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2017/11/28

どこにでもある(が狂おしい)ソウル

ニュー・ヨークに拠点を置いて活動するインディ・ソウル界のレイディ・シンガー、ミズ・アイリーン・リネー。今2017年に新作をリリースした。これが二作目だが、タイトルは『ユビキタス・ソウル』。この「どこにでもあるソウル」というタイトルと、ミズ・アイリーンの顔が大写しになったジャケット・デザインと、その二つで、これは中身も素晴らしいに違いないと思って買ったら、大正解。

がしかしそのとき、まだこのアルバムがなにを投げかけているのかまではぜんぜん気が付いていなかった僕。なんだか全14曲がソウル・バラードばかりで、ほぼすべてゆったりしたテンポで、ミズ・アイリーンが情感豊かに歌っているなあとか、その情感はかなり深いものだとか、そうか、こういうルックスの女性にこういう情深い歌を眼前で歌われたいもんだとか、実際、録音がかなりいいから、本当に目の前で歌われているかのようで、その情深い迫力に、かえって少し後ずさりしちゃうなあとか 〜 こんなふうにしか、アルバム『ユビキタス・ソウル』を聴いていなかった。

基本、そんな聴きかたでいいと思うんだけど、ミズ・アイリーンの『ユビキタス・ソウル』とは、かなりメッセージ性の強い作品みたいなんだよね。アメリカで黒人として生きるということについての、つまり人種差別にかんしての、強烈な反レイシズムのメッセージを投げているんだ。つまり、これは一種のコンセプト・アルバムだと言えるかも。アンチ・レイシズムのメッセージ・ミュージック・アルバムなんだよね。

それに気がついたのは、アルバム・ラスト14曲目「Njnp」をちゃんと聴いたとき。この曲題は「No Justice, No Peace」の頭文字みたいだ。もうそれだけでなにを言わんとしているか分るけれど、曲後半部の途中と最終盤のエンディング部で、マーティン・ルーサー・キングのサーモンをサンプリングして抜粋し挿入してある。曲「Njnp」は、そのサーモンの声で終わるんだ。

僕がくどくど説明するよりも、曲「Njnp」にはオフィシャル・ミュージック・ヴィデオが用意されているので、それをご覧いただければ、ミズ・アイリーンがなにを言いたかったのか、映像でも分るんじゃないかと思う。リスニングに自信がないかたでも字幕が出る。歌詞部もキング牧師のサーモン部も出るので。
ラップを披露しているのがゲスト参加のクラウンド 1なんだろう。アルバムでラップ・ヴォーカルが入るのはこの曲だけ。「正義がなければ平和もない」という曲題の意味は説明不要だ。後半部途中 4:09 〜 4:30 で挿入されているキング牧師のサーモンには、(lacked) ”the soul and commitment to make justice a reality for all men” という言葉があるよね。それを欠いたがために、未来の歴史家は「ある偉大な文明が死滅した」と語らざるとえなくなるばあいもあるだろうと、キング牧師は説教している。

そしてエンディング部でふたたびキング牧師の “Aint gonna let nobody turn us around” という言葉を引用したまま、曲「Njnp」が、つまりミズ・アイリーンのアルバム『ユビキタス・ソウル』は終わるのだ。そうなってみると、最初はなんのことだかボンヤリとしか考えていなかった、まあ音楽の種類もレイディ・ソウルなんだし、まあそんなことにもひっかけてあるんだろうとしか思っていなかった「どこにでもあるソウル」っていうこの “soul” 。この言葉、それが(地球上)どこにでもあるものだという、その言葉の意味が、鈍感な僕にもようやくつかめてきたのだった。

ミズ・アイリーンのアルバム『ユビキタス・ソウル』では、オープナーが「ユビキタス・ソウル」で、それは(プレリュード)と題されているけれど、アルバム・クローザーの「Njnp」と完璧に呼応しているのだった。この最初と最後の二つで、ほかの12曲、はまあふつうのネオ・ソウル(?でもない?)かもしれないが、それらをサンドウィッチしているんだよね。そうなると、それら12曲の聴こえかたも変わってきちゃった。姿を変えたのだった、僕にはね。

アルバムの曲はぜんぶミズ・アイリーンの自作。二曲だけほかの人物とのコラボだけど、それもアイリーンが参加し、それら以外はアイリーン一人で曲を書き、アレンジやサウンド創りに自身でどこまでかかわっているのか分らないが、ひょっとしたらかなりな程度まで彼女自ら音も創っているんじゃないかなあ。いろんなプロデューサーを招いてやっているので、プロデューサー連中が基本的には音創りしたんだと思うけれど、インディ界の存在だから大金はかけられないはず。

伴奏もかなりな程度までコンピューターとシンセサイザーでやっているみたいに聴こえる。そこらへんの詳しいクレジットがないので想像だけど、例えばドラムスのサウンドは全曲打ち込みに違いない。随所で聴こえるストリングスも、エレピやその他鍵盤楽器のサウンドも、シンセサイザーで出しているものじゃないかなあ。エレキ・ギターやヴォーカル・コーラスは人力でやらなくちゃしょうがないものだけど必要最小限のはずで、実際、バック・コーラスはミズ・アイリーンの一人多重録音パートが大きい。

だからサウンドの基本は、打ち込みドラムス&鍵盤シンセ&(控えめな)エレキ・ギターで(ベースが鮮明に聴こえる曲は少ない)、その上にミズ・アイリーンのヴォーカルを乗せて大きくフィーチャーしているっていう感じに聴こえる。あくまで自分の生声だけ、それ一本で勝負しようっていう、この女意気と覚悟がイイネ。実際、素晴らしい声だし、歌いかたも見事だ。

僕の印象に妙に残るものを最後に付記しておく。アルバム七曲目の「ベター・デイズ」。ほかの曲では鍵盤楽器のサウンドが中心なのに、この曲だけはエレキ・ギターの音を中心に組み立てている。約3分30秒のこの曲では、エレキ・ギター&(打ち込み)ドラムス、それにアイリーンの(リード&バック・コーラス・)ヴォーカルしか使われていない。ギターの音色も、録音を工夫して生な感じを出しているし、フレイジングも印象的な情感深さ。そんな伴奏で「よりよい日々を求めて」と繰返し歌うミズ・アイリーンの声が強い印象を残す。

インディ・リリースのアルバムだけど、コンテンポラリーなレイディ・ソウル作品にして普遍的なメッセージを投げかけるミズ・アイリーン・リネーの『ユビキタス・ソウル』、ぜひともご一聴のほどを!

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コメント

そういう内容を歌っていたんですか。相変わらず、歌詞の内容も分からずに聴いているので、よくわかりました。

bunboniさん、ウソっぽ〜い(^_^)!

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