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2017/08/15

真夏にピッタリ 涼感音楽クロンチョン (2)〜 ネティ篇

Unknown









昨日書いたようにどっちにしようかなあと迷ったが、今日はネティにしようっと。もちろんディスコロヒア盤『いにしえのクロンチョン』。どうしてかって、ネティの単独盤 CD は、僕の知る限り、いまでも全世界でこれ一枚しかない。あと、数種のクロンチョン・アンソロジー、インドネシア音楽アンソロジーに一曲、二曲入っているが、それらもぜんぶ日本盤で、しかもどれも中村とうようさん編纂か田中勝則さん編纂かのどっちかで、インドネシア本国に目を向けると、ネティの歌はまったくただの一曲も CD 化されていないようだ。

だから日本に住む僕たち音楽愛好家はまだかなり恵まれているんだよね。だってさ、ネティの単独盤アルバム『いにしえのクロンチョン』を聴いていると、こんなにも魅力的な歌手って、ホントなかなかいないなあって強く実感するんだもんね。インドネシア音楽のことをなにも知らない僕だけど、こりゃインドネシア大衆音楽史上、ナンバー・ワン歌手なんじゃないの〜?少なくともクロンチョン史上では最高の女性歌手じゃないかなあ?

そして世界中を見渡しても、ディスコロヒア盤『いにしえのクロンチョン』で聴ける1950〜60年代のネティの数々の名唱に比肩しうるものを歌えたヴォーカリストは、かなり少ないはず。ネティの場合、スムースでナチュラルな発声、決して押し付けがましくなく、こちらの気持に寄り添ってくれるかのような柔らかい歌い廻し、聴き手をふんわり優しく包み込んでしまうような大きな包容力、透明感があってキラキラしていて、それでいて肉太な存在感 〜 などなど、あらゆる点で、東アジア圏では台湾出身の鄧麗君(テレサ・テン)に並ぶ存在だ。いや、東アジアに限定せずとも、ネティやテレサほどの歌手はあまりいない。

そこまで言える存在であるネティの単独盤 CD が、全世界で『いにしえのクロンチョン』たった一枚だけだという事実はなんとも嘆かわしいのだが、しかしこれ一枚あるだけでも大変にありがたく、感謝して愛聴している僕。そんな人はいないと思うけれども、ひょっとしてまだネティのこのディスコロヒア盤をお買いでないという方がいらっしゃれば、いますぐこれをクリック!
さて、ネティの歌について言いたいことはもう全部言い切ってしまったような気がするが、それはそうと彼女の『いにしえのクロンチョン』にしろ、ほかのいろんなアルバムにしろそうなのだが、クロンチョンばかりをどんどん続けて聴いていていまふっと思ったのは、これ、コード進行がぜんぶ同じじゃないの?どの曲もぜんぶ。いやまあそんなことはないと思うけれど、ソックリに聴こえるよなあ。ちゃんと聴きなおさないとあれだけど、かなりの部分のクロンチョン楽曲が同じコード進行を使っているかも。のように僕には聴こえる。

さらにワン・コーラスの小節数もどれも全部同じじゃないかなあ。場合によってはキーまでぜんぶ同じ。そして主旋律の動き方も同じ、伴奏バンドの演奏スタイルも同じで…、ってことはクロンチョンって「ぜんぶ同じ」なのか?これはそう聴こえてしまう僕の耳がダメなのか(未知の分野は、最初、なにを聴いても「同じ」に思えるもんね)、あるいは誰が聴いてもマジでそうなのか、どっちだろう?

もちろん僕の言っている「ぜんぶ同じ」という台詞を、そっくりそのまま文字どおり受け取ってもらっても困っちゃうのだが、しかし一種の真実を突きたい気分で言ってみている。これは世界のありとあらゆるポピュラー・ミュージックのなかで最古の歴史を持つインドネシアのクロンチョンの、なんというか古典的に完成された表現様式ということになるんじゃないだろうか?

昨日も書いたクロンチョン・バンドの基本編成を軸に、っていうか、だいたい昨日の僕のあの箇所はネティの「クロンチョン・モリツコ」に例をとって書いたのだから、同じものが一曲目に収録されていて、二曲目以後も同系統が続く『いにしえのクロンチョン』でそうなっているのは当たり前だ。

ギター族小型弦楽器のクロス・リズムがチャカチャカと細かいビートを刻み、その上にネティのスケールの大きなヴォーカルがゆったりと大きな抑揚で横たわる。フルートやヴァイオリンも、同様に大きな旋律をゆっくりと奏で、リズム伴奏の細かいリズムとぶつかって、2種リズムの混交で大海の波のようなウネリが生じているのが心地良い。心地良いウネリ、それはアメリカ音楽でならグルーヴと呼ばれるものだ。

ネティの『いにしえのクロンチョン』。ところで、一曲目の「クロンチョン・モリツコ」もそうだし、二曲目「スタンブル・プサカ」、三曲目「クロンチョン・クマヨラン」にしても同じだが、こりゃまたずいぶんと懐かしいというか、相当前から知っているぞ、まるで日本国内でも古来から伝わっている伝承民謡みたいな素朴なメロディじゃないかと僕は感じるのだが、妙な感想だろうか?よく知っている馴染のある曲であるかのように聴こえる。既視感なら既聴感。

四曲目の「ペルシ・ルサック」以後は、伴奏の楽器編成も演奏スタイルも少し変化し、レパートリーにもそんなデジャ・ヴュ感は薄い。じゃあ四曲目以後は古典的様式を抜けてモダン化したクロンチョンなんだってことだろうか?それでも主役ネティのヴォーカル・チャームはなにひとつ変化していない。透明で柔らかく優しい声でおおらかに歌っている。安心して身を委ねてリラックスできて、しかも昨日も書いたようにヒンヤリ涼感のある音楽だから、クロンチョンはね。だからいまの猛暑期にはこれ以上ピッタリ来る音楽もなかなかないよね。

ネティの単独盤『いにしえのクロンチョン』では、17曲目「クロンチョン・テレモヨ」以後、アルバム・ラスト25曲目「愛の物語」までの九曲、1950年代末〜60年代初頭?あたりの録音こそが、歌手ネティにとっても音楽クロンチョンにとっても黄金期・全盛期だったと言えるはず。ネティのヴォーカルだって格調高く気品があって、それなのに身近に感じ、親しみやすい分りやすさ(なかには歌いこなすのに高度な技巧を要する難曲もあるのに)。

特にアルバム・ラストの「愛の物語」。これもネティと、夫アフマッド・ザエラニとのデュオ歌唱で、ふんわり和やかで柔らかい。そうだなあ、過激とか前衛的とか衝撃的とか、そんな種類の決め台詞が似合う音楽とはまるで正反対、対極にある音楽だ。僕はまあやっぱり過激にトンがった音楽だっていまだに大好きなんだけど、ネティ(とか鄧麗君とか、その他)のこういったヴォーカル表現の味わい、深み、真のものすごさも、最近、なんとか少しは実感できるようになっている。

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