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2017/02/28

ジャズは教師、ファンクは説教師

Unknown

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フリー・ジャズって、慣れない人には単にメチャクチャやっているだけの騒音に聴こえるだろうと思う。実際、昔そんなことを言う人もいたんだそうだ。だからエレキ・ギターなどの電気楽器を使ったフリー・ジャズだったりすると、完全なるノイズの濁流だとしか思えないはず。

電化ノイズの濁流と言われたら、僕がまず思い浮かべるのはルー・リードの『メタル・マシン・ミュージック』とかニール・ヤングの『アーク』とかなんだけど、案外嫌いではないのだ。この二枚の話はまたきっとすることがあると信じて、今日は電化フリー・ジャズのことについてだけ書く。

電化、というかエレキ・ギターを使ったフリー・ジャズとは、僕のなかでイコール、ジェイムズ・ブラッド・ウルマーのことになる。僕が熱心なジャズ・ファンになって数年後、このギタリストを知った時はそりゃ嬉しかったなあ。音色は普通のジャズ・ギタリストのそれだけど、フレイジングとリズムが完全に普通のいわゆるジャズではない。むしろこれはブルーズ〜リズム&ブルーズ〜ファンクだ。

しかしジェイムズ・ブラッド・ウルマーのアルバムは、二作だけメジャーのコロンビアからリリースされたのを除き、他は全てインディペンデント・レーベルから出たものだから、僕が聴きたいと思った時には、例えば1980年のラフ・トレード盤『アー・ユー・グラッド・トゥ・ビー・イン・アメリカ?』も入手が著しく困難だった。僕がこれを聴いたのは CD になってから。しかしその CD 化もなかなか実現しなかった。

『アー・ユー・グラッド・トゥ・ビー・イン・アメリカ?』が CD リイシューされたのは1995年のことで、それも日本の DIW、すなわちディスクユニオンが再発したものだ。僕はそれを即買いし、現在まで愛聴している。これはオリジナルそのままではなく、1994年にミックスをやり直したものをマスターにしているようだ。附属の紙にそんなクレジットがある。

『アー・ユー・グラッド・トゥ・ビー・イン・アメリカ?』が CDリイシューされるまでは、僕は大手コロンビアから出ている二枚しかジェイムズ・ブラッド・ウルマーを聴いたことがなく、でもそれで充分持味・特長が分る音楽家で、しかもメジャーからリリースされるということは、ある程度は売れることを求められてのものだろうから、わりと分りやすい音楽になっている(かもしれない)。

ブラッド・ウルマーのコロンビア盤二枚のうちでは、僕は『ブラック・ロック』の方が好き。音楽内容としてはメジャー第一作の『フリー・ランシング』の方がいいかもなと思ったりしているんだけど、個人的な好みだけなら『ブラック・ロック』になっちゃうなあ。

『フリー・ランシング』も『ブラック・ロック』も肝はエレベのアミン・アリ。このベーシストは1980年の『アー・ユー・グラッド・トゥ・ビー・イン・アメリカ?』以後、ずっとブラッド・ウルマーを支え続けていた盟友的存在で、ウルマーのフリー・ファンクみたいな音楽の核になっている。

『ブラック・ロック』でも、DIW が再発してくれたラフ・トレード盤『アー・ユー・グラッド・トゥ・ビー・イン・アメリカ?』でも同じだが、ブラッド・ウルマーはギターの方はかなり変態的で、ちょっと聴いただけではどんなチューニングになっているのかすら分らないものだけど、ヴォーカルの方は極めて分りやすい王道ブラック・ミュージック路線だ。

『アー・ユー・グラッド・トゥ・ビー・イン・アメリカ?』の方だけに話を限定したいが、このアルバムでブラッド・ウルマーのヴォーカルが聴けるのは二曲。四曲目の「ジャズ・イズ・ザ・ティーチャー(ファンク・イズ・ザ・プリーチャー)」と、ラスト十曲目の「アー・ユー・グラッド・トゥ・ビー・イン・アメリカ?」だ。 CD でしか聴いていないので A 面・B 面は現実味がない。やめておく。

それら二曲のヴォーカル・ナンバーでは、ブラッド・ウルマーのヴォーカルだけでなく、バックで入る三管のホーン・リフもかなりファンキーで、それも全然(フリー・)ジャズ的なものではなく、ジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンなどで聴けるようなスタイルのものだ。

しかも曲のリズムもかなり明快にタイトでファンキー。ほぼ完全にファンク・ミュージックになっていると言って差し支えない。二曲ともブラッド・ウルマーのギター・ソロみたいなものはなく、ドラムス+エレベのリズム(と四曲目ではリズム・ギターも)と、ホーン・リフと、自ら弾くシングル・トーン弾きのギター・サウンドを散りばめてある上で歌っているだけ。

それら二曲でのブラッド・ウルマーのギターとヴォーカルは、ひょっとしたら多重録音かもしれない。あるいは弾きながら同時に歌っているのだとすれば、どっちもかなり上手いということになるんだけど(プロ音楽家に対し失礼な言い方だ)、しかしギター・フレーズとヴォーカル・フレーズの連絡が僕には分らないから、どうやっているんだろうなあ?

うんまあ、例えばポール・マッカートニーのライヴ録音などを聴いていても 、例えばピアノを弾きながら歌っているような生演奏 YouTube 動画を観聞きして、よくこのピアノのフレイジングにヴォーカルが引っ張られないもんだ、凄いなあなどと、超一流プロ音楽家に対しマジで失礼なことを思ってしまう。ポールにしろブラッド・ウルマーにしろ、一流プロ音楽家ってみんなそうなんだろうなあ。

『アー・ユー・グラッド・トゥ・ビー・イン・アメリカ?』では二曲聴けるブラッド・ウルマーのヴォーカル。それは明快なアメリカ黒人音楽伝統路線に則ったものだと書いたけれど、それら以外のインストルメンタル・ナンバーでもかなりそういう部分が聴けるように僕は思う。言ってみればフリー・ジャズはブルーズだ。

フリー・ジャズはブルーズっていうのは、オーネット・コールマンのアルバムだってデビュー当時から死ぬまでだいた全部ずっとそうだし、それはアルト・サックス(やその他の楽器)でのフレイジングの組立がブルーズっぽいなあと、ジャズ同様熱心なブルーズ・ファンである僕は確実に感じている。

かなりきっちりと定型化し、ある種西洋白人音楽的なシステムも借用している(そうじゃないとバンド形式では非常にやりにくい)シティ・ブルーズばかり聴いていると、そのあたりが分りにくいかもしれない。ジャズの場合、そのなかに吸収されたブルーズ要素は、都会的なものだった場合が多いように思えるし、しかもある時期まではジャズ化したらクラシック音楽的な(特に和声)システムで演奏されるので、ますますフリー・ジャズ=ブルーズみたいなことは分りにくいかもしれない。

つまりシティ・ブルーズじゃなくてカントリー・ブルーズ、ってことは多くの場合一人でのギター弾き語りでやっているようなものをたくさん聴いていると、例えばオーネット・コールマンのあのフレイジングや、またちょっと外れているの?と聴こえるようなピッチのことだって分ってくる。

ところがシティ・ブルーズのファンなら、ジャズは近いから聴けるだろうが、カントリー・ブルーズのファンの場合、ジャズなんかあまり聴かないかもしれない。また逆にジャズを中心に聴いているファンも、やはりジャジーなシティ・ブルーズはとっつきやすくても、いろんな意味でかなり融通無碍で自由自在なカントリー・ブルーズは聴きにくいかもなあ。

あるいはワールド・ミュージックの世界には、オーネットやブラッド・ウルマー(のギターだけ)みたいな妙なピッチやフレイジングがたくさんあって、ギターのワケのわからない変態チューニングや弾き方もいろいろ聴ける。それは要するに西洋音楽のシステムでは成り立っていないからなんだけど、ジャズは誕生期からずっと、特に和声面では西洋白人音楽的な方法論でやってきたからね。

ジャズ・ファンもそれに慣れきっているから耳がそうなっていて、だから1950年代末〜60年代初頭からのフリー・ジャズに対する、一種ヒステリックにも見えた集団アレルギー反応は、要は非西洋音楽へのアレルギーだったんじゃないかと僕は思う。そしてジャズ界だけでなくアメリカ大衆音楽界全般で、特に60年代以後、非西洋化がどんどん進んだんじゃないかと思える。

その典型的な噴出がファンク・ミュージックの台頭で、ハーモニー面でもリズム面でも、安易にアフリカ的と言うとちょっと問題があるかもしれないが、究極的にはそこに行き着くような音楽をやりはじめて、ジャズ界におけるそんな方向性がフリー・ジャズだったように思う。だからジャズとファンクが合体し、さらにそれがアフリカ音楽的なワールド・ミュージック志向になるのは、歴史の必然だ。ドン・チェリーなんか、明快じゃないか。

デビューが1950年代末だったオーネットも、だからそうなっているもんね。70年代以後のオーネットをちょっと振り返れば分る。あるいはもっと前からデビューしていて、やはりフリー・ジャズに抵抗があるような発言をしていたジャズ・メン、例えばマイルズ・デイヴィスだって同じ方向へやっぱり進んだ。60年代末頃からのマイルズ・ミュージックにおけるリズムのファンク化とハーモニーのフリー化は完全に軌を一にしていたのは、ご存知の通り。

そんなオーネットに師事したブラッド・ウルマーとなると、もう完全に最初からフリー・ファンクをやっている。上でジェイムズ・ブラウンやスライ&ファミリー・ストーンの名前を出したけれど、それらよりも P ファンク軍団のあの音の洪水に、ブラッド・ウルマーは近いかも。

だから P ファンクのファンだと、ブラッド・ウルマーはかなり分りやすく聴こえるんじゃないかと思う。あるいはそれらもろもろのルーツになっている、猥雑でゴチャゴチャしたちような戦前黒人音楽の世界を知っていると、P ファンクもブラッド・ウルマーも、あんなフリー・ファンクは本質的にかなり近いんだと感じることができるはず。

こう見てくると、一般にはジャズのメインストリームとされているかもしれない1940年代半ばのビ・バップから50年代末までのハード・バップはなんだったんだ?むしろあの十数年間の方が、ジャズにとってすら例外だったのであって、すると全くメインストリームではないということになってしまう。う〜ん、しかしこの見方もどうなんだろう?

ブラッド・ウルマーもメジャー・リリースは二枚しかないし、その他のフリー・ジャズ(のなかに一般に分類されているもの)連中のアルバムもインディー・リリースが多く、つまり売れる見込みがないので、大手も契約したがらない。しかしファンクに分類すればもっと売れるかもしれないぞ。ウルマーだって、1970年代以後のオーネットだって。

そんなことがジェイムズ・ブラッド・ウルマーの音楽の本質なんじゃないかと僕は考えている。ワールド・ミュージックと同じような、もっと言えばアフリカ音楽にルーツがあるような、アメリカ黒人ブルーズ由来のフリー・ファンク。ピッチやフレイジングの突拍子もない変態感も、そう感じるのは西洋白人音楽耳になっているからそう聴こえるだけ。リズムのタイトさとファンキーなんかは、どう聴いても間違いなくアフリカ的なファンク。

だからごくごく普通のジャズ・ファンには、ブラッド・ウルマーはやっぱり分りにくく売れないんだなあ。最近は分りやすく聴こえはじめているのかというと、全くその逆で、2010年代以後の現代ジャズ(とその他いろんな音楽)は、西洋クラシック音楽的なものに接近しているようにすら聴こえていて、専門家も一般のリスナーもそれを絶賛するので、ダメだこりゃ。

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コメント

ラッパじゃ、ドン・チェリーなんだろうか。アヴァンギャルドならレスター・ボウイもいるけど…若い頃、ロフトジャズを真似て「ピーっプスっベラベラベラベラ…」とむちゃくちゃなフレーズを吹いていたこともあったけど、しばらくしたら飽きたね。あれは冗談みたいなノリじゃないとダメでさ、あんまり哲学してるともっとつまんなくなるし。ブルーズの気持ちみたいなものを込めてやるのがフリー・ジャズだね、じゃないと当然だけど続かないし、聴いてる方も雑音にしか聞こえなくて、ノルこともないだろうな。

あ〜、レスター・ボウイもいいよなあ。忘れてたよ、これ書く時に(苦笑)。どっちかというとワールド・ミュージック志向のあるドン・チェリーの方が好きなんだけどね。

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