちょっとどころではない大きなものを僕のなかに残してくれたってことになっちゃうなあ。面白くない音楽関係者だと断じているだけになんだか悔しいが、これは間違いないと認めなくちゃいけない。55歳の僕は、もうこのあたり、自分の気持にウソはつかないことにした。もうそんなことをして稼げるだけのたっぷりな時間はなくなりつつある人生だから、素直に、正直に、認めて言葉にしておかないといけない。好きなものは好き、いいものはいいとストレートに言わなくちゃ。自分、あるいは対象が消えるときに後悔しそうだからさ。

2017/07/23

聴界

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視界と言うけれど、これと同等の言葉が聴く方にはないような気がする。それで今日、僕は「聴界」というものを提案したい(と書いてからネットで検索すると、お使いの方が若干名いるが、みなさん「こんな言葉はないですよね?」と断り書きしている)。視界とは、狭いとか広いとかふさがるとかひろがるとか、目で見える空間範囲のことだけど、僕の言う聴界とは音の範囲だけでなく、もうちょっと意味を拡大して使いたいものだ。僕は音楽キチガイなので、それも最近はヘッドフォンを使わず、スピーカーから空気的に音を鳴らして聴くことがほとんどなので、そんなケースにだけ限定して話をしたい。聴界は日常生活にだってもちろんある。がしかし、今日はスピーカーで聴く音楽の話だけ。

聴界なる言葉をどうしてひねり出したのかというと、目下、僕の右耳はよく聴こえないのだ。耳鼻科医の診断では中耳炎。だから深刻なものではなく、現在使用中の薬でまもなく治るだろう。耳鼻科医によれば、約二週間かかるそうだ。だいたい小学生のころの僕は耳が弱くて、朝起きると、また学校にいるあいだに、耳のなかが痛くなるだとかそんなことが頻繁で、家では親、学校では職員室や保健室の先生に、耳が痛い、つらいと半泣きで訴えて、しかし学校の先生だってどうしようもなかったよなあ。下校すると耳鼻科へ。するとだいたいいつも中耳炎との診断で、しばらく通ったり。

この手のことは、体が大人になっていくまでの成長期によくある不安定さだということだったのかもしれない。いま55歳で再びなっているのは、今度は老齢化へ向けてまた肉体が変化しつつあるんだろろう。 高校生くらいになると、耳のなかが痛いとか中耳炎だとかいうことはなくなって、その後しばらくして音楽狂になってしまったので耳は酷使することになり、その酷使状態がいまの55歳までずっと続いている。ある時期以後はヘッドフォンで爆音を聴くことがほぼなくなった僕。あれを続けていたら、あるいは、空気的に鳴らすのでも、クラブなどでの大爆音を浴び続けていれば、いまごろ僕の聴力はもっと弱くなっていたはずだ。

音楽の微細な部分まで鮮明に聴きとっていると自分では思っている僕だけど、それがいま2017年7月16日以後、あまり分らないという状態におちいっている。右耳が中耳炎でダメで、そして左はというと、僕の左耳はもうずいぶん前から、え〜っと、20年ほど?前から、聴力が右に比べてかなり弱い。右耳をなにかで完全にふさぐと、左耳だけではあまり聴こえないんだよね。だから電話の受話器を左耳に当てて通話したことが20年以上ない。それをやると聴きとれないからね。もっとも、いま自宅(その他)では iPhone を使っていて、音声通話時にはスピーカー・モードで話をするので、もはや右耳にだって電話機を当てることはなくなった。ちなみに五年前から僕んちに固定電話は存在しない。NTT 西日本との契約そのものをやめた。

そんなわけで右が、目下、中耳炎で聴こえず、左耳の聴力はずっと前からかなり低い僕なので、いま音楽はなにを聴いてもあまりよく分らない。特にダメなのがステレオ録音の音楽だ。ステレオ録音は(同じ程度の聴力の)両耳で聴くのが大前提なわけだから、いまの僕にはこの音楽がどんな姿なのかボヤ〜ッとしか分らない。がしかし非常に既知の音楽については、耳の前で鳴る音をしっかり把握できなくても脳内で自動補正されるので、まだマシ。ダメなのは初めて聴く音楽だ。どうなってんのか、どういう姿なのかあまり把握できないんだよね。特にステレオ録音の場合はね。

あと、これはどうしてだか科学的根拠が僕には判然としないが、低音がクッキリしない。ベース(アクースティックもエレクトリックも)やバスドラなどがボヤけて、鮮明でタイトなサウンドのベース音やバスドラ音で録れていて、僕んちのスピーカーでそれがしっかり再生できているとよく知っているはずの既知音源でもそうなんだよね。だから未知音源の低音なんか、もはや入っていないのと同じだと思うほど。音楽ってボトムスがしっかりしないと全体像もボヤけて、だからいまの僕はだいたいなにを聴いても、その音だけではちっとも面白くない。ツマンナイんだ。既知音源で脳内補正して、それで楽しんでいるだけなんだよね。

実はこういうことは、去る五月にもあった。5月13日土曜日の朝起きたら突然、なぜだかそのときは左耳がまったく聴こえず。書いたようににずいぶん前から聴力がかなり低い左耳だけど、ここまで聴こえないのは、ゼロなのはありえないと焦って、週明けの月曜に耳鼻科に行ったら、神経性の突発性難聴を疑いますと言われた。経口薬が何種類か出て、しかし医者には「左耳の聴力は戻らないかもしれません」とも言われてしまっていた。まあそれは医者が患者によく言うステレオタイプな警戒メッセージというだけだったかもしれないが。

左耳の神経性突発難聴が治るまで(はい、治りました)三週間ほどかかかったんだけど、治るまでのあいだ、音楽の聴こえ方が、上で書いたようないまの状態と完璧に同じだったのだ。ステレオ録音のものがダメで、ボトムスが聴こえず、したがって全体像もボヤけ、いったいぜんたい、いまなにが鳴っているんだろう?どんな姿かたちの音楽なんだろう?と、未知音源、そんななんども聴いていない音源にかんしてはそうなっていた。だから非常に既知の音源ばかり聴いては脳内補正。もうこればっかりの数週間。いままたちょうど同じ。これがまだしばらく続くのか…。

さて、ここまでお読みになってお分りのように、モノラル録音、それも第二次世界大戦前の SP 時代の古いものだと、この状態が緩和されていた(る)のだった。そりゃ片耳で聴いたって十分オーケーな音楽だしなあ。熱心なモノラル録音信奉のオーディオ・マニアのなかには、スピーカー二個ではなく一個で聴いたりする人もいるらしいじゃないか。そんなこともある世界だからね、モノラル録音音楽は。

でも(本当になぜだか)低音部は、やはりモノラル録音でも聴こえにくかったので、やはり音楽の全体像はややボヤけてしまう。それでも、ステレオ録音の音楽よりはずっとマシな聴こえ方だったし、いま中耳炎で右がダメな現在もそうだ。だから目下、僕はモノラル録音のものばかりどんどん聴いている。しかも幸いな(?)ことに、僕の所有する全音源のたぶん約六割以上がモノラル録音、それも SP 時代のものなんだよね。これはラッキー(?)だった。もしかりにこれがステレオ録音のものしか持っていない音楽狂の方で、片耳がおかしくなったりしたら、さぞやその絶望は深いだろう。

5月13日に発症した僕の左耳の神経性突発難聴の方は、六月初旬に快癒した。とは僕だけの自覚で、耳鼻科医はコンピューター画面に映し出される聴力検査のグラフを示し、まだまだダメと言うのだが、聴力なんて自分が(仕事・趣味含め)生活でまったく困っていなければそれでいいだろう。それで6月9日の診察時に「もう大丈夫です」と医者に告げ、(いちどは)僕の耳鼻科通いは終了。僕の聴力回復の判断根拠は、言うまでもなくもちろん音楽だ。よ〜く知っている状態の良いステレオ録音の音源をスピーカーで鳴らして、以前からよ〜く知っているのと完璧に同じに聴こえるようになったと自覚できるので、僕は快癒したと判断したのだ。

それで本当に心の底から安堵して、また元通りの音楽狂いライフだなと思って毎日楽しんでいたら、7月16日に今度は、まあただの中耳炎だとはいえ、右耳がダメになって、いま再びちょっと暗い気分の音楽生活を送っている。

結局、「聴界」という言葉の意味をあまりちゃんと説明しなかったように思うけれど、視界同様、聴界も狭くなったり広くなったりふさがったりひろがったりするんだよね。しかも視界と違って聴界には、広がりだけでなく高低もある。もちろん音域の。いろんな楽器や、また人声でも物音でも、ピッチの高い/低いがあるけれど、それもまた耳の状態によって聴こえたり聴こえなかったりするよね。今日、僕も、片耳やられているだけでなぜだか低音部が分りにくいと書いたが、これは実感なんだ。また、高音部なんかは、誰しも歳取ると聴こえが悪くなっていくらしいじゃないか。僕はまだそうなっていないけれどね。

高音部だけでなく、加齢によってそもそもの聴力全体が弱くなるみたいだね。ビートルズを手がけたのが最も有名な音楽プロデューサー、ジョージ・マーティンも、晩年は補聴器を使っていた。この敏腕音楽プロデューサーが業界からリタイアしたのは、このせいなんだよね。聴こえなくなったので、もう仕事はできないと判断したようだ。

僕にもいつかきっとそんな日が来る。

2017/07/22

キューバの愛の歌をあなたに

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『キューバ恋歌集』(Cansiones de Amor desde Cuba)…、と、こうスペイン語題を付記したものの、これは日本盤しかない CD で、西村秀人さんと竹村淳さんの選曲・編纂でテイクオフから1997年に発売されたもの。しかし僕は今年になるまでこのアルバムの存在を知らなかった。知ったのは今年二月ごろの『ラティーナ』誌にディスク・レビューが載ったからで、それによればオフィス・サンビーニャからの配給だった。

それでオフィス・サンビーニャの公式サイトでこれを買った僕。メール・アプリに残る購入履歴では、今2017年2月21日に商品が発送されたとなっている。だから22日か23日あたりに僕んちに届いて聴いたんだよね、『キューバ恋歌集』。いま僕の手許にあるそれも、ジャケット裏に「1997」と記載があるのだが、それをどうして今年二月にオフォス・サンビーニャが売ったのかは分らない僕。でもそんなことはどうでもいいよね。だって、キューバのラヴ・ソング集、それも失恋関係は一切なく、対象への求愛や告白や褒め称えたりするものばかりが21曲どんどん流れてくるから、いまの僕の気分にはピッタリすぎるほどピッタリ。

キューバン・ソングでそんなような恋愛歌というなら、たいていボレーロとかフィーリンだろうとお考えのみなさん、当たりです。『キューバ恋歌集』の収録21曲は、すべてボレーロかフィーリン。それだけ。ゆったりとしたテンポで甘く優しくスウィートに愛を歌っているものだけが選曲されているのだ。こ〜りゃいいね。二月に買ってなんどか聴いたときは、うんイイネと思っていただけだが、もういまはこういう音楽アルバムこそが、僕にはこれ以上なく嬉しくて楽しめて、しかもここ最近の僕の気分をそのまま代弁してくれているじゃないかとなってしまうのだ。

実際、『キューバ恋歌集』附属ブックレットでは、最初の見開きに曲目と歌手一覧が書いてあるが、それをめくると白紙のページがあって「from 〜〜〜」、改行して「to 〜〜〜」とあり、その下に罫線が引いてあり。だからこれは誰か好きな相手にメッセージを添えて送る、それで愛を告げる、そういうための CD アルバムなのかもしれない。ブックレット本文には竹村淳さんの詳しい解説文に続き、収録全曲のスペイン語原詞と日本語訳詞も掲載されれている。だから、このテイクオフ盤『キューバ恋歌集』は、想いを寄せる異性への愛のプレゼント品として活用されることを想定してあるな、きっと。

いまの僕には、そんなことをしたい、『キューバ恋歌集』を、そのブックレットに相手のお名前と僕の名前を書いてメッセージを添え、CD を送りたい女性がいるんだけど、僕自身この CD を手放したくないので、もし贈るならもう一つ買わなくちゃいけないよなあ。買っちゃおうかなあ。僕が今年二月に買おうとしたときにはアマゾンで品切れだったのでオフォス・サンビーニャ通販で買ったのだが、いま見たらアマゾンでも復活している。どうしよう?

な〜んて、僕の個人的な事情はみなさんにとってどうでもいいことだから、アルバム『キューバ恋歌集』の中身の音楽の話をしておかないとね。書いたように収録の全21曲がボレーロかフィーリンなんだけど、ホントこの手のラヴ・ソングをやらせたら、ボレーロやフィーリンのキューバの歌手、演奏家たちほどうまい音楽家は、世界中探してもいないんじゃないだろうか。もしこれがスペイン語ではなく英語の歌だったりしたら、全世界でもっともっと人気があると僕は思う。しかしそうならない、ちょっとひそやかな世界であることも、いまの僕にとってはいい感じに映る。

『キューバ恋歌集』のなかにはかなりの有名曲もある。5曲目の「君こそわが栄光」(La Gloria Eres Tu)、8曲目の「シボネイ」(Siboney)あたりは誰でも知っているスーパー・スタンダードだよね。

ほかにも、4曲目の「コモ・フエ」(Como Fue)、6曲目の「黒い涙」(Lagrimas Negras)、11曲目の「二輪のクチナシ」(Dos Gardenias)、12曲目の「人生は夢まぼろし」(La Vida Es Un Sueño)、14曲目の「あなたが私を愛してくれたら」(Si Me Pudieras Querer)、18曲目の「しおれたバラ」(La Rosa Mustia)。これらも人気・知名度があるはずだ。僕が知っているくらいなんだから、キューバ〜ラテン歌謡ファンの方なら当然ご存知のはず。

歌ったり演奏したりしているのも有名人が多い。ベニー・モレー(「コモ・フエ」)、オルケスタ・アラゴーン(君こそわが栄光」)、セサル・ポルティージョ(「遠く離れていても一緒」)、ロベルト・ファス(「あなたが私を愛してくれたら」)、オマーラ・ポルトゥオンド(「あなたが必要」)、ホセ・アントニオ・メンデス(「私の恋人」)、アンヘル・ディアス(「しおれたバラ」)、ミゲリート・クニー(「恋人よ、また明日」)。

歌詞の中身の話をあまり詳しく書いてもちょっとなあ…、という気分なのと、もしかりにそんなことをしたら僕の気分がどんどん高揚してしまい、いろんな意味でヤバいことになってしまう(^^;;)ので、やめておこう。こうやって曲題を書いているだけでちょっぴり妙な気分なんだからさぁ〜。やはりサウンドやリズムのことを、このあと本当にほんの少しだけ書いておく。

アルバム『キューバ恋歌集』には、ヴォーカル抜きのインストルメンタル演奏が二つある。トップとラスト。1曲目エルネスト・レクオーナの「いつも私の心に」をやるコンフント・パルマス・イ・カーニャと、21曲目「どんな結末にも」をやるコンフント・ペドロ・フスティス。前者はレキント・ギターをかき鳴らす音に続きクラリネットが主旋律を吹き、その背後はボンゴのみ。と思っているとパッとリズム・パターンが変わりレキント・ギター(たぶん二台)が前面に出る。そして再びクラリネット。クラリネットが吹くあいだは官能的で甘いムードだが、レキント・ギター部分ではちょっぴり快活。

21曲目「どんな結末にも」はほぼアクースティック・ピアノ独奏に近い。伴奏はボンゴのみというかなりシンプルな編成で、ロマンティックなメロディをひたすらスウィートに演奏してくれる。これらインストルメンタルがアルバムのオープニングとクロージングになっているのは、間違いなく竹村淳さんの意図だ。前置きと余韻みたいなもんだよなあ。前置きとはすなわちアレで、余韻とはすなわちアレ。

本番(?)のヴォーカル・ナンバーが続く2〜20曲目でのサウンドとリズムは、どの曲もよく似通っている。これも間違いなく選曲意図が感じられる。愛の歌をひたすら甘く官能的に優しくムーディに歌うのを、そのまんま同じスタイルの伴奏サウンドとリズムで支えているものを、あえて続けてどんどん並べているんだよね。でもリズム、というかビート感はやはりラテン・ミュージックらしく強靭さがある。まあそれが感じられないとね、どんな音楽も。

アルバム中、八曲目の、これまたエルネスト・レクオーナ作の「シボネイ」だけ、ガクンと録音が古い。前後とのギャップがあまりにも明白だ。1947年結成のトリオ・タイクーバによる演唱だが、40年代末か50年代初頭か、そのあたりの録音じゃないかなあ(それにしては古い音だが?)。録音年の記載は全曲ないので分らないのが残念。

10曲目「遠く離れていても一緒」は、作者であるフィーリンの音楽家セサル・ポルティージョ本人によるアクースティック・ギター弾き語り。ギターもヴォーカルも素晴らしいが、ギター一台だけでの弾き語りで、こんな「遠く離れていても君は僕と一緒」(contigo en la distancia / amada mia estoy)なんて歌詞、ヤバいだろう?こんなふうに弾き語りできたらなあ…。

自作自演といえば17曲目の「私の恋人」。作者であるホセ・アントニオ・メンデス自身が歌うのだが、これは残念ながらギター弾き語りではなく、ピアノ(兼オルガン奏者)を中心とするコンフントによるものだ。ホセのちょっと鼻にかかったハスキー・ヴォイスがとってもセクシーでいいね。ホセ(ギターは弾いていないみたい)と鍵盤以外にはボンゴだけなんじゃないかなあ。

16曲目、これもホセ・アントニオ・メンデス作「あなたが必要」を歌うオマーラ・ポルトゥオンドの伴奏もアクースティク・ギター一台だけ。弾いているのはオマーラじゃないだろうが、かなりロマンティックな弾き方で、これもいいなあ。アルバム中この曲の録音が一番新しそうだ。かなり最近の音に聴こえる。オマーラの歌い方は、特に「あなたが足りない」(me faltabas tu)という最終盤でかなりグッと迫る節回しだ。

その他、まあキリがないのでやめておくが、管楽器が大きめの音で鳴っているオーケストラ・スタイルでの伴奏も複数あったりするが、だいたい基本的にはシンプルな少人数編成での伴奏が多い。しっとり、じっくり、ゆっくりと情感を込めてのサウンドとリズムで、テンポも落ち着いて緩く、そんな伴奏の上で歌手たちが愛を告白したり、語り合って愛し合ったりしているんだよね。

だからこの『キューバ恋愛歌』の全72分は、僕だけのたった独り暮らしの部屋のなかで、どなたか女性のことを夢想しながら聴いてもかなりいい気分だが、もしかりに一緒に聴けたりなんかしたら、最高の雰囲気になるんじゃないだろうか?

2017/07/21

僕のオススメ 〜 マイルズの必聴曲10選

この手のことを書こうとすると、マイルズ・デイヴィスについてふだん書いている内容のリピートになるだけで、だからいつも僕の文章をお読みのみなさんには目新しい内容がぜんぜんないものに仕上がるはず。マイルズでなにがオススメかなんて、どんどんいつも書いているもんなあ。でも「10曲」まとめて並べるというのは僕はまだやっていないので、まあその点でだけちょっとは読んでもらえる部分があるかも。

こういうことを書いてみようと思い立ったのは、英紙『ザ・ガーディアン』の電子版が、今2017年4月付で以下のような記事を掲載していたからだ。題して「マイルズ・デイヴィスのベスト10曲」。三ヶ月ほど前のものになるのでいまさらだけど、マスコミが出すマイルズ関係のこの手のものに対し、なにかちょっと言わないと気が済まない性分な僕なもんで。申し訳ない。
でもこの『ザ・ガーディアン』紙のマイルズ・ベスト10曲は、かなりよくできた内容じゃないかと僕は思う。マイルズ専門家やジャズ専門家が同じことをやっても、だいたい似たようなものができあがりそうだ。なぜならば、この『ザ・ガーディアン』紙の選出基準もまた、時代を形作ってきた先進的音楽家としてマイルズを捉えて、その基準で10曲選んでいるからだ。専門家だってみんなそういう視点でマイルズを見ているもんね。だからそう違ったものにはならないはず。

しかしはっきり言うが、リンクを貼った記事をお読みになれば分るように「マイルズは音楽の流れをなんども変えた」とか、ま〜たまたこれかよ…、って、もうウンザリなんだよね。少なくとも僕はそう。マイルズだけじゃなく、音楽をそんな視点でしか捉えないなんて不幸じゃない?だからいつもみんなからそうとしか捉えてもらえないマイルズはすごく可哀想だと僕は思うんだよね。音楽の楽しみ・本質って、そういう部分には「ない」。絶対に。

だから僕もちょっと10曲選んでみよう。それでちょっと違ったマイルズ・ベスト10曲を書いておく。たぶん半分程度は『ザ・ガーディアン』紙の記事のチョイスそのままで、残り半分程度が入れ替わるはず。マイルズであれ誰であれ、いまの僕が音楽のオススメを選ぶ基準は、先進性、斬新さなどではなく、聴いて楽しいか、美しく感じられるか、リラックスできてくつろげて部屋のなかがいい雰囲気になるかどうか 〜 こういうことだ。新しい時代を招いたかどうかだけで、それで楽しさや美しさを犠牲にするなんてありえないだろう? 

以下、僕の選んだマイルズのオススメ・ベスト10曲。録音年順に。括弧内が収録アルバムで、その右が録音年。


1. Dr. Jackle (All-Star Sextet/Quintet With Milt Jackson)- 1955

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 またま〜たこれか!お前、いつもこればっかり推薦してんな!って言われそう。でも本当にいいもんねえ、このブルーズは。いいのはボスじゃなくミルト・ジャクスンのヴァイブラフォンだけどね。この曲、このアルバムがマイルズの推薦品になったことがないっていう事実が、いかにみんなしっかり「音を聴いていない」かという確固たる証拠だよ。マジで楽しいぜ。みんな、楽しいの、嫌なのか?
2. In Your Own Sweet Way (Collector's Items) - 1956

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 デイヴ・ブルベックの書いたこのプリティなバラードをマイルズは二回録音している。どちらも1956年。有名なのはファースト・レギュラー・クインテットでやった『ワーキン』収録ヴァージョンだけど、僕にはこの、ソニー・ロリンズやトミー・フラナガランらと共演したものの方が美しくチャーミングに聴こえる。
3. Solea (Sketches Of Spain) - 1960

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 ギル・エヴァンスとのコラボでやったものから、『ザ・ガーディアン』紙の記事は「アランフェス協奏曲」(『スケッチズ・オヴ・スペイン』)を選んでいるが、う〜ん、どうもあれはちょっとなあ。『マイルズ・アヘッド』から僕はできれば選びたかったが、あのアルバム、A面B面がそれぞれ「一つ」のメドレーみたいにつながっている(録音後の編集で)。一曲単位では抜きにくいんだよね。だから「アルバム」の10選には『マイルズ・アヘッド』を入れた僕だけど、「曲」単位では、同じ『スケッチズ・オヴ・スペイン』から、アルバム・ラストの「ソレア」を。マイルズの大好きだったスパニッシュ・スケール・ナンバーを一つ入れたかったというのもある。この曲のトランペット・ソロは絶品だ。

4. My Funny Valentine (My Funny Valentine) - 1964

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 1960年代中期のハービー・ハンコック&ロン・カーター&トニー・ウィリアムズ時代のライヴからこれを。『'フォー’&モア』の「ソー・ワット」でもいい。どちらも問題ない推薦品なんだけど、アクースティク時代のマイルズによるバラード吹奏最高傑作じゃないかと僕は(たぶんみなさんも)考えている、この「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を。リズム・アレンジも面白いが、(この YouTube 音源だと)6:29〜6:33 のハイ・ノート・ヒットに続き、そこから 下る 6:39 までが極上のカタルシス。
5. Frelon Brun (Filles De Kilimanjaro) - 1968

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 現在、僕が個人的にどハマり中の『キリマンジャロの娘』から、かなり面白いオープニングのこれを。こんなカッコいいクウェラ・ジャズ、なかなか聴けないよね。マイルズもこれ(と同アルバム四曲目の「キリマンジャロの娘」)しか、こんなアフリカン・ジャズはやっていない。この1968年前後のマイルズにいったいなにがあったのか?というのが、僕が目下探求中のテーマ。
6. In A Silent Way / It's About That Time (In A Silent Way) -1969

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 これはぜひ一曲(ワン・トラック)扱いでお願い。そうじゃないと11曲になってしまう。1968年末から共演をはじめるジョー・ザヴィヌルとマイルズの関係は、いままで僕もしばしば書いてきた。この二名共演のベスト・トラックがこれじゃないだろうか?だろうか?っていうより、僕のなかではこの評価はおそらく永遠に揺るがない。
7. Miles Runs The Voodoo Down (Bitches Brew) - 1969

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 同じ1969年録音から二つ選ぶのもどうかとは思ったが、上の六つ目とはグルーヴが違っているので許して。左チャンネルで叩くドン・アライアスのドラミングは、まるでニュー・オーリンズのミーターズのジガブー・モデリステみたい。グルーヴのタイプ、フィーリングも「なんちゃら・ストラット」みたい。あ、ニュー・オーリンズの音楽に似ているって、マイルズのこれはヴードゥーと曲名にあるじゃないか…。いま初めてこの意味のニュアンスに気が付いたような気がするぞ(^^;;。
8. Right Off (A Tribute To Jack Johnson) - 1970

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 ロックなマイルズ。ジョン・マクラフリンのギターもビリー・コバムのドラムスも完璧なロック・マナー。でもエレベのマイケル・ヘンダスンの弾き方は、やっぱりリズム&ブルーズ/ファンク系だ。少なくともブラック・ミュージックのものだよね。フロントで吹くマイルズのオープン・ホーンも絶好調。この1969/70年あたりは、64年ごろと並び、マイルズのオープン・ホーン・トーンが最もブリリアントだった時代の一つ。いやあ、カッチョエエ〜。
9. Prelude (Agharta)- 1975

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 やっぱり1973〜75年のツイン・ギター・バンドのライヴから一つ選んでおこう。僕の一番好きな1975年2月1日大阪公演盤の一つ『アガルタ』一枚目のトップ・トラック。ピート・コージーの一回目のギター・ソロが終わって、しばらくしてボスのオルガン・インタールードをはさみ、その後テーマ・モチーフみたいなものを二管で吹く前までの18:08〜21:58 までの展開は、なんど聴いてもいまだにシビレる。マイルズの全録音中、この約三分間こそが僕はいちばん好きだ。なんど聴いてもいまだに「いちばん」好き。この音楽家の全生涯で「いちばん」。
10. The Doo Bop Song (Doo-Bop) - 1991

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 1981年復帰後のものを一つ入れたかったというよりも(『ザ・ガーディアン』紙の記事は75年一時隠遁までからしか選んでいないね)、これを選んだ理由は、ヴォーカルものを一個だけは入れておきたかったということ。ジャズでもなんでも人声の歌が聴こえた方が楽しんじゃない?いまの僕はそういう気分なんだけどね。でもマイルズでヴォーカルものというと、あまりパッとしたものがないんだよね。イージー・モー・ビーと共演したこの「ザ・ドゥー・バップ・ソング」も、人によっては面白くないかもしれないが、僕はけっこう好きだよ。

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