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2017/04/02

ジャズ・ファンは内ゲバも外ゲバもやめろ

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昔っからジャズ・ファンは自分たちジャズ・ファンだけでつるみたがるのが悪い癖で、考え方が閉鎖的だよね。音楽的な仲間意識が強すぎる。以前も一度書いたけれど、僕は仲間意識だけでの言動をやりたがらない、というかそれが苦痛であると感じる人間なので、ジャズ・ファンのこういう傾向が長年嫌で嫌で仕方がなかった。

このジャズ・マンは、このアルバムはいいぞ、ダメだぞ、このアルバムの聴きどころはここだとか、仲間内だけで話が盛り上がって、余所者を入れようとしない。これはジャズだけ聴いている人が、他の音楽が好きな人を寄せ付けようとしない、邪魔者扱いして排除しようとする、他ジャンルが好きな人がジャズに入っていこうとする際にフレンドリーじゃない、分りやすい言葉で丁寧にガイドしようとしない 〜 こういうことだけではない。

閉鎖的ジャズ・ファンが他の音楽を聴こうとせず、ジャズだけ(それもたいていみんなビ・バップ以後のモダン・ジャズだけ)聴いて、ジャズの内側だけで閉鎖して、いっぱいある他のいろんな音楽へ近づこうともしない、つまり外に向かって開放的ではないという意味でも、ジャズ・ファンはみんな閉じている。

じゃあジャズならなんでも聴いているのかというと全くそんなことないもんね。上の括弧内で書いたように1940年代半ばに成立したビ・バップ以後のモダン・ジャズしか聴かないジャズ・ファンが、僕の実感だと全体の約八割以上だ。そういう人は1930年代末期までのアーリー・ジャズなんか、まるでこの世に存在すらしていないかのような扱いじゃないか。

ではではモダン・ジャズ以後のものであればなんでも聴いているのかというと、これまた聴かないものがたくさんあって、聴かない典型が1960年代後半からのソウル・ジャズ〜ジャズ・ファンク。これらにはやはり目もくれない。最近の2010年代の例の JTNC 系のものだって無視している。いわく「あんなものはジャズではない、ジャズではないものを”ジャズ”の進化形だと主張して延命を図っている」と。

そんなことがあるもんだから、柳樂光隆くんや彼が起用するライターさんたちも、そんな頭の固いジャズ・ファンを「王道ジャズ・ファン」と皮肉を込めて呼ぶようなことになっている。ああいった JTNC 系のものは、実際聴いたら面白いものが少ない、ジャズに(あるいはそもそも音楽に)「進化」なるものが果たしてあるのか?と僕も思うけれど、ああいう種類の音楽と、それを褒めちぎる方々の存在や活動そのものを全否定することはないだろう。

しかしながら、ああいった JTNC 系のライターさんたちはそうでもないと思うんだけど、彼らの文章を熱烈に支持している一般のジャズ・ファンのみなさんは「古いものがお好きな頭の固い年寄りジャズ・ファン(王道ジャズ・ファン)はこれだからダメだ」と言うのだが、しかしよく読むとそんな発言の念頭にあるのは、1940〜60年代のモダン・ジャズが好きなファンだけ。「古いものが好きな王道ジャズ・ファン」っていうのは、僕の認識だと1910〜30年代のジャズが好きな人間のことになるんだけどな。アーリー・ジャズ、古典を聴いてから言えよ。

そんな具合だから、ジャズ・ファンの考え方が閉鎖的で、仲間内だけで閉じこもって盛り上がり、排外的である傾向は、かなり古くからあって連綿と続き、そんな旧態依然としたジャズ・ファンの体質を批判する最近の JTNC 系のものがお好きな新しいジャズ・ファンですら、やはり本質的には同じなんだよね。2017年現在の JTNC 系でも、僕がジャズ・ファンになった1970年代末と、ファンはなにも変わっていない。あの頃はフュージョンなんかジャズじゃないとみんなバカにしていた。

ことジャズだけという、1917年の史上初録音から2017年現在まで本質はあまり変化していない狭くて小さい一つのジャンル内ですら、ジャズ・ファンはこんな排外的内ゲバを繰返してきたような人間たちなので、ジャズじゃない他のジャンルの音楽なんて聴くわけがない。ジャズ・ファンが聴く他ジャンルというと、ほぼ100%近くブラジルのボサ・ノーヴァと、それに関連した MPB だけ。本当にそれだけだ。ショーロもサンバも聴かないじゃん。ブラジル音楽が好きなジャズ・ファンが熱心にショーロの話をしているのなんかに遭遇したこともない。

ショーロなんてジャズとかなり似たような部分もある(基本は)インストルメンタル・ミュージックなんだけどなあ。ショーロのあのフィーリングと演奏スタイルを知らないと、排外的ジャズ・ファンのみなさんがお好きなボサ・ノーヴァの感覚だって本当は理解できないんじゃないの?その流れを汲む MPB だってなんだってさ。

ボサ・ノーヴァはあんなに熱心に聴くくせに、ひるがえってジャズともっと強くて深い関係があるアメリカ音楽は、やっぱりジャズ・ファンは聴かない。いま僕が言った「アメリカ音楽」とは広い意味でのもの。北米合衆国音楽だけでなく、カリブ海中南米を含む<総体>としてのアメリカ音楽のことだ。総体としてそう掴まえないと、ジャズの意図だって理解できない部分がかなりあるからだ。

閉鎖的・排外的ジャズ・ファンは、そういうジャズの誕生と発展に実に密接に関わっている「アメリカの」音楽を聴いていないんだから、ピュア・ジャズのことだって本当は理解しているはずがない。僕に言わせればこれはジャズが好きではないという意味になるぞ。音楽だってなんだって、本当に好きになればトコトン追求して、ちょっとでも関係していると知れば熱心に追いかける 〜 それが「好き」ってことじゃないの?

広い意味での「アメリカ音楽」の話をしたけれど、狭い意味、すなわち北米合衆国内の音楽だけに限定しても、今日僕がダメだと言っている類のジャズ・ファンは聴いていないね。なにしろ一番肝心要のブルーズ・ミュージックを聴いていない(1960年代以後のジャズに関連するならソウルとかファンクとかヒップ・ホップとかも)。それなもんだから「ルイ・アームストロングはジャズという枠のなかに100%収まる」というびっくり仰天の発言が出てくることになってしまう。

ってことはサッチモが伴奏をやったべシー・スミスその他のああいった1920年代の都会派女性歌手たちは、やはり「ジャズ歌手」だという位置付けなのか?というと、実際そうなのだ。「ベッシーの CD はいまではブルースの棚に入れられているけれど、本当はジャズ歌手だからジャズの棚に戻しておいてほしい」というツイートをついこないだも見かけたもんね。

これはあの時代のジャズとブルーズを無理やり区別しようという、本当に無意味なメンタリティに基づいている発言だ。もちろん区別なんて不可能な1920年代のこの二者を区別したい、ジャズの棚に「戻せ」というのは、だからジャズ以外のものを排撃しよう、ジャズのなかだけで全部済ませてしまたい、他の音楽なんかどっか行けよという、内向きの閉鎖思考なんだよね。ジャズ・ファンのなかだけで内ゲバをやるくらいなんだから、他ジャンルの音楽なんか…、っていう考え方なんだ。

そんなジャズ・ファンはもはや過去の遺物で絶滅したのだと数年前まで僕は思っていたのだが、どうやら結構たくさん残っているみたいなんだよね。2009年11月に Twitter をはじめて以後、このことを痛感している。でもそういう方々は、こと純ジャズにかんしてだけは「情報」を持っている場合があるので、仲間内だけでじゃれ合うのを見るのは嫌だけれど、情報源だと思えば安易にアンフォローはしにくいという困った事態が発生しているんだよね。

世の中にいろんな音楽ファンがいるけれど、こんなのはジャズ・ファンだけだろう。ゴスペル好き、ブルーズ好き、リズム&ブルーズやソウル好き、ファンク好き、あるいはそれら全部ひっくるめてのアメリカ黒人音楽好きのみなさんは、いま「全部ひっくるめて」と書いたように、それらを(黒人ジャズ含め)汎ブラック・ミュージック的視点で全部いっしょくたにして聴いている。この事実も強い実感がある。ビリー・ホリデイの戦前コロンビア系録音全集10枚組をつい数日前に買って、堪能しているソウル・ファンの方がいた。

ロック・ファンだってワールド・ミュージック・ファンだって(演歌を含む)歌謡曲ファンだって、みなさん初心者には親切で丁寧だ。敷居を低くしよう低くしようと腐心して、なるべく一人でも多くのリスナーが入ってこられるように、好きな人がちょっとでも増えれば嬉しいという考えのもと、分りやすく発言したり行動している。そういう態度を見習いたいと僕は思う。ジャズ・ファンはその逆をやっているから。

これはあれか?西洋クラシック音楽の、特に和声システムと記譜法が世界中に広く拡散・浸透しているのと同様、演奏の方法論としてのジャズが、これまた世界のいろんな音楽に入り込んで普及してしまっているがためにジャズ愛好家が抱く優越感なのだろうか?(そういえばクラシック・ファンもジャズ・ファンに少しだけ似ている部分があって、自分たちが一番偉いんだみたいな心性があるんじゃないかなあ。)

しかしこれはひょっとしたらジャズ・ファンでも日本人だけの持つ傾向なんじゃないかという気がする。といっても僕は他国のジャズ・ファンとそんなにたくさん話をしていないんだが、かろうじて(主に)英語でやりとりするマイルズ・デイヴィズ関連のメーリング・リストでは、世界各国のいろんなマイルズ・マニアと、15年以上前からやり取りがある。SNS が出現する前まではメーリング・リストが主流のコミュニケーション手段だったからさ。

するとそのマイルズ関連の ML は、いちおうマイルズ・リストと名乗ってはいるものの、音楽に関しても話題が実に広範囲にわたっているのだ。日本人の方がどれくらい参加しているのか、それらしきお名前の方がいままで僕以外出現したことがないので分らない(読んでいるだけという可能性は高い)が、世界のマイルズ・ファンやその関連のジャズ・ファンは、ジャズ以外の音楽やその愛好家を見下して排外的態度をとるかのような姿勢は、少なくとも表面的には微塵もうかがえない。

日本は島国で、他国人との交流には積極的じゃない国民性だからっていうのが遠因なのだろうか?だからジャズ・ファンも、他・異ジャンルの音楽や愛好家と熱心に交流せず、むしろ排他的・閉鎖的な態度をとるのだろうか?でもさあ、歴史的に見れば、日本は中国大陸や朝鮮半島やヴェトナムや、その他アジア各国と深く交わり続けていた国なんだけどね。

しかも他・異を見下して自分たちが一番偉いんだというような考えは「中華思想」っていうくらいなんだけどね(フランス人にもこの種のものが少しあるみたい)。中国はずいぶん長いあいだアジアの覇者であり続けた国というか場所だから、あるいは漢民族だけかもしれないが、そんな思想傾向が誕生しても、ちょっとは理解できる。だが、日本人ジャズ・ファンがどうして音楽的中華思想にハマるのか?

日本人ジャズ・ファンのみなさん、もちろん全部じゃないのは分っているけれどさ、もっと外に開いてほしい。考え方をもっとオープンにして、他ジャンルの音楽や愛好家を無視したり軽視したりせず、どんどん積極的に聴いてほしい。いろんなものに真剣に耳を傾ければ傾けるほど、ジャズだけが特別な音楽じゃないんだと分ってくるはず。そしてそうなってこそ初めて、ジャズがやっぱりちょっと特別な音楽であるということも、本当の意味で見えてくるはずなんだよね。

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コメント

はじめまして、スィートソウルと申します。還暦まで後ちょっとのソウル馬鹿親父です。携帯弄って貴方のブログに辿り着きました。
いやー、博識と柔らかい感性、本当にブラックミュージックの 本質解ってる人なんだな、と感銘受けました。
どうしても、日本人はカタログに頼るというか、カテゴリに収めたがる癖が有りますよね。
昔、ワイルドビルってディキシー(敢えてそう呼びますね)のトランペッターのタウンホールコンサートてライブ盤を聴いた時、ぶっ飛びました。その当時、恥ずかしながら自分もバンドマン^_^; 仕事で赤いベストにボウタイ、カンカン帽で遊園地でベース弾きました。ワイルドビルのフルコピー、なんてつまらない事やらせるんだと自問自答。本物聴いたら目から鱗でした。
理論もセンスも違うけれど、マイルズのフォアアンドモア聴いた時と同じ衝撃受けました。
結局、優れた音楽は皆一緒だと思います。此処15年位、殆どソウル、ブルースばっかり聴いてましたが、若い時の様にジャズもルンバもクラッシックも聴きたくなりました。

長文にて失礼、他の記事も楽しく読ませて頂きます。

sweetsoulさん、そうおっしゃっていただけて大変嬉しいです。おそらく僕は「ブラックミュージックの 本質解ってる人」ではありません。そこが分っていないのだという自覚があるからこそ、いろいろとたくさん聴いていて、少しでも近づきたいのです。

こんにちは。私は音楽はズブの素人ですが、こちらのブログは大変参考になっております。ありがとうございます。

先日、若い女性のアマチュアのジャズピアニストと偶然話す機会があったのですが、まさに排他的、という風でした。

サッチモが好き、と言うと「古すぎる」
エラ・フィッツジェラルドが好き、と言うと「シンガーじゃん」と言う。

ビル・エヴァンスが好きだと言うと
「ビル・エヴァンスが好きな日本人って多過ぎだから、ジャズのコミュニティでそんなこと言うと失笑されるか、ド素人だなって思われるからあんまり言わない方がいいよ」
などと言うのです。

彼女なりのアドバイスと言うか、善意なのでしょうが、私の好きなミュージシャンに対してこのような言い方をされると酷く傷つくとともに悲しくなりました。たまたま人気があるものが好きで何が悪いのだろうか。後ろめたいことなど何もないではないか、と思います。むろん彼女もジャズピアニストとしてビル・エヴァンスをリスペクトしているのですが…

彼女いわく、ビル・エヴァンスは我が強すぎてセッションしている他者と合わせようとしない、自己中心的。だそうです。
私は自己中心的でないミュージシャン、ひいてはアーティストは存在しないと思っていますし、ビル・エヴァンスはそうやって独自の曲の解釈や、自己の世界を構築しているからこそアーティストとして評価されていると感じているので、彼女と私の意見は真っ向から対立しました。
(他にもビル・エヴァンスは研究しにくい、とか何とか言っていましたが良くわかりませんでした)

ジャズに関する知識や演奏経験、ジャズと関わっていた年数は当然彼女の方が私などより断然豊富なのですが、何と言うか、とても狭い了見・世界観だなぁと感じました。彼女自身も、こんなだからジャズに詳しくなろうって人が増えないんだよね、とその排他性を自嘲気味に認めていました。

演奏せずに聴くだけの私と、演奏やセッションをしている人とはこうも考え方が違ってしまうものなのでしょうか。
彼女はまだ20代そこそこで、彼女の言うコミュニティとやらも恐らく大学等のジャズ研究会のことでしょう。なのでジャズに関わる全てのコミュニティで、「ビル・エヴァンスが好き」と言ったら上記のような扱いを受ける、という訳ではないとは思います。ただ、彼女の言い分や好きなジャズのジャンルがあまりにもこの記事でおっしゃっている内容に当てはまっていたので、そういうジャズファンが多いのかな、と不安になってしまいました。

長文かつ愚痴のようになってしまい申し訳ありません。ただ、こちらの記事にはとても共感いたしました。

みんなでなかよくやりましょう(^^)。

これジャズに限らずどのジャンルでもそう。例えば僕は元々パンクスでロック界の人と多くつるんでるけど、最初ついにロックが進化しなくなりヒップホップ、それもトラップ系のラップ以降のものに道を譲っても「ラップはクソだ」とか抜かすし、そのヒップホップのコミュニティの人間ですら今ハタチ前後の若者がやってる新しいスタイルのラップは否定して昔は良かった的な有様で笑っちゃいますね。

最近はロック、とくにエモ、スクリーモとトラップ系ラップを混ぜたエモラップなるスタイルがアメリカの若者に人気ですが、これがまた古い世代のロックファン、ラップファン双方から見下されてて、逆に若者は古い音楽を知らないし断然状態が続いてます。

単にロックひとつ取っても「90年代のグランジ」と「70年代のサイケ」「00年代のエモ」「60年代のマージービート」じゃ違うものとして扱われて分け隔てなく聞ける人間は少ないし、「メタルはおっさん臭い」というパンクスに、これまた「パンクなんて雑音」というメタラーetc... しかもパンク一つ取ったって西海岸ハードコアなのかロンドンパンクなのかスカコアなのかとかで全然分かれてしまう。年代や地域だけでも。ほとんど同じ音楽なのに。

そんな同一ジャンル内ですらシーンが分裂してる中でどんな音楽が好きかと問われてそれこそ別ジャンルであるボッサやショーロも聞くよ、なんて答えた日には失笑を喰らい話しかけてくれなくなります。

あーこいつらは音楽そのものは好きじゃないんだな、と感じますね。

音楽に限らずこの傾向ってどこにでもありますよね。趣味でも仕事でも。バカバカしい。

無差別にいろいろ聴く人間もけっこういるとは思います。

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