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2017/07/06

雨降りだからドルサフでも聴こう

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君子豹変す。いや、全然君子なんかじゃない僕だけど、以前の言葉をひるがえす。最近は季節や天候や時間に合わせて聴く音楽を変えている。ということは僕の文章を普段からお読みの方にはもう説明不要だろう。梅雨が明けてなくて、愛媛県大洲市地方でも雨空がほぼ毎日続いているけれど、今日もいまはまだ日が傾く時間でもないのに空も濁り、部屋の中も真っ暗。天井の照明を点ければいいんだけどそれはせず、小さなデスク・ライト一個だけ灯して、しかもそれは LED なので色調を変えられるので、暖かめの電球色にして、それ一個で手許だけ照らし、部屋のなか全体はやはり暗い。

僕はこういった部屋のなかが暗めな感じになっているのがかなり好きな人間なのだ。お天気のいい日でも黄昏どきに暗めになってきた時間帯とかでもなかなか照明を点けずに音楽を聴き、また夜中には照明を小さな一つだけにして部屋全体を仄暗くした状態で(まあそれは入眠準備でもあるのだが)、やはりそれに似合いそうな音楽を聴く。

雨が降る日の、それも特に昼下がり〜夕方あたりの時間帯に、僕が最も聴きたくなる音楽がレー・クエンの何枚かとドルサフ・ハムダーニの2014年暮れリリースの『バルバラ・フェイルーズ』。レー・クエンも、雨の日にはやや似合わないかなというアルバムも少しあるけれど(例えば少し前に書いたばかりの2017年入手作『Khuc Tinh Xua - Lam Phuong』)、多くの場合、ジットリ湿って重い情緒を表現する歌手だから、雨の午後には似合う。セクシーで濃厚で情感豊かなところも、まるで昼下がりのなんとやら…。

そんなレー・クエンとはちょっと違った意味で、僕が雨の日によく聴くのがドルサフ・ハムダーニの『バルバラ・フェイルーズ』。日本盤も2014年暮れにすぐリリースされたのを僕は翌2015年初頭に買って、しばらくのあいだは、文字通り「毎日」聴き狂っていたんだった。ホント、このアルバム、雨の日にはこれ以上なくピッタリ似合う音楽じゃないかなあ。それは半分がシャンソン楽曲、それもバルバラの曲だからかもしれないが。しかも「ナント」(ナントに雨が降る)みたいなものが含まれているせいかもしれないが。

確かにドルサフ・ハムダーニの『バルバラ・フェイルーズ』では、七曲目の “Il pleut sur Nantes, donne-moi la main / Le ciel de Nantes rend mon ceur chagrin” ではじまる「ナント」が最も雨と心の痛みを感じさせる。だが歌詞だけではない。伴奏のサウンドとドルサフの歌い方に、僕はいろんな意味での降雨を感じるのだ。バルバラ・ヴァージョンでは、歌詞内容にもかかわらず、僕はそれを感じないもんね。だから歌詞(だけ)じゃない。

『バルバラ・フェイルーズ』の「ナント」では、まずウードを弾く音が出てくる。それにアコーディオンが小さく絡み、ドルサフ・ハムダーニがつぶやきはじめる。それもフランス在住だとはいえチュニジア出身のアラブ歌謡の女性歌手とは思えないほど声を張らず、小さな声でポツン、ポツンと置くように、まるで雨どいから雨粒が一つずつ落ちてくるかのような歌い方なんだよね。バルバラのは違うもん。

だいたいバルバラとフェイルーズを一曲ずつ交互にやっているアルバム『バルバラ・フェイルーズ』でのアレンジと伴奏はちょっと変わっている。シャンソンだ、アラブ歌謡だ、との固定観念があるとビックリするようなものだ。バルバラのシャンソンではウードやダブルッカなどマグレブ〜アラブ地域の楽器をメインで使い、フェイルーズのアラブ歌謡ではギターが中心になっている。それらにくわえ両者とも、ダニエル・ミーユ(がこのアルバムの音楽監督でアレンジも担当)の弾くアコーディオンが全面的に入っている。

ドルサフ・ハムダーニのヴォーカルは、フェイルーズ・ナンバーでの方が聴きごたえがあるかもしれない。まあやっぱり本領だからなあ。半分がみなさんの、そして僕にとっても、大の苦手なバルバラ・ナンバーだから、それで『バルバラ・フェイルーズ』はほとんど誰も話題にしないんじゃないかなあ。歌のべらぼうな上手さは褒められているけれど、アルバムの中身がいいという意見は、僕が以前書いた記事しかないんじゃないかなあ。「大傑作」とべた褒めしてありますけれど。
ところがしかし、僕にとっての『バルバラ・フェイルーズ』最大の魅力はバルバラ・ナンバーなんだよね。大きな驚きだった。例えば一曲目の「孤独」では、まずハーディ・ガーディ(じゃなかったらなんだというんだ?)の音がクレッシェンドで入ってくるのに乗せて、テンポ・ルパートでドルサフ・ハムダーニがアラビア語で詠唱をはじめる。え?これシャンソンだろ?アラビア語?それも詠唱みたいなものって?と思っていると、それが終わってアクースティック・ギターを軽く爪弾く音がリズムを刻みテンポ・インして、ドルサフがフランス語で歌いはじめるんだよね。

『バルバラ・フェイルーズ』にあるもっと新鮮なバルバラ・ナンバーは、9曲目の「ス・マタン・ラ」(今朝)と11曲目の「黒い太陽」だ。前者ではまずダルブッカが賑やかに、かなり激しく叩かれはじめ、すぐに他の打楽器も入ってきて、するとやはりウードが聴こえて、ダルブッカ&ウード&ヴァイリン+アコーディオンの伴奏で、ドルサフ・ハムダーニがフランス語で歌う。背後でずっとウードがリフを奏でている。バック・コーラスも入る。全体的に相当リズミカルだ。

「黒い太陽」ではまずウード。すぐにダルブッカ。この二つが同じパターンをヒプノティックに反復しながら、フランス語で歌うドルサフ・ハムダーニを支えている。その部分はやはりかなりリズムカルで躍動的だが、サビ部分でテンポ・ルパートになる。サビが終わると再び催眠グルーヴ。この二つの繰返し。ドルサフはサビの末尾で毎回出てくる “le soleil noir” という言葉の表情を、毎回全て歌い廻しを変化させることで多彩な色付けをしている。

アルバム・ラスト13曲目「ゲッティンゲン」でも、やはりウードが伴奏の中心。アコーディオンも目立つ。がしかしこれはマグレブ〜アラブ色が濃くない。リズムのフィーリングもドルサフ・ハムダーニの歌い方もシャンソンに近いものだ。しかし「孤独」「ナント」「ス・マタン・ラ」「黒い太陽」四曲の印象が僕には非常に強く、それら以外はやっぱりシャンソン風だなとは思うものの、これらの四曲はシャンソン楽曲を素材にして、それと水と油みたいな(フェイルーズを含む)アラブ歌謡風に料理した、なんだかよく分らない正体不明の音楽だ。

『バルバラ・フェイルーズ』をリリースしたアコール・クロワゼのイラン人オーナー、サイード・アッサージも、音楽監督でアレンジもやっているダニエル・ミーユも、そしてドルサフ・ハムダーニ本人も、この<フランス+アラブ>合体の折衷音楽とでもいうか、バルバラをアラブ風に、フェイルーズをシャンソン風にやってアルバムで交互に並べ、チュニジア出身のアラブ歌謡歌手にして、在仏歴が長くテレビ番組などに出演してはシャンソン・スタンダードもよく披露する主役女性歌手の、2014年時点での立ち位置を鮮明にしているってことじゃないかなあ。

梅雨時だから<雨の日の音楽>という話をするつもりで、雨の日によく聴くドルサフ・ハムダーニの『バルバラ・フェイルーズ』について書きはじめたんだけど、最後の方はなんだかやっぱりちょっと大げさな展開になってしまった。ただ、このアルバム、フェイルーズ・ナンバーの方も、まるで雨の降る午後みたいなフィーリングなんだよね。暗い午後。フィルム・ノワール。あっ、1950年代のフィルム・ノワールの音楽は、よくアメリカ黒人ジャズ・メン(ハード・バッパー)が手がけたんだった。今日の話題に別になんの関係もないだろうけれどね。

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