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2016年5月

2016/05/31

黙ってザッパを聴いてくれ

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僕がそうであるようにジャズ・ファンってのは屁理屈ばっかりこね回すのが多くて、これ以上扱いにくく面倒くさい音楽リスナーもいないだろうなあ。ロジカルとかいうんじゃないね、単にありもしない屁理屈をこね回しているだけ。要するにイチャモンだね、僕も含めてジャズ・ファンはみんな。

僕のことはともかく、ジャズ・ファンの多くが理屈っぽくて議論好きというのは否定できない傾向だろうと思う。タバコを完全に辞めた1991年以後行ってないから今は知らないが、かつてのジャズ喫茶でも激しい議論が頻繁に飛交っていた。専門家じゃなくて一般のファンの間での話。

それはそうとジャズ喫茶のコーヒーってどの店のも美味しくなかったよね。なかにはかなりひどいというか飲めたもんじゃないような店もあったなあ。僕は大のコーヒー好きで昔からこだわりが強いもんだから、あれだけがちょっとなあ。もちろんみんなコーヒーの味を求めてジャズ喫茶に行くわけじゃないけどさ。

僕がジャズ喫茶に通いはじめるのはジャズに夢中になった1979年の直後なんだけど、その頃知合った店のマスターや年上の常連客の方々から聞いた話では、激しい議論はその当時には既に下火になっていて、盛んだったのは60年代後半〜70年半ばまでだったらしい。しかし下火であんな具合じゃなあ。

僕がジャズ喫茶に通いはじめた頃だって結構活発な議論というか罵詈雑言も飛交っていたから、あれで下火だったんだとすると1960後半〜70年代半ばまではどんなものだったのか、想像しただけで恐ろしくなる。というのはウソで、僕の場合むしろ楽しみでゾクゾクする。そんな環境に身を置きたかったよ。

インターネット普及前からこうだったので、ネットが普及して最初はパソコン通信で同好の士が集る音楽フォーラムのなかの会議室があることを知るや、僕はまさに水を得た魚、音楽の話であればどこにでも首を突っ込んで誰にでも絡みまくっていたもんね。

それが1995年にはじまったことで、そうなってみて改めてジャズ・ファンは理屈っぽい、ありもしない屁理屈ばっかりこね回すというのを再確認したのだった。だって音楽フォーラムのジャズ系会議室に来るアクティヴ・メンバーはほぼみんなそうだったもん。世代も関係ないみたいだ。

そしてジャズ系以外のいろんな音楽会議室にもどんどん顔を出し、というより僕が普段棲息していたのはNiftyのFROCKL18番会議室「ロック・クラシックス会議室」だったから、ジャズより1950〜70年代のロックやそれに関連する様々なブラック・ミュージックの話題が中心だった。

そうしていろんなファンの方々といろんな音楽の話をするようになって、それで僕は初めて気が付いたのだが、ジャズ・ファンと同じくらい理屈っぽい音楽リスナーがいるんだよね。それはフランク・ザッパ・ファンだ。ザッパの熱心なファン、ザッパ・マニアもかなりロジカルというか屁理屈ばっかりだ(笑)。

ザッパ・マニアは理屈っぽい、難解な話をこね回すという典型例が、お名前は直接出しにくいんだけれど例の大部なザッパ本をお書きになった方とかじゃないかなあ。ああいう方は極端な例なのかもしれないが、僕が今までネット上でもそれ以外でも話をしたことのあるザッパ・ファンはみなさんほぼ同様。

ザッパ・ファンもみなさん頭が切れる、というと褒めているみたいに見えるかもしれないが、難しい話をあまりザッパを聴いていない方々にもふっかけて、こうこうこうだから従ってザッパのこのアルバムを聴けと勧めるので、多くの場合敬遠されていたなあ。それをザッパ・ファン自らは「布教活動」と呼んでいた。

その布教活動をネット上で熱心にやるので、かえってザッパの音楽そのものは遠ざけられてしまい、ザッパを聴いていない音楽リスナーの方々は「どうやらフランク・ザッパという人の音楽はなんだか凄く難しそうだ」とか「ヘンなことを言うと怒られそうだ」とか思ってしまうらしい。

実際1990年代後半パソコン通信をやっていた頃は、僕も含めザッパ好きの間では話が盛上がるものの、それ以外の方々は恐ろしそうに遠巻きにそれを眺めていてなにも口を挟まないというのが通例。ザッパ・ファンがこのアルバムはいいから聴いてくれと言っても、だいたい無視された。

これはジャズの場合とよく似ているよね。知合ったばかりの方に音楽はどんなのを聴くんですか?と尋ねられジャズが多いですかねと言うと、「ジャズはなんだか難しそうですから聴かないです、私はポップスですね」と言われることを数年前にも体験した。これはおそらく世間一般のイメージだ。

もちろんよくお聴きのファンならご存知の通り、ジャズもザッパも別に難しくなんかない。ただひたすら美しかったり楽しかったりするだけの音楽であって、それは他のどんな音楽とも違うところはない。実際ちょっとでも本当にいいものを聴いてもらえれば納得していただける場合が多い。

だから食わず嫌いなだけなんだけど、しかしこれは僕らジャズ・ファンやザッパ・ファンの側にも責任があるよな。難しい理屈をこね回し、だれかれ構わず議論をふっかけて面倒くさいことを言って煙に巻き、肝心の音楽がどんなに美しくて楽しいものなのを分りやすい言葉で説明するということをしない。

これじゃあダメだ。ジャズ・ファンやザッパ・ファンが減る一方だ。ジャズの場合はJTNC系ライターのみなさんのおかげでここ数年はファンが拡大中らしいんだけどね。あの方々を僕がもし評価できるとしたら、まさしくこの一点に尽きる。それまでジャズなんか聴かなかったリスナーの間にも拡散したという。

その一方でザッパ・ファンの数は増えているのかというと僕の目にはそうは見えないなあ。JTNCの柳樂光隆君みたいな人がザッパ界にも出現するといいんだけど、現代ジャズと違って現在進行形で新しいフランク・ザッパが進行中だとも言えない(いまだに「新作」が出るけれど、従来からのファンが買っているだけだろう)から、難しい話だよねえ。

ザッパの場合アルバム枚数がムチャクチャ多くて100枚ほどもあるから、どこから聴いていいのやら入門者が迷うというのもあるだろう。その点ではやはり100枚ほどあるマイルス・デイヴィスとちょっと事情が似ている。マイルスの場合も同様に困惑する入門者に僕もたくさん出会ってきた。

マイルスについては中山康樹さんが『50枚で完全入門 マイルス・デイヴィス』という本を出しているんだけど、「入門」のためにそんな50枚も勧めちゃダメだってば。そんなにたくさん聴かなくちゃ入門できない人なのかと思われて敬遠されるよ。せいぜい五枚とか多くても十枚くらいまでにしておかないと。僕たち音楽キチガイは好きになったら全部買っちゃうけど、そういう方が例外なんだから。

ネットをはじめて20年以上僕もいろんな方から「マイルスを聴いてみたいんだけど、凄く多いからなにから聴いたらいいのか分らないんです、どれがいいですか?」という種類の相談を受けてきた。その度に僕はいつも五枚で決めてきた。「入門」ってのはその程度じゃないと。

ザッパの場合、初心者に勧める入門盤選みたいな本とか記事とかあるのか僕は全然知らないんだけど、きっとあるんだろうね。どんなのが推薦されているんだろう?ちょっと興味があるなあ。ザッパもマイルス同様実に多彩な音楽性の持主で振幅が大きいから、選ぶのは難しいだろうなあ。

ザッパの場合は古い「武勇伝」みたいなものがいまだにはびこっているのもちょっと具合が悪い。21世紀になってからの坂田明ですらザッパという名前を聞いて、「ああ、あのステージでウンコを食べたとかいう人ですか」と即座に反応を返すくらいだから、世間のかなり大きな部分にこの種のものが残っているはずだ。

そこで僕が、というわけじゃないんだけど(だってザッパに関しては素人だから)、ザッパだって分りやすくてとても楽しいものがいっぱいあるんだということを少し書いておきたい。これは僕自身の体験に基づく部分も大きい。僕が最初に好きになったザッパは、実はジャズ・ロック的な部分じゃなくてドゥー・ワップなんだよね。

ザッパはドゥー・ワップの7インチ・シングル盤のコレクターだったことは有名(ドゥー・ワップはオリジナルでは7インチしかない世界)だけど、それを知らなくたって彼の音楽を聴けばドゥー・ワップが重要な構成要素として溶け込んでいるのはアメリカン・コーラス・ミュージックのファンなら分るだろう。

アメリカン・コーラス・ミュージックのファンはかなり多いもんね。ビーチ・ボーイズみたいな人達は大人気だし、日本でも山下達郎のような人がいて普及に努めている。そして主に1950年代が最盛期だったドゥー・ワップはその後のロックなどアメリカ大衆音楽の根底を形成している。

ザッパには1968年リリースの『クルージング・ウィズ・ルーベン&ザ・ジェツ』というアルバム丸ごと全部がドゥー・ワップというものだってあるよ。これなんか山下達郎ファンなら絶対好きになるに違いない。いろんな音楽要素が溶け込んでいるザッパだけど、ドゥー・ワップこそ一番分りやすいんじゃない?

『クルージング・ウィズ・ルーベン&ザ・ジェツ』はドゥー・ワップ・アルバムだから、最初に聴くザッパとしては好適じゃないかなあ。そうしてこのアルバムでザッパ・ミュージックの楽しさを憶えれば、例えば1970年の『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』だって面白く聞えるはず。

なぜかと言えば『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』のトップ「WPLJ」とラスト「ヴァレリー」は、これまたドゥー・ワップなんだ。このアルバムの出だしでいきなり「WPLJ」が聞えはじめた瞬間こそ、僕がザッパって楽しいんだね!と思った瞬間だった。
なんて分りやすくてチャーミングな音楽なんだと思ったね。アルバム・ラストの「ヴァレリー」も貼っておこう→ https://www.youtube.com/watch?v=JTdu2hFt_R0  これら二曲がアルバムのトップとラストに来て、「ザ・リトル・ハウス・アイ・ユースト・トゥ・リヴ・イン」みたいなものその他を挟んでいるわけだ。

その他いろんなところにドゥー・ワップの要素が溶け込んでいるザッパだとか、あるいはジャズ・ファンにオススメするザッパだとか、クラシック・ファンにオススメするザッパだとかいろいろあるんだけど、そういう話をはじめるとまたしても面倒くさい人だなと思われて敬遠されるだろうから、今日はやめておく。

こんな具合でどんなもんだろうか?熱心なザッパ・マニアの方々は今日の僕の文章にもいろいろと文句を付けたい部分がおありだろうけれど、とにかくきっかけとしてなにか一つでも聴いてもらわないことにはお話にならないんだからさ。音楽ってのは頭で考えて分るような理屈じゃなくて、聴いて肌で感じるものなんだから。

2016/05/30

ミーターズのスカスカ・ファンク

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昨2015年11月にニューオーリンズ音楽界のドン的存在、アラン・トゥーサンが亡くなった。僕個人はアラン・トゥーサンのリーダー作には特にこれといった強い思い入れがなく、だから彼のリーダー名義録音は好きなものが少ない。どっちかというと他の歌手に提供した曲や他人の作品のプロデュース・ワークなどの方が好きなのだ。

アラン・トゥーサンのプロデュースでミーターズをバック・バンドというか一種ハウス・バンドのように起用して、それでニューオーリンズ音楽の八割を、というのが大袈裟なら多くを創りだしたのは確かなことだ。ドクター・ジョンの最高傑作に推す声もある『イン・ザ・ライト・プレイス』もそう。

アラン・トゥーサンはまたマルチ楽器奏者でもあって、ドクター・ジョンの『イン・ザ・ライト・プレイス』でもピアノやエレピだけでなく、エレキ・ギターやドラムス、パーカッション、もちろんバック・ヴォーカルでも参加している。そしてこのアルバムこそ僕がミーターズを聴いた最初だった。

アルバムにクレジットが書いてあったはずだけど、大学生の頃に『イン・ザ・ライト・プレイス』を最初に買った時は全く気にも留めていなかった。ただ単にかっこいいバック・バンドだなと思って聴いていただけ。1973年のアルバムだからミーターズ全盛期だけど、彼らの名前すら知らなかった。

今ではミーターズこそがニューオーリンズ・ファンクでは最高のバンドだったと考えているんだけど、その最高傑作は僕の考えでは『イン・ザ・ライト・プレイス』の翌年1974年の『リジュヴネイション』(邦題は嫌いなので書かない)だね。たまらなくカッコよくて痺れちゃう。

『リジュヴネイション』の頃にはミーターズも歌うようになりヴォーカル曲が多いけど、最初はインストルメンタル・バンドだった。初期の代表曲にしてミーターズの代名詞みたいな「シシー・ストラット」(1969年)だって「ア〜〜〜ヤッ!」と叫ぶ声ではじまるけれど、その後は最後までインスト。
この曲が初期のと言わず全体を通してミーターズ・ファンクの特徴が一番分りやすい。なんともスカスカな音だよねえ。特にジガブー・モデリステのドラムスとレオ・ノセンテリのギターは間が多くて独特のグルーヴ感だ。

僕がこの「シシー・ストラット」を初めて聴いたのは、まだミーターズの全オリジナル・アルバムがきちんとCDリイシューされる前の1995年にライノが出したCD二枚組アンソロジー『ファンキファイ・ユア・ライフ』でだった。それをリリースの二・三年後に買って聴いたけど、当時はどこがいいのやらサッパリだった。

以前も書いたけれど1969〜77年の(オリジナル・)ミーターズの全公式音源がサンデイズドからちゃんとCDリイシューされたのは20世紀から21世紀の変り目くらいとかなり遅かったから、それまではそのライノの二枚組しか聴けなかった。英Charlyからもなにか出ていたみたいだけど、それを知っていてもライノの方が信用度大なのだ。

ジョシー・レーベル時代(1969〜70)ののミーターズはさっきの「シシー・ストラット」みたいなスカスカ・サウンドばっかりで、独自のグルーヴ感を持ったインストルメンタル・バンド。その独特のノリに僕は最初着いていけないというか良さが分らず、同じニューオーリンズのバンドならネヴィル・ブラザーズの方が好きだった。

そんなガイコツのような骨格だけみたいなファンク・サウンドというのは、アメリカのファンク界全体を見渡しても初期のミーターズ以外には見つかりにくい。少なくとも僕にはそうだ。ジェイムズ・ブラウンだってスライ&ザ・ファミリー・ストーンだって、ホーンなども入りもっと音が分厚くて分りやすくノリやすい。

骨皮筋右衛門みたいなサウンドはこれだけ聴くより、他のR&B〜ファンク歌手のバックに廻った時の方が分りやすく真価を発揮するような気がする。例えば2015年にマトモな形でCDリイシューされたリー・ドーシーの『イエス・ウィ・キャン』はじめ彼の作品の多くは伴奏がミーターズ。

リー・ドーシーの作品もまたバックがミーターズであるばかりかプロデュースがアラン・トゥーサンだ。1970年の作品である『イエス・ウィ・キャン』その他を聴くとこのコンビの実力がよく分る。ホーンも入って賑やかで分りやすいし、ニューオーリンズ・ファンク入門にはうってつけの一枚。リトル・フィートがカヴァーした曲もあるよ。

初期ミーターズのスカスカ・インストルメンタル・ファンクで僕が「シシー・ストラット」同様好きなのが1970年の「チキン・ストラット」。同年の『ストラッティン』一曲目でシングル・カットもされた。カッコイイなあ。個人的にはこっちの方が「シシー・ストラット」より好き。
ミーターズはその『ストラッティン』がジョシー最終作、というかこのレーベルは破産したのでリプリーズに移籍して、その第一作『キャベッジ・アリー』(1972)からは彼らは歌い始める。コアなミーターズ・ファンはインスト・バンドだったジョシー時代の方が好きらしいけど、僕はリプリーズ時代もかなり好き。

バンドのノリというかグルーヴ感もリプリーズ時代は少し変化している。ジョシー時代よりは間が少なくなって、より明快でノリやすいサウンドになっているよね。それでも『キャベッジ・アリー』ではまだまだスカスカだけど、その次の1974年『リジュヴネイション』ではホーンも入って分厚くなる。

『リジュヴネイション』のプロデュースもアラン・トゥーサン(とうか全部そうなんだけど)なので、ホーン・セクションを導入するというアイデアはアランの着想だったのか、それともミーターズ自身の考えだったのか、いずれにせよとにかく僕の耳にはそれが大成功しているように聞える。

『リジュヴネイション』に入っているのが、僕の考えではミーターズの最高傑作にしてニューオーリンズ・ファンク・アンセムの「ヘイ・ポッキー・ア・ウェイ」だ。 ジガブーのスネア、アートのピアノ、レオのギターの順に出てくるサウンドがファンキーでタマランね。
ヴォーカルも「ヘイ・ポッキー・ア・ウェイ」での歌はかなり出来がいいように思うんだけど、この曲のメイン・ヴォーカルは四人のうち誰なんだろうなあ?アートの声のようにも思うけど僕はちょっと自信がないし、クレジットもないので分らないのが残念だ。どなたかご存知の方に教えていただきたいと思う。

1976年の『トリック・バッグ』ではアルバム・タイトル通りアール・キング・ナンバーをやり、ローリング・ストーンズの「ホンキー・トンク・ウィミン」も採り上げていたりする。後者のストーンズによるオリジナルは間だらけのスカスカ・サウンドなんだけど、ミーターズのはそうじゃない。

このあたりになるともう従来のミーターズ・ファンク・サウンドはかなり形が崩れてきているというか失われてきていて、どうってことのない普通のロックに近い感じになっている。『トリック・バッグ』も好きなアルバムだけど、別にミーターズじゃないとできないようなものでないように思うなあ。

ジガブーのドラムスもレオのギターも普通のロックっぽいサウンドだし、こうなるとジョシー時代のスカスカ・ファンクの方が魅力的だったように僕にも思えてくる。今じっくり聴直すとジョシー時代の方がよかったような気がするんだけど、それでも僕はやっぱり『リジュヴネイション』が一番好きなんだよね。

2016/05/29

レスター・ヤングはジェフ・ベックだ

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いろんなジャズ評論家の方々が言っていたことなんだけど、ビバップ以後のジャズメンが<本格的>なインプロヴィゼイションをやるようになったのに比べ、それ以前の古典ジャズメンのそれはテーマ・メロディのフェイクみたいなのが中心だったという説。僕はこれが昔から現在に至るまで納得できない。

これは油井正一さんもそう書いていたはず、というか一番憶えているのが油井さんの文章だ。しかしこれ、戦前ジャズメンのインプロヴィゼイションはテーマ・メロディのフェイクみたいなもんだなんてどう聴いてもオカシイ。僕の耳にはそうは聞えないジャズメンの方が多いんだけどなあ。

念のために書いておくとフェイク(fake)とは、音楽ではメロディをそのままではなく少し変化させたり崩したりして演奏することを意味する。これに対しモダン・ジャズのアドリブはテーマのコード進行に基づいて全然違う音列を並べるようになったということになっているけれども。

コード進行に基づいて、しかもそのコードをいろいろ置換したりして、それに従ってテーマ・メロディとはなんの関係もないフレイジングを演奏するようになったのがビバップ以後だというのは一般的には当っているのかもしれないね。しかしそれ以前のジャズメンだって似たようなもんなんだけどなあ。

何度も繰返しているけれど、ジャズにおけるアドリブ・ソロの概念を確立したということになっているルイ・アームストロング。彼がフレッチャー・ヘンダースン楽団から独立してソロで活動をはじめた1925年から絶頂期28年までの録音集を聴いてもやはりコード進行に基づいて自由にアドリブしているもんね。

独立後のサッチモの音源で素晴しい演奏をしている一番早い例は1925年11月録音の「ガット・バケット・ブルーズ」だろうと思うんだけど、これだってサッチモ以下、トロンボーンのキッド・オーリーもクラリネットのジョニー・ドッズも、みんなテーマとは無関係な音を並べているけどなあ。
スキャット唱法というものの最も早い例だとされる1926年2月録音の「ヒービー・ジービーズ」でもサッチモ以外の楽器奏者もそうだし、サッチモだって歌詞のあるテーマ・メロディ部分を歌い終った後のスキャット部分ではテーマとは無関係なフレーズを歌っているよ、コード進行に基づいて。
こんなのは実にたくさんあるわけで、例を挙げていたらキリがないどころかほぼ全部そうなんだが、これ、どこがフェイクなんだろう?1925〜28年のサッチモの録音で僕が最も愛するものは27年5月録音の「ポテト・ヘッド・ブルーズ」で、これは絶頂期とされる28年の全録音より好きなのだ。

「ポテト・ヘッド・ブルーズ」でもやはりサッチモ以下全員テーマなんて関係ないフレイジングを連発しているぞ。というかこの曲のテーマってどれなんだ?ブルーズ形式の曲だから(といっても32小節構成)、キーをなにでやるかだけを決めてあとは全く自由に吹いているはず。
同じく大好きな1927年12月録音の「ホッター・ザン・ザット」。これの中間部ではサッチモのスキャットとブルーズ・ギタリストのロニー・ジョンスンの単音弾きがアドリブでの掛合い・応酬を聴かせるのがスリリング。二人ともテーマ・メロディのフェイクなんかじゃなく、独立したフレイジングだなあ。
ジャズマンであるサッチモだけだなくブルーズマンのロニー・ジョンスンもそうだったということは、これは1920年代から既にポピュラー・ミュージックのアドリブは、やはりコード進行に基づいて自由闊達にメロディを展開するやり方だったってことだよなあ。フェイクだったなんて誰が言出したんだ?

同じくジャズの花形楽器であるサックス界では、その分野における吹き方を確立した人物だということになっているテナーのコールマン・ホーキンス(実はソプラノだけどシドニー・ベシェの方がちょっとだけ早くスタイルを確立している)。ホークの初期録音だって全く同様のことになっている。

僕が持っているホーキンスのリーダー名義による最も早い録音は、1933年9月NY録音の「ジャマイカ・シャウト」と「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」のSP盤両面二曲。どちらもホーク以下ヘンリー・レッド・アレン、J・C・ヒッギンボッサム、ヒルトン・ジェファースン、みんな自由に吹いている。

この二曲のうち「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」は僕の大の愛聴曲。この曲は大学生の頃、なんだったかのLPレコード一曲目に入っていて、SP音源集だからどんなLPも言うまでもなく全てコンピレイションなんだけど、愛聴盤だった。といっても一曲目のそれしか聴いていなかったが。

一曲目の「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」しか印象に残っていないというか聴いていなかったために、そのLPアルバムのタイトルも忘れてしまったが、なんだたったか中古のレコードでジャケットもボロボロに破れているもので、でも普通に再生できた。
今貼った音源をお聴きなれば分るように短調の哀感のあるメロディで、これを書いたアーサー・ジョンストンという人は僕は知らない。だけどアレンジはピアノも弾いているホレス・ヘンダースンがやっていて、まあホレスの貢献が大きいんじゃないかなあ。フレッチャー・ヘンダースン楽団時代が長いホークだし。

いつものようにどうでもいい横道に逸れるけど、大学院博士課程を中退して研究室の助手になった際、僕はそれまでの院生時代に住んでいた寮を出てアパートを借りたのだが、その時に買った留守番機能のある電話機の留守電メッセージのBGMに、しばらくこの「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」を使っていた。

当時の留守電機能はマイクロカセットテープを使っていて、メッセージの録音なども当然アナログ方式だったので、部屋で「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」のレコードを鳴らして、同時に電話機に向って自分で喋り録音するというやり方だった。それくらいこの曲が大好きだったわけだなあ。

しかし貼った音源をお聴きになれば分る通りの雰囲気だから、ある時僕の不在時にかけてきた研究室の先輩に、いきなりあれが流れるもんだから「間違ってキャバレーかどこかにかけてしまったのかと思ったぞ!」と言われてしまったことがあった。あんなのを留守電のBGMにするとかまあ狂ってたね。

本当にこういう戦前の古典ジャズ作品が昔から大好きなわけだから許してほしい。それにしてもこれまた<アドリブ/フェイク>論から離れちゃうけど、先の「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」みたいな情緒ってビバップ以後のモダン・ジャズでは跡形なく消えちゃったなあ。ワールド・ミュージックの世界には今でもたくさんある。

かなり横道に逸れちゃったので話を戻して、コールマン・ホーキンスはフレッチャー・ヘンダースン楽団時代(1923〜34)にサッチモに出会い、サッチモのトランペット(コルネットだけど殆どは)・スタイルに感銘を受けて、ああいったテナー・サックスの吹き方になったというのが定説になっている。

サッチモのヘンダースン楽団時代は1924/25年のわずか二年間。当然ホークもいた頃。だから最初から書いているように戦前の古典ジャズマンだってコード進行に基づいて自由にアドリブを展開していたのだというのも、ホークはサッチモのスタイルに感化されてそうなったんだろう。

ホークのキャリアは1921年にメイミー・スミスというヴォードヴィル・シンガーの伴奏ではじまっているが、その当時の録音があるのかどうか僕は知らないし、あっても聴いたことがない。僕が聴いているホークの一番早い録音はやはり前述のフレッチャー・ヘンダースン楽団でのものだ。

一般にホークの戦前録音の最高作とされているのが1939年10月録音の「ボディ・アンド・ソウル」。だけど僕はこれは素晴しいとは思うものの、ホークの代表的名演だと断言するのにはちょっぴり違和感もある。そこでのホークはみなさんの言うようにフェイク中心のアドリブ展開だからだ。

その「ボディ・アンド・ソウル」ではテーマ・メロディを少しずつニュアンスを変え音を装飾しながら、言わば変奏しているわけだ。これなんかは昔からよく言われる戦前ジャズメンのアドリブはフェイク中心だったという説を裏付ける典型例の一つ。
ホーク以後に登場し、全く違ったスタイルで後世にやはり甚大な影響を与えたレスター・ヤングになると、これはもう完全にフェイクなんて部分は微塵もなく、完全にコード進行だけに基づいて全く自由なメロディを吹いていて、しかも一般にビバップ以後とされるコード分解だってやっているもんなあ。

例えばカウント・ベイシー楽団の1937年7月録音「ワン・オクロック・ジャンプ」。ここでのレスターも37年にして既にブルーズのコード進行から自由にコードを置換して奔放なメロディ展開を聴かせる。これなんかどこがフェイクなの?
この曲もブルーズだからキーだけ決めて自由にやっているはず(最初のピアノ・ソロからハーシャル・エヴァンスのテナー・ソロになる瞬間に転調するだけ)。しかもテーマがないもんね。最後にホーン・リフが出てきて、昔タモリは『オールナイトニッポン』のなかであれがテーマだ(けど憶えられなかった)と言っていたけど、違うんだよ、タモリさん。

またテディ・ウィルスン名義のブランウィック録音でビリー・ホリデイが歌う1938年1月の「ウェン・ユア・スマイリング」におけるレスターのソロもぶっ飛んでいるよなあ。原メロディのかけらも聴かれない奔放なアドリブじゃないか。
レスターのこういうのは全部ホークの最高の名演とされる1939年の「ボディ・アンド・ソウル」よりも録音時期は早いからなあ。僕はレスターのこういうフレイジングを聴くと、全然違うジャンルだけどロック・ギタリストのジェフ・ベックを連想するんだなあ。フレイジングのかっとび具合がちょっと似ているんじゃない?

レスター・ヤングとジェフ・ベックを結びつける人は結構いるはずだ。なぜかってジェフ・ベックは「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」をやっているもんね。最初『ワイアード』でやり、その後のライヴでもよく演奏している。あのチャールズ・ミンガスの曲はレスター哀悼曲だからさ。

2016/05/28

歌手は歌の容れ物〜鄧麗君、パティ・ペイジ、由紀さおり

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昨2015年3月に鄧麗君(テレサ・テン)のレコードを台湾や香港の会社が紙ジャケットでCDリイシューしたもの全83枚を一挙にまとめてエル・スールで買った(その際はエル・スール店主原田さんに無理を言って面倒をかけました)。当然一度に全部は聴けないので、少しずつ聴いてようやく先日全部聴終えた。

その鄧麗君の紙ジャケ・リイシューCDシリーズ、出るたびにかなり気になってはいたのをなんとなく見逃したままだったのが、2014年暮れにどうしようもなく猛烈にほしくなって、それで全部まとめて売ってくれとエル・スールさんに言ってしまうというアホな買い方をしたわけだ。

出るたびにちょっとずつ買っていけばいろんな意味で楽だったのに、そうしなかった僕がバカだった。そして原田さんは香港・台湾に発注し、何ヶ月かかかって「本日税関を通過しました」なんていうメールが来た時は、嬉しい反面、一体金額はいくらになるのか恐ろしくて震えていたという。我ながらアホだとしか言いようがない。

もちろん日本の歌謡界で日本語で歌ったもの以外でも『淡淡幽情』など評価の高いものは既に持っていて聴いていたんだけど、『淡淡幽情』含め面倒くさいのでダブるのを承知で全部買ってしまった。紙ジャケ好きだしね(それまで持っていた『淡淡幽情』他はプラスティック・ケース入り)。

それら83枚を一年以上かかってようやく全部聴いて、それで僕は初めて分ってきたことなんだけど、ポピュラー・ミュージックの真に優れた歌手ってのは「歌の容れ物」なんじゃないかなあ。これはこないだ僕の夢のなかでの自分の発言に出てきて、それで初めてはっきりと自覚したことなんだよね。

僕は見た夢の内容をはっきりと憶えていることがあるんだけど、そのつい一週間ほど前の夢のなかで僕は「歌手というのは歌の容れ物なんだぞ、そういうのこそ大衆音楽の真の姿なんだぞ」と、なぜだか母校の高校での教育実習中の学校の廊下か教室で生徒に向って力説していた。「歌の容れ物」というのはその夢のなかで初めて出てきた表現。

その夢はちょっとオカシイんだ(夢ってそういうもんだけど)。なぜかと言えば教育実習をした大学生の頃の僕はジャズのレコードばかり買っていて、複雑・難解で個性の強い音楽表現こそが最高に素晴しいものだと信じて疑っていなかったもんね。1ミリたりとも疑っていなかった。そしてそれはジャズだけでなくブルーズでもロックでもあらゆる音楽について全く同様に考えていた。

上京して20代後半頃からワールド・ミュージックをどんどん聴くようになってからもこの考えは全く変らず、サリフ・ケイタとかユッスー・ンドゥールとか(最初はアフロ・ポップ中心だったから)も、なんて素晴しい個性の持主なんだ、こんな声を持ちこういう歌い方ができるって凄い個性だなと思っていたわけだ。

だから中学生か高校生の初めの頃まではテレビの歌番組などでよく見聴きし、なかにはドーナツ盤を買ったりしていた日本の歌謡曲の歌手はバカにするようになってしまい、テレサ・テンも時々出演して歌っていた「つぐない」や「時の流れに身をまかせ」などもフ〜ン上手いねと思っていただけ。

テレサは言うまでもなく台湾出身の歌手だから中国語(台湾語)で歌うのが本領だけど、1974年に日本の歌謡界に来たのは、日本のレコード会社関係者がアジアでは既に大スターだった鄧麗君の人気に目を付けて、台湾や香港に通って日本でやらないかと彼女を説得したからだったしい。当時テレサ21歳。

しかしホント僕はある時期以後わりと最近まで歌謡曲の世界を軽んじていたわけだから、日本のテレビ歌謡番組で歌うテレサについても歌の上手い女性歌手だなとしか思ってなくて、中国語で歌った歌の魅力やアジアでの大スターぶりなんてちっとも知らなかったんだよなあ。台湾出身の先例、欧陽菲菲と似たようなもんだと思っていた。

鄧麗君がどれほど素晴しい歌手かってのを初めて意識したのは、やはりこれまた中村とうようさんの文章を読んだからだった。どの文章・本で読んだのか、どんな内容だったかもすっかり忘れてしまったけれど、なんだか本当に絶賛してあったよね。それにとうようさんは『俗楽礼賛』のなかでもパティ・ペイジを褒めている。

『俗楽礼賛』(含め仕事関係以外の全ての書籍)は即座に手に取るのが面倒くさいところに置いてあるから、ひょっとして鄧麗君について一章を割いていたかどうか確かめられないんだけど、あの本はポピュラー音楽とは<通俗的>であることにこそ真の価値があるのだという主張で貫かれていて、最初(1995年頃かな?)に読んだ時にはあまり好きじゃない歌手も含まれていた。

あまり好きじゃない歌手とは僕の場合パティ・ペイジのこと。『俗楽礼賛』に出てくる他の歌手、例えばエルヴィス・プレスリーや美空ひばりやボブ・ディランやキャブ・キャロウェイもあったっけ、そういう人達は既に大好きだった。唯一カルメン・ミランダ(もあったと思う)は、僕は当時まだブラジル録音を聴いていなかったはず。

でも僕はそういう既に好きだった歌手はやはり「強く個性的」で「独自」の歌唱表現の持主だからこそ素晴しいんだと長年思って聴続けていたのであって、彼らに混じってパティ・ペイジみたいな独自の個性的なところを感じられない、当時の僕にとっては「普通の」歌手が並んでいるのはどうしてかなあと思ったんだよね。

とはいえパティ・ペイジも僕はまだそんな本格的には聴いていたわけじゃなく、一番有名な「テネシー・ワルツ」は日本でも江利チエミが歌っていたし、その他数曲パティ・ペイジの歌を知っていた程度。だいたい彼女は三拍子のワルツ・ナンバーばっかりなもんだから、あまりワルツが好きじゃない僕にはイマイチだった。

CD時代になってベスト盤リイシューCDを一枚買った程度だったパティ・ペイジをちゃんと聴いたのは、僕の場合田中勝則さん編纂による2014年のディスコロヒア盤『ニッポン人が愛したパティ・ペイジ』というマーキュリー時代初期録音集でだった。なんて遅いんだ!アメリカでは言うに及ばず日本でも昔は一時期大人気だったらしいのにね。

ディスコロヒア盤のパティ・ペイジだって、田中勝則さん編纂のディスコロヒアは信頼していて全部買うと決めているから買っただけで、パティ・ペイジにはさほど期待していなかった。ところが田中さんの解説を読みながらそれを聴いてみたら、この人素晴しいなあと感心しちゃった。こりゃいい歌手だよね。

こういうなんというのかなあ、強い個性のない、というかそもそも個性的表現だとか自己主張だとかのかけらもない、ということは要するにアーティスティックなところが微塵もないポピュラー・ミュージック歌手のその通俗的な輝きを、その魅力を、僕はディスコロヒア盤のパティ・ペイジでおそらく初めて理解した。

そうなるとパティ・ペイジのどんな歌を聴いても素晴しく聞えるようになり、どんどん買って集めるようになった。しかしながら今の僕が一番よく聴くパティ・ペイジは、前述ディスコロヒア盤をエル・スールで買うと付いてくる特典CD-Rなんだよね。1950年代に録音したジャズ・スタンダード曲集。

デューク・エリントンの「アイ・ガット・イット・バッド」にはじまり全12曲計36分ほどのその特典附属CD-Rこそ現在の僕が最も愛するパティ・ペイジだ。ブンチャッチャ・ブンチャッチャというワルツがどうしてだかやっぱり苦手だからこういうものの方がいいっていう完全なる個人的趣味嗜好の話。そして本格的ジャズ歌手が同じ曲を歌ったのよりパティ・ペイジの方がいいかもしれない。

だってパティ・ペイジはどのジャズ・スタンダードでも原曲のメロディを崩さずストレートに歌っているよ。そこがいいんだ。強い個性を出さず歌のメロディの美しさをそのまま表現するってところがいい。本格的ジャズ歌手は個性を出そう、独自の表現をしようとするあまり原曲のメロディをフェイクしすぎてしまうのが、ビリー・ホリデイなど一部を除き、僕はもうイマイチなんだなあ。

強い個性を主張せず歌本来の持味をそのままストレートに活かし伝える。そういうのが僕の言う「歌手は歌の容れ物」だという意味なんだよね。ピンク・マーティーニが「タン・ヤ・タン」を採り上げたことで一躍再ブレイクした由紀さおりもそうだよね。ピンク・マーティーニとの全面共作『1969』なんか最高だよ。

あの『1969』では由紀さおりは全編日本語でしか歌っていないのに世界中でヒットして、なんでも聞いた話ではギリシアの iTunes ではダウンロード売上げ第一位になったんだそうだ。このことからしても、音楽を楽しむということと歌詞の意味の理解とはなんの関係もないってことがよく分るよね。

『1969』でも「タン・ヤ・タン」を由紀さおりが再演してくれていたら(『草原の輝き』収録ヴァージョンではチャイナ・フォーブス)文句の付けようのない最高のポップ・アルバムなんだけどなあ。「♪わたしはギターなの♫」(だから鳴らして)なんて言われると、オジサンはもうタマランのだよ(歌詞の意味なんかどうでもいいと言ったそばからこれだ)。

鄧麗君では最高傑作に推す声が多い『淡淡幽情』はもちろん文句なしだけど、個人的趣味で言えば『一封情書』の方が好き。なぜかというとこのアルバムには「何日君再來」と「夜来香」の二曲があるからだ。前者は周璇が、後者は李香蘭(山口淑子)が歌った有名ヒット曲。僕はやっぱりスタンダード好きなんだなあ。

パティ・ペイジでもジャズ・スタンダード集が好きだとか、鄧麗君でも有名曲が入ったアルバムが好きだとか、由紀さおりでも昔のヒット曲の再演を聴きたいだとか(『1969』には「夜明けのスキャット」があるけれど)、こういうのはクラシックの名曲や古典落語を聴きたいというのと共通した心理なんだろうか?どっちの世界もよく知らないからやっぱりやめておこう。

いずれにしても、強い個性とか自己主張とかアーティスティックな部分のかけらすらもない通俗的でポップで明快なものこそ大衆音楽の真のありよう、真の輝きだと僕は思うね。このことが50歳過ぎてようやく自覚できるようになった僕だけど、シャバコさんみたいに20代から既にお分りの方もたくさんいらっしゃるから、やっぱりダメだなあ僕の耳は。

2016/05/27

マイルス・ミュージックにストリート感覚はない

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1970年代のマイルス・デイヴィスは「ストリート・ミュージックをやっているんだ」とか言っているんだけども、こんなのを真に受けるファンはいないだろう。70年代といわずマイルスの音楽がストリート・ミュージックだったことなんてただの一度もない。全て座って聴くような音楽だ。

ストリート・ミュージックってのは要はそれに合わせて踊れるってことであって、マイルスの音楽は踊りにくいのばっかりだ。1972年の『オン・ザ・コーナー』についてもマイルスは「このアルバムはジェイムズ・ブラウンやスライからの影響で創ったものだから踊れるだろう」などと言ってはいるけれど。

しかしそのマイルスの言葉とは裏腹に『オン・ザ・コーナー』はダンサブルではない。僕が思い出すのは大学四年の頃、モダン・ダンス部所属の女性同級生に「としま君たくさんレコード持ってるんでしょ、なにかジャズで踊れるものがあったら貸してくれない、公演で使いたいから」と言われたことがあった。

当時の僕はジャズは芸術で座って聴くべき音楽だと信じ込んでいたから、踊れるジャズと言われても全然分らず、それでこんなのじゃ絶対に踊れないよな、でもパーカッシヴだからモダン・ダンスならなんとかなるかとマイルスの『オン・ザ・コーナー』を貸してみた。でも絶対に公演で使うわけないだろうと思っていた。

その女性同級生から公演のチケットをタダでもらったので行ってみたら、なんとステージで『オン・ザ・コーナー』の一曲目(と言ってもどこまでが「一曲目」なんだ?とにかくA面の最初の約20分)がかかって、それを伴奏にモダン・ダンス部の女性ダンサー達がかなり抽象的な踊りを披露していた。

よくあんな『オン・ザ・コーナー』みたいな音楽を、いくらモダン・ダンスだとはいえ踊りの伴奏として使う気になったもんだなあ。1990年代あたりから現在まではクラブ・ミュージックとしての再評価も高いアルバムだけど、1983年頃はまだそんな気運はなく、僕も予想だにしていなかった。

しかしモダン・ダンス部が抽象的な踊りを展開したというあたりがやっぱり『オン・ザ・コーナー』らしいよなあ。あの音楽では少なくとも当時はそういう踊り方しかできなかったはずだ。と書いてしまうのはやはり僕にダンス感覚が欠如しているせいだろう。最近はあれで明快に踊る人も多いらしいから。

僕が大好きなアラブ湾岸地域で近年流行の音楽ハリージ。あれもダンスの名称として使われはじめたのが最初で、その際伴奏で演奏されるパーカッシヴな音楽をハリージと呼ぶようになったわけだから、やはりハリージもダンス音楽なんだけど、あんなヘンテコなヨレて突っかかるようなものでよく踊れるよなあ。

しかしよく踊れるよなあと思ってしまう僕の感覚がダンス音痴なだけであって、ネットでいろんな動画を見ると、アラブ湾岸地域のみなさんはああいうハリージでどんどん踊っている。だからそれに比べたらマイルスの『オン・ザ・コーナー』はまだかなり明快で踊りやすい音楽ということになるのかもね。

『オン・ザ・コーナー』は以前どたかだったか忘れちゃったけど「知的ファンク」と呼んでいたことがあった。これは褒めているんじゃなくて皮肉なんだよね。ファンクってのは知的に頭で考えて組立てるのではなく、汗や体臭(funk はそういう意味)みたいに体の中から自然に湧出てくるような肉体派音楽なのに、それをマイルスは・・・、って意味だ。

マイルスという人は以前から何度か指摘しているように、元々そんなに黒くてファンキーな音楽性の持主ではなく、西洋クラシック音楽指向の強い人。クラシック作品ばかり聴いていたし、それは1970年代中頃のファンキーなギター・バンド時代ですらサイドメンにそういうものを聴かせていたくらいだ。

ファンキーなブルーズも1950年代中頃からよくやっていたから、そういう面だってもちろん持ち合せていた人ではある。ブルーズは言うまでもなく元々ストリート・ミュージックでダンス音楽だ。しかしマイルスの音楽全体に占める割合は必ずしも大きくはなかった。それが変りはじめるのが60年代末頃から。

これも何度か書いているが1968年頃から付き合いはじめその後結婚するベティ・メイブリー(ベティ・デイヴィス)の勧めでジェイムズ・ブラウンやスライやジミ・ヘンドリクスなどその他同時代のファンキーなブラック・ミュージックをたくさん聴くようになり、その影響がマイルスの音楽に徐々に出はじめる。

マイルスいわくそういうジェイムス・ブラウンやスライの影響が最も強く出ているのが『オン・ザ・コーナー』なんだそうだ。しかしこれ、どこにJBやスライがあるのか?粉々に砕いて消化し抽象化した形でしか分らない。しかもこのアルバムの録音セッションにはポール・バックマスターが参加しているんだよね。

ポール・バックマスターはジャズ・ファンには馴染のない名前だろう。知っている方もマイルス関連で知っているだけのはずだけど、ロック・ファンなら一連のエルトン・ジョンの作品でお馴染みのオーケストラ・アレンジャー、コンダクターで、楽器はチェロが専門。

一体どういう経緯でそんなポール・バックマスターがマイルスの録音セッションに呼ばれたのか(『オン・ザ・コーナー』だけでなく1970年代にはしばしば顔を出していたようだ)、あるいは『オン・ザ・コーナー』でバックマスターがどんな音楽的役割を果しているのか、ちょっと聴いても分らないよね。

一部情報では『オン・ザ・コーナー』ではバックマスターがアレンジやサウンド創りだけでなくチェロも弾いていることになっているけれど、どんなに音量を上げて耳をそばだてても僕にはチェロらしき音は聞えない。あるいは演奏はしたが、それがミキシングの際に除去されたという可能性はある。もしそうならダブの手法だね。

『オン・ザ・コーナー』でダブを連想する人が世界中にどれだけいるのか分らないけれど、あながち見当外れの連想でもないように思う。というのもB面の三曲はレゲエで言ういわゆる<ヴァージョン>って奴なんだよね。全てA面ラストの「ブラック・サテン」のヴァージョン。同じものなんだよね。

と書くと誤解を招くというか間違いだ。レゲエで言うヴァージョンとはベーシック・トラックは全く同じ録音物を使い、その上に乗るヴォーカルを抜いたり変えたり楽器の音を調節したりして「別の曲」にしてしまうもの。日本の歌謡曲(含む演歌)のCDシングルに付いてくる歌なしカラオケ・ヴァージョンみたいなものだと言えば分りやすいかも。

同じ録音・同じトラックを使い、その上にいろんな別々のシンガーの歌やDJを乗せたりして、アルバム一枚全部がそういうヴァージョンだけで構成されているものだって存在する。レゲエやダブで使われはじた手法で、それが他の音楽にも拡散・普及して、今ではいろんなダンス・ミュージックで用いられるやり方だ。

マイルスの『オン・ザ・コーナー』B面が全てA面ラストの「ブラック・サテン」のヴァージョンだと言っても、それは同じトラックを使っているのではなく、演奏は全く別に行われているから、正確にはヴァージョンではないんだけど、しかしリズム・セクションの演奏と基本構造は全く同一のものの反復だよね。

つまりレゲエやダブやその後他のいろんな音楽で一般的になるヴァージョンの手法を、言ってみれば人力の生演奏でやっているのがマイルスの『オン・ザ・コーナー』のB面だということなんだよね。これは1972年の作品だから、そんな発想を実行したポピュラー・ミュージック最初の例だろう。

ヴァージョン云々の話がしたかったわけではない。問題は一見ファンクなどブラック・ミュージックとはなんの関係もなさそうなイギリスの音楽家ポール・バックマスターの参加だ。彼がマイルスの『オン・ザ・コーナー』の録音セッションに参加して貢献したものとは、西洋クラシック音楽的な<トーン・クラスター>の考え方じゃないかなあ。

トーン・クラスターは西洋現代音楽の概念。音塊とか音響の固まりみたいな意味で、ピアノで言えば白鍵も黒鍵も一緒くたにしてゲンコツで叩いて全部鳴らしてしまうような感じのもの(山下洋輔のあれが欧州公演でウケたのはそのせいもある)。だから現代音楽の楽譜では真っ黒に塗りつぶされているような状態になる。不協和音と言うもおろかもはやノイズに近い。

そういうトーン・クラスターの考え方をポール・バックマスターがマイルスの『オン・ザ・コーナー』その他1970年代音楽に持込んだのは、できあがったものを聴くと間違いないように思う。『オン・ザ・コーナー』での音の洪水もそうだけど、一番顕著に分るのが74年リリースの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』一枚目B面ラスト「レイティッド X」。

「レイティッド X」はリリースされたのは1974年だけど録音は72年9月で、『オン・ザ・コーナー』になった録音セッションと三ヶ月しか違わないんだよね。これがトーン・クラスターであることはなにも説明しなくても、音を聴けば誰だって分る。
ご存知の通りマイルス・ミュージックは本来相当に間が多くスカスカで、リズム・セクションに乗ってマイルスがかなり音数の少ないソロを吹くとかそんなもので、電化路線後もそうだった。『ビッチズ・ブルー』中のベストであろう二枚目B面一曲目の「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」だって、『ジャック・ジョンスン』だってそう。

それが1972年頃から突如変化して空間を音で塗りつぶすようになり、『オン・ザ・コーナー』も『ゲット・アップ・ウィズ・イット』も、あるいはそれらになったものも含めた72〜75年の録音セッションは全部そんな感じの音塊の洪水のようなものになっているのは、トーン・クラスター的発想に基づいているに違いない。

要するにマイルスは『オン・ザ・コーナー』とか『ゲット・アップ・ウィズ・イット』その他1970年代の真っ黒けなファンク・ミュージックを創る際ににも西洋白人音楽の助けを借りて、体から沁み出てくるような肉体派ではなく頭のなかで知的に考えて練り込んで、それを実行に移すというやり方をしたわけだよね。

ある方が「知的ファンク」だと『オン・ザ・コーナー』を呼んだのはそういう意味で、だからマイルス本人の言葉に反しストリート・ミュージックでもなければ踊りやすくもない。中山康樹さんは『オン・ザ・コーナー』が踊りにくいのはシタールやタブラといったインド楽器が入っているせいだと言っていたけれど、違うね。それらが入っていようといまいと、本質的にダンス・ミュージックじゃないんだ、マイルスはいつも。

マイルスのアルバムでは遺作になった『ドゥー・バップ』がイージー・モー・ビーとのコラボで、唯一ダンサブルかなと思う程度。それだってイージー・モー・ビーの創ったベーシック・トラックはヒップホップ風だけど、マイルスのトランペットが聞えはじめた途端にインテリ臭みたいなものが立ちこめるもんねえ。1970年代に電気トランペットを使ったのは、そういう西洋白人音楽的な雰囲気を消したかったのかもよ。

なお、JTNC系の某大先生が盛んに持上げるのであまり好きではなくなったロバート・グラスパーがマイルスの音素材を使ってリミックスしたという新作はまだ届いていない。日本盤は数日前に出たけれど、価格の安い米盤もそろそろ発売されるはず。それを聴いて思うところがあれば、またなにか書きたい。

2016/05/26

ブッカ・ホワイトのカリブ風味

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ニューオーリンズの音楽にカリブ風味を感じるというのは、以前から何度も書いているように当然なんだけど、戦前に録音したミシシッピのデルタ・ブルーズマン、ブッカ・ホワイトの残した録音を聴くとそこはかとなきカリブ風味を感じるというのは僕だけの妄想なんだろうか?

ブッカ・ホワイトにカリブ風味があることに気付いたのは、ブッカ・ホワイトの音源自体を聴いていてのことではない。彼の残した録音中おそらく一番有名であろう「シェイク・エム・オン・ダウン」をレッド・ツェッペリンが元歌にしていたからだった。元歌というと聞えはいいが要するにパクっただけ。

レッド・ツェッペリンは「シェイク・エム・オン・ダウン」を二回パクっている。一回目は1970年の『III』ラストの「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」。これはメチャクチャ音処理しまくっているせいで昔はなにがなにやら分らなかった。
しかしよく聴くと「シェイク・エム・オン・ダウン」とはっきり歌っているのが聞えるし、歌詞の他の部分も、あるいはジミー・ペイジがスライドで弾くギターのパターンも、ブッカ・ホワイトの弾くオリジナルのパターンに似ているよね。でも音処理のせいで嫌いだというツェッペリン・ファンが多いらしい。

僕もブッカ・ホワイトを知らなかった高校生の頃に初めて聴いた時はなんじゃこりゃ??としか思わなかったもんなあ。こんな具合の音処理が施されていて(多くのファンには)ワケが分らないことになっているツェッペリン・ナンバーはこれだけだろう。歌詞も昔は全然聴取れなかったしなあ。

歌詞といえば僕が高校生の頃に買った『III』の日本盤LPに付いていた歌詞カードには、この「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」だけは<聴取り不可能>と一言記載されていただけだった。しかしこの曲以外もあるいはツェッペリン以外のロック・ナンバーの場合も、歌詞カードはかなり間違っていたけどね。

今はGoogleで音楽家名と曲名と “lyrics” と入れて検索するだけで、即座に歌詞を載せたサイトが出てきて立ちどころに判明するので便利な時代になった。ツェッペリンをコピーして歌っていた高校生の頃はいい加減な歌詞カードと、もっといい加減な僕の耳だけが頼りだった。

そんな昔話はともかく、ブッカ・ホワイトの「シェイク・エム・オン・ダウン」をパクったツェッペリンのもう一曲は1975年『フィジカル・グラフィティ』冒頭の「カスタード・パイ」。こっちは(音処理ではなく)かなり換骨奪胎されているのでやはり分りにくいかも。
そしてこの「カスタード・パイ」がお聴きになれば分る通りいわゆるボ・ディドリー・ビート、言換えれば3−2クラーベのリズム・パターンなのだ。ペイジが弾くギター・リフが明確にそのリズムを刻んでいる。3−2クラーベは言うまでもなく中米カリブの島国キューバの音楽発祥のリズムだ。

3−2クラーベは米英大衆音楽でもよく使われるお馴染みのリズム・パターンなので特になんとも思わないのだが、ツェッペリンの「カスタード・パイ」がブッカ・ホワイトの「シェイク・エム・オン・ダウン」を下敷にしてできあがっていることを知ったのは僕の場合かなり遅くてCD時代になってからだった。

ブッカ・ホワイトのオリジナルも貼っておこう。1937年ヴォカリオン録音。ブッカはナショナル社製リゾネイター・ギターを弾きながら歌っている。 ザクザクと刻むビートがいかにもミシシッピ・デルタ・ブルーズという雰囲気で僕は大好き。
そしてこれを元歌にしたツェッペリンの「カスタード・パイ」が3−2クラーベのリズムなので、あっ!と思ったんだなあ。そしてよくよく聴直してみるとブッカ・ホワイトの1937年オリジナル・ヴァージョンに既にカリブなフィーリングがかすかにあるのを感じ取ることができるようになった。

カリブ文化の影響が色濃いニューオーリンズはカリブ海に繋がるメキシコ湾に拓けた港町だから当然なんだけど、ミシシッピ・デルタ(といってもブッカ・ホワイトは同州ヒューストン生れ)は海からはかなり距離があるから、当地のブルーズにカリブ音楽の影響を感じるのは個人的には最初やや意外だった。

でもそれを感じるようになってブッカ・ホワイトの全録音を聴直してみると、結構いろんな曲にカリブ風味を感じちゃうんだなあ。僕の耳がオカシイのかなあ。ブッカの録音では「シェイク・エム・オン・ダウン」と同じくらい有名な「パーチマン・ファーム・ブルーズ」もその他もちょっとそんな感じがある。

一つにはブッカがナショナル・リゾネイター・ギター弾きだということもあるんだろう。ナショナルでもドブロでもリゾネイター・ギターの音色には僕はニューオーリンズ的な響きを、ということはつまりカリブ的なニュアンスを感じるんだよね。陽気で晴れわたった青空と青い海を連想するというかね。

もう一つはそのナショナル・リゾネイター・ギターでブッカが刻むザクザクとしたビートが北米合衆国に多い2〜4〜8拍子系のヨーロッパ由来、もっとはっきり言えばアイルランド音楽系のものというより、もうちょっと複雑なというかやや跳ねてシンコペイトしているかのように僕の耳には聞えるんだなあ。

普通はブッカのブルーズにそんな跳ねるビートを感じない人の方が多いだろう。中米カリブ音楽やそれに強く影響されたニューオーリンズ音楽やその種の北米合衆国音楽が大好きで、それの聴きすぎのせいで僕の耳と頭がおかしくなっているだけかもしれない。なんにでもクラーベを感じちゃう性分だからなあ。

ただツェッペリンの「カスタード・パイ」が(これは誰が聴いても明白に)3−2クラーベのリズム・パターンを使っているのを聴くと、ネタ元であるブッカ・ホワイトを通しミシシッピを越えてカリブ海を見ることができるとかそう言いたくなっちゃうんだなあ。

ミシシッピ・デルタもアメリカ南部なんだし、ニューオーリンズほどではないにしろ中米カリブ音楽の影響があっても不思議じゃないんだろうと思うんだよね。田舎であるデルタ地帯のブルーズマンもニューオーリンズみたいな大都会含め南部一帯を楽旅したみたいだから、聴き憶えることがあったはずだ。

そう考えると、ブッカ・ホワイトの最大の影響源であるチャーリー・パットンの残した録音集を聴いていてもそんなカリブ風味をほんのちょっぴりだけ感じることがあるし、サン・ハウスだってそうだ。これがロバート・ジョンスンみたいな若い新世代になると殆どなくなって、シティ・ブルーズの影響の方が強くなるけれど。

なお「シェイク・エム・オン・ダウン」も古いカントリー・ブルーズの例に漏れずブッカ・ホワイトの創ったオリジナルではなく古い伝承共有財産のはず(だからツェッペリンが「パクった」云々はちょっと違うんだけど、彼らの場合そう言わないといけないという面があるはず)。ブッカ以後、トミー・マクレナン、ロバート・ペットウェイ、ミシシッピ・フレッド・マクダウェル、R.L. バーンサイドなどもやっている。

これら全員ミシシッピのカントリー・ブルーズマンだね。ペットウェイとマクレナンはデルタ地帯、マクダウェルとバーンサイドはヒル・カントリーの人だ。ドラマー他が付いてバンド形式でやるR.L. バーンサイドのヴァージョン(残っているのは二つ)もなかなかいいんだなあ。カリブ風味は消えているけれどね。

2016/05/25

たまにはウィントン・マルサリスのことでも書いてみよう

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ウィントン・マルサリスについて一度書いておかなくちゃなとは思うものの、今ではいいと思うものが殆どないように聞えるのでかなり腰が引け気味。書くといっても、いろんな方がいろんなことを言う「ジャズ史におけるウィントン・マルサリス登場の意義」とかそんなことを書く気はサラサラない。

そんな難しいことを考えるのは面倒くさいというのが最大の理由だけど、もう一つ、最近の僕はどんな音楽でもそんな歴史的意義だとかなんとかいうものよりも、単に音を聴いて美しい・楽しいというような種類の感慨しか持たなくなりはじめているので、音楽を聴きながらあんまり深く考えないんだなあ。

だからウィントン・マルサリスについても、今聴直して音楽的に美しい・楽しい・面白いという視点でしかモノを言うつもりはない。とはいえやはりウィントンにはいいものが殆どないように今では思うんだけど、僕が大学生の頃に彼が登場してきた時は、こりゃ凄いトランペッターが出てきたねと思ったものだった。

スタジオ・アルバムでは今聴いてもデビュー作の『ウィントン・マルサリスの肖像』の一部と、ハービー・ハンコック名義のワン・ホーン・カルテット作品『カルテット』が一番いい。どっちも1981年の録音・発売で、前者の半分と後者の全部は、実は東京での全く同じレコーディングからなんだよね。

『ウィントン・マルサリスの肖像』の半分はハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズという黄金のリズム・セクションに、サックスで兄のブランフォード・マルサリスが参加している東京録音。残り半分がニューヨーク録音で、ケニー・カークランド、ジェフ・テイン・ワッツなど。

『ウィントン・マルサリスの肖像』ではどう聴いてもハービー+ロン+トニーのリズム・セクションでやった録音がいい。残り半分もサックスはブランフォードだけど、ピアノのケニー・カークランド+ドラムスのジェフ・テイン・ワッツ(ベースは複数)がよくなるのはこの数年後からだから。

ブランフォードもケニー・カークランドもジェフ・テイン・ワッツも1985年頃までウィントンのバンドのレギュラー・メンバーだけど、85年頃の演奏と比べると81年の『ウィントン・マルサリスの肖像』での演奏はまだまだダメだ。既によかったとしてもハービー+ロン+トニーの演奏と並ぶとどうにも分が悪いだろう。

ウィントンはこの1981年のデビュー時からレギュラー活動のサイドメンにしていたのはケニー・カークランドやジェフ・テイン・ワッツなどで、ハービー+ロン+トニーの三人と一緒に録音するというのはコロンビア側のアイデアだった。もっとはっきり言えば日本の当時のCBSソニーの企画。

それで1981/7/28に東京は信濃町のCBSスタジオで、それら三人の黄金のリズム・セクションと一緒にたくさん録音し、それらのうちサックスのブランフォードが参加した四曲(ハービーだけは三曲)はウィントン名義のリーダー作に、ワン・ホーンでの録音はハービー名義の『カルテット』になったというわけ。

そういうわけなので『ウィントン・マルサリスの肖像』で黄金のリズム・セクションが揃っていいる三曲「RJ」「シスター・シェリル」「フー・キャン・アイ・ターン・トゥ」とハービー名義の『カルテット』は、サックスが入っているかいないかだけの違いであって、全く同じセッションからのもの。

アルバム全体で見たら大して面白くもない残り半分を含む『ウィントン・マルサリスの肖像』より、全曲が黄金のリズム・セクションであるハービーの『カルテット』の方が断然いいのは間違いない。しかし曲単位で言うと、前者B面一曲目の「シスター・シェリル」が一番いいように思う。
最高だよなあこれ。兄ブランフォードのソプラノ・サックスはどうってことないかもしれないが、リズム・セクション三人の演奏、特にハービーがいいね。そしてウィントンの吹くソロは、当時油井正一さんも「パッと花が咲くかのよう」と激賞していたもんね。

「シスター・シェリル」はこの1981年東京録音のためにトニー・ウィリアムズが書いたオリジナル曲。トニーは60年代からいい曲をいろいろと書いているよね。「シスター・シェリル」は後にトニーが自分のバンドでも録音・発売しているけれど、先のウィントン・ヴァージョンに遠く及ばない。

そういう「シスター・シェリル」みたいな傑作がありはするものの、アルバム全体ではやはり先ほど書いたようにハービー・ハンコック名義のワン・ホーン録音『カルテット』の方が断然いい。こっちではメンバーのオリジナル曲も1960年代マイルス・バンド時代のものが多く、その他スタンダードなど。

ハービーが1960年代に自分のオリジナル・アルバム用に書きフレディ・ハバードが吹いた「アイ・オヴ・ザ・ハリケーン」や、「ザ・ソーサラー」「ピー・ウィー」といった60年代マイルス・デイヴィス・バンド時代の曲や、その他オリジナル曲に加え、三曲の有名スタンダード・ナンバー。

こういう『カルテット』みたいなのがあるから、ウィントン・マルサリスらいわゆる新伝承派の連中が手本にしていたのは1960年代半ばのマイルス・デイヴィス・クインテットや、それと本質的には同じであるいわゆる新主流派のブルーノート録音だったのだというのは最初からみんな分っていた。

ただしハービーの『カルテット』のなかで僕が一番いいと思うのはロン・カーターの曲「パレード」。8ビートのややボサ・ノーヴァ風なリズムを使っていて、曲調やメロディ・ラインに独特の情緒がある。このアルバムでこういうのはこれ一曲だけだ。
ハービーはこういう「パレード」みたいな感じの曲もアクースティックなジャズ演奏でもよくやるし、エレクトリックなファンク路線だともっといろんな面白いものをたくさんやっているけれど、ウィントン・マルサリスのリーダー作品でこういった曲は僕の知る限り全く一つもないからなあ。

その後のウィントン・マルサリスのリーダー・アルバムでは、今聴き返すとスタジオ作には面白いものが全くない。かろうじて聴けると思うのが一連の『スタンダード・タイム』シリーズで、それも1991年の『Vol. 2:インティマシー・コーリング』まで。これの前になぜか『Vol. 3』が出ている。

どうでもいいが『スタンダード・タイム』シリーズは、最初1987年に『Vol. 1』が出たものの、次が90年の『Vol. 3: ザ・リゾルーション・オヴ・ロマンス』で、その後99年の『Vol. 4』のセロニアス・モンク曲集まで。しかしその間同じ99年だけど先に『Vol. 6:ミスター・ジェリー・ロード』が出た。ヘンなの。

『Vol. 2』より先に『Vol. 3』だったのでどうなってんの?と思い、その後も『Vo. 4』より『Vol. 6』が先に出たりよく分らない。それはさておきそんな『スタンダード・タイム』シリーズも1998年の『Vol. 5:ザ・ミッドナイト・ブルーズ』以後は全部ダメ。

というのは『スタンダード・タイム』シリーズの二枚『Vol. 3:ザ・リゾルーション・オヴ・ロマンス』と『Vo. 2:インティマシー・コーリング』にはアルバムのテーマとかコンセプトなんてものがなく、ごく普通にいろんなスタンダードを演奏したのを並べているだけで、演奏もストレートだ。

だけれどもそれ以後の『スタンダード・タイム』シリーズ(と他の全てのウィントンのスタジオ・アルバム)はコンセプトを決めてその下に選曲し演奏したものか、あるいは特定の作曲家のソングブックで、ウィントンの場合そうなると頭でっかちになってしまい、演奏に伸びやかさがなくなってしまう。

だからそれら二枚以外は到底聴き返す気すらしない『スタンダード・タイム』シリーズ(それ以外のスタジオ・オリジナル作品は一顧だにする気もない)。それら二枚を聴き返すとやはり『Vol. 3』二曲目の「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」が一番いい。ピアニストの父エリスとのデュオ。

その「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」、二分もない短い演奏なんだけど、本当に美しくてウットリと聴惚れちゃうくらいなんだなあ。これ以外の曲もこのアルバムは全部父エリスのピアノとのデュオかシンプルなカルテット編成で、美しいバラード吹奏中心。
こういう美しいスタンダード・バラードを小難しいことを一切考えず朗々と吹くだけの時のウィントンは、僕はなかなか悪くないものが少しあると思うよ。そしてバラードだけでなくアップ・テンポな曲も全部含め、頭でっかちではないそんなストレートなジャズマンぶりは、ライヴ・アルバムの方が分りやすいんだよね。

僕が一番いいと思うウィントンのライヴ・アルバムは1999年リリースの七枚組『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』だ。七枚組という大きなサイスだから買って聴いている人が少ないんじゃないかと思うんだけど、どう聴いてもこれが一番いい。録音は90〜94年で全部当時のセプテット編成。

タイトル通り全てニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ録音。1990〜94年までのウィントンやサイドメンのオリジナル曲もあるけれど、多くがジャズメンがよくやるスタンダード中心で、どれもストレートに胸のすくようなトランペット吹奏ぶりなんだよね。特に一枚目の「チェロキー」がいい。

「チェロキー」はソロ・デビュー前のアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ時代からのウィントンの得意曲で、独立後も頻繁に演奏していて公式アルバムにも何種類か存在するけれど、僕の耳にはどう聴いても『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』一枚目の93年録音が一番素晴しい演奏に聞える。

その『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』一枚目収録の「チェロキー」。全くテーマ・メロディを吹かず、約七分朗々とインプロヴィゼイションをウィントン一人が吹きまくるもので、彼の今までの音楽人生ではおそらくベスト演奏だろうね。ちょっとエチュードみたいだけどさ。
なお Wynton Marsalis は「マルサリスじゃなくてマーサリスだろう、チャーリー・パーカーをチャルリエ・パルケルと書くのか!?」と『スイングジャーナル』誌上で息巻いている人が昔いたけれど、ウィントンはニューオーリンズの人間だ。そんなこと言うならルイ・アームストロングも「ルイス」、シドニー・ベシェも「ベチェット」と書いたらどうかな。

まあ「ルイス・アームストロング」と発音する人は本国アメリカはたくさんいるんだけどね(「ベチェット」もいるに違いない)。ウィントンの場合僕はライヴで彼が自己紹介するのを聞いた。そうしたら Marsalis は ”sa” にアクセントがあってその前の "Mar" はかなり弱く短く「マサーリス」みたいな感じで、マルかマーか全然聞取れなかったよ。

2016/05/24

ラテンなプリンス〜サンタナ〜マイルス

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先月亡くなったばかりのプリンスはカルロス・サンタナのギターが大好きだったんだそうだ。と言ってもプリンスのギター・スタイルにカルロス・サンタナの痕跡を見出すことは、僕にはやや難しい場合が多い。はっきりそうだと聞取れるものは少ないよなあ。多少はありはするものの。

そうであるとはいえ、プリンスは『パープル・レイン』の頃からシーラ・E を起用していて、彼女と出会ったのはもっとずっと前の1978年頃の話だったらしい。そして打楽器奏者として自分の作品やライヴで重用するようになって以後は、亡くなるまでプリンスのかなりの部分でシーラ・E は音楽的貢献をしている。

ご存知の方には説明不要のことだけど、サンタナ関連でプリンスとシーラ・E の話をどうしてするのかというと、シーラ・E はラテン・パーカッショニスト、ピート・エスコヴェードの娘で、叔父がメキシコ系歌手のアレハンドロ・エスコヴェード。そのアレハンドロの名親はティト・プエンテなんだよね。

その他エスコヴェード一族はまあまあ名の知れたラテン音楽ファミリーで、シーラ・E はその血を引きそういう環境で育っているわけだから、そんな彼女をプリンスが長年重用したというのは、サンタナ好きであったことと無関係だったなんて誰も思わないだろう。プリンスの音楽自体にラテンな痕跡は薄いけれども。

そんなプリンスの音楽にだって濃厚なラテン風味が聴けるものは少しある。僕が真っ先に思い浮べるのは2002年の『ワン・ナイト・アローン…ライヴ!』三枚組だなあ。これの二枚目四曲目にある「エヴァーラスティング・ナウ」中盤で濃厚なラテン・テイストが全面展開しているんだよね。
これは僕が上げたもの。お聴きになれば分る通り2:21あたりからプリンスのギター・ソロ、レナート・ネトのピアノ・ソロ、グレッグ・ボイヤーのトロンボーン・ソロ、キャンディー・ダルファーのサックス・ソロと、こりゃ誰が聴いたってラテン音楽だ。

前年リリースのスタジオ・アルバム『ザ・レインボウ・チルドレン』にあるオリジナルの「エヴァーラスティング・ナウ」にこんなに濃厚なラテン風味は聴かれない。だから翌年のライヴでああいった感じになっているのはちょっとビックリしたんだよねえ。プリンスの弾くギターもカルロス・サンタナみたいだ。

またカルロス・サンタナ風なギターは弾かないものの、同じ『ワン・ナイト・アローン…ライヴ!』三枚目の『ジ・アフターショウ』。これの七曲目「ドロシー・パーカー」がこれまたラテン・ファンク調。プリンスはピアノを弾きコンガも叩いている。
『サイン・オ・ザ・タイムズ』収録のオリジナル「ザ・バラード・オヴ・ドロシー・パーカー」にそんなラテン風味はないよね。別段ラテンではなく、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「ファミリー・アフェア」(『暴動』)にインスパイアされてできあがったような曲調。それが完全に変貌している。

曲単位ではこれらライヴ音源二つがプリンスでは最も濃厚なラテン風味だけど、アルバム単位ならば2006年の『3121』が一種のラテン・アルバムのような雰囲気を少し持っている。と言ってもアルバムの全12曲中で四曲だけなんだけどね、はっきりと聞取れるものは。でも他のアルバムでは四曲もないもん。

『3121』のなかでラテン・テイストが一番はっきりしているのが三曲目の「テ・アモ・コラソン」。これも僕が上げたんだけど、僕が現在100個以上アップしている音源のなかで最も再生回数が多く、この曲を激賞するコメントも日々増え続けている。
このYouTube音源に付いたコメントにはスペイン語によるものも多いし(そりゃなんたって曲名がスペイン語題だから、検索して辿り着きやすいはず)、あるいは「まるでスパニッシュ・ボレーロみたいだ」というコメントも付いている。僕はボレーロというよりややボサ・ノーヴァ風かなあと思う。

『3121』ラストの「ゲット・オン・ザ・ボート」も快活なラテン・ビートを活かしていて、中盤と終盤に打楽器アンサンブルだけのパートだってある。そこにはシーラ・E だって参加しているんだよね。その他いくつかラテン風味な曲が入っている『3121』で、プリンスのアルバムでそういうのは他にはないはずだ。

もちろんアメリカ音楽におけるラテン風味なんてのはごくごく一般的な当り前のもので、そもそも19世紀から20世紀の変り目あたりにアメリカのポピュラー音楽がはっきりとした形で成立した時には、それはラテン音楽の変型みたいなもんだったのであって、だからジャズでもなんでも初期からかなりラテンの痕跡は強い。

だからプリンスの音楽が少しそういう感じになっているのだって別にどうってことはない。シーラ・E を重用しただとか、それと関係があるサンタナからの影響だとか、そんなことを言わなくなって当然の話だ。そして僕は今日プリンスにおけるラテン風味とかサンタナとの関係について書きたかったわけではない。

実はプリンスが亡くなって彼のCDばかりしばらく聴続けていた時期に、彼の音楽にラテン風味がかなりあることに(いまさらながら初めて)気が付いて、それについて文章をまとめたいと思っていろいろ調べていたら、プリンスがサンタナ好きだったことを知った。しかしこの話をこれ以上発展させる能力は僕にはない。

本当は別のことを書きたかった。それはサンタナがマイルス・デイヴィスの曲をやっていることに僕は大変遅ればせながら昨2015年に気が付いたのだ。それは1971/7/4のフィルモア・ウェストでのライヴでのことで、やっているのはジョー・ザヴィヌルの書いた「イン・ア・サイレント・ウェイ」。

どうして気が付いたのかというと、ある事情で『サンタナ III』のことを調べていて、これのCD二枚組レガシー・エディションが2006年に出ていることを知り、その二枚目がその1971年フィルモア・ライヴをフル収録したもので、そのなかに「イン・ア・サイレント・ウェイ」の文字を発見。

それを発見したのが昨2015年暮れのことで、驚いた僕は慌ててその『サンタナ III』のレガシー・エディションを買って聴いてみた。附属ブックレットを見ると、そのサンタナが1971年のフィルモアでやった「イン・ア・サイレント・ウェイ」は『フィルモア・ザ・ラスト・デイズ』で既発のようだ。

その『フィルモア・ザ・ラスト・デイズ』というアルバムも僕は初見で、これも調べてみたら1972年にアナログ盤ボックスが出ているんだなあ。リイシューCDだって91年に出ている。僕はこれをなんと昨2015年まで何十年間ず〜っと知らないままで過してきた。マイルス・ファンなのにね。

それまでマイルスがカルロス・サンタナに自分のバンドのレギュラー・ギタリストにならないかと二回声を掛け二回とも断られているだとか、1981年のマイルス復帰後に何度か共演はしているだとか、その程度の知識しか持っておらず、サンタナ・バンドがマイルス・ナンバーをやっていたなんてね。

こんなのでマイルス・ファンを自認しているんだから(他認は決してされたことはない)、どこがマイルス・ファンなんだか聞いて呆れるよねえ。なんてアホで鈍感なんだ僕は!まあしかし呆れるとかアホだとか鈍感だとかは僕の常態なんですぐに気にしなくなって、『サンタナ III』レガシー・エディションの二枚目を楽しんだ。

サンタナが1971年のフィルモアでやっている「イン・ア・サイレント・ウェイ」はそうとしか書かれていないものの、マイルスによるスタジオ・オリジナルに即して「イッツ・アバウト・ザット・タイム」を引続き連続演奏し、終盤でもう一回「イン・ア・サイレント・ウェイ」が出てくるという具合。
出だしの「イン・ア・サイレント・ウェイ」部分ではカルロス・サンタナが軽いパーカッション伴奏に乗ってメイン・テーマを弾きそれに同じギターのニール・ショーンが絡むんだけど、それはあっと言う間に終って「イッツ・アバウト・ザット・タイム」になると、カルロス・サンタナが例のエレピ・リフを弾き始める。

するとすぐにその(マイルスのオリジナル・ヴァージョンではエレピが弾く)リフをニール・ショーンがコード弾きでやりはじめ、ドラムスやパーカッションによるリズムが活発になって、それに乗ってカルロス・サンタナが、次いでニール・ショーンがインプロヴィゼイションを繰広げるというような展開だ。

そして「イッツ・アバウト・ザット・タイム」部分では打楽器のリズムが本当に賑やかで、さながらラテン・マイルスというような調子なんだよね。特にニール・ショーンがアドリブを弾く部分でパーカッションが派手に目立つ。パーカッションはホセ・チェピート・アレアスとマイク・カラベージョの二人。

ドラムスのマイケル・シュリーヴは特にその必要はないと思うのに、なぜかマイルス・オリジナルでのトニー・ウィリアムズみたいにハイハットとスネアのリム・ショットだけに限定している時間帯がある。とはいえパーカッションの二人が派手に鳴らしまくるので、演奏全体は全然静かな感じではない。

このリズムが相当派手で賑やかなラテン・マイルス風「イッツ・アバウト・ザット・タイム」はちょっと面白いね。ニール・ショーンとのツイン・ギター体制だった時代のサンタナ・バンドらしい仕上りで、やっぱりこのバンドはそうやってなんでも濃厚なラテン風にアレンジして演奏するのがいいなあ。

そしてサンタナのオリジナル・アルバムでは、以前も強調したように1971年の『サンタナ III』(正式なアルバム・タイトルはシンプルに『サンタナ』なんだけど、それではデビュー・アルバムと区別不能)が僕は一番魅力的に聞えるということも改めて再確認した。ラテンなサンタナこそチャーミングだよね。その後のジャズ〜フュージョン路線は僕にはよく分らない。

なお、前述の通りシーラ・E と密接な関連があるニューヨーク・ラテンの雄ティト・プエンテは、従ってプリンスとも繋がっていることになるわけだけど、言うまでもなくサンタナはこの時期よくティトの曲をやっていたことを念のために書添えておく。

2016/05/23

テックス・メックスなボブ・ディラン

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『アイム・ナット・ゼア』というボブ・ディランの音楽と人生に触発された伝記映画(らしい)のサウンドトラック盤CD二枚組がなかなか面白い。映画自体もサウンドトラック盤も2007年にリリースされているが、トッド・ヘインズ監督による映画の方は僕は観ていない。日本でも公開されたようだけど。

サントラ盤『アイム・ナット・ゼア』をどうして買ったのかというと、これに入っているアントニー&ザ・ジョンスンズによる「天国の扉」が、まるで聴いているこっちまで天国に行きそうになってしまうような出来だと聞いたからだった。
いやあなんとも美しすぎるよねえ。僕はこんな感じの「天国の扉」は聴いたことがない。様々なカヴァー・ヴァージョンのなかではエリック・クラプトンのも有名で、僕もいいと思うんだけど、このアントニー&ザ・ジョンスンズのを聴いたら、これが一番いいんじゃないかと思うようになった。

アントニー&ザ・ジョンスンズは、僕の場合恥ずかしながらこれで初めて知った名前だった。完全に惚れちゃったので、2009年リリースの『ザ・クライング・ライト』も買って聴いたら、これも美しすぎて。舞踏家、大野一雄の写真を使ったアルバム・ジャケットも大変に魅力的だった。

しかしながら『アイム・ナット・ゼア』というCD二枚組サントラ盤で僕が感心したのは、これで初めて名前を知ったアントニー&ザ・ジョンスンズだけではない。というかそれよりもむしろアルバムにたくさん入っているテックス・メックス風にアレンジしたナンバーだった。数えてみたら全部で六曲ある。

その六曲とは「ゴーイン・ダウン・トゥ・アカプルコ」「ダーク・アイズ」「珈琲をもう一杯」「ビリー・1」「セニョール(テイルズ・オヴ・ヤンキー・パワー」「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」だ。これらのうちボブ・ディランのオリジナル・ヴァージョンが濃厚にラテン風なのは一つもないよねえ。

殆ど顧みられることのない『ストリート・リーガル』の収録曲である「セニョール」はもちろんスペイン語の曲名なんだけど、そのディラン・ヴァージョンに僕はラテン風味を殆ど感じない。オリジナルがYouTubeにないので、代りにこれを。
しかしこれが『アイム・ナット・ゼア』収録のウィリー・ネルスン&キャレキシコによるヴァージョンになると、突然テックス・メックス風なフィーリングに仕上っているもんねえ。入っているトランペットなんかまるでマリアッチみたいじゃないか。
この「セニョール」にはトランペッターが二人クレジットされている。中盤でスペイン語によるヴォーカルだって入るし、ベースはアップライト・ベースで、ドラマーはブラシを使い、歌いながらアクースティック・ギターを弾くウィリー・ネルスン以外にも、ナイロン弦ギターやハーモニカも入る。

マリアッチみたいなトランペットといえば、「珈琲をもう一杯」もそう。これはロジャー・マッギンとこれまたキャレキシコ。トランペッターは一人しかクレジットされていないんだけど、アンサンブルみたいに聞える部分があるし、歌に絡みソロも取る。ディラン・ヴァージョンでのヴァイオリンに相当するものだ。
これにはキューバのソンで使われる弦楽器トレスだって入っているし、アコーディオンとストリングスも入って、『欲望』収録のディラン・ヴァージョンのエキゾチックなフィーリングをラテン風味に置換えたような感じだなあ。

「珈琲をもう一杯」というディランの曲が僕は昔から大好きで、『欲望』収録のオリジナルで惚れて、2002年リリースの『ライヴ 1975:ザ・ローリング・サンダー・レヴュー』収録のライヴ・ヴァージョンも大好き。どっちもヴァイオリンはスカーレット・リヴェラ。中近東風かなあ。

それがテックス・メックスというかラテン風味になっているもんねえ。これもそうだし、その他全部で六曲あるテックス・メックス風アレンジのディラン・ナンバーのうち五曲にキャレキシコが関わっている。大変に遅ればせながらキャレキシコも『アイム・ナット・ゼア』で知ったバンドだったのだ。

調べてみたらキャレキシコは1996年から活動していて、ファースト・アルバム『スポーク』が97年に出ているし、その後も2015年の新作までスタジオ・アルバムが全九作、ライヴ・アルバムだって七枚もある。僕は全く気付いていなかった。アリゾナに拠点を置くテックス・メックス・バンドだ。

サントラ盤『アイム・ナット・ゼア』でキャレキシコがジム・ジェイムズとやる「ゴーイン・ダウン・トゥ・アカプルコ」でだって、トランペットやトロンボーンといった複数の管楽器がラテン風なフィーリングを出している。初出の1975年ボブ・ディラン&ザ・バンドの『地下室』にそんな感じはない。

同じくキャレキシコがアイアン&ワインとやる「ダーク・アイズ」だって、『エンパイア・バーレスク』収録のディラン・オリジナルはアクースティック・ギター弾き語りで、それにハーモニカが入るだけのいつものディラン節なんだけど、『アイム・ナット・ゼア』ではマリンバやボンゴが入っている。

キャレキシコがシャルロット・ゲインズブールのヴォーカルをフィーチャーしてやっている「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」はシャルロットのヴォーカル以外には二人だけで、ギター、ピアノ、オルガン、ドラムスの多重録音。これだけはあまりラテン風味は強くなくて普通のバラードだ。

だから「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」はキャレキシコが関わっているとはいえ、テックス・メックス風味とは言えないだろう。もう一曲「ビリー・1」はお馴染みロス・ロボスによるものだから、当然と言うべきかラテン風味の強い仕上りだ。
「ビリー・1」だって『パット・ギャレット&ビリー・ザ・キッド』収録のディラン・オリジナルにラテン風味は薄くしか感じられないもんね。それが『アイム・ナット・ゼア』でのロス・ロボスはアコーディオンとかバホ・セクストなどを駆使して完全なるテックス・メックスに仕立て上げている。

『アイム・ナット・ゼア』全34曲中たったの六曲だけとはいえ、それらキャレキシコやロス・ロボスが出すテックス・メックス風味は、僕の耳には強く印象に残る。もちろん他にもアクースティック・ギターのカッティングが猛烈な疾走感を出すリッチー・ヘイヴンズの「トゥームストン・ブルーズ」もイイネ。

あるいはオルガンが非常に印象的なスティーヴン・マルクマス&ザ・ミリオン・ダラー・バッシャーズによる「バラード・オヴ・ア・シン・マン」とか、賑やかで楽しくスウィングするキャット・パワーの「スタック・インサイド・オヴ・モバイル・ウィズ・ザ・メンフィス・ブルーズ・アゲイン」なども面白い。

ランブリン・ジャック・エリオットのアクースティック・ギター弾き語りにスティール・ギターが絡む「ジャスト・ライク・ア・トム・サム・ブルーズ」も楽しい。そういういろんな面白いディラン・カヴァーが多い『アイム・ナット・ゼア』だけど、個人的にはラテン風味が興味深いと思うんだよね。

僕がラテン好きということもあるけれど、この2007年の『アイム・ナット・ゼア』まで、僕はそういう感じにアレンジしたディラン・ナンバーって聴いたことがなかったからさあ。僕の音楽体験なんて狭いんだから、きっと他にもっと前からあるんだろう。アメリカにはヒスパニック系も多くて、スペイン語はもはや第二の公用語なんだから。

なおアルバム・タイトルになっている「アイム・ナット・ゼア」はディラン&ザ・バンドの例の地下室セッションからの当時の未発表曲で、このサントラ盤が初出。そのオリジナルとソニック・ユースのカヴァーが入っている。オリジナル・ヴァージョンは2014年の『ベースメント・テープス・コンプリート』にも収録された。

2016/05/22

ネスヒに捧ぐ〜アトランティック・ジャズの世界

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『オマージュ・ア・ネスヒ』というCD五枚組アンソロジー・ボックスがある。ライノから2008年に出たもので、副題が『アトランティック・ジャズ・ア・60th・アニヴァーサリー・コレクション』。ご存知の通りネスヒ・アーティガンはアトランティック・レコーズのジャズ部門統括者だった。

イスタンブル生れのトルコ人ネスヒ・アーティガン。彼は1917年生れで、23年生れの弟アーメットとともに熱心なアメリカ黒人音楽マニアだった。35年にアメリカに移住してのち、弟アーメットは主にリズム&ブルーズなどを録音するためにアトランティック・レコーズを47年に設立する。

その間も兄ネスヒの主な興味はトラディショナルなニューオーリンズ・ジャズで、1940年代のニューオーリンズ・リヴァイヴァルでの古老達の録音などに関わっていたらしいが、詳しいことは僕は知らない。その後アーメットとジェリー・ウェクスラーの説得でアトランティックのジャズ部門責任者になる。

そのネスヒが関わったというアトランティックのジャズ部門設立が何年のことなのか調べても正確なことが分らないが、どうやら1948年なんじゃないかと思う。というのも前述の通り「60周年記念」と銘打った『オマージュ・ア・ネスヒ』ボックスのリリースが2008年だから。

『オマージュ・ア・ネスヒ』五枚組にはネスヒがプロデュースしたアトランティックのジャズ録音ばかり入っていて、通して聴くとアトランティックのジャズというものがどういうものなのか非常によく分る。一部を除きホントどれもこれも真っ黒け。それがこの会社のレーベル・カラーだよね。

アトランティックのジャズというと僕が真っ先に思い浮べる名前はチャールズ・ミンガスなんだけど、そういう人は結構多いかも。その他一時期のジョン・コルトレーンとかデビュー時のオーネット・コールマンとかあるいはモダン・ジャズ・カルテットとかそのあたりかなあ、僕の場合は。

ジャンルを問わずアトランティックの看板といえば、もちろんレイ・チャールズをおいて他にないわけだけど、実はこのジャズ録音ばかりのはずの『オマージュ・ア・ネスヒ』にもレイ・チャールズはかなり収録されている。リズム&ブルーズの人だというイメージなんだけどね。

しかしそのリズム&ブルーズ歌手兼ピアニストのレイ・チャールズも『オマージュ・ア・ネスヒ』に収録されているのはやっぱり殆どがジャズ録音なんだよね。ピアノ・トリオ編成でやったブルージーかつジャジーな「スウィート・シックスティーン・バーズ」や、コンボ編成のスタンダード「降っても晴れても」(こっちは歌入り)などなど。

ちょっと意外で僕はこの『オマージュ・ア・ネスヒ』で聴くまで気付いていなかったのが、レイ・チャールズのやる「ドゥードゥリン」だ。もちろんあのホレス・シルヴァーのファンキー・ナンバー。ホレスのソロ第一作『アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ』に収録されているのがオリジナル。これにはちょっぴり驚いたんだよね。

もちろん「ドゥードゥリン」は黒っぽいファンキー・ナンバーなんだからレイ・チャールズがやるのは全然不思議じゃない。そして聴いてみたら、これ、ホレス・シルヴァーのオリジナルよりいいんじゃないかなあ。ホーン奏者達のソロもレイのピアノ・ソロもいい感じにカッコよくグルーヴィーだしねえ。

レイ・チャールズ・ヴァージョンの1956年録音「ドゥードゥリン」はかなりアレンジされていて、しかも間違いなく譜面がありそうなやや入組んだアレンジで、これ誰がアレンジを書いたんだろうと思ってブックレットのクレジットを見たらクインシー・ジョーンズになっている。道理で上手いわけだ。

メイン・テーマ・メロディを最後にもう一度演奏する直前に、ホーン奏者達によるテーマではない別のリフ、いわばセカンド・リフが入ったりするあたりとか、あるいはソロの背後のホーン・リフの入れ方とか、ここでのクインシーのアレンジはホレス・シルヴァーのペンによく似ている。

レイ・チャールズは特にジャズではない録音も収録されている。それが<ライヴ>と銘打った三枚目冒頭に入っている「アイ・ガット・ア・ウーマン」。1958年ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ録音で、それをネスヒがプロデュースしたというので入っているんだろう。

リズム&ブルーズ歌手といえば<シェイズ・オヴ・ブルー>と銘打たれた二枚目の六曲目に女性歌手ラヴァーン・ベイカーの「エンプティ・ベッド・ブルーズ」が入っている。これが完全に1920年代クラシック・ブルーズの雰囲気なんだよね。それもそのはずこれはベシー・スミスのレパートリーだ。

まあでも1950年代のリズム&ブルーズ歌手がベシー・スミス・ナンバーを歌ったからといって、それがそのまま1920年代のクラシック・ブルーズになるというものでもないだろう。現にダイナ・ワシントンのベシー・スミス曲集などにはそんな感じがないもんね。だからこれはなんだろうなあ?

しかしこれは実に興味深い事実ではないだろうか。1920年代のクラシック・ブルーズはブルーズ好きでもジャズ好きでも苦手だというファンが多いらしく、大好きである僕なんかからしたらう〜んどうして?と凄く残念な気持で一杯なんだけど、やはり50年代のリズム&ブルーズまで繋がっているわけだよ。

これまた『オマージュ・ア・ネスヒ』に何曲も入っているやはりアトランティック・ジャズを代表する一人であるジョン・コルトレーン。個人的好みだけだなら僕は1959〜61年のアトランティック時代が一番好きなサックス奏者だ。四枚しかないんだけど、その後のインパルス時代より好き。

と言っても僕はコルトレーンの名を有名にしたらしい『マイ・フェイヴァリット・シングズ』のソプラノで吹くタイトル曲はあまり好きじゃないんだなあ。大した演奏じゃないように思う。この曲をコルトレーンがやったのでは、もっとはるかにいい演奏が後年のライヴ録音にあるからね。

その「マイ・フェイヴァリット・シングズ」も『オマージュ・ア・ネスヒ』には入っている。まあこれはしょうがないんだろう。しかしこれが入ったオリジナル・アルバムならB面のテナーで吹く「サマータイム」や「バット・ナット・フォー・ミー」の方がはるかに出来がいいと僕は思うんだけどねえ。

それでも『オマージュ・ア・ネスヒ』には『ジャイアント・ステップス』から「ジャイアント・ステップス」や「カズン・メアリー」や「ナイーマ」が入っているからよしとしよう。オリジナル・アルバムとしてもアトランティック時代のコルトレーンではこのアルバムが僕は一番好きだなあ。テナー専念なのもいい。

書いたようにアトランティックのジャズと言われて真っ先に名前が浮ぶチャールズ・ミンガスももちろんたくさん入っているけれど、そのなかで一番好きなのは<オン・ジ・エッジ>と銘打った四枚目七曲目の「ホグ・コーリン・ブルーズ」だなあ。もちろん『オー・ヤー』から。ローランド・カークが最高だ。

やはりアトランティックにたくさん録音し『オマージュ・ア・ネスヒ』にも数曲入っているモダン・ジャズ・カルテットは、今では聴くことはほぼなくなっているんだけど、<ライヴ>という三枚目に入っている「ブルーゾロジー」だけはいい。これは1960年録音の『ユーロピアン・コンサート』から。

なんだかクラシックのバロック音楽の手法を持込んだりするジョン・ルイスの室内音楽趣味が、ある時期以後どうにも気に入らないMJQで、このバンドはブルージーでファンキーなミルト・ジャクスンのヴァイブラフォンと意外に黒いところがあるコニー・ケイのドラムスしか聴けないなあ、個人的には。

でも『オマージュ・ア・ネスヒ』収録の「ブルーゾロジー」はいいよ。ライヴ録音ならではのグルーヴ感とやはりブルーズ・ナンバーだからだろうなあ、ジョン・ルイスも結構粘っこいピアノを弾いている。バロック風室内音楽趣味の人にしては、普段からまあまあ粘っこいピアニストではあるけれどね。

初期のオーネット・コールマンを録音したのだって、ネスヒはオーネットのフリーなアルト・サックスにブルーズ・フィーリングとネスヒの好きなニューオーリンズ・ジャズへの先祖帰り的な雰囲気を感じ取っていたからなんじゃないかと思っちゃうんだよね。フリー・ジャズってそういうもんだろう。

その他レイ・ブライアントの『アローン・アット・モントルー』からブルーズ・クラシックである「アフター・アワーズ」(レイ・ブライアントは「私の知る限り最も古いブルーズ・ピアノ・ソロの一つです」と紹介しているけれど、1940年の曲だからそんなに古くもない)とかも楽しいねえ。

数曲入っているユセフ・ラティーフ(ソプラノでやるリロイ・カーの「イン・ジ・イヴニング」はちょっと面白い)とか、ローランド・カークとか、あるいはウェザー・リポート前のソロ作がアトランティックに三枚あるジョー・ザヴィヌルだとか、『オマージュ・ア・ネスヒ』には面白いのがいっぱいあって話が尽きないのでこのあたりで。

2016/05/21

エンリッキ・カゼスの案内で聴く古典ショーロの世界

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多くのジャズ・ファンが聴くべきブラジル音楽は、ボサ・ノーヴァではなくショーロに他ならないと強く確信している僕。それは何度も書いているように(ジャズとは関係なく)僕が大のショーロ・ファンだというだけでなく、どう聴いてもショーロが一番ジャズに近いからだ。

しかし僕の今までの音楽人生で、熱心なジャズ・ファンがショーロに熱烈に言及しているのをただの一度も見たことがないのは不思議で仕方がない。聴かないのかなあ?そういうわけだから僕はジャズについてたくさん書く一方でショーロについても時々話をしているというわけ。だって素晴しい音楽だもんね。

ブラジルにカヴァキーニョという楽器があって、小型のギター型弦楽器。同じ四弦でいわば金属弦を張ったウクレレみたいなもの。ショーロの世界で疑いなく現代ブラジルにおけるカヴァキーニョの最高の名手であろうエンリッキ・カゼス。その見事なカヴァキーニョ技巧を活かしたアルバムもたくさんある。

そういうエンリッキのカヴァキーニョ技巧を披露しているアルバムのなかで僕の一番の愛聴盤は、2012年にライスから日本盤がリリースされた『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』という一枚。タイトル通り過去のブラジルにおけるカヴァキーニョ・ショーロの名曲の歴史を最新録音で再現したものだ。

これが素晴しいのなんのって聴いていて本当に舌を巻く。聴惚れる以外なにもできない。そして『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』にも表れているように、エンリッキはジャズより古く1860年代頃に成立したショーロの歴史に非常に造詣が深く、伝統を現代に再現する伝道師のような側面がある。

僕もエンリッキのカヴァキーニョ演奏が大好きではあるものの、彼がそうやってショーロの歴史を繙いたような企画アルバムの方がもっと好きで愛聴しているのだ。その最高の一枚が『エンリッキ・カゼス・アプレゼンタ・ショーロ歴史物語』だ。これは2002年にライスからリリースされた日本盤しかないはず。

『エンリッキ・カゼス・アプレゼンタ・ショーロ歴史物語』というアルバム・タイトルで分る通り、ショーロ研究家としてのエンリッキがライスの田中勝則さんとともに、130年以上に及ぶショーロの歴史のなかからその名曲・名演の数々を選曲し、CD一枚にその歴史をまとめてみせたというものだ。

というわけだから当然ながらかなり古い録音が中心で、SP時代の古い音が嫌いだというファンには決してオススメできない一枚ではあるけれど、僕みたいに大学生の頃から1910〜30年代の古典ジャズ録音ばかり聴いてきて、新しい録音よりむしろそういうものの方が好きというリスナーには最高なんだよね。

アルバム中一番録音年代が古いのは四曲目のエルネスト・ナザレーのピアノ演奏による「エスコヴァード」で1907年録音。エルネスト・ナザレーはショーロ・ファンなら知らぬもののいない初期の大作曲家でピアニスト。彼のショーロはクラシックなのかポピュラーなのか分りにくいような雰囲気だ。そのヴァージョンがYouTubeにないので、代りに30年ヴァージョンを。
エルネストは元々は貧民街のストリート・ミュージックだったショーロに、やはりある種のクラシック音楽的な芸術性みたいなものを持込んだ人物だと言えるんだろう。しかしこれだけ読んで北米合衆国や日本におけるクラシック/ポピュラーの距離の遠さや違いの大きさを連想してはいけない。

ブラジル音楽においてはクラシックとポピュラーの距離はかなり近く、本質的にはさほどの違いがないようなものがたくさんある。このあたりからしてもモダン・ジャズばかり聴くクラシック・ファンも、エルネスト・ナザレーみたいなショーロを聴いたらどうかと思うのだ。聴けば絶対好きになるはず。

エルネスト・ナザレーだけでなく、ショーロにおいてはクラシックなのかポピュラーなのか判断できがたいものがたくさんあって、『エンリッキ・カゼス・アプレゼンタ・ショーロ歴史物語』にも何曲もそういうものが入っているし、以前書いた現代新録音でのショーロ名演選『カフェ・ブラジル』にもあるしね。

四曲目エルネスト・ナザレーの作曲・演奏による「エスコヴァード」の1907年が一番古い録音だけど、それ以外もだいたい全部1910〜30年代頃の録音ばかり。新しくても20曲目のジャコー・ド・バンドリンによる「トレーメ・トレーメ」で1947年録音だ。これはジャコーのデビュー録音。
1947年録音デビューってことはジャコーは戦後のショーロ新世代なわけだけど、19世紀末からの古いショーロの伝統を戦後にしっかりと継承して、伝統を絶やさないようにとある種の使命感みたいなものを持ちながらストイックに活動したバンドリン奏者/作曲家。戦後のブラジル最大のショーロ音楽家だろう。

お馴染みピシンギーニャの書いた「1対0」もベネジート・ラセルダとの共演によるオリジナル録音(1946年)が16曲目に収録されている。以前詳しく書いたように数多いショーロの名曲のなかでも僕の最大のフェイヴァリット・ナンバー。これが入っているのは当然だとはいえやはり嬉しいね。
ピシンギーニャはもう一曲、これもまた彼の書いた代表的名曲「カリニョーゾ」が10曲目に収録されている。1928年のオルケストラ・チピカ・ピシンギーニャ・ドンガによるオリジナル演奏。ドンガはサンバ曲第一号ともいうべき「電話で」を書いたギタリストで、このバンドは二人の双頭バンドだった。
「カリニョーゾ」はかなりジャズ的というか、はっきり言ってピシンギーニャがジャズの作風に影響されて創ったような曲なのだ。彼は1922年にパリに渡っていて、そこでジャズに出逢いジャズを吸収して、20年代後半から新しいジャズ風ショーロを書くことになった。その代表曲が「カリニョーゾ」。

ピシンギーニャの「カリニョーゾ」は、実は日本人ジャズ・サックス奏者の渡辺貞夫さんも録音しているものがある。ブラジル人ギタリスト、トッキーニョとの共演盤『メイド・イン・コラソン』に収録されていて、そこではトッキーニョのギターとのデュオで貞夫さんがアルト・サックスを吹いている。

僕の憶測では、現代の音楽家も自国音楽の過去の伝統に非常に敬意を払いをそれを継承する傾向の強いブラジル人であるトッキーニョ側が貞夫さんに持ちかけた一曲だったんじゃないかと思うんだけど、あるいは昔からブラジル音楽好きでたくさんお聴きの貞夫さんだから、ジャズ風な「カリニョーゾ」のチョイスは貞夫さん自身の着想だった可能性もある。

ピシンギーニャの「1対0」の1946年、ジャコー・ド・バンドリンの「トレーメ・トレーメ」の47年録音がアルバム中新しい録音のような言い方をしたけれど、実はそうではない。録音が残っていない古いショーロ曲については、監修者のエンリッキ・カゼス自ら演奏して録音・収録している。

一曲目ジョアキン・アントニオ・ダ・シルヴァ・カラードの書いた「サロメー」、二曲目アルフォンス・ルドゥック(フランス人)の書いた「ランセイロのクァドリーリャ」がそうで、二曲ともエンリッキを中心にした少人数編成のバンドで録音している。どちらも録音技術の普及前に書かれた曲だからね。

エンリッキといえば最初に書いたようにカヴァキーニョの現代における最高の名手なわけだけど、『エンリッキ・カゼス・アプレゼンタ・ショーロ歴史物語』21曲目の「ブラジレイリーニョ」は、こんなカヴァキーニョ演奏の早弾きショウケース。作曲・演奏はヴァルジール・アゼヴェードで戦後の人。
目が眩むような早弾き技巧を聴かせることこそが「ブラジレイリーニョ」という曲の持味で、『エンリッキ・カゼス・アプレゼンタ・ショーロ歴史物語』におけるヴァルジールもまさにそう。これは1949年録音なので、エンリッキが再現演奏したものを除けば、これが一番新しい録音。

ヴァルジールの「ブラジレイリーニョ」は解説の田中勝則さんによれば、なんでもショーロ史上最大のヒット曲になったらしい。そりゃ誰だって聴けば魅了されるような演奏だもんなあ。カヴァキーニョ早弾き技巧の最高の見せ場である曲だから、エンリッキ・カゼスも繰返し採り上げて録音している。

エンリッキによる「ブラジレイリーニョ」。そのうちの一つが最初に書いた『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』一曲目にも収録されている。またこれよりも先に2000年録音の『カフェ・ブラジル』のなかでもやはりエンリッキが「ブラジレイリーニョ」を弾きまくっている。後者の方が少し華麗な感じがするね。

というわけで話が最初に戻ってうまく繋がって輪になったところで今日のこの話は終りにする。エンリッキ・カゼスは他にもグルーポ・ド・ショーロ 1900というユニット名で『ショーロ 1900』という、これまたいにしえの伝統的ショーロ名曲を新録音で再現したアルバムがある。

1959年生れのエンリッキ・カゼス。僕のたった三歳年上なだけの完全なる現代人だけど、専門家なのに「古いものは聴かないよ」などと公言してはばからないような人がいたりする日本やアメリカと違って、ブラジル音楽界はこうやって新世代が過去の伝統を深く理解し継承するからやっぱりいいなあ。キューバもトルコもアゼルバイジャンもアラブ圏もそうだし、そういう方がマトモだと僕は思うよ。

2016/05/20

マイルス・バンドのドラマーはみんなやかましい

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マイルス・デイヴィスがその全音楽人生で自分のバンドに雇ったレギュラー・ドラマーは、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ジミー・コブ、トニー・ウィリアムズ、ジャック・ディジョネット、アル・フォスター、リッキー・ウェルマンで全部。短期間の繋ぎ役としてあと二名いるけれど例外的存在だろう。

マイルスの音楽的キャリアの長さのわりには全部で六人というのは少ないような気もするけれど、ドラマーに関してはあまり交代させない人だった。ドラマーだけでなく本当に気に入ったサイドメンはなかなかクビにしない人で、自ら辞めると言出しても慰留することが多かった。

ビル・エヴァンスが脱退後も『カインド・オヴ・ブルー』で使っているし、ジョン・コルトレーン脱退後も『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』で使い、またコルトレーンの場合マイルスは相当こだわって、コルトレーンが辞めると言出してからも、残るように執拗に説得し続けたらしい。

ドラマーに関しても最初に雇ったフィリー・ジョー・ジョーンズ。彼の場合はかねてからのドラッグ乱用癖と、それもあってか1958年頃にはライヴ現場に遅刻したり全く現れなかったりで、それでマイルスも呆れてクビにしたんだけど、その後も録音で使うことはなくてもかなり密に連絡を取っている。

1962年に雇った当時17歳のトニー・ウィリアムズのプレイぶりに感心したマイルスは、フィリー・ジョー・ジョーンズを呼んでどうだオレのバンドの新しいドラマーは?なかなかいいだろう?と自慢していたし、63年のライヴ盤『イン・ヨーロッパ』をフィリー・ジョーに電話で聞かせて自慢したりしている。

そしてその六人のマイルス・バンドの歴代レギュラー・ドラマーは全員非常にやかましいドラミングをするよね。これはマイルスのこだわりだったらしい。マイルスは生涯通して常々フロントで吹くトランペッターにはうるさいドラマーが必要なんだ、それ次第で演奏が良くも悪くもなるんだと強調していた。

六人のうち1958〜61年のジミー・コブ一人だけが例外的にさほどやかましくもないドラマーだけど、これは当時のマイルス・ミュージックの方向性と合致していたからね。特に『カインド・オヴ・ブルー』。あれはかなりスタティックでおとなしいサウンドのアルバムだからジミー・コブでいい。

マイルス・ミュージックは静かだったり荒々しかったりと振幅が大きいけれど、1949年の『クールの誕生』、その10年後の『カインド・オヴ・ブルー』、そのまた10年後の『イン・ア・サイレント・ウェイ』と、時代を形作ったエポック・メイキングな作品はかなりスタティックなんだよねえ。

1969年の『イン・ア・サイレント・ウェイ』はマイルスの音楽人生でおそらく一番やかましかったドラマー、トニー・ウィリアムズが叩いているとは思えない静かさだ。A面全体にわたってそうだし、B面は「イン・ア・サイレント・ウェイ」では叩かず、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」でも静か。

「イッツ・アバウト・ザット・タイム」ではトニーにスネアのリム・ショットとハイハットだけしか叩かせず、だから役割をメチャクチャ限定して、それであの独特のグルーヴ感を出している。成功しているんだけど、ソロ終盤でマイルスが高音をヒットした瞬間にトニーが辛抱たまらず爆発しているよね。

そのトニー爆発の瞬間こそが「イッツ・アバウト・ザット・タイム」の、そしてアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』のクライマックスだ。しかしその一瞬の爆発の後はトニーはまたすぐにリム・ショットとハイハットだけという与えられた役割に戻っているから、相当窮屈だっただろうなあ。

メチャクチャやかましい音を出すトニーをああやって役割限定するあたりがマイルスの音楽的な目論見の確かさなんだけど、そういうのはこの一曲だけでそれ以外ではトニーは常に非常にやかましい。特にトップ・シンバルを派手に鳴らす。1960年代のライヴ録音ではいつもそうだから確認しやすい。

トニーの鬼のようなドラミングのおかげで超絶名演になっていると評判の1964年のライヴ盤『フォア&モア』一曲目の「ソー・ワット」でもやはりとんでもなくうるさい。ここではシンバル、ハイハット、スネア、タム、バスドラ総動員でマイルスがソロを吹く背後でプッシュしまくっている。

ライヴでの「ソー・ワット」で個人的にもっと凄いと思うのが、1965年12月、シカゴのプラグド・ニッケルでのライヴ録音だ。この時の全録音が八枚組ボックス・セットになってリリースされている(今は廃盤で入手しにくいようだ)。でもボックスでなくてもハイライト盤や二枚組がある。

プラグド・ニッケルでの「ソー・ワット」は12/23のセカンド・セットでしかやっておらず、八枚組完全ボックスでは五枚目だけど、一枚物(http://www.amazon.co.jp/dp/B0012GMYOG/)や二枚組(http://www.amazon.co.jp//dp/B00L9EL88O/)にも収録されているから確認しやすい。

ちなみに後者の二枚組は僕が大学生の時にLPレコード二枚で発売されたものをそのままCD化したもので、アルバム・ジャケットもそのまま再現。これを30年以上前に初めて聴いた時にその「ソー・ワット」のあまりの壮絶さにぶっ飛んでしまった記憶がある。
ところで八枚組完全ボックスなんてものはそういつもいつもは聴けないので、僕が普段から聴く『プラグド・ニッケル』はその二枚組なのだ。特にマイルス・ファンではない一般のファンの方々にはこれで充分なんじゃないかと思うし、マイルス・マニアの僕だってそうだもん。

上記YouTube音源での説明文にもあるようにウェイン・ショーターのソロとトニーのソロが異常なんだよね。正確にはショーターがあまりにぶっ飛んだソロを吹くので、バックで叩いていたトニーもその後半から我慢できなくなって叩きまくりはじめ、ショーターが吹き終ると無理矢理自分のソロに持っていく。

ショーターが吹き終るとお聴きになれば分るようにハービー・ハンコックが予定通りピアノ・ソロを弾きはじめるのに、トニーが派手にシンバルを鳴らして「オレだ!オレが叩くんだ!」と主張するので、ハービーが諦めてソロをトニーに譲っているんだよね。予定外の行動だった。

この「ソー・ワット」でこれが入ったプラグド・ニッケルでのライヴ盤二枚(二枚組ではない)に痺れてしまい、これこそがアクースティック時代のマイルスのライヴ・アルバムでは一番凄いものだと思うようになった。だから何十年か経って最初は日本盤七枚組、次いで真の意味での完全箱米盤八枚組が出た時は嬉しかった。

ファースト・クインテットのドラマーだったフィリー・ジョー・ジョーンズだって相当にやかましいんだよね。マイルス・バンドで彼が一番派手に活躍するのは『スティーミン』収録の「ソルト・ピーナツ」だけど、この曲は元々そういうドラマーのショウケースみたいな曲だから、別に意外性はない。
これよりも個人的に好きなのが『ワーキン』A面二曲目の「フォア」だね。冒頭からフィリー・ジョーの派手なドラミングに導かれてテーマが出てくる快活なナンバーで、「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」二曲のバラードより好きなんだよね。
キース・ジャレットのスタンダーズとかでしか聴いてなければどっちかというと控目なドラマーの印象だろうジャック・ディジョネットだって、1969〜71年のマイルス・バンド時代は相当にやかましく叩きまくっているもんね。そういうのを聴いているから僕はスタンダーズでの彼なんか物足りない。

1969年にたくさんあるライヴ録音(ほぼ全部ブート)。あのバンドでのジャック・ディジョネットは例えば11/5のストックホルム公演での「ディレクションズ」でのショーターのソロ後半から爆発しはじめ、そのままドラムス・ソロになる。
また1970/12/19のライヴ録音から編集されて公式盤『ライヴ・イーヴル』一曲目になった「シヴァッド」(「ディレクションズ」)なんかも、このシンバルの派手な叩き方を聴くと、これどこが控目なドラマーなんだ?メチャメチャやかましい。
ディジョネットの後任アル・フォスターについては、僕がなにも言わなくても1973〜75年のバンドでのやかましさは全員承知のはず。ハード・ロックじゃないんだぞと当時は悪口を言うファンも多かったらしいが、アルとマイケル・ヘンダースンとレジー・ルーカスの三人こそ当時のマイルス・ファンクの肝だったよね。

2016/05/19

惚れるのは音にだ、データにじゃない

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僕は本格的にはジャズを熱心に聴くことからポピュラー・ミュージックの世界にドップリはまり込んだ人間なので、ジャズは言うまでもなくそれ以外の音楽作品でも何年何月の録音であるとか、参加メンバーのパーソネルであるとか、そういう録音データに非常にこだわる傾向がかなり強い。

ジャズのレコードでは解明できない場合を除き必ず録音年月日、録音場所、パーソネルが記載されている。それらは中身の音楽を楽しむ際にも必要不可欠な情報としてジャズ研究家・批評家はもちろん一般のリスナーにとっても重宝されているものだ。ジャズの場合そういう情報がないとダメだとされる。

ジャズ以外のいろんな音楽をたくさん聴くようになり、しかも1980年代末からワールド・ミュージックをたくさん聴くようになると、そういう録音データが記載されていない場合がかなりあることに気が付いて、最初はどうしてこういう重要な情報をLPやCDに載せないのかとイラついていた。

録音年月日が分らないと時代や社会背景や同時代の他の様々な音楽との関係が分りにくい。パーソネルが分らないとある楽器のソロがいいなと思っても、その人の他の演奏を探して芋蔓式にレコードを漁ってどんどん趣味が拡大するチャンスが減ってしまう。

実際ジャズばかり聴いていた頃はそうやっていろんな新しいレコードに辿り着いたり探求していったものだった。例えばマイルス・デイヴィス・マニアの僕は、彼のバンドでいい演奏をやっているサイドメンの独立後のリーダー・アルバムを実にたくさん買って聴いて好きになったものが多い。

ところが例えばレバノン人歌手フェイルーズのアルバムを聴いても、主役のヴォーカリストがフェイルーズであるということしか分らない場合があって、これはいい演奏だなと思った伴奏者でもそれが一体誰なのかサッパリ分らず芋蔓式に探していくことができないのだ。何年の録音であることすらはっきりしない場合もある。

チュニジア出身の在仏歌手ドルサフ・ハムダーニの『バルバラ・フェイルーズ』でも、一応ジャケット裏に四人の伴奏者の名前と担当楽器が記載されているものの、中身を聴くとそれ以外の楽器も聞える。例えば二曲目のフェイルーズ・ナンバー「私に笛をください」のハーモニカ・ソロは凄くいいから誰なのか知りたいんだけどなあ。

こういうのはほんの一例で、しかもワールド・ミュージックだけではなくブルーズでもロックでもソウルでもファンクでもジャズ以外の一般のポピュラー・ミュージックで重要なのは主役であって、参加している伴奏者の名前なんか書かれていない場合が結構ある。ということはジャズの方が例外なのか?

もちろんジャズ以外のポピュラー・ミュージックだって研究家・批評家の方々が調べて、録音年月日や録音場所やパーソネルが記載されている場合は多い。特にリリースされてから年月が経って評価が定っているものの場合はそうだ。そういうのが分ると僕なんかは凄く助かるんだよねえ。

そういう録音データを知りたいというのはジャズ・リスナーだけのものではないようで、やはり好きになってハマり込んだものについては詳しく調べて発表する人がどんな世界にも必ず存在している。最近はインターネットの普及でより一層それが調べやすくなった。いい時代になったよね。

僕の場合ジャズから本格的に音楽の世界にはまり込んだのでこれが当り前の感覚のように思っているけど、しかし思い出してみれば、子供の頃にいろいろと全く自覚せずに好きだった音楽やレコードについては、主役の歌手名と曲名しか知らず、それ以外のことについては完全に無頓着だったのだ。

僕のハジレコである山本リンダの「どうにもとまらない」。大好きでシングル盤を聴きまくり、テレビで彼女が歌いながら激しく踊っている振りを憶えて、学校の休み時間や放課後に教室で披露したりした(恥)けれど伴奏者とか録音年とか知りたい気持なんか毛頭ないというか、そもそもそういう概念すら持っていなかった。

中学生になって大好きになった沢田研二や山口百恵についてだって全く同じことで、主役の歌手名と曲名しか知らないというかそれ以外なにが必要なのかその発想すら全くなかったのだった。これは今でも多くの一般の音楽ファンはそうなんじゃないかなあ。歌がイイネと思っているだけだ。

そしてジャズ・ファンみたいに録音データを強く意識するような音楽リスナーが、そういうものの存在を意識すらしないで聴いている普通の一般の音楽リスナーよりも深く音楽を聴き込んでいる、分っているなんてことは絶対にない。有り得ない。研究家・批評家は別だけど一般のファンにとってはそんなものは副次的なものだろう。

音楽の楽しみ、聴いて楽しい、美しい、カッコイイ、痺れる、感動できる、そういったこととその音楽の録音年だとか伴奏者のパーソネルであるとかはなんの関係もない。僕だってドルサフ・ハムダーニの「私に笛をください」のハーモニカ奏者が誰なのか分らないけれど、感動できることになにも変りはない。

僕が生れて初めて買って大感動したジャズのレコードであるMJQの『ジャンゴ』一曲目のタイトル・ナンバー。あれだってソロを取るヴァイブラフォン奏者やピアノ奏者の名前を知って感動が深まったわけでは全くない。そんなものを知らない第一回目に音だけ聴いて「こんな素晴しい音楽が世の中にあるのか!」と感動し、人生がガラリと変ってしまったわけだ。

直後に詳細な録音データを知り(LPに詳しく書いてあったから)、その後たくさん買いまくるジャズのレコードではほぼ全部に記載されていたので、だんだんとそれが音楽を聴くのに必要不可欠なものだと勘違いするようになってしまっただけなんだろうと今振返ればそう思う。音楽の本質とは無関係なことだ。

しつこく何度も書いて申し訳ないけど、その後24歳の時に寮の一室で深夜のFMラジオから流れてきたキング・サニー・アデの「シンクロ・フィーリング〜イラコ」。あれで久々に背中に電流が走るような大感動を覚えたわけだけど、その番組では歌手名も曲名も番組の最後にまとめて列挙されるだけだった。

だから「シンクロ・フィーリング〜イラコ」を聴いて大感動を覚えたその瞬間には、曲名も歌手名すらも全く何一つ知らない状態だった。すなわち完全に音だけでそれで痺れまくったわけだったから、音楽の感動にもはや主役の歌手名すらも必要ではない。

こうやっていろいろと考えてくると、ジャズ・ファンのようにあまりに録音データやパーソネルにこだわりすぎて聴くのも果してどうなんだろうと思えてくるね。もちろん大きな感動を覚え大好きになればそれらを詳しく知りたいと思うのは当然の心理。ジャズ・ファンに限らず誰だってみんなそうだろう。

だから20世紀初頭からそれを詳しく調べて研究・発表する方々がいるわけで、ディスコグラフィーの類が必要とされて、それで僕たちは大変助かっているわけだけど、だからといってデータが分らないと発狂せんばかりの状態になり、まるで音楽を楽しめないみたいな感じになってしまうのはちょっとどうかと思うんだなあ。

ジャズ・ファンだけでもないんだろうけど、特にジャズ・ファンは「誰々が演奏しているのならきっといい演奏に違いない」とか「誰々の演奏だからダメだろう」とか音より演奏家の名前だけで決め付けてしまうことがある。実は昔は僕も少しそうだった。でもこれ相当オカシイよね。

何度も書くけどドルサフ・ハムダーニの「私に笛をください」でのハーモニカ・ソロは誰が吹いているのか全く分らないしネットでいくら調べてもなんの情報もない。だけどそれでも聴く度に感動できる。音楽の感動ってそういうものじゃないのかな。

それでも分らないよりは分った方がいいに決っていると思っていたけれど、最近は分らなくてもどうでもいいんじゃないかという気すらしはじめている。自室にいる時はオーディオ装置でなくても、寝ている時間以外はMacで音楽を流しっぱなしなんだけど、CDで聴くのと違って音以外のなんの情報も自覚できず、しかしやはり感動は寸分たりとも違わないね。

このブログでも録音年やリリース年だとか誰の歌だ演奏だとか分る範囲で必ず書いてきているけれど、僕らは音にこそ惚れるのであって、名前やデータに惚れるんじゃないはずだよね。

2016/05/18

バカラックもリオン・ラッセルもカーメン・マクレエで知った

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オリジナル録音ではないらしいんだけど、カーペンターズのヴァージョンでよく知られているバート・バカラックの有名曲「遙かなる影」(Close To You)。僕がこれを知ったのはカーメン・マクレエの二枚組ライヴ・アルバム『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』でだった。

最初バート・バカラックとハル・デイヴィッドが「遙かなる影」を書いた時は、ダイナ・ワシントンとライオネル・ハンプトンのためのものだったしい。大ヒットしたカーペンターズのヴァージョンで馴染んでいると、この事実は意外なものだろう。
このダイナの歌う「遙かなる影」は一体どのアルバムに入っているんだろう?僕はダイナの録音はほぼ全部持っているはずなんだけど、どれにも入っていない。彼女は1963年に亡くなっているんだが、上で音源を貼ったのは何年録音なんだろうなあ。調べてもどうもはっきりとしたことが分らない。

ヴァイブラフォンの音が聞えるからそれは間違いなくハンプトンだ。オーケストラの音も彼のバンドなんだろう。さらに調べてみるとハンプトンのどれかのアルバムに入っているという話だけれど、まあ買わなくてもいいかなあとは思う。でもお聴きになれば分る通りなかなか悪くないよね。

ダイナとハンプトンのことはともかく、「遙かなる影」は間違いなくカーペンターズの曲だと言っていいだろう。そして僕はカーペンターズの名前は知っていたものの(だって超有名だもんね)、歌は一つも聴いたことがなかった。熱心なジャズ・ファンになった頃は正直に言うとバカにしていた。

軽いというか軟弱というかそんなイメージをカーペンターズに抱いていた。聴いてみてのことならともかく、一曲として聴きもしないのにオカシイ話だよねえ。でも「イエスタデイ・ワンス・モア」とか「トップ・オヴ・ザ・ワールド」とかは、テレビかラジオでよく流れるのでなんとなく知ってはいた。

僕はカーペンターズでもモンキーズでもなんでもそういうポップな洋楽を聴きはじめるのはCDリイシューがはじまってからの話(山口百恵とかピンク・レディが好きだったのにヘンだ)で、なにがきっかけだったのか憶えていないけれど、聴いてみると特にカーペンターズなんかは素晴しく美しくて一発で降参してしまった。もっと早く聴けばよかったと痛感した。

特に「スーパースター」と「ディス・マスカレード」だなあ。この二曲を歌うカレンの歌声は背筋が凍りそうな魔力を秘めているような気がする。どっちもリオン・ラッセルの曲だ。後者の方だけはジョージ・ベンスンのヴァージョンで知っていた。でもあの頃のベンスンも僕はちょっとバカにしていた。

「スーパースター」も「ディス・マスカレード」もバカラックの一部の曲に似た官能ナンバーで、これらをカレンが可憐な声で歌うとかえってその官能性というか禁断の世界がより一層たまらなく胸に迫ってくる。そして作曲者のリオン・ラッセルもこれまたカーメン・マクレエの前述ライヴ・アルバムで名前を知った人。

『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』というアルバム・タイトルで分る通り、このカーメン・マクレエの1971年録音翌72年リリースのロサンジェルス録音のライヴ・アルバムは、様々な米国ソングライター(完全盤だと計39人)の有名曲を採り上げて歌ったもので、いわばコンポーザーズ・ショウケースだ。

大半はジャズ歌手がよく歌うスタンダードがやはり圧倒的に多くて、デューク・エリントン(「サテン・ドール」)やコール・ポーター(「アット・ロング・ラスト・ラヴ」)やヘンリー・マンシーニ(「酒とバラの日々」)やジミー・ヴァン・ヒューゼン(「アイ・ソート・アバウト・ユー」)などなど。

そしてそれらに混じってリオン・ラッセルの「ア・ソング・フォー・ユー」やバート・バカラックの「遙かなる影」など、このレコードを買った大学生当時の僕には馴染の薄い曲が混じっていたわけだった。普通のポップ〜ロック・ファンなら逆だよねえ。みなさんよく知って聴き馴染んでいるもののはず。

リオン・ラッセルが以前も書いたようにいわゆるLAスワンプの総帥的存在だったなんてこともま〜ったく1ミリたりとも知らず、カーメン・マクレエの歌う「ア・ソング・フォー・ユー」を聴いて(カーメンは曲紹介でダニー・ハサウェイで知った曲だと言っているが、その名前も謎だった)、いい曲だなあと思っただけ。

エルトン・ジョンは「ア・ソング・フォー・ユー」を<アメリカン・クラシック>と呼んでいるらしく、その通りリオンの書いた曲ではおそらく一番有名なものだろう。しかし個人的にはこの曲で初めてリオンを知った時良い曲だなとは思いはしたものの、別にリオンを追掛けることはしなかった。

それにリオンの曲をいろいろとたくさん聴くようになってからは「ア・ソング・フォー・ユー」はイマイチ好みではなくなってきて、先にも述べた「スーパースター」や「ディス・マスカレード」やその他いろいろともっと良い曲が、というと語弊があれば好きな曲がたくさん見つかるようになった。

それに比べてバカラックの「遙かなる影」はやっぱり何度聴いても最高だなあ。カーメン・マクレエのヴァージョンはチャック・ドモニコのウッド・ベース一本だけの伴奏で歌いはじめていて、途中まではずっとベース伴奏だけだから、今ではさほど好きな雰囲気でもなくなっている。

でもメロディの良さはベース一本の伴奏で歌うカーメンのヴァージョンでもよく分る。それで「遙かなる影」が大好きになって、しかしカーペンターズは前述の通りバカにしていたから追掛けず、ただ曲を書いたバート・バカラックに興味を持って、この人の曲をもっと聴いてみようと思ったのだ。

これこそが僕のバカラック事始めだったのだ。今では大好きでたまらなくなっている作曲家だし、去年書いたように2015年ベストテン新作部門第一位に選んだレー・クエンにすらバカラックを強く感じてしまうほど、敬愛するコンポーザーだ。
もう二曲カーメン・マクレエの『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』で知って忘れられなくなったものがあって、一つは「ミスター・アグリー」。曲紹介でカーメンは私の一番好きな歌手の一人アリサ・フランクリンのアルバムで知った曲で、アリサが主にスタンダードを歌っていた頃のものだと言っている。

僕はその頃アリサ・フランクリンの名前だけは知っていたものの、ソウル歌手との認識しかなかったので、そんなスタンダードを歌っていた時期があるなんて初耳だった。何度も書いているように今ではこっちの方が僕好みであるコロンビア時代だ。
アリサの歌う「ミスター・アグリー」が入っているアルバムは1963年の『ラフィング・オン・ジ・アウトサイド』。ちょっと貼っておこう。 結構チャーミングなんだよね。直訳すると「醜男さん」になる歌詞の内容はラヴ・ソングだけどちょっとシリアス。
しかしこんなアリサ(カーメンの曲紹介を聴いても「アリサ」ではなく、ましてや「アレサ」なんかじゃなく、「アリーサ」だから、僕もそう表記すべきだろうけど)のコロンビア時代のアルバム、カーメンが歌ったこの1971年時点で知っている人は少ないのかと思ったら、そうでもないようだ。

というのはカーメンが曲紹介で「ミスター・アグリー」と言った瞬間に、客の一人が「オオ!」と大きな声をあげ強く拍手している。それを受けてカーメンは「今夜私が何一つ上手くできなかったのだとしても、これだけは上手くできたようだわ」などと笑いながら言っている。今考えてもちょっぴり意外だ。

まあでも僕はあまりいないだろうと思っているジャズ・スタンダードばかり歌っていたコロンビア時代のアリサ・フランクリンにも一定のファンは昔も今もいるってことなんだろうなあ。アトランティック移籍後にソウル歌手としてあまりに大成功したので、僕が勝手にそう思っているだけなんだろうね。

このアルバムで知った忘れられないもう一曲とは、カーメンが「ビリー・ホリデイの曲をやらずにステージを降りることはできないわ」と言って歌いはじめる「イッツ・ライク・リーチング・フォー・ザ・ムーン」。あなたに届くなんて月に届くようなもので不可能だわというような内容の片思いのラヴ・ソング。ジミー・ロウルズの絶妙なピアノ伴奏にも注目。
この時僕はまだビリー・ホリデイのヴァージョンを聴いていなかった。1936年ブランズウィック録音で、今ではどう聴いてもビリー・ホリデイはそういう30年代後半のコロンビア系録音が最高で、その後のデッカやコモドアやヴァーヴへの録音なんか聴けないよと思っているけれど、全然知らなかったもんなあ。
すぐにCBSソニーから出ていた『ビリー・ホリデイの肖像』という戦前コロンビア系録音のビリー・ホリデイ歌唱集の一枚物LPレコードを買って聴き、大好きでたまらなくなった。今はCD10枚組でこの時期のビリー・ホリデイ・コロンビア系録音は集大成されていて、最高の愛聴盤なんだよね。

2016/05/17

『レコード・コレクターズ』は特集をやり直せ

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数日前に発売された『レコード・コレクターズ』誌六月号。「20世紀のベスト・キーボーディスト/ピアニスト100」という特集企画なのに、なぜだかアール・ハインズの名前がどこにもない。ベスト100人のどこにも名前がないぞ。これは僕なんかに言わせたら相当オカシイというか狂ってるね。

近年の『レコード・コレクターズ』誌だけでなく、海外なら『RollingStone』誌などが盛んにやるこの手のランキング企画そのものは言ってみればお遊びみたいなもんで、真面目に取合う人はあまりいないと思うんだけど、なかには真剣に読んで参考にするリスナーもいるらしいからなあ。

音楽雑誌各種のあの手のランキングをもし真剣に読んで相手したりなんかしたら、どれもこれも全部ダメ。ツッコミどころ満載というかおかしすぎて、文句を付けはじめたらキリがないわけだ。だから『レコード・コレクターズ』誌六月号の20世紀のベスト鍵盤奏者特集も、あれでいいのかもしれないが。

一位がキース・エマースン、二位がスティーヴ・ウィンウッド、三位がニッキー・ホプキンスで、四位にようやくブッカー・T・ジョーンズが来るというあたりも文句があるんだけど、それを言っても仕方がない。問題は選者の方々がポピュラー音楽の鍵盤楽器奏法の歴史を理解していないのではないかと思えるところだ。

だってこのランキングに入っている鍵盤奏者はほぼ全員例外なく右手でシングル・トーンを弾くじゃないか。上位だけじゃなくベスト100人に入っているピアノ/キーボード奏者のほぼ全員がそうだ。というよりも20世紀のどんな鍵盤奏者もほぼ例外なくそういう奏法だよね。

しかしですね、この「右手でシングル・トーンによるメロディを弾く」というピアノその他鍵盤楽器の演奏スタイルをポピュラー音楽史上初めてやったのはアール・ハインズその人に他ならないんだよね。ハインズは古いジャズ・ピアニストで、僕は熱心な古典ジャズのファンだから言っているわけじゃないんだよね。

ジャズだけに限定したとしても、アール・ハインズがあの「トランペット・スタイル」と俗に言われるその右手シングル・トーン弾きを開発しなかったら、その後のジャズ・ピアニストほぼ全員が存在し得なかったと言っても過言ではない。あの史上空前の天才アート・テイタムだって完全にハインズ・スタイルだ。

アート・テイタムとかナット・キング・コールとかジェス・ステイシーとかテディ・ウィルスンといった、主にスウィング期に活躍した古典ジャズ・ピアニスト達に絶大な影響をハインズが与えただけじゃない。バド・パウエル以後のモダン・ジャズ・ピアニストも、セロニアス・モンクただ一人を除き全員ハインズ・スタイル。

つまりキース・ジャレットもチック・コリアも、そして『レコード・コレクターズ』の特集ではジャズ系では最上位の18位に入っているハービー・ハンコックもそれ以外も、み〜んなアール・ハインズの開発した右手シングル・トーン弾きスタイルだよ。ハインズがいなかったらこうはなってないんだ。

ハービーについてはディジー・ガレスピーが「バド・パウエルとかハービー・ハンコックとかああいうのは全部アール・ハインズがルーツなんだ、ハインズがいなかったらみんなどうやってプレイしたらいいか分らなかったんだぞ」と言っている。こういう発言は、まあディジーはハインズ楽団の出身だから、ディジーにとってハインズはいわば恩人というのもあるはずだけれど、それを差引いても全くの真実だ。

『レコード・コレクターズ』の特集では、ジャズ系ならハービーの18位に続く23位のジョー・ザヴィヌルだって、29位のリチャード・ティーだって、(オルガンだけど)37位のジミー・スミスだって、42位のチック・コリアだって、55位のジョー・サンプルだって、56位のビル・エヴァンスだって、みんなハインズ門下生じゃないか。

はたまた66位のデューク・エリントン(がモンクより下位というのも解せないね、なぜならモンクはエリントンのピアノ・スタイルを模倣しているからだ)も72位のファッツ・ウォーラーも、アール・ハインズとほぼ同時期に活動をはじめて最初は独自スタイルだったのが、後にハインズの影響を強く受けている。

エリントンやファッツ・ウォーラーや、あるいはカウント・ベイシーもそうだけど、この世代のジャズ・ピアニストはほぼ全員20世紀初頭のハーレム・スタイル、すなわちストライド・ピアノから出発しているけれど、同じくストライド・ピアノから出発したハインズが右手シングル・トーン弾きになって以後は、それに影響を受けてそれにスイッチしているもんね。

それくらい右手でシングル・トーンを弾くというやり方は魅力的で表現力の豊かなもの。だからこそ一部を除き、古いストライド・スタイルのピアニスト以外はほぼ全員のジャズ・ピアニストがこのやり方を踏襲し、広く拡散・普及し、あまりにも一般的になっているためにハインズの功績が見えにくいもかもしれない。

その〜あれだ、右手シングル・トーン弾きなんてのはそんなの当り前だろうと言われるかもしれない。当り前過ぎて誰一人意識すらしていないだろうと思うんだけど、それくらい表現力があって拡散した鍵盤楽器奏法であるがゆえに、ジャズだけでなくそれ以外のポピュラー音楽の鍵盤楽器奏者も全員このスタイルになっている。でもハインズ以前には一般的じゃなかったんだよ。

『レコード・コレクターズ』誌特集の100人に選出されている鍵盤奏者を眺めてみてよ。右手でシングル・トーンを弾くというスタイルじゃない人が果してどれだけいるか。僕がざっと眺めてみてもセロニアス・モンクその他若干名だよなあ。それ以外はどんなジャンルでも全員右手シングル・トーン弾きスタイルじゃないか。

だからこの右手シングル・トーン弾きという鍵盤楽器奏法の由来なんてことを考えたり疑ったりする人すらいないわけだ。ジャズもリズム・アンド・ブルーズもロックもソウルもファンクもなにもかも米英ポピュラー音楽の世界ではみ〜〜んなこのやり方でピアノその他鍵盤楽器を弾くわけだよ。

しかしちょっと振返って考えてみて。1920年代半ば(だと思う、録音で辿る限りではおそらくは1925年頃)にアール・ハインズがこの右手シングル・トーン弾きスタイルを確立するまでは、アメリカ・ポピュラー音楽のピアノの世界にこれは全く存在すらしなかったんだよ。と言うとちょっと違うんだけれども。

右手シングル・トーン弾きがハインズ以前に全く存在しなかったというのは大袈裟というか正確には間違いだという面もある。それにポピュラー音楽ではないクラシック音楽のチェンバロやオルガンやピアノその他鍵盤楽器では、右手でシングル・トーンを弾くやり方は古くから存在しているし、おそらくその影響もあるには違いないんだろう。

しかし19世紀後半のラグタイム・ピアノこそ米英ポピュラー音楽の鍵盤楽器のルーツ。そしてスコット・ジョップリンのラグタイム・ピアノはいわばオーケストラ・スタイルであって、ピアノ一台で交響楽的なニュアンスを出すような曲創り(ラグタイムは完全記譜音楽)だったもんね。

その後ラグタイム・ピアノから変化して20世紀頭頃にストライド・ピアノが生まれたんだけど、それもやはりオーケストラ・スタイルみたいなもんで、右手は軸となる音の周囲をシンコペイトしながらグルグル廻るような弾き方(つまりラグタイムと同じ)だもんね。右手で明確な直線的メロディ・ラインは弾かない。

ジャズといわずポピュラー音楽史上そういうオーケストラルなストライド・ピアノから脱却し最も早く右手シングル・トーン弾きのスタイルを確立したのは、おそらく1920年代初頭のジェリー・ロール・モートンじゃないかと思う。ソロ・ピアノでの彼の初録音は1923年の「キング・ポーター・ストンプ」。

しかし1920年代初期のジェリー・ロール・モートンのピアノはまだ若干ラグタイムの影響をひきずったややオーケストラ的なスタイルなんだよね。それでもそれ以前のラグタイムやストライド・ピアノよりは直線的なラインを右手で弾いてはいるけれども、二年後くらいのアール・ハインズほど明確なものではないんだよね。

と考えてくると、やはりアメリカ・ポピュラー音楽のピアノ・スタイル史ではアール・ハインズこそが右手シングル・トーン弾きのオリジネイターに間違いない。彼以前に誰一人として存在しなかったように言うとちょっとオカシイんだけど、少なくとも普及させたのがハインズに他ならないことは疑いえない。

アール・ハインズ以前の右手シングル・トーン弾きのスタイリストだったと書いたジェリー・ロール・モートンだって、ハインズがスタイルを確立した後の晩年は、やはりハインズからの影響を受けているように聞えるもんね。1939年ジェネラル録音(モートンは41年没)のソロ・ピアノ演奏「キング・ポーター・ストンプ」を23年録音の同曲演奏と聴き比べればそれは明白だ。

ってことはですよ、アール・ハインズは彼以後に出現したジャズだけでなく全ポピュラー音楽の全鍵盤奏者に強烈な影響を与えたのみならず、ジェリー・ロール・モートンとかデューク・エリントンとかファッツ・ウォーラーなど、ハインズ以前か同時期のスタイリストにすらその後は影響を与えているわけなんだよね。

そういうアール・ハインズが確立・普及させた右手シングル・トーン弾きという鍵盤楽器の最も一般的なスタイルが、ジャンルの枠を超えてあらゆる音楽の鍵盤奏者に影響を与えて、いや影響というよりももはや当り前過ぎて影響なんてことすら誰も意識すらしないほどになっているってことなんだよ。コロンブスの卵じゃないけれど、開発して最初にやった人こそベスト・ワンじゃないのか。

こう考えてくると「20世紀のベスト・キーボーディスト/ピアニスト100」という企画で誰を上位に選出すべきかは、もはや自ずと明らかだろう。一位にしてくれとは言わん。せめて上位五人以内にアール・ハインズが入らないとオカシイ。キース・エマースンもスティーヴ・ウィンウッドもニッキー・ホプキンスもある意味ハインズ門下生だろう。

ただあれだ、アール・ハインズの場合、特にスタイルを確立した戦前の古典音源に関してはマトモなCDリイシューがいまだに「一個も」存在しないから、それも選出されない理由の一つなんだよねえ。僕も仏Classicsが出した年代順全集でしか持っていない。これ以外ロクなのがないんだもん。これではダメだ。

僕が今日ここまで書いてきたことを実際の音で実感しやすくするためにも、アール・ハインズの特に1920〜40年代の音源を集大成してどこかちゃんとCDリイシューしてくれ!そうじゃないとこのままではハインズのポピュラー・ピアノ史上断然トップの功績が忘れられちゃうよ!

以前戦前の古典ジャズなんてそのうち人々の記憶から抹消されてしまうんじゃないかという危惧を抱くと書いた(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-d011.html)。その時は自分でも書きながら大袈裟かなあと内心思っていたんだけど、どうやらこの危惧は現実のものになりつつあるのかもしれないぞ。

ただしアール・ハインズの場合は、彼名義のリーダー作品のなかにピアノ演奏を聴ける時間は案外長くはないんだけどね。というのもアール・ハインズはあの時代のジャズメンの例に漏れず、やはりビッグ・バンドを率いて活動した時期が長い。ディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーを同時に雇ったり、そうして新時代の音楽ビバップをやり、同時に1940年代後半にはリズム・アンド・ブルーズもやっていた。バンド・リーダーとしての功績も大きい人なんだけど、今日はそれについては書かないでおく。

2016/05/16

アクースティック・ビートルズ

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ビートルズのアクースティック・ナンバーで僕が一番好きなのはポールの「マザー・ネイチャーズ・サン」。だけど『ホワイト・アルバム』では最初にバスドラ、途中からオーケストラが入ってくるから、これが「ブラックバード」みたいに全編アクースティック・ギター弾き語りのみならよかったのにと長年思ってきた。

そうしたら1995年に出た『アンソロジー』の三巻目にまさにそのポールによるアクースティック・ギター弾き語りのみのヴァージョンが収録されていてこれは嬉しかった。こういうのを聴きたかったんだよねえ。『アンソロジー』CD三つには他にもいろいろとアクースティック・ヴァージョンの曲があるよね。
『ホワイト・アルバム』ではエリック・クラプトンのエレキ・ギターをフィーチャーしているジョージの「ワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」も、『アンソロジー』にはジョージによるアクースティック・ギター弾き語りヴァージョンが収録されていて僕はそっちもかなり好きなんだよね。
いまさらな当り前のことを言うけれど、ビートルズにはエレキ・ギターやエレピなどの電気楽器を使っていないアクースティック・ナンバーが結構ある。といってもベースだけはエレベを使っているけれど、エレベすら入っていない100%アクースティックな曲だってまあまああって結構好きなんだ。

ベースがエレベなだけのものも含めビートルズのアクースティック・ナンバーだけを集めたプレイリストをiTunesで作ってあって、それを見ると全部で40曲ある。彼らの曲が全部で何曲あるのか調べるのも面倒くさいけれど、そのうちの40曲とは意外に少ないよねえ。もっとあるという印象だった。

もっともこの40曲というのは、オリジナル・アルバムと『アンソロジー』シリーズその他にアクースティック・ヴァージョンがある曲はダブりを防ぐためにどっちかより好きな方しか入れていないので、それを全部入れたら45曲くらいにはなるはずだ。それでもやっぱり少ないような印象だよね。

2014年秋のトルコ古典歌謡アルバム『Girizgâh』にスッカリ惚れ込んでしまって以来、他の全てのジャンルの音楽でもそういった少人数編成のアクースティックな音楽の方がどっちかというと好きになってしまったから、ビートルズでもiTunesでそんなプレイリストを作ってCD-Rに焼いては楽しんでいる。

高校生の頃から大ファンだったレッド・ツェッペリンは、ご存知の通り三作目がアクースティック・アルバムみたいなもんだし、それ以前もそれ以後もかなりアクースティック・ナンバーが多い。ジミー・ペイジも最初はインクレディブル・ストリング・バンドみたいなものにしようかと思ったらしいね。

ローリング・ストーンズも1968年頃からアクースティック・ナンバーが増えてくるようになり、同年の『ベガーズ・バンケット』はそればっかりだし、その頃から米南部音楽趣味が濃厚に出るようになり、また主にグラム・パースンズとの密接な関係を通してカントリー・ロック路線も出てくるようになった。

話をビートルズに戻すと、彼らのやったアクースティック・ナンバーは公式アルバムに収録されているものでは1963年の第二作『ウィズ・ザ・ビートルズ』の「ティル・ゼア・ワズ・ユー」が初のはず。一作目『プリーズ・プリーズ・ミー』やシングル盤にはアクースティック・ナンバーは一つもない。
でもポールが歌う「ティル・ゼア・ワズ・ユー」はご存知の通りビートルズのオリジナル曲じゃないんだよね。書いたのはメレディス・ウィルスン。アニタ・ブライアントやペギー・リーの歌唱で知られた曲。ポールは多分ペギー・リーのヴァージョンを下敷にしているんだろう。僕はビートルズのよりペギーのヴァージョンの方が好き。
だからビートルズのオリジナルでアクースティックな曲というのは1964年の第三作『ア・ハード・デイズ・ナイト』の「アンド・アイ・ラヴ・ハー」が初だ。僕も大好きな曲。これ、実を言うとビートルズのよりポールが『MTVアンプラグド』でやっているヴァージョンの方がもっと好きだ。
このDVDヴァージョンはCDヴァージョンとはミックスが少し違っていて、ヘイミッシュ・スチュアートのリード・ヴォーカルよりポールのハモりの方が大きく聞えるので、個人的にはイマイチな感じだけれど、官能的なフィーリングは伝わるはずだ。

ポールのこの『MTVアンプラグド(公式海賊盤)』は1991年作で、この企画を一躍有名にした92年のエリック・クラプトンのより早い。ヴェテラン・ロッカーのアンプラグド・アルバムで僕が一番好きなのがこのポールのもの、その次が以前も触れた93年のロッド・スチュアートのもので、クラプトンのなんか・・・。

アクースティックなサウンドが大好きな僕だから、これはダメだと思っているクラプトンのだって聴けば聴いたでまあまあ楽しめはするんだけどね。でもいくつもやっている古いブルーズ曲が妙に小綺麗で清潔になってしまって全然つまらないし、「レイラ」だってあんな感じにしちゃったらねえ。

それに比べたらポールの『アンプラグド』は、エルヴィスの「ブルー・ムーン・オヴ・ケンタッキー」を、前半ビル・モンローのオリジナル通りゆったりしたテンポのブルーグラス風で出てワン・コーラス歌い、後半エルヴィス・ヴァージョンに即してアップ・テンポのロックロールで歌うとか、いろいろと面白いんだよね。

クラプトンも同じ『アンプラグド』でやっている「サンフランシスコ・ベイ・ブルーズ」も、ポールの『MTVアンプラグド』の方が楽しくて面白いし、「グッド・ロッキン・トゥナイト」とか「シンギング・ザ・ブルーズ」といった古いR&B〜ロックンロール・ナンバーも最高にゴキゲン。

また話がビートルズから逸れた。彼らが一番たくさんアクースティック・ナンバーをやっているのは二枚組の『ホワイト・アルバム』。全体的に多いし、特に「マーサ・マイ・ディア」〜「ジュリア」までの一枚目B面は「アイム・ソー・タイアド」以外全部アクースティック・ナンバーだ。

以前も触れたように『ホワイト・アルバム』は各面の構成というか曲の流れが実によく考え抜かれているもので、その中でも特にそういう構成の妙を感じるのがその一枚目B面なんだよね。「ブラックバード」〜「ピギーズ」〜「ロッキー・ラクーン」〜「ドント・パス・ミー・バイ」あたりは絶妙すぎる。

『ホワイト・アルバム』でのアクースティック・ナンバーで一番好きなのが、最初に書いたように二枚目A面の「マザー・ネイチャーズ・サン」。どうしてだか自分でもよく分らないが、この曲が「ブラックバード」などより昔から大好きなんだよねえ。曲調もサウンドも歌詞内容も全部大好きだ。なぜかそっちはYouTubeにはない。

『ホワイト・アルバム』のラストにはジョンが書きリンゴが歌うこれもアクースティックな絶品バラード「グッド・ナイト」がある。ジョージ・マーティンのアレンジ・指揮による豪華で瀟洒なオーケストラ入りで、ウットリと聴惚れてしまう。ビートルズでリンゴが歌ったものではこれこそ最高の一曲だろうね。
「グッド・ナイト」はアルバムを締め括るのにこれなく以上ないピッタリなフィーリングの曲だから『ホワイト・アルバム』でもラストだし、僕の自作アクースティック・ビートルズ集プレイリストでも当然ラストだ。いろいろと素晴しいバラードがあるビートルズだけど、これこそ個人的ナンバーワンかも。

いや、エレクトリックだけどポールの「ヒア、ゼア・アンド・エヴリウェア」があるからその次かな。ビートルズ時代のポールのアクースティックといえば、「ウェン・アイム・シックスティー・フォー」とか「ハニー・パイ」みたいなジャズっぽいオールド・ポップな曲も彼は得意で、そういうのも僕は大好きなんだよね。

2016/05/15

これが中間派ジャズだ

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もはやとうの昔に死語になっているんじゃないかと思う「中間派」ジャズなる言葉。僕の世代でも1979年にジャズを聴始めた頃には既に目にすることがかなり少なくなっていたので、もうこの言葉を理解している人は間違いなく50代半ばより上か、それ以下なら古い日本のジャズ・ジャーナリズムに関心のあるファンだけだね。

中間派という言葉はジャズ評論家時代の大橋巨泉の造語らしく、一時期はよく使われていたらしい。しかし僕がこれを知ったのは油井正一さんの『ジャズの歴史』(東京創元社)のなかで触れてあったからだった。そのなかで油井さんはやや批判的に古くもなく新しくもないから「中間」と呼ぶだけだろうと書いていた。

すなわちニューオーリンズやディキシーランドほど古いスタイルではなく、かといってモダン・ジャズのような新しいものでもないという意味でしかないわけだから、巨泉の言う中間派ジャズとは要するにスウィング・ジャズのことに他ならないじゃないかと油井さんは書いていたように記憶している。

しかしその後いろんなジャズのレコードをたくさん聴いてみると、なかなかどうしてこの中間派という言葉、これでしか言表わせないような種類の作品があるんだなあ。といっても一部のファンがレスター・ヤングなどのコンボ・セッションをそう呼ぶのは感心しない。それは普通のスウィングだ。

そういうものではなく、今ではどれだけCDリイシューされているのか確認もしていないんだけど、一時期コモドア・レーベルその他にたくさん録音されていた主に1940年代末〜50年代のスウィング・スタイルのコンボ・セッションは僕もいろいろとレコードを愛聴していたんだけど、まさに中間派と呼べるものだ。

中間派ジャズとは1930年代末から40年代初頭のスウィング時代末期のジャム・セッションに端を発し、そして40年代半ばに勃興したビバップという新しいジャズの奔流やその後の50年代のハード・バップ時代に適応できないジャズメンによる伝統的スタイルのコンボ・セッションのこと。

一番重要なのはあくまでモダン・ジャズ時代に行われたトラディショナルなスウィング・セッション、しかもビッグ・バンドではなくスモール・コンボものだけを中間派と呼ぶのであって、コンボものでも30年代後半までのスウィング全盛期に録音されたものは決して中間派ではない。大橋巨泉もそのつもりだったはず。

この「モダン・ジャズ時代に行われた」という点が最も重要なのであって、すなわち伝統的なジャズのスタイルを愛するファンに一種の郷愁のようなものをもたらすものだというのが肝心。そしてそのような多くのスウィング・スタイルのコンボ・セッションは実に寛いだ雰囲気でリラックスできる。

ジャズメン側も古くから活動している人達はビバップ以後の新しいスタイルに馴染めず、かといって大昔のジャズ・スタイルに逆戻りすることもできえない新しいモダン・ジャズ時代に、ちょうどその「中間」的なスタイルでリラックスしたコンボでのジャム・セッションを繰広げたのだった。それが中間派。

もちろんブラック・ミュージックとしてのジャズの本質を理解する真に先進的なジャズメンは、例えばルイ・アームストロングやデューク・エリントンみたいに1920年代初頭から活動していても、戦後はジャズの枠すら一気に飛越えてリズム・アンド・ブルーズをやったりロックに接近したりしたわけだけど、誰もがそんな真似はできないんだからさ。

僕の記憶では中間派ジャズのレコードはどれもこれも簡単なヘッド・アレンジだけで複雑な譜面などはなく、打ち合せだけでせ〜の!で音を出しているような感じだった。そして既にLPレコードが存在していた時代だったので、参加メンバーが長めのアドリブ・ソロをたっぷり聴かせてくれていたのだった。

1950年代のそういった中間派ジャズの代名詞的アルバムがヴィク・ディキンスンの『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』という二枚組LPレコード。CDでもそのまま二枚組でリイシューされている(といっても米盤は『ジ・エッセンシャル・ヴィク・ディキンスン』という抜粋の一枚物CDしかない)から、もし現在「中間派ってな〜に?」と興味を持つファンにはこれこそピッタリ。

JTNC系などに夢中になっているジャズ・ファンの方々は例外なくそんなものに興味を示したりはしないんだろうけどさ。それでも僕だっていつもいつも緊張感に満ちたスリリングな音楽ばかりでは疲れちゃうので、時々『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』みたいなものを聴きたいんだ。

『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』は一枚目が1953/12/29録音、二枚目が54/11/29録音のヴァンガード盤。元々ヴァンガードというのはクラシック音楽専門のレコード・レーベルとして発足したのだが、50年代半ばにジャズ部門を設立するに際しジョン・ハモンドに制作を一任した。

ジョン・ハモンドはジャズその他古いアメリカン・ミュージックに関心のあるファンなら知らぬ人はいない有名プロデューサーで目利きの達人。楽団の人気が出る前のベニー・グッドマンにフレッチャー・ヘンダースンを紹介し、譜面を買う手助けをし、だからいわばスウィング黄金時代を創り出した影の立役者で、当時の多くの録音をプロデュースした。

ジョン・ハモンドがプロデュースしたのは例のビリー・ホリデイのコロンビア系録音セッション全てや、それと事実上同じセッションであるテディ・ウィルスンのブランズウィック録音もそうで、それら両者にベニー・グッドマンがたくさん参加しているのもジョン・ハモンドの肝煎に他ならないんだよね。

またカンザス・シティのビッグ・バンド、カウント・ベイシー楽団のニューヨーク進出を手助けしたのもジョン・ハモンドなら、例の1938/39年の『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサート・イヴェントも、38年ベニー・グッドマン楽団のカーネギー・ホール・コンサートもジョン・ハモンドの企画。

そんな戦前のスウィング・ジャズ系の仕事ばかりじゃないよ。ピート・シーガーと契約したり、あるいはゴスペルを歌っていた若き日のアリサ・フランクリンを<発見>し1961年にコロンビアと契約させたのもジョン・ハモンドなら、ボブ・ディランを同じくコロンビアに紹介したのもやはりジョン・ハモンド。

新しいところではブルース・スプリングスティーンだってスティーヴィー・レイ・ヴォーンだってジョン・ハモンドが見出してレコード会社に紹介し契約させなかったら、デビューはちょっぴり遅れていたところだったに違いない。1987年に亡くなるまでジョン・ハモンドこそアメリカ・ポピュラー音楽界最大の目利きだった。

ちょっと話が中間派ジャズから逸れちゃった。そんなジョン・ハモンドにヴァンガードがプロデュースを一任してできあがった『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』。リーダー名義のヴィク・ディキンスンはもちろんトロンボーン奏者。その他数人を除き一枚目と二枚目ではメンバーが微妙に違う。

一枚目ではトランペットがルビー・ブラフで二枚目ではシャド・コリンズ。ドラムスも一枚目ではレス・アースキンで二枚目はジョー・ジョーンズ。でもそれ以外はエドモンド・ホールのクラリネット、スティーヴ・ジョーダンのギター、サー・チャールズ・トンプスンのピアノ、ウォルター・ペイジのベースで同じ。

このギター+ピアノ・トリオのリズム・セクションこそが『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』の肝にして最大の聴き所。ホーン奏者三人のソロ廻しもさることながら、このアルバムでは僕はいつもリズム・セクションを聴いているのだ。手本にしているのは1930年代カウント・ベイシー楽団のそれ。

<オール・アメリカン・リズム・セクション>と称えられたその1930年代カウント・ベイシー楽団のリズム・セクションこそスウィング全盛期のバンドではもっともグルーヴしたものだった。それはファンクの遠い祖先だよ!そこからベースのウォルター・ペイジと(二枚目だけ)ドラムスのジョー・ジョーンズを起用している。

これは間違いなくプロデューサーのジョン・ハモンドの目論見だったはず。書いたようにベイシー楽団のニューヨーク進出を手助けしたのがハモンドだったもんね。できればフレディ・グリーンも使いたかったかもしれないが、彼は1950年代当時もベイシー楽団に在籍していたので不可能だった。

その代りと言ったらなんだけど、『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』で弾くスティーヴ・ジョーダンのギターはまるでフレディ・グリーンそっくりなんだよね。彼が元からそういうスタイルの持主なのかあるいはジョン・ハモンドの指示だったのか分らないけれど、意識していることは間違いない。

だってどの曲を聴いたってリズム・セクション四人の動き方はまるでカウント・ベイシー楽団のそれとソックリだもんなあ。一番分りやすいのが一枚目三曲目の「サー・チャールズ・アット・ホーム」だろう。ピアノだってベイシー的奏法じゃないのさ。
この「サー・チャールズ・アット・ホーム」は曲名通りピアノのサー・チャールズ・トンプスンをフィーチャーしたものだし、彼は元々ベイシー・スタイルなピアニストだから余計にクッキリと鮮明に分るけど、これ以外も全ての曲でホーン奏者のソロの背後でのリズムが快活にスウィングしているもんね。

LP時代の録音だから長めにたっぷり聴けるホーン奏者三人のアドリブ・ソロはいまさら言うまでもない職人芸。なかでもクラリネットのエドモンド・ホールは僕の大のお気に入りで、彼もまたいろんなレコードでのいわゆる中間派セッションで吹いている、ニューオーリンズ出身で同地のスタイルの持主なのだ。

ニューオーリンズ・スタイルといえば『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』では、ホーン・アンサンブルの殆どのパートがニューオーリンズ・イディオムで演奏されている。一本のホーン奏者が主旋律をリードして、他の二本のホーン奏者がそれに絡むという例の奴だ。そのあたりはまあ古いスタイル。

しかしながらそういう伝統的ニューオーリンズ・イディオムを用いながらも、リズムの感じは書いたようにカウント・ベイシー楽団のスタイルそのまんまだもんなあ。そのあたりの新・旧(新はない?)折衷様式が、言ってみれば中間派ジャズの「中間」なスタイルの神髄なんだろうね。

2016/05/14

またしてもクロンチョンにやられてしまった〜『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』3

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ライスからリリース中の『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』シリーズ。ポルトガルが世界中に渡ったいわゆる大航海時代(現地民からしたら大被侵略時代)に世界各地に残した音楽的痕跡を辿るというのを眼目に、ポルトガルのトラヂソンが出した全12枚で、ライスからは今まで四枚リリースされている。

このシリーズ、一月リリースの初回二枚のうちゴア篇が素晴しかったことは書いた(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-16e8.html)。三月にリリースされた第二回の二枚のうちでは、シリーズ全体では三つ目にあたる<スマトラ〜クロンチョン・モリツコ>篇が圧倒的に素晴しい。インドネシア音楽。

インドネシアのポピュラー音楽クロンチョンは、ブラジルのショーロ(それだってポルトガル由来)と並び世界最古のポピュラー音楽らしいのだが、僕はやはり中村とうようさんの紹介で知ったもの。特に現地のクロンチョンを本格的に日本に紹介して広めたのは間違いなくとうようさんだった。

わざわざ「現地の」と書くのはなぜかというと、古いファンの方ならご存知の方も多いと思うのだが、実は日本でも松田トシがクロンチョンの代表的名曲「ブンガワン・ソロ」に自ら日本語詞を付けて歌っていた。これは彼女による1948年初演ヴァージョン。
その後松田トシは亡くなるまで繰返し「ブンガワン・ソロ」をライヴ・ステージで歌っているので、YouTubeにもいくつかあがっているはず。確か黒澤明監督のなにかの映画にも挿入されていたようなうっすらとした記憶がある(なんだっけなあ?)。だから日本でもこの曲は知られているはず。

その「ブンガワン・ソロ」が『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』<スマトラ〜クロンチョン・モリツコ篇>にも当然のように収録されている。しかも六曲目、七曲目と続けて2ヴァージョンも。このCDを最初に聴いていた時、六曲目になるとパッと青空が開けたような爽やかで明快な「ブンガワン・ソロ」になるので嬉しかった。

その六曲目の「ブンガワン・ソロ」を歌う女性歌手の声が最高に魅力的で、こりゃ一体誰なんだ?と思って原文ブックレットを見てみたらへティ・クース・エンダンじゃないか!素晴しいはずだよ。もちろん彼女の単独盤も愛聴している僕だけど、いろんなものと並ぶと改めてへティの素晴しさを実感する。

愛聴と言っても僕はへティの単独盤は『クロンチョン・コレクション』一枚しか持っていないという有様。でもそれも一曲目が「ブンガワン・ソロ」になっている。『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』<スマトラ〜クロンチョン・モリツコ篇>収録のものとはヴァージョンが違っていて、前者の方が音は新しくてステレオ・ヴァージョン。

しかしどっちのヴァージョンともへティが何年に録音したのか正確なことが書かれていないのが残念。『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』<スマトラ〜クロンチョン・モリツコ篇>附属の原文解説には「おそらくは1970年代」だとしか書かれていない。それ以外もこのシリーズは種々データが一覧になっていないのはイカンよなあ。

ジャケット裏に曲目が並んでいるだけで、原文のポルトガル語と英語の解説文に曲名と歌手(演奏家)名と推定される録音場所・録音年が記載されているだけ。各曲の個々の解説はまあまあ詳しいので助かるけれど、曲目も歌手名すらもすぐに一瞥して分るように一覧になっていないのは珍しいね。

ワールド・ミュージック系ではジャズ系などとは違ってその種のデータ記載がないものが結構あるとはいえ、曲目と歌手名をどこにも一覧に並んで記載していないなんてのはこの『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』シリーズが僕は初体験。日本語ライナーだって一覧では曲名しか並んでいないしなあ。

そんなのは些末なことではあるけれど。『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』<スマトラ〜クロンチョン・モリツコ篇>の冒頭二曲は打楽器と笛だけのインストルメンタル演奏で、どっちも1989年録音。これがまるで日本の祭囃子そっくりでちょっぴり驚いた。祭囃子というか獅子舞の時に演奏されるお囃子に瓜二つなんだよねえ。

インドネシアと日本の音楽にはやっぱり共通性があるね。ホントどこからどう聴いても同じなんだ。この二曲はどっちも同じグループの演奏で、特に音楽ファンではない日本人に音源だけ黙って聴かせたら、間違いなく全員が日本の獅子舞のお囃子だと信じるに違いない。

いつものようにどうでもいいような横道に入るけれど、獅子舞といえば僕は子供の頃にそれが怖くて怖くて、お正月や秋のお祭など獅子舞が自宅の前にやってきてお囃子に乗って舞はじめると泣きだしてしまい、それですぐに家の奥に引っ込んで獅子舞が去ってしまうまで隠れていた。

だから子供の頃(おそらく幼稚園児から小学校低学年の頃)はあの獅子舞のお囃子も嫌いで、あれを聴くと恐ろしい獅子舞の姿を思い浮べてしまうもんだから耳を塞いでいた。大人になってからは当然そんなこともなくなって、現在住んでいる愛媛の田舎町にもたまに獅子舞が来ると楽しんで見聴きしている。

ホントどうでもいい話だね。その獅子舞のお囃子ソックリな二曲は言ってみればこのCDアルバムの枕、導入部みたいなもんで、それが終って三曲目からは歌が入る。その三曲目からがあまりにも素晴しい。三曲目はクロンチョン・ファンにはこれまたお馴染みの「クロンチョン・モリツコ」。歌うのはネティ。

1950〜60年代に活躍したネティは、クロンチョンにさほど詳しくもない僕ですら、この歌手が「インドネシアの国民的歌手」「最高の女性クロンチョン歌手」と言われている存在だということは知っていて、ディスコロヒアからの単独盤CD『いにしえのクロンチョン』も愛聴している。

ネティのディスコロヒア盤『いにしえのクロンチョン』は、クロンチョン事情に疎い僕もこれがネティの単独盤CDではおそらく世界初のもので、本国インドネシアにも存在しないらしいということを知っている。その一曲目も「クロンチョン・モリツコ」だ。もちろん違うヴァージョンだけど。

聴き比べてみたクロンチョン素人である僕のヘボ耳には、ネティの歌う「クロンチョン・モリツコ」は『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』<スマトラ編>のより単独盤『いにしえのクロンチョン』収録ヴァージョンの方が少しいいように聞える。しかし本当に甲乙付けがたいどっちも素晴しいネティの歌唱。

『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』<スマトラ〜クロンチョン・モリツコ篇>に、ネティはもう一曲「夜泣きのクロンチョン」が続けて収録されている。三曲目の「クロンチョン・モリツコ」と比べるとネティの声が新しいというか歳取っているように聞えるので、録音は少し後なんだろう。

五曲目のスプラプティが歌う「愛のダイアモンド」も素晴しいクロンチョンだけど、続いて出る六曲目の「ブンガワン・ソロ」のへティ・クース・エンダンが前述の通りあまりに見事な歌声なので、ちょっぴりかすんじゃうんだよなあ。グサン・マルトハルトノのコンポジションが元からいいしへティの声もいいし。

僕にとってはこのへティの歌う「ブンガワン・ソロ」こそが『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』<スマトラ〜クロンチョン・モリツコ篇>のハイライトだ。前述の通り「ブンガワン・ソロ」はかなり様子の違うヴァージョンが続いて七曲目にも収録されていて、それはなぜか短調にアレンジされたボレーロみたいな雰囲気になっている。

へティの歌う六曲目の「ブンガワン・ソロ」の爽やかさに参っちゃうので、七曲目のマイナー・メロディな「ブンガワン・ソロ」は個人的にはなんだかちょっと奇妙な感じにも聞える。原文解説では1960年代録音と推定と書かれているので、おそらく50年代のラテン・ブームの影響でこうなっているんだろう。

へティの歌う爽やかな「ブンガワン・ソロ」に並ぶもんだから、マイナー・メロディのラテン風ヴァージョンが奇妙に聞えるだけで、この曲は実に様々なアレンジでいろんなヴァージョンになって歌われていて、なかにはジャズ風だとかロック風だとかもあるので、ほんの一例に過ぎないってことなんだよね。

個人的にはこの七曲目までが『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』<スマトラ〜クロンチョン・モリツコ篇>の聴き物で、残り八曲目からラストまでがまるでオマケみたいに聞えてしまうというのは、僕のインドネシア音楽に対する耳と頭が全然ダメなせいに違いない。八曲目以降ももうちょっと聴き込んでみなくちゃ。

この『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』<スマトラ〜クロンチョン・モリツコ篇>を聴いたら、ネティやへティ・クース・エンダンの単独盤や、またこれもディスコロヒアからリリースされた『クロンチョン歴史物語』を聴直したくなって、実際そうしてみたらそれまで気付かなかったいろんな発見があったんだけど、それはまたの機会に。

それはそうと『ジャーニー・オヴ・サウンズ』シリーズ、ライスからリリースの日本盤は一回目が一月に二枚出て二回目が三月に二枚出たので、次は五月だろうと思っているのに、いまだにリリース予定がアナウンスされない。オフィス・サンビーニャの公式サイトでも「発売予定」となっているだけだ。どうなっているんだろう?

2016/05/13

マイルスのクウェラ・アルバム

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マイルス・デイヴィスのアルバムで一番明快に分りやすくアフリカ音楽に近いのは、実は1968年の『キリマンジャロの娘』じゃないかという気がしている。これは聴けば誰でもそう感じるんじゃないだろうか。一曲目「フルロン・ブラン」なんかクウェラだとしか思えないし。
「フルロン・ブラン」でエレピを弾いているのはチック・コリアで、僕は長年これをウーリッツァーだと思って聴いてきた。だけどちょっと調べてみたらどうも違うらしいが、しかしじゃあなんなのかもよく分らない。アクースティック・ピアノだという情報もあるけど、絶対にそうではない。

大学生の頃は『キリマンジャロの娘』というアルバムがどうも好きではないというかよく分らなかった。普通のジャズには聞えないけど、かといって電化ロック〜ファンク路線でもないし、これは一体なんなんだと。わりと最近までそうで、前作『マイルス・イン・ザ・スカイ』の方が好きなくらいだった。

かつて油井正一さんは『イン・ア・サイレント・ウェイ』〜『ビッチズ・ブルー』と続くその後のマイルス・ミュージックの変革を考えると、『キリマンジャロの娘』は『マイルス・イン・ザ・スカイ』よりむしろ一歩後退しているようにすら思えると書いていた。昔は僕もこの意見に賛同していた。

もっとも油井さんは『ビッチズ・ブルー』を非常に高く評価して、その前作『イン・ア・サイレント・ウェイ』ですらそれに至る過渡期時な作品でかなりスパイスが足りないと書いているくらいだ。油井さんは『イン・ア・サイレント・ウェイ』を聴いて、次にマイルスが変るのはリズムですよと<予言>したという話なんだけどね。

僕の場合、ジャズに関しては油井さん、その他に関しては中村とうようさん、このお二人の仕事をただなぞってきているだけに過ぎないんだけど、それでもやはり時々アレッ?と思うことはお二人ともあるなあ。それはオカシイとかいうのではなく、限界というものなんだろう。誰にでもある。

油井さんの意見とは違って、『イン・ア・サイレント・ウェイ』は今では『ビッチズ・ブルー』とはまた全然違う種類の音楽として高く評価されるようになっているよね。僕みたいにマイルス・ファンク第一作という意見(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-cdf0.html)は見ないけれど。それに比べたら『キリマンジャロの娘』なんか今でも全然評価されていない。

どなたかが書いていたのか忘れちゃったんだけど、かなり前に『キリマンジャロの娘』一曲目の「フルロン・ブラン」がクウェラっぽいと書いているのを読んだことがあって、当時はその<クウェラ>という言葉は意味不明の謎の暗号にしか見えなかったから必死で調べて、アフリカの音楽らしいということしか分らなかったんだよなあ。

言うまでもなくクウェラは全然聴いたことがなかった。かなり最近までそうだった。初めてこのクウェラとかムバカンガといった南アフリカの音楽を聴いたのが10年くらい前のこと。素朴なサウンドなんだけど、元々クウェラはアメリカのジャズに影響されて出来上った音楽らしいということも分ってきた。

それでもってクウェラのサウンドに少し馴染んでくると、マイルスの「フルロン・ブラン」がクウェラにしか聞えないんだなあ。果してマイルスはクウェラを聴いて知っていたのだろうか?チック・コリアが参加した「フルロン・ブラン」と「マドモワゼル・メイブリー」の録音は1968年9月。

何度か書いているけど、マイルスはコロンビア本社から世界民族音楽全集みたいなLPセットをもらってよく聴いていたらしいから、1968年9月ならクウェラを知っていた可能性はあるよね。チックのエレピだけでなくトニーのドラムスもアフリカっぽい香りがするから、サイドメンにも聴かせたのかもしれない。

『キリマンジャロの娘』ではA面一曲目の「フルロン・ブラン」だけだなく、B面一曲目のアルバム・タイトル曲もかなりアフリカ音楽っぽい香りがする。こっちは1968年6月の録音で、フェンダー・ローズがハービー・ハンコック、ベースはロン・カーターでしかもエレベ。前作『マイルス・イン・ザ・スカイ』一曲目の「スタッフ」でロンは初めてエレベを弾いた。

B面一曲目の「キリマンジャロの娘」がアフリカ音楽の何に近いかという判断は僕みたいな人間にはちょっと難しい。ただ明らかにアフリカっぽい響きがしていることだけは分る。トニーのドラムスもロンのエレベもハービーのエレピも彼らが一体となって出すリズムもマイルスのフレイジングも。
ただアフリカ音楽に近いと思うのは、アルバム中その「フルロン・ブラン」と「キリマンジャロの娘」の二曲だけ。だけといってもA・B面トップだからかなり印象が強くて、アルバム全体のイメージを支配していることは確かだね。それにしてもこんなにはっきりとアフリカっぽいマイルスは他にはない。

もちろん『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチズ・ブルー』がアフリカのムビラ演奏にも通じる同一パターン反復のミニマル・ミュージック的な創りになっていることは以前も強調した通りで、だから音楽の本質は『キリマンジャロの娘』以後もマイルスはアフリカ的な音創りをしている。

だけどリズムや旋律が「直截的に」アフリカ的なのは1968年の『キリマンジャロの娘』だけで、これ以前にも以後にもこんなのはマイルス・ミュージックの中には存在しないはず。僕はマイルスに関しては全公式アルバムとかなりの数のブート盤を聴き込んでいるけど見当らない。

そういうわけだから手法としてアフリカ的である『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチズ・ブルー』は聴き込まないとアフリカ的であることが分りにくいのに比べて、『キリマンジャロの娘』は一聴して非常に明快だからアフリカ音楽が大好きなワールドミュージック・リスナーにはウケるはずだ。

アルバムのなかで「フルロン・ブラン」と「キリマンジャロの娘」以外の収録曲は、アフリカ的というよりアメリカ産R&Bのフィーリングに近い。二曲目「急いでね」のイントロでハービーが弾くフェンダー・ローズは相当ディープに黒い。元々そういう資質のピアニストで得意分野だね。

またハービーではなくチックだけど、アルバム・ラストの「マドモワゼル・メイブリー」もスローなR&Bバラードだ。ここでもブラック・フィーリングが横溢している。ハービーと違ってチックはそんなに黒い音楽性の持主ではないように思うのだが、この曲では真っ黒けなエレピを弾いているね。
以前ブルーズ形式とブルーズ・フィーリングの話をしたけど、「急いでね」と「マドモワゼル・メイブリー」は形式はブルーズ形式ではないけれど、フィーリングとしてはブルーズそのものだとしか今では聞えない。特に後者におけるマイルスのトランペット・プレイにそれを強く感じるんだなあ。
これ以外のマイルスのアルバムでもウェザー・リポートでもはたまた自分のリーダー作でも、普段あまり黒いとは感じないウェイン・ショーターのテナー・サックスも、「マドモワゼル・メイブリー」ではかなりブラック・フィーリング横溢なソロを吹いているように感じる。彼にしては珍しいよねえ。

もう一曲アルバムA面ラストの「プチ・マシャン」は一応マイルスの名前が作曲者としてクレジットされていて、それ以外に一言も書いてないけれど、実はマイルスとギル・エヴァンスとの共作。というかまあはっきり言うとギルの曲なんだろう。ギルは自分のアルバムでは自作曲としてクレジットしているもんね。
ギルのリーダー作ではこの曲は「イレヴン」という曲名になっていて、公式盤でも何度か録音が残されている。『キリマンジャロの娘』の「プチ・マシャン」でも作曲だけでなくアレンジもやっていて、一言くらい書いておいてあげたらよかったのにと思う。こういう例はマイルスとギルの関係では実に多い。

マイルス1983年の『スター・ピープル』でも84年の『デコイ』でも、それぞれ一曲ずつギルがアレンジで参加しているんだけど、当時も今もそんなことは全くどこにも書いていない。セッションに参加していくら協力してもマイルスやコロンビア側から一円も支払われないことすらあったらしい。

「プチ・マシャン」は全然アフリカ的でもなければR&B風でもなく、ごく普通のジャズ・ナンバーだね。ウィントン・マルサリス賛美者として有名な批評家のスタンリー・クロウチは、『キリマンジャロの娘』をマイルス最後のジャズ・アルバムだと書いている。もちろんそれはそれ以後のマイルスを批判してのことなんだけど、しかし僕はこの曲だけだと思うんだよなあ、ジャズは。

もちろん『キリマンジャロの娘』は全曲テーマ・メロディがあってそれに基づくソロ廻しが続くという従来のジャズ演奏のパターンを踏襲していて、しかもそれは次作の『イン・ア・サイレント・ウェイ』以後はほぼなくなっていくものだから、クロウチがマイルス<最後のジャズ・アルバム>だと言うのは分らないでもないんだけどね。

2016/05/12

今からロバート・ジョンスンを買うならば

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1990年リリースの二枚組CD完全集が売れまくったらしいロバート・ジョンスン。しかしあの二枚組は別テイクがマスター・テイクがそのまま続いて並んでいるのでやや聴きにくいと思う。だからあれで戦前ブルーズ入門をしたけれど、そのまま中古屋へ売払ってしまったという人が結構いるらしい。

僕の場合はアナログ時代からいろんなジャズメンのマスター・テイクに続いて別テイクがそのまま並んでいるようなレコード、例えばチャーリー・パーカーのサヴォイとかダイアルとかの録音集とかも好んで聴いていたし、「別テイクが並んで」と言っても全て一つしかないロバート・ジョンスンは聴きやすかった。

パーカーのサヴォイとかダイアルの録音完全集は別テイクが四つとか五つとか続いて並んで収録されているから慣れないとしんどいよね。それでもパーカーの場合は以前も触れた通り、テイクを重ねる度にかなり違う内容のソロを吹いているから聴き飽きはしない。サイドメンは同内容のソロだけど。

それでもやっぱりしんどいというジャズ・ファンもいるんだろう、サヴォイやダイアルのマスター・テイクだけの録音集もLP時代からあって現在CDでも出ているし、完全集でもワン・セッションごとにマスター・テイクだけ先に全部並べておいて、別テイクはその後にまとめてあるというCDも存在する。なぜか僕は全部持っている。

ロバート・ジョンスンの場合別テイクが発売されたのは、僕の知る限りでは前述の1990年コロンビア盤完全集が初だったから、アナログ時代には聴いたことがなかった。当時『キング・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』というLPレコードが第一集と第二集とあって、それでみんな聴いていたのだった。

その『キング・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』の第一集と第二集は別テイクが一切収録されていないばかりか、録音順とか録音場所なども無視して並べられていた。といっても当時の僕はそんなことは全く意識していないというか認識すらしていなかったのだ。でもよくできたLP二枚だったよね。ジャケット・デザインもいい。

それに比べたら1990年の二枚組CD完全集で初めてロバート・ジョンスンを聴いたというファンはちょっぴり可哀想だったかもしれない。僕らアナログ時代に聴き馴染んでいたファンはそんなこともなかったけれど、あの二枚組C完全集CDは最初に書いたようにやや聴きにくかったと思うもん。

CD化されたロバート・ジョンスンはそれが初めてだったはずだけど、聴きにくいというファンが多いせいなのか関係ないのか、その後いろんな別の形のリイシューCDが出るようになっている。前述のLP盤『キング・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』二枚も、そのままの形で二枚のCDになっている。

しかしそのアナログ盤二枚のCD化は完全集ではない。アナログ盤時代にそれを聴き慣れていたファンか、あるいはその時代のことを追体験したいという新しいファンが買っているんだろう。なにを隠そう僕も持っているが、殆ど聴いていないという有様。というかロバート・ジョンスンは何種類も持っている。

コンプリート集だけでも僕の持っているロバート・ジョンスンは三種類。音楽内容は完全に同一なのにどうして三つも持っているんだろう?まあジャケット・デザインなどパッケージングが三つとも少しずつ違ってはいるけれどね。そのうち一つはなぜかCD三枚組でそれが箱に入っているというもの。

そしてロバート・ジョンスンのCD完全集のうち、いろんな意味で一番聴きやすくオススメだと僕が思うのが、2011年リリースの二枚組『ザ・センティニアル・コレクション』だ。現在の僕はもうこれしか聴かないんだよね。
この『ザ・センティニアル・コレクション』のなにがいいって、まず第一に一枚目に1936年11月のサン・アントニオ録音、二枚目に翌37年6月のダラス録音と明瞭に分けて収録されていて、ロバート・ジョンスンのレコーディング・セッションはこの二つだけだから大変に分りやすい。

しかも一枚目のサン・アントニオ・セッションも二枚目のダラス・セッションも、まずマスター・テイクだけ先に全部まとめてあって、別テイクは「オルタネイツ」と書かれてその後ろにまとめて収録されているから、これでロバート・ジョンスンを初めて聴くという入門者でもとっつきやすいだろう。

音質も『ザ・センティニアル・コレクション』では1990年の初CD化の時のものよりもかなり向上している。といっても以前書いた何年のリリースなのかなんなのかどこにも書いていない謎の金色CD『キング・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』第一集のとんでもない高音質には及ばないけど。

まあでもその金色CDがどうしてこうなっているのか全く分らない謎のというか異常な高音質だったのであって、それを知らない(というリスナーが殆どのはず)場合には『ザ・センティニアル・コレクション』で充分な音質向上を実感できるはず。もっとも1936/37年録音だからほどほどではあるけれど。

そういうわけで、CD二枚の収録形式も音質的にもロバート・ジョンスンの『ザ・センティニアル・コレクション』は、入門者にはもちろん従来からのファンにもオススメしやすい内容の完全集なんだよね。1990年の二枚組で入門し挫折し中古屋へ売払ったというリスナーの方は是非買ってみてほしい。

肝心のロバート・ジョンスンの音楽そのものについてはもう僕なんかが言うようなことがなに一つ残っていないはず。ちょっとだけ書いておくと、一応デルタ・ブルーズマンということになっている彼は一聴明瞭なようにさほど典型的なデルタ・ブルーズマンではなく、リロイ・カーなどシティ・ブルーズの影響がかなり色濃い。

戦後シカゴ・ブルーズやそれがルーツになった英米ブルーズ系ロックなどの土台になっているブンチャブンチャという、例えば「スウィート・ホーム・シカゴ」や「ランブリン・オン・マイ・マインド」や「カム・オン・イン・マイ・キッチン」その他多くで聴けるリフ・パターン(ウォーキング・ベース)は元はブギウギのものだ。

ロバート・ジョンスンは1936/37年の録音しか存在しないので古い人のように思われているかもしれないけれど、同じくデルタ出身で戦後シカゴに出て大成功したマディ・ウォーターズとほぼ年齢差のない完全なる新世代の新感覚カントリー・ブルーズマンだ。都会のブルーズもたくさん吸収している。

ギターとヴォーカルの腕が評判になりレコーディング・セッションを行うようになる前に、アメリカ各地でいろんなブルーズやあるいはブルーズだけでなく様々な音楽を聴いたはず。前述のブギウギ・ベースのリフ・パターンも間違いなくその時代のブギウギ・ピアニストの左手を模したものだからね。

また僕が昔はどこがいいんだかサッパリ分らなかったのに今では最も好きなロバート・ジョンスンの音源の一つである1936年サン・アントニオ録音の「ゼイア・レッド・ホット」。これはいわゆるブルーズ形式の曲ではなくラグタイムなのだ。彼の残した録音でそういうのはこれ一曲のみだけど面白い。
「ゼイア・レッド・ホット」はブルーズ形式じゃないから、普通のブルーズ・ファンはあまり熱心に聴いていないかもしれないけれど、再結成後のリトル・フィートが1996年リリースのライヴ盤『ライヴ・フロム・ニオン・パーク』で「キャント・ビー・サティスファイド」とのメドレーでやっている。

「キャント・ビー・サティスファイド」はマディ・ウォーターズ・ヴァージョンでお馴染みのデルタ・ブルーズ・ナンバーで、それとブルーズ形式の曲ではないロバート・ジョンスンの「ゼイア・レッド・ホット」が繋がっていてなかなか面白い。しかも「ゼイア・レッド・ホット」部分ではジャズ風な管楽器も入る。

ラグタイム・ナンバーなんだからディキシーランド・ジャズ風の管楽器アンサンブルやソロが入っても全然不思議じゃないよね。『ライヴ・フロム・ニオン・パーク』二枚組は僕はなかなかお気に入りのリトル・フィートのライヴ盤。ロウエル・ジョージは当然いないけれど音楽内容はかなりいいんだよね。ロウエルのいないリトル・フィートなんてという方も是非。

ディキシーランド・ジャズ風ホーン・アンサンブルやクラリネットのソロが入るそのリトル・フィート・ヴァージョンの「ゼイア・レッド・ホット」を聴いて、僕はアッ!と思っちゃって、これはいいぞとロバート・ジョンスンのオリジナルも聴直して初めてその魅力に気付いたというのが正直なところ。
デルタ・スタイルでは一番いいと思うスタンダードの「ローリン・アンド・タンブリン」の焼直しである「イフ・アイ・ハッド・ポゼッション・オーヴァー・ジャッジメント・デイ」とかも大好きだけど、「ラヴ・イン・ヴェイン・ブルーズ」みたいなリロイ・カーの影響が強いものが僕はもっと好きなんだなあ。

2016/05/11

多重録音嫌いのザヴィヌル

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ウェザー・リポートでの活躍が一番有名であろうジョー・ザヴィヌルという人はオーヴァー・ダビングが嫌いだったらしい。ウェザー・リポート前のソロ・アルバムでもウェザー・リポートでも解散後のソロ活動でも殆どオーヴァー・ダビングしていない。あるいはひょっとして全くやっていないかも。

特にウェザー・リポートのスタジオ・アルバムでオーヴァー・ダビングなしだというのは、やや意外に感じる方もいらっしゃるかもしれないが、ヘボ耳ながら僕が聴いた判断ではそうかもねと思うし、確かザヴィヌル自身も生前なにかのインタヴューで同じようなことを言っていたような記憶があるんだよね。

何度も書いている通りオーヴァー・ダビングという作業が可能になったのは現実的には1950年代半ばからで、その後60年代からはどんなジャンルでも盛んに行われるようになってもう当り前過ぎるというか、一部の伝統音楽を除けばこれなしのスタジオ作業は考えられないくらい。ライヴ録音だってそう。

ライヴ収録した音源にスタジオで音を追加したり修正したり加工したりして「作品」として出すということも当り前だし、基本的には一回性の演奏こそ身上であるはずの伝統的クラシック音楽の録音ですらピンポイントで音を差替えるなんてこともやるらしいね。

だから1970〜86年が活動期間のウェザー・リポートがオーヴァー・ダビング作業をしていてもよさそうなのに、どうしてザヴィヌルはやらなかったんだろうなあ。どうも残された作品をじっくり聴いたりザヴィヌルの諸言動から判断すると、彼はハプニングというか一回性のライヴ感を重視したのかもしれない。

スタジオ録音アルバムでも、ロック系の音楽家がやるように少しずつ音を足していって完成型に近づける(ジャズ系でもマイルス・デイヴィスなんかはこっち)のでなく、ウェザー・リポートの場合は、ザヴィヌルが最初から完璧な譜面を用意して、その通りに綿密にリハーサルを繰返し、最終的に一発録音だったらしい。

その結果できあがって現在残されているアルバム群を聴くと完璧な仕上り具合だから、これが一切オーヴァー・ダビングなしの一発録音だったとはやや信じがたいのだが、それがザヴィヌルとメンバーの力量というものなんだろうね。ウェザー・リポートの場合別テイクなども殆ど存在しない。

ザヴィヌルが2007年に亡くなった後も、未発表だったライヴ録音が出ることはあるものの(これについてはまだ相当出せるはずで、なんたってザヴィヌルは、フランク・ザッパやジミー・ペイジ同様殆どのライヴ・ステージを録音していた)、スタジオ・アウト・テイクなどは出ないもんね。

正直言うとウェザー・リポート・ファンの僕だってあまり好きじゃないアルバムもいくつかあって、例えば『アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック』のA面とか『ミスター・ゴーン』とか『プロセッション』とか、あるいは実質的にはこのバンドの作品とはいえないラスト・アルバム『ディス・イズ・ディス』とか。

だからこれらについては他のアルバムほどは聴き込んでいないのでイマイチ自信がないのだが、それでも聴き返してみるとやはりこれはオーヴァー・ダビングなしの一発録音だっただろうと思う。似たような時期に活動し似たような音楽性かもねとも思うスティーリー・ダンとは大違いだね。

もちろんこれはどっちが良いとか優れているとかいう話ではない。創り方が違ったというだけだ。ウェザー・リポートの音楽をいわゆる「ジャズ」に分類するべきなのか、あるいはそうでないとしたらなんなのか、僕にはちょっと分らないんだけど、ザヴィヌルはやはりジャズマン的資質の持主だったのかも。

ジャズマン的資質といっても、ザヴィヌルはジャズ的な一回性のライヴ感を大切にはするけれど、ジャズのアドリブ・ソロというものは殆ど信じていない人だった。サイドメン(ショーターはサイドマンじゃないかもだけど)にも自由なソロを許していない。この点ではややデューク・エリントンにも近いものがあった。

ある時期までのウェザー・リポートは、二作目『アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック』のB面が東京でのライヴ録音を短く編集したものだったのを除けば(まあこれははっきりライヴだと書いてあったし)、スタジオ作品にライヴ音源を混ぜ込んだりはしていなかったのだが、これもある時期以後やるようになった。

と言ってもザッパみたいにスタジオ録音音源の一つの曲のなかに、ライヴで収録した同じ曲の音源を部分的に差込んだりというのではなく、特にライヴ盤と銘打ってなくてもライヴでの一発録りであるものが増えたという意味だ。

僕が知る限りでは、1980年の『ナイト・パッセージ』がどこにもクレジットはないもののロサンジェルスのコンプレックス・スタジオでのスタジオ・ライヴで、250人ほどの観客を入れて録っているから、曲によっては歓声や拍手がかすかに聞えたりする。もちろんこれもオーヴァー・ダビングは一切なし。

『ナイト・パッセージ』ではラストの「マダガスカル」だけが大阪での正真正銘のライヴ録音で、これは明記されていたし音を聴いても全然録音状態が違うので、誰でもすぐに分るはず。このアルバム以後は、スタジオ・アルバムとなっているものでもスタジオ・ライヴのようにして録音することが多くなった。

『ナイト・パッセージ』はジャコ・パストリアス〜ピーター・アースキン時代のベストだろうけど、ヴィクター・ベイリー〜オマー・ハキム体制になってからもザヴィヌルのこういう姿勢は全く変っていない。だからライヴ・ステージでもそのままの形で演奏できたのがライヴ盤を聴くと分る。

ウェザー・リポートのライヴでダメな演奏なのは以前も書いた通り「バードランド」だけで、ライヴではシャッフル・ビートになってしまっている。しかしこれはこのバンドの最大のヒット曲で代表曲だから、この曲だけがライヴではダメだというのはなんとも残念な限り。だから『8:30』などに収録しなければよかったのに。

「バードランド」ただ一曲を除けば、ほぼ全ての曲がスタジオでもライヴでも殆ど形が変らず完璧なんだよね。しかし同じ形ならスタジオ作品を聴けばいいんだから、ライヴでは完璧でなくてもいいからライヴならではの演奏を聴きたいというのが、多くのファンの気持なんじゃないかなあ。僕もそう。

でも完璧主義者ザヴィヌルはいい意味でも悪い意味でもそうはしなかった。昨2015年にリリースされた未発表ライヴ四枚組『レジェンダリー・ライヴ・テープス 1978〜1981』はまだ聴いていないんだけど、聴かなくてもどんな感じか想像できちゃうね。

ウェザー・リポートのライヴでは、スタジオ作品曲以外にもウェイン・ショーターやジャコ・パストリアスやピーター・アースキンのソロ演奏などが聴けたりするのだけは楽しみだけど、オマケみたいなもんだからなあ。あとこのバンドでのスタジオ録音はない「イン・ア・サイレント・ウェイ」もよくやった。

そういうもの以外は、ウェザー・リポートのライヴ・アルバムはほぼどの曲も聴いてもスタジオ・ヴァージョンと違いが殆どないので最近はあまり聴かなくなった。といっても僕の持っているのは『8:30』と『ライヴ・アンド・アンリリースト』の二つだけ。ブートでは結構出ているらしいけれど一つも持っていない。

現場ではそれができないライヴ演奏を収録したものにやらなかったのはもちろん、スタジオ録音作品でもほぼ全くオーヴァー・ダビングしないザヴィヌルのライヴ感重視の姿勢は、その一方での完璧主義と一見やや相容れないようなものに思えるけれど、これらが同居していたのがウェザー・リポートだったんだよね。

2016/05/10

キースのヨレヨレ・ヴォーカル

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僕にとって「キース」とだけ言えば、それはジャレットでもエマースンでもなくリチャーズに決っているんだけど、そのキース・リチャーズがローリング・ストーンズの代表曲の一つ「ギミー・シェルター」を歌っているものがある。『アイリーン』という五曲収録のEP盤に入っていて、これはれっきとした公式盤CD。

キースが「ギミー・シェルター」を歌ったのは1992/93年のメイン・オフェンダー・ツアーでのことで、あまり詳しいことは知らないのだが、このツアーではこの曲をわりと常時やったらしい。言うまでもなくこれは1969年のストーンズのアルバム『レット・イット・ブリード』一曲目がオリジナル。

その後のストーンズのライヴでも現在に至るまでの定番曲で、歌うのはもちろんミック・ジャガー。ストーンズではこれをミック以外が歌うなんてことはもちろん全くない。それをキースがストーンズではなく自分のバンドのツアーで歌ったもんだから、キース・ファンは狂喜乱舞、ミック・ファンは大ショック。

ミック自身もキースがこれを自分のツアーで歌ったことにはやや批判的というかあまりいい気分ではなかったらしい。ちなみにミックはこの1992/93年のキースのライヴ・ツアーを何度か視察していて「ギミー・シェルター」をキースが歌うのも聴いたんだそうだ。どんな気分だったんだろうなあ。

キースは1988年に初ソロ・アルバム『トーク・イズ・チープ』をリリースし、その後92年に『メイン・オフェンダー』をリリースしている(昨2015年の『クロッシード・ハート』は買っていない)。歌っているのはもちろん全部キースで、先に書いたメイン・オフェンダー・ツアーは二作目のタイトルから。

またファースト・ソロ・アルバムをリリースした直後の1988/12/25のライヴを収録したキース・リチャーズ・アンド・X・ペンシヴ・ワイノウズ名義の『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・パレイディアム』というライヴ・アルバムもリリースしている。これにもストーンズ・ナンバーがある。

『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・パレイディアム』収録のストーンズ・ナンバーは、収録順に「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」(1963年シングル)、「トゥー・ルード」(『ダーティ・ワーク』)、「ハッピー」(『メイン・ストリートのならず者』)の三つ。後者二つはストーンズでもキースが歌っている。

だから「トゥー・ルード」と「ハッピー」をキースが自分のライヴで採り上げて歌うのは不思議ではないし、また「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」はストーンズ・ヴァージョンで有名になった曲(だから日本のグループ・サウンズ、ザ・タイガースもやった)だけど、元々ストーンズの曲ではないカヴァーだからね。

それに『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・パレイディアム』での「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」ではキースは歌わず女性ヴォーカリストのサラ・ダッシュが歌うもんね。サラ・ダッシュといえば『トーク・イズ・チープ』収録の「メイク・ノー・ミステイク」でもキースとデュエットしているね。

その「メイク・ノー・ミステイク」は『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・パレイディアム』でもやっていて、やはりキースとサラ・ダッシュがデュエットで歌うんだけど、これはもう断然『トーク・イズ・チープ』のオリジナル・スタジオ・ヴァージョンがいい。なぜかといえば完全なるハイ・サウンドだからだ。

『トーク・イズ・チープ』の「メイク・ノー・ミステイク」は最初からハイ・サウンドを意識したような曲創りで、なんとウィリー・ミッチェルがアレンジしたメンフィス・ホーンズが参加して演奏しているもんね。柔らかい感じのキースのギター・カッティングもまるでティーニー・ホッジズみたいだ。
『トーク・イズ・チープ』でこんなハイ・サウンドなソウル・ナンバーはこれ一曲だけで、他はキースらしいストレートなロックンロールばかりだから、「メイク・ノー・ミステイク」だけが異様に浮上がっている。もちろん僕はこの曲の大ファン。

もちろんこれのかなり前からストーンズにソウル・ナンバーはあって、僕が一番好きなのは1978年の『女たち』B面四曲目の「ビースト・オヴ・バーデン」。これはカーティス・メイフィールドみたいなニュー・ソウル。キースの弾くギターのカッティングだってカーティスのそれに似ている。
そうじゃなくなって元々アメリカ黒人音楽の真似ばっかりしていたバンドなのであって、ブルーズはもちろんR&B〜ソウルな曲は以前からかなり多い。だから中心人物のキースが自分のソロ・アルバムで「メイク・ノー・ミステイク」みたいなそのまんまなハイ・サウンドをやっても驚くことはないんだろうけど。

キースはストーンズでもまあまあ歌っている。僕の知る限りストーンズでキースが歌った最初は1968年の『ベガーズ・バンケット』ラストの「地の塩」だ。しかしこの曲ではミックもかなり歌っているし、途中から女性ヴォーカル・コーラスが入るので、キースの歌をフィーチャーしたとも言いにくい感じ。
だから次作1969年『レット・イット・ブリード』B面二曲目の「ユー・ガット・ザ・シルヴァー」がキースの歌を全面的に使ったストーンズでは最初の一曲ということになるんだろう。そしてその次々作72年の『メイン・ストリートのならず者』二枚目A面一曲目の「ハッピー」がキースの歌う代表曲。
一般にストレートなロックンロールをキースやストーンズに求めるリスナー(が世代を問わず多いと思う、ひょっとしそれしか求めていない?)には、この「ハッピー」や1978年『女たち』B面三曲目の「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」が一番いいものということになるはず。
僕も「ハッピー」や「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」は大好きで、特に『女たち』に入っている後者は、まるでガイコツみたいな骨格だけの間の多いスカスカなサウンドで、音をビッチリと敷詰めるタイプよりそういうものの方が好みな僕(だってマイルス・デイヴィス・ファンだから)には楽しめる。

また1981年の『刺青の男』の「リトル T&A」とか、83年『アンダーカヴァー』の「ワナ・ホールド・ユー」とか、あるいは復帰作89年の『スティール・ウィールズ』の「キャント・ビー・シーン」とか、ストーンズでキースが歌うストレートなロックンロール・ナンバーももちろん楽しい。

だけれども僕がキースの歌をいいなと本当に思った最初は、1980年『エモーショナル・レスキュー』ラストのバラード「オール・アバウト・ユー」なのだ。ホーン・セクションの演奏から入り、それに続いてかなりヨレヨレとしたキースのヴォーカルが出てきた瞬間に、こりゃいいね!と思った。
その「ヨレヨレとした」という形容が、キースの歌うバラードにまさにピッタリ来るようなものじゃないかなあ。あるいはあの「オール・アバウト・ユー」だけだったのだろうか?いやそんなことはないね、先に書いた1989年の『スティール・ウィールズ』ラストにも「スリッピング・アウェイ」がある。
この「スリッピング・アウェイ」こそストーンズでキースが歌う最高曲だと信じている僕。キース自身もかなり気に入っているのか、その後のライヴで繰返し歌っているし、また1995年の『ストリップト』にも再演ヴァージョンが収録されているもんね。

音源貼ったけど、どうだろうか?最高のバラードじゃないだろうか?ストーンズでキースが歌うものとは、僕にとってはこういうヨレヨレとしたバラード・ナンバーなんだよね。1994年の『ヴードゥー・ラウンジ』にはそういうキースの歌うヨレヨレ・バラードが二曲も入っている。いつも必ず一つだったのにねえ。

それが四曲目(『ヴードゥー・ラウンジ』は最初からCDでリリースされたのでA面B面はない)の「ザ・ワースト」と14曲目の「スルー・アンド・スルー」。後者の評価の方が高いらしいんだけど、僕は前者「ザ・ワースト」の方が圧倒的に好きだ。
お聴きになれば分る通りアクースティック・ギターを中心としたサウンドで、それにフィドル(ヴァイオリンという感じじゃないよね)とペダル・スティールが絡むという、ストーンズの得意分野の一つである米カントリー・ミュージック風味の一曲。キースのヨレヨレ・ヴォーカルも際立って素晴しい。

その後の『ブリッジズ・トゥ・バビロン』や『ア・ビガー・バン』でもキースはそれぞれ二曲ずつ歌っているんだけど、アルバム自体がどうにも面白くなかったもんなあ。アルバム・ジャケットもいただけない感じにしか見えないし。またベスト盤『フォーティ・リックス』にもキースが歌う新曲がある。

そのあたりはもうなんか99%が既発の持っている曲ばかりに一曲とか二曲とか新作を入れて発売されても、ちょっと触手が伸びないよなあ。寺田さんゴメンナサイ。なお最初に書いたキース名義の五曲収録の単独盤EP『アイリーン』のラストには、ブルーズ・スタンダード「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」があって、かなりいい感じ。

「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」はキースやストーンズにとっては縁の深い曲で、なんたってイアン・ステュアートが亡くなった際に追悼の意味で『ダーティ・ワーク』ラストに収録されているピアノ・インストルメンタル。あれはスチュの弾く「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」なんだよね。

2016/05/09

イナタいルイジアナ・スワンプ・ポップ〜クッキー&ザ・カップケイクス

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クッキー&ザ・カップケイクスという米ルイジアナのスワンプ・ポップ・バンドが大好きなんだけど、1956年にこのバンド名になって以後も、僕の知り限りこのバンドにオリジナル・アルバムは一枚もないはず。全て7インチのシングル盤だ。それが現在CDなどのアルバムとしてまとめられている。

僕が持っているのは1997年に英Aceがリイシューした30曲入りの『キングズ・オヴ・スワンプ・ポップ』というもので、僕の知る限りおそらくこれが一番充実していて収録曲も一番多いCDアルバム。ブックレットの英文解説もかなり詳しい。このバンドについては詳しい情報が少ないからね。

僕がクッキー&ザ・カップケイクスを買ったのは、最初は彼らそのものに関心を抱いてのことではない。レッド・ツェッペリンで有名なロバート・プラントを中心にした例のプロジェクト、ザ・ハニー・ドリッパーズの1984年作『ヴォリューム・ワン』に「シー・オヴ・ラヴ」という曲があったからだった。

あの五曲入りEP『ヴォリューム・ワン』。全部古いリズム&ブルーズ〜ロックンロール・ソングばかりで、元はアトランティックのアーメット・アーティガンが希望して実現したプロジェクトだったらしい。アーメットはご存知の通り古い黒人音楽マニアのトルコ人で、アトランティックもそういう傾向の会社だ。

ロバート・プラントが歌ったレッド・ツェッペリンも、ご存知の通り彼ら自身のレコード・レーベル、スワン・レコーズを設立するまでは、アルバムは全てアトランティックからリリースしていた。最初レッド・ツェッペリンとしての契約時に巨額のお金が動いたという噂もあったもんね。

だからロバート・プラントだって(あるいはジミー・ペイジだってその他多くのロック・ミュージシャンだって)アトランティックのアーメット・アーティガンには頭が上がらなかったはずだ。そういうわけであのザ・ハニー・ドリッパーズが誕生し、五曲入りEPが1984年にリリースされたというわけだね。

そのEPのなかにあった「シー・オヴ・ラヴ」は正直に言うとそれで初めて聴いて知った曲だったのだ。これ以外の四曲「アイ・ゲット・ア・スリル」「アイ・ガット・ア・ウーマン」「ヤング・ボーイ・ブルーズ」「ロッキン・アット・ミッドナイト」は、1984年時点で既にまあまあ知っていた。

特にレイ・チャールズの「アイ・ガット・ア・ウーマン」はエルヴィス・プレスリーも1956年にやっていて、ザ・ハニー・ドリッパーズ・ヴァージョンでは、そのエルヴィス・ヴァージョンそのままに終盤スロー・テンポになるアレンジでやったのに、そこはカットされちゃったとプラントがぼやいていたなあ。

ロイ・ブラウンの「ロッキン・アット・ミッドナイト」もロック・ミュージシャンによるカヴァーが多いスタンダード化したR&B〜ロックンロール・クラシックだ。ザ・ハニー・ドリッパーズ・ヴァージョンではジェフ・ベックのスライド・ギターも聴き物。シャッフル・ビートでホーン・リフも賑やかで楽しい。

だからまあそれらは最高に楽しいけれど別に目新しくはなかった。それに対して初めて聴いた「シー・オヴ・ラヴ」が新鮮で大好きになってしまって、ここではジミー・ペイジがギター・ソロを弾いているから、入っているストリングスのアレンジもおそらくペイジによるものなんだろう。

そのザ・ハニー・ドリッパーズ・ヴァージョンを貼っておこう→ https://www.youtube.com/watch?v=2BoUzzFXuVU この曲の魅力の虜になっちゃって、未知の曲だったので調べてみてこれがフィル・フィリップスがオリジナルのヒット曲だと知った→ https://www.youtube.com/watch?v=L0DTHA3HVj8

フィル・フィリップスがこれをヒットさせたのは1959年らしい。ビルボードのR&Bチャート一位、ポップ・チャートでも二位まで上昇しているから大ヒットだね。そしてフィル・フィリップスと同じスワンプ・ポップ・バンドのクッキー&ザ・カップケイクスが63年に録音しているのも知ったというわけだ。

それでフィル・フィリップスとかクッキー&ザ・カップケイクスとかのCDアルバムがほしいと思って探したんだけど、1980年代後半にはまだ出ていなかったような気がする。とにかく僕は見つけられなかった。ようやく買えたのが前述97年のクッキー&ザ・カップケイクスのアンソロジーだった。

それでその『キングズ・オヴ・スワンプ・ポップ』を聴いてみたらこれが良かったんだなあ。音楽のスタイルを表現するのに「イナタい」という言葉あるけれど、まさにこのイナタいという言葉がピッタリ似合うアメリカ南部ルイジアナのスワンプR&B〜ポップで、一度聴いて大好きになっちゃった。

クッキー(本名ヒューイ・ティエリ)がこのバンドを結成したのではなく、シェルトン・ダナウェイがブギ・ランブラーズとして1950年代初頭に結成したバンドらしく、クッキーは52年に加入して、直後からリード・ヴォーカルとテナー・サックスをダナウェイと分け合うようになっていたようだ。

まだブギ・ランブラーズの名称だった1955年に「シンディー・ルー」と「サッチ・アズ・ラヴ」を録音している。二曲とも『キングズ・オヴ・スワンプ・ポップ』に収録されているが、「シンディー・ルー」はあまりスワンプっぽくないロックンロール。「サッチ・アズ・ラヴ」は相当ラテンなアレンジ。

「サッチ・アズ・ラヴ」にはなんだかよく分らない打楽器(おそらくボンゴ?)とクラベスまで入っていて、クラベスがはっきりと3-2クラーベのリズムを刻んでいる。クッキーのバンドではこういうのはその後全くなくなって完全に三連のスワンプ調の曲ばかりになるので、今聴くとなかなか貴重で面白い。

1956年にバンド名に「クッキー」の名前を出すようになり、直後に「&ザ・カップケイクス」の名称に変更して以後の録音はほぼ全てファッツ・ドミノ風三連ナンバーばかり。その前年頃にローカルなライヴ・ツアーをファッツ・ドミノのおそらく前座として一緒に廻っていたらしいから、強い影響を受けたはず。

僕はファッツ・ドミノよりクッキー&ザ・カップケイクスの方を本格的には先に聴いたので、最初はクッキーってなんてチャーミングなんだ、三連のイナタいスワンプ・ポップって最高だなと思って何度も聴いたんだけど、その後ファッツ・ドミノをちゃんと聴いてみたら完全にそのまんまだったという(笑)。

CD附属のブックレット英文解説によれば、クッキーは自身の音楽の最大の影響源としてやはりファッツ・ドミノ(とハンク・ウィリアムズ)の名前を挙げている。これは当然だ。本人に言われなくたって音を聴けば誰だって分る。クッキーの曲もどれもこれも全部ダダダ・ダダダという三連ばかり。

クッキー&ザ・カップケイクス最大のヒット曲は1957年ジュッド・レーベル録音の「マチルダ」で、これが59年に売れたらしい。それでもう一回62年にリリック・レーベルに再録音している。CDにはどっちも収録されているけれど、どっちもほぼ同じで大した違いは聞取れない。

僕の持っている『キングズ・オヴ・スワンプ・ポップ』では、1962年ヴァージョンが二曲目、オリジナル57年ヴァージョンがラストに収録されている。ほぼ同じだけど、ほんのかすかに出来がいいように思う62年リリック・ヴァージョンはこんな感じ。
なかなかチャーミングなポップ・ミュージックだよねえ。オリジナル・ヴァージョンが1959年にビルボードのチャートを上昇してからは、この「マチルダ」は言ってみればスワンプ・ポップのアンセムみたいなものになったらしい。この曲がというかこの曲だけがクッキーのヒット・ナンバーだ。

書いたように最初はロバート・プラントが歌うザ・ハニー・ドリッパーズの「シー・オヴ・ラヴ」に取憑かれて、そこから辿って行着いたクッキー&ザ・カップケイクスだけど、CDを聴いたら「シー・オヴ・ラヴ」よりも、その「マチルダ」とか一曲目の「ガット・ユー・オン・マイ・マインド」とかの方がいいね。

30曲あるそのCD、一部を除きどれもこれも全部ファッツ・ドミノ風ダダダ・ダダダという三連スワンプ・ポップばっかりだから、一度に続けて全部聴くこともないんじゃないかという気もするし、まあ二流・B級の人ではあるんだろうけど、それでもクッキーの方が個人的にはファッツ・ドミノよりも好きだったりするんだよね。

2016/05/08

激アツなツイン・サックスの奔流

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どっちも1970年代のマイルス・デイヴィス・バンドで活躍し、僕はそれで名前と演奏を知った二人の師弟関係のサックス奏者デイヴ・リーブマンとスティーヴ・グロスマン。彼らの良さが一番分りやすいのはおそらくエルヴィン・ジョーンズの二枚組ライヴ・アルバム『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』だろうなあ。

この二人のサックス奏者、リーブマンが師匠格なわけだけど、マイルス・バンドにはなぜかグロスマンの方が先に起用されている。1969年11月〜70年6月まで。リーブマンのマイルス・バンド在籍は72年6月から74年6月まで。このうちグロスマンの方のプレイは全然どうってことない。

グロスマンのマイルス・バンドでの演奏が聴けるスタジオ・アルバムは『ジャック・ジョンスン』と『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の「ホンキー・トンク」一曲だけで、あとは一連のフィルモアものなどのライヴ・アルバムだ。それら全て当時はソプラノしか吹いていないが、まあダメだね。

フィルモアなどでのライヴ現場では実は結構テナー・サックスも吹いていたことが現在では完全盤で明らかになっているけど、それもちょっとなあ。テオ・マセロが編集で全面的にグロスマンのテナーをカットしてしまったのも納得できる内容でしかないもん。

その1970年当時のグロスマンは発展途上というかまだまだだったと思うのだ。なぜ先輩であるデイヴ・リーブマンの方を先にマイルスが雇わなかったのかちょっと不思議なんだけど、おそらくこれは先にリーブマンの方に声を掛けたんじゃないかと思う。参加できない理由があってグロスマンを推薦したのかも。

それが証拠に実際1972年にリーブマンを雇っているわけだ。マイルスは一度気に入った人はその時すぐに雇うのが不可能でも、なかなか諦めずしつこく追掛けて結局数年後に雇うということの多い人。有名どころでは1964年に雇ったウェイン・ショーターもその三年ほど前から声を掛けていた。

その当時のショーターはアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズに在籍していて、マイルスのご執心を知ったブレイキーが「マイルスはオレのところのサックス奏者を盗もうとしているぞ!」と警戒する発言をしている。だから1972年のリーブマンも似たようなものだったんだろう。

果して1972〜74年のマイルス・バンドでのリーブマンの演奏は素晴しく、といっても正規盤では彼の本領発揮の演奏が聴けるものが少ないんだけどね。『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」「カリプソ・フレリモ」でのフルートと『ダーク・メイガス』だけ。

リーブマンのマイルス・バンドでの初録音は『オン・ザ・コーナー』の一部になった1972年録音のセッション。だけどそこではまだまだという感じだなあ。リアルタイムでのマイルス正規盤でのリーブマンはそれら三つで全部だけど、ブートレグでなら73〜74年のライヴ演奏がかなりたくさんある。

1973年以後のマイルス・バンドではかなりいいリーブマン。というか69年からマイルスが死ぬ91年までの電化ファンク路線でのサックス奏者で唯一マシだと僕の耳に聞えるのはリーブマンだけで、彼以外はマイルス・ファンクにリード奏者は全く必要ないと思うほど。もっと長く在籍していたらなあ。

マイルス関係の話がちょっと長くなった。そういうリーブマンとグロスマンという師弟関係二人のサックス奏者が同時に聴け、しかも1972年9月録音という二人にとっても一番活きのいい時期のライヴ録音であるエルヴィン・ジョーンズの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』は本当にいい。

エルヴィンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』ではリーブマンがテナーとソプラノ、グロスマンがテナーだけ。そして一部でフルートが聞え、それはクレジットはないがリーブマンに間違いない。双方が同時にテナーで絡み合う部分は、僕の耳ではどっちがどっちなのか判別がほぼ不可能。

そういうツイン・サックスの絡み合いというのも『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』の聴き所の一つだね。しかもこのライヴ盤はサックス二人+ジーン・パーラのウッド・ベース+ドラムスのエルヴィンというピアノ・レス・カルテット編成だから、余計にサックス二人のカラフルな絡みが面白く聞える。

サックス二人の音は右チャンネルと左チャンネルに振分けられているのでどっちがどっちなのか明記されていたら大いに助かったんだけど、まあしょうがないね。リーブマンが1946年、グロスマンが51年生まれだから、二人ともリアルタイムでコルトレーンを聴いている完全なるジョン・コルトレーン派。

生まれ年など知らなくたって『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』での吹奏ぶりを聴けば、二人とも完全なるコルトレーン・スタイルの持主であることは誰の耳にも明らかだろう。しかもそのコルトレーンのバンドで長年活躍したエルヴィンのバンドで吹くわけだから、ますます似ているように聞える。

あっ、待てよ、一曲目の「ファンシー・フリー」では右チャンネルからテナー、左チャンネルからソプラノが聞えるので、ソプラノを吹いているのはリーブマンだけというCD裏ジャケット記載のクレジットを信用すると、じゃあその後同じ左チャンネルから聞えるテナーもリーブマンなのだろうか?

ネット上の情報ではグロスマンもソプラノを吹いているという記載もあるんだけどなあ。まあいいや。アナウンスメントに続きはじまるその一曲目の「ファンシー・フリー」がなんだかちょっとラテン風なリズムで、エルヴィンがそんな叩き方をしていてなかなか面白い。特にスネアのリム・ショットが印象的。
「ファンシー・フリー」は21分もある長尺曲で、テーマをサックス二人の絡みで演奏したあとは、ソプラノ・ソロ(リーブマン?)、テナー・ソロと続く。二人の背後でラテン調で複雑なリズムを叩出しているエルヴィンのドラミングが素晴しい。一人のドラマーで創るポリリズムでは最高峰だね。

一人のドラマーが単独で叩出すポリリズムではエルヴィンが最高峰だというのはファンや専門家の間でもほぼ意見が一致していて、おそらく1960年代のコルトレーンもそれを痛感していたんだろう、それである時期以後エルヴィンに加えラシッド・アリを雇い、ツイン・ドラムス体制にしているもんね。

コルトレーンの場合その後エルヴィンが辞めてラシッド・アリ一人になるけれど、同時にライヴ・ステージでは、コルトレーン自身がサックスを吹いていない時には小物打楽器を手にしていたようだしね。コルトレーンが死んでしばらくしてみんなドラマー以外にパーカッショニストを雇うようになる。

コルトレーンの死後約二年1969年8月録音のマイルスの『ビッチズ・ブルー』にはドラマーもパーカッショニストも複数参加していて、リズムの革新であると同時に、ある意味コルトレーン的60年代(フリー・)ジャズの総決算・総括みたいな意味合いもあるようなアルバムなんだよね。

六曲目のクルト・ワイル・ナンバー「マイ・シップ」。これはCD二枚目三曲目のビリー・ホリデイ・ヴァージョンでも有名なフランク・シナトラ・ナンバー「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」と並び、このアルバムで二つだけのスタンダードな有名曲。リーブマンがフルートを吹く。

僕の場合「マイ・シップ」はマイルス+ギル・エヴァンスの『マイルス・アヘッド』で知った曲で、あそこでもマイルスのフリューゲル・ホーンがこの上なく美しかったけど、エルヴィンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』でのリーブマンのフルート吹奏も大変に美しく、それにグロスマンのテナーが絡む。
もう一曲のスタンダード曲「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」はテナーによる演奏。左チャンネルから聞えるので、前述の僕の推測が当っているとするとリーブマンか?最初無伴奏でしばらくテナー吹奏があり、その後リズム・セクションが入ってくる。ここではもう一人のサックスは絡まない。
「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」、リーブマンだという僕の推測が当っているとすれば、彼によるテナー・バラード演奏では白眉の一曲だね。最初原曲通りしっとりと出たかと思うと、途中からかなり熱を帯びてきて、若干フリーでアヴァンギャルドな雰囲気での演奏になるのも面白い。

いずれにしてもエルヴィンの誕生日である9月9日に演奏・録音された1972年の『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』。エルヴィンのポリリズミックなドラミングといい、激アツすぎるツイン・サックスの奔流ぶりといい、これ以上ない二枚組ジャズ・ライヴ・アルバムだね。合計二時間以上もたっぷり聴けるし言うことないよ。

2016/05/07

レナシミエント・ラティーノアメリカーノ:フィーリン歌手カエターノ

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以前も一度触れたように、今までのところのカエターノ・ヴェローゾの最高傑作は1995年のライヴ・アルバム『粋な男ライヴ』、特にDVD版の方だと思っている僕だけど、スタジオ録音作品では今でもその前94年の『粋な男』が一番好きで内容的にも一番優れた作品だと思っている。少数派だろうか?

少数派だろうかと疑問に思うのは、『粋な男』はブラジルの音楽家カエターノがポルトガル語ではなく全曲スペイン語で歌ったアルバムだからだ。しかも自作曲のスペイン語ヴァージョンとかではなく、全てブラジルの周辺のスペイン語圏ラテン・アメリカ諸国の曲を採り上げたもの。

当初レコード会社側はカエターノをブラジル国外のスペイン語諸国に売出すべく、カエターノの自作曲をスペイン語に翻訳して歌わせるというアルバムを企画していたらしい。それはそれで聴いてみたかったような気もするんだけど、最終的にはカエターノ本人の意向でスペイン語歌曲集となった。

その結果できあがった『粋な男』がまあこれ素晴しいのなんのって、いつものようにナイロン弦ギターを弾きながら歌う(しかもスペイン語で)カエターノと、さらにジャキス・モレレンバウムのチェロとアレンジによる伴奏の管弦楽の響きがなんとも美しすぎて、何度聴いてもいまだにうっとりとする。

『粋な男』CD附属のブックレットに全曲どこの国の誰が何年に書いた曲かが明記されているので非常に助かる。一曲目の「ルンバ・アズール」はキューバのアルマンド・オレフィチェが1942年に書いたナンバー。打楽器に導かれてカエターノが歌いはじめるとすぐにストリングスが入ってくる。
そして直後に右チャンネルでエレキ・ギターがチャカチャカと刻んでいる音が小さく聞えるのだが、このギター・カッティングが僕は大のお気に入り。『粋な男』全編を通してエレキ・ギターの音が聞えるというのはこの「ルンバ・アズール」だけ。アルバム全編アクースティックな管弦楽の伴奏だからちょぴり意外だ。

この「ルンバ・アズール」はキューバの歌曲形式の一つであるいわゆるボレーロだね。ボレーロにしてはリズムがやや快活すぎるような気もするけれど、基本的にはゆったりとしたバラード調の曲で流麗なストリングスも入るしカエターノの歌い方もかなり甘美でソフトだしね。

ご存知の通りボレーロは同じくキューバの歌曲形式の一つであるフィーリンと関係が深い。フィーリンは主に1950年代にキューバで流行したもので、僕みたいなシロウトにはボレーロとの本質的な区別は付かない。ボレーロもフィーリンもソフトでゆったりとしたクールな歌曲スタイルだもんなあ。

カエターノは『粋な男』を1994年に録音する前から元々甘美でソフトな歌い口の歌手だったし、そんな彼がキューバのボレーロ〜フィーリンな雰囲気でそれっぽく歌っても違和感は全くないどころかピッタリ似合っているよね。『粋な男』では伴奏の管弦楽もホセ・アントニオ・メンデスのバックでやっているかのよう。

なんの文章だったか忘れたんだけど(今は現物が手許にないので確かめられない)、中村とうようさんが『粋な男』について、このアルバムの日本語ライナーノーツには最も肝心なことが書かれていない、それはこのアルバムがブラジル人歌手によるフィーリンの試みだということだと指摘していた。

僕の持っている『粋な男』は輸入盤なので、日本語ライナーノーツをどなたが書いていてどんな内容なのか分らないんだけど、『粋な男』がフィーリン・アルバムであることはキューバ音楽に馴染のあるリスナーなら分りやすいことだ。というかカエターノってブラジル人フィーリン歌手なんじゃないの(笑)?

1960年代末にデビューした頃のカエターノは、ジルベルト・ジル、ガル・コスタらとともにいわゆるトロピカリア運動の中心人物で、政治的な姿勢もさることながら(それで一時的にロンドンに亡命していた)、音楽的にも同時代のロックに影響されたサイケデリックなサウンドもあるけれど、自身の歌い口そのものは最初からさほどハードではなく、柔らかく甘美なのが持味の人だ。

そしてトロピカリアはロックなど同時代の音楽を消化しMBPの新しい動きを探ると同時に、古いブラジル音楽の伝統、すなわち初期ボサ・ノーヴァやもっと前のサンバ・カンソーンやその前のサンバなどの復権というのが不可分一体の大きな眼目だったんだから(文化の刷新とはいつの時代でも伝統の見直しだ!)、周辺のスペイン語圏の懐メロをキューバの歌曲スタイルであるフィーリン風にやるのも必然的流れ。

それはともかくとして二曲目の「ペカード」。これが超絶品で個人的にはこの曲が『粋な男』で一番好き。僕にとってはこれこそがこのアルバムのハイライトであり白眉の一曲だ。アルゼンチンのポンティエールとフランチーニが書いたタンゴ。甘美すぎるだろうこれは。
最初アカペラでカエターノが歌い出し、一節歌った後自身のギターとストリングス伴奏が入る。それが聞えはじめた瞬間になんて美しいんだと蕩けてしまうよ。ジャキスのチェロ・ソロも最高だ。この「ペカード」はおそらく今までのカエターノの全音楽人生で最も甘美な一曲だ。他人の書いた曲だけどね。

「ペカード」は1975年の曲だけど、同じアルゼンチンのタンゴ歌曲といえば『粋な男』ラストの「ヴエルヴォ・アル・スール」(カエターノは一部「ズール」と歌っている)もそうで、こっちはアストール・ピアソーラが1988年に書いたもの。ピアソーラはかなり知名度があるはず。

ピアソーラのタンゴ演奏そのものはいいなと思えるものも個人的には少しあって、愛聴している音源(公式発売はされていないはずのFM放送をエアチェックしたライヴ音源)もあるんだけど、それは一部であって、全体的には猥雑で卑猥な音楽タンゴを小綺麗な芸術にしちゃっているからなあ。だからクラシック・ファンやモダン・ジャズ・ファンには人気がある。

でもカエターノの歌う「ヴエルヴォ・アル・スール」は最高だ。アルバム・ラストを締め括るのにこれ以上ない完璧な雰囲気の仕上りになっている。ジャキスのチェロもなんとも切なく美しい。この曲ではストリングス伴奏は必要最小限の控目なもので、基本的に歌とギターとチェロ演奏で構成されている。

六曲目のアルバム・タイトル曲「フィーナ・エスタンパ」はペルーのチャブーカ・グランダが1956年に書いたバルス(ワルツ)。ジャキスのチェロ伴奏が中心でそれに乗ってカエターノの歌が飛翔する。この曲ではギターが入らず、他の弦楽器もヴァイオリンとヴィオラがそれぞれ二本ずつのみ。
骨格だけのかなりシンプルな「フィーナ・エスタンパ」が終ると、続く七曲目「カプジート・デ・アレリ」では管楽器が派手に鳴って賑やかでイイネ。これはプエルト・リコの有名作曲家ラファエル・エルナンデスが1931年に書いた曲で、『粋な男』のなかでは古い曲だ。
「カプジート・デ・アレリ」では中盤でトロンボーンのソロも出てくるし、全体的に弦楽器より管楽器の方が目立つアレンジも楽しい。なおこれを書いたラファエル・エルナンデスはライスから『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』というCDが出ている。それもとうようさんの仕事。

「カプジート・デ・アレリ」と並び古い歌曲である九曲目の「マリア・ラ・オ」は、「シボネイ」で世界的に有名なキューバの作曲家エルネスト・レクオーナが1931年に書いた曲。「シボネイ」が現在の僕が最も愛するポピュラー・ソングであることは以前書いた。だからレクオーナも大好きなのだ。
同じくキューバ人作曲家ホセ・ドローレス・キニョーネスの書いた11曲目「ミ・ココドリロ・ヴェルデ」だけは作曲年が記載されていないが、キニョーネスは1910年生まれだからおおよその想像は付くよね。これもボレーロというかフィーリンみたいな雰囲気だ。
そして一般的には次の12曲目、やはりプエルト・リコのラファエル・エルナンデスが1930年に書いた「ラメント・ボリンカーノ」が『粋な男』のクライマックスということになるんだろう。この曲は前述『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』にも収録されているエルナンデスの代表曲の一つ(そっちでの表記は「ボリンケーノ」)。

そのカナリオの歌うヴァージョンに比べて『粋な男』のカエターノ・ヴァージョンはグッとテンポを落し、ストリングスと打楽器の落着いた雰囲気の伴奏を中心に、カエターノが悲哀に満ちた歌を披露する。エルナンデスの原曲の持つ悲哀を最大限にまで引出しているようなアレンジと歌い方で引込まれる。
アルバム中最も古い曲が14曲目の「ラ・ゴロンドリーナ」。ブックレットの記述では1860年と記載されているメキシコの曲で、N・セラデルとN・サマコイスという名前が載っているけれど僕は知らない人達。”D.P.” とも書かれているから権利の切れた古い伝承曲かも。
「つばめ」という意味のその14曲目が終ると、先に書いたようにアルバム・ラストにピッタリな、まるで映画のワン・シーンでも観るような(というか元が映画のための曲だ)ピアソーラの「ヴエルヴォ・アル・スール」が来る。これ以上の終幕はないね。
スタジオ録音盤『粋な男』からの曲だけでなく、ポルトガル語によるブラジルのスタンダード曲や自作曲などいろいろと歌っていて、いわば<汎ラテン・アメリカ曲集>みたいな趣の『粋な男ライヴ』DVDの話もするつもりで書きはじめたんだけど、もう既にかなり長くなってしまったのでやめておく。

『粋な男ライヴ』DVDにはライヴCDには入っていない曲目も多いし、かと思うとライヴCDにはあるのにDVDには収録されていないものもあったりして、なんとももどかしい。全部まとめて一度出してくれないもんだろうかと思うんだけど、これについてはまたの機会に。

2016/05/06

過去をよく振返っていたマイルス

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1981年復帰後のマイルス・デイヴィスが元通りマトモに吹けるようになったのは1983年の『スター・ピープル』からだ。油井正一さんなどはこのアルバムはただそれを示しただけの作品だと言っていたくらい。復帰第一作の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』は確かに非常に弱々しい。

そして同年に初めて生で観たマイルスの来日公演も、これでグッバイ・マイルスと言った人も多かったというくらいボロボロで、僕自身は憧れのマイルスを初めて生で観たという感動だけで胸が一杯で、どういう音楽だったのかなんて殆ど憶えていない。かなり後になって出た東京公演をフルで聴くと確かにダメだ。

しかしながらその来日の翌年に出た(その東京公演からも収録されている)二枚組ライヴ盤の『ウィ・ウォント・マイルス』を聴くとそんなに悪くもないんだよなあ。特に二枚目ボストン公演の「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」と「キックス」はかなりいい。やっぱりダメだというファンも多いんだけどね。

「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」はジョージ・ガーシュウィン・ナンバーで、ご存知の通りマイルスはギル・エヴァンスとのコラボで1958年に吹込んでいる(『ポーギー・アンド・ベス』)。20年以上も前にやった曲を取上げるというのは69年以後のマイルスでは初めてだから当時様々な憶測を呼んだ。

前年に亡くなったピアニストのビル・エヴァンス追悼なのだとか(これはインタヴューでマイルス本人は否定していた)、本当のところは結局誰にも分りはしないんだけど、1981年カム・バック・バンドでの演奏もなかなかいい。特に『ウィ・ウォント・マイルス』ヴァージョンではサックスのビル・エヴァンス(同姓同名だから紛らわしい)のソロがいい。
油井正一さんはこの後いくらダメになってもこの「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」でのソプラノ・サックス・ソロがある限りビル・エヴァンス君のことは一生忘れないぞと書いていた。実際それくらいいいんだよね。そしてサックスのビル・エヴァンスはこれ以外にはいい演奏があまりないように僕には思える。

さてそれでその次の1983年の『スター・ピープル』はB面一曲目の18分以上もあるアルバム・タイトル曲の長いブルーズのせいで、一般的にはマイルスのブルーズ回帰アルバムだと捉えられている。ストレートなブルーズ進行の曲はこれだけなんだけど、他にもブルーズだろうと思える曲が多い。

一曲目の「カム・ゲット・イット」は当時マイルスがオーティス・レディングの曲(なにかは知らない)のコード進行に基づいていると語っていた。ちょっとそれは本当なのかなと疑ってしまうけれど、1983年のライヴ・ステージでのオープニング・ナンバーであったことは確かで、『スター・ピープル』のもライヴ収録なのだ。
『スター・ピープル』はライヴ・アルバムとは銘打ってないものの、音源の半分はライヴ収録。それをスタジオで編集したり音を加工したりしている。一曲目だけなく三曲目の「スピーク」もライヴ音源で、1984年頃からオープニングで使っていた「ジャック・ジョンスンのテーマ」からの抜粋。
「ジャック・ジョンスンのテーマ」であるということはその当時は分らなかった。1985年の来日公演の一曲目でそれをやって、その冒頭でバンドが70年録音の「ライト・オフ」でジョン・マクラフリンが繰返し弾くリフを演奏し、それに続いて中盤で「スピーク」のリフが出てくるので気が付いた。

もちろん1985年の来日公演直前に出た当時の最新作『ユア・アンダー・アレスト』の一曲目「ワン・フォーン・コール/ストリート・シーンズ」が「ジャック・ジョンスンのテーマ」に基づくものというかそのまんまで、同年の来日公演でもそれをそのままやっただけ。87年までそれを続けて使っていた。
油井正一さんは『ジャズの歴史物語』のなかで、『ジャック・ジョンスン』がロック的なのはサウンドトラック盤だから例外なのだと書いているけど、あれはサントラとして録音されたものでもないし、「ライト・オフ」は1970年代のライヴでもよく演奏していた(『アガルタ』二枚目冒頭もこれ)し、復帰後もそうやって約三年間も常用していたのだったから。

それで分ったことだが『スター・ピープル』の「スピーク」でテーマみたいになっているリフは、元はライヴ・ステージでギターのジョン・スコフィールドが即興で弾いたメロディをそのまま転用しているだけだった。そして「スピーク」で聴ける彼のギター・ソロの一部をその後再びリフにして使っている。

この頃からのマイルスの曲には「作曲」というよりそうやってライヴ・ステージでサイドメンが即興で演奏したメロディの一部をそのまま転用して曲のテーマというかリフにしているものがかなり増えている。全ての公式アルバムと相当数のライヴ・ブート音源を聴き、復帰後の来日公演も東京分は全部行ったから分る。

一例を挙げれば1996年になってリリースされたマイルスの晩年1988〜91年のライヴ音源セレクト集『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』その他各種で頻繁に聴ける「リンクル」という曲。これは元々『スター・ピープル』ラストの「スター・オン・シシリー」に他ならない。テンポを変えたりはしているけど。

だから1988年の東京公演でこれを生で聴いた時に、「スター・オン・シシリー」をやっていると僕は思ったんだけど、公式ライヴ・アルバムが出てみると全て「リンクル」という曲名になっているからアレッ?と思ったのだった。ってことはマイルスは自身のライヴ録音のテープをよく聴いていたということだ。

実際『スイングジャーナル』誌かなにかで読んだのだったと記憶しているけど、1985年の来日公演の際、前日のライヴを録音したテープをホテルの部屋で一緒に聴きながら、甥で当時のドラマーのヴィンス・ウィルバーンに「どうしてお前はここをこう叩けないんだ?」と、コップの水をかけながら<教育>していたということだった。

マイルスは(主に1975年の隠遁まで)「オレは過去を決して振返らない」などと頻繁に語っているけど、実はそんなことは全然なくて、先ほど書いたように1958年の「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」を81年のカム・バック・バンドでやったり、70年の「ジャック・ジョンスンのテーマ」を84〜87年に使ったり。

話を戻して1983年の『スター・ピープル』。B面一曲目のストレート・ブルーズだけでなく、A面二曲目の「イット・ゲッツ・ベター」も完全にブルーズだ。ジョン・スコーフィールドが気怠い感じのブルージーなギターを弾く。ギターが二本入っていることになっているけど一本しか聞えない。
アルバムの中ではB面二曲目の「ユー&アイ」だけが1983年当時としてはかなり異色なポップ・ソングで、最初はどうしてこんなのが入っているんだろうと思っていた。今聴くとそんなに悪くもないように思えるけどリリース当時は嫌いだった。これは87/88年頃のライヴでよくやった「ミー&ユー」とは全く別の曲。
アルバム・ラストの「スター・オン・シシリー」は当時も今もどこにも書いていないけれど、ギル・エヴァンスがアレンジで協力していることが判明している。シシリーとはご存知当時の妻シシリー・タイスンのこと。音楽ファン以外にはマイルスより『ルーツ』のシシリーの方がはるかに有名人だろう。

なんたってシシリー出演の『ルーツ』シリーズは日本の地上波テレビでも放映していたもんね。僕も高校生の頃(?)に自宅で見たような記憶がうっすらと残っているくらいだ。なおマイルスは1960年代末ベティ・メイブリーと付き合いはじめる前にもシシリーと付合っていて、ご存知67年の『ソーサラー』のジャケ写が彼女だ。

「スター・オン・シシリー」を聴くと中盤から終盤にかけてバンド・メンバーが何度かユニゾンで演奏するリフが出てきて、譜面なしでは若干難しいような感じなので、おそらくそこをギルがアレンジしたんだろう。翌1984年の『デコイ』の「ザッツ・ライト」でもそういう部分があってやはりギルのアレンジだ。
1973年以来続いたギター中心のレギュラー・バンド編成はこの『スター・ピープル』が最後になった。次作84年の『デコイ』からはシンセサイザー奏者のロバート・アーヴィング III が大々的に参加して、以前のように鍵盤楽器中心のサウンド創りに戻ることになる。このことは以前詳説したので。
そんなわけでギター・バンド時代のマイルス・ミュージックこそが彼の音楽的生涯では一番好き(特に1973〜75年)な僕にとっては、『スター・ピープル』はそんな時代のラストを締め括るものとして今でもよく聴く。特にアルバム・タイトル曲の長尺ブルーズはマイク・スターンのギター・ソロもなかなかいいんだよね。

2016/05/05

スタジオ音楽のライヴ感

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ライヴ・ミュージックこそ最高だとは思うものの、スタジオでの密室作業で多重録音を繰返して創り込まれたアルバムというのも結構好きなのだ。1966年以後のビートルズとか、『エイジャ』以後のスティーリー・ダンとか、多くの場合のプリンスとかね。結構そういうファン多いんじゃないかな。

当然のことながらこういうことが可能になったのはスタジオ録音技術の進歩(?)によってであって、僕の知る限り多くなってくるのは1960年代半ば以後だ。だいたい一つの楽器しかできないという人の方が案外少なくて、大抵いろんな楽器をこなせるもんね。

僕の知る限り、米英ポピュラー音楽で使われるほぼ全ての楽器をこなせるというのはポール・マッカートニーが走りじゃないかなあ。ベーシストとして出発したポールだけど、それはいわばじゃんけんに負けてそうなったようなもんで、元はギタリスト。本格的にじゃなければアマチュアだってみんな両方できる。普通の四弦エレベはレギュラー・チューニングのギターの低音四弦のそのままオクターブ下だからね。

ビートルズ時代の初期からクレジットされることは少なかったけどかなりギターも弾いている(しかも最初は四人のなかでは一番上手い)し、ファンもみんな昔からそれを知っていた。ピアノを弾く曲も多いのも全員知っているし、さらにドラムスを担当したものもある。サックスなどができるかどうかは知らない。

ヴォーカル、ギター、ベース、ピアノ(など鍵盤)、ドラムス、これら全部一人でできちゃうわけだから、ポール一人でロック系音楽は大抵なんでも録音できちゃうことになる。実際ビートルズ解散後の初ソロ作である1970年の『マッカートニー』は彼の一人多重録音で全ての楽器を演奏し歌って仕上げたアルバム。

ビートルズの場合1966年にライヴ・ツアーを辞めることを宣言し、その後は一部を除き完全にスタジオ・ワークによるアルバム発表のみということになって以後、そういった多重録音を駆使するようになる。ポピュラー音楽の世界ではかなり早い例だろう。

1968年の二枚組『ホワイト・アルバム』はそのようなスタジオ密室作業での多重録音が最も活用されているアルバムじゃないかなあ。この頃既に四人のメンバーがバラバラになりつつあったせいもあって、スタジオで顔を合せて同時に音を出す機会がかなり減ってしまったせいもあるんだろう。

録音中に一時的なリンゴ脱退騒動もあったため、冒頭の「バック・イン・ジ・USSR」と「ディア・プルーデンス」でドラムスを叩いているのはやはりポールだ。続く三曲目の「グラス・オニオン」でのリンゴのドラムスと比較すると違いがはっきりしているので、予備知識なしで聴いて分る人も多いはず。

ファンからはイマイチな評価らしいその二曲でのポールのドラムスだけど、僕は案外好きなんだよなあ。上手いよねえ。ビートルズ解散後のリンゴもこれら二曲でのポールのドラムスを褒めていた。それでも「グラス・オニオン」冒頭でのスネアがバンバンと鳴るのを聴くと安心するのも事実ではあるけれど。

『ホワイト・アルバム』ではこれはほんの一例で、メンバーが同時に音を出して録音することが少なくて、例えば「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」でもジョンのヴォーカルはリズム・トラックが(それも多重録音の末)完成した後にオーヴァー・ダビングされているため、一瞬間が空く部分がある。以前も書いたね。

『ホワイト・アルバム』の場合僕がやや不思議に思うのは、そんな具合でメンバー四人がバラバラの状態で製作されたアルバムであるにもかかわらず、仕上った作品を聴くと奇妙な一体感というかバンドとしての統一的なグルーヴがはっきり存在しているのが聞取れることだ。デビュー当時の作品に近い質感なんだよなあ。

そのあたりがやはり一流のビートルズ・マジックだったんだろうなあ。リリースはラストになったけど録音順なら『ホワイト・アルバム』の次になる『レット・イット・ビー』の方が、スタジオでもあるいはルーフ・トップ・コンサートでも同時に演奏している部分が多いのに逆の印象だもんなあ。

レコード・デビューが1969年だったレッド・ツェッペリンになると、(主に)ギターの多重録音ばっかりで、オーヴァー・ダビングしまくった結果ライヴでは再現不能と当時言われた曲もかなりある。その一例である『プレゼンス』の「アキレス最後の戦い」もなんとかライヴでやってはいるけども。

『聖なる館』一曲目の「永遠の詩」もそうで、ライヴ・ヴァージョンは僕の耳にはやや残念な結果になっているように聞える。それでもなんとかギターの多重録音パートをライヴでギター一本の生演奏で再現できているのは、なにを弾きなにを弾かないかというジミー・ペイジのアレンジ能力の賜物だ。

僕が音楽家ジミー・ペイジを一番高く評価する部分が、そのアレンジ/プロデュース能力で、さらに天才的なリフ・メイカー能力と相俟って、レッド・ツェッペリンを成功に導いた最大の原因だったんじゃないかと思う。ギター演奏能力だけなら一部を除きはっきり言ってあまり面白くは聞えない人だ。

ライヴで再現不能なスタジオ・ワークを後年のライヴで再現しているという点では、スティーリー・ダンなんかもそうだよね。彼らの場合1977年頃にライヴ・ツアーから引退し、その後の『エイジャ』と『ガウチョ』はドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカー二人だけのプロジェクトになっている。

そして様々な(ジャズ系やフュージョン系の)セッション・ミュージシャンを大量に起用して、スタジオでの密室作業で多重録音を繰返し録音後の編集作業にも徹底的にこだわった結果が『エイジャ』と『ガウチョ』になった。そのためこの二作収録曲は当時はライヴ演奏は不可能だと言われていた。

しかしながら以前も書いたけど、1993/94年のツアーで再結成したスティーリー・ダン(といっても、正式メンバーのフェイゲンとベッカー以外は全員セッション・ミュージシャン)が、それら二作の収録曲を見事に再現しているのを95年リリースの『アライヴ・イン・アメリカ』で聴いて驚いた。

スティーリー・ダンの93/94年ツアーの場合は、先に書いたレッド・ツェッペリンの場合とは違って、スタジオ密室作業で完成させた曲群をそのまま完璧以上にライヴ演奏しているのが凄い。ミュージシャンの演奏能力がかなり進歩したことと、大量のミュージシャンをライヴでも起用しているせいだね。

『アライヴ・イン・アメリカ』附属のブックレットのなかで、なぜ再びライヴ・ツアーをやろうと思ったのかという問いに、ドナルド・フェイゲンが「バビロン・シスターズ」がライヴ・ステージでどう響くか聴いてみたかったからだと書いている。聴いてみると『ガウチョ』ヴァージョンに劣らない出来だ。

そしてライヴで自然発生的なナチュラルなグルーヴ感を伴って演奏されている『エイジャ』『ガウチョ』からの曲を聴いて、改めてこのスタジオ・アルバム二作を聴き返すと、同様のグルーヴ感が存在しているのに気付く。それまでスタジオ密室作業で完成させたものという先入観で聴いていたけどね。

全員同時に一斉に音を出す一回性のパフォーマンスにあるようなナチュラルなフィーリングを、多重録音を繰返すスタジオ密室作業で仕上げた作品にも感じられるように創り上げるというのが、現代の秀でたミュージシャンの優れたゆえんなのだろう。一人だけの多重録音で創ったアルバムが多いプリンスも同じだ。

そういったスタジオ録音でライヴ同様の自然発生的なグルーヴ感を出せるといえば、クラシック音楽のグレン・グールドにも似たようなものを僕は感じる。彼の場合ある時期以後かなり積極的に演奏会を嫌ってスタジオ録音に徹するようになるけど、彼が例えばピアノでやるバッハの『平均律クラヴィーア曲集』などにはライヴなグルーヴ感があるもんね。クラシック音楽を形容するのに、グルーヴ感とかノリとかいう表現もどうかとは思うけれども。

2016/05/04

UAさん、ジャズではなく島唄を歌ってください

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僕のブログをお読みになる方でファンは少ないように思うし、普段の記事内容からしても意外に思われそうだけど、日本人歌手UAが僕はかなり好き。いや、正確に言うと好きだったという過去形になってしまうけれど。熱心なジャズ・ファンだから腕利きの気鋭日本人ジャズメンと全面合体したのが好きなんだろうと誤解されそうだけどね。

すなわち2004年の『SUN』、その続編にしてライヴ版ともいうべき同年の『la』、そしてUA x 菊地成孔名義でリリースされた2006年の『cure jazz』の三つ。それらは最後のを除けば嫌いではない。というかリリース当時は非常によく聴いていて、こりゃ凄いやと感心しきりだった。

UA x 菊地成孔の『cure jazz』だけは一回聴いてダメだこりゃ!一体全体こんなものどこがいいんだ?!と二・三回聴いてそのまま放り出したまま現在に至る。この文章を書くために久々に渋々引っ張り出して聴直してみたけれど、やっぱりこれは全然ダメだね。UAも菊地成孔も死んでいるよ。

『cure jazz』はジャズ・スタンダードを中心に歌っているので、UAの音楽にあまり縁のないジャズ・ファンは聴く人が結構いるのかもしれない。案外好評だったんだろう、その証拠に続編ライヴ盤『cure jazz reunion』が2014年にリリースされている。僕はもう興味ゼロだから買うわけもない。

『cure jazz』は英語で歌っているのも良くないんじゃないかと個人的には思う。UAの英語詞の発音がちょっとねえ。ジャンルを問わず上手くない英語で歌う英語圏の人間ではない歌手の歌はあまり好きではなく、それはユッスー・ンドゥールなどの場合でも全く同じ気持なのだ。

大学生の頃からずっとそうで、ある時それは発音が下手だとなにを歌っているのか歌詞の意味が伝わりにくいという、いわばコミュニケーションの問題だろうと指摘されたことがあるんだけど、全然違うんだよね。何度も繰返しているように歌詞の意味の伝達とかはどうでもいいと思っている人間だからね、僕は。

そういうコミュニケーションの問題ではなく(もしそれだけを言うのであれば、UAの英語もユッスーの英語も意味は伝わってくるから問題ない)、僕にとってちゃんとした発音で歌ってほしいというのはもっと別の、いわば<音楽的審美性>の問題なのだ。美しい響きに聞えるかどうかという問題なんだよね。

大学生の頃だったかなあ、阿川泰子とかその他は全員名前すら忘れてしまったが、スタンダード・ジャズを歌う日本人女性歌手が人気があって、ありゃまあ一種のバブルみたいなもんだったんだろうなあ。僕は自分で一枚もレコードなんか買うわけもなかったけれど、持っている友人宅でいくつか聴いたことはある。

そうしたら、まあみなさんまだ存命で活躍中だからあんまり露骨に悪口を言うのもアレかもしれないけれど、阿川泰子にしろその他にしろ、全員どうにも聴けたもんじゃなかった。英語の発音もダメだったけれど、それ以上に全体的にコジャレたサウンドがかったるくて。まあでも人気あったんだよなあ。

UAの場合はそういう一種の一過性の流行、ブームみたいなものに乗っかってジャズメンと共演したり『cure jazz』みたいなストレートなジャズ・アルバムを創ったわけではないから、まだ彼女の姿勢は買うんだけれど、聴いたらやっぱり全然面白くないから、こればっかりはどうにもならんよなあ。

なお菊地成孔というジャズマン、彼の音楽作品には面白いものがあって僕も好きなんだけど、彼はよく発言するよね。インタヴューに答えたりするのは古今東西誰だってごく当り前のことだけど、菊地は自分で文章を書いてネット上に公表したり、単行本にしたり。あれはやめた方がいいように個人的には思っている。

菊地成孔の文章はまず日本語の文体がダメで表現が下手くそで読むに耐えないし、内容も全然面白くなくて、あれでは彼の音楽を面白いと思ってせっかくCDを買ったりライヴに足を運んだりするファンにとっては完全に失望もので、あんなのではかえって彼の音楽のファンが減っちゃうんじゃないだろうか?

例の大部なマイルス本だって「ミスティフィカシオン」なんて用語をなんの予備説明もなしに使うなどやたらと衒学的で、その衒学の化けの皮を剥がしくぐり抜けて正味だけをよく読むと、マイルス・ファンならみんなよく知っている当り前のことしか書いてなくて、およそなんの価値もない本だったもん。

だからせっかく音楽作品には面白いものがあるんだから、その魅力をより多くの音楽ファンに届けるためには、菊地成孔は文章を書くのをやめてしまうべきだと個人的には思う。まあでもホント彼の音楽は僕は好きだよ。サックス演奏だっていいと思うし、アレンジを書く能力だって素晴しいと思っている。

『cure jazz』はダメだけれど、その菊地成孔がその前の『SUN』と『la』でもサックスとホーン・アレンジで参加している。これはなかなか面白くて、書いたようにリリース当時は凄い凄い、UAはとうとうこんなところまで来ちゃったんだと感心して繰返し聴いていた。大傑作だと思っていた。

今冷静になってじっくり聴直すと、特にスタジオ作の『SUN』の方は良さが分らない。菊地成孔だけでなくウッド・ベースの鈴木正人、外山明のドラムスなど、その他大勢のジャズやジャズ系ミュージシャンが参加していて、音の感触もかなり抽象的でフリー・ジャズな雰囲気。だけど今の僕は好きじゃない。

なんというのかなあ、『SUN』はちょっと抽象的になりすぎているような気がするんだよね。もっと明快なポップ・シンガーだったのに、どうしてこういうフリー・ジャズ路線に進んんだんだろう?吉田大吉と立石潤三がインド〜アラブ系楽器で参加の三曲目「ファティマとセミラ」だってあんまり面白くない。

また五曲目の「papito」はジャワの典雅なガムランそっくりなサウンドで、実際青銅ガムラン奏者が参加。またUAの歌には歌詞がなく全編スキャット。他の曲もどれもこれも抽象的なフリー・ジャズがベースで、それに環境音楽的なアンビエント風味を足したいわばヒーリング・ミュージックみたいなもので、フワフワと漂うUAの歌が貧弱に聞えて、しかし心地良くはないから癒しにもなりゃしない。

どうもUAとしてはビョークの『ヴェスパタイン』みたいなものを創りたかったんじゃないかなあ。アルバム・ジャケット(上掲左)がもうモロそのまんまソックリだし。仮にそうだとしたら、ものの見事にズッコケているとしか思えない。

それに比べたら同じようなメンツでやった続編的ライヴ盤『la』はまだいいと今でも思う。やはりサックスとホーン・アレンジ担当で音楽監督的な菊地成孔、ウッド・ベースの鈴木正人、ドラムスの外山明は全く同じで、そこにギターで内橋和久やその他二名のやはりジャズ・ミュージシャンが参加している。

『la』の方も定常ビートのない曲が多いんだけど、これはライヴ録音(東京、奄美、沖縄など五箇所での録音を編集している)だということもあってか、明快なグルーヴ感があるもんね。あとUAのデビュー当時の初期曲もかなり混じっているのも個人的はポイントが高い。アレンジはやはりジャジーだけどね。

「情熱」とか「スカートの砂」とか「雲がちぎれる時」とか「TORO」(これは初期ではなく『AMETORA』から)とか、僕はその頃のUAの大ファンだったからね。それが気鋭のジャズメンのアレンジと演奏でどう化けているのか、聴く前から非常に楽しみだったのだ。出来上りは結構悪くないんだ。

UA最初期のシングル曲の一つ「情熱」のオリジナル・ヴァージョンはYouTubeには上がっていない。ヒットしたものだから、僕が上げてもきっとすぐに再生不可になるに違いないから、UAに馴染のないファンにちょっと試聴していただくわけにいかないのが残念。ソウルフルでポップな一曲なのだ。

『la』ヴァージョンの「情熱」も定常ビートのグルーヴがある。土台になっているのは鈴木正人のウッド・ベース。この初期のヒット曲をまさかウッド・ベースの奏でるビートに乗って歌うことになるとはUA自身想像しなかったことだろう。その他菊地成孔アレンジのホーン群のリフがいい感じで入る。

あるいはやはり初期曲「雲がちぎれる時」も「情熱」同様、デビュー二作目の1997年のライヴ盤『FINE FEATHERS MAKE FINE BIRDS』と『la』の両方に入っているので聴き比べるとかなり面白い。後者ではホーン・アンサンブルではじまって、それが鳴り続けているままその上に乗ってUAが歌い進む。ベースとドラムスは入らない。

また『la』に入っている「TORO」。これは書いたように1998年の傑作『AMETORA』からの曲だけど、これだけは最初からジャジーなアレンジだった。ジャジーというよりそのまんまスウィング・ジャズのビッグ・バンド・スタイルな管楽器アンサンブルと4ビートに乗ってUAが歌うという一曲。

おそらくその1998年の「TORO」がUAがジャズに接近した最初だったんじゃないかなあ。テナーとフルートがなんとあのフランク・ウェスで、トロンボーンがクリフトン・アンダースン、ピアノがマルグリュー・ミラーだもんなあ。アルバムではその次の「貴方の一番好きな歌」も同じメンツによる同じようなジャズ曲。

『AMETORA』にある「アントニオの唄」はボサ・ノーヴァ風ナンバーで、しかし聞えるアクースティック・ギターがスティール弦の音で、こういうのにはナイロン弦の音色の方が似合うのに誰が弾いているんだろうとブックレットを見たら、憂歌団の内田勘太郎なんだよね。曲のプロデュースも憂歌団になっている。

今にして思えばUAのベスト作だっただろうと思う『AMETORA』。しかし僕が一番好きなのはそういうジャズやボサ・ノーヴァ風なものではなく、13曲目の「ミルクティー」だ。2014年の自転車事故で大変なことになっている朝本浩文の創るデジタル・ビートが気持いい。朝本はデビューからこの頃までのUA最大の貢献者だった。

なお曲単位だけで言えば、『la』に一曲だけ収録されている奄美文化センターでのライヴ収録である奄美の島唄「太陽ぬ落てぃまぐれ節」が今の僕には一番グッと来るもの。UAは母親が奄美大島出身だし、当地でのコンサートにこれを選んだんだろうなあ。

その「太陽ぬ落てぃまぐれ節」ではUAが強靱で張りのある声でグリグリとコブシを廻して素晴しい。後半バンドの演奏も入ってくるけれど、最後まで無伴奏だった方がもっと良かった。こういう唄が歌えるんだから、ジャズとかじゃなく島唄を歌ってほしい。そうしたらまた喜んでUAのCDを買うよ!

2016/05/03

アリサの歌うロック・ナンバー

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ソウル歌手がロック系のポップ・ソングを歌っているのは好きなものがあまりなくて、例えばウィルスン・ピケットやオーティス・レディングによるビートルズ・ナンバーやローリング・ストーンズ・ナンバーなどはちょっと遠慮したい気分。アレンジも歌い方も少し暑苦しいような気がするんだよなあ。

一番最初に聴いたのは大学生の時に買ったなんだったか忘れたけどオーティス・レディングの欧州でのライヴ盤にあったビートルズやストーンズ・ナンバーだった。調べてみたらおそらく『ライヴ・イン・ユーロップ』だろうなあ。「サティスファクション」と「デイ・トリッパー」をやっているから多分これ。

オーティス・レディングは他にもいろいろとビートルズやストーンズ・ナンバーを歌っていて、「ア・ハード・デイズ・ナイト」とかもやっているし「サティスファクション」や「デイ・トリッパー」も含め、ライヴでは頻繁に歌っているから一種の同時代的な共感があったんだろうなあ。

しかし大学生の時に初めて聴いた時から、ビートルズやストーンズのオリジナルはカッコイイのにオーティスのはカッコよくないというんじゃないんだけど、やはりどうもちょっと暑苦しく感じていて、それは今CDで聴直しても同じような印象がある。もっとこうなんというかスマートにやってほしい。

またウィルスン・ピケットによるビートルズの「ヘイ・ジュード」。ポール・マッカートニーが歌うとあんなに魅力的な曲なのに、これは個人的には聴くのがちょっとしんどい。これを聴くのはデュエイン・オールマンのギターを聴きたい時だけなんだなあ。
というのも僕がこのウィルスン・ピケットの「ヘイ・ジュード」を初めて聴いたのが他ならぬデュエイン・オールマンの『アン・アンソロジー』という二枚組でだったのだ。デュエインが大好きだからオールマン・ブラザーズ・バンド以前のセッション音源を聴いてみたいと思っただけなのだ。

デュエインはみなさんご存知の通りオールマン・ジョイズとアワー・グラスという二つの前身バンド時代があって、そのアワー・グラスでの録音をマスル・ショールズのフェイム・スタジオで行ったのがリック・ホールの耳にとまり、しばらく同スタジオで多くのレコーディング・セッションをこなしている。

といっても『アン・アンソロジー』には前述のウィルスン・ピケットの「ヘイ・ジュード」(これのギター・プレイがアトランティックのジェリー・ウェクスラーを魅了したらしい)やアリサ(本当は「アリーサ」)・フランクリンの「ザ・ウェイト」やクラレンス・カーターの「ザ・ロード・オヴ・ラヴ」などしか収録されていないけれど。

その他かなりの量のスタジオ・セッションをやっているみたいだねデュエインは。僕はあまり聴いていない。『アン・アンソロジー』は1972年のレコードだけど、僕は何年だったかのCDで初めて買って聴いてみた。ボズ・スキャグズの「ローン・ミー・ア・ダイム」もこれで初めて聴いたなあ。

一番感心したのはアリサ・フランクリンの歌う「ザ・ウェイト」でのスライド・プレイだなあ。これは昔も今も大好き。収録アルバムは1970年の『ディス・ガールズ・イン・ラヴ・ウィズ・ユー』だということが調べて分ったけれど、しばらく買わなかった。アリサは他にも何曲もロック・ナンバーがあるのにねえ。

そしてアリサが歌うロック・ナンバーは他の多くのソウル歌手とは違ってかなり好きなんだよね。スタジオ録音のオリジナル・アルバムにも前述の『ディス・ガールズ・イン・ラヴ・ウィズ・ユー』はじめいろいろやっているのがあるけれど、まとめて聴けるのが例の1971年フィルモア・ライヴだ。

以前から書いているように、アリサに関してはアトランティック時代よりもそれ以前のジャズなどを歌っていたコロンビア時代の方が好みである僕だけど、1971年フィルモア・ウェストでのライヴ盤だけは例外的に昔からかなり好きでよく聴いてきた。だって凄すぎるというかカッコよすぎるもんねえ。

僕がライヴ・アルバム好きということも理由の一つなんだろう。もっともオリジナルLPには10曲しか入っていなかったが、既にそのなかにロック・ナンバー「ラヴ・ザ・ワン・ユア・ウィズ」「明日に架ける橋」「エリナ・リグビー」があって、これら三曲がこの時のフィルモアで歌ったロック・ナンバーの全部だ。

そして三曲とも素晴しい。「ラヴ・ザ・ワン・ユア・ウィズ」はスティーヴン・スティルスの曲で1970年リリース。黒人歌手ではアイズレー・ブラザーズもカヴァーしているし、94年にはルーサー・ヴァンドロスもやっている。オリジナルはこれ。
アクースティック・ギターではじまるけれど、ゴスペル・クワイア風のコーラスと途中からオルガンも入ってやや黒いというかゴスペル・フィーリングも少し感じるようなものだから、黒人歌手がカヴァーしても当然だね。アリサだってゴスペル出身だし本格デビュー後もゴスペル・フィーリングが強い歌手。

アリサは1971年フィルモア・ライヴで「ラヴ・ザ・ワン・ユア・ウィズ」を3/5〜7までの三日間で毎日歌っているから、ライノの四枚組完全盤にも三つ全部入っている。まあだいたい似たような内容だけどね。3/5のパフォーマンスはこれ。
いいよねえ。スティルス・ヴァージョンに元からあったゴスペル・フィーリングを大幅に拡大したような解釈で、ゴスペル・ベースのアーシーなビリー・プレストンのオルガン含めバック・バンドの演奏もバック・コーラスもいい。3/6のも3/7のもどれも全部似た感じで素晴しいんだよね。

サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」もフィルモアの三日間毎日計三回歌っている。この曲もポール・サイモンが最初からゴスペルを強く意識したような曲創りをしたもので、オリジナル・ヴァージョンの仕上りもそうなっているから、アリサが採り上げるのも全然不思議でもない。

アリサのフィルモア・ヴァージョンの「明日に架ける橋」でもオルガンが聞えるからこれもビリー・プレストンだろうけど、アクースティック・ピアノの音も聞えるから、それはおそらくアリサ自身が弾いているんだろう。
YouTubeで探したらこういうライヴ・ヴァージョンも見つかった。 これにははっきりとアリサがピアノを弾きながら「明日に架ける橋」を歌う様子が映っている。アリサの容貌からして最近のものだと思ったら、2011年だと明記されている。まあ最近か(笑)。
アリサのフィルモア・ライヴにもう一曲あるロック・ナンバーの「エリナ・リグビー」は、ビートルズのオリジナルはご存知の通りストリングスの伴奏だけでポール・マッカートニーが歌うもので、黒人音楽風なところを僕は全く感じないから、アリサが歌うのはやや意外な感じが聴く前はしていた。

しかし「エリナ・リグビー」もアリサ・ヴァージョンはゴスペル・タッチのソウルフルなナンバーに生れ変わっていてかなりチャーミングだ。これも三日ともやっているんだけど、これに関しては3/6のヴァージョンが一番いいように思う。
これは映像にはっきりとアリサがフェンダー・ローズを弾きながら歌っているのが映っているよね。それもかなりファンキーだしバーナード・パーディーのドラミングも超カッコイイ。あのビートルズ・ナンバーがこんな感じに仕上るとはちょっとした驚きだけど聴応えがあるね。三分もないのだけが残念。

アリサの1971年フィルモア・ライヴ。ソウル関係の文章の読込みが足りないせいで一般的な評価はよく分っていないんだけど、やはりソウル・ナンバー、なかでもレイ・チャールズが客演している3/7の「スピリット・イン・ザ・ダーク」の19分もあるヴァージョンがクライマックスなんだろう。

そういうのはやはり何度聴いても最高だと思うんだけど、ロック・ナンバーをゴスペル・タッチなソウル・ナンバーに仕立て上げて歌うアリサとキング・カーティスのバック・バンドも素晴しいと感じるんだよね。最初に書いた通りソウル歌手が歌うロック・ナンバーはやや暑苦しくてあまり好きじゃないんだけど、アリサは最高だよ。

2016/05/02

なにをやってもラテン・ファンクになるドクター・ジョンのライヴは最高だ

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ドクター・ジョンってキャリアの長さのわりにはライヴ盤が少ないような気がするんだけど、僕も持っているのは『トリッピン・ライヴ』と『ライヴ・アット・モントルー 1995』の二つだけ。おそらく他にももっとあるんだろうけれど、この二つのうちでは断然後者モントルー・ライヴの方が楽しい。

『ライヴ・アット・モントルー 1995』はタイトル通り95年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのパフォーマンス。主役の他、ギター、ベース、ドラムス、パーカッション、トランペット、サックス二本。このバンドがもう最高なんだなあ。サックスの一人はテナーのアルヴィン・レッド・タイラーだ。

アルヴィン・レッド・タイラーは、僕が1995年前後に現地ニューオーリンズのライヴハウスでドクター・ジョンのライヴを観た時にもステージ上にいて生を聴いた。そしてこの時のライヴが素晴しくて強く印象に残っているんだけど、『ライヴ・アット・モントルー 1995』はその感触にかなり近い。

その時のニューオーリンズでのライヴも『ライヴ・アット・モントルー 1995』も、一曲目がお馴染み「アイコ・アイコ」。前者ではグッと重心を落したヘヴィーなファンク・ナンバーになっていた記憶だけど、後者モントルー・ライヴでも全く同じだ。
今貼った映像は、このモントルー・ライヴはDVDでも出ているのでそこからのものだ。ご覧になればお分りの通り、バンドが演奏するなかドクター・ジョンがゆっくりと踊りながらピアノのところまで歩み出てきて、ピアノを弾き出し歌い出すとういう趣向は、僕がニューオーリンズで観たのと同じ。

それにしてもこの「アイコ・アイコ」のグルーヴ感はどうだ。最高に楽しいじゃないか。『ガンボ』でやっていた時のような3−2クラーベのラテンな感触は薄くなっているけれど、ファンク・ミュージックとしてはこの1995年モントルー・ライヴの方がはるかにグルーヴィーでカッコイイ。腰が動くね。

テナーのアルヴィン・レッド・タイラーのソロ、続いてロニー・キューバーのバリトン・ソロ、トランペット・ソロ、ギター・ソロになる。ギターはやはりニューオーリンズ現地で観たのと同じボビー・ブルームだよね。ボビー・ブルームはマイルス・デイヴィス・バンドでも一時期弾いたので、名前だけは前々から知っていた。

要するに『ライヴ・アット・モントルー 1995』はほぼ同じ頃にニューオーリンズの小さなライヴハウスで僕が体験したライヴの記憶に一番近いサウンドで、それを時々思い出す程度で実際の音はCDなどでは聴けなかったのが、2005年になってようやくこのモントルー・ライヴが出たというわけだ。

そりゃもう嬉しかったね。しかしこんなに素晴しい内容のライヴを1995年に録音しておきながら、どうしてそれを2005年までリリースしなかったんだろうなあ。そのへんはちょっと不思議だ。またスタジオ作品だけど僕の大好きな1999年の『デューク・エレガント』、あれの感触にもかなり近い。

ドクター・ジョンの最高傑作は『ガンボ』か『イン・ザ・ライト・プレイス』になると思うんだけど、個人的な好みだけなら断然そのデューク・エリントン曲集『デューク・エレガント』がナンバー・ワンなのだ。エリントンのスウィング・ナンバーがファンク・チューンに化けているからねえ。

『デューク・エレガント』を聴いた時は、ああ〜そうかぁエリントンの言う「スウィング」とは今の時代で言えば要するに「ファンク」のことなんだなと一人で勝手に納得して内心嬉しくてたまらなかった。エリントン・ミュージックの本質的先進性とドクター・ジョンの解釈の見事さにも唸ってしまった。

『デューク・エレガント』のバック・バンドも、ボビー・ブルームのギター、デイヴィッド・バラードのベース(トゥー・ファンキー!)、ハーマン・アーネスト III のドラムスにロニー・キューバーのバリトン・サックスが入るという編成で、全員『ライヴ・アット・モントルー 1995』にも参加している。

だから僕の好きな『デューク・エレガント』と『ライヴ・アット・モントルー 1995』のサウンドがソックリなのもこれまた当然だろうね。ってことはその頃(正確に何年だったのかは完全に忘れた)ニューオーリンズ現地で僕が観たライヴも同じサウンドだった記憶だから同じバンドだったかも。

『ライヴ・アット・モントルー 1995』のバンド・メンバーのなかで一番感心するのは、ドラマーのハーマン・アーネスト III の叩出すヘヴィーなファンク・グルーヴだ。さきほど貼った「アイコ・アイコ」でも充分分るはずだけど、さらにもっとよく分るのが七曲目の「ライト・プレイス、ロング・タイム」だね。
なんなんだこのドラムスのカッコよさは!?元々1973年の『イン・ザ・ライト・プレイス』一曲目がオリジナルで、そこではミーターズがバック・バンドだから当然ドラマーはジガブー・モデリステ。それも最高にファンキーだったけどさぁ。

そのミーターズとやったオリジナルの「ライト・プレイス、ロング・タイム」と比較しても遜色ないどころか、ひょっとしたら『ライヴ・アット・モントルー 1995』のヴァージョンはそれを超えているかも?と一瞬思ってしまうくらいだよなあ。とにかくこのハーマン・アーネスト III のドラミングには降参。

「ライト・プレイス、ロング・タイム」ではボビー・ブルームのギター・ソロもいいね。おそらくこのライヴ盤でのギター・ソロでは一番いいんじゃないかなあ。ギターといえばドクター・ジョンも一曲だけ弾いている。三曲目の「カム・オン(レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール)」。

アール・キング・ナンバーの「カム・オン」は『ガンボ』でもドクター・ジョンはギターを弾いていたし、元々ピアニストであると同時にというか先にギタリストとして出発した人だからね。『ガンボ』では「ゾーズ・ロンリー・ロンリー・ナイツ」でもギター・スリムそっくりのギター・ソロを披露する。まあこれは以前も書いたので。

『ライヴ・アット・モントルー 1995』にはジャズメンもよくやるスタンダードが三曲入っていて、「ブルー・スカイズ」「ジー・ベイビー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」「メイキン・ウーピー」。これらのうち五曲目の「ブルー・スカイズ」が出色の出来だ。完全なるラテン・ファンク調。

その「ブルー・スカイズ」は探したけれどYouTubeには上がっていないみたいだなあ。最高にカッコいいんだけどなあ。こんな「ブルー・スカイズ」は聴いたことがない。アーヴィング・バーリンが1926年に書いた古いスタンダードがこんな風になるなんて、ドクター・ジョンの解釈力はさすがだ。

「ジー・ベイビー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」は以前詳しく書いた通り(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-44de.html)僕の大好きな猥雑でスケベな古いブルーズなんだけど、『ライヴ・アット・モントルー 1995』でのドクター・ジョンもなかなかいいフィーリングで歌っている。

メドレーじゃない単独曲ではアルバム中一番長い10分以上ある九曲目の「ゴーイン・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ」はやはりお馴染みのラテン風なファンク・ナンバー。しかしこの曲こんなにもラテン風味濃厚な曲だったけなあ?と思って同名のスタジオ・アルバムを聴直したら全く同じだったよ。

1992年のスタジオ作『ゴーイン・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ』はドクター・ジョンの声が出ていないとかいろいろ言う人もいるんだけど、野心作で大変にスケールの大きな傑作だったと僕は思っている。そのアルバム・ラストに同名曲があったわけだけど、それは四分程度の短いものだからなあ。

『ライヴ・アット・モントルー 1995』では、それがホーン陣三人とギターが次々と演奏する長いソロのせいもあって10分以上の長さになっていて、しかもラテン・ファンクなグルーヴ感がたまらなく気持いいので、聴いていて全然長く感じない。後半ドラムスとパーカッションによる乱れ打ちになって賑やかで楽しい。

ルイ・アームストロングみたいになにをやらせてもジャズになってしまうという人は大好きだけど、ドクター・ジョンみたいになにをやらせても(ラテンな)ファンクになってしまうというような人も大好きだなあ。奇しくもその二人ともニューオーリンズの音楽家だよね。やはりこの土地にはなにかある。ドクター・ジョンの現在のところの最新作はサッチモ集だしね。

2016/05/01

ジャズ・ファンは古典をちゃんと聴け!

Unknown

790666

790664









ジャズ・ファンほど「古典」をリスペクトしていない音楽リスナーはいないよなあ。こう言うとみなさん「いやリスペクトしている」と言うんだけど、僕の言う「リスペクト」とはしっかり聴いているという意味だ。全ジャズ音源の約半分を占めるSP時代の録音をだ。全体の<半分>も聴いていないなんて、ジャズ・ファンだけに違いない。

ある時期以後はみなさん聴くのはビバップ以後のモダン・ジャズばかり。最近はいわゆるJTNC系など今ジャズとかいうあまり感心しない名称のものがもてはやされて、戦前の古典作品の話題なんか殆ど見掛けなくなったもんね。完全にゼロになったわけじゃないけど、よほどの好事家だけだよなあ、戦前古典作品の話をするのは。

もてはやされているいわゆるJTNC系のジャズ。その代表格のライターさんである某氏は以前ある雑誌記事で、ストライド・ピアノのことを「スライド・ピアノ」と書いていたくらい。まあ単なる誤記というかミスタイプだったんだろう。事実誤認とか誤記とかケアレスミスは誰にでもあるごく当り前のことだから、それ自体はなんでもない。

問題はその後の対応だ。あの時ネット上でも盛大にツッコまれていたけど、真剣にアドヴァイスする先輩に対してすら完全に開き直ってしまい不誠実な対応しかしなかった。「新しい」とか「進化」とかが好きらしい某氏だけど、あの一件以来個人的にはちょっと信用できなくなった。

彼は若いファンや普段ジャズにはあまり縁のなさそうな音楽リスナーにも影響力を持つようになっているようだから、そういうプロのライターさんが古典を聴こうってどんどん言ってくれないと困るのに、率先して「古いものなんて聴かないよ」と公言しちゃたりするくらいだからお先真っ暗だよ。

僕は1979年にジャズを聴始めた若い世代に入るはずだけど、それなのに戦前の古典ものばかり好きなだというのはやや珍しいというかヘンなのかもしれない。だけど79年当時はまだ『スイングジャーナル』誌などでも戦前ジャズの記事がまあまああって、そういうものを大いに参考にさせてもらった。

1979年に『スイングジャーナル』を買始めた直後に、別冊特集ムック本かなにかでジャズの名盤何百枚かをチョイスして紹介したものが出て、それにはモダン・ジャズだけではなくかなり多くの戦前古典ジャズが載っていた。戦前のルイ・アームストロングやデューク・エリントン楽団やカウント・ベイシー楽団なども載っていたよ。フレッチャー・ヘンダースン楽団も載っていたような。

その『スイングジャーナル』別冊本(題名は完全に忘れた)、ビックス・バイダーベックやエディ・コンドンやベニー・グッドマンやグレン・ミラーなどの戦前白人ジャズメンだっていろいろ載っていたしなあ。それが古本ではなく1979年頃の新刊だったんだから。あの頃の『スイングジャーナル』はまだマシだった。

今でもよく憶えているのはデューク・エリントンの推薦盤として『ザ・デューク 1940』が載っていて、これは40年のライヴ録音二枚組LP。今では『アット・ファーゴ 1940』というCDになっているもの。その紹介文でエリントンは常に40年頃のヴィクター録音ばかりあがるのでたまには違うものをとあった。

エリントンの戦前音源関連ではそれを見たのが最初だったはずだから、あがっている『ザ・デューク 1940』もさることながら、その「常に名前があがる」という40年頃のヴィクター録音の方に興味を持ったのだった。だってそんなにいつもいつも推薦されているのなら、むしろそっちを聴きたいぞと思ったのだ。

『ザ・デューク 1940』二枚組LPは簡単に買えたので即入手したけど、1940年頃のヴィクター録音はなかなか見つからず、しばらく経ってLP何枚組かで出ているけど廃盤になっているのを知ったのが悔しかった。しかしそれでもヴィクター録音の日本盤LP一枚物アンソロジーが見つかったのだった。

もはやアルバム・タイトルすら憶えていないのだが、その一枚物アンソロジーはA面に1920年代の、B面に40年代のヴィクター録音がそれぞれ収録されていて、A面は最初は良さが分らなかったけど、B面の「ジャック・ザ・ベア」「ココ」「コンチェルト・フォー・クーティー」などは一回聴いただけで大感動。

これがその後のめり込むことになる僕の戦前エリントン音源入門だった。そのヴィクター音源ベスト盤のライナーノーツ担当がこれまた油井正一さんで、そのなかで収録時間の関係でどうしても「ソリチュード」を入れられなかったのは痛恨の極み、だけど素晴しいんだから是非ボックスを買えとあった。

だけどさっき書いたようにそのボックスは僕の知る限りでは1979年には入手できなかったなあ。その一枚物ベスト盤も1979年より前に出たものだったに違いない。その油井さんの言うヴィクター音源ボックスはしばらくして通い始めるジャズ喫茶、何度も言及している戦前ジャズしかかけない店ケリーでようやく聴けた。

もっともケリーにあったそのエリントンRCAボックスも他の店からパクったものらしいんだけどね。というのも僕の大学院合格祝いと東京行きの餞別としてほしいレコードをなんでも一つあげるよと言われて、駄目元でそれを言ってみたらいいよとなり、もらった箱の中を見てみたら、よく知っている松山の他のジャズ喫茶のハンコが押してあったもんね(笑)。

その店とケリーとはレコードをもらったり貸借りするような関係ではなかったはずだからパクったんだろう。店番をすることはあったらしいから。僕だって好きなレコードをかけていいからと言われてケリーの店番をたまにやっていた。好きなレコードをかけられる(といっても店の方針に従って戦前ものだけ)というのがバイト代。入手困難なレコードをパクリはしなかったけど。

ちなみに前述の『スイングジャーナル』別冊本で推薦されている『ザ・デューク 1940』はタイトル通り40年というエリントン楽団の最盛期ライヴ録音だからもちろん素晴しかったけど、残念ながらクーティー・ウィリアムズが抜けた直後の録音だったから、それだけが残念だった。僕はクーティーの大ファンだからね。

だってエリントン楽団1940年のスタジオ録音「コンチェルト・フォー・クーティー」でこんな素晴しいジャズ・トランペッターがいるのかと大感動したんだよね。最初ミュートを付けて控目に吹きはじめ中盤でオープン・ホーンになる瞬間のパッと花が咲くような華麗さはなんとも筆舌に尽しがたい素晴しさ。

だからそういうのをライヴでも聴ければ最高だと思ったんだけどなあ。まあでもそのクーティーがいないのを除けば『ザ・デューク 1940』も素晴しいライヴ・アルバム。今でもこの(現在のタイトルは)『アット・ファーゴ 1940』こそエリントン楽団のライヴ・アルバムのベストに違いない。

そんな具合で1979年に僕がジャズを熱心に聴始めた当時はまだこういう戦前古典作品を紹介する文章が結構あったんだよなあ。だから僕もそういうものやその他でいろいろと教えてもらったんだけど、それがいつ頃からかどんなジャズ・ジャーナリズムもモダン・ジャズ一辺倒になってしまった。

ジャズ系の雑誌もムック本も単行本もネット上の文章もモダン・ジャズに関するものばかりじゃないか現在は。あるいはひょっとして僕が気付いていないだけなのか分らないけど、ネット上でいろんなやり取りをしていても戦前ジャズの古典作品に興味を持って聴いているジャズ・ファンなんて殆どいないもんね。

以前もTwitterでジャズ・ドラマーの系譜みたいなことを熱心に書いている人がいて、しかしマックス・ローチ以後だけだったから「シドニー・カトレットとかはどうなりますか?」と僕が聞いたら、「それは誰ですか?あっ、戦前の人には興味ないです、モダン・ジャズだけでいいです」と言われた。まあ分っていて聞いた僕も意地悪だった。

要するに聴いておらず面白さを知らないだけなのだ。そして誰もなにも紹介しなければ一般のジャズ・ファンが興味・関心を持つはずもなくCDを買うわけもない。ソニーの洋楽担当の人を知っているという方と話をしたことがあるのだが、売上げが見込めないという理由で戦前古典ジャズのCDはリリースしないのだそうだ。

しかし売れないのは啓蒙活動・販促活動が足りていないせいじゃないのかなあ。ある時期以後現在まで戦前の古典ジャズを紹介しその面白さを語る文章はパッタリと見なくなってしまったもん。かろうじて数年前に油井正一さんの名著『ジャズの歴史物語』がアルテスパブリッシングから復刊されたのが唯一の例じゃないかなあ。

誰も新しく紹介せず面白さも伝えず、従って一般のジャズ・ファンが興味を失って、だから売上げも見込めずCDリイシューもされないまま時が過ぎれば、そのうち戦前の古典ジャズは完全に消滅して人々の記憶から抹消されてしまうかもしれない。消滅・抹消というのは大袈裟かもしれないがそんな危惧を抱く。

確かに録音が古くてSP時代の音に慣れるまでは少し時間が掛るかもしれない。モダン・ジャズから入った僕も最初はそうだった。でも耳が慣れてくるとこんなに面白い音楽はないように感じはじめた。だってさあ、録音技術が発明されてから2016年の現在に至るまで、SP時代というのは50年以上もあってつまり約半分なんだよ。約半分もあるんだよ。50%を聴いていないなんて。

ジャズやブルーズなどあるいはワールド・ミュージックその他でも古くから存在する音楽は、録音技術の商業化とほぼ同時に録音がはじまって、そして私見ではSP時代の約50年間に爛熟してピークを迎えてしまっていたんだろうと思うんだよね。すなわち全体の約半分をも占めるSP時代の音楽こそが最高なんだ。

そして本当にいいものは最低一度はCD化されているものが多い。まあ全然CD化の兆しもないものもあるけれど。さらにちっとも面白くないカスは淘汰されてLPでもCDでもリイシューされないから、SP時代の音源でCDになっているものは面白いものばかりなんだ。やはりそういうものを聴かないのはもったいないよね。

日本のものについては近年、保利透さんや毛利眞人などのぐらもくらぶが中心になって、ジャズだけでなく広く戦前の流行歌音源をどんどんCDリイシューしてくれて、それで僕も随分楽しませていただいているし一定のファンがいるみたいで嬉しい。そして保利さんも毛利さんも日本だけでなくアメリカの戦前ものも実によくお聴きであることが分る。他のライターさんたちや一般のファンの方々も付いていってほしいんだけどなあ。

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