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2017/02/09

へべれけブルーズ・ピアニスト〜リロイ・カー

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僕にとっては「この人こそが商業ブルーズだ」という存在である、アメリカ戦前ブルーズ界一番の大物リロイ・カー。これまたオーストリアのドキュメントがクロノロジカルに CD で六枚プラス一枚の全七枚で全集にしてリリースしてくれているが、今となってはそんなサイズのものはいつもは聴かない。本家筋がマトモな CD リイシューをしていなかった時期はよく聴いたけれど、まあ録音数も多いわけだしね。

リロイ・カーの1928〜35年という長くはないレコーディング・キャリアで、別テイクなども含め全部で何トラックあるのか、ドキュメントの全七枚で数えるのが面倒くさいのでやっていない。別テイクその他を外せば、たぶん全部で150曲とかそのくらいだと思うんだけど。iTunes に取り込んで一つのプレイリストにしてみれば一瞬で分るし、取り込みさえすれば一つにするのに30秒もかからないんだからやれればいいのに>自分。でも僕は音楽研究家ではない。ただ単に楽しみで聴くだけの音楽ファンだからなあ。

そんなことで現在の僕にとって普段聴きのリロイ・カーは、コロンビア/レガシーが2004年にリリースした CD二枚組『ウィスキー・イズ・マイ・ハビット、グッド・ウィミン・イズ・オール・マイ・クレイヴ:ザ・ベスト・オヴ・リロイ・カー』だ。これが誰にとっても一番好適なリロイ・カーのアンソロジーだろう。コロンビアが出しているので、この二枚組収録曲はもちろん全てヴォキャリオン原盤。

ただしリロイ・カーには晩年(といっても実際の年齢はまだかなり若かったのだが、酒の飲み過ぎ)に、たった八曲だけブルーバード・レーベルに録音したものがあり、そのなかに最も重要な録音の一つである「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」(イン・ジ・イヴニング)があるのが厄介だ。う〜ん、この一曲だけなんとかなりませんか、コロンビア&ヴィクターさん?

ブルーバードということはひょっとして?と思って例の『RCAブルースの古典』CD 二枚組で見てみたら、確かにリロイ・カーはある。この人が収録されないヴィクター系音源の戦前ブルーズ・アンソロジーなんてありえないんだから当然だけど、入っているのは「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」ではなく、「ロックス・イン・マイ・ヘッド」と「シックス・コールド・フィート・イン・ザ・グラウンド」だ。

『RCAブルースの古典』の編纂者は中村とうようさん、日暮泰文さん、鈴木啓志さんのお三方。僕なんかよりはるかに広く深くアメリカ黒人ブルーズの世界を理解している。ってことは「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」がリロイ・カーというブルーズ・マンの生涯最重要曲の一つだとする僕の認識は、単なる個人的嗜好にすぎないということだろうなあ。

まあしょうがない。そんなことなので、僕の Mac の iTunes ではインポートしたコロンビア盤『ウィスキー・イズ・マイ・ハビット、グッド・ウィミン・イズ・オール・マイ・クレイヴ:ザ・ベスト・オヴ・リロイ・カー』の末尾に「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」だけを、他から持ってきてくっつけてあるんだよね。そのプレイリストをいつもよく聴く。2時間7分ピッタリ。

「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」をどこから引っ張ってきているかというと、アメリカの戦前ブルーズや戦前ジャズをどんどんリイシューしている英 JSP が2009年にリリースした CD四枚組の『ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン 1934-1941』からだ。このアンソロジーはちょっと面白いんだよね。

タイトルに「1941」とあるのがミソで、リロイ・カーは1935年に死んでいる。僕もそれを知っているからこそ、この JSP のアンソロジーを買ったのだ。CD四枚組だけど、最初の二枚は1934/35年のヴォキャリオン録音と、上で書いた八曲のブルーバード録音で、これは他で揃うので必要なかった。

ほしかったのは三枚目と四枚目だ。その二枚は他の音楽家がやるリロイ・カー・ナンバーのカヴァー録音集なんだよね。むろんリロイ・カー・ナンバーのカヴァー・ヴァージョンなんて無茶苦茶に数が多いので、戦前だけに限定したとしても CD二枚で済むわけがない。

でもそれらを自分で探していちいち拾っていくのは骨の折れる作業。1941年のものまでという括りがあるとはいえ、しかもそのなかでも氷山の一角であるとはいえ、JSP が CD二枚にいろんなカヴァー・ヴァージョンをまとめてくれているのは大いに助かる。ロバート・ジョンスンみたいな誰でも知っているものも含まれているけれど、なかにはかなりレアなものがあるからね。A ・W ・ニックス師のプリーチ「ハウ・ロング、ハウ・ロング」なんて、それまで僕は全く知らなかった。

ところでリロイ・カーとは全くなんの関係もなくなるけれど、ついでだから書いておく。黒人説教師の A・W・ニックス。全て教会でのプリーチだけど面白い録音があるので、通常の意味でのいわゆる音楽から少し離れるかもしれないが、興味を持って聴いているアメリカ黒人音楽ファンは多いと思う。

僕がこの A ・W ・ニックス師に興味を持ったのは、中村とうようさん編纂の『ゴスペル・トレイン・イズ・カミング』に「地獄行きの急行列車(パート2)」が収録されていたからだ。それのパート1を聴きたいなと思ったら、これまたオーストリアのドキュメントが CDリイシューしていたのだ。そのドキュメント盤『レヴ・A ・W ・ニックス  Vol. 1 1927-1928』を買った。

しかしながらこの『レヴ・A ・W ・ニックス Vol. 1 1927-1928』には、A ・W ・ニックス師がやる「ハウ・ロング、ハウ・ロング」はない。上記 JSP 盤でそれを聴いて面白いと思った僕は、もう一回探してみると、やはりドキュメント盤で『レヴ・A ・W ・ニックス&レヴ・エメット・ディキンスン Vol. 2 (1928-1931)』に収録されていることが判明。しかしもはやフィジカルが入手不可能なのだ。CD で『Vol. 1』を買った時に『Vol. 2』も買っておくべきだったと激しく後悔。

やむをえず iTunes Store でそれを買った僕。その『レヴ・A ・W ・ニックス&レヴ・エメット・ディキンスン Vol. 2 (1928-1931)』では、12曲目の「ハウ・ロング、ハウ・ロング」の前の11曲目が、なんと「イット・ワズ・タイト・ライク・ザット」じゃないか!知らなかったのは僕だけなんだろうなあ(嘆息)。タンパ・レッドのあんな曲を教会でシンギング・プリーチするなんて。

とにかく JSP 盤リロイ・カーの『ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン 1934-1941』の四枚目には、そんな教会での説教にかたちを変えた「ハウ・ロング、ハウ・ロング」(録音年不明)の前に、タンパ・レッドが自分一人のギター・インストルメンタルとしてやる同じ「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルーズ」(1929年録音)が並んでいるしね。こんなアンソロジーはちょっと他では見ない。もっとたくさん、CD で五枚組とか六枚組とかでどこかリロイ・カー・ソングブックをリリースしないかなあ。

そんな面白いものだったので買った JSP の『ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン 1934-1941』。これにも上で書いたようにリロイ・カーの晩年、ブルーバード録音の全八曲が収録されている。その八曲とコロンビア盤二枚組『ウィスキー・イズ・マイ・ハビット、グッド・ウィミン・イズ・オール・マイ・クレイヴ:ザ・ベスト・オヴ・リロイ・カー』の全41曲で、リロイ・カーの姿はおおよそ分る。

コロンビア盤『ウィスキー・イズ・マイ・ハビット、グッド・ウィミン・イズ・オール・マイ・クレイヴ:ザ・ベスト・オヴ・リロイ・カー』のトップに入っている「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルーズ」。1928年6月19日録音で、これがリロイ・カーの生涯初レコーディング…、と言いたいが、実はこの前に一曲だけ録音がある。それは無視してもいいようなものだから、実質的は「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルーズ」が、やはりリロイ・カーの初録音と言いたい。 既に相棒ギタリストのスクラッパー・ブラックウェルがいるが、録音場所はまだインディアナポリス。そもそもこの二人はインディアナポリスで知り合って、同地で活動をはじめていた。

同じギタリストを相棒にして、すぐに半年後録音の二曲目から場所はシカゴになる。やはりリロイ・カーはシカゴとかニュー・ヨークとかの大都会のイメージだなあ、僕にとっては。1930年代に入るあたりから確かにニュー・ヨークが録音場所になるけれど、1934年2月20日録音の「ブルーズ・ビフォー・サンライズ」までは、セント・ルイスでもやっていたりする。その後は全てニュー・ヨーク録音。

さて、収録曲を絞ったベスト盤アンソロジーである『ウィスキー・イズ・マイ・ハビット、グッド・ウィミン・イズ・オール・マイ・クレイヴ:ザ・ベスト・オヴ・リロイ・カー』(に僕が自分でブルーバード録音を足したプレイリスト)であるとはいえ、それでも50曲近くあるわけだから、一度に全部を話題にはできにくい。さらにもっと絞らなくちゃね。

そのプレイリスト全49曲で最重要だと僕が思うのが、「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」(1928)「スロッピー・ドランク・ブルーズ」(1930)「ミッドナイト・アワー・ブルーズ」(1932)「ハリー・ダウン・サンシャイン」(1934)「ブルーズ・ビフォー・サンライズ」(1934)「マディ・ウォーター」(1934)「アイ・ビリーヴ・アイル・メイク・ア・チェンジ」(1934)「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」(1935)だ。

それらのなかでも、リロイ・カーの実質的処女録音である「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」がもちろん一番重要というか、もはやこれはアメリカ黒人ブルーズ録音史上最も重要な一曲なのだ。しかしこれまたリロイ・カーの完全独創ではない。下敷きにしたものがある。

それはアイダ・コックスの「ハウ・ロング・ダディ、ハウ・ロング」だ。1925年録音でヴォキャリオンから同年にレコードが発売されている。アイダ・コックスは有名女性ブルーズ歌手だからご存知の方も多いはず。1920年代にジャズ・バンドなどの伴奏でやった都会派ブルーズ・シンガーのなかの一人。
どうですこれ?リロイ・カーの「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」は完全にこれを踏まえたものだとお分りいただけるはず。しかしこのアイダ・コックスの「ハウ・ロング・ダディ、ハウ・ロング」の伴奏はジャズ・バンドではない。ピアノでもなく、たぶんこれはバンジョーだろうなあ。あの時代の都会派女性ブルーズ歌手としては多くない姿だ。

それを下敷きにしたリロイ・カーの1928年6月19日録音の「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」はこれ。八小節ブルーズで、ヴァースとリフレインが四小節ずつという構成。そういう構成の八小節ブルーズはあの時代のシティ・ブルーズには多かった。ジャズ・バンドやピアノの伴奏で歌う女性ブルーズ歌手はそんなのばっかりだもんなあ。
今までご存知なかった方でも、これをお聴きになれば相当にソフィスティケイトされたフィーリングが聴き取れると思う。1928年でここまでの洗練はなかなか聴けない。もっと早く録音を開始していた女性ブルーズ歌手にも同じような洗練があるけれど、ヴォーカルにかなり強いパンチの効いた粘り気がある場合が多いので、リロイ・カーのこんなソフトでサラリとした歌い口は、おそらくアメリカ黒人ブルーズ録音史上初。

リロイ・カーの「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」は、1928年の録音直後にレコードが発売されるやいなや、そゃもう売れに売れて、本当に売れまくって、という表現は大袈裟じゃないのか?20年代の黒人音楽家だろう?といぶかる方がいらっしゃるかもしれないが、本当に!売れたのだ。ミリオン・セラーになったんだよね。

あの当時そんなに売れたアメリカ黒人音楽家はリロイ・カーがほぼ唯一の存在だったというに近い。ミリオン・セラーになったということは、普段ブルーズ・コミュニティとは縁のない一般の白人音楽リスナーの購買層がかなりたくさん買ったという意味になる。そこまでアピールできた黒人ブルーズだったということだなあ。

その最大の理由は、やはりドロドロしていない都会的洗練があって聴きやすいからじゃないかな。売れたといっても同じ1920年代のジャズ・バンド風(かピアノ)伴奏でやる女性ブルーズ歌手のレコードの数倍売れたわけだから、彼女たちも音楽的にはあまり黒くない洗練があるとはいえ、もっとリロイ・カーの都会的洗練はずば抜けていた。

それを表現している最大のものが、やはりピアノ・ブルーズであるという点と、上でも書いたようにヴォーカルのアッサリ軽い味だ。さらにブルーズ誕生とその後の歩みに不可欠な楽器であるギターも参加しているが、そのスクラッパー・ブラックウェルのギター・スタイルも、彼に先行するロニー・ジョンスン的なジャジー奏法だもんなあ。

ブルーズにおけるギター奏法が、最初ブルーズが誕生したディープ・サウスの黒人コミュニティ内ではリズム重視のザクザク刻むようなものだったのに、それが1920年代の都会派ブルーズでは単音奏法中心でこうなっているという、そのあたりの変遷を書きはじめるとかなりの長さになってしまうので、今日はやめておく。とにかくギターはジャズでは滅多に使われていなかった。ブルーズの楽器だ。

え〜っと「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」の話しか書いていないのに、もうこの長さだ。この自制心のなさ、簡潔にまとめる文章力のなさには、我ながら呆れてしまうが、もうちょっと書いておこう。それはリロイ・カーのピアノ・スタイルだ。

ある時期以後はブギ・ウギも鮮明に聴けるリロイ・カーの録音集を聴いていると、ピアノでは滑らかなシングル・トーンを右手で弾くよりも、ブロック・コードで叩きつけるように三連のリフを弾いている時間が長い。長いというかほぼそればっかりというに近い。あまりに多いので具体例などいちいちあげていられないが、「ハリー・ダウン・サンシャイン」と「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」の二つは典型的なので、音源を貼り付けておく。
こんなのばっかりなわけだ。この三連ブロック・コード連打に、スクラッパー・ブラックウェル(じゃないギタリスト、ジョシュ・ワイトが参加しているものがあるが、ほぼ無視して構わない)のシングル・トーン弾きの洗練されたギターが絡みサウンドを組立てて、その上にリロイ・カー自身の、ちょっと塩辛い味もあるけれどソフトで軽いサラリとしたあっさりヴォーカルが乗っかっている。それがリロイ・カーのブルーズだ。

しかもリロイ・カーのそのヴォーカルのソフトで軽い歌い口には、いかにも「ブルーズ」というメランコリーも、また同時に強く表現されている。彼のブルーズ・メランコリーは、なんだか大酒飲んで酔っ払って笑い飛ばしているかのようで、同時代の女性ブルーズ歌手たちにあるある種の引きずるような重さ・深刻さがない。少なくともかなり味が違ってポップだ。

酒。これはリロイ・カーと切っても切り離せない要素。アルコールの歌ばっかりだもんなあ。かなり若い頃からアル中で、わずか30歳で死んでしまったのも酒の飲み過ぎだったが、そんな私生活を知らなくたって、リロイ・カーの録音集を聴けばアルコール関係が頻出するのは誰でも分る。僕は下戸だからそんな歌詞内容への共感はないが、普通大勢の方はお酒が好きだろうから、その点でもポップな娯楽音楽になりうる。

それがあんなにどんどん売れたわけだから、1920年代末〜30年代前半には相当チャーミングに聴こえていたんだろうなあ。1929年に例の大恐慌が起きて33年まで続くけれど、ヴォキャリオンはリロイ・カーの録音を続け、そのペースもほとんど落ちていないことを考えると、あの時代では稀有な黒人ポップ・ヒット・メイカーだったと言えるんじゃないかなあ。

リロイ・カーが、ピアニストに限らず広く後世のブルーズ〜リズム&ブルーズ、そしてジャズやロック系の音楽家にまで、どれだけ広く深く強く影響を与えているのか、そのせいでリロイ・カーの創出したブルーズが、その後のアメリカ大衆音楽で抜きがたいものになっているのか、そうであるがゆえに、アメリカ戦前ブルーズ界最大の人物であっただけでなく、同国大衆音楽史上最も重要な存在の一人であるとか、そんなことまで書く余裕は全くない。

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