« マイルスが「フランスで食ってた」という事実はありません | トップページ | ジャズ・ブルーズにおける曖昧な和音構成と明快なドラムス・ソロ »

2016/11/26

グナーワ・ディフュジオンで聴くマグレブ伝統音楽

Unknown

3252411736956










北アフリカ大衆音楽を、その地域からの移民の多いフランスではなんでもかんでも「ライ」と呼んでしまう傾向があったらしく、グナーワ・ディフュジオンの連中もこれに随分と悩まされたらしい。今ではこのバンドについて日本語、英語、フランス語で書いてあるもののなかに、そういうものはないみたいだ。

グナーワ・ディフュジオンがアルジェリア系のアマジーグ・カテブを中心にフランスのグルノーブルで結成されたのは1992年のことらしく、翌93年に五曲入りのミニCD『レジティム・ディフェランス』がリリースされてる。がしかしそれは自主制作盤で、広く流通するものではなかったんじゃないかなあ。

少なくとも僕はデビュー作『レジティム・ディフェランス』は持っていないし、全く聴いたことがない。聴いているのは1997年の二作目『アルジェリア』から。これ以後は買いやすくなった。がしかしその『アルジェリア』はリアルタイムでは僕は知らない。グナーワ・ディフュジオンは三作目で知った。

すなわち1999年の『バブ・エル・ウェド・キングストン』。これはオルター・ポップからリリースされた日本盤が日本のCDショップ店頭にも並んだのだった。今でも非常に鮮明に憶えているが、僕がこれを発見したのは新宿丸井地下にあったヴァージン・メガストアでのこと。全く見たこともない名前だった。

アルバム・ジャケットのただならぬ雰囲気(以前の繰返しになるが、CDでもジャケ買いはあります!)と、アルバム・タイトルに強く惹かれたのだった。『Bab El Oued Kingston』なのに、日本盤タイトルははなぜだか『バベル・ウェド・キングストン』。だがそれがかえって魅力を強くしていたなあ。

買って帰って聴いてみて、一発で『バブ・エル・ウェド・キングストン』というアルバムと、グナーワ・ディフュジオンというバンドに惚れちゃたんだなあ。告白するが(以前もしたような気がする)、僕がレゲエやラガマフィンやダブを聴くようになったのは、1999年にこのアルバムを聴いて以後なんだよね。

『バブ・エル・ウェド・キングストン』では実際レゲエ、ラガマフィンの要素が強い。そもそもアマジーグの最大のアイドルがボブ・マーリーらしく、アマジーグはマーリーの音楽のなかに強いアフリカ性を感じ取っているらしい。アマジーグだけでなく、アフリカ音楽家で同様の人は多いようだ。

しかしダブがあるのか?と言われそうだけど、『バブ・エル・ウェド・キングストン』には一曲だけかなり鮮明にダブ風になるものがある。他ならぬ四曲目のアルバム・タイトル曲がそうだ。特にピアノの音の録音後の処理は完全なるダブの手法だ。
ピアノの音は処理は露骨なダブだけど、それ以外の部分でもこの曲ではダブ風じゃないかなあ。クッキリ鮮明にダブだと言えるのはこの一曲だけとはいえ、アルバム全体を通しちょっぴりダブっぽいような処理というかフィーリングは聴き取れるように思う。レゲエとラガマフィンはいくらでもあるじゃないか。

アルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』のどこがレゲエでどこがラガマフィンだなんて指摘するのもバカらしいほどだもんなあ。ボブ・マーリーをアイドル視し、レゲエやそれに類する音楽手法を用いながら、しかしグナーワ・ディフュジオンの音楽には北アフリカ音楽の要素がもっとはるかに色濃い。

僕が1999年に『バブ・エル・ウェド・キングストン』を最初に聴いて、そしてその後も繰返し聴き今でもよく聴くという、そんなに気に入っている最大の理由は、グナーワとシャアビという、前者はモロッコの、後者はアルジェリアの音楽要素が非常に強く活かされているのを聴き取れたからだった。

といってもグナーワは一種のルーツ音楽で、モロッコで誕生したものであるとはいえ、ルーツはサハラ以南のブラック・アフリカにある。奴隷として西アフリカ地域から強制移住させられた黒人たちがモロッコでやった音楽がグナーワで、しかもこれはポピュラー音楽というよりも、民俗音楽だというのが実態に近い。

ところがアルジェリアのシャアビの方は現代大衆歌謡。何百年も続くアラブ・アンダルースの伝統的古典音楽を土台に1920年代にアルジェのカスバで現代的庶民音楽として誕生したのがシャアビだ。だからブラック・アフリカの奴隷によるルーツ音楽的なグナーワとはかなり様相の異なる音楽なのだ。

シャアビはアルジェリアのアラブ系による音楽。しかしながらグナーワ・ディフュジオンのアマジーグはアラブ系ではない。ベルベル人なのだ。アマジーグの父親で高名な文学者であるカテブ・ヤシーンは、自分の息子にベルベル人の自称である al-Amāzīgh という名前を付けたんだよね。

そんなベルベル人でアルジェリア系のアマジーグがフランスにおいてグナーワとシャアビを根底に据えた音楽をやっているというのはなかなか興味深いものがある。しかしですね、僕は1999年にグナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』を聴くまで、それらをよく知らなかった。

『バブ・エル・ウェド・キングストン』を聴いて初めて鮮明にグナーワとシャアビを意識したのだ。もちろんその一年前にオルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベスのデビュー・アルバムを聴いていて、それにもグナーワとシャアビがあったけれど、あのアルバムにはライもあり、しかも全てが現代的かつポップに融合している。

だからあのONBの『アン・コンセール』でマグレブ音楽にどハマりしたものの、ルーツ的な鮮明さは分りにくかったのだ。それが翌年のグナーワ・ディフュジオンの『バブ・エル・ウェド・キングストン』では、かなりルーツ的に鮮明なグナーワやシャアビをやっていて、それがすんごく魅力的に聴こえたのだった。

アルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』における鮮明なグナーワだと言えるのは、九曲目の「サブリナ/天然ガス」だけ。しかも前半の「サブリナ」の冒頭だけだ。出だしはゲンブリの音とカルカベの音とヴォーカルだけで構成されているからね。
しかしすぐに鍵盤シンセサイザーが鳴り、ドラムスとマンドーラも入り、しかもエレキ・ギターがレゲエ風のリズムを、それもインヴィクタス系みたいなクチュクチュという音で刻みはじめる。そうするとアマジーグがラガマフィン・スタイルの歌い方に移行して「天然ガス」になるので、グナーワはほんのちょっとだけ。

アルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』で鮮明なルーツ的グナーワだと言えるのは、その九曲目「サブリナ/天然ガス」の冒頭部分だけ。でも1999年の僕にはそれだけで充分だった。なんとも魅惑的でトランシーな音楽だなあって、特にゲンブリとカルカベの出すサウンドに痺れちゃったのだ。

するとアルバム中随所にグナーワ要素が聴き取れる。ルーツ的に鮮明でなくたって、断片的に、あるいは有機的な音楽構成要素としてグナーワが活かされている。三曲目「カバリウ」、五曲目「フムーム・ザワリア」、六曲目「シンディカイナ」などにはそれがかなりハッキリと聴き取れるんじゃないかなあ。

シャアビはもっとはっきりと『バブ・エル・ウェド・キングストン』にある。一番鮮明にシャアビだと言えるのは二つ。七曲目の「シャラ・アラー」とラスト十曲目の「夜の奥のガゼル」だ。特に前者は完全にストレートなシャアビだ。美しい旋律だなあ。
そう、シャアビは旋律美だと僕は思うんだよね。この「シャラ・アラー」でも表現されているマンドーラで奏でるメロディ・ライン。なんて美しいんだ。アマジーグのヴォーカルもいいけれど、僕はなんといっても冒頭や歌の合間を縫うマンドーラ(とダルブッカの合奏)の美しいメロディに惚れている。

「シャラ・アラー」では一曲通しアマジーグのヴォーカル以外にはマンドーラとダルブッカのみ。冒頭でかすかにピアノの音が効果音的に使われているのと、終盤でグナーワ風にトランシーなハンド・クラップが出てくるだけという、まあ完全に伝統スタイルのシャアビなのだ。この曲がこのアルバム中一番好きだ。

アルバム・ラストの「夜の奥のガゼル」は、フランスの詩人ルイ・アラゴンの詩にアマジーグがメロディを付けたもの。この曲はグナーワとシャアビの合体だ。まずゲンブリとパーカッションが出てグナーワだと思うと、マンドーラがシャアビ風に弾く。
アマジーグのヴォーカルが出てくると、伴奏はほぼ自身の弾くゲンブリ一台のみになり、ハンド・クラップが入る程度。ほんのかすかにスライド・プレイによるエレキ・ギターの音も聴こえる。と思って聴いていると、アマジーグがワン・コーラス歌い終わると、再びシャアビ風のマンドーラが入ってくる。

レゲエやラガマフィンやダブといったものじゃないマグレブ伝統音楽ベースのもの、つまりグナーワ・ディフュジオンの場合、グナーワとシャアビだけど、この二つがアルバム『バブ・エル・ウェド・キングストン』のラスト「夜の奥のガゼル」で一つになって溶け合っているんだよね。電気楽器はぼぼゼロに近い。

そんな伝統マグレブ音楽要素は、僕が聴いた順番は逆になったけれど、『バブ・エル・ウェド・キングストン』の前作1997年の『アルジェリア』の方がもっと鮮明に色濃く表現されている。特にグナーワ色がかなり強い。『バブ・エル・ウェド・キングストン』で知られたグナーワ・ディフュジオンだけどさ。

僕も『バブ・エル・ウェド・キングストン』でグナーワ・ディフュジオンに惚れたわけだし、世間的に、特に日本ではこのアルバム以後認知されるようになったけれど、現在の僕は前作1997年の『アルジェリア』の方がより好みのトラディショナルな感じで、こっちの方がいいかもしれないなあ。

最後にバンド名について付記しておく。Gnawa Diffusion はフランスのバンドなんだからグナーワ・ディフュジオンと表記してほしい。決して「ディフュージョン」なんかじゃない。実際『バブ・エル・ウェド・キングストン』のオルター・ポップ盤ではグナワ・ディフュジオン表記になっているぞ。

それがどうしてグナワ・ディフュージョンになってしまったのかははっきりしている。2003年作の『スーク・システム』が大手ワーナーからリリースされ、これの日本盤が出た際に日本のワーナーの関係者がグナワ・ディフュージョンという名前でリリースしてしまったからだ。

それでそれ以前はグナワ・ディフュジオンで通っていたこのバンドの日本でのカタカナ表記がグナワ・ディフュージョンになってしまい、音楽ライターさんたちもほぼ全員がこの大手レコード会社の採用した勘違い表記にならってしまったのだ。そういう態度はアマジーグの姿勢からは最も遠い。

« マイルスが「フランスで食ってた」という事実はありません | トップページ | ジャズ・ブルーズにおける曖昧な和音構成と明快なドラムス・ソロ »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: グナーワ・ディフュジオンで聴くマグレブ伝統音楽:

« マイルスが「フランスで食ってた」という事実はありません | トップページ | ジャズ・ブルーズにおける曖昧な和音構成と明快なドラムス・ソロ »

フォト
2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ