2016/08/28

カンザス・シティはブルーズ・タウン

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ジャズに入れるべきかブルーズに入れるべきかよく分らない、区別できないという音楽が戦前のアメリカにはたくさんある。両者が分離していないからだ。これはちょうど1970年代にジャズなのかファンクなのか分らないような音楽がたくさんあるのと似ている。似ているというか本質的には同じような事態だ。

戦前におけるそんなジャズとブルーズが未分化だった代表例の一つが1920年代のクラシック・ブルーズだけど、1930〜40年代のカンザス・シティ・ジャズもそうだ。ジャズというかブルーズというか、どう言ったらいいのかちょっと分らない。世間一般的にはジャズとして認識されているだろうけれど。

ミズーリ州カンザス・シティの戦前音楽は「KCジャズ」という愛称もあるくらい昔からジャズ・ファンの間では親しまれてきたもの。しかしカンザスのジャズ・バンド(とされているもの)がやる音楽は実質的にはブルーズとなんら違いがない。そんなジャズ〜ブルーズ・バンドがカンザスにはたくさんある。

一般的にカンザスのジャズ(ブルーズ)・シーンが賑わっていたのは1939年までとされている。なぜならかのトム・ペンダーガストが脱税の罪で有罪になって刑務所に入ったのがその年だからだ。トム・ペンダーガストはカンザスの大衆音楽シーンに興味のある人間はみんな知っている有名な悪徳政治家。

ペンダーガストがカンザスで実権を握ったのは1925年らしい。しかし彼の影響力が大きくなるのは1930年代に入ってからか、20年代でも末頃のことじゃないかなあ。当時のアメリカには禁酒法があって(1920〜33)合法的なアルコールの売買が禁止されていたのだが、カンザスでだけはちょっと様子が違った。

民主党の政治家ペンダーガストが実権を握っていた時期のカンザスでは、違法営業ではあるものの彼の庇護下で禁酒法を有名無実化してナイトクラブなどでおおっぴらに酒が飲めた。これはアメリカにおいて「マシーン」(machine)と呼ばれる利権政治のため。業界から賄賂をもらい利益誘導した。

音楽にはあまり関係ないかもしれないが、アメリカにおいてマシーンと呼ばれる利益誘導型の集票組織は、当然日本にもある。例えば自由民主党は都市圏周辺地域や農村部で農協や公共事業を通じたマシーンを有することは、「マシーン」という言葉は使われないものの、その事実はよく知られているはずだ。

マシーンには通常ボスがいて、1925〜39年のカンザスにおけるそれがペンダーガスト。ペンダーガストの名前を知らなくても、第33代大統領ハリー・S・トルーマンはみなさんご存知だろう。ペンダーガストとそのマシーンはトルーマンが政界を駆上がるきっかけとなったのだった。

そんな政治の話はおくとしても、1925〜39年にペンダーガストがカンザス市制を牛耳っていた時代には腐敗政治がはびこって、そのせいで前述の通り当時の禁酒法をあってなきものとして、ナイトクラブなどで堂々と酒が飲めた。ってことは通常そういう場所で演奏される音楽も賑わっていたというわけだ。

以前もキューバの大衆音楽が魅力的だったのは1959年に完遂したキューバ革命によって民主化される以前の時代だと書いたけれど、キューバといい、今日の話の本題であるカンザス・シティといいその他の国・地域といい、政治と音楽の関係はなんだかちょっとねじれていて複雑な気分だよなあ。

そんなことが戦前のカンザスでジャズ(ブルーズ)・バンドが隆盛を極めた最大の理由とされる。実際ナイト・クラブなどでの演奏家の需要が多かったので各地からジャズ・バンドが集って、そうでなくたって大陸横断楽旅の際の経由地だという地理的な理由もあって、いろんなバンドがカンザスで演奏したようだ。

そんなに賑わっていたカンザスの大衆音楽シーンも、前述の通りペンダーガストが逮捕された1939年までだというのが定説になっている。各種文献にそう書いてあり、僕も大学生の頃からいろいろと読んできた。カンザスの代表的バンド、カウント・ベイシー楽団も37年にニューヨークに進出したしなあ。

ジャズとブルーズが不可分一体のそんな1930年代末まででカンザス大衆音楽シーンは終焉したということになっている。がしかし実は全然そんなことはない。1940年代に入ってからもカンザスのジャズ〜ブルーズ系の音楽家が実にたくさん録音していて、その音楽的内容も優れているものがいろいろとある。

ジャズとブルーズの一体化の様子を知るためといい、1939年以後のカンザス大衆音楽シーンの賑やかさを知るためといい、それがよく分るのがCD三枚組コンピレイション『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』。1997年リリースのキャピトル盤。ジョー・サーディエロ(Ciardiello)がイラストを描いた例のシリーズの一つ。

あのサーディエロがアルバムのジャケットやインナーのイラストを描いたおかけで一貫性のある外観になっているキャピトル盤シリーズは、いったいいくつあるだろう?ジャズ〜ジャンプ〜ブルーズ系コンピが1990年代後半に実にたくさん出ていたなあ。T・ボーン・ウォーカーとかもあったよなあ。

そんなシリーズの一つ『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』に収録されている全73曲は、当然全てカンザスのジャズ〜ブルーズ音楽家ばかり。録音場所も二つのセッションを除き全てカンザスで行われているし、録音時期もタイトル通り1944〜49年ばかり。これがかなり面白いのだ。

『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』に一番たくさん収録されているのはジェイ・マクシャンだ。ジェイ・マクシャンについて解説しておく必要はないと思うけれど、ジャズ・ファンはひょっとしてチャーリー・パーカーを輩出した楽団を率いたリーダーでピアニストといった程度の認識なのかなあ?

そんなのは付随的なことであって、ジェイ・マクシャンは偉大なブルーズマンなのだ。いや、ブルーズマンとだけ言切ってしまうのも問題だ。ブルーズとジャズとR&Bの三つの中間あたりで活動した音楽家で、カンザスで自身のバンドを立ち上げたのが1936年で、2006年に同地で亡くなっている。

マクシャンの功績をどんどん書いているとキリがないので、今日は『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』に収録されているものだけに限定するけれど、それらは全てビッグ・バンド録音ではなくコンボ編成でのものだ。インストルメンタル演奏もあるけれど、多くがブルーズ歌手をフィーチャーした録音。

一枚目の16曲目までは全てマクシャン名義(バンド名とパーソネルがちょっとずつ異なっている)での録音で、一曲目の「モーテン・スウィング」は七人編成でのインストルメンタル演奏。もちろんあのカンザス大衆音楽シーンのパイオニア、ベニー・モーテンのオリジナルであるカンザス賛歌みたいな曲。

「モーテン・スウィング」はモーテン楽団の1932年録音を皮切に、これをやっていないカンザスのバンドはなかったんじゃないかと思うくらいだよね。当然ベイシー楽団も録音。カンザスだけでなくベニー・グッドマン楽団や、(「モーテン・ストンプ」という曲名で)フレッチャー・ヘンダースン楽団もやっている。

そんなカンザス大衆音楽アンセムみたいな「モーテン・スウィング」をジェイ・マクシャンのセプテットがやった1944年録音をトップに持ってくるという『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』のコンパイラー、ビリー・ヴェラの意図は鮮明だ。つまりカンザスのジャズ〜ブルーズ万歳ってわけなんだよね。

二曲目と三曲目はその同じマクシャン・セプテットに女性ブルーズ歌手ジュリア・リーが加わってヴォーカルをとっている。このカンザスを舞台に活動した歌手のスタイルは1920年代のクラシック・ブルーズのそれに近いというかほぼ同じ。実際彼女はベシー・スミスの同時代人で活動時期もほぼ一緒。

ジュリア・リーの1944年録音というのは、だから彼女にしては遅いものだけど、同年に彼女はキャピトルと契約しブルーズ〜R&Bをたくさん歌っている。そんな彼女の持味はマクシャン楽団でのものより、『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』にもたくさん入っている彼女名義のものの方が分りやすい。

『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』に収録されているジュリア・リーのリーダー名義録音は全七曲。全て彼女自身がピアノも弾きながら歌う五人編成。その七曲のなかで一番有名なのは『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』一枚目18曲目の「マイ・マン・スタンズ・アウト」だね。

ジュリア・リーが1944〜49年にキャピトルにレコーディングしたもののなかには「スナッチ・アンド・グラブ・イット」とか「キング・サイズ・パパ」とかの大ヒット・ナンバーがあるんだけど、それが『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』に一切収録されていないのは、その必要もないということだろう。

そのジュリア・リーの全七曲録音でテナー・サックスを吹くのがトミー・ダグラス。この人はまた自分自身名義のバンドで1940年代後半キャピトルにレコーディングしているので、『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』にも10曲収録されている。いわゆるホンカー・スタイルのサックス奏者だ。

カンザス・シティはまたサックス・タウンでもあったわけだけど、そのなかでも1930年代末からのトミー・ダグラスは最も活躍した一人だった。『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』収録曲ではアルトやテナーやバリトン・サックスほか、クラリネットも吹いていたり、またヴォーカルも取る。

特にブルーズ寄りのホンカー系サックスに興味のないチャーリー・パーカー・ファンだって、トミー・ダグラスの名前は見たことがあるだろう、なぜならばロス・ラッセルのパーカー伝記本『バードは生きている』のなかにも出てくる人物だからだ。ダグラスは1936年に10代のパーカーを雇っていたんだよね。

トミー・ダグラスのバンドに若き日のパーカーがいたなんてことはかなり調べないと出てこない事実で、同じカンザスのジェイ・マクシャン楽団でのものがパーカーのデビューのように言われる。確かにパーカーの初録音はマクシャン楽団でのものだけど、その前にパーカーはダグラスにサックスを教わっているのだ。録音はない。

パーカーはいいとして、『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』で大きくフィーチャーされているもう一人がウォルター・ブラウン。カンザスにおける最も代表的なブルーズ・シンガーで、やはりジェイ・マクシャン楽団での「コンフェッシン・ザ・ブルーズ」などが一番有名だろうなあ。

ジェイ・マクシャン楽団でのウォルター・ブラウンの後任がジミー・ウィザースプーンで、後者がカンザスに多いいわゆるシャウター・スタイルであるのに対し、前者はもっと繊細な「シンギング」・スタイルとでもいうような歌手だった。『カンザス・シティ・ブルーズ 1944-49』には12曲も入っている。

ウォルター・ブラウンや(その後任のジミー・ウィザースプーンや)その他大勢のカンザスのミュージシャンを雇っていた大ボス、ジェイ・マクシャンの言葉がこれだ→「チャーリー・パーカーは全然ビバッパーなんかじゃないんだ。単にこの世で最も優れたブルーズ・ミュージシャンだっただけなんだ」。

2016/08/27

ひょっとしてティナリウェンを超えた?

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いわゆる砂漠のブルーズの典型的なサウンドを出す新人バンド、イマルハンのデビュー・アルバム『イマルハン』。僕は今年2016年5月に知って買って聴いて以来の大ファンで、ヘヴィー・ローテイション・アルバム。こりゃひょっとしたらティナリウェンより好きかもしれないなあ、このバンド。

アルバムのジャケ写もそうなら、出てくるサウンドも非常にティピカルな砂漠のブルーズであるイマルハン。デビュー・アルバム『イマルハン』について知りたいと思うと、英語ではオフィシャル・ホーム・ページがあったり(http://www.imarhan.com)、その他いくつか記事がある。

しかし日本語で書かれてある文章はネット上にまだ二つしか出てこない。そのうち一つがやっぱり荻原和也さんのブログ記事(http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-05-16)だ。もう一つは非常に短いシンプルな紹介程度のもの(http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/11498)でしかなく参考にならない。

荻原さんのブログ記事が今年五月、もう一つが七月という日付になっている。僕が買った『イマルハン』の附属ブックレット末尾には英語で “January 2016” と記載があるので、それが海外(ってどこの国でのリリースがオリジナルか知らないけれども)でリリースされた日付なんだろう。

ってことはこのイマルハンというバンドは日本で話題にする人がまだかなり少ないんだろうなあ。最高にカッコイイのに。それで荻原さんの前掲記事だけで充分だと思いはするものの、僕もなにかちょっと書いておこうと思い立ったという次第。砂漠のブルーズ(という言葉は荻原さんは全く使わない)が好きな人なら間違いなく好きになる。

イマルハンのサウンドはティナリウェンに非常によく似ている。ドラマーはおらず、打楽器系はシンプルなパーカッションか手拍子だけ。あるいはなにも入っていないかだ。それで複数のギターのサウンドとベースを中心に組立てられていて、その上にヴォーカルのコール&リスポンスが乗っているというもの。

そんでもってヴォーカルの歌詞の響き(意味はサッパリ分らない、音だけ)がティナリウェンのそれにソックリだから、ってことはイマルハンのリード・ヴォーカリスト、サダムもタマシェク語(トゥアレグ語の一つ)で歌っているってことだろうか?そのあたり、お分りの方に教えていただきたいと思います。

附属ブックレットには全部アルファベット表記で歌詞が記載されてあるものの、それを見ても僕には暗号でしかないもんなあ。タマシェク語で歌っているのかどうかってことは、砂漠のブルーズの場合とても重要だと思うので知りたいわけだ。ティナリウェンでもそうだけど、あの独特の言葉の響きがね。

イマルハンのヴォーカリスト、サダムの歌い方は、なんだかちょっとうつむいてボソボソつぶやくような感じのもの。それが独自のグルーヴ感を生み出している。そのグルーヴ感はティナリウェンのヴォーカリスト、イブラヒムの出すそれに非常に近い。音の響きも同じだから、何語なのか知りたいんだよね。

複数のギターはエレキとアクースティックを一曲ごとに使い分けている。このあたりもティナリウェンに似ている。もっとも僕がティナリウェンにハマったのは、間違いなく複数のエレキ・ギターの絡み合いで創り出すあのカラフルなサウンドでだった。だからアクースティック・サウンドはイマイチなのだ。

ティナリウェンのアルバムを聴いても、最初の頃からアクースティック・ギターも使っているし、その後も継続的に同じだけど、ちょっと飛ばして聴くこともあったくらいだもんなあ。そういうわけだから2011年の『タッシリ』は、中身の素晴しさには共感するものの、個人的な好みだけならそうでもないんだよなあ。

『イマルハン』の場合、一曲目がいきなりアクースティック・ギターのサウンドだから、最初に聴いた時は「大丈夫かな、これ?」と心配しちゃったくらい。それくらい「砂漠のブルーズ=エレキ・ギター」のイメージが僕には強い。でもその一曲目のヘヴィーに沈み込むグルーヴ感はなかなかいい。

そう思っていると二曲目でエレキ・ギターがカラフルに絡み合ってグルーヴしはじめるので、こりゃいいね!ってなったのだ。打楽器(正確になにを叩いているのかは分らない、ブックレットにも「パーカッション」としか記載がない)の音も強く聞え、サダムのヴォーカルと女声のヨヨョ〜っていう例のやつ。

その二曲目のグルーヴ感で、一聴、これは凄いバンドだ!と直感したのだった。ティナリウェンによく似ているけれども、ティナリウェンにはない一種の軽みがある。ちょっぴりアメリカ産のファンクっぽいノリも感じる。ドラマーがいないので、アメリカ産ファンクのリスナーにはやっぱりイマイチだろうけどね。

そんなイマルハンのファンク・グルーヴ、言ってみれば砂漠のブルーズじゃなくて砂漠のファンクだとでも呼びたくなるような、彼らにしかない独特のノリが一番はっきり分るのがアルバム六曲目。これは曲名がバンド名と同じなので、代表曲ってことなんだろう。
どうだろう?これ、最高に素晴しいじゃないか。僕は一回目に『イマルハン』CDを聴いていて、この六曲目に来た時には「こりゃ、ティナリウェンを超えたバンドが出現したぞ!」と思ってしまったくらいだ。あとになって冷静に聴き返し考え直すと、ティナリウェンより上ってのはオカシイね。

でも六曲目のこの「イマルハン」は、アルバムのなかでも群を抜いて異常に素晴しい。これ一曲だけのためにこのCDを買っても損はしないと断言したい。それくらいカッコイイぞ。しかもお聴きになればお分りの通り、この曲ではカルカベが使われている。マグレブ音楽では恒例のあの金属製カスタネット。僕はカルカベが好きすぎて現物をネット通販で買って持っているくらいなのだ。

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以前ティナリウェンについて書いた際、彼らに一曲だけカルカベが入る曲があると指摘した(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-b8ea.html)。リンクを貼ったこの記事にその「タマタント・ティレイ」の音源も貼ってあるので、ご存知ない方はちょっと聴いてみてほしい。グルーヴィーでカッコイイんだ。

そんでもって上で貼った「イマルハン」という曲でカルカベが入っているのと聴き比べてほしい。非常によく似ているよね。音の創り方が瓜二つだ。僕はこんなノリの砂漠のブルーズをもう一曲知っている。それはタミクレストのアルバム『シャトマ』の五曲目「Djanegh Etoumast」だ。
曲のグルーヴ感とかノリが前掲イマルハンの一曲とティナリウェンの一曲に非常に近いと僕は思うんだよね。もちろんこういうのはいわゆる砂漠のブルーズというもの全般に共通するようなものではあるんだけどさ。でもここまでグルーヴィーなものは少ないよね。

ただしタミクレストのこれでは、お聴きになればお分りの通りドラム・セットの音が聞える。ドラマーがそれで強いビート感を出してはいる。イマルハンとティナリウェンにそれはないという違いはある。砂漠のブルーズでドラマーが部分的にでも入っているというのはちょっと珍しいんじゃないだろうか。

いわゆる砂漠のブルーズのなかではティナリウェンこそがトップ・ランナーだというのはほぼ全員に共通する認識なんだろう。そんでもってひょっとしたら二番手がタミクレストになるという位置づけなのかもしれない。僕はタミクレストをそこまでは評価していない。好きなバンドではあるんだけど。

っていうかいわゆる砂漠のブルーズのなかではティナリウェンが唯一無二の存在で、それに次ぐバンドは一つもないんだというのが僕の正直な気持。今年一月に買って聴いた新作『ライヴ・イン・パリ』を聴いたら、一層その思いが強くなった。それと比較したらたとえどんなバンドであっても・・・。

タミクレストの評価をあまり高くしないというのはそういう意味であって、決してこのバンドを低く見ているということではない。だからいろんな方がおっしゃるようにタミクレストが二位でいいんだろう。しかしながらイマルハンのデビュー・アルバムを繰返し聴くうちに、ちょっと認識が変ってきたのだ。

僕にとってはイマルハンがティナリウェンに次ぐ砂漠のブルーズ二番手になったのだ。少なくとも好みだけならそうなる。ティナリウェンやタミクレストでしっかり聴けるディープなフィーリング、ブルージーなものはまだやや薄いイマルハンなんだけど、これがデビュー作だと思うと末恐ろしいね。

なお『イマルハン』附属ブックレットの最後のページを見ると、二人いるプロデューサーのうち一名はティナリウェンのベーシスト、エヤドゥだ。ティナリウェンのサウンドに似ているのはそのせいもあるんだろう。荻原さんの前掲ブログ記事によれば、エヤドゥとイマルハンのリーダー、サダムは従兄弟関係だそうだ。オフィシャル・サイトにもそう(英語で)書いてある。道理でね。

2016/08/26

マイルスのヴォーカルもの

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マイルス・デイヴィスという音楽家はヴォーカルものとは縁の薄い人だと思われているかもしれない。確かにマイルスのリーダー・アルバムでヴォーカルが入るものはかなり少ない。1975年一時隠遁前には、1949/50年録音の初リーダー作『クールの誕生』以後約30年間でたったの二曲しかない(リーダー作じゃなければマイルスの参加は1950年だった『サラ・ヴォーン・イン・ハイ・ファイ』が一番多いが)。

たったの二曲のうちの一つがその『クールの誕生』に入っている「ダーン・ザット・ドリーム」だ。1950年3月録音でアレンジはジェリー・マリガン、歌うのはケニー・ハーグッド。昔の日本盤アナログLPではB面ラストだった。昔はどうして一曲だけこんなのが入っているんだろうと不思議だった。

ケニー・ハーグッドは、このマイルス九重奏団による1949/50年のキャピトルへのレコーディングの前に同楽団が48年にロイヤル・ルーストに出演した際にも帯同していて、現在二曲録音が残っている。キャピトルが1998年にリリースした『ザ・コンプリート・バース・オヴ・ザ・クール』で聴ける。

そのうち一曲はやはり「ダーン・ザット・ドリーム」で、ハーグッドの歌い廻しがかすかに違うかなという部分もあるが、ホーン・セクションなど全体のアレンジはスタジオ録音ヴァージョンと全く同じ。その他のインストルメンタル・ナンバーも全てそうで、そもそもスタジオ録音はライヴでのアレンジをコンパクトに再現しただけ。

1948年のロイヤル・ルーストにおけるマイルス九重奏団でケニー・ハーグッドが歌うもう一曲は「ワイ・ドゥー・アイ・ラヴ・ユー?」で、これはスタジオ録音がない。これのアレンジはジョン・ルイスとの記載。前述CDアルバムではなぜかこの曲でだけSP盤を再生しているかのような針音が聞える。

しかしこの「ワイ・ドゥー・アイ・ラヴ・ユー?」は僕も長年知らなかったので、最初に書いた「二曲だけ」のなかには入れていない。さて、「ダーン・ザット・ドリーム」の他のもう一曲とは、1967年リリースの『ソーサラー』にある「ナッシング・ライク・ユー」。これはもんのすごく評判が悪いよね。

『ソーサラー』は1967年録音なのに、アルバム・ラストの「ナッシング・ライク・ユー」だけが62年録音で、しかもボブ・ドローの歌が入り、ギル・エヴァンスのアレンジによる三管ホーンが演奏している。これ以外は全て65年以後の例のレギュラー・クインテットによる録音だから違和感満載だというわけだ。

マイルス・ファンはほぼ例外なく『ソーサラー』における「ナッシング・ライク・ユー」を聴かない。聴いても酷評しかしない。あの中山康樹さんですら『ソーサラー』から「ナッシング・ライク・ユー」を抹殺せよと書いていたくらいだ。パソコンにリッピングなどする際に取込まないのは簡単なので、そうする人も大勢いるらしい。

つまり iTunes などパソコン上の音楽再生ソフトでは「ナッシング・ライク・ユー」は文字通り抹殺されている。それくらい嫌われているわけだ。そして僕はというと、実はこの「ナッシング・ライク・ユー」が結構好きなのだ。音源を貼って紹介したいのだが、なぜだか YouTube で見つからないなあ。

ってことはそんなアップロードすら誰もやらないほどまでに嫌われているってことなのか。う〜ん、なかなか面白いと思うんだがなあ。なんたってギルのアレンジが冴えているし、ボブ・ドローのヴォーカルもいい。マイルスはソロを吹かずアンサンブルのなかの一員としてやっているだけ。ボンゴの音もいい感じで入っている。

この1962年録音の「ナッシング・ライク・ユー」一曲だけを67年の『ソーサラー』に収録した理由ははっきりしていて、ここの62/8/21という録音日付はマイルスとウェイン・ショーターの初共演レコーディングだからだ。この時もう一つ「ブルー・クリスマス」という曲が録音されている。

同じレコーディング・セッションなので「ブルー・クリスマス」にもウェイン・ショーターが入っている。この曲だけリアルタイムで『ジングル・ベル・ジャズ』というオムニバス・アルバムに収録されてリリースされた。クリスマス向けの企画物で、デューク・エリントンやライオネル・ハンプトンもいる。

その他デイヴ・ブルーベックなど、要するにコロンビアが企画した1962年当時の同社専属だったジャズメンによるクリスマス・ソング集なんだよね。これはこれで僕は好きな一枚なのだ。そしてこの時の「ナッシング・ライク・ユー」だけが未発売のままになっていたのを67年にリリースしたんだなあ。

1967年の『ソーサラー』や翌68年の『ネフェルティティ』などは、あのマイルス・クインテットによるアクースティック・ジャズの極地みたいな評価の高さで、それはいわゆる音芸術的な側面からの意見なんだろう。だからそれに「ナッシング・ライク・ユー」みたいなのが混じっているのは許せないんだろう。

だからまあその〜、そういう純粋芸術音楽みたいな側面が確かに強いことが僕でも分る『ソーサラー』『ネフェルティティ』の二枚は、ある時期以後の僕にはイマイチに聞えちゃうんだなあ。ああいったアーティスティックなジャズ・アルバムは今でも評価が高く人気もあるけれど。特にクラシック・リスナーにはね。

普通、マイルスという音楽家もそんな音芸術の表現者だということになっている。マイルス・ファンの大半もそんな意見の持主だから、『ソーサラー』から「ナッシング・ライク・ユー」を抹殺しろなんていう言い方をする人が大勢出てきたりする。しかしどうなんだろう?マイルスは本当にそんな音楽家なのか?

書いたようにチャーリー・パーカー・コンボを卒業しての初リーダー作品にヴォーカル・ナンバーがあったマイルスだ。1975年一時隠遁前には確かにちょっぴりしかないけれど、それでもマイルスはフランク・シナトラやビリー・ホリデイなどといったヴォーカリストの大ファンで、彼らの曲をよく採り上げた。

シナトラやビリー・ホリデイだけでなく、1950年代にはたくさんの今では無名になっているポップ・ソングをいろいろと採り上げて自分のコンボで演奏しているもんね。マイルスという人は元々そうやって歌詞のあるヴォーカル・ナンバーばかりをインストルメンタル演奏していたような人なんだよね。

だから結構ポップな側面がある人なんじゃないかと僕は思うんだよね、マイルスは。1975年一時隠遁前まではと繰返しているのはなぜかというと、81年復帰後はそんなポップな側面を取戻していたような部分があって、しかもヴォーカルものが自分のリーダー・アルバムでも増えるようになった。

まずなんたって復帰第一作1981年の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』B面二曲目のアルバム・タイトル曲はヴォーカル・ナンバーじゃないか。歌っているのはシンセサイザーも担当しているランディ・ホール。歌詞は当のマイルス賛歌みたいな内容。ちなみにこれが電気トランペットを吹いた最後。
こんな自分を称えたような歌詞内容の曲でトランペットを吹くのは気恥ずかしくないのかと思っちゃうんだけどなあ。だってマイルスは歌詞の意味内容を非常に重視する音楽家で、歌詞のある曲だったものなら、インストルメンタル演奏の時でも常にそれを思い浮べながら吹いていると発言しているよね。

マイルスはなにかのポップ・ソングを初めて採り上げる時でも、ラジオやなどから流れてくるのを聴いて、その歌詞に強く共感したから自分でも吹いてみたいというのが動機だったりする人だ。僕みたいに歌詞内容をほぼ無視して聴くようなリスナーにはちょっと想像できないけれど、音楽家ってものはみんな同じだろう。

1985年からはマイルスは自分でも歌うようになってしまう。同年のコロンビア最終作『ユア・アンダー・アレスト』一曲目の「ワン・フォーン・コール/ストリート・シーンズ」でラップを披露しているもんね。自分役と警官役の一人二役で声色を使う。
なお、この曲にはスティングが参加して怪しげなフランス語(ということになっている)のラップを聴かせる。スティングの回想によれば、彼は当時のマイルス・バンドのレギュラー・ベーシスト、ダリル・ジョーンズの友人だったのでスタジオに遊びに行くと、マイルスに「お前、フランス語できるか?」と言われ、本当はできないのに、そう言うと帰されると思って「できます」と言ってしまったらしい。

それでお聴きのようなおよそフランス語には聞えない正体不明言語のラップ・ヴォーカルをスティングが歌っているという次第。笑っちゃうなあ。しかしマイルス自身はフランス語の分る人だったのに、このスティングのフランス語(??)ラップをこりゃオカシイなとは思わなかったのかなあ?ちょっと不思議だ。

マイルスの生前に公式リリースされていた自身のリーダー・アルバムにあるヴォーカル・ナンバーは以上で全部。やっぱり少ないなあ。そして死後リリースになったけれど遺作『ドゥー・バップ』。これがマイルス名義のアルバムではヴォーカルを最も多用している。もちろんイージー・モー・ビーのラップ。

多用といっても『ドゥー・バップ』の全九曲のうち「ザ・ドゥー・バップ・ソング」「ブロウ」「ファンタシー」の三曲だけなんだけど、これでも他の全てのマイルスのアルバムよりも圧倒的に多い。九つのうち三つというのは、実はマイルスの生前に完成していたのはそれだけだったのかもしれない。

というのは『ドゥー・バップ』は1991年初頭にマイルス側からイージー・モー・ビーに話を持ち掛けてプロジェクトがスタートし、同年一月と二月にコラボで録音したものの、中座したままツアーに出た九月にマイルスが死んでしまい、アルバムは未完成のままになっていたからだ。だから三曲だけなんじゃないかなあ。

もしマイルスがもうちょっと生きていてイージー・モー・ビーとのコラボ作を完成にまで漕ぎ着けていれば、アルバム全曲がラップ・ヴォーカル入りのヒップホップ・アルバムになっていた可能性があると僕は推測している。生前に三曲しか残せなかったために、残りは他のセッション音源を流用しているのだ。

マイルスの死後に、1986年頃から数年間の未発表音源からイージー・モー・ビーも苦労して、オーヴァー・ダビングを繰返すなどしてなんとか数曲創り上げ、1992年6月の『ドゥー・バップ』発売にまで持ってきた。だからこの時代のアルバムにしては珍しい短さの39分しかないもんね。

そんなわけで、実はキャリアの最初からヴォーカリストを使い、その後の直接起用は少ないものの音楽性はポップな側面もあったマイルスが、1981年復帰後はその方向性を強め、最後はラッパーとの全面コラボ作を試みたというのは、やはりこれはジャズだってポップ・ミュージックだっていう証拠だよね。

2016/08/25

再現できない失われた古いもの〜デヴィナ&ザ・ヴァガボンズのライヴ盤

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今年2016年3月にリリースされたデヴィナ・アンド・ザ・ヴァガボンズの新作ライヴ・アルバム『ニコレット・アンド・テンス』。僕はこのCDをこのバンドの公式サイトからの直販で買ったんだけど、それ以外ではフィジカルを見ないよなあ。どこを探しても出てこない。全て配信でのリリースだなあ。

配信で買ってもCD-Rに焼いて聴く僕だし、それに今ではフィジカルは入手困難か、どう探しても見つからないのに iTunes Store では実に簡単に見つかって買える(モロッコ生れのハリージ歌手モナ・アマルシャの最初の二枚もそうだし、戦前ジャズでもそう)なんて場合もあるので、こだわりが弱くなりかけている僕。

それでもそれはフィジカルで買えないから仕方なくそうしているだけであって、CDが買えるのであれば僕も絶対にそっちの方がいい。というわけでひょっとして配信メインで売りたいのかもしれないデヴィナ・アンド・ザ・ヴァガボンズの今年三月の新作ライヴ・アルバムもCDで繰返し楽しんでいる。

だからデヴィナ・アンド・ザ・ヴァガボンズの『ニコレット・アンド・テンス』をCDで欲しい方は公式サイト(http://davinaandthevagabonds.com)から直接買うしか方法はないみたいなので是非。超簡単で安いし。iTunes Store で買うのはもっと楽だろうけどネ。

『ニコレット・アンド・テンス』は全18曲収録。何年何月のライヴなのかはどこにも書かれていないけれど、録音場所はダコタ・ジャズ・クラブと書いてある。これ以前のスタジオ作二枚はほぼ全てデヴィナの書いたオリジナル・ナンバーをやっていたけれど、新作ライヴ盤にはかなりのカヴァー曲がある。

『ニコレット・アンド・テンス』にあるカヴァー曲は11曲。ってことはオリジナル曲よりも断然多いわけで、一種のカヴァー・ソング集という趣もある。どれもほぼ全てみなさんご存知のものばかり。そのなかでも僕が一番嬉しかったのは11曲目の「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」だ。

サザン・ソウル・スタンダードの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」。以前書いたようにスペンサー・ウィギンズのフェイム録音シングル・ヴァージョンで知った曲で(といってもこの曲の初演はご存知エタ・ジェイムズ)、一度聴いた瞬間にいきなりノックアウトされ、歌手も曲も大好きになったもの。

デヴィナ・アンド・ザ・ヴァガボンズの2011年のファースト・アルバム『ブラック・クラウド』でこの人達を知り、好きになってネットでいろいろと調べていた頃から、デヴィナがライヴで「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」をやっているのは分っていた。YouTube にいくつか上がっているから。

だいたいファースト・アルバム『ブラック・クラウド』にもサザン・ソウル・ナンバーが二つあって、デヴィナ・ソワーズという音楽家は、基本的にはニューオーリンズの古いラグタイム〜ジャズ〜ブルーズなどを基調とする人ではあるけれど、同時にサザン・ソウルの要素もあることが分っていたのだった。

サザン・ソウル・スタンダードのなかでも僕が一番好きな曲が「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」なわけだから、2011年からデヴィナ・アンド・ザ・ヴァガボンズがライヴでやるこの曲を、もっぱら YouTube に上がっているもので楽しんでいたけれど、公式アルバムに収録されて嬉しい限り。

『ニコレット・アンド・テンス』収録の「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」は、それまで YouTube に上がっているもので聴いていたのと同じようなアレンジと歌い方だ。デヴィナがピアノで弾く三連のパターンに導かれ、ベースとドラムスが演奏しはじめ、ホーン二管のリフも入るという具合。

『ニコレット・アンド・テンス』ヴァージョンの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」では、デヴィナが最初の歌い出しを相当タメてもったいぶったような感じではじめる。まるで石原裕次郎みたいだ。その後もビートにかなり後乗りで遅れ気味で歌っている。ちょっとタメすぎなんじゃないかと思っちゃうほど。

「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」でのデヴィナの歌い方はそんな感じでかなり粘性の強いもの。これは白人歌手であるデヴィナが黒人音楽のフィーリングを出そうとしてやっているのかもなあ。歌の後半でトランペット&トロンボーンの二管によるリフが盛上がり、あわせてデヴィナの歌も熱を帯びてくる。

その他書いたようにカヴァー・ソングが多い『ニコレット・アンド・テンス』のなかで、「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」同様に嬉しかったのが、四曲目の「エイント・ザット・ア・シェイム」と17曲目の「セント・ジェームズ病院」。前者はファッツ・ドミノの曲、後者は古い伝承民謡がベース。

「エイント・ザット・ア・シェイム」はニューオーリンズのリズム&ブルーズ音楽家ファッツ・ドミノの曲だし、彼のオリジナル・ヴァージョンからダダダ・ダダダという三連パターンに基づく典型的なファッツ・ドミノ節。それをデヴィナはほぼ忠実に再現し、ピアノで三連のリフを叩き続けながら歌う。

しかし『ニコレット・アンド・テンス』の「エイント・ザット・ア・シェイム」はたったの三分もないから、本当にあっと言う間に終ってしまうんだなあ。う〜ん、もっと長くやってくれたらいいのに。一方17曲目の「セント・ジェイムズ病院」はいかにも古いニューオーリンズ・ジャズという雰囲気のアレンジ。

ドラマーがロールを演奏するのに乗せてデヴィナがしばらく導入部みたいに語り、すぐにパッとテンポが変ってアップ・ビートになり、本編の歌がはじまる。しかしデヴィナが歌っているのではなく男性ヴォーカルだ。トランペッターもトローンボニストもドラマーもヴォーカルを取っているとのクレジットがあるので、誰なんだか分らない。

「セント・ジェームズ病院」ではアップ・テンポになっっている部分がメインで、快活なビートに乗せて初期ニューオーリンズ・ジャズそのまんまなホーン・アンサンブルが入り、男性ヴォーカルがお馴染みの歌を歌い、その後トロンボーン、トランペットのソロと続く。ビートはずっと4/4拍子のジャズ風。

その「セント・ジェームズ病院」のラストでは、かの有名なショパンの「葬送行進曲 ハ短調 作品72」の一節をホーン二管が引用して演奏が終了する。そういう歌詞内容の曲だからこれは分りやすい。誰だったかジャズマンがやる「セント・ジェームズ病院」のヴァージョンで同じようことをしているのがあったなあ。誰だっけなあ?

ショパンの「葬送行進曲」を引用しているジャズ・ナンバーと言えば、一番有名なのはデューク・エリントン楽団の「黒と茶の幻想」(ブラック・アンド・タン・ファンタシー)だよね。初演の1927年4月ブランズウィック録音も、続く同年10月のヴィクター録音も、同11月のオーケー録音も同じ。

その他いろいろと面白いカヴァー・ソングが多い『ニコレット・アンド・テンス』だけど、七曲あるデヴィナのオリジナル曲は、全てこれ以前のスタジオ・アルバム二枚の収録曲で、バンドのアレンジもデヴィナの歌い方もほぼ同じように古いニューオーリンズ・ジャズ〜ブルーズ風味を再現している。

それなら聴く必要はないのかというとそんなこともなく、ライヴならではのグルーヴ感があって、やっぱりこっちの方が活き活きとしているのだ。それにトランペットやトロンボーンのソロはやはりアドリブなので、スタジオ録音ヴァージョンとは内容が異なっているというのも聴き所の一つ。

『ニコレット・アンド・テンス』にあるデヴィナのオリジナル曲で僕が一番好きなのは、10曲目の「スタート・ラニン」。2011年のデビュー作『ブラック・クラウド』収録ヴァージョン通りに、ゆったりとしたピアノ弾き語りではじまり、中盤でパッとテンポ・アップしてスウィンギーになる展開。

その中盤以後のビートが快活な部分というのが、実に典型的なニューオーリンズ・ジャズの4/4拍子で、僕はニンマリしちゃうんだよね。アレッ?ニューオーリンズ・ジャズは2/4拍子じゃないの?と思われるかもしれないが、2ビートばっかりじゃなく4ビートのものだって昔からたくさんあるんだよね。

サザン・ソウル・スタンダードの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」をやっているのが嬉しいと書いたけれど、『ニコレット・アンド・テンス』でもやはりこういうサザン・ソウルは例外でこれ一曲しかなく、それ以外はオリジナル曲もカヴァー曲もほぼ全て古いニューオーリンズ・ジャズ&ブルーズな雰囲気の演奏ばかり。

何度か書いているように古い音楽にある要素が全て新しい音楽に流れ込んで継承されているわけではなく、失われてしまったままになっている部分がかなりたくさんあるんだけど、デヴィナ・アンド・ザ・ヴァガボンズはまだ懸命にそれらを取戻して再現しようとして、そこそこ成功している部類に入るんだろうなあ。

しかしながらやっぱりデヴィナたちがどうやっても21世紀に再現できない約100年前のフィーリングというものがある。それは当り前のことだ。失われて再現できないフィーリングは古い録音で聴けばいいんだから、忠実な再現性にこだわりすぎず、やはり2010年代の音楽家らしく現代感覚を取混ぜて聴かせてくれているのがイイネ。

2016/08/24

ハウリン・ウルフと英国の白い息子たち

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アメリカの黒人ブルーズメン側からしたら大したことないようなものだと思うけれど、それを手本にしてやっていたUK(ブルーズ・)ロック側からしたらこれ以上刺激的な記録もあまりないんじゃないかと思うのが、ハウリン・ウルフ名義の『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』だ。

アルバム・タイトル通り、シカゴを本拠にしてチェスに録音している黒人ブルーズマン、ハウリン・ウルフが1970年にロンドンに渡り、当地英国のロック・ミュージシャンたちと一緒に自分のレパートリーを歌ったセッションの様子を収録したもので、翌71年にチェスから全13曲がリリースされた。

しかしハウリン・ウルフ以外の参加メンバー全員がUKロッカーというわけではない。一人、ウルフがシカゴから一緒に連れてきたブルーズマンが参加している。長年の盟友であるギタリストのヒューバート・サムリンだ。彼の存在なくしてウルフの音楽が成立たなかったというほど重要な人物だから当然だろう。

本題に関係ないけれど思いだしたので、いつものように横道に逸れてみよう。僕は一度だけハウリン・ウルフの右腕だったヒューバート・サムリンのライヴを観たことがある。20世紀末頃に八重洲の東京国際フォーラムでヒューバート・サムリンの来日公演があったので、ブルーズ・ファンの友人二名と一緒に足を運んだ。

その東京国際フォーラムでのライヴ・コンサートにおけるサムリンは、まあはっきり言って弾いているのか弾いていないのかよく分らないような感じで、どの曲でもはじまってちょろっとギターを触り声を発したかと思うと、クルッと180度廻って客席に背中を向けてしまう。なにをやっているのか分らなかった。

ただし僕を含めあの時のヒューバート・サムリンのライヴに来た客で、おそらく彼のギター演奏そのものを聴きにきたというのは一人もいなかったはず。あのハウリン・ウルフの数々のレコーディングで欠かせない重要な役割を果したギター・レジェンドを一度だけでも直に目にしたいという気持だけだった。

だからコンサートの幕開けでヒューバート・サムリンがステージに出てきて中央で構えた瞬間に、客席から「アイ・ラヴ・ユー!」の声が、しかも二回繰返して飛んだので、サムリンもなんだこのアホは?という呆れ顔で「アイ・ラヴ・ユー、トゥー!」と返していたが、その声を飛ばしたのはなにを隠そうこの僕だ。

こんな声を思わず本人に向けて発してしまうほど、僕はヒューバート・サムリンと彼が必要不可欠な脇役を務めたハウリン・ウルフのチェス録音ブルーズの大ファン。そして20世紀末におけるシロウト日本人ですらそうなんだから、1970年の英国における白人ロッカーならなおさらだったんじゃないかなあ。

そうなのでハウリン・ウルフやヒューバート・サムリンと一緒にレコーディング・セッションをやろうよと話を持ち掛けられた英国白人ロッカーたちは、おそらく最初はエッ?マジか?冗談だろう?いいのか?と信じられないほど驚き、そして次の瞬間にはよ〜し!それなら思う存分やってやるぞ!となっただろう。

この企画の発案者はチェスのスタッフ・プロデューサーだったノーマン・デイロン。彼は前年1969年にマディ・ウォーターズの『ファーザーズ・アンド・サンズ』をプロデュースしているよね。マディとポール・バターフィールド、マイケル・ブルームフィールドなどアメリカ白人ブルーズメンとの共演盤。

そのマディの『ファーザーズ・アンド・サンズ』が成功したので、今度は同じチェスのもう一人の看板ブルーズマンであるハウリン・ウルフで似たような企画を思い付いたんだろうね。しかも今度は海を渡ってイギリスで、マディやウルフらエレクトリック・シカゴ・ブルーズを模範としていた面々との共演を。

『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』に参加しているUKロッカーたちのなかでの主役はエリック・クラプトン。プロデューサーのノーマン・デイロンもまず最初にクラプトンにこの企画を持ち掛けたらしい。それでリズム・セクションの人選をクラプトンがやるということになったようだ。

ノーマン・デイロンはクラプトンがクリームでカヴァーしていたハウリン・ウルフ・ナンバー「シティン・オン・トップ・オヴ・ザ・ワールド」や「スプーンフル」を聴いていたに違いない。それらの良い出来に感銘も受けていて、それでクラプトンに声を掛け、リズム・セクションの人選も任せたんだろう。

クラプトンが選定したのはローリング・ストーンズのリズム、ビル・ワイマンとチャーリー・ワッツの二人だった。それに加えストーンズの事実上のメンバーでブルーズの得意なピアニスト、イアン・スチュアート。この三人は納得できるメンツだ。1970年当時なら英国で彼ら以上にブルーズができる白人はいない。

『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』の本編にはもう一名ジェフリー・カープというブルーズ・ハーピストが参加しているが、当時19歳だったというこのハーピストのことは僕はよく知らない。どうやらハウリン・ウルフがヒューバート・サムリンと一緒にシカゴから連れてきた人物のようだ。

『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』本編を聴くと、中心人物がクラプトンであったことは一聴瞭然としている。一曲目の「ロッキン・ダディ」の出だしを聴いただけで誰でもそれは分る。ヒューバート・サムリンのギターは脇役的で目立たず、殆どクラプトンが弾きまくる。

憧れてやまないハウリン・ウルフやヒューバート・サムリンと一緒に演奏できる喜びに満ちあふれているのが、聴いているこっちにもはっきりと伝わってくる。嬉しくてたまらず勢いに満ちていて、しかも1970年当時ならクラプトンが弾くブルーズ・ギターはかなりいい。英国白人ギタリストでは一番上手かった。

僕がよく知らないジェフリー・カープのブルーズ・ハープも大活躍。『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』を聴いて僕が一番ビックリするのはビル・ワイマンのベースの上手さだ。なにをいまさらなことを言っているんだ!?と思われるだろうが、ストーンズでの録音ではイマイチ分らないもんね。

ストーンズの録音でオッ、これはカッコいいベース・ラインだなあと思ってクレジットを見ると、キース・リチャーズだったりミック・テイラーだったりロニー・ウッドだったりするもんなあ。それにベースの低音をあまり目立たせたくないというのが、おそらくミック・ジャガーの意向なんじゃないかなあ。

そんなこともあってか関係ないのか、ストーンズの録音でのビル・ワイマンはイマイチそのベースの上手さが分りにくい場合が多いように思うのだが、『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』でのワイマンの弾くベースはしっかりと録音・ミキシングされていてよく聞えるので、彼のベーシストとしての立派な腕前がよく分る。

『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』収録曲はどれもよく知られたハウリン・ウルフの有名レパートリーなので、解説しておく必要は全くない。英国勢も全員周知だったはずだ。万が一ご存知ない方は、一枚物のベスト盤CDがいろいろある(はず)ので、是非一つ買ってウルフのブルーズを聴いてみてほしい。

ちょっと興味深いのが八曲目の「フーズ・ビーン・トーキング?」だなあ。もちろんウルフのチェス録音(1957年)があるものだけど、そのオリジナルは冒頭からの印象的なリフをウルフ自身がブルーズ・ハープで吹いていて、しかもリズムの形がちょっとラテン風な12小節ブルーズという面白いもの。

『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』収録ヴァージョンの同曲では、オリジナル・チェス録音でのブルーズ・ハープが吹くリフをクラプトンがギターで再現している。それだけならどうってことないんだけど、二枚組デラックス・エディション二枚目収録の別テイクでは終盤リズムがパッと変っている。

ラテン調を解除して普通の8ビート・シャッフルになっているんだけど、そのきっかけはクラプトンがオーティス・ラッシュの「オール・ユア・ラヴ」のフレーズをほんの一瞬弾いたことなのだ。オーティス・ラッシュの1958年コブラ録音の「オール・ユア・ラヴ」もご存知の通りラテン調のマイナー・ブルーズ。

オーティス・ラッシュのそれではやはり終盤リズムがパッと変ってラテン調ではなくシャッフルの8ビートになっている。クラプトンはもちろん知っている。ブルーズブレイカーズで録音もしている。だから同じラテン調でマイナー・キーのウルフの「フーズ・ビーン・トーキング?」で同じことをやったんだね。

また「ザ・レッド・ルースター」(リトル・レッド・ルースター)。ウルフのレパートリーのなかではひょっとして英国ブルーズ・ロック勢に最もよく知られ頻繁にカヴァーもされているものじゃないかと思うんだけど、『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』ではオリジナル・レコードから、本テイクの前にリハーサルの模様が収録されているよね。

そのリハーサル(オリジナル英文クレジットでは「フォールス・スタート・アンド・ダイアログ」)では、演奏をはじめてみたものの、ウルフと英国勢との息が合わず噛合わずに演奏がストップする。するとクラプトンが「どんな風にやったらいいか教えてくれませんか?」とウルフに言っている。

それでウルフが(おそらくクラプトンから渡された)アクースティック・ギターを自ら弾きながら、こんな感じだと言いながら「ワン、トゥー、スリー、とここでチェンジ!」とカウントしながらここでこう入れと説明しているよね。こんなリハーサル・テイクを聴くと英国勢も恐る恐るやっているのが分る。

そりゃマディにしろウルフにしろその他にしろ、(主にシカゴの)黒人エレクトリック・バンド・ブルーズは、英国ブルーズ・ロック勢がそのスタートからそもそもお手本にしてながらやってきたものだったんだから、1970年のクラプトンその他だって畏敬の念を抱いていたに違いない。それがひしひしと伝わってくる。

だから英国勢も必死でやっていて、彼らにしては力の限りを尽したメチャメチャ出来のいい部類に入るであろう『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』。確かにかなり聴けるんだけど、それでもこれを聴いた直後に収録曲のウルフによるチェス録音オリジナルを聴くと、やっぱり違うんだよなあ、ノリが。ブルーズとロックの違いがよく分る。

2016/08/23

『ゲッツ/ジルベルト』はダメ・アルバム

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こういうことはあまりハッキリと言わない方がいいのかもしれないけれど、ジャズ・ファンの間では今でも評価が高く褒める人がたくさんいるので、やっぱり言っておこう。スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトの『ゲッツ/ジルベルト』はダメ・アルバムだ。ダメなのはもちろんゲッツのテナー・サックス。

今ではダメ・アルバムだと確信している僕だって、最初にブラジル音楽(風のもの)、特にボサ・ノーヴァ(風のもの)を聴いた最初がやはり『ゲッツ/ジルベルト』だったんだけどね。だってかなりの有名盤で評価も高く、いろんな名盤選にも掲載されていたからやはり興味を持ったわけだった。

『ゲッツ/ジルベルト』は1963年録音で翌64年リリース。かなりのヒット作になったらしい。なかでも一曲目「イパネマの娘」はシングル・カットされて世界中で売れ、ボサ・ノーヴァ・ブームの火付け役になったというのが定説。もっともそのシングル盤ではジョアンの歌はカットされている。

大学生の頃に最初に『ゲッツ/ジルベルト』を聴いた時に僕が好きになったのが、他ならぬジョアンのギターとヴォーカルだったので、それをカットして、アストラッドが英語詞で歌う部分とゲッツのテナーをフィーチャーした形(になっていたらしいが聴いたことはない)だったというのはなんともなあ。

それでもそのシングル盤が大ヒットしたわけだから、プロデューサー、クリード・テイラーの目論見は成功したんだろう。「商業主義はイカン」云々みたいなことを言う人がどんな音楽分野でも昔からたくさんいるんだけど、ポピュラー・ミュージックは売れてこそナンボの世界。

売れなかったら音楽家もレコード会社もやりたいことなんかできっこない。売れてこそ初めて自由が手に入る。また売れて人気が出るということ自体、多くの聴衆にアピールできているという証拠なんだから、それには強い意味がある。売れることそのものに価値がある世界なのだ。

しかしながらあんなに魅力的なジョアンの歌をカットしてしまったら、ハナからダメな(と今では思う)あの「イパネマの娘」で聴けると思うのががジョアンの歌とギターだけなんだから、そんなものは面白くもなんともないだろうと僕なんかは思うんだけど、まあでもあれでアストラッドもスターになった。

ともかく『ゲッツ/ジルベルト』でのジョアンの歌い方は、当時のジャズ雑誌『ダウン・ビート』の恒例ブラインド・フォールド・テスト・コーナーでマイルス・デイヴィスも褒めていて、「コイツは新聞を読んでも歌になるだろう」とか、あるいは「まるで新聞を読んでいるような歌い方だ」とか。

というのは僕はそのマイルスの発言をこれに限っては英語原文では読んでいないので、正確にどう言ったのか分らず、いろんな翻訳のされ方をしているから、どうもはっきりしないのだ。でもマイルスも褒めてはいたんだろうなあ。というのはマイルスの繊細でソフトなトランペットに通じるものがあると感じるから。音量も二人とも小さい。

記憶では確かそれはA面ラストの「ジザフィナード」についてだったはず。「ジザフィナード」といえば、大学生の頃『ゲッツ/ジルベルト』をカセットテープにダビングしたのを父親が運転するクルマのなかでかけていたら、父親が「この歌手上手いな、よくこんな半音で動く旋律を歌えるもんだ」と言ったことがある。

クルマのなかでカセットで聴いた『ゲッツ/ジルベルト』そのものについては、父親は別になんの興味もなさげに聴いていた風だったけど、そんな具合にボソッとつぶやいたのだった。そんなところといい、若い頃のラテン音楽好きと晩年の演歌好きといい、僕の音楽狂いは間違いなく父親譲りだなあ。

「よくこんな半音で動くような旋律を歌いこなせるもんだ」と父親が感心したのが「ジザフィナード」だったというのは憶えているわけではなく、その言葉だけ記憶していたのを頼りに『ゲッツ/ジルベルト』を聴直してみたら、やはりこのA面ラストの曲のことだろうとしか思えない。

僕も『ゲッツ/ジルベルト』でのジョアンの歌い方には大いに感心し、はっきり言うと惚れちゃって、当時ポルトガル語は全くチンプンカンプンだったのに、レコードを聴いてその歌詞の音だけ完全コピーして、そのままソックリにソラで歌っていたくらいだった。ほぼ全部の収録曲をポルトガル語(の音)で歌えた。

当時はポルトガル語の歌詞の意味はサッパリ分らない。ただ音だけをコピーしていた。歌っていたと言っても、レッド・ツェッペリンのコピーとは違って人前で披露していたわけではなく、ただ部屋の中とかお風呂の中とかで日頃鼻歌で口ずさんでいただけなんだけど。

長年それを続けていて今でもほぼ全部ソラで歌えるので、上京後にポルトガル語の分る人の前で恥ずかしながら一度だけ「イパネマの娘」だけ歌ってみせたことがある。そうしたら「ポルトガル語できるんですか?!」とビックリされた。もちろんできない。あるいはジョアンのギターをコピーする人とセッションしたりなど。

ジョアンのギターといえば、大学生の時に『ゲッツ/ジルベルト』を聴いたのがナイロン弦ギターをいいなと本当に思った最初だった。それまではナイロン弦(昔はガット)ギターは、クラシック・ギターかスパニッシュ・ギターか日本の演歌の伴奏くらいでしか聴いたことがなかった。

スティール弦のアクースティック・ギターかソリッド・ボディのエレクトリック・ギターしか触ったことのなかった僕も、ナイロン弦ギターを、それもジョアンみたいに弾けたらいいなと思って、アルバイトして安いのを一つ買ったんだけど、当然あれをコピーできるわけもなく。

とここまで書いてきて既にお分りの通り、僕は『ゲッツ/ジルベルト』が決してそんな大嫌いにはなっていない。ダメ作品だとは思うものの、ジョアンやボサ・ノーヴァや、そしてそれをとっかかりにいろんなブラジル音楽に導いてくれた恩人アルバムではあるからだ。

なんだか『ゲッツ/ジルベルト』についてジョアンの話ばっかりしているけれど、実際このアルバムはそれしか聴けないと思うんだよね。他はアルバム収録曲の大半を書いたアントニオ・カルロス・ジョビンのピアノもいいねと思う程度。ベースとドラムスは一応ボサ・ノーヴァ・マナーでの演奏だけれども。

だからダメ・アルバムにしている真犯人はやっぱりテナー・サックスを吹くスタン・ゲッツだ。彼が一人でこのアルバムをぶち壊しにしてしまっている。実際『ゲッツ/ジルベルト』の録音セッションでは、ゲッツのあまりにボサ・ノーヴァを理解しないアホ吹奏ぶりにジョアンが怒り狂ったという話は有名なはず。

それでジョアンは、英語もポルトガル語もできるので通訳的役割もやっていたジョビンに、「お前はバカだ!とゲッツに言え」と伝えたらしいのだが、ジョビンはそのまま通訳せず「あなたのテナー・サックスは素晴しいと言っている」とゲッツに言ったらしい。ゲッツはそんな語気には聞えないと返したようだけどね。

しかしジョビンがそうやって上手くとりなさなかったら、『ゲッツ/ジルベルト』の録音セッションは失敗に終っていたかもしれない。それくらいあのスタン・ゲッツのテナーはボサ・ノーヴァとしてはダメだ。ジャズ・サックス奏者としてのゲッツが大好きな僕でも、あのテナー・サックスはちょっとなあ。

しかしながら『ゲッツ/ジルベルト』では、なぜかそのゲッツのダメダメ・テナーの音がかなり大きめにミックスされていて、そうしたのがクリード・テイラーなのか、あるいは後年プロデューサーとして成功するこの時は録音エンジニアのフィル・ラモーンなのか分らないんだけど、とにかくデカい音だ。書いたようにジョアンの声は音量が小さいから、しっかり聴こえる位置にまでヴォリュームつまみを廻すと、ゲッツのテナーでビックリするから困る。

だからヴァーヴとしてはやはりゲッツのテナー(と英語で歌うアストラッドのヴォーカル)を売出したいということだったんだろうなあ。商売としては大成功したわけで、今でもブラジル本国のボサ・ノーヴァを聴かない多くのジャズ・ファンの間では人気が高いので、目論見は成功していると言えるはず。

功罪の「罪」しかないと思う『ゲッツ/ジルベルト』の「功」があるとすれば、僕のように多くのジャズから入ったファンがこれでジョアン・ジルベルトを知り、そのギターと歌に惚れて、彼のボサ・ノーヴァ録音をどんどん聴くようになったということと、ボサ・ノーヴァという音楽の認知度を上げたということだ。

実際この1960年代前半はアメリカでも大変なボサ・ノーヴァ・ブームで、上で名前を出したマイルスですら『クワイエット・ナイツ』というギル・エヴァンスとのコラボ作を創っている。あの中には「コルコヴァード」があるもんね。まあでもあれはイマイチ面白くないアルバムだよね。でもファンは多い。

ジョアン・ジルベルトの録音では、確か『ジョアン・ジルベルトの伝説』という邦題だっけなあ、1958〜61年の録音集が最高に素晴しいものなんだけど、これはどういう理由からか知らないがジョアン本人が気に入らないらしくリイシューを認めないので、中古でしか入手できず、それも現在ではやや困難なのが難点だなあ。なんとかしてくれないかなあ、ジョアンさん。

『ジョアン・ジルベルトの伝説』に入っている「ジザフィナード」「サンバ・ジ・ウナ・ノータ・ソ」(ソ・ダンソ・サンバ)や「コルコヴァード」などを、『ゲッツ/ジルベルト』収録ヴァージョンと聴き比べていただきたい。今日僕が書いていることの意味が多くの方にお分りいただけるはずだ。

2016/08/22

ポール・サイモンの新作が素晴しすぎる

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ティン・パン・アリーやブリル・ビルディングの系譜に連なっているというのがソングライターとしての本質であるように僕は思うポール・サイモン。今年2016年6月にリリースされた彼の新作『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』がもんのすご〜く面白かった。

ちょっとこの歳の老人(失礼!)音楽家の創ったアルバムとは思えない若々しさだ。ポール・サイモンはひょっとして歳を30歳くらい上に偽っているんじゃないだろうか?少なくとも音楽的にはそれくらいの若さだよね。いやまあ音楽に年齢は関係ない。年齢一桁台の子供だろうが死にかけの老人だろうがいい音楽を創る人は創るんだけどさ。

それでもやはりこの新作の出来は群を抜いて素晴しく若い。だから思わず上のように言いたくなってしまうんだ。僕にとっては完全なる衝撃だった。これからあと30年くらいしたら、ポール・サイモンの最高傑作は2016年の『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』だったと言われるようになるもかもしれない。

それにしても一曲目「ザ・ワーウルフ」冒頭でビヨ〜ンと鳴る楽器はなんなんだ?聴いたことのない音だなあ。なんだかピッチが半音単位ではなく微分音的にというか切れ目なく大きく曲るこの楽器、少なくとも僕の知っている楽器の音ではない。知っている楽器で敢て探せばミュージック・ソー、すなわちノコギリの音に近い。

『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』附属のブックレット末尾に、一曲ごと演奏に参加しているミュージシャン名と担当楽器名が明記されているけれども、それを見てもこのミュージック・ソーのようなビヨ〜ンとピッチ・ベンドする楽器らしきものがなんだかは分らない。知らない楽器名も多いしなあ。

そもそも『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』は、その一曲目だけでなくアルバム全体にわたり耳慣れない、あるいは全く初耳の楽器らしき音が結構たくさん散りばめられている。読みかじった情報では創作楽器をいろいろと使っているらしく、それはハリー・パーチという音楽家のものだそうだ(とWikipediaにある)。

ハリー・パーチ(Harry Partch)って聞いたことのない名前だなあと思って調べてみると、1974年に亡くなった現代音楽の人で、平均律の12音階の限界を打ち破るべく、マイクロ・トーナルと呼ばれる43微分音階を提唱した人らしい。そのために種々のオリジナル楽器を編出したんだそうだ。

ポール・サイモンがハリー・パーチを知ったのは2013年のこと。僕はつい先日知ったばかりだけど^^;;。それが『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』制作の最も大きなきっかけだったんだろう。それで聴いたことのない種々の創作楽器の音が聞えるんだろうなあ。しかし聞えるのは生音楽器ばかりでもない。

『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』では多くの曲でデジタル・ビートが使われている。コンピューターで創り出したリズム・サウンドだ。それはイタリアのジャズ系エレクトロニクス音楽家クラップ!クラップ!(またはクリスティアーノ・クリッシ)とのコラボによるもので、それも大変面白い。

『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』ではそんなデジタル・サウンドと生楽器と生声のアクースティック・サウンドが見事に融合し溶け合っている。二曲目「リストバンド」では冒頭サウンド・エフェクト的に入っている子供の遊び声に続き、アクースティックなウッド・ベースの音が鳴りはじめ、それがこの曲のビートの基本になっている。

がしかし直後に出てくるのはデジタル・ビート(にしか聞えない)。その上にポール・サイモンの歌が乗っている。つまりアクースティックなウッド・ベースが弾くリフ・パターン(がこの曲の構造の基本)とコンピューターで創り出したデジタル・ビートが一体化した上でポール・サイモンが歌っている。

しかもそのアクースティック・サウンドとデジタル・ビートは取って付けたような一夜漬の合体化ではなく、不思議なほど実に自然に違和感なく溶け合っていて、極めてナチュラルなサウンドに(少なくとも僕には)聞えるので、聴いていて凄く気持良いんだよね。ハンド・クラップの音も聞えるなあ。

四曲目「ストリート・エンジェル」のリズムも躍動的なグルーヴ感で凄いけれど、これには二曲目「リストバンド」とは違って生のドラムスも演奏に参加しているとクレジットされている。しかしやはりクラップ!クラップ!が参加してデジタルなビートも加えていて、どこからどこまでが生音で電子音なのか僕には判別不能。

しかもその四曲目「ストリート・エンジェル」にはニコ・ミューリーも参加しているというクレジット記載がある。僕はアントニー&ザ・ジョンスンズのアルバムで知ったアレンジャー。だけど彼っぽいサウンドはここでは聴けない。「オーケストラ・ベルズ」とクレジットされているけれど、それはなんだろう?

また六曲目「イン・ア・パレード」のリズムも凄い。ブックレットの記載ではポール・サイモンのヴォーカル以外には、ドラムスなど種々打楽器のジム・オブロンだけとなっているから、ジム・オブロン(誰だろうこの人?)が一人で多重録音しているんだろうね。電子系打楽器サウンドもはっきりと聞える。

その六曲目「イン・ア・パレード」はアルバム『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』全体を通し最もリズムが激しく躍動感に富むものなんだけど、しかしたったの2分22秒しかないもんだから、まるで一筋の疾風のごとく吹抜けて去っていってしまう。う〜ん、気持良いからもっと長く聴きたいぞ。

次の七曲目「プルーフ・オヴ・ライフ」はアルバム中最も長い5分44秒。そしてこの曲は従来からのポール・サイモン・ファンの方々にとってはおそらく最も聴きやすく耳馴染のあるようなサウンドだろう。やはりニコ・ミューリーが参加していて、ここでは彼らしい繊細なアレンジを聴かせる。

九曲目「ザ・リヴァーバンク」には、マイルス・デイヴィス・バンドでの活躍で有名な(最近はキース・ジャレットのスタンダーズでの活動の方が有名?)ドラマー、ジャック・ディジョネットが参加して、生のドラム・セットを叩いている。最近のディジョネットにしては聴いたことのない先鋭的なビート感だなあ。

元々ディジョネットは1966年にチャールズ・ロイドのバンドにレギュラー参加したことから有名になったドラマー。同時期にキース・ジャレットも同じバンドに在籍していた。いやあ、あの頃のチャールズ・ロイド・カルテットは最高だったよなあ。マイルスもそれを聴きそめてこそこの二名を引抜いたのだ。

だから1960年代末〜70年代前半頃、少なくともスペシャル・エディションあたりまでのディジョネットは本当に凄かった。近年のキース・ジャレットのスタンダーズとかでしか聴いてないジャズ・ファンの方々は、それらを聴いたら「これ、同じ人なのか?」ビックリ仰天するに違いない。

元々そんな先進的ドラマーだったディジョネットなんだけど、現在74歳という年齢のせいもあってか、あるいはキース・ジャレットのせいなのか、最近はだいぶおとなしい人になっていたのが、同年齢のポール・サイモンの新作に起用されて先鋭的ビートを叩いているのはちょっと想像できなかった。

これは間違いなくポール・サイモンの要求だったなあ。「ザ・リヴァーバンク」ではドラマーはディジョネット一人。他にパーカッション奏者が複数いるだけで、電子系打楽器奏者は参加していないことになっているのだが、ちょっと聴いた感じでは完全に21世紀型ヒップホップ・ビートだもんなあ。

以前から何度か書いているけれど、かつてはシンセサイザーやコンピューターなどを使って出していたようなリズムやサウンドを、21世紀に入って少し経った頃、特に2010年代あたりから、生楽器オンリーの演奏で同じようなものを創り出す演奏家が出てきているように思うのだ。

しかしそれは主にやはり若い音楽家の間での話だった。それを二人とも74歳のポール・サイモンとジャック・ディジョネットの共同作業で同じことをやっちゃうなんて、誰が想像できただろうか?いや、こんな言い方は彼ら一流音楽家に対して失礼だろう。想像していなかったのは僕だけかもしれない。

しかも『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』九曲目の「ザ・リヴァーバンク」では、そんな生楽器を使ったヒップホップ的なデジタル感のあるビートに乗せてポール・サイモンが歌うだけでなく、かなり控目であるとはいえ、中盤でギル・ゴールドシュタインのアレンジによるストリングスが入っている。

続く10曲目「クール・パパ・ベル」も電子系打楽器奏者はおらず、生身のドラマーとパーカッショニストだけとクレジットされているんだけど、その結果できあがったサウンドを聴くと、やはりデジタルな感触があるもんなあ。この曲でもホーン・アレンジをやっているのはニコ・ミューリーだ。

アルバム・ラスト11曲目「インソムニアックス・ララバイ」は繊細で端正なアクースティック・ギターのサウンドをメインに据えた、いかにもポール・サイモン・サウンドらしいもの。ここでもジャック・ディジョネットがドラムスを担当し、さらにボビー・マクファーリンもバック・ヴォーカルで参加している。

「インソムニアックス・ララバイ」は曲全体を通じ非常に静謐な雰囲気なので、ディジョネットのドラムス演奏もシンバルの音が聞える以外はどこで叩いているのかほぼ分らないようなもの。ボビー・マクファーリンに至っては本当は参加していないんじゃないかとすら思うほど、ほぼその声は聞えない。

でも「インソムニアックス・ララバイ」には前述のハリー・パーチ創作による独自楽器の音(らしきもの)が入っていて、それがちょっと面白いんだなあ。静謐なバラード調の曲に創作楽器による摩訶不思議なサウンドが混じっているというもので、ポール・サイモンのこの先鋭作の締め括りには相応しい。

エレクトロニクス音楽家クラップ!クラップ!が参加してデジタル・ビートを加えているのは、『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』では正確には三曲だけ。しかしそれら以外の曲でも、各種打楽器奏者がほぼ似たような21世紀型ビートを奏でていて、アルバムを通しサウンドの質感に一貫性がある。

こんなに面白いポール・サイモンの新作の共同プロデューサーは、なんとあのロイ・ハーリーだ。僕は最初ちょっと目を疑った。ロイ・ハーリーはもう引退したんじゃなかったの?彼がポール・サイモンに協力したもので僕がまず思い浮べるのは『グレイスランド』と『ザ・リズム・オヴ・ザ・セインツ』の二枚。

『グレイスランド』は1986年の、『ザ・リズム・オヴ・ザ・セインツ』は1990年の作品。どっちもロイ・ハーリーが共同プロデューサーでエンジニアもやっている。引退していたはずの彼をポール・サイモンが引きずり出してきて2016年の新作で起用したのはちょっと示唆深いものがある。

というのは先進的デジタル(風)・ビートの躍動感こそが僕にとっては最も面白い『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』の、その音楽的ルーツをポール・サイモン自身の作品で辿ると、どう考えても『グレイスランド』『ザ・リズム・オヴ・ザ・セインツ』の二枚に行着くようにしか思えないからだ。

そうした約30年という時の流れを線で繋ぐというあたりのことを書くという、最初はそんな腹づもりだったんだけど、こんなに長くなっちゃったのでやめておこう。僕の印象では『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』は『グレイスランド』よりも『ザ・リズム・オヴ・ザ・セインツ』に直接的には繋がっているように思う。

サイモンとガーファンクル時代(には日本では「アンド」や「&」表記ではなかった)からの熱心なファンである方々にとってはさほど飛抜けて出来のいいアルバムではないように思われているかもしれない二枚だけれど、僕にとってのポール・サイモンとは『グレイスランド』と『ザ・リズム・オヴ・ザ・セインツ』に尽きるのだ。

それら二作と2016年の新作『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』がどんな具合に繋がっているか、聴直しているといろんなことが頭に浮ぶんだけど、僕やなんかが書かなくたって誰かもっとしっかりとした人が書いてくれるだろう。とにかく『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』は本当に凄いぞ!

最後に。『グレイスランド』については、当時の南アフリカのアパルトヘイト政策に関連してポール・サイモンは強く批判された。しかし、アパルトヘイト撤廃後の民主化した南アフリカで、ネルソン・マンデラがまず最初に公演を依頼した欧米の音楽家がポール・サイモンだったことは書添えておく。そうでなくなって、音楽家の政治姿勢と、創る音楽の美しさ・楽しさは無関係だ。

2016/08/21

ギル・エヴァンスにもうちょっと商売っ気があれば・・・

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確か昨2015年だったかな、村井康司さんの解説付で日本盤CDがリイシューされたギル・エヴァンスのライヴ・アルバム『プリースティス』。あの時Twitterで村井さんに買いますよ!と言ったにもかかわらず、いまだに買っていない僕^^;。だってCDでも一度目のリイシューで持っているからなあ。

輸入盤(おそらくは米盤)であるその一度目のリイシューが何年のものなのか、手持のパッケージのどこにも書いてないので、ちょっと分らない。と思ってネットで調べてみたら1985年だという Discogs のデータが出てきて、しかもそれは日本でだと書いてある。これは明らかにオカシイ。

僕が持っている『プリースティス』はどこからどう見ても日本盤ではない。日本語はどこにも一文字もないし、ジャケ裏に “Printed in the USA” と書いてあるけどなあ。しかも1985年ではなくもうちょっと後、90年代に入ってから買ったような記憶があるんだけどなあ。

ってことは、僕の持っている『プリースティス』のリイシューCDは一度目のものではなく、何度目かにアメリカで出たものだったってことか?それでやはり一度目のCDリイシューは1985年に日本でだってってことか?う〜ん、そのあたりまで突っ込んで調べようとしたら、今度はなんのデータも出ないぞ。

そんなことはいいや。とにかくギル・エヴァンスの『プリースティス』は1977年ニューヨーク・シティでのライヴ録音。しかしこれがアナログ・レコードでリリースされたのは、僕の記憶では80年代に入ってからのことで、大学四年の時だったように記憶しているので83年だなあ。この記憶は間違いないと思うんだけどね。

そのアナログLPで1983年に『プリースティス』がリリースされた頃は、僕は既にギルの虜だったので迷わず即買い。その二年前に80年のニューヨークでのライヴ録音盤『ライヴ・アット・ザ・パブリック・シアター』が出ている。これは素晴しい内容。
リンクを貼った先で書いてあるように、1980年のこのライヴ・アルバムがギルの最高傑作だと信じている僕。『プリースティス』はその三年も前にライヴ収録されているのに、どうして83年まで出なかったのかのかはほぼ推測がつく。ギルはそこそこ人気が出た最晩年を含め、どのレーベルとも専属契約したことがない。

つまりギルは生涯のほぼ全てフリーランスで、ビッグ・バンド・アレンジャーだったのに常設のバンドを持ったこともなければ、1940年代のクロード・ソーンヒル楽団在籍時を除き、どの楽団にも専属的に在籍したことも全くなく、スタジオ録音でもライヴ録音でもその都度有志メンバーを募るというような具合だった。

そんでもって全然売れっ子でもなく、その正反対に音楽的な面白さでしか人を惹き付けない人だから全然売れもせず、だからどのレコード会社も専属契約なんかオファーしなかったのだ。だからスタジオ作でもライヴ作でも、それらは全て一つ一つ出してくれる会社を見つけているというような具合。

ただ単にテープに録音しておくだけならある時期以後は難しくなくなったので、それで1970年代半ば以後はギルも結構な数のライヴ録音テープを残しているらしいのだが、話を持ち掛けてもどのレコード会社も首を縦に振らないもんだから、公式リリースされているものは全録音のごく一部に過ぎない。

僕は別にギルが商業主義とは無縁の純粋指向の芸術家だったとか、そんな事実をもってして彼を賛美する気はサラサラない。音楽家だってプロは商売でやっているんだし、第一ポピュラー・ミュージックはなるべく多くの人の耳に届いて=売れてこそ値打ちのある世界だ。売れないから素晴しいみたいな価値観はオカシイ。

だからギルの作品だって売れていればもっといろいろと調子良く物事が進んでいたはずなんだけど、ホント商売っ気のない音楽家だったので、食べていけるだけの最低限の収入だけ確保できさえすれば、あとは部屋に鍵をかけて奧さんにも入るなと厳命した上で、ひたすらピアノのある部屋で譜面に向っているような人物だった。

ジャズだってポップ・エンターテイメントに他ならず、ってことはもっと大勢の聴衆にアピールできるようなことをやった方がよかったんじゃないか(その点、本人は真逆の内容を発言しているがマイルス・デイヴィスはトップ・エンターテイナーだった)とも思うんだが、まあいろんな音楽家がいるよね。

なんというか大勢に好まれそうな表現をするならば「赤貧の孤高の天才芸術音楽家」ギル・エヴァンス。だから『プリースティス』になった1977年はニューヨークでのライヴ録音も、その六年後にようやくアンティルズというアイランド系のレーベルからレコードになって発売されたというわけだ。

しかしこの『プリースティス』、中身は最高に素晴しい。特にA面いっぱいを占める20分近いタイトル曲は圧巻の一言。こんな凄い内容の音楽をライヴで展開していたのに、すぐにリリースできない(いまだにできていない、あるいはLPでは出たがCDにはなっていないものが多い)なんて可哀想だったなあ。

A面いっぱいを占める「プリースティス」はギルの自作曲ではなく、ギルのバンド用にと一時期バンドによく参加しギルに協力していたテナー・サックス奏者ビリー・ハーパーの書いたオリジナル・ナンバー。何年が初演なのか僕は知らないが、僕の持っている最も早い録音は1972年東京でのセッションだ。

それは『菊地雅章+ギル・エヴァンス・オーケストラ』というアルバムで、CD化もされている名盤。この1972年がギルの初来日(その後88年に亡くなるまで計三回来日)で、しかも70年代末〜80年代初頭にギルとかなり密接な関係にありバンドにも参加し録音もある菊地雅章との初顔合せだったのかもしれない。

『菊地雅章+ギル・エヴァンス・オーケストラ』には「プリースティス」を書いたビリー・ハーパーが演奏でも参加している。この1972年の来日時のギルはハーパーとハンニバル・マーヴィン・ピータースンの二人だけを連れてやってきて、他は全員日本人ミュージシャンで録音したものだった。

といってもご存知の通りギルはジャズでは通常あまり使われない楽器、特に管楽器を頻用するので、日本人ジャズメンだけではギルの要求を満たすことができず、クラシック音楽の管楽器奏者をNHK交響楽団からピックアップして参加させている。1972年当時としては画期的な録音セッションだった。

1972年録音の『菊地雅章+ギル・エヴァンス・オーケストラ』収録ヴァージョンの「プリースティス」を、77年ライヴ録音の『プリースティス』収録ヴァージョンと聴き比べると、各人のソロ内容など全体的には後者の方がはるかに活気に満ちてずっと躍動感があるけれど、管楽器アレンジの細部は前者が上かも。

音楽はとにかく聴いてもらわなくちゃね。幸いにして両方とも YouTube に上がっているので貼っておく。

1972年菊地雅章との共演ヴァージョン→ https://www.youtube.com/watch?v=hE6qqD675AA
1977年ニューヨークでのライヴ録音→ https://www.youtube.com/watch?v=eTrLU88HCNE

どうだろう?1972年ヴァージョンの「プリースティス」では最初のテーマ演奏の際サビで複数のフルートがヒュルルル〜と鳴る音が入るあたりの絶妙さは見事だし、それ以外の部分でもホーン群のアンサンブルの彩りが鮮やかだ。それに対し77年ヴァ−ジョンでのアンサンブルはやや一本調子な感じがする。

しかしながら各人のソロ内容は1977年ヴァージョンの方がはるかに素晴しいように僕には聞える。1972年ヴァージョンではテナー・サックスのビリー・ハーパー、フェンダー・ローズの菊地雅章とソロが続き、その次のテナー・サックス・ソロはおそらく峰厚介が吹いているんだろう(クレジットはない)。

それら三人のソロの背後で入る管楽器リフ、特に木管の響きは素晴しい。しかしソロ内容そのものは僕はそんなに特筆すべき内容だとも思わない。それに対し1977年ヴァージョンでは、アルト・サックスのデイヴィッド・サンボーン、トランペットのルー・ソロフ、アルト・サックスのアーサー・ブライスの順で出る。

1977年の「プリースティス」ではその三人のソロ内容が傑出しているじゃないか。特に一番手のデイヴッド・サンボーンは、僕がこれを初めて聴いた1983年当時とんでもない衝撃だった。ここまで吹けるサックス奏者のイメージは失礼ながら全く持っていなかったので、同じ人なのか?と疑いたくなったほど。

サンボーンのアルト・ソロは音色もしっとりと濡れていて艶がある。それだけならこの人は前からそうだったが、「プリースティス」ではかなりハードで激しい内容のブロウで、フレイジングもいいしリズム感も抜群、言うことのない文句なしの内容だ。いやあ、この人、こんな凄いサックス奏者だったのか。

こんなアルト・サックス・ソロが一番手で出るわけだからそれだけで降参してしまうが、これまた見事な二番手のルー・ソロフ(ここで彼が吹くのはピッコロ・トランペット)を挟み、三番手で出るこれまたアルト・サックスのアーサー・ブライスのソロが見事なんていう言葉では到底表現できない極上の内容。

アーサー・ブライスはお聴きになれば分る通り、ちょっとエリック・ドルフィー的なフリーキー・トーンを鳴らす瞬間も何度かあるけれど、やはりドルフィーと同じくフリー・ジャズなスタイルの人ではなく、ちょっぴりアヴァンギャルドな感じに聞えるだけの守旧派、ポスト・ビバッパーというような人だ。

しかし1977年の「プリースティス」でのブライスはかなり自由に吹いている。しかも彼のソロ・パートに来るとなぜか伴奏がおとなしくなって、リズム・セクションの音も控目というか、バックではほぼ誰も演奏していないというに近いような無伴奏アルト・サックス・ソロみたいになっている。これはギルのアレンジなんだろう。

ブライスはこういう無伴奏演奏が得意なサックス奏者なのだ。「プリースティス」では伸び伸びと自由に(すなわり言葉本来の意味で「フリー」・ジャズなスタイルで)吹いている。途中エレキ・ギターの一瞬のフレーズに触発されて中近東風のメロディを奏でるあたりも僕は大学生の頃から好き。

こんな凄いソロ内容が続く『プリースティス』A面いっぱいを占めるタイトル曲を聴いちゃったら、B面はオマケだとしか聞えない。昔から僕はA面ばかり聴いていて、B面はイマイチに聞えるのでその後はあまり聴いていないという有様。こんな抜群の内容の1977年ギルのライヴ盤。村井さんの解説付で日本盤CDも出て良かったよなあ。

2016/08/20

ジョアナ・アメンドエイラはこんなにも凄い歌手だったのか!

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昨年前半のドルサフ・ハムダーニ、後半のレー・クエンに続く女性ヴォーカルもののヘヴィー・ローテイション・アルバムが登場した。ポルトガルのファド歌手ジョアナ・アメンドエイラの新作『ムイト・ジポイス』だ。届いて以来ほぼ毎日聴いている。僕がお金持ちなら100枚くらい買ってみんなにタダで配って廻りたい。

100枚買ってみんなに配りたいなんてそんな気分になったのは久しぶり。というのは僕の場合はウソで、僕はちょっとでもこりゃいいねと思った音楽アルバムは、すぐにみんなで共有したい、そのためにタダでみんなに配りたいという気分になってしまう人間。実際似たようなことをやってきたのというのが事実。

非流通品とかブートレグならともかく正規商品をコピーして人にあげちゃイカンだろう、違法だろうと言われそうだけど、お金をもらっているわけじゃないから大目にみてほしい。それに音楽ファンなら、お金のない10代の頃、みんな友人からレコードを借りてカセットテープにダビングしたりしたことがあるだろう。それと同じようなもんだ。

レコードやCDの貸借りをして持っていないものをダビングしたり、もらったりなどしたことが全くない音楽ファンというのが存在するとはちょっと考えにくい。そんなのは音楽ファンじゃないぞなんて言う気はサラサラないけれど、ごくごく日常的な当り前の行為だ。今でも僕はマイ・ベスト・コンピレイションCD-Rをたくさん作って、いろんな友人にプレゼントしている。

ともかくそんな「たくさん買って聴いていないみんなにタダで配りたい」という気分に、たった一回聴いただけでなってしまったジョアナ・アメンドエイラの今年2016年の新作『ムイト・ジポイス』。こりゃとんでもないお化けアルバムだ。なんなんだろうか、この迫力と凄みに満ち満ちた歌声は。

ジョアナのこの新作について、荻原和也さんがブログ記事で「第一声で撃沈」と書いてらしたけれども、僕も全く同じだった。一曲目の出だし、ほんの一秒で完全にハートを鷲掴みにされてしまったよ。いきなりアカペラで歌いはじめる一曲目「コン・ペナサ・ジ・テルヌラ」では、しかし直後にウッド・ベースの音が入る。

だからジョアナがアカペラで歌いはじめると言っても、それは一秒か、あるいは一秒もないような非常に短い瞬時のことで、即、次の瞬間にコントラバイショ(コントラバス、すなわちアップ・ライト型のウッド・ベース)の音が入る。しかしそのほんの瞬時のアカペラ部分でのジョアナの声が異常に素晴しい。

これはおそらくヴォーカル好きの音楽リスナーならジャンルを問わずほぼ全員心を奪われてしまうであろうような、そんな歌いっぷりなのだ。荻原和也さんが「第一声で撃沈」され僕もそうだったのは、ジョアナの歌声のあまりの迫力と壮絶さに惚れ惚れさせられてしまったってことだ。

一曲目では、最初瞬時にアカペラ・ヴォーカル、次いでコントラバイショが入り、しばらくこの二人のデュオで進む。一分も経たないうちにヴィオーラ(はギターのこと)が、そしてその後ギターラ(はギターの意だが、楽器としてはギターではない)の音が聞えはじめる。その一分ないデュオ部分が極上品。聴けば誰だってノックアウトされるはず。

ちなみにファンならみなさんご存知のことだけれど、一応書いておくと、ギターではないと書いたギターラは、ギターラ・ポルトゥゲーザ(訳せばポルトガル・ギターになってしまうが)といって、これはいわゆる通常のギターとは起源の異なるもので、リュート族の弦楽器。

いわゆる通常のクラシック・ギター(あるいはスパニッシュ・ギター)をヴィオーラと呼ぶ。ヴァイオリン族のいわゆるヴィオラではなく、通常の六弦クラシック・ギターのことなのだ。ギターラがギターではなく、ギターはヴィオーラだなんて、なんだかちょっと紛らわしいよねえ。

ジョアナの新作『ムイト・ジポイス』でもギターラとヴィオーラ奏者の二人が伴奏の中心になっているという、伝統的なファドの伴奏スタイル。ギターラの担当がジョアナのお兄さんペドロ・アメンドエイラで、ヴィオーラの担当がロジェーリオ・フェレイラ。ジョアナのアルバムではお馴染みの二人。

ジョアナのヴォーカル・スタイルも伝統的ファド歌手のそれだ。はっきり言えばアマリア・ロドリゲス直系。しかしこのジョアナというフェディスタ、僕はデビュー三作目の2003年作『ジョアナ・アメンドエイラ』で知って、それ以来ずっと買っているんだけど、アマリアまでは遠いなあと思っていた。

そりゃいくらなんでもアマリアと比較することはできないね、まだまだ距離があるねと思いながら、しかしジョアナもその衣鉢を継ぐファド歌手として、アマリアが1999年に亡くなって以後はこの人なんだろうというのを、2003年のアルバムを聴いた時に感じて、その後はずっと愛聴してきた。

しかし距離がある、遠いと思い続けてきたアマリアのその境地に、ジョアナの今年2016年の新作『ムイト・ジポイス』ではかなり接近しているんじゃないかと僕は思う。到達したなどとは決して言えないが、相当いいところまで来ているのは間違いないように思う。それくらいこの新作は素晴しすぎる。

『ムイト・ジポイス』に収録されているのは全16曲。と言ってもジャケ裏の記載では最後の二曲はボーナス・トラックとなっている。しかし僕が買ったのは日本盤ではなくCNM(Companhia Nacional de Musica)盤だ。オリジナルじゃないの?それでボーナス・トラック入りって、まあ最近はよくある。 

書いたように全16曲、ギターラ奏者とヴォオーラ奏者中心の伴奏だけど、三曲だけピアノが入る。特に五曲目「オ・アヴェッソ・ド・デスティノ」ではピアノ一台だけの伴奏で歌っている。これはトラディショナルなファドではちょっと珍しいんじゃないろうか?モダンなフィーリングがあるように聞える。

その他12曲目「セ・エウ・ペディール・オ・ソル、16曲目「ファド・ド・エンバロ」でもピアノが入っている。前者では二台の弦楽器も鳴っていて、アンサンブルのなかの一員という感じでピアノの音は控目だけど、アルバム・ラストの後者では、五曲目同様ピアノ一台だけが伴奏をやっている。

つまりアマリア直系の伝統的ファド歌手としてやりながら、そこに現代風味も足しているというわけだ。四曲目「リスボン・ダ・マドルガーダ」ではギターラ・クラーシカという楽器名もクレジットされているが、これはおそらく通常のナイロン弦クラシック・ギターなんだろう。つまり弦楽器三本の伴奏になっている。

その四曲目での三人のギター・アンサンブルはなかなかカラフルでチャーミング。それに乗って歌うジョアナも軽快なスウィング感を出す。間奏で短いソロをいわゆる通常のギターの音(ヴィオーラかギターラ・クラシーカか、僕の耳では分らない)で弾くが、それはどうってことない。だいたいアルバムを通し楽器のソロはほぼない。ファドではだいたいそうだよね。

九曲目「エ・ア・オラ」ではいきなり口笛の音が聞え、それも明るく軽い感じだからファドでは珍しいなあと思って聴いていると。男性ヴォーカルが聞えはじめる。パウロ・ジ・カルヴァーリョとなっている。1970年代から活動している男性ファド歌手らしいが、僕はちゃんと知っているわけではない。

その一曲以外は全て歌うのはジョアナ一人。パウロ・ジ・カルヴァーリョがゲスト参加で歌う一曲もいいんだけど、書いたようにアルバム一曲目出だしにおけるジョアナの声のいきなり一秒(未満)で、たったそれだけで脳天カチ割られてしまった僕としては、歌うのはジョアナ一人で充分だったような気がしてしまう。

そう思ってしまうくらい新作『ムイト・ジポイス』でのジョアナのヴォーカルにはとんでもない凄みがある。こんなにまでも凄みに満ち満ちた歌手になってしまうなんて。今まで聴いていた五枚のアルバム(うち一枚はライヴ盤)も大変素晴しかったけれど、新作はこりゃもう全然別次元の宇宙に行ってしまっているなあ。

こんなに凄いヴォーカル・ミュージックって久しぶりに聴いたような気がする。良い歌手なんだぞと一部界隈では大変に評価の高いヴェトナム人歌手レー・クエンも本当に素晴しいんだけど、ジョアナはまた違った持味だよね。どっちがより凄いかなんてことは軽々しく言えない。味が違うんだからそんな比較は無意味だ。

しかし日本ではおそらくエル・スールでしか買えない(んだろう?)レー・クエンその他とは違って、ジョアナはワールド・ミュージック専門店でなくても、普通にアマゾンなどでも簡単に買える。新作『ムイト・ジポイス』だってライスから日本盤も出た模様だから、通常の路面店でも楽に買えるはずだ。

そういうわけだから、あるいはひょっとしてまだジョアナ・アメンドエイラというファド歌手をご存知ない方は、是非新作『ムイト・ジポイス』を買って聴いてみていただきたい。ここまで磨き上げられた高みに到達した歌手ってそうそういないし、こんなにも凄みに満ちたヴォーカル・アルバムも滅多にないよ。

2016/08/19

テオのテープ編集にギルの影あり

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テオ・マセロによるテープ編集が見事だと評価の高いマイルス・デイヴィス『イン・ア・サイレント・ウェイ』。最も編集されているアルバムだ。以前もこれについては詳しく書いたので(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-409e.html)繰返さないが、特にB面で二曲を繋ぐというあの着想は素晴しい。

『イン・ア・サイレント・ウェイ』B面の冒頭部と最終部で「イン・ア・サイレント・ウェイ」の同じ演奏をリピートし、その中に「イッツ・アバウト・ザット・タイム」をサンドイッチするという、あのテオのテープ編集は、しかしその時初めて思い付いたものではないように僕は思う。伏線があるのだ。

一番はっきりとそれが分るのは『イン・ア・サイレント・ウェイ』の前作1968年の『キリマンジャロの娘』A面二曲目の「トゥー・ドゥ・スイート(急いでね)」。これはテープ編集はされていない。演奏自体が『イン・ア・サイレント・ウェイ』B面と同じような構造になっているんだよね。
お聴きになればお分りの通り、冒頭部と最終部で同じ演奏をしているが、マイルス以下メンバーがソロを吹く中間部はそれとは全く無関係なものなのだ。以前も触れたが、この曲の冒頭で弾くハービー・ハンコックのエレピはファンキーなリズム&ブルーズ調だよね。

そのファンキーなハービーのエレピとロン・カーターのエレベを中心にした伴奏の上で、マイルスとウェイン・ショーターがハモりながらテーマ・メロディであるかのようなものを演奏している。その部分はジャズというよりもリズム&ブルーズに近いようなフィーリングだ。大好きなんだなあ僕はこの部分が。

しかし僕の大好きなそのファンキーな冒頭部は2分30秒で終り、直後にハービーがあらゆる意味でテーマ・メロディとは無関係なリズミカルなリフをエレピで弾きはじめ、トニー・ウィリアムズがそれに導かれてせわしないリズム・パターンを叩きはじめる。そこからすぐにマイルスのソロがはじまっている。

マイルス、ショーター、ハービーの順でアドリブ・ソロが続くんだけど、その部分のリズムは背後のトニーがシンバルやハイハットを忙しそうに叩いていることもあって、急速調というのでもないがちょっとせわしないというかリズミカルだよね。そして冒頭部のテーマ(?)とは調性的にも全くなんの関係もないのだ。

三人のソロが終る10:51あたりから、ハービーが再び冒頭部と同じ調性のファンキーな演奏をはじめ、リズムの感じも同じくゆったりとしたリズム&ブルーズ・フィーリング。そしてマイルスとショーターがやはり冒頭部と同じテーマ・メロディ(?)を吹く。ただ中間部みたいな感じもちょっぴりある。

その2:30あたりと10:51あたりのハービーの弾き方を聴くと、冒頭部ならびにそれと同様な最終部と、それとは無関係な中間部をテープ編集で繋いでいるのではなく、一続きの連続演奏だったことが分る。それら二箇所の調性とリズムが変る部分は、ハービーのエレピによってスムースに移行している。

しかしスムースとはいえ本当になんの関係もないからなあ。フリー・ジャズなどを除くジャズ系音楽ではテーマ・メロディがある際、普通はそのテーマのコードやスケールに基づいてアドリブ・ソロが展開される場合が多く、マイルスだってずっとそうだった。少なくとも『キリマンジャロの娘』まではね。

ところがこの「トゥー・ドゥ・スイート」はそういう構造にはなっていない。アドリブ・ソロを展開する中間部は、最初と最後にリピートされるテーマ・メロディ(?)とは無関係だ。これを別の曲として別個に演奏してあったのを編集で繋いだのではなく、元演奏からそういう具合にやっているわけだからなあ。

だからこの「トゥー・ドゥ・スイート」は翌年の『イン・ア・サイレント・ウェイ』B面の雛形みたいなものなのだ。こういう構造の一続きの演奏を思い付いたマイルスはどこらへんからそのアイデアを持ってきたのかちょっと分らないんだけど、ひょっとしたらギル・エヴァンスが噛んでいたかもしれない。

というのは1960年の例のマイルス+ギルのコンビ作『スケッチズ・オヴ・スペイン』。あれのB面二曲目に「サエタ」という曲がある。ギル・エヴァンスのオリジナル・ナンバー。この曲の構造がやはり同様に冒頭部・最終部と、ソロを吹く中間部が独立しているのだ。
お聴きになればお分りの通り、「サエタ」では最初オーボエの音ではじまったかと思うとマーチング・バンド風なスネア・ドラミングが入って、続いてやはりマーチ風なホーン・アンサンブルが鳴る。しかしそれはすぐに終ってマイルスのソロになるんだけど、その部分はマーチ風の冒頭部とは無関係だ。

無関係だというのは主に調性的な意味で、スネアによるほんのちょっぴり冒頭部と似たようなドラミングがマイルスのソロの背後でも聞えはする。しかしそれはかなり音も小さく地味で、さらにそのマイルスのソロ部分ではアレンジされたホーン・アンサンブルみたいなものは、ほんのりとかすかなものでしかない。

冒頭部のマーチ風なホーン・アンサンブルをもし仮にこの曲のテーマ・メロディだと呼ぶならば、その後に出るマイルスのソロはそれに基づいていないのだ。調性的にもその他どんな意味でも。そしてマイルスのソロがひとしきり終ると、再び冒頭部と全く同じマーチ風のアンサンブルが出てくるんだよね。

すなわり1960年の「サエタ」は、アドリブ・ソロを展開する中間部を、それとは無関係な冒頭部と最終部がサンドイッチ状に挟み込んでいるわけだ。マイルスの録音史上そういうことをやったのは、僕の知る限りではこの60年「サエタ」が初。これは間違いなくギル・エヴァンスのアレンジによるものだ。

そしてこの1960年の「サエタ」以後には68年の「トゥー・ドゥ・スイート」、69年の『イン・ア・サイレント・ウェイ』B面という二つの同様のパターンが聴けるわけだ。もちろん最初の二つが元演奏からそうなっているのに対し、最後のはテープ編集でテオがそういう形にしたわけなんだけどさ。

1968年の『キリマンジャロの娘』録音時のセッションにはギル・エヴァンスが関わっていたことが知られている。ギルが直接的にアレンジしたみたいなものはA面ラストの「プチ・マシャン」だけで、これはそもそも作曲だってマイルスとクレジットされてはいるものの、本当はギルの自作曲「イレヴン」だもんね。

しかしギルが関わったのは本当に一曲だけだったのだろうか?『キリマンジャロの娘』収録曲を録音した1968年頃にはギルとマイルスは再びかなり接近していたことが今では知られている。緊密に連携を取り、マイルスの録音セッションにしばしばしばギルは顔を出し助言などもしていたようだ。

1968年におけるこの両者のコラボの直接的な痕跡はリアルタイムでは「プチ・マシャン」の作編曲だけ。しかし未発表だった録音が少しあって、そのなかから一曲「フォーリング・ウォーター」一曲の四つのテイクだけが今では日の目を見ている。1996年リリースのマイルス+ギル完全箱にあるものだ。

そのマイルスとギルの『ザ・コンプリート・コロンビア・スタジオ・レコーディングズ』六枚組の四枚目に入っている「フォーリング・ウォーター」は1968/2/16録音で、ギル・アレンジのビッグ・バンドに当時のマイルス・レギュラー・クインテット、そしてギターでジョー・ベックが参加している。

「フォーリング・ウォーター」の四つあるテイクのどれを聴いても全部完成品とは言い難い出来。およそ実験の域を出ないものだね。前々から僕も何度か書いているように1967年11月頃からのスタジオ・セッションでのマイルスはエレキ・ギターやエレピなどを使って種々の試行錯誤を繰返していた。

そのような一連の模索が実験品ではなく完成品となって実を結んだ初のものが1969年2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』だということになっている。そしてそのB面におけるテオの見事なテープ編集。しかしその伏線みたいなものは既にあったわけなんだよね。それにはギルが関係していたんじゃないかなあ。

1960年『スケッチズ・オヴ・スペイン』の「サエタ」が書いたような構造の曲で、それがギルの着想だったのは間違いないんだから、やはりギルがマイルスに再接近していた68年録音の『キリマンジャロの娘』における「トゥー・ドゥ・スイート」が同様の構造になっているのにだってギルが関係していた可能性はあるだろう。

そしてそういうギルのアイデアによるそういった、いわば劇場の幕が開くオープニングと閉じるクロージングに挟まれて、直接それとは関係ない本番演奏が展開するような、そんな構造の<曲>に創り上げるというものをテープ編集でやってしまうというテオの発想は、やはりギル由来じゃないのかなあ。

ちなみに『スケッチズ・オヴ・スペイン』はテオ単独のプロデュースではなく、アーヴィング・タウンゼンドとの共同制作となっている。テオはもちろん、マイルスも本人の正反対の強気発言とは裏腹に、少なくとも音楽的には過去をよく振返っていたってことだよね。そしてそこからいろんな着想を得ていたに違いない。

2016/08/18

ブルーズ進行

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今はどうだか知らないが昔の大学のジャズ研ではこういうことをやっていた。入部希望の新入り学生が来ると、12小節のいわゆるブルーズのコード進行の楽曲をカセットテープにダビングしてあるのを早送りして、いきなり途中から聴かせ、「今、何小節目なのか?」を当てさせるというテストだ。

だいたい四小節ほど聴いてそれが分らなかったら失格だから帰りなさいとなる。僕はジャズ研に所属したことはないんだけど、よく遊びに行っていたので目撃したことがある。高校生の時にレッド・ツェッペリンに夢中になって、このバンドにもブルーズが多いのでコード進行は知っていた。

僕がギターをはじめたのは中学二年の時で、父親にせがんで安いアクースティック・ギター(当時はフォーク・ギターとよく呼ばれていたなあ)を買ってもらったんだけど、まだ音楽に夢中でもなかったのにどうしてギターがほしくなったのかは全く憶えていない。最初は「禁じられた遊び」などを練習していた。

ギター初心者が「禁じられた遊び」を練習するというのは、僕くらいの世代のかつてのギター・キッズならよ〜くご存知のはず(笑)。大抵のギター初心者用教則本に載っている有名曲だもんね。そしてタブ譜本があったので、それを見ながらレコードを聴いてどこを押えるのか憶えた。

だからギターをはじめた中学生の頃の僕はブルーズのコード進行のことなど当然全く知らなかった。知ったのは書いたように高校生になってレッド・ツェッペリンを聴くようになって以後だ。レコードを聴き、彼らについて書いてある様々な文章を読むと「ブルース」という言葉が実に頻繁に登場するもんね。

そんでもってちょっとコピーしたいなと思って楽器屋や本屋でツェッペリン曲集みたいなタブ譜本を買うと、それに彼らのやるブルーズのコード進行が載っている。当然だ。そしてブルーズのコード進行とはどういうものなのかということについて簡単な解説文みたいなものが載っていたように記憶している。

僕がブルーズのコード進行を意識した最初だ。その数年後にジャズに夢中になると、これまた12小節のブルーズ進行の曲があまりにも多く、というかそればっかりというくらいなもんで、それでこのブルーズ形式というものが、米英のポピュラー音楽ではなんだか必要不可欠のものらしいと分ってきた。

「ブルーズ」とは12小節とか3コード(だけというのは実は少ない)とかいう「形式」のことではなく「フィーリング」のことなんだと僕は思っているんだけど(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-1ef0.html)、でも楽曲形式としてのブルーズがそれを最もよく表現できるものであるのは間違いない。

ジャズでもロックでもブルーズ形式の曲が実に多いわけで、ちょっとでも楽器を触ったり歌ったりしたことがあってブルーズのコード進行を知らないという人がいるとは考えられない。そうなのだが、過去に一人だけそういうケースに遭遇したことがある。10年ほど前にネット上でお付合いのあったジャズ・ファン。

その方(おそらく僕より約10歳年下)は大学生時代に軽音部でドラマーだったということで、その時代のライヴ・セッション模様などを自分で YouTube にアップロードしたりしていた。ある時にマイルス・デイヴィスの『カインド・オヴ・ブルー』にはブルーズが二曲あるよねと僕が言うと、「ソー・ワット」はそうですか?と言われてしまった。

「ソー・ワット」は確かにフィーリングとしてはブルーズ的だけど、言うまでもなく形式はブルーズ楽曲ではない。いくらアマチュアでしかもドラマーだったとはいえ、演奏経験のある人でブルーズのコード進行を知らないというか聴いて分らないというのに遭遇したのは、唯一この時だけ。

ジャズやロックで和音や旋律を奏でる楽器奏者なら有り得ない話だが、ドラマーだってプロの演奏を聴くと、ブルーズ形式の楽曲でコードが変る節目とかワン・コーラス終って次のコーラスに入る瞬間などの切れ目切れ目にフィル・イン(いわゆるオカズ)を入れてアクセントを付けていることがよくあるじゃないか。コード進行を意識しながら叩いている。

僕の文章を普段からお読みの方で12小節ブルーズのコード進行をご存知ない方はいらっしゃらないはずだけど、念のために書いておくと、例えばキーがCだとすれば、

C7|F7|C7|C7
F7|F7|C7|C7
G7|F7|C7|G7

という感じが一般的。もっとプリミティヴなものもあるよね。

プリミティヴとは例えば上記のようなコード進行の場合、二小節目のF7がC7になって最初の四小節がずっとC7、10小節目のF7がG7、12小節目のG7がC7で、つまり最後の四小節がG7とC7が二小節ずつというもの。ブルーズマンのやるシンプルなブルーズ楽曲だとそういうものもあるよね。

ブルーズのコード進行とはこういうものなので、だから最初に書いたように知らない曲でも四小節ほど聴いて、今、12小節のなかの何小節目か判別できなかったら、その人はブルーズが分っていない、ってことは要するにジャズもほぼできないという烙印を押されて、ジャズ研への入部は断られてしまうのだ。

もちろんジャズ研でのそういう「入部試験」に用いられるのはジャズメンの演奏するブルーズだから、コード進行はもうちょっと複雑だ。上記のキーがCの進行だと、シンプルでも例えば九小節目のG7がDmになって、9〜10〜11〜12小節目がDm/G7/C7G7みたいな感じになる。

C7|F7|C7|C7
F7|F7|C7|C7
Dm|G7|C7|G7

Dm→G7→C7というお手本みたいなII→V→Iのドミナント進行って奴だ。ジャズではなくブルーズやロックでこの9→10小節目がG7→F7になっていることが多いのは、そっちの方がちょっと例外かもしれない。こんなコード・チェンジは他のあらゆる音楽で少なくとも僕は聴いたことがないんだなあ。ブルーズとロックだけだろうなあ。

このG7→F7みたいな一度平行移動の進行はクラシック音楽では「御法度」なのだ。禁止されていて使われない。ジャズメンがやるブルーズで、この9→10小節部分で違うコード進行になっているのは、あるいはジャズの場合やはり西洋音楽の和声システムの影響が色濃い音楽だってことなのかもなあ。

西洋クラシック音楽でこの一度平行移動がどうして禁止されているかというと、響きが非常に不安定で不協和的になってしまうから。ってことは逆に言えばブルーズやロックにおけるこの9→10小節目のコード進行は、不安定さとか不安でブルーな気持を表現するのにもってこいだってことでもあるなあ。

すなわち「不安」「憂鬱」という “blues” という言葉本来の意味に即したコード進行だということになる。だからこそこの部分に魅力があるのかも。ジャズメンがこの一度平行移動を使わないのは、やはりジャズはブルージーさより、もうちょっと安定して洗練された響きを求める音楽だってことなのかも。

ジャズ、特にモダン・ジャズの場合はもっといろいろな代理コードを使う。12小節目も一小節内を前半と後半で分割して別々のコードを置いたりするのは、ちょっとレコードを聴いてみればみんな分ることだ。12小節目の最後で一度に持ってこず和音的に解決せずに、なんだか宙ぶらりんのまま次のコーラスに入ったりするよね。

ブルーズのコード進行はもちろん(基本的な)3コードばかりではない。コードがずっと変らないワン・コード・ブルーズもたくさんある。ひょっとしてブルーズというものが誕生した19世紀後半頃のものは多くがワン・コードだったのかもしれない。その時期の録音はないわけだから確証は持っていないのだが。

PヴァインがリリースしたCD四枚組アンソロジー『戦前ブルースのすべて 大全』の一枚目最初の七曲くらいが、そういった初期ブルーズというかプリ・ブルーズみたいな録音だ。といってもそれらの録音時期は1920〜30年代だけれども、プリ・ブルーズの形を残しているものの実例ってことなんだろう。

それら『戦前ブルースのすべて 大全』一枚目最初の七曲を聴くと、しかしワン・コードのものもあるけれど、そうではないものの方が多い。でもまあチューニングのいい加減なギターの、ひょっとしたらコード弾きではなく一本の弦だけビロ〜ンと鳴らしながら、三段落ちみたいな歌詞を歌っていたかのかもなあ。

三段落ちってのは重要で、その後ブルーズ形式がはっきりと固まってくると、上記のように四小節ひとかたまりになってそれが三段階で動くというものになっていくからだ。「女が逃げた」「女が逃げた」「俺は泣いてるぜ」みたいな感じ(笑)。なんだそれ、アホみたいじゃないかと思うだろうが、その後も根本的には同じようなもんだ。だから歌詞の意味内容なんて・・・。

しかもプリ・ブルーズや最初の頃のブルーズは、コードが3コードに限らないばかりか12小節でもない。もっと自由なもので、ワン・コーラスとか小節数とかの概念すらもおそらくは存在しない。ただギターを鳴らして、あるいは楽器伴奏なしの歌だけで、融通無碍なものを歌っていたんだろう。

ブルーズの商業録音がはじまる1920年代以後も、カントリー・ブルーズの世界ではしばしばワン・コーラスの小節数は決っておらず、コード進行もかなりシンプルなものがある。戦後になってもライトニン・ホプキンスなどのやるブルーズを聴くとそれがよく分るよね。ジョン・リー・フッカーもワン・コード・ブギばっかりだ。

それでもライトニン・ホプキンスやジョン・リー・フッカーや、あるいはマディ・ウォーターズのやるワン・コード・ブルーズなどを聴いて、非常に強烈なブルーズ・フィーリングを誰でも感じ取れるわけだから、従ってブルーズとは「12小節3コード」という形式のことではないということになるわけだ。

複数が集ってバンドでやる時は、あらかじめ形を決めておかないとどうにも合せられないけれども、一人での弾き語りであれば、形なんか自由きままにどうにでもできちゃうもんね。昔も今もシティ・ブルーズは大抵バンドだけど、カントリー・ブルーズの世界では一人でやる場合が多い。

しかしながら12小節で、しかも上で書いたような3コード(に近い)進行というものに、基本的には形式が定ったからこそ、ブルーズがこれだけ普及し、アメリカ黒人だけでなく人種・国籍問わず世界中の大勢が真似できるようになったというのは事実だろう。それだけ麻薬的中毒性の強い楽曲形式ってことなんだよね。

2016/08/17

『史上の愛』はラテン・ポップ作品

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ジョン・コルトレーンの最高傑作ということになっている1964年録音翌65年リリースの『至上の愛』はラテン(〜アフロ)・ポップ・アルバムなんじゃないかと今の僕には聞える。こんなことを言うと、普通の多くのコルトレーン愛好家やジャズ・ファンのみなさんは、絶対コイツ頭オカシイぞと思うだろうね。

僕よりも約一廻り上の世代で、1960年代のジャズを精神性がどうたらとかおっしゃる方々には、絶対にラテン・ポップだなんて思えないはずだろう。僕は世代的にも精神性云々が分らない人間だから、音の楽しさ、美しさしか聴かないという人間。まあ世代のせいではないのかも。

纏わり付くいろんな情報、はっきり言うとそれは雑音だけど、それを剥取ってコルトレーンの1960年代音楽の「音」だけを聴くと、面白さはリズムにあったと思うのだ。特に最初に書いたように『史上の愛』は相当にラテンなリズムで、しかもかなりポップですらあるように聞える。

まあホント『史上の愛』がラテン・ポップだとか言っている人はおそらく世界中に誰もいないと思うので、だからこの文章を書いて公にするのはちょっと勇気がいるんが(その意味では僕も若干1960年代的な聴き方のニュアンスを引きずっている)、この際に長年考えてきたことをはっきり書いてしまおう。

『史上の愛』がラテン〜アフロだと言うと、おそらく殆どの方はドラムスのエルヴィン・ジョーンズが叩出すリズムがそんな風に聞えるっていうことじゃないかと推測するだろう。それはビンゴだ。特にA面の二曲(曲というかなんというか)「承認」と「決意」にはそれがかなり鮮明に出ているよね。

一曲目の「承認」は幕開けこそやや大袈裟というか大上段に構えたようなものだけど、それはほんの30秒ほどで終って32秒目あたりからジミー・ギャリスンの弾くベース・リフというかオスティナートが入ってくる。反復されるそのベース・オスティナートに乗って他の三人が演奏を繰広げるという構造。
事前に決っていたのはおそらくそのベース・オスティナートだけだろうと思う。そのオスティナートは当然一定の調性というかモード(スケール)に基づいて、おそらくは主役のコルトレーンが用意していったかその場で思い付いたかのどちらかだ。ってことはこれはファンクの手法じゃないか。

だってベース・リフと一個(か二個程度)のコードやスケールだけ決めておいて、反復されるそのリフの上にあらゆる音を乗せて組立てていくってのは、このちょっと後にジェイムズ・ブラウンらがはじめるファンク・ミュージックの手法だよ。『史上の愛』一曲目「承認」はひょっとして史上初のファンク・チューンかも?

そのジミー・ギャリスンの弾くベース・リフも全然抽象的でも難解でもなく、非常に明快で分りやすくポップなフレイジングだよね。このフレイジングは「承認」でその後に出てくる「あ・ら〜ゔ・さぷり〜む」という合唱と同じメロディだから、やはりこれはコルトレーンの書いたものなんだろう。

ということは「承認」はなにからなにまで全てその一定のリフに基づいて緊密に組立てられているというか強くアレンジされているってことだよなあ。事前にコルトレーンが練り込んでいたんだろう。さっき書いた「その場の思い付きだった可能性」の文言は撤回する。

「承認」の終盤六分過ぎから聞える「あ・ら〜ゔ・さぷり〜む」という合唱。はっきり言って歌というより呪文とか念仏みたいなもんだろうけど、この言葉の意味どうこうよりも、1964年のコルトレーンがヴォーカルを用いて合唱のようにそれを自分の音楽になかに入れたという事実こそが重要だろう。

ただその呪文のように繰返されるヴォーカルが「史上の愛」という意味の英語だし、それがアルバム・タイトルにまでなっているわけだから、1965年リリース当時から(おそらく)現在に至るまで、このアルバムはコルトレーンの精神世界を表現した高度に思想的なジャズ・アルバムとして聴かれてきた。

しかし何度も繰返すけれど、歌詞とか言葉の意味ってものは音楽にとってさほど重要なものではないだろうという、僕はそういう考えの持主だから、呪文のようにリピートされる「あ・ら〜ゔ・さぷり〜む」を聴いても、ただ単にそのメロディがポップだなと感じるだけなのだ。だいたいそんなたった一言で思想がどうたらはオカシイ。

要するに「承認」は相当にポップなんだよね。ラテン・ポップ・チューンなんだ。冒頭でジミー・ギャリスンが反復的に弾き、終盤でヴォーカル・コーラスで呪文のように反復されるその同じフレーズを聴けば、誰だってそう感じるはずだ。そう感じないとすれば、それは1960年代的思想性に目(耳)が眩んでいるだけだろう。

しかも「承認」全編を通してエルヴィンが叩出すポリリズムは普通の4ビートなんかじゃなくて、もっと複雑な、いわばラテン〜アフリカンなものだよね。特にシンバルとスネア(なかでもリム・ショット)でそれをはっきりと表現している。僕にはラテン〜アフロ・ジャズにしか聞えない。

『史上の愛』はフリー・ジャズ作品ではないけれど、同時代のフリー・ジャズは、かつて油井正一さんが喝破したように、祖先たるニューオーリンズ・ジャズへの、そしてそれを通り越してさらにそのルーツたるカリブ音楽への先祖帰りだという側面があった。オーネット・コールマンやアルバート・アイラーならそれが鮮明に分る。

油井さんが「ジャズはラテン音楽の一種」だと書いたのはそういうことも含んでのことじゃないかなあ。ジャズは誕生当初からカリブ〜ラテン音楽の強い影響下にあって、初期ジャズにそれが濃厚だというだけではなく、1960年代(フリー・)ジャズがそういうものだという意味でも指摘したに違いない。

そういうラテン・テイストを僕は『史上の愛』にもかなりはっきりと感じるんだよなあ。特にエルヴィンのドラミングに。エルヴィンの叩出すラテン〜アフリカンなポリリズムは「承認」だけでなく、二曲目の「決意」でも濃厚に出ているもんね。一聴静かなB面の二曲ですらそれはかなり表現されている。
B面一曲目の「追求」はエルヴィンのドラムス・ソロからはじまって、それがしばらく続いたあとコルトレーンのテナー・サックスが出てきて、すぐにマッコイ・タイナーのピアノ・ソロになる。そのピアノ・ソロ・パートはフラットな4ビートだけど、普通のモダン・ジャズのそれよりもちょっと複雑なものだ。

「追求」ではその後コルトレーンのソロになるんだけど、その部分ではフラットなビートではなくなってエルヴィンが爆発していて、こんなポリリズムをたった一人、手と足の計四本だけで同時に叩出しているとは思えないようなものだ。これはもはやアイリッシュ・ミュージック・ルーツのアメリカ音楽に多いフラットなビート感じゃない。
ジャズでもロックでもなんでもメインストリームのアメリカ大衆音楽のビートは、アイリッシュ・ミュージック由来の2〜4〜8拍子系のわりとシンプリファイされたものなんだけど、ラテン音楽やアフリカ音楽のもっと複雑なビートに1960年代以後のアメリカ音楽は接近したと思うのだ。

当然ながらジャズでも例外ではなく、1960年代以後複雑なリズムがだんだん増えてくる。本格化するのは複数のドラマーやパーカッショニストを常時用いるようになる70年代以後だけど、既に60年代からコルトレーンやその他数名はその種の試みに踏込んでいて、それを代表したのがエルヴィンだ。

B面二曲目、すなわちアルバム・ラストの「賛美」だけがリズムの面白さが殆どなくポップでもなく、一曲全体にわたってテンポ・ルパートでコルトレーンが朗々と吹くというもの。今の僕にははっきり言ってこれだけは『史上の愛』のなかではあまり面白く聞えない。もはやオマケだとしか思えないなあ。
そんな具合で今の僕の耳にはラテン〜アフリカンなポップ・アルバムに聞えるコルトレーンの『史上の愛』。コルトレーンでアフリカというと、みなさんインパルス移籍後の初作品1961年の『アフリカ/ブラス』を思い浮べるんじゃないかなあ。でもあれは音楽的にはどこにもアフリカ要素がない。

『アフリカ/ブラス』ではA面いっぱいを占める長尺曲が「アフリカ」というタイトルなんだけど、これも一体どのへんがアフリカなのか、墓場に眠るコルトレーンに聞いてみたい気持だ。B面なんかもはやなんの関係ないし、アルバム・タイトルの「ブラス」の方に力点が置かれているような音楽性だしなあ。

それよりもやっぱり『クル・セ・ママ』だよなあ。1965年10月録音の一曲目アルバム・タイトル曲ではドラマーもエルヴィン以外にもう一人いて、さらにパーカッショニストも参加。そのパーカッション担当のジュノ・ルイスが書いた曲。ヴォーカルだって大胆に使ってあるもんね。
この「クル・セ・ママ」を書き、各種パーカッションとヴォーカルで演奏に参加して非常に重要な役割を担っているジュノ・ルイスというのがどういう人なのか僕はよく知らない。だけど音楽を聴くと、このアルバムこそコルトレーンが最もワールド・ミュージックに接近した一枚なのは間違いない。

『クル・セ・ママ』の話とか、こういう複合的なリズム重視の1960年代コルトレーン・ミュージックの本質を最もちゃんと理解して継承・発展させたのが、かつてのボスだったマイルス・デイヴィスだとか、そういう話は今日はやめておく。以前も触れたように本一冊になりそうなくらい言いたいことがあるから。

とにかく僕が一番言いたいことは、僕らは音楽を楽しんでいるんであって、そんな高邁なメッセージに触れたいのであれば音楽を聴くのなんかやめて哲学書とか思想書を読めばいいだろうってことだ。コルトレーンが敬愛していたラヴィ・シャンカルが、「音楽ってのは美しいもんなんだぞ」と生前のトレーンに諭したらしいよ。

2016/08/16

ヒンヤリ爽快なピシンギーニャやらビートルズやら〜カロル・サボイア

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今年2016年6月(だったっけ?)に日本盤もリリースされたブラジル人女性歌手カロル・サボイアの新作『カロリーナ』がかなりいい。僕はこれが初カロル・サボイアで、それまで名前すら全然知らなかったのだが、その後調べてみたら、新作を含め既に12枚もアルバムを出している中堅どころだなあ。

そのジャケット一覧がこれ→ http://www.carolsaboya.com/gallery.php  これはカロル・サボイアの公式Webサイトだ。英語で簡単な略歴紹介が掲載されている→ http://www.carolsaboya.com/text_block.php?psi=48  (どちらもアクセスしただけで自動的に音楽が鳴ります)。これには書いていないがカロルは1975年生まれ。

これらは新作『カロリーナ』がかなり良かったように思うので調べてみただけ。名前も知らなかったカロル・サボイアの『カロリーナ』をどうして買ったのかというと、フォローしているオフィス・サンビーニャの公式Twitterアカウントがこのアルバムのリリースをアナウンスしていたからだ。

それでちょっと覗いてみたら、なんとピシンギーニャの「1×0」をやっているとなっているじゃないか。何度も繰返している通り僕の最愛ショーロ・ナンバーだ。それだけで購入を決めた僕。値段の安い輸入盤の方をね(サンビーニャさん、ゴメンナサイ)。同様の理由で昨年はブラジル人ギタリスト、アミルトン・ジ・オランダのピシンギーニャ曲集も買った。

昨年のアミルトン・ジ・オランダのピシンギーニャ曲集の方はどうってことなかったというかつまらなかった。一曲ごとに演奏メンツが異なるそのアルバムで「1×0」をやっているのはウィントン・マルサリス。もちろんあのアメリカ人ジャズ・トランペッター。彼とアミルトンのギターとのデュオ演奏。

まあその〜、ウィントン・マルサリスは面白くもなんともないトランペッターなので、いくら「1×0」が名曲で個人的最愛ショーロ曲であっても、ウィントンやなんかに吹かせたんではダメに違いないとは思いつつ、しかしそこがこの曲に惚れた弱みなんだなあ、ものは試しと聴いてはみたが、やはり失格だよ。

全部違うミュージシャンがやっているその他の曲もイマイチ面白くなかったアミルトンのピシンギーニャ曲集だけど、それでも一番ひどいウィントン吹奏の「1×0」と比較すれば、そこそこ聴ける出来のものもあったようには思う。チューチョ・ヴァルデースのピアノとのデュオ「ラメント」は悪くなかった。

その他だいたい言うほど悪くもなく、聴けば聴いたでそこそこ楽しめないこともないように思うアミルトンのピシンギーニャ曲集。そういう感じに仕上っているのはアミルトンや参加ミュージシャンの力量ではなくて、ピシンギーニャによるオリジナル・コンポジションがそれだけ傑出しているってことだね。

アミルトンはともかくカロル・サボイアの『カロリーナ』。これをやっているからこそ買ったという理由である「1×0」は、彼女はヴォーカリストなので当然ながら歌入りヴァージョン。ピアノの短いイントロに続きカロルがお馴染みのメロディを極めて軽やかに歌う。なんとも爽やかな「1×0」だなあ。

「1×0」は元が歌なしの器楽曲で旋律も細かくメカニカルなので、ヴォーカリストが歌いこなすのはやや難しいんじゃないかと僕みたいな素人は思うんだけど、カロルはアップ・テンポで難なく歌っている。伴奏は途中まではピアノ、ウッド・ベース、ドラムス、打楽器だけの簡単なアクースティック編成。

カロルがワン・コーラス歌い終るとフルートによる伴奏が入り、それが終るとテンポ・チェンジがあって、ゆるやかになったり速くなったりする。カロルがスキャットを中心に即興的に自由にメロディを歌う部分でフルートのオブリガートも入る。面白いのはその後3:18から。突然4ビートに変るのだ。

4/4拍子部分は3:26までとほんの10秒も続かないのだが、ちょっぴりジャジーな感じにも聞えて面白い。その部分ではフルートがフィーチャーされているが、最後にカロルのスキャットとのユニゾン・デュオがある。う〜ん、こんな「1×0」は聴いたことがないぞ。いいじゃんこれ。

しかもカロルの「1×0」は全体的に極めて爽快だ。真夏の午後に聴くにはこれ以上なくピッタリくる涼やかさがあって、聴いていると気分がヒンヤリしてくる。ピシンギーニャとベネジート・ラセルダによるオリジナル演奏からして既にゴキゲンな軽快さがあるけれど、ここまで爽やかなヴァージョンは初めて。

軽やか、爽やかってのは、「1×0」だけでなくアルバム『カロリーナ』全体を通して感じる質感。採り上げている曲にカロルのオリジナル曲はなく、全てカヴァー。しかも多くが有名スタンダード・ナンバーだ。世界的に一番有名なのは間違いなく四曲目のビートルズ・ナンバー「ハロー・グッバイ」だろう。

「ハロー・グッバイ」もピアノの非常に短いイントロに続きカロルが歌はじめる。全て英語で歌っている。訛りとか癖とかのないキレイな英語だなあと思って聴いていると、カロルは北米合衆国にいた時期が長いんだね。音楽教育を受けるためにアメリカに渡り何年もいて、そこでデビューしたようだ。

「ハロー・グッバイ」も、ポール・マッカートニー〜ジョン・レノン名義のこの曲がこんなにも爽やかに仕上っているヴァージョンは生まれて初めて聴いたぞと思うような仕上りで、ここまで爽快になっているというのは、これはカロルの音楽的資質なんだろうなあ。ヴォーカルにもったいぶったようなところが全くない。

カロルの「ハロー・グッバイ」は、ピアノ・トリオの伴奏で彼女が歌ったあとエレキ・ギターのソロ、その中盤でカロルがスキャット中心で絡み、再びギター・ソロ、続いてフルートのソロが出る。フルート奏者は曲によってはソプラノ・サックスも持替で吹く。そのリード楽器演奏にはジャジーな味がある。

英語の歌はもう一つやっていて、六曲目のスティング・ナンバー「フラジャイル」。僕はスティングのファンではない。というかはっきり言うと彼の声と歌い方はあまり好きじゃないから、ポリスを含めそんなにたくさんは聴いていない。「フラジャイル」はスティングの1987年作『ナッシング・ライク・ザ・サン』収録曲。

まあしかしスティングのファンでもなく、アルバム『ナッシング・ライク・ザ・サン』もそのなかにある曲「フラジャイル」も特に好きではない僕にとっては、カロル・サボイア・ヴァージョンもイマイチな感じに聞えてしまう。カロルの歌や伴奏はやはりヒンヤリしていていいけれど、曲がちょっとなあ。

それよりは『カロリーナ』には三つもあるアントニオ・カルロス・ジョビンの曲がいい。一曲目「パッサリーム」、七曲目「ア・フェリシダージ」、八曲目「オーラ、マリア」。一番有名なのは「ア・フェリシダージ」だよね。カロルがアカペラで歌いはじめすぐにピアノ伴奏が入る。しばらくは二人のデュオ。

「ア・フェリシダージ」はボサ・ノーヴァ・スタンダードの一つで、ジョアン・ジルベルト・ヴァージョンではサンバとどこも違わない打楽器伴奏が賑やかに入っていたから、かなり静謐な雰囲気のピアノとのデュオでカロルが歌っているのは新鮮だなあと思い聴いていると、途中からやはり打楽器が入ってくる。

でもその打楽器もそんなに激しい演奏でもなく、おとなしめでスパイス的な使い方だ。おかげでジョビンの「ア・フェリシダージ」がバラード調にすら聞える。そしてやはり爽やか。このリズムが激しくなくおとなしめで静かで落着いた雰囲気はアルバム『カロリーナ』全体を貫いているものだ。

『カロリーナ』にはジャヴァンの曲も二つある。五曲目の「アヴィオン」と九曲目の「ファルタンド・ウン・ペダーソ」。前者ではドラマーが典型的なボサ・ノーヴァのパターンを叩き、カロルのヴォーカルに続きフルートのソロが出る。後者ではピアノとのデュオでカロルが歌い出し、ギターやリズムも出る。

「アヴィオン」の方はまあまあリズムが活発だけどそんなに激しくもない。「ファルタンド・ウン・ペダーソ」はかなりしっとりとしたバラード調。アルバム・ラストのエドゥ・ロボ・ナンバー「ザンジバル」がアルバム中一番リズム・セクションの演奏が快活だけど、それもそんなに言うほどのものではない。

その「ザンジバル」は歌詞のない曲で、だからカロルのヴォーカルも全編スキャット。まるでミルトン・ナシメントやミナス一派みたいな雰囲気で、フルートとのユニゾンでメロディを歌う部分もある。その後エレキ・ギターのソロが入ったりするバックではドラマーがそこそこ派手目に叩いてはいるけれど。

しかし『カロリーナ』というアルバムが全体的に落着いた静的な音楽で、こんな軽快で爽やかでもの柔らかな雰囲気とか、あるいはカヴァー曲ばかりとかいうのが、カロル・サボイアはいつものことなのか、それともこの新作だけの特徴なのか、まだこの一枚しか聴いていない僕には分らない。

いつも繰返し言っていることだけど、僕は多くの場合強靱でファンキーなビートが効いた骨太の汗臭い音楽が好きだという嗜好の持主ではあるけれど、しかしいつもいつもそんなのばっかり聴いているわけでもない。時々は『カロリーナ』みたいな静かに落着いて柔和なものだって聴きたい。

しかも『カロリーナ』は今日繰返しているように、真夏に聴くにはピッタリというヒンヤリ涼やかな触感の音楽だから、あとしばらくの間は繰返し聴くことになりそう。なお、アルバムでピアノを弾いているアントニオ・アドルフォはカロルのお父さんで、作曲家としても活躍している人。共作もある模様。

2016/08/15

『つづれおり』に聴けるファンキー要素

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これまた猫ジャケなので、その意味でも好きなキャロル・キングの『つづれおり』(タペストリー)。この1971年のアルバムについて必ずしも多くの人が言っているようにも思えないのだが、これは結構ファンキーなところがある作品じゃないだろうか。僕もそんなことには長年気付いていなかったけれど。

『つづれおり』で僕がはっきりファンキーだと思うのは「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」「イッツ・トゥー・レイト」「スマックウォーター・ジャック」の三曲だ。この三つは熱心なブラック・ミュージック・ファンならみんなその一種の黒い音楽性みたいなものに気が付くだろう。

黒い音楽性といっても、そのあれだ、ジェイムズ・ブラウンみたいな人と比較してもらっちゃ困る。そうなったらそりゃ全然黒くなく真っ白けではあるけれど、シンガー・ソングライターとしてのキャロル・キングはそんな部分とは無縁な音楽家だと見做されているかもしれないので、そういう人にしては黒いという意味。

『つづれおり』一曲目の「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」。冒頭からキャロル・キングが弾くピアノのリフがちょっぴりファンキーだし、直後に入ってくるバック・バンドが奏でるリズムもそんな黒い感触が少しあるよなあ。曲のメロディもそうだね。
中間部でキャロル・キングのピアノとダニー・クーチのエレキ・ギターとのソロの短い応酬になるけれど、そこもまあまあファンキーなように僕は思う。ダニー・クーチ(コーチマー)は元々そんな部分のあるギタリストで、ロックだけでなくブルーズやリズム&ブルーズ系の仕事もこなしている人だもんなあ。

キャロル・キングの弾くピアノだって、シングル・トーンによるアルペジオみたいなもの(は西洋白人的)は使わず、もっぱらブロック・コードで弾いているもんなあ。そのブロック・コード弾きもメロディを奏でるという感じじゃなく、リフを叩きつけるように弾く打楽器奏法(アフリカ的)だ。

キャロル・キングの弾くピアノはだいたいいつもそうで、右手のシングル・トーンでキレイで単線的なメロディを弾いたりアルペジオを奏でることの方が少ない。少ないというか殆どないような気がする。彼女のピアノは歌の間奏部でソロを弾くことも少なく、だいたいいつもバッキングでブロック・コード弾き。

『つづれおり』三曲目「イッツ・トゥー・レイト」では、主役のピアノを含むバンドの演奏がかなりアレンジされていて、冒頭から何度も固まりのようなリフが出てくる。その繰返されるリフのフレーズとリズムは、間違いなくリズム&ブルーズ由来のものだ。
「イッツ・トゥー・レイト」ではラルフ・シャケットがファンキーなフェンダー・ローズを弾いているし、ジョエル・オブライエンのドラムスが叩出すビートもロックよりもややブラック・ミュージック寄りだ。ダニー・クーチがギターだけでなくコンガも叩いているせいでほんのりラテン風味すら感じる。

「イッツ・トゥー・レイト」は一曲を通してキメの多い曲で、そのキメの部分はもちろん複数の楽器奏者による合奏だから間違いなく事前に周到にアレンジされていて、綿密にリハーサルをやっているような演奏だ。このややファンキーに聞えるキメの多いアレンジを施したのはいったい誰なんだろうなあ。

『つづれおり』は通常の一枚物リイシューCDと2008年リリースのCD二枚組レガシー・エディションの二つを僕は持っているのだが、どっちのパッケージのどこにもアレンジャーのクレジットがなく、ネットで調べてみてもやはり明記してあるものが見つけられない。う〜ん、凄く知りたいぞ。

「イッツ・トゥー・レイト」だけでなく、殆どの曲でかなりアレンジされているのが聴けば分るんだけど、誰がアレンジしたんだろう?全ての曲を書いているキャロル・キングなのか?あるいはプロデューサーのルー・アドラーなのか?リズム・セクションが一体となってリフなどのキメを合奏しているもんなあ。

また「ウェイ・オーヴァー・ヤンダー」にはストリング・カルテットによる演奏が入っていて、当然のことながら譜面化されているものを弾いているわけだし、その他「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」にはチェロが入っている。前述のその他の曲含めやはりアレンジャー名を明記しておいてほしかった。

『つづれおり』でアレンジされていない曲ってあるいは11曲目のアルバム・タイトル曲「つづれおり」だけなんじゃないかなあ?これはキャロル・キング単独の演唱(とはいえ鍵盤楽器は各種を多重録音)だからね。次のアルバム・ラスト「ア・ナチュラル・ウーマン」もチャールズ・ラーキーのベースが入るだけなので、あるいはそうかもしれない。

「ア・ナチュラル・ウーマン」は上で『つづれおり』で黒人音楽要素を感じる三曲に入れておかなかったけれど、ご存知アリサ・フランクリンが1967年に歌うためにキャロル・キング〜ジェリー・ゴフィンのコンビが書いた曲。当初はシングル盤でリリースされ、その後アルバム『レディ・ソウル』にも収録。

アリサはその後現在に至るまでライヴで繰返し「ア・ナチュラル・ウーマン」を歌っている。公式ライヴ盤でも1968年収録の『アリサ・イン・パリ』にも収録されているし、YouTube で探すと近年のライヴ・ヴァージョンもいろいろと出てくる。オリジナルもライヴ・ヴァージョンもゴスペル・ライクな曲だ。

「ア・ナチュラル・ウーマン」という曲自体、元はアトランティックのジェリー・ウェクスラーのインスパイアに基づいてキング〜ゴフィン・コンビが書いたというもので、つまり最初からアリサのような黒人歌手が歌うためのものとしてメロディも歌詞も創られた曲。だから黒いフィーリングがあるのは当然。

だけれども『つづれおり』ラストにある作者本人のセルフ・カヴァー・ヴァージョンには僕はブラック・フィーリングをほぼ感じないんだなあ。アメリカ女性のためのアンセムのような象徴的な一曲になって、実に多くのアメリカ女性歌手が歌っているけれど、キャロル・キング自身のこれには黒さがないね。

だから最初の書いた三曲には入れなかった。同様に『つづれおり』九曲目の「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ?」も外した。これもキング〜ゴフィン・コンビがシレルズのために1960年に書いたもの。シレルズはもちろん黒人ガール・ポップ・グループ。まあしかしこれはオリジナルも黒くない。

1960年代にたくさんあったこの手のガール・ポップ・グループは黒人で構成されてはいても、歌を聴いたら音楽的な黒さを感じるグループは少ないよね。ファンキーというよりもやはりポップで、一般の白人購買層にも受入れやすいような感じに仕立て上げられていたし、実際かなりヒットしていた。

キング〜ゴフィン・コンビも1960年代前半にそんな曲をいくつも書いているけれど、その事実だけをもってしてこのソングライター・コンビの音楽性を「黒い」ということは、従ってできないだろう。そのあたりは同じように黒人歌手向けに多くの曲を書いたバート・バカラックとちょっと似ているかも。

シレルズのオリジナルからして黒くはない「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ?」は、だから『つづれおり』収録ヴァージョンも全然黒いところが聞取れない。それにしてもこの曲、タイトルに「スティル」があったりなかったり、どういうことなんだろう?歌詞にも「スティル」が出てくる部分と出てこない部分がある。

さて『つづれおり』でファンキーさを感じるもう一つが10曲目の「スマックウォーター・ジャック」。お聴きになれば分るように、冒頭からエレベのチャールズ・ラーキーが弾くのは、三度と五度を反復する例のブギウギのパターンに他ならない。
こういうブギウギのパターンはロックの基本中の基本で、チャック・ベリーもそうだし、また例えばスタンダード化しているレッド・ツェッペリンの「ロックンロール」もこれだよね。これが元はブギウギ・ピアニストの左手にルーツがあるなんてみんな意識すらしていないだろうくらい(僕はそれでもいいかもと思っている)拡散・浸透している。

だからキャロル・キングの『つづれおり』にある一曲でそんなブギウギ・パターンのベースが聴けても特筆すべきことでもないんけれど。でもこの女性シンガー・ソングライターはファンキーさとか黒人音楽要素とは関係が強くない人だと思われてそうだもんなあ。そうじゃないんだということだけは明言しておく。

『つづれおり』でファンキーな黒人音楽要素をはっきりと僕が感じ取れるのは、以上「アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」「イッツ・トゥー・レイト」「スマックウォーター・ジャック」の三曲だけなんだけど、それ以外の曲だって鮮明にそうなんだとは感じ取れないほどに同じものが消化吸収されているんだろう。

そんな部分を抜きにしたシンガー・ソングライターとしてのキャロル・キングでは、1996年リリースの『ザ・カーネギー・ホール・コンサート June 18, 1971』も僕はよく聴く。タイトル通り『つづれおり』のリリースから四ヶ月後の、キャロル・キング初の公式ライヴ・パフォーマンス。

『ザ・カーネギー・ホール・コンサート June 18, 1971』。これが彼女自身公の面前で行った初のライヴだったなんて、しかもそれがカーネギー・ホールという大舞台でだったなんて、全く感じさせない伸び伸びとした見事なパフォーマンス。脂の乗った活きのいい時期ってのはこうなんだなあ。

『ザ・カーネギー・ホール・コンサート June 18, 1971』はほぼ全て彼女一人でのピアノ弾き語りだけど、途中、ベースのチャールズ・ラーキーやギターのダニー・コーチマーが出てきて弾いたりするものが少しある。しかしクライマックスは終盤のジェイムズ・テイラーが参加している部分だね。

『ザ・カーネギー・ホール・コンサート June 18, 1971』15曲目の「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」がはじまる前にジェイムズ・テイラーが登場。キャロル・キングが「ビックリね!」と言って、二人のデュオでこれをやる。この曲はジェイムズ・テイラーも同時期に歌ってヒットさせているもんね。

このカーネギー・ライヴの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」におけるジェイムズ・テイラーはアクースティック・ギターを弾きながら歌も歌う。キャロル・キングの歌にハモったり、2コーラス目ではリード・ヴォーカルを取ったり。続く16トラック目のメドレー「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ?」〜「アップ・オン・ザ・ルーフ」も同じ二人のデュオ。

それら15〜16トラック目のジェイムズ・テイラーとのデュオ部分が『ザ・カーネギー・ホール・コンサート June 18, 1971』のクライマックスに違いない。それが終ると最後に再びキャロル・キング一人のピアノ弾き語りで「ア・ナチュラル・ウーマン」をやって終演。

2016/08/14

ビバッパーの弾くジャズ・ロック

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バリー・ハリスというジャズ・ピアニストがいる。1929年生れだからかなりの高齢なはずだけど、存命で活動中。1950年代からプロ・キャリアをスタートさせているんだけど、このバリー・ハリスという人はゴリゴリのビバッパーで、バド・パウエル・フォロワーなスタイルの持主なのだ。

バド・パウエル・フォロワーというもおろか、ほぼそのまんまというピアノの弾き方をするのがバリー・ハリスの持味。そうではあるんだけど、僕がこの人のピアノを初めて聴いたのはリー・モーガンの1963年作『ザ・サインドワインダー』でだった。一曲目がご存知ファンキーなジャズ・ロック。

リー・モーガンの『ザ・サインドワインダー』を初めて聴いた時は、バリー・ハリスがどういう人なのか全然知らなかったので、一曲目の8ビートを使った、一説によれば史上初のジャズ・ロック・ナンバーでファンキーに弾くこのピアニストはこういうスタイルの人だ思っていたわけなんだよね。

そのアルバム・タイトル・ナンバー「ザ・サイドワインダー」をご紹介しよう。お聴きになればお分りの通り、ウッド・ベースの音に続きすぐにバリー・ハリスがファンキーなリフを弾きはじめ、ドラムスが入ってくる。そしてホーン二管によるテーマ。
「史上初のジャズ・ロック・ナンバー」という触込みはちょっとどうなんだ?と思う。1963年だからね。前年62年にハービー・ハンコックが「ウォーターメロン・マン」を録音・発表しているからなあ。まあでもたったの一年の差だからほぼ同時期みたいなもんか。とにかくどっちもファンキーだ。

ハービー・ハンコックの1962年作『テイキン・オフ』でジャズ・ロックなのが一曲目の「ウォーターメロン・マン」だけであるように、リー・モーガンの63年作『ザ・サイドワインダー』でもジャズ・ロックと言えるのは一曲目のタイトル・ナンバーだけ。でも60年代初期ならそれで充分だったはず。

書いたように『ザ・サイドワインダー』でバリー・ハリスを初めて聴いたもんだから、当時は全然不思議でもなんでもなかったんだけど、このピアニストのことをもっと知るようになると、正統派ビバップ・スタイルの人だと分り、すると今度は「ザ・サイドワインダー」の方が不思議に聞えてきた。

先に音源を貼ったようにおよそビバップとは似ても似つかない曲調だし8ビートだし、ボスのリー・モーガンはよくこのアルバムでバリー・ハリスみたいなピアニストを使う気になったもんだなあと思えてきたのだった。しかもリフを弾いたりバッキングだけでなくソロの内容もなかなか良いしなあ。

先の音源をもう一回聴直していただきたい。リー・モーガンのトランペット・ソロ、ジョー・ヘンダースンのテナー・サックス・ソロに続いて三番手で出るバリー・ハリスのピアノ・ソロ。黒いね。単音弾きよりブロック・コードで弾く時間の方が長く、ホーン・リフが入りはじめると一層グルーヴィーになる。

こんなのを最初に聴いたもんだからビバップ守旧派のピアニストだと思えと言う方が無理だろう。『ザ・サイドワインダー』ではこれ以外の曲もジャズ・ロックとは言えないもののかなり面白いものが多い。二曲目「トーテム・ポール」もリズムがラテン風だしなあ。といってもサビ部分だけは4ビートだ。
B面一曲目の「ゲイリーズ・ノートブック」も三拍子ではあるけれど、こりゃ普通のワルツじゃなく6/8拍子に近い。すなわちハチロクのリズムだからジャズというよりリズム&ブルーズやソウルに接近しているような感じだ。バリー・ハリスがソロでご存知「ソルト・ピーナッツ」を引用する。
「ソルト・ピーナッツ」はディジー・ガレスピーの書いた典型的ビバップ・ナンバーの一つだ。だからその曲のフレーズをハチロク・リズムの曲で繰返し引用しながら弾くバリー・ハリスがなかなか面白く聞える。ハチロクと言えばその次の「ボーイ、ワット・ア・ナイト」も同様のリズム・パターンだよね。
この「ボーイ、ワット・ア・ナイト」は曲の形式が12小節のブルーズなんだよね。つまりA面一曲目の「ザ・サイドワインダー」と同じってこと。突詰めればジャズ・ロックとか1960年代末頃からのジャズ・ファンクとか、その種の音楽の土台は全部ブルーズにあるってことだよなあ。

そして振返って考えてみれば、バリー・ハリス本来のスタイルであるビバップもブルーズ由来みたいなもんだ。と言うとちょっと誤解を招くいうか説明が必要だ。チャーリー・パーカーもディジー・ガレスピーも1940年代前半のジャンプ(・ブルーズ)〜リズム&ブルーズ・バンドの出身に他ならないんだよね。

何度か紹介しているように油井正一さんが自著のなかで「ビバップとR&Bには共通項がある」と書いたのは、どっちの音楽も1940年代のジャンプ・ミュージックから派生してできあがった音楽で、実際主要人物の大半がジャンプ・バンド出身で、リズム感覚も近いものがあるという意味もあったんだろうね。

ってことはビバップみたいな音楽がその後変化して、いったん切離したR&Bとそれを土台に成立したロックに接近し、両者が結合したような音楽が出現するようになったのは、いわば歴史の必然みたいなものだったのだ。だからビバッパーであるバリー・ハリスがジャズ・ロックを弾いても不思議じゃないのかも。

これは全く違う種類の音楽が初めて出会って融合したとかいうような具合の現象じゃなくて、再接近したとか失ったものを取戻しただけって話だよなあ。本格的には1960年代末〜70年代のジャズ・ファンク時代を待たないと全面展開は聴けないんだけど、60年代初頭からこういった兆しがあったわけだ。

それにしてもバリー・ハリスというピアニスト、リー・モーガンの『ザ・サイドワインダー』だけじゃなくて、例えばデクスター・ゴードンの1965年作『ゲティン・アラウンド』みたいなアルバムでも弾いているんだなあ。そのアルバムの一曲目はルイス・ボンファのお馴染み「カーニヴァルの朝」だ。

「カーニヴァルの朝」が1959年の映画『黒いオルフェ』のテーマ・ソングとして使われて世界的に有名になったボサ・ノーヴァ・ナンバーであることを詳しく説明する必要はないだろう。デクスター・ゴードンの『ゲティン・アラウンド』一曲目のそれもボサ・ノーヴァ風のリズムなんだよね。

お聴きになればお分りの通り、ビリー・ヒギンズのリム・ショットが印象的なドラミングにはじまって、それに乗ってバリー・ハリスがピアノを弾きはじめ、そしてデックスのテナーとボビー・ハッチャースンのヴァイブラフォンがテーマを演奏する。
1965年ならボサ・ノーヴァを知らないアメリカ人音楽家はおそらくいなかったであろうというような時期なので、バリー・ハリスがこんな具合の弾き方ができても全く不思議じゃないのかもしれない。だけど繰返して言うがこのピアニストはバド・パウエル・フォロワーのビバッパーだからねえ。

しかしそうは言ってもそのバド・パウエルだって、1951年にブルー・ノートに「ウン・ポコ・ロコ」みたいなものを録音しているよねえ。曲名はスペイン語で「ちょっと狂ってるね」くらいの意味だけど、曲調もリズムもかなりラテン調で面白いじゃないか。
しかしこの「ウン・ポコ・ロコ」は多くのジャズ・ファンには評判が悪いんだなあ。ボロカスに言う人だって昔から現在まで結構いる。いわくリズムが4ビートのジャズではないとか、マックス・ローチの入れる金属音(カウベル?)のタイミングが妙な感じでズレていて気持悪いとかなんとか。

そして僕はこの「ウン・ポコ・ロコ」が昔から大好きなんだなあ。ブルー・ノート盤『ジ・アメイジング・バド・パウエル Vol. 1』の現行CDにはこの曲は三つもテイクが入っていて、僕なんかは楽しい。そういえばだいぶ前に文芸批評家ハロルド・ブルームがこの曲を激賞していたことがある。

音楽とはなんの関係もない話だが、いわゆるイエール学派(全員イエール大学で教鞭を執っていて、当時ジャック・デリダが同大学に出張講義に来ていたことから影響を受けた英文学者達なのでこう呼ばれる)の一人であるハロルド・ブルームは、英文学者時代の僕の最大の影響源だった。

ハロルド・ブルームの話はよしておこう。そんな彼が「20世紀アメリカ芸術の最も偉大な作品一覧」みたいなリストを書いていたことがあって、そのなかにバド・パウエルの「ウン・ポコ・ロコ」が含まれていたわけだった。パーカーにもガレスピーにもたくさんラテン・ナンバーがあるよね。

ビバップはそんな感じでブルーズ・ナンバーが多かったりアフロ・キューバンだったりするものがあったりするから面白いと思うんだけど、ブルーズはいいとしてラテン・フィーリングみたいなものって、純粋芸術指向のジャズ・ファンからは今でもイロモノ扱いされているんじゃないかなあ。

ジャズはラテン音楽の一種みたいな話は僕も油井正一さんの影響下、このブログでも今まで散々繰返しているので今日は詳しくは書かない。けれども今日の本題であるバリー・ハリスみたいなジャズ・ピアニストが、ゴリゴリのビバッパーでありながらジャズ・ロックやボサ・ノーヴァを弾きこなすのは示唆に富むんじゃないだろうか。

なお、ビバップ守旧派としてのバリー・ハリスの作品にもいいものがたくさんあって、なかでも僕が一番好きなのは1975年のザナドゥ盤『プレイス・タッド・ダメロン』。タッド・ダメロンも大好きなジャズ作曲家だし、このアルバムについても言いたいことがあるけれど、長くなったので今日はやめておく。

2016/08/13

「ラ・パローマ」で広がるワールド・ミュージック・ファンタジー

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以前『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』の「ゴア篇」について書いた際(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-16e8.html)、これのなかにある「ゴア」という曲が山内雄喜の『ハワイ・ポノイ』に収録されているらしいことを書いた。山内雄喜はもちろんハワイアン・スラック・キー・ギターの人だ。

僕は山内雄喜のCDは全部で10枚程度しか持っていないが『ハワイ・ポノイ』はあるので、それで慌ててこれをCD棚から引っ張り出してきて聴直してみたら、いろいろと面白すぎる発見がいくつもあった。はっきり言うと、ここまで興味深い音楽アルバムだとは全く気付いていなかった。

「ゴア」という曲の話は後でするとして、『ハワイ・ポノイ』一曲目がなんと「ラ・パローマ」じゃないか!そりゃもう好きな曲で、好きすぎて以前も書いた通りこの曲ばかりいろんな人がやっているCD全六枚を持っていて愛聴している僕。全六枚で計六時間以上全部「ラ・パローマ」しか出てこないという。

それなのに山内雄喜の『ハワイ・ポノイ』にそれがある、しかも一曲目だというのをどうして忘れていたのか、その理由ははっきりしている。『ハワイ・ポノイ』は1999年にオフィス・サンビーニャがリリースしたものだけど、当時既にハワイアン・スラック・キー・ギターが大好きだったから買っただけ。

ライ・クーダーが1976年作の『チキン・スキン・ミュージック』の一部で披露するハワイアン・スラック・キー・ギターを1990年代初頭に聴いて好きになり、日本人でこれの名手と聞いた山内雄喜も知り、少しずつアルバムも買うようになって、『ハワイ・ポノイ』もリリース当時に買った。

しかしながら「ラ・パローマ」という曲が今みたいに大好きになったのは、僕の場合21世紀に入ったあたりからのことだったのだ。具体的には中村とうようさん編纂の『アメリカン・ミュージックの原点』2CDが2005年にリイシューされたのを買い、それでスーザ・バンドのやる同曲を聴いてからの話。

それで「ラ・パローマ」とハバネーラ風のリズムが大好きになり、どんどん追掛けるようになっているけれども、山内雄喜の『ハワイ・ポノイ』はそれ以前に買ったものだったので、一曲目の「ラ・パローマ」を聴いてもフ〜ンとしか思ってなかったんだろうなあ。それで忘れちゃってたに違いない。

だいたい『ハワイ・ポノイ』は山内雄喜のアルバムであるとはいえ、そんなティピカルなハワイアン・スラック・キー・ギター音楽じゃないのだ。こないだ聴き返してみて、初めてこりゃとんでもなく面白いぞ!凄い凄い!と感じたけれども、1999年に初めて聴いた時は全くピンと来ていなかった。

それで何回か聴いて放ったらかしで、山内雄喜でも他のもっと分りやすいハワイアン・スラック・キー・ギター音楽をやっているものを聴いていた。1997年の『プレイズ・ザ・スラック・キー・ギター』とか、21世紀に八枚シリーズで出た『Nā Mele ‘O Hawai‘I E ‘Alani』とかだ。

特に『Nā Mele ‘O Hawai‘I E ‘Alani』の八枚シリーズはかなり面白くて、日本人がハワイ音楽をここまで掘下げた音楽CDシリーズって他にないんじゃないかと思うほどだ。しかも連日の猛暑が続く最近の真夏のよく晴れた午後にはピッタリ似合う。でも今日はこれの話はしない。

問題は1999年の『ハワイ・ポノイ』一曲目の「ラ・パローマ」だ。ハワイアン・ギター音楽をメインにやっている山内雄喜が、さらに「ハワイ」という言葉をアルバム・タイトルにしたアルバムのしかも一曲目で、どうしてこのスペイン人作曲家が書いたキューバ音楽風の曲をやっているんだろうってことだよね。

いやまあ、スペイン人が書いたキューバ風、はっきり言えばハバネーラ・ソングをどうしてハワイ音楽家が?などというそんな問いそのものが無意味なほど「ラ・パローマ」という曲は世界中に拡散しまくっているんだけどさ。上でも触れた六枚シリーズの「ラ・パローマ」集にも世界中のいろんな音楽家がいる。

特に「ラ・パローマ」自体を採り上げなくたって、それに似たハバネーラ風のリズム・アレンジになっている曲ならいちいち意識するのがバカバカしいほど無数にあるわけで、そんなハバネーラ・ソングの史上第一号とされているイラディエールの書いた「ラ・パローマ」の影響力は甚大極まりないわけだ。

だからハワイアン・ギター音楽家である山内雄喜がこれをやったって全然不思議でもなんでもなく、ごく自然になんの気なしにちょっとやってみただけのことではあるんだろう。そういえば『ハワイ・ポノイ』のライナーノーツを書いている中村とうようさんによれば、レイ・カーネも「ラ・パローマ」を録音しているんだそうだ。(後記:「ラ・パローマ」集の一枚目二曲目にありました。これも忘れちゃっていました^^;;。)

レイ・カーネは山内雄喜の師匠でもある。だから弟子だって師匠のやる「ラ・パローマ」も聴いていたはずだ。それもこの曲をやってアルバムに収録しようと思った理由の一つかもしれない。それにしても『ハワイ・ポノイ』ヴァージョンの「ラ・パローマ」を聴いているといろんな空想が浮ぶなあ。

『ハワイ・ポノイ』ヴァージョンの「ラ・パローマ」はギター、ウクレレ、カヴァキーニョなどの弦楽器を山内雄喜が一人多重録音し、インドネシア人バンバンのフルート、同じくインドネシア人スギオノのヴァイオリン、マレイシア人ルスランのベースが加わっているという多国籍編成。これも興味深い。

「ラ・パローマ」では演奏していないが、『ハワイ・ポノイ』にはブラジル人カヴァキーニョ奏者のエンリッキ・カゼスも数曲参加しているし、ブラジル人ではクラリネット奏者やフルート奏者や七弦ギター奏者も一部参加。その他マレイシア人アコーディオン奏者が演奏する曲もあったりして、すんごい面白い。

他の曲の話はあとで五曲目の「ゴア」の話をするだけにしておきたい。そうじゃないとキリがないほど『ハワイ・ポノイ』は面白すぎる。一曲目の「ラ・パローマ」では山内雄喜の一人多重録音によるギター・アンサンブルがハバネーラ風のリズムを奏でるなか、やはりギターでお馴染みのメロディを演奏する。

そのメイン・メロディを奏でているのは最初はスライド・ギター(といってもペダル・スティールではなく、普通のアクースティック・ギターを膝の上に寝かせて置いて、その上からスライド・バーで押えて弾いているような音だ)、次いでフルート、その次にヴァイオリンだ。

フルートとヴァイオリンは少しずつメロディのパートを分け合い交代しながら主旋律を演奏し、そんなフルートやヴァイオリン演奏の背後では、ずっと山内雄喜一人多重録音の諸々のギター(やその他類似弦楽器)・アンサンブルが鳴り続けている。最後に再びギター・アンサンブルだけの音でメロディを奏でて終了する。

しかもそれらのギターやギター系弦楽器は、カヴァキーニョを除き、全てハワイアン奏法だ。それを三種類ほど多重録音してある。これは山内雄喜の演奏なんだから当然だろうね。しかしそれに乗りインドネシア人演奏家のフルートとヴァイオリンが「ラ・パローマ」のメロディを奏でるという、なんだこりゃ。

ハワイのウクレレがポルトガル由来であることはよく知られているし、定説では北米大陸由来とされているギターだって、実はポルトガル由来の部分もあるんじゃないかと僕は以前しておいた(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-b28f.html)。ポルトガル人がウクレレの原型楽器しか持込まなかったと考える方が無理があるからだ。

そしてクロンチョンになって花開いたインドネシアのポピュラー・ミュージックもポルトガル由来の部分が大きいのはみなさんご存知のはず。ギターやフルートやヴァイオリンも使う基本的にはストリング・ミュージックだから、これはやはりウクレレやギター中心のハワイ音楽との親和性は高い。

となると山内雄喜の『ハワイ・ポノイ』にある「ラ・パローマ」でハワイ音楽演奏家とインドネシア音楽演奏家が合体融合し、しかもキューバ由来のスパニッシュ・ソングをやっているなんてのは、こりゃ示唆深いなんてもんじゃない。言ってみれば弦楽器を通じラテン世界全体が繋がっちゃっているわけだ。

「ラ・パローマ」を書いたイラディエールの母国スペインも隣国ポルトガル同様にギターの国。両国とも世界各地に植民地を持っていた時代に各地にギターを持込み広めている。南北アメリカ大陸大衆音楽におけるギターは、ポルトガル由来のブラジルを除き他は全てスペイン由来で、それが中心になっていろんな音楽をやってきた。

ってことはスペインのイラディエールがキューバ滞在時代にハバネーラを知り、帰国してから1860年前後(とされている)に書いた「ラ・パローマ」を、スペインやポルトガル由来の各種弦楽器を中心にハワイとインドネシアの音楽家が一体となって演奏しているのは、ギターを通じて全部繋がったってことだなあ。

さらに「ラ・パローマ」では演奏していないが、エンリッキ・カゼスらブラジルの、ってことは要するにポルトガル由来の楽器を使う演奏家が山内雄喜の『ハワイ・ポノイ』では数曲参加していることを考えると、このアルバムはハワイを軸にした空想の汎世界音楽、ワールド・ミュージック・ファンタジーだなあ。

国境を越えて世界中に拡散していると上でも書いた「ラ・パローマ」は、今年五月に意外なところでも発見した。それはビルマ人天才少女歌手メーテッタースウェの『SANDA KAINAYI NIN DUTIYA SHWE NINSI』(どう読むんだろう?)八曲目。これが「ラ・パローマ」なのだ。

メーテッタースウェの『SANDA KAINAYI NIN DUTIYA SHWE NINSI』。ジャケット裏記載の曲名が全部ビルマ語なわけだから僕にはちっとも読めず、だから聴いてみるまで分らなかったのだが、八曲目は紛れもないイラディエールの「ラ・パローマ」。しかもかなりポップで軽快な雰囲気。

メーテッタースウェは当然ビルマ語で歌っている(んだろう?)。誰がスペイン語詞からビルマ語に訳したのかなんて分るわけもないし、聴いても歌詞の意味は僕には分るわけもないが、バック・バンドの奏でるリズムには明らかにハバネーラの雰囲気がある。特にドラマーがスネアを叩く部分に鮮明にそれがある。

メーテッタースウェの「ラ・パローマ」は、これだけは全曲ジャケ裏に楽器名をなぜか英語で書いてあるので分るギター、キーボード、ベース、ドラムスの四人編成での伴奏。キーボード奏者の演奏するシンセサイザーの音が大きいが、エレキ・ギターが刻むクチャクチャというスクラッチングなリズムもラテン・アメリカ風。

となると、ここにスペイン人作曲家が書いたキューバ発祥のハバネーラ・ソングが、スペインやポルトガルが世界中に広めたギターやそれに類似する弦楽器をもとに、ハワイ、インドネシア、ブラジル、アメリカ、そしてビルマまでぜ〜んぶ繋がっちゃったぞ。なんて面白いんだ!凄い凄い!

しかも面白さはそれだけでは終らない。「ゴア」という曲。山内雄喜の『ハワイ・ポノイ』5トラック目のメドレー一曲目なのだが、『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』の「ゴア篇」五曲目にある同曲が、僕ははっきりとは気付いていなかったのだが、これまたハバネーラ風の跳ねるリズムなんだなあ。

山内雄喜の『ハワイ・ポノイ』5トラック目メドレー一曲目の「ゴア」は、山内雄喜のギターにマレイシア人アコーディオン奏者が絡むもので、二人のデュオ演奏。しかしながらほぼテンポがないようなもので、非常にゆったりとしたバラード調アレンジ。しかもその演奏は一分間も続かずメドレー二曲目になってしまう。

だから山内雄喜『ハワイ・ポノイ』バージョンではちょっと分らないのだが、比較してみようと思って『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』ゴア篇収録の「ゴア」を聴直してみて、それが間違いなく完全にハバネーラであることに初めて気が付いた。インド西部の都市にまで繋がっているじゃないか。

こう考えてくると、中村とうようさんが「ラ・パローマ」が世界のポピュラー・ミュージックのはじまりを告げる最重要曲だと指摘し、その意義を繰返し強調して述べたのはこういうことだったんだと、音楽的感性も鈍く音楽を聴いた経験も狭い僕は、とうようさんが亡くなって五年が経つ2016年の夏になって、ようやくほんのちょっぴり分ってきたという次第。

2016/08/12

「マイルス・デイヴィス」は二人いる?

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『ラウンド・ミッドナイト』やキャノンボール・アダリー名義の『サムシン・エルス』などと、『オン・ザ・コーナー』や『ゲット・アップ・ウィズ・イット』などでの姿があまりに違うもんだから、ジャケットに書いてあるこのマイルス・デイヴィスという名前は同姓同名の別人なんじゃないかと思っていた。

というのは僕の場合大ウソ。しかしそういう人がいたかもしれない。少なくともそんな与太話をよく読んでいた。これが僕よりもっとずっと世代が上で、1950年代から新作が出るたびに順番に聴いていた人達ならそんなことにはならない。マイルスという同じ人の音楽が少しずつ変ったという印象だろう。

逆に僕よりもずっと世代が若くて、1991年のマイルス死後に聴きはじめたようなファンならば、これまた(未発表音源を除く)全作品が既に揃っていて、例えばコロンビア時代のオリジナル・アルバム全集ボックスなんかも93年に出ているから、やはりマイルスという同じ音楽家だと思うだろうなあ。

だから1979年に聴きはじめたという僕の世代が一番中途半端なんだ。情報も紙媒体か、そうでなければジャズ喫茶その他での会話などから得るしかなかったわけだし、75年隠遁前までの全オリジナル・アルバムはあったものの、数が多いので一度に全部は買えず、ちょっとずつつまみ食いだった。

1979年に聴きはじめたということは、1950年代の『ラウンド・ミッドナイト』も『リラクシン』も(キャノンボール名義の)『サムシン・エルス』も、69年の『ビッチズ・ブルー』も、70年代の『オン・ザ・コーナー』『ゲット・アップ・ウィズ・イット』『アガルタ』『パンゲア』も全部あるにはあった。

だから僕の場合(も他の同世代のほぼ全員もおそらく)アクースティック・ジャズ時代のマイルスもエレクトリック・ファンク路線のマイルスも全部同じように並べて聴いていた。それらをそんなに区別もしていなかったんだけど、しかしアルバムを聴くと出てくる音があまりに違いすぎるもんなあ。

例えばだよ、この1958年のブルーノート録音「枯葉」→ https://www.youtube.com/watch?v=tguu4m38U78 。これを73年のベルリン・ライヴでの「ターナラウンドフレイズ」→ https://www.youtube.com/watch?v=bxSFSdcGPLM と聴き比べてほしい。この二つを同じ人の音楽だと思えという方が難しいんじゃないかなあ。

後者1973年ベルリン・ライヴはインターネット普及後に聴けるようになった音源なので、ちょっと話がフェアじゃないね。じゃあ1974年発売の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』二枚目A面の「カリプソ・フレリモ」→ https://www.youtube.com/watch?v=uT2bpVOkG1U これならどうだろう?

あるいは1972年発売『オン・ザ・コーナー』→ https://www.youtube.com/watch?v=AIqXprCArdo 。先の「枯葉」や55年「ラウンド・ミッドナイト」→ https://www.youtube.com/watch?v=GIgLt7LAZF0 や56年「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」→ https://www.youtube.com/watch?v=OCqZE6oBSsQ と比べてみてほしい。

絶対同姓同名の別人だとか思えないよねえ。まあ聴きはじめたのが1979年だった僕には、それでも情報は現在ほどではないにしろそこそこあって、それに当時のマイルスはコロンビア専属だったので、コロンビア時代のアルバムのカタログみたいな紙がレコードを買うと入っていた。

だからもちろん同姓同名の別人だなんてことは全く思わなかったし、本音でそう勘違いしている人はおそらく一人もいなかったんじゃないかなあ。だから先に書いたようなのはやっぱり一種の与太話、こんなにもマイルスという音楽家は変貌しちゃったんだというのがそういう形の話になっていただけなんだろうね。

1970年代は電気トランペットを吹いていたというのも、そんな印象に拍車をかける原因の一つだ。以前マレウレウのまゆんさんと70年代マイルスの話をしていて、彼女が「これがトランペットの音とは思えない」「そう思うと笑えてくる」と言っていたけれど、一般のリスナーの正直な感想だよねえ。

ただ電気トランペットを吹いていても、1975年大阪ライヴの『アガルタ』『パンゲア』は保守的なジャズ・ファンにも昔から受入れられていたのは事実。日本公演だというのも一つの理由かもしれないが、それ以上にこれら二つのライヴ・アルバムは従来からのジャズぽい側面があるからだ。

リズムやサウンドの創り方はファンク・ミュージックに近い『アガルタ』『パンゲア』で、実際ある時の『ブルース&ソウル・レコーズ』誌がファンクのライヴ・アルバム名盤選をやった際に『パンゲア』が掲載されたくらいなんだけど、しかしこれらのライヴは個人のソロ廻し中心で展開するもんね。

『アガルタ』『パンゲア』でソロを取るのはボスのマイルス以外では、サックス&フルートのソニー・フォーチュン(モンゴ・サンタマリアのバンドからスカウトした)と、ギターのピート・コージーの二人だけ。あとは例外的にレジー・ルーカスが二回だけソロを弾く程度だ。

あとほんのちょっとだけパーカッションのエムトゥーメがコンガ・ソロをやったり、ピート・コージーが親指ピアノを弾いたりもするけれど、もっぱらコード・カッティングでリズムとサウンドの中核を担うレジー・ルーカスのかなり珍しい単音ギター・ソロ同様、例外だと考えていいだろう。そしてマイルスはともかく、フォーチュン、コージーのソロ時間はかなり長い。

『アガルタ』『パンゲア』の演奏時間の大半がその三人のソロ廻しで過ぎていくのだ。ってことはこの二つのライヴ・アルバムを聴くという体験は、要するに彼らのアドリブ・ソロを聴くという体験に他ならない。だからアドリブ・ソロこそが命である従来からのジャズ・ファンだって馴染みやすいんだよね。

実際大学生の頃に仲の良かった僕よりちょうど一廻り年上のジャズ・ファンの男性は、『オン・ザ・コーナー』やなんかはちゃんと聴いていないし、はっきり言ってどこが面白いんだあれは?と発言する一方で、『アガルタ』『パンゲア』はかなり聴きやすいよね、わりと好きだとはっきり言っていたもんね。

その方は『アガルタ』『パンゲア』になった1975/2/1の大阪フェスティバルホールでの昼夜二回公演を生で体験したという人だったので、それも手伝ってこの二つは受入れやすいということになるんだろうなあ。生で見聴きした方なので、音を聴くだけでは分らない部分を僕はいろいろと教えてもらった。

またこれも大学生の頃に初版本の邦訳が出たのを面白く読んだイアン・カーのマイルス本のなかにも、『アガルタ』『パンゲア』は無編集なせいで冗長な部分がある、だからテオ・マセロがやはり編集のハサミを入れた方が良かった、聴き所はジャズで鍛えたソニー・フォーチュンのサックスだと書いてある。

これだからイアン・カーというトランペッター兼批評家は、マイルス・ファンクについては分ってない人なんだなと思わざるを得なかったんだよね。熱心なファンク・リスナーはみんなだいたい全員あのソニー・フォーチュンのサックス・ソロをこそ全面的にカットしろという意見で一致しちゃうもんね。

まあでもその一点を除けばあのイアン・カーのマイルス本は面白い。小山さち子さんの日本語訳もこなれていて読みやすかった。スイングジャーナル社が付けた『マイルスデイビス物語』という邦題に反して、一見編年的にマイルスの人生を追っているように見えながら、その実は音楽的分析がメインの本なのだ。

ただあの『マイルスデイビス物語』は1983年の刊行で、82年刊行の初版本を訳したもの。だから81年復帰後のマイルスについては殆ど言及がない。イアン・カーはその後その原本を新たに書直し、81年カムバック後から91年死去までのマイルスについても詳細に分析し書加え、一時隠遁前についても大幅に加筆訂正している。

そのイアン・カーの『Miles Davis: The Definitive Biography』最新版は1998年に出ている(イアン・カーは2009年死去)のだが、これの邦訳はまだない。というか出る気配が全くないね。面白い本なんだけど、初版を訳した『マイルスデイビス物語』のままで、それも絶版だ。

誰かがその最終版の『Miles Davis: The Definitive Biography』を邦訳してどこかの出版社が出さないかなあ。編年的にマイルスの人生を追いつつ、筆者自身が音楽家だったのを活かして詳細かつ専門的な音楽的分析を行っているという点で、これの右に出るマイルス本はまだ存在しない。

1945〜91年が活動期間であるマイルスという音楽家は、1950年代と70年代で音楽も違えば、ステージ衣装だってガラリと変った。さらに1981年の復帰後はこれまた音楽も衣裳もステイジングの演出も違ってきた。これほど振幅の大きい人も珍しいかもなあ。

でもそんなマイルスの振幅の大きな音楽性も、よく聴くと一貫して変化していないような部分も結構あって、どのあたりがそうなのかを詳しく述べている余裕は今日はなくなった。でも前述のイアン・カーのマイルス本にはそういう点も細かく書いてあって、僕は随分教えてもらっているのだ。やはり最終版の決定的邦訳がほしい。

2016/08/11

遙かなるバカラック

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自分でも歌ったりするけれど、何枚か聴いてみたそういうリーダー・アルバムは個人的にはイマイチなバート・バカラック。やはりこの人は歌を聴く人じゃなくて書いた作編曲を聴くべき人だよなあ。だから今でも少し持っているバカラックの自作自演アルバムはもう全く聴き返さなくなっている。

やはりソングライターだね、バカラックは。そして作編曲家としては20世紀アメリカ大衆音楽界が輩出した最高の一人かもしれないとまで僕は思っている。以前カーメン・マクレエ関係の記事で書いたように、僕がこのコンポーザーを知ったのは彼女がライヴで歌う「遙かなる影」でだった。

それで素晴しいメロディだなと痛く感動して(ハル・デイヴィッドの書いた歌詞はまあ普通のラヴ・ソングだから大したことないようにも思う)、それでバカラックの曲をたくさん聴きたいなと思ったんだけど、なにかまとまったバカラック・ソングブックみたいなものって、アナログ盤であったかなあ?

少なくとも僕はそういうレコードは見つけられなかったので、バカラックの曲であると知ったものが入っているレコードを散発的に何枚か買っていただけ。大学生当時に一番馴染のあった曲はB・J・トーマスの「雨にぬれても」。なぜならご存知の通り映画『明日に向って撃て!』の挿入歌だったからだ。

あの映画は1969年の作品だから僕は映画館での封切時には観ていない。大学生の頃に深夜のテレビの洋画番組で『明日に向って撃て!』が放映されたことがあって、そのなかで「雨にぬれても」が流れたのだった。B・J・トーマスなんて名前はもちろん知らない。確か主人公が自転車かなにかに乗っている場面だった。

その(確か男女カップルでデートするみたいに)自転車に乗って楽しそうに遊んでいる場面が印象的で、しかもその前後はハードな銀行強盗とか銃撃戦みたいなものが中心の映画(だったようなおぼろな記憶がある)なので、余計にそのシーンとBGMで流れる「雨にぬれても」が沁みたのだった。

大学生の頃は「遙かなる影」とか「雨にぬれても」とかその他の超有名曲を数曲知って愛聴していた程度だった僕。いろんな歌手の歌ったバカラック・ソングだけを集めたコンピレイション盤をホントどこか出してくれよと熱望していた僕にとって格好のアンソロジーがCD時代になってリリースされた。

それが『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』というCD三枚組。1998年にライノ(信頼度大!)がリリースしたもので、全75曲、バカラックの書いた代表作ばかり集めたもので、これぞ待ってました!と快哉を叫んだもの。嬉しかったなあ。これに代表曲はだいたい入っている。

『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』はマーティー・ロビンズの「ザ・ストーリー・オヴ・マイ・ライフ」ではじまる。歌詞はハル・デイヴッドが書いた1957年の曲で、バカラックの処女作らしい。これがヒットして一躍バカラック〜デイヴィッド・コンビの名が上がる。

ってことはバカラックとハル・デイヴィッドはキャリアの最初から組んでいたってことだなあ。この二人が出会ったのは例のブリル・ビルディングでのことだったらしい。アメリカ大衆音楽に興味のある方には説明不要の場所だけど、一応説明しておくと、ニューヨークにある一つのオフィス・ビル。

マンハッタンにあるそのブリル・ビルディングという建物には音楽事務所や音楽出版社やスタジオが入っていて、戦前から多くのソングライターがここで曲を創ってジャズメンが演奏しヒットを飛ばした。要するに当初は楽譜出版がメインだった19世紀から存在するティン・パン・アリーの現代版みたいなものかなあ。でもブリル・ビルディングが有名になるのは戦後のこと。

ロックンロールの最初の大流行がいったん落着いた1950年代末〜60円代前半に、同ビルの関係者が創る音楽が「ブリル・ビルディング・サウンド」と呼ばれ大流行して、最盛期の62年には165の音楽会社が入居し、出版・印刷・デモ作り・レコードの宣伝・ラジオのプロモーターとの契約が一ヶ所でできたらしい。

ブリル・ビルディング・サウンドについては日本では萩原健太さんがかなり詳しいはず。昔『レコード・コレクターズ』誌がこれについて特集を組んだことがあったなあ(健太さんがお書きだったかどうかは憶えていない)。バート・バカラック&ハル・デイヴィッドやキャロル・キング&ジェリー・ゴフィンなどは代表格。

そんなブリル・ビルディングでソングライター・キャリアを開始したバート・バカラック(とハル・デイヴィッド)。ペリー・コモが歌った二作目の「マジック・モーメンツ」も大ヒット。これも前述『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』の二曲目に入っているいい曲だ。

でも『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』を一回目に聴き進んでいた際、僕にとって最も馴染があるぞと思う曲が出てきたのは一枚目七曲目の「ベイビー・イッツ・ユー」だった。もちろんビートルズがデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』で歌っていたからだ。

デビュー当時のビートルズにカヴァー曲がかなりあるのはみなさんご存知の通り。最も有名なのはやはりデビュー・アルバムのラストにある「ツイスト&シャウト」だなあ。でもこの曲の場合はビートルズ・ヴァージョンばかりが有名になったので、彼らのオリジナルだと思っていたファンも多いらしい。

「ツイスト&シャウト」がビートルズのオリジナルじゃないと知っているファンだって、その八割はアイズレー・ブラザーズの曲だと思っているんじゃないかなあ。これは1961年トップ・ノーツがオリジナルの曲。けれどもビートルズもアイズレー・ヴァージョンを下敷にしているんだけどね。

その他モータウンなど主にアメリカ黒人音楽のカヴァーが多い初期ビートルズがやった「ベイビー・イッツ・ユー」。これのオリジナルはシレルズというガール・グループが歌ったもので、それも結構ヒットしたらしいが僕はあまりよく知らない。これを書いたのがバカラックだなんてのはちっとも知らなかった。

シレルズのオリジナル「ベイビー・イッツ・ユー」は『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』で初めて聴いたはず。聴いてみたらビートルズ・ヴァージョンは完全にそのまんま丸コピーなのだった。彼らはこういうアメリカの一流ヒット・メイカーの曲創りに学んで、それでソング・ライティングが上手くなったのだろうか?

シレルズというガール・グループも黒人たちだけど、彼女らもその他大勢の黒人歌手たちも歌った曲を書いたのは多くの場合バカラックなど白人職業作曲家だったという事実を、特に熱心な黒人音楽ファンで白人嫌いの日本人リスナーにはちょっと真剣に考えてみてほしい。白人に対して逆人種偏見があったりするようだけど。

その気持は僕もすご〜くよく分るんだよね。昔は僕も完全に同じだったからだ。ジャズを知りブルーズを知り、やっているのが黒人だと知った時、こんなにも素晴しい音楽を創り出す人達を社会で虐げるアメリカ白人に対し、ケシカランというかなんだか攻撃的な気持が芽生えてくるよね。そして自分をむやみに黒人に重ね合せる(笑)。みんな同じじゃないかなあ、最初は。

しかもアメリカ大衆音楽では多くの場合黒人がオリジネイターで新しい音楽を産み出すものの、それをかすめとって白人向けに分りやすく色を薄めてポップにした白人音楽が大ヒットしてメインストリームを形成してきたというのも一面の真実ではあるんだろうから、一層白人に対する逆人種偏見を持つことになるよね。

でも黒人音楽でも白人音楽でもアメリカを知れば知るほど、そんな<黒人対白人>みたいな二項対立というか二層構造みたいな単純な図式では割切れず理解もできない部分がかなりあることに気が付いてくる。僕もそこそこ黒人音楽好きだけど、それをより深く理解するには白人や白人音楽を敵視していたらダメだ。

バート・バカラックもまた黒人歌手が歌う曲をたくさん創った。シレルズの話はしたけれど、『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』に一番多く入っている歌手は誰あろう黒人ディオンヌ・ワーウィックだ。なんと15曲も入っている。バカラック・シンガーみたいな人だなあ。

まあディオンヌの場合は書いたように<バカラックを歌う歌手>として有名なわけだし、それに彼女は黒人にしてはアクが強くなくディープでもない軽くてソフトでポップな持味のシンガーだから、白人音楽/黒人音楽という区別をしすぎるなという先の話からは少し外れる存在かもしれないけどね。

ディオンヌが歌ってヒットしたバカラックの曲で一番早いのはおそらく1964年の「ウォーク・オン・バイ」だ。『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』にも当然のように二枚目一曲目に入っている。しかしこのアンソロジーにはその前に62年の「ドント・メイク・ミー・オーヴァー」が入っている。

一枚目16曲目にある「ドント・メイク・ミー・オーヴァー」もなかなかいいんだよね。もちろんその後の「ウォーク・オン・バイ」とか、やはりディオンヌが歌った「アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー」みたいな輝きはまだ見出しにくいけれど、それら二曲で聴ける彼女の魅力の萌芽は既にある。

ところで「ウォーク・オン・バイ」でも、あるいはディオンヌの歌った他のバララック・ソングでも、他の歌手が歌った多くの曲でもそうなんだけど、バカラックのアレンジってブラス(トランペット、トロンボーンなど金管楽器)群の使い方にちょっと特徴があるような気がする。柔らかめのブラス・サウンドをスタッカート気味で入れるというあれ。

『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』三枚を通して聴いていると、どの曲がそうだなんて指摘するのが面倒くさいほどか多くの曲でそういうブラス・アレンジが聴ける。金管群をソフトな音色でスタッカート気味のフレーズで入れる、これが僕にとってのバカラック・アレンジだ。

今までも何度か散発的に書いているように、バカラックの書いた曲で僕が一番好きなのがダスティ・スプリングフィールドが歌った1967年の「ザ・ルック・オヴ・ラヴ」。『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』にも当然、三枚目一曲目に収録されている湿度の高い官能的ナンバー。

でもバカラックの書いた曲を『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』三枚組でじっくり辿ると、「ザ・ルック・オヴ・ラヴ」みたいな湿った官能ソングは例外なんだなあ。この三枚組には他に一つもない。そしてこの曲でも歌が終ってサックス・ソロも終った終盤でやはり前述のような感じのブラス群が鳴っている。

一番好きなバカラック・ナンバーなのに例外であると思う「ザ・ルック・オヴ・ラヴ」みたいな官能的な曲(しかし三枚組アンソロジーのタイトルになっているんだから代表曲なんだろう)。実はもっと官能的だろうと思うのがもう一つあって、それがエルヴィス・コステロと組んでやった1998年の『ペインティッド・フロム・メモリ』一曲目の「イン・ザ・ダーケスト・プレイス」。

でもそれは『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』には入っていないのが残念。『ペインティッド・フロム・メモリ』は1998年リリースのアルバムだから、同年の三枚組アンソロジーには間に合わなかったんだなあ。

その代りと言うんじゃないがこの三枚組ボックスのラストに、『ペインティッド・フロム・メモリ』ラストにある「ガッド・ギヴ・ミー・ストレングス」が入っている。これはアルバムに先行して1996年に発表されたものだから間に合ったのだ。これでいいや。

2016/08/10

背筋も凍る恐怖のギター伝道師〜ブラインド・ウィリー・ジョンスン

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何度も同じことを言って申し訳ないけれど、何度も言わないとなかなか分っていただけてないだろうという気もするから今日も言う(僕の話がいつもしつこかったりくどかったり繰返しが多いのは職業病です^^;;)。ゴスペルとブルーズの間に境界線を引くことは不可能だ。

以前この話をシスター・ロゼッタ・サープ関連で述べた(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-ce6b.html)。この時はギター・エヴァンジェリストとしての彼女一人での弾き語りよりも、ジャンプ系ジャズ・ビッグ・バンドとの共演の話が中心だった。そして一人のギター伝道師としてはもっと凄い人がいる。

それがその時にも名前を出したブラインド・ウィリー・ジョンスンだ。その時にも書いたことなんだけど、彼が今でも有名で聴き継がれているのはやはりどうもライ・クーダーのおかげらしいね。というかこれは間違いない。あの時の文章を書いた後ネットで調べてみたらそんな文章がどんどん出るもん。

どんどん出るというよりも、英語でも日本語でもブラインド・ウィリー・ジョンスンについて「こいつは凄いんだ」ということを書いてある文章の七割以上がライ・クーダーに話を絡めてある。みんなだいたいライがカヴァーしたあたりから話を持っていくようで、そのオリジナルを聴いてくれという感じだ。

そうはいってもライがカヴァーしたブラインド・ウィリー・ジョンスンは「ダーク・ワズ・ザ・ナイト、コールド・ワズ・ザ・グラウンド」一曲だけ。これをライは1970年のデビュー・アルバム『ライ・クーダー』でと、85年の『パリ、テキサス』でと二回やっているよね。どっちも素晴しい出来だ。

熱心なライ・クーダー・ファンやロック・ファンは1970年のデビュー・アルバムの方を言うだろうけれど、世間一般的には映画『パリ、テキサス』のサウンドトラック盤の方が有名だろう。それで1980年代後半にブラインド・ウィリー・ジョンスンの名が有名になったんじゃないかと思う。

そして「ダーク・ワズ・ザ・ナイト」という曲の出来としても、多くのロック・ファンとは違って僕は映画『パリ、テキサス』サントラ盤収録ヴァージョンの方がいいと思う。あのサントラ盤では収録曲全10曲のうち8曲までが「ダーク・ワズ・ザ・ナイト」かそのヴァリエイションに他ならない。

ちょっと貼っておこう。1970年『ライ・クーダー』ヴァージョン→ https://www.youtube.com/watch?v=jKi9FKnxmZE 『パリ、テキサス』一曲目「パリ、テキサス」→ https://www.youtube.com/watch?v=X6ymVaq3Fqk  後者は冒頭なんだかガムランみたいな金属音が環境音的に入っているよね。

そのガムランかなにか知らないがサウンド・エフェクト的な金属音がボワ〜ッと浮遊するところにライのスライド・ギターが入ってくる。エコーもいい具合にかかってムードを盛上げている。ブラインド・ウィリー・ジョンスンのオリジナルをよく再現しているのは1970年ヴァージョンの方ではあるんだろうけれど。

『パリ、テキサス』のサントラ盤ラストには「ダーク・ワズ・ザ・ナイト」というそのままの曲名でストレートなカヴァーも収録されている→ https://www.youtube.com/watch?v=yPlS57tRxUo  その他前述の通りこのサントラ盤収録曲はほぼ全てこの曲の変奏に過ぎないから、それでネタ元も有名になったんだなあ。

ネット上の文章のなかには、ライの「ダーク・ワズ・ザ・ナイト」は素晴しい、だがブラインド・ウィリー・ジョンスンのオリジナルはもっと凄いんだ、できれば歌詞の対訳が付いている日本盤でその意味を噛みしめてほしいということが書いてあるものが少数だが存在する。聴いてないんだろうね。

なぜかと言えばブラインド・ウィリー・ジョンスンのオリジナル「ダーク・ワズ・ザ・ナイト、コールド・ワズ・ザ・グラウンド」もほぼギター・インストルメンタルみたいなもので、ヴォーカルは歌詞のないハミングや唸りだけなのだ。1927年録音。
この曲の話はもういいだろう。ライがカヴァーしてくれたおかげで有名になり言及している人も多い。僕がブラインド・ウィリー・ジョンスンで「ダーク・ワズ・ザ・ナイト、コールド・ワズ・ザ・グラウンド」以上に凄いと思うのは、CD二枚組完全集の一枚目最初の方に入っているリズミカルな福音伝道曲だ。

福音伝道曲などと言うと、特にキリスト教信者ではなく英語詞の意味も分らない方々は引くかもしれない。がしかし僕もキリスト教信者ではない。歌詞の意味も聴けば分るがどうでもいいから聴いていない。重要だと思うのはブラインド・ウィリー・ジョンスンの弾くギターのリズムと濁声ヴォーカルの響きだ。

例えばCD二枚組完全集一枚目一曲目1927年録音のこれ。どう聴いてもこのビート感は同時代のカントリー・ブルーズのそれと同じだ。アクースティック・ギターでザクザク刻みながら進むこのリズムは同時代のギター弾き語りのデルタ・ブルーズと区別できない。ほぼ同じ。
お聴きになれば分る通り彼のギター演奏はリズムを刻む低音弦の音とスライドで弾く高音弦の音が同時に聞えるので、おそらく右手親指で五弦や六弦の低音を弾き、それと同時に一弦あたりの高音弦をスライドで弾いているんだなあ。彼のスライドはナイフを使っていたという説もあるが本当は違うらしい。

ナイフをスライド・バー代りにして使うギタリストは結構いるらしいのだが、ブラインド・ウィリー・ジョンスンが使っていたのは本当はナイフじゃなく別のなにからしい(という説が説得力のある文章でいくつか読める)。しかし切れ味鋭いスライドの響きをナイフによるものとしたい気持はよく分る。

彼の最も有名な曲はCD二枚組完全集一枚目の続く二曲目「ジーザス・メイク・アップ・マイ・ダイイング・ベッド」(https://www.youtube.com/watch?v=pWb4XcVwIeI)と三曲目「イッツ・ノーバディーズ・フォールト・バット・マイン」(https://www.youtube.com/watch?v=Y_o4omd8T5c)だろう。

この二曲は「ダーク・ワズ・ザ・ナイト」と並びロック・ファンだって知っている人が多いはず。「ジーザス・メイク・アップ・マイ・ダイイング・ベッド」はボブ・ディランやレッド・ツェッペリンその他が、「イッツ・ノーバディーズ・フォールト・バット・マイン」もツェッペリンがカヴァーしている。

どっちもブラインド・ウィリー・ジョンスンのオリジナルというわけではなく、もっと古くから存在する伝承ゴスペル・ソングなんだけど、こんな感じでザクザク刻みながらズンズン進むギターのリズム・パターンとスライドによるフレイジング、そしてなによりもド迫力の濁声ヴォーカルでやったのは彼独自の持味だ。

ギター演奏のパターンは前述の通り同時期のやはりギター弾き語りによる米南部カントリー・ブルーズにそっくりで区別することは不可能。そしてこの濁声ヴォーカルだってブルーズ・シンガーにかなり多いじゃないか。一番有名なのは戦後チェスに録音したハウリン・ウルフかなあ。よく似ているよね。

そのブラインド・ウィリー・ジョンスンの濁声ヴォーカルがなんというかもう恐ろしくてたまらないよね。激しいビートのギター演奏にのってあの声を聴くと、スミマセン、私が悪うございました、悔い改めます、と言いたくなってくる気分。実際彼のギター・エヴァンジェリストとしての働きはそういうものだったらしい。

ブラインド・ウィリー・ジョンスンはギター一本だけを抱えて各地を旅する辻説法師みたいな存在だったのだが、神は素晴しい、崇高なものだと説いて廻るのでなく(いや、録音集のなかにはそういう普通の宗教曲もあるが)、信心深くしないとほらこんなにも怖い世界が待っているぞと恐怖を与えるものだった。

そうやって彼のギター説法を聴いた人をビビらせて改心させるというのがブラインド・ウィリー・ジョンスンの音楽における宗教的側面。そういうのはギター・エヴァンジェリストでなくても教会における牧師の説教にだってかなりある。中村とうようさん編纂『ゴスペル・トレイン・イズ・カミング』にも少し収録されているよね。

『ゴスペル・トレイン・イズ・カミング』の五曲目にA・W・ニックス牧師の「地獄行きの急行列車」という曲というか説教があるのだが、これが迫力満点で恐ろしくてたまらない。罪人を乗せてひた走る列車が罪悪の巣窟駅に停車し、また罪人を乗せて地獄へとまっしぐらにひた走る模様を歌うもの。
これはフル・ヴァージョン。とうようさん編纂のそのアンソロジーにはパート2しか収録されていないので。現世で罪を犯すとこうなってしまうぞ!と会衆を怖がらせ、だから改心して信心深くして罪を犯さないような生活を送りなさいという説教なのだ。

しかもお聴きになれば分る通りこの説教はリズミカルで音楽的だよね。エモーショナルな語りは必然的に歌になっていくという好例。こういう牧師の説教のリズム感や、そこへ楽器伴奏が付くようになりどんどん音楽化していった教会音楽こそが、アメリカ黒人音楽のビートやサウンドのルーツだ。

このA・W・ニックス師の録音は1927年だから、ブラインド・ウィリー・ジョンスンが録音したのとほぼ同時期。ジョンスンの録音全30曲は1927〜30年。それら全部を聴くと実は彼一人だけのギター弾き語りよりも、女性ヴォーカリスト、ウィリー・B・ハリスとの共演録音の方が数が多い。

ウィリー・B・ハリスと掛合いでやっているブラインド・ウィリー・ジョンスンは、一人だけでのギター弾き語りの時のような背筋の凍るような超絶的な怖ろしさは薄くなっていて、濁声ヴォーカルの迫力はやはりあるもののやや柔らかい歌い方で、ギター・ビートの激しさも若干緩んでいるような感じだ。

ウィリー・B・ハリスとやったそういう感じのものの方が、宗教ソングとしては聴きやすく伝わりやすいものなんだろう、アメリカ人で英語が母語のキリスト教者には。曲名や歌詞内容も、聴き手をビビらせるような恐怖的内容ではなく、神を称えるような普通のゴスペル・ソングみたいなのが何曲もある。

だからブラインド・ウィリー・ジョンスンはやはり宗教音楽家だったことがよく分るわけだけど、特に信仰心のない僕にとっては、やはり上で音源を貼ったようなカントリー・ブルーズと区別できないギターのビート感とスライドによるフレイジング、そしてやはりブルーズ歌手みたいな濁声ヴォーカルの迫力だなあ。

なおブラインド・ウィリー・ジョンスンは1945年に亡くなるまでギター・エヴァンジェリストとして辻説法をやっていたらしいのだが、録音が1930年のものまでしか存在しないのは、間違いなく1929年の大恐慌のせいだね。あれでレコード録音数も販売数も激減してしまったのだった。

2016/08/09

真夏の夜のブラジリアン・ジャズ・ファンク

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連日の猛暑なので暑い国の音楽を聴きたい最近の僕(あれっ?以前、季節で音楽を聴き分けることはしないって言ってたの誰だっけ?)。ここのところのお気に入りはブラジルの音楽家ジョアン・ドナートの『ドナート・エレートリコ』。これが涼やかなジャズ・ファンクで夏にピッタリ。体感気温が少し下がる。

『ドナート・エレートリコ』。アルバム・ジャケット・デザインがなんだかちょっと1970年代っぽい雰囲気で、実際出てくる音も70年代風ジャズ・ファンク・サウンド。70年代のドナートといえば『ア・バッド・ドナート』という名作があった。世間で言ういわゆるレア・グルーヴ的な一枚だね。

今年2016年の新作『ドナート・エレートリコ』も『ア・バッド・ドナート』を彷彿とさせるような、ややレトロな雰囲気のジャズ・ファンク。実際ドナートが弾いている鍵盤楽器もアクースティック・ピアノは全くなし。全てフェンダー・ローズ、クラヴィネット、モーグ・シンセサイザー、ファーフィサ・オルガン。

要は1970年代的レトロ・ジャズ・ファンクってわけだね。しかもちょっとアフロビートっぽい雰囲気もある。っぽいというよりアルバム一曲目「ヒアズ・JD」と二曲目「ウルバーノ」はそのまんまなアフロビートだね。一曲目の冒頭はドラムスの音ではじまるけれど、それがちょっとトニー・アレン風だ。

トニー・アレン「風」っていうかそのまんまだよね、フェラ・クティのバンドで叩く時の。『ドナート・エレートリコ』で叩いているのはデーシウ・7。ビシーガ・70のドラマーだ。このバンドについては後述するつもり。元々トニー・アレン的スタイルの人なのかどうか、ともかくこのバンドはアフロビートのバンドなのだ。

一曲目「ヒアズ・JD」ではドナートのフェンダー・ローズの弾き方もフェラに似ているし、その後バリトン・サックスが大きくフィーチャーされるのがこれまたフェラに似ている。でもフェラはバリトンは吹かなかったように思うので、ちょっとベニー・モウピンっぽく聞えたりする。

ベニー・モウピンは説明不要のハービー・ハンコックの1970年代の一連のファンク・アルバムでテナー&ソプラノ&バリトン・サックスやフルートを吹いている人だから、ジャズ・ファンク・ファンなら知らない人はいないマルチ・リード奏者だ。モウピンはハービーに足向けて寝られないよね。

つまりドナートの「ヒアズ・JD」でのバリトン・サックスは、言ってみればベニー・モウピンがフェラ・クティのバンドに客演しているみたいな感じだ。いいなあこれ。『ドナート・エレートリコ』で実際にバリトンを吹くのはクーバ・フェレイラ。エレキ・ギターのカッティングもジャズ・ファンク〜アフロビート的。

「ジャズ・ファンク〜アフロ・ビート」と書いたけれど、フェラ・クティがはじめたいわゆるアフロビートってのは要するにジャズ・ファンクなんじゃないかと思っている僕。なんというかメッセージ性みたいなものを取除けば、サウンドそのものはほぼ同じようなもんなんじゃないのかなあ。

だから大学生の頃からの熱心なジャズ・ファンク・ファンの僕は、1990年代初頭にフェラ・クティを知りアルバムを買って聴いてみたら一発で好きになった。というかこれ、ジャズ・ファンクとどこが違うんだ?というのが正直な気持だった。フェラ・クティ以外のアフロビートはさほど熱心に聴いていないけれど。

アンティバラスもアコヤ・アフロビートも一応買って聴いてはいて、決して嫌いではないどころか好きなんだけど、フェラ・クティのコピーなわけだから、それだったらフェラを聴けばいいだろうと思っちゃうんだなあ。シェウンやフェミといった息子達とトニー・アレンくらいで充分な気がする。

アフロビート=ジャズ・ファンクみたいなことを言っているから、要するに僕はフェラ・クティのことが理解できていないってことになるんだろうなあ、熱心なアフリカ音楽ファンに言わせれば。スミマセン、許してください、僕の耳はこんなもんなんです。ある意味ジャズ・ファンクの聴きすぎなんだなあ。

『ドナート・エレートリコ』二曲目の「ウルバーノ」は一曲目よりもさらにアフロビート色の濃いジャズ・ファンクで、アレンジはもろフェラ・クティ風だ。ドラムスの叩き方もフェンダー・ローズやファーフィサ・オルガンの弾き方もホーン群のアレンジも全くそのまんまだ。ドナートは間違いなく意識しているなあ。

しかもそのアフロビートな二曲目「ウルバーノ」でのホーン・アレンジをしているのはビシーガ・70だ。サン・パウロに拠点を置くインストルメンタル・バンド。フェラ・クティのアフリカ・70を音楽的出発点とする人達で、バンド名のビシーガはサン・パウロの地名、70はフェラのバンド名から取っている。

ビシーガ・70はフェラ・クティをルーツとするアフロビートのバンドだけど、同時にブラジリアン・インストルメンタル・ジャズ・ファンク・バンドでもあって、だからドナートが彼らと共演しようと思ったのも、アフロビート的なジャズ・ファンク・サウンドがほしかったからに違いない。

ビシーガ・70は書いた通り『ドナート・エレートリコ』二曲目や九曲目「シャシャド・ジ・エルクレス」でホーン・アレンジをしているだけでなく、アルバム全編にわたってメンバーが演奏に全面参加していて、だからこれはドナートとビシーガ・70の共作名義にしてもよかったんじゃないかと思うくらいだ。

それくらい『ドナート・エレートリコ』でのビシーガ・70の音楽的貢献度は大きいように思う。もちろん最初に書いたようにドナート自身が1970年代からジャズ・ファンクな持味のミュージシャンではあるけれど、それにアフロビート色を足したような新作のサウンド創りには彼らが必須だったはず。

アフロビート色の濃いのは最初の二曲だけで、三曲目からは従来のドナートっぽいジャズ・ファンク路線。三曲目「フレクレンシア・ジ・オンダ」はいきなりクラシカルな弦楽四重奏が鳴り出して、アフロビートの直後にこれだからなんじゃこりゃ?と思って聴くと、すぐにビートが効きはじめファンクになる。

その三曲目「フレクレンシア・ジ・オンダ」でドナートがモーグ・シンセサイザーで弾くフレーズがなんとも魅力的でいいなあ。その後ファーフィサ・オルガンとモーグを行ったり来たり。四曲目「エスパリャード」でデーシウ・7の叩出すリズムはいかにもブラジルといったボサ・ノーヴァ風なもの。

六曲目「ソネーカ・ド・マレーコ」はまさに1970年代北米合衆国のハービー・ハンコック風なジャズ・ファンクで、ドナートの弾くクラヴィネットがファンキーかつキュートで面白い。クラヴィネットも曲調もリズムのファンキーさもハービー・ファンクによく似ているが、違うのは弦楽奏が入るところだ。

また七曲目「コンブスタオ・エスポンターニア」はブラジル国外のスペイン語圏ラテン・アメリカ、特にキューバ音楽に非常に近い。言ってみればアフロ・キューバン・ジャズ・ファンクとでもいうような趣で、これもいいね。この曲でドナートがシンセサイザーやオルガンで弾くフレーズはかなり複雑なもの。

複雑というかモダン・ジャズ風な鍵盤奏法なのだ、この七曲目「コンブスタオ・エスポンターニア」では。でもリズムはアフロ・キューバンだから面白く、しかもそれがブラジリアン・ジャズ・ファンクとも合体しているという。最高じゃんこれ。僕はこの七曲目がこのアルバムでは一番のお気に入りだなあ。

九曲目「シャシャド・ジ・エルクレス」は前述の通り演奏での参加はもちろん、ホーン・アレンジもビシーガ・70がやっているけれど、アフロビート色は薄い普通のジャズ・ファンク。トロンボーン・ソロ、テナー・サックス・ソロ(これまたベニー・モウピン風)、ファーフィサ・オルガン・ソロと続く。

アルバム中一番ジャズっぽいのがその九曲目「シャシャド・ジ・エルクレス」だなあ。アルバム・ラストの「G8」はボサ・ノーヴァ風なリズムに乗せてのジャズ・ファンクで、エレキ・ギターがファンキーに刻み、しかもその上に弦楽四重奏が乗るという摩訶不思議なもので、これは最高にヘンだ(褒め言葉)。

しかも九曲目「シャシャド・ジ・エルクレス」でだけドナートによる歌詞なしのヴォーカルがちょっと入る。歌入りなのはアルバム中これだけ。本当に少しだけどね。それにしてもなんだか『ドナート・エレートリコ』での主役はやりたい放題で、僕の大好きな電気・電子音がビヤビヤ鳴っていて楽しい。

特筆すべきは最初に書いたように『ドナート・エレートリコ』はヒンヤリ涼やかなんだなあ。ファンクとかアフロビートってのは暑苦しいのばっかりで、暑苦しさこそが持味だみたいな音楽なのに、ドナートのこれはそういう部分がほぼなくて、真夏に聴くにはこれ以上なくピッタリ来るオススメ盤。

2016/08/08

クルーナー的ディランが指し示したニュー・ミュージック

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ボブ・ディランの1969年作『ナッシュヴィル・スカイライン』については、ネットで検索すると英語でも日本語でも多くの文章が出てくる。がしかしだいたいどれも似たような内容で、特に日本語で書いてある文章は同じことが書いてある。いわく「発売当時は受入れがたかった」「これがあのディランか?」と。

1960年代半ばか、あるいはデビュー当時からディランを聴続けていらっしゃるファンの方々にとっては当然の反応であり驚きだっただろうなあ。かつてはプロテスト・ソングを歌うフォーク歌手、その後電化ロック路線に進み、やはり切れ味鋭いハードな音楽をやっている尖った人のイメージだったろうから。

ところがそれが『ナッシュヴィル・スカイライン』は、どこにもそういう先鋭的で尖った要素が聞取れない、丸くてやわらか〜い感触のカントリー・ミュージック・アルバムだからだ。カントリーをやっているというのも、この音楽がアメリカ保守層向けの保守的音楽だとされている事実からしてやはり意外だろう。

まあそのアレだ、音楽が保守的だとか、あるいはその反対に革新的だとか前衛的だとか反体制的だとか、そんなことは音楽を楽しむ上ではなんの関係もないことで、僕はこれを心底強く確信しているんだけど、しかしある世代のファン、時にロック・ファンはなかなかそうは思えないんだろうなあ。

ロックは「反体制」音楽で、社会の保守層や時の体制にNOを突きつけるもので、それこそが<ロック魂>というもので、それがないロッカーは軟弱でニセモノだと、そういう具合に強く信じてきているはずだ。ロック音楽家もロック・ファンもそう思っているんだろう。そんな時代が確かにあった(らしい)。

「らしい」というのは、僕にとってはそういったなんのことやらサッパリ分らない<ロック魂>とか<ロック・スピリット>というものが掲げられていた時代は、おそらくは1960年代末周辺のことだろうから、全然実感がないんだよね。69年8月にはウッドストック・フェスティヴァルがあって、それも象徴的だったはず。

僕も生まれてはいたものの、1969年には僕は七歳だったからリアルタイムでは全然分るわけもなかった。そういえばウッドストックといえば本当にたった今思い出した。1990年代末の夏にニューヨークを旅行した際、ある日の朝ホテルを出て朝食を摂ろうと近くのカフェに向った時のことを。

その朝マンハッタンでカフェに行こうとすると、なんだか知らないが1960年代末風ヒッピー的衣裳を着たオジサン達がゾロゾロ歩いていて、しかもなぜだか靴もベル・ボトムのジーンズも足首あたりまで泥だらけ。おかげで歩く道路に泥が付いてしまうという有様で、これはいったいなんだろう?と思ったのだった。

なにがあったんだろう?と不思議に思いながらカフェに入り、隣り合せの店で『デイリー・ニューズ』紙を買い、クリーム・チーズをたっぷり挟んだベーグルとコーヒーも買ってカフェに入り(そこは隣で買って持込む形式)、新聞を広げてみて初めて事態が飲込めたのだった。前日がウッドストック30周年記念日だったのだ。

すなわち僕がニューヨークに行ったその時は1999年8月。1969年のウッドストック・フェスティヴァルからピッタリ30周年ということで、大々的に30周年記念野外コンサートがその前日まで三日間開催されていて、しかも最終日は土砂降りだったらしく、そのせいでヒッピー風オジサンの足元が泥だらけだったのだ。

<ウッドストック 1999>のことがその朝読んだ『デイリー・ニューズ』紙に書いてあったので、それで僕は初めて知ったというわけ。僕が1960年代末の「あの時代」のアメリカ文化の残滓みたいなものを実感した唯一の機会だ。ホント道を歩いているオジサン達は誰もがまるでタイム・トリップしてきたような格好だったもんね。

僕にとっての「あの時代」体験はその程度のものしかなく(いやまあジャズ喫茶にはアイラーが〜とかコルトレーンが〜とか言う先輩方も残っていたけれど)、音楽に関してもジャズにハマったところから熱心な音楽リスナーになったわけだから、メッセージ性とか精神とか魂とかを意識したことがなく、ただ単にレコードから流れてくる音の美しさ、賑やかさ、楽しさしか分らない。

僕はそのまんま他のいろんな音楽にもハマっていって現在に至る人間。従って音楽について語る際、深い考えなしになんでもすぐに「魂」という言葉を持出すような人はほぼ信用していないし、まあインチキなんだろう、音をちゃんと聴いていないんだろうとすら思っている。あるいは深く考えて発言しているのかなあ。

そういう音楽リスナーとしてボブ・ディランも聴くようになったから、時代の反逆児みたいなイメージは特に抱いてなくて、彼のやっている音楽が楽しいなあと感じて聴いてきているだけだから、以前からよく読む彼にまつわるある種の言説は見て見ぬフリをしてきた、というか無視してきたというのが事実。

だってアホくさかったもんね。ある時(確か僕が20代半ば頃)ラジオ番組でなぎら健壱が、アメリカにあるボブ・ディランの住む家が豪邸だということを知り、なんだ〜、そんな人なのか!貧乏人の味方じゃないのか?!とガッカリしたと喋っていたけれど、ガッカリしたのはこっちの方だ。ナイーブすぎるだろうと。

そんなわけだから1960年代半ばのボブ・ディランの作品も、僕は時代に対する彼のメッセージみたいなものとしては聴いていない。単に鳴っている音の美しさ、楽しさを味わっているだけ。そして僕はロックに関してもかなり遅れてきたリスナーだから、80年代初め頃までのディランの全作品が一緒くただった。

1960〜70〜80年代初めまでのボブ・ディランのアルバムからあれこれ区別せずつまみ食いしていたので、彼の時代を経ての変遷みたいなものを意識するようになったのは、90年代半ば過ぎ頃のこと。それまではだいたいどれも音楽的には似たような作品が並んでいると感じていた。

ただしどのアルバムを聴いてもディランのお馴染みのあの声が聞えるのに対し、『ナッシュヴィル・スカイライン』だけは全然違う声なもんだから、最初は「これ、本当に同じ人が歌っているのか?」と真剣に疑ったくらい。このアルバムが驚きだった、受入れがたかったという人は、これが最大の原因じゃないのかなあ。

カントリー・アルバムだということや、サウンドだけでなく収録曲の歌詞も(一つのインストルメンタル・ナンバーを除き)全部甘ったるいラヴ・ソングばっかりだとか、そういうことは別に『ナッシュヴィル・スカイライン』が初じゃないもん、ディランだって。それまでもたくさんあるじゃないか。

プロテスト・ソングとされているものをたくさん歌っていたフォーク時代のディランにも、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』〜『ブロンド・オン・ブロンド』までの電化ロック三作品にも、ラヴ・ソングがあるし、その次の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』は相当にカントリー風じゃないか。

アクースティック/エレクトリックということだって、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』〜『ブロンド・オン・ブロンド』までの三作品でもたくさんアクースティック・ギターも弾いている。1970年代以後だって生ギターもエレキ・ギターも同じくらいの割合で使っているもんね。

ってことは1969年の『ナッシュヴィル・スカイライン』がリリース当時受入れがたかったというのは、いつものザラザラ声ではなく、一種クルーナー的(は言過ぎか?)なツルツル声で歌っているという、その一点でしか僕には理解できない。ラヴ・ソング、カントリー、アクースティック云々はその前からある。

でもって『ナッシュヴィル・スカイライン』におけるディランのツルツル声のクルーナー唱法は、これこれではなかなかチャーミングに聞えるじゃん。いつもと違ってメロディの抑揚もはっきりしていて聴きやすく、熱心なディラン・ファン以外のリスナーには、このアルバムの方が受入れやすいかもしれないよ。

ディラン本人は「タバコを辞めただけでこうなった」「あのな、みんなタバコをやめてみろ、こんな声になるぞ」と語っているらしいが、それはウソだね。だってこんなツルツル声をしているのは『ナッシュヴィル・スカイライン』だけだもん。次作の『セルフ・ポートレイト』でも一部使ってはいるけれど。

その後はまた再び元通り(というかどっちが「元」なのか分らないが)のザラついた声一本で歌っている。だから『ナッシュヴィル・スカイライン』でだけあの声だというのは、ディランはその前から、おそらく最初から二種類の声を使い分けられたってことだ。デビュー時は意図的にあの声にしただけ。

意図的にというのは、おそらくブルージーな感じを出したかった、ハウリン・ウルフとまではいかないがブルーズ歌手的な声で歌いたかったということじゃないかなあ。ディランのデビュー前からのブルーズへの傾倒は今ではみんな知っている。そういう歌手になりたかった人だ。

だから『ナッシュヴィル・スカイライン』でのツルツル声でのクルーナー的ボブ・ディランも、僕の推測ではおそらくデビュー時の最初からあったのだが、意図的にそれは隠していただけだと思うんだよね。そう考えないとこの声の豹変ぶりは説明しにくい。僕は白人クルーナー唱法も大好きなんだよね。

そしてアメリカの白人カントリー・ミュージックだって、黒人ブルーズほどでは全然ないけれど、そこそこ好きな僕で、それはロックのなかにそれら双方が不可分一体となって溶け込んでいるのに気付いてどんどん聴くようになって以後好きになったものだ。アメリカ保守層向けの音楽云々はどうでもいい。

聴いて美しかったり楽しかったりすれば、その音楽がたとえ保守的でも反逆的でもどっちでもいいんだ、そんなものは。1960年代末のこんなディランの路線からカントリー・ロックという用語が生まれ、彼と寄添っていたザ・バンドがデビューし、同時期に米英ロッカーが同種の傾向を示すようになった。

ビートルズが(結果的には未完成で未発売の)『ゲット・バック』セッションをレコーディングしたり、ローリング・ストーンズも『ベガーズ・バンケット』(これの便所ジャケに「ディランズ・ドリーム」の落書が見えるね)以後数年はやはり似たような米ルーツ・ミュージック路線だったりした。

あるいは同時期のエリック・クラプトンもデイヴ・メイスンもジョージ・ハリスンもその他も、み〜んなアメリカの様々なルール・ミュージック回帰路線のロックをやっていたじゃないか。どれを聴いてもある意味まあ「保守的」だ。時代や体制への反逆なんか全然聞取れないぞ。

そんな1960年代末頃から数年間のロック系音楽家のムーヴメントをリードしその方向性を指し示していたのが、67〜69年のボブ・ディランに他ならないと僕は考えている。(当時は未発売の)『地下室』セッション〜『ジョン・ウェズリー・ハーディング』、そして『ナッシュヴィル・スカイライン』だ。

ああいったあたりのディランとザ・バンドと、明らかにそれに触発された大勢のロック音楽家の創ったアルバム群には傑作が本当に多いんだけれど、ロックは「反体制音楽」でロッカーは「反逆児」だみたいな考えしか持っていない(もう絶滅したんじゃないかと思う)リスナーには永遠に理解できないものだろう。

なお、全面的カントリー・アルバムとされる『ナッシュヴィル・スカイライン』にも、じっくりよく聴くとブルーズに通じる黒人音楽要素が少しある。A面二曲目のインストルメンタル・ギター・ラグと五曲目の「ペギー・デイ」などはそれがはっきりしている。しかしそれを詳しく書いているとこりゃまた長くなってしまうので。

2016/08/07

僕にとっての猫ジャケはこれだ

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ジャズ・アルバムのジャケットに猫が描かれていることが多いのは、"cat" がジャズマンのことだから(男性だけで、女性は "chick")。そして知っている人は知っているが僕は大の猫好きなのだ。これはジャズ好きとは全く無関係。僕の人生は音楽とサッカーと猫とコーヒー、この四つだけで成立っている。

そんなジャズ好きで猫も好きという僕にとって、言うことない最高のものが<エピック・イン・ジャズ>のシリーズ。と言ってもビバップ以前の古いジャズに興味のある人しか知らないかも。ジャズ・アルバムにおける猫ジャケも、普通は例えばジミー・スミスの『ザ・キャット』とかを思い浮べる人が多いだろう。

しかし僕にとってのジャズにおける猫ジャケ・アルバムはエピック・イン・ジャズのシリーズをおいて他にない。このシリーズは全部で六枚。『ザ・デュークス・メン』『チュー』『レスター・リープス・イン』『ホッジ・ポッジ』『テイク・イット、バニー!』『ザ・ハケット・ホーン』。

これらのタイトルだけで古いジャズのファンなら誰名義のアルバムなのかは全部分るはずだけど、念のために書いておくと、『ザ・デュークス・メン』はエリントン楽団のピックアップ・メンバー四人、『チュー』はレオン・チュー・ベリー、『レスター・リープス・イン』はレスター・ヤング、『ホッジ・ポッジ』はジョニー・ホッジズ、『テイク・イット・バニー!』はバニー・ベリガン、『ザ・ハケット・ホーン』はボビー・ハケット。

つまり要するに全員戦前が活躍の中心だったディキシーランド〜スウィング・ジャズ・スタイルの人達ばかりで、六枚とも録音は1930年代後半〜40年代初頭だから、やはりビバップ勃興前なのだ。そのあたりのジャズが大好きな僕だからね。

それら六枚のエピック・イン・ジャズ・シリーズのジャケット全てに、ちょっとやんちゃではすっぱな雰囲気の黒猫が描かれていて、それを含めた漫画イラストを手がけたのは雑誌『ザ・ニュー・ヨーカー』にも描いていた漫画家・イラストレイターのウィリアム・スタイグ。フルート奏者ジェレミー・スタイグのお父さんと言えば通りがいいかも。

ジェレミー・スタイグはビル・エヴァンスとの共演盤もあったりするので、モダン・ジャズ・ファンにはよく知られたフルート奏者だろう。ジェレミーは自分で絵も描いたりしていたが、それも父親譲りだったようだ。共作もある。残念ながら今年2016年に亡くなってしまった。僕はジェレミーの熱心なファンではなかった。

僕にとっては、おそらく多くのジャズ・ファンとは逆に、ジェレミーはウィリアム・スタイグの息子だという認識だったなあ。彼がエピック・イン・ジャズ・シリーズの猫ジャケを描いたのがいつ頃なのかは分らない。『ザ・ニュー・ヨーカー』に描きはじめたのが1930年だから、その後だろうとしか推測できない。

またエピック・イン・ジャズの六枚がいつ頃リリースされたものなのかもはっきりしないんだなあ。アルバムなんだから間違いなく戦後ではある。それにこのシリーズを出しているコロンビア系の会社エピック・レコードの設立は1953年だからその後だ。すなわち録音は全て戦前のSP時代だけど、六枚ともコンピレイション盤だってこと。

だから1953年以後、おそらくは50年代に12インチLPレコード六枚にそれらの音源がコンパイルされてリリースされたってことなんだろうなあ。ウィリアム・スタイグもその時にこれらの猫ジャケを描いたはず。オリジナルLPのリリース年を知りたいと思って調べても、僕はデータを見つけられなかった。

現在僕が持っているエピック・イン・ジャズのシリーズは全て日本のエピック・ソニーがリイシューしたCD。アナログ盤時代から現物は見ていたが、自分では買ったことがない。僕がジャズに興味を持ち始めた頃には既に入手困難だった。だから全てジャズ喫茶で見たり聴いたりしていただけだった。

六枚のうち僕にとって最も思い出深いのはレオン・チュー・ベリーの『チュー』だ。なぜかというと僕が頻繁に話に出す戦前ジャズしかかけなかった松山のジャズ喫茶ケリーのマッチ箱デザインが、これのアルバム・ジャケットだったからだ。大学生当時の僕はとんでもないヘヴィー・スモーカーだったもんね。

といっても実際に煙草に火を点けるためにマッチを使うことは滅多になくいつもライターだったけれど、デザインの優れたジャズ喫茶のマッチ箱はそれだけ収集している人もいるくらい趣味の対象だったからなあ。僕だって松山以外の土地へ行くと現地のジャズ喫茶を探して入り、必ずマッチ箱を持って帰っていた。

そんなわけで戦前ジャズしかかけない松山のジャズ喫茶ケリーのマッチ箱デザインに使われていた『チュー』のアルバム・ジャケットは、そのイラストを忘れようにも死ぬまで忘れられないものだ。中身の音楽も店でよくかけてもらって聴いていた。なかでも「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」は名演。

チュー・ベリーはベン・ウェブスターと並び、1930年代後半のアメリカで最も人気のあったテナー・サックス奏者で、1935〜38年頃の活躍は目覚ましい。それはなぜかと言うと、この楽器のパイオニアであるコールマン・ホーキンスがこの時期はヨーロッパに渡って同地で活動していたからだ。

だから1935〜38年頃の多くの黒人スウィング・セッションでチュー・ベリーの名前を見出すことができる。あまりに頻繁なのでかなりの売れっ子だったことが分る。僕も何度か話をしているテディ・ウィルスンのブランズウィック録音とライオネル・ハンプトンのヴィクター録音の両方にもチューがいる。

それら二つの数年にわたる一連の録音セッションは、ビッグ・バンドものではないスモール・コンボものとしては、スウィング期のジャズでは至高の遺産なのだが、それらの多くにチュー・ベリーが参加しテナー名演を聴かせてくれている。エピック盤『チュー』にもテディ・ウィルスンのブランズウィック録音から一曲を収録。

テディ・ウィルスンの方はブランズウィック録音でコロンビア系なのでエピック盤に収録できるというわけ。収録されているのは「ウォーミン・アップ」。これもいいし、あるいは「ブルーズ・イン・C・シャープ・マイナー」(味も素っ気もない曲名だ)でのチューも名演。
エピック盤『チュー』には当然収録できないヴィクター録音のライオネル・ハンプトン名義のセッションでもチューはいい。例えばハンプのヴィクター録音におけるチュー・ベリー関係ではおそらく一番有名な「スウィートハーツ・オン・パレード」におけるテナー・ソロも名演だなあ。
チューの話が長くなった。エピック・イン・ジャズの六枚のうちで僕が一番好きで音楽的にも一番優れているだろうと思うのが『ザ・デュークス・メン』。この最愛聴盤については以前書いたので、繰返すのはよしておく。でもいろいろと言いたいことがいっぱいある。
その時書かなかったことを一つ書いておくと、『ザ・デュークス・メン』二曲目の「レイジー・マンズ・シャッフル」。レックス・スチュワート名義の1936年録音だが、完全にハワイアン・スタイルなスティール・ギターが聞える。弾くのはシール・バークという人。
そのハワイアンなスティール・ギターが、曲名通り怠惰な雰囲気を醸し出しているのだが、普通のジャズでこういう完全なハワイアン・スタイルのスティール・ギターはなかなか聴けない。かなり珍しいよね。シール・バークというよく知らないギタリストは同日録音のもう一曲にも参加しているが、そっちではよく聞えない。

さてさて他の四枚について詳しく書く余裕が少なくなってきたので駆足で。エピック・イン・ジャズのシリーズ六枚で僕が最も楽しい気分になるのが、白人コルネット奏者ボビー・ハケットの『ザ・ハケット・ホーン』。収録曲は全て1920年代のディキシーランド・ジャズ・スタイルで演奏されている。

主役のボビー・ハケットは完全なるビックス・バイダーベック・フォロワーで、音色もフレイジングも吹き方がまさしくビックス・スタイルそのまんま。完全コピーだ。これは悪口ではない。こういうビックス・スタイルのストレートでノン・ヴィブラートな吹き方が好きなんだよね、僕は。マイルス・デイヴィスがそうだもん。

『ザ・ハケット・ホーン』のなかにはビックスのレパートリーが二つある。「アット・ザ・ジャズ・バンド・ボール」と「シンギン・ザ・ブルーズ」の二曲。どっちもビックス・ヴァージョンに似すぎているくらい似ている。特に「シンギン・ザ・ブルーズ」の方はバンドのアレンジもコルネット・ソロも完全コピー。

『ザ・ハケット・ホーン』には「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」がある。同じエピック・イン・ジャズのシリーズでは、前述の通りチュー・ベリーの『チュー』にも収録されているので、楽器が違うけれども聴き比べると面白い。朗々たるチューのに対し、ボビー・ハケットのはかなり淡々としている。

いやホント長くなってきている。バニー・ベリガンの『テイク・イット、バニー!』一曲目は「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」(邦題「言いだしかねて」はかなりオカシイ)。しかしこれは1936年録音だから、同じ人による翌37年ヴィクター録音の名高い名演ヴァージョンではない。でも36年ヴァージョンもかなりいいよ。

レスター・ヤングの『レスター・リープス・イン』は全12曲が1930年代後半の録音で、多くがカウント・ベイシー楽団での録音。この時期ベイシー楽団はオーケーに録音しはじめていた。アルバム・タイトル曲でのレスターのソロは有名だけど、僕は「シュー・シャイン・ボーイ」でのソロの方が出来がいいように思う。
これは1936年のジョーンズ〜スミス名義の録音(当時ベイシーはデッカとの契約がまだ残っていたので、リーダーとして名前を出せなかっただけ)。エピック盤『レスター・リープス・イン』には同日録音からジミー・ラッシングの歌う「ブギ・ウギ」も収録されている。

ジョニー・ホッジズの『ホッジ・ポッジ』。これも収録の全16曲に当時のボス、デューク・エリントンはもちろん、クーティ・ウィリアムズ、ハリー・カーニー、ソニー・グリーアなどが参加し、ほぼ全てエリトニアンで占められたエリントン的作風の録音集。だから『ザ・デュークス・メン』の姉妹作みたいなものだ。

エピック・イン・ジャズのこれら六枚。中身の音楽もいいし、それを猫ジャケを眺めながら聴いているとあっと言う間に時間が経ってしまう。古いものは新しいものに流れ込んでいるんだから新しい音楽(だけ?)を聴けばいいという人もいるんだけれど、流れ込まずに失われてしまったままのフィーリングがやっぱりかなりあるなあ。

2016/08/06

ザキール・フセインのインド古典パーカッション

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インドやその周辺の音楽に興味がなくても、タブラという打楽器はみなさんお馴染みのものだろう。米英の大衆音楽家もよく使っているからね。シタールと併せ1960年代後半〜70年代前半には特に多かった。ロック・アルバムなんか入ってないものがなかったんじゃないかと思うくらいだよね。

入ってないものがなかったなんてのはもちろん大袈裟なんだけど、そう言いたくなるくらい1960年代末〜70年代初頭のロック・アルバムではタブラ(とシタール)はよく使われていた。僕だって高校生の時にレッド・ツェッペリンのファースト・アルバムで初めてタブラの音を聴いた。

すなわちB面二曲目の「ブラック・マウンテン・サイド」。しかしこれ、アナログ・レコードに「タブラ」って書いてあったっけ?ジャケット裏にはもちろん書いてないし、日本語ライナーノーツにも記載がなかったような記憶があるけれど、どうだろう?

だから高校生の頃に初めて「ブラック・マウンテン・サイド」を聴いた時は、なんだか正体不明のワケの分らない打楽器が鳴っているとしか思っていなかった。だけれどもその音は魅力的で、楽器の名前も姿も演奏法もなに一つとして分らないまま愛聴していたんだよなあ。僕はそれらをいつ頃知ったのか?

う〜んもう全然憶えていないのだが、強く意識するようになったのがマイルス・デイヴィスの1970年代のアルバムでだったことは間違いない。それにははっきりとタブラという名前と奏者の名前がクレジットされていたので、それで初めて知ったのかどうかはもう忘れたけれど、意識したのはそれからだ。

マイルスが初めてタブラを使ったのは1969年暮れのスタジオ・セッションでのこと。その後72年まで続けて使い、スタジオ録音でもライヴ・ステージでもタブラ奏者を常用していた。これがなぜだったのかマイルス本人の言葉がないので理由は推測するしかない。でもなんとなく分るような気もする。

だって書いたように1960年代後半からの(主に)ロック系音楽家の創るアルバムには、最低一曲はタブラ(やシタール)が入っていることが多かったので、時代に敏感なマイルスがこれを見逃していたとは考えにくい。だから種々のロック・アルバムで聴いてインスパイアされたんじゃないかと僕は思う。別の可能性もあるが、それは後記。

だけれどもマイルスのアルバムではタブラの音は聞えにくい。入ってはいるものの(シタール同様)サウンドに彩りを添えるだけのほんのスパイス程度の使い方で、音も小さいミックスだからよく分らないんだよなあ。なかでは1972年の『オン・ザ・コーナー』がまあまあ聞えるかなという程度だ。

マイルスは多彩なサウンド・カラーリングを求めてタブラを使ってみただけで、この楽器の(ひょっとしたら米英大衆音楽起源のドラム・セットよりもはるかに凄い)リズムの洗練やリズム・ハーモニーみたいなものは利用していない。そもそもそのあたりはマイルスは理解していなかったかもしれない。

だから僕は電化マイルスではタブラには全くハマっていない。ハマるようになったのはやはりワールド・ミュージックをたくさん聴くようになって以後で、最初にハマったのは間違いなく1990年代に入ってから知ったパキスタンの音楽家ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのアルバムを聴いてのことだった。

ヌスラットにはリアル・ワールド・レーベルから何枚も出ている現代クラブ・ミュージック風のものもあるけれど、やっぱりカッワーリーの伝統的パーティーによる録音がもっとはるかに素晴しい。そういうもののうち僕が特に好きなのがオコラ盤のパリ・ライヴ五枚。

あのヌスラットのオコラ盤パリ・ライヴでタブラを叩いているのはディルダール・フセイン。パキスタンにおけるタブラの名手らしいが僕はよく知らず、演奏もヌスラットのパーティーでのものでしか聴いたことがない。でも素晴しいタブラ奏者で、ヌスラットの音楽への貢献は聴けばみんな分るはず。

そのディダール・フセインがヌスラットの伝統的カッワーリーのパーティーで演奏するタブラで、僕はすっかりこの打楽器に魅了されてしまった。先にタブラによる「リズム・ハーモニー」と書いたけれど、普通ハーモニーというと管楽器とか弦楽器とかピアノなどで奏でる和音のことを思い浮べるだろう。

しかしタブラ奏者の複雑で多彩な演奏を聴いていると、この楽器の仕組や演奏法のことを全く知らなくたって、「ハーモニー」と呼ぶしかないようなリズムの組立てがあることに気付くはず。むろんチューニングされて音程を出せる打楽器は世界中にたくさんある。タブラもまたその一つに他ならない。

ヌスラットのパーティーで叩くディダール・フセインは、タブラの演奏をアラー・ラーカに習ったんだそうだ。アラー・ラーカはもちろんラヴィ・シャンカルとの活動で有名なタブラ・マスター。ジョージ・ハリスンの例の『コンサート・フォー・バングラデシュ』にも出演しているのでみなさんご存知のはず。

その他ラヴィ・シャンカルは1960年代のジョン・コルトレーンが傾倒していたり、また60年代末に種々の(ロック系)フェスティヴァルにも出演し、インドやその周辺の音楽に興味がない普通のジャズ・ファンやロック・ファンの間にも名前が知れ渡っている。それら殆どにアラー・ラーカも同行している。上記マイルスがタブラを知ったもう一つの可能性とはこれ。

だからタブラ・マスター、アラー・ラーカの幻惑的なタブラ演奏はよく知られているんじゃないかなあ。そしてそのアラー・ラーカに師事したもう一人が、現在活動中の現役タブラ奏者のなかでは最高の名手である現在65歳のザキール・フセインだ。ザキールはアラー・ラーカの息子なのだ。

息子ってことはザキール・フセインはおそらく幼少時から父アラー・ラーカからタブラを習い、またそれが不可欠な一部になっているインド古典音楽に親しんできたはずだ。ザキールは1969年にアメリカに渡り、翌70年に同国でプロ演奏家としてアルバム『イヴニング・ラーガ』でデビューした。

その後現在に至るまで膨大な数のアルバムをリリースしているザキール・フセイン。数が多いもんだから僕は全部持っておらず、そもそもザキールのアルバムは五・六枚程度しか聴いていない。そのなかでザキールやタブラについてあまりよく知らないという人向けの入門編的アルバムがある。

2008年に日本のキング・レコードがリリースした日本盤『インド古典パーカッション』がそれ。このアルバムは1988年に東京のスタジオで録音されたものだ。キングのこの手のワールド・ミュージック・シリーズは全部でいったい何枚あるのか分らないほど多い。間違いなく100枚以上はあるなあ。

ザキール・フセインのキング盤『インド古典パーカッション』はザキールのタブラ独奏だけではない。そういう時間があるけれども、他にガタム、カンジーラ、ムリダンガムの奏者が参加している。その三つも全てインドの打楽器で、だからさしずめインド古典パーカッション祭みたいなアルバムだ。

なんというか汎インディア・スーパー・リズム・セッションとでも言うべき内容のザキール・フセインの『インド古典パーカッション』。このキング盤CDを聴いていると、今日何度も書いているが、まさしくリズムによるハーモニー、複雑多彩なカラーリングとサウンド・テクスチャーの素晴しさを実感する。

ザキールの『インド古典パーカッション』は全五曲(最後の5トラック目は厳密には「曲」ではない)。インド古典音楽についてはいまだに僕はあまり知らないというような状態なんだけど、日本盤だからやや詳しい日本語解説文が附属しているのが有難い。それによればこのアルバムは南北インド音楽をまたぐ内容らしい。

そのあたりの詳しいことは僕にはしっかり実感できないんだけど、しかし知識と音楽の楽しみはこれまた違うことだ。聴いて楽しい、素晴しい、凄くカッコイイと感じることができれば、データや知識は二の次でいいはず。もちろん深く感動すれば、それについて詳しく知りたいと思うようになっていくものだけれど。

だからインド古典音楽については僕はこれから掘下げていくべき分野で、まだ殆ど知らず、ただ素晴しい音楽だなと思って感動しながらザキール・フセインのタブラ演奏その他いくつか聴いているという次第。そしてキング盤『インド古典パーカッション』におけるザキールのタブラ技巧には本当に目眩を起しそうだ。

キング盤『インド古典パーカッション』では本編の「曲」は4トラックまで。5トラック目はザキールによる「タブラ・デモンストレイション」になっているのが、これまた入門者向けには好適なんじゃないかなあ。ザキールが英語でいろいろ詳しく解説しながらタブラ演奏の実例を聴かせてくれている。

その「タブラ・デモンストレイション」の冒頭でザキールは簡単にタブラの歴史みたいなことを喋り、その後タブラの二個一組という楽器構成と構造、そしてその演奏法を喋っている。その後、こういう感じでこんな音を出すと解説しながら実際にタブラを叩いて聴かせてくれているのが大変に分りやすい。

東京での録音セッションの際、タブラについて紹介し多彩な音色と表現方法を知ってもらう参考になればとザキール自身の発案で録音したというこの5トラック目の「タブラ・デモンストレイション」は、しかし単なる「解説」ではない。ここまで完成された演奏内容だとこれはもう立派な一つの「作品」と言うべき。

ザキール・フセインのキング盤『インド古典パーカッション』。単にタブラについて興味があるとかインド古典音楽のリズムを知りたいというファンにだけでなく、世界中にいろいろあるリズム・アンサンブルのなかでも最も高度に熟練・洗練されたものの一つとして、全パーカッション・ファンにオススメだ。

2016/08/05

マイルスの電化・8ビート化過程を辿る

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マイルス・デイヴィス1968年の『マイルス・イン・ザ・スカイ』一曲目の「スタッフ」。ファンキーでカッコイイなあ。あの有名フュージョン・バンドはひょっとしてこれに名前を引っ掛けてもあるのかなあ?フュージョン作品第一号みたいに言われることがあるから。
この1968/5/17録音の「スタッフ」がマイルス初の電化ジャズ作品ということになっている。リアルタイム・リリースではね。ハービー・ハンコックがフェンダー・ローズを、ロン・カーターがエレベを弾き、リズムも8ビート。このあたりから旧来の保守的なジャズ・ファンはマイルスから離れていく。

「スタッフ」が一曲目の『マイルス・イン・ザ・スカイ』というアルバム・タイトルだって、前年リリースのビートルズ・ナンバー「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」から取っているし、ジャケット・デザインもサイケデリック。ジャケ裏に映るマイルスも既にそういうサイケなファッションだ。

しかしこの1968/5/17録音の「スタッフ」がマイルス初の電化ジャズ作品というのはあくまで当時のリアルタイム・リリースでの話であって、彼の初電化作品は1967/12/4録音の「サークル・イン・ザ・ラウンド」。ジョー・ベックがエレキ・ギターで参加。ハービーはチェレスタを弾く。

チェレスタはもちろん電気楽器ではないが、従来のアクースティック・ピアノでは出せないサウンドをマイルスが模索したということだろう。しかし「サークル・イン・ザ・ラウンド」は1979年リリースの同名二枚組未発表集LPの一枚目B面に収録されるまで未発売のままだった。さらにそれは短縮版。

短縮版と言ってもLP片面を占める約27分もの長尺ナンバーで、これのフル・ヴァージョンが日の目を見たのは1998年リリースの『マイルス・デイヴィス・クインテット 1965-68』でだった。この六枚組ボックス四枚目に33分以上ある「サークル・イン・ザ・ラウンド」の未編集版がある。

33分以上もあったら当然LPレコードの片面には入らないので、1979年にリリースする際にテオ・マセロが編集して短縮したんだね。マイルスのスタジオ録音で一曲が33分以上というのは、僕の知る限りでは全キャリアを通じてこれが最長。しかもこの曲、ちっとも面白くないんだなあ。

実験的模索品にしか聞えず大変に退屈なので、たったの五分でも我慢できないと思うような演奏内容なのに、それが33分以上もあるのは少なくとも僕にとっては苦痛でしかない。初めてLPで27分ヴァージョンを聴いていた頃からこの印象で、それが現在に至るまで全く変らない。

だから1979年の未発表集二枚組に「サークル・イン・ザ・ラウンド」を入れたのは、どう考えてもこれがマイルスの録音史上初の電化作品であるという、ただその一点のみが理由だったとしか思えないんだなあ。またトニー・ウィリアムズの叩くリズムも8ビートだから、それもあったんだろう。

マイルスの8ビートは別に1967年頃はじまったものではない。スタジオ録音で鮮明にそれが聴ける初作品は1965年の『E.S.P.』A面二曲目の「エイティ・ワン」。これはロン・カーターの書いた曲で、トニーがはっきりと8ビートを刻んでいるし、ハービーの弾くピアノ・リフも同様。

8ビート作品とも言えないが、それまでもライヴ演奏中に8ビートになることはあった。例えば1964/2/12録音の『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』B面二曲目の「オール・ブルーズ」におけるハービーのピアノ・ソロの途中で8ビートになる瞬間がある。ブルーズ・ナンバーだから8ビートのシャッフルっぽくなるのは納得。

またやはりブルーズ・ナンバーだけど、1964/9/25録音の『マイルス・イン・ベルリン』B面二曲目の「ウォーキン」におけるやはりハービーのピアノ・ソロの途中で8ビートになっている。こっちはシャッフルというのではなくエイヴリー・パリッシュの「アフター・アワーズ」っぽいグルーヴ感だ。

そういうわけで昨日今日はじまったわけではないマイルスの8ビート。しかし全面的にそれを打出したのが1965年の「エイティ・ワン」が初というのは、マイルスみたいな音楽家にしては遅すぎる気がする。65年なら既に8ビートのジャズ・ロック作品はまあまああった。ああ見えてマイルスは保守的なところのある人だからなあ。

いずれにしてもマイルスがスタジオ録音で本格的かつ鮮明に電化かつ8ビートの曲をやるようになったのは、やはり1967年末頃から。書いたようにそれの初である「サークル・イン・ザ・ラウンド」はエレキ・ギターのみだけど、次ぐ67年12月録音の「ウォーター・オン・ザ・ポンド」ではハービーがエレピを弾く。

「ウォーター・オン・ザ・ポンド」でハービーが弾くエレピはフェンダー・ローズではなくウーリッツアーとエレクトリック・ハープシコード。この曲は1981年リリースの未発表集二枚組『ディレクションズ』に収録されて日の目を見たかなり面白い作品。トニーのリム・ショットも印象的なカリブ風。
カリブ風といえば、やはり『ディレクションズ』に収録されリリースされた1968/1/12録音の未発表作品「ファン」。これもかなり面白いんだよね。冒頭のトニーのドラミングといいその後のマイルスとウェイン・ショーターによるテーマ演奏といい興味深い。
お聴きになれば分る通りの雰囲気だから、これは『キリマンジャロの娘』に入っていてもおかしくないカリブ〜アフリカンな一曲で、しかもたったの四分程度なんだから、どうしてリアルタイムで出さなかったのか不思議な気がする。1967〜68年のマイルス未発表スタジオ作品にはこういうのがいくつもあるんだよね。

やはり1968年初頭の未発表作品といえば、1998年リリースの『マイルス・デイヴィス・クインテット 1965-68』まで全然リリースされず存在すら知られていなかったものが二つあって、どっちもハービーの曲である「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」と「スピーク・ライク・ア・チャイルド」。

もちろんハービーのリスナーならそれら二曲ともよくご存知のはず。「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」は1969年録音・リリースの『ザ・プリズナー』というアルバム、「スピーク・ライク・ア・チャイルド」は68年3月録音8月リリースの同名アルバムという二枚のハービーのソロ作品に入っているからだ。

しかし書いたようにマイルスとの録音の方が早かった。ってことはこの二曲はひょっとしてマイルス・クインテット+αのためにハービーが書いて提供したものだったのだろうか?ただ『マイルス・デイヴィス・クインテット 1965-68』収録のそれら二曲はどっちもリハーサル・テイクで完成品ではない。

二曲ともマイルスの声で合図が入りバンドの演奏がスタートしたかと思えばすぐに途中で止ってしまい、また会話があって演奏を再開するというような感じで、曲としての聴応えみたいなものは全くない。結局マイルスのバンドでは完成できなかったので、ハービーは自作アルバムのためにやり直したのかもしれない。

真相は分りようがない。いや、御大は既にこの世にいないが、ハービーはもちろん元気で活躍中なので、誰かが尋ねれば憶えていて話が聞ける可能性がある。誰か聞いてくれないかなあ。ちなみに「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」という曲名は、もちろんマーティン・ルーサー・キングのあの演説からだね。1963年8月。

そういえば関係ないけれど思いだしたので書いておく。プリンスの『ワン・ナイト・アローン・・・ライヴ!』二枚目一曲目の「ファミリー・ネーム」の最終盤に、マーティン・ルーサー・キングのその同じ演説から、その最後の「フリー・アット・ラスト!フリー・アット・ラスト!」の声をサンプリングして挿入してある。あれはどうしてなんだろうなあ。

え〜っと、『マイルス・イン・ザ・スカイ』一曲目の「スタッフ」がファンキーでカッコイイという話をしようと思って書きはじめたはずのに、なんだかマイルスの電化・8ビート路線発足の過程を未発表作品で辿るというような文章になってしまった。「スタッフ」のファンキーさは本当に素晴しくカッコイイね。

「スタッフ」は作曲されたテーマ・メロディを一回通して演奏するだけで数分間もかかってしまう曲で、その間トニーの8ビート・ドラミング、ロンのエレベ・ライン、キャリアの最初から黒いところがあるハービーのファンキーなフェンダー・ローズがグルーヴするという面白い一曲。もちろんその後はソロになる。

しかしそのアドリブ・ソロは「スタッフ」においてはさほど聴応えのあるでもないし重要でもない。重要なのはカッコいいヒプノティックなテーマとその背後でのリズムのファンキーさで、言ってみればグルーヴ・オリエンティッドな一曲。そんな曲をマイルスが書いて演奏したのはこの「スタッフ」が初なんだよね。その後1970年代にはたくさんある。

『マイルス・イン・ザ・スカイ』にはアルバム・ラストに「カントリー・サン」があって、これも面白い。この曲では「スタッフ」とは逆にテーマ・メロディがなく、いきなりマイルスのアドリブ・ソロからはじまり、しかもそれが4ビート→ バラード調→ 8ビートの三部構成に分れているという具合だ。

その4ビート→ バラード調→ グルーヴィーな8ビートの三部構成は、このままの順番で続くショーターのテナー・ソロ、ハービーのピアノ・ソロでも同じで、リズムと曲調が一曲のなかでこんなに変化するようなものは、マイルスの場合はこの前も後もかなり少ない。
これら「スタッフ」と「カントリー・サン」は今聴いても面白い完成品で、「事実上の」マイルス初の電化8ビートのジャズ・ロック作品と呼んでも差支えないだろう。そしてここへ辿り着くまでには、もちろんのことながら今日書いたように1967年末頃からの一連の実験的な試行錯誤があったんだよね。

2016/08/04

エロいブルーズ

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ラテン音楽の方が官能的かもなと思うものの、ブルーズもかなりエロいよなあ。それこそがこの音楽の最大の魅力じゃないかと僕は思う。歌詞が恋愛や肉体関係について歌ったものばかりだというのもあるけれど、それ以上にブルーズのコード進行やブルーズ・スケールがエッチに響くような気がするんだなあ。

歌詞が露骨にセックスやそれ関連のものを扱った具体例を挙げろとか言われても、そんなのばっかりなわけだからちょっと困ってしまうけれど、一番有名なアメリカ人黒人ブルーズマンであるロバート・ジョンスンでちょっと挙げておこうか。例えば「カム・オン・オン・イン・キッチン」なんかもそうだよ。
これは別テイクの方だけど、冒頭のスライド・ギターがマスター・テイクよりもエロいと思うのでこっちを貼っておく。曲名と歌詞に出てくる「キッチンにおいでよ」というのは、要するにセックスしようよという意味の隠喩に他ならない。

同じサン・アントニオ録音から「フォノグラフ・ブルーズ」。この曲も同1936年録音の「テラプレイン・ブルーズ」「デッド・シュリンプ・ブルーズ」同様セックス関係の歌詞だ。はっきり言えば男性の性的不能に言及している。
ロバート・ジョンスンの全録音中もっとも露骨にセックスを歌っているのは、翌37年ダラス録音の「トラヴェリング・リヴァーサイド・ブルーズ」だよね。このなかには「ジュースが足を伝って垂れるまでオレのレモンを搾ってくれ」という歌詞が出てくるから、隠喩とはいえそのまんまだ。
この部分の歌詞を一般に有名にしたのはロバート・ジョンスン本人というよりレッド・ツェッペリンだったのかもしれない。1969年の『レッド・ツェッペリン II』A面三曲目「ザ・レモン・ソング」がそれ。
お聴きになれば分る通り、ロバート・プラントの歌う歌詞は様々なアメリカ黒人ブルーズの歌詞のコラージュ。コラージュというより剽窃しまくったのを繋ぎ合せているような感じだよね。ジミー・ペイジの弾くギターも同じく剽窃のコラージュだ。このあたり、ペイジさんといいプラントさんといい、いつになったらはっきりさせてくれるんだろう?

ツェッペリンはパクリまくり、剽窃しまくりで、それは先行するアメリカ黒人ブルーズからだけではなく同時代のUKロッカーからもどんんどんパクっていて、例えばファースト・アルバムA面ラストの「幻惑されて」はジェイク・ホームズの1967年ソロ・アルバム収録の同名曲からのパクリだ。

アメリカ黒人ブルーズ関連と違ってあまり知られていないかもしれないのでちょっと音源を貼っておく。ジェイク・ホームズ→ https://www.youtube.com/watch?v=pTsvs-pAGDc  レッド・ツェッペリン→ https://www.youtube.com/watch?v=hdcsR0YaOE8  下降するベースのパターンもそのまんまじゃないの。

また同じファースト・アルバムにある「ブラック・マウンテン・サイド」→ https://www.youtube.com/watch?v=5G3tN6Qte3U  これだってバート・ヤンシュの1966年「ブラック・ウォーターサイド」のギター・パターンをそのままパクったものだ→ https://www.youtube.com/watch?v=f5Gcu0Sv6lk

もちろん「ブラック・ウォーターサイド」はバート・ヤンシュのオリジナル曲ではなく、英国の伝承民謡なんだけど、このギター・パターンを考案し使ったのはバート・ヤンシュの独創。そこから歌詞だけ抜いてギターをコピーしタブラを入れただけの話。それで自作としてクレジットしてしまうジミー・ペイジの面の皮の厚さは素晴しい。

まあホントこれ、ツェッペリンのパクリ・剽窃関連の話はキリがない。彼らがちゃんとクレジットしてくれなかったがゆえに、熱心なツェッペリン・ファンの間でこそむしろ問題化してきているものだよね。ジミー・ペイジは死ぬまえに一度そういうもの全部をきちんとしておくべきだと僕は強く願っている。

これはツェッペリンを口撃しているわけではないつもり。ツェッペリンの音楽を愛しているからこそ、これを切望しているのだ。以前「そんなのはいいんだ、オリジナルよりツェッペリンのヴァージョンの方がカッコいいんだからクレジットする必要はない」などと発言するファンがいた。神経を疑っちゃうね。

パクリ元であるオリジナル・ヴァージョンの曲名・作曲家名・作詞家名を明記しておいたところで、それでツェッペリン・ヴァージョンの値打ちは一文たりとも下がらないんだぞ。よくぞここまでアダプトし解釈し直してツェッペリン独自の音楽に仕立て上げたもんだと、むしろ一層評価が上がるはずだ。

熱くなって話が逸れちゃった。話を戻してツェッペリンのドスケベな「ザ・レモン・ソング」。上で貼った音源をお聴きになれば分る通り「ジュースが足を垂れるまでオレを搾ってくれ」とか「お前がオレのレモンを搾るとオレはベッドから落ちそうだ」とか、そんな歌詞がそのまま出てくるよね。

そういう歌詞はもちろんエロいんだけど、僕がそれ以上にエロいと思うのは「ザ・レモン・ソング」全編を通してのジョン・ポール・ジョーンズのエレベだ。上で貼った音源をベースに注目して聴直していただきたい。エロくてカッコよくて、そして凄く上手いね。特に演奏が静かになった中盤以後で目立つ。

「ザ・レモン・ソング」では1:26〜2:25までいったんテンポ・アップして3コーラスのギター・ソロが入るんだけど、それが終るとリズムが再び元通りになり、しかもその直後プラントが「ちょっとペースを落すよ、ジミー」と言うと、全体的にバンドの演奏が静かになってほぼベースだけの伴奏みたいになる。

そのほぼジョン・ポール・ジョーンズのエレベ伴奏だけみたいな部分(ジョン・ボーナムのドラミングもおとなしく、ジミー・ペイジもスパイス程度にしかオブリガートを弾かない)、2:59〜5:05までの部分こそ、僕にとっては「ザ・レモン・ソング」の聴き物なんだよね。超絶的にエロい歌詞もそこで出てくる。

その部分のジョン・ポール・ジョーンズの弾くエレベの魅力的なことと言ったらないね。これはレッド・ツェッペリンでの彼のエレベ演奏の最高傑作だ。まるで歌っているみたいじゃないか。特に “squeeze me babe, until the juice run down my leg” の背後で弾くラインがいい。

しかもプラントがそう歌ったあとジミー・ペイジの二回目のギター・ソロになる(4:37〜5:05)んだけど、たったのワン・コーラスだけとはいえ、このソロはかなりいいね。直前の歌詞のエロさをそのまま引継いだみたいなエロいギター・プレイで、ペイジにしては珍しく旨味を感じるソロだ。

なおツェッペリンは1969年に「トラヴェリング・リヴァーサイド・ブルーズ」という、ロバート・ジョンスンの曲名そのまんまの曲を録音していて、その当時はライヴでも披露していたみたいだけど、シングル盤でも出ずアルバムにも一切収録されず、初めてリリースされたのが例の1990年の四枚組ボックス・セットでのことだった。

その後現在ではツェッペリンのラスト・アルバム『コーダ』のボーナス・トラックとして収録されている「トラヴェリング・リヴァーサイド・ブルーズ」には特にエロいところはない。ロバート・ジョンスン・トリビュート的な内容の歌で、ジミー・ペイジがギターをスライドで弾くという内容。一応「オレのレモンを搾ってくれ」という歌詞は出てくるけれど、サウンドがエロくないから、歌詞もそう聞えない。

だからロバート・ジョンスンの原曲のエロさを継承・表現しているのは、ツェッペリンの場合同名曲の方ではなくやはり「ザ・レモン・ソング」の方なんだなあ。僕は彼らがとてもたくさんやったブルーズ形式のナンバーのなかでもこれが一番好きなんだよね。しかし最初に聴いた高校生の頃はそうでもなかった。

だいたい男子高校生の頭の中なんてのは毎日24時間ずっとエロいことばっかりで埋め尽されているのであって、僕も妄想だけは激しかったんだけど経験はゼロだったので(当時インターネットもなく、河原でエロ本を拾ってくる程度)、ツェッペリンの「ザ・レモン・ソング」もエレベがカッコよく歌っているなあと思って聴いていただけだった。

だから「ザ・レモン・ソング」の面白さが分るようになったのはもっと後の話だったのだ。どんどんエロく聞えるようになってしまったんだなあ。そうするとツェッペリンだけでなく、例えばデューク・エリントン楽団の「クリオール・ラヴ・コール」なんかも、リード楽器セクションのアンサンブルが女性のよがり声にしか聞えなくなっちゃった。

最後にその「クリオール・ラヴ・コール」を貼っておこう。この1927年ヴィクター録音の初演(歌手はアデレイド・ホール)ヴァージョンが一番エロい。彼女の歌がではなく、楽器アンサンブルがね。その後戦後の再演ヴァージョンなどではこういうエロいフィーリングは消え失せているのが残念。
エリントン楽団にはその他にもいろいろとエロい曲がたくさんあるように思う。例えば「ソフィスティケイティド・レディ」("lady" は本当は「レィディ」)なんかもエロいよね。そもそも曲名が意味深じゃないのさ。

大学生の頃は "sophisticated"の意味をしっかりとは知らず、単に「お洒落な女性」くらいの意味だろうとしか思っていなかったけれどね。エリントン楽団のエロさについては、また稿を改めてじっくり書いてみたい。

2016/08/03

リシャール・ボナのラテン楽曲の楽しさ

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目下来日公演中のカメルーン出身で世界的に活躍する音楽家リシャール・ボナ(彼の名前は「リチャード・ボナ」と表記してあるものも多いので、それも併記する)。単なるいちベーシストとしてだけ考えても当代随一の腕前なんだけど、リシャールの音楽性の本質はそういうところにあるんじゃないと僕は思っている。

今年2016年の6月(だったかな?)にリリースされた新作『ヘリティッジ』は全面的にキューバン・ミュージックを展開していて、これはラテン音楽好きな僕にとってはもってこいの内容で繰返し聴いているけれども、まだまだなにか書けるほどに聴き込んではいないので、しばらくしてからまた書こう。

その最新作をおいといて、今までのところのリシャールのアルバムのなかでの僕の最愛聴盤は2008年リリースのライヴ・アルバム『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』。2007年ハンガリーはブダペストでのライヴを収録したもの。そしてこれが最新作を除く彼の全アルバムで最もラテン性が強い。

リシャールはソロ・キャリアの最初からかなりラテン性のある音楽家。1999年のデビュー・アルバム『シーンズ・フロム・マイ・ライフ』にも、続く2001年の『レヴァレンス』にも、ラテンというかほぼサルサ・ミュージックにしか聞えない曲が一つずつあるし、2005年の『ティキ』には複数ある。

リシャールのスタジオ・アルバムにはその他いろいろとラテン楽曲があって、今年2016年の最新作でそれがとうとう全面開花したような感じだ。それが出る前は2008年のライヴ盤『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』が過去のスタジオ作からラテン楽曲を多く選びやっていて、僕には楽しい。

『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』1トラック目は2003年の『ムニア』からの「エンギンギライェ」とデビュー作『シーンズ・フロム・マイ・ライフ』からの「テ・ディカロ」のメドレー。といっても一曲目が終ったあと演奏が止り、間があってから二曲目に入るので、正確にはメドレーとも言えない。

その1トラック一繋がりになっているなかの二曲目「テ・ディカロ」は完全なるサルサ・ナンバー。『シーンズ・フロム・マイ・ライフ』収録のオリジナルでは、打楽器とアクースティック・ピアノの音に乗り、リシャールの(例によっての)多重録音ヴォーカルと、管楽器はフルートが入っているというもの。
その打楽器のなかにはティンバレスもあって、その使い方といいピアノの弾き方といい完全にサルサにしか聞えないものだ。一方、『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』1トラック目後半の同曲では、いきなりホーン・アンサンブルのような音が聞える。

しかし管楽器はトランペッターが一人参加しているだけとなっているので、ホーン・アンサンブルみたいに聞えるものはそれを模したキーボード奏者の弾くシンセサイザーだなあ。それとトランペットが合奏している音なんだろう。その後アクースティック・ピアノの音も聞え、ミュートを付けたトランペットのオブリガートも入る。

アクースティック・ピアノ(の音)が長めのソロを弾き、その弾き方もキューバン〜サルサなスタイルだ。バックでドラムスとパーカッション、そして当然リシャールのベースが鳴り続けている。そのベースはところどころオッと思わせる技巧的なパッセージがあるものの、堅実な脇役といった感じのものだ。

だからリシャールを<ポスト・ジャコ・パストリアス>みたいな位置付けの超絶技巧コンテンポラリー・ジャズ・ベーシストだとしか認識していない(多くはおそらくジャズ系の)リスナーの方々には、物足りないというか面白く聞えないだろう。しかし彼の全アルバムを通じてもそんなベース技巧は目立たないじゃないか。

リシャールのベース技巧を派手に披露した曲って、彼のアルバムをじっくり全部聴いたってほんのちょっとしかないもんね。彼はそんなエッジの効いたようなハードでアグレッシヴでアヴァンギャルドな音楽はやらない。ひょっとして今までやったことは一度もないかも。そういう音楽家じゃないんだよね。

これはリシャールの全リーダー・アルバムを愛聴しているファンのみなさんならよくご存知のはずだ。ラテンだったり教会合唱みたいヴォーカル・コーラスなものだったりと、こうふんわりして柔らかく包込むような音楽をやる人なのだ。そういうことをやるためにだけ一流の技巧を活かすというのがリシャール・ボナという人だ。

まあ、リシャールは最初はギターを弾いていたのが、ある時ジャコ・パストリアスのレコードを聴いてビックリ仰天したのがきっかけでベースを中心にやるようになったらしく、それにそのベース技巧を見初めたジョー・ザヴィヌルが1995年頃自分のバンドに誘ったのが本格デビューだったわけだけど。

そうしてザヴィヌルの1996年のスタジオ作『マイ・ピープル』に参加したり、続くライヴ・ツアーに帯同して、97年リリースのライヴ・アルバム『ワールド・ツアー』でも弾いていたりするのが、リシャール(リチャード)・ボナが名を上げたきっかけになるんだろう。だから仕方がない面もある。

僕だってそのあたりからリシャール・ボナを知ったのは間違いないし、最初はただ単に上手いベーシストだな、そうかカメルーンの人なのかと、その程度の認識しか持っていなかった。しかしそれでこの人が好きになりデビュー・アルバムからCDを買うようになると、どうも違うなあと感じはじめたのだった。

ソロ・デビューした後にも、パット・メセニーの2002年作『スピーキング・オヴ・ナウ』にも参加しているよね。その後のメセニーのライヴ・ツアーにも帯同したらしい(が僕は詳しいことは知らない)。だからジャズを中心に聴いているリスナーは、ザヴィヌルとかメセニー関連でのリシャールのベースなどを聴いているだろう。

だからしょうがないような気もするんだけど、そういうジャズ・リスナーにもリシャールのソロ・アルバムをちょっと聴いてほしい。彼の単に上手いベーシスト兼マルチ楽器奏者だという面だけでなく、もっと幅広くて豊かな音楽性に気が付くはずだ。その多彩な音楽性のなかでは僕はラテン要素が一番好きなのだ。

ライヴ盤『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』では五曲目の「オ・セン・セン・セン」も完全なるラテン・ナンバーだ。2005年の『ティキ』収録曲。そのオリジナル・ヴァージョンではキューバン・スタイルなアクースティック・ピアノの音ではじまり、リシャールが(一人多重録音で)歌い、アコーディオンやトレスも入る。 単独では上がっていないようなのでこれを。23:25から。
『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』収録の「オ・セン・セン・セン」ではアカペラで歌い出したかと思うと、トランペットとシンセサイザーの合奏によるアンサンブルのような音が入り、打楽器も賑やかに鳴って、やはりラテン・ナンバーになって楽しい。ライヴ収録なので一人多重録音ヴォーカルはない。

その後トランペッターのソロになり、その背後ではアクースティック・ピアノの音が聞え、またパーカッションが相当に賑やかだ。その部分でのリシャールの弾くベースはやはり堅実な脇役で、派手に技巧を披露したりはしない。そして僕にはリシャールはベースよりヴォーカルの方がチャーミングに聞えるよ。

ライヴ収録なのでスタジオ・アルバムでいつもやっているヴォーカル一人多重録音は当然聴けないと書いたけれども、ちょっとそれっぽいものはある。四曲目の「サマムマ」がそれ。ヴォーカル・コーラスに聞える部分があって、しかもそれは全てリシャールの声に思える。どうなっているんだろうなあ?

『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』ヴァージョンの「サマムマ」は約六分間一切楽器が入らずヴォーカル・コーラスだけで展開する。同曲のオリジナルは『ティキ』収録で、それはアクースティック・ギターに続いて、弦楽器アンサンブルを中心とするオーケストラ・サウンドが入っているものだ。50:04から。
だから全然変えちゃってるわけだなあ。『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』収録ヴァージョンでヴォーカル・コーラスのみで構成するアレンジにしたのはリシャールの音楽としては目新しくはない。彼は最初からこの手のヴォーカル一人多重録音コーラスを多用しているし、声だけという曲だってある。

『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』三曲目の「カラバンコロ」は、2003年の『ムニア』でサリフ・ケイタと共作し一緒に歌ったもの。ライヴ・ヴァージョンにはサリフはいないので、当然歌うのはリシャール一人。でも彼のヴォーカル・スタイルもバンドのリズムの感じも、ちょっぴり往時のサリフを思わせる部分がある。
『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』には僕にとっては嬉しいカヴァーが三曲ある。6トラック目のメドレー一曲目の「インディスクレションズ」(ザヴィヌル)、7トラック目のメドレー二曲目「アイ・ウィッシュ」(スティーヴィー・ワンダー)、三曲目「トレインズ」(マイク・マイニエリ)。

マイク・マイニエリの「トレインズ」はともかく、「インディスクレションズ」はウェザー・リポート1985年作『スポーティン・ライフ』収録、「アイ・ウィッシュ」はスティーヴィー76年作『キー・オヴ・ライフ』収録で、この二曲には僕は思い入れが強いからなあ。だから個人的には凄く嬉しかった。

『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』ラストの八曲目はアンコール(じゃないかなあ?)で、サルサな「テ・ディカロ」をもう一回やる。そしてCDには入っていないみたいだけど(違うかなあ?)、iTunes Store で買ったこのアルバムには最後にもう一曲ライヴ映像が収録されている。

それは「エクワ・ムワト」で、デビュー二作目2001年の『レヴァレンス』からの曲。そのオリジナルもサルサだったけれど、『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』(配信オンリー?)収録の同曲もこれまた完全なるサルサにしか聞えないね。デビュー当時からこういうのがたくさんあるんだよね。
だからリシャール・ボナという音楽家は、いちベーシストとかマルチ楽器奏者として捉えて褒めるのでは全然足りないし、彼の音楽性を把握してもいないということになると思うのだ。瞭然たるローカルなアフリカ性みたいなものが薄く、もっと普遍的な音楽性の持主で、世界中の音楽を幅広く国籍やジャンルを超えて包込む人だよね。

そしてその結果できあがったリシャールの音楽には激しかったり過激だったりする部分がなく、ひたすら美しく優しく柔らかくまろやかで丸みのあるもの。だから物足りない人には相当物足りないはずだろうけれど、それを求めるような音楽性の人じゃないんだ、リシャール・ボナはね。

2016/08/02

ギター和音が生み出す自由な空間

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ピアノやオルガンやシンセサイザーなどの鍵盤楽器とギターとでは、同じ音で構成されているはずのコードを鳴らしても響きが違うように聞える。的確に表現する上手い言葉が見つからないんだど、う〜ん、どう言えばいんだろう、こうなんというかピアノ(など)はクローズドでギターはオープンとでもいうかさあ。

もちろんピアノは同時に鳴らせる音数の最大が10個で、ギターは最大でも6個までだという楽器構造上の違いはあるだろう。でも僕の耳には、例えば同じ三和音(一度+三度+五度)の三つの音を鳴らすだけの時ですら、やはりピアノとギターとでは響きの自由さが違っているように聞えるんだなあ。

これはいったいどういうことなんだろう?このことを30年ほど前からぼんやりと感じていて、しかしどう言葉にしたらいいのか分らないので困ったまま現在に至っている。なんの確証も根拠もない非常に漠然とした個人的な聴感上の雰囲気みたいなもの。でもこれはみなさん感じているんじゃないだろうか?

こういうことを感じるようになったきっかけは、僕の場合やはりマイルス・デイヴィスを聴いていてのこと。以前マイルス・バンドにおける鍵盤奏者とギタリストについては詳述した(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-2a11.html)。そういえばソニー・ロリンズも一時期ギタリストを使っていたね。

一回だけソニー・ロリンズのライヴ・コンサートに出掛けていって生で聴いたことがある。松山に住んでいた大学生の頃で、その時のロリンズ・バンドは、自身のサックスの他はトロンボーン、ベース、ドラムス、そしてエレキ・ギターという編成だった。記憶ではその時も増尾好秋だったような。いや、はっきりしない。

増尾好秋は1973〜76年までロリンズ・バンドのレギュラー・ギタリストとして活動しているが、80年代前半にも一緒だった時期がある。83年まで僕は大学生だったので、僕の記憶が間違っていないとすればやはりその時期に松山に来たロリンズ・バンドで増尾好秋が弾いていたんじゃないかなあ。

もっともライヴではコード楽器がエレキ・ギター一本だったものの、ロリンズのスタジオ録音作品でギターしか入っていないというものは少ない。なんだかったか確か一枚しかなかったはず。ロリンズがエレキ・ギターを使ったのは1973年の『ホーン・カルチャー』が最初だけど、これにはピアニストもいる。

その1973年の『ホーン・カルチャー』でギターを弾いているのが他ならぬ増尾好秋で、アクースティック&エレクトリック・ピアノをウォルター・デイヴィス・Jr が弾いている。70年代のロリンズのアルバムには全てエレキ・ギタリストと同時に鍵盤奏者も参加しているので、やはりマイルスとは少し違う。

マイルスの場合は1973年から専属の鍵盤楽器奏者を置かなくなって、もっぱらギターだけでサウンドのハーモナイズやカラーリングをやるようになっていた。それが一時隠遁の75年まで続き、しかも81年の復帰後も84年までは同じだった。だからマイルスの場合はやはりなにか考えがあったなあ。

その考えというのが最初に書いたような鍵盤楽器とギターとのコードの響きの違いというか、自由さ、オープンさの違いみたいなことだったんじゃないかと僕は勝手に推測しているのだ。むろんマイルスがギタリストを重用したのはジャズよりもロックやファンク、特にファンクに近い音楽をやりたかったというのもあるだろうけれど。

1970年代マイルスが多大な影響を受けたジェイムズ・ブラウンもスライ&ザ・ファミリー・ストーンもやはりコード楽器はエレキ・ギターが中心で、というかギターしか使っていない作品の方が多い。JBのところの60年代後半のジミー・ノーランみたいな人が中核だった。

ジミー・ノーランというギタリストは、僕が聴いた範囲ではファンク・ハーモニーを音で具現化している最も優れたギタリストで、彼と(僕個人的には)1975年のレジー・ルーカスの二人こそ至高の存在なのだ。もちろん70年代中期のレジー・ルーカスのカッティングはジミー・ノーラン直系だ。

1975年当時のマイルス・バンドは、特に2月1日大阪昼夜二公演を収録した『アガルタ』『パンゲア』が最も分りやすい例なんだけど、レジー・ルーカスとピート・コージーというギタリスト二人が、前者がコード・カッティング専門、後者がシングル・トーンでソロを弾く専門と完全なる分業体制だ。

これはおそらく1960年代末のジェイムズ・ブラウンのバンドでジミー・ノーランとアルフォンソ・ケラムの二人がやはり分業体制で、例えば67年アポロ・ライヴを聴いても、右チャンネルからコード・カッティング、左チャンネルからシングル・トーン弾き(ソロではない)が聞えるのに似ているなあ。

似ているというかアレじゃないのかなあ、マイルスはこういうジェイムズ・ブラウンのバンドでツイン・ギターがカッティングとシングル・トーン弾きの完全分業になっているのを聴いて、それを1970年代半ばに真似していただけなんじゃないかという気もする。それくらいJBのあれはカッコイイもんね。

1967年のジェイムズ・ブラウンのアポロ・ライヴ。特に「レット・ユアセルフ・ゴー」〜「ゼア・ワズ・ア・タイム」〜「アイ・フィール・オール・ライト」の三曲一繋がりになっている部分、なかでも「アイ・フィール・オール・ライト」でのツイン・ギターの絡みなんて最高じゃないだろうか。

そのギタリスト二人がカッティング(右)とシングル・トーン(左)でグチョグチョとファンク・ビートを刻んでいるところに、ハモンド B-3 オルガンがビヒャ〜〜と入ってくるあたりの超絶的なカッコよさには、もうたまらずションベンちびりそうになっちゃうぞ。マイルスだってそうだったと思うのだ。

だから1975年の大阪ライヴでツイン・ギターが刻んでいるところに、マイルス自身が(YAMAHAコンボ・)オルガンをビャ〜〜と鳴らして絡んでいくあたりのスリルは、やはりこりゃどう考えても60年代末のジェイムズ・ブラウン・バンドのコピーだなあ。マイルス専門家もあまり言わないことなんだけど。

とにかくそんな具合でギタリストしか使っていないマイルスとか(アルバムではちょっとしかないが)ロリンズとかも、かつては普通のモダン・ジャズメンとしてやはりピアニストを常用していたのに、それがギタリスト中心ってのは、どうも鍵盤とギターとでは自分が吹く空間の自由さが違うってことじゃないかなあ。

とはいえかつては常にピアニストを欠かしたことがない、おそらくピアニストを使わなかった作品はただの一つもないはずのマイルスとは違って、ロリンズの方はピアノ・レス編成のアルバムが1950年代から何枚かある。例のヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤とか『ウェイ・アウト・ウェスト』など。

マイルスも例外的にセロニアス・モンクに自分ソロの背後では弾くなと命じたレコーディングがある(1954年プレスティッジ盤『バグズ・グルーヴ』のタイトル曲)ものの、それはモンクの弾く和音がどうこうという話ではなく、彼のバッキングはタイム感がちょっと遅れて後ろズレちゃうようなところがあるのを嫌っただけ。

だからその点では「ピアノの奏でる和音の呪縛から解放されたい」という気持はマイルスよりもむしろロリンズの方が1950年代当時から強かったかもしれない。その他60年代以後のオーネット・コールマンなどフリー・ジャズ一派は当然ピアノなど使わないし、それに影響を受けたジョン・コルトレーンもある時期は同じ。

フリー・ジャズの嵐が吹き荒れていた1960年代ですらマイルスはピアニストを起用しないなんてことは「絶対に」なかった。それに何度か書いているようにマイルスはビル・エヴァンス・ハーモニーの虜で、エヴァンス以後に雇うピアニストや鍵盤奏者の全員にそういう和音を要求していたくらいだった。

そのマイルスが1973〜84年までギタリストしかコード楽器奏者を雇わなかったのは、彼の全キャリアを考えたら例外なんだけど、なにか鍵盤和音とギター和音の響きの違い、それによって生み出されるバンドのサウンド・テクスチャー、そしてそれに乗って自分が吹く時の自由さなどを考えていたんだろう。

音そのものの質は実はピアノと大きくは違わないアクースティック・ギターと違って、エレキ・ギターの場合は、それも特に音を歪ませる場合は、あんまりたくさんの音数を鳴らすとグチャっと潰れてしまって、和音とかハーモニーとかいうものではなく、音塊、一種のサウンド・アイコンみたいなものになる。

だからだいたいどんな音楽ジャンルでも音を歪ませる場合のエレキ・ギターでは、コードといっても四つも五つも音を弾いたりしない。みんな大抵多くても三つまでか、場合によっては二音だけのコードを弾く。そうじゃないとサウンドが濁ってしまって、なんのこっちゃ分らなくなるのだ。

1975年大阪公演でのレジー・ルーカスも同じ。彼はコード・カッティングに徹している時間はさほど歪んだ音ではなくクリーン・トーンに近いけれど、それでもアンプリファイしたギターの音はヴォリュームを上げると自然にある程度は歪むので、やはりレジーも三音程度までしか同時に鳴らしていない。

そのせいもあってレジーのカッティングは音域が狭く省略の多い和音でスカスカ。彼が支配している(とマイルス御大も認めている)バンド全体のサウンドが自由度の高いものになって、他楽器奏者にとっての空間が生まれている。さらに音はやはり多少潰れているので、ハーモニー的な支配度は低いのだ。そこがバンド・サウンド全体を支配してしまうピアノとは違う。

そういうことを当然のことながらマイルス本人も強く意識していたに違いない。1973〜84年まで専門の鍵盤奏者を置かずギタリストしか使わなかったのは、鍵盤では出せない色のサウンドがほしいと同時に、鍵盤だとバンドのサウンド全体を支配するようなハーモニーになることを嫌ったんじゃないかな。

要するに「自由がほしかった」。この一点に尽きると思う。調性的に1960年代末頃からのマイルスはほぼフリーに近いというか、実質的にはフリー・ジャズとさほど違わないようなトーナル・システムを採用している。そしてピアニストを使ったことのないオーネット・コールマンが70年代以後はギタリストを使ったように、マイルスも同じだったんだと思うのだ。

2016/08/01

コクがあってまろやかにころがる石達

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音楽ブログをはじめた以上はやはり一度はまとまった文章を書いておきたいアルバム。今まで散発的に書いてはいるけれど、ローリング・ストーンズで一番好きなのが1972年の『メイン・ストリートのならず者』で、最高傑作だとも思っている。中村とうようさんもどこかで同じことを書いていたなあ。なんだっけ?

今では『メイン・ストリートのならず者』がストーンズの最高傑作であるという評価は定着しているんじゃないだろうか。しかし1972年のリリース当時の評判は必ずしも芳しくなかったらしい。もちろん当時のことをリアルタイムでは知らない僕だけど、そんなことを書いてある文章によく出くわすもん。

それはLP二枚組だったというのも大きな理由の一つだったんじゃないかなあ。何度か書いているようにアナログLPが流通する音楽メディアの主流だった時代の僕は二枚組偏愛主義者で、だからストーンズの『メイン・ストリートのならず者』も昔から大好きなんだけど、どうやらそういうリスナーは少数派らしい。

あともう一つ、1968年の『ベガーズ・バンケット』から72年の『メイン・ストリートのならず者』あたりまでのストーンズはどうもとっつきにくいというか、素晴しい音楽だと実感はするものの、本音の部分でイマイチ好きじゃなく頻繁には聴かないというロック・リスナーが多いような気がする。

ストーンズが聴きやすくとっつきやすい音楽性のバンドになるのは、ミック・テイラーが抜けて代ってロン・ウッドが加入する1976年の『ブラック・アンド・ブルー』かその次作78年の『女たち』からなんじゃないかというのは僕も理解できないでもない。後者は僕も大の愛聴盤。

実際そういうことをおっしゃる年上の古参ロック・ファンの方々に何人も出会ってきた。そういう方々は1960年代半ばか遅くとも70年代初めにはストーンズやロックを聴きはじめていたはずだから、(『スティッキー・フィンガーズ』や)『メイン・ストリートのならず者』もリアルタイムで経験していたはず。

僕の場合はこれも以前書いた通りストーンズ初体験が、ジャズ・サックス界の巨人ソニー・ロリンズが参加していると聞いたという、ただその一点のみが理由で大学生の時に買った1981年の『刺青の男』で、だからそれ以前のストーンズのアルバムは(60年代のものを除き)ほぼ全部同じように並べていたのだった。

そういうわけなので、1968〜74年頃のストーンズとその後ロン・ウッドが加入してからのストーンズの区別は大してついていなかった。68年以前のものはなんだかちょっと違うなあと感じていたけれど、『ベガーズ・バンケット』以後はだいたい似たような音楽だろうとしか聞えていなかったのだ。

そういえば日本においてストーンズを最もよく聴いている一人である『レコード・コレクターズ』前編集長の寺田正典さんは僕とピッタリ同い年なんだけど、そのあたりはどうなんだろう?寺田さんから何年頃のストーンズから聴きはじめたという種類の話は伺ったことがないが、間違いなく僕よりはずっと早い。

同い年で、そして僕とは違ってあるいは小学生の頃から寺田さんはロックをお聴きだったと推測すると、1960年代末か遅くても70年代初めにはストーンズもお聴きだったんだろうなあ。そうなると72年の『メイン・ストリートのならず者』だって違う捉え方だったかもなあ。

まあ寺田さんみたいな日本におけるストーンズ・リスナーの第一人者と僕を比較するのはおこがましいにもほどがあるのでやめておく。とにかく僕の場合は大学生以後に、ストーンズ初体験である1981年の『刺青の男』以前の1970年代のアルバムもポツポツと買って少しずつ聴いていった。

そうすると『メイン・ストリートのならず者』は僕にとっては1980年代前半に最初に買って聴いた時から、既にこれがひょっとして僕が聴いたなかでのストーンズのベスト・アルバムだろうと感じていた。繰返すが二枚組LP偏愛だったのも理由の一つに違いない。いろいろあってゴッタ煮みたいで楽しいもん。

ゴッタ煮といえば『メイン・ストリートのならず者』にはいろんな感じの曲がたくさん入っていて、ちょっと聴いた感じではアルバムの統一性とか一貫性みたいなものを感じにくいかもしれないよね。それも発売当時に評判が悪かった理由の一つなのかも。実はそんなことはなく、このアルバムを貫いているものはある。

それが僕の言うブルーズ・フィーリングというものだと思っていて、曲形式としては12小節3コードのブルーズは必ずしも多くないもののの、その他多くの曲がフィーリングとしてはブルーズで、また『メイン・ストリートのならず者』は一種の<ブルーズ・アルバム>のようなものだと僕は思っている。

『メイン・ストリートのならず者』がブルーズ・アルバムだというのはジャケットにも非常に端的に表れている。レイアウト・デザインはジョン・ヴァン・ハマーズヴェルドとノーマン・シーフだが、ジャケットに使われている写真はロバート・フランクによるもので、アメリカ世界の猥雑さを表現しているもの。

このアルバムのジャケットについて語りはじめるとこりゃまた長くなってしまうのでやめておくけれど、ご覧になれば、その独特の異様で猥雑な世界観は誰でも感じることができるはず。こういうゴチャゴチャした下世話な世界こそがアメリカ黒人のブルーズ・ミュージック・ワールドに他ならない。

だから『メイン・ストリートのならず者』は僕にとっては<ブルーズ・ロック>のアルバムですらない。完全なるブルーズ・アルバムであって、英国白人が手がけたもののなかでは間違いなく最高のブルーズ作品だということになる。ブルーズというものを曲の形式だとしか捉えていないとこれは分らない。

もちろん楽曲形式としてのブルーズも『メイン・ストリートのならず者』には数曲かある。なんたってアメリカ黒人ブルーズマンのカヴァーが二曲あるもんね。一枚目A面にあるスリム・ハーポの「シェイク・ユア・ヒップス」、二枚目B面にあるロバート・ジョンスンの「ストップ・ブレイキング・ダウン」だ。

『メイン・ストリートのならず者』のなかでストーンズのオリジナルではないものはそれら二曲だけ。しかもそれら二曲はなかなか面白い。「シェイク・ユア・ヒップス」はスリム・ハーポのエクセロ録音オリジナルにほぼ忠実なブギウギ・カヴァーだ。
ところでスリム・ハーポというブルーズマン。「イナタい」という表現がこれほど似合う音楽家も少ないんじゃないかと思うような持味の人で、それもそのはずルイジアナ出身で同州バトン・ルージュで活動をはじめたスワンプ・ブルーズの人なのだ。CD四枚組のエクセロ録音完全集は本当に楽しいよ。

そんなスワンプ・ブルーズマンを採り上げたというところにも、『メイン・ストリートのならず者』の音楽性が端的に表れているように思う。そういえばスリム・ハーポの「シェイク・ユア・ヒップス」は、あのセイクリッド・スティールのロバート・ランドルフも『ライヴ・アット・ザ・ウェットランズ』でカヴァーしている。

ロバート・ランドルフはともかく、スリム・ハーポが<スワンプ>・ブルーズマンであることと『メイン・ストリートのならず者』は密接に結びついているように思う。というのはこのアルバムには大勢のいわゆるLAスワンプ系人脈が参加している、UKスワンプ・ロック名盤でもあるからだ。これはよく言われることだよね。

ボビー・キーズとジム・プライスの二人のホーン奏者もLAスワンプ人脈なら、多くの曲で女性バック・コーラスを担当するクライディ・キングやヴァネッタもそうだし、一曲だけ(鍵盤楽器ではなく)バック・コーラスで参加のマック・レベナック(というクレジットになっているが、もちろんドクター・ジョン)もそうだ。

そういうスワンピーな女性バック・コーラスの、その持味がアルバム中最もよく分るのがA面ラストの「ダイスをころがせ」だよなあ。冒頭から鳴るキースの弾くギター・リフもラフでルーズでスワンピーで、すぐに女性コーラスが入ってくるあたりなんか最高だ。
なんなんだろうなあ、この「ダイスをころがせ」(”Tumbling Dice” だから本当は「ころがるダイス」)の、まるで上等なブランデーかモルト・ウィスキーみたいな(いや、僕は下戸なんだけど^^;;)まろやかでコクのある味わいは。こんな感じのロック・ナンバーって他にあるのか?

『メイン・ストリートのならず者』にも他のストーンズのアルバムにもないし、あるいは僕の聴いた数少ない全ロック・アルバムのなかにもこんな味わいのロック・ナンバーはない。こんな「ダイスをころがせ」みたいなフィーリングって、こりゃロックというよりやっぱりブルーズだよなとしか思えない。

「ダイスをころがせ」はストーンズのベスト楽曲にして、全ロック・ソング中でも最高傑作なんじゃないかと僕は思っている。単に個人的に好きでたまらないというだけではなく、エッジの効いたハードでギンギンのロックじゃない、まろやかに「ころがる」ようなドライヴ感のロックが他にはないと思うのだ。

う〜ん今日の文章もまた長い。カッコよくて面白く楽しい曲ばっかりな『メイン・ストリートのならず者』だからキリがないんだなあ。ロバート・ジョンスン・カヴァーについても書こうと思っていたのに。僕のこのアルバムに対する熱愛を一回だけで表現し切ることなんて不可能だ。書きたいことはいっぱいあるので、もう一回稿を改めて書こう。

ただ最後に一つだけ書いておく。「ならず者」という邦題はなんとかしてほしい。"Exile On Main St." とは、当時の英国のとんでもない重税(収入の90%以上!)から逃れるために、ミックとキースが国外脱出してフランスに住みはじめそこでレコーディングがはじまったという、いわばタックス・エクサイル(発音は「エグザイル」ではない)のこと。

そんな税金亡命者は本来なら日陰の存在なはずなのに、それが(明るい)表通り(Main St.)に立って歩いているという、当時のストーンズ一流の皮肉を込めたアルバム・タイトルなのだ。「ならず者」は1972年当時のストーンズ連中のイメージをよく表しているとは思うけれど。

2016/07/31

モブリーさんゴメンナサイ

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マイルス・デイヴィス・バンド在籍時代があるので、それで何度か言及しているテナー・サックス奏者ハンク・モブリー。個人的にはあまり好きじゃなく評価もできにくいなあと思っている人なんだけど、しかし別に二流とかB級とかいうジャズマンでもない。単に僕の好みじゃないというだけ。

これは間違いなくマイルス・バンドでのモブリーの前任がソニー・スティットを挟んでジョン・コルトレーンだったのと、後任がジョージ・コールマンを挟んでのウェイン・ショーターだったという、ただこの一点のみが理由だ。だから僕だけではなくマイルス・ファンには人気がないんだよね。

マイルス・バンドでのサックス奏者関連については以前詳しく書いたので、今日はそれ以外のモブリーの話。彼のリーダー・アルバムはそんなにたくさんは聴いていない。それでもアナログ時代は何枚も持っていて、なかには愛聴盤がいくつかあった。現在CDで買い直しているのは三枚だけだ。

それが1955年の『ハンク・モブリー・カルテット』、58年の『ペッキン・タイム』、60年の『ソウル・ステイション』の三つ。このうち一番最初の奴はアナログ盤では全く買ったことも聴いたこともなかった。『ハンク・モブリー・カルテット』は10インチLPしか存在しなかったからだ。

10インチだから六曲しか入ってなくて、当然全部で30分もない。これしかなかったもんだから僕がジャズ・ファンになった1979年には既に入手がかなり困難で、ジャズ喫茶でも全くかからず、しかもCD時代になってもなかなかリイシューされないので、完全に<幻の名盤>扱いされていた。

そういう『ハンク・モブリー・カルテット』のCDリイシューは21世紀に入ってからのこと。これが買えた時は嬉しかった。モブリー・ファンではない僕ですらそうだったので、日本にもかなり多い彼のファンならそりゃ跳上がるほど嬉しかったはず。今は iTunes Store でも普通に買える。

それで名前だけ前々から聞いていた1955年の『ハンク・モブリー・カルテット』を何十年目かにして初めて聴いてみた。いざ実際に耳にしてみたら、かなり地味ではある(モブリーはいつもそうだね)ものの内容はいいんだなあ。でもまあそんな名盤扱いするほどのものではないように思う。

モブリーの事実上の初リーダー・アルバムである『ハンク・モブリー・カルテット』。ワン・ホーン編成であることと、リズム・セクションが結成当時のジャズ・メッセンジャーズ、すなわちホレス・シルヴァー、ダグ・ワトキンス、アート・ブレイキーであるという、この二つが美点だなあ。

たったの25分しかないっていうのもかえっていいんじゃないかなあ。モブリーのサックスは本当に地味でいつも淡々としていて、多彩で変幻自在の吹奏ぶりを披露する人でもない。だからアルバムがあまり長いと途中で飽きちゃって聴くのをやめたくなっちゃうんだよねえ、僕は。

同様の理由で38分もない『ソウル・ステイション』もいい。これもワン・ホーン・カルテット編成で、ドラムスがやはりアート・ブレイキー。しかもピアノが僕の大好きなウィントン・ケリーだもんなあ。世間一般の評価ではこのアルバムこそモブリーでは一番いいものということになっているはず。

モブリーにとっての『ソウル・ステイション』は、同じモダン・ジャズ・テナーではソニー・ロリンズにとっての『サクソフォン・コロッサス』、ジョン・コルトレーンにとっての『ジャイアント・ステップス』みたいな金字塔的なアルバムなんだろうなあ。1960年のウィントン・ケリーも一番いい時期。

『ソウル・ステイション』のB面二曲目のアルバム・タイトル曲は本当に寛いだブルーズ(形式は12小節3コードでないが)で、ロックで言えばレイド・バックしたというような雰囲気の演奏で、モブリーだけでなく、ブルーズが得意なウィントン・ケリーも実にいい感じのファンキーなソロを弾いている。
個人的に『ソウル・ステイション』で一番好きなのは、その次のアルバム・ラストのスタンダード・バラード「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」だ。これがあるからこそこのアルバムの個人的なポイントが高くなるというくらい大好きな曲なのだ。モブリーはややミドル・テンポにして演奏している。
「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」。ジャズマンが演奏したものではトランペッター、ブッカー・リトルの1961年ベツレヘム盤『ブッカー・リトル・アンド・フレンド』のヴァージョンが一番好きで、これは大学生の頃からの愛聴盤。いや、愛聴盤ではないな、アルバム中その一曲だけが好きだった。

『ブッカー・リトル・アンド・フレンド』ヴァージョンの「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」は、ピアノ・トリオの伴奏をバックにブッカー・リトルだけが淡々と吹くというもので、アルバムに参加しているトロンボーン奏者とテナー・サックス奏者は入らず、ピアノの間奏もないトランペット・フィーチャー・ナンバー。
僕にとってのブッカー・リトルという人は、こういったちょっと湿ってくぐもったようなやや暗い雰囲気の演奏をする時が一番魅力的に聞えるトランペッター。エリック・ドルフィーと組んだ例のファイヴ・スポットでのライヴ・アルバムは火花を散らしてスリリングで凄いなとは思うんだけど、イマイチ好みじゃない。

個人的はチャーリー・パーカーのヴァーヴでの例のウィズ・ストリングス・アルバムにある「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」も好き。パーカーにしてもクリフォード・ブラウンにしても、ウィズ・ストリングス・アルバムでは複雑なアドリブ・ソロがなく、ひたすら美しく歌い上げるだけというのがいいよね。
複雑・難解でアーティスティックな表現よりも、そうやって美しいメロディーをその美しいままに、あまりフェイクせずただシンプルに演奏する・歌うというのこそが、ポピュラー・ミュージックの真の輝きだろうと最近の僕は思うようになっている。同様の理由でフェイクし過ぎるジャズ歌手の多くも最近はイマイチだ。

いろんなヴォーカリストも歌っている「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」。僕はあまり持ってないんだけど、ジャズ・スタンダードばかり歌っていたコロンビア時代のアリサ・フランクリンも歌っている。1964年の『アンフォーゲッタブル』というダイナ・ワシントン曲集に入っているので時々聴く。

そのダイナ・ワシントン自身のヴァージョンももちろん持っていて、僕は例のマーキュリー完全ボックス・シリーズに入っているのを聴いている。それを聴くと、アリサのヴァージョンはトリビュートらしくアレンジがダイナのものによく似ているんだなあ。この曲に関しては歌の力量はダイナの方が上だろう。
ハンク・モブリーから話が逸れる時間が長くなってしまった。彼のリーダー作ではトランペットやその他のホーン奏者が参加しているものはあまり好きではない。なぜかと言うとモブリーはああいう持味の人だから、あまりブリリアントなホーン奏者が加わっていると、ちょっとかすんでしまうように思うんだなあ。

だから現在CDではもう一枚だけ持っているモブリーのリーダー作『ペッキン・タイム』にはリー・モーガンがいるもんで、しかもこれは1958年の録音と一番モーガンが輝いていた時期だから、やっぱりモブリーみたいな渋みこそが旨味みたいな人はイマイチに聞えちゃう。

複数のホーン奏者編成でモブリーが演奏しているものでは、彼のリーダ作ではなくホレス・シルヴァーやソニー・クラークやアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズなどでのプレイの方が断然いい。特に前者二人の作品でのモブリーは本当にいいなあ。輝かしいトランペッターに負けていないように聞えるのが不思議だ。

負けていないように聞えるのは、モブリー個人がというよりもやはりホレス・シルヴァーやソニー・クラークのアレンジのペンの冴えなんだろう。この二人とも渋くて地味で、場合によってはB級のホーン奏者(繰返すがモブリーはそうではない)を上手く使って素晴しく聞えるように際立たせる腕が天下一品のアレンジャーなのだ。

ホレス・シルヴァーにしろソニー・クラークにしろ僕が一番評価しているのはいちピアニストとしての腕前ではなくて、そういった作編曲能力とかバンド・リーダーとしての才能なのだ。ソニー・クラークのアルバムでモブリーが吹くのは『ダイアル・S・フォー・ソニー』の一枚だけなんだけど、いい演奏だよね。

ソニー・クラークの『ダイアル・S・フォー・ソニー』はアート・ファーマー、カーティス・フラー、ハンク・モブリーという三管編成による1957年録音。三管という分厚いサウンドで、ファーマーもフラーも上手いホーン奏者なのに、モブリーだっていい演奏に聞える。自身のリーダー作とは大違いだ。

ホレス・シルヴァーの作品でのモブリーはもっと際だっていい演奏に聞えるので、やっぱりアレンジャーとしての腕前はホレスの方がソニー・クラークよりも上だ。特にいいのが1956年の『6・ピーシズ・オヴ・シルヴァー』。ホレスのアルバム中個人的にはこれこそがベスト・ワン。最高傑作だと考えている。

『6・ピーシズ・オヴ・シルヴァー』ではモブリーとドナルド・バードとの二管編成をホレスが実に巧妙なアレンジで旨味に仕上げている。二人とも最高にいい演奏に聞えるもんね。特に一番いいのが以前も書いたがB面一曲目の「セニョール・ブルーズ」。ラテン調のブルーズという僕の趣味からしたらこれ以上ない逸品。
「セニョール・ブルーズ」(とその他)を、ホレス・シルヴァーのバンドが1958年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでやったのが2008年にリリースされた(『ライヴ・アット・ニューポート ’58』)。そこではテナーがジュニア・クックだけど、ほぼ同じアレンジなのに大したことないように聞える。

スタジオとライヴの違いこそあれ、同じホレス・シルヴァーのバンドでほぼ同じアレンジで演奏しているのに、ハンク・モブリーの方が断然いいように聞えるってことは、やっぱりこのテナーマンの腕前は一級品だったってことだね。マイルス関連で散々悪口を書散らしてゴメンナサイ。

2016/07/30

黒くて濃密なアルセニオの世界

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キューバの音楽家アルセニオ・ロドリゲスの録音集では、同国のトゥンバオが2007年にリリースした『エル・アルマ・デ・クーバ』(訳せば『キューバの魂』)というCD六枚組が決定盤だと思うんだけど、いつもいつもそんな大きなものは聴きにくいよねえ。僕もそんな何回もは聴いていない。

『エル・アルマ・デ・クーバ』をCDで熱心に聴いたのは買った当初に三回ほどで、その後はMacのiTunesに取込んで、六枚全部計七時間超を流し聴きすることばかり。普段CDでいつも聴くのはこれではなく、日本のライスが2002年にリリースした『ソン・モントゥーノの王様』だ。

アルセニオ・ロドリゲスのライス盤アンソロジー『ソン・モントゥーノの王様』をコンパイルしたのは、やはりこれも田中勝則さんで、海外の主にワールド・ミュージック系の面白い音源をライスやその後ディスコロヒアからどんどんリリースしてくれる田中勝則さんにはお世話になってばかりで、感謝の言葉しかない。

中村とうようさんが盛んにやっていたこの手の仕事の衣鉢を継いでいるのはやはり田中勝則さんだなあ。音楽批評・ライターさんのなかにはとうようさんの後継的な方が何人かいらっしゃるけれども、日本にあまり紹介されていない音楽をCDにコンパイルしリリースする仕事に関しては、田中勝則さんが一番かも。

田中勝則さんが編纂してライスやディスコロヒアからリリースしてくれている音楽CDアルバムは面白いものばっかり。僕はリリースされると全部即買いと決めている。どれもこれも本当に楽しくてためになるし、僕みたいな他力本願の甘ったれ素人リスナーは、そういうもので教えていただくことばっかり。

アルセニオ・ロドリゲスに関しても、ライス盤『ソン・モントゥーノの王様』はトゥンバオ盤六枚組『エル・アルマ・デ・クーバ』の五年も前にリリースされているから、僕はもっぱらこのライス盤でアルセニオを楽しんできたし、それは前述の通りトゥンバオ盤六枚組のリリース後だって同じなんだよね。

アルセニオの初録音は1940年でキューバのビクトルへのもの。初渡米が47年。ニューヨークで本格的に腰を据えて活動するようになったのが52年で、その後は1970年にカリフォルニアで亡くなるまでアメリカで録音しLPを何枚も残しているし、CDにもなっている。

渡米後のアルセニオ楽団のサウンドもいいんだけど、やっぱりキューバ時代の録音をたくさん聴きたかったんだなあ。僕の場合本格的にはやはり前述のトゥンバオ盤六枚組でそれをたくさん聴けたわけだけど、同じように録音順に収録されているライス盤の場合、全22曲中18曲目までがキューバのハバナ録音だ。

なおトゥンバオ盤六枚組では、六枚目の9〜12曲目が1955年ニューヨーク録音である以外は、150曲近い収録曲の全てがハバナ録音。非常に詳しい厚手ブックレットにディスコグラフィーが附属しているので助かる。それとは別個に80ページ近いスペイン語の解説文がある。

その80ページ近いブックレットには英語による解説文も付いていて、それはスペイン語原文を英訳したものではなくオリジナル解説文で、質量ともにそれより充実しているスペイン語解説文と併せれば、アルセニオ・ロドリゲスの生涯と音楽についてここまで詳しい文章は、僕は見たことがない。

そんなことはともかくライス盤『ソン・モントゥーノの王様』。書いたように全22曲が録音順に収録されているので、アルセニオ・ミュージックの変遷が非常に分りやすい。一曲目の「ルンバに恋をした」は1940年アルセニオの初録音SPのB面曲。だからトゥンバオ盤ボックスではA面曲に続く二曲目。

この「ルンバに恋をした」は後年の濃厚なソン・モントゥーノのアルセニオを知っているとやや意外な感じがする。ソンじゃないもんなあ。トゥンバオ盤ディスコグラフィーでは “Afro” というジャンル名が記載されている。直後からボレーロ・ソンとかソン・モントゥーノとかが多くなる。

しかしこのアフロというのはいわゆるアフロ・キューバンでも黒人音楽でもない。北米合衆国でのミンストレル・ショウみたいに白人が黒人の真似をする音楽芝居で使われるために白人が書いたという、いわばインチキ・アフロなのだ。しかしながらアルセニオの手にかかると黒っぽくなるから不思議だ。

ライス盤でアルセニオらしいソン・モントゥーノが聴けるのは四曲目の「エル・バーロ・ティエネ・クルヘイ」からだ。これは1943年録音のアルセニオ初のソン・モントゥーノ。ここからがこのCDの聴き所だろう。みなさんご存知の通りそれまでのソンにはギアとモントゥーノという2パートがある。

いまさらな当り前の知識だけど、この文章を読む方のなかに万が一ご存知ない方がいらっしゃるかもと思い書いておくと、1920年代が全盛期のソン楽曲の2パート。前半部分であるギアは旧宗主国スペインからの影響があるメロディアスな楽曲。後半のモントゥーノはコール・アンド・リスポンスの反復。

つまりソンの後半コール・アンド・リスポンスの反復であるモントゥーノは、前半のギアがスペイン白人文化的なものなのに対し、言ってみればアフリカ文化的なものでリズム重視。僕みたいな音楽ファンにはヨーロッパ白人的部分とアフリカ黒人的部分が絶妙なバランスで合体融合した1920年代のソンが最高に魅力的なんだ。

だけれどもそこからヨーロッパ白人的部分を除去して、真っ黒けな音楽にしたアルセニオのソン・モントゥーノは、熱烈な黒人音楽マニア、言ってみれば汗臭い(すなわち言葉本来の意味でファンキーな)音楽をこそ愛するファンにはこれ以上ないキューバ音楽であるはずだ。古いソンの方が好きな僕ももちろん好き。

そんな真っ黒けでハードでタイトで濃厚なソン・モントゥーノを開発したアルセニオは、同時にボレーロもたくさん録音している。トゥンバオ盤ディスコグラフィーにも「ボレーロ」とジャンル名が記載されているものがかなりある。ライス盤五曲目の「ニッケの花」もそう。甘いラヴ・ソングなんだよね。

またライス盤10曲目の「孤独」もボレーロだ。正直に告白すると、僕はあまりにハードすぎるように聞えるアルセニオのソン・モントゥーノも大好きではあるものの、こういったスウィートなボレーロの方がもっと好きだったりする。まあ甘ちゃんリスナーだから。そうは言ってアルセニオのボレーロはかなり濃厚な味わいではある。

そんなアルセニオが書いて演奏したボレーロの最高傑作がライス盤13曲目の「人生は夢のよう」だね。1948年録音。リリ・マルティネスのリリカルなピアノもいいし、リード・ヴォーカルを取る甥レネ・スクールもいい。そしてこの48〜50年頃のハバナ録音がアルセニオの全盛期だろう。

その時期の録音はライス盤では13〜18曲目。どれもこれも濃厚で真っ黒けで、その音の濃密さは間違いなくキューバ音楽史上ベスト・ワンだなあ。なかでも僕が一番好きなのが15曲目の「俺のために泣かないで」。楽団のリリ・マルティネスが書いた短調のスパニッシュ・スケールを使った哀愁のメロディ。

ソンからコール&リスポンスの反復部分だけを取りだしてギュッと濃厚に凝縮したみたいなアルセニオの真っ黒けなソン・モントゥーノと、それと同時並行で(SP盤の両面収録のようにして)やっていた甘くてしかし濃密なバラードであるボレーロ。これら二つを合体させたようなグァグァンコーもまたいい。

こんな音楽家はキューバ国内にいないし、キューバ国外にも殆ど見つからない。僕が連想するのはデューク・エリントン楽団だけだなあ。エリントンの濃密で真っ黒けでエキゾティックなジャングル・サウンドとスウィートでメロウな印象派風バラード。アルセニオの楽団によく似ているじゃないか。

エリントンがその全盛期1940年前後に真っ黒けなジャングル・サウンドと西洋白人的印象派な作風を見事に合体させて大傑作群を創っていたことと、アルセニオが40年代末〜50年代頭にソン・モントゥーノとボレーロを合体させてグァグァンコーを創っていたことは、僕にはなにか通底するものがあるように思えてならない。

黒くて濃密なサウンドを聴くとなんでも「エリントンだ!」と言ってしまうのは、熱烈なエリントン・ファンの僕の悪弊ではあるけれど、しかしアルセニオの楽団全盛期の音の濃密さからエリントン楽団の全盛期を連想するのは、決して僕だけじゃないような気がする。

しかし熱心なエリントン・リスナーは世界中にそして日本にも多いけれども、そういう人でアルセニオ・ロドリゲスを熱心に聴く、ましてやトゥンバオ盤六枚組なんかを買ったりするファンって、どれくらいいるんだろう?少なくともクラシック音楽側からしか聴かないエリントン・ファンには間違いなく無理な話だね。

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