2017/12/16

慶事!渡辺貞夫のアフリカン・ジャズ傑作ライヴ、再発さる!

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と思い、こりゃ初 CD リイシューじゃないかぁ〜!って喜んで飛びついて速攻で買った2017年11月29日発売の渡辺貞夫さんの二枚組ライヴ盤『ムバリ・アフリカ』。届いて聴いて、うん、やっぱりこれはすごいよねと感動しきりの翌日、あるかた(も貞夫さんファン)にお尋ねして、自分でもネットで調べてみたら、どうやらいままでにも CD 化はされていたみたいだ(^_^;)。しかしそれでも僕が CD で貞夫さんの『ムバリ・アフリカ』を聴いたのは、ついこないだが初なので、やはり記しておかなくちゃね。しかも今回はソニーその他がやっているなんちゃら1000とかいう廉価盤シリーズでの再発なので、買いやすいと思うんだよね。正規ネット配信では聴けないアルバムだし。

貞夫さんの『ムバリ・アフリカ』は1974年9月20日、東京は郵便貯金ホールでのライヴ録音。メンバーは、コンサートの第一部を収録した一枚目が渡辺貞夫(アルト・サックス、ソプラニーノ、フルート、フェンダー・ローズ)、本田竹曠(ピアノ、フェンダー・ローズ)、鈴木勲(ウッド・ベース)、日野元彦(ドラムス)、富樫雅彦(パーカッション)。第二部を収録の二枚目では、この五人にくわえ日野皓正(トランペット、フリューゲル・ホーン)、宮田英夫(テナー・サックス)、渡辺香津美(ギター)、岡沢章(エレクトリック・ベース)が参加している。

『ムバリ・アフリカ』一枚目は1960年代ジョン・コルトレインと1970年代初期ウェザー・リポートを足して二で割ったような音楽で、といっても親指ピアノが使ってあったりして(富樫雅彦だろうか?)面白いんだが、そういうものも60年代コルトレインの延長線上にあると、いまの僕は考えている。コルトレイン・ミュージックをそういうものとして認識する方向に僕は傾いている。

しかし、このアルバム『ムバリ・アフリカ』が本当にすごいことになるのはコンサート第二部を収録した二枚目でだから、人員を拡充した二枚目のことに限定して今日は話をする。全部で計7トラック。そのうち、複数曲?モチーフ?即興?がメドレー形式になっていたり、最後の「TANZANIA E」はアンコールとして、3トラック目でやったのをもう一回やっているものだ。

『ムバリ・アフリカ』二枚目。(1トラック目「TANU SONG」のことは書き忘れてしまいましたので)2トラック目「MASAI SONG / MASAI STEPPE」は、曲題どおりタンザニアの合唱みたいなもの。約11分間のこのトラックでは、途中までパーカッション類以外の楽器は一切使われていない。富樫雅彦と日野元彦だけでなく、おそらくほかの全員も小物打楽器をやって、同時に複数(全員?)が歌っている。しかしアフリカン・ポリフォニーみたいには聴こえず、ふつうのユニゾン合唱だけど、でもこれ、完全即興じゃないかなあ?打楽器と合唱だけでアフリカっぽいものをなにかやろうぜっていう、それしか決めていなかったと思う。
「MASAI SONG / MASAI STEPPE」中盤で本田竹曠がアクースティック・ピアノを弾きはじめるところから「MASAI STEPPE」部になっているということだろうか?三本の管楽器アンサンブルがあって、その後まず日野皓正のトランペット・ソロもめちゃめちゃアツい。こんなヒノテルはなかなか聴けないよなあ。ふつうのジャズ・マナーというよりも、一部のアフリカ音楽的なパッションを僕は感じる。

日野皓正のそんなソロも、直接的には1960年代フリー・ジャズ(っぽいような熱情)から来ているんだと思うけれど、60年代のあんなふうになっていたジャズの指向性がアフリカに向いていたということだから、それであんな具合になっていたということに違いないから、1970年代中盤〜後半以後もっとグッと整理されて聴きやすい明快でポップなアフロ・ジャズ・フュージョンとなる前のこんな貞夫ミュージックも、もちろんそんなものだよなあ。

日野皓正のソロ、二番手でテナー・サックス・ソロを吹く宮田英夫の背後で、日野元彦がかなりのポリリズムを叩き出し、富樫雅彦のパーカッションとあいまって、複雑だがストレートに気持いい(特に元彦のシンバル)グルーヴを産み出している。いやあ、すごいよなあ。1974年の東京で、しかも全員日本人で、こんなことやってたなんてなあ。このあと現在に至るまで、貞夫さんの『ムバリ・アフリカ』二枚目以上のアフリカン・ジャズなんて、ないじゃないか。

3トラック目の「TANZANIA E / FUNKY TANZANIAN」は、アルバム・ラストに同じ曲をやるアンコールの「TANZANIA E」も収録されているが、2トラック目のこれはソロみたいなものがなく、前半「TANZANIA E」部ではホーン・アンサンブルが、なにかの呼び声のように合唱するのをリピートし、その背後で打楽器群が動く。後半の「FUNKY TANZANIAN」部になって貞夫さんのソプラニーノ・ソロも出る。その部分は強靭なアフリカン・ビートで、しかも2トラック目と違ってかなりタイトで鋭く締まっている。ほぼファンク・ビートだ。ソロ部以外は、前半と同じ大地のコールみたいなホーン・アンサンブル。
4トラック目「SABA SABA」が、個人的には貞夫さん『ムバリ・アフリカ』二枚目のクライマックスだ。ここでは一番手で渡辺香津美がギター・ソロを弾くのもカッコいい。バックでホーン・アンサンブルのリフが入るが、それはちょっとギル・エヴァンズのビッグ・バンドのマナーに近い響き。二番手、日野皓正のトランペット・ソロは、ソニー・ロリンズの「セント・トーマス」を引用。そこでハッとだれでも思い当たるはず。カリビアン・ジャズ(・ファンク)だって、アフロ・セントリックなんだもんね。皓正のソロのあいだで富樫雅彦が叩くコンガがポンポン気持よくて最高だ。このカリビアン〜アフロ・ジャズみたいな「SABA SABA」では、香津美と皓正しかソロをとっていない。
5トラック目「HABARI YAKO」は、1970年代後半以後の貞夫フュージョンを予告したみたいな親しみやすいポップなフィーリングで、陽気なアフロ・ジャズ・フュージョンだ。でも打楽器奏者二名、特に日野元彦のドラミング、それもシンバルの使いかたが入り組んでいて、そういうのはその後数年で貞夫さん自身も消して音楽を明快にしていたような部分がある。この4トラック目でのソロは貞夫さんのアルトと本田竹曠のアクースティック・ピアノだけ。本田のソロも快活陽気なフュージョン路線に近づいているが、まだまだアフリカっぽい。
6トラック目「MBALI AFRICA」がそのままアルバム・タイトルになっているわけだけど、このアルバムでの「MBALI AFRICA」は、半分以上がメンバー紹介のための BGM みたいなもので、実際、貞夫さんが一名一名呼び上げて、これで今日のコンサートは終わりですとか言っている。がしかしここでも曲「MBALI AFRICA」の、あの1981年作『オレンジ・エクスプレス』でもアルバム・ラストで再演されたこの名曲の、東アフリカ的なメロディの動きは素晴らしい。まずインプロヴィゼイションから曲がはじまって、 MC が終了したあとでその主旋律が出てくる。いやあ、ホント〜ッに「MBALI AFRICA」のメロディってカッコイイよなあ。それをたった一回だけ演奏して終わる。
7トラック目「ENCORE:TANZANIA E」では、3トラック目でやる同曲よりもグルーヴィになっていて、エレベの岡沢章の弾くリフもはじけてていいし、本田竹曠のフェンダー・ローズもエフェクターを使って音を歪ませてあってカッコイイね。ジャズふうなソロらしいソロはほとんどないが、バンド全体のグルーヴ・オリエンティッドな演奏こそに持味がある。それこそが気持いいんだよね。

2017/12/15

『アマンドラ』ってわりといいじゃん

予告どおり、これも以前の余滴(その二)。正直に告白すると、あのときまで僕はマイルズ・デイヴィスの1989年リリース作『アマンドラ』をそんなにいいとは思っていなかった。1986年のワーナー移籍後では、第一作の『TUTU』がいちばん好きで内容もいいとずっと感じていて、あとは死後リリースになった『ドゥー・バップ』もいいじゃんとか、そんな感じだった。僕のばあい最初から CD で買った『アマンドラ』は、なんだか平凡で地味な作品だなあという印象が続いていたんだよね。

その印象がついこないだひっくり返ったのだった。いちばんいいのは、そのとき(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/3-81-9723.html)も書いたがリズムだよね。シンセサイザーもたくさん使ってあるし、なんだか軽くてポップなものを敬遠していた時期が長い僕だから、そういうサウンドの表面的な軽さに惑わされて警戒心が働いていたんだろうなあ。

同じマーカス・ミラーとの全面コラボレイションでやった1886年の『TUTU』はもっとずっしり来るというか、あれはベーシック・トラックのだいたいの部分がマーカス一人で創ったものだけど、スタジオ録音の際の晩年のマイルズにとってのバック・バンドとは、すなわちイコール、カラオケ伴奏だったから、あれでオッケーだと僕は思っていて、いろんな楽器奏者がわりとたくさん参加している『アマンドラ』は、かえって面白くないとか、そう感じていたのかなあ?

『アマンドラ』もサウンド創りの基本は『TUTU』と同じだけど、ワーナー移籍後のマイルズにしてはスタジオとライヴとの差が最も小さい作品だ。生楽器奏者がたくさん参加しているせいで生のグルーヴが生まれていることもあるけれど、それはボス自身がバンドでスタジオ録音したかった、作品創りしたかったという願望の現れだったのかもしれない。つまり、まだまだハードなスケジュールをこなしていたライヴ・ツアーのようなフィーリングで、そのまま。

そのままといっても、もちろん基本的にはマーカス・ミラーが一人で曲を考えてサウンドの方向性も決めて、ものによっては一人多重録音でベーシック・トラックも創りなどしている『アマンドラ』だけど、しかし『TUTU』みたいに本当にマーカスとマイルズの二人だけでっていうのが多いというような曲は、『アマンドラ』には実は一個もない。一人、二人なんてもんじゃなく、けっこうたくさんのミュージシャンが、曲によってメンツを替えながら、どんどん参加して演奏している。

最大のものは、当時のレギュラー・バンドのサックス奏者ケニー・ギャレットがかなりたくさん参加してアルトでソロを吹いていることだ。当時のマイルズ・バンドのライヴを現場でも録音でも体験したことのあるかたなら、ケニーのアルトがビッグ・ヴォイスだったことをご存知のはず。ハッキリ言ってしまうと、晩年のマイルズには、もうそんなに大きな体力も残っていなかったし、吹奏技巧も衰えていたしで、ライヴ(全体は長尺のばあいも多かった)ではトランペットをチョロチョロっと吹いてはすぐにケニーのサックスやフルートや、フォーリーのリード・ベース(という名のギター)に長めのソロをやらせていた。

スタジオ作『アマンドラ』だと、フォーリー(は音楽活動で本名は使わない人だから書いちゃダメ)は少ししか参加がないが、ケニー・ギャレットがたくさんアルト・サックスで吹いている。ライヴと違って時間的制約が厳しいから尺は短いが、生演奏のアルトでソロを吹くだけでなく、ボスのトランペットにもどんどんからんでいる。これはマイルズのほうの意向だったみたいだよ。ライヴ・ステージでも自ら吹きながらケニーのところに歩み寄って(81年復帰後から無線電波で音を飛ばす装置を使用)掛け合いでやるように促していた。フォーリーともそうやっていたが、そっちは『アマンドラ』では聴けない。

エレベはぜんぶマーカス・ミラーが弾くけれど、『TUTU』みたいにリズム・トラックのすべてまで自分で創るってことはほぼなくて、「カテンベ」、「コブラ」(はマーカスも参加だが、ジョージ・デュークが主導)、「ジョ・ジョ」の三曲以外は、ぜんぶ生演奏ドラマーが叩いてリズムを創っているのが、いまとなってはかなりいい感じに聴こえる。

なかにはアル・フォスターが叩くものだって一曲だけあるもんね。アルバム・ラストの「ミスター・パストリアス」がそれ。マイルズとジャコ・パストリアスに接点はなかったはずだから、やっぱりマーカスの先輩ベーシストで憧れの存在でもあったからこういう曲名にしてあるんだろう。演奏の中身もなんだかレクイエムみたいなものだしなあ。マーカスは演奏後ボスに、「曲題が気に入らなかったら変えましょうか?」と聞いたらしい。

しかもその「ミスター・パストリアス」は、あとからマーカス・ミラーがキーボード類で音を足してはいるものの、ベーシック・トラックはマイルズ、マーカス、アル・フォスターの三人同時生演奏の即興で収録したものだ。マーカスが4/4拍子のラニング・ベースを弾く部分もある。こういうジャジーな曲調だと、ほかの曲で叩いているオマー・ハキム(はマーカスのお気に入りだったみたい)やリッキー・ウェルマン(は当時のマイルズ・バンド・レギュラー)よりも、アル・フォスターのほうがハマる。なんでもないふつうのジャズだけれどね、この「ミスター・パストリアス」は。みんなイイって言うけれど、ちょっとそれは感傷に流されているかもしれないと思う。

こういうのじゃなくて、また似たようなバラード調の六曲目「アマンドラ」(でピアノを弾くのがジョー・サンプル)でもなくて、だって実際僕にはあまり面白くないからこういうのではなく、以前書いたようにカリブのアフロ・クレオール・ミュージックであるズークっぽくて、隠しテーマとしてアフリカ大陸を見据えているようなグルーヴを持つもののほうがいいんじゃないかなあ。

ってことは全八曲のアルバム『アマンドラ』では、残りの六曲となって、しかし二曲目の「コブラ」はイマイチだ。七曲目の「ジリ」は、演奏でも参加のジョン・ビガムの書いた曲で、これはこれでなかなか面白い。ジョン・ビガムという人はパーカッショニストとしてほんのちょっとだけマイルズ・バンドのライヴ・ツアーに帯同していたこともあって、ブートレグでなら聴けるけれど、基本的にはエレクトロニック・パーカッショニストなんだよね。だからなのかどうなのか、コンピューターや鍵盤シンセなどもやる。

しかも「ジリ」には生演奏ドラマーのリッキー・ウェルマンが参加して叩いている上に、ジョン・ビガムのプログラミングによるドラム・マシンも使われていて、かなり面白いビートなんだよなあ。かなり強くシンコペイトし、リッキーが本領であるゴー・ゴー(ワシントン D.C.の黒人音楽) のパターンを叩きながらも、曲全体のノリはヒップ・ホップ・ジャズを一瞬思わせるところもある。この「ジリ」は、マーカス・ミラーよりもジョン・ビガムが主導権を握っての製作だったかもしれない。

そのほかだと、一曲目「カテンベ」、三曲目「ビッグ・タイム」、四曲目「ハニバル」、五曲目「ジョ・ジョ」となるけれど、以前からみんながいちばん注目するのは「ハニバル」だった。理由は二つあって、一つはこの曲でのマイルズの感情表現の入れ込みようがなんだかずいぶんとディープだし、本当、このころのマイルズにしてはありえないと思うほど演奏に没入しているから。もう一つは最晩年の重要レパートリーとなって、ライヴでは必ず演奏されたからだ。

たしかに四曲目「ハニバル」は素晴らしい。でもだいたいみんなマイルズのことしか言わないけれど、僕はボスだけじゃなくて、アルトのケニー・ギャレットも、そして伴奏も、強いパッションを感じるものだと思うよ。曲じたいがそういうものだと僕には思える。書いたマーカス・ミラーはどうしてこんなパッショネイトな曲を持ってきたんだろうなあ?ここで叩くオマー・ハキムのドラミングもポリリズミックで激しくてイイなあ。ずっと鳴っているスティール・パンみたいなサウンドはマーカスのプログラムなのか、パーカッション担当のポーリニョ・ダ・コスタの生演奏なのか、どっちなんだろう?バンドの演奏するキメもシャープでカッコイイ。

でも「ハニバル」はあからさまに盛り上がりやすい曲だから、まだ分りやすいんだ。だからマイルズもライヴでの定番演奏曲にしたんだろうし。でもアルバム『アマンドラ』だと一曲目の「カテンベ」のほうが、僕にとっては楽しいんだよね。マイルズのソロのあいだに背後で入るエレキ・ギター・カッティング(はマーカスの演奏)と、複数本サックスのリフが入るところがかなり気持いいんだよね。ケニー・ギャレットも参加しているが、たぶんマーカスの吹くソプラノ・サックスと一緒に音を重ねてあるんだろう。

しかし「カテンベ」に専門ドラマーはいない。ドラムスもマーカスの演奏で、ボスを除く演奏メンツもかなり少ない四人。四人というのは、たった三人の上述「ミスター・パストリアス」の次に少ないんだよね。それで「カテンベ」ではこんな面白いグルーヴに仕上がっているわけだから、じゃあやっぱり結局同時生演奏こそで出せるナマのビート感ってなんだったんだ?ってことになってしまって、上のほうで僕自身が書いたことと自家撞着を起こしてしまった。いつもいつも、計画や組み立てなしで書き進むからこうなるんだよね。いやでもホント、「カテンベ」ってカッコイイって思わない?ソロがじゃなくて、リズムとサウンド・アレンジがさ。

2017/12/14

ヴォーカリスト坂本冬美の才覚

先月、坂本冬美の新作『ENKA II ~哀歌~』について書いた。これは一種のフィーリン(キューバ音楽の一種)演歌だとして。
しかしこの文章ではもっぱらアレンジの素晴らしさにフォーカスしていた。ふわ〜っとソフトなフィーリンみたいなサウンドが心地良いのは間違いないけれど、やっぱりいちばんすごいのは坂本冬美のヴォーカルなので、それを書いておかないとね。いくらフィーリン・アレンジがよくたって肝心の歌手がうまくなかったら、音楽として総合的にこんなに素晴らしく聴こえないわけだから。

だから今日はアレンジについてではなく坂本冬美の歌について、『ENKA II ~哀歌~』のことを少し書いてみたい。ヴォーカリストとしての冬美の才覚、優秀性、円熟味みたいな部分について。でもって結局それはつまり、フィーリンふうに抑制の効いたクール・ヴォーカルだってことにやっぱりなってしまうんだけどね。

さて、ちょっと戯れにネット検索してみたが、やるだけ時間のムダだった。坂本冬美の『ENKA II ~哀歌~』について、まだだれも書いていない。僕の書いた文章しか出てこないなんて、ちょっとヘンだなあ。だいたいこのアルバムがリリースされてもう一ヶ月以上が経過しているのに、ほとんど話題になってないってどういうことなんだろう?たしか『ミュージック・マガジン』で宗像明将さんが記事をお書きだったが、それだけなんじゃないかなあ。

宗像明将さんのその記事は坂本冬美本人にインタヴューする内容で、見開き2ページという簡素なものだけど、『ENKA II ~哀歌~』にかんしての冬美本人の発言が読めるし、それとからむ宗像さんの発言も、それから地の文も含め、短くてもポイントはしっかりおさえてある。簡にして要を得たもので素晴らしい。

僕は僕自身の感想を書いておこう。『ENKA II ~哀歌~』で聴ける坂本冬美のヴォーカル表現はさらりアッサリ味で、(いかにも演歌歌手だといった)コブシを廻さず、過剰な感情移入を避け、というかほとんどガッツリは行っていないようなフィーリングでの歌いかたで、一聴した表面的な印象では、かなり淡白なものだと受け取られるかもしれない。

がしかしそこがいいんだよね。どうも演歌の世界がどんどん衰退していっているかのように見えているのは、グリグリとディープにやりすぎるからなんじゃないかと、それも一因なんじゃないかと僕は思っている。発声法や節回しなど、濃厚すぎるフィーリングが、軽めのポップス愛好家のみなさんにとっては <おかしい> <ヘン> なものだと思われて、敬遠されるようになっている部分もあるんじゃないだろうか?

もちろんべつにそんな強く張った発声でヴィブラートをたっぷり効かせコブシを廻しまくるような演歌歌手は時代遅れだとか評価できないなどと言っているのではない。僕自身の個人的趣味だけでなら、むかしからの演歌ファンと同じ気持もあるし、ああいった演歌歌手のみなさんの歌はいまでも大好きだ。

それでも演歌界が今後生き延びるためには、新規ファンを獲得して層を拡大しないといけない。いまのままではある一定年齢以上の日本人が死滅すると同時に演歌界も消滅してしまう。そんな先のことは知らんぞ、俺は俺の趣味の世界に生きるんだというのが大勢の考えかもしれないが、まあまあそこは…、やっぱり面白い世界だし、素晴らしい曲もたくさんあるし、それに前から繰返すように、演歌は(日本の伝統文化なんかじゃない)モダン・ポップスで、ふつうの J-POP との本質的な違いはないんだからさ。だから(一部の愛好家じゃないみなさんにも)聴かれてほしい。僕はやっぱりふつうに存続してほしいんだ、演歌も。

若手演歌歌手なかには新鮮な表現法をとる人もいるのだが、坂本冬美はベテランと呼ばれる部類だろう。むろん冬美は以前から、たとえば八代亜紀もそうなんだが冬美も、たんなる演歌の世界には括れない幅広い活動をしていて、ひろく歌謡曲全般を歌っている。例の『LOVE SONGS』シリーズがそうだ。そのなかにいわゆる演歌のレパートリーは一つもない。ふだん和服を着ている歌手が、それを脱いで洋装に着替えたようなものだった。

そんな洋装での、フレッシュでみずみずしくソフトなフィーリング、アレンジもそういう路線でやって、その上に坂本冬美のふんわりヴォーカル乗せるという試みは、たしかに『LOVE SONGS』シリーズではじまったものだけど、『ENKA II ~哀歌~』ではそれが格段に円熟味を増していて、しかも今回のレパートリーは演歌が多い。ドロドロ濃厚な怨念ソングみたいな曲もとりあげてあんな出来にしているのは、アレンジャー坂本昌之の貢献も大きいが、やっぱり冬美のヴォーカル・スタイルこそがいちばんのポイントだっただろう。

たとえばアルバム二曲目の「骨まで愛して」。曲題だけでも分るようにガッツリ濃厚にグリグリ行きたいものだけど、そこを坂本冬美はグッと気持をおさえて、つまりこらえて、感情移入しすぎずサラリと歌って、かといってしかしドライになりすぎない情緒をしっかり残している。アレンジもいいのだが、冬美のヴォーカル表現がきわめて絶妙なバランスの上で成立し、美を放っているんだよね。アッサリ味だけど、だからこそかえって「骨まで愛してほしいのよ」という歌詞の意味と感情がより一層ディープに伝わってくるような、素晴らしい絶品ヴォーカルじゃないか。

一曲目「雨の慕情」、三曲目「酒よ」、五曲目「おもいで酒」、七曲目「アカシアの雨がやむとき」、そしてちょっとニュアンスが違うものの僕は好きな九曲目「圭子の夢は夜ひらく」などでは、そんな坂本冬美の、いわば新境地に達した円熟味のあるヴォーカルをたっぷり味わうことができる。円熟も円熟、これは完璧に老練な(失礼!)大人の女の世界だ。

『ENKA II ~哀歌~』で、ここまで書いてきたような曲群での坂本冬美の絶妙きわまりない情感の抑えかた、というか軽さ、さりげなさ、は格別の味わいだ。ちょっと聴いた感じの第一印象では、ガッツリ行った歌を聴きたい演歌ファンのみなさんには物足りなく感じるものかもしれないが、こうやって感情を表面的にぶつけすぎない表現のほうが本当は深くて、本当は濃厚なフィーリングをなかに秘めたようなもので、内なる炎のゆらめきをしっかり感じとることができるものなんじゃないかな。

純技巧的に聴いても、一つだけ書いておくと、音程のコントロールだってマジ100%完璧なんだよね。たとえば「おもいで酒」の「おもいで酒に、酔うばかり」。ここの「ばかり」は「ばぁ〜かぁ〜りぃ〜」となるんだけど、そこの部分はかなり細かい音程の動きかたで、正確にピッチをヒットしながら廻すのが難しい。実際、どんなうまい歌手も少し外していて、みんななんとなくやりすごしている。ところが『ENKA II ~哀歌~』での坂本冬美はまったくズレがなく完璧。

いやあ、本当に素晴らしいよねえ。こんな歌手に成長したなんて。坂本冬美。いま、日本中を見渡しても、こんな歌いかたができる演歌歌手って、いやいや、いろんな種類の音楽のぜんぶの歌手のなかでも、だれかほかにいるのだろうか?

2017/12/13

師走はさすがに忙しい 〜 坂田明を礼賛す

謎なのは渡辺香津美がどうして坂田明を使わずにデイヴィッド・サンボーンにしたのか?ってことだ。主役を持っていかれてしまうと危惧した、ということしか考えられる理由はない。つまりそれだけ坂田を畏れた、あるいはサンボーンなら大丈夫だろうと軽く見た、というと言いすぎかもしれないが、あの1985年『MOBO SPLASH』での「師走はさすがに忙しい」(US リリース時の英題が ‘Busiest Night’) は、僕にとってはイマイチ。

それくらい前1984年のライヴ・ヴァージョン「師走はさすがに忙しい」での坂田明がもんのすごかったんだよね。いちばん上でリンクを貼った YouTube 音源で、ぜひみなさんも聴いてほしい。説明文に書いてあるように、これは山下洋輔が主役のリサイタルからの一曲で、ラジオ番組『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』からのエア・チェック・テープをもとに、自分でデジタライズした。

残念なのはエレベ奏者がだれなのかがいくら調べてても分らないこと。あの日の深夜の FM 東京のその番組でも演奏者名は言わなかったように記憶している。判明しているメンツは、テープに残されている山下洋輔のステージ上での紹介の声から聴きとっているだけなんだよね。このラジオ番組にかんしては、詳しい情報を記したところがネットにあるのにパーソネルだけ記載がないのは、そのせいだと思う。1984年というのだって放送年がそうだから録音年もそうだと自分で判断しているだけだ。あの『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』で流れる貞夫さんのやほかの人のライヴ音源は、ぜんぶ収録してあまり間をおかずに放送していたので、そうなんだろうと。

「師走はさすがに忙しい」は、もちろん渡辺香津美の曲。正式スタジオ録音が上述の『MOBO SPLASH』に収録されているわけだけど、その前の年に山下洋輔主宰のリサイタルで、香津美自身もギターで参加してライヴで披露したんだよね。もちろん山下がピアノ、ドラムスは村上ポンタ秀一で、エレベはホントだれなんだ?演奏を聴いてもエレベは完全に100%脇役の堅実地味な弾きかただから、分らなくてもさしつかえないような気もするけれど。五人とも健在だから(ってベース奏者は知りませんが)、お尋ねすれば憶えていらっしゃるんじゃないかなあ。僕が直接聞けるチャンスはないと思う。

渡辺香津美1985年『MOBO SPLASH』ヴァージョンの「師走はさすがに忙しい」をほとんど憶えていないので、その前年の山下洋輔クインテットのこのライヴ・ヴァージョンの話しかできないが、勘弁してほしい。香津美の書いたテーマは、グルグル廻るようなギター・リフから入って、そのまま主旋律になって、それはいかにも12月の年の瀬で忙しいというようなフィーリング。このころ香津美はたしかスタインバーガーのギターを使っていたんじゃないかなあ?記憶違いかもしれない。

サビ部分から坂田明のサックスも鮮明な音で合奏で参加。その後ブリッジ部分みたいな反復があったのち、パッとリズムが止まって香津美のギターが独りで静かにたたずむパートが来る。この動/静のコントラストは、そのまま山下洋輔、渡辺香津美、坂田と三人のソロでも使われている。というかはっきり言うと、リズム・セクションがぜんぜん伴奏しないその<静>部分での無伴奏ソロのほうが、どっちかというと聴きものなんじゃないかなあ。

リズムはまあその〜、村上ポンタ秀一がシモンズ・ドラムスを叩いているのが、いかにも1980年代というチープな感じで、シモンズ・ドラムスってあのころみんな使っていたけれど、いま聴くとこりゃちょっとどうにもなあ…。ポンタもこの日のリサイタルで「師走はさすがに忙しい」の前にやったデューク・エリントン・ナンバー「コットン・テイル」(はテナー・サックスが松本英彦、ウッド・ベースが吉野弘志だと山下洋輔が紹介しているカルテット編成)では、ふつうのドラム・セットを叩いているから、「師走はさすがに忙しい」は、たぶん1984年の時代の最先端サウンドにしたいということで、渡辺香津美の出したアイデアでシモンズ・ドラムスを叩いたのか?あるいはポンタ自身の意向だったのか?

時代の最先端サウンドといっても、山下洋輔、坂田明の二名の演奏は、むかし森山威男とのトリオで活動していた1970年代前半となんら変化がない。そんでもって、時代の先端流行サウンドを追った渡辺香津美の1985年作『MOBO SPLASH』ヴァージョンの「師走はさすがに忙しい」をはるかに凌駕しているんだから、だから、音楽の進化??ってなんなのさ〜?変化してつまらなくなるだけだったら、そんなものいらないでしょ〜。

このライヴでの「師走はさすがに忙しい」では、まず一番手の山下洋輔のピアノ・ソロからすでに素晴らしく、かなり活躍しているよね。特に 2:17 〜 2:21 でのリズミカルなワン・ノート反復や、そのあとでの、やはりあいかわらずの不協和で不穏なブロック・コード連打など、聴きどころは多い。<静>パートのピアノ独奏になると、バラード調で美しくリリカルに弾いている。最後に一発ブロック・コードをゴ〜ンとやっておしまい。しかも曲の演奏での山下は、伴奏に廻っているときの貢献度だって大きい。

二番手、渡辺香津美のギター・ソロは、いかにもこの時代の彼らしい音色のつくりかたとその変化のさせかた(エフェクターを使ってなんどもチェンジしているよね)で、フレイジングも予測不能な突拍子もなさ。後半部の伴奏リフを坂田明が入れている。<静>パートのギター独奏で、またふたたび音色をチェンジ。ファンシーなサウンドでディズニー・ソング「星に願いを」の一節を弾いたかと思うと、次の瞬間にまた音色をかえてレッド・ツェッペリンの「ハートブレイカー」を引用する。

問題は、ではなくてこのライヴの「師走はさすがに忙しい」での最大の聴きものは、その次に入ってくる坂田明のアルト・サックス・ソロだ。伴奏陣のパターン・チェンジなどそのほか委細かまわず、坂田自身の信ずる道をただひたすらに突っ走っている。アトーナルなフリーキー・トーンの連発で、バンドのリズム、和音構成などかまわずに吹きたいことを吹くという、真の意味でのフリー・ジャズ演奏だ。終盤で一瞬、山下洋輔のピアノの音が大きくなりすぎてサックスの音が聴こえなくなるが、山下はすぐに気づいて、即、修正。

そのあと例によっての<静>パートの無伴奏アルト・ソロになると、坂田明のアルト・サックスのあまりの美しさに息を飲み、聴き惚れちゃうよなあ。ところどころ米ブラック・ミュージック・ルーツに立ち返ったような吹きかたをするのも僕は大好きだ。フリーキー・パートも含め、フリー・ジャズにおけるパッションの表現とはこうやるもんだという、まるで教科書のようなサックス吹奏だ。最終テーマを合奏し曲全体の演奏が終了すると、思わずドラムスの村上ポンタ秀一が興奮しスティックを鳴らして賞賛。リーダーの山下洋輔も感極まったような声で「坂田明でした!坂田明!!」と叫んでいる。

そりゃあそうだよ〜。渡辺香津美が坂田明を使わずデイヴィッド・サンボーンにした気持が、ほんのちょっとだけ分ってきたような、そうでもないような…。

2017/12/12

ほのかな望みもなく 〜 ボビー・ハケット

ボビー・ハケットはジャズ・コルネット奏者。トランペットは吹かなかったはずだ。ハケットのアイドルだったビックス・バイダーベックもコルネット。そしてザ・マスター・オヴ・マスターズのルイ・アームストロングもコルネットを吹いた場合が多い。でもこのコルネット/トランペットの区別にこだわるのにあんまり意味はないと思う。これはコルネット、これはトランペットとクレジットされているものをジックリ聴き比べても、僕には音の違いがゼロだもんね。サッチモだってこの二つの違いを問われて、「ケースに入れたときの隙間がどれだけできるかの違いだけ、ホントにそれだけなんだよ」と言っていた。

でもアメリカのジャズ界では、ある時期以後コルネットというクレジットは見かけなくなったよなあ。戦前ジャズの世界にはあんなにたくさんいたのに不思議だ。音が同じだから、各種の理由(たとえば修理の際扱ってもらいやすいとかってあるのかなあ?)でかどうか分らないが、トランペット・オンリーにシフトしたのだろうか?でもたとえばブラジルのショーロ界だと、いまでもコルネット奏者がいるよねえ。このへん、考えてみたら面白いのかもしれないが、僕はやりません。

ボビー・ハケットのばあい、ある時期以後西海岸に移住してイージー・リスニング・ミュージックをどんどん手がけるようになって以後のほうが、経済的には安定したはず。そんな時代でもときどきジャズを演奏することがあったそうで、一度だけジャズ・マンとして来日もしている。つまり日本でもある世代以上にはそれくらい人気だったんだよね。いまやだれも話題にしないし、僕も思い入れがある世代じゃないないのに、どうしてだかボビー・ハケット、大好きなんだなあ。

でもって今日もこれまたエピック・イン・ジャズのシリーズ(ぜんぶ猫ジャケ)からボビー・ハケット名義の『ザ・ハケット・ホーン』のことを書いておこう。このジャズ・コルネット奏者が注目されるようになったのは、例の1938年ベニー・グッドマン楽団のカーネギー・ホール・コンサートに出演し、ビックス・バイダーベックの役割で「アイム・カミング・ヴァージニア」を吹いたあたりからじゃないかなあ。ハケット自身のリーダー名義録音がはじまるのがちょうどその38年からだから。

その後、ルイ・アームストロングの例の1947年タウン・ホール・コンサートに出演したあたりが、ボビー・ハケットのジャズ・コルネット奏者としてのピークだったのかもしれない。もっとも僕自身はもう少しあと、1950年録音のリー・ワイリー『ナイト・イン・マンハッタン』での、えもいわれぬ情緒をかもしだすあのハケットのコルネットが素晴らしく聴こえ、この女性歌手のヴォーカルにオブリガートでからんだりソロを吹いたりしているのではじめて名前と演奏を知ったんだった。それで大好きになったんだよね、このコルネット奏者と女性歌手のことが。大学生になった最初のころの話だ。やっぱりシティ・ポップスが好きなんだよなあ、僕は。

そのリー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』で僕がいちばん好きなのが A 面二曲目の「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」と三曲目の「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」。歌手もいいが、ボビー・ハケットのコルネットが、も〜う、絶品だ。どういう曲なのか、歌詞内容を考え込むといまの僕にはとってもつらい、というか真に迫りすぎてしまうので、音源だけご紹介しておく。ハケットのコルネットは、リー・ワイリーの歌う歌詞内容をしっかり踏まえたからみかたとソロの吹きかただ。あぁ〜、マジでヤバいなあ…。特に「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」がとってもダメだ。
ボビー・ハケット名義のエピック盤『ザ・ハケット・ホーン』にも「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」がある。現行CD だと六曲目。いちばん上でリンクを貼った Spotify のアルバムは、まだ全12曲だった時代のものをベースにしてあるので四曲目になっている。だからご存知ないかたのため、『ザ・ハケット・ホーン』現行 CD のコンテンツを以下に記しておこう。

1 At The Jazz Band Ball
2 That Da-Da Strain
3 Jammin' The Waltz
4 Clementine
5 Blue And Disillusioned
6 (I Don't Stand) A Ghost Of A Chance With You
7 Poor Butterfly
8 Doin' The New Low-Down
9 That's How Dreams Should End
10 Ain't Misbehavin'
11 Sunrise Serenade
12 Embraceable You
13 Bugle Call Rag
14 Ja-Da
15 Clarinet Marmalade
16 Singin' The Blues (Till My Daddy Comes Home)

録音年月日とパーソネルの細かいことは、一曲ごとにかなり食い違っていて、それはいろんなセッションからの寄せ集めアルバムだからだ。エピック・イン・ジャズのシリーズはどれもぜんぶそうなんだよね。つまり第二次大戦後になって、しかも記録音楽販売メディアの主流が LP レコードに移行したのちに、戦前の(コロンビア系録音の)ジャズってこんな感じだったんですよ〜ってことで編まれた、言ってみればお手軽入門アンソロジーのシリーズだってこと。『ザ・ハケット・ホーン』のレコード発売は1956年だった。

でもそんなお手軽紹介盤だったからといってバカにしないでほしい。いわゆるアルバムの単位ではエピック・イン・ジャズのシリーズでしか聴けなかった SP 音源も多いし、それは実を言うといまだにそういう部分がかなりある。だからファンは聴いておかないとね。裏返せば、親会社コロンビア、というかソニーか、がいまだにいかに古典復刻に不熱心かということをも物語っている。

『ザ・ハケット・ホーン』もそんな一枚なので、一曲づつぜんぶのデータを記すのが難儀なので、それは今日はやめておく。いちおう録音は1938年2月16日から1940年2月1日までで、ぜんぶがヴォキャリオン原盤。コルネットのボビー・ハケット以外の演奏メンツは、有名どころだけ書いておくと、たとえばクラリネットのピー・ウィー・ラッセル(1、2、5、12曲目)、ピアノのジョー・ブシュキン(3、4曲目)、そしてこいつこそ大物、ギターのエディ・コンドン(1、2、5、12曲目)。彼ら以外のミュージシャンは、無知な僕にはいまいちピンとこないので〜(^_^;)。

Spotify にあるのでも、また CD でお持ちのかたはそれでお聴きになって分るように、『ザ・ハケット・ホーン』はジャズ・コンボ編成のものとビッグ・バンド編成のものが入り混じっているので、サウンドの統一感みたいなものは薄い。しかも全体的にホットでシリアスというよりも、スウィートでムーディだよね。でもこれ、ボビー・ハケットがそんな資質のジャズ・マンだったからということ以上に、そもそもあのころのジャズの多くは雰囲気最重視の BGM であって、ダンスの伴奏に使ったり、どこかで流し聴きしたりで、みんなそれで楽しんでいたんだよね。

かのサッチモだって、またあるいはあんなに上昇、芸術志向が強かったデューク・エリントンの音楽でさえ、そうだったんだよね。こんなところも、大層な芸術品として崇め奉られるようになったモダン・ジャズ以後のものこそが「ジャズ」だとお考えのリスナーのみなさんには受けが悪い要素なんだろうと想像する。フリー・ジャズなんかの熱心な聴き手だったら、たとえば今日話題にしたボビー・ハケットなんかに一瞥もくれないはず。

僕のばあい、ビ・バップとかフリー・ジャズみたいな真剣勝負の世界も大好きだけど(ハード・バップはやっぱりムード重視じゃないの?)、そのいっぽうで、たとえば『ザ・ハケット・ホーン』で聴ける音楽とか、あるいはその主役コルネット奏者が参加したリー・ワイリーのアルバムとかの、あんなふうに甘くてソフトで雰囲気だけみたいなジャズ(じゃない?)だってかなり好きだなあ。

あと、これは上のほうでベニー・グッドマン関連で匂わせたから書かなくていいと思ったんだけどいちおう触れておくと、『ザ・ハケット・ホーン』でも聴けるボビー・ハケットのコルネット・スタイルを一言で指摘すると、<ニュー・ビックス・バイダーベック>。もうこれに尽きる。ハケットはビックスのイミテイターなんだよね。といってもいまの21世紀、サッチモですらほとんどだれも語らないのに、ビックスの模倣者だと言ってみたところで、そのビックスがぜんぜん聴かれていないのかもしれないから、伝わっていかないかもしれないが。

2015年9月3日に音楽ブログをはじめて(これもアナクロだが)、それでもってサッチモその他の、1920〜30年代末のジャズ録音のことをこれだけ熱心に書いている僕って、たんなる奇特なヤツってことなんだろうか?まあいいや、それでも、だれにも振り返ってもらえなくたって、今後も僕は僕なりの愛情を綴っていく。つまり “A Ghost of A Chance” 。

2017/12/11

ハウリン・ウルフにはどうしてこんなにラテン・ブルーズが多いのか?





という文章を書こうと思いハウリン・ウルフをよくよく聴きかえしてみたら、あんがいそうでもないなあ。だから「ウルフはラテン・ブルーズばっかり」、とまではさすがに思っていなかったが、なんだか多いぞという僕のこの印象は間違っていた。なんとなくイメージが強いとか、あるいはなんらかの偏った見方、つまり僕がラテン好きだというこの嗜好が色眼鏡になっていただけなんだろう。

といっても今回僕が聴きかえしたのは、単独盤での三枚だけ(うち、一枚は2in1)。そんでもって告白すると、単独盤 CD で持っているハウリン・ウルフは、UK ロック勢とセッションした例の『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』(は通常盤もデラックス盤も持っている)を除くと、英 ace がリリースした初期音源集の『シングズ・ザ・ブルーズ』と、あとはチェス原盤の MCA 盤『ハウリン・ウルフ』『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』の2in1で一枚、『ザ・リアル・フォーク・ブルーズ』と、たったこれだけの計三枚。

あとは復刻専門の英 Charly がリリースした、権利関係ちょっとヤバめ?のチェス録音全集 CD 七枚組を持ってはいるが、あまりふだんからどんどん聴くというものじゃないよなあ。今回もほとんど聴きかえさなかった。それは『ザ・コンプリート・レコーディングズ 1951 - 1969』だから、69年以後のチェス録音はもちろんない。今回も聴きかえさなかったに等しいのであまり言えないが、しかし附属のディスコグラフィが完璧だから、そこはじっくり読みかえした。

というわけで三枚『シングズ・ザ・ブルーズ』『ハウリン・ウルフ+モーニン・イン・ザ・ムーンライト』『ザ・リアル・フォーク・ブルーズ』で聴くと、ハウリン・ウルフのラテン調ブルーズって、まず最初の一枚にはぜんぜんなく、二枚目に五曲、三枚目に四曲と、たったこれだけとはいえ、いちおうあったから、それを入れたプレイリストを Spotify で作っておいたのが、この文章いちばん上のリンクだ。録音順に並べたので、その年月日だけ以下に記しておく。

1. Evil (1954/5/25)
2. Forty Four (ibid)
3. Who's Been Talkin' (1956/1)
4. Shake For Me (1961/6)
5. Down In The Bottom (1961/5)
6. Three Hundred Pounds Of Joy (1963/8/14)
7. Killing Floor (1964/8)
8. Ooh Baby, Hold Me (1965/4/15)

しかしたったの八曲かぁ〜。これが多いのか少ないのかなんとも言えないが、もっと多いと勝手に思い込んでいた。とはいえハウリン・ウルフにラテン・ブルーズの印象が強いのは、僕のばあいは間違いないことだった。最大の理由は、やっぱり「キリング・フロア」と「フーズ・ビン・トーキン」だろうなあ。この二曲も UK ブルーズ・ロッカー連中がよくやるものだからね。ラテン臭をデオドラントしてあることもあるけれど、曲じたいに馴染み、聞き憶えがあった僕は、ウルフのレコードを買ってもそれらを中心に熱心に聴いていた。あとは「ザ・レッド・ルースター」とか「アイ・エイント・スーパースティシャス」とか「シティング・オン・トップ・オヴ・ザ・ワールド」とか、そのへんだよなあ。よ〜くお分りでしょう、みなさん。ブルーズ・ロック好きのかたがたならば、かなり共感していただけるはず。

ってことはしかしラテン・ブルーズだけってわけがないし、ハウリン・ウルフのオリジナルはラテン調でも、たとえばレッド・ツッェペリンの「ザ・レモン・ソング」(『II』)みたいにキレイにそれを消してあったりもするしで、じゃあウルフのレコード買って聴くようになって、どうしてラテン・ブルーズの人だという思い込みが発生したのか、ますますわかんなくなっちゃった…。

たんにこういうことかなあ。アメリカ黒人ブルーズの世界だってラテン調がはっきりあるわけで、最近この思いがどんどん強くなってきている「すべてのアメリカ音楽とはラテン音楽の一種である」という事実がハウリン・ウルフのブルーズにもあるってだけの話なんだろうなあ。日本では油井正一さんの言葉で有名化している「ジャズはラテン音楽の一種」だという説を僕なりに敷衍、拡大してみたのと、それからここ数ヶ月の僕の文章で、もはやみなさんお気づきでしょう、僕は北米合衆国のいろんな音楽に中南米要素を見出すことばかりするようになっている。自認しているのは、これは僕の思い込み、偏向というよりも、アメリカ音楽の(一面の)真実だ。

どんどんそんな方向へ傾いているので、そのうちそれを大きく発展させられたらなあ。でも死ぬまでにできるのか…、僕は…、「アメリカ音楽とは、これすなわちラテン音楽」説の開陳を。僕だってもうあと30年もしたらこの世から消滅すると思うんだけど(つまりあとそのくらいはしぶとく生きるつもりで、生きているあいだは前を向いて進みたい)、でもあと10年か15年でなんとかしないといけないのかもなあ。インターネットとかブログとかって10〜15年後もまだあるかなあ。

どうでもいい話だった。ハウリン・ウルフのラテン・ブルーズ。印象が強いのは確かだ。僕だけの思い込みかもしれないが、面白いと思うよ。だってさ、ウルフと同世代で、やはり南部出身で、同じころのシカゴで活躍し、同じチェス・レーベルに録音したもう一人の大物ブルーズ・マン、マディ・ウォーターズに、こんな感じのラテン・ブルーズはあまりないもんね。マディとウルフを二大巨頭としてとらえたら、やっぱりウルフはラテン・ブルーズの人だっていうことになるんじゃないの〜?

でもここはみなさんあまり言っていない。僕の持つ、いまや数少ない紙情報と、膨大にある電子情報を、英日両語でササっと読みあさってみたが、だれひとりとしてハウリン・ウルフのブルーズにあるラテン・リズムに触れてすらもいない。だいたいみんな、あのダミ声でのうなり節と、それからみんなが異口同音に「野蛮だ」「野生的だ」「荒々しい」と言っているが…。ウルフのブルーズがそういう印象になるのは、大変によく理解できるものではあるけれども。

いちばん上でご紹介した Spotify のプレイリストでぜひ聴いていただきたい。1950年代半ば前後から、それも3・2クラーベ、いわゆるボ・ディドリー・ビートではない、もっと複雑にシンコペイトするラテン・ブルーズをやったブルーズ・マンって、ハウリン・ウルフだけじゃないの?ほかにいますか?ちょうどロックンロールが全米で爆発せんとする前夜あたりのことだ。

以前から、たとえばビッグ・ママ・ソーントンの記事でも書いたし、ほかにいくつもあるのだが、ロック以前にそれの母胎となったアメリカ黒人音楽には鮮明に跳ねるラテン・ビートがあった。ただ、アメリカの1950年代半ば以後のロッカーでも、あるいは1960年代以後のイギリスのロック音楽家たちでも、すぐには米黒人ブルーズやリズム&ブルーズにあるラテン要素をそのまま色濃くは反映させなかったかもしれない。だが徐々に確実にしみだしてきているじゃないか。

ロッカーたち、特に1960年代にデビューした UK ブルーズ・ロック連中にとっては、ハウリン・ウルフは最大のお手本だったんだもんね。もちろん上でご紹介したようなウルフのブルーズにあるようなラテン・フィーリングの面白さ、特にドラマーが表現するシンコペイションにはぜんぜん匹敵できていないけれどもさ。むしろ同じ米シカゴの後輩、オーティス・ラッシュあたりのラテン・ブルーズに直接流れているのかもしれないね。

プレイリストでは、四曲目の「シェイク・フォー・ミー」と、それからやっぱり七曲目の「キリング・フロア」が最高に楽しいよなあ。シンバルとスネアのリム・ショットでチャカチャカかやっているのは、だれあろうサム・レイだ。あっ!そういえば彼が叩いていたころの初期ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドには、鮮明なラテン調があったような気がする。さぁ、聴きなおそうっと。

2017/12/10

メンドくせえやつら(っていう僕がいちばんメンドくさい)

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戦前の古いものはダメ、ビッグ・バンドものはダメ、ウィズ・ストリングスものはダメ、ヴォーカルものはダメ、甘いものもダメなら、ラテンやファンクやロックなどほかの音楽と合体してもやはりダメ。ジャズ・ファンでこんなことを言う連中こそ、音楽愛好世界では最もメンドくさいやつらだ。近づきたくないのだが、そうもいかない。書いたようなものには理解を示さないとしても、それ以外のことではかなり面白いし信用できるし貴重な情報源だし。

だからケース・バイ・ケースでというか是々非々でというか、これらの人たちはこうこうこうなのだと決めつけず、仲間だ味方だ/敵だみたいな党派的な発想を持たず、個々の発言に一つ一つ個別に対応していけばいいと思う。だけど、やっぱりジャズ愛好の世界はチョ〜メンドくせえ。ほかのいろんな音楽リスナーのみなさんを見ていると、ここまで偏狭なオヤジ連中が跋扈する世界はジャズ・ファン界だけだ。しょうがないよなあ。

今日書きたいと思っていることは、以前も二度ほど書いたことの繰返しだ。

一度は「ジャズ進化幻想」の回で書き、
もう一度は「ジャズ・ファンは内ゲバも外ゲバもやめろ」の題で書いた。
また同じことを言わなくちゃいけないのだが、しつこく繰返し書き続けるしかないんだよね。上の二つの記事で僕の考えはだいたい全部書いたので、今日は手短にやろう。

ジャズ・ファンの大半は戦前の古い録音を聴くのを「お勉強」だとしか思っておらず、そうではなく面白いから聴くというかたでも、ほぼ100%近くが「現代性」を獲得できているかどうかという視点でしかものを言わない。いまの時代、21世紀の新しい音楽の潮流にどうつながっているか、こうこうこんな具合につながっている、新しい章への流れがある、だから古いものもこういう具合に聴くと面白いとか、そんなことしか言っていない。あくまで「現代」の真っ只中に身を置いて古い音楽も語っている。

がしかし、この視点「しかない」っていうのは僕に言わせればちょっとどうかと思うんだ。ひょっとしてあるいは僕だけの考えかたかもしれないが、録音もスタイルも古い戦前のジャズに「現代性」なんか、これっぽっちも求めていないんだよね。それがないと面白く聴こえないってことだろ〜?みんな〜?そうじゃないと21世紀に聴く価値はゼロだとか、思ってない?絶対にそう思っているよね。

そうじゃあないんだ。古かろうが新しかろうが、音楽はそれじたいに意味があってそれじたいが自立して美しく輝いているのであって、だからそれは不変・普遍性ってことだけど、それは新しさとかいうものとはちょっと違う。現代への連続とかいうことでもない。時代をいくら重ねても美しさが変化しないという意味ではたしかにコンテンポラリーな意味を持つものだろうけれど、たとえば1917年のジャズの史上初録音を、その時代に寄り添わず、あくまで2017年の「いま」にどうつながっているか、100年の連続性とはなにか?という視点でしか語らないのは、僕に言わせればヘンなんだよね。

そう、いま書いたように、僕は古い音楽のその録音当時の時代にピッタリそのまま寄り添いたいんだ。できうれば仮想的にメンタル面だけでもタイムスリップせんばかりの気分で、古い音楽も聴いている。21世紀の音楽は、いま僕も生きている時代だから特にその必要がないだけだ。たとえばルイ・アームストロングが活躍した1920年代の米シカゴのウェスト・サイドを、気分的になんとなく、リアルタイムで歩いて呼吸している雰囲気に、内心、ひたって、たとえば「ポテト・ヘッド・ブルーズ」(1927)だって僕は聴くんだぞ。

だから古い録音のジャズを聴くさいの僕には、現代性、現代的視点なんてまったく必要ない。そんなもの、これぽっちもいらない。ただただそのレコード(の音源をCD リイシューしたもの)で流れてくる音の、ただその音だけの、つまりスピーカーが起こす空気の振動に身をゆだね、それを1920年代の蓄音機で当時のリスナーが聴いていたであろうと想像する気分で、その時代の空気にそのまま寄り添って、僕はその音楽美を味わいたい。現代性とか、おかしなこと、言わないでよ。

みなさんここまでお読みになってすでにお分りのように、今日の僕のこの文章は、今2017年がジャズ録音開始以後ぴったり100周年にあたるので、年末に向けてそれ関係の文章がちょっと出てきているそれらを読んで、こりゃアカン!と思ったところから来ている。唯一、あの時代の空気感、あるいは皮膚感覚に寄り添わんとする気持を示していたのは、『ERIS』20号の瀬川昌久さんだけだった。ほかに一個も見当たらないのは世代のせいなのか?瀬川さんらの世代は、失礼ながら、ご存命でご活躍中のかたが少ない。あるいは若輩55歳にしてこんなことを言う僕の時代感覚が狂っているだけなのか?

ちょっと違うことも書いておこう。最初に書いたもののうち、多ジャンルとの融合はダメという面と、甘さとストリングスものがダメという面。これは実のところ一体化しているものなんだよね。え〜っと、しかし他ジャンルとの融合はダメだっていうピュアリズムは、そんなかたがたが愛好している<純な単一種の>音楽が、もとから混血種だということに気が付いていないだけだよね。多文化的混交のもとでしかポピュラー・ミュージックは誕生しないんじゃないの?

音楽ピュアリストはどこの国にでも、どんな種類の音楽愛好世界にも存在する。いまの日本で、そして世界的に見ても、「異」「他」をどんどん排除しようという動きが活発化しているように見えているのと、これはまったく無関係なことだろうか?音楽純粋主義者はおおむかしからいるものだから、いまのこの時代の不寛容さとは必ずしも縁はないものかもしれない。でもなんだか、僕はちょっと陰鬱な気分だ。あれもダメ、これもダメってさ。中国人や朝鮮半島人は出ていけ!と声高に叫んだり、嫌悪感を露骨にぶつけて、ちょっとでも反論するとたちまち「反日」かとか、あるいはアンタは中国人かなどと僕もなんどか言われている。このブログのコメント欄でも一度「中国人ですか?」と言われたんだけど(大西小百合議員のときに)、面白いので削除せず、そのままさらしてある。

音楽の大甘さがダメっていうのは、ジャズのウィズ・ストリングスものがダメだということと同じことだよね。中村とうようさんなんか、厳しくハードでシビアな音楽を追求するいっぽうで、キューバのフィーリンみたいなソフトでスウィートな音楽のこともどんどん話題にしていたし、歴史的に見て注目すべき重要な動きだったと強調している。しかしながらそのとうようさんにしてからが、フランク・シナトラを「凡庸な歌手」の一言で切り捨てていたから、う〜ん、こりゃちょっと困っちゃうんだよね。歌をあんなにしっかり表現できる歌手はそうそういないのに。ナット・キング・コールも大甘のポップ歌手になって以後については、とうようさん、なにも言わなかったなあ。

サム・クックなんかをとうようさんはどう聴いてどう評価していたんだろうなあ。ああいったある時期以後のナット・キング・コールをイミテイトしたような、スムースで流麗で甘く、しかし内面の厳しさを兼ね備えていたような歌手たちのことをさ。黒人歌手が、白人の一般聴衆層に受け入れられやすいように砂糖をドバドバッと入れただけだと言うのなら、サッチモことルイ・アームストロングのことだって本当は理解できていないってことになっちゃうぜ。サッチモは、戦後特にポップ・エンターテイナー化したような感じに見えたかもしれないが、彼の拠って立つ屋台骨のアティテュードは、デビュー期から1920年代を経てその後亡くなるまでずっと同じだった。すなわち:

音楽とはポップ・エンターテイメントである。

これに尽きる。

自分の歌や演奏を聴く一人でも多くのお客さんに喜んで楽しんでもらい笑顔で帰宅してほしい、とにかくみんなの喜ぶところが見たい、人を嬉しがらせるのこそが自分が音楽でやるべき使命のすべてだ、そのためだったらステージ上でニコニコ笑い白い歯を見せて顔をクシャクシャにして、大甘な音楽になったり、ロックでもリズム&ブルーズでもソウルでも、なんだってとりいれる。自分が歌い演奏すれば、最終的には結局のところ、サッチモの音楽 = ジャズになるのだから。

これが20世紀アメリカ音楽史上グレイテスト・アイコンだったサッチモの考えかただ。

僕はこのサッチモのこの気分、この考えかたにピッタリはりつきたいんだ。そしてさらに言えば、いまのポール・マッカートニーは、ライヴ・ステージで、まさにこんなふうになってきているように僕には見える。ポールのサッチモ化。素晴らしいことだ。これについての文章は、機会を改めたい。

2017/12/09

二作目で大きくはじけたスアド・マシ

サウンドも歌いかたもかなり違うけれど、特別アラブ歌謡だぁ〜っ!っていうように強くグリグリとコブシを廻さずとも、ごく自然にアラブ香味がじんわりとにじみ出てくるような歌唱、すなわち端正さにおいてだけは、レバノンのフェイルーズに相通ずるものがあるかもしれないアルジェリア(出身)のスアド・マシ。

そんなスアド・マシのデビュー作『Raoui』 については以前書いた。
順番に一作づつとりあげていこうと思うので、今日は二作目2003年作。しかしこれ、アルバム題を書きにくいんだよね。どうしてかって、そのままカタカナ書きすると、日本語を解する女性に向けることのできないものになってしまうから。音楽にもスアドにもぜんぜん関係ない話だが、僕は女性にこう言ったことはいままで一度もない。言ってはいけないというポリティカル・コレクトネスみたいなことでではなく、マジでそんなこと言いたくないんだよね。僕はふくよかな女性のほうが好みだし(痩せている女性はちょっと…)、そうでなくても女性にそんなこと言うなんて…。

いやホントまったく関係ない話だった。スアド・マシのアルバムは、この2003年作から英題が付記されるようになっていて、いままでのところぜんぶそう。アルバム題も曲題もそうなっている。これって、この二作目からワールド・セールスを意識するようになったということなんだろうなあ。ご本人もそうなのか、あるいは会社 Wrasse の方針なのかは分らないのだが。そういえば一作目の『Raoui』でも、歌詞のなかに一部英語がちょこっとだけ出てきてたようなそうでなかったような。どうだっけ?

2003年作品以後は、ひょっとしたら英題が附属するものとそうでないものとで、内容を変えてリリースしているのかもしれない。ワールド向けとアラビア語音楽ファン層向けで販売を分けているかもしれないなあ。それに今日はじめて気が付いたのだ。どうしてかって Spotify で ”Deb” という文字列だけで検索すると、同じ歌手の同じジャケットのものが出てきたが、中身が今日いちばん上でご紹介したものとは違っているんだ。もちろん曲題にも英語が附属しない。以下がそう。
これのことは諦めて、今日のところはいちばん上でリンクを貼った、僕が CD でも持っている英語題附属のものを対象にして話をするしかないのだった。

そんなわけでスアドの二作目2003年作のワールド向けは『デブ(ハート・ブロークン)』が正式題。この「心やぶれて」っていうのは、恋愛関係なのか、あるいはもっと別の社会的な意味合いも含んでのことなのか?附属ブックレットにも、この作品以後は歌詞の英訳が載るようになっているけれど、アラビア語で歌っているのを聴きながら英語を読むと、僕のばあいかなり混乱し、しかしかといって音楽再生をストップして文字だけ読むなんて言語道断だと僕は考えている。歌詞はあくまで音楽と同時に、その刹那刹那に把握できなくちゃ。だから、結局スアドのアルバム『デブ(ハート・ブロークン)』でもなにを歌っているのか、把握できていない。

その上で音だけ聴いて、メロディの動きやアレンジや、サウンドやリズムや、使われている各種楽器がどうだとか、そんなことばかり聴いている僕。でもですね、アルバム『デブ(ハート・ブロークン)』の三曲目のタイトルが 「Ech Edani (I Shouldn't Have Fallen In Love With You)」 になっていて、「あなたと恋に落ちるべきではなかった」って、こりゃちょっと…、う〜ん、つらいなあ…。

それでもその三曲目「Ech Edani (I Shouldn't Have Fallen In Love With You) 」がかなり素晴らしいグルーヴを持っているんだよね。最初、ウードを弾きながら男性が歌っている(と思うんだけどなあ、これ、弾き語りじゃないの?)部分は導入で、その詠唱みたいなのが終わるとアクースティック・ギターとリズムが入ってきて、スアドが歌いはじめる。しかもタブラとハンド・クラップがかなり派手に使われているもんね。素晴らしいリズムだ。

これ、だれかに恋い焦がれる熱情のグルーヴの激しさってことかなあ?歌詞が分らないのでなんとも言えないが、男性歌手もかなり歌っている。というよりこの三曲目では、スアドよりそのだれだか分らない男性歌手がメインだ。タブラ・ソロ、ギター・ソロ、ウード・ソロも短いが入っていていいよなあ。いや、このリズムです。タブラはほかにも使われている曲がアルバムには複数ある。

そんなマグレブ〜アフロ・ポップ・チューンみたいな三曲目が異様に輝いているが、スアドのアルバム『デブ(ハート・ブロークン)』には、ほかにも例えば五曲目「Yawlidi (My Little Boy)」のリズムもハードだし、これはアルジェリアン・ロックといってさしつかえないような出来。アラブ色はほぼないなあ。だからマグレブ〜アラブ音楽好きにしてロック嫌いなリスナーのかたにはオススメできない。

がしかしスアドの『デブ(ハート・ブロークン)』にはフラメンコならあるんだよね。七曲目「Houria (Freedom)」がそう。スパニッシュなフラメンコ・ギタリストも(たぶん)二名参加していて、同時演奏でかなり派手に弾きまくる。曲前半は、スパニッシュ・ギターをかきならすその音に乗ってスアドが歌うのだが、徐々にフラメンコ・スタイルの手拍子が入り、手拍子がずっと入ったまま情熱的なギター・ソロがあり、そのまま曲が終わる。二台(じゃないかなあ?)のフラメンコ・ギターと手拍子とスアドのヴォーカルと、それだけで構成されている。

そんなふうなのは前作の『Raoui』にはなかったから、この二作目でスアドの音楽はかなり幅を広げて色彩豊かになったんだよなあ。実際、世界でけっこう売れて、スアド・マシという歌手がいるぞ、かなりいいぞ、ということが大きく広まったらしい。でもアルバム『デブ(ハート・ブロークン)』でも、基本的には少人数編成での渋い落ち着いたシットリ路線だけどね。少しだけ派手でポップでハードな感じもくわえて、たしかに音楽作品としての魅力は上がっただろう。僕は素直にこれを称賛の気持で言っている。

ただし個人的趣味嗜好だけのことを言えば、一作目『Raoui』の、あのジワジワ〜っとアラブ色がにじみ出てきたり、ばあいによってはごくたまにそれが激しくなったりするという、全体的にはあくまで激渋だった路線のほうが、いまではいいんだよね。もちろんあのままではスターになれなかっただろうけれど。

2017/12/08

1969年前後にファンキーだったマイルズ





今週と来週は以前の余滴。前に1965年以後のマイルズ・ミュージックにあるカリブ〜ラテン〜アフリカのことを書いたでしょ。そのときその65年以後91年までの音源をじっくり聴きかえしたのだ。それで書いたわけだけど、書かなかった部分で思いがけない余剰収穫があったので、それを二週にわたり出そうと思う。今日は68〜70年ごろのマイルズに相当カッチョええファンキーな演奏があるぞってことを、いまさらながら再確認したので、そのことだ。

そのあたり、1969年前後のマイルズ・ミュージックで、いちばんファンキーでいちばんカッコいいのは1970年の録音。シャープでタイトだもんね。リアルタイム・リリースだと、アルバム『ジャック・ジョンスン』になったあたりだ。でもその二年前の冬からすでに素晴らしかった。そこいらへん、僕の選ぶものは多くがボックス物の収録音源だから、特にマイルズ・マニアではない一般の音楽リスナーのみなさんは買いにくいだろうと最近までずっと思ってきたのだが、いまやそれらぜんぶ Spptify にあるもんね。だから僕もプレイリストを作っていちばん上でご紹介した。ちょっと聴いてみて。

順番を入れ替えて一番カッコいい1970年の録音にまず触れておくと、上のプレイリストで6曲目の「ジョニー・ブラットン(テイク4)」から下、最後までがそう。そのうち、10曲目の「ライト・オフ(テイク10)」は、リアルタイムでもアルバム『ジャック・ジョンスン』の A 面になったので、お馴染のものだ。こっちは未編集のセッション・テイクで、グルーヴが生な感じがいいんじゃないだろうか。

それも含め、プレイリスト6〜11までは、以前『”アナザー”・ジャック・ジョンスン』の話をしたときにぜんぶ書いて、もうそれ以上付け加えることもないので、その過去記事をご覧いただきたい。
この「アナザー」・シリーズ、『イン・ア・サイレント・ウェイ』篇、『ビッチズ・ブルー』篇、『ジャック・ジョンスン』篇、『オン・ザ・コーナー』篇、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』篇と、ぜんぶで五つ書いたのだが、そのときに Spotify のプレイリストを自作してご紹介すればよかったと激しく後悔している。

そんでもってですね、僕もいつこの世から消えるか分らないし(病気でとかじゃなく、交通事故死とか、あるいは人間、だれだっていつなにがあるか分らないんだからさ)、だから「次」とか「今度」とか「明日」とかは来ないものと考えて毎日生きていかなくちゃいけないだろう。いまのうちに出せるもの、できること、与えられるものはすべてやっておかないいといけないんだと、人生ってそういうものなんだと、最近思うようになっている。僕が死んでも Spotify のプレイリストはそのままなんでしょ?なにか残して死にたいよ。子供もいなけりゃ、本も音楽作品も、僕はまだなにも残せていない。この世に生きたという証がまだない。

なんだか大層なことを言っているように見えるかもだけど、要するに後悔を取り戻そうと、「アナザー」篇五作のプレイリストを作成したので、それを今日ここにご紹介しておきたかったってだけなんだ。みなさんに聴いてほしいと思います。

アナザー・イン・ア・サイレント・ウェイ

アナザー・ビッチズ・ブルー

アナザー・ジャック・ジョンスン

アナザー・オン・ザ・コーナー

アナザー・ゲット・アップ・ウィズ・イット

これはこれとして。

今日の話題である1969年前後、正確には68年暮れから70年春ごろまでのマイルズで、70年録音分については、上述のとおりなにもくわえることがないから、それ以前の68〜69年録音分について、それもいままであまりちゃんと書いていなかったものについてだけ、少し書いておく。なるべく繰返しにならないよう心がけたいので、詳しくは過去記事を参照してほしい。

プレイリスト一曲目の「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」については、しかしこれも以前しっかり述べたつもりなので、以下をご覧あれ。いやあ、マジでカッコエエ〜〜!
この過去記事を書いた時点では気づけてなかったこただけ。それはもっとあとの70年録音まで、今日いちばん上でご紹介したプレイリストでぜんぶを繰返し聴きかえすと、いや、ばあいによっては75年録音までぜんぶをひっくりめても、この「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」が一番カッコイイのかもしれないんだよね。特に右チャンネルでフェンダー・ローズを弾くハービー・ハンコック(だと思う)とトニー・ウィリアムズがファンキーなことこの上なし!こんな「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」が未発表のままだったんだから、不思議だよなあ。だって、マイルズの全音楽中、最もカッコイイものかもしれないのに。

プレイリスト二つ目の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」は、編集前のオリジナル・セッション・テイクを選んでおいた。理由は二つ。まず一つ、1969年にアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』の B 面となって発売された編集済みのものはすでに耳タコだろう。もう一つ、このセッション・テイクの、ジワジワ〜っとゆっくり盛り上がっていくフィーリングがなかなかいいなあって、最近思うんだ。

もちろん音楽の完成品としては、セッション・テイクでは尻尾のほうにあるマイルズのソロ終盤部(9:43 〜 10::24)をいちばん最初に持ってきて(いるし、エンディングでもそのままもう一回出る)、しかもそれを曲「イン・ア・サイレント・ウェイ」で挟んでできあがった、編集済みヴァージョンのほうが素晴らしい。もとの演奏じたいは同じものなのに、編集効果だけでこれだけグルーヴが違って聴こえるからマジックだよなあ。

でも最近は、まずジョー・ザヴィヌルのオルガンとリズム・セクションの演奏、そして一番手でジョン・マクラフリンのギター・ソロではじまるオリジナル・セッション・テイクのこの感じ、まだ火がついてない状態から弱火になって、それでゆっくりじっくり盛り上がるでもなくスローな感じで進んでいき、だんだんと熱を帯びてきてマイルズのトランペット・ソロ部で大きく激しくうねり爆発するっていう、このフィーリングがマジでいいなあって、僕は思うんだよね。繰返すけれど、音楽作品の完成度としては1969年既発マスターのほうが上だ。

プレイリスト三曲目の「ザ・ゲトー・ウォーク」も『イン・ア・サイレント・ウェイ』関連の未発表音源。でもこれ、ちょっと長すぎるよなあ。だから入れようかどうしようか迷ったけれど、ファンキーでカッコイイ瞬間はマジで最高なので、いちおうやっぱりね。四曲目の「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」は、このまま『ビッチズ・ブルー』に収録されているので省略するが、ゆったりしたテンポでグルーヴィだよなあ。

五曲目の「ザ・リトル・ブルー・フロッグ」は、『ザ・コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』にマスター・テイクも収録されている。といってもそれも完全未発表だったものだけど、聴いた感じ、この別テイクのほうがグルーヴィでファンキーじゃん。ハーヴィー・ブルックスのエレベがいいなあ。この、ロック・ファンならだれでも知っているエレベ奏者がマイルズのセッションで弾いたもののなかではいちばんファンキーなラインだ。

しかも左チャンネルでジョン・マクラフリンが弾くギター・リフがぐちゅぐちゅと、まるでインヴィクタス/ホット・ワックス系のソウル・チューンみたいなカッティングだし、やはり左で聴こえるラリー・ヤングのオルガンも素晴らしいノリ。ボスもこの時期にしては珍しく、ハーマン・ミュートをつけて吹く。リアルタイムでは1968年の『キリマンジャロの娘』からこっち、電気トランペットを導入するまで、ぜんぶオープン・ホーンのものしかリリースされていなかった。いま考えたら、これは間違いなく製作者側のイメージ戦略だったな。

いやあ、ほんとマジでカッチョエエのんが、この1969年前後のマイルズ・ミュージックにはいっぱいありましたで〜、ホンマに。1973〜75年のギター・バンド時代こそ最高だ、いちばん好きだと信じてきた僕も、じわじわとだんだんこのあたり、1968〜70年が本当はいちばんよかったかもしれないと感じるようになってきましたで〜。

それが余滴の一。

2017/12/07

ダン・ペンは最高の白人ソウル・シンガーだ(&データ一覧)

ダン・ペンといえば、1973年以後は自分で歌う作品も発表するようになって、それが人気の渋い歌手みたいな印象かもしれないが、この人の1960年代はソウル界で最もすぐれた白人ソングライターだったのだ。これはもちろんみなさんご存知の事実。たくさんの人が歌ったあの「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」や、アリーサ・フランクリンの「ドゥー・ライト・ウーマン、ドゥー・ライト・マン」などなど、ダン・ペンが(ほかの人と組んで)書いたソウル名曲がたくさんあるよね。

それらを聴くと、曲を書いたダン・ペンが白人だなんて信じられないくらいなのだが、この事実をもっとシンジランナ〜イものにする一枚の CD を2012年に英 ace がリリースしたのだ。ダン・ペン名義の『ザ・フェイム・レコーディングズ』だ。全24曲、すべてがダン・ペンの自作自演なのだ。アルバム題どおり、アラバマはマスル・ショールズにあるフェイムのスタジオでの録音で、1964〜66年(と CD パッケージには記載だが?) のもの。そう、この60年代半ばにしてすでにダン・ペンは歌っていた。それも黒人顔負けのソウルフルなヴォーカルでね。

それらはソングライターとしてのダン・ペンが、だれか黒人歌手に歌ってもらうためのガイドとして録音したデモみたいなものではない。ちょっとだけデモや、デモに毛が生えたようなものも混じっているが、24曲のほぼすべてが、ダン・ペンのシングル盤として発売するために録音した完成品なんだよね。しかしこれら24曲で、当時レコード・リリースされたのは21曲目の「テイク・ミー(ジャスト・アズ・アイ・アム)」だけ。残りの23曲ぜんぶが未発表のままだった。ええ〜っ、なんてこった!

そういえばずいぶん前の話だが、『スウィート・ソウル・ミュージック』のなかでピーター・ギュラルニックが、「ダン・ペンで聴くべきものはデモである」と言っていた。えぇ〜、でもデモって、そんなの知らないよなあ〜、だいたい聴けないんだろうし、どんなのだろう?っていうかマジでリリースされていなかったわけだから、聴くべきなんて言われたって僕ら一般のファンには無理な話だぜと、僕だけじゃなくみんなが思っていたはず。

ところが2012年になってエイス・レーベルがやってくれたんだ。しかもそれらは書いたように大半がデモではない完成品で、シングル盤となるべくレコード・カットを待つばかり…、という状態だったのかどうなのか分らないが、しかしどうしてこれほどのものがレコード発売されなかったのか?これはフェイム史における最大の謎の一つだ。と言えるほど『ザ・フェイム・レコーディングズ』で聴けるダン・ペンのヴォーカルは素晴らしい。渋くもない。フレッシュで情熱に満ちていた若きダン・ペンのみずみずしいソウル・ヴォーカルが満載なのだ。曲がいいのは、いまさら僕が言う必要なんてぜんぜんない。

なかには22曲目「アイム・リヴィング・グッド」でサム・クックへのオマージュ的な模倣をやっていたりするものがある。これは本当にマジでそのまんまのサム節ミミックでウォウウォウとやりまくっているので、笑えてくるほどなんだけど。まるで歌真似芸人が本家の特徴を誇張して大げさにやってそれでウケを狙うような感じで、「アイム・リヴィング・グッド」でのダン・ペンはサム・クックの真似をやる。YouTube にはないみたいだが、上でリンクを貼った Spotify にあるアルバムでお聴きいただきたい。

『ザ・フェイム・レコーディングズ』24曲のほぼすべてが、ダン・ペンが完成させていたにもかかわらずそれは発売されず、その後、フェイム・スタジオで黒人歌手が歌ったものが<オリジナル>として、当時発売されていた。『ザ・フェイム・レコーディングズ』でのダン・ペンのヴォーカルを聴くと、それじたいが素晴らしいばかりか、黒人歌手たちも間違いなくそれをガイドのようなものとして聴いて参考にしただろうと思える出来なんだよね。

さて、ダン・ペンの『ザ・フェイム・レコーディングズ』。僕が持っているのはオリジナルの英エイス盤だけど、パッケージやブックレットのどこにも、以下の情報が一覧になっていないので、僕は自分でつくっておいた。愛好家のみなさんの一助となれば幸いに思う。

Dan Penn - The Fame Recordings

曲名(作者)
ダン・ペンの録音年月日、版権登録年月日、当時発売の”オリジナル”歌手

1. Keep On Talking  (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/8、1965/10/11、James Barnett

2. Feed The Flame (Dan Penn & Spooner Oldam)
late 1965、1966/4/19、Billy Young(も未発売)で、Ted Taylor

3. Far From The Maddening CrowdWD (Dan Penn & Marline Greene)
1965/7、1965/7/5、The Drifters

4. Uptight Good Woman (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965、1966./2/5、Spencer Wiggins

5. Come Into My Heart (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/7、1967/11/22、none

6. Don't Lose Your Good Thing (Dan Penn & Spooner Oldam)
summer 1966、unknown、Jimmy Hughes

7. Come On Over (Dan Penn & Spooner Oldam)
late 1965、1967/4/5、Ben Atkins & The Nomads

8. Rainbow Road(Dan Penn & Donnie Fritts)
1964/2、1964/2/7、Bill Brandon

9. Unfair(Dan Penn)
1964/2、1964/2/11、Barbara Lynn

10. The Thin Line (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/7、1989/5/31、none

11. I Need A Lot Of Loving (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/1、1965/10/11、Ovations

12. Take A Good Look (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/1、1965/10/11、James Barnett

13. Strangest Feeling (Dan Penn & Spooner Oldam)
spring 1963、1969/1/16、Bill Brandon

14. Power Of Love (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/4、1967/3/28、Double Image

15. It Tears Me Up (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/1、1966/5/21、Percy Sledge

16. I Do (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/7、unknown、Vel Tones

17. Everytime (Dan Penn & Spooner Oldam)
summer 1966、unknown、Linda Carr

18. Do Something (Even If It's Wrong) (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/7、196/.5/29、Swingin' Yo Yo's

19. You Left The Water RunningNG (Dan Penn, Rick Hall, & Oscar Frank)
late 1964、1965/4/8、Otis Redding

20. Slippin' Around With You (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/4、1965/2/5、Art Freeman

21. Take Me (Just As I Am) (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/5、1965/5/4、(Dan Penn as) “Lonnie Ray”

22. I'm Living Good (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/4、1965/7/20、Ovations

23. Long Ago (Dan Penn & Buddy Killen)
summer 1966、unknown、Bobby Patterson

24. The Puppet AKA I'm Your Puppet (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/8、1965/11/1、Dan Penn (MGM)

2017/12/06

「コンピューター・ブルー」と、プリンスの父の歌 〜 『パープル・レイン』拡大盤二枚目

YouTube にプリンスがない!YouTube にプリンスを!ちょこっと試聴できるようにしてくれ!と、 そればっかり言い続けてまいりましたが、プリンスの公式音源はすでに Spotify で聴けるようになっておりますので、プリンスの素晴らしい音楽をみなさんとシェアできないという悩みは解消しております。また YouTiube のほうにもプリンス公式チャンネルができておりまして、そちらにもどんどん音源、というかミュージック・ヴィデオがアップロードされております。これで僕のかねてよりの苦悶は解消されております。プリンス(の遺族のかたがた)さん、ワーナーさんはじめレコード会社関係者のみなさん、そして Spotify や YouTube 運営者のかたがた、本当にありがとうございます。

そんなわけで、上でリンクを貼ったように『パープルレイン』拡大盤四枚組のうち、CD は三枚であるその全35曲、Spotify で問題なくぜんぶ聴けるので、CD で買っていないみなさんもぜひ聴いてほしい。ただ、この Spotify のアルバムでは三枚分がズルズルぜんぶひっついている。CD だと一枚ずつテーマがあって分割されているので、そこだけがちょっとあれだから、書いておこうっと。

一枚目は『パープル・レイン』1984年のオリジナル・アルバムなので(いちおうプリンス本人がやった2015年リマスター・ヴァージョン)、どこまでがそれかは言う必要がないはず。問題は、CD では「From The Vault & Previously Unreleased」と銘打たれた二枚目と「Single Edits & B-Sides」と銘打たれた三枚目の境目だなあ。Spotify で見る20曲目の「ファーザーズ・ソング」までが CD では二枚目となっている。ってこれも、その次21曲目が「ウェン・ダヴズ・クライ」の7インチ・シングル・エディットと明記があるので、不要な情報だったな。

そんでもってオリジナル・アルバム分については、もはや僕が言葉をつけくわえる必要などまったくないし、三枚目のシングル集も、アルバムにある曲のシングル・エディットはイマイチだし、B 面曲とかその他少ししか聴きどころがないように思うから、それも省略して、今日は未発表蔵出し音源集の二枚目「フロム・ザ・ヴォールト&プリーヴィアスリー・アンリリースト」についてだけ、感じることを少し書いておこう。

二枚目を通して聴いた僕の最大の印象は二つ。記事題にもしてあるが、一つはこのころからすでにプリンスはファンかーだったこと。もう一つはこの二枚目の隠しテーマは「コンピューター・ブルー」なのか?ってことだ。いや、隠してもないのか、わりとはっきり出ているよなあ。二枚目のぜんぶで11曲のうち2曲が「コンピューター・ブルー」だもんね。といっても一個は「ファーザーズ・ソング」という曲名だけど。

この「父の歌」ってのがどういう意味なのか、最初、僕には分からず。たしかにプリンスの父ジョン・L ・ネルスンはミュージシャンだったけれど(ジャズ・マンだっけ?たしか)、それとどう関係があるんだろう?オリジナル・アルバムの「コンピューター・ブルー」で聴ける、後半部のギター・ソロをそのままピアノで弾いているけれど、これってどういうこと〜?って思ってたんだよね。

ところで僕はそのオリジナル・アルバム A 面四曲目の「コンピューター・ブルー」後半部のインストルメンタル部分がむかしからかなり好きだ。全体でも約四分しかない曲なんだけど、出だしいきなりのウェンディとリサのエロ・トークはどうってことなくて、本編がはじまってプリンスが歌いはじめてからもイマイチなんだけど、2:16 でそれが終わってパッとチェンジしてギター・ソロになってからのパートが、本当に大好き!ギターで弾かれるあの旋律がね。もっともそのまま切れ目なく、次のこっちはマジで正真正銘のエロ・ソングである「ダーリン・ニッキ」がはじまってしまうけれど。あの曲がきっかけで、アメリカでレコードや CD パッケージに貼る “Parental Advisory” シールができちゃったんだそうだ。

「コンピューター・ブルー」は、同じ曲題で、内容が大きく拡充された「ホールウェイ・スピーチ・ヴァージョン」が、『パープル・レイン』拡大盤二枚目にも収録されている。オリジナル・アルバムにあるのと同じ曲はこれだけ、曲題もそのままで、また書いたように後半部でパッとチェンジして、あのギター・ソロが出てくるパターンも同じ、ギターで弾かれる旋律も同じで、まあそれ以外では違っている部分も大きいものの、一枚目と二枚目で同じ曲はこれ一個だけなんだよなあ。

しかもですよ、その後半のギター・ソロ部と同じものが二枚目ラストの「ファーザーズ・ソング」でもあって、というか約五分のその「ファーザーズ・ソング」は、その旋律だけで成り立っていて、アクースティック・ピアノで弾くその同じ旋律は、「コンピューター・ブルー」後半部のなかで聴くとそうでもないが、「ファーザーズ・ソング」ではなんだか相当つらく哀しそうだ。さめざめと泣いているように僕には聴こえる。リズム伴奏が一切ない、ピアノとシンセサイザーだけの演奏だから、そう感じるんだろうか?

それで、これはいったいなんだろう?と思って、カラー・デザインとサイズが小さすぎるフォントのせいで(ふだん常用している老眼鏡ではダメで、ルーペを使わないと読めなかった)メチャメチャ読みにくいブックレットのそこだけ読むと、この「ファーザーズ・ソング」は作者クレジットが父ジョン・L ・ネルスンとなっていた。あわててずっと前に買った一枚ものの『パープル・レイン』オリジナル・アルバムのリイシュー CD を見てみたら、しっかりジョン・L ・ネルスンの名前が書いてあるじゃないか。いまのいままででぜんぜん気が付いていなかった(^_^;)。

映画ではどうだったのか僕はもう完全に忘れているのだが、父ジョン・L ・ネルスンの書いたこのフラグメントを息子プリンスは、「コンピューター・ブルー」後半部のギター・ソロとしてたぶんそのまま転用したってことだろうなあ。今日上で書いたことだけど、僕はあのギター・ソロ部の旋律が本当に美しいなあと思って、好きで好きで、本当に。そこだけが。それは拡大盤二枚目にあるホールウェイ・スピーチ・ヴァージョンでもまったく変えずに出てくるから、息子のプリンス本人だってやっぱり好きだったんだろうね、「父の歌」が。

父ジョン・L ・ネルスンは2001年に亡くなっているので、シンセサイザー伴奏も入るピアノ・ソロで83年11月に録音した(と記載がある)息子プリンスは、これをまるでオードみたいなものとして、みたいなものっていうか本当に追悼の頌歌として捧げたんだろうなあ。しかしその息子さえも、もはやこの世にいなくなってから、その「ファーザーズ・ソング」が公式リリースされるなんて…。

ありゃりゃ〜、いかんいかん、ファンカー・サイドについてもごくごく手短に触れておこう。二枚目の一曲目「ザ・ダンス・エレクトリック」、七曲目の「ワンダフル・アス」(ひどい曲名だよね)は、正真正銘のファンク・チューンだ。前者は、ずっと以前に触れたように、1986年のアルバム『パレード』の B 面一曲目にある(スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「スタンド!」みたいな)「マウンテンズ」のグルーヴにそっくりだ。しかも「マウンテンズ」にはないトーキング・ドラムが入っていて、それがまるでナイジェリアのキング・サニー・アデの音楽で聴けるみたいに、ヒュンヒュンって飛ぶんだよね。面白いなあ。しかもこの曲では、ぜんぶの楽器と声がプリンスひとりの密室作業で重ねられている。

七曲目の「ワンダフル・アス」はミディアム・グルーヴのファンク・チューンで、こんな感じのものが数年後からプリンスのなかでもどんどん増えてきて、アルバムにも収録されるようになる。エレキ・ギターのカッティングがチョ〜気持イイ。この曲ではウェンディとリサも参加しているみたい。そういえばそのカッコいいギター・カッティングはウェンディが弾いてんの?「KISS」のパターンに似ているじゃん。

2017/12/05

女々しくレイド・バックするクラプトンのブルーズがいい

この Spotify にあるアルバム、もちろんエリック・クラプトンの『461・オーシャン・ブルヴァード』のデラックス・エディションで、二枚組の CD は2004年の発売。むかしから大好だから僕も速攻で買った。オリジナル・アルバムの音質もよくなっているし、それ以外にも大幅拡充していて、かなりいいと思うなあ。

二枚目のライヴ・サイドは1974年12月4、5日、ロンドンはハマースミス・オディオンでのライヴで、ってことはスタジオ・アルバム『461・オーシャン・ブルヴァード』を米マイアミで録音したのが同年4、5月で、発売が7月だったので、それをひっさげてのライヴ・ツアーだったんだろう。以前も『E..C. ワズ・ヒア』関連で書いたけれど、このクラプトン74年バンドはマジでいいぞ〜。
『461・オーシャン・ブルヴァード』デラックス版二枚目のロンドン・ライヴは、MC に続くオープニングが、かのチャールズ・チャップリンの「スマイル」で(この曲の歌詞付きヴァージョンの初録音、発売はナット・キング・コールです)、「心が痛んでいるときも笑え、張り裂けそうでも笑え」っていう歌詞を、クラプトンが実に女々しく歌い、女々しくギターを弾く。ブルーズでもなんでもないふつうのポップ・ソングだが、こういった女々しさ、弱々しさ、メロウでポップなフィーリングこそ、このエリック・クラプトンという音楽家本来の持味じゃないかということも、以前書いた。「スマイル」はわりとよくやっているらしい。
僕はこういうのを聴くのがかなり好きなんだ。まるで自分の代弁をしてくれているみたいでさ。僕もわりとよく弱音を吐いてすがったり懇願したりする。「男は弱音を吐くな」的なおかしな男性観/女性観なんて、男らしさ/女らしさなんて、あんまりそんなのにしがみつかないほうがいいんじゃないかっていうのが、僕の考えかただからさ。性別に関係なく、泣いてすがって弱音を吐けばいいじゃないか。だいたいクラプトン最大の有名曲「レイラ」なんて、頼むよ〜〜って泣いて膝にすがりついて、「僕のこの悩める心をなんとかなぐさめてくれよぉ〜」と懇願する内容だもんね。

そんな女々しさ、弱々しさ、弱音を吐いて女性に懇願しているかのようなフィーリングが、アルバム『461・オーシャン・ブルヴァード』ではブルーズ楽曲にもあって、オリジナル・アルバムにも収録されている。かつて B 面トップだったエルモア・ジェイムズ・ナンバー「アイ・キャント・ホールド・アウト」だ。ぜひ上の Spotify アルバムで聴いてほしい。YouTube にだってあるだろうが、権利関係のちゃんとした正規ネット音源で聴いたほうがいいんじゃないだろうか。

ビート感の強いブギ・ウギ・シャッフルでやっているエルモアのオリジナル・ヴァージョンとの共通点は、ギターでスライド・プレイを聴かせているっていうことだけじゃないかと思うくらい違っているよね。エルモアのは YouTube にあるのをご紹介しておこう。
このテレフォンなんちゃらの歌かもしれないブルーズ・ソング、クラプトンのはもんのすごくレイジーな仕上がりになっている。レイド・バックの極地みたいな演奏と歌で、なによりヴォーカルが気だるすぎると思うほど。まるでなにかしているときにもらすため息まじりの声みたいじゃないか。ギター・スライドのサウンドもそれに拍車をかけている。この「アイ・キャント・ホールド・アウト」(もう辛抱できないよ)を、クラプトン生涯ナンバー・ワンのブルーズ演唱にあげる人もいるみたいだ。ある意味、僕もそれに同意できる部分がある。

『461・オーシャン・ブルヴァード』オリジナル・アルバムにあるほかの三曲のブルーズには、ここまでレイド・バックしたフィーリングはない。しかし二枚組デラックス・エディション一枚目で、オリジナル・アルバム分のあとにボーナスで収録されているセッション・アウト・テイク五曲。それがぜんぶブルーズで、しかもどれもすごく気だるそうで、演奏も強烈にレイド・バックしているのが、僕はけっこう好きだ。

そのアウト・テイク五曲。ジミー・リードの「エイント・ザット・ラヴィン・ユー」は分るけれど、ほかの四曲は僕のばあい初耳だった。たとえば「ミート・ミー(ダウン・アト・ザ・ボトム」がウィリー・ディクスン(戦後のシカゴ黒人ブルーズ界の裏ボス)にクレジットされているが、ディクスンにこんな曲あったっけ?聴いたことないよなあと思って、ディクスンの曲一覧みたいなのが載っているウェブ・サイトで見ても、やっぱり出てこないなあ。

またボーナス・トラック一曲目のフル・アクースティック・ブルーズ「ロンサム・ロード・ブルーズ」の作者クレジットはまったく知らない Paul Levine & Alan Musgrave という名前になっていて、調べてみても音楽の人じゃないみたいだし、う〜ん、これはクラプトンのオリジナルなんじゃないの?どなたか事情をご存知のかた、教えてください。

これら三曲以外は作者クレジットもクラプトン本人になっていて、たぶんジミー・リードのやつ以外は、本当はクラプトンの曲だろうし?、ジミー・リードのだってぜんぜん仕上がりが違うもんね。ジミー・リードのやつは、やはり彼らしい米南部ふうのイナタいブギ・ウギで、楽しく陽気なフィーリング。ところがクラプトンの「エイント・ザット・ラヴィン・ユー」はささやくみたいに小さくか細い声で、曲調もスローな完全レイド・バック・ブルーズ。

しかもこの「エイント・ザット・ラヴィン・ユー」ではギターで三名がクレジットされている。ボスとバンドのジョージ・テリーにくわえ、デイヴ・メイスンがいるんだなあ。でも右と左チャンネルで一本ずつ、計二本しかギターは聴こえない。左のほうは、上で触れた「アイ・キャント・ホールド・アウト」でのそれに似たセクシーなレイジー・スタイルでのスライドだから、それがクラプトンじゃないのかなあ?じゃあ右のサイド・ギターはジョージ・テリー?デイヴ・メイスン?どっち?スタイルとしてはテリーに近い気がするんだけど?

『461・オーシャン・ブルヴァード』デラックス版一枚目のボーナス五曲は、どれもこれもそんなふうな気だるくレイジーにレイド・バックするものばかりで、ギターもそうだが、クラプトンの声の出しかた、歌いかたも実に弱々しく女々しい。歌詞内容もそうだから、そんなヴォーカル表現をとったということもあるんだろうね。

なかには最後のふたつ「エリック・アフター・アワーズ・ブルーズ」「B ・マイナー・ジャム」みたいな完全即興のブルーズ・インストルメンタル・ジャムもある。その二つのジャムも楽しく賑やかにやっているのではなく、まさにアフター・アワーズといった、本番終わりで疲れて、なんとなくちょこっと気だるく音出ししてみましたっていうだけのものだ。ふだん肩に力が入りすぎるところのあるクラプトンだから、いい感じにリラックスできているほうが演奏内容もいいと、僕には聴こえる。よくなくたって、僕にはこういうのがかなり好きなんだぞ。

2017/12/04

ジョージア・ブルーズの一方の雄、バーベキュー・ボブ




特にアメリカ黒人音楽好きというわけではないふつうの日本人、いや、アメリカ人にとっても、南部ジョージア州アトランタのイメージは、たぶんコカ・コーラ、デルタ航空、そして CNN の本社がある都市ということになるんだろう。僕を含む音楽愛好家にとっては、戦前からのジョージア・ブルーズの世界、そして戦後のサザン・ロックの世界ですっかりお馴染み。そしてこれら二つは、オールマン・ブラザーズ・バンドらが結びつけた。

オールマンズで最もよく知られているかのフィルモア・ライヴ一曲目「ステイツボロ・ブルーズ」は、もちろんブラインド・ウィリー・マクテルの曲だ。オールマンズは、直接的にはタジ・マハールの解釈を参考に、っていうかそのまま下敷きにしたのだとはいえ、米南部ジョージア州アトランタという街を代表するブルーズ・マンであるマクテルをとりあげるのは、サザン・ロックのバンドなんだぜ!っていう自認と誇りの表現でもあっただろう。「ホトランタ」っていう曲もあるよね。

でも今日はブラインド・ウィリー・マクテルの話ではなく、ジョージア・ブルーズのイメージをマクテルと二人で代表したもう一人、バーベキュー・ボブのことについて書きたい。しかしそれにしても、マクテルのほうはオールマンズがやったり、1990年代にボブ・ディランもやったり(『奇妙な世界に』)したし、そうでなくたってブルーズ名人だしで、いまでもかなり聴かれている(よね?)と思うんだけど、同じく戦前のジョージア・ブルーズを象徴したバーベキュー・ボブのほうは、一曲を除き、ほぼ忘れられてしまっているかもしれないよなあ。

その例外的一曲とは「マザーレス・チャイル・ブルーズ」で、どうしてこれだけ?かっていうとエリック・クラプトンがやってくれているからだ。1974年の『461・オーシャン・ブールバード』の一曲目も「マザーレス・チルドレン」という曲名だが、ややこしいことにそれは別の曲で、1993年のブルーズ・アルバム『フロム・ザ・クレイドル』の11曲目に「マザーレス・チャイルド」がある。以下にそのクラプトンのアルバムの Spotify にあるやつをご紹介するので、上の Spotify にあるアルバムでのバーベキュー・ボブのものと聴き比べてみてほしい。YouTube にもあるが、権利関係がクリアされていて音楽家にお金が行く正規音源のほうがいいでしょ。
クラプトンのはバーベキュー・ボブのヴァージョンそのまんまだと分るよね。『フロム・ザ・クレイドル』というアルバムはどの曲もそうで、悪いく言えばモロパクリで、しかもかなりの劣化コピーなんだけど、まあまあいつもそんな悪口ばかり僕も言わないで、こうやってオリジナルそのままでカヴァーしてくれたおかげで、もとのアメリカ黒人ブルーズ・メンも注目されることだってあったかもしれないから、クラプトンには功績もあると認めないといけないよなあ。少なくともバーベキュー・ボブだなんて、このクラプトンのカヴァーがなかったら、完全に人びとの記憶から跡形なく消えていたかもしれないんだし。

いちばん上で Spotify にあるのをご紹介したバーベキュー・ボブのアルバム『チョコレイト・トゥ・ザ・ボーン』を、僕は CD で持っていて、まったく同じものなんだけど、それは Yazoo 盤。1992年のリリースと記載がある。僕がこの戦前ジョージア・ブルーズ・マンをはじめて知ったのがこの92年で、だからクラプトンのカヴァーはそのすぐあとだったみたいなイメージ。しかしヤズー盤(でも Spotify にあるのでも)『チョコレイト・トゥ・ザ・ボーン』は全20曲で、「マザーレス・チャイル・ブルーズ」以外にも面白いブルーズがたくさんあるんだよね。

たとえば四曲目「ミシシッピ・ヘヴィ・ウォーター・ブルーズ」は、例の1927年ミシシッピ大洪水が題材。同じ題材だと、二年後にメンフィス・ミニーがやったレコードが有名なはず。それをもとにレッド・ツェッペリンが四枚目のアルバムでやったし、だからロック・ファンもみんな知っているものだ。この題材だとベシー・スミスがやったのがいちばん早かったんだよ。やはりああいった1920年代の北部の都会派女性ブルーズ歌手と、南部のカントリー・ブルーズと、ロック・ミュージックは連続しているよなあ。

バーベキュー・ボブのアルバム八曲目には「聖者の行進」がある。もちろんいろんなニュー・オーリンズ・ジャズ・メンもやっている超有名黒人宗教歌。曲じたいがあまりにも有名であるがゆえに、かえってバーベキュー・ボブのオリジナル・スタイルがよく分るのではないだろうか?特にギター。叩きつけるように、というか強くはじくようにパーカッシヴで、しばしばスラッピングを入れる弾きかたは独特だ。そのリズムは強靭で、グイグイ進むような迫力がある。低音弦でそのスラップを使ってボンボンとベース・リフを弾くのもイイ。

その「聖者の行進」のコードの響きを聴くと、たぶん普通の6弦ギターだと思うんだけど、バーベキュー・ボブは6弦も弾くものの、12弦ギターこそがトレード・マークなんだよね。この12弦ギターを頻用するのはブラインド・ウィリー・マクテルも同じだったから、これはジョージア・ブルーズの特色の一つだったのかもしれない。バーベキュー・ボブのほうの低音弦ベースはジョージア・スタイルではなく、おそらくミシシッピ・デルタ・ブルーズから吸収したんだろうと思えるスタイルだ。

アルバム一曲目の「マザーレス・チャイル・ブルーズ」や、また五曲目「カリフォルニア・ブルーズ」なんかで特に12弦だとクッキリ分るコードの響きがしているよね。特に「カリフォルニア・ブルーズ」でのリズム表現、グルーヴ感は鮮烈、強烈で、しかもまったく戦前ブルーズとは思えないほどモダンなフィーリングだ。それからこの曲は “How long, how long, how long my train’s been gone” と歌い出しているけれど、何年録音なんだろう?ヤズー盤 CD ではどこにも記載がないのが残念。バーベキュー・ボブの初録音は1927年。リロイ・カーのそれは28年のレコードなんだけど…。関係ないふつうの言いかたではあるけれど。

三曲目の「ヨー・ヨー・ブルーズ」が、バーベキュー・ボブのアルバム『チョコレイト・トゥ・ザ・ボーン』のなかでは最も素晴らしい圧巻の出来だと僕は思うんだけど、いやあホントすごいよなあ。ザクザク刻みながら低音弦でスラッピング・ベースを入れつつ、高音弦で繊細微妙なスライド・プレイを聴かせ、しかもデルタのサン・ハウスみたいなよく響く声でモーンする。影響関係はあるだろう。スライド奏法にだってサン・ハウスっぽい要素は聴きとれることだし。

しかしバーベキュー・ボブのばあい、そのブルーズはあまり重くなりすぎず引きずらず、全体的にはどっちかというと軽妙な味で、陽気でポップなんだよね。いわばホウカム調だ。ギターもヴォーカルもうまいけれど、そんなに超絶技巧ではなく、わりと親しみやすい身近さがあって聴きやすいのが、この人の特長じゃないかなあ。そんなところを Spotify でも CD でも『チョコレイト・トゥ・ザ・ボーン』で聴きとっていただけると思う。

実際、サイド・ギターとハーモニカをくわえたトリオでやる11曲目「ディドゥル・ダ・ディドゥル」なんか、タンパ・レッドのやるパターンにそっくりだ。この曲名と同じフレーズが歌詞に出てくるが、それもダーティ・ダズン的な言葉遊びで、ルイ・アームストロングらニュー・オーリンズ(出身)のジャズ・メンや、その影響下にあったキャブ・キャロウェイあたりにもつながっているよねえ。

2017/12/03

チャチャチャな「キャラヴァン」

Ellaanddukeatthecotedazure








上のアルバム・ジャケット、スマホでちゃんとご覧になれるだろうか?パソコンで見たばあいの僕のブログは、文字が書いてあるベース地の色をクリーム色というか薄茶色みたいにしてあるので問題なく見えるはずだが、スマホだとどうなんだろう?(追記 〜 iPhone だと問題ないが、Mac でのほうが見えにくいじゃ〜ん^_^;;。)

っていうのはパソコン閲覧のときのこの僕のブログは、さまざまな色やサイド・バーの様子などその他デザインをちょこっとだけ工夫してあるのだが、スマホ、っていうか僕はiPhone しか持っていないので iPhoneの Safari でだが、それで見ると、そんなこんながじぇ〜んぶナシということになってしまってダメなんだ。iPhone を使うようになり、ブログのアクセス解析を見ると、読んでくださる総数の五割方以上がスマホやタブレット類であると知って、もはやデザインなんかどうでもいいや〜〜っ!

そんなことはいい。1998年にヴァーヴから出たものは CD 八枚組というサイズの大きなデューク・エリントン楽団とエラ・フィッツジェラルドの『コート・ダジュール・コンサーツ』。もとはレコードでそれら二者の共演分にのみスポットライトが当たっていたもので、それは1966年録音翌67年リリースの LP 二枚組『エラ・アンド・デューク・アト・ザ・コート・ダジュール』。

リイシュー CD でも二枚組のものがあって、それはオリジナル LP どおりのものにちょっとだけボーナス・トラックを足したもの。それら追加分はエラが歌わないエリントン楽団単独の演奏だけど、たった二曲だけだから、やっぱりあくまでエラとエリントンの共演をこそ聴くべきものだ。実際、素晴らしい内容だしね。でも今日はそれには触れない。

CD 八枚組となった『コート・ダジュール・コンサーツ』は、七枚目までが1966年7月26日から29日までのフル・コンサートの収録で、最後の八枚目には、ラストの一曲だけが27日の録音でエリントンのピアノ独奏(これはなんだろう?)であるのを除き、すべて28日の楽団リハーサルの模様が収録されている。七枚目までにはエラ・フィッツジェラルドとの共演分も当然すべてあるが、エリントン楽団単独の演奏もたっぷりすぎるほど聴けて、そのなかにはかなり面白いものがあるんだよね。

八枚全部の話を一度にするのは無理なので、一枚目、それも今日は一曲にだけ絞ってちょっと書いておきたい。二曲目の「キャラヴァン」のことだ。それはチャチャチャなんだよね。プエルト・リカンである当時のエリントン楽団員だったファン・ティゾールの書いた(版権登録名義はボスとの共作)、もとからアフロ・キューバンなジャズ・ナンバーで、初演はエピック盤『ザ・デュークス・メン』収録のコンボ編成録音。名義がバーニー・ビガード&ジャズ・ストンパーズで、1936年12月19日録音のヴァライアティ原盤(コロンビア系)。
これをキューバ音楽のなかに位置付けるとどういうものになるのかを言うことは難しい。はっきり言ってしまうと、あんまりアフロ・キューバンなフィーリングじゃないよね。でも1936年時点での北米合衆国ジャズとしてはエキゾティックだ。ジャズの誕生時からキューバを含むカリブ音楽要素ははっきりあるが、この1936年の「キャラヴァン」は、ちょっとそうとも言いにくい面がある。ここで長年、僕の心のなかにだけ置いてあったこと出してしまうが、このオリジナル・ヴァージョンの「キャラヴァン」には、曲名どおり隊商がサハラ砂漠を旅しているかのようなアラブ音楽テイストがある。と僕は思うけれど、どうだろう?

「キャラヴァン」という、聴き手に一瞬でチャームの魔法をかけてしまうような曲が、その後どういうさまざまな新解釈でどんなふうに展開されたのか、それもエリントン楽団だけでなく、種々のカヴァー・ヴァージョンでどうなっているかなんて話は、到底僕一人の手では扱えないことだ。どなたか「キャラヴァン」専門家(なんているの?いそうだよね、ヴェンチャーズあたりから)のかたにお任せしたいのだが、僕は僕なりにそのうち一つまとめてみようと思っている。

今日はとにかくコート・ダジュール・コンサートでの「キャラヴァン」のことだけだ。上で書いたように、この1966年7月26日のエリントン楽団がやった「キャラヴァン」はチャチャチャにアレンジされている。チャチャチャというキューバ音楽は日本でもかなり有名なので、どんなものか説明はしない。とにかくまずそのエリントン楽団のチャチャチャな「キャラヴァン」の音源をご紹介。
僕が自分で勝手にアップロードしたこれをお聴きになれば、なにが行われているのかは説明不要だ。エリントンの紹介をともなって、(ベースもあるが基本は)打楽器ばかり一個ずつ入ってくるその順序どおりにパーソネルも上から書いておいた。ドラムス、(ベース、)マラカス、クラベス、ギロで、後半の三つは管楽器奏者たちが管をおいて、代わりに叩いたり刻んだりしているものだ。彼ら三人は、この「キャラヴァン」では本来の管楽器に戻ることなく最後までパーカッションを担当しているのが、はっきりと聴こえる。

演奏終了後にエリントンが紹介する声が入っているので説明不要だけど、クラリネット・ソロはジミー・ハミルトン、トロンボーン・ソロはローレンス・ブラウン。ボスもピアノ・ソロを弾く。がしかしこの「キャラヴァン」では、そんなソロ演奏内容は大事なことじゃない。大事なのはリズム演奏のスタイルとフィーリングなんだよね。

ジミー・ハミルトンのクラリネット・ソロのあとに出てくる、二回目のローレンス・ブラウンのソロの途中で少しだけ4/4拍子になってしまうのがいまの僕は残念だ。曲全体をこのチャチャチャ・リズムでやってくれていたら完璧な一曲となっていたところ。ドラマー以外の三人の打楽器奏者のなかでは、特にバスター・クーパー(は本来ヴァルヴ・トローンボニスト)の刻むクラベスのサウンドがかなりクッキリと目立っていて、演奏の最後まで、基本、3・2クラーベのパターンをやっている。ちょっとのあいだの4ビート部分でだけそれが消えているので、やっぱりもったいなかったよなあ。

全米でのチャチャチャの流行って、何年ごろだったんだろうなあ?ちゃんとしたことは調べてみないと言えないが、やっぱり北米大陸上陸は1950年代半ば以後だったんじゃないかなあ?どうやらもとはヴェネスエーラ発祥のものらしいと読んだけれど、僕はその時代のことは知らないし聴いたこともない。知っているのはマンボの亜種としてキューバで演奏されるようになって以後だ。

マンボは1940年代末ごろに誕生日があるみたいだし、ダンソーン・マンボの一形態としてチャチャチャが発生したのは、だから50年代初頭あたりか?1958年のキューバ革命完遂後は、この国と北米との関係は冷えてしまったので、それ以前にやはり流入していたはずだ。エリントンの南仏コート・ダジュールでのコンサートが1966年なわけだけど、そのころにはアメリカでもあたりまえのものになっていたんだろうね。

なんだっけ?、日本の歌謡曲にもあったよな。え〜っと…、「黒猫のタンゴ」じゃなくって、え〜っとえ〜っと、あっ、そうそう、「おもちゃのチャチャチャ」だ!何年だっけとネット検索し、1962年の眞理ヨシコのレコードらしいと知り、翌63年の日本レコード大賞童謡賞をもらったとあるが、えっ、それって僕がまだ一歳のときじゃないか。

僕の記憶が芽生えるあたりの時期までテレビ番組などで流れたり、(ほかの歌手も?)歌ったりしていたんだろうね、「おもちゃのチャチャチャ」を。間違いない。そう記憶している。ってことは、日本でも1960年代前半にヒットしたくらいなんだから、1966年のアメリカ合衆国の音楽家、それも戦前からずっとアフロ・キューバンを熱心に取り入れているようなエリントンにとっては、だいたいがカリビアンなフィーリングのジャズ楽曲である「キャラヴァン」を、1966年にチャチャチャにアレンジするくらい、朝飯前だったのかもしれない。

だから、いまでも聴けるような音源として商品化はされてなくても、「キャラヴァン」をいろんな中南米音楽ふうにアレンジして実際に演奏していたんじゃないかと、僕は想像している、というか信じている。もちろんその根拠は、今日音源もご紹介した公式盤『コート・ダジュール・コンサーツ』で、チャチャチャな「キャラヴァン」が聴けることだ。リリースは1998年になったとはいえ、1966年の演奏としてこういうのが残っているんだから、ホントマジでいろんな「キャラヴァン」をやっていたはずだよ、デュークはね。

2017/12/02

ウー・ティン・トリオの演唱が本当に素晴らしい

Utin2017








以前、ビルマに現存する最高のギター名手、ウー・ティンについて書いた。「謎の変態ビルマ・ギター」だとして。
コメント欄をご覧になれば分るように bunboni さんがおっしゃるには、同じシリーズの第二弾がリリース予定だとなっていた。それがついこないだ(でもないか?ちょっと前(^_^;))、発売されたのだった。最初そのときは、ギター独奏だった前作や、またそれより先に発売されていたアウン・ナイン・ソーのやはりギター独奏アルバムと同様にインディ販売みたいなかたちでしか出回っていなかったウー・ティンの二作目だが、いまやその素晴らしさを地下販売みたいにしたままではあまりにもったいないということか、一般流通品となっているらしいのが、すごく喜ばしい。

一作目がほぼ全曲ギター独奏だった(最後の曲でだけ歌ってもいる)ウー・ティンだけど、こないだリリースされた二作目『Music OF Burma Virtuoso OF Burmese Guitar, Man Ya Pyi U Tin And His Bama Guitar』(長すぎっ)は、歌手と竹琴(パッタラー)奏者も参加のトリオ編成。だからヴォーカリスト、ラミンがあくまでメインで、ギターのウー・ティンとパッタラーのマウン・タンエーはほぼ伴奏役だ。

だからギタリストやギター専門家やギター・マニアみたいなかたがたには、ひょっとしたら一作目のほうが面白く聴こえるのだろうか?だがしかしビルマの大衆音楽の世界では、こんなふうなギターとパッタラーが歌手の伴奏をやるほうがふだんの姿なんだそうだ。それに、いままでまったくの摩訶不思議変態世界だとしか聴こえていなかったビルマ・ギターへの入門としても、むしろこっちのトリオ編成録音のほうが理解しやすいかも?

いやいや、理解だなんて、もちろん僕などには到底おぼつかない。ただただ面白い、楽しいと思って耳を傾けているだけで、CD 附属解説文の荻原和也さんが末尾で「聴き手のミャンマー音楽理解度が試される、コワいアルバムだ」などとお書きなもんだから、おそろしくて、ぜんぜん理解などしていないと自覚している僕なんか、あの文言を読んでしまったので、今日のこの文章だって、いちおう書きはするものの、公開できるかどうかおそろしくて。公開しない可能性だってある。『ミュージック・マガジン』最新号でのレヴュワーさんもビクビクしているのが行間に漂っていた。萩原さん、あんなこと、書かないほうがいいと思います〜+-。(^_^ *) 。

まあともかく、その萩原さんの解説分が素晴らしくて、しかもスリリングで刺激的。だからウー・ティンの新作に、今日の僕のこの文章で、ひょっとしてあるいは興味を持って買ってくださるかたでも出現したならば、音楽を聴いて、萩原さんの音楽的解説文(は世界のギター・ミュージック愛好家必読だ)と、ウー・ティンのお弟子さんである日本人、柳田泰さんのウー・ティンへの敬愛にあふれている紹介文をお読みになれば、僕のことなど忘れていただきたい。

音楽のことを書こう。ウー・ティン(ギター)、マウン・タンエー(パッタラー)、ラミン(ヴォーカル)の三人が繰り広げる全10曲は、4曲目が古典なだけで、ほかはぜんぶビルマ大衆歌謡みたいだ。リーフレットにそう記載があるのでそうかと思うだけの僕で、実際に聴いてみても、その古典ということになっている4曲目「Pale Myeit Son」と、ほかの9曲のあいだに違いが聴きとれない。これは僕の耳がヘボだってだけのことなんだろうな、きっと。

だからぜんぶいっしょくたにして書く。ギターやパッタラーはソロを演奏することもあるけれど、だいたいいつも歌の伴奏役だ。そしてギターもパッタラーも歌の旋律にピッタリと寄り添って離れない。パッタラーのほうは竹製なので、打楽器だという面もあって、実際、そんな響きがあって、パーカッシヴに聴こえたりもする。ポコポコパカパカって、僕の好きなサイン・ワインの音色にもちょっと似ている。

あっ、それを言ったらウー・ティンのスライド・ギターだってかなりパーカッシヴだよなあ。というと不正確だが、弾き出しのあの強烈なアタック音と、その後の音色と、フレイジングの組み立てが、なんというか硬質で、リリシズムや甘い情緒が入り込んで流麗になるような部分がなく、ハードでシャープで厳しい。そんなサウンドだよね、このスライド・ギターは。僕の耳にはそう聴こえる。

しかもそれでいて、ディープなフィーリングをギター・スライドでしっかり確実に出している。そのディープさは、ビルマの(古典&大衆)歌謡がもとから持っているものなんだと思う。ウー・ティンにしろほかのだれにしろ、それを楽器に移し替えてそのまま表現しているってことじゃないかなあ。だから歌の世界が時代とともに変化すれば、たとえばビルマ・スライド・ギターの演奏も、具体的にはフレイジングのニュアンスなど、特に弾きはじめと弾きおわりの部分で変化するということなんだろう。それだから、ウー・ティンとアウン・ナイン・ソーの、あのフィーリングの違いがあるのかもしれない。

パッタラーのことはおいといて、ウー・ティンのギターの話に専念するが、ビルマ歌謡のヴォーカリストと共演した新作で、そのギター・フレーズの創りかたが、一作目のギター独奏アルバムよりも一層はっきりした。これは間違いなくヴォーカル・フレーズを移植したギター表現だ。世界のどんな音楽でもヴォーカルのばあいは、(西洋音楽でいう)半音以下の細かな音の移動や表現や、また声を切ったり伸ばしたりも歌手の力量次第で自在にできる。

ところが、たとえばギターだと、ふつうのやりかたでは、音量も小さい楽器だし、ふつうは半音単位のフレットで区切られているから、指で押弦するばあいはそれ以下の細かい音は出しにくい(ぜんぜん出せないことはない)し、サステインも効かず音は伸びない。ハワイから流入したギターに最初から反響板が付いていたかどうか、僕には分らない。ハワイ音楽の世界的ブームとギターの拡散は1920年代だから、ビルマにもそのころ入ってきたと思うので、スライド奏法は同時に輸入されただろうが、そのときにリゾネイター・ギターも輸入されたかどうか?

そのあたりは萩原さんの解説文でも明言がないし、僕なんかに推測できるわけもない。ただウー・ティンもリゾネイター・ギターとふつうのアクースティック・ギターの両方を弾くので、う〜ん、どうなんだろう?まあとにかく電化アンプリファイはしない世界らしいので、音量の大きさとサステインを得るには、反響板のついたリゾネイター・ギターが最適だ。

それをスライドで弾けば、音量と音の伸びとともに、半音以下の細かなフレイジングも容易となる。ビルマ歌謡のヴォーカリストも微妙に音程が、西洋音楽的にいえば「外れている」。正確にはちょっとずつフラット気味になっている部分があって、もとから七音音階を使うので、それとあいまってまるでフラフラと船酔いするかのごとき眩暈を感じ、気持悪くなってしまう人もいるんだそうだ。ウゲェ〜と吐きそうになってしまうリスナーがたくさんいると聞いた。

だがしかしこれがビルマ音楽の独自の魔力だ。僕のばあい、ソーサーダトンがこの国の音楽初体験だったのだが、そんな気持悪さをまったく覚えなかったのはどうしてだったんだろう?彼女の声のチャーミングさで、あの摩訶不思議な旋律の違和感も消し飛んだのか?あるいは以前も書いたサイン・ワインのパカパカッっていうあの音色の虜となってしまったせいか?けっこうたくさんのアメリカ(発祥の)産音楽を聴いているつもりの、つまり西洋音楽の和声体系や、ブルーズを表現するペンタトニック・スケールにかなり馴染があるつもりの僕だったけれど、ビルマ音楽初体験のソーサーダトンにぜんぜん違和感がなく、アァ〜こんな音楽大好きだぁ〜って、そう感じたのが不思議だ。

そんなことも振り返って、今回やはり女性ヴォーカリストとの共演作アルバムを創った、ビルマ・ギター・ヴァーチュオーゾ、ウー・ティンの演奏を考えると、まったくの謎、変態、不思議世界に聴こえていたのが(それはなまじギターを使った音楽だったからだろう)、女性歌手ラミンの歌う旋律を、まるでなぞるように弾いているウー・ティンを聴き、ばあいによってはユニゾンで同時演唱したりしているので、あぁ、こういうことかと僕なりに得心がいったのだった。

もちろん謎はぜんぜん解けていない。理解もしていない。僕はね。ただウー・ティンとビルマ・スライド・ギター世界の面白さが拡大しただけだ。これでギター独奏アルバムだったウー・ティンの一作目や、あるいはほかのいろんなビルマ音楽 CD の聴こえかたも変化してくるはずで、これからの楽しみが増えた。

2017/12/01

ベルリンの街に舞い落ちる枯葉





まず、この全七トラックのプレイリストについて、データを書いておこう。曲はもちろんぜんぶ「枯葉」で、トランペットも当然すべてマイルズ・デイヴィス。

(1)モノラル・ヴァージョン。1958年3月9日、ニュー・ジャージーのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオ録音。
キャノンボール・アダリーのアルバム『サムシン・エルス』収録。
ジュリアン・キャノンボール・アダリー(アルト・サックス)、ハンク・ジョーンズ(ピアノ)、サム・ジョーンズ(ベース)、アート・ブレイキー(ドラムス)。

(2) ステレオ・ヴァージョン。それ以外はぜんぶ(1)と同じ。

(3)1961年4月22日 、サン・フランシスコのブラックホークでのライヴ録音。
2003年リリースの CD 四枚組『イン・パースン・フライデイ・アンド・サタデイ・ナイツ・アト・ザ・ブラックホーク、コンプリート』収録。
ハンク・モブリー(テナー・サックス)、ウィントン・ケリー(ピアノ)、ポール・チェインバーズ(ベース)、ジミー・コブ(ドラムス)。

(4)1963年7月27日、フランス、アンチーブでのライヴ録音。
『マイルズ・イン・ユーロップ』収録。
ジョージ・コールマン(テナー・サックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)。

(5) 1964年2月12日、ニュー・ヨークのフィルハーモニック・ホールでのライヴ録音。
2004年リリースの CD 七枚組『セヴン・ステップス:ザ・コンプリート・コロンビア・レコーディングズ 1963-1964』収録。
ジョージ・コールマン(テナー・サックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)。

(6) 1964年9月25日、西ドイツ、ベルリンでのライヴ録音。
アルバム『マイルズ・イン・バーリン』収録。
ウェイン・ショーター(テナー・サックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)。

(7) 1965年12月23日、シカゴのプラグド・ニッケルでのライヴ録音。
1995年発売の CD 七枚組『ザ・コンプリート・ライヴ・アト・ザ・プラグド・ニッケル 1965』収録。
ウェイン・ショーター(テナー・サックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)。

なにかオーディオ関係のことを新しくしたり、修理したり、とにかくなにか変えたときのチェック用に、僕はキャノンボール・アダリー名義の1958年ブルー・ノート盤『サムシン・エルス』一曲目の「枯葉」を使う癖がある。もう大学生の時にそうなって以来、いままでずっとぜんぶそうなのだ。まず確かめるのが左右2チャンネルの接続が正しくできているかどうか。ところが……。

Spotify を(部分的に)使うようになって、そのときどの装置で聴くかをセッティングしたり、その後また変えたりもしたので、それでやっぱりこれで、と思ってキャノンボールの『サムシン・エルス』を探して、あ、そうそう、このジャケットだよと思い聴いてみたら、モノラル・ヴァージョンのアルバムだったから、左右2チャンネルのチェックができなかった。

そう、つまりあの『サムシン・エルス』にはモノラル盤があるんだよね。というと多くのジャズ・リスナーは驚くか、驚かないまでも聴いたことがない、どこで入手したんだ?と思うかもしれないよね。でもまあ驚きはしないのかな、1958年に録音、発売されたアルバムだから。大手コロンビアなんかですらまだまだモノラル盤が標準、というかそれしか売っていなかった時代だから、インディのブルー・ノートはもちろんモノラル・アルバムしか売っていなかっただろう。

でもこれはどこにも明確な記載がないことだ。だから僕は1998年の、ルディ・ヴァン・ゲルダー自ら手がけた『サムシン・エルス』リイシュー CD を、店頭で買うときにはやはりどこにもステレオだかモノだか記載がなかったはずなのだが、家に帰って聴いてみてビックリするまで、ま〜ったくこの事実、すなわちこのアルバムにモノラル・マスターがあったということを知らなかった。

Spotify にあるキャノンボールの『サムシン・エルス』は、そのルディ・ヴァン・ゲルダー・リマスターのモノラル・エディションなんだよね。えぇ〜それじゃあちょっと…、まあ音質はこっちのほうがいいと CD で聴いて知ってはいたが、左右2チャンネルのチェックができないじゃ〜ん。ってことで、オーディオ・チェックには違うアルバムを使った。その後 Spotify でよく探すと、同じキャノンボールの『サムシン・エルス』でも、やっぱり長年ずっと標準だったステレオ・エディションもちゃんとあったのだが、なんだかおかしなジャケットなんだよなあ。すぐには見つけられなかった。

そんなわけで今日のプレイリスト1トラック目(モノ)と2トラック目(ステレオ)があるといういうわけ。もちろん演奏は同じ内容だし、それについてはもはや語る内容もないよう〜。ちょっとだけ付記しておくと、この印象的な冒頭部のアレンジは、マイルズが好きだったジャズ・ピアニスト、アーマッド・ジャマルのアレンジをそのままパクったものだが、それをマイルズ自身は引き継がなかった。やはりそこは名義上だけとはいえキャノンボールがボスなので、あのアレンジは、独立後のキャノンボールのバンドのものとなって、実際、ライヴ・アルバムで聴ける。

マイルズも「枯葉」はその後のライヴでやるものの(公式盤収録は上の五つでぜんぶ)、上のプレイリストでお聴きになって分るように、イントロもなしでいきなり自分が吹きはじめるというパターンをとった。アレンジなしみたいに聴こえるかもしれないが、演奏全体、特にソロ部分背後でのリズム・セクションの動きはアレンジされているか、あるいは自然発生的だとしてもバンドの統一感、一体感が生まれていて、たんなるスポンティニアスな演奏というだけでなく、繊細微妙な構築美が聴ける部分もある。

マイルズが自己のレギュラー・コンボでのライヴではじめて「枯葉」をやったのは、1960年後半の、サックスがソニー・スティットだった時期だけど、それはブートレグでしか聴けず。だから今日はいつものとおりとりあげない。公式盤収録は、上記のとおり1961年のブラックホーク・ライヴのものが、録音時期はいちばん早い。がしかしそれは2003年リリースだから、リアルタイム・リリースでの初登場は、新バンドになった『マイルズ・イン・ユーロップ』だ。1964年のレコード発売。

しかしここでまた問題があって、オリジナルの『マイルズ・イン・ユーロップ』収録の「枯葉」は、約二分短く編集されていた。たしか20世紀と21世紀の変わり目あたりに再発された同アルバムの CD から、ノー・カットのフル・ヴァージョンになったんだよね。『マイルズ・イン・ユーロップ』で短く編集されているのは、「枯葉」以外にも二曲あるが、今日の話題じゃないので省略。アナログ・レコード収録可能時間の問題だった。それら短縮編集ヴァージョンは Spotify には存在しない。いまや CD もふつうには買えませんから〜。

『マイルズ・イン・ユーロップ』の「枯葉」で短くなっているのは、二番手でソロをとるジョージ・コールマンのテナー・サックス・ソロだ。チョ〜メンドくさかったが聴き比べて確認した。フル・ヴァージョンにおける(曲全体の)4:53 〜6:37 がなくなっていて、その前後をピッタリくっつけてあるんだなあ。しかしこれ、短縮ヴァージョンで長年ずっと僕も聴いていたが、気がつかなかった。かなり巧妙なテープ編集だなあ。

しかしそのアンチーブでの編集版「枯葉」は二分以上も短かった。だからどこかほかのところ、確かめていないがたぶんハービー・ハンコックのピアノ・ソロもどこかをちょっとだけカットしてあると思う。さすがにマイルズのソロは切りにくいだろうし、ジョージ・コールマンのソロ部分は慎重に聴き比べて判断したので、そうなんだろうと思う。

ここまでモノラルかステレオか、編集済みか未編集かなどと、瑣末なことだった。すでに長くなってしまっているが、音楽内容にも少しは触れておこう。マイルズ・バンドがライヴでやる「枯葉」で、いちばん素晴らしいと僕が信じているのが、上記プレイリスト六曲目のベルリン・ライヴ。その次が四曲目のアンチーブ・ライヴ。1961年の旧バンドでのブラックホーク・ライヴも湿度の高い情緒があって好きだけど、きわめて残念なのがマイルズのソロ演奏途中から収録されていることだ。コンプリートだったら一位に選んでもいいくらい好きなんだけど…。う〜ん、残念だ。

そう、マイルズ・バンドの1960年代は情緒がどんどん乾いていったんだよね。新バンド、すなわちリズムがハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズになって以後は。これは「枯葉」だけのことでもライヴ演奏のことだけでもなく、一般的に言えることなんだよね。リリシズムがありはするものの、ふつうの意味でのいわゆるリリカルさではなくなった。それが好きかどうかは個人個人の好みの差だ。いいとか悪いとかじゃあない。

そうしてフィーリングが乾いていった新バンドでのライヴにおける「枯葉」だけど、それでもこのバンドのライヴ録音盤初お目見えだった1963年アンチーブ・ライヴでは、まだ少し湿っているよね。マイルズの吹きかたは61年のブラックホーク・ライヴと大差ない、というかほぼまったく変化なしだけど、このトランペッターはバックのリズム・セクションのフィーリングの変化に左右される、むしろ好んで左右されようと、それでもって自分の音楽を刷新しようとしていった人だ。だから、新しいリズムになったアンチーブ・ライヴでは、トランペット・ソロ内容が違って聴こえるのが面白い。

1963年アンチーブ・ライヴではジョージ・コールマンも健闘しているが、やっぱりちょっとなあ…。ハービーのピアノ・ソロは、64〜65年のライヴと比較すると、まだまだ完成度が低いように感じる。そういうわけでサックスがウェイン・ショーターに交代した時代の、スタジオでもライヴでも正真正銘初の公式録音である1964年9月25日、ベルリン・ライヴでの「枯葉」。これは絶品だ。むかしから、大学生のころから、この印象派ふうな「枯葉」が僕は大好きなんだよね。

ベルリン・ライヴでの「枯葉」。一番手のマイルズがソロを吹く背後でのリズム・セクション三人の動きに注目して聴いてほしい。特にブラシを使うトニー・ウィリアムズの叩きかた、いや、撫でかたが素晴らしい。ハタハタ、ヒラヒラと、まるで枯葉が落ちていき舞うのが目の前に見えるようなドラミングじゃないか。ハービーの右手シングル・トーンによるフレイジングもそうだ(特に 3:29 〜 3:47)。そのあいだロンがしっかり2/4拍子で支えていて、この三人が一体となって、ボスのハーマン・ミュート・トランペットによる、緊密に構築された美を放つソロを際立たせている。いやあ、素晴らしいよなあ。

二番手ウェインのテナー・サックス・ソロになると、また違った独特の鋭角的なフィーリングがあって、マイルズの印象派ふうなリリシズムとはかなり違うが、三番手ハービーのピアノ・ソロとあわせ、内容はかなりいい。(サックス奏者は変わっても)この新バンドによる「枯葉」でのソロのなかで、ふたりともいちばんいいのがこれだ。ウェインのテナー・ソロ終盤部でワン・コードになってチェンジせず、そのまましばらく吹き続けてグイグイ盛り上がっていくあたりはスリリングで息を飲む。そしてそのワン・コード部をウェインが吹き終えたら、そのままハービーの、右手の転がるようなシングル・ノーツが印象的なピアノ・ソロになる。

2017/11/30

河内グルーヴ

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錦糸町でやるようになったのは何年からだっけ?河内音頭。盆踊りの伴奏音楽だけど、お祭りとかお神輿とか、以前も書いたが獅子舞とか、子供時分はあまり好きじゃなかった僕。こわいような気がしていたし、それにちょっと暴力的な感じがしていて、実際、全国のいろんなお祭りやお神輿のぶつかり合いなどでは怪我人や、ばあいによっては死人が出たりもするもんなあ。音楽が面白いなあと感じていたかもしれないが、あまり積極的には行かなかった。

だからどんなお囃子とか音頭とかでも、音楽だけを取り出してレコードや CD でどんどん聴くようになったのは音楽狂になった17歳以後のことで、その後は現場体験もおそろしい感じが薄くなってきた。いやまだ少し残っているけれども。そもそもお酒が付き物だし(下戸で華奢なヤサ男でスンマセン)、やっぱりアルコール類はダメだけど、暴力的な要素はダンス・ミュージックには必然的についてくるものだと理解できるようになった。それでもやっぱり部屋のなかで聴いているばあいが多い僕。

河内音頭をレコードや CD で聴く体験はホンモノじゃないと言われそうだけど、僕は必ずしもそうは思わない部分もある。ダンス・ミュージックは世界にいっぱいあるが、現場体験できるものなんてかなり限られているじゃないか。アメリカの黒人ファンク・ミュージックだって、ふつうの多くの日本人音楽愛好者は録音物で知っているにすぎないはずだ。それでダメだと否定されるべきってことはないだろうと思う。むろん現場体験できればそれに越したことはない。

そんなわけで何枚か持っている河内音頭の CD から、今日は2012年のテイチク盤『続、続々カワチモンド』をチョイスした。書いたように盆踊りの際の伴奏音楽だから、現場では延々とやっているものだけど、この二枚組 CD に収録されているものはすべて45回転のアナログ・シングル盤音源。それも一度は発売されたものの、シングル・レコードという企画ものであるがゆえイロ物、ゲテ物扱いされて、店頭から消えたが最後、二度と日の目を見ることがなかったものがほとんどらしい。ってことはつまり、日本のレア・グルーヴ?

実際、『続、続々カワチモンド』には、クラブ向けみたいなものだってあるみたいだ。例えば二枚目一曲目の「千両幟 VooDoo Ciranda」。音頭取りは桜川百合子だが、これは原曲を久保田麻琴がリミックスしたものだ。これ以外にもありそう、っていうかそもそも伝統形式そのままであっても河内音頭はダンス・ミュージックなんだから、クラブ向けみたいな?グルーヴはしっかりある。

伝統形式と書いたものの、河内音頭は一度衰退したらしい。詳しいことは知らないんだけど、これだけは僕でも知っている有名な1961年の鉄砲光三郎のレコード「鉄砲節河内音頭」シリーズが、(公称で)累計100万枚を売ったらしく、これ以後、世間に河内音頭が広く拡散するようになったんだそうだ。そのシリーズもテイチク盤なんだよね。鉄砲光三郎は CD『続、続々カワチモンド』にも二曲収録されている。どっちも曲題は「鉄砲節河内音頭」となっているが、一枚目一曲目のものはご存知のよく知られている河内音頭の通常スタイル。六曲目のものはハワイアン・スティール・ギターが入っている。

YouTube で探すと、ハワイアン・スタイルの「鉄砲節河内音頭」のほうはそのままあった。スティール・ギターはバッキー白片。
伝統スタイル?の、というかみなさんよくご存知のやりかたでやる河内音頭というべき一曲目の「鉄砲節河内音頭」は、そのままのものが YouTube にないが、同じ鉄砲光三郎の河内音頭はどれも同じなので、ちょっとこれをご紹介しておこう。CD アルバム『続、続々カワチモンド』一曲目収録の「鉄砲節河内音頭」は、こういった感じのものを45回転ドーナツ盤用の約三分間に短縮して歌っているだけみたいなもんで、それが1961年に発売された。
その他 YouTube で探せば、現在までも連綿と受け継がれているこの「鉄砲節」の実際の演唱風景も合わせ、去年のだとか今年のだとか(鉄砲光三郎は2002年没)がたくさん上がっているので、ご興味のあるかたはご覧あれ。でもどれ聴いても同じですけれどもね。つまり鉄砲光三郎の功績がそれだけ大きかったということと、毎年恒例の盆踊りの伴奏音楽なんて、現場でのありように変化なしってことなんだろうね。世界のどんな伝統的ダンス・ミュージックもそうだ。

CD アルバム『続、続々カワチモンド』に収録されているものは、いずれも45回転のドーナツ盤商品として売ろうとして企画され録音され発売されたものなので、なかにはダンス向けというだけじゃないようなものだってある。いや、ダンサブルではあるものの、盆踊り現場では使いにくそうだ。あくまでシングル盤レコードですから〜、聴かせるための歌謡音楽化しているばあいもあるんだよね。それなもんで、上述のとおり異端視されて売れなかったのかなあ?

一枚目八曲目「ソウル河内音頭」(椿秀春)や、二枚目六曲目「ディスコ河内音頭」(これも椿秀春)、十一曲目の「商売繁盛じゃ笹持ってレゲエ〜レゲエ河内・鉄砲節〜」(James Bon = 若井ぼん)なんかは、そのままじゃ盆踊り伴奏としては使いにくそう。でもダンス・ホール、クラブなどでなら難なく踊れるものだから、むしろある時期以後の DJ あたりの注目は集めそうだ。だからまあやっぱりイロ物、ゲテ物かもしれないが、河内音頭の生命力を物語るものじゃないか。CD 附属ブックレットで複数氏が言う<雑食性>とまで言うのはちょっとどうかと思うのだが。だって、(世界の)民族伝統と現代ポップスの合体はよくあることだから。

それよりも僕にとっては、『続、続々カワチモンド』一枚目で桜川唯丸がやる、三曲目「江州音頭唯丸節 浪花遊侠伝」と十二曲目「民謡ヤンレー節 鈴木主水」がかなり強烈に脳裏に焼き付いたままだ。2012年に買って最初に聴いたときからそうで、いまでもこの印象が変わらない。どっちも1975年のレコードだけど、これらはアフリカ音楽だもんね。
どっちもアフリカのサハラ地域でトゥアレグ族のやるエレキ・ギターを中心とする音楽、いわゆる砂漠のブルーズにあまりにも似ているよね。しかも桜川唯丸のこれら二曲は1975年のレコードだもんなあ。砂漠のブルーズはまだない。桜川唯丸が使ったギタリストは、近隣のそこいらへんのスナックで弾き語る流しをスカウトしたものらしい。う〜ん、マジか…。おそろしいことだ。これら二曲ともエレキ・ギタリストが繰返すリフ・パターンは、どう聴いても砂漠のブルーズのものじゃないか。太鼓が入っているのかどうかの違いしかない。ヴォーカルのコール&リスポンスも同じだ。

これら桜川唯丸の二曲はエレキ・ギターの弾きかたがあまりにも砂漠のブルーズだけど、音頭取りやら三味線やら太鼓やらもあわせた曲の演奏のグルーヴじたいは、『続、続々カワチモンド』収録のほかの多くの曲でも近いものがあるんだよね。そもそもの中興の祖だった鉄砲光三郎の河内音頭が収録されている二つだってそうだった。

大阪は河内に、っていうよりも日本人のなかに、しかも古くから伝承的に、こんなリズム感覚、グルーヴが存在していて、しかもそれは毎夏日常的に発揮されているってことだよね。しかも演奏されるそんなのにあわせ、僕たちのようなどこにでもいるごくふつうの一般人が踊っているってことだ。

アフリカン・グルーヴは中南米のアフロ・クレオール音楽の土台にもなっているんだから、ってことはブーガルー・ブルーズみたいなハービー・ハンコックの「ウォーターメロン・マン」の、特に別テイクのほうのノリが、まるで河内音頭のそれみたいじゃないかという昨日の僕の印象も、まったくゆえなきものじゃない?

2017/11/29

南洋の河内音頭ジャズ 〜 別テイクのほうがいいハービーの「ウォーターメロン・マン」


ハービー・ハンコックのデビュー・アルバム1962年の『テイキン・オフ』。これについてお気楽にいい加減なことを書いておこう。っていうのは、以前、この作品にかんしやや大げさな前振りをしてしまい、なんだか大層なことを書くぞみたいに言ってしまったせいで、書きにくくなっているんだ。自分で自分の首を絞めちゃっていて、このままだといつまで経っても書かずじまいに終わりそう。だから方針転換。軽い気分でテキトーなことを書いておく。

ハービーの『テイキン・オフ』現行アルバムは、上の Spotify にあるものでご覧になっても分るように、三曲のボーナス・トラックが追加されている。まず最初、1996年の CD リイシューの際にそうなって、その計九曲のまま2007年にルディ・ヴァン・ゲルダー・リマスター盤が出た。僕はもっぱらその RVG リマスターの2007年盤で聴いていて、Spotify にあるものも、それをそのまま使ってある。

高音質化もボーナス・トラックもふだんは不要だと思うことの多い僕だけど、ハービーの『テイキン・オフ』のばあい、「ウォーターメロン・マン」の別テイクだけは面白い。ほかにも追加の二曲の別テイクはぜんぜんいらない。「ウォーターメロン・マン」だけ二種類あればいい。たんに僕が大好きなラテン・ブルーズ(16小節構成)で、こんなのが1970年代以後のファンク・ハービーのルーツだということはもちろんある。でもそれだけじゃないんだ。別テイクは本テイクと大きく違うんだよね。そしてこの二つのことはかなり関係がある。

ハービー1962年の「ウォーターメロン・マン」二種類がどう異なっているのか、上の Spotify にあるアルバムはネット環境さえあればパソコンでもスマホでも聴けるので、ぜひ聴き比べていただきたい。アルバムのオープナーである本テイクのほうはあまりにも有名だから、どっちかというと七曲目の別テイクのほうに力を入れて耳を傾けてほしい。

「ウォーターメロン・マン」別テイクのほうは、リズムのノリが本テイクよりもずいぶんとリラックスしているよね。くつろいでいる。ブルーズ・ロックの世界で言えば、例のレイド・バックしたようなフィーリングってやつになるんじゃないかなあ。レイド・バック。ロック好きのみなさんには説明不要の用語だが、今日のこの文章はジャズだけを聴くファンのかたがたもお読みになる可能性があるので、少しだけ説明しておくと。

端的に言えば、メトロノーム的にきっちりのリズムではなく、小節をいっぱいに使ってゆったり大きくノるってことかなあ。(主に米南部ふうブルーズ・)ロックの演奏の際、ヴォーカルやギターなど上物が、リズム・セクションの刻むビートにほんの少しだけ遅れているかのような歌いかたや演奏法をして、するとゆったりとくつろいだようなフィーリングが出せる。いわゆる後乗りということかどうか言うのは僕には自信がないが、ひきずるような粘り気とリラックスした感じが出るので、みんなよくやるんだよね。

ハービーの1962年「ウォーターメロン・マン」別テイクでも、そんなフィーリングが本テイクよりも強くあるように僕には聴こえる。間違いないと思うんだけどね。出だしのリズム・セクション三人によるイントロはほぼ同じだが、まずトランペット&テナー・サックスによるテーマ吹奏がかなり鮮明にスタッカートを多用する。どっちが先に録音されたテイクなのか、それが分らないのが個人的にはかなり悔しんだけど、ハービーの譜面が違うんだろう。あるいは譜面は同じだったとすれば、演奏前のヘッド・アレンジで確実に指示している。

その鮮明で強烈にスタッカートを効かせたテーマ吹奏部分だけでも、別テイクの「ウォーターメロン・マン」のほうが、本テイクよりも一層濃厚にファンキーだ、と僕は感じるんだけどね。より強く跳ねているしね。だから本テイクでもはっきりしているラテン・アクセントを、より強く感じることができるんじゃないだろうか。

あんなふうなスタッカートは本テイクに存在しない。トランペット(フレディ・ハバード)とテナー・サックス(デクスター・ゴードン)のソロになると、二名のソロ内容ともフレイジングは基本的に本テイクとあまり変わらないが、ノリははっきりと違うもんね。一層リラックスして、悪く言うとモタっているが、つまりレイド・バックしている。フレーズの末尾末尾でも。

別テイクでは、フレディ・ハバードも粘っこく吹いているが、それ以上にデックスのテナーがリラックスしていていいよなあ。途中、ブルーズ歌手リル・グリーン1941年の「ワイ・ドント・ユー・ドゥー・ライト」(ギターはビッグ・ビル・ブルーンジー) の一節を引用しながらソロを吹くあたりもいい(3:15〜3:21)。でもこれ、本テイクのほうにもあるんですが〜(3:13〜3:19)> 原田和典さん。それから原田さん、デックスのこの引用、どっちかというとポップ・ヒットした1943年のベニー・グッドマン楽団のヴァージョン(歌はペギー・リー)を下敷きにしたのではないでしょうか?
イントロ〜テーマ吹奏〜ホーン・ソロのあいだのハービーのピアノは、ずっとブロック・コードでアーシーなリフを叩いていて、これは間違いなくゴスペル由来だね。もちろん本テイクでもそうなのだが、別テイクでの弾きかたのほうがより粘っこくてイイネ。粘っこいといえば、ドラマーがこれまたビリー・ヒギンズなのだが(ホント多いなあ、リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」も、デックスの「カーニヴァルの朝」もヒギンズだしな)、ドラミングも別テイクのほうが、より一層強い粘り気を出しているよね。

「ウォーターメロン・マン」別テイクのビリー・ヒギンズはスネアのロールも多用したりして、シンバルの叩きかたやハイ・ハットとあわせ、こりゃまるで河内音頭みたいな祭囃子グルーヴに聴こえる。しかも曲はブーガルーみたいなラテン・ブルーズなんだから、南洋ふうな河内音頭と化している。ような気がする、個人的には。う〜ん、こ〜りゃイイネ。別テイクで、同じ1962年5月28日に録音されながら、1996年までずっとお蔵入り状態だったなんて〜。シンジランナ〜イ。

最後にまたまた原田和典さんに異を唱えるけれども、別テイクのほうがマスター・テイクとして選ばれて当時発売されていたら、もっともっとクロス・オーヴァー・ヒットになっていたと僕は思うなあ。ジャンルを超えてもっと支持を拡大できていたと思う。それが疑わしいと原田さんはおっしゃるのだが、「ウォーターメロン・マン」がポップ・ヒットしてダンス・クラシックスとなったのは、ハービーのオリジナルによってではなく、直後にモンゴ・サンタマリアがやったカヴァー・ヴァージョンのおかげだもんね。
ありゃ〜、しかしハービーの『テイキン・オフ』の話をすると言いながら、「ウォーターメロン・マン」の、それも別テイクのことしか書かなかったぞ〜(^_^;)。いつもいつものことではありますが、毎度こんな調子でスンマセン。ハービー自身による(ファンク化された)セルフ・カヴァーも含め、いろんな「ウォーターメロン・マン」のことも、一度はまとめてみたいと思っちょりまする〜。大上段に構えた大げさで大層なことは、結局、書けたような気がしないでもありません。

こんなブーガルー・ブルーズが…。

2017/11/28

どこにでもある(が狂おしい)ソウル

ニュー・ヨークに拠点を置いて活動するインディ・ソウル界のレイディ・シンガー、ミズ・アイリーン・リネー。今2017年に新作をリリースした。これが二作目だが、タイトルは『ユビキタス・ソウル』。この「どこにでもあるソウル」というタイトルと、ミズ・アイリーンの顔が大写しになったジャケット・デザインと、その二つで、これは中身も素晴らしいに違いないと思って買ったら、大正解。

がしかしそのとき、まだこのアルバムがなにを投げかけているのかまではぜんぜん気が付いていなかった僕。なんだか全14曲がソウル・バラードばかりで、ほぼすべてゆったりしたテンポで、ミズ・アイリーンが情感豊かに歌っているなあとか、その情感はかなり深いものだとか、そうか、こういうルックスの女性にこういう情深い歌を眼前で歌われたいもんだとか、実際、録音がかなりいいから、本当に目の前で歌われているかのようで、その情深い迫力に、かえって少し後ずさりしちゃうなあとか 〜 こんなふうにしか、アルバム『ユビキタス・ソウル』を聴いていなかった。

基本、そんな聴きかたでいいと思うんだけど、ミズ・アイリーンの『ユビキタス・ソウル』とは、かなりメッセージ性の強い作品みたいなんだよね。アメリカで黒人として生きるということについての、つまり人種差別にかんしての、強烈な反レイシズムのメッセージを投げているんだ。つまり、これは一種のコンセプト・アルバムだと言えるかも。アンチ・レイシズムのメッセージ・ミュージック・アルバムなんだよね。

それに気がついたのは、アルバム・ラスト14曲目「Njnp」をちゃんと聴いたとき。この曲題は「No Justice, No Peace」の頭文字みたいだ。もうそれだけでなにを言わんとしているか分るけれど、曲後半部の途中と最終盤のエンディング部で、マーティン・ルーサー・キングのサーモンをサンプリングして抜粋し挿入してある。曲「Njnp」は、そのサーモンの声で終わるんだ。

僕がくどくど説明するよりも、曲「Njnp」にはオフィシャル・ミュージック・ヴィデオが用意されているので、それをご覧いただければ、ミズ・アイリーンがなにを言いたかったのか、映像でも分るんじゃないかと思う。リスニングに自信がないかたでも字幕が出る。歌詞部もキング牧師のサーモン部も出るので。
ラップを披露しているのがゲスト参加のクラウンド 1なんだろう。アルバムでラップ・ヴォーカルが入るのはこの曲だけ。「正義がなければ平和もない」という曲題の意味は説明不要だ。後半部途中 4:09 〜 4:30 で挿入されているキング牧師のサーモンには、(lacked) ”the soul and commitment to make justice a reality for all men” という言葉があるよね。それを欠いたがために、未来の歴史家は「ある偉大な文明が死滅した」と語らざるとえなくなるばあいもあるだろうと、キング牧師は説教している。

そしてエンディング部でふたたびキング牧師の “Aint gonna let nobody turn us around” という言葉を引用したまま、曲「Njnp」が、つまりミズ・アイリーンのアルバム『ユビキタス・ソウル』は終わるのだ。そうなってみると、最初はなんのことだかボンヤリとしか考えていなかった、まあ音楽の種類もレイディ・ソウルなんだし、まあそんなことにもひっかけてあるんだろうとしか思っていなかった「どこにでもあるソウル」っていうこの “soul” 。この言葉、それが(地球上)どこにでもあるものだという、その言葉の意味が、鈍感な僕にもようやくつかめてきたのだった。

ミズ・アイリーンのアルバム『ユビキタス・ソウル』では、オープナーが「ユビキタス・ソウル」で、それは(プレリュード)と題されているけれど、アルバム・クローザーの「Njnp」と完璧に呼応しているのだった。この最初と最後の二つで、ほかの12曲、はまあふつうのネオ・ソウル(?でもない?)かもしれないが、それらをサンドウィッチしているんだよね。そうなると、それら12曲の聴こえかたも変わってきちゃった。姿を変えたのだった、僕にはね。

アルバムの曲はぜんぶミズ・アイリーンの自作。二曲だけほかの人物とのコラボだけど、それもアイリーンが参加し、それら以外はアイリーン一人で曲を書き、アレンジやサウンド創りに自身でどこまでかかわっているのか分らないが、ひょっとしたらかなりな程度まで彼女自ら音も創っているんじゃないかなあ。いろんなプロデューサーを招いてやっているので、プロデューサー連中が基本的には音創りしたんだと思うけれど、インディ界の存在だから大金はかけられないはず。

伴奏もかなりな程度までコンピューターとシンセサイザーでやっているみたいに聴こえる。そこらへんの詳しいクレジットがないので想像だけど、例えばドラムスのサウンドは全曲打ち込みに違いない。随所で聴こえるストリングスも、エレピやその他鍵盤楽器のサウンドも、シンセサイザーで出しているものじゃないかなあ。エレキ・ギターやヴォーカル・コーラスは人力でやらなくちゃしょうがないものだけど必要最小限のはずで、実際、バック・コーラスはミズ・アイリーンの一人多重録音パートが大きい。

だからサウンドの基本は、打ち込みドラムス&鍵盤シンセ&(控えめな)エレキ・ギターで(ベースが鮮明に聴こえる曲は少ない)、その上にミズ・アイリーンのヴォーカルを乗せて大きくフィーチャーしているっていう感じに聴こえる。あくまで自分の生声だけ、それ一本で勝負しようっていう、この女意気と覚悟がイイネ。実際、素晴らしい声だし、歌いかたも見事だ。

僕の印象に妙に残るものを最後に付記しておく。アルバム七曲目の「ベター・デイズ」。ほかの曲では鍵盤楽器のサウンドが中心なのに、この曲だけはエレキ・ギターの音を中心に組み立てている。約3分30秒のこの曲では、エレキ・ギター&(打ち込み)ドラムス、それにアイリーンの(リード&バック・コーラス・)ヴォーカルしか使われていない。ギターの音色も、録音を工夫して生な感じを出しているし、フレイジングも印象的な情感深さ。そんな伴奏で「よりよい日々を求めて」と繰返し歌うミズ・アイリーンの声が強い印象を残す。

インディ・リリースのアルバムだけど、コンテンポラリーなレイディ・ソウル作品にして普遍的なメッセージを投げかけるミズ・アイリーン・リネーの『ユビキタス・ソウル』、ぜひともご一聴のほどを!

2017/11/27

故国レバノンとアラブ世界を思うフェイルーズにいっぱいキスしちゃおう


こないだリリースされたばかりのフェイルーズ(今回は Fayrouz 表記)のニュー・アルバム『Bebalee』について今日僕が言いたいことをいちばん最初にまとめてしまうと、それは<フォーク・ミュージックとしてフェイルーズの新作を聴く>ってことだ。フォーク・ミュージック、すなわち民謡の世界。だれでもよく知っていて馴染深く、鼻歌なんかでよく口ずさむような、ふだんの庶民生活の日常のなかに溶け込んでいる、そんな歌だってことなんだよね。

これはたんにアルバムの全10曲がぜんぶそんなようなスタンダード曲ばかりだということだけを指摘しているということではない。もちろんそれもあるのだが、たんに選曲だけでこんなふうな普段着姿の日常のありよう、81歳の女性にしてメイクもやりすぎずほぼ素顔に近いような、はっきりいうとボロボロの声で老醜をさらし、それをおおやけのリリース物に乗せて届けてしまえるとは僕は思わない。

老醜も老醜、『Bebalee』で聴けるフェイルーズの声はマジでもうダメなんだよね。CD が自宅に届いたその日の夜11時すぎに Instagram に簡単な感想を書いてアップしたけれど、これはあるいはいわゆる白鳥の歌になってしまうんじゃないだろうか?これがフェイルーズの<最後>になってしまうんじゃないだろうか?アルバムを聴いているとそんな予感が強くしてしまう。死の香りがプンプン漂っているもんね。フェイルーズほどの存在の心中を察するなんて大それたことは僕には不可能だが、う〜ん、ひょっとして彼女自身…、いや、やめとこう。

ちょっと見は世界の有名ヒット・ソングをたんにお手軽に並べてみましたっていう、なんの工夫もないお気楽な凡庸選曲に思えてしまうだろう。一曲目「Rah Nerjaa Netla’a」(蛍の光)、二曲目「Yemken」(イマジン)、三曲目「Bebalee」(追憶、バーブラ・ストライザンドのやつ)、四曲目「Ma Tezaal Mennee」(アルゼンチンよ、泣かないで)、六曲目「Ana Weyyak」(ベサメ・ムーチョ)、七曲目「Hkayat Kteer」(フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」としてが最も有名)なんてところは、ふだん音楽を聴かないっていう、しかも日本人でも、たいてい知っているものだ。

しかもそんな超有名曲ばかりを、かなりジャジーな少人数コンボ編成の伴奏でやっている。演奏スタイルは相当安直にも聴こえるモダン・ジャズ・マナー。ラテン・テイストが結構あり、またボサ・ノーヴァもあるけれど、それはジャズのなかにもあたりまえにあるものだから強調しなくてもいいんだろう。アラブ歌謡のなかにもむかしからあるものだけど、フェイルーズの今回の『Bebalee』はアラブ音楽とは呼びにくい。とにかく激渋ではあるけれど、軽〜い、なんの工夫のない(ように聴こえてしまう)ふつうのジャズ伴奏だ。

ここまで(一見安直に)並んでいると、僕なんかはかえってこりゃなんらかの意図が隠されているに違いない、たんにそのへんのジャズ歌手がちょこっとスタンダード集をやりましたっていうようなものじゃないんだからさぁ〜、フェイルーズ(とリーマ・ラハバーニ)がそんな安易な作品を企画するわけないだろうと、警戒しちゃうんだよね。はたして、その警戒心はビンゴだった。これはかなり深い選曲意図と、アレンジ・マナーと、歌いかた 〜 それらぜんぶひっくるめてのアルバム・プロデュース・ワークなんだよね。

アルバム・タイトルにしている「Bebalee」のオリジナルがバーブラ・ストライザンドの「追憶」であることに注目したい。これは1973年のアメリカ映画『追憶』(The Way We Were)の主題歌だった。どんな映画だったか、思い出してほしい。英語の原題は「私たちはこうだった」という意味だけど、いまのフェイルーズがそんな曲をとりあげて、アルバム題にまで持ってくるというのに、もはや死が近いかつての大歌手、一つの世界を代表する偉大な存在だった自分の、81歳での深い思いが垣間見える、なんてもんじゃなくかなりはっきりと見てとれるじゃないか。

そう思うと、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」だって、もちろん僕だって吐き気がするほど大嫌いな曲だけど、堂々と胸を張って歌い上げるシナトラ(はえらそうで気持悪いのだ、この曲の英語詞を踏まえたら)とは正反対に、フェイルーズはかなり弱々しく、あぁ、 私の人生ってこんなちっぽけなものだったのね、ダメだったのねとでも言いたげな、そんなフィーリングすら伝わってくる。

そんな自信なさげな七曲目「Hkayat Kteer」(マイ・ウェイ)をどう聴いたらいいのか、荻原和也さんの見解(「空想」とご本人はお書きだが)はこうだ。
「傷ついた祖国や、いまだ平和と安定が約束されない、アラブの庶民の苦しみを思う悲しみの深さが、勇ましく堂々と歌うのをよしとせず」という解釈なんだよね。これはこのとおりなんだろう。ただ、僕はここまでの解釈を、フェイルーズ81歳流の「マイ・ウェイ」を聴いて施すことはできなかった。アラブ世界全体を引き受けて、それがいまやどんどん世界から疎ましく思われているかのような、そんな 9.11 以後の時代に対するフェイルーズの深い深い嘆き、悲しみが、こんな歌いかたをもたらしているのだ、と言ってもいいのかもしれないが。それが 間違っているということではなくて、問題が大きいから僕の手に負えないんだ。う〜ん、たしかに「イマジン」も「アルゼンチンよ、泣かないで」もあるから、やっぱりそういうことなんだろうけれど。

僕は音のかたちしか聴けない人間だ。「マイ・ウェイ」の新解釈みたいな「Hkayat Kteer」も、僕の聴きかたは、たんにこの女性歌手自身が年老いて、自分の人生に自信が持てなくなって、歌手としても声が完全に衰えてボロボロだし、あの重厚なヴェルヴェットとまで言われた立派な声は見る影もなく、音程もふらついているし 〜〜 そんなこんなの彼女の老境を「マイ・ウェイ」に託して、弱々しく歌ってみたってだけのことじゃないかと僕は聴いた。

ただですね、そんな老境にあって、もう自信が完全消滅した自らの歌手人生を追憶しているようなフェイルーズの新作だけど、一曲だけ、これはキラキラ輝いていると僕が感じるものがある。六曲目の「Ana Weyyak」(ベサメ・ムーチョ)だ。原曲のスペイン語が「いっぱいキスして」という意味なのはみなさんご存知だろう。そんな歌を老婆に歌われたって気持悪いだけだよとみんな思うかもしれないが、僕は正反対の気分になったのだ。

まあたんに年増好きの戸嶋くんというだけの、つまり年上の女性にこそそんな魅力を感じる人間なだけだからってことかもしれませんけれど(^_^;)、それでも、もう一回 CD で、あるいは今日いちばん上でリンクを貼った Spotify のアルバムでもいいが、六曲目を聴きなおしてみてほしい。ちょっとセクシーなニュアンスが漂っていると思わない?なんというか老成の色気みたいなものを感じない?僕はそれをはっきりと感じたんだけど。

アルバム『Bebalee』のなかでも、その六曲目のアレンジが最も快活なラテン調だ。ウキウキしているようなリズムとサウンドで、フェイルーズも本編を歌いはじめる前に、セクシーな吐息を漏らすみたいに「ンン〜」って言っているじゃないか。本編の歌い出しがいきなり「ハビビ〜」となっているし、その「ハビビ」を繰返す歌詞全体はアラビア語なんだろうが、後半部で一回だけスペイン語で「ベ〜サメ〜、ベサメ・ムーチョ」って歌っているもんね。いいよ、これ、僕にはね。

僕はたまりません。僕はあの歌い出し前の吐息と、「ハビビ」反復と、後半のスペイン語による「いっぱいキスして」で、もうダメになりました。イケナイ気分になったのです。そうか、そんなふうに歌うのでしたら、僕でよければいまのフェイルーズにいっぱいキスしちゃます。だって、フェイルーズが故国レバノンとアラブ世界を思う、その思いの深さと、深く深く傷ついているのだろうということを想像するに、いくらでもキスしてさしあげます(って、僕もずいぶん失礼な男だな)。

2017/11/26

アジアの洗練(2) 〜これがひばりの魅力だ

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(自分が好きで人生をかけて楽しんでいる世界には、入ってくるひとがひとりでも増えたら嬉しいと、僕だったら感じます*^_^*。)


美空ひばりには、当然のことだろうがオフィシャル・ウェブ・サイトがある。そこがこの日本の歌手について最も詳しく調べられる場所だ。なかでもディスコグラフィが素晴らしすぎる。そのディスコグラフィさえ見れば、あとは実際の音源があれば、それだけでほかにもうなにもいらないと断言できるほど、充実しているものだ。
これをご覧いただければ、充実しすぎているという僕の言葉でもぜんぜん物足りないほどの出来栄えだと納得いただけるはず。検索方法も各種あって簡便にして必要十分。当該曲のところをクリックすれば、オリジナルのレコード・ジャケットと、データ面でのなにからなにまですべてが出てきて、しかも試聴だってできちゃうもんね。試聴すれば歌は素晴らしいので、結局アルバムを買わざるをえないってことになるけどねっ。

しかしながら、僕が「歌は素晴らしい」と言えるひばりは10代のころに限る。ひばりの10代、というか20歳までというと1957年5月までということになる。レコードでいえばデビュー・シングルの「河童ブギウギ」(1949年6月23日録音、8月10日発売)から、「むすめ旅唄」(1957年2月28日録音、5月15日発売)までだ。

がしかし上掲公式ディスコグラフィで見るその間のひばりのぜんぶの歌を網羅的に収録したものは、もはや入手不可能な全集しかなかったはず。全集ということは、僕が必要としない時期のひばり(のほうがずっと長く多い)だってあるわけで、望みはないが再発されたとしても、僕が買うかどうか気持が微妙だ。僕が必要とするのは「河童ブギウギ」から「むすめ旅唄」までの223曲だけ。

だから日本コロムビアさんには、その223曲をコンプリート収録したボックスを発売してほしいのだが、ある時期以後の日本におけるひばりの聴かれかた、評価のされかたをかんがみるに、そんなものがプロデュースされる理由などまったく見当たらない。でも諦めることはない。やはり日本コロムビアが2007年にリリースしてくれた CD 二枚組『ミソラヒバリ アーリーソング コレクション 1949~1957』がある。これで10代のころの、本当に素晴らしかったころの、ひばりの代表作は揃う。

この『ミソラヒバリ アーリーソング コレクション 1949~1957』は本当に素晴らしいんだよね。それがなんといまや、いちばん上でリンクを貼ったように Spotify でも聴けるんですよ。前から言うように Spotify での配信は権利関係をクリアしていて本人や権利者にお金がちゃんと行く仕組みの正規販売ですがゆえ〜。僕みたいに手許に CD で持っておきたいというんじゃない人で、戸嶋くん、そんなに褒めるのか、じゃあちょっと試聴してみるね、とおっしゃる向きには Spotify でぜひ聴いてほしい。

聴いたら最後、CD がほしくなると思うけどね。ほしくならなくても、このアルバム『ミソラヒバリ アーリーソング コレクション 1949~1957』が知られず、聴かれずに、放置されたまま年月が経過するようなら、ネット配信でも、しかも正規流通品として Spotify で全曲1秒残らず聴けたほうが、百万倍マシだろう。

さて、いままでそんな10代のあたりのひばりを熱心に聴いていらっしゃるかたがたには説明不要なのだが、まだあまり知らないという向きで、アンタがそんなに素晴らしかったと賞賛するひばりを、じゃあちょっと聴いてみようというならば、ぜひ次の14曲だけは聴き逃さないでほしい。ひばりの真骨頂はここにある。

1 河童ブギウギ
2 悲しき口笛
5 東京キッド
7 ひばりの花売娘
8 銀ブラ娘
10 リンゴ追分
12 お祭りマンボ
19 心ブラお嬢さん
24 港町十三番地
25 上海
26 エル・チョクロ
27 アゲイン
39 薔薇色の人生
40 A列車で行こう

CD だと「港町十三番地」が一枚目のラストで、「上海」から二枚目になる。この分割はたんに曲数によるというだけのことではない。CD1はひばり用に用意されたオリジナル楽曲篇。CD2はアメリカのジャズなど洋楽ソングのカヴァーが中心のもので、コロムビアが当時、<JL シリーズ>と銘打っていた自社傘下の別レーベルでのレコードだった。JLシリーズにはひばりだけでなく、山口淑子とか、あるいは(僕はイマイチ好きじゃない)越路吹雪とかのレコードも発売していた、要するに洋楽カヴァー専門レーベルだった。ひばりのばあい、ご覧になれば分るように JL シリーズでも七曲だけオリジナル曲があるが、それらも洋楽ふうにつくられたものだ。

オリジナル楽曲とカヴァー曲と、ひばりの歌には微塵も差異がない。どちらも同じように素晴らしい。しかも音楽のグルーヴのタイプが同じで、同じような歌として扱って、もののみごとに歌いこなしているじゃないか。お疑いになるかた、ネット配信なんか…、とおっしゃらず、この記事最上部リンクの Spotify にあるアルバムで聴いてほしい。間違いないんだ。

レコード・デビュー前の劇場などで歌っていたころのひばりは、服部良一が笠置シヅ子のために書いたブギ・ナンバーを得意レパートリーとして歌っていた。当時の服部は、洋楽、特にアメリカ産のスウィング・ジャズ〜ブギ・ウギあたりをかなり勉強していて、強い影響を受け、アメリカのそのへんのブギ・ウギ調スウィング・ジャズのフィーリングを日本化したオリジナル曲を書いていた。笠置がどうだったかは言えないが、ひばりはそんな曲をいくつか10代前半にして歌いこなしていたんだよね。

だからレコード・デビューが、服部良一の曲ではないが「河童ブギウギ」になったのは当然の成り行きだった。その後も、スウィング・ジャズっぽい和製ポップスを、ノリよく軽快に歌っていたことは、お聴きいただければ分るはず。これがあの「柔」とか「悲しい酒」とか、あるいはずっと後年の「愛燦燦」「川の流れのように」と同一人物の歌なのか?と驚くかもしれない。

服部良一の曲も、例外的に一つだけある。それが上記セレクションにも入れた8「銀ブラ娘」。ブギ・ウギふうジャズにして、ややラテンっぽいリズム・フィールもあるじゃないか。言うまでもなく銀座をブラブラする内容で、楽しく陽気に「ブギウギ」などとも歌いながら、リズム感も極上の良さで跳ねている。こういう歌手ですよ、ひばりはね。

セレクション12の「お祭りマンボ」は、服部良一の弟子だった原六朗の作詞作曲編曲(どうしてだか、公式ディスコグラフィでは、原六郎の表記)。1952年7月19日録音で、同8月15日にコロムビア A-1490の A 面曲としてレコード発売されたこの「お祭りマンボ」こそ、オリジナル楽曲ではひばりの生涯最高傑作に違いないと僕は断言する。百歩譲って、そう信じている。

「お祭りマンボ」。イントロ部で楽団がパッとダークで不穏な感じに転調するあたりのスリルには、いまだになんど聴いても背筋がゾクゾクする快感がある。リズムも、マンボかどうかは微妙だが、ラテン調であるのは間違いない。しかもただのラテン調というだけでなく、曲題でも分るように、日本の伝統的なお祭り囃子のそれと合体し、ひばりが歌うメロディがヨナ抜きだっていう面白さ。言葉の数が多く細かく上下するフレイジングを持つ難しい旋律を、余裕綽々でスイスイ難なく泳ぎ切っているよね。

しかも「お祭りマンボ」は、終盤でお祭りが終わるんだよね。リズムも止まり、哀しく寂しげな調子に変化する。歌詞内容もそうだ。そのパートではひばりも、にぎやかで楽しかったお祭りが終わってしまったのを名残惜しく振り返っているような歌いかた。日本中がバブル景気のころはバカ騒ぎして、それがはじけてしぼんだまましょぼくれている21世紀の姿と、まるで1952年にそんな僕たちのことを予見したかのような一曲じゃないだろうか。「いくら泣いてもかえらない〜、いくら泣いてもあとの祭りよ〜」。

ひばりの「お祭りマンボ」では、しかし最終盤でもう一回お祭り囃子が入ってアップ・ビートになる。本当に一瞬だけどね。これって、どういうことなんだろう?

あぁ〜、絶品すぎる「上海」「アゲイン」など、アメリカ産ジャズ・ソングのカヴァーについては書く余裕がなくなってしまった。無念だが、僕はいままでぜんぶ実行している「今度」の機会に譲ることにする。とにかく聴いてくれっ!Spotify でとりあえずちょっと試し聴きするだけなら、簡単でお金もかからないからさ。ブログを読むネット環境があれば、みんなできることだ。ねっ、お願い!

2017/11/25

アジアの洗練(1) 〜ジャズ・ファンも聴いてほしいサローマとひばり

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(記事題は PUFFYのヒット曲からいただきました。)

こういうのこそ Spotify で聴けるようにしてほしいサローマの『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』。でも入っていないのはあたりまえだ。この田中勝則さん選曲・編纂・解説のディスコロヒア盤は、サローマの初期音源を復刻した世界初の CD で、2013年のリリース。ってことは、このへん、すなわち1950年代後半から60年代初頭あたりのサローマの歌は、いまだ世界でこれ一枚しかないのかもしれない。

だいたいディスコロヒア盤をそのまま Spotify で聴けたらいいなぁ〜って思う僕が間違っているわけだけれど、Spotify にあれば、ふと、どなたかが出会うことがあるかもしれない。それであっ、これはイイ!ってなる可能性は十分ある。っていうか聴いてもらえさえすれば、このころのサローマの歌は、みんな好きになると思うよ。間違いない。特にジャズ・ファンがね。だってコスモポリタンに洗練されていて、しかもストレートなジャズ・ナンバーだって多いんだもん。

その1950年代後半〜60年代初頭あたりのサローマがどこの「国」の歌手だったのか?ということは、非常に言いにくいみたいだ。僕のばあい、田中勝則さんのディスコロヒア盤はぜんぶ買うと決めているからサローマの『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』も買ったけれど、それを放置したままにしていて、最近本気で聴きなおし、田中さんの解説文もじっくり読んで、僕はマレイシアの歌手だと思っていたのだが、そのへんの事情が難しいのだと知った。

詳しいことは、ぜひディスコロヒア盤『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』を、どっちかというとエル・スール(http://elsurrecords.com)で買って、解説文をお読みいただきたい。アマゾンなどのネット通販や一般の CD ショップでも買えるけれど、エル・スール(http://elsurrecords.com)で買うと非売品の特典 CD-R が付いてくるからだ。こういうケース、わりと多いんだ。ディスコロヒア盤やエル・スール盤などは、ぜひエル・スールで買ってほしい。
僕なんかがくどくど説明しても、それはぜんぶ田中勝則さんの文章の受け売りなので、劣化コピーにしかならない。それだったら CD『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』をお買いになったほうがいいんじゃないだろうか?エル・スール(http://elsurrecords.com)でさ。お願いします。エル・スールさんの商売を助けたいという、たんなるマワシモノ根性です。いや、違います、ディスコロヒア盤『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』で聴けるサローマは、本当に素晴らしい歌手なんです。それを買えば無料で特典 CD-R が附属するんですから。ぜひエル・スールで、ってもうくどいっちゅ〜ねん。
それでもやっぱり劣化コピーなりに書いておくと、端的に1950年代後半のレコード・デビューから60年代頭ごろのサローマは、シンガポールを拠点として活動していた。このころのシンガポールは、もちろん国際都市だけれど、マラヤ連邦の一部。現在でいうマレイシアという国家が誕生するのは1963年で、シンガポールは65年に都市国家として分離独立。サローマと夫の P ・ラムリーが、マレイシア成立後、シンガポールを離れクアラルンプールで活動するようになるのが64年の末(ってこの段落ここまで、ぜんぶ田中勝則さんの受け売りだが)。その後、マレイ系のサローマの歌は変化したらしいので、いいか悪いかはともかく、コスモポリタンティズムは失われたのかもしれない。

そのへん、僕はディスコロヒア盤『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』一枚しか聴いていないサローマの、その後のマレイシア時代の歌もちゃんと買って聴いてみないとね。ともかくいまは、手許にあるこの一枚で聴けるサローマの歌が、伴奏も、素晴らしく国際的に洗練されているという話を、それも日本の歌手で言えば美空ひばりの10代のころにソックリだ、っていうか同資質の歌手だったということを、少し書いておきたい。

美空ひばりの10代というと1940年代末〜50年代後半あたりだから、レコードだけでたどるとサローマのほうが少しだけ後輩だ。サローマがひばりを聴いていたかどうかは分らない。日本統治時代もあったとかには関係なく、レコードは入っていただろう。だがそれはたいしたことじゃない。音楽性、歌手としてのありようとして根本的に「同じ」だと僕には聴こえることが大きなことだ。

それは日本やマレイの伝統に沿う部分も持ちながら、輸入されたジャズや各種ラテン・ミュージックの要素が濃くあるというアジアの女性歌手二名だってこと。ストレートな自国のルーツ・ミュージックっぽさが、ひばりやサローマの魅力を本当に十分に引き出すのかというとそこは微妙な問題で、多国籍的、すなわち国際都市としての東京(といってもひばりは横浜だが、やはり多国籍都市)やシンガポールにあって、日本系やマレイ系のルーツに縛られすぎず、よりのびのびと開放感のあるジャズ/ラテンっぽい歌謡をやったたときのほうが、ひばりもサローマも生きるってことじゃないかなあ。

ひばりにたくさんのジャズやブギ・ウギやラテン・ナンバーがあることは、いまさら僕が指摘する必要はない。10代、正確には1949〜57年のひばりが歌うそれらはみずみずしくて、本当に素晴らしかった。その後、いわゆる演歌路線に行って、演歌がいけないっていうんじゃなく、「柔」みたいなあのべったりと重たいフィーリングは、ひばり本来の持味じゃなかったと僕は思う。「河童ブギウギ」「お祭りマンボ」といったオリジナル曲や、「上海」「アゲイン」といったジャズ・カヴァー曲で聴ける、ひばりのピチピチしたチャーミングさとノリの良さは、ある時期後、失われた(…、ってことも、やっぱり書いておかなくちゃいけないのだろうか?)。

ひばりのやった「上海」「アゲイン」は、どっちもアメリカでドリス・デイが歌ったレパートリーで、ひばりのはそのコピーなんだよね。そして、シンガポールで活躍したマレイ系のサローマのルーツにもドリス・デイがあるみたいだ。田中勝則さんによるディスコロヒア盤解説文にある、サローマの妹ミミローマの回想によれば、レコード・デビュー前のクラブ歌手時代のサローマの歌はドリス・デイに似ていたらしく、実際、ドリス・デイの「アゲイン」なんかはクラブでよく歌う得意レパートリーだったとのこと。

ドリス・デイが「アゲイン」を録音したのは1949年で、ひばりヴァージョンのレコードは53年の発売。サローマがシンガポールのクラブで歌っていたのも、たぶんひばりの録音と同じころの50年代前半あたりだったんだろう。アメリカでロックが勃興する直前の時期で、アメリカン・ポップ・ソングの世界は爛熟期だった。以前書いたパティ・ペイジもそのあたりに位置する歌手だ。僕自身はロック・ミュージックになんらの嫌悪感もないけれど。

ひばりもサローマも、そんな1940年代末〜50年代前半のアメリカのジャズや、ジャズっぽいポップ・ソングの世界からたくさん学んで、それを自国の音楽伝統とどう一緒にできるかを考えて歌い、それでアジアの洗練を身につけたんだろう。ひばりのばあいは、ラテンといってもマンボっぽいようなものが少しあるだけで、それよりもブギ・ウギ色が大きかった。サローマのばあいは、ラテンだとボレーロやチャチャチャもあり、またツイストみたいなダンス・ソングもあって、それはマレイの伝統民謡をとりいれて現代化したような感じということになるらしい。

だからどっちかというとひばりよりもサローマのほうがコスモポリタンで、洗練度が高く、しかも本当に素晴らしかった10代のころのひばりにはない、成熟した大人の女性としてのセクシーな色香も歌のなかにあるっていう、こんな歌手、なかなかいないよなあ。マレイの伝統的楽曲を表現できながら、ジャズやラテン・ナンバーも見事に歌いこなしているんだから、かなり稀有な天才女性歌手だ。サローマこそ、音楽界における<アジアの洗練>の呼び名にふさわしい。

もちろんひばりの10代のころの魅力は、まだ女性としては成熟していない部分にある。中性的というかボーイッシュで、湿った情緒がなくサラリと乾いていて、ブギ・ウギやジャズやラテンなどなどをノリよく歌いこなす軽いグルーヴィさに、あのころのひばりの素晴らしさがあった。いわゆるオンナをあのころのひばりに求めるのは完璧な筋違いで、歌手の魅力はそんな部分にだけあるんじゃない。

サローマのばあいは、大人の女性としてのセクシーな表現もしながら、ティーネイジの少女歌手みたいなみずみずしいピチピチした輝きとノリの良さはぜんぜん失っていないいばかりか、さらに一層磨きがかかっているんだから、だからディスコロヒア盤のサローマ『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』を買って聴いてほしいんだよね。

最後に、このディスコロヒア盤から、やっぱりちょっと音源をご紹介しておこう。参考にしてほしい。

ジャズ楽曲としては、12曲目「空想のお城」(Mahligai Kayangan)。ちょっとハスキーな感じもあって、ますますセクシーだ。1961年ごろの歌らしい。女性ジャズ・ヴォーカル好きの方であれば、なかなかたまらない味わいじゃないだろうか。レコード・デビュー前のクラブ歌手時代には、こういうのをやっていたと思うので、これがサローマの素顔だったのかもしれない。
マレイ伝統色を出しながらのラテン(ボレーロ)としては、これも1961年ごろのものらしい11曲目「母の祈り」(Doa Ibu)がかなり素晴らしいと思うのだが、それが YouTube で見つからない。じゃあやはり相当にディープな洗練を聴かせもっと魅惑的な、59年ごろ?のマレイ・ボレーロである4曲目「涙とともに」(Dengan Air Mata)を…、と思ったらそれもないのか。う〜ん、こりゃいけません。絶対にご紹介しなくては。僕が自分で上げといた。
ディスコロヒア盤のタイトルにもなっている、1955年か56年の録音である一曲目「ポリネシア・マンボ」(Polynesia Mambo)は、ふつうに YouTube にあった。

2017/11/24

マイルズの中南米とアフリカ (3) 〜 81年復帰後篇





1981年復帰後のマイルズ・デイヴィスが最もアフリカ音楽に接近した作品は、生前に完成してリリースしたラスト・アルバムである1989年発売の『アマンドラ』だ。一曲目「カテンベ」(Catémbe)、四曲目「ハニバル」などは曲名だけでもアフリカへの言及だと分る。必要ないと思うけれど書いておくと、「カテンベ」はモザンビークにある町の名前。「ハニバル」は古代カルタゴ(北アフリカ地域の都市国家、いまのチュニジアあたり)の将軍名としてあまりにも有名。どっちもおそらくはマイルズ本人というよりも、コラボレイションを組むマーカス・ミラーが関心を寄せていたということだろう。

だがしかしマイルズだって、『アマンドラ』録音以前から、たとえば南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策に抗議する音楽作品に参加したりもしているし、また音楽的にもアフリカに強い興味を抱いていた。これ、ホント書こう書こうと思いつつ、僕には無理なことじゃないかと思ってどんどん先延ばしにしている1968年のアルバム『キリマンジャロの娘』あたりから、このアメリカン・ジャズ・トランペッターもどんどんアフリカ志向を鮮明にするようになっていた。

『アマンドラ』に取り組むあたりの時期にマイルズがかなり気に入って好んで聴いていた音楽にズークがある。カッサヴというバンドが大好物だったみたいだ。カッサヴ(はグアドループとマルチニーク出身のメンバーがパリでやっていた)のズークは、もちろん西インド諸島の音楽であって、直接的にはアフリカ音楽ではない。だがやはりクレオールで歌うブラック・カリブの音楽だし、アフリカ大陸につながっていないとはだれも考えないだろう。

カッサヴのことがすごく気に入ってしまったマイルズは、次作もこいつとのコラボでやろうと考えていたマーカス・ミラー(マイルズ生前のワーナー盤はすべてこの二名のコラボ作)にこのことをたぶん電話で伝え、ズークのリズムやフィーリングをとりいれた曲を創ってくれ、それを次のアルバムに入れようじゃないかと指示したのだった。その結果が『アマンドラ』収録の上記「カテンベ」「ハニバル」、それから「ジョ・ジョ」と「ジリ」と、計四曲なんだよね。

ここでちょっと時間を巻き戻して、1981年の復帰第一作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』にある A 面二曲目「バック・シート・ベティ」のことから書いておこう。この曲のリズムはかなり面白いと思うよ。これはアフリカじゃなくて中南米音楽のグルーヴだ。最初、バリー・フィナティがジャ〜〜ン!とエレキ・ギターでコードを盛大に弾くのだが、いわばファンファーレみたいなもので(ダサッ!)、中間部にも同じものが出てくるが、そこではなく本編でアル・フォスターとマーカス・ミラーが出しているリズムの感じがいいよね。
アル・フォスターが特にいい。ファンファーレ部分での叩き方も僕は好きだけど、それが終わって本編に入りマイルズが吹きはじめると、スネアの打面とリム、ハイ・ハット、ベース・ドラムでかなり細かく複雑なビートを刻んでいるが、まるでサンバ〜ボサ・ノーヴァといったブラジル音楽のノリみたいじゃないだろうか。マーカスのベースの弾きかたにせわしなく細かい感じはなく、スラップを頻繁に交えながら音数少なめでゆったりと弦をはじいている。ギターのバリー・フィナティはほとんどなにもやっていないから、ドラムス、エレベ、パーカッション(サミー・フィゲロア)の三名+マイルズのトランペットというカルテットでの演奏。マイルズはゆったりと大きく乗っている。

先週も書いたことだが、1970年代半ばごろからのマイルズは、こんな感じでバンドには細かく刻ませて、上物であるホーンなどのソロは大きく乗るという二種混交表現をよくやっていた。北米合衆国のジャズ界にはそれまであまりなかったリズムのぶつかりあいだけど、書いたようにブラジル音楽や、またアフリカ音楽や、また世界のアフロ・クレオール・ミュージックではわりとよくあるものじゃないか。ってことは「バック・シート・ベティ」を録音した1981年1月のマイルズは、まだ1970年代半ばの自分の音楽を持っていたんだね。

カム・バック・バンドによるライヴ・ ツアーでは、それまでマイルズ・ミュージックのなかに姿を見せたことがないものが出てくるようになる。それがレゲエ。公式録音盤では二枚組『ウィ・ウォント・マイルズ』の二枚目 B 面だった「キックス」が最初の一例だ。その後いくつも出てくるようになるのだが、1981年初登場とはちょっと遅かったよなあ。「キックス」のばあいは、レゲエ・ビートと4/4拍子のストレートなジャズ・ビートが交互に出てきて、両者を行ったり来たりする。テンポもどんどん変化する。
レゲエの活用は、マイルズのコロンビア最終作1985年の『ユア・アンダー・アレスト』に二曲あり、「ミズ・モリシン」と「タイム・アフター・タイム」。もっとも前者がそのまんまの鮮明なレゲエ・ナンバーであるのに対し、後者におけるレゲエはあくまで控えめな隠し味程度だ。僕のばあい、その隠し味になかなか気がつかず、昨年あたりだったか?に、ようやくアッ!と思ったっていう…(^_^;)。いまはローリング・ストーンズのサポートで活躍するダリル・ジョーンズのベースが、特に後半部でシンコペイトするのも隠れた聴きもの。
ワーナー移籍後第一作の『TUTU』(このアルバム名も南アフリカへの言及であることは説明不要だ)にも、レゲエが一曲あって、(むかしでいう B 面だった)CD 六曲目の「ドント・ルーズ・ユア・マインド」。この曲は、このアルバムのなかでは音響がちょっとヘンで、エコーのかかりかたとか、マイルズのトランペットの音だって、ミュートでもオープンでもおかしな響きだよなあ。電気ヴァイオリンをミハル・ウルバニアクが弾く。マイルズがヴァイオリニストと共演した唯一の録音。
さて、『TUTU』の次作である問題の『アマンドラ』収録の四曲だが、ところでこのアルバム・ジャケットにはマイルズ自身が描いた絵が使われている(コロンビア盤『スター・ピープル』もそう)のだが、よく見てほしい。アフリカ大陸が描かれているじゃないか。当時リアルタイムで1989年にこれを買って見ていたころの僕は、どうしてアフリカなんだろう?「ハニバル」はたしかに北アフリカ人の名前だけど、それだけじゃん、と意味が分らなかったのだが、いまではこのアルバムの隠しテーマみたいなものとしてアフリカがあるぞと気がつくようになっている。

ジャケット・デザインにアフリカがあるとか、「カテンベ」「ハニバル」の二曲がアフリカへの直接的な言及であるとかいうこと以上に(「ハニバル」のほうは直接的にはジャズ・トランペッター、マーヴィン・ピータースンのことだけど、彼のそのニックネームがそもそもカルタゴの将軍から来ている)、ほかの二曲「ジョ・ジョ」「ジリ」も含めた四つは、音楽的にもブラック・カリブ・ミュージックの衣を借りつつ、アフリカ大陸を見つめているような演奏じゃないだろうか。
「ジリ」を除き、すべてマーカス・ミラーの書いた曲で、当時のマイルズ・レギュラー・バンドからのサックス奏者ケニー・ギャレット以外は、演奏面でもマーカスが多くの楽器を多重録音している。それでも前作『TUTU』よりは多くの生演奏ミュージシャンが参加していて、例えば「ハニバル」でドラム・セットを叩くのはオマー・ハキム。「ジリ」では、やはり当時のレギュラー・ドラマーだったリッキー・ウェルマンが叩いている。これまたレギュラーだったフォーリーもギター(とクレジットされているのだが、弾いているのは四弦リード・ベースのはず)で参加。

だがしかしあくまで、これら四曲以外のものも含め、曲を書いたりアレンジしたりベーシック・トラックを創ったりして土台を組み上げたのはマーカス・ミラー独りの仕事だ。演奏面でも『アマンドラ』全曲に参加しているのはマイルズとマーカス二名だけだしね。自らアフリカに、特にモザンビーク解放運動に深い関心を持っていたマーカスが、それでもこんな曲創りをした背後には、やはりボスであるマイルズのカッサヴ体験があったと思うんだよね。その西インド諸島音楽を示されたマーカスが、もとからあったアフリカ志向とそれを合体させて、『アマンドラ』収録の、カリビアン〜アフリカン・ジャズ・フュージョンみたいなものができあがった。

2017/11/23

フュージョンのようなそうでないようなダニー・ハサウェイのライヴ

今日はダニー・ハサウェイのアルバムのなかで僕が一番好きな『ライヴ』のことだけとりあげたいのだが、これも当然アトランティック盤(正確にはアトコだが、ここはアトランティックの一部なので)。ダニーのアルバムは、死後リリースも含め、ぜんぶ(アトコや)アトランティックからリリースされている。

がしかしそれまでの、いわゆるアトランティック・ソウル(ウィルスン・ピケットとかオーティス・レディングなど)と比較すると、あまりにも違う。ダニーのばあい、その音楽を、いわゆるソウル・ミュージックのなかにくくってもいいのかどうか迷うほど。実際、ぜんぜん泥臭く攻めないし、言葉はあれだけどちょっとこじゃれた感じの、そうだなあ、ソウル・ミュージックと関係あるところでいえば、1980年代の例のブラック・コンテンポラリーを10年以上前にやっていたような感じじゃないだろうか?

1971年録音72年発売の『ライヴ』には、例えば A 面に キャロル・キングの「君のともだち」、B 面にジョン・レノンの「(僕は)やきもち焼き男」があるのだが、これら二曲を、例えばウィルスン・ピケットが歌ったと想像してみよう。ウィルスン・ピケットだけじゃない、多くの男性ソウル・シンガーは、ダニーが『ライヴ』でやっているほどピッタリと、これら二曲をサマになるようには歌えないはずだ。

だから多くのソウル系音楽家とダニーとは、もうだいぶ資質が違うんだよね。ダニーはどっちかというとジャズ・マンに近いものがある。歌いかたもそうだし、フェンダー・ローズの弾きかた、特にコード・ワークにおいて入れる代理コードの選びかたなど、かなりジャジーだ。『ライヴ』になった1971年のパフォーマンス時点でまだこの用語はなかったが、フュージョンっぽいようなところがあるアルバムだよね、このライヴ盤は。

『ライヴ』は、本当かどうか知らないが一説によれば、ダニーのアルバムのなかで最も影響力の強いものなんだそうで、また評者によっては、ありとあらゆる世界の音楽ライヴ・アルバム中ベスト10に入るものだとか、そんなに評価が高いこともあるらしい。ってことは、これはたんに僕の好みだってだけのことじゃないんだろう。

ダニーの『ライヴ』では A 面が完璧で、曲もいいし、一個一個の演唱も粒ぞろいで、しかも四曲の流れも素晴らしく考え抜かれていて、文句なしだ。B 面だって負けず劣らずいいのだが、A 面のあまりの完璧さとは比較できないよね。いちばん上でリンクを貼った Spotify のアルバムだと、四曲目の「You’ve Got A Friend」までがアナログ LP で A 面だった。

ところでこの Spotify のアルバムでは書いてあったりなかったりで、少しミスリーディングかもしれないので、ご存知ないかた(っているのだろうか?)のため念のために付記すると、ダニーの『ライヴ』は A 面と B 面ではっきりと録音場所が分けられている。A 面は1971年8月のロス・アンジェルスでのライヴで、B 面は同年10月のニュー・ヨークでのライヴ。演奏メンツも、リード・ギターだけは入れ替わっていて、ロスではフィル・アップチャーチだが、ニュー・ヨークではコーネル・デュプリー。ほかは全員同じ。

ダニーの『ライヴ』。 A 面が完璧すぎるっていうのは、マーヴィン・ゲイの「ワッツ・ゴーイング・オン」で幕開けして、二曲目が長尺インストルメンタルでフュージョン・ナンバーと化している「ザ・ゲトー」が来て、観客とのやりとりも演奏も熱いそれが終わったかと思った次の刹那、その汗を拭かんとばかりに三曲目の「ヘイ・ガール」で爽やかコンがが鳴って、瞬時にダニーのおしゃれなフェンダー・ローズが来て、やっぱり爽やかに歌う。フュージョン・ヴォーカル・ナンバーみたいなそれが終わると、四曲目「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」で、弱っている人にもやさしくソフトに寄り添ってくれる。ともだちが来て夜になって、ここで A 面が終わるから、ここまでが完璧な流れなのだ。いや、もちろん B 面だっていいのではあるけれど。

ダニーのいちばん素晴らしいところは、書いてきたようにジャジーなコード・ワークをして、演奏全体もフュージョンっぽし、「ザ・ゲトー」とか「リトル・ゲトー・ボーイ」とか曲題はそうなっているが、現実の黒人ゲットーのありようをそのまま切り取ってきたかのような部分はなく、やはりおしゃれで洗練された演奏と歌になっているものの、しかしジャズやフュージョンみたいな、黒人共同体基盤から離れて上昇しようという志向、メンタリティは、ちっとも感じないところだ。少なくとも僕は感じない。

もちろんライヴ現場だったロスのトゥルバドゥールとか、NY のビター・エンドとかって、例えばハーレムのアポロ・シアターやシカゴのリーガルやフィラデルフィアのアップタウンなどといった黒人音楽だけのメッカみたいな場所じゃないだろう。でもトゥルバドゥールとビター・エンドのアット・ホームな雰囲気に囲まれて、ダニーもバンド・メンもふだんどおりの姿で、ジャジーな演奏とはいっても決して着飾ったような雰囲気じゃなく、メイクをしすぎない素のままのナチュラルな顔を見せているように思う。

その点、ジャズ(とかフュージョンとか)って、やっぱりどこか<よそ行き>だよなあ。ふだんどおりじゃなく、格好つけたような音楽だ。むろんそこがジャズの魅力なんだけど、例えば『ライヴ』で聴けるダニーの音楽は、ジャズからたくさん吸収しているにもかかわらず、黒人共同体内部にあり続けているような、うわついたところのないような、そういうものだと僕には聴こえるんだよね。

だからちょっと聴いた感じ、ガツンとハードに来ないし泥臭くもないし、ソウル・マンとしてはなんだかちょっとみんなと違うなぁ〜っていうダニーだけど、『ライヴ』で聴いても、やっぱり日常的に身近なブラック・ミュージックなんだよね。同じアメリカ黒人音楽でも、ジャズとはここだけが本質的にまったく違う立ち位置にある。ように僕には聴こえるけれどね、ダニーの音楽は。『ライヴ』を聴きなおしこれを再実感した。間違っているかもしれないが、これが僕の考え。

2017/11/22

ウェインとミルトン、1974年の奇跡



ウェイン・ショーター(とミルトン・ナシメント)の1974年作『ネイティヴ・ダンサー』では、六曲目の「フロム・ザ・ロンリー・アフタヌーンズ」がベストってことで OK?少なくとも僕のなかではそうなっているんだけどね。八曲目の「リリア」も同系の曲で、これも同じくらい素晴らしい。全体的に傑作である『ネイティヴ・ダンサー』でも、これら二曲は、聴く人を一瞬で虜にしてしまうような魔法がかけられている。

ウェイン・ショーターがブラジル音楽に接近するようになったのは、妻であるブラジル人、アナ・マリアのおかげだったんだろうか?1974年に『ネイティヴ・ダンサー』を録音するもっと前から、ウェイン自身がブルー・ノートに録音したリーダー・アルバムのなかには、ブラジル音楽がまあまああった。『モト・グロッソ・フェイオ』ではミルトン・ナシメントだってすでにとりあげている。

もっとも、ミルトンの曲「ヴェラ・クルス」を含むブルー・ノート盤『モト・グロッソ・フェイオ』は1970年に録音されたにもかかわらず、どうしてだか発売が遅れて、リリースされたのは74年8月のこと。コロンビア盤『ネイティヴ・ダンサー』が、同年翌九月のリリースだったから、当時のファンのみなさんはどう受け止めただろうなあ。ウェインがこの年、突如、ミルトン・ナシメントに接近したと思ったかもしれないよね。

それに1974年だとウェインは、ジョー・ザヴィヌルとのバンド、ウェザー・リポートをやっていて、同年三月に『ミステリアス・トラヴェラー』がリリースされていたあたりだ。これの次が75年作の『幻想夜話』(Tale Spinnin’)で、このあたりからウェザー・リポートも明快でポップでファンキーなサウンドとリズムを追求するようになる。がしかし、まだまだザヴィヌルはヴォーカリストを本格起用はしていない時期。

ザヴィヌルがウェザー・リポートで歌手を大きくフィーチャーようになるのは、1983年の『プロセッション』からで、その後はずっとたくさん使っている。しかもかなり分りやすいポップ路線に転向。最初のころの1970年代前半あたりのウェザーからしたら到底考えられない変貌ぶりで、ふつうのジャズ・ファンだとみんなああいった明快ポップ路線のウェザーのことは相手にしてないんだよな。でも1977年の「バードランド」なんかだって、すでに相当ノリやすくキャッチーだけどね。

そんなウェザー・リポートの双頭リーダー(でもなくなったが、ある時期以後は)の一人、ウェイン・ショーターの1974年作『ネイティヴ・ダンサー』は、ザヴィヌルとのレギュラー・バンド活動期に、それを離れてウェインが製作した唯一のソロ・アルバム。バンド外での活動にある程度の縛りが契約上あったんじゃないかと想像するんだけど、まあ一枚くらいなら OK だったんだろう。同じコロンビア・レーベルへの録音だし。

『ネイティヴ・ダンサー』を聴くと、書いてきたようなウェザー・リポートの音楽性の変化を、まだそうなる気配すらなかった1974年に完璧に先取りしていることにやや驚く。しかもウェザー以前のウェインのソロ・アルバムや、ウェザー解散後にジャズ回帰したソロ・アルバムのなかに、一枚丸ごと同系色だという音楽アルバムもない。だから『ネイティヴ・ダンサー』だけが奇跡の突然変異のように異様に輝いているんだよね。

ブラジリアン・ジャズ・フュージョン。それじたいは、僕のばあい、渡辺貞夫さんの音楽に先に出会っていたので、音楽性そのものに驚きは小さかったが、貞夫さんのばあいはあの当時、ボサ・ノーヴァや、それに近いブラジル音楽との融合がメインで、しかもヴォーカリストをフィーチャーしたりすることも少なかった。だからウェインの『ネイティヴ・ダンサー』を聴いて、最初、僕がこりゃなんだ??となったのは、ミルトン・ナシメントのあの声と歌いかただったんだよね。

レコードに針を下ろし、まず一曲目の「ポンタ・ジ・アレイア」で、いきなりフワ〜っ、ボワ〜っとしたようなヴォーカル・コーラスが聴こえて、あれって、むかし嫌いだったなあ。いまでもちょっぴり苦手かもしれない。リズムが入ってきてしばらく歌ったあと、またリズムが止まってテンポ・ルパートで演奏するウェインのソプラノ・サックスも、なんだかのんびりのどかな南洋ふうで、大学生のころは、早く二曲目になれ!とか思いながら聴いていた。

だってさ、二曲目の「美女と野獣」はブラック・ファンクだもんね。ミルトンは参加せず、ミナス音楽ふうな要素もほぼなしの北米合衆国産ファンク・ミュージックだ。ハービー・ハンコックがブロック・コードでイントロを弾くあたりからしてすでに僕は大好きで、しかしウェインのソプラノ・サックスが入ってくる瞬間は、やっぱり少し柔らかい。1974年というと、ジャズ系でもシビアでゴリゴリのファンクをやる人もいたけれど、ウェインとハービーの「美女と野獣」は趣がかなり異なっている。

ハービーといえば、ウェインとミルトンがこの『ネイティヴ・ダンサー』をロス・アンジェルスで1974年9月12日に録音したセッションにどうして呼ばれたんだろう?たんにウェインとハービーはマイルズ・デイヴィス・バンド時代以来の親友で(こないだ数日前?にも東京で共演ライヴをやった模様)、しかもハービーは当代随一の腕利き鍵盤奏者で、ヴァーサタイルに対応できる人だし、自身でもファンク・ミュージックをやっていたからだったからかなあ。でも大学生のころは、ハービーのピアノやフェンダー・ローズにミルトンの声が乗ると、なんだか不思議な雰囲気だなあと感じていた。いまではそれにウェインのサックスも入っての三位一体が、素晴らしく心地良い。

ミルトンのヴォーカル。なかでも歌詞のないスキャット(?)というかそんなものでアアァ〜とかやっているあいだは、いまでも僕はちょぴり好きじゃない部分が残っている。なんというか、あの声質というか声のカラーがそんなには好みじゃないのだ。歌詞のある部分でも、地声なんだかファルセットなんだか分らないみたいな、あのフワ〜っとした声の出しかたは、ちょっと苦手かもしれない。

でも、今日一番最初に書いたように、アルバム『ネイティヴ・ダンサー』六曲目の「フロム・ザ・ロンリー・アフタヌーンズ」と八曲目の「リリア」では、ミルトンが同じ歌いかたをしているにもかかわらず、メチャメチャいい感じに聴こえて本当に好きだから、自分で自分のことが分らないが、これら二曲ではビート感がかなり強靭でタイトでシャープ。ぜんぜんフワッとしておらず、途中から入ってくるウェインのサックスも切れ味があるから、ミルトンのあんな空気みたいなヴォーカルが、かえっていい感じに聴こえるのかもしれない。

八曲目「リリア」のほうは、どっちかというとミルトンのスキャット(?ヴォーカリーズ?)を大きくフィーチャーしていて、途中からウェインのソプラノ・サックスも出るものの、曲のメインはあくまでミルトンのふわふわヴォーカル。でもリズム・セクションの演奏はぜんぜんふわふわしていない。カッチリしていて、ほんのかすかにこの1974年当時のマイルズ・デイヴィスの音楽を思わせる部分があるかも。後半部、右チャンネルでハービーがフェンダー・ローズでなんども叩く不協和なブロック・コードが不穏な感じで、この曲、というかアルバム全体のなかでも異物だけど、かなり面白い。

六曲目の「フロム・ザ・ロンリー・アフタヌーンズ」は、たったの三分ちょいしかない短い曲だけど、これこそどこからどう聴いてもまさにパーフェクトな一曲。遠方から徐々に近づいてくるハービーのピアノ・イントロに続き、ミルトンが歌詞のないものを歌いはじめ(これは即興だよね?)、その背後でのリズムがかなりハードでカッコイイ。この六曲目でのリズムが、アルバム中、最もファンキーで強靭だ。

すると、1:26 でウェインがテナー・サックスを吹きはじめるのだが、そのソロ演奏内容も、アルバム『ネイティヴ・ダンサー』ではピカイチの素晴らしさ。その後、ミルトンとウェインがからみあいながら進行し、あぁ〜こりゃ気持いいなぁ〜と思っていると、あっという間に終わってしまう。まるで本当に孤独な午後のつかの間のまどろみだったみたいだ。

2017/11/21

たたかいに負けた僕たち 〜 徴兵忌避者のペシミズムと、ビートルズちっくなメタ・ミュージック



昨日もチラッと触れたビリー・ジョエルのアルバム『ザ・ナイロン・カーテン』。1982年録音、発売で、これは売れなかったらしい。そりゃそうなんだよね。これはかなりシリアスな社会派作品だから。前作の1980年『グラス・ハウジズ』までずっとポップでキャッチーで都会的に洗練されたラヴ・ソング・ポップスの人だったビリー・ジョエルが、突如として大真面目にアメリカ社会の病理みたいなものと向き合ったから、そりゃ売れるわけないもんなあ。

1982年というと、僕はまだまだビリー・ジョエルを熱心にリアルタイムで追っかけていた時期で、だから僕だって面食らったんだよね。アルバム『ザ・ナイロン・カーテン』のオープニングは、ブルー・カラー(肉体労働者)の難渋を歌った「アレンタウン」で、さらに、A 面ラストに置いたこのアルバム最大の話題曲がヴェトナム戦争を歌った「グッドナイト・サイゴン」だもんね。僕なんかも「素顔のままで」(Just The Way You Are)とか「ニュー・ヨークの想い」(New York State of Mind)とかがいちばん好きだったので、それらの社会派ソングは、う〜〜ん、こりゃちょっと…、どう受け止めたらいいんだろう?って。

しかも僕は日本の大学生だったから、アメリカ国内の労働問題にしろアメリカ側から見たヴェトナム戦争にしろ、関心はあっても、身近に実感できるという環境にいなかった。でも(労働、貧困問題もさることながら)ヴェトナム戦争のほうは、音楽界にもそれをとりあげた作品が以前からあったし、僕にとっては高校三年のときに映画館で封切り上映を観たフランシス・コッポラ映画『地獄の黙示録』が、それを考えるきっかけにはなっていた。

ところでまた脱線だけど、あの映画『地獄の黙示録』は、のちのちの僕の人生を考えたら、かなり大きな爪痕を残してくれたんだよね。映画を観終わったその足でレコード・ショップに立ち寄って(ということが実に多かった)買ったそのサウンドトラック盤レコードで、ローリング・ストーンズ(「サティスファクション」)もドアーズ(「ジ・エンド」)も、初めて自宅で聴いたんだったもんなあ。またリヒャルト・ワーグナーもそうだった。ジャズ・ミュージックのことはすでに好きだった。

また映画『地獄の黙示録』の筋書きは、ポーランド生まれで、外国語はフランス語のほうが得意なのに英語で書いた小説家ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』(Heart of Darkness)を下敷きにしていると、のちに知った。ああいった、川をさかのぼりながら、なにかの深奥を追求するように行動し、最終的になにかを見つけてしまう、しかも全体的にミステリ小説仕立てであるという、そんな(映画であれ小説であれ)筋立てに僕が生まれてはじめて触れたのが『地獄の黙示録』だった。

その後大学の英文科に進み、僕はジョゼフ・コンラッドや、そしてコンラッドからの影響も濃いアメリカ深南部の作家ウィリアム・フォークナーを勉強するようになった。僕は卒業論文も修士論文もフォークナーの『アブサロム、アブサロム!』(書題は旧約聖書への言及)で書いたのだが、この長編小説はフォークナー版『闇の奥』なんだよね。

就職してからは、英語作家ならウラジーミル・ナボコフ(は英語作家とも言いにくいのだが)などで論文を書くことが多かったけれど、僕の心のなかでいちばんの専門領域だと思っていたのがウィリアム・フォークナーだった。アメリカ深南部の作家らしく、シリアスな人種問題や、だから黒人英語や、さらにブラック・ミュージック、特にブルーズがときたま出てくる。

ってことは、趣味面でも仕事面でも、コッポラ映画『地獄の黙示録』が道をならしてくれていたのかもしれないよなあ。そんなこともこんなことも、わりと最近まで忘れていた。というか自覚していなかった。趣味の音楽愛好は変わっていないけれど、職がかわって、外国小説を読むのもいまや趣味みたいなものになっている。むろん仕事でやっている人も、ああいった世界はみんな趣味の延長でそうなっているわけだけど。

ビリー・ジョエルのアルバム『ザ・ナイロン・カーテン』。このアルバム全体の印象というか、イメージを決定づけている音楽のメンタリティは、今日の記事題にもしているように、<(なにかのたたかいに)負けたぼくたち>ってことじゃないなあ。A 面ラストの「グッドナイト・サイゴン」でヴェトナム戦争に負けたアメリカを歌っているというだけではなくて、全体的にペシミスティックで、敗北感がかなり強く漂っている。敗北感のない曲でも、えらく自省的だ。

「グッドナイト・サイゴン」のことは説明不要だから書かなくてもいいはず。 一曲目「アレンタウン」が、アメリカ工業都市の<敗北>を歌っていることも説明不要だろう。この曲における<負けた僕たち>とは、ある世代以後のアメリカ人、ふつうの一般のブルー・カラー・ワーカーズだ。ビリー・ジョエルはそこに自分の視点を重ね、僕たちの世代はたたかいに負けたんだ、つまりそれはアメリカ社会の敗北ってことなんだと言いたがっているように、僕は聴く。

ただ、そんな深刻な曲でありながら、「アレンタウン」のサウンドとリズムはキャッチーでポップだということは、ちゃんとおさえておかないといけない。そこはやはりポップなソングライターたるビリー・ジョエルの面目躍如だ。だからビルボードのチャートを上昇した。特にサビ部分でズンズンせり上がってきて、曲じたいが盛り上がる旋律になっていくあたり、さすがに素晴らしいソング・ライティング。しかもそのせり上がり部分での歌詞が最も深刻な内容だもんね。

そう考えると、同様に深刻すぎる A 面四曲目の「グッドナイト・サイゴン」は、リズムもほぼバラード調におとなしく、イントロでピアノが入るものの、途中まではアクースティック・ギター一台だけの伴奏で、ビリー・ジョエルが沈鬱な内容を、歌うというより綴る。曲調もかなり暗い。中盤でエレキ・ギターとドラムスとマス・クワイアが入ってくるが、派手な感じはなくその正反対で、心の重さをより強調しているみたいなサウンド。サビ部分では、ベース・ドラムがズンズン反復するその音だけに乗って、曲中でいちばん深刻な部分の歌詞を歌っている。結局そのまま終わってしまうんだ。 う〜ん、こりゃいまではちょっとしんどいかもなあ。

アルバム『ザ・ナイロン・カーテン』のブックレットには、一曲ずつビリー・ジョエル本人が書いた紹介文が掲載されているのだが、「グッドナイト・サイゴン」部分が最も長文。だからこの曲こそ、この音楽家もいちばん力を入れたもので、聴かせたい、受け止めてほしいものなんだろうなあ。その紹介文によれば、1949年生まれのビリー・ジョエルは、ヴェトナム戦争時期の徴兵忌避者だったとのこと。しかも1982年の「グッドナイト・サイゴン」完成までに三年かかっているんだそうだ。1979年って映画『地獄の黙示録』がアメリカで公開された年だよなあ。

あまりにも深刻すぎる曲は、これら「アレンタウン」と「グッドナイト・サイゴン」だけ。でもほかの曲も、ラヴ・ソングのように少し見せかけながら、うん、たしかにラヴ・ソングだけど、かなり内省的。歌詞も曲調も楽しそうなのは、B 面二曲目の「ルーム・オヴ・アワ・オウン」だけで、これはブギ・ウギ調のロックンロール・ナンバーでウキウキする。ギターじゃなく鍵盤楽器メインでそんなリフを演奏しているのがビリー・ジョエルらしい。

ベスト・セレクションに入れたので昨日触れた「ローラ」。A 面二曲目のこれは、しかしこの名前の女性への愛を捧げる内容かと思いきや、それだけじゃないんだ。たしかに愛しているからこそという歌詞内容だけど、ローラは僕にひどい仕打ちをするんだけど、どうしてだろう?とか、そんなラインが多いもんね。ローラは真夜中に電話をかけてくるけれど、どうして?などと言いながら、でも最終行で、そんな彼女の電話を切れるわけないだろう?と歌っているので、ラヴ・ソングには違いない。

ところでその「ローラ」でいいのは、そんな歌詞ではなく、昨日も少し書いたが、そのサウンドだよね。クラシカル・ミュージックふうにはじまり、ストリングスをピチカートで弾くサウンド(は完璧にクラシック音楽のもの)に乗せて、ビリー・ジョエルも典雅なピアノを弾いている。このイントロ部は、同じものがアウトロ部でも使われている。

そんなものにはさまれた中身は、昨日も書いたロー・ファイ的にグシャッとつぶれたドラムス・サウンドと、ファズの効いた派手なエレキ・ギターのサウンドで彩られたポップなロック・ソング。僕はこの「ローラ」で聴けるスネアの音(は加工されてかなり妙だけど)と、間奏のギター・ソロが大好き。

さらに、これが肝心なところだけど、曲「ローラ」はビートルズ・ソングふうだ。一部の、特にジョンの曲にとてもよく似ている。サビでパッとパターンがチェンジするあたりとか、まるで「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」そっくりじゃないか。

「ローラ」だけじゃない。B 面四曲目の「スカンディネイヴィアン・スカイズ」だって、その次のラスト「ウェアズ・ジ・オーケストラ?」だってビートルズ・サウンドだもんね。なかでもジョンやポールがジョージ・マーティンの手を借りて、ホーンズやストリングスを使っているものの一部に酷似している。特にストリングス・アレンジは、ビリー・ジョエル自身、わざと似せているだろう?と思うほどジョージ・マーティンのペンにそっくり。

そんなアルバム・ラストの「ウェアズ・ジ・オーケストラ?」。楽団はどこ?っていうのは、いわばメタ・ミュージックだけど、歌詞だけじゃなく曲の旋律もサウンドも内省的で、音楽の内側を見つめているかのようなものになっている。アルバム・ラストのこの曲の後半部では、アルバム・トップ「アレンタウン」の主旋律を、ビリー・ジョエルがメロディカで演奏しているんだよね。

2017/11/20

僕の大好きなビリー・ジョエルのマイ・ベスト 〜 プレイリスト





僕の洋楽初体験がイギリスのレッド・ツェッペリンだったのかアメリカのビリー・ジョエルだったのか、分らなくなってきている。もはや正確なことは憶えていない。う〜ん、どっちだっけなあ?どっちにしてもこの二者がその後の僕の音楽人生の土台を形作ったことだけは間違いない。ツェッペリンはアメリカ黒人ブルーズの世界へ、そしてワールド・ミュージック嗜好へもつながっている。ビリー・ジョエルは都会的に洗練されたポップ・ミュージックの世界へと僕をいざなった。

そう考えると、この、どちらに先に出会ったのか忘れてしまったツェッペリンとビリー・ジョエルが、その後の僕の音楽嗜好を現在まで支配し続けているってことになるなあ。洋楽、特にジャズに目覚める前の僕は、歌謡曲や演歌のファンだったのだが、このあたりは最近どんどん思い出すようになっている。岩佐美咲と原田知世のおかげでね。

洋楽好きになり、そのすぐあとにジャズ狂になる前の、思春期の僕は(演歌を含む)歌謡曲と一緒にときを過ごしていた。このことについては、機会を改めてジックリ思い出してみようと思っている。まあその前にキューバン・マンボを聴いてはいたけれどもさ。

そんなマンボ幼少期のことや、J-POP 少年期のことなど、そんなことぜ〜んぶ、たぶん17歳でジャズに出会って、そのあまりの素晴らしさの大ショックで、まるでハードディスクを一瞬で消去するみたいに、ジャズの一撃で記憶のなかから消し飛んでいたのだった。と、そんな消えていたということじたいが消えていたということも、今年、いろんなことがあり、思い出しはじめている。変貌しつつある、いや、もとの自分に戻りつつある僕。

まだまだ戻ってはいないので、というか戻れない、戻ったとしても、その後に知った世界の音楽を聴くのはやめられない。だから今日は、僕がふだん聴いている自作の、大好きなビリー・ジョエルのベスト・セレクション・プレイリストを公開したいと思う。いちばん上でその Spotify のリンクを貼ったのでもはや説明不要だけれども。僕はこのプレイリストを、Spotify に登録するずっとずっと前に自分の iTunes で作成して楽しんできた。いまでも同じだ。Spotify で同じもの(とはいかなかった部分があるが、それは後述)を作って公開したのだ。こうやって実に簡単に、ネット環境さえあれば、自分の趣味をほかのみなさんとシェアできるのが Spotify の良さだ。

そんなわけで書く必要もないだろうが、いちおう以下にその曲名一覧を記しておこう。括弧内が収録アルバム名で、その右がアルバム発表年。

My Billy Joel - A Playlist

1. Say Goodbye To Hollywood  (Turnstiles) 1976
2. Laura (The Nylon Curtain) 1982
3. Piano Man (Piano Man) 1973
4. New York State Of Mind (The Stranger : The 30th Anniversary Edition)peformed June 1977, released 2008
5. Just The Way You Are (The Sranger) 1977
6. Scenes From An Italian Restaurant (The Sranger)
7. The Longest Time (An Innocent Man) 1983
8. This Night (An Innocent Man)
9. Rosalinda's Eyes (52nd Street) 1978
10. Zanzibar (52nd Street)
11. Leave A Tender Moment Alone (An Innocent Man)
12. Keeping The Faith (An Innocent Man)
13. Souvenir (Streetlife Serenade) 1974

1曲目「セイ・グッバイ・トゥ・ハリウッド」は、まさにフィル・スペクター流儀のサウンド。ドラムスの音ではじまるのが、なにかの幕開けにふさわしいんじゃないかなあ。曲も、つらかったロス・アンジェルス時代に別れを告げてニュー・ヨークに戻ってきたよ!っていう、さぁここからが僕の本当の人生だぞっていう、そういうものだしね。

2曲目「ローラ」は、全体的にシリアスな社会派作品である『ザ・ナイロン・カーテン』にあっては、やや数の少ないラヴ・ソング的なもの。やっぱりそんなにシンプルな恋愛の歌じゃない部分もあるが、僕はこの曲のこのサウンドが好きなんだよね。グシャとロー・ファイにつぶれたドラム・セットの音とか、スネアの叩きかたも好きだ。リズムもいいし、エレキ・ギター(間奏のソロも含め)もいい。

3曲目は、まあやっぱりビリー・ジョエルの代名詞的なものだからと思って入れておいた。4、5曲目のバラード・メドレーが、ビリー・ジョエルの曲ではこの世で最も有名で、人気があって、最もたくさんカヴァーもされていて、しかもそれだけの理由が十分あるという名曲だ。4曲目「ニュー・ヨーク・ステイト・オヴ・マインド」でのアクースティック・ピアノもいい響きだ。歌詞は、他人がどうだろうと関係ないよ、ムダにできる時間なんてもうないから僕は僕の道を行くというもので、これもいいなあ。それで、残念ながら Spotify にある「ニュー・ヨーク・ステイト・オヴ・マインド」は、サックス部だけ差し替えたものだ。それしかない。残念無念。いまや、そっちが標準なのか?

そんなわけでかなり悔しいが Spotify で作ったプレイリストでは、「ニュー・ヨーク・ステイト・オヴ・マインド」を、2008年リリースの『ザ・ストレインジャー』30周年記念盤二枚目収録の1977年ライヴ・ヴァージョンにしておいた。こっちのテナー・サックスは正真正銘リッチー・カタータだ。しかも曲の終盤で無伴奏サックス・ソロを吹くのが、ちょっとした聴きもの。ジャズの世界ではふつうのものかもしれないが。なお、僕の iTunes にある同じプレイリストでは、ここはオリジナル・スタジオ録音が入っている。

5曲目「ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」(ありのままの君らしい君が好き)のフェンダー・ローズの柔らかく暖かい響きと、それにからむアクースティク・ギターのカッティングの、なんと心安まることか。君のありのままの素顔、そのままの姿かたちでいて、そんな君らしい君をこそ愛しているよっていう素晴らしい歌詞を、やさしいサウンドに乗せてソフトにビリー・ジョエルが綴る。フィル・ウッズのアルト・サックスも文句なしの代表作となった。

6曲目「シーンズ・フロム・アン・イタリアン・レストラン」は、ドラマティックな変化がある曲展開と、各種管楽器(ソロをとるのはぜんぶ木管だけど、金管のチューバが効果的に使われていたりする)がいいと思うなあ。テンポやリズムや曲調がどんどんチェンジしていくなかでサックスやクラリネットがソロを吹くのを聴くのは楽しい。アップ・ビート部分とスロー部分とのコントラストが見事で、ソングライターとしてのビリー・ジョエルの充実を感じる。

7、8曲目の「ザ・ロンゲスト・タイム」「ディス・ナイト」は、ビリー・ジョエル自作のドゥー・ワップ・ソング・メドレー。どっちもかなりシンプルなラヴ・ソング。単純明快で、しかもブラック・ミュージックふうのヴォーカル・コーラス(は、基本、どっちもビリー・ジョエル一人の多重録音)とリズム・フィール。「ザ・ロンゲスト・タイム」では、指を鳴らす音とエレベ以外は本当に人声のみだけど、曲としては楽器伴奏の入る「ディス・ナイト」のほうがすぐれている(サビはベートーヴェンの引用)。こんな歌詞、泣かずに聴けますかって〜の。

夜となったところで、9、10曲目がある。ジャズという意味のアルバム・タイトルの『5nd ・ストリート』からの曲。「ロザリンダズ・アイズ」はかなり鮮明なラテン調。「ザンジバル」のほうでは大御所ジャズ・トランペッター、フレディ・ハバードが参加してソロを吹く。いまの僕にはジャジーな?「ザンジバル」よりも、ラティーナな「ロザリンダズ・アイズ」のほうがいい感じに聴こえるけれどね。

トゥーツ・シールマンスの、いつもながらのスウィート&メロウなハーモニカが入る11曲目のバラード「リーヴ・ア・テンダー・モーメント・アローン」と、エレキ・ギターが3・2クラーベのパターンを刻む12曲目「キーピング・ザ・フェイス」が、この自作プレイリスト最終盤の盛り上げ役だ。前者でたっぷりと甘い時間を味わったあと、後者で賑やか陽気に踊れるじゃないか。

13曲目「スーヴニア」は、プレイリストの幕をおろすためのコーダとして置いた。ビリー・ジョエル独りだけのピアノ弾き語り。ある時期の(まあ全盛期の)ビリー・ジョエルは、この曲を自分のライヴ・コンサートの最後の締めくくりとして使っていた。どんな思い出もしだいにゆっくりと色褪せていくものだ。

2017/11/19

ポップで聴きやすいザッパのデビュー・アルバム



フランク・ザッパのアルバムってぜんぶ Spotify にあるんだね。いままで探したものはぜんぶあったので、ほかのものもきっとあるんだろう。これはいい。いまでは CD の入手がやや難しめになっているものがあるんだそうだし(数年前、Twitter で『ザ・イエロー・シャーク』CD 新品が、路面店でもネット通販ショップでもぜんぜん見つからないと嘆くクラシック音楽ファンのかたがいらっしゃった)、またそうでなくたって、ザッパにおそれ?をなして近づかなかった音楽リスナーが、その音楽にアクセスできる最も簡便な方法じゃないか。CD などを買わなくたってちょっと試聴さえしてもらえれば、先入見、偏見だって消し飛ぶん可能性が高い。

さて、ザッパのデビュー・アルバム『フリーク・アウト!』(といっても、ザ・マザーズ・オヴ・インヴェンションとしかジャケットには記載がない)を、日本でまず褒めたのは中村とうようさん。そして植草甚一さんだ。一般にかなりとっつきにくいものだと勘違いされているかもしれない。たしかに歌われている歌詞内容はポップじゃないばあいが多いかもだけど、個々の曲じたいはけっこうポップで明快で分りやすく、メロディも流麗でキレイで、聴きやすいように思うよ。

だからザッパが変人だとか、その音楽は難解だとかってのは、やっぱり先入見、色眼鏡なんだよね。『フリーク・アウト!』だってけっこうポップで、キャッチーさすらあるもんね。しかもその土台にはアメリカ黒人ブルーズ、ドゥー・ワップ、リズム&ブルーズがしっかりと流れていて、そういう部分はこのデビュー・アルバムでだってしっかり聴きとれるよ。歌詞内容だって、他愛のないラヴ・ソングもけっこうある。

そういう部分から話をすると、全体の4曲目「ゴー・クライ・オン・サムバディ・エルスズ・ショルダー」。これはふつうのなんでもないラヴ・ソングだ。しかもドゥー・ワップ・ナンバー。君は一年ぶりに戻ってきたけれど、僕は君のことをもう愛していないから、だれかほかの人の肩で泣いてくれっていう、女をフる内容なのかなあ?でもえらく楽しそうだよなあ。曲はホントなんでもないポップなザッパ自作のドゥー・ワップ・ソングだ。

6曲目の「ハウ・クド・アイ・ビー・サッチ・ア・フール」もドゥー・ワップ調のリズム&ブルーズ・ナンバーで、きわめて分りやすいラヴ・ソング…、っていうか失恋歌。う〜ん、哀しく切ない。君の愛を得ていたころは本当に嬉しかったけれど、いまやそれも失って涙を拭いているなんてっていう、そんな歌…。でも曲の調子にそんな悲哀感はない。左チャンネルのマリンバはだれだろう?いい効果を出していて、少しあとからのルース・アンダーウッドが、ザッパ・バンドでこんなのを本格化することになる。

6曲目がマリンバ(ほんとだれ?)がいい感じに聴こえるポップ・ソングなら、続く7曲目「ウーウィ・ズーウィ」もそう。これもザッパ自作のドゥー・ワップ・ソングなんだよね。かなり分りやすくとっつきやすい。ここまで書いた三曲ぜんぶポップでキャッチーで明快で、ごくごくふつうの他愛のないポップ・チューンこそが好きなリスナーでも抵抗感ゼロのはず。だからさぁ〜、ちょっと聴いてみてよねっ。いちばん上で Spotify のリンク貼ってあるから〜。

ドゥー・ワップふうの自作ポップ・チューンはその後もどんどん続いて、8曲目「ユー・ディドゥント・トライ・トゥ・コール・ミー」、9曲目「エニイ・ウェイ・ザ・ウィンド・ブロウズ」、10曲目「アイム・ナット・サティスファイド」、11曲目「ユー・アー・プラバブリ・ワンダリング・ワイ・アイム・ヒア」(はちょっとあれだ、少しあとからの滑稽なヴォーカル風味もすでに出ているが)。それからさかのぼって5曲目の「マザリー・ラヴ」。これらぜ〜んぶごくごくふつうの明快ポップ・ソングなんだよね。サーフ・ロックっぽいような要素すらあるもんなあ。

な〜んだ、ザッパの『フリーク・アウト!』ってけっこうなポップ・アルバムなんじゃないか。少なくとも全15曲中ポップ・ソングがいちばん数が多い。また、アルバムのオープナー「ハングリー・フリークス、ダディ」は、まあやっぱり歌詞内容はちょっとあれだけど(ってか英語が理解できないと分らない部分がすこしあるなあ、たしかにザッパは、う〜〜ん)、曲はカッコよく颯爽としたもので、しかもポップなメロディを持っていて、それから左チャンネルで聴こえるザッパの弾くエレキ・ギターもブルージーで上手い。

2曲目「アイ・エイント・ガット・ノー・ハート」、3曲目「フー・アー・ザ・ブレイン・ポリス?」も、ちょっとだけ抽象化されたブルーズ楽曲みたいなもので、ブルーズといえば、12曲目の「トラブル・エヴリ・デイ」はもろのブルーズだよなあ。ブルージーなハーモニカだって入っているのだが、これってレイ・コリンズかなあ?ってことはこの曲のリズム&ブルーズっぽいリード・ヴォーカルもレイなのか?たぶんそうだよね。はじめて自覚した(^_^;)。

その「トラブル・エヴリ・デイ」が、『フリーク・アウト!』オリジナルの二枚組アナログ LP では、二枚目のトップだったらしい。問題はそのあとに続く、現在では3トラックになっている(って、それ以前は実感がない僕だけど)「ヘルプ、アイム・ア・ロック」「イット・キャント・ハプン・ヒア」「ザ・リターン・オブ・ザ・サン・オブ・モンスター・マグネット」だ。

それら三曲は、主にドラマーが表現するリズムはかなりキャッチーで明快でノリやすいものなんだけど、その上でサウンド・コラージュが繰り広げられていて、ふつうのポップ・ソングしか聴かない人だと、こりゃいったいなにやってんの〜〜??ってなるんじゃないかと思う。特に15曲目なんか12分以上もあって、現代音楽みたいな感じだし、ムジーク・コンクレートでもあって、ポップ/ロック・ファンなら、みんなこんなの嫌いだよなあ。ビートルズにも一曲だけあるけれど、やっぱりあれもみんななにも言わないもんな。

あっ、ビートルズといえば、今日の話題であるザッパ『フリーク・アウト!』と、その英国の、というよりも世界で最も有名な四人組との関係は、でもしかし書く必要はないんだろう。ボブ・ディランとの関係はどうだろう?『フリーク・アウト!』がロック界初の二枚組レコードだという声もあるけれど、発売順だとディランの『ブロンド・オン・ブロンド』のほうが約一ヶ月だけ早い。ディランのは1966年5月16日。ザッパのは6月27日発売だ。誤差、というかほぼ同時みたいなもんか?

まあでもザッパはディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」シングル(1965年7月20日発売)を聴いて感動し、これで世界が変わらなかったらウソだ、自分が音楽家になってやることはなくなったと思い、しかしどうやら変わりそうもないので、やっぱり自分もレコード・デビューすることにしたというような人なので。だからディランの動向には鋭敏だったはずだと思うんだけどね。同じ国の同じ世界にいたわけだしさぁ。

2017/11/18

スアド・マシさんご本人に直接謝りに行きたいレベルです

(Spotify にあるこのアルバムは全17曲だけど、僕の持つ同じ人の同じタイトルの CD は14曲の収録です。)



現在、パリに住みフランスを中心に活動する女性歌手スアド・マシ。出身はアルジェリアで、ベルベル人(カビール系らしい)。いままでに六枚だったかな?ソロ・アルバムが出ていて、今世紀のマグレブ音楽家としては最も面白い存在の一人かもしれない。聴くと、やっぱりいかにもアルジェリア音楽だという部分があって、伝統的なシャアビなどを基調としながらも、広くマグレブ音楽を吸収し、それに米英産のロック・ミュージックをブレンド。さらにこれはどうだか自信がないが、ポルトガルのファド歌手の歌いかたの影響もあるような…、気がするけれど、どうだろう?

いまでは僕も大好きなスアド・マシなんだけど、わりと最近までこの音楽家の魅力に気がついてなくて、ずっと苦手だなあ〜って思っていたのがどうしてだったのか、いまとなっては自分でもぜんぜん理解できない。だいたい僕がスアド・マシを最初に買ったのは(どのアルバムからだったかは忘れちゃった)、アルジェリアの歌手だということだったからであって、マグレグ音楽好きの僕としては聴き逃せないだろうと思ったのだ。

ところが、ホントどのアルバムだったか、聴いてみても濃厚なアラブ節が聴こえず(とそのころは思っていた)、若手歌手でも、例えばパレスチナのムハンマド・アッサーフ(はそろそろ二作目を出してほしい)みたいな、濃厚なアラブ古典歌謡の発声とコブシ廻が好きな僕だから、スアド・マシにはそれがないように最初のころは聴こえていて、なんだかアッサリしてんな〜、そっかアルジェリアのジョーン・バエズとか呼ばれてんのか、それじゃあ僕はちょっと遠慮したいなぁっていう、そんな気分だったんだよね。

昨年暮れか今年頭ごろに、ちょっと気を取り直してという気分でもういっかいスアド・マシを、っていうか僕のばあい、気に入らなかった音楽 CD も処分せずに部屋のなかで寝かせておいて、しばらく置いて時間が経ってのち、ふたたびチャレンジするという人間なわけで、するとこ〜りゃ素晴らしい!と世間に大きく遅れて感動することがしばしばあるんだ。だからさ〜、やっぱ音楽 CD なんかをそうそう処分しちゃダメなんだってば。

そんなわけでスアド・マシも聴きなおして、あぁ〜、こりゃ素晴らしい、どこがアラブ色が薄いもんか!たっぷり濃厚じゃないか、シャアビなどのアラブ音楽が最大のベースになっているぞ、たしかにフォーキーな音楽性があるかもしれないが、あんまりフォーキーフォーキー、ジョーン・バエズバエズだとか言わないほうがいいぞ〜…、ってこりゃたんに僕がバエズのことが気に入らないだけの狭量なだけなんだけど(^_^;)。

スアド・マシの、それまで買っていない CD アルバムもぜんぶ買ってぜんぶ聴いて、なかにはそれでもやっぱりイマイチかも?と思うものがあったような気がするけれど、面白いものが多いし、どう聴いても僕好みの音楽家なので、少しずつとりあげて書いていくつもり。一度に複数枚をまとめて、しかも手短で簡潔に凝縮して書くという、いわゆる文才のない僕だから、今日はデビュー・アルバム『Raoui』(ラウイ?でいいの?読みは?フランス語題の10曲目を除き心配だから、これ以下の曲名もアルファベット表記でいく)だけをとりあげたい。

スアド・マシのアルバム『Raoui』は2001年のソロ・デビュー作。そして彼女のいままででぜんぶで六枚あるアルバムのなかでは、いまのところ僕のいちばんのお気に入り。その理由は、まださほど米英フォーク、ロックなどの色彩が濃くないから。あ、いや、かなりフォーキーではあるな。でもそのフォーキーさは、アルジェリアのカビール人としての自然発生的な弾き語り様式から来るもののように、いまの僕には聴こえる。

うん、たしかにアルバム『Raoui』でも、スアドのアクースティック・ギター弾き語り部分が大きいんだ。オープニングの「Raoui」からしてそう。でもこの曲、アルペジオで演奏されるギター・ノーツはアラビアンだし、スアドのヴォーカルが出ると、こりゃもう間違いなくアラブ音楽の歌手だと分る歌いかた。アッサリ味ではあるけれども。しかもなんだか哀しそうというか、深い憂いを帯びているように聴こえる。どうしてこんなにメランコリックなんだろう?このメランコリーは、例えばアラブ・アンダルース音楽のそれから来ているものだけじゃないような気が、ボンヤリとしている。

アルバム1曲目の「Raoui」は最初から最後までスアド一人での弾き語り。2曲目「Bladi」でウード奏者が参加し、スアドのギター・カッティングとからむ。そのウードが奏でるフレーズは、北アフリカ地域のアラブ音楽を聴き慣れたみなさんなら違和感なく受け入れられるものだ。スアドの歌のほうには、しかしそんなに濃厚なアラブ節はないような気がする。二曲目も最後まで伴奏はスアド自身のギターともう一名のウードだけ。

3曲目の「Amessa」!これが素晴らしいんだ。まずゲンブリ(モロッコのグナーワなどで主に用いられる低音三弦の楽器)が聴こえ、あ、いいな、と思っているとドラム・セットがバンバン!と入って強くて激しいビートが入り、同時にカルカベ(鉄製カスタネット、これもグナーワで使われる)がチャカチャカ刻みはじめ、ゲンブリ+カルカベのサウンドにかなり弱い僕としては、快哉を叫びたいほど。

エレキ・ギターも入り、ドラマーが叩き出すビートはどんどん強くなっていき、しかもフィル・インが気持いいし、上物であるスアドのヴォーカルも躍動的で文句なしに素晴らしい。これはアルジェリアとかモロッコとかシャアビとかグナーワとかいうんじゃなくって、汎マグレブ的な音楽要素を、そんな楽器も使いつつ、同時にロック・バンド様式で表現したものだ。う〜ん、この3曲目「Amessa」はグルーヴィだしカッコイイなあ。素晴らしい。

そんなノリの曲が、アルバム『Raoui』だとほかに五つある。6曲目「Nekreh El Keld」、7曲目「Denya」、11曲目「Awham」、12曲目「Lamen」、13曲目「Enta Dari」。これらはすべてドラム・セットが使われていて、テンポが高速でも中庸でもビート感が強烈で、ノリよくグルーヴィで、しかも根幹にはアルジェリア(やその他マグレブの)の伝統音楽や現代大衆音楽がある。

モダン・シャアビな6曲目「Nekreh El Keld」も、このスアドのアルバム『Raoui』では僕の大のお気に入り。男性歌手とからみながら歌うスアドは、この曲のばあい、シャアビふうに濃厚なアラブ節をやっているのが本当に僕好みなんだよね。ドラマーはちょっとオカズ入れすぎかもしれない。特にハイ・ハットが少しうるさいかも。もっと淡々と叩いてスアドのアラビアン・ヴォーカルを際立たせたほうがよかったかも。5曲目「Hayati」も(バンド形式ではないが)シャアビっぽいね。

11曲目「Awham」と13曲目「Enta Dari」は、ほほアルジェリアン・ロック・ナンバーの趣だが、12曲目「Lamen」は、なんだか分らない(シンセサイザーの電子音?でもクレジットでは鍵盤奏者なしだからエレキ・ギターだね、きっと)音が浮遊するようにアラブ音楽ふう、というかアザーンのような旋律をふわふわと奏で、そこにスアドのアクースティック・ギターがからみ、エレキ・ギターとエレベとドラムスのリズムも入ってきて、スアドが、やはりここでもフォーキーに歌っている。でもその声の質に独特の翳りというか、上のほうでも書いたが憂いがあるんだよなあ。なんだろうこれは?

これら以外の曲は(ロックふうな)バンド形式ではなく、やはりスアド一人でのアクースティック・ギター弾き語りか、そこにウードやその他若干名の伴奏が入るだけのシンプルなもの。アルバムの曲を書いたのもぜんぶスアドだし、だからやっぱりシンガー・ソングライターには違いないのだが、それでもいま聴きかえすと、それらでもけっこうなアラブ臭があっていいなあ。

アラビア語の歌詞内容が理解できないのでなにも言えないが、この独特の憂い、哀しさとか、あるいはまた曲によってはかなり戦闘的、それも政治的意味合いを帯びた闘いの歌であるような雰囲気が、曲調と声の質、カラー、出しかた、節廻しなどに感じるばあいがあるスアド・マシのアルバム『Raoui』。ホントそのあたりなにがあるんでしょう?僕の持つ CD は輸入盤なので…、と思ったら、あっ!附属ブックレットに曲名も歌詞もフランス語訳が載っているじゃないか!マジでここまで書いてきてたったいま気がついた(^_^;)。これから読もうっと。

2017/11/17

マイルズのカリブ&ラテン&アフリカ(2)〜 パン・アトランティック・グルーヴ




マイルズ・デイヴィスが(ギル・エヴァンズとのコラボレイションで)1968年の6月と9月に録音したアルバム『キリマンジャロの娘』から、1975年夏の一時隠遁前のラスト・スタジオ録音である同年5月の「ミニー」まで、マイルズのやったカリビアン〜ラテン〜アフリカンなジャズというと、鮮明なのは五曲だけ。録音順に「キリマンジャロの娘」「フルロン・ブラン」、それから「カリプソ・フレリモ」「マイーシャ」「ミニー」。

だけど、このころ、特に1970年代のマイルズ・ミュージックでは、特に鮮明でなくとも中南米〜アフリカの音楽を志向する部分があった。いちばんはっきりしているのがポリリズムで、もはやジャズの保守本流ビートは、この時期、かえりみられなくなっていて、ファンク度をかなり強めていた。マイルズのばあいも、そのポリリズミックなファンク・ビートにはラテン〜アフリカンなアクセントが、そこはかとなくではあっても、漂っていたのだ。

この事実はマイルズだけのことじゃない。そもそも北米合衆国のファンク・ミュージックとは、ラテン音楽をルーツの一つにしていたような部分がある。反復しながら強く跳ねてシンコペイトするリズム・パターンなどは、間違いなくラテン・ビート由来だ。マイルズだって、直接はジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンから学んだんだろうが、これら二者の音楽にラテン・アクセントがあることを、鋭敏に嗅ぎ取っていたはずだ。

マイルズのばあい、ファンク・ミュージックとの出会い以前からラテン要素があったことは、先々週と先週金曜日の文章で指摘したし、またジャズ・ミュージックはそもそもそういうものとして産まれ流れてきたものだということも、前から指摘してある。ジャズにあるそんなラテン要素は、1940年代のジャンプ・ミュージックを経て、その後のリズム&ブルーズ、ロック、そしてファンクへも受け継がれたので、じゃあ<アメリカ>音楽ってなんなんだってことになっちゃうなあ。ラテン・アメリカ音楽との境界線を、英語/スペイン語ということ以外で引けるのか?という根源的な問いが頭をもたげてくる。

そんな根源的な疑問は、1970年代マイルズを聴いていると、やはり強く持つものなんだよね。だからいちばん上でご紹介したプレイリスト作成には、少し時間がかかった。最初に書いた五曲はあまりにも鮮明だけど、そうでなくともラテン/アフリカン・ジャズなんて至るところにあって、マイルズ・ミュージックのなかに消化されて溶け込んで具現化しているから、いったん気になりはじめると、アッこれも、これもだ、となってしまって、ぜんぶ入れないとダメじゃないかという気がしてきたのだった。

それでも絞りに絞った結果、やはり長めの三時間弱のものになってしまったのだ。Spotify のリンクを貼ったプレイリストに入れなかったものでも、中南米音楽やアフリカ音楽の痕跡があるなと感じる曲、トラック、テイクは多いので、その点はご承知おきいただきたい。

オープニングを『キリマンジャロの娘』から(アルバム収録順ではなく録音順に)二曲チョイスしてある。曲「キリマンジャロの娘」は、1968年6月21日のセッションでの録音で、マイルズが率いたかのセカンド・レギュラー・クインテットのラスト録音だ。すでにハービー・ハンコックもロン・カーターも楽器をエレクトリックなものに持ち替えている。これと、九月録音でチック・コリアやデイヴ・ホランドといった新バンドになった「フルロン・ブラン」は、本当に面白い。

この「キリマンジャロの娘」「フルロン・ブラン」二曲のことは、いつになるか分らないがアルバム『キリマンジャロの娘』一枚をフルでとりあげた文章にするという腹づもりでいるので、今日は書かない。聴けばだれでもサウス・アフリカン・ジャズだと分るほど鮮明、というか露骨にマイルズの学習成果が表面化していて、う〜ん、いま2017年末の僕としては、マイルズが残した1949〜91年の全アルバム中『キリマンジャロの娘』が最も面白いようなきがしてきている。だ〜れもそんなこと言わんけれどもだなぁ。

そんなわけで話はプレイリストのその次「スプラッシュ」「スプラッシュ・ダウン」となるのだが、これらは1968年11月の録音で、当時は未発表のままだった。といっても前者だけは短縮編集ヴァージョンが1979年リリースの LP 二枚組未発表集『サークル・イン・ザ・ラウンド』に収録されてはいた。後者は完全未発表のもので、前者のフル・ヴァージョンとあわせ、2001年のレガシー盤ボックス『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』で日の目を見た。

「スプラッシュ」も「スプラッシュダウン」も、曲調がカリビアンなばかりか、なかでも特にトニーのドラミングに鮮明にラテンふうポリリズムを聴くことができる。チックとハービー二名同時演奏のフェンダー・ローズも、コード・ワークやトーナリティに南洋ふうのものを聴きとれると僕は思う。しかもかなりファンキーだよね。アメリカ黒人音楽で聴けるようなファンキーさだ。ってことはつまりやっぱりああいったファンクネスは、ラテン由来だったのかも。

これの次が1969年8月21日録音の「スパニッシュ・キー」で、アルバム『ビッチズ・ブルー』に収録されてリアルタイムで発表されていた。曲題どおりスパニッシュ・スケールを使ったところに最大の特色があるものだ。中南米音楽も、リズムはアフリカ由来かもしれないが、旋律の創りかたはスペイン(やポルトガル)人が持ち込んだものがあるので、1969年8月21日のマイルズも、スパニッシュ・ナンバーをやりながら、リズムはアフリカ大陸のほうを向くということをやっているんじゃないかなあ。僕にはそう聴こえるけれど、みなさんどうでしょう?

「スパニッシュ・キー」に続く「グレイト・エクスペクテイションズ」「オレンジ・レイディ」は、最初1974年リリースの二枚組 LP『ビッグ・ファン』に、一枚目 A 面いっぱいを占めるメドレー形式で収録されていた。69年11月19日録音で、もちろん別個に演奏されたもの。でもつなげたテオ・マセロはやはり素晴らしかった。同日録音だからということもあって、サウンドに統一感があるし、さらにどっちもラテン、というかブラジリアン・ジャズっぽい。

「グレイト・エクスペクテイションズ」にも「オレンジ・レイディ」にもアド・リブ・ソロはなく、三本の管楽器はただひたすら同じモチーフを反復するばかり。だからソロ演奏を聴きたいふつうのジャズ・リスナーにはオススメできないが、モチーフ反復の背後で、主に複数の電気鍵盤楽器が織りなすサウンド・テクスチャーのカラフルな変化や、リズム・セクションの演奏するビート感のやはりカラフルさや動きかたの変化に聴きどころがあるはず。僕はこういうの悪くないと思うんだけど、マイルズ愛好家にもジャズ・ファンにも、そしてそれ以外の音楽リスナーにも、きわめて評判が悪い。

8曲目の「デュラン(テイク4)」は、『ザ・コンプリート・ジャック・ジョンスン・セッションズ』からとったもの。ふつうのアメリカン・ファンク・チューンで、1970年3月17日録音。右チャンネルで叩くビリー・コバムが(この時期のマイルズ・スタジオ・セッションで叩くものはぜんぶそうだけど)えらくファンキーなドラミングでカッコイイ。タイトで斬れ味良く、しかし複雑なポリリズムを表現しているあたりに、僕はラテン/アフリカ由来のリズム・ニュアンスを感じとるので、今日のプレイリストに選んでおいた。ふつうのファンクだけど、ふつうのファンクがそもそもアフリカ志向の音楽だったから…、って上でも書いたので。

9〜13曲目は、もちろん『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』からの選曲。今日の話題からするとあまりにも鮮明な、10「カリプソ・フレリモ」、12「マイーシャ」、13「ミニー」のことは書いておく必要がないはず。このあたりの(リアルタイム・リリースだと)『ゲット・アップ・ウィズ・イット』期のマイルズ・ミュージックでは、ラテン・ファンク路線が一つの売り物だった。

がしかし、9曲目「チーフタン」や11曲目「エムトゥーメ」などで聴ける、リズムがちょっとよれて突っかかるような変拍子系ポリリズムや、また、リズム・セクションは小さく細かく刻むのを繰り返しながら、上物の管楽器ソロ(はふつうの音楽でいえばヴォーカルだ)は大きくゆったりと乗りうねるあたりのフィーリングとか、そのへんにもアフリカ音楽の影響を僕は強く感じる。

バックは細かくせわしなく刻みながら、同時にトランペットやサックスその他上物が大きく乗って、この感覚の異なる二種類が同時に(ぶつかりあいながら)進むことで、その波動で独自のグルーヴが産まれるんだよね。それはどこの国のどの音楽がというんじゃなく、ほぼ全世界のいろんなアフロ・クレオール・ミュージックに共通するものだ。このころのマイルズもまた、その一翼を担っていたのだった。

«どんどんよくなる岩佐美咲の「初酒」

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