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2016年11月

2016/11/30

プリンスのスウィート・ソウル

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プリンス1996年の三枚組『イマンシペイション』。個人的には大好きなアルバムでリリース当時は聴き狂っていた。最大の理由はかな〜りスウィートだからだ。個人的に大好きでいい曲がいっぱいあるんだが、しかしその多くはプリンスのオリジナル曲ではない。そう、『イマンシペイション』にはカヴァー曲が多い。

多いと言っても三枚組全36曲のうち4曲だけなんだけど、『イマンシペイション』以前には他人の書いた曲をやることなんて全く一つもなかった(はずの)プリンスなので、だからこれはむしろ「四曲も」あると言うべきだろうなあ。そして1996年のこの三枚組以後も死ぬまでカヴァー曲はやっていない。

あ、いや、1999年の『レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』にシェリル・クロウの「エヴリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード」があったなあ。がしかしあの曲ではシェリル・クロウは歌や演奏で参加していない。同アルバム中他の曲では参加しているのに、本人の曲で参加しないなんてヘンなの。

しかしあれも例外で、一つのアルバムに四つもカヴァー・ソングがあるなんてのは、プリンスでは『イマンシペイション』だけ。彼の音楽キャリア初のことでもあったから、あれはどういうことだったんだろうなあ。ソングライターとしても、以前から繰返しているようにアメリカ大衆音楽史上最高の一人だったかもしれないのに。

説明不要だけど、『イマンシペイション』にあるカヴァー・ソング四曲とは一枚目六曲目のスタイリスティックス「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」、十曲目のボニー・レイット「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」、三枚目五曲目のデルフォニックス「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」、十曲目のジョーン・オズボーン「ワン・オヴ・アス」。

四つとも『イマンシペイション』におけるプリンス・ヴァージョンの出来も素晴らしい。特に「ワン・オヴ・アス」はどう聴いてもジョーン・オズボーンのヴァージョンより上だ。なかでもドラムスのサウンドがいいように思うけど、これ、生ドラムスなのか打込みなのか、僕の耳では判断できない。

スネアの叩き方なんかを聴くと、やっぱり生のドラム・セットをプリンス自身が叩いているんじゃないかと思うんだが、他の部分はデジタルな感触もあるから、やっぱり自信がない。「ワン・オヴ・アス」でのそのスネアが実にいい感じで跳ねていて、僕は大好きだなあ。

ボニー・レイットの「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」は、やっぱり彼女自身のオリジナル・ヴァージョンの方が沁みてくる感じでプリンスのよりいいだろうとは思う。プリンス・ヴァージョンの方は冒頭からエレクトリック・シタールが効果的に使われているのが印象的。

エレクトリック・シタールといえば、『イマンシペイション』では実にたくさん使われているよねえ。三枚全部で計ピッタリ三時間という収録時間(ヘンな凝り方だ)なので、全部じっくり聴き直すのがちょっとしんどいんだけど、たくさんエレキ・シタールが使われていたように思う。

記憶では二枚目の「ソウル・サンクチュアリ」と「セイヴィア」にもエレキ・シタールが入っていたような気がして聴き直してみたが、どっちにも入っていないぞ。う〜ん、記憶違いか。まあしかし他の曲で使われているものが確かに多かったのは間違いないはず。

どうして「ソウル・サンクチュアリ」と「セイヴィア」がそうだったような気がしたのかは、自分でもちょっと分るような気がする。この二曲はややエキゾティックな曲調とサウンド・アレンジなのだ。ややインド〜アラブ風な雰囲気があるように思うのは僕だけだろうか?単に僕がインド〜アラブ風なものが好きなだけ?

「ソウル・サンクチュアリ」ではタブラではないが、ちょっとそれに似た音の打楽器がはっきりと聴こえるしなあ。「セイヴィア」の方は聴き直したら特にエキゾティックでもないぞ(苦笑)。エキゾティックではなく、プリンスお得意のファルセット唱法で理想の愛を歌い上げるアメリカン・ポップ・バラードだ。

そして「セイヴィア」終盤では自身の弾くエレキ・ギターがドラマティックに爆発するという、こりゃまたなんとも壮大な展開だ。この曲こそ『イマンシペイション』二枚目のクライマックスだね。プリンスにとってのセイヴィア、すなわち救世主だったマイテを称えた曲。

『イマンシペイション』二枚目では露骨だけど、他の二枚でも当時結婚したばかりのマイテとの蜜月ぶりから来るスウィートさ、多幸感が全体に満ち溢れていて、それまでのプリンスの音楽を知っていると思わず「よかったね、プリンス」と声をかけたくなるような気分なのだ。

だから『イマンシペイション』は全体的にウキウキしていて、非常にポジティヴで前向きのラヴ・ソングが多く、聴いている僕までなんだか幸せな気分になって微笑んでしまう。それがこの三枚組が大好きである最大の理由なんだよね。そしてそんな気分を象徴しているのが前述二曲のソウル・クラシックス。

スタイリスティックスの「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」は1972年の、デルフォニックスの「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」は1968年のもので、どっちの曲も双方のグループの代表曲にして最大のヒット曲。ソウル・クラシックスとしてカヴァーする人は多い。

プリンスみたいな音楽家の志向を考えると、そんな誰でも知っている有名ヒット・ソングを、それもライヴ・コンサートなどではなく自身のリリースする新作アルバムでカヴァーするなんてことは、それまでなら考えられないことだった。おそらく二曲ともそのメロディの美しさゆえじゃないかなあ。

『イマンシペイション』附属ブックレットで一曲ごとに付いているコメントを読むと、「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」のところでは「今まで書かれたなかで最もプリティなメロディじゃない?」とある。「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」のコメントでは「もう一つの大好きな曲」だと。

『イマンシペイション』にあるプリンスのカヴァー・ヴァージョンは例によって紹介できないので、それぞれのオリジナル・ヴァージョンを紹介しておこう。

スタイリスティックス「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」https://www.youtube.com/watch?v=nkG0YOMUNs4
デルフォニックス「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」https://www.youtube.com/watch?v=baNbyst7aW0

お聴きになれば分るように、『イマンシペイション』でのプリンスはほぼ忠実にカヴァーしている。「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」冒頭のあの印象的なソプラノ・サックスも、「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」出だしのあのドラム缶を叩いているようなスネアの連打も。

『イマンシペイション』ではこんなスウィート・ソウル・クラシックスのカヴァーだけでなく、オリジナル曲も似たような多幸感・祝祭感があるものが多く、だからアルバム全体にわたって、プリンスがまるで甘茶ソウルの人間になったかのような雰囲気だよなあ。

「甘茶ソウル」(スウィート・ソウル)はソウル・ファンのあいだでの専門用語なので、プリンス・リスナーでご存知ない方がいらっしゃれば是非ちょっとネット検索してみてほしい。「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」も「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」も甘茶ソウルのコンピレイションによく入っている。

もちろん『イマンシペイション』ではそんなスウィートなソウル・バラードばかりではない。一枚目ではダンサブルなファンク・チューンが中心だし、三枚目はややハウス〜テクノっぽい打込みメインで、やはりクラブ系のダンス・チューンが多い。なかでも一枚目のオープニング「ジャム・オヴ・ザ・イヤー」は腰が動くね。

「ジャム・オヴ・ザ・イヤー」出だしのベース・リフ。あれいいよなあ。短いファンキーなリフ・パターンを繰返し弾いていて、僕は大好きだ。すぐにドラムスが入り、鍵盤とホーン・セクション(シンセサイザー?)との合奏が入ってきて、プリンスのファルセット・ヴォイスが聴こえはじめると、あぁ、パーティーがはじまるんだなと思うよ。

そんでもってパーティーの幕が開くと、その中身はなんとも甘い展開が続いて、例えば以前も書いたけれど完全なる1930年代風スウィング・ジャズ・ナンバーの五曲目「コーティン・タイム」(は「求愛のとき」という意味)に続く六曲目が「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」だなんてね。

なお、上でも書いたが一枚目十曲目のボニー・レイット「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」だけは、彼女本人のヴァージョンの方がいい。『イマンシペイション』収録のプリンス・ヴァージョンのファンが多いようだから、そんな方には是非ボニーのオリジナルも聴いてほしいので、貼っておく。ギターがよく話題になるボニーだけど、ヴォーカルもいいよ。なんて切ない歌なんだ。

2016/11/29

ブ〜ギ・ウ〜ギ!

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ブギ・ウギについて一度きちんとまとまった文章にしておかなくちゃねと思いつつ、このパターンは米英大衆音楽を聴いているとどこにでもどんどん無限に見つかるものだから、どうにも収拾がつかないというかキリがないんだよね。これは裏返せばブギ・ウギがそれだけ浸透・拡散しまくっている証拠だ。

すなわち、ブギ・ウギがいかに米英大衆音楽の血肉となり、いかに重要な役目を果たしているかということを如実に物語っている。そんなブギ・ウギ、これをピアノで演奏するブルーズのなかではアメリカ音楽史上最も重要なものだと言うと、一面真実でありながら、片面では真実を捉えていないことになるだろう。

「ブギ・ウギはピアノ・ブルーズ」というのは録音されたものだけ聴いていると分りやすいだろうが、真実を捉えていないというのはどういうことかというと、ブギ・ウギの発生〜展開をよく俯瞰した場合、必ずしもピアノ(・ブルーズ)音楽のスタイルだとばかりも言えないんじゃないかと思うからなんだよね。

ブギ・ウギの商業録音は1928年にはじまって、その後30年代後半に一躍大ブレイクした。大ブレイクのきっかけは、これはもうみなさんご存知の通り1938年12月23日の『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサート・イヴェント。もちろんCDでもリイシューされている。

『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』アルバムには全部で四曲ブギ・ウギ・ピアノ演奏がある。ミード・ルクス・ルイス、アルバート・アモンズ、ピート・ジョンスンのトリオで二曲(のうち二曲目は伴奏付)、ルクス独奏(にはちょっぴりスネアのリム・ショットが聴こえる)が一曲、アモンズ独奏が一曲。

あれで全米にブギ・ウギというピアノ演奏スタイルがあるんだということが知られ、かのアルフレッド・ライオンもそれを現場で聴いてブルー・ノート・レーベルを興そうと決断したというくらいのインパクトがあった。このあたりからのブームに乗っかって白人トミー・ドーシーの楽団がブギ・ウギのレコードを発売した。

トミー・ドーシー楽団が1938年に発売したレコード「ブギ・ウギ」はこれ。ブギ・ウギ・ピアノのファンであればお分りの通り、これはパイントップ・スミスのピアノ独奏「パイントップス・ブギ・ウギ」(1928)をビッグ・バンド用に焼直したものだ。
このトミー・ドーシー楽団のレコードが全米で大ヒットして、ブギ・ウギは市民権を得た。大ヒットに味を占めたトミー・ドーシーは同曲を何度か繰返し録音・発売している。そんな1930年代末〜40年代前半には、アメリカでブギ・ウギを知らない音楽ファンはいなくなっていたんじゃないかというくらい浸透していたようだ。

そんな具合だし、そもそも史上初のブギ・ウギ・レコードが1928年7月16日録音のカウ・カウ・ダヴェンポートによる「カウ・カウ・ブルーズ」なもんだから、やはりブギ・ウギはピアノ(・ブルーズ)音楽だということになり、そのパターンがのちに他の楽器に移し替えられたんだという認識になる。

ところがブギ・ウギという名称で知られるようになるあのパターンは、1928年よりももっとずっと前から存在していた。僕の推測では19世紀末にはこのスタイルは確立されていたはずだ。僕の読んだ一説によれば、1870年前後にはアメリカの黒人コミュニティ内に既に存在したものなんだとか。

その頃にはまだブギ・ウギ、あるいはブギとかウギとかいう呼び名はなかったはず。のちにそう呼ばれるようになるこのパターンは、要はダンス感覚のこと、というかダンス名の一つだ。人々が一ヶ所に集まってワイワイ賑やかにやりながら楽しく踊る。その際の伴奏音楽にある種のスタイルがあったということだなあ。

そんな1870年頃の録音はおそらく存在しないので実態は確かめられない。そんなダンス音楽に用いられる楽器は必ずしもピアノとは限らないだろう。室内で踊り騒ぐならピアノであった可能性が高いけれど、ギターだったかもしれないし、室外なら間違いなくギターだ。そしてどちらもヴォーカルを伴っていたんじゃないかなあ。

ブギ(boogie)という言葉の初出は Oxford English Dictionary によれば1913年。意味はハウス・レント・パーティー(家賃捻出のために音楽をやって踊り騒ぎお金を取ったもの)となっている。となると、ブギ・ウギ・ミュージックの世間一般の認識とここで一致することになる。

僕も大学生の頃から、ブギ・ウギとは主にシカゴでハウス・レント・パーティの際に雇ったピアニストが演奏した音楽スタイルのことだと散々読んでいる。しかしそれは必ずしもピアノ一台だけだったとは限らないんじゃないかなあ。室内パーティーでもピアノに他の楽器やヴォーカルも加わっただろう。

その証拠に、例えばブラインド・レモン・ジェファースンやレッドベリー(は二人ともギタリスト)の録音には、1928年のピアノ・ブギ・ウギよりも早い時期に同様のパターンを演奏し、しかも歌詞のなかにブギという言葉が出てくるものがある。もっともこの二名とも録音開始前のピアノ・ブギを聴いて憶えたのかもしれないが。

ピアノが先かギター&ヴォーカルが先かは僕には分らない。ピアノでやったのが先か、あるいはギター弾き語りとほぼ同時だったかのどちらかなのか、いずれにしても自信を持って言いたいのは、19世紀末〜20世紀初頭にハウス・レント・パーティーで演奏された音楽はピアノ一台だけとは限らなかった可能性がある。

だがレコード史上ではブギ・ウギの初録音からしばらくの間はピアノ独奏ばっかりなのは確かなことだから、これがピアノでやるダンス音楽、しかもだいたいの場合楽曲形式はブルーズだということになる。このピアノ演奏パターンにブギ・ウギの名称が付いたのがいつなのかは明確になっている。

上でトミー・ドーシー楽団がビッグ・バンド・スタイルでやった「パイントップス・ブギ・ウギ」だ。1928年12月28日録音。お聴きになれば分るように、曲中でパイントップが「ブギ・ウギ」という言葉を使っている。それはダンスの指示なんだよね。
「メス・アラウンド」という言葉も出てくるのが聴こえるね。これもパイントップが指示するダンス名なのだ。一般にはアーメット・アーティガンが書いてレイ・チャールズが録音した曲の名前として広く知られているだろうが、そのレイのやった「メス・アラウンド」はブギ・ウギそのものだ。ルイ・アームストロングの1925年オーケー録音に「ドント・フォーゲット・トゥ・メス・アラウンド」というのがある。

そんなことで1928年録音の「パイントップス・ブギ・ウギ」の頃には、それ以前からハウス・レント・パーティの意味だったブギ・ウギが、その際のダンスの名称に変化していたってことだなあ。それをパイントップが曲中で喋るのをそのまま曲名に用い、用語自体全米各地に大きく広まることとなった。

これ以後、特に1938年の『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』イヴェント以後は、もう「ブギ・ウギ」という言葉のオン・パレード。曲名なんか使われすぎなんじゃないいかと思うほど多い。白人トミー・ドーシーですら遠慮なく使ったんだから、黒人音楽なんかそんなのばっかりだよなあ。

重要なのは、このブギ・ウギ・ピアニストが左手で弾くパターンが、のちにバンド形式のジャズ・ブルーズ音楽で頻用されるようになり、それが1940年代のあのジャンプ・ミュージックの礎となったことだ。具体例をあげているとムチャクチャ多いので困ってしまうが、一つご紹介しておくことにする。

中村とうようさん編纂の MCA ジェムズ・シリーズの一枚『伝説のブギ・ウギ・ピアノ』25曲目にあるアンディ・カーク楽団の1942年録音「ブギ・ウギ・カクテル」。ピアノはケニー・カーシー。この人はジャンプ系楽団を渡り歩いた人のようだ。
とうようさんのこのアンソロジー『伝説のブギ・ウギ・ピアノ』では、これの次のアルバム・ラストにライオネル・ハンプトン楽団1946年録音「ジャック・ザ・フォックス・ブギ」が収録されているが、それよりも同じシリーズの一枚『ロックへの道』収録の同楽団44年「ハンプス・ブギ・ウギ」の方がいい。
この曲で聴けるピアノはハンプ自身とミルト・バックナーの連弾だ。後半から怒涛のように入ってくるフル・バンド合奏の迫力は、まさにビッグ・バンド・ブギ=ジャンプ・ミュージックだというれっきとした証拠。このあたりまで来るとブギ・ウギが音楽的に完成されているのが分る。

そんなフル・バンド・ブギをもうちょっと後の時代にスモール・コンボ化して、その上にジャイヴィーなヴォーカルを乗せたのがご存知ルイ・ジョーダン。1946年録音のこれは、ブギしている&スウィングしている&ジャンプしている&ロックしている。
こんなのが1950年代に入ってチャック・ベリーのロックンロールの土台になった。彼のロックンロールとはすなわちギター・ブギ(というタイトルのギター・インストルメンタル曲だってチャックは録音しているよ)に他ならず、それがもっとあとの、例えばキース・リチャーズの弾くギター・リフのそのままお手本になった。

またこれもロック・スタンダード化しているレッド・ツェペッリンの「ロックンロール」もチャック・ベリー風ギター・ブギだ。つまりロック・ビートの基本になったのがブギ・ウギのパターンで、それなくしてロック誕生はありえなかった。ブギ・ウギは今ではロック・ギターのスタイルとして認識されているはず。

というわけだから、上の方で書いた「ブギ・ウギはピアノでやる音楽の一種」という認識は不完全であるということになるんだよね。録音史的には確かにピアノでブルーズを演奏する際のアメリカ音楽史上最重要スタイルだとなるけれど、それだけではなくなったのというのがもっと重要な事実なんだよね。

2016/11/28

消える直前の炎の輝き〜ロイ・オービスンとトラヴェリング・ウィルベリーズ

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1988年の(日本では)11月に突如登場した謎の覆面バンド、トラヴェリング・ウィルベリーズ。覆面バンドなどといっても、そのあまりに明白な声とサウンドに、ファースト・アルバムを買ったリスナーは全員の正体が分っていた。個人的にはあの時初めてロイ・オービスンの魅力に気が付いて、すっかりあの声の虜になってしまった思い出がある。

ロイ・オービスンといえば1964年の「オー、プリティ・ウーマン」だけど、この曲は1982年にヴァン・ヘイレンがカヴァーしたのがリヴァイヴァル・ヒットしていた。がしかしあの頃はヴァン・ヘイレンとか僕はバカにしていてちゃんと聴いていなかったもんなあ。

1990年のアメリカ映画『プリティ・ウーマン』の主題歌にもなったわけだけど、あの映画も観なかった。ただまあそんな具合だったので、一応「オー、プリティ・ウーマン」という曲があるっていうことと、それはロイ・オービスンという歌手が歌ったものだという知識だけは持っていた。

あの時初めてロイ・オービスンの魅力に気が付いてと書いたけれども、『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1』が1988年11月に日本でリリースされた翌12月に、ロイは心筋梗塞で死んでしまうのだ。その時ロイはまだ52歳。僕が現在54歳であることを考えると、なんだか震えてくるなあ。

ロイの「オー、プリティ・ウーマン」がリリースされた1964年というと、トラヴェリング・ウィルベリーズのうち、ボブ・ディランとジョージ・ハリスンは既に大活躍中。ジェフ・リンも活動していたが、この人は1970年に ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)をはじめてから大注目された。

1950年生まれのトム・ペティも60年代末から活動はしているが、大成功したのはやはり1976年にトム・ペティ・アンド・ザ・ハートブレイカーズを結成して以後だ。以上五人がトラヴェリング・ウィルベリーズの本隊で正体。これにドラムスでジム・ケルトナー、パーカッションのレイ・クーパー、サックス奏者が参加しているが、彼らはゲスト扱い。

ベーシストがいないじゃないかと思われるかもしれないが、彼らは超一流のプロ・ギタリストたちなわけだから、普通の四弦ベースであれば間違いなく全員弾きこなす。実際にはトム・ペティが二枚のアルバムの両方で(ギターとあわせ)ベースを担当している模様。

二枚のアルバムと書いたけれど、1988年に一枚目が出て以後、二枚目が出たのは1990年。しかしそれのタイトルはなぜだか『Vol. 3』だ。これは当時いろんな憶測を呼んだ。ロイが一枚目のリリース直後に急逝してしまったがために『Vol. 2』の計画が頓挫しただとか、デル・シャノンがどうたらこうたらとか。

そのあたりはネットで検索すれば日本語の記事もたくさん出てくるので、もしご存知ない方で興味をお持ちの方はちょっと調べてみてほしい。でも真相みたいなものはいまだにはっきりしていないと思うんだけどね。いずれにしてもトラヴェリング・ウィルベリーズのアルバムは上記二枚で全部。

書いたように僕にとってはロイ・オービスンの「声」こそがトラヴェリング・ウィルベリーズ最大の魅力のように聴こえていたので、ロイのいない二枚目はどうもイマイチであまり繰返し聴かなかった。でも今聴き直してみたら『Vol. 3』も音楽的に面白い部分がまあまああるなあ。

ただ、二枚目『Vol. 3』のオープニング曲「シーズ・マイ・ベイビー」ではいきなりハードなエレキ・ギターが鳴りはじめ、曲全体もハード・ロックな趣で、僕の大好きな分野ではあるものの、トラヴェリング・ウィルベリーズにそういうものは似合わないというか、僕は求めていなかったというのが正直な気持。

あの「シーズ・マイ・ベイビー」でのハードなエレキ・ギターはゲイリー・ムーアらしいね。好きなギタリストだけど、トラヴェリング・ウィルベリーズの一作目のあのちょっとレトロ風のオールド・アメリカン・ポップ〜ロックンロールにはイマイチ似合っていない。

あれよりも『Vol. 3』を今聴き直して面白いかもしれないと思うのは、三曲目「イフ・ユー・ビロング・トゥ・ミー」、四曲目「ザ・デヴィルズ・ビーン・ビジー」、五曲目「7・デッドリー・シンズ」だなあ。この三曲以外はいまやどうでもいいような気がする。

「イフ・ユー・ビロング・トゥ・ミー」は」ちょっとカリブ風というか、いわゆるボ・ディドリー・ビート(3・2クラーベ)を使っている。かなり薄い感触だけど、間違いなくある。それをアクースティック・ギターで表現しているんだなあ。そこがちょっと面白いように思う。
「ザ・デヴィルズ・ビーン・ビジー」ではシタールが、といっても例のギター型のエレクトリック・シタールだけど、使われている。おそらく弾いているのはジョージだね。ジョージってことはアクースティック・シタールじゃないかと言われそうだけど、そういう音には聴こえない。
「7・デッドリー・シンズ」では、僕はなぜだかギル・エヴァンスを連想する。あれを聴いてそう思うリスナーはいないだろうなあ。でもあの曲の出だしで「せゔん〜、せゔん〜、せゔん〜」と追いかける輪唱があるんだけど、それがあの日本のテレビ番組『ウルトラセブン』の主題歌の出だしによく似ているんだなあ。
『ウルトラセブン』の主題歌ではホルンが効果的に使われている。こう書けばもうギル・エヴァンスとの繋がりはお分りのはず。ギルも(フレンチ・)ホルンやチューバなどの、ジャズでは通常使われることの少ない管楽器を効果的に頻用した。
トラヴェリング・ウィルベリーズの二作目にある「7・デッドリー・シンズ」からギル・エヴァンスへ繋げるなんて、まるで連想ゲームだけど、まあ単に僕が『ウルトラセブン』(に出演なさってブレイクしたひし美ゆり子さん)とギル・エヴァンス狂いなだけ。

トラヴェリング・ウィルベリーズの二作目『Vol. 3』で今でも面白いと思うのは以上で全部。やはり僕にとってのこの覆面バンドはロイ・オービスンのあの声が聴ける一作目こそ全てだ。といってもロイが歌っているのは三曲だけなんだけど。

ロイの歌う三曲のうち、一曲を通しロイだけがリード・ヴォーカルを取っているのは五曲目の「ナット・アローン・エニイモア」だけだ。いいなあこれ。YouTube には同じ曲が他にも上がっているが、ロイやその他メンバーの顔が見えるこれが一番楽しい。
お聴きになれば分るように、これは1960年代のロイのヒット・ナンバーに似せて創られた一曲だ。誰が書いたのか分らないが、曲もサウンド創りも間違いなく意識している。特にジム・ケルトナーがスネアを二連符でバン・バンと叩くあたりは、「オー、プリティ・ウーマン」その他にソックリ。

「ナット・アローン・エニイモア」は、歌っているのがロイだということを踏まえると歌詞も沁みてきて泣きそうになるが、まあそれはただの個人的感傷みたいなもんだから、公の文章で詳しく書いてみたところであまり意味もなく、お読みになる方々にとってはアホみたいなものだろう。

『Vol. 1』一曲目「ハンドル・ウィズ・ケア」で歌いはじめるのはジョージだけど(そもそもこの曲はジョージのソロ・アルバム『クラウド・ナイン』のスピン・オフみたいなもの)ブリッジ部分をロイが歌っている。
このミュージック・ヴィデオが1988年当時流れたもんだから、このトラヴェリング・ウィルベリーズ、覆面バンドもくそもないだろうと全員笑っちゃったんだなあ。全員顔と声でバレバレじゃん。ジョージやディランは僕も既に大ファンだったけれど、ロイ・オービスンの声に惚れちゃったのだ。

「ハンドル・ウィズ・ケア」でロイが歌っているのはブリッジ部分だけで、メインはあくまでジョージ。スライド・ギターが入るけれど、それは音だけ聴いてもジョージが弾いているものだと分る鮮明なスタイル。ロイがブリッジを歌ったあと、お馴染のディラン(と他の人とのコーラス)の声が聴こえる。

『Vol. 1』で部分的にロイが歌うもう一曲は、四曲目の「ラスト・ナイト」。ここでのメイン・ヴォーカリストはトム・ペティ。ロイはやはりブリッジ部分だけを担当しているが、その部分に来るとやっぱりいいなあ。
ところでこの「ラスト・ナイト」はサウンドがかなり面白いんじゃないだろうか。まずドラマーのスティック音が聴こえるが、その部分ではダブ的なサウンド処理が施されている。曲全体もカリブ調、というかジャマイカン・レゲエ風のものだよなあ。サックスもそんな雰囲気だ。

『Vol. 1』にはカリブ風サウンドがもう一曲ある。八曲目の「マルガリータ」だ。まずシンセサイザーの音が聴こえるが(誰が弾いているの?)、それに続き薄く入るアクースティック・ギターのカッティング、ヴォーカル・コーラス、スライド・ギターと来て、ベースが鳴りはじめる。
そのトム・ペティが弾くベースが聴えはじめたあたりからは鮮明なカリブ音楽になる。はっきり言えば 3・2クラーベのリズムだ。ベースは明らかに 3・2と弾いているしなあ。リード・シンガーはディラン(とトム・ペティ)で、ブリッジ部分がジェフ・リン。

しかも一曲全体で聴こえるジョージが弾いているに違いないスライド・ギターの音は、普通のエレキ・ギターじゃなくちょっとペダル・スティールっぽいものだよなあ。普通のエレキ・ギターなのかペダル・スティールなのか、僕の耳では判断できない。どなたか教えてください。

もしこれがペダル・スティールだとすると、カリブ風な 3・2クラーベのリズムを使って、曲調も南洋風なロック・ソングのなかにそれが入っているなんていうのは、かなり珍しいんじゃないだろうか?ロックじゃなければたくさんあるように思うんだけどね。

リリース直後に亡くなってしまうロイ・オービスンのあの独特の声の魅力を初めて教えてくれたので僕には忘れられない『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol. 1』。今聴き返してもやっぱりロイの声が聴える三曲が群を抜いていると思うけれど、カリブ風だったりする部分は当時は聴き逃していた。

それに『Vol. 1』はアルバム全編を通しエレキ・ギターが派手じゃなく、アクースティック・ギター中心のサウンド創りなのも、最近の僕の気分にはピッタリ来る。それまではロックはやっぱりエレキだぜとか思い込んでいたんだけどね。

2016/11/27

ジャズ・ブルーズにおける曖昧な和音構成と明快なドラムス・ソロ

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以前も書いたけれど、ソニー・ロリンズ畢竟の超傑作である1956年のプレスティッジ盤『サクソフォン・コロッサス』で一番好きなのがアルバム・トップの「セント・トーマス」とラストの「ブルー・7」。以前書いた時はどっちの話もするつもりだったんだけど、前者の方を書いているうちに長くなった。
それで書きそびれてしまったので、今日は「ブルー・7」の話。しかしこの曲、『サクソフォン・コロッサス』のなかでは最も人気がないんじゃないかなあ。いろんな意味でかなり面白い12小節ブルーズなんだけど、一般のジャズ・ファンは「セント・トーマス」と「モリタート」の話ばっかりするね。

「セント・トーマス」のことは上記リンク先のカリビアン・ジャズ(・ファンク)関係で詳しく書いた。「モリタート」もいろんな人が書いているよね。専門家が書いたもののなかでは粟村政昭さんの『モダン・ジャズの歴史』(スイングジャーナル社)における記述・分析が一番読み応えがあるんじゃないかなあ。

あとはA面二曲目のスタンダード・バラード「ユー・ドント・ノウ・ワット・ラヴ・イズ」かなあ、一般的な人気があるのは。それらに比べたらB面ラストの「ブルー・7」なんて誰かが話題にして詳しく書いているものなんて、僕はまだほとんど読んだことがない。しかしあの曲は本当にいろんな意味で興味深いんだよね。
まず「ブルー・7」は12小節ブルーズ形式の楽曲なんだけど、トーナリティがはっきりしない。この曲のキーはなんだ?僕が聴くと B♭と E のどっちなんだか分らないんだなあ。最初ダグ・ワトキンスのウォーキング・ベースではじまり、しばらくそれが続く。その部分のキーは B♭だけど。

マックス・ローチがハイハットで入ってきて、その入りはじめのハイハットのサウンドにもゾクゾクするんだけど、直後にロリンズがテーマらしきものを吹きはじめると途端にキーが分らなくなる。少なくとも僕にはそうだ。書いたように B♭と E のバイ・トーナルな雰囲気のサックス吹奏なんだなあ。

そもそもあれは通常のいわゆる<テーマ>・メロディではない。ダグ・ワトキンスの弾くベース音に乗ってロリンズがその場で即興的に思い付くまま吹きはじめたものだろう。ということは曲を聴いての僕の個人的意見であって、ロリンズ本人や専門家がどう言っているかは知らない。まあでも間違いないはずだ。

だから「ブルー・7」の演奏前に決っていたものは、ブルーズをやろう、キーは B♭だ、テンポはこの程度で、この三点だけのはず。ブルーズっていうものはそうやってだいたいキーだけ決めればあとは全部簡単に即興でできちゃうものなんだよね。そんな風にして録音されたものはジャズでも多い。

だからダグ・ワトキンスも B♭で弾きはじめる。ところがロリンズが吹きはじめた途端に、書いたようにバイ・トーナリティを暗示するかのような演奏になるもんだから、僕みたいな素人は混乱する。混乱ってのは悪い意味じゃない。面白いっていう意味だ。調性的には崩壊寸前みたいな演奏だ。

それでも伴奏ピアニストのトミー・フラナガン。この人はブルーズも上手いジャズ・ピアニストなんだけど、そんな複雑な和音構成での演奏は得意じゃない人で、ブルーズを弾く時もかなり明快でブルージーな弾き方をする人なわけで、だから「ブルー・7」でもやはりそんな風な弾き方になっている。

ロリンズが和音的崩壊へ向うような吹奏をしているあいだでも、フラナガンは明快に B♭ブルーズでのバッキングをしている。しかもその伴奏フレイジングはかなりブルージーで、いつものフラナガン節だよね。そんな分りやすくブルージーなフラナガンが支えているロリンズのソロは、しかしかなり抽象的だ。

「Blue 7」というこの曲名は、おそらくブルーズのブルー、そんでもって7thコードの7から来ているんじゃないかと思う。セブンスのコードはブルーズ(やそれ由来のロックなど)では必須なのだ。そんな曲名で、12小節で、典型的なブルーズのコード進行なのに、あのロリンズのサックス演奏はヘンだ。

ロリンズのソロにはブルーズ・フィーリングを全く感じ取れないからなあ。ちょっとだけそんな雰囲気があるような気もするけれど、本当に一瞬であって、全体的にロリンズが吹く部分は和音的にもフレイジングの組立てもかなりアブストラクトで、数年後のフリー・ジャズに近づいている。

ブルーズをやってフリー・ジャズになる、これはある意味フリー・ジャズの一面の真実じゃないかなあ。デビュー当時のオーネット・コールマンを聴いても分るんだけど、フリー・ジャズの土台にはブルーズがあって、ブルーズ・スケールを用いて、いや用いていないが、そんなフィーリングで演奏している。

そんでもって例えば『ジャズ来たるべきもの』でもオーネットの音の組立てはフリーというよりモーダルなのだ。モードとは要はスケールのことであって、ブルーズもスケールにもとづく音楽だよね。マイルス・デイヴィスも言っているじゃじゃないか、「ああいうフリー・ジャズ連中のやっているのはブルーズだ」と。

この「フリー・ジャズはブルーズ」というマイルスの言葉は、まあ彼はなんでもかんでも土台にブルーズがあることにしたいという人間で、僕も米英大衆音楽に話を限ればほぼ同じような発想を持った人間なので(これはマイルスの聴きすぎのせいではないように自分では思う)、かなり分りやすいものなのだ。

フリー・ジャズの話はおいておいてロリンズの「ブルー・7」。書いているようにボスが吹くあいだは和音的な根拠が曖昧で、一体なにを吹いているのか分りにくいようなフレイジングで、それはどうやら最初に吹いたテーマ、というかモチーフに基づく、いわばシーマティックなアドリブ手法なんだよね。

シーマティック・インプロヴィゼイションというのは、この1956年あたりかちょっとあとくらいから、ガンサー・シュラーやジョージ・ラッセルやビル・エヴァンスなどがやりはじめ、それと強く連動してマイルス・デイヴィスが大きな果実を実らせたので一般的には有名な、いわゆるモーダルな演奏法のことだ。

ロリンズが吹いている部分はコーダルな意味では曖昧で抽象的なんだけど、そういうシーマティック、すなわちメロディ由来の水平的なアドリブだと考えれば分りやすい。1956年録音だから通常のハード・バップ全盛期で、モーダルなやり方や水平的なメロディ展開が一般化するのはこの数年後だけどね。

実はこういうことは、上で名前を出したガンサー・シュラー、彼はジャズ研究家でもあって、彼が書いた文章のなかではっきりと言っていることなのだ。僕が今日ここまで書いたこともだいたいシュラーの「ソニー・ロリンズとシーマティック・インプロヴィゼイションの挑戦」で指摘されていて、大筋それを(和訳して)なぞっただけなのだ。
ただしシュラーが書いていないことをここから書くけれど、僕が「ブルー・7」で一番好きなのが上でも指摘した明快にブルージーなトミー・フラナガンの伴奏ぶりとソロ、そしてもっと好きなのがマックス・ローチのドラムス・ソロなんだよね。前者が好きだというのはブルーズ好きの僕だから納得しやすい。

だから元からブルーズが上手いフラナガンのソロがブルージーでいいという話は今日は広げない。聴けば誰だって分ることだ。それよりもマックス・ローチのドラムス・ソロに注目してほしい。ロリンズの一度目のソロが終り、フラナガンのピアノ・ソロも終って、4:05 からローチのソロになる。

ローチのソロになる前にロリンズが少し吹くので、これは例の四小節交換がはじまるなと思うとそうならず、そのままローチのソロになだれ込む。その部分をお聴きいただければ分るはずだけど、ローチはブルーズの12小節構成を強く意識した叩き方だ。明らかにコード進行を踏まえてソロを演奏しているよね。

以前ブルーズ進行について書いた際、メロディやコードを出せる楽器奏者だけでなく、ドラマーもコード進行を意識して叩いているのだと書いたけれども、コードやコーラスが変る節目節目でフィル・インを入れてアクセント付けするだけなく、ソロでもそうなんだよね。「ブルー・7」でのローチのように。

4:05〜6:21までのローチのドラムス・ソロは三つのパターンで構成されるリズムの形を反復している。三つのリズム・フィギュアを繰返しているのは、12小節ブルーズは三部構成になっているからだ。これは僕も以前指摘したし、ブルーズでは当り前の事実なので繰返す必要はないはず。

さらにこのローチのソロ構成はブルーズ楽曲であるという形式を充分に踏まえたものであると同時に、その後に出てくるロリンズの二度目、三度目のソロへの伏線にもなっているんだよね。その部分ではロリンズも三つのパターンをリピートする構成のソロ展開を繰広げていて、曲全体に一貫性を与えている。

大学生の頃に初めて『サクソフォン・コロッサス』を聴き、アルバム・ラストの「ブルー・7」を聴いた時に一番感心したのが、ロリンズのソロでもフラナガンのソロでもなく、他ならぬそのローチのドラムス・ソロなのだ。そしてこういう叩き方のソロは、もっと前、1930年代からあることも少しあとになって知った。

それはシドニー・カトレットだ。戦前の古典ジャズに興味のあるファンであれば間違いなく全員知っている名ドラマー。個人的にはジャズ史上で最も好きなドラマーだ。それほど大好きになったのは大学生の半ばか後半頃で、戦前や中間派のジャズをたくさん聴いていると、カトレットがよく登場するからだ。

カトレットは上で書いたローチのソロのような、ステディな4ビートを保ちつつ、そのままそのなかでシンプルなリズム・フィギュアの反復で構成されるソロをよく演奏するんだよね。そしてモダン・ジャズしか聴かないリスナーのみなさんにも注目してほしいのだが、彼はモダン・ドラミングの先駆けなのだ。

ビ・バップでモダン・ジャズ・ドラミングを開発したのはケニー・クラークだということになっている。しかしそのクラークの最も大きな影響源がシドニー・カトレットに他ならない。カトレットのスタイルのルーツはズティ・シングルトンとベイビー・ドッズだが、そこから独自のものを生み出しているんだよね。

カトレットは1951年に亡くなっているが、45年にディジー・ガレスピーとも録音しているんだよね。それは完全なるビ・バップだ。カトレットが旧時代出身でありながら、モダン時代に対応したドラマーであることを証明し、ケニー・クラーク、マックス・ローチ、アート・ブレイキーなどへの橋渡し役だったこともよく分るのだ。

あんまり古いジャズ・マンの話ばっかりしているとだんだん嫌われそうだけど、なんだかビ・バップがまるで突然変異みたいに天から降って湧いたようなものであるかのような考えをしている人が多いんじゃないの?だってそれ以前のジャズを聴こうともしないってのはそういうことだとしか思えない。

ソニー・ロリンズの「ブルー・7」はブルーズ形式なのに、ボスのテナー・サックス・ソロは全然ブルージーではなく和音的にも曖昧だとか、それと比較してブルージーなトミー・フラナガンのピアノが好対照だとか、マックス・ローチのソロが曲の構造を踏まえた面白いものだとかいう話だったのに、なんだかまたいつもの調子になってしまった。

2016/11/26

グナーワ・ディフュジオンで聴くマグレブ伝統音楽

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北アフリカ大衆音楽を、その地域からの移民の多いフランスではなんでもかんでも「ライ」と呼んでしまう傾向があったらしく、グナーワ・ディフュジオンの連中もこれに随分と悩まされたらしい。今ではこのバンドについて日本語、英語、フランス語で書いてあるもののなかに、そういうものはないみたいだ。

グナーワ・ディフュジオンがアルジェリア系のアマジーグ・カテブを中心にフランスのグルノーブルで結成されたのは1992年のことらしく、翌93年に五曲入りのミニCD『レジティム・ディフェランス』がリリースされてる。がしかしそれは自主制作盤で、広く流通するものではなかったんじゃないかなあ。

少なくとも僕はデビュー作『レジティム・ディフェランス』は持っていないし、全く聴いたことがない。聴いているのは1997年の二作目『アルジェリア』から。これ以後は買いやすくなった。がしかしその『アルジェリア』はリアルタイムでは僕は知らない。グナーワ・ディフュジオンは三作目で知った。

すなわち1999年の『バブ・エル・ウェド・キングストン』。これはオルター・ポップからリリースされた日本盤が日本のCDショップ店頭にも並んだのだった。今でも非常に鮮明に憶えているが、僕がこれを発見したのは新宿丸井地下にあったヴァージン・メガストアでのこと。全く見たこともない名前だった。

アルバム・ジャケットのただならぬ雰囲気(以前の繰返しになるが、CDでもジャケ買いはあります!)と、アルバム・タイトルに強く惹かれたのだった。『Bab El Oued Kingston』なのに、日本盤タイトルははなぜだか『バベル・ウェド・キングストン』。だがそれがかえって魅力を強くしていたなあ。

買って帰って聴いてみて、一発で『バブ・エル・ウェド・キングストン』というアルバムと、グナーワ・ディフュジオンというバンドに惚れちゃたんだなあ。告白するが(以前もしたような気がする)、僕がレゲエやラガマフィンやダブを聴くようになったのは、1999年にこのアルバムを聴いて以後なんだよね。

『バブ・エル・ウェド・キングストン』では実際レゲエ、ラガマフィンの要素が強い。そもそもアマジーグの最大のアイドルがボブ・マーリーらしく、アマジーグはマーリーの音楽のなかに強いアフリカ性を感じ取っているらしい。アマジーグだけでなく、アフリカ音楽家で同様の人は多いようだ。

しかしダブがあるのか?と言われそうだけど、『バブ・エル・ウェド・キングストン』には一曲だけかなり鮮明にダブ風になるものがある。他ならぬ四曲目のアルバム・タイトル曲がそうだ。特にピアノの音の録音後の処理は完全なるダブの手法だ。
ピアノの音は処理は露骨なダブだけど、それ以外の部分でもこの曲ではダブ風じゃないかなあ。クッキリ鮮明にダブだと言えるのはこの一曲だけとはいえ、アルバム全体を通しちょっぴりダブっぽいような処理というかフィーリングは聴き取れるように思う。レゲエとラガマフィンはいくらでもあるじゃないか。

アルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』のどこがレゲエでどこがラガマフィンだなんて指摘するのもバカらしいほどだもんなあ。ボブ・マーリーをアイドル視し、レゲエやそれに類する音楽手法を用いながら、しかしグナーワ・ディフュジオンの音楽には北アフリカ音楽の要素がもっとはるかに色濃い。

僕が1999年に『バブ・エル・ウェド・キングストン』を最初に聴いて、そしてその後も繰返し聴き今でもよく聴くという、そんなに気に入っている最大の理由は、グナーワとシャアビという、前者はモロッコの、後者はアルジェリアの音楽要素が非常に強く活かされているのを聴き取れたからだった。

といってもグナーワは一種のルーツ音楽で、モロッコで誕生したものであるとはいえ、ルーツはサハラ以南のブラック・アフリカにある。奴隷として西アフリカ地域から強制移住させられた黒人たちがモロッコでやった音楽がグナーワで、しかもこれはポピュラー音楽というよりも、民俗音楽だというのが実態に近い。

ところがアルジェリアのシャアビの方は現代大衆歌謡。何百年も続くアラブ・アンダルースの伝統的古典音楽を土台に1920年代にアルジェのカスバで現代的庶民音楽として誕生したのがシャアビだ。だからブラック・アフリカの奴隷によるルーツ音楽的なグナーワとはかなり様相の異なる音楽なのだ。

シャアビはアルジェリアのアラブ系による音楽。しかしながらグナーワ・ディフュジオンのアマジーグはアラブ系ではない。ベルベル人なのだ。アマジーグの父親で高名な文学者であるカテブ・ヤシーンは、自分の息子にベルベル人の自称である al-Amāzīgh という名前を付けたんだよね。

そんなベルベル人でアルジェリア系のアマジーグがフランスにおいてグナーワとシャアビを根底に据えた音楽をやっているというのはなかなか興味深いものがある。しかしですね、僕は1999年にグナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』を聴くまで、それらをよく知らなかった。

『バブ・エル・ウェド・キングストン』を聴いて初めて鮮明にグナーワとシャアビを意識したのだ。もちろんその一年前にオルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベスのデビュー・アルバムを聴いていて、それにもグナーワとシャアビがあったけれど、あのアルバムにはライもあり、しかも全てが現代的かつポップに融合している。

だからあのONBの『アン・コンセール』でマグレブ音楽にどハマりしたものの、ルーツ的な鮮明さは分りにくかったのだ。それが翌年のグナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』では、かなりルーツ的に鮮明なグナーワやシャアビをやっていて、それがすんごく魅力的に聴こえたのだった。

アルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』における鮮明なグナーワだと言えるのは、九曲目の「サブリナ/天然ガス」だけ。しかも前半の「サブリナ」の冒頭だけだ。出だしはゲンブリの音とカルカベの音とヴォーカルだけで構成されているからね。
しかしすぐに鍵盤シンセサイザーが鳴り、ドラムスとマンドーラも入り、しかもエレキ・ギターがレゲエ風のリズムを、それもインヴィクタス系みたいなクチュクチュという音で刻みはじめる。そうするとアマジーグがラガマフィン・スタイルの歌い方に移行して「天然ガス」になるので、グナーワはほんのちょっとだけ。

アルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』で鮮明なルーツ的グナーワだと言えるのは、その九曲目「サブリナ/天然ガス」の冒頭部分だけ。でも1999年の僕にはそれだけで充分だった。なんとも魅惑的でトランシーな音楽だなあって、特にゲンブリとカルカベの出すサウンドに痺れちゃったのだ。

するとアルバム中随所にグナーワ要素が聴き取れる。ルーツ的に鮮明でなくたって、断片的に、あるいは有機的な音楽構成要素としてグナーワが活かされている。三曲目「カバリウ」、五曲目「フムーム・ザワリア」、六曲目「シンディカイナ」などにはそれがかなりハッキリと聴き取れるんじゃないかなあ。

シャアビはもっとはっきりと『バブ・エル・ウェド・キングストン』にある。一番鮮明にシャアビだと言えるのは二つ。七曲目の「シャラ・アラー」とラスト十曲目の「夜の奥のガゼル」だ。特に前者は完全にストレートなシャアビだ。美しい旋律だなあ。
そう、シャアビは旋律美だと僕は思うんだよね。この「シャラ・アラー」でも表現されているマンドーラで奏でるメロディ・ライン。なんて美しいんだ。アマジーグのヴォーカルもいいけれど、僕はなんといっても冒頭や歌の合間を縫うマンドーラ(とダルブッカの合奏)の美しいメロディに惚れている。

「シャラ・アラー」では一曲通しアマジーグのヴォーカル以外にはマンドーラとダルブッカのみ。冒頭でかすかにピアノの音が効果音的に使われているのと、終盤でグナーワ風にトランシーなハンド・クラップが出てくるだけという、まあ完全に伝統スタイルのシャアビなのだ。この曲がこのアルバム中一番好きだ。

アルバム・ラストの「夜の奥のガゼル」は、フランスの詩人ルイ・アラゴンの詩にアマジーグがメロディを付けたもの。この曲はグナーワとシャアビの合体だ。まずゲンブリとパーカッションが出てグナーワだと思うと、マンドーラがシャアビ風に弾く。
アマジーグのヴォーカルが出てくると、伴奏はほぼ自身の弾くゲンブリ一台のみになり、ハンド・クラップが入る程度。ほんのかすかにスライド・プレイによるエレキ・ギターの音も聴こえる。と思って聴いていると、アマジーグがワン・コーラス歌い終わると、再びシャアビ風のマンドーラが入ってくる。

レゲエやラガマフィンやダブといったものじゃないマグレブ伝統音楽ベースのもの、つまりグナーワ・ディフュジオンの場合、グナーワとシャアビだけど、この二つがアルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』のラスト「夜の奥のガゼル」で一つになって溶け合っているんだよね。電気楽器はぼぼゼロに近い。

そんな伝統マグレブ音楽要素は、僕が聴いた順番は逆になったけれど、『バブ・エル・ウェド・キングストン』の前作1997年の『アルジェリア』の方がもっと鮮明に色濃く表現されている。特にグナーワ色がかなり強い。『バブ・エル・ウェド・キングストン』で知られたグナーワ・ディフュジオンだけどさ。

僕も『バブ・エル・ウェド・キングストン』でグナーワ・ディフュジオンに惚れたわけだし、世間的に、特に日本ではこのアルバム以後認知されるようになったけれど、現在の僕は前作1997年の『アルジェリア』の方がより好みのトラディショナルな感じで、こっちの方がいいかもしれないなあ。

最後にバンド名について付記しておく。Gnawa Diffusion はフランスのバンドなんだからグナーワ・ディフュジオンと表記してほしい。決して「ディフュージョン」なんかじゃない。実際『バブ・エル・ウェド・キングストン』のオルター・ポップ盤ではグナワ・ディフュジオン表記になっているぞ。

それがどうしてグナワ・ディフュージョンになってしまったのかははっきりしている。2003年作の『スーク・システム』が大手ワーナーからリリースされ、これの日本盤が出た際に日本のワーナーの関係者がグナワ・ディフュージョンという名前でリリースしてしまったからだ。

それでそれ以前はグナワ・ディフュジオンで通っていたこのバンドの日本でのカタカナ表記がグナワ・ディフュージョンになってしまい、音楽ライターさんたちもほぼ全員がこの大手レコード会社の採用した勘違い表記にならってしまったのだ。そういう態度はアマジーグの姿勢からは最も遠い。

2016/11/25

マイルスが「フランスで食ってた」という事実はありません

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2016年11月21日付の蒲田耕二さんのブログ記事。タイトルは『ハミルトン』。このなかにマイルス・デイヴィス狂であればちょっと見逃せない文言があったので、今日はそれについて書いておきたい。
お読みになれば分るように「アメリカで不遇だったマイルス・デイヴィスが、フランスで食ってた」という発言が出てくる。これにはちょっとビックリだ。僕だけでなくマイルス・ファンなら全員エッ?と思うはず。なぜならばこんな事実は存在しないからだ。マイルスがアメリカで不遇だった時期なんて一度もないし、フランスで食っていたと言える時期もない。

蒲田さんのこの記事は、別にマイルスについて云々しているものなんかじゃなく、ドナルド・トランプ次期アメリカ大統領が、『ハミルトン』というミュージカルの主演俳優に対し、そのアピールはハラスメントだと噛みついていることをとりあげて、アメリカ(と日本)の芸能界の前近代性を指摘したものだ。

その際、『ハミルトン』主演俳優のアピールは正当なものだったことと、それを許そうとしないアメリカ(白人)社会のおかしさを、同国の黒人女性歌手アーサ・キットを例にあげて説明している。アーサ・キットは当時のジョンスン大統領夫人に反戦を訴え、その結果以後10年間(1968〜78)アメリカのショウ・ビジネス界から閉め出されたために、そのあいだヨーロッパ(とアジア)で活動して切り抜けた。

そんなアーサ・キットの例を、同じアメリカ黒人音楽家であるマイルスと並べて、「アメリカで不遇だったマイルス・デイヴィスが、フランスで食ってたのと同じ」と蒲田さんは書いている。しかしながらアーサ・キットの方は事実だが、マイルスの方にはこんな事実はない。少なくとも僕は知らない。

マイルスとフランスといえば、誰もがジュリエット・グレコと、そしてルイ・マル監督の映画『死刑台のエレベーター』を想起するだろう。どちらもマイルス・ファンでない方にも有名なので、ご存知の方が大勢いらっしゃるはず。しかもこの二つは関連があるみたいだ。

マイルスがグレコと知り合ったのは、どうやらマイルス1949年の初渡仏時のことだったらしいが、日本語でも英語でもフランス語でも正確な情報がないので、あくまで推測。だけどおそらく間違いないんろう。グレコについてのウィキペディアには「マイルスがフランスへやってきた1949年には2人は結婚したと言われている」との記述があるが、これはウソだ。

マイルスがグレコと結婚したという事実はない。引用したウィキペディアの記述も「言われている」だとか、あるいはそのあとに「要出典」の文字も見えるので、やはり疑わしいものだと判断されているんだろう。マイルスの結婚歴は三回。1958年のフランシス・テイラー、68年のベティ・メイブリー、81年のシシリー・タイスン。これで全部だ。

正式結婚ではなく、深い関係にあって事実上の婚姻状態だったとか子供をもうけたということなら他にもあるので、ジュリエット・グレコとの関係もそんななかの一つに入れてもいいのかもしれないが、グレコはフランスに住み、マイルスもアメリカにしか住んだことがないので、いくら深い関係といってもなあ。

マイルスは1949年の初渡仏以来頻繁にフランスを訪れているが、そのほとんどはライヴ・コンサートなど一時的な音楽活動のためであり、したがって短期滞在にとどまっている。僕の知る限りではマイルスがフランスといわずアメリカ以外の国・地域に半年以上滞在した事実はない。

そんなフランスを含むマイルスの欧州での音楽活動も、アメリカで不遇だったせいではない。ことジャズ関連のアメリカ黒人音楽家なら、マイルスほど優遇された人物もいないんだ。とにかく売れに売れて、黒人・白人・何人の区別なくアメリカ人ジャズ・マンで最も成功したのがマイルスなんだよね。

イリノイ州アルトン生まれで、イースト・セント・ルイスで育ったマイルスだけど、18歳の時にニュー・ヨークに出てきてからは、死ぬまでニュー・ヨークに住み続けていた。だが1981年の復帰後は、カリフォルニアのマリブともう一ヶ所に別荘を持っていて、時々足を運んでいたんだよね。

アメリカで不遇だった音楽家が、同国内に二ヶ所も別荘を持つことなど不可能だ。蒲田さんもそんな大成功後のことを念頭になんか置いておらず、おっしゃる不遇とは若い時分に活動が滞っていた時代のことなんだろう。僕の知る限り若い時分のマイルスがそうだったのは一回だけ。

それは1950〜54年あたりの話だ。その時期、マイルスはどのレーベルとも契約がなく、したがって全てのレコーディング・セッションは一回・一回の取っ払いみたいなもので、スタジオでレコーディングしてはその場でキャッシュをもらっていたような具合。そしてそもそも録音数自体が少ない。

スタジオ録音が少ないばかりでなく、レギュラー・バンドも持っていなかったので、恒常的なライヴ活動も当然不可能だった。あの約四年間のマイルスは食うにも困るような状態だった。がしかしそれは「不遇」ではない。全ていわば自業自得だったのだ。

すなわちヘロイン中毒が最もひどかった時期で、そのせいで音楽活動も私生活もいろんなことが上手く運ばなくなっていた。あの時代のジャズ・メンのヤク中を全て自ら招いたものみたいに言うのは少し違うかもしれないが、「不遇」「冷遇」状態とも違うだろう。

不遇とは、自らの才能と努力で一定の成果を出しているにもかかわらず、世間から評価されず満足のいくような仕事を与えられないので経済的にも恵まれず、活動継続が困難な状態のことだろう。その多くの場合が差別や偏見その他理不尽な理由にもとづいている。

ジャズ・メンでもブルーズ・メンでも、その他全ての音楽・芸能者の場合でも、肌の色が黒いというだけでアメリカ本国ではそんな冷遇状態に置かれる場合がしばしばある。冷遇とまでいかなくても居心地がかなり悪い。それで実際フランスその他欧州各国に活動拠点を移した人物は多い。

ジャズ界のケニー・クラーク(ドラマー)、ブルーズ界のメンフィス・スリム(ピアノ)などは、完全にフランスに永住してしまった。それほどアメリカにおける黒人差別はひどく、アメリカほどではないにしろ人種差別意識はあるフランスその他欧州各国の方がまだマシということらしい。

そんなフランスではあるけれど、しかし例えば1998年のサッカーW杯フランス大会で地元フランス代表が優勝した際、あのチームは「真のフランス代表」とは呼べないなどと発言するフランス白人がいた。アフリカ系やアラブ系の出自を持つ選手も多かったせいだ。

現在スペインのレアル・マドリードで監督をやっているジネジーヌ・ジダンは、あの1998年前後のサッカー・フランス代表チームの心臓的存在で、ジダンなくしてあのW杯優勝はありえなかった。あの時は “Merci Zizou” というのが凱旋門に映し出されたりもした。そんなジダンはマルセイユ生まれで、アルジェリアのベルベル人移民の息子だ。

現在の例をあげるなら、やはりレアル・マドリードでプレイするフランス人サッカー選手カリム・ベンゼマ。サッカーの能力は誰も疑わない優秀な選手なんだけど、この人もアルジェリア系であるせいで代表チームに呼ばれないことがあるんじゃないかと、本人と所属チームのボスである同じアルジェリア系のジダンは明言している。

ベンゼマの場合は、セックス現場を録画したものをネタに同じフランス代表のチーム・メイトを恐喝したと疑われたのが、代表に呼ばれなかったり、フランスの首相までもが「ベンゼマを追放しろ」と公に発言したりする直接の理由だ。逮捕だけされたものの、どこまで真実なんだろうなあ?現在法的には代表に招集可能となっているが、今年夏の EURO(欧州選手権)の時は呼ばれなかった。

また日本人である僕はある時のフランス旅行の際のパリのレストランにおいて、これはアジア人(日本人?)差別だろうとしか思えない処遇を受けたことがある。強い憤慨を覚えたので今でも鮮明に記憶しているが、あとからレストランに入ってきた白人と思しき客はどんどん席に案内されるのに、僕たち日本人夫婦はいつまで経っても放ったらかしだった。

店員にクレームすると、かな〜り渋い顔で仕方なくという仕草で席に案内されたのだが、それは店の奥の暗い片隅のテーブルで、しかもオーダーした料理がこれまたなかなか出てこなかった。ありゃ絶対にアジア人(日本人?)蔑視だったね。

フランスだってそんな具合の国なんであって、僕みたいななんでもない一般人はもちろん、サッカー・フランス代表で大活躍する(した)スター選手に対してすら、アフリカ系、アラブ系がかなり混じっているとの理由で「真の」フランス代表じゃないなどと発言する白人がいるほどだからなあ。

だからアメリカ黒人ジャズ・マンのマイルスが、そんな事実は存在しないのだがもし仮にアメリカ本国で不遇時代があったのだとしても、それだけでフランスに一時的にでも活動拠点を移し、そこで「食って」いこうと考えたかどうか、ちょっと僕には分らないのだが。

まあ同じアメリカ黒人ジャズ・マンの先輩ケニー・クラークその他の例があるので、フランスで食っていきたいという気持を持つことがあった可能性は、マイルスの場合も否定はしない。しかし「事実」が確認できないからなあ。本国ではないある場所で食うとは、一時的にでもその場所に拠点を移すということだろう。マイルスは一度もフランスを拠点にしたことはない。

マイルスもフランスでのライヴ録音盤ならたくさんある。公式盤だと最も早いのがタッド・ダメロンと一緒に渡仏した1949年のパリ・ライヴで、最後になったのが1991年7月のニースでのライヴ収録盤。その間、死後リリースのものも含めれば数多く存在する。

公式盤だけでなくブートレグまで数えれば、マイルスのフランスでのライヴは本当に多い(といっても、本国アメリカでやったライヴ盤は比較にならないほどもっとずっと多い)。しかしそれらは全ていっときのライヴ・コンサートであって、その場一回限りのもの。場合によっては二日間・三日間連続出演するケースもあったけれど、一週間以上滞在したことは一度しかない。

その一度が1955年結成のファースト・クインテットを57年にいったん解散したその年には、フランスに少し長めに滞在した時だ。そこでジュリエット・グレコとも再会し、またルイ・マル監督の映画『死刑台のエレベーター』のサウンドトラックも現地で録音している(その際のドラマーが前述のケニー・クラーク)。

その1957年の、何ヶ月間だったのかはやはり今でも不明だが、フランス滞在がマイルスの全生涯で最長の在仏経験なんだよね。半年もいなかったはずだし、現地のフランス人ジャズ・メンを起用してライヴを行うこともあったけれど、それは確認されている限り57年の11月と12月だけだから、食べていたとはちょっと言いにくいんじゃないかなあ。

とにかくマイルスは本国アメリカでこそ最もたくさんレコードやCDを売り、ライヴ活動も盛んに行って、巨万の富を得た人物。アメリカの黒人(いや、白人も含めても)ジャズ・マンのなかで史上最大の金持ちになったのがマイルスで、その金の源泉はほぼ全てアメリカ人の、それも白人の財布だ。

なお、ジャズに限らずアメリカ文化全般そうだけど、ジャズの場合も最も早く「文化」、あるいは「アート」として正当な評価を下してきたのはヨーロッパ人、特にフランス人であるというのは間違いない。なんたって世界初のジャズ批評書はフランス人が書いた。

それが1934年出版のユーグ・パナシエの『オット・ジャズ』(Hot Jazz)。さらに現在でいうディスコグラフィーという用語もフランス人の開発。それが1936年出版のシャルル・ドゥロネの『オット・ディスコグラフィ』(Hot Discographie)。

シャルル・ドゥロネの方は、1956年リリースのMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のアルバム『ジャンゴ』のなかにある「ドゥロネズ・ディレンマ」というジョン・ルイスの書いたオリジナル曲のタイトルにまでなっている。

また現在でもフランス国内に Classics という復刻専門レーベルがあって、ここは戦前の古いアメリカン・ジャズばかり、ジャズ・メンごとにクロノロジカルに集大成してどんどんリリースしている。僕もそれで随分と助かっているのは事実だから、今でもアメリカのジャズを正当に評価してくれているのはフランス人だと言える。

今日のこの記事、蒲田さんのそのブログ・エントリーにコメントするだけでもよかったんだけど、なにしろ蒲田さんのブログには随分前に二回コメントしているものの、いまだに全く表示すらされていない。今日のこれももしそうなったら、ご本人以外誰も読めないことになるので、自分のブログ記事にしたという次第。

蒲田さんのブログにある「コメントは実名で願います」も本当はオカシイと思うけれどね。だって筆名や芸名で公に活動している作家や音楽家や芸能人の、その活動名のままでの発言は、全て受け入れられないものなのか?っていうことになってしまうからね。なかにはそんな活動名で立派な発言をしている方々も多いじゃないか。

場合によっては本人ですら「実名」が分らない場合もあるからなあ。例えば日本のテレビで活躍するサヘル・ローズ。この女性はイラン出身なんだけど、例のイラン・イラク戦争の際のイラク軍の空爆で13人の大家族全員が亡くなってしまい、生き残ったのは彼女だけ。

その時まだかなり幼かったために自分の名前も生年も憶えておらず、四歳(となっているが)で孤児院に入り、その際に付けられた「便宜上の本名」がサヘル・ローズなんだよね。その後来日(時には八歳だったとなっているが、生年が不明だから)し、日本の養母に育てられ日本の学校に通って、現在日本で大活躍中だってわけ。

そんなサヘル・ローズに、コメントは「実名で」願いますなんて言葉を向けることができるのだろうか?サヘルは日本語読解能力になんの問題もない人物だから、蒲田さんのブログを見る可能性は充分にある。

がまあしかし蒲田さんのご要望があることだから、今日のこの記事にだけ末尾に僕の実名で署名を入れておく。

戸嶋 久

2016/11/24

ロバート・ジョンスンが生きていればこうなった

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ロバート・Jr・ロックウッドとジョニー・シャインズ。二人ともロバート・ジョンスンと深い関係があるブルーズ・マンだ。どう関係があるのかは、ブルーズ・ファンには説明不要だろうと思うので省略する。ロバート・ジョンスンがもしあと15年でも生きていればこうなっただろうというような人たちだ。

そんなありえない歴史上の「もしも」を実際の音で体感できるアルバムがある。ロバート・Jr・ロックウッドとジョニー・シャインズ二名による1950年代前半の JOB セッションを収録した『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』というPヴァイン盤CDだ。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』は、僕の知る限り世界中にPヴァイン盤しか存在しない。つまり日本盤がオリジナルだ。これのコンパイラーが小出斉さんでリリースは2001年。タイトル通りシカゴのレーベル JOB への二人の録音を集めたもの。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』では、前半のロバート・Jr・ロックウッドが全11曲12トラック、後半のジョニー・シャインズが全9曲10トラック。このアルバムを聴くと、この二人がロバート・ジョンスンから受けた大きすぎる影響がよく分る。

影響云々というよりほぼそのまんまなんだよね。1938年に若くして亡くなってしまったロバート・ジョンスンは、世代でいえばマディ・ウォーターズと同じだから、戦後まで生きていた可能性は充分あった。死因は確定していないが毒殺という説が有力なので、なおさら一層そういう思いが強くなる。

そして1950年代にもしロバート・ジョンスンが、同じミシシッピ・デルタ出身の後輩マディ・ウォーターズみたいにシカゴに出てきていれば、間違いなくこんなブルーズをやったはずだというのが分るのが『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』なんだよね。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』前半のロバート・Jr・ロックウッドは、主にロバート・ジョンスンのやったシティ・ブルーズ・スタイルを継承している。すなわちブギ・ウギのパターンだ。それをエレキ・ギターを使ってバンド形式でやっている。

ロバート・Jr・ロックウッドのそういう特徴は、なにも『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』に限った話ではなく、そもそも普段からいつもそうなのだ。特に1974年の来日公演盤などは日本のブルーズ・ファンは忘れられないもので、それもシティ・ブルーズ・スタイルがほとんどだよね。

なんたってあのロバート・Jr・ロックウッドの1974年来日公演盤『ブルーズ・ライヴ!』のオープニング・ナンバーは「スウィート・ホーム・シカゴ」だもんね。ロバート・ジョンスンの録音のなかでは最も明確にブギ・ウギのパターンが聴けるシティ・スタイルのブルーズとして有名な一曲。

「スウィート・ホーム・シカゴ」は『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』にも収録されている。といってもそういう曲名にはなっていない。10曲目の「アウ・アウ・ベイビー」がそれだ。聴けば一瞬で全員「スウィート・ホーム・シカゴ」だと分ってしまうほど明確。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』というこのアルバム・タイトルにしているんだから、やはりシンボリックな代表曲なんだろうなあ。その「アウ・アウ・ベイビー」は1955年録音で、ギター+ピアノ+ベース+ドラムスというバンド編成だ。

そんなバンド編成での「アウ・アウ・ベイビー」では、ギター&ヴォーカルのロバート・Jr・ロックウッドはかなり忠実にロバート・ジョンスンのパターンを踏襲している。ってことはつまりロバート・ジョンスンの録音したオリジナルが既にそんなモダン・バンド・ブルーズ的だったってことだよなあ。

ギターをエレキにしてリズム・セクションを付けさえすれば、そのまま戦後のシカゴでも通用する、そんなブルーズをやったのがロバート・ジョンスンであって、決してデルタ・カントリー・スタイルの、いい意味での野卑なブルーズ・マンではなかったんだよね。ロックウッドはそれをそのままやっているだけだ。

また『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』のロバート・Jr・ロックウッドによる1曲目と12曲目はどっちもこれまたロバート・ジョンスン・ナンバー「ダスト・マイ・ブルーム」だ。この曲は戦後エルモア・ジェイムズがエレキ・ギター三連スライドでやった。

そのエルモア・ジェイムズの1951年トランペット録音ヴァージョンで「ダスト・マイ・ブルーム」は一気に有名になり、またそれがエルモアの初録音でもあったので、エルモア自身これが大ブルーズ・マンとしての出発点になり、同曲で披露したエレキ・ギターでの三連スライドが名刺代わりになった。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』にあるロバート・Jr・ロックウッドによる「ダスト・マイ・ブルーム」2ヴァージョンは、1曲目、12曲目と離れてはいるものの、同日の同メンバーによる同じセッションでの録音で、実はエルモアの初録音よりも先なのだ。

ただしその1951年 JOB 録音の二つの「ダスト・マイ・ブルーム」は、解説の小出斉さんによればどっちも当時はリリースされなかったらしい。だからリアルタイムではエルモア・ジェイムズ・ヴァージョンの方が先に知られることとなった。比べるとロバート・Jr・ロックウッドのはかなりおとなしい。

おとなしいというか、ロバート・ジョンスンのオリジナルをそのまま電化バンド形式でやっているというようなもので、エルモア・ジェイムズ・ヴァージョンのような拡大解釈はしていない。その分、最初から書いているようにロバート・ジョンスンが1950年代に生きていればこうだったと実感できるような感じだ。

ちょっぴりシカゴ・スタイルなギターの弾き方も出てくる。ビッグ・ビル・ブルーンジーを思わせる瞬間もあるからね。拡大解釈したエルモアのは強烈にモダンだが、ロバート・Jr・ロックウッドのもダウン・ホーム感がありながら充分モダンというか洒落ていて、どっちがいいかは聴く人の好み次第だ。

『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』にはロバート・Jr・ロックウッドの名前で収録されているが、実はサイド・ギタリストとして参加しただけで、ピアニスト、サニーランド・スリム名義の五曲、同様にドラマー、アルフレッド・ウォレス名義の二曲も面白い。

コクのあるヴォーカルの味はサニーランド・スリムの五曲がいいなあ。ロバート・Jr・ロックウッドよりも上だ。しかもそれら五曲は相当に洗練されたモダン・シティ・ブルーズで、サニーランドのピアノもそうだけど、ロックウッドのギターの弾き方も T・ボーン・ウォーカー〜ジャズ系の音使いだ。

そんなのを聴いていると、ロバート・Jr・ロックウッドは完全にロバート・ジョンスン・スタイルの継承者としてのブルーズ・マンでありながら、同時に戦後のブルーズ新時代にも適応した、いわばアグレッシヴさと都会的洗練を兼ね備えた人だったことが、1950年代初期 JOB 録音で既に分る。

さて駆け足で『スウィート・ホーム・シカゴ:ザ・JOB・セッションズ 1951-1955』後半のジョニー・シャインズを。全て基本的には(ブルーズ・ハープ奏者が入るものはあるが)一人でのギター弾き語り。まず最初の13曲目「ランブリン」。これも完全にシャインズ一人でのエレキ・ギター弾き語りブルーズ。

「ランブリン」というタイトルだけど、これはロバート・ジョンスンの「ウォーキン・ブルーズ」だ。続く14曲目「フィッシュ・テイル」というタイトルでのこれまた完全にシャインズ一人での弾き語りは、やはりロバート・ジョンスンの「テラプレイン・ブルーズ」。改作とか焼直しでもなくそのまんまだ。

ギターとヴォーカルのディープさは、ジョニー・シャインズの方がロバート・Jr・ロックウッドよりも強く感じる。ロバート・ジョンスンにあった(といっても録音数自体はかなり少ない)デルタ・スタイルの継承者だといういうだけでなく、一人での弾き語りの時はそんなディープな持味のブルーズ・マンだよなあ。

また17曲目以後の五曲ではウォルター・ホートンのブルーズ・ハープと不明のベースが入っていて、シカゴ・ブルーズの初期型バンド・スタイルみたいな色が濃くなっている。ブルーズ・ハープがかなり大きくフィーチャーされているので、さしずめモダン・ハーモニカ・ブルーズといった趣でちょっと面白い。

また19曲目「ノー・ネーム・ブルーズ」、20曲目「ブルータル・ハーティッド・ウーマン」におけるジョニー・シャインズのギターはデルタ・スタイルではなく、ロバート・ジョンスン直伝のウォーキング・ベース、すなわちブギ・ウギのパターンを弾いている。まるでロックウッドみたいだよなあ。

ロバート・Jr・ロックウッドも時々デルタ・スタイル直伝のものをやることがあったし、だから主にロバート・ジョンスンのデルタ的側面を受け継いで云々といったジョニー・シャインズだって、シティ・ブルーズのスタイルであるブギ・ウギを弾いたっておかしくはないどころか、当たり前だろうなあ。

2016/11/23

むかし歌にはヴァースがあった

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ポップ・ソング、特に20世紀前半までに書かれたものには、リフレイン(コーラス)部分の前にヴァースがある場合が多い。でもこれ、専門家か熱心なファンじゃないと知らない場合が多くなっているかもしれないなあ。なぜならば歌ったり演奏されることが殆どなくなっているからだ。特にインストルメンタル演奏でヴァースからやることなんて、稀な例外を除きほぼない。

スタンダード化したポップ・ソングをジャズ・メンがインストルメンタル演奏する場合にヴァースをやらないのは当然だ。なぜならばヴァースとは歌の本編ともいうべきリフレインの前置説明であって、歌詞があるからこそ意味があるものだからだ。楽器演奏でヴァースをやる意味はない。

そう、ヴァースとは本編のリフレインに入る前の序文であって、その序文があるからこそリフレイン部分の歌詞を充分に理解することができる。これは原語(多くの場合は英語)を理解できる方がヴァース付きの歌を聴けば、必ず納得していただけるものだ。

多くの場合は英語と書いたのは、今日の話題はもっぱら20世紀前半に創られたアメリカン・ポップ・ソングを対象とするけれども、他国の大衆歌謡の場合でもヴァースが付く場合があるからだ。例えばフランスのシャンソンにもある。以前も書いたけれど「枯葉」のお馴染のメロディはリフレイン部分であって、実はその前に長すぎるとさえ思えるヴァースがある。

さてやはりアメリカン・ソングブックに話を限ると、20世紀前半までに書かれたポップ・ソングの多くに前置説明のヴァースがある理由は、レコード商品をまず第一のものだとは考えていないからだ。殆どがブロードウェイ・ミュージカルや映画その他様々な場面で歌われるものとして書かれた。

そんな(生)演唱の舞台では、お芝居のなかに歌が出てくるわけなので、いきなり本編を歌いはじめると唐突な感じになってしまって、歌に入る前までのお芝居とスムースに結びつかないのだ。だから言葉のやり取りであるお芝居と歌本編を繋ぐものとしてヴァースが置かれた。

だからポップ・ソングにおけるヴァースは歌の一部でありながら、あまり歌っぽくない語りに近いようなもので、実際ヴァースを聴くとメロディの起伏・抑揚に乏しい。メロディアスでなくリズミカルでもない。殆どの場合がかなりゆっくりとしたテンポ・ルパートで綴られる。

そしてヴァースでの前置説明を終えリフレイン部分に入ると、途端にテンポ・インしてリズミカルになり、メロディも明快になって、僕たちがよく知っているいわゆる「音楽」「歌」というものになるんだなあ。ヴァース部分は導入ナレイションだから、聴いても音楽的には面白さが小さい。

そんなこともあってか、ミュージカルなど種々の生舞台では間違いなくヴァースから歌いはじめるのにもかかわらず、レコード商品にするために録音するとなると、ヴァースは多くの場合省略される。これはティン・パン・アリーのソングブックがレコードになりはじめる最初期からそうだ。

もう一つの理由としては、ポピュラー音楽の世界ではSP時代が長かったので(録音音楽の約半分)、当然約三分間という物理的制約があるために、本編であるリフレインだけを演唱していたってこともあるのかもしれない。ヴァースからリフレインまで丸ごと全部やって三分以内におさめることは、やや難しい場合がある。

そんな録音習慣と、さらに前述の通り音楽的には面白味が薄いのでやはり省略したいということと、主にそれら二つの理由で、レコードにする際はヴァースは歌わないのが常識化したので、テープ・レコーダーとLPメディアが出現し長時間録音が可能になって以後も、そのかたちをそのまま踏襲したのかもしれないなあ。

そんなヴァース付きのポップ・ソングはもちろん元々ジャズの世界の歌なんかじゃないんだが、まあでも曲の成立はジャズがアメリカ大衆音楽の王者だった時代なので、レコードにする際はやはりジャズ歌手やジャズ系のポップ歌手が歌うことが多い。これは戦後もそうだ。

ある時期以後、元はロック畑で活躍していた歌手、例えばリンダ・ロンシュタットやロッド・スチュアートなどがそんなアメリカン・ソングブックを歌った企画アルバムも出るようになってはいるが、実を言うと僕はなんの関心もなくCDでおそらく一枚も買っていない(はずだが部屋のなかを探せばなにか持っているかも)ので、話はできない。

だからやはりジャズ(系)歌手が歌うヴァース付きポップ・ソングの話になるんだが、エラ・フィッジェラルドのあの例の『ザ・コンプリート・エラ・フィッツジェラルド・ソング・ブックス』に沿って話を進めたい。どうしてかというと、このCD16枚組でエラはヴァースがある歌は全てヴァースから歌っているからだ。

もちろんこのエラの16枚組でなくたってたくさんあるのだが、ヴァースがあったりなかったりするのを一個一個探してピック・アップするなんて作業はかなり面倒臭く、憶えてもいないので、僕にとっては不可能に近い作業だ。そんなわけでエラのソング・ブック・シリーズにほぼ限定する。

エラのこのソング・ブック完全集については、以前も一度詳しく記事にした(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-b4fa.html)。エラはジャズ歌手ではあるけれど、書いてあるようにこのソング・ブック完全集を、いわゆる「ジャズ」なんていう狭い枠のなかだけで捉えるのは甚だしい勘違いだ。

そんなジャズ歌曲集じゃなく、上掲記事で書いてあるようにアメリカン・ソングブックの宝石箱として、あらゆるジャンルをまたぐアメリカ大衆音楽を愛するファンには是非聴いてほしいんだよね。ジャズ作曲家だったデューク・エリントンのソングブックを除き、全て黄金時代のティン・パン・アリーのものだし、だからこの16枚組で大きな部分を把握できる。

エラのこの16枚組では、しかし唯一『ザ・ジェローム・カーン・ソングブック』でだけはヴァースから歌っていない。例えば収録されている、カーン最大の有名曲「オール・ザ・シングス・ユー・アー」。これもヴァースがある歌なのだが、エラはヴァースを省略している。他のソングブックでは全部歌っているのにどうしてかなあ?

ただ「オール・ザ・シングス・ユー・アー」の場合は、エラでなくてもヴァース入りで歌っているヴァージョンはかなり珍しいというか、殆どない。正直に言うと僕はただの一度も聴いたことがないし、この曲に関してだけ部屋のなかのCDを探し廻って聴いてみたが、一つもないんだなあ。

それで YouTube で探してみたら、ヴァース入りの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」をバーブラ・ストライザンドが歌っているのが見つかった。聴いてみたらこりゃなかなかいいなあ。これ以外にも少し見つかったが、このバーブラのが一番いい。
さてジェローム・カーン集でだけどうしてヴァースを歌わないのか分らないが、他は元々ヴァースなんか書いていないエリントン・ソングブックを除き全てヴァースから歌っているエラのソングブック完全集。アルファベット順だとコール・ポーター集が一番先に来る。

コール・ポーターもヴァース入りの曲が多い。「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」「ナイト・アンド・デイ」などの超有名曲も全てヴァースがあり、エラもヴァースから歌っている。

それらのうち「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」は僕も大学生の頃からヴァースを知っていた。なぜならばフランク・シナトラがキャピトル盤『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』で歌っていたからだ。そのシナトラ・ヴァージョンは、というか『スウィング・イージー』との2in1レコードはかなりの愛聴盤だった。

そんなシナトラだが、コロンビア時代に歌った「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」ではヴァースを省略している。シナトラの場合、キャピトルやその後のリプリーズ時代に歌った有名スタンダード曲の多くを、既にそれ以前のコロンビア時代に歌っているが、少しずつ姿を変えている。

シナトラと歌のヴァースといえば、ほぼ全員がリプリーズ時代の「スターダスト」を言うだろう。ナット・キング・コールの歌もかなり知られているこの超有名曲を、シナトラはコロンビア時代、キャピトル時代にも歌っているが、リプリーズ時代には、なんとリフレイン抜きでヴァースしか歌わなかった。
歌の本編であるリフレインを歌わず、歌われないことも多いヴァースだけ歌うなんてのは、つまりケレン味の極致みたいなもんだ。元々そんな部分のある歌手だったシナトラだけど、こんな「スターダスト」はちょっとやりすぎかもしれないよなあ。しかし僕はこんなシナトラのケレン芸が案外嫌いではない。

エラのコール・ポーター集にある、例えば「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」なんかはヴァースを聴かないと、リフレイン部分の歌詞の意味はもちろんのこと、曲名の意味すら理解できない。エラのそのヴァージョンをご紹介しておく。
お聴きになれば分るとは思うけれど、一応ヴァース部分を引用すると以下。

As Dorothy Parker once said
To her boyfriend, "fare thee well"

As Columbus announced
When he knew he was bounced,
"It was swell, Isabel, swell"

As Abelard said to Eloise,
"Don't forget to drop a line to me, please"

As Juliet cried, in her Romeo's ear,
"Romeo, why not face the fact, my dear"

ヴァース部分で四つの具体例をあげ、いざ本編のリフレイン部分の歌い出しで「まあそんなことだわよ」(It was just one of those things)と言っているわけだから、ヴァース抜きではいったいなにが「ゾーズ・シングズ」なんだか理解できず、だから曲名の意味すら分らないはずだ。

21世紀の僕たちの感覚からしたら相当古臭いというか、理解が難しいようなこのヴァース部分での四つの具体例。しかしこれ抜きで「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」という歌も理解が難しいのも事実。だから普段聴かないのはいいとしても、頭の片隅に置いてあってもいいんじゃないだろうか。

ヴァース云々とは全く無関係だけど、せっかく英語(詞)の話題だから書いておく。エラのコール・ポーター集にもある「エニイシング・ゴーズ」。これはむかし和訳題がひどく間違っていることがあった。”anything goes” とは「なんでもあり」という意味だぞ。

もっとおかしかったのは、エラのソングブック完全集には当然入っていないマット・デニスの書いた「ザ・ナイト・ウィ・コール・イット・ア・デイ」。これも昔とんでもない邦題が付くことがあった。”call it a day” とは「終りにする」「もうやめる」の意だから、この曲名は「僕たちが別れたあの夜」という意味だ。ボブ・ディランも歌っている曲だよね。

なんだかエラのソングブック完全集を話題にすると宣言しながら、コール・ポーター集の話しかしていないのに、もうこんな長さになってしまったのでそろそろやめなくちゃ。ガーシュウィン・ソングブックスでもエラはヴァースを歌っている。

ガーシュウィンものだと「オー、レディ・ビー・グッド」「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・イット」「サムワン・トゥ・ワッチ・オーヴァー・ミー」(ヴァースまあまあ長い)「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」その他がヴァース付きで、エラもそれを歌っている。

ガーシュウィンものでヴァースがない最有名曲は、間違いなく「ザ・マン・アイ・ラヴ」だろうね。もちろん他のソングライターのものでもヴァースのない歌はある。例えばコール・ポーターなら「オール・オヴ・ユー」「アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン」などはヴァースがない。

ロジャース&ハート・コンビものだと「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」「ビウィッチト」、そしてこのコンビが書いた最も有名な、有名すぎる超スタンダードの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」もヴァースがあって、エラもヴァースから歌っている。ご存知ない方が多いかもしれないので紹介しておく。
「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」に関しては、大学生の頃からフランク・シナトラの前述『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』収録ヴァージョンで親しんでいた。しかしあのケレン味満載歌手であるにもかかわらず、ヴァースは歌っていないのだ。

同時にマイルス・デイヴィスが演奏する同曲に大いに感動し愛聴してきているが、最初に書いたように、どんな曲であっても楽器奏者がヴァースから演奏するなんてことは意味がないんだからほぼ皆無。当然マイルスも吹くわけがなく、長年「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」とはこういう曲なんだろうと思い込んでいた。

2016/11/22

黒き救世主にして黒き呪術師キャノンボール

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1970年(の何月何日かは不明)にロス・アンジェルスのトゥルバドゥールという小さなクラブに出演したキャノンボール・アダリー・クインテット。五人の編成はボス以下、ナット・アダリー(コルネット&ヴォーカル)、ジョージ・デューク(エレクトリック・ピアノ)、ウォルター・ブッカー(ウッド・ベース)、ロイ・マッカーディー(ドラムス)。

この時のライヴ演奏が公式録音され、キャノンボールが契約していたキャピトルから『ザ・ブラック・メサイア』という二枚組LPでリリースされたのが1972年のことだった。プロデューサーはデイヴィッド・アクセルロッド。がしかしこのアルバムはあまり売れなかったんだそうだ。

『ザ・ブラック・メサイア』については以前一度だけ、キャノンボールとジョー・ザヴィヌル関連で触れたことがある(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-2357.html)。キャノンボールの作品のなかで現在の僕が最も愛するものがこれなんだけど、そんなジャズ・ファンはおそらく他にいないだろう。

『ザ・ブラック・メサイア』、アナログ盤では一度も聴いたことがなかったなあ。1972年にリリースされているが、おそらくすぐに廃盤になったまま再発されなかったはずだ。そもそもそんなアルバムがあるってことすら僕は知らなかった。なかなかCDリイシューもされず、もはや存在しないも同然みたいな状態だったもんなあ。

キャノンボールの『ザ・ブラック・メサイア』がCD化されたのは2014年のことで、しかもそれはリアル・ゴーン・ミュージックというなんだか知らないレーベルからのもの。(おそらく)1972年のアナログ盤リリース以後その時まで、このアルバムの存在は人々の記憶から抹消されていたのだ。

上記の通り僕も存在すらしらず、気が付いたのは上記リンクの僕のブログ記事に書いてあるように、ジョー・ザヴィヌル本人が編纂したコンピレイション盤『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』のラストに、『ザ・ブラック・メサイア』から「ドクター・ホノリス・カウザ」がチョイスされて収録されていたからだ。

『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』は2004年のキャピトル盤CD。つまり『ザ・ブラック・メサイア』はまだCDリイシューもされていないし、アナログ盤中古もひどく入手が困難な状態だったはずだ。でもその「ドクター・ホノリス・カウザ」がかなりいいので気になったんだよなあ。

それで『ザ・ブラック・メサイア』を是非聴きたいと思ったものの、書いているような状態だったもんだから入手できず、ただ『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』にある「ドクター・ホノリス・カウザ」だけを繰返し聴いていたような具合。2014年になって初めてフル・アルバムが買えたのだ。

だいたい『ザ・ブラック・メサイア』をジャズ・マスコミはガン無視状態だったもんなあ。それは今でも同じ。これについてジャズ(系)・ライターでもブロガーでもどなたかがしっかり書いているのを僕は日本語ではいまだに全く見たことがない。英語でならネット記事(ブログ?)が三つほど見つかったけれど。

だから日本語のものとしては僕の今日のこの文章が初になるはずだ。どこまで書けるか分らないが、その三つの英語記事を参考にしつつ、また『ザ・ブラック・メサイア』のリイシューCD附属ブックレット英文解説(はビル・コップというブロガーが書いている)も踏まえながら、なんとかやってみたい。

キャノンボールの1970年録音『ザ・ブラック・メサイア』が長年ジャズ・マスコミからはガン無視され続けてきたというのは、音を聴けばまあ理解はできる。このアルバムはま〜ったくジャズではないからだ。ちょっとその面影がかすかに伺える程度で、ロック〜ファンク系の音楽なんだよね。

ジャズ側に百歩譲ってもフュージョンかなあ。でも普通のジャズ系フュージョンではないし、じゃあスタッフみたいなブラック・ミュージック由来のインストルメンタル音楽としてのフュージョンなのかというと、それとも違う。アルバム・タイトル通り、黒い肌の救世主としてのキャノンボールが呪術を展開しているような内容なのだ。

「黒い救世主」という意味のアルバム・タイトル曲は、この二枚組ライヴ・アルバムのオープニング・ナンバー。それはアルバム中最も長い16分以上もあるので、やはりこれがハイライトなんだろうなあ。書いたのはジョージ・デューク。フランク・ザッパの一連のアルバムで大活躍するようになるジョージ・デュークだが、この1970年時点だとザッパと知り合ったばかりという時期かなあ。

ジョージ・デュークが弾くエレクトリック・ピアノはフェンダー・ローズの音ではない。おそらくはウーリッツァーじゃないかなあ、そんなサウンドに聴こえるなあと思って情報がないか探したら、CD附属ブックレットの解説文にウーリッツァーだと書いてある。

がジョージ・デュークはそのままストレートにウーリッツァーを弾いていない。エコープレックスとリング・モジュレイターを使って音をかなり歪めてあるんだなあ。普通のジャズ・リスナーはこんなの嫌いだよねえ。ちょうどファズが効いたエレキ・ギターの音を嫌うようにね。

僕は前々から繰返しているように歪んで濁った音の方が「美しい」と感じる性分の人間で、それは楽器(や人声)のアフリカ回帰だと思うっていうのもあるが、それは後付けの理屈であって、昔からただ単に気持良いっていうだけの話なんだよね。そりゃレッド・ツェッペリンみたいなものから洋楽に入門したわけだからさ。

アルバム一曲目の「ザ・ブラック・メサイア」では兄弟の二管によるテーマ演奏に続き、兄キャノンボールのアルト・サックス・ソロになる(彼は曲によってソプラノも吹く)。それにジャズ・サックスのソロみたいな雰囲気を聴き取ることはかなり難しい。少なくとも1958〜59年にマイルス・デイヴィス・コンボでやっていたようなものではない。
マイルスの名前を出したけれど、ちょうど1970年あたりのマイルス・ミュージックと『ザ・ブラック・メサイア』で聴ける同時期のキャノンボール・ミュージックは完全にシンクロする。それに上でも名前を出しているジョー・ザヴィヌルと、あるいはハービー・ハンコックなどなど、みんな共振していたよねえ。

「ザ・ブラック・メサイア」ではキャノンボールのソロに続き、弟ナットのコルネット(もジャズ風ではない)、ジョージ・デュークのエレピ・ソロと続く。ジョージ・デュークはそもそも1960年代後半のデビュー当時からピュア・ジャズの人間ではないから、ここでのエレピ・ソロだってファンク系の弾き方だ。

アルバム『ザ・ブラック・メサイア』で僕が愉快でたまらないのが(トラックでは四つ目だが曲は)二曲目の「リトル・ベニー・ヘン」だ。なぜならばジャズはほんのひとかけらすらもない完全なるロックンロールだからだ。チャック・ベリーだろうとしか思えないブギ・ウギ・パターンのギター・リフを弾いているのはマイク・デイジー。
ヴォーカルもファズの効いた音でのギター・ソロもマイク・デイジーだし、その後に出てくるサックス・ソロはこの日のゲスト参加だったアーニー・ワッツによるテナー吹奏。なにもかも全てがブルーズ・ルーツのロックンロールだ。ここまで明快に非ジャズなのは、『ザ・ブラック・メサイア』のなかでもさすがにこれ一曲だけ。

こんなのぜ〜ったいにジャズ・ファンは大嫌いだ。間違えて普通のジャズ・ファンがもし仮にキャノンボールの『ザ・ブラック・メサイア』を手に取ることなどあったならば、この「リトル・ベニー・ヘン」が鳴り出した瞬間に腹を立てて再生をストップすること必定だよなあ。わっはっは。

『ザ・ブラック・メサイア』一枚目ラストが前述の「ドクター・ホノリス・カウザ」。もちろんジョー・ザヴィヌルの書いた曲だけど、そのオリジナルはザヴィヌルのソロ・アルバム『ザヴィヌル』の一曲目収録。それも1970年録音なんだよね。録音月日は不明だが、キャノンボールがカヴァーしたのは間違いなく直後だ。

しかもザヴィヌルのソロ・アルバム『ザヴィヌル』がアトランティックからリリースされたのは翌1971年だから、キャノンボールが『ザ・ブラック・メサイア』になったトゥルバドゥールに出演した時は一般聴衆には未知の曲で、キャノンボール自身リリースされたのを耳にして知ったのではない。

ご存知の通りザヴィヌルは長年キャノンボール・バンドの中核的存在として大活躍していたわけだし、トゥルバドゥール出演の1970年というとバンドを脱退した直後だから、間違いなくザヴィヌル本人から「ドクター・ホノリス・カウザ」という曲をなんらかの形でもらっていたんだろう。

『ザ・ブラック・メサイア』での「ドクター・ホノリス・カウザ」では、演奏に入る前にキャノンボールがかなり興味深いことを喋っている。この曲はハーバート(ハービー)・ハンコックのためにザヴィヌルが書いた曲だということだ。ハービーは、この頃グリネル・カレッジから名誉博士号を授与されていて、それを祝うという意味で(?)ザヴィヌルが書いたんだとキャノンボールは言っている。

ハービーがグリネル・カレッジからもらったのは英語だと Honorary Doctor of Fine Arts Degree なので、それで「ドクター・ホノリス・カウザ」という曲名になっているっていうことなんだろう。しかしこんな事実は僕は長年全く知らなかった。

前述の『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』が2004年にリリースされた時、それに収録の「ドクター・ホノリス・カウザ」はその演奏前のキャノンボールの喋りから収録してあるので、その時点で僕は初めてこの曲名の由来を知ったのだった。

そういえば「ドクター・ホノリス・カウザ」のオリジナルであるアトランティック盤『ザヴィヌル』にはハービー・ハンコックも参加してフェンダー・ローズを弾いている。一曲目の「ドクター・ホノリス・カウザ」にももちろん参加。だからそもそもザヴィヌルはハービーとの共演を念頭に置いてこの曲を創ったんだなあ。

『ザ・ブラック・メサイア』の「ドクター・ホノリス・カウザ」は、しかし『ザヴィヌル』のオリジナルよりもはるかにカッコイイぞ。真っ黒けでグルーヴィーで、『ザヴィヌル』ヴァージョンにあるジャズ風な残滓は『ザ・ブラック・メサイア』ヴァージョンには薄い(ゼロではない)。
『ザ・ブラック・メサイア』の「ドクター・ホノリス・カウザ」ではキャノンボールはソプラノを吹いている。その後ナットのコルネット・ソロ。二人のソロのあいだ、ジョージ・デュークがエフェクターで歪めた音のエレピでバックを支えている。後半エレピ・ソロになるが、その部分でのサウンド創りは相当に先進的というか、エレピを弾くソニー・シャーロックみたいな感じだ。

『ザ・ブラック・メサイア』一枚目はこれで終り。今日ももう随分長くなったのであまり書いている余裕がないが、二枚目一曲目の「ザ・チョコレート・ヌイサンス」はジャズ・ロック/ファンク。

『ザ・ブラック・メサイア』二枚目五曲目の「エピソード・フロム・ザ・ミュージック・ケイム」は、これまたゲスト参加のクラリネット奏者アルヴィン・バティストの書いた曲で、やはり彼のクラリネットをフィーチャー。続く六曲目「ヘリティッジ」で歌ってるのはキャノンボール本人かもしれない。

『ザ・ブラック・メサイア』CDパッケージにはパーソネルの明記がなく、ネットで調べて判明しているわけだけど、それによればギターのマイク・デイジーがゲスト参加で歌うもの以外、ヴォーカルはナットということになっている。がしかしそれらと「ヘリティッジ」で聴けるのとでは声が違うんだよね。

もっとも『ザ・ブラック・メサイア』では曲間で非常によく喋っているキャノンボールのその喋りの声と、「ヘリティッジ」での歌の声はかなり違うんだけど、まあいざ歌うとなれば喋っているのとは声が変わるのが一般的だから、可能性はあるんじゃないかなあ。

ところでその「ヘリティッジ」。楽器のソロはなく伴奏するだけで全面的にヴォーカルをフィーチャーしているが、これはデューク・エリントンの曲だとどのネット情報にも書いてある。がしかし僕はこの曲は全く知らないんだなあ。少なくともエリントン(楽団)自身による演唱ヴァージョンは存在しないはずだ。

ってことは1970年時点ではまだ活躍中だったエリントンが、キャノンボールのバンドのために書いて提供した曲なのか?そのあたりに関してはどんなネット情報もない。どこにも一言もないんだけど、英語で書いている(おそらくアメリカ人の)みなさんはどこからこれがエリントン作だという判断をしたのか?

どっちにしても今の僕には分らんからいいや。『ザ・ブラック・メサイア』でも弾いている当時のキャノンボール・クインテットのレギュラー・ベーシストのウォルター・ブッカーは、ウェイン・ショーターの『スーパー・ノーヴァ』でもザヴィヌルの『ザヴィヌル』でも弾いている。この人もまた1960年代末〜70年代初頭のキー・パースンの一人だね。

2016/11/21

ザ・バンドのワールド・ミュージック的アティテュード

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ザ・バンドの四作目1971年の『カフーツ』。人気ないよねえ。評価も低い。僕も決して傑作なんかじゃないと思う。特にこのザ・バンドというバンド(面倒くさい名前だ)の大傑作とされる一作目『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』、二作目『ザ・バンド』とは全く比較にならないかも。

それは僕も納得しているものの、『カフーツ』だって意外に好きなのだ。というか個人的趣味嗜好だけなら『カフーツ』が僕にとってのこのザ・バンドというバンドの諸作中モスト・フェイヴァイットなんだよね。まあこんな意見のリスナーはロック・ファンには少ないと思う。がワールド・ミュージック・ファンのなかにはいるかも。

そう、『カフーツ』はザ・バンドの諸作中最もワールド・ミュージック的なアティテュードを感じるものなのだ。いろんな音楽をお聴きのリスナーであればこの意見に納得していただけるかもしれない。元々アメリカーナ的なルーツ・ミュージック志向の音楽集団だったザ・バンドがどうしてこうなったのか?

1970年の三作目『ステージ・フライト』までで、いや69年の二作目『ザ・バンド』まででやりたい音楽をやり尽くしてしまい、その後は方向性が定まらなくなったとか、バンド内の人間的力関係の変化が影響しているだとか、いろんな意見を読むけれど、僕はそのあたりにあまり詳しくなく興味も薄い。

単にできあがって今でもCDで聴ける音でだけいろいろと考えて判断しているだけだ。そうなった場合、僕にとってのザ・バンドは、これらに尽きるとまで言われる最初の二枚はちょっと息苦しいというか、じっくり何度も聴き込まないと分りにくいような部分もあって明快じゃないし、ポップでもないもんなあ。

だから僕はザ・バンドの最初の二枚は普段あまり聴かない。だってしんどいもん。僕が一番よく聴くザ・バンドのアルバムは1972年の二枚組ライヴ・アルバム『ロック・オヴ・エイジズ』だ。やっぱりライヴ盤好きで二枚組好きの僕。そんでもって『ロック・オヴ・エイジズ』と『カフーツ』は関係がある。

『ロック・オヴ・エイジズ』ではホーン・セクションが大胆に起用されているが、それのアレンジがアラン・トゥーサンだ。アランがやった仕事のなかで僕が最も好きなものの一つなんだよね。マジックだとしか思えないアランのホーン・アレンジがあるからこそこの二枚組ライヴ・アルバムが大好物なのだ。

『ロック・オヴ・エイジズ』では、元はホーン・セクションなど入っていないザ・バンド・オリジナル楽曲でもアラン・トゥーサンが絶妙極りないアレンジのペンをふるっている。そのあたりのことも含め、いろいろと面白いこの二枚組ライヴ・アルバムについては機会を改めて一度じっくり書いてみたい。

そんなアラン・トゥーサンとザ・バンドとの初顔合わせが1971年の『カフーツ』だったのだ。すなわち一曲目「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」のこと。リヴォン・ヘルム・ロビー・ロバートスン、リック・ダンコ三名の共作名義で、歌うのはリヴォンとリック。この曲でのホーン・アレンジが見事だ。

いったいどういうわけでザ・バンドがアラン・トゥーサンを起用したのかは僕は知らない。なにか書いてあるものがありそうだけど、調べていない。アランのアレンジはいつもそうだけど、「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」でもごく自然。これみよがしな部分が全くなくスッとバンド・サウンドに溶込む。

そんなアラン・トゥーサンのペンとザ・バンドのサウンドの融合具合が最高に発揮されたのが『ロック・オヴ・エイジズ』なんだけど、ホントまた別の機会に。アレンジを書いているのか書いていないのか分らないような感じでバンド・サウンドにごく自然に馴染むという点では、クインシー・ジョーンズの手法に少し似ている。

ホーン・セクション(の編成は書かれていないし、調べても分らず、また僕の耳では聴いてなんの管楽器が何人と判断することも不可能)が参加していることもあって、『カフーツ』一曲目「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」は賑やかな印象だ。それが僕は好きなんだ。若いのにこんな地味な老成バンドの音楽としては。
『カフーツ』にはもう一曲、B面五曲目「ヴォルケイノ」にもホーン・セクションが入っているが、そのアレンジはアラン・トゥーサンであるというクレジットはない。聴いてみてもこれはアランの仕事じゃないな。だって一曲目「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」とはアレンジのスタイルがかなり違うから。
「ヴォルケイノ」でのホーンの入り方は不自然というのではないが、ちょっと取ってつけたようなというか、バンド・サウンドとの融合具合がイマイチに聴こえる。だからクレジットがないように、どう聴いてもアラン・トゥーサンの仕事じゃないのは間違いないように思う。『カフーツ』でホーン・セクションが入るのはその二曲だけ。

ホーン・セクションではないが「ヴォルケイノ」ではサックスのソロが入る。吹いているのはガース・ハドスンだね。曲調もバンドの演奏もホーン・セクションのサウンドも、いかにも火山が噴火するといった派手で賑やかな内容で、ガースのサックス・ソロもいいし、これもアルバム中まあまあ好きな一曲だ。

『カフーツ』で一曲目「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」の次に好きなのが続く二曲目「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」だ。これはボブ・ディランの書いた曲だけど、ディラン本人のヴァージョンはまだ未発表だったので、このザ・バンドのヴァージョンで知れらていたもの。
実を言うと僕は「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」のボブ・ディラン自身によるヴァージョンをいまだに聴いたことがない。でも調べてみたら『グレイテスト・ヒッツ Vol. II』に収録されているようで、僕はその二枚組を持っているなあ。オカシイぞ。どうして憶えていないだろうなあ。

まあいいや。『カフーツ』二曲目の「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」。冒頭でフェイド・インしてくるのがガース・ハドスンの弾くアコーディオンで、すぐにリヴォンの歌が出る背後でもずっとアコーディオンが鳴っていて、ヴォーカルが終わると、またしてもアコーディオンでソロを弾きながらフェイド・アウトする。

『カフーツ』の「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」でのそんな部分にも、僕はアティテュードとしてのワールド・ミュージック志向を感じ取っている。ガース・ハドスンのアコーディオンの弾き方はややアメリカ南部風なもので、ちょぴりザディコっぽく聴こえたりもするのが面白い。

「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」、ホント、ボブ・ディラン本人のヴァージョンはどんな感じなんだろうなあ?『グレイテスト・ヒッツ Vol. II』を引っ張り出してきて聴かなくちゃ。一応ザ・バンドの『ロック・オヴ・エイジズ』現行CDにもディランが歌うのが収録されている。

それはもちろん2001年リリースの際に追加されたボーナス・トラックで、『ロック・オヴ・エイジズ』のアナログ盤にはない。ちょっと聴いてみたけれど、「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」もごくごく普通のいつものディラン節でアコーディオンは全くなし。あまり面白いもんじゃないなあ。

やっぱり『カフーツ』の「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」こそが面白い。これに比べたら、いかにもワールド・ミュージックっぽいB面一曲目の「シュート・アウト・イン・チャイナタウン」での取ってつけたようなわざとらしいエキゾティック趣味はあまり好きじゃない。
『カフーツ』A面ラストの「4%・パントマイム」にはヴァン・モリスンがゲスト参加して、リチャード・マニュエルと掛け合いで歌って面白いやり取りを聴かせる。リチャードはピアノで三連フレーズを叩き続けている。作曲はヴァンとロビー・ロバートスンの共作名義。これもなかなかいいなあ。
僕が現在持っている『カフーツ』を含むザ・バンドの全作品は、米キャピトルが2000年にリイシューしたもので、どのアルバムにもたくさんボーナス・トラックが収録されている。そのなかにはかなり興味深いものがあるので、オリジナル通りじゃないとダメだというリスナー以外にはオススメなのだ。

『カフーツ』のオリジナルは全11曲だけど、2000年リリースのリイシューCDには5トラック収録追加されている。「五曲」と書かないのには理由がある。ラスト16トラック目は「ラジオ・コマーシャル」だからだ。聴いた感じ、タイトル通りおそらく『カフーツ』リリースにあたってラジオで流した宣伝音源だ。

「ラジオ・コマーシャル」は約一分間。そんなもの聴いてもしょうがないだろうと言わないで。ちょっと面白いのだ。いきななり「ジプシーの、ミンストレル・ミュージシャンの」ザ・バンドというナレイションが流れて、それに続いて三曲の断片が流れ、「ザ・バンドの最新作、キャピトルから!」と言っている。
流れる断片のアルバム収録の三曲は「ウェン・アイ・ペイント・マイ・マスターピース」「シュート・アウト・イン・チャイナタウン」「ライフ・イズ・ア・カーニヴァル」の順で出てくる。つまり全てワールド・ミュージック志向のものばかり。ってことはキャピトル側もそんな音楽性を売り出したかったのかもしれないなあ。

また15曲目に「ドント・ドゥー・イット」のスタジオ・アウトテイクが収録されている。この曲、もちろんマーヴィン・ゲイのあれだけど、当時ザ・バンドによるスタジオ録音は未発表のまま。1972年の『ロック・オヴ・エイジズ』に収録されたのだけが20世紀のあいだはザ・バンド唯一のものだった。

その『ロック・オヴ・エイジズ』オープニングの「ドント・ドゥー・イット」が、冒頭で弾きはじめるリック・ダンコのベースといい、アラン・トゥーサンのアレンジしたホーン・セクションの入り方といいえらくカッコよくて、僕は最初にレコードで聴いた瞬間にこのアルバムが大好きになったものだった。
それに先立つスタジオ録音ヴァージョンがあって、それが聴けたってのが嬉しかったんだなあ。基本的にはドラムスのサウンドを基本に組み立てているマーヴィン・ゲイのオリジナルに即したものだけど、『ロック・オヴ・エイジズ』でのアラン・トゥーサンは、間違いなくまだリリースされていなかったこれを聴いてアレンジしたんだなと分るものだ。

2016/11/20

ナット・キング・コールのジャイヴィー・ジャズ

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歌が売れるようになったので、1955年に自身のレギュラー・コンボを解散してヴォーカルに専念する(ことが多かった)ようになったナット・キング・コール。それ以後はご存知の通りの大人気ポップ歌手になる。僕はそんな時代のナット・キング・コールの歌も今では好きで時々聴いている。

ナット・キング・コールのそんな時代の歌のなかには、スペイン語で歌ったものがフィーリン(といってもジャズ・ファンの方はご存知ない場合が多いだろうけど、ソフトで軽いフィーリングのキューバ歌謡の一種)のコンピレイションに収録されていたりするし、なかなか面白いんだなあ。

しかしながら僕がそんなナット・キング・コールの歌が好きになったのはわりと最近の話で、大ヒットしたポップ・ソングにもすんなり馴染めるようになってからだ。それまではナット・キング・コールといえば1940年代のトリオものばかり聴いていた。今でもジャズ・ファンの多くはそうじゃないかなあ。

その気持はすごくよく分る。僕だってほんの数年前までは完全に同じだった。「モナ・リーサ」(は1950年初録音だけど)なんか甘ったるくて聴いていられるかっていう気分だったなあ。今でもジャズ・サイドからナット・キング・コールを語る人の多くがそうかもしれない。かつては辛口のピアニストだったと言う。

そんなシリアスなジャズ・ファンが好きであろうナット・キング・コールの戦後録音ものは、おそらく1956年録音翌57年発売のキャピトル盤『アフター・ミッドナイト』だけだろう。これは僕も大学生の時分から大好きだった。今では1999年リリースの完全盤CDもある人気の一枚。

『アフター・ミッドナイト:ザ・コンプリート・セッション』は複数のセッションを収録しているのに、ジャケット表の表記が “Sessions”  になっていない。ちょっと不思議だ。まあそれはいいが、英語版 Wikipedia では「1987年リリースの完全盤」と記載されているが、それはちょっとオカシイんだよね。

Wikipedia 記載の「1987年の完全盤」とは全17曲収録で「キャンディ」で終っているが、1999年のはそのあとにもう1トラックあって、全部で18トラック。紙ジャケット好きの僕は、18トラック入りのその完全盤をアメリカ盤のプラスティック・ジャケットのとあわせ二つ持っている。

1999年リリースの『アフター・ミッドナイト:ザ・コンプリート・セッション』。紙ジャケの方は日本盤。プラスティック・ケースのアメリカ盤と中身は完全に同じだから、アホだとしか言いようがない。このアルバムは少人数コンボ編成での完全なるジャズ録音で、ナット・キング・コールもピアノをジャジーに弾くし、だから普通のジャズ・ファンに大人気。

そんなジャズ・ファンが1940年代のナット・キング・コール・トリオが大好きだと言っても、しかし主に聴くのはキャピトル時代のものだろう。『ヴォーカル・クラシックス』『インストルメンタル・クラシックス』というバラ売り二枚のキャピトル盤LPで出ていた。

それらキャピトル録音のナット・キング・コール・トリオは1943〜47年と49年録音で、今では両方あわせて『ヴォーカル・クラシックス・アンド・インストルメンタル・クラシックス』として一枚物CDでリイシューされている。13曲目の「ザ・マン・アイ・ラヴ」以後がインストルメンタルものだ。なかなかいいんだよね。

『ヴォーカル・クラシックス・アンド・インストルメンタル・クラシックス』はLP時代から見れば 2in1 だけど、そう考えるのは本当はヘンなんだよね。なぜならオリジナルはLPではなく、言うまでもなく全てSP盤で発売されたからだ。だからどんなLPもCDもコンピレイションに過ぎない。

大学生の頃から僕が好きだったのは、どっちかいうとヴォーカルものの方。キャピトル盤『ヴォーカル・クラシックス』に収録されているものなかで、かつての僕の最大の愛聴曲だったのが「スウィート・ロレイン」。以前一度書いたけれど、ナット・キング・コールの歌を真似して完璧にソラで歌っていた。

それくらい「スウィート・ロレイン」が大好きだった。誰もいない部屋のなかやお風呂の湯船に浸かりながらなど、よく鼻歌で口ずさんでいた。「スウィート・ロレイン」はアール・ハインズのレパートリーだけど、これをナット・キング・コールが録音したのは1943年のキャピトル盤が初ではない。

ナット・キング・コールは「スウィート・ロレイン」をまず最初、1940年にデッカに吹込んでいる。その40年と41年録音のナット・キング・コールのデッカ録音集が絶品なんだなあ。デッカ録音集も昔からレコードがあった。『イン・ザ・ビギニング』というもので、これも大学生の頃から大好きだった。

そもそも専業ピアニストだったナット・コールが歌うようになったきっかけが「スウィート・ロレイン」で、ある時のナイト・クラブでの出演時に、ある客から歌ってみろとリクエストされて、とっさに憶えていたこの曲をやったら評判が良かったということらしい。その結果、偉大な歌手になるわけだから、人生、なにがきっかけになるか分らないねえ。

『イン・ザ・ビギニング』は1940年代初期ナット・キング・コール・トリオの完全集ではなかったはず。今CDでも買い直している『イン・ザ・ビギニング』。このアルバム、紙ジャケット日本盤CDでは全12曲だけど、プラスティク・ジャケットのやはり日本盤は16トラック入っている。この人の1940年代初期デッカ録音は、全部で16曲17トラックあるんだ(一つは別テイク)。

僕がそれらをコンプリートな形で買えたのは、『ヒット・ザ・ジャイヴ、ジャック』という1996年リリースの米MCA盤が初。これがもう最高なんだよね。シリアスなジャズにして、なおかつ楽しくジャイヴィーな芸能ジャズでもあるという、この時期のナット・キング・コール・トリオの姿が非常によく分る一枚だ。

ナット・キング・コールの、特にヴォーカルにあるジャイヴィーな持味は、その後のキャピトル時代のトリオものにもしっかりあるんだけど、その前、1940年と41年録音の全17トラックのデッカ録音の方がより分りやすいのだ。キャピトル時代のナット・キング・コール・トリオのファンも是非聴いてほしい。

ナット・キング・コール・トリオのデッカ録音集『ヒット・ザ・ジャイヴ、ジャック』の一曲目「スウィート・ロレイン」から五曲目「ディス・サイド・アップ」までが1940年12月6日の自己名義初録音。ヴォーカルに既にジャイヴィーな味が出ている。特に「ゴーン・ウィズ・ザ・ドラフト」がそうだ。

最大の得意曲で、数年後のキャピトル録音はもちろん、前述の戦後録音『アフター・ミッドナイト』でも再演している「スウィート・ロレイン」だって、1940年のデッカ録音には強くジャイヴィーな味があるもんなあ。1943年のキャピトル録音でもまだあるけれど、戦後の再演では消えてしまう。

デッカへの1941年3月14日録音の四曲ではもっとジャイヴィーな味が強くなっている。特に「スコッチン・ウィズ・ザ・ソーダ」なんかは完全なるジャイヴ・ナンバーだと言って差支えない。こんなフィーリングがどんどん強くなっていく。
それが最大限に発揮されているのがデッカへの1941年7月14日録音の五曲と同年10月22日録音の四曲。前者にある「アイ・ライク・ザ・リフ」(https://www.youtube.com/watch?v=68oQ6FGeSxE)とか、後者にある「コール・ザ・ポリース」(https://www.youtube.com/watch?v=lOjhAqY_bEs)なんかいいなあ。

もっとはっきりしているのが「アー・ユー・ファー・イット」(https://www.youtube.com/watch?v=8h2Rmb99Ah8)と「ヒット・ザ・ジャイヴ、ジャック」(https://www.youtube.com/watch?v=6vhjZ6J3kvw)だ。1941年10月録音のこの二曲は同時期のルイ・ジョーダンによく似ているじゃないか。

実際ナット・キング・コールとルイ・ジョーダンはデッカにおける盟友みたいなもんで、ルイ・ジョーダンの初録音はデッカへの1938年だけど、大成功したのは1941年以後だ。つまりナット・キング・コールと同時期なんだよね。41年4月にデッカが「セピア・シリーズ」というのをはじめてからだ。

デッカのセピア・シリーズとは、それまでのいわゆるレイス・レーベルから移行したもので、黒人ジャズ・マンでありかつクロス・オーヴァー的に売れると判断した人たちの録音を一枚35セントで発売したもの。この1941年開始のデッカのセピア・シリーズでルイ・ジョーダンもナット・キング・コールもリリースされたのだ。

このシリーズで最も人気が出た黒人ジャズ・スターが言うまでもなくルイ・ジョーダンだけど、同じ1940年代初期のナット・キング・コール・トリオがほぼ同じフィーリングの音楽をやっていたことは、上で貼った数個の音源を聴いていただければ充分納得していただけるはずだ。

ナット・キング・コール・トリオのデッカ録音でちょっと面白いのは、「コール・ザ・ポリース」「ストンピン・アット・ザ・パナマ」など数曲の中盤でちょっとだけピアノがブギ・ウギっぽくなる瞬間があることだ。1940年代初頭の録音なんだから、ブギ・ウギのパターンを弾いても全く不思議じゃない。

そんなナット・キング・コールに歌い方を教えたのはキャブ・キャロウェイらしい。といってもジャイヴ・ヴォーカルではなく、白人聴衆にも売れるようにするためには口を大きく開けてハッキリ発音しないとダメだよとキャブはナット・キング・コールにアドヴァイスしたらしい。いつ頃のエピソードなんだろうなあ。

そのキャブの指導が身を結んだ最大の典型例があの1950年初録音の「モナ・リーサ」だ。確かに明瞭で分りやすい発音だよなあ。しかしあれはキャブの歌い方には似ていないものだ。音楽的な意味でキャブと結びつくのは、やはり1940年代初頭のデッカや、同前半のキャピトル録音のジャイヴィーな味だ。

デッカ録音集『ヒット・ザ・ジャイヴ、ジャック』は、ナット・キング・コール・トリオ全17トラックのあとに5曲6トラック、エディ・コールズ・ソリッド・スウィンガーズの録音が収録されている。ベースのエディ・コールはナットのお兄さんで、弟ナットは兄のバンドで活動を開始したんだよね。

今では弟ナットの大人気のおかげで、その最初期録音を聴くという意義でナットが参加した兄エディ・コールのバンドの録音もCDリイシューされているということなんだろう。アルバム『ヒット・ザ・ジャイヴ、ジャック』収録のそれらは1938年7月28日年シカゴ録音。ナット・キング・コールの処女録音かもしれない。

2016/11/19

ヌスラット最後期の声

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ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの聴衆の前での生涯ラスト・パフォーマンス(ということになっているが?)を収録したライヴ・アルバム『スワン・ソング』。1997年5月4日のライヴで、しかしこれ、どこでやったものなんだろう?どこにもそれが書かれていないなあ。

『スワン・ソング』がリリースされた1999年当時、なにかの音楽メディアでこのライヴの収録場所を読んだような読まなかったような、あるいはどこで披露したライヴ・パフォーマンスなのか不明だとか、いやあ、もう忘れちゃったなあ。今なら情報があるだろうと思いネット検索したけど、やはり不明。

あの『スワン・ソング』については毀誉褒貶あるというか、絶賛する人がいる一方で全然ダメだという人も多かった。後者の意見の大半は、肝心のメイン・ヴォーカリストの声の衰えを指摘したり、主役のリード・ヴォーカルよりロック風なバック・バンドの音が大きくてやかましいだとか言っていたなあ。

『スワン・ソング』を絶賛する意見の代表が故中村とうようさん。具体的にどう書いていたかはもう忘れちゃったし現物も手許にないけれど、確か伝統的カッワーリーと現代的ロック〜ポップ・サウンドの合体・融合に果敢に挑み、それに成功しているというようなことを書いていたような気がする。

僕はというと、とうようさんの意見を理解しつつ、『スワン・ソング』実物を何度聴いてもやっぱりイマイチに聴こえてしまうという実感を拭い難く、そんなに高くは評価できないなあと思っていたというのが正直な気持だった。それに現代的サウンドとの融合云々というならもっと前からたくさんあるもんなあ。

すなわちヌスラットがマイケル・ブルックやピーター・ゲイブリエルらと一緒にやった一連のリアル・ワールド・レーベルのものだ。現代的クラブ・ミュージックが好きなファンであれば、ああいったものもお好きだろとと思うし、僕もリリース当時は面白いなあと感じて繰り返し聴いていた。

しかしながらそうであると同時に、伝統的カッワーリーのパーティーでやったもの、例えばオコラ盤のパリ・ライヴ五枚とか、日本JVC盤『法悦のカッワーリー』二枚とか、あれらを聴くと、リアル・ワールドから出ているクラブ・ミュージック風なものよりもヌスラットの声ははるかに凄い。

リアル・ワールドのものは、ヌヌラットのヴォーカルの凄まじさだとか、伝統的カッワーリーのパーティーが演奏するヒプノティックなグルーヴ感だとか、そういうものをもっとこうダンサブルにというか、伝統的宗教/民俗音楽に馴染の薄いポップ・ファンにも伝わるように分りやすくしたものだったよなあ。

だからあれはあれでいいんだけど、いったんそれでヌスラットのヴォーカルの魅力に取り憑かれたら、やはり伝統的カッワーリー演唱を聴いてほしいとも僕は思っていたんだよね。ワールド・ミュージック系のものについてはトラディショナルな傾向のものを好むという僕の趣味嗜好も間違いなくあるはず。

ヌスラットの生涯ラスト・ライヴである『スワン・ソング』は、だからそんなリアル・ワールド・レーベルから出ていた一連のものの続きを、スタジオでのリミックス作業でとかではなく一回性のライヴでやったというようなものだと言えるのかもしれない。電気・電子楽器奏者もたくさん参加している。

そういえば『スワン・ソング』でたった今思い出した。このCD二枚組がリリースされた当時、親交のあった男性音楽ファンの方がスキーに行って派手に転倒したらしく、足を骨折して入院した。彼とはネット上で知り合ったのだが、病室で音楽を聴きたいからいくつか持ってきてくれとメールで言われたことがある。

その男性の事実婚の奥さんは、自宅にあるレコードやCDを全く把握してなくて、頼んでもそもそも音楽に興味がないから希望のものを探して持ってきてはくれないんだと嘆いたので、あんな熱心な音楽ファンがそれでは可哀想だと思って、僕がMD(が当時のダビング・メディア主流)に録音していった。

MDに多分15枚か20枚くらいダビングして病室へ持っていったかなあ、そのなかに当時リリースされたばかりのヌスラットの『スワン・ソング』を入れたおいたのだ。彼も熱心なヌスラット・ファンで、しかしあのライヴ・アルバムは未聴だと(メールで)言うので、ダビングして混ぜておいたんだよね。

するとそれを聴いたその男性は、これはダメだちっとも面白くないと言っていたなあ。その方は僕以上の中村とうよう信者なので、とうようさんは絶賛していたとよと言うと、とうようさんは褒めすぎだと思うとね。その病室ではそのまま別の音楽の話題に移ったのだが、実は僕も内心似たような感想だったのだ。

『スワン・ソング』をとうようさんがあそこまで絶賛した気持は、今『スワン・ソング』を虚心坦懐に聴き返してもやはりどうにも理解しにくい。ヌスラットの挑戦的姿勢は僕も買う。がしかしそれだけなら上で書いたようにリアル・ワールド・レーベルでやっていたんだから、格別目新しいことじゃないはずだ。

ってことは『スワン・ソング』は、現代的なものと伝統的なものとの融合を試みるというサウンド創りでの挑戦的姿勢においても斬新ではなく、またその一方でヌスラットのヴォーカルが凄いのかというと、一番肝心なものであるはずのその声がやや衰えているようにすら聴こえるので、いったいどこがいいんだろう?

ヌスラットの生涯ラスト・ライヴだったということは、要は歳取ったということなんじゃないか、それはどんな凄い歌手だってみんな大抵そうなるんだからと言われるかもしれないが、ヌスラットが1997年に亡くなった時はまだ48歳だったんだから、その意見はちょっと違うかもしれないと僕は思う。

もちろん48歳どころか30代でボロボロになって亡くなってしまった音楽家もいるわけだから、一概に年齢だけでは云々できない。がしかしヌスラットの場合そうじゃないというのが証拠として録音され発売されている。2001年リリースのCD二枚組『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』だ。

『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は発売が2001年になっただけで、スタジオ収録されたのは亡くなるずっと前、『スワン・ソング』になった1997/5/4よりもはるかに前だという可能性がある。このCD二枚組のジャケットや附属の紙のどこにも録音年月日の記載がないんだけれどね。

ネットで調べてみてもやはり『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』の録音年月日のデータは出てこない。がしかし「ファイナル」と銘打っているからには最晩年ではあるんだろう。そしてこの二枚組で聴けるヌスラットの声は往時のような張りのある強靭なもので、素晴らく聴き応えがある。

『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』をプロデュースしているのは、なんとあのリック・ルービンだ。デフ・ジャム・レコーズの設立者にしてロック〜ヒップ・ホップ系の音楽を手がける音楽プロデューサー。彼はアメリカン・レコーディングズ・レーベルを1988年に立ち上げている。

ヌスラットの『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』もそのアメリカン・レコーディングズからリリースされている。そんでもって同社代表のリック・ルービンがプロデュースしているってことは、要はあのリアル・ワールドのヒップ・ホップ系カッワーリーみたいものかと思うと、さにあらず。

正反対に(というのはちょっとオカシイ言い方だが)リック・ルービンがプロデュースしたヌスラットの『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は、全編伝統的カッワーリーのパーティー編成による録音なんだよね。リック・ルービンはそれに手を入れていない。

『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は、ヌスラットをリード・シンガーとするカッワーリーの伝統的パーティーでの演唱を一切いじらずそのままパッケージングしたものなのだ。伴奏楽器はハーモニウムとタブラだけ。あとは手拍子とサイド・ヴォーカリストたちのコーラスだけなんだよね。

そして『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』で聴けるヌスラットの声が、上で書いたように素晴らしいものなのだ。言っちゃあ悪いが『スワン・ソング』で聴ける声とは比較にならないとまで僕は思う。ライヴ盤の後者ではやはりヌスラットも「終り」だったんだなと感じたのだが、全然そんなことなかったんだよね。

『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』の録音年月日が分らないもんだから、『スワン・ソング』との比較はなんとも言えないけれど、前者も最晩年ではあるんだろうから、そこで聴けるヌスラットのヴォーカルの見事さを聴いて考えるに、『スワン・ソング』がダメなのは<衰え>ではないんだろう。

録音がどっちが先なのか分らないんだけど、『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は伝統的パーティーで、『スワン・ソング』はロック風のモダンなバンド編成だから、そのせいで前者は良くて後者はダメだなんてことも僕はちっとも思わない。その点では中村とうようさんと同意見。

リアル・ワールドから出ている一連のものだってヌスラットの声はいいもんね。そんでもって『スワン・ソング』は最晩年だからとも思わない。おそらくほぼ同時期の録音であろう『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』ではあれだけいい声を出しているわけだからね。なにか別の理由なんだろうなあ。

『スワン・ソング』の時は、ひょっとしてヌスラットの喉のコンディションがたまたまイマイチだったとか、それくらいの理由だったんじゃないかなあ。その程度の軽い原因でああいったあたかも衰えたかのような声に聴こえるだけなんじゃないかなあ。ロック風バンドの演奏もまあ良いとは言い難いけれど。

特にソプラノ・サックスのサウンドはダサいよなあ。ラシッド・フセインという名前が書いてあるこのサックス奏者のことは全く僕は知らないが、極上のジャズ・サックス奏者の演奏をこれでもかというほど何十年も聴き続けている僕に言わせたら、『スワン・ソング』のサックスはどうにも聴きようがない。

他のエレキ・ギター、キーボード・シンセサイザー、ベース、ドラムスとかの演奏はそんなに悪いものじゃない。それに『スワン・ソング』で一番目立つ楽器の音はタブラなんだよね。録音上のことなのかミキシングの際のことなのか分らないが、タブラの音が妙に大きい。全体のバランスを崩しているじゃないかと思うほどだ。

『スワン・ソング』におけるヴォーカルでは主役のヌスラットがイマイチ調子悪いせいか、サイド・ヴォーカリストのラーハットが大健闘している。こう見てくると、この二枚組ライヴ・アルバムは、やはり主役の体調というか喉のコンディションが良くなかっただけの話だったんだろうと僕は思う。

だから『スワン・ソング』になった、場所は分らない1997年5月4日のライヴの時に主役歌手が完調であったらなあと思わざるを得ない。もしそうだったならどれほど素晴らしいライヴ・アルバムができあがっていたかと、僕はちょっぴり残念なのだ。モダン・ポップ・カッワーリーの大傑作になっただろうなあ。

2016/11/18

マイルス・ロスト・クインテットの公式盤はいまだにこれだけ

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前々から僕はマイルス・デイヴィスが率いた1969年のバンド、いわゆるロスト・クインテットにこだわる傾向が強いんだけど、それはどうしてかというと、マイルスが率い恒常的に活動していたものでは、初の電化バンドだからなんだよね。といっても電化されているのはチック・コリアの弾く鍵盤楽器だけなんだけど、バンド全体のグルーヴ感が既に従来のジャズ的ではない。

あのいわゆるロスト・クインテットは長らく公式音源がなく、ブートレグでしか聴けなかった。がしかしブートレグでならアナログ・レコード時代から『ダブル・イメージ』という二枚組があって、これは僕の知る限りおそらくマイルス関連初のブート盤だ。

僕はそのLP二枚組『ダブル・イメージ』を確か大学生の頃に、ってことはつまり松山のレコード店で買った。当時の松山に音楽ブート・ショップなど存在しない(今もない?)。普通のなんでもない店で正規商品に混じって並んでいたのだった。こういうことはCD時代になってもよくある。

東京に出てきてからもディスクユニオン各店(特に御茶ノ水店)やタワレコード各店(特に渋谷店)でよくマイルスのブートCDを買った。だいたい正規商品と海賊盤との厳密な線引は不可能だからね。その後渋谷マザーズ・レコードや、通販だけど名古屋のサイバーシーカーズなど専門店も見つかった。

ともかくマイルスの『ダブル・イメージ』はアナログ盤二枚組ブートとして、マイルス・マニアは30年以上前から聴いていた。それくらい有名だったのだ。ってことは公式盤は一枚もないものの、1969年ロスト・クインテットの音源は、結構前から一つだけ聴けはしたってことなんだなあ。

もちろんライヴ盤であって、『ダブル・イメージ』は1969/10/27のローマ公演。CD時代になってもすぐにCD化された。それはそうとこの二枚組、ある時、日本クラウンがバラ売り二枚のCDで出したのを新宿丸井地下のヴァージン・メガストアで発見したことがあった。あれはなんだったんだろう?

まあだからブート盤と公式盤との境界線は引けないっていう一つの証拠だけど、新宿ヴァージン・メガストアで発見したその日本クラウン盤二枚はジャケットもダサかったし、内容的には購入済の完全に既知の音源だし、僕は当然買っていない(がそれは『レコード・コレクターズ』誌にレヴューも載った)。その後『ダブル・イメージ』は内容・音質が拡充したものがブートで出た。

それが『ダブル・イメージ・アップデイティッド・ロング・ヴァージョン』という CD 二枚組の SO WHAT 盤。SO WHAT はおそらく日本人がやっている日本の業者なんだろうと推測するんだけど、マイルスのブートCDをメチャメチャたくさんリリースしていて、海外でもかなり有名。僕は渋谷マザーズで根こそぎ全部買ったなあ。

マイルス1969年のロスト・クインテットはブートでもライヴ盤しかない。っていうのはこのマイルス+ウェイン・ショーター+チック・コリア+デイヴ・ホランド+ジャック・ディジョネットによるバンドのスタジオ録音は、ただの一曲も存在しないのだ。少なくとも2016年現在でも確認されていない。

だからかなりたくさん出ているロスト・クインテットのブート盤は全てライヴ収録。公式盤だとこのバンド初のものは1993年リリースの『1969 マイルス』になる。しかもこれは日本のソニーがどうしてだか日本でだけ発売したもの。日本国外の熱心なマイルス・ファンは日本からの輸入盤を入手していたという話だ。

その後全世界的にロスト・クインテットの公式ライヴ盤(スタジオ録音はないので)がリリースされたのが、レガシーが2013年に出した『ライヴ・イン・ユーロップ 1969:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 2』というCD三枚+DVD一枚盤。日本国外だと2016年現在でも公式ではこれしか存在しない。

ちなみにどうして『ザ・ブートレグ・シリーズ Vol. 2』かというと、「Vol. 1」 は2011年に『ライヴ・イン・ユーロップ 1967』というCD三枚+DVD一枚がリリースされているからだ。それの裏ジャケを見るとまだレガシーではなくSony Music となっているなあ。

マイルスの「ザ・ブートレグ・シリーズ」というのは、今年2016年にも1967年の例の黄金のクインテットのスタジオ未発表音源三枚組が「Vol. 5」としてリリースされた。このシリーズ名は言うまでもなくボブ・ディランの一連の例のやつから取っている。ディランの方の最初は1991年リリース。

マイルス・ロスト・クインテットの音源では、現在『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』四枚組が公式盤では一番いいものだけど、というか全世界的にはこれ一つしかないからそうなってしまうが、しかしこのCDは三枚である公式盤はやや問題もあるのだ。まずこれの一枚目は前述の『1969 マイルス』だ。

同じものなんだよね。フランスでのライヴなので冒頭にフランス人によるフランス語でのMCが入っているが、それは『1969 マイルス』ではカットされていたのが『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』一枚目にあるというだけの違いしかない。演奏内容は一秒たりとも違わないので、僕たち日本のファンはガッカリ。

『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』の二枚目は、一枚目、すなわち『1969 マイルス』の翌日、1969/7/26に同じフランスのフェスティヴァルに連日出演した二日目の公演で、これもブートではかなり前から『1969 マイルス:セカンド・ナイト』として流通していた既知の音源なのだ。

しかもブート盤『1969 マイルス:セカンド・ナイト』の方が、冒頭のフランス人によるMCがほんのちょっと長く入っているという不可解さ。公式盤『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』二枚目の方は、その冒頭のMC出だしをなぜだか数秒カットしてあるんだなあ。三枚目だってちょっと問題あるぞ。

『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』三枚目は1969/11/5のストックホルム公演で、この日2セット演奏したのがヨーロッパのFMラジオで放送されたので、それをソースにブート盤が前々から流通していた。それなのに『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』ではファースト・セットしか収録していない。

これは2013年に『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』がリリースされた時の最大の謎にして最大の憤慨だった。1969/11/5のストックホルム公演は、ロスト・クインテットのベスト・パフォーマンスとしてマイルス・ファンの間では評価が定着しているが、それは2セットあわせてのことなんだよね。

その2セットがそのまま公式化するのであればこんな嬉しいことはない、これでブートを買い漁るようなマニアではない一般の音楽ファンの方々にも、ようやくマイルスの1969年ベスト・ライヴを聴いていただけると喜んだのも束の間、レガシーはアホなのか?と怒りの感情しか湧いてこなかったなあ。

レガシーの名誉のため書き添えると、『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』三枚目の11/5、ストックホルム公演ファースト・セット音源は、ブート盤で聴ける同日同セット音源とはほんの少し内容が違う。ブート盤では聴けない部分が少しだけど収録されているのだ。それはセットの冒頭と末尾。

1969/11/5、ストックホルム公演ファースト・セットの一曲目は「ビッチズ・ブルー」。ブート盤にも公式盤にも収録されているジョージ・ウェイン(スウェーデンまで行っていたんだね)のMCに続き、ブート盤ではいきなりチックのフェンダー・ローズが聴こえる。ところが公式盤ではベースの音ではじまる。

デイヴ・ホランドが、既にスタジオ録音済(リリースはまだ)の「ビッチズ・ブルー」でも聴ける冒頭のリフを弾きはじめ、0:15 に初めてチックのフェンダー・ローズが入ってくるが、その15秒目のチックのエレピがブート盤では一曲目の一秒目なのだ。つまり公式盤は15秒だけ長く収録されている。

末尾が違うというのは、ブート盤だとこの日のファースト・セットの最後は「マスクァレロ」で、それが完全収録ではなく、チックがアクースティック・ピアノでソロを弾いている途中でフェイド・アウトして終っている。それが公式盤では、やはり不完全でフェイド・アウトは同じだが、そのあともう一曲あるんだなあ。

公式盤では「マスクァレロ」がフェイド・アウトしたのち、続いてチック作曲の「ディス」が収録されている。それは約六分間。これら書いているような冒頭と末尾の違いはある。公式盤の方が少しだけ充実しているのは確かだから、やはりオフィシャルだけはあるなという内容だ。

しかしこれでレガシーの面目躍如とは言えないだろう。それら冒頭と末尾以外は完全に同一であるばかりか、前述の通り同じ日のセカンド・セットをどうしてだか収録していないからだ。録音テープがあるのは分っているんだぞ。なぜリリースしなかったんだ?セカンド・セットの方が演奏はむしろ凄いのになあ。

『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』の一枚目(『1969 マイルス』と二枚目(『1969 マイルス:セカンド・ナイト』)になった1969/7/25〜26のライヴではちょっと面白い発見もある。七月というと『ビッチズ・ブルー』のスタジオ収録前だけど、同二枚組収録曲を既に演奏している。

「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」と「スパニッシュ・キー」だ。「サンクチュアリ」もやっているが、この曲のマイルスによるスタジオ初録音は1968年2月のセッションだった。だがしかし『ライヴ・イン・ユーロップ 1969』収録のライヴ演奏は、一ヶ月後録音の『ビッチズ・ブルー』のと同じパターンだ。

1969/7/25〜26のライヴでは、1967〜68年の例の黄金のクインテットのレパートリーもやっている。「フットプリンツ」「ネフェルティティ」などなど。面白いのは25日の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」、26日「スパニッシュ・キー」、ならびに「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」。

なにが面白いかというと、それら三曲においてウェイン・ショーターはソプラノ・サックスでソロを吹いているが、実に頻繁にショーター・ファンならオッ!と思うに違いない同じフレーズを繰返し演奏している。なにかというと「スーパー・ノヴァ」だ。そう、1969年リリースのブルー・ノート盤一曲目。

あのショーターのリーダー・アルバム『スーパー・ノヴァ』は1969/8/29と9/2に録音されている。そこでレコーディングされる曲のテーマ(というかモチーフだが)の断片を、同年七月のマイルス・バンドでのライヴで繰返し吹いているのがその時の即興的思い付きだったとは僕には思えない。

自身のリーダー作でのレコーディングはたったの一ヶ月・二ヶ月後なんだから、ショーターの頭のなかに「スーパー・ノヴァ」のモチーフは既にあったと判断するのが妥当だろう。そう考えないと絶対に理解できないほど、完全に同じフレーズを、それも違う曲のなかで何度も何度も吹いているからだ。

また7/26における「スパニッシュ・キー」では、フェンダー・ローズを弾くチックが、のちのリターン・トゥ・フォーエヴァーで開花するスパニッシュ路線のフレーズを断片的に演奏する瞬間もあってちょっと面白い。『ビッチズ・ブルー』録音後の1969年のマイルス・スタジオ録音などでもそうなる瞬間は垣間見えたからね。

2016/11/17

ソウルフルなボブ・ディラン

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1960年代に登場した白人(シンガー・)ソングライターのなかで、ボブ・ディランはその書いた曲が最も多く黒人歌手にカヴァーされている一人かもしれない。といってもバート・バカラックやキャロル・キングなどのことは今日は考慮に入れない。なぜならば彼らは最初から黒人歌手のために曲を提供したから場合も多いからだ。

ディランはそうじゃない。彼の場合は全ての曲がまず最初は自らが歌うために書く人だ。というかおそらくそのためだけにしか曲を書かないという人だろう。一部例外を除くビートルズと少し似ている。両者とも1960年代にデビューし、ビートルズ・ソングもまた多くの黒人歌手たちにカヴァーされている。

そんなディランやビートルズの曲をアメリカ黒人歌手がカヴァーしているものは相当に数が多いので、全貌を把握することは僕には不可能。だからとりあえずのとっかかりとして英エイス・レーベルのリリースした「ブラック・アメリカが歌う」というシリーズで聴いて楽しんでいる。

ディランの方は『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』。ビートルズの方は『カム・トゥゲザー:ブラック・アメリカ・シングズ・レノン&マッカートニー』『レット・イット・ビー:ブラック・アメリカ・シングズ・レノン、マッカートニー・アンド・ハリスン』の二枚。

どっちの話を先にしてもいいけれど、今日は今年話題の人物であるボブ・ディランのカヴァー集についてだけ書くことにしよう。エイスが『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』をリリースしたのは2010年のこと。しかし僕がこれに気が付いて買ったのは今年2016年だ。

『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』は全20曲。しかしそれは収録されているディラン・ナンバーのオリジナル・リリース年順には並んでいないし、また収録の黒人歌手によるカヴァー・ヴァージョンのリリース年順でもない。通して聴いて楽しめるように並べてあるのかなあ。

またこのエイス盤CD附属ブックレットにある曲目解説も収録曲順にではなく、また収録されているカヴァー・ヴァージョンがリリースされた順にも書かれていない。ディランがそのオリジナル曲を発表した順に並び替えて曲を紹介・解説しているんだなあ。ちょっと分りにくいが、あるいはディランには馴染が薄いという黒人音楽リスナー向けなのかもしれない。

収録のカヴァー・ヴァージョンのリリース年はブックレット冒頭の曲目一覧のところに書いてあるのですぐ分る。このエイス盤『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』の収録20曲について全部書いている余裕はないので、以下特に気に入ったものについてだけかいつまんで。

全20曲のうち僕が特に気に入っているというか美しいなあと思うのは、九曲目のネヴィル・ブラザーズによる「ウィズ・ガッド・オン・アワ・サイド」と14曲目のブッカー・T・ジョーンズによる「天国の扉」(ナッキン・オン・ヘヴンズ・ドア)だ。この二曲はどっちも黒人ゴスペル・ソング風に仕上がっている。

「ウィズ・ガッド・オン・アワ・サイド」のディラン・オリジナルは1964年作『時代は変わる』収録。つまりいわゆるフォーク時代(という言い方が僕は嫌いだし、ディランの本質も表していないと思うのだが便宜上こう書いておく)におけるトピカル・ソングの一つだ。はっきり言うと反戦歌。

それをネヴィル・ブラザーズは1990年のアルバム『イエロー・ムーン』のなかでやっていて、歌うのはエアロン(アーロン)・ネヴィル。反戦を歌うトピカル・ソングとしてエアロンも歌っている。さらに歌詞のなかの重要な部分を大胆に書きかえているんだなあ。
ディラン・オリジナルでは「第二次大戦」云々ではじまる連を、エアロンは「ヴェトナム戦争」云々にして歌いはじめ、その連は全面的に歌詞が異っている。ディランのは1964年の歌だったのが、ネヴィル・ブラザーズのは1990年のだから、その時点における解釈変更、フィーリングの変化だなあ。

もっと重要なのは上掲音源をお聴きになれば分るように、ネヴィル・ブラザーズのライヴでは定番の「アメイジング・グレイス」と全く同じサウンドと歌い方だってことだ。エアロンのあの声とフレイジングは「ウィズ・ガッド・オン・アワ・サイド」でも同じだし、伴奏も教会オルガン風シンセサイザーが中心。

それで荘厳な雰囲気を醸し出していて、それに乗ってエアロンが反戦を切々と歌う。サウンドとメロディ・ラインがかなり美しく響くので、歌詞内容は突き刺さるようなトピカル・ソングであることを、聴いているあいだは思わず忘れてしまい、エアロンのあのヴェルヴェット・ヴォイスに聴き惚れてしまう。

ディランとは無関係なんかじゃなく実に深い関係があるんだけど、サム・クック・オリジナルである「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」も、ネヴィル・ブラザーズの『イエロー・ムーン』にはあるよね。それもエアロンが歌っている。サムのあれはディランに触発されて書いた曲だというのは有名だ。

もう一曲『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』で僕が最高に美しいと感じるのが、14曲目のブッカー・T・ジョーンズによる「天国の扉」(ナッキン・オン・ヘヴンズ・ドア)だ。これはこの曲の数多いカヴァー・ヴァージョンのなかで最も美しいかもしれない。

以前、アントニー・アンド・ザ・ジョンスンズのやる「天国の扉」があまりにも美しく、まるで聴いているこっちまで本当に天国の扉を叩いてしまいそう、すなわち死の香りがして危険ですらある美しさだと書いたけれど、ブッカー・T・ジョーンズのは、個人的にはそれよりさらに上をいく美しさだなあ。
どうですこれ?美しいなんてもんじゃないでしょう?冒頭から鳴っているオルガンはもちろんブッカー・T ・ジョーンズだ。それに控え目かつ効果的に絡むエレキ・ギターは誰だろう?続いてブッカー・T ・ジョーンズのノン・ヴィブラート唱法のヴォーカルが出てくる。
 
黒人歌手は多くの場合使うヴィブラートやメリスマが一切なく、ストレートな発声と歌い方で「天国の扉」を綴るブッカー・T ・ジョーンズのヴォーカルに聴き惚れる。そして歌いはじめる前から歌のあいだ、そして歌が終わっても、一曲のあいだずっとあの印象的なオルガンが鳴り続けているのも効果的に響いている。

個人的にはエイス盤『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』で最も素晴らしいと感じるのが、その14曲目のブッカー・T ・ジョーンズ「天国の扉」だ。これを聴いたら、ここまでの13曲はイントロ、ここからの六曲がアウトロのように思えてきちゃうもんね。それくらいいいじゃないか。

ブッカー・T ・ジョーンズの「天国の扉」を僕は知らなかったので、エイス盤ブックレットを見てみたら1978年のリリースとなっている。それを手掛りに調べてたら、『トライ・アンド・ラヴ・アゲイン』という A&M リリースのアルバムに収録されているみたい。しかしそれはCDでも配信でも入手不可能だ。

う〜ん、こりゃ困った。アナログ盤中古しかないのか・・・。ブッカー・T ・ジョーンズの『トライ・アンド・ラヴ・アゲイン』をどこか早くCDリイシューしてくれ。配信でもいいぞ。こんなにも美しい「天国の扉」を僕は聴いたことがないっていうのに、オリジナル・アルバムの入手が難しいとは・・・。

さてエイス盤『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』には僕の大好きなディラン・オリジナルが二曲ある。12曲目の「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」、19曲目の「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」だ。どっちも同じような曲だ。

歌詞内容も同じようなシンプルで明快なラヴ・ソングだし、そもそも曲名が似たようなもんじゃないか。しかもこの二曲はどっちもカントリー・バラードだ。どっちのディラン・オリジナルも僕は大の愛聴曲。エイス盤では「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」をビル・ブランドンが歌っている。

そして「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」を歌うのはエスター・フィリップス。「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」のビル・ブランドンは僕は知らないソウル・マンだった。ディランのこのカントリー・バラードも殆ど(全然?)黒人歌手はやっていないはず。

「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」を歌うエスター・フィリップスはもちろん超有名人。このディランの書いたチャーミングなカントリー・バラードを、エスターは1969年に他の数曲とともにレコーディングし、同年にシングル盤でリリースしている。しかしアルバムには未収録。

ビル・ブランドンの「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」も、エスター・フィリップスの「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」も、シンプルなラヴ・ソングらしいチャーミングな歌い方を両者ともしている。エスターの方は例のあの声で粘っこい感じにはなっているけれど。

ディランの曲では歌詞の意味の深いものや辛辣なものやトピカル・ソングも好きだけど、こういう二曲のようなカントリー・ソングで、しかも単純明快なラヴ・ソングも同じくらい好きなんだなあ、僕は。それにしてもエイスはビル・ブランドンもエスターもシングル盤しかないものを選ぶとはなあ。

レアなものをチョイスしてくれるよなあ。前述のブッカー・T・ジョーンズの「天国の扉」だって未CD化だし、なんだかこのエイス盤『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』じゃないと聴きにくいものが結構あって、しかもそれがことごとく全て魅力的なんだなあ。

さすがは英国でアメリカ黒人音楽のリイシューを専門に手掛けているだけはあるエイスだ。今日は特に大好きなもの四曲だけしか書いていないけれど、『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』にはファンク・チューンもあったりして、なかなか楽しいディラン・ソングブックだよ。

2016/11/16

「作曲」ってなんだろう?

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「作曲」という名で知られる行為の中身を正確に把握したり、どういう行為なのか厳密に定義したりすることは、案外かなり難しいよなあ。というか僕たち素人リスナーにはほぼ不可能だ。という意味のことを、例の佐村河内ゴースト・ライター騒動の時に彼をどんどん攻撃しているジャズ・ファンに面と向かって言ってみたことがある。そうしたらあんな汚いウソツキを擁護したと受け取られて、次の瞬間にブロックされてしまった。

そのジャズ・ファンの方をフォローしたのは、例の JTNC 系のものに関し中心人物の柳樂光隆君に批判的な発言を繰り返していたから。僕もあれに関しては完全に同意見で、僕の場合は柳樂君本人に対しはっきりそう言ってしまい(僕はだいたいいつもそうであるダメ人間です)、柳樂君には速攻でブロックされた。

僕がいろいろと柳樂君の名前を出したり出さなかったりして、彼の Twitter 上での発言を引用できるのは、彼は大人気者だから、僕がフォローしている人もどんどんリツイートするから見えるだけのことなんだよね。おかげで随分といろんな意味で楽しませてもらっている。

佐村河内騒動の一件で僕をブロックした方のツイートも読める場合があって、それは僕がフォローしているジャズ・ライター林建紀さん(自称はジャズ研究家。「評論家」は大それているとお考えらしい)がリツイートするからだ。林さんの専門はローランド・カークだけど、僕から見てもかなり古いと思う戦前ジャズもたくさんお聴きで発言なさるのでフォローしている。

まあこのリツイートという Twitter の機能。おかげでブロックされている人のツイートも読めるので助かるといえば助かるんだけど、一方で自分をブロックする人の発言なんか見たくないという方も大勢いるらしく、このリツイート機能を改善しろという声もあるんだそうだ。

僕の場合、以前も言ったけれど、普段(相手は)敵対関係にあると思っている人間の発言でも、マトモだったりポジティヴな意味で面白かったりすれば、大いに納得してうなずく人間だから、やっぱり僕をブロックしている方の発言も見えた方が嬉しいんだよね。

そういえばエル・スール界隈の有名人であるレコオヤジさん。僕はフォローしてただ読んでいるだけでただの一度も絡みがないのに、なぜだかある時ブロックされてしまっていまだにそのまま。でもエル・スールさんのアカウントはじめ同店関係者の方々がリツイートしてくれて、おかげで読めるのでありがたい。

そんなことはともかく、「作曲」という行為。これの正体を把握して定義するなんてことは、およそ不可能じゃないだろうか?コンポーザー、あるいは大衆音楽の世界ならソングライターと言うべきか、彼らはいったいなにをしているんだろう?という根源的な問いを僕に最近投げかけてくれたのが、あの佐村河内騒動だ。

あの佐村河内守と新垣隆の関係においては、新垣隆のあの暴露・告白記者会見以来、新垣=本物、善人で、佐村河内=偽物、悪人という図式がすっかり定着してしまい、これはおそらく今後も変わることはない。佐村河内が現在なにをやっているのか分らない一方で、新垣は表舞台でどんどん活躍できるようになっている。

しかしこの定着した図式は、本当にこのまま受け取ってもいいものなんだろうか?本当の真相(っておかしな言い方だが)は当人たちにしか分らないはずだし(当人たちにも分らない?)、クラシック音楽の世界だから僕は全く分らず、肝心の新垣が書いて(たんだろう?)佐村河内の名義で発表された作品も全く聴いたことがない。

洩れ聞く話では、しかし佐村河内もある程度の「指示」みたいなものは出したそうじゃないか。その全部が佐村河内本人の発言で、もはや彼の発言の信用度はゼロだから誰もマジで受け取っていないだろうが、譜面は書けないなりに、言葉や図形みたいなものは示したと発言している。

この「指示」に関する佐村河内の発言が本当だったとすれば、彼は「作曲した」とまで言えるのかどうかともかく、少なくともその一端に関わった、ちょっぴり作曲行為の片隅に加担したと言えるんじゃないかと僕は思うんだよね。今日最初に書いた、僕をブロックしたジャズ・ファンの方にも具体的にはそう言った。

曲を書くというのは、音楽的才能を持つ特定の個人がたった一人で部屋のなかでうんうん唸って散々頭を悩ませて、その結果独力でなんとかかんとかウンコみたいに捻り出す、そういう行為だと考えているファンが多いんじゃないかなあ。ひょっとしていまだに全員そうだろうか?

僕はそんな風には作曲行為を捉えていないんだよね。いやまあ僕は一曲たりとも自分で曲を創った経験なんかない人間だから、本当は今日のこの文章も、プロのソングライターの方からしたらお笑い種だと思うんだけど、でもなんとなく素人なりの考えを書いているだけ。

音楽に限らず文学でもなんでも、なにか作品を産み出すっていうのは特定個人の天才的産物で、個人の独創である、それが個性というもので、作家・作品のアイデンティティだとするような発想は、実は近代西洋の産物なんだよね。音楽の世界でいえば、いわゆるクラシック音楽がそういうものとして成立して以後だ。

歴史的・地理的に見ると、そういう発想の方が実は少ないんだよね。作品とは特定個人の独創で、そこに権利(したがって金銭)が発生するという考えじゃない時代・地域の方が一般的だ。そんな時代・地域においては、ほぼ全てが社会共同体の共有財産だから、個人が権利(と金銭)を主張したりはしない。

歴史的に振り返ると、どうも西洋史におけるルネサンスからじゃないかあ、そういうオリジナリティみたいな考えが全面的に支配するようになったのは。どんな分野でもそうだけど、特に音楽の世界ではバロック音楽成立直前あたりだ。ってことはやはり一致するじゃないか。

そんな西洋音楽が全世界を席巻してしまい、個人の独創を譜面化するのが作曲だということになって、クラシック音楽のシステムは西洋だけでなく世界的に普及して、20世紀以後は特に人気が出たアメリカ大衆音楽の成立にも非常に大きく関わったがために、そんな世界でもやはり作曲という行為は個人の独創の譜面化だと考えられるようになった。

譜面・譜面、書く・書くというけれども、実は書かない・譜面化しない音楽も多いぞ。譜面の書き読み能力がなかったり、そもそも目が見えなかったりする音楽家はかなりたくさんいるじゃないか。聴力を失って以後も目は見えたので、頭のなかで音を鳴らして作曲したベートーヴェンみたいな存在は、例えばアメリカのカントリー・ブルーズの世界ではありえない。

アメリカ黒人ブルーズの世界では、そもそも誰のオリジナル曲なのか?作者は誰か?が全く分らないまま歌い継がれてきている曲も多いのはご存知のはず。伝承もの、パブリック・ドメインってやつ。どれがそうだと指摘するなんて不可能でバカバカしい。全部そうだもん。

まあでも一例あげておくと、戦後のシカゴでマディ・ウォーターズがやって有名にし、UKロック・バンドもそこからバンド名をもらったので、おそらく最も有名なブルーズ・ソングであるはずの「ローリン・ストーン」。これもマディが「作曲」したものなんかじゃないもんね。

マディはミシシッピ・デルタ出身で、デルタ時代に、かなり前からミシシッピに伝わっている作者不明の古い伝承ブルーズ・ソングを聴き憶え採り上げて、録音は残っていないが間違いなくデルタ時代にレパートリーにして弾き語っていた。それを戦後のシカゴで、今度はエレキ・ギターでやってみただけの話。

実際マディがやって有名にした「ローリン・ストーン」は、その1950年録音よりもっとずっと前からデルタ・ブルーズ・メンが録音しているもんね。多くは「キャットフィッシュ・ブルーズ」の名前でね。一番有名なのは1941年のロバート・ペットウェイ・ヴァージョンかなあ。1941年というのもこの曲の演奏時期としてはかなり新しい。

こんなのはほんの一例で、ブルーズの世界ではこっちが常識。誰が書いたオリジナル楽曲か?作曲家は誰か?なんていう概念がない。これは西洋音楽とその影響下で19世紀後半に誕生した職業ソングライターの世界、いわゆるティン・パン・アリーのシステムとは関わりなく存在した世界だからだ。

そして世界中の、そして人類史上のいろんな音楽を見渡す、というか聴くことは不可能な場合も多いので、現在残されていて聴けるものから推測するだけなんだけど、そんな個人の独創が譜面化するのが作曲行為、オリジナリティ第一主義という考え方の方が少ない。

西洋近代音楽やその影響下でシステム化した大衆音楽の場合は、作曲=個人の独創という把握の仕方は間違っていないのかもしれない(がその西洋近代音楽だって、ルネサンス以前の中世やそれ以前の音楽からの由来を考えたら・・・)。でもそんな発想をそういうシステムでは成り立っていない世界に押し付けないでほしいのだ。

僕の最もよく知るアメリカのジャズ音楽の世界だと、最も偉大な作曲家に間違いないデューク・エリントンがいるが、エリントンの場合も1939年にビリー・ストレイホーンを専属作曲家(兼ピアニスト)として雇って以後は、この「真の作者は誰か?」が分らない場合がある。

今までも何度か指摘しているが、エリントン楽団におけるビリー・ストレイホーは「影武者」だった場合が多かったようで、ここ20年近くの研究ではコンポーザー欄にエリントンの名前しか書かれていない作品でも、実はストレイホーンの独創だったケースがかなりあるらしい。

これは新しいオリジナル楽曲の場合についてだけの話であって、ストレイホーン加入前にエリントンが書いた曲をストレイホーンがアレンジし直して、それを譜面化し楽団が演奏してレコードになったというものは、数え切れないほどある。研究書にもそう書いてあるし、そうでなくても僕の耳判断だけでもそう思えるものがある。

ってことはだ、新垣隆が書いて、彼の名前を伏せたまま佐村河内守の名前でこの世に発表されたものと、このストレイホーン/エリントンの関係はどこが違うんだ?本質的な違いは全くないじゃないか。エリントンを偽物、ウソツキ呼ばわりする専門家やファンはこの世に一人もいないなあ。

全面的に新垣の名前を隠した佐村河内と違って、エリントンはストレイホーンの名前をクレジットすることが時々あったから、それが免罪符になる?いんや、全然ならないね。なにも違いはないはずだ。マイルス・デイヴィスもこんなことは多いよなあ。ビル・エヴァンスとの一件しかり。

例えばアルバム『カインド・オヴ・ブルー』B面ラストの「フラメンコ・スケッチズ」は、前年のビル・エヴァンス「ピース・ピース」そのままなのに、エヴァンスの名前はクレジットされていないし、またA面ラストの「ブルー・イン・グリーン」の場合はもっと入り組んでいる。

「ブルー・イン・グリーン」では、事前にマイルスがビル・エヴァンスに二つのコードを示し「この二つでなにができるか考えろ」と指示して、その結果エヴァンスが「ブルー・イン・グリーン」という曲に仕立て上げた。にもかかわらずやはりエヴァンスの名前はクレジットされていない。

こりゃあれだ、佐村河内が言葉や図形で新垣に指示を出し(がどこまで本当かは分らないのだが)、それをもとに結果新垣が具体的な曲として譜面化して佐村河内に提供したっていうのと全く同じなんじゃないかなあ。「ブルー・イン・グリーン」を含む『カインド・オヴ・ブルー』についても、マイルスを盗人呼ばわりする人は皆無だけどさ。

別に僕は西洋音楽ではないものの具体例をあげて西洋近代音楽の発想が間違っていると言っているわけではない。佐村河内/新垣の作品もクラシック音楽らしいから、やはり佐村河内は完全なる偽物、ウソツキなのかもしれない。そんなクラシック音楽の世界でだって20世紀以後のいわゆる現代音楽の分野では、作曲家の概念はしばしば揺らいでいるじゃないか。

それにねえ、音楽の世界でもどんどんデジタル化が進んでいるので、もはや紙の譜面にすることは少なくなっているようだ。最初からデジタル・データの形で着案し、デジタルで展開させて、場合によってはアナログ演奏なしでコンピューターで音創りして、完成したものも一度もアナログ化せずデジタルなまま出荷する。しかもそれら全ての段階で複数による共同作業。たった一人でなんでも全部やるという方が稀だろう。

ただ唯一、つい数日前だったか日本で行われたなんちゃらかんちゃらでギターを弾かなかったとクレームされているジミー・ペイジ。今のペイジはギター業の方はもはや引退同然状態で、自らが関わった過去音源の発掘・リイシューなどプロデュース業に専念しているようなもんなんだから、そんな人物にギター弾かないじゃないかとクレームする方がオカシイと僕は思う。チケット買うのがそもそもの間違いだ。

そんなジミー・ペイジのレッド・ツェッペリン。あれだけはイカン。個人的には佐村河内より許せないんだ。今からでもちゃんとクレジットしてリリースし直してほしい。念の為書き添える必要はないと思うけれど、いちおう書くと僕は大のツェッペリン好きだからね。

2016/11/15

「噂のグループ」スタッフの来日公演盤

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フュージョンなんか・・・と言ってバカにするジャズ・ファンはいまだに結構多いみたい。特に僕と同じかその上の世代にはいるなあ。僕はフュージョン世代ど真ん中(実はちょっぴり後追い)なもんだから、10代後半〜20代前半あたり、すなわち1970年代末〜80年代初期のフュージョンに強い思い入れがある。

その点もっと世代が下の音楽ファンであれば、フュージョン・ブームが終焉したあとに聴きはじめたはずだから、同時代的な共感も反発もあまりなく、ニュートラルにこの音楽に接して、フェアな音楽的評価を下してくれているんじゃないかなあ。例えば柳樂光隆君とかの30代後半以下ならば。

柳樂君の名前を出したのには理由があって、彼はしばしば「フュージョンがダサいというのはもう時代遅れの発想だよね」と、はっきりフュージョンの名前を出して発言しているからだ。一連のあの JTNC 系のものなどについてはちょっとどうかと思う僕だけど、フュージョン関連のこういうのはいいぞ。

もっとどんどん言ってくれ。柳樂君やその他の方々みたいに強い影響力を持つようになっているライターさんたちが「フュージョンはいいんだ、もっと聴こうよ」と繰返し発言してくれたら僕は嬉しい。そんでもってその結果フュージョンの、その肝心の音楽的中身について正当な批評が出てきてほしいのだ。

フュージョンの最盛期はやはり1970年代半ば〜末頃、あるいは80年代前半までだったと思うのだが、あの時代に最も人気があったフュージョン・バンドがご存知スタッフ。僕も当時から現在に至るまで大好きで、心身ともに疲れていてヘヴィーな音楽は敬遠したいという気分の時は今でもよく聴くんだなあ。

スタッフのアルバムは全てCDリイシューされている。このバンドのリーダー名義のものは全部で七枚しかない。といってもそのうち一枚はリチャード・ティーが1993年に亡くなったあと追悼の意味で94年に出た『メイド・イン・アメリカ:ア・リメンブランス・オヴ・リチャード・ティー』だ。

さらにレコーディングされたのは現役活動中の1976年だけど、リリースは日本で2007年、世界で2008年になった『ライヴ・アット・モントルー 1976』(CD版とDVD版)があるので、結局リアルタイム・リリースされたスタッフのアルバムは全部で結局五枚だけしかないんだなあ。

あんなに人気があったのに当時は五枚だけだったってのはちょぴり意外だな。そのうち二枚がライヴ・アルバムだから、オリジナル・スタジオ・アルバムなんか三枚ぽっちだ。もっとあるような気が当時はしていた。だがそれは人気があったがゆえの勘違いか、歌手のサポートをしたものも多かったせいか。

スタッフのアルバムたった五枚のうち、僕が一番好きなのが1978年11月20日、東京郵便貯金会館でのライヴ収録盤『ライヴ・スタッフ』。やっぱり僕はライヴ盤好き人間。スタッフ現役当時はもう一枚1980年の『ライヴ・イン・ニュー・ヨーク』があるが、こっちははっきり言ってイマイチだ。

『ライヴ・イン・ニュー・ヨーク』は、スタッフの連中の本拠地だったミケルズでのライヴ収録なんだけど、フェイド・アウトするトラックが多く、満足感があまりない。本拠地でのライヴ演奏だということもあるし、スタッフの六人が全員揃っているライヴ盤もこれ一枚だけなんだけどね。

そう、『ライヴ・スタッフ』(や活動停止後にリリースされた『ライヴ・アット・モントルー 1976』)では、ツイン・ドラムスの一人クリス・パーカーが参加していない。理由は僕は知らない。だけどできあがったこれら二枚のライヴ盤を聴けば、中身は『ライヴ・イン・ニュー・ヨーク』より上じゃないかなあ。

活動停止後の2007年リリースの『ライヴ・アット・モントルー 1976』は「伝説の」とか「噂の」とか言われていたらしい(がリアルタイムでの僕の実感はゼロ)パフォーマンスで、ライヴを収録した1976年7月2日は、スタジオ収録のファースト・アルバム『スタッフ』リリースよりも早かった。

ってことは、あの日のモントルーの聴衆は、スタッフというバンドの存在は知っていたんだろうが(だって活動はしていたから)、恒常的に活動する独立的専業バンドという認識はまだなかったはずだ。それであの素晴らしいパフォーマンスを繰拡げたので、伝説や噂になったんだろうなあ。

そんな伝説は日本にも入ってきていたようだ。というのはファースト・アルバム『スタッフ』日本盤レコードの小倉エージさんによるライナーノーツには、「噂のグループ、スタッフのアルバムが発売されることになった」と書いてあった(のがそのままリイシューCDにも載っている)。

そんでもって小倉エージさんはそのライナーノーツ(がそのままコピーされたもの)のなかで、その1976年モントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴを収録した映像が日本でも放送されたんだと書いていた。スタッフというこんな凄いバンドの凄いパフォーマンスがあるんだと、その時日本の音楽ファンも知ったんだろうね。

そんな伝説のライヴであるCDとDVDの『ライヴ・アット・モントルー 1976』のリリースが2007年になったというのは、どういうわけだったんだろう?あんな素晴らしいパフォーマンスが、しかも記録され日本のテレビでも流れたというのにオカシイね。まあスタッフに限らずそんなのがいっぱいあるけどさ。

2007年になって初めて聴いた『ライヴ・アット・モントルー 1976』には、だから僕は思い入れは薄い。スタッフはやっぱり少し遅れつつリアルタイムで聴いていた記憶があるからさ。そんでもってリアルタイム・リリースのライヴ盤二枚のうち、『ライヴ・イン・ニュー・ヨーク』はイマイチだと上で書いた。

そんなわけでライヴ盤好きの僕が、しかもライヴでこそ本領を発揮したであろうスタッフのそんなアルバムでは、唯一1978年の日本公演盤『ライヴ・スタッフ』のみが愛聴盤だったのだ。今は『ライヴ・アット・モントルー 1976』もあるし、音楽的充実度は後者の方が上だろうとは思うんだけどね。

1978年日本公演盤の『ライヴ・スタッフ』。一曲目が「フッツ」。スタジオ一作目『スタッフ』のオープニング・ナンバーだから、みんな知っているお馴染の一曲。コーネル・デュプリーの乾いたギター・サウンド(テレキャスター?)とエリック・ゲイルのフルアコ・ギターの湿ったサウンドの絡みがいい。

「フッツ」ではリチャード・ティーはアクースティック・ピアノを弾いている。ドラマーがスティーヴ・ガッド一人なわけだけど、クリス・パーカーなしで全然不足なく充分グルーヴィーだ。こういう音楽で叩かせた時のガッドは本当にいいドラマー。ブルーズとかロックとかではどうにもちょっとねえ。

だからある時期以後のエリック・クラプトンのアルバムやライヴ・ツアーでスティーヴ・ガッドが起用されているのは、僕には全く理解できない。全くグルーヴしていないじゃないか。これはガッドがダメなドラマーなわけじゃない。フィットしない音楽に起用するボスが分ってないだけなんだ。

クラプトンの話はさておいて、『ライヴ・スタッフ』2トラック目はジュニア・ウォーカーの曲三つのメドレー。ジュニア・ウォーカーは「ショットガン」の大ヒットでみなさんご存知の、モータウンで活躍したリズム&ブルーズ〜ソウル〜ファンク・ミュージックのサックス奏者兼ヴォーカリト。

そんなジュニア・ウォーカーの三曲メドレーではベースのゴードン・エドワーズがヴォーカルを担当。味があると言えなくもないが、はっきり言ってヘタクソだ(笑)。聴きものはヴォーカルではなく、スティーヴ・ガッドのドラムス・ソロだね。彼の定番みたいなソロ廻しで、当時よくコピーされていた。

それにしてもサックス奏者の曲をカヴァーしているわけだけど、スタッフにはなぜだかサックス奏者がいないよなあ。あんなテイストの音楽、つまりジャズ系というより、むしろもっと黒いもの、リズム&ブルーズとかソウルとかファンク由来のインストルメンタル・バンドでサックスなしは少ないんじゃないかなあ。

スタッフにサックス奏者も専業歌手もいなかったのは、おそらくこのバンドはこのバンドだけの演奏を聴かせるというよりも、他の音楽家のサポート・バンドだというのが本質だったからかもしれないなあ。そんなアルバムの方がスタッフの連中の演奏も活きるし、フロントで歌う(演奏する)人も活きた。

『ライヴ・スタッフ』3トラック目は「ニード・サムバディ」。セカンド・アルバム『モア・スタッフ』収録曲で、ここで歌うのはやはりヘタクソなリチャード・ティー。ヴォーカルを聴くものじゃなくて、歌いながらティーが弾くフェンダー・ローズの柔らかい響きと、エリック・ゲイルのギターがいい。

『ライヴ・スタッフ』4トラック目は、スタッフのライヴでは定番であるスティーヴィー・ワンダー・ナンバー。ここでやっているのは「サインド、シールド、デリヴァード、アイム・ユアーズ」。スティーヴィーのオリジナルよりもグッとテンポ・アップして、疾走するようなフィーリングでの演奏だね。

「サインド、シールド、デリヴァード、アイム・ユアーズ」では、リチャード・ティーは再びアクースティック・ピアノをグルーヴィーに弾き、コーネル・デュプリーとエリック・ゲイル二人のギター・サウンドの絡みも最高だ。最初はゲイルがカッティング、デュプリーがシングル・トーンでメロディを弾く。

途中からは右チャンネルのエリック・ゲイルも単音ソロを弾く。その後リチャード・ティーのピアノ・ソロ、スティーヴ・ガッドのドラムス・ソロを挟んで、メドレー形式で「スタッフのテーマ」になだれ込む。その部分ではエリック・ゲイルがソロを弾くまくり、ティーとガッドの有名な掛合いになる。

『ライヴ・スタッフ』五曲目の「ラヴ・オヴ・マイン」(がメイン・アクトのラスト・ナンバーだったようだ)は割愛して、おそらくアンコールだったんだろうアルバム・ラストの「ディキシー」。ファースト・アルバム『スタッフ』でもラストを締めくくっていたトラディショナル・ゴスペル・バラード。美しいよなあ。

アルバム・ラストの「ディキシー」では、リチャード・ティーにしか出せなかったあのフェンダー・ローズの柔和なサウンドに乗せて、エリック・ゲイル(が先に出る)とコーネル・デュプリーが泣きのギター・ソロを聴かせてくれる。スタジオ・オリジナル・ヴァージョンとほぼ全く同様の展開だ。

違うのは『スタッフ』ラストの「ディキシー」は、キャロル・キング・ナンバー「アップ・オン・ザ・ルーフ」とのメドレーとクレジットされていたのに対し、『ライヴ・スタッフ』では「ディキシー」しか書かれていなこと。それでもやっぱり後者も「アップ・オン・ザ・ルーフ」とのメドレーになっている。

どうしてクレジットしなかったんだろうなあ。それにしても「ディキシー(〜アップ・オン・ザ・ルーフ)」などを聴いていると、エリック・ゲイルといいコーネル・デュプリーといい本当に上手いギタリストだなと実感する。決して音数は多くなく、高速フレーズを華麗に弾きまくったりはしない人たちだけど。ギターが上手いっていうのはこういう人たちのことであって、上で名前を出した英国人なんか・・・。

さて『ライヴ・スタッフ』には、書いてきたような具合でモータウンの音楽家のカヴァーや、(同じモータウンの)スティーヴィー・ワンダーのカヴァーや、伝承ゴスペルや、リズム&ブルーズ・グループのために書いたキャロル・キングのカヴァーがあったりして、オリジナル曲も黒いフィーリングがあるよね。

そう見るとスタッフというバンドの音楽的な本質が見えてくるんじゃないだろうか。現役当時のスタッフは、主にジャズ・ジャーナリズムがとりあげることが多かったけれど、このバンドの本質はジャズ系フュージョンというより、リズム&ブルーズ〜ソウル系インストルメンタル音楽の人たちだったんだよね。

2016/11/14

とみー(1031jp)さんのソロ・アルバムは柔らかくて暖かい

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Twitterでフォローしている日本の音楽家にとみー(@1031jp)さんという方がいる。the HANGOVERS(ザ・ハングオーヴァーズ)という3ピース・バンドのギター兼ヴォーカルだ。ウィキペディアによればインディーズ・ロック・バンドとなっている。
Twitterでとみーさんといつ頃どうして知り合ったのかはもう忘れちゃった。まあ音楽関係のツイートに面白いものがあるっていうので僕がフォローしはじめたことは間違いないだろう。あと幼少時代のポートレイトを使ったアイコン(上掲右)も僕好み。でもアイコンは何度か変わっている。

やり取りするうちに the HANGOVERS というバンドをやっていることも知り、ちょっと買って聴いてみたら、これはまあ上記ウィキペディアの記述通りだと言える音楽性。決して嫌いじゃないけれど、かといって大好物というほどでもない僕だったのだ。

その the HANGOVERS のギター兼ヴォーカルのとみーさんが今年五月末頃だったかな、初ソロ・アルバムをリリースした。1031jp 名義でアルバム名も『1031jp』。収録は五曲だけで、計たったの18分ほどというミニ・アルバムだけど、これがなかなか悪くないんだよね。

衝撃のソロ・デビュー作だとか、時代を揺るがす傑作だなどとは言い難いというか、まあそんなものではない『1031jp』だけど、ほんわか暖かく柔らかい感触の音楽で、なかなかの佳作だと言えるのは間違いない。これはとみーさんが僕と仲良くしてくださっているから言うんじゃないんだ。

僕はそんな「仲間だから/敵だから」みたいな発想はほぼ持っていない人間。ただ単に言動内容そのものや、作品の中身そのものでしか評価しない。普段どんなに仲が良くてもオカシイなと思えばはっきり言うし、普段どんなに敵対しててもマトモな内容だなと思えばそう評価する。だいたいみなさんそうじゃないかな。

だから今日のこの文章はとみーさんのソロ・ミニ・アルバム『1031jp』がなかなかいいなと思うので書いているだけだ。おそらくご本人もお読みになるだろうと思うので書きにくい部分もあるんだけど、言いたいことははっきり言うつもり。

さて『1031jp』は全五曲があまりロックっぽい音楽ではない。the HANGOVERS を知っているとこれは最初に聴いた時にちょっと意外だったのだが、恒常的に活動するレギュラー・バンドとは区別したいという意向があったはずだ。感じるのはロックではなく、ボサ・ノーヴァだ。

いかに「ロックしないか」がテーマにもなっているんじゃないかなあ。縦ノリの8ビートを避け、横ノリのグルーヴ感を出そうと腐心してできあがった結果だというのは聴いているとよく分る。五曲全てそうだけど、特に典型的に出ているのが一曲目「ハニービー」と二曲目「六月のレイトショー」。

いやまあ他の曲もちょっぴりブラジリアン・テイストというかボサ・ノーヴァ風なノリが軽く表現されているが、最もそれが鮮明なのが上記二曲。しかもサウンドはエレピ(フェンダー・ローズに似た音色だけど、そうではない)以外ほぼアクースティックな響きで、それもいい感じだなあ。

だいたいとみーさんは the HANGOVERS ではエレキ・ギターを弾くことが多いんだけど、『1031jp』ではエレキは効果音的に軽く入っている曲がちょっとあるだけで、ほぼ全編アクースティック・ギター。これはロックっぽくなくしたい、ボサ・ノーヴァ風なフィーリングを出したいという目論見ゆえだろう。

もっともそうは言っても収録五曲全てで聴こえるドラムスはコンピューターを使った打込み。『1031jp』はとみーさんたった一人でコツコツ録音を繰返して創ったもののようだから、まあ仕方がないんじゃないかな。ヴォーカルとギターとベースとエレピ以外の楽器音も全てコンピューター・サウンドかもしれない。

しかし重要なことは、そんな一部を除きデジタル・サウンドで構成されているにもかかわらず、『1031jp』の音楽には人肌の温もりが感じられることだ。かつてのある時期のいかにもペラペラでチープで無機的なコンピューター・サウンドにはなっていない。

そのあたりはちょっと一時期のプリンスにも通じるものがある。なんて書くとこれをお読みになったとみーさんは勘弁してくれ、褒めすぎだと言うだろうなあ。僕も褒めすぎだろうと思うし、それに最近はコンピューターを使って人間的な温もりのあるサウンドを創る音楽家はたくさんいる。

だからこれはとみーさんや『1031jp』だけの特長じゃないだろう。でもなあ、あのとみーさんのヴォーカルの柔らかさや暖かさはやっぱり特筆すべきものだよ。それは the HANGOVERS でも同じなんだけど、『1031jp』ではロックをやらないという意図があったと思うから、より一層それが強く出ている。

ボサ・ノーヴァを強く感じる最初の二曲に続く三曲目の「彗星」はリズムに軽いファンキーさがあるのがいい。ハンド・クラップ音も効果的に入っているけれど、これは自分で叩いているのか MIDI 音源の素材を使っているのか、両者を混ぜているのか、ちょっと分らない。

そういえばハンド・クラップは三曲目だけでなくほぼ全曲で効果的に使われている。ドラムスが打込みサウンドなだけに、そこに人肌の温もりを加えるのに大きな効果をもたらしているよね。だからリズムの感触が無機的なものにはなっていない。

ハンド・クラップが特に大きな効果を出しているのが四曲目「シネマの朝食」と五曲目「エイチビー」。この二曲におけるハンド・クラップ音は、人力演奏では難しそうなかなり細かいフレイジングだから、少なくともこの二曲でのそれはコンピューター作成のものだろう。

また『1031jp』では全五曲そうだけど、街の雑音というか雑踏、環境音みたいなのが入っているのも僕好み。これもやはりコンピューター中心のサウンドに人間らしいザワザワしたものを出そうとしての試みなんだろう。成功している。少なくとも僕はかなり気に入っている。

サウンド・エフェクトといえば、四曲目「シネマの朝食」ではちょっとアナログ・レコードを再生する針音というかスクラッチ・ノイズみたいなのが聴こえるけれど、僕の聴き違いかなあ?それが鳴っているなと思って聴いていると、指をパチンと鳴らす音をきっかけにそれは止み、打込みドラムスとハンド・クラップが入ってきたりする。

なお『1031jp』では全五曲、とみーさんの柔らかい声がちょっと多重録音で重ねられている部分があるようだ。基本的には独唱だけど、ちょっぴり二重唱っぽくなったりコーラスになったりする瞬間があるので間違いない。このソロ・ミニ・アルバムで僕が最も気に入っているのが、そんなとみーさんの声なのだ。

アルバムの五曲でほぼ全てやや高いピッチの、ちょっと中性的なヴォーカルだけど(とみーさんは男性)、三曲目の「彗星」でだけは低めの男性的な声で歌いはじめ、それが一曲続くなあと思って聴いていると、途中からは多重録音のコーラスが入ってやっぱりちょっとだけ中性的になる。

クラシック音楽の声楽家はあの発声法が僕はどうしても好きになれないんだけど、ポピュラー音楽のヴォーカリストの魅力の八割以上は、その元から持っている喉、声にあると僕は考えている人間。訓練した技巧は上達しても、声だけはどうしたって変えられない宿命なのだ。

楽器奏者の場合は、練習しまくってどんどん上手くなる(一方でマンネリになったりもする)わけで、生得的な魅力っていうものはかなり小さいんじゃないかなあ。あ、いや、管楽器奏者の場合は口や唇の形や歯並びが影響するなあ。でもそれも矯正できる部分がある。

がしかし歌手だけはそうはいかない。持って生まれた声が勝負。だからいい声を持って生まれた歌手は、それだけであらかじめ魅力を付与されているようなもの。とみーさんにはその魅力があるように僕は思うんだなあ。楽器技巧のことや音創りのちゃんとしたことは、素人の僕には分らないけれど、声の魅力はみんな分るよね。

『1031jp』では、ひょっとしたら中性的でソフトで暖かいとみーさんのヴォーカルの魅力を最大限に浮かび上がらせるために、伴奏をあまりハードじゃないサウンドに、ロック風ではないもものに工夫してあるのかもしれないなあ。ご本人がどこまで自覚しているのか分らないけれど、僕にはそう思える。

なお、とみーさんのソロ・ミニ・アルバム『1031jp』、僕はご本人がTwitterで個人的に直販なさっていたので、それで直接メールして買った(送料込2000円)けれど、路面店でも売っているようだし、アマゾンなど通販サイトでも売っているので、今日の僕の文章を読んで興味を持った方は是非一枚。
まあ『1031jp』、全部通し20分もないのであっと言う間に終ってしまって、だから二度・三度とリピートしたくなる。もっと長い50分とか60分とかのフル・アルバムが聴きたいんだよなあ。ミニ・アルバムを一枚創るだけでも相当大変だったようだから(もろもろ赤字なんだそうだ)、気長に待ってますからお願いしますよ、とみーさん。

2016/11/13

いっぱいキスして

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という意味の「ベサメ・ムーチョ」というラテン・ナンバーは、普通のジャズしか聴かないリスナーや普通のロックしか聴かないリスナーだって全員知っているはずだ。ジャズ・ファンならアート・ペッパーのヴァージョンで、ロック・ファンならビートルズのヴァージョンで。でも後者はあんまり有名じゃないかも。

ビートルズの「ベサメ・ムーチョ」は1995年リリースの『アンソロジー 1』にしか収録されていないからだ。だから当然初期のもので、1962年6月6日録音。ってことはまだレコード・デビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥー」のリリース(62年10月)はおろか、録音(同年9月)よりも前ってことだ。

その時期のビートルズはラテン・ナンバーだけでなく(といっても「ベサメ・ムーチョ」もコースターズのを下敷にしているが)、いろんなスタンダード曲をレパートリーにしていた。当時のライヴではそういうものをよくやったようだ。『アンソロジー 1』にはそんなようなものの残滓が少しあるよね。

解散間際のビートルズがそんな初期の姿に戻ろう(ゲット・バックしよう)としてやったのが1969年の例のゲット・バック・セッションだったのは有名な話。公式盤では96年リリースの『アンソロジー 3』でちょっとだけそんな姿を垣間見ることができる。ブートでならたくさん聴けるんだろうなあ。

ビートルズはここまで。「ベサメ・ムーチョ」はメキシコ人女性コンスエーロ・ベラスケスが1940年に書いたもの。ラテン歌手によるものでは、僕はプエルト・リコ系アメリカ人女性歌手ビルヒニア・ロペスのヴァージョンと、キューバ人女性歌手フレディのヴァージョンしか持っていない。前者はなかなかチャーミング。後者はなんだか強引に迫られているような気分になる(笑)。

ラテン楽曲としての「ベサメ・ムーチョ」の話も今日はおいておく。特別ラテン音楽に強い関心のない一般のジャズ・ファンでもみんなこの曲を知っているというのは、間違いなくジャズ・アルト・サックス奏者アート・ペッパーのおかげだ。ペッパー最大の得意レパートリーの一つで、死ぬまでやったからだ。

僕がジャズに強い関心を持つようになったのが1979年なわけだから、リアルタイムな経験では当然それ以後のアート・ペッパーしか知らない。彼は75年の(二回目の)復活以後も「ベサメ・ムーチョ」をよくやっていた。82年に死んでしまうペッパーだが、それでも松山にだって二回ライヴ公演で来たもんなあ。

僕が二回とも行ったそのアート・ペッパー松山公演でも、二回とも「ベサメ・ムーチョ」をやった(はず)。とにかくペッパーがこれを演奏しないライヴはなかったんじゃないかというほどなんだよね。死後いくつもリリースされた75年復帰後の晩年のライヴ収録盤にもほぼ全部入っている(はず)。

晩年におけるスタジオ録音もある。1978年のインタープレイ盤『アマング・フレンズ』のB面に収録されていた。アート・ペッパーがやる「ベサメ・ムーチョ」を、一回性のライヴではなく繰返し聴けるレコード・アルバムで聴いた最初がこれだった。タイトル通り旧友との再会セッション盤。

「ベサメ・ムーチョ」のスタジオ再演がある『アマング・フレンズ』でピアノを弾いているのがラス・フリーマン。そんでもってアート・ペッパーがラテン・ナンバー「ベサメ・ムーチョ」を生涯初レコーディングした1956年11月25日録音のタンパ・レーベル盤でのピアノがラス・フリーマンなんだよね。

そのタンパ盤のタイトルが『ジ・アート・ペッパー・カルテット』。1956年録音だけど、ペッパーはまだまだかなりいい時期だ。以前書いたように(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-82b4.html)、この人は1950年代初期のディスカヴァリー録音集が一番いいと思うんだけど、50年代いっぱいは悪くないんだ。

1950年代初頭のディスカヴァリー録音集の次に僕が愛するアート・ペッパーがそのタンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』なんだよね。でもこれ、アナログ・レコードは一度も買ったことがない。僕がペッパーを好きになった頃には著しく入手困難で、指をくわえて我慢するしかなかった。

だからジャズ喫茶でかけてもらってそのタンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』は聴いていた。これより前のディスカヴァリー盤は普通に買えたのにヘンだなあ。ディスカバリーもそうではあるけれど、おそらくタンパというもっと超マイナーなインディー・レーベルのせいだったのかもしれない。

タンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』は、プレスティッジ録音盤などをリイシューしている例の OJC(Original Jazz Classics)が1994年になってCDリイシューしてくれて、僕はこの時初めてこの<幻の名盤>を我が手に入れたのだった。そりゃもう嬉しかったなあ。

タンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』で初演された「ベサメ・ムーチョ」を OJC のリイシューCDでじっくり聴くと、1975年復帰後のスタジオ録音ヴァージョンや数多い晩年のライヴ・ヴァージョンとは比較すらできないキラメキがあるんだなあ。他の収録曲も全部そうなんだけどね。

タンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』における「ベサメ・ムーチョ」はこれ→ https://www.youtube.com/watch?v=v8xW2uG5KpI   これに対し前述1978年インタープレイ盤『アマング・フレンズ』の同曲はこれ→ https://www.youtube.com/watch?v=5f6ORlV3NjQ  後者も悪くはないけれど。

というか僕にとって長年スタジオ録音ヴァージョンのアート・ペッパー「ベサメ・ムーチョ」は後者しかなかったので、充分満足していたのだった。ベースの音が例のピック・アップ本体直付のこの時代のアレなので、それだけはいただけない。でもその後の数々のライヴ・ヴァージョンは今ではちょっと聴きにくいように思うなあ。

ガッカリしてもらいたくないので、探したら YouTube にいくつか上がっていたそういうものは貼らないでおこう。一言で言えば演奏時間が長すぎる。どれもだいたい15分超え、なかには21分とか22分間とかやっていて、アート・ペッパーがモーダルなソロをコルトレーンばりに延々と吹いている。

しかもそのアルト・サックス・ソロの途中で、コルトレーンの『至上の愛』のパート 1「承認」で聴ける例の呪文みたいなリフが出てくる。アート・ペッパーは麻薬療養施設に入っていて引退状態だった時期にいろんなレコードを聴いて勉強していた(と本人が語っている)ので、その成果の一つなんだなあ。

アート・ペッパー自身は、かつての自分は感覚だけ、インスピレイションだけで吹いていた、それを反省して勉強し直していろんなことが分るようになり表現の幅が広がったのだと、インタヴューでも語っていたし自伝『ストレート・ライフ』(の僕の持つのにはペッパーのサイン入り)にもそう書いてある。

だが音楽家にもいろんなタイプがあって、楽理や演奏法について詳しく教育を受けて、その学習の成果がないと演奏が充実しないタイプと、そんなことは理屈では考えず(分っていないということではない)、いわば生得的直感みたいなもので閃きのあるプレイができるタイプがいるんだと僕は思うんだなあ。

アート・ペッパーはどっちかと言うと後者タイプの典型だ。日本のプロ野球選手で言えば清原和博みたいなタイプ。野球をご存知の方には説明不要だけど、清原も全然理知的な理論派なんかじゃない。その正反対で、体をどう動かすかなんていう理屈抜きで(繰返すが「分っていない」ということは絶対にありえない)、自然に体が反応して打ててしまうという天才肌。

もちろんなんの理知的自覚もなくそうできるようになるまでには、清原も繰返し練習したに違いないわけだけどね。アート・ペッパーもこのタイプの典型的天才なんだなあ。奇しくも両者とも違法薬物に手を出して人生が破滅した(ペッパーは復帰したが)。天才の一瞬の直感的閃き、それがペッパーの魅力じゃないかなあ。

それは上で音源を貼った1956年録音のタンパ録音ヴァージョン「ベサメ・ムーチョ」を聴いていただければ分っていただけると思う。タンパ盤『ジ・アート・ペッパー・カルテット』は「ベサメ・ムーチョ」が異様に名高いが、僕はもっといい演奏があると思う。二曲目の「アイ・サレンダー・ディア」だ。
この曲は古くからのジャズ・メンがやるスタンダード・ナンバー。初演はビング・クロスビーらしいんだが、僕はそれは聴いていない。僕の持っている最も古い録音はルイ・アームストロングの1931年オーケー録音。これがかなりいい演唱ぶりで僕は大のお気に入り。

いかにも1930年代末頃までの古典ジャズ界にしか存在せず、その後のモダン・ジャズ時代には完全に消え失せた、あの独特の情緒が感じられるメロディで大好きだなあ。サッチモのその1931年ヴァージョンをちょっと貼っておくので、是非耳を傾けてみてほしい。
その後テディ・ウィルスンやベニー・グッドマンや、フランス人ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトやいろんな人がやっている「アイ・サレンダー・ディア」。モダン・ジャズ界ではセロニアス・モンクがピアノ独奏でやっている(『ブリリアント・コーナーズ』)。アリーサ・フランクリンもコロンビア時代に歌っているなあ。

僕が一番好きな「アイ・サレンダー・ディア」はやっぱりあの前掲1931年のサッチモ・ヴァージョンだけど、モダン・ジャズ・ヴァージョンでは、音源上掲リンクのアート・ペッパー・タンパ録音ヴァージョンが一番好きだ。ペッパーは「ベサメ・ムーチョ」もそうだけど、「アイ・サレンダー・ディア」みたいなああいう湿った哀感を持つ情緒のある曲が得意だったね。

アート・ペッパーのタンパ盤はもう一枚、ピアニストのマーティ・ペイチ名義のものがあって(上掲写真右)、録音もほぼ同時期で編成も同じワン・ホーン・カルテット。中身も似たような雰囲気でなかなかいいよ。

2016/11/12

或るアフリカ音楽アンソロジー

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非売品の CD-R で、あるお店での私的頒布だけ。それもそのお店の作ったものではなく、ある方が個人的に作成したものなので、公の文章にしたらマズイだろうとは思いつつ、面白くてたまらない一枚なのでどうにも辛抱できず書いてしまう。本当に素晴らしいアフリカ音楽のアンソロジーなんだよね。

その CD-Rのタイトルも、収録曲の曲名も音楽家名も、作成した方のお名前もお店のお名前も一切出さないので、なんとか勘弁して見逃してほしい。といっても、収録全12曲の曲名と音楽家名は記されてはいるものの、全て僕は知らない名前ばっかりなので、そこからなにか参考になるような部分はない。

まあアフリカ音楽のアンソロジーであることはタイトルに出ているので間違いないんだろう。収録曲の音を聴いてもそれは分る。一曲目はヴォーカリストの歌い方にコクがあって素晴らしい。アラブ系か、あるいはサハラ以南でもイスラム教系の歌手なんじゃないかなあ。コブシの廻し方もそんな感じだ。

そんなコクのある歌い廻しをするヴォーカルを支える一曲目の伴奏サウンドは、ドラムスの音はおそらく打込み。エレキ・ギターが鳴り、ホーン・セクションも入ってくるが、それはひょっとしたらシンセサイザーかもしれない。だがバリトン・サックスのソロが出てくるので、そこは間違いなく生の管楽器だ。

二曲目はややレゲエっぽいリズムをエレキ・ギターが刻み、女声コーラスが薄く入っている。リード・ヴォーカリストの歌い方はトーキング・スタイル。というかレコードをかけながら喋る DJ っぽい感じ。だからいかにもジャマイカ〜ロンドン風サウンド・システムっぽいようなサウンド創りだなあ。

三曲目は演歌だ。最初ハイハットの音がイイネと思って聴いているとドラム・セット全体が躍動しはじめ、グリグリとコブシを廻すいかにも演歌歌手のような男声ヴォーカルが入ってくる。これもややアラブ系っぽいというか、ちょっぴりライ風の歌い方だな。次いでファズの効いたエレキ・ギターのソロが出る。

なかなか上手いそのエレキ・ギター・ソロの終盤でバンドが演奏するリズム・パターンがパッとチェンジする。それまで普通の8ビートをやっていたのが、突然難解なポリリズムに変貌し、そのポリリズムのままギター・ソロが終り、ヴォーカリストもその複雑なポリリズムに乗って再び歌いはじめる。

歌の終盤で再び最初と同じ複合拍子ではない普通の8ビートに戻って三曲目は終る。四曲目はちょっぴりジャジーなフュージョン風サウンドだ。特にソプラノ・サックスの音がフュージョンっぽく響く。ヴォーカルに絡みソロも吹いてと大活躍。バンドのリズムは6/8拍子だけどアッサリとしている。

五曲目ではンゴニか、あるいはそれに類する弦楽器か、ひょっとしたらアクースティック・ギターでンゴニ的な弾き方をしているような音が終始鳴っている。それに加えてかなりシンプルな打楽器伴奏が入るだけで、あとはリード・ヴォーカルとコーラス隊のチャントのみ。静かな聴感だけどリズムは躍動的。

六曲目に来て僕はニンマリ。どうしてかというとこれはいわゆる砂漠のブルーズという括り方で知られているトゥアレグ系バンドの音楽だからだ。したがってやはり複数本のエレキ・ギターが絡んでカラフルなサウンドを創っていて、その上にティナリウェエンのイブラヒムみたいに呟くようなヴォーカルが入る。

しかしその砂漠のブルーズである六曲目にはドラム・セットが入っている。フル・セットのドラムスじゃないと出せない音が鮮明に聴こえるので間違いない。バンド全体のサウンドにはティナリウェンやタミクレストやイマルハンみたいな華麗さはない。編成も四人以下のかなり少人数のはずだ。

七曲目冒頭でいきなりシンセサイザーが、それもUKロック、特に一部のプログレ系バンドの鍵盤奏者が出すような音が鳴りはじめるのでオッと思うと、すぐに複数によるパーカッション群が入りポリリズミックになり、シンセサイザーは鳴り続けているものの、その音色も変わって、西アフリカ風なヴォーカルが入る。

八曲目はどこからどう聴いてもユッスー・ンドゥールだろうとしか思えないサウンドとヴォーカル。特に1990年前後あたりのユッスーに酷似している。もちろんユッスーではない。しかし似ているなあ。ヴォーカリストの声質と歌い方もソックリなら、タマ(トーキング・ドラム)の使い方なんか瓜二つじゃないか。

1990年前後のユッスー風な八曲目には、タマ奏者が複数参加しているか一人で多重録音しているかのどっちかだ。あるいはひょっとしたら打楽器はタマしか入っていないかもしれない。ミックスもなんだかタマの音が目立っているような感じで大きく聴こえ、あとはチープなシンセサイザー音とヴォーカルだけ。

九曲目はかなりプリミティヴな雰囲気で、ポピュラー・ミュージックというよりアフリカ民俗音楽といった趣。いや、間違いないくポップスではあるんだけど、思わずそう言いたくなるようなサウンドなんだなあ。電気楽器は一切なし。大人数の打楽器+一本の笛+リード・ヴォーカル&チャントで構成されている。

九曲目のサウンドはプリミティヴ、特になんだか分らない笛がそんな聴感だけどリズムは躍動的。モダンでポップな感じがする。それを主に表現している打楽器群はまさにオーケストラと呼べるような大編成に間違いなく、折り重なって重層的なポリリズムを奏でている。その上にやはりプリミティヴな歌が乗る。

10曲目冒頭でいきなり聴こえる女声ヴォーカルの迫力にはやや驚く。強く声を張ったビッグ・ヴォイスでグリグリとコブシを廻してこりゃいいね。エレキ・ギター+シンセサイザー+エレベ+ドラムス+パーカッションという伴奏バンドはモダン・ポップス的だ。エレキ・ギターのスタイルはンゴニ的。

10曲目のリズムは乗るのか突っかかるのか分らないような不思議なノリのグルーヴ感で、中東風に近いようなもの。続く11曲目は間違いなくアルジェリアのライ。アルジェリアも地理的にはアフリカ大陸の一部だけど、いわゆる「アフリカ音楽」のアンソロジーに入ることは多くないので、マグレブ音楽好きの僕には嬉しい。

その11曲目はいかにも最近のライっぽいサウンドで、打込みのリズム+シンセサイザーがビヒャビヒャ鳴っているというチープなものなんだけど、僕はもうすっかり慣れている。だいたいモダン・アラブ・ポップスはそんなのばっかりだもんね。そんなサウンドの上に演歌風ヴォーカルが乗っているっていう例のやつだ。

11曲目で歌っている男声ヴォーカリストはかなり上手いなあ。コクがあってまるで昔のハレドみたいな声質と歌い方だ。思わず聴き入ってしまう。こういう旨味のあるヴォーカリストがいるもんだから、伴奏のサウンドがチープで、僕も正直言うと好きじゃないものが多くても、やっぱり聴けるんだよね。

ラスト12曲目はブラス・バンド(に間違いない)。大編成の管楽器隊が合奏していて、これはシンセサイザーのサウンドではなくどう聴いても生のホーン隊が演奏する音だ。ドラム・セット+複数のパーカッションが賑やかにリズムを奏でる上で、これまた派手にブラス・バンドが咆哮するのが気持ち良い。

ブラス・バンド・ミュージックである12曲目では一応人声ヴォーカルも入り、それもリード・ヴォーカル+コーラスとなって歌っている。がしかしそれはこの曲では一種の添え物だなあ。主役はあくまで管楽器だ。トランペットやトロンボーンのソロも聴こえ、ややサルサ〜ラテン・ミュージック風でもあってイイネ。

アクースティク・ピアノの弾き方なんかどう聴いてもキューバン・サルサのスタイルじゃないか。ピアノだけでなく、リズムの創り方もホーン・アンサンブルのアレンジもややラテン風だし、南中北米からアフリカ大陸へとまたにかけたトランス・アトランティック・ミュージックだよなあ。

僕の個人的趣味嗜好だけならこのアフリカ音楽コンピレイション CD-R、六曲目の砂漠のブルーズ、11曲目のライ、12曲目のサルサ風ブラス・バンド、この三曲が大のお気に入り。しかもアルバム全体の流れが実によく練り込まれた巧妙なもので、編纂者の気持がヒシヒシと伝わってくるなあ。

こんなに楽しいアフリカ音楽アンソロジー、推測するに正規商品から選曲し一つずつ抜いて作成したものなんだろうから、流通品となれるわけがない。だから私的頒布だけなのは当然で、編纂者名もいただいたお店の名前も出せないんだが、心から感謝しています。本当に楽しんでいます。ありがとう!

2016/11/11

マイルスのブルー・ノート盤を推薦する

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推薦盤としてあがることは滅多に(全然?)ないマイルス・デイヴィスのブルー・ノート録音盤。といってもキャノンボール・アダリー名義の1958年『サムシン・エルス』のことではない。あれもブルー・ノート盤だけど、推薦されまくっているじゃないか。僕が言っているのは52〜54年の録音集だ。

マイルスの1952〜54年のブルー・ノート録音は、アナログ盤レコードでもCDでももちろん全曲がリリースされている。それらは別テイクも含めると全部で26トラックで計一時間半ほど。ってことは12インチLPでもCDでも二枚になるという長さで、実際そういう形でリリースされてきている。

現行CDではバラ売り二枚(どうして二枚組にしないんだ?)のそれらのブルー・ノート録音集。アナログ盤でも二枚バラ売りだった。しかしかながらそれらは元々は10インチLP三枚で発売されたものだった。最初に52年録音の六曲が同年に『ヤング・マン・ウィズ・ア・ホーン』としてリリース。

次いで1953年録音の六曲がやはり同年に『マイルス・デイヴィス・ヴォリューム 2』としてリリースされ、最後に54年録音のやはり六曲がやはり同年に『マイルス・デイヴィス・ヴォリューム 3』としてリリースされた。一枚ずつ録音年ごとにまとめて発売されたわけだから、分りやすいように思う。

それら三枚の10インチLP音源が、それらには未収録だった別テイクとともにブルー・ノートから12インチLPで初めてリリースされたのが1956年のこと。したがってこの時に初めて1952〜54年のマイルスによるブルー・ノート録音全トラックがバラ売り二枚でリリースされたということになる。

しかしながら僕も買って聴いていたそのバラ売り二枚の『マイルス・デイヴィス・ヴォリューム 1』と『同 2』は、10インチLPでは一枚ずつ録音年で分けていたのが、なんだかごた混ぜな曲順になって収録されているんだよね。僕は10インチ時代のことを長らく知らず、こんなもんだと思っていた。

そして1988年に初CDリイシューされる際にも、その12インチLPの録音年ごた混ぜ状態をそのままの曲順で収録しているのだった。これは2016年現在に至るまで同じだ。録音年だけでなく、録音したバンドのメンバー編成も一年ごとにかなり違っているもんなあ。ややこしいんだ。

トリヴィアかもしれないが、1988年の初CDリイシューの際のジャケット・デザインは12インチLPのものをそのまま使っている。しかし2001年にCDで再リイシューされたものはそれとはジャケットが違うのだ。というのは56年の12インチLPのジャケットはその際に考案された新ジャケットだった。以下、左が『1』、右が『2』。

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2001年に再びリイシューされた二枚のCDは10インチLPのオリジナル・ジャケットを使っているんだよね。じゃあそっちの方が元通りになったんだからいいんじゃないかと思うのは早とちり。書いているように10インチLPでは三枚、リイシューCDでは二枚。だから10インチLPのジャケット一枚は消滅したことになる。

消滅したのは1952年盤の『ヤング・マン・ウィズ・ア・ホーン』のジャケット(上掲左)。しかも53年の10インチ盤の『マイルス・デイヴィス・ヴォリューム 2』(上掲中)のジャケットが2001年CDの『マイルス・デイヴィス・ヴォリューム 1』になり、54年の『3』(上掲右)のがCDの『2』になるという不可解さ。

だから単に1952年盤のジャケット一枚が消えただけじゃなく、10インチ盤『Vol 2』が2001年盤CD『Vol. 3』のジャケットになり、10インチ盤『Vol. 3』のが2001年盤CD『Vol. 1』のジャケットになっちゃっているわけで、こりゃもうどうなってんの?

そして僕は1988年リリースのCDと2001年リリースのCDの両方を持っている。なぜだか曲順までもがちょっとだけ違っているという、それも不可解だけど、中身の音楽は完全に同一。だから単に10インチLP盤の<オリジナル>・ジャケットを見たいという理由だけで買ったのだ。

しかし曲順をちょっと変えたってのはどうしてなのか全然理解できない。変えた結果聴きやすくなっているのかというとそんなことはないからだ。1988年リイシューのCDは12インチLP二枚を曲順もそのままに再現したもの。ところが2001年のは同じ曲の別テイクが離れた位置にあったりする。

まあ同じ曲の別テイクなんてのは続けて聴かなくてもいいのであって、だからマスター・テイクだけ先に全部まとめて収録し、その後に別テイクだけまとめて並べてくれればそれが理想だと僕は思う。1956年の12インチLPと88年のCDはそうなっておらず、同じ曲のマスター・テイクと別テイクが連続していたのだった。

じゃあ2001年リリースのCD二枚は上で書いた理想なフォーマットに並べ直しているのかというとそうでもないから不可解だと言うんだよね。マスター・テイクが続くかと思った途中に突然一曲だけの別テイクを入れ、その後またマスター・テイクを並べ、再び途中に別テイクをねじ込んでいたりする。

こりゃいったいなんなんだ?10インチLP盤のオリジナル・ジャケット現物を見たことのない、僕を含むファン向けにそれを見せてくれたという以外に再リイシューした意味はゼロじゃないかなあ。ルディ・ヴァン・ゲルダーが再リマスターして音質がほんのちょっと良くなっているということになってはいるけれど。

これは2001年盤のリイシュー・プロデューサーとして名前が記載されてあるマイケル・カスクーナさんに事情を聞いてみたい気分だ。どうせ曲順を変更するのであれば、前述の通りマスター・テイクだけまず先に全部並べておいて、それが終った後に別テイクを並べるようにすればよかったんじゃないか?

またこれも前述の通り、パーソネルも1952、53,54年録音で全部違っているわけだから、やはりこれも整理して録音年順に並べ直してくれていたのであれば大歓迎だったにもかかわらず、そこは以前と同じくゴチャゴチャのままだもんなあ。え〜っと、ここまで文句ばかりたれてきてしまったが。

できうれば今後また再びリイシューすることがあるのなら、ブルー・ノート音源のリイシュー担当者の方には以上のような事情を勘案していただきたい。さてさて肝心の中身の音楽の話をしなくちゃね。最初に書いたようにマイルスによる1952〜54年ブルー・ノート録音が推薦されることは今までまずなかった。

しかし中身はなかなか悪くないんだぞ。僕は上記のような事情があるもんだから iTunes のプレイリストでは1952、53.54年と三つに分けて並べ直したものを作ってある。パーソネルも全部違っているもんね。その三つのプレイリストで聴くとCDで聴くのでは分らないことも分る。

まず1952年録音のトップが「ディア・オールド・ストックホルム」。これはスウェーデンの民謡をスタン・ゲッツがアダプトしたものだけど、マイルスはもう一回1956年にコロンビアにも録音しているね。『ラウンド・ミッドナイト』収録。けれども52年ブルー・ノート録音の方がはるかにいい出来だ。
「ディア・オールド・ストックホルム」という曲の、哀愁のあるノスタルジックなメロディの持味を、テーマ吹奏はもちろんアドリブ・ソロ部分でも存分に活かして表現できているのは1952年ブルー・ノート・ヴァージョンの方だ。56年コロンビア・ヴァージョンの良さはリズム・セクションの動きにある。
https://www.youtube.com/watch?v=ghRQv9ECdRU

またその「ディア・オールド・ストックホルム」でもいいソロを吹くアルト・サックスのジャッキー・マクリーン。プレスティッジ盤『ディグ』になった1951年録音でマイルスはこの若手を初起用して以後数年間はよく使っていた。気に入っていたんだろう。チャーリー・パーカーみたいだからさ。

そのジャッキー・マクリーンがマイルスの録音で吹いた最も優れた内容が上掲1952年の「ディア・オールド・ストックホルム」じゃないかなあ。トロンボーンのJ・J・ジョンスンもいいなあ。僕は三管編成みたいな分厚いサウンドが好きなんだよね。

また同じ1952年録音のスタンダード・バラード「イエスタデイズ」。これを吹くマイルスは間違いなくビリー・ホリデイのコモドア盤を参照、というかそのまま下敷にしている。その女性歌手のヴァージョンは39年録音・発売だ。マイルスのはこれ。
このマイスルが間違いなく下敷にしているビリー・ホリデイのは下。どうだろう、フレイジングや細かな節回しがよく似ているじゃないか。それにマイルスのノン・ヴィブラートでストレートなサウンドはビリー・ホリデイやレスター・ヤング由来なんだもんなあ。
またこれは1952年の10インチLP盤ラストだった「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」(https://www.youtube.com/watch?v=MjCMcdhUWn8)。これはフランク・シナトラの1947年コロンビア録音(https://www.youtube.com/watch?v=WICzHNSiG6o)を下敷にしているのは疑いえないだろう。

この時期のマイルスとシナトラといえば、やはりブルー・ノートの1954年録音「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」(https://www.youtube.com/watch?v=1VRC48dEh_c)。これもシナトラの1947年録音(https://www.youtube.com/watch?v=Y-MeRZ868PE)が下敷になっているもんね。

シナトラやビリー・ホリデイとマイルスの関係は今まで何度も指摘しているけれど、マイルスという音楽家は本当にこういたポップ・ソングが大好きで、歌手が歌うのを聴いて気に入って自分で吹いてみたということが実に多い。そうじゃなかったのは1960〜70年代だけなんだよね。そっちの方が例外なんだよね。

しかも上で音源を貼ったマイルスの1954年ブルー・ノート録音の「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」をお聴きになれば分るように、この年の録音全六曲はワン・ホーン・カルテット編成。52年録音と53年録音は全てトロンボーン奏者とサックス奏者が参加している三管編成なんだよね。

だから聴感上の印象もかなり違うし、音楽的な表現としてもやはりだいぶ違うやり方をマイルスがしているのは、録音年ごとに一つずつプレイリストを聴いていくとよく分っちゃうのだ。だからごた混ぜにせず録音年順に並べてほしい。そううしないと音楽的に分らないことがある。データ的なことじゃなくて。

今日の文章はなんだか前半は文句やグチばっかり並べて、後半の肝心の音楽的中身についてはちょっとしか触れていないからイカンなあと思いながら書き進むと、最後はやっぱりまたレコード会社への苦言で終ってしまうというような感じになってしまった。まあでもホントこの頃のマイルス、ブルー・ノート録音、なかなかいいですぞ。

2016/11/10

トランス・ジェンダーなR&Bクイーン

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あぁ、ロックンロール勃興前夜の黒人リズム&ブルーズってどうしてこんなにも魅力的に聴こえるんだろう?ホントいいのがたくさんあるよなあ。1940年代のジャンプ・ミュージック、その前のブギ・ウギからの流れを汲み、そのビート感を強めヴォーカルを強力にしたようなものがいっぱいある。

そんななかで今日はビッグ・ママ・ソーントンの話をしたい。大ヒット曲は「ハウンド・ドッグ」一曲のみだけど、ブルーズの女王がベシー・スミスで(といっても彼女の称号はブルーズの「皇后」)、ソウルの女王がアリーサ・フランクリンなら、リズム&ブルーズの女王はビッグ・ママだと僕は言いたい。

「ハウンド・ドッグ」の名前を出したけれど、この曲名はロック・ファンでも全員が知っている。エルヴィス・プレスリーがメジャーの RCA 移籍後の1956年に録音・発売し、メガ・ヒットなんてもんじゃないくらい売れまくったからだ。ビルボードのポップ・チャート一位が11週続いたくらいだ。

もっともエルヴィスの1956年「ハウンド・ドッグ」が同年11月にシングル盤でリリースされた時は、「ドント・ビー・クルール」のB面曲だった。がそれでもそのA面曲とともに大ヒットしたのだった。チャート一位が11週も続くなんてのは、流れの早い現在なら考えられないよなあ。

ビッグ・ママ・ソーントンから離れるかもしれないが、エルヴィスの録音集では、サン・レーベル時代のものに次いで僕がよく聴くのが RCA 移籍直後の1956年の録音集。1996年に(おそらく40周年記念ということで)『エルヴィス 56』という一枚物CDがリリースされているのを愛聴している。

『エルヴィス 56』は日本盤もある。当然コンピレイションだけど、だいたいあの頃のエルヴィスはシングル盤中心の音楽家なんだからオリジナル・アルバム云々にこだわるのはオカシイんだよね。それに1956年のエルヴィスこそキャリアのピークにあったに違いない。その年だけの録音集だからいいんだよね。

エルヴィスの話はおいておいて、とはいかない。「ハウンド・ドッグ」という曲はリズム&ブルーズとロックとの関係を考える際には最重要になってくるものの一つだからだ。さらに言えば上でも書いたようブギ・ウギ〜ジャンプ・ミュージックからの流れと、そしてラテン・テイストとの関係も深い。

そんな最重要曲「ハウンド・ドッグ」の初演歌手ビッグ・ママ・ソーントン。ウィリー・メイ・ソーントンにビッグ・ママという芸名が付いたのは体躯の大きさからじゃないかなあ。なんでも体重は300パウンド(約136キログラム)もあったんだそうだ。写真で見てもそれは分る。

大きな体だけじゃなく、あの堂々たるビッグ・ヴォイスもビッグ・ママという芸名の由来の一つかも。ライヴ・ステージでもマイクロフォンが必要なかったとまで言われた伝説が残っている。この点ではベシー・スミスにちょっと似ているが、ベシーはマイク登場前から活動していたせいもあるんだ。

ところがビッグ・ママ・ソーントンのデビューは1948年のことらしいので、既にマイクロフォンはあった。それでも必要なかったというほどの大声量だったってことだなあ。しかしながらその40年代末期の録音は残っていない。ビッグ・ママは51年にピーコック・レーベルと契約しレコード録音を開始する。

そのピーコック・レーベル時代(1951~57年)こそがビッグ・ママ・ソーントンの最盛期。この時代にピーコック(系)に録音し発売したシングル曲で、彼女はその存在を世間に大きく知らしめることとなったのだ。がしかしその時代のビッグ・ママの録音をコンプリートな形では僕は聴いていない。

いくつか持っているビッグ・ママ・ソーントンの録音集のうち僕がよく聴くのは『ゼイ・コール・ミー・ビッグ・ママ』という Proper 盤CD。全23曲で、ピーコック録音50〜54年まで19曲、52年エイス録音一曲、53年デューク録音一曲、52年と53年バックビート録音一曲ずつ。

ビッグ・ママ・ソーントンの1950年代ピーコック録音集は他に何枚もアンソロジーがあるみたいだ。もしコンプリート集でもリリースされているのならば是非ほしいところだ(僕が知らないだけ?)。『ゼイ・コール・ミー・ビッグ・ママ』を聴くと実に面白い発見がいくつもあって楽しいし、本当に興味深いのだ。

最も面白いのが十曲目からの1952年8月13日、ロス・アンジェルス録音の八曲だけど、その前にある九曲目の51年録音の「レット・ユア・ティアーズ・フォール・ベイビー」ではピアノがブギ・ウギのパターンを弾き、ホンク・スタイルのテナー・サックスが出る。つまり伝統的な黒人音楽スタイルだ。

このブギ・ウギのパターンをベースにして1940年代のジャンプ系ホンク・テナーがヴォーカルに絡みソロも取るという1940年代黒人ダンス音楽風なスタイルは、ビッグ・ママ・ソーントンの最盛期1952年録音の八曲でもほぼ完全に表現されていて、50年代のリズム&ブルーズがどういうものかクッキリ分っちゃうね。

『ゼイ・コール・ミー・ビッグ・ママ』十曲目からの1952年8月13日の八曲での代表曲が、12曲目の「ハウンド・ドッグ」であるのは間違いない。この曲は当時まだ19歳だったあのジェリー・リーバー&マイク・ストーラーのソングライター・コンビが書いた曲。彼らの最も初期の作品の一つだよね。

ビッグ・ママ・ソーントンの「ハウンド・ドッグ」の、というか1952年8月13日録音八曲の伴奏は、全て当時のジョニー・オーティスのバンド。といってもクレジットはカンザス・シティ・ベルとなっているが、これはジョニー・オーティスの変名だからね。僕の持つプロパー盤CDでのクレジットでは両方の名前が併記されている。

ビッグ・ママ・ソーントンの「ハウンド・ドッグ」を聴くと、その堂々たる張りのあるビッグ・ヴォイスで粘っこく歌う彼女のヴォーカルの迫力・魅力に圧倒されて、エルヴィス・ヴァージョンなんかどこかへすっ飛んでいってしまうほどだよなあ。
音源貼ったけれど、お聴きになって分るでしょう?このノリが。エルヴィスのヴァージョン貼って紹介する必要はないと思う。リズム&ブルーズを白人が歌えばロックンロールになるとは言うものの、「ハウンド・ドッグ」におけるビッグ・ママとエルヴィスのノリのディープさの違いを聴くと、どうなんだろうなあ。

エルヴィスはビッグ・ママ・ソーントンのオリジナル・ヴァージョンを参考にしてというか下敷きにしてはいない。エルヴィスが下敷きにしたのはおそらくこのフレディ・ベル・アンド・ザ・ベルボーイズのヴァージョンだね。これは1955年発売だから。
どうです?エルヴィスのによく似ているでしょ。こうじゃないと上で音源を貼ったビッグ・ママ・ソーントンのあの粘り気のあるノリがエルヴィス・ヴァージョンのあんなフィーリングになるわけないもんね。ただエルヴィスもビッグ・ママのオリジナルは知っていた。レコードを持っていたそうだからね。

ビッグ・ママ・ソーントンの「ハウンド・ドッグ」はただ粘り気の強い黒人音楽というだけではない。ラテンっぽいアクセントも付いている面白さがあるじゃないか。はっきり言えばハバネーラ風だよなあ。それを主に表現しているのがギターとドラムスだけど、前者がピート・ルイス、後者がジョニー・オーティス本人なんだよね。

これは面白い。ギリシア系のジョニー・オーティスは、アメリカ合衆国において同国の黒人音楽に中南米のラテン風味を持ち込んで合体させたかなり早い一人だ。最初の人物じゃないだろうけれど、少なくともリズム&ブルーズとラテンの合体融合スタイルを確固たる形で確立させ普及させたのは彼の功績だろう。

そんな「ハウンド・ドッグ」が、エルヴィス・ヴァージョンによってロックンロール革命のシンボルみたいな一曲になったわけだから、ロック・ミュージックにおける粘り気の強いディープなノリとラテン・アクセントの加味は、そもそもの最初から運命付けられていたんだとも言えるんじゃないかなあ。

ビッグ・ママ・ソーントンの「ハウンド・ドッグ」では、彼女の録音にしては珍しくサックスが入らない。ギター・フィーチャーだ。それを弾くピート・ルイスは T・ボーン・ウォーカー的なスタイルのギタリストであることは、上で貼った音源を聴いても分るはず。他の収録曲でもほぼ同様な弾き方だ。

『ゼイ・コール・ミー・ビッグ・ママ』収録の1952年8月13日録音の八曲。上記のように(「ハウンド・ドッグ」を例外として)殆どの曲でブギ・ウギ・ベースのリフをピアノが弾き、その上にホンク・テナーが乗るというようなサウンド創りなんだけど、ギターは T・ボーン・ウォーカー的だもんね。

例えば11曲目の「ウォーキング・ブルーズ」はオーティス・ラッシュの「オール・ユア・ラヴ」をちょっぴり先取りしたようなラテン調のマイナー・ブルーズで、ジョニー・オーティスがそれに乗ってヴァイブラフィンを叩く。T・ボーン・ウォーカー的なピート・ルイスがまるで1950年代末頃からのシカゴ・ブルーズみたい。
14曲目の「ナイトメア」なんか、ピート・ルイスがどれほど T・ボーン・ウォーカー的スタイルのギタリストであるかが一番露骨に出ている。特にソロ部分。https://www.youtube.com/watch?v=ioFmrgYbZi4  こんなのばっかりなんだよね。また曲によってはルイ・ジョーダンそっくりだったりもする。

三曲目の「パートナーシップ・ブルーズ」や21曲目の「イエス・ベイビー」とかは、このままルイ・ジョーダンがやってもぴったり似合いそうなジャンプ・ナンバーだ。そっくりそのまんまだと言っても過言ではない。1950年代のリズム&ブルーズにルイ・ジョーダンが与えた影響の大きさがよく分る。
上で「ハウンド・ドッグ」におけるラテン要素の話をしたけれど、ラテン・アクセントといえば、『ゼイ・コール・ミー・ビッグ・ママ』ラストの「ストップ・ア・ホッピン・オン・ミ」なんか、アクセントというより完全なラテン・ナンバーと言えるんじゃないかなあ。百歩譲ってもラテン調のリズム&ブルーズだ。
さて最重要曲「ハウンド・ドッグ」の「猟犬」という意味の曲名と歌詞のなかに出てくる言葉は、要するに女のケツばかり追っかけているようなヤツという、これまた性的な意味合いで、スケベなことを歌うというブルーズの伝統に沿ったもの。しかしビッグ・ママ・ソーントンの場合は一筋縄ではいかない。

というのは音楽と密接な関係があるから書くのだが、ビッグ・ママ・ソーントンはトランス・ジェンダーな振舞いでもよく知られていたからだ。レズビアンであったのは有名だし、ステージでもしばしば男装で登場し歌った。公然と同性愛者として振舞い、きわどいセクシャルな歌を堂々と歌ったのだった。

ビッグ・ママ・ソーントンが音楽と密接に関連してジェンダーやセクシュアリティでそんな振舞いをしたことは、その後のロック音楽家たちがセクシュアリティをもてあそぶ舞台を用意したのだと言えなくもない。つまりビッグ・ママは伝統的なアメリカ黒人女性像の破壊者という役割を果たしたのかもしれない。

白人男性が支配する領域に女性の、しかもトランス・ジェンダーな女性の声を加えたのであり、ビッグ・ママ・ソーントンの強烈なパーソナリティは、アメリカ黒人女性はこんなような存在であるはずだとする家父長的で白人至上主義的なステレオタイプに反するものだったんだよね。

2016/11/09

ロバート・ジョンスンはブルーズ史における結節点

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ブルーズ・マン、ロバート・ジョンスンについて僕なんかが書くことはもうないはずだと思っていたのだが、いろんなファンの方々の彼について書いてある文章を読むと、どうもいまだにちょっと誤解されている部分が残っているようだ。残っているというかかなりあるように見える。

ロバート・ジョンスンに関する誤解は大きく分けて二つ。一つは彼がデルタ・ブルーズ・スタイルを「典型的に代表する」天才ブルーズ・マンだという言説。もう一つはこの人をブルーズ(とロック)の世界における「出発点」であるかのように位置付ける言説。この二つは甚だしい勘違いに他ならない。

それで僕なんかがいまさらこのブルーズ・マンについて書加えることはないはずだと思っていたのだが、やっぱり少し書いておいた方がいいのかなと考えた次第。いや、もちろん僕みたいな素人じゃなくてブルーズ聴きの専門家ならみんな分っていてお書きなのに、なぜだかいまだにそれが浸透していないように見える。

特に戦後のシカゴ・ブルーズや、それをお手本にしたいろんなロック・ミュージシャンを中心に聴いている方々の間では、上で書いたような誤解が大きく広まってるみたい。これはまあしょうがないんだよね。戦後の音楽しか聴いてなくて、戦前のブルーズやその周辺の音楽を知らなければ、当然そうなってしまう。

そんでもってロバート・ジョンスンがこの世で広く知られるようになったのは1961年に最初のLPレコード『キング・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』がリリースされてからで、デルタ・ブルーズの王様という意味のタイトルだし、このレコードを聴いていろんなロック音楽家が手本にした。

エリック・クラプトンもキース・リチャーズもそんな発言をしているよね。しかしこの二人はその一枚のレコードがまず最初のきっかけだったのかどうかは知らないが、ロバート・ジョンスン以外の戦前ブルーズもたくさん聴いているのはみんな分っているはずだ。あぁ、それなのにどうしてなんだ?

まずロバート・ジョンスンがデルタ・ブルーズ・スタイルの「典型」ではないということ。これは彼の録音全集をじっくり聴いていけば分るはずだ。チャーリー・パットンとかサン・ハウスとかトミー・ジョンスンとかロバート・ペットウェイとか、その他大勢のデルタ・ブルーズ・メンとの大きな違いが。

ロバート・ジョンスン完全集の一曲目、すなわち処女録音は「カインド・ハーティッド・ウーマン・ブルーズ」。この初録音からして、既に典型的なデルタ・ブルーズのスタイルなんかじゃ全然ない。むしろシティ・ブルーズの影響の方が色濃いものだ。
ロバート・ジョンスン完全集を聴き進んでもデルタ・スタイルはなかなか出てこない。二曲目が「アイ・ビリーヴ・アイル・ダスト・マイ・ブルーム」で、これもギターの低音部でブギ・ウギの典型的なパターンを弾いているじゃないか。この曲は戦後エルモア・ジェイムが例の三連スライドでやって広めたもの。
ブギ・ウギは都会の音楽だぞ。録音上は1928年にはじまり、その後30年代いっぱいアメリカで大流行した、主にピアノでやるブルーズ・ミュージック。ピアノでってことは、生演奏なら田舎町の農園とかの屋外とかでではなく、ある程度人の集る部屋のなかで演奏されていた音楽だということだ。

ロバート・ジョンスンは初録音が1936年だけど、それ以前にアメリカを旅し、各地でブルーズに限らずいろんな音楽を聴き吸収し、最初はサン・ハウスなどにもバカにされ相手にされなかったというギタリストとしての腕に磨きをかけていったというのは、みなさんご存知のよく知られている事実だ。

それがどうやら1930年代前半のことらしい。生演奏でもレコードでも様々な音楽に触れていたはずで、だからブギ・ウギ・ピアニストが左手で弾く例のブンチャブンチャという三度と五度を往復するパターンを聴き憶え、それを自分のギターの低音弦に移し替えることを思い付いたんだろう。

サン・ハウスの名前を出したけれど、このブルーズ・マンの1930年代録音にブギ・ウギのパターンは皆無だ。全く聴けない。しかしことデルタ・ブルーズ・スタイルのギターの弾き方と歌い方ということだけであれば、ロバート・ジョンスンの最大の手本がサン・ハウスだったらしい。音源を聴いてもそれはよく分る。

サン・ハウスの影響の話はあとでしたい。ロバート・ジョンスン完全集の(別テイクを除く)三曲目が「スウィート・ホーム・シカゴ」。これは彼が録音した曲では最も有名なものに間違いない。後のブルーズ・マンやロッカーがカヴァーしまくってスタンダード化しているからだ。
お聴きになれば分るようにこれもブギ・ウギだ。ロバート・ジョンスンの全録音のなかでブギ・ウギのパターンを弾いているのが最も分りやすい一曲だろう。だからこそバンド形式でやる戦後のブルーズやロックに移し替えるのが容易だったのだ。ほら〜、やっぱり「出発点」じゃないかと思ってはいけない。

なぜかって「スウィート・ホーム・シカゴ」で典型的に表現されているブギ・ウギのパターンはロバート・ジョンスンの発明なんかじゃない。このことは世界中の全員が知っている事実のはずで、「水は透明だ」なんて当り前のことは誰も指摘しないのと同じじゃないと僕は思うんだけどなあ。

ああいうブギ・ウギのパターンは、(主に)ピアニストたちが1920年代末から30年代にかけてたくさん録音しレコードになっている。ロバート・ジョンスンもそんなレコードを聴き現場の生演奏などでも実際に耳にしていたことに寸分の疑いもない。だって全く同じだもん。当時のブギ・ウギ・ピアノ録音を聴いてくれ。

ギター・ブギだってたくさんあるんだよ。ってことはだ、後のバンド形式でやるブルーズやロックが真似たあのパターンを彼らの間に広めたのがロバート・ジョンスンのレコードだったのは間違いないのかもしれないが、そのロバート・ジョンスンにしてからが、先人の弾くものをコピーしていただけだ。

ロバート・ジョンスン完全集をどんどん聴き進んでも、だいたい全部そんなシティ・ブルーズ・スタイルばっかりで、デルタ・スタイルが出てこない。ようやく初めて出てくるのが(別テイクを除く)13曲目の「ウォーキン・ブルーズ」なんだよね。
これはギターのパターンがサン・ハウスのそれに似ている。特に同じ音程の一音を連続でブ〜ン、ブ〜ンとドローン的に鳴らしている部分はソックリ。だけれどもサン・ハウスのような激しさ、苛烈さ、あるいは言葉が適切かどうか分らないけれど野卑さみたいなものは聴取れない。もっと洗練されたスタイルに聴こえるよね。

つまりロバート・ジョンスンは1930年頃のサン・ハウス由来のデルタ・ブルーズ・スタイルでやる時ですら、そこにアメリカ放浪で身につけた都会的洗練を持込んで、その両者を合体・融合させていたということになる。これは戦前のミシシッピ・デルタ・ブルーズ・マンとしては新世代だったゆえだ。

デルタ・ブルーズ新世代と書いたけれど、実際ロバート・ジョンスンは、同じデルタ出身のマディ・ウォーターズよりたった二歳年上なだけという人。戦後シカゴに出て説明不要の大活躍をしたマディと同世代なんだ。早死にせず長く生きていれば、マディ同様の電化バンド・ブルーズをやったのは間違いない。

そしてマディ以上のものを創り出していたであろうことにも疑いの余地はない。1936/37年録音のロバート・ジョンスンと41/42年録音のマディのデルタ時代録音を聴き比べれば、どう聴いても前者が後者を凌駕している。マディにできたならロバート・ジョンスンはもっとできたはずだろう。

歴史における「もしも」の話はしてもしかたがない。ロバート・ジョンスン完全集で13個目の「ウォーキン・ブルーズ」に続くデルタ・スタイルのブルーズは、15曲目の「プリーチン・ブルーズ」と16曲目の「イフ・アイ・ハッド・ポゼッション・オーヴァー・ジャッジメント・デイ」。後者はかなりの迫力がある。
この一曲がデルタ・スタイルでやる時のロバート・ジョンスンでは一番いい。そしてお聴きになれば分るようにこれはミシシッピ・ブルーズ・スタンダード「ローリン・アンド・タンブリン」の焼直しに他ならない。メロディもギターのパターンもそうだし、歌詞にもそのままの言葉が出てくる。

しかしながらいくら凄みに満ちた迫力満点のデルタ・ブルーズだと言っても、ロバート・ジョンスンの激しさはこの程度なんだよね。先生だったサン・ハウスの代表作「マイ・ブラック・ママ」(1930年)などと比べれば、ギターもヴォーカルも弱いように聴こえるなあ。
特にヴォーカルの迫力が大きく違う。サン・ハウスのゴスペル・ライクなよく響く声とロバート・ジョンスンの、やや女性的なとでもいうようなヴォーカルとは似ても似つかない。そんなロバート・ジョンスンの歌い方の最も顕著な影響源は、僕の聴く範囲では1931年録音のスキップ・ジェイムズだろうと思う。

スキップ・ジェイムズもデルタ・ブルーズに分類される一人だけど、あの時代には珍しくマイナー・キーのブルーズを歌い、しかもヴォーカルのスタイルが、なんというか調子の高いファルセットで、まるで女性が泣いているかのような歌い方なのだ。
ロバート・ジョンスンの完全集で典型的なデルタ・ブルーズだと呼べるものは、以上「ウォーキン・ブルーズ」「プリーチン・ブルーズ」「イフ・アイ・ハッド・ポゼッション・オーヴァー・ジャッジメント・デイ」の三曲だけなんだよね。マスター・テイク全29個のうちたったの3個に過ぎない。

29個のうち3個だけというのは、ロバート・ジョンスンはデルタ・ブルーズの体現者だと信じ込んでいる人にとってはかなり意外に思えるかもしれないよね。でも僕にとっては全く意外でも不思議でもない。なぜなら上で書いたように彼はマディ・ウォーターズの同時代人の完全なる新世代ブルーズ・マンだからだ。

そんなロバート・ジョンスンの録音中僕が昔から一番好きな一曲で、しかもこれこそシティ・ブルーズの最も強い影響下にありデルタ・スタイルはどこにもないという一曲が「ラヴ・イン・ヴェイン・ブルーズ」だ。列車の駅を舞台に失恋を歌った内容で、曲調も旋律も歌詞も大好き。
この「ラヴ・イン・ヴェイン・ブルーズ」は、戦前ブルーズ・シーン最大の大物リロイ・カーの「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」(「イン・ジ・イヴニング」)の丸写しなのだ。紹介しておこう。1935年録音でギターは相棒スクラッパー・ブラックウェル。
そのまんま焼直しているだけじゃないだろうか。ロバート・ジョンスンはだいたいリロイ・カーの1928年録音「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」のレコードを聴いてブルーズに目覚め、自らもブルーズをやりたいと思うようになったという人間だったんだよね。最初からそういう人だったんだよ。

ロバート・ジョンスンはブルーズやポピュラー・ミュージック史における「出発点」ではなく、種々の戦前ブルーズのスタイルが収斂した「終着駅」だ。駅と書いたけれど、このブルーズ・マンはいわばターミナル駅みたいな存在で、飛行機の世界でいうハブ空港。ターミナル駅、ハブ空港だから、ここからいろんな音楽家が旅立つことができた。その意味でこそ偉大だったのだ。

2016/11/08

プリンスのジャズ

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ブルー・ノート・レコーズの創立者でプロデューサーだったアルフレッド・ライオン。ジャズ・ファンなら知らない人なんていない人物だよね。日本で1986年にマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルの第一回目が開催された際に招待されて来日した。彼の来日はこの時の一回だけじゃないかなあ。

第一回目がはじまった時のあの祭典の正式名称は「マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル・ウィズ・ブルーノート」で、日本でも大人気の同レーベルに録音したジャズ・メンを中心としたコンボや各種ジャム・セッションなどを繰広げるという内容だったので、象徴であるアルフレッド・ライオンを招いたんだろう。

あの時アルフレッド・ライオンは当然のように日本のジャズ・ジャーナリズムからインタヴューされていたけれど、そのなかで当時も今も僕が最も鮮明に憶えているのがこれだ。「今活躍中のミュージシャンで一番注目しているのは誰ですか?」と聞かれたのに答え、ライオンは「プリンスですね」と即答した。

1986年なら僕も既にプリンスが大好きだったので、そのアルフレッド・ライオンの発言がかなり嬉しかったのは確かだが、しかし彼はリバティ傘下に入って二年後の1967年にブルー・ノート・レコーズを退任して既に引退状態だった。67年というと同レーベルはまだストレート・アヘッドなジャズ録音ばかり。

だから「ジャズ」のイメージしか僕は持っていなかった(といってもブルー・ノートは元々ブギ・ウギ・ピアニストを録音したくてはじめた会社)アルフレッド・ライオンが1986年にプリンスの名前を出した、それも現在最も注目している音楽家としてだったというのは、当時の僕には驚きだった。

1986年のプリンスというとアルバム『パレード』がリリースされた年で、父親がジャズ・マンだとはいえ、それまでのプリンスの音楽にジャズの要素は、少なくとも僕はあまり聴き取っていなかった。だからある意味モダン・ジャズのシンボルともいうべきアルフレッド・ライオンは、プリンスの音楽のなにをそんなに評価していたんだろう?

あの時は確かインタヴュワーもプリンスの名前に驚いて「それはどのあたりを評価なさっているのですか?」と聞返していたように記憶している。それに対するアルフレッド・ライオンの返答はちょっと記憶がおぼろなのだが、確かリズム&ブルーズ的な部分がいいとかなんとか。

いやまあちゃんとしたことは憶えていない。がしかしアルフレッド・ライオンが評価するとして名前を出したので、僕もそれまでとはプリンスの聴き方が少し変りはじめたのは間違いない。ジャジーなフィーリングがある曲はあるが、ストレート・アヘッドなジャズだとかは、でもやはり1986年までのプリンスにはないんじゃないかなあ。

僕が気が付いている範囲ではプリンスのストレート・アヘッドなジャズ・ナンバーは、1991年の『ダイアモンド・アンド・パールズ』五曲目の「ストローリン」だ。これは聴く前から分る。この曲名がもう既にジャズを暗示している、というかそのまんまというに近いよね。リズムも4/4拍子で曲調もジャズそのものだ。

以前からプリンスについて書く際はいつも嘆いているが、やはり音源を貼って紹介できないのが残念極まりない。その「ストローリン」では、プリンス自身が弾いているギター・サウンドも空洞ボディにピック・アップの付いた、いわゆるフルアコ、またはセミアコと呼ばれる種類のものの音だ。これは間違いない。

そういう種類のギターはジャズ・ギタリストがよく使う。というかストレート・アヘッドなスタイルでやる専業的なジャズ・ギタリストはほぼそれしか弾かない。以前どなただったか日本人のプロ・ジャズ・ギタリストが「ソリッド・ボディのギターではほしい音がどうやっても出せません」と言っていたことがあった。

『ダイアモンド・アンド・パールズ』の次作1992年のいわゆる俗称『ラヴ・シンボル・アルバム』(正式名称は例のあの記号)。これの二曲目に「セクシー・M .F.」という曲がある。アメリカではそのまんまの表現を公のリリース物や放送では使えないので「M. F.」になっているだけのナスティ・ソング。

このナスティというかエロというか、プリンスのいつものお得意パターンである「セクシー・M. F.」もややジャジーだ。使われているギターもカッティングしているのはソリッド・ボディの音だが、ギター・ソロはやはりフルアコかセミアコを使ってプリンス自身がジャジーに弾いているサウンドだ。

そんでもって「セクシー・M. F.」では管楽器が大きくフィーチャーされている。これはジャズというよりもリズム&ブルーズ〜ファンク・マナーでの使い方だけど、それらの音楽におけるホーン・アンサンブルはそもそもジャズ由来だかね。エリック・リーズもジャジーなサックス・ソロを吹いている。

ところで『ミュージック・マガジン』増刊のプリンス特集で小出斉さんが、「セクシー・M. F.」でエリック・リーズのフルートがクールに聞え・・・、とお書きなんだけど、フルートの音らしきものは全く聞えませんが?小出さん、フルートはどこに?サックスの間違いじゃないでしょうか、小出さん?

「セクシー・M. F.」はもちろんジャズ・ナンバーではなくファンク・チューンだ。しかしプリンスの弾くギター・ソロのサウンドといい、バリトン・サックスでリフを入れ、テナー・サックスでソロを吹くエリック・リーズといい、かなりジャジーなフィーリングが聴取れるように僕は思うよ。

1996年の僕の大好きな三枚組『イマンシペイション』にも一枚目五曲目に「コーティン・タイム」がある。これは完全なる1930年代風スウィング・ジャズなんだよね。ジャズ・ファンじゃなくても誰が聴いてもこりゃジャズ・ナンバーだと分るもの。ホーンの使い方は30年代後半のビッグ・バンド・スタイルだ。

『イマンシペイション』では、その「コーティン・タイム」というタイトルの曲の次にスタイリスティックスの「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ!」が続くというなんとも甘い展開。この三枚組には三枚目にデルフォニックスの「ラ、ラ、ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」もあるし、その他カヴァー曲がいくつかある。

プリンスの全アルバムで他人の曲のカヴァーがあるというのは、ほぼこの『イマンシペイション』だけなのだ。しかも全体的に非常にスウィート。スウィートすぎるだろう、なんたって二枚目には「子供をつくろうよ」なんて曲もあるくらいだ。当時のプリンスのマイテとの新婚生活が完全に音楽に反映されているんだなあ。

『イマンシペイション』は本当に大好きな三枚組だから、また別の機会にまとまった文章を書きたい。さてまあ絶対量としてはやはり多くないプリンスのストレート・アヘッドなジャズ・ナンバー。その少ないうちの一曲が1999年のワーナー盤『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』にある。

三曲目の「シー・スポーク・2・ミー」がそれ。最初通常のリズム&ブルーズとしてはじまり、そんな感じのギター・ソロも出るのだが、3:48 あたりで突然4/4拍子に移行。エレベが一小節に四分音符を四つ均等に置くというウォーキング・ベースを弾き、ドラマーも完全に4ビート・ジャズな叩き方になる。

するとプリンス本人が弾いているに違いないギター・ソロが入ってくるのだが、その部分は誰がどう聴いてもジャズ・ギタリストが弾いているだろうとしか聴こえない。モダン・ジャズ・ファンならケニー・バレルを思い浮べるだろう。というかこのソロはプリンスじゃなくて、本当はケニー・バレルが弾いているんじゃないの?

いやホントそう言いたくなってくるくらい「シー・スポーク・2・ミー」中間部でのソロはモダン・ジャズ・ギターなんだよね。プリンスの全音楽生涯で最も完全なるジャズをやっているのがこの部分だと断言してしまいたい。ジャズ・ファンが聴いたって好きになるに違いない一曲だ。

以前もプリンスのブルーズ関連で書いたけれど、1999年の『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』は本当に面白いアルバム。これがお蔵入り音源集としてワーナーが手抜きで申し訳程度の体裁でリリースしたなんてのが信じられないクオリティの高さなんだよね。誰も話題にしないものだけどね。

『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』ラストの「エクストローディナリー」が絶品バラードだと以前も書いたが、この曲は僕の大好きな2002年リリースの三枚組ライヴ・アルバム『ワン・ナイト・アローン・・・ライヴ!』でもやっている。そのライヴ・ヴァージョンがこれまたジャズになっているんだなあ。

『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』のオリジナル・ヴァージョンは楽器イントロなしでいきなり歌いはじめるジャジーではないバラードなのに、『ワン・ナイト・アローン・・・ライヴ!』ヴァージョンではキャンディ・ダルファー(セクシー美女!)のアルト・サックスによるジャジーなイントロが付いている。

そんでもってプリンスがワン・コーラス歌い終るとバンドの演奏がこれまた突然4/4拍子をやりはじめ、プリンスが「みなさん、オランダ出身、ミス・キャンディ・ダルファー!」と言って、彼女のアルト・サックス・ソロになる。バンドが4ビートを刻んでいることもあって、完全なジャズ・サックスに聴こえる。

『ワン・ナイト・アローン・・・ライヴ!』ヴァージョンの「エクストローディナリー」の中間部では、キャンディ・ダルファーのアルト・アックス・ソロが終ると、レナート・ネトのピアノ・ソロになる。これはもちろんデジタル・ピアノだろうが、やっぱりハード・バップ・スタイルでの弾き方なんだよね。

さてさて曲単位では今まで書いてきたようにジャズが散見されるプリンスだけど、アルバム単位でジャズ・アルバムと呼べるようなものはないはず。いや待てよ、2001年の『ザ・レインボウ・チルドレン』があるなあ。これがアルバム単位ではプリンスが最もジャズに接近した一枚だと言えるかもしれない。

しかしながらあの『ザ・レインボウ・チルドレン』は確かにかなりジャジーで、あるいは完全にジャズだという部分もあるけれど、それ以上に宗教的なアルバムで、これは当時プリンスがエホバの証人にドップリはまっていたのが原因。それでアルバム全体にわたって相当に宗教的敬虔さが聴き取れて、だからゴスペル・アルバムだと言う方が近いのだ。

2016/11/07

ビートルズ『アンソロジー』を聴き返す

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1995/96年にリリースされたビートルズの『アンソロジー』シリーズ。この名前はCDアルバム、ドキュメンタリー・ヴィデオ、ドキュメンタリー書籍といった一連のプロジェクトの総称で、このうちヴィデオ(僕が買ったのはVHS)と書籍については、僕はさほど熱心には観たり読んだりしていない。

やはり僕にとっては音楽作品である『アンソロジー』CD1〜3だなあ。この二枚組三つの計六枚は、出た時は何度か聴いたんだけど、まあデモみたいなというか未完成品というか、やはり未発表なだけはあるとしか思えないものが多くて、あんまり面白くないなと思って、その後全く聴かないまま放置していた。

これらが出た1995/96年というのは、僕が Mac を買ってパソコン通信をはじめた時期で(僕はそもそもネットをやりたいがために Mac を買ったのであって、文書作成とか表計算とか写真・動画編集などはどうでもよかった)、当時の Nifty の FROCKL にはビートルズ専門部屋があった。

『アンソロジー』シリーズはビートルズ関係では当時最大の話題だった。ロック関係でなくても世間一般の耳目を集めていたし、FROCKL のビートルズ部屋でも大いに話題になりまくっていた。その会議室のメンバーは、僕と同じくらいの世代の方が多かったようだから、やや否定的な意見が多かった。

そもそも<アンソロジー>とは名選集の意味じゃないのか、それがこんな未完成品ばっかり収録していて、どこが<アンソロジー>なんだとか、まあそんな論調が多かったように記憶している。それでもビートルズ部屋の参加メンバーは、みんな熱心なビートルズ狂ばかりなので、聴きまくってはいたわけだ。

僕はといえば、『アンソロジー』関係の話題にはあまり反応せず、もっぱら過去のオリジナル・アルバムやシングル盤(『パスト・マスターズ』Vol.1、Vol.2)音源に関する話題にばかり反応していた。僕も『アンソロジー』はあまり面白くないと当時は感じていたので、絡みたくなかったのだった。

ただ、『アンソロジー』プロジェクトの一部として(?)発売された「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラヴ」の二曲だけはかなりいいと思っていたけれど、これの話題は以前もしたので繰返さない。『アンソロジー』冒頭にも入ってはいるけれど、僕が当時聴いていたのはこの二曲を収録したCDシングル二枚。

そしてその後は『アンソロジー』三巻は、全く顧みずCD棚の肥しになって放ったらかしになっていたんだけど、最近ちょっと気が向いて iTunes に全部取込んで Mac で流し聴きしていると、発売当時には殆ど見えていなかったことがいくつか見えるようになり、それで考え直すようになった。

見えなかったことが見えるようになったというのは、オリジナル・アルバムやシングル盤へ繋がる道程というかプロセスを楽しむということばかりでもなくて、むしろ『アンソロジー』三巻に収録されている音源そのものがいい曲・いい演奏に聴こえるものがかなりあるということを発見したということだ。

主に二巻目後半から三巻目に収録されている中期〜後期ビートルズの音源にいいものがかなりあるのだが、一巻目にだって、例えば2テイク入っている「ワン・アフター・909」の完成品2テイク目なんか、『レット・イット・ビー』収録ヴァージョンよりずっといいんじゃないかと思うんだよね。

「ワン・アフター・909」は、発売順としてはビートルズ最後のアルバムになった『レット・イット・ビー』に収録されただけあって最後期の録音だけど、元々初期に創られていた曲だっってことは以前からよく知られていた。そして『アンソロジー 1』収録の初期録音を聴くと、そっちが断然いいんだよなあ。
その「ワン・アフター・909」だって1995年のリリース時に何度か聴いたはずなのに、どうして面白さを発見できなかったのかなあ。まあ単に僕の耳がヘボなだけだったんだろう。初期はこういうシンプルなロックンロールが多くて、今聴くと楽しい。ガレージ・ロックや日本のグループ・サウンズへの影響も分る。

ガレージ・ロックや日本のグループ・サウンズを熱心に聴くようになったのは、僕の場合20世紀末頃からなので、それで1995年の『アンソロジー 1』発売時にはピンと来なかったんだろうなあ。ビートルズが世界中に影響を与えまくったのは主にこの時期のものだ。最近ようやく分るようになった。

またデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』一曲目の「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」も、『アンソロジー 1』収録ヴァージョンの方がカッコイイ。しかしこの曲だけはCDシングル「フリー・アズ・ア・バー」収録のが一番いいね。どうして『アンソロジー 1』に入っていないんだろう。

同じく『アンソロジー 1』ラストに収録されているロックンロール・カヴァー「カンザス・シティ/ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ!」だって、『ビートルズ・フォー・セール』のより快活な雰囲気でいいんだよねえ。ポールの歌い方がかなり違っていて、『アンソロジー 1』のものの方が活き活きとしているなあ。

またこれも『ビートルズ・フォー・セール』収録の『ベイビーズ・イン・ブラック」は、CDシングル「リアル・ラヴ」にライヴ・ヴァージョンが収録されていて、これがなかなかいいんだけど、これもなぜか『アンソロジー』シリーズには入っていないのだ。かなりいい演唱なのに不思議だなあ。

そういうのがまだあって、CDシングル「リアル・ラヴ」に、ポールの書いたバラードでは僕が最も愛する一曲「ヒア、ゼア・アンド・エヴリウェア」の、バック・コーラスがあまり入らないポールのほぼ独唱ヴァージョンがあって大好きなんだけど、これもなぜか『アンソロジー』シリーズには未収録だなあ。

そういったバック・コーラスが入らないとか、伴奏がシンプル、または作者本人の弾き語りとかアクースティック・ヴァージョンとかいうのも、主に二巻目終盤から三巻目の『アンソロジー』に多く入っていて、1960年代に発売されていたオリジナル・ヴァージョンより、今では好きに思えてきたりする。

『アンソロジー 2』終盤に入っている「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプリーズ)」も、オリジナルよりグッとシンプルな伴奏によるポールの独唱ヴァージョンでなかなかいいし、「レディ・マドンナ」もエレキ・ギターの入らないアクースティック・ヴァージョンだよ。
『アンソロジー 3』に入っている「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」は、『ホワイト・アルバム』収録ヴァージョンと違ってスカなリズムじゃないシンプルなロックンロールで、スカやレゲエ系のリズムが今でもちょっぴりイマイチな僕にはこっちの方が楽しいし、サックスのリフも違っていて新鮮に聴こえる。
またピアノのイントロではじまりエリック・クラプトンのエレキ・ギターが活躍する「ワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」は、作者ジョージだけのアクースティック・ギター弾き語りヴァージョンが『アンソロジー 3』に収録されていて、デモなんだろうけど味があっていいんだなあ。
リンゴが歌い『ホワイト・アルバム』の末尾を飾っている「グッド・ナイト」は、前半はピアノだけの伴奏(ジョージ・マーティンが弾いているらしい)。まあこれだけは最初から瀟洒なストリングス・オーケストラが入るオリジナル・ヴァージョンの方が素晴しい出来に間違いないけれど、ピアノ伴奏のみで歌うリンゴもなかなかいい。
『レット・イット・ビー』収録ヴァージョンはオーヴァー・ダブした豪華なオーケストラ伴奏がケバケバしいと作者自身が批判する「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」も、バンドのみによる当初の演奏そのままで、これは昔から知られていたけれど、『レット・イット・ビー…ネイキッド』のなんかより『アンソロジー 3』ヴァージョンの方がいい。
またこれも『アンソロジー 3』に入っている「サムシング」もジョージ一人のエレキ・ギター弾き語りで、シンミリと沁みてくるような雰囲気で大好き。「ゲット・バック」も、『アンソロジー 3』ヴァージョンはどうしてこんなに違うんだと思うほどエレキ・ギターがワイルドでカッコイイ。
そんなこんなで、まあ今聴直してもやっぱり玉石混交だなとは思う『アンソロジー』CDの1〜3だけど、それでもこんなに輝いている玉がたくさん混じっているじゃないかと、いまごろようやく発見し、その玉だけ集めたマイ・ベスト・コンピレイションCD-Rを作って聴いていると、楽しくてたまらないんだよね。

2016/11/06

アメリカ大衆音楽史上最も重要な意味を持つライヴ記録

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第二次世界大戦が終る頃まではアメリカ大衆音楽の王者だったジャズ。この音楽のファンや、ましてや専門的評論家を自称するなら、やっぱりそれが王者だった時代、すなわち黄金時代のものを聴かなくちゃお話にならないんじゃないの?それがどうだろう、古いものなんて・・・、という最近の有様は?

まあいいや。そんなジャズがアメリカ大衆音楽の王者だった時代の最大のスーパースターがベニー・グッドマンに他ならない。BG(と自らを呼びファンもこう呼んだ)という白っちいオジサンがクラリネットを吹いている「軟弱な」音楽なんて、特に熱心な黒人音楽リスナーは鼻で笑っているだろうなあ。

しかしながらジャズのレコードがアメリカ大衆音楽の主流として最もたくさん売れて、ラジオ放送やライヴ・コンサートも大人気だった時代の最大の爆発的スターだったのがベニー・グッドマンだ。シカゴ出身のBGが、まずこの街のウェスト・サイドで活動をはじめたのが1921年のこと。

ベニー・グッドマンが音楽家ユニオンに加盟したのが1923年で(アメリカではユニオンに加盟しないとプロ音楽活動はほぼ不可能)、何年のことか正確なことは今でも不明だがおそらく1920年代末か30年代初頭にニュー・ヨークに出るまでは、シカゴで黒人・白人のジャズ・メンと仕事をしていた。

シカゴ時代のベニー・グッドマンは、シカゴ在住のニュー・オーリンズ系黒人ジャズ・クラリネット奏者、例えばジョニー・ドッズやジミー・ヌーンなどを真似していたようだ。その上で例のシカゴ・ジャズ・シーンの大ボス、エディ・コンドンの庇護下、演奏活動を行っていたらしい。

エディ・コンドンらとやったものは録音も残っていて、僕はコンドン名義のボックス・セットで持っていて愛聴している。もっともそれらの大半はシカゴではなくニュー・ヨーク録音なんだけどね。例えば1930年録音の一曲ではコールマン・ホーキンス、ファッツ・ウォーラーなどと共演していたりする。

いろいろと面白いそれらエディ・コンドンの1920〜40年代録音集については、ベニー・グッドマン参加のものも含め、改めて別の機会に書いてみたい。BGが大成功したのは、みなさんご存知の通りニュー・ヨークで自分の楽団を立ち上げた1932年以後のこと。しかし数年間は人気が出なかった。

ベニー・グッドマン楽団の人気が出たのは、これもみなさんご存知の通りNBCラジオでの毎土曜日の番組『レッツ・ダンス』によってだった。このラジオ番組は1934年放送開始。他の音楽家とともにBG楽団も出演し、特に35年5月25日の放送でブレイクして全米のトップ・スターとなったのだ。

その1935年5月25日放送の『レッツ・ダンス』でベニー・グッドマン楽団が演奏したのが、他ならぬフレッチャー・ヘンダースン楽団のアレンジメント譜面を買取って演奏した曲目(どの曲をやったのか正確なことは調べても分らない)。この譜面買取の仲介をしたのがこれまたご存知ジョン・ハモンドだったのだ。

そんでもって1935年6月発売のレコード「キング・ポーター・ストンプ」(もヘンダースン楽団のアレンジ)が爆発的に売れ、ベニー・グッドマン楽団の地位は不動のものとなり、BGはキング・オヴ・スウィングと呼ばれるようになって、30年代後半のいわゆるスウィング黄金時代が到来する。

あの黄金時代の「スウィング」とは、今のジャズ・ファンの多くは忘れているかもしれないが「ジャズ」という認識ではなかった。ベニー・グッドマンら演奏する本人たちはもちろんそんな風には思っていないのだが、当時の白人聴衆のあいだではそうだった。信じられないよねえ。

厠が便所になり次第にトイレになって、実態は全く同じものだけど呼び名を変えてみただけでなんとなく新鮮で別のものであるかのように思えるっていう、世の中一般によくあるケースだ。21世紀の日本であれば大流行中の Jazz The New Chapter ってやつ。なんだか新しそうに見えるじゃないか。

まあでも JTNC はまだ「ジャズ」という言葉が入っている分、そんなに新鮮でもないっていうか、旧来からのものをかなり引きずっている感じがするけれど、1930年代半ば〜後半のアメリカ白人社会では「ジャズ」とすら言わなかったわけだからさ。ジャズなんていうものはなんだか売春宿で流れるようなあれだろうと。

そんな汚らしいものじゃなく、ただいま大ヒット中のベニー・グッドマン楽団がやっている音楽は「スウィング・ミュージック」っていう、ジャズなんていう売春宿音楽とはなんの関係もない新しい音楽なんだぜ、楽しいんだぜ、カッコイイんだぜっていう、まあそんな認識だったんだよね。

そんな時代には、上で「ライヴ・コンサートも大人気で」と書いたけれど、といってもあの時代は席に座って鑑賞したんじゃなく、ボールルームやダンス・ホールなどで演奏してみんな踊ったのだった。(ジャズではなく)スウィング・ミュージックはダンスの伴奏音楽として演奏されていたのだった。

古今東西の多くの大衆音楽はダンス・ミュージックだという点に僕は本質があると思っていて、だからこれは別に1930年代後半のアメリカにおけるスウィング・ミュージックに限った話ではない。しかしここに一つの「革命」が起きる。ダンス音楽であるはずのスウィングがそうじゃなくなった。

それが1938年1月16日のカーネギー・ホール・コンサート。主役がベニー・グッドマン。ニュー・ヨークのカーネギー・ホールはクラシック音楽の殿堂で、ダンス音楽であるポピュラー・ミュージックの音楽家が出演するなんてことはそれまで全く考えられなかった。すなわち第一回目がBG。

だってカーネギー・ホールでは席に座ってじっとして音楽を「鑑賞」するしかない場所で、だからクラシック音楽の人間しか出演したことがなく、というかそもそもクラシック音楽のコンサートのために造られた場所だからね。許されていなかった大衆音楽の人間が演奏した最初がベニー・グッドマンだったのだ。

つまり1938年時点でのベニー・グッドマンは、その人気でカーネギー・ホール側にも出演を了解させるだけのものがあったってことだなあ。しかしなんでも大学生の頃に読みかじった文章のおぼろげな記憶によれば、舞台裏でこれの実現に動いた人たちがいたんだそうで、交渉には苦労したらしい。当然だ。

そこらへんの裏事情は僕は知らないんだけど、とにかくベニー・グッドマンによる1938年1月16日のカーネギー・ホール・コンサートは実況録音され、その後LPレコードで発売され、現在では1999年リリースの『完全盤』まで存在するので、スウィング黄金時代の姿をしっかりと聴くことができる。

重要なことは当時ベニー・グッドマンが契約していたヴィクターやその後のコロンビアが、当時の録音をCDで完全集としてリリースしているものは、その1938年のカーネギー・ホール・コンサートだけだという事実だ。30年代半ば〜後半にあれだけ売れまくったBG楽団のスタジオ録音レコード音源はベスト盤でしかリリースされていないのだ。

だから最初に僕が書いたアメリカ大衆音楽の王者だった時代のジャズの、その最大のスーパー・スターの音楽がどんなものだったのかを知るのには、1999年リリースのCD二枚組『ベニー・グッドマン・アット・カーネギー・ホール〜1938〜コンプリート』こそが最も好適なものだということになるんだよね。

この1938年ベニー・グッドマンのカーネギー・ホールでの実況録音盤にはかなりの長尺曲もある。一番長いのがジャム・セッションによる「ハニーサックル・ローズ」で16分以上。その次がBG楽団本体の「シング、シング、シング」で約12分。SPの時代にどうやって?と思われるかもしれないよね。

理由は1938年ベニー・グッドマンのカーネギー・ホール・コンサートは、そのままダイレクト・カッティングで大型ディスクに録音されたからだ。その大型ディスクというのがどの程度の大きさでどんな形状のものだったのかは僕は知らない。とにかくまだテープ・レコーダーなんかはかなり稀な時代だ。

ダイレクト・カッティングされたディスクから二つのコピーが作成され、一つはアメリカ議会図書館に収蔵。もう一つはベニー・グッドマンの手許に届いたんだそうだ。しかしBG本人はそもそもレコーディングされたこと自体当時は知らず、だからその録音ディスクもどこにあるのか知らなかったようだ。

それをベニー・グッドマンの娘の一人が1950年に自宅のクローゼットで発見(と『完全盤』 1トラック目でBG本人が喋っている)。それをもとにコロンビアが同年にLP二枚組でリリースしたのが、1938年のカーネギー・ホール・コンサートが世に出た最初だった。これはもんのすごい貴重な記録なんだよね。

1938年にベニー・グッドマンがまず最初にやってくれたからこそ、その後の黒人・白人・音楽ジャンル問わずいろんな人がカーネギー・ホールでライヴ・コンサートをできるようになったわけだからさ。おそらくジャズ史上、いや、アメリカ大衆音楽史上最も重要な意味を持つライヴ・アルバムだなあ。

1938年ベニー・グッドマンのカーネギー・ホール・コンサートは、ある意味非常に危険な「挑戦的」内容でもあった。というのは上で書いたように、この時代このBG楽団の音楽があれだけ売れていたのは、それまでの黒人がやるジャズとはなんの関係もないスウィング・ミュージックだと認識されていたからだ。

それなのに1938年ベニー・グッドマンのカーネギー・ホール・コンサートには大勢の黒人「ジャズ」・メンが出演している。当時のカウント・ベイシー楽団とデューク・エリントン楽団からのピック・アップ・メンバーたちだ。彼ら黒人ジャズ・メンにBGが混じってジャム・セッションしたりするのだ。

さらにライヴ・アルバムでは序盤に「ジャズの20年史」というコーナーがあって五曲やっているんだけど、そのなかには黒人ジャズ・メンも参加する曲もあるし、それに「ジャズ」の20年史ってことはスウィングはジャズ由来のもので、新しい音楽なんかじゃないっていう意味になる。

「ジャズの20年史」で演奏されている五曲は、ODJB(オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド)の「センセイション」、ビックス・バイダーベックの「アイム・カミング・ヴァージニア」、テッド・ルイスの「ウェン・マイ・ベイビー・スマイルズ・アット・ミー」、ルイ・アームストロングの「シャイン」、デューク・エリントンの「ブルー・レヴァリー」。

つまり1938年には(ジャズではない)スウィングの王様としてスーパー・スターだったベニー・グッドマンがその大人気を利用して、まあいわば逆手に取って、世間一般の白人聴衆にジャズとスウィング・ミュージックの「真実」を教えようとしたんだよね。つまり啓蒙だ。

どうしてジャズ史「20年」かというと、ジャズ史上初録音が先に書いたODJBの1917年のレコードで、だからカーネギー・ホールにおける1938年はそこから約20年ということになるからだ。これ、しかし当時の白人聴衆に大人気のスーパー・スターであるベニー・グッドマンには危険な賭けだ。

だって黒人のやるジャズとはなんの関係もない新しい音楽がベニー・グッドマンのやるスウィング・ミュージックで、ジャズなんていうあんな汚らしいお下品なものなんかとは全然かすりもしないものだと認識されていたからこそBGはあれだけ人気が出たのに、それを覆そうとしたわけだからさ。人気を失う可能性があった。

「ジャズの20年史」コーナーではない部分での1938年ベニー・グッドマンのカーネギー・ホール・コンサートでの最大の聴きものは、間違いなく上記の16分もあるジャム・セッションの「ハニーサックル・ローズ」だ。リズム・セクションの四人がドラムスのジーン・クルーパ以外全員ベイシー楽団のメンバーだ。

つまりウォルター・ペイジ、フレディ・グリーン(クッキリ聴こえる!)、カウント・ベイシー。それにレスター・ヤング、バック・クレイトン、ジョニー・ホッジズ、ハリー・カーニーが参加していて、当然ベニー・グッドマンも混じり、全員次々とソロを取るという、夢のようなというかヨダレが出るような内容なんだよね。

こういうベニー・グッドマンとジーン・クルーパ以外全員黒人ジャズ・メンによるジャム・セッションとか、あるいは上記「ジャズの20年史」コーナーとか、1938年のカーネギー・ホールにおける白人(が中心だったはず)聴衆はどう聴いていただろうなあ。さてさて、BG楽団本編のライヴ内容について書く余裕がなくなってしまったなあ。

2016/11/05

翳りと快活さと〜オレスティス・コレーツォス

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ここ数年にリリースされて僕が聴いている範囲のギリシア音楽新作アルバムで一番好きなものが、オレスティス・コレーツォスの『メ・プリミリジ・フォス』。寒くなりはじめた今の時季にはピッタリじゃないだろうか?大傑作なんていうようなものじゃないけれど、しっとりと心に沁みるいい雰囲気だよなあ。

このオレスティスのアルバムはギリシア本国では2013年のリリースとジャケット裏に書いてあるが、僕がこれを買ったのはこれまた例によってエル・スールのサイトで発見した翌2014年。かなり良くて繰り返し聴いたので、同年のベストテン新作部門の四位に選んだ。五位をレオニダス・バラファスにした。

確かに2014年はギリシア音楽の新作が充実していたように思う。傑作度みたいな意味ではレオニダス・バラファスの二枚組の方が上だったと思うけれど、僕にはオレスティスのアルバムの方がしっくり来るのだった。なぜかといえばレオニダスの方は力が入っているけれど、やや大上段に構えすぎかもしれない。

一方オレスティスのアルバムの方は、たったの35分程度しかない短かさだということもあってか、あるいはそんなことは関係ないのか、極めて自然体で自分のやりたい音楽をそのままスッと表現しているナチュラルさみたいなものが聴き取れて、繰り返し聴くにはこっちの方が気持良いんだなあ。

オレスティス・コレーツォスはブズーキ奏者。ブズーキはギリシア音楽ファンには説明不要の必須楽器だけど、そうじゃない方のために一応書いておくと、洋梨を半分に割ったような形のボディと長いネックの弦楽器。リュート属で、ちょっとマンドリンにも似ている。ピックで弾き、鋭い金属的な音が特徴的だね。

ブズーキの現在における弦の本数は8本で4コース。オレスティスの『メ・プリミリジ・フォス』附属ブックレット末尾に掲載されているスタジオでの演奏写真でもオレスティスが弾いているのは8本4コースのブズーキに見える。がしかしそうなったのは20世紀半ばのことらしく、それまでは6本3コース。

どうしてこんなことを書くかというと、オレスティスはあのマルコス・ヴァンヴァカリスと関係があるんだそうだ。ヴァンヴァカリスはピレウス派レンベティカの巨人でブズーキ奏者。1930年頃から活動しているので、その頃は6本3コースのブズーキを使っていたんじゃないかなあ?

写真などで見る限りマルコス・ヴァンヴァカリスが抱えているのは8本4コースのブズーキばかりだ。だがしかし彼は1960年代まで活動したので、そういう写真はおそらく第二次世界大戦後のものかもしれないよね。まあいいいや。そんなヴァンヴァカリスの甥がヤニス・パライオログウだ。

そしてヤニス・パライオログウに今日の話題のオレスティスは師事しブズーキの腕を磨いたんだそうだから、レンベーティカの巨人と関係があるんだよね。そんなレンベーティカの伝統は2013年作『メ・プリミリジ・フォス』にもはっきり聴き取れるように思う。基本的にはトラッド・ライカのアルバムだろうけれど。

『メ・プリミリジ・フォス』の全10曲は一曲ごとに歌手を入れ替えている。オレスティス本人が歌うものも二曲目、六曲目と二つあるが、それ以外は全部ゲスト・ヴォーカリストを迎えている。僕が『メ・プリミリジ・フォス』を買って聴いた時に既に知っていた名前は一人もない。でもみんないい歌手だなあ。

特にいいのが一曲目で歌うマーサ・フリンツィラだ。曲自体の出来もバックの演奏もこの曲がアルバム中一番良いんじゃないかなあ。バック・バンドの編成はCD附属ブックレット末尾に一覧になっているが、それもこれも含め全てギリシア文字なので僕には読めない。だから耳で聴いて判断しているだけ。

僕の耳判断ではオレスティスの『メ・プリミリジ・フォス』の伴奏編成は、ブズーキ、ギター、ヴァイオリン、アコーディオン、ピアノ、ベース、ドラムス、パーカッションだ。つまり全てアクースティック楽器で、その演奏も伝統的なトラディショナル・レンベーティカ〜ライカ風味なもので、しっとり聴ける。

アルバム中一番出来が良いように思う一曲目では、まず無伴奏ギター・アルペジオにはじまって、それがパッと転調した直後にドラムスが入り、すぐにブズーキがフィーチャーされ、他の楽器も鳴る。そのイントロ部分だけでいい内容のアルバムなんだなと直感するが、マーサが歌いはじめるともっといい雰囲気だ。

一曲目ではバンドの演奏するリズムにちょぴりボサ・ノーヴァ風な味付けがしてある。ほんのちょっぴりの軽いものだけど、ボサ・ノーヴァ風ライカって僕は初めて聴いた。マーサのヴォーカルもこなれたものでしっとりとしていて聴き応えがあるしなかなかいいなあ。一曲目でいわゆるツカミみはOKってやつ。

おそらくオレスティスの『メ・プリミリジ・フォス』を聴いた人は、みなさんこの一曲目のツカミだけでこりゃ良いアルバムだねと感じたと思うのだ。少なくとも僕はそうだったなあ。その後は約35分という短さもあってラストまで一気に聴かせる。アルバム全体を貫いているのは爽やかさではなく翳りだよね。

翳り、つまり暗さ。そこにこそオレスティスの『メ・プリミリジ・フォス』に僕は20世紀初頭以来のレンベーティカの伝統を感じるのだ。ただ伝統的レンベーティカみたいな、なんというか闇の音楽みたいな真っ暗さはない。いかにもギリシア的というか地中海の風が吹くような爽快感も聴ける。

そんな翳りと爽快感の合体がオレスティスの『メ・プリミリジ・フォス』全体を通じて感じる音楽の質感なのだ。全10曲の旋律から感じ取れるのは、やっぱりどっちかというと湿った暗さだけど、真っ暗闇に落ち込まないところがいいのだ。そんな曲を書いているのは、10曲全てオレースティスかなあ?

オレースティス自身が歌うものでは二曲目の方が面白い。彼自身のヴォーカルは参加しているゲスト・ヴォーカリストとは比べられないけれど、二曲目では伴奏のリズムがちょっと面白いんだよね。ラテン音楽風というかキューバのハバネーラみたいに跳ねているんだなあ。やはり「ラ・パローマ」おそるべしか。

ゲスト・ヴォーカリトで一番良いのは、やはり一曲目のマーサ・フリンツィラだと僕には思える。女性歌手では三曲、五曲目、七曲目、九曲目とアルバム中一番たくさん歌っているヴァリア・ツィリゴチもかなりいい。このヴァリアは古いレンベーティカ歌手みたいな歌い口だなあ。伴奏も合わせてかそんな感じになっている。

特に三曲目なんか、爽やかさを全く感じない暗い曲調、哀感を伴ったもので、歌手の歌い廻しや伴奏に深い翳りが感じられて、やはりギリシア音楽はこんな雰囲気が良いなあと思ってしまう。20世紀初頭以来の伝統的演唱だ。そうかと思うと上記ハバネーラ風の二曲目は爽快だしなあ。

アルバム六曲目でオレスティス自身が歌うのがアルバム・タイトルと同じ「メ・プリミリジ・フォス」だから、これが代表曲ってことかなあ。この曲でも伴奏のリズムがちょっぴり陽気で快活なラテン風。でもそれはリズムだけで曲調はマイナー(短調)で翳りがあって暗いので、爽快さはあまり聴き取れない。

なおその六曲目「メ・プリミリジ・フォス」で歌うのはオレスティス一人ではなく、女性ヴォーカリストが絡んでいる。誰だろうなあ?附属ブックレットを見てもそれは書かれていないようだ。アルバム中複数歌手が絡んで歌うのはこの一曲だけなんだけど、リズムの快活さと旋律の暗さが相俟っていい雰囲気だ。

アルバム・ラストの十曲目では冒頭で無伴奏ブズーキ演奏がしばらく続き、それもかなりのテクニシャンぶり。ブズーキ技巧のショウケースか?と思って聴いていると、一分ほどでバンドの演奏が出てきて女性ヴォーカルが入る。ラストを締めくくるに相応しい雰囲気で、あっという間にアルバムを聴き終える。

2016/11/04

こんなアーシーなキース・ジャレット、他じゃあ聴けないぜ

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1970年12月、アメリカの首都ワシントン D.C. にあるライヴ・ハウス、セラー・ドアに出演したマイルス・デイヴィス・バンド。この時16日から19日まで四日間連続で出演しているが、ほぼ全てコロンビアが公式録音している。しかしこの事実はバンド・メンバーですら気付いていなかったようだ。

というのは僕が最初に読んだのはおそらく大学生の頃だったはずだけど、この1970年12月16日にはじまったマイルス・バンドのライヴ・パフォーマンスがあまりにグルーヴィーで壮絶なため、レギュラー・メンバーの一人キース・ジャレットが、録音してくれないかとコロンビアに電話したらしい。

キース・ジャレットは「一刻も早くワシントン D.C. に駆けつけてほしい、そして今展開中のマイルス・バンドのライヴを録音してほしい、それくらい凄いことになっているんだぞ!」と電話で強調したようなんだけけど、当のコロンビアが来て録音したのは最終日19日の2セットだけ。

ということに長年なっていた。そしてその最終日12/19の2セットには飛び入り参加でジョン・マクラフリンがギターを弾いており、キース・ジャレットによればマクラフリンは「お客さん」であって、彼が参加しているために前日までのバンドの演奏とはグルーヴ感が違ってしまったのだということだ。

そのジョン・マクラフリン飛び入り参加の最終日1970/12/19のマイルス・バンドの演奏は、公式録音テープからテオ・マセロが編集して、翌71年11月リリースの『ライヴ・イーヴル』に収録されたので、当時のファンも録音されたのは知っていてリアルタイムで聴いていた。

『ライヴ・イーヴル』については、電化マイルスでは実はこれが一番凄いんだという意見のファンもいるくらいで、それは挿入されている同時期のスタジオ録音のせいではなく(それらの多くがエルメート・パスコアール参加の静謐小品)、間違いなくセラー・ドアで収録したライヴ音源を聴いての意見なんだよね。

特に熱心なマイルス・ファンではない普通のリスナーは『ライヴ・イーヴル』に収録されているそれらで充分なのかもしれない。だが僕みたいなファンにとっては「バンドのグルーヴが違っていた」というそれらの前日までのセラー・ドア・ライヴを聴きたかったなと思っていたのも事実だったんだよね。

でもその言葉を言ったキース・ジャレット本人ですら「早く来て録音してくれ」とコロンビアに頼んだというくらいだったので、まあ1970/12/19以前の16〜18日の録音は残っていなんだろうと僕も思っていて、だからこれだって充分壮絶な『ライヴ・イーヴル』収録ので満足していたのだった。

この録音は残っていないんだ、しょうがないんだ諦めようと長年思っていたっていう、なんというか定説みたいなものが覆されたのが、僕の記憶では21世紀に入って少し経った頃。マイルス・バンドによる1970/12/16〜19日のセラー・ドア・ライヴCD六枚が、ブートレグで突如発売されたのだ。

僕がそれを発見したのは渋谷マザーズ・レコード。東京におけるマイルス(だけじゃない)・ブート販売の聖地みたいな場所だ。CD二枚組が三つというそのセラー・ドア音源を見つけ即買いし、帰って聴いてみたらもっとビックリした。公式録音が流出したものだとしか思えないものだったからだ。

今考えたらあのブート盤 CD 六枚(組ではない) は間違いなく公式録音をコロンビア内部の関係者が横流ししたものだったなあ。ほどなくして2005年にレガシーから六枚組公式盤『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』がリリースされたからで、しかもそれはあらゆる意味でブート盤六枚と寸分違わない内容だったからだ。

収録曲が全てピタリと一致し一秒たりとも違わないばかりか、録音状態やミキシングなどなど音質までもがブート六枚と公式盤六枚組『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』で完璧に同じだった。だからブート盤の方は完全に用無しになったので、聴きたいという友人に譲り渡したのだった。

『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』六枚組はしかし12/16〜19の「全て」を収録したものではない。この四日間でマイルス・バンドは全10セットを演奏している。四日間で10セットということは、一晩で2セット以上演奏した日があったという意味になるが、何日目のことだろう?

そのあたりのデータは調べてみても出てこないのだが、とにかく10セット演奏したのだということが『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』ブックレットにあるボブ・ベルデンの解説文にある。全10セットのうち公式録音されたのが6セット。だから結果CD六枚組になっているわけなんだよね。

『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』六枚のうち、12月16日のものがファースト・セットだけ、17日がセカンド・セットだけ、18日がセカンド・セットとサード・セットだけ。ってことはこの三日間のもので録音されていないものがあるんだろうってことは誰でも容易に想像がつくね。

まあ録音が残っていないということだそうだからそれについてどうこう言っても仕方がない。とにかく『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』六枚組になった1970年12月のマイルス・バンドのライヴ演奏がとんでもないものだというのは変わりない。本当に凄いんだぞ、ファンクなグルーヴがね。

ファンクなグルーヴ感を生み出している最大の要因は、このライヴの約二ヶ月前にレギュラー・メンバーになったばかりのベースのマイケル・ヘンダースン。このファンキーなベーシストがマイルス・バンドの一員になってからの初公式録音が『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』なのだ。

リズム・セクションのうち、ドラムスのジャック・ディジョネットはご存知の通り1969年からレギュラー・メンバーだし、パーカッションのアイアート・モレイラも1970年初頭からレギュラー参加。鍵盤楽器のキース・ジャレットも同70年6月からバンドの一員になっていて、三人とも活躍中だった。

この三人が参加しているマイルス・バンドのライヴ録音は公式でも二種類あるしブートでならたくさんある。しかしそれらと『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』になった1970年12月のライヴ演奏を聴き比べると、バンドのグルーヴのタイトさ、ヘヴィーさがもう全然違うんだよなあ。

普通のジャズ耳なリスナーの方々にとっては、他のメンバーはほぼ同じだけどベースがデイヴ・ホランドである1970年6月のフィルモア・イースト・ライヴや、同年8月の英国ワイト島フェスティヴァルでのライヴ(公式録音はこの二つだけ)の方が好きだろうなあ。僕だってもちろん大好きだけどね。

それらに比べて『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』になった1970年12月のライヴでのグルーヴはどう聴いてもファンク・ミュージックにしか聴こえないから、通常のジャズ・ファンには人気が薄そう。そういうジャズ・ファンはこの六枚組ではおそらくキース・ジャレットを聴いているだろう。

というのは『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』にはキース・ジャレット一人でのピアノ独奏部分がかなりある。全六枚の四日間全てで出てきて、すなわ全部で四つ。全て曲名は当し番号がついているだけの「インプロヴィゼイション」。もちろん全部フェンダー・ローズでの演奏なんだけどね。

しかしいくらフェンダー・ローズでの演奏とはいえ、他のバンド・メンバーは全員休んでいるキース・ジャレットによる鍵盤楽器独奏が五〜六分続き、その内容はこの人がマイルス・バンド脱退と同時期にやりはじめるアクースティック・ピアノ独奏に近いものだから、僕なんかには聴くのがちょっとしんどい。

しかしキース・ジャレット一人だけでのソロ・ピアノ・ライヴと大きく違うのは、まあフェンダー・ローズで、しかもエフェクターで音を歪ませてあって、だからサウンドが大きく違うということもあるけれど、もっと重要なのはフェンダー・ローズ独奏部分から切れ目なくバンド演奏に繋がっているという部分だ。

『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』全部で計四回出てくるキース・ジャレットのフェンダー・ローズ独奏から切れ目なく連続演奏されているのは、四つとも全て「イナモラータ」。この「イナモターラ」の特に冒頭こそが『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』最大の聴き物なんだよね。

「インプロヴィゼイションズ」という名前がついているキース・ジャレットのフェンダー・ローズ独奏と続く「イナモラータ」は、実は曲の切れ目は存在しない。前者の最終盤からジャック・ディジョネットがスネアでロールを入れはじめ、マイケル・ヘンダースンも音を加え少しずつバンドが盛り上がっていく。

そして便宜上トラックが切ってある「イナモラータ」のド頭で、フェンダー・ローズ+エレベ+ドラムスの三人の合奏でドッカ〜ン!!と演奏する大音量のキメになる。するとその大音量合奏のキメに続きマイケル・ヘンダースンがベースでファンキー極まりないリフを弾きはじめ、バンド全体が超ファンキーにグルーヴしはじめる。

このファンキーですんごいかっこいい「インプロヴィゼイション」最終盤〜「イナモラータ」冒頭部の展開は、12/19のものが無編集で「ファンキー・トンク」という曲名になって『ライヴ・イーヴル』に収録されているので、簡単に聴ける。21:28から。
またこれ以外で『ザ・セラー・ドア・セッションズ 1970』でファンキーでカッコイイなあといつも思うのが、16日以外の三日間で全て演奏されている「ワット・アイ・セイ」だ。グルーヴィーだよなあ。特にキース・ジャレットの弾くフェンダー・ローズがゴスペル風なアーシーさでたまらんのだよなあ。

「ワット・アイ・セイ」は17〜19日の三つとも同じようにカッコイイが、最終19日の演奏がこれもノーカット・無編集で『ライヴ・イーヴル』に収録されている。キース・ジャレットってこんなファンキーな弾き方ができる人だったんだよね、 この頃は。
お聴きになれば分るようにイントロ部分で弾くキース・ジャレットがあまりにファンキーでアーシーでエモーショナルであるがために、観客(あるいはバンド・メンバー?)から思わず叫び声があがっているもんなあ。僕にとってのキース・ジャレットとは、この1970〜71年のマイルス・バンドでのこんな演奏の人なんだ。

それでも上の方で引用したようにそのキース・ジャレットが、最終日は「部外者」のマクラフリンが参加しているがために前日までのレギュラー・バンドでの演奏とはフィーリングが違っているんだと言った、この発言も前日までの「ワット・アイ・セイ」や「イナモラータ」を聴くと納得できちゃうのも事実だ。

ファンキーでカッコイイって事実は最終19日のと同じだけど、グルーヴ感が微妙に違うんだよね。前18日までの「ディレクションズ」や「ワット・アイ・セイ」や「イナモラータ」は、最終19日(のはかなりの部分『ライヴ・イーヴル』になっている)のよりもややテンポを落とし、重心の低いヘヴィー・ファンクになっているんだよね。

2016/11/03

日米の不倫ソング

Jamescarrmindmess

Unknown










「夜霧よ今夜もありがとう」が日本における不倫ソングのナンバー・ワンだとしたら、アメリカにおけるそれは「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」だね。どっちのシングル盤も1967年リリース。といっても前者の方は石原裕次郎主演の映画『夜霧よ今夜も有難う』の主題歌だ。

「夜霧よ今夜もありがとう」はだから当然石原裕次郎が歌ったもので、曲を書いたのは浜口庫之助。映画の封切りは三月だったのだが、先行して二月にシングル盤がリリースされている。「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」の方はブラック・ミュージック・ファンであれば知らない人はいないはず。

その初演歌手がご存知ジェイムズ・カー。曲を書いたのがダン・ペン&チップス・モーマン。このソングライター・コンビが創ったもののなかでは最高の名曲じゃないかなあ。カーはこれをゴールドワックス・レーベルに録音し、1967年に同レーベルからシングル盤でリリースされてヒットした。

僕のなかではゴールドワックス=ジェイムズ・カーみたいなイメージがある。O・V・ライトとかスペンサー・ウィギンズとかドロシー・ウィリアムズとかオヴェイションズとか、その他いろんな歌手が録音しているディープ・サザン・ソウルのレーベルなんだけど、僕にとってのゴールドワックスとはカーだ。

ただし僕がそう思うようになったのはCDリイシューがはじまってからで、特に2001年と2004年に英 Ace レーベルが『ザ・ゴールドワックス・ストーリー』の一枚目と二枚目、2009〜2010年に同レーベルが『ザ・コンプリート・ゴールドワックス・シングルズ』三枚を出してからだ。

ジェイムズ・カーという素晴らしいソウル歌手がいる(らしい)という話は前々から読んでいて、特に鈴木啓志さん編纂の例の『U.S. ブラック・ディスク・ガイド』に、カーの確か『ユー・ガット・マイ・マインド・メスト・アップ』が掲載されていた(ような気がする)。しかしそれはヴィヴィド盤だったよなあ。

そのヴィヴィド盤はCDではなかったんじゃないかな。いや、CDだったかもしれないがもうその本の現物が手許にないので確認できない。とにかく僕の力ではそのアルバムは入手できなかった。それでも「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」の高名だけは鳴り響いていた。なぜかってカヴァーする人がたくさんいたからだ。

そのなかの一人にライ・クーダーがいる。ライは1972年のアルバム『ブーマーズ・ストーリー』のなかで「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」をカヴァーしている。ただしそれにはヴォーカルは一切入らず、ギター・インストルメンタル。だからどんな歌なのかは分かりようがなかった。

今聴き直すと『ブーマーズ・ストーリー』B面一曲目の「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」はどうもあんまり面白いもんではないように思う。その後ライはライヴでこの曲をよくやったようだ。長年聴けなかったんだけど、21世紀になって二つのライヴ・ヴァージョンがリリースされた。

録音の早い方はライ・クーダー&ザ・チキンスキン・バンド名義の『ライヴ・イン・ハンブルグ 1977』で2013年リリース。もう一つはライ・クーダー・アンド・コリドス・ファモソス名義の『ライヴ・イン・サン・フランシスコ』で2011年録音のやはり2013年リリース。後者のヴァージョンの方がいいなあ。

どうしてかって1977年ヴァージョンの「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」は『ブーマーズ・ストーリー』ヴァージョンそのままのギター・インストルメンタルでやはりヴォーカルなし。終盤ほんのちょっぴり背後でコーラスの声が聴こえるけれど、まあオマケみたいなものでしかない。

2011年ヴァージョンの方にはしっかりとしたヴォーカリスト(クレジットされているのは三名だが誰だろう?)が参加して「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」のあの歌を歌っているので、僕にはこっちの方がいいんだよね。そして1977年のにも2011年のにもフラーコ・ヒメネスが参加している。

ヒメネスの弾くアコーディオンと、ライ自身がやはりアメリカ南部音楽風のギター・スライドを聴かせてくれているので、「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」がなんだかテックス・メックス・ナンバーみたいに仕上っているのはちょっと面白い。元は暗い曲なのに、それがなんだか陽光の下に出たみたいだ。

ジェイムズ・カーの歌う「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」をちゃんと聴いたのは、それらライのライヴ・ヴァージョンよりも早く、英 KENT(Ace)が2002年に『ユー・ガット・マイ・マインド・メスト・アップ』のCDリイシューをしてくれたのを買ったからかもしれない。

これだけの有名曲のジェイムズ・カー自身の1967年シングル・ヴァージョンは、ひょっとしたらもっと前からなにかのかたちで耳にしていたんじゃないかという気がしないでもない。ヴォーカル入りカヴァーというだけなら、アリーサ・フランクリンとのかフライング・ブリトー・ブラザーズので聴いてはいた。

あ、前述のコンピレイション盤『ザ・ゴールドワックス・ストーリー』の一枚目にジェイムズ・カーの「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」が収録されているなあ。裏ジャケットには2001年と書いてあるから、僕がCDでしっかりこのカーのヴァージョンを聴いたのが2001年だったのは間違いないだろう。

ジェイムズ・カーの単独盤 Ace の『ユー・ガット・マイ・マインド・メスト・アップ』と同じく、やはり KENT からジェイムズ・カーの『ザ・コンプリート・ゴールドワックス・シングルズ』も出ている。出たのはおそらく同時期じゃないかと思うんだけど、後者には発売年がどこにも記載されていない。

それら二枚のどっちにも当然「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」は収録されている。当たり前だね。ジェイムズ・カーのゴールドワックス録音はだいたいシングル曲ばっかりで、オリジナル・アルバムみたいな格好になっている『ユー・ガット・マイ・マインド・メスト・アップ』だって基本シングル曲集だ。

だから『ユー・ガット・マイ・マインド・メスト・アップ』と『ザ・コンプリート・ゴールドワックス・シングルズ』、どっちかだけでいいような気がしないでもないが、まあしかしダブっていない曲目もあるので、ジェイムズ・カー・ファン(でもないんだが僕は)はやっぱり両方買わなくちゃね。

「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」というダン・ペン&チップス・モーマンが書いてジェイムズ・カーが歌った曲の素晴らしさについては、紙でもネットでもいろんな人が書いているので、僕なんかが書くことはなんにもないように思う。歌詞は不倫ソングだけど、メロディがもっといいよなあ。

「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」のメロディがいいっていうのは、おそらくライ・クーダーもそこに目を付けたんだろう。ライは歌の方はあまり得意じゃないってこともあるだろうけれど、メロディの美しさゆえにこそ主にギター・インストルメンタルでカヴァーしているんじゃないかなあ。

アリーサ・フランクリンのカヴァー・ヴァージョン(『ディス・ガールズ・イン・ラヴ・ウィズ・ユー』)は、歌手としての力量はジェイムス・カーよりアリーサの方が上だという気が僕はするので、彼女もピアノを弾きながらしっかり歌い込んでいる。しかし曲の持味はカーの方が活かせているかも。

っていうのはアリーサはああいった、こうなんというかどっちかというと崇高なというか、スポットライトを浴びて堂々と声を張って歌うスタイルの歌手。ところが「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」は不倫ソングで、コソコソ隠れて暗い裏道の片隅で男女が逢引するという内容の曲なわけだ。

それにもかかわらずアリーサのはいつも通りの堂々たる歌いっぷりで、これじゃあまるで隠さなくちゃいけない道ならぬ道が白日のもとに晒されてしまっているような雰囲気なんだよね。しかも黒人教会風なオルガンやゴスペル合唱みたいなコーラスも入って、これじゃあ教会で不倫の懺悔を大声でやっているみたいじゃないか。

教会には懺悔室というのがあって(今の日本では「懺悔」「告解」と言わず「ゆるしの秘跡」と呼ぶらしい)、そこに入ると、懺悔する人間は聖職者に顔を知られることもなく罪を告白することができる。つまりこっそりやるわけだ。それをアリーサはまるで大ホールのステージで大声で告白している感じだ。

もちろん音楽はどんな曲をどんな解釈・アレンジでやってもいいし、どんな歌い方をしたって出来上がりが素晴らしければ誰も文句は言わない。それこそが音楽の面白さだってことは、以前「シー・シー・ライダー」という苦悶のブルーズを爽快感満載なロックンロールで歌うエルヴィス・プレスリーの件でも書いた。

アリーサの「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」だって出来上がりはいいと思う。だけど(CDでしっかりとは)あとから聴いたジェイムズ・カーのオリジナル・ヴァージョンを聴いたら、やっぱりそっちの方が不倫ソングというこの曲の持つ意味合いはよりよく表現できているように思うんだよね。

ジェイムズ・カーもゴスペル界出身らしい。歌い方は確かにそんな感じの声の張り方だ。「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」でもそうだし、この曲では教会合唱風ではないがバック・コーラスも入る。全体のサウンド・アレンジもやや派手。しかし淡々と隠れた恋を歌う雰囲気はよく出ている。

石原裕次郎が「夜霧よ今夜もありがとう」を後乗りでまるで引きずるように歌い、いつか晴れて逢えるようになる日まで夜霧に隠れてしのび逢おうという歌詞を説得力あるように歌っているのと同じく、ジェイムズ・カーも「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」で似たような表現をしているんじゃないかなあ。

2016/11/02

とうよう礼賛 2

Unknown










中村とうようさん編纂の『ブラック・ミュージックの伝統』CDを二晩続けて一枚ずつ聴き直す二日目の今夜。昨夜の「ブルース、ブギ&ビート篇」と本来ならセットで語るべき「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」が今夜の話題。しかし一つの記事内でこの二枚を同時に語ろうとすると、超長文になってしまう。

普段から長い長いと言われる僕のブログ文章のそのさらに三倍くらいの長さになってしまうので、それで二回に分けたという次第。昨日は特に強い理由なく元は下巻だった「ブルース、ブギ&ビート篇」の方を先にしたと書いたが、「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」を後にしたのに全く理由がないわけではない。

ジャズとブルーズという1940年代までのアメリカ黒人音楽の二大要素が表面的にも明快に分るように合体し、強いダンス・ミュージックとなって直後のリズム&ブルーズを生み、それがロックの勃興へ繋がったということを知る上では、ジャズ系の音源を後で聴いて考えた方が分りやすいという面があるのだ。

先走って言うと、メインストリームのジャズからほんの少しばかり横に逸れた、いわば「周辺領域」に位置するジャイヴやジャンプ。あれらは僕みたいなリスナーが聴くとジャズそのものでしかないわけだけど、まあ一般的には横道だろう。しかしそれらジャイヴやジャンプこそが最重要なものだ。

昨晩も書いた繰返しになってくどいけれどやっぱり書く。メインストリームのいわばシリアスな芸術ジャズと本質的にはあまり変わるところのないジャイヴやジャンプが1940年代に合体し、さらにその合体化(ジャズ系)音楽がスモール・コンボ化して、直後のリズム&ブルーズ〜ロック勃興へ繋がったのだ。

そんなに重要なジャイヴやジャンプ系のジャズ。1917年の商業録音開始当時には既に一体化していたジャズとブルーズだけど、それはジャズのいわば下部構造にブルーズがあったというような具合だったのが、1930年代末〜40年代にはその合体構造が表面化した。だからブルーズ篇を先に、ジャズ篇を後にしたんだよね。

誰が聴いてもこれはブルーズ・ベースの猥雑なジャズだと分るジャイヴやジャンプこそが、そしてそれらが一体化したからこそ、その後のアメリカン・ポピュラー・ミュージックがある。そういうわけだからアメリカ大衆音楽史全体を俯瞰しようとする際には、ジャズ系音源を後で語った方が分りやすい。

さてとうようさん編纂の「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」で最も特徴的なのは、「純」ジャズではない周辺領域、言ってみればノヴェルティなものがたくさん収録されていることだ。そういうものは戦後の日本のジャズ・ファンは無視してきたというか、敢えて避けてきたような部分があるんじゃないかなあ。

「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」にたくさんあるノヴェルティなジャズは大きく分けて二つ。一つはヴォーカルもの。もう一つはコミカルで下世話な芸能ジャズ。そしてこれら二つは別々のものではなく、不可分一体のものであることが、このCDを聴くと非常によく分っちゃう。

ノヴェルティなジャズ。後のリズム&ブルーズ〜ロック(の源流の一つはジャズそのもの)への流れを考慮に入れてアメリカ大衆音楽、特にブラック・ミュージックを考えると、メインストリームではないそんな周辺領域からの動きが重要な役目を果たし、新しい歴史を創る場合が多い。

だから純ジャズ系だけを聴くというような閉鎖系の考え方では、アメリカ大衆音楽史でジャズが果たした歴史的役割を十全に俯瞰することは不可能だ。このことはとうようさんも『ブラック・ミュージックの伝統』附属ブックレットで強調している。ジャズはある時期以後シリアス・ミュージックとなったけれども。

ブルーズは珍奇な(ノヴェルな)部分こそが本質であるような音楽で、だからブルーズについてノヴェルティ要素を云々したいような人はいないわけだけど、ジャズの場合そういう部分からいったん離れたシリアスなものとして発展して、そんなジャズが戦後のメインストリームを形成してきたわけだ。

だがしかし同時にブルーズにあるノヴェルティさ、猥雑で下品なパワーを折々に取込むことで、メインストリームのシリアス・ジャズも生命力を維持してきたというのが反面の真実なのだ。ほんの一例をあげれば、1940年代に勃興した新スタイルであるビ・バップ。あれは明快なブルーズ・ベースの音楽に他ならない。

ビ・バップの土台にいかにブルーズがあるかを語ると今日の本題からどんどん逸れていってしまうのでやめておく。ヒントだけ一つ出しておくと、チャーリー・パーカーもディジー・ガレスピーも、あるいはその他の1940年代ビ・バッパーの多くがジャンプ(・ブルーズ)・バンド出身だ。

さてジャズのノヴェルティな周辺領域。例えば「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」にも収録されているルイ・ジョーダン。この人はやっぱりノヴェルティなジャズ・マンだろう。ジャンプ・ミュージックの人だとされる場合が多いが、かなりジャイヴ・フィーリングも兼ね備えていたようなジャズ・マンだった。

以前も一度指摘したようにビッグ・バンドでキャブ・キャロウェイ(も「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」に一曲収録)がやっていたようなジャイヴな持味を受継いで、それをスモール・コンボでやったジャイヴィーなヴォーカリストで、それをブギ・ウギ・ベースのジャンプと合体させたのがルイ・ジョーダン。

ブギ・ウギ・ベースのジャンプをスモール・コンボ化して、その上で若者の日常生活を面白可笑しく歌ったヴォーカルの味は、1950年代にチャック・ベリーが継承して、黒人ロックンローラー最初の大スターになった。チャック・ベリーの歌に多い若者の日常生活を描いた歌詞は、ルイ・ジョーダン由来なんだよね。

チャック・ベリーはいまでも多くの米英白人ロッカーたちからも尊敬を集めているロック界の巨人だ。そんなチャック・ベリーのルーツだったルイ・ジョーダンは1940年代における黒人最大のスターだったわけだから、そのこと自体、昨晩も強調したように、40年代という時代の重要性を物語っている。

「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」にノヴェルティなものが多いというのは、そういう芸能ジャズ分野の音楽家だと見做されている人のことばかりじゃない。一般的には純粋なジャズ・マンだと考えられている人の場合でも、そんなものが収録されている。例えばナット・キング・コールとかアート・テイタムだ。

「そういうものは戦後の日本のジャズ・ファンは無視してきたというか、敢えて避けてきたような部分があるんじゃないかなあ」と上で書いたが、「戦後」のと但書を付けたのには理由がある。ジャイヴやジャンプなどノヴェルティなジャズ・ミュージックのSP盤は、戦前の日本では結構売れて聴かれていたんだよね。

この事実はその世代の一人である油井正一さんの書くものを読んでもよく分る。だからこそ油井さんは自著のなかで「ビ・バップとR&Bには共通項がある」と指摘することができた。こういう視点は、直接お名前を出すのはちょっとどうかとは思うけれど、例えば粟村正昭さんなどには致命的に欠けていたものだ。

断っておくが、僕は粟村さんを高く評価し尊敬している一人で、例えばジャンプ系ジャズ・ビッグ・バンドなどには全く理解を示さなかったが、ことシリアスなメインストリーム・ジャズに関しては、粟村さんほどの分析・批評能力を持つジャズ・ライターは稀だった。しかしその反面の真実があるんだよね。

つまりメインストリームから逸れた芸能ジャズを切り捨ててしまったことだ。そして良くも悪しくもそんな粟村さんに代表されるシリアスなジャズの聴き方が戦後の日本を支配してきたことは疑いえない事実だろう。これがアメリカ大衆音楽史を俯瞰する上では逆効果だということは上で指摘した。

だからとうようさん編纂の「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」では、そんな横道に逸れたようなノヴルティな芸能ジャズが多く収録されている。収録順だと三曲目のバーサ・チッピー・ヒル「トラブル・イン・マインド」がそんなものの最初。ご存知1920年代のいわゆるクラシック・ブルーズの女性歌手。

「クラシック・ブルーズ」という呼称がいかに無意味であるかについても、とうようさんはこのチッピー・ヒルの曲目解説部分で語っている。僕もこれには完全同意でこのブログでも既に何度も書いている。この件は今日の本題とは無関係なので省略。クラシック・ブルーズはジャズとの区別が不可能だなあ。

つまりジャズとブルーズの境界線あたりに位置するのが1920年代のいわゆる俗称クラシック・ブルーズ歌手たちで、実際それらの女性歌手の伴奏はほぼ100%同時代のジャズ・メンがやった。最も有名なのがルイ・アームストロングで、ベシー・スミスその多くの女性歌手の伴奏をコルネットでやった。

そんなルイ・アームストロングも「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」にある。二曲目の「スタティック・ストラット」。曲名に反して躍動的な演奏で1926年録音。この時期サッチモはオーケー(コロンビア)に録音していたので、アースキン・テイト楽団に客演したヴォキャリオン盤の一曲。見事なコルネット・ソロだ。

「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」におけるノヴェルティな芸能ジャズは、五曲目のキャブ・キャロウェイ楽団1930年「セント・ルイス・ブルーズ」、六曲目のビル・ロビンスン31年「ジャスト・ア・クレイジー・ソング」と続く。いわゆるジャイヴ・ヴォーカルはむしろ後者の方が存分に発揮して歌っている。

ジャズにおけるヴォーカルものとノヴェルティものは切り離せないと上で書いた。それを痛感するのが「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」の七曲目ミルズ・ブラザーズ1931年「タイガー・ラグ」、十曲目スピリッツ・オヴ・リズム34年「ジャンク・メン」などなど。立派なジャズでありかつ猥雑な芸能なんだなあ。

11曲目インク・スポッツ1936年「テイント・ノーバディーズ・ビジネス・イフ・アイ・ドゥー」も、そんなヴォーカルものでありながらノヴェルティなジャイヴもの。そして同時に立派なジャズでもある。そんなジャイヴィーでありかつシリアス・ジャズでもある最有名人がナット・キング・コールだ。

ナット・キング・コール・トリオは1940年代初頭にデッカに録音したので、「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」に一曲収録されている。19曲目の「アー・ユー・ファー・イット」。その後のキャピトル録音でもほぼ同じだけど、40年代のこのトリオは、楽器演奏はシリアスだけどヴォーカルはジャイヴィーなものだよね。

「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」では続く20曲目アート・テイタム・トリオ1944年「アイ・ガット・リズム」も似たような感じだ。テイタムのピアノ技巧は目も眩むようなシリアス芸術だが、伴奏のギターがタイニー・グライムズ、ベースがスラム・スチュアートというノヴェルティ・ジャズの人たちだ。

さて1930年代末〜40年代のジャズは、商業録音開始当初から取込んでいたブルーズを明快な形で表面化し、強くダンサブルな音楽と変貌していたような部分があるが、それがいわゆるジャンプ・ミュージック。ジャズ界におけるブギ・ウギ・ベースのブルーズ系ジャズだ。当然「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」にも数曲ある。

「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」におけるジャンプ系ジャズは、収録順だと12曲目のカウント・ベイシー楽団1938年「テキサス・シャッフル」が最初。説明不要のカンザス・シティ出身のバンドだが、僕は純ジャズというよりもブルーズ系ジャズ・バンド、いわば準ジャンプ・バンドだと捉えている。

「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」におけるジャンプ系ジャズは、その後15曲目ダイナ・ワシントン&ライオネル・ハンプトン・セクステット1945年「ブロウ・トップ・ブルーズ」(絶品!)を経て、続く16曲目アースキン・ホーキンズ楽団50年「アフター・アワーズ」と続く。

フィル・ガーランドが黒人のナショナル・アンセムとまで書いた「アフター・アワーズ」は、アースキン・ホーキンズ楽団でピアニストのエイヴリー・パリッシュが1940年に書いて初演したスロー・ブルーズ。「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」での同楽団50年録音のエイス・ハリスも粘っこい三連の反復で盛上げる。

「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」17曲目でチャーリー・パーカーとブルーズ歌手ウォルター・ブラウンが共演するジェイ・マクシャン楽団1942年「ザ・ジャンピン・ブルーズ」を経て、21曲目ルイ・ジョーダン45年の「カルドニア」まで来ると、もう(スウィング・)ジャズだかジャイヴだかジャンプだかリズム&ブルーズだか分らない。それら全ての言い方が当てはまる。

1940年代にルイ・ジョーダンがスモール・コンボでやっていたジャンプとジャイヴの合体音楽としてのジャズ(だと僕には聴こえる)。これこそが昨日・今日と繰返し書いてきたように直後のリズム&ブルーズを生み、ロックンロール大爆発の母胎だったわけだ。だからこそ40年代という時代は最重要期なんだよね。

2016/11/01

とうよう礼賛 1

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アメリカ大衆音楽史を振返ると、1940年代あたりが一番の変動期というか結節点みたいな時期で、この頃にそれまでのいろんな音楽が合体融合しその後の流れへと繋げていく最重要期だったように思う。特に黒人音楽史においては。40年代までのブラック・ミュージックの代表格といえばジャズとブルーズ。

ゴスペルもあるんだけど、この音楽は本質的には教会内部に存在するもので、レコードを出したのがヒットしたり、ステージ活動をし人気があったりする場合もあるけれど、本質的にはコミュニティ内でしか真の姿は分らない。それにヒットする、人気が出るといっても世俗音楽ほどじゃないだろう。

僕も普段から繰返し強調しているけれど、1940年代以前はジャズとブルーズというアメリカ二大ブラック・ミュージックは不可分一体だった。そうであるとはいえ、ブルーズは一種の「底流」音楽みたいな面もあって、1940年代までのアメリカ大衆音楽のメインストリームはやはりジャズだったのだ。

そんなジャズが(元々商業録音開始当初からいつも多い)ブルーズをより明快な形で取込んで表面化し、猥雑でビート感の強い音楽にしていたのが1940年代のジャンプ・ミュージック。ジャンプの土台にはブギ・ウギがあるが、ブギ・ウギはいわばブルーズ側からジャズに接近したというかハミ出したような音楽。

そんなブギ・ウギを土台とするジャズであるジャンプ・ミュージックが1940年代後半〜50年代前半にリズム&ブルーズとなり、直後のロックンロールを産む母胎になった。その後のロック・ミュージックの世界中での大流行はいまさら繰返す必要がない。20世紀後半のアメリカから発信されたもののうち、最重要音楽がロックだ。

こう考えてくると、ロックは元を辿ると1940年代のジャンプ・ミュージックが祖先だったということになるので、だから僕が今日最初に書いたように「1940年代こそがアメリカ音楽史で最重要な時期」だということになるんだよね。40年代はアメリカ音楽のメルティング・ポットだったのだ。

そんな1940年代までのアメリカ黒人音楽史を大雑把に振返り、その後のロック誕生に至る過程を手っ取り早く知るのに格好のアンソロジーがある。それが他ならぬ中村とうようさん編纂の『ブラック・ミュージックの伝統』CD二枚だ。こんなアンソロジーを編んで丁寧な解説をつけてリリースしてくれたんだよね。

それで僕のような素人リスナーにも分りやすくアメリカ黒人音楽史を提示してくれたようなとうようさんの功績は、忘れようたって死ぬまで一生忘れられないものだ。あぁ、それなのに、2011年に亡くなったとうようさんの悪口というんじゃないが、なんだか小馬鹿にしたり揶揄したりする発言がちょっと多くなってきているように思うんだ。

それで僕がそんな人々をたしなめるなんていう見識はないのでそれはできないが、今日・明日の二夜連続でとうようさん編纂の『ブラック・ミュージックの伝統』CD二枚を聴き返し、いろいろと考え直してみたい。『ブラック・ミュージックの伝統』が最初にLPレコード二枚組の上下二巻で発売されたのは1975年のこと。

つまりLPで四枚、計八面にわたってテーマみたいなものが決められていて、LPの片面ずつ分けて一まとまりのものとして聴けるようになっていた。僕がこれを買ったのはおそらく1980年代初頭だったはず。しかしこれの話は今日・明日はしない。だって中古盤を探して入手する以外ないわけだしなあ。

そもそもLPレコード・プレイヤーをお持ちでないリスナーも多いはず。何を隠そうこの僕もそうだ。むろんCD盤の『ブラック・ミュージックの伝統』二枚だって、既に廃盤で中古しかないけれど、それでもまだ探せばなんとか入手できるようだ。こんなのを廃盤にしないでくれよ、レコード会社さん!

とうようさんはLPで計四枚だった『ブラック・ミュージックの伝統』をCDで編み直し、「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」と「ブルース、ブギ&ビート篇」のCD二枚でリリースしている。それが例のMCAジェムズ・シリーズの一環で1996年のこと。この二つに分けたタイトルと編成はアナログ時代と同じだよね。

しかし曲目や並び順などは異なっている。それは書いたようにLPでは片面ずつ一まとまりで聴けるようになっていたのに対し、CDでは20曲以上全部ズルズル一繋がりになるからだ。あと1990年代後半になってMCA系の音源で使えるものが増えた(チェス原盤、ピーコック原盤など)のも一因。

『ブラック・ミュージックの伝統』では「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」が上巻で「ブルース、ブギ&ビート篇」が下巻。アナログ時代にそうだったので、僕の世代はいまだにこの発想が抜けないが、一回目の今夜はなぜだか「ブルース、ブギ&ビート篇」の話を先にする。特にこれといった強い理由はない。

「ブルース、ブギ&ビート篇」はタイトル通りブルーズを中心とするアメリカ黒人ビート・ミュージックがメイン。しかしながら一曲目ファリー・ルイスの「ビリー・ライオンズ・アンド・スタック・オリー」はいわゆるブルーズではないしビート感もさほどは強くない。この曲は伝承バラッドだからだ。

曲名だけで全員あれだよねと分る例の<スタック・オ・リー>伝説を歌ったもので、これはバラッドはバラッドでも白人バラッドではなく黒人バラッドなのだ。バラッドというと英国由来の白人音楽というか語りものだと思われているんじゃないかなあ。黒人白人の共有財産だったりするものも多いんだよね。

<スタック・オ・リー>伝説がどんな物語なのか説明しておく必要はないと思う。こんな黒人バラッド、つまり民謡は、ブルーズがその楽曲形式を明確なものにして以後も結構残っていて、わりと重要な役目を果たしているのだ。それが非常によく分る一例が「ブルース、ブギ&ビート篇」17曲目にある。

「ブルース、ブギ&ビート篇」17曲目とはマディ・ウォーターズの「ローリン・ストーン」なんだよね。マディの最大の代表曲というだけでなく、戦後のシカゴ・ブルーズ・シーンが生み出した最も有名なブルーズ・ソングに間違いない。この曲は<黒さ>の権化みたいなものだと思われているはずだ。

マディの「ローリン・ストーン」が黒さの権化、ネグリチュードの塊だというのは間違いない。しかしこの曲は戦前のミシシッピ・デルタ地帯に伝わる作者不詳の伝承ブルーズ・ソング。かなり前から黒人コミュニティ内で歌い継がれていたものを、戦後の1950年にマディがアダプトして電化しただけのものなんだよね。

そんなマディの「ローリン・ストーン」には黒さだけでなく非黒人音楽的な要素がはっきりと聴き取れる。「ブルース、ブギ&ビート篇」の二曲目にヘンリー・トーマスの「コトンフィールド・ブルーズ」というのが収録されているが、これに通じる民謡的素朴さが「ローリン・ストーン」にはあるよね。

言ってみればブルーズ内における非ブルーズ的要素。マディの「ローリン・ストーン」はコード・チェンジがないワン・コード・ブルーズで変化に乏しく、歌詞も素朴で散漫で一貫性に欠ける。これは当然。南部に伝わる黒人民謡、バラッドをブルーズ化した、いわばフォーク・ブルーズみたいなものだからだ。

そんな誕生期の初期型ブルーズであるフォーク・ブルーズが、上で言及した「ブルース、ブギ&ビート篇」二曲目のヘンリー・トーマス「コトンフィールド・ブルーズ」なんだよね。一曲目のファリー・ルイス「ビリー・ライオンズ・アンド・スタック・オリー」同様、そんなに強烈な黒っぽさは感じないものだ。

ファリー・ルイスにしろヘンリー・トーマスにしろ、ブルーズが黒人音楽としてその楽曲形式を鮮明に確立する以前の姿、芸のありようを身につけていたというのが理由なんだろう、「ブルース、ブギ&ビート篇」収録のものは、前者も後者も1927年録音と新しいけれど、そんな時代の黒人音楽伝統が聴けるってわけだね。

ってことは「ブルース、ブギ&ビート篇」17曲目のマディの「ローリン・ストーン」は、そんなような黒くない民謡的な初期型ブルーズの姿を残しながらも、しかし出来上がりは間違いなくモダンで強烈に真っ黒けなブルーズ・フィーリングを感じるようなものになっているっていう、そういう部分もマディの魅力だよなあ。

「ブルース、ブギ&ビート篇」では、四曲目のタンパ・レッド&ジョージア・トムの1928年「イッツ・タイト・ライク・ザット」(史上初のロックンロールとでもいうべきこの曲の重要性については、以前ハーフ・パイント・ジャクスン関連で述べた)まで、そんな素朴な民謡的ブルーズが続いている。

ところが四曲目のリロイ・カーによる1928年録音「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルーズ」が聴こえはじめた瞬間に、一気にグッと現代的になって、録音が古いから聴き慣れない方にはそう思えないだけで、そっくりこのまま戦後に再演してもモダン・ブルーズとして充分通用するようなフィーリングなのだ。

まあリロイ・カーは時代は古い人で1935年までの録音しか存在しないブルーズ・ピアニストだけど、都会人で感性は相当に洗練されていて、演唱するブルーズも完全に現代的。しかも伴奏者であるスクラッパー・ブラックウェルはギタリストで、ギターはブルーズ誕生に欠かせなかった楽器なんだよね。

ってことは「ブルース、ブギ&ビート篇」四曲目のリロイ・カー「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルーズ」では、完全に定型化しモダン化したブルーズ楽曲でピアノをメインに使いながらも、そこにプリミティヴな楽器でブルーズ誕生とともに歩んできたギターのサウンドをも入れた、いわば新旧合体型なのだ。

なお「ブルース、ブギ&ビート篇」四曲目収録の「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルーズ」はオリジナル・ヴァージョンではない。とうようさんによる曲目解説部分では「28年6月19日録音のオリジナル版が入手できず」、それで半年後の同年12月のシカゴ録音ヴァージョンを収録したとなっている。

その1928年6月19日録音のオリジナル・ヴァージョン「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルーズ」は、今ではリロイ・カーの単独盤CDに収録されているので、誰でも簡単に買って聴くことが可能だ。というか普通はそれが入る。是非聴いてほしい。とうようさんはどっちもほぼ同じだと書いているが、僕は違いがいろいろあると思うから。

さてそんなピアノで奏でるブルーズの代表的なものであるブギ・ウギが「ブルース、ブギ&ビート篇」のその次六曲目のクラレンス・パイントップ・スミスの「パイントップス・ブギ・ウギ」。ブギ・ウギはピアノ・ブルーズでは最重要なものだけど、これが録音された1928年はブギ・ウギ・ピアノ録音としては最初期。

それ以前から存在するに違いないあのピアノの左手のパターンに「ブギ・ウギ」という名称が付いたのが、その1928年「パイントップス・ブギ・ウギ」によってだったのだ。聴けば分かるが、曲中パイントップ・スミスが声で指示するダンスの名称としてブギ・ウギという言葉が出てくる。つまりこれはダンス感覚を指す言葉。

「ブルース、ブギ&ビート篇」では、その後はそんなブギ・ウギ・ベースのブルーズが中心となって続くので、いかにこれがアメリカ黒人音楽にとって重要で魅力的でダンサブルなパターンだったのかが分るのだ。それはジャズの世界にも甚大な影響を及ぼしたことは、今日上でも触れたが詳しくは明日書く。

「ブルース、ブギ&ビート篇」では、その後スリーピー・ジョン・エスティスやココモ・アーノルド(後者のギター・スライドは絶品で、スライド奏法でギター・ブルーズが大きな歌唱的表現力を獲得したことがよく分る)やメンフィス・ミニーなどなど、またいったん素朴なカントリー風ブルーズも入っていたりする。

しかしやはり「ブルース、ブギ&ビート篇」で五・六曲目以後重要なのは、ブギ・ウギを基本パターンに据えてバンド形式でやるブルーズだろう。12曲目でブギ・ウギ・ピアニスト、ピート・ジョンスンを伴奏に歌うブルーズ・シャウター、ビッグ・ジョー・ターナーもいいが、14曲目と15曲目が最重要だ。

「ブルース、ブギ&ビート篇」14曲目はドクター・ロスの「ドクター・ロス・ブギ」。これは(ウィリー・ギャランティンもギターでクレジットされてはいるが)ドクター・ロス自らがギターでブギ・ウギのパターンを弾きつつ、ハーモニカを吹き、なおかつ自分でヴォーカルも担当するワン・マン・バンド録音。

そのドクター・ロスの1951年録音「ドクター・ロス・ブギ」を聴くと、ギター弾くパターンは明らかにブギ・ウギだけど、これ以前のピアニストが左手で演奏するパターンとはやや異なったフィーリングでモダン。そしてこのワン・マン・バンドでの録音はもう既にかなりロックっぽいものなんだよね。

それがもっと鮮明に分るのが「ブルース、ブギ&ビート篇」15曲目のお馴染「ロケット・88」。ジャッキー・ブレストン名義だが、実質的にはアイク・ターナー・バンドの演奏だ。この1951年にメンフィスにあるサム・フィリップスのサン・スタジオで創られた一曲こそがブギとロックの架け橋なのだ。

その「ロケット・88」ではギターのアイク・ターナーが、あの三度と五度を往復するロックンロール・ギターの基本パターン(レッド・ツェッペリンの「ロックンロール」もこれだ)を弾いているが、これは要するにブギ・ウギのパターンを現代の電化バンド形式でやった典型的な一曲で、だから最重要だって言うんだよね。

この「ブルース、ブギ&ビート篇」15曲目のアイク・ターナー「ロケット・88」まで来たら、発生期の素朴な民謡的ブルーズから、徐々に展開しピアノで演奏するブギ・ウギが生まれ、そのブギ・ウギ・パターンをエレキ・ギターで弾きながらバンドでやって、それがロックに繋がったことがクッキリと分るのだ。

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