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2017/07/23

聴界

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視界と言うけれど、これと同等の言葉が聴く方にはないような気がする。それで今日、僕は「聴界」というものを提案したい(と書いてからネットで検索すると、お使いの方が若干名いるが、みなさん「こんな言葉はないですよね?」と断り書きしている)。視界とは、狭いとか広いとかふさがるとかひろがるとか、目で見える空間範囲のことだけど、僕の言う聴界とは音の範囲だけでなく、もうちょっと意味を拡大して使いたいものだ。僕は音楽キチガイなので、それも最近はヘッドフォンを使わず、スピーカーから空気的に音を鳴らして聴くことがほとんどなので、そんなケースにだけ限定して話をしたい。聴界は日常生活にだってもちろんある。がしかし、今日はスピーカーで聴く音楽の話だけ。

聴界なる言葉をどうしてひねり出したのかというと、目下、僕の右耳はよく聴こえないのだ。耳鼻科医の診断では中耳炎。だから深刻なものではなく、現在使用中の薬でまもなく治るだろう。耳鼻科医によれば、約二週間かかるそうだ。だいたい小学生のころの僕は耳が弱くて、朝起きると、また学校にいるあいだに、耳のなかが痛くなるだとかそんなことが頻繁で、家では親、学校では職員室や保健室の先生に、耳が痛い、つらいと半泣きで訴えて、しかし学校の先生だってどうしようもなかったよなあ。下校すると耳鼻科へ。するとだいたいいつも中耳炎との診断で、しばらく通ったり。

この手のことは、体が大人になっていくまでの成長期によくある不安定さだということだったのかもしれない。いま55歳で再びなっているのは、今度は老齢化へ向けてまた肉体が変化しつつあるんだろろう。 高校生くらいになると、耳のなかが痛いとか中耳炎だとかいうことはなくなって、その後しばらくして音楽狂になってしまったので耳は酷使することになり、その酷使状態がいまの55歳までずっと続いている。ある時期以後はヘッドフォンで爆音を聴くことがほぼなくなった僕。あれを続けていたら、あるいは、空気的に鳴らすのでも、クラブなどでの大爆音を浴び続けていれば、いまごろ僕の聴力はもっと弱くなっていたはずだ。

音楽の微細な部分まで鮮明に聴きとっていると自分では思っている僕だけど、それがいま2017年7月16日以後、あまり分らないという状態におちいっている。右耳が中耳炎でダメで、そして左はというと、僕の左耳はもうずいぶん前から、え〜っと、20年ほど?前から、聴力が右に比べてかなり弱い。右耳をなにかで完全にふさぐと、左耳だけではあまり聴こえないんだよね。だから電話の受話器を左耳に当てて通話したことが20年以上ない。それをやると聴きとれないからね。もっとも、いま自宅(その他)では iPhone を使っていて、音声通話時にはスピーカー・モードで話をするので、もはや右耳にだって電話機を当てることはなくなった。ちなみに五年前から僕んちに固定電話は存在しない。NTT 西日本との契約そのものをやめた。

そんなわけで右が、目下、中耳炎で聴こえず、左耳の聴力はずっと前からかなり低い僕なので、いま音楽はなにを聴いてもあまりよく分らない。特にダメなのがステレオ録音の音楽だ。ステレオ録音は(同じ程度の聴力の)両耳で聴くのが大前提なわけだから、いまの僕にはこの音楽がどんな姿なのかボヤ〜ッとしか分らない。がしかし非常に既知の音楽については、耳の前で鳴る音をしっかり把握できなくても脳内で自動補正されるので、まだマシ。ダメなのは初めて聴く音楽だ。どうなってんのか、どういう姿なのかあまり把握できないんだよね。特にステレオ録音の場合はね。

あと、これはどうしてだか科学的根拠が僕には判然としないが、低音がクッキリしない。ベース(アクースティックもエレクトリックも)やバスドラなどがボヤけて、鮮明でタイトなサウンドのベース音やバスドラ音で録れていて、僕んちのスピーカーでそれがしっかり再生できているとよく知っているはずの既知音源でもそうなんだよね。だから未知音源の低音なんか、もはや入っていないのと同じだと思うほど。音楽ってボトムスがしっかりしないと全体像もボヤけて、だからいまの僕はだいたいなにを聴いても、その音だけではちっとも面白くない。ツマンナイんだ。既知音源で脳内補正して、それで楽しんでいるだけなんだよね。

実はこういうことは、去る五月にもあった。5月13日土曜日の朝起きたら突然、なぜだかそのときは左耳がまったく聴こえず。書いたようににずいぶん前から聴力がかなり低い左耳だけど、ここまで聴こえないのは、ゼロなのはありえないと焦って、週明けの月曜に耳鼻科に行ったら、神経性の突発性難聴を疑いますと言われた。経口薬が何種類か出て、しかし医者には「左耳の聴力は戻らないかもしれません」とも言われてしまっていた。まあそれは医者が患者によく言うステレオタイプな警戒メッセージというだけだったかもしれないが。

左耳の神経性突発難聴が治るまで(はい、治りました)三週間ほどかかかったんだけど、治るまでのあいだ、音楽の聴こえ方が、上で書いたようないまの状態と完璧に同じだったのだ。ステレオ録音のものがダメで、ボトムスが聴こえず、したがって全体像もボヤけ、いったいぜんたい、いまなにが鳴っているんだろう?どんな姿かたちの音楽なんだろう?と、未知音源、そんななんども聴いていない音源にかんしてはそうなっていた。だから非常に既知の音源ばかり聴いては脳内補正。もうこればっかりの数週間。いままたちょうど同じ。これがまだしばらく続くのか…。

さて、ここまでお読みになってお分りのように、モノラル録音、それも第二次世界大戦前の SP 時代の古いものだと、この状態が緩和されていた(る)のだった。そりゃ片耳で聴いたって十分オーケーな音楽だしなあ。熱心なモノラル録音信奉のオーディオ・マニアのなかには、スピーカー二個ではなく一個で聴いたりする人もいるらしいじゃないか。そんなこともある世界だからね、モノラル録音音楽は。

でも(本当になぜだか)低音部は、やはりモノラル録音でも聴こえにくかったので、やはり音楽の全体像はややボヤけてしまう。それでも、ステレオ録音の音楽よりはずっとマシな聴こえ方だったし、いま中耳炎で右がダメな現在もそうだ。だから目下、僕はモノラル録音のものばかりどんどん聴いている。しかも幸いな(?)ことに、僕の所有する全音源のたぶん約六割以上がモノラル録音、それも SP 時代のものなんだよね。これはラッキー(?)だった。もしかりにこれがステレオ録音のものしか持っていない音楽狂の方で、片耳がおかしくなったりしたら、さぞやその絶望は深いだろう。

5月13日に発症した僕の左耳の神経性突発難聴の方は、六月初旬に快癒した。とは僕だけの自覚で、耳鼻科医はコンピューター画面に映し出される聴力検査のグラフを示し、まだまだダメと言うのだが、聴力なんて自分が(仕事・趣味含め)生活でまったく困っていなければそれでいいだろう。それで6月9日の診察時に「もう大丈夫です」と医者に告げ、(いちどは)僕の耳鼻科通いは終了。僕の聴力回復の判断根拠は、言うまでもなくもちろん音楽だ。よ〜く知っている状態の良いステレオ録音の音源をスピーカーで鳴らして、以前からよ〜く知っているのと完璧に同じに聴こえるようになったと自覚できるので、僕は快癒したと判断したのだ。

それで本当に心の底から安堵して、また元通りの音楽狂いライフだなと思って毎日楽しんでいたら、7月16日に今度は、まあただの中耳炎だとはいえ、右耳がダメになって、いま再びちょっと暗い気分の音楽生活を送っている。

結局、「聴界」という言葉の意味をあまりちゃんと説明しなかったように思うけれど、視界同様、聴界も狭くなったり広くなったりふさがったりひろがったりするんだよね。しかも視界と違って聴界には、広がりだけでなく高低もある。もちろん音域の。いろんな楽器や、また人声でも物音でも、ピッチの高い/低いがあるけれど、それもまた耳の状態によって聴こえたり聴こえなかったりするよね。今日、僕も、片耳やられているだけでなぜだか低音部が分りにくいと書いたが、これは実感なんだ。また、高音部なんかは、誰しも歳取ると聴こえが悪くなっていくらしいじゃないか。僕はまだそうなっていないけれどね。

高音部だけでなく、加齢によってそもそもの聴力全体が弱くなるみたいだね。ビートルズを手がけたのが最も有名な音楽プロデューサー、ジョージ・マーティンも、晩年は補聴器を使っていた。この敏腕音楽プロデューサーが業界からリタイアしたのは、このせいなんだよね。聴こえなくなったので、もう仕事はできないと判断したようだ。

僕にもいつかきっとそんな日が来る。

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