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2017/03/31

マイルズのスローなレクイエム・ファンク〜『ゲット・アップ・ウィズ・イット』(2)

Getupwithit









このアルバム収録曲のレコーディング・データについては、先週の記事をご覧いただきたい。
なんどか言っているが、茨城県在住のソウル〜ファンク愛好家(タワー・オヴ・パワーがかなり好き)の方にマイルズ・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』をプレゼントしたら一発でハマってしまった。それでじゃあ次はこれと思って『ゲット・アップ・ウィズ・イット』を差し上げてみた。マイルズ関連でそういうことを盛んにやっていたのは1990年代末か2000年代はじめ頃。

どうしてかというと、その時期に日本の SME がマイルズのコロンビア盤アルバムの全カタログをリマスターして紙ジャケットで出し直していたのだ。僕の記憶では1996/97年と2000/01年の二回、同じものを全部リリースし直した。二回とも紙ジャケで全カタログをね。96年の時のと2001年の時のではリマスター手法が異なっていて音質が少し違うのだ。前者の CD 自体は黒く、後者は赤い盤面。

二回とも僕は全部買ったので、それ以前(確か1980年代後半)にリリースされていたプラスティック・ジャケットのものとあわせ、計三種類持つことになって、これはあまり意味がないなあ、特に初 CD 化の際のものは音もしょぼいし、ジャケットもなんだかなぁという気分になってきたのだ。だってあの頃のコロンビアは過去作の CDジャケットのふちを赤い枠で囲んでいたじゃんね。オリジナル・ジャケットにそんな赤い枠なんかないのに、どうしてああいうことをしたんだろう?マイルズだけでなく、あらゆる音楽家の CD に同じことをしていた。ウェイン・ショーターの『ネイティヴ・ダンサー』なんかもジャケットが台無しだった。


さすがにその後コロンビア(レガシー)がリリースし直したものでは、そんな赤い枠はジャケットから消えている。だって元々存在しないものだからね。マイルズ関連も SME が音を大幅にリマスターして劇的に音質が向上し、さらに紙ジャケットでオリジナル・デザイン通りにリリースしたものだけでいいなぁと思いはじめたのだ。それで当時ネット上でもネット外でも仲の良かった茨城県在住の黒人音楽愛好家の方に、まだ聴いたことがないと言うので、1970年代マイルズの諸作の初 CD 化の際のものをどんどんあげていたんだよね。


しかしその友人は『オン・ザ・コーナー』(や『アガルタ』『パンゲア』など)には一回聴いただけで即ハマってしまったものの、1974年作の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』については、一曲目がぁ〜という感想が返ってきて、二曲目以後に関しては無言だったので(全て E メールでの話)、「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」だけ聴いてこりゃアカンとなって、それ以後は聴かなかったのかもしれない。


友人のこの気持(があったかどうかは知らないが)は分らないでもないんだよね。大学生の頃の僕も、最初に『ゲット・アップ・ウィズ・イット』を買って一枚目 A 面に針を下ろすと、なんだか沈鬱な雰囲気でオルガンとエレキ・ギター(とちょっとだけのドラムス)が、それもテンポなしの状態で、ただダラダラと(そう聴こえた、当時は)なにかやっているだけで、しかもそれが延々と続くのだ。退屈だったなあ。ボスのトランペットなんかいつまで経っても出てこない。
ダブル・ジャケットを開くと「フォー・デューク」という文字があって、日本語解説文にも1974年5月24日に亡くなったデューク・エリントンを悼む曲だと書いてあった。レクイエムだからあんな感じの演奏になっているんだなと頭で理解はしていたが、なにしろ音を聴いてそれが肌で実感できなかったもんなあ。本当に退屈でしかなかった。1990年代終り頃のあの友人も同じだったんじゃないかなあ。


ただその友人はどうだったか分らないが、僕は大学生当時から、あの「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」にはなんだか尋常ではないものがある、ただならぬ雰囲気が漂っているということだけはなんとかく感じ取っていて、それは有り体に言えば追悼曲だからなんだけど、しかしいくら敬愛してやまないエリントン追悼だとはいえ、ただそれだけであんなフィーリングになるとも考えにくいので(いやまあマイルズはあそこまで半端なじゃない気持をエリントンに抱いていたもかもしれないが)、これはやはり<音楽的に>なにかの魔法が働いているのだろうと、これも昔から僕はそう感じていた。


しかしその魔法がなんなのか、2017年のいまでも全く分らない。一つ、いまでは心の底から強く実感していて確実に言えることは、あの「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」は、レクイエムにしてスロー・ファンクの大傑作だということだ。スローもスロー、途中まではテンポというか定常ビートがないもんね。そんなファンク・チューンはこの世に滅多にない(はず)。


スロー・ファンクと言われると、僕もそうだけど、多くのファンク愛好家がファンカデリックの1971年『マゴット・ブレイン』一曲目のタイトル・チューンを思い浮かべるだろう。エディ・ヘイゼルがひたすらエレキ・ギターでソロを弾きまくるだけのあれをファンクじゃないなどと言う人は皆無のはず。あれもテンポがかなり緩いけれど、やはりスロー・ファンクの大傑作だよね。


ファンクでスロー・テンポなものって、滅多に成功作ができた試しがないと僕は思うんだよね。普通はファンキーで強靭なビートに支えられているものだからさ。ほぼ全てそうじゃないか。ワン・グルーヴこそが命であるような種類の音楽だから。ファンカーがバラードなどをやると、ごく普通のリズム&ブルーズ風のメロウなものになるか(ジェイムズ・ブラウンはだいたいこれ)、そうじゃないものをやろうとするとだいたいコケる。


これはファンク・ミュージックの宿命だと僕は思うんだよね。スローな、ほぼテンポがないような沈鬱なものをやって、それでファンクとして見事に成立し成功している 〜 マイルズの「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」はそんな稀な成功例の一つじゃないかな。外に向かって解放するのではなく、いわば内側に折りたたまれたファンクだよね、あれは。
この完成品も例によってテオ・マセロが編集のハサミを入れている。最も分りやすいのは異なるテイクを繋げてある編集点だ。僕の持つブートレグ盤でセッション音源を聴くと、(ほぼ)完成品といえるテイクは二つ。その二つをテオは、10:53 で繋いである。そこが編集点であることは、その痕跡が間違いないものだと言える音の質感の変化があるので疑えない。そしてその 10:53 から緩いけれども定常ビートが入ってきて、そこまではリズム・セクション+オルガンだけの演奏だったのが、その後フルートのソロが入ってくる。
そのデイヴ・リーブマンのフルート・ソロも、またその後かなり経ってから入ってくるボスの電気トランペット・ソロも、リズム・セクションとの同時演奏ではなくオーヴァー・ダビングだけど、その多重録音自体を複数回繰返しているし、また音そのものを改変してあるのが完成品では明らかに伺える。コンソールでの作業で具体的になにをどうしたのかは素人である僕には分らないが、生演奏の楽器そのものの音ではないのは分るのだ。
また二本聴こえるギターは、ソウルフルなカッティングで空間を切り裂き、また切り裂くと同時に空間を創り出してもいるのがやはりレジー・ルーカス。ビヨ〜ンっていう音のシングル・トーンで弾くのがドミニク・ゴーモンで、クレジットされているピート・コージーは、ギターを弾かないのはもちろん他のあらゆる意味で参加していない。


「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」では、デイヴ・リーブマンのフルートの音も尋常じゃないが、それ以上に 16:06 でようやくはじめて出てくる(すなわち曲全体の半分をもう過ぎている)マイルズの電気トランペットの音が異常だ。いくら電気トランペットでも、こんな音はマイルズだって出したことがない。エリントンの死を悼む気持が音に乗り移っているのだとしか思えない。楽器技巧上のちゃんとしたことが僕には分らないのでこうとしか言えないのだ。


マイルズのトランペット・ソロはまず出だしの一音がオカシイが(褒めている)、師の死に際し悲しげに泣いているような一度目のソロが 19:59 で終り、その後リーブマンのフルート・ソロになって、それも終った 26:20 からの二回目のトランペット・ソロでは、ただ泣いているだけではなく、偉大すぎる先達の死を乗り越えていこうという前向きの力強さ・肯定感が感じられるんじゃないかな。


その 26:20 で二回目のトランペット・ソロが入る直前に、ドラマーのアル・フォスターがスネアを数回、それもかなり力強く大きな音量で連打している。マイルズのソロはそれがきっかけで入りはじめるのだが、しかしそれらは同時演奏ではない。リズム・トラックだけ先に録ってあったものだから、マイルズはそれを聴きながらここしかない!と瞬時に判断して吹きはじめたに違いない。しかしドラマーのアルは、録音後ボスがどこでどう吹くかなんて分るわけがなかったはずなのだが、あのスネアの強い音の連打は、しかしまあボスがこう吹くと想定してのものだったんだろうなあ。


デューク・エリントンの死に際し、それを悼むレクイエムの演奏で、ただ悲しげに泣いているだけのマイルズの一回目のトランペット・ソロと、二回目のトランペット・ソロの、哀悼の気持はそのままに、自分はこれからその死を乗り越えて前向きに進んでいくのだという肯定感。この二つのソロで僕は完全に降参してしまうんだよね。


あれれっ、マイルズの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』について、先週は録音上のディスコグラフィカルなデータを書いただけで、今週は一曲目の「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」の話しかしていないぞ。それで今日も既にこの長さになってしまった。このアルバムの収録曲を、一つずつこの調子で書いていったらとんでもない長さになってしまうので、二曲目以後はまた再び来週に廻すことにする。三週連続なんてちょっとあれだけど、来週こそは終らせるつもり。

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