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2017/09/11

ヤー・ハビービー

Arabes








現代アラブ歌謡ってどんなもの?と問われたら、迷わずこれを差し出したいアオラ盤 CD 二枚組『アラブの偉大な声たち』。もとはフランスの MLP が2016年にリリースしたもの(『Grandes Voix Arabes』) だけど、これはもう断然日本盤のほうをオススメする。唯一にして劇大なる根拠は、アラブ・ヴァイオリニストである及川景子さんがお書きになっている日本語解説文があまりにも素晴らしすぎるからだ。たんに内容が優れているというだけではない。仏 MLP 盤 CD 記載の作詞・作曲者名や年号の間違いまでもすべて正してくださっている。現代アラブ歌謡とはどういうものなのか?ということも及川さんが丁寧に説明してくださっていて、いまの日本で実際の音源を聴きながらそれが実感できるものとして、『アラブの偉大な声たち』が最高の一品だ。

というわけで、僕の今日のこれ以下の文章は、ほぼ九割がた以上、『アラブの偉大な声たち』解説文で及川景子さんがお書きになっている内容のソックリそのまま引き写しをやろうと思う。だからこの日本盤 CD をお持ちの方々はお読みになる必要などまったくない。そんなことでいいのか?と言われそうだけど、実際の演奏活動をとおしても中東アラブ地域、トルコ、ギリシアなどの音楽に造詣が深い及川さんの文章を利用しない手はない。この『アラブの偉大な声たち』日本盤 CD をお持ちでない方々向けには、及川さんの引き写しこそがいちばんいい現代アラブ歌謡解説になるはずだ。

『アラブの偉大な声たち』に収録されているのはたったの五人だけ。フェイルーズ(レバノン 1935〜)、ファーイザ・アハマド(レバノン、シリア 1934〜1983)、ムハンマド・ファウズィー(エジプト 1918〜1966)、ムハンマド・アブド・エル・ムッタリブ(エジプト 1907?1910?〜1980)、サイード・ダルウィーシュ(エジプト 1892〜1923)。

これら五人のうち、『アラブの偉大な声たち』二枚組のラストに三曲収録されているサイード・ダルウィーシュだけは異色というか、<現代>アラブ歌謡歌手ではない。ダルウィーシュは、いわば産みの親であって、彼から、この『アラブの偉大な声たち』でもファーイザ・アハマドがたくさんその曲を歌っているムハンマド・アブドゥルワッハーブなどへ辿り着き、アブドゥルワッハーブの流れを汲むようにして、その後の現代アラブ歌謡が誕生した。

だから基本的には現代アラブ歌謡を収録している『アラブの偉大な声たち』のラストにサイード・ダルウィーシュが書き歌ったものが収録されているのは、いわば<特別枠>であって、すべての歌手たちの先駆者的存在だったことを踏まえ、源泉を示して、日本でもかなり知名度が高いフェイルーズその他が活躍するようになる素地がどんなものだったのかを、実際の音源でわ分りやすくしようという意図だったんだろう。

『アラブの偉大な声たち』ラストに三曲収録されているサイード・ダルウィーシュの歌は、原盤 CD クレジットだと1930年という記載になっているのだが、彼は1923年に亡くなっているわけだから、これは曲の版権登録年か楽譜出版年という意味なのか?音を聴くと、そんなムチャクチャ古いような気がしないので1920年代の録音か、そのちょっと前あたりじゃないかなあ。以前も触れたがエジプトはレコード産業が全世界で最も早く活発になっていた国。そしてアラブ音楽産業のメッカだから、1920年代でもこれくらいの良好音質で録れていてもまったく不思議はない。

それら三曲で聴くサイード・ダルウィーシュの曲と歌では、例えば同じ『アラブの偉大な声たち』収録のファーイザ・アハマドが歌うムハンマド・アブドゥルワッハーブなんかの曲と比較しても遜色ないモダンさを僕は感じる。というのはたんに古典好き資質が抜きがたい僕だけの感想かも。控え目に言えば、アラブ古典の粋を極めているがゆえに現代性を獲得しているとでもいう感じかなあ。とにかく曲も情感豊かだし、歌声・歌い方にも艶、セクシーさが感じられて素晴らしい。こんなダルウィーシュの歌なら何時間でも続けて聴いていたいよ。でも本格的なアルバムがまだないはずだよなあ(嘆息)。

サイード・ダルウィーシュがいくら素晴らしいからといっても、<祖>にばかりこだわっているわけにはいかない。『アラブの偉大な声たち』収録の他の四人の話もちょっとはしておかなくちゃね。

最初に登場するのがご存知フェイルーズだが、二枚組全体をとおしてなんども聴いていると、アルバム・トップのフェイルーズに戻ったときに、やはりハッとしてしまう。群を抜いて素晴らしいキラメキのある声と歌い方だよなあ。ラハバーニ兄弟の曲創り、オーケストレイションもゴージャスで文句なし。こういったたぐいの伴奏と歌い方を、今年リリースされた新作におけるヒバ・タワジと、そのアレンジ、プロデュースをやったウサマ・ラハバーニも間違いなく継いでいる。っていうかソックリそのままじゃんねえ。
『アラブの偉大な声たち』二番目登場のファーイザ・アハマドは、間違いなくアスマハーン・フォロワーだ。収録の六曲はすべて1957年の歌のようだから、ちょうど中心地カイロの芸能シーンに足を踏み入れたあたりの時期なんだろう。重厚で気品があって、しかも輝きのある声と歌い方。曲はラストの CD1 - 11曲目を除きすべてムハンマド・アブドゥルワッハーブのもの。なかでも特に6曲目の「最愛なる貴婦人」(Sett El Habayeb)なんか、超絶名曲だよなあ。アブドゥルワッハーブ自身の歌もよかったが、ファーイザ・アハマドが歌うとまた違った感じで味わい深い。

ファーイザ・アハマドは、個人的嗜好だけなら、フェイルーズの声よりも好きだ。9曲目「誰よりも尊い貴方」(Ya Ghali Aalaya)で、なんどもなんども「ヤー・ハビービー」(私の愛する人)とリピートするあたり、たまらない。異性愛ではなく兄弟愛の歌なんだそうだが、僕は自分勝手にワガママに、女性が僕に向けて歌ってくれているのだとメイク・ビリーヴしながら聴いている。それでいいじゃん、許して。

『アラブの偉大な声たち』。二枚目収録の男性歌手のうち、上で触れたサイード・ダルウィーシュ以外の二名について書く余裕が少なくなってしまった。最初に登場のムハンマド・ファウズィーの四曲はファウズィー自身が書いている。曲もいいのだが、それよりも僕はファウズィーの堂々とした声の張りと歌いっぷりに聴き惚れる。三曲目の「世界に向かって微笑んで」(Ebtesmi Lel Donia)では、即興的詠唱のあと中盤(2:23あたり)以後はラテン・リズムを活用。例によってのお馴染で、アラブ音楽とラテン・リズムの親和性の高さを示すあたりも楽しい。

続いてやはり四曲収録のムハンマド・アブド・エル・ムッタリブはやや塩辛い声質で、重厚なヴェルベット・ヴォイスが多い世界ではちょっと珍しいタイプなのだろうか?いや、もちろんエル・ムッタリブも朗々とした発声・歌い方・節廻しで聴き入るけれども、ちょっとだけ資質が異なっているように僕は感じる。なんというか、このアブド・エル・ムッタリブの歌には、近寄りがたい気高さよりも、身近な庶民感覚みたいなものを聴きとるのは僕だけ?つまり、ちょっとだけシャアビっぽいような、そうでもないような?

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