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2017/02/08

ブラック・アメリカが歌うビートルズ

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英エイスがリリースしている「ブラック・アメリカが歌う」シリーズ。ボブ・ ディラン集の話は以前した(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-ada1.html)。サム・クック集とオーティス・レディング集も出ているようだけど、彼らは自らが黒人歌手なわけだから、ブラック・アメリカが歌うシリーズを作る意味は弱いかもしれない。

またバート・バカラックのソングブックも同じシリーズの一枚として出ているが、白人であるバラックもまた最初から黒人歌手が歌うものとして曲を書いた場合も多いので、いまさらアメリカ黒人歌手ヴァージョン集を作る意味は弱いかも。さらにバカラック集を出すならキャロル・キング集も出すべきだろうが、それはまだない。

そんなわけで白人(シンガー・)ソングライターであるボブ・ディラン集とビートルズ集こそが、英エイスのリリースする「ブラック・アメリカが歌う」シリーズでは面白いものだ。それで今日は二枚のビートルズ・ソングブック『カム・トゥゲザー:ブラック・アメリカ・シングズ・レノン&マッカートニー』『レット・イット・ビー:ブラック・アメリカ・シングズ・レノン、マッカートニー・アンド・ハリスン』の話をしたい。

一枚目『カム・トゥゲザー』は2011年のリリース。これがなかなか評判がよかったんだろう、それで続編の二枚目『レット・イット・ビー』が製作され昨2016年にリリースされることになったんだと思う。もっとも僕は一枚目の方も昨年になって存在に気が付いたばかりだけどね。

これら二枚で歌うアメリカ黒人歌手は全てリズム&ブルーズ〜ソウル〜ファンク歌手ばかりだが、例外が三人いる。ロウエル・フルスン、リトル・リチャード、エラ・フィッツジェラルドだ。前者二名はまあ理解できる。ロウエルはブルーズ・マンであるとはいえ、ソウル〜ファンクっぽい味の人だから。

リトル・リチャードは黒人ロックンローラーだと僕は思うんだけど、でもやはりリズム&ブルーズ色が濃い人だ。だからこの二名はこの「ブラック・アメリカが歌うビートルズ」二枚に収録されるのは全く不思議ではない。不思議なのはエラ・フィッツジェラルドだなあ。ジャズ歌手だもんね。

といってもエラも1960年代以後はジャズ側から越境して新しい他のジャンルの曲をたくさんとりあげてはいた。その点では同じくらいのジャズ歌手サラ・ヴォーンに少し似ている。越境という言葉を使ったけれど、まあしかしジャズもまた混淆ポップ・エンターテイメントであるという本質を外さなければ、別にクロス・オーヴァーと言う必要もないのかもなあ。

「ブラック・アメリカが歌うビートルズ」シリーズでエラが歌っているのは「サヴォイ・トラッフル」だ。つまり二枚目の『レット・イット・ビー』の方に収録されているジョージの曲。そしてこれは個人的にすんごく嬉しい。なぜならジョージのソングブックのなかでの個人的最愛曲だからだ。

そんなビートルズ・ファン、ジョージ・ファンは結構いるんじゃないかなあ。あの「サヴォイ・トラッフル」が一番のお気に入りだという人が。『ホワイト・アルバム』収録のオリジナルではスネア連打ではじまるのが好きで、サックス・セクションの入れるリフも心地良い。

エイス盤『レット・イット・ビー』で聴けるエラの「サヴォイ・トラッフル」は、基本的にはビートルズ・ヴァージョンに忠実だ。特にホーン・セクションの入れるリフはほぼ同じフレーズを使っているし、リズムの感じもテンポもほぼ同じ。違うのはエラ・ヴァージョンではコンガの音が目立つこと。

エラの「サヴォイ・トラッフル」は1969年のものだから、大胆にコンガを使うのはまあ必然だよなあ。しかしこれ、シングル盤でしかリリースされなかったし、今でもどれかエラ単独盤CDアルバムに入っているのを僕は見たことがないんだが、僕が知らないだけだろうか?

エイス盤二枚の「ブラック・アメリカが歌うビートルズ」で何度聴いても一番感動するのが、完璧なゴスペル・ソングになっているアリーサ・フランクリンの歌う「レット・イット・ビー」だというのは、今でもやはり変わらない。最高でいくらでも言葉を重ねたい気分だが、以前一度詳しく書いたので。
さてアメリカ黒人歌手がビートルズ・ナンバーを歌っているものは、さぞや暑苦しくむさ苦しい感じに仕上がっているんだろうと思われるかもしれないが、そんなものばかりではない。二枚のエイス盤でもハードにシャウトするようなファンキーなものが多いのは確かだが、そうじゃないものもある。

例えば一枚目『カム・トゥゲザー』でなら、マキシン・ブラウンが歌う二曲目「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」とか、二枚目『レット・イット・ビー』でなら、メアリー・ウェルズの歌う四曲目「ドゥー・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」とか、メイシオ&オール・ザ・キングズ・メンの歌う15曲目「フォー・ノー・ワン」ととかは、かなりアッサリした薄味だ。

アメリカ黒人歌手ならグイグイと脂っこく濃厚な味でやってくれた方がいいんじゃないか、それこそ黒人歌手の本領なんじゃないかと思うファンも大勢いらっしゃるとは思うんだけど、アメリカ黒人音楽が全部そんなものじゃあないよなあ。僕もたいがい強靭でファンキーなビートの効いた音楽が好きな人間だけど、あっさり薄味だって聴きたい。

いくら好きでもいつもいつも豚骨ラーメンばっかり続くのではしんどいだろう。たまには醤油ラーメンだって食べたいぞ。だからエイス盤二枚の「ブラック・アメリカが歌うビートルズ」にそんなものが少し混じり込んでいるのは当然だし、通して聴くといいチェンジ・アップになって楽しい。

がしかしあっさり薄味が例外であるのもまた確かなことで、これらエイス盤二枚でも九割は豪速球みたいな豚骨ラーメンだ。それらのなかでこれはイイネと思うものはかなり数が多いというかほぼ全てそうなので、特に気に入ったもの、気になったものだけをかいつまんで以下に書こう。

一枚目『カム・トゥゲザー』のオープニングは、チュビー・チェッカーの歌うファンキーな「バック・イン・ザ・USSR」。これはビートルズ・オリジナルが『ホワイト・アルバム』の冒頭を飾っていたのと同じフィーリングでの疾走感満載なグルーヴ・ナンバーで、意外さはない。

変わり方が最も激しいのは10曲目の「ブラックバード」。やっているのはビリー・プレストン。ビートルズ・オリジナルはポールのアクースティック・ギターのみの弾き語りだったのが、電化バンド編成でのファンク・チューンに仕上がっている。オルガンやチェレスタなど各種鍵盤楽器はビリー自身の弾くものに違いない。

16曲目でリンダ・ジョーンズの歌う「イエスタデイ」も激しく変貌している。ご存知ポールのアクースティック・ギターとストリング・カルテットという伴奏だったのが、これまた電化バンド編成で粘っこく歌われている。一応ストリングスも入ってはいるものの、それは冒頭以外かなり控え目。

18曲目でロウエル・フルスンのやる「ワイ・ドント・ウィ・ドゥー・イット・イン・ザ・ロード?」。元から3コード・ブルーズ・ナンバーなわけだから、ロウエルがとりあげるのは納得だ。歌詞もブルーズの伝統に沿ったエッチな内容で、それをロウエルはギターを弾きながらファンキーに歌う。

19曲目でリトル・リチャードの歌う「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」。リズムの快活な感じはビートルズ・オリジナル通りだが、ヴォーカルのネトネトした節回しがもう全く違った曲に聴こえさせてくれていて、リズム&ブルーズ・マナーでのホーン・セクションも大活躍。こりゃいいなあ。

エイス盤二枚目の『レット・イット・ビー』だと、二曲目でファイヴ・ステアステップスの歌う「ディア・プルーデンス」がこれまた大きく変貌している。ビートルズ・オリジナルはジョンの歌う静かなバラードだったのが、いい意味でやかましいビート・ナンバーになり、コンガも活躍する。

七曲目でニーナ・シモンが歌う「ヒア・カムズ・ザ・サン」も変わり種。ピアノを弾いてるのはニーナ自身に違いないが、そのピアノもその他の伴奏もわりと静かな感じのアレンジで、ニーナが実に淡々と歌う。ビートルズ・オリジナルは『アビイ・ロード』A 面終盤のシンセサイザー・ノイズがプツッと終ったあと盤面をひっくり返し、ジョージの弾くアクースティック・ギターの爽やかな響きが鳴りはじめるのが印象的だったが、ニーナのヴァージョンにそんな爽快感はほぼない。

10曲目でリトル・ジュニア・パーカーがやる「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」も、『リヴォルヴァー』ラストのオリジナルとは相当に違う。ビートルズ・オリジナルではリンゴの叩くスネアがビート感満載で、それに乗ってサイケデリックなサウンド処理とジョンのヴォーカルが走るというものだった。

ところがリトル・ジュニア・パーカーのはほぼテンポがない。エレキ・ギターが実に静かにリフを弾き、それ以外はベースとハイハットと、ほんの少しのエレピのサウンドしか聴こえない。メインはあくまでギターが弾くボ〜ン、ボ〜ンと停滞して漂っているようなふわふわした短いフレーズの繰返しだ。

その上にリトル・ジュニア・パーカーがつぶやくようにヴォーカルを乗せるという、まあこれも一種のサイケデリック・サウンドではある。「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」の歌詞の持つ哲学的というか内省的な意味合いを拡大しようとして、それを噛みしめるようにボソボソ歌っている。

エイス盤二枚目『レット・イット・ビー』での白眉は21曲目のアイザック・ヘイズ「サムシング」だろう。それはなんと約12分間もあって、ジョージの書いたオリジナル楽曲を、まるでソウル・シンフォニーに仕立て上げているような感じだ。大袈裟なんじゃないかと思わないでもないのだが、聴き応えはある。

ジョージの「サムシング」はパティに捧げたプリティだけどシンプルなラヴ・バラードだったのだが、それをアイザック・ヘイズはバラバラに解体し、ラヴ・ソングではない社会派のメッセージ・ソングとして再構築している。ゴージャスでクラシック音楽的な伴奏のアレンジもアイザック自身(ともう一名)。

また13曲目でスクリーミン・ジェイ・ホーキンスが「ア・ハード・デイズ・ナイト」を歌っているが、あのおどろおどろしい「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」の人がビートルズ・ナンバーをやっていたとは僕は全く知らなかった。しかもこれ、オーティス・レディングのヴァージョンより僕は好きだなあ。

オーティス・レディングもエイス盤一枚目『カム・トゥゲザー』に「デイ・トリッパー」が収録されている。同時代人としてのシンパシーがあったんだろう、彼はビートルズやローリング・ストーンズなどのロック・ナンバーをよく歌ったよね。僕はあまり聴かないんだが。

同時代的共感は個別・特殊なもので、時代や個人が変わると意味が薄くなるものかもしれないが、音楽にしろ他のものにしろ、そうやって個別性・特殊性を突き詰めた結果、普遍性に至るという場合があるよなあ。特殊/普遍というのは必ずしも二項対立的なことではなく、特殊性を持たなかったら普遍性もないのかもしれない。

英エイスがリリースしているブラック・アメリカが歌うボブ・ディラン集やビートルズ集を聴いて、僕が最も強く実感するのが、そういう「時代の歌」だからこそ時代を超えているという、一見矛盾しているように思えるかもしれないが間違いない、音楽の真実なんだよね。

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