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2016年1月

2016/01/31

スティングのバンドではじけたケニー・カークランド

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ケニー・カークランドというピアニスト/鍵盤奏者、スティングのライヴ・アルバム『ブリング・オン・ザ・ナイト』一曲目でのピアノ・ソロが、この人一世一代の名演だと思っているんだけど、同じように思っている人は、どれくらいいるのだろう?
僕の場合、ケニー・カークランドの名前を知ったのは、ウィントン・マルサリスのデビュー・アルバム『ウィントン・マルサリスの肖像』(1981)だった。そういうジャズ・ファンは結構多そうだ。その後しばらくウィントンと活動をともにしていて、85年の『ブラック・コーズ』まで参加している。

その『ブラック・コーズ』、ブランフォード・マルサリス、ケニー・カークランド、チャーネット・モフェット、ジェフ・テイン・ワッツという、ウィントンとしては最高の布陣によるラスト・アルバムで、これが出た当初、僕はこれは大変な傑作だと感じ、周囲にも興奮気味にそういう風に喋りまくっていた。

『ブラック・コーズ』はCDでも買い直していて、でも殆ど聴かないままだったんだけど、こないだ聴直してみたら、今聴くとどこがそんなに大傑作だと感じたのか、正直言ってよく分らない。だけど、まあまあよくできた良作だと思う。社会派なタイトルのことは、昔は全く分っていなかった。

ウィントンの率いたこの(ウィントンにしては)最強布陣のバンド、僕は大学院生の時に一度生を聴いたことがある。何年のことかは忘れてしまったけど、この編成のバンドは1982〜85年だから、その間のいつかだろう。練馬の小さな会場だったけど、それでもどうしてこんなに?と思うほどガラガラだったので、席を移動して最前列で聴いた。

その時一番感銘を受けたのが、ウィントンのトランペットの生音だった。PAが入っていたはずだけど、最前列で聴いたから、生音も届いてきて、その生音が太くて丸くてブリリアントで素晴しいものだったことをはっきり憶えている。アルバム作品はいいものが少ないように思うウィントンの悪口を、しばらくは言いにくい気持になったほど。

やっぱり一度は生で聴いて生音を体験しないと、楽器の本当の音はレコードではなかなか分らないというのを、その後も小さなジャズ・クラブで小山彰太のドラムスの生音を聴いた時にも実感した。まあそんなこと言ったって、ライヴに行っても普通はPAを通した音だから、なかなか難しいことではあるけどね。

その練馬で聴いたウィントン・バンドのライヴ、ケニー・カークランドに関しては、あまり憶えていない。あの時は、途中でチャーネット・モフェットのベース弦が切れてしまい、直すのに手間取って、その間ウィントンが喋りで繋いでいたものの、いつまで経ってもチャーネットが出てこないので、諦めて仕方なくベース・レスで演奏をはじめたりした。

ケニー・カークランドに関しては、既に名前と顔と演奏は認識してはいたものの、まだそんなに注目の存在でもなかったのだった。ただ、一曲だけピアノとブランフォードのソプラノ・サックスだけのデュオでなにかやったのは憶えていて、それはなかなかよかった。まあその程度しか憶えていないんだなあ。

ケニー・カークランドに注目し始めたのは、スティングの1985年の初ソロ作『ブルー・タートルの夢』に参加してからだ。あのアルバム、ウィントン・バンドからケニーとブランフォード、マイルス・デイヴィス・バンドからダリル・ジョーズ、ウェザー・リポートからオマー・ハキムという豪華メンツだった。

こういうジャズ系の凄腕ミュージシャンばかり集めてアルバムを創ったスティングの真意がどういうものだったのか、それには当時も今もあまり興味はない。ただ単に凄いと興奮して、あのアルバムを何度も繰返し聴いた。『ブルー・タートルの夢』、今聴直すと、別にどうってことないような気もするなあ。

このスタジオ作より、次作の二枚組ライヴ盤『ブリング・オン・ザ・ナイト』の方が、今聴くと圧倒的に面白い気がする。僕は元々あまりスティングのファンではなかったし、ポリスも熱心には聴いていないけど、このライヴ盤は本当に素晴しい。スティングのヴォーカルだけは、やっぱりピンと来ないけど。

だからいつも聴いているのは、スティングというよりバックの凄腕ミュージシャン達なのだ。スティングに関しては、曲はいいと思う。コンポーザーとしてはかなり好きだ。でもあの声と歌い方は、別に嫌いではないけど、僕にはイマイチなんだよなあ。スティングのアルバムは、これら二つしか持っていない。

サイドメンのうち誰だったか忘れたが、ジャズ・ミュージシャンのバンドと有名ロック・ミュージシャンのバンドとではギャラも宿泊するホテルの格も、全然違うと当時言っていた。ベースのダリル・ジョーンズだけは、その後ローリング・ストーンズのサポート・メンバーになったから、さらに待遇が上がったはずだけど。

ダリルの場合は、マイルス・バンド出身で、マイルス・バンドは、ジャズ系のミュージシャンとしては最高級の待遇だったはずだから、スティングのバックでもそんなに極端には違わなかったかもしれない。1984年にマイルス・バンドを辞めたアル・フォスターが、ホテルの格がグンと下がったとマイルスに電話してぼやいていたらしい。

それはともかく、スティング『ブリング・オン・ザ・ナイト』一曲目でのケニー・カークランドのピアノ・ソロ。ロックで、こんなにカッコイイピアノ・ソロは少ないような気がする。最高にグルーヴィーだ。ケニー・カークランドは、1977年にデビューした時は、フュージョン系の仕事が多かったらしい。

1977年ならそんなもんだろう。当時は4ビートでアクースティックなジャズは、まだ再浮上していなかった。再浮上するのは、1981年のウィントン・マルサリスのレコード・デビューからだし。しかも、ケニー・カークランドはそのウィントンのレコード・デビュー作の約半分でピアノを弾いている。

そのウィントンのデビュー作でのケニー・カークランドのピアノは、はっきり言って印象が薄い。それもまた当然だ。残り半分でピアノを弾いているのがハービー・ハンコック(+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズの最強リズム)だから、ハービーが弾いた曲と並んでしまうと、どうにも分が悪すぎる。

実際『ウィントン・マルサリスの肖像』のなかで一番いいのはB面一曲目のトニー・ウィリアムズ・ナンバー「シスター・シェリル」で、これもハービー+ロン+トニー(+ブランフォード)の伴奏。この曲でのウィントンのソロを油井正一さんも「パッと花が咲くかのよう」と激賞していたし、僕も全く同感。

ケニー・カークランドがウィントンのバンドで実力を発揮し始めるのは、次作1983年の『シンク・オヴ・ワン』と、ウィズ・ストリングス・アルバムである84年の『ホット・ハウス・フラワーズ』を経て、やはり85年の『ブラック・コーズ』だなあ。『ブラック・コーズ』では、円熟したプレイぶりを聴かせる。

『ブラック・コーズ』の次作『J・ムード』からは、当時無名だったマーカス・ロバーツを起用し、その後活動をともにする。マーカス・ロバーツはなかなかブルージーな持味のピアニストだから好きなんだけど、僕は『ブラック・コーズ』でのケニー・カークランドが大好きだったので、少し残念だったのも事実。

これ、実はケニー・カークランドがスティングに引抜かれてしまい、ウィントンが仕方なく次の人材を探したというのが本当のところだったのかもしれない。『ブラック・コーズ』も『ブルー・タートルの夢』も、録音・発売ともに同時期だ。スティングのバンドで一気にジャンプ・アップしたから、結果的にはよかったんだろう。

ケニー・カークランドは、スティングとはその後も、1996年の『マーキュリー・フォーリング』まで参加している。ケニーのリーダー作も90年代に二枚ほどあるようだけど、全く聴いたことがない。彼は1998年に43歳の若さで亡くなってしまう。彼のラスト録音はブランフォードの『レクイエム』。

このブランフォードのアルバムは、録音中にケニーが亡くなってしまい、結果的に死後リリースになったので、このタイトルが付けられたんだろうと思っている。このアルバム『レクイエム』も持ってはいるんだけど、聴いたことがあるようなないような・・・。

2016/01/30

レンベーティカとブルーズ

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古い米黒人ブルーズ、古いトルコ歌謡、そしてそれと不可分一体なギリシアの古いレンベーティカ、これら三つが同じくらい大好きな僕だけど、トルコとギリシアに大いに関連があることはみなさんご存知の通り。でもそれとブルーズ好きとはあまり深い関連はないだろうと思っていたけれど、どうもそうでもないようだ。

もちろんレンベーティカが「ギリシアのブルーズ」だとか呼ばれていることは知っているんだけど、これはアメリカのブルーズがその後のいろんなアメリカ大衆音楽の土台になっているもので、ギリシアのレンベーティカも同じようにその後のギリシア大衆音楽の屋台骨になっているとか、そんな意味だろう。

僕がブルーズ好きと古いレンベーティカ好きだというのに、ひょっとしたらなにか通底するものがあるのかもしれないということを考えはじめたのは、ヨルゴス・ダラーラスとニコス・プラティコス共作名義の2015年作『タ・アステガ』を聴いてからだった。これは今年になって買えるようになったもの。

『タ・アステガ』の上掲アルバム・ジャケットをご覧になればお分りの通り、ピアノを弾いている右の人物はどう見ても米ジャズ界の巨人デューク・エリントンだとしか思えない。左でブズーキを弾いている人物は、自信がないけれど、ピレウス派レンベーティカの大物マルコス・ヴァンヴァカリスなのかなあ?

この二人のうち、マルコス・ヴァンヴァカリスがヨルゴスのアルバム・ジャケットに登場するのは極めて自然だ。ヨルゴスには二枚組のマルコス・ヴァンヴァカリス集だってあるもんね。そうでなくなって微妙に味わいが違うスミルナ派・ピレウス派双方のレンベーティカが、ヨルゴスの音楽には息づいている。

しかしどうしてデューク・エリントンが登場しているのか、これはCDアルバムの中身を聴くまで、僕の頭の中には完全なるハテナ・マークしか浮ばなかった。聴いてみたら、納得とまではいかないんだけど、まあなんとなく理由は分ってきたのだった。ジャジーなピアノ演奏がかなり入っているんだよね。

ジャジーというと少し違うかも。正確にはラグタイム・ピアノが聞える。しかしヨルゴス(とニコス・プラティコス)は、どうしてラグタイム・ピアノを自身のアルバムで使おうと思ったんだろうなあ?しかも『タ・アステガ』のなかには、さらにディキシーランド・ジャズ風な管楽器が聞えるものだってある。

しかもラグタイムとディキシーランド・ジャズが、ヨルゴスの音楽的根幹であるレンベーティカと渾然一体となって溶け込んでいて、こりゃなんなんだ?こんな音楽は聴いたことがないぞ!と、驚きだったんだよね。ラグタイム・ピアノとジャジーなホーンとレンベーティカなブズーキが同時に鳴るなんてね。

アルバム一曲目の「1901」は、完全にラグタイム・ピアノとジャズ・ホーンと打楽器としか演奏していないインストルメンタル・ナンバーで、一切の予備情報を与えず音だけ聴かせたら、ギリシア音楽だと思う人は一人もいないだろう。曲名の「1901」は、スコット・ジョップリン最盛期の年代だということなのか?

その一曲目やその他の曲でのピアノを聴いて、アルバム・ジャケットに載っているエリントンのピアノを連想するかといえば、まあ連想しないんだけど、でもエリントンのピアノだって元々はウィリー・ザ・ライオン・スミス等ストライド・ピアノからスタートしたもので、ストライド・ピアノのルーツはラグタイム・ピアノだ。

そういうピアノに乗り、またはジャジーな管楽器アンサンブルに乗ってヨルゴスが歌う歌は、いつもの調子の哀感に富むギリシア歌謡で、それはレンベーティカなんだよね。しかしいつもの調子のレンベーティカ歌謡だなと思って聴いていると、それにラグタイムなピアノが絡んだりするからなあ。妙な感じだ。

四曲目「トリプラ・タ・サルニト」では女性歌手エレーニ・ツァリゴプーがフィーチャーされていて、やはりトラディショナルなライカ歌謡なんだけど、イントロや間奏で出てくるのがやはりラグタイムなピアノだもんなあ。ギリシアの弦楽器(ブズーキかなあ?)なども聞えはするけれど、ジャジーなんだ。

続く五曲目「ディオ・ドロモイ」では、やはり女性歌手アスパシア・ストラティグーの歌をフィーチャーしていて、彼女はヨルゴスのツアーでコーラスを担当していたこともあるらしいから、いつもの調子なんだけど、またしてもラグタイムなピアノと、ここではさらにディキシーランド・ジャズ風な管楽器が絡む。

アスパシア・ストラティグーはアルバム11曲目でも歌っている。そこではブズーキやその他ギリシアの弦楽器の音の方がよく聞える普通のギリシア歌謡で、ラグタイムだったりジャジーだったりする感触は殆どない。しかしスタマティス・クラウナキスが歌う続く12曲目「ルキア」は、やはりジャジーだ。

男性歌手スタマティス・クラウナキスのヴォーカルにはブルージーな雰囲気もあるから、ラグタイム・ピアノやディキシーランド・ジャズな管楽器のサウンドには似合っているように聞えて、なかなか面白い。それにしても、このアルバムで聞えるピアノの音は、ハンマーに鋲でも打っているような音だね。

ハンマーに鋲を打ったピアノの音というと、ラグタイムじゃなくて、同じアメリカでもホンキー・トンクなピアノ・スタイルを連想させるよね。それでも『タ・アステガ』でのピアノは、演奏スタイルはホンキー・トンクとは深い関係がないはずのラグタイムだから、それがああいう音で鳴ると、ヘンな気分だ。

それらの曲以外は全部ヨルゴスの単独歌唱だけど、それらもほぼ全部ホンキー・トンクな音で鳴るラグタイム・ピアノとジャジーな管楽器が入っていて、肝心のヨルゴスはというと、別にジャジーでもブルージーでもなく、アルバム・ジャケットに載っているマルコス・ヴァンヴァカリス流レンベーティカだ。

それにしてもヨルゴスとニコス・プラティコスは、どうしてこういうレンベーティカとラグタイムとジャズを結合させることを考えたんだろうなあ。一種のコンセプト・アルバムだよね。まあ御本人達に聞いてみないと分らないけれど、それら三つが自然に溶け合っていて、違和感なく聴けるのが不思議だ。

このアルバムを買ったエル・スールの原田さんの紹介文を引用すれば、「まるでそういう音楽ジャンルが昔から存在していたかのような」「なぜ、今までこういうギリシャ音楽が無かったのか、そっちの方が不思議なくらいに自然な」という、このヨルゴス&ニコスの『タ・アステガ』、鄙びた感じが実にいい。

そしてこの『タ・アステガ』を聴いていると、最初に書いたように、古いレンベーティカと古い米ブルーズや古い米ジャズ(やそのルーツの一つであるラグタイム・ピアノ)は、やはりどうやら関係があるんじゃないかと思えてくる。むろん直接の影響関係などはないはずだけど、音楽の本質が似ているというか。

レンベーティカは20世紀初頭のギリシアの港町などの酒場や阿片窟などで育まれた音楽だし、その点では19世紀末〜20世紀初頭のアメリカ南部の田舎町の酒場(ジューク・ジョイント)で演奏され人を踊らせてきたブルーズと同じだ。まあ米ブルーズは必ずしも街中だけの音楽でもないんだけどね。

そしてレンベーティカは、酒場・阿片窟などで歌われた哀歌であって、元々はオスマン帝国時代のアナトリア半島で産まれたものだから、トルコ歌謡・アラブ歌謡の哀感をたっぷりと引継いでいる、無頼の音楽なのだ。その点では<憂歌>とでも意訳できる米ブルーズと同じ種類の音楽なんだろうね。

ってことは、長年米ブルーズ、特に戦前の古いものの大ファンだった僕が、古いレンベーティカを知り、それにハマってしまったのも、明白な根拠のある必然だったんだろうね。奇しくも僕がハマった古いレンベーティカのボックスをたくさん出したのは、米戦前ブルーズのリイシュー・レーベル、英JSPだった。

てなことを、今年一月初旬に買ったばかりのヨルゴスの新作『タ・アステガ』を聴きながら考えたわけだけど、でもしかしこの哀歌・憂歌としてのレンベーティカとブルーズの共通性は、みなさんとうの昔にご存知なんだろう。好きになって何年も経つのに、ようやくいまごろ気付いた僕が遅すぎたというだけの話だ(恥)。

2016/01/29

ダイナ・ワシントンはブルーズこそが美味しい歌手

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熱心なジャズ・ファンだから、ダイナ・ワシントンという歌手を知ったのも、大学生の頃に『縁は異なもの』というジャズ・レコードでだった。その頃は普通のジャズ歌手なんだと思っていた。もちろんあのレコードもなかなかいいアルバムだし、ごく普通のジャズ・ファンにも人気のある歌手ではあった。

『縁は異なもの』は1959年のアルバム。もちろんマーキュリー録音。ストリングスやコーラスも入って、なかなか豪華な創りだった。でもアルバム・タイトルのスタンダード・ナンバー以外は、今では全く憶えていない。つまりCDでは買い直していない。いろいろとスタンダードをやっていたはず。

同じ頃、「煙が目にしみる」とか「アンフォーゲッタブル」などのスタンダード・ナンバーが入っているアルバムがあったはずで、それも大学生の頃に聴いていた記憶があるんだけど、今調べてもどのアルバムなのか分らない。『アンフォーゲッタブル』というアルバムがあるけど、「煙」は入ってないしなあ。

「ハーバー・ライツ」や「ラヴ・レターズ」とかも入ってたはずなんだけど、ホントなんのアルバムだったんだろうなあ。あと、大学生時代は、「恋人よ我に帰れ」などが入った、クリフォード・ブラウンとの共演盤も好きでよく聴いていた。ブラウニー目当で買ったわけだけど。

余談だけど、ブラウニーにはダイナの他、サラ・ヴォーン、ヘレン・メリルとの共演盤がある。ブラウニーのソロに関する限りは、ヘレン・メリルとの共演盤が一番いいように思う。あれだけは、クインシー・ジョーンズがいいアレンジをしているせいもあるんだろう。ブラウニーのソロもよく配置されている。

もちろんブラウニーと共演しているその三人の歌手としての力量を比較したら、ヘレン・メリルは数段落ちる。サラとダイナ、いや、ダイナが一番上なんだろうという気がするけどね。でも普通のジャズ・アルバムとして聴いたら、クインシーのいいアレンジのせいで、ヘレン・メリル盤が一番いいんだよね。

さて、そういう普通のジャズ歌手としか思っていなかったダイナ・ワシントンだけど、僕が大学三年か四年の時に、マーキュリー録音の『スリック・チック(オン・ザ・メロウ・サイド)』という二枚組LPが出て、それにたくさんブルーズやR&B系の録音が入っていた。あれで少し認識が変ったのだった。

今となっては、その二枚組LPにどんな曲が入っていたのかはすっかり忘れてしまった。しかし、それまで聴いていた『縁は異なもの』などのジャズとは、かなり雰囲気が違っていたことだけはハッキリ憶えている。同じ頃、ダイナが<ブルーズの女王>と呼ばれていることも知った。

ネットで調べたら出てきた→ http://www.discogs.com/Dinah-Washington-A-Slick-Chick-On-The-Mellow-Side-The-Rhythm-Blues-Years/release/4811208 「リズム&ブルーズ・イヤーズ」の副題は忘れていたけど、確かにそういう内容だなあ。「イーヴル・ギャル・ブルーズ」とか最高なんだけど、当時はこのLPでしか聴けなかったはず。ブルーズの女王の呼称に相応しい内容だ。

ブルーズの女王はベシー・スミスなんじゃないかと言われそうだけど、ベシーの称号は "Empress of the Blues"、すなわち<ブルーズの皇后>だ。そのブルーズの皇后であるベシー・スミスは、何度も書いているけど、大学生の頃からレコードを愛聴していたのだった。

ダイナもベシー・スミスからの影響が強い人だということを知ったのは、もうちょっと先のことで、ダイナにベシー・スミス集のアルバムもあることだって、かなり後になって知ったことだった。もっとも随分後になって聴いたそのダイナのベシー・スミス集自体は、あまり感心できない内容ではあったけど。

以前書いた繰返しになるけれど、1961年デビューのソウルの女王アリサ・フランクリンが、そうなるのは67年にアトランティックに移籍し、マッスル・ショールズで録音してからで、それ以前のコロンビア時代は、ジャズなどをたくさん録音している。

ちなみに、そのコロンビア時代のアリサ・フランクリンには、『アンフォーゲッタブル』という、ダイナ・ワシントンのへのトリビュート・アルバムがあって、ジャズ・ナンバーだけではなく、例の「イーヴル・ギャル・ブルーズ」などのブルーズ・ナンバーも歌っている。

さて、ブルーズの女王というダイナ・ワシントンの称号の意味を本当に実感できるようになったのは、僕の場合はCD時代になってからだなあ。1990年代半ばに『ファースト・イシュー』という二枚組と、『ザ・クイーン・オヴ・ザ・ブルーズ』という四枚組が出て、それに初期のブルーズ録音がたくさん入っていた。

特にCharlyという英国の怪しい(?)レーベルから出た『ザ・クイーン・オヴ・ザ・ブルーズ』の一枚目オープニングは、「イーヴル・ギャル・ブルーズ」「ソルティ・パパ・ブルーズ」「ブロウ・トップ・ブルーズ」という三連発で、もうこれで完全にノックアウトされちゃった。

なかでも1947年録音の「ブロウ・トップ・ブルーズ」は、ライオネル・ハンプトン七重奏団をバックに(というか、ハンプトンのリーダー名義のシングル盤だけど)吹込んだもので、40年代というブルーズ〜ジャンプ系バンドだったハンプトンのバンドと、一番資質が合うようなダイナの持味発揮の名唱。
いいよねえ、ダイナの歌も、冒頭に出るテナー・サックスも、前奏や間奏で入るハンプトンのヴァイブラフォンも全部。こういうのを聴くと、ダイナ・ワシントンという歌手は、やはりブルーズ歌手なんだと実感。僕のなかでは、これがダイナの最高傑作ということになっている。

そういうのをCDで聴始めた1990年代後半に、ダイナ・ワシントンのマーキュリー録音は、CD三枚組七つという巨大な全集があると教えてもらって、慌ててそれを全部買った。見てみたら、80年代末期に出ているのに、気が付かなかったんだなあ。これは児山紀芳さんの仕事だ。

しばらくは、その三枚組×7という巨大サイズのマーキュリー録音完全集を聴きまくっていた。マーキュリー録音なら、ブルーズも大学生の頃にLPで親しんでた後年のジャズ録音も、全部入っている。この全集はホント最高だった。これが、日本人ジャズ・ジャーナリストの児山紀芳さんがやった仕事だというのも、なんだか嬉しかったよね。

最近の2010年(だったかな?)にダイナ・ワシントンの1940年代から50年代初期のキーノート、デッカ、マーキュリーの全シングル集をコンパイルした『ファビュラス・ミス・D!』というCD四枚組が出て、これはおそらく40年代キーノートのシングル盤録音を全部入れた最初のものだったはずだ。

その『ファビュラス・ミス・D!』という四枚組CDが、ダイナ・ワシントンのアルバムでは、今では最高の推薦盤だね。ブルーズ〜R&B〜ジャズの中間くらいで歌う、ダイナの歌手としての特質が非常によく分るし、なにより歌が生涯で一番旨味を発揮していた時期だ。一枚目前半なんかたまらない。
ちょっと高いけれど、最高に素晴しくて、一生の宝物になるよ。ブルーズ系のリスナーの方々はこういうダイナをとっくにご存知だろうけど、ダイナをちょっとブルーズの得意な普通のジャズ歌手だと思っているジャズ・ファンの方々にも聴いてほしいな。

2016/01/28

マイルス・バンドでのマイク・スターン

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昔も、そしておそらく今でも、マイルス・ファンやジャズ・ファンからは悪口しか言われない、1981年マイルス・デイヴィスのカム・バック・バンド(から83年まで)でギターを弾いているマイク・スターン。当時は「ギタリストだけはクビをすげ替えた方がいい」とマイルスに進言する人もいたらしい。

あのカム・バック・バンドでは、1970年代からマイルスを支え続けているドラムスのアル・フォスター以外は全員当時の新人で、そのなかでは、ベースのマーカス・ミラーの評価が高かった。マーカスは数年後になって、『TUTU』や『シエスタ』や『アマンドラ』で大活躍。晩年のマイルスをも支えたのだった。

デビュー当時からマルチ楽器奏者のマーカス・ミラー。1981年のカム・バック・バンドでも、ある時のステージで突然電源関係のトラブルで電気が一切使えなくなり、修繕・回復するまで、ビル・エヴァンスのテナー・サックスを借りて、それでベース・ラインを吹いたことがあったらしい。

当時のマイルスがライヴをやっていたのは大規模な会場が多かったので、電気が一切使えない状況で、生楽器の生音だけで、果して観客に音が聞えたのかという強い疑問はあるから、ひょっとしたら眉唾なエピソードかもしれないけど、マーカスならそれが当然あり得ると納得できる人だったのは確かだ。

そうやって1981年当時から評価の高かったマーカス・ミラーに比べたら、ギタリストのマイク・スターンは、もう散々な言われようだったんだけど、僕は彼のギターが案外好きだったんだよね。生で体験したのは1981年の福岡と83年の大阪だけで、マイルスとの公式アルバムも三つしかないけどね。

参加公式アルバム三つのうち、マイク・スターンが全面的に弾いているのは、復帰二作目の二枚組ライヴ盤『ウィ・ウォント・マイルス』だけ。第一作の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』では一曲目だけ、三作目の『スター・ピープル』でもジョン・スコフィールドとのツイン・ギターで、全面的には弾いていない。

だけど復帰第一作の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の一曲目「ファット・タイム」が、マイク・スターンのギターをフィーチャーしたもので、そもそもこの曲名は、当時は知らなかったが、マイク・スターンのあだ名なのだ。当時からややポッチャリ目の体型だったしね。それが一曲目だから、印象が強かった。
『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』は、それ以外のギターは全部バリー・フィナティで、実は当時マイルスがカム・バック・バンドに誘ったのはバリー・フィナティの方だったらしい。しかしフィナティはそれ以前から活動をともにしていたクルセイダーズとのツアーの方を優先し、マイルスの方は断った。

そういうわけで「ファット・タイム」でしか弾いていないマイク・スターンにお呼びがかかったというわけなのだ。もっと以前の1955年にも、マイルスがファースト・クインテット結成の際に声を掛けたファースト・コールはソニー・ロリンズで、彼が断ったために、ジョン・コルトレーンになった。

それでもマイルスのロリンズへのこだわりは残っていて、その後も何度かスタジオ録音に参加させているし、1961〜62年にハンク・モブリーを雇っていた頃も、ライヴでモブリーがソロを吹いている最中に「ここにロリンズが現れたら即雇うのに」と耳元で囁いて、いびっていたらしい。意地悪だよねえ。

マイルスは、サイドメンへのこの種のいびりは生涯通してやっていたようだ。その本音は単なるイジメというより、当人を発奮させて、次のステージでいいプレイができるようにと思ってのことだったらしいのだが、それならもうちょっと他のやり方でもよかったんじゃないかと思ってしまう。

しかし1981年カム・バック・バンドのマイク・スターンに関しては、セカンド・チョイスではあったけれど、その後の83年までのライヴではかなり重用していて、今ではどう聴いても彼より魅力的だと思うジョン・スコフィールドが加入当初の83年も、しばらくはマイク・スターンの方を信用していた。

これは僕が体験した1983年5月の大阪公演でも同じで、ジョン・スコフィールドが一応ステージに立って弾いてはいたものの、彼が活躍する場面はあまりなく、ソロも殆どマイク・スターンの方に任せていたくらいだった。マイク・スターンが抜けてからは、スコフィールドが大活躍するようになるけどね。

先に書いた復帰一作目の『マン・ウィズ・ザ・ホーン』でも、ギター・ソロは一曲目の「ファット・タイム」でのマイク・スターンだけで、それ以外の曲でのバリー・フィナティは一切ソロを取っていない。それだけに一曲目のマイク・スターンのギターの印象が強くなって、当時も今も印象に残るのだ。

スタジオ・オリジナルではギター・ソロのない「バック・シート・ベティ」でも「アイーダ」(『ウィ・ウォント・マイルス』では「ファスト・トラック」表記)でも、ライヴではマイク・スターンが弾きまくっているし、その大活躍の様子が公式盤・ブート盤合せ、かなりいろいろと聴けて楽しめる。

フルに聴けるのが公式盤では『ウィ・ウォント・マイルス』だけだから、マイルスのバンドでのマイク・スターンの姿はこのアルバムが一番分りやすい。僕が一番感心するのは、ソロもさることながら、マイルスやビル・エヴァンスの背後で弾いている時の、ハーモナイズ、サウンドのカラーリングの仕方だね。

マイク・スターンは、マイルスも語っていたことなんだけど、ライヴで他のメンバーの出す音を非常によく聴き分ける耳を持っていて、ピッチを実に正確に把握し、それに合った音をギターで刻み、バンドのサウンドに色を付けることができる。『ウィ・ウォント・マイルス』のどの曲でもそれが分る。

ことソロのフレイジングの魅力という点では、たとえば1983年のジョン・スコフィールドとのツイン・ギター体制時にも、どっちかというとスコフィールドの方がいいように聞えて、例えば『スター・ピープル』三曲目の「スピーク」では、スターン→スコフィールドの順で二人のソロが続けて出てくるので、その魅力の違いがよく分る。
スタジオ作ということになっている『スター・ピープル』収録曲の約半分はライヴ音源で、「スピーク」も1983/2/3のヒューストンでのライヴ録音。かなり編集されて収録されているけど、そのうちスコフィールドの弾いたソロのフレーズが、後にバンドの演奏するテーマ・リフに転用されているくらいだ。

だから、ソロ・フレイジングでは1983年以後のスコフィールドに敵わないと思うマイク・スターンだけど、バックに廻った時のカッティングの魅力は、73〜75年当時のレジー・ルーカスに並ぶ存在だったとすら、僕は思っているくらいだ(褒めすぎ?)。ボスのマイルスも当時同様に評価するような言葉が残っている。

『ウィ・ウォント・マイルス』では一番出来がいいと思う二枚目A面のガーシュウィン・ナンバー「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」。この古い曲を見事に1981年当時の新しいサウンドに仕立て上げている最大の功労者が、他ならぬマイク・スターンのギターによるカラーリングだろう。

あの「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」、冒頭のベース・リフが落着いて、マイルスによるテーマ吹奏が出る直前に、ギター・アルペジオで色を付けるあたりなんか、何度聴いても溜息が出ちゃうもんね。そういう瞬間は他にもいろいろある。

伴奏にソロにと大活躍。1973〜75年頃のマイルス・バンドでは、レジー・ルーカスがカッティング、ピート・コージーがソロとほぼ完全に役割分担されていたけど、81〜83年はマイク・スターンが一人で両方こなしているわけだから凄いよなあ。彼をこんなに褒める人は、殆どいないだろうけどね。

ソロだけに限れば、『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の「ファット・タイム」と並び、『スター・ピープル』タイトル曲の長尺ブルーズでも素晴しい。当時マイルスは、このマイク・スターンのソロを “that BB thing” と呼んで激賞していた。これは褒めすぎだろうけどね。
ジョン・スコフィールドが辞めた直後の1985年10月から、ロベン・フォードが加入する86年4月までの半年ほどの間、マイク・スターンは、マイルスに呼戻されてライヴで弾いている。その頃のスタジオ録音も公式ライヴ録音もないけれど、ブートでは少し聴ける。それくらい重宝されていたんだよね。

2016/01/27

ECMはチック・コリア&ゲイリー・バートンの『イン・コンサート』を出し直せ

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チック・コリアの、彼自身名義のリーダー作では、ゲイリー・バートンとやった1979年のチューリッヒ・ライヴ『イン・コンサート』が一番いいと思っているんだけど、同じように思っているファンはどれくらいいるのだろう?このLP二枚組ライヴ盤、翌80年のリリース当時からかなり評価が高かったし、今でもそうだろう。

「彼自身名義のリーダー作では」とわざわざ書くのはなぜかと言うと、チック・コリアに関して、僕の聴いたなかでは、マイルス・バンド在籍時代、特に1969年のライヴ録音での演奏の方が、チックのたくさんのリーダー作よりはるかに素晴しいと僕は思っているからだ。全部フェンダー・ローズだけど。

例外的にフェンダー・ローズを弾いていないのが二枚だけあって、一枚は1968年の『キリマンジャロの娘』。ここではウーリッツァー(?)を弾いているが、それもエレピには違いない。もう一枚は(公式では)四枚組『ライヴ・イン・ヨーロッパ 1969』の三枚目で、アクースティック・ピアノを弾いている。

しかしその1969/11/5のストックホルム公演ファースト・セットでも、最初はフェンダー・ローズを弾き始めるんだけど、それが故障しているらしく、盛大な雑音を撒散らすので、チックも諦めてアクースティック・ピアノに切替えただけだ。セカンド・セット(その公式盤四枚組には、なぜか未収録)では直ったらしいフェンダー・ローズに戻る。

というわけだから、マイルス時代のチックが最初からアクースティック・ピアノでの演奏を試みているものは、ただの一つもないというのが正しい。そして、1969年マイルス・バンドでのチックのフェンダー・ローズは、実に過激でフリーキーで最高だ。スタジオ録音では『ビッチズ・ブルー』が一番いい。

チックのフェンダー・ローズを有名にしたのは、リターン・トゥ・フォーエヴァーらしいという話を、大学生の頃からよく見るし、まあ一般的はそうなんだろう。僕はこのバンドに関しては、昔アナログ盤では結構聴いたものの、現在CDでは最初の二枚しか買い直していない。

リターン・トゥ・フォーエヴァーは、初期よりもアル・ディ・メオラがいた頃の方が凄いんだという話もよく見るし、<フュージョン・ロック>なる造語を捻り出して、その頃のRTFを高く評価する向きもあるらしい。分らなくもない意見なんだけど、個人的にはあの頃のRTFにはもう関心がない。

リターン・トゥ・フォーエヴァー関連で、今の僕が一番いいと思っているのは、スタン・ゲッツ名義の1972年録音『キャプテン・マーヴェル』だ。これは裏RTFとでも言うべき名盤で、フェンダー・ローズのチックにスタンリー・クラークのウッド・ベースなどの編成で、チックの曲を多くやっている。

一曲目がご存知「ラ・フィエスタ」だし、「クリスタル・サイレンス」もあるし、それ以外もビリー・ストレイホーンの名曲「ラッシュ・ライフ」以外は全部チックの自作曲なのだ。つまり『キャプテン・マーヴェル』の実質的リーダーはチックであって、聴くと彼のエレピが主導権を握っているのがよく分る。

しかも、このアルバムはドラムスがトニー・ウィリアムズなのも、個人的にはポイントが非常に高い。一曲目「ラ・フィエスタ」を、このアルバムのヴァージョンと、リターン・トゥ・フォーエヴァーのヴァージョン(ドラムスはアイアート・モレイラ)で聴き比べると、いかにトニーのドラミングが凄いかがよく分る。

もちろんアイアートのドラムスがダメという意味じゃない。アメリカでは主にパーカッショニストとして有名になった彼だけど、元々ドラマーだし、いいとは思うんだけど、言っちゃあ悪いがトニー・ウィリアムズとは勝負にならないと僕は思う。また、サックスもスタン・ゲッツとジョー・ファレルとでは力量が違う。

話がかなりフェンダー・ローズ方面に逸れた。ゲイリー・バートンとの『イン・コンサート』に話を戻すと、冒頭の「セニョール・マウス」がいきなりの超絶名演で、これを聴いただけで大名盤なのだと確信できるものだった。いやあ、何回聴いても凄いね。
「セニョール・マウス」は、1972年のゲイリー・バートンとの初デュオ作品のスタジオ録音『クリスタル・サイレンス』でも一曲目だけど、全然比較にならないほど79年のチューリッヒ・ライヴの方が凄い。僕は最初に後者の方で知った曲だったので、後からスタジオ・ヴァージョンを聴いて、かなり物足りなかった。

「セニョール・マウス」は、タイトルでも分る通り、スパニッシュ・スケールを使った曲で、チックはかつてのボスであったマイルス並にスパニッシュにこだわっているような気がする。チックのスペイン風ナンバーって、いつ頃からあるんだろう?僕の知る限りでは1972年の「ラ・フィエスタ」が初。

僕は特にチックの大ファンというわけでもないので、彼の全録音を聴いてはおらず、だから僕が知らないだけで、もっと前からありそうな気はするなあ。マイルスがスパニッシュにこだわったのは元妻フランシスの影響もあったようだけど、チックの場合、元々スペイン系の血を引いているから、そのせいなのか?

マイルス・バンド時代、『ビッチズ・ブルー』に「スパニッシュ・キー」があって、一応スパニッシュ・スケールを使ってはいるものの、曲名に反して、出来上りはあまりスペイン風な感じはしない。しかしチックのエレピは、この曲がアルバム中一番いい演奏をしているね。特にキュー出しのフレーズが凄い。

チックの自作曲では、先に書いたように「ラ・フィエスタ」が僕の知る限り一番早いものだけど、一般に有名なのは、どっちかというと、リターン・トゥ・フォーエヴァー二作目『ライト・アズ・ア・フェザー』収録の「スペイン」の方だろう。「アランフェス協奏曲」のフレーズからはじまるあのヴァージョンは、あまり好きじゃないけど。

僕の聴いた少ないヴァージョンで、チックの弾く一番いい「スペイン」は、1991年マウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルでの、ゴンサロ・ルバルカバとのデュオ・ヴァージョンだ。 ゴンサロはキューバ人ピアニストだから、スペイン風は得意だしね。
このゴンサロとのデュオによる「スペイン」、僕は当時現場で聴いた。「スペイン」はアンコールみたいな形でラストに演奏されたもので、これの前にデュオ・インプロヴィゼイションをやっていた。ただそれは長いだけで、ちっとも面白くなかったので、それもYouTubeにあるかもしれないが、探していない。

ゲイリー・バートンとの『イン・コンサート』。「セニョール・マウス」同様、1972年に同デュオによる初演がある「クリスタル・サイレンス」も、このライヴ・ヴァージョンの方がドラマティックな展開になっていて、はるかにいいように聞える。その他数多く既発曲をやっているけど、全部そうだよなあ。

『イン・コンサート』はLPでは二枚組だったのが、CDでは一枚になっているけど、二曲カットされている。ゲイリー・バートンのソロ・ヴァイブとチック・コリアのソロ・ピアノの二曲だ。それらを入れて全部収録すると約83分になってしまうし、デュオ演奏でもないしというので、カットされたんだろう。

しかし、そのそれぞれのソロによる二曲、なかなか出来がいい。LPでは僕は大好きだった。CDでもどうして二枚組にして全曲オリジナル通りに収録・発売しないんだ?僕には理解できない。そのカットされた二曲が聴けるCDは、四枚組『The ECM Recordings 1972-79』だけ。

その二曲以外は全音源がCDでも既発のもので、僕も全部持っている。その二曲をCDで聴きたいがためだけにその四枚組を買ったけど、まさかECMはファンのそういう買い方を想定して、『イン・コンサート』を全曲収録の二枚組CDにしないんじゃないだろうなあ。疑っちゃうぞ。

2016/01/26

LPレコードを片面ずつ聴く習慣

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CD中心の今でもそうなのかどうか全く知らないのだが、かつてのジャズ喫茶は、LPを片面ずつ一枚かけては取替えるという店ばかりだった。そうじゃない店もあったのかもしれないが、松山時代も、また上京後数年は行っていた東京でも、僕の行った店は全部そうだったので、これが標準だったんだろう。

そういうレコードの聴き方がスタンダードで、そういうもんだとばかり思っていたので、僕は自宅でもそういう聴き方をしていて、しかもそれはジャズだけでなく、他のあらゆるレコードを片面ずつ一枚かけては取替えて聴いていた。その後ジャズ・ファン以外の友人が増えて、これは例外的なのだと初めて知った。

もちろんかつてのジャズ喫茶でも、客のリクエスト次第では必ずしもこの限りではなく、特にライヴ・アルバムで両面一続きになっている演奏や、スタジオ・アルバムでも両面通した組曲風の作りになっているものなどは、客が要求すれば両面続けて流すということはあったけれど、そういうのは例外的。

この「LPを片面ずつ一枚かけては取替えて何枚も聴く」という(おそらくは)ジャズ喫茶発祥であろうレコードの聴き方。最初にいつ頃誰がはじめたものなのか、確かめようもないと思うけど、今考えたら、これは人間の集中力が持続する限界というか生理的構造に、かなり合致したものだったのかもしれない。

CDや配信でしか音楽を聴いたことのないリスナーにはピンと来ないだろうけど、かつてのLPの片面は20分前後か、短いと15分程度、長くても30分なかった。僕の知る範囲では、LP片面で一番収録時間が長かったのは、マイルス・デイヴィスの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』一枚目A面の約32分。

だからあの「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」、これをジャズ喫茶で聴いた経験はないのだが、自宅で聴く時は、なんて長いのだ!こりゃとんでない長さだな!と、若干しんどい思いをしながら聴き通していたような記憶がある。『ゲット・アップ・ウィズ・イット』は、二枚目A面も30分以上ある。

そういう化物みたいな例外はあったけれど、まあだいたいどのLPも片面20分前後で、この20分という時間は、リスナーが集中して聴き通すのにちょうどいい長さだったと思うのだ。これ以上長いと集中力が持続せず飽きてきたりするところで終って、別のLPになるから、また新鮮な気持で聴始める。

ジャズ喫茶もいろんな客がいたわけだけど、僕みたいな貧乏学生は珈琲一杯だけで、あとは煙草を何本も吸続けて、それで何時間も店内で粘ってたくさんレコードを聴くような(店の回転率という意味からは全く迷惑な)客にとっては、こういうレコードの聴き方が一番ピッタリ来ていたのだ。

商売としては迷惑だったと思うけど、当時のジャズ喫茶の常連客はだいたいみんなそんな具合で、飲物を殆どおかわりせず、何時間も居座るような客ばかり。僕が通い始めた1979年の松山にも、おしゃべり厳禁の店の方が多かった。なかにはカウンター席でマスターや常連客と話ができる店もあったけれど。両方合せても五・六軒程度だったけどね。

ジャズ喫茶側だって、だいたい新規顧客開拓なんてのは望みが薄い類の商売だったんだから、そういう常連客に(経済的な側面以外でも)支えられていたはず。だから僕がよく行くジャズ喫茶は短命な店が殆どだった。東京でも後藤雅洋さんの四ッ谷いーぐるみたいに何十年も続いている店は、珍しいだろう。

すっかりそれに馴染んでいたので、自宅で聴くロックやブルーズやソウルやファンクなどのレコードも、そういう聴き方しかしておらず、後年そういう音楽のファンにこれを打明けると、少しビックリされた。でもロックなどの新興ジャンルの音楽でも、レコード片面ずつまとまっていることもあったけどなあ。

ロックだって最初はシングル盤中心の世界で、それはロックに限らず今でも基本そうなのだと思うけど、主に1960年代半ば以後、LP全体の流れを意識した作品創りをするロック・ミュージシャンが多くなってくると、やはり片面ずつまとめて聴けるような作り方をしてあるものが結構出てきたもんなあ。

なかにはLP片面ずつテーマのようなものを設定してある作品もあって、一例を挙げればスティーヴン・スティルスのマナサス一作目『マナサス』。これは二枚組LPだった(今ではCD一枚)のだが、二枚組の片面ずつテーマが書いてあって、それに沿って曲が収録されていた。こういうのは他にもあった。

だから、LPを片面ずつ、というか片面しか聴かないというのは、そんなに的外れな聴き方でもなかったように思うのだが、こういう聴き方はジャズ喫茶に入浸っていたジャズ・リスナーだけのものだったらしい。そういう僕も、マイルスの『アガルタ』と『パンゲア』だけは、両面通して聴いていたけれど。

だって『アガルタ』と『パンゲア』は、ノーカットで1975年大阪でのライヴを収録したもので、演奏は両面一続きのものだったから、この二つだけは通して聴きたかったのだ。LPレコードでは、一続きの演奏がA面終了時にフェイド・アウトして、B面頭で同じ箇所から再開するという具合になっていた。

だからA面が終る時にフェイド・アウトするのを聴きながら、「ああ〜、これがちゃんとライヴ現場そのまんま繋がっていたら、どれほど嬉しいことか!」と思いながら、針を上げレコードをひっくり返していた。だからあの二つは、両面繋がるようにして片面60分のカセットテープにダビングしたのを聴いていたくらいだった。

アナログ時代の作品はアナログ盤で聴くのが一番いいんだろうと確信しながら、それでも諸事情からアナログ・レコード・プレイヤーを処分してしまったので、その後はCDでしか聴かないのだが、アナログ時代の作品でも、『アガルタ』『パンゲア』だけは、CDになって本当によかったと心の底から思う。

書いたようにアナログでは、一続きの演奏がLP両面に分断されていた『アガルタ』『パンゲア』。CDリイシューで初めてそれが現場での演奏通りに復元されて、遅れてきた僕らみたいなマイルス・ファンでも、当時の雰囲気を味わえるようになったんだもん。あの二つだけはLPではもう聴きたくない。

マイルスの『アガルタ』『パンゲア』だけなく、一昨年だったかCDでフル・リイシューされたオーティス・クレイ初来日公演を収録した二枚組『ライヴ!』などもそうだし、その他ジャズでもソウルでもロックでもファンクでも、ライヴ・アルバムではそういうのが実に多いよね。これこそCD最大の利点。

そういう、いわば例外的なアナログ時代の音楽作品もあるけれど、一般的にはアナログ盤の片面20分前後という長さが、やはりしっくり来るよなあ。両面通して聴いたって40分程度だから、充分集中力が続く。最近の新作CDで70分以上もあったりするのは、よほどの良作じゃないと、もうかなりしんどい。

もちろんそれは新作の場合であって、SP時代の音源などを復刻したCDの場合は、収録時間ギリギリいっぱいまで詰込んでくれてOKだ。そういうのはいわばカタログ的な意味合いもあるし、全部通して聴くというより、傑作選としてピックアップしながら聴けるわけだし、SP時代は一曲単位だったんだし。

むろん78分もずっと続けて集中して聴くのは、年齢的にも厳しいものがあるし、若くても人間の生理としては不可能に近いので、SP音源やその他過去音源の集大成みたいな長時間収録のものは、正直言うと自室で流しっぱなしにして、別のことをしているという場合が多いのだ。耳は一応向いてはいるけど。

以前ベイルートという若いミュージシャンのデビュー・アルバム『グラーグ・オーケスター』が出た時、かなり最近のCD時代の新作なのに38分しか入ってなくて、なんて短いんだと最初聴く前は思っていたんだけど、もう今はこれくらいがちょうどいい。ベイルートはだいたいどの作品もそんな感じだよね。

2016/01/25

ザッパのシリアス・ミュージックとコマーシャル・ミュージック

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フランク・ザッパについてはよく分っていない僕だけど、それでも大好きな音楽家であることには間違いなく、公式発売されたCDアルバムは全部持っていて聴いているし、中にはかなり好きなものが何枚もある。ザッパのアルバムは、アナログ盤では全く聴いたことがなく、CDで初めて買ったんだけど。

ザッパに関しては熱狂的なファンが大勢いるから、素人の僕がザッパについて語らない方がいいようには思うけど、そこはなんとか許してもらって、ちょっと喋らせてほしい。なお、ザッパをロック・ミュージシャンではなく「音楽家」と表現するのには理由がある。

というのも、ムチャクチャたくさんあるザッパの公式盤(コンピレイション盤などを除くオリジナル・アルバムは、死後リリースのものも含めて、現在全101枚)のなかで、大好きでよく聴くのが、コンピレション盤の『ストリクトリー・ジェンティール』だったりするからだ。副題が『クラシカル・イントロダクション』。

この副題通り、いわゆる「シリアス・ミュージック」、つまり現代音楽風な作品ばかり集めた編集盤なのだ。これがかなり好き。ご存知の通り、ザッパは現代音楽作品を何枚も作っている。だけど、『ストリクトリー・ジェンティール』は、そういう作品だけから選んだものではない。

シリアスに対して「コマーシャル」な作品、つまり一般にはロック・アルバムとされているものからも結構チョイスされて、この編集盤には入っているのだ。『ホット・ラッツ』『スリープ・ダート』『バーント・ウィーニー・サンドイッチ』『ジャズ・フロム・ヘル』『ザ・ロスト・エピソード』などから。

それらロック・アルバムからチョイスされた曲が、中間的な『アンクル・ミート』他、『ザ・イエロー・シャーク』『ザ・パーフェクト・ストレンジャー』『オーケストラル・フェイヴァリッツ』『ロンドン・シンフォニー・オーケストラ』などから選んだ曲と一緒くたに並んでいて、それで全くなんの違和感もない。

例えば、五曲目の「リトル・アンブレラズ」は『ホット・ラッツ』からの曲で、ドラムスも入るジャズ・ロックなんだけど、それが『ザ・イエロー・シャーク』からの選曲である四曲目の「アウトレイジ・アット・ヴァルデス」(大好きな曲!)に続いても、全くなんでもなく普通に違和感なく聴ける。

まあそれでもヴァチュオーゾであるザッパ自身のエレキ・ギターが鳴り響く曲は、さすがに殆ど入っていないので、やはりその辺はロック・アルバムからのチョイスとはいえ、ドラムスが入ってはいても、ピアノや管楽器などが中心の曲ではあるけれど。しかしシリアスとコマーシャルの区別はないよね。

この事実は、ザッパ・ミュージックの本質を少し物語っているのではないだろうか?彼の中では、ロックも現代音楽も同一基軸上に存在する音楽で、そんなに本質的な区別をしていなかったのかもしれない。『ストリクトリー・ジェンティール』は、通して聴いて、スーッと自然に楽しめるアルバムだもんね。

僕は西洋のクラシック音楽は、ポピュラー音楽に与えた影響関係などから聴くものが多く、そんなに積極的ではないんだけど、デューク・エリントンやマイルス・デイヴィスやザッパやその他大好きなミュージシャンがしばしば言及するクラシックや現代音楽の作曲家の作品については、そこから興味を持ってまあまあ聴いてはいる。

一体全体現代音楽界で、作曲家フランク・ザッパがどう評価されているのかは、完全なる門外漢である僕にはサッパリ分りようもない。先日亡くなったピエール・ブーレーズが指揮をしたザッパの作品『ザ・パーフェクト・ストレンジャー』は聴かれているのだろうか?少なくともロックのフィールドから出発した作曲家の中では、おそらく間違いなく最高の存在なんじゃないだろうか?ジャズ界のデューク・エリントンと並ぶ存在じゃないかなあ。

ザッパとエリントンといえば、熱心なザッパ・ファンの中には、熱心なエリントン・ファンでもあるという人が少なくないらしい。これは僕にはよく分る。音世界の濃密さという意味では、ジャズ界のエリントンとロック界のザッパには共通するものがある。ほぼ自作曲ばかり自分のバンドでやったという点も同じ。

西洋伝統音楽や現代音楽のことが分らないので、エリントンやザッパに比すべき存在が、クラシック界では誰になるのかは全く分らない。エリントンもザッパも、コンポーザーとしてのはっきりとした自覚的意識を持っていた。自分のバンドは自作曲を演奏する「容れ物」という認識だった点も共通する。

こういう具合に書いてくると、フランク・ザッパの「コマーシャル」なロック・アルバムはあまり聴いていないように思われそうだけど、熱心なジャズ・ロック・ファンである僕にとっては、最初に好きになったザッパは『ホット・ラッツ』『グランド・ワズー』『ワン・サイズ・フィッツ・オール』などだ。

1972年の『グランド・ワズー』はビッグ・バンド作品だから、これでビッグ・バンドの音が好きになって、ジャズのビッグ・バンド作品に入門したというザッパ・ファン、ロック・ファンは多いらしい。僕はその逆で、ジャズ系ビッグ・バンドが大好きだから、『グランド・ワズー』も好きになった。

『グランド・ワズー』への道程でもあるらしい1969年の『ホット・ラッツ』は、とにかく一曲目の「ピーチズ・エン・レガリア」がムチャクチャカッコよくて、多くのザッパ・ファン同様僕もこれがたまらなく大好き。このオリジナル・ヴァージョンがたったの四分もないというのだけが残念。

『ホット・ラッツ』には、キャプテン・ビーフハートが歌う「ウィリー・ザ・ピンプ」があって、ビーフハートはこれで名前を知った。1975年の『ボンゴ・フューリー』で全面的に共演しているが、あのアルバムはどうもザッパとビーフハートがイマイチ噛合っていないような気がするけど、どうだろう?

『ボンゴ・フューリー』よりは、ザッパがプロデュースしたビーフハートのアルバム『トラウト・マスク・レプリカ』とかが、どう考えてもアルバムの出来もはるかにいいし、ザッパ自身の演奏はないけれど、プロデュース・ワークでの「共演」という点でも、輝いているように思えるのは僕だけではないはず。

ザッパの盟友ビーフハートについては、実はザッパ本人よりも個人的には好きで、多くのアルバムが愛聴盤なんだけど、ビーフハートの話はまた別の機会にすることにしよう。『ホット・ラッツ』の「ウィリー・ザ・ピンプ」ではビーフハートのヴォーカルは短くて、それよりザッパのギターが聴き物。

1975年『ワン・サイズ・フィッツ・オール』一曲目の「インカ・ローズ」中盤でのギター・ソロなど、僕が最初に好きになったザッパのギター演奏で、もちろん今でも大好き。79年『ジョーのガレージ 』の「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」は、ロック界最高のギター演奏じゃないかなあ。

何度も書いているけど、エレキ・ギターに関しては、ファズが深く効いていればいるほど、歪んでいればいるほど「美しい」と感じる感性の持主である僕だけど、こと「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」だけは例外で、クリーン・トーンでこんなに美しいギター演奏はこの世にないと思うくらい。

『ジョーのガレージ』でのこの曲に至るまでの劇展開を踏まえて聴くと、「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」は涙なくしては聴けないね。もっとも僕がこの曲を初めて聴いたのは、死後リリースの編集盤『フランク・ザッパ・プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』でだったけど。

この『プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』には、「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」のオリジナルとライヴ・ヴァージョンが収録されていて、どっちももちろん『ジョーのガレージ』で聴けるような文脈は存在しない。それでも一回聴いて大感動したから、やはりこれは最高だよねえ。

コンポーザーとしてのザッパの最高傑作は1993年の現代音楽作品『ザ・イエロー・シャーク』じゃないかと思っているんだけど、いちロック・ギタリストとしては、どう考えても『ジョーのガレージ』の「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」だね。

2016/01/24

ミンガスの最高傑作は『クンビア&ジャズ・フュージョン』

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チャールズ・ミンガス自身が「最高傑作」("the best record I ever made")と1962年に語った『メキシコの想い出』("Tijuana Moods")。2014年に二枚組の『完全盤』なるものが出ていることに、なんと今年ようやく気が付いて(遅すぎ!)、買って聴いてみた。

もっとも、2014年にリリースされているのを今年発見したというのは日本盤で、調べてみたら、アメリカ本国ではレガシーが2010年に同じ内容の二枚組をリリースしていたようだ。僕は全く気付いていなかった。だいたい僕はマイルス・デイヴィス以外の音楽家のリイシュー情報には、かなり疎い。

ミンガス自身がそう言っているせいもあってか、これを彼の最高作と位置付ける人は昔からたくさんいたようだ。でもこれ、大学生の頃に初めて聴いた時に感じた強烈なラテン音楽色は、今聴くと、なぜだかそれほどには感じない。こういうアルバム・タイトルだし、ラテン音楽指向のアルバムなんだろうけど。

改めて聴直してみると、ラテン色を感じるのは二曲目の「イザベルズ・テーブル・ダンス」くらいで、それも昔は完全にフラメンコ音楽だと思っていたのに、今聴くと、若干そんな雰囲気があるなと思う程度。カスタネットが入っていたり、フラメンコ・シンガーっぽい女性の歌が入っていたりするけれど。

このアルバムを録音した1957年のミンガスが、どうしてラテン音楽風のアルバムを創ろうと思ったのか全く知らないし、調べてもいない。ミンガスには同じ57年にアトランティックに吹込んだ『道化師』の一曲目に「ハイチ人の戦闘の歌」という曲がある。もっともこれはハイチという言葉があるけど、音楽はハイチ風では全くない。

何度か書いているように、元々ジャズとラテン音楽(というか中米カリブ海音楽)は、発生当時から実に密接な関係があるわけだし、1957年のミンガス以前から、ジャズマンがラテン音楽風の曲をやったりするのは、別に珍しくもなんともないから、特段これという理由もなく、なんとなくやってみたんだろう。

『メキシコの想い出』の収録曲の中でラテン風味を感じるのは、さっき書いたように「イザベルズ・テーブル・ダンス」だけで、これ以外はスケールも全然スパニッシュではないんだけど、今聴いて、ラテン風云々を抜きにして一番いいなと思うのは、五曲目の「フラミンゴ」だ。これはミンガスの曲ではない。

「フラミンゴ」の作曲者はルーマニア生れのテッド・グロウヤで、初演は1940年のデューク・エリントン楽団のヴィクター録音。随分後にハーブ・アルパート&ティファナ・ブラスも録音している。エリントン・ヴァージョンはヴォーカル入り。僕はミンガスのが一番好きだなあ。
冒頭から、終始メインのメロディを吹くハーマン・ミュート・トランペット(クラレンス・ショウ)が、たまらなく美しいね。複数の管楽器が絡んできて、ミンガス独自の濃厚なアンサンブルになる。アレンジも最高だよね。『完全盤』には、三分以上長い別テイクも収録されている。

さてミンガスのラテン音楽風味の作品というと、僕は今聴くとあまりラテン的とも感じられない『メキシコの想い出』よりも、断然1977年録音、1978年リリースの『クンビア&ジャズ・フュージョン』だ。これは最初に聴いた時からそうだし、今聴き返しても完全にラテン音楽だとしか思えないような内容だ。A面だけだけどね。

実を言うと、僕が初めて買ったミンガスのレコードが、その『クンビア&ジャズ・フュージョン』だった。僕がジャズを聴始めたのが1979年だったから、78年リリースのこのアルバムは、当時の最新作のような感じで買ったのに違いない。最新作だから、当然名盤ガイドの類には載っていなかったはずだ。

その頃の名盤ガイドでは、『直立猿人』とか『道化師』とか『ミンガス・アー・アム』とか『オー・ヤー』などが挙っていて、ちょっと変り種では、エリントンがリーダーのトリオ作品『マニー・ジャングル』が載っているような感じだった。でもそういうものには全く手が伸びなかった。

前にも書いたけど、僕がジャズを聴始めたきっかけが植草甚一さんのエッセイを読んだからで、その中で植草さんはミンガスの「ハイチ人の戦闘の歌」(『道化師』)を、他の二つとともに、ジャズ入門者用に推薦していた。だから僕は『道化師』を買いにレコード屋に行ったけど、ジャケットが怖くて買わなかった。

この話は何度もしたから、くどいね。それでミンガスを買うのは少し遅れたのだった。『クンビア&ジャズ・フュージョン』は、おそらくレコード屋店頭で見てのジャケ買いだったのかもしれないなあ。クンビアというコロンビア音楽のことは全くの初耳で、聴いてもクンビアなのか分るわけがなかった。

アルバムA面いっぱいを占めるのタイトル曲(B面は『トード・モード』という映画のための音楽で、何の関連もない)と、コロンビア音楽クンビアとの関係については、どなたかクンビアに詳しい方にお任せするとして、一曲丸ごとYouTubeにあるから貼っておこう。
ミンガスをあまりお聴きでない方も、あるいはラテン音楽に縁の薄い方でも、この音源をお聴きになれば、一聴普通のいわゆるモダン・ジャズのムードとはかなり異なる強いラテン風味を感じることができるはず。最初に聴いた時から、僕はこの音楽の虜になってしまって、そのまま30年以上経っている。

最初小鳥のさえずりのような音から静かにはじまって、徐々にヴォリュームが上がっていき、ミンガスのベースが入ってくる辺りから本格的に音楽がはじまる。ホーン・セクションのラテンなアンサンブルがたまらなく気持いいね。ホーン・アンサンブルには、当時流行していたサルサに通じるものすら感じる。

ラテン・パーカッションも、コンガ奏者が四人、それ以外のパーカッション奏者が一人と、大勢参加していて、中盤でも、ダニー・リッチモンドのドラムスとそれらパーカッション群だけのやり取りを聴けるパートがある。これにもしティンバレスでも入っていれば、サルサ風になるね。

『クンビア&ジャズ・フュージョン』は、ビッグ・バンド作品で、ミンガスは以前からわりとビッグ・バンド作品があるよね。彼はスモール・コンボでもビッグ・バンドでも真価を発揮する音楽家だ。僕はジャズではどっちかというとコンボよりビッグ・バンドのサウンドが好きだから、その意味でも好みだった。

ミンガスの最高傑作は、この『クンビア&ジャズ・フュージョン』だと、大学生の頃から現在でもそう考えている。このアルバムの日本盤LPライナーノーツ担当だった油井正一さんが、その中でそう言っていた影響もかなりあるのは確かなことだけど、どう聴いても推薦盤として挙げられる『直立猿人』とかよりいいんじゃないの?

油井さんは自著の中で「ジャズはラテン音楽の一種」という説を展開していたから、ライナーノーツというレコードの附属品でなくとも、おそらく『クンビア&ジャズ・フュージョン』を推していたはずだ。僕もラテン音楽をいろいろ聴くようになってからの現在の方が、このアルバムの面白さが一層分るようになった。

2016/01/23

サリフとユッスーの時代は終っている?

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1980年代末頃から2005年頃までは、あんなに夢中で聴いていたマリのサリフ・ケイタとセネガルのユッスー・ンドゥールだけど、その後はあまり聴かなくなって、最近は昔のCDを繰返し聴くだけで、新作については一応買ってはいるものの、あまりいいとも思わない。

サリフは1987年の『ソロ』が衝撃で、こんな鋼の声の持主がいるんだなと感心してしまった。もっとも、僕がこのアルバムを聴いたのは、89年頃だったように思う。ユッスーは90年の『セット』から。それがサリフにしろユッスーにしろ、聴いた初めてだった。

だから二人ともだいたい同じ頃に知って聴いてハマったので、僕の中では印象が重なっているというか、国は違うけれど、同じブラック・アフリカのポップ・スターとして、同時に聴き進めていたのだった。1990年代には、発売されるアルバムを一つ一つ期待しながら買っていたし、ライヴにも足を運んで、大いに感銘を受けた。

僕は基本的にはレコードやCDで音楽を聴くタイプで(まあ日本のジャズ・リスナーの多くはそうだけど思うけど)、ライヴにはそう頻繁には行かない方だ。それでも、サリフは2000年の東京ブルーノート公演、ユッスーは1991年の横浜WOMADと99年の東京ブルーノートで、ライヴを聴いた。

全部素晴しかった。ユッスーは1991年の方が彼の全盛時代で、内容的にもそちらの方がよかったように思うけど、99年の東京ブルーノートは、眼前1メートルくらいのユッスーの生唾が飛んできそうな至近距離で観たので、そっちの方が視覚的な印象は強く残っている。その時は2セットとも聴いた。

1999年というと、僕はネット活動ではパソコン通信を中心にやっていた頃で、そのパソコン通信Nifty-Serveの音楽会議室で、ユッスーの話もしていた。東京ブルーノートでは、一部の公演が終って、引続き二部の公演のため会場の隅で待機していたのだが、同様の女性が二人いて、仲良くなった。

そしてその女性ファン二人とユッスーの話で盛上がったのだったが、メール・アドレスは交換したものの、それ以外では僕は主にNifty-Serve内に棲息していたものだから、当時のパソコン通信は会員にならないと参加できない仕組で、会員ではないその女性二人に会員になってくれとも言いにくかった。

そういうことが、一種「閉じられた」世界であるパソコン通信の世界を出ることを考えはじめたきっかけになったのだった。そして、そのパソコン通信の音楽会議室参加メンバーをほぼそっくり引継いで、メーリング・リストをはじめることになる。それなら、メール・アドレスさえ持っていれば、誰でも気軽に参加できる。

サリフの方は一回だけ生で聴いた2000年東京ブルーノート公演に、当時サッカー日本代表監督だったフランス人のフィリップ・トルシエが来ていて、その年はサッカー・アジア杯レバノン大会とシドニー五輪があった(トルシエは五輪監督も兼任していた)ので、その件で少し挨拶させていただいた。

トルシエと同じ日に東京ブルーノートのサリフの公演に来たのはもちろん偶然だけど、トルシエはアフリカ諸国のクラブや代表監督を歴任し、その時代に手腕を発揮して評価を上げ<白い呪術師>という異名もあったほどの人だったから、マリのサリフを聴きに来るのは、まったくおかしくもない人だ。

1991年と99年のユッスーはどちらも同じ音楽内容だったけど、2000年のサリフは僕が一番好きな87年の『ソロ』のような音楽ではなく、既にアクースティック路線に転向していたので、ライヴでもそういう音楽だった。サリフ自身がアクースティック・ギターを弾く曲もあった。

アルバムでいうと、2002年の『モフー』あたりが近い感触だった。サリフのそういうアクースティック路線も、当時から一般に高く評価されていたように思う。僕は1987年の『ソロ』の衝撃が忘れられないので、ああいう強靱な声を聴きたい気もして、柔らかい感じは物足りない感じがちょっぴりしていた。

サリフは一作だけ、ウェザー・リポートで有名なジョー・ザヴィヌルと組んだアルバムがある。1991年の『アーメン』だ。僕はあれも好きだった。どういう経緯でザヴィヌルと組むことになったのかよく知らないけど、ザヴィヌルは第三世界の音楽に非常に強い関心を抱いていた人だった。

あれはまだアクースティック路線転向前で、まだ特有の強靱な声が残っていた頃だ。ザヴィヌルのプロデュース・ワークをどう捉えるかは評価が分れるところだろう。既にお分りの通り、僕はザヴィヌルを高く評価する人間なので、『アーメン』もわりと好き。

ザヴィヌルは1996年の自身のアルバム『マイ・ピープル』でも、サリフをゲスト・ヴォーカリストに迎えて、「ビモヤ」一曲だけだけど、共演している。ザヴィヌルなんて聴かない、ましてやウェザー・リポート解散後のソロ・アルバムなんて、というファンも多いみたいだけどね。

『マイ・ピープル』の「ビモヤ」を聴くと、やはりサリフのヴォーカルの存在感が際立っているので、ザヴィヌルがどうこうというより、サリフの音楽として聴ける。このアルバムには、カメルーンのベーシスト、リシャール・ボナや、その他アンゴラやトルコなどの音楽家も参加している。

僕がその後大活躍することになるリシャール・ボナを初めて知ったのが、この1996年の『マイ・ピープル』だったのだ。ボナはその後ザヴィヌル・シンディケートで活動したし、パット・メセニーのアルバムやツアーに参加した時期もあって、ジャズ関係のリスナーにも名前がよく知られているはずだ。

ザヴィヌルは1998年のライヴ盤『ワールド・ツアー』(これもベースが一部リシャール・ボナ)で、「ビモヤ」を実演している。それにはもちろんサリフは参加しておらず、ザヴィヌル自身がヴォコーダーを使って歌っているのだ。ヴォコーダーはウェザー・リポート時代から少し使っている。

なんかザヴィヌルの話みたいになってしまったが、あくまでサリフ関連のつもり。さて、ユッスーの方はといえば、2002年の『ナッシングズ・イン・ヴェイン』が、やはりアクースティック路線のアルバムだった。個人的にはこれがユッスー最新の傑作だったように思っている。

なにかの賞をもらったらしい2004年の『エジプト』も、個人的にはあまり好きになれなかった。アラブ音楽大好き人間の僕でもそうなんだから、そうじゃないアフリカ音楽愛好者の耳には、どう聞えているのだろう?イマイチ声が出なくなっているように思うんだけどなあ。

結局今でも聴くユッスーは、1994年の『ザ・ガイド』まで。特にその前の92年『アイズ・オープン』がかなり好きで(苦手で最後まで聴き通せないという人もいるみたいだけど)、最高傑作と意見が一致している90年の『セット』よりも、個人的にはよく聴くくらいなんだなあ。

サリフにしたって、2002年の『モフー』までか、甘く見ても2005年の『ムベンバ』までだろう。これ以後は、2009年の『ラ・ディフェランス』も2012年の『タレ』も、良さが分らなかった。アフロ・ポップの世界で、サリフとユッスーの時代は終っているのだろうか?

もちろんサリフもユッスーも現役で活躍している音楽家だし、今でも熱心に追掛けているファンも多いわけだから、軽々しく「終っているのだろうか?」なんて口走るべきではないだろう。それでもこの二人は、なんだか「現役感」みたいなものが少し薄れてきているように、個人的には感じているのも確かだ。今後もアルバムが出れば、買い続けるだろうけどれね。

2016/01/22

風に吹かれてサム・クック

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今日1/22は、サム・クックの誕生日なんだそうだ。

特に黒人向けに書いて提供した曲というわけではない、普通の白人シンガー・ソングライターが書き自分で歌った曲で、一番黒人歌手にカヴァーされている曲ってなんだろう?いろいろとあるだろうけど、ビートルズの曲群と並んで、ボブ・ディランの「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」もその一つだろう。

ビートルズの曲が、黒人、白人、あるいは何人問わず、世界中でカヴァーされまくっているのと、ディランの「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」が黒人歌手にカヴァーされるのとは、もちろん意味合いが全然違う。ビートルズの場合は、世界中に流布しているし、メロディがキレイだとか、そんな理由だろう。

ビートルズ同様、多くの曲がカヴァーされまくっているバート・バカラック・ナンバーなどは、彼は自分でも歌うけれど、まあほぼ専業のソングライターで、しかも彼の場合は、最初から黒人歌手が歌うことを想定して書いた曲もあるから、ちょっと同列には論じられない。

ボブ・ディランの「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」が、ピーター、ポール&メアリーやジョーン・バエズはじめ多くの白人歌手にカヴァーされているだけでなく、多くの黒人ソウル歌手にも歌われているというのは、これはもうお分りの通り、反戦・平和・自由・解放を歌う歌詞のメッセージ性ゆえだ。

なんどか書いているように、歌詞の意味やメッセージ性の強いというかそれが曲のメインであるようなものは、僕は昔からあまり好きではなくちょっと遠慮したい気分で、積極的には聴いていない。1964年『アナザー・サイド・オヴ・ボブ・ディラン』までのディランがあまり好きでないのは、そのせいもある。

「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」の場合は、まさにそういういわゆる<プロテスト・ソング>の代表曲で、ボブ・ディランのいわゆるフォーク時代最大の有名曲だから、個人的には長年避けて通っていたような感じだった。それがちょっと変ったのは、サム・クックがこれを歌っているのを聴いてからのこと。

サム・クックは「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」を、1964年のライヴ・アルバム『アット・ザ・コパ』で取上げている。つまりボブ・ディランの二作目のアルバム『ザ・フリーウィーリン』に収録されたり、シングル盤でリリースされた翌年のことだ。この曲をサムがカヴァーした理由は明白だろう。

サム・クックは黒人の人権意識にも非常に敏感な人で、1964年といえばマーティン・ルーサー・キングがノーベル平和賞を受賞した年で、当時アメリカでは公民権運動が高まりを見せていた。サムのようなソウル歌手だけではなく、黒人ジャズマンでも、あるいは白人でも、多くの人が敏感に反応していた。

1964年といえば、当のボブ・ディランはエレキ・ギターを手にして、ポール・バターフィールドらをバック・バンドに起用して、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルのステージで電化路線「転向」を披露して、従来からのファンを驚かせた年。あの時のドラマーは黒人であるサム・レイだったのだ。

ということは、それまで社会派的なフォーク系(この認識は少し間違っていると僕は思っている)のシンガー・ソングライターだったアクースティックなボブ・ディランの支持者の多くが、あの1964年ニューポートのステージにブーイングを浴びせたというのは、運動の趣旨とは完全に矛盾していたわけだ。

だって、1960年代の社会派フォーク・シンガーであるボブ・ディランやピート・シーガーやジョーン・バエズや、その他の白人音楽家達と、彼らが投げかけるメッセージの基本は、「自由・解放」ということであって、つまり黒人意識の高揚・地位向上・社会的解放という意味合いだって含まれていたから。

それなのに、1964年ニューポートでのディラン達に批難のブーイングを浴びせたとなると、これは同時にステージで叩いていた黒人ドラマーにもブーイングを浴びせたということであって、そういうファン達はいかに自分達のその行為が自己矛盾しているか、全く気付いていなかったということになる。

「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」だって、反戦・平和を歌う歌詞内容だけど、ちょっと視点を変えて解釈し直せば、それは黒人解放のメッセージにもなり得る。というか、あらゆる人種・あらゆる時代に通用する普遍的な自由・人間解放への願いを込めた歌だろう。サム・クックが取上げたのは当然だ。

『アット・ザ・コパ』でのサム・クック・ヴァージョンは、当然バンドの伴奏が入っているけれど、ブラックなソウル・ナンバーというより、もっと普遍的というか音楽的な人種はあまり関係ないようなフィーリングだ。まあ『コパ』というライヴ・アルバムは、『ハーレム・スクエア』に比べれば、全体的にそうだ。
でも「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」を、黒人ソウル歌手の創始者サム・クックがカヴァーしたという意味は非常に大きい。やはりサムはこの歌のなかに、間違いなく人種意識の啓発という意味合いを読取って解釈し歌っている。そして、サムはこの曲へのアンサー・ソングを同年に創っている。

それがみなさんご存知のサム・クックの代表曲「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」だ。この1964年に書かれ録音されたサムの自作曲のなかでの最高傑作は、もちろん当時の公民権運動の高まりを受けてのもので、同年の発表直後から当時の黒人人権運動のアンセムのようなものになって、その後も歌い継がれた。

そんなサム・クックの自作曲「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」が、白人シンガー・ソングライター、ボブ・ディランのフォーク時代の曲「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」に刺激され、それへのアンサー・ソングのようなものとして創られたというのは、なんとも興味深いものではないだろうか。

フォーク時代のと書いたけれど、ボブ・ディランは、電化ロック路線「転向」後も、ライヴで頻繁に取上げて歌っている。ザ・バンドとの1974年『ビフォー・ザ・フロッド』や、翌75年『ブートレグ・シリーズ Vol. 5:ザ・ローリング・サンダー・レヴュー』にも収録されている。

その二つのうちでは、後者1975年ローリング・サンダー・レヴューのヴァージョンは、アクースティック・ギター弾き語りでジョーン・バエズとデュエットしているもので、十年以上前に戻ったようなフィーリングだけど、ザ・バンドとやった74年ヴァージョンは、バンドを従えた電化路線のサウンドだ。

ザ・バンドと一緒にやった電化サウンドでの「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」といえば、一昨年リリースされた『ザ・ベースメント・テープス・コンプリート』に、それが入っている。当然1967年の録音で、完全にロック・ナンバーになっているんだよね。スタジオ録音ではこれが一番好き。

また1985年の例のライヴ・エイド・イヴェントで、ボブ・ディランは、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロニー・ウッドの二人を従えて、「ブロウイン・イン・ザ・ウインド」をやっている。もっともそこでも三人ともアクースティック・ギターを弾いていて、それに乗せてディランが歌う。

ロック・ミュージシャンによる「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」カヴァーで、個人的に一番好きなのは、ニール・ヤング & クレイジー・ホースによる1991年のライヴ・アルバム『ウェルド』収録のヴァージョン。ファズの効いたエレキ・ギターのサウンドに乗せて、ニールとバンドの連中がハーモニーを付けて歌っている。
黒人ソウル歌手で「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」を歌っているのは、サム・クックだけではない。O.V. ライトも1969年の『ニュークリアズ・オヴ・ソウル』一曲目でこれをやっている。サムのよりもっとブラックなフィーリングに満ちたディープ・ソウル・ナンバーになっていて、面白い。
スティーヴィー・ワンダーもカヴァーしているよね。1966年の『アップ・タイト』収録のスタジオ録音もいいけれど、もっと面白いと思うのが92年のボブ・ディラン30周年記念コンサートでのライヴ・ヴァージョン。ピアノ弾き語り中心で進むなと思って聴いていると、お得意のハーモニカも出てくる。

2016/01/21

リー・ワイリーとボビー・ハケット

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最初に聴いた時から現在に至るまで大好きなリー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』。大学生の頃は大変な愛聴盤だった。現在では聴く回数がかなり減っているけど、それでもたまに聴くと、やっぱりいいと思うなあ。昔はこういう音楽も好きだった。

シンガー・ソングライターという言葉もまだなかった時代、その走りみたいな存在だったマット・デニスの『プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』とかも大好きだったなあ。タイトル通り、自作曲だけをピアノを弾きながら歌っているライヴ盤。マット・デニスの曲はフランク・シナトラなども歌っているし、マイルス・デイヴィスだって録音している。

リー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』とかマット・デニスの『プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』とか、今ではこういう甘くて(大甘?)ソフトな感じのジャズ系ポップスからは、ちょっとだけ距離を置くようになってきているんだけど、上質なポップ・ミュージックだから、好きなんだ。

リー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』は、最初は10インチ盤二枚か三枚かでリリースされたものらしいが、当然ながら僕はそれは写真でしか見たことがない。コロンビアから12インチLPに全曲まとめられてリリースされたのが何年頃のことか、実はよく知らない。録音は1950年頃らしいが。

とにかく、その12インチのコロンビア盤LPのジャケットがとてもステキで、中身の音楽もよく表現しているように思うんだなあ。実を言うと最初にこれを聴いた時に、リー・ワイリーのヴォーカルもさることながら、気に入ったのはボビー・ハケットのコルネットとジョー・ブシュキンのピアノ伴奏だった。

ボビー・ハケットもジョー・ブシュキンも、おそらくこの『ナイト・イン・マンハッタン』で初めて名前も演奏も知ったのだったと思う。特にややかすれるようなというかハスキーなというか、そんな音色のボビー・ハケットのコルネットがなんとも言えずチャーミングだ。今聴いても、素晴しい伴奏ぶり。

特にアルバム二曲目の「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」と続く三曲目の「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」での、ボビー・ハケットのコルネットによる前奏や間奏や歌に絡むオブリガート(助奏)には聴惚れた。白人ジャズ・コルネット奏者では、ビックス・バイダーベックと並び現在でも一番好きな人で、ファンもかなり多いらしい。

「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」https://www.youtube.com/watch?v=39xXp4ClVpg
「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」https://www.youtube.com/watch?v=PG78Yfnzczo

これらの曲では、バックにストリングスも入っている。誰がアレンジしたのか分らないんだなあ。ちょっと見てみると、「ジョー・ブシュキン&ヒズ・スウィンギング・ストリングス」と書いてあるから、ジョー・ブシュキンのバンドなのか?彼がストリングス・バンドを率いたという話は聞かないんだけど。

また「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」など数曲では、ピアノ伴奏だけで歌っていて、それらのピアノはジョー・ブシュキンではなく、サイ・ウォルターやスタン・フリーマンらしい。僕にはどう聴いてもストリングスが入ってボビー・ハケットが吹く曲の方が素晴しく聞えるけど、ピアノだけの伴奏の曲も悪くない。

ピアノ伴奏だけで歌うリー・ワイリーといえば、(エラ・フィッツジェラルドの伴奏もやっている)エリス・ラーキンスのピアノでやったアルバムがなにか一枚あったはずで、大学生の頃はそれもまあまあ聴いていたんだけど、今ではそれはもう全く聴かないし、CDで買ってすらもおらず、タイトルも忘れた。

リー・ワイリーという歌手は、1920年代からポール・ホワイトマン楽団やカサ・ロマ楽団で歌っていた人。だから、戦後『ナイト・イン・マンハッタン』を録音した頃には、結構キャリアのある歌手だった。このアルバムは、リー・ワイリーの戦後初の録音で、LPアルバムしても初らしい。

この時代のジャズやジャズ系ポップ歌手は、ほぼ例外なくビッグ・バンドの専属歌手としてキャリアをスタートさせている。それは歌手に限らず、ジャズのどんな楽器奏者だって、ある時期まではほぼ全員ビッグ・バンド在籍経験がある。以前も書いたね。

フランク・シナトラだって、独立前はトミー・ドーシー楽団の専属歌手として活躍した(1939〜42年)。もっともシナトラの場合は、トミー・ドーシー楽団加入前のキャリアが数年あって、スリー・フラッシズ(後に改名してホボケン・フォー)として35年にプロ歌手としてスタートしてはいるけれど。

シナトラはともかくリー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』。前述の通り、ストリングスとジョー・ブシュキンとボビー・ハケットのが伴奏しているのと、サイ・ウォルターやスタン・フリーマンのピアノ伴奏だけのがあるけど、聴いた感じかなり違うから、別の機会の録音だったんじゃないかなあ。

元々一枚物でリリースされたものではないし、やはりどうもオーケストラ伴奏のとピアノだけの伴奏のとは、伴奏メンバーだけでなく、録音年含めセッションそのものが異なるんじゃないかと、今では推測しているけど、調べてもデータが見つからない。それを同じ頃の録音ということで、まとめて12インチ盤LPにしてリリースしたんだろう。

ちょっと調べてみたら、2004年に『Lee Wiley: Complete Fifties Studio Masters』という二枚組CDが出ている。見てみたら『ナイト・イン・マンハッタン』の収録曲は全部入っているし、その他にたくさん入っている。でももう廃盤で高値だ。

ちょっとほしいような気もするけど、過去音源の二枚組が一万円以上もするのでは手が出ないし、それに今ではもうリー・ワイリーにはそこまでは入れ込んでいないから、『ナイト・イン・マンハッタン』一枚で個人的には充分。それにこれをたまに聴く時も、主に聴いているのはボビー・ハケットだ。

ボビー・ハケットのコルネットに関しては、マイルス・デイヴィスも激賞しているし、書いたようにジャズの白人コルネット奏者では一番好きな一人だからね。彼は完全にビックス・バイダーベック直系の人で、ベニー・グッドマンがあの1938年カーネギー・ホールでのコンサートで、ビックス役に起用したほど。

あのコンサートには、<ジャズの20年>というコーナーがあって、古い曲を古いスタイルで再演している。1938年当時の白人スウィング・ミュージックは、それまでの黒人中心のいわゆるジャズとは、全然別種の音楽として誕生したと思われて人気だった。もちろんベニー・グッドマン本人は全然そんな風には思っていない。

だから、この<ジャズの20年>コーナーは、1938年に大人気の白人スウィング・ミュージシャンにとっては危険な賭けだったはずだ。以前書いたように、グッドマンは自分のバンドに何人も黒人を雇った、あの時代では稀な白人バンドリーダーだったし、そのカーネギー・コンサートにも大勢の黒人ジャズマンを出演させている。

その<ジャズの20年>コーナーでは五曲やっていて、なかにはルイ・アームストロングがやった「シャイン」だってあるし、以前もちょっと触れたエリントン楽団からのピック・アップ・メンバーらとやった「ブルー・レヴァリー」などなど。

そのベニー・グッドマン1938年カーネギー・ホール・コンサートで、ビックス役のボビー・ハケットが吹いているのは、有名なビックス・ナンバーの「アイム・カミング・ヴァージニア」。そのライヴ・アルバムに入っているので誰でも簡単に聴ける。完全にビックス・スタイルで吹いているんだよね。

ボビー・ハケットは、そのスウィートな特色を活かして、その後は映画音楽やイージー・リスニング方面で活躍したらしいが、僕はジャズ録音しか聴いたことがない。だけどあの音色とスタイルなら、そういう方面に向いていてピッタリ来るから、活躍できるのは誰でも容易に想像できるはずだよね。

2016/01/20

イーグルズはカントリー・ロック路線あってこそ

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イーグルズのグレン・フライが亡くなった。僕はまあまあファンだったので、ちょっぴりショックだ。先日のデイヴィッド・ボウイの時よりも、心がザワつくような。ファンだといってもイーグルズでしか聴いていないグレン・フライだけど、彼こそがこのバンドの中核だった気がする。

僕がイーグルズを知ったのは、大ヒットした『ホテル・カリフォルニア』でだったという、まあごく普通のありふれたもの。これは1976年のアルバムなので、僕はリアルタイムでは知らないんだけれど、1962年生れの僕の世代なら、中学生の時にリアルタイムで買って聴いたという方々が多いはず。

僕がリアルタイムで知っているイーグルズは、1994年の再結成後を除けば、79年のラスト・アルバム『ザ・ロング・ラン』だけ。『ホテル・カリフォルニア』があまりに素晴しいと思ったので、買ったんだけど、一部を除きあんまりいいとは思えなかった。それでも繰返しレコードを聴いたんだけどね。

今『ザ・ロング・ラン』を聴き返すと、音楽的内容はやはりどうもパッとしないというか、『ホテル・カリフォルニア』で極めて盛大に打上げた大花火が散った後の名残みたいなもんで、その大花火があまりに煌びやかすぎたもんだから、どうにもダメ・アルバムだとしか思えないというのが、正直な気持。

ただ、『ザ・ロング・ラン』にも、いいんじゃないかと思えるものが二曲だけあって、一つはA面二曲目の「アイ・キャント・テル・ユー・ワイ」。新加入のベーシスト、ティモシー・シュミットの自作自演。これがかなりいいR&B風バラードなんだよねえ。
イーグルズでR&Bバラード?ってかなり意外に思われる方が多いと思うんだけど、貼った音源を聴いていただければ納得していただけるはず。イーグルズでブラック・フィーリングをこれだけはっきりと感じるというのは、全キャリアを通してこの一曲だけ。黒人音楽好きの僕などにはうってつけなのだ。

『ザ・ロング・ラン』でいいと思えるもう一曲は、B面ラストの「ザ・サッド・カフェ」。イーグルズと関わりの深いJ・D・サウザーが曲創りに参加している、というかまあ彼の曲なんじゃないの?歌っているのはグレン・フライ。デイヴィッド・サンボーンがアルト・ソロを吹くのが、僕好みなんだろう。

そして当時から感じていたことなんだけど、アルバム・ラストの「ザ・サッド・カフェ」を聴いていると、ああ、このバンドはもうこれでお終いなんだ、幕引きなんだというのがヒシヒシと伝わってきて、今聴直してもなんとも言えない気持になってしまう。『ザ・ロング・ラン』には思い入れのある僕だから。

『ホテル・カリフォルニア』については、特に一曲目のタイトル・ナンバーが素晴しすぎると思って繰返し聴いていて、25歳の頃までは、これが1970年代ロックの最高作なんじゃないかとすら僕は考えていた。今ではそんな考えは完全に消し飛んで、微塵も残っていないのだが、昔は好きだったんだ。

繰返し僕の話に出てくる戦前ジャズしかかけなかった松山のジャズ喫茶ケリーのマスターが、どこで聴いたのか知らないが、「ホテル・カリフォルニア」が好きで、特に終盤のギター・ソロがいい、ギター・ソロだけ10分くらいあればいいのにと言っていた。レコードがほしいと言うので、僕もLPは持っていたいから、持っていたシングル盤をあげた。

僕も今聴くと、「ホテル・カリフォルニア」で一番いいと思うのが、12弦アクースティック・ギターの美しい響きと、やはりその終盤のギター・ソロ(ドン・フェルダーとジョー・ウォルシュ)で、意味深な歌詞内容なんかは、大学生の頃は深い深いと思って味わっていたけれど、今でははっきり言ってどうでもよくなっている。

あと、曲のリズムがレゲエっぽいというか、そういうリズムを冒頭からクチュクチュとエレキ・ギターが刻んでいるのも面白い。マイアミのクライテリア・スタジオでの録音だもんなあ。レゲエっぽいと言えば、終盤のギター・ソロ。二人が同時に奏でるパートの後半で、ベースが跳ねているのもいいね。

アルバム『ホテル・カリフォルニア』でもっといいのは、A面ラストの「ウェイスティッド・タイム」とB面ラストの「ザ・ラスト・リゾート」という、ドン・ヘンリーが歌う二曲のスロー・ナンバーだなあ。グレン・フライ・ファンの僕だけど、ヴォーカリストとしての力量では、ドン・ヘンリーの方が上だろう。

今ではそういうところくらいしかいいと思わなくなった『ホテル・カリフォルニア』に比べたら、これ以前のアルバム、特に最初の三枚は、今聴いても凄く楽しくて大好きだ。バーニー・リードンが在籍していた時期の方が、イーグルズはよかったよねえ。

1972年のセルフ・タイトルなデビュー・アルバム一曲目「テイク・イット・イージー」。ジャクスン・ブラウンの曲だけど、僕はグレン・フライが歌うイーグルズ・ヴァージョンの方が好きだ。後半バーニーのバンジョーが聞えはじめると、凄く楽しくていい気分。「気楽にやれよ」というそのまんま。

バーニー・リードンは、『ホテル・カリフォルニア』の前作1975年の『ワン・オヴ・ジーズ・ナイツ』まで在籍していて、バンジョーも弾いているけれど、初期三作がやはりいいよなあ。バーニーのバンジョーが入る曲が本当にいろいろとあって、僕の好きな楽器だし、カントリー・ロック・テイストだし。

バンジョーは、僕の場合はもちろんニューオーリンズ・ジャズやその他初期ジャズで使われているので、それで馴染んで好きになった楽器。元々アフリカ由来の楽器だけど、その後はカントリー・ミュージックやブルーグラスなど米白人音楽で頻用されるようになり、初期イーグルズでも聴けるというわけ。

初期イーグルズでバーニー・リードンのバンジョーが聞える曲を挙げていくと、かなりたくさんあるから、キリがないと思うくらいだけど、なかなか面白かったのが、初期ではないが『ワン・オヴ・ジーズ・ナイツ』A面ラストの「ジャーニー・オヴ・ザ・ソーサラー」。バーニーの自作インストルメンタル。
どうです?面白いでしょう?まあ普通のロック・ファン向けの曲ではないだろうけど、バーニー・リードンのバンジョーが全面的にフィーチャーされるインスト曲で、しかもストリングス・オーケストラの伴奏も入っているという。こんなの他に皆無だ。

バーニー・リードンがバンジョーを弾くインストというと、1973年の二作目『デスペラード』にも、B面二曲目に「ドゥーリン・ダルトン」がある。こっちは一分もない短いもので、次の曲へのプレリュードみたいな感じだけどね。このアルバムでも二曲目の「トゥウェンティ・ワン」みたいなのもイイネ。

「トゥウェンティ・ワン」も、一作目一曲目の「テイク・イット・イージー」同様、バーニー・リードンのバンジョーが印象的なカントリー・ロック、というより、こっちはそのまんまカントリー・ナンバーだと言った方が近いかもしれないくらいのフィーリングだ。これでフィドルでも入っていれば完璧だ。

今の僕にとってのイーグルズは、ジョー・ウォルシュが参加してからの『ホテル・カリフォルニア』ではなく、またその路線の前兆となった前作『ワン・オヴ・ジーズ・ナイツ』でもなく、書いたようなバーニー・リードンが活躍するカントリー・ロック路線なんだよね。「テキーラ・サンライズ」もいいなあ。

「テキーラ・サンライズ」も「テイク・イット・イージー」も、その他初期イーグルズのカントリー・ロック路線のいろんな曲を歌っていたのがグレン・フライだった。バーニー・リードンと並んで、そういうバンドの特色を担っていたのがグレン・フライだったんじゃないかな。そういうのも持味の人だった。

それにしても、あとおそらく10年か15年かそんなもんで、1960〜70年代を飾ったロック・ジャイアンツが逝くのを見届けなくちゃいけなくなると思うんだけど、ロックにとってひときわ特別だった時代を形作った人達だからなあ。それより先に自分が死ぬなんてことにだけはならないようにしなくちゃ。

2016/01/19

「ラウンド・ミッドナイト」〜マイルスのオープンとミュート 2

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昨晩触れたマイルス・デイヴィスがやる「ラウンド・ミッドナイト」。正直に言うと、昔はイマイチ好きじゃなかった。今でもそんなに好きとは言えない。どこが?と言われても困っちゃうんだけど、どうもあの少しもったいぶったようなアレンジが好みじゃないのだろうか?

こんなことを言うマイルス・マニアは珍しいんだろう。普通はみんなあの1956年コロンビア録音の「ラウンド・ミッドナイト」が大好きだ。マイルス・ファンでなくたって好きな人が多いはず。誤解なきように書いておくと、僕は寺島靖国みたいに、例のブリッジが嫌いというわけではない。あれは好きだ。

なにしろあの1956年コロンビア録音の「ラウンド・ミッドナイト」は、記念すべき大手コロンビア移籍第一弾のアルバム一曲目として発表され、そのアルバム・タイトルも『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』で、この曲でマイルス=ハーマン・ミュートのイメージが決定づけられたし、この曲の決定版となったし。

アルバム名が『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』で、曲名が「ラウンド・ミッドナイト」なので、アレッ?と思うかも。セロニアス・モンクが最初に作曲した時は「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」だったけど、その後歌詞が付く時に「アラウンド」が入る余地がなく削除された。

という説が流布していたけれど、調べたら、最初から曲名は「ラウンド・ミッドナイト」で、コロンビアが1957年にマイルスの同社初作品をリリースする際に『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』というアルバム名にしたので、そのせいで、その後そうとも呼ばれるようになったとの記述がある。

マイルスの「ラウンド・ミッドナイト」は、その1956年コロンビア録音が初録音ではない。マイルスによるこの曲の初録音は、チャーリー・パーカーをテナーで加えた53年プレスティッジ録音で、『コレクターズ・アイテムズ』収録のもの。

その1953年プレスティッジ録音の「ラウンド・ミッドナイト」では、マイルスは終始オープン・ホーンで吹いているし、トランペット・ソロとサックス・ソロを繋ぐ例のブリッジも存在しない。というか、トランペットとサックスのソロの区別があまりなく、全体を通してマイルスとパーカーが絡みながら進む。
ことマイルスのトランペットだけ取出せば、オープン・ホーンのその演奏ぶりは、これはこれでそんなに悪くもない。だけれども、演奏全体にメリハリがなく、ダラダラと流れて締りがない。こういうのを聴くと、1956年コロンビア録音ヴァージョンが、どれだけ優れた内容なのかが、非常によく分る。

またマイルスの名を一躍有名にしたという話の1955年ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでの演奏、そこでは作曲者のセロニアス・モンクも参加しているのだが、そこでもオープン・ホーンのトランペットで、やはりだらしなく、どうしてこれで名を挙げて大手コロンビアとの契約に至った(ということになっている)のか理解できないほどだ。
そういうわけだから、1956年のコロンビア録音で、これをハーマン・ミュートで吹き、さらに続いて出るコルトレーンのテナー・ソロとの間に、例の有名なブリッジを入れるように発案したのが誰なのか、非常に知りたいところなんだけど、2016年の現在ではそれは分らないということになっている。

一時期、そのアレンジをしたのはギル・エヴァンスだという説がまことしやかに流れていた。日本でそれを広めたのが他ならぬ中山康樹さんなんだけど、中山さん自身が、著書の中で後年これをはっきり否定している。例の中間部のブリッジのギル・アレンジ説は間違いで、1945年頃から存在するものだった。

ディジー・ガレスピーが自分のバンドでやった1945年のライヴ録音から、既にそのブリッジを聴くことができるので、このギル・アレンジ説が間違いであることが、完全に証明されているのだ。マイルスの56年コロンビア録音は、ほぼそのガレスピー・ヴァージョンに沿ったもの。

そのマイルス・ヴァージョンで有名になった例のブリッジも、曲全体の解釈も、全般的にほぼそのガレスピー・ヴァージョンに沿っているから、マイルスのオリジナリティは、これをハーマン・ミュートで吹いたということだけだ。そしてガレスピーもそれ以後は、ミュートで吹くようになっているのが多い。

誰の発案で誰がアレンジしたのか分らないんだけど、とにかくその1956年コロンビア録音で、「ラウンド・ミッドナイト」という曲のイメージが決定づけられて、その後のマイルスによるライヴ演奏を含む多くのヴァージョンも、その他のジャズマンによる演奏も、だいたいこの演奏に準じる内容になっている。

肝心の作曲者セロニアス・モンク自身による演奏ぶりはといえば、そのマイルス・ヴァージョン以前は当然、それ以後も、別にそれには全く影響されてはおらず、モンク自身の世界を淡々と表現していて、ソロ・ピアノによるモンクの「ラウンド・ミッドナイト」は、これはまた味わい深いものになっている。

モンクが「ラウンド・ミッドナイト」を作曲したのは、1944年ということになっているけど、もっと前の30年代末からその原型があったとか、40年か41年頃にできていたとかいう。47年の初録音(ブルーノート)後も繰返し録音している。僕が一番好きなのは『ソロ・オン・ヴォーグ』のヴァージョン。
僕も長年マイルス・ヴァージョンで親しんできたこの曲、多くのジャズ・ファンもそうだと思うんだけど、今ではこういう作曲者自身のソロ・ピアノ演奏によるものの方が、圧倒的に好きだなあ。最高だね。

作曲者セロニアス・モンク自身による「ラウンド・ミッドナイト」の初録音は、1947年ブルーノート録音のSP盤(『ジーニアス・オヴ・モダン・ミュージック』その他に収録)。そこではソロ・ピアノではなく、トランペットとサックス入りのコンボ編成だ。でもソロはモンク自身のピアノだけが取る。

マイルスはライヴでも数多くこの曲を演奏し、録音も公式・ブート併せたくさん残っているけど、ほぼ全部オープン・ホーンで吹いていて、マイルス=ハーマン・ミュートのイメージを決定づけたと言われるオリジナル・ヴァージョンには準じていない。だけど、あのブリッジだけは欠かしたことが一度もない。

マイルスのライヴでの「ラウンド・ミッドナイト」で、僕が一番好きなのが、ブート盤『ダブル・イメージ』に入っている1969/10/27、ロスト・クインテットでの演奏。ここでのあのブリッジは壮絶というか物凄い迫力。寺島靖国なんかと違って、あのブリッジが大好きな僕にはたまらない。チック・コリアは当然エレピ。(16:17あたりから)
あと、ライヴ・ヴァージョンでは1965年にシカゴのプラグド・ニッケルで録音したヴァージョンもかなり好きだ。それは、八枚組完全箱が出るかなり前、最初LP二枚でこのライヴ録音が世に出た時から収録されていたので、よく聴いていた。『ダブル・イメージ』のもこれも、マイルスはオープン・ホーンだね。

ちなみに多くのライヴ・ヴァージョンが存在するマイルスの「ラウンド・ミッドナイト」も、スタジオ録音は、確認されている限り、三つだけ。1953年プレスティッジ録音、56年コロンビア録音、その一ヶ月後にプレスティッジにマラソン・セッションで吹込んだ『アンド・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』収録ヴァージョン。

プレスティッジの『アンド・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』収録ヴァージョンは、有名なコロンビア録音のわずか一ヶ月後だし、メンバーも全く同じファースト・クインテットによるものだし、コロンビア・ヴァージョンとほぼ同一の演奏で、吹込みレーベルが異なるということ以外の違いはほぼない。例のブリッジもある。

なんだ、あんまり好きじゃないとか最初に言いながら、実は結構好きなんじゃないかという声が聞えてきそうだ。まあマイルスが残した音源については、多くを何度も繰返し聴き込んでいるし、だからそれなりに全部「好き」なのではある。程度問題なのだ。でももっともっと大好きな曲がいっぱいあるんだよね。

ちなみに、僕が持っているマイルスによる「ラウンド・ミッドナイト」は、iTunes に入れてあるのは曲検索かければすぐ分るので見てみたら、全部で21種類。入れていないブート盤もかなりあるから、持っている全CDで何種類あるのか分らない。

2016/01/18

卵の殻の上を歩く男

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マイルス・デイヴィスといえば、その昔、「卵の殻の上を歩くような」と形容された、ハーマン・ミュートでの繊細なプレイがトレードマークで、昔僕が聴始めた時もそういう紹介がされていたし、今でもそうらしい。だけど、実は重要なアルバムではオープン・ホーンで吹いているものも多いよねえ。

個人的には、マイルスがハーマン・ミュートで吹いたものでは、キャノンボール名義のブルーノート録音「枯葉」が一番の名演だと思っているんだけど、リアルタイムでマイルス=ハーマン・ミュートのイメージを決定づけたのは、コロンビア移籍第一作『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』のタイトル・ナンバーらしい。

確かにあの「ラウンド・ミッドナイト」のマイルスのハーマン・ミュートでのプレイは素晴しい。その次に出るコルトレーンの武骨なイメージと好対照で、両者相俟ってこの曲を盛上げて名演にしているよねえ。その他、プレスティッジでの「ユア・マイ・エヴリシング」なども名演バラードだ。
まさに絶品としか言いようがない。そもそもこの曲が収録されている『リラクシン』は、全六曲中五曲でハーマン・ミュートを使っていて、マイルスのそのミュートを使ったプレイの特徴が一番よく分るアルバムだ。

「卵の殻の上を歩くような」という表現で、僕が一番ピッタリくると思うのは、やっぱり『クッキン』一曲目の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」だなあ。こういうバラード表現でのハーマン・ミュートは、まさに玉の露というか、本当に何度聴いても惚れ惚れするほど素晴しい。

そういうハーマン・ミュートでの数々の名演があるのは承知の上なのだが、最初に書いた通り、マイルスは重要作では結構オープン・ホーンで吹いているものが多い。例えば、ジャズにおけるモーダルな表現を決定づけた『カインド・オヴ・ブルー』一曲目「ソー・ワット」もオープン・ホーンだよなあ。

だいたい、『カインド・オヴ・ブルー』では、マイルスは全五曲中二曲でしかハーマン・ミュートを使っていない。あのアルバムはマイルスの時代を超えた代表作にして、ジャズ・アルバムでは史上最も売れているアルバムらしいからねえ。

その後の1960年代の一連のライヴ・アルバムでも、ほぼ全部オープン・ホーンでしか吹いていない。ジャズ的なスリル満ちた傑作として挙げられることの多い『フォア&モア』も、プレスティッジではハーマン・ミュートで吹いたのをオープン・ホーンで再演したタイトル曲が素晴しい『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』もそうだ。

またギル・エヴァンスとの一連のコラボ作品でも、カーネギー・ホールでのライヴ盤含め、かなりの部分がオープン・ホーンだ。『マイルス・アヘッド』では、そもそも全部フリューゲル・ホーンだし。フリューゲル・ホーンにミュート器って付けられるのだろうか?

さらに言えば、電化マイルスの代表的傑作アルバムの『イン・ア・サイレント・ウェイ』も『ビッチズ・ブルー』も『ジャック・ジョンスン』も『マイルス・アット・フィルモア』も『ライヴ・イーヴル』も、ほぼぜ〜んぶオープン・ホーンなのだ。ハーマン・ミュートでのプレイは、殆ど出てこないもん。

そしてその後は、トランペットにピックアップをつけてアンプで増幅するという電気トランペットを使うようになるから、そうなると、もうオープンもハーマン・ミュートも関係なくなっているもんなあ。当時のステージ写真とかを見ると、ミュート器をつけている写真もあるけど、出てくる音では分らない。

1981年の復帰後は、また生トランペットに戻して、ハーマン・ミュートも再び使うようになっていたけど、オープンとミュートの使い分けが、以前に比べると恣意的で、独自の意図を感じるということが、少なくなっていた。「タイム・アフター・タイム」などでも、ライヴではオープンでやったりハーマン・ミュートでやったり。

そういう風に見てくると、1950年代後半に、ハーマン・ミュートを使った名演が結構ありはするものの、それ以外の、エポック・メイキングな代表作ではオープン・ホーンで吹いているものの方が多いから、マイルスを紹介する時に、そのトレードマークをハーマン・ミュートだと言うのが、果して適切なのだろうか?

そもそもマイルスのハーマン・ミュートでのプレイを "walk on the egg shell" と最初に形容したのは、彼をコロンビアに招聘したプロデューサー、ジョージ・アヴァキャンらしい。つまり、インディ・レーベルから大手レコード会社への移籍に際し、その成功を期するために用いられた商略、コピー文句だったんだよね。

そしてむしろ、ハーマン・ミュートが特徴的だった時代の方が、マイルスのキャリア全体で見るとやや特殊だったのであって(といっても、その時代に名声を獲得したので、仕方がない面もあるけれど)、彼の本領がハーマン・ミュートにあるとばかりも言えないように僕は思うのだ。

2016/01/17

O.V. ライトの絶唱

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ソウル歌手O.V. ライトの音源で一番好きなのは、実を言うとゴールドワックスやバックビートの録音ではなく、ハイから出た1979年東京でのライヴ盤『ライヴ・イン・ジャパン』なのだ。40分もない短いものだし、僕が持っているCDは、同じハイの『ライト・スタッフ』との2in1だけど。

1979年だから、現場でご覧になった方もたくさんいらっしゃるはずだ。羨ましい限り。このライヴ盤のジャケット写真ではイマイチ分りにくいけど、会場でご覧になった方の話では、O.V. ライト本人は病気でガリガリに痩せ細り、バックビート盤のジャケットなどで見る姿とは全く違っていたらしい。

『ライヴ・イン・ジャパン』で聴ける歌声も、ゴールドワックスやバックビートでの録音などと比べると、確かにか細いというか、かなり頼りないのかもしれない。O.V. は翌1980年に亡くなっているから、やはり具合はよくなかったんだろう。それでも悪くないんじゃないかと思えてならないんだよね。

『ライヴ・イン・ジャパン』が悪くないと思えるのは、おそらくバックのリズム・セクションが最高のハイ・リズムだということも、大きな理由なんだろう。ベース、ギター、キーボードのホッジズ三兄弟とドラムスのハワード・グライムス、これがもうたまらんのだ。アル・グリーン関係の記事でも書いたけど、ソウル界では僕の一番好きなリズムだ。

その絶品のリズムに乗せて歌うO.V. 本人の歌声そのものも、悪くないというか、バックビートやこれ以前のハイのアルバムと比べても、遜色ないように聞えてしまうのは、これが僕が一番最初に聴いたO.V. のアルバムだったということと、日本でのライヴ録音であるという贔屓目で聴くせいなのか?

『ライヴ・イン・ジャパン』を『ライト・スタッフ』との2in1で買って聴いたのが、多分1990年代前半のこと。これでO.V. ライトに惚れてしまったので、いろいろと他のCDも探して買いたいと思ったけど、当時はまだそんなにたくさんは買えなかったはず。ハイのアルバムが少しだけだった。

調べてみると、ハイ以前のバックビート録音の諸作が最高だということが言われているのだけど、これがボックス・セットになって簡単に買えるようになったのは、その10年後くらいだったように記憶している。その前に一度同じボックス・セットが出ていたらしいのだが、それは見逃していた。

でも『ザ・ソウル・オヴ・O.V. ライト』という18曲入り一枚物アンソロジーがあって、これがバックビート録音集。僕の持っているMCA盤(日本盤)を見てみたら1993年リリースになっている。これをよく聴いていた。一曲目が彼の最大のヒットらしい「ユア・ゴナ・メイク・ミー・クライ」だ。

この代表曲は日本でのライヴ盤でもやっているし、また日本ライヴの一曲目である「アイド・ラザー・ビー・ブラインド、クリップルド・アンド・クレイジー」が二曲目だし、その他多くの代表曲が入っている。しばらくはこの『ザ・ソウル・オヴ・O.V. ライト』で満足していたというか、これしかなかったし。

バックビートのボックス全集を僕が買えたのは、21世紀になってからだったと思う。元のアナログ盤でお聴きの方々からは、いろいろと注文を付けたい部分もあるらしいけど、ムチャクチャ遅れてきたサザン・ソウル・リスナーの僕にとっては、このボックスはもう完全なる宝なのだ。オリジナル・ジャケットだし。

調べてみたら、僕の買ったのは2007年発売の日本盤ボックス。そして1990年に一度同じボックスが出ているようだ。その頃O.V. ライトを聴いていれば、当然その時に買ったはずだけど。まあ2007年のはリマスター作業が施されてはいるようだけど、1990年のとどれくらい違うかは分らない。

六枚入っているバックビート盤。どれも何度も繰返し愛聴しているんだけど、僕の耳には1971年の『ア・ニックル・アンド・ア・ネイル・アンド・エイス・オヴ・スペイズ』が一番いいように聞える。いやいや、他のアルバムも全部よくて甲乙付けがたいけど、敢てこういうことを考えるのが僕の悪弊かも。

以前も書いているように、サザン・ソウル歌手、特に男性歌手はイマイチ聴いていない僕だけど、O.V. ライトはいろんな意味でサザン・ソウルの理想型なんだろうなあ。前にも書いたように、一番好きなサザン・ソウルの男性歌手はスペンサー・ウィギンズなんだけど、これは完全なる個人的好みでの話だ。

深いゴスペル・フィーリングを基盤にしたディープな歌唱表現。そこに<悪魔の音楽>であるブルーズを掛合わせたような O.V. ライトの歌い方は、アメリカン・ブラック・ミュージックとして、これ以上ない素晴しいものだ。サザン・ソウルの男性歌手で、O.V. 以上の素晴しい人がいるのだろうか?

なお、O.V. ライトのゴールドワックスへのシングル録音は、『ザ・コンプリート・ゴールドワックス・シングルズ』が英エイスから2001年以後リリースされた時に、これに収録されているのを聴いたけど、これも最高だね。「ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ」は、これがオリジナル録音。

おそらくオーティス・レディングのヴァージョンで世界中で有名になったであろう「ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ」だけど、オーティスに特に思い入れのない僕にとっては、この名曲は、1964年O.V. ライトのゴールドワックスへのシングル録音こそが至高のヴァージョンなんだよね。

僕だって最初に聴いた「ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ」はオーティス・レディングのヴァージョンだったし、O.V. ライトのだって、『ライヴ・イン・ジャパン』で歌っているのを最初に聴いたわけだけど、ゴールドワックスのシングル録音を聴いたら、これこそ最高と思うようになった。

ただ、O.V. ライトに関しては、書いたように『ライヴ・イン・ジャパン』のヴァージョンだって悪くないぞと思っている。力強く心を鷲掴みにされるのはゴールドワックス録音だけど、東京ライヴのヴァージョンは、ある意味こっちの方が聴き手の心を打つ絶唱で、たまらなく胸に迫るんだよなあ。

O.V. ライトのライヴ盤は1979年『ライヴ・イン・ジャパン』しかないはずだし、これを高く評価するのは日本のファンだけかもしれない。だけど、収録されているのが代表曲ばかりだし、書いたように伴奏のハイ・リズムが最高だし、冒頭のMCに続いてバンドの音が鳴り始めた瞬間に、今でもゾクゾクする。

O.V. ライト本人の歌だって、その絶品のハイ・リズムに乗って、いい感じじゃないか。1979年9月の時点での持てる力の限りを尽して声を出している。絶唱とはまさにこの『ライヴ・イン・ジャパン』のことだ。贔屓目に見ているのかもしれないけど、個人的には、こういう歌が最高に心に沁みるね。

2016/01/16

ジャズの黄金時代は1920年代だ

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1970年代以後のジャズ系ミュージシャンがやるファンク・ミュージックが、同時代の他のブラック・ミュージックと密接な関連があると、僕も繰返し言うんだけど、50〜60年代の、同時代のブラック・ミュージックから少し離れていた時代のジャズの方が、ジャズの歴史全体から見たらむしろ特殊だった。

頻繁に強調するけれど、ジャズ誕生の初期からビバップ誕生までの第二次大戦前のジャズは、同時代のブラック・ミュージック、特にブルーズと非常に密接に繋がっていた。これも以前書いたけど、ジャズ誕生期の構成要因に、ブルーズなど黒人的なものはなく、西洋白人的なブラスバンド中心だった。

しかし、誕生直後に即ブルーズを吸収し、必要不可欠で不可分一体のものとしたので、録音で辿る限りでは、ジャズとブルーズは、特に戦前ジャズでは分ちがたく結びついている。1960年代末〜70年代以後のソウルやファンクと接近して結合したジャズ系音楽は、その歴史を取戻しただけ。

厄介なことは、ある時期以後の多くのジャズ・リスナーは、1950〜60年代こそジャズの全盛期・黄金時代だったと考えているらしいということだ。僕に言わせたら、これは勘違い以外のなにものでもないのだが、プロの批評家だってこういう考えの方が多くて、それを広めるから困ってしまう。

1950〜60年代はジャズの時代なんかじゃない。間違いなくロックの時代だ。1954年のビル・ヘイリーによる「ロック・アラウンド・ザ・クロック」以後のロック時代は、何十年も続いていた。それは今やどうやら終っているらしいのだが、少なくとも50/60年代はロック全盛時代に間違いない。

中村とうようさんは『ロックへの道』というCDアンソロジーのブックレット序文で、大雑把に言えば20世紀のアメリカ音楽は、前半をジャズ時代、後半をロック時代という具合に分けられるだろうと書いていた。これは僕も全く同感。ジャズがアメリカ大衆音楽の王者だったのは、戦前の話だ。

ジャズの商業録音がはじまるのは1910年代だけど、その後の20/30年代こそがジャズ黄金時代だっただろうと僕は考えている。どんなに甘く見ても、40年代のビバップまで。でもビバップは(僕はそうは思っていないが)やや難解というかほぼ純粋芸術指向の音楽だったからなあ。

だから黄金時代の1920/30年代に録音されたジャズ作品を聴かないなんて、ちゃんとしたジャズ・リスナーなら有り得ない態度だと思うのだが、なぜだかみんな聴かないよね。聴かないから、当時のジャズ、特に黒人ジャズとブラック・ミュージックとの関係も理解できないんだろう。

そしてそういうジャズの歴史を肌で実感していないから、1970年代のソウル・ジャズやジャズ・ファンクが、一種の先祖帰りみたいなもので、ブラック・ミュージックをいっとき切離してしまったジャズが、再びそれを取戻しただけで、全然目新しくもなく、必然的な流れだったことも理解できないのだろう。

前にも書いたけど、だいたい保守的なジャズ・ファンは、1970年代のジャズ系ファンクを毛嫌いするばかりか、保守的であるにもかかわらず、本当に古い戦前の古典ジャズ作品を殆ど聴いていないというか、ほぼ無視しているような、完全に矛盾した状態が、いつ頃からかずっと続いているからなあ。

僕の考えでは、1970年代の同時代のブラック・ミュージックと結合したジャズ系音楽の面白さが理解できない最大の理由の一つは、エレクトリック・サウンドに対する生理的嫌悪感以上に、こういう歴史を無視した聴き方にある。ブルーズと不可分一体のジャズの歴史をちゃんと聴けば、こうはならないはず。

もちろんビバップ〜1950〜60年代のジャズにだって、ブルーズやゴスペルといったブラック・ミュージックはしっかりと息づいている。チャーリー・パーカーのレパートリーにも、彼のもとでデビューしたマイルス・デイヴィスのレパートリーにも、その他の人にも、実に多くのブルーズ曲がある。

ハードバップにも物凄く多くのブルーズ曲があり、相当にファンキーなものもあるし、1950年代後半から60年代前半のいわゆるファンキー・ジャズのベースになっているのは、ゴスペル・ベースのアーシーな感覚だ。1972年のレイ・ブライアント『アローン・アット・モントルー』もブルーズ・ナンバーばっかりだし。

そういうのはファンも多くて、今でもよく話題にあがるのに、そういうファンキーさの大元のルーツである戦前ジャズのブルージーな感覚を、実際の音を聴いて確かめようとしないというのは、一体どういうわけなんだろう?しかも戦前ジャズの方がそういう感覚が強くて猥雑で、それ自体はるかに面白いのに。

今流行りらしいヒップホップ・ジャズだって、ヒップホップはもはやブラック・カルチャーとは言えないだろうけど、それでも最初は、主に1990年代以後21世紀の最先端のブラック・フィーリングをジャズに活かそうとしてはじまったものに違いない。そういうものは、どんどん紹介されているのになあ。

古いものより新しいもの、同時代に息づく音楽を耳にしたいのだという気持は凄くよく理解できる。しかしそういう新しいものの真の革新性を理解するためには、歴史と伝統をちゃんと知らないと分るはずもないと思うのだが。音楽を「知る」とは文章で読むことではない。音を実際に聴いて肌で感じることなのだ。

実感していないからこそ「ジャズにおけるブルーズ感覚なんてのはどうでもいいんだ」という発言が出てくるのだろう。これは、かのJTNC系ライター代表者の口から出た言葉。こういうのは、いかに自分が無知蒙昧であるかを晒しているだけだ。あるいは承知の上での故意の戦略的発言なのか?

いずれにせよ、この種の発言が頻繁にポンポンと出てくるもんだから、いわゆる油井正一史観みたいなものを、必死で「更新」しようとしているという意気込みだけは伝わるものの、僕なんかはどうも彼らは新しいジャズの面白さすら、本当には理解していないのではないかと思ってしまう。

歴史・伝統・古典を知るのは、書いているようにもちろん「今」を理解するためにも非常に重要というか、そうしないと今を理解できないのだが、それ以上にそれら古典作品自体が、聴いていて面白くてたまらない、大変楽しい気持いいというのが、それを聴く最大の理由。お勉強目的だけでは続かない。

1950〜60年代がジャズの全盛期だった、あるいは21世紀の今こそ第二の黄金時代だ(というのはJTNC系某氏の台詞)とか、この手の考えをそろそろ改めて、1920/30年代こそ最大のジャズ時代だったという歴史の真実を直視しよう。僕の耳にはどう聴いても、その頃のジャズの方が面白い。

もっと言えば、1929年のウォール街大暴落にはじまる大恐慌で、アメリカではレコード吹込み数全体が大幅に減少してしまい、実演の機会も激減して、一部のジャズマンは欧州に楽旅に出たりもしていた。そういうわけだから、商業的に見ても、真のジャズ黄金時代は1920年代だろうね。

そしてその1920年代こそ、その後の1970年代と並び、ジャズが同時代のブラック・ミュージックと最も密接に結びついていた時代だったのだ。このことだけを考えても、録音が古いといって20年代の作品を聴かなかったり、電気楽器が苦手だといって70年代の作品を毛嫌いするのは、おかしいよね。

2016/01/15

クリーンな「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」

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ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を、冒頭に前の曲の余韻が入っていないクリーンな単独状態で聴いたというのは、映画『イマジン』のサントラ盤が初だったように思う。リリースが1988年だから、ビートルズのCD化と同じ頃だけど、『イマジン』を買った方が、ちょっとだけ早かったような。

タイトルで分る通り『イマジン』は、ジョン・レノンの伝記映画だったらしい。「らしい」というのは映画本編は僕は観ていないのだ。なのにどうしてそのサントラ盤だけ買ったんだろうなあ。その辺は全く記憶がないけど、憶えているのはこれを買ったのが、新宿丸井地下のヴァージンメガストアだったこと。

ビートルズ時代の曲をはじめ、解散後のソロ・ナンバーとか、代表曲ばかりいろいろとまとまって聴けるので、店頭で見て、これはいいなとでも思ったんだろうなあ。書いたようにビートルズの初CD化とほぼ同時期だけど、『イマジン』の方で先に、九曲あるビートルズ・ナンバーをCDで聴いたはず。

聴いてみると、入っている六曲目の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が、冒頭に前の曲「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプリーズ)」末尾の観客の拍手がかぶさっていないクリーンな状態で入っていて、こういうのは初めて聴いたのだった。ご存知の通り、アルバム『サージェント・ペパーズ』では、これら二曲は繋がっていて、冒頭に拍手がかぶっている。

ビートルズのベスト盤であるいわゆる俗称『青盤』に、「ア・デイ・ザ・ライフ」が単独で入ってはいたものの、アナログ時代の『青盤』収録の同曲は、やはり『サージェント・ペパーズ』同様に、前曲末尾の拍手がかぶさって入っていたので、これはもうこういうもんなんだろうと思っていたんだよね。

だから『イマジン』サントラ盤で、完全なクリーン状態で存在する「ア・デイ・ザ・ライフ」を聴いた時は、あ、ちゃんとこういう形でテープが残っているんだと、ちょっと驚きでもあった。スタジオ録音で連続で演奏・収録されたわけじゃないんだから、当然なんだけど、何十年もファンは聴いていなかった。

その後、CDリイシューされた『青盤』には、『イマジン』サントラ盤同様に、完全クリーン状態での「ア・デイ・イン・ザ・ライフ』が収録されるようになっている。僕の知る限りではこの二つだけじゃないかなあ。僕はビートルズの公式ベスト盤は『赤盤』『青盤』しか聴いていないので、知らないだけかも。

書いておくと、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」という曲は、僕は別に嫌いじゃないけど(嫌いなビートルズ・ナンバーなど一つもない)、そんなに大好きではないし特に思い入れもなくこだわっていたわけでないけれど、このバンドには強い気持を持っていたので、知りたかっただけ。

以前も書いたけど、僕が自分のお金で買ったビートルズの音源は、1987/88年の公式初CDリイシューが初だった。もちろん自分で買わなくても、ほぼ全て聴けたので特に困りもしていなかったのだ。でも自分で一つも買っていないという事実には、少し引け目を感じていて、CD化の際に一気に全部買揃えた。

僕は1962年生れ(つまりビートルズと同年デビュー)なので、同時代的にはビートルズは全く憶えていない。むしろ解散後のジョンやポールやジョージのソロ活動をリアルタイムで追掛けていたのだった。だから大学二年の時にジョンが射殺されたニュースを知った時は、かなり衝撃だったのを憶えている。

とはいえ、ジョンのソロ活動も好きではあったけど、どっちかというとポールやジョージのソロ・アルバムの方が好きだった。ジョンは歌詞の意味にも重きを置く曲が多い人だったので、それだけにかえってちょっと遠慮したい気持になることがあったんだなあ。

その点ポールの曲の歌詞はだいたいどれも普通のどうってことないラヴ・ソングだから、歌詞に気を取られることなく、彼の書くキレイなメロディを楽しむことができた。ジョージの場合は、長い間『オール・シングズ・マスト・パス』と『コンサート・フォー・バングラデシュ』の人だという認識だった。

だから1987年の久々の傑作『クラウド・ナイン』にはちょっと驚いて、その翌年の、ボブ・ディランやロイ・オービスンやジェフ・リンらとやったトラヴェリング・ウィルベリーズ一作目もよかったから、なんだかその頃ようやく凄く良くなってきた人だなあというような考えを持っていたのだった。

もっともビートルズ時代のジョージのオリジナル曲は大好きで、ひょっとしたらジョンやポールの曲よりいいんじゃないかと思うことすらあったんだけどね。一連のインド風の曲ではなく、「タックスマン」「ワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「サヴォイ・トラッフル」「サムシング」など。

特に殆ど注目されないと思うんだけど、『ホワイト・アルバム』二枚目B面の「サヴォイ・トラッフル」が、なぜだか僕はビートルズ時代のジョージの曲では一番好きで、出だしのスネアからもう大好きでたまらない。ひょっとしてサックス・セクションが活躍する辺りが、ジャズ好きの僕は好きだったのかも。

ジョージといえば、1995年のビートルズ「再結成」。この時に創られた「新曲」二曲でも、ジョージのギターが素晴しくよくて、ひょっとして80年代末からのジョージは、活動のピークにあったのではないかとすら思ったくらいだった。「フリー・アズ・ア・バード」のスライドなんか絶品だよねえ。

あの「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラヴ」の二曲では、僕はもう断然前者の方が好き。冒頭のリンゴのスネア二発がバンバン!と鳴る瞬間に、もう心を奪われてしまい、直後に出るジョージのスライド・ギターでもうメロメロになる。音程が不安定になりやすいスライドで正確無比な演奏を聴かせる。

もちろん「リアル・ラヴ」だって大好き。ここでも間奏のジョージのソロがいい。この曲は、最初に書いた1988年のサントラ盤『イマジン』一曲目に、ジョンのアクースティック・ギター弾き語りによるデモ・ヴァージョンが入っていたので、知っていた曲だった。それがあんな風に仕上るなんてね。

「リアル・ラヴ」のアクースティック・ギター弾き語りデモは、ジョンが1979/80年に計六つ録音してあったらしく、サントラ盤『イマジン』一曲目に収録されたのは、六つ目のヴァージョンのようだ。95年の「再結成」ビートルズが、どのヴァージョンを基にして制作したのかは、全く知らない。

いずれにしても、1988年のサントラ盤『イマジン』が、僕がビートルズやジョンのソロ作品をCDで聴いた最初だったことは間違いない。最初期の録音が「ツイスト&シャウト」で、最後期の録音が「スターティング・オーヴァー」「ビューティフル・ボーイ」「ウーマン」。ジョンのキャリア全体を見渡した、よくできたアルバムだったと思うよ。

2016/01/14

ホレス・シルヴァーの天才的作編曲能力

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以前マイルス・デイヴィスのアクースティック・ブルーズ関連の記事(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-e6f0.html)で、『ウォーキン』のことを少し書いた。これにホレス・シルヴァーが参加していて、A面とB面はパーソネルと録音年月日がちょっとだけ違うけど、どっちでもホレスがピアノを弾いている。そして、僕の推測では、このアルバム収録曲のアレンジを書いたのがホレスなんじゃないかと思う。

もちろんこれはアレンジャーのクレジットもないし、ネットで調べてもそんな情報は出てこないから、僕の当てずっぽうな勘に過ぎない。だけど、あのアルバムの参加メンバーで、当時ああいったアレンジを書けたのはホレス・シルヴァーだけだし、後のホレスのリーダー作で聴けるアレンジとちょっと似ている。

ホレス・シルヴァーというジャズマン、僕が非常に高く評価しているのは、コンポーザー/アレンジャーとしての才能であって、一ジャズ・ピアニストとしては、そんなに大したことはないんじゃないかと、昔から思っているんだなあ。こんなこと言うと、総攻撃食らいそうだけど。

僕が最初にホレス・シルヴァーを知ったのは、例のアート・ブレイキーのライヴ盤『バーランドの夜』(1954年)だった。あのバンドのボスはもちろんブレイキーで、目玉が新星クリフォード・ブラウンだったわけだけど、実質的な音楽監督だったのがホレスだったようだ。曲も書き、アレンジもしていた。

この時のバンドが、実質的なジャズ・メッセンジャーズの母体となったようだけど、ジャズ・メッセンジャーズとしてのデビューに際しては、ブレイキーとホレスとの間で一悶着あったらしく、バンド名称をブレイキーが、バンドの面々をホレスが持っていくということになった。

だからホレスのソロ第一作が『ホレス・シルヴァー&ジャズ・メッセンジャーズ』というタイトルなのが、なんだか当時はワケが分らなかった。ブレイキーの方のジャズ・メッセンジャーズの大ファンだったし、『バードランドの夜』でホレスも好きだったから、すぐに買ったけど、中身の面白さもよく分らなかった。

このホレスのソロ・デビュー作(1955年録音)のドラムはブレイキーだ。このアルバムの録音後、決裂したということなんだろう。以前書いたように、音楽における「ファンキー」という言葉の捉え方を、当時は非常に狭く考えていたから、「ザ・プリーチャー」とか「ドゥードゥリン」なども、ピンと来なかった。

大学生の頃ホレスのリーダー作で好きだったのは、もっと後のブルーノート録音、1957年の『スタイリングズ・オヴ・シルヴァー』とか、59年の『ブローイン・ザ・ブルーズ・アウェイ』とか、64年の『ソング・フォー・マイ・ファーザー』とかだった。非常に明快にファンキーなハードバップだよねえ。

『ソング・フォー・マイ・ファーザー』は、タイトル曲のピアノ・イントロを聴けば、ロック・ファンだってピンと来るはず→ https://www.youtube.com/watch?v=CWeXOm49kE0 そう、スティーリー・ダンの「リキ・ドント・ルーズ・ザット・ナンバー」だね→ https://www.youtube.com/watch?v=zv-tjDsdduc

これはパクリとかいうものではない。スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンはジャズにもかなり造詣が深い人。これが入っている『プレッツェル・ロジック』には、デューク・エリントンの「イースト・セント・ルイス・トゥードゥル・オー」のカヴァーもある。「リキ」も、これはオマージュだろう。

僕はスティーリー・ダンを聴始めるかなり前にホレス・シルヴァーの方を聴いていた(多くの方は逆かもしれない)。しかも、スティーリー・ダンも、ウェイン・ショーターやスティーヴ・ガッドやラリー・カールトンなど、ジャズ系ミュージシャンが参加している後期の作品『エイジャ』や『ガウチョ』から入ったわけだから。

それはともかく、ホレス・シルヴァーのリーダー・アルバム。さっき書いた1950年代後期〜60年代前半のブルーノート作品では、いずれもホレスの曲ばかりで、しかも大変よくアレンジされている。大学生の頃一番好きだったのが、『ブローイン・ザ・ブルーズ・アウェイ』で、「シスター・セイディ」とか。
当時も今も、ホレスのアレンジで一番感心しているのが、セカンド・リフの使い方の上手さだ。トランペットやサックスのソロが終って、ピアノ・ソロに入る前に、大抵メイン・テーマ・メロとは違うホーン・リフが入る。場合によっては、ピアノ・ソロが終ってメイン・テーマに戻る前に入ることもある。

こういうセカンド・リフ(と僕が勝手に呼んでいるだけ)は、最初に書いた『ウォーキン』収録曲でのアレンジでも聴ける。一曲目のタイトル・ナンバーでも二曲目の「ブルー・ン・ブギ」でも、サックス・ソロの背後にホーン・リフが入り、ピアノ・ソロが終ると、セカンド・リフが入っているのが聴ける。

そういったスモール・コンボでのホレス・シルヴァーのアレンジ能力は、殆ど天才的と言ってもいいくらいの閃きというか素晴しさだ。そして個人的な見解では、その最高傑作が『6・ピーシズ・オヴ・シルヴァー』の「セニョール・ブルーズ」。
「セニョール・ブルーズ」は、タイトル通りラテン・テイストな曲調のブルーズ・ナンバーで、ブルーズもラテンも大好きな僕にとっては、理想的なハード・バップだ。この『6・ピーシズ・オヴ・シルヴァー』というアルバム、大学生の頃は地味な内容だなあと思っていたけど、今では一番好きなアルバム。

「セニョール・ブルーズ」でも、お聴きになれば分るように、ホーンのソロの後、ピアノ・ソロの前にセカンド・リフが入る。そしてこの曲の場合は、そのセカンド・リフの部分だけ、リズムの感じが変化するのも面白いよね。いつもはあまり面白くないと感じるホレスのピアノ・ソロも、この曲ではいい。

今も聴直したけど、この「セニョール・ブルーズ」というのは、完璧なマスターピースだね。どこからどう聴いても欠点がない。モノラル録音なのと、ハード・バップにしては地味な感じがするといった程度だろうけど、どちらも欠点にはならない。ホレス・シルヴァーの曲単位での最高傑作に間違いない。

こういうのが好きなわけだから、ソロ第一作の『アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ』に入っている「ザ・プリーチャー」や「ドゥードゥリン」のファンキーな面白さが、以前の僕に分るわけがなかった。

「ザ・プリーチャー」→ https://www.youtube.com/watch?v=GEvru0HLKJc
「ドゥードゥリン」→ https://www.youtube.com/watch?v=tu4o65SwUIw

「ザ・プリーチャー」は、テーマ・メロディが「線路は続くよどこまでも」によく似ている、なんかちょっと民謡みたいな素朴さ。こういうファンキーさって、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの1960年代末のファンク・ナンバーが持っているフィーリングに似ている、というか通底するものがあると以前指摘した(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fd24.html)。ちょっとユーモラスで弾ける感じ。

「ドゥードゥリン」も、今聴くとなかなかファンキーで面白い。そしてこの曲では、珍しくホレスのピアノ・ソロがトップ・バッターだ。バンドではいつも管楽器優先のホレスには、こういうのはあまりない。そしてなかなか悪くないよねえ。

そのホレスのピアノだけど、一時期の彼のリーダー・アルバムには、大抵ラスト付近に一曲、ピアノ・トリオでの演奏が入っていて、ファンはそういうのもかなり好きだったようだ。今でもネットでそういう意見を見掛ける。だけど僕個人は、どうもそういうのはあまり好きではなかったし、今でもそうだ。

ピアノ・トリオとなれば、ホレスのピアノが聴き物なんだから、僕も諦めて聴くけど、その他多くのバンド編成で録音している曲では、トランペットやサックスの達人のソロの後に、ホレスの木訥としたピアノ・ソロが来ると、なんかちょっと興醒めしてしまう気分だった。マイルスの『ウォーキン』でもそうだった。

音源を貼った「ザ・プリーチャー」も「ドゥードゥリン」も、ホレスのピアノは、いつも管楽器の伴奏に廻っている時の方が面白いんじゃないかというのが正直なところ。そして、彼のピアノは左手に非常に特徴がある。モダン・ジャズのピアニストにしてはやや珍しく、左手のリズムがかなり強力だ。

その左手でヒョコヒョコ跳ねるリズムが、ホレスのピアノのファンキーさだけど、右手で弾く素朴なメロも、彼の書く曲のわらべ唄みたいなフィーリングと共通している。そう考えると、彼のピアノも悪くないんだろうけど、まあやはり一種のコンポーザーズ・ピアノみたいなもんで、やはり書く曲がいいんだ。トランペット+サックスという二管編成の作編曲能力なら、ひょっとしてモダン・ジャズ界最高の存在だったかも。

2016/01/13

レバノンで花開くマライア・キャリーの蒔いた種

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同世代にファンは少ないと思うけど、僕はマライア・キャリーが大好き。最初に聴いたのがいつだったのか忘れたけれど、一番好きなアルバムは『MTVアンプラグドEP』。ごく最近のものを除き、彼女のアルバムは大体聴いているけれど、何回聴いてもこれが最高作だとしか思えない。中身は30分もないけどね。

スタジオ・アルバムでは『エモーションズ』が一番好き。一般的な評価としては、おそらくこれがマライアのベストということになっているんだろう。その一曲目のアルバム・タイトル・チューン「エモーションズ」、これが最高なんだけど、『MTVアンプラグドEP』でも一曲目。

そして、僕の耳にはこの「エモーションズ」という曲、どう聴いてもスタジオ・オリジナルより『MTVアンプラグドEP』での演唱の方が、はるかに出来がいいように思えてならないんだよねえ。このEPでは、「エモーションズ」でだけ、作曲者のデイヴィッド・コールがピアノを弾いているんだな。

デイヴィッド・コールのピアノに導かれ、ゴスペル・クワイア風のコーラスがはじまるところから、既にただならぬ雰囲気だ。そしてマライアの絶好調のヴォーカル。ドラムスが入ってイン・テンポになり、猛烈にグルーヴしはじめると、もうたまらない。

https://www.youtube.com/watch?v=z4LikHhNy_0

このスタジオ版オリジナル→ https://www.youtube.com/watch?v=NrJEFrth27Q こっちにも一応女性コーラスが控目に入っているけど、『MTVアンプラグドEP』の方で聴けるようなド迫力ではないね。そのゴスペル・クワイア風のド迫力女性コーラスが、なんたってライヴ・ヴァージョンの最高の魅力だね。

どっちも貼ったから、どっちがいいか、みなさん聴き比べて判断してほしい。繰返すけど、『MTVアンプラグドEP』のライヴ・ヴァージョンの方が、僕の耳には圧倒的にベターだと聞えるんだよね。マライアの歌い方も、スタジオ版オリジナルでは聴けないドスの利いたコブシ廻しで、迫力満点だ。

スタジオ・アルバムの『エモーションズ』を聴いた時から、いい曲だなと思ってはいたけど、ここまで素晴しくいい曲だとは、『MTVアンプラグドEP』を聴くまで気付いていなかったんだよなあ。そのライヴ・ヴァージョンのアレンジも、ピアノで参加しているデイヴィッド・コールが、間違いなくやっているはず。

その前からマライア・キャリーが大好きだった僕は、この『MTVアンプラグドEP』の「エモーションズ」を聴いて、一発でKOされて、完全に虜になっちゃった。彼女独自の鳥のさえずるような超高音も、この時期までのものだけど、最高に輝いているもんなあ。

一曲目の「エモーションズ」だけで、もうこれがマライアの最高傑作だと確信してしまうくらい、お腹いっぱいになってしまうほどなんだけど(まあそれくらいこの一曲は凄すぎる)、二曲目以後の選曲も冴えているよねえ。僕がなかでも特に気に入っているのが、六曲目の「アイル・ビー・ゼア」。

https://www.youtube.com/watch?v=UIt3dx4an9c

(このYouTube動画ではカットされているけど)マライアが紹介しているように、ジャクスン5の「アイル・ビー・ゼア」だ。この曲、たくさんあるジャクスン5で僕の好きな曲の中でも、一番のフェイヴァリットなんだよねえ。このカヴァーが入っているというのも、『MTVアンプラグドEP』のポイントの高いところ。

「アイル・ビー・ゼア」では、当然ながら男性歌手とのデュエットで歌っていて、ジャクスン5のオリジナル・ヴァージョンでのマイケルのパートをマライアが歌っている。最高にチャーミングでカワイイし、僕の知っている限りでは、この曲の最高のカヴァー・ヴァージョンなんじゃないかと思っている。

もう数え切れないほど何度も聴いているというか、マライアのアルバムの中で今でも聴くのは、この『MTVアンプラグドEP』だけなんだけど、聴く度に、これがもっと長く60分くらいあればなあと思ってしまう。わずか30分もないもんなあ。内容も素晴しいから、本当にあっと言う間に終ってしまう。

そういうわけだから、今ではマライアのファンというよりも、『MTVアンプラグドEP』のファンといった方が正確なのかもしれない。一連のMTVアンプラグド・ライヴ・シリーズも、たくさん買って聴いたけど、今でも聴くのは、これと、ポール・マッカートニーのだけだ。エリック・クラプトンのなんか・・・。

クラプトンの『アンプラグド』は、この企画の知名度を高めたという意義はあったんだろう。今となってはそれだけじゃないのかな。僕もあれが出た当時は何回か聴いたんだけど、古いブルーズ・ナンバーの弾き語りも、ブルーズ特有の猥雑なアクが完全に消えて小綺麗になってしまっているし、「レイラ」もあんな感じではねえ。

それに比べたら、同じ古参ロック・ミュージシャンによるものでも、ポール・マッカートニーのは面白い。ビートルズ・ナンバーもいい。なかでも特に「アンド・アイ・ラヴ・ハー」は官能性の強い仕上りで、オリジナルを超えているように思えるし、古いブルーズ・ナンバーも賑やかで楽しいし、さすがの出来映え。

それはともかく、マライア・キャリー。彼女のヴォーカルが良かったのって、『エモーションズ』(1991)『MTVアンプラグドEP』(1992)など、90年代前半までだったと思う。それ以後は歌の伸びやかさがなくなって、高音も出づらくなって、キラキラとした歌声の輝きがなくなった。

1990年代半ば以後も、別にそんなに悪いというわけでもない。並の歌手じゃないんだから、少しくらい衰えたってまだまだ聴けるし、僕も20世紀のうちはアルバムを買い続けてはいた。だけど、あのヒットして有名になったクリスマス・ソングだって、もちろん悪くないけど、あれくらいなら他の歌手でも歌えるだろうと。

いまどきあまり関係ないような気もするけれど、マライア・キャリーの父親はアフリカ系なので、彼女もいわゆる黒人。そのせいなのかどうなのか、鈴木啓志さん編纂の『US・ブラック・ディスク・ガイド』にも、前述の1991年作『エモーションズ』が選ばれて載っていた。

1990年代以後のマライア・キャリーは、全世界的に有名になったので、いろんなところにその種子が蒔かれているみたいだ。昨年意外なところでそれを発見した。それはレバノン人若手女性歌手ヒバ・タワジ。2015年になって買いやすくなって聴いた2014年のデビュー・アルバム『ヤ・ハビビ』。これがマライアそっくりなんだ。

ヒバ・タワジは1987年生れだから、子供の頃にマライア・キャリーを聴いて育ったんだろう。とにかくアルバムを聴けば、マライアの強い影響が一聴瞭然。というかそのまんまというか、さえずるような高音部での歌い方なんかは、間違いなく完全にマライアのコピーだ。ヒバ・タワジに関して、マライアに言及している人が多いのも当然。

そのアルバムも、レバノン人がプロデュースしたレバノン人歌手の作品だけど、ほぼ完全に黄金のアメリカン・ポップス・サウンドだし、他にいろいろYouTubeでヒバ・タワジを検索してみると、例えばウィットニー・ヒューストンも歌ったりしているし、米国ポップス~R&Bをたくさん聴いているんだろうね。

マライア・キャリー本人はもうあんまり声が出なくなっているけど、それはある程度年齢を重ねればそうなる歌手もいるようだから、仕方がないんだろう。しかし、ヒバ・タワジみたいな若手レバノン人歌手などに、確実にマライアの音楽的財産が受継がれて、しっかり生きていることを実感すると、なんだか嬉しいね。

ヒバ・タワジの『ヤ・ハビビ』、プロデューサーのウサマ・ラハバーニは、父の兄弟がやったフェイルーズの作品を意識したに違いなく、同様の盛大で劇的なオーケストラ伴奏が入っている。でもそのサウンドにもヒバの歌い方にも、ローカルなアラブ色は薄く、万人受けする普遍的な傑作だから、強くオススメする。

ところでどうでもいいことだけど、僕が間違いなくマライア・キャリーの最高傑作だと信じている『MTVアンプラグドEP』、マライアの英語版ウィキペディアのディスコグラフィーにも載っていない。ライヴ・アルバムだということ以上に、短いEPだからということで載っていないのかなあ。最高なのに、これが素晴しいと書いてある文章に出会うことは少ない。

2016/01/12

カッコイイのは音だ、生き方じゃない

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チャーリー・パーカーという人は、日常生活というか音楽以外の面では、みなさんご存知の通りとんでもなくメチャクチャな人で、彼のコンボでデビューしたマイルス・デイヴィスも、「バードのことは人間としてより音楽家として尊敬していた」と言っている。パーカーをアイドル視していたマイルスだけど。

パーカーが1945年に自分のコンボに雇ってデビューさせた頃のマイルスのトランペット演奏は、まあはっきり言ってなんの魅力もない。サヴォイ録音でもダイアル録音でも、ディジー・ガレスピーとかファッツ・ナヴァロなどに比べたら、聴きようがないとしか思えないもんなあ。

それなのにどうしてマイルスをレギュラー・メンバーに雇っていたのかということについて、パーカーは、自分の饒舌なアルトと抑制の効いたマイルスとが、音楽的に絶妙なコントラストを形成するからだと言っていたけど、実は違うんじゃないかなあ。本当の理由はもっと別のところにあったような気がする。

マイルスの実家はイースト・セントルイスにあって、父親は歯科医で母親は教師という、当時の黒人にしてはかなり裕福な家庭に育った、いわばボンボンなのだ。ジュリアード入学とパーカーを頼ってニューヨークに出てきてからも、親からの仕送りが結構な金額続いていたようだし、生活には困らなかった。

パーカーは、そんなマイルスの住むアパートに転がり込んで、家賃からなにから全部マイルスに面倒を見てもらっていた。そういうわけだから、そのまま世話になるばかりでなんにもしないというのは、さすがのパーカーでもちょっと悪いと思ったんじゃないかなあ。それでマイルスを雇ったんだと僕は思っている。

そう考えないと、例えばディジー・ガレスピーが吹くナンバーがスリル満点の火花散らすようなもので、最高に素晴しいと誰の耳にも明らかなのに、技量が数段どころかはるかに劣るマイルスをレギュラー・メンバーにしたというのは、理解しにくいんだなあ。音楽的な根拠は、完全なる後付けの言い訳だ。

もっともパーカーは、マイルスはじめサイドメンに殆ど給料を支払わず、ギャラは全部シャブ代に消えてしまったようだから、彼を尊敬するマイルスもさすがに我慢できず、首根っこを掴んで「ギャラを支払うのか、死にたいのか?」と迫ったことすらあるらしい。だから、実生活で世話になっているお礼にはならなかったんだけど。

昔から思っているんだけど、パーカーのサヴォイやダイアルの録音に、マイルスさえ入っていなければいいのに、というかもっと言えば、それらが全部パーカーのワン・ホーン・カルテットだったらどれほど良かったかと、それが正直な気持なんだよね。現在残っているものでも、僕はパーカーしか聴かない。

しかし、最初に書いたようにパーカーという人を、録音物以外の面で知れば知るほど、およそこの人とはお友達にはなりたくない、というか一切関わり合いたくないとしか思えない、とんでもない人物だよねえ。音楽作品を聴く限りでは、ジャズ界にこれ以上素晴しいインプロヴァイザーはいないと思うのに。

そういうことがあるから、音楽家とは残した録音作品でのみ評価すべき種類の人達で、音楽と無関係ではないにしても、ちょっとそこから離れたところでの、人物像とか性格とか精神とか生き方とか、そういうものは音楽を楽しむ上では、一切なんの関係もないと僕は考えるようになって、それが現在まで続いている。

もちろん、音楽家の生き方とか精神・魂といったものは、それが全て音楽に反映されるのだという言い方は可能だろうし、僕もまあその通りなんだろうとは思っている。音楽家とはそういう人達なんだろう。しかし音楽作品がどんなに素晴しくても、その人が人間的にも素晴しいなんてことは全然ないんだなあ。

皮肉なことに、パーカー自身が、ジャズマンの生き方は全て音に反映されるのだ、だから立派な音楽を創りたいと思ったら、立派な人生を送らなくちゃダメなんだと、何度か発言している。これには笑っちゃうよねえ。パーカーにそんなことを言う資格はゼロだ。ヤク中・アル中で破滅街道まっしぐらだったのに。

でも僕ら音楽作品を創り出すことなどできない凡人には、およそ計り知れないものがあるんだろうなあ、特にパーカーみたいな空前絶後の超天才みたいな音楽家の場合には。20年来の僕の知合いにほぼ同年代の日本人女性歌手がいて、その人も過食・過度の飲酒・過度の喫煙癖で不健康な人だ。

その女性歌手に言わせれば、確かに酒と煙草のやりすぎは、歌手の命である喉には毒だけれど、それでもそれらなしでは今みたいな歌は絶対に歌えていないはずだという。そういえば、同じようなことを言っていた和田アキ子は、数年前に煙草やめたよね。でも長年の喫煙癖で失った声は戻らないみたいだけど。

ドラッグ中毒はパーカーの代名詞みたいなもんだったけれど、これは別にパーカーだけではなく、最近のウィントン・マルサリス以後のクリーンなジャズメン時代になる前は、僕に分っている範囲では、ディジー・ガレスピーとクリフォード・ブラウンの二人を除き、全員ドラッグ使用経験があるはずだ。

それはパーカーがヤク中だったのにあんなに素晴しい音楽を創り出した人だったから、みんなその真似をするようになったということじゃないのかと言われるかもしれないが、そうではない。ジャズ界最初の巨人ルイ・アームストロングも、マリファナを手始めに、いろんなドラッグに手を出してるんだよね。

ルイ・アームストロングの1928年録音に「マグルズ」(Muggles)という曲があるけれど、この曲名のマグルズとはマリファナのスラングなのだ。もちろんサッチモ以後の全てのジャズマンがドラッグに手を染めている。前述の二人以外本当に全員だから、相当に魅力的なものだったんだろうなあ。

もちろんウィントン・マルサリスの言うように、健康体じゃなければ楽器をきちんと鳴らすことはできないという意見はごもっともだと思う。まさしくその通りだろう。以前テレビ番組で観た誰だったか忘れたがアメリカのヴォーカル・グループの一人が、喉に悪いので冷たい飲物は一切飲まないという人だった。水もなにもかも全て常温にしてから飲むのだという。

しかし、ウィントン・マルサリスはじめ、そういう新時代の音楽家の創り出す音楽作品はどうなのかと言うと、これはまあ全然面白くもなんともないんだよね。ドラッグはもちろん酒も煙草も一切やらない完全クリーンな健康体だから、楽器や声はいい音で鳴っているけれど、中身はおよそつまらないものでしかない。

もちろん先に触れたように、一切ドラッグをやらずかつ最高の音楽を創り出した、ディジー・ガレスピーとクリフォード・ブラウンという二人の好例があるので、クリーンかクリーンでないかは、音楽の創造力にはなんの関係もないものなんだろう。それにパーカーはヤクやらなくてもメチャクチャな人だったしなあ。

そんな具合だから、崇高な精神が崇高な音楽を産み出すというようなものじゃないことだけは確かなことだろう。似たような理由で、僕は音楽の人生・生き方・精神みたいなものは、音楽を聴く際にはなんの参考にもならないと思っている。音楽家の伝記・自伝やそれに類する文章を読むけれど、あくまで音楽を聴く補助でしかない。

なんども繰返しているように、音楽家の「真実」とは音にしかないんだ。それなのに、音と切離すような形で、素晴しい人間だった、カッコよかったなどと言ったりするのは、ちゃんちゃらオカシイ。昨日もデイヴィッド・ボウイが亡くなった際、やはりその種の弔い言葉が並んだけれど、アホらしかった。

デイヴッド・ボウイがカッコよかった、ヒーローだったというのは、音楽作品がそうだったのであって、マーク・ボラン死去後の遺族の生活を支えてあげたとか、落ちぶれたイギー・ポップを救ってあげたとか、その種のエピソードで、ボウイがヒーローだったと書いてあるのを読むと、もうウンザリ。

いわく「生き方(「生き様」と書いてあるのが多かったけれど、この言葉は嫌いだ)がロックだった」とかなんとか。そんなの、「生き方がマンボだった」「生き方がレンベーティカだった」「生き方がンバラだった」とか、その種の言葉は一個も見掛けたことがないけどなあ。ロックだけ特別なのだろうか?

ボウイは「真の不良だった」と言う人もいたりして、ローリング・ストーンズの連中が「永遠の不良」とか言われるのと同様、僕には全く意味が分らない。こと音楽に対する姿勢は、ボウイも、ブライアン以外まだ誰も死んでいないストーンズの連中も極めて真面目だ。それは音を聴けば分るはずなんだけど、音とは離れた部分でのことなんだろうか?それが音楽家に対する弔いの言葉になるのだろうか?

それがどうやら「ロック精神」「ロック魂」とかいう(僕にとっては)ワケの分らないものと結びついているらしく、もしそういう考え方をしないとロックを理解することができないものなんだとすれば、僕にはロックは永遠に理解できない音楽だ。僕は、単に聞える音が美しい・楽しいから聴くだけだもん。

僕にとってのデイヴィッド・ボウイ最大の音楽的功績は、1983年の『レッツ・ダンス』に、当時無名だったギタリスト、スティーヴィー・レイ・ヴォーンを起用して、彼の名を世に広く知らしめたことなんだけど、まあこんな風に思っているボウイ・リスナーって、殆どいないだろうなあ。

マイルスも繰返し言っているんだけど、「いいか、いい人だとか友情だとかで音楽は創れないんだ」。マイルスの場合は、なんたってあのパーカーのバンドで、彼と文字通り寝食をともにして演奏活動をはじめた人だったから、余計一層こういう考え方になったはず。パーカーは「いい人」からは最も遠い人物。

だからまあ、他の方々がロックでもジャズでもその他でも、音楽家をどう考えるかは自由であって、僕には一切関係のないことだけれど、少なくとも僕は音楽家の生き方とか精神とかいうものは、聞えてくる音を理解するための一助としてしか参照しない。肝心なのは音だ。生き方そのものじゃないはずだ。

2016/01/11

マイルス〜『オン・ザ・コーナー』ボックス再考

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ちょっとワケがあって、マイルス・デイヴィスの『コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』六枚組を、全部じっくりと聴直したのだが、分っていたことを再確認すると同時に、いろいろと新たな発見もあって、大変に面白かった。六枚組かつ全部70分程度入っているから、なかなか全部は聴直す機会がない。

このボックスセット、こういうタイトルになっているけど、聴き所は『オン・ザ・コーナー』の未編集テイクとかではない。いや、もちろんそれも面白いんだけど、個人的に面白いと思うのは、1972年から75年までのスタジオ録音未発表作品だ。それが実に大量に入っているんだよね。

『オン・ザ・コーナー』の未編集テイク(1972年録音)では、菊地成孔が、このボックスを聴いて、やっぱり編集されまくりだということが分ったとどこかに書いていたことがあるけど、一体どこを聴いているのか?どう聴いても、作品化されたものは、殆ど編集されておらず、ほぼスタジオ・ライヴに近い。

『オン・ザ・コーナー』のほぼ全てが、スタジオ・ライヴに近かったというのは、このボックスを聴いていない人には、ちょっと信じられない話だろう。僕だって、2007年に出たそのボックスを聴くまでは、相当編集されているんだろうと長年信じ込んでいたもん。だから聴いた時はかなり驚きだった。

『オン・ザ・コーナー』からの未編集・未発表ヴァージョンで一番カッコイイのは、間違いなく「ワン・アンド・ワン(アンエディティッド・マスター)」だね。出だしのデイヴ・クリーマーのギターが最高だ。続くマイルスもカッコイイ。サックスが出てくると、ちょっとガッカリだけど。
この頃からのマイルスのライヴ盤、例えば1973年の『イン・コンサート』(未編集)を聴いて、バンドのサウンドが瞬間的かつ劇的に変化するから、きっと編集されているんだろうと思う人も多かったらしい。そういう人が、マイルスのライヴに足を運ぶと、眼前でその通りのことが起るので驚いたようだ。

というような話をイアン・カーのマイルス本で昔読んだ。でもイアン・カーは同じ本の中で、『アガルタ』『パンゲア』は未編集だけど、そのせいで冗長な部分がかなりあるから、テオが編集した方がよかった、聴き所はソニー・フォーチュンのサックスだと書いていて、こりゃアカンと思ったんだなあ。

まあそれはともかく、『オン・ザ・コーナー』ボックス。二枚目に未発表録音の「チーフタン」(1972年8月録音)があるけど、これ、73年から75年のライヴで盛んに演奏された「チューン・イン・5」じゃないの?全く同じ五拍子のリズムだし、その他のパターンもほぼ同じで、どう聴いてもそうだろう。
ただスタジオ録音の「チーフタン」の方は1972年8月録音だから、シタール(エレクトリック・シタールだけど、つまりギター型の)やタブラなどが入っていて、特にシタールがビヨ〜ンビヨ〜ンと大活躍で、リズム・パターンは全く同じでも、聴いた感じのサウンド・カラーは全く違ってはいるんだけどね。

他の曲もそうなんだけど、1973〜75年のライヴで演奏されていた曲の多くが、当時はスタジオ・ヴァージョンが未発表だった。そもそもスタジオ録音はないんじゃないかとすら思っていたファンが多かったもんなあ。『アガルタ』『パンゲア』でも、リリース当時の既発曲は「マイーシャ」「ライト・オフ」「イフェ」だけ。

同じ二枚目に入っている「U-ターンナラウンド」も、『アガルタ』などで聴ける「アガルタ・プレリュード」と全く同曲。これは、1998年に出た『パンサラッサ』に、ビル・ラズウェルがリミックスしたヴァージョンが、一部だけ収録されていたもの。だからその時に、スタジオ録音があるんだと判明していた。
ボックスの三枚目に入っている「ミスター・フォスター」。これも今聴き返すと「フォー・デイヴ」そのものじゃないか。「フォー・デイヴ」は、『アガルタ』『パンゲア』などでやっていて、この曲はスタジオ録音はないと思っていたけど、あったわけだ。つまり多くの場合、先行するスタジオ録音があった。
「フォー・デイヴ」のデイヴとは、もちろんデイヴ・リーブマンのことで、「ミスター・フォスター」でテナー・サックスを吹いているのがリーブマンだ。これ、1974年のライヴで初披露された曲。その頃はリーブマンがテナーで吹いていたが、75年はソニー・フォーチュンがフルートで吹いている。

むろん「フォー・デイヴ」になった「ミスター・フォスター」(1973年9月録音)は、まだそんなに魅力的なナンバーには聞えない。75年のライヴで化けているわけだ。そもそもスローなファンクで成功しているものは、誰によるものでもあまりないように思うんだけど、「フォー・デイヴ」は稀な成功例。

スローなファンクで大成功しているもので、あとは僕が今すぐパッと思い付くものは、ファンカデリックの『マゴット・ブレイン』タイトル曲とか、ディアンジェロの『ヴードゥー』とか、それくらいだなあ。昔、『ブルース&ソウル・レコード』誌が、ファンク名盤特集で『パンゲア』を載せていたことがあった。

その『パンゲア』をファンク名盤に挙げていたのも、おそらくはディスク1後半(アナログではB面)の「ジンバブウェ」と、ディスク2の「イフェ」〜「フォー・デイヴ」について、それらがスロー・ファンクとして成功しているという意味だったんじゃないかと思う。『アガルタ』よりもね、そっちがね。

『アガルタ』『パンゲア』など、1975年頃のライヴでは盛んに聴けるストップ・アンド・ゴーだけど、スタジオ録音でそれが聴けるのは、唯一このボックス五枚目の「ホワット・ゼイ・ドゥー」だけだ。74年11月録音。マイルスは殆ど吹いてないけど、リズム・パターンとギンギンのギターがカッコイイ。
「ホワット・ゼイ・ドゥー」でのそのギンギンのリード・ギターは、おそらくドミニク・ゴーモンだろう。彼もクレジットされている。ピート・コージーもギターでクレジットされてはいるけど、弾いていないはず。コージーが担当しているのは、チャカチャカ鳴っている金物だろう。

「ホワット・ゼイ・ドゥー」は、「TDKファンク」という曲名で短く編集された3ヴァージョンのラフ・ミックスが、ブート盤で聴けたものだった。このことははさすがにブックレットに記載されている。なぜ ”TDK” かというと、当時マイルスがTDKのTVCMに出演した際のBGMだったから。

その「ホワット・ゼイ・ドゥー」に続き、五枚目ラストに入っている、1975年5月録音の「ミニー」(隠遁前最後のスタジオ録音)は、トランペットとサックスがユニゾンでラインを吹き、その間の伴奏もかなりアレンジされている。一体誰がアレンジを書いているんだろう?ギルかなあ?相当にポップな曲調。
「ミニー」での軽快でポップな曲調は、1985年以後のマイルス・ミュージックを予言しているような感じで、大変面白い。75年隠遁前(しかも、この曲の録音は『アガルタ』『パンゲア』後だから、サックスはソニー・フォーチュンじゃなく、サム・モリスン)には、かなり珍しい曲調だね。

いろいろと未発表スタジオ録音では興味深いことが分るボックスだけど、これに収録されているもので、個人的に一番嬉しかったのは、1973年のシングル盤「ビッグ・ファン/ホーリー・ウード」の初公式CD化。何度か書いているけど、このシングル両面は、曲単位では最も好きなマイルスのスタジオ作品だ。

2007年にこのボックスに収録されるまでは、この「ビッグ・ファン」「ホーリー・ウード」二曲(シングル曲だから、どっちも三分程度)は、オリジナルのシングル盤を探して聴く以外は、ブートCDでしか聴けなかったものだ。僕も73年頃のスタジオ作品など収録したブート盤で愛聴していた。

しかも『オン・ザ・コーナー』ボックスには、(編集された結果の)その二曲の、編集前の元音源「ビッグ・ファン/ホーリー・ウード(テイク3)」(約七分)が、三枚目に収録されていて、それは公式ではもちろんブートでも存在しなかったものだ。これが聴けたのは、相当嬉しかった。編集具合も良く分るものだ。

編集前の元音源では、デイヴ・リーブマンのサックス・ソロやピート・コージーのギター・ソロ、さらにそれらのバックでマイルスが弾くオルガンなども聞えるけど、それらはシングル曲になったものではばっさりカット。しかもその編集が大成功していて、改めてテオ・マセロの手腕の確かさを感じるものだ。

買って最初に聴いた時は、そのシングル盤二曲の初公式CD化と、その元音源が聴けたのと、『オン・ザ・コーナー』の未編集テイクで、充分な気分だったけど、改めて聴直すと、1972〜75年の未発表スタジオ作品群が相当に面白くて、新たな発見だった。昔は分らなかった当時のライヴ音源のスタジオ録音オリジナルが、たくさん聴けたしね。

2016/01/10

自作自演がえらいわけではない

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カヴァー曲をあまりやらず、ほぼ全面的に自分の書いたオリジナル・ナンバーばかり演奏したというのは、ジャズの世界では、おそらくデューク・エリントンが最大・最高の存在だろう。彼に大きな影響を与えたクラシックの世界では、作曲者と演奏者がほぼ完全に分離しているから、簡単には比較しにくい。

シンガー・ソングライター系のロックやポップスなどを中心に聴いている方々にはピンと来ないかもしれないけど、特にジャズの世界では、そういうエリントンみたいなのはかなりの少数派なのだ。僕がすぐにパッと思い付く限りでは、他にはチャールズ・ミンガスとジョー・ザヴィヌルくらいしかいない。

モダン・ジャズの世界で、最もユニークなオリジナル曲をたくさん書いたセロニアス・モンク。彼はもちろん自分の曲をたくさんやったわけだけど、スタンダード曲や、エリントン等先達のジャズ曲もたくさん録音している。モンクの場合は、どっちも面白い。

みなさんご存知だけど、ジャズだけではなく、ロックなど他の世界でも、かつては専門の作詞家・作曲家が書いた他人の曲を歌い演奏するという方が圧倒的に多かった。エルヴィス・プレスリーには、自分で書いたオリジナルなんか殆どない。エルヴィスは歌とギター専門で、昔はみんなそうだった。

クラシック音楽のことは分っていないので言わないことにして、ポピュラー・ミュージックの世界では、世界中のいろんなものの歴史全体を見渡してみたら、1920年代からのエリントンや、主に60年代からのビートルズにはじまる自作自演の音楽家の方が、むしろ珍しいような。

英米のロック系音楽で、そういう自作自演を一般的にしたのは、ひょっとしたらボブ・ディランだったんじゃないかといいう気がする。ビートルズだってストーンズだって、初期は結構他人の曲(主に米ブルーズやR&Bナンバー)をやっているからね。そしてビートルズは、ある時期にディランの影響を強く受けたようだ。

1971年の『つづれおり』の成功以後、すっかりシンガー・ソングライターの代表格の一人のようになったキャロル・キングだって、それ以前はほぼ専門のソングライターで、自分では歌わず、作詞家のジェリー・ゴフィンとタッグを組んで、多くの曲を様々な歌手に提供していた専業作曲家だった。

もちろん、キャロル・キングの『つづれおり』などを聴けば、自作曲を歌う歌手(シンガー・ソングライター)としてもチャーミングだということが分るし、世間の一般的な評価としてもその魅力が高く評価されているわけだけど、それでもそれ以前の専業作曲家時代の曲にも、凄くいいものが多いよね。

僕が一番好きなキャロル・キングの曲は、ザ・ドリフターズに提供した1962年の「アップ・オン・ザ・ルーフ」→ https://www.youtube.com/watch?v=puM1k-S86nE  完全なるR&Bナンバーだ。白人作曲作詞家コンビが書いた曲かと思うと、少しビックリ。リトル・エヴァが初演の(元々は別の歌手のために書いたものだけど)同じく62年の「ロコ・モーション」もいいよね。

しかしながら「アップ・オン・ザ・ルーフ」に関しては、僕は、歌手としてのキャロル・キングのデビュー・アルバムである1970年の『ライター』収録の自演ヴァージョンの方が好きだ。 歌詞の意味も沁みてきて、聴く度にいつも泣きそうになる。
ブラック・フィーリングを湛えたR&Bナンバーを、黒人歌手達に提供していた白人ソングライターというと、キャロル&ゴフィン・コンビ以外にも、リーバー&ストーラー・コンビとか、フェイムのダン・ペンとか、いろいろといるわけだけど、僕はキャロル・キングがいろんな意味で一番好きだ。

キャロル・キングは、シンガーにもなった『つづれおり』からの曲でも、例えば「ユーヴ・ガッタ・フレンド」が、黒人ソウル歌手ダニー・ハサウェイにカヴァーされているよね。『ライヴ』のヴァージョンは  『つづれおり』での作家自身のヴァージョンよりいいんじゃないかな。
「ユーヴ・ガッタ・フレンド」は無数の素晴しいカヴァー・ヴァージョンがあるけど、ジャクスン5から独立後のモータウン時代のマイケル・ジャクスンもカヴァーしていて、それもなかなかいいんだよなあ。チャーミングだよね。
ダニー・ハサウェイの(僕が考える)最高傑作である1972年の『ライヴ』。この中でダニーは、やっぱり白人ロック系シンガー・ソングライターのジョン・レノンの「ジェラス・ガイ」もカヴァーしている(2004年には、未発表だったビートルズ・カヴァーの「イエスタデイ」も出た)し、黒人だけどマーヴィン・ゲイの「ワッツ・ゴーイング・オン」もやっているね。

1970年代のいわゆるニュー・ソウルの連中ってのは、言ってみればソウル界のシンガー・ソングライター的存在だったとも言えるわけだけど、その中によく含められるダニー・ハサウェイだけは、他人の曲をそうやってカヴァーしているものがある。マーヴィンやスティーヴィー・ワンダーカーティス・メイフィールドは自作曲ばかりやったけど。

1970年代のニュー・ソウルが黒人シンガー・ソングライターだったというのは、おそらく時代の産物でもあったんだろう。60年代からの白人ロック系音楽での自作自演傾向にも刺激されたはず。その後はソウル〜ブラック・ミュージック界でも、歌手が自分で曲を書いて歌うというのが一般的になっていく。

その頃から、英米日のポピュラー・ミュージックの世界では、自作自演が至極当り前というか、そうでないと「一流の」音楽家ではないみたいな感じになってしまったけど、ジャズの世界では、やはり他人の書いたスタンダード曲やジャズ曲なども、たくさん録音されているよね。日本の歌謡曲(含む演歌)もそう。

日本の歌謡曲や演歌の世界では、いまだに作詞作曲家は専業で、歌手も専業というのが一般的だよね。最近は自分で書く歌手も出てきてはいるけど、やっぱり分業が主流だ。演歌の世界にも大きな影響を与えた浪曲の世界では、自作自演歌手もいるけどね。三波春男のいわゆる歌謡浪曲なんかはそうだ。三波春男の一番有名な「俵星玄蕃」だって、彼のオリジナル曲。

僕がここ最近大好きでよく聴いているアラブ歌謡や古いトルコ歌謡の世界では、やはり作家と演者はほぼ完全に分業体制で、アラブ歌謡の歌手もトルコ古典歌謡の歌手も、多くは他人の専業作家の書いた曲を歌う。英トラッドの世界などもそうだね。

トラディショナルな音楽ではそれが当然で、ワールド・ミュージックの世界でも、新しいポップ・ミュージックでは自作自演が主流になっている。ある時期のアフロ・ポップの代表格であるマリのサリフ・ケイタも、セネガルのユッスー・ンドゥールも、21世紀になってのティナリウェンもそれ以外も、みんなそうだ。

これは、(時代に合わせて変りはするものの)伝統文化の継承という意味合いの強い音楽と、新しく時代の文化を創り出すという意味合いの強い同時代のポップ・ミュージックとの、「曲」というものに対する考え方の違いなんだろうね。どっちがいいとかではない。

ただ、英米日等のポピュラー・ミュージックの世界では、ある時期以後、自分で歌う曲は自分で書くという人の方が、なんかちょっと「えらい」というか、専業作家の曲しか歌わない歌謡曲歌手に対して、「自分で曲も書けないくせに」などと悪口を言ったりする人がいたりするのには、僕は強い違和感があるのも確かなことなのだ。

2016/01/09

アート・ペッパーはディスカヴァリー録音が最高

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僕が生まれて初めてライヴを聴いた音楽家は、ジャズ・アルト・サックス奏者のアート・ペッパーだった。確か1980年のことじゃなかったかと思う。当時は松山で大学生をやっていた僕だけど、ペッパーが松山にも来たんだよなあ。他に憶えているのは、ピアノがジョージ・ケイブルズだったことだけ。

当時通っていたジャズ喫茶のマスターには「アート・ペッパーに行くのなら、ピアノのジョージ・ケイブルズがいいから、彼を聴け」と言われた。店では戦前ジャズしかかけないのに、ケイブルズみたいな当時新進の若手を、どうしてそんなに知っているのかも不思議だったけど、ペッパーには期待するなというのが、裏の意味だったのかも。

当時大学生で、新しいジャズメンの動向にも注目していたはずの僕でも、ジョージ・ケイブルズは特になんとも思ってなかったし、そんな裏の意味も読取れなかったから、普通にアート・ペッパーが聴きたくて行っただけだった。その頃はペッパーが大好きだったし、昔のアルバムはもちろん、当時の新作もよく聴いていた。

当時の新しいアルバムで一番好きだったのが、ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤LP三枚組。ドラムスがエルヴィン・ジョーンズで、ベースがジョージ・ムラーツ(ピアノが誰だったか憶えていない)。エルヴィンはもう大ファンだったし、ジョージ・ムラーツはこれで知った人だけど、ファンになった。

そういうわけで、最初のアート・ペッパーの松山公演には、終演後サインをもらおうと、そのヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤を持っていった。いざ生を聴いてみると、まあペッパーに関しては特に強い印象はなく、とはいえ大ファンだったから、そんなに悪いとも思えず、平均的な出来だっただろう。

そして、ジャズ喫茶のマスターの言った通り、ピアノのジョージ・ケイブルズがすこぶる良かった。ケイブルズはこの頃数年間、晩年のペッパーと行動をともにしていたみたい。1975年復帰後のペッパーは、モーダルな演奏法などにも取組むようになっていて、ケイブルズはそれにピッタリの人材だった。

当時の様々なペッパーのアルバムにも、ケイブルズはよく参加していた。ライヴでケイブルズが凄く良かったのを体験して以後は、ペッパーのアルバムを聴いても、それまではあまり意識していなかったケイブルズのピアノに耳が行くようになった。しかし件のジャズ喫茶マスターはどうしてケイブルズを評価していたのだろう?

あっ、今調べてみたら、アート・ペッパーのヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤のピアニストも、ジョージ・ケイブルズだなあ。う〜ん、これを全く憶えていなかったのは、どうしてなんだ?このライヴの録音は1977年だから、ケイブルズはデビューして間もなくじゃないのかなあ。よく知らんけど。

当時のジャズ・ジャーナリズムやファンの間では、ペッパーは復帰前がいいか復帰後がいいかという、結構激しい論争が繰広げられていた。復帰前がいいという人は主にレコードでペッパーを評価する人で、復帰後がいいという人は、やはり復帰後頻繁に来日するようになったライヴに足を運んでいる人だった。

「復帰」といっても、確かアート・ペッパーは二回復帰している。1956年の『リターン・オヴ・アート・ペッパー』で三年間のブランクから復帰したのが一回目。75年の『リヴィング・レジェンド』で七年間のブランクから復帰したのが二回目だけど、普通はその二回目の方を言うことが多いようだ。

僕なんかは1979年になってジャズを聴始めたという相当に遅れて来たファンだったから、ライヴはもちろんレコードでだって復帰後のアルバムしかリアルタイムでは体験できていない。だから、復帰前・復帰後に関係なく並べて一緒に聴いていた。粟村政昭さんなどは復帰後は全く評価していなかったけれど。

今聴くと、粟村さんが『ジャズ・レコード・ブック』の中で言っていたように、復帰後のアルバムには、1950年代のような輝きは全くないし、はっきり言って聴けたものではない、というとちょっと言過ぎだけど、まあ評価できないね。その50年代の録音も初期のものほど良くて、徐々に閃きがなくなっていく。

1950年代初期のアート・ペッパーというと、僕が一番好きなのはディスカヴァリー・レーベル録音だ。これは昔アナログ盤二枚でリリースされていて、今ネットで調べると、昔は<幻の名盤>だったとか、法外な値段で取引されていたとかいう情報が出てくるけど、そんなことはなく、普通に買えたのだった。

このLPがそれはもう大好きになり、ペッパーを知ってしばらく経ってからは、これこそが愛聴盤だった。だから、二回目のペッパー松山公演には、このレコードにサインをもらおうと終演後楽屋にこれを持っていった。ペッパーはそのジャケットを見ると、オオ!と言って少し驚いた様子。

ディスカヴァリー盤は、1952〜54年録音。この次に好きなのが、56年録音のタンパ盤『アート・ペッパー・カルテット』。今でもCDでたまに聴くことがあるのは、このディスカヴァリー盤とタンパ盤の二枚だけだなあ。どっちもCDで完全盤がリリースされているし、iTunes Storeにもある。

復帰後のペッパーもよく取りあげて演奏した生涯通じての愛奏曲「ベサメ・ムーチョ」も、そのタンパ盤『アート・ペッパー・カルテット』のが一番いいんだなあ。「アイ・サレンダー・ディア」もいいし、「ブルーズ・アット・トゥワイライト」もいい。ペッパーはこの時代の白人にしてはブルーズの上手い人だったな。

復帰前も復帰後もブルーズ・ナンバーをたくさんやっているし、そのこともそうなんだけど、ペッパーを西海岸を拠点にしていたジャズマンだからといって、いわゆる<ウェスト・コースト・ジャズ>に分類すると、それはちょっと違うだろう。資質的にはイースト・コーストの黒人サックスに近い感覚の人だ。

確かにいわゆるウェスト・コースト・ジャズの人達との共演が多いペッパーだけど、聴けば分るように、ペッパーの音色は白人特有のカスカスの軽いものではなく、しっとりと湿っていて、チャーリー・パーカーの系列。テッド・ブラウンの『フリー・ホイーリング』でも、ペッパーだけ異質に浮いている。

その『フリー・ホイーリング』には、アート・ペッパーの他、テッド・ブラウンとウォーン・マーシュという二人のサックス奏者(テナーだけど)が参加しての三管編成。ペッパー以外の二人は、いわゆるウェスト・コースト系白人サックス特有のスカスカの軽い音色で、僕はそういうのも案外嫌いじゃないけどね。

しかしやはりペッパーの湿った強い音色が目立ってしまう。ところで、『フリー・ホイーリング』はテッド・ブラウンのアルバムなのに、現行CDでは<アート・ペッパー&テッド・ブラウン>の表記になっている。テッド・ブラウンみたいな超無名サックス奏者の名前では売れないという判断なんだろう。

もちろんビバップ系白人アルト・サックス奏者でも、アート・ペッパーは、例えばフィル・ウッズほどにはチャーリー・パーカー的ではない。というかまあフィル・ウッズが異常にパーカー的なのだと言った方が正確かもしれない。とはいえ、ペッパーも1952年頃にはパーカーの継承者の一人と評価されてはいたようだ。

そんなわけで、先に書いたように、今でもたまに聴くアート・ペッパーのリーダー作は、1952〜54年のディスカヴァリー録音と56年のタンパ録音の二枚だけだ。特にディスカヴァリー録音は瑞々しくて弾けている。アップ・テンポでは軽快に、バラードではしっとりと、本当にチャーミングなんだよねえ。

ペッパーのディスカヴァリー録音から、ちょっと聴いてみてほしい。
「ブラウン・ゴールド」https://www.youtube.com/watch?v=qr8PG44bnwc
「ジーズ・フーリッシュ・シングス」https://www.youtube.com/watch?v=n6lKw_7D9FQ

なお、1956年のペッパーのタンパ録音は、『アート・ペッパー・カルテット』の三ヶ月前の録音で、もう一枚、ピアノのマーティー・ペイチ名義のアルバムがある。こっちも同じ時期の録音だから同じようにペッパーも魅力的で、「虹の彼方に」なんかもいいんだけど、どうしてだかあまり聴かないんだなあ

2016/01/08

再び蘇るオスマン古典歌謡〜『Meydan』

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いやあ、やはり何度聴いても素晴しすぎる。カラン配給のアラトゥルカ・レコーズ第二弾『Meydan』。このアルバム・タイトル、トルコ語の発音に自信がないけれど、『メイダン』でいいはず。一応、各国語の発音を実際に音を出して教えてくれるサイトでも確認した。

『メイダン』は、トルコ本国では昨年11月にリリースされている。アラトゥルカ・レコーズのTwitter公式アカウントをフォローしているので直後に知って(その数ヶ月前に、ヤプラック・サヤールが新作を録音中とツイートしていたので、出るのは分っていた)、すぐにエル・スールさんに取寄せを依頼し、現在問い合せていただいている最中なんだけど、これがいつ入荷するのかサッパリ分らない。

そうこうしているうちに、一昨日水曜夜に、まあこんなものがあるわけないよなと思いつつ物は試しと、何の気なしにiTunes Storeで検索してしまったのが、ラッキーというかアンラッキーというか、見つかってしまったのだ、『メイダン』が。嬉しいと同時に大いに困り、五秒ほど悩んで買ってしまった。CDだって買うのに、我ながらアホな金の使い方だ。でもゾッコンだから我慢できなかったんだよなあ。

それでもう聴きまくっているわけだけど、Macで聴き、CDRに焼いてオーディオ装置で聴きして、もう十回は聴いただろうか。とにかく水曜夜に発見してダウンロード購入して以来数日間、もうこれしか聴いていないという有様。それくらい素晴しい内容なのだ。再び21世紀に蘇ったオスマン古典歌謡。

これ以下の文章は、アルバム・タイトルと曲名以外には完全に音しかないという、完全にデータなしの状態で書くもので、音だけもらってデータなしでライナーやレヴューを書くこともあるらしい音楽ライターさんの気持とはこういうもんなのかと、ほんのちょっぴり分ったような気分。いろいろと間違っているだろうけれど、ご容赦を。

2014年秋の第一作『Girizgâh』で聴き慣れているはずの音楽で、『メイダン』だって、中身は金太郎飴状態というか、同じようなものなのに、なぜか新鮮で何度聴いても聴き飽きるどころか、どんどん良くなるスルメ状態。ほぼ全員聴き慣れた声の歌手達で、少人数のシンプルな伴奏もほぼ同じだ。

しかし最大の違いは、『Girizgâh』も全体的に哀感に富むとはいえ、活き活きと快活な感じもあったのに対し、『メイダン』は、これはもう哀感なんてもんじゃなく、悲哀に満ちたというか、これ以上に音から悲哀が伝わってくる音楽って、他にあるのだろうかと思ってしまうほど、物悲しい感じ。

いきなり出だしの一曲目「アマン・カナ・ベニ・サッド・エト」からして、イントロのカヌーンのサウンドがそんな感じだし、合唱による歌がはじまると、まるで悲劇映画で人がさめざめと泣いているようなシーンにピッタリ似合いそうな、そんな悲しいフィーリングの旋律だ。すぐに男性独唱になる。

その男性独唱(声で誰だか分るけれど、音しかなくデータが一切ないので、間違っていたらいけないから書かない)による旋律を聴いていると、なんだかひどく落ちこんで塞ぎ込んでいる時の自分の気持にそっと寄添ってなぐさめてくれているような、そんな感じだなあ。独唱の背後に女声合唱の伴唱が小さく入る。

二曲目もそんな悲哀に満ちた曲調で、こんなのが続くのなら、それはそれでちょっとしんどいかもなと思いながら聴き進むと、三曲目からはそうでもなく、『Gizizgâh』で聴き慣れたオスマン古典歌謡の世界に戻ってくる。しかし哀感調であることに変りはない。オスマン古典歌謡とはそんな音楽のようだし。

もちろんなかには少し快活な感じがする曲もある。10曲目の「イチム・ヤニヨール・カビム・カニョール」などはそうだ。悲哀に満ちてもいないし暗い感じでもなく、やや明るく軽快なナンバー。楽器奏者の伴奏も躍動していて、それに乗って歌う女性歌手も跳ねている。まあしかしこういうのは例外的だ。

17曲目「コック・ヤシャ・セン・アヤシェ」も、女性歌手の歌い方が、明るいというのではないけれど、かなり跳ねていて、特にフレーズの末尾ごとに、まるで米ロカビリー歌手みたいにクイッとしゃくり上げるような感じで、元からそういう旋律の曲なんだろうけど、こういうのは、アラトゥルカ・レコーズの音楽では聴いたことがない。

書いたようにほぼ全員聴き慣れた声の歌手(一人か二人、知らない声が混じっている)だし、特にアラトゥルカ・レコーズの歌手達のなかで最も愛するヤプラック・サヤールが単独で歌う数曲は、これとこれだということは間違いないと思うんだけど、やはりこれもデータがなく間違っていたらいけないので、書かない。

ダウンロードした音源は、人名のところが全て “Alaturka Records” になってしまい、誰が歌っているか分らないのだ。これは『Girizgâh』CDをインポートした時もそうだったので、その時はCDブックレットの記載を見ながら全部手動で歌手名を一曲ずつ全部入直したけれど。

まあヤプラック・サヤールに関しては、あまりに好きすぎて、贔屓の引倒しみたいなことになってしまうし、それでますます耳が曇ることになっているだろうから、やっぱり書かない方がいいだろう。CD現品が到着して確認するまでの楽しみに取っておこう。ヤプラック以外も、だいたい全曲誰だか分るんだけどね。

当然『Girizgâh』とダブっている曲があるわけはなく、全曲聴いたことのない「新曲」だ。そうは言っても、当然全部19世紀末〜20世紀初頭のオスマン帝国時代のトルコで創られ歌われ、なかにはSP録音された曲ばかりのはず。それを21世紀の新録音で再現したもので、「新しい」音楽ではない。

『メイダン』での少人数の当然完全アクースティックな伴奏陣は、『Girizgâh』の時よりもさらに少人数になって、多くの曲で伴奏楽器は一つか二つ。それでじっくりと歌手の歌を聴かせるようなアレンジになっているものが多い。しかも前奏や間奏で入るだけで、歌の背後では弾かなかったりする曲もある。

『Girizgâh』でも、じっくり歌を聴かせるようなアレンジになっていたけれど、ここまでではなかった。まるで無伴奏で歌うのが伝統の英国トラッドでも聴いているような気分だ。一曲か二曲、全く楽器なしのアカペラもある。アラトゥルカ・レコーズのリーダー、ウール・イシュクの意向なんだろう。

アラトゥルカ・レコーズによるオスマン古典歌謡って、まあ激シブというか地味というか、歌手の歌だってしっとりと落着いているような雰囲気のものばかりだけど、時折刺すような鋭さを感じることがあるよね。鋭さとか強靱さといったものが歌にあるというのは、世界中の優れた大衆音楽に共通するもの。

そんな具合で、『メイダン』では楽器奏者は完全なる脇役、音が聞えはするものの、あくまで歌をサポートする役目しか果していない。なかではウール・イシュク(だと思うけど)の弾くチェロが、やや目立つ。『Girizgâh』の時よりもたくさんチェロの音が聞えて、先月のコンサートの時のようだ。

伴奏楽器では、チェロの他ではカヌーンも目立つ。というかカヌーンが伴奏楽器のなかでは一番の主役みたいに聞える。先月の大阪でのコンサートの際も、カヌーンは、ウール・イシュクのチェロ同様活躍していた。チェロかウード、カヌーン、クラリネット(その他管楽器)、あとはほんのわずかな打楽器程度だね。

アルバム中、26曲目(CDでは二枚目九曲目)の「バハール・ファスリ」が、なぜか17分近くもあるという、この種の音楽にしては珍しいはずの長尺曲。この曲では歌以外の楽器奏者の演奏部分も長く聴けるし、合唱や独唱による歌も躍動的。いつも淡々としている彼らにしてはちょっと珍しく、ドラマティックな曲展開だ。

それにしても『Girizgâh』でもそうだったし『メイダン』でも、他の曲はSPサイズの三分〜五分程度なのに、この17分近いという長さはなんなんだろう?聴いていると、時々聴き慣れたようなメロディも聞えるような。まあ録音技術発明前の生演奏では、この程度の長さがザラにありはしたんだろうけれど。

そんなわけで、既に大いに楽しんでいる『メイダン』。CDが入荷したらそれももちろん買う。僕は配信で先に聴いてもCDで聴く楽しみが減るということが全くない人間で、昨年のベストテン第一位に選んだレー・クエンも第四位のファーダ・フレディもそうだった。そういうことだから、エル・スールの原田さんよろしくお願いしますね!

2016/01/07

アクースティック・ギターの音が大好き

Sticky

Burritodeluxe








ロックやポップス・ナンバーで、全面的にアクースティック・ギターが活躍する曲も大好き、というか最近はどっちかというとそれの方が好みになってきているんだけど、エレキ・ギターやエレピがメインの曲で、控目にさりげなくアクースティック・ギターが小さく鳴っていたりするのは、もっと好きだ。

例えば、僕がレッド・ツェッペリンと並んで、一番最初に好きになった洋楽歌手であるビリー・ジョエルの代表曲「素顔のままで」。ビリー・ジョエルの弾くフェンダー・ローズとヴォーカルから始るけど、すぐにアクースティック・ギターが入るよねえ。
まあこの曲の場合は、そんなにエレクトリックなサウンドとも言えないし、アクースティック・ギターだって、地味目というよりはっきり聞えるから、ちょっと最初に僕が書いたような感じではないかもね。でもやっぱり主役はフェンダー・ローズだと思うんだよねえ。リズムを刻むアクースティック・ギターがステキだ。

ビリー・ジョエルの曲にはこういうのが多くて、エレキ・ギターを大きくフィーチャーしたロック・ナンバーが多い『グラス・ハウス』などは例外的だ。ビリー・ジョエルって、ロック歌手とも言いにくくて、ロック系のポップ歌手なんだろう。厳密に区別するのは無意味なことだけど。

純然たる(ってなんなんだ?)ロック・バンドだと、1968〜72年頃のローリング・ストーンズが、まさにそういうアクースティック・ギターを控目かつ効果的に使っている代表例の一つだろう。それもあって、やっぱり僕はストーンズではこの時期が一番好きなんだよねえ。この時期にはそんな曲が多い。

1968年の『ベガーズ・バンケット』や、次作の69年『レット・イット・ブリード』みたいな、全面的なアクースティック・サウンドの曲が多いアルバムも大好きだけど、個人的にはその次からの71年『スティッキー・フィンガーズ』と72年『メイン・ストリートのならず者』の方がもっと好きだ。

例えばハードなロック・ナンバー「ブラウン・シュガー」だって、エレキ・ギターが中心にはなっているけど、アクースティック・ギターが実に効果的に入っているよねえ。 キース・リチャーズの弾くエレキ・ギターのリフ四回が終った直後から聞える。
この「ブラウン・シュガー」のアクースティック・ギターも、間違いなくキースが弾いているはずだ。そして実にいい感じのアクセントというか隠し味というかスパイスになっているよねえ。振返れば、『ベガーズ・バンケット』一曲目の「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」だって、アクースティック・ギターが入っている。

もっとも「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」の完成品を聴いても、アクースティック・ギターは聞えない。それに気付いたのは、ジャン・リュック・ゴダール監督の映画『ワン・プラス・ワン』を観てからだった。あの映画での同曲制作途中のシーンでは、全員がギブスン・ハミングバードを弾いている。

それを観てから思うようになったのだが、ストーンズの連中がスタジオで曲創りをしていく過程では、どうもアクースティック・ギターをメインに組立てていっているのではないだろうか。覗いたことなんかないから分らんけど、なんかそんな気がしているんだよねえ。そう考えると合点がいくことが多いんだ。

もともと米国産ブルーズやR&B一本槍のバンドだったストーンズに、1968年頃からだんだんカントリー・ミュージックの影響を強く受けた曲が増えてくるというのも、この事実と深い関係があるように思う。カントリー・ミュージックの影響は、その時期からの米南部音楽嗜好と決して無縁ではない。

『スティッキー・フィンガーズ』では、「ブラウン・シュガー」と並ぶ代表曲である「ワイルド・ホーシズ」。 スパイス的にエレキが入る以外は、アクースティック・ギター中心のサウンドだけど、カントリー風であると同時に南部風味を強く感じる。
グラム・パースンズ在籍時代のバーズとフライング・ブリトー・ブラザーズからの影響が、この頃は強くなっていて、やはり『スティッキー・フィンガーズ』収録の「デッド・フラワーズ」なんかモロそうだよねえ。 凄くチャーミングだと思うなあ。
この頃のストーンズとグラム・パースンズの関係は、みなさんご存知の通りかなり深いもので、「デッド・フラワーズ」がグラム・パースンズ関連の歌だというだけでなく、「ワイルド・ホーシズ」は、グラムが曲に惚れ込んで頼み込んで、フライング・ブリトー・ブラザーズの方が先に録音・発売している。

そもそも1969/70年頃からストーンズの連中にカントリー系のロック音楽を教えたのは、他ならぬグラム・パースンズだという話もあるくらいだ。実際、69年の『レット・イット・ブリード』から、それがはっきり伺える。次の『スティッキー・フィンガーズ』では、それがそのまんまモロに出ているわけだ。

「ワイルド・ホーシズ」も「デッド・フラワーズ」も、1995年の『ストリップト』で、全面的なアクースティック・サウンドで再演していて、実はこのアルバムは(ストーンズではおそらく個人的には最新の)愛聴盤なんだけど、でも両曲ともオリジナルにはあった南部風味はほぼ消えちゃっているんだな。

ただそうではあるけれど、「ワイルド・ホーシズ」だけに関しては、個人的には『ストリップト』ヴァージョンの方が、『スティッキー・フィンガーズ』のオリジナルより、出来がいいんじゃないかと思っている。 ダリル・ジョーンズのベースやチェック・レヴェルのオルガンがいい感じ。
この「ワイルド・ホーシズ」は、当時CDシングルでも発売された。その四曲入りシングル盤には、その他は当時のライヴから「タンブリング・ダイス」「リヴ・ウィズ・ミー」「ギミー・シェルター」が収録されている。「タンブリング・ダイス」は、控室でピアノを弾きながらの遊び演奏から突然本番ライヴに繋がるという面白い趣向。

1969年頃から顕著になったストーンズのアクースティックなカントリー・ロック路線は、その後もずっと続いていて、カントリー・ロックというより、カントリー・ナンバーそのものじゃないかという曲もあったりする。1978年の『女たち』収録の「ファー・アウェイ・アイズ」などがそうだ。
お聴きになれば分る通り、「ベイカーズフィールド」という言葉も歌詞の中に出てくるもんねえ。アクースティック・ギターを中心としたサウンドの中に、ロン・ウッドの弾くペダル・スティール・ギターが入って、そのまんまカントリー・ナンバーだ。

またカントリー・ロックとは言いにくいけど、1994年の『ヴードゥー・ラウンジ』では、「スウィートハーツ・トゥゲザー」一曲に、アコーディオンのフラーコ・ヒメネスが参加して、テックスメックス味がちょっとだけある。この曲もアクースティック・ギターが控目かつ効果的に使われているもんなあ。

以前書いたように、僕は『刺青の男』一曲目「スタート・ミー・アップ」出だしのギター・リフでストーンズに惚れちゃった人間なので、長い間、エレキ・ギターのリフがカッコイイ曲が圧倒的に大好きで、アクースティック・ギターが聞える曲は敬遠していたくらいだった。レッド・ツェッペリンにしてもそうだった。

それが1990年代後半からは、ストーンズでもツェッペリンでも、どういうわけか、どっちかというとアクースティック・ギターが中心だったり、それが効果的に入る曲の方が好きになってしまった。ツェッペリンのそれは主にジミー・ペイジの英国トラッド趣味だけど、ストーンズのは米カントリー風味だね。

それでも、英トラッドや米カントリーそのものには興味はあるものの、ブラック・ミュージックほどには聴いていない。やっぱり、それらがロックなど他ジャンルとクロスオーヴァーしたものが好きなんだろう。エレクトリック・サウンドに控目に入るアクースティック・ギターが好きという話をしようと書始めたのに、なんだかちょっと違うようなことになっちゃったな。

2016/01/06

なあベイビー俺はよくしてやっただろ

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普通はジャズ・トランペッター&ヴォーカリストに分類されることの多いホット・リップス・ペイジは、僕の捉え方では、ちょっとストレートなジャズというよりも、もっとなんというか猥雑で下世話な、どっちかというとブルーズ寄りの人だと思っている。

だからホット・リップス・ペイジのことを書いて、これはジャズの話題かと思われると、ちょっと心外な気がしないわけでもない。彼は元々マ・レイニー、ベシー・スミス、アイダ・コックスといった、いわゆるクラシック・ブルースの歌手の伴奏でキャリアをスタートさせた人だ。

ホット・リップス・ペイジは、一般のジャズ・ファンには、おそらくカウント・ベイシー楽団での活動が一番認知されているだろう。もちろんそれも大変にいい。普通のジャズ・トランペッターとしても優れたミュージシャンだ。だけど、彼のリーダー録音を聴くと、もっと猥雑でブルージーで下世話だ。

聴く人がだんだん減っているみたいだから、忘れられつつあるのかもしれないけど、戦前のジャズ系録音には、そういう猥雑なフィーリングのものもかなりあったんだ。もちろん録音だけではなく、生演奏の現場でも間違いなくそうだったんだけど、現在では録音物でしか実際には確かめられないからね。

ピュアなジャズ・ファンが、戦前ジャズのうち「真面目な」聖典と崇めるルイ・アームストロングやエリントンやベイシーだって、戦前の録音では、芸能色の強いものが結構あるんだ。そのうち、サッチモ以外の二人は、戦後はそういう芸能色がかなり薄くなっていったけど、元々はそういうものだったんだ。

中村とうようさんが『大衆音楽の真実』の中で、ルイ・アームストロングとエリントンの、同じ1920年代録音の「タイト・ライク・ディス」と「黒と茶の幻想」を並べて論じ、その後のジャズはエリントンの示した方向性、すなわち生真面目な芸術性へ向ったと書いたことがある。本当にその通りだよなあ。

ルイ・アームストロングの「タイト・ライク・ディス」は、真面目なジャズ・ファンからは、3コーラスにわたる見事な構成のトランペット・ソロにだけ焦点が当たるけど、あの曲には男女の卑猥なやり取りを模した掛合いが入っていて、そのせいで英語圏のジャズ・ファンにはイマイチ人気がないらしいよ。

戦前のジャズはそんな感じで、「芸術」と「芸能」が分化していなくて、だから僕みたいにポピュラー・ミュージックには、小綺麗なお芸術より下世話で猥雑なモノを求めるリスナーには、これほど楽しい音楽はない。世界中のポピュラー・ミュージックをいろいろ聴いてみると、そういうものの方が多い。

ホット・リップス・ペイジを聴いても、まさにそんな感じで、例えばこの「サースティ・ママ・ブルーズ」。これなんか1940年の録音なんだけど、それにしてはややスタイルがやや古いというか、その20年くらい前のクラシック・ブルーズの雰囲気だ。
それに1940年のジャズ系録音で、こんなにエレキ・ギターが活躍しているものはあまりない。ブルーズ系音楽を見渡しても、戦前はまだエレキ・ギターはこんなには活躍していない。だいたいこれを弾いているギタリストは誰なんだ?ブルージーだよねえ。モダンなシカゴ・ブルーズの雰囲気じゃないか。

だから、この「サースティ・ママ・ブルーズ」なんかは1940年の録音にしては古いような新しいような、不思議な感じだよなあ。40年前後のホット・リップス・ペイジのリーダー録音を聴くと、どれもこんな感じで、古いクラシック・ブルーズみたいなのに、エレキ・ギターが活躍しているものが多い。

それが1944年になると、ホット・リップス・ペイジはもっと大人数のバンドを編成して、ドラマーも入って、ジャジーというかジャンプ・バンド系のサウンドに近くなってくる。この「ロッキン・アット・ライアンズ」なんかそんな感じだね。
「ロッキン・アット・ライアンズ」はお聴きなれば分るように、ホット・リップス・ペイジのリーダー録音にしては珍しく歌が入っていないインスト物だけど、数年後に同じジャズ系トランペッターのクーティー・ウィリアムズの楽団がやっていたジャンプ系録音と比較しても、殆ど遜色ない躍動ぶりじゃないか。

この「ロッキン・アット・ライアンズ」でドラムスを叩いているのは、シドニー・カトレット。戦前のジャズ・ドラマーで僕が一番好きな人だけど、ピュア・ジャズの録音で聴くことの多い人だ。でもこういうジャンプ系音楽でも見事にスウィングしているね。タイム感も正確で、最高のドラマーだなあ。

また同じ1944年録音の「ブルーズ・ジャンプト・フォー・ザ・ラビット」。これなどは、冒頭のピアノが完全にブギウギだ。このピアノはエイス・ハリス。アースキン・ホーキンス楽団の「アフター・アワーズ」50年コーラルへの再演で、見事なブルーズを弾く人だ。
ブギウギはブルーズの一種だけど、しつこく何度も書いているように、ジャンプ・ミュージックの重要な構成要因というか土台であり、その後のR&B〜ロックのベースにもなった。ホット・リップス・ペイジをジャンプ〜R&Bの文脈の中に位置付ける文章は、僕は見たことがないけど、こういうのがあるんだよなあ。

ホット・リップス・ペイジは、米ブルーズのメッカの一つ、テキサス州ダラス生れで、書いたように1920年代にクラシック・ブルーズ歌手の伴奏を始め、その後、プリ・ジャンプとも言うべきブルーズ色の強いカンザスのウォルター・ペイジ楽団、カウント・ベイシー楽団などを歴任したというキャリア。

そういうキャリアの持主だから、自分のバンドでも、ブルーズ・ベースの芸能色の強いジャンプ〜前R&B的な音楽を主にやったというのも、十分に納得。その一方で、ジャズに片足以上踏み入れていた人だから、自分の楽団でも「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」などのストレートなジャズ・スタンダードもやっている。

でもまあそういうジャズ・スタンダードを、どうってことのない普通のジャズ風にやっているものはかなり少なく、ホット・リップス・ペイジの自己名義録音では、どっちかというと珍しい部類に入る。そういうのが出てきたかと思うと、次の曲はまた猥雑なブルーズ系芸能ジャズになったりするもんなあ。

そういうホット・リップス・ペイジのジャズと芸能的なブルーズとの両面が合体した、一番面白い最高傑作が「ジー・ベイビー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」だ。この曲、1944年録音が有名だけど、実は41年にも一度録音しているらしい。でもその41年音源は見当らない。
「ジー・ベイビー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」は、1929年にドン・レッドマン等が書いた古い曲。かなり猥雑というかエッチな感じなのは、さすがドン・レッドマンの曲だけある。これはもうジャズマンによる無数の録音がある。一番有名なのはナット・キング・コールのヴァージョンかも。
なかなかいいけど、でもこれも、あるいはその他ビリー・ホリデイやルイ・アームストロングとエラ・フィッツジェラルドのデュオ・ヴァージョンも、どれを聴いても、あんまり卑猥な感じがしないよね。

ジャズ系のミュージシャンによるヴァージョンでは、やっぱりさきほど貼ったホット・リップス・ペイジのが、猥雑なフィーリングがよく出ていて、一番いいね。ペイジのヴォーカルもトランペット演奏も、かなり下世話でいい感じだなあ。

面白かったのが、1994年の映画『ザ・マスク』で使われたヴァージョン。 これ、キャメロン・ディアスが当て振りしているけど、本当に歌っているのは誰なんだろう?この曲の持つ猥雑なフィーリングが、画面からもよく出ていて、そのシーン含め、大好きな映画だった。

2016/01/05

プリンスの一番ディープなファンク・アルバム

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プリンスの今までのアルバムの中で一番好きなのが『ワン・ナイト・アローン…ライヴ!』三枚目の『アフターショウ』。もちろんライヴ録音なんだけど、これはどうもタイトル通り、ライヴ本編の後(アフターショウ)に、ファンの前でヒッソリと行われ録音されたものらしい。

『ワン・ナイト・アローン…ライヴ!』三枚組が出るまでは、プリンスで一番好きなアルバムは『サイン・オ・ザ・タイムズ』で、その次が『パレード』だった。そして『ワン・ナイト・アローン…ライヴ!』はプリンス初の公式ライヴ盤にして、今でも唯一。いや 待てよ、『インディゴ・ナイツ』があったな。

曲単位なら、三枚組ベスト盤『ヒッツ&Bサイズ』の一枚目に、一曲だけライヴ録音の「ナッシング・コンペアーズ 2 U」が入っていた。あれは、シネイド・オコーナーに提供した曲のプリンス自身によるヴァージョン。

ブックレットをよく見ていないので、何年頃のライヴ録音かは分らない。
『ヒッツ&Bサイズ』は1993年リリースだから、その前、おそらく90年代初期の録音じゃないかと思う。プリンス&ニュー・パワー・ジェネレイション名義になっているし。「ナッシング・コンペアーズ 2 U」は、曲単位では一番好きなプリンスなのだ。他人に書いた曲だけど。

「ナッシング・コンペアーズ 2 U」、実を言うと、シネイド・オコーナーのオリジナル・ヴァージョンはそんなに好きではない。まあ女性が歌う曲だという気はするけれども、僕は『ヒッツ&Bサイズ』収録のプリンス・ヴァージョンの方が圧倒的に好き。あれ、シングル盤とかで出せばいいのに。

ところで、あの『ヒッツ&Bサイズ』三枚組。目玉はもちろんシングルB面曲を集めた三枚目だろう。僕もあれをよく聴く。二枚目は殆ど聴いたことがない。「KISS」のエクステンディッド・ヴァージョンが聴ける程度だし。で、一枚目は「ナッシング・コンペアーズ 2 U」のためだけに聴く。

僕が最初に聴いたプリンスは、ご多分に漏れず大学生の時の『パープル・レイン』だった。でもそれは僕が買ったレコードではなく、ロック好きの弟(こればっかりだが)が買ってきたものを、僕も借りて聴いていたのだった。ラストのタイトル曲含め繰返し聴いた。

その頃、マイルス・デイヴィスがプリンスのことをえらく誉めていて(まだ彼がワーナーに移籍する前で、プリンスとの交流もまだなかったはずの頃)、特に「パープル・レイン」という曲は、自分も吹いてみたいと発言していたことがあるのを憶えている。確かにあの頃のマイルスには似合いそうな曲だよね。

プリンスは、その後これも弟が買ってきた『パレード』を聴いて、これで完全にプリンスにはまった。ジャケットも好きだったし、元は映画音楽だけど、純粋に音楽として聴いていて、これが麻薬的に素晴しかった。だから、次作の『サイン・オ・ザ・タイムズ』は自分で買った。

一曲目のタイトル・ナンバーがエイズのことを取りあげた曲だったんだけど、そんな社会派的な歌詞なのに曲調は軽快なファンク・ナンバーで、スムースに聴けるものだった。これにはじまる一枚目A面を繰返し繰返し聴いたのだった。それと二枚目A面。実は今でもそれ以外の面はあまり熱心に聴いていない。

何度か書いているようにLP時代は二枚組偏愛だった僕は、やはりこれがしばらくはプリンスの最高傑作だと思っていたし、今でもスタジオ作品ではこれこそがプリンスのベストだと信じている。他にも傑作アルバムはあるけど、これを越えていないような。

スタジオ作品では、というのも、2002年に『ワン・ナイト・アローン…ライヴ!』が出て、最初に書いたようにこれの三枚目『アフターショウ』が物凄いディープなファンクで、ライヴでもスタジオでも、これ以上のプリンスの音楽はないと確信するようになったからだ。殿下も凄いけど、バンドもいいね。

実を言うと『ワン・ナイト・アローン…ライヴ!』も、一枚目と二枚目の本編は、そんなに何度も繰返しては聴いていないんだなあ。とにかく三枚目の『アフターショウ』を一度聴いて虜になってしまって以後は、もうこればっかりだ。『アフターショウ』は、ファンカーとしてのプリンスの特徴が剥き出しになっている。

後になって買って聴いた、『パープル・レイン』以前の作品とか聴くと、デビュー時のプリンスはポップ・ミュージシャンみたいな感じで、殆どファンクな感じはしない。『パープル・レイン』でもそんな感じはまだない。おそらくレコードでは『パレード』と『サイン・オ・ザ・タイムズ』以後じゃないかな。

DVD作品とかで、その当時のプリンスのライヴ・ステージを聴くと、ライヴでの彼はファンカーというよりロッカーという趣が強くて、『サイン・オ・ザ・タイムズ』の「ハウスクエイク」とか「ドロシー・パーカー」みたいなのが大好きな僕には、もっとブラック・ファンクな面を出してくれと思っていた。

だいたいプリンスという人、ジェイムズ・ブラウン的な要素はもちろんあるんだけど、黒人ファンカーでは、どっちかというとスライからの影響の方が強い音楽家で、さらに白人であるジョニ・ミッチェルの影響などもあって、真っ黒けというより、白黒混交のブラック・ロックみたいな側面の強い人ではある。

スタジオ作品では、その後も『ラヴセクシー』とか『ブラック・アルバム』とか『カム』みたいなセクシーなファンク路線のアルバムがあって、そういうのは僕は大好き。三枚組の『イマンシペイション』も黒人音楽的な側面が強くて好き。プリンスにそういうものを求めてしまうのは、やや違う気もするけど。

僕のプリンス観がそういうものだから、『ワン・ナイト・アローン…ライヴ!』三枚目の『アフターショウ』には、本当に快哉を叫んだね。これこそが求めていたプリンス・ミュージックだった。あの三枚目には、一曲だけPファンクの総帥ジョージ・クリントンも参加している。どうってことないけどね。

ジョージ・クリントンはじめ、その他ゲストの入る三曲目までは、僕はなんとなく聴いている。真っ黒けで大好きではあるけど、『アフターショウ』の本領はプリンスとバンドだけの演奏になる四曲目以後だ。ドラムスとベースがヘヴィーなファンク・ビートを繰出す中で、プリンスのギターも歌も弾けている。

全曲ズルズルと繋がっているというソウル〜ファンクのライヴ・マナーに則っているんだけど、四曲目が終って引続き五曲目の「アルファベット・ストリート」をギターでカッティングし始める辺りは、何度聴いてもゾクゾクする。「アルファベット・ストリート」もスタジオ版よりグッとファンク度が増している。

六曲目の「ピーチ(エクステンディッド・ジャム)」は、テンポを落し、グッと重心の低いヘヴィーなファンクになっている。『アフターショウ』の中で一番長い11分ある演奏で、これがおそらくこのアルバムのハイライトだろう。二本のアルト(一人はメイシオ・パーカー)+トロンボーンのリフもいい。

七曲目のお馴染み「ドロシー・パーカー」では、ラテン・ファンクなアレンジになっていて、プリンスはエレピを弾いている模様。『サイン・オ・ザ・タイムズ』収録のオリジナル・ヴァージョンにはないリズム・ブレイクがあって、それが魅力的で面白い。コンガのソロもあるというラテン風。

その「ドロシー・パーカー」の中盤以後、アクースティック・ピアノの音でソロを弾いているのが、プリンスなのかレナート・ネトなのかはちょっと分らない。その中盤以後、テンポをアップして、ビート感も強いファンク・ナンバーになる。後半に入るホーン・リフは、完全に自然発生的なもののようだね。

続くラストの「ガールズ&ボーイズ」は、アカペラの歌から始って、ピアノ・ソロ〜ギター・カッティングと続く辺りで、ヘヴィーなファンク調に変貌する。ここでのホーン・リフもプリンスが口で指示して即座に即興的に吹かせたもの。その他プリンスのギター・カッティングがサウンドを下支えしている。

若干エレピを弾いたりはするものの、この『アフターショウ』全般にわたって、プリンスの弾くギターがいろんな意味でバンドのサウンドを支配していることが分る。(エレピもそうだけど)本当にギターが上手いよね。そして、こういうディープなファンク・ミュージックこそ、プリンスの最も魅力的な姿だ。

殿下のギター&ヴォーカル、レナート・ネトのキーボード、ロンダ・スミスのベース、ジョン・ブラックウェルのドラムス、メイシオ・パーカーとキャンディー・ダルファーのアルト、グレッグ・ボイヤーのトロンボーンと、バンドの面々も最高の演奏だし、僕はこれ以上に凄いプリンスは聴いたことがないね。

2016/01/04

マイルスによるサントラ盤

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生きていれば、今年でちょうど90歳になるマイルス・デイヴィス。彼による映画のサントラ盤は、『死刑台のエレベーター』(1957年)『ジャック・ジョンスン』(70年)『シエスタ』(87年)『ディンゴ』(91年)の四つ。このうち、『ジャック・ジョンスン』は元々映画のサントラ盤として録音されたものではないから、外されることがある。

部分的参加アルバムなら、おそらくデニス・ホッパー監督の1990年作『ホット・スポット』のサントラ盤も有名だろう。スコアをジャック・ニッチェが書き、マイルス、ジョン・リー・フッカー、タジ・マハール等が共演している。でもこれはジョン・リー・フッカーを聴くアルバムで、マイルスは全くダメだ。

部分的に、一曲だけ参加とかいうサントラ盤なら他にもいくつかあるけど、アルバム全体がマイルスの手になるものは、先の四つだけ。その四つ、映画本編を観ていないのは『ディンゴ』だけ。というか、このオーストラリア映画、そもそも日本で公開されたのか?

1991年9月のマイルスの死後、92年6月に「遺作」である『ドゥー・バップ』が出るまでは、そのサントラ盤『ディンゴ』が、マイルス最後の作品ということになっていた。マイルス・ファンにとっては、生涯最後の作品がこんなアルバム(と言ったら悪いかなあ?)だというのは、残念なことだった。

『ディンゴ』のサントラ盤は、数十年ぶりにミッシェル・ルグランと組んだもので、全編完全にアクースティックなサウンド。でもまあ、はっきり言ってあれはちょっとなあ。それでも出た当時は何度も聴いたんだけど、今後はもう聴くことはないだろう。なお映画には、マイルスは役者として出演もしている。

出演しているといっても、書いたように、僕は映画本編は観ていないから、サントラ盤にそういう写真と情報が載っていたので知っているだけ。マイルスは他にも役者として出演した映画が何本かある。僕はどれも観ていない。マイルスには強い興味があるけど、役者として出演した映画自体には興味が湧かないものばかり。

『死刑台のエレベーター』と『ジャック・ジョンスン』と『シエスタ』は、マイルスによるサントラ盤が凄く面白くて、映画とは無関係に音楽だけ聴いても面白い。だから映画にも興味が湧くけど、『ディンゴ』のサントラ盤は、もうどうにもこうにも面白さが見出せないものだったからなあ。

まあ『ジャック・ジョンスン』だって『シエスタ』だって、元々映画自体にはあまり興味はなく、日本ではマイルスによるサントラ盤の方が先に発売されていて、それを聴いて興味を持って、音楽がどう使われているのかと思って観に行ったというものだった。どっちも映画本編は全く面白くなかったような。

だから、映画自体も素晴しかったのは、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』だけだ。これは最初どこかの名画座で観て、その後テレビ放映されたのも観た。ルイ・マル監督によるマイルス・ミュージックの使い方も効果的。その後はサントラ盤だけ聴いても、映画のシーンが脳裏に浮ぶようになった。

『死刑台のエレベーター』サントラ盤が録音されたのは1957年なんだけど、この時マイルスはファースト・クインテットを解散して渡仏していて、現地フランスのミュージシャン(と当時フランス在住のアメリカ人ドラマー、ケニー・クラーク)を起用しての録音だった。聴けば、腕利きジャズメンだと分る。

そして1957年録音の『死刑台のエレベーター』には、マイルスが翌年58年から導入するモード奏法の萌芽とも思える部分があって、大変に面白い。いくつかの曲で、マイルスが吹いている時に、しばらくコードが変らないまま続く部分がある。「ドライヴウェイのスリル」とか「モーテルのディナー」とかだ。

音源を聴直さず記憶だけで書くからあやふやだけど(サボってゴメンナサイ)、これらの曲でコードが変らない間、マイルスは自由に水平的な旋律を繰出している。こういうインプロヴィゼイションのやり方は、もう少し前から散見される。以前、マイルスは垂直的なコード分解のアドリブをあまりやらない人だと書いたことがあるね。

そういったモード奏法への接近として聴いても面白い『死刑台のエレベーター』だけど、そういうことを言わなくても、音楽的に非常に面白い、というか楽しめるアルバムだよね。映画自体は1950年代の古い映画だから、なかなか観るということにならず、十年ほどはサントラ盤ばかり聴いて、妄想していた。

大学生の頃は、毎週日曜日の午後には、自室で『死刑台のエレベーター』サントラ盤を聴くと決めていた。なんか日曜の昼下りにピッタリだと思っていた。そして聴きながら、まだ一つも観たことのないフィルム・ノワールの雰囲気を思い浮べていたのだった。妄想を逞しくするに十分な内容の音楽だったし。

特に好きだったのが「シャンゼリゼを歩むフロランス」とか「プティバックの酒場にて」とかいった、テナー・サックスのバルネ・ウィランがマイルスと絡みながら演奏を展開するナンバー。バルネ・ウィランの名前はこれで初めて知った。随分後になって、1970年代に『モシ』みたいなアルバムがあるのを知った。

バルネ・ウィランのそういう1960年代後半からのフリー・ジャズ〜ロック〜ワールド・ミュージック路線の作品を知り、今聴くとそういうものがなかなか面白いと思うけど、大学生の頃は、ただの普通のフランス人モダン・ジャズ・テナー・サックス奏者かと思っていたんだなあ。

それはともかく、「シャンゼリゼを歩むフロランス」や「プティバックの酒場にて」などでは、アメリカン・ジャズにはない一種独特の雰囲気で、1950年代のモダン・ジャズが同時代のフランスのフィルム・ノワールによく似合うのも納得だった。一度聴くと頭から離れない魅力のある演奏だよね。

『死刑台のエレベーター』では、アメリカ時代の昔馴染みケニー・クラークの、ブラシを使った熟練ドラミングに乗って、マイルスが快活なミュート・ソロを展開する「ドライヴウェイのスリル」とか「モーテルのディナー」といったアップ・テンポの曲も聴応えがあった。ピエール・ミシュロのベースもいい。

オリジナル・アルバムのラスト「モーテルの写真屋」では、スロー・テンポの気怠い雰囲気(そう、「気怠い」というのが、このアルバムを貫いている雰囲気だ、だから、昔の僕が日曜の昼下りにピッタリ合うと感じたんだろう)に乗って、マイルスが最初オープンで出て、その後すぐにハーマン・ミュートになる。

「モーテルの写真屋」は、このサントラ盤白眉の一曲だろう。こういったバラード風(厳密な意味での「バラード」ではない)のスローな曲で、ハーマン・ミュートで吹くプレイは、この1957年当時、まさにマイルスの自家薬籠中のものとでもいうべきものだった。映画本編でも、どんでん返しになる場面で実に効果的に使われていた。

これはもう今更繰返す必要もないはずだけど、今でもネット上の文章では散見されるので書いておくと、このサントラ盤の録音は、映画のラッシュ・フィルム(編集前の映画のポジ)を見ながら、マイルスとバンドが即興的に繰広げたものだという逸話が残っているが、これは今では完全に否定されているウソだ。

完全否定が証明される前の大学生の頃から、僕はこの都市伝説を疑っていた。というのも、サントラ盤を聴くと、一曲目の「テーマ」がアルバムの他の曲全てのモチーフになっていて、全てこれを基に創られていて、しかも曲によっては綿密に準備・アレンジされたようにしか思えないものがあったからだった。

どう聴いても、「ラッシュ・フィルムを見ながらの即興」とは思えなかったんだ。そうしたら、やはりその都市伝説を否定する言説が流れるようになり、やがて21世紀になると、リハーサルや未完成ヴァージョン等を全て収録した完全版CDが発売されたことで、その都市伝説が完全なるウソであることが証明された。

そもそもマイルスというジャズマン、一発勝負のアドリブに全てを懸けるというタイプの人ではない。ファースト・リーダー・アルバムが『クールの誕生』だったように、マイルスはあらかじめよく練られたアレンジ中心のバンド・サウンド重視型の音楽家だ。「出たとこ勝負のジャム・セッションみたいなものでは、ロクなものができないんだ」とも発言している。そろそろこの都市伝説は撲滅してほしいものだ。

とまあ『死刑台のエレベーター』についていろいろと書いたけど、これは大学生の頃の愛聴盤だったわけで、マイルスが創ったサントラ盤で今一番好きなのは、疑いなく『ジャック・ジョンスン』。電化マイルスの方が圧倒的に好みである僕は、マイルスによるサントラ盤では今ではこれしか聴きません。

2016/01/03

ジミー・ラッシングのヴァンガード盤

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僕は熱心なジャズ・ファン、しかも戦前ものをたくさん聴いているから、ジミー・ラッシングというブルーズ・シャウターも、間違いなくカウント・ベイシー楽団在籍時の録音で知ったんだろうと思われそうだけど、実はそうではない。大学生の頃、ヴァンガード盤LP二枚で知った。

そのジミー・ラッシングのヴァンガード盤LPを、彼の入っている戦前のベイシー楽団のLPを買うより前に買って聴いていた。ヴァンガード盤は、戦後録音(確か1950年代)だけど、最高だったんだよなあ。ジミー・ラッシングのヴォーカルもいいし、バックのジャズメンの演奏もよかった。

今CDで持っているヴァンガード盤のジミー・ラッシングは『ジ・エッセンシャル・ジミー・ラッシング』という、二枚のヴァンガード盤LPを一枚のCDに収録したもの。もう一枚、『コンプリート・ゴーイン・トゥ・シカゴ・アンド・リスン・トゥ・ザ・ブルーズ』という、そのまんま2in1なタイトルのCDも持っているが、曲順が違うだけ。

前者一曲目の「ブギ・ウギ」のスウィング感とか、二曲目の「シー・シー・ライダー」(ベシー・スミスも歌った古くからあるブルーズ・スタンダード)とかも最高に素晴しかった。「シー・シー・ライダー」は、もう無数のヴァージョンがあるんだけど、このヴァンガード盤ジミー・ラッシングで初めて知った曲だ。

リロイ・カーの有名ブルーズ・ナンバー「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」もやっている。このブルーズ・スタンダードは、数多いリロイ・カーの有名曲の中で、個人的には一番好きな曲なんだけど、そうなったのはもっと随分後のことで、この曲もリロイ・カーのオリジナルは当時は知らなかった。

B.B. キングの『ライヴ・アット・ザ・リーガル』の一曲目だったので、それで知った「エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルーズ」もやっている。この曲だけはBBのヴァージョンの方を先に知っていたわけだけど、全然雰囲気が違う。どっちかいいとかじゃない。どっちもいい。まあBBの方が好きだけど。

「ハウ・ロング・ハウ・ロング」にしても「エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルーズ」にしても、リロイ・カーやB.B. キングなどのオリジナルは、生粋のブルーズなんだけど、もちろんジミー・ラッシングだって生粋のブルーズ・シンガーではあるけれど、いつの時代も常に伴奏者がジャズマンだったから。

だからジミー・ラッシングなどの場合は(戦前のクラシック・ブルーズ歌手達とちょっと似て)、ジャズとブルーズの中間あたりに位置付けた方が分りやすい人なのかもしれない。クラシック・ブルーズの女性歌手達が苦手だというブルーズ・ファンもいるみたいだけど、ジミー・ラッシングはどうなんだろう?

大学生の頃の僕は、主にジャズのレコードばかり買っていたから、ブルーズのフィールドにいる人でも、ベシー・スミスやジミー・ラッシングみたいな、そういう「ジャズ・ブルーズ」というか、その両者の中間辺りに位置付けられるブルーズ・シンガーの方が得意だった。

そういうわけだから、ブルージーなダウンホーム・ブルーズより、洗練されたジャズ的な都会派ブルーズの方が好きだったわけだ。今聴いても、「ハウ・ロング・ハウ・ロング」とか「シー・シー・ライダー」とか「エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルーズ」等のブルーズ有名曲が、全然違って聞えるよねえ。

あともう一つ、ヴァンガード盤ジミー・ラッシングが好きだったのは、1950年代のLP録音だったので、伴奏のジャズメンのソロがたっぷり聴けるというのもあった。これはジャズ・ファンならではの心理だろう。ジミー・ラッシングを聴く人でも、ロック系のブルーズ・リスナーには邪魔に感じるかも。

ヴァンガード盤ジミー・ラッシングの伴奏ジャズメンの中で、当時も今も一番好きなのが、ピアノのピート・ジョンスンだ。二枚丸ごと全部がピート・ジョンスンではないらしんだけどね。そう、あのブギウギ・ピアニストだ。このヴァンガード盤でも、見事なブギウギ系ピアノ演奏ぶりを聴かせてくれている。

『ジ・エッセンシャル・ジミー・ラッシング』のラストに「イフ・ディス・エイント・ザ・ブルーズ」という曲があって、この曲だけ、B.B. キング風のモダン・シカゴ派ブルーズ・ギターが入っている。この曲はなぜかジミー・ラッシングの歌が入っていないインスト・ナンバー。昔は好きじゃなかった。

そういえば、1920年代に活躍したクラシック・ブルーズ歌手アルバータ・ハンターの78年復帰作『アムトラック・ブルーズ』も、全曲の伴奏が当時のトラッド・スタイルのジャズメンで、ジャジーな雰囲気なのに、B面一曲目のタイトル曲「アムトラック・ブルーズ」でだけ、ブルージーなエレキ・ギターが入っている。

大好きな『アムトラック・ブルーズ』も、そのシカゴ・ブルーズ風なエレキ・ギターが弾く一曲だけが、昔は好きじゃなかった。大学生の頃からB.B. キングにハマっていて、そういうギターが大好きだったのに、なぜだろう?やはりジャズ・ブルーズ系の音楽には、そういうものを求めていなかったんだろうなあ。

ヴァンガード盤ジミー・ラッシングの「イフ・ディス・エイント・ザ・ブルーズ」も、アルバータ・ハンターの「アムトラック・ブルーズ」も、今ではそういうブルージーでダウンホームなエレキ・ギターが大好き。そうなったのは、しばらく後になってブルーズ・ミュージックを本格的に聴くようになってからだった。

ジミー・ラッシングに関しては、その戦後録音のヴァンガード盤LP二枚を愛聴していたわけだけど、その後戦前1930年代のカウント・ベイシー楽団での録音を聴くと、そっちもかなりいい、というかむしろそういう戦前ベイシー楽団との録音の方がいいんじゃないかと思えるようになってきた。

ヴァンガード盤LPで聴いていた「ブギ・ウギ(アイ・メイ・ビー・ロング」も「イヴニン」も、1930年代デッカ録音のベイシー楽団で、ジミー・ラッシングが歌っている。おそらくそれがラッシングによる初演だろう。今聴直すと、どう聴いても、そっちの方がヴァンガード盤録音より断然いいように思える。

そもそもカウント・ベイシー楽団に限らず、カンザス・シティのいろんなビッグ・バンドは、ブルーズが大得意、というより、僕の見方では、ジャズとブルーズの中間くらいに位置付けた方がいいように思う人達で、だからこそ、その後のジャンプ・ミュージックを産み出す母胎になったというわけだ。

そういうわけだから、ジミー・ラッシングみたいなブルーズ・シャウターとの相性も、抜群によかった。1930年代ベイシー楽団でのジミー・ラッシング等のブルーズ・シンガーのヴォーカルを聴いていると、実に活き活きとして、伸びやかに歌っている。ベイシーのピアノもサイドメンの演奏も息がピッタリだ。

戦前1930年代のカウント・ベイシー楽団のデッカ録音(CD三枚組で完全集がある)を聴くと、ジミー・ラッシング等のブルーズ歌手との録音以外でのバンドだけでの演奏でも、ブルーズ・ナンバーが実に多いというか、ブルーズばっかり。一番有名な「ワン・オクロック・ジャンプ」だってブルーズだ。

その1930年代デッカ録音集には、ビッグ・バンドではなく、カウント・ベイシーらのピアノ・トリオ+ギターによる演奏も結構入っていて、その中にはあのリロイ・カーの有名曲「ハウ・ロング・ブルーズ」と「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン(イン・ジ・イヴニング)」もあるというブルーズ傾倒ぶり。

そういうわけだから、戦後のヴァンガード盤LP二枚で大ファンになったブルーズ・シャウター、ジミー・ラッシングも、戦前カウント・ベイシー楽団での録音の方が、その後は圧倒的に好きになったというわけ。そもそもカンザスのバンドは、ジェイ・マクシャン楽団もその他もほぼ全部ブルーズ・シンガーを雇っていたしね。

余談だけど、1940年代のジェイ・マクシャン楽団が雇っていたブルーズ・シンガーはウォルター・ブラウン。マクシャン楽団では「コンフェッシン・ザ・ブルーズ」が一番有名だ。そしてこの頃同時にチャーリー・パーカーも在籍していて、アルト・ソロを吹く曲もあるんだよね。

2016/01/02

大は小を兼ねる

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僕はモダン・ジャズのスモール・コンボより、戦前ジャズのビッグ・バンドの方が断然好きだという嗜好の持主。初期のニューオーリンズ・ジャズやディキシーランド・ジャズ以後の戦前ジャズは、ほぼ全員がビッグ・バンド所属経験がある。モダン・ジャズ時代でもある時期まではそうだ。

マイルス・デイヴィスだって、プロとしてのキャリアのスタートはビリー・エクスタイン楽団だ。録音は残っていないけどね。マイルスのアイドルにしてビバップの代表的ジャズマン、ディジー・ガレスピーはアール・ハインズ楽団出身、チャーリー・パーカーはカンザスのジェイ・マクシャン楽団出身だ。全員そうだった。

あのオーネット・コールマンだって、R&Bのビッグ・バンド出身だったんだぜ。もっともオーネットの場合は、最初からああいった吹き方だったらしいから、当然ながらビッグ・バンドでやっていけるわけもなく、すぐにクビになってしまったらしいけど。でもその頃まではみんなビッグ・バンド出身だった。

まあそれくらい、ビッグ・バンドはジャズやその関連音楽の王道だった。大学生の頃は、コンボ中心のモダン・ジャズもたくさん聴いたけど、それ以上に戦前のビッグ・バンド・ジャズをたくさん聴いた。昔はいろんなビッグ・バンドのLPが出ていたけど、CDでリイシューされているものは、その一部だ。

CDで全集的なリイシューがなされているのは、デューク・エリントン楽団とかカウント・ベイシー楽団とかの超有名どころで評価も高い人だけであって、超有名どころでも、評価が下がっているベニー・グッドマン楽団やグレン・ミラー楽団などは、ロクなCDリイシューがされていない。これはどういうこと?

もちろんエリントン楽団やベイシー楽団の戦前録音は、大好物中の大好物なので、それらがほぼ完全集な形でCDリイシューされているのは嬉しい限り。LP時代は入手が難しかったもんねえ。とはいえ、エリントンもベイシーも、1930年代コロンビア系録音が集大成されてないのは、けしからん。

黒人スウィングが大好きな僕だけど、スウィング・ジャズに関しては白人のビッグ・バンドも大好きだった僕。ベニー・グッドマン楽団だって、例の1938年カーネギー・ホール・コンサートは、完全版CD二枚組リイシューがあるけど、同じくらい好きな30年代のスタジオ録音は、全集が出ていないはず。

グレン・ミラー楽団にいたっては、有名曲だけ集めたベスト盤コンピレイションCDでお茶を濁している程度。アナログ時代は、全盛期スタジオ録音の数枚組LP全集が出ていたのを愛聴していたのに。ベニー・グッドマン楽団もグレン・ミラー楽団も、今は全集で聴きたいなどというファンが少ないんだろうね。

グレン・ミラーなんかと思われるかもしれないけど、あの1940年代ギル・エヴァンス時代のクロード・ソーンヒル楽団のお手本はグレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」などの浮遊感にあって、その意味では間接的にではあるが、マイルスの『クールの誕生』にも影響を与えているんだよね。

戦前ビッグ・バンド・ジャズの魅力は、個人的には譜面化されたアレンジとアドリブ・ソロとのバランスだ。何度か書いているけど、インプロヴィゼイションが命のように言われるジャズだって、僕はよく練られたアレンジ中心のものの方が好きなんだなあ。あまりいいジャズ・リスナーじゃないのかも。

おまけに戦前のSP時代だと、約三分の時間制限があるから、一層個人のアドリブ・ソロの時間が短くなって、そのことがかえってビッグ・バンド・ジャズにおける、あらかじめ計算された部分と個人の閃きとのバランスがいい具合になっている。戦後の長時間録音でも、ビッグ・バンドではあまり変化していないけども。

「譜面化されたアレンジ」と書いたけど、カウント・ベイシー楽団の専属歌手だった時代があるビリー・ホリデイによれば、彼女が在籍していた1930年代のベイシー楽団は、譜面を使っていなかったという。ビッグ・バンドで譜面なしは、ちょっと信じがたい話だ。

そして、1930年代のベイシー楽団をじっくりと聴直すと、ひょっとしたらビリー・ホリデイの言うように、譜面なしだったかもしれないと思えてくる。戦後はいろんなアレンジャーを起用して複雑なアレンジも演奏したベイシー楽団も、初期は簡単なリフ中心だったし。

まあだいたいカンザス・シティのビッグ・バンドは、そういうシンプルなリフ中心のヘッド・アレンジでやっている楽団が多い。ベイシー楽団の前身ベニー・モーテン楽団もそうだったらしいし、ジェイ・マクシャン楽団だってそうだ。ブルーズ〜ブギウギ土台のリフの繰返しで盛上げていくダンス感覚が持味。

そういうカンザスのビッグ・バンドの特徴が、1940年代になって、いわゆるジャンプ系のビッグ・バンドを産み出す素地になったのも間違いないことだ。ベイシー楽団やジェイ・マクシャン楽団は、準ジャンプみたいな存在だけど、しかし個人的にはライオネル・ハンプトン楽団やラッキー・ミリンダー楽団などと区別しにくい。

ジャンプ系ビッグ・バンドの話になったけど、現在僕が一番よく聴く戦前〜戦中のビッグ・バンド・ジャズの中では、断然ジャンプ系のバンドが大好きで、本当に魅力的。ライオネル・ハンプトン楽団、ラッキー・ミリンダー楽団、アースキン・ホーキンズ楽団、サヴォイ・サルタンズなどなど。たまらないね。

中村とうようさんが編纂・解説してMCAジェムズ・シリーズの一つとしてリリースされた『ブラック・ビートの火薬庫』(http://www.amazon.co.jp/dp/B00005HKOH/)というアンソロジーが、そういう1940年代のジャンプ楽団ばかり集めていて、これがもう最高だった。今でもよく聴く愛聴盤なんだ。

そのアンソロジーには入っていないけど、1940年代後半のマーキュリー録音でのクーティー・ウィリアムズ楽団も最高だ。リイシュー専門レーベル仏Classicsから『1946-1949』という、同楽団の録音ばかり集めた一枚物が出ていて、これでたっぷり一時間以上聴ける。

この「ブリング・エム・ダウン・フロント」→ https://www.youtube.com/watch?v=0hjR82qlBJ4 「レット・エム・ロール」→ https://www.youtube.com/watch?v=TBzNGV9kSZ8 「マーセナリー・パパ」→ https://www.youtube.com/watch?v=c-H0WZOOuBI こういうのは、もう初期型ロックンロールだね。

実際、これらのクーティー・ウィリアムズ楽団のジャンプ・ナンバーのうち、どれか一曲・二曲、なにかの<ロックンロールの誕生>的なアンソロジーに入っていたことがあったように記憶している。言尽くされていることだけど、こういうジャンプ〜R&Bがロックンロールの初期形態なんだよね。

「大は小を兼ねる」と言うけれど、ジャズだって、ビッグ・バンドの中にはスモール・コンボがあるんだ、だからビッグ・バンドを聴けばスモール・コンボのサウンドだってそこにあるんだ、というとちょっと違うんだろうけどさ。

ビッグ・バンドは人数が多いわけだから、当然、スタジオ録音の際もライヴ・ツアーで移動の際もなかなか大変だし、そもそも経営・維持し続けていくのに相当な苦労があるようだ。実際、景気の悪かった頃は、ベイシー楽団みたいな名門ですら、戦後は1952年までコンボ編成で活動していたくらいだ。そういうマネイジメントの難しさもビッグ・バンドが衰退した理由の一つ。

長くて複雑なソロ・インプロヴィゼイションを聴かせるのが中心になったという音楽的理由もある。そういうわけなので、あれほどたくさんあったビッグ・バンドも、モダン・ジャズ時代にはその数が激減した。だからこそ、現在ニューヨークで、ビッグ・バンドを中心に活動する宮嶋みぎわさん(@MiggyMigwa)などを、非常に応援しているんだよね。

2016/01/01

ハリージの新星(でもない)モナ・アマルシャ

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昨年9月3日にこのブログをはじめた際の最初の記事が、アラブ湾岸のパーカッシヴでポリリズミックな変拍子ポップス、ハリージのことについてだったくらい好きで、だから新年一発目の記事もハリージで。そもそも僕がハリージを知ったのは、モナ・アマルシャの2011年作『ヤ・ナス・ダローニ』でだった。2012年に出た日本盤を四年前に買って愛聴していたそのアルバムを、今日なぜか突然聴きたくなった。

それで聴直していたんだけど、発見当時の驚きはもうないものの、やっぱりなかなかいいアルバムだよなあ。これで初めて聴いたハリージというアラブ圏の音楽ジャンルにも、完全にハマってしまった。僕は元々昔からパーカッシヴなリズム重視の音楽が大好きで、ハリージにハマる素地はあった。

2012年にモナ・アマルシャを知ったのは、しぎょうさんのツイートで紹介されていたからだった。面白そうと思って『ヤ・ナス・ダローニ』を買って聴いたみたら、これが最高に気持よくて、一発で気に入ってしまった。このアルバム、エル・スールで買ったものだとばかり思っていたけど、違うみたいだ。

エル・スールのサイトで探しても出てこないから。アマゾンにはある(http://www.amazon.co.jp/dp/B00DI6I8ZM/)から、そっちで買ったんだろう。僕が買ったのはこの輸入盤ではなく日本盤だったけど、今見たら廃盤だなあ。ハリージについて詳しく解説してあるから、日本盤がいいような気がするんだけど。

『ヤ・ナス・ダローニ』の日本盤解説担当の田中昌さんによれば、この2012年当時、やはりハリージは、まだ日本では殆ど紹介されていない新しい音楽のようなことが書いてある。その中では音楽のことが書いてあって、「またベリーダンスにもハリージというスタイルがあって」と書いてある。

つまり、音楽ジャンルの名称としての方が優先で、踊りの方は二の次みたいな書き方だ。だけど、その後僕が調べたところでは、どうもハリージというのは中東湾岸地方でのダンスの名称として使われている方がかなり先で、そのだいぶ後になってから音楽スタイルの名称にも使われるようになったみたい。

アラブ圏最大のレコード・レーベルはROTANAというサウジアラビアに拠点を置く会社で、僕もここからリリースされているCDをたくさん買っているけど、ハリージもいろいろとリリースしているようだ。サウジやドバイ等が、今のアラブ圏、特に湾岸地方の音楽シーンの中心地になっているらしい。

元々アラブ圏音楽シーンの中心地はエジプトだった。20世紀初頭のSP録音が始ったごくごく初期から、様々な音楽家が活躍し録音を残している。昔と言わず今だってエジプトはアラブ音楽の中心地なんだけど、アラブ圏音楽の比較的新しいスタイルは、他の地方からもどんどんと出てきているわけだね。

中東アラブ湾岸圏と言っても、音楽シーンでは、アラビア語圏ではないイラン(公用語はペルシャ語)は、通常含まれない。もちろんかつて中東で最も発展していたペルシャ古典声楽は周辺諸国に大きな影響を及し、アラブ圏ではないトルコやアゼルバイジャンの古典音楽にも、その影響は及ぶ。

そんな中東アラブ湾岸地方のポップス・シーンで、四年ほど前から活発に動いている音楽ジャンルが、派手に打楽器が鳴るハリージなんだろう。ハリージの若き歌姫モナ・アマルシャは、1988年生れだかから、2016年現在まだ28歳。傑作『ヤ・ナス・ダローニ』リリース時は24歳だった。

『ヤ・ナス・ダローニ』から、結構いろいろとYouTubeに音源が上がっている→ http://www.youtube.com/watch?v=-dQNJsL4xwE&list=PL798C21D363C911EC 興味のある方は是非ちょっと聴いてみてほしい。なかなか楽しいよ。まあポリリズミックな変拍子の曲が多いから、偶数均等拍子に慣れていると、ノリにくいけど。

現在28歳のモナ・アマルシャは、湾岸ポップスの旗手なのに、モロッコのカサブランカ出身らしい。同じアラビア語でもモロッコ方言と湾岸方言はかなり違うようで、モナが湾岸方言で歌うのは、いわば外国語で歌うようなものらしい。『ヤ・ナス・ダローニ』でも、一曲を除き全てが湾岸方言のようだ。

僕はアラビア語が分らないので、こういうのは全部いろんな日本語情報の受売りで、『ヤ・ナス・ダローニ』の中でも、解説の田中昌さんがモロッコ方言で歌っていると書いてある四曲目「オ・ルヴォア」http://www.youtube.com/watch?v=LwR8uDrX-zs を聴いても、ハリージではないことが分るだけ。

モロッコ方言で歌った(らしい)曲がハリージではない(こっちは分る)ところを見ると、やはりハリージというスタイルは、湾岸方言で歌うことと密接に結びついているんだろう。ハリージのポリリズムは、アフリカ音楽等のポリリズムとは様子が異なる。突っかかるようなヨレヨレとした感じだ。

さっき貼った『ヤ・ナス・ダローニ』からの音源を聴いて頂ければお分りになるずだけど、こういうハリージのようなリズム感覚は非常に特異なもので、だから、昔からマイルス・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』はじめポリリズミックな音楽が大好きで、その後もアフリカ音楽好きだった僕にも、相当新鮮に聞えた。

当然ながら僕は世界中のポリリズミックな音楽をなんでも全部聴いているわけでもなんでもないわけだけど、その狭い音楽体験の範囲内では、アラブ湾岸ポップス、ハリージのようなリズム感覚は、はっきり言って初体験で衝撃だった。どういう具合でこんな音楽が誕生したのか、凄く興味がある。

ハリージも、6/8拍子(ハチロク)を基調とするリズムで、ハチロクはアフリカ音楽などでも基本のリズムだから、それ自体は新しくも珍しくもない。ペルシャ湾岸地方では、そういうハチロク系のリズム重視の歌謡が古くからあったようだけど、ハリージのような特殊スタイルに変化したのは、いつ頃なんだろう?

そもそも湾岸地域はイスラムの戒律が厳しくて、エジプトなどと比べて、音楽活動、特に女性のそれはかなり制限されていた。それが少し変ってきてハリージみたいな特有のスタイルが出現したのは、湾岸地域の近年の著しい経済発展も大いに関係しているんだろう。それで自分達固有の音楽の必要も出てきた。

なお、ハリージが大半を占めるモナ・アマルシャの『ヤ・ナス・ダローニ』の中で、最初に聴いた時から今でも一番気に入っているのは、実はハリージではなく、ラストのバラード曲「アル・フォスタン・アルスワド」なのだ。
2012年(現地では2011年末)の『ヤ・ナス・ダローニ』が日本デビューになったモナ・アマルシャだけど、これが三作目で、2008年の一作目『モジャバ』、2009年の二作目『サナ・ウーラ・ホブ』がある。僕が探した限りでは、日本ではCDを売っている店がなく、iTunes Storeにしかないね。

もちろん現地から直接買付ければいいんだろうけど、残念ながら僕はそういうルートを持っていないし、開拓する気力もないので、iTunes Storeで買った。それで最近ようやく聴いたんだけど、デビュー作2008年の『モジャバ』は、まだどうってことない感じだ。パーカッシヴではあるけれども。

2009年の二作目『サナ・ウーラ・ホブ』になると、かなり良くなってきていて、これなら人気が出るのも納得だね。こっちも派手にパーカッションが鳴っていてリズム重視の曲が大半を占める。まだそんなにポリリズミックでもないから、ハリージと呼ぶのはためらってしまう。出来のいい作品だけど。

この二つ、どこかCDを入荷してくれるお店は日本にないものか。エル・スールさん、どうですか? iTunes Storeで買って聴きはしたものの、やはりCDが欲しいね。そうこうしているうちに、『ヤ・ナス・ダローニ』も2011年作だから、そろそろ新作を出してくれそうな気もするけどさ。

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