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2017/04/08

チュニジアとモロッコのユダヤ人歌手たち

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先週に引き続きマグレブ地域のアラブ・アンダルース音楽におけるユダヤ人歌手たちについて。二週目の今日はチュニジア篇とモロッコ篇だ。CD で言えば『テュニジア〜ユダヤ人歌手たちの遺産』(Chanteurs juifs de Tunisie - Patrimoine Musical)と『モロッコ〜ユダヤ人歌手たちの遺産』(Chanteurs juifs du Maroc - Patrimoine Musical)二枚の話をしたい。

まずはチュニジア。マグレブ地域のなかではおそらく最も古くから、紀元前のそれも早い時期から、ユダヤ人がかなりたくさん住み、当地を統治する権力者によって保護されてきたがため、マグレブ地域のなかでは最も盛んにユダヤ文化が花開き洗練されていたチュニジア。もちろんチュニジアという国になったのは最近のことであって、古代にはカルタゴ王国、それがローマ人によって滅ぼされて以後はローマの属領の一つとしてのアフリカ属州(には現在のリビアも含まれる)となった。

余談。そのローマ人がラテン語でアフリカ属州(Africa Proconsularis)とその地を呼んだのが、大陸の地理的名称としての「アフリカ」という言葉の”直接の”起源だ。古代ローマはイタリア外で支配する各地に属州と呼ぶものを置いていて、そのなかにはユダヤ属州もある。そこは現在のパレスティナとイスラエルにあたる土地なんだよね。

さてマグレブ地域のアラブ・アンダルース音楽は元々イベリア半島で誕生したものだという常識は先週も書いたのだが、そこでその成立の主役だったユダヤ人たちがイベリア半島を追い出されて北アフリカ地域へと移住せざるをえなくなったのは、もちろんかのレコンキスタのせい。キリスト教徒によるムスリム排撃運動レコンキスタは1492年に完遂したというのが定説なので、その時期にはイベリア半島に住んでいたイスラム教徒やユダヤ教徒の多くが北アフリカ地域に移住したのだろう。

イベリア半島から持ち帰ったアラブ・アンダルース音楽の、マグレブ地域における主たる担い手は、歴史的に見るとアラブ人だというより実はユダヤ人音楽家たちだった。そしてチュニジアでは、書いたようにユダヤ人たちが時の権力によって庇護されてきたので、この地域(国)においてアラブ・アンダルース音楽は最も洗練されていたようだ。

そんな姿が CD『テュニジア〜ユダヤ人歌手たちの遺産』(Chanteurs juifs de Tunisie - Patrimoine Musical)でも聴ける。先週書いたアルジェリアのように、シャアビだとかオラン歌謡だとかライのようなよく知られる特有の音楽ジャンルは生み出していないチュニジアだから、僕はこの地の音楽にかなり疎いのだが、このアルバムを聴くと、この国のユダヤ人歌手たちがやるアラブ・アンダルース音楽の高度な洗練がよく分る。

例えばアルバム一曲目のラウル・ジュルノ「セルムト・アナ・フィク・ヤ・ブラディ」 。ヴァイオリンとウード(だと思う)によるイントロに導かれ歌いはじめるこの歌手のこの歌声の朗々とした響きの素晴らしさ、コクのあるアラブ古典風コブシ廻し、どこをとっても文句なしに絶品だ。こんなによく響く声で歌うアラブ・アンダルースの歌手は、そういう人が多い世界であるとはいえ、それでも少ないんじゃないかなあ。
この1955年録音に、なにか固有の音楽ジャンル名のようなものを付けることなど無意味だ。アラブ・アンダルース古典からポピュラー・ミュージックに変化しつつあった時期のマグレブ地域で聴ける最高の歌だよね。古典風味がやや強く、現代風なポップさは薄いかもなと思わないでもないが(あ、いや、かなりポップでもあるね)、この堂々たる歌を聴いて感動しないアラブ音楽好きなどいないだろう。

このラウル・ジュルノを含め、『テュニジア〜ユダヤ人歌手たちの遺産』(Chanteurs juifs de Tunisie - Patrimoine Musical)に収録されている全14曲を歌うユダヤ人シンガーたちは、全員当時のチュニジアではかなり人気のあったポピュラー・シンガーなんだそうだけど、ということはみんな有名人なんだよねえ。僕は一人も知らなかった。複数曲収録されているのがラウル・ジュルノのほか、シェイク・エル・アフリテ、 ルイーザ・トゥンジア、 ヒビバ・ムシカ。

三曲目にあるルイーザ・トゥンジアの1945年録音「アラ・バブ・ダレク」では、お腹にズンズン響く低音を出す太鼓が奏でるディープなリズムに乗って、ルイーズがチャーミングな声でコブシを廻す。ヨ〜ヨ〜ヨ〜というお馴染の女声の(ヨーデル風な)歌い方も聴かせてくれる。男声バック・コーラスとのコール&リスポンス的なやりとりにもなっているよね。
アルバム中最も録音が古い13曲目フリトゥナ・ダルモンの「アッダーラ・ヤ・アッダーラ」(1926)や、その次に古い10曲目ヒビバ・ムシカの「アラー・スティール・エンウム」(1928)などは、やはりほぼ完璧にアラブ・アンダルース古典だなと僕の耳には聴こえるのだが、それでも聴きやすくポップなフィーリングもある。

だから最も録音が新しい1970年の二曲なんか、かなり派手で賑やかで、しかも相当にダンサブルだ。例えば七曲目のアイダ・ナッシームが歌う「ジャリ・ヤ・ハッムーダ」 ではパーカッションが大活躍し、このままディスコへ持っていって流しても問題なさそうなほどの出来。アイダの歌も素晴らしいが、伴奏の打楽器群があまりに賑やかなので、歌は埋もれてしまいそうだ。
モロッコ篇。CD『モロッコ〜ユダヤ人歌手たちの遺産』(Chanteurs juifs du Maroc - Patrimoine Musical)のことも少し書いておかなくちゃね。いきなり一曲目のピンハッス・コーヘンの1985年「ジネ・リ・アタク・アッラー」がかなりポップで、しかもダンサブルで、さらに旋律美も素晴らしく最高で、耳を奪われる。声質にも哀感があっていい。
これは1985年録音だから、完全なるモダン・ポップ・ミュージックだね。15世紀にイベリア半島から脱出して北アフリカ地域でアラブ・アンダルース音楽の担い手となったユダヤ人歌手たちの、その伝統が現代のモロッコでポップに活かされた最高の一例なんだろう。

アルバム二曲目の「オムリ・マニンサク・ヤ・ママ」を歌うサミ・エルマグリビは有名人らしいが、やはり僕は知らなかった。モロッカン・シャアビみたいな趣の一曲で、1960年録音。
サミ・エルマグリビはこのアルバムにもう一曲収録されていて、六曲目のやはり1960年「マル・ハビービ・マル」。これもモロッカン・シャアビのような歌と伴奏のスタイルで、歌手の声の張りとコブシ廻しのコクが絶品だ。ホント、知らなかったのは単に僕が無知なだけであって、聴いて分るこの実力からすればかなりの有名人、名歌手に違いない。というか実際そのようだ。
アルバム七曲目の1970年録音エステール・エルファシ「ロミマ」(https://www.youtube.com/watch?v=gmeDMFcu1fo)が相当にダンサブルでポップで楽しいとか、三曲目のシェイク・ムウィジョ1965年「グザリ・ホウワ・スバビ」(これは YouTube にない)が、なんだかハリージ(現代湾岸ポップス)風にヨレて突っかかるような複雑なポリリズムで面白いとか、四曲目のライモンデ1958年「ラー・ハラーニ・ムイムティ」(https://www.youtube.com/watch?v=cQjWVzGtMKg)も同じようなリズム・パターンだから、これら二人の女性歌手たちは、あるいは同種の音楽家(ユダヤ人がやるベルベル系ダンス歌謡??)なのか?とか、もうキリがないので、今日はこのへんで勘弁しといたろ〜。

いや、やっぱり最後に、先週の記事末尾でも書いたことをやはり念押ししておく。先週書いたものも今日書いたものも、これ全て、北アフリカのマグレブ地域におけるユダヤ人歌手たちによる音楽なんだよね。たぶんアラブ人のものだとされている地域のアラブ人たちがやっていると思われているかもしれない音楽のかなりの部分をユダヤ人たちが担っていた。というか主役ですらあった。この歴史的事実を、不寛容と排外の時代である2017年に、いま一度再認識していただきたい。

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