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2017/05/11

恋に破れたひとりぼっちの僕のために(1)〜 ジャズ・ヴォーカル篇

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「不幸せで結構」(Glad to Be Unhappy)とか「君なしでもうまくやっていけるさ」(I Get Along Without You Very Well) なんて曲もいろいろとある1955年のアルバム『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』もいいけれど、同じフランク・シナトラが歌うキャピトル盤だったら、やっぱり58年の『シングズ・フォー・オンリー・ザ・ロンリー』(ひとりぼっちの者のためだけに歌う)こそが、いまの僕にはピッタリ来るなあ。

シナトラの略称『オンリー・ザ・ロンリー』は、収録の12曲全てが失恋歌(トーチ・ソング)。それもかなりひどく深刻な内容のものが多い。一番残酷なのが CD ではニ曲目の「エンジェル・アイズ」だ。シンガー・ソングライターと言うべき(でも誰も言わない)マット・デニスの書いた「エンジェル・アイズ」は、眼前で自分の恋人を他の男に奪われてしまうという内容。
お聴きになれば分るように、シナトラはいきなりサビから歌いはじめているのがこの歌手のケレン味というものなんだけど(だってリプリーズ時代には「スターダスト」のヴァース部分だけしか歌わなかった)、このことは今日はどうでもいい。重要なのはこの「エンジェル・アイズ」がとてもひどく残酷な失恋歌だということだ。「好きな人がすぐそばにいるにもかかわらず、もう僕のものではない」「いま分った、誰こそがナンバー・ワンなのか」「僕はもう消え入りたいので、みなさんごめんなさい」。

作者であるマット・デニス自身のピアノ弾き語りヴァージョンでは、曲調や演唱法にさほどひどい深刻さは聴きとれない「エンジェル・アイズ」だが、上でご紹介したフランク・シナトラ『オンリー・ザ・ロンリー』ヴァージョンは、とんでもなく暗い。かなり激しく落ちんでいるような様子での歌い方と、そしてネルスン・リドルの書いた管弦楽のアレンジもかなりシリアスな調子だ。こういうのがいまの僕にはちょうどいいのだ。こういうのを聴いてカタルシスを得ないと、心が押し潰されてしまいそう。

シナトラの『オンリー・ザ・ロンリー』は他の収録曲もだいたい同じような調子で、失恋歌ばかりを、まるで泣いているかのようで深刻に落ち込むように歌い、アレンジ担当のネルスン・リドルもその気持に寄り添うような伴奏を書いている。僕の持つリイシュー CD では全12曲のあとにボーナス・トラックが入っていて、しかしそれらはトーチ・ソングじゃないので、僕は iTunes には最初からインポートしていない。もしかりにインポートしてあって、オリジナル・アルバムのラスト「ワン・フォー・マイ・ベイビー(ワン・モア・フォー・ザ・ロード)」に続けてそんなのが聴こえはじめたりしたら、もろくなっているいまの僕のメンタルは崩れ去りそう。

アルバム『オンリー・ザ・ロンリー』は、同じタイトルの曲「オンリー・ザ・ロンリー」からはじまるが、これは(恋に破れた)寂しい者たちだけ(Only the Lonely) が足を運ぶキャフェ(がシナトラの発音)でのお話。そんなキャフェで寂しい者たちだけが、失った恋を思い出してそんな歌のメロディに耳を傾けて、実を結ばない哀れな夢を見る 〜 そんな歌だ。
アルバム五曲目の「柳よ泣いておくれ」(Willow Weep For Me)は、柳よ、僕のこの失ってしまった恋の歌を聴いてくれ、それで一緒に泣いてくれ、僕を哀れんで一緒に泣いてくれ、その枝を(落ち込むように)垂れてくれ 〜 という歌。この曲はジャズ器楽演奏者もよくとりあげるスタンダード曲で、僕もいろいろ好きなヴァージョンがあるが(トミー・フラナガンのとかレイ・ブライアントのとか、あっ、二人ともブルーズが上手いピアニストだ)、それらには快活さも聴きとれるので、いまの僕にはシナトラのこの歌が一番いい。
アルバム六曲目の「グッドバイ」はこういう曲題だけど、いきなり「僕は絶対に君のことを忘れない」と三回もリピートするのからはじまる。がその「忘れない」というのはそのあとに続く歌詞と強く結びついているのだけど、いまの僕の気分には、これだけで充分。しばらく聴くと「君は輝かしい道を進むんだろう、僕は寂しい道を歩むのさ」と出てくるのが、まさにいまの僕にピッタリ。
アルバム10曲目の「スプリング・イズ・ヒア」は「春が来た」なんていう曲題だからウキウキするものかと勘違い(している人は、例えばビル・エヴァンス・ヴァージョンとかでしか聴いていないジャズ・ファンのなかには実際たくさんいるようだ)されるかもしれないが、聴くと「春が来た、それなのにどうして僕の心は踊らないのだ?」「夢も希望もない、どうしてかって、僕のことを誰ひとり愛していないからさ」とある。春だからこそかえって一層落ち込み具合が激しくなっている失恋歌。
シナトラのアルバム『オンリー・ザ・ロンリー』のなかでは、唯一、三曲目の「ワッツ・ニュー?」だけが完璧な失恋歌だとも言いにくい微妙な内容。これはむかしの恋人(妻?)に久しぶりに再開し「やあ、どうしてる?やっぱり君は綺麗だ、なにも変わっていないね、会えて嬉しいよ」と歌いだし、「僕と会っていたって君は退屈してるよね」、そして「君は知るよしもないだろうけれど、僕の方はちっとも変わっていないんだよ、いまでも君のことをとても愛している」と歌う。
アルバム・ラストの「ワン・フォー・マイ・ベイビー(ワン・モア・フォー・ザ・ロード)」は、この『オンリー・ザ・ロンリー』という失恋歌集を締めくくるのにこれ以上なくピッタリくる内容。まずピアノ一台だけの伴奏でシナトラが歌いはじめる。たぶんバーかどこかでお酒を飲んでいて、そこには自分とバーテンダーの二人だけ。主役がバーテンダー相手に「この僕の哀れな話を聞いてくれ」と歌いだす。閉店間際(「午前三時前」とある)なのでバーテンダーはもう帰りたいのだが、客がボソボソとしゃべっている。女との別れ話を。
といってもこの曲「ワン・フォー・マイ・ベイビー」は上手いことに、なにがあったのか、話の中身については一切語っていない。「Well that's how it goes(まあそういうわけなんだ)」と、描写は話がはじまる前から突然終わったところに移ってしまっている。しかしかなり重い話だったことは「This torch that I've found must be drowned or it soon might explode(僕が見つけたこの松明は、消しておかないとそのうち爆発しかねない)」と言ってることから感じられる。この「松明」(torch)というのが、トーチ・ソング=失恋歌という言葉のオリジンなのだ。

つまりこの「ワン・フォー・マイ・ベイビー(ワン・モア・フォー・ザ・ロード)」とは、「(別れた)彼女の(幸せな将来を願って)ために一杯、そして自分の孤独な長い旅のためにもう一杯」ということなんだろうな。

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