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2017/08/17

真夏にピッタリ 涼感音楽クロンチョン (4)〜 ワルジーナ篇:インドネシアとハワイとブラジルをつなぐ

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数あるクロンチョン・アルバム。僕が持っているのはほんの少しだが、そのなかでこれが一番真夏向きの涼感をかもしだしてくれるかもしれない。なぜならばハワイアン・スラック・キー・ギターも入っているからだ。ワルジーナのライス盤1999年の『グサンを歌う』のこと。田中勝則さんのプロデュース作なんだよね。田中さんがワルジーナをプロデュースするのはこれが三作目だけど、『グサンを歌う』が一番いいんじゃないかなあ。

ワルジーナの『グサンを歌う』には山内雄喜が参加してギターその他を弾いている。言わずと知れたハワイアン・スラック・キー・ギターの日本人名手。このアルバムでは全曲参加ではないものの、要所要所でギターやウクレレやカヴァキーニョやティプレの見事な腕前を披露。おかげでクロンチョン・アルバムにして、この音楽とハワイ音楽がどっちもポルトガル由来だという親戚関係も感じるし、また月曜日に書いたようにどっちもヒンヤリ涼感音楽だから、二者の相互作用で冷感アップ。真夏にこれ以上快適な音楽アルバムはない。

さらにブラジルのショーロ演奏家、エンリッキ・カゼスも、やはり部分的に参加。テナー・ギターとカヴァキーニョを聴かせてくれている。ショーロは冷んやりクールな面もあるものの、どっちかというと熱を帯びてホットにドライヴする音楽である場合が多いように思うけれど、ワルジーナ『グサンを歌う』でのエンリッキは、落ち着いて冷感のある控えめな伴奏に徹している。ショーロだってポルトガル・ルーツの音楽だよなあ。

これらインドネシア+ハワイ+ブラジルの三者合体(といっても、ブックレット記載の一曲ごとに書いてある演奏メンバーを見ると、山内雄喜とエンリッキ・カゼスの共演は一曲だけ)で、ワルジーナの『グサンを歌う』は、正統派クロンチョン・アルバムでありながら、スケールの大きい世界的な音楽作品の趣があるんだよね。三者ともに親交のある田中勝則さんじゃないとなしえなかったプロデュース・ワークだなあ。

ワルジーナの『グサンを歌う』でもオープニングは「ブンガワン・ソロ」。グサン曲集だからこれで幕開けするのは当然のように思うけれど、この一曲目のヴァージョンはかなり面白い。まず山内雄喜のスラック・キー・ギター独奏ではじまり、それにストリングス・アンサンブルが重なり(これはオーヴァー・ダブらしいが効果満点)、次いでワルジーナが歌いはじめるが、そのヴォーカル伴奏も山内のギターが中心。小さくフルートやヴァイオリンがオブリガートを入れるだけ。中間部でスギオノのヴァイオリン・ソロと山内のギター・ソロがある。

そしてそのインドネシア&ハワイ合体ヴァージョンの「ブンガワン・ソロ」では、打楽器はぜんぜん入っていないものの、リズムがかなり面白いんだよね。このゆっくりとして穏やかなスロー・テンポで大きくゆったりと乗り、タン、タ、ターンと跳ねる感じの二拍子。間違いなくアバネーラのリズム・パターンだ。打楽器なしだから、イマイチ鮮明には感じ取れないないかもだけど、山内雄喜のギター・フレイジングのリズム、ストリングスの奏で方にハッキリと聴きとれる。ワルジーナの歌い方だって、セバスティアン・イラディエールの「ラ・パローマ」みたいなノリだもんね。また、エンディング部での転調の仕方はハワイ音楽スタイルだ。

スロー・テンポで大きくゆったりと、のどかにのんびりくつろいでいるかのようなアバネーラのリズムで歌い演奏されるグサンの「ブンガワン・ソロ」。こんなにもスケールが大きくて、音楽的にはメチャメチャ高度に洗練されていながらも、そんな部分は聴感上ほぼ意識しないほどの高いレヴェルで分りやすさを獲得し、近づきやすい親しみを感じさせ、真夏の日本の聴き手に涼感を与えてくれリラックスさせてくれるなんて。こんな「ブンガワン・ソロ」は、ワルジーナの『グサンを歌う』一曲目でしか聴いたことがない。あ、いや、この曲というに限らず、またクロンチョンに限らず、ここまで心地良い音楽演唱って、ほかにあったっけ?

ワルジーナの『グサンを歌う』には、アルバム・ラストにもう一回「ブンガワン・ソロ」がある。それについては月曜日の文章の最後で触れた。一曲目のような面白さは薄いものの、こっちはこっちで和める雰囲気があって、なかなか素晴らしい。だが音楽的には、一曲目ヴァージョンの「ブンガワン・ソロ」の(真の意味での)音楽的ものすごさと比べることはできないなあ。

アルバム収録曲は、もちろん全てグサン・マルトハルトノの書いたクロンチョン・ナンバーだけど、伴奏スタイルはクロンチョンのそれとは限らない。というか、正統派トラディショナル・スタイルのクロンチョン伴奏はかなり少ない。多くの曲で、おそらくプロデューサーの田中勝則さんの着案でいろんな楽器を使い、いろんなスタイルで、クロンチョン楽曲を歌うクロンチョン歌手ワルジーナのバックを支え、彩をつけている。

でも、月曜日からずっと毎日僕が書いているクロンチョン・リズムの面白さ、すなわち、細かくせわしないクロス・ビートに乗って大きくゆったりと横たわるように乗って歌い演奏する 〜 この二種混交リズムのうねりの快感は、ワルジーナの『グサンを歌う』でも全曲守られているので安心。これはやっぱりクロンチョンでは外せない必須要素だってことなんだろうか?ぜんぜん知らないが、なんとなく漠然とそう感じている。

また10トラック目の五曲メドレーもかなり面白い。かなりユーモラスなフィーリングの曲が続き、ワルジーナもそんな味のヴォーカルを聴かせる。伴奏だって、パーカッションは(ブラジル録音で)ベト・カゼスが細かいリズムを刻み、弟エンリッキもカヴァキーニョで参加し、やはりカチャカチャとせわしないように弾くのが楽曲のコミカルさを際立たせ、しかしやはり上物は大きくゆったりと乗る。

三曲目の「がっかりのスタンブル」ではマンドリンがややアラブ音楽風な響きだったり、四曲目の、これも「ブンガワン・ソロ」と並ぶ名曲「ハンカチ」ではピアノ伴奏が中心。かと思うと後半は正統クロンチョン・スタイルに変化。マイナー・キーの九曲目「別離」は日本の演歌調にも聴こえるもので、オブリガートを弾くヴァイオリンとアコーディオンだってそんな雰囲気だ。

なお、曲目解説で田中勝則さんがこの九曲目「別離」を、ショーロとクロンチョンの融合を試みたと書いているのは、ちょっとした取り違えじゃないだろうか?カゼス兄弟は参加していないようだし。田中さんの言うのは二曲目「車輪のクロンチョン」のことじゃないかと思う。そっちの二曲目のほうではカゼス兄弟の演奏をフィーチャーしているしね。でもやはり出来上がりはクロンチョンであって、ショーロと融合しているという印象は僕には薄い。

ワルジーナのヴォーカルの味は、昨日書いたヘティ・クース・エンダンとはずいぶん違い、というか正反対で、一昨日書いたネティの気品高さ、崇高さに近いものがある。じゃあ近寄りがたいイメージなのか?というとそんなことはなく正反対で、身近な親しみを感じることのできる味が歌声にあるので不思議だよなあ。アメリカ人歌手なんかだと、このあたり、分離している場合が多いけれど。

ワルジーナといわず誰といわず、またクロンチョンといわずどんな分野でも、インドネシアの大衆娯楽音楽って、どうやらそんな不思議な魅力があるんじゃないかと、最近感じはじめるようになっている。

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