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2017/08/05

ジャズというかりごろも 〜 フィーリンとボサ・ノーヴァの時代

Feelingfeelin

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 14)

キューバのフィーリンとブラジルのボサ・ノーヴァに、北米合衆国のジャズの影響はあるのか?ないのか?というちょっと面倒くさいテーマを考えてみようと思う。荷が重いなあ。気が進まない。本格的なものは無理だから、やっぱり短めの文章で、ほんの軽く触れるだけにしておこう。耳もやはりまだあまり聴こえないしね。

フィーリンとボサ・ノーヴァに、ジャズっぽい「ような感じ」が聴きとれるというのは間違いないことだ。最も顕著にはハーモニーの創り方、コード進行、そして伴奏の楽器編成だ。あ、いや、楽器編成はそうでもないのか?ジャズで最も重要な楽器であるドラム・セットは、フィーリンやボサ・ノーヴァにはないことの方が多い。だから主に和音構成とコード進行かな、フィーリンとボサ・ノーヴァでジャズっぽく聴こえるのは。

フィーリンとボサ・ノーヴァ。前者の流行の方が先に成立したはず。1940年代末ごろのキューバで、ボレーロ(恋愛歌)の新しい表現方法として、最初はあまり目立たない動きだったが徐々に広がって、しかしフィーリンが本格化するパイオニアだったホセ・アントニオ・メンデスがブレイクしたのは1950年代のメキシコにおいてだった。キューバ本国でなかなか受け入れられなかったからなのか?あるいはマーケット的にメキシコでのほうが活動しやすかったということなのか?これは僕には分らない。

ところで、このフィーリンの創始者(?)José Antonio Méndez の名前のカナ書きについて、ちょっとだけ。「ホセー」と表記する人がかなり多い。中村とうようさんもホセー表記だ。しかしこの人のライヴ音源で名前が紹介されているのを聞くと José の sé は長い音じゃない。短くホセだ。本人のしゃべりじゃないのでイマイチだけど、僕はだからホセと前から書いている。とうようさんはアクセントのある音節はなんでもかんでもぜんぶ音引きをつけてしまう傾向があっただけだ。まだ日本で知名度のないもの/人の発音がどうなのか、分りやすく示そうとしてそうやったのは理解できる。長音でなくても音引きをつけた。僕たち全員が真似することはない。ぜひ、「ホセ」・アントニオ・メンデスでお願いしたい。

さて、フィーリンの、はっきりとはしない誕生期はおそらく1940年代末で、流行期は50年代以後。ボサ・ノーヴァのほうはわりとハッキリ言うことができる。アントニオ・カルロス・ジョビンの書いた「想いあふれて」(シェガ・ジ・サウダージ)をジョアン・ジルベルトがギター弾き語りで歌ったレコードの録音が1958年。同じ年に三ヶ月だけ早くエリゼッチ・カルドーゾが同曲を歌ったものが先にレコード発売されているのは以前触れた。ジョアンのヴァージョンも同じ年だし、この58年をもってボサ・ノーヴァ誕生と見ていいんじゃないかなあ。
そう見ると、ボサ・ノーヴァの誕生はフィーリン流行より約10年弱遅かったことになるのだが、まあ同じ1950年代だし、同じ中南米圏だしね。またもっと重要な共通性がある。それはフィーリンもボサ・ノーヴァも、その名称でもハッキリ示しているように(Feelin = 感じ、Bossa Nova = 新感覚)新しい楽曲様式ではなく、演唱の一つの方法論でしかなかったということ。フィーリンもボサ・ノーヴァも新しい流れが生まれたので、それにあわせて新しい曲が当然どんどんできて歌われたものの、曲そのものの新しさではなく「ちょっと違った新鮮な感じでやってみようよ」という程度の音楽傾向だった。だから既成曲もとりあげて料理しなおしたりもした。しかも本質的には従来音楽と違いがない。ボレーロ = フィーリン、サンバ = サンバ・カンソーン = ボサ・ノーヴァ。

キューバとブラジルで、ちょっと違った感じで音楽をやってみようじゃないかと、こんなふうに彼らが考えていろいろ探して北米合衆国ジャズにヒントを見つけて、そこから「借用」したやり方、感じ 〜 それがフィーリンとボサ・ノーヴァに聴けるちょっとしたジャズっぽい和音構成とコード進行だったんじゃないかなあ。すなわちやはり方法論だったのだと僕は考えている。

だからそれをジャズの「影響を受けた」とか、あるいはもっと言えば(キューバ音楽やブラジル音楽が)ジャズに「支配された」などと言うのは間違っているはずだ。もしかりにそう言うのならば、フィーリンとボサ・ノーヴァの本質を捉えていないのだと考えざるをえない。もちろんジャズっぽさはハッキリある。だからジャズが、まぁある種「流入」はしている。がしかしこの場合、「影響」という言葉の意味を再定義しないといけないような気がしちゃうんだなあ。

「影響」ってはたしてどういう意味なんだろう?1950年代なら北米合衆国音楽産業の力は絶大だった。だから一種の支配勢力だったと呼んで差し支えないはず。支配勢力の文化をそのまま受け入れてそれに追従するのを「影響された」といい、一方、流入してくる支配勢力に、あたかも屈服したかのように表面上は装いながら、それをうまく(かりの)「衣」としてまとってみせるものの、実は内面に自国文化の伝統感覚をしっかり維持して離さないのも「影響された」と言うのなら、この「影響」という言葉を安易に使うのは、大衆による音楽文化の動きの本質を隠蔽してしまうだけかもしれないよね。

キューバのフィーリンやブラジルのボサ・ノーヴァが、表面的にジャズの(仮)衣をまとっているかのように聴こえるのは、あれは戦略としての流用だっただったんだろう。ちょうどこのころ、ジャズの国、北米合衆国ではロックンロールが大爆発し、全世界に大拡散せんとしていた時期だったから、そのままなにもしない、とキューバでもブラジルでも音楽はロックに塗り替えられてしまっていたかもしれない。それを防いで自国の音楽伝統を守り続け、演唱し続け、伝え続けていきたいという気持も彼らにあって、それでジャズの衣を借りてまとっただけの意図的戦略だったのかも。

ちょうどジョアン・ジルベルトがそんなことを以前しゃべっていたように記憶している。自分たちのボサ・ノーヴァはジャズの影響下で生まれた音楽じゃないんだとハッキリ否定していた。正確にジョアンがどう発言したのか、いま手許にないので曖昧な記憶だが、確かにそう言っていたぞ。ジャズっぽさは「かりごろも」だみたいな言い方はしていなかったと思うけれども。

つまり、ロック大流入への防波堤の役目になったということだと思うんだよね。ブラジルだと、ジョアンの直後の次世代にあたるカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらが、米英ロックにかなり強く「影響された」ような新音楽をやっていたが、彼ら新世代のなかにもサンバ以来のブラジル音楽の伝統がしっかり根付いて離れず息づいて、血肉となっているじゃないか。それはジョアンに代表されるボサ・ノーヴァ・パイオニアたちがやったことのおかげじゃないかなあ。

カエターノは「MPB の歴史は二つの時代に分けられる、ジョアン・ジルベルト以前とジョアン・ジルベルト以後に」と、中原仁さんのインタヴューにこたえて明言したそうじゃないか。

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コメント

う~ん、この論考、だいぶ違うなあと言わざるを得ません。
ジャズの影響の件は、特に。

ぜひミュージック・マガジン増刊の『ヴィヴァ!ボサ・ノーヴァ』の
中村とうようさんと田中勝則さんの対談をお読みください。
それを読めば、どこがどう違うのか、わかると思います。

また、日本のジャズ・ミュージシャンはほとんどボサ・ノーヴァを理解していませんが、
もっとも優れた論考を残しているのが、意外にも山下洋輔さんですね。
彼だけがゆいいつボサ・ノーヴァの本質を理解しているジャズ・ミュージシャンだと思います。
晩年のジョビンとの付き合いによって、理解を深めたんじゃないでしょうか。

bunboniさん、じゃあ『ヴィヴァ!ボサ・ノーヴァ』を書いなおすところからはじめないといけませんね。

> 流入してくる支配勢力に、あたかも屈服したかのように表面上は装いながら、それをうまく(かりの)「衣」としてまとってみせるものの、実は内面に自国文化の伝統感覚をしっかり維持して離さない

と書かれておられるので、たぶん、としまさんは気付かれてるようにも読めるんですけども。
この指摘なんて、ダンドゥットの成立そのものですしね。

としまさんも書かれている「方法論」うんぬんの件が、前掲書の対談でよくまとめられていると思います。

気付いているっていうか、ほとんどすべての記事はテキトーな思いつきですからゆえ〜^^;;;。

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