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2016/12/29

震わせるべきか震わさざるべきか、それが問題だ

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アメリカの戦前ブルーズ、それもカントリー・ブルーズばかりどんどん CD リイシューしてくれている Yazoo というレーベル。最近サッパリ新作リリース情報を見かけない(のは僕だけ?)ので、このレーベルが今でも存続しているのかどうか分らないが、1980年代末〜90年代には大いにお世話になった。

そもそもヤズーみたいなレーベルがああいった活動ができたのは、もちろん音源が古くて権利が切れていて、だから原盤レーベルのいかんにかかわらず自由にチョイスして収録できたという一点に尽きる。ヤズーのリリースしたものを見ると、一つのテーマに沿って実に様々な原盤音源が並べられているものが多い。

ヤズーがリリースするものは片っ端から全部買っていたような気がするくらいだった僕で、だからどれの話からしたらいいのか分らないくらい面白いものがたくさんあるんだけど、今日は『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』のことを書いてみようと思う。

アルバム・タイトル通り、戦前におけるカントリー・ブルーズ・ギタリストがスライド・プレイを聴かせてくれるものを、いろいろと14曲集めたアンソロジーで、ジャケット裏に1991年リリースと書いてある。収録の全14人(組)、91年当時だとまだ知らない名前も半分くらいは混じっていたはず。

今では僕もよく知っている人たちばかり、と言いたいがよく知らない人たちもまだ少しいる。全く知らないのは八曲目で「セント・ルイス・ブルーズ」をインストルメンタル演奏するジム&ボブだ。別名ジム&ボブ、ザ・ジーニアル・ハワイアンズ。誰なんだ、この二人組らしきギター・デュオ(に聴こえる)は?調べてみたら1930年代にシカゴで活動した白人二名らしい。う〜ん、知らんかった…。

ヤズー盤の例に漏れず『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』もカントリー・ブルーズの世界の人たちばかりなんだけど、ジム&ボブはブルーズ・メンとも言いにくい人たちなのかもしれない。仮にカントリー・ブルーズ・メンだとしても、そんな世界の人が W ・C ・ハンディが登録した曲をやるのは極めて珍しい。

「セント・ルイス・ブルーズ」だけでなくハンディが版権登録した曲は、もっぱらジャズ・メンや、それと深い関係がある通称いわゆるクラシック・ブルーズの女性歌手たちがよくやっていた。どっちも都会の音楽で、いくら曲の形がブルーズでも、カントリー・ブルーズ・メンはまずやらない。

だからカントリー・ブルーズのギター・スライド・アンソロジーに「セント・ルイス・ブルーズ」が入っているのは相当珍しいはずだ。少なくとも僕はこのヤズー盤以外で見たことがない。まあでも録音は稀でも、カントリー・ブルーズ・マンだってアメリカ各地で流しでやっていて、時代の流行歌はたくさんやったはずなので、ハンディの曲をやることだってありはしたんだろう。

『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』八曲目ジム&ボブの「セント・ルイス・ブルーズ」は1933年録音。ほぼ知らないこのギター・デュオは、一人が通常のギター・プレイで伴奏役、もう一人がスライドであの有名なメロディを弾いている。ブルージーなフィーリングは全くなく、コンビ名通りハワイアン・ギター音楽にかなり近い。

ハワイアン・ギター音楽と書いたが、そもそもギターでのスライド奏法はハワイがルーツらしい。19世紀から20世紀の変わり目あたりか、遅くとも1910年代にはアメリカ本土でも、スライドで弾くハワイアン・ギター音楽が流行するようになっていたらしい。だからその頃にそれを本土の(主に南部の)黒人たちが真似たんだなあ。

アメリカ本土の黒人ブルーズでギターをスライドで弾くのは、戦前に話を限ればもっぱらカントリー・ブルーズの世界での話であって、シティ・ブルーズのギタリストがスライド・プレイを聴かせる音源はほとんどないじゃないかなあ、戦前では。その後は広く拡散して、戦後はブルーズだけでなく、ロック界も含めいろんなギタリストがやるようになったけれど、それらも全てルーツは南部のカントリー・ブルーズ・ギターだ。

カントリー・ブルーズ、特にギターをスライドで弾く時は、非常にしばしば、というかほとんどの場合レギュラー・チューニングではない。主に二種類のオープン・チューニングにするのだが、それを一般にスパニッシュ・チューニング、ヴェスタポル・チューニングと呼ぶ。こういう DVD があるようだ。
スパニッシュ・チューニングとはオープン A(かたまにオープン G)系のもの。ヴェスタポルはオープン D かオープン E のチューニングのこと。オープン A は6弦から順に E - A - E - A - C♯ - E となる。オープン D は6弦から順に D - A - D - F♯ - A - D だ。

こういうオープン・チューニングにしないとギター・スライドはやりにくいのが実情。単にシングル・トーンでメロディを弾くだけならそうでもないが、メロディを弾きながら同時にコードや(低音弦で)ドローンを鳴らしたり、場合によってはバー(でもなんでもいいが)一本で押さえてコードを鳴らすこともあるわけだから。

またスライド・プレイの際に用いられる弦を押さえる道具も、今日話題のヤズー盤は「ボトルネック」の名称をアルバム・タイトルの一部にしているが、それはシンボリックな意味であって、実際は様々。一般的には金属製かガラス製のものだろうなあ。でも動物の骨を使うこともあったらしい。

骨を使った際の音は僕はよく知らないが、金属を使うかガラスを使うかによってスライド・プレイで出る音の感触も変化するのは当然。一般にボトルネックなどと呼ばれるガラス瓶の首を切り取ったものではまろやかな音になるのに対し、金属製のスライド・バーだと音色がもっと硬くて鋭いものになる。

さて『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』に収録されている人たち。まだジム&ボブの話しかしていないが、最有名人は間違いなく六曲目「ミルクカウズ・カーフ・ブルーズ」(1937)のロバート・ジョンスンだ。その次が四曲目「ザ・パナマ・リミティッド」(1930)のブッカ・ホワイトだろうなあ。

その他、一曲目「アトランタ・モーン」(1930)のバーベキュー・ボブ、七曲目「ブラック・エイス」(1937)のブラック・エイス、10曲目「マイ・ワッシュ・ウーマンズ・ゴーン」(1931)のカンザス・ジョー&メンフィス・ミニー、11曲目「イーヴル・ハーティッド・ウーマン・ブルーズ」(1936)のオスカー・ウッズ、12曲目「ユー・キャント・キープ・ノー・ブラウン」(1926)のボ・ウィーヴィル・ジャクスン、14曲目「ソー・ロンサム」(1928)のランブリン・トーマス、これらはブルーズ・ファンなら知っている人たちばかりだ。

上記以外の収録曲をやっているブルーズ・メン(とウィミン)はさほどの知名度はないはずだが、聴くとみんな上手いギター・スライドだなあ。場合によってはスライド奏法なのかそうでないのか、判断が難しい場合すらある。収録曲は全て1926年以後の録音だから、もはや全員スライド奏法を自家薬籠中のものとしていた時期。

有名人でも無名人でも『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』を聴くと、ギターをスライドで弾く奏法の利点が非常によく分る。最大のメリットは、フレットで区切られた半音単位以下の微分音をいとも簡単に出せ、しかも連続的かつ滑らかにそれらを演奏できること。

戦後のギター・ブルーズとロック・ミュージックが普及してからは、チョーキングのテクニックが一般的になったけれど、あの半音以下の小さな音を出してスクイーズしながらヴィブラートをかける感情表現は、ひょっとしたらスライド奏法から発展したものだったのかもしれないよね。

もちろん戦前ブルーズ界のアクースティック・ギター弾きのなかに既にチョーキングのテクニックを使う人はいる。がしかしそもそもそういう古いギタリストたちが弦をギュッと引っ張って押し上げる(あるいは押し下げる)表現スタイルは、同じ楽器であればスライド奏法で出せるあの音程変化とヴィブラートから思い付いたのかもしれないから。

むろんギターに限定しなければ、ヴォーカルやヴァイオリン(など)では大昔から当たり前の演奏テクニックだし、また管楽器、特にジャズ・サックス奏者が音程を微妙に変化させるピッチ・ベンドというものがあったので、そのあたりからチョーキング奏法を思い付いた可能性だってある。

そしてそもそもカントリー・ブルーズ・ギター界におけるスライド奏法だって、そんなヴォーカルやフィドルといったブルーズ界においても当たり前に存在する表現方法を真似したい、あの微妙に小さな音を連続的に出して震わせるという、あのチャーミングな音表現をギターでもやりたいと思ったのが最大のきっかけじゃないかなあ。

上で書いたようにルーツ的にはハワイアン・ギターの演奏法にはじまったらしいスライド奏法だけど(中村とうようさんはこれを否定、マウンテン・ミュージックのダルシマー起源説を言った)、ハワイのギター音楽では少しニュアンスが違っているように思える。ヴォーカルなどと同等の表現をしたいということよりも、やはりギターだけでの独自表現だなあ。ブルーズでのギター・スライドはヴォーカルと同化しているからね。

まあ19世紀末〜1910年代あたりのハワイアン・ギター・スライドをアメリカ本土の黒人たちが聴いた(ということになっているが、やや疑わしい気もする)時、それがどんな表現スタイルだったのかは録音がないので確かめられない。が録音物で辿る限りでは、主に南部の黒人ブルーズ・ギタリストたちは、やはり肉声的表現を求めてスライド奏法をやりはじめたはず。

さらにスライド奏法だと、ギター・ネックの指版上を素早くシュ〜ッと滑らせることにより、幅広い音域全体を一瞬で出せるというメリットもある。これはまあスライド奏法でなくとも、指で同じことはできるのだが、出てくる音色が全く違うのだ。これの場合は肉声的表現というものでもなく、一種の効果音みたいなもんだなあ。

『カントリー・ブルーズ・ボトルネック・ギター・クラシックス 1926-1937』全体を通して聴くと、この時期に既にそんな種々のギター・スライド奏法が存在し、表現スタイルが確立されていたことが分る。もちろん最も頻繁に聴けるのは、細かく微分音的にトレンブリングする感情表現だけどね。

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