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2017/07/11

体臭音楽の真実

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はぁ〜〜、ここにたどり着くまでにずいぶん長い時間がかかってしまったなあ、僕は。マイルズ・デイヴィス愛狂家で、ラテン趣味のファンク好き人間であるはずなのに、いままで勘違い発言を散々繰返してしまって…。穴があったら入りたい。とにかく自分の不明を恥じ入るばかり。なんのことか、具体的には最後に書く。

これも仏フレモー&アソシエ盤である2015年の CD三枚組コンピレイション『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』。しかしこんなアルバム名なのにマンボばっかりどんどん流れてくるから、こりゃ絶対ブルーノ・ブルムの仕業だろ!と思って記載を見たらビンゴだった(笑)。ファンク・ミュージックのルーツというなら、もっとこうストレートに、ジェイムズ・ブラウンのファンク創始のダイレクトなヒントになった、マイルズ・デイヴィスの「ソー・ワット」とかがあるのかなと、タイトルだけで判断して誰の編纂か知らず買って、そう思っていた僕がバカだった。

『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』三枚は一枚ごとにテーマが記載されていて、ブルーノ・ブルムがそれに沿って選曲したものが並んでいる。CD1は「シンコペイティッド・クリオール・ミュージック:ディープ・カリビアン・ルーツ・オヴ・ファンク」。CD2は「ファンキー・ジャズ、ハード・バップ、ソウル・ジャズ」。CD3は「ニグロ・スピリチュアルズ、ブルーズ・アンド・ソウル」。これらの括りからちょっとハミ出したようなものもあるが少数で、しかもハミ出しものはハミ出しているがゆえに、かえって面白い。

ブルーノ・ブルム最大の力点は CD1に置かれているように思える。カリブ海のクリオール・ミュージックで聴けるシンコペイティッド・グルーヴ集。カリビアン・ミュージックといっても、CD1収録の全24曲の演唱家はほぼ全て(カリビアン・ルーツか、それに関係した)北米合衆国人で、カリブ地域在住の音楽家は少ない。マチート、ティト・プエンテ、スリム・ゲイラード、ボ・ディドリー、アラン・トゥーサン、モンゴ・サンタマリアあたりが最有名人だよね。

さらに、北米ルイジアナのニュー・オーリンズに注目することにもブルーノ・ブルムは力を入れている。まあこれは彼が編纂するコンピレイション盤ならいままでもぜんぶそうだったので、目新しいことではない。だがいままでは北米合衆国のジャズやリズム&ブルーズ(やそれらの周辺)のなかに、いかにアフロ・カリビアンな要素が濃厚に溶け込んでいるか、そんなクレオール音楽文化の<首都>としてニュー・オーリンズをみなすかというものだったように思う。それだけなら、僕に言わせれば「むかしから知ってるぜ、なんでいまごろ?」。

ところが今日話題にしているのはファンク・ミュージックだ。いやまあ、ファンクだってジャズやリズム&ブルーズやゴスペルやソウル・ミュージックなどとひとつながりのものだから、1960年代中頃にジェイムズ・ブラウンがファンクをやりはじめたあたりでは、そのなかにアフロ・カリビアンなクリオール・ミュージック要素が聴けたって当たり前なんだろう。いままで意識していなかった僕が完璧なるアホだった。

しかしやっぱり『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』一枚目のカリブ篇に「ダイレクト」なファンク・ルーツを誰でも感じるだろうというようなものは本当に一曲もない。示唆深いと言えばまあそうだけど、視点を変えれば「自分が好きな曲、無理やりテーマに当てはめて楽しんでるだけ、のようにも」(エル・スール原田さんの言葉、だが僕はこの三枚組、アマゾンで買った)聴こえる。ファンクの「ダイレクトな」ルーツ集というよりも、アフロ・カリビアンなシンコペイティッド・グルーヴ集だと思えば、最高に面白く楽しめる。この点では文句なしに降参。

シンコペイティッド・グルーヴ。ブルーノ・ブルム自身、CD1のテーマ・タイトルの一部にしているように「シンコペイション」。これが鍵なんだろう。一枚目収録の全曲でリズムがスーッとスムースに流れず(ジャズなどは多くがスーッとフラットに流れるが)、ヒョコヒョコ跳ねたりよれたり引っかかったり。結果、ユーモラスなフィーリングが生まれている。ブルムは解説文などでは出していない言葉だが、この「ユーモア感覚」は、ファンク(のルーツ)を考える際には重要だ。かなり重要。

CD2は、基本、ジャズ。それもファンキーなジャズなどがメインなわけだけど、ユーモラスなフィーリングは、ジャズがファンキーに聴こえるための最重要要素だと、一番最初は大橋巨泉が言い、油井正一さんはそれを批判・否定し(『生きているジャズ史』立東文庫版 p. 295〜299)、その後中村とうようさんは大橋巨泉説を支持して、とは書いていないし、また油井さんを批判したのでもなく、とうようさん自身の立論で、ジャズのファンキー感覚にはユーモラスであることがかなり重要で必要不可欠な要素だと明言した。

油井さんはファンキー・ジャズに最も濃厚なのは、ユーモア感覚でははなくシリアスな黒人教会音楽要素なのだと、上記指摘箇所で書いている。その結果「ソウル・ジャズ」という言葉も、当時のアメリカでの最新流行語として紹介し、ソウルとは魂のことだから、(ファンキー・ジャズ=)ソウル・ジャズとはタマシイのこもった真摯な音楽のことなのであると書いている。ブルーノ・ブルム編纂の『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』CD2のジャズ篇には、ここまで書いた両方、すなわち教会音楽ルーツのゴスペル風にファンキーなジャズと、ヒョコヒョコとユーモラスに旋律が動くような種類のファンキー・ジャズと、それら両方が収録されているのが最高に面白く示唆深い。しかも!後者のそんな旋律とリズムの動き方、すなわちシンコペイションは、カリブ地域発祥かもしれないなと、CD1に続けて聴くと実感する(というのがブルムの意図なのか?)。

シリアスなファンキー・ジャズとユーモラスなファンキー・ジャズ。それらどっちもファンクのルーツなんだよね。CD2一曲目ルイ・ジョーダンの「アーリー・イン・ザ・モーニング」、五曲目スリム・ゲイラードの「ヨ・ヨ・ヨ」、六曲目セロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム」、八曲目ホレス・シルヴァー「オーパス・デ・ファンク」などはユーモア・ファンク。一方、12曲目アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」、13曲目チャールズ・ミンガス「スロップ」、14曲目ボビー・ティモンズ「ディス・ヒア」などはシリアスなゴスペル(ソウル)・ジャズ。

ブルーノ・ブルムは『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』CD2にそれら両方向とも収録することにより、ファンキー・ジャズの「ファンキー」の意味を広げ、しかもそれがアフロ・カリビアンなクリオール文化の末裔で、それが合体して「いわゆる」ファンク・ミュージック誕生へと繋がったのだと、そう言いたげな選曲・編纂だと僕には思える。うん、間違いない。いやあ、すごく面白いなあ。しかもCD2には、ファンキーなジャズ(・ブルーズ)でありながら、ファンクのダイレクトな祖先に違いないと確信できるものが二曲あるもんね。

それは15曲目のジェイムズ・ブラウン「ホールド・イット」(1960)と18曲目のハービー・ハンコック「ウォーターメロン・マン」(1962)。前者はその後ファンクそのものの化身となるが、60年だからまだリズム&ブルーズ〜ソウルっぽいフィーリングでのインストルメンタル演奏(ちょっとだけ JB がハッとかウッとか叫んでいるが、いつものことだ)の12小節ブルーズ。後者ハービーのも12小節の定型ブルーズだが、62年としては相当に濃厚なファンキーさ。しかも曲題でも察せられるように、カリビアン〜ラテン由来なユーモア感覚がメロディの動きにある。聴けばそれは誰にでも分るものじゃないか。みなさんご存知の通り、1970年代にはハービー自身がこの曲を完璧なファンク・チューンとして蘇らせていたし、それがなくても、ハービー自身ファンカーとなった。

『1947-1962 ルーツ・オヴ・ファンク』三枚目には、責任者ブルーノ・ブルムの力があまり入っていないように聴こえる。ただ、一曲目が(北米合衆国におけるアフロ・クレオール・キャピタルたる)ニュー・オーリンズのプロフェッサー・ロングヘア。曲も「マルディ・グラ・イン・ニュー・オーリンズ」で、強烈なカリビアン・アクセントを効かせながらファンキーなリズムをユーモラスにフェスが歌い演奏する。そのほか CD3にはニュー・オーリンズ当地の音楽家か、なんらかの意味で関係がある人がたくさん収録されている。最後の方には、やはりファンクを創始する直前である1962年録音のジェイムズ・ブラウンが三曲続けて収録され、続いてアルバム・ラストがエディ・ボの62年「ローミン・イッツ」。

さてさて、一番最初で書いたことを。こういったジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーン(は録音年的にまだ権利が切れていないので当然収録なしだが、ブルーノ・ブルムの解説文中には名前がある)などに触発されて、マイルズ・デイヴィスも1969年からファンク導入に向かう。私見では同年2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』B 面の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」がマイルズ・ファンク第一号だが、世論的には8月録音の『ビッチズ・ブルー』からとなるだろう。

油井正一さんは『ビッチズ・ブルー』にかんし『ジャズの歴史物語』のなかで、このアルバムで聴けるリズムはロックのそれみたいに聴こえるかもしれないがそうではなく、ヴードゥーのリズムなのだと指摘した。大切なところなので、正確に引用する。


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この多彩なポリリズムは、一見ロックに似て非なるものであり、いろんなかたちのスイングを包含している。総括的にこれらのリズム・フィギュアは、大きなサイクルをえがいて廻転し、サウンドを前方に押してゆく。こうしたポリリズムは、マイルスの創案にもとづくようにみえてそうではなく、古く Voodoo(ヴードゥー教)の音楽に発しており、多くのフリー・ジャズメンと同様、マイルスもまた「先祖がえり」によって伝統に結びつけながら、最も新しいサウンドのヴィークル(車輪)としたものである。「マイルス、ヴードゥーを追求」という一曲が、いみじくもそのルーツを明らかにしている。

 (油井正一『ジャズの歴史物語』アルテスパブリッシング版 p. 201)
ーーー


以前僕は油井さんのこの文章を批判して、マイルズの『ビッチズ・ブルー』は、例の1969年8月に開催されたウッドストック・フェスティヴァルの翌日からの三日間で録音されたものだし、その意味でも、また別のいろんな意味でも、<あの時代の>産物だとしか思えないのだと書いたのだった。
この文章、僕があまりにも浅はかだった。ウッドストック・フェスティヴァルとあの時代と『ビッチズ・ブルー』との関係はやはり深いものがあると、いまでも僕は考えている。しかしながら、 油井さんは「ファンク」という言葉こそ使いはしていないものの、『ビッチズ・ブルー』で聴けるあのファンク・グルーヴがカリブ〜ハイチ音楽由来のものであることを、これ以上なく明言しているではないか。

マイルズの『ビッチズ・ブルー』にロックの影響がないのか?と言われれば、やっぱりかなりあるのは間違いないと僕は思う。だが、あのファンキーなグルーヴ感覚は、(油井さんは1960年代フリー・ジャズからの流れ云々と書いているがそれよりも)それがファンク由来であるという意味云々においてこそ、カリビアン・ミュージック・ルーツだったんだよね。このことをブルーノ・ブルムに教えてもらった。

油井正一さん、あなたのおっしゃるとおりでした。

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