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2017/07/29

AKB48は大衆娯楽の本道だ

Shinodamariko_a18

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 7)

音楽はもともとそうなんだから、メディア・ミックスなんてぜんぜん新しくないよなあ。レコード商品が一般化し、録音物で音だけ聴くのこそが音楽体験だみたいになる前の時代、すなわち聴覚だけでなく同時に視覚にも、場合によってはもっといろんな部分に同時に訴え快感を与えてくれ楽しむという時代に戻っただけだ。そしてまた日本でも最近、そんな時代の音楽と、それを含む総合エンターテイメントのありように戻ってきつつある。

最近、と書いたとき僕の念頭にあるのは AKB48はじめ日本で秋元康がプロデュースするガール・ポップ・グループや、そこから独立して活動している女性歌手・芸能人たちのこと。でも、彼女たちのあんな姿は目新しいありようではないかもしれない。書いたように録音物だけを売る産業が誕生・拡大する前の19世紀までのステージ・エンターテイメントの時代に戻っただけというのもあるけれど、もっとグッと最近なら少しかたちは違っても、1980年代前半にアメリカで大流行しはじめ、その後一般化したミュージック・ヴィデオ。あれはメディア・ミックスじゃないか。

一般的には1982年マイケル・ジャクスンの「スリラー」と84年マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」「マテリアル・ガール」。これら三つのミュージック・ヴィデオが大ヒットして、録音された音楽だけでなく、聴きながら同時にヴィデオを観るというメディア・ミックス商品が大流行したあたりからじゃないかなあ。

マイケルの場合は黒人で、黒人の顔を大いにさらしながら、黒人であることじたいを前面に打ち出して人気をあおるというあのやり方は、アメリカ音楽産業のそれまでの歴史全体からしたら、やはり大逆転の発想だった。100年以上前、ミンストレル・ショウで白人が顔を黒く塗ってステレオタイプな黒人性を演じ聴衆の笑いをとるという、あの人種差別エンターテイメントをまるで逆手にとったかのようなものだよね。

しかもマイケルはモータウン(の音楽はあまり黒くない)というブラック・ミュージック・ビジネス主流優等生社会のなかから出現したのだという点でも、かなり興味深い。が、マイケルの場合、その後、外見をどんどん白人化していって、ずっとむかしの黒人が髪の毛を白人みたいにストレートにする薬剤を使ったりするのと同傾向のことをやりはじめてしまった。それをどう見たらいいのかは今日は触れない。

マドンナは、新時代のメディア・ミックス的音楽エンターテイメントの流れを、20世紀末に決定づけた最大の功労者だ。だいたいむかしからガール・シンガーの世界は容貌が大きな売りもの。アメリカ音楽産業でも当然そうだ。美人でキュートでセクシーなルックスの女性歌手(まあ女性だけじゃないだろうが)の場合は、歌に少々難があっても、容貌だけでも商品価値があるという世界だし、業界もそれを大いに利用してきた。アメリカでは特に1950年代あたりからかなあ。

マドンナはこの歌+容貌のミックスで売るという音楽業界の手法を、アメリカ音楽史上、おそらく最も強く自覚的かつ最大限にまで活用しスターダムにのしあがり億万長者になった女性歌手だ。この点ではアメリカ女性歌手史上、疑いなくナンバー・ワンじゃないかなあ。(ミュージック・ヴィデオなどを通し)自身の視覚イメージに、マドンナほど決定的な役割を担わせてきたアメリカ女性歌手は、史上ほかに例がない。

マドンナの場合は、上で触れた AKB48はじめ現在の日本のガール・ポップ・グループへとつながる流れをつくった最大の功労者かもしれないと僕は考えているので、ここも強調しないといけない。マドンナは CD(デビュー当時はまだレコードだった、僕も買ったよ)とヴィデオだけでなく、視覚ファッションのさまざまな部分をキャラクター商品として切り取って売り、つまり視覚シンボルの商品化をどんどん推し進めてきている。

そのため、あんな露骨なセックス・イコンであるにもかかわらず、アメリカ本国でのマドンナには男性ファンより女性ファン、それも10代の少女ファンが多い。ティーネイジ・ガールたちこそが、マドンナ関連の最も多種の商品を購入してくれる優良顧客なのだ。

マドンナは、例えばエルヴィス・プレスリーあたりまでは確かにいた「神格化された」存在ではない。もっと身近なもので、ファン、特にティーネイジ・ガールたちが感情移入しやすく、通俗的なフェミニズムだと笑われるかもしれないが、女性が自分らしさを守って生きるという自己実現のイメージ、メタファーとして機能している。

神を自分に重ねる一般人は多くない。重ねやすいのは身近で親近感のわくポップ・アイドルで、マドンナはこれに近いんじゃないかなあ。彼女自身、自分がそう機能している、だからこそ売れているという事実を、非常に強く自覚しているのは間違いない。

と、ここまでお読みになれば、日本の AKB48やその他秋元康プロデュースのガール・ポップ・アイドルにかんして僕が今日なにを言いたいのかは、もはやお分りのはず。

彼女たちの場合もファン層はかなり広く、女性、男性、どっちかに決めなくとも、おばあちゃん、おじいちゃん(に僕も近づきつつある)からティネイジャー、さらに場合によっては小学生までなど、本当に多岐にわたっているみたいだけど、イメージは一貫している。それは「強い親近感のわく」「近づきやすい」そのへんのおねえちゃんが歌い踊り演じているということだ。

僕みたいに(AKB48の卒業生である)篠田麻里子とちょっと一回チュ〜したいだとか、(HKT48の)森保まどかにもそれにちょっと似たような気持が湧きつつあるだとか、そんな妄想を抱く男性ファンだって、世代を問わず多いはず。

ナニを憶えたての男子中学生あたりだと、間違いなくそのときに自分のが好きな(AKB48の誰かの)写真を見ながらナニカしているよねえ。あっ、そういえばもう卒業したけれど、僕が2011年に転職した直後に教えた中二男子は、下敷きに板野友美の写真をはさんでいて、なにかヘンなこと言ってたなあ、授業中に(笑)。

AKB48系列のガール・アイドルたちはそんなふうにも機能しているのはマドンナと完璧に同じだし、またマドンナと同じく、自分たちがそう機能していることで関連商品がどんどん売れるのだという自覚だってあるだろう(に間違いないと分ってきた、ようやく最近)。また自分の娘だと思って、我が子を見守るような気持で熱烈な応援を続けている年配女性&男性ファンだって多いみたい。また、ティーネイジ・ガールたちにとっては、まさに女性の自己実現のロール・モデルみたいなものとして機能しているんだろう。

「私もあんなふうになりたい」「頑張ったらなれるかも」「だからじゃあ頑張ってみよう!」〜 こういう(まあはっきり言ってしまうと幻想かもしれないが)気持にさせてくれるっていうのが、ああいった AKB48所属中や卒業後の女性たちが日本で果たしている最も大きな役割かもしれないよなあ。それはブルーズやロックンロールが持つ原初音楽衝動、つまり僕たちもちょっとやってみようよ、ギター鳴らして歌ってみようじゃないか、バンドやろうぜ、ビートルズみたいになれるかも!?っていう、ああいうのと同じかも?と僕は思うんだよね。

そして21世紀の日本では、AKB48関連のガール・アイドルたちが、ブルーズやロックンロール以上に、もっと親しみやすい近づきやすいイメージで(と思えるように業界が仕組んだだけものにすぎないかもしれないが)、僕みたいに、どっちかというと神格化されたカリスマティックなイメージの音楽家や芸能人のほうが好きな人間でも、例えば(AKB48卒業生の)岩佐美咲なんか、やっぱりいいなあって思うんだよね。まあ岩佐の場合は「歌」がいい、歌に惚れちゃったというのが最大の理由ではあったんだけど。

それでもいま二枚ある岩佐美咲の DVD を観ながら、僕は愛媛県住まいだから、主に首都圏で開催される岩佐のコンサートに気軽に足を運ぶことが容易じゃないから DVD を観聴して、歌(聴覚)だけでなく歌い姿や、歌いながら客席を歩いていたりなど可愛くキュートで(視覚)、しかも今年あたりからどんどん大人の女性の顔つきになってきている岩佐のことをちょっぴりセクシーだなと思い、チュ〜の妄想はこれからは麻里子ちゃんじゃなくわさみんですることにしようかなどとチョ〜アホなことを考えたり(聴覚&視覚以外の+α) 〜〜 つまりこれ、まさにメディア・ミックスにほかならないじゃないか。メディア・ミックス以外のなんだと言うんだ?

しかも篠田麻里子も岩佐美咲も、彼女たち以外にもたくさん僕はフォローしている AKB48関連の女性芸能人たちは Twitter アカウントを持っていて、「日常」を投稿してくれる。つまり CD や DVD やライヴ・ステージなどが「表」だとすれば、それは「裏」、すなわちミュージック・ヴィデオによく附随するメイキング部分みたいなものかもしれない。

ミュージック・ヴィデオにメイキング映像が附属するのは最初のころからそうだった。上で名前を出したマイケル・ジャクスンもマドンナも、また同じころ人気が爆発したプリンスも、その他みんな同じ。しかし彼らのミュージック・ヴィデオに附属するメイキング部分は、素の姿そのままではない。制作現場の裏側といっても、観せるための商品として巧妙に仕組まれたもので、つまりあれも組み立てられた虚構だ。

しかし AKB48やその他に関連する女性たちのツイートの数々は、うんまあ僕が分っていないだけかもしれないが、どうもちょっとした本当の日常、真の裏側、素の姿に見えるんだけどね。

もちろん彼女たちは自分の Twitter アカウントが見られていることを強く意識しているはずだから、ツイートもまた一種の(ファン拡大のための)商略なのかもしれない。彼女たちの多くがやはりやっている Instagram も含め SNS という新手段を活用した新時代の、これもメディア・ミックスなのかもなあ。ってことは僕の感じ方はやっぱり幻想なのかもしれない。

そのあたりのちゃんとしたことは僕にはやっぱり分らないのだが、それでもいままでとは「なにかが違う」という非常に強いものがある。少なくともライヴ・ステージで客席に背中見せたまま棒を振るクラシック音楽の指揮者や、クラシックではないが同じくクルッと廻って客席にケツ向けること頻繁で、サイド・メンのソロのあいだは袖に引っ込んでしまったりしていたマイルズ・デイヴィスなどとは、根本的に娯楽提供の考え方が違っている。

そんなマイルズだって、1988年あたりからはライヴ・ステージでニコッと笑ったり、メンバーや曲紹介をしたり(一時隠遁の75年までなら絶対にありえないことだった)その他いろんなことをライヴ・ステージ上でやるようにはなっていたんだよね。だいたい歌いはじめたしな。

あのへんから、真面目なジャズ・ファンはマイルズを見放したんだけどね。油井正一さんはそんなポップ・マイルズを「サーカス(・ミュージック)」と呼んで貶したんだけれどね。確かに「我々の知っている」マイルズではなくなっていた。それを「変節」と捉えようが構わない。僕は好きだ。変節などという言葉を使う人は、所詮、その対象のことを本気で愛してなどいないのだ。

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コメント

商業化されたものに、自分がファンとしてちゃんと乗った時の気持ち良さは、サーフィンの波乗りみたいなものかな。サーフィンやったことないけど♪

僕も波乗り体験はないけれど、確かに音楽娯楽って気持いいよねえ。

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