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2017年7月

2017/07/28

「ミストーンなんてない」〜 パーカーからマイルズがもらったもの

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 6)

マイルズ・デイヴィスが、サイド・メンや、あるいは自分が雇っているのではないほかのミュージシャンたちに対してでも、いろんな謎の指示言葉を発していたのはご存知の通り。「そこにあるものを弾くな、ないものを弾け」「お前が分っている音をオレに対してぶつけるな」などなど、いっぱいある。

それでも次の二つは、言われた当人もまだ理解しやすかったんじゃないかなあ。

一つ。「イン・ア・サイレント・ウェイ」の録音セッションにて、ジョン・マクラフリンに「ギターの弾き方が分らないというふうに弾け」。これは出来上がりの作品を聴けば誰だって納得できる。あの、ギター素人がフレット上で音を探りながらポロン、ポロンとおぼつかない様子で(あるかのように)シングル・トーンを弾いているあれだ。

しかし後年の述懐によれば、ジョン・マクラフリン当人は、ボスのマイルズにそう言われた瞬間は、やはりどうもナンノコッチャ?とハテナ・マークが頭のなかに浮かんだらしい。ご存知のようにマフラフリンは超絶技巧ギタリストで弾きまくりタイプだからね。でもボスの言うのはこういうことなのかな?と理解できないなりにちょっとやってみてボスの顔を見たら、「そうだ、その調子だ」というような表情に見えたからそのまま続け、しかもそれはリハーサルのはずだったもので、そのつもりで(同じくリハだと思っていたベースのデイヴ・ホランド含め)軽い気持でちょっとトライしてみただけなのに、発売されたレコードを聴くとそれがそのまま商品になっていた。

アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』になったものを録音した1969年2月のセッションでは、例えばフェンダー・ローズのハービー・ハンコックやドラムスのトニー・ウィリアムズあたりは、マイルズのこのスタジオ・セッションのやり方 〜 ワケの分らない謎指示を出す、リハーサルも本番もなくぜんぶ録音している 〜 に既に慣れていたはずだ。同じくフェンダー・ローズのチック・コリアとベースのデイヴ・ホランドは、マイルズ・バンドに正式参加してまだ一年も経っていなかったので、やっぱり新鮮というか驚きだったのかなあ。

もう一つ。マイルズの謎指示で、こっちは分りやすいだろうと思うのが「ミストーンなんてないんだ」というもの。 "Do not fear mistakes. There are none." ってやつ。「ミスをおそれるな、そんなものはない」。この「ミスをおそれるな」部分だけであれば、世界中のどんな人間もだいたいみんな誰かに対して言うものだ。ミスを犯すのをおそれていてはなにもできない、ミスは恥ずかしいことじゃない、失敗は成功の母、成長過程では、あるいはすっかり成熟しても、人間みんなミスを犯すものなんだから、ましてや若手初心者は失敗をおそれずどんどんやれ!という、ごくごく当たり前の言葉。なにかを教えるいう職・立場にある人間ならなおさら、これを言わない日はないんじゃないかと思うほど。

マイルズもまず第一義的にはそれを言いたいだけだろう。そういえばこれに関連してのマイルズの言葉で、たぶんこれは1940年代のチャーリー・パーカー・コンボ在籍時の経験から来ているものだろうと思うけれど、「まだ成長過程にある若手ミュージシャンを、激励もせずただこき下ろすだけなんて、絶対に間違っている」というものがある。パーカー・コンボ時代のマイルズは、まああんな感じだったからさ。クビにしろとかなんとか、そりゃ罵倒を浴びたんじゃないかと思うんだよね。後年、心臓に毛が生えたみたいな存在になったけれど、あの当時はかなりウブだったマイルズ。そんなウブでナイーヴなメンタリティは、1991年に亡くなるまでわりと残ってはいたんだよね。

くだんのマイルズの発言で「ミスをおそれるな」に続く部分は、考え込むとちょっとややこしそうだ。「そんなものはない」。つまり、音楽演奏において失敗なんてないんだ、いや、音楽というより、やはりジャズと限定するべきなのかなあ。そうなるとジャズにミストーン、間違った音はないんだと言っているんだと解釈できるよね。そういえば、1959年録音の『カインド・オヴ・ブルー』についての研究書に、「ジャズには間違ったノートはない」(Ashley Kahn "Kind of Blue: The Making of the Miles Davis Masterpiece" )というマイルズの発言が紹介してあった。

このたぐいのことを、マイルズは生涯通じて繰返し発言している。そんなの当たり前じゃん!とか思わないで。確かに間違った音なんてないんだから、失敗をおそれずどんどん前に出て積極的にトライしろよ、その結果面白いものができあがるんだぜ、失敗するときというのは、たいがい少なくともなにか新しいことをやろうとしているわけだから、とか、そんな気分が第一優先ではあったんだろう。だから今日、そんな深刻にとりあげなくてもいいかもしれない。

そういう解釈だと、マイルズはこれをかつてのボスで恩師であるチャーリー・パーカーからなんども繰返し言われていたようだ。「ジャズに間違いなんかないんだ」「どんなキーでどんなコードを使っているときでもどんな音を鳴らしてもいいぞ」「おそれずどんどん前に出てやれ」などなど、パーカーはマイルスによく言っていた。上で一節引用したアシュリー・カーンの『かインド・オヴ・ブルー』本には、こういうのも出てくる 〜 「オレがジュリアードをやめたばかりの未熟なガキのころ、バードは『ミスをしてもそれをもう一回繰返し、そのあとでもう一回やるんだ、そうして三回同じことをやってみろ、そしたらわざとそういうふうに演奏していると思われるだろうよ』と言ってニヤリとした」。

そんなパーカーから吸収して、マイルズも自分のバンドを持つようになって以後は、自分のバンドのサイド・メンやほかのミュージシャンたちや、インタヴューを取りにくるジャズ・ジャーナリストなどに、まったく同様の発言を繰返していたんだろう。死ぬまで言っていたみたいだから、つまりマイルズはパーカーの薫陶よろしきを得た見習い時代のことをずっと憶えていて忘れなかった。僕たち一般人の世界でも、どなたかから教わったり優しくされたりしたことをそのまま同じように別の続く人たちに教えたり優しくしたりするのと同じで、マイルズもそうだったんだろう。

これで今日の文章は終りにしたいのだ、本当は。難しいことを考えなくちゃいけなくなるからね。

音楽、というかジャズに間違った音はないというパーカーやマイルズの発言は、しかしやっぱりたんに「失敗をおそれるな」と若手初心者をエンカレッジしているだけではない、なんらかの音楽的「真実」を含んでいるような気が、僕はするんだよね。う〜ん、やっぱりこりゃちょっとやっかいそうだぞ。だからこのあとほんのちょっぴり表面をそっと撫でるかのように触れるだけにしよう。

録音時期的に最も早いもので、この「ジャズに間違った音はない」を実感できる具体例が、1928年のルイ・アームストロングのオーケー録音に(瞬時に思い出せるものだけだと)二曲ある。普通の聴き方だと、こりゃサッチモは絶対音を外したな、ミスだなと判断するしかないものだ。いま耳が聴こえにくいので億劫だが、それでも iTunes のヴォリューム・スライダーを最右端にした上で、アンプのヴォリュームつまみを(時計の)11時の位置くらいにまで廻せばなんとかなるんだ。11時の位置ってヤバイよね。ご近所さん、ごめんなさい。

いずれも1928年12月録音。
一つは「ノー、パパ、ノー」で、0:34、1:43の二回。
もう一つは「セイヴ・イット、プリティ・ママ」。こっちは 0:42までの一回目のコルネット・ソロが、どことピンポイントで指摘できないほど全般的にどうもちょっと”オカシイ”。特に最後の 0:42 の一音は、こりゃなんだ?完全に”外れて”いる。”ミス”だ。後半のヴォーカル部分でも、2:29 "save it all for me" の "me" がオカシイ。ほかの部分でも歌が全般的に調子外れだ。アトーナル?フリー・ジャズ?
もちろん1928年にスケール・アウトという概念は存在しない。いまなら上記例はいわゆるスケール・アウトの典型例であって、まったくなんの問題もない音の出し方として片付けられる。ジャズ界でまだスケール・アウトの考え方がなかったころでも、1950年代末からのフリー・ジャズ手法や、コーダル、モーダルでもそれに影響された1960年代以後の演奏法でも同じことはやっている。もちろんマイルズだって60年代後半からはどんどん活用するようになって、和声面での表現を拡大した。

しかし僕の言いたいことは、ジャズってたぶん「自由に音を出していい」ものなんじゃないかなということなんだよね。つまりそもそもの音楽のありようとして<フリー>なのがジャズ全般。1928年のサッチモがそうなんだから、まだ本格的に、というか自覚的方法論としては和声拡大していない1956年のマイルズが、「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」(プレスティジ盤『ワーキン』)で音を”外して”いたって別に問題ないよ。一番鮮明なのが 0:34 だ。シャーリー・ホーンはマイルズ本人に向かって「あれは吹きミスね」と指摘してくれちゃったそうだけどさ。
パーカーが実行し、マイルズに教え、そしてマイルズも自分のバンドで同じことをやり、また他のミュージシャンたちにもジャーナリストたちにもどんどん伝えようとしたこと:「ジャズにミストーンはない」は、ひょっとしたらこんなようなことも含んでいたのかもしれない。よく分らんのだが。

2017/07/27

プリンスってニッチ?

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 5)

少し前に発売されたプリンスの『パープル・レイン』拡大盤。僕はもちろん問答無用で四枚組の方を買ったのだが、届いたそれを聴いて(いまではない、いまは耳が聴こえない、届いてすぐ聴いたころの記憶)、結局、二枚目までで十分というか、それで完璧なかたちになるのだという結論に達し、iTunes では二枚目までを一つにしたプレイリストをつくってある。よしっ、僕、えらいっ!と思ってアマゾンで改めて見てみたら、まさにそうなっている二枚組を売っているじゃないか。な〜んだ、僕、アホやっ!

『パープル・レイン』の拡大盤については、耳がちゃんと聴こえるようになったらまた聴きなおし、しっかり書いてみたい。書きたいことがあるんだよね。

我慢できないからちょっとだけ先走ると、二枚目の未発表集一曲目「ザ・ダンス・エレクトリック」は完璧なファンク・チューンで、しかもそのグルーヴ、ノリは僕の大好きな『パレード』B 面トップの「マウンテンズ」にクリソツ。スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「スタンド!」からの影響である終盤のキー&リズム・チェンジは、「ザ・ダンス・エレクトリック」のほうにはないものの、11分以上もあって、快感が持続して最高なんだよね。しかもなんだかタマ(西アフリカのトーキング・ドラム)みたいな音が聴こえるぞ。

この未発表集一曲目が「お、これええよ、としまさん買いなさい」と、なかなか『パープル・レイン』拡大盤を買おうとしない僕にハッパをかけてくれた、二児の母である松山市在住の熱狂的プリンス・マニアの方に感謝します。しかし彼女の耳はやっぱりちゃんとしてるよなあ、さすがはプリンス狂じゃないかと感心してしまった。失礼な言い方になってしまったが。

ここまでぜんぶ記憶に頼って書いた。あぁ〜、早く耳聴こえるようにならないかな!

そんなわけでまだ耳があまりよく聴こえないので、『パープル・レイン』拡大盤についてではなく、その松山市在住の女性プリンス狂の方が以前から繰返している、こっちはやっぱりちょっとどうなんだ?と思うことについて、このあとちょっとだけ書いておこう。ごめんな。決して否定したいとか悪口言いたいとかではないんやで。ちょっとどうなん?と思うだけ。それを言いたいだけなんや。分ってくれ。

その女性に言わせればプリンスは「ニッチ」だということになるらしい。みなさんご存知のとおり、ニッチって隙間産業、小規模分野ってこと(もとは建築物にあるくぼみの意)。ってことはプリンスが好きで聴く、どんどん買うなんていう人間はそんなにたくさんはいない、どっちかというと少数派で、プリンスは決して大人気のスーパー・スターではない、ジャンジャン売れまくっているわけではないちょっとした日陰の存在的な音楽家 〜 こういうことになってしまうよなあ。

あぁ、しかしこう書いてみて、さすがにその松山市の女性もこんなふうにプリンスのことを捉えて「ニッチ」だと言っているんじゃないんだと、いま初めて気がついてしまった^^;;。なんて鈍感な僕…。だってプリンスがアメリカでも他国でも、もちろん日本でも、これだけ売れまくっている大人気音楽家で大金持ちで、マジョリティ側の人間で、決して小規模産業なんかじゃないということを、いくらなんでも捉えそこなっているとは絶対に考えられない。分っているはずだ。

ってことは、今日はもうこれ以下の文章は書かなくてもよくなったなあ。困った。まあいいや。頭のなかにあることをやっぱり綴っておこう。

思い出すのは僕が東京都立大学の英文学研究室の助手として勤務していた三年間(1988〜1990)のこと。そのころ、僕は薄給なのに、勤務が終ると後輩大学院生をなんにんも引き連れて、行きつけのとんかつ屋へ行き、全員にとんかつ定食の一番値段の高いやつとビール(僕は下戸なので飲まず、後輩だけ)を奢り、ぜんぶ奢ってやっているんだからというんじゃなく、僕は単なるおしゃべり好きで、誰かを相手にすぐ単独講演会を開催してしまうタチの人間なので、英文学を中心にいろんなことについて、僕だけがペラペラとウンチクを垂れまくっていた。

しかし、あの(東急東横線都立大学駅前にあった)とんかつ屋での講演会。間違いなく毎週、というか場合によっては二日に一回程度もやっていたんだけど、ホントどこにそんなお金があったんだろう?本当に毎回毎回全員に奢っていたけれど、不思議だ。いまでもそうだけど、僕は誰かなにかをする、食事を奢ったりなにかをプレゼントしたりなどなど、どんどんしてしまう人間で、やることじたいが自分の快感なだけだから、相手がそれで喜ぶどうかなどはまったく眼中になく、だからましてやリターンなんかぜんぜん求めない。そんな発想じたいが頭のなかにない人間なのが僕。

しかしホントあれ、毎週数回も、不思議だなあ。当時の僕(は東京都の公務員)がもらっていた月給なんて、確か20万円あったかなかったか程度だったはずだ。それで自分は自分のレコード(や CD)をどんどん買い、そして本職である英文学作品や研究書も買いまくっていた。まあ英語の原書は、研究職にある人間だからということで、都立大学の英文学研究室に出入りしていた取次の丸善に丸ごと全部借金していたんだろうなあ。出世払いみたいなことで。

その上でどんどん大勢に奢りまくるって、マジでどこからそんなお金が出てきていたのか、いま振り返ってもサッパリ理解不能だ。単にお山の大将的なことを気取っていい気分になっていたんだろうけれどね。

プリンスとは無関係な廻り道に入ってしまった。そのとんかつ屋での食事会という体裁の講演会だけど、たまに二人とか三人程度になることもあって、あるとき大学院在学中の後輩女性と二人でとんかつを食べることになり、その女性(ニシダさん)は英文学徒にしてアマチュア・ヴォーカリストでもあるので音楽の話になって、1980年代末だから当時人気のあったマイケル・ジャクスンやマドンナや、その他いろんな英語圏の歌手のことをしゃべり、そしてとうとう話がプリンスに及んだのだった。

するとその後輩女性は、プリンスなんて大嫌いです、すごく気持悪いんです、まるで爬虫類みたいじゃないですか!?と、僕が大のプリンス好きであると言っているにもかかわらず、そう言い放ってしまったのだ。あのとき初めて、そっかぁ〜、人によってはあの感じは爬虫類的気持悪さに見えてしまうんだな、特に女性にとってはそうかも?と認識した。

どうだったんですか?EPO の曲などをアマチュア・バンドで歌っていたというニシダさん?あの爬虫類的な気持悪い感触、と人によっては見えてしまうものは、裏返せば極上のセクシーさということじゃないかと僕は思うんだけどね。

まあセクシーさといっても、プリンスの場合かなりの粘着質で、しかもかなり変態的(僕が音楽とセックス関連で「変態」と言うときは褒め言葉なので、僕に向けられてもそう受け取る)だから、しかもそれがルックスだけじゃなく歌い方や演奏にも露骨に表現されているから、それらが総合的にあいまって、やはり人によっては生理的に無理、受けつけられないということになってしまうかもなあ。

プリンスはそんな人なわけだから、「万人受け」は決してしない音楽家で、しかしだいたい万人に受け入れられる音楽家なんて果たしてこの世に一つでも存在するのか?と思ったりもするけれど、例えば引き合いに出すのはどうかと思うけれど、イギリスのビートルズみたいな受け取られ方はプリンスにはありえないとも思う。

そのビートルズにしてからが、やはり嫌いだ 、買わないという人が、それも大の音楽愛好家のなかにだってたくさんいると僕は知っているから、そうなると、ようやく話を戻せるけれども、やっぱりプリンスは「ニッチ」なのか?あんなに大人気で、いつでもどこででも聴けそうな『パープル・レイン』ですら隙間産業で小規模分野なのか?

あと、もう一つ、自分が心から本当に愛しているというものや人の場合、こんなに素晴らしく輝いている存在はみんなに知ってほしい、みんなに愛されるようになってほしい、どんどん人気が出てほしいと強く願う一方で、その反面、自分だけのものにしたい、誰にも邪魔されないよう、自分だけが愛でることができるように隠しておきたい、百歩譲ってひそやかな内輪の愛好対象というにとどめておきたい 〜 こんな気分もあるんじゃない?

この一枚の紙の表裏みたいな相反する気分、アンビヴァレンスって、う〜ん、やっぱりあるんだろうなあ。プリンスがニッチだと言う松山市在住の女性プリンス狂二児の母の気持は僕には分らないが、まあなんとなくね、ちょっと考えてみました。としまさんのブログは長文すぎるけん読めんといつも言うとるけれども、どう?ぜんぶ読めた〜?

2017/07/26

なんでも聴くって本当ですか?

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 4)

音楽なら「なんでも聴く」「雑食だ」というのを標榜する方の場合、よく観察すると、たいてい限られた狭い範囲の同質のものを単食しているにすぎない場合が多い。(複数の)どなたか特定の方を念頭に置いての発言ではない。僕自身が完璧にこのタイプの人間だったのを振り返って言っているだけのこと。

このタイプって、いままでの僕の経験からすると、ジャズ(中心)・ファンとクラシック(中心)・ファンに多いような気がするけれど、そうでもないのかなあ。他人のことはぜんぜん分らないので僕自身の内面(もやっぱりよく分らないことが多いが)を振り返って考えるに、本気で「僕はなんでも全部聴くんだぞ」と自覚して公言していたのではなく、ある種の「格好つけ」にすぎなかったように思う。他人に対し、自分はこんなにすごいんだぞと威張ってみせているだけだった。

もちろん僕もジャズばかり聴いていた17〜23歳ごろには「なんでも聴く」という威張り方はしていなかった。そうじゃなく、ジャズってこんなにもすごい音楽なんだぞ、どうしてアンタ方はこんな素晴らしいものをを聴かないんだ?アホちゃうのんか?そんなのを聴いている自分、偉いっ!とか、もうあんまり憶えていないが、おそらくはこんな感じの内容を(このままの言い方ではないが)他人に対してしていたんだろうなあ。いま考えたらどうにもこうにも恥ずかしすぎて、誰にも見られないところに消え入りたいが、レッキとした事実だから認めなくちゃ。

これがちょっと(外見だけ)変化してきたのが、24歳でキング・サニー・アデに出会って、まずアフロ・ポップ、その後そこから少しづつ広げて、アメリカ産のジャズだけじゃなく、ちょっとだけいろいろ聴くようになってからだ。僕のうぬぼれは、ジャズって、みんなが聴いていないそれを聴いている僕って、偉い、から、みんなこんないろいろ聴かないだろ?せいぜいアメリカ産のジャズとかロックとか(日本人含め)それ系のポップ・ミュージックだけだろ?そんなの、音楽世界のごくごく一部なんだぜ、僕はその広い世界に分け入っているんだぜ 〜〜 (だから)僕は音楽ならなんでも聴くんだよ、な〜んてうぬぼれへと変化した。

言うまでもないことだが、2017年7月現在でも、僕が聴いてきている音楽世界なんてきわめて狭い。耳にしているのはごくごく一部であって、しかもこれを聴いてみたいと気持があっても、どうにも触手が伸びない、興味がわかない、生理的に無理そうだ、ピンと来ないだろうっていうものだって多い(でも実際聴いてみたら素晴らしくて惚れてしまうことも多く、だから聴いてと薦めてくださる方々には本当に感謝している)。僕の音楽趣味はすごく偏っている。音楽的偏食者だ。

あっ、偏食と書いたので、また脱線する。僕は音楽(その他いろいろ)も偏食だが、文字通りの偏食人間なのだ。食べられないというものがかなりある。しかし一つ言っておきたいのは、偏食者に対し、それを「好き嫌い」があるんですねと表現する人がかなり多いけれど、それはやめてほしい。好きとか嫌いとかで食べたり食べなかったりするんじゃない。生理的に不可能なのだ。身体が受け付けない。ダメなものも以前から僕はいろいろチャレンジはしているが、どの場合でも戻してしまうのだ。人前で戻すことはできないから、それで食べない、というか食べられない。好みの問題じゃないんだ。好き嫌いとか興味があるという点でだけ言えば、僕だっていろんな料理にすごく興味があるし、まあ「好き」だ。食べたいんだ。でも無理。

音楽的偏食でも、人によっては生理的に無理、受け付けないという場合もあるみたいだよね。気持悪くなっちゃうとかあるらしい。僕はといえば、音楽にかんしてはいままでのところそれがまだ一度もない。単に、フ〜ン、これ、どこが面白いの?ぜ〜んぜんツマラナイじゃん、もう二度と聴かないよとなるだけで、(気分的な意味で)戻したりすることはまだない。でも人によってはそれがあるんじゃないかと思うから、そうなると正真正銘の音楽偏食だよね。

そしてさらに、最近この思いがどんどん強くなっているのだが、世界中のいろんな音楽をいろいろたくさん聴いている方々だって、多かれ少なかれ、みんな音楽的偏食者なんだということ。言い換えれば単食主義者だ。真の意味での雑食聴き、なんでも聴きリスナーなんて、本当はこの世に存在しないだろう。それなのに「私は雑食です」「なんでも聴きます」「この世で”音楽”と名のつくものことごとくありとあらゆるものに興味があります」などとプロフィール欄に記載があったり発言したり、それぞれ一名ずつ計お三方、パッと思い浮かぶネット知り合いの実人物がいるんだけど、具体例を出して話をするのは遠慮しておく。僕も大差ないからだ。お三方とも同質の音楽しか聴かない単食主義者にすぎないことが、ふだんの発言内容から判断できる。

この種の話は、ネットでちょっと検索するとたくさん出てくるものなんだけど、そういうものを読むと、僕が今日ここまで書いた内容とは少し質が違っているみたいだ。単食/雑食、狭い範囲聴き/なんでも聴きの判断根拠が、ある特定の分野だけに限定されている。例えば日本の歌謡曲(J-POP)世界内での単食/雑食とか、そんなたぐいの話ばかりなんだよね。それはそれでぜんぜん構わないけれど、例えばアメリカ産ジャズと、トルコ古典歌謡と、ナイジェリアのフジと、インドネシアのクロンチョンと、などを並べてある例は一つもなかったなあ。

う〜ん、こう書くと、アンタやっぱりそう思ってんじゃないの?と思われそうなんだけど、単食/雑食の話をするのに均質分野のなかだけで判断するのも、ちょっとどうなんだろうなあ?つまり、例えばクラシック音楽ファンで、バロックもロマン派も現代音楽もぜんぶ同じように並べて聴くから雑食、古典的なものしか聴かない人は単食とか、例えばジャズ・ファンなら、ニュー・オーリンズ・ジャズもスウィングもビ・バップもハード・バップもフリーもぜんぶ聴くから雑食だなんて、そりゃちょっとおかしな判断じゃないかなあ。

僕の場合は、いまだになんだかんだ言ってやっぱりジャズ・ファンでブルーズ好きだ。ここがいまでも一番大切。でも「知っている」か「聴いている」かどうかを問われれば、ある程度ちょっとだけ自負があるのはマイルズ・デイヴィスだけ。本当にこの人だけだ。さらにマイルズについても、僕なんかよりずっとたくさんしっかり聴いている方々が、日本人に限定してもたくさんいるし、世界中を見渡すことができれば無数にいると分っている。だからマイルズ関係についてすら、僕はどっちかというと「知らない」部類に入るはず。

ってことはマイルズ・マニアを標榜している僕は、いったいぜんたい音楽でなにを知っているというんだろう?なにも知らない、なにひとつ聴いていないということになってしまうよなあ。そんでもって事実その通りだろうと最近思う。井の中の蛙みたいなことに気がついていなかった時期よりは少しマシになっているのかもしれないが、井の中からまだ出ていないもんなあ。聴いていないものが実に多い。そして一番どうしようもないのが、これこれこのような音楽がこの地球上にあるのだという、その存在じたいにまだまったく気がついてすらいないもの。たくさんあるはずだ(はず、としか言えない、だって存在すら知らないんだから)。

僕もふだんこんなことを意識して考えることなんてなくて、ただのんきに音楽聴いて楽しんでいるだけなんだけど、まあいま耳が聴こえにくくて、音源聴いても、全然聴こえないなんてことはないんだけど、どんな姿かたちなのか細部が把握しにくいからさ。だからボンヤリ聴こえるなにかを適当に流しながら、そして中耳炎とはまったく関係なく、最近どうも「私は雑食のなんでも聴き音楽リスナー」を標榜しつつ、実は狭い範囲の均質のものばかり聴いているという具体例に遭遇することが複数回あって、それで人のふり見て我がふり直せとばかりに考えたことを、今日はちょっと書いてみただけ。

2017/07/25

ヒップ・ホップが打ち砕いてくれた近代西洋のオリジナリティ信仰

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 3)

アクースティクであれエレクトリック/エレクトロニックであれ、人力演奏の方がいまでもやっぱり断然好きである僕。そうではあるけれど、近代音楽史、というかあるいはひょっとしたら人類近代史における大転換/大逆転についてはとりあげて、高く評価しておかないとダメだよね。それは(主にヒップ・ホップ・ミュージックとその手法の普及以後に拡散した)サンプリングその他のことだ。

サンプリング(とレコード・スクラッチもあわせて)の手法は、個性・オリジナリティこそが音楽にとって最も重要なものであるという考えを、まあそれは幻想かも?と僕は思うんだけど、木っ端微塵に打ち砕いた。サンプリングを死体処理だとか破壊行為だとか言う方々もいるけれど、僕はそうは思わない。正反対に面白いことをやりはじめてくれたと評価している。一度「死んだ」ものに息を吹き込んで蘇らせてくれているとも思うので、死体処理・破壊行為どころか、むしろその逆じゃないか。

その人にしかない(悪く言えば押し付けがましい)独自個性とかオリジナリティとかいう考え方、それこそが音楽表現において最も重要なもので、それがない音楽作品なんてなんの値打ちもないのだとする考え方 〜 これは僕も前々から繰返しているが、近代西洋の考え方なんだよね。こと西洋に話を限定しても、このオリジナリティ第一優先主義の歴史は浅いし、また20世紀後半以後は既にこの歴史は終っているように見える(ポスト・モダニズム)。

西洋に限定しなければ、この独自個性第一優先の考え方が支配している場所や歴史の方が少ないんじゃないかなあ。あたかもそれが支配している(いた)かのように見えるのは、近代西洋のそんな考え方が最も分りやすい、というかはっきり言ってしまうが、最も音楽業界の経済流通がしやすい、もっと端的に言うと「お金儲けしやすい」システムに直結するからだ。

このことは20世紀以後なら世界最大の音楽マーケットであるアメリカ合衆国の事情をちょっと考えれば誰だって分る。おそらく19世紀末〜20世紀初頭のティン・パン・アリーの時代に、そんなジャンジャンお金儲けできる音楽産業システムが成立した。曲や歌詞を書く人が「独自考案した」新曲の譜面は「オリジナリティ」の発揮であって、そのソングライター個人の才能にだけ由来するものだから法的独占「権利」を主張できるのであって、それを別の人が使用するなら「金銭」が当然のごとく発生する 〜 このシステムでアメリカ音楽産業は2017年までずっと変わらず動いてきている。

もちろんアメリカにだって、そんな個性=権利=金銭という考え方とは無縁に存在していた音楽世界もいろいろある。一つだけ例をあげれば、南部の黒人コミュニティ内におけるカントリー・ブルーズの世界にはこんな考え方はない。このことはいままで散々繰返しているので今日は詳述しない。「曲」(とかいうもの)も(主にギターの)演奏パターンも、すべてが社会の共有財産で、それを誰か個人のブルーズ・マンが受け継いでそのまま表現しているだけだ。そこに個性なんかない。だから権利も金銭も(ほぼ)発生しない。

それがあたかも発生しているかのように見えるのは、アメリカのレコード会社がこの世界に入り込んで録音し、レコード商品として売るようになったからだ。レコードにはふつう曲名・作者名・演唱者名がレーベル面に記載される。それが権利と金銭の発生する「オリジン」であるとみなされることになるわけだけど、それが「自分のもの」ではないと分っている当の南部黒人ブルーズ・メンはどうだっただろうなあ。

アメリカ音楽業界はこの著作権の世界に一世紀半以上しがみついてきた。これこそが業界秩序で、これがなかったらなに一つできない、というかまたまたはっきり言うが、商売にならない。お金が入ってこないのだ。そういうシステムになってしまった。最初のころは白人支配だったアメリカ音楽業界も、最近は上層部にだってアフリカ系はじめいろんな人たちがいるはず。それでもまったく同じ著作権ビジネスをやってきているじゃないか。

ヒップ・ホップの台頭まではね。

ヒップ・ホップは音楽に限定された用語ではないはずなので、ヒップ・ホップ・ミュージックと言わないといけないが、それが多用するラップ・ヴォーカルは、おそらくジャマイカ由来。ジャマイカでレゲエ・ミュージシャンがつくったダブ(カラオケみたいなもの)に乗せ DJ がしゃべる(トースト)。これはキング・タビーと彼が起用した DJ である U・ロイあたりが最初なのかなあ、まあそのあたりだよね。彼らが既存音源をいじくって「別のなにか」を編み出して、その上におしゃべりを乗せるということをやりはじめ、それがヒップ・ホップ・ミュージックの基本手法のはじまりだ、たぶん。U・ロイは元祖ラッパー。 はっきりしないが1960年代末あたりのこと。けれどジャマイカでも一般化するのはあくまで70年代以後だよね。

キング・タビーだけじゃなく、ジャマイカのレゲエ(系)・ミュージシャンは、アメリカ合衆国の黒人音楽から非常に強い影響を受けている。それは上で書いたようにあくまで秩序を守った業界主導のレコード商品、それを(権利金を払って)流すラジオ放送などによるもの。だが著作権(=オリジナリティ)を水戸黄門の印籠のようにふりかざすアメリカ音楽業界内で誕生した流通商品から影響を受けてやりはじたのだとしても、ダブとトーストの基本手法は、完璧にそんな秩序を破壊する方向へ向かい、アメリカ合衆国に逆輸入されたのだと言える。

ジャマイカにおけるダブと DJ によるトーストの手法。これは、その影響でアメリカ合衆国において1970年代末以後、特に80年代半ばからどんどん大流行しはじめ、いまやこれなしでは誰も音楽作品を創れないかのようになっているサンプリング手法と、それを活かしたヒップ・ホップ・ミュージックの直接かつ最大のルーツだ。ジャマイカ黒人たちのそれはゲリラ的な発想(貧乏人音楽だったから)だったのだが、それがアメリカ合衆国に持ち込まれ、やはりゲットーの貧乏黒人たちの共感を呼び、サンプリング、ラップ、スクラッチなどアナーキーな方向へ突っ走り、どんどん支持を拡大して、その結果、大資本の音楽業界主流にまで食い込んで、いや、食い込んでいるなんてもんじゃなく、いまや完全に逆転支配しているじゃないか。

アナーキーと書いたが、これは誇張とかある種の格好つけとかじゃない。アナログ・レコードの盤面をターンテーブル上でわざとギシギシと、それも手で逆回転させ、針を乗せたままだから引っ掻くような音がするのを商品に入れて、それを「演奏」と等価なものとして扱うスクラッチ。既存の音楽商品から許諾なしに(最近は許諾を得ることも)音の一部分を切り取って、それをそのまんま「自分の」音楽作品のなかに無断借用し、それを流通商品化するサンプリングとブレイクビーツ 〜〜 これらはアメリカ音楽業界を、いや近代西洋以後の人間世界を牛耳ってきた個性とかオリジナリティの考え方を完全否定しているわけだから、近代西洋思想を根底からぶち壊してしまうものでなくてなんだというんだ?アナーキーとはそういう意味。

人間世界、文化全般なんて大きな話は僕には無理なので、ポピュラー・ミュージックの世界にだけ限定して書いたが、特に20世紀以後のアメリカ音楽業界が高度にシステム化した、曲・歌詞を書き歌い演奏する人間が持つ個性、オリジナリティ(らしきもの)で著作権利を担保し、それでこそ金銭が発生するという、これを大前提とした業界経済の全歴史を、ヒップ・ホップは盛大に裏切ってしまった。僕の言う裏切りとかアナーキズムとかは、この場合はもちろん最大級の称揚の言葉だ。

ある種の人たちにとっては、そんなものはやはり単なる音楽の破局・終焉を意味するものかもしれない。しかししつこく繰返すがオリジナリティという考え方は近代西洋だけのものだ。考え方ですらなく、それは一種の信仰。そしてこの信仰の強さが招いた巨大収益システムもまた近代アメリカが組み上げたもの。歴史的・地理的に大きく俯瞰すると、世界の音楽はそんなものでは動いていない。このことをヒップ・ホップ・ミュージックは教えてくれているんじゃない?

2017/07/24

アメリカ黒人音楽史の真実と岩浪洋三

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 2)

『スイングジャーナル』誌の編集長だった時代もあるジャズ・ジャーナリストの故岩浪洋三さん。あまり、いや、ぜんぜん面白くない人だったように思うんだけど、この岩浪さんは愛媛県松山市生まれで、僕の母校である松山東高校の先輩 OB なのだ。これを僕が知ったのは、まだジャズ・ファンになる前の東高在学二年目のとき。秋の文化祭の講演で岩浪さんが来たんだよね。

といってもまだジャズなんかちっとも知らなかったから、「岩浪洋三」という名前と、それとあわせ演題が大きく垂れ幕(?)かなにかに書いてあった(はず)けれども、その人と題とがどなたでなになのか分るわけもなく。ただ校長だったか誰かの紹介で我が校 OB なのであると言われたので、ああそうなんだ、でもなにやってる人なんだろう?有名人かな?知らないなぁとか、その程度で、もちろん講演で岩浪さんがしゃべった内容なんかまったく1ミリたりとも理解できるはずがない。何十分間かがひたすら退屈で、体育館で腰掛けてただただ内的苦痛にもだえながら耐え忍ぶばかり。

まあ確かに取り柄の少ない(ない?)岩浪洋三さんで、僕としては尊敬もせず、ジャズ関係の執筆などの活動も評価できないと思っているんだけど、それでも生講演に接する機会なんて、その後から振り返って考えればまずありえないと知ったわけだから、ちょっともったいなかったよなあという気持もある。その高二のときに既に僕がジャズ・ファンで「岩浪洋三」という名前の意味するところを知っていたならば…、とは思うのだ。

僕が個人的に岩浪洋三さんをポジティヴな意味で面白いと思わず評価もできないと考えているのはともかくとして、日本でジャズ評論家の看板を掲げているフリーランスのジャーナリストさんたちの、ある時期の代表的存在だったことは疑いえない(のはちょっぴり悔しいが)。21世紀に入ってからかその少し前か、まだ島田紳助と石坂浩二が司会だった時代のテレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』に、ブルー・ノート・レーベルの全アナログ・レコードのオリジナル・プレス盤コレクションを見てほしいと、 ある素人ジャズ愛好家の方が出演したことがあった。

あの『開運!なんでも鑑定団』の鑑定士軍団(と番組が呼ぶもの)には、レギュラー出演の方々にまじり、そういったときどき出現する、ふだんはない特殊専門分野の鑑定依頼があると、それにあわせ臨時にその分野を鑑定できるプロを呼んでいた。ブルー・ノートのオリジナル・プレス盤コンプリート・コレクションの鑑定士として出演したのが岩浪洋三さんだった。小川隆夫さんでもよかったような気がするが(小川さんはブルー・ノートのオリジナル盤コンプリート・コレクターとしても有名だ)小川さんの本職は医者だから、専業プロの岩浪さんが呼ばれたんだろうなあ。

岩浪洋三さんは「間違いなくすべて完璧なオリジナル・プレス LP です」とかなんとか言っていたような気がするけれど、そのへん、レコードのオリジナル・プレス盤とかいう(「音」が違うとありがたがられているらしい)世界にまぁ〜ったくなんの興味もない僕は、いろんなブルー・ノート盤のジャズ・レコード・ジャケットが続々とテレビ画面に映し出されるという、この世でまずありえない、見ることなど不可能な光景を嬉しがっていただけ。ホントあのとき一回だけじゃないかな、ジャズのアナログ盤ジャケットがあれだけどんどんたくさん民放地上波テレビ番組に出現したのは。

その面白さもさることながら、岩浪洋三さんがそういう鑑定ができる人物なのだと(かなり失礼な言い方だ)いうことを、僕はあのときちゃんと知って、でも考えてみればそりゃ専門家だからなあ、できるんだろうなあ、なんでもオリジナル・プレス盤かどうかを判別する術があるらしい、レーベル面記載か?ジャケット記載か?の番号とか?が違っているらしい(が僕はマジ興味ないから知らない)から、ジャズ・レコードの専門家なら見分けられるのかとか、そう思ったんだよね。

岩浪洋三さんのジャズ評論文章なんて、いまでは一顧だにする気もない僕だけど、それでも大学生のときに読んだこれ一個だけは、心の底からうなずける、納得できる、素晴らしいといまでも本当にそう思うものがある。1970年代に来日した際のクインシー・ジョーンズに岩浪さんがインタヴューした内容が、岩浪さんのなにかの単行本に載っていたものだ。

その文章のなかで岩浪さんはクインシーに「ジャズの伝統的な4ビートというものは、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人たちが白人社会に合せるために、自らの黒人性を薄めて白人社会にいわば”迎合”しようと、あえて選んでいたものじゃないんですか?1970年代に入る前後から8ビートでファンキーなものがジャズ界にもどんどん出てきたのは、彼らが自らのアフロ・ルーツな文化を取戻しただけということなんじゃないんですか?」(括弧に入れているが引用ではない、手許に本はないので記憶だけ、だから正確じゃない)と聞いていた。

するとクインシー・ジョーンズはすかさず「その通り、あなたの言う通りだ」と答えていたように記憶している。クインシーのこの返事は、来日時に日本のジャズ・ジャーナリストにインタヴューされてのリップ・サーヴィス的な社交辞令まじりだったのかもしれない。がしかし本音がかなりあるように僕は大学生当時も感じていて、その思いはいまではどんどん強くなっている。アメリカのブラック・ミュージックの歴史ってそういうもんだよね。

お前、岩浪洋三の悪口ばかりふだん言っているじゃないか、そもそも岩浪の単行本なんか買って読んでいたのか?とか思われそうな気がちょっとだけするから書いておく。そう、買って読んでいたのだ。しかもどんどんたくさん。自らすすんで買って読んだんだ、岩浪さんの本を、何冊もね。最初のころはそもそもどなたが信用できる面白いジャズ・ライターで、どなたがそうじゃないかの区別なんかできていなかったというのもあるが、もっとはるかに大きな理由がある。それは要するに「ジャズに惚れた」ということ。これだ。

ジャズでもなんでもゾッコン惚れてしまうと、なんでもかんでも手当たり次第追いかけて、根掘り葉掘り漁りまくって、レコード(でもなんでもいいが)をなんでもぜんぶ聴きまくり、それに関係するあらゆる文章という文章を誰のなんでもいいから「すべて」熟読する 〜 こういうもんじゃないの?好きになる、惚れるってことは?音楽だけじゃなく人間でもなんでもね。インターネットの普及でやりやすくなっているはず。

ジャズに惚れてしまって、それ以外のことが頭のなかから完全に消えてしまっていたかのような一時期の僕は、レコードも自宅やジャズ喫茶で聴きまくるけれど、聴きながらジャズ関係の雑誌や単行本を、これまた自宅やジャズ喫茶で読みふけっていた。入手可能なもの文字通り「すべて」をね。新刊・中古の別問わず本屋で買えるものは、お財布事情的に可能な範囲でぜんぶ買い、それが不可能でもジャズ喫茶の書棚に置いてあるものはそこで読み。だから音楽レコードを聴きながら本を読む、こればっかり。な〜んだ、55歳のいまでもちっとも変わってないじゃないか(苦笑)。

そんなことで単行本や雑誌でもジャズ関係の文章は可能な限りすべて読んでいたので、たくさんあったと記憶している岩浪洋三さんの単行本だってもちろん自らすすんで僕は買って読んだ。そのなかのどの本かはもう分らないのだが、上でご紹介した岩浪さんとクインシー・ジョーンズとのやりとりがあったのだった。

ふだんどんなにつまらない、いい加減だと思っている人間だって、本当にまったくどこにも取り柄がないなんて、学ぶところがマジでまったくないなんて、そんな人はいないよねえ。場合によっては反面教師的な意味合いになってしまうかもしれないが、上でご紹介した岩浪さんとクインシーとのやりとりは、そういうことではぜんぜんない。岩浪さんは立派に、正面切って、アメリカ黒人音楽史の真実を突いたのだ。それもクインシーのような大物を相手にして。

だから、この一点を除くと、まあやっぱりジャズ評論家としては信用できない、面白くないと僕は思う岩浪洋三さんだけれど、僕みたいなちっぽけな人間のなかに、たった一つだけでも、心に残る宝石みたいな(は言いすぎか?)ものを残すことができたっていう、もうこれだけで岩浪さんは立派に「仕事をした」と言えるのかもしれないよ。最近、僕はそう考えるようになっている。岩浪さんだけじゃなく、ほかのどんな人でも自分自身のことについても。ほかの人の心にほんのちいさなカケラをたった一個だけでいいから残すことができたら、それで…(でも僕がどなたかほかの方の心を一瞬でも打つことなんてないはずだ)。

ここで正直にやっぱり告白しておく。ジャズでもなんでもアメリカのブラック・ミュージック史をじっくりたどると、時代を遡れば遡るほどブラックネスが薄くなっていて、下れば下るほど逆に音楽的人種意識が高揚し、リズムやサウンドにネグリチュードが濃厚に出現するようになっていて、いまではアメリカ黒人音楽家の誰もこれを薄めたり隠したりはしない 〜 このアメリカ黒人音楽史の真実にかんし、そうなんだと指摘しているのを僕が生まれて初めて読んだのが、上でご紹介した岩浪洋三さんとクインシー・ジョーンズとのやりとりだったんだよね。これは間違いないという記憶がある。これがいままでず〜っと僕のなかに残ってきているんだよね。まず最初のとっかかりが岩浪さんのあれだった。

このアメリカ黒人音楽史の真実が具体的にどう出現しているのかは、僕もいままでなんかいも書いてきたつもりだ。ふだんジャズ関連でも書いているし、ブルーズ関係でも、リズム&ブルーズでも、新興ジャンルのソウルやファンクなどについても、僕なりに書いた。いますぐパッと思い浮かぶものだけ二つ、過去記事のリンクを貼っておくが、これら以外にもいっぱいあるよ。今後もかたちを変えて書くだろう。
う〜ん、ってことは岩浪洋三さんはちょっとどころではない大きなものを僕のなかに残してくれたってことになっちゃうなあ。面白くない音楽関係者だと断じているだけになんだか悔しいが、これは間違いないと認めなくちゃいけない。55歳の僕は、もうこのあたり、自分の気持にウソはつかないことにした。もうそんなことをして稼げるだけのたっぷりな時間はなくなりつつある人生だから、素直に、正直に、認めて言葉にしておかないといけない。好きなものは好き、いいものはいいとストレートに言わなくちゃ。自分、あるいは対象が消えるときに後悔しそうだからさ。

2017/07/23

聴界

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視界と言うけれど、これと同等の言葉が聴く方にはないような気がする。それで今日、僕は「聴界」というものを提案したい(と書いてからネットで検索すると、お使いの方が若干名いるが、みなさん「こんな言葉はないですよね?」と断り書きしている)。視界とは、狭いとか広いとかふさがるとかひろがるとか、目で見える空間範囲のことだけど、僕の言う聴界とは音の範囲だけでなく、もうちょっと意味を拡大して使いたいものだ。僕は音楽キチガイなので、それも最近はヘッドフォンを使わず、スピーカーから空気的に音を鳴らして聴くことがほとんどなので、そんなケースにだけ限定して話をしたい。聴界は日常生活にだってもちろんある。がしかし、今日はスピーカーで聴く音楽の話だけ。

聴界なる言葉をどうしてひねり出したのかというと、目下、僕の右耳はよく聴こえないのだ。耳鼻科医の診断では中耳炎。だから深刻なものではなく、現在使用中の薬でまもなく治るだろう。耳鼻科医によれば、約二週間かかるそうだ。だいたい小学生のころの僕は耳が弱くて、朝起きると、また学校にいるあいだに、耳のなかが痛くなるだとかそんなことが頻繁で、家では親、学校では職員室や保健室の先生に、耳が痛い、つらいと半泣きで訴えて、しかし学校の先生だってどうしようもなかったよなあ。下校すると耳鼻科へ。するとだいたいいつも中耳炎との診断で、しばらく通ったり。

この手のことは、体が大人になっていくまでの成長期によくある不安定さだということだったのかもしれない。いま55歳で再びなっているのは、今度は老齢化へ向けてまた肉体が変化しつつあるんだろろう。 高校生くらいになると、耳のなかが痛いとか中耳炎だとかいうことはなくなって、その後しばらくして音楽狂になってしまったので耳は酷使することになり、その酷使状態がいまの55歳までずっと続いている。ある時期以後はヘッドフォンで爆音を聴くことがほぼなくなった僕。あれを続けていたら、あるいは、空気的に鳴らすのでも、クラブなどでの大爆音を浴び続けていれば、いまごろ僕の聴力はもっと弱くなっていたはずだ。

音楽の微細な部分まで鮮明に聴きとっていると自分では思っている僕だけど、それがいま2017年7月16日以後、あまり分らないという状態におちいっている。右耳が中耳炎でダメで、そして左はというと、僕の左耳はもうずいぶん前から、え〜っと、20年ほど?前から、聴力が右に比べてかなり弱い。右耳をなにかで完全にふさぐと、左耳だけではあまり聴こえないんだよね。だから電話の受話器を左耳に当てて通話したことが20年以上ない。それをやると聴きとれないからね。もっとも、いま自宅(その他)では iPhone を使っていて、音声通話時にはスピーカー・モードで話をするので、もはや右耳にだって電話機を当てることはなくなった。ちなみに五年前から僕んちに固定電話は存在しない。NTT 西日本との契約そのものをやめた。

そんなわけで右が、目下、中耳炎で聴こえず、左耳の聴力はずっと前からかなり低い僕なので、いま音楽はなにを聴いてもあまりよく分らない。特にダメなのがステレオ録音の音楽だ。ステレオ録音は(同じ程度の聴力の)両耳で聴くのが大前提なわけだから、いまの僕にはこの音楽がどんな姿なのかボヤ〜ッとしか分らない。がしかし非常に既知の音楽については、耳の前で鳴る音をしっかり把握できなくても脳内で自動補正されるので、まだマシ。ダメなのは初めて聴く音楽だ。どうなってんのか、どういう姿なのかあまり把握できないんだよね。特にステレオ録音の場合はね。

あと、これはどうしてだか科学的根拠が僕には判然としないが、低音がクッキリしない。ベース(アクースティックもエレクトリックも)やバスドラなどがボヤけて、鮮明でタイトなサウンドのベース音やバスドラ音で録れていて、僕んちのスピーカーでそれがしっかり再生できているとよく知っているはずの既知音源でもそうなんだよね。だから未知音源の低音なんか、もはや入っていないのと同じだと思うほど。音楽ってボトムスがしっかりしないと全体像もボヤけて、だからいまの僕はだいたいなにを聴いても、その音だけではちっとも面白くない。ツマンナイんだ。既知音源で脳内補正して、それで楽しんでいるだけなんだよね。

実はこういうことは、去る五月にもあった。5月13日土曜日の朝起きたら突然、なぜだかそのときは左耳がまったく聴こえず。書いたようににずいぶん前から聴力がかなり低い左耳だけど、ここまで聴こえないのは、ゼロなのはありえないと焦って、週明けの月曜に耳鼻科に行ったら、神経性の突発性難聴を疑いますと言われた。経口薬が何種類か出て、しかし医者には「左耳の聴力は戻らないかもしれません」とも言われてしまっていた。まあそれは医者が患者によく言うステレオタイプな警戒メッセージというだけだったかもしれないが。

左耳の神経性突発難聴が治るまで(はい、治りました)三週間ほどかかかったんだけど、治るまでのあいだ、音楽の聴こえ方が、上で書いたようないまの状態と完璧に同じだったのだ。ステレオ録音のものがダメで、ボトムスが聴こえず、したがって全体像もボヤけ、いったいぜんたい、いまなにが鳴っているんだろう?どんな姿かたちの音楽なんだろう?と、未知音源、そんななんども聴いていない音源にかんしてはそうなっていた。だから非常に既知の音源ばかり聴いては脳内補正。もうこればっかりの数週間。いままたちょうど同じ。これがまだしばらく続くのか…。

さて、ここまでお読みになってお分りのように、モノラル録音、それも第二次世界大戦前の SP 時代の古いものだと、この状態が緩和されていた(る)のだった。そりゃ片耳で聴いたって十分オーケーな音楽だしなあ。熱心なモノラル録音信奉のオーディオ・マニアのなかには、スピーカー二個ではなく一個で聴いたりする人もいるらしいじゃないか。そんなこともある世界だからね、モノラル録音音楽は。

でも(本当になぜだか)低音部は、やはりモノラル録音でも聴こえにくかったので、やはり音楽の全体像はややボヤけてしまう。それでも、ステレオ録音の音楽よりはずっとマシな聴こえ方だったし、いま中耳炎で右がダメな現在もそうだ。だから目下、僕はモノラル録音のものばかりどんどん聴いている。しかも幸いな(?)ことに、僕の所有する全音源のたぶん約六割以上がモノラル録音、それも SP 時代のものなんだよね。これはラッキー(?)だった。もしかりにこれがステレオ録音のものしか持っていない音楽狂の方で、片耳がおかしくなったりしたら、さぞやその絶望は深いだろう。

5月13日に発症した僕の左耳の神経性突発難聴の方は、六月初旬に快癒した。とは僕だけの自覚で、耳鼻科医はコンピューター画面に映し出される聴力検査のグラフを示し、まだまだダメと言うのだが、聴力なんて自分が(仕事・趣味含め)生活でまったく困っていなければそれでいいだろう。それで6月9日の診察時に「もう大丈夫です」と医者に告げ、(いちどは)僕の耳鼻科通いは終了。僕の聴力回復の判断根拠は、言うまでもなくもちろん音楽だ。よ〜く知っている状態の良いステレオ録音の音源をスピーカーで鳴らして、以前からよ〜く知っているのと完璧に同じに聴こえるようになったと自覚できるので、僕は快癒したと判断したのだ。

それで本当に心の底から安堵して、また元通りの音楽狂いライフだなと思って毎日楽しんでいたら、7月16日に今度は、まあただの中耳炎だとはいえ、右耳がダメになって、いま再びちょっと暗い気分の音楽生活を送っている。

結局、「聴界」という言葉の意味をあまりちゃんと説明しなかったように思うけれど、視界同様、聴界も狭くなったり広くなったりふさがったりひろがったりするんだよね。しかも視界と違って聴界には、広がりだけでなく高低もある。もちろん音域の。いろんな楽器や、また人声でも物音でも、ピッチの高い/低いがあるけれど、それもまた耳の状態によって聴こえたり聴こえなかったりするよね。今日、僕も、片耳やられているだけでなぜだか低音部が分りにくいと書いたが、これは実感なんだ。また、高音部なんかは、誰しも歳取ると聴こえが悪くなっていくらしいじゃないか。僕はまだそうなっていないけれどね。

高音部だけでなく、加齢によってそもそもの聴力全体が弱くなるみたいだね。ビートルズを手がけたのが最も有名な音楽プロデューサー、ジョージ・マーティンも、晩年は補聴器を使っていた。この敏腕音楽プロデューサーが業界からリタイアしたのは、このせいなんだよね。聴こえなくなったので、もう仕事はできないと判断したようだ。

僕にもいつかきっとそんな日が来る。

2017/07/22

キューバの愛の歌をあなたに

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『キューバ恋歌集』(Cansiones de Amor desde Cuba)…、と、こうスペイン語題を付記したものの、これは日本盤しかない CD で、西村秀人さんと竹村淳さんの選曲・編纂でテイクオフから1997年に発売されたもの。しかし僕は今年になるまでこのアルバムの存在を知らなかった。知ったのは今年二月ごろの『ラティーナ』誌にディスク・レビューが載ったからで、それによればオフィス・サンビーニャからの配給だった。

それでオフィス・サンビーニャの公式サイトでこれを買った僕。メール・アプリに残る購入履歴では、今2017年2月21日に商品が発送されたとなっている。だから22日か23日あたりに僕んちに届いて聴いたんだよね、『キューバ恋歌集』。いま僕の手許にあるそれも、ジャケット裏に「1997」と記載があるのだが、それをどうして今年二月にオフォス・サンビーニャが売ったのかは分らない僕。でもそんなことはどうでもいいよね。だって、キューバのラヴ・ソング集、それも失恋関係は一切なく、対象への求愛や告白や褒め称えたりするものばかりが21曲どんどん流れてくるから、いまの僕の気分にはピッタリすぎるほどピッタリ。

キューバン・ソングでそんなような恋愛歌というなら、たいていボレーロとかフィーリンだろうとお考えのみなさん、当たりです。『キューバ恋歌集』の収録21曲は、すべてボレーロかフィーリン。それだけ。ゆったりとしたテンポで甘く優しくスウィートに愛を歌っているものだけが選曲されているのだ。こ〜りゃいいね。二月に買ってなんどか聴いたときは、うんイイネと思っていただけだが、もういまはこういう音楽アルバムこそが、僕にはこれ以上なく嬉しくて楽しめて、しかもここ最近の僕の気分をそのまま代弁してくれているじゃないかとなってしまうのだ。

実際、『キューバ恋歌集』附属ブックレットでは、最初の見開きに曲目と歌手一覧が書いてあるが、それをめくると白紙のページがあって「from 〜〜〜」、改行して「to 〜〜〜」とあり、その下に罫線が引いてあり。だからこれは誰か好きな相手にメッセージを添えて送る、それで愛を告げる、そういうための CD アルバムなのかもしれない。ブックレット本文には竹村淳さんの詳しい解説文に続き、収録全曲のスペイン語原詞と日本語訳詞も掲載されれている。だから、このテイクオフ盤『キューバ恋歌集』は、想いを寄せる異性への愛のプレゼント品として活用されることを想定してあるな、きっと。

いまの僕には、そんなことをしたい、『キューバ恋歌集』を、そのブックレットに相手のお名前と僕の名前を書いてメッセージを添え、CD を送りたい女性がいるんだけど、僕自身この CD を手放したくないので、もし贈るならもう一つ買わなくちゃいけないよなあ。買っちゃおうかなあ。僕が今年二月に買おうとしたときにはアマゾンで品切れだったのでオフォス・サンビーニャ通販で買ったのだが、いま見たらアマゾンでも復活している。どうしよう?

な〜んて、僕の個人的な事情はみなさんにとってどうでもいいことだから、アルバム『キューバ恋歌集』の中身の音楽の話をしておかないとね。書いたように収録の全21曲がボレーロかフィーリンなんだけど、ホントこの手のラヴ・ソングをやらせたら、ボレーロやフィーリンのキューバの歌手、演奏家たちほどうまい音楽家は、世界中探してもいないんじゃないだろうか。もしこれがスペイン語ではなく英語の歌だったりしたら、全世界でもっともっと人気があると僕は思う。しかしそうならない、ちょっとひそやかな世界であることも、いまの僕にとってはいい感じに映る。

『キューバ恋歌集』のなかにはかなりの有名曲もある。5曲目の「君こそわが栄光」(La Gloria Eres Tu)、8曲目の「シボネイ」(Siboney)あたりは誰でも知っているスーパー・スタンダードだよね。

ほかにも、4曲目の「コモ・フエ」(Como Fue)、6曲目の「黒い涙」(Lagrimas Negras)、11曲目の「二輪のクチナシ」(Dos Gardenias)、12曲目の「人生は夢まぼろし」(La Vida Es Un Sueño)、14曲目の「あなたが私を愛してくれたら」(Si Me Pudieras Querer)、18曲目の「しおれたバラ」(La Rosa Mustia)。これらも人気・知名度があるはずだ。僕が知っているくらいなんだから、キューバ〜ラテン歌謡ファンの方なら当然ご存知のはず。

歌ったり演奏したりしているのも有名人が多い。ベニー・モレー(「コモ・フエ」)、オルケスタ・アラゴーン(君こそわが栄光」)、セサル・ポルティージョ(「遠く離れていても一緒」)、ロベルト・ファス(「あなたが私を愛してくれたら」)、オマーラ・ポルトゥオンド(「あなたが必要」)、ホセ・アントニオ・メンデス(「私の恋人」)、アンヘル・ディアス(「しおれたバラ」)、ミゲリート・クニー(「恋人よ、また明日」)。

歌詞の中身の話をあまり詳しく書いてもちょっとなあ…、という気分なのと、もしかりにそんなことをしたら僕の気分がどんどん高揚してしまい、いろんな意味でヤバいことになってしまう(^^;;)ので、やめておこう。こうやって曲題を書いているだけでちょっぴり妙な気分なんだからさぁ〜。やはりサウンドやリズムのことを、このあと本当にほんの少しだけ書いておく。

アルバム『キューバ恋歌集』には、ヴォーカル抜きのインストルメンタル演奏が二つある。トップとラスト。1曲目エルネスト・レクオーナの「いつも私の心に」をやるコンフント・パルマス・イ・カーニャと、21曲目「どんな結末にも」をやるコンフント・ペドロ・フスティス。前者はレキント・ギターをかき鳴らす音に続きクラリネットが主旋律を吹き、その背後はボンゴのみ。と思っているとパッとリズム・パターンが変わりレキント・ギター(たぶん二台)が前面に出る。そして再びクラリネット。クラリネットが吹くあいだは官能的で甘いムードだが、レキント・ギター部分ではちょっぴり快活。

21曲目「どんな結末にも」はほぼアクースティック・ピアノ独奏に近い。伴奏はボンゴのみというかなりシンプルな編成で、ロマンティックなメロディをひたすらスウィートに演奏してくれる。これらインストルメンタルがアルバムのオープニングとクロージングになっているのは、間違いなく竹村淳さんの意図だ。前置きと余韻みたいなもんだよなあ。前置きとはすなわちアレで、余韻とはすなわちアレ。

本番(?)のヴォーカル・ナンバーが続く2〜20曲目でのサウンドとリズムは、どの曲もよく似通っている。これも間違いなく選曲意図が感じられる。愛の歌をひたすら甘く官能的に優しくムーディに歌うのを、そのまんま同じスタイルの伴奏サウンドとリズムで支えているものを、あえて続けてどんどん並べているんだよね。でもリズム、というかビート感はやはりラテン・ミュージックらしく強靭さがある。まあそれが感じられないとね、どんな音楽も。

アルバム中、八曲目の、これまたエルネスト・レクオーナ作の「シボネイ」だけ、ガクンと録音が古い。前後とのギャップがあまりにも明白だ。1947年結成のトリオ・タイクーバによる演唱だが、40年代末か50年代初頭か、そのあたりの録音じゃないかなあ(それにしては古い音だが?)。録音年の記載は全曲ないので分らないのが残念。

10曲目「遠く離れていても一緒」は、作者であるフィーリンの音楽家セサル・ポルティージョ本人によるアクースティック・ギター弾き語り。ギターもヴォーカルも素晴らしいが、ギター一台だけでの弾き語りで、こんな「遠く離れていても君は僕と一緒」(contigo en la distancia / amada mia estoy)なんて歌詞、ヤバいだろう?こんなふうに弾き語りできたらなあ…。

自作自演といえば17曲目の「私の恋人」。作者であるホセ・アントニオ・メンデス自身が歌うのだが、これは残念ながらギター弾き語りではなく、ピアノ(兼オルガン奏者)を中心とするコンフントによるものだ。ホセのちょっと鼻にかかったハスキー・ヴォイスがとってもセクシーでいいね。ホセ(ギターは弾いていないみたい)と鍵盤以外にはボンゴだけなんじゃないかなあ。

16曲目、これもホセ・アントニオ・メンデス作「あなたが必要」を歌うオマーラ・ポルトゥオンドの伴奏もアクースティク・ギター一台だけ。弾いているのはオマーラじゃないだろうが、かなりロマンティックな弾き方で、これもいいなあ。アルバム中この曲の録音が一番新しそうだ。かなり最近の音に聴こえる。オマーラの歌い方は、特に「あなたが足りない」(me faltabas tu)という最終盤でかなりグッと迫る節回しだ。

その他、まあキリがないのでやめておくが、管楽器が大きめの音で鳴っているオーケストラ・スタイルでの伴奏も複数あったりするが、だいたい基本的にはシンプルな少人数編成での伴奏が多い。しっとり、じっくり、ゆっくりと情感を込めてのサウンドとリズムで、テンポも落ち着いて緩く、そんな伴奏の上で歌手たちが愛を告白したり、語り合って愛し合ったりしているんだよね。

だからこの『キューバ恋愛歌』の全72分は、僕だけのたった独り暮らしの部屋のなかで、どなたか女性のことを夢想しながら聴いてもかなりいい気分だが、もしかりに一緒に聴けたりなんかしたら、最高の雰囲気になるんじゃないだろうか?

2017/07/21

僕のオススメ 〜 マイルズの必聴曲10選

この手のことを書こうとすると、マイルズ・デイヴィスについてふだん書いている内容のリピートになるだけで、だからいつも僕の文章をお読みのみなさんには目新しい内容がぜんぜんないものに仕上がるはず。マイルズでなにがオススメかなんて、どんどんいつも書いているもんなあ。でも「10曲」まとめて並べるというのは僕はまだやっていないので、まあその点でだけちょっとは読んでもらえる部分があるかも。

こういうことを書いてみようと思い立ったのは、英紙『ザ・ガーディアン』の電子版が、今2017年4月付で以下のような記事を掲載していたからだ。題して「マイルズ・デイヴィスのベスト10曲」。三ヶ月ほど前のものになるのでいまさらだけど、マスコミが出すマイルズ関係のこの手のものに対し、なにかちょっと言わないと気が済まない性分な僕なもんで。申し訳ない。
でもこの『ザ・ガーディアン』紙のマイルズ・ベスト10曲は、かなりよくできた内容じゃないかと僕は思う。マイルズ専門家やジャズ専門家が同じことをやっても、だいたい似たようなものができあがりそうだ。なぜならば、この『ザ・ガーディアン』紙の選出基準もまた、時代を形作ってきた先進的音楽家としてマイルズを捉えて、その基準で10曲選んでいるからだ。専門家だってみんなそういう視点でマイルズを見ているもんね。だからそう違ったものにはならないはず。

しかしはっきり言うが、リンクを貼った記事をお読みになれば分るように「マイルズは音楽の流れをなんども変えた」とか、ま〜たまたこれかよ…、って、もうウンザリなんだよね。少なくとも僕はそう。マイルズだけじゃなく、音楽をそんな視点でしか捉えないなんて不幸じゃない?だからいつもみんなからそうとしか捉えてもらえないマイルズはすごく可哀想だと僕は思うんだよね。音楽の楽しみ・本質って、そういう部分には「ない」。絶対に。

だから僕もちょっと10曲選んでみよう。それでちょっと違ったマイルズ・ベスト10曲を書いておく。たぶん半分程度は『ザ・ガーディアン』紙の記事のチョイスそのままで、残り半分程度が入れ替わるはず。マイルズであれ誰であれ、いまの僕が音楽のオススメを選ぶ基準は、先進性、斬新さなどではなく、聴いて楽しいか、美しく感じられるか、リラックスできてくつろげて部屋のなかがいい雰囲気になるかどうか 〜 こういうことだ。新しい時代を招いたかどうかだけで、それで楽しさや美しさを犠牲にするなんてありえないだろう? 

以下、僕の選んだマイルズのオススメ・ベスト10曲。録音年順に。括弧内が収録アルバムで、その右が録音年。


1. Dr. Jackle (All-Star Sextet/Quintet With Milt Jackson)- 1955

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 またま〜たこれか!お前、いつもこればっかり推薦してんな!って言われそう。でも本当にいいもんねえ、このブルーズは。いいのはボスじゃなくミルト・ジャクスンのヴァイブラフォンだけどね。この曲、このアルバムがマイルズの推薦品になったことがないっていう事実が、いかにみんなしっかり「音を聴いていない」かという確固たる証拠だよ。マジで楽しいぜ。みんな、楽しいの、嫌なのか?
2. In Your Own Sweet Way (Collector's Items) - 1956

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 デイヴ・ブルベックの書いたこのプリティなバラードをマイルズは二回録音している。どちらも1956年。有名なのはファースト・レギュラー・クインテットでやった『ワーキン』収録ヴァージョンだけど、僕にはこの、ソニー・ロリンズやトミー・フラナガランらと共演したものの方が美しくチャーミングに聴こえる。
3. Solea (Sketches Of Spain) - 1960

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 ギル・エヴァンスとのコラボでやったものから、『ザ・ガーディアン』紙の記事は「アランフェス協奏曲」(『スケッチズ・オヴ・スペイン』)を選んでいるが、う〜ん、どうもあれはちょっとなあ。『マイルズ・アヘッド』から僕はできれば選びたかったが、あのアルバム、A面B面がそれぞれ「一つ」のメドレーみたいにつながっている(録音後の編集で)。一曲単位では抜きにくいんだよね。だから「アルバム」の10選には『マイルズ・アヘッド』を入れた僕だけど、「曲」単位では、同じ『スケッチズ・オヴ・スペイン』から、アルバム・ラストの「ソレア」を。マイルズの大好きだったスパニッシュ・スケール・ナンバーを一つ入れたかったというのもある。この曲のトランペット・ソロは絶品だ。

4. My Funny Valentine (My Funny Valentine) - 1964

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 1960年代中期のハービー・ハンコック&ロン・カーター&トニー・ウィリアムズ時代のライヴからこれを。『'フォー’&モア』の「ソー・ワット」でもいい。どちらも問題ない推薦品なんだけど、アクースティク時代のマイルズによるバラード吹奏最高傑作じゃないかと僕は(たぶんみなさんも)考えている、この「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を。リズム・アレンジも面白いが、(この YouTube 音源だと)6:29〜6:33 のハイ・ノート・ヒットに続き、そこから 下る 6:39 までが極上のカタルシス。
5. Frelon Brun (Filles De Kilimanjaro) - 1968

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 現在、僕が個人的にどハマり中の『キリマンジャロの娘』から、かなり面白いオープニングのこれを。こんなカッコいいクウェラ・ジャズ、なかなか聴けないよね。マイルズもこれ(と同アルバム四曲目の「キリマンジャロの娘」)しか、こんなアフリカン・ジャズはやっていない。この1968年前後のマイルズにいったいなにがあったのか?というのが、僕が目下探求中のテーマ。
6. In A Silent Way / It's About That Time (In A Silent Way) -1969

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 これはぜひ一曲(ワン・トラック)扱いでお願い。そうじゃないと11曲になってしまう。1968年末から共演をはじめるジョー・ザヴィヌルとマイルズの関係は、いままで僕もしばしば書いてきた。この二名共演のベスト・トラックがこれじゃないだろうか?だろうか?っていうより、僕のなかではこの評価はおそらく永遠に揺るがない。
7. Miles Runs The Voodoo Down (Bitches Brew) - 1969

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 同じ1969年録音から二つ選ぶのもどうかとは思ったが、上の六つ目とはグルーヴが違っているので許して。左チャンネルで叩くドン・アライアスのドラミングは、まるでニュー・オーリンズのミーターズのジガブー・モデリステみたい。グルーヴのタイプ、フィーリングも「なんちゃら・ストラット」みたい。あ、ニュー・オーリンズの音楽に似ているって、マイルズのこれはヴードゥーと曲名にあるじゃないか…。いま初めてこの意味のニュアンスに気が付いたような気がするぞ(^^;;。
8. Right Off (A Tribute To Jack Johnson) - 1970

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 ロックなマイルズ。ジョン・マクラフリンのギターもビリー・コバムのドラムスも完璧なロック・マナー。でもエレベのマイケル・ヘンダスンの弾き方は、やっぱりリズム&ブルーズ/ファンク系だ。少なくともブラック・ミュージックのものだよね。フロントで吹くマイルズのオープン・ホーンも絶好調。この1969/70年あたりは、64年ごろと並び、マイルズのオープン・ホーン・トーンが最もブリリアントだった時代の一つ。いやあ、カッチョエエ〜。
9. Prelude (Agharta)- 1975

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 やっぱり1973〜75年のツイン・ギター・バンドのライヴから一つ選んでおこう。僕の一番好きな1975年2月1日大阪公演盤の一つ『アガルタ』一枚目のトップ・トラック。ピート・コージーの一回目のギター・ソロが終わって、しばらくしてボスのオルガン・インタールードをはさみ、その後テーマ・モチーフみたいなものを二管で吹く前までの18:08〜21:58 までの展開は、なんど聴いてもいまだにシビレる。マイルズの全録音中、この約三分間こそが僕はいちばん好きだ。なんど聴いてもいまだに「いちばん」好き。この音楽家の全生涯で「いちばん」。
10. The Doo Bop Song (Doo-Bop) - 1991

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 1981年復帰後のものを一つ入れたかったというよりも(『ザ・ガーディアン』紙の記事は75年一時隠遁までからしか選んでいないね)、これを選んだ理由は、ヴォーカルものを一個だけは入れておきたかったということ。ジャズでもなんでも人声の歌が聴こえた方が楽しんじゃない?いまの僕はそういう気分なんだけどね。でもマイルズでヴォーカルものというと、あまりパッとしたものがないんだよね。イージー・モー・ビーと共演したこの「ザ・ドゥー・バップ・ソング」も、人によっては面白くないかもしれないが、僕はけっこう好きだよ。

2017/07/20

グナーワ大学で学ぶアフリカネス

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七曲目で非常によ〜く知っているものが聴こえるなあと思ったら、ありゃ、これウェザー・リポートの「ブラック・マーケット」じゃないかぁ!(と最初に聴いた時にも思ったはずだけど、忘れていた^^;;)。だからさぁ、以前も一度書いたけれど、ジャズ・フュージョンとオルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス(ONB)って関係あるんだよな。といってもジョー・ザヴィヌルが書いた「ブラック・マーケット」が七曲目にあるのは ONB のアルバムではない。結成当初のこのバンドの中核メンバーで、僕が以前フュージョン色が濃いと書いた(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/onb-6742.html)ONB の1998年デビュー・ライヴ盤『アン・コンセール』でも活躍している、ゲンブリ奏者のアジズ・サハマウイ2011年作『グナーワ大学』のことだ。

アジズ・サハマウイは ONB の二作目まで参加して離れ、その後ジョー・ザヴィヌルに誘われて彼のバンド、ザヴィヌル・シンジケートでやっていた時期がある。そのころのアルバムもあって、2005年のライヴ盤『ヴィエナ・ナイツ』。でもこれじたいはあんまり面白くなかったような気がする。もうだいたいあのころのザヴィヌルの音楽は、もはやなんというかまあその〜…。

でもアジズ・サハマウイは、ザヴィヌルが2007年に亡くなるまで音楽活動をともにしていたので、衰えていたとはいえこのマイスターからいろんなことを吸収したんだろうと思う。2011年の『グナーワ大学』で「ブラック・マーケット」をやったりしているのも、ある意味、恩返しなのかなあ。グナーワ法で料理した師のフュージョン・ナンバーの出来栄えを聴いてほしいみたいな気持があったかもしれないよなあ。

素材をとりあげただけではない。アジズの『グナーワ大学』のレギュラー・バンド編成は、ザヴィヌル・シンジケートのそれに近い。アジズはゲンブリ奏者なのにあまり弾かず、アルバムの多くの曲で弦の低音はエレベ奏者に任せているが、そのエレベ奏者アリウン・ワデ(セネガル)とアジズは、ザヴィヌル・シンジケートで知り合った仲なのだ。そのほかエレキ・ギター、ドラム・セットを使って、米英のポップ・ミュージックふうのメンツなんだよね。

ヴォーカル・コーラスもたくさんフィーチャーされているが、これは米英産大衆音楽やザヴィヌルも(ウェザー・リポート後期から)たくさん使うものであるとはいえ、グナーワ・ミュージックでもむかしからコール&リスポンス的に多用される。だからアジズもそれら両方のやり方のいいところを取って『グナーワ大学』で活かしているんだろう。

『グナーワ大学』でのリーダーのアジズは、メイン・ヴォーカル以外に楽器は、ゲンブリはあまり弾いてないならなにをやっているかというと、メインはンゴニ。たぶんアルバム・ジャケットで抱えているのがゲンブリに似てはいるが、たぶんンゴニだ。かたちや大きさが似ているから、あれだけだとちょっと断定できないが、アルバムのなかではゲンブリをあまり使っていないんだから、それをジャケット撮影のためだけに抱えたというのはありえないようにも思える。

あ、待てよ、いま流れてきたアルバム『グナーワ大学』11曲目の「ミムナ」。これのブンブン鳴る弦の低音はゲンブリっぽい響きだなあ。しかもなにかもう一本聴こえる。う〜ん…、と思って一曲ごとにパーソネルが記載されている附属ブックレットをめくったら、「ミムナ」ではやはりゲンブリをアジズが弾いているとなっている。11曲目の「ミムナ」では、ゲンブリと、もう一つの弦音が絡んでいるように聴こえ、それは記載を見たらアジズのンゴニだから多重録音だ。楽器伴奏はそれらゲンブリとンゴニだけ。その上でアジズが歌っている。グナーワ・(ポップ・)ミュージックでは実に頻繁に出現するので、なんのことかいまだにサッパリ分からないなりに、なんだかお馴染の言葉になってしまった「ミムナ」を。

ところで「ミムナ」は上記 ONB の1998年デビュー・ライヴ・アルバムでもやっている。しかもオープニング・メドレーの一曲目。そしてその三曲メドレーの二つ目が「サウウェ」なんだけど、これもアジズの『グナーワ大学』にある。九曲目。こっちもかなりシンプルな伴奏編成で、弦の低音(もどうやらゲンブリらしい)+カルカベみたいな金属打音+ヴォーカル・コーラス。これだけに乗ってのアジズがリード・ヴォーカル。

これら「ミムナ」「サウウェ」二曲を、ONB の『アン・コンセール』ヴァージョンと、それにも参加していたアジズの『グナーワ大学』ヴァージョンで聴き比べると面白い。二曲ともトラディショナル・ナンバーで、ONB ヴァージョンでのアレンジャーは「ミムナ」がアジズとの記載、「サウウェ」がユセフ・ブーケラとなっている。ONB のそれら二つは、かなりポップなんだよね。これはマグレブ音楽をまったく聴いたことのない音楽ファンだってポップだ、聴きやすい、親しみやすいと感じるはず。これには自信がある。なぜなら1998年当時の僕がまったく同じだった。

ところがその ONB ヴァージョンにアレンジと演唱で参加しているアジズの、『グナーワ大学』ヴァージョンの「ミムナ」「サウウェ」二曲にはポップさがかなり薄く、というかほぼなくて、モロッコのグナーワ儀式現場での生のグナーワ音楽の姿にちょっと近いような仕上がりだ。だからこっちはグナーワの伝統的なところを少しだけでも聴いていないととっつきにくいかもしれない。アジズは ONB ではあんな感じだったけれど、『グナーワ大学』でのこんな姿が本来のありようなのかなあ?

そういえば一番上で書いたウェザー・リポートのカヴァー「ブラック・マーケット」。『グナーワ大学』ヴァージョンでは、オリジナルにあった冒頭部での市場での雑踏音もそのまま再現し、またもとの曲がポップでファンキー(なんですよ、あのころからのザヴィヌルの曲は、だから次作にある「バードランド」は当然)だから、そんなフィーリングがやはり少し残ってはいるものの、全体的にはかなり渋いグナーワ・アレンジでの演奏だ。アジズが歌っているアラビア語の歌詞は自分で書いたものなんだろう。ザヴィヌルが鍵盤で弾いたお馴染の例のポップなリフを、アジズはンゴニ(?ゲンブリ?)で奏で、歌いはじめてからもグナーワ流儀でのヴォーカルのコール&リスポンス。しかも一瞬ジャマイカのダブふうな音処理がある。そのあと後半部ではいかにもグナーワというヒプノティックな反復になって、テンポもだんだん速くなっていき高揚して、これ、たぶんグナーワ儀式現場とかなら興奮のあまり失神したりする人もいるようなもんなんだろう?

アジズの『グナーワ大学』。ここまで僕が前からよく知っている三曲の話しかしていないが、実はこれら三つ以外の曲で僕が最も強く感じるのはアメリカ産黒人ブルーズだ。濃厚なノリのディープさが実によく似ている。グナーワのノリって、やっぱりブルーズとかリズム&ブルーズのそれに近いのかなあなんて思っちゃうんだよね。アジズの『グナーワ大学』ではどの曲もグナーワか、グナーワにアレンジしたものだけど、アメリカ産黒人ブルーズを強く感じる僕は、米黒人ブルーズ・ミュージックの聴きすぎなのか?

でもさあ、例えばアルバム四曲目「カヒナ」のミドル・スロー・テンポでゆったりと大きく乗りグルーヴするあたりとか、六曲目「アルフ・ヒラート」の細かく刻みながら全体的にはやはり余裕のあるうねりを感じるあたりとか、十曲目「ロフラン」でも似たようなブルージーなノリだしなあ。アメリカ産の、例えば1940〜50年代のジャンプ・ブルーズ〜リズム&ブルーズに同じようなもの、いっぱいあるよ。

僕が考えるに、こういうことはグナーワのブラック・アフリカン・ルーツをアジズが掘り下げてくれたってことじゃないかと思うんだよね。つまりグナーワのアフリカネス。黒さ。上でセネガル人エレベ奏者が参加していると書いたけれど、基本的には六人編成であるグナーワ大学バンドは、そのうち三人までがセネガル人なんだよね。さらに、アジズ自身、ゲンブリよりもンゴニを多用しているという点でも、またコラだって入っている曲があるし、やはりサハラ以南アフリカを感じるものだ。間違いなくアジズはこれを意識したよね。

その他いくつか理由があって、アジズの『グナーワ大学』は、基本、どこまでもモロッコのグナーワに則りながら、マグレブ音楽ではあまり聴いたことのない(ブラック・)アフリカネスに包まれている。University とタイトルを付けた(のはプロデューサーのマルタン・メソニエかもしれないが)のは、大学って学問的に掘り下げてルーツも学ぶところだろう?グナーワのルーツがサハラ以南のアフリカにあるのは周知の事実なんだから、アジズはそんなグナーワ・ミュージックに本来あるそんなアフリカネスを掘り下げて、その探求成果を実際の音で表現してくれたってことじゃないかなあ。

もちろんアメリカ産ブルーズのルーツが(西)アフリカにあるとは言えないだろう。あのスケール(音列)はアフリカ音楽には見いだせないと思う。アフリカから強制移住させられた黒人たちが産み出したものではあるけれど、あくまでアメリカ合衆国という場所でしか誕生しえなかった音の使い方だ。だけれども、アジズの『グナーワ大学』を聴いて、(僕だけかもしれないが)アメリカ産ブルーズのノリと同質のものを感じるのは、きっとなにかあるよね?そしてアジズのこういった探求のきっかけをつくったのは、やっぱりジョー・ザヴィヌルだったんじゃないの?

2017/07/19

これが盛り上がらずにおられよか 〜 マルチニークのトニー・シャスール

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今2017年、いままでリリースされたジャズ系のアルバムで、レユニオンのメディ・ジェルヴィルの『トロピカル・レイン』の次に気に入っているのが、マルチニークのトニー・シャスールの30周年記念ライヴ盤 CD 二枚+DVD一枚の『ライヴ・ラク・ランム:30・アノス・ドゥ・カリエール・ア・ラ・シガール』。マジでこの二つを超えるジャズ作品は今年は出ないだろ?二つともそう思っちゃうくらい素晴らしいが、それにしてもレユニオンとかマルチニークとか、フランス系が来ているのか、今年のジャズ界隈は?そのへん、まったく鼻が利かない僕だけど。

メディ・ジェルヴィルの『トロピカル・レイン』については以前の記事(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-4cf2.html)をお読みいただくとして、今日はマルチニークのトニー・シャスールのライヴ・アルバムの話。これは上で書いたフル・タイトルでお分りのように、トニー・シャスールの芸歴30周年記念でフランスのパリにあるラ・シガールで行われた2016年10月31日のパフォーマンスを収録したもの。DVD の方は観ていない僕だけど、それは二枚の CD に収録されているものと音源だけなら同一内容だと判断しているからだ。同一だよね?

このあたり、僕は映像はいらない、音源だけでいい人間だというのは前から繰返しているので。というわけでトニー・シャスール率いるミジコペイのいまのところの最新作は DVD しかないので、なかなか買う気にならず、やはりいまでもどうしようかあと思っているままなのだ。ダメだよねえ、こんな音楽愛好家は。音楽家の動く演唱シーンをテレビの歌番組以外で体験できることなんて、生コンサートに出かけていくしかほぼありえない時代に、しかもその生コンサートもなかなか体験できない地方都市に住んでいながら完全な音楽キチガイになってしまったことに由来するであろうこの習性は、どうやら一生抜けそうにない(岩佐美咲など、一部例外を除く)。

トニー・シャスール。今日話題の『ライヴ・ラク・ランム』も DVD が附属していると知り、もうそれだけで買おうかどうしようかちょっとだけ迷ったほどなんだもんなあ。それでも二枚の CD がちゃんとあるというので買ったのだった。もし DVD だけだったら、いまごろどうだったか…。 最初は DVD が CD 二枚と同内容(だと観もせずに勝手に判断しているだけだが?)だとは分らなかったから、エル・スールで買って、届いたら CD だけ聴こうかなと思っていて、実際いままではそうなっている。しか〜し!この二枚のライヴ CD は本当に素晴らしいグルーヴが満載。

トニー・シャスールはマルチニークのジャズ・ヴォーカリスト。だから『ライヴ・ラク・ランム』でも歌を歌っていて楽器はやっていない。二枚の CD はタイトルが異なっていて、それは音楽的テーマみたいなものを表現しているみたいだ。CD1は「Lakou Wouvè Live」。CD2は「Lakou Bo Kay Live」。これだけじゃなんのことか分らない僕だけど、いろんなことが書かれてある附属リーフレットに、一枚目は「クレオール・ジャズ」、二枚目は「ズーク・エ・シャンソン・クレオール」とあり、内容を聴いてもこれは納得できる。

そのリーフレットに書かれてあるバック・バンドは、CD1が(アクースティック・)ピアノ、エレベ、ドラムス、パーカッション。これに曲によってエレキ・ギターやゲスト・ヴォーカリストが参加する。CD2は種々鍵盤、エレベ、ドラムス、パーカッション、エレキ・ギター+コーラス隊+ホーン隊+ストリングス隊。こっちも少しのゲスト参加がある。基本的には二枚ともコアになっている部分は同じような編成だ。創り出すグルーヴもよく似ていて、ことさら(クレオール・)ジャズだ、シャンソン(ポップ)だと区別することはないんじゃないかなあ。

ところで CD1の方でエレベを弾いているのはミシェル・アリボーだ。メディ・ジェルヴィルの『トロピカル・レイン』でもレギュラー参加で弾いている。録音はメディのアルバムの方が早かったみたいだけど(なんでも二、三年前に完成していたという話だ)、聴衆の面前でお披露目し、CD&DVD になって発売され、日本でも買えるようになり、みなさんが話題にしはじめたのはトニー・シャスールの『ライヴ・ラク・ランム』の方がずっと先だった。みなさんがいいぞいいぞと言っているのを読むものの、上で書いたように DVD が附属するというだけで躊躇していたアホな僕。メディ・ジェルヴィルの方を先に買って先に聴いていた。

聴いてみたら、トニー・シャスールの『ライヴ・ラク・ランム』も、メディ・ジェルヴィルの『トロピカル・レイン』に負けず劣らず素晴らしい。というかふつうラテン〜カリブなジャズ(系のもの)がお好きな一般のみなさんは、トニーのライヴ・アルバムの方がとっつきやすく聴きやすく、また評価も高いじゃないかと僕は推測する。実際、トニーのこの三枚組の話題はよく見るけれど、メディの方の高評価はほぼ見かけないもんね。荻原和也さんと Astral さんと僕、この三人だけじゃないかなあ、まだ。

まあメディ・ジェルヴィルの『トロピカル・レイン』の方は、やや分りにくいような部分があるのは確かだ。全曲変拍子だし、スリリングな緊張感に満ち満ちていて、ふだんリラックスして聴くのには向かないアルバムだ。僕はそういう音楽もいまだにやっぱり好きなんだけど、トニー・シャスールの『ライヴ・ラク・ランム』の方が世間的(といってもほんの一部だろうけれど)にウケる、人気があるのは納得だ。そんでもって僕はトニーの方も大好きだ。

マルチニークの歌手にしてプロデューサー、サウンド・クリエイターであるトニー・シャスールがやっているだけあって(リーフレットにしっかり "Direction musicale"と記載もある)、やっぱりこれはジャズ系のカリビアン・クレオール・ミュージック?と思うと、あんがいそんなことは意識しない。僕はね。ほぼまったくと言っていいほどそんな歯ごたえはない(いい意味で)。どうしてかって、1970年代後半以後のウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌルが同系の音楽をいくつかやっていたから、すっかり聴き慣れている…、もののようにトニーの『ライヴ・ラク・ランム』は聴こえたけれど、僕の勘違い?じゃないと思うけどなあ。トニーのこのライヴ盤を褒めるみなさん、ウェザー・リポートをちゃんと聴いてないでしょ?

クレオール・ジャズをやるマルチニークのトニー・シャスールみたいに、歌詞のある部分とスキャット部分をないまぜにしながらスポンティニアスに歌うヴォーカルだって、ある時期以後のジョー・ザヴィヌルはどんどん起用してウェザー・リポートの果実にしていた。だいたい1980年代の同バンドのレギュラー・パーカッショニスト&ヴォーカリストのミノ・シネルの父はマルチニーク人だ。同バンドでのミノも、英語とフレンチ・クレオールとのピジンで歌ったものだってある。その背後でアクースティク・ピアノ含め鍵盤楽器+リズム・セクションが支えるとか、もうソックリじゃないか。だから、僕には、ある意味<保守的音楽>にすら聴こえるトニー・シャスールの『ライヴ・ラク・ランム』なんだけどね。

このあたりの1970半ば〜80年代前半あたりの(ジャズ・)フュージョンが、21世紀のいまのジャズ系の音楽にどうつながっているのかは、どなたかちゃんとしっかり考えて文章にしてほしい。できそうな方のお名前が何名かすぐにパッと思い浮かぶんだけど、いまだにまとまったものがないよなあ。トニー・シャスールなんて相手にしてくれていないのか?いま在庫切れ状態だけど、日本のアマゾンでだって普通に売ってるぞ、『ライヴ・ラク・ランム』は。

さてさて、さほど大きな音楽的違いはないと書いたトニー・シャスールの『ライヴ・ラク・ランム』CD1と CD2だけど、それでも一枚目はやっぱりかなりストレートにジャジーだ。トニーのヴォーカルも都会風にソフィスティケイティッドされていて、バック・バンドもときおり4/4拍子で伴奏したりして、その上でサラリと流れるスキャットを聴かせてくれたりもする。CD2では大編成のホーン、ストリングス、ヴォーカル・コーラスが入っているので、聴感上の印象だけならやはり相当違っている。「違わない」と僕が書いたのは根幹のグルーヴの種類が、という意味。

僕はジャズ・ファンなんだから、ポップなフィーリングの CD2「ズーク・エ・シャンソン・クレオール」よりも CD1「クレオール・ジャズ」の方が気に入っているんじゃないかと思われる可能性があるかもしれないが、完全に逆なんだよね。むかしならいざ知らずいまの僕は、ポップ・ミュージックを賑やかに聴かせてくれる方がいいんだぞ。CD2の方では(聴いていないがミジコペイのライヴ DVD もそうだったらしい)カリビアン・ビッグ・バンド・ジャズを展開していて、トニーのヴォーカルも CD2の方により一層の伸びやかさを僕は感じる。CD2の方が出来は上だよね。特にジャズ好きではない一般の音楽愛好家のみなさんにも CD2の方が受け入れてもらいやすいはず。

CD2の方には長尺のメドレーが3トラックある。三つとも13〜15分程度もあるのだが、トニー・シャスールのアルバム『ライヴ・ラク・ランム』ぜんぶでの最大の聴きどころが、間違いなくその三つのメドレー、特にアルバムを締めくくるラストのメドレー二つだろう。その直前に「カリベアン」というそのまんまな曲題の、リズム・フィールもいかにもカリブ風に強く跳ねるものがあったりもするが、それもクライマックスへのプレリュードだ。

アルバム・ラストの二つ連続のメドレーでは、リズムはやはりカリビアンな跳ねる感じ。エレキ・ギターも気持よく刻みながら、エレベがうねり、ドラマーもパーカッショニストも軽快でたおやかで、本当にリズム・セクション全員がキレキレで素晴らしい。あ、ストリングス・セクションに聴こえるものは鍵盤奏者のシンセサイザーなのか?いや、リーフレットをよく見たらやっぱり生楽器奏者が(管楽器同様)いるなあ。でもシンセサイザーでも似た音を出して重ねてあるの?

女性バック・シンガーたちもいい。あくまでトニー・シャスールの影となって支えているだけだが、これがあるとないとでは大違い。ライヴ・パフォーマンスらしく、トニー自身も頻繁に(バンド連中にも客席にも)しゃべりかけながら軽やかでしなやかに歌い、ヴォイス・パーカッションも披露。鍵盤奏者がときおりエフェクト的に奏でるシンセサイザーでのキラリンという音も効果満点。

特に CD 二枚のラスト・トラックである最後の15分12秒間続くメドレーなんか、これがアルバム全体の大団円なんだろうけれど、 もうねえ、これが盛り上がらずにおられよかといった場面の連続で、すごくキモチエエ〜。超快感で、聴き終えるのが本当に惜しい。

2017/07/18

エクサイル・バンドがやるサザン・ソウルな「むなしい恋」

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ローリング・ストーンズのライヴでは、ミック・テイラー在籍時の1972/73年ものがいちばん凄いぞという噂は前々から耳(目)にしていたんだけど、公式音源がなかったよなあ。ブートレグでならいくつもあったみたいだけど、前から繰返しているように僕はマイルズ・デイヴィスのブート盤以外は買う気がない…、わけじゃなくて興味は大いにあるんだけど、マイルズのブート盤って数が多いんだよね。それを追いかけるだけで破産しそうなのに、それ以外のブートを買う余裕なんてないんだ。

それでもいろいろと(主にロック関係の)ブート盤もちょっとだけ買っている僕。ストーンズ関連では、CD 時代になって以後、やはり評判が著しく高い1972/73年のライヴを聴きたくて、とりあえず『ナスティ・ミュージック』と『ザ・ブリュッセル・アフェア』だけ買って聴いてみたら、やっぱり凄いんだこれが。ストーンズ・オフィシャルはどうしてこういうものをリリースしないのか?と疑問だった。

何年か前、う〜んと、もう五、六年前かなあ、ようやくオフィシャルで、しかもネット・ダウンロードのみの販売だったけれど、1973年のライヴが(ブートと同題の)『ザ・ブリュセル・アフェア』となってリリースされたのだ。問答無用、速攻で飛びついた僕。僕の場合、おそらくあの時がダウンロードで音楽を買った生まれて初めての体験だったなあ。あのころストーンズのオフィシャル・サイトは蔵出しライヴ音源をたくさん配信した。僕は全部買った。しかしのちにぜんぶ CD でもリリースされた模様だ。僕は一枚も買っていない。必要ないもんね。

あとは1972年のライヴだよなあと思っていた、というと実は不正確で、73年の『ザ・ブリュッセル・アフェア』が公式ネット配信されるずっと前の僕の東京時代に(何年だったか正確には忘れたが、21世紀に入ってからだ)DVD『レイディー‏ズ&ジェントルメン』がリリースされていた。これは72年のアメリカ公演を収録したもの。うん、これはリリース当時、本当に嬉しかった。だが、僕は音源だけでいいっていうタイプの人間なのだ。

だいたい『レイディーズ&ジェントルメン』の映像部分は少し暗くて、ステージでみんながなにをやっているのか、ちょっと分りにくかったような記憶がある。観なおしていないので曖昧な記憶だが、なんだか暗闇にミック・ジャガーの姿がボーッと浮かび上がり、よく分らないがクネクネとセクシーにひっくり返っているとか、そんな印象だったような。気のせいかもしれない。音源そのものは最高だったので、なんとか CD で同じものをリリースしてくれないものか?とも思っていたのだ。

そう、僕は中身が同じであれば DVD よりも CD で音だけ聴く方がいい。音楽 DVD を買うのは中身が違っていて DVD でしか聴けないものを含むとか、そもそも DVD しかないだとか、そういうものだけ。だから、岩佐美咲さん、お願いしますよ。いままで二枚出ているわさみんの DVD を CD でも出してもらえませんか?そして今後もお願いします(ってこんなことを実名を出して公に発言するわさみんファンは僕だけだろうなあ…)。

まあそんなことで今2017年に CD リリースされたストーンズの1972年公演『レイディーズ&ジェントルメン』は嬉しくて、僕はもちろん即買い。6月24日と25日にテキサスのフォート・ワースとヒューストンで行われた計四公演が撮影された。このアルバムの音源になったものはもともと映画用の撮影フィルムだ。その映画を収録したものが DVD ヴァージョン。だから十年以上?前に最初にまず DVD だけ発売されたのは当然なのだ。 そこから今年、音源だけ CD になった。

『レイディーズ&ジェントルメン』は、スティーヴィー・ワンダーが前座だった1972年のアメリカ・ツアーでのレギュラー・セット・リストを、基本、ほぼ丸ごと再現してある。収録曲も曲順もだいたい同じ。収録されていないのは、毎回やっていたらしい「ロックス・オフ」だけのようだ。この CD は77分なので、ある時期以後長時間化したストーンズのコンサートの感覚からすると、かなり短いような印象だよね。しかも最近は前座なんて置かないしなあ、ストーンズは。

ストーンズのライヴ・ツアーでのオープニング・アクトの歴史はなかなか面白いものがあって、あるときは、まだ人気が爆発する前のプリンスを英国ツアーで起用して、プリンスは激しいブーイングを浴び、半泣き状態?でステージを中座して降りて、すると袖からミック・ジャガーが出てきて「お前ら、こいつの凄さが分らないのか?!」と怒ったという話も残っている。その他いっぱいあってキリがない。しかし1972年でスティーヴィー・ワンダーが前座って、そのころスティーヴィーは、しかもアメリカ本国でのツアーだし、すでにかなり人気があったんじゃないかと思うんだけど、ストーンズがビッグになりすぎていたということなのか?

『レイディーズ&ジェントルメン』で個人的に一番嬉しいのは、サザン・ソウル・チューン化しているロバート・ジョンスン・ナンバー「ラヴ・イン・ヴェイン」の公式化だ。こ〜れは!ホ〜ントに!すんばらしいんだよね。ブートで聴いていたが、サザン・ソウル風にキース・リチャーズが三連リフを弾く上でミックが情感たっぷりにロスト・ラヴを歌うのもいいし、そしてなんといっても!ミック・テイラーのギター・ソロが絶品なんてもんじゃないくらい旨味なのだ。

「ラヴ・イン・ヴェイン」でのミック・テイラーは、まずスライド・プレイで、最初ミックのヴォーカルに2コーラス目から絡み、その後一回目のソロをやはりスライドで弾く。この人のスライドが上手(旨)すぎるのは、1972年全米ツアーに先立ってリリースされていた LP 二枚組アルバム『メイン・ストリートのならず者』でも実証済。だけどライヴでの「ラヴ・イン・ヴェイン」におけるミック・テイラーのスライドは本当に美しい。しかもまろやかでコクがある。

ミック・テイラー(ジャガーといちいち区別しないといけないから面倒くさいな)のスライドといえば、1973年公演公式収録盤の『ザ・ブリュッセル・アフェア』一曲目「ブラウン・シュガー」でもキラリと輝いていた。その「ブラウン・シュガー」ではキースの弾くお馴染リフ三回のあとミックのヴォーカルが出るやいなやスライドで絡みはじめ、そのままソロを弾き、しかも終盤部ではバーを置いて指での押弦で細かい華麗なフレーズを、それも曲が終わるあたりになればなるほど、どんどん盛り上がって弾いている。

まずスライド、次いで指での押弦、というのは『レイディーズ&ジェントルメン』の「ラヴ・イン・ヴェイン」でも同じ。ブルーズにおけるギター・スライドは、ときどき列車を表現していることがあるけれど、このロバート・ジョンスン・ナンバーもトレイン・ソングで、好きな女性が去っていくのを駅まで追いかけるが間に合わず、女性を乗せた列車が走り去る後ろ姿を独り寂しく眺めて心で泣くというブルーズ。このライヴ・アルバムのこの曲でのミック・テイラーのギター・スライドもまさにトレイン・ブルーズの表現だ。ミックも感極まってシャウトし、その背後でホーン・セクションが、これまた列車の汽笛みたいなリフ・サウンドを奏でる。

その次の瞬間にミック・テイラーの二回目のソロになって、今度はバーを置き指での押弦で細かいフレーズを華麗に弾きまくるのだ。ここが、僕個人にとっては、『レイディーズ&ジェントルメン』のクライマックス。まさに女性が自分のもとから去っていくことばかりの人生を送ってきている(のは100%完全に僕だけに原因があるのだが)僕にとっては、この二回目の指押弦でのミック・テイラーのソロで泣けてしまうのだ。グワ〜ッと気持が盛り上がり、あぁ、もっと続けてくれっ!と思ってしまう刹那に曲の演奏自体が終ってしまう。それもまた余韻を残していい雰囲気だ。

ストーンズ1972年ライヴでの「ラヴ・イン・ヴェイン」が凄いんだ凄いんだと、ずっと前から噂だけ耳にしていて、ブート盤 CD『ナスティ・ミュージック』でなんとかそれが聴けたものの、これが公式 CD 化したということが、僕にとっては『レイディーズ&ジェントルメン』最大の注目点だったんだよね。僕はそれくらい、ロバート・ジョンスンのあの「むなしい恋」というブルーズ・ソングが好きで、いや、正確には作者自身のブギ・ウギ風オリジナルではなく、三連のサザン・ソウル・バラードとして解釈・展開したストーンズ・ヴァージョンの「むなしい恋」こそが大好きで大好きでたまらないんだよね。

分っていただけますかね?僕のこの気持?

今日は『レイディーズ&ジェントルメン』のほかの収録曲のことについては、文字通り一言も触れていない。上でちょっと示唆したように、先立つスタジオ・アルバム『メイン・ストリートのならず者』からストーンズ本体はもちろん、サポート・メンバーもほぼ同じで、レパートリーもこの二枚組アルバムからのものが最も多い。だから『レイディーズ&ジェントルメン』になった1972年の全米ツアーは、言ってみればエクサイル・バンド、ならず者たちバンドがやるならず者音楽のお披露目みたいなものだった。

そのあたりも含め、『レイディーズ&ジェントルメン』の日本盤 CD(は『レディース&ジェントルメン』表記)に附属している、現在日本で最もストーンズに詳しい存在である寺田正典さんのライナーノーツで、かなり懇切丁寧に解説されている。それをお読みになれば、僕ごときが屋上屋を架す必要なんてぜんぜんないので。

2017/07/17

マニアなんか全員死んでしまえ!

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通ぶっている人間ほど始末に負えないものはない。僕もふだんそんなふうになりがちな人間だからこそ、自戒の意味も込めて。

一昨日2017年7月15日と昨日16日のことだった。上西小百合議員が盛大なブーイングを浴びた。彼女の Twitter アカウントが炎上したのだ。政治関係のことではない。サッカー関係のことでだ。ちょっと、いや、かなり気になって、これを看過することはできない。それは音楽愛好者、音楽マニアのありようと深く関わる、というか本質的に同じことだから、少し書いておこう。はっきり言うと昨日、僕はかなり腹が立った。頭に血が上ったのだった。あんな人たちを僕は許せない。

上西小百合議員が攻撃されたきっかけはこれだ。
「浦和酷い負けかた。親善試合は遊びなのかな。」とある。

これは7月15日(土曜日)に日本で開催され、フジテレビで放送されたボルシア・ドルトムント対浦和レッズの試合についてのものだ。確かに親善試合、というか、日本の J リーグと違って、いまドイツ含め欧州サッカーはオフ・シーズン真っ只中で、来季(欧州のサッカー・カレンダーは八月末〜翌年五月末というのが一般的)へ向けての準備中なので、ドルトムントとしては練習・調整試合(日本のプロ野球で言えば、二月末〜三月のオープン戦)だった。それをどうして日本でやったのかというと、ドルトムントには香川真司選手が所属しているからというのもある。そうでなくたって、欧州の人気有名チームが日本で試合をやれば集客も見込める。お金儲けになる。要するに「興行」だったんだよね。この手のことを欧州の有名サッカー・クラブは、日本や中国や、その他アジア各国でよくやるんだ。

この試合での浦和レッズの選手のありようを上西小百合議員は批判した。決して浦和の選手のサッカーそのものや全人格を否定したわけではない。単なる真っ当な批判だ。ところが、この上西議員の発言に多くのサッカー愛好家、おそらくその多くが浦和サポーターだったと思うけれど、激しくかみついたのだった。それらは上西議員の人格を攻撃して、人間として全否定しているかのようなものが多かった。

例えばこういうのだ。こっちはアカウントを貼らない方がいいと思うので、ちょっと文章を引用だけしてみる。

・上西小百合半端ないって。あいつ半端ないって。自分で失言しておいて、高木選手に批判されてんのに、国会議員がプロサッカー選手にリプで反論してるもん。そんなんできひんやん、普通。

・上西小百合議員がサッカー界に近寄ってきた。こいつはマジやべー奴だから距離置いた方がいい。本人も秘書もやべー。浦和もガンバも岐阜も全力スルー推奨。

・「サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく」など煽り気味の投稿を連発。

・高木義成選手の勇気ある発言と大人な対応、上西小百合議員の偏差値2かよってレベルの大人気なく訳のわからないガキなSNSの使い方です、ご覧ください

・ところでサッカーファンの皆さん、上西小百合議員は今後、呼び捨てにして構わないよね?💢

これらはほんの一例にすぎない。上西小百合議員の件のツイートはどんどん(否定・肯定、両方の意味で)リツイートされて、激しい罵倒が直接向けられていた。向けたのは全員サッカー愛好家、サッカー通なんだよね。

どうだ?こういうの、許していいの?僕が言いたいのは以下のことだ。

上西小百合議員のことは僕はふだん政治家としてはべつになんとも思っていないのだが、彼女の Twitterアカウントをよく読むと、サッカー好きでサッカーの理解者であることは明白だ。それなのに、ちょっとサッカー関係のツイートをしただけで、それがふだんサッカーとは関係なさそうな人で、それが女性で、しかも国会議員だから、ということなのかどうなのか、いわゆる「にわか」に見えたからなのか?、攻撃されてしまった。

ふだんの上西小百合議員の政治的発言や立場もあってのことかもしれないが、僕はそのあたりあまりよく知らないし、いや、ちょっとだけ知っているのだが、今日のこの話題には関係なさそうだから書かない。大きな問題は、彼女を攻撃しているのは、みんな(自称)サッカー・ファン、サッカー・マニア、サッカー通の人たちだということ。

ふだん一見サッカー(音楽)と関係なさそうな方がサッカー(音楽)の世界に「口出し」すると、こんなサッカー(音楽)通、マニアの人たちが、ブ〜ブ〜文句を言うっていう、こういった態度が僕はだ~っいきらい!!なにがサッカー(音楽)通だ!一般の多くのサッカー(音楽)に興味がある、好きだ、という人たちが入ってくる門戸を狭めているだけじゃないか!

その結果、サッカー(音楽)人気が拡大せず、そしてその結果、サッカー(音楽)界全体が低迷するだけだ。通・マニア連中は、自らが愛しているはずの世界が衰退する手助けをしているだけにすぎないんだぞ。

僕は昨日、上西小百合議員関連のこれを発見し、激しくお湯を沸かしてしまい、上西議員は間違っていない、彼女を攻撃するのは筋違いだ、僕は彼女と同じ立場であると擁護して、彼女を猛攻撃するサッカー通、サッカー・マニアのみなさんをかなり強く批判した。だけれども、まったくだれからも攻撃の矢が飛んでこなかった。それは僕が「サッカー側にいる」人間だとみなされているからに違いないのだ。

ケッ!!

上西小百合議員を攻撃した人たちに言っておきたいことがある。いつの日か、その正当な理由なき総攻撃の対象が自分に向くことがあるかもしれないから、その覚悟はしておいてほしい。「にわかは黙ってろ」的信仰が、どれだけ J リーグ、そしてサッカー界全体に大きな損失を与えているか、自覚してほしい。みんな、いじめるのが大好きなんだな。「サッカーを知らない奴がサッカーを知ったかぶった発言をするのは悪であり、いくらでも攻撃して OK」と考えている輩がサッカー・ファンの中にそれなりの数いることは、まったくノーマルに思えない。こうやってサッカー(音楽)愛好世界の閉鎖性がつくられていくのだな、という典型例を見た気がする。

この手の「にわかは黙ってろ」的なことは、もちろんサッカーだけでなく、どんな世界にもある。音楽愛好家、音楽マニア、音楽通の世界にも、言うまでもなくかなりあるよね。ふだんからよく見る。そして、最初に書いたように、僕もふだんこんなふうになりがちな人間なのだ。それじゃイカン。一般の多くの人たちが、いままで音楽の世界に強い興味を抱いていなかった人たちが、音楽の世界に入り込もうとする障壁になってしまうだけだ。

音楽通や音楽マニアが「にわか」だとみなす人たちこそ、どんどんものを言うべきじゃないの?たとえその発言・行動内容が間違っていたりおかしかったりしても、そこは前々からの愛好家らしく黙って見守って受け止めるくらいの度量がないとダメなんじゃないの?

例えば、最近はこんなことがある。ネット・マスコミのいう「レコード女子」。それはレコード・ショップに行って、ただ写真を撮るだけのインスタ女子のことだ。レコード好きの音楽通のみなさんが、彼女たちのことをどうのこうのと言っているけれども、(自称)音楽レコード好きのオッサンが、店頭で値段が高いのなんのと難癖つけて結局一枚も買わないのとどこが違うんだ?それだったらまだレコードの写真を Instagram にアップする若い女性の方が三万倍くらいマシなんじゃないのか?

みなさん、音楽通、音楽マニアのみなさんは、そんな写真を撮るだけのインスタ・レコード女子のことを笑い、からかい、揶揄している。僕が Twitterでフォローしている音楽愛好家の方々のなかにも、そんなツイートやリツイートをする人がなんにんもいた。が、そんなこと、する必要があるの?どうして彼女たちのことをみんな笑うの?

入ってくるきっかけはなんでもいい。それが単にレコード・ショップで写真だけ撮って、それを Instagram にアップするるだけでもいいじゃないか。いまはまだレコードを買わないかもしれないが、徐々に音楽レコードに対する興味が強くなっていって、そのうちレコードを買いはじめるかもしれないじゃないか。いつまでも買わないのだとしても、レコード・インスタ女子たちがアップする写真をスマホで見て、あっ、これ面白そう!オシャレ!だとか思う人がいて、レコード・ショップに足を運ぶ可能性だってあるはずだ。そうなれば、レコード人気、音楽人気は裾野を広げる。

なあ、(サッカー、音楽)通やマニアのみんな、初心者やにわかファンの人たちにもっと優しくしようぜ。一人でもファンが増えれば、それは僕たちにとっても嬉しいことじゃないか。

2017/07/16

ブラウン・ローチ・クインテットならこれ

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クリフォード・ブラウン&マックス・ローチ双頭クインテットの作品で、僕が一番好きなのは『ブラウン・アンド・ローチ・インコーポレイティッドだ』。1954年録音で、エマーシーから12インチ LP となって発売されたのが55年。録音された54年8月は、この双頭クインテットの初録音で、実際、僕の持つ CD 10枚組『ザ・コンプリート・エマーシー・レコーディングズ・オヴ・クリフォード・ブラウン』ボックスの冒頭を飾っている。

ここで僕の正直な気持を包み隠さず素直に書いてしまうが、著しく世評の高いこのブラウン・ローチ・クインテットのことが、僕は好きじゃないのだ。オブラートにくるまずはっきり言ってしまうと、どこが面白いのか分らず音楽的に優れているとも思わない場合が多い。しかし、僕のこの意見は、この「バンドの」音楽として聴いた場合、という意味であって、ブラウニーのトランペット演奏はいつでもどれでも最高だと心の底から思う。このことに微塵の疑いもない。

だが、ほかの四人の演奏が僕はどうも気に入らない。ドラマーのマックス・ローチがマシだなと思うだけで、残りの三人は、いったいぜんたいどこがいいんだ?ブラウニーみたいな空前絶後の超天才ジャズ・トランペッターが、短い生涯で持った唯一のレギュラー・コンボがこれだったなんて…。僕は全ジャズ史上で一、二を争う痛恨事だとさえ考えているくらいだ。世のジャズ・ファンでこんな暴言を吐くのは僕だけだろう。

ブラウニー以外の四人だってむろん悪くはないどころかかなりいいんだ。だけどさぁ、トランペッターがあんな感じでパラパラ吹きまくるもんだから、ギャップが激しいんだよね。僕にはそう聴こえる。唯一対抗できているのがマックス・ローチだけ。だがまあこれはしょうがないことではある。どんなサックス奏者、ピアノ奏者、ベース奏者をチョイスしても、あの1950年代半ばあたりのブラウニーとは比較にすらなりようがないんだから。つまりこれは、天才があまりに突出しているがために起きる宿命的悲劇だ。いろんな時代、いろんな世界に同類の例を見いだせる。

まあそんなわけで、僕が普段よく聴くブラウニーはこの双頭クインテットではなく、『ウィズ・ストリングス』みたいにただひたすらブラウニーだけが吹いているというものか、そうじゃなければ、アート・ブレイキーの『バードランドの夜』二枚か、その前の、ライオネル・ハンプトン楽団在籍時代の一連のパリ・セッション集全三枚か、または『ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド』だ。最後のものの「ジ・エンド」分のバック・バンドくらいどうでもいいような腕前のジャズ・メンなら、かえってそのギャップは気にならない。伴奏役に徹しているしね。

ブラウン・ローチ・クインテットを評価できないという話はそろそろやめておく。このバンドのアルバムで僕のお気に入りである1954年録音の『ブラウン・アンド・ローチ・インコーポレイティッド』の話をしよう。特にA 面がいいね。B 面は、このあとこのバンドにありがちになる?妙に凝りすぎたアレンジがすでに垣間見えるので、やっぱり好きじゃない僕。念のために書いておくと、全七曲のうち CD なら三曲目の「ストンピン・アット・サヴォイ」までが A 面だった。30年以上前から僕は普段 A 面にしか針を下ろさなくなっていた。

『ブラウン・アンド・ローチ・インコーポレイティッド』の A 面三曲「スウィート・クリフォード」「アイ・ドント・スタンド・ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス・ウィズ・ユー」「ストンピン・アット・サヴォイ」はすべて非常によく知られたスタンダード・チューンだ。え?「スウィート・クリフォード」なんて知らないよ?と思われるだろうが、この曲は「シウィート・ジョージア・ブラウン」のコード進行をそのまま拝借しただけのもの。原曲に Brown という言葉があるものからブラウニーがアダプトして 、Sweet はそのまま残しているっていう。だから聴かなくてもおおよその推測はつくんじゃないかな。

これら『ブラウン・アンド・ローチ・インコーポレイティッド』の A 面三曲では、のちにこの双頭クインテットのトレード・マーク(?)みたいなものになってしまった、凝った妙ちくりんなアレンジが一切なく、五人がそのままストレートにスタンダードを演奏しているだけだ。ブラウニーみたいな最高の演奏家にはそういうやり方で伸び伸び吹かせてあげるのが一番似合っていて、また実力も発揮しやすいと、僕なんかは思うんだけどなあ。

『ブラウン・アンド・ローチ・インコーポレイティッド』の A 面三曲は流れもいい。一曲目の「スウィート・クリフォード」が超急速調でドライヴするオープナーで惹きつけて、二曲目の「ゴースト・オヴ・ア・チャンス」がため息が出るような美しいバラードでウットリし、三曲目の「ストンピン・アット・サヴォイ」が中庸テンポでの心地いいスウィンガーでくつろげる。続けて聴くと本当に楽しいんだよね。

一曲目「スウィート・クリフォード」は、ごくごく簡単なテーマ、というかこりゃ軽いモチーフだな、それをトランペット&サックス二管でササっと片付けたあと、ハロルド・ランドのテナー・サックス・ソロ。悪くないが直後に出る二番手がブラウニーなもんで。それもあまりにも輝かしく吹きまくるもんで。三番手のリッチー・パウエルのピアノ・ソロもかすんでいる。唯一マックス・ローチのドラムス・ソロは負けてないね。だからさぁ、このクインテットはブラウニーとローチだけにソロを任せたらよかったんじゃないの?(…などとまた放言を…)。
二曲目「ゴースト・オヴ・ア・チャンス」では、この実に多くの歌手や演奏家が繰返しとりあげている、美しくも哀しく切ないラヴ・ソング(but what's the good of scheming / I know I must be dreaming)を、ブラウニーがやはりひたすら美しく吹き上げる。歌手によるものでは、個人的にはリー・ワイリーのヴァージョンがいちばん好きな僕だけど、インストルメンタル・ヴァージョンならこのブラウニーのもので決まりだ。これ以上のものは存在しない。
どうだ?この丸くて艶やかな音色は?最高じゃないだろうか?しかもブラウニーはただ美しく吹いているだけではない。上で一節ご紹介したような内容の歌ではあるんだけど、そのメロディを吹くブラウニーは音に力があって、「いや、お前、頑張ってもっと妄想しろよ、きっとなんとかなるかもしれないぜ」と励ましてくれているかのような、なんというかちょっとした希望、前向きの肯定感がサウンドに感じられるもんね。特にピアノ・ソロをはさんでの終盤部で、それがかなり強く感じられる吹き上げ方だ。伴奏リズムもそうなっている。僕はそれがあるからこそ、このヴァージョンが大好きなのだ。

三曲目の「ストンピン・アット・サヴォイ」は、1930年代後半ごろのスウィング・ジャズ全盛期によく演奏された曲で当時は完全なスタンダードだったから、僕みたいな趣味のジャズ・ファンならみんな知っているものだけど、モダン・ジャズ時代になってからはほぼ忘れられたようなもの。だからモダン・ジャズ(・スタイルのもの)しか聴かない人だと、これなに?ってなっちゃうかも。30年代からミドル・テンポで演奏されることが多く、ブラウニー・ヴァージョンもそれを踏襲している。
二管が絡みながらのテーマ演奏後、まずハロルド・ランドのテナー・ソロ、次いでリッチー・パウエルのピアノ・ソロ(の冒頭で「南京豆売り」を引用するあたりも1930年代っぽい)も、この曲ではなかなかいいじゃん。三番手で満を持したかのようにブラウニーが出てくると、そのブリリアントさにやっぱり先の二名はどうでもよくなってしまうけれどね。3:13 〜 3:27 までワン・ブレスで吹くあたりにの見事さには、言葉がないね。これ以外の部分でも歯切れよくスパスパと明快なディクション(は歌手について使う言葉だけど)で、しかも構成も絶妙なフレイジングで組み立てている。

CD10枚組完全集『ザ・コンプリート・エマーシー・レコーディングズ・オヴ・クリフォード・ブラウン』では、「スウィート・クリフォード」が2テイク、「ゴースト・オヴ・ア・チャンス」も2テイクあるのに、「ストンピン・アット・サヴォイ」は1テイクしかない。何回かテイクを重ねたが残っていないだけかもしれないが、もしかりにワン・テイク一発録りだったとしたら脱帽だね。世のジャズ・トランぺッターたちよ、絶望するしかないだろう?

2017/07/15

リシャールのブルーズやインド風だったりなど

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リシャール・ボナの2009年作『ザ・テン・シェイズ・オヴ・ブルーズ』。こういうアルバム名だし、当時リシャール自身が、このアルバムのテーマは世界各地にブルーズがあって、それを10個の切り口でやってみせたものなんだと語っていたしで、確かに10通りの見方のブルーズ表現ということなんだろう。でも実際聴いてみたら、そんなテーマみたいなものはあまり意識することはないし、強く感じることもない。

アルバム中、最もストレートにアメリカン・ブルーズだなと分るのは三曲目の「グッド・タイムズ」、九曲目の「ヤーラズ・ブルーズ」だろう。定型の12小節3コードではないが、ブルージーだ。リシャールはこの二曲だけ英語で歌い、それに自身の声をコーラスとしてくわえ、ジャズ・ブルーズ風なテナー・サックス、同じようなハモンド・オルガン、ハーモニカも入り、かなり親しみやすいのは確かだ。
しかしこれより僕にとってリシャールの『ザ・テン・シェイズ・オヴ・ブルーズ』が面白いのは、アラブ風、インド風、東南アジア風、そしていつも通りのラテン調などなど、世界中の種々の音楽模様がゴッタ煮で混在している部分だ。特にインド音楽風のものは、リシャールのほかのアルバムで聴いたことがないように思うので、かなり貴重じゃないかなあ。最も鮮明なのは二曲目の「シヴァ・マントラ」。
この「シヴァ・マントラ」には、お聴きになって分るようにシタールが入っている。アルバムのブックレットには一曲ごとに演奏メンバーが記載されているが、確かにシタール奏者が参加。フィーチャーされているというに近い使い方だ。タブラのような打楽器のサウンドも聴こえるが、クレジットではパーカッションはリシャール一名のみなので、自身が(タブラかどうかは分らないが)叩いているんだろう。ゲスト・ヴォーカリストもいてインド風に歌い、リシャール自身もそんな歌い方をしている。

アルバム『ザ・テン・シェイズ・オヴ・ブルーズ』には、他にもインド風なニュアンスを若干感じるものがあったように思うけれど(例えば十曲目「ソナ・モヨ」の出だしの詠唱とか)、僕にとっては二曲目「シヴァ・マントラ」の印象が非常に強い。リシャールの作品ではほかにこんなようなものは聴けないよなあ。これもリシャールに言わせればインドにある「ブルーズ」ということになるんだろうか?きっとそうだよね。

二曲目「シヴァ・マントラ」が異様に輝いている『ザ・テン・シェイズ・オヴ・ブルーズ』だけど、これを除くアルバム全体は、リシャールのいつも通りの路線だ。ジャズと(フュージョンと)ラテンをベースに、その上にトランス・アトランティックな、というか汎地球的な音楽を展開していて、しかもやっぱり激しくなく、暖かく包み込むような眼差しが感じられて、聴いていて安心して身を任せることができる。これこそがリシャールのリシャールたるゆえんだよね。

ただアルバム『ザ・テン・シェイズ・オヴ・ブルーズ』には、例えばアメリカのカントリー・ミュージックもあったりするのでちょっとビックリ。七曲目の「アフリカン・カウボーイ」。リシャールがマンドリンも弾き、バンジョー奏者とフィドル奏者がフィーチャーされている。完璧な米カントリー・サウンド。それなのにリズム・フィールは入り組んでいて複雑。アフロビートっぽい部分も感じられる面白さ。
八曲目「エスクドゥ」では中近東のネイ(笛)のような管楽器サウンドが聴こえるので、なんだろうなあ?と思ってクレジットを見たら Fula Flute というものの演奏者が参加している。なんだろうなあこれは?と思って調べてみたら、確かにフルートのように横にして吹く笛で、木製のもののようだ。画像検索して姿も分ったが、音がどんなものなのかは、リシャールのこの作品でしか聴いたことがないように思う。やっぱりネイのサウンドに非常に近いが。

アルバム『ザ・テン・シェイズ・オヴ・ブルーズ』では、五曲目「クルマンレテ」、六曲目「ソウレヤマネ」、十一曲目「カメール・シークレッツ」など、これらはラテン〜アフロ・ミュージックで、リシャールのアルバムでは聴き慣れたもの。特別目新しいとかものすごいとかいうものじゃないけれど、クォリティの高い音楽で、安心して聴けてリラックスできる。普段聴きにはいいんだよね、こういうアルバムがね。

2017/07/14

コルトレーンがマイルズにもたらしたもの(1)〜 アクースティック・マイルズから『キリマンジャロの娘』へ

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最近、マイルズ・デイヴィスの電化ジャズ路線に聴けるカリブ〜ラテン〜アフリカ要素について、いろいろと聴きなおしながら考えなおしている。具体的には1968年のアルバム『キリマンジャロの娘』の存在感が、僕のなかでどんどん大きくなってきていて、ここへ至るまでにマイルズがどういう経緯・足跡を辿ったのか?ということをじっくり考えなおしているのだ。1969〜71年あたりのマイルズ・ミュージックの激変と、その後1972〜75年のハードなファンク期については、書くことが少し減りつつあるように個人的には感じている(それくらい書いてきたつもりだ)。

しかし1968年の『キリマンジャロの娘』がどんどん大きく見えてきて、僕のなかで重要度も増してきているというのは、なにも69年以後のマイルズについて書くことが少ないからということが原因なわけではない。聴けば聴くほど『キリマンジャロの娘』がどんどん面白くなっているだけだ。いろんな意味でね。このクウェラ・マイルズとも言うべきアルバムについては、以前一度だけ単独記事にもしたが、改めてもう一回じっくり取り組んで書きなおしてみようという腹づもり。

そんな(カリブを経由した)アフリカン・マイルズ・アルバム『キリマンジャロの娘』に至る道程については、先週もちょっとだけ触れた。このとき、機会を改めて本格的に書いてみるかもしれないと言ったけれども(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-1021.html)、それが今日の文章だということでもない。別のきっかけと目的で、マイルズのあるライヴ・ボックスを聴きなおしていて、ハッ、これは!と気がついたので、記しておくべきだろうと考えた次第。

聴きなおしていたのはソニー/レガシーが2011年にリリースした CD 三枚+DVD 一枚の『ライヴ・イン・ユーロップ 1967:ザ・ブートレグ・シリーズ Vol.1』だ。このタイトルでお分りのように、同じソニー所属であるボブ・ディランの一連の「ブートレグ・シリーズ」の真似をしたタイトルで、同じ副題でマイルズのこの手の未発表曲集を、現在、第五巻まで発売している、その一番最初だったもの。1967年秋冬のマイルズ・バンド欧州公演の収録盤。

この1967年10/11月の欧州公演を聴きなおそうと思ったのは、ジョン・コルトレーンの死が、かつてのボスであるマイルズの音楽にどういう影響を及ぼしたのか考えなおしてみたかったから。本当にそれだけだった。コルトレーンの死は67年7月17日。1959年ごろからは、当時のボスであるマイルズにとってすらコルトレーンは大きな存在になっていて、60年春頃のトレーンのバンド脱退時には、マイルズは行かないでくれぇ〜と泣いてトレーンの膝にすがりついたそうだ。泣いてすがったはもちろんウソだが、それくらい辞めないでという気持が強かったのは正真正銘ホントのことなんだよね。

独立後のジョン・コルトレーンの快進撃を今日繰返す必要はない。かつてのボスもそんなトレーンの大活躍を頼もしく思う、なんて軽いもんじゃなく、音楽的にもかなり大きく強いものをマイルズだってトレーンからもらっていた。もちろんマイルズだけじゃない、1960年代のジャズ界全体にかなりの影響力をトレーンは発揮したから、67年7月の死はシーン全体に大きすぎる衝撃だったし、かつてのサイド・マンにして弟子格でもあったトレーンの死が持つ意味は、マイルズにだって相当に大きかったはず。

1960年代半ば以後のジョン・コルトレーン・ミュージックは、主に和声面での拡大化とリズム面での革新によって、めぐりめぐって70年代マイルズの電化ファンク路線に繋がっているというのが僕の見方なんだけど、最初に書いたように70年代マイルズの話は今日はしない。この<60年代コルトレーンから70年代マイルズへ>という流れの話は、70年代マイルズ・ファンクに関連して僕がまだ突き詰めて考えていない一つで、しかも大きなテーマでややこしそうなので、やっぱりまだまだずいぶん先だな。

まあそんなことでマイルズ1967年10/11月の欧州公演盤『ライヴ・イン・ユーロップ 1967』の(DVD を除く)CD 三枚を聴いていた。すると、ジョン・コルトレーンの死からわずか数ヶ月後云々という意味合いよりも、なんだかこりゃ翌68年6月と9月に録音する『キリマンジャロの娘』を、特にリズム面で予告しているんじゃないかと聴こえてきたのだった。それでようやく最初の方で書いた類の話をしよう(でもこの事実は、やはりコルトレーンからの影響であるような気もするが、今日はそれは展げない、別の機会に)。

『ライヴ・イン・ユーロップ 1967』のバンドは、言うまでもなくマイルズ以下、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズのニュー・クインテット。この五人編成バンドは一人のメンバー・チェンジもなく四年近くも続いた。これはマイルズの場合これだけなんだよね。ファースト・クインテットは一年と少しだったし、それ以外のマイルズ・レギュラー・バンドなんか一年も続いていない。メンバー・チェンジなしではほんの数ヶ月程度がほとんどなんだよね。だからボスもこの1964年秋からのニュー・バンドを気に入っていたんだろう。

『ライヴ・イン・ユーロップ 1967』のどこらへんが翌年録音の『キリマンジャロの娘』を予告しているのかというと、まあもちろん前者の楽器編成はオール・アクースティックで、後者では若干エレクトリック(鍵盤は全部エレピで、ベースが一部エレベ)という大きな違いはあるのだが、前者の67年ライヴでのいくつかの曲では、トニーのドラミングが相当凄いことになっているんだよね。これはもはやカリビアン〜ラテン〜アフリカン・ジャズのリズムなんだなあ。それに触発されて、ベースのロンもピアノのハービーも<ハミ出し>かけている。そのきっかけをウェインのテナー・サックス・ソロがつくったりすることもある。

『ライヴ・イン・ユーロップ 1967』でトニーのそんなドラミングが聴けるものはたくさんある。このライヴ・ボックス CD 三枚の中身は、67年10月28日アントワープ公演九曲(CD1)、同11月2日コペンハーゲン公演五曲(CD2)、同11月6日パリ公演十曲(CD2&3)。そしてどの日でもすべてやっている「アジテイション」「フットプリンツ」「マスクァレロ」の三つのそれぞれ三回、すなわち計六つでのトニーが鬼と化しているんだ。どうしてこんな叩き方ができるのか、素人の僕にはサッパリ理解できないほど凄いぞ。

一番凄いと僕が思うのが11月2日のコペンハーゲン公演でのそれら三曲だ。一番ぶっ飛んでいるものの話からすると、『ライヴ・イン・ユーロップ 1967』CD2の五曲目「マスクァレロ」。この日のライヴはフルで YouTube にアップロードされているのでぜひどうぞ。「マスクァレロ」は 37:12 から。「ラウンド・ミッドナイト」と「ノー・ブルーズ」を除くほかの曲の演奏も面白いが、「マスクァレロ」でトニーが叩き出すリズムを聴いてくれ。
マイルズのソロ前半の背後では普通の8ビート・カリビアン/ラテンだが、その後半部からいきなりなんだ?このリム・ショットとシンバルとハイ・ハットの使い方は?ぶっ飛んでいる。二番手ウェインのソロ背後ではズム・パターンを変えやや落ち着いた、しかしディープなフィーリングのラテン・リズムを叩いている、かと思いきや、やはり後半部ではかなり複雑でやかましく素晴らしい。三番手ハービーのソロ背後ではトニーが叩くのをやめ、ほぼベースとのデュオ演奏になっている。

しかも三人のソロ背後でのリズム・パターンは一様ではない。派手でラテンで賑やかになったり静かになったりを反復して、表情に変化をつけている。この二点:ポリリズミックなカリビアン/ラテン/アフリカン・グルーヴ、動と静との反復 〜 この二点において、完璧に翌1968年の『キリマンジャロの娘』を、特に(CDだと)一曲目「フルロン・ブラン」、四曲目「キリマンジャロの娘」を予告している。アルバム『キリマンジャロの娘』でもドラマーはもちろん全曲トニー。
こんなのは1967/68年当時のエルヴィン・ジョーンズだってあまりやらない。いや、やってはいたが、本当にエルヴィンとトニーの二人だけだっただろう、こんなことができたのは。最近の僕は、マイルズのアルバム『キリマンジャロの娘』をかけて、クウェラ・ジャズである一曲目「フルロン・ブラン」冒頭のトニーのスネアに続きチック・コリアのエレピがリフを弾きはじめ、すぐにトニーがポリリズミックに叩きだすと、もう全身鳥肌が立つほどゾクゾクするよ。

なんの前触れもなく、1968年にいきなりそんな「フルロン・ブルン」みたいなものができあがったはずがないんだから、なんだっただろう?前作の『マイルズ・イン・ザ・スカイ』にこんなのないしなあ、どうなってんの?とか思っていたのだった。直接的には先週書いたように、欧州公演から帰国直後である67年12月と68年1月録音の「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」がきっかけになったのは間違いないと思う。が、その少し前のまだアクースティック・ジャズ時代のライヴ演奏に、はっきりとこの予兆が聴けるじゃないか。う〜ん、今日の今日までこの事実に気がついていなかったマイルズ狂は、きっと僕だけに違いないぞ。そしてこれがジョン・コルトレーンからもらったものであることも。

2017/07/13

ツェッペリンのCIAロック

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ジミー・ ペイジ自身が<CIA コネクション>と呼んだ、レッド・ツェッペリンの音楽に聴ける C(ケルト)、I(インド)、A(アラブ)について、やはり少し書いておこう。ふつうはブルーズ・ベースのハード・ロック・バンドだとみなされているツェッペリンだが、僕が最も好きなのはそういう部分もさることながら、やはり CIA 要素なんだよね。それらがハード・ロック方向と合体していればなおよし。だから最初にまず先走って言っておくが、僕にとってのツェッペリン最高傑作は、アラビアン・ハード・ロックな「カシミール」(『フィジカル・グラフィティ』)だ。

「カシミール」に辿り着くまでには少し時間が必要だ。ツェッペリン、というか最初の頃はジミー・ペイジだが、このバンドがまず最初に CIA をやったのは1969年ファースト・アルバムの「ブラック・マウンテン・サイド」。その前のヤードバーズ時代から、同じくペイジのギター独奏曲として同趣向の「ワイト・サマー」があって、ツェッペリンに移行してからは、これら二つをメドレー形式でライヴで披露することもあった。メドレーというかまあ同じモチーフだから。

バンド形式でこれをやりはじめるのが、1970年の三作目『レッド・ツェッペリン III』から。しかしそれにある CIA はインド風の「フレンズ」だけなんだけどね。この曲でのジョン・ボーナムはドラム・セットを叩いていない。コンガ(?)かスネアの打面かなにかの打楽器を素手で叩いている音がする。ロバート・プラントが歌う背後でジミー・ペイジがアレンジしたストリング・アンサンブルも入る。しかもこのアクースティック・ギターのコードの響きが、というかチューニングがちょっと妙だ。聴いたことのないものだなあと思って探ってみたら、どうやら六弦から順に C-G-C-G-C-E となっているみたい。なんだこりゃ、オープン C チューニングの変形か?
ツェッペリンの CIA にあるケルト方向が鮮明に顔を出し音楽的果実となるのが、1971年の四枚目(このアルバムにタイトルはありません)。A 面三曲目の「限りなき戦い」(The Battle Of Evermore)と、続くA 面ラストの「天国への階段」(Stairway to Heaven)。さらにインド〜アラブ方向もあって、B 面二曲目の「フォー・スティックス」。
この1971年前後から、ツェッペリンにおけるケルト要素を主に担っていたのはロバート・プラントだったらしい。といってもそれはプラントが書く歌詞内容だけなんだけど、ケルト的なものへの盲信、無条件降伏状態にあった。それは上の「限りなき戦い」でも聴きとれる。この歌詞と曲名はスコットランド戦争に題材をとったもので、直接的には J・R・R・トールキンの『ロード・オヴ・ザ・リング』、と書くといまは映画の方かな?、邦題『指輪物語』から引っ張ってきている。トールキンの『指輪物語』にケルト神話の色彩が強いのはご存知の通り。

トールキンの『指輪物語』にロバート・プラントが触発されてケルト的な要素を歌詞に反映させたツッェペリン・ナンバーは、上の「限りなき戦い」「天国への階段」だけじゃない。ほかにもいくつかあるのだが、しかしそれらはほぼ歌詞だけでサウンド面でのケルト〜トラッド・フォーク要素がないので、今日は省略。すなわち僕が言いたいことは、「限りなき戦い」「天国への階段」二曲では歌詞内容もさることながら、ジミー・ペイジ主導のアンサンブルがケルト的なトラッド・フォークみたいだということ。

ヤードバーズからツッェペリンに移行する際に、ジミー・ペイジはまず最初、インクレディブル・ストリング・バンドやフェアポート・コンヴェンションみたいなバンドにしようかという考えもあったそうだから、ロバート・プラントがケルト神話に大きく惹かれるずっと前から、ペイジにはそんな志向があったのは間違いない。ヤードバーズ〜ツェッペリン初期には、それがサイケデリック・テイストと合体もしていた。

だからツッェペリンの四作目にある「限りなき戦い」でサンディ・デニーをゲスト・シンガーとして迎えているのも当然の成り行きだったんだよね。高校生のころの僕は、この曲でサンディ・デニーという女性歌手がいるんだということを知り、歌声もいいなあと思いはしたものの、フェアポート・コンヴェンションその他を買って聴くようになったのは CD リイシュー後のことだった。

同じ四作目にある「フォー・スティックス」は、曲題通りジョン・ボーナムが二本の手に四本のスティックを握って叩いているかのようなドラミング・フィーチャー曲だ。鮮明なインド〜アラブ色は聴きとりにくいものの、間違いなくある。といってもこんな僕だって、それに気付いたのは1994年のジミー・ペイジ&ロバート・プラント名義のライヴ・アルバム『ノー・クォーター』にある再演ヴァージョンでのことだった。それの「フォー・スティックス」にはアラブ〜北アフリカ音楽色が濃い。楽器だって複数台のベンディールとダルブッカ、さらにエジプシャン・アンサンブルのストリングスが参加している。

もっと面白い「フォー・スティックス」がある。それは昨2016年2月20日付の記事で僕もはっきり書いた。ご一読いただきたい。1972年にインドのボンベイ(ムンバイ)で、現地インド人ミュージシャンを起用して録音されたもので、同様に録音した「フレンズ」と一緒に、『コーダ』の三枚組デラックス・エディションに収録されている。下記リンク先では、それら二つの音源もご紹介してあるのでぜひ。
さてさて、このようなツェッペリンの、というかジミー・ペイジ&ロバート・プラントの CIA コネクションが最大限にまで発揮され、しかもサウンド的にはファズの効いたエレキ・ギターと派手なドラム・セットが入るハード・ロック・ナンバーでありかつ CIA 楽曲であるというのが、1975年の「カシミール」(『フィジカル・グラフィティ』)だと言えるはず。
サビに入る際の転調と、同時にストリングスがグワッと入ってくる瞬間は、なんど聴いてもいまでも背筋がゾクゾクする超快感だ。僕にはね。この曲、こんなタイトルであるにもかかわらず、あまりインド〜パキスタン方向は感じないものだ。最も鮮明には、やはり北アフリカのアラブ音楽趣味だよなあ。ロバート・プラントも「カシミールを旅しながら…」云々と歌っているものの、サウンドを聴くと音楽的に旅しているのはモロッコ〜サハラ砂漠あたりだ。

この「カシミール」も、1994年のジミー・ペイジ&ロバート・プラント名義のライヴ・アルバム『ノー・クォーター』で再演されている。それは現場でもそうだったし、CD でも DVD でもそうなのだが、この日のライヴの締めくくり大団円・クライマックスとしてのパフォーマンスだったのだ。以下をご覧になれば「すべて」が分る。ツェッペリンの「カシミール」という楽曲の(CIA 的)本質も、それを際立たせるために参加しているエジプシャン・アンサンブルの活かし方も、そしてプラントのヴォーカルがやっぱり下手くそだということも。
1975年の『フィジカル・グラフィティ』には、ほかにも二枚目に「イン・ザ・ライト」があるし、また実質的なラスト・アルバムになった79年の『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』B 面トップにも「ケラウズランブラ」がある。前者はオリジナルがどうやら YouTube に存在できないみたいなので、2015年の『コーダ』三枚組収録のラフ・ヴァージョンを貼っておく。後者はオリジナルだ。
「イン・ザ・ライト」(の完成品含め)も「ケラウズランブラ」も、中近東風な部分を主に表現しているのはジョン・ポール・ジョーンズの鍵盤楽器だ。前者では、これはオルガンとクラヴィネットかなあ?メロトロンも?後者ではシンセサイザーだ。しかもテクノ風だよね。『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』LP がリリースされたとき僕は高校三年生で、買って聴きまくり、ロック好きの女子クラスメイトに「聴いた?」って言ったら「買ってない」と言うのでレコードを貸した。返ってきた際には「B 面一曲目が良かったわよ」と言われてしまったのだ。すなわち「ケラウズランブラ」だ。その女子クラスメイト、EL&P(エマースン、レイク&パーマー)のファンだったんだよね。

僕はといえば、その高三のときから既に、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』なら例えば A 面一曲目の「イン・ジ・イヴニング」とか B 面ラストの「アイム・ゴナ・クロウル」みたいなブルーズ〜リズム&ブルーズ(調)こそが好きで、「ケラウズランブラ」なんか、なんじゃこりゃ?シンセがビュンビュン飛びやがってとか、そんな風にしか感じてなかったんだよなあ。人間変わるもんだ。

2017/07/12

普段聴きのヨルゴスはこっち

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ギリシアの歌手ヨルゴス・ダラーラスのアルバムは、昨2016年に二枚リリースされている。いや、年頭に買った『タ・アステガ』は、ギリシア本国では2015年末ギリギリのリリースだっけ?あ、きっとそうだね。エル・スールに入荷して僕が買ったのが年頭間もないころだったから。二枚目は昨年秋になって、やはりエル・スールに入荷して買った『Thalassina Palatia』。こっちは正確にはヨルゴスを含三名の共作だけど、実質的にはヨルゴスの作品と言って差し支えないはず。

昨年頭の『タ・アステガ』の冒険的意欲も大いに買うものの、そして2016年ベストテンのなかに僕も選んだけれど、肩の力が抜けたヨルゴス・ダラーラスの持味を存分に発揮して、傑作とは呼びにくいものの普段聽きの伝統派レンベーティカ・アルバムに仕上がっているという意味では、秋の『Thalassina Palatia』の方に軍配が上がるんじゃないかなあ。でも『タ・アステガ』と違って、こっちはどなたも書いてくださっていないんだよね。だから無知蒙昧な僕がちょっと書いておくしかない。

『Thalassina Palatia』は、さっきからこうやってラテン文字で表記してはいるが、CD アルバムのジャケット表裏含め、附属の紙でもどこでも、まったくすべてキリル文字でしか表記がない。キリル文字やアラビア文字や、その他いろんな文字表記の音楽 CD も、iTunes に取り込もうとするとラテン文字で音楽家名、アルバム名、曲名が出てくることがあって、それで僕はかなり助かっているのだが、ヨルゴス・ダラーラスの『Thalassina Palatia』の場合は、すべてキリル文字でしか出なかった。

アルバム附属の紙に三人の男性がデカデカと写っていて、そのなかの一人は僕も見慣れたヨルゴス・ダラーラスの顔に間違いないので、さらに CD の中身を聴けば誰だって分るやはり聽き慣れた彼の声が流れるので、あぁヨルゴスのアルバムだなとは分る。だがアルバム名も曲名も、参加しているはず(違う声のリード・シンガーが聴こえるし、紙に写っているし)のほかの男性歌手が誰かも、僕には分らない。そんなお手上げ状態の僕をやはりエル・スールさんが救ってくださった。エル・スールのサイトでは、どんな文字表記圏の作品もラテン文字で書いてくださるからだ。

まあそうじゃなかったら、そもそもヨルゴス・ダラーラスの新作が入荷したという事実そのものに僕なんかが気付くわけもない。『Thalassina Palatia』に参加しているほか二名の男性歌手がヴァンゲリスとヴァシリスのコラカキス兄弟だとか、そもそも今日最初からラテン文字で書いているアルバム名も、さらにぜんぶの曲名も、すべてエル・スールのサイトに載っているのを、僕はそのままコピー&ペーストしている。どっちみち読めないので同じようなものではありますが、まあなんとなくの気分でラテン文字だとさぁ。

最初に書いたようにヨルゴス・ダラーラス(&ヴァンゲリスとヴァシリスのコラカキス兄弟)の『Thalassina Palatia』は、伝統レンベーティカ路線の王道メインストリーム作品だ。渋い、渋すぎる。暗い哀感が強く漂っているので、これからの真夏に聴くにはちょっと似合わないかもしれない。秋の、それも日が暮れてからの夜長に、部屋の照明をちょっと落として聴くと、まさにこれ以上なくいい雰囲気をつくってくれる 〜 そんなアルバムなんだよね。

それにしてもヨルゴス・ダラーラスはまったく衰えないよなあ。声にそれがぜんぜん聴きとれない。同じギリシアの同じくらいベテランの、こっちは女性だけどハリス・アレクシーウの近年の作品を聴くと衰えを隠せないと感じる場合があって、う〜ん…と思っちゃうのだが、まあでもそれはそれで高齢女性歌手の一つの「味」というものだろうと受け止めている僕。決して否定的な気分だけではない。だいたい歌手じゃなくたって、僕は年上女性のことこそが好きだからそれだけで、いまのハリスも(フェイルーズも)十分オーケーだ…、ってオーケーってなにがだよ(^^;;;。

そこいくとヨルゴス・ダラーラスは、いまのところの最新作であるはずの昨年秋の『Thalassina Palatia』でも張りのあるコシの強い声でグイグイ歌ってくれていて本当に素晴らしい。このアルバムの収録曲が、これのために用意されたオリジナルなのか、あるいは既存の(伝承的)レンベーティカ・ソングをアダプトしているのかは、僕には分らない。が、聴いてみると、まるで20世紀初頭のギリシアの港町(港町のハミ出し者たちがやった音楽という意味では、レンベーティカとアルゼンチン・タンゴと英国リヴァプールのビートルズは通底するかも?)で歌われていたようなものに聴こえる。まさに伝統王道路線。

ヨルゴス・ダラーラスがそんな音楽性の歌手だということはみんな知っているが、参加しているほかの二名の男性歌手、ヴァンゲリスとヴァシリスのコラカキス兄弟の歌声も、ってどっちがどっちなんだか僕は声だけでは判別できないが、ヨルゴスと同じ伝統レンベーティカを継承しているような歌い方だ。エル・スールのサイト記載文によれば、兄のヴァンゲリスが1961年生まれ、弟の方は明記がないがそれより下なわけだから、まあだいたい僕と同世代だなあ。じゃあもうそんな若くもないんだ。

アルバム『Thalassina Palatia』でヴァンゲリス&ヴァシリス・コラカキスが歌っているのは5曲目の「Isos Na Ftaio」、9曲目「Xlomo Asteri Tis Avgis」、12曲目「Tora Pou Gyrises」、13曲目「Dos Mou Farmaki」の四つで、それ以外はすべてヨルゴス・ダラーラスが歌っているが、不思議なのは声が三人とも似ているということだ。ボンヤリ聴いていると違う人が歌いはじめたって気付かない可能性があるかも?と思うくらい。あと、曲によっては女声バック・ヴォーカルが小さく聴こえるのだが、誰なんだろう?これはエル・スール含めどこにも記載がない。読めないなりに CD パッケージや附属の紙のキリル文字を探ってみたけれど、それらしき記載がないみたいだなあ。ちょっといい声だから知りたい。女声だけど女性かどうかは分らない。

男性三人の声が似ているのは、僕はよく知っているつもりのヨルゴス・ダラーラスはまああんな声だけど、ヴァンゲリス&ヴァシリス・コラカキスも似たような声質と歌い方なのか、あるいはアルバムで共演するとなって意識したのか分らない。エル・スールのサイト記載によれば、この兄弟も伝統派路線のギリシア音楽を(も?)やっているらしいので、もとからこんな人たちなのかもしれない。う〜ん、それにしてもヨルゴスに似ているぞ。

『Thalassina Palatia』では伴奏編成も伝統レンベーティカ風で、(おそらくヨルゴス・ダラーラス自身の弾く)アクースティック・ギター、(おそらくヴァンゲリス・コラカキスの弾く)ブズーキ、それからウッド・ベース(だと思う弦の低音)、アコーディオン、あとはちょっとした打楽器、この程度だけ。曲によってはほかの楽器、例えばピアノなどが入ったりもするが、三人のヴォーカルをメインで支えているのはギター&ブズーキ&アコーディオン&ウッド・ベースだ。

アルバム『Thalassina Palatia』には、リズムがラテン調なものも複数ある。はっきり言えばキューバのアバネーラのパターンだ。それを使いながらクラベスがカンカンと刻んだりもする。ギリシア歌謡(やトルコ歌謡やアラブ歌謡)にもラテン・リズムはかなりむかしから多く、当たり前のものになっているので、この点でも『Thalassina Palatia』は伝統レンベーティカ路線に沿った音創りだ。例えば二曲目の「Apo Ta Xeria Sou Treli」。この跳ねるフィーリング。
三曲目の「Kardia Thlimmeni」はアルジェリアのシャアビっぽい感じに聴こえる。最初無伴奏でブズーキがめくるめくような華麗で美しく細かい旋律を弾き、それがやんで続いてヨルゴス・ダラーラスの歌が出て、歌の合間合間でもブズーキがやはり華麗で細かいラインを弾く。ブズーキがマンドーラやバンジョーだったらシャアビじゃないか。しかしこの曲でも小さくハモっている女声は、ホント誰なんだろう?
四曲目の「Den Proskinisa Τi Gi Mou」のリズムも、イントロ部ではややアバネーラっぽいが、歌が出はじめてからはそうでもなくなってしまう。九曲目のヴァンゲリス&ヴァシリス・コラカキス兄弟が歌う「Xlomo Asteri Tis Avgis」は、完全なるラテン風リズム・ナンバーだ。これはかなり面白い。ほんのちょっとだけ陽気な感じもある。
これら書いてきたもの以外もすべてやはり哀感たっぷりではあるが、リズムはさほど快活なラテン〜アバネーラ調ではなくシットリ落ち着いた感じで、いかにも<これがレンベーティカだ>とでも言いたげに見せつける伝統路線。僕はこういった伝統路線を、その伝統が生まれ形成された初期の古い録音で聴くのが文字どおり「いちばん」好きな人間なんだけど、ヨルゴス・ダラーラスほか二名のアルバム『Thalassina Palatia』みたいに、それをそのまま現代に蘇らせて最新録音で聴かせてくれるものも大好き。

2017/07/11

体臭音楽の真実

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はぁ〜〜、ここにたどり着くまでにずいぶん長い時間がかかってしまったなあ、僕は。マイルズ・デイヴィス愛狂家で、ラテン趣味のファンク好き人間であるはずなのに、いままで勘違い発言を散々繰返してしまって…。穴があったら入りたい。とにかく自分の不明を恥じ入るばかり。なんのことか、具体的には最後に書く。

これも仏フレモー&アソシエ盤である2015年の CD三枚組コンピレイション『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』。しかしこんなアルバム名なのにマンボばっかりどんどん流れてくるから、こりゃ絶対ブルーノ・ブルムの仕業だろ!と思って記載を見たらビンゴだった(笑)。ファンク・ミュージックのルーツというなら、もっとこうストレートに、ジェイムズ・ブラウンのファンク創始のダイレクトなヒントになった、マイルズ・デイヴィスの「ソー・ワット」とかがあるのかなと、タイトルだけで判断して誰の編纂か知らず買って、そう思っていた僕がバカだった。

『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』三枚は一枚ごとにテーマが記載されていて、ブルーノ・ブルムがそれに沿って選曲したものが並んでいる。CD1は「シンコペイティッド・クリオール・ミュージック:ディープ・カリビアン・ルーツ・オヴ・ファンク」。CD2は「ファンキー・ジャズ、ハード・バップ、ソウル・ジャズ」。CD3は「ニグロ・スピリチュアルズ、ブルーズ・アンド・ソウル」。これらの括りからちょっとハミ出したようなものもあるが少数で、しかもハミ出しものはハミ出しているがゆえに、かえって面白い。

ブルーノ・ブルム最大の力点は CD1に置かれているように思える。カリブ海のクリオール・ミュージックで聴けるシンコペイティッド・グルーヴ集。カリビアン・ミュージックといっても、CD1収録の全24曲の演唱家はほぼ全て(カリビアン・ルーツか、それに関係した)北米合衆国人で、カリブ地域在住の音楽家は少ない。マチート、ティト・プエンテ、スリム・ゲイラード、ボ・ディドリー、アラン・トゥーサン、モンゴ・サンタマリアあたりが最有名人だよね。

さらに、北米ルイジアナのニュー・オーリンズに注目することにもブルーノ・ブルムは力を入れている。まあこれは彼が編纂するコンピレイション盤ならいままでもぜんぶそうだったので、目新しいことではない。だがいままでは北米合衆国のジャズやリズム&ブルーズ(やそれらの周辺)のなかに、いかにアフロ・カリビアンな要素が濃厚に溶け込んでいるか、そんなクレオール音楽文化の<首都>としてニュー・オーリンズをみなすかというものだったように思う。それだけなら、僕に言わせれば「むかしから知ってるぜ、なんでいまごろ?」。

ところが今日話題にしているのはファンク・ミュージックだ。いやまあ、ファンクだってジャズやリズム&ブルーズやゴスペルやソウル・ミュージックなどとひとつながりのものだから、1960年代中頃にジェイムズ・ブラウンがファンクをやりはじめたあたりでは、そのなかにアフロ・カリビアンなクリオール・ミュージック要素が聴けたって当たり前なんだろう。いままで意識していなかった僕が完璧なるアホだった。

しかしやっぱり『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』一枚目のカリブ篇に「ダイレクト」なファンク・ルーツを誰でも感じるだろうというようなものは本当に一曲もない。示唆深いと言えばまあそうだけど、視点を変えれば「自分が好きな曲、無理やりテーマに当てはめて楽しんでるだけ、のようにも」(エル・スール原田さんの言葉、だが僕はこの三枚組、アマゾンで買った)聴こえる。ファンクの「ダイレクトな」ルーツ集というよりも、アフロ・カリビアンなシンコペイティッド・グルーヴ集だと思えば、最高に面白く楽しめる。この点では文句なしに降参。

シンコペイティッド・グルーヴ。ブルーノ・ブルム自身、CD1のテーマ・タイトルの一部にしているように「シンコペイション」。これが鍵なんだろう。一枚目収録の全曲でリズムがスーッとスムースに流れず(ジャズなどは多くがスーッとフラットに流れるが)、ヒョコヒョコ跳ねたりよれたり引っかかったり。結果、ユーモラスなフィーリングが生まれている。ブルムは解説文などでは出していない言葉だが、この「ユーモア感覚」は、ファンク(のルーツ)を考える際には重要だ。かなり重要。

CD2は、基本、ジャズ。それもファンキーなジャズなどがメインなわけだけど、ユーモラスなフィーリングは、ジャズがファンキーに聴こえるための最重要要素だと、一番最初は大橋巨泉が言い、油井正一さんはそれを批判・否定し(『生きているジャズ史』立東文庫版 p. 295〜299)、その後中村とうようさんは大橋巨泉説を支持して、とは書いていないし、また油井さんを批判したのでもなく、とうようさん自身の立論で、ジャズのファンキー感覚にはユーモラスであることがかなり重要で必要不可欠な要素だと明言した。

油井さんはファンキー・ジャズに最も濃厚なのは、ユーモア感覚でははなくシリアスな黒人教会音楽要素なのだと、上記指摘箇所で書いている。その結果「ソウル・ジャズ」という言葉も、当時のアメリカでの最新流行語として紹介し、ソウルとは魂のことだから、(ファンキー・ジャズ=)ソウル・ジャズとはタマシイのこもった真摯な音楽のことなのであると書いている。ブルーノ・ブルム編纂の『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』CD2のジャズ篇には、ここまで書いた両方、すなわち教会音楽ルーツのゴスペル風にファンキーなジャズと、ヒョコヒョコとユーモラスに旋律が動くような種類のファンキー・ジャズと、それら両方が収録されているのが最高に面白く示唆深い。しかも!後者のそんな旋律とリズムの動き方、すなわちシンコペイションは、カリブ地域発祥かもしれないなと、CD1に続けて聴くと実感する(というのがブルムの意図なのか?)。

シリアスなファンキー・ジャズとユーモラスなファンキー・ジャズ。それらどっちもファンクのルーツなんだよね。CD2一曲目ルイ・ジョーダンの「アーリー・イン・ザ・モーニング」、五曲目スリム・ゲイラードの「ヨ・ヨ・ヨ」、六曲目セロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム」、八曲目ホレス・シルヴァー「オーパス・デ・ファンク」などはユーモア・ファンク。一方、12曲目アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」、13曲目チャールズ・ミンガス「スロップ」、14曲目ボビー・ティモンズ「ディス・ヒア」などはシリアスなゴスペル(ソウル)・ジャズ。

ブルーノ・ブルムは『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』CD2にそれら両方向とも収録することにより、ファンキー・ジャズの「ファンキー」の意味を広げ、しかもそれがアフロ・カリビアンなクリオール文化の末裔で、それが合体して「いわゆる」ファンク・ミュージック誕生へと繋がったのだと、そう言いたげな選曲・編纂だと僕には思える。うん、間違いない。いやあ、すごく面白いなあ。しかもCD2には、ファンキーなジャズ(・ブルーズ)でありながら、ファンクのダイレクトな祖先に違いないと確信できるものが二曲あるもんね。

それは15曲目のジェイムズ・ブラウン「ホールド・イット」(1960)と18曲目のハービー・ハンコック「ウォーターメロン・マン」(1962)。前者はその後ファンクそのものの化身となるが、60年だからまだリズム&ブルーズ〜ソウルっぽいフィーリングでのインストルメンタル演奏(ちょっとだけ JB がハッとかウッとか叫んでいるが、いつものことだ)の12小節ブルーズ。後者ハービーのも12小節の定型ブルーズだが、62年としては相当に濃厚なファンキーさ。しかも曲題でも察せられるように、カリビアン〜ラテン由来なユーモア感覚がメロディの動きにある。聴けばそれは誰にでも分るものじゃないか。みなさんご存知の通り、1970年代にはハービー自身がこの曲を完璧なファンク・チューンとして蘇らせていたし、それがなくても、ハービー自身ファンカーとなった。

『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』三枚目には、責任者ブルーノ・ブルムの力があまり入っていないように聴こえる。ただ、一曲目が(北米合衆国におけるアフロ・クレオール・キャピタルたる)ニュー・オーリンズのプロフェッサー・ロングヘア。曲も「マルディ・グラ・イン・ニュー・オーリンズ」で、強烈なカリビアン・アクセントを効かせながらファンキーなリズムをユーモラスにフェスが歌い演奏する。そのほか CD3にはニュー・オーリンズ当地の音楽家か、なんらかの意味で関係がある人がたくさん収録されている。最後の方には、やはりファンクを創始する直前である1962年録音のジェイムズ・ブラウンが三曲続けて収録され、続いてアルバム・ラストがエディ・ボの62年「ローミン・イッツ」。

さてさて、一番最初で書いたことを。こういったジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーン(は録音年的にまだ権利が切れていないので当然収録なしだが、ブルーノ・ブルムの解説文中には名前がある)などに触発されて、マイルズ・デイヴィスも1969年からファンク導入に向かう。私見では同年2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』B 面の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」がマイルズ・ファンク第一号だが、世論的には8月録音の『ビッチズ・ブルー』からとなるだろう。

油井正一さんは『ビッチズ・ブルー』にかんし『ジャズの歴史物語』のなかで、このアルバムで聴けるリズムはロックのそれみたいに聴こえるかもしれないがそうではなく、ヴードゥーのリズムなのだと指摘した。大切なところなので、正確に引用する。


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この多彩なポリリズムは、一見ロックに似て非なるものであり、いろんなかたちのスイングを包含している。総括的にこれらのリズム・フィギュアは、大きなサイクルをえがいて廻転し、サウンドを前方に押してゆく。こうしたポリリズムは、マイルスの創案にもとづくようにみえてそうではなく、古く Voodoo(ヴードゥー教)の音楽に発しており、多くのフリー・ジャズメンと同様、マイルスもまた「先祖がえり」によって伝統に結びつけながら、最も新しいサウンドのヴィークル(車輪)としたものである。「マイルス、ヴードゥーを追求」という一曲が、いみじくもそのルーツを明らかにしている。

 (油井正一『ジャズの歴史物語』アルテスパブリッシング版 p. 201)
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以前僕は油井さんのこの文章を批判して、マイルズの『ビッチズ・ブルー』は、例の1969年8月に開催されたウッドストック・フェスティヴァルの翌日からの三日間で録音されたものだし、その意味でも、また別のいろんな意味でも、<あの時代の>産物だとしか思えないのだと書いたのだった。
この文章、僕があまりにも浅はかだった。ウッドストック・フェスティヴァルとあの時代と『ビッチズ・ブルー』との関係はやはり深いものがあると、いまでも僕は考えている。しかしながら、 油井さんは「ファンク」という言葉こそ使いはしていないものの、『ビッチズ・ブルー』で聴けるあのファンク・グルーヴがカリブ〜ハイチ音楽由来のものであることを、これ以上なく明言しているではないか。

マイルズの『ビッチズ・ブルー』にロックの影響がないのか?と言われれば、やっぱりかなりあるのは間違いないと僕は思う。だが、あのファンキーなグルーヴ感覚は、(油井さんは1960年代フリー・ジャズからの流れ云々と書いているがそれよりも)それがファンク由来であるという意味云々においてこそ、カリビアン・ミュージック・ルーツだったんだよね。このことをブルーノ・ブルムに教えてもらった。

油井正一さん、あなたのおっしゃるとおりでした。

2017/07/10

エグ味全開なジョン・リー・フッカーのブルーズ

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ジョン・リー・フッカーの最有名曲「ブギ・チルン」を僕が生まれて初めて聴いたのは、間違いなく高校生の頃のこれだ。英ロック・バンド、レッド・ツェッペリンの LP 二枚組ライヴ・アルバム『永遠の詩』ラストの「胸いっぱいの愛を」。もちろんそんなことはどこにも書かれていなかった。いまならば…、と思ってネットでちょっと検索してみたが、パッとした記述が出てこない。あれれ〜?オカシイなあ。

もっとも、僕があの「胸いっぱいの愛を」で、ジョン・リー・フッカーの「ブギ・チルン」やその他いろいろやっていることを知ったのは、うん、まあ確かになんだかいくつか繋げてあるみたいだぞとは高校生の頃から気付いていたものの、誰のどれをやっているだなんて分るわけもない。古めのアメリカ(黒人)音楽をどんどんたくさん聴くようになって、ようやく「な〜んだ!」ってなったのだが、そこまでに軽く10〜15年以上かかっている。しかしいまだにネット上でもはっきりした記述がないなんて…。この際だから、あの「胸いっぱいの愛を」で、誰のどの曲をどの順番でやっていると全部書いてしまいたい気分なんだが、ちょっとそれも遠慮しておこう。それにツェッペリンのライヴでは毎回違っていたみたいだしな。

とにかく、あの公式盤『永遠の詩』の「胸いっぱいの愛を」では、ジョン・リー・フッカーの「ブギ・チルン」を間違いなくやっている。テルミン炸裂も終りテンポがなくなる中間部で、「夜遅くなってパパとママが話しているのを聞いたんだ、あいつはもう子供じゃない、だからそろそろブギ・ウギさせてやってもいいと思うんだ」とロバート・プラントが歌っているよね。ジミー・ペイジがちょろちょろっと弾くギター・フレーズに乗って。あれがジョン・リー・フッカーというアメリカ黒人ブルーズ・マンの最有名曲だとライナーノーツにでも書いてあったならば高校生の頃から僕はフッカーを…、は無理か、ライナーだから書けないな。それに渋谷陽一だしな。だからライナーではなくなにか紙の情報源にその記述があったらなあ。もしそうだったら僕がフッカーに出会うのはもっと早くなっていたはずだ。

いずれにしても、レッド・ツェッペリンだけでなく、ビートルズにしろローリング・ストーンズにしろエリック・クラプトンにしろほかの誰にしろ、あのへんの1960年代に活動をはじめた UK ロッカーたちに、まったくなんの共感もないだとか嫌いだとか、いろんな方々が(たくさんお見かけする)おっしゃるのはどうでもいいことだ。アメリカ黒人ブルーズ〜リズム&ブルーズなどをたくさん教えてもらった 〜 これは、僕だけじゃない、みんなそうなんだ。これはまったく揺るがない厳然たる事実だ。だから共感もなしで嫌いでもいいけれど、存在と功績だけは認めてくれてもいいんじゃないかなあ。ロックそのものとしてというより、アメリカ黒人ブルーズへの道案内役として。

ジョン・リー・フッカーの場合、とりあえずなにか一枚か二枚聴いてみたいと思ったら、いまでもやっぱり P ヴァインの二枚、『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』『Pヴァイン ブルースの巨人 15』が最も好適なんじゃないかなあ。いっぱい持っている僕も、なにかちょっとフッカーを…と思ったら、この二枚を一つにしてあるプレイリストを鳴らす。あとは P ヴァインではないがアメリカの SHOUT Factory(ってどこ?ロス・アンジェルスの会社みたいだが)が編んで Sony BMG が配給した CD 四枚組『フッカー』もわりとよく聴く。

四枚組『フッカー』もちょっと面白いんだよね。三枚目までは普通のベスト盤アンソロジーだけど、四枚目がいろんなロッカーその他との共演集。ヴァン・モリスン、カルロス・サンタナ、ボニー・レイット、ロバート・クレイ、ライ・クーダー、ジョン・ハモンド、ジミー・ヴォーン、ロス・ロボス、エリック・クラプトンなどなど。それらをもとのアルバムで全部集めるのは面倒だから、ジョン・リー・フッカー分だけ一枚になっているのが便利で助かるのだ。この四枚目があるせいで『フッカー』もなかなか侮れない。

『フッカー』の三枚目までは、まず一枚目がやはり当然1948年モダン・レーベル録音「ブギ・チルン」ではじまり、二枚目、三枚目とイーグル、キング、チェス、デラックス、ヴィー・ジェイ、リヴァーサイド、アトコ、ブルーズウェイ、ABC など各種レーベルへの録音が年代順に収録されている。P ヴァイン盤『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』は、もっぱらモダンへの1948〜54年録音、『Pヴァイン ブルースの巨人 15』はキングへの1948〜50年録音集。どっちもほぼすべてシングル・ナンバーだから「オリジナル」・アルバムなんかじゃありません、世間の「アルバムで聴く」志向のみなさん。

P ヴァイン盤二枚のうち『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』では、17曲目から、かなりの少人数編成だとはいえバンド形式になっていくが、ジョン・リー・フッカーのブルーズは、あくまで僕にとっては独りでのギター弾き語りこそが最高の表現形式だ。キング録音を集めた『Pヴァイン ブルースの巨人 15』は、全16曲がフッカー独りでの弾き語りだから素晴らしい。

ところで録音時期がほぼ同じであるのに、『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』のモダン録音と『Pヴァイン ブルースの巨人 15』のキング録音では音の状態がかなり違うよね。単に会社の録音技術のせいだけなのかもしれないが、後者の方が荒々しく、より生の感じで、う〜ん、上手く言えないんだが英単語でいえば ‘harsh’。この言葉に尽きるようなサウンドだ。そうでなくたってもとからドロドロにエグいジョン・リー・フッカーのブルーズが、もうなんだか体中の毛穴という毛穴からしみだしているかのような強烈さで、突き刺さるような密度の濃いブルーズに聴こえる。『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』で聴けるモダン録音も最高なんだが、『Pヴァイン ブルースの巨人 15』のキング録音には腰が抜けちゃうね。だからアメリカ黒人ブルーズのエグいのをあまり聴きなれない向きには、『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』の方から入門するのをオススメしたい。最初にいきなり『Pヴァイン ブルースの巨人 15』を聴いたら遠慮したくなると思うな。

そんなことで、バンド形式、それもロック・バンドに近いような編成でやるようになって以後のジョン・リー・フッカーもいいし、本質的にやっていることは変わっていないのだが、聴きやすさと引き換えにブルーズ表現のディープさが薄くなっているかもしれないので、僕としてはやはりフッカー独りでの弾き語りにこだわりたい。

『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』『Pヴァイン ブルースの巨人 15』二枚で聴けるジョン・リー・フッカーの弾き語りブルーズは完全に2パターンしかない。「ブギ・チルン」に代表されるテンポのいい(しばしば靴を踏み鳴らしながらやる)ワン・コード・ブギ。そして「サリー・メイ」に代表されるおどろおどろしくモーンするスロー・ブルーズ(もワン・コード)。この二つしかないんだよね。これらをあらゆる曲で転用しているだけなのだ。じゃあワン・パターン、じゃなくてツー・パターンか、その金太郎飴状態だからどうなんだ?と思うといくら続けても聴き飽きず、どんどんその世界に引きずり込まれてしまうのが僕も自覚できてしまう。これがブルーズ・ミュージックの魔力、恐ろしさだ。
そんなジョン・リー・フッカーのブルーズ・スタイルは、本拠をテキサスに置いたにもかかわらず、本質的に都会のものではない。コード・チェンジ(なんかないんだが)も小節数も自在に伸び縮みする融通無碍なところ=ブルーズ形式は完全無視するあたりからも、間違いなくカントリー・ブルーズのやり方だ。それもミシシッピの深南部ヒル・カントリーで受け継がれているようなもの。だからノース・ミシシッピのヒル・カントリー・ブルーズを1990年代以後録音したファット・ポッサム・レーベルのものと同じように聴こえるのは当たり前だ。R・L・バーンサイドにしろジュニア・キンブロウにしろ誰にしろ、みんなフッカーと同じじゃないか。

もちろんこれは誰が誰の影響を受けたなんていう類の話じゃない。ジョン・リー・フッカーの録音がちょっと早くなっただけで、ミシシッピの深南部で連綿と受け継がれてきている共同体財産を各人がそのままもらって、そこに自分の味を少し足して表現していただけの話だ。さらにジョン・リー・フッカーの場合、「ブギ・なんちゃら」「なんちゃら・ブギ」で有名になりはしたが、1930年代後半にアメリカで大流行した都会のピアノ・ブギ・ウギとはまったく異質の「ブギ」だ。ワン・コードだし、パターンもリズムのノリもぜんぜん違うよね。

ジョン・リー・フッカーのブギ(と呼ぶもの)は、ギターの低音弦をドローンで鳴らしながら高音弦でジャッ・ジャッとドライヴするようにはじく(というやり方はオープン・チューニングにしないとやりにくい)もの。だからダンサブルであるという点ではピアノ・ブギと共通するが、そのピアノ・ブギをロバート・ジョンスンが自らのギター・スタイルに移植して、その後のモダン・ブルーズ〜ロック・ビートの基本になったようなブンチャ・ブンチャという往復パターンは、フッカーには皆無。だからワン・アンド・オンリー、空前絶後なんだよね。

そしてピアノ・ブギを転用してシティ・スタイルのカントリー・ブルーズ・ギター弾き語りを完成させたロバート・ジョンスンに聴けるちょっとした明快さ、分りやすさ、ポップさ(が僕はあると思うのだ)は、ジョン・リー・フッカーにはまったくない。フッカーのブルーズはどこまでもディープでエグく泥臭く、まるでものすごくキツい体臭(ファンク)を嗅いでいるみたいなブルーズの醍醐味をこれでもかというほど味わわせてくれる。日本人でもアメリカ黒人ブルーズ愛好家は、そういうフッカーこそ大好きだと思うよ。

2017/07/09

アメリカ音楽におけるアコーディオン

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昨2016年にフランスのフレモー&アソシエからリリースされた CD 三枚組コンピレイション『Accordion In Americas 1949-1962』。選曲・編纂・解説はテカ・カラザンスとフィリップ・ルサージュ。附属ブックレットにはフランス語解説文に続き英訳も載っているので助かるのだが、この編集盤、タイトルをよく見ないといけない。「アメリカズ」と複数になっている。もうこれだけで僕の言いたいことは分っていただけると思うけれど、以前から繰返しているように、America とはあの一国だけの呼び名なんかじゃない。南中北米すべてひっくるめての(カリブ海を含む)あの大陸の地理的名称だ。それらすべてを頭に入れた上でのものが、真の意味での「アメリカ」音楽なんじゃないかなあ。

『Accordion In Americas 1949-1962』の副題は「Brésil - Colombie - Mexique - Saint-Dominigue - USA」なので、最初からこれも書いておけばこんな解説は不要だったかもしれないが、それじゃあ入ってきていただきにくいんじゃないかと思ったのだ。複数形になっていることにうっかり気付かず、そっか、アメリカ音楽におけるアコーディオンかと興味を持っていただいて、それで迷い込んでもらいたかったのだ。

しかしうっかりアメリカ合衆国音楽におけるアコーディオンか、そうか、じゃあザディコとかテックス・メックスとかだなと思われると、この三枚組『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』にはどっちも一つも収録されていないので、またもやガッカリされるかもしれない。がしかしザディコとかテックス・メックスとかはアコーディオンが大活躍する、というかそもそもこの楽器こそが主役の音楽じゃないか。だからそれらをこの編集盤に収録する必要はぜんぜんない。

『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』三枚の編纂方針は(どこにも明記はないが)かなりハッキリしている。CD1がブラジル、CD2が北米合衆国ジャズ、CD3がカリブ海〜コロンビア〜メキシコ(&ちょっとだけ US )と鮮明に分割されているので、非常に聴きやすく分りやすい。文字サイズがすごく小さいので苦労するが、さほど詳しくはないブックレット解説文と、こっちは詳しくちゃんとしているディスコグラフィカルなデータ記載を眺めながら音源を聴いていると、ヨーロッパの楽器であるアコーディオンが新大陸でどういう役目を持っていたのか、いろんな考えが浮かんでくる。

端的に言えば、アメリカ新大陸におけるアコーディオンは<貧者のピアノ>だった。もちろんピアノみたいな鍵盤型じゃないアコーディオンだってあるけれど、やっぱり鍵盤型が主流なのでいちおうそれに話を限定するとしよう。ピアノは高価だし、部屋のなかに据え置いて弾くしかない楽器だし、音もかなりデカイ。ピアノ用楽譜などを買って、 仕事が終わった夜や週末などにそれを見ながら弾いて、家族や友人と和やかで暖かい時間を過ごす 〜 これはある程度裕福な中流以上のライフ・スタイルだ。

鍵盤はどの音がどこと目に見えるので、練習さえすればちょっとは弾ける。管楽器などとは、この<音の場所>が見えるという点が非常に大きな違いだ。ギターだって場所を目視できるけれど、ギター・フレット上でそれを眺めるのは、ピアノ鍵盤を見るのとはちょっと種類が違っているよねえ。だいたいピアノはある一つの音程を出す場所は一箇所のみ。対してギターでは同音程を複数箇所で出せる(ので、同じ旋律をいろんな弾き方でできるのがギター奏法上の面白さだけどね)。

だからピアノ用譜面を買ったり、買わなくても「ここはこの音」と思う場合、鍵盤楽器は音を拾いやすいんじゃないかと僕は思うんだよね(まったく弾けないのによく言えるな→自分!)。しかし書いたようにピアノを自宅に買って置いて弾くのは、ある層にとっては難しい(かった)。同じように鍵盤が並んでいるアコーディオンなら、まだ手が出しやすいという側面があったんだろうと僕は想像する。しかもアコーディオンは持ち運び容易だから、屋外で、友人宅で、その他どこででも演奏できる。

そんな具合で貧者・低層向けピアノだった(かもしれない)アコーディオンが新大陸アメリカで使われている音楽も、『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』三枚組で辿ると、やはり貧乏人向けに貧乏人が演奏するストリート・ミュージックや、そんなような類のもの、あるいはそれが出自のものがほとんどだ。二枚目の北米合衆国ジャズだけがちょっとそうでもないようなラウンジ風のものが並んでいて、しかもどうしてだかぜんぶモダン・ジャズばかりなので(これはホントどうしてだ?)、貧乏人楽器でやる貧乏人音楽という、僕の『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』解釈からは少し外れる。しかしながら、そのジャズを収録した二枚目は、目(耳)もくらむようなアコーディオン超絶技巧が聴けるので、それはそれでかなり楽しい。

『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』一枚目のブラジル篇。中心はやはりショーロだ。全23曲のうち最もたくさん収録されているのがシキーニョ・ド・アコルジオン。こ〜れは貴重!だってシキーニョのアコ演奏を CDで聴けるものって、ほかにないだろう?唯一この三枚組だけじゃないかなあ。しかもかなりの名手だ。シキーニョのアコ技巧の見事さは、例えば七曲目の「ブラジレイリーニョ」だけでも容易に分る。 もともとカヴァキーニョ奏者ヴァルジール・アゼヴェードが超絶技巧を披露する目的で書き、ほかのカヴァキーニョ奏者も同目的で演奏するショーロ・ナンバーだけど、鍵盤だってこんな超速テンポでこんな細かいフレーズを正確に弾きこなすのは、もちろん同様に至難の技だ(管楽器では「早吹き」などとは言わない)。YouTube にはないが、1950年のトダメリカ録音。

『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』一枚目のブラジル篇では、その他お馴染シヴーカ、ルイス・ゴンザーガなどが並んでいて、やはりショーロかショーロ風のインストルメンタル演奏が多い。同国のカルメン・ミランダが歌ったのが最も有名な「チコ・チコ・ノ・フーバ」だって、これはシヴーカが演奏しているのが六曲目に収録されている。そしてこれまた貴重なのが12曲目のジョアン・ドナートだなあ。いまやピアノやエレピやシンセサイザーなどの演奏家だとしか認識されていないかもしれないが。

ジョアン・ドナートで思い出したので書く。ピアノその他同族鍵盤奏者の<持ち替え楽器>というのもアコーディオンの大きな存在理由だ。鍵盤型の場合は同じ感覚で弾けるわけだから。そんなアルバム、いっぱいあるよね。ポール・マッカートニーの MTV アンプラグド・ライヴ『公式海賊盤』でも、ピアノ担当が持ち替えでアコーディオンも弾いていた。いやホント、いっぱあるので。

『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』二枚目の北米合衆国モダン・ジャズ篇は、バディ・デフランコ名義の音源が最も多い。全23曲中8曲もある。言うまでもなくデフランコはクラリネット奏者で、その八つの音源でアコーディオンを弾くのはミルウォーキー生まれのトミー・グミーナ(1931-2013)。すべて1960/61年録音で、しかもボスであるはずのデフランコのクラリネットよりも、グミーナのアコーディオンを大きくフィーチャーしたようなものが多い。3曲目の「ポルカ・ドッツ&ムーンビームズ」、9曲目の「ストリート・オヴ・ドリームズ」、12曲目の「スクラップル・フロム・アップル」などなど。

それら、例えばバラードなどではアコーディオンならではの、あの暖かいボワ〜っていう音色が独特の情緒を醸し出していて、こ〜りゃいいね。バディ・デフランコのクラリネットは僕はイマイチ好きじゃないんだけど、クラの背後でもずっとトミー・グミーナが蛇腹でザ〜ッとやってくれているので、かなりいい感じのラウンジ風ジャズに聴こえ、モダン・ジャズだけどスウィング・ジャズっぽい雰囲気。

だが一つ、「スクラップル・フロム・アップル」だけはそうじゃない。このビ・バップ・ナンバーでだけはバディ・デフランコのクラリネットもトミー・グミーナのアコーディオンも、ものすごくスリリングな超絶技巧を聴かせる。そりゃビ・バップ・スタンダードだからなあ。クラリネットもさることながら、アコーディオンという楽器の持つなんだかのんびりとしたイメージ(があるんじゃない?)を根底からくつがえす弾きっぷりで素晴らしい。この1961年マーキュリー録音も YouTube にないのか。残念だ。

CD2収録のほかのジャズ・アコーディオン奏者のことは全部省略して、『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』三枚目のカリブ〜コロンビア〜メキシコ篇に行かなくちゃ。でも僕はこのあたりの音楽で聴けるアコーディオンのことをあまりよく知らないんだよなあ。三枚目に一番たくさん収録されているのがコンフント・マドリガルなんだけど、メキシコの音楽家だよね。誰がアコーディオンを弾いているかは明記がない。五曲目の「ラ・イグエーラ」なんか相当いい演奏内容だと思うんだけどなあ。

その「ラ・イグエーラ」はテックス・メックス風でもある。いかにもライ・クーダーの作品でフラーコ・ヒメネスが弾いてますみたいな感じに聴こえる。今日最初の方で、『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』三枚組にザディコとテックス・メックスは収録なしと書いたけれど、テックス・メックスの方だけは親戚関係のものがあるんだよなあ。

『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』三枚目に二曲収録されている、バミューダ(英国領)のタルボット・ブラザーズも嬉しい。なかなか CDで聴けないもんで。 英語圏だから英語で歌手が歌っているけれど、北米合衆国音楽風なニュアンスは聴きとれない。二拍子系で跳ねるリズムも完璧なカリビアン・ミュージックだ。19曲目の「バミューダズ・スティル・パラダイス」の方は、セバスティアン・イラディエールの「ラ・パローマ」のパターンだ。すなわちキューバのアバネーラ風。

「ラ・パローマ」風、というか正確にはキューバのアバネーラ風なリズム・パターンを使ってあるものは、『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』三枚目にはたくさんあって、いちいち指摘するとキリがない。アフリカン・ルーツのカリンダとかベレとかが土台になっている汎カリビアン・ミュージックだってことだよね。『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』三枚目は、一枚目・二枚目とは明らかにリズムのフィーリングが大きく異なっている。アコーディオン奏者もザ〜ッと長めに蛇腹を動かすのではなく、歯切れよくザッ・ザッと短いフレーズをリズミカルに刻んでいる。

あ〜、ってことはルーツ的には同族楽器であるバンドネオンを使ったアルゼンチンのタンゴでもそんな刻み方をしているものがたくさんあるし、タンゴのリズム・スタイルもアバネーラ由来だし、やはり同じ「アメリカ」だし、四枚目を足して、アルゼンチン・タンゴも『アコーディオン・イン・アメリカズ 1949-1962』に収録したらよかったのになあ。

2017/07/08

サンバ・カンソーンの女神がボサ・ノーヴァを産む

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ブラジル人女性歌手エリゼッチ・カルドーゾの日本盤 CD は二つしかない。かなり有名な『ジョアン・カエターノ劇場のエリゼッチ・カルドーゾ』、そして『サンバ歌謡の女王』。前者はタイトルで察せられるようにライヴ・アルバムで二枚組。後者はベスト盤で、田中勝則さんの選曲・編纂・解説で、2009年に日本のライス・レコードからリリースされたもの。

しかし二つしかないなんてなあ。しかも『ジョアン・カエターノ劇場のエリゼッチ・カルドーゾ』の方はいまや廃盤みたいだ。なんてこった。ブラジル人女性歌手ではおそらく最大の存在の一人、それも私見では、カルメン・ミランダをナンバー・ワンとし、それに次ぐ二番手だと言いたいくらいの偉大なシンガーなのに。だから、ブラジル盤でいろいろお持ちだとかではない、ふつうの日本人音楽ファンで、ひょっとしてあるいはまだライス盤『サンバ歌謡の女王』をお持ちでない方は、ぜひともいますぐ!これしかないんだ!
ってことで今日はこのエリゼッチ・カルドーゾ入門にはこれ以上好適なものはないと断言したいライスの『サンバ歌謡の女王』に沿ってこの歌手の話をしたい。ところで、エリゼッチは一般的にはサンバ・カンソーンというものの代表格の一人とされている。だがこのサンバ・カンソーンという言葉は決して新しいものではない。あたかも1950年代のブラジルで使われはじめたかのように考えられているかもしれないが、実は20年代には既に使われていた言葉だ。

1920年代のサンバは、基本的にはカーニヴァルでエスコーラ・ジ・サンバがやる音楽だったけれど、あの当時からカーニヴァルではない場面で歌われるサンバがあって、それをサンバ・カンソーンと呼んだのがこの言葉の使われはじめだ。ダンス・ミュージックであるカーニヴァルのサンバと違って、歌を聴かせるものだったということかなあ。28年に女性歌手アラシ・コルテスが録音した「リンダ・フロール」が、サンバ・カンソーンのレコード第一号(この曲はエリゼッチ・カルドーゾと深くかかわるので、後述する)。

しかしこのサンバ・カンソーンは1930年代に入ると意味を失う。なぜならば、例えばカルメン・ミランダその他らが大活躍したように、特にカーニヴァルなんか関係なく、年がら年中朝から晩までサンバを歌うのが当たり前になったので、それらをことさらサンバ・カンソーンと呼ぶことがなくなったのだった。30年代にはサンバのなかにショーロの感覚を取り込んで、しかもそれを「歌」として聴かせるようにもなった。

そうだから、用語そのものはブラジルに古くからあったとはいえ、やはり第二次世界大戦後の1950年代になって新感覚の歌謡音楽をやりはじめ、それをサンバ・カンソーンと呼んだ時代には、この言葉は新しい意味を帯びるようになった。たぶん51年のリンダ・バチスタ「ヴィンガンサ」(ルピシニオ・ロドリゲス)と、52年のノラ・ネイ「ニンゲーン・ミ・アマ」(アントニオ・マリア&フェルナンド・ロボ)あたりが、新音楽サンバ・カンソーンがこの名前で認識されるようになった最初じゃないかなあ。エリゼッチ・カルドーゾの処女録音は50年の「カンソーン・ド・アモール」で、これの SP 盤レーベル面には、まだ “samba” と書かれてあるらしい。だがこの「愛の歌」は、既に立派なサンバ・カンソーンだ。
この「愛の歌」が、当然のようにライス盤『サンバ歌謡の女王』でも一曲目。ご存知なかった方も、いまご紹介した音源をお聴きになって、新感覚であることにすぐ気がつくはず。僕に言わせれば、その新感覚(ボサ・ノーヴァ)は、ほぼ同時代のキューバのフィーリンや、それと区別不能な同国やメキシコのボレーロと同質のものだ。ハーモニー感覚がジャジーで(北米合衆国のジャズを取り入れたと言えるかどうかは難しい問題なので別の機会に改めたい)、伴奏の楽器編成もモダン。決して大きくなく激しくなく過激でもない音や声を使い、柔らかい感じでそっと優しく語りかけるかのように演奏し歌う 〜〜 この点においてボレーロ/フィーリン/サンバ・カンソーン(&ちょっとあとのボサ・ノーヴァ)は完璧に軌を一にする。時代を見ても地理を見ても、これは間違いないと思う。

もう二つ、これもかなり重要なことなんじゃないかと僕が見ているのが<テンポを落とす> <夜の音楽にする>ということだ。サンバ・カンソーンに話を限定すると、サンバ全盛期にできあがったような曲でもグッとテンポを落とし激しさを消し、一段落ち着いたフィーリングに再解釈して歌っている。ダンサブルなフィーリングはあっても賑やかに騒ぐようなものではなく、ゆっくり、ゆったりと体を揺すっているような感じのノリだ。だからどっちかというと、自然と歌の中身に耳を傾けるような受け入れ方になっていく。

ライス盤『サンバ歌謡の女王』では、エリゼッチ・カルドーゾがそんな風に柔和に微笑みかけているような歌が多く並んでいる。全23曲で1950年録音から58年録音まで。すなわちエリゼッチのキャリア初期の音源で、彼女はその後も大活躍を続けるのはみなさんご存知の通り。初期のトダメリカ〜コンチネンタル原盤音源は、ブラジル本国でなら CD リイシューされたこともあるらしいけれど、日本で簡便に入手できるのはライス盤だけのはず。しかもブラジル盤 CD よりも音質が格段に向上しているようだ(と田中勝則さんの解説文の受け売り)。

ここまで書けば、あとは収録曲の一つ一つをそんなに詳しく解説しておく必要もないようにも思うけれど。まだサンバ・カンソーンとは呼ばれていないエリゼッチ・カルドーゾの1950年のレコード・デビュー(実は B 面)「愛の歌」が、二曲目以後、特にサンバ・カンソーンが爆発した52年あたりの作品よりも格段にモダンに聴こえたりするのがやや不思議だ。例えば四曲目52年の「言葉だけでは言い尽くせない」(As Palavras Não Dizem Tudo)なんか、濃厚な夜の雰囲気がプンプンして、エリゼッチの歌い方もネットリ粘っこい。
だがしかし同じ1952年でも続く五曲目「私たちの愛、私たちの喜劇」(Nosso Amor, Nossa Comédia)では軽くソフトに、その次のやはり52年の六曲目「悪行」(Maus Tratos)で濃厚にと、つまりこの52年当時のエリゼッチ・カルドーゾは、それら両者を自在に歌い分けることができるようになっていたんだよなあ。そしてどっちもやはり<夜の歌>だ。歌詞が、というんじゃなく全体的なフィーリングが。
アルバム『サンバ歌謡の女王』7〜12曲目はコンチネンタル移籍後。アリ・ポローゾ作品の「偽り」(Ocultei)やドリヴァール・カイーミの「もう二度と」(Nunca Mais)なども素晴らしいが省略するしかない。なぜならば11曲目に1956年録音の「美しい花」(Linda Flor)があるからだ。前述の通り28年にアラシ・コルテスが歌ったもの。それはサンバ・カンソーンの名で呼ばれたものの、現代感覚からすればこの言葉は使えないような内容。テンポもまあまあ速いし、ショーロ風の伴奏なんだよね。
これを1956年のエリゼッチ・カルドーゾはこう歌った。大幅にテンポを落とし落ち着いたフィーリングにして情感豊かに歌って、古風な”名称だけ”サンバ・カンソーンを、見事に現代的な”実質”サンバ・カンソーンとして蘇らせたわけだよね。<サンバ・カンソーン>というものの大きな円環を結びつけてくれたっていう、ブラジル音楽史に残る大きな偉業だ。
アルバム『サンバ歌謡の女王』13曲目以後はコパカバーナ移籍後。これも断腸の思いで省略するしかないすんばらしい曲・歌ばかりだ。どうして省略するのかというと、19〜21曲目の三つがアントニオ・カルロス・ジョビンの書いた曲を歌ったものだからだ。特に20曲目の「想いあふれて」(Chega De Saudade)。この知らぬ者のない超有名ボサ・ノーヴァ・スタンダードは、このエリゼッチ・カルドーゾによる1958年の歌が第一号なんだよね。初録音なんだ。ってことは、ボサ・ノーヴァの誕生はエリゼッチによってもたらされたと言えるんじゃない?
これを録音したとき、スタジオには当然アントニオ・カルロス・ジョビンが立ち会っていたばかりか、聴こえるナイロン弦ギターを弾くのがジョアン・ジルベルトなんだよね。しかもまだ駆け出しだったジョアンは、当時もう女神ともいうべき大きな存在になっていたエリゼッチ・カルドーゾに向かって「ここをこう、軽くソフトに歌うべきです」などとの歌唱指導までしてしまったそうだ。エリゼッチはそんな若造ジョアンの言葉を、まったく偉ぶらずそのまま素直に受け入れた結果、上でご紹介したような「想いあふれて」第一号ができあがったのだった。

2017/07/07

電化マイルズにおけるカリブ&ラテン&アフリカへの軌跡(短文)

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電化後のマイルズ・デイヴィスの音楽にあるカリブ〜ラテン〜アフリカについて、少しだけ書いておく。今日は本当にちょっとだけ。時間がないんだ、今日は。やらなくちゃいけない大事なことがあるので、あまり時間が割けない。本格的にはまた機会を改めてしっかり書きたいと思っているが、しかし今日書いたら、もうこれで終りになるかもしれない。

マイルズ・ミュージックにあるカリブ〜ラテン〜アフリカ要素について考え直してみようと思い立ったのは、以前、『E.S.P.』関連の文章を書いたときだった。電化して、その後ファンク化もして以後のマイルズにそんな要素が濃いのは、むかしからみんな知っていることだけど、1965年から既にその萌芽が聴けるとは、僕の場合、あの文章を書いて初めて気がついたことだった。
それで  iTunes でマイルズのそんな曲ばかり抜き出して一個のプレイリストにしてなんどか聴いてみた。本格的にマイルズが、まず最初にカリビアン・ミュージック的なものをやったのは、1981年まで未発表だった67年12月28日録音の「ウォーター・オン・ザ・パウンド」。この日にはこれ一曲しか録音記録がないが、これの次の68年1月12日には、やはり鮮明なカリビアンの「ファン」を録音している。
これら二曲がカリビアン電化ジャズであることは説明の必要がないだろう。マイルズの電気楽器使用例としても最も早い時期だということだって説明不要だ。だが、これらのこんなに面白い曲・演奏は、当時はこのままお蔵入り。初めて日の目を見たのが1981年のマイルズ復帰前にリリースされた未発表曲集 LP 二枚組の『ディレクションズ』でだった。なんて遅いんだ。間違いない記憶だけどこの二枚組未発表集は、復帰第一作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』のリリースに先立ってその少し前に、露払いのような役目で発売された。

このへんの思い出話や、二枚組アルバム『ディレクションズ』の面白さについても、本当にいろいろあるのだが、それも今日はぜんぶ省略するしかない。上の「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の二曲は、1967/68年当時お蔵入りしたのが理解できないでもないような内容ではあるなあ。だってあの頃発売されていたマイルズのアルバムのどれにも居場所がないような色のものだからだ。かろうじて68年の『キリマンジャロの娘』になら入りそうだが、このクウェラ・マイルズ、サウス・アフリカン・マイルズみたいなアルバムができあがった最初のきっかけみたいなものになったのが、上の二曲「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」なんじゃないかと僕は見ている。

しかし「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の二つについては、おそらく1981年まで完全に未発表のままだったせいなのか別の理由なのか、どなたも話題にしていない。これら二曲についての文章を僕は見たことがないんだなあ。世間に出た81年時点だと既に、例えば『ゲット・アップ・ウィズ・イット』に「マイーシャ」(録音74年)や「カリプソ・フレリモ」(録音73年)など、その他かなり強烈なカリブ〜ラテン・ファンクをマイルズは発表済だったので、67/68年録音の「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」なんて話題になりようもなかったのかもしれないが。

でもさぁ、いまならば、マイルズ・ミュージックにあるそんな要素 〜 電気楽器と8ビートの導入&カリブ/ラテン/アフリカ音楽要素の反映 〜 これの軌跡を辿ってみてもいいんじゃないかと思うんだよね。ずっと遡ると1965年の「エイティ・ワン」(『E.S.P.』)に行き着いて、またリアルタイム・リリース作品でも、1967年録音の「マスクァレロ」「プリンス・オヴ・ダークネス」(『ソーサラー』)で、やはりトニー・ウィリアムズがラテン色の濃いドラミングを聴かせている。それらが、(お蔵入りしてしまったとはいえ)二つのかなり面白い「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」を経過して、というかこの二つで既にある程度は結実していて、それがもっと大々的に68年録音のクウェラ・アルバム『キリマンジャロの娘』に辿り着き、それがその後ファンク化して『ゲット・アップ・ウィズ・イット』みたいなアルバムになったんだと。ザッとこんな風に俯瞰できるんじゃないかなあ。

1981年の復帰後もマイルズ・ミュージックにはそんな要素がある。まず復帰第一作の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の A 面二曲目に「バック・シート・ベティ」があるじゃないか。このリズムはまあまあ面白いぞ。バリー・フィナティが弾く導入部のギターに続きマイルズが吹きはじめてから出てくる、エレベ(マーカス・ミラー)とドラムス(アル・フォスター)二名が創るリズムがいい。特にアルのドラミングを聴いてほしい。
このアルバムの次にリリースされた、カム・バック・バンドによる二枚組ライヴ・アルバム『ウィ・ウォント・マイルズ』では、この「バック・シート・ベティ」はなんでもない感じになっていてリズムの面白さも消え失せているが、二枚目 B 面いっぱいを占める「キックス」。これはレゲエ・ナンバーだ。しかも途中から4ビートになったりレゲエ・ビートに戻ったりを繰返す。
このライヴ・ヴァージョンしかない「キックス」は、マイルズ録音史上初のレゲエ・ナンバーだ。このあとマイルズ・レゲエは、1985年の『ユア・アンダー・アレスト』に「ミズ・モリシン」(ティンバレスが派手に入る)があり、またワーナー移籍後第一作1986年の『TUTU』にも「ドント・ルーズ・ユア・マインド」(ミハル・ウルバニアクが電気ヴァイオリンを弾く)があったりする。

あぁ〜、もう時間制限いっぱいだぁ。ダメだぁ、この程度の文章じゃあ。こんなもので今日は許してください。マジでやらなくちゃいけないことがあるんです。

2017/07/06

雨降りだからドルサフでも聴こう

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君子豹変す。いや、全然君子なんかじゃない僕だけど、以前の言葉をひるがえす。最近は季節や天候や時間に合わせて聴く音楽を変えている。ということは僕の文章を普段からお読みの方にはもう説明不要だろう。梅雨が明けてなくて、愛媛県大洲市地方でも雨空がほぼ毎日続いているけれど、今日もいまはまだ日が傾く時間でもないのに空も濁り、部屋の中も真っ暗。天井の照明を点ければいいんだけどそれはせず、小さなデスク・ライト一個だけ灯して、しかもそれは LED なので色調を変えられるので、暖かめの電球色にして、それ一個で手許だけ照らし、部屋のなか全体はやはり暗い。

僕はこういった部屋のなかが暗めな感じになっているのがかなり好きな人間なのだ。お天気のいい日でも黄昏どきに暗めになってきた時間帯とかでもなかなか照明を点けずに音楽を聴き、また夜中には照明を小さな一つだけにして部屋全体を仄暗くした状態で(まあそれは入眠準備でもあるのだが)、やはりそれに似合いそうな音楽を聴く。

雨が降る日の、それも特に昼下がり〜夕方あたりの時間帯に、僕が最も聴きたくなる音楽がレー・クエンの何枚かとドルサフ・ハムダーニの2014年暮れリリースの『バルバラ・フェイルーズ』。レー・クエンも、雨の日にはやや似合わないかなというアルバムも少しあるけれど(例えば少し前に書いたばかりの2017年入手作『Khuc Tinh Xua - Lam Phuong』)、多くの場合、ジットリ湿って重い情緒を表現する歌手だから、雨の午後には似合う。セクシーで濃厚で情感豊かなところも、まるで昼下がりのなんとやら…。

そんなレー・クエンとはちょっと違った意味で、僕が雨の日によく聴くのがドルサフ・ハムダーニの『バルバラ・フェイルーズ』。日本盤も2014年暮れにすぐリリースされたのを僕は翌2015年初頭に買って、しばらくのあいだは、文字通り「毎日」聴き狂っていたんだった。ホント、このアルバム、雨の日にはこれ以上なくピッタリ似合う音楽じゃないかなあ。それは半分がシャンソン楽曲、それもバルバラの曲だからかもしれないが。しかも「ナント」(ナントに雨が降る)みたいなものが含まれているせいかもしれないが。

確かにドルサフ・ハムダーニの『バルバラ・フェイルーズ』では、七曲目の “Il pleut sur Nantes, donne-moi la main / Le ciel de Nantes rend mon ceur chagrin” ではじまる「ナント」が最も雨と心の痛みを感じさせる。だが歌詞だけではない。伴奏のサウンドとドルサフの歌い方に、僕はいろんな意味での降雨を感じるのだ。バルバラ・ヴァージョンでは、歌詞内容にもかかわらず、僕はそれを感じないもんね。だから歌詞(だけ)じゃない。

『バルバラ・フェイルーズ』の「ナント」では、まずウードを弾く音が出てくる。それにアコーディオンが小さく絡み、ドルサフ・ハムダーニがつぶやきはじめる。それもフランス在住だとはいえチュニジア出身のアラブ歌謡の女性歌手とは思えないほど声を張らず、小さな声でポツン、ポツンと置くように、まるで雨どいから雨粒が一つずつ落ちてくるかのような歌い方なんだよね。バルバラのは違うもん。

だいたいバルバラとフェイルーズを一曲ずつ交互にやっているアルバム『バルバラ・フェイルーズ』でのアレンジと伴奏はちょっと変わっている。シャンソンだ、アラブ歌謡だ、との固定観念があるとビックリするようなものだ。バルバラのシャンソンではウードやダブルッカなどマグレブ〜アラブ地域の楽器をメインで使い、フェイルーズのアラブ歌謡ではギターが中心になっている。それらにくわえ両者とも、ダニエル・ミーユ(がこのアルバムの音楽監督でアレンジも担当)の弾くアコーディオンが全面的に入っている。

ドルサフ・ハムダーニのヴォーカルは、フェイルーズ・ナンバーでの方が聴きごたえがあるかもしれない。まあやっぱり本領だからなあ。半分がみなさんの、そして僕にとっても、大の苦手なバルバラ・ナンバーだから、それで『バルバラ・フェイルーズ』はほとんど誰も話題にしないんじゃないかなあ。歌のべらぼうな上手さは褒められているけれど、アルバムの中身がいいという意見は、僕が以前書いた記事しかないんじゃないかなあ。「大傑作」とべた褒めしてありますけれど。
ところがしかし、僕にとっての『バルバラ・フェイルーズ』最大の魅力はバルバラ・ナンバーなんだよね。大きな驚きだった。例えば一曲目の「孤独」では、まずハーディ・ガーディ(じゃなかったらなんだというんだ?)の音がクレッシェンドで入ってくるのに乗せて、テンポ・ルパートでドルサフ・ハムダーニがアラビア語で詠唱をはじめる。え?これシャンソンだろ?アラビア語?それも詠唱みたいなものって?と思っていると、それが終わってアクースティック・ギターを軽く爪弾く音がリズムを刻みテンポ・インして、ドルサフがフランス語で歌いはじめるんだよね。

『バルバラ・フェイルーズ』にあるもっと新鮮なバルバラ・ナンバーは、9曲目の「ス・マタン・ラ」(今朝)と11曲目の「黒い太陽」だ。前者ではまずダルブッカが賑やかに、かなり激しく叩かれはじめ、すぐに他の打楽器も入ってきて、するとやはりウードが聴こえて、ダルブッカ&ウード&ヴァイリン+アコーディオンの伴奏で、ドルサフ・ハムダーニがフランス語で歌う。背後でずっとウードがリフを奏でている。バック・コーラスも入る。全体的に相当リズミカルだ。

「黒い太陽」ではまずウード。すぐにダルブッカ。この二つが同じパターンをヒプノティックに反復しながら、フランス語で歌うドルサフ・ハムダーニを支えている。その部分はやはりかなりリズムカルで躍動的だが、サビ部分でテンポ・ルパートになる。サビが終わると再び催眠グルーヴ。この二つの繰返し。ドルサフはサビの末尾で毎回出てくる “le soleil noir” という言葉の表情を、毎回全て歌い廻しを変化させることで多彩な色付けをしている。

アルバム・ラスト13曲目「ゲッティンゲン」でも、やはりウードが伴奏の中心。アコーディオンも目立つ。がしかしこれはマグレブ〜アラブ色が濃くない。リズムのフィーリングもドルサフ・ハムダーニの歌い方もシャンソンに近いものだ。しかし「孤独」「ナント」「ス・マタン・ラ」「黒い太陽」四曲の印象が僕には非常に強く、それら以外はやっぱりシャンソン風だなとは思うものの、これらの四曲はシャンソン楽曲を素材にして、それと水と油みたいな(フェイルーズを含む)アラブ歌謡風に料理した、なんだかよく分らない正体不明の音楽だ。

『バルバラ・フェイルーズ』をリリースしたアコール・クロワゼのイラン人オーナー、サイード・アッサージも、音楽監督でアレンジもやっているダニエル・ミーユも、そしてドルサフ・ハムダーニ本人も、この<フランス+アラブ>合体の折衷音楽とでもいうか、バルバラをアラブ風に、フェイルーズをシャンソン風にやってアルバムで交互に並べ、チュニジア出身のアラブ歌謡歌手にして、在仏歴が長くテレビ番組などに出演してはシャンソン・スタンダードもよく披露する主役女性歌手の、2014年時点での立ち位置を鮮明にしているってことじゃないかなあ。

梅雨時だから<雨の日の音楽>という話をするつもりで、雨の日によく聴くドルサフ・ハムダーニの『バルバラ・フェイルーズ』について書きはじめたんだけど、最後の方はなんだかやっぱりちょっと大げさな展開になってしまった。ただ、このアルバム、フェイルーズ・ナンバーの方も、まるで雨の降る午後みたいなフィーリングなんだよね。暗い午後。フィルム・ノワール。あっ、1950年代のフィルム・ノワールの音楽は、よくアメリカ黒人ジャズ・メン(ハード・バッパー)が手がけたんだった。今日の話題に別になんの関係もないだろうけれどね。

2017/07/05

シーラ・マジッドの新作がこれからの季節にピッタリ

Unknown









たったの41分しかないなんて。もっと聴かせてくれよ、見た目も完璧に僕好みのシーラ・マジッド…、なんて思ったりする僕はやっぱりポップ・ミュージックが分っていないんだろう。このくらいの長さがちょうどいいんだよね、マレイシアの女性歌手シーラ・マジッドの今2017年の新作『ボネカ』。ホントいい感じのポップ・アルバムだ。それもマレイシア〜東南アジアのローカル色が薄くて、全世界で通用する、だからいままでシーラのことをご存知なかった日本のみなさんにも安心して推薦できる普遍的音楽だ。ちょっと聴いてみてくれないかなあ。一発で気に入ってもらえると思うけどね、J-POP とかを中心にお聴きのみなさんにも。

しかし日本でもシーラ・マジッドは、特に1989年以後は、そこそこ知られているはずだ。アルバムの日本盤だってその頃二枚リリースされている。全世界で活躍するようになっているので、特にマレイシアの歌手だと意識する必要もないし、また音楽性も普遍的ポップ・サウンドが多いので、いわゆるワールド・ミュージックだなんて、シーラについては僕もほぼ意識しない。ただ単にいい歌手だなと思って楽しんでいるだけだ。

そんなシーラ・マジッドのユニヴァーサルなポップ色が、新作『ボネカ』でも全開なんだよね。しかもラテン・タッチが聴ける。音楽のラテン色は本当に世界中どこにでもあるけれど、シーラの新作でもなんの違和感もなくそれが溶け込んでいるのだ。まずアルバム『ボネカ』一曲目の「Melukis Dunia」のリズム・アレンジにおける跳ねるフィーリングはカリブ〜ラテン由来だ。曲も詞も書きアレンジとプロデュースもしているトーパティ(インドネシア)の着想なんだろう。間違いなく打ち込みサウンドが入っているなあと思ってクレジットを見たら、トーパティがプログラミングもやっている。ホーン・リフ(はクレジットされているのがサックス一名だけなので、シンセサイザーだろう)の入り方もサルサ風。この一曲目は完璧なダンス・チューンだ。

同じようなラテン・ダンス・チューンがほかにもあって、三曲目のアルバム・タイトル曲「Boneka」、六曲目の「Lebih Dewasa」(は必ずしもダンス・ビートではないアクースティック・ギターの伴奏によるカリビアン・バラードではじまって、途中からラテン風の打ち込みビートが効き、ホーン・リフも同じくダンサブルに)、九曲目の「Kasih Kamu」も、静かにはじまったかと思った次の瞬間に賑やかなリズムとサウンドになったり、落ち着いたり、また賑やかになったりの繰返し。派手な部分はやはりリズムとホーンがラテンな感じ。

これら四曲以外の六曲はしっとりしたバラードをシーラ・マジッドが歌い込む。といっても濃厚だったり激情的だったり情念をぶつけるかのようなものは一つもない。六曲全てアッサリ、サラリ、軽く、たおやかで、肩の力が完全に抜けているのがいい。ユルいとまで言っても差し支えないほどなんだけど、この場合の「ユルい」とは否定的な意味ではない。ほどよくリラックスしている歌い方なので、トーパティのアレンジとプロデュースもシーラのそんなヴォーカルを上手く活かしていて、聴いている側も心地良いっていう意味なんだよね。

四曲のダンス・チューンでも六曲のバラードでも打ち込みが聴こえるのは間違いないが、しかし多くの場合、ドラマーやベーシストやパーカッショニストなど、生楽器のリズム・セクションも参加しているというクレジットになっている。しかもだいたいの曲でストリングスと女性バック・コーラスが入るのもいい感じにポップ色を加味。ストリングスは生楽器の場合とシンセサイザーの場合があるみたい。女性コーラスは一名か二名しかクレジットされていないので、多重録音しているんだろうなあ。

ダンス・チューンのなかでの僕の特にお気に入りは、ややユーモラスで愛らしい一曲目の「Melukis Dunia」、三曲目の「Boneka」。落ち着いたバラード・ナンバーだと四曲目の「Haruskah Ku Pergi」、そしてアルバム・ラストの英語曲「マイ・オール」が好き。バラードのこれら二つとも、楽曲、アレンジ、シーラ・マジッドの歌い廻し、これらすべて乾いていて、聴き手の感情に決してまとわりつかず、アッサリと聴かせてくれる。これからの季節、まるで陽光のもとゆったりと涼やかにくつろいでいるようなフィーリングで、上質ポップスのお手本みたい。

英語曲「マイ・オール」だけはトーパティではなく、ジェニー・チンのアレンジとプロデュース。英語で歌われているからというよりも、そのアレンジ/プロデュース・ワーク、その結果もたらされたサウンドが見事だと思うんだよね。この「マイ・オール」でだけはコンピューター・サウンドが一切なく、エレピ一台だけを例外とし、ほかは全て生演奏のアクースティック楽器。ギター、ベース(アップライト型のウッド・ベース)、ドラムス、それだけ。それがこの曲の持味と、それを表現するシーラ・マジッドのヴォーカルを際立たせていると思うんだよね。

いやホント、そこらへんにあるような普通のなんでもない、しかし上質なポップス・アルバムだけど、シーラ・マジッドの『ボネカ』、オススメです。乾いた質感があるのでヒンヤリ涼やかなフィーリングもあって、だから猛暑がもうじき到来するという日本人にはピッタリ来る聴きやすい音楽ですから。

2017/07/04

ガーシュウィンを聴くならば

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といってもクラシック作品ではなく、ポップ・ピースのことについて話をする。でも「ラプソディ・イン・ブルー」のことについてだけは少し書くかもしれない。だってあれはクラシックのシンフォニー・オーケストラ作品であるとはいえ、作者のジョージ・ガーシュウィン自身、ジャズのイディオムを大いに活用したものだし、また実際ジャズ・メンがかなりしばしば言及している。それもかなりはっきりと音で直接的に(いやまあそんなこと言い出したら、ジャズが直接影響をこうむったクラシック作品ってすごく多いわけだけどさ)。

さてさて、ハード・ロックやヘヴィ・メタル以上に、クラシックのシンフォニー・オーケストラこそ音量を上げて聴かないと面白くないように思う。それでジョージ・ガーシュウィンの話だが、例によってクラシック音楽のことはまったく分らないのでほぼ省略して、ティン・パン・アリーのソングライターとしてガーシュウィンが書いたポップ・ヒット・チューンに限定してちょっと書きたい。以前一瞬だけ触れたウディ・アレン映画『マンハッタン』のサウンドトラック盤のこと。

『マンハッタン』は1979年の映画作品。いまの松山市では映画館がかなり少なくなっていて、しかもシネコンみたいなのがメインのようだけど、79年、すなわち僕が高校三年生のころにはたくさんあったのだ(もっと前の日本映画全盛期にはもっとあったんだぞと死んだ父が言っていた)。東京でだって上映してくれる場所がかなり限られているギリシアのテオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』や、イタリアのエルマンノ・オルミ監督の『木靴の樹』を、少し遅れてではあるが上映してくれる名画座みたいな独立系映画館もあった。

以前書いたように植草甚一さんの影響もあってかすっかり映画好きだった僕は、やっぱりそれでも数が多くはない松山の映画館で封切り、あるいはリヴァイヴァル上映される作品を、文字通り一本残らず「全部」観ていた。テオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』なんか、映画雑誌でかなりの高評価なのでぜひ観たいと思うもののなかなか来ず、広島の映画館に来たと知るやフェリーで瀬戸内海を渡って観に行きたいと父に相談して、「お前はアホか!」とマジで怒られた。結局何年か経って松山の映画館で観られたのでよかった。しかしあの映画、ギリシア神話を知らないと面白くないし、四時間もあるしで、松山の名画座で僕が観たとき、エンド・ロールもすべて終わって館内が明るくなって見渡すと、僕以外誰も客がいなかった。

そんなことはいい。ウディ・アレンの『マンハッタン』。全編でジョージ・ガーシュウィンの曲が使われていて、僕は映画そのものよりも、観たあとレコード・ショップで買ったサウンドトラック盤 LP の方が気に入ってしまった。特に B 面だなあ。A 面はお馴染「ラプソディ・イン・ブルー」で、B 面がティン・パン・アリーのソングライターとしてガーシュウィンが書いたスモール・ピーシズ。だから CD で連続して流れるとちょっとした違和感が。ほら〜、やっぱり A面B面意識しないとダメじゃん。

サウンドトラック盤『マンハッタン』B 面は全部で17トラック。1トラックのなかに複数曲が入ってメドレー形式になっているものが一つあり、また同じ曲が二回出てきたりもするけれど、正確な曲数としても17曲。二回出てくる「ランド・オヴ・ザ・ゲイ・キャバレーロ」は、ここだけの16トラック目「ラヴ・イズ・スウィーピング・ザ・カントリー」とのメドレーになっているからだ。

B 面の全17トラックは、二つを除き、A 面の「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏するのと同じズービン・メータ指揮のニュー・ヨーク・フィルハーモニックの演奏。「ラプソディ・イン・ブルー」は、いくらジャジーだからといってもやはりクラシック作品に聴こえるけれど、B 面のガーシュウィン小品集はクラシックでもないし、ジャズでもないし、まあイージー・リスニング・ミュージックだなあ。これは悪い意味ではまったく言っていない。その逆だ。

緊張感のある A 面「ラプソディ・イン・ブルー」とは正反対に、B 面の小品集は実にくつろげるリラクシング・ミュージックだ。17トラックはすべて相当演奏時間が短い。一分か二分か、長くても三分を超えず、一分未満のものだってかなりたくさんある。それが曲間のギャップもほぼなく(1979年当時としては珍しい)、どんどん連続して流れてくるのがいいんだよなあ。YouTube にないか探してみたが見つからない。一曲単位とかでなら少し見つかるが、B 面フルで上がってないと意味ないんだなあ。 Spotify にあるかなあ?

B 面のうち、5トラック目の「マイン」と10トラック目の「アワ・ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」の二つだけがニュー・ヨーク・フィルによるものではなく、モダン・ジャズのスモール・コンボ演奏。前者はピアノ・トリオ、後者はそれにヴァイオリンとギターが加わるという編成。ジャズとして聴くとまったく歯ごたえのない演奏にしか僕には聴こえないが、この B 面のなかではそれでいい。というかそうじゃないとダメなんだ。ただひたすらムーディなイージー・リスニングだからね。これが火花を散らすような緊張感のあるジャズ演奏だったりすると、B 面全体の流れや雰囲気がぶち壊しになってしまう。
ところで B 面の、ジャズ・コンボによるこの二曲を除く15トラックは、いろんなジャズ・ミュージシャンのやる演奏とはかなり違っていて、そりゃクラシックの管弦楽団がやっているんだから当たり前だろうと言われるかもしれないが、リズム・アレンジが大胆になっている(バラードをアップ・テンポでスウィンギーにしたり、その逆をやったり)だけでなく、そもそもガーシュウィンの書いた主旋律の動きがかなり異なって聴こえるので新鮮というか驚きというか。はっきり言うと、書き直し・書き加えをしてているんだなあ。

それを誰がやっているのかというとトム・ピアスン。CD 記載のクレジットによれば、選曲もピアスンみたいだ。彼がどの曲をとりあげて、どうアレンジしてオーケストレイションするか全部仕事をして、そのスコアにもとづいてズービン・メータがニュー・ヨーク・フィルを振ったってことだろう。メータとニュー・ヨーク・フィル云々より、ピアスンの腕前にかなり感心する。3トラック目の「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」、8トラック目の「オー、レイディ・ビー・グッド」(からそのままギャップなく9トラック目の「ス・ワンダフル」へなだれ込むあたりの流れも含め)とか、ガーシュウィンが好きなふつうのジャズ・ファンだったら、エッ?オッ?となっちゃう鮮やかさだもんね。

B 面最終盤の15トラック目「ラヴ・イズ・スウィーピング・ザ・カントリー/ランド・オヴ・ザ・ゲイ・キャバレーロ」、16トラック目の「ストライク・アップ・ザ・バンド」、そしてアルバム・ラストの17トラック目「バット・ナット・フォー・ミー」の三つは完全に一続きになっていて、ここもまた曲間のギャップがない。三つ合わせても三分間もないものだけど、この流れが実にいい。トム・ピアスンが練りこんだのが手に取るように分る。最初の二つはアップ・テンポで賑やかなもの。特に「ストライク・アップ・ザ・バンド」は、曲題だけでも分るようなハードなスウィング・ナンバーで、ニュー・ヨーク・フィルも、特にブラス群が大活躍。まるで後期ロマン派みたいに、金管群がぶつかりあってキラキラ輝く。

しかしそれがたったの37秒で終るとそのまま引き続き、喧騒のあとのシンミリした気分、ちょっとガッカリしているような「バット・ナット・フォー・ミー」が、これまたたったの一分程度流れる。この曲はトーチ・ソングで、「みんな楽しそうだけど、世のなかのあらゆる嬉しいことは僕のためのものじゃないんだよね」という曲だから、いろいろ大胆に書き換えているトム・ピアスンも、ここではそれをやらず、そんな失恋フィーリングそのままのスコアを書いているのがいいよなあ。アルバムの締めくくりにはもってこいのコーダだ。

ところで本当にほんのちょっとだけしか書かないが、映画『マンハッタン』サウンドトラック盤 A 面の「ラプソディ・イン・ブルー」は、いろんなジャズ演奏家が触れている。たとえばちょっと前に書いたオーケー録音時代のルイ・アームストロングがやった「エイント・ミスビヘイヴィン」。1929年7月19日録音なんだけど、2分10秒過ぎのコルネット・ソロ部分ではっきりと「ラプソディ・イン・ブルー」の一節をそっくりそのまま引用しているじゃないか。
「ラプソディ・イン・ブルー」の初演は1924年2月12日で、その後もオーケストラで、ソロ・ピアノ・ヴァージョンで(がもともとガーシュウィンの書いたもの、管弦楽譜面を書いたのはファーディ・グローフェ)と繰返し生演奏されたので、サッチモはレコードも聴いただろうしライヴで接する機会だってあっただろう。なお、1924年の初演は、ジャズの文脈でも頻繁に名前があがるポール・ワイトマン楽団によるもの。グローフェは同楽団の専属アレンジャーだった。

映画『マンハッタン』サウンドトラック盤は、B 面収録のものも当然すべてインストルメンタル演奏なので、最後に一つ、ヴォーカル・ヴァージョンによるガーシュウィン曲集のオススメも、内容にはつっこまず付記しておく。例によってのエラ・フィッツジェラルドの1959年ヴァーヴ盤『シングズ・ザ・ジョージ・アンド・アイーラ・ガーシュウィン・ソング・ブック』。これは文句なしの大推薦盤だ。エラはなんでもないみたいに、そのままストレートに軽く流すようにスッと歌っているけどさぁ。

2017/07/03

マライアのアンプラグド・ライヴが大好き

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いやホント僕の世代の音楽好き、特に熱心なマニアというようなみなさんのなかにマライア・キャリーのファンは少ないと思う。だけれども僕はかなり好きなのだ。といっても僕の好きなマライアは1990年代初期だけ。91年の『エモーションズ』と、続く92年のライヴ盤『MTV アンプラグド EP』だけ。その前にデビュー作があるが、僕は聴いていない。『MTV アンプラグド EP』以後は買うようになったが、その93年の『ミュージック・ボックス』からあとは、個人的にはどうもイマイチ。完全なる個人的趣味嗜好だけでの話だ。

僕が最初に買ったマライアは1992年の『MTV アンプラグド EP』。それまでマライア・キャリーという若手アメリカ人女性歌手が売れているぞと聞いてはいたものの、ふ〜ん…と横目で睨んでいただけで、まあはっきり言うとどうでもいい(と思っている人々がいまでも大半だと思う)と思っていたのだが、僕はあの MTV アンプラグド番組のファンなのだ。といっても番組そのものじゃなく、収録された音源が CD でリリースされるもののファンだっただけ。以前も言ったように全部 DVD もある(はず)なのだが、一つも持っていない僕。でも CD でならいろんな MTV アンプラグド盤を持っている。ローリン・ヒルのとかもそのうち書くかも。

そんなことで、なんの興味も持っていなかったマライア・キャリーだけど、そっか、MTV アンプラグドのライヴ CD が出たのかと、このライヴ企画そのもののファンで、CD はほぼすべて根こそぎ買っていた僕は、マライアの『MTV アンプラグド EP』も、どんなもんだろう?と興味を持って買った。EP なのでかなり尺が短く29分しかないのだが、こ〜れ〜が!特に一曲目の「エモーションズ」が!凄いのなんのって!
マライアが MTV アンプラグドに出演しようと決めたのは、スタジオ録音作品で聴けるあの超高音部のさえずり声、メカニカルなようでいて、まるで野鳥の声のように優しく聴こえる、あのウィスル・レジスターは、スタジオ作品ならではの加工品なのではないか?生声そのものではないのではないか?ライヴでは披露できないだろう?というような、どうやらそんな悪口があったのも大きな理由だったらしい。それでライヴ・パフォーマンスをやると決めたそうだ(と、たったいま調べて知った。僕はスタジオ作品はあとになって買ったのだから)。

そんな悪評というか非難は全く当たっていないということが上でご紹介した『MTV アンプラグド EP』一曲目の「エモーションズ」だけでも分っていただけるはず。それはそうと関係ないかのような話に行くが、マライアのこういった発声や歌い方は、レバノンのヒバ・タワジに実に大きな影響を与えている。いろんな人が言っているし、僕も以前かなり強調した。そんな部分は今2017年の新作『ヒバ・タワジ 30』では影を潜めがちだが、その前2014年のデビュー作『ヤ・ハビビ』になんか、そのままマライアの丸コピーみたいな部分すらあったもんね。だが、僕を含め誰がいくらこの事実を強調しても、ヒバの熱心な聴き手のみなさんはマライアに興味なんか示さないねえ。

僕は好きなものは好きなんで。だからマライアのこともはっきり好きだと言っている。上でご紹介した「エモーションズ」でピアノを弾いているのがデイヴィッド・コール。この名前にならピンと来るブラック・ミュージック・ファンの方も多いはず(マライアも父親がアフリカ系ベネスエーラ人だが)。ロバート・クライヴィレスとのコンビである C+Cミュージック・ファクトリーの知名度があるからだ。C+Cミュージック・ファクトリーは、デビュー作1990年の『マライア・キャリー』から手がけているウォルター・アファナシエフに依頼され、次作『エモーションズ』を全面的に共同プロデュースしている。プロデュースにはマライアも参加。

僕が持っているマライアのスタジオ・アルバム五枚のなかでは、その1991年の『エモーションズ』が一番好きだし、出来も一番いいんじゃないかと思う。ダンス・ビートを中心に、マライアの持味であるドラマティックなバラードも配し、キャロル・キングと共同で書いたゴスペル・バラード風な「イフ・イッツ・オーヴァー」もあったり。しかも C+Cミュージック・ファクトリーがプロデュースするダンス・チューンは、ややレトロな1970年代風にも聴こえるものだ。その典型が、これまたやはり一曲目の「エモーションズ」。
『MTV アンプラグド EP』ヴァージョンの「エモーションズ」でマライアに惚れた僕だけど、それでその曲のオリジナルが入っているというのですぐに買った前作のアルバム『エモーションズ』だけど、1990年代当時の僕にとっては、スタジオ・オリジナルはイマイチに聴こえていた。だが、いまじっくり聴きかえすとどっちもかなりいいなあ。緻密なサウンドの完成度は言うまでもないが、ポップでダンサブルなフィーリングもスタジオ・ヴァージョンの方が上かも。

ただ非常に大きな違いは、『MTV アンプラグド EP』ヴァージョンの「エモーションズ」には、スタジオ・オリジナルでは聴けないゴスペル・クワイアが参加していることだ。スタジオ・ヴァージョンにもヴォーカル・コーラスはあるけれど薄く弱く、ほんの軽い味付け程度だ。ところが MTV アンプラグド・ヴァージョンでは、冒頭のデイヴィッド・コールが叩くピアノに導かれ、ゴスペルのマス・クワイアが大きくフィーチャーされている。ドラマーがスティクを鳴らしてビートを刻みはじめるまでのテンポ・ルパート部分で、その女性クワイアをバックにマライアが自由に泳いでいるのが素晴らしい。「ハ〜ッイア〜〜ッ!」と叫ぶあたりで、あぁ、僕はこの人が好きなんだだと確信した。テンポ・インしてからの歌い方のフレジングとドライヴ感と迫力も素晴らしい。

『MTV アンプラグド EP』で披露している七曲(たったの七曲かよ…どうしてもっとやってくれなかったんだ?)の多くは、やはり先行するスタジオ作品『エモーションズ』からのレパートリーが多い。一曲目だけでなく、二曲目の「イフ・イッツ・オーヴァー」(私の最大の憧れの一人、キャロル・キングと一緒に書いたものです)、五曲目の「メイク・イット・ハプン」(私の最新シングル曲です)、七曲目の「キャント・レット・ゴー」(ありがとう、まだ去りたくないです)。

僕にとって『MTV アンプラグド EP』のポイントが高くなる大きな要因は、六曲目の「アイル・ビー・ゼア」だ。問答無用のジャクスン5。マライアも曲紹介でしゃべっている 〜 次の曲はとてつもなく素晴らしいジャクスン5で有名なものです、私のかなりのお気に入り、みなさんもそうだったらいいんですけれど、「アイル・ビー・ゼア」といいます 〜 とマライアが言い終わると、やはり客席から歓声があがる。当然だ。
ジャクスン5・ヴァージョンにあるマイケルのパートを歌うマライアの声は、ものすごくチャーミングなんだ。歌詞もあんな内容だしなあ。ジャーメインのパートを歌っている男性はトレイ・ローレンス。ピアノはデイヴィッド・コールではなくウォルター・アファナシエフが弾いている。それにしても、この当時のマライアがここへ来てくれるんなら、僕は躊躇なく電話しちゃうなあ。

ところで、いまネットで調べてみて初めて知ったが(だって CD 商品にはどこにも記載がないから)、このマライアの『MTV アンプラグド EP』でパーカッションを担当しているのはサミー・フィゲロアじゃないか。この人はマイルズ・デイヴィスの1981年復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』でやっていたパーカショニストだ。シカゴ人脈を起用した二曲を除き全面的に叩いている。それなのに、ライヴ・ツアーをやるカム・バック・バンドではミノ・シネルになったのはどうしてだったんだろう?

また先行するスタジオ作品『エモーションズ』で見事なプロデュース・ワークを聴かせる C+Cミュージック・ファクトリーのデイヴッド・コールがピアノを弾くのは、『MTV アンプラグド EP』では「エモーションズ」「サムデイ」「メイク・イット・ハプン」の三曲だけ。「メイク・イット・ハプン」では、ウォルター・アファナシエフも同時参加してオルガンを担当。それら以外のピアノはすべてウォルター・アファナシエフだ。ベースもギター型のアクースティック・ベースの音。ストリングスやホーンも参加。電気楽器は番組企画通り一つもない。

2017/07/02

スウィングするナンセンス 〜 スリム&スラム

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Unknown








今日話題にしようと思っているスリム&スラム(スリム・ゲイラード&スラム・スチュワート)もまた、一般的にはジャイヴ・ミュージックの人、しかもこの分野の王者とまで言ってもいいくらいの存在だ。特にスリムの方はそう。だがしかしこういったジャイヴやジャンプなどを、中村とうようさんがあれほどまで執拗に「ジャズではない」と繰返したのは、言ってみれば横紙破り的な戦略だったに違いないと僕は考えている。

スリム&スラムだけじゃなく、キャブ・キャロウェイにしてもルイ・ジョーダンにしても、その他とうようさんがたくさん書いたジャイヴ/ジャンプ・ミュージックの人たちは、もちろんジャズ・ミュージシャンだ。がしかし本流から外れた、というか外されたマイノリティだってことだよね。人間社会でも音楽世界でも、マイノリティがマジョリティと同等の扱いを受けるようになるためには、あえてとうようさんみたいなああいった故意の戦略も必要だったんだろう。

こんな面白い音楽がジャズのなかにあるのに、どうしてみんな無視するんだ?どうしてマトモに一人前扱いしないんだ?ああいったジャイヴやジャンプをメインストリームのジャズのなかでなんとか正当に位置付けてほしい、その結果、認知度が上がって、みんながどんどん聴くようになってほしい 〜 こんな一心でとうようさんはあんな横紙破りをやっていたんだろう。それは人間社会でのマイノリティが「毎日生きていくことだけで闘いだ」と言うのと同じ種類の<闘い>だったのかもしれない。障壁を取り払うための。

毎度毎度の繰返しになるが、僕がジャイヴやジャンプを聴きはじめ好きになったのは、中村とうようさんの存在を知る前で、だからこれにかんしてはとうよう信者的な部分が薄い。まったく関係なくレコードを買って聴いて好きだったし、その後とうようさんに出会って以後も、あまり関係なく僕は自分でジャイヴやジャンプをディグして聴き続けてきた。それでもやっぱり日本ではとうようさんが編んだアンソロジーも多いので、かなりお世話になっているのは間違いないが、しかしそれらがジャズの本流から外れたマイノリティだという認識そのものが僕にはないんだよね。ゼロだと言ってもいいくらい。

だから、中村とうようさんのそういった(同じジャズだと分っていながらあえて「違う音楽だ」と書いた)故意の戦略には、僕は共感できない部分もある。そのあたりのとうようさんの功と罪(の方はあるのかどうかよく分らないが)については、一度ちゃんと僕なりに突き詰めて考えてみて書かないといけないと思っている。それにしてもちょっと周囲を見渡せば21世紀のいまでも、ジャイヴやジャンプはジャズの鬼子だという認識、あるいはジャズにそんな子がいるのだという存在そのものに気づいてすらいない場合も多いので、とうようさんの闘いは結局実を結ばなかったのだろうか?熱心なとうようさんファンですらも、あのへんの音楽はいわゆるジャズとは違うんだ、「周辺領域」だと思っている場合があるみたいだしなあ(まあとうようさん自身がそう書いたからだけど)。こういう結果がとうようさんの望んだことだったのか?僕はちょっと違うんじゃないかと思っている。単にノーマライゼイションを言っただけじゃないのかなあ。普通に飛行機に乗りたいだけ、普通にトイレしたいだけ、というのと同じく。

まあいい。このあたりの話はホント相当じっくり考え直してみないとね。今日はスリム&スラムの話だ。このコンビの出会いは1937年のラジオ・ショウにおいてであったらしい。スラム・スチュワートの方はベーシスト兼ハミング・シンガーで、ウッド・ベースを普通にピチカートで弾くだけでなく、弓で弾きながらそのフレーズのオクターヴ上をユニゾンでハミングするのが芸風の人だけど、スリム・ゲイラードの方はどういう人なのか、説明が面倒くさい。多彩・多芸すぎるからだ。

スリム・ゲイラードの担当楽器で最も知られているのはギターだろう。それ以外にピアノ、ヴァイブラフォン、トロンボーン(スライド・トロンボーンの方は、ある意味、一本弦ギターみたいなもんだ)、各種サックス、各種パーカッションをこなす。そしてタップ・ダンスもやり、さらにここまで書いてきた要素以上に最も強烈なのがジャイヴ・シンガー、ヴォーカリストだということだ。いや、シンガーやヴォーカリストというより、リングイスト(言語学者)とでも言うべきか。そしてまた、シュールレアリストでもある。

スリム・ゲイラードは晩年来日もしたが(中村とうようさんが撮影した写真もある)、レコード録音上で辿ると1937〜59年ということになるようだ。59年のドット・レーベル原盤分については、やはりとうようさんが編んだ MCA ジェムズ・シリーズの一枚『スリム・ゲイラード 1959』にまとめられているので、これはまた別の機会に話をしたい。作家ジャック・ケルアックが惹きつけられた(『オン・ザ・ロード』)ように、ビートニクやヒッピー感覚を少し先取りし、フォーク・ソングのパロディをやったりもしていてかなり面白い。そんなスリムが、反体制運動が盛り上がったはずの1960年代に入ると忘れられたのは、結局、60年代のああいったムーヴメントは白人インテリ層の知的な遊びでしかなかったってことなんだろうな。スリムみたいな根っからのアナーキストは、やはりどうやっても社会での居場所がない。

そんな1959年のドット録音があるものの、スリム・ゲイラードが最も活躍し最も人気だったのが1937〜42年まで。それもスラム・スチュワートとコンビを組んでスリム&スラムとしてレコードを出したりライヴ活動していた時期だよなあ。レコードでいえば、それらはコロンビア系のレーベル原盤なので、中村とうようさんも『ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ、ジャンプ編』に収録できなかった。デッカ系だったりすれば、間違いなく選んでいたはず。現にドット録音は一つ収録があるもんね。

1937〜42年のスリム&スラムの録音集を僕は二種類持っている。一つは Definitive Records がスリム・ゲイラード&スラム・スチュワート名義でリリースした CD 三枚組の『コンプリート・コロンビア・マスター・テイクス』。もう一つは Proper がリリースしたスリム・ゲイラード名義の CD 四枚組『ラフィング・イン・リズム』。両者は収録曲がかなりダブっているが、プロパー盤の方には、スラムとコンビを組む前のスリムの初録音二曲と、スリム&スラム以後の1945〜52年録音もある。

がまあしかしやはりスリム&スラム名義での録音が楽しい。いやあ、もう楽しいったらありゃしない。スラムのベース&ハミング・ユニゾン技巧は、芸術ジャズとして聴いても立派なものだが(実際マジメなジャズ・ベーシストのみなさんにも人気がある)、スリムの方は、まず楽器演奏だとマトモなことをやらない。さらに言語学的ヴォーカルではふざけている以外のことはしていない。ナンセンスの極致。だからスリム&スラムの録音集を、まるでスピーカーの前に正座でもするかのようにして<真剣に>聴いちゃイカンよ。すべてはお遊びなんだから。でも遊びは真剣・熱心に追求しないと面白くないし、他人様に披露できる芸にもならない。僕たちリスナーも真剣にふざけた気分で楽しく聴けばいいじゃないか。

スリム&スラム最大のヒットは、コンビ初録音の「ザ・フラット・フット・フルージー」。1938年2月17日に、スリム&スラム二名に、サム・アレンのピアノ、ポンペイ・ガッツ・ドブスンのドラムスをくわえてヴォキャリオンに吹き込んだもので、レコード発売が四月。スリムはヴォーカル、ギター、ヴァイヴラフォンをやり、スラムもユニゾン芸を聴かせる逸品。しかもかなりスウィンギ〜じゃないか。スウィング感だけ取り出せば一級品のスウィング・ジャズ・コンボ録音だけど、なにしろこんな感じだから。
この「ザ・フラット・フット・フルージー」は、実はこの1938/2/17録音に先立って、同年1月19日に録音されている。演奏全体は基本的に2月録音と同じだが、ちょっぴり違う部分もある。ふつうスリム&スラムの「ザ・フラット・フット・フルージー」といえば2月録音のことで、1月録音ヴァージョンは、僕の場合、ディフィニティヴ盤『コンプリート・コロンビア・マスター・テイクス』の三枚目終盤にオマケみたいに入っているのを聴いている。1月録音ヴァージョンはこれ。
どうして一月録音の方をリリースしなかったのか?内容的にはほぼ同じなのに?そのへんはちょっと分らないのだが、ともあれこの「ザ・フラット・フット・フルージー」は人気になって、ミルズ・ブラザーズとの共演でルイ・アームストロングもやったし(サッチモとジャイヴの関係!)、あのベニー・グッドマンですらとりあげたほど。

やはり1938年の同じ日に録音された「チャイナタウン、マイ・チャイナタウン」も、当時レコード発売されたのは2月17日録音だが、これも先んじて1月19日に録音済だった。これもナンセンス・ヴォーカルの炸裂具合が楽しい。ポンペイ・ガッツ・ドブスンのドラミングは胸のすくようなドライヴ感で見事だが、それの上にこんな風にリングイスト二名が絡んでいるので〜。
これら以外にも、例えば1938年6月27日録音の「トゥティ・フルティ」とか、8月17日録音の「ラフィン・イン・リズム」とかはヒットして有名になったものだ。また同年5月3日にはガーシュウィンの書いたスタンダード「オー!レイディ・ビー・グッド」も録音していたりするが、マジメなジャズ・メンの演奏でしか聴いたことがなければ、どうしてここまでオフザケできるのか?いったい彼らはなにをやっているんだ?という強い疑問が浮かぶに違いないぞ。わっはっは。
こういうのはおふざけ音楽なんだから、日本のテレビのお笑い番組や、また寄席なんかにもよく出てくるノヴェルティ音楽芸人(いっぱいいるよね、トニー谷、ザ・ドリフターズ、牧伸二、ぴろき、などなどその他無数にいる)と同じ感覚で楽しめばいいだけのことだ。だけど、最初の方でも書いたけれど、こいいったハミダシ者たち=マイノリティの音楽家は、社会の内側にいて、そのなかからいろんなメイジャーなものをひっくり返してしまうパワーを持っている。少なくとも僕みたいな人間のちっぽけな<常識>みたいなものに疑問符を投げかけてくれて、認識を広げてくれる存在でもあるってことも忘れたくない。

2017/07/01

マグレブ追放者たちの歌

Unknown








北アフリカのマグレブ地域の出身で、(旧)宗主国フランス、特にパリに渡って活動した音楽家が多いことはみなさんご存知の通り。彼らは移民というか亡命者というか追放者みたいなもので、理由はいくつもあっただろうけれど、主たる二つは経済的なものと政治的なものかなあ。いつごろからマグレブからフランスへの移動がはじまったのかは分るわけもないのだが、大衆音楽の場合、録音その他の記録が残っているということが重要なので、それで辿ると、1917年にはパリのオランピア劇場で、シャアウィ(アルジェリア)の歌手アイッサ・エル・ジャルムニがライヴ公演を行ったとなっている。

フランスで(主にパリで)演唱したマグレブ追放者たちがやった音楽は、かつてはアラブ・アンダルース古典、現代になっては、シャアビやライやシャアウィなどなんだろう。前々から僕も繰返すように、マグレブ地域のアラブ音楽にはユダヤ人も深く関わっていたので、アラブ・アンダルースでもシャアビでもないようなユダヤ系マグレブ歌謡みたいなものとか、もちろんアルジェリア系だけでなく、チュニジアやモロッコの歌謡音楽もあったはずだ。

上でシャアウィ歌手アイッサ・エル・ジャルムニの1917年パリ公演のことに言及したけれど、マグレブから追放されフランスに渡り活動した音楽家の歴史から推測するに、これはごくごく最近の事実ということになるんだろう。しかしながら、北アフリカのマグレブ地域においてもアラブ・アンダルース古典は数百年の歴史を持つものだとはいえ、それがポピュラー・ミュージックになって花開いたのはやはり20世紀に入って以後に違いないので、ってことは1917年は最古の部類に入るのか?

その1917年のアイッサ・エル・ジャルムニによるパリはオランピア劇場公演。オランピア劇場はかなりポピュラーな場所だから、ここで誰がやろうとまったく不思議ではないのだが、1967年にはエジプトのウム・クルスームが同劇場でライヴをやっている。ウムの場合は単にアラブ圏外での海外公演というだけの意味だろう。別にアラブ世界から追放された人物ではないし、だいたいエジプトはマグレブ地域ではない。それにこの国はアラブ音楽のメッカ・中心地なので、古くから録音だって現地でもはじまっている。エジプトにおける商業録音の開始は、アメリカなんかより早かったんだよね。

がまあしかし、ウム・クルスームのような大人物でもパリのオランピア劇場公演は1967年だったということを考えると、1917年にそれをやったアルジェリアのシャアウィ歌手アイッサ・エル・ジャルムニは、やはりかなり早い一例と言うべきなんだろうなあ。視点を変えれば、それほどマグレブ地域で生まれ育ち、同地を離れフランスに渡り活動する音楽家の歴史は長く深いってことだ。そうであるとはいえ、在仏マグレブ人の音楽活動が活発になるのは、やはり第二次世界大戦後と見るべきだろう。

そんなマグレブ追放移民たちがフランスで歌い録音した望郷の歌を集めたアンソロジーがある。昨2016年にフランスの MLP(Michel Lévy Projects)がリリースした CD 二枚組『シャンソン・デグジル・ダフリーク・デュ・ノール』(Chansons d'Exils d'Afrique du Nord)。この手の、なんというか故郷を出て他国の都会で活動する追放者の歌に激しい共感を覚える僕はタイトルだけで判断して、エル・スールに入荷直後に即買い。

二枚組『シャンソン・デグジル・ダフリーク・デュ・ノール』に収録の全27曲のなかには、既にお馴染のものがいくつもある。しかし、マグレブ追放移民の望郷歌集であるにもかかわらず、そんな種類の最大の代表曲であるダフマーン・エル・ハラシの「ヤ・ラーヤ」は収録がない。あまりにも有名だからというのが一つと、あと、これはどういうことかよく分らないのだが、エル・ハラシの「ヤ・ラーヤ」オリジナルは、いろんなものになかなか収録されない場合が多いよね。場合によってはエル・ハラシのベスト盤にすら入らなかったりするのだが、これはどういうことなんだう?権利上かなにかの不都合な理由があるんだろうか?あるいはまったく別の理由?どなたか事情をご存知の方、教えてください。不思議です。

『シャンソン・デグジル・ダフリーク・デュ・ノール』に収録のダフマーン・エル・ハラシは、一枚目七曲目の「ヤ・ザイル」(1965)だ。この曲を含め、エル・ハラシについては、以前ほんのちょっとだけ触れた。「ヤ・ザイル」もマンドーラによる華麗な旋律に続き歌が出るという、かなりティピカルなシャアビだ。
『シャンソン・デグジル・ダフリーク・デュ・ノール』収録の、ダフマーン・エル・ハラシ以外の超有名人というと、例えば二曲収録のシェイク・エル・ハスナウイ(1949、55)とか、それぞれ一曲だけ収録のシェブ・マミ(1988)とシェブ・ハスニ(1992)あたりかなあ。マミもハスニも言うまでもなくライの歌手だが、このアンソロジー収録の曲は、二名ともまだぜんぜんポップなものではない。かなり渋く地味で、アラブ・アンダルース古典〜シャアビの流れに立脚しているようなスタイル。

彼らの次に知名度があるのが、ヌーラ(1966)、ホシヌ・スラウイ(1950)、アクリ・ヤヒアテン(1955)、ラウル・ジュルノ(1955)、ナッシーマ(2009)、レネット・ロラネーズ(1985)あたりじゃないかなあ。ここまで書いてきた人たち以外で『シャンソン・デグジル・ダフリーク・デュ・ノール』に収録の歌手は、正直に告白するが、僕は知らない。特にこの人が傑出しているというものに聴き当たらないように思うんだけど、それでもマグレブ音楽、特に聴いた感じ、アラブ・アンダルース古典(をややポップにしたもの)とアルジェリアのシャアビ(っぽいようなものも含む)が多いようだ。

フランスはパリでマグレブ音楽が盛んになったのは、かのラテン地区(カルティエ・ラタン)における、やはり第二次大戦後の1950年代初期あたり以後の話のようだ。その頃からラテン地区の様々なカフェやその他いろんな場所で生演唱が行われ、またヨーロッパ系のレコード会社がどんどん録音し、しかもそこそこ売れたそうだ。ってことはフランスその他の欧州系白人もたくさん買ったって意味になるよねえ。マグレブ追放歌手たちは、フランスで暮らす厳しさ、つらさ、やるせなさ、望郷その他を歌ったみたいだけど、白人たちはどこらへんに共感したんだろう?僕みたいに日本に暮らす日本人で亡命・追放・放逐の経験はなく、アラビア語はもちろんフランス語の聴解だっておぼつかない人間でも激しく共感できる部分が確かにあるので、ぜんぜん不思議なことではないんだろうけれども。

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