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2017年3月

2017/03/31

マイルズのスローなレクイエム・ファンク〜『ゲット・アップ・ウィズ・イット』(2)

Getupwithit









このアルバム収録曲のレコーディング・データについては、先週の記事をご覧いただきたい。
なんどか言っているが、茨城県在住のソウル〜ファンク愛好家(タワー・オヴ・パワーがかなり好き)の方にマイルズ・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』をプレゼントしたら一発でハマってしまった。それでじゃあ次はこれと思って『ゲット・アップ・ウィズ・イット』を差し上げてみた。マイルズ関連でそういうことを盛んにやっていたのは1990年代末か2000年代はじめ頃。

どうしてかというと、その時期に日本の SME がマイルズのコロンビア盤アルバムの全カタログをリマスターして紙ジャケットで出し直していたのだ。僕の記憶では1996/97年と2000/01年の二回、同じものを全部リリースし直した。二回とも紙ジャケで全カタログをね。96年の時のと2001年の時のではリマスター手法が異なっていて音質が少し違うのだ。前者の CD 自体は黒く、後者は赤い盤面。

二回とも僕は全部買ったので、それ以前(確か1980年代後半)にリリースされていたプラスティック・ジャケットのものとあわせ、計三種類持つことになって、これはあまり意味がないなあ、特に初 CD 化の際のものは音もしょぼいし、ジャケットもなんだかなぁという気分になってきたのだ。だってあの頃のコロンビアは過去作の CDジャケットのふちを赤い枠で囲んでいたじゃんね。オリジナル・ジャケットにそんな赤い枠なんかないのに、どうしてああいうことをしたんだろう?マイルズだけでなく、あらゆる音楽家の CD に同じことをしていた。ウェイン・ショーターの『ネイティヴ・ダンサー』なんかもジャケットが台無しだった。


さすがにその後コロンビア(レガシー)がリリースし直したものでは、そんな赤い枠はジャケットから消えている。だって元々存在しないものだからね。マイルズ関連も SME が音を大幅にリマスターして劇的に音質が向上し、さらに紙ジャケットでオリジナル・デザイン通りにリリースしたものだけでいいなぁと思いはじめたのだ。それで当時ネット上でもネット外でも仲の良かった茨城県在住の黒人音楽愛好家の方に、まだ聴いたことがないと言うので、1970年代マイルズの諸作の初 CD 化の際のものをどんどんあげていたんだよね。


しかしその友人は『オン・ザ・コーナー』(や『アガルタ』『パンゲア』など)には一回聴いただけで即ハマってしまったものの、1974年作の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』については、一曲目がぁ〜という感想が返ってきて、二曲目以後に関しては無言だったので(全て E メールでの話)、「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」だけ聴いてこりゃアカンとなって、それ以後は聴かなかったのかもしれない。


友人のこの気持(があったかどうかは知らないが)は分らないでもないんだよね。大学生の頃の僕も、最初に『ゲット・アップ・ウィズ・イット』を買って一枚目 A 面に針を下ろすと、なんだか沈鬱な雰囲気でオルガンとエレキ・ギター(とちょっとだけのドラムス)が、それもテンポなしの状態で、ただダラダラと(そう聴こえた、当時は)なにかやっているだけで、しかもそれが延々と続くのだ。退屈だったなあ。ボスのトランペットなんかいつまで経っても出てこない。
ダブル・ジャケットを開くと「フォー・デューク」という文字があって、日本語解説文にも1974年5月24日に亡くなったデューク・エリントンを悼む曲だと書いてあった。レクイエムだからあんな感じの演奏になっているんだなと頭で理解はしていたが、なにしろ音を聴いてそれが肌で実感できなかったもんなあ。本当に退屈でしかなかった。1990年代終り頃のあの友人も同じだったんじゃないかなあ。


ただその友人はどうだったか分らないが、僕は大学生当時から、あの「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」にはなんだか尋常ではないものがある、ただならぬ雰囲気が漂っているということだけはなんとかく感じ取っていて、それは有り体に言えば追悼曲だからなんだけど、しかしいくら敬愛してやまないエリントン追悼だとはいえ、ただそれだけであんなフィーリングになるとも考えにくいので(いやまあマイルズはあそこまで半端なじゃない気持をエリントンに抱いていたもかもしれないが)、これはやはり<音楽的に>なにかの魔法が働いているのだろうと、これも昔から僕はそう感じていた。


しかしその魔法がなんなのか、2017年のいまでも全く分らない。一つ、いまでは心の底から強く実感していて確実に言えることは、あの「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」は、レクイエムにしてスロー・ファンクの大傑作だということだ。スローもスロー、途中まではテンポというか定常ビートがないもんね。そんなファンク・チューンはこの世に滅多にない(はず)。


スロー・ファンクと言われると、僕もそうだけど、多くのファンク愛好家がファンカデリックの1971年『マゴット・ブレイン』一曲目のタイトル・チューンを思い浮かべるだろう。エディ・ヘイゼルがひたすらエレキ・ギターでソロを弾きまくるだけのあれをファンクじゃないなどと言う人は皆無のはず。あれもテンポがかなり緩いけれど、やはりスロー・ファンクの大傑作だよね。


ファンクでスロー・テンポなものって、滅多に成功作ができた試しがないと僕は思うんだよね。普通はファンキーで強靭なビートに支えられているものだからさ。ほぼ全てそうじゃないか。ワン・グルーヴこそが命であるような種類の音楽だから。ファンカーがバラードなどをやると、ごく普通のリズム&ブルーズ風のメロウなものになるか(ジェイムズ・ブラウンはだいたいこれ)、そうじゃないものをやろうとするとだいたいコケる。


これはファンク・ミュージックの宿命だと僕は思うんだよね。スローな、ほぼテンポがないような沈鬱なものをやって、それでファンクとして見事に成立し成功している 〜 マイルズの「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」はそんな稀な成功例の一つじゃないかな。外に向かって解放するのではなく、いわば内側に折りたたまれたファンクだよね、あれは。
この完成品も例によってテオ・マセロが編集のハサミを入れている。最も分りやすいのは異なるテイクを繋げてある編集点だ。僕の持つブートレグ盤でセッション音源を聴くと、(ほぼ)完成品といえるテイクは二つ。その二つをテオは、10:53 で繋いである。そこが編集点であることは、その痕跡が間違いないものだと言える音の質感の変化があるので疑えない。そしてその 10:53 から緩いけれども定常ビートが入ってきて、そこまではリズム・セクション+オルガンだけの演奏だったのが、その後フルートのソロが入ってくる。
そのデイヴ・リーブマンのフルート・ソロも、またその後かなり経ってから入ってくるボスの電気トランペット・ソロも、リズム・セクションとの同時演奏ではなくオーヴァー・ダビングだけど、その多重録音自体を複数回繰返しているし、また音そのものを改変してあるのが完成品では明らかに伺える。コンソールでの作業で具体的になにをどうしたのかは素人である僕には分らないが、生演奏の楽器そのものの音ではないのは分るのだ。
また二本聴こえるギターは、ソウルフルなカッティングで空間を切り裂き、また切り裂くと同時に空間を創り出してもいるのがやはりレジー・ルーカス。ビヨ〜ンっていう音のシングル・トーンで弾くのがドミニク・ゴーモンで、クレジットされているピート・コージーは、ギターを弾かないのはもちろん他のあらゆる意味で参加していない。


「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」では、デイヴ・リーブマンのフルートの音も尋常じゃないが、それ以上に 16:06 でようやくはじめて出てくる(すなわち曲全体の半分をもう過ぎている)マイルズの電気トランペットの音が異常だ。いくら電気トランペットでも、こんな音はマイルズだって出したことがない。エリントンの死を悼む気持が音に乗り移っているのだとしか思えない。楽器技巧上のちゃんとしたことが僕には分らないのでこうとしか言えないのだ。


マイルズのトランペット・ソロはまず出だしの一音がオカシイが(褒めている)、師の死に際し悲しげに泣いているような一度目のソロが 19:59 で終り、その後リーブマンのフルート・ソロになって、それも終った 26:20 からの二回目のトランペット・ソロでは、ただ泣いているだけではなく、偉大すぎる先達の死を乗り越えていこうという前向きの力強さ・肯定感が感じられるんじゃないかな。


その 26:20 で二回目のトランペット・ソロが入る直前に、ドラマーのアル・フォスターがスネアを数回、それもかなり力強く大きな音量で連打している。マイルズのソロはそれがきっかけで入りはじめるのだが、しかしそれらは同時演奏ではない。リズム・トラックだけ先に録ってあったものだから、マイルズはそれを聴きながらここしかない!と瞬時に判断して吹きはじめたに違いない。しかしドラマーのアルは、録音後ボスがどこでどう吹くかなんて分るわけがなかったはずなのだが、あのスネアの強い音の連打は、しかしまあボスがこう吹くと想定してのものだったんだろうなあ。


デューク・エリントンの死に際し、それを悼むレクイエムの演奏で、ただ悲しげに泣いているだけのマイルズの一回目のトランペット・ソロと、二回目のトランペット・ソロの、哀悼の気持はそのままに、自分はこれからその死を乗り越えて前向きに進んでいくのだという肯定感。この二つのソロで僕は完全に降参してしまうんだよね。


あれれっ、マイルズの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』について、先週は録音上のディスコグラフィカルなデータを書いただけで、今週は一曲目の「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」の話しかしていないぞ。それで今日も既にこの長さになってしまった。このアルバムの収録曲を、一つずつこの調子で書いていったらとんでもない長さになってしまうので、二曲目以後はまた再び来週に廻すことにする。三週連続なんてちょっとあれだけど、来週こそは終らせるつもり。

2017/03/30

これぞデルタ・ブルーズ

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ミシシッピ・デルタ・ブルーズってどんなもの?って聞かれたら、差し出すべきはもちろんロバート・ジョンスンではない(いつもいつもこういう言い方をしているが、別に敵視・軽視しているわけじゃなくその正反対なので、ご承知おきを)。僕がオススメしたい一枚は、これまた米 Yazoo 盤の『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』というコンピレイション・アルバムだ。

コンピレイションといっても、この時代は(生演奏じゃない)ほぼ全ての録音音楽が SP レコード用のものなので、すなわち三分程度の一曲単位での存在。だから個人の全集などなんらかの意味でのコンプリート集以外の LP や CD は、これ全てが編集盤・選集盤だということになる。オリジナル・アルバムなんてものはないわけだから、こだわる必要など全くなく気軽に買って聴けばいい。LP で音楽にハマった人間(僕もそうだ)には、どうもこのあたりに妙なこだわりというか勘違いがあるように見える。

「チャーリー・パットンの友人たち」ということになっているけれど、実際、デルタ・ブルーズの代表格がこのコンピレイション盤には当然収録されていないチャーリー・パットン。でもパットンの初録音は1929年6月とかなり遅いんだよね。録音開始が、アメリカ北部の都会においてジャズ・バンドなどを伴奏にしてやる女性ブルーズ歌手たちより遅れたミシシッピ・デルタ・ブルーズだけど、それでも1929年以前の録音はあるからなあ。

例えばヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』にたくさん収録されているトミー・ジョンスン。この人の初録音は1928年だし、他にも何名か同時期の録音がいろいろある。それにしても、アメリカにおけるブルーズの原初形態だったかもしれないミシシッピ・デルタ・ブルーズの録音開始って何年頃のことだったんだろう?そのあたりの正確なことを僕は知らない。ある音楽の最初のかたちだったかもしれないんだから、重要なことなんだろうと思うんだけど。

もちろん音楽としては北部のジャジーな都会派女性ブルーズよりも、深南部のカントリー・ブルーズの方が早く誕生・成立し、姿かたちを整えていたのは言うまでもない。それがどれくらいの時期のことだったのかはいろんな研究があるけれど、録音がないわけだから正確なことは誰にも分らない。19世紀後半〜末あたりなのかなあ?

例えばチャーリー・パットンの生まれ年は正確には判明していないが1891年だろうと推定されている。トミー・ジョンスンは1896年(こっちは確定的)。この手のブルーズ・ミュージシャンはたぶん10代前半頃には演奏活動をはじめていただろうと思うので、となると20世紀初頭になるけれど、しかしこの人たちがデルタ・ブルーズの<創始者>などでは全くない。

彼らの前からミシシッピ・デルタ地帯には、チャーリー・パットンやトミー・ジョンスンらの残した録音で聴けるようなブルーズとほぼ同じようなものがあったはずだ。しかしあくまで諸々の文献と、残された録音(はどんなに早くても1920年代からなんだから、ちょっとあれだけど)から遡って推測して、おぼろげにこんなものだったんだろうと想像を膨らませることしかできない。チャーリー・パットンに影響を与えたとされているヘンリー・スローンは、最も早い時期のデルタ・ブルーズ・マンとして名前が残ってはいるが、やはり録音が皆無だ。

譜面が残っているのでその通りに、それも古楽器などを用いて演奏すれば、かなりな部分まで昔の姿をまあまあ正確に現代に再現できるクラシック音楽とは、このあたりも根本的に音楽のありようが異なる。ポピュラー音楽とはほとんどの場合記譜不可能なもので、だから録音がないものは口承以外に伝達方法がない。全ては<フィーリング>だからさ。特にブルーズなんてものはフィーリングしかないような音楽だからね。レコードが流通商品になって以後は、それを聴いて真似して学ぶことも多くなった。

デルタ・ブルーズの場合、トミー・ジョンスンの初録音が1928年で、チャーリー・パットンのそれが29年だけれど、影響関係という意味では逆だ。パットンの方が早く生まれているということだけでなく、ミシシッピの農場で自らのブルーズ・スタイルを完成させ演奏していたのもパットンの方がずっと早い。パットンが両親とともにドッカリー農場にやってきたのは1897年で、その頃から同地で、前述のヘンリー・スローンの影響下でブルーズをやりはじめていたらしい。

だからチャーリー・パットンの場合は、録音開始が1929年とかなり遅くなっただけで、その録音物で聴けるのとおそらく完全に同じブルーズを、たぶん19世紀から20世紀の変わり目あたりには演奏していたんだろうね。録音開始はパットンより一年早いトミー・ジョンスンがドッカリー農場近くのウェブ・ジェニングの農場にやってきたのは1916年らしく、そこでその頃パットンやウィリー・ブラウンらと知り合って影響を受けたようだ。

チャーリー・パットンは大きな存在だし録音数も多い(完全集だと CD三枚分)ので別の機会に話をするとして、ヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』に最も数多く収録されているブルーズ・メンがトミー・ジョンスンとサン・ハウスの二名。前者は五曲、後者は7トラック。サン・ハウスの方を七曲と書かないのは、同じ曲がパート1とパート2の二つあるもの三つ、すなわち計6トラックあり、もう一つとあわせ曲数なら四つになるからだ。

そしてこのヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』がなかなか貴重なのは、トミー・ジョンスン、サン・ハウス二名ともよく知られている既存音源の他に、レアな未発表録音も含まれているからだ。といってもこのヤズー盤は1991年のリリースなので、世界初登場などではないのだが、この二名の未発表録音が同時収録され、有名な代表曲もあり、さらにウィリー・ブラウンやイシュマン・ブレイシーやキッド・ベイリーやバーサ・リーやブッカ・ホワイト、そしてピアニストだけどルイーズ・ジョンスン(以上で収録されている音楽家は全部)という、デルタ・ブルーズのまさしく<典型>が揃っている一枚物の手軽なアンソロジーはなかなかない。

トミー・ジョンスンの未発表録音は二曲。「バトゥン・アップ・シューズ」( button の発音はボタンじゃありません)と「ロンサム・ホーム・ブルーズ」。どっちもトミー・ジョンスンの録音集には昔からある既発曲だけど、このヤズー盤収録のものはどっちもテイク1。どうやらテスト目的で録音・プレスされたもののようだ。だから商品としては発売されなかったんだろう。
当時レコード発売されたテイク2はそれぞれこちら。
二曲とも少し姿が違うようにも聴こえるが、しかし基本的にはやはりほぼ同じだから、そんなにレアだと言って騒いで重視することもないんじゃないかなあ。もちろんいまではトミー・ジョンスン名義の録音集に全て収録されている。トミー・ジョンスンの録音で最も有名なものは、もちろんかのバンドがバンド名を拝借した「キャンド・ヒート・ブルーズ」で、当然のようにヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』にもあるよ。
この「キャンド・ヒート・ブルーズ」。ギターで刻むビートの感じがこれこそデルタ・ブルーズというスタイルなんだよね。シングル・トーン弾きは全くなく、ひたすらコードでリズムをザクザク刻むのがデルタ・スタイル。ザクザクという表現が本当にピッタリ来る。早足で歩くような、そんなコード・カッティングのビート感がチャーリー・パットンやトミー・ジョンスンやサン・ハウスらのスタイルで、このヤズー盤だとブッカ・ホワイトだけが少し違ったグルグル廻るようなリズムを表現しているけれど、ブッカ以外のギタリストは全員ほぼ同じ弾き方だ。

トミー・ジョンスン、ヴォーカルの方は白人ジミー・ロジャーズと同じブルー・ヨーデルが聴けるのもお分りいただけるだろうが、他のブルーズ・マンの話もしたいのでこのあたりで。なお(ピアノ・)ウーマンのルイーズ・ジョンスンのことは以前詳しく書いた。
ヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』に未発表録音が収録されているもう一人、サン・ハウス。彼の場合はその未発表録音は重要。なぜならばそれは「ウォーキング・ブルーズ」だからだ。ロバート・ジョンスンで有名、というかジョンスンのヴァージョンを下敷にした米英ブルーズ・ロッカーたちの演奏でかなりの知名度がある「ウォーキング・ブルーズ」のおそらく初録音が、サン・ハウスのヴァージョンなんだよね。
今日話題にしているヤズー盤には録音年の記載がないのだが、この YouTube 音源でも書かれてあるように1930年。しかも5月28日。ということはブルーズ・ファンのみなさんならもうお分りだろう。Pヴァイン盤『伝説のデルタ・ブルース・セッション 1930』(にこの「ウォーキング・ブルーズ」はない)にも収録されているウィスコンシン州グラフトンで行われたパラマウントへのレコーディング・セッションで収録したもの。

あのレコーディング・セッションでは、チャーリー・パットン、サン・ハウス、ウィリー・ブラウン、ルイーズ・ジョンスンの計四名がミシシッピ・デルタから連れ立ってやってきたわけだが、サン・ハウスの場合「ウォーキング・ブルーズ」を除く3曲計6トラックは全て自分一人でのリゾネイター・ギター弾き語りだ。「ウォーキング・ブルーズ」でだけウィリー・ブラウンが伴奏のギターを弾いている。

上で貼った音源をお聴きになれば説明不要だが、ロバート・ジョンスンが録音して有名化したこの曲は、 その六年前のサン・ハウスがほぼ同じようにやっている。高音弦でのスライドと、同時にそれ以外の弦でコードをザクザク刻むギターのパターンも、ファースト・コーラスの歌詞もそのままじゃないかな。

もちろん「ウォーキング・ブルーズ」もサン・ハウスのオリジナルではないはず。アメリカ南部に古くから伝わる、それも歌詞の方は伝承もので、歌のメロディだってギターのパターンだって、1930年のサン・ハウス以前から存在したに違いない。たまたま初めて録音したのがサン・ハウスだっただけで、いろんなデルタ・ブルーズ・メンがやっているのをサン・ハウスも聴き覚えたんだろう。それをさらにロバート・ジョンスンが聴き覚えた。

それにしても、この1930年のサン・ハウス「ウォーキング・ブルーズ」をパラマウントがレコード発売しなかったのはどうしてだったんだろう?初発見は1985年のことだったらしい。それ以後はいろんなものに収録されるようになって、この曲の史上初録音として認められるようになった。僕もサン・ハウスの録音集だけでも、もう一つ収録されているのを持っている。

なお、1930年5月28日、ウィスコンシン州グラフトンで行われたパラマウントへのレコーディング・セッションで収録されたサン・ハウスのブルーズは、この「ウォーキング・ブルーズ」のほか、「マイ・ブラック・ママ」「プリーチング・ザ・ブルーズ」「ドライ・スペル・ブルーズ」がそれぞれ2パートずつ。だから全部で7トラックあって、それら七つ全部ヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』にも収録されている。

2017/03/29

不寛容と排外の時代に聴くマーヴィン・ゲイの再解釈

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ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの2006年作『ワッツ・ゴーイング・オン』。CD アルバムのパッケージや附属ブックレットのどこにもそう明記はされていないが、間違いなくリリースの前年2005年にアメリカ合衆国を襲ったハリケーン・カトリーナの被害を嘆き、苦しみを和らげる目的で制作されたアルバムだ。

明記されていないというのは、あくまで普通の言葉というか文字ではという意味であって、アルバムのジャケット・デザインや、ちょっとした写真集のようになっている附属ブックレットをめくれば、このメッセージは誰にでも一目瞭然だ。中身をご存知でない方でも、上掲の表ジャケットだけでお分りのはず。

2005年のハリケーン・カトリーナが残した爪痕を表現した音楽作品はアメリカにたくさんあるが、あのとき特に南部ルイジアナ、それもニュー・オーリンズが甚大な被害をこうむったので、やはりニュー・オーリンズや同地にゆかりの深い音楽家が大勢そんなアルバムを創っていた。ドクター・ジョンにもネヴィル・ブラザーズにもあった。ダーティ・ダズン・ブラス・バンドもやはり同地の音楽集団。

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドのそれが、他のニュー・オーリンズ(関連)の音楽家がやったハリケーン・カトリーナについての音楽作品と異なっているのは、最初に書いたアルバム・タイトルでお分りのように、マーヴィン・ゲイの1971年作『ワッツ・ゴーイング・オン』のカヴァー集という体裁をとっているところ。それもあのマーヴィンのアルバムの九曲全てを、さらに曲順もそのまま同じでやっているのだ。

といってももちろんブラス・バンド・ミュージックなので、聴いた感じは全く異なる趣の音楽に仕上がっている。マーヴィンの『ワッツ・ゴーイング・オン』を、2006年において大胆に再解釈し再構築したようなアルバムに仕上がっているんだよね。ダーティ・ダズンのこの同名アルバム、ひょっとしたら成功作ではないのかもしれない。いや、おららく(社会的)意味合いを込めようという意気込みだけ強くて、音楽としてはコケてしまっているんだろう。

ただ、ニュー・オーリンズの音楽家が創ったハリケーン・カトリーナ関連のアルバムのなかでは、このダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』が最もシリアスで、かつ最も落ち込むように暗く深刻で、なおかつそれがマーヴィン・ゲイの名盤の全曲カヴァー集という体裁になっているという 〜 それらの意味で、少しは耳を傾ける価値のあるアルバムなんじゃないかと僕は思う。

シリアスで暗い、落ち込むような雰囲気だと言っても、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』で聴ける音楽が楽しくないという意味では決してない。その反対にかなりエンターテインングなものになってはいるのだ。深刻に聴こえるのは、やはりマーヴィン・ゲイが書いた原曲が元々そういうものばかりだというのも一因。

マーヴィンのあの1971年作の場合は、歌詞は確かにそんなものばかりだけど、しかし曲の旋律やサウンドが美しくリズムもファンキーで、だから英語詞の意味をあまり考えすぎなければ、ごくごく普通の楽しいだけの音楽だ。聴きながら、僕もいつも肩や膝を揺すってリズムをとったりして愉快な気分になっている。

だからこそかえって、あのアルバムの音楽にマーヴィンが託したメッセージみたいなものがより一層強く意味を持ち、リスナーにもより強く沁みてきて考えさせられて、僕もなにかしなくちゃなという気分になってくるんだよね。1970年代のニュー・ソウルって、そういうエンターテイメント性とシリアスさが表裏でピッタリ張り付いた共存、そんなもんだろ?

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの連中が、故郷ニュー・オーリンズにハリケーン・カトリーナがもたらしたもののことを題材に音楽作品を創ろうと考えた際、そこでマーヴィン・ゲイのあの名作をそのまま丸ごとカヴァーしようと思い付いたのは、彼らもやはりマーヴィンのあのアルバムが21世紀でも強い意味を持って胸に響いているから、それもカトリーナの被害に苦しむ故郷の人々にとっては、マーヴィンのあんな音楽が訴求力があるから、ってことなんだろう。

もちろんブラス・バンドというフォーマットでの再解釈なので、マーヴィン・ゲイのオリジナル・ヴァージョン全九曲は、ほぼ跡形なく解体されている。管楽器がいちおう原曲のメロディみたいなものをそのまま演奏することもあるが、ほとんどの場合、マーヴィンの書いたオリジナル・メロディはモチーフみたいなものとしてだけ用いられている。

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』も当然全部で40分もない程度の長さ。発足当時と違って、ある時期以後のこのバンドにはギタリストとドラマーがレギュラー・メンバーとして在籍しているので、このアルバムでも当然演奏している。ゲスト参加でキーボード奏者も入ってサウンドに彩を添える。

さらに重要なゲスト参加は、アルバム中五曲で歌うヴォーカリストたちだろう。「ワッツ・ゴーイング・オン」のチャック・D、「ワッツ・ハプニング・ブラザー」のベティー・ラベット、「ガッド・イズ・ラヴ」のアイヴァン・ネヴィル、「マーシー・マーシー・ミー(ジ・エコロジー)」の G・ラヴ、「イナー・シティ・ブルーズ(メイク・ミー・ワナ・ハラー)」のグル。

すなわちアイヴァン・ネヴィルを除く四人全員ラップ・ヴォーカリストだ。ベティー・ラヴェットと G・ラヴは専業ラッパーとも言いにくいが、普通の歌と同様ラップもやるし、このアルバムではほぼラップ・ヴォーカルといっていいものを披露している。他の二名、チャック・D とグルは専業ラッパーなんだろう。

しかし彼ら四人も、マーヴィン・ゲイの書いた原詞にもとづいてラップしているわけではない。いちおう元の楽曲の題名と歌詞の一部をモチーフにしてはいるものの、そこから彼ら独自の言葉を歌っているんだよね。それらの四曲で聴けるラップ・ヴォーカルの内容は、やはりハリケーン・カトリーナ関連のものなのかというとそうでもなく、もっと普遍的な意味を持つ英語詞になっている。

さらに彼ら四人がラップする曲でも、その歌は断片的かつ断続的で短く、全面的にフィーチャーされているようなものは一曲もない。あくまでダーティ・ダズン・ブラス・バンドの管楽器アンサンブル・ミュージックがメインであって、そのなかのごく一部となっているにすぎない。アイヴァン・ネヴィルの歌う五曲目「ガッド・イズ・ラヴ」だけは、ほぼ全面的にアイヴァンの(ラップではない)ヴォーカルをフィーチャーし、さらにアイヴァンも独自歌詞ではなく、マーヴィンの書いたオリジナル詞にほぼ忠実だ。でもこれ一つだけ。

だからダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』は、やはりあくまでもホーン・アンサンブルで再構築したマーヴィン・ゲイなんだよね。肝になっているのはカーク・ジョゼフの吹くスーザフォン。この点ならこのバンドは発足当時から同じだよね。スーザフォンのような低音管楽器が、ファンク・ミュージックにおけるエレベのような役割を果たしている。

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』でもストリング・ベース奏者はいないわけだから、やはりスーザフォンがボトムスを支え、それもファンキーにうねるラインを吹いている。それにくわえテレンス・ヒギンズのドラムスが大活躍。元々このバンドにいわゆるドラム・セットはなかったが、ある時期以後はずっと使っている。賛否両論あるとは思うけれど、1999年の『バック・ジャンプ』同様、『ワッツ・ゴーイング・オン』でも成功していると僕には聴こえる。

上でダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』は、ハリケーン・カトリーナに関連した音楽作品のなかでは最も沈鬱かもしれないという意味のことを書いたけれど、僕が主にそれを感じるのはホーン・アンサンブルの不協和な響き、そしてジェイミー・マクリーンの弾くギターの、マイナー・セヴンスを多用するブルージーなサウンドだ。

管楽器のなかでは、特にテナーとバリトンという二本のサックスがそんなダークな、というか悲鳴をあげているようなサウンドを出している。ちょうど1960年代のフリー・ジャズのサックス奏者が出していたフリーキー・トーンのようにも聴こえるが、本質は少し違うものかもしれない。今日話題にしているダーティ・ダズン・ブラス・バンドのこのアルバムでのそれら二本のサックスのフリーキー・トーンやフラジオは、ガックリ落ち込んでいる状態からの嘆きのように聴こえ、附属ブックレットにある ニュー・オーリンズの惨状を写した写真を眺めながら聴くと、たまらない気分になってくる。

がしかしそんな沈鬱なホーンの響きではあるものの、リズムはずっしりとヘヴィーでありつつ活き活きと躍動的なグルーヴを表現している。時々カリブ〜ラテンなリズム・アクセントを感じるのは、やはりニュー・オーリンズの音楽家だけある。ドラマーとゲスト参加のパーカッショニストが、特にそんなテイストを明確に出している。

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドのアルバム『ワッツ・ゴーイング・オン』は、そのうち三曲しか YouTube に上がっていないのが残念だが、例えばこれも上がっていない四曲目の「セイヴ・ザ・チルドレン」では、ドラマーがかなり細かいラテン・ビートをスネア、特にリム・ショットで表現している。

また六曲目の「マーシー・マーシー・ミー」でもリズムはしゃくりあげるように激しく跳ねている。直接的にはカリブ〜ラテンというより、ファンク/ヒップ・ホップのビート感だろうけれど、そもそもそれらのなかには中南米由来のリズムが色濃く流入しているので、同じようなことだ。

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』のなかで、その管楽器アンサンブルの妙味を最も活かしたインストルメンタル・ナンバーは、八曲目の「ホーリー・ホーリー」だ。これも YouTube にないのでご紹介できないが、ゆったりとしたテンポと曲調で、敬虔で荘厳な雰囲気のホーン・アンサンブルが、歌はないがマーヴィン・ゲイの書いた歌詞の意味をそのまま管楽器で表現し、ハリケーン・カトリーナの犠牲者を弔うレクイエムのような演奏になっている。

上でも書いたが、確かにダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』は大した成功作ではないかもしれない。がしかし2005年のハリケーン・カトリーナがもたらしたものを音楽で表現した作品のなかでは、特に異彩を放つものなんじゃないかなあ。一聴くらいはする価値があると思う。

さらに僕が再認識したのは、彼らが素材にしたマーヴィン・ゲイの1971年『ワッツ・ゴーイング・オン』という作品が、21世紀の現在でも実に生々しく響き、リアルに訴えかけてくるものだということだ。「戦争はいつ終わるんだ?」「なぁみんな、いまの世の中いったいぜんたいどうなってんの?」「みんなが歌わなくなる日がきっと来るぞ」「死に瀕している世界を絶望から救え」「僕たちの生活、このままじゃやっていけないよ」〜〜 これら、1971年に歌われた言葉が、2017年の世界や日本でも強い意味を持つものなんじゃないの?いまの不寛容と排外の時代にこそね。

2017/03/28

ジャズ・ファンはザッパを聴け

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と言うと普通は『ホット・ラッツ』のことになるけれど。確かに1969年のこのアルバムは、フランク・ザッパのジャズ・ロック路線最高傑作だろう。特に一曲目の「ピーチズ・エン・レガリア」のカッコイイことったらないよね。でもそういうザッパのジャズ・ロック路線というよりも、今日はビッグ・バンド・ジャズ作品に話を限定したいので、とりあえず超カッコいい「ピーチズ・エン・レガリア」の音源を貼るだけにしておく。
ザッパがやったこういうジャズ・ロックの話は、また別の機会に書いてみたいので、今日はビッグ・バンドものだけに限定すると、大雑把に言ってザッパのジャズ・ビッグ・バンド作品と言えるのは二つ。どちらも1972年リリースの『ワカ/ジャワカ』と『ザ・グランド・ワズー』。この二枚は是非ジャズ・ファンのなかでも特にビッグ・バンドの愛好家の方々に聴いてほしいので、火曜日にアップすることにした。

ザッパの作曲能力がズバ抜けて素晴らしいことはファンならばみんな知っているが、ファンじゃないみなさんはイマイチ認識していないかもしれない。それは単にロック畑のソングライターとしてというにとどまらず、クラシックの大編成管弦楽作品でもいかんなく発揮されているのだが、いわゆるシリアス・ミュージックというか現代音楽作品のことはあまりよく分らない僕なので、ジャズ・ビッグ・バンドもののコンポーザーという面にだけ焦点を当てることにした。言っておくが、ザッパはギタリストとしてもヴァーチュオーゾだ。

『ワカ/ジャワカ』『ザ・グランド・ワズー』二枚で聴けるザッパのビッグ・バンド・スコアを書く能力は、ちょっと褒めすぎかもしれないが、デューク・エリントンのそれに似ている。音の濃密さ、一音たりともゆるがせにしない抜き差しならない緻密な構成、バンド全体のアレンジのどこをアンサンブルでやって、どこにどうアド・リブ・ソロをハメ込むか、そのアド・リブ・ソロはボスの意図通りに展開されているか、などなど共通性が強い。

しかしジャズ・ファンでエリントンの熱心なリスナーであるみなさんが、ザッパのビッグ・バンド作品について熱心に語っている場面に遭遇したことはまだ一度もない。クラシック音楽の愛好家のみなさんは、ザッパの管弦楽作品については褒めるけれど、ジャズ系ビッグ・バンド作品についてはやはりなにも言わない。じゃあ『ワカ/ジャワカ』『ザ・グランド・ワズー』みたいな作品は、誰がどう聴いているんだろう?一部のザッパ・マニアだけなんじゃないの?話題にしているのは。僕はザッパ・マニアなどでは全くない。

それはたぶんジャズ・ビッグ・バンドがやや敷居の高いものであるかのように思われているせいなのかもしれないなあ。基本の音楽性においては『ホット・ラッツ』なんかと同じで、そしてこのアルバムや一曲目の「ピーチズ・エン・レガリア」についてはほぼ全員激賞であるにもかかわらず、『ワカ/ジャワカ』『ザ・グランド・ワズー』二枚についてはあまり数多く言われていないというのは、ジャズの大編成バンドが遠ざけられているせいだとしか思えない。

ということは、ザッパの作品であればなんでも全部熱心に聴くという方々なら、それら二枚を聴いていいアルバムだよなと実感して、それがきっかけでジャズ・フィールドのビッグ・バンド、例えばデューク・エリントン楽団などを聴くようになった人たちが実際にいるみたいだけれど、そういうザッパ・マニアではない一般の音楽リスナーの場合、『ワカ/ジャワカ』『ザ・グランド・ワズー』を理解できるのは、ジャズ系ビッグ・バンドが好きな方々なんじゃないかと思うのだ。フランク・ザッパという名前すら見たことがない方々だって、それら二枚、特に『ザ・グランド・ワズー』を聴けば、絶対好きになるって。

そう、僕の実感では『ワカ/ジャワカ』よりも、その続編的な『ザ・グランド・ワズー』の方が出来がいいし、またジャズ・ビッグ・バンドという趣もより強い。ところでまた話が戻るが、その『ワカ/ジャワカ』は『ホット・ラッツ』の続編なんだよね。ジャケットを一瞥しただけで瞭然としている。ホントそのへんの話はまた別の機会にして、『ザ・グランド・ワズー』だ。

随分前に一度書いたけれど、僕はザッパを CD でしか聴いていない。例の1993年 FZ 公認マスターというやつ。それを紙ジャケットでリリースした日本盤で僕は聴いている。それの前に Ryko (じゃなかったかもしれない)が薄い緑色のプラスティック・ケースでリリースしていた同じマスターを使った CD でザッパをだいたい持っていた。がしかしアナログ盤では、ただの一枚もザッパを聴いたことがない。

『ザ・グランド・ワズー』にかんしてもアナログ盤と公認マスター盤 CD とでは曲順が異なっているらしい。リプリーズのアナログ盤(ひょっとして FZ 公認マスター以前の CD も?) では一曲目が「フォー・カルヴィン( アンド・ヒズ・ネクスト・トゥー・ヒッチ・ハイカーズ)」で、二曲目が「ザ・グランド・ワズー」だったらしいが、僕の持つ CD ではこれが入れ替わっている。ザッパ自身の意向なんだろう。その他のアルバムみたいに音源そのものにも手を加えているのかもしれないが、それは確かめられないので。

僕は1993 FZ 公認マスターでしか『ザ・グランド・ワズー』を聴いていないので、これ以外の曲順は考えれらないし、試しに一曲目と二曲目を入れ替えたプレイリストを作って聴いてみたが、やはり相当に強い違和感がある。おそらくは刷り込み効果なんだろうが、アルバムのオープニングが「ザ・グランド・ワズー」のあのゴージャスな感じであってほしいという、その方がこのアルバムの特色が分りやすく、初めて聴く方にも理解してもらいやすだろうという、そういう気持も強い。

なぜならば「フォー・カルヴィン( アンド・ヒズ・ネクスト・トゥー・ヒッチ・ハイカーズ)」は、確かに金管・木管多数で編成されたビッグ・バンド・サウンドが彩りを付けてはいるものの、基本的にフィーチャーされるのはヴォーカルなのだ。それもザッパのいつものパターン通りシアトリカルな歌で、しかも歌が終って楽器のソロになってからも、そのソロや伴奏のビッグ・バンド・サウンドは、やはりシアトリカルな内容。ザッパを聴き慣れている人間や、あるいは例えば、モンティ・パイスンの一連のコメディ・スケッチなどのようなものがお好きな方であれば違和感がないだろうが、シリアスなジャズ・ファン向けじゃないんだよね。

ザッパの音楽のなかにある、モンティ・パイスンなどにも通じるそんなコミカルでシアトリカルな要素にかんしては、これまた機会を改めないといけない。今日の僕の主眼は、ジャズのビッグ・バンド愛好家のみなさんにザッパの『ザ・グランド・ワズー』をオススメしたい、それでこの人の作編曲能力の異常な高さと、できあがった音楽の楽しさを知ってほしいという 〜 ただこの一点に尽きるからだ。ああいったヴォーカル作品はなかなかとっつきにくいかも。

そんなわけで今日の主眼からすれば、ザッパのアルバム『ザ・グランド・ワズー』でまず聴いてほしいのは、一曲目のアルバム・タイトル・ナンバー、三曲目の(これはシアトリカルでもあるが)「クリータス・オウリータス・オウライタス」、ラスト五曲目の「ブレスト・リリーフ」〜 この三つだ。四曲目の「イート・ザット・クエスチョン」もカッコイイけれど、この曲の場合は必ずしもビッグ・バンド・サウンドばかりではなく、個人(特にジョージ・デューク)がリズムをバックにソロを演奏する時間が圧倒的に長い。

まずはオープニングの「ザ・グランド・ワズー」を聴いてもらいたい。開始約59秒でグワ〜ッと入ってくる大編成の管楽器アンサンブルが迫力満点で、そうかと思うと少し抑え気味に引いたりして、緩急自在にザッパの書いたスコア通りに見事な演奏を繰り広げる。ジャズのビッグ・バンド・ファンなら、みんな好きになるんじゃないかな。
その後一番手で出るビル・バイアーズのトロンボーン・ソロ、二番手のサル・マルケスのミュート・トランペット・ソロ(かなりジャジー)は、ジャズ畑における同楽器の一流奏者を聴き慣れている僕が聴いても、かなりいいソロだと思える内容だ。というかだいたいザッパはこういう作品ではジャズ系の演奏家を使うことが多かったので、それも納得なのだ。ところでサル・マルケスというブラス奏者、この1972年あたりには、ザッパの作品で重要な役割を果たしていたみたいだね。

曲「ザ・グランド・ワズー」ではリズム・セクションも素晴らしい。いわゆるジャズのメインストリーム・ビートとは違うものだけれど、いまやこの程度で「ジャズじゃない!」などと文句をつけて毛嫌いする人間の神経の方がオカシイぞ。エインズリー・ダンバーって素晴らしい躍動感を表現できて、本当にいいドラマーだよね。ある意味アルバム『ザ・グランド・ワズー』の肝はエインズリーのドラミングだとも言える。

それにしても曲「ザ・グランド・ワズー」で聴けるスケールの大きさは異常だとも言いたいくらいだ。ロック・フィールドから出現したコンポーザーでここまで壮大な管楽器音楽のスコアを書ける人物は、僕の知る限りザッパただ一人。管楽器アンサンブルが主役のジャズのフィールドにだって、ここまで濃密な音世界をビッグ・バンド・スコアで書ける作曲家はかなり稀だ、というかほとんど見当たららないというのが、僕の正直な実感。いやほんと、エリントンだけじゃないの?

駆け足でちょっとだけアルバム・ラストの「ブレスト・リリーフ」について触れておこう。ゆったりと緩やかにスウィングするバラード調の曲でリラクシング。ここでもやはりサル・マルケスのトランペットとジョージ・デュークの弾く鍵盤楽器がソロをとる。ポップで親しみやすいメロディを持つ、かなりムーディーなジャズで、管楽器群のゆらゆらと漂う浮遊感は、ジャズ界で探せばギル・エヴァンスの書くアレンジのスタイルに近い。
1972年にザッパが『ワカ/ジャワカ』『ザ・グランド・ワズー』という二つのビッグ・バンド作品を創ったのには事情があったらしく、ステージ上で暴漢に襲われて怪我をしてライヴ活動ができなくなったため、それで部屋のなかで譜面に向かったということじゃないかと思うんだけど、だからといって、それでここまでの管楽器作品が書けるというコンポージング・アビリティの高さは、繰返すがジャズ界にだって(ひょっとしてクラシック界にも?)ほとんど見当たらない。

ジャズ・ファン、特にビッグ・バンドがお好きなみなさん、今日僕が音源を貼ってご紹介した「ザ・グランド・ワズー」「ブレスト・リリーフ」の二曲をお聴きになって、こりゃなかなかいいね、ロックの世界にもこんなスケールの大きいゴージャスな管楽器アンサンブルを書ける才能があるんだねと思ったならば、是非 CD でザッパのアルバム『ザ・グランド・ワズー』を買っていただけないでしょうか?

2017/03/27

『アローン・トゥゲザー』はスワンプ名盤?

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特にこれといった興味もないデイヴ・メイスンという UK ロッカーだけど、『アローン・トゥゲザー』一枚だけを持っているのは、もちろんこれがスワンプ・ロック名盤だと言われているからだ。そういう文章をどこかで読んだ、ただそれだけの理由で買った。それくらい英国勢のやるスワンプ・ロックに弱いんだよね、僕は。

ところが買って聴いてみた『アローン・トゥゲザー』に僕はさほどの LA スワンプ臭を感じず、ふ〜ん、悪くないけれど、なんでもない普通のロックじゃんと思って、その後はそのまま部屋のどこかに置いたまま放ったらかしにしてあった。買ったのは1990年代前半頃のことだったはず。このあいだ引っ張り出してきたその CD はパッケージのどこにもリリース年が記載されていない米 MCA 盤。

たぶん1990年前半に買ったであろうデイヴ・メイスンの『アローン・トゥゲザー』米 MCA 盤は、1970年のこのアルバムの初 CD 化だったかもしれない(がよく知らない)。その後何回もリイシューされ、紙ジャケットでも出ているようだけど、書いたように大して面白くないありきたりのロック・アルバムだと思い込んでいたので、興味も持てなかった。

どういう風の吹き回しかちょっと聴き直してみようと思って、『アローン・トゥゲザー』を探し出してどんなものかな?とかけてみたのだ。すると、そんなに強いスワンプ臭はやはり感じないものの、かなりいいアルバムじゃないかと見直しちゃったんだなあ。LA スワンプよりも強く感じるのは、英トラッド風味と米カントリー色と、そしてサイケデリック・テイストだ。

デイヴ・メイスンの『アローン・トゥゲザー』。僕の持つ米 MCA 盤には、デイヴ・メイスン、『アローン・トゥゲザー』、そして曲目しか記載がないというなんとも愛想のないもので、あとは紙を開くと一行だけ「Produced by Tommy LiPuma and  Dave Mason」とだけしか書かれていない。録音年月日、録音場所、パーソネルなどは全く記載がないので、ネットで調べるしかなかった。

それにしてもこのアルバム、つい最近亡くなったばかりのトミー・ラプーマのプロデュースだったのか。オリジナル・リリースがブルー・サムというレーベルであることも気付いていなかった。ラプーマの名前が忘れられないのは、僕の場合もちろんマイルズ・デイヴィスが1986年にワーナーに移籍した際にラプーマが面倒を見てくれて、アルバムのプロデュースもやってくれたからだ。それで僕は初めてこの辣腕音楽プロデューサーの名前を知ったのだが、このことは今日はどうでもいい。

デイヴ・メイスンの『アローン・トゥゲザー』。ネットで検索すると、やはり米ロス・アンジェルスのハリウッドで、それも LA スワンプ勢をたくさん起用して制作されている。親玉格のリオン・ラッセルやボニー・ブラムレットもいるし、カール・レイドル&ジム・ゴードンのリズム・セクションも、あるいはバック・コーラスにリタ・クーリッジもいる。でも誰がどの曲で演奏しているかの詳細は全く不明で、音を聴いて判断する自信が僕には全くない。

だから『アローン・トゥゲザー』を聴き直して、どの曲のどこの演奏や歌がいいと指摘しにくいのだが、とにかくそんなに濃厚な LA スワンプ・ロックじゃないよなあ、これは。僕が LA スワンプ勢を起用した UK ロックと言われてまず思い浮かべるのは、アメリカ南部風の湿った粘っこいソウルフルなフィーリングだけど、『アローン・トゥゲザー』にはそれが薄い。

かろうじて三曲目の「ウェイティン・オン・ユー」 だけが、まあ典型的なスワンプ・ロックだよなと感じるくらいだ。バック・コーラスで入る女性陣の歌声がスワンピーだし、エレキ・ギターがブギ・ウギ・パターンのリフを弾いて(誰?)、さらにフェンダー・ローズ・ピアノの弾き方がホンキー・トンク風(これも誰だ?)で、これはいかにもそれらしいスワンプ・ロック。
他は一曲目の「オンリー・ユー・ノウ・アンド・アイ・ノウ」もちょっぴりスワンピーなのかなあ。でもスワンプ・ロックって、僕にとってはもっとこう湿った粘っこいノリの音楽であって、この一曲目はカラリと爽快にかっ飛ばすロックンロールで、カッコイイのは文句なしに素晴らしいけれど、別に LA スワンプの匂いは強くない。この曲で出だしから左チャンネルで聴こえるアクースティク・ギターはやっぱりメイスン?じゃあ右チャンネルでソロを弾くエレキ・ギタリストは誰?僕の耳と知識では誰のスタイルなんだか判別できない。カッコイイから知りたいよなあ。
まあでも本当にこの二曲だけだね、僕がデイヴ・メイスンの『アローン・トゥゲザー』で LA スワンプの香りを(ちょぴり)感じるのは。他の六曲では全くと言っていいほど感じられない。かつてはそれが物足りない、つまらないと思っていたんだけど、聴き返してみて印象が完全に逆転した。むしろそれら六曲の方がいいね。

二曲目の「キャント・ストップ・ワリイング、キャント・ストップ・ラヴィング」はアメリカ産のカントリー・ロックだ。英国要素をあえて探せばフォークっぽいような部分があるかもしれないが、それよりも僕はまるで初期のイーグルズそっくりじゃないかと思うのだ。もちろんデイヴ・メイスンのこれの方が時期的には先だ。いいね、こういうしっとりとしたカントリー・バラード小品が最近は胸に沁みる。
問題は四曲目の「シュドゥント・ハヴ・トゥック・モア・ザン・ユー・ゲイヴ」だ。いやまあ問題作ってことはないけれど、『アローン・トゥゲザー』のなかで、いまの僕にはこれが一番面白い曲なんじゃないかと聴こえる。これは英トラッドとサイケデリック・サウンドとの合体なんだよね。
お聴きなって分るように、まず冒頭で弾きはじめる弦楽器(ギターかな?違うような?)がバロック音楽風な旋律を奏でているように聴こえるが、直接的にはバロックではなく、やはり英トラッド由来のテイストなんだよね。それでも英国トラッドとバロック音楽は深い関係があるからなあ。ジェスロ・タルのことを思い出してみて。

さらにこの「シュドゥント・ハヴ・トゥック・モア・ザン・ユー・ゲイヴ」では、途中からワウを効かせたエレキ・ギターが入るじゃないか。その部分は完全に1960年代後半風のサイケデリック・サウンドだ。曲の創りもややラーガ・ロック風のものだしね。ホント誰が弾いてんの、あのサイケなエレキ・ギターは?メイスン自身?他の誰か?メイスンも元々そんな人みたいだけど?どなたかご存知の方、どうか教えてください。

ラーガ・ロック風のサイケデリックと LA スワンプは、普通は相容れないものだと認識されているだろう。英国勢ならエリック・クラプトンもジョージ・ハリスンも、そんな1960年代半ば〜後半のロック傾向に嫌気がさして、ではなかったかもしれないが、ディレイニー&ボニーの英国ツアーをきっかけに(それにはデイヴ・メイスンも参加している)少なくともそこから脱却はして、LA スワンプ風のロックへと向かったわけだからさ。

サイケ・サウンドが長年イマイチだった僕にとっては、ブルーズやリズム&ブルーズや黒人ゴスペルなどなどが、白人ロック音楽のなかに渾然一体となって溶け込んでいて、強い粘り気のあるグルーヴ感を出していながらも、どこかアメリカの南部町を思わせる素朴な土臭さも感じるスワンプ・ロックが大好きだった。

だからスワンプ名盤に位置付けられるデイヴ・メイスンの『アローン・トゥゲザー』を聴いても、そんなホンキー・トンクなフィーリングがほぼ全くと言っていほど感じられないので、どこが面白いの、これ?となってしまっていたのだ。でもそれは僕の耳がヘボなだけだった。最近聴き返し、スワンプ・ロックではないが、英トラッド・フォークなサウンドが、ちょっぴりのサイケ風味と合体しているのなんか、最高に楽しいじゃないかと大いにこのアルバムを見直した。スワンプ・ロック名盤としてではなく。

六曲目の「サッド・アンド・ディープ・アズ・ユー」なんて、これも美しいバラードだよなあ。アクースティック・ピアノとアクースティック・ギターだけの伴奏で、メイスンが実に淡々と歌う。メロディの流れも哀感があっていい。曲の美しさという点では、『アローン・トゥゲザー』のなかでも屈指の一曲、ハイライトじゃないかなあ。

2017/03/26

ロニー・ジョンスンと区別不可能な1928年のエディ・ラング

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エディ・ラングの知名度はさほど高くないかもしれないが、同じ頃のギタリストならロニー・ジョンスンの方は非常によく知られているはず。そしてこの二名のギタリストの共演が CD 四枚組『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』の三枚目では最大の聴き物だ。

抜き出して数えてみると、『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』三枚目でエディ・ラングとロニー・ジョンスンが共演するものは、様々な名義と編成で14曲もある。この三枚目は全部で24曲だから、この二名のギター名人の絡みこそが、量的にも質的にも最も重要だ。

『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』三枚目では、一曲目からエディ・ラングとロニー・ジョンスンが絡み合う。二曲目まではこのギタリスト二名が、ブルーズ歌手テキサス・アレクサンダーの伴奏をやっているもので、発売されたレコードもテキサス・アレクサンダー名義のものだった。

テキサス・アレクサンダーは、先週の記事(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/1-3496.html) でこいつ誰だか僕は知らないなと書いたサニー・ポーターみたいなことはなく、古いブルーズ愛好家には知られている名前だよね。『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』三枚目には、ロニー・ジョンスンが参加していないものでも、テキサス・アレクサンダーのヴォーカルが四曲収録されていて、ギタリスト二名の同時伴奏の面白さを言わなければ、その四曲の方がいいので、まずはその話からしてみよう。

1928年11月20日に、テキサス・アレクサンダーはエディ・ラングのほか、コルネットのキング・オリヴァー、ピアノのクラレンス・ウィリアムズという、計三名を伴奏に従えて四曲録音している。先週書いた記事は27年までの録音の話だったが、翌28年になるとエディ・ラングは完全に自己のギター・スタイルを確立していて、シングル・トーンで華麗に伴奏やソロを弾きまくっている。初録音から三年目、そしてチャーリー・クリスチャン登場の十年前ということになる。

それら四曲から一つご紹介しよう。「テル・ミー・ウーマン・ブルーズ」。下に貼る YouTube 音源がキング・オリヴァー名義でアップロードされているのは、参加四名のうち最も知名度のある人物だから当然であるとはいえ、これはあくまでテキサス・アレクサンダー名義のレコード録音なんだよね。
お聴きになれば分るように、一般の多くのモダン・ブルーズ好きにもお馴染の、はっきり言って知名度がありすぎると思うほど有名な歌詞が出てくるよね。「ルイジアナに行ってモージョー・ハンドを手に入れるのさ」っていう例のやつ。マディ・ウォーターズもライトニン・ホプキンスも歌い込んでいるこれは、言うまでもなくかなり古くからある定型ブルーズ・リリックの断片なんだよね。<モージョー・ハンド>なるものがなんなのか説明しろとは言わないでほしい。

しかし今日の場合そんなことよりもはるかに重要なのは、エディ・ラングの見事なギター技巧、そしてキング・オリヴァーのコルネットのブルージーな表現力だ。前者も後者もヴォーカルの背後で絶妙なオブリガートを入れ、ソロも文句なしだ。特にギタリストの方は、リズムを表現する楽器がほぼこれしかないので、コード弾きでビートを刻みつつシングル・トーンでも推進力を形成している。

推進力といっても、この日のテキサス・アレクサンダーが録音した四曲は、全てゆっくり歩くようなスロウ・テンポのブルーズ・ナンバーばかりだから激しいスウィング感などではないが、エディ・ラングは的確で全く狂いのない正確なビートをギターで刻み、フロントで歌うヴォーカリストをしっかりと支えているじゃないか。

そうかと思うと、ヴォーカル・フレーズの切れ目切れ目で絶妙な装飾をシングル・トーンで入れて、さらに極上のソロも弾くので、これが1928年のジャズ界に存在した白人ギタリストなのかと思うとにわかに信じられない思いだ…、と書くとそれは僕の認識不足だろうなあ。シングル・トーンで弾くジャズ・ギターの録音数は確かにまだ多くなかった時期だけど、それはあくまで録音がというだけのことだろう。28年なら生演奏現場にはまあまあいたんじゃないかと思う。ジャズ界と限定しなければ、かなりたくさん。

がしかしそうは言ってみたものの、録音がなければ音を聴いて検証できないのも確かなことなので、しかもさらに紙で読めるものでもネット上で読めるものでも、エディ・ラング以前にこんな弾き方ができたギタリストがジャズ界に存在したと書いてあるものは、僕の知る限り皆無なので、う〜ん、こりゃやっぱりそういうことなんだろうか…。

また上で一個だけご紹介した「テル・ミー・ウーマン・ブルーズ」だけでもお分りいただけるはずだけど、キング・オリヴァーのコルネット演奏も素晴らしすぎる。今日の本題からは完全に外れてしまうが、あれを耳にして黙っていられる音楽リスナーなどいないだろう。

キング・オリヴァーは、1928年11月20日のテキサス・アレクサンダーの録音四曲全てに参加しているわけではなく、上で音源を貼った「テル・ミー・ウーマン・ブルーズ」と、もう一曲「フリスコ・バウンド・ブルーズ」の二つで吹くだけなんだけど、それらで聴けるコルネットが素晴らしいのなんのって、こりゃもう筆舌に尽くしがたいブルーズ・コルネットだ。我慢できないので「フリスコ・バウンド・ブルーズ」も貼っておこうっと。
この YouTube 音源、曲名が僕の持つ JSP 盤『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』記載データと異なっているのは分るのだが、伴奏のギタリストがロニー・ジョンスンとなっているじゃないか。画像を見るとどうやらオーストリアのドキュメント・レーベル盤にたぶんそう書いてあるんじゃないかと思えるけれど、う〜ん、こりゃどうなんだ?別の録音だとは考えられない。音源自体はなにからなにまで完全に同一だ。録音年月日も同じだしなあ。同じものだろ?

今日の本題はあくまでギタリストであるエディ・ラングなので、この曲の伴奏ギターがもしロニー・ジョンスンであったならば(その可能性はあるだろう)問題は大きいが、まあとりあえずそれを無視すれば、キング・オリヴァーのコルネットが素晴らしいという事実に変わりはないので、そこだけは全員認めていただけると思う。

1928年でこんな感じでコルネットにワー・ワー・ミュートを付けてグロウルしながらブルージーかつ猥雑に吹くというと、同時期のデューク・エリントン楽団におけるバッバー・マイリーを連想してしまう。僕は大好きなんだよね、バッバー・マイリー。特に「フリスコ・バウンド・ブルーズ」の方ではソックリだ。キング・オリヴァーってあまりミュートは使わなかった人のはずだけど、こんなにブルージーな演奏を残していたんだなあ。

キング・オリヴァーの弟子格であるルイ・アームストロングが、同じ楽器で1920年代に都会派女性ブルーズ歌手の伴奏を実にたくさんやっているのはみなさんご存知の通り(のはずだが?)で、僕はそういうのが大好きでたまらないと前々からなんども繰返しているけれど、同時期の師匠もかなりいいじゃないか。とっくに弟子のサッチモに抜き去られていたのだという僕の認識を改めなくちゃいけないね。

さて、『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』三枚目で最大の聴き物だと書いておきながら、エディ・ラングとロニー・ジョンスン二名の共演録音の話はまだ全くしていないので、これから書く。特に素晴らしく耳を奪われるのが、他に誰一人参加していない完全なるギター・デュオ録音で、この三枚目には全部で六曲あるんだよね(他の音楽家が参加しているものを含めれば、上述の通り14曲)。

それら六曲のうち最も早い時期の録音である1928年11月17日の二曲。聴いても僕みたいな素人では、どっちがエディ・ラングでどっちがロニー・ジョンスンなのか、ほぼ判別不可能だ。28年だとこの二人のギタリストはスタイル自体が似ているし、それがかなり複雑に絡まりあっているので、僕には無理。一つ貼っておこう。スウィンギーな「トゥー・トーン・ストンプ」の方を。
1929年5月7日録音の「ギター・ブルーズ」や翌8日録音の「ア・ハンドフル・オヴ・リフズ」もため息しか出ないギター・デュオ演奏。しかしこれ、ホントどっちがどっちなんだろう?ロニー・ジョンスンが最高のギター・ヴァーチュオーゾであることは有名だろうけれど、エディ・ラングはそれと区別できないもんなあ。やはり一つ貼っておこう。ロニー・ジョンスンの録音集にも当然入っている「ア・ハンドフル・オヴ・リフズ」を(「ギター・ブルーズ」も入っているが)。
エディ・ラング&ロニー・ジョンスンのギター・デュオ録音で最も凄いのは、1929年10月9日録音の「ホット・フィンガーズ」だろうなあ。なんなんだこの猛烈なスウィング感は!?アクースティック・ギターを弾く人がたった二人でやっているだけなんだぜ。これも絡み方からして、どっちがどっちなのか僕には分らない。
え〜っと、『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』の三枚目の話しかまだしていない。三枚目ではヴァイオリンのジョー・ヴェヌティはほぼ活躍していない。四枚目の1930年録音以後になると、再びどんどんヴァイオリンを弾きまくっている。ちょっと面白いのは、古いジャズがお好きな方には有名人のジミー・ドーシーが参加している録音だね。ドーシー名義の録音は一つもなく、レコードは全てジョー・ヴェヌティの名前で発売されたものだ。

ジミー・ドーシーが参加してクラリネットや各種サックスを吹いている録音で、ジョー・ベヌティのヴァイオリン技巧が最も分りやすいのは、1930年10月7日録音の「ザ・ワイルド・ドッグ」だね。三分程度の演奏のなかでどんどんテンポがチェンジして、急速調部分では激しくスウィンギーに、ゆったりした部分では伸びやかで華麗に弾く。ドーシーはバリトン・サックスを吹く。
『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』四枚目にあるジミー・ドーシー、ジョー・ヴェヌティ、エディ・ラング三名の共演録音では、ジャズ・ファンにもお馴染の「アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー」や「スウィート・スー、ジャスト・ユー」もある。どっちも有名スタンダードだから、どう料理しているかでヴァイオリニストやギタリストの腕前がクッキリと分るはず。

2017/03/25

歌手は歌の容れ物(その3)〜 エルフィの「シリン・ファルハット」

カマトト女は大嫌いだって以前言ったよね。だからその正反対の魅力を振りまいているような歌手エルフィ・スカエシは大好きだ。つまり濃厚に妖艶でお色気をムンムン漂わせているようなセクシー・シンガーだよね。エルフィは、中村とうようさんの読者である方々には全く説明不要の有名人で、知らない人なんているわけがないけれど、僕のブログの読者層の中心はたぶんジャズ・リスナーだろうと思うので、いちおう以下で少し説明しておこう。最近<エルフィ・スカエシ>の文字を見る機会もガクンと減っているしね。

エルフィ・スカエシ(Elvy Sukaesih)は、1951年生まれのインドネシアの女性歌手。音楽一家に生まれ育ったせいか子供時分から歌っていて、10歳の頃にはラジオで歌を披露していたそうだ。彼女はダンドゥットという音楽を代表する女性歌手なんだけど、10歳ということは1961年(僕の生まれる前年)になる。その頃、まだダンドゥットは確立されていなかったはず。

インドネシアの大衆歌謡音楽ダンドゥットの成立の時期をどのあたりに置くと見るかは難しいと思うけれど、大統領がスカルノからスハルトに代わって、西側諸国寄りの経済重視政策に転向した1960年代後半あたりじゃないかなあ。そのあたりからロックやその他アメリカ産大衆音楽や、それで用いられる電気楽器などもどんどん導入され、それ以前からあったオルケス・ムラーユに音楽的なディープさをくわえるようになって、さらにスリン(竹笛)やグンダン(タブラ風太鼓)も使われるようになって、ダンドゥットとしての演奏スタイルが確立した。

「ほとんどゼロからのスタートだった」とか「もともと根なし草音楽」とかおっしゃる方もいるけれど、それはどうなんだろう?インドネシアの音楽史や現地の文化事情などをよく知らない僕が言うのも気が引けるけれど、音楽でもなんでも文化って、まず最初の姿がゼロだとか空白だったものってあるのかなあ?ダンドゥットだって1960年代中頃までのインドネシア音楽文化の流れに根ざしている部分があるように僕には聴こえるんだが、やはりあまり言わないでおこう。

アメリカ産ロックなどの影響でということを書いたけれど、使用楽器や音楽要素などはそういう部分が確かにあるにしても、マーケット的な事情は正反対だ。アメリカやヨーロッパ各国の音楽資本が入り込んで支配している国や地域(つまり日本もこれに含まれる)ではない場所では、1970年代に主流メディアが LP からカセットテープに移行したようだ。カセットの制作・販売の方がはるかに手軽だし大資金を要しないので、どんどんメーカーができて販売され、実際、消費が大きく拡大した。

欧米各国や日本などではない世界の音楽マーケットでは、いまだにそういう部分があるんじゃないかなあ。日本ではカセットが音楽流通メディアの主流になったことはおそらく一度もない(一部演歌の世界を除く)はずなので、僕は実感がなく、また最初からカセットで販売されている音楽を買った経験も極めて少ない。移転前のエル・スール実店舗でユッスー・ンドゥールのカセットを少し買ったことがあるだけじゃないかなあ。

がしかしインドネシアでのエルフィ・スカエシもカセットでたくさん販売され流通していた(いる?)ようだ。外国の現地でカセットでしか流通していない音楽を、日本国内でそのまま入手することは容易ではない。だから僕もエルフィを CD でしか聴いたことがない。むかし LP レコードがあって買ったような気がするけれども、記憶がかなり薄れているし、間違っているかもしれない。買っていないかもしれない。

エルフィのことを知ったのは、やはり中村とうようさんの『大衆音楽の真実』のなかで絶賛されていたからだ。この本を僕が渋谷の東急プラザ内にあった紀伊国屋書店で買ったのが1988年か89年かそのあたりのこと。それで是非聴きたいぞと思ったのは間違いなく僕だけではなく、大勢いらっしゃるはず。

とにかくインドネシア現地ではカセットで売られれいるわけだから、そのままでは日本国内の音楽マーケットでは流通させにくい。それで日本で編集されたベスト盤 CD が何種類か以前からあって、僕もそんなものでエルフィを聴いていたし、いまでも同じ。いまの僕が普段最もよく聴くエルフィのアルバムは、田中勝則さん編纂のライス盤『ザ・ダンドゥット・クイーン』で、2005年リリースの名唱集。

その他何種類かあるし、久保田麻琴プロデュースの一枚とか、あるいは最近、確か四・五年前に、プルナマ時代のカセット音源六つを 2in1で計三つの CDにしたものが、やはりライスからリリースされた。これも飛びついて買った僕。付記しておくが、ここまで書いたエルフィの CD は全ていまでもアマゾンなどで普通に、それも中古ではなく新品の流通品として買えるぞ。もしまだの方は速攻でポチってほしい。

プルナマ時代のと書いたが、ライスのベスト盤『ザ・ダンドゥット・クイーン』は、まさにそこ、1970年代中期から84年までの音源集で、田中勝則さんが選りすぐった名唱集なので、やはり普段の僕はこれを一番よく聴く。上記の(CD では)計三枚のプルナマ音源集と、やはり一部重なる。正確には「Krishna」(クリシュナ)「Karena Pengalaman」(経験ゆえに)の二曲だけがダブっているみたいだ。

CD で計三枚のプルナマ音源集(は全体のごくごく一部でしかない)もいいものがたくさんあって、上記二曲以外『ザ・ダンドゥット・クイーン』には収録されていないので、是非聴いていただきたいのだが、『ザ・ダンドゥット・クイーン』では田中勝則さんが実に懇切丁寧な解説文を書いてくださっているので、その点全く愛想のないその三枚よりは、入門者のみなさんにも気軽に推薦できる。

また『ザ・ダンドゥット・クイーン』の方をオススメしたいもう一つの理由として、冒頭の一曲目「セクシー・シンガー」(Penyanyi Sexy)がプルナマ時代の録音じゃないからだ。田中さんは、おそらくレコマ録音と書いている。エルフィのレコマ録音というと、オルター・ポップからやはり田中さんの選曲でベスト盤が出ていたが、いまは廃盤で入手困難のようだ。

だがその「セクシー・シンガー」がかなりチャーミングなんだよね。これが『ザ・ダンドゥット・クイーン』に収録されているのは、このライス盤はマレイシアのライフ・レコーズからリリースされているものに基づいているので、ひょっとしてライフは「セクシー・シンガー」も、プルナマ時代ではないけれど、リリースしていたということかなあ?

とにかくその「セクシー・シンガー」が魅力的で、曲名通り、そして今日最初に書いた通り、妖艶な官能歌手としてのエルフィ・スカエシのどのへんがそうであるか、大変に分りやすい。だからこれが一曲目にあって、二曲目以後は全盛期のプルナマ録音が続き、末尾を最高の名唱「シリン・ファルハット」で締める構成のライス盤『ザ・ダンドゥット・クイーン』を強く強くオススメしておきたい。

「シリン・ファルハット」は、中村とうようさんもエルフィの歌で一番好きだと言っていたのだが、僕はといえば、長年この歌をさほどいいとは思っていなかった。どうしてかと言うと、この曲はサッパリ爽やか路線みたいな感じで、エルフィもサラリと歌い、いつものような濃厚なお色気満点のため息やコブシが聴けないのだ。言ってみれば清純派歌手みたいになっているもんね。

繰返すが、僕は濃厚で妖艶なセクシー路線でエルフィが大好きになったわけで、『ザ・ダンドゥット・クイーン』なら一曲目の「セクシー・シンガー」とか、六曲目の「経験ゆえに」(このへんから歌本編の前にカデンツアのイントロが入るようになる)とか、八曲目の「許して」(Izinkanlah)とか、九曲目の「乾き」(Gersang)とか、13曲目の「恋人」(Pacaran)とか、14曲目の「蜜のシャワー」(Mandi Madu)とかが好きでたまらず、聴きながら…(以下略)。

だから爽やか清純派路線であるかのように長年聴こえていた「シリン・ファルハット」はイマイチ、どこか二つも三つも物足りない感じだったんだよね。恋愛歌ではない童謡みたいな素朴なメロディだしなあ。でも今年2017年になって『ザ・ダンドゥット・クイーン』をなんどか聴き返していたら、二つも三つも足りていないのは明らかに僕の認識の方だったという事実に気が付いたのだった。

「シリン・ファルハット」におけるエルフィ・スカエシは、今年僕が書いた記事でなら岩佐美咲について書いた際に強調した(上掲リンクのその2を参照あれ)、 ナチュラルでストレートな自然体の歌唱法なのだ。決して無理に喉に力を入れすぎておらず、しかしながら声に素直で適度な艶と伸びと張りがあって、繊細な歌い方をしながらも、聴き手である僕に緊張感を与えずリラックスさせてくれる。心地良いんだよね。

ってことはつまり、同じインドネシアの歌手ならヘティ・クース・エンダンとか、中国語圏の歌手なら鄧麗君(テレサ・テン)とか、そしていまの日本でなら岩佐美咲みたいな、そんな持味の歌手たちと同質のフィーリングを、僕はエルフィの「シリン・ファルファット」に感じるし、実際、同じ歌い方なんじゃないかなあ、あの歌では。エルフィって、普通そういうのとは正反対の歌手だと思われているに違いないし、僕のこの言い方もオカシイかもしれないが。

この事実を1980年代なかばに指摘していた、というかはっきりと上記のようには言っていないが間違いなく同じ意味のことを感じて書いたであろう『大衆音楽の真実』の中村とうようさんは、やっぱりすごかったよねえ。あの耳の洞察力は慧眼だったとしか言いようがない。というわけで、そのエルフィの、いまなら僕も最高の名唱だと信じる「シリン・ファルハット」だけは音源を貼ってご紹介しておこう。

2017/03/24

マイルズ『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の完全データ(2017年3月時点)

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僕が持っていて、普段からよく聴くマイルズ・デイヴィスの1974年作『ゲット・アップ・ウィズ・イット』CD は、日本の SME が2001年にリリースした紙ジャケットもので、附属のライナーノーツはこれまた村井康司さんが1996年に書いたもの。村井さん、本当に多いですねえ。しかも96年に執筆したわけだから、いまでは訂正したり補ったりしないといけない箇所がやはり多い。

1996年は、一般のユーザーにとってはまだまだインターネット黎明期だったので、村井さんが参照しているのも紙に印刷された二つのディスコグラフィー本(の一つを書いたヤン・ローマンさんとは僕はお付き合いがあるが、話しかけてきたのは彼の方だ)。しかしその後進んだ研究成果がネット上にどんどん掲載されるようになっているので、他の音楽家のことは知らないが、マイルズの日本盤 CD の解説文は一度全部最初から書き直してほしいんだよね。不明だった点がいくつも判明している。特に1970年代のスタジオ録音はそうだ。とはいうものの、2001年のリイシューで96年の文章を流用してあるということは、もはやライナーノーツを新規に依頼する余裕がレコード会社にないということなんだろう。期待はできないね。

音源としても1970年代のマイルズものは、レガシーが「コンプリート」の名を冠するボックスに既発・未発含め集大成され(といっても真の意味でのセッション音源はほんのちょっとしか公式にはリリースされていないが)、その際レガシー(コロンビア)が、各種のディスコグラフィカルなデータも大幅に修正して記載しているので、個々のアルバムの日本盤もやはり修正しないといけないんだがなあ。

というわけで僕の持つマイルズの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』CD 附属の村井さんが1996年に書いた解説文について、ここをこう修正しないといけないという具体的な指摘は今日はしない。たくさんあってキリがないからだ。これは村井さんを責めているんじゃない。96年なら誰が書いたって同じだったはず。だからそういう指摘はせず、今日、僕は僕なりに、自分の知っている2017年時点で判明しているデータなども記しながら、マイルズの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』について書いていくつもり。

と直前で言ったものの、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』にかんしては、特にある時期までは、正確に判明していないデータが実に多かった。それを以下の文中で、一曲ずつの音楽内容を書いていく際に一つ一つそのなかで指摘したのでは、パッと読んだ感じ、分りにくいだろうと思いはじめた。英語サイトでならここが!というものがあるのだが、日本語で読めるサイトで、この二枚組アルバムのディスコグラフィカルなデータを一覧にしてあるものがまだない。やはりまとめておくべきかもしれない。

したがって、各曲の音楽的内容について書く前に、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の録音データを一覧にして記しておく。今後また新たな事実が判明して、再び訂正しないといけないことが出てくる可能性は十分あるが、2017年3月19日(に書いている)時点では、以下で間違いない。信用していただいて問題ない。日本のソニーの関係者の方がこの文章を見ることはないだろうけれど、もし可能性があるのなら、CD 附属解説文記載のデータを以下の通りに修正していただきたい(と言っても上述の通り期待できないが)。

Miles Davis - Get Up With It

Disc 1

1. He Loved Him Madly

       Recorded on June 19, 1974 at Columbia Studio B, New York City

       Miles Davis (trumpet, organ), Dave Liebman (flute), Reggie Lucas, Dominique Gaumont (guitar), Michael Henderson (bass), Al Foster (drums), Mtume (percussions)

2. Maiysha

      Recorded on October 7, 1974 at Columbia Studio B, New York City

      Miles Davis (tp, org), Sonny Fortune (fl), Reggie Lucas, Dominique Gaumont (g), Michael Henderson (b), Al Foster (d), Pete Cosey, Mtume( perc)

3. Honky Tonk

      Recorded on May 19, 1970 at Columbia Studio C, New York City

      Miles Davis (tp), John McLaughlin (g), Herbie Hancock (clavinet), Keith Jarrett (electric piano, org), Michael Henderson (b), Billy Cobham (d), Airto Moreira (perc)

4. Rated X

      Recorded on September 6, 1972 at Columbia Studio E, New York City

      Miles Davis (org), Cedric Lawson (synthesizer), Reggie Lucas (g), Khalil Balakrishna (electric sitar), Michael Henderson (b), Al Foster (d), Mtume (perc), Badal Roy (tabla)

Disc 2

1. Calypso Frelimo

      Recorded on September 17, 1973 at Columbia Studio B, New York City

      Miles Davis (tp, org), Dave Liebman (tenor sax, fl), John Stubblefield (soprano sax), Reggie Lucas, Pete Cosey (g), Michael Henderson (b), Al Foster (d), Mtume (perc)

2. Red China Blues

      Recorded on March 9, 1972 at Columbia Studio C, New York City

      Miles Davis (tp), Wally Chambers (harmonica),  Cornel Dupree (g), Michael Henderson (b), Al Foster, Bernard Purdie (d), Mtume (perc), Wade Marcus (brass arranger), Billy Jackson (rhythm arr)

3. Mtume

      Recorded on October 7, 1974 at Columbia Studio B, New York City

      Miles Davis (tp, org),  Reggie Lucas, Dominique Gaumont (g), Michael Henderson (b), Al Foster (d), Pete Cosey, Mtume (perc)

4. Billy Preston

      Recorded on December 8, 1972 at Columbia Studio E, New York City

      Miles Davis (tp), Cedric Lawson (org), Reggie Lucas (g),  Khalil Balakrishna (electric sitar), Michael Henderson (b), Al Foster (d), Mtume (perc), Badal Roy (tabla)

以上、レガシーがリリースした2003年の『ザ・コンプリート・ジャック・ジョンスン・セッションズ』(「ホンキー・トンク」について)と、2007年の『コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』(「ホンキー・トンク」以外全部について)に記載のデータ、さらにインターネット上に存在する各種ディスコグラフィーに基づいて記載した。

がしかし、レガシー盤記載のデータとネット上にあるマイルズのディスコグラフィーとでは、異なっている部分もかなりあるし、またネット上のディスコグラフィーも、ものによって情報が違っている。さらに実際に CD で現物の音を聴いたら、それらのどれも全て間違っているとしか思えない部分すらある。

したがって、基本的にはそれらの情報源を擦り合わせながらも、最終的には僕自身の耳判断(極めて頼りないものだが)を信用して、というか各種情報源によって記載内容が異なっている場合には耳で聴いての判断以外に拠り所がないわけだから、やはりそれに基づいて上のディスコグラフィカルなデータ一覧を書いた。

例えば、1974年のセッションのうちの二つ(「マイーシャ」「エムトゥーメ」)では、ピート・コージーはギターだとあらゆる情報源が記している。がしかしコージー自身の「私はあのアルバムでは弾いていないんだ」という証言と、その証言通り、コージーのスタイルだと判断できるギターがどうしても聴こえないこと、『アガルタ』『パンゲア』になった1975年2月1日の大阪公演でもコージーはしばしば金物のパーカッションを担当することがあったが、それらで聴ける音と、一つ例えば「エムトゥーメ」で聴けるカチャカチャという音が同じであること 〜〜 これらから僕は推測して、上記のように記したのだ。

なお、1974年録音でも「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」でだけは、僕はピート・コージーの名前は一切出していない。ギターでも金物パーカッションでも、あるいは他のなんであれ、コージーが演奏していると判断できる音が全く存在しないからだ。それと同様に聴こえない音は、ディスコグラフィーなどに名前が載っていても、やはりその演奏者の名前は外してある。

例えば「ホンキー・トンク」ではソプラノ・サックスでスティーヴ・グロスマンの名前が全ての情報源にある。編集前の音源(『ザ・コンプリート・ジャック・ジョンスン・セッションズ』収録)では確かにグロスマンが吹くパートがあるのだが、テオ・マセロは『ゲット・アップ・ウィズ・イット』をプロデュースする際の編集作業で、それを全面的にカットしている。だからグロスマンの名前は、このアルバムのデータからは外す判断を僕はした。これはほんの一例で、他にもある。

しっかしここまで書いてきて、あぁしんど〜。マイルズ『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の肝心要の音楽的中身について書く余裕が、いろんな意味でなくなった。文章も長くなったし、気力も今日はもうない。上の方で、データなども記しながら『ゲット・アップ・ウィズ・イット』について書いていくつもり、などと宣言したのは撤回する。それは来週に廻すことにしようっと。だぁってねぇ、これまた書きたいことが山ほどあるのさ。

2017/03/23

ハウンド・ドッグ・テイラーのブルーズ・ビートは南部由来

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全部集めても五枚しかないハウンド・ドッグ・テイラー。言うまでもなく全てアリゲイター盤だ。なんたってアリゲイターというレーベルは、ハウンド・ドッグ・テイラーを録音したくてブルース・イグロアが興した会社だもんね。1970年頃のハウンド・ドッグ・テイラーのライヴ演奏に感動したイグロアは、当時勤務していたデルマーク・レーベルに彼のレコードを作ることを進言するが却下され、じゃあ自分でやろうと思い独立して、アリゲイターを立ち上げたのだ。

つまりそれくらい、会社を辞めて独立してまでレコードを作りたいと思うくらい、当時のハウンド・ドッグ・テイラーのブルーズは魅力的だったということだよなあ。音楽の独立系レーベルって、どこもだいたい似たような経緯で発足している。この音楽家は素晴らしい!えっ?まだレコード(CD)が一枚もないだって?そりゃイカン、どこか出さないのか?ダメ?じゃあ僕が出すよって、そんな一種の使命感みたいなものに駆られてみんなやっているみたいだ。

最近の日本なら Jazz The New Chapter Records がそう。第一弾としてリリースしたイシス・ヒラルド(カナダで活動するコロンビア生まれの音楽家)の CD『ポエトリー・プロジェクト』 が面白くないのはどうでもいい。 とにかくどこもまだフィジカルでリリースしていないんだから、自分たちでやってやろうという彼らの音楽愛と情熱には素直に敬意を表したい。ちっとも面白くなかったのは、きっと僕の感性がダメなだけなんだろう。

ブルース・イグロアが興したアリゲイターがリリースした第一弾が、したがって当然ハウンド・ドッグ・テイラーで、1971年のアルバム『ハウンド・ドッグ・テイラー・アンド・ザ・ハウスロッカーズ』。デルマークの社員だったイグロアがそこまでして出したかったレコードだから、当然ながらブルーズ・ファンはみんなこのレコードに熱狂した。ブルーズのインディ・レーベル・リリースとしては異例の売り上げだったみたいだから。

…と言ってしまうと、実は少し不正確かもしれない。ハウンド・ドッグ・テイラーは1971年当時56歳。レコード・デビューが遅くなってしまっただけであって、演奏はもっとずっと前からやっていた。それも間違いなくアリゲイター盤で聴けるようなのとほぼ同じスタイルのブルーズをね。だから魅力もずっと前から同じだったんじゃないかなあ。<発見>が遅れただけで。

ハウンド・ドッグ・テイラーは1915年生まれだから、間違いなく戦前からライヴ現場では演奏活動を開始していたはず。たぶん専業のプロ音楽家としてではなかったかもしれない。仕事が終った夜とか週末とかにジューク・ジョイントなどで演奏していたんじゃないかなあ。さらに彼はミシシッピ生まれだ。

シカゴに移住したのが1942年のことらしいので、もう30歳近い。だから既にその頃自分のブルーズ演奏スタイルは確立していたんだろう。ミシシッピのジューク・ジョイントなどでさ。このミシシッピで、というのがこの人のブルーズ・スタイルを理解する上では案外重要なことなんじゃないかと僕は思う。シカゴに出てきてから名が知られはじめた人ではあるけれど。

というのはハウンド・ドッグ・テイラーのバンド、ハウスロッカーズはトリオ編成なんだけど、ベーシストがいない。自らのギター&ヴォーカル、サイド・ギター、ドラムスという編成なのだ。この編成を見て、そして実際の音を CD で聴くと、僕はあれを思い出すんだなあ。そう、ファット・ポッサム・レーベルで聴ける R・L・バーンサイドだ。バーンサイドのレギュラー・バンドも完璧に同じベース・レスのトリオ編成で、ブルーズのスタイルもやや似ている。

R・L・バーンサイドは、ハウンド・ドッグ・テイラーと同じミシシッピ(町は違う)で1926年に生まれている。 彼らのような、深南部のジューク・ジョイントなどで演奏されるブルーズのスタイルで長年演奏し続けていた人たちを、1990年代に、ほぼそのままのかたちでパッケージングしたのがファット・ポッサム・レーベルだ。

僕の場合、 R・L・バーンサイドの方を先に聴いて夢中になっていたので、ハウンド・ドッグ・テイラーの CD を買って聴いたら、こりゃ同じことをやっているじゃないかと思ったんだけど、間違いなくこれはどっちが先かなどという話じゃない。深南部ミシシッピのジューク・ジョイントでは、彼ら二名よりもずっと早くから似たようなブルーズが演奏され、客を踊らせていたに違いない。二名はそれを聴いて身に付けて、後年レコードや CD にして世に出しただけだ。

客を踊らせてと書いたけれど、ハウンド・ドッグ・テイラーも R・L・バーンサイドも、やっているブルーズは激しくダンサブルだと思うんだよね。思うんだよねというか、誰が聴いたってありゃ踊るブルーズだろう。ハウンド・ドッグ・テイラーは1975年に亡くなっているが、R・L・バーンサイドのライヴ現場は生で体験できた僕。日本の会場においてですら、実際に激しく踊る客は複数いたもんね。

ハウンド・ドッグ・テイラーとか、ファット・ポッサムの R・L・バーンサイドとかのブルーズをお聴きになったことのない方はおそらくいらっしゃらないとは思うけれど、念には念を入れていちおう音源を貼っておこう。前者は1971年の『ハウンド・ドッグ・テイラー・アンド・ザ・ハウスロッカーズ』から。このアルバムにはダンス・ビートが多いので困ってしまうが、ヴォーカルが入る八曲目「アイ・ジャスト・キャント・メイク・イット」をどうぞ。
R・L・バーンサイドの方は、間違いなくこれが一番カッコイイし、強烈にダンサブルな、1997年リリースのファット・ポッサムのベスト盤でしか聴けないヴァージョンの「ジョージア・ウィミン」。キモチエエ〜ッ!
ハウンド・ドッグ・テイラーの方は、インストルメンタル・ブルーズでよければ、もっとカッコよくもっとダンサブルなものが、『ハウンド・ドッグ・テイラー・アンド・ザ・ハウスロッカーズ』にはいくつもある。っていうかインスト・ブルーズの方がいいんだよね、この人は。僕の耳にはそう聴こえる。例えばアルバム・ラストの「55th ・ストリート・ブギ」。
どうしてこんなにカッコイイんだ〜ッ!?しかもこの「55th ・ストリート・ブギ」と、上で貼った R・L・バーンサイドの「ジョージア・ウィミン」を聴き比べると、ある共通性に気づくはず。そう、ドラマーの叩き方がほぼ同じなのだ。特にスネアの使い方はソックリというか完璧に同じだ。

ハウンド・ドッグ・テイラーの方のドラマーはテッド・ハーヴィー。R・L・バーンサイドの方で叩くのは孫のセドリック・バーンサイド。その他 R・L・バーンサイドの各種ファット・ポッサム盤で叩くいろんなドラマーもほぼ同じスタイルのドラミングなんだよね。テッド・ハーヴィーはシカゴの人材なんだろうと思うけれど、似たようなビート感を、 R・L・バーンサイドと同じミシシッピ・ブルーズ・マンであるハウンド・ドッグ・テイラーが要求したんじゃないかな。

だって『ハウンド・ドッグ・テイラー・アンド・ザ・ハウスロッカーズ』収録曲でスロウ・ブルーズではないものは、どれもこれも同じようなビートだもんね。直接的にはブギ・ウギのパターンそのまんまだ。アメリカにおけるブギ・ウギの大流行は1930年代後半〜40年代だから、1915年生まれのハウンド・ドッグ・テイラー(や26年生まれの R・L・バーンサイド)はリアルタイムで直に体験していたんだろう。それを深南部のプリミティヴでワン・グルーヴ的なディープ・ブルーズに持ち込んだんだろう。

ハウンド・ドッグ・テイラーの場合、それを身に付けて、自己流のブルーズ・スタイルを完成させたのが、僕の推測では1942年にシカゴに出てくる前。シカゴ時代に同地で身に付けたものが多いブルーズ・マンであるかのような言われ方が多いけれど、僕はそれはちょっと違う部分もあるんじゃないかと思う。確かにスライド奏法は三連でダダダ、ダダダっていうエルモア・ジェイムズ直系だから戦後に完成させたものだろうけれど、基本のビート感は南部のそれだ。

そう考えないと、ライヴ公演以外ではミシシッピからほぼ一歩も出たことがない R・L・バーンサイドのブルーズとここまでソックリなスタイルのダンス・ビートだというのが理解できない。もちろんバーンサイドが戦後身に付けたものがあるのと同様、ハウンド・ドッグ・テイラーだって戦後のシカゴで初めて知って憶えたものはたくさんある。

ハウンド・ドッグ・テイラーの得意レパートリーの一つ「イット・ハーツ・ミー・トゥー」だって、タンパ・レッドが最初に録音した、戦前から伝わるブルーズ・スタンダードだけど、ハウンド・ドッグ・テイラーはエルモア・ジェイムズの1965年ファイア録音ヴァージョンをそのまま下敷きにしているし、また2004年リリースのライヴ音源集『リリース・ザ・ハウンド』には、レイ・チャールズがオリジナルのラテン・ブルーズ「ワッド・アイ・セイ」だってあるもんね。

またその『リリース・ザ・ハウンド』二曲目のインストルメンタル・ブルーズ「セン・サ・シュン」は、マディ・ウォーターズがライヴで定番ラスト・ナンバーにしていた「ガット・マイ・モージョー・ワーキン」のメロディだ。ハウンド・ドッグ・テイラーのそれは歌がないインスト演奏なので、マディから拝借したメロディなのは間違いない。歌詞の方はかなり古くかあらある伝承ものだからね。

そんな部分もありはするものの、ハウンド・ドッグ・テイラーのあんなブルーズ・スタイルの根幹、特にあのビート感は、南部ミシシッピ時代に身に付けたものじゃないかなあ。人間、大人になってのちにもどんどん習得できる部分とそうじゃない部分があるだろう。ビート感、リズム感は子供時代に染み付いたものがなかなか抜けないと思うよ。

小出斉さんも言っているように、鍵は南部にありだ。

2017/03/22

スティーヴィー入門に是非このライヴ盤を

Unknown









なぜだか持っているスティーヴィー・ワンダーのライヴ・アルバム『ナチュラル・ワンダー:ライヴ・イン・コンサート』。1995年リリースの CD 二枚組で、スティーヴィーのライヴ・アルバムとしては四作目になるが、これ以前の三つは全て1970年までのリリースだから、まだ例の傑作群を創る前のもの。だからスティーヴィーのライヴ・アルバムとしては『ナチュラル・ワンダー』が最も充実しているように思う。

まだスティーヴィーのことをよく知らず、いろんな有名曲が一気に聴ける入門用ベスト盤を教えてくれと言われたら、僕は迷わずこの『ナチュラル・ワンダー』をオススメする。二枚組じゃないか、一枚物でスティーヴィーのベスト盤が何種類もあるじゃないかと言われそうだけど、ちょっとチェックしてみたら曲数は『ナチュラル・ワンダー』の24曲が最も充実しているのは言うまでもないが、さらに格安なのだ。

しかも1995年時点までの(ということはスティーヴィーが良かったほぼ全ての時期の)代表作・ヒット作が揃っている。さらに CD 二枚組ながら、いまや中古なら1000円もしない価格にまで下がってきている。お買い得だ。もう一つ、日本のリスナーに嬉しいのは、『ナチュラル・ワンダー』は日本公演盤みたいなんだよね。

といってもリリースが1995年だから、その頃の日本のどこかでのライヴ収録なんだろうとしか確たることは言えない。パッケージや附属ブックレットのどこにも録音年月日、録音場所が書かれていない。中身を聴くとスティーヴィーが日本語をよく喋るし、またこれは明記してある東京フィルハーモニー交響楽団が管弦楽の伴奏を付けているという、この二つから僕は日本公演だと推測しているだけ。

僕の持つ『ナチュラル・ワンダー』はアメリカ盤(当然モータウン)。日本公演盤(なんだろう?)ということは日本盤もリリースされているに違いないから、それに附属の日本語解説文(があるのかどうか知らないが)にはそのあたりの情報が詳しく書かれてあるかもしれない。ご存知の方、教えてください。一説によればイスラエル公演の音源も混じっているらしいのですが…。

書いたように『ナチュラル・ワンダー』は、三曲のおそらく未発表曲(「ダンシン・トゥ・ザ・リズム」「スティーヴィー・レイ・ブルーズ」「ミズ&ミスター・リトル・ワンズ」)以外は、全て1995年時点までの有名ヒット曲が並んでいる。『ナチュラル・ワンダー』に最もたくさん曲数が収録されているオリジナル・アルバムは、1976年の『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』で、七曲。

その七曲のうち、オリジナル・アルバムでもオープニング・ナンバーだった「ラヴズ・イン・ニード・オヴ・トゥデイ」が『ナチュラル・ワンダー』でもオープニングだと言えるかも。正確にはその前に「ダンシン・トゥ・ザ・リズム」があって(この曲、このライヴ盤でしか聴けないはず)それが幕開けになっているが、聴いてみたらそれは一種のプレリュードなんだよね。まあ序奏といっても、アルバム中最も長い七分以上あるけれど、演唱内容から判断して、どうもそんな気がする。

僕が受ける感触だとライヴ<本編>の幕開けであろう「ラヴズ・イン・ニード・オヴ・トゥデイ」。スタジオ・オリジナル通りヴォーカル・コーラスから入って、スティーヴィーがフェンダー・ローズ(の音を出すシンセサイザーかも、『ナチュラル・ワンダー』の方は)を弾きながら歌いはじめる。三人のバック・コーラス隊は全員名前が明記されていて、アメリカから連れてきた人たちのようだ。

コーラス隊だけでなく、リズムを演奏するバック・バンドは全員やはりアメリカ本国から一緒に来た連中。スティーヴィー以外の鍵盤奏者が二名、ギター、ベース(が音楽監督もやっている)、ドラムス、パーカッションという編成。それにくわえ上述の通り、東京フィルハーモニー交響楽団が管弦楽伴奏を付けているんだよね。

このクレジットを見ないまま『ナチュラル・ワンダー』を何回か聴いていた頃は、一枚目10曲目の「イフ・イッツ・マジック」の伴奏は、オリジナルである『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』ヴァージョンと同じくハープの音だから、これはあるいはシンセサイザーかなにかで出しているのか?それにしてはリアルな音だなあ?と謎だったのだが、やはり東京フィルハーモニー交響楽団のハープ奏者が弾いているに違いない。

1970年あたりからしばらくのあいだ、スティーヴィーはメッセージ色の強い曲をたくさんやっていたので、『ナチュラル・ワンダー』で聴けるそれらもやはり同様に、友愛とか社会問題とかを語って投げかけるような雰囲気になってはいる。特に一枚目12曲目の「ヴィレッジ・ゲトー・ランド」は黒人スラム街の貧困問題を歌ったもので、『ナチュラル・ワンダー』でのスティーヴィーは、歌いながら一瞬「1995年のいまでもね!」と喋っているしね。

「ヴィレッジ・ゲトー・ランド」はそんなシリアスな歌詞を持つものであるにもかかわらず、『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』のオリジナル通り、旋律は流れるように美しく、伴奏もストリングスのクラシカルで流麗な響きで組立てられている。間違いなく東京フィルハーモニー交響楽団の演奏だろう。

そもそもああいった1970年代のニュー・ソウル連中(スティーヴィーは少し違うかもしれないが、あの頃には共振していた)って、社会問題とか戦争とか人種差別とかの深刻な内容を歌いながら、しかしサウンドとリズムはファンキーで、しかも美しく、だからこそ聴いてもらえると思うんだよね。誰とは言わないが、日本の一部音楽家がやっているようなやり方では大勢の聴衆に届きにくいはず。

それでも『ナチュラル・ワンダー』で、少なくとも僕は、あまりそんなシリアスな歌詞内容に共感してうなずきながら聴いているのでもなく、ただ単に楽しいなと感じて、聴きながら膝を揺すったり肩でリズムをとったりしているだけだ。スティーヴィーがやっているのはそういうエンターテイメント・ミュージックだもね。

『ナチュラル・ワンダー』では、特に二枚目に入るとヒット・パレードになる。どれもこれも大ヒットした有名曲ばかり。二曲目の「マイ・シェリ・アモール」から、その後「サインド、シールド、デリヴァード、アイム・ユアーズ」「サー・デューク」「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オヴ・マイ・ライフ」「スーパースティション」「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」「アナザー・スター」などなど。

こう並べて書くと、シリアスな歌詞内容の曲は案外少ないね。「スーパースティション」(迷信)だけがそうで、他は全部シンプルなラヴ・ソングじゃないか。「サー・デューク」は男女間の恋愛を歌ったものではないが、音楽愛を捧げる内容だから似たようなもんだ。僕は特に「サインド、シールド、デリヴァード、アイム・ユアーズ」と「アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」が大好きなんだよなあ。

でもいろんな意味で僕の最愛スティーヴィー・ナンバーは『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』の(附属 EP を除く)二枚組ラストを飾っていた「アナザー・スター」だ。どうしてかというと、これはややサルサ気味のラテン・ソウル・ナンバーだからだ。『ナチュラル・ワンダー』でも、スティーヴィーがオリジナルと同じブロック・コードでのピアノ・リフを弾きはじめ、ドラムスとパーカッションも入り、バック・コーラスが「ららららら〜、ら、ららら〜」とリピートしている。

そしてスティーヴィーが歌いはじめるのだが、その歌詞は一瞬シリアスかな?と勘違いしそうになるが、君にとってはもっと輝いている別の星があるのかもしれないが、僕の目に映るのは君の輝きだけだよ、しかしでも…、という、これまたごくごく普通の恋愛歌でロスト・ラヴ的なものでしかない。親しみやすい世界共通の普遍的な内容。万人向け。

だからそんな英語詞をさほどシリアスに受け取らなくてもいい。楽しいのはラテンの旋律とリズムを使ってあるところで、ダンサブルに激しくグルーヴし、聴いている僕も踊り出しそうになるっていうところ。ただ惜しむらくは『ナチュラル・ワンダー』ヴァージョンの「アナザー・スター」では、オリジナル・ヴァージョンには入っていたティンバレスとフルートがない。

ティンバレスはサルサ(などラテン音楽)には欠かせない打楽器だし、またオリジナル・ヴァージョンの「アナザー・スター」では、後半部でボビ・ハンフリーの吹くフルート・ソロが、これまた強烈にラテン臭を醸し出していて効果満点だったのだが、『ナチュラル・ワンダー』ヴァージョンにはそれらがないのがちょっぴり残念ではある。

『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』最終盤にあるオリジナルの「アナザー・スター」でのそのフルート・ソロは、歌本編が終ってのち、打楽器とコーラス隊オンリーのアンサンブル・パートになって、それに続く反復部分でボビ・ハンフリーがアド・リブで吹いているもの。そのフルート・ソロ部分背後でのリズム・セクションとコーラス隊は全く同じ短いフレーズをひたすらリピートしているから、いわばキューバ音楽のソン後半のモントゥーノ部分みたいなものなんだよね。

だからそれがライヴ収録盤である『ナチュラル・ワンダー』ラストの「アナザー・スター」でも聴けたら最高だったんだけど、まあないものねだりをしてもね。二枚全体を通し、基本的には有名ヒット・ソングばかりというレパートリーといい、またスティーヴィーの歌い方も伴奏もオリジナルにまあまあ忠実で、曲数も多く充実し、さらに超安価。だからやっぱりこれがスティーヴィー入門には好適だよ。

2017/03/21

チャック・ベリーのある見方

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ナット・キング・コールの戦後盤『アフター・ミッドナイト』に参加しているのは有名だろうけれど、なんとサン・ラーとだって共演歴があるジャズ・ヴァイオリニストのスタッフ・スミス。この人の全盛期はやはり戦前の1936〜40年だ。でもそう言って戦前音源の話ばかりしていたら振り向いてもらえないかもしれないので、ナット・キング・コールの『アフター・ミッドナイト』で四曲参加しているうち、最も面白いんじゃないかと思う「サムタイムズ・アイム・ハッピー」をご紹介しておく。
これは1956年録音だが、お聴きになって分るように、スタッフ・スミスのヴァイオリンは電気でアンプリファイされているよね。CD パッケージやブックレットのどこにもそういう記載はないが間違いない。音を聴けば誰だってそうだと判断できるはず。スタッフ・スミスは、実を言うと戦前から電化ヴァイオリンを弾いていて、たぶん最も早い電化ヴァイオリン奏者じゃないかなあ。

ナット・キング・コールとも、間違いなく戦前から付き合いがあったはず。ナット・コールのソロ・デビューは1940年で、しばらくのあいだはトリオ編成で、ややジャイヴィーなジャズをやっていた。特にヴォーカルにそんなフィーリングがある。戦前におけるスタッフ・スミスとの共演録音はないはずだけど、レコードになっていないだけで演奏そのものは一緒にやることがあったんじゃないかなあ。

ナット・キング・コール関連の話からはじめるのには理由がある。いまでは1940年代初頭のデッカ録音がジャイヴに分類されることもある人なので、そんな人との(ジャイヴィーなフィーリングはないが)戦後録音の共演でスタッフ・スミスをご紹介すれば、このヴァイオリニストがどんな持味の人だったのか、とっかかりとして分りやすいんじゃないかと思ったのだ。

スタッフ・スミスの初録音はヴォキャリオン・レーベルへの1936年2月11日。五曲、というか一曲を3ヴァージョン、そして他に二曲録音している。それらのうちでは3ヴァージョンやった「アイズ・ア・マギン」が、スタッフ・スミスの音楽生涯においても、(ジャイヴ・)ジャズ史においても、間違いなく最も有名で、かつ最重要だ。

まずちょっと音源をご紹介しよう。三つあるうち二つを貼り付けておく。パーソネルはスタッフ・スミス(ヴァイオリン、ヴォーカル)、ジョナ・ジョーンズ(トランペット、ヴォーカル)、レイモンド・スミス(ピアノ)、ボビー・ベネット(ギター)、マック・ウォーラー(ストリング・ベース)、ジョン・ワシントン(ドラムス)。

「アイズ・ア・マギン」
僕の持つスタッフ・スミスの録音集『ザ・コンプリート・1936-1937・セッションズ』には、冒頭でこれら二つに続き、もう一個の「アイズ・ア・マギン(パート2)」が収録されているので、「アイズ・ア・マギン」が全部で三つ。三つ目も「パート2」となっていて、二つ目も三つ目も曲名のあとに「ミュージカル・ナンバーズ・ゲーム」と記されているので、それを見るだけだと区別できない。

さらに実際の音を聴き比べても、それら二つの「アイズ・ア・マギン(パート2)」の違いは小さい、というかほとんどないに等しい。どうやらテイク違いということのようだが、どっちがテイクいくつなのかは判然とせず、曲目一覧のところにも全くなにも記されていない。

ディスコグラフィカルなデータ付きの曲目一覧のあとに、凄く小さい英文字で、しかも長めの註があって、老眼鏡をかけてそれを読むと、この「アイズ・ア・マギン(パート2)」の二つのテイクについてはかなり入り組んだ面倒くさい事情があるようだ。それを僕が日本語で詳しく説明しても、おそらくほぼ全員のスタッフ・スミス・ファンにとってすらあまり意味のないことかもしれない。

かいつまんで言うと、1936年2月11日に「アイズ・ア・マギン(パート2」を米ヴォキャリオンに2テイク録音し、アメリカではテイク1(と推測されるもの)が、イギリスではテイク2が SP 盤で発売され、当時のヴォキャリオンの権利を持つ米コロンビアは、その後のリイシューの際にこの事実を見逃してしまい、70年間以上もテイク2(と推測されるもの)は失われたままになっていた。それに関連してマトリックス・ナンバー記録の混乱があったようで、そのせいでテイク2が見失われたままになっていたようなんだけど、その話はチョ〜煩雑なのでやめておく。

とにかく演奏内容としては「アイズ・ア・マギン(パート2」はどっちのテイクもほぼ違いがないと言って差し支えない程度なので、パート1との二つ聴けば充分だ。それら二つのレコードがヒットして、スタッフ・スミスの代表曲となり、彼が率いるオニックス・クラブ・ボーイズが当時定期出演していた、ニュー・ヨークはマンハッタンにあるオニックス・クラブでも人気バンドとなった。

オニックス・クラブにはスピリッツ・オヴ・リズムズも出演していたし、ある時期のアート・テイタムは、断続的にではあるが常時出演のハウス・ピアニスト的存在だった。その他レッド・マッケンジーとかジョン・カービーとかマキシン・サリヴァンとか、あのへんのジャズ系の音楽家に興味のある人間には忘れられない名前。実質的には1939年で終った店で、その後42年に再開し49年まで存続し、やはりいろんなジャズ・メンが出演したが(チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーも)、経営関係は切れていた。

オニックス・クラブとスタッフ・スミスといえば、僕の持つ『ザ・コンプリート・1936-1937・セッションズ』は2007年リリースの英国 HEP 盤なんだけど、これの最後の三曲が1936年と37年のライヴ録音。オニックス・クラブでの演奏ではないものの、間違いなくこんなようなものをやっていただろうと推測できるものなのだ。

その三つのライヴ・テイクのうち二つ目がやはり「アイズ・ア・マギン」で、中心になって歌うのがやはりスタッフ・スミスとジョナ・ジョーンズ。それに絡みバンド・メンの(おそらく)全員がワワ〜ッ、ワワ〜ッという例のスキャット・コーラスを入れている。スタジオ録音におけるパート2の方を下敷きにしていて、しかもスタジオ版パート2では終盤少しだけある器楽アンサンブルと凄く短いヴァイオリンの出番すらなく、全編ヴォーカルでのやり取りだけ。スタジオ版でも、パート1の方ならほぼヴォーカル・オンリーだけどね。

だからスタッフ・スミスをあくまでシリアスなジャズ・ヴァイオリニスト、それもジョー・ヴェヌティやステファン・グラッペリらと並ぶパイオニアの一人して聴いて評価したい人たちには「アイズ・ア・マギン」は向かない。ヴァイオリン演奏がほぼ聴けないんだから当然で、実際そういう方々の文章は、どれもこれもこの曲を無視している。

がしかし僕からしたら、「アイズ・ア・マギン」こそ最も面白いスタッフ・スミスのジャイヴ・ミュージックなんだけどね。それはそうとこの 「I’se A Muggin’」という、曲題と歌詞のなかにも出てくるフレーズはどういう意味なんだろう?マギンという単語の綴りと響きからしてマリファナと関係があるだろうけれど、聴いてもそれは分らない。I の次の se が be 動詞のことなのは分るけれど、 muggin’ ってなんだよ?

歌われている歌詞を聴くと、お茶を飲んだりお酒を飲んだりなどと関係があるみたいだ。しかし mugging でドロボウとかゴロツキとかマヌケとかいう意味もあって、でもそっちは関係なさそうだ。楽しくお茶やお酒を飲みながら騒いでいるということかなあ?

と思ってよく調べてみたら、どうやらこれは軽快で愉快に面白おかしく演奏しスウィングしている状態を言うスラングらしい。ってことはつまり「アイズ・ア・マギン」とは、やっぱり「いま楽しくやってるぜ」「オイラはいまジャイヴしているぜ」という程度のことなんだろう。そう考えると、歌詞全体の流れや曲調なども理解しやすい。

そうは言うものの、上で貼ったパート2の方の「アイズ・ア・マギン」には、一瞬ヴァイパー(viper)という言葉も出てくるよね。これは意地悪とか腹黒とかいう人間を指す言葉だ。ってことはゴロツキとかロクでもない奴という意味の mugging とも関係あるのかもしれないなあ。う〜ん、僕の英語理解力ではこのあたりまでしか言えない。どたたか1930年代のアメリカ英語のスラングに通じている方、お願いします!(って、英語教師がそんなことでいいのかよ…^^;;;)

ヴァイパーといえば、僕の持つ『ザ・コンプリート・1936-1937・セッションズ』には九曲目に「ユア・ザ・ヴァイパー」という曲がある。これもスタッフ・スミスのレコードのなかでは「アイズ・ア・マギン」と並ぶ代表曲・有名ヒット曲で、スタッフ・スミスのヴァイオリン・ソロやジョナ・ジョーンズのトランペット・ソロも聴けるので、普通のジャズ・ファンにもオススメしやすいかもしれないね。
それらのソロもそうだし、コンボ全体が猛烈なスウィング感で演奏しているなんてことは至極当然のことだから、今日はあえて書かなかった。シリアスなジャズ・リスナーはスタッフ・スミスのヴァイオリン演奏のスウィング感が凄いとか、どういう技巧を用いているかなどを詳しく書いていて、いくつか見つかるけれど、楽しく愉快にノヴェルティ風味全開でやっている、つまりジャイヴ・ミュージックをやっているということにも目を向けてほしいのだ。

ところでスタッフ・スミス自身はビ・バップ・ムーヴメントに批判的だったらしいのだが、パーカーやガレスピーとの共演歴もあるし(まあこの二名も伝統と断絶するようなかたちの音楽革命をやったわけじゃないし、実際ジャイヴ系ジャズ・ミュージシャンとの正式な共演録音だってあるわけだし)、また実際スミスの録音集を聴くと、スウィングからビ・バップへの移行期にあったかのような中間的な音楽に聴こえなくもない。

ジャイヴやジャンプって、それ自体楽しいものだからその理由だけで僕は聴いているわけだけど、アメリカ音楽史的視点からは、これら両者が合体してリズム&ブルーズ、そしてロックンロールを産んだ(その典型例が亡くなったばかりのチャック・ベリー)と言われるけれど、実はジャイヴもジャンプも、ビ・バップというメインストリーム・ジャズの新潮流への予告でもあったんだよね。

だってさぁ、上で貼った「アイズ・ア・マギン」のパート1でもパート2でもどっちでもいいが聴き直してもらいたい。スキャットで入るバック・コーラスは、はっきり「ビ・バッ!ビ・バッ!」とリピートしているじゃないか。擬音を使ったこんな言葉遊びがジャイヴ・コーラス・グループにたくさんあって、ジャズの新潮流もそこから名前をもらっていたんだよね。

2017/03/20

特にサンディニスタとは関係ない(?)1980年代風アフロ〜ジャマイカンなシンセ・ポップ

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アンタこれを聴くのか?と言われそうなヴァンパイア・ウィークエンドというロック・バンド。いちおうインディ・ロックに分類されているようだけど、そんなことはどうでもいい。まあまあ好きなアルバムがあるんだよね。それが2010年の『コントラ』。このバンドのアルバムはこれ一枚しか持っておらず、これ以外は聴いたことがない。といっても他には二枚しかないみたいだが。

ヴァンパイア・ウィークエンドなんて興味もなかった。だいたいこのバンドの名前がちょっとなあ。でも2010年の『コントラ』を買ったのはかなり評判になっていて、実際評価も高いようだったし人気もあって、そんなことが僕の耳にも入っていたからだ。いわく「アメリカン・シンセ・ポップと、レゲエやスカやカリプソやアフロ・ポップをごた混ぜにしている」と。それなら聴いてみたいよね。

それに、『コントラ』というこのアルバム・タイトル。これはあれじゃん、ニカラグアの親米反政府民の通称じゃないか。例の1979年のサンディニスタ革命の時に、サンディニスタ民族解放戦線に対抗し反革命(contra-revolución)の立場をとった民兵、というか傭兵のことだもんね。へえ〜、どういう音楽になっているんだろうって思うよね。クラッシュのことをどうしても思い出してしまうからね。

ところがこの『コントラ』というのは、そんなニカラグアのサンディニスタ革命への言及ではなく、直接的にはあくまでコナミのテレビ・ゲームのタイトルからいただいたんだそうだ。ということをヴァンパイア・ウィークエンドのエズラ・コーニング(リーダー格?)が明言している。エズラは1984年生まれだそうだから、コンピューター・ゲーム世代だよね。

(コンピューター・)テレビ・ゲームにほぼ全く縁のない人生を送ってきている僕なので、その「コントラ」というコナミのテレビ・ゲームがどんなものなのか、全く分らない。調べてみたら特殊部隊の兵士が謎の軍隊と戦うアクション・シューティング・ゲームみたいだから、コナミもやっぱりニカラグアの民兵から名前をもらっているんじゃないのかなあ。いやまあ全く知らないけれども。日本では「魂斗羅」という名前で販売されている(いた?)みたい。

だからヴァンパイア・ウィークエンドのアルバム『コントラ』になんらかの政治的な意味合いを感じて、クラッシュも連想して、へぇ〜、ちょっと面白そうかもと思って買った僕のアテは完全に外れてしまったし、中身の音楽を聴いてもそんなニュアンスはこれっぽっちも聴き取れない。普通にただ楽しいだけのポップ・ミュージックで、でもそれでよかったとちょっと安心した。ホント面白いんだよね。

アルバム一曲目の「オーチャータ」は、デジタル・サウンドをメインに据えたシンセ・ポップとして普通にはじまるものの、途中から打楽器群がメチャメチャ賑やかに鳴りはじめ、マリンバも効果的に使われて、そうかと思うとパッとそれらが止まって静かになったり、また賑やかになったりの繰返し。そのギャップが面白い。ストリングスのサウンドも聴こえるが、これは生演奏の弦楽器を使っているようだ。
二曲目の「ワイト・スカイ」はイマイチなので飛ばして、三曲目の「ホリデイ」、これはスカだ。アメリカ人がやるスカだけど、たぶんジャマイカから直接持ってきたようなものではなく、レゲエ同様、1980年代に英国の労働者階級のための音楽となっていたあたりから影響されているに違いない。でも UK スカ/レゲエ勢のような深刻なディープさは全くなく、底抜けに明るい調子だ。
ラップ・チューンの四曲目「カリフォルニア・イングリッシュ」は歌詞がかなり面白いけれど、サウンド的には特にどうってことはない。途中でやはり生楽器演奏によるストリングスのサウンドが入る。それはヴァイオリン&ヴィオラ担当とチェロ担当の二名しかクレジットされていないから、間違いなく多重録音している響きだ。だけど、まあホントなんでもないような曲だ。歌詞以外はね。
生の弦楽器といえば、アルバム『コントラ』八曲目の「ギヴィング・アップ・ザ・サン」でも使われている。 がしかしこの曲では生楽器よりもデジタルなシンセサイザー・サウンドの方が目立つ、というかほぼそれ一本で組立てている。かなり売れそうな(実際に売れたかどうかは知らない)明快なシンセ・ポップ・チューンで、アルバム中最もとっつきやすい一曲に違いない。リズムも躍動的でいいね。
アルバム九曲目の「ディプロマッツ・サン」。これがアルバム『コントラ』のなかでは最もアフロ・オリエンティッドな一曲だろう。レゲエ風でもある。しかもトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズから引用してあるし、さらに英国の女性ラッパー M.I.A. のヴォーカルも一部サンプリングして挿入してある。
この「ディプロマッツ・サン」は、アルバム中もっとも長い六分以上あるし、長さだけでなく音楽的な中身で判断しても、『コントラ』のクライマックス、最も優れた魅力的な一曲に違いないと僕は思う。ヴァンパイア・ウィークエンドのリーダーかどうかよく知らないがヴォーカルを取る、1984年生まれのエズラ・コーニングの音楽的背景がギュッと凝縮されているんだろう。貼った音源をお聴きいただければ、この世代に80年代の UK ジャマイカン・ミュージックやアフロ・ポップがもたらしたものがお分りいただけるはず。

アルバム・ラストの十曲目「アイ・シンク・ユア・ア・コントラ」には、でもやはりクラッシュの1977年のシングル曲「コンプリート・コントロール」から持ってきた歌詞の一節がある。”コントラ”という言葉がタイトルに入った曲のなかでクラッシュに言及するっていうのは、やっぱりあれじゃないのぉ〜。クラッシュの1980年リリースの三枚組アルバム、タイトルは『サンディニスタ!』だったもんねぇ。ヴァンパイア・ウィークエンドのこれは、サウンド的にどこも全く革命的ではないけれど。

2017/03/19

ジャズ史上初の単音弾きギタリスト〜エディ・ラング(その1)

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モダン・ジャズしか聴かないジャズ・ファンは絶対に知るわけがないエディ・ラングというギタリスト。僕の見るところ、ジャズの世界においてシングル・トーンでソロを弾くようになった最初のギタリストなんだが、いまではそんなエディ・ラングの重要性なんかどっか行っちゃってるよなあ。

だってチャーリー・クリスチャンがギター単音弾きソロの開祖であるかのように言われることがしばしばあるくらいだもんね。チャーリー・クリスチャンの初録音は1938年(だから僕の感覚だとやや現代人寄り)。エディ・ラングの方は、ギターはフル・アクースティックなものだけど、初録音が1925年。しかし僕はこの年のエディ・ラングを聴いたことがない。僕の持つ最も早い録音は26年9月29日となっている。

この日にヴァイオリニストのジョー・ヴェヌティとのデュオで録音したのが「ブラック・アンド・ブルー・ボトム」で、英 JSP レーベルがリリースした CD 四枚組『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』の冒頭を飾っている。ギター&ヴァイオリンだけのデュオ録音だ。こう言うと多くのみなさんがジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリのコンビを連想するだろう。フランスにおけるこの二人の出会いが何年のことなのか明確になっていないが、少なくとも初共演録音は1934年。

したがってアメリカにおけるエディ・ラング&ジョー・ヴェヌティ・コンビの方が10年近く早かったことになるし、実際ギタリストの方にだけ焦点を当ててても、ジャンゴはエディ・ラングからの影響を隠せないもんね。ジャンゴだけじゃないぞ。なんたってジャズの世界でシングル・トーン弾きを録音した最初のギタリストがエディ・ラングなんだから、それを踏まえると、この人の意義・重要性たるや絶大だ。

というわけでエディ・ラング&ジョー・ヴェヌティの『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』について、今週・来週の二回連続シリーズで書いてみたい。どうして二回に分けるのかというと、この二名ともそれくらいの重要人物だということもあるが、それ以上に CD で全四枚は計五時間を越えているので、一度に全部集中して聴き直すのが難しいのだ。だから今日はその四枚組の二枚目までに限定する。来週は三枚目と四枚目について書くつもり。

上で書いたように、僕の持つエディ・ラング&ジョー・ヴェヌティ・コンビの最も早い録音は1926年9月29日の「ブラック・アンド・ブルー・ボトム」なんだけど、この曲ではエディ・ラングは伴奏に徹していてソロは弾いていない。もっぱらヴェヌティがヴァイオリンを弾きまくるものだ。しかし曲中シングル・トーンでのユニゾン・デュオになる部分もあるし、バッキングでも単音フレーズで弾く瞬間もある。
ギター&ヴァイオリンのデュオで、これを含め1927年1月24日までに五曲録音している。五曲ともやはりほぼ全面的にジョー・ヴェヌティをフィーチャーしていて、エディ・ラングのギター・ソロらしきソロと言えるものは聴けない。イントロ部分やその他各所で単音でメロディを弾くものの、それは全く目立たず、五曲ともバッキングでのコード弾きがメイン。

それら1926/27年録音の五曲は、だからエディ・ラングよりも、むしろヴァイオリンのジョー・ヴェヌティと、このデュオの絡み合いの楽しさを味わうべきものだね。上で書いたように、同じ楽器を用いたフランスにおけるジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリ・コンビの初共演録音が1934年なわけで、このパートナーシップはいまでも大人気だけど、そのプロトタイプが10年近く前のアメリカにあったことになるんだけどね。

戦前の早い時期のジャズ・ヴァイオリンという点だけ見たって、ステファン・グラッペリだけじゃなくジョー・ヴェヌティにも注目してほしいのだ。後者の方が録音はずっと先だし、いまでも人気のあるグラッペリが弾くスタイルの原型は、もっと早い時期のヴェヌティが確立していた。たぶんグラッペリはヴェヌティ(とエディ・ラングとの共演)のレコードを聴いて勉強していたと思うんだよね。

ギタリスト、エディ・ラングがシングル・トーンでソロを弾いた最初は、僕の持つ『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』だと、一枚目六曲目の「エディーズ・トゥウィスター」。1927年4月1日録音で、この日にもう一曲「エイプリル・キシズ」を録音している。前者はピアニストとのデュオ演奏だけど、ピアノは伴奏に徹していて、もっぱらエディ・ラングがソロを弾く。下に音源を貼る無伴奏ギター・ソロ演奏の「エイプリル・キシズ」の方が、ラングのギター技巧はよく分るだろう。
これを録音したあとは、再びジョー・ヴェヌティとのコンビで、他のジャズ・メンも若干参加したスモール・コンボ編成でやったり、またエディ・ラングの無伴奏ギター・ソロ録音があったり(1927年5月と6月に一曲ずつ) などして、コンボ編成でもヴェヌティ同様ラングもソロをたくさん弾いている。どっちかというとやはりヴァイオリンの方に焦点が当たっているような感じだけど、そのあいだもラングがコード弾き、シングル・トーン弾きの両方でかなり複雑な伴奏、オブリガートを入れたりするので、耳を奪われる。

無伴奏でギターを弾く時のエディ・ラングのスタイルは、おそらくポピュラー音楽界に同じ楽器でお手本になる先達の録音がまだ少なかったということなのか、あるいは関係ないのか、クラシックのギター・ソロ作品のような趣だ。といってもラングが弾くのはガット(かナイロン?)弦のものではなく、あくまでスティール弦のアクースティック・ギター。ギター独奏ではジャジーな雰囲気はあまり聴き取れない。そういえばジャンゴ・ラインハルトも一人で弾く時はそんな感じだったよね。

どうやらエディ・ラングがシングル・トーンでギターを弾く時のそのスタイルの影響源は、やはりクラシックのギター作品と、さらにアメリカに既に存在していた白人フォーク界と黒人ブルーズ界のギタリストたちだろう。それら三つともまだ録音物自体はさほど多くはなかったはずだから、それ以上に生演奏機会で触れて、参考にしていたんだろう。少なくともジャズ界にはまだそんなギタリストは皆無のはずだったから。

『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』の一枚目でちょっと面白いのは、レッド・マッケンジーが参加し歌い、さらに例によってお得意の櫛演奏を聴かせる二曲(1927年6月21日録音)と、終盤に入っているビックス・バイダーベック&フランキー・トランバウアーがピアノと C ・メロディ・サックスを演奏する一曲(1927年9月17日録音)だろうなあ。

レッド・マッケンジーはホントいろんなところに顔を出す人だけど、エディ・ラング&ジョー・ヴェヌティ・コンビとの録音でも、やはりノヴェルティなヴォーカルと櫛を披露しているので、曲全体がほんのちょっとジャイヴ・ミュージックの流行を先取りしたかのような雰囲気だ。ビックスとフランキーがラングとの三人でやったものは、普通のジャズ・ファンにも説明不要だ。ビックスはコルネットの方も終盤でほんのちょっとだけ吹く。またラングのギターがややブルージーなフレーズを弾く瞬間もあって楽しい。
『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』二枚目の方で一番面白いのは、20曲目の「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルーズ」だね。言わずと知れたリロイ・カーの超有名ブルーズ・ナンバー。カーのオリジナルは1928年6月19日録音で、すぐにレコードが出ているが、エディ・ラングらがやったものは同28年10月5日録音。サニー・ポーターのヴォーカルと J・ C・ジョンスンのピアノというトリオ編成。サニー・ポーターは歌の後半にスキャットで「ワァワァ」とやってラングのギターと絡むのも面白い。
しかしこのサニー・ポーターというヴォーカリスト、誰だこれは?知らないなあと思ってネット検索してもほぼ全く情報がないが、ただ一つ、以下のようなページが見つかった。この情報によれば、上記「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルーズ」以外にはたったの一曲しか録音していない人物のようだ。「ブルーズ・シンガー」となっているが、あんまりそんなフィーリングはないよね。
ブルーズ歌手といえば、『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』二枚目には、ヴィクトリア・スパイヴィが歌うのが二曲ある。1928年9月12日録音で、コルネットのキング・オリヴァー、ピアノのクラレンス・ウィリアムズなど有名人も参加しているなかに、ギターのエディ・ラングもいてソロも弾く。この二曲におけるラングの単音ソロもちょっとブルージーなフィーリングがあってなかなかいいよ。

『ザ・ニュー・ヨーク・セッションズ 1926 - 1935』二枚目にあるヴィクトリア・スパイヴィの歌う二曲のうち「マイ・ハンディ・マン」は、アルバータ・ハンターが1980年の復帰盤『アムトラック・ブルーズ』のなかで歌っていたので、ご存知の(ジャズ・)ファンも大勢いらっしゃるはず。1928年にエディ・ラングらとやったヴィクリア・スパイヴィのヴァージョンも聴き応えがあるんだ。

2017/03/18

これがサンバだ!

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僕がブラジルのサンバ音楽を熱心に聴こうと思いはじめた頃、既にホンモノのサンバ、というかオールド・スクールのサンビスタたちのものは、簡単に入手することができなくなっていた。かろうじてカルトーラの二枚がテイクオフから出ていたの(『人生は風車〜沈黙のバラ』『愛するマンゲイラ〜詩人の涙』)を楽に買えたくらいで、それが1990年代なかばあたりのこと。

その少し前に田中勝則さんが現地ブラジルはリオ・デ・ジャネイロでプロデュースしたサンバのアルバムが出ていたらしい。僕はそれも買い逃しているのだが、1986〜91年に10枚ほどリリースされていたんだそうだ。しかもそれらはブラジル本国でもほとんど、あるいは全くレコーディングの機会すらなく、そのまま埋もれようとしていた古老サンビスタの熟練の味わいを捉えた極めて貴重なものだったとか。う〜ん、僕もせめてあと10年早く興味を持っていたらなあ…。

ただしかし、その10枚ほどの田中勝則さんプロデュースのサンバ・アルバムから、田中さんご自身が特にこれは名演というものをピックアップして編纂し、バラ売りの CD 二枚にまとめたアンソロジーが1998年にオフィス・サンビーニャからリリースされている。なんとかそれには間に合った僕。これは本当に涙が出るほど嬉しかったんだよね。

それが『samba é isto!』と『samba é isto! 2』の二枚。このアルバム名こそ、今日僕が本記事の表題にしている「これがサンバだ!」という意味のポルトガル語に他ならない。CD 二枚で全37トラック、計2時間10分ほどのこれを聴いていると本当に気持ちいい。しかもこういう味わいのサンバ音楽は、これまたやはり失われて取り戻せないものなんじゃないかなあ。

日本国外でどれだけ『samba é isto!』『samba é isto! 2』二枚が聴かれているのか、僕は全く知らないが、二枚とも表ジャケット・裏ジャケットともに日本語はほぼなく全てポルトガル語と英語表記で、しかも附属ブックレット末尾にも(日本語解説文に続き)英語で簡単な文章が掲載されているということは、田中勝則さんご自身、やはり海外流通を意識なさったんだろう。

それは当然なんだよね。サンバの世界をたいして知らない僕だって、『samba é isto!』と『samba é isto! 2』に収録されているものを演奏したのが、ブラジル本国でも見過ごされてきたか、あるいは録音機会という意味でならほぼ無視されてきたサンビスタたちだと知っている。音楽技量は極上なのに。しかしこれはある意味理解できないでもない。

どういうことかと言うと、サンバは共同体内部の音楽だという側面が強い。だから生演奏現場こそが「ホンモノ」であって耳にするおそらく唯一の機会。レコードなどに録音して外部、ましてや外国の音楽愛好家に聴かせるなんてことは眼中にないんじゃないかなあ。しかしそれではあまりにもったいないと考える人たちによってレコーディングされてきた。1986年の田中勝則さんもまたそんな一人。

『samba é isto!』ブックレット解説文の田中勝則さんによれば、まず最初のきっかけは1985年にナラ・レオーンの伴奏バンドの一員としてともに来日したショーロ演奏家エンリッキ・カゼスと話をしたことだったらしい。それでサンバ名人たちが録音の機会すらなく、このまま忘れ去られてしまうのではあまりに忍びないというので、じゃあ自分たちで録ろうじゃないか、レコードを作ろうじゃないかとなったんだそうだ。

それが田中勝則さんの初ブラジル訪問だったのかどうかは僕は知らない。詳しい紆余曲折も書かれてあるのだがそれは省略して、とにかく結果的に10枚ほどのサンバ・アルバムができあがった。ブックレットなかほどにそれらのジャケットも掲載されている。『samba é isto!』『samba é isto! 2』二枚のオリジナルがそれなんだと思うとよだれが出る。

『samba é isto!』『samba é isto! 2』二枚で聴けるサンバはかなりディープな味わいを持った「ホンモノ」のサンバで、1980年代後半〜90年代初頭だと、本国ブラジルでも滅多に製作されることのないものだったようだ。繰返すが僕はそれらのオリジナル・アルバムは一枚も持っていない。抜粋・編纂された『samba é isto!』『samba é isto! 2』二枚しか聴いていない。

だがそれで十分なのかもと思えてくるほど『samba é isto!』『samba é isto! 2』二枚の内容は素晴らしい。全37トラック(と書くしかない、複数曲メドレー形式のものがいくつもあるから)、息つく暇もないほど次々と名演が流れてきて、じゃあ緊張感で息苦しいのというと正反対で、リラックスできて心地良く、いつまでもこの音楽に身を任せていたい、この世界に浸っていたいという気分になる。不思議な味わいだ。

『samba é isto!』『samba é isto! 2』二枚。どの曲の誰のどこが素晴らしいだなんて到底指摘できない。文字通り「全員」が円熟の境地で見事な演奏を聴かせる。この二枚の CD、解説文でも参加ミュージシャンは全員の名前が書かれておらず、リーダー名義の人物名しか載っていない場合が多いが、う〜ん、すごく知りたいぞ。このギターは誰だ?クラリネットは?パーカッションは?コーラス隊は?…

多くの場合オリジナル・アルバムのリーダーである人物名しか分らないので、それを書くしかないが、例えば『samba é isto!』一枚目の方に一番たくさん収録されているウィルソン・モレイラ。聴いてみるとアフロ色の強いブラック・ルーツ・サンバをやる人みたいだ。じゃあアクが強いのかというとそうでもなく、サラリと軽快なノリでリラックスできる。

『samba é isto!』におけるウィルソン・モレイラのベストは、たぶん12トラック目の「永遠のマンゲイラ」と14トラック目のメドレー「神の恵み〜モンダージの人々へ〜自由夫人」だろうと僕は思う。前者では曲題になっているエスコーラ・ジ・サンバの面々が大編成コーラスで参加。後者ではマウリシオ・カリーリョのアレンジ構成も冴えている。
これらが収録されたオリジナル・アルバムであるウィルソン・モレイラの1989年作『オコロフェ』もフルで上がっているみたいだ。こりゃいいなあ。是非このアルバムをフィジカルでほしいもんだと思ってアマゾンで検索したら、同じジャケットの中古盤がとんでもない高値だけど、違うジャケットのライス盤中古が1000円代と安かったので、速攻でポチったよ。
二枚目の『samba é isto! 2』の方は編纂方針が異なっている。こちらは個人のサンビスタというよりも、マンゲイラ、ポルテーラという二大エスコーラ・ジ・サンバに焦点を当てたような内容。リオ・デ・ジャネイロのサンバ現場におけるありようという意味では、この二枚目の方がむしろ注目されていい。

一枚目よりも二枚目『samba é isto! 2』で聴けるサンバの方が一段とグッと枯れた味わいで渋い。実際、演奏し歌っているのもかなりの古老たちである模様。一枚目『samba é isto!』でしばしば聴けた、賑やかに騒ぐパーティのような雰囲気はほぼ全くなく、それに代わってしっとりと落ち着いたノリで、深みのある音楽を聴かせてくれる。

例えば『samba é isto! 2』一曲目の「マンゲイラの魅惑」を書いて歌っているネルソン・サンジェントは1924年生まれで、かのカルトーラを師と仰ぎ、実際親しく、カーニバルでのエスコーラのパレードのためだけでなく、プロ音楽家としても活躍した、このアルバム製作時点での現存するマンゲイラ伝統派最高のコンポーザー。アルバム二曲目の「カルトーラに捧ぐ」をどうぞ。
『samba é isto! 2』では七曲目のゼカ・パゴディーニョによる「バラ」もいいなあ。1905年生まれだそうだから、録音時には80歳を越えていたはず。やはりマンゲイラの人だけど、1940年代に書いたらしい「バラ」はメランコリックで哀感を伴い、ショーロっぽい味わいがある曲だ。いいねこれ。YouTube にはない。

『samba é isto! 2』では12曲目からがポルテーラ篇(ラスト20トラック目だけはマンゲイラのネルソン・サンジェントの曲だが、やっているのはポルテーラの音楽家)。音楽的側面におけるマンゲイラのサンバとの最大の違いは、マンゲイラの方はしばしば個人にスポットライトが当たるのに対し、ポルテイラのサンバは非常にコミューナルなスタイルを持っているという点。『samba é isto! 2』収録の八曲でも、多くの場合コーラスでしか歌わない。

そんななかでこれが一番楽しくて、しかもサンバ・コミュニティ内で楽しまれているポルテーラの音楽に近いのかなと推測できるのが、17トラック目のメドレー「理想の女じゃない〜俺たちの幸せ」。やっているのはヴェーリャ・グァルダ・ダ・ポルテーラ。やはり大編成のコーラス・ワークを聴かせる。
『samba é isto! 2』ラスト20トラック目は「サンバは死なず」。全編にわたりコーラスで歌われるこの曲は、いわばサンバ賛歌みたいなもの。実際ブラジルのサンバ音楽家たちにとってはそういう象徴的な曲となって、いろんな人が歌っているようだ。『samba é isto! 2』収録ヴァージョンが YouTube で見つからないので、それにも参加しているこの曲の初演歌手ベッチ・カルヴァーリョのものをご紹介しておくとしよう。

2017/03/17

ファースト・マイルズ(とプロレス技)

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マイルズ・デイヴィスが自己名義のリーダー録音を初めて行ったのは、結果的に『クールの誕生』の一部になった1949年のキャピトル録音ではない。チャーリー・パーカー・コンボ時代の1947年8月14日のサヴォイ録音だ。この日四曲(計12テイクが現存)吹き込まれ、マスター・テイクは四つ全て「マイルズ・デイヴィス・オール・スターズ」名で当時レコード発売された。

四曲とは「マイルストーンズ」「リトル・ウィリー・ウィープス」「ハーフ・ネルスン」「シピン・アット・ベルズ」。全てマイルズの作曲したものだ。これらのうち、「リトル・ウィリー・ウィープス」を除く三つの曲名には、特にビ・バップ・ファンではないモダン・ジャズ・リスナーも、オッ!となるんじゃないかなあ。でも最初の曲のそれは見当外れかも。

「マイルストーンズ」は、マイルズ自身が全く同じ曲名で1958年にコロンビアに録音しているが、1947年サヴォイ録音のは完全なる異曲。なんの関係もないはずだ。マイルズだって忘れていたとは考えられないのに、どうして同じタイトルにしたんだろう?このあたりはちょっと謎だが、しかし47年サヴォイ録音の「マイルストーンズ」だって、典型的なビ・バップ・ナンバーとも言えないのは確か(後述)。

他の二曲「ハーフ・ネルスン」「シッピン・アット・ベルズ」はご存知の方も大勢いらっしゃるはず。前者は1956年にマイルズ自身がファースト・レギュラー・クインテットでプレスティジに再録音し、『ワーキン』に収録された。後者は半ばスタンダード化していて、いろんなジャズ・メンがカヴァーしている。僕はソニー・クラークの『クール・ストラティン』B 面にあるヴァージョンが一番好きだなあ。

マイルズが書いてスタンダード化したものといえば、話題にしている1947年8月14日のセッションの一個前のサヴォイ・デイトで「ドナ・リー」を録音している。同年5月8日。マスター・テイクも含め完奏テイクが四つあって、もう一つたった15秒ほどの未完成テイクも聴ける。

「ドナ・リー」はチャーリー・パーカーの名前を作曲者にして版権登録されているが、マイルズが書いたものだという事実は、当時から周囲の一部には知れていたらしい。僕の知る最も有名なエピソードは、当時クロード・ソーンヒル楽団で専属アレンジャーだったギル・エヴァンスがこの曲をとりあげようと思いパーカーに許諾を得ようとしたら、「あぁ、あれはマイルズが書いたんだ、やつに聞いてくれ」と言われたというもの。

ギルがアレンジしたクロード・ソーンヒル楽団の「ドナ・リー」は1947年11月6日録音。この時ギルがマイルズに連絡したのが、終生続くこの二人の音楽的パートナーシップのはじまりだったのだ。マイルズは「ドナ・リー」を使っていいよと許諾を与える見返りに、ギルの書いたソーンヒル楽団のアレンジ譜面を見せてくれと頼んだようだ。だから既にこの頃から『クールの誕生』で聴けるようなサウンドに着目していたんだね。

「ドナ・リー」の話は置いておいて、1947年8月14日のサヴォイ録音で完成された四曲。上で「マイルストーンズ」が典型的なビ・バップ・チューンではないと書いたが、ちょっと音源を貼ってご紹介しよう。テーマ・メロディもやや水平的なメロディアス志向で、メカニカルに上下するようなものではない。すなわちビ・バップ的ではない。
これでお分りのように、まず一番手でマイルズがソロを吹く。カップ・ミュートを付けて、かなりクールでおとなしい静的なソロだよね。まあこの点だけならマイルズはずっと前からそうなんだけど、二番手のジョン・ルイスのピアノ・ソロ、三番手のパーカーのテナー・サックス・ソロまで似たような雰囲気だ。

このマイルズの初リーダー名義録音で、パーカーがアルトではなくテナーを吹いているのは、マイルズの希望だったのかパーカー自身のアイデアだったのか、僕には分らない。がしかし1953年1月30日のプレスティジ録音(が『コレクターズ・アアイテムズ』の A 面になった)でも、参加しているパーカーはやはりテナー・サックスなんだよね。

だからひょっとしたらマイルズは、初の自己名義のリーダー・セッションなので、1947年というまだパーカー・コンボの一員であった時代でも、ボスであるパーカーにテナーを指示したという可能性があるんじゃないかなあ。そういえば自分自身のレギュラー・バンドを持つようになってからも、マイルズが雇うサックス奏者はアルトよりもテナーの方が圧倒的に多いもんね。マイルズがパーカーに指示した可能性は充分考えられる。

(と昨晩ツイートしていたら、あるセミ・プロ・ジャズ・トランペッターの方から「トランペットとアルト・サックスは音域と音色がカブるので、自分も希望できる際は共演のサックスはテナーの方にお願いしています」とコメントがあった。)

アルトを吹く時のパーカーのサウンドはかなり尖っていて鋭角的なものだけど、1947年8月14日のサヴォイ録音で聴くテナーはムーディーで、しかもやや丸く落ち着いた音色とサウンドなんだよね。上で貼った「マイルストーンズ」一曲だけでもお分りいただけるはず。これはテナーだからではない。テナーで鋭いサウンドのソロを吹くジャズ・サックス奏者はたくさんいる。

ってことはアルトで普段あんな感じのパーカーが、脂の乗り切っている1947年録音ですらテナーでこんな感じになっているのは、まあいくらなんでもそこまで名義上のリーダーであるマイルズがそうしてくれと要求したとは考えにくいから、パーカー自身がマイルズの持つ静的音楽志向を汲んで、それに沿うように合わせようとしたんじゃないかとも思う。

マイルズ自身のソロ内容は、繰返しになるけれど、パーカー・コンボでの初録音、すなわち実質的生涯初録音である1945年11月26日のサヴォイ録音3曲12テイクから既に同じだ。ほぼ全く変わっていない。マイルズのそんなトランペット・ソロは、1991年に亡くなるまでやはりあまり変化していないんだよね。60年代後半にアグレッシヴでフリーになったり、70年代に電気トランペットを使ったりしているのが、ほんのちょっとした例外なだけなんだろう。

つまりマイルズ・ミュージックとはたいていの場合、上物であるボスのトランペットはほぼそのままで、バックで演奏するバンドのリズムやサウンドを、時代の変化にともなってどんどんチェンジしていっただけというのが真実なんじゃないかなあ。サックス奏者にかんしても、初代のジョン・コルトレーン以後似たようなタイプを雇うことがほとんどだ。だからマイルズ・ミュージックの肝はやはりリズム・セクションだよね。

生涯初の自己名義録音である1947年8月14日のサヴォイ・デイトから、既にそんなことを予感させるような音が鳴っているように僕は思うよ。この日の「マイルズ・デイヴィス・オール・スターズ」のリズムは、ジョン・ルイス、ネルスン・ボイド、マックス・ローチの三名。ローチはいつも通りの安定したドラミングで、他の二名はおとなしい。ネルスン・ボイドは知名度のないベーシストだけど、マイルズは1949年のキャピトル録音でも使っているので、『クールの誕生』の一部でも聴ける。

だからお気に入りだったんだろうね。1947年8月14日のサヴォイ録音四曲のうち、「ハーフ・ネルスン」というこの曲名はネルスン・ボイドへの言及だもんね。たぶんボイドの身長のことを言っているんだと思うんだけど、ネルスン・ボイドの身長がどれくらいだったのかは、いくら調べても分らない。ベース・プレイの知名度がないんだから、身長なんか分るわけもないんだが、マイルズが付けた曲名の意味だけは知りたかった。しかたがない。

曲名に関連して言うと、とハーフ・ネルソンっていうレスリング技があるよね。マイルズやジャズとはま〜ったく関係ないだろうけれども。羽交い締めのことだ。昔は全日本も新日本もプロレス中継が盛んで、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が活躍していた頃は毎週レギュラー放送があった。馬場さんの全日なんか、確か毎週金曜日だったか土曜日だったかのゴールデン・タイムだったし、猪木の新日だって毎週金曜の夜八時〜九時だった(っけ?)。

そんなのを僕も好きでテレビでよく見ていて、すると実況アナウンサーがハーフ・ネルソンって言うんだよね。中学生の頃だったか、これが羽交い締めのことだと知り、高校生の終りあたりでジャズにハマってマイルズのプレスティジ盤『ワーキン』を買うと、やはり「ハーフ・ネルスン」という曲があって、なんど聴いてもどう聴いても、プロレスのリング上で繰り出されるあの技とイメージが結合せず、悩んでいたんだよね(苦笑)。こんなヤツ、他にはいませんかね?

そのマイルズの「ハーフ・ネルスン」。1947年サヴォイ録音と1956年プレスティジ録音を聴き比べると、前者の方が静かでおとなしい演奏に聴こえるからちょっと不思議だ。苛烈なビ・バップ全盛期だったのにね。プレスティジ・ヴァージョンではドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズが活躍し派手なビートを叩いているせいでもあるが、ボスのトランペット・ソロだってややハードだもんなあ。

「ハーフ・ネルスン」
1956年プレスティジ→ https://www.youtube.com/watch?v=uO9JD0Kc5iE

「シピン・アット・ベルズ」は、実を言うと1947年8月14日のサヴォイ録音で完成した四曲の中では、テーマ・メロディの動きや流れとコード進行が僕は一番好き。なかなかチャーミングじゃないかな。特にコード・プログレッションが面白いと思うよ。だからこそ半ばスタンダード化して、いろんなジャズ・メンがカヴァーしているんじゃない?ところで下の YouTube 音源はどうしてこんな画像を使っているんだ?もうちょっと雰囲気を考えてくれよな。
マイルズの生涯初リーダー名義録音の四曲。「リトル・ウィリー・ウィープス」のことだけはなにも書いていないけれど、はっきり言って面白くない。またこの日のサヴォイ録音、一応マイルズのリーダ名義でレコードが発売されて、実際、マイルズが音楽的なリーダーシップを発揮していると思える部分も大きいが、バンドそのものは言うまでもなく当時のボス、チャーリー・パーカーのものだ。

だからそれら4曲12テイクは、LP でも CD でもパーカーのサヴォイ録音集に収録されていて、僕も(おそらく他の方も全員)それで聴いている。ただ『ファースト・マイルズ』というコンピレイション盤にも収録はされていて、僕も持っているけれど、それを聴くことはほぼない。これを稀に聴くのはラバーレッグ・ウィリアムズがヴォーカルをとったハービー・フィールズのバンドの演奏が収録されているので、それを聴きたい時だけ(まずないが)。それはマイルズの正真正銘、生涯初録音だから。

2017/03/16

繊細な単弦ギター・スライドで聴かせる野卑なパンク・ブルーズ

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アメリカ戦前ブルーズ界一番の大物で最重要人物は、前から繰返すようにピアノのリロイ・カーだが、ギタリストに限定すれば、それはタンパ・レッドだ(決してロバート・ジョンスンではない)。リロイ・カーについては以前少しだけ書いたので(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-951d.html)、今日はタンパ・レッドについて、それもかなりアッサリと書こう。どうしてアッサリかというと、僕はタンパ・レッドの全部は持っていないのだ。

全音源は持っていないどころか、ほんのちょっとしか僕の手許にはない。タンパ・レッド名義のリーダー・アルバム CD で僕が持つのはたった一枚だけ。1994年にコロンビアがリイシューした『ザ・ギター・ウィザード』。コロンビア盤なので、当然オーケーやヴォキャリオンという同社系レーベルの録音集で、全部で17曲しかないしょぼいアンソロジーだ。

タンパ・レッドの全録音は、これもまたまたまたオーストリアのドキュメント・レーベルが年代順に復刻している。14枚だか15枚だか膨大な数があるんだよね。しかも僕がこのギタリストの重要性に気が付いたのがかなり遅くて、こりゃ全部聴かないとダメだなんだなと悟った頃には時すでに遅し。廃盤で中古しかない状態だった。

それでも全く入手不可の状態ではないようだから、これから一枚ずつ買っていくつもりではある。それにしても以前も言ったけれど、ドキュメントさんと仏クラシックスさんは、一人の音楽家の全集はひとまとまりのボックスにしてくれませんかね?どうしてバラ売りなんですか?手間がかかって面倒くさいですよ。

そんなわけで僕は、コロンビア盤 CD『ザ・ギター・ウィザード』と、あとは各種戦前ブルーズ(など)のコンピレイション CD からタンパ・レッドのものを抜き出して、それらを全部まとめて一つのプレイリストにしてある。ただし最も有名で最も重要な1928年録音の「イッツ・タイト・ライク・ザット」2ヴァージョンは、同じものがいろんなアンソロジーに入っているので、それはダブらないようにして。そうすると全部で22曲。う〜ん、たったこれだけなのか、僕は…。

ところでその「イッツ・タイト・ライク・ザット」は2ヴァージョンだと前から書いているけれど、よく聴き直し、記載データも見直してみると、3ヴァージョンあるじゃないか。僕はタンパ・レッドをコンプリートには持っていないので、実はもっとあるのかもしれないが、それはいまのところどうしようもない。1928年にタンパ・レッドは、バンド編成を変えて(僕の知る限りでは)三回録音し、内容もかなり異なっている。

有名なのは初演である1928年10月24日録音でピアノのジョージア・トムとやったヴァージョンと、もう一個は同年11月9日録音で、やはりジョージア・トム(トーマス・ドーシー [例のゴスペル・ライター] とのクレジットだが同一人物)のピアノ、さらにハーフ・パイント・ジャクスンが歌い、カズーなども入るヴァージョン 〜 この二つだよね。各種アンソロジーに頻出するのも、全部それらのどっちかだ。

ところがもう一個ある。コロンビア盤『ザ・ギター・ウィザード』一曲目の「(ハニー・)イッツ・タイト・ライク・ザット」がそう。1928年12月11日のオーケー録音で、ヴォーカルがパパ・トゥー・スウィート(誰だ?このふざけた芸名は?)とハリー・ジョーンズの二名。伴奏はやはりタンパ・レッドとトム・ドーシーの二名となっている。

それら三つのヴァージョンがある「イッツ・タイト・ライク・ザット」がどんな曲で、どれほど重要かつ有名なのかは、僕が今日繰返す必要もないだろう。だから以下に音源を貼るだけにしておく。

この三回目のヴァージョンはコロンビア盤『ザ・ギター・ウィザード』に収録されているので、よく知られているもので有名かつ重要かというと、そうでもないみたいだなあ。だって各種戦前ブルーズのアンソロジーなどには全く収録されないもんね。見たことがない。確かにパンチが全く効いておらずおとなしいので、あまり面白くないよね。

一番強烈なのは、やはりハーフ・パイント・ジャクスンが歌う二回目の録音だ。これは P ヴァインがリリースした CD 四枚組『戦前ブルースのすべて 大全』や中村とうようさん編纂の『ロックへの道』その他に収録されている。1928年にして既にロックンロールだと呼びたいほどの強烈なビート感と猥雑さ。下品さ極まって価値がひっくり返り、崇高美を表現しているように聴こえるのが、ポピュラー・ミュージックの面白さ・怖ろしさだ。

ジョージア・トムとのデュオ・ヴァージョンによる初演の「イッツ・タイト・ライク・ザット」は、あくまでオリジナル・ヴァージョンであるという点にこそ意味があるものなんじゃないかなあ。そうだからいろんなアンソロジーに収録されているんじゃないの?曲自体が12小節ブルーズでありながら、定型の4+4+4の AAB 形式ではなく、4+8みたいな妙な構成で、しかも後半の八小節は、各コーラス全部同じ言葉をひたすらリピートするだけというもの。だからそんな曲の初演であることの意義は確かに大きいが。ジャズ・クラリネット奏者のジミー・ヌーンだってやっているもんね。

というのは12小節ブルーズのなかにあって定型におさまらず、いわば枠外に飛び出したいという自由への渇望、破天荒さを(歌詞などではなく)曲の構造で示したことは、さらにそれが強烈にダンサブルなビート感をともなって表現されているということは、1940年代以後のジャンプ〜リズム&ブルーズを経て、ロック勃興へと繋がっているもののように思えるからだ。

そんな曲だからこそ、タンパ・レッド&ジョージア・トムのデュオによる「イッツ・タイト・ライク・ザット」の初演ヴァージョンは重視されているんじゃないかなあ。しかし書いてきているようなフィーリングは、やっぱり二回目の録音であるハーフ・パイント・ジャクスンが歌うヴァージョンの方が、もっとはるかに強烈に表現されているよね。これが三回目のオーケー録音ではかなりおとなしくなるのがやや不可解だ。

タンパ・レッドのギター・スタイルを知るという意味でも、ハーフ・パイント・ジャクスンとやった二回目のヴァージョンの方が分りやすいもんね。上で三つ貼ったものをもう一回聴き直していただきたいのだが、初演ヴァージョンではギターの音があまりはっきりとは聴こえない。本当に弾いてるの?と疑いたくなるほどで、ほんのちょぴり入る程度なのだ。

ところがハーフ・パイント・ジャクスンとやった二回目の「イッツ・タイト・ライク・ザット」では、タンパ・レッドのスライド・ギターが冒頭から鮮明に聴こえるじゃないか。タンパ・レッドはアクースティック・ギターで単弦スライド奏法を確立した最初の人物なのだ。ここも重要だろう。

どうしてかというと、その単弦スライド、ゆくゆくは戦後のロック・ギターにおけるチョーキングなどスクイーズ・スタイルにまで影響を及ぼしているからだ。それもかなり繊細な気配りの行き届いた都会的洗練を感じる単弦スライドで、そんなものは間違いなくタンパ・レッドが最初なんだよね。南部のカントリー・ブルーズでは、もっと早くからギター・スライドがあったに違いないが(でも録音はちょっぴり遅い)、もっと野趣あふれるような弾き方だった。少なくとも録音物で聴いて判断する限り、これは間違いない。

タンパ・レッドはもっぱらシカゴとニュー・ヨークで録音したし、場所だけでなくスタイルだってやはり都会派のブルーズ・マンなんだよね。自らやりはじめたナショナル社製リゾネイター・ギターでの単弦スライドも、非常に微妙なフィーリングを繊細に表現するような都会的な洗練の極みなんだよね。「イッツ・タイト・ライク・ザット」は、ちょっと聴いた感じ、乱暴で野卑な曲に思えるだろうが、聴こえるギター・スライドにじっくり耳を傾けてみて。

そんなタンパ・レッドのギター・スライドの繊細さや洗練は、でもやはり「イッツ・タイト・ライク・ザット」ではよく分らないかもしれない。僕の持つコロンビア盤『ザ・ギター・ウィザード』だと、15曲目の「ブラック・エンジェル・ブルーズ」が1934年のタンパ・レッド一人での弾き語りだし、戦後 B・B・キングらが(「スウィート・リトル・エンジェル」などの曲名で)やって有名ブルーズ・スタンダードになったもののオリジナルだし、是非聴いてほしい。
『ザ・ギター・ウィザード』にはラストにギター・インストルメンタルも二曲収録されていて、それらだとタンパ・レッドのギターの上手さ、特に単弦スライドの繊細で絶妙な表現力が非常によく分る。どっちも1934年3月23日のシカゴ録音で、「シングズ・バウト・カミン・マイ・ウェイ」と「デンヴァー・ブルーズ」。
前者の「シングズ・バウト・カミン・マイ・ウェイ」は、戦後のシカゴ・ブルーズがお好きな方、あるいは英ロック・バンド、クリームのファンのみなさんもご存知のメロディのはず。そう、戦後はハウリン・ウルフがやって有名化した「シティング・オン・トップ・オヴ・ザ・ワールド」だからだ。

ウルフのあれは1930年にミシシッピ・シークスが録音したものがオリジナルだろうけれど、メロディだけはタンパ・レッドが先に書いたものだった可能性がちょっぴりあるかもしれない。コロンビア盤『ザ・ギター・ウィザード』収録のは1932年録音の「シングズ・バウト・カミン・マイ・ウェイ No 2」だけど、No 2とあるので分るように、その前31年に既に録音しているんだよね。
ミシシッピ・シークスが先かタンパ・レッドが先か、真相がはっきりしない。しかし1930年代という時代にたった一年しか録音年が違わないこと、それでここまでメロディが同じ(歌詞は違う)というのを考慮すると、あるいはミシシッピ・シークスやタンパ・レッドらの思い付きではなく、米南部における作者不詳の伝承ブルーズ・ソングだった可能性があるかもしれないね。みなさん、どう思います?

2017/03/15

激しく感動的なアリーサのゴスペル・ライヴ

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アリーサ・フランクリンのアルバムでは、アトランティック時代よりも、ジャズやブルーズをたくさん歌っていたコロンビア時代の方が好きだという、だめだめアリーサ・ファンの僕。そんな僕がアトランティック時代と限定されれば、一番好きなアリーサは1972年のゴスペル・ライヴ・アルバム『アメイジング・グレイス』になってしまうので、やっぱりダメだこりゃ。

しかしあの『アメイジング・グレイス』は激しく感動的であるのも事実だろう。さらに聖(ゴスペル)と俗(ポップ、ソウル)との境界線なんか引けないんだということも、このアルバムでは強く実感する。いろんな意味でそうだけど、まずこのライヴの際の伴奏バンドの中心は、ポップ界のリズム&ブルーズ/ソウル/ファンクの演奏家たちだ。

ギターのコーネル・デュプリー、ベースのチャック・レイニー、ドラムスのバーナード・パーディーの三名は説明不要の有名人。オルガンのケン・ラパーの知名度は低く僕も『テスティファイ』一枚しか知らないが、その他いろんなソウル系歌手の伴奏をやっているらしい、やはり世俗音楽界でも活動する鍵盤奏者。コンガのパンチョ・モラーレスはもちろんソウル/ファンク界の人材。

さらに、アルバム『アメイジング・グレイス』の1999年リリースの CD 二枚組完全盤にある曲目の三分の一程度のものが、いわゆる宗教曲ではない。世俗のポップ・ソングなのだ。マーヴィン・ゲイの「ホーリー・ホーリー」、リチャード・ロジャーズ&オスカー・ハマーシュタインの「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」、キャロル・キングの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」、ジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」。

世俗のポップ・ソングはそれらだけで、他は伝承的、あるいは作者がはっきりしているゴスペル・ソングだけど、演唱時間はゴスペル・ソングとポップ・ソングが同じくらいなんだよね。さらに最も重要なことは、アリーサの歌い方とバック・バンドの演奏スタイルが、ゴスペルでもポップでも完璧に同じだという事実だね。

アルバム『アメイジング・グレイス』で聴ける曲のほとんどが、ゴスペルでもポップでもリズムは6/8拍子、つまりハチロクだ。これはリズム&ブルーズやソウルのリズムじゃないか。と言うと歴史的事実からすれば順序が逆で、黒人教会で使われている伝統的リズムが、世俗界にも反映されたということに他ならない。

ハチロクのリズムがアメリカ黒人教会の伝統リズムであるというのは、このリズムはアフリカ音楽に多いものだから、ひょっとして先祖の記憶、音楽的 DNA が継承されているということなんだろうか?歌うレパートリーのメロディや英語詞、聖歌隊のハーモニー・ワークなどは西洋白人由来だけど、リズムだけはアフリカ由来?

だから1960年代のソウルやファンクの勃興は、要するにアメリカ黒人の音楽的ルーツ回帰志向だったと言えるかもしれない。社会的にも黒人の人権意識高揚と、実際の権利拡大(というか普通化だが)などのムーヴメントと、そういう音楽の勃興は完全にシンクロしていたよね。そんな部分はジャズやブルーズといった戦前から存在する黒人音楽にも影響が及んでいた。

アリーサのアルバム『アメイジング・グレイス』では、ゴスペル・ソングもポップ・ソングも、その解釈と演唱スタイルはピッタリ一致していてなんの違いもない。完璧に「同じもの」としてやっているのが、聴けば誰だって実感できる。もちろん上記の通りだから、とりあげているポップ・ソングも元から宗教色のある曲が多いのは事実だけれども。

アリーサの『アメイジング・グレイス』にあるポップ・ソングのなかで、原曲の宗教色が最も薄いのはキャロル・キングの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」だろう。落ち込んで困っているなら私に言って、すぐにあなたのところへ駆けつけて手を差し伸べるから、あなたには友がいるのよという曲で…、あれっ、こう書くとちょっとリリージャスだなあ(苦笑)。

いやまあリリージャスなニュアンスがあるように思えてしまうのは、いま僕はそのアリーサの『アメイジング・グレイス』ヴァージョンの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を聴きながら書いているせいでもあって、キャロル・キングやジェイムズ・テイラーやダニー・ハサウェイやマイケル・ジャクスンや、その他無数にある「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を聴いて、それに宗教的メッセージを読み取る人はやはり少ないんじゃないかなあ。

ちょっとご紹介しておこう。作者であるキャロル・キングの『つづれおり』ヴァージョン。
ダニー・ハサウェイの『ライヴ』ヴァージョン。
ダニー・ハサウェイのヴァージョンは、自らフェンダー・ローズを弾きながら歌う。歌い廻しもエレピの弾き方も絶妙だ。特に歌いながら、そのヴォーカル・フレーズの切れ目切れ目に入れるエレピのフレイジングに僕はグッと来る。後半部で観客も大合唱になるあたりは、ほんのちょっと教会クワイアを想起しないでもないが。

ところが『アメイジング・グレイス』一枚目にあるアリーサのヴァージョンはこれ。
実際にはこれは伝承ゴスペル曲である「プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド」と合体している。メドレーとの記述もネット上では見つかるが、いわゆる普通のメドレーではなく完璧なる合体融合で、一つの曲に仕上げているのがお分りいただけるはずだ。アリーサが歌うメロディはキャロル・キングの書いた「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」だが、歌詞を宗教的なものに一部書き換えているよね。

すなわち「Soon He will be there, God will brighten up, He can brighten up」などと歌っている。つまりこのアリーサ・ヴァージョンの場合、困難に直面しているのは教会を訪れた信徒、そしてアリーサは「黙想なさい」(meditate) と歌っているが、そうすることで救いの手を差し伸べる、キャロル・キングの言葉で言えば友達(friend)とは、すなわち神だ。困っているのなら神に祈りなさい、そうすれば神があなたのところを訪れて助けてくれるでしょう、という歌に変貌しているんだよね。

伝承ゴスペルの「プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド」は、そのままでは出てこない。アリーサのリード・ヴォーカルのバックで入るマス・クワイアが、この曲題通りの言葉を、それもキャロル・キングの書いたメロディに乗せて歌っている。つまりこのワン・トラックは、ほぼ完璧にキャロル・キング・ナンバーをそのまま宗教化したものだ。

上掲音源リンクでは聴けないのだが、この「プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド/ユーヴ・ガット・ア・フレンド」演唱に入る前に、ジェイムズ・クリーヴランド師が次の曲の構成と意味合いを語っている部分がある 〜 二つの曲を持ってきました、一つはポップ、一つはゴスペルで、それら二つを一つに合体させたのです、あなたには友が必要でしょう、神は「私の名を呼びなさい、そうすればあなたのところへ行きますから」と述べておられるのです 〜 と語っているのだ。

その「I’ll be there」をジェイムズ・クリーヴランド師が言い終わったら、アリーサがジェイムズ・クリーヴランド師の弾くピアノ伴奏で歌いはじめるのが上掲 YouTube 音源だ。その語りはその前の曲「ハウ・アイ・ガット・オーヴァー」の末尾部分になっているのでトラックが切れているわけだが、どなただか知らないがアップロードした方には本当はその語り部分から入れてほしかった。

ところでその「ハウ・アイ・ガット・オーヴァー」。ゴスペル歌手クラーラ・ワードの書いた有名ゴスペル・ソングだよね。クラーラ自身のヴァージョンはこれ。
だがこの曲はマヘリア・ジャクスンのヴァージョンの方がはるかに有名だろうし、出来もいい。何種類もあるけれど、この1963年のワシントン大行進と結合したものも意義深い。
ただしこれは録音状態も悪いし、マヘリアの歌の出来としても次の1951年のアポロ・レーベル録音ヴァージョンの方がずっといい。
アルバム『アメイジング・グレイス』で聴けるアリーサの「ハウ・アイ・ガット・オーヴァー」は、やはりど迫力のマス・クワイアを従えて、手練のリズム・セクションが猛烈にグルーヴしているものだ。それにしてもこの盛り上がり方というか高揚感はものすごいものだよなあ。僕はキリスト教信者ではないけれど、こんな音楽を一度でいいから現場で生体験したいものだ。
アルバム『アメイジング・グレイス』では、三曲目の「オン・アワ・ウェイ」も素晴らしい。まだ主役のアリーサは登場前で、歌っているのはジェイムズ・クリーヴランド師の先導するサザン・カリフォルニア・コミュニティ・クワイア。オルガンはケン・ラパーなんだろう。3:09 あたりから。
このリズムは、アメリカ黒人音楽を聴き慣れない方には三拍子に聴こえるかもしれないが、そうではなく、やはり(おそらくアフリカ由来の)6/8拍子なんだよね。女性マス・クワイアのグワッ、グワッと迫り来るそのスタイルといい、やっぱりこういうのが黒人音楽の粋だよなぁと感動する。

同じ曲を翌日の1月14日金曜日公演でもやっていて(アルバム二枚目)、そちらにはアリーサも入っている。といってもコーラス・ワークの一員に徹していて判別できないが、是非聴いてみてほしい。

2017/03/14

なにげないギター・トリオ作品だけど

Daytrippatmetheny










たまに無性に聴きたくなるパット・メセニー(マスィーニー)。あれはどういう現象なんだろう?僕だけ?分らないけれど、今日聴いたのは2008年の『デイ・トリップ』。なかなかいいジャズ・ギター・アルバムなんだよね。そう、これはフュージョン色が薄く、いろんな他ジャンルの音楽要素も少なくて、ストレート・アヘッドなジャズに近いという、メセニーにしてはやや珍しい一作なのだ。普段は多用するヴォーカルも全くなし。

メセニーのジャズというなら、オーネット・コールマンと共演した1986年の『ソング X』があるじゃないかと言われそうだけど、僕はどうしてだかあのアルバムがイマイチ好きじゃないんだよね。ホントなぜだろう?自分でも分らない。オーネットは普段通り吹いているけれど、メセニーの方はどうも本領発揮とはなっていないような気がしないでもない。

2008年のナンサッチ盤『デイ・トリップ』の録音は2005年にニュー・ヨークで行われたとCD 附属の紙に書いてある。編成はアップライト型のアクースティック・ベース(クリスチャン・マクブライド)とドラムス(アントニオ・サンチェス)とのトリオという極めてシンプルなもので、メセニーのジャズ・ギタリストとしての腕前がよく分る。

使っている楽器もベースとドラムスは本当に生楽器一つだけで、メセニーもいつものようにいろんな実験はしていない。エレキ(セミ・アコ)とフル・アクースティックのギターだけに専念している。一曲だけギター・シンセサイザーを使っているものがある(九曲目「ザ・レッド・ワン」)けれど、あれはやめておいた方がよかったかもしれない。

だいたいメセニーであれ誰であれ、ギター・シンセサイザーの音って僕はあんまり好きじゃないんだなあ。いや、ギターだけでなく、鍵盤以外の入力方法によるシンセサイザーはだいたい全部どうも好きじゃない。例外は鍵盤もなにもない初期型のシンセサイザーだけかも。これは完全なる僕の個人的趣味嗜好だから見逃して。

メセニーの『デイ・トリップ』では、しかし主役のギター・プレイもさることながら、僕はいつもベースとドラムスがいいなあと思いながら聴いている。クリスチャン・マクブライドもアントニオ・サンチェスも上手い。特にマクブライドにかんしては、僕は前からファンなんだよね。

2006年に CD 三枚組の『ライヴ・アット・トーニック』というアルバムが出て、これが僕のマクブライド初体験。彼の話はまた機会を改めて書こうと思っているのだが、あの三枚組の緑色のジャケットにはアップライト・ベースを抱えた写真が写っているのに、曲目を見るとマイルズ・デイヴィスの「ビッチズ・ブルー」があったりして、どんな風にやってんの?と興味津々で買ったのだ。中身も面白かったが、この話は別の機会に。

とにかくそれでマクブライドが好きになって、それ以後リーダー作だけでなく、彼が参加しているいろんなアルバムを買うようになった。だからメセニーの『デイ・トリップ』も、仮にマクブライドが参加していると分らなかったら、買うのが遅れたか全く買わなかったか。だいたい21世紀に入って以後のメセニーには興味が失せかけていたからね。

興味が失せかけたのを大いに反省しなくちゃいけない出来なんだよね、『デイ・トリップ』は。シンプルなトリオ編成で、しかも音を聴いて判断する限りでは一発録りのオーヴァー・ダビングなしだったんじゃないかと思える演奏なのに、三人でやっている音楽は複雑だ。

CD 附属の紙には、録音日付として2005年10月19日としか書かれていないので、仮にオーヴァー・ダビングしていたとしても(でもきっとないんだろうと判断できるんだけど)相当シンプルなものだったはず。それも収録の10曲全て、テイク数だってそう多くは重ねていないはず。根拠はないがそう確信できる内容なんだよね。

とにかく一つ聴いてもらおうかな。アルバム一曲目の「サン・オヴ・サーティーン」。ややハードな演奏でリズムが躍動している。ドラムスのアントニオ・サンチェスは実に細かくというか、ビジーに叩いているよなあ。特にスネアを。それも通常の打面とリムの双方をね。
僕がリム・ショット愛好家であることは以前書いたけれど、だからこんな演奏も好きなんだけど、しかしこれで聴けるアントニオ・サンチェスのは通常のリム・ショットではないだろう。少なくともスネアの打面にスティックを寝かせて置いて叩くという通常のやり方ではないのは間違いない。そのやり方では、リムを叩く音と打面を叩く音がこんなに高速で細かく入り混じるなんてことは不可能だもん。

だからアントニオ・サンチェスは普通にスティックを持って、スネアの打面とリム部分を交互に忙しなく叩いているんだろう。「サン・オヴ・サーティーン」でサンチェスが叩き出すリズムを聴いていると、前から繰返すように、かつてシンセサイザーやコンピューターで出していたサウンドと同じようなスタイルのものを、生楽器演奏で表現する人がやはり21世紀に入ってから出てきているんだと実感する。

四曲目の「スノーヴァ」はちょっとだけボサ・ノーヴァ・テイスト。マクブライドのウッド・ベースもいいし、サンチェスのブラシ中心のプレイ(だが、その後スティックでやはり複雑なビートを出す)もいいが、その上で弾くメセニーがいつも通りの暖かい感傷を弾いていて、ホッと安心して身を任せることができる。こういうの、ホント好きなんだ、僕はね。
サンチェスのドラミングは三曲目の「レッツ・ムーヴ」でも際立っている。ビートは4/4拍子だけど、やはりかなり細かく入り組んだものだ。まあねえ、こういう細かくて複雑な4ビートの演奏は、既にウェザー・リポートが1980年代に先鞭をつけていたけれどね。誰もそういう視点でウェザー・リポートを再評価しない。オカシイぞ。
ウッド・ベースのクリスチャン・マクブライドが特別際立って聴こえるのは、『デイ・トリップ』で三つ。五曲目の「カルヴィンズ・キーズ」、六曲目の「イズ・ディス・アメリカ?」、七曲目の「ウェン・ウィ・ワー・フリー」。五曲目の「カルヴィンズ・キー」はブルーズなんだけど、マクブライドのゆったりスウィングするベースが肝になっている。メセニーがまるでウェス・モンゴメリーみたいに聴こえるじゃないか。
七曲目の「ウェン・ウィ・ワー・フリー」もかなりブルージーだが、ここではマクブライドのウッド・ベースによる強い音のリフが曲構造の根幹を成している。切れ味のいいサンチェスのスティック・ワークも聴き物だが、その上で弾くメセニーが普段通りでやっぱりいいなあ。
ところでこの「ウェン・ウィ・ワー・フリー」という曲は、『デイ・トリップ』のためのオリジナル楽曲ではない。コンポーザーはメセニーだけど、1996年のゲフィン盤『カルテット』に収録されているのが初出。お馴染のライル・メイズ(キーボード)、スティーヴ・ロドニー(ベース)、ポール・ワーティコ(ドラムス)による四人編成。それも『デイ・トリップ』ヴァージョンも同じ3/4拍子のワルツだけど、メセニーのギター・フレイジングは、『デイ・トリップ』ヴァージョンの方がブルージーさがあるので、僕はこっちが好き。

さて『デイ・トリップ』でマクブライドのウッド・ベースが最も際立って素晴らしいのが、六曲目の「イズ・ディス・アメリカ?(カトリーナ 2005)」。副題通りアメリカを襲ったハリケーンに題材をとったものなんだろうが、こりゃ美しいね。曲自体が美しいし、メセニーの弾くフル・アクースティック・ギターも美しい。テーマは沈痛で、鎮魂歌みたいなものなんだろうけれど、こんなに美しい曲も少ない。
この「イズ・ディス・アメリカ?(カトリーナ 2005)」で最も美しいのは、お聴きになってお分りのように、非常に短いマクブライドのアルコ弾きソロなんだよね。それを聴きたいがばかりに、僕は『デイ・トリップ』ではこの六曲目だけをリピート再生してしまう。ジャズ界のウッド・ベーシストにアルコ弾きをやらせたら、私見では史上ナンバー・ワンがマクブライドだ。

マクブライドはこの前からアルコ(弓 )弾きが得意で美しいベーシストなのだ。通常のピチカート奏法だと、若干の音程外れもごまかせる。それだとだいたいピッチが分りにくい低音楽器だからね。ところがアルコ弾きをやらせると、音程の悪いウッド・ベーシストは即アウトなのだ。一発でバレてしまう。それにくわえ弓を弦に当てるその当て方で、音色の悪さもバレてしまう。その両方の悪い要素を体現しているのがギコギコやっているだけのポール・チェンバース。

ピチカート奏法で普段通り弾く時のポール・チェンバースが大好きな僕でも、彼のアルコ弾きだけは許せない。聴けないね。ピチカート奏法に専念してほしかったのだが、これがまた本人がアルコ弾きが好きだったんだろうか、よくやってくれちゃっているもんだから困るんだよなあ。

クリスチャン・マクブライドのウッド・ベース・アルコ弾きはそんなものとは全然違って、音程も正確なら音色も極上の美しさなのが、上で音源を貼った「イズ・ディス・アメリカ?(カトリーナ 2005)」でもお分りいただけるはず。ほんの数秒間という非常に短いソロだけど、その短さゆえに哀切感が胸に迫ってくる。

それにしてもこんなに美しいウッド・ベースのアルコ弾きならもっとたっぷり聴きたいよとみなさん思われるだろうね。そこでメセニーとは関係なくなるが、同じベーシストがたっぷりアルコ弾きを聴かせるものを一つご紹介しよう。2009年リリースのマクブライド自身のリーダー・アルバム『カインド・オヴ・ブラウン』ラストの「ウェア・アー・ユー?」。
『カインド・オヴ・ブラウン』というマクブライドのアルバムは、それ自体はなんでもないというか、まあはっきり言って面白くなく取り柄もないごくごく普通のメインストリーム・ジャズ作品だけど、このラストの「ウェア・アー・ユー?」一曲があるせいで、聴く価値のある作品だと言ってしまいたい。それくらい美しいもんね。曲題通り、君はいずこ?と悲嘆にくれる感情が、聴き手である僕のなかでも激しく掻き立てられて泣きそうになってしまう。

2017/03/13

ツェッペリンも一曲単位で聴いたらどうでしょうか

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レッド・ツェッペリンはアルバム本位のバンドだから、アルバムとしてのコンセプトが希薄な『コーダ』はやはり寄せ集めだとしか思えず、だからましてやそれの三枚組デラックス・エディションなんて到底買う気がしないとブルーズ・ライターの陶守正寛さんが言っていた。よく分る。僕もかつてはそういう考えだったんだよね。今でも陶守さんのように思っているツェッペリン・リスナーが多いんじゃないかという気がする。

ツェッペリンにかんしては1990年リリースの四枚組リマスター・ボックスを聴いて、僕の場合、そういう考えがガラリと変った。これはオリジナル・アルバム収録曲をバラして、未発表曲も加え、音源自体を大きくリマスターして CD 四枚に再編集したものだった。編集(曲の並び替え)とリマスター作業をやったのはジミー・ペイジ本人。
この四枚組は、一枚一枚ジミー・ペイジならではのこだわりで、テーマというかコンセプトのようなものを強く感じたんだけど、しかしオリジナル・アルバムはバラバラに解体されていたもんね。曲順や流れが完全に変ってしまって、最初は大丈夫かこれ?と思い、また聴いた感じでも戸惑ったのは確かだけど、新鮮にも感じたんだなあ。

一応はベスト盤のような意味合いのものだった四枚組だったけれど、ツェッペリンの全音源の八割方以上は入っていた。漏れたものも、数年後に同じくリマスターされて、二枚組 CDとして発売された。とにかくそれまでのツェッペリンのCDとは曲順も音質も全く異なっていたので、目から鱗だったのを憶えている。

ジミー・ペイジも当時のインタヴューで、CD リイシューされたツェッペリンのアルバムは、ジャケットの色合いもひどいし音質なんか全くダメだったから、自分で作り直すことにしたのだと語っていた気がする。実際、当時の僕のチャチなオーディオ・セットで聴いても、それまでの CD とは完全に違った音に聴こえて激しく感動した。

その数年後(確か1993年)に、そのリマスター盤と同じ音質で全オリジナル・アルバムもリイシューされて、それも買って聴いたけれど、なにしろ90年のリマスター四枚組が、その音質と、全く違う新鮮な編集で、かなり大きな驚きを感じたものだったから、オリジナル・アルバムのリマスターにはなんの驚きもなく、繰返しは聴かなかった。

1990年の四枚組ボックス。未発表曲のなかで面白かったのは、一枚目の最後に入っていたジミー・ペイジのギター独奏(途中でドラムスも入る)による「ホワイト・サマー〜ブラック・マウンテン・サイド」で、そのことは前々からなんどか書いている通り。ヤードバーズ時代の曲だとばかり思っていた。大好きな「カシミール」への道程が見えた気がした。

あの四枚組リマスター・ボックスで僕が一番繰返し聴いたのは三枚目と四枚目で、「天国への階段」が入っている二枚目はあまり聴かなかった。あまり面白い曲順だとも思えなかったしね。ああいう形になっても、やはり僕は後期ツェッペリンの熱心なファンであることは変らないのだった。特に三枚目はいきなり「カシミール」ではじまって「死にかけて」で終るというニクい編集。

四枚目も「イン・ジ・イヴニング」ではじまって「オール・マイ・ラヴ」で終り、そのなかには元々『コーダ』に収録されていた「オゾン・ベイビー」や「ウェアリング・アンド・ティアリング」もあって、それでこの二曲を随分と見直したのだった。単なる未発表のボツ曲だと思っていたのが、素晴しい曲に聴こえたもんね。

特に「ウェアリング・アンド・ティアリング」はかなりの名曲じゃないかなあ。『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』のセッションからのアウト・テイクで、1978年録音。当時の UK パンク勢に対する古参バンドからの回答みたいに聴こえる、ラフなタッチのナンバー。初出である1982年の『コーダ』発表当時から高く評価する人もいたようだ。

そんな具合で、いろんな意味でツェッペリンの「新しい」体験になった1990年の四枚組リマスター・ボックス。今でもよく聴くんだなあ。ひょっとしたらオリジナル・アルバムの曲順より面白いのかもしれないとすら思ったりもする。オリジナル・アルバムの方は、また新しいリマスター盤が出ているけどね。

以前の繰返しになるけれど、思い出したので書こう。高校生の頃から僕はオリジナル・アルバムの曲順を崩したマイ・ベスト的なコンピレイションをカセットテープに編集して楽しんでいたから、わりと早くからオリジナル・アルバム単位でしか聴かないという姿勢から少し離れていたと言えるかもしれない。そんなカセットを、高校生の頃から遠方に住む女性にプレゼントしたりもしていた。

告白するがそもそも僕の部屋にはレコードを聴けるオーディオ装置がなかった。それは自宅のリヴィングにしか置いてなかったもんね。だから自分の部屋でも聴きたいと思ったものは、カセットにダビングするしかなかったというのも大きな理由。その際、オリジナルのレコードをそのままダビングするだけでなく、いろいろと個人的な楽しみでマイ・ベストみたいな編集カセットを作っていたのだった。そういうことをした人は昔から多いだろうと思う。

最近は iTunes などのパソコン上のオーディオ・アプリで、拍子抜けするほど実に簡単にマイ・ベスト的なプレイリストを作って、必要があれば CD-R に焼いたりもできるので、そんな個人的な楽しみがまた復活してきている気がするなあ。カセットでやっていた頃の、あのちょっとした苦労はなんだったんだ?と思うほど簡単であっけないんだよね。

クラシック音楽の場合は、一つの作品を楽章ごとにバラして編集する人がいるのかどうか分らないけれど(単一の楽章だけ取りだして、演奏会などでやることはあるようだ)、ポピュラー音楽の場合は、いくらアルバム指向の強いミュージシャンのアルバムでも、やっぱり曲単位で存在するものなんだよなあ。それが本質だという気がする。

一曲単位というポピュラー音楽の本質が、CD 時代が終りかけている、いまの配信やストリーミング中心の時代になって、ますますはっきりしてきている気がするんだよね。YouTube なんかに上がっているものは、場合によってはアルバム丸ごとというものもあるけど、やっぱり多くが一曲単位だしね。それでいいんだろうろ思うんだ、僕は。

そもそも録音技術が発明されてから約50年間は基本的に SP 盤しかなくて、一曲単位でしか録音・再生できなかったわけだ。その50年の間に、多くのポピュラー音楽が成熟してピークを迎えてしまったというのが真実。ロックやソウルみたいに LP メディアが主流になってから誕生したようなジャンルでも、やはり一曲単位のシングル盤が中心じゃないか。

78分くらいで「一曲」という楽曲も一続きで収録・再生可能な CD 時代になっても、ポピュラー音楽の場合は、やはり3〜5分程度が一曲の長さの目安になっている場合が多いしね。それがこの種類の音楽の本質なんだろうとしか思えない。主にジャズを聴いていた頃の僕は違った考えだったんだけど、最近はそう考えるようになっている。

これはポピュラー音楽でも、録音音楽での場合であって、ライヴ現場での場合になるとまた事情は違ってくるはず。そもそも「一曲」という概念も録音と実演では異なるだろう。(プログレなどではない)ポップなロックなどの場合は実演でも3〜5分で一曲という場合が多いみたいだけど、なかにはそれがズルズルと繋がっている人もいるよね。

ソウルやファンクの音楽家もそう。ジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンなども、レコードでは3分程度のシングル盤中心だったけど、ライヴの場ではそれが全部繋がっていた。またこれもロックじゃないがマイルズ・デイヴィスも、1967年頃のライヴから、ワン・ステージで「一つ」というような演奏を展開していた。

それでもやっぱりポピュラー・ミュージックは録音・複製されて大きく拡散するところに本質があるんだろうからさ。録音される場合にはやっぱり今日書いてきたみたいな具合になっていると思うんだよね。それがこの種類の音楽の特質だと思うんだよね。たとえどんなにアルバム指向が強くてもさ。だから陶守さん、ツェッペリンの『コーダ』のことを、いま一度、ちょっと見直していただいてもいいんじゃないでしょうか? 

2017/03/12

ブルー・ノートのピアノの音はヘンだ

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アルフレッド・ライオンが退く1967年まで、ブルー・ノート・レーベルの作品で聴けるピアノの音はちょっとヘンだよね。なんというか鋭さがなく、鈍くさいようなゴロゴロとしたごっつい音だ。これは生演奏現場で一流ジャズ・ピアニストが出す音を知っているとやや妙に聴こえるものだ。

僕がはじめてジャズ・ピアノの音を聴いたのは、レコードでなら前々から書くように MJQ の『ジャンゴ』で弾くジョン・ルイスと『オーヴァーシーズ』のトミー・フラナガン。どっちもいま考えるとピアノの録音自体はイマイチだね。これは時代だろうなあ。1950年代半ばだからあんなもんなんだろう。

その後しばらくしてアート・ペッパーのライヴ演奏現場で、ジョージ・ケイブルズの弾くグランド・ピアノの音を、それも PA なしの生音で聴いたら、レコードとはかなり違う響きがしたので、あぁ、こういうのがピアノという楽器の音なのかと、その時初めて実感したのだった。

ピアノの音色自体はギターその他いろんな楽器よりも早く幼少時から知ってはいた。歩いて10分程度のところに住んでいた僕の父の兄の娘、つまり従姉妹(僕よりかなり年上だけど、おそらく当時は独身)がピアノ教室の先生をやっていて、自宅にグランド・ピアノがあって、よく遊びにいっていた。いいよというのでそれを触っていたのだ。僕が幼稚園児か小学校低学年の頃だなあ。でも全くなにも分っていない僕が右手の人差し指一本でコン・コンとやるだけなので、マトモな音なわけがない。

がしかしグランド・ピアノってこんな音がするんだなと知ってはいたわけだ。それにしてもあの頃の僕は、当然ながらいまみたいな音楽キチガイになるだなんてこれっぽっちも思っていなかった。ピアノにも特に興味はなかった。いまにして思えば、もっとしっかりとそのピアノの先生だった従姉妹にいろいろと教わっておけばよかったと激しく後悔している。もう遅い。

その従姉妹(僕より15歳ほど年上)の娘さん二人も、一人はピアノの個人教室の先生、もう一人は英会話塾の先生を、松山でやっていると聞いた。う〜ん、もったいない。いまからでも遅くないのか…。いや、やっぱりもうダメだろなあ。そんな話はどうでもいい。ジャズ・ピアノ録音の話題だ。

とにかくライヴ現場で PA を通さない生音でグランド・ピアノの音を聴いて体感していると、1967年までのブルー・ノート・レーベルのアルバムで聴けるピアノの音はちょっとおかしな音に聴こえるよね。僕だけじゃなくみなさん同じように感じていらっしゃるはず。これは録音技術やエンジニアのせいではない。

ブルー・ノート作品の録音エンジニアは大半がルディ・ヴァン・ゲルダー。だからニュー・ジャージーのハッケンサックにあるヴァン・ゲルダーのスタジオで録音されている。じゃあやっぱりヴァン・ゲルダーと彼のスタジオのせいじゃないの?と思われるかもしれないが、同じ時期に同じエンジニアが同じスタジオで録った他のレーベルのアルバムでは、ピアノの音はマトモだもんね。

例えばマイルズ・デイヴィスのファースト・クインテットが1956年の5月と10月にプレスティジ・レーベルのためにやったマラソン・セッション。それも全部ニュー・ジャージーはハッケンサックにあるヴァン・ゲルダー・スタジオでの録音。そしてレッド・ガーランドが弾くピアノの音は、鈴のように、あるいは玉のようにと言うべきか、転がるキレイなものだ。

ところが同じエンジニアがほぼ同時期に同じ場所で録音したものでブルー・ノート・レーベル用のもの、例えば1957年10月録音の『ソニー・クラーク・トリオ』。このアルバムで聴けるソニー・クラークのピアノの音はゴロゴロと太くて鈍い。これが同じ楽器の音なのか?と疑いたくなってくるほど違うもんね。だからエンジニアとスタジオ機材のせいなどではない。

そりゃあれだろう、ピアニストの弾き方の違いだろう?レッド・ガーランドはあんな感じだけど、ソニー・クラークはこんな感じで…、と言われるかもしれないが、これもレッキとした反証がある。同じソニー・クラークの、それも同じトリオ作品でも、タイムというレーベルに録音した『ソニー・クラーク・トリオ』(上掲写真右) では、ピアノの音色が違うもんね。シャープで切れ味があって、決して鈍ではない。だからピアニストのスタイルの違いでもない。

ところでタイム盤『ソニー・クラーク・トリオ』の録音は1960年となっていたが、これはどうやら1959年説が正しいらしい。ベースがジョージ・デュヴィヴィエでドラムスがマックス・ローチ。ソニー・クラークのトリオものでは、ブルー・ノート盤の方がはるかに人気が高いが、僕にはタイム盤の方がいい内容に聴こえるよ。ブルー・ノート盤が人気なのはスタンダード曲ばかりだからじゃないかな。トリオ盤は全部ソニー・クラークのオリジナルだ。でもそれがチャーミングだよ。

その大きな原因の一つが、今日書いているようにブルー・ノート作品のピアノ・サウンドのゴロゴロとした鈍さだ。ソニー・クラークだけじゃない、その他全員このレーベルで聴けるピアニストの弾く音は、トリオものだろうと管楽器入りの編成だろうと、全て鈍くさい。正直に告白すると、アルフレッド・ライオンのこのレーベル、この点だけが残念でならない。

これはかなりおかしなことではある。なぜならばドイツ移民のアルフレッド・ライオンがブルー・ノート・レーベルを興そうと思ったのはピアニストを録音したかったからだもん。1938年の例の『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサート・イヴェントを現場で体験したアルフレッド・ライオンは、同イヴェントで聴いたブギ・ウギ・ピアニストに感動して、これを録音したいと会社設立を決断したのだ。

1938年当時のカーネギー・ホールの音響設備がどんなもので、現場でアルフレッド・ライオンがどんなピアノの音を耳にしていたのかは分りようもない。がしかし生演奏現場だからなあ。少なくともブルー・ノートの作品で聴けるようなゴツゴツした鈍い音ではなかったんじゃないかなあ。

だからいざ自分の会社で録音するとなった際に、どうしてあんなピアノの音を希望したのかが謎だ。そう、あのゴツゴツと鈍くさくシャープさがないピアノの録音は、ほぼ全ての作品のプロデュースをやったアルフレッド・ライオンの意向に違いない。そうだとしか考えられないだろう。だってピアニストも同じ、演奏するものも同じ、録音スタジオもエンジニアも同じで、だからそれらから来る違いじゃないんだから、どう考えてもプロデューサーの希望だね。

ブルー・ノートの録音では、ピアノ以外の楽器の音は極めて魅力的だ。ウッド・ベースも野太く、ドラムスも迫力があって、しかも切れ味鋭いシャープさ(特にトップ・シンバルが生々しいリアルさ)、サックスやトランペットだってしっかりよく鳴っているし、楽器本来の持味を実にリアルに録音できている。やっている音楽だってファンキーでカッコイイじゃん。

だからあとはピアノの音さえ玉のように転がるシャープだったならば…、と僕は思っちゃうんだなあ。そこさえマトモならケチの付けようがない百点満点のジャズ・レーベルだったのになあ。ホントあれはどうしてだったんだろう?と長年謎で残念な気持だったのだが、最近はこれは、黒人音楽愛好家であるアルフレッド・ライオンとしては当然の成り行きだったかもと考えはじめている。

というのは同じくアメリカ出身ではない人間がアメリカで興した同じく黒人音楽レーベルであるアトランティック。この会社の作品でもやはりピアノの音はゴツイもんね。ジャズの人ではないが、レイ・チャールズのピアノをちょっと聴いてみて。ブルー・ノートと同じ音がするから。そんでもって管楽器などの音(とヴォーカル)は、アトランティックもブルー・ノート同様やはり野太く魅力的。

ブルー・ノートもアトランティクも、妙な言い方になって気が引けるけれど、なんというかこう、ガッツのあるサウンドなんだよね。汗臭いと言うかさ。言い換えればファンキーさ。音楽内容そのものがファンキーなものを録音するのなら、やはり音色もファンキーなものにしたかったということかもしれないなあ。ピアノは西洋白人音楽の権化みたいな楽器だしね。

ヴォーカルやウッド・ベースやドラムスや管楽器はそれでいいけれど、ピアノまで同じファンキーな録音にしちゃったから、あんな感じに聴こえるんだと思う。ピアノの音はピアノらしいサウンドで元来録りたい(し、実際他のレーベル作品ではそう録っている)ルディ・ヴァン・ゲルダーにも、そうしてくれとアルフレッド・ライオンが指示したに違いないと僕は思う。

やっている音楽そのものはちっとも面白くないが、こと「ピアノの録音」という一点のみならば、ECM レーベルの音はいい。生演奏現場でのグランド・ピアノの生音にこれが一番近いものだと僕は判断している。でも中身がちっとも面白くないものしかリリースしないレーベルだからなぁ、最近の ECM って。

ここ数年、また例の JTNC 界隈のあいだで大人気の ECM。あの方々にケチをつけるのはよしておこう。あんなにつまらないレーベルのあんなにつまらない音楽を持ち上げるなんて耳が腐っているんだろうなどとは言わないでおこう。最近の ECM 作品は、ありゃ要するに西洋白人クラシック音楽になりつつあるんだよね。だからつまらん。

でもそんな ECM のアルバムでも、ピアノの音の録り方だけはマトモで楽器本来の音がするから、ジャズ・ピアニストの作品でこれだけはまだ聴けるだろうというものの具体例を二つだけあげておく。チック・コリアが、ヴァイブラフォンのゲイリー・バートンとデュオでやった1979年のライヴ・アルバム『イン・コンサート、チューリッヒ、オクトーバー 、28、1979』と、キース・ジャレットが、ゲイリー・ピーコック&ジャック・ディジョネットで結成したトリオの第一作である1985年の『スタンダーズ、Vol.1』。

チック・コリア&ゲイリー・バートンの『イン・コンサート』の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。特に一曲目のスパニッシュ・ナンバー「セニョール・マウス」は猛烈にドライヴする超絶名演で、これ一曲だけのために買っても損はしないよ。それくらい凄い。特に後半のチックのソロ後半部の盛り上がり方には鳥肌が立つね。僕なんか二曲目以後は全く憶えていないもん(ウソ)。いや、ホントいいんだ。

キース・ジャレットのスタンダーズは、ほぼ全て面白くないが、三作目のライヴ・アルバムまではまあまあ悪くないのだ。そんな三枚のなかで一番いいのがデビュー作の『スタンダーズ、Vol.1』。どうしてかというとB 面二曲目(CD だと五曲目)の「ガッド・ブレス・ザ・チャイルド」がゴスペル風なアーシーさ全開の8ビート・ナンバーだからだ。

モダン・ジャズのピアノ・トリオって、面白くないものしかできあがらないフォーマットかも。それでもキース・ジャレットのピアノ・トリオ最高傑作は、1968年のライヴ・アルバム『サムウェア・ビフォー』に違いない。ボブ・ディランの「マイ・バック・ペイジズ」をブロック・コードだけでファンキーにやったり、あるいは曲によってはセシル・テイラーばりのアヴァンギャルドさを聴かせたりなどなど。

『スタンダーズ、Vol.1』にセシル・テイラーはないけれど、ファンキーさ、アーシーさは五曲目の「ガッド・ブレス・ザ・チャイルド」でしっかり聴けるのだ。この一曲があるからこそ、いやまあ二曲目の「オール・ザ・シングズ・ユー・アー」も凄いけれどさ(ジャック・ディジョネットがね)、このアルバムはなかなかいんだ。

でもそんな『スタンダーズ、Vol.1』も、1968年のヴォーテックス盤『サムウェア・ビフォー』には内容的に全く及ばないものだけれどさ。あの60年代末〜70年代初頭(はマイルズ・デイヴィス・バンド在籍時代だが)あたりのキース・ジャレットは本当によかったよなあ。そういえばヴォーテックスってアトランティックの傍系レーベルじゃないか(笑)。

2017/03/11

狂熱のディスコ・フュージョン〜 ONB

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オルケルトル・ナシオナル・ドゥ・バルベス(ONB) のデビュー・ライヴ・アルバム『アン・コンセール』。やはりこのアルバムについては、一度まとまった文章にしておきたいという気分になってきたので書くことにしよう。なんたって大恩人と言うべき一枚だもんなあ。これにハマらなかったらマグレブ音楽にのめり込むのがもっとずっと遅れたはずだし、僕の場合マグレブ音楽にハマったからこそ、西アジアのアラブ音楽も大好きになったわけだから、ONB 様様なのだ。

ONB の『アン・コンセール』に出会う前に僕が聴いていたマグレブ音楽は、アルジェリアのライだけと言って差し支えない。もちろんその後ハッサン・ハクムーンの1993年作『トランス』があるけれど、個人的にはあまり面白くなかったので、グナーワ方面に興味が行かなかった。でもそれまでモロッコ音楽のことをちっとも知らなかった僕が買ったんだから、かなりの話題にはなっていたんだよねえ。

ハッサンの『トランス』があんなに話題になっていたのに、僕がどうして面白く感じなかったのかは、いま聴き返せばその理由はなんとなく分るような気がするが、その話はまたハッサン関係の記事でまとめたい。ライについては、僕が知ったのは例のいわゆる<パリ発ワールド・ミュージック>っていうやつで、マルタン・メソニエのプロデュースによる(シェブ・)ハレドの『クッシェ』がきっかけだったのだが、あのへんの話もまた機会を改めたい。

ハレドの『クッシェ』はメソニエと一緒にサフィ・ブーテラというアルジェリア出身のジャズ・ベーシストがプロデュースしている。このサフィ・ブーテラは ONB とかなり関係があるみたいなんだよね。ONB の中心人物はユセフ・ブーケラで、やはりアルジェリア出身の、やはりベーシストなんだけど、このユセフはサフィ・ブーテラの強い影響を受けたらしい。それでジャズの世界にものめり込んでいたようだ。

ジャズの要素は ONB の『アン・コンセール』をき聴くとかなりはっきりあるよね。もっと言えばこのライヴ・アルバムはフュージョン・ミュージックだ。フュージョンといっても、グナーワやシャアビやライなどマグレブ音楽とジャズやロックなどアメリカ音楽との合体融合(フュージョン)という意味ではなく、明快なアメリカ産ジャズ・フュージョンっぽい部分が強くあるんじゃないかなぁ。

1998年当時『アン・コンセール』を買って聴き狂っていた頃は、このことを意識していなかった。ただ単に今まで聴いたことのない未知の音楽だ、凄い凄い、カッコイイなあと感動しきりで、ネット上の周囲の音楽仲間にも熱く語って推薦しまくっていたんだけど、昨日・今日と聴き返してみると、こりゃ間違いなくアメリカン・フュージョンだ。だからこそマグレブ音楽を知らなくても、高校三年生の時から熱心なジャズ・フュージョン・リスナーである僕が、一回聴いただけでスッとなんの違和感もなく溶け込めたんだろう。

『アン・コンセール』は冒頭三曲がメドレー形式に一繋がりになっているが、一曲目の「ミムナ」冒頭でいきなりソプラノ・サックスの音が聴こえる。それも大きな音量で。背後で親指ピアノのような音が鳴っているが、これはその楽器そのものではなくシンセサイザーで出しているものかもしれない。それにくわえチャントも入り、しばらくすると鉄製カスタネットのカルカベも聴こえはじめる。リード・ヴォーカリストが「ミムナ、ミムナ」とリピートしている。

ところでこの「ミムナ」という言葉。マグレブ音楽、というかグナーワ(系ポップ)を聴いていると実に頻繁に聴けるものだ。たぶん元はアラビア語なんだろうから、いまの僕に正確な意味は掴めないが、ひょっとしてグナーワ儀式かなにかと関係があるものなんじゃないのかなあ?ハッサンのアルバムでも出てくるし、ONB 結成時の主要メンバーで『アン・コンセール』でも活躍しているアジズ・サハマウイのソロ・アルバム『グナーワ大学』にもあった(ような気がする)。ホントなんだろう、この「ミムナ」っていう言葉は?アラビア語とモロッコ事情に通じている方、どなたか教えてください。

『アン・コンセール』一曲目の「ミムナ」で、1998年当時僕が一番ゾクゾクして背筋に電流が走ったような感じになったのは、上述のようにまるで儀式現場でプリミティヴな楽器をループ演奏しながら呪文でも唱えているみたいな(ソプラノ・サックスのサウンドだけはそうじゃないが)部分から、エレベとドラムスが入ってきて、一気にバンドのサウンドが瞬時に強くグルーヴしはじめる刹那だ。3:05。
伝承民俗音楽から、それをそのまま活かしたかたちでモダン・ポップになるという、まさにその瞬間に、それ以前からはっきり聴こえていたソプラノ・サックスが一段と大きなフレイジングで跳ねるんだよね。ルーツ音楽からポピュラー音楽にチェンジする瞬間に、フュージョンっぽいソプラノ・サックスがそのきっかけをつくるのだ。

ソプラノ・サックスは、「ミムナ」ではその後聴こえなくなるが、『アン・コンセール』冒頭部のメドレー二曲目「サウイェ」冒頭部でもまた入る。さらにそこからはエレキ・ギターの音も聴こえるようになるが、それはまるでラリー・カールトンかリー・リトナーかっていうような弾き方で、まさにフュージョン・ギターだもんね。中間部ではソプラノ・サックスが繰返しリフを演奏する。

メドレー三曲目の「ハギダ」はラルビ・ディダの歌うライナ・ライのナンバーだが、ここではサックスのアラン・デビオサはテナーに持ち替えている。やはり爽やかフュージョン・テナー。まあこの人のサックス吹奏自体は、アメリカ人ジャズ・サックス奏者の一流どころをたくさん聴いている僕からしたら、正直言ってなんでもないものだが、それでも『アン・コンセール』ではその他随所で聴ける彼のサックス・サウンドが、このアルバムをとっつきやすく聴きやすいものにしていることだけは間違いないメリットだ。

そんなサックスやエレキ・ギターだけでなく、シンセサイザーもエレベもドラムスも全て演奏スタイルがジャズ・フュージョンっぽくいまの僕には聴こえる。そんな要素を ONB にもたらしているのが、上でも書いたようにジャズにのめり込んだ経験を持つ ONB の核であるユセフ・ブーケラなんじゃないかなあ。ユセフ自身はこのバンドのリーダーじゃないんだとインタヴューでは語っているが、音楽的リーダーシップは間違いなく彼がとっているよね。

ジャズ・フュージョン要素は、1998年に『アン・コンセール』にどハマりしていた頃の僕は意識していなかったわけで、そんな自覚は全くなく、ただただひたすらカッコイイ音楽だ、そうか、これは北アフリカの音楽をベースにしているのか、バルベスっていうのはパリ18区のマグレブ移民地区のことなのか、そうか、それでバルベス国立楽団と名乗っているんだなとか、そういう認識だったもんね。

しかしあんなに聴き狂ったのは、やっぱりジャズ・フュージョン要素が強く溶け込んでいたからだったんだと、2017年にもなっていまさらようやく気が付いて、気が付いてみると昨日からまた『アン・コンセール』をなんども聴いている僕。やっぱり何回聴いてもいいなあ、このライヴ・アルバムは。

もちろん ONB の『アン・コンセール』には、特にジャジーでもなければフュージョンっぽくもない曲だってある。冒頭の三曲メドレーに続く四曲目「サヴォン」、七曲目の「ラブー」は、リズムの感じもアメリカ産音楽っぽいし、特にエレキ・ギターがキュイ〜ンと入るあたりはやはりフュージョンだ。がしかし六曲目の「サラーム」はレゲエだし、五曲目「ザウィヤ」のリズムはかなり複雑(スネアの入るタイミングを理解するのに苦労する)で、シンセサイザーがグルグル廻るようなフレーズを演奏し、リード・ヴォーカルとチャントとのコール&リスポンスで展開する。

また八曲目の「マ・イシャリ」は(途中までは)完全にトラディショナル・スタイルのシャアビだ。ファテ・ベンラーラが、マンドーラでいかにもシャアビだというようなフレーズを弾き、自ら弾くそれに乗って歌う。彼一人でのマンドーラ弾き語りがしばらく続くので、賑やかな(ディスコとも言いたいほどの) ONB サウンドのなかに混じるとかなり異色で、大きなチェンジ・オヴ・ペースになっている。ライヴ現場だと、おそらくダンスをやめての休憩タイムになっていたんだろう。

ファテ・ベンテーラ主導の「マ・イシャリ」でも、半分あたりでシンセサイザーとエレキ・ギターとエレベとドラムスが入りはじめる。全くダンサブルではない歌謡曲だけど(シャアビってそんなもんだよね)、バック・コーラスも聴えるようになると、ドラマーが派手目にシンバルを鳴らしたりするので、途中からはやはり伝統シャアビではなくモダン・ポップ・シャアビという感じにはなる。

『アン・コンセール』でダンサブルではない歌謡ソングは、その八曲目「マ・イシャリ」だけで、その後はまた再び賑やかなディスコ・タイムに突入し四曲。フュージョン・サックスも聴こえ、エレキ・ギターもギュンギュン鳴るし、シンセサイザーも活躍。ドラマーもタイトかつポップなリズムを叩き出す。カルカベの音が大きく聴こえるのだけが、やはりマグレブ音楽だなと感じさせる程度だ。

十曲目の「シャリニ」では親指ピアノの音に続きゲンブリが鳴りはじめる(弾いているのはアジズ・サハマウイかな?クレジットがないけれど)のでグナーワになるのかと思うと、確かにグナーワ・ベースの曲だろうけれど、それも相当にポップなモダン・グナーワ、というかこれはもはやグナーワでもないだろう。グナーワを出汁に使った別の料理だよね。

アルバム『アン・コンセール』全体の流れでは、その次の11曲目「アラウイ」がメイン・アクトのラスト・ナンバーだった可能性がある。根拠は完全にゼロだけど、聴いているとなんとなくそんな気がする。「アラウイ」がフェイド・アウトして次のラスト12曲目「ドール・ビハ」に入る前に若干の空白時間があるし、「ドール・ビハ」は本編で演奏されたとは考えにくいしね。

11曲目「アラウイ」はいかにも ONB のこのライヴ・アルバム本編を締めくくるのに相応しい強烈な、しかし典型的なマグレブのビートとサウンドだ。アルバム『アン・コンセール』で、冒頭の三曲メドレー以外で代表曲はどれ?と言われたら、僕は「アラウイ」を推す。実際 ONB を代表する一曲になったんじゃないかな?このバンドのその後のことはあまりよく知らないが。

2017/03/10

僕のオススメ〜マイルズの必聴アルバム10選



昨2016年8月の記事だけど、『ローリングストーン』誌が「マイルズ・デイヴィスの必聴アルバム15選」というものを掲載した。もはや旧聞に属するものかもしれないが、僕がこれを知ったのはわりと最近なので、これに関連して今日は少し書いておきたい。
『ローリングストーン』誌のこの手の企画そのものは、はっきり言ってお遊びだろうけれど、でもマイルズ関係だからなあ。僕は黙っていられない。マイルズ関係でなくたって、この雑誌のこの手のランキングやベスト・アルバム選などを参考にするファンもいるのかもしれないし。

上でリンクを貼った英文をお読みいただければ分るように、この記事はやはり先鋭的で時代を形作ってきた音楽家としてのマイルズの必聴作を選ぶという視点だ。それでまず「俺は音楽の流れを五回か六回は変えた」というマイルズ自身の言葉を引用している。

有名な言葉なんだけど、しかも『ローリングストーン』誌でこの記事を書いたスティーヴ・ファターマン(誰?)もこれは間違っていないとコメントしているんだけど、どう考えてもこのマイルズの言葉はウソだよね。ウソが言い過ぎなら見栄を張っているだけ。五回とか六回とか、どう見てもそんなに変えてなんかいないじゃないか。

僕の見るところ、マイルズがジャズとその周辺の音楽の流れを変えたと言えるのは二回だけ(それで十分多いわけだけど)。1959年と69年の二回だけだ。しかも59年のモーダルな作曲・演奏法確立にしても、69年のビートとサウンドのロック/ファンク化確立にしても、マイルズがやりはじめたことなんかじゃないぞ。

どっちの時も、それぞれ数年前から先行する動きがあって、マイルズは、悪く言えばその動きをかすめ取って、あたかも自分がやったものであるかのようにして録音し完成させてアルバムにしただけだ。良く言えば、それ以前はみんな実験的模索だったのを、マイルズはその域を一気に飛び越えて、見事な完成品・傑作にまで仕立て上げたとは言える。

だけどさぁ、「時代の流れを変えた」とか「新しい」とかなどという視点でしか音楽を聴かないとなると、そりゃあまりにも貧しいんじゃないかなあ。マイルズという音楽家もそんな視点でしか捉えられていないように思うから、どうもこの人の本質をみんな掴まえきれていないんじゃないかという気が僕はする。例の JTNC 系の方々が語るマイルズ論も全てそう。

だから今日、僕は、『ローリングストーン』誌の「マイルズ・デイヴィスの必聴アルバム15選」の中身に具体的に反論するのではなく(それは意味がないだろうから)、僕なりに選んだ「マイルズ・デイヴィスの必聴アルバム10選」を以下に記しておきたい。15作ではなく10作。といっても絞りに絞った結果、マイルズ名義ではないアルバムが一枚だけ入って合計11枚になってしまった。かたちとしてはキレイじゃないが、勘弁してほしい。

僕の選考基準は、時代を形作ったとか新しいとか音楽の歴史を変えたなんていうものではなく、あくまで聴いて楽しいか、美しいと感じるか、リラックスできるかどうかだ。それだけ。それも特にジャズ・マニアではない一般の音楽リスナーも、これを聴いたら、あっ、こりゃいいね、マイルズの他のアルバムも聴いてみたいぞという気になるかどうか 〜 それだけで11枚選んだ。以下、年代順に。括弧内は録音年。

1. Miles Davis and Milt Jackson Quintet/Sextet (1955)

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これがマイルズの推薦盤にあがっているのをまだ一度も見たことがないが、極上の一枚なんだよね。隠れた名盤だ。特にヴァイブラフォンのミルト・ジャクスンとピアノのレイ・ブライアントが旨味。四曲全ていいけれど、特に一曲目と四曲目のブルーズ・ナンバーでは絶品のソロとバッキングを聴かせる。ボスのトランペットはまだイマイチだけど、それでもこの二人に触発されて、この時期にしてはいいソロを吹く。
2. Relaxin' (1956)

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ファースト・レギュラー・クインテットの作品からはこれを。内容的にはプレスティジでのマラソン・セッションから生まれた四作全て同じようにいいし、『クッキン』は10月の録音で統一されているので完成度は高い。だが『リラクシン』は、タイトル通り本当に寛げる内容で、アップ・テンポのものもバラードも、聴いていていい気分なんだよね。
3. Miles Ahead (1957)

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ギル・エヴァンス編曲・指揮のオーケストラとやったものでは、やっぱりこれだ。評価も人気も高い『スケッチズ・オヴ・スペイン』はあまり楽しくないと思う。みんな、あれが本当に心底いいと思って聴いてんの?どう聴いても『マイルズ・アヘッド』の方が美しいでしょ。二曲目「カディスの乙女」とか四曲目「マイ・シップ」などのバラードをフリューゲル・ホーンで吹くマイルズと、その背後で鳴るギル・アレンジのオーケストラの響きは、天上の美しさ。
4. Somethin’ Else (1958)

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お分りのようにこれだけがマイルズのリーダー名義作品ではない。キャノンボール・アダリー名義のブルー・ノート盤だけど、実質的にマイルズがリーダーシップをとったセッションであるのは、音を聴けば誰でも分る。これを収録したリール・テープのケースには、アルフレッド・ライオンのペンで「Miles Davis Quintet」と書かれてある(その写真を僕は見たことがある)。一曲目「枯葉」におけるハーマン・ミュートをつけたトランペット・ソロだけで KO されるよね。
5. In Person: Friday Night At The Blackhawk. vol.1 (1961)

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タイトルで分るようにライヴ・アルバム。サタデイの方はイマイチに聴こえるので、一曲目のブルーズ「ウォーキン」が必殺であるフライデイの方だけをオススメするが、本当は金・土あわせ二枚組で発売してほしい。そうすれば未練を残すことなくそれを推薦できるんだけどね。アクースティック・ジャズ時代のマイルズ・ライヴでは、1960年代中期〜後期のハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズを擁したアルバムが評価が高いけれど、ちょっと緊張感が強すぎる。普段聴きには適さないし、入門用でもない。
6. E.S.P. (1965)

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とはいえ、そのリズム・セクション+ウェイン・ショーターによるセカンド・レギュラー・クインテットのアルバムも一枚は選んでおきたいので、スタジオ録音第一作であるこれを。この時点では、このクインテットの音楽はまださほど抽象度を強めておらず、聴きやすい。次作の『マイルズ・スマイルズ』から『ネフェルティティ』までは、西洋白人音楽リスナー向けである部分が大きいように思う。だからそういうリスナーにはそれらをオススメしておくが。
7. In A Silent Way (1969)

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マイルズ・ミュージックが生涯で最も激しく変化した1968〜71年頃。新時代を切り拓いた大傑作とされる『ビッチズ・ブルー』は、マイルズ・ファン、ジャズ・ファン以外にはちょっとしんどいかも。さらにファンキーさという点でも『イン・ア・サイレント・ウェイ』の B 面(CD だと2トラック目)の方がカッコイイもんね。ファンキーにグルーヴする曲を、落ち着いた静的で美しいメロディの曲でサンドイッチした編集のアイデアも効果抜群。
8. Jack Johnson (1970)

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ロック・ファンに「マイルズのいいのをなにか一枚教えてください」と言われたら、迷わずこれを差し出すべきだ。エレベのマイケル・ヘンダスン、ドラムスのビリー・コバム二名の創り出すビートに乗って、ジョン・マクラフリンがロック・ギターを炸裂させ、マイルズも軽快に吹きまくる。映画のためのサウンドトラックとしての編集時(録音時にはそれは無関係)にテオが挿入したいろんなパートは不要だったかもと、いまでは思える。
9. On the Corner (1972)

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これを選ばないというのは考えられないね。だぁ〜ってファンキーだもん。2010年代のいまでも意義深い(とみんな思っているみたいだ、特に JTNC 系のライターさんたちや、その読者さんたち)という視点はいまの僕にはない。1998年頃に、それまでマイルズをほぼ知らなかった茨城県在住のソウル〜ファンク愛好家にこれをプレゼントしたら、一発でハマったぜ。そんな経験からも、やはりオススメなんだよね。特にコアなブラック・ミュージック・ファンには。
10. Pangaea(1975)

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1970年代中期に何枚もあるレギュラー・バンドでのライヴ・アルバムからは、この1975年2月1日、大阪公演夜の部を。でも一枚目は後半部しか面白くない。凄いのは二枚目だ。同じ日の録音では、昼の部を収録した『アガルタ』の場合が一枚目だけカッコイイから、つまり『アガルタ』の一枚目と『パンゲア』の二枚目がセットになれば文句なしなんだけどなあ。
11. Doo-Bop (1991)

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1981年復帰後の作品からも一枚だけ選んでおこう。この『ドゥー・バップ』はマイルズが亡くなる1991年の初頭にイージー・モー・ビーとのコラボで取り組んでいたプロジェクトからの音源が中心だけど、未完成のまま故人になってしまい、死後リリースとなった。もし亡くなる前に完成していれば…、と残念で、興味深いアルバムなのだ。あと二年でも生きていれば、マイルズは本格的にヒップ・ホップ・ミュージックをやったはず。それもラッパーをレギュラー・バンドのメンバーとして雇ったに違いないね。

2017/03/09

1953年頃のメンフィスにて

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上掲画像の通り、このアルバムのジャケットにはエルヴィス・プレスリーが大きく写っている。がしかしエルヴィス本人は歌でも演奏でも全く一曲も参加していないという一枚なのだ。この画像とこの言い方だけで、なんの話になるのか、ブルーズ〜アーリー・ロックンロールのファンであればみなさんお分りのはず。

そう、このアルバムのタイトルは『ミステリー・トレイン』だ。言うまでもなくエルヴィスがサン・レーベルに録音したので有名化したブルーズ〜ロック・スタンダード曲の名前。もちろんエルヴィスがオリジナルではない。オリジナルはジュニア・パーカーというブルーズ・マンで、このアルバムはサン・レーベルへのジュニア・パーカーその他二名名義の録音をコンパイルしたもの。

ジュニア・パーカーはさほど知名度の高いブルーズ・マンではないかもしれないが、それでも名前が憶えられているとすれば、やはりエルヴィスがやった「ミステリー・トレイン」のオリジネイターであるという、ただその一点のみが理由だろう。エルヴィスがやったので、その後いろんな音楽家がたくさんカヴァーしているのはご存知の通り。

「ミステリー・トレイン」は、エルヴィスのあと、ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド、ザ・バンドなどがやったのが最も有名かなあ。問題はザ・バンドのヴァージョンだよね。原曲にはなく、したがってそれまで誰もやっていないサビを書きくわえている。あれは誰のアイデアだったんだろう?その後はネヴィル・ブラザーズのヴァージョンも、サビ付きのザ・バンド・ヴァージョンに即している。

「ミステリー・トレイン」は、ジム・ジャームッシュ監督がこのままのタイトルで映画化もしている。工藤夕貴と永瀬正敏を主役コンビに抜擢し、舞台もメンフィス。この二名が旅行で同地を訪れた設定になっていた。つまりこの曲が録音された街で、映画のなかでサン時代のエルヴィスの曲が実にたくさん流れるので、僕はすごく楽しかった。1990年代はじめ頃に下高井戸の映画館で(確か封切り上映ではないものを)観た。

この曲「ミステリー・トレイン」の話は長くなってしまうので今日はやめておいて、CD アルバム『ミステリー・トレイン』に限って話をしたいのだが、こういうアルバム・タイトルになっているので、当然この曲のオリジネイターであるジュニア・パーカーが一番たくさん収録されている。全部で九曲。それ以外はジェイムズ・コットンが三曲、パット・ヘアが二曲。それら全てメンフィスのサン・スタジオでの録音だから、レコーディング・プロデューサーはもちろんサム・フィリップス。

このアルバム収録曲で一番有名な曲はもちろん「ミステリー・トレイン」だが、しかしジュニア・パーカーがこれを書き、1953年9月に録音し、サン・レーベルが発売したレコードは大してヒットしていない。この点、一部のネット上の文章には間違っているものがある。この曲がジュニア・パーカーの代表作とみなされるようになったのは、あくまでエルヴィスによるカヴァー後であって、ジュニア・パーカー自身のレコードは失敗だった。

ジュニア・パーカーの最初のヒットは「ミステリー・トレイン」ではなく、1953年6月18日録音の「フィーリン・グッド」なんだよね。しかしこの曲はアルバム『ミステリー・トレイン』では三曲目という微妙な位置。一曲目が「ミステリー・トレイン」になっているのは当然であるとはいえ、録音順も無視しているし、ヒットした代表作を先にという意味からも外れているんだよね。

ジュニア・パーカーのヒット作「フィーリン・グッド」は、完全なるジョン・リー・フッカー的なワン・コード・ブギで、これはスタイルの模倣というよりも「ブギ・チルン」そのまんまというに近い。フッカーのそれは1948年のレコードだから、ジュニア・パーカーは間違いなくそのままやっている。

フッカー「ブギ・チルン」https://www.youtube.com/watch?v=G4pp02_GN9A
ジュニア・パーカー「フィーリン・グッド」https://www.youtube.com/watch?v=azaMkrna0KU

フッカーのはもちろん自分一人でのエレキ・ギター弾き語りだが、ジュニア・パーカーはヴォーカルだけで、ワン・コード・ブギを弾くギタリストが誰なのか、実は正確にはいまだ確定していない。僕の持つ CD アルバム『ミステリー・トレイン』附属の紙には「たぶん(prob.)」フロイド・マーフィーだと書いてあるが、僕は知らない人だ。ギター名人マット・マーフィーの甥であるフロイド・マーフィーなら知っているが、ドラマーだしな。録音年から推測しても別人物に違いない。

だいたいアルバム『ミステリー・トレイン』に収録されているジュニア・パーカーの九曲は、ヴォーカルが彼であること以外のパーソネルが正確には判明していない部分が多いのだ。1950年代前半のサン・スタジオって、そのあたりのデータをちゃんと残していなかったのかなあ。これだけはちょっぴり残念。

それにアルバム『ミステリー・トレイン』収録の1953/54年、サン・スタジオ録音での九曲では、ジュニア・パーカーはヴォーカルに専念していて、ハーモニカは全く吹いていない。まあでもこれはかえってよかったかもしれない。このブルーズ・マンのヴォーカリストとしての特徴が非常に分りやすく仕上がっているからだ。

その特徴を端的に言えば都会的洗練。お聴きでない方はえ〜っ?と思うかもしれないけれど、間違いない。メンフィス録音であるとはいえ、南部的な泥臭さ、アーシーさはほぼ全く聴き取れず、むしろジャジーであるとすら感じるソフィスティケイションがある。直接的にはおそらくロイ・ブラウンから影響を受けているんじゃないだろうか?そのあたり全く調べていないが、僕の耳にはそう聴こえるね。

だからヴォーカリストとしてのジュニア・パーカーは、1940年代のジャンプ〜リズム&ブルーズ歌手の流れを汲む人なんだろう。録音物を聴けばこれは断言できる。ちょうど同じような系統にあるように思うB・B ・キングに似たような歌い方なんだよね。BB があれだけ大人気なのは、やっぱりギタリストだからだろう?ギターを弾かないブルーズ・マンって、どうしてこんなに人気がないんだろう?

そんな具合で、ピュア・ブルーズというより都会的なリズム&ブルーズ・シンガーに近い歌い方のジュニア・パーカー。そういう持味は、ヒット作「フィーリン・グッド」でも、有名になった「ミステリー・トレイン」でも実はあまりよく分らない。アルバム『ミステリー・トレイン』でなら、テナー・サックスが入る四曲目「ファシン・アンド・ファイティン」、七曲目「シティン、ドリンキン・アンド・シンキン」が一番分りやすいだろう。
どうです、この都会的に洗練されたリズム&ブルーズ風なヴォーカルは。いいでしょ。僕はこういうジュニア・パーカーが一番好きだなあ。二つ目の「シティン、ドリンキン・アンド・シンキン」で T ・ボーン・ウォーカー風に洗練されたギターを弾くのがパット・ヘア。パット・ヘアのリーダー録音は、上述の通りアルバム『ミステリー・トレイン』に二曲収録されている。

その二つのうちでは、間違いなくアルバム・ラストの「アイム・ゴナ・マーダー・マイ・ベイビー」が有名すぎるほど有名。どうしてかって、パット・ヘアはこの曲をサン・レーベルに録音した1954年から何年かあと(60年代初頭らしい)、現実にガールフレンドを銃で撃って殺してしまうのだ。それで刑務所に入り、そのまま亡くなってしまった。

パット・ヘアはアルバム『ミステリー・トレイン』に収録されている二曲の1954年録音のあと、ジェイムズ・コットンとともにマディ・ウォーターズのバンドに参加して名をあげた人だけど、いまでは現実の殺人を予告したような「アイム・ゴナ・マーダー・マイ・ベイビー」一曲こそが最も有名だろう。
しかし曲題と歌詞は凶暴極まりないもので、ギターもアグレッシヴなスタイルが中心だったパット・ヘアだけど、いま音源を貼った「アイム・ゴナ・マーダー・マイ・ベイビー」でお分りのように、ヴォーカルはやはり乱暴だけど、ギター・プレイは気配りの行き届いた繊細さも感じられる。

上で貼ったジュニア・パーカーの「シティン、ドリンキン・アンド・シンキン」でのパット・ヘアのギター・スタイルなんて、かなりオシャレで洗練されていて都会的じゃないか。まあでもやはりその後ギターも攻撃的なものになっていくけれど、ネットでパット・ヘア関連の文章を読むと、どれもこれも全員揃って「凶暴」としか言っていないのは、現実に殺人罪を犯したからなんじゃない?それを予告したような曲を1954年に録音したからなんじゃないの?

2017/03/08

プリンスの『パレード』はスライへのオマージュだ

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特に21世紀に入って以後は、伝統的なファンク路線への転向というか回帰、ファンクのダイレクトな継承者という姿勢を強めていたプリンス。そんな彼の屈指のファンク・アルバムが、まだ21世紀に入る前の1994年に発売された『ザ・ブラック・アルバム』と、2002年発売のライヴ・アルバム『ワン・ナイト・アローン...ライヴ!』の三枚目『ジ・アフターショウ』。

しかしそんなプリンスのファンク路線第一作は、もっとずっと早い1986年の『パレード』に他ならない。これは間違いないと確信して、僕たちブラック・ミュージック・ファンは長年愛聴してきているのだが、大きな驚きだったのが、プリンスが亡くなってまず最初に『ミュージック・マガジン』が組んだプリンス追悼特集(2016年6月号)。これの『パレード』の項で、高橋修編集長が「全作品の中で最もファンク度が低い」と書いていたことだ。

あれを読んで、エエェ〜ッ?!とひっくり返った人は多いはず。こんな人が編集長なんだから、そりゃ『ミュージック・マガジン』も面白くなくなるわけだよね、とある意味納得し、しかしある意味これではイカンだろうと腹が立ったわけだ。少なくとも僕はね。高橋編集長の真意がいまだに理解できない。

と思っていたら、その後同誌が増刊号で八月に発売した『プリンス〜星になった王子様』で、アルバム解説を一人で全部書いた小出斉さんが、高橋修編集長の名前を出して、やはり僕と同趣旨のことをお書きだったのだ。といっても同じ雑誌の増刊号だし、大人である小出さんは「ふむふむ、そういう聞き方もあるのね。生まれも育ちも聞き方も、みんな違って当たり前」とかなり柔らかい物言いで、しかしはっきりと批判していたので、僕なんかはそりゃそうだよね、当たり前じゃ、編集長、読んだか?!と嬉しかった。

『パレード』の、小出さんは「この1〜3曲目にファンクを感じるか、どうかが分かれ目かもしれないですね」と書いているけれど、確かにそこと、5〜6曲目、そして(アナログ盤では)B 面トップの「マウンテンズ」と三曲目の「KISS」。これらがプリンスの生涯初のファンク・ミュージック宣言だったんじゃないかなあ。

特に CD だと八曲目になる「マウンテンズ」がカッコイイよねえ。これがファンクじゃなかったら、なにがファンクになるっていうんだよ? しかもこの曲はかなり伝統的ファンク・マナーに則ったものだ。はっきり言えばスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「スタンド!」(1969)からそのまま持ってきている。ダイレクトなオマージュだと言ってしまいたいくらい。

プリンスの熱心なファンのみなさんのなかには、あるいはひょっとしてスライの「スタンド!」をご存知ない方がちょっとだけいるかもしれないので、プリンスの方は例によって紹介できないが(そろそろなんとかしてほしい、遺族の方々とワーナーさん)、スライの「スタンド!」だけ、音源を貼り付けておこう。
これをお聴きになって、直後にプリンスの「マウンテンズ」をもう一回聴き直してほしい。どうです?僕がダイレクトなオマージュだと言っている意味がお分りいただけるはずだ。もちろん違いもたくさんあるが、曲構成の根本が同じだ。リズムのタイトな感じ、ドラムスの使い方、ホーン・セクションの入れるリフのフレイジングや曲のなかのどこでどう入れるかなどなど、よく似ているなあ。

そしてここが一番モロそのまんまじゃないかと思うのが、曲終盤でパッとキーとリズムが変わってディープになる部分だ。スライの「スタンド!」だと 2:16、プリンスの「マウンテンズ」だと 3:41。そこで瞬時に転調し、リズムもヘヴィーでディープなファンク展開を見せる。スライの「スタンド!」はあれがなかったらイマイチなんだけど、プリンスの「マウンテンズ」では、やっぱりそれを思い出しちゃうんだな。

次作である1987年の二枚組『サイン・オ・ザ・タイムズ』でもそんなファンク路線が聴ける。鮮明なのが一枚目 A 面(CD だと四曲目まで)。この A 面は完全なるファンク・サイドで、だからアナログ・レコード時代の僕は 一枚目 A 面ばかりなんどもなんどもリピート再生していて、他の三面はあまり熱心に聴いていなかったなあ。

一曲目の「サイン・オ・ザ・タイムズ」も超クールでカッコよく、二曲目の「プレイ・イン・ザ・サンシャイン」は曲題通り陽光の下賑やかに騒ぐようなパーティ・ファンク。そして三曲目の「ハウスクエイク」と四曲目の「ザ・バラッド・オヴ・ドロシー・パーカー」は、これまたスライ直系。それも1971年の『暴動』からの影響が露骨だ。

といっても三曲目の「ハウスクエイク」はジェイムズ・ブラウン流儀かなと聴こえる部分もあって、特にエレキ・ギターのカッティングとホーン・リフの使い方が JB 的じゃないかと思えたりもするので面白い。「ドロシー・パーカー」の方はどこからどう聴いてもスライ『暴動』の「ファミリー・アフェア」そのまんまだと全員分る。

それはそうと「ハウスクエイク」で聴けるピッチの高い中性的な声。プリンス本人が歌い、録音後にテープの回転速度を上げてあんな感じにしていると思うんだけど、あれはカミール(とみんな書くけれど Camille はカミーユじゃないの?)というオルター・エゴで、この名前でソロ・アルバムが計画されていたらしいことを、かなりあとになって知った。アルバム『サイン・オ・ザ・タイムズ』のなかでは、他にもこの声が聴けるものがあるよね。

このカミーユとかいうのがいったいなんなのか、僕はよく知らない。だいたいプリンスの場合、こういった録音・発売事情が入り組んでいるものが多すぎるだろう。話題にしている『サイン・オ・ザ・タイムズ』だってそうだし、その後の『ザ・ブラック・アルバム』と『ラヴセクシー』との関係とか、『クリスタル・ボール』のこととか、そんなのばっかりだ。しかもそれら全て音楽的には素晴らしいので、どうしてすんなりリリースしなかったのか、僕ら素人には不思議でしかない。

高いレヴェルの音楽作品を創り完成させ、発売のメドが立ちサンプル盤まで作られていたにもかかわらず、会社側の事情などではなく、音楽家本人側の意向で「やっぱ、やーめた!」となってしまうのが、まあ天才の考えることは、やはり僕ら凡人にはサッパリ理解できないんだよね。もう亡くなったんだし、プリンスの全録音を全部一度スッキリ整理してもらえないだろうか?どのアルバムのどの曲が録音が先だとか、分らないものが多すぎだ。

さて最初に名前を出した『ザ・ブラック・アルバム』。発売は1994年になったものの、録音順ならこれが『サイン・オ・ザ・タイムズ』の次に来ると判断していいのかな?とにかく最初に書いたように、この黒一色のジャケットでこのアルバム・タイトルである(のはビートルズを意識した?)この一枚こそが、プリンス屈指のファンク・アルバムで、おそらくこの人によるスタジオ・アルバムではファンク最高傑作だ。

『ラヴセクシー』に流用されたバラード「ウェン・2・R ・イン・ラヴ」を除く全七曲が、全てゴリゴリのハード・ファンクで超強烈。こういう音楽がいいんだよね、僕はね。快感なんだ、このヘヴィーなグルーヴがね。黒人ファンク愛好家であれば、世界中の全員が同じ意見になるはず。パンチが効きすぎていて、部屋のなかで大音量でマトモに向き合うとちょっとしんどい気がしてしまうような僕は、やっぱり甘ちゃんだ。

一曲目「ル・グラインド」(どうして「ザ」じゃないんだ?フランス語というなら「ル・グラン」と表記しなくちゃイカンのだが?)とメドレーで続く二曲目「シンディー・C」の二連発なんか、ここまでゴリゴリ・ハードなファンクをやるのか?このキュートでポップなロッカーみたいな感じだったプリンスが?とビックリしてしまうほど。

「ル・グラインド」(「ル・グラン」?)はワン・コード・リフの反復で突き進み、ホーン・セクションにコーラス隊、暴力的なまでのリズムの爆進、さらにアクースティック・ピアノが「セックス・マシン」風に入るという、完全なるジェイムズ・ブラウン流儀のハード・ファンクだ。

五曲目「ボブ・ジョージ」はブルーズの定型3コードなのだが、やはりリズムはファンクだ。歌詞内容が寸劇的な展開であるのも王道のブラック・ミュージック路線だね。音楽的にはどうということのない普通のファンクである六曲目「スーパーファンキーカリフラギセクシー」の、この言葉遊びな曲題も P ファンク流儀で、黒人音楽の伝統に則っている。

『ザ・ブラック・アルバム』で個人的に一番面白いのが、七曲目の「2・ニグズ・ユナイティッド・4・ウェスト・コンプトン」。どうしてかというと、これはインストルメンタル・ジャズ・ファンクなのだ。ゴリゴリではあるがスウィンギーなフィーリングもあるしね。中間部のエレベ・ソロは、やはりプリンス本人が弾いているのかな?この曲は『ワン・ナイト・アローン...ライヴ!』の三枚目『ジ・アフターショウ』でもやっている。カッコイイんだぞ〜。

ジャズ・ファンクといえば、『ザ・ブラック・アルバム』が公式リリースされた1994年に出た『カム』。なんだか墓碑銘のようなジャケット・デザインが死を告げているみたいだけど、中身の音楽は生(性)の喜びに満ち溢れていて僕は好きなアルバムだ。これもジャズ・ファンクっぽいよね。特に一曲目のアルバム・タイトル曲はそうだ。それ以外の曲も含め『カム』も(ジャズ・)ファンク・アルバムみたいに聴こえる。

最初に書いたように2000年代はファンク回帰色を強めていたプリンスなので、特に2001年の『ザ・レインボウ・チルドレン』以後でファンク要素を探して指摘するのは不可能だと思えるほど多い。ライヴ・アルバムでそんな側面を最も強力に打ち出したのが2002年の『ワン・ナイト・アローン...ライヴ!』の三枚目『ジ・アフターショウ』だけど、スタジオ録音作でも増えてくる。

それらは多いので今日はもう指摘しないが、一番鮮明なのは2004年の『ミュージコロジー』かなあ。サウンド的には王道ブラック・ミュージックの伝統ファンク路線に回帰したように聴こえながらも、歌詞内容などでは21世紀の同時代とシンクロしているようなアルバムで、しかもビルボード・チャート三位と、かなりヒットしたのは喜ばしい限り。

一つ明言しておいた方がいいと思うのは、ライヴ・ステージなどではこの前から共演しているサックス奏者メイシオ・パーカーを、『ミュージコロジー』からはプリンス自らのレギュラー・メンバーとして正式に迎え入れていることだ。メイシオがどういう人物で、彼を正規メンバーにするのにどういう意味があるのか、ファンク愛好家には説明不要だね。オールド・スクール宣言だよ。

さらに『ミュージコロジー』一曲目のアルバム・タイトル・ナンバー。4:24 という長さのこのファンク・チューンでは、最終盤で本演奏が終った後、自身の過去曲「KISS」と「サイン・オ・ザ・タイムズ」のフレーズがほんの一瞬だけサンプリングされて、それもかなり小さい音で挿入されている。

2017/03/07

ジャイヴ歌手第一号は、やはりサッチモ

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世間一般に流布している定説とは異なることを二つ言う。一つ、スキャット・ヴォーカルはルイ・アームストロングがはじめたものではない。一つ、しかしながらスキャットを頻用するジャイヴ・ヴォーカルの開祖は、それでもやはりサッチモだ。

この二つ、少なくとも僕はいまだに見たことがない意見なんだけど、でもだいたみんな言わないだけで、本音では薄々そうだろうなと分っていることなんじゃないかなあ。スキャットはサッチモの発明品なんかじゃないという話は、別の機会に改めてじっくり考えたいので(だって人類音楽史全体にかかわってきそうだからさ)、今日はサッチモ=ジャイヴ・ヴォーカリスト第一号だという話をしたい。

一般的に、ジャズの分野でジャイヴ・ヴォーカルというものをやりはじめた最初の人物はキャブ・キャロウェイだとされているんだろうか?たぶんそうだよね。キャブのジャイヴ・ヴォーカル初録音は、1930年7月24日録音の「セント・ルイス・ブルーズ」だろう。既に意味の分らないスキャットで、面白おかしく軽快に、ノヴェルティ風味全開で歌っている。この日付はキャブの初録音だから、最初からこんな持味のジャズ・マンだったのかもしれない。

次いで同1930年12月23日録音の「ノーバディーズ・スウィートハート」と「セント・ジェイムズ病院」を経て、翌31年3月3日録音の代表作「ミニー・ザ・ムーチャー」を録音・発売し、それがベティ・ブープの短編アニメ映画のなかで使われて、しかも声だけでなく、ある技術によりキャブ自身もアニメのなかでダンスを披露し、それが受けたことで、その後の快進撃となった。

ところで今日の話とは関係なくなるけれど、キャブのその「ミニー・ザ・ムーチャー」(Minnie The Moocher)。これが大学生の頃の僕は、デューク・エリントンの「ザ・ムーチ」(The Mooche)と一緒くたになってしまい区別が付かず、音楽性も活躍時期も似ているし、どっちがどっちだっけ?と分らなることもあって困っていたんだなあ。まあいいや、そんな話は。

しかしいくらキャブが元からそんな資質のヴォーカリストだったといっても、音楽にしろなんにしろ、完全なる無の状態から新しいものを産み出せるなんてことはありえない。新しい文化の創造は、どんな分野でもいつの時代でもどこの国でも全て、引き継がれてきている過去の伝統の焼き直し、応用からはじまる。

音楽とは無関係だと思われるかもしれないが(「セイレーン」の章もあるし、他の意味でも実は関係は密接)、アイルランド出身で20世紀初頭に活躍した小説家ジェイムズ・ジョイスが英語で書いた最大の代表作『ユリシーズ』。20世紀の十大小説を選べば、誰でも必ず入れるだろうというほどの作品で、しかもかなりの革新的実験作・前衛作とされているけれど、この作品はギリシア神話の枠組を利用している。タイトルだけでもそれは分るはず。

キャブ・キャロウェイの場合、あのコミカルというかノヴェルティなヴォーカル・スタイルをパワフルに躍動させ、しかもそのなかに頻繁にスキャットが入っていて、必要不可欠な要素となっているけれど、キャブにスキャット・ヴォーカルを教えたのは、誰あろうサッチモことルイ・アームストロングなんだよね。

この事実はキャブについて少し調べてみればすぐに(英語でも日本語でも)出てくることなんだけど、調べなくたって録音年月日と音楽内容を比較すれば、誰だってそりゃそうだろうと分るもののはず。サッチモは、独立後初のソロ録音である1925年11月12日のオーケー録音で、既にジャイヴっぽいフィーリングを出している。

その日に三曲録音されたうちの一曲「ガット・バケット・ブルーズ」でのことで、スキャットはまだやっていないものの、サイド・パースン全員に対し、ソロの順番が廻ってくるたびに毎回全てあれこれと指示の声を入れ、そのなかで例えば「ハイ、ハ〜イ!」「ヤ〜!」「オー、ボーイ!」などと囃したてたりしているもんね。
これをノヴェルティなジャイヴ・ヴォーカル風味と言わずしてなんと言う?そして(あくまでサッチモのレコード録音史上では)初のスキャット録音である、翌1926年2月26日の「ヒービー・ジービーズ」では、ワン・コーラス普通に歌ったあとのツー・コーラス目でスキャット・シンギングが炸裂している。
キャブ・キャロウェイだってこんなレコードは当然聴いていたはず。そのことは全く疑う余地がない。サッチモは「ヒービー・ジービーズ」でやったあとは、どの曲がそうだなどと指摘するのは文字通り不可能なほどありとあらゆる曲でスキャット・シンギングをやっている。ある曲では普通の歌い方とスキャットを混ぜ、またある曲ではスキャット・オンリーだったりなど。そして意味のある歌詞を歌う際でも、かなりノヴェルティをやっている。

指摘不可能で終わらせるのも愛想がないので、少し具体例を出しておこう。1926年6月23日録音の「ビッグ・ファット・マ・アンド・スキニー・パ」。もうこの曲題だけでもコミカルだけど、曲の中盤から終盤にかけて出てくるサッチモの歌い方に注目してほしい。序盤の声はクラレンス・バブコック。
さらに1926年11月 16日録音の「スキッド・ダット・デ・ダット」 。ドクター・ジョンもアルバム・タイトルに借用した(がこの曲はやっていない)この曲題が既にスキャット・シンギングを表現しているわけで、曲自体を聴けば、キャブ・キャロウェイへの道程はかなり明確に見えるはずだ。
スキャット・シンギングを含むヴォーカルもなく、また曲調や演奏スタイルにノヴェルティ風味もないけれど、サッチモとキャブが一番分りやすく結びついているのが、1927年9月2日録音の「ストラッティン・ウィズ・サム・バーベキュー」だ。演奏は立派なジャズで、昔から1925〜27年のサッチモ名演選集には必ず収録されるもの。
これのどこがキャブと結びついているのかというと、この曲題はそのまま料理への言及ではなく、カワイイあの子といいことをするという意味で、しかもそう指摘しているのがキャブの編んだ『ジャイヴ語辞典』(Hepsters Dictionary: Language of Jive) なのだ。その本のなかには「barbecue」とは「a girl friend, a beauty」のことだとあるもんね。だいたいサッチモの録音集では曲題や歌詞に(特に南部ニュー・オーリンズの)料理への言及が多いから、キャブのこの指摘がなかったら、僕なんかは気が付かなかっただろう。

さて、上で「またある曲ではスキャット・オンリーだったりなど」と書いたけれど、サッチモがスキャット・オンリーで歌ううち、最も有名で評価も高いのが、言うまでもなく1928年6月28日録音の「ウェスト・エンド・ブルーズ」。この一曲は、シリアスなジャズ芸術としてしか受け取られていないし、実際そんな色の方が濃いように僕も思う。
しかしこのなかでサッチモが聴かせるスキャットがなかったら、全く味気ないものになっていたに違いないとも僕は思うね。さらに、そのスキャット部分にはほんのちょっぴりのノヴェルティ風味すら、いまの僕は感じる。こんな歌い方なんだから、どんなにシリアスにやってみてもそれは出る。出ない方がオカシイ。サッチモはあえてそこを狙ったに違いない。 なんてことを書いていると、「ウェスト・エンド・ブルーズ」を至高の音芸術と考えている多くのジャズ・ファンや演奏家、例えばカヴァーしているウィントン・マルサリスくんなどは、間違いなく顔を真っ赤にして怒り出しそうだね。わっはっは。

サッチモの1928年録音は全部で19曲あって、それが昔から LP レコードでもコンプリートに復刻されていた。それら19曲を聴くと、多くのジャズ・ファンがシリアス・ジャズ・アートだとして奉るこの年の録音は、その前の1925〜27年録音よりも、ノヴェルティなジャイヴ風味が一層強くなっているんだなあ。

これも数が多いので、一個一個全部は書いていられないが、例えば「ドント・ジャイヴ・ミー」。これはジャズ楽曲のなかに jive という言葉が入った史上初の一例のはず。もちろんキャブが使ってその後いまでも一般化している意味ではなく、単に「ふざけないでくれ」という程度のことだろうけれど、キャブだってこの意味から発展させたわけだしね。曲題に明確に出てきた意義は大きいはず。

また1928年に火花を散らしたピアノのアール・ハインズが書いた「ア・マンデイ・デイト」では、ジャイヴ・トーク&シンギングがはっきり聴けると断言してしまいたい。本演奏に入る前のやりとりを聴いても実感できるはず。サッチモにはこういう録音がかなり多いんだよね。
その他「シュガー・フット・ストラット」とか「スクイーズ・ミー」とか「セイヴ・イット、プリティ・ママ」とか、全部ジャイヴ・シンギングじゃないか。特に二つ目の「スクイーズ・ミー」中盤では、リーダーのサッチモがスキャットを披露する背後で「ワワァ〜」というコーラスが入っている。これは1930年代にたくさん出てきたジャイヴ・コーラス・グループの先駆けじゃないだろうか。
サッチモの1928年録音ラストは12月12日録音の「セント・ジェイムズ病院」と「タイト・ライク・ディス」。前者はやはりキャブ・キャロウェイがやって、そっちの方が有名になったものだけど、サッチモのヴァージョンが二年前にレコード発売されていなかったら、キャブだってとりあげるのが少し遅れたかもしれないよね。
「タイト・ライク・ディス」は「ウェスト・エンド・ブルーズ」と並ぶ、1928年のサッチモでは人気曲だけど、それは3コーラスにわたり見事な展開を聴かせるサッチモのコルネット・ソロのおかげだ。それだけが理由。がしかしこの「タイト・ライク・ディス」という曲題の意味を、日本人ジャズ・ファンはみんなちゃんと知っていて愛聴しているのだろうか?
あまりそれを詳しく解説するのもどうかとは思うけれど、同じ1928年にブルーズ・ギタリストのタンパ・レッドが2ヴァージョン録音してレコード発売した「イッツ・タイト・ライク・ザット」と同じテーマなんだよね。タンパ・レッドの方には歌詞があるが、サッチモの方にだって、サッチモ自身の男声とドン・レッドマンが出す女の声色とで卑猥なやりとりをしているのがはっきり入っているじゃないか。むしろこっちの方がタンパ・レッドのよりもいやらしいよね。

最高のアド・リブ芸術が聴けるとされる作品でもサッチモはこうだったのだ。こんな猥雑なフィーリングは、やはりキャブ・キャロウェイを先取りしたようなものだろう。というか直接ヴォーカル・アドヴァイスをしたわけだから間違いなくサッチモからキャブへ受け継がれたものがある。それが1930年代に流行したジャイヴ・ヴォーカルのルーツだったと考えて間違いないと僕は確信している。

だからサッチモは芸術としてのジャズの元祖だっただけでなく、ジャイヴみたいな芸能ジャズの元祖でもあった。1940年代にたくさん大ヒットを飛ばしスターになり、ゆくゆくはチャック・ベリー登場の舞台を整えたルイ・ジョーダンにまでサッチモの影響は続いていると言って過言ではない。

そんなサッチモ自身は、1930年以後の録音でもやはり楽しくスキャットを使いノヴェルティ風味全開で歌っていて、なにも変わっていないのだが、その頃になるとキャブ・キャロウェイが登場し派手に活躍しはじめるので、僕の話も今日はここまで。続きはキャブ篇で書くことにしよう。

2017/03/06

既にいち演歌歌手の枠を飛び越えている岩佐美咲

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岩佐美咲について、僕がどうして三日も続けて書いているのかというと、滅多に出現しない才能だし、現時点で既にこんなにチャーミングな日本人歌手はなかなかいないだろうし、どうもここのところ岩佐美咲しか聴いていないんじゃないかと思うほど聴いているので、なんとかこの僕の気持をみなさんに伝えたいということと、そして書かないと、自分のなかでどうにも収拾がつかないところまで来てしまっているからでもある。

さて岩佐美咲は、昨日も書いたように AKB48メンバー(は既に卒業しているが)初の演歌歌手という売り出し方なんだけど、でも本当に彼女は演歌歌手なんだろうか?という疑問が、今日も DVD『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』を観聴きしていて、やっぱり湧いてくる。

『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』DVD は、2016年1月30日という、主役の誕生日に浅草公会堂で行われた自身初のソロ・コンサートの模様を収録したもの。全部で21曲あるのだが、そのうち半分程度はいわゆる演歌じゃないもんね。そして演歌も演歌じゃないものもだいたい全部出来が良い。

だから昨日も書いたしその前から繰返しているように、演歌とそうじゃない歌謡曲は「同じもの」なんだよね。これはレッキとした事実だ。しかし普通の歌手(演歌歌手だろうとそうじゃなかろうと)では、この事実を歌そのものでなかなか表現できないというのもまた事実。実現できている極めて稀な一例が岩佐美咲なのだ。

どうしてかというと、演歌歌手じゃないポップ歌手が演歌を歌う時には、声の張りや伸び、歌い方の節廻しなどなど、要するに実力が少し足りない場合があるかもしれない。逆に演歌歌手が演歌ではないポップ・ソングを歌う時は、いつも表現して身に付けているコブシやヴィブラートが抜けず、軽快なノリを出しにくい場合があるんじゃないかなあ。だからどっちも同じように歌って同じように魅力的に聴かせるのは、実は相当難しい。

岩佐美咲の場合、発声もスムースで自然にスッと声を出して、コブシを廻さず、ヴィブラートをかけず、ストレートな歌唱法でもって、あらゆる歌を全て同じその歌い方で歌っている。しかし声の強さと張りと伸びはしっかりしている。岩佐のあの声と歌い方は、最初から持っている資質なんじゃないかと思うけれど、さらに努力してそれを一層しっかり身に付けて磨きをかけて、それでいろんな演歌や演歌じゃないポップ・ソングを歌って、しかも成功している。

だから岩佐美咲はビリー・ホリデイにもちょっと似ているんだよね。レイディ・デイもコブシなし、ヴィブラートなしのストレート歌唱法で、たくさんのポップ・ソングをチャーミングに歌った。こう書くと、ジャズ・ファンのみなさんには怒られそうだけど、僕はみなさんよりビリー・ホリデイをよっぽどたくさん聴いている自信がある。

そんな歌い方がどんな歌にも実にピッタリ似合っているように思うんだよね。DVD『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』は、まず彼女のオリジナル楽曲からはじまり、それが二曲続く。和装で登場した一曲目の「初酒」では、初のソロ・コンサートの幕開けだからやはり緊張しているなと見て取れる部分がある(だってちょっと泣いているもんね)が、二曲目の「鞆の浦慕情」では既にそれもほぼなくなっている。

その二曲に続き、当時まだ所属していた AKB48のレパートリーの演歌ヴァージョンをメドレーで歌う(「レット・イット・ゴー〜ありのままで」は違うが、メドレーに含まれている)。そのメドレーでの AKB ソングの変貌具合も面白いが、しかしそれらでは演歌仕立てでやらなくちゃという意識がやや強すぎるかもしれない。

しかし熱心な音楽マニアの一部が、あんなもの…、などと悪口を言う AKB48というアイドル・ポップ・グループでの活動が、岩佐美咲の歌の実力、というか魅力を向上させたのは間違いないと僕は思う。元々岩佐は祖父母の影響だったらしいが演歌好きで、演歌歌手になりたいという希望があったらしいのだが、AKB48メンバーになってアイドル・ポップをたくさん歌ったことにより、一部の演歌歌手にありがちな濃厚すぎるしつこさがなくなったんじゃないかな。

岩佐美咲は生まれつきというか、最初から演歌っぽいコブシやヴィブラートやガナリをやらない資質の歌手だろうと思うけれど、AKB48のメンバーとして活動しアイドル・ポップをたくさん歌って、持って生まれたそんな資質に磨きがかかった、つまり努力によって身に付けたという部分もある自然体なんだろう。

『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』では、AKB48ソング・メドレーに続き、有名演歌カヴァー・コーナーになり、四曲歌う(が四曲目は、典型的ないわゆる演歌ではないかも)。その部分では、今日も書いた岩佐美咲の自然体歌唱法がフルに発揮されていて、演歌ファンではない音楽リスナーにもたぶん聴きやすく、そしてそれらの曲のオリジナルから知っている演歌ファンには新鮮で、あっ、この曲はそんな風に表現できるんだね、ひょっとして元々そんな持味の曲なのかもしれないね、という感慨をもたらす。

僕は間違いなく後者だ。歌われている四曲のうち、「津軽海峡・冬景色」「天城越え」の石川さゆりは前々から大好きだし、都はるみの「アンコ椿は恋の花」は初演が1964年だからそれは知らないが、小学生の頃からテレビの歌番組ではるみが歌うのをたくさん聴いてきた。僕はこの歌こそがはるみの代表曲だと思うね。あれなんかより絶対こっちだ。

もう一曲は藤圭子の「女のブルース」。1970年だから、初演を憶えているかいないか僕は微妙な世代だが、これもテレビの歌番組でたくさん聴いたお馴染の曲。つまり四曲とも僕はよく知っているものだが、『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』で岩佐が歌うのを聴いたら、こりゃいいと心底思ったね。

特にいいのが都はるみの「アンコ椿は恋の花」と藤圭子の「女のブルース」。前者はメジャー・キーのはじけるような曲調、後者はマイナー・キーでドロドロに暗くひどく落ち込むような曲調だけど、岩佐美咲の歌い方はやはり自然体で、スッとスムースに歌っている。「アンコ椿は恋の花」での都はるみは、お馴染のガナリを聴かせているけれど、岩佐のヴァージョンにそれはなく、すごく可愛らしくキュートな仕上がりになっていて、押し付けがましくなく、こっちの方が聴き手は感情移入しやすいんじゃないかな。

岩佐美咲は、一番の歌詞終盤の「あんこ便りは、あんこ便りは、あぁ片便り」部分の、二回目の「あんこ便りは」の「だよりは」を、すんごくキュートにささやくようにそっと優しく歌うのだ。二番の「あんこ椿は」の「つばきは」部分も全く同じ。一番と二番における同じパートだから、これは用意周到に意識してやっているに違いない。

「アンコ椿は恋の花」では、他の部分も含め全体的に優しいソフトな歌い口で、オリジナルである都はるみのヴァージョンだと、歌詞通り片想いの恋愛の気持を強く押し出し男に迫るような仕上がりになっていたのに対し、岩佐美咲のヴァージョンだと、そんな執念みたいなものは感じない。それに代わって遠くから優しくそっと見守っているようなソフトな仕上がり。聴き手は、少なくとも男は、岩佐ヴァージョンで聴ける女の方が受け入れやすいぞ。

藤圭子の「女のブルース」では岩佐美咲も強く声を張る瞬間もあるが、それは高音部でのことで、高い音を出す時はどうしても声が強くなってしまうので、これは納得できる自然な成り行きだ。中音域では岩佐は声を張りすぎず、やはり自然体のスムースな歌唱法で、このドロドロな曲をサラリとしたあっさりソングに仕立てているのだ。藤圭子ヴァージョンは重すぎる・暗すぎると思っていたファン(僕がそうだ)だって、岩佐ヴァージョンなら聴けるはず。

その後、AKB 仲間の浦野一美、多田愛佳(HKT48)、菊地あやか、仲川遥香(JKT48)、渡辺麻友からのヴィデオ・メッセージが、この順番で流れるが、多分そのあいだに岩佐美咲は衣装チェンジ・タイム。ヴィデオが流れ終わると洋装で登場し、写真撮影タイムになって、浅草公会堂の三階から一階まで客席をくまなく廻る。そのあいだバンドが演奏するのは「東京ブギウギ」(笠置シヅ子)「恋する夏の日」(天地真理)「東京のバスガール」(コロムビア・ローズ)「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)。しかしインストルメンタルではなく、岩佐美咲は客席を廻り写メにおさまりながら、しっかり歌っている。

そのままステージにあがり「赤いスイートピー」(松田聖子)を歌うが、そこはまだ写真撮影タイムだ。それも終わると、ステージ上の岩佐美咲のそばに何気なく、しかし突然に(笑)アクースティック・ギターが運ばれてくる。あっ、わさみん、ひょっとしてそれで「涙そうそう」を弾き語るつもりじゃないんだろうな?それはイカン、オジサン、それ、ボロ泣きしちゃうんだ、ダメだそれ、あっ、やめてくれ、と本心はもちろん逆だが、どうなるの?と見ていたら、やっぱり岩佐がギターを鳴らしながら(白のおにぎり型ピックを使っている)「涙そうそう」を歌いはじめた。ヤバいなぁ。

そのままギター弾き語りで続けて「なごり雪」もやる。ってことは、一昨日書いた2016年11月発売のアルバム『美咲めぐり 〜第1章〜 限定盤 』に「涙そうそう」の、今年一月発売のシングル盤「鯖街道 通常盤」に「なごり雪」の、それぞれどっちも岩佐美咲自身がギターを弾くアクースティック・ヴァージョンが収録されているのは、この2016年1月30日のファースト・ソロ・コンサートで同じものを披露したのがきっかけだったんだろうなあ。終ったあと、岩佐自身は「二度とやりません」などと喋っているが。

そういえば伴奏のアレンジも似ている。CD アルバムとシングルに収録されている「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」と「なごり雪 (アコースティック・バージョン)」ではヴァイリンのオブリガートとソロが印象的で実に効果的なのだが、DVD『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』でもそれは全く同じだ。弾き方のスタイルも似ているから、あるいは弾いているヴァイオリニストが同じ人かもしれない。

僕にとってはこの(岩佐美咲自身は「唐突にはじまりました」と言う)アクースティック・パート二曲が、『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』のクライマックスだ。極めて地味でシンプルなサウンドと歌だけど、だからこそかえって逆に曲そのものが最初から持っている魅力が胸に迫ってくる。がしかし、多くの一般の岩佐美咲ファンにとっては、ここじゃないだろう。

アクースティック・パートが終ると、このコンサートの時点で既に AKB48を卒業し、音楽大学である桐朋学園でピアノの勉強中だった松井咲子が登場。松井のピアノ伴奏(中心)で「履物と傘の物語 」と「翼をください」を歌い、次いでフル・バンドの伴奏で、本編ラストのオリジナル楽曲「もしも私が空に住んでいたら」を歌う。アンコール二曲目・三曲目のやはりオリジナル楽曲「ごめんね東京」「無人駅」が、やはりこの DVD のクライマックスなんだろう。

岩佐美咲のオリジナル楽曲は、このコンサートの時点で全部で五曲。オープニングで二曲披露し、エンディングで三曲やっているわけだ。今年一月に発売されたばかりの新曲「鯖街道」もいいが、このコンサートの時点では全五曲あったうち、「ごめんね東京」が楽曲の出来もコンサートでの岩佐の歌も一番いいと僕は思う。「ごめんね東京」は、このコンサートが開催された2016年1月時点での最新曲だった。

あ、いや、このソロ・コンサートではそれの次の「無人駅」も岩佐美咲の歌はかなりいいなあ。この曲は岩佐のデビュー曲で2012年発売。それがここまでいい感じに、それも最新曲の「ごめんね東京」の次に、コンサートのオーラスで歌っても全く聴き劣りしないっていうことは、岩佐の実力が四年間で急上昇していることの証拠だよね。

三日連続の岩佐美咲特集はこれで終りだけど、今後新しいシングルやアルバムや DVD が発売されて、新たに思うことがあれば、書いていくつもり。期待しているよ、わさみん!

2017/03/05

歌手は歌の容れ物(その2)〜岩佐美咲の魅力

日本人若手演歌歌手、岩佐美咲にはカヴァー曲が多い。彼女のために用意されたオリジナル楽曲が、いままでのところ、今年一月リリースの「鯖街道」を含めてもまだ六つなのに対し、カヴァー・ソングは何曲あるのか数えるのも面倒くさいほど多い。再生時間にして全部でたぶん二時間はあるなあ。

演歌歌手と書いた。岩佐美咲自身もそこにこだわりがあるのかもしれないし、AKB48メンバー初の演歌歌手ソロ・デビューという売り出し方にしてもそうだ。しかし、岩佐のオリジナル曲は確かに六つ全部が演歌だけど、カヴァー曲のなかには演歌じゃないものもたくさんある。そういうことからしても、このブログで僕も前々から繰返すように、演歌もそうじゃない歌謡曲も全部「同じ」であって、現代に成立した日本の同じモダン・ポップスなんだよね。

岩佐美咲自身が演歌にこだわっているのであれば、僕もその気持に沿って話を進めた方がいいような気もするので、今日はカヴァー曲に限定して、まず演歌の話からして、その後、演歌じゃないポップ・ソングの話へ持っていきたい。さて、岩佐がいままでにカヴァーした演歌のなかでも、これが特に出色の出来栄えだと僕が思うものを発売済の CD から抜き出すと三曲。「北の螢」「なみだの桟橋」「石狩挽歌」だ。

「北の螢」と「なみだの桟橋」は、昨2016年11月リリースのセカンド・アルバム『美咲めぐり 〜第1章〜』に収録されている。通常盤にも限定盤にもある。「石狩挽歌」は今年一月リリースの新曲「鯖街道」の通常盤の方にだけ収録されている。これら三曲は録音がかなり最近なんだろうから、岩佐美咲の表現力がかなり向上していて、それまでに CD で出ていた演歌カヴァーと比較しても格段に素晴らしい。

「北の螢」は森進一、「なみだの桟橋」は森昌子のために書かれた曲で、彼らが初演歌手。「石狩挽歌」は北原ミレイのヴァージョンが最もよく知られているはずで、実際彼女の最大の代表曲だが、これは実に多くの歌手がカヴァーしていて、そのなかには僕の大好きな八代亜紀もいるし、演歌歌手ではない中森明菜や憂歌団も歌っている。

三曲ともおそらく YouTube に初演ヴァージョンがあると思うので、ひょっとしてご存知ない方はちょっと聴いていただきたい。三つとも素晴らしい曲だ。曲そのものがいい。しかもこれら三つは、少し似たようなテーマの曲だ。「石狩挽歌」はなかにし礼の書いた最高傑作詞だと僕は考えているのだが、ニシン漁を題材に、漁に出る男に寄り添う女の気持を歌うもの。つまり舞台は北の海。

「北の螢」も舞台は北。海ではないかもしれないが、離れている男のところへ気持が届いてほしいと蛍に託すような内容。「なみだの桟橋」の舞台は北である必要はなく、日本中どこの港でもいいが、しかし「寒さ真近の波しぶき」と出てくるので、夏の南海では具合が悪いよなあ。とにかく桟橋を舞台に、今まさに出航せんとする去る男に未練を残し、行かないでくれと泣く女。

そんな具合で歌詞内容のテーマも似ている三曲だが、もっと重要なのは曲調や旋律の流れが似通っているということだろう。マイナー調の演歌で、極めてドラマティックに展開し盛り上がり、女の情念をこれでもかというほどぶつけるような、そんな曲なんだよね。つまり歌詞・曲ともに、これら三つは共通性がある。

森進一、森昌子によるそれら二曲のオリジナル歌唱は、やはりそんな情感をたっぷり込めてコブシを廻すような歌い方で、だからこそ一般的には人気が出ているものなんだろう。僕も決して嫌いなんかじゃない。彼ら二人でなくとも他のカヴァー歌手たちも、だいたいみんなそんなドロドロした歌い方だ。北原ミレイの「石狩挽歌」初演だけは実に淡々とした無表情な歌い方で、ちょっと聴いた感じ、あたかも感情を込めていないかのように聴こえるかもしれない。

特に森進一の「北の螢」は、ご存知のあの声で、例によっての効かせすぎヴィブラートでコネクリ廻し、あまりもタメすぎた歌い方で、良くも悪しくも<森進一の歌>になっている。「なみだの桟橋」の森昌子も大なり小なり同じだ。特に「溢れる泪でなんにも見えない」という部分で本当に泣いているような節廻しでの歌い方。「石狩挽歌」の北原ミレイによる初演ヴァージョン(1975年)の無表情さは、いまならかなり好感が持てる。

ところが「北の螢」「なみだの桟橋」「石狩挽歌」を歌う岩佐美咲は、そんなにひどく情感を込めすぎていない。わりとサラッと歌っているのだ。まあ曲が元からドロドロな情念ソングなので、いくらアッサリ歌ってみても、それなりに濃い味には仕上がっているのだが、岩佐の歌うそれら三曲から伝わってくるのは、岩佐自身の込めた情感ではない。曲そのものが元から持っている情緒なのだ。

昨日も書いたけれど、岩佐美咲はどうやらそういうのが特質であり持味であるような歌手みたいだ。歌手その人しか持っていない独自の個性的歌唱法を押し付けるのではなく、素直にストレートに歌って、まるで個性がないかのような歌い方なんだけど、「個性がない」とはこの場合悪い意味ではない。正反対に最高級の褒め言葉として、いま僕は使っている。

今日最初に貼った僕の過去記事のタイトルは「歌手は歌の容れ物」。そう、ポピュラー・ミュージックで本当に素晴らしい歌手とは容れ物なんじゃないかと、最近僕は考えるようになりはじめている。優れた歌の、その優れたところをフェイクせずそのまま素直に歌って、曲自体の持つ魅力をストレートに聴かせてくれる ー そういうのこそが真の意味での「良い歌手」なんじゃないのかな。リンク先の記事で言及しているパティ・ペイジ、鄧麗君(テレサ・テン)、由紀さおりらがそうであるように。

岩佐美咲は、どうやらそんな歌手たちの系統にあるように聴こえる。だからつまらない曲もお化粧を施さずそのまま素直に歌うので、曲がいかにつまらないかが白日のもとにさらされしまうという、ある意味かなり怖ろしい歌手でもあるのだ。優れた面白い楽曲なら、岩佐美咲という<無色透明容器>に入っているせいで、その優秀性、魅力が、聴き手によりよく伝わってくる。

テレサ・テンの名前を出したけれど、岩佐美咲はテレサの持ち歌も歌っている。2013年の『リクエスト・カバーズ』にある「つぐない」「時の流れに身をまかせ」の二曲。台湾出身の鄧麗君が日本の歌謡界で日本語で歌った代表作(のちに中国語でも歌われた)。これらはテレサの歌があまりに素晴らしすぎるので、岩佐美咲のヴァージョンも太刀打ちできていない。

がしかしそれらテレサの二曲以外は、ファースト・アルバムである2013年の『リクエスト・カバーズ』収録時点で、既に岩佐美咲のヴァージョンの方がオリジナルの上を行っているように聴こえるなあ。どの曲もそうだけど、僕が特に気に入っているのが四曲目の「ブルー・ライト・ヨコハマ」(「ブルーライト・ヨコハマ」表記だが)と十曲目の「ラヴ・イズ・オーヴァー」。それぞれいしだあゆみ、欧陽菲菲の持ち歌で最大の代表作。

それら二曲、岩佐美咲のヴァージョンがかなりチャーミングに聴こえるので、いしだあゆみと欧陽菲菲のオリジナル・ヴァージョンを改めて聴き直してみたら、あれれっ?こんな感じだったっけ?と少し意外だった。はっきり言ってしまうとちょっぴりガッカリしてしまった。特にいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」は面白くない。

YouTube にあるだろうから、ご存知ない方は聴いてほしいのだが、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」は発音がモッタリしていて、歯切れが悪く、リズム感も良くない。昔聴いていた頃はもっとノリのいい佳曲だと思っていた。あんな歌い方では「ブルー・ライト・ヨコハマ」という曲の持つチャーミングさが伝わらない。

ところが『リクエスト・カバーズ』にある岩佐美咲の「ブルーライト・ヨコハマ」は抜群に良い曲に聴こえるんだよね。全体的な伴奏アレンジは、ある時期のいしだあゆみヴァージョンそのままだけど、上に乗っている歌手の歌い方が全然違うんだ。岩佐の方が断然魅力的だよ。

岩佐美咲の「ブルーライト・ヨコハマ」は、歌い方のリズム感もいいし、一言一言歯切れよく歌うし、しかも声質がキュートで、この曲がこの上なく素晴らしい魅力的な曲に聴こえるもんね。特に「ヨ・コ・ハ・マ」部分とか「あなたと二人幸せよ」部分の「しあわせ、よ」の「よ」。そこがハキハキしていて、しかも最高にキュートで可愛い。しあわせ・よ、なんてあんな歌い方をされたら、オジサン、たまりません。

しかしこれは岩佐美咲がなにか特別な独自の創意工夫を凝らしてそうなっているのではないだろう。岩佐は原曲をそのまま素直に歌っているだけのはず。だからこれが曲自体が元から良いんだってことだよね。元からそう歌うべくして創られた曲だってことだ。岩佐によって「ブルー・ライト・ヨコハマ」は命を吹き込まれた。

岩佐美咲の歌は、そんな曲自体の持つ良さ・魅力(あるいは逆につまらなさ)をそのまま引き出してくれる。そんな歌い方なんだよね。「ラヴ・イズ・オーヴァー」だって、欧陽菲菲のヴァージョンは、こちらは悪くないけれど、それでも男と別れようとしている女の気持が、かなり濃い目に表現されている。

もう終わりにしよう、私のことは早く忘れてなどと歌いながら、欧陽菲菲ヴァージョンの場合、もちろん本音は正反対。絶対に忘れてくれるなよと強く男に迫っているような歌い方だ。「ラヴ・イズ・オーヴァー」とはそういう曲なんだと、僕は長年思いながら聴いていた。欧陽菲菲だけでなく、ほかのどんなカヴァー・ヴァージョンも同じだったしね。

ところが『リクエスト・カバーズ』にある岩佐美咲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」はアッサリ味なのだ。しかもソプラノ・サックスが入るあたり、ちょっぴりジャズ・フュージョンぽいサウンドだったりもするが、そこは置いておこう。岩佐は、この濃厚な別れ歌(だと思っていたんだけど)を、情念を引きずらずサラリと軽く歌っている。

岩佐美咲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」は、本当にアッサリ男に背を向けてさようならと歩いていくような歌なんだよね。未練なんか全く残しておらず、そんな女の歯切れの良い気持をそのまま引き継いでソプラノ・サックスが爽やかでジャジーなソロを吹いているという、こりゃいいね。じゃあ「ラヴ・イズ・オーヴァー」って、本当はこういう曲だったんだと思えてくるから不思議だ。

最後に「20歳のめぐり逢い」のことを少しだけ書いておこう。2015年4月発売の岩佐美咲の四作目シングル「初酒」の初回限定盤の方にだけ収録されているこの曲こそが、いままでのところ岩佐の歌ったカヴァー・ソングのなかの最高傑作なのだ。その素晴しさは、もはや異常だと言いたいくらい。

「20歳のめぐり逢い」のオリジナルはシグナルっていうフォーク・グループなんだけど、僕は知らなかった。メンバーの田村功夫が曲も詞も書き歌って、1975年に発売されたようだ。しかし僕はそれを知らなかった。僕が知っていた「20歳のめぐり逢い」は岩崎宏美の歌でだった。メチャメチャ上手い歌手だよね。

岩崎宏美のヴァージョンによる「20歳のめぐり逢い」がいま手許になく YouTube にもないので、どんな感じだったのか確認できないし、僕も忘れてしまった。がしかし岩佐美咲ヴァージョンの素晴らしさを聴いたら、岩崎宏美のヴァージョンがそれより上だったとは考えられないね。それほど、鳥肌が立つほどいいんだぞ。

切なくて哀しくて、もちろん元からそんな曲だろうけれど、岩佐美咲の持つ素直でストレートな<透明容器>的な歌い方で、「20歳のめぐり逢い」という曲が最初から持っているそんな魅力が際立っていて、聴いていると胸を締め付けられるような思いになってしまってたまらない。

歌手でも演奏家でも、あるいはどんな分野でも、表現者である場合、無色透明容器になる方がはるかに難しいはずだ。無色透明なら、中身がクッキリよく見える。歌手の場合、中身とは歌う曲。曲の本質的魅力が聴き手によりよく分りやすいように表現し伝える自然体 ー それが僕の言いたい岩佐美咲の魅力だ。

その人だけの強い個性を、どんな曲を歌う時でも発揮する歌手の方が一般的で、数も多い。普通はそういう歌手こそが「個性的」と褒められて、愛好されているんだろう。僕だって長年そうだった。日本の歌だけでなく洋楽でも、あるいは歌手ではない楽器奏者でも、僕は長年、独自の個性的な表現スタイルを持つ音楽家こそが素晴らしいんだと、心の底から信じていた。

今日一番上で貼ったリンク先の記事に書いてあるように、ポピュラー・ミュージックは実はそんな面ばかりじゃないだなと、僕もようやく最近実感しつつある。岩佐美咲は、そんな最近の僕の前に出現した、まさに理想的日本人若手歌手だ。AKB48出身と書いただけで遠慮しますと言いたがる人が、特に熱心な音楽マニアのなかに多いように思うけれど、それはとんでもない偏見。岩佐美咲をちょっと聴いてみてほしい。あなたもきっと彼女歌の虜になってしまうはず。

歌手の歌い方自体に独自の強い個性があって、それで表現する場合、曲は「その歌手のもの」になる。聴き手はその歌手がどんな持味なのかは分りやすいが、感情移入はしにくくなってしまうのだ。逆に無個性であるかのような無色透明容器としての歌い方をした場合、その方が大多数の聴き手は感情移入しやすく、曲は「みんなのもの」になる。みんなのものになるっていうのが、大衆音楽の真のありようじゃないのかな。岩佐美咲は、パティ・ペイジや鄧麗君みたいに、それを実現してくれる歌手なんだよね。

なお、今日書いた「北の螢」を歌う森進一の場合、これは女歌。そして今日は書かなかったが、「鯖街道 [初回盤]」に収録されている岩佐美咲が歌う「ふたり酒」(初演は川中美幸)は男歌だ。

2017/03/04

岩佐美咲で涙そうそう

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詳しいことは明日書こう。今日は単刀直入に。岩佐美咲の「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」がヤバい。ヤバすぎる。昨2016年11月に発売されたセカンド・アルバム『美咲めぐり 〜第1章〜 限定盤』のラストに収録されているもので、パッケージやブックレットのどこにも記載はないが、岩佐自身がアクースティック・ギターを弾いている模様。

その「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」を聴いて、僕は感動のあまり大泣きしてしまったのだ。いや、あれは音楽を聴いての通常の感動とかいうものではないのかな、僕自身のなかに前からあるなんらかの感情を掻き立てられて、たまらなくなって、10分以上、 大声をあげて肩を震わせ鼻水まで垂らしながらボロボロに泣いてしまったのだ。涙が溢れ出て止まらないので、ティッシュでは追いつかず大判のタオルが必要だった。2017年2月26日午前9時半過ぎのこと。

音楽を聴いて泣くのか泣かないのかという点だけでいえば、僕は涙腺が緩く実によく泣く人間で(恥)、ちょっとでも感動的だとウルウルしちゃうんだけど、でも普通はいつも目頭が熱くなるとか、ホロリとくるとか、ジワっと滲み出るとか、その程度のことであって、上で書いたような具合に部屋のなかでボロボロに大泣きしたのは、54年の人生で初だ。音楽だろうと他のなんだろうと初めて。

これははっきり言って怖ろしい。岩佐美咲という歌手がもう怖ろしいし、「涙そうそう」という曲も怖ろしい。こんな力を持った曲だったのか。岩佐美咲はこの曲の持つそんな力を剥き出しにして伝え聴かせてくれた。聴いているこっちが涙そうそうになってしまうじゃないか。

いま僕はこの文章を岩佐美咲の「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」を聴き返しながら書いているのではない。そんなことをしたらまた大泣きしてしまうのは必定で、なにもできなくなってしまう。上で書いた10分以上もボロ泣きした時だって、気持を立て直して日常生活に戻るのに一時間かかってしまったのだ。だからいま僕は岩佐美咲の別のものを聴きながら書いているのだが、その「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」は頭のなかでしっかり鳴っている。

岩佐美咲自身、「涙そうそう」を CD アルバムに収録するのは、今回が初めてではない。2013年のファースト・アルバム『リクエスト・カバーズ』の九曲目にある。それはアクースティック・ヴァージョンではなく、いろんな楽器が伴奏で入っているもの。流麗なストリングスの響きも美しいし、シンセサイザーもコンピューターを使った打ち込みもあ。一応(たぶん岩佐が弾くのではない)アクースティック・ギターのサウンドも聴こえるが、それはあまり目立たない。

歌自体は『リクエスト・カバーズ』ヴァージョンでも『美咲めぐり 〜第1章〜 限定盤』ヴァージョンでも大きな違いはない。声質なんかはほぼなにも変っていないし(うんまあ少し違うけれど)、歌い廻しのフレイジングもさほど違わない。どちらのヴァージョンでも岩佐美咲はごくごく素直にストレートに旋律を歌っている。

それがいいと僕は思うんだよね。「涙そうそう」は歌詞を書いた森山良子も、曲を書いた BEGIN も当然歌っているし、夏川りみのヴァージョンなんかも有名で、その他誰がカヴァーしているだなんて一つ一つ指摘できないほど、実に多くの歌手が歌っているものだ。どれもそれなりに感動的だけど、岩佐美咲の『美咲めぐり 〜第1章〜 限定盤』ヴァージョンを聴いたら、これこそが決定版だと確信するに至った。

夏川りみのヴァージョンがおそらく最も知られている「涙そうそう」なんだろう。その他いっぱいある他の歌手のヴァージョンでもそうだけど、やや力みが聴かれるんだよね。曲の旋律もコード進行も歌詞も、元から泣かせようと創られたような曲だし、それをどうにか伝えよう伝えようとして、みんな歌に力が入りすぎている。それでも曲がいいから充分聴けるし泣けるだろう、普通はね。

でも岩佐美咲の、特にアクースティック・ヴァージョンの「涙そうそう」にはそんな力みが全くない。極めてストレートに素直に、原曲をスッと軽く歌っているのだ。その歌手しか持っていない独自のヴォーカル個性みたいなものを無理矢理押し付けるような部分が微塵もない。それがない代わりに、原曲が最初から持っている<曲の味・個性>をそのまま表現してくれるので、その方が曲の特長は伝わりやすいんだよね。

そんな岩佐美咲の、強く個性的でないような(←いい意味ですから)素直な歌い口、ストレートな発声と節廻しは、例えば今日話題にしている「涙そうそう」にしろ、2013年の『リクエスト・カバーズ』ヴァージョンから既に同じだった。「涙そうそう」だけじゃなく他の曲でもほぼ完璧に同じなのだが、それは明日書くつもりなので。

つまり岩佐美咲は元からそんな持味の歌手なんだね。いや、ホント詳しくは明日書くことにして、今日は最大級の感動、というか衝撃ですらあった「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」のことに限定するけれど、岩佐のそんな素直でストレートな歌い方が、この曲の、元から泣けるようなものだという<曲本来の>持味をダイレクトに僕に伝えてくれたんだよね。こういう人こそが理想的歌手なんじゃないのかな。

『美咲めぐり 〜第1章〜 限定盤』収録の「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」は伴奏がシンプルなのも効果的。まず岩佐美咲の弾くアクースティック・ギターだけに乗って自ら歌う。次いでたぶんシンセサイザーで出しているだろうストリングスがかなり控え目に入ってきたかと思うと、ヴァイオリンのオブリガートが入る。僕の涙腺が大崩壊したのは、そのヴァイオリンが聴こえはじめた瞬間だ。

岩佐美咲は特別なにか創意工夫を凝らして、ここをこうやって感動させてやろうと歌っているような部分、すなわち力みは聴き取れない。「涙そうそう」原曲のメロディをそのまま素直に歌っているだけだ。しかし岩佐の声のキュートなチャーミングさ、それにくわえて明言しておかなくちゃいけないが、芯のある声の力強さで、旋律と歌詞をフェイクせずそのまま歌い、つまり<歌の本質的魅力>を伝えてくれている。それだからこそ、僕の涙腺が大崩壊しちゃったんだよね。これが逆に歌手独自の個性を押し付けるような歌い方だとそんなには泣けないし、実際いままでどんな「涙そうそう」を聴いても、僕は泣いてこなかった。

そして岩佐美咲の「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」では、間奏に入る直前、2コーラス目終盤の「きっといつか会えると信じ生きていく」と歌う部分では、歌詞通り前向きの肯定感が声に聴き取れる。そこまでは素直でチャーミングな声だったのが、その部分だけ、節廻しはなにも変えていないのに、声の音にだけ前向きの強さが感じられる。そういう部分は、岩佐のヴァージョンでも2013年の『リクエスト・カバーズ』収録のものでは聴けなかった。三年間でかなり上達しているんだよね。

しかも書いたようにかなりシンプルな伴奏とアレンジで歌っている。特に最初は岩佐美咲自身の弾くアクースティック・ギターだけだし、その後も伴奏に派手さは全くなくかなり素朴なサウンドなのだ。『リクエスト・カバーズ』ヴァージョンでは、もうちょっとだけ賑やかさがあった。それがなくこんなにシンプルな伴奏だけでここまで歌えるなんて、しかもそれが54歳のオッサンの涙腺を完膚なきまでに崩壊させるなんて、なんという実力の歌手なのか、岩佐美咲は。

いやいや、アンタ、「涙そうそう」は最初からそういう曲だろうが、誰が歌ったってそうなるじゃないか、実際そう仕上っているじゃないかとおっしゃる方が間違いなく大勢いらっしゃると思う。しかし僕は断言したい。『美咲めぐり 〜第1章〜 限定盤 』収録の岩佐美咲のアクースティック・ヴァージョン以上の「涙そうそう」は、この世に存在しないぞ。少なくともボロ泣するほどの感動を与えてくれた岩佐のアクースティック・ヴァージョンが、僕にとっては最高の「涙そうそう」だ。岩佐美咲って、どうやらそんな歌手みたいなんだよね。

ちょっと一回聴いてさえもらえれば、岩佐美咲の「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」がどれほど素晴らしいものなのか、岩佐がどれほど素晴らしい歌手なのか、間違いなく全員に分っていただけるはずなんだけど。う〜ん、この一曲だけなんとかなりませんかねえ、徳間ジャパンさん?

そのヴァージョンをご紹介したい気持でいっぱいなのだが、それはいろんな関係でできないんだなあ、たぶん。ちょっと YouTube で探したけれど、岩佐美咲によるものはどんなヴァージョンであれアップロードされていないみたいだ。これは残念極まりない。しかもですね、「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」は、セカンド・アルバム『美咲めぐり 〜第1章〜』でも、通常盤の方には収録されていない。初回限定盤だけのボーナス・トラックなのだ。

徳間ジャパンさん、これはあまりにもったいないんじゃないでしょうか?こんなに素晴らしい「涙そうそう」は聴いたことがないっていうのにさぁ。普通の、例えばシングル盤 CD などで発売するべきじゃないでしょうか?

その際には(おそらく同じ時の収録であろう)やはり岩佐美咲自身がギターを弾く「なごり雪 (アコースティック・バージョン)」(シングル盤『鯖街道 通常盤』)や、あるいは岩佐によるいろんなカヴァー曲のなかでも特段の出来栄えである「20歳のめぐり逢い」(シングル盤『初酒 生産限定盤』)なども同時収録したらどうでしょうか?極上の一枚になること請け合いだと思うのですが。

岩佐美咲は自身の Twitterアカウントを持っていて、最近はアクースティック・ギターを抱えていたり弾いていたりするような写真をよくアップしている。ヴォーカルの力量はずっと前から分っていたことだろうけれど、「涙そうそう」「なごり雪」二曲のアクースティック・ヴァージョンを聴くと、ギターの腕もなかなかいい。ヴォーカルはもちろんぐんぐん上達しているようだし、同じく上手くなっているギターでの弾き語りでいろんな曲を歌ってほしい。

とにかく一回聴いたら、どんな人間の涙腺でも崩壊させてしまうのでヤバすぎる、岩佐美咲の「涙そうそう (アコースティック・バージョン)」。いまのところは『美咲めぐり 〜第1章〜 限定盤』にしか収録されておらず、これでしか聴けない。このアルバムを買うしかないぞ、みんな!

2017/03/03

Miles at Fillmore Saga

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Unknown










今日は音楽の中身そのものにはあまり踏み込まず、最近こんな騒動がありましたという笑い話として書いていくつもりなので、その点どうぞご承知おきを。

僕が YouTube にいろんな音源をアップロードしているのはみなさんご存知の通り。まだご存知ない方はこちらをどうぞ。https://www.youtube.com/user/hisashitoshima/  一番たくさん上げているのはマイルズ・デイヴィス関係、それもブートレグ音源だ。そのなかに1970年7月の17日から20日までの四日間にわたりマイルズ・バンドがフィルモア・イーストに出演した際のライヴ音源四つがある。

以前も詳しく書いたのだが、この四日間のライヴを「完全」収録した(という謳い文句の)公式盤四枚組『マイルズ・アット・ザ・フィルモア 〜マイルズ・デイヴィス 1970:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol.3』は、本演奏前の音出しが収録されていない欠陥商品だ。したがってそれを全部フル収録したブート盤四枚が必要なのだ。どうしてかって、1970年に発売された LP 二枚組『マイルズ・アット・フィルモア』は、本演奏前の音出し部分からも編集されて入っているもんね。

でもブートレグは一般に入手が容易じゃないものだから、なるべく一人でも多くの音楽リスナーに聴いてほしいと思い、僕はそのフィルモア四日間の完全版を自分で YouTube に上げたっていうわけ。

これを観聴きしたイタリア在住のあるイタリア人の方から、ある日、個人的にメールをくれというメッセージが届いたのだった。名前はマウリツィオ・コマンディーニ(Maurizio Comandini)さん。なんだろなあ?と思ってメールを送ると、速攻で返事が来て「僕は電化マイルズに異常に興味があるイタリアの音楽ライターだが、君が YouTube にアップロードしている1970年7月のフィルモア四日間の画像には “MULTI TRACK SEPARATE VERSION” とあるじゃないか、君はそれを持っているのか?」とあった。

マウリツィオさんも、マイルズの1970年フィルモア四日間が、ブートレグで一日あたり CD3枚ずつ、計12枚になるセパレイト・ヴァージョンでもリリースされているのだと知っていた(というのは正確にはマウリツィオさんの間違いだが、それは後述)。このセパレイト・ヴァージョンなるものについては説明しておかないといけない。

2010年だったか11年だったかに、SO WHAT というマイルズのブート CD をたくさんリリースしている(おそらく日本の)海賊レーベルが、1970年7月17〜20日のマイルズ・フィルモア四日間のコンプリートを(公式盤リリースに先立って)発売した。その際に、四日間全てが三種類のかたちで出たのだった。

一つは「マルチトラック・マスター・ヴァージョン」。これはオフィシャル・ヴァージョンと同じミックスかつ同じマスタリングで仕上げた(といっても前述の通りオフィシャルにはないものがこっちにはある)、通常のいわゆる完成商品だ。四日間一枚ずつ計四枚。普通はこれだけでいいはず。

もう一つは「オルタネイト・ヴァージョン」。これは基本的にはマスター・ヴァージョンと同じでありながら、それに施されているエコー処理などの<お化粧>が一切ないもので、当時のフィルモアのステージで演奏され、観客もこんなサウンドを聴いていたんじゃないかと想像されるもの。これも一日一枚ずつ計四枚。

問題は最後の「マルチトラック・セパレイト・ヴァージョン」だ。これは四日間の一日ずつを三種類のミックスで聴かせるものだ。

一つはチック・コリア(フェンダーローズ、右)とキース・ジャレット(オルガン、左)の二名だけをフロントに出したミックス。

一つはデイヴ・ホランド(ベース)とジャック・ディジョネット(ドラムス)の二名だけをフロントに出したミックス。

一つはマイルズ(トランペット)とスティーヴ・グロスマン(サックス)とアイアート・モレイラ(パーカッション)の三名だけをフロントに出したミックス。

以上三種類とも、フォーカスが当たっている人物以外のバンド・メンバーの音はかなり小さく遠い。

このマルチトラック・セパレイト・ヴァージョンは、一日あたり上記三種類のミックスに仕上げたものがあるので、四日間で CD が計12枚ある…、というのは間違いで、水曜日分だけは演奏時間が短めなので、三種類のミックスを全部収録したのが CD で二枚。だから四日間で計11枚というのが正しい。しかしながら、以上マルチトラック・マスター・ヴァージョン 、オルタネイト・ヴァージョン、マルチトラック・セパレイト・ヴァージョンが全部一度にリリースされたため、僕は全部は買えなかった。

一枚だけでもブート CD は高価だ。それが全部で何枚になるのか、19枚かな、マイルズのフィルモア四日間のマスター、オルタネイト、セパレイトの三種類を全部買うとなると、確か五万円だか六万円近い値段になっていたはずだ。僕が買ったのはマルチトラック・マスター・ヴァージョンとオルタネイト・ヴァージョンが二枚組セットになったものだけ。つまり全部で八枚。ここが現実的な妥協点だった。

セパレイト・ヴァージョンなんて、価格が大したことなくたって、上述のようなものなので、はっきり言って興味も薄かったのだ。あくまでバンド全体での演奏を聴いて楽しみたいのであって、一部のメンバーの音だけ抜き出してフォーカスを当てたようなミックスはちょっとなあ。前から繰返すが僕はマイルズに関してすら研究・批評をしたいような気持はないんだよね。楽しみで聴くだけだ。

ところが、僕がフィルモア四日間のマルチトラック・マスター・ヴァージョンを YouTube にアップロードする際、ジャケット画像を貼り付けたいなと思ってネット上で画像検索すると、四日間のうち、マルチトラック・セパレイト・ヴァージョンのジャケット画像しか見つからない日もあったので、やむなくそれを使っているものがある。

さて、イタリア在住のイタリア人、マウリツィオ・コマンディーニさんは、それを目ざとく発見してしまって、「君はそのマルチトラック・セパレイト・ヴァージョンを持っているんだろう?コピーして CD-R に焼いて送ってくれないか?」と言ってきたのだ。ガッカリさせるのは早い方がいいと思い、僕は速攻で「それは持ってないんだよね、ゴメン」と上述のような事情を説明した。

するとマウリツィオさんは「じゃあどこで買えるんだ?君はどこで買った?買える店を教えてくれ」と来たので、僕は「東京は渋谷にあるマザーズ・レコードというお店で買ったんだ、そこはマイルズ・ブートの宝庫だ。日本語だけどホーム・ページはあるよ、でもネット通販はしていない」と返事した。

そう、愛媛に戻ってきて以後、僕がマザーズで買う際は、電話をして希望商品を伝え金額を教えてもらい、それを指定の銀行口座に振り込んで商品を郵送してもらうという仕組なんだよね。Eメール・アドレスすらない(なんでもお店にパソコンがないんだそうで、じゃああのホーム・ページは誰がどこで書いてアップしているのだろう?)んだよね。これは僕も再三なんとかしてくれと言ってはいるが、マザーズさんにどうもその気はないようだ。

そんな具合なもんだから、イタリア在住のイタリア人が買える状況にはなく、それを知ったマウリツィオさんは「じゃあお金を送るから、君が買ってくれないか、買って君のところに届いたものをイタリアへ郵送してほしい」と、ちょっと面倒くさいことを言いはじめたのだった。勘弁してくれよと思いつつ、しかしそこがマイルズ狂の悲しい性で、じゃあやりましょうと返事してしまった僕。

まず僕は渋谷のマザーズ・レコードへ電話して、マイルズのフィルモア四日間全てのマルチトラック・セパレイト・ヴァージョンが総額いくらになるのかを確認。その金額をユーロに換算してマウリツィオさんにメール。価格が高すぎると苦情が来て、結局マウリツィオさん希望の金額とマザーズが売りたい価格とのあいだでの調整役もやらなくちゃいけなかった。それでメールと電話でのやりとりが何日間も続く。

折合いのついた金額を日本の僕のところへ入金してもらうのには PayPal を使った。インターネット・ユーザーであれば、多国間での金銭の授受はこれが一番イージーなのだとマウリツィオさんに教えてもらったものの、僕の場合 PayPal で支払った経験ならなんどもあるが、入金してもらった経験はない。いや、それもイージーなんだぞとマウリツィオさんは言うので信用してやってみたら、これが超煩雑だった。

オンライン商品など支払いだけなら、特になにもしなくていいのだが、他国の人から PayPal アカウントに入金してもらうにはそのままではダメで、アカウントをアップグレイドしなくちゃいけないことが判明。そのアップグレイドの手続きには、なんと運転免許証かなにか、とにかく顔写真と生年月日など本人をアイデンティファイできる画像をサイト上で貼り付けなくちゃいけない。しかしながら僕は写真などをネット上にアップロードできるようなかたちのデジタル・ファイルにする手段をほぼ持っていない。

デジカメもスマホもスキャナーも持っていないし、持っているガラケーに写真撮影機能があるようだけど一度も使ったことがなく、もっぱら音声電話機能しか利用しない。メールすらも携帯ではやらない人間なのだ。残された手段は MacBook Pro 内蔵カメラで写真撮影すること。唯一それだけ。だから Macを買うと最初からプリ・インストールされている PhotoBooth という Apple 純正の写真撮影アプリで自分の運転免許証を撮影し、それを PayPal サイトでのアカウント・アップグレイドに使用した。

しかしそれですぐに他国から入金可能な Paypalアカウントにはならず。PayPal 側での審査に一週間ほどかかって、その後、紙の葉書が届き、厳重密封されているそれに記されている暗証番号を PayPal のサイトで入力して、それでようやく僕の PayPal アカウントにマウリツィオさんから入金可能となったのだ。

できるようになったはずだと彼にメールで伝えると、速攻で入金があって、それを僕は自分の銀行口座に引き出して、渋谷マザーズに再び電話で連絡したのち、マザーズの銀行口座に入金。二日でマイルズのフィルモア四日間のマルチトラック・セパレイト・ヴァージョン計11枚が僕の自宅に届いた。マウリツィオさんから「ブツが届いたら、君は君の分をコピーしていいぞ」と言ってもらっていたので、僕は11枚全部を Mac にインポート。

それが終わったのちに、ようやく郵便局に持っていってイタリアまで発送できたのだ。マウリツィオさんからまず最初のメールが届いたのが今年1月8日。僕が送った現物をイタリアで受け取ったとのメールが来たのが2月15日。こりゃちょっと時間がかかりすぎだよね。マウリツィオさんも僕も途中から笑えてきて、それである時期以後のメールのやりとりにマウリツィオさんが付けた件名が「Miles at Fillmore Saga」だったのだ。

仲良くなってしまったマウリツィオさんと僕。しかしコピーしていいぞと言うので僕はそうしたマイルズの1970年フィルモア四日間のマルチトラック・セパレイト・ヴァージョン計11枚。それを聴いた率直な感想をここで記すのは遠慮したい。でもまあなんにせよマウリツィオさんのおかげで、このフィルモア四日間を SO WHAT がリリースしたブートレグ音源の全てがいま僕の手許にはあるので、ありがたいことではある。

2017/03/02

ヒルビリー・ブルーズ

Unknown










ブルーズが録音されるようになった1920年代のアメリカ社会では、黒人と白人は実に多くのものを共有していて、ブルーズにかんしても両者の共有財産みたいものがたくさんあったにもかかわらず、あたかも黒/白と二分化していたかのように見えるのは、当時のレコード会社の商慣習のせいだ。

商業録音開始から数十年のあいだ、アメリカのレコード会社は、黒人音楽家が録音したものは「レイス」(race)・レコード、白人音楽家が録音したものは「ヒルビリー」・レコードとして、それぞれ黒人顧客、白人顧客向けに別々に分けて販売していた。だからレコード・ショップでも当然置き場が別。同じ曲を同じようにやってもだよ。

そもそもアメリカ社会、特に南部では黒人と白人の距離はいろんな意味でかなり近かった。空間的にそうだけど、だから特に文化的にはかなり多くのものを共有していたのは、みなさんご存知の通りだろう。音楽の世界でもそう。黒白混淆文化だというのが真実であって、だから一部黒人音楽好きの白人音楽嫌いとかは、本当はオカシイんだ。

などと言ってはいるものの、録音物として残されたものを聴いて判断する限りでは、僕も長年ブラック・ミュージックの方に強く惹かれてのめり込んできたというのが事実で、反対に白人音楽、それも黒人音楽要素も強いロックなどではない、ヒルビリーとかカントリーとかブルーグラスなどは、やっぱりどうもイマイチ。

でもそれじゃあダメだよね。そもそもアメリカの白人音楽は、たぶん1920年代あたりに、黒人のカントリー・ブルーズ をコピーした白人ヴァージョンとしてスタートしたようだ。つまりいわば「ヒルビリー・ブルーズ」。1920年代というと黒人のブルーズだって、まだようやく商業録音が開始されたばかりだが、主に南部の田舎ではもっとずっと早くに、ギター弾き語りでやるカントリー・ブルーズが成立していた。

黒人がやるそんな(主に)ギター一本だけでの弾き語りブルーズを、社会的に近い位置にいた白人たちが真似して、それを自分たち白人自身の解釈で演奏し歌って、ヒルビリー・ブルーズの商業録音も1920年代後半からはじまっている。そんな音楽のアンソロジーだって何種類もあるようだ。

僕が持っているのは三つだけ。リリース順に、オービスが1996年にリリースした『ヒルビリー・ブルーズ』。これは全部で20曲。次いでフレモー&アソシエが2001年にリリースした『ヒルビリー・ブルーズ 1928-1946』。これは二枚組で計36曲。そして今年2017年初頭にワールド・ミュージック・ネットワークからリリースされた例のシリーズの一つ『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ヒルビリー・ブルーズ』で、これは全部で25曲。

全部ヨーロッパの会社だよなあ。毎度毎度の嘆き&怒り節だが、アメリカ人はなにやってんの?!自国の音楽遺産でしょうが。まあそれを言ってもはじまらない。それら三つのなかでは、やはり CD 二枚組のフレモー&アソシエ盤が一番充実していると思うけれど、中古がやや高値気味になっているようだ。だから入手が容易で、しかも1000円もしない安価である今年2017年リリースの『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ヒルビリー・ブルーズ』に沿って話を進めたい。

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ヒルビリー・ブルーズ』。このシリーズの恒例で詳しいデータなどは一切記載がなく、曲名と音楽家名とリリース年(あるいは録音年?)が一覧になっているだけ。ちょっとした英文解説は載っているが、それはこのシリーズの趣旨通り入門者向けの文章だ。

だからやはり入門者である僕にはありがたかった。なんたって『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ヒルビリー・ブルーズ』に収録されている音楽家で、買う前から僕がよく知っていたと言えるのは、六曲目のジミー・ロジャーズだけだ。あとはほぼ全て馴染がかなり薄いか、全く知らない人ばかり並んでいる。

しかし CD で実際の音を聴いてみたら、曲自体や演唱スタイルはよく知っているというものが多い。このこと自体、古い黒人ブルーズばかり長年聴いてきている僕にだって、同時代のヒルビリー・ブルーズの世界はそう遠くないものだっていう証拠なんだよね。

六曲目のジミー・ロジャーズ「ブルー・ヨーデル #8」を除き、僕にとって最も馴染の深い曲は、五曲目でフランク・ハッチンスンがやる「スタッカリー」、13曲目でラリー・ヘンズリーがやる「マッチ・ボックス・ブルーズ」、19曲目でクリフ・カーライルがやる「トラブル・マインディッド・ブルーズ」だ。

それら三曲のうち、「スタッカリー」と「マッチ・ボックス・ブルーズ」の二つはロック・ファンだってみんな知っている超有名ブルーズ・スタンダードなので、どういう曲なのか説明不要かもしれない。「スタッカリー」が例のスタック・オ・リー伝説に題材をとった民謡で、人種無関係な伝承フォーク・ブルーズだったのも有名。

また「マッチ・ボックス・ブルーズ」だって、レコーディングは黒人ブルーズの人がやったのが有名だけど(まあ各種ロック・ヴァージョンの方がもっとはるかに知名度があるけれど)、これだって伝承民謡的ブルーズ・ソングなので、やはり黒・白共有財産だったんじゃないかなあ。

19曲目でクリフ・カーライルがやる「トラブル・マインディッド・ブルーズ」も、戦後でだってサム・クックやアリーサ・フランクリンがやったり、また2014年リリースのレッド・ツェッペリン『III』のボーナス・ディスクのラストに「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」とのメドレーで収録されているもんね。それにしても UK ブルーズ・ロックの人って、どうして「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」があんなにも好きなんだ?

「トラブル・イン・マインド」。コロンビア盤『ヤー!!!:イン・パースン・ウィズ・ハー・カルテット』収録のアリーサ・ヴァージョンと、強烈にレイジーなツェッペリンのヴァージョンだけは貼っておこうかな。
しかしこの「トラブル・イン・マインド」、ジャズ・バンドやピアノの伴奏でやる(場合が多い)1920年代の都会派女性ブルーズ歌手の世界で、まず流通した曲だ。最初に録音したのはテルマ・ラ・ヴィッツォ(1924)だけど、有名にしたのはバーサ・チッピー・ヒルのレコードだ(1926)。バーサのにはルイ・アームストロングがコルネット伴奏をつけている。
僕がこういうサッチモの伴奏で女性ブルーズ・シンガーが歌ったものが大好きで大好きでたまらない人間だということは、全くどうでもいい。重要なのは、南部の黒人カントリー・ブルーズと、白人ヒルビリー・ブルーズと、北部の都会派女性黒人ブルーズ歌手と、そして戦後のリズム&ブルーズや(米英)ロックなどが、全部一繋がりになっているんだという事実だね。

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ヒルビリー・ブルーズ』収録のクリフ・カーライルによる「トラブル・マインディッド・ブルーズ」は1937年のものだし、直接的にはやはり先行する都会派女性黒人ブルーズ歌手のレコードを聴いて参考にしたんだろう。しかもスライド・プレイが入るギターの弾き方には、ハワイアン・スタイルの痕跡がある。
ハワイアン・スタイルのギター・スライドは、『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ヒルビリー・ブルーズ』で実に頻繁に聴けるもので、楽曲形式はブルーズであるとはいえ、(スライド・)ギターやヴォーカルにブルージーなフィーリングは全くない。しかし上手いかどうかで言えば猛烈に上手いギタリストばかり。

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ヒルビリー・ブルーズ』だと、一曲目のロイ・ハーヴィー&ジェス・ジョンスンによる「ギター・ラグ」と、18曲目のジョン・ディルショウ&ザ・ストリング・マーヴェルによる「スパニッシュ・ファンダンゴ」の二つがヴォーカルなしのギター・インストルメンタルで、それらは一種のパーラー・ギター由来だ。ギターがスペインから、たぶん18世紀後半に北米大陸に渡来した直後は、まずそんなものだったんだろう。

それが徐々に低層労働者階級の世界にまで降りてきて、黒人やプア・ホワイトが弾くようになり、さらにこの二者はかなり近しい社会的ポジションにあったため(例えば鉱夫や工場労働者など)、音楽的にも同じ曲を同じようなスタイルで、それも同じギター一台でやるようになったんじゃないかなあ。

ロイ・ハーヴィー&ジェス・ジョンスンの「ギター・ラグ」とジョン・ディルショウ&ザ・ストリング・マーヴェルの「スパニッシュ・ファンダンゴ」では、黒人ギター・カントリー・ブルーズの世界にあるオープン・チューニングを使い、親指で低音弦をドローン気味に鳴らし、高音部をフィンガー・ピッキングするというお馴染のテクニックを、前者は1930年、後者は1929年で既に完璧にマスターしているんだよね。
またタンパ・レッドの「イッツ・タイト・ライク・ザット」スタイルの曲(というか、これはほぼそのままだろう?)であるアレン・ブラザーズの「バウ・ワウ・ブルーズ」があって、演奏スタイルもジャグ・バンドっぽいけれど、見てみたら1927年のレコードとなっているぞ。28年のタンパ・レッドより先じゃないか。

2017/03/01

カマトト歌手のラテン・ジャイヴ

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僕はだいっきらいなカマトト女。カマトトってのは、全部しっかり知っているにもかかわらず、わざと知らないフリをしてウブな感じをよそおっているわけだ。そうやってキュートな(?)感じにした方が男受けがいいかもしれないとでも思って。そんなの、僕は全くキュートだと思わない。知っているなら、全部モロ出しのフェロモン全開女が好きだ。いやまあ、カマトトもある種のフェロモン発散法ということなんだろうけれどもさ。いいか悪いかはともかく、男はみんな逆だ。知らなくても、あたかもよく知っているようなフリをする。

あっ、いま思い出したぞ。またどうでもいい話をする。僕がたった一回だけ結婚した女性と、まだ結婚する前の恋人時代に、女性・男性合わせて数名でカラオケ装置があるお店に食事に行った。みんな順番に一曲ずつ歌ったんだけど、のちの僕の妻は、松田聖子のレパートリー(どの曲だったかは忘れた)を、それもあのカマトト味満点で歌ったのだ。

それは本人いわくわざとそうやっているのではなく、歌を歌おうとすると自然にそういう感じになってしまうんだそうだ。僕は嫌いなテイストだから結婚するのはやめようかな、とは思わなかったけれど、これはちょっとなぁ…と思っていると、友人男性に「そうか、戸嶋、お前、これにやられたんだな」と笑わられた。違うって、僕はカマトト嫌いなんだってば。それにそれまで彼女が歌うのを全く聴いたことがなかったしな。ってことはカマトトが魅力だと思う男性がやっぱりいるんだなあ。不可解だ。

そんなわけで、女性プロ歌手でもカマトトが売りであるような人は嫌いなんだけど、そのなかでもこの人だけはカマトトながらキュートかもしれない、面白いかもしれないと思う代表がローズ・マーフィーだ。本国アメリカだけでなく、ヨーロッパでも日本でも人気があったピアノ弾き語りの黒人女性歌手なので、ご存知の方もたくさんいらっしゃるはず。

ローズ・マーフィーのデビューは1930年代末らしいが、初のレコードが47年で、そこから人気が出た。独特のハイ・トーン・ヴォイスで、スキャットを頻繁に織り交ぜながら、「チ・チ」とか実に頻繁に使いすぎだろうと思うほど繰返し使い、なんだか遊び心満点で可愛らしくキュートに、というのは褒め言葉だが、裏返せばちょっとわざとらしいコケトリーでカマトト唱法全開なのだ。

代表作はまずなんといっても代名詞になった「ビジー・ライン」と「捧ぐるは愛のみ」。どっちもやはり1947年のレコードだ。しかし下掲 YouTube音源、 どっちも再生回数が少ない。もうちょっと聴かれてもいいんじゃないかなあ。
特に後者「捧ぐるは愛のみ」では、お聴きになって分るように歌詞の「I can't give you anything but love, baby」の「love」をそう歌わず、「チ・チ」に置き換えている。これがまあたぶん人気だったんだなあ、ローズ・マーフィーは「チ・チ・ガール」の異名をとるようになった。

「捧ぐるは愛のみ」という、いまだにこのなんだか古めかしい邦題で知られている「アイ・キャント・ギヴ・ユー・エニイシング・バット・ラヴ」は、私があなたにあげられるものは愛だけなのよ、愛でいいならこれでもかというほどたっぷりあるのという、受け取りようによってはいやらしい意味に聴こえないでもない(のは僕がスケベなだけ?)曲。

その愛(love)をはっきり言わず「チ・チ」にして、それもキュートでコケティシュな発音で歌うのがローズ・マーフィーの持味なのだ。そんな風にやるので、ちょっとしたスケベ・ソングかもしれない「捧ぐるは愛のみ」のエロさが薄くなって可愛らしいウブな感じになっている…、のかというと僕には逆に聴こえ、かえって一層フェロモンが振りまかれているように、男を誘っているかのように聴こえてしまう。そこがカマトト歌手ローズ・マーフィーのチャームなんだよね。

それにしてもローズ・マーフィーは「チ・チ」って言いすぎなんじゃないだろうか(笑)?録音集を聴いていると、ほぼ全部の曲で、しかも曲中のありとあらゆるところで「チ・チ」と可愛くささやくように歌う。ローズが歌ったレパートリーに自作曲はなく(のはず)、他人の書いた、それも有名スタンダード・ナンバーを多くとりあげている。だから元はしっかりした歌詞が付いているものばかり。

ローズ・マーフィーはそんなのをとりあげては、ことごとく全てで頻繁に元の歌詞をそのまま歌わず「チ・チ」とか「ラ、ラ〜」とかその他いろいろ、その手のコケティシュなスキャットに置き換えて歌っている。元の歌詞をそのまま歌う部分でも、その節回しにはかなりのコケトリー、というかカマトト味がある。

ローズ・マーフィーの録音では、特に僕たちジャズ・ファンには「捧ぐるは愛のみ」とか「ペニーズ・フロム・ヘヴン」とか「スウィート・ジョージア・ブラウン」とか「タイム・オン・マイ・ハンズ」とか「ハニーサックル・ローズ」とか「ロゼッタ」とか「スリー・リトル・ワーズ」などがお馴染だろう。たくさんのジャズ歌手や演奏家がやっているからね。

ちょっと面白いのは、ご存知、面白ジャズ・マン、スラム・スチュワートと共演したもので、1961年3月10日、デッカに三曲録音している。そのうち一つはこれまたジャズ・スタンダードの「ダイナ」で、これは日本でも戦前から実に多くの日本人ジャズ歌手・演奏家がやっているので、みなさんご存知のはず。ディック・ミネの得意曲でもあったよね。

お聴きなれば分るように、普通のジャズ歌手などがやるのとはかなり表情が違う。歌詞も書き換えているし、ローズ・マーフィーのコケッティッシュな味と、中間部でお得意のベース弓弾き&ヴォーカルのユニゾンを披露するスラム・スチュワートとが合わさって、こんな面白いヴァージョンができあがった。

さらに、1961年のスラム・スチュワートとの共演三曲のうち一つは、なんとあの「ザ・フラット・フット・フルージー」なのだ。スラム・スチュワートのファンであれば間違いなく全員知っているもので、1938年のスリム&スラムによる録音がオリジナルのジャイヴ・ナンバー。書き添える必要はないかもしれないが、「スリム」の方はスリム・ゲイラード。

スリム&スラムやスリム・ゲイラードやスラム・スチュワートにかんしては今日は書かない。録音集がメチャメチャ面白いので、書きたいことが山ほどある。一つだけ今日書いておくと、「ザ・フラット・フット・フルージー」はチャーリー・パーカーだって録音しているよ。1945年12月29日のベル・トーン・レーベル録音で2テイクあり、名義はスリム・ゲイラード・アンド・ヒズ・オーケストラ名義。参加しているパーカーもディジー・ガレスピーもソロを吹いている。

それはいいとしてローズ・マーフィーがスラム・スチュワートとの共演で1961年にデッカへ吹き込んだ「ザ・フラット・フット・フルージー」では、それまでのスリム・ゲイラード中心のいろんなヴァージョン比べ、やや速度を落としたミドル・テンポで、しかもドラマーにくわえパーカッショニストがリズムを叩く。手許にはそれが収録された録音集が二種類あるのだが、パーカッショニストが誰で、楽器はなにか、どちらにも明記がない。
でもこれを聴けばお分りのようにコンガなんだろうね。どっちかというとドラムスの音よりもコンガの音の方が目立つような感じだ。1961年だもんなあ。ローズ・マーフィーとスラム・スチュワートがデュオで歌い、ワン・コーラス歌い終わったあと、スラムがやはりお得意のベース弓弾き+ハミング・ヴォーカルのユニゾン芸を披露する。ちょっぴりラテン風のジャイヴでありかつ、ローズ・マーフィーのコケトリーがくわわるなんて面白いじゃないか。

ラテンっぽいといえば、1961年に三曲あるローズ・マーフィーとスラム・スチュワートとの共演のなかのもう一曲が楽しい。それはやはりジャズ・スタンダードの「スリー・リトル・ワーズ」だけど、発売されたレコードの曲題が「スリー・リトル・ワーズ・チャ・チャ」なのだ。
お聴きの通り、タイトルそのままのチャチャチャ・アレンジになっている「スリー・リトル・ワーズ」。しかもローズ・マーフィーはやはりコケティシュ・テイストをくわえ、「チ・チ・チ」なとど可愛らしく歌ってはいるが、弾いているピアノはキューバン・スタイルだ。それにスラム・スチュワートが「チャチャチャ」と茶々を入れているっていう。

1961年録音だからこんな感じのチャチャチャ・スタイルになっているジャズ・スタンダードの「スリー・リトル・ワーズ」。元は普通のラヴ・ソングで(スリー・リトル・ワーズとは I love you のことだから)、それをキューバン・スタイルに仕立て、なおかつコケトリーをくわえ、さらにジャイヴィーな味すらもあるんだから、楽しいなんてもんじゃないよね。

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