2017/01/18

お経を読むプリンス

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こういう言い方はどうかと思わないでもないが、昨年四月に亡くなったプリンス(のその事実はまだしっかりとは受け入れられていないが、僕がそんな気分になっているのはマイルス・デイヴィス以来)の書く曲のメロディが、時々仏式葬儀の読経のように聴こえる時がある。

これは別にまだ亡くなって間もない人間だからという意味ではない。単に音楽的な部分についてだけ言っているつもりで、だから生きている時からそう感じていたのだが、はっきりと言葉にできず、どう言えば他人に伝わるかずっと言葉を探していたものだ。それでようやく見つけたのが「お経」という表現。でもオカシイよね、これ。

いろいろとあるけれど、僕が特に読経だなと思うプリンスの楽曲は「ウェン・ダヴズ・クライ」と「アナ・ステシア」の二つだ。メロディが平坦で起伏がなく、同じ音程をずっと続けているし、それも声を張って歌うようなものではなく、なんだかモゴモゴとつぶやいているみたいだ。

もちろん仏式葬儀でお経を上げる僧侶は、かなり明瞭な声を強く張って朗々と読上げている。しかもその読経は音楽的だよね。各宗派の仏式だけでなく、いろんな宗教葬儀における同じようなものは、全て音楽に聴こるんじゃないかと思うんだが、僕はレコードや CD で聴くだけで仏式葬儀しか現場経験がないので、他のことは自信がない。

宗教儀礼と音楽との関係については、以前一度詳しく書いた。そこでも書いてあるのだが、僕の場合、仏式の通夜や葬儀において僧侶の読経が音楽に聴こえるというのは、三年前に父が亡くなった際に初めて強く実感した。実父の葬儀で、ある意味「楽しい」「面白い」気分になってしまって、これは不謹慎だなと思ったものの、抑えきれない気持だった。
そんなことはともかくプリンスが読むお経、いや音楽(と区別するのすら無意味だろうと最近思うのだが)。全部の楽曲を聴き返すのは相当しんどいことなので無理だが、彼のヴォーカル・ラインが起伏に乏しく平坦で、まるでお経か、あるいは呪文みたいなもんじゃないかと思うのが、上記「ウェン・ダヴス・クライ「アナ・ステシア」の二曲だ。実はもう一つ、パッと思いつくものがあるのだが、その話は最後にする。

まず「ウェン・ダヴズ・クライ」。邦題がどうしてこうなっているのか分らない「ビートに抱かれて」は、1984年の『パープル・レイン』の B 面一曲目。これはプリンス最大のヒット・アルバムで、「ウェン・ダヴズ・クライ」もシングル・カットされかなり売れたが、個人的にはシングル・ヴァージョンの方はちょっとね。

だってシングル・ヴァージョンの「ウェン・ダヴズ・クライ」は、歌本編が終わってギター・ソロがはじまって、さぁいよいよここからだ!という刹那にスッとフェイド・アウトして終わってしまう。まるであっ、イキそう…となった刹那に突然ストップされるセックスみたいなもんで、どうにも不満なのだ。

だからアルバム・ヴァージョンしか聴かない「ウェン・ダヴズ・クライ」だけど、これ、ホント旋律が平坦で起伏がなく、プリンスの歌はまるでお経を読んでいるみたいじゃないだろうか?同じようなピッチの音を反復しているだけで、全然メロディアスじゃないよね。念のために言っておくと、だからつまらないという意味ではない。

だいたいあの「ウェン・ダヴズ・クライ」は相当ヘンな曲だ。まずベースが入っていない。ブラック・ミュージックにおける最も重要な要素である低音、ボトムスを抜いてしまうという。だから踊れないダンス・ミュージックみたい。一説によれば、元々ベースも入っていたのだが、ミックスの際にない方が面白いとの殿下自身のアイデアで、ベース・レスにしたらしい。

アメリカのブラック・ミュージック界においては、完璧に同じものの先例がある。ファンカデリックの1971年『マゴット・ブレイン』のアルバム・タイトル曲だ。みなさんよくご存知の通り、アルペジオを鳴らすギターに乗って主役のエディ・ヘイゼルが弾きまくるギター・インストルメンタルだが、これもベースをミックスの際に抜いてある。
この「マゴット・ブレイン」も演奏・録音の際にはベースはもちろんいろんな楽器が入っていたらしいのだが、ボス、ジョージ・クリントンのアイデアで、ミックスの際にベースばかりかほぼ全ての楽器音を抜いてしまった。要はジャマイカのレゲエなどにおけるダブの手法だよね。ファンカデリックのこれは1971年だもんなあ。

プリンスと P ファンクは実に密接な関係があるし、だいたい総帥であるジョージ・クリントンが参加しているプリンスのアルバムだってあるもんね。このへんの、ブラック・ミュージックにおいてベースを抜くという極めて斬新というか、まあありえない発想の根源と効果については、P ファンクとプリンスを結びつけた文章を用意中なので、お待ちいただきたい。

さて「ウェン・ダヴス・クライ」。これが収録された『パープル・レイン』はバンド編成で録音したものや、バンドでなくても複数で録音したものが多いが、「ウェン・ダブズ・クライ」はプリンスの例によっての一人多重録音のみで仕上げている。つまりオール殿下。

また「ウェン・ダヴズ・クライ」がヘンな曲だなと思う要素は、平坦なお経メロディ、ベース・レスの他にも、いわゆる<展開>が全くないということもある。通常の A メロ、B メロ、サビみたいな流れが存在しないのだ。ティン・パン・アリーやブリル・ビルディングの系譜など、アメリカン・ポップ・ミュージックのメインストリームの曲創りからしたらありえない。

プリンスはポップ・ミュージックの人間じゃないだろうと言われるかもしれないが、僕はそんなことないと思うね。っていうかだいたいの大衆音楽はポップ・ミュージックだ。アメリカ産の黒人音楽なら、ジャズもブルーズもソウルもファンクもぜ〜んぶポップ・ミュージック、すなわちエンターテイメントだ。

プリンスだってティン・パン・アリーやブリル・ビルディングの伝統から実に多くを学んでいることは、誰でも曲を聴けば否応なしに痛感できるはず。そんな黄金のアメリカン・ポップスの世界では、書いたような A メロ、B メロ、サビというような、まあ正確にこうじゃないものも多いが、一応の<展開>ってものがある。

それを「ウェン・ダヴズ・クライ」では完全無視して、ひたすら一直線に同じメロディ・ライン、でもないような平坦なお経・呪文ヴォーカルで突き進み、変化・展開はなし。起承転結は全然聴けない。しかも和音構成は基本、A マイナーと G の二つだけの反復。

そんな曲なのに「ウェン・ダヴズ・クライ」は大ヒットしたよなあ。通常のポップ・ソング好きにもアピールできたという証拠だ(じゃないとあんなには売れない)。ちょっと考えられないような気がするけれど、それでもプリンスのベスト盤などには欠かせない重要な一曲となったので、なにか秘密があるんだよなあ。

その秘密を解き明かすのは、僕みたいな素人には不可能だ。ただ面白いと思って聴いて快感をおぼえてイクだけ。そんなお経ヴォーカルをプリンスが歌うもっとひどい典型例が「アナ・ステシア」だ。ご存知気持悪いジャケット・デザインの1988年『ラヴセクシー』収録。

『ラヴセクシー』は全九曲が繋がっていてワン・トラックなので、一曲だけ抜き出して聴くのは難しいのが残念だが、幸運なことにトラックが九つに切れている『ラヴセクシー』をお持ちの方(笑)は、四曲目の「アナ・ステシア」だけでも聴いて確認してほしい。

「アナ・ステシア」といえば、愛媛県松山市に女性プリンス・マニアの方がいらっしゃって、その二児の母はとにかく「アナ・ステシア」が大好きで大好きでたまらないらしい。どこがいいんだ?あんなお経だとしか思えないメロディが?と僕は最初思ったのだが、トラックの切れた『ラヴセクシー』で何度も聴き返すうちに、僕もこれはかなり凄い曲だぞ!と強く実感するようになっている。

メロディの起伏のない平坦さという意味では、「ウェン・ダヴズ・クライ」よりも「アナ・ステシア」の方がはるかにひどい。ピアノの音にはじまり、続いて出てくるプリンスの歌うヴォーカル・ラインは、文字通り一つの音だけをひたすらリピートしている。完璧にワン・ノート・バラード。

じゃあワン・ノートで平坦なお経だから「アナ・ステシア」を聴いて退屈かというと、全くその正反対に美しいメロディだなと感じるので、こりゃ魔法だよなあ。オカシイぞこれ。だって同じワン・ノートでしか構成(「構成」もヘンだが、だって一音程だもん)されていないのに美しく響くって、どういうこと?やっぱりプリンスってマジシャンだね。

「アナ・ステシア」の場合、平坦なのはプリンスの歌うメインの旋律だけでなない。冒頭から鳴っているピアノのサウンドも同じフレーズを最後まで続けているし、次いでお経ヴォーカルに続いて入るギターとドラムスも、そして途中から入るバック・コーラスも、同じパターンを反復。そこに効果音的にシンセサイザーの音が入っているだけ。

一応ギター・ソロが出るが、演奏時間もかなり短いし、入り方もフィーチャーされるソロという雰囲気ではなく、曲全体のなかではやはりサウンド・エフェクトみたいな使われ方だから、ほぼ無視しても差し支えないかもしれない。となると『ラヴセクシー』の「アナ・ステシア」は、なにもかも平坦なお経音楽じゃあるまいか。

それがどうしてあんなにも美しく妖しく、そしてドラマティックで感動的に聴こえるのか、僕みたいな人間にはサッパリ理解できないんだよね。音楽の魔法ってそういうものだろうけどさ。「アナ・ステシア」は、2002年の三枚組ライヴ盤『ワン・ナイト・アローン...ライヴ!』でもメイン・アクト二枚のラスト・ナンバーとして、非常に劇的に演唱されている。

『ワン・ナイト・アローン...ライヴ!』での「アナ・ステシア」では、スタジオ・オリジナルと全く同じピアノのフレーズに乗せ、歌いはじめる前にプリンスが「歌詞を知っているなら一緒に歌ってくれ、そうじゃないなら誰かに聞いて」と喋っているが 、あんな平坦なお経メロディ、一緒に歌いにくいし、合わせて歌ったところでちっとも楽しくないだろう(笑)。

一緒に歌えるパートがある、という意味で、上の方で書いたもう一曲ある話を最後にすると言ったものになるが、それが「パープル・レイン」。プリンス・ファンじゃなくたってみんな知っているというほどの超有名曲で、これこそがプリンスのシグネチャー・ソングだという代表曲。

「パープル・レイン」で一緒に歌えて盛り上がるのは、例の「ぱ〜ぷぅれいん、ぱ〜ぷぅれいん」という、お馴染のリフレイン部分であって、そこはメロディアスだしもちろん異様に熱を帯びるものだけど、メインの旋律でも他の部分はかなり平坦で起伏に乏しく、これもちょっとお経っぽく僕には聴こえるなあ。

特にボブ・ディラン風な歌い方になる部分があるよね。2:34 からの「ハニー、アイ・ノウ、アイ・ノウ、タイムズ・アー・チェインジン」ではじまる3コーラス目だ。「You say you want a leader / But you can't seem to make up your mind / I think you better close it」(のあと「And let me guide you to the purple rain」と続く)部分 が、完全なるボブ・ディラン風のヴォーカル・スタイルだ。

プリンスの場合、直接にはディランよりもジミ・ヘンドリクス由来なんだろうけれど、そもそもジミヘンのあれがディランにルーツがあるもんね。つまりディランが体現している戦前から続くトーキング・スタイル・ブルーズの伝統。もっと言えば、それは英国バラッド由来のものだ。

ってことはだ、プリンスの「パープル・レイン」のあれとか、あるいは今日書いてきたような「ウェン・ダヴズ・クライ」とか「アナ・ステシア」みたいな、あるいは探せばもっといろいろたくさん見つかるであろう、平坦で起伏がないお経ヴォーカルは、実は古くから英国などに存在する音楽=文学の伝統、お話、バラッドの流れに連なっているのかもしれないよなあ。

あくまでブラック・ミュージックの音楽家であるプリンス。だけれどもそんな彼のなかにも白人バラッドの伝統は活きている。そして普段から僕も書くように、そもそもアメリカ黒人ブルーズとは、誕生期からバラッド(物語を喋る)の影響が色濃くあって、マディ・ウォーターズのような戦後のモダン・ブルーズ・マンにだってそれはあるし、プリンスもそんな伝統をタダシク引き継いで、彼独自のやり方でそれを表現したんだよね。

2017/01/17

ジャイヴがジャンプするだって〜!

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ジャズのなかでは、前々から言うように1930年代後半〜40年代末までのジャイヴとジャンプが今では一番好きな僕。ある時期以後は、ジャイヴとかジャンプとかいう言葉にはすごく感じやすいカラダになってしまっていて、だからこの二つが合体していたりなんかするような文字列は、もう見ただけで随喜の涙を流してしまうのだ。

ジャイヴとジャンプの合体名。一番有名なのは、間違いなくキャブ・キャロウェイの「ジャンピン・ジャイヴ」だよね。オリジナルは1939年7月のヴォキャリオン録音。当時から売れて、キャブのやった曲のなかでは最も有名になったものの一つ。キャブ自身その後も繰返しやっているばかりか、直後からいろんな音楽家にカヴァーされ、さらに1981年にはジョー・ジャクスンがやったりもした。

「ジャンピン・ジャイヴ」、キャブの1939年オリジナルはこれ。
もちろん楽しいが、もっと楽しいのは1943年の映画『ストーミー・ウェザー』のなかでニコラス・ブラザーズと共演したこれだ。
ご覧になればお分りの通り、キャブのパンチの効いたエンターテイナーぶりが非常によく分るものだが、映像なしで音だけ聴けば、楽しく立派ではあるけれど普通のジャズだと僕には聴こえる。特にそんな珍妙なものとは全く感じない。タップとの合体だってたくさんあるじゃないか。

キャブの音楽については、英 JSP がボックスでリリースしている同楽団の1930〜40年の録音全集、四枚組二つをじっくり聴き返してみて、一度しっかり書いてみる腹づもりでいる。ちょっとだけ言っておくと、ジャズ喫茶でキャブなんてとんでもなかったとおっしゃる方もいるけれど、日常的にレコードがかかっていたジャズ喫茶もあったし、自分でだって普通に LP を買えたので、自宅でも大学生の頃からはどんどん聴いていた。

キャブの話は改めてするとして、ジャイヴとジャンプというこの二つの言葉が合体している曲がアルバム・タイトルに使われている CD アンソロジーがある。英ウェストサイド・レーベルが1998年にリリースした『ザ・ジャイヴ・イズ・ジャンピン:RCA&ブルーバード・ヴォーカル・グループズ 1939-52』だ 。

タイトルでお分りのようにいろんなジャイヴ・ヴォーカル・グループのこの時期のヴィクター系録音をいろいろと集めたアンソロジー。この一枚、全22曲で計1時間1分、楽しくない瞬間がない。全編悶絶するほどエンターテイニングで仕方がない。聴いていると、僕なんかイキっぱなし。

『ザ・ジャイヴ・イズ・ジャンピン:RCA&ブルーバード・ヴォーカル・グループズ 1939-52』のなかで一番重要なのは、おそらく三組。四曲収録のフォー・クレフス、五曲収録のキャッツ・アンド・ザ・フィドル、三曲収録のデルタ・リズム・ボーイズだろう。

まずアルバム・トップに四曲収録されているフォー・クレフス。その一曲目が「ザ・ジャイヴ・イズ・ジャンピン」なので、これこそ最も面白い一曲だとウェストサイド・レーベルもみなしたということなんだろうなあ。この二つの言葉の合体曲名、フォー・クレフスの録音は1939年6月なので、キャブの「ジャンピン・ジャイヴ」初録音よりも先だ。

正確には、フォー・クレフスの「ザ・ジャイヴ・イズ・ジャンピン」が1939年6月5日ブルーバード録音、キャブの「ジャンピン・ジャイヴ」が1939年7月17日ヴォキャリオン録音なので、当時の事情からすればキャブの録音時にフォー・クレフスのそれがレコードで発売されていたのをキャブが参考にしたとは考えられない。

たぶんレコードはまだ発売前だったんじゃないかと思うし、そうであろうとなかろうと、1930年代末頃にはジャイヴとジャンプの二つの言葉をくっつけて遊ぶような発想が、当時のジャズ・メンのあいだで既に一般化しつつあった、拡散しつつあったということだろう。

フォー・クレフスは少人数コンボで、ギターのジョニー・グリーンとドラムスのウィリー・チャップマンが中心。その他、ピアノ、ベースという楽器編成で、全員が歌う。ただし「ザ・ジャイヴ・イズ・ジャンピン」ではチャップマンはドラムスではなくヴァイブラフォンを担当している。
その他三曲でもフォー・クレフスはホットでタイトでパンチが効いている。特にいいのがアルバム三曲目の「V・デイ・ストンプ」だ。曲名で推察できるように、第二次大戦勝利を願ってのものだ。1945年2月録音なので。僕も以前 V ・ディスクというもののことを詳しく書いたけれど。
フォー・クレフスの「V・デイ・ストンプ」では、特にギター・ソロとリズム・ワークが極めて精緻だ。ヴォーカルが楽しいのはもはや説明する必要がないと思うので、詳しいことは省略する。ただしこの曲ではリード・ヴォーカル(ギター担当のジョニー・グリーン)だけで、バック・コーラスはなし。
ジャイヴ・ヴォーカル・グループに共通するあのワッワッっていうスキャットでのバック・コーラス。あれは最大の特徴の一つなので、だから「V・デイ・ストンプ」でそれがないのは残念だけど、他の三曲ではもちろん全部それがある。やっていないグループを、同傾向の音楽で探す方が難しい。

さて、『ザ・ジャイヴ・イズ・ジャンピン:RCA&ブルーバード・ヴォーカル・グループズ 1939-52』に五曲収録されているキャッツ・アンド・ザ・フィドル。一般的にはおそらく四弦ギターのタイニー・グライムズが活躍したので知名度があるグループだけど、このアルバム収録の五曲は全て1940年のタイニー参加より前のもの。

タイニー・グライムズの話と、彼が在籍した時代のキャッツ・アンド・ザ・フィドルの話は、またそれぞれ一つずつの記事にしてみたい。一つ書いておくと、1987年にマイルス・デイヴィス・バンドに参加して晩年は欠かせない重要メンバーだったリード・ベースのフォーリー。彼は一応リード・ベースというクレジットになっているが、出てくる音はエレキ・ギターの音域だ。

ライヴ現場で何度も観たフォーリー。確かに四弦楽器だったけれど、あれってリード・ベースというより、タイニー・グライムズの弾いた四弦ギターと同じ種類のものだったんじゃないかなあ。それをソリッド・ボディのものでエレキ化してエフェクター類も使って、あんなサウンドになっていたんだと僕は思うけれど、フォーリーとタイニー・グライムズを結びつける文章って全然ないよなあ。

それはいいとして『ザ・ジャイヴ・イズ・ジャンピン:RCA&ブルーバード・ヴォーカル・グループズ 1939-52』にあるキャッツ・アンド・ザ・フィドルの五曲のうち最も有名で最も重要なのは、間違いなくアルバム六曲目の「アイ・ミス・ユー・ソー」だ。
当然のようにキャッツ・アンド・ザ・フィドルの単独盤にも入っているこの「アイ・ミス・ユー・ソー」は1939年ブルーバード録音だが、既にリズム&ブルーズ系のヴォーカル・グループの歌い方、コーラス・ワークに極めて近い。特にドゥー・ワップ・シンギングへ影響したのは間違いない。

実際、複数のドゥー・ワップ・グループが、この「アイ・ミス・ユー・ソー」をカヴァーしている。オリオールズ、リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ、リー・アンドリューズ&ザ・ハーツ。どれもこれも楽しく美しく、そして哀しく切ない。
『ザ・ジャイヴ・イズ・ジャンピン:RCA&ブルーバード・ヴォーカル・グループズ 1939-52』にあるキャッツ・アンド・ザ・フィドルでは、その他「アイド・ラザー・ドリンク・マディ・ウォーター」「ナッツ・トゥー・ユー」など有名な重要曲が多いので、これらは単独の記事に廻すこととしよう。

『ザ・ジャイヴ・イズ・ジャンピン:RCA&ブルーバード・ヴォーカル・グループズ 1939-52』では後ろの方に三曲収録されているデルタ・リズム・ボーイズ。三つのうち二つはジャズの器楽曲のカヴァーだ。カウント・ベイシー楽団の「ワン・オクロック・ジャンプ」とデューク・エリントン楽団の「A 列車で行こう」。もう一つはハンク・ウィリアムズの「アイル・ネヴァー・ゲット・アウト・オヴ・ディス・ワールド・アライヴ」。

カントリー・シンガーであるハンクの曲のカヴァーは別段どうってことないはず。ハンクのオリジナルからもちろんヴォーカルが入っているし、それのサウンドをフル・バンド・ジャズにアレンジしなおして、ヴォーカル・コーラスをつけただけの話だ。

面白いのはやはり「ワン・オクロック・ジャンプ」と「A 列車で行こう」だなあ。この二曲、もちろんオリジナルにヴォーカルなど存在しない。それに意味のある英語詞を付けてコーラス・ワークもくわえ歌うデルタ・リズム・ボーイズの1947年録音は、つまりヴォーカリーズだ。
1947年時点でのヴォーカリーズは、もちろんアメリカ音楽史上初事例なんかじゃ全然ないけれど、まあでも一般的にはかなり早い方だろうなあ。もっともデルタ・リズム・ボーイズも「A 列車」の方は、エリントン楽団のオリジナル発売の同年1941年に既にやってはいるのだが。
1930年代末からエディ・ジェファースンが活躍していたとはいえ、ジャズ界でヴォーカリーズが一般化するのは、やはり1950年代後半からのランバート、ヘンドリクス&ロス以後じゃないかなあ。その後はいろんなヴォーカル・グループが似たようなことをやっているのはご存知の通り。

1930年代後半から40年代末頃あたりまではアメリカにいっぱいあったジャイヴィーなヴォーカル・グループ。その後は一部ヴォーカリーズ・グループを除き地下に潜ってしまった。それを再び掘り起こして復活させてくれたのが1970年代からのマンハッタン・トランスファーだったと僕は思っているのだが、マンハッタン・トランスファーについてそんな位置付けをしているような日本語の文章って、僕はいまだ見たことがない。

2017/01/16

ロック・ファンのみなさん、リトル・ウォルターをもっと聴いてください

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ブルーズと言っていいのか、それともやっぱりロックなのか、僕にはどうも判断しかねるのがポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド。一つしっかりと言えるのは、ブルーズを掲げて活動した白人バンドのなかでは最もよかったという事実だ。といっても黒白混交編成だったけどね。もっともそう言えるのは、僕の場合、ギターのマイク・ブルームフィールド在籍時代に限る。

となるとオリジナル・アルバムは二枚しかない。1965年の『ザ・ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド』と翌66年の『イースト・ウェスト』。二枚とも名盤だ。マイク・ブルームフィールド、エルヴィン・ビショップのツイン・ギター体制だったこの時代のポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドこそが、僕にとってはホワイト・ブルーズ(・ロック)最高の存在なのだ。

名盤であるとはいえ、僕のなかでは二枚目『イースト・ウェスト』の位置付けはやや低い。サイケデリックで分りにくい部分もあって、なかにはかなりの長尺曲とかもあり、いかにも1966年という時代を感じさせるものだが、そのぶんファースト・アルバムのようなブルージーさからやや遠ざかっているかのように聴こえなくもないからだ。特にアルバム・タイトル曲は13分以上もあって、しかもインド風のモーダル・ミュージックで、ちょっとドアーズを思わせる部分もあるが、このバンドにそういうものは求めないなあ、僕は。

それ以外だと、ベターデイズ時代に再演するロバート・ジョンスンの「ウォーキン・ブルーズ」や、ジャズ・ナンバーであるナット・アダリーの「ワーク・ソング」なんかもやっているけれど、前者はともかく後者の方は、おそらくその曲名から、黒人ブルーズ誕生にまつわるある種の認識を連想しただけなんじゃないかと勘ぐったりしちゃうんだよね。

だから今の僕は『イースト・ウェスト』はあまり聴かず評価もやや低くなっている(いわんやその後をや)。ってことは結局のところ、僕にとってのポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドとはデビュー・アルバムだけってことになってしまうのだが、ガッカリはしていないし、今では音源の数もそんなに少なくもないのだ。

まず最大の喜びだったのが1995年リリースの『ジ・オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』。これに収録されている全19曲の録音は1964年冬と記載があるので、エレクトラ・レーベルからのデビュー・アルバム『ザ・ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド』を録音した1965年9月よりも前なのだ。

この『ジ・オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』リリースは本当に飛び上がるほど嬉しかったなあ。さらにその二年後の1997年に CD二枚組の『アン・アンソロジー:ジ・エレクトラ・イヤーズ』が発売され、それの一枚目五曲目までが、それまで CD 化もされていなかった初期曲だった。

だから『アン・アンソロジー:ジ・エレクトラ・イヤーズ』をただのベスト盤だと侮っちゃいけないんだよね。CD ではこれじゃないと聴きにくいものがあるからさ。一枚目六曲目以後は既存アルバムから選んだただのベスト盤でしかないんだけど、このバンドの熱心なファンなら、この五曲のためだけにでも買う価値はある。

そういうわけで『アン・アンソロジー:ジ・エレクトラ・イヤーズ』冒頭五曲、『ジ・オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』の全19曲、『ザ・ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド』の全11曲。これら全てあわせた計35曲が、今の僕にとってのポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドの<全て>なんだよね。

35曲で計1時間50分以上あるんだから充分だ。それらは本当に素晴らしい。1960年代半ばのアメリカ白人が黒人ブルーズが大好きになって、真似をして、それを自分たちの音楽として再創造していた姿を聴いて、とても喜ばしい良い気分だし、そんな彼らの心意気だけでなく、実際のサウンドが聴いていて気持いい。

その計35曲のプレイリストの一曲目は、『アン・アンソロジー:ジ・エレクトラ・イヤーズ』一曲目の「ボーン・イン・シカゴ」。この曲名でみなさんもう全員お馴染のものだよね。1965年のデビュー・アルバム『ザ・ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド』のオープニングだった。このバンド最大の代表曲だ。

上で書いたようにこのデビュー・アルバムの録音は1965年9月だが、『アン・アンソロジー:ジ・エレクトラ・イヤーズ』一曲目の「ボーン・イン・シカゴ」は、『フォークソング '65』というエレクトラ・レーベルがリリースしたアンソロジーに収録されていたもので、単独では発売されたことがないはず。

その『フォークソング '65』の B 面一曲目だった「ボーン・イン・シカゴ」。ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドがこれを何年何月に録音したのか記載がないし、調べても分らないのが残念だけど、なんでも1964年あたりから既にバンドのラインナップは整っていて、ライヴではこの曲もやっていたようだ。

『アン・アンソロジー:ジ・エレクトラ・イヤーズ』附属ブックレットにある記載を見ても、この(ひょっとして1964年冬よりも前の録音?)「ボーン・イン・シカゴ」では、ポール・バタフィールド(ヴォーカル&ハーモニカ)以下、エルヴィン・ビショップ(ギター)、ジェローム・アーノルド(ベース)、サム・レイ(ドラムス)、マイク・ブルームフィールド(ギター)と、全員揃っているもんね。

1964年でこのメンツというと、ロック・ファンの全員が思い出す翌65年7月、ボブ・ディランのあの例のニューポート・フォーク・フェスティヴァルでのパフォーマンスってことになるだろうなあ。あの時のディランの電化ロック路線を支えたバック・バンドが、まさにこのポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドだった。

あの時に衝撃を受けたのは、直に聴いたマリア・マルダーだけではない。フォーク・リヴァイヴァル・ムーヴメントの真っ只中で、ほとんどのアメリカ白人聴衆が、実はもっとずっと昔から自分たちにもかなり近接したところに存在していたはずの黒人ブルーズを、それもエレクトリック・バンド編成で白人メインで演奏するのを実体験した初めての機会だったかもしれない。

といっても社会的にも音楽的にも近接していたものなので、それが「初の機会」で衝撃を受けた(とマリア・マルダーは語っているが?)というのも、今考えたらちょっとおかしなことだよなと思わないでもない。がまあしかしあくまで一般的には、それも大規模な白人音楽野外フェスティヴァルにおいて堂々とやったという点においては、やはりビックリしたんだろうなあ。

そんなことを公の聴衆の前でやっちゃおうと考えたボブ・ディランのあの当時の輝きと、その輝きを一層際立たせるために彼が起用したポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドの実力の高さを、改めて痛感させられる思いだ。僕にとってのディランとはそういう人物であって、あくまで黒人ブルーズの伝統をベースにした電化ロックの世界の人で、英語詞の文学的レベルの高さで大きな賞をもらう云々は大したことじゃない。

ディランのことはいいとして、ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドも、あの1965年7月のニューポート・フォーク・フェスティヴァルで一躍知名度が急上昇して、それが同年のデビュー・アルバム録音・発売にも繋がったんだと思う。

しかしながら、バンドのスタート地点であるかのように思われていたかもしれないそのデビュー・アルバム『ザ・ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド』は、あるいはひょっとしたらある意味では終着点だたったんじゃないかというのが、今の僕の認識なんだよね。

それが前述の計35曲のプレイリストを聴いての正直な実感だ。初期ヴァージョンの「ボーン・イン・シカゴ」は、既に『ザ・ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド』収録のヴァージョンとあまり違わない完成度に至っているが、それはおそらくこの曲は録音前からライヴなどでやり込んでいた得意レパートリーだったからだろう。

それでも、それら2ヴァージョンの「ボーン・イン・シカゴ」を聴き比べると、やはり微妙な違いはある。全体的なアレンジや音の組立てはほぼ同じだが、テンポとノリが明らかに異なっている。初期ヴァージョンの方が、気付かないほどほんの少しだけテンポが遅く、ノリが深くて、タメが効いている。

そのせいで初期ヴァージョンの「ボーン・イン・シカゴ」は、ホワイト・ブルーズ・ロックよりは、黒人ブルーズに近い。ところが『ザ・ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド』収録ヴァージョンでは、ほんのちょっとだけテンポ・アップし、ややせわしない感じになって、ノリのディープさが薄い。そのぶん、かえって当時の多くの白人聴衆にはとっつきやすかったはずだ。

僕の拙い文章だけじゃあれなんで、ちょっと音源を貼ってご紹介しておこう。「ボーン・イン・シカゴ」の2ヴァージョン。

初期ヴァージョン→ https://www.youtube.com/watch?v=aEG39gVoPOA
『ザ・ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド』ヴァージョン→ https://www.youtube.com/watch?v=p-xh-Ot12Yc

どうだろう?微妙に違うのがお分りいただけるはずだ。後者のデビュー・アルバム収録ヴァージョンは、やはりこれはは(ブルーズ・)ロックだと言うべきだろうね。少なくとも前者初期ヴァージョンと比較すれば。それはそうと、この初期ヴァージョンの YouTube 音源の説明文には、1964年12月録音とあるなあ。

もしそれが本当だとすると、1995年リリースの『ジ・オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』と同時期の録音なんだけど、どうして収録しなかったんだろう?不思議だ。デビュー・アルバムにある既存曲だからじゃないだろう。『ジ・オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』には、デビュー・アルバムで再演した「メロウ・ダウン・イージー」の初期録音が収録されているもん。

それ以外でも、『アン・アンソロジー:ジ・エレクトラ・イヤーズ』の二曲目には「ラヴィン・カップ」があるが、それは、これまたエレクトラが1966年にリリースした雑多な音楽家のアンソロジー『ワッツ・シェイキン』に収録されて発売されたもの。

だけどその「ラヴィン・カップ」にかんしては、『ジ・オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』にも再録された。また同じくアンソロジー『ワッツ・シェイキン』には、ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドの「スプーンフル」(ハウリン・ウルフ)や「グッド・モーニング・リトル・スクール・ガール」(サニー・ボーイ・ウィリアムスン)もあったが、その二曲も『ジ・オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』に再録された。

ってことはやはりどうして「ボーン・イン・シカゴ」だけ、このバンドの初期音源収録を謳った『ジ・オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』に再録しなかったのかがやや解せないような、ちょっぴり分るような分らないような…。ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドのイコン・ソングなんだから、やっぱり入れといてほしかったなあ。

その他『ジ・オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』にはいろいろと面白い黒人ブルーズのカヴァーがある。「イット・ハーツ・ミー・ソー」はタンパ・レッドの曲だけど、多くのブルーズ・ロッカー同様エルモア・ジェイムズ・ヴァージョンを下敷きにしているかと思うと、さにあらず。ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドが参考にしているのはジュニア・ウェルズ・ヴァージョンだ。

またひょっとしたら昨年暮れから再注目されつつあるんじゃないかと思うブルーズ・ソングが、『ジ・オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』四曲目の「ヘイト・トゥ・シー・ユー・ゴー」だ。言わずと知れたリトル・ウォルターの曲で、ウォルターはポール・バタフィールドのハーモニカの先生だったもんね。

これをローリング・ストーンズが昨年暮れリリースの最新作『ブルー・アンド・ロンサム』のなかでカヴァーしている。そもそもあのストーンズのブルーズ・カヴァー・アルバムにはリトル・ウォルターの曲が一番多く、アルバム・タイトルにしている曲だってそう。そして大々的にフィーチャーされているミック・ジャガーのハーモニカ、その模範としたのがやはりウォルターだった。

それでこの「行かないでくれ」(Hate To See You Go)を、 リトル・ウォルター、ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド、ローリング・ストーンズ、三つのヴァージョンを続けて聴いてみたけれど、ストーンズのはウォルターのオリジナルにかなり忠実だけど、バタフィールドのはかなり違うアレンジとフィーリングだよね。

そんでもってやはりはっきりした。いくらオリジナルに忠実にやろうが、大胆にリアレンジしようが、リトル・ウォルターのオリジナルと比較したら最後、ストーンズのとポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドのは、やっぱりホワイト・ロックに他ならない。三つとも貼っておくので、みなさんも感じてみてください。

リトル・ウォルター→ https://www.youtube.com/watch?v=9ipVBX5znkI
ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド→ https://www.youtube.com/watch?v=aWYc-YVUUf0

2017/01/15

ホレス・パーランほどアーシーなジャズ・ピアニストっているのか?

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単に数字をあしらっただけのジャケット・デザインなのに、どうしてこんなにカッコよくてインパクトのあるものになるんだろう?ホレス・パーランの『アス・スリー』。ファンキーでアーシーな弾き方をするモダン・ジャズ・ピアニストのなかでは、僕が最も好きな人だ。

アメリカ黒人キリスト教会のゴスペル・ソングがルーツになっているアーシーな感覚をモダン・ジャズに活かしたものを、一般にファンキー・ジャズというが、世間一般的には間違いなくボビー・ティモンズの書いたアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」で認識されているはず。

「Moanin’」という曲名自体が教会音楽風であることをはっきりと示しているし、 あれを書いたボビー・ティモンズもそんなアーシーな弾き方をするピアニストの代表格。しかしここで僕はまたいつもの調子でいつもと同じことを言うけれど、そんなゴスペル風ジャズをもっと濃厚にした1960年代後半からのものを、みなさんどうして聴かないんだ?

アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズに代表される1950年代末〜60年代初頭のファンキー・ジャズはあんなに人気があるのに、本質的にはそれと変わるところがなく、さらにファンキー・ジャズのその魅力の源泉をさらに煮詰めて凝縮したようなものは、どうしてあんなに人気がないんだろう?

こりゃ絶対オカシイよなあ。例のあのレア・グルーヴ・ムーヴメントで再発掘されなかったら、1960年代後半からのソウル・ジャズ〜ジャズ・ファンク(or ロック)は、いまだに埋もれたままのものがあったかもしれないよ。しかもあのレア・グルーヴは基本的にはクラブで踊れるものという選定基準だからなあ。

一時期以後のキャノンボール・アダリーのバンドなんて、時々「オーヴァー・ファンク」だなんて言われて、完全無視に近いような有様だった。あるいはいまだにそうかもしれない。キャノンボール・バンドの一部のアルバムはなかなか CD リイシューされなかったし、今でも誰一人として話題にしないからだ。

キャノンボールはそういった資質の持主だからこそ、例えばマイルス・デイヴィスの1958年『マイスルトーンズ』、59年『カインド・オヴ・ブルー』でも、特にブルーズ・ナンバーでああいった吹き方ができたんだと僕は思っているんだけどね。あれら二作をピュア・ジャズ・ファンは崇め奉るじゃないか。

そんないつものような話はこのあたりまでにして、そんな人たちと同じ資質を持つピアニスト、ホレス・パーラン。この人はおそらくチャールズ・ミンガスのバンドに在籍したことで注目されたんじゃないかなあ。参加アルバムは1959年の二枚『ブルーズ&ルーツ』(アトランティク)、『ミンガス・アー・アム』(コロンビア)。

実はもう一枚1957年作があるんだけど、それではホレス・パーランは全面参加ではない。一部で弾いているだけで、しかもアルバム全体にキリスト教会的なアーシーなゴスペル風味は薄い。だからそんな黒人音楽のルーツ的鮮明さが如実に表現されている『ブルーズ&ルーツ』『ミンガス・アー・アム』二枚で充分だ。

それらで真っ黒けなピアノを弾くホレス・パーランも注目されるようになって、翌1960年からブルー・ノートにリーダー作を録音するようになる。『アス・スリー』はその二作目にして、間違いなく最高傑作だ。アルバム・タイトルで分るようにピアノ・トリオ編成。ついでといってはなんだけど、1990年代に活躍したヒップホップ・ジャズの英国ユニット Us3はここから名前をもらっている。

バド・パウエル以後一般化したピアノ+ベース+ドラムスのトリオ・アルバムは、モダン・ジャズにはとんでもなく多い。一番人気があるのはビル・エヴァンスのトリオだろうなあ。今の僕は滅多に聴かないピアニストだ。同じ頃の人なら、レイ・ブライアントやウィントン・ケリーなどの方が絶対好き。

ホレス・パーランのスタイルもレイ・ブライアントやウィントン・ケリーと共通しているというか、この二人の影響が間違いなくある。しかし最大の違いはホレス・パーランは右手でシングル・トーンを弾くということが非常に少ない。ひょっとしてあるいは滅多にないと言えるかもしれない。

もっぱらブロック・コード弾きでグイグイ押しまくるスタイルの人なのだ。そのブロック・コードの和音構成とリズム・タッチのドライヴ感が、僕なんかはもうタマランとなってしまうくらいに真っ黒けで、黒人教会音楽やそれを土台にして成り立っているアメリカ黒人音楽好きには最高の嗜好品なのだ。

ちょっとその一例をご紹介しておこう。アルバム『アス・スリー』の一曲目のタイトル曲…、と思ったら YouTube にない!見てみたら、アルバムの収録曲は全て上がっているのに、曲「アス・スリー」とその他一曲だけが権利上の問題で日本では再生できないとの表示が出る。じゃあ僕が自分であげてもダメなんだ、きっと。残念極まりない。

あんなに真っ黒けでカッコいいモダン・ジャズのピアノ・トリオ曲って他にないのに。チェッ、しょうがねえなあ。代わりに、ベースとドラムスは別の人だけど、1997年の再演ヴァージョンは再生できるので、そちらをご紹介しておこう。日本のテイチク盤収録のもの。
どう聴いたって1960年のブルー・ノートへの初演とは比較にもならないが、再生できないんだからしょうがないだろう。上掲テイチク盤のでもなんとなくの雰囲気は少し分っていただけるかもしれない。充分黒くてカッコイイじゃないかと感じたそこのあなた、1960年ブルー・ノート盤のは、これの何百倍も凄いのだよ。

1960年ブルー・ノート・ヴァージョンの「アス・スリー」ではベースのジョージ・タッカーの野太いベースの音も素晴らしいし、ワイア・ブラシだけで猛烈にドライヴするアル・ヘアウッドのドラミングもいい。特にタッカーのごっついベース音と弾き方はこの演奏の屋台骨だ。

それに乗ってホレス・パーランがブロック・コード・オンリーで押しまくるアーシーさといったら、こんなにも美味いモダン・ジャズ・ピアノは滅多に聴けるもんじゃないねと思ってしまう。これを書いたパーラン自身、キリスト教会の黒人ゴスペルを想定して書いたんだと語っている。

しかもあれれっ?この「アス・スリー」という曲だけをリピート再生しているんだが、これ、ひょっとしてコードが全く変わっていないかもしれないぞ。ちょっともう一回それを確認しようと頭からじっくり再生し直してみたが、やはりこの曲、ワン・コード・チューンだ。F マイナー一発。

1960年録音だし、ワン・コードだし、じゃああれか、いわゆるモーダルな演奏法によるジャズなのかというと、そうじゃないように聴こえるよなあ。マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンやその他いわゆるあのへんのモーダル・ジャズ連中のはもっと抽象的だ。

それに比べてホレス・パーランの「アス・スリー」には抽象的なところなど微塵もない、極めて明快な音楽で、要するにこれはワン・コード・ブルーズみたいなもんなんだろうなあ。しかもワン・コード・ブルーズにありがちなドロドロした雰囲気(は大好きだが)ではなく、グイグイ快活に疾走する真っ黒さ。

12小節で(基本)3コードのブルーズはアルバム『アス・スリー』のなかに二曲ある。四曲目の「ウェイディン」と六曲目の「ウォーキン」。後者の方はスタンダード化している有名曲だけど、前者はホレス・パーランのオリジナル曲。しかもどっちもやっぱり教会風にアーシー。

自身のオリジナル・ブルーズがアーシーに仕上がっているのはこのピアニストの資質を考えたら当たり前で、演奏を聴いても極めてナチュラルなフィーリングだ。またしてもジョージ・タッカーのベース音が野太くグルーヴする。
だが「ウォーキン」(これも権利上の問題があるらしく YouTube 音源は日本で再生不可)の方は、テーマ・メロディにアーシーさがないし、ブルージーなフィーリングすら薄いようなブルーズなんだけど、そんなテーマを弾いている最中ですらホレス・パーランは真っ黒けな弾き方をする。

そんなわけなので、テーマ演奏が終ってソロ部分なると完全なる自分の世界に没入し、これまた黒人教会音楽風なアーシーさ全開のブルーズ・ピアノになっているんだなあ。いろんなジャズ・メンがやる「ウォーキン」だけど、ここまで真っ黒けに仕上がっているのを、僕は聴いたことがない。

さてアルバム『アス・スリー』には「カム・レイン・オア・カム・シャイン」「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ」といった有名スタンダードもある。そういえば後者の方は昨年だったか一昨年だったか、トニー・ベネットとのデュオでレディ・ガガも歌っていたよなあ。これ↓
こんな感じのポップ・ソングなのにホレス・パーランと来たら、これまた真っ黒けな黒人教会音楽のようにして弾いちゃっているじゃないか。もろろんほぼ全編ブロック・コード弾き。
「カム・レイン・オア・カム・シャイン」も全く同樣。がしかしもっと興味深い曲が一つある。

アルバム二曲目のバラード「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ラヴド」だ。この曲名でピンと来る方も大勢いらっしゃるはず。そう、これはダイナ・ワシントンの歌った曲なのだ。1947年のマーキュリー録音で、だから当然 SP 盤で発売されたもの。
シングル曲でしかもマーキュリーなので、アルバム収録も二種類。発売順だとマーキュリー録音完全集ボックス全七巻の一巻目に収録されたのが1987年発売。『ザ・ファビュラス・ミス D:ザ・キーノート、デッカ&マーキュリー・シングルズ 1943-1953』四枚組の一枚目に収録されたのが2010年発売。

熱心なブラック・ミュージック・ファンのみなさんには『ザ・ファビュラス・ミス D:ザ・キーノート、デッカ&マーキュリー・シングルズ 1943-1953』の方を強く推薦しておく。最高なんだよね。ジャズ/ブルーズ/リズム&ブルーズの三つの中間あたりで歌ったダイナの持味爆発だからだ。

だからそんな時代のダイナの歌をホレス・パーランがとりあげて演奏するのは、ダイナ、パーラン両者の資質を考えたら自然なことだけど、面白いのは普段はあんなに真っ黒けなパーランが、黒い音楽性を持つ歌手がやった曲をやっているにもかかわらず、「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ラヴド」でだけはあまり黒くないってことだなあ。

2017/01/14

ハービー・ハンコックとチャチャチャと加藤茶

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ハービー・ハンコックの1963年録音、翌64年リリースのブルー・ノート盤『インヴェンションズ&ディメンションズ』で、ごく普通のジャズ・ファンが面白いと思うのは、CD だと四曲目の「ミモザ」以外のものだろうなあ。どうしてかというと、その当時の新しいジャズの潮流、すなわちモーダル、あるいはややフリーな演奏法が全面展開しているし、アヴァンギャルドで分りにくいからだ。

しかし今の僕にとっての『インヴェンションズ&ディメンションズ』は四曲目「ミモザ」こそが一番面白い。どこが面白いのかというと、この曲はチャチャチャなんだよね。もちろんインストルメンタル・チャチャチャだけど、キューバ音楽を聴くリスナーのみなさんであれば、だいたい納得していただけるはず。
『インヴェンションズ&ディメンションズ』現行 CD ではアルバム・ラストに、この「ミモザ」の別テイクも収録されているので、二つ聴ける。まあでも他の多くのジャズ・メン同様、ハービーのこれも本テイクと大差ないので、二つも聴く意味は薄い。
だからどっちのヴァージョンでもいいが、これは明らかにキューバン・チャチャチャじゃないだろうか?『インヴェンションズ&ディメンションズ』は、基本モダン・ジャズのピアノ・トリオ編成なんだけど、一名ラテン・パーカッショニストが参加している。オズヴァルド・チワワ・マルティネスで、コンガやボンゴやギロなどを担当。

「ミモザ」でのオズヴァルドはボンゴだね。そのボンゴと、ウィリー・ボボのドラムスの二つが出すリズムのかたちは完全にキューバン・ミュージック。チャチャチャといっても甘美なバラード風で、後半部のダンサブルなパートはなし。だからボレーロ風チャチャチャ。あるいはチャチャチャでもボレーロでもないかもしれないが、どう表現したらいいのかよく分らないので、とりあえずボレーロ風チャチャチャと言っておく。

一定世代以上の日本人なら、この「ミモザ」を聴いて、かなり多くの方があれを思い出すだろう。ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』で加藤茶がやっていたコントの BGM として流れるあれだ。「ちょっとだけよ」「あんたも好きねえ」などというあれ。YouTube にいくつもあるので一つ貼っておこう。
僕の場合、確か小学生の頃だなあ、これをテレビで見ていたのは。スケベな感じのコントの背後で流れるエキゾティックなリズムといやらしくグロウルする金管。その頃この BGM がなんなのか分るはずもなかったのだが、のちにキューバ〜ラテン音楽をどんどん聴くようになって、これは「タブー」というキューバン・ソングであることを知った。

「タブー」はマルガリータ・レクオーナの書いた曲で、何年頃のことかはっきりしないんだけど、1930年代のことらしい。叔父である有名な音楽家エルネスト・レクオーナのレクオーナ・キューバン・ボーイズによる録音がおそらく最初のレコードだろうから。
しかしこのレクオーナ・キューバン・ボーイズのヴァージョンはソンであって、ザ・ドリフターズの加藤茶のコント BGM で聴けるよなフィーリングは薄い。この曲をあんな感じでやったのはペレス・プラードだ。 あのリズムになっていて、金管もワーワー・ミュートを付けて激しくグロウルする。マンボとチャチャチャは関係あるもんね。
ある時期ペレス・プラード楽団は日本でも大人気だったし、こんな感じの「タブー」がストリップ劇場でのショウの BGM として使われたらしい。たぶん1950年代か60年代でも前半までか、いやまあ分らないけれども、使われていたのは間違いない。それでこの「タブー」にセクシャルなイメージがつきまとうようになったので、加藤茶もおそらくストリップ劇場でそれを経験して、自分が出演するスケベ・コントで使うことを思いついたんだろうなあ。

もちろん『8時だョ!全員集合』でペレス・プラード楽団の音源そのものを使うことは、権利上その他いろんな意味で難しそうなので、日本のどこかの楽団にペレス・プラード楽団ヴァージョンそっくりな感じでやらせて、それを使ったんだろうと思う。念のために付記しておくと、元々の楽曲「タブー」に性的なニュアンスはない。

それに『8時だョ!全員集合』で加藤茶があれをやっていたのは40年も前のことなので、と言っても僕の世代までだとあのイメージは拭いがたいものだけど、もはや今では「タブー」というキューバン・ソングに性的なニュアンスを嗅ぎとる日本人も少なくなっているかもしれない。

だからハービーの『インヴェンションズ&ディメンションズ』四曲目の「ミモザ」を聴いて、リズム・パターンが、あの加藤茶の「ちょっとだけよ」と同じだなんて言うのはどうかとも思うし、そもそも1963年録音だから、もちろんハービーとその他三名は、単にちょっとしたキューバン・ソングをやってみようと思っただけに違いない。ジャズ界には、誕生初期からアフロ・キューバンな味付けがしてあるものがかなり多いのも確かだしね。

そんでもって柔和で甘美なフィーリングもあって、ゆったりなバラードであることもあいまって、やはり僕にはハービーの「ミモザ」はインストルメンタルなボレーロ風チャチャチャに聴こえるんだなあ。オカシイだろうか、この認識は?繰返すが単にアフロ・キューバン・ジャズというだけならメチャメチャ多いが、ボレーロ風チャチャチャ・ジャズなんて、他には見当たらない。僕は知らない。

ハービーの『インヴェンションズ&ディメンションズ』。 CD では三曲目の「ジャック・ラビット」もアフロ・キューバンではある。けれどもこれは要するに「チュニジアの夜」みたいなもんで、ジャズ界にはごくごく当たり前にあるものでしかないので、格別珍しいとか新しくもない。
中盤でウィリー・ボボとオズヴァルド・チワワ・マルティネス二名による打楽器アンサンブル・オンリーの演奏になるパートがあるものの、それもアート・ブレイキーらが「チュニジアの夜」をやる時などによくやるパターンにソックリだもんね。そのパートではウィリー・ボボが「ソッピーナッ!ソッピーナッ!」(Salt Peanuts) とスネアを叩いているのも普通のジャズ的。

またその打楽器アンサンブル・パートが終わってからのハービーのピアノも、バド・パウエルの「ウン・ポコ・ロコ」にかなりよく似ているじゃないか。ブロック・コードでそんな感じのフレーズを叩きつけている。むろん曲名がスペイン語であるバドのあれもラテン・ジャズだ。

だいたいハービーの『インヴェンションズ&ディメンションズ』は、ドラマー以外に全面的にラテン・パーカッショニストが参加しているにもかかわらず、アルバム全体は、一部を除きどこもラテン・ジャズではないという、なんだかよく分らない一枚なんだよね。ハービーはオズヴァルド・チワワ・マルティネスを起用して、いったいなにがやりたかったんだろう?

アルバム中、上で書いた「ミモザ」「ジャック・ラビット」以外でも、リズムはかなり複雑で普通のモダン・ジャズではなかなか聴けないような感じではある。ウィリー・ボボのブラシが印象的な一曲目「スコタッシュ」は6/8拍子、すなわちハチロクのリズム。
二曲目「トライアングル」はなんでもない4/4拍子ではじまるものの、中盤 4:31で突如12/8拍子に移行する。といっても極めてスムースにすっと変化しているので、ぼんやりしていると気付かない。そして 8:44 で4/4に戻るという三部構成だからこの曲名になっているんだね、きっと。
アナログ盤ではラストだった五曲目「ア・ジャンプ・アヘッド」だけが、ごくごく普通のモダン・ジャズのピアノ・トリオ(+パーカッション)演奏で、これにはリズムの面白さみたいな部分が全くないのだが、こう見てくるとハービーの『インヴェンションズ&ディメンションズ』は、ドラマーの他にパーカッショニストも起用して、複合リズムの実験をやろうとしたアルバムだったのか?

さらに言えば、アルバム中「ミモザ」以外の全四曲ではコード・チェンジが全くない。さらに用意されたテーマらしきものすらない。これはハービー以下全四名がどうやって演奏を組立てているのか、僕にはちょっと分りにくいようなものだ。たぶん一個のコードだけを提示して、あるいはひょっとして事前に一個のコードすらも用意されず、 フリーにやったかもしれない。

つまりリズム面でも和声面でも、そんなアヴァンギャルド、あるいはポスト・バップ的なモーダル・ジャズ作品であるという意味でこそ、ハービーの『インヴェションズ・アンド・ディメンションズ』は聴かれているはずだ。だからテーマ・メロディやコード・チェンジがあって、それなのにジャズではないような四曲目「ミモザ」はイマイチかも。ごく普通のジャズ・リスナーにはね。

しかしながら最初から書いているように、僕にはキューバン・ボレーロ風チャチャチャに聴こえる「ミモザ」こそが、この1963年のアルバムでは一番面白く、また一番美しいもののように思えるんだよね。しかしこれ、僕は長年全く感づいていなかった。チャチャチャとかボレーロとかもなんだか知らなかったし、チャチャチャといえば「おもちゃのチャチャチャ」、ボレーロといえばモーリス・ラヴェルの有名な「ボレロ」、あれしか思い浮かばなかったもんなあ。

それはそうとラヴェルのその「ボレロ」。一曲の終盤でパッと転調するのが大変ドラマティックに聴こえて絶大なる効果を発揮することを実証した史上初の作品かもしれないなあ。今日の本題とは全くどこも関係ないかもしれないが、このテーマはこれはこれで一度考えてみてもいいようなものかもしれない。その後、曲終盤での劇的転調が増えるようになったからさ。それに関連して、全く転調なんかしないワン・コード、ワン・グルーヴのブルーズ、ファンクとの関係とかさ、面白そうじゃない?

2017/01/13

静/動の共存〜マイルスとザヴィヌルの関係

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マイルス・デイヴィスの音楽がもっとも激しく変化した1968〜70年頃。この時期のマイルスに、音楽的かつ直接的に最も大きな影響を及ぼしたキー・パースンがジョー・ザヴィヌルだ。この時期のザヴィヌルはまだキャノンボール・アダリー・バンドの一員だったのだが、そのかつてのサイド・マンだったサックス奏者のバンドで鍵盤楽器を弾くザヴィヌルにマイルスもかなり注目していたようだ。

マイルスがザヴィヌルを初めて知ったのは、よくよく調べ直してみると、ザヴィヌルがダイナ・ワシントンの伴奏をやっていた時らしい。僕は長年キャノンボール時代のザヴィヌルを聴いて知ったんだと思っていたので、今回この文章を書くにあたり調べて、初めてこの事実を知った。

ザヴィヌルのダイナとの活動期間は1959〜61年。そういえば、のちにこの鍵盤楽器奏者とバンドを組んで大成功することになるウェイン・ショーターも、マイルスはこの時期に知っている。そしてザヴィヌルとショーターの二名も、このほんのちょっと前に知り合っていたようだ。

しかしダイナ時代のザヴィヌルはアクースティック・ピアノを弾いていた。マイルスとの録音歴では電気鍵盤楽器のイメージしかないし、そのフェンダー・ローズ(やときたまオルガン)のもたらす独特のサウンドこそが、マイルスのニュー・ミュージックにとっても必要不可欠なものだったので、ダイナ時代に知っていたとはいえ、本当にいいなと思ったのは、やはりフェンダー・ローズを弾くようになるキャノンボール時代じゃないかなあ。

キャノンボール時代のザヴィヌルについては以前詳述したので今日は省略する。アメリカ黒人ゴスペルを土台とした真っ黒けでアーシーでグルーヴィーな曲を、ザヴィヌルはボス、キャノンボールのために書いて、自ら演奏もした。マイルスもそういうのを聴いて、こりゃいいなあ、この電気鍵盤楽器のサウンドは、そしてそれを弾くザヴィヌルは、って思ったんだろう。
しかしこのリンク先では、ザヴィルヌルの黒い音楽性に焦点を当てたものだから書かなかったが、同時にザヴィヌルはかなり静かでピースフルな作風の曲も、キャノンボールのバンド用に書いていた。それらは、オーストリアはウィーン生まれで同地で育ち音楽教育を受けたというザヴィヌルの、一種の音楽的里帰りだったのかもしれない。

ファンキーでグルーヴィーなものを書く時のザヴィヌルはわりとシンプルな作風で、ワン・グルーヴ的なもの(まあファンキー・ミュージックってだいたいそんなもんだ)なのだが、ウィーンへの里帰り的郷愁を帯びたスタティックなものを書く時は、難しいコードをたくさん使った入り組んだ作風なんだよね。

キャノンボール・バンド時代から、ザヴィヌルにはこの一見相反するかのような両面があって、それがまるで一枚の紙の表裏のようにピッタリ貼り付いていた。マイルスが、まずこの鍵盤奏者兼コンポーザーと共演したいと考えた際には、ひょっとしたらこれらの要素を二つとも持ってきてくれということだったかもしれない。

マイルスとザヴィヌルの初共演は1968年11月27日。2曲3トラック録音しているが、2曲ともザヴィヌルのオリジナル・コンポジションで、「アセント」1つと「ディレクションズ」2ヴァージョン。そしてこの初共演から既に、書いてきたようなザヴィヌルの持つ<静/動>両面が表現されている。

1968年11月27日の録音セッションでまず最初にやったのは「アセント」。これが静的極まりない作品で、全編にわたりテンポ・ルパート。三人の鍵盤奏者(ハービー・ハンコック、チック・コリアのフェンダー・ローズ、ザヴィヌルのオルガン)がひじょ〜にピースフルでシンフォニックな響きを奏でる上で、マイルスとショーターがソロを吹く。
しかしこれ、ちっとも面白いようには聴こえない。僕にとっては14分以上もあるこれを最後まで集中して聴き通すのは、はっきり言って苦痛だ。でもクラシック音楽のファンであれば少し違った見解になるかもしれないなあ。なぜならば、ちょっと新ウィーン楽派っぽいような感じもあるんじゃないかと思うからだ。

新ウィーン楽派とは、多くの場合、無調音楽、十二音技法で知られているはず。もちろん上で音源を貼ったマイルスの「アセント」はそのどっちでもない。明確なトーナリティが存在する音楽だ。しかしこの1968年頃からマイルスは「トーナル・センター・システム」という用語を使って、和声的にはほぼフリーに近いようなものを指向するようになっていた(言う必要はないと思うが、フリー=無調ではない)。

僕は楽理には全く詳しくないので間違っていたらゴメンナサイだけど、マイルスの言うトーナル・センター・システムとは、用語通り中心となる一個の音だけを決めて、例えば C なら C だけ決めて、C (に類する各種)のコード、C をキーとする各種モード(施法=スケール)、特に C を起点とするクロマティック・スケールなどなど、どんなものを使って演奏しても構わないというもの。これがマイルスについての場合に限り、僕のトーナル・センター・システム理解だ。

それらのうち、クロマティック・スケールこそが最も重要で、かつマイルスは最もやりやすかったものかもしれない。半音階の使用は、西洋クラシック音楽でなら結構古くからあって、J・S・バッハに既にそういう作曲があるけれど、十二音的(=クロマティックな)音列配置が普及・一般化するのは、やはり20世紀に入ってからじゃないかなあ。

そしてそんな和声システムの影響なのか関係ないのか、マイルスはある時期以後、特にライヴ演奏での自らのトランペット・ソロのなかで、クロマティック・スケールを上下するようなものを吹くことが増えていた。主にアップ・テンポのハードな曲調のものでのことだけけど、バラードでも1960年代中期、あのハービー・ハンコック&ロン・カーター&トニー・ウィリアムズがリズム・セクションだった時代からはそうなっているものが散見される。

たぶんその1960年代中期のライヴでは、マイルスもまだ十二音技法的なトーナル・センター・システムというものをはっきりと自覚してやっていたわけではないと僕は思う。しかし前々から書くようにこの人はキャリア初期から西洋クラシック音楽が好きで勉強もたくさんやっているので、例えばバルトークなどだって当然聴いている。

マイルスは1975年のインタヴューでバルトークの名前と作品名を出したこともあるのだが、それは今日の話題に関係ない文脈においてだったので放っておく。自覚的にか無自覚的にか分らないが、クロマティック・スケールをライヴでの自らのソロでは頻用するようになっていたマイルスが、はっきりと自覚してそんな和声システムをサイド・メンにも指示するようになったのは、1968年あたりだろうと思う。

マイルスがそれを「トーナル・センター・システム」と呼んでいたというのを知ったのは、僕の場合、1989年にバンドに在籍したケイ赤城の発言によってだった。記憶ではマイルスの死後にケイ赤城がインタヴューでマイルス・バンド時代のことを聞かれて、この用語でバンド・メンに指示していたと発言していた。

ようやく今日の本題に戻るが、そんな西洋クラシック音楽的な和声システムにも通じているザヴィヌルが、1968年暮れにマイルスのレコーディング・セッションに参加して、オリジナル楽曲を書いて持参し演奏でも参加したことは、かなり深い関係があるように僕は思うんだなあ。

ザヴィヌル初参加の1968年11月27日の録音3トラックでは、上掲「アセント」が、まあ全くつまらないものでしかないように僕は思うけれど、これがマイルスが初めて演奏したザヴィヌル・ナンバーだったというのは、なかなか意義深いことかもしれない。この(評判の悪い言葉で言えば)牧歌的路線が、約三ヶ月後に録音される「イン・ア・サイレント・ウェイ」となって結実するからだ。

これまた非常に重要なことだから注意してほしいのだが、ザヴィヌルがマイルスのために書いた牧歌的で静的な作品の演奏では、アド・リブ・ソロがない。まず100%ないと言って差し支えない。リアルタイムでの未発表作品も含めてざっと勘定すると、そんなスタティックなものが全部で七曲あるんだが、管楽器もギターも鍵盤もなにもかも、アド・リブ・ソロを演奏しない。

ザヴィヌルの書いた静的だが美しいメロディをひらすら反復するだけなのだ。唯一、1969年11月19日録音の「オレンジ・レディ」でだけ、後半部でリズムがかなり活発になる。その部分はザヴィヌルの書いたものではないはず。だがその部分にもアド・リブ・ソロと呼べるものはなく、リズム・セクションの躍動感も突発的な即興とは思えない。

これはかなり前に一度書いたのだが、ザヴィヌルがまず最初マイルス・ミュージックに共感を抱いたのは、あの「ネフェルティティ」だったらしい。アド・リブ・ソロが一切なく、同じメロディを何度も何度もリピートするだけっていうあれ。あれを聴いたザヴィヌルは、「この人は自分と同じ考えを持っている」と思ったんだそうだ。

マイルスの録音用にとザヴィヌルが書いたピースフルでスタティックなナンバーでアド・リブ・ソロが全くないというのが、マイルスの考えだったのかザヴィヌルの持ち込んだ発想だったのかを判断するのは難しいし、あまり意味もないと思う。両者とも同じ時期に同じ指向性を持っていたということだろう。その最高の果実が1969年2月18日録音の「イン・ア・サイレント・ウェイ」になる。

さて、マイルスとザヴィヌルの初顔合わせとなった1968年11月27日の録音セッションでやった、ザヴィヌルの持つもう一つの方向性、すなわち動的でファンキーな要素が、2ヴァージョン録音された「ディレクションズ」だ。これは激しい曲調で躍動するグルーヴ・ナンバー。
僕は前々から繰返しているが、1969〜71年の全てのマイルス・ライヴにおいて例外なく、この「ディレクションズ」がオープニング・ナンバーだった。その三年間の同曲の変遷を辿るだけで、この時期のマイルス・ミュージックの変遷が端的に理解できてしまうほどの最重要曲。これはかなり前に詳述したのでお読みいただきたい。
この路線の延長線上にあるのが1969年2月18日録音の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」(はマイルス作とのクレジットになってはいるが、実質的にはザヴィヌル作と言って差し支えない、『イン・ア・サイレント・ウェイ』収録)とか、69年8月21日録音の「ファラオズ・ダンス」(『ビッチズ・ブルー』)だ。

アルバム『ビッチズ・ブルー』になった1969年8月の録音セッションを最後に、マイルス・ミュージックにおけるザヴィヌルは、表面的には消えてしまう。だがしかし当時は未発表だったものが1970年2月6日の録音セッションまであって、ザヴィヌルはやはり曲を書き演奏もしている。

しかしながら、マイルス&ザヴィヌルの共演で未発表だったものでは、1970年頃のものよりも、2001年の『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』で初めて世に出た1969年2月20日録音の二曲「ザ・ゲットー・ウォーク」「アーリー・マイナー」が最も面白いように思う。この日付は『イン・ア・サイレント・ウェイ』録音のわずか二日後。

録音パーソネルもドラマーがトニー・ウィリアムズからジョー・チェンバーズに交代しているだけで、あとは全員同じ。この日に録音された「ザ・ゲットー・ウォーク」「アーリー・マイナー」では、後者がザヴィヌルの書いた曲で、やはり「アセント」「イン・ア・サイレント・ウェイ」路線の静的なもので、和声構造的に探求すると面白そうだが、聴いた感じでは、僕にはどうにも退屈でしかない。
だがマイルス作となっている「ザ・ゲットー・ウォーク」の方は相当にカッコイイ。これはファンキーなグルーヴ・ナンバーだ。ザヴィヌルはやはりオルガンを弾いていて、その弾き方もファンキーだし、またフェンダー・ローズを弾くハービーも、ギターのジョン・マクラフリンもかっちょええ〜。
さらにウッド・ベースのデイヴ・ホランドがファンキーなラインをリピートしていて、それがこの「ザ・ゲットー・ウォーク」の肝になっているように思うんだが、ホランドの即興ではないし、作曲者となっているマイルスに書けそうもないものだし、やっぱりこれもザヴィヌルの書いたものだったに違いないと僕は踏んでいる。このウィーン生まれの人物は、こういったファンキーなベース・ラインを書かせたら当時の白人では右に出る存在がいなかった。

この1969年2月時点でのマイルス・ミュージックとしては最高にファンキーな「ザ・ゲットー・ウォーク」。プロデューサーのテオ・マセロも、26分以上もある長さのためなのかどうなのかお蔵入りにはしたけれど、相当気に入っていて、1972年発売の『オン・ザ・コーナー』用に編集しオーヴァー・ダビングなども行って収録しようというプランもあったようだ。その際には『オン・ザ・コーナー』は二枚組になる予定だったとか。

ザヴィヌルがマイルスにもたらしたものは、1972年のあんな作品にまで続いていたんだね。なお、ザヴィヌルが曲を書いたり演奏で参加したりと、なんらかのかたちでマイルスと共演したものは、『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』『ザ・コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』、この二つのボックスで残さず全部聴ける。

2017/01/12

アルバータ・ハンターらあれらの歌手たちとモダン・ブルーズは繋がっているぞ

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歌手アルバータ・ハンターの録音集では、オーストリアのドキュメント・レーベルが出しているバラ売り四枚(五枚だという話もあるが?)の『コンプリート・レコーディッド・ワークス・イン・クロノロジカル・オーダー』 という味も素っ気もないタイトルのものが一番いい。それにしても、ドキュメントってどうしてボックスにしてリリースしないんだろう?

アメリカの戦前ブルーズならドキュメント、同戦前ジャズならフランスのクラシックス。この二大復刻レーベルのものは全てバラ売りで、同一人物で何枚あってもボックスにしたことがない。僕なんかはどうせ全部買うんだし、それなら買う手間が一度で済むし、散逸しない(バラ売り複数枚のものが離れ離れにしまって、もう一度一緒にするため整理するのに手間取った経験がある)ボックスの方が助かるんだけど、一般的には逆なのかもなあ。

まあそれはいいや。アルバータ・ハンターは、一般的にはブルーズ歌手となっている。といっても僕のなかではどっちかというとジャズ歌手なんだけどね。あの1920年代に大活躍した女性ブルーズ歌手たちの伴奏は、ほぼ100%と言っていいほど同時代のジャズ・メンがやったんだしなあ。まあジャズ・メンってのはあの時代からずっと21世紀までも、いわばユーティリティ・プレイヤーではあるけれども。

一番知名度があるだろうベシー・スミスだって、僕が大学生だった30年以上前にはジャズの枠で日本盤レコードが出ていたよ(例のCBS ソニーの「肖像」シリーズ)。ベシーの伴奏だって全てジャズ・メンだし、アルバータ・ハンターにしても、その他のあの時代の女性ブルーズ歌手にしても全員そう。

あのへんの歌手たちのことを、ブルーズ・リスナーでも(そしてジャズ・ファンも)苦手だという方がいるように見えるのは、たぶん古い1920年代ジャズ・バンド風サウンドに馴染が薄いか、あるいは聴いてはっきりと分るいかにもブルーズという黒い音楽感覚がないせいなのかもしれない。19〜20歳頃からは古いジャズがこの上なく好きになってしまった僕は、アルバータにしろベシーにしろマ・レイニーにしろ、みんな大好きだ。

だけれども、僕のなかではジャズ歌手という位置付けのアルバータの録音集にしてからが、ドキュメント・レーベルが復刻するということ自体、ブルーズという枠内で認識されているという証拠だから、そこは素直に認めなくちゃね。それにしてもアルバータについての英語・日本語問わず各種文章って、だいたいどれも彼女の劇的な人生のことは詳述しているけれども、肝心の音楽的内容についてはほとんど書かれていない。

アルバータは、まだ商業録音がはじまっていない1910年代半ばからシカゴで歌手活動をはじめていて、特にドリームランド・カフェでキング・オリヴァーのバンドと一緒にやったあたりでブレイクしたらしい。それが1917年のことで、大人気になって同年に欧州公演も実現している。その頃、録音がはじまっていればなあ。

レコーディング開始はニュー・ヨークに進出した1921年から。主にフレッチャー・ヘンダスンのバンドが伴奏で、ドキュメント盤のデータ記載では「ヘンダスンズ・ノヴェルティ・オーケストラ」という名称になっている。まだホットにスウィングするジャズ・バンドになる前の時代で、しかし同バンドをバックにアルバータがブラック・スワン・レーベルに吹き込んだ二曲を聴くと、なかなかどうして悪くない演奏だ。

ただしピアノのフレッチャー・ヘンダスン以外のメンバーは判明していない。あと1921年のブラック・スワン録音では、残り二曲の伴奏をレイズ・ドリームランド・オーケストラがやっている。聴いた感じ、そっちの方が伴奏の腕前は上だなあ。だいたいフレッチャー・ヘンダスン自身、あの頃はまだピアノの腕前も全く大したことはないんだ。

それでもブラック・スワンではなくパラマウントに録音するようになる、ドキュメントのアルバータ完全集一枚目五曲目〜二枚目以後も、やはりフレッチャー・ヘンダスン楽団からのピック・アップ・メンバーやヘンダスンのピアノ一台が伴奏をやっているものが多いので、なにかあったのかもなあ。大して上手くもないからね。


パラマウントでの初録音である1922年7月(何日かは不明)録音の「ダウン・ハーティッド・ブルーズ」。これはアルバータの自作曲だが、これこそがアルバータの名前を一躍有名にしたレコードだ。といっても有名になったのは、翌23年にこれをカヴァーして歌ったベシー・スミスのヴァージョンだけどね。

そもそもベシーの「ダウン・ハーティッド・ブルーズ」は彼女の生涯初録音だ。前年リリースのアルバータのレコードを聴いて感銘を受けたに違いなく、聴き比べると、ベシー・ヴァージョンはクラレンス・スミスのピアノ一台の伴奏だけで歌っていることもあるし、声の張りもより堂々としていて、アルバータのよりも人気が出るのは分る気がする。
これに対しアルバータのオリジナルはジャズ・バンドの伴奏で、ビュービー・ブレイク(Bubie Blake)ズ・オーケストラとなっている。ピアノがビュービー・ブレイクである以外のメンバーは全員不明だが、聴いた感じ、トランペット、トロンボーン、サックス、クラリネットなどの管楽器主体のバンドだ。

ところでこのビュービー・ブレイク(Bubie Blake)と書かれているピアニストは、ユービー・ブレイク(Eubie Blake)とは違うんだろうか?ユービーはジャズっぽいピアニストで、ヴォードヴィル・ショウなどでも活動した有名人だが、ビュービー・ブレイクという名前の人物は僕は知らないなあ。

ともかく1922年パラマウント・オリジナルの「ダウン・ハーティッド・ブルーズ」におけるアルバータのヴォーカルには、黒っぽいようなフィーリングがあまり聴き取れないばかりか、声の張りもさほど朗々としたものではない。どっちかというとやはりジャズ系の歌手に近い軽快でポップなフィーリングでの発声と歌い廻しだ。
同じ曲だから聴き比べがたやすいアルバータのとベシーのと、どっちがいいかはリスナーの好み次第だなあ。ただはっきりしているのは後年まで人気が続いているのはベシー・ヴァージョンの方だってこと。アルバータの方は「ベシーに影響を与えた歌手」だという位置付けになってしまっている。

僕はどっちも好きなので、どっちがいいとかは言えない。どっちも素晴らしくいいじゃないか。そして「ダウン・ハーティッド・ブルーズ」はアルバータ最大の代表曲になって(それはベシーがカヴァーしてくれたおかげかもしれないが)、彼女は1970年代後半に「奇跡の復活」を遂げて以後も、繰返しこの自作ブルーズを歌っている。

多くのみなさんには、そういう現代の再演ヴァージョンの方が聴きやすいんだろうと思うので、探したら YouTube に上がっていたものを二つ紹介しておこう。録音も極上だし、しかもアルバータの声も奇跡的にあまり衰えていない。
1976年に音楽界に復帰し、ジョン・ハモンドの肝煎でコロンビアと契約して再びレコード(今度は LP アルバム)をリリースするようになったアルバータのそれが、どうして「奇跡の復活」で、それまでの数十年間なにをしていたのかなどは、上で触れたように多くの文章が彼女の人生を語っているので、ご一読いただければ分る。僕は音楽そのものにしか興味がない。

なお、上で二個貼ってご紹介した「ダウン・ハーティッド・ブルーズ」のアルバータ自身による現代再演を聴けば、あることに気付くはず。モダン・ブルーズとほぼ変わらないという事実だ。これは1920年代(を中心とする)あれら女性ブルーズ歌手についてのある種の言説が、真っ赤なウソであることの明白な証拠だ。

その言説とは、アルバータやベシーやマ・レイニーなどなどあれらの歌手は、一応ブルーズに分類されてはいるが、マディ・ウォーターズたちのやったものや、それに続くいろんなブルーズとは「根本的に」異なる種類のもので、クラシカルなブルーズなのだというもの。

こういう文章は実に多い。僕も大学生だった30年以上前からいろいろと読んできた。しかしそんな言い方は上でご紹介した二つのアルバータによるモダンな再演の「ダウン・ハーティッド・ブルーズ」を聴けば、完全なる誤謬として消え失せるはずだ。ダウン・ホーム感のあるモダン・シカゴ・ブルーズに近いからだ。

アルバータの復帰作である1980年のコロンビア盤『アムトラック・ブルーズ』の大半は、やはりジャズっぽいブルーズ、あるいはジャズ・ソングと呼ぶべきものもあるが、刮目すべきは B 面一曲目だったアルバム・タイトル曲「アムトラック・ブルーズ」なんだよね。
タイトルでお分りの通り、アメリカにある大きな鉄道に題材をとったもの(この点でも、鉄道が頻出する、戦前から続くカントリー・ブルーズとの共通項がある)。そして出だしのエレキ・ギターに注目してほしい。これは完全なモダン・シカゴ・ブルーズ・ギタリストの弾き方だよね。

その後アルバータのヴォーカルが出てきて以後の伴奏はやはりジャズ・バンドだけど、その後のソロを弾くエレキ・ギターは強烈なダウン・ホーム・ブルーズじゃないか。歌の部分ではクラリネットやトランペットが絡んだりするが、それもジャジーというよりもブルージーだもんね。

つまり1920年代のあの都会派女性ブルーズ歌手と、そのルーツになっていたであろうアメリカ南部における誕生期のカントリー・ブルーズと、そこからそのまま直接発展した戦後のシカゴなどにおけるモダン・バンド・ブルーズと、それらぜ〜んぶ繋がっているぞ。どこが根本的に異質なクラシカル・スタイルなもんか。

確かに聴感上は音も古いし、伴奏はジャズ・メンだし、ヴォーカルの感じにもブルージーなフィーリングが明確じゃないし、そもそも発声と歌い廻しが大衆音楽の歌手にしてはやや古風なものだしで、とっつきにくいのは僕もよく分る。だが先入見を捨ててよく聴いてほしいのだ。根本的にはモダン・ブルーズと同質の音楽だろう。

あぁ、本当はドキュメントがリリースした CD 四枚の『コンプリート・レコーディッド・ワークス・イン・クロノロジカル・オーダー』 の話をもっとたくさんするつもりだったのに。三枚目で全面的に参加しているルイ・アームストロングはレッド・オニオン・ジャズ・ベイビーズの一員で、1924年11月録音。クラリネットのバスター・ベイリーやピアノのリル・アームストロング(既に「ハーディン」ではないので結婚していた)もいる。

またその三枚目には、サッチモは参加していないが、「ドント・フォーゲット・トゥ・メス・アラウンド」「ヒービー・ジービーズ」という二曲のサッチモ・ソングがある。それらのアルバータによる録音は1926年だから、サッチモ・オリジナルの、前者は同年、後者は翌年。

またファッツ・ウォーラーのオルガン伴奏一台で「シュガー」などのポップ・ソングや、W・C・ハンディが版権登録したブルーズ・ソングなどを歌うアルバータもなかなか悪くない。アルバータやベシーらが活躍したあの時代、ジャズとブルーズが切り離せないものだったということも含め、またモダン・ブルーズと繋がっているということも含め、ああいった女性歌手たちをもっとしっかり聴いてくれないかなあ。

2017/01/11

ひょっとして矢野顕子の大先輩?〜 ネリー・ラッチャー

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第二次大戦が終わるか終らないかという時期に出現したアメリカ大衆音楽の特色の一つとして、ピアノを弾きながら歌う黒人女性歌手というのがある。むろんもっと前からいるにはいて、パイオニアはおそらくクリオ・ブラウンじゃないかなあ。クリオの初録音は1935年だからね。

同じような音楽の場合、男性だとファッツ・ウォーラー、そしてなんといっても1940年からのナット・キング・コールで有名だけど、女性の活躍が一般化するのはやはり40年代半ば以後だったんじゃないかと思う。その後はたくさん出てくるようになって、例えばニーナ・シモンなんか有名だし、21世紀の現在までたくさんのピアノ弾き語り黒人女性歌手がいる。そんななか、僕にとって忘れられない一人がネリー・ラッチャー。

しかしこのネリー・ラッチャーという黒人女性ピアノ弾き語り歌手、どこへ分類したらいいのかよく分らない。僕のなかではジャズ系のイメージもあるんだけど、でもジャジーな感じは薄いなあ。かなりスウィングするピアノの弾き方と歌い方だけどね。黒っぽいという人もいるようだけど、そんなフィーリングも僕はあまり感じない。

もっとこうポップだよね、ネリー・ラッチャーは。ポップ〜ジャズ〜ブルーズ〜 R&B を全部足して四で割ったような人だ。だからどれか特定のジャンルを熱心に聴いているリスナーだと、ネリー・ラッチャーは見逃している場合が多いかもしれない。ネリーだけでなく、クリオ・ブラウンもローズ・マーフィーも。

ルイジアナ生まれのネリー・ラッチャー。キャリアのスタートは早い。12歳の時(1924年)にマ・レイニーの伴奏をやった経験があるらしい。その後30年代から活動が本格化するが、このピアノ弾き語り黒人女性歌手が一般に広く知られるようになったのは、やはりなんといっても1947年にキャピトル・レーベルと契約してからだ。

特に同年のシングル盤「ハリー・オン・ダウン」が大ヒットして、ビルボードの R&B チャート二位、ポップ・チャートですら20位まで上昇したミリオン・セラーになって、これでこのちょっと危険な香りもするポップ・ソングを歌うネリー・ラッチャーも有名になった。

危険な香りっていうのは、この「ハリー・オン・ダウン」は、ボーイ・フレンドを電話で呼びつけ、早く家に遊びに来て!私以外誰もいないのよ、早く!早く!早く来てくれないと別の男(サム)を呼ぶわよ、という内容の歌なんだよね。ネリー・ラッチャーの自作。だからまあピアノを弾く女性シンガー・ソングライター(矢野顕子とか)の走りみたいな人だった。

そんな歌であるのに、しかしネリーのピアノの弾き方と歌い方にはねっとりとしたセクシーさみたいなものはなく、もっと軽快でポップで、明るく笑っているようなフィーリングだよね。黒さみたいなものもほぼ全くないと言って差し支えない。
僕が持つネリー・ラッチャーの録音集は、27曲入りの『ハリー・オン・ダウン』という英 Sanctuary Records がリリースしているもの。2003年リリースとジャケット裏に記載があるが、この年はおそらく僕がこの女性歌手をちゃんと知った最初だったはずだ。英国のレーベルが出しているというのは理解できる。ネリーは英国でも人気があったからだ。

1947年の「ハリー・オン・ダウン」の大ヒットで、ネリーはその後キャピトルから続々とレコードを出せるようになった。僕の持つ録音集『ハリー・オン・ダウン』でも17曲目までは全部47年録音。その後48〜51年までのものが10曲。

ただしそのうち、22曲目以後は、24曲目の「パズ・ナット・ホーム - マズ・アップステアズ」という、「ハリー・オン・ダウン」の歌詞と完全に同内容の曲名のものを除き、全て管楽器奏者も参加している。特に最後の三曲は大編成オーケストラの伴奏。しかしこの頃になると、ネリーのチャーミングさは失われかけていて、ピアノも弾かず、あまり面白いもんじゃないなあ。

ただしその直前である1950年録音の22、23曲目が、トランペット奏者とサックス奏者が参加して、伴奏だけでなくソロも吹くが、大変面白い。なぜかというとナット・キング・コールがピアノとヴォーカルで参加しているからだ。言うまでもなくナットもまたキャピトルと契約していた。

ナットとの共演はネリーにとっては願ったり叶ったりというものだったはず。1947〜49年のネリーの録音は、僕の聴いている限り全てギター、ベース、ドラムスのカルテット編成で、ドラムスを外せばナット・キング・コール・トリオと同じことになるし、実際、サウンドを聴いても非常によく似ている。

ナットはネリーにとってのアイドルでありお手本だったようだ。むろんネリーは1930年代から活動しているので、最初はナットの影響化でやりはじめたわけじゃない。特にピアノの方は例によってアール・ハインズ・スタイルの持主だけど、書いたように1947年に活動を本格化するわけだから、その頃には既にレコードも売れていたナット・キング・コール・トリオの影響も大きくなっていたはずだ。

カルテット編成だってナット・キング・コール・トリオを真似してドラマーを足しただけじゃないかなあ。ピアノの弾き方も似ているし、ポップな感じの強いジャズ・ピアノ弾き語りと、そしてそれにジャイヴィーでユーモラスな味があるヴォーカルを乗せるスタイルもナットを下敷きにしたんだろう。

ネリーの歌い方には、ホント面白い味がある。発音のやや誇張した感じとディクションに特徴があって、これは女性に限れば彼女がはじめたものかもしれない。その後は上で名前を出したニーナ・シモンなど、いろんな女性歌手がいるけれど、第一号はネリーじゃないかなあ。

だから真っ当というかシリアスなものを好むタイプのジャズ・ファンであれば、こんな芸能色の強いネリーは敬遠するだろう。音楽的にはジャズにかなり近いものだと僕には聴こえるが、まあジャズには入れず、録音時期からしてもリズム&ブルーズなどに分類した方が理解されやすいんだろう。

とはいえ、ネリーは有名ジャズ・ソングも複数やっている。最も有名なのは、僕の持つ録音集だと11曲目の「ファイン・アンド・メロウ」だ。その他15曲目には「アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド」もある。前者はビリー・ホリデイであまりにも有名。後者はアーヴィング・バーリンが書いて、ベシー・スミスやルイ・アームストロング以下、実にたくさんのジャズ歌手・演奏家がやっているもんね。

「ファイン・アンド・メロウ」はビリー・ホリデイ最大の得意レパートリーの一つで、1939年4月のコモドア録音を手はじめに、その後もヴァーヴ、(戦後の)コロンビアにも録音している。これは12小節3コードという、意外に思われるかもしれないが彼女としてはかなり少ないブルーズ・ソングだ。

ブルーズ・ソングだから、ジャズ・バンドの伴奏でやる洗練された都会の1920年代女性ブルーズ歌手、アルバータ・ハンターも録音している。それは1939年8月録音と、ビリー・ホリデイのコモドア・ヴァージョンの直後。ビリーのもアルバータのも、いかにも粘っこい感じの歌い廻しでやるブルーズ。

アルバータ・ハンター https://www.youtube.com/watch?v=N4s94lQwwZU

どっちかというとアルバータ・ヴァージョンの方が僕は好き。ビリー・ホリデイ最大の得意分野は小唄、すなわちポップな流行歌であって、ブルーズはちょっと得意じゃない人だというか、僕にはやや聴き苦しいんだよね。オカシイかなあ?アルバータのはやっぱりブルーズが本領の歌手だけあるという出来だ。

ところがネリー・ラッチャーがこのネチっこい「ファイン・アンド・メロウ」をやると、まあブルーズを歌っているというフィーリングはあるけれど、それよりもグッとポップになって軽快な感じで、やはりまるで小唄。こういう感じになるのがネリーの持味だったと僕は思うんだよね。ビリー・ホリデイやアルバータ・ハンターと比較すれば、違いは瞭然としている。
「ハリー・オン・ダウン」同様大ヒットになった「ヒーズ・ア・リアル・ゴーン・ガイ」 もいいなあ。ポップで軽快でスウィンギー。同じく大ヒット・ナンバー「ファイン・ブラウン・フレイム」はミドル・テンポで軽々と粋に歌うお洒落な感じで、これまたポップで黒い感じはない。
僕の持つネリーの録音集だと13曲目は、最初に聴いていた時「オォ、レイ・チャールズ!オォ、レイ・チャールズ!」と歌っているように聴こえるもんだから、あれれっ、レイ・チャールズのことを歌ってるのか?あるいはなにか関係があるのか? と思ったんだけど、これは Ray Charles ではなく Lake Charles だったという(恥)。曲名も「レイク・チャールズ・ブギ」。その後知ったが、ネリーはルイジアナのレイク・チャールズ生まれらしい。
1940年代後半以後、ホントこういった感じでピアノを弾きながら歌う黒人女性歌手がたくさん出てくるようになって、しかもだいたいどの人も一つの特定ジャンルにだけおさまるような味じゃないから、意外に看過されがちなんじゃないかなあ。ネリー・ラッチャーの他にも、上で名前をあげたローズ・マーフィーの他、ジュリア・リー(はキャリアは古い)、ヘイゼル・スコット、ベティ・ホール・ジョーンズ、マーサ・デイヴィスなどなど。

だから「ピアノ弾き語り黒人女性歌手」という一つの枠を作ってほしいと思うくらいだけど、欧米にはむろんそんなのは存在しないし、日本でもそんな括り方は中村とうようさんしかしていないような気がする。とうようさんは、今日話題にしたネリー・ラッチャー を世界で初めてフル・アルバム化した人なんだそうだ。

ネリー・ラッチャーに関してはドイツのベア・ファミリーが CD 四枚組のコンプリート集をリリースしているが、僕はそれを持っていない。そこまで買う必要はない人なんじゃないかと思うんだけどね。しかし上で名前をあげたようなピアノ弾き語りの黒人女性歌手は、みんな一個の特定ジャンルにおさまらないからこそ持味を発揮できた、いわばブラック・ポップ・エンターテイナーだね。ブルーズとか R&B 寄りだけど、ジャズ・ファンも聴いてほしいな。

2017/01/10

これぞ正真正銘のレア・グルーヴ・ライヴ

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間違いなく例のレア・グルーヴ・ムーヴメントによって CD リイシューされたジャズ・オルガニスト、ロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』。間違いなくと言えるのは、僕が持っているそのアメリカ盤 CD パッケージに「ブルー・ノート・レア・グルーヴ・シリーズ」という文字があるからだ。

というこの書き方は実は正確ではないというか間違っているんだよね。ロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』は、タイトル通りデトロイトのクラブ・モザンビークにおける1970年5月21日のライヴを収録したものだが、これはなぜだか当時はリリースされなかった。

ロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』の初リリースがなんと1995年の CD によってだったのだ。だからそれは CD「リイシュー」ではなく、世に出た最初だ。現在僕が持っているキャピトル(が当時ブルー・ノートの権利を持っていた)盤 CD もその95年のもの。

つまりロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』は、録音されてから25年間も全く世に出なかったってことなんだなあ。すんげえカッコいいジャズ・ファンク・グルーヴなのに不思議だ。今ではジミー・スミスの1972年盤『ルート・ダウン』と並ぶ、僕の大好物なんだよね。

ファンキーな弾き方をするジャズ(系)オルガニストの1970年代におけるライヴ・アルバムでは、ジミー・スミスの『ルート・ダウン』と、ロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』が僕にとってはモスト・フェイヴァリットに他ならない。しかしロニー・スミス盤の方が演奏・録音は先だったなんてねえ。

ジミー・スミスの『ルート・ダウン』にはソウル・マン、アル・グリーン最大の代表曲「レッツ・ステイ・トゥゲザー」のカヴァーがあるが、ロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』にはファンカーの代表曲のカヴァーが二曲あって、やはり同趣向の音楽だと分るようなものなんだよね。

ロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』にあるファンク・カヴァー二曲は、一曲目の「アイ・キャント・スタンド・イット」と七曲目の「アイ・ウォント・トゥ・サンキュー」。ファンク・ファンであれば、いやそうじゃなくたって、だいたいみなさんこれらの曲名だけでピンと来るはず。

そう、一曲目の「アイ・キャント・スタンド・イット」はジェイムズ・ブラウンの、七曲目の「アイ・ウォント・トゥ・サンキュー」はスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの、それぞれ超有名曲だ。後者の方は最大のシンボル、ファンク・イコンだと言っても差支えない聖典だもんなあ。

しかしロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』では、七曲目の「アイ・ウォント・トゥ・サンキュー」ははっきり S・ストーンとコンポーザー名が明記されているけれど、一曲目の「アイ・キャント・スタンド・イット」は L・スミスと書いてあって、自作曲みたいになっているのは解せない。

こりゃオカシイね。アルバム一曲目のそれが鳴りはじめた瞬間に、全員、これはジェイムズ・ブラウンのあれだと分っちゃうのになあ。  全くおんなじじゃないだろうか。以下に音源を貼っておくので、ちょっと聴いてみて。

七曲目の「アイ・ウォント・トゥ・サンキュー」はこれ。一曲目にかんしては作曲者名クレジット問題が残るものの(だいたい初リリースが1995年なんだから、ちゃんとしたらよかったのになあ)、ロニー・スミスのカヴァー・ヴァージョンもカッコイイね、どっちも。
一曲目の「アイ・キャント・スタンド・イット」では、いきなりエレキ・ギターがジェイムズ・ブラウン・オリジナルと同じ単音弾きリフを演奏するが、それはジョージ・ベンスンが弾いているんだよね。ファンク・マナーでのドラミングはジョー・デュークス。二人ともブラザー・ジャック・マクダフと深い関係がある。

ジョージ・ベンスンもジョー・デュークスも、1950年代末頃からジャズ・オルガニスト、ジャック・マクダフのバンドにレギュラー参加していて、当時ブラザー・ジャック・マクダフ・カルテットと名乗っていた。もう一名はサックスのレッド・ハラウェイ。バンドがこの四人編成だったのはいつまでだったんだろう?

なお今日の話題の主人公ロニー・スミスは、そのブラザー・ジャック・マクダフ・カルテット時代のジョージ・ベンスンと知り合っていて、1966年にジョージ・ベンスン・カルテットを結成した際にロニー・スミスがレギュラー参加。だからその時期から継続的に演奏活動をともにしていたんだなあ。

また上掲音源二曲を聴いていただければ、バリトン・サックスのファンキーなソロが出てくるのがお分りだと思うけれど、それがロニー・キューバー。ロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』がリリースされた1995年頃は、ドクター・ジョンのバンドで吹いたりもしていたよね。

そのバリトン・サックスのロニー・キューバーは、前述1966年結成のジョージ・ベンスン・カルテットのレギュラー・メンバー。つまりロニー・スミスの同僚だったのだ。なんだかブラザー・ジャック・マクダフをきっかけに全員ずるずる繋がっているよなあ、ファンキー・ジャズ方面の人たちが。

上でロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』一曲目の「アイ・キャント・スタンド・イット」(ヴォーカルというか声はロニー・スミス本人)と「アイ・ウォント・トゥ・サンキュー」という有名ファンク・チューンの音源を貼ったけれど、この二曲、典型的にこのアルバムの内容が出ている。

それら二曲以外の六曲は、一曲を除きロニー・スミスのオリジナル。アルバム・ラストは、マイルス・デイヴィスがやったので有名なヴィクター・フェルドマンの書いた代表曲「セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン」だ。これも普通のジャズじゃないような感じだ。
一応リズムは4/4拍子のストレート・アヘッドなジャズ風で、サックス二名、ギタリスト、オルガニストと続くソロもハード・バップ・ジャズ風であるとはいえ、ドラマーの叩き方がすんなりとしたジャジーなフィーリングじゃないもんね。どっちかというとやはりファンクに近いようなドラミングだよなあ。

アルバム中、4/4拍子のものがもう一曲ある。二曲目の「エクスプレッションズ」。これはファンクっぽい跳ね方のグルーヴというよりも、フラットにずんずん進む通常のジャズ・ビートで、ドラマーのハイハットの踏み方もそう。各人のソロもジャジーだ。
この「エクスプレッションズ」はアルバム中最も長い11分以上もあるので、まあ目玉というかハイライトなのかもしれないが、ロニー・スミスやジョージ・ベンスンやロニー・キューバーなどなど、その界隈のミュージシャンのこの時期の音楽としては、ちょっと面白味に欠けるかもしれないなあ。

これよりは、ロニー・スミスのオリジナル・ナンバーであれば、アルバム三曲目の「スクリーム」(https://www.youtube.com/watch?v=d5Gl7sinHgY)とか四曲目の「プレイ・イット・バック」(https://www.youtube.com/watch?v=X43jG5BhUdE)とかの方がグルーヴィーでファンキーでカッコイイじゃん。

アルバム通してこんなのがメインで続くので、グルーヴの快感が長続きして気持良いんだけど、一曲だけちょっとおとなしめのバラード風なものがある。五曲目の「ラヴ・ボウル」だ。それでもドラマーの、特にスネアのハタハタとした叩き方はまあまあファンキーだ。
アルバム六曲目「ピース・オヴ・マインド」もミドル・テンポのファンク・グルーヴだが、この曲ではロニー・スミスがたくさん喋り、また歌ってもいる。随分と声が若いよなあ。決して上手いヴォーカルじゃないけれど、トーキング・スタイルで悪くない。
このアルバムでも、ギターのジョージ・ベンスンは全編、空洞ボディにピック・アップの付いたいわゆるフルアコと言われる種類のギターを弾いている。これは間違いない。ベンスンはそういう種類のものしか弾かない人だ。ソリッド・ボディ・ギターでファズをかけていたらもっと僕好みだったけどなあ。

だからこれはこれで充分グルーヴィーだし、ギター・フレイジングもファンキーかつブルージーで(かつてB・B・キングがベンスンを「彼は彼のブルーズを演っている」と褒めたことがある)、ギターと相性のいいハモンド B-3 オルガンを弾くロニー・スミスともピッタリ息が合っていて申し分ないね。

それにしてもロニー・スミスの『ライヴ・アット・ザ・クラブ・モザンビーク』。こんな素晴らしい内容のジャズ・ファンク・ライヴを録音しておきながら、どうして25年間もリリースせずお蔵入りさせていたんだろう?やっぱりこの点だけが不可解だなあ。CD で出たあとは二枚組 LP でもリリースされたようだ。

2017/01/09

ジャグ・バンドはロックの源流の一つ

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第二次大戦前のアメリカにはたくさんあったジャグ・バンド。その当時の同国大衆音楽の雑多な要素がゴッタ煮になっていて実に楽しい。ジャグ・バンド・ミュージックは基本的には黒人音楽、なかでもブルーズ寄りだけど、そればっかりでもないんだよね。いわゆるヒルビリー・ミュージックも溶け込んでいるし、黒人/白人を問わず当時のポップ・ミュージックがいろいろと混ざり込んでいた。

ジャグ・バンドというくらいで、瓶(jug)を使う。ガラスか陶器でできた瓶の口をブッブッと吹いて低音を出すわけだ。その他、ハーモニカ、カズー、フィドル、ギター、ウォッシュボードなどが入る場合が多い。ウォッシュボードが今で言うドラムス、ジャグがジャズにおけるチューバとかトロンボーンみたいなもので、それにくわえウォッシュタブ、すなわち洗濯桶に棒を立ててロープを張って鳴らし、それがストリング・ベースの役目。この三つがいわばリズム・セクションで、その上に書いたような楽器で実に素朴なアンサンブルとも呼べないようなサウンドを出し、ヴォーカルを乗せる。

戦前におけるジャグ・バンドのメッカは、なんといってもまず発祥地とされるケンタッキー州ルイヴィル、次いでテネシー州メンフィス。どっちかというとメンフィスの方が重要かもしれない。どうしてかというと、この都市がアメリカ南部における黒人音楽芸能のある意味中心地、集約地だったからだ。たくさんのジャグ・バンドがあったようだが、なかでもメンフィス・ネイティヴであるハーモニカ(その他)奏者ウィル・シェイドが結成したメンフィス・ジャグ・バンドが最も有名で代表的な存在だ。

ブルーズ・ファンであればメンフィス・ジャグ・バンドを知らない人はいないだろうというほど有名なのは、あのメンフィス・ミニーが参加したことがあるからだ。録音も残っている。僕が持っているこのバンドの録音集はたったの一枚だけだから偉そうなことは言えないが、それは米ヤズー・レーベルの出した『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』という全23曲。

ヤズー盤『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』は1927〜1934年の録音集だけど、このバンドは1950年代末まで存在し、かなりの量を録音しているみたいだ。だがまあしかしやっぱりアメリカ大衆音楽史で見たら、1920年代末〜30年代半ばまでの録音が重要だろうなあ。

といっても僕の持つ『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』で最も新しい時期の録音である1934年ものは二曲だけで、他は全て1930年までの録音が21曲。これは間違いなく例の大恐慌のせいだね。あれでいろんな音楽家(だけじゃないが)の活動も滞ってしまった。

ヤズー盤『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』。バンド創設者で中心人物のウィル・シェイドは当然全曲で演奏したり歌ったりしているが、それ以外のメンバーはかなり頻繁に入れ替わっている。CD 附属の紙に全曲の録音年とパーソネルが書いてあるのだが、しかしそれは収録曲順でもなく録音順でもないから(いったいなに順?)やや分りにくいが。

ウィル・シェイドはヴォーカル、ハーモニカはもちろん、ギターもたくさん弾いている。それ以外のバンド編成は、ジャグはもちろん欠かせないが、もう一名のギター、カズーが基本。多くの曲がそれだけのメンツなんだけど、あとはバンジョーとマンドリンが入ったり、一曲だけフィドルが入るものがある。

つまり弦ベース代わりのウォッシュタブは全くなしで、だからジャグのブッブッという音がまあ低音担当だなあ。ウォッシュボードやなにかの打楽器など、ドラムス代わりの楽器もなしだ。だからこの1927〜34年頃のメンフィス・ジャグ・バンドは、あくまでジャグとギターとカズーとハーモニカ、そしてヴォーカルなんだよね。

そんな素人楽器みたいなものばかりで、音楽的な中身もまあルースなものをありがたがることはないだろうと思うような人は、ヴォードヴィル・ショウからブルーズなどアメリカ黒人音楽芸能史に疎いか、ロックンロール誕生の経緯を知らない人だってことになるなあ。どうしてかというと、ジャグ・バンドは、要するに以前も一度書いた原初音楽衝動、つまり「バンドやろうぜ!」というものだからだ。ってことはつまり、仲間が集まって音楽をやる楽しさも知らないんだってことになるんだよね。

メンフィス・ジャグ・バンドに代表されるメンフィス・エリアは、上で書いたようにアメリカ南部黒人音楽の集約地みたいなところだったので、当地のジャグ・バンドはカントリー・ブルーズ、ホウカム、あるいはもっと前からのアメリカ黒人音楽芸能と一体化して結びついていた。

なんたってタンパ・レッドが史上初録音を行なったのは、メンフィスで活動していたマ・レイニー&ハー・タブ・ジャグ・ウォッシュボード・バンドでだもんね。 マ・レイニーって、一般的にはあくまでジャズ・バンドの伴奏でやる洗練された1920年代の都会派ブルーズ(例のクラシック・ブルーズという用語は、もう今後は使わないことにした)の歌手だという認識だろうが、意外にそういう録音もあるんだよね。

1928年録音のマ・レイニー&ハー・タブ・ジャグ・ウォッシュボード・バンドは、実はジョージア・トムのバンドだ。ジョージア・トムはもちろんタンパ・レッドと非常に強く結びついた人物として憶えられているはず。ジョージア・トムの最初の結婚相手ネティがマ・レイニーの衣装係だったので、おそらくはそれでこの女性ブルーズ歌手との縁ができたんだろう。28年にマ・レイニー&ハー・タブ・ジャグ・ウォッシュボード・バンド名義で八曲録音している。

たぶんその頃にタンパ・レッドも参加したか、少なくとも顔を出していたんだろう。ジョージア・トム・ドーシー&タンパ・レッド二人の名義でマ・レイニーの伴奏をやった録音が、1928年に六曲ある。それはマ・レイニー&ハー・タブ・ジャグ・ウォッシュボード・バンド名義録音の直後なんだよね。

ジョージア・トムとタンパ・レッドといえば、あの1928年の強烈な「イッツ・タイト・ライク・ザット」だとなるよね。あの曲のパンクな苛烈さは、ロックンロール第一号と呼びたいくらいのものだ。そんなジョージア・トムとタンパ・レッドがメンフィス・エリアでジャグ・バンドに関係していたのは、決して偶然なんかじゃない。

メンフィスのジャグ・バンドが黒人ブルーズ、特にやはりメンフィス・ブルーズと密接に結び付いていたことは、ヤズー盤『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』を聴いても非常によく分る。だいたい全部の曲がいわゆるブルーズ形式で、それもほとんど12小節3コードのシンプルな定型。

それにくわえブルーズ・ファンには超有名人のメンフィス・ミニーがヴォーカルとギターで参加する録音もあったりするので、一層このジャグ・バンドはブルーズ・バンドだという認識になるだろう。だが僕が聴いた限りではメンフィス・ジャグ・バンドにおけるメンフィス・ミニーはさほど重要な意義を持っていない。

女性歌手参加のものに限っても、数でもハッティー・ハートの方が多いし、音楽の質からしてもハッティーの方が重要だ。ヤズー盤『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』にあるハッティーが歌うものは三曲(メンフィス・ミニーは一曲)。全部面白いが、最高作は1930年の「コケイン・ハビット・ブルーズ」だね。
伴奏はジャグとギターとカズーとハーモニカ。ハッティーと一緒に歌うのはベン・ラムジー。ジャグの低音が、ジャズ・バンドにおける管ベース、すなわちチューバと同じ役割を果たしていて、さらにウィル・シェイドのハーモニカの吹き方はかなりブルージーだ。そしてなんといってもハッティーのヴォーカルが相当にいいじゃないか。

同じくハッティーがメンフィス・ジャグ・バンドで歌う「アンビュランス・マン」(1930)と「パパズ・ガット・ユア・ウォーター・オン」(1930)では、まるでベシー・スミスみたいに咆哮するし、「メンフィス・ヨー・ヨー」(1929)では実に寂しく哀しげ。
これらを聴けば、やはりこのメンフィス・ジャグ・バンドとはすなわちブルーズ・バンドじゃないかとなるんだが、しかしこんな感じじゃないものの方がヤズー盤『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』には多くて、黒くてブルージーに聴こえるものの方が例外かもしれないと思うほど。

『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』を聴くと、白人バラッドの伝統だって混じり込んでいるし、そもそもこのバンドの中心要素であるブルーズは、この1920年代後半は、まだまだバラッドと不可分一体だったし、マウンテン・ミュージック由来の白人音楽、ヒルビリーの痕跡だって感じるものだし、最も重要なのはやはりかなりダンサブルであるという点だろうなあ。

ヴォーカルの味にも、あるいはカズーやジャグ(あるいはメンフィス・ジャグ・バンドにはないがウォッシュボードやウォッシュタブなど)などの楽器が出す味にも、かなりノヴェルティなフィーリングがあって、しかもこれは僕がジャズ・ファンだからなのか、当時のジャズ・バンドに相通じるものすらあるように聴こえる。

ホーム・メイドの素人楽器でやるブルーズとバラッドとヒルビリーなどを根底に据えたノベルティでスウィンギーなダンス・ミュージック。それがジャグ・バンド・ミュージックだ。そんなジャグ・バンドとは、ここまでお読みになって既にお分りの通り、あのスキッフルと同質のもの。つまりロックンロールの原初形態だ。

実際、1960年代にジャグ・バンドは再び注目され復活した。それはいわゆるフォーク・リヴァイヴァル・ムーヴメントにおいてのことで、例の高名なハリー・スミス編纂の『アンソロジー・オヴ・アメリカン・フォーク・ミュージック』に収録されているジャグ・バンドを参考に、白人(アングロ・アメリカン)たちがジャグ・バンドをやりはじめた。

そんな1960年代のアメリカのコーヒー・ハウス・ジャム・セッションのなかで白人たちがやりはじめたジャグ・バンドのうち最も有名なのは、おそらくジム・クエスキン・ジャグ・バンドとイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドだろう。どっちにものちに有名ロック歌手になるマリア・マルダーがいるんだよね。

またアメリカにおけるジャグ・バンド・リヴァイヴァルは1960年代だが、イギリスではその少し前、50年代中盤にブームになっていた。それが今日も上で名前を出したスキッフルだ。ロニー・ドネガンらのあのスキッフルの本質は、要はイングリッシュ・ジャグ・バンドだってこと。スキッフルが初期 UK ロックにとってどれだけ重要かは、繰返す必要がないはず。

つまり「バンドやろうぜ!」という原初音楽衝動で、ホーム・メイドの素人楽器やギターなどのシンプルなもので集まったってことなんだよね。こんなのはアメリカにおける田舎町のブルーズ(的なもの)が発端だが、ロックンロールが戦後あれだけ大流行したのも、クラシックやジャズにはない、ちょっとやってみようよっていうそんな気持にさせてくれる親しみやさ、分りやすさがあったからだろう。

ってことで、ロック・ファンのみなさんも、戦後のフォーク・リヴァイヴァルのなかで復活した白人ジャグ・バンド連中だけでなく、そのルーツたる戦前の黒人ジャグ・バンドもどんどん聴いてほしい、そんな気持で今日は書きました。

2017/01/08

ジャンゴとアメリカの戦前ジャズ・メン

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1930年代後半にフランスに渡ったアメリカ黒人ジャズ・メンとフランス人ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトが繰り広げた一連のセッション集。前から言っているように、1930年代後半というスウィング黄金時代におけるスモール・コンボ録音では三大名演集の一つだ。あと二つはテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションとライオネル・ハンプトンのヴィクター・セッション。

それら三つをスウィング期コンボ・セッション三大名演集とする評価は、僕が大学生の頃にははっきりとあったのだが、いつの間にか忘れられてしまい、今では言う人がほとんどいない、というか僕は全然見掛けない。なんたる悲劇だ。最大の理由はジャンゴのものを除きマトモな CD リイシューがされていないことだね。

テディ・ウィルスンのブランズウィック録音を CD でマトモにリイシューしているのは仏クラシックスだけ。ここがクロノロジカルに全集にして出してくれているのだが、あのテディ・ウィルスンのブランズウィック録音集は数が多く(全132曲、133トラック)、しかもそもそもの目的はジューク・ボックス用の安価なレコードをということで、アレンジ料はなし、参加各人のギャラも安かったらしい。

それでも名人揃いなので、なかには相当な名演になっているものがあって、だから名演集の一つに数えられるのだが、たいして面白くもない SP がかなりあって、玉石混交の石の方が多いというのが事実。これは油井正一さんもかつて明言していた。僕がこれを実感できるのも仏クラシックスが完全集でリリースしてくれているおかげではあるのだが、一般のジャズ・ファン向けには「玉」だけセレクトした、CD でおそらく二枚程度のアンソロジーがあってしかるべきだ。

ライオネル・ハンプトンのヴィクター録音集の方はまだマシだ。米モザイクが全集ボックスをリリースしているばかりか、一般のアメリカ盤でも一枚物や二枚物のベスト盤もあるから(といっても本家 RCA は出していないはず)、一般のファンにも買いやすく聴きやすい。僕は完全集含めそれらの選集も全て持っているというアホさ加減。

それらに比べるとジャンゴの録音集はマトモな扱いを受けているのはどうしてだろう?ギタリストだから、ジャズ・ファン以外の注目も集めやすいせいだろうか?ジェフ・ベックはじめ有名ロック・ギタリストだってジャンゴの名前を出しているしなあ。あるいはそんな理由で LP でも CD でもしっかりリイシューされているので、かなり助かる。

今では CD 四枚組の完全集になっている『ジャンゴ・アンド・ヒズ・アメリカン・フレンズ』。がしかし僕はそれを持っていない。四枚組は2000年のリリースだったはずだが、1998年リリースの CD 三枚組でもう充分というかお腹いっぱいなんだよね。かつてアナログ・レコードでは二枚(組じゃなかったと思うなあ)で出ていた。

何枚組でもいいが、僕が聴いている CD 三枚組の『ジャンゴ・アンド・ヒズ・アメリカン・フレンズ』は、ジャンゴのギター・ソロ名人芸を聴くアルバムではない。それを聴きたいとアテにして買うとガッカリする。ジャンゴはソロもまあまあ弾くが、それは必ずしも多いとは言えない。

『ジャンゴ・アンド・ヒズ・アメリカン・フレンズ』は、あくまで渡仏したアメリカ黒人一流ジャズ・メンの極上のソロを聴くべきアルバムだ。この理由があるからこそ、スウィング期三大名演集の一つに数えられているものなのだ。さほど多くはないソロを除きジャンゴのギターをというなら、リズム弾きの上手さがかなりあるのでそこを聴いてほしい。

実際、バックに廻ってコードをジャカジャジャカ刻んでいる時のジャンゴもスウィンギーな存在感抜群で耳を奪われるのは確かだ。録音も妙にギターの音が目立つものだしなあ。ジャンゴのギター・コード・カッティングは、同時代のアメリカにおけるそれの最大の名手であるフレディ・グリーンのスタイルとは違っている。

フレディ・グリーンの弾き方は4ビートにおける一小節に四つの和音を、拍に合わせ均等かつフラットに、それも極めて正確に弾くというもので、その和音構成も複雑な場合があり、さらにそれを一拍ずつ変えたりもする。相当なテクニシャンであるゆえんだが、ジャンゴの場合は、基本、そうでありながらも、しばしば八分音符、十六分音符などでオカズを入れる。

フレディ・グリーンの場合は一小節四つの音を全て同じ大きさで弾くのだが、ジャンゴの場合は一小節に四つのコードを刻む場合でも、二拍目と四拍目に強いアクセントを置く。そんでもってソロイストのフレーズの切れ目やワン・コーラス終って次に行く節目節目に、多彩な音で味付けをする。これはフレディ・グリーンはやらない。ただタイム感はグリーンの方が正確だ。正確すぎると思うほど4/4拍子の一拍ごとに完璧にジャストなタイミングで刻む。

そんな聴きどころがありはするものの、やはり『ジャンゴ・アンド・ヒズ・アメリカン・フレンズ』でのジャンゴはあくまで脇役であって、ソロを取る主役はアメリカ人ジャズ・メン。このアルバムでフィーチャーされている大物アメリカ人ジャズ・メンは、コールマン・ホーキンス、ディッキー・ウェルズ、エディ・サウス、ビル・コールマン、ベニー・カーター、ラリー・アドラー、レックス・スチュアート&バーニー・ビガード。

それにくわえ、大物とは言えず今では無名の存在かもしれないが、 ガーネット・クラーク(ピアノ)、フレディ・テイラー(ヴォーカル)、アーサー・ブリッグズ(トランペット)なども参加している。エディ・サウス(ヴァイオリン)やビル・コールマン(トランペット)らは、今ではあるいはこちらに入れられているのかもしれないね。

またラリー・アドラーも、ハーモニカに興味があるなら知らない人などいない有名人、というかパイオニアだけど、まあ普通のジャズ・ファンには無視されているよなあ。どなたかジャズ・ファンやジャズ・ライターの方が、ジャズの文脈でラリー・アドラーを話題にすることってあったっけ?

『ジャンゴ・アンド・ヒズ・アメリカン・フレンズ』最大の目玉はやはりコールマン・ホーキンスだろうなあ。僕の持つ三枚組に全部で八曲あって、これはアメリカ人ジャズ・マンのなかでは二番目に多いし、数だけでなく存在感が圧倒的だからだ。ホークは1934年にヨーロッパに渡り、そのまま1939年まで欧州で演奏活動をしていた。

これは別に黒人だからアメリカ本国で不遇だったとか、あるいは例の大恐慌のせいで演奏機会が減ったからとかではない。イギリス人ジャズ・バンド・リーダー、ジャック・ヒルトンに自分の楽団員にと招かれて渡英し、そのまま欧州各国をツアーしてまわっていたのだ。

そんなホークはフランスでジャンゴとのセッションを二回行っている。一回目は1935年5月2日。二回目は37年5月28日。いずれも四曲ずつ録音しているんだが、これが名演揃いなのだ。特に二回目37年セッションが凄い。最高傑作は「クレイジー・リズム」だろう。
どうです、このホークのテナー・ソロのスウィング感は!ホークがアメリカ本国で残したあらゆる録音よりも上なんじゃないかなあ。ここまで猛烈にドライヴするホークって、僕は他に聴いたことがない。なお、この録音にはアルト・サックス奏者二名、テナー・サックス奏者もホーク以外にもう一名参加している。

その四人のサックス奏者が次々と入れ替わりソロを吹くので、聴き慣れない方はホークのソロはどれ?ってなるかもしれないなあ。1:58 から入ってくる四人目のサックスがホークのテナーだ。その前の三人目がベニー・カーターのアルト。なお、そんなクレジットは一切ないので僕の耳判断だが、間違いないはず。

ホークのソロの時には、あまりにスウィンギーでカッコイイがために、誰の声だろう「カモン!カモン!」と叫んでいるのが聴こえるよね。この「クレイジー・リズム」一曲だけ取ってみても、このジャンゴのセッションがスウィング期最高の名演集の一つだと納得していただけるはず。

その他七曲でもホークのソロは素晴らしい。例えば1935年のセッションで録音した「スターダスト」。ジャンゴの盟友ステファン・グラッペリがヴァイオリンではなくピアノを弾くが、バラード吹奏におけるホークの堂々たる貫禄は見事だ。四年後にアメリカで録音し、生涯の名演とされる「ボディ・アンド・ソウル」になんら劣らない。いや、それより上かも。
「スターダスト」は『ジャンゴ・アンド・ヒズ・アメリカン・フレンズ』にもう一つある。1935年11月25日録音で、ガーネット・クラークのピアノ演奏をフィーチャーしたヴァージョン。ビル・コールマンがトランペットで参加しているが、やはりガーネット・クラークのピアノがいいね。
1936年5月4日のセッションでは、例のフランス・ホット・クラブ五重奏団に、ヴォーカルでフレディ・テイラーが参加して三曲録音している。それら三曲ではレギュラー・バンド中心での演奏だということもあるのか、ジャンゴも多めにソロを弾くが、テイラーのヴォーカルも面白い。

フレディ・テイラー参加の三曲で最も興味深いのは「アイズ・ア・マギン」(I’s A Muggin’)だろうなあ。アメリカ人ヴァイオリニスト、スタッフ・スミスの曲で、彼の最有名曲。といっても多くのモダン・ジャズ・ファンは無視しているかもしれない。そもそも知りすらしないかも。

でもロック・ファンなら全員「アイズ・ア・マギン」を知っているよ。どうしてかというと、ジョニ・ミッチェルのアルバムにあるからだ。といっても B 面一曲目のたったの八秒間だけどね。チャールズ・ミンガスもスタッフ・スミスがやった1936年のこんな曲が好きだったんだなあ。

スタッフ・スミスの「アイズ・ア・マギン」は1936年2月録音だから、フレディ・テイラーがジャンゴとやったのはそのたった三ヶ月後だ。バック・コーラスの入り方もスタッフ・スミスのオリジナル・ヴァージョンに忠実で、 ステファン・グラッペリのヴァイオリンにも、ジャイヴィーなフィーリングがあるような気がする。
カウント・ベイシー楽団で有名になるディッキー・ウェルズが、そのベイシー楽団加入1938年の一年前にジャンゴとやったものは省略して、ヴァイオリニスト、エディ・サウスとジャンゴの共演録音。全部で十曲あるが、面白いのは同じ楽器のステファン・グラッペリも参加した五曲だ。

「レディ・ビー・グッド」「ダイナ」「ダフネ」などなど。ヴァイオリニスト二名がユニゾンでテーマを演奏したり、代わる代わるソロを弾いたり、二人で対旋律的に絡んだりと、かなり楽しい。ジャンゴのリズム・ギターの上手さも非常によく分る。全十曲のうち二曲は、曲名がクラシック音楽風に「なんちゃらのムーヴメントにもとづくかんちゃらの即興」と長ったらしい。

しかし音楽的に面白いのはそんな二曲の「なんちゃらムーヴメントのかんちゃら即興曲」なのだ。それら二曲はエディ・サウス、ステファン・グラッペリ、ジャンゴ・ラインハルトのトリオ編成。たった三人とシンプルで、しかも曲名通りクラシックのバロック音楽風でもある。

それら二曲とも、二人のヴァイリニストがどっちがどうなっているだか分らないほど複雑に絡みあうパートがあって、そこが最大の聴きもの。ジャンゴはソロを全く弾かずリズム伴奏に徹していて、あくまでヴァイオリニスト二名の絡みを聴くのが楽しい。

アルト・サックス奏者ベニー・カーターをフィーチャーしたセッションは飛ばして、ハーモニカのラリー・アドラーがジャンゴと一緒にやって吹くのは全部で四曲。1938年5月31日録音。全部有名スタンダードだが、「ボディ・アンド・ソウル」「恋人よ我に帰れ」を知らない人はいないだろう。

それらニ曲ともラリー・アドラーのハーモニカ名技が聴ける。ちょっと面白いのは「恋人よ我に帰れ」だなあ。途中、ハーモニカを吹きながら同時に声を出しているのか、ブワ〜ッという音になっている瞬間がある。モダン・ジャズ時代には、ローランド・カークその他が似たようなことをやっているよね。
さて、個人的に『ジャンゴ・アンド・ヒズ・アメリカン・フレンズ』のなかで大学生の頃からの最大の愛聴セッションで思い出深く、今聴いても絶品だなと感心し一番大好きなのが、レックス・スチュアート、バーニー・ビガード二名のエリントニアンを迎えたセッション。1939年4月5日録音で全部で五曲。

この1939年4月はデューク・エリントン楽団のパリ公演があった時期だから、それで二名のエリントニアンズがジャンゴとセッションしたんだろうなあ。レックス・スチュアートもバーニー・ビガードも大好きな僕。特に後者のクラリネットはジャズ界では最大の好物。

五曲ともジャンゴ、レックス、バーニーにベーシストが入るだけの四人編成。そのうち僕が特に好きなのは、バラード「フィネス」とスウィンギーな「アイ・ノウ・ザット・ユー・ノウ」。前者でバーニーがクラリネットで表現する情緒とか、その後に出るジャンゴのソロも味があっていいなあ。
「アイ・ノウ・ザット・ユー・ノウ」の方はアップ・テンポでグルーヴする一曲。この曲ではレックス、バーニー二名のソロもさることながら、その背後でのジャンゴのリズム表現を聴いてほしい。彼以外にはベースしか入っていないなんて信じられないスウィング感を出しているじゃないか。ジャンゴ一人でリズムを創っていると言っても過言ではない。
ちなみにこの1939年のエリントン楽団パリ公演の際に、ボスのエリントンもジャンゴと知り合い、そのギター技巧の見事さに驚いて、このギタリストをアメリカに招いて自己のオーケストラとの共演を画策した。それが実現したのは戦後の1946年。この際にいろんな逸話が残っているが、その話はまた別の機会にしよう。

2017/01/07

シャアビ入門にこの MLP 盤を

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フランスの MLP(Michel Lévy Productions だったのが、最近 Michel Lévy Projects と改名したらしい) というレーベル。ここがたくさんマグレブ音楽の CD アンソロジーを出してくれているので随分と助かっている。本当にたくさんあるので全部名前をあげることは不可能だが、そのなかでも『ドゥーブル・ベスト』と銘打って何枚かリリースしているものからシャアビのアンソロジーの話をしたい。『ドゥーブル・ベスト』シリーズには他にもライだとか何枚もあって、僕もだいたい持っている。

MLP が『ドゥーブル・ベスト:ムジーク・シャアビ・ダルジェリ』二枚組をリリースしたのは2011年。これを翌2012年に日本のライスが日本盤でリリースしたのを僕は買った。シャアビのことをあまりよく知らない音楽好きが、なにか一つアンソロジーを聴いて、手っ取り早くこの音楽の姿を知りたいと思ったら、これが好適かもしれない。

ライスは、田中勝則さん編纂の例の CD 二枚組アンソロジー『マグレブ音楽紀行 第1集〜アラブ・アンダルース歴史物語』を2008年にリリースしている(「第2集」はいつ頃になるんでしょうか、田中さん?)。まさに入魂という言葉が相応しい力作アンソロジーで、もちろん田中さんご本人が書いている附属ブックレット解説文も驚異の充実度。

収録曲は全てアルジェリアなどマグレブ地域(と同地域出身で在仏)の音楽だが、ブックレット解説文は欧州イベリア半島におけるアラブ・アンダルース音楽の誕生から説き起し、それが北アフリカに移動、アルジェリアで古典音楽から大衆音楽として花開いたさまをつまびらかに書いてある。

そんな『マグレブ音楽紀行 第1集〜アラブ・アンダルース歴史物語』のなかにもシャアビは含まれている。当然だ。シャアビはアラブ・アンダルース古典音楽をベースにしてアリジェリアのアルジェで誕生した現代大衆音楽で、なおかつ最も人気のあるジャンルの一つだから、これを収録しないなんてありえない。

そして『マグレブ音楽紀行 第1集〜アラブ・アンダルース歴史物語』一枚目に、モハメド・エル・アンカが一曲収録されているのだが、これも極めて自然というか収録しないなんて考えられない。なぜならば、エル・アンカがシャアビをはじめた人物と言っても過言ではないからだ。

そして1920年代にアルジェのカスバでエル・アンカが生んだシャアビこそが、アラブ・アンダルース古典音楽が大衆音楽へと決定的に転回したものだったのだから、エル・アンカはアラブ・アンダルース音楽史における大革命家だったのだと言えるはず。エル・アンカの革命は大きく分けて二点。歌詞に現代アラビア語を用いたこと。古典的楽器ウードに代えてマンドーラやバンジョウを使ったこと。

この二大革命によって、エル・アンカのやったアラブ・アンダルース音楽はまさに「民衆の」音楽、すなわち文字通りシャアビとなったわけだ。そんなエル・アンカの録音は CD にすると、五・六枚ほど(130曲程度)はあるんだそうだ。たったの130曲程度、 CD で五・六枚ほどであれば全部ほしいが、僕が持っているのは二枚組一つだけ。それもまた MLP が出しているもので、やはり『ドゥーブル・ベスト』シリーズの一つ。

MLP の『ドゥーブル・ベスト:モハメド・エル・アンカ〜ル・グラン・メートル・デュ・シャアビ・アルジェリアン』の全14曲で代表曲はだいたい聴けるのかなあ?この二枚組も日本盤が、こっちはビーンズ・レコードから出ているようだが、僕が持っているのはこれはなぜかオリジナルのフランス盤。

『ドゥーブル・ベスト:モハメド・エル・アンカ』の一枚目トップに「ソブハネ・アッラー・ヤー・ルティフ」が収録されているが、この15分超の一曲が、最初に書いた『ドゥーブル・ベスト:ムジーク・シャアビ・ダルジェリ』のラストにも収録されているのだ。トップとラストに収録されている、つまりエル・アンカの、そしてシャアビの象徴的一曲っていうことなんだろうなあ。

エル・アンカの「ソブハネ・アッラー・ヤー・ルティフ」を聴くと、前々からこういうのがシャアビというものなんだぞと言われて聴いていたこの音楽の姿はもう既に完成している。何年録音なのかサッパリ分らないのだけが残念なんだけど(ご存知の方、教えてください)、楽器編成はかなりシンプルで、おそらくマンドーラとダルブッカだけ。ちょっぴりピアノのような音も聴こえるが、それはあくまで添え物だ。

マンドーラはエル・アンカ自身が弾いているに違いないんだから、つまりメインは二人だけだ。 ダルブッカで叩き出すリズムのパターンと、マンドーラで弾く魅惑的な旋律がシャアビの基本形。その基本形をエル・アンカが創造し、その後の多くのアルジェリア音楽家に甚大な影響を与え、それはラシッド・タハにまで及んでいる。

ラシッド・タハの名前を出したが、僕がシャアビというものを、この名前すらもまだ全く知らなかった頃に、その音だけ聴いていたのが、タハのやる「ヤ・ラーヤ」だったのだ。今考えたら、タハの「ヤ・ラーヤ」は普段の彼にしては想像しにくいほどトラディショナルなものだったなあ。このことは以前詳説した。
この記事でも書いてあるように、というか誰でも知っている当たり前の事実だが、タハのやったシャアビの名曲「ヤ・ラーヤ」は、ダフマーン・エル・ハラシが書き歌った曲。エル・ハラシはアルジェリア生まれでフランスで活動した人物で、第二次大戦後のシャアビの代表格だから、『ドゥーブル・ベスト:ムジーク・シャアビ・ダルジェリ』にも当然収録されている。

『ドゥーブル・ベスト:ムジーク・シャアビ・ダルジェリ』に最も多く収録されているのがエル・ハラシなんだよね。全部で四曲ある。一枚目一曲目の「ヤ・ザイル」もいいが、もっといいのは一枚目七曲目「ヤ・レジラ」や二枚目一曲目「キフェヘ・ラー」だ。なぜならばかなり現代的、あえて言えばロック的なんだよね。

それら二曲はロック風シャアビとかいうものでは全然ないんだけど、リズムの疾走する感じ、強いドライヴ感、マンドーラで弾くメロディのピチピチした新鮮さなど、やはりどこかロック・ミュージックに通じる部分があるんじゃないかと個人的には感じている。

エル・ハラシのシャアビをつかまえてロック的だとか言うと、アラブ音楽、マグレブ音楽好きでロック嫌いのリスナーのみなさん(がいらっしゃるかも)は間違いなく眉をひそめ、顔を歪め、頭から湯気を出さないまでも、もうコイツの文章なんか二度と読むまいとなるだろうなあ。

でもエル・ハラシがフランスで活動しはじめたのは1949年で、最初のレコード発売が1956年。亡くなったのが1980年だ。56〜80年って米欧におけるロック全盛期とピッタリ重なるじゃないか。エル・ハラシが自身の音楽に「直接的に」ロック感覚を導入したとは僕も思わないが、同時代人だからなあ。

ロック全盛期のフランスで、アルジェリアやその他マグレブ地域からの移民コミュニティ内でエル・ハラシが大人気だったのは、やはり(ロックにも通じる)現代感覚があったからに違いないと僕は考えているんだけどね。なんたって第二次大戦後のマグレブ移民社会では、エル・アンカ・スタイルのシャアビですら通じなかったそうだから。

シャアビにおける歌詞とフレイジングとリズムの現代化。それはつまり生きた時代の感覚に即応した新解釈ということであって、そんでもって音楽的にはロック大流行期だったんだから、直接にではなくともエル・ハラシの新しいシャアビのムーヴメントにそんなフィーリングがあったんだと言っても、大きくは的を外していないんじゃないかなあ。

現代アラブ・ロッカーみたいなラシッド・タハが、あれだけ執拗にエル・ハラシの「ヤ・ラーヤ」を繰返しカヴァーしているのだって、そんな現代感覚をあの曲に、そしてエル・ハラシという音楽家のなかに聴き取っているからに違いないと思うけどなあ。オカシイですか、僕のこの見解は?

『ドゥーブル・ベスト:ムジーク・シャアビ・ダルジェリ』。なんだか詳しいことは、シャアビの創設者エル・アンカと、モダン・シャアビ最大の人物エル・ハラシ二名の話しかしていないけれど、その他、エル・アンカに憧れて活動したゲルアービ、やはりエル・アンカをヒーローとし、エル・ハラシと一歳違いのブジェマア・エル・アンキス。

また、『マグレブ音楽紀行』でも紹介されていたアブデルカディール・シャーウーはアラブ・アンダルース古典音楽の素養もあるので、収録曲もわりと折り目正しい感じのシャアビ。アルバム中最長の18分近くもある曲をやっているアマール・エザーヒのものには、女声のホロホロ〜というコーラスが入っていてモダンといえばモダン。それはブラック・アフリカのティナリウェンなどにも通じるような感覚かも。

第二次大戦後生まれのカメル・メッサウディは二曲収録されているが、シャアビにしてはかなり穏やかでソフトなフィーリングで、カメルが憧れたという辛口のエル・ハラシと比較すると、どこか毒気を抜いたような取っつきやすいポップさがある。二枚目三曲目の「コッリ・ヤ・バドゥル・エル・ムニール」には、上記アマール・エザーヒの曲でも聴ける女声のヒョ〜ヒョ〜というかユ〜ユ〜というコーラスが入っている。

『ドゥーブル・ベスト:ムジーク・シャアビ・ダルジェリ』は、全曲やはり録音年の記載がないが、そんなティナリウェンなど砂漠のブルーズのバンドで聴ける女声のユ〜ユ〜ってのが聴こえるものをやっているアマール・エザーヒとカメル・メッサウディが感覚としてはモダンなように聴こえるので、一番新しい時期の録音なんだろう。

今日も少し書いたエル・アンカとエル・ハラシに関しては、また機会を改めて一人ずつじっくり書いてみようと思っている。

2017/01/06

ハービー、左手を使うな〜『マイルス・スマイルズ』の形成

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咋2016年、とうとう恐れていた事態が到来してしまった。コロンビア/レガシーがマイルス・デイヴィスのスタジオ録音セッション・リールを発売してしまったのだ。それが CD 三枚組の『フリーダム・ジャズ・ダンス:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 5』。ご存知ない方も、このアルバム・タイトルだけで中身はおおよそ察しがつくだろう。

そう、『フリーダム・ジャズ・ダンス:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 5』の三分の二は、1966年10月24/25日録音で、「フリーダム・ジャズ・ダンス」を含むアルバム『マイルス・スマイルズ』のレコーディング・セッションの模様なのだ。セッション・リールとはいっても、<全部>ではないだろう。全部入れたらこんなもんじゃない。もっともっと長大なサイズになってしまうはず。

『マイルス・スマイルズ』は全六曲だが、『フリーダム・ジャズ・ダンス:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 5』にマスター・テイク演奏前のセッション・リールが収録されているのは、登場順に「フリーダム・ジャズ・ダンス」「サークル」「ドロレス」「フットプリンツ」「ジンジャーブレッド・ボーイ」。「オービッツ」はマスター・テイクしか収録されていない。がしかしこれも一回テイクだけで完成したとは到底考えられない。

またセッション・リールが収録されているものでも、「ドロレス」「フットプリンツ」はどっちも約五分、「ジンジャーブレッド・ボーイ」は約三分と、これだけしかセッションしなかったとは思えないね。それ以外の「フリーダム・ジャズ・ダンス」はセッション・リールだけで23分以上、「サークル」も全部あわせて21分以上あるので、そこそこは聴けるようになった。

「ドロレス」「フットプリンツ」「ジンジャーブレッド・ボーイ」もそれくらいの尺のセッション・リールがあるんじゃないかと僕は思う。マスター・テイクしか収録されていない「オービッツ」もそうだろうし、またまあまあ長めに収録されている「フリーダム・ジャズ・ダンス」「サークル」の二つも、あるいはもっとあったのかもしれない。いや、きっとあるはず。

それでもレガシー(コロンビア)がマイルスのスタジオ録音セッション・リールを発売するなんてことは、今までただの一度もなかったから、これは画期的なことだ。「ブートレグ・シリーズ」の名を冠して今まで出ているマイルスの発掘ものは、四つとも全部ライヴ録音集だった。スタジオ未発表集、しかも完成品でなくセッション・リールがリリースされたのは、もちろん初の事態(がしかしコロンビアには完成品で出せるものが残っているはずだけどね)。

言うまでもなく僕(やマイルス・マニア)は大歓迎。テオ・マセロによれば、1960年代後半頃からはマイルスのスタジオ・セッションの「全て」をテープ収録したという話だから、それを信用するならば、テオがてがけたラスト作である1983年の『スター・ピープル』あたりまで、メチャメチャな量のテープがいまだに倉庫にあるはずなんだよね。

前々から僕はそれを全部公式に出してくれと言い続けてはきたものの、それも半分本心、半分冗談みたいなもんだったのだ。というか、そんなもの、まさか公式リリースできるわけないだろうとたかをくくった上での発言だったのだ。それをほんの一部だけであるとはいえ、本当にリリースしちゃうとはなあ。

『フリーダム・ジャズ・ダンス:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 5』の三分の二は『マイルス・スマイルズ』のメイキングだと書いたけれど、CD 二枚目の最後と三枚目は違うものだ。そこには「ネフェルティティ」「フォール」(『ネフェルティティ』)のセッション・リール、三枚目には「ウォーター・ベイビーズ」(『ウォーター・ベイビーズ』)のセッション・リール、「マスクァレロ」(『ソーサラー』)の別テイク、「カントリー・サン」(『マイルス・イン・ザ・スカイ』)のリズム・セクション・リハーサル、そしてこれは全くの未知のものだったが、「ブルーズ・イン・F」と「プレイ・ユア・エイト」がある。

最初、このボックスが自宅に届いて開梱しジャケット裏を見た時、僕は「ブルーズ・イン・F」の曲名表記ににわかに色めきだって、だって僕は大のブルーズ好き人間で、しかしこの1960年代後半のマイルス・スタジオ録音にブルーズ・ナンバーは皆無と言って差し支えない状態なので、曲名だけで「ブルーズ・イン・F」に飛びついて、いの一番に聴いたのだった。

そうするとこのボックス三枚目にある「ブルーズ・イン・F」は、約七分間、ただ単にマイルスがちょろちょろっとピアノを弾くでもなく触りながら喋っているだけという、非常にダラダラしたトラックで、なんじゃこりゃ?となってしまったんだなあ。ピアノを(弾くのではなく)触っている部分だって、ブルーズだかなんなんだか判断しにくいようなフィーリングで、ちっとも面白くない。

ブックレット記載の英文によれば、この「ブルーズ・イン・F」は1967年頃(circa となっているからね)、ニュー・ヨークはマンハッタンにあるマイルスの自宅での収録。聴いた感じ、ウェイン・ショーターがやってきた時にマイルスがピアノを弾き、いや触りながらウェインにいろいろと指導しているようだ。一瞬「ベースのエディ」という言葉が聴こえるが、エディ・ゴメスのことだろう。1960年代後半のライヴで、時たまロン・カーターが不可能な際に代役を務めた一人(ポール・チェンバースがやったことすらある)だ。

「プレイ・ユア・エイト」は、たった六秒のマイルスのモノローグで、聴く意味はない。そんなわけなので、『フリーダム・ジャズ・ダンス:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 5』のメインはあくまで『マイルス・スマイルズ』(とその他ちょっと)のメイキング・セッション模様。それだけ抜き出しても、三枚全部で計約三時間のうち二時間以上にもなるもんね。

じゃあ残り一時間はなにかというと、セッション・リールやリハーサルや別テイクが収録されている曲の既発マスター・テイクだ。それは昔からみんな持っているわけだから必要ないだろう、そうじゃない部分だけを発売してくれよと、最初は僕も思ったのだが、案外そうとも言い切れない部分がある。

どういうことかというと、それは『マイルス・スマイルズ』のメイキング部分についてだけだが、セッション・リールとマスター・テイクが連続して収録されているそれらは、一応便宜上トラックが切ってはあるものの、聴いてみたら全く切れ目のない一続きの演奏なんだよね。

すなわち、マスター・テイク(に結果的になったもの)の演奏に入る前にいろいろと試行錯誤してセッションしているそのままの流れで、(結果的に)マスター・テイクになった本演奏がはじまっていて、マイルスとバンド・メンバーのなかでは、「さあ、リハーサル・セッションはここまで、これから本演奏に行くよ」みたいな様子は微塵もない。つまりもはやリハーサルも本番もない、準備テイクも本テイクもないという状態になっていた。

だからセッション・リールと(便宜上トラックが切れている)マスター・テイクが連続収録されているのは、実はこれ、一繋がりの動きだったのでそうなっているだけなんだよね。マイルスのスタジオ録音でこんな感じになったのはいつ頃からなんだろう?僕がちょっとだけブートで聴いているものでは、そんな様子はこの1966年以前にはないんだなあ。

『フリーダム・ジャズ・ダンス:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 5』にあるセッション・リールのなかでは、トップに収録されている「フリーダム・ジャズ・ダンス」のセッション・リールが一番長く23分以上。だからボックス・アルバムのタイトルにしていることもあって、やはりこれが目玉なんだろう。

当ブログで僕は以前、1966〜68年のこのいわゆる黄金のクインテットによるスタジオ録音曲では、「フリーダム・ジャズ・ダンス」が案外一番面白いんじゃないかと書いたことがある。昨2016年7月29日付になっている。『フリーダム・ジャズ・ダンス:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 5』ボックスの発売は10月だった。
それでちょっと笑い話なんだけど、このボックス・セットが昨年10月に出て日本でも買えるようになったので、その直後から現在でも「フリーダム・ジャズ・ダンス」という検索文字列で、上記2016/7/29付の僕の記事に辿り着いている方が大勢いたのだ。いやあ、期待を裏切って申し訳ない。でも今日書いているからさ。

さて、『フリーダム・ジャズ・ダンス:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 5』にあるセッション・リールの約半分程度はスタジオ内での会話だ。一番たくさん聴こえるのは当然マイルスの声だが、その次に多いのが意外にテオ・マセロ(マイルスの発音は「ティオ」)の声だ。どう聴いてもコンソール内から喋っているようには聴こえないので、演奏ルーム内にいたんだなあ。そんな写真を見ることもある。

それ以外のバンドのサイド・メンの声は、実はあまりたくさん聴こえない。喋っていなかったとも考えにくいので、発売時に編集してカットしたのかもしれないが、そうだとしたら理由がよく分らない。それでもハービー・ハンコックとトニー・ウィリアムズの声はまあまあ収録されている。

そんな会話やボスの指示の声を聴くと、いろいろと面白いことが分る。特に僕にとって一番面白かったのは「ジンジャーブレッド・ボーイ」のセッション・リールだ。どこがかと言うと、いったん演奏がはじまってそれが止まると、マイルスはハービーに対し「ハービー、左手で和音を弾くな、右手だけにしろ」(Herbie, don't play chords on your left hand,  just your right hand)と言っているのだ。

そうだったのか。『マイルス・スマイルズ』あたりからハービーが左手でコードを弾くことが減り、続く『ソーサラー』『ネフェルティティ』ではほぼ全く和音を弾いていないと言えるような状態になっているのだという事実は、当ブログで僕も前から指摘している。その結果どんな風に聴こえるかは分っても、どうしてそうなったのか理由がよく分らなかったんだなあ。

つまりはボスの指示だったわけだ。そもそもハービーはそんな和音感というかトーナリティを示さないような演奏を好むピアニストではない。左手でよく和音を押さえる人だ。もっと正確に言えば、モダン・ジャズ・ピアニストにありがちな右手シングル・トーン弾きに熱中するタイプではなく、右手・左手をバランスよく動員してのややオーケストラ的な演奏法を得意とするのがハービーなんだよね。

ところがマイルス・バンドの『マイルス・スマイルズ』の一部から『ソーサラー』『ネフェルティティ』までは、左手でコードを示すことがグッと減ってしまっているから、こりゃオカシイね、どうしてこうなってんの?と前々から感じていたのだった。結果的に調整感が薄く抽象的で、西洋現代音楽風になっているのは聴けば分るのだが、どういう理由でハービーがこうなっていたのか、僕には不可解だった。デビュー当時からファンキーな資質がある人だもん。

僕はそんな西洋白人現代音楽風なマイルス・ミュージックはイマイチ好きじゃない場合が多いのだが、これが他ならぬボスの指示によるものだったと判明したんだなあ。考えてみれば自分のバンドでやる自分の音楽なんだし、同時期のハービー自身のリーダー作ではそんなことにはなっていないんだし、だからボスの指示だっただろうと僕でも分りそうなもんだけど、明確な証拠が聴けたのは格別な気分。

そんな「ジンジャーブレッド・ボーイ」とか、あるいは『フリーダム・ジャズ・ダンス:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 5』にセッション・リールが収録されている他のものは、だいたい全部リズム・セクションに対する指示、特にベースのロン・カーターへの言葉が多い。ここをこう弾けと言ってコード名を言ったり、それに従ってロンがしばらく弾いてはまた修正するなど。特に「フリーダム・ジャズ・ダンス」のセッション・リールでそうだ。

またそれ以外でも、マイルスはコード名、というよりもキー名なのかな、F でやれとか B♭ではじめてその後 E ディミニッシュに行けだとか、そんな指示をしている部分が多い。ドラマーのトニー・ウィリアムズにはかなり自由に叩かせている模様で、指示の声は少なく、つまりこの時期のトニーに対するボスの信頼度が分るというか、まあある意味では指示して制御が効くようなドラマーでもないというか。

演奏内容そのものは、実はセッション・リール部分でも、マスター・テイクで聴けるものとのさほど大きな違いは聴き取れないので、書くべきことはほとんどない。最初はちょっとやってみてすぐに止まったりしているけれど、一度完奏、あるいは途中まででもしっかり演奏したら、ほぼ完成形に近いようなものになっている。

それでもリズムの感じが少しずつ変化してはいるものの、それもマイルスの指示ですぐにマスター・テイクに近いテンポとリズム・フィギュアとフィーリングになっているから、やはり改めてこのハービー&ロン&トニーの三人のリズム・セクションの実力の高さを思い知る。

またマイルスとウェイン・ショーターのソロ部分、さらに両名(あるいはマイルス一名)によるテーマ吹奏は、セッション・リールの最初から全くと言っていいほど変化なし。テーマ・メロディはあらかじめ譜面で用意されていたんだろうから、それも納得できるだろうけれど、アド・リブ・ソロ部分だってあまり変わらないもんね。

最後に付記。セッション・リールで聴ける会話は聴き取りにくい場合がある。人によっては収録されている声量が小さいこともあるし、またマイルスはあの例のしわがれ声で、しかもヴォリュームも小さくボソボソッとしか喋らない人物だから、なにを言っているのやら当のバンド・メンバーですら分らない場合があったそうだから、英語ネイティヴではない僕には聴解不能な時がある。

そこで助けられたのがこのサイトだ。ここに『フリーダム・ジャズ・ダンス:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 5』収録のセッション・リールで聴ける全会話を文字起こしして掲載してくれている。こんな面倒臭いことをよくやれたもんだなあ。感謝しかない。本当にありがたかった。
なお、この「Miles Ahead」というサイト、ディスコグラフィカルなデータ記載を含め、僕の知る限りではマイルスに関する各種事実について最も詳しく、しかも正確であろうという記載があるウェブ・サイトだ。今日明かしてしまうが、僕が最も信頼していて、マイルスについて考えたり文章を書いたりする際の最大のネタ元なんだよね。マイルスに興味があって英語を読むのを厭わない方は是非ご覧あれ。

2017/01/05

ファンキーかつぬるま湯的な心地良さ〜スリム・ハーポ

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スリム・ハーポって、僕のなかではジミー・リードとイメージが重なっている。どっちも南部的なイナタさがあって、ゆる〜くてダル〜いような感じで、まるでちょうどいい温度のお風呂に浸かっているかのような心地良さ。スリム・ハーポの場合は、まさにスワンプ・ブルーズという言葉がピッタリ似合うような音楽の人だ。

実際、スリム・ハーポはルイジアナ州生まれで、死んだのもルイジアナ。活動も主にアメリカ南部で行なっていた。そんなスリム・ハーポの代表曲といえば、まず第一になんといっても1960年の「レイニン・イン・マイ・ハート」だ。もちろんエクセロ・レーベルへの録音で、これがビルボードの R&B チャートばかりかポップ・チャートでもまあまあ上位に食込むという、スリム・ハーポとしても初のヒットだし、当時の黒人ブルーズ・マンとしても例外的に売れたものだった。
「レイニン・イン・マイ・ハート」。お聴きになって分るように、基本的にはやはり適温のお湯的に緩いルイジアナ・スワンプ・ブルーズ。好きな女性と離れ離れになった状態を嘆く失恋歌なのに、深刻に落込むようなものではなく、ほんわかしていてポップな感じもあるし、中間部で語りも入る。

歌の部分も中間部の語りも言っていることは完全に同じ。ベイビー、お前と離れ離れになって以来、俺の心のなかには雨が降っているんだ、早く俺の涙を止めてくれ、だから早く帰ってきてくれという、これだけ抜き出して説明すると、そこいらへんにいくらでも転がっているありきたりのものでしかない。

それはそうと「泣いている」を「心に雨が降る」と表現するのは、僕の場合、大学生の時にポール・ヴェルレーヌの詩「Il pleure dans mon coeur」で知ったものだった。フランス語でしか読んでいないので、邦訳題は調べないと分らないんだけど、大学二年生の時のフランス語の授業で読んだものだった。

スリム・ハーポとは全くかすりもしない昔話になってしまうが、大学二年の時に二つあったフランス語の授業のうち一つはフランス人教師によるもので、その教師はいわゆるダイレクト・メソッドの信奉・実践者。四月の第一回目の授業でもフランス語しか喋らなかったがために、その日は30〜40人程度だった学生の人数が、次の週には僕を含めたったの三人になってしまった。

するとそのフランス人教師は、教室を少人数用の小さなものに変更し、毎週やはりフランス語しか喋らず、かなりハードなフランス語の授業を続けたのだった。あの一年間で随分と鍛えられた。本当にフランス語しか喋らず、学生にもフランス語で喋ることを(フランス語で)要求し、誰かが思わず日本語や英語などを発そうものならたちどころに(フランス語で)怒った。

しかしあれ、一年間しかフランス語を学んでいない学生向けの授業だったからなあ。よくやれたもんだ。その後自分が語学教師として教壇に立つようになって感心するばかりだ。ある意味無謀ではあったよなあ。そんな授業なので、毎週欠かさず楽しみに出席していた(僕はマゾ体質です)僕以外に、誰も学生が来ない週も結構あった。

そんな日にはそのフランス人教師は教室では授業をやらず、自分の研究室に僕を連れていってマンツーマンで、もちろんフランス語オンリーで、みっちりしごかれた。しかしそんな日には、相好を崩し日本語で喋りかけてくれることも稀にあった。すると日本語ネイティヴとなんら違わない流暢な日本語を喋った。

そんなフランス語の授業では、半年みっちりとフランス語のテキスト(は教科書として出版されている既存の本ではなく、そのフランス人教師が前の週にコピーして渡すなにかのフランス語の文章)を読んだわけだけど(残り半年は毎週学生自らテーマを決めて、それについての研究成果を毎週20〜30分ほどフランス語で発表し、その後フランス語での質疑応答があるという、これまた過酷なものだった)、そのなかにポール・ヴェルレーヌの詩集があって「Il pleure dans mon coeur」を読んだのだ。

あのヴェルレーヌの詩の出だしを日本語にすると「街に雨が降るかのごとく、僕の心にも雨が降っている」となる。心に雨が降るとは、説明するまでもないが泣いているの意で、しかしこの一篇の詩を全部読んでも、どうして泣いているのかはどうも判然としない。なんらかの喪失感があるのだとしか分らない。

それでも泣くを「心に雨が降る」と表現するやり方は、最も知られているこのヴェルレーヌの詩で広く普及したので、だから巡り巡ってスリム・ハーポの表現にも出てくることになったんだろうね。なにか漠たる喪失感としか分らないヴェルレーヌに比べて、スリム・ハーポの方は上記の通り心に雨が降る理由は極めて明白。

スリム・ハーポの「レイニン・イン・マイ・ハート」とか、あるいは処女録音の一曲「アイム・ア・キング・ビー」とか、またこれは前から書いている「シェイク・ユア・ヒップス」など、ロッカーたちにもどんどんカヴァーされて、ハーポのオリジナルも有名になっている。そうでなくても、とにかくあの時代のアメリカ黒人ブルーズ・マンとしては最もヒットを放った人物の一人だからね。

自身最初の大ヒットになった1960年の「レイニン・イン・マイ・ハート」までのエクセロ録音集で辿るスリム・ハーポは、初シングル盤の A 面「アイ・ガット・ラヴ・イフ・ユー・ワント・イット」、 B 面の「アイム・ア・キング・ビー」に代表されるような、前者はブギ・ウギ・パターンの軽いロックンロール・ブルーズ、後者はウォーキング・テンポでのイナタさという、ほぼ全てこの二本立てだった。

それが1960年の「レイニン・イン・マイ・ハート」のヒットでガラリと運命が変わったわけだけど、しかしいまスリム・ハーポのエクセロ録音全集を聴き返すと、それら1957年3月録音の二曲もかなりいいじゃないか。それもローリング・ストーンズもカヴァーしたので有名な「アイム・ア・キング・ビー」の方じゃなくて、「アイ・ガット・ラヴ・イフ・ユー・ワント・イット」がいいよなあ。

どこがいいのかというと、「アイ・ガット・ラヴ・イフ・ユー・ワント・イット」はラテン調なのだ。はっきり言えばいかにもルイジアナらしいカリブ風味の3・2クラーベのリズム・パターンを使ってある。直接的にはボ・ディドリー・ビートと言うべきだろうが同じものだし、ルイジアナの音楽家だからカリブ音楽用語を使いたい。
こういうちょっとカリブ〜ラテンなフィーリングのブルーズが、エクセロ録音完全集 CD 四枚組で辿るとスリム・ハーポにも実にたくさんあって、やっぱりルイジアナの音楽家だよなあと実感する。かなりあるのでいちいち具体例をあげていられないくらいだが、例えば1963年の「アイ・ニード・マニー」、64年の「アイム・ウェイティング・オン・ユー・ベイビー」 、65年の「ミッドナイト・ブルーズ」などなど。

絶対量としては、そんなカリブ〜ラテン風味よりも、歩くようなテンポでのブギ・ウギ・ベースのゆる〜いスワンプ・ブルーズの方が多いスリム・ハーポだけど、そういうのは他のブルーズ・メンの録音にも結構あるわけだから、特にスリム・ハーポの独自なものではないのかも。あのちょっと鼻声というかくぐもった感じで飄々と歌うヴォーカル・スタイルにハーポの持味が出てはいるけれどね。

ところが1965年録音の「ベイビー・スクラッチ・マイ・バック」から雰囲気が一変する。ファンキー・ブルーズなのだ。曲名通りギターの(おそらく)ジェイムズ・ジョンスンが引っ掻くようなフレイジングでかき鳴らすのも印象的だし、リズムの感じもファンクに近い。
楽しくていいなあ、これ。そう思ったのはこのシングル盤がリリースされた1966年当時の購買層も同じだったようで、このレコードはビルボードの R&B チャート一位、ポップ・チャートですら16位にまでジャンプ・アップするという、スリム・ハーポの生涯最大のメガ・ヒットになった。

それでその後は従来からのイナタいルイジアナ・スワンプ・ブルーズ路線と並行して、こんなファンク・ブルーズもスリム・ハーポはどんどん録音するようになる。一因にはレーベル側の事情もあったらしい。なんでもエクセロのオーナーであるアーニー・ヤングが1966年にこのレーベルの権利を売ってしまい、それまでエクセロでスワンプ・サウンドを一手に引き受けていたジェイ・ミラーも手を引いて、だからスリム・ハーポもジェイ・ミラーじゃない人がプロデュースするようになった。

しかし事情はどうあれ、メンフィスで録音をしはじめてからのスリム・ハーポにもかなりいいものがあるんだよね。1967年の「ティップ・オン・イン」とか、「メイルボックス・ブルーズ」とか、「ティ・ナ・ニ・ナ・ヌー」(Te-Ni-Nee-Ni-Nu)とかさ。最高なんだよね。

全て「ベイビー・スクラッチ・マイ・バック」路線で、つまり大成功した同じ芸風で二匹目・三匹目のドジョウを狙うという、どの国の芸能界でも当たり前によくあるパターン。でも少しリズムの感じがよりファンキーになって、さらにルイジアナ出身の人間らしからぬタイトさが出てきている。特に「ティ・ナ・ニ・ナ・ヌー」なんか文句なしだね。
こりゃもうファンクじゃない?リズムのタイトさ含めサウンドはタイトでダンサブルなファンクでありながら、ハーモニカとヴォーカルはやはりスリム・ハーポらしいダラケた緩さもあるから、さしずめルイジアナ・スワンプ・ファンクとでも言うべきか。楽しいことこの上ないね、これ。

リリースはやはりエクセロであるものの、録音はナッシュヴィルでやっている1968年と69年の録音となると、こりゃもうどこからどう聴いてもファンク〜ロックだとしか思えない。大規模なホーン・アンサンブルも入るようになる。オリジナルはジョニー・キャッシュである「フォルサム・プリズン・ブルーズ」や、あるいはエレベのラインがファンキーな「アイヴ・ガット・マイ・フィンガー・オン・ユアー・トリガー」や 、ハード・ロックみたいな「ザ・ヒッピー・ソング」などカッコイイけれど、ハーモニカもヴォーカルもスリム・ハーポらしさはもはやないなあ。

そんなわけなので、P ヴァインが1997年にリリースした CD 四枚組の『ザ・コンプリート・エクセロ・レコーディングズ』では、「ハーポ・ザ・スクラッチャー」と題されている三枚目が一番いい。これの一曲目65年録音「ベイビー・スクラッチ・マイ・バック」から18曲目67年録音の「ティ・ナ・ニ・ナ・ヌー」あたりまでが、僕にとっては最もグッと来るスリム・ハーポなのだ。

繰返しになるけれどそれら18曲では、ファンキーでタイトなファンク・ブルーズでありながら、同時にいかにもルイジアナのスワンプ・サウンドっぽいぬるま湯的な緩さも共存していて、こんなブルーズをやったのはこれ以前にも以後にもスリム・ハーポ以外一人もいないんだよね。

2017/01/04

ジャズ進化幻想

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音楽が「進化」「進歩」すると思っている人は、早く夢から覚めてほしい。音楽にそんなものはない。変化はしても進化などしない。したことなど人類史上一度もない。ただスタイルの変遷があるだけだ。音楽だけじゃなく、あらゆる文化産物はそうじゃないかなあ。

人類が進化するのはテクノロジーだけかもしれない。科学技術、なかでも医療技術はどんどん進歩してきて、そのおかげで昔は不可能だったことが可能になった。昔なら苦しむばかりだったり助からなかったりした人が、苦しみを軽減できたり延命できたりしているからね。

またコンピューターとインターネット技術の大幅な進化のおかげで、以前は繋がりにくかったものや人が繋がりやすいし、膨大な情報にも簡単にアクセスできて、分らないこと、調べるのに手間取ったことが、実に簡便に検索できて分るようになっている。コミュニケーションも容易になって、楽しくて面白い。

ただしそんな科学技術でも、進化・発展の末に核兵器や生物兵器や、あるいは生命の誕生を操作する技術なども産まれたので、果たしてそれは「進化」したと言えるのだろうか?という強い疑問が僕にはある。じゃあ原始時代に戻りたいのかというとそれも嫌だという、なんというワガママ人間なんだ、僕は。

音楽に関してもテクノロジーの進化とともに歩んできたのは確かだ。特にポピュラー・ミュージックの歴史は録音技術の歴史と言い換えてもいいくらい、誕生期から両者が一体化していて、スタジオでもライヴでも録音テクノロジーの進化によって、従来は不可能で歯ぎしりしていたことが実現できるようになった。

録音技術の進化で音楽も変化したのは言うまでもない。まずなんたってレコード(CD)における一曲の長さが大幅に伸びたので、それだけでも表現スタイルは変化した。その他逐一具体例をあげるのは不可能なほど面倒臭いし、みなさんよくご存知のはずなので省略する。

しかしそれは音楽スタイルの「変化」であって「進化」ではないだろう。進化などと呼ぶのであれば、それはより良い方向へ、良いというような倫理的価値判断用語はふさわしくないかもしれないので「より面白い」方向へとチェンジするのでなければ「進化」とは言えないはず。じゃあ時代を経て、音楽はどんどんと面白くなる一方なのか?

これははなはだ疑問だよね。より面白くなっているかどうかでいえば、むしろ逆だ。時代を経て、よりつまらない方向へと変化してしまっているかのように僕には思えるので、それは進化じゃなくて退化だ。まあ僕は古い録音音楽こそが大好きな人間だから、単なる個人的趣味嗜好だけでの判断かもしれないが、そればかりとも言い切れないんじゃないの?

この進化幻想が最もひどいジャンルがジャズだ。というか、僕の見るところ、ここまで進化・進歩ということに、音楽家も聴き手もこだわっているのは、ほぼジャズだけじゃないかなあ。現在の日本でこの傾向が最も著しい方向へ突出しているのが、例の JTNC に分類されるみなさん、特に主導者だ。

柳樂光隆くんはジャズの「進歩」「斬新さ」「更新」ということにもんのすご〜くこだわっているようで、たとえば昨年暮れの『ミュージック・マガジン』恒例の年間ベストテンにおける個人選出欄でも、「音楽シーンの充実と進化を感じてワクワクしっぱなし」と書いていた。これはほんの一例で、この種の発言は枚挙に暇がないほどメチャクチャに多い。

しかしこういうジャズ進化幻想は21世紀に入って昨日・今日はじまったものなんかじゃない。ずっと昔から完璧に同じ発想を、聴き手も音楽家も持っていた。ジャズの歴史とは進化(幻想)の歴史だから、そもそも初期からこれはあった。ジャズ・メンも新しいものを創らなくちゃ、聴き手も新しいジャズにワクワクしなくちゃという気持で、20世紀初頭以来ずっと歩んできているんだよね。

こんなの、ジャズだけだろう。なんという面倒臭い音楽なんだ。ジャズの場合、新しいスタイルがどんどん誕生して、ジャズ史の変遷とは、イコール、スタイル刷新の歴史なもんだからこうなってしまう。特に1940年代半ばにビ・バップ革命があって、50年代末にフリー・ジャズ革命があり、60年代末からは他ジャンルとのクロス・オーヴァー革命があった。

ジャズはいったい何回革命を起こしたら気が済むんだ?新革命のたびに、それまでの従来のスタイルでやるジャズはもはや古臭いもので、 廃れるべきもので、そして事実、退潮の一途を辿ってきた。聴き手の側もそんな変化についていかないといけないという気持をもってジャズに接してきたはずだ。

そりゃ油井正一さんだってそんな発想があったもんね。日本のジャズ・リスナーのあいだでは油井正一史観みたいものが支配している時期が長いけれど、その油井史観なるものは、すなわちジャズ進化論のことなんだよね。ジャズはどんどん新しくなって、ジャズ音楽家はそうじゃなくちゃ存在価値がないというようなもの。

ってことはだ、油井史観みたいなものの「更新」を掲げて、それを堂々と公言しながら執筆その他大活躍中の柳樂光隆くんがジャズの進化・進化とこだわって仕事し続けているのは、要するに油井史観の枠内から一歩も抜け出せていない古色蒼然たる人間にすぎないということなんだなあ。

どうも柳樂光隆くん自身は、自分は新世代の人間で、新しい感性と批評言語を持っていて、2010年代の新しいジャズをどこがどう新しいのか説明して普及する活動につとめている人間なのだと心の底から信じ込んでいるようなんだけど、こう見てくると、ジャズの進化ということにあそこまでこだわっている姿勢一つとってみても、全くの精神的旧世代だね。

ジャズの場合、この進化幻想の体現者だった音楽家が他ならぬマイルス・デイヴィスだ。マイルスは音楽は新しくなくちゃいけない、少なくともオレの場合はどんどん進化する、それができなくなったらオレは死にたいとまで発言し、そして実際の音楽的成果でもそれを実践し表現していた。

ビ・バップ時代にデビューしたマイルスが、その後1950年代末にモーダルな演奏法を完成させたり、60年代後半から和声的にほぼフリーになると同時に、ファンクやロックなどとクロス・オーヴァーして、それまでに存在しなかった新しいジャズを創り出して進化し続けた。僕は(みんなも)そんなマイルスの一面が大好きだった。

そんなマイルスのジャズ進化幻想の体現史は、ほぼモダン・ジャズの歴史と重なっていて、それが一時隠遁の1975年まで続いたので、聴き手の側もジャズは進化するんだな、そうじゃないと意味がない音楽なんだなと信じ込んできたはずだ。マイルスの歩みを必ずしも十全に把握していたとは今の僕は考えていない油井正一さんも同じだったよね。

僕もマイルスが死んだ1991年までは完璧に同じジャズ進化幻想の持主だったんだよね。どうやらこれはオカシイぞ、ひょっとして音楽が進化するというのは幻想に過ぎないのかもしれないぞと気付くようになったのはわりと最近の話で、たぶんマイルスの死後しばらく経った21世紀に入ったあたりからだ。

これはかなり遅かったなあ。僕のジャズ・リスナー歴を考えても妙なことだった。マイルスの、特に1970年代以後のニュー・ムーヴメントが大好きである一方で、僕は1930年代末頃までの古い戦前ジャズも大好きで、たまらなく心地良い魅力を感じて聴きまくっていたのにね。

僕は古い時代の SP 録音音楽、特にジャズとブルーズとワールド・ミュージックが今でも大好きで、それは単に聴いていて気持良いからだけなんだけど、これはひょっとしたら「古い」んじゃなく「新しい」のかもしれない、少なくとも永久不滅の音楽美があるじゃないか、それに古いも新しいもないじゃないかと、心の底からそう実感するようになったのはかなり最近だ。

音楽は進化なんかしないものだ、スタイルはどんどん移り変わっても、ただ美しいものがいつまでもその美しい姿を変えずそのままありつづけるだけだという考えこそが、ある意味、2010年代的に最も新しい(笑)。ジャズだって同じだぞ。若いリスナーがなにかをきっかけに戦前ジャズの楽しさ、真の革新性に気が付いてハマってしまう現象が散見されるけれど、それも一つの証拠だ。

さらに進化・進化と言いすぎる人は、過去の音楽伝統をしばしば無視したり蔑視する。無視・蔑視とまでいかない場合でも、少なくとも新時代の要請にはこたえらえなくなって意味は失ったのだと考えて軽んじる。そういう場合、実は、新しく録音される音楽の、どのへんが真に新しいのか、革新性はどこにあるのかを見逃してしまう場合が多い。新しさを本当に理解するのは、伝統や古典を重視する人間なんだよね。

僕が大学院生の頃に知った20世紀初頭のドイツ人フィロロジスト(文献学者とか和訳されるけれど、それではどうも掴みにくい言葉だ)。その人はギリシア、ラテンの古典作品の研究が専門なんだけど、そうでありかつ、同時代のマルセル・プルースト、ジェイムズ・ジョイスの革新性を真に見抜いた人物だった。フリードリヒ・ニーチェも古典文献学者にして新時代の哲学者だった。

こういう事例は実に多い。話を戻すと油井正一さんは柳樂光隆くんとは違って、ジャズの伝統・古典を非常に尊重する批評家だった。非常にというか極度に尊重しすぎと言ってもいいくらいだった。中村とうようさんも同じ姿勢だったね。そして油井さんもとうようさんも、そうであるからこそ音楽の真の楽しさ・美しさが奈辺にあるのかを鋭敏に見抜く感性を磨いていて、新しい音楽も評価したのだ。奇しくも柳樂くんは油井さん、とうようさん両名ともに対し、やぶにらみしているじゃないか。

さて、ポピュラー・ミュージックにおいて、アメリカ(産・発)の音楽が世界中に拡散して影響力を発揮した20世紀は、かなり雑で大雑把に言えば、ブルーズ、もっと正確にはブルー・ノート(・スケール)が支配した世紀だったと言えるかもしれない。そしてそれはひょっとしたら20世紀だけの特有現象だった可能性がある。

というのは、どうもここ最近、特に2010年代以後、このブルー・ノートの退潮みたいなものがあるんじゃないか、そうなりつつあるんじゃないかと感じることがある。表現する音楽家の側としては、このまま無自覚にブルー・ノートに頼りっぱなしでいたら、あるいは先がないということになるかもしれない。

それは今すぐのことではなく、たぶんあと30年とか50年くらい先の話なんだろうと思うけれど、どうもそんな方向へ向かっているように見える(聴こえる)。この先ポピュラー・ミュージックからブルー・ノートは消えるかもしれないね。そしてそれは20世紀だけの特異現象として語り継がれることになるかもしれない。

そうなったらそうなったでいい。僕はもう生きていないだろうし、生きていても音楽家ではなくプロの批評家でもないんだから、時代の先端を意識してついていかなくちゃみたいな気持なんか毛頭ない。好きなものだけチョイスして聴いて、無自覚にその美しさに身を任せ快感に溺れるだけ。

その場合、聴くものから新作品が消えてしまう可能性があるんだけどなんの問題もない。趣味で愛好しているだけの素人リスナーにとってはそれはなんでもないことであって、新しかろうが古かろうが関係ないんだよね。それをまるで素人リスナーにまで新しい(と彼らが勝手に思い込んでいるもの)ものについていってくれみたいに押し付けないでくれるかな。

そして新しい/古いは、音楽美や音楽の値打ちにも全く無関係だ。なんだか新しくないと価値がない、意味がないみたいに考えて実践するのは、プロの音楽家の姿勢としてはそれが当然かもしれないが、批評家やリスナーは、もっとこう音楽のなかにある本質的美しさに目を向けて、それをもっと大勢に伝えるようにした方がいいんじゃないの?

保利透さんや毛利眞人らのぐらもくらぶが活動したり、ジャネット・クラインやデヴィナ&ザ・ヴァガボンズらが人気があったり、100年以上も前の「古い」ショーロや、さらにもっと「古い」トルコ古典歌謡などなど、そのままのスタイルで2010年代に再演したものが、今でもピチピチ新鮮で最高に美しく感動的に響くという厳然たる真実を前に、彼らはなんと言うのだろうか?

2017/01/03

ライオネル・ハンプトンのビッグ・バンド・ジャンプ

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ライオネル・ハンプトンの担当楽器はヴァイブラフォンで、時々ピアノも弾く。それもご覧になったことのある方には説明不要だけど、ピアノを右手の指一本と左手の指一本だけで弾くという、つまりヴァイブラフォンをマレットで叩く時と同じやり方で弾く(ハンプ以外だと、マレットを三本、四本持って駆使する人もいるが) 人だという認識の方が多いんじゃないなあ。

ライヴ・ステージではドラム・セットを叩くのをご覧になった方も多いだろうから、それも知られているはず。しかしこの人はまず最初、ジャズ・ドラマーとして出発したのだ。それをドラマーの世界はライヴァルが多くて大変だからヴァイブラフォンにしたらどうかとアドヴァイスしたのは、他ならぬサッチモことルイ・アームストロングなんだよね。

サッチモの1930年10月16日オーケー録音がロス・アンジェルスで行われているが、その時の7曲8テイクにライオネル・ハンプトンも参加している。これがハンプの生涯初録音のはずだ。少なくとも僕はこれ以前を知らない。そしてこの時のセッションで最初に録音されたのが有名曲「メモリーズ・オヴ・ユー」だが、そこでのヴァイブラフォン・ソロがハンプのと言わず、ジャズ史上初のヴァイブラフォン録音だ。

サッチモのアドヴァイス通りにハンプがやったわけだね。「メモリーズ・オヴ・ユー」は、この五年後に大ブレイクするベニー・グッドマンの得意レパートリーでもあって、1930年代後半のグッドマン・カルテットのレギュラー・メンバーになったハンプも当然演奏していることを考えると、ジャズ史上初のヴァイブラフォン録音がこの曲だったとは、なんだか感慨深い。

しかし、サッチモのこの1930年10月16日オーケー録音では、ハンプがヴァイブラフォンを担当したのはその「メモリーズ・オヴ・ユー」だけで、それ以外ではまだドラムスを叩いている。特に有名なのが「シャイン」だね。この曲でのハンプのドラムス演奏がかなりいいというのは、油井正一さんも咋2016年9月に復刊文庫化された『生きているジャズ史』のなかで書いている。

しかしながら、油井さんは全く触れていないが、この時の録音では2テイクある「ユア・ドライヴィン・ミー・クレイジー」の方がもっと面白いような気が僕はしているんだよね。ハンプのドラムスも躍動的で、さらにヴォーカルでもサッチモと絡んでいるからなあ。それは歌ではなく本演奏に入る前の喋りだけど、楽しいものだ。

さらにこの1930年10月16日のサッチモのオーケー録音では、あの大流行したキューバン・スタンダード「南京豆売り」も録音しているからなあ。当然ハンプはドラムスを叩いているんだが、このパーカッショニストもいるちょっとしたラテン・ナンバーでも、ハンプの演奏はいいんだよね。

油井さんは「シャイン」にしか言及せず、同日同レーベル録音にあるこういう「ユア・ドライヴィン・ミー・クレイジー」や「南京豆売り」のことに全く触れなかったのはどうしてだろう?たぶん理由はその文章はサッチモのコルネット・スタイルの変遷を分析するのが眼目なので、ということなんだろう。確かにコルネットだけに焦点を当てると全然面白くない。

ただサッチモの芸能性や、ハンプのドラマーとしての上手さや、あるいは後年ハンプも発揮するようになるブラック・エンターテイメントとしてのジャズの面白さに目を向けたら、それら「ユア・ドライヴィン・ミー・クレイジー」や「南京豆売り」の方が面白いんだよね。

話がサッチモ関連に逸れてしまったが、ここまで書いたものはレガシーが2012年にリリースした『The Okeh Columbia & RCA Victor Recordings 1925-1933』で全て聴ける。僕もそれで聴き返してここまで書いた。CD10枚組だからやや値が張るが、内容は保証する。是非買ってほしい。買えば一生の宝になるからさ。頼む、買ってくれ!

とにかくライオネル・ハンプトンの、僕の知る限りでの生涯初録音がそれで、その後、前述の通りベニー・グッドマンのスモール・コンボのレギュラー・メンバーに起用されたことで一躍大スターになる。そしてその活動と並行して1937〜41年にヴィクター・レーベルへ吹き込んだコンボ編成でのオール・スター・セッションは、スウィング期のものとしては最高の名演集として、昔からジャズ・ファンにも大人気で評価も高い。

その後ベニー・グッドマンのところを卒業して自らの楽団を率いるようになってからのハンプは、1995年に病に倒れるまで第一線で活躍するジャズ・マンとして人気があったので、ジャズ・ファンなら知らない人はいない有名人。そういえば日本人アルト・サックス奏者 MALTA はハンプトン楽団のコンサート・マスターだった時期があるなあ。

がしか〜し、そんなハンプでも多くのジャズ・ファンが無視してきた時期があるよね。無視というか積極的に忌み嫌われたり、あるいはそもそもそんな音楽をやっていたなんて事実そのものに気が付いていなかったりするみたいだ。それは言うまでもなく1940〜50年までのデッカ録音だ。そしてそれは普通のいわゆるジャズ=芸術ジャズではない。

それは僕たちブラック・ミュージック・ファンが「ジャンプ」という名前で呼んでいるもので、しかし数年前もこの(ジャズ系の人たちがやる)ジャンプの名前を出したら、あるジャズ・ファンの方に「すみません、ジャンプってなんですか?」と言われてしまったであるよ。

今でもその程度の認知度しかない音楽なんだよね、ジャンプ・ミュージックって。僕は前々から何度も何度も繰返しているのだが、ジャンプとはすなわちジャズに他ならない。百歩譲ってもジャズの一変種でしかないものだから、中村とうようさんが「ジャズではないジャンプ」というような言い方をしているのは、本音の部分では僕はちょっぴり気に食わないんだなあ。

がしかし日本で最も熱心にジャンプ・ミュージックの普及活動につとめていたのがとうようさんだったのも確かなことだ。ジャズではないというような言い方をしたのは、この猥雑で下世話でビート感の強いダンサブルなジャズを、いわゆる「ジャズ」として紹介したのでは、一般のジャズ・ファンに毛嫌いされるばかりか、それ以外の音楽のファンが全く食いつかないと判断しての故意の戦略だったに違いない。

ライオネル・ハンプトン楽団の1940年代ビッグ・バンド・ジャンプ録音を、CD でマトモなかたちでリイシューしているのも、中村とうようさん編纂の MCA ジェムズ・シリーズの一枚『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』(1997年リリース)だけだもん。しかしこれ、どうして最後に一曲だけ1963年録音があるのかだけが、いまだに僕は理解できない。

ラストにどうしてだか収録されている1963年録音はどうでもいいので、『ライオネル・ハンプトン  1942-1950/1963』ではその前までの24曲こそが楽しいものだ。この一枚を、ハンプはちょっと面白い程度の純ジャズ・マンだしか考えていないジャズ・ファンにも是非聴かせたい、そんな気持でいっぱいなんだよね。

CD が『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』しか存在しないんだから、これに沿って話を進めるしかない。上でちょっと気に食わないなんて言ってゴメンナサイ、とうようさん、亡くなった今でもお世話になります。さてこの一枚において、アメリカのポピュラー音楽史的に最も重要なのは、4曲目、10曲目、12曲目の三つだろう。19〜22曲目も大変楽しい。

『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』の四曲目はあの1942年録音「フライング・ホーム」だ。これがアメリカ大衆音楽録音史上最も重要な曲の一つだというのは、僕たちはもういやというほど認識させられてきているのだが、一般のジャズ・ファンやその他の方々向けには、今でもやはり繰返さなくちゃいけないみたいだね。

「フライング・ホーム」という曲はハンプトン楽団のオリジナル・ナンバーではない。かつてハンプも在籍した時代のベニー・グッドマン・セクステットによる1939年10月録音が初演のもので、それが同年に SP 盤でリリースされ、また当時はライヴでも演奏していた。
お聴きになって分るように、なんでもない普通のスウィング・ジャズ・ナンバーだ。作者はベニー・グッドマンとライオネル・ハンプトン両名の名前で登録されているが、この当時の因習によってボスが版権登録にいっちょかみしただけなんじゃないかと僕は想像している。だから本当はハンプ一人のアイデアだったかも。

お分りのようにハンプのヴァイブラフォン・ソロもある。しかし後半部のリフの反復で盛り上げるのが主眼であるようなアレンジだよね。この「フライング・ホーム」を、グッドマン楽団退団後のハンプは、自楽団結成二年後の1942年にこんな感じでやった。
ビッグ・バンド編成なので、それだけでも響きが違っているのだが、肝心なのはそういう部分だけじゃない。重要なのは二点。大きくフィーチャーされているテナー・サックス・ソロと、後半部からエンディングにかけてフル・バンドで怒涛のようになだれ込んでくるド迫力のジャンプ・サウンドだ。

大きくフィーチャーされているテナー・サックス・ソロを吹くのはイリノイ・ジャケー。ジャケーのこのテナー・ソロで「ブロウ・テナー」という考えが確立し後世に続くこととなり、ひいてはそれがリズム&ブルーズ系のホンク・テナー・スタイルを生み出した。

ところでどうでもいいことかもしれないが、『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』の解説文でのとうようさんは「イリノイ・ジャケット」表記だ。これはちょっとどうなんだろう?Jean-Baptiste Illinois Jacquet はルイジアナ生まれのフランス系(両親がクレオール)。アメリカ人だから英語読みにしたということなんだろうか?もしそうだとすると、今度は Louis Armstrong や Sidney Bechet のとうようさんのカタカナ表記がオカシイということになってしまうけどなあ。僕の知らないなにか確たる理由があるんだろう。

それはいいや。僕はイリノイ・ジャケー表記でいく。ハンプトン楽団1942年「フライング・ホーム」におけるジャケーのテナー・ブロウは、しかしそれ自体は立派なジャズ・ソロだ。リズム&ブルーズのテナー・ソロ第一号と賞賛されることがあるらしいが、僕には普通のジャズに聴こえるね。格別の黒っぽさとか粘っこさとかも感じない。

またこの「フライング・ホーム」を<最初のロックンロール・レコード>だと位置付ける人たちもいるらしいのだが、それもある種のシンボリックな意味合いでのことであって、ここから発展してリズム&ブルーズが生まれ、それがロック勃興の母胎となったから、その源泉的象徴としての評価なんだろう。

音楽それ自体はなんでもない、ということはなく、ビート感が強く、そして1942年当時の黒人の日常生活感覚に根ざしたようなフィーリングのダンサブルなものであるとはいえ、僕にとってはまあ普通のジャズなんだよね、あの「フライング・ホーム」は。「ジャズではないジャンプ」とか書くこともあったとうようさんだって『大衆音楽の真実』のなかで、アースキン・ホーキンズ楽団の「アフター・アワーズ」と並べて、どっちも立派なジャズだと書いているもんね。

つまり立派な(まあ普通の)ジャズであり、なおかつブギ・ウギ・ベースでビート感を強烈にして、黒人の庶民感覚にある生々しいエモーションをぶつけるかのようなダンス・ミュージックであるという、この両面をしっかり把握しないと「アフター・アワーズ」にしろハンプトン楽団ヴァージョンの「フライング・ホーム」にしろ、本質は理解できない。

それがなんだかジャズ・ファンは敬遠してジャンプ(はほぼイコール、ジャズだが)を聴かず、そもそもそんな分野の存在すら知らず、一方とうようさんの手引で聴くようになったブラック・ミュージック・ファンは、ジャンプは「ジャズではないんだ」という認識だったりするので、僕なんかは歯がゆくてたまらない。この両者ともオカシイ認識なんだぞ。

さてハンプトン楽団1942年の「フライング・ホーム」後半〜エンディング部でのフル・バンドでジャンプする迫力は、1942年時点では最もハードな部類に入るものだったはず。その後はもっともっと激しくダンサブルなものがどんどん出てくるようになり、ハンプトン楽団でも40年代半ば以後はそんな録音がいくつもある。

上で『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』において最重要であると書いた10曲目は「イーヴル・ギャル・ブルーズ」。ファンの方であれば曲名だけでダイナ・ワシントンが歌っているんだなと分るはず。ダイナはそもそもハンプのためにマネイジャーのジョー・グレイサーが1942年に見つけてきて紹介した歌手だった。

だからダイナはハンプトン楽団の専属歌手的存在だったのだが、1943年にダイナがハンプトン楽団のピックアップ・メンバーをバックにキーノート・レーベルに録音した四曲を、キーノートは「ライオネル・ハンプトン・セクステット・ウィズ・ダイナ・ワシントン」名で発売してしまった。そのまず最初の一枚の A 面が「イーヴル・ギャル・ブルーズ」。

しかしこれははなはだ都合の悪いことだったのだ。当時のハンプトン楽団はデッカと専属契約を結んでいたので、他のレーベルのレコードにリーダー名みたいにしてハンプの名前が出ると、これすなわち契約違反だ。したがってたちまち訴訟沙汰になってしまった。ハンプの名前を出したのがキーノートなのか、プロデュースしたレナード・フェザーなのかは、僕は知らない。

とにかくこんな事情があったので、1943年にはハンプトン楽団のデッカ録音が全くないのはまだいい。他の年に優れたものがたくさんあるからだ。問題はだ、楽団専属歌手だったダイナ・ワシントンと、彼女が在籍した時代のハンプトン楽団が共演するスタジオ録音が、たったの一曲しか残っていないっていうことなんだよね。

それが1945年にデッカに録音された「ブロウ・トップ・ブルーズ」。内容的にはキーノートの「イーヴル・ギャル・ブルーズ」の続編的なものだけど、僕は「ブロウ・トップ・ブルーズ」の方が優れていると思う。ダイナのヴォーカルも、ハンプトン楽団のピックアップ・メンバーによる演奏も。
これも実質的にハンプトン楽団のレコードでデッカ原盤であるのに、どうしてとうようさんが『ライオネル・ハンプトン  1942-1950/1963』に収録していないかというと、同じ MCA ジェムズ・シリーズの一枚『ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇』に収録されているから、重複を避けるため。やっぱり全部買わなくちゃね。

重複を避けるといえば、その『ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇』には、ハンプトン楽団1942年の「フライング・ホーム」が収録されていない。1996年にこれがリリースされた際、こんなに重要な曲をどうして収録しないのか?「アフター・アワーズ」は入っているじゃないか!と不思議だった。

翌1997年に『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』がリリースされ、それに「フライング・ホーム」は収録されたのだ。こっちに収録したい、これが入らないハンプトン楽団のビッグ・バンド・ジャンプ録音集などありえないということで、とうようさんも『ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇』に収録するのは見送ったんだろうなあ。

ともあれダイナ・ワシントンとライオネル・ハンプトン楽団との正式共演録音が極めて少ないというのは、はっきり言ってアメリカ大衆音楽史上における痛恨事、悲劇だ。ダイナのようなジャズ/ブルーズ/リズム&ブルーズの三つの真ん中あたりで歌う歌手にとっては、1940年代のハンプトン楽団以上に似合うバック・バンドはいなかったのに。

さて『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』で最重要と書いたもう一つである12曲目は、1945年12月録音の「ヘイ・バ・バ・リ・バップ」。ブギ・ウギを土台とするベースに、ピアノとドラムスだけという伴奏でハンプとバンド・メンバーがコール&リスポンスで歌い、やがて激しくダンサブルにジャンプするフル・バンドのアンサンブルが出てくると、それに乗ってハンプが歌うという一曲。
こんなのはこの1945年12月までのハンプトン楽団にもなかったパターンで、お聴きになって分るように既にリズム&ブルーズにかなり接近しているというかほぼ同じ。この当時、楽団リーダーのハンプ自身、黒人音楽のニュー・ムーヴメントを感じ取っていて、それを実際の音で表現したものだ。45年12月というと第二次大戦が終ってまだ数ヶ月だけど、戦後の新しい音楽の方向性を敏感に感じ取っていたハンプの先見性を示しているよね。

また「ヘイ・バ・バ・リ・バップ」という曲名でも分るし、曲中で歌われているのでも分るように、これはビ・バップのスキャット・ヴォーカルだ。1945年あたりから純ジャズ界でもこんなのがどんどん出てきているが、ハンプはリズム&ブルーズに最接近すると同時に、ジャズの新潮流をも意識していたことになる。

ってことは、1945年12月録音で翌46年にレコード発売されたこの「ヘイ・バ・バ・リ・バップ」によって、ライオネル・ハンプトンは、ジャズにおけるビ・バップ革命と、黒人庶民音楽としてのリズム&ブルーズ革命と、その両者の接点に立っていたってことだなあ。油井正一さんは『ジャズの歴史物語』のなかで「ビバップと R&B には共通項がある」と書いているじゃないか。

『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』の19曲目「ベンスン・ブギ」から22曲目「アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー」あたりの1949〜50年録音となると、これはもう完全なるリズム&ブルーズと呼んだ方がいい。主にブルーズ・シャウター、サニー・パーカーが歌っていて、21曲目の「ハウ・ユー・サウンド」もスローなリズム&ブルーズの名唱じゃないかなあ。
なお、ライオネル・ハンプトン楽団の1940年代ジャンプ録音は、とうようさん編纂の MCA ジェムズ・シリーズでは『ライオネル・ハンプトン  1942-1950/1963』以外にも複数枚にわたっていろいろと収録されている。上記『ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇』に一つ、『ブラック・ミュージックの火薬庫〜レット・イット・ロール』に二つ、『ロックへの道』に一つ、『伝説のブギ・ウギ・ピアノ』に一つと、これだけある。

僕はそれら全てを iTunes でピックアップして一つのプレイリストにまとめ、年代順に並べて楽しんでいる。CD-R 一枚には入らない長さになっているので焼いては聴けないけれど、マトモな CD リイシューがない以上、今のところはこれが最善策なんだよね。

2017/01/02

歌のないカントリー・ロック

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エリア・コード 615とは、米ナッシュヴィルの電話市外局番 615 から取ったバンド名。だから当然ナッシュヴィルのミュージシャンたちによって結成(と言っていいのか?)されたものだ。僕の場合、エリア・コード 615のメンバーは、ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』『ジョン・ウェズリー・ハーディング』『ナッシュヴィル・スカイライン』、この三作で知った人たち。

といってもいつ頃だったかそれら三つ、LP では計四枚になるレコードを買って聴いていた当時、エリア・コード 615 という名前なんか知るわけもない。だいたいそれら三作品が録音された時、まだエリア・コード 615 なんていうバンド名では結成というか存在していなかった。

ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』は1966年、『ジョン・ウェズリー・ハーディング』は67年、『ナッシュヴィル・スカイライン』は69年の作品だが、エリア・コード 615の一枚目のアルバム『エリア・コード 615』がやはり69年の作品なのだ。録音はだから同年か、あるいは前年68年だったのかもしれないが、そのへんの正確な情報は調べても分らない。

エリア・コード 615 は、だからご存知ない方でもここまで読んでお察しの通り、ディランやその他大勢のロック〜ポップ〜カントリー〜リズム&ブルーズなどの音楽家のアルバム制作の裏方、すなわちサポート・ミュージシャンとして演奏した、ナッシュヴィルのセッション・ミュージシャンたちの集団。

のちにエリア・コード 615 を名乗るようになる人たちの中心はドラムスのケニー・バットリー、ベースのノーバート・パットナム、ギターのウェイン・モスの三人。特にケニー・バットリーは二枚しかないこのバンドのアルバムの両方で、エリオット・メイザーと共同でプロデュースまでしているので、間違いなくこのドラマーが中心人物だね。

実際、1968年か69年にエンジニア/レコーディング・プロデューサーのエリオット・メイザーが(のちにエリア・コード 615 と名乗る)このレコーディング・プロジェクトのアイデアを思い付いた時、最初に声をかけたのはケニー・バットリーだった。とメイザー自身がリイシュー CD の英文解説で書いている。

英文解説のメイザーによれば、それはカントリー・フォークの夫婦デュオ、イアン&シルヴィアのナッシュヴィルでのレコーディング・セッションをこなしていた時のことだったそうだ。イアン&シルヴィアなんて、ひょっとしたら今では憶えてもらえてないかもしれないよなあ。

でもさぁ、イアン&シルヴィアの1968年ヴァンガード盤『ナッシュヴィル』には、あのボブ・ディラン&ザ・バンドでやった『ベースメント・テープス』セッションからの曲が三つもあるし、それにこのアルバムはカントリー・ロック第一号的金字塔とされるバーズの『ロデオの恋人』がリリースされる一ヶ月前に出ているんだよね。

そんなイアン&シルヴィアの1968年『ナッシュヴィル』は、タイトル通りナッシュヴィルでの録音で、プロデューサーはイアン・タイスンだけど、前述の通りエリオット・メイザーの肝入でケニー・バットリーがドラムス、ノーバート・パットナムがベースを担当している。

エリオット・メイザーはその他、前述のボブ・ディランやザ・バンドだけでなく、リンダ・ロンシュタットやニール・ヤングやジャニス・ジョップリンなどのアルバムにもかかわっている有名な音楽プロデューサー。そのメイザーの1960年代後半のナッシュヴィルにおけるファースト・コールが、のちのエリア・コード 615 になる面々だったのだ。
エリア・コード 615 のアルバムは二枚しかない。1969年の『エリア・コード 615』、70年の『トリップ・イン・ザ・カントリー』で、どっちもポリドール盤だけど、僕はアナログ時代には全く知らなかったのが残念。知ったのはこの二枚を 2in1にして CD リイシューされたものが KOCH Records から2000年にリリースされた時だ。

それは上掲画像の通り、二枚のオリジナル・アルバムのジャケットをそのまま並べた表ジャケット・デザインなのだが、調べてみたら2001年に日本盤で、しかも紙ジャケで CD リイシューされているんだなあ。それの表ジャケットは『トリップ・イン・ザ・カントリー』のジャケットを全面的に使っている。

ってことはその二作目『トリップ・イン・ザ・カントリー』の方が評価が高い、代表作だということなんだろうか?と思ってネットで日本語記事を漁ってみたら、確かにそんな意見が書いてあるものがいくつか出てくるなあ。う〜ん、まあ 2in1のリイシュー CD でしか聴いていない僕が言うのもあれなんだけど、僕は一枚目の『エリア・コード 615』の方が好きだし、内容もいいと思う。

しかしながらこの世間的な評価には納得できる部分もある。どうしてかというと、一枚目の『エリア・コード 615』に比べて二枚目の『トリップ・イン・ザ・カントリー』は、ちょっとハードなロックっぽい、そしてリズム&ブルーズ由来の黒いフィーリングが一枚目よりも強く出ているからだ。

普通はそういうものの方が好きな場合が多いんじゃない?普段から黒いもの、黒いもの、ファンキーさ、ファンキーさと馬鹿の一つ覚えみたいに繰返している僕だけど、エリア・コード 615 の場合は、もっとこう穏やかでのんびりとのどかなフォーク・カントリー(・ロック)風な音楽の方が似合うような気がするんだなあ。

実際一枚目の『エリア・コード 615』は、なんと全11曲で歌は一切入らない。ヴォーカル抜きのインストルメンタル演奏ばかりで、今で言えばカラオケなんだよね。カラオケっていうのはそこそこ的を射ているんじゃないかなあ。だってこのエリア・コード 615 は、基本、歌手のサポート・バンドだからさ。

アルバム『エリア・コード 615』では、ハードな調子の演奏も一つもなく、全曲かなり穏やかな印象のカントリー・ロック・サウンドなのだ。楽器編成もアクースティック中心で、電気楽器はエレベとエレキ・ギターだけ。そのエレキ・ギターも派手な音で弾きまくったりはせず、控え目な味付け程度。エレベはもちろん完全なる脇役だ。

ナッシュヴィル・サウンドだから、当然ペダル・スティール・ギターもたくさん聴こえる。一応電気楽器ではあるけれど、そんなイメージから遠いものだからなあ。ペダル・スティールもフロントでメロディを弾くが、ソロというかメロディを奏でる中心はフィドル、ハーモニカ、バンジョーの三つ。

『エリア・コード 615』には有名曲のカヴァーが多い。最も有名なのは間違いなく三曲目「ヘイ・ジュード」、五曲目「レディ・マドンナ」、七曲目でメドレーの一部になっている「ゲット・バック」、この三つのビートルズ・ナンバーだね。それもなんだか全然ロックではなく、純カントリーみたいな仕上がりだ。

例えば「ヘイ・ジュード」。フィドルの音に続きバンジョーがツンタカ刻みはじめ、それに乗りフィドルがあの有名なメロディを弾いたかと思うと、ドラムスが入ってきて、今度はハーモニカで続いてそれを演奏する。その後はエレキ・ギターになるけれど、またすぐにペダル・スティールのソロ、ハーモニカのソロ、バンジョーのソロ。ビートルズ・オリジナル後半部のリフレインは、フィドルとハーモニカ中心でやっている。
「レディ・マドンナ」はペダル・スティールが鳴りはじめたかと思うとリズム・セクションが入ってきて、やはりフィドルがソロを弾く。そしてバンジョーがツンタカ(それは完全なるカントリー・スタイル)、ハーモニカのソロ。14:37 から。
「ゲット・バック」の話は省略するとして、『エリア・コード 615』にあるもののうち、それら三曲のビートルズ・ソング以外でよく知られた有名カヴァー・ソングは、おそらく二曲目のオーティス・レディング「アイヴ・ビーン・ラヴィング・ユー・トゥー・ロング」 と、ラスト11曲目のボブ・ディラン「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」だろう。

オーティス・レディングのオリジナル・ヴァージョン「アイヴ・ビーン・ラヴィング・ユー・トゥー・ロング」(『オーティス・ブルー』)はこれ。エレキ・ギターが三連を弾き続ける、いかにもサザン・ソウル・バラードといった趣で、僕もかなり好きだ。
これをエリア・コード 615 はこんな感じにしている。三連のパターンは同じだが、まずフィドルでメロディを弾いたあと、ハーモニカがソロをとる。どの曲も全部そうだけど、バックのエレベ(ノーバート・パットナム)とドラムス(ケニー・バットリー)がやはり肝だ。そしてこの曲だけはまあまあ黒い感じがするね。3:44 から。
黒い感じがするといえば、『エリア・コード 615』四曲目の「ナッシュヴィル 9-N.Y 1」は典型的な12小節3コードのブルーズで、リズムの感じ、特にエレベが弾くラインは完全なるモダン・シカゴ・ブルーズのスタイルじゃないか。バディ・ガイとかあのへん。まずハーモニカのソロ(はアンプリファイされた音)が出て結構ブルージーだし、続くエレキ・ギターのソロ(マック・ゲイデン)もファンキーだ。カッコイイなあ、これ。10:49 から。
アルバム『エリア・コード 615』のラスト11曲目のボブ・ディラン・ナンバー「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」では、ペダル・スティールではなくアクースティック・ギターをスライドで弾く音でメロディを奏ではじめる。クレジットによればウェイン・モスがドブロを弾いているようだ。

そのドブロをスライドで弾く「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」のメロディが実にいいフィーリングのサウンドだ。続いてフィドル、オルガンに続き、やはりペダル・スティールが出る。そのあたりからなんだかバックのサウンドがゴージャスになってくるなあと思ったら、弦楽六重奏団がいるんだね。30:38 から。
セカンド・アルバム『トリップ・イン・ザ・カントリー』の話を全くしていないが、まあいいじゃないか。僕も決して嫌いだとか評価していないだなんてことはないよ。

2017/01/01

サラの『枯葉』でいいのは「枯葉」ではない

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サラ・ヴォーンの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』の話をしよう。これが1982年にリリースされた時は驚いたというか腹を立てた日本のファンも多かったはず。なぜならばこのアルバムの邦題は『枯葉』であるにもかかわらず、曲「枯葉」が出てこないのだ。A面三曲目がそうだとなってはいるけれども。

しかしそのA面三曲目の「枯葉」と書かれてあるそれを聴くと、お馴染のあの有名なメロディが一秒たりとも出てこない。サラもサイド・メンも全くそれをやらない。全編アド・リブで構成されていて、サラも英語詞は全く歌わず、完全なる器楽的なスキャット・オンリーで通している。だからこれは分らない人は全くなにをやっているんだか分らないはず。

実際、この『枯葉』(というアルバム題はあまり好きじゃないが)を買ったジャズ・ファンが、「枯葉」が入っていないじゃないかとレコード屋に文句を言って返金を要求したという噂話まで残っているくらいだ。このエピソードはまあ取ってつけたようなウソだとは思うけれど、それくらいの内容であるのは確かだ。

聴いてコード進行を把握できるリスナーであれば、サラのあの「枯葉」は疑いなくジョセフ・コスマの書いたあの有名シャンソンで、1950年代からジャズ・メンもよくやるスタンダード曲だということは分る。ジャズでは常套である II 度→V 度の進行、いわゆるツー・ファイヴが頻出するのでお馴染だ。
ちょっと音源を貼っておいたけど、どうですこれ?これじゃあコード進行などを意識しない一般の多くのジャズ・ファンは、あの「枯葉」だということを認識できないよねえ。超有名曲なので、サラもちょっとこんな感じでやってみようと思っただけだったのかなあ。

ただし僕はサラのスキャットが爆進するこの「枯葉」は実はあまり好きじゃない。はっきりと言うとアルバム『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』のなかで最も耳を傾けないのがこれだ。この「枯葉」なら、あえて言えば僕はジョー・パスのギター・ソロが上手いなということと、リズム・セクションの動きを聴いている。

サラのアルバム『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』にはもっとずっと好きな曲がいくつもある。A面なら二曲目の「ザッツ・オール」がスウィンギーでいいなあ。サラが歌いはじめる部分は2/4拍子だが、ローランド・ハナのピアノ・ソロ部分から4/4拍子に移行して、俄然スウィングしはじめる。
そのローランド・ハナのピアノ・ソロは実に見事な弾きっぷりだ。パーソネルなど事前に知らなくたって、ピアノ・ソロになったら、お、これは誰だ?となるはず。ピアノ・ソロのあとに出るサラのヴォーカル部分も4/4拍子のままでスウィングする。

ローランド・ハナは、このサラの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』の伴奏バンド四人のリーダー格だった。ハナのピアノ、ジョー・パスのギター、アンディ・シンプキンスのベース、ハロルド・ジョーンズのドラムス。だが僕はベースとドラムスの二人についてはよく知らないし、有名でもないはず。

サラの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』で僕が一番好きなのはイヴァン・リンスの書いた二曲だ。A面ラストの「ラヴ・ダンス」、B面トップの「ジ・アイランド」。もちろんイヴァンはブラジル人音楽家だけど、サラは1970年代からブラジル音楽に接近した良いアルバムを創っているもんね。

『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』にあるイヴァン・リンスの二曲では、A面ラストの「ラヴ・ダンス」(英語詞はポール・ウィリアムズ)はゆったりとしたジャズ・バラード。ジョー・パスのギターはかなり小さい音で、ピアノ・トリオ中心での伴奏。
しかし僕はB面トップの「ジ・アイランド」の方がもっとずっと好きだ。これはややボサ・ノーヴァ風のリズム・アレンジになっている。冒頭テンポ・ルパートでサラが歌いはじめるが、すぐにリズム・セクションがボサ・ノーヴァを演奏しはじめるのがいいよねえ。
そのボサ・ノーヴァ・リズムにテンポ・インしてからのバンドの演奏とサラの歌い方が僕は大好きなんだなあ。英語詞(誰が書いたんだろう?)はちょっとセクシーかもしれない。はっきり言うとセックス行為のメタファーであるように僕には聴こえるんだなあ。これは単に僕がスケベオヤジなだけなのか?

サラのヴォーカルの歌詞内容と歌い方が盛上がっていくにつれ、バンドの伴奏も徐々に熱を帯び、最終的にクライマックスに到達し、「ジ・アイランド」は終了する。つまヴォーカリストも楽器奏者たちも、全員が一緒になって行っているように僕には聴こえるんだけどなあ。僕の頭がオカシイのか?

そんな B 面一曲目の「ジ・アイランド」こそが、僕にとってはサラの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』におけるクライマックス、白眉の一曲に間違いないんだけど、誰もそんなことは言わないよねえ。みんな壮絶なスキャットを聴かせる「枯葉」の話ばかりで、ジャズ喫茶でも A 面しか流れなかった。

まあ「枯葉」のスキャットが凄いっていうのは間違いないし、アルバム『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』の最大の聴きものであるのは僕も疑わない。こんな解釈はそれまでただの一つもなかったわけだしね。器楽奏者ではない歌手でも、「枯葉」じゃなければ似たようなことをやる人は、ずっと前からいた。

だからみんな『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』では「枯葉」の話をするわけだけど、イヴァン・リンスの書いた二曲、特に「ジ・アイランド」のセクシーな盛上りを聴かせる歌い方と伴奏の話もちょっとしてほしいんだよね。「枯葉」とどっちがチャーミングかというと、僕には断然「ジ・アイランド」だ。

サラの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』には、他にもA面一曲目のスタンダード「アイ・ドント・ノウ・ワット・タイム・タイム・イット・ワズ」もある。この曲はアート・テイタム、チャーリー・パーカー、ソニー・クラーク、歌手ならビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドもやっている。

またアルバム・ラストの「ユー・アー・トゥー・ビューティフル」。これもロジャース&ハートの有名ソングライター・コンビが書いた有名曲。アル・ジョルスンが歌ったのが初演だけど、コロンビア時代のフランク・シナトラの歌でも知られているものだ。

フランク・シナトラの「ユー・アー・トゥー・ビューティフル」は1945年8月22日録音。しかし当然ながらまず最初は SP盤でリリースされたこの曲は、なかなかLPには収録されず、というかそもそもLP化されなかったんじゃないかなあ。僕は1993年リリースのコロンビア録音完全集でしか聴いたことがない。

シナトラの『ザ・コロンビア・イヤーズ 1943-1952:ザ・コンプリート・レコーディングズ』CD12枚組。これにしかシナトラの歌う「ユー・アー・トゥー・ビューティフル」は収録されていないだろうと思うんだけどね。なかなかいい歌なんだ。
この YouTube 音源の記述では「1946」という文字が見えるが、これはリリース年じゃないかなあ。録音年ということなら間違っている。僕の持っているシナトラのコロンビア時代録音全集附属のディスコグラフィーでは、前述の通り1945年録音と記載されているもんね。瀟洒なストリングスもいい感じ。

サラの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』ラストの「ユー・アー・トゥー・ビューティフル」は、ローランド・ハナのピアノ伴奏一台のみでしっとりと歌う。歌詞の意味をかみしめるように歌い込むのが素晴らしく、ラストを締め括るに相応わしい。

2016/12/31

エレクトロニクスで蘇るポップ・ピシンギーニャ

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今でこそ当たり前みたいになっているアフロ・ブラジリアン・ミュージック。これを最も早くやったブラジル人は1930年代前半のピシンギーニャだったんじゃないかなあ。といってもその時代のピシンギーニャの「アフロ・ショーロ」とでもいうような仕事を、現在 CD でも配信でも簡単かつ存分に聴くことは難しい。なぜならばあまり復刻されていないからだ。

一部聴けるんだが、全貌が分らない。僕が聴いているのはライス盤『ブラジル音楽の父』13曲目「ご主人様は猫を捕まえる」(1931)から17曲目「俺は戻っている」(1932)までのたった五曲だけだ。このライス盤の解説文を書いている田中勝則さんによれば、当時のピシンギーニャにはかなりの数の録音があるらしい。

あとは例のベネジート・ラセルダとの共演分についてだけは、以前から書いているように iTunes Store に完全集があって、そのなかには「ヤオー」みたいなアフロ・ブラジリアン・ショーロ、あるいはカリブ・ショーロと呼べるものがあったりするけれど、このコンビの録音は1940年代末にはじまったので、ピシンギーニャは既に旬を過ぎていた。

全盛期ピシンギーニャの完全集をと言っても、むろんそのなかには今聴くとちっとも面白くないようなものもあるんだろうが、そうなのかどうなのか実際に聴いて自分で判断したいわけだから。早くブラジルでもどこでもいいから完全集をリリースしてくれないかなあ。偉大だったとの評価が定着している音楽家に対する扱いとは思えない。

ともかくライス盤『ブラジル音楽の父』13〜17曲目のオーケストラ作品を聴くと、かなりパーカッションが賑やかで、そもそも曲がリズミカルでパーカッシヴでダンサブル。そんでもって相当にポップでユーモラスですらある。ピシンギーニャというと「カリニョーゾ」「ラメント」など、シリアスな音楽家だと思われているかもしれないが、そんなその後現在でも頻繁にカヴァーされる名曲の方がむしろ例外だったのかもしれないよ。

そんな1930年代前半のポップなピシンギーニャ作品を現代に甦らせた、それも当時そのままのアレンジではなく、打込み中心の現代的デジタル・サウンドで再現したアルバムがある。エンリッキ・カゼス他二名による『エレトロ・ピシンギーニャ』だ。プロデュースもエンリッキがやっている2003年の(僕が持つのは)ライス盤。

打込み中心のデジタル・サウンドはもはや時代の先端ではないという見方になりつつあるように思うけれど、それでも人件費がかからないので、世界中で大量生産されるポップ・ミュージックは今でもやはりコンピューター・メインで音創りしているんじゃないかなあ。

『エレトロ・ピシンギーニャ』に参加しているエンリッキ以外の二名とは、デジタル・キーボードやプログラミング担当のフェルナンド・モウラ、アクースティック&エレクトロニック・パーカッション担当のベト・カゼス。ベトはエンリッキのお兄さんだ。エンリッキも普段から弾く生のカヴァキーニョやギターなどにくわえ MIDI カヴァキーニョも弾いている。

他にゲスト・シンガーが入る曲があったり、ゲスト参加でプログラマーがいたりもするようだけど、まあ以上三名がメインには間違いない。僕にとってはエンリッキこそが最も馴染のある音楽家だけど、一般的にはマリーザ・モンチやマルコス・スザーノの作品にも参加しているフェルナンド・モウラが最も知名度があるんだろう。

ショーロはシリアスな音芸術で、エンリッキもそんな分野の現代における第一人者で、一方フェルナンド・モウラはポップ・ミュージックの世界の人間とされているだろう。間違っているわけじゃないが、この二人が合体している『エレトロ・ピシンギーニャ』を聴くと、無意味な区分に思えてくる。と同時に1930年代前半のピシンギーニャ作品についても同じ無意味さを感じるね。

上で書いたように、ライス盤『ブラジル音楽の父』13〜17曲目で聴けるピシンギーニャのポップなアフロ・ショーロのうち、そんな味が最も濃厚に出ているのが15曲目の「黒人の会話」(1931)だ。1931年というとキューバ発の「南京豆売り」が大ヒットしていた時期だし、ピシンギーニャも意識したんじゃないかな、そんなアフロ・カリブ音楽を。「黒人の会話」をちょっと聴いてみて。
この「黒人の会話」がエンリッキらの『エレトロ・ピシンギーニャ』ではオープニング・ナンバーなのだ。パンデイロの音にはじまり、各種パーカッション、次いで電子鍵盤楽器の音が聴こえる。管楽器みたいな音も入っているが、これはサンプリングしたかシンセサイザー音なんだろう。
スティール・パンのようなサウンドもはっきりと聴こえるが、それはベト・カゼスの生演奏かフェルナンド・モウラが電子的に再現しているのか、僕にはちょっと判断できない。がまあおそらくは電子音だろうなあ、生のスティール・パンの音とはちょっと違うような気がする。

ところでエンリッキはどこで演奏しているんだろう?少なくともアクースティックな弦楽器の音は聴こえないよね。MIDI カヴァキーニョを弾いているのかもしれないが、そうだとすると鍵盤シンセサイザーの音と区別するのは僕には不可能。あるいは生の弦楽器を弾いたが、ミキシングの際に聴こえない程度にまでしたのかもしれない。

でも曲全体のアレンジや方向性はエンリッキが書き決めたものらしい。それに沿ってフェルナンドがプログラミングしたり音を加えたり、ベトが打楽器をオーヴァー・ダブしていったんじゃないかなあ。ベトのことはよく知らないが、フェルナンドの方は元々そんな古いショーロに関わっていたような音楽家じゃないから。

一曲目の「黒人の会話」だけでなく、『エレトロ・ピシンギーニャ』収録の11曲、全てやはりエンリッキがピシンギーニャのオリジナルから現代風に展開してベーシック・アレンジを施した模様。他の二名はあくまでそれに沿って音を重ねていって、それにさらにもう一回エンリッキが MIDI カヴァキーニョの音を足したりしたんだろう。

それにしても書いたように一曲目「黒人の会話」で聴こえないだけでなく、『エレトロ・ピシンギーニャ』収録の他の十曲でもエンリッキの演奏する生の弦楽器はほとんど聴こえない。この人が現代ブラジルにおけるカヴァキーニョ奏者のなかでの最高の存在であることを踏まえると、やや意外な気もする。

が『エレトロ・ピシンギーニャ』では、エンリッキのそんな演奏技巧ではなく、またそれ以外でも生楽器の演奏アンサンブルではなく、あくまで(パーカッションと一部のヴォーカル以外は)デジタル・サウンドを中心に組立てるのだという当初からの目論見通りに事を進めたってことだろうなあ。

ピシンギーニャのオリジナル・ヴァージョンとの聴き比べが、「黒人の会話」「ヤオー」の二曲を除き不可能なので、エンリッキのアレンジがどの程度にまでオリジナルを深化させ展開し、現代的に再現して再構築しているのか、どうも実感できないのが残念極まりない(だからどこか早く復刻を!)。

『エレトロ・ピシンギーニャ』四曲目の「ヤオー」。一曲目の「黒人の会話」以外で、僕がピシンギーニャのオリジナルを聴けるのはこれだけなんだけど、それはアフロなルンドゥーなんだよね。あくまでショーロの枠内ではあるけれど、どこもシリアスではなく、かなりポップに楽しくてダンサブルで、しかもユーモラスだ。
『エレトロ・ピシンギーニャ』ヴァージョンの「ヤオー」は、しかしこの曲だけアルバムのための新録音ではなく、エンリッキがオルケストラ・ブラジーリアで1988年に録音したもののリミックス・ヴァージョン。それは YouTube では再生不可なのが残念だが、かなり大胆なオーケストラ・サウンドになっている。

だからアルバム中「ヤオー」だけはデジタルな音の感触が薄い。というか電子鍵盤楽器らしきサウンドはほぼ聴こえない。フェルナンド・モウラはあるいは全く参加していないかも。やはりパーカッション群がかなり賑やかで、アフリカンなリズムを演奏する上に、ホーン群とユーモラスなヴォーカルが乗っている。

また二曲目「ケ・ケレケー」なども完全なる現代的デジタル・サウンドによるアフロ・ブラジリアン・ミュージック。途中パーカッションのみの(おそらく多重録音による)アンサンブル・パートがあるなと思った次の瞬間に女声ヴォーカルが入る。そしてベネジート・ラセルダ風なフルート(の音を模したデジタル・サウンドだろう)。

そんな二曲目の「ケ・ケレケー」や一曲目の「黒人の会話」や四曲目の「ヤオー」など、エンリッキらが『エレトロ・ピシンギーニャ』で現代的に再現しているものを聴くと、1930年代前半のピシンギーニャがやっていたのは、シリアスなショーロではなく、賑やかでポップで楽しくてダンサブルでユーモラスな娯楽音楽だったんだなとよく分るのだ。

『エレトロ・ピシンギーニャ』中他の八曲も、リズムがかなりアフリカンでパーカッション・アレンジが賑やか。その上に電子鍵盤楽器やプログラミングされたデジタル・サウンドが彩り豊かに乗っている。一部ヴォーカルの入るものには、やはりユーモラスなニュアンスがあるもんなあ。

七曲目のタイトルは「ドラムスのコンサート」(コンセルト・ジ・バテリアス)。これは YouTube で探したらピシンギーニャのオリジナル・ヴァージョンだろうと思われるものがアップされていた。どうだ、これ?曲名通りドラムスほか打楽器メインのかなり派手なサウンド創りで、聴こえるフルートがピシンギーニャなんだろう。
『エレトロ・ピシンギーニャ』収録ヴァージョンの「ドラムスのコンサート」は YouTube ではこれまた再生不可なので残念だが、オリジナル同様にやはり打楽器メインの組み立てで、これは間違いないデジタルなスティール・パン音なども聴こえ、電子鍵盤楽器の短いリフがスタッカート気味に効果的に入っている。

八曲目の「言っとくぞ」でもヴォーカルが聴こえるが、注目すべきはリズムだ。冒頭からドラム・セットの音が聴こえるがそれは間違いなく打込み。その打込みドラムスが出すのがちょっぴりヘヴィなグルーヴ感で、まるで北米合衆国のファンク・ミュージックっぽい。かと思うと、すぐに軽くてポップなサウンドが入ってくるが、その背後でもノリはディープだ。

あっ、九曲目「パトロン、家畜を縛っておけよ」では鮮明にアクースティックな弦楽器が聴こえるぞ。エンリッキだ。ここまではっきりとエンリッキの生演奏によるアクースティック弦楽器が聴こえるのは、『エレトロ・ピシンギーニャ』中これだけのような気がする。全体を通して聴くとかえって珍しくて新鮮な感じ。

10曲目「カエルよ、跳べ」のリズムのかたちは、曲名通りいかにもカエルが跳ねているかのようなヒョコヒョコっとしたもので、相当にユーモラスだ。これも探したら YouTube にこんなのがあったけど、これがピシンギーニャによるオリジナル・ヴァージョンなんだろうか?
『エレトロ・ピシンギーニャ』ヴァージョンの「カエルよ、跳べ」は、この(オリジナル?・)ヴァージョンのヒョコヒョコ跳ねるリズムのユーモラスな感じをさらに一層強調したようなアレンジで、聴いていて思わず笑ってしまえるようなフィーリングなんだよね。

今日は触れられなかった曲も含め『エレトロ・ピシンギーニャ』、どれもこれもそんな賑やかでユーモラスなものばかり並んでいて、聴いていて本当に楽しい。しかもそれはブラジルの楽聖とまで言われるピシンギーニャのソングブックなんだからさ。ホントどうしてそのへんの録音をちゃんとした完全集にして復刻しないんだろうなあ?

2016/12/30

マイルスの「タイム・アフター・タイム」

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シンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」をマイルス・デイヴィスが初録音したのは、公式記録で辿る限り、1984年1月26日、ニュー・ヨークのレコード・プラントというスタジオにて。それが翌85年リリースのコロンビア最終作『ユア・アンダー・アレスト』に収録・発売された。

シンディ・ローパーのオリジナル「タイム・アフター・タイム」が、最初まずアルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』(当時は『N.Y.ダンステリア』)に収録されてリリースされたのは前年1983年10月。これがラジオなどでもバンバン流れたので、マイルスもそれを耳にしたんだろうね。シンディの「タイム・アフター・タイム」はシングル・カットもされているが、それのリリースは翌1984年1月27日と、マイルスがスタジオ録音するよりあとだ。

ところで「タイム・アフター・タイム」という完璧に同一曲名の異曲がたくさんあって、僕は四つ(古いジャズ・スタンダード、シンディ・ローパー、ELO、オジー・オズボーン) しか知らないんだけど、調べてみたら全部で十個近くもあるみたい。僕は1946年にサラ・ヴォーン、次いでフランク・シナトラが歌ったオールド・スタンダードしか知らない時期が長かった。

マイルスだってそんな時代の人間であって、だから当然そのサミー・カーン&ジュール・スタインが書いた「タイム・アフター・タイム」を知らないなんてことはありえない。でもそれを1980年代にやるわけないよなあ、どうなってんの?と思ってたらシンディ・ローパーのやつだったという。

マイルスの1985年のアルバム『ユア・アンダー・アレスト』に収録された「タイム・アフター・タイム」は、しかし短縮版であって、オリジナル・テープからもっと長めに収録したヴァージョンが、当時12インチ・シングルでリリースされていたのは、たぶんもうみんな忘れている。

その12インチ・シングル・ヴァージョンは2016年現在でも、たった一枚の例外を除き CD リイシューもされていないからだ。その例外が日本のソニーが1993年にリリースした『THIS IS MILES! Vol.2 Electric Side』というもので、タイトルでお分りのように、マイルスの死後にリリースされたコロンビア時代の電化マイルスのベスト盤。

「エレクトリック・サイド」ということは、間違いなく「アクースティック・サイド」もあったはずだが、僕は持っていない。たぶん買ってないんだなあ。どうしてかというとアクースティック時代のマイルスのそれは、全部持っている曲しか入っていなかったはずだからだ。

つまり『THIS IS MILES! Vol.2 Electric Side』には、初 CD 化音源や、あるいはちょっと特別なヴァージョンなどが数トラックあったんだよね。最たるものが前述の通り「タイム・アフター・タイム」の12インチ・シングル・ヴァージョンだけど、他にも「イン・ア・サイレント・ウェイ」単独で抜き出したものと、『ライヴ・イーヴル』ワン・トラック目「シヴァッド」の(元は「ディレクションズ」だった)3:31 までを抜き出したものが収録されていたのだ。

これらのうち、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」と繋がっていない「イン・ア・サイレント・ウェイ」単独ヴァージョンは、今では2001年リリースの『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』に収録されたので、もはや用なしだ。

そして『ライヴ・イーヴル』の「シヴァッド」は、元々のライヴ演奏時には「ディレクションズ」だったのと「ホンキー・トンク」だったのを、テオ・マセロが編集でそれぞれ短くした上でくっつけたものだけど、はっきり言って「ホンキー・トンク」部分はかったるく、それに対し「ディレクションズ」部分の 3:30 くらいまでがえらくカッコイイので、そこだけくれよとファンは昔から思っていというのが事実。

1988年リリースの マイルスの CD 四枚組ベスト盤『ザ・コロンビア・イヤーズ 1955-1985』に、そういう短縮版の「シヴァッド」が収録されていたらしいのだが、どうしてだか僕はそれを買わなかったんだなあ。短縮版「シヴァッド」以外は全て既存曲と同一の四枚組だったからなのかもしれない。あと、僕は電化時代の方が好きなのに、それの量が少なかった。無理もないんだよね、「一曲」が長尺なので、ベスト盤収録などはやや難しい。

だから1993年の『THIS IS MILES! Vol.2 Electric Side』に、『ザ・コロンビア・イヤーズ 1955-1985』収録のと同じ「シヴァッド」短縮版を収録してくれたのは嬉しかったのだが、ちょっと残念なのは、元音源である1970年12月19日のセラー・ドア・ライヴ音源そのものがまだ全く未発表のままだったので、間違いなく『ライヴ・イーヴル』から編集したであろう痕跡が聴き取れることだった。

『THIS IS MILES! Vol.2 Electric Side』の「シヴァッド」は、末尾にほんのちょっとだけ「ホンキー・トンク」部分へ入る部分の頭がフェイド・アウトしながら入っちゃっているのだ。これだけが僕は1993年のリリース当時からまあまあ不満で、だから2005年に『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』がリリースされたのから自分で編集して、完璧な「シヴァッド」冒頭部を作って楽しんでいるんだよね。だ〜ってカッコイイんだもん。

ってことはだ、『THIS IS MILES! Vol.2 Electric Side』が現在でも存在価値がある唯一の理由が、「タイム・アフター・タイム」の12インチ・シングル・ヴァージョンが収録されている CD はこれしかないという、それだけだ。だけといっても、僕みたいなマイルス狂には実に大きな理由。

アルバム『ユア・アンダー・アレスト』収録の「タイム・アフター・タイム」は 3:39。一方『THIS IS MILES! Vol.2 Electric Side』にも収録されている12インチ・シングル・ヴァージョンの方は 5:34。ポップ・ミュージックの世界ではこの約二分の差はかなりデカい。

その約二分のあいだ、特に目立つのがダリル・ジョーンズのベースとジョン・スコフィールドのギター。特にダリルのベースは、『ユア・アンダー・アレスト』にも収録されている部分では実に堅実というか、言い方を換えれば地味なのだが、そのあとの二分間ではやや派手目に跳ねているんだよね。
そんでもってその前からそんな雰囲気がはっきり出ているジョン・スコフィールドのギターが刻むレゲエ風のビート。それがより強調されている。つまりダリルの跳ねるベース・ラインとあわせ、その約二分間での「タイム・アフター・タイム」はカリブ音楽風なニュアンスがはっきり出ている。

『ユア・アンダー・アレスト』に収録されているものでは、「タイム・アフター・タイム」にカリブ音楽風ニュアンスを聴き取ることは難しいんじゃないかなあ。いやまあ確かにスコフィールドがレゲエ風に刻んではいるけどさあ、でもそれだけだし、かなり控え目だし、レゲエやカリブ音楽に通じていて、なおかつ耳のいいリスナーじゃないと無理かもしれない。だから僕は気付かなかった。

ところが『THIS IS MILES! Vol.2 Electric Side』収録の12インチ・シングル・ヴァージョンでなら、間違いなく誰でも、この「タイム・アフター・タイム」はちょっと違うぞ!ってなるはずだ。ひょっとして単なる美メロのバラードとしてアルバム収録したかったがために、そんな部分をカットしたんだろうか?

『ユア・アンダー・アレスト』のプロデューサーはもうテオ・マセロではない。テオは1983年の『スター・ピープル』がマイルスの新作をてがけた最後になっている。次の84年『デコイ』はマイルス自身のプロデュース、85年『ユア・アンダー・アレスト』はマイルスとロバート・アーヴィング III(当時のバンドのレギュラー・シンセサイザー奏者)との共同プロデュース名義。

さてご存知の通り、1984年のある時期以後はライヴでのマイルスの定番必須レパートリーになった「タイム・アフター・タイム」。とにかくなにかの企画物ライヴ・イヴェントなど特別な理由がないごく普通のライヴでなら、この曲をやらないなんてことは考えられなかった。ひょっとしたら死ぬまで全く一度もなかったかもしれない。

だから録音されているものだけでもメチャクチャな数があるマイルスのライヴでの「タイム・アフター・タイム」。数が多すぎて手に負えないので、公式盤収録のものだけに限っても全部で10個あるもんなあ。もっともそのうち9個は、例の20枚組『ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー  1973-1991』にあるものだ。

20枚組のライヴ・ボックスなんて、しかも一枚ごとだいたいどれも似たような内容だし、よっぽどマイルスが好き、それも1981年復帰後のマイルスにも思い入れがあるというファンしか買っていないだろう。僕はそういうファンなので。このモントルー・ボックス、三枚目以後は1984〜91年のモントルーでのマイルスの全てを収録してある。

つまり1984、85、86、88、89、90、91年(最後の91年のレギュラー・バンド分は、モントルーではなくニースでのライヴだが)のマイルスの演奏全てをね。収録されていない87年は、マイルスが毎年七月のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演していないだけ。

そしてその1984〜91年の七年全てで「タイム・アフター・タイム」を演奏している。あれっ?計算が合わないよ、 さっきモントルー・ボックスでの「タイム・アフター・タイム」は全部で九個って言ったじゃないかと思われるかもしれないよね。84年と85年には昼公演と夜公演の一日二回やっているんだよね。だから七年で計九個。

モントルー・ボックスにある計九個の「タイム・アフター・タイム」は、大筋ではだいたいどれも似たような感じの演奏ではある。そんでもってマイルスのトランペットはしばしば音を外す。なんらかの効果を狙う意図があって故意にやっているんじゃないことは、素人の僕でも分る。もう吹けなかったんだよね。

1981年の復帰後も、スタジオでなら用意周到にやって何度もやり直したりできるのでそういうのは聴けないし、ライヴ・アルバムでもマイルスの生前に出たものは、丁寧に編集や修正が施されていて分らないのだが、81年復帰後の来日公演全てに、しかも上京後は東京公演分全てに足を運んだ僕は、現場でしばしば音を外すマイルスを聴いた。

1991年のマイルス死後は、おそらくレコード会社側も遠慮しなくてもいいと判断するようになったのか、81年復帰後のライヴ音源も、編集や修正なしでリリースするようになったものがあるんだよね。2002年にまずワーナー・スイスからリリースされた(のを僕は所持)20枚組のモントルー・ボックスなんかはそれが非常によく分る。

まず1984年7月8日のモントルー。この日の昼夜二回公演での「タイム・アフター・タイム」が、公式でもブートでも、マイルスがライヴでやったヴァージョンが録音されている最初のものだ。しかしその二つはどっちも10分超えと演奏時間がかなり長く、さらになんだかダラダラしていてバンドの演奏にも締りがない。

翌1985年7月14日の昼夜二回公演から、マイルスがライヴでやる「タイム・アフター・タイム」はよくなってくる。バンドの演奏もしっかりアレンジされていてタイトだし、元のシンディ・ローパーの曲にあるポップで切ないフィーリング(が84年ライヴでは出せていない)をよく表現していて、いい感じだ。しかしボスの吹きミスはやはり多い。

1985年の「タイム・アフター・タイム」で個人的に忘れられないのは、同月に来日し7月28日に東京のよみうりランドでやった演奏。これは僕も現場で聴いた。FM 東京が生中継したのだが、そうすると知ってはいたものの、生で観聴きしたくて、録音は諦めたのだ。

それでも FM 放送されたということは、必然的にブートレガーが仕事しやすいわけで(笑)、この1985/7/28のマイルス東京公演も二枚組ブート CD で発売されたのを、僕も後年買って追体験したのだった。85年ヴァージョンではモントルーのよりも、この東京公演の方がいい。

一番いいのはジョン・スコフィールドのギター・ソロだ。非常に短いものだけど非常にスウィートでポップで、普段のスコフィールドからは想像できない演奏。実際、マイルスが亡くなったあとになってようやくスコフィールドも喋ってくれたのだが、ああいう「タイム・アフター・タイム」や「ヒューマン・ネイチャー」などをやるのは本意じゃなかったとのこと。

本当はあんなポップ・ソングじゃなくて、ハードなジャズ・ファンクをやりたかったんだ、でもボスの指示だからしかたなくいやいややっていたんだよねと、スコフィールド自身が告白してくれたのだ。まあ彼のリーダー作など普段のスコフィールドを知っていれば、誰だってうなずける発言だね。それにしては1985年東京での「タイム・アフター・タイム」でのソロは絶品だけど、そこらへんはまあプロの仕事だからさ。

ところで1985年東京ヴァージョンの「タイム・アフター・タイム」では、パーカッション担当のスティーヴ・ソーントンがかなり頻繁にティンバレスでオカズを入れる。同85年のモントルー・ヴァージョンにそれはないし、元々のスタジオ録音ヴァージョン(のパーカションもスティーヴ・ソーントン)でも聴けないんだなあ、あのティンバレスは。

1986年ヴァージョンの「タイム・アフター・タイム」は、公式にはモントルー・ボックスにしか収録されていない(7月17日)。85年ヴァージョンとほとんど変化はないけれど、ギターのサウンドだけが非常に大きく違う。こんな弾き方のギタリストはマイルスの音楽では聴き慣れないなと思ってクレジットを見たら、ロベン・フォードだ。

ロベン・フォードが1986年の一時期マイルス・バンドに在籍していたということは、ファンは当時からその事実だけ知っていたんだけど、音源がなく実態は確かめられなかった 。白人だけどブルーズがかなり上手いギタリストなもんだから、マイルスとやるとどうなるか、前々から興味津々だったんだけどね。

するとマイルスの死後にロベン・フォード在籍時のマイルス・ライヴを収録した数枚のブート盤 CD が出て、それでようやく聴けたのだった。その中の一枚は公式盤のモントルー・ボックスと同じ音源で、だからジョージ・デュークが二曲、デイヴィッド・サンボーンが三曲、ゲスト参加していて、なかなか面白いんだよね。

モントルー・ボックス収録の1988年7月7日収録の「タイム・アフター・タイム」は、前半はただダラダラしているだけなんだけど、後半突如テンポ・アップしてリズミカルになる。そこまではちっとも面白くないし、トランペットの音の外し方があまりにもひどすぎる、聴けないとすら思う瞬間もあるのに、5:30 から変貌するのだ。

5:35 あたりからコンガ(マリリン・マズール)が派手で活発になって、ギター(と音は変わらないリード・ベースのフォーリー)もいい感じのリフを弾く。その約三分間があるからこそ、モントルー・ボックス収録の全九個の「タイム・アフター・タイム」では、1988年ヴァージョンが一番出来がいい。僕が体験した同年八月の人見記念講堂でも同じやり方だった。思い出すなあ。

1989年ヴァージョンの「タイム・アフター・タイム」から、アレンジが変わってくる。この年のものは公式でも二種類あって、録音順に『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』収録の6月5日のシカゴ、モントルー・ボックス収録の7月21日。最終盤でバンドがリフを反復しているんだよね。ケニー・ギャレットのアルト・サックスとアダム・ホルツマン&ケイ赤城のツイン・シンセサイザーが中心のそのリフのおかげでいい雰囲気の演奏になっている。最終盤だけね。意地悪く言えば、ボスのトランペット・ソロだけではもはや聴きにくいので、そういうバック・アンサンブルを考案したのかもしれないね。

公式にはモントルー・ボックス収録のしかない1990年(7月20日)ヴァージョンの「タイム・アフター・タイム」でも最終盤のアレンジも同じだが、違うのはケニー・ギャレットがサックスではなくフルートでリフを演奏しているところ。それ以外は特になにも書くべきことはなし。まあでもあの最終盤のリフは確かにいい感じに盛り上がるものだ。

ニースでのライヴなのに、どうしてだかモントルー・ボックスに収録されている1991年7月17日のライヴ・ヴァージョン「タイム・アフター・タイム」では、1989/90年ヴァージョン最終盤でやっている同じリフを、いきなり出だしからやっている。もっとも演奏しているのはシンセサイザーのデロン・ジョンスン一人だけどね。しかも最終盤でやはり同じリフがもう一回出てきて、それはケニー・ギャレットもフルートで参加し、バック・バンドで反復し盛り上がる。そうしないとボスのトランペットだけだと‥。

よほど魅力的に思えていたんだろうなあ、あのリフがね。それはレコード会社側も同じだったんだろう。その証拠に、まず最初にマイルス晩年のライヴ収録盤が出たのは1996年の『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』だったのだが、それにはあの最終盤のリフで盛り上げる1989年ヴァージョンが収録されたもんね。しかもその「タイム・アフター・タイム」は、『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』本編のラスト・ナンバーみたいな位置付けで、その次アルバム・ラスト「ハンニバル」はアンコールみたいに、数秒の間があってから出てくる。

聴く側も、僕なんかはやはりあの1989年以後ヴァージョンの「タイム・アフター・タイム」最終盤のリフはチャーミングだと思うね。最後にあれが出てくると否応なしに盛り上がるもんなあ。誰の思い付きだったんだろうなあ。ビートルズの「ヘイ・ジュード」、プリンスの「パープル・レイン」などの後半部にあるリフレインと同じ効果なんだよね。

とまあ長々と書いたけれども、マイルスがやった「タイム・アフター・タイム」のうち、僕が聴いている範囲でのベスト・ヴァージョンは、1987年の来日公演、7月25日に東京読売ランドでやったものだ。完璧だとしか言いようがない。晩年のマイルスにしては珍しく全く吹きミスがなく、しかもバックのシンセサイザー(はロバート・アーヴィング III が主導権を握っているはず)の弾くアレンジされたメロディがたまらなく美しい。

その美しいシンセサイザー・アンサンブルに乗り、マイルスはまずハーマン・ミュートを付け絶妙なフレイジングで吹きはじめ、その後淡々と美しく吹いている。ドラムスのリッキー・ウェルマンも、これ以外ありえないというタイミングと音の大きさでスネアを叩く。この雰囲気はちょっとオカシイね。尋常じゃない。

と思って聴いているとクライマックスが 5:23 にやってくる。マイルスはミュート器を外しオープン・ホーンで高らかに吹き上げるのだ。5:59 までとわずか30秒程度だが、そのオープン・ホーンで吹くパートでのマイルスのサウンドとフレイジングはたまらない。

その前までハーマン・ミュートで切なく、しかし実に淡々と吹いていたもんだから、オープン・ホーンで一音吹いた瞬間のドラマティックな効果の絶大さと言ったらないね。これ以上の劇的な展開はマイルスの全音楽生涯で、僕は知らない。この「タイム・アフター・タイム」に泣かないマイルス・ファンはいないだろう。49:05 から。
これが公式化されればいいのになあ。

2016/12/29

震わせるべきか震わさざるべきか、それが問題だ

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アメリカの戦前ブルーズ、それもカントリー・ブルーズばかりどんどん CD リイシューしてくれている Yazoo というレーベル。最近サッパリ新作リリース情報を見かけない(のは僕だけ?)ので、このレーベルが今でも存続しているのかどうか分らないが、1980年代末〜90年代には大いにお世話になった。

そもそもヤズーみたいなレーベルがああいった活動ができたのは、もちろん音源が古くて権利が切れていて、だから原盤レーベルのいかんにかかわらず自由にチョイスして収録できたという一点に尽きる。ヤズーのリリースしたものを見ると、一つのテーマに沿って実に様々な原盤音源が並べられているものが多い。

ヤズーがリリースするものは片っ端から全部買っていたような気がするくらいだった僕で、だからどれの話からしたらいいのか分らないくらい面白いものがたくさんあるんだけど、今日は『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』のことを書いてみようと思う。

アルバム・タイトル通り、戦前におけるカントリー・ブルーズ・ギタリストがスライド・プレイを聴かせてくれるものを、いろいろと14曲集めたアンソロジーで、ジャケット裏に1991年リリースと書いてある。収録の全14人(組)、91年当時だとまだ知らない名前も半分くらいは混じっていたはず。

今では僕もよく知っている人たちばかり、と言いたいがよく知らない人たちもまだ少しいる。全く知らないのは八曲目で「セント・ルイス・ブルーズ」をインストルメンタル演奏するジム&ボブだ。別名ジム&ボブ、ザ・ジーニアル・ハワイアンズ。誰なんだ、この二人組らしきギター・デュオ(に聴こえる)は?調べてみたら1930年代にシカゴで活動した白人二名らしい。う〜ん、知らんかった…。

ヤズー盤の例に漏れず『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』もカントリー・ブルーズの世界の人たちばかりなんだけど、ジム&ボブはブルーズ・メンとも言いにくい人たちなのかもしれない。仮にカントリー・ブルーズ・メンだとしても、そんな世界の人が W ・C ・ハンディが登録した曲をやるのは極めて珍しい。

「セント・ルイス・ブルーズ」だけでなくハンディが版権登録した曲は、もっぱらジャズ・メンや、それと深い関係がある通称いわゆるクラシック・ブルーズの女性歌手たちがよくやっていた。どっちも都会の音楽で、いくら曲の形がブルーズでも、カントリー・ブルーズ・メンはまずやらない。

だからカントリー・ブルーズのギター・スライド・アンソロジーに「セント・ルイス・ブルーズ」が入っているのは相当珍しいはずだ。少なくとも僕はこのヤズー盤以外で見たことがない。まあでも録音は稀でも、カントリー・ブルーズ・マンだってアメリカ各地で流しでやっていて、時代の流行歌はたくさんやったはずなので、ハンディの曲をやることだってありはしたんだろう。

『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』八曲目ジム&ボブの「セント・ルイス・ブルーズ」は1933年録音。ほぼ知らないこのギター・デュオは、一人が通常のギター・プレイで伴奏役、もう一人がスライドであの有名なメロディを弾いている。ブルージーなフィーリングは全くなく、コンビ名通りハワイアン・ギター音楽にかなり近い。

ハワイアン・ギター音楽と書いたが、そもそもギターでのスライド奏法はハワイがルーツらしい。19世紀から20世紀の変わり目あたりか、遅くとも1910年代にはアメリカ本土でも、スライドで弾くハワイアン・ギター音楽が流行するようになっていたらしい。だからその頃にそれを本土の(主に南部の)黒人たちが真似たんだなあ。

アメリカ本土の黒人ブルーズでギターをスライドで弾くのは、戦前に話を限ればもっぱらカントリー・ブルーズの世界での話であって、シティ・ブルーズのギタリストがスライド・プレイを聴かせる音源はほとんどないじゃないかなあ、戦前では。その後は広く拡散して、戦後はブルーズだけでなく、ロック界も含めいろんなギタリストがやるようになったけれど、それらも全てルーツは南部のカントリー・ブルーズ・ギターだ。

カントリー・ブルーズ、特にギターをスライドで弾く時は、非常にしばしば、というかほとんどの場合レギュラー・チューニングではない。主に二種類のオープン・チューニングにするのだが、それを一般にスパニッシュ・チューニング、ヴェスタポル・チューニングと呼ぶ。こういう DVD があるようだ。
スパニッシュ・チューニングとはオープン A(かたまにオープン G)系のもの。ヴェスタポルはオープン D かオープン E のチューニングのこと。オープン A は6弦から順に E - A - E - A - C♯ - E となる。オープン D は6弦から順に D - A - D - F♯ - A - D だ。

こういうオープン・チューニングにしないとギター・スライドはやりにくいのが実情。単にシングル・トーンでメロディを弾くだけならそうでもないが、メロディを弾きながら同時にコードや(低音弦で)ドローンを鳴らしたり、場合によってはバー(でもなんでもいいが)一本で押さえてコードを鳴らすこともあるわけだから。

またスライド・プレイの際に用いられる弦を押さえる道具も、今日話題のヤズー盤は「ボトルネック」の名称をアルバム・タイトルの一部にしているが、それはシンボリックな意味であって、実際は様々。一般的には金属製かガラス製のものだろうなあ。でも動物の骨を使うこともあったらしい。

骨を使った際の音は僕はよく知らないが、金属を使うかガラスを使うかによってスライド・プレイで出る音の感触も変化するのは当然。一般にボトルネックなどと呼ばれるガラス瓶の首を切り取ったものではまろやかな音になるのに対し、金属製のスライド・バーだと音色がもっと硬くて鋭いものになる。

さて『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』に収録されている人たち。まだジム&ボブの話しかしていないが、最有名人は間違いなく六曲目「ミルクカウズ・カーフ・ブルーズ」(1937)のロバート・ジョンスンだ。その次が四曲目「ザ・パナマ・リミティッド」(1930)のブッカ・ホワイトだろうなあ。

その他、一曲目「アトランタ・モーン」(1930)のバーベキュー・ボブ、七曲目「ブラック・エイス」(1937)のブラック・エイス、10曲目「マイ・ワッシュ・ウーマンズ・ゴーン」(1931)のカンザス・ジョー&メンフィス・ミニー、11曲目「イーヴル・ハーティッド・ウーマン・ブルーズ」(1936)のオスカー・ウッズ、12曲目「ユー・キャント・キープ・ノー・ブラウン」(1926)のボ・ウィーヴィル・ジャクスン、14曲目「ソー・ロンサム」(1928)のランブリン・トーマス、これらはブルーズ・ファンなら知っている人たちばかりだ。

上記以外の収録曲をやっているブルーズ・メン(とウィミン)はさほどの知名度はないはずだが、聴くとみんな上手いギター・スライドだなあ。場合によってはスライド奏法なのかそうでないのか、判断が難しい場合すらある。収録曲は全て1926年以後の録音だから、もはや全員スライド奏法を自家薬籠中のものとしていた時期。

有名人でも無名人でも『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』を聴くと、ギターをスライドで弾く奏法の利点が非常によく分る。最大のメリットは、フレットで区切られた半音単位以下の微分音をいとも簡単に出せ、しかも連続的かつ滑らかにそれらを演奏できること。

戦後のギター・ブルーズとロック・ミュージックが普及してからは、チョーキングのテクニックが一般的になったけれど、あの半音以下の小さな音を出してスクイーズしながらヴィブラートをかける感情表現は、ひょっとしたらスライド奏法から発展したものだったのかもしれないよね。

もちろん戦前ブルーズ界のアクースティック・ギター弾きのなかに既にチョーキングのテクニックを使う人はいる。がしかしそもそもそういう古いギタリストたちが弦をギュッと引っ張って押し上げる(あるいは押し下げる)表現スタイルは、同じ楽器であればスライド奏法で出せるあの音程変化とヴィブラートから思い付いたのかもしれないから。

むろんギターに限定しなければ、ヴォーカルやヴァイオリン(など)では大昔から当たり前の演奏テクニックだし、また管楽器、特にジャズ・サックス奏者が音程を微妙に変化させるピッチ・ベンドというものがあったので、そのあたりからチョーキング奏法を思い付いた可能性だってある。

そしてそもそもカントリー・ブルーズ・ギター界におけるスライド奏法だって、そんなヴォーカルやフィドルといったブルーズ界においても当たり前に存在する表現方法を真似したい、あの微妙に小さな音を連続的に出して震わせるという、あのチャーミングな音表現をギターでもやりたいと思ったのが最大のきっかけじゃないかなあ。

上で書いたようにルーツ的にはハワイアン・ギターの演奏法にはじまったらしいスライド奏法だけど(中村とうようさんはこれを否定、マウンテン・ミュージックのダルシマー起源説を言った)、ハワイのギター音楽では少しニュアンスが違っているように思える。ヴォーカルなどと同等の表現をしたいということよりも、やはりギターだけでの独自表現だなあ。ブルーズでのギター・スライドはヴォーカルと同化しているからね。

まあ19世紀末〜1910年代あたりのハワイアン・ギター・スライドをアメリカ本土の黒人たちが聴いた(ということになっているが、やや疑わしい気もする)時、それがどんな表現スタイルだったのかは録音がないので確かめられない。が録音物で辿る限りでは、主に南部の黒人ブルーズ・ギタリストたちは、やはり肉声的表現を求めてスライド奏法をやりはじめたはず。

さらにスライド奏法だと、ギター・ネックの指版上を素早くシュ〜ッと滑らせることにより、幅広い音域全体を一瞬で出せるというメリットもある。これはまあスライド奏法でなくとも、指で同じことはできるのだが、出てくる音色が全く違うのだ。これの場合は肉声的表現というものでもなく、一種の効果音みたいなもんだなあ。

『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』全体を通して聴くと、この時期に既にそんな種々のギター・スライド奏法が存在し、表現スタイルが確立されていたことが分る。もちろん最も頻繁に聴けるのは、細かく微分音的にトレンブリングする感情表現だけどね。

2016/12/28

哀切ラヴ・ソングで表現する女性の肯定感

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「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」という曲がある。バディ・ジョンスンが1945年に書いたブルーズ・バラードだから決して新しいものではない。直後にまず最初は妹のエラ・ジョンスンが兄バディの楽団の伴奏で歌ったものだけど、一般的には1963年のレニー・ウェルチ・ヴァージョンでよく知られているだろう。
しかし僕はこのバラードをヴォーカル・ヴァージョンで知ったのではない。ジャズ・トランぺッター、リー・モーガンが1958年のアルバム『キャンディ』のなかでやっていたので知った曲だった。もちろんインストルメンタル演奏なので、どんな内容の歌なのかは分らないが、美しいメロディだなと思ったわけだった。
その後 CD 時代になって、ダイナ・ワシントンでヴォーカル・ヴァージョンを知った「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」。ダイナはこの切なく哀しいラヴ・ソングをマーキュリー・レーベルに二回録音している。一回目は1947年にピアノとベースだけ(最初ちょっとチェレスタが入る)の伴奏で。二回目は1961年にクインシー・ジョーンズ編曲・指揮のオーケストラ伴奏で。

一度目の1947年ヴァージョンはシングル盤で発売されたので、当然二種類の録音集に入っている。マーキュリー録音完全ボックス・シリーズの第一巻。そしてキーノート、デッカ、マーキュリーの全シングル集四枚組『ザ・ファビュラス・ミス・D』。

二度目の1961年ヴァージョンは、CD ではマーキュリー録音完全ボックス・シリーズの七巻目にしか収録されていないはずだ。聴き返してみると、どうも最初の録音であるピアノとベースの伴奏だけで歌う1947年ヴァージョンの方が切々と胸に沁みるようなヴォーカル表現のような気がするなあ。
この「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」をこの人以上に感動的に、というかドラマティックにやった歌手はいないんじゃないかと思うのがローラ・リーだ。知名度の高い人じゃないよね。でも熱心なソウル・ファン、特にホット・ワックス/インヴィクタス系のものがお好きな方であればご存知だろう。

僕はそんな熱心なソウル・ファンではないし、ホット・ワックス/インヴィクタスについてもあまり知らないのに、どうしてだかローラ・リーのアルバムを持っている。もっともそれはオリジナル・アルバムではなく、1997年リリースの CD 二枚組ベスト盤『ラヴズ・ライツ&ロングズ:ザ・ベスト・オヴ・ローラ・リー』。Deepbeats Records というところが出している。

ベスト盤とはいえ、この女性ソウル歌手の代表作はほぼ全て揃う約1時間51分。僕にはこれで充分だ。しかし全く名前も知らない(今でもほとんど知っているとは言えない)人なのに、どうしてこのベスト盤を買ったんだろう?まあそういうのいっぱいあるけどね。いつどこでどういう理由で買ったのか、サッパリ分らない謎盤がたくさんあるだろう、みなさんも。

あれじゃないか、ローラ・リーは1967年にチェス・レーベルと契約して、この会社が彼女をマスル・ショールズのフェイム・スタジオへ向かわせて、そこで録音したものがあるから、フェイムになんだか特別な思い入れがあるらしいお前はそれで興味を持ったんだろ?と思われるかもしれないが、それは違うんだよね。

だいたいローラ・リーにそんなキャリアがあったなんてこと自体、かなり最近、調べてみて初めて知ったことだからなあ。だから CD 二枚組ベスト盤を買った時点では何者なのかま〜ったく知らなかったはずで、だからどうして買ったのやら分らないわけだ。

ローラ・リーのアルバムは全部で四枚しかない(その他、一時引退後の最近、ゴスペル・アルバムを出しているようだが)。そのうちの一枚がキャデット盤(チェス系)なので、ホット・ワックス/インヴィクタスからは三枚だけ。二枚組ベスト盤『ラヴズ・ライツ&ロングズ:ザ・ベスト・オヴ・ローラ・リー』はそこから満遍なく選ばれている。

話題にしている「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」は、最初のアルバムである1972年リリースのホット・ワックス盤『ウィミンズ・ラヴ・ライツ』に収録されているもので、しかも約八分間もあるという、普通の恋愛ソウル・ナンバーとしては異例の長尺もの。
いや、普通の恋愛ものでもないような歌だ。このローラ・リー・ヴァージョンはかなりの劇的なアレンジと大幅な拡大解釈がされているから分りにくいかもしれないが、上で貼ったダイナ・ワシントン・ヴァージョンならすぐに分るはず。「私の幸せな家庭を、あなたは私に捨てさせたのよね」と歌い出しているだろう。

つまりこれは不倫の歌だ。しかも家庭を捨てて不倫に走って、その結果終生結ばれるのであればまだしも、この主人公は結局その不倫相手の男に捨てられてしまい、というか男が去って(死んで)しまい、しかしそのあとも男のことが忘れられず、いつまでも未練があって、いまだに愛しているのよ、と歌っている。

「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」は「あなたと恋におちてから」その他、ロマンティックな邦題になっていることが多いけれど、それは正確じゃない。”fall for” はちょっとニュアンスが違うんだよね。この表現はいわば「騙される」とか「ひっかかる」とか「おとし入れられる」くらいの意味なのだ。

だからこの曲を歌う女性歌手は、幸せな家庭がありながら別の男に騙されて惚れてしまい後戻りできなくなって、それなのに男の方は死んでしまっていなくなって、それなのに先の見えない真っ暗闇のなかでいまだに忘れられず愛し続けているのよと歌っているという、なんとも哀しすぎる歌なんだよね。

ところが上で紹介したローラ・リーのホット・ワックス録音ヴァージョンをお聴きいただきたい。そんな哀切感が全くといっていいほど感じられない。それどころか正反対に、そんな女性の人生を謳歌して賛美しているかのようなフィーリングでのアレンジと歌い方だよね。

ローラ・リーの「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」は、かなり長めのモノローグではじまっている。歌本編に入ってからも大胆にモノローグをはさむ。こんなのはもちろんオリジナル・ヴァージョンにも、彼女に先行するいろんな歌手のヴァージョンにも存在しない。ローラ・リーのだけなんだよね。

歌に入るまで二分間もあるそのモノローグ。男との最初の出逢いの様子から語りはじめ、その時どれだけ彼が素敵に見えたのか、どれだけ惚れて取り憑かれてしまったのか、そして彼は今去って(死んで)しまったけれども、私の今の気持はどんなものなのか知ってほしいわ、本当に本当にあなたを愛しているこの私のこの気持をと、約二分間も。

それも相手をなくした女が涙でも流しながら切々という感じではなく、カラリと明るい感じ、と言うと少し違うのかもしれないが、かなりポジティヴに、こんな生き方を私は謳歌しているのよとでも言いたげなフィーリングに感じるのは僕だけかなあ?

歌本編に入ってからのローラ・リーの歌い方も、未練が切なく後を引いているような感じではなく、”misery and pain” "never see the lights" などと言っているわりには明るく強く人生を肯定するようなポジティヴな感じで歌っているし、いまだに彼を愛しているのよと、これまた歌の最中にもしばしば挿入されるモノローグも同じような、私はこう生きているのよ!という強い肯定感がある。

さらに伴奏のアレンジの劇的な展開も特筆ものだ。ローラ・リーの歌本編に入った曲全体の 3:12 までは普通のラヴ・バラード風なアレンジだが、3:13 で一瞬、快活で強いリズムになり、そうかと思うとすぐに戻り、その後は 3:12 までと同じ感じの伴奏だけど、そんな快活でないような部分でもかなりポジティヴなフィーリングのリズムとサウンドだよね。

またローラ・リーが歌い終った 6:03 にはかなり激しく演奏が変貌しているよね。そこからラストまでは、バック・コーラスは薄く入るがリード・ヴォーカルなしのほぼインストルメンタルで、このかなりのポジティヴな解釈でやる哀切ラヴ・ソングを、シンフォニックに大展開しているようなものだ。

ローラ・リーが1971年にホット・ワックスに「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」を録音するとなった際、このモノローグを大きく挿入するというアイデアと、ポジティヴなフィーリングでやるという解釈と、さらにかなり劇的なテンポ・チェンジとサウンドの激変を伴うアレンジを考案したのは誰だったんだろうなあ?

ホット・ワックス・レーベルは、ご存知の通りモータウンを去ったホランド〜ドジャー〜ホランドのチームが1968年に、モータウンと同じデトロイトに設立した会社で、ブッダが配給していた。1973年には終ってしまうが、インヴィクタスに移行して、同じ歌手や音楽家を起用して同じ音楽をやったので、ファンはホット・ワックス/インヴィクタスと言う。

ローラ・リーの「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」が収録された1972年リリースのホット・ワックス盤『ウィミンズ・ラヴ・ライツ』のプロデューサーはウィリアム・ウェザースプーンだ。というかこの女性歌手がホット・ワックス/インヴィクタスで歌ったものは、大半がウェザースプーンのプロデュースによるものらしい。

ってことはあの「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」の、肯定的な女性の生き方を強く表現するようなアレンジと歌い方とモノローグも、ウィリアム・ウェザスプーンのアイデアだった可能性はある。僕の持つ CD 二枚組ベスト盤『ラヴズ・ライツ&ロングズ:ザ・ベスト・オヴ・ローラ・リー』附属ブックレットにはそのへんのことが全く書かれていないし、そもそもウィリアム・ウェザスプーンがプロデューサーだったことすら一言も記載がないので、ネットで調べて分ったのだ。

『ラヴズ・ライツ&ロングズ:ザ・ベスト・オヴ・ローラ・リー』を通して聴くと、そんな女性の自由と権利と自立を歌うかのようなものが多く並んでいるのは確かだ。曲名や歌詞がというんじゃなく、歌い廻し、サウンド、リズムが開放的で力強く前向きなんだよね。そしてそれらの録音は、時期的には1960年代後半〜70年代初頭からアメリカ発で大きく広がった例の「ウーマン・リブ」(Women's Liberation)運動とピッタリ重なる。今でいうフェミニズムの走りだ。

しかしながらローラ・リー自身は、自分は基本的にはウーマン・リブとかなんとかに肩入れしているわけじゃないのよと語っていたらしい。ただ単に愛し合う二人が一緒になって自由になるべきだという考えで歌っただけなのよと言っているようだ(と附属ブックレット英文解説にある)。

前から繰返しているけれど、音楽家自身が自己の音楽について解説する発言をそのまま額面通りに受け取っちゃいけない場合がかなりある。ローラ・リーの場合は、歌を聴いたら確かに彼女の言う通りのシンプルな表現で、愛と自由という極めて普遍的なテーマを歌っただけなのかもしれないが。

だけれども、まあ二枚組ベスト盤一つを聴いているだけの僕が言うのも憚られることかもしれないが、並んでいる歌全29曲は、なかにはソウル・スタンダードの「ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ」や「ウェン・ア・マン・ラヴズ・ウーマン」とか、あるいはエタ・ジェイムズの「アット・ラスト」もあったりするけれど、多くはやはり肯定感に満ちた女性の生き方を力強く歌い上げるものだというのは、聴いての僕の率直な感想なんだよね。

本当のところ、ウーマン・リブ運動と、ローラ・リーのソウル・ヴォーカルとサウンドとリズムの前向きの肯定感に満ち満ちたフィーリングとの関係は僕には分らないので、あまり深入りするのはやめて、今日はここまでにしておこう。なお、声と歌い方だけ聴くぶんには相当にパンチが効いてているローラ・リーだけど、写真を見ると、想像に反し細身の女性だなあ。

2016/12/27

Us3はソウル II ソウルと同じ

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今では誰一人見向きすらもしないんじゃないかと思う Us3。でも1990年代にはかなり人気があったんだよね。特に92年にシングル盤「カンタループ」が出て、翌93年にそれが収録された最初のアルバム『ハンド・オン・ザ・トーチ』がキャピトルからリリースされた頃は、そりゃもう絶大なる人気を誇っていた。あの頃は特にジャズ・ファンじゃない音楽リスナーだって Us3、Us3って言ってたもんなあ。

数年前から日本で大人気の例の JTNC。考えてみたらあれの走りが Us3だったように思うのに、JTNC 系に夢中な方々は誰も Us3の名前を出さない。むしろ主導者自ら積極的に否定しにかかっているかのようにすら見える。いわく「1990年代のジャズと2010年代のジャズはこう違う」とね。同じに聴こえる僕は要するに違いの分らないオジサンってことなんだろう。う〜む、ネスカフェ。

JTNC 系のものはどうでもいいので放っておいて、Us3。ファースト・アルバム『ハンド・オン・ザ・トーチ』だけは今聴いてもかなりいい。カッコイイよね。特にいいのが1トラック目の「カンタループ(フリップ・ファンタジア)」、8トラック目の「トゥッカ・ユーツ・リディム」、ラスト13トラック目の「ザ・ダークサイド」だ。

1992年にまず出たという Us3最初のシングル「カンタループ」は僕は買わなかった、というかそもそも Us3の存在も知らなかった。翌93年にファースト・アルバム『ハンド・オン・ザ・トーチ』がリリースされ大きな話題になって、確か FM ラジオでも1トラック目の「カンタループ」が流れるのを聴いたはずだし、テレビ CM かなにかでも同じものが使われていたような気がする。

そんなことで耳にした「カンタループ(フリップ・ファンタジア)」がえらくカッコイイので、すぐに CD ショップでアルバム『ハンド・オン・ザ・トーチ』を買って何度も聴いた。いやあ、本当にカッコよかったんだよね。しかも大半のトラックは、サンプリングされているブルー・ノート・ジャズのレコード音源、ネタ元も周知のものだったので、その意味でも楽しかった。

それまで特にジャズ・ファンではなかった方であれば逆だっただろう。Us3を聴いて、これいいなあ、元ネタはなんだろう?と思っても、CD パッケージに入っている紙に書いてある「〜〜からのサンプルをフィーチャー」となっているその「〜〜」が分らなかったかもしれないよね。それで情報を探したんじゃないかなあ。

『ハンド・オン・ザ・トーチ』CD アルバム附属の紙にはサンプルの曲名と演奏者名しか書いていないから、知らない人はどのレコード(CD)を買えばいいのか分らないと思うんだよね。僕の持っているこのアルバムはオリジナルの UK 盤なんだけど、あるいは日本盤が出たのかどうか知らないが、出たのであれば日本語ライナーノーツには、サンプル収録の元のアルバム名なども明記されていたかもしれない。

あるいは日本語でも多数の音楽記事が Us3をとりあげて、使われているサンプルを収録してあるブルー・ノートのジャズ・アルバムを紹介してあったかもしれない。僕はほぼ全て周知のものだったので、そういうものは全く読まなかった。でも Us3が使ったサンプルに導かれ、そういうレコードや CD が売れたのかもしれない。

だいたい1トラック目「カンタループ(フリップ・ファンタジア)」のサンプル収録アルバムであるハービー・ハンコックの1964年『エンピリアン・アイルズ』には、えらくカッコイイ「ワン・フィンガー・スナップ」と「カンタループ・アイランド」があって、この二つは人気曲だったとはいえ、アルバム自体はさほど目立たず大人気というほどのものでもなかったもんね。

あの1960年代の新主流派と呼ばれた時代のハービー・ハンコックで一番人気があったのは、もちろん1965年の『処女航海』であって、あとちょっと毛色が違うけれど68年の『スピーク・ライク・ア・チャイルド』も大人気で、『エンピリアン・アイルズ』はそれらに次ぐ三番手みたいな感じだった。

ところが Us3がサンプリングして使ってくれて、えらくカッコいいヒップ・ホップ風ジャズに仕立て上げてくれたおかげで、ネタ元のハービーの「カンタループ・アイランド」を含むアルバム『エンピリアン・アイルズ』も売れたかも。あのハービーの「カンタループ・アイランド」は、元々ヒップ・ホップ風にしやすいループ的なピアノ・リフをハービーが弾いているし、Us3もそこをサンプリングしてある。
このハービーのを Us3はこんな風にした。冒頭に、これもサンプリングされて入っている甲高い声での MC が誰でどのアルバムで聴けるなんてことは説明不要だから省略する。ヒップ・ホップ風のリズムを出すドラムスのサウンドは打込みだけど、プログラミングしたのはメル・シンプスンかジェフ・ウィルキンスンか、どっちなんだろう?
トランペットのソロが聴こえはじめるが、それはジェラルド・プリゼンサーによる生演奏。ラップ・ヴォーカルはラサーンとコービー・パウエル。ラップが聴こえるジャズってのがそれまでなかったわけだし、普通の4ビートのメインストリーム・ジャズからサンプリングして、ヒップ・ホップ風のデジタル・リズムくっつけたのとあわせ、やっぱり Us3、新しかったよなあ。

そう、Us3の『ハンド・オン・ザ・トーチ』で用いられているサンプルは、メインストリームの4ビート・ジャズが多いのだ。例外は2トラック目「アイ・ガット・イット・ゴーイン・オン」で入っているリューベン・ウィルスンの「ロニーズ・ボニー」とあと少しだけ。リューベン・ウィルスンの1968年の『オン・ブロードウェイ』はファンキーでソウルフルなオルガン・ジャズだ。
この元からファンク・ビートを使ったリューベン・ウィルスンのサンプル以外は、Us3の『ハンド・オン・ザ・トーチ』にあるサンプルのほとんどが、カッコイイが普通のジャズだ。それにヒップ・ホップ風なデジタル打込みリズムを付けて、ラップ・ヴォーカルと管楽器の生演奏ソロを乗せているんだよね。

Us3は元々ロンドンでジェフ・ウィルキンスンがメル・シンプスンと共同ではじめたプロジェクトだった。ブルー・ノートのジャズ・レコードを使っていろいろとやっていたらしいのだが、それらからのサンプルを使ってダンサブルなビートを創ったのがラジオなどでとりあげられ人気が出たのを、当時ブルー・ノート音源の権利を持っていた EMI レコーズ幹部の耳にも入り、やや喜ばしくないと思われたのか、ジェフ・ウィルキンスンはロンドン EMI のオフィスに呼び出され、なにか言われたんだそうだ。

ロンドン EMI のオフィスでジェフ・ウィルキンンスンがなにを言われたのかまでは分らない。とにかく話し合いの結果、裁判沙汰にはならず、ジェフ・ウィルキンスンは EMI から公式にブルー・ノート音源をサンプリングしてよし!との許諾がもらえたのだということは分っている。それで天下晴れて堂々とブルー・ノート・ジャズの音源をサンプリングしたものをリリースできるようになった。

その最初の成果が1992年の初公式リリースのシングル盤「カンタループ(フリップ・ファンタジア)」だったのだ。公式も公式、これはブルー・ノート・レーベルからリリースされたシングル CD だからね。その翌年93年に出たアルバム『ハンド・オン・ザ・トーチ』もブルー・ノート・レーベル(のブランド名権利を当時持つキャピトル)盤だ。やはりブルー・ノート盤のセカンド・アルバム『ブロードウェイ&52nd ストリート』までは僕も買った。

そのセカンド・アルバム『ブロードウェイ&52nd ストリート』は今では僕ですらもう聴かないし、おそらく今後も聴くことはないだろう。ファースト・アルバム『ハンド・オン・ザ・トーチ』だけで充分。今聴いても楽しいものだとはいえ、これ一枚だけでジェフ・ウィルキンスンとメル・シンプスンの手の内は100%分ってしまうからだ。

さて、Us3は公式には1992年デビューで、ファースト・アルバム『ハンド・オン・ザ・トーチ』が93年のものなんだけど、僕のなかではこのユニットは、同時期のソウル II ソウルとぴったりイメージが重なっている。ソウル II ソウルのデビューの方が数年早いけれど、だいたい1990年代前半に英ロンドン発で大ヒットしたという点においてもね。

音楽の創り方もソウル II ソウルと Us3は共通していたんじゃないかと思うんだよね。Us3の方はジャズであるブルー・ノート音源のサンプルをメインに据えるという大きな違いはあるものの、それ以外はかなり似ている。両者ともビートはコンピューターで創るデジタル・サウンドだしなあ。

Us3では、デジタル・ビートに乗せて、トランペットやトロンボーンやサックスといったジャズでは花形である管楽器の生演奏ソロがあるというのもあたかも売り物の一つであるかのように思えるかもしれないが、僕の耳にはそうは聴こえない。だってサンプル元のレコードで聴ける一流ジャズ・メンのソロを聴いてみて。比較にすらならないよ。

だからソウル II ソウルも Us3も、デジタル・ビートに乗せて人声ヴォーカルが乗るという点こそが売りなのだ。前者では主に普通の「歌」で、後者ではそうじゃなくもっぱらラップだけど、前者も DJ 風な喋りが入っていることが多かったし、<デジタル・ビート+肉声>という点では同じだ。

また当時はなんとなく「似ている」「共通している」「同じようなもんだ」とぼんやり感じていただけのソウル II ソウルと Us3だけど、いま後者の『ハンド・オン・ザ・トーチ』を聴き返すと、ぼんやりどころではない明瞭な類似性がある。5トラック目「ジャスト・アナザー・ブラザー」はソウル II ソウルのいわゆる グラウンド・ビートそっくりだ。
コンピューターで創ったクローズド・ハイハットを刻むシャカシャカという十六分音符の音をメインに据えた全く同じパターンじゃないか。この今貼った音源を聴いた上で、ソウル II ソウル最大のヒット曲「キープ・オン・ムーヴィン」(1989)を聴いていただきたい。
どうです、同じでしょ?打込みドラムスのサウンド、主にクローズド・ハイハットの十六分音符などを使ったビートの創り方は完全に同じだ。また Us3『ハンド・オン・ザ・トーチ』12トラック目「メイク・トラックス」もちょっとグラウンド・ビートっぽいよ。
これはソウル II ソウルのファースト・アルバム『クラブ・クラシックス Vol. 1』(1989) 二曲目の「フェアプレイ」で聴けるビートに瓜二つだ。
その他細かい部分まで例をあげていたらキリがないと思うほどなんだよね。ソウル II ソウルのファースト・アルバムは1989年に出ていて、Us3は1992年に活動開始したんだから、大ヒットした三年前のソウル II ソウルは間違いなく聴いているし、どっちも同じようなレコード DJ、プロデューサーを中心としたプロジェクトなんだから、やり方が共通していても不思議じゃないね。

当時は逆だったんだけど、今ではどっちかというとソウル II ソウルの『クラブ・クラシックス Vol. 1』よりも Us3の『ハンド・オン・ザ・トーチ』の方が好きで聴く回数も多い僕は、やっぱりジャズ・ファンなんだろうなあ。1トラック目の「カンタループ(フリップ・ファンタジア)」がカッコイイと思うけれど、アルバム・ラスト13トラック目の「ザ・ダークサイド」が今では案外一番いいかもしれないね。
これで使われているサンプルはドナルド・バードの1974年盤『ステッピング・イントゥ・トゥモロウ』一曲目のアルバム・タイトル曲。これも Us3の『ハンド・オン・ザ・トーチ』では少ない、非4ビートなファンキー・ジャズからのサンプルだ。ドナルド・バードはある時期以後こういうのをやっていたよね。

2016/12/26

ロッドの歌うトム・ウェイツ

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ロッド・スチュワート の『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』は2009年リリースのワーナー盤なんだけど、これが発売されるまでの経緯を説明するのはちょっと面倒臭い。なんたって『ザ・ロスト・アルバム』という副題が付いているくらいで、1992年に録音されたまま当時は発売されず、長年そのままだった。

というと実は不正確で、録音されたもののうち五曲だけが、それもアメリカとカナダ以外で発売された。それが1993年のワーナー盤『リード・ヴォーカリト』の後半だ。そしてこの言い方も不正確で、まず1992年のカヴァー・ソング録音プロジェクトから、トム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルーズ」が同年にヨーロッパでだけ発売されていた。

ロッドとウェイツというと、1989年にロッドが歌うウェイツ・ナンバーの「ダウンタウン・トレイル」が世界的にヒットしている。おそらくそのあたりから有名・無名ロック・ナンバーのカヴァー集を製作するという意図が芽生えはじめたんじゃないかなあ。

ロッドの「ダウンタウン・トレイル」のプロデューサーはトレヴァー・ホーンで、当時のワーナー UK の取締役だったロブ・ディキンズの発案によるものだった。ロブ・ディキンズは「ダウンタウン・トレイル」の大ヒットに意を強くして、同趣向の一枚のアルバムを創ることを考えたんだろう。

それでやはりトレヴァー・ホーンをプロデューサーに起用して1992年に録音されたのが『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』だ。だがこれはお蔵入りしてしまった。なぜならリリースするかしないかというタイミング、あるいはポスト・プロダクションの途中で、別の魅力的な企画が持ち込まれたからだ。

それが例の MTV アンプラグドのアクースティック・ライヴ。1992/93年頃にはポール・マッカートニーやエリック・クラプトンといったロッドよりもキャリアの長い古参ロッカーの MTV アンプラグド・アルバムが発売され人気が出ていて、一種のアンプラグド・ブームだった。

それでこの企画を MTV 側から持ち掛けられたロッドは、完全にそっちに傾注するようになって、録音済の『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』の方はそのまま放ったらかしにしてしまった。ワーナー側としてはヨーロッパで先行シングルとしてリリースした「トム・トラバーツ・ブルーズ」の評判がいいので、完全に見捨てるわけにもいかなかった。

それで1993年に『リード・ヴォーカリスト』という、1970年代半ば以後ロッドが本拠にしていたアメリカ(とカナダ)以外で発売するベスト盤の後半に、『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』に収録予定だったものから五曲だけ選んで入れたんだろう。

だから僕の持っているロッドの『リード・ヴォーカリスト』は日本盤。アメリカ盤が存在しないわけだから。このアルバムの前半七曲は過去のロッドの有名ヒット・ソングを集めただけのただのベスト盤で、買う必要は全くなかった。古いものはジェフ・ベック・グループ時代の「アイ・エイント・スーパースティシャス」から、新しいものは1978年のヒット曲「ホット・レッグズ」まで。

『リード・ヴォーカリスト』の日本盤リリースは1993年3月で、MTV アンプラグドのライヴはその一ヶ月前に収録されている。恒例で音だけでなく映像も収録され CD と DVD が直後の四月にリリースされている。アメリカではこの『アンプラグド...アンド・シーティッド』が当時のロッドの最新作だった。

『アンプラグド...アンド・シーティッド』のなかには、『リード・ヴォーカリスト』ラストに収録されているトム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルーズ」もあるし、前半のベスト盤的選曲のなかから「ハンドバッグと外出着」や「ステイ・ウィズ・ミー」や「ホット・レッグズ」もやっている。

つまりそういう内容なもんだから、『リード・ヴォーカリスト』はアメリカでは発売されず、また元々のプロジェクトで録音済だったフル・アルバム『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』も『リード・ヴォーカリスト』後半に五曲だけ収録されたのを除き、そっくりそのままお蔵入りしたんだなあ。

最初に書いたように元々の『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』が、アメリカを含む全世界でリリースされたのは2009年。特に熱心なファンでない限り普通のアメリカ人リスナーが、このアルバムの内容を聴いた最初の機会だったはず。しかし「トム・トラバーツ・ブルーズ」だけは MTV アンプラグド・ヴァージョンがあった。

まあこんなややこしい事情があって、僕たち日本人のロッド・ファンにとっては、1993年3月リリースの『リード・ヴォーカリスト』、同年4月リリースの『アンプラグド...アンド・シーティッド』、2009年リリースの『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』の三つはゴチャゴチャにこんがらがっていたのだ。

それら三枚のうち『アンプラグド...アンド・シーティッド』は、1970年代からのロッド・ファンにもなかなか評判がいいみたい。おそらくはその時代の古いロック・ナンバーをたくさんやっているからだろうなあ。最大のヒット曲「ステイ・ウィズ・ミー」だけでなく、「ハンドバッグと外出着」「エヴリ・ピクチャ・テルズ・ア・ストーリー」「マギー・メイ」、そしてジェフ・ベックとやった「ピーピル・ゲット・レディ」もあるしね。

そんな『アンプラグド...アンド・シーティッド』の話はまた別の機会にしたい。なかなか楽しくて面白いアルバムだからね。今日は『リード・ヴォーカリスト』の後半五曲がなかなか悪くないという話を少し書いておきたかったのだ。書いてきたような事情で、1992年のカヴァー集プロジェクトから当時聴けたのはそれら五曲だけ。

スティーヴィー・ニックスの「スタンド・バック」、ローリング・ストーンズの「ルビー・チューズデイ」、ロイ・ C の「ショットガン・ウェディング」、コントゥアーズの「ファースト・アイ・ルック・アット・ザ・パース」、トム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルーズ」の五曲だ。

それらのうち、1993年の僕にとって「ショットガン・ウェディング」と「ファースト・アイ・ルック・アット・ザ・パース」は全く未知の曲だった。ロイ・C はリズム&ブルーズ〜ソウル・マンで「ショットガン・ウェディング」は60年代半ばにヒットしたらしい。つまり R&B 〜ソウル好きだった若き日のロッドが聴いていたんだろうなあ。

コントゥアーズは、テンプテイションズ加入前のデニス・エドワーズが在籍していたらしいデトロイトの R&B ヴォーカル・グループみたいだ。「ファースト・アイ・ルック・アット・ザ・パース」も1965年のヒット・ソングらしいので、やはり若き日のロッドが聴いていたんだろう。

この二曲以外の三つは説明不要の有名曲だ。それら五曲で、プロデューサーのトレヴァー・ホーンが腕をふるって豪華な伴奏陣が活躍している。通常のロック・ナンバーで使われる、ギター、鍵盤、ベース、ドラムスといったリズム・セクションに加え、豪華なストリングスとホーン・セクションが入っている。

さらにコンピューター・プログラミングによるデジタル・サウンドも効果的に使われていて、しっとり落ち着いて淡々とした「トム・トラバーツ・ブルーズ」以外は、かなり賑やかで派手な雰囲気だ。ロッドを昔から聴き続けてきているファンにはあまり好みのサウンドじゃないかもしれないが、僕はそういうのも案外好きなんだよね。

しかしやはり一番出来がいいというか絶品なのは、やはりラストのトム・ウェイツ・ナンバー「トム・トラバーツ・ブルーズ」だね。1976年の曲だけど、そのウェイツのオリジナルからして既に(彼自身のピアノ弾き語りにくわえ)ストリングスが入っている。
個人的にはあのわざとらしい声の出し方と芝居掛かったような歌い方があまり好じゃないトム・ウェイツなんだけど、ソングライターとしては大好きなんだよね。その最高傑作がこの1976年の「トム・トラバーツ・ブルーズ」だろうと僕は考えている。サビで引用されているオーストラリアのポップ・ソング「ウォルチング・マチルダ」も効果絶大だ。

ロッドによるカヴァー・ヴァージョンも、上掲トム・ウェイツ・ヴァージョンに沿ったアレンジで、ピアノとストリングスによる伴奏がメイン。そこにかなり控え目にアクースティック・ギターが絡むだけといったもの。ヴォーカルの力量はどう聴いてもロッドの方が上だよね。
この YouTube 音源が『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』のジャケットを使っているのは当然だ。アメリカではこの2009年のアルバム・リリースまでこのスタジオ録音ヴァージョンは発売されていなかったからだ。アメリカ(とカナダ)以外の国のファンは 、1993年の『リード・ヴォーカリスト』で聴いていた人が多い。

いやあそれにしてもこのロッドの歌うヴァージョンの「トム・トラバーツ・ブルーズ」はなんて美しいんだ。まあこんな感じのサウンドの評判が良かったのが、あるいはひょっとして21世紀に入って以後のアメリカン・ソングブック集シリーズに繋がっていたのだろうか?

ただロッドはそういう路線に行く前の2000年に甲状腺癌を患って喉を手術した。そのためにそれ以前のような声は出せなくなっているんだよね。このことを踏まえると、そうなったあとの2009年に、1992年に既に12曲録音済だった『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』をリリースしたのが、なんだか意味深長に思えてくるなあ。

五曲だけ1993年に聴いていた『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』を、フル・アルバムで2009年に聴いてみたら、ボブ・ディランの有名曲などもあるものの、既知の五曲以外はどうもイマイチな感じがしてしまった。僕だけじゃないだろう。日本でも全世界的にもほとんど話題にならなかったからだ。

ってことは1993年に北米以外でリリースの『リード・ヴォーカリスト』後半に五曲だけチョイスしたのは、『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』用の録音から特に出来のいいもので、これはリリースしておきたいというものだけ五つ選んだということかも。

いずれにせよ、上掲「トム・トラバーツ・ブルーズ」の絶品の美しさを聴けば、このロック・カヴァー集はこれ一曲だけでも充分なんじゃないかという気がしてくる。それくらい素晴らしい。ロッド自身も直後に『アンプラグド...アンド・シーティッド』でライヴ再演したんだから、やはり気に入ったということなんだろう。

そんなわけで、僕にとってのロッド・スチュワートとは1993年の『リード・ヴォーカリスト』後半五曲と、同年の『アンプラグド...アンド・シーティッド』で既におしまいになっている人なのだ。

2016/12/25

年間ベストテン 2016

1995年以来毎年欠かさずネット上で発表し続けている私的音楽作品ベストテン。今年もここ数年の恒例で今日12月25日、クリスマスの日に発表しよう。これも毎年書いているけれど、僕の年間ベストテンはその年の作品とは限らない。あんまり前のものも選びにくいけれど、それでも僕が買う音楽ソフトは、出てすぐその年に買えるとは限らないものもあるからだ。

そういうわけで「今年買った」ものが対象で、二・三年前くらいのまでのリリースなら入れている僕の年間ベストテン。新作篇とリイシュー・発掘篇に分けて10枚ずつ。ではまず新作篇から。

(1) Irineu de Almeida e o Oficleide 100 Anos Depois

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大のショーロ好きの僕にとって、今年の一位はこれ以外考えられない。僕がショーロというものを知って以来リリースされた新作では、断然ナンバー・ワンの大傑作。いまだにこれを聴かない日はないかも。音楽は「進化」なんかしない。ただ本当に美しいものが、そのままいつまでも美しくあるだけだ 。
(2) Joana Amendoeira / Muito Depois

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ポルトガルの若手(でもないがもう)ファド歌手の最新作にしてベスト作。この声の存在感、迫力、凄みの前には全く言葉がない。伴奏も伝統的ファド・スタイルでジョアナもじっくりと歌い込む。歌が好きなリスナーなら一曲目の一瞬だけで撃沈させられてしまうはず。
(3) Oki Dub Ainu Band / UTARYHTHM

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アイヌの伝統楽器トンコリの奏者兼歌手の OKI さん率いる21世紀型の最新バンド。こういうのこそ「グローカル・ビーツ」と呼んで評価してほしいぞ。重たいリズムのグルーヴ感も最高。
(4) Lệ Quyên & Thái Thịnh / Còn trong kỷ niệm

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去年から惚けっぱなしのヴェトナム人バラード歌手レー・クエン。極めて細かい息遣いの隅々にまで行き届いた歌い廻しの繊細な表現力は、いまや世界中を見渡しても並ぶ者がいないんじゃないかと思うほど。
(5) João Donato / Donato Elétrico

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1950年代から活躍するブラジル人鍵盤楽器奏者ジョアン・ドナート。今年の新作はレトロな1970年代風ジャズ・ファンクでありながら、サン・パウロの若手を起用してアフロビート色も聴かせてくれる。いまだに個人的ヘヴィ・ローテイション盤。
(6) Femi Oorun Solar - Mercy Beyond... Aanu To Tayo

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今年、ブログ記事にしようしようと思いつつ書きそびれてしまったが、ナイジェリアのジュジュ・ミュージックの若手ナンバー・ワン、フェミ・オルン・ソーラーの新作。激しくダンサブルで豪快なように聴こえて、その実かなり繊細なパーカッション・アンサンブルに乗り、フェミの軽快なヴォーカルが舞う。

(7) Paul Simon / Stranger To Stranger

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2016年、この歳の老舗ロッカーがこんなにも瑞々しく新鮮なニュー・ミュージックを創ってくれるとは、失礼ながら予想だにしていなかった。アメリカ音楽(系)のものでは一番よかったね。
(8) Richard Bona / Herigate

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リシャール・ボナの音楽では、前々からラテン要素がいちばん好きな僕なので、アルバム一枚まるごとラテン音楽が全面展開する今年の新作はもってこいの僕向きアルバム。これもいまだに個人的ヘヴィー・ローテイション盤。
(9) Imarhan / Imarhan

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通称いわゆる砂漠のブルーズでは、年頭に日本でも買えるようになったティナリウェンの新作ライヴ・アルバムがものすごいものだったけれど、個人的な好みだけならこっちだ。みなさんよくご存知のトゥアレグ系バンドのサウンドでしかないのに、どうしてこんなに心地良いんだろう?
(10) George Dalaras & Nikos Platyrachos - Ta Astega

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ギリシアのヨルゴス・ダラーラスの新作は、レンベーティカとラグタイム(とそれをルーツとするアメリカ黒人音楽)との合体・折衷作で、この二つの一見無関係そうな音楽の共通性を、世界のポピュラー音楽史を俯瞰しながら考えさせてくれる面白いものだった。
新作部門では、選外にはしたが充実作が今年も多く、大いに頭を悩ませた。書いてあるようにティナリウェンの新作は入ってしかるべきだったし、個人的趣味嗜好だけならデヴィナ&ザ・ヴァガボンズの新作ライヴ・アルバムや、アラトゥルカ・レコーズの面々による『メイダン』だって選びたかったのだが、そこは我慢我慢。



続いてリイシュー・発掘篇のベストテン 2016。

(1) とうようズ・レガシー

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これが出た以上、これを一位にしないことは、熱心な中村とうよう教信者である僕には考えられない。普通の意味での音楽が聴けるのは附属 DVD だけ。でもページをめくるたびにとうようさんの声と、とうようさんが情熱を傾けたいろんな音楽のサウンドが聴こえてくるかのようだ。





(2) 油井正一『生きているジャズ史』文庫版

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ジャズに限れば僕が最も敬愛し影響を受けたのがとうようさんではなく油井正一さん。その油井さんの書いた本では個人的に最大の愛読書だった『ジャズの歴史』(東京創元社)が、リットーミュージックから九月に復刊文庫化されて、こんなにも嬉しいことはなかったね。
(3) Music of Morocco: From The Library of Congresss, recorded by Paul Bowles 1959

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サイズが大きいので、なかなか全貌を把握することがいまだにできていない僕だけど、1940年代末以来終生モロッコに住んだアメリカ出身の作家ポール・ボウルズが、現地の伝統音楽を採取したボックス・セット。今の僕にとってのボウルズとはアメリカ人作家ではなく、こういうモロッコ文化の人物だ。

(4) a viagem dos sans (the journey of sounds) ~ Goa

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ポルトガルのトラジソンがリリースした全12枚のシリーズ。今年になって日本盤が出はじめて簡単に買えるようになり、いわゆる大航海時代のポルトガルが、ギターなどの楽器や、それを使ったり使わなかったりするいろんな音楽を世界各地に持込んで現地で花開いた音楽文化の粋の一端が分りやすくなった。今までリリースされているなかから、僕が最も感動した「ゴア篇」を。
(5) Youssou N'Dour & Le Super Étoile De Dakar / Fatteliku (Live in Athens 1987)

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最近の現在進行形ユッスーにはもはや興味はないけれど、1980年代末〜90年代頭あたり、昇竜のごとき勢いだっ全盛期のユッスーであれば、いつでもどんどん聴きたい。これは1987年にアテネでピーター・ゲイブリエルに招かれてやったライヴ。ピチピチしたユッスーの輝かしい声とバンドの躍動感が素晴らしい。
(6) Bob Dylan / The Cutting Edge 1965-1966

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つい先日、今年も恒例のように巨大なボックス・セットがリリースされたボブ・ディラン。そんな毎年毎年ボンボン出されても困っちゃうわけで、僕の場合、昨2015年リリースのこの『ザ・カッティング・エッジ』も今年に入ってようやく買えた。だがしかしまだまだジックリとは聴き込んでいないという有様。周回遅れだなあ、僕は。ざっと聴いたところ、ディラン自身がアクースティック・ギターでボ・ディドリー・ビート(3・2クラーベ)のパターンを刻みながら歌う「ライク・ア・ローリング・ストーン」その他があるようだが。

(7) B.B. King - The Complete RPM - Kent Recordings

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これも値段がバカ高いのでなかなか買えず、半値程度にまで下がってきた今年になって買えた巨大ボックス。なんたって B・B・キング絶頂期の録音が(ほぼ)全て、これでもかというほど聴けるんだから、楽しいったらない。それにしてもアメリカ黒人ブルーズって、同じようなものをいくら続けて聴いても聴き飽きないね。

(8) The Rough Guide To Blues Women

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別になんでもない初心者向けアンソロジーのように見えるけれど、1920年代の通称いわゆるクラシック・ブルーズと、そのちょっとあとに録音を開始するカントリー・ブルーズの女性歌手が一緒くたに並んでいるという、案外存在しない編纂方針のもので、マニアもなかなかどうして侮れない一枚なのだ。
(9) Led Zeppelin / Coda [Deluxe Edition]

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アラブ〜インド音楽風味こそが僕の最も愛するレッド・ツェッペリンなんだけど、この『コーダ』二枚組デラックス・エディションには、なんと1972年にインドはボンベイ(ムンバイ)で現地のインド人ミュージシャンと共演録音した二曲がある。ジミー・ペイジはつまらんことばかりやってないで、こういう録音の全貌を一日も早く詳らかにしてくれよ。
(10) New Orleans Roots of Soul 1941-1962

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ドック・レゲエことブルーノ・ブルム監修・選曲・解説の三枚組アンソロジー。カリブに端を発し、その後内陸部のメンフィスなどなどソウル・シティに至る道程にあった、カリブへと拓けた河口の街であるルイジアナ州ニュー・オーリンズ。その地の音楽家の録音で、ソウル・ミュージックのルーツと展開・発展を辿るというもの。同じブルーノ・ブルムがてがけた『キューバ・イン・アメリカ 1939-1962』『ジャマイカ・ジャズ 1931-1962』は年末に入手したばかりなので、来年に廻すことにしよう。

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