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2017/05/12

恋に破れたひとりぼっちの僕のために(2)〜 マイルズ篇

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ジャズ・トランペッター、マイルズ・デイヴィスが吹くラヴ・ソングの場合、普通のバラード、すなわち求愛歌や楽しい恋をとりあげた内容のものが多いけれど、やはりトーチ・ソング(失恋歌)もある。僕に分っている範囲で時期的に二番目に早いもの(一番目は理由があってあとで書く)は1954年6月29日録音の「バット・ナット・フォー・ミー」だ。ジョージ・ガーシュウィンの書いた曲。

「バット・ナット・フォー・ミー」(僕のためじゃない)は、この曲題だけでトーチ・ソングであることが分ってしまうだろうが、いちおう説明しておくと「みんな恋の歌を書き、天上には星が輝き、でもそれらは僕のためじゃない」「君と恋におちてあんなこと考えるなんて、僕ってバカみたい」「彼女も(なにもかも)僕のためのものなんかじゃない」という歌で、歌詞はアイラ・ガーシュウィンの書いたもの。

関係ない話になるが横道に入る。ガーシュウィンの書いた曲をまとめて聴きたいなと思った場合、歌詞のあるヴァージョンで歌手が歌うものの話は、これまた理由があってあとでしたいのでインストルメンタル演奏になるけれど、僕がよく聴くのはウディ・アレン映画『マンハッタン』のサウンドトラック盤だ。

あの『マンハッタン』という1979年の映画。僕はまさにリアルタイムどんぴしゃ世代。全編モノクロだったけれど、タイトル通りニュー・ヨークの中心部を舞台に繰広げられる恋模様の BGM としてガーシュウィンのスコアが効果的に使われていた。そのサウンドトラック盤は、映画で使われたそのままではなく、ズビン・メータが指揮するニュー・ヨーク管弦楽団の演奏が収録されている。

サントラ盤『マンハッタン』の A 面は有名すぎる「ラプソディ・イン・ブルー」だけど、B 面がガーシュウィン小品集なのだ。いわばティン・パン・アリーのソングライターとしてガーシュウィンが書いたチャーミングな曲ばかり17トラック(のなかにはメドレー形式の複数曲もあるので)が収録されている。ズビン・メータが振るニュー・ヨーク・フィルの演奏なのでジャズではない。クラシックでもなく、イージー・リスニングみたいなものだけど、どれも短く、長いものでも「サムワン・トゥ・ワッチ・オーヴァー・ミー」の3分27秒。ほかは一分もないものばかりがどんどん流れる。「バット・ナット・フォー・ミー」もある。

サントラ盤『マンハッタン』B 面のガーシュウィン・ソングブックのなかでは、「マイン」と「ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」の二曲だけがニュー・ヨーク・フィルではなく、少人数編成のジャズ・コンボ演奏だけど、ジャズにすれた僕の耳には、はっきり言って面白くもなんともない。だがムーディではあるので、なかなか悪くない。

A 面収録のガーシュウィンの代表作「ラプソディ・イン・ブルー」だって、大好きな曲だから僕はいろんなヴァージョンを持っている(当然全てクラシック・コーナーで買った)のだが、サントラ盤『マンハッタン』収録のニュー・ヨーク・フィルの演奏が一番いいと僕は思う。最大の理由はスウィンギーだからだ。サントラ盤『マンハッタン』は CD にもなっている。

話が逸れた。マイルズ・デイヴィスという音楽家は、僕も以前から執拗すぎるほど繰返しているが今日も書くと、歌詞のあるラヴ・ソング(求愛だろうと進行中だろうとロスト・ラヴだろうと)を誰かチャーミングな歌手がいい感じに歌っているのを聴いて、自分も吹いてみようと思ったという、実にそんなことばかりのトランペッター。今日の最後に書こうと思っているけれど、晩年の最愛演奏レパートリーだったシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」も、この曲の場合、はっきりとインタヴューで「ラジオでシンディが歌うのを聴いて、歌詞内容に激しく共感したからだ」としゃべっていた。

さて、マイルズのやるガーシュウィンの「バット・ナット・フォー・ミー」は二つのテイクが12インチ LP 『バグズ・グルーヴ』の B 面に収録されている。それにしてもプレスティジは二つも収録する意味があったのか?時間の埋め合わせじゃないのか?A 面なんかミルト・ジャクスンのオリジナル・ブルーズ「バグズ・グルーヴ」の二つのテイクだけしか収録されていないもんなあ。

それはいいや。『バグズ・グルーヴ』収録のマイルズ・ヴァージョン「バット・ナット・フォー・ミー」は、しかしさほど落ち込むような深刻なトーチ・ソング・スタイルではない。なんだかのんきにパラパラやっているよなあ。テンポもミドルのまあまあスウィンガーだ。
マイルズのやるトーチ・ソングはそうなっている場合があって、例えば 同じプレスティジ盤『リラクシン』B 面の「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」(君にだってこんなことが起きるかも)にしてもそう。これは1956年5月11日録音。すなわち例のマラソン・セッションの一回目。「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」は、マイルズのやる『リラクシン』ヴァージョンでしか聴いていなければ、トーチ・ソングだとは気づかないだろう。
だがしかしこのジミー・ヴァン・ヒューゼンとジョニー・バークの書いた「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」は、心を閉ざしてしまったり、夜の夢に鍵をしてしまったり、そんなことが君にも起こるかも。星の数を数えてみたらなにかにつまずいてしまったり、誰かがため息をつくたびに転んでしまったり、そんなことが君にも起こるかも。実は僕にはそんなことが起こったんだよ、君に抱かれるのはどんななんだろうって少し思っただけなのに 〜 こんな歌なんだよね。

それを上でご紹介したような全く深刻ではない感じのスウィンガーに解釈してやっているマイルズ・ヴァージョンも、これはこれで立派にチャーミングだ。なぜだか2/4拍子だけど、なぜだかってこともないんだろう、マイルズはときどきやる。オン・ビートで吹くことがある人なんだ。本人の発言によればルイ・アームストロングと同じやり方をしたかったんだそうだ。でも「バット・ナット・フォー・ミー」も「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」も、マイルズのこういうフィーリングの解釈だと、いまの僕の心に寄り添ってはくれないから、今日のところはこれ以上書かない。

いまの僕に寄り添ってくれて、マイルズが僕のために一緒に泣いてくれていると思えるトーチ・ソングは、「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」(こうなるなんて考えたこともなかった)が録音順で一番早い。これこそが最初に書いたマイルズのやるトーチ・ソング生涯初録音で、初演はブルー・ノート・レーベルへの1954年3月6日録音。その後結成したファースト・クインテットでも1956年5月11日にプレスティジに録音している。

いちおう書いておくと「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」は、そのうちひとりでソリティアでもするしかなくなって、ただ居心地悪くイージー・チェアに座るだけになると、そんなこと言われても僕は気にしてなかった、朝日とともに起き出してきたとしても、オレンジ・ジュース一人分だけになるよと、そう言われても僕は気にしてなかった、そんなことになるなんて考えたこともなかったんだ 〜 という歌。

ここまでの三曲「バット・ナット・フォー・ミー」「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」は、全部フランク・シナトラが歌っている。シナトラとマイルズの関係は、前々から僕はかなり頻繁に繰返しているので、今日は書かない。それにシナトラは、昨日書いた失恋歌集『オンリー・ザ・ロンリー』を、昨日だけでたぶん10回以上は聴いたので、もう充分。

だから今日僕は、上で書いたような歌詞内容はエラ・フィツジェラルドの歌うヴァージョンで聴いて再確認した。エラのファンのみなさんや僕のブログのファンのみなさん(なんているのか?)は、エラがヴァーヴに残した例のソングブック・シリーズ CD16枚組のことだと、説明しなくても分っていただけるはず。エラのあのソングブック・ボックスは、まさにアメリカン・ジェムだよ。

マイルズがスタジオ録音した二つの「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」はこんな感じ。

ブルー・ノート(54/3/6) https://www.youtube.com/watch?v=1VRC48dEh_c
プレスティジ(56/5/11)https://www.youtube.com/watch?v=-Np8PJDGq_A

評価が高く人気もあって有名なのはアルバム『ワーキン』一曲目になっているプレスティジ・ヴァージョンだけど、僕は一昨日の夜からの気分というだけでなくむかしの大学生の頃から、アルバム『ヴォリューム・ワン』に収録のブルー・ノート録音の方が好きだ。前者はマイルズのトレード・マークであるハーマン・ミュートで、後者はカップ・ミュートだけど、そのカップ・ミュート・サウンドが実に切なく哀しげで、かなりいい感じに響く。

マイルズの吹くトーチ・ソングでは、やはりプレスティジに同じ1956年5月11日に「サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト」(昨晩見た夢)を録音し、アルバム『スティーミン』に収録されている。これは本当にとてもひどく残酷な失恋歌なので、どんな歌なのか内容を書くと、それだけでいまの僕のメンタルが崩壊するんじゃないかと心配だが、書いておく。エラ・フィッツジェラルドはやっていないので、カーメン・マクレエのアルバム『ブック・オヴ・バラーズ』収録ヴァージョンで聴いて歌詞内容を確認した。

「サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト」(昨晩見た夢)〜 君がもう僕と一緒にいないなんて信じられない、笑顔や涙をもう分かち合ってくれないなんて、そんなのウソだ、間違いだ、そうだこれはきっと昨晩見た夢に違いない。君のあの顔をもう見られないなんて、君のあの抱擁がもうないなんて、そんなのウソだ、昨晩見た夢に違いない。ダメだこんなの、誰か別の男が君にキスしているのを知ってしまうなんて、そんなのウソだ、きっと昨晩見た夢に違いない………いや、僕は昨晩夢なんか見ていなかったんだ 〜 こんな歌。ひどいね、これ。書いているだけで、いま、僕はたまらない気分だ。

この曲を1956年にプレスティジに録音したマイルズは、やはりお得意のハーマン・ミュートをつけて、これは実に切々と泣いているかのような女々しいフィーリングで演奏している。この時期の例によってテナー・サックスのジョン・コルトレーンはオミットさせられている。マイルズもピアノのレッド・ガーランドも実にいい雰囲気だ。まさにいまの僕の気持に寄り添ってくれて、一緒に泣いてくれている。
マイルズの場合、1957年のコロンビア移籍後から、こういうストレートな恋愛歌がなくなっているので(唯一の例外が1961年盤『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』)、こういったトーチ・ソングやその他ラヴ・ソングを聴こうと思ったら1981年の復帰後まで飛ばないといけない。そして1984年から演奏するようになり、その後は91年に亡くなるまで絶対に欠かしたことのない最愛演奏曲「タイム・アフター・タイム」(なんどでもいつだって)がある。

説明不要だが、マイルズの「タイム・アフター・タイム」はシンディ・ローパーの曲。彼女にとっても最大のヒット曲でいまでも一番の得意レパートリー。シンディはライヴではいまでも欠かさず歌う。この曲だけは、歌手の歌うオリジナル・ヴァージョンもご紹介しておこう。歌詞を和訳するな!と普段あれだけ力説している僕だけど、今日だけは以下の日本語訳詞が表示されるものを貼っておく。訳が妙だなと思う部分もあるが大意は掴めるはず。
(たぶん夜に)ひとりぼっちでベッドに横たわって時計の秒針のチクタク音を聞きながら、いなくなった彼のことを思い出している、愛し合っていた頃の暖かい夜の思い出が蘇ってきて、でもいくら考えても混乱するだけ、失った恋のメモリーをスーツケースに詰め込んでいるの。

でもこのシンディの「タイム・アフター・タイム」はただひたすら落ち込んでいるだけの歌ではない。曲題にもなっているように、なんどでもいつでも、あなたが迷ってどうしたいいか分らなくなったら、私はいつでもそこにいるから、なんどでもいつでも(Time After Time)。あなたが倒れそうに、くじけそうにになったら、なんどでもいつでも私が受け止めてあげる、待っているから 〜 そんな前向きの肯定感こそが、この「タイム・アフター・タイム」という歌の最も重要な部分だ。

これをマイルズは、スタジオ録音では1984年1月26日にコロンビアに録音。アルバム『ユア・アンダー・アレスト』に収録・発売された。その後(実は少し前から)ライヴ・ステージでは「絶対に一度も」欠かしたことのない曲だったので、僕は CD でも生演奏現場でもなんどもなんども聴いた。スタジオ録音ヴァージョンはこれ。
しかしマイルズのやる「タイム・アフター・タイム」は、その後のライヴ・ヴァージョンの方がはるかに感動的だ。それについては、以前一度かなり詳しく書いたので、興味のある方は是非以下のリンク先をご一読(できないほど長いが)いただきたい。
この記事でも書いてあるのだが、ライヴでマイルズがやる「タイム・アフター・タイム」で、僕の知っている限り最も感動的なのが、東京での1987年7月25日ヴァージョン。これも僕はまず現場、読売ランドで聴き、あの時は七月だったからか、突然の雷雨で開演が大幅に遅れ、マイルズ・バンドの出番が深夜になってしまい、真っ暗闇の虚空に響きわたる「タイム・アフター・タイム」が激しく胸に迫ってきた。いま聴きかえしても同じ思いだ。説明文にある「’Time After Time’ - 49:05~」の “49:05” をクリックすればそこへ飛びます。
いやあ、このヴァージョンのマイルズ「タイム・アフター・タイム」は、いまの僕にとってはたまらんね。ハーマン・ミュートで吹くボスのフレーズも美しいが、ロバート・アーヴィング III が弾くフェンダー・ローズとシンセサイザー(を MIDI で同期させて同時に鳴らすもの)のフレーズ創りもチャーミングだ。アダム・ホルツマンがときおりエフェクト的に入れるサウンドはなくてもいい。

そして中盤部でマイルズがミュート器を外し、一音オープン・ホーンで高らかにパ〜ッと鳴らした瞬間に、やっぱりいまの僕の胸は張り裂けて、涙腺大崩壊。

それにしても失恋直後のその夜はどんな音楽を聴いてもダメで、しかし僕には音楽しかないんだからと思い定めて、これならいいか、ダメか、じゃあこれは、あ、これもダメだねと、とっかえひっかえしていろんな音楽を聴いても全く入ってこなかった。激しく動揺していたからね。音楽しかない人間なのに、どうするんだこれ?と。

ところが事実を知って二日経った今日になってみると、今度はかえって以前よりもいろんな音楽がより一層しっかり入ってくるようになっている。歌手や演奏家がその声や楽器に込めた気持・情感がビンビン伝わってきて、じゃあいままでのアンタが毎日偉そうにいろいろと書いていたのはなんだったんだ?と言われそうだが、これがいまの僕の正直な気持です。

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