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2017/06/16

いつの日にかお姫様が…

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ジャズ・ファンの大半を占めるであろう男性の場合、気恥ずかしくてなかなか口にできないかもしれない「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」(1937年『白雪姫』)というディズニー・ソングのタイトル。英語をそのままカタカナにするだけならそうでもないのか?じゃあ「いつの日にか王子様がやってくる」ならどうだ?言えないだろう?僕はこの程度ならちっとも恥ずかしくない人間なので、どんどん言っちゃうぞ。

そうでなくたって、前々から繰返すように僕はディズニーの世界がかなり好きなのだ。アメリカの音楽家がやったいろんなディズニー・ソング集だって複数枚持っているもんね。世の(おそらく男性の)ハードな音楽リスナーは、ディスニーなんかバカにして相手にしていないだろうが、案外そんな悪くもないんだよ。

というわけでマイルズ・デイヴィスの1961年録音・同年リリースのコロンビア盤アルバム『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』だって僕はかなり好きだ。多くのマイルズ・ファンやジャズ・リスナーは、「いつの日にか王子様がやってくる」というアルバム・タイトル曲でも、既にマイルズ・バンドを脱退していたジョン・コルトレーンがゲスト参加でソロを吹く部分などを中心に聴いているような気がするが、僕の場合、確かにトレーンのソロも素晴らしいと思うものの、それだけじゃマイルズを聴いたことになんかなんないと思うのだ。

ご存知の方はご存知のように、マイルズは(も?)かなりのロマンティストで、音楽以外の彼のプライヴェイトのことはこの際おくとして、音楽でもあま〜いラヴ・ソングが大好きで、かなり頻繁にとりあげては自分のアルバムに収録しているじゃないか。それにしては1961年のこの『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』を最後に、その種のバラードがマイルズ・ミュージックのなかから姿を消したかのようだけど、81年の復帰後は再びよくやっていた。シビアなジャズ・ファンはあまり「タイム・アフター・タイム」のことなんか言わないけどさ。

それに女性の影が消えていたかのような時期にだって、例えば1965年の『E.S.P.』のアルバム・ジャケットには当時の妻フランシスを登場させ、また68年の『キリマンジャロの娘』では当時の恋人ベティ・メイブリーを載せ、アルバムのなかにも曲「マドモワゼル・メイブリー」があり、70年のライヴ・アルバム『マイルズ・アット・フィルモア』では、既に結婚していたベティが再登場。復帰後もまだスウィート・ポップ路線に回帰する前の83年『スター・ピープル』には「スター・オン・シシリー」がある。シシリーとはもちろんシシリー・タイスン(シスリーの方が近い?)のこと。アメリカの芸能界ではシシリーの方が大物で、マイルズが煙草をやめたのだって、シシリーに「煙草臭い口にはキスしない」って言われたからだもんね。あまりにも僕ソックリで笑えてくる。マイルズがじゃなくて、僕自身のことが。

マイルズはそんな人なんだから、ファンのみなさんも恥ずかしがらずに「いつの日にか王子様がやってくる」と口にすればいいんじゃないかと思うんだよね。恥ずかしいということであればそれは抜きにしても、1961年のアルバム『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』は楽しい。まずアルバム・ジャケットに大写しされているのがフランシスに他ならない。二曲でゲスト参加のジョン・コルトレーンのソロは確かに素晴らしい。当時のマイルズ・バンドのレギュラー、ハンク・モブリーと並んでしまうもんだから、モブリーのダサさが…、ではなくトレーンの鋭さが目立ってしまうよね。

コルトレーンが吹く二曲では、僕の場合、アルバム・タイトル曲「いつの日にか王子様がやってくる」でのソロもいいと思うものの、B 面二曲目のスパニッシュ・ナンバー「テオ」(くどいようだが、マイルズの発音は「ティオ」)でのソロはもっと凄いと感じる。さすがにボスもこれをモブリーに吹かせるのは無理だと判断して、サックス・ソロはトレーンのみ…、というとちょっと事情が違うのかもしれない。

曲「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」の録音は1961年3月20日。「テオ」の方は同21日。そんでもって前者20日にはこの曲を15テイク録音している。61年にレコード発売されたマスター・テイク(のみにコルトレーンが参加)は最終15テイクだが、現行のリイシュー CD『サムデイ・プリンス・ウィル・カム』には、トレーンが参加せずサックスはモブリーのみのテイク14が同時収録されている。

テイク15にコルトレーンが参加したのは、マイルズ本人が知っていたのかどうかまでは僕には分らないのだが、バンド・メンバーにとっては意外な驚きの完全飛び入りだったらしい。これは確かハンク・モブリーが証言していた(のでどこまで本当か分らないが)ことだが、曲「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」のテイクを重ねている真っ最中にトレーンがスタジオの録音ルームに入ってきて、その場でテナー・サックスを組立てて、リハーサルも音出しもなしで、いきなり(テイク15で)ソロを吹いたので、モブリーは「どうやってトレーンが合わせられたのかサッパリ理解できなかった」。

これしかし、ホント、どこまで本当なんだろうか?1961年にレコード発売されたマスター・テイクの方の「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」を聴いていると、ある程度は納得できる部分もある。どうしてかって、コルトレーンのソロは、マイルズ、モブリー、ウィントン・ケリー三人のソロ廻しも全部終って、ボスがハーマン・ミュートで最終テーマも演奏した、その後ろに出てくるからだ(だからボスは最後の最後にもう一回テーマを演奏する)。
ここまでテナー・サックス二名のソロ内容に歴然たる差があるわけだから、いくらマイルズがいびり根性の持主だったとはいえ、もう一回演奏し直してモブリーをオミットすることだってできたんじゃないの?実際、翌21日に演奏した「テオ」(は1テイクしか残っていない)ではそうしているわけだしさ。だからこれはテイク15の演奏途中でいきなりコルトレーンが入ってきてソロを吹き出したのに、ボスもある種の<ドラマ性>みたいなものを見出して、これは面白いからこのままリリースしちゃうおうって、テオと二人でニンマリしたってことじゃないかなあ。やっぱりモブリーのことはいびり倒す結果になってしまっているけれどね。

コルトレーンのみがサックス・ソロを吹く B 面の「テオ」は文句なしに僕好みのスパニッシュ・ナンバーだけど、だからいままでも折に触れてなんどか書いている。それにアルバム『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』ではトレーンのいない、1961年のレギュラー・バンドだけでやった四曲がかなりいいと僕は思うんだよね。それを言わないと、このアルバムの、リラックスできる楽しさは分らない。

それら四曲のうち、A 面二曲目の「オールド・フォークス」、B 面ラストの「アイ・ソート・アバウト・ユー」はスタンダード・バラードで、スモール・コンボでのスタジオ録音前作の1959年『カインド・オヴ・ブルー』にはちっともなかったような種類の曲。マイルズのキャリア前後を見渡すと、『カインド・オヴ・ブルー』みたいな方がむしろ例外だ。その前までは実によくポップ・チューンをとりあげてバラードとして演奏していた。1963〜83年までの約20年間、そういうのがなくなってしまうのは、63年というとアメリカでビートルズその他 UK ロック旋風が吹き荒れるようになっていたのとピッタリ一致するが、このこととマイルズのオリジナル楽曲志向は関係あるのかなあ?ないのかなあ?分らない。

「オールド・フォークス」では、マイルズがハーマン・ミュートで綺麗なメロディを吹いている最中に(1:14)、誰かがストゥールかなにかに座り直すようなギ〜ッという音が入っている。この時代のマイルズのスタジオ風景を写したものなどでは、よくそういうストゥールみたいなものが入り込んでいるのだが、あの「オールド・フォークス」1:14 のギ〜ッはなんの音だろう?まあどうでもいいことだったな。細かく聴いてゴメンナサイ。
モブリーも「オールド・フォークス」みたいな曲では実にいい。ピアノのウィントン・ケリーもリリカルだけど、このタイプの曲なら前任者ビル・エヴァンスの演奏で聴いてみたかったような気が僕はちょっとする。いやあ、本当にいいなあ、こういったウィラード・ロビンスンの書いたオールド・スタンダードなバラードをハーマン・ミュートをつけて吹くときのマイルズは。

アルバム・ラストの「アイ・ソート・アバウト・ユー」もいろんなジャズ演奏家・ジャズ歌手がとりあげている、ジミー・ヴァン・ヒューゼンとジョニー・マーサーが書いたスタンダード・バラード。マーサーの手になる歌詞もいいよね。「列車で旅行をして君のことを考えたんだ」ではじまり、ありとあらゆる場面でいかにいつもいつも君のことを考えたのか、君には分らないだろうが僕がほかになにをしたっていうんだよ?っていうもので、やっぱりあま〜いね、マイルズ。この演奏でのモブリーはちょっとイマイチかも?サックスの音をグリグリッと重ねる部分でウン!と唸っているのは誰なんだ?ジミー・コブ?
アルバムに一曲だけある A 面三曲目のオリジナル・ブルーズ「プフランシング」。もちろんこれも当時の妻フランシスの名前に引っ掛けた曲題だけど、演奏内容はなんでもない普通の12小節定型ブルーズで、マイルズも1950年代から自分のバンドでよくやっていたお馴染のパターン。ここでのモブリーはかなりいいよね。その前に二番手でウィントン・ケリーのピアノ・ソロが出るのは、ブルーズが上手い人にしてはあんまりちょっと…。いいのはボスとモブリーじゃないかなあ。
この「プフランシング」。その後のレギュラー・クインテットのライヴでは実に頻繁にとりあげているが、曲題は全て「ノー・ブルーズ」に変更。聴けば誰だって一瞬で同一曲だと分るものだけど、どうしてだったんだろう?チック・コリアがフェンダー・ローズを弾く1969年のライヴ・ツアーでは、毎回必ずステージを締めくくるクロージング・テーマ代わりに使っていて、それらは全てデイヴ・ホランドのベースをフィーチャーした内容。

ってことは、それ以前のクロージング・テーマが「ザ・テーマ」だった時代、その「ザ・テーマ」の初演である1956年プレスティジ録音の2テイク(『ワーキン』収録)でもポール・チェンバースのベース・ソロのみを聴かせる内容だったのと似ているような似ていないような?なんだか主旋律も「ザ・テーマ」と「プフランシング」で似ているような気がしてきたが、こっちは気のせいだろう。

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