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2016/10/07

ラリー・グレアムなデイヴ・ホランド

Milesdavisthecompletejackjohnsonses









一度か二度書いていると思うけど、ロック・リスナーの方がマイルス・デイヴィスという名前を知り興味を持って「なにか一枚オススメ盤を教えてください」と聞いてきた際には、僕は今まで必ず1971年リリースの『ジャック・ジョンスン』を推薦してきた。そして大抵の場合は成功もしてきている。

そんな『ジャック・ジョンスン』はだから非常に明快なロック・アルバムという趣なので、従来からのジャズ・ファンには評判が良くない。特にジョン・マクラフリンの弾くロック・ギター(にしか聞えない)がね。慧眼の油井正一さんですらこのアルバムは理解できず「サウンドトラック盤だから例外」と書いた。

サントラだからというのは事実誤認であるのは今ではみんな知っている。『ジャック・ジョンスン』収録音源の大半が録音された1970年4月頃には、以前も指摘したがマイルスは頻繁にスタジオ入りし、新作のためとかそんな概念すら持たず、自らのなかに湧くイメージをそのままどんどんレコーディングしていた。

だから『ジャック・ジョンスン』もそんな大量に残されたスタジオ音源集から、サントラ盤をとのオーダーを受けてテオ・マセロがピック・アップして「作品」に仕立て上げたというだけの話で、レコーディング時のマイルスとバンド連中の頭のなかに「これはサントラ用の録音」という意識など全くあるわけがなかった。

結果できあがった『ジャック・ジョンスン』を聴いて実感するのは大きく分けて二つ。一つは述べたように種々雑多なスタジオ音源集からあれだけの完成品を創り出したテオ・マセロの編集・プロデュース手腕。そしてもう一つはこの時期のマイルス・バンドのサウンドはかなりロック寄りのものだったこと。

ロック寄りだったこの時期のマイルスの音源集は、今では2003年リリースの『ザ・コンプリート・ジャック・ジョンスン・セッションズ』CD五枚組ボックス・セットでまとめて聴ける。レガシーがリリースしたこの手の「コンプリート」の名を冠したものは、例によって本当に「全部」ではないのだが。

「本当に全部」をリリースしようなどと考えだしたりしたら、僕の知っている範囲だけでもムチャクチャな量になってしまい、しかもその多くが演奏していないスタジオでの会話や演奏前の打ち合せ、簡単な音出し、ちょっとやってみてはすぐ止るような試行錯誤、そんなものばっかりではあるんだけどね。

だからそんなダラダラしたものは専門の研究・批評家かよっぽどのマイルス・マニアでないと一向に必要のないものだろう。従って真の意味ではコンプリート集ではない現行のコンプリート・ボックス・セット・シリーズで充分なはず。僕は「よっぽどのマイルス・マニア」のつもりだけど、普段聴くのはやはりそれで充分だ。

さて『ザ・コンプリート・ジャック・ジョンスン・セッションズ』五枚組収録音源は1970/2/17〜同年6/4までのもの。この時期に録音されたマイルス・ミュージックの特徴を一言で表現するならば、「ジョン・マクラフリン・ロック・ギター弾きまくり時代」ということになる。

ジョン・マクラフリンが参加していないものは、このボックス全42トラックのうちたったの5トラックだけ。しかもその5トラックは、一部が編集されて1971年11月リリースの『ライヴ・イーヴル』に収録された、あのエルメート・パスコアール参加の実に静謐なもので、僕にはちっとも面白くない。

だからそれらジョン・マクラフリンがギターを弾かずエルメート・パスコアールがヴォーカルその他のクレジットだけどなにをやっているのか分らない5トラックこそが、油井正一さんの言葉を借りれば「例外的作品」だと僕には聞える。ところでエルメートは、当時のマイルス・バンドのレギュラーだったアイアート・モレイラの紹介だったのかなあ。

ただし僕には退屈に聞えるそんなアンビエント風でスタティックなサウンドを持つ小品群は、1968年末頃からのマイルス・ミュージックにジョー・ザヴィヌルが持込んだ音楽性の継承物だったのかもしれない。既にザヴィヌル本人は1970年2月6日のセッション参加が最後になっているけれども。

それにマイルスという音楽家は元々キャリアの最初から静的な指向性も強く持っていた人物で、電気楽器と8ビート導入でどんどんファンキーでグルーヴィーになっていくと同時に、ザヴィヌルを起用して静的な作品もたくさん録音するようになった。まるでテンポがないような静まりかえったものをね。

そのあたりの1968年末頃から数年間のグルーヴ重視型かつスタティック指向みたいな両面の音楽の話は、また稿を改めてじっくり書いてみたい。今日の話は『ジャック・ジョンスン』ボックスにも5トラックだけ残っているそんな静的音楽のことではなく、ファンキーでグルーヴィーでロック寄りのマイルス・ミュージック。

『ジャック・ジョンスン』ボックスで一番ビックリするのは、19トラック目の「ライト・オフ」より前に収録されているものだ。1970/4/7録音の「ライト・オフ」「イエスターナウ」はエレキ・ベーシスト、マイケル・ヘンダースンとマイルスとの初顔合せで、この若者のオーディションも兼ねていた。

ということは、それ以前にある全18トラックでのベースは全てデイヴ・ホランドのはず。「はず」と書くのはなぜかというと、それらでは全てエレベが用いられていて、しかもかなりファンキーなのだ。最初に聴いた時、僕はマイケル・ヘンダースンがもっと早く参加していたんだなと思ってしまったほどだ。

それくらいファンキーでカッコいいエレベ・ラインをデイヴ・ホランド(とちゃんとクレジットがある)が弾いている。完全な未発表曲「ジョニー・ブラットン」の三つのテイクなんかグルーヴィー極まりないエレベで、しかもエレベにファズがかかっていて、こりゃまるで同時期のラリー・グレアムみたいだ。
えっ?なんだって?デイヴ・ホランドがラリー・グレアムだって?あのスライ&ザ・ファミリー・ストーンのあの「サンキュー」で弾いているあのベーシストそっくりだなんてウソだろう?信じられないぞ!と言われるだろうね。しかしこれはレッキとした事実だ。マイルスとスライ双方の熱心なファンである僕はこの意見を自信を持って言う。

その他10トラック目の「アーチー・ムーア」、18トラック目の「シュガー・レイ」などなど含め全部、全てデイヴ・ホランドはファズをかけたエレベでファンキーかつグルーヴィーなラインを弾いている。普通のジャズ・ウッド・ベーシストという僕もそんな認識だったのだが。
しかも前述の通りそれら全てでジョン・マクラフリンが完全なるロック・スタイルのギターを弾いているもんね。ドラマーは曲によってジャック・ディジョネットだったりビリー・コバム(コブハム)だったりレニー・ホワイトだったりするが、彼らも全員リズム&ブルーズ〜ロックな叩き方だ。

つまりそんなリズム・セクションの一員としてデイヴ・ホランドはエレベにファズをかけて弾き、そしてグルーヴィーでファンキーで全く負けていない。負けていないどころか聴いてみたらそのホランドの弾くエレベがかなり目立っているようなミックスで、それがもんのすごくカッコよく聞えるんだよね。

こりゃデイヴ・ホランドというベーシストに対する認識を改めなくちゃイカンよなあ。以前も書いたけれど、僕はマイケル・ヘンダースンというベーシストが大好物で、この人こそマイルスが雇った歴代全ベーシストのなかで最高の存在だったと信じていたんだけど、直前のホランドがほぼ変らない演奏をしているじゃないか。

本来的にはジャズのウッド・ベーシストであるデイヴ・ホランドだけど、こうなっているのは間違いなくボスのマイルスの指示だろう。1960年代後半からのスライのところで弾くラリー・グレアムを聴いて「なんてカッコイイんだ!」と、自分のバンドのベーシストに同じ弾き方を要求したんじゃないかなあ。

ところで「ジョニー・ブラットン」とか「アーチー・ムーア」とか「シュガー・レイ」とか、他にも(ベースはマイケル・ヘンダースンだけど)「アリ」だとかあって、全部ボクサー名が曲名になっているわけだけど、それらはマイルスやテオ・マセロや当時のコロンビアが付けたものではなく、おそらく2003年にそれら未発表曲を発売する際にレガシーが考えて付けたものなんじゃないかと僕は推測する。

この1970年春〜初夏の録音群から当時リアルタイムでリリースされていたのは『ジャック・ジョンスン』(と『ライヴ・イーヴル』の一部静謐小品)だけだったので、「ジャック・ジョンスン」の名を冠するボックスに収録するとなった際のレガシーが、同じような黒人ボクサーの名前を持ってきたんじゃないかなあ。

なお1970年4月7日のレコーディング・セッションでオーディションされ見事なエレベを弾いているマイケル・ヘンダースンは、この日「ライト・オフ」の4テイク、「イエスターナウ」の2テイクで弾いている。それら(とその他の音源)からテオ・マセロが巧妙に編集してアルバム『ジャック・ジョンスン』になった。

しかしながら不思議なことにマイルスはこのリズム&ブルーズ〜ソウル人脈の当時19歳のベーシストをライヴで使わないのはもちろん、しばらくの間はスタジオ・セッションでもさほど継続的には使っていない。彼が弾いていない曲もかなりあって、デイヴ・ホランドやロン・カーターだったりするんだよなあ。

これは僕にはかなり意外だ。また『ジャック・ジョンスン』ボックス収録トラックでマイケル・ヘンダースンが弾く一番最後の録音は1970/5/27の「ネム・ウム・タルヴェス」2テイクだ。これはやはりエルメート・パスコアール参加の静まりかえったもので、ちっとも面白くないからあまり聴かない。

その後マイケル・ヘンダースンは1970年10月頃にデイヴ・ホランドの後を襲ってマイルス・バンドにレギュラー参加し、ライヴ録音は公式でもブートでもたくさんあるものの、スタジオ・セッションでは1972年3月9日録音の「レッド・チャイナ・ブルーズ」まで録音がない。その後は75年のボス一時隠遁まで全部弾いているのはご存知の通り。

その間1970年夏過ぎ〜72年春まで、マイケル・ヘンダースンが参加していないのではなくマイルス・バンドそのものによるスタジオ録音が全くない。この時期のマイルスはライヴ活動に専念していた。75年の一時隠遁まで70年代に一年以上もスタジオ入りしなかったのはここだけなのだ。これがなぜだったのか僕はちょっと分らない。

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