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2017/06/19

サッチモ 1925〜27

Unknown

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ルイ・アームストロング1925〜1933年のオーケー、コロンビア、ヴィクター録音について、今日から三日連続で書く。あ、いや、1929〜33年分については書けないかもしれないので二日だけになる可能性はあるが、1925〜27年分、1928年分の二回については間違いなく書けるはず。あの1920年代のサッチモはあまりにも輝いていて、ジャズ界にいまでも絶大なる影響力を持ち続けている(ウィントン・マルサリスやニコラス・ペイトンはもちろん、ディアンジェロとの共演歴があるロイ・ハーグローヴだって…)にもかかわらず、熱心に書く人がゼロに等しくなっているからだ。むかし油井正一さんが絶賛したのでそれで十分?いんや、僕はそうとは全く思わないね。

それで今日はサッチモのオーケーとコロンビア録音の1925〜27年録音分、明日は1928年録音分、そして可能であれば明後日は1929〜33年録音分(は最後の方にヴィクター原盤が少しある)について、それぞれ書こうと思っている。まあやっぱり僕はサッチモが好きで好きでたまらないんだよね。ニュー・オーリンズのルイ・アームストロング公園(旧コンゴ・スクエア)にあるサッチモの銅像の前でひざまずき、その足元にキスしたのは内緒。同行の妻には、汚いなあよくできるなあと呆れられた。

さて、フレッチャー・ヘンダスン楽団から独立し、自己のコンボを結成してオーケーに録音しはじめるのが1925年。その後28年までのものは、むかし日本では LPレコードで二枚に分けて発売されていた。『サッチモ 1925-1927』『ルイ・アームストロングの肖像1928』がそれ。コロンビア系だから言うまでもなく CBS ソニー盤。どっちも選曲・編纂・解説は、やっぱり油井正一さんだったように記憶している。

『ルイ・アームストロングの肖像1928』は28年録音の完全集なのだが、『サッチモ 1925-1927』の方は選集だった。いま、僕の持つレガシー盤 CD10 枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』で見ると、25〜27年録音は全45曲。そこから16曲が厳選されて『サッチモ 1925-1927』に収録されていた。僕はそのレコード通りにチョイスしたプレイリストを作っているので、ご存知ない方のために曲順を以下に記しておこう。

1. Gut Bucket Blues
2. Heebie Jeebies
3. Cornet Chop Suey
4. Muskrat Ramble
5. Jazz Lips
6. Skid-Dat-De-Dat
7. Big Butter And Egg Man
8. Irish Black Bottom
(ここまでが A 面)
9. Wild Man Blues
10. Willie The Weeper
11. Potato Head Blues
12. Melancholy
13. Weary Blues
14. S.O.L. Blues
15. Struttin' With Some Barbecue
16. Hotter Than That

これで計約50分。LP レコードなら片面約25分相当になるので、十分立派なアンソロジーだ。だけれども、いまの CD は80分(正確には79分45秒くらいのようだ)収録できる。だからもうちょっと足して CD 一枚物のアンソロジーをリリースしてくれないだろうか?レガシーさん?ソニーさん?やりませんか?もうそんな1925〜27年のサッチモなんて売れないんですか?実にもったいない話です。

レガシー盤完全集で聴くと、上記16曲以外にもかなり面白く出来がいいものがいくつもある。サッチモの自己名義コンボでの初録音はオーケーへの1925年11月12日。この日三曲やっているなかから、『サッチモ 1925-1927』には「ガット・バケット・ブルーズ」がチョイスされていた。25年録音はそれら三曲だけで、この次から26年になる。しかし初吹き込みの「マイ・ハート」から既に立派な出来なんだよね。
この YouTube 音源の映像で最初に写る SPレーベル記載の作者名 Armstrong はルイのことではない。リル・アームストロングのことだ。だが、レガシー盤10枚組附属ブックレットではリル・ハーディンと記載されているからどうなってんの?ブックレット記載では  L. Hardin だから L. Armstrong 記載と区別しているだけか?ってことは、リルとルイはもう結婚していた?どっちでもいいようなことだけど。

リルとルイの結婚云々では、音楽にも関係あるようなことを書いておく。昨年復刊された油井正一さんの『生きているジャズ史』にも出てくる話なのだが、1925〜27年のサッチモ・コンボの録音は必ず朝の九時すぎにはスタジオ入りして、十時にレコーディングを開始したらしい。なぜならばまだ電気録音技術が普及する前でアクースティック録音だったので、炭素粒を詰めたカーボン・マイクロフォンを使用していた。だがしかしこのカーボン・マイクは一晩中乾かした午前中は調子がいいが、午後になると湿ってきて使いものにならなかったらしい。

そういうわけで朝十時などという、現在の常識(?)からしたら考えられない早い時間にスタジオ録音セッションをやっていたわけだけど、サッチモ・バンドはその前の夜にだってライヴ出演があったはず。それこそ夜中の12時をはるかに廻る時間まで演奏していたに違いない。さらに当時リルとルイは新婚ホヤホヤで(ってホント何年結婚?)、だから早朝に近い時刻にライヴ出演を終えてからでもイイコトをしていたんだろう。それで朝九時のスタジオ入りはちょっとしんどかったのではないだろうか?って、やっぱり音楽とは深い関係はなさそうな…。ごめんなさい、ただのエロオヤジです。

しかしかなり強い疑問がある。電気録音技術の開発は1925年であって、コロンビアみたいな大手が、それの導入に一年とか二年とかもかかっていたとは到底考えられない。その証拠に一例として、1926年6月23日録音の一つ「ジャズ・リップス」の SP 盤レーベル面にはデカデカと ELECTRIC と記されているじゃないか。このエレクトリックとは電気録音ですというアピールに違いないと見るけどなあ。「ジャズ・リップス」の SP 盤レーベルはレガシー盤10枚組附属ブックレットに写真が載っているから僕は知っているだけなので、他の発売曲も同じだったんじゃないの?

これも音楽そのものにはあまり関係なさそうな気がしないでもない…なんてことは全然なく、録音技術の発展とともに音楽の表現スタイルも変化したのでかなり重要なことだ。サッチモの場合は楽器の音も声もかなり大きいのでそうでもないが、例えば、いわゆるクルーナー・スタイルの歌手。マイクにピッタリ口を接近させてささやくように小さな声で語りかけるがごとく歌うのは、録音技術が小さい声も鮮明に拾えるように発展しなかったらありえない表現方法だった。

そもそも録音やマイクと電気を使った増幅そのものがまだはじまっていない時代のオペラ歌手なんて、間違いなく声量のみが絶対優先だったね。管弦楽の大編成にまじって聴衆に生声を届けなくちゃいけないんだから間違いない。そうなるとバカでかい、あるいは甲高い声を突き抜けるように出すことになって、それであのソプラノ唱法が誕生・発展したんじゃないの?よく知らんが、きっとそうだ。歌詞だって聴きとれなかったに違いないし、デリケートな表現なんて不可能だ。そんなオペラ歌手を録音技術普及後でもありがたっているって、どういうこと?

オペラ歌手云々はどうでもいい。「直接的には」サッチモに関係ない話だった。レガシー盤『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』で通して聴いていると、全体の25曲目(CD だと二枚目九曲目)の1927年5月7日録音セッションの最初「ウィリー・ザ・ウィーパー」で、録音状態もサッチモ含めバンドのサウンドもガラリ豹変する。これは27年の初吹き込み。ってことはその前、26年11月27日、シカゴ録音の二曲まではアクースティック録音?う〜ん、上でも書いたがそれはありえない話だと思うのだが、録音状態が段違いであるのは確かだ…。

録音のことはともかく、サッチモ含め七人(だから、それまでホット・ファイヴ名義だったのが、ここからホット・セヴン名義になる)の演奏がかなり違うもんなあ。もうあまりにもすんばらしいの一言に尽きる。「ウィリー・ザ・ウィーパー」もいいが、同日録音では「ワイルド・マン・ブルーズ」でのサッチモのコルネットは華麗すぎる。めまいを起こしそうな驚くほど手の込んだ複雑で繊細で高度な表現なのに、聴いたらそれを感じないナチュラルなストレートさ。なんなんだこれ?
この時点で、衆目が絶頂期とみなす1928年ではなく27年5月時点で、サッチモは完璧に完成されていたと見るべきだ。そんな27年のパーフェクトなサッチモの、私見での最高傑作が、同年5月10日録音の「ポテト・ヘッド・ブルーズ」。(僕には)どうにもこうにも楽しすぎるので、絶句するしかない。サッチモ(とクラリネットを吹くジョニー・ドッズの)めくるめくジャズ・ブルーズ表現。僕はこういうのが最高に大好きすぎる人間なのだ。
歌詞がひどいなあと思うのが、全体の33曲目(CD だと三枚目一曲目)の「金の切れ目が縁の切れ目」。ゴメンナサイ、そうじゃなくって「S.O.L. ブルーズ」。このサッチモ自身が書き歌い演奏する一曲は、つまりは金が全て、なあカワイイ女よ、金があるあいだは一緒にいるよ、金がなくなればもう用なしだぜというものだ。ひどいよなあ(笑)。だがそんな歌詞はともかく、ジョニー・ドッズのすすりなくようなクラリネットと、歌詞内容通り高らかに笑っているようなサッチモのコルネットを聴いてほしい。
CBS ソニー盤 LP『サッチモ 1925-1927』は、1927年12月13日録音で、サッチモのスキャト・ヴォーカルと、ブルーズ・ギタリスト、ロニー・ジョンスンの単音弾きが火花を散らす「ホッター・ザン・ザット」でお終いだった。これは確かにその二名の応酬パートが最高にスリリングで、かなりの聴き応えがある。僕も大学生の頃から大好きだった。
だがサッチモの1927年録音はこれで終りではない。もう二曲ある。「サヴォイ・ブルーズ」と「シカゴ・ブレイクダウン」。レガシー盤 CD10枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』だと、前者「サヴォイ・ブルーズ」は「ホッター・ザン・ザット」と同日録音だから、その直後に収録されているのは当然。しかし「シカゴ・ブレイクダウン」の方は27年5月9日録音なのに離されて、28年録音の最初の四曲を CD 三枚目末尾に収録したのちの四枚目冒頭に入っているのは、ちょっと解せない。レギュラー・バンドであるホット・セヴンとは別にビッグ・バンドで録音したものだからかもしれないが、アール・ハインズら28年バンドによる四曲の後ろっていうのは、レガシーさん、どうして?

しかもその「シカゴ・ブレイクダウン」がかなりいい演奏だからなあ。ビッグ・バンド演奏といっても、サッチモのコルネット・ソロ部分の伴奏は少人数編成だけ。コルネットはサッチモ以外にもう一名いるが、二回出るソロはどっちもサッチモに間違いない。書いているように1927年には既に完成されていたサッチモの芸の見事さがやはりよく分る一曲だ。

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