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2015/11/22

シカゴ派の大物エディ・コンドン

Columbiacl547

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YouTubeに三曲アップしたエディ・コンドンの音源、しばらくは再生回数が1のまま伸びなかったけど、僕は数あるジャズの中でもこういうシカゴ派のディキシーランド・ジャズがかなり好き。ジャンプやジャイヴなどの芸能色の強い楽しいジャズ以外では、マイルス・デイヴィスを除けば、ひょっとしたら一番好きかも。

いや、ルイ・アームストロングやデューク・エリントンがいるから、「一番好き」ではないかな。マイルスや彼らに次いで好きという感じか。カウント・ベイシーもいるけど、1930年代の全盛期ベイシーは、僕の中ではジャンプ系ビッグ・バンドだ。正確には、小出斉さんの言うように、準ジャンプというかプリ・ジャンプ。

そういう細かいことはともかく、いまどきシカゴ派のディキシーなんか聴くジャズ・リスナーは、殆どいないだろうなあ。エディ・コンドンに代表されるシカゴ派は、ジャズ・ファンでもよっぽどの人じゃないと好きにならない種類の音楽だし。

もっとも僕がYouTubeに上げたのは、『ジャム・セッション・コースト・コースト』というアルバムからで、一番好きなコンドンのアルバムだけど、これは1954年なので、シカゴ派の全盛期録音ではない。スタイルはそのままだけどね。シカゴ派は、1920年代後半〜40年代が主たる活躍時期。

そもそも「シカゴ派」(”Chicago school”)なる名称を、いまだに憶えているジャズ・ファンはいったいどれくらいいるんだろう?シカゴ派とは、1920年代後半〜40年代半ばまでの、バド・フリーマンやワイルド・ビル・デヴィスン等、エディ・コンドン一派を中心にした白人ジャズ。

もちろん、シカゴが主な活動場所だったから、この名称がある。シカゴは、ブルーズの聖地でもあるけど、ニューオーリンズ、カンザス・シティ、ニューヨーク等と並ぶジャズのメッカでもあった。しかも、ニューオーリンズでストーリーヴィルが閉鎖された1917年以後は、そこからジャズマンがかなりシカゴに流入した。

言うまでもなく、ニューオーリンズから北上してシカゴに辿り着いたジャズマンの殆どは黒人であって、シカゴ派の白人ジャズマンではない。キング・オリヴァーや、彼に誘われてシカゴに来たルイ・アームストロング、あるいはジェリー・ロール・モートン(彼は黒人というよりクリオール)なども、主にシカゴで活躍した。

そして、シカゴ(主にウェスト・サイド)で活動した1920年代の黒人ジャズマンが演奏したニューオーリンズ・ジャズに憧れ、それを手本にして白人達がやりはじめたのが、ディキシーランド・ジャズだ。だから、僕の中では、ディキシーランド・ジャズは、シカゴ派ジャズとほぼイコールなのだ。

そういうわけだから、エディ・コンドン一派の展開するシカゴ派ジャズは、サッチモらのニューオーリンズ・ジャズによく似ている。ちょっと音色やノリが違うけど、戦前の古いジャズをかなり聴き慣れていないと、普通のジャズ・ファンは区別しにくいはず。僕だって最初は同じように聞えた。

何の世界でも、模倣する側の方が、お手本の特徴をよく捉えしばしばそれを誇張するように、シカゴ派ジャズも、ニューオーリンズ・ジャズをよく表現していた。油井正一さんも、サッチモなどをオリジネイターとして最高に評価する一方で、本音では白人ディキシー等が大好きだったようだ。

もっとも油井さんが一番好きだったビックス・バイダーベックは、白人だけどオリジネイターだ。ビックス以前にああいうコルネットの吹き方をしたのは、エメット・ハーディー以外いないらしい。そのエメット・ハーディーは録音が全くない上に、文献でも僕は油井さんの本でしか名前を見たことがないからなあ。

つまり、エメット・ハーディーは、いわば謎の人物であり実態を確かめようがないから、ビックス・バイダーベックをオリジネイターと認定しても差支えないだろう。ビックス以後は、マイルス・デイヴィスやチェット・ベイカーなど、同じようなスタイルでトランペットを吹くジャズマンが出てくるようになったし。

僕が大学生の頃、エディ・コンドンなどを聴くようになったのは、これまた油井正一さんの『ジャズの歴史』(東京創元社)を読んだのがきっかけ。その本の中に、エディ・コンドンについて書いた一章があり、凄く興味を持った。そこで油井さんは、コンドンはギターの腕自体は大したことないと書いていた。

大したことないばかりか、彼のギターはレコードを聴いてもよく聞えないのだと、油井さんは書いていた。いざレコードを買って聴いてみると、そんなこともなく、確かにコンドンは全くソロというものを弾かない(というか弾くだけの腕がない)ギタリストだけど、リズムを刻む音は聞えるけどなあ。

エディ・コンドンがシカゴ派最大の大物と言われているのは、そのギター演奏によって仲間をグイグイ惹き付けるようなタイプだったからではなく(そんな演奏技術はコンドンにはない)、親分肌のリーダーシップ、マネイジメント能力など、バンド・リーダーとしての手腕によってだった。

先に書いた1954年録音の『ジャム・セッション・コースト・トゥ・コースト』では、戦後の録音なので音質もいいから、演奏前や演奏中のエディ・コンドンによるメンバーへの指示の声がよく聞えて、演奏内容自体もいいんだけど、スタジオ・セッションでのコンドンのリーダーシップもよく分る。

それを聴くと、ソロ廻しの順番や、各人何コーラスのソロを取れとか、ソロ廻しが終った後の合奏の指示とか、結構詳しくいろいろとエディ・コンドンが指示している。僕がアップしたYouTube音源でもしっかり聴ける。おそらくシカゴ派全盛期の1920〜40年代録音でも、同じような感じだったはずだ。

ついこないだ全盛期1920年代後半〜40年代までのエディ・コンドンの録音集四枚組を買って聴いているんだけど、その『クラシック・セッションズ 1927-1949』が、2014年末に出ていたことに、先日気付いたばかり。今までバラバラにいくつか持っていた音源集だ。

これをアマゾンで見つけた時は嬉しかった。1920〜40年代のエディ・コンドン名義の録音だけでなく、彼が参加している他人名義の録音も集めているし、それらをたくさん収録したボックスは、アナログ時代にも存在しなかったはず。四枚とも75分以上たっぷり入っていて、僕などは聴くと忘我の境地だ。もちろん、これで全部ではないが。

後にニューヨークに出て、スウィングの王様として大成功するベニー・グッドマン(こっちの知名度は高いだろう)なども、元はシカゴ出身で、最初は当地でセッションを繰返していたクラリネット奏者。もちろん、エディ・コンドンとの共演音源もある。またコンドンは黒人ジャズマンとも多く共演している。

その中には、他ならぬサッチモもいるし、ファッツ・ウォーラーなどもいる(どちらも先に書いた四枚組に入っている)。なにしろ、エディ・コンドンはシカゴの大物だったわけだから、当地に住んでいたり訪れたりした黒人ジャズマンだって、共演したかったはずだ。

エディ・コンドンがシカゴで活躍した時代は、主に禁酒法のあった時代(1920〜33)で、密造酒の製造・販売が地下で横行し、つまりシカゴではマフィアが暗躍していた。シカゴを活動場所にしていたその時代のジャズマンも、マフィアとの関わりがあったらしい。コンドンの手腕もそのあたりで発揮されたようだ。

要するに、先に書いたように一種のマネイジメント能力ということだけど、昔も今も、夜にジャズマンが演奏するのは、多くは酒を出すような場所だから、当時のシカゴでそれを仕切っていたマフィア連中と、当然ながら、折合いを付けていく必要があった。エリントンなどもそれで苦労したという話がある。

エリントンの場合は、マネイジャーのアーヴィング・ミルズが辣腕だったから(ある時期以後決裂するけど)、彼がなんとかしたみたいだ。シカゴのエディ・コンドンの場合は、彼自身が交渉したらしい。コンドンが親分肌で、多くのジャズマンが彼についていったのは、そういうのも理由だったんだろうね。

とまあ、自身の演奏内容そのものには一切触れようがないエディ・コンドンだけど、実際に先に書いた四枚組録音集を聴くと、コンドンを慕って集ってくるジャズマンが、彼の庇護下で、実に伸び伸びと実力を発揮しているのがよく分って、聴いていて楽しくてたまらない。でもこういうのは、もう今は流行らないね。

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