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2017/12/31

100年前のジャズを聴く

CD で聴くなら
本2017年はジャズ録音開始以後ちょうど100年目にあたります。そこで今大晦日、ジャズ録音100周年の本年を締めくくるにあたり、僕もちょっとなにか記しておきたいと思いまして、半年ほど前から準備してまいりました。録音史でピッタリ100年という一区切りになるこのワン・センチュリー全体を扱って、たとえば10年ごとに区切ってその歩みをたどるような内容にしようかなどとも考えていたのですが、到底僕ひとりの耳と知識と筆のおよぶところではないと悟りました。それに21世紀のジャズについてはちゃんと知りませんしね。

そこで、ジャズのなかでも特に個人的愛好対象である第二次世界大戦前のアメリカン・ジャズ、というよりもちょうど100年前あたりのジャズ録音開始直前直後あたりだけにフォーカスして、僕の知るところや考えるところを書いておきます。なにぶん素人ですし、まったくの個人的見解というか感想文ですので、これ以下の内容を、ほかのかたがお書きになった文章への批判だとか異論だとか、お読みになるどなたもそんなふうな受け止めかたをなさらないようにお願いしておきます。そんな気持は僕のなかにありません。

さて、ジャズの商業録音は1917年に開始されたわけでありますが、これは実を言いますとその一年前に実現するやもしれぬチャンスがあったのであります。それはニュー・オーリンズのフレディ・ケパードのバンドです。といいましても、もとはといえば同じくニュー・オーリンズのバディ・ボールデンのバンドだったのですが、それが1911年にその地を離れシカゴへ移ることとなり、その直前に同じコルネット奏者のフレディ・ケパードがくわわりました。

このころのニュー・オーリンズ(発)のジャズ・バンドでは、リーダーである第一コルネット奏者とサイド役の第二コルネット奏者と、二名在籍し同時演奏するのはそんなに珍しいことではありません。かのサッチモことルイ・アームストロングも、ニュー・オーリンズからシカゴに移りキング・オリヴァーのバンドに参加して、第一、第二とダブル・コルネット体制で演奏したのがレコード・デビューでしたよね。

しかしサッチモもすぐに師匠格のキング・オリヴァーを追い抜いてしまいましたように、バディ・ボールデンのバンドに参加したフレディ・ケパードもまたたくまに頭角を現しまして、と申しますか、本当のところ、フレディはたいへんなワン・マン気質で威張りちらすような人間だったので、それでバンドの事実上の支配者になっただけのことであります。しかしながらそれでもコルネット吹奏技巧などがバディ・ボールデンよりすぐれていたんじゃないかという気が僕はします。バディ・ボールデンのほうは一音も録られていませんので、実証はできません。

そんなわけでシカゴで活動するフレディ・ケパードのバンドということになったわけですが、それが1916年にニュー・ヨークのウィンターガーデンというところに出演しての演奏が評判になりまして、当時のヴィクターがこのバンドのボスにレコーディングしないかと話を持ちかけました。それで、長くなってしまいますので詳しいことは省略せざるをえませんが、当時の録音技術では、まず音が入るかどうかのテストをやってみなくてはなりませんので、ヴィクターはそう提案しました。

そうでなくたってジャズという、この呼び名だってまだ定着していなかったんですが、この新興音楽のレコーディングなんか、まだどこの会社もやったことがなかったわけですし、それでも管楽器にかんしてはいろんなブラス・バンド、たとえばアメリカで当時すでに大人気、というかたぶんジャズ・レコード以前に最も売れていたであろうスーザ・バンドなどは録音されていましたので、そのコツをジャズ・バンドにも応用すればよかったのでしょう。

ですけれど、問題はストリング・ベースとドラム・セットであります。弦ベースについても、たとえばクラシック音楽での弓弾きやあんな感じのピチカート演奏なら録音経験があったでしょう。がしかしジャズ・ベーシストのピチカート音は、みなさんご存知のとおりのぜんぜん違う野太さなわけです。ドラム・セットにいたっては、どの会社もまったく録音したことなどなかったはずです。パーツに分けますと、シンバルとかスネア(小太鼓)などはすでに録音していたはずだと思いますが、問題はベース・ドラムです。これはパートに分けた大太鼓とも少し違うのであります。打法も違えば、出てくる音も違います。

そんなわけで、本当は電気録音以前のアクースティック録音時代だから…、ということをちゃんと書いておかないと話が伝わらないのですが、泣く泣く割愛します。みなさん、ちょっと調べてみてください。ネットでも紙の本でもすぐに分ります。とにかくレコーディング・テストをやってみないと弦ベースとベース・ドラムのサウンドは入るかどうか分らんのでありますから、フレディ・ケパードの1916年バンドに録音をオファーしたヴィクターも、まずはちょっとテストさせてほしいと提案したということなんです。

ところがフレディ・ケパードはこの提案を却下。いまであれば、ええ〜〜っ?!せっかく自分の音楽をレコードにしてくれる、しかもそれでお金をもらえるなんて、まるで夢のような話、願ったり叶ったりじゃないか、どうして断るんだ?とみなさんお考えでしょう。1916年といいますと、とにかくジャズのレコードがまだたったの一枚もこの世に存在しませんでした。ですからレコードというものが、この世でいったいぜんたいどういう役割を果たすのか、自分にとってどんな(好)影響があるのか、フレディも想像できなかったと思います。

レコード?とんでもない!ヴィクターさんよ、大金を積んでくれ、そうでなけりゃお断りだ、記録されて複製され、それが世に出廻るわけだろう?そうしたら世のみんなに俺たちのせっかくの技術が盗まれてしまう、俺たちゃ苦労してこの演奏技巧を身につけたんだ、演奏を直に聴いて、永年辛苦の末ようやく身につけたこのジャズ演奏技巧をレコードにしたりなんかして、他人ににどんどん盗まれてしまうなんてことをやすやすと承知するほど、俺たちゃまだモウロクしちゃいねえ!

と、具体的にこう言ったかどうかは知らないですが、とにかく複製レコード商品によって技術をコピーされる、盗まれてしまう、要するに自分の不利益になると考えたフレディ・ケパードが、ヴィクターのせっかくの申し出を断ってしまったのは事実のようです(嗚呼、なんたるジャズ録音史上の痛恨事、悔やんでも悔やみきれない)。ヴィクターとしては、ただのたんなるレコーディング・テストを提案しただけなのにここまで言われたんじゃ、引き下がるよりありません。

そんなわけで、同じニュー・オーリンズの、こっちは白人バンドであるオリジナル・ディキシーランド・ジャズ(Jass)・バンドが翌1917年にニュー・ヨークに出てくるまで、ジャズ録音は開始されなかったのであります。この ODJB に、まず最初にレコーディング・オファーをしたのはコロンビアであります。そして実際録音されました。それが1917年1月31日の二曲「ダークタウン・ストラターズ・ボール」「インディアナ」。

しかしそれは未発売のままで、レコードになりませんでした。だから録音はされても未発売のままのものをジャズ商業録音史のはじまりと呼んでいいかどうか、僕にはちょっと分りかねます。ODJB に対するコロンビアの扱いもまずかった、つまり有り体に申せばギャラその他があまり芳しいものではなかったらしく、バンド・メンはいい気持がせず、復讐心があったかどうか分りませんが、約一ヶ月後の1917年2月に彼らは、今度はヴィクターに赴きます。

そこで1917年2月26日に、ニュー・ヨークのヴィクター・スタジオで ODJB による「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」「ディキシー・ジャズ(Jass)・バンド・ワン・ステップ」の二曲がレコーディングされ、これは後者を A 面とする一枚の SP レコードとなって、アナログ複製しかなかった当時としては驚異的な速さの3月8日に発売されました。これが売れたんです。

みなさんご存知だとは思うんですが念のために付記しておきます。レコードでは「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ」が A 面となって発売されたものの、1917年2月26日の現場では「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」のほうが先に演奏、録音されております。だからゆえ、後世のジャズ史家のみなさんも「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」をこそ初のジャズ録音ナンバーとみなしているんであります。

上で書きましたように、それまでのアメリカ大衆音楽レコード産業における最大のヒット・メイカーはスーザ・バンドだったんですが、ODJB はそれをはるかにしのぐ売れ行きで、たちまち100万枚売れたそうです。1917年のジャズ・レコードがそんなに売れるなんてちょっと考えにくいのですが、本当の話です。それくらいこの新しい音楽が世間のみなさんに面白く聴こえ、耳目をひいたのでありましょう。

しかしここで大変に重要なことがあります。それはいちばん上でご紹介した Spotify のアルバムか、あるいは CD などでお持ちのかたはちょっと聴いていただきたいのですが、ジャズ史上初レコードの B 面であった「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」は、これすなわちノヴェルティ・ミュージックなんです。曲題どおり、馬小屋での馬のいななきをそのまま楽器で描写したサウンドが聴こえますよね。B 面だったとはいえ、こっちのほうが話題になったんですよ、A 面の「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ」よりもですね。

これは実を申しますと、このヴィクター録音より約一ヶ月先だったコロンビアでの録音スタジオでも、ODJB の面々はこうした自らのレパートリーを持ち込みました。「馬小屋のブルーズ」「虎のラグ」「駝鳥のあゆみ」などなどを。しかしコロンビアのプロデューサーはそれを却下してしまったんです。ジャズを録音したことがまだまったくなかったからそれがどんな音楽なのか知らなかったのでということでしょうか、コロンビアは?しかしそれも考えにくいです。バンドの生演奏を聴いていたからこそ録音しないかと話を持ちかけたに違いないわけですから、どんなレパートリーでどんな演奏をくりひろげるか、分っていたはずです。

それなのにコロンビアという会社は、たぶんひょっとしたらその後いまでもこの会社体質があまり変わっていないかもしれませんが、そんなアニマル・ノヴェルティなんかでレコード発売はできないとの判断だったのでしょう。それで「ダークタウン・ストラターズ・ボール」「インディアナ」という ODJB がやり慣れないポップ・ソングを命令したんですね。実際、バンドの面々は演奏にかなり苦労したそうです。 

あ、そうそう、ついでにと言いますか申し添えておきますが、コロンビア盤の「ダークタウン・ストラターズ・ボール / インディアナ」の AB 面レコードは1917年5月に発売されております。えっ?アンタ、さっき未発売のままと書いたではないかと言われそうなので補足。五月発売のコロンビア盤 SP「ダークタウン・ストラターズ・ボール / インディアナ」は、ヴィクター盤「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ / リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」が売れて評判になったのちに再録音したものなんです。

ですから、『ジャズの歴史物語』(アルテスパブリッシング)における油井正一さんの記述は間違っています(pp. 272〜275)。油井さんの文章では、ヴィクター盤が大評判になったので、コロンビアは慌てて録音済みの原盤をプレスして発売したが、選曲も音質も悪いので売れなかったとあります。ですけれど事実は、コロンビアから1917年に発売された ODJB のレコードはすべて、ヴィクター盤「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ / リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」が三月にリリースされて売れて大評判になったあとで吹き込まれたものなんですよ。こんなところにもコロンビアという会社の体質の一端が透けて見えますね。でもこれは油井さんがお亡くなりになった1988年にはまだ分っていなかったことなんですから、油井さんは「間違えた」わけではないんです。

余談でした。注目してほしいのは、ジャズの史上初録音の一曲「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」はシリアス・ジャズなんかではなくって、アニマル・ノヴェルティだったということです。つまり、ジャズのレコードとは最初っからそんなようなものだったのです。シリアスな芸術品などではなかったんです。ここはしっかりとおさえておいていただきたいと思います。

そんなレコードが100万枚も売れたわけです。B 面の「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」のほうが大きな話題になったというのは各種文献を読むと間違いありませんので、1917年のアメリカのみなさんもそういう音楽としてジャズを受け止め楽しんだ、すなわち聴いて面白がるようなポップ・エンターテイメントとしてジャズ・レコードが売れ、みんな買って聴いたということでしょう。この事実一点のみをもってして、今日僕がいちばん言いたいことがお分りでしょう。いやいや、ジャズもその後変化したのだとのご指摘があるならば、それはそのとおりです。しかしですね、なんでもだれでも<生い立ち>を知るというのは大きな意味があることじゃないでしょうか。意味がなくても、それじたい楽しいです。

ODJB のこのころのレコードには、上の Spotify のアルバムにも入っていますが、1920年12月4日録音の「パレスティーナ」というものだってあります。ちょっと中近東ふうなメロディですよね。それでこんな曲題にしてあるのでしょう。そして実際に聴いてみたらクレツマーが混じっていることもお分りのはず。面白いですね。このころの ODJB にはハワイだとか中国や日本などの東アジアの題材もあったんですよ。

もっともっと書きたいことが本当に山ほどあるんですが、これくらいにしておかないとすでに長くなっております。それに僕の趣旨は伝わるかたには伝わったかなあと自負しますので、このへんで今日の文章はおしまいにします。この下に、1920年までに発売された ODJB のレコードをクロノロジカルな一覧にしておきますので、参考になさってください。

Dixie Jass Band One-Step / Livery Stable Blues (Victor 18255) 1917

At the Jazz Band Bal / Barnyard Blues (Aeolian Vocalion A1205) 1917

Ostrich Walk / Tiger Rag (Aeolian Vocalion A1206) 1917

Reisenweber Rag  /Look at 'Em Doing It Now (Aeolian Vocalion 12420) 1917

Darktown Strutters' Ball / (Back Home Again in) Indiana (Columbia A2297) 1917

At the Jazz Band Ball (1918 version) / Ostrich Walk (1918 version) (Victor 18457) 1918

Skeleton Jangle / Tiger Rag (1918 version) (Victor 18472) 1918

Bluin' the Blues  / Sensation Rag (Victor 18483) 1918

Mournin' Blues / Clarinet Marmalade (Victor 18513) 1918

Fidgety Feet (War Cloud) / Lazy Daddy (Victor 18564) 1918

Lasses Candy / Satanic Blues (Columbia 759) 1919

Oriental Jazz (or "Jass"), 1919, recorded November 24, 1917 and issued as Aeolian Vocalion 12097 in April 1919 with "Indigo Blues" by Ford Dabney's Band

At the Jazz Band Ball (1919 version) / Barnyard Blues  (1919 version) (English Columbia 735) 1919, recorded in London, England, April 16, 1919

Soudan (also known as "Oriental Jass" and "Oriental Jazz"), 1920, recorded in London, England, in May 1920 and released as English Columbia 829. The B side was "Me-Ow" by the London Dance Orchestra

Margie / Palesteena (Victor 18717) 1920

Broadway Rose / Sweet Mama (Papa's Getting Mad) (Victor 18722) 1920

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