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2017/05/17

いっそ目が見えなくなればいい 〜 スペンサー・ウィギンズ

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今年のつい先月だったか先々月だったか、来日公演まで実現してしまったスペンサー・ウィギンズ。まさかそんな日が来るなんてね。それで、この曲を歌ったのかどうか知らないけれど、僕の一番好きな「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」。この曲のフェイム録音(1970)こそ、スペンサー・ウィギンズの歌ったもののなかでは一番好きで、いまの僕の気分に100%ピッタリ寄り添ってくれている、なんてもんじゃなく、歌詞内容なんかそのまんま完璧におんなじゃないか…。

やはりまずご紹介しておこう。初演は女性歌手エタ・ジェイムズである曲「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」の、スペンサー・ウィギンズによる1970年フェイム録音の方だけを。
しかしそれにしてもこの歌は、自分の恋人が他の男とイチャイチャしているのを目撃してしまい激しいショックを受け、「もうなにかが終ったのだと分ってしまった」「君があの男と仲良く話をしているのを、一緒に歩いているのを見て、分ってしまった」「そんな光景を見ちゃくちゃいけないのなら、君が僕のもとから去っていくのを目にするくらいであれば、僕はいっそ目が見えなくなりたい、そんなの見たくないんだから」「君のあの暖かいキスや暖かい抱擁を思い出して、涙が出るだけだ」「うん、そう、もう僕はいっそのこと盲目になればいいと思うんだよね」〜 こんな内容なのに(なんといまの僕にピッタリすぎることか!僕の心を覗いているのか?!)、スペンサー・ウィギンズの歌い方には、切々たる女々しさみたいなものが感じられない。

強く声を張ってシャウトしているじゃないか、スペンサー・ウィギンズは。あの歌い出し「Something told me it was over / When I saw you and him talking」部分でのあの張りと伸びのある声!悲しみや苦しみや身悶えするようなものが感じられず、むしろ自信に満ち溢れているかのようなものじゃないか。そこいくと、初演のエタ・ジェイムズの歌い方は、やはり男が去っていく女の悲しみを切々としみじみと歌っていて、どっちかというとエタ・ヴァージョンの方が歌詞内容はそのまま表現できている。

がしかし、これはある意味、逆だ。スペンサー・ウィギンズのあの張りのある強い声でのシャウトで、いっそ目が見えなればいいんだなんていう女々しい感情を歌うからこそ、かえってそれが僕のなかにより一層強く響いてくる。いまの僕には…、という意味では必ずしもない部分もある。なぜなら僕は1990年代末頃にこのスペンサー・ウィギンズの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」を初めて聴いた、その一瞬で降参してしまったもんね。強く激しく感動した。

まだ未 CD 化だったのに、7インチ・シングルしか存在しない時代だったのに、どうして当時の僕が聴けたのかについては、以下のリンク先に詳しく書いてあるので、ご一読いただきたい。その後、Fame という言葉を見ただけでビンビン感じるようになってしまい、CD リイシューされれば、全部、即買いするようになってしまったのは、なにもかもすべてこのスペンサー・ウィギンズの一曲のせいだ。
そんなに激しく感動したのには、一つはやはりスペンサー・ウィギンズのあの声と歌い方がものすごいというのが最大の理由だけど、もう一つ、これまた僕の私生活、人生が関係しているというのもあるなあ。僕は実に「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」みたいなことばっかり続いている人生を送っていて、好きになったりいい関係になったり結婚したりする女性は、「100%必ず全員」、最終的には僕のもとを去っていく。恋愛関係についてはそんなことばかりの人生なのだ。理由はもちろん僕の側にある。音楽にしか興味がないからだ。時間もお金も100%音楽にしか使わない人間だからだ。女性への思いやりなんかない男なのだ。

そんなヤツ、女を好きになっちゃいかんだろう。でもそれでも、音楽のことしか頭にない人間であっても、それでもやはり現実の女性を好きになってしまうことがあるのは、本当にどうしてなんだろう?自分でも全く理解できない。単なるスケべ心なのか?好きになったらなったでなにかするのかというとやはりなにもせず、自分は自分の部屋で音楽を聴きまくるだけなのに。だから女性の側から僕のことを好きになった場合も、全員呆れて去っていく。バカだよなあ、僕って。

そんなことばかりの人生で、こと音楽ライフにかんしては、たぶんそこらへんの普通の音楽リスナーよりはちょっとだけ充実した人生を送ってきているつもりの僕だけど、異性関係については全くダメなのだ。曲「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」みたいなことを、ついこないだも実体験したけれど、そのずっと前からほぼ同じことの繰返し人生なので、それで1990年代末にスペンサー・ウィギンズの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」に強く共感・感動し、こりゃまさに僕のことを歌っているじゃないかと思ったという、そんな部分もあるなあ。

エタ・ジェイムズのヴァージョンはそれまで聴いていなかったのか?と思われそうだから正直に書いておくが、全く聴いたことがなく、そもそも「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」という曲がこの世に存在することすら知らなかった。エタ・ジェイムズの存在もたぶん知らなかったな。スペンサー・ウィギンズの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」で大感動して、それで CD ショップの棚を漁っていると『テル・ママ』があって、あっ、「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」があるぞ!となって、それで買って聴いて初めてエタも知ったんだったと思う。

だから僕にとっての「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」にエタ・ジェイムズのイメージはない。100%スペンサー・ウィギンズの歌だ。この曲を録音した1970年のフェイム・スタジオというと、いわゆる俗称フェイム・ギャングがハウス・バンドだった新時代。しかしこのことも以前書いたので、以下をご参照あれ。いや、参照なんかしなくても、ソウル・ファンには常識だ。
こういうわけで同じマスル・ショールズの同じフェイム・スタジオ録音だといっても、1960年代までのものとはちょっと事情と中身が違うんだよね。パーシー・スレッジとかウィルスン・ピケットとかアリーサ・フランクリンなどと、キャンディ・ステイトンやスペンサー・ウィギンズはちょっと違うんだ。それでもいまの僕にとって、そんなことは重要じゃない。

重要なのは「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」という曲そのものと、それを、こんな女々しい歌詞内容の歌を、マチスモ的発声と歌唱法でシャウトするように歌うスペンサー・ウィギンズのヴォーカルが、いまの僕の気分にはもってこいのものだっていう、それで泣きに泣いてカタルシスを得ようとしているっていう、ここだけ。そこだけが重要なのだ。楽器伴奏のメンツがどうで、あの印象的なエレキ・ギターやオルガンは誰なのか?って、確かに興味があるけれど、いまはそれを知っても気分は満たされないし、実際分らないみたいだ。

だってスペンサー・ウィギンズの1970年フェイム録音の「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」が初めて正式収録された CD である英 KENT の『フィード・ザ・フレイム:ザ・フェイム・アンド・XL ・レコーディングズ』では、附属ブックレットのどこにも演奏ミュージシャンの記載がないもん。ネットで調べりゃ分るのか?いまはやめとこう。

とりあえずいまの時間は、KENT 盤スペンサー・ウィギンズの『フィード・ザ・フレイム:ザ・フェイム・アンド・XL ・レコーディングズ』を iTunes にインポートしてあるプレイリストで、「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」一曲だけを自動リピート設定にして(こんなことが実に簡単なんですよ、パソコンの音楽再生アプリって)、ひたすらこの一曲だけを、もう一時間以上は本当にこればっかり聴いているかなあ?そうやって聴いていると「いっそのこと目が見えなくなりたい」なんていう気持が少しずつ癒されて、だんだんと徐々に薄れていくようないかないような…。

(スペンサー・ウィギンズの KENT 盤『フィード・ザ・フレイム:ザ・フェイム・アンド・XL ・レコーディングズ』全体にかんしては、しばらく経って気持が落ち着いたらまた聴きなおして、改めてちゃんとした文章にします。)

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