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2017/10/23

味わい深く歌い込むナンシー・ヴィエイラの2011年作は大傑作 〜 祭 3

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一昨日ナンシー・ヴィエイラの2007年作『ルース』を10年ぶりに引っ張りだしてきて聴いたらあまりの素晴らしさに失神して、昨日それについて書いたばかりか、一昨日の時点で次作2011年の『ノ・アマ』をアマゾンでポチったら、すぐ昨日届いてしまった。僕、愛媛県住いなんですけれど、アマゾンってこんな早かったんでしたっけ?僕がプライム会員であることは関係なさそうですよね。クロネコヤマトさん、いつもお世話になってます。

それにしてもやっぱり CD なんかをそう簡単にホイホイ処分しちゃいけないんだという、以前書いたことを、いままたふたたび激しく実感したわけだよね。ナンシー・ヴィエイラの2007年『ルース』も、その真価に気づくのに10年もかかった、というか一回か二回聴いてフ〜ンと思っただけで、10年間も放ったらかしにしちゃってた。まああれの素晴らしさに気づかず放置して、『ルース』CD も部屋のどこにあるのか分らないようにしてしまう僕がダメ人間だということだろうけれど。

ナンシー・ヴィエイラの『ルース』、はっきりいって10年目の大衝撃だったので、あわててその日のうちにアマゾンで2011年作『ノ・アマ』もオーダーして翌日届いたそれを早速聴くと、今度は鈍感耳の僕でも、こりゃ素晴らしい、素晴らしすぎる、深みとコクと味わいをグッと増した大傑作だと、一聴で分ったんだった。うんまあ、この『ノ・アマ』はだれでも一回聴いただけで降参してしまうはず。『ルース』が(かなり遅れた)大衝撃だったので、『ノ・アマ』のほうにビックリはしなかったが、この心地良さと味わい深さは超がつく極上品だ。2011年作だけど、今年末のベスト・テンに入れようっと。

『ルース』4曲目の「青い海の希望」みたいな、速攻で耳を惹きつけるようなサウンドや、1曲目のランドーや12曲目のボレーロみたいな、カーボ・ヴェルデ歌手としては斬新な試みは、『ノ・アマ』のほうにはない。ありゃ、しかしこれ、いま調べて初めて知ったが日本盤も出ているのか…。邦題『そよ風のリズム、愛の歌』って、しかもアマゾンで見るとジャケット・デザインが違っている。邦盤のジャケ写は、フランス盤附属ブックレットの表紙を転用しているみたいだ。

その日本盤ジャケ写(写真右 or 下)がですね、かつて思春期の僕が心ときめかせたあのころの南沙織とかアグネス・ラムみたいな感じのチャーミングさに見えて、いまのナンシー・ヴィエイラの年齢を考えたらちょっと失礼な連想かもしれないが、これっていわば南洋系の可愛らしさということなんだろうか?分りませんが、とにかくナンシーの『そよ風のリズム、愛の歌』のジャケ写で、アッ、イイナとなったそこのあなた、買ってください。中身の素晴らしさは保証します。しかもその少女であるかのようにも見えるチャームとは裏腹に、中身の音楽はしっとりした情感にあふれていて、完璧に大人の女性の深みがあります。特にナンシーの声の表情と翳りに。

う〜ん、なんだか書いていたら日本盤もほしくなってきたぞ。一曲多いみたいだしなあ。どっしよっかなあ〜(と言っているときは、僕はだいたい買ってしまう)。まあどっちにしてもいまは手許にフランス盤があるので、それを聴いてブックレットを眺めながらなにか書いておくとしよう。曲名だけアマゾンで見て邦題も書くことにする。

ナンシー・ヴィエイラの『ノ・アマ』に、前作『ルース』のような他流試合はないと上でも書いたが、ブラジル音楽テイストだけはしっかりある。カーボ・ヴェルデ音楽にとってのブラジル音楽は、「他」「異」でもないようなので、これは当たり前のことなんだろう。それでも『ノ・アマ』では、基本的にはアフロ・クレオール・ミュージックとしてのカーボ・ヴェルデ音楽に集中して掘り下げている印象がある。そのおかげでナンシーの声に深みが増しているんじゃないかなあ。

前作『ルース』にあったような賑やかさ、派手さは、『ノ・アマ』ではまったくと言っていいほど聴かれない。代わってあるのは静かで落ち着いたたたずまい、しっとりした大人の情感、その深み、潤いとか、そういったもので、実際、アルバムの全12曲に派手で快活すぎるような曲調のものは一個もないと言っていいような感じだ。だからこそ、例えばしっとりバラード系のモルナなどでも爽やかさを獲得できている。

アルバム『ノ・アマ』で快活な曲というと、3曲目「心のカーボ・ヴェルデ」(Cab'Verde Na Coracon)、5曲目「サンチャゴ・レディ」(Nhara Santiago)、9曲目「誰も誰かのものではない」(Ninguem E Di Ninguem)、12曲目「エレガントな小柄のジプシー女 」(Cigana de Curpin Ligante)ということになるんだろう。

しかしそれらフナナー、バトゥーケ系の曲(というもふさわしいのかどうか?そんな指摘は無意味なほどにポップに昇華されているからだ)でも、アフリカ由来のリズム・パターンではあるものの、泥臭さみたいなものがぜんぜんなく、ハードにドライヴするようでもなく、ブラジル由来のサンバ、ボサ・ノーヴァもありながら、そんなサウダージを見せつつ、やはりブラジル音楽ふうな爽やかさと軽快さに満ちている。

例えば3曲目「心のカーボ・ヴェルデ」。
例えば12曲目「エレガントな小柄のジプシー女 」。
この二曲がナンシー・ヴィエイラの『ノ・アマ』でいちばん快活な曲だけど、どうだろう、みなさん、この落ち着きっぷりは?前作2007年の『ルース』ではもっとはしゃいでいた。それがこんなノリのいい曲でもシットリとした余裕を感じさせる歌いっぷりで、声の出しかたにも歌い廻しにも深みを増している。見事な大人の女性としての音楽的成熟だ。素晴らしい〜。ナンシー、好きだぁ〜!(ってアンタ、だれかれ構わずだな、だれでもええんか?>僕 ^_^;;)。

アルバム9曲目「誰も誰かのものではない」はボサ・ノーヴァなんだけど、これなんか途中までナイロン弦のポルトガル・ギター一本(とシェイカーだけ)の伴奏で歌っているんだよね。ギターとシェイカーだけという伴奏も完璧なボサ・ノーヴァ・マナーだけど、ほぼギターだけに乗って歌うナンシー・ヴィエイラの余裕と落ち着いた表情、それゆえの軽やかさに注目して聴いてほしい。後半、2:24 でベースやバック・コーラスなどの伴奏陣が入ってきて、サウンドがやや派手めになってからも、ナンシーは余裕綽々で軽く舞っている。しっかし心地良いなあ、これ。
また続く10曲目「あなたのことを教えて」(Dxame Concheb)は、最後まで一曲全編ポルトガル・ギターだけ、たった一個だけの伴奏で歌うしっとり系モルナだが、これもかなりの深みを見せながら、そっと優しく軽く聴き手のハートにタッチしてくるかのようなしとやかな情感があって、爽やかさすら響くもんね。なんだよ〜、大人の女だなぁ〜、ナンシー、好きだぁ〜!それなのに南洋系ハイ・ティーンみたいに見えたりもしているしな〜。
いやあ、参りました。ナンシー・ヴィエイラの2011年作『ノ・アマ』。昨日絶賛した2007年作『ルース』を軽々と超えて、はるか上を行っている。こんなの、大傑作と呼ばずしてなんと呼ぶんだ?これが大傑作じゃなかったら、この世に傑作なんかない。いまの、21世紀の、カーボ・ヴェルデ最高の音楽家が創りだした、世界のベスト・マスターピースじゃないだろうか。

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