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2017/09/05

岩佐美咲のものすごさ 〜「糸」

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去る8月23日に発売された岩佐美咲の CD シングル「鯖街道(特別記念盤)」。二種類リリースされたのだが、通常盤のほうにだけ収録されているライヴ・ヴァージョンの「糸」がとんでもなくすごい。先に結論から書いてしまうが、この「糸」を聴かないでいるなんてのは、世のなかのありとあらゆる音楽愛好家にとって、重大な過失だ。いいのか、みんな、聴かずに済ませて、いいのか?!真の意味で「歌がうまい」ってのはこういうもののことを言うんだけどなあ。

岩佐美咲には、僕もいままでなんども書いているように多くのカヴァー・ソングがあって、中島みゆきの「糸」もそんななかの一つ。「鯖街道(特別記念盤)」通常盤収録の「糸」は、今年5月7日に新宿明治安田生命ホールで行われた<岩佐美咲 春LOVEライブ>で披露されたのを録音したものだそうだ。このことは CD パッケージには記載がないが、ご覧になったファンの方に教えていただいている。岩佐自身のアクースティック・ギター弾き語りで演唱しているものだ。

さて、ちょっと書いておきたいが、中島みゆきの「糸」は、個人的には中島みゆき本人の歌唱がいちばんいいと思っている。作者本人の「糸」を聴いた僕は、震えがしばらく止まらなかったもんね。適齢期の女性が歌うべきもので年齢差を超えられないとか、また女性が歌うべきもので男性歌手が歌うと性差を超えられないとかってことは、僕は思わない。
こういった部分は、歌手にしろ俳優にしろ、演者の、(自分とは違う)役や立場になりきる力、想像力ということを僕は以前からなんども繰返している。歌の中身と歌手自身の実際の姿とがあまりピッタリ張りつきすぎないほうがいいんだ。そのほうが、適度が距離があったほうが、かえって歌に説得力を持たせられる。男歌・女歌のテーマやその関連でなんどもなんども繰り返し強調しているので、今日はこれ以上はやめておこう。岩佐美咲の「糸」がものすごいということについてだけ書きたい。

中島みゆき本人のヴァージョンを別格として、いろんなほかの歌手がやっている各種の「糸」は、まあ具体名を出すのはやめておきたいが、だいたい全部ダメなんだよね。どうしてかというと熱唱してしまっているからだ。肩に力が入っていて、上記リンク先のわいるどさんの表現を借りると、「歌を聴かそう聴かそうという思いが感じられる」。聴き手に感動を与えようと力唱してしまうと、ある意味、曲が<死んで>しまう。そんな難しいものなんだよね、「糸」って。

いやホント、だれの「糸」がどれほどダメか、具体名をあげて例証したい気分なんだけど、ちょっとそれもねぇ、できにくいだろう。岩佐美咲ヴァージョンの「糸」が優れている、っていうか、そもそも岩佐一人だけが完璧に別次元に立っているような、そんなものすごさを感じるのは、これまた岩佐関連で僕が以前から強調しているナチュラルでスムースな自然体歌唱だからこそなんだよね。

ずっと前にエリック・クラプトン関連の文章で、八代亜紀の一つの言葉をご紹介したことがあるよね。八代亜紀の言うには、歌手は歌に感情を込めないほうがいいんだそうだ。感情を込め(過ぎ)て、聴き手に伝えよう、感動させようと力を入れれば入れるほど、それはある種の邪心のようなものになってしまい、歌は歌手本人だけのものになってしまい、聴き手は冷めてしまう。

八代亜紀はこういったことを、若いころの銀座クラブ歌手時代に実体験で学んだそうだ。いつもは感情を強く込めて歌っていたらしいのだが、あるときふと感情を込めないで軽くサラリと歌ってみたら、クラブ・ホステスさんたちがどんどん泣き出してしまったそうだ。この体験で八代は、上で書いたようなことを身をもって学んだ。

そんな歌いかたをする歌手というと、アメリカのパティ・ペイジや台湾出身の鄧麗君(テレサ・テン)などがいるが、同資質の歌手である岩佐美咲はといえば、僕の知る限り、八代亜紀のような実体験を踏んだらしき情報も僕は持っていない。それなのに、なんでも岩佐本人は、以前、「こういうやりかたがいちばん歌が伝わるからやっている」と、ある方との会話で何年か前に語ったことがあるそうだ。

いったいぜんたい岩佐美咲というこの歌手は、どこらへんからこの考えを持つようになり、実際の歌で実現できるようになったのか?僕には不思議だ。まああんな岩佐みたいな超天才歌手のことを「理解しよう」なとどいう僕のこの心根がハナから間違っているのだが。僕はただ、岩佐の歌を聴いて激しく感動し泣くだけだ。それで十分。岩佐のやっていることは、僕なりにぜんぶ伝わってきているよ。

中島みゆきの「糸」の場合、もとから歌詞の持つパワーがデカすぎる。だから熱唱したらかえってダメなんだよね。歌の<うまい>(と一般に言われる)歌手が、その人の持つ技巧で歌のうまさをひけらかすように「糸」を歌ったらアウトになってしまう。そんな曲なんだよね。そんなとても難しい曲なのだということを、具体名は出さないが、僕もいろんな歌手のヴァージョンで聴いて痛感している。

岩佐美咲は、天才だからゆえの直感的理解によってなのかどうなのか、「糸」をまったく熱唱していない。「糸」をカヴァーしている数多の熱唱系や歌ウマ系のシンガーたちとは、歌に向かう <アティテュード> がぜんぜん違うんだよね。うまく歌おうとか、人を感動させようとかいう邪心のない素直でストレートな歌唱だ。

だからこそ、その「糸」を聴く僕たちにより一層大きな激しい感動を与えることが、岩佐美咲はできているんだよね。熱唱したりうまく歌おう、伝えよう伝えようとしたらダメな曲なんだということを、岩佐はよく理解している。つまり岩佐は元歌の、つまり音楽の、本質をとてもよく分っている。

岩佐美咲の「糸」は、アクースティック・ギター弾き語りでやっている(バック・バンドからもう一名のギタリストと、さらにヴァイオリニストも参加しているが)のも最大限に功を奏している。岩佐のナチュラルでスムースな自然体歌唱で元歌じたいが持つ味わいを際立たせるのにいちばんピッタリ来るのが、ギター弾き語りじゃないかな。出だし、右チャンネルでの弾きはじめはややつたない感じだが、かえってそれがプラス効果になっているようだ。

それから岩佐美咲の「糸」は、繰り返しているように決して力を入れず、あのチャーミングで可愛い声質でリキまず、愛する大切なものをそっと優しく置くようにスムースに歌っているものだが、一ヶ所だけ岩佐がここにポイントを置いたのかなというところがある。三回目の「縦の糸はあなた」の「あ〜なた」(2:34)。ここでだけ、ちょっとだけ、泣きそうなフィーリングでやや声を強めに張っている。

淡々と静かに歌う岩佐美咲の「糸」。あえて強い自意識を消し、それが皆無状態であるかのようにして、さらにしっかりと声と歌い方をコントロールして、歌が本来持っているパワーに身を任せるように歌っているのがイイ。だがしかし、どんな曲でも、そんなやりかたで歌いこなすことが、実はいちばん難しいんじゃないだろうか。岩佐がが命を吹き込むことで、中島みゆきの「糸」という曲じたいの持つ繊細さやスケールの大きさが自ら立ち上がってくるかのようだ。3分24秒が本当に一瞬で終ってしまう。岩佐美咲、とてもおそろしい歌手だ。

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コメント

わさみんの「糸」の記事ありがとうございます。
さすが素晴らしい内容ですね~
わさみんが、あの歌唱法をいつ取得したのか、自分なりに考えてブログに書かせていただきました~
次は是非、わさみんの生歌を聴いて、その凄さを体験してみてくださいね。

わいるどさん

いや、ホント、わさみんの歌い方の素晴らしさは分っても、どうやって、いつごろ習得したものかなんてことは謎ですよねえ。まあ生まれつきというか生得的というか…、まあ要は「超天才」ってことですよねえ。

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