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2017年12月

2017/12/31

100年前のジャズを聴く

CD で聴くなら
本2017年はジャズ録音開始以後ちょうど100年目にあたります。そこで今大晦日、ジャズ録音100周年の本年を締めくくるにあたり、僕もちょっとなにか記しておきたいと思いまして、半年ほど前から準備してまいりました。録音史でピッタリ100年という一区切りになるこのワン・センチュリー全体を扱って、たとえば10年ごとに区切ってその歩みをたどるような内容にしようかなどとも考えていたのですが、到底僕ひとりの耳と知識と筆のおよぶところではないと悟りました。それに21世紀のジャズについてはちゃんと知りませんしね。

そこで、ジャズのなかでも特に個人的愛好対象である第二次世界大戦前のアメリカン・ジャズ、というよりもちょうど100年前あたりのジャズ録音開始直前直後あたりだけにフォーカスして、僕の知るところや考えるところを書いておきます。なにぶん素人ですし、まったくの個人的見解というか感想文ですので、これ以下の内容を、ほかのかたがお書きになった文章への批判だとか異論だとか、お読みになるどなたもそんなふうな受け止めかたをなさらないようにお願いしておきます。そんな気持は僕のなかにありません。

さて、ジャズの商業録音は1917年に開始されたわけでありますが、これは実を言いますとその一年前に実現するやもしれぬチャンスがあったのであります。それはニュー・オーリンズのフレディ・ケパードのバンドです。といいましても、もとはといえば同じくニュー・オーリンズのバディ・ボールデンのバンドだったのですが、それが1911年にその地を離れシカゴへ移ることとなり、その直前に同じコルネット奏者のフレディ・ケパードがくわわりました。

このころのニュー・オーリンズ(発)のジャズ・バンドでは、リーダーである第一コルネット奏者とサイド役の第二コルネット奏者と、二名在籍し同時演奏するのはそんなに珍しいことではありません。かのサッチモことルイ・アームストロングも、ニュー・オーリンズからシカゴに移りキング・オリヴァーのバンドに参加して、第一、第二とダブル・コルネット体制で演奏したのがレコード・デビューでしたよね。

しかしサッチモもすぐに師匠格のキング・オリヴァーを追い抜いてしまいましたように、バディ・ボールデンのバンドに参加したフレディ・ケパードもまたたくまに頭角を現しまして、と申しますか、本当のところ、フレディはたいへんなワン・マン気質で威張りちらすような人間だったので、それでバンドの事実上の支配者になっただけのことであります。しかしながらそれでもコルネット吹奏技巧などがバディ・ボールデンよりすぐれていたんじゃないかという気が僕はします。バディ・ボールデンのほうは一音も録られていませんので、実証はできません。

そんなわけでシカゴで活動するフレディ・ケパードのバンドということになったわけですが、それが1916年にニュー・ヨークのウィンターガーデンというところに出演しての演奏が評判になりまして、当時のヴィクターがこのバンドのボスにレコーディングしないかと話を持ちかけました。それで、長くなってしまいますので詳しいことは省略せざるをえませんが、当時の録音技術では、まず音が入るかどうかのテストをやってみなくてはなりませんので、ヴィクターはそう提案しました。

そうでなくたってジャズという、この呼び名だってまだ定着していなかったんですが、この新興音楽のレコーディングなんか、まだどこの会社もやったことがなかったわけですし、それでも管楽器にかんしてはいろんなブラス・バンド、たとえばアメリカで当時すでに大人気、というかたぶんジャズ・レコード以前に最も売れていたであろうスーザ・バンドなどは録音されていましたので、そのコツをジャズ・バンドにも応用すればよかったのでしょう。

ですけれど、問題はストリング・ベースとドラム・セットであります。弦ベースについても、たとえばクラシック音楽での弓弾きやあんな感じのピチカート演奏なら録音経験があったでしょう。がしかしジャズ・ベーシストのピチカート音は、みなさんご存知のとおりのぜんぜん違う野太さなわけです。ドラム・セットにいたっては、どの会社もまったく録音したことなどなかったはずです。パーツに分けますと、シンバルとかスネア(小太鼓)などはすでに録音していたはずだと思いますが、問題はベース・ドラムです。これはパートに分けた大太鼓とも少し違うのであります。打法も違えば、出てくる音も違います。

そんなわけで、本当は電気録音以前のアクースティック録音時代だから…、ということをちゃんと書いておかないと話が伝わらないのですが、泣く泣く割愛します。みなさん、ちょっと調べてみてください。ネットでも紙の本でもすぐに分ります。とにかくレコーディング・テストをやってみないと弦ベースとベース・ドラムのサウンドは入るかどうか分らんのでありますから、フレディ・ケパードの1916年バンドに録音をオファーしたヴィクターも、まずはちょっとテストさせてほしいと提案したということなんです。

ところがフレディ・ケパードはこの提案を却下。いまであれば、ええ〜〜っ?!せっかく自分の音楽をレコードにしてくれる、しかもそれでお金をもらえるなんて、まるで夢のような話、願ったり叶ったりじゃないか、どうして断るんだ?とみなさんお考えでしょう。1916年といいますと、とにかくジャズのレコードがまだたったの一枚もこの世に存在しませんでした。ですからレコードというものが、この世でいったいぜんたいどういう役割を果たすのか、自分にとってどんな(好)影響があるのか、フレディも想像できなかったと思います。

レコード?とんでもない!ヴィクターさんよ、大金を積んでくれ、そうでなけりゃお断りだ、記録されて複製され、それが世に出廻るわけだろう?そうしたら世のみんなに俺たちのせっかくの技術が盗まれてしまう、俺たちゃ苦労してこの演奏技巧を身につけたんだ、演奏を直に聴いて、永年辛苦の末ようやく身につけたこのジャズ演奏技巧をレコードにしたりなんかして、他人ににどんどん盗まれてしまうなんてことをやすやすと承知するほど、俺たちゃまだモウロクしちゃいねえ!

と、具体的にこう言ったかどうかは知らないですが、とにかく複製レコード商品によって技術をコピーされる、盗まれてしまう、要するに自分の不利益になると考えたフレディ・ケパードが、ヴィクターのせっかくの申し出を断ってしまったのは事実のようです(嗚呼、なんたるジャズ録音史上の痛恨事、悔やんでも悔やみきれない)。ヴィクターとしては、ただのたんなるレコーディング・テストを提案しただけなのにここまで言われたんじゃ、引き下がるよりありません。

そんなわけで、同じニュー・オーリンズの、こっちは白人バンドであるオリジナル・ディキシーランド・ジャズ(Jass)・バンドが翌1917年にニュー・ヨークに出てくるまで、ジャズ録音は開始されなかったのであります。この ODJB に、まず最初にレコーディング・オファーをしたのはコロンビアであります。そして実際録音されました。それが1917年1月31日の二曲「ダークタウン・ストラターズ・ボール」「インディアナ」。

しかしそれは未発売のままで、レコードになりませんでした。だから録音はされても未発売のままのものをジャズ商業録音史のはじまりと呼んでいいかどうか、僕にはちょっと分りかねます。ODJB に対するコロンビアの扱いもまずかった、つまり有り体に申せばギャラその他があまり芳しいものではなかったらしく、バンド・メンはいい気持がせず、復讐心があったかどうか分りませんが、約一ヶ月後の1917年2月に彼らは、今度はヴィクターに赴きます。

そこで1917年2月26日に、ニュー・ヨークのヴィクター・スタジオで ODJB による「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」「ディキシー・ジャズ(Jass)・バンド・ワン・ステップ」の二曲がレコーディングされ、これは後者を A 面とする一枚の SP レコードとなって、アナログ複製しかなかった当時としては驚異的な速さの3月8日に発売されました。これが売れたんです。

みなさんご存知だとは思うんですが念のために付記しておきます。レコードでは「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ」が A 面となって発売されたものの、1917年2月26日の現場では「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」のほうが先に演奏、録音されております。だからゆえ、後世のジャズ史家のみなさんも「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」をこそ初のジャズ録音ナンバーとみなしているんであります。

上で書きましたように、それまでのアメリカ大衆音楽レコード産業における最大のヒット・メイカーはスーザ・バンドだったんですが、ODJB はそれをはるかにしのぐ売れ行きで、たちまち100万枚売れたそうです。1917年のジャズ・レコードがそんなに売れるなんてちょっと考えにくいのですが、本当の話です。それくらいこの新しい音楽が世間のみなさんに面白く聴こえ、耳目をひいたのでありましょう。

しかしここで大変に重要なことがあります。それはいちばん上でご紹介した Spotify のアルバムか、あるいは CD などでお持ちのかたはちょっと聴いていただきたいのですが、ジャズ史上初レコードの B 面であった「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」は、これすなわちノヴェルティ・ミュージックなんです。曲題どおり、馬小屋での馬のいななきをそのまま楽器で描写したサウンドが聴こえますよね。B 面だったとはいえ、こっちのほうが話題になったんですよ、A 面の「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ」よりもですね。

これは実を申しますと、このヴィクター録音より約一ヶ月先だったコロンビアでの録音スタジオでも、ODJB の面々はこうした自らのレパートリーを持ち込みました。「馬小屋のブルーズ」「虎のラグ」「駝鳥のあゆみ」などなどを。しかしコロンビアのプロデューサーはそれを却下してしまったんです。ジャズを録音したことがまだまったくなかったからそれがどんな音楽なのか知らなかったのでということでしょうか、コロンビアは?しかしそれも考えにくいです。バンドの生演奏を聴いていたからこそ録音しないかと話を持ちかけたに違いないわけですから、どんなレパートリーでどんな演奏をくりひろげるか、分っていたはずです。

それなのにコロンビアという会社は、たぶんひょっとしたらその後いまでもこの会社体質があまり変わっていないかもしれませんが、そんなアニマル・ノヴェルティなんかでレコード発売はできないとの判断だったのでしょう。それで「ダークタウン・ストラターズ・ボール」「インディアナ」という ODJB がやり慣れないポップ・ソングを命令したんですね。実際、バンドの面々は演奏にかなり苦労したそうです。 

あ、そうそう、ついでにと言いますか申し添えておきますが、コロンビア盤の「ダークタウン・ストラターズ・ボール / インディアナ」の AB 面レコードは1917年5月に発売されております。えっ?アンタ、さっき未発売のままと書いたではないかと言われそうなので補足。五月発売のコロンビア盤 SP「ダークタウン・ストラターズ・ボール / インディアナ」は、ヴィクター盤「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ / リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」が売れて評判になったのちに再録音したものなんです。

ですから、『ジャズの歴史物語』(アルテスパブリッシング)における油井正一さんの記述は間違っています(pp. 272〜275)。油井さんの文章では、ヴィクター盤が大評判になったので、コロンビアは慌てて録音済みの原盤をプレスして発売したが、選曲も音質も悪いので売れなかったとあります。ですけれど事実は、コロンビアから1917年に発売された ODJB のレコードはすべて、ヴィクター盤「ディキシー・ジャズ・バンド・ワン・ステップ / リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」が三月にリリースされて売れて大評判になったあとで吹き込まれたものなんですよ。こんなところにもコロンビアという会社の体質の一端が透けて見えますね。でもこれは油井さんがお亡くなりになった1988年にはまだ分っていなかったことなんですから、油井さんは「間違えた」わけではないんです。

余談でした。注目してほしいのは、ジャズの史上初録音の一曲「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」はシリアス・ジャズなんかではなくって、アニマル・ノヴェルティだったということです。つまり、ジャズのレコードとは最初っからそんなようなものだったのです。シリアスな芸術品などではなかったんです。ここはしっかりとおさえておいていただきたいと思います。

そんなレコードが100万枚も売れたわけです。B 面の「リヴァリー・ステイブル・ブルーズ」のほうが大きな話題になったというのは各種文献を読むと間違いありませんので、1917年のアメリカのみなさんもそういう音楽としてジャズを受け止め楽しんだ、すなわち聴いて面白がるようなポップ・エンターテイメントとしてジャズ・レコードが売れ、みんな買って聴いたということでしょう。この事実一点のみをもってして、今日僕がいちばん言いたいことがお分りでしょう。いやいや、ジャズもその後変化したのだとのご指摘があるならば、それはそのとおりです。しかしですね、なんでもだれでも<生い立ち>を知るというのは大きな意味があることじゃないでしょうか。意味がなくても、それじたい楽しいです。

ODJB のこのころのレコードには、上の Spotify のアルバムにも入っていますが、1920年12月4日録音の「パレスティーナ」というものだってあります。ちょっと中近東ふうなメロディですよね。それでこんな曲題にしてあるのでしょう。そして実際に聴いてみたらクレツマーが混じっていることもお分りのはず。面白いですね。このころの ODJB にはハワイだとか中国や日本などの東アジアの題材もあったんですよ。

もっともっと書きたいことが本当に山ほどあるんですが、これくらいにしておかないとすでに長くなっております。それに僕の趣旨は伝わるかたには伝わったかなあと自負しますので、このへんで今日の文章はおしまいにします。この下に、1920年までに発売された ODJB のレコードをクロノロジカルな一覧にしておきますので、参考になさってください。

Dixie Jass Band One-Step / Livery Stable Blues (Victor 18255) 1917

At the Jazz Band Bal / Barnyard Blues (Aeolian Vocalion A1205) 1917

Ostrich Walk / Tiger Rag (Aeolian Vocalion A1206) 1917

Reisenweber Rag  /Look at 'Em Doing It Now (Aeolian Vocalion 12420) 1917

Darktown Strutters' Ball / (Back Home Again in) Indiana (Columbia A2297) 1917

At the Jazz Band Ball (1918 version) / Ostrich Walk (1918 version) (Victor 18457) 1918

Skeleton Jangle / Tiger Rag (1918 version) (Victor 18472) 1918

Bluin' the Blues  / Sensation Rag (Victor 18483) 1918

Mournin' Blues / Clarinet Marmalade (Victor 18513) 1918

Fidgety Feet (War Cloud) / Lazy Daddy (Victor 18564) 1918

Lasses Candy / Satanic Blues (Columbia 759) 1919

Oriental Jazz (or "Jass"), 1919, recorded November 24, 1917 and issued as Aeolian Vocalion 12097 in April 1919 with "Indigo Blues" by Ford Dabney's Band

At the Jazz Band Ball (1919 version) / Barnyard Blues  (1919 version) (English Columbia 735) 1919, recorded in London, England, April 16, 1919

Soudan (also known as "Oriental Jass" and "Oriental Jazz"), 1920, recorded in London, England, in May 1920 and released as English Columbia 829. The B side was "Me-Ow" by the London Dance Orchestra

Margie / Palesteena (Victor 18717) 1920

Broadway Rose / Sweet Mama (Papa's Getting Mad) (Victor 18722) 1920

2017/12/30

これがベスト!〜 スアド・マシのアクースティック・ライヴ

いったいぜんたい僕はいままでスアド・マシのなにを聴いていたんだろう?こんなに素晴らしい音楽家のことをちょっと苦手だなあって思っていたのが、いまでは自分でもぜんぜん理解できない。どこからどう聴いても僕好みじゃないか。自分の愛好対象になるかどうかすら、気づくのにこんなに時間がかかる僕って、なんて鈍感でなんてダメなんだろう…。もう自分で自分のことがまったく信用できない。自分の耳がそんなにバカだと思いたくないのだが、それが事実だなあ。

ってことを最近スアドのアルバムをどんどん聴きなおして強く実感しているわけだけど、四作目にあたるライヴ・アルバム2007年の『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』を聴くと、その本当に素晴らしい音楽に、これが苦手だなんてちっとも思えない僕だから、買っただけでぜんぜん再生すらしていなかったんだと信じたい。まあ苦手苦手と思いながら、2015年の最新作までぜんぶ CD を買って持っていて処分もしていなかったのが、不思議なような僕らしいような…。

『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』以後は、いままでのところスタジオ録音作が二枚あるスアドだけど、これ以前の三作もぜんぶひっくるめてのスアドの全アルバム中、このライヴ盤がいちばん音楽的に魅力的で、すぐれていると僕は感じる。ライヴは2007年1月29日と30日に、フランス東部の街サン・ルイにあるテアトル・クポールで収録したとブックレットに記載がある。

「ベスト」という言葉は、たんにそれまでの三作からそのままチョイスして再録したわけじゃなく、それらからレパートリーだけをベスト的にチョイスして、それをライヴで披露して収録したっていう意味だろうなあ。録音は当時の最新だ。しかもアルバム題どおり、楽器もオール・アクースティック編成で、米英における例の MTV アンプラグド・ライヴみたいなもんかな。あれも出演する音楽家は代表曲をやるばあいが多いよね。

スアドの『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』。収録の12曲すべてがそれまでの三作品からの曲で、今回順番に聴いてきた僕は、この素晴らしいライヴ演唱で、なんだか大団円というか一つの結論めいたものをもらったような気分だ。といっても、書き続けているようにスアドの声に色濃く漂うメランコリーの、その正体はやっぱり分らないのだが、アクースティック・ライヴ・ヴァージョンでは深い憂いだけでなく、ライヴならではの、なんというか華やかさがあるんだよね。メランコリックではあるんだけど活き活きと躍動している。特にスアドの声の色に艶があって、アクースティックな楽器伴奏でそれが一層輝いている。暗いことは暗いんだけど、深く沈み込んではいない。

それまでのスタジオ録音三作品では、エレキ・ギターやエレベやシンセサイザーなどの電気、電子楽器と、それからドラム・セットも使ってあったりするばあいが多かった。そんな編成とアレンジでやった曲も、『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』ではもちろん生楽器オンリーなので、アレンジをかなり変えてある。しかも伴奏は、スアド自身の弾くギターのほかは、たった三人だけ。ギターが一名、ウード(これまたリュートとのクレジットだが?)かバンジョーが一名、ダルブッカかほかの打楽器が一名。これだけ。

だから当然アレンジは変えなくちゃやれないんであって、それはたぶんスアド自身が考案しているものと思う。スタジオ録音作のオリジナルではロック・ナンバーみたいだったり、やっぱり世間で言われるようにフォーキーだったりするものも、ガラリと様子を変えていて、言ってみればアルジェリアのアラブ・アンダルース音楽色が濃く出ている。これは僕好みだね。

アラブ・アンダルース古典や大衆音楽のシャアビなども、トラディショナルなマナーでやるときの楽器編成はシンプルだ。そこからポップ化してやっているミクスチャー・バンドもたくさんあるけれど、スアドの『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』では、なんだかこういった伝統の原点に立ち返っているような音楽になっているんだよね。

スアド自身がそれを意図したものなのか、あるいはレコード会社側の「アクースティックな少人数編成で」という企画が先にあって、その結果としてそんな音楽になっただけなのか、それは僕には分らない。だがアルバム『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』のできあがりだけを聴いて判断するに、スアドは2007年のコンテンポラリー色というよりも、アラブ・アンダルースの伝統を表現している。ように僕には聴こえるけれどね。

もちろん先週指摘したように、ある時期以後の(たとえば一部のアフリカ音楽などにもある)ネオ・アクースティックとかオーガニック・サウンドとかっていう新潮流があるので、レコード会社もスアドとしても、そんなものの流れにちょっと乗っかって(先取りして?)ベスト的選曲で、しかもそれをライヴで、っていうこともあったんだろう。だけど、僕にはこのアルバムは伝統回帰路線に聴こえるんだよね。たんなる古典、伝統好き人間の妄言だろうか?

伴奏陣では、特にウード(じゃないかなあ、この音は?loot との記載だが)を弾くジュアラ・ハミッドが素晴らしい。アルバム・オープニングの一曲目「Denya Wezman - That's Life」の出だしでいきなり弾き出すこのウードのスタイルは、完璧にアラブ・アンダルース〜シャアビの伝統マナーにのっとっているものだ。ハミッドのそんなウードはアルバム全編をとおし、最も目立つサウンドになっていて、実際オブリガートでもソロでもいちばんたくさん弾いているし、音も大きいし、このアルバムのスアドの音楽の主成分になっている。

そんなウードに、スアドのとジャン・フランソワ・キルナーのと二本の六弦アコギと、ラバ・ハルファのダルブッカがからんでいるというのが、アルバムのメイン・サウンド。弦楽器が三本同時に鳴っているわけだけど、カラフルな印象は薄い。飾り気のない落ち着いたフィーリングになっていて、なんだか渋い。しかも、特にウードの音色やフレイジングがそうだけど、伴奏全体のサウンドもメランコリックだ。

そんなサウンドの上に乗るスアドのヴォーカルも、基本、メランコリック。さらにたとえば11曲目の「Ech Edani - I Shouldn't Have Fallen In Love With You」。これは『デブ』でやっていたスタジオ録音ヴァージョンと同じくシャアビふうなウード独奏に続き男声の詠唱があって(このライヴではダルブッカのラバ・ハルファが歌っている模様)、その後テンポ・インして走り出す、のは間違いないが、スタジオ・ヴァージョンにはあったエレベとドラム・セットがないせいか、あるいは解釈変更なのか、さほどの激情グルーヴではなく、やや落ち着いたフィーリングだ。

じゃあアルバム『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』全体をとおし、スアドのヴォーカルも伴奏サウンドも暗いのか?というと、それもさほどではなく、上で書いたように華やかさがあるし、まあそれは観客を前にしたライヴ・パフォーマンスであるがゆえかもしれないが、同じ曲をやっても、自己の音楽に向かうスアドの姿勢にやや変化のニュアンスを僕は感じ取っているんだよね。

あんなに深い深いメランコリーを色濃く表現してたスアドだけど、『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』では、それが暗すぎず派手すぎず賑やかすぎず激情的すぎず、また落ち着きすぎもしておらず、ちょうどいい中庸どころにおさまったような音楽になっているんじゃないだろうか?

たんに代表作をアクースティク・ライヴでやりましたというだけの意味であろう『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』。だけど、これは違う意味でもスアドのベスト作、いちばんの傑作だと僕は言いたい。素晴らしい。

最初にスアドのどのアルバムを、いつ、買ったのかも忘れ、その後ずっと苦手だなあ〜と思い続けてまいりましたが、それでも新作が出るたびにぜんぶ買い続けてきておりまして、いまごろようやくこの女性音楽家の素晴らしさに気がつきましたので、いままでの軽視を詫びる意味でも、またその音楽を賞賛したい意味でも、やっぱりこりゃフランスまで行ってスアド・マシさんご本人に頭を下げたい気持です。

2017/12/29

お気楽ムード・ミュージックとしてのマイルズ『クールの誕生』

ところでキャピトルって紙ジャケットでは CD リイシューしてくれないんだろうか?僕の持つマイルズ・デイヴィスのアルバムは、彼の生前リリース作品に限ればぜんぶ紙ジャケット製なんだよね。キャピトルの一枚とブルー・ノートの二枚を除いてはね。ブルー・ノート盤の二枚は、あるいはひょっとして僕が見逃しているだけかもしれない。日本法人がよくブルー・ノート盤の紙ジャケットを出すことがあるから。

でもキャピトルはマジでぜんぜん出してくれないよなあ、紙ジャケット。プラスティック・ジャケット(ジュウェル・ケース)の利点とは、平積みして崩れにくいということと、ラックに並べたときに背中で確認して見つけやすいということと、この二つだけだ。ケースにヒビが入ったり割れたり、その他デメリットはいっぱいある。最近の新作フィジカル・リリースに紙ジャケットやデジパックがどんどん増えているのは、製作者側も認識しつつあるんじゃないのかなあ。

そんなわけでプラスティック・ケース入りのものしかないキャピトル盤とは、マイルズのばあい、もちろん『クールの誕生』のことだ。このアルバム、僕の印象だと最初から12インチ LP レコード(写真左 or 上)だったような感じなんだけど、もちろんオリジナルは SP 盤シングルだ。それもたったの四枚、つまり八曲しかリリースされなかった。

その後1954年に10インチ LP『クラシックス・イン・ジャズ:マイルズ・デイヴィス』になったのだが、10インチゆえ、やはり八曲だけの収録で、SP 盤の八曲をどうしてだか一部再録せず、未発売だったものを混ぜたりなどしていた。キャピトルは1957年になってようやく12インチ LP 化して、録音されていた全12曲をこのとき初めてフル収録。そして、名高き『クールの誕生』の名前は、その12インチ発売時に初めて考案されアルバムにつけられたものだ。それまでそんな呼ばれかたはぜんぜんなかったんだよ。いまではこのアルバム、1948年のロイヤル・ルーストでのライヴ収録からラジオ放送音源されたものも含めた完全盤が標準だ(写真右 or 下)。

“Birth Of The Cool” とはキャピトルのピート・ルゴロの命名で、マイルズ自身はこれに不満だったらしい。ルゴロは、そもそもマイルズ九重奏団が1948年にロイヤル・ルーストに出演したのを生現場で聴いていて、こりゃいいと思って、キャピトルにレコーディングしないかと持ちかけた当人だ。つまりあのノネットはハナから録音物化を企てて発足したのではなく、なんというかちょっとしたワークショップみたいな動きがあって(たぶんギル・エヴァンズを中心に)、それをナイト・クラブで試しにやってみたっていう、はじめはただそれだけの意図しかなかった。

ピート・ルゴロは1950年代前半から作品を発表していたし、それらのアレンジはのちに言われるクール・ジャズに分類されるもので、ルゴロだけではなく多くの(主に白人の)ジャズ・メンが似たような音楽をやって一種の潮流のようになっていた。1957年だとちょうどクール・ジャズという呼び名が定着していたころだったと思うので、マイルズのそれらを12インチ LP 化する際のルゴロは、そこからを拝借して、このマイルズのノネットがその発祥なんですよ〜っていう感じだったんだろう。現場の生演奏を聴いていたんだし、それをスタジオ録音したものに1957年当時の時代の新潮流の冠をかぶせれば売れるはずだっていう、会社としての目論見があったはず。

ギルとマイルズが1948年にどうしてああいったノネットをやろうと思ったのかは、また長くなってしまうので詳しいことは今日は省略するが、マイルズのほうはチャーリー・パーカーのバンドのレギュラーだったわけだから、ああいった熾烈で生き馬の目を抜かんがごときシビアな真剣勝負の世界からいったんちょっと距離を置きたかった、ひとやすみしたかったということもあったんじゃないかなあ。そういったものだけがマイルズの音楽志向でないのは、その後の自分のバンドでの1991年死去までの音楽をたどっていけば分ることだ。

ハードでシビアなゴリゴリのジャズをやったかと思うと、いっときそこから離れてソフトで軽いもの、言い換えればイージー・リスニングふうなムード・ミュージックみたいなものをやる 〜 この二つがマイルズの全音楽生涯における二軸なんだよね。この二つを行ったり来たりして、ばあいによってはその中間で、というか両者を折衷したようなものをやることもあったじゃないか。

だからパーカーのバンドを辞めた直後の1948年のマイルズが、(結果的にフル・アルバム『クールの誕生』になった)あんなふんわりやわらかいソフト・サウンドをやってみたのも、ほんのちょっとした<気分>だけだったんだと僕は考えている。その際着目したのが、自分の書いた(名義はパーカーの)「ドナ・リー」をビッグ・アンサンブル化してくれた、クロード・ソーンヒル楽団の編曲担当者ギルだったということかもなあ。実際組んでやってみたサウンドをマイルズが本当に心から気に入ったのは間違いない。そうじゃなきゃギルの死去まで途切れることなくずっと終生親交が続くわけないもんね。エレクトリック化、ロック/ファンク化と、二人はいっしょに歩んだ。

ただしかし1948年時点では、マイルズもギルもそこまで考えてコンビを組んだわけじゃないんだから、ほんのいっときの休憩みたいなものとしてあのノネットをやったんじゃないか、そこにあんまり大きく強い意味を読みとりすぎないほうがいいんじゃないか、特にクラシック芸術音楽志向のジャズ・リスナー、専門家のみなさんは気負いすぎじゃないでしょうか、っていうのが僕の考えなんだよね。

だいたいマイルズ自身もそう言っている。上でご紹介したように『クールの誕生』とのキャピトルの命名は気に入らないと言ったのと同時に、あのノネットはほんのちょっとしたソフトなライト・サウンドをやってみようとしただけなんだ、ただそれだけだったんだ、会社が勝手にあんな名前を付けたんだよ、と明言している。音楽家本人の言葉だから額面どおりに受け取れないばあいもあるが、このノネットにかんしては実際の録音物を聴けば、マイルズ本人のこの発言内容に間違いはなかったんだと実感できる。

つまりマイルズの『クールの誕生』は、ハッキリ言っちゃうが、ぜんぜんシリアス・ミュージックじゃないぞ。イージー・リスニング・ミュージックにほかならない。特に日が暮れて暗くなってから(深夜がベスト)、部屋の照明をあまり明るくしすぎず音量も上げすぎないで、『クールの誕生』を流し聴きしてみてほしい。BGM として。するとかなりいい雰囲気になるんだよね。心地良いムード・ミュージックなんだ。

こういったことが『クールの誕生』という音楽の本質だと僕は考えている。なんだか難しいことを、しちめんどくさいことをみんな言うけれどさあ、これはたんなるライト・ポップスだ。眉間にしわ寄せて学問書に相対するような態度で聴くことはないんだぞ。お気軽 BGM として、ただなんとなくダラダラと流していればそれでオッケーな音楽で、そういう楽しみかたこそ、このマイルズ九重奏団の本当の聴きかただ。

うんいやまあもちろん本当も嘘もない。音楽をどう聴こうが関係ない。だれがどんな聴きかたしようと、どんな作品でも、それはまったく自由だ。だから学問的に『クールの誕生』を聴いてなにかそんなことを書いたりなどしようともぜんぜんオッケー。文句はない。だから、ひるがえって僕がこういう聴きかたをしてもいいんじゃないでしょうか?少なくとも僕はこういうものだと信じて聴いています、っていうか流していますと、今日ここまで自説開陳しているが、笑って見逃してくれないか。

実はマイルズの『クールの誕生』にかんし、こんなことに結びつくような声がずいぶんとむかしからあったのだ。僕はそうじゃないのだが、どの曲も同じに聴こえる、どこがいいの?印象に残らない、右の耳のから左の耳へと心地よく通り過ぎていってしまう 〜 こういった感想が約30年以上前からあがっていたのを、僕も目にしてきた。それらはぜんぶ、このアルバムへの否定的言辞として述べられていた。

だがしかし、そんな部分にこそ、このマイルズ『クールの誕生』の聴きどころ、というか流しどころかな、まあそんなものが、肯定的価値観として浮かび上がってくると僕は思うんだよね。マイルズやそのほかソロをとる楽器の音色が、バックのサウンドとキレイに溶け合っているアンサンブルだし、ノネット編成の管楽器アンサンブルは、重層的だが滑らかに流動する心地良さがある。だから流し聴き用の BGM 的ムード・ミュージック、イージー・リスニングとしては最適なんだよね。

そんな音楽の楽しみかただってあるだろう?

イージー・リスンなムード・ミュージックだっていうのは、マイルズ&ギルのコラボ作だと、コロンビア盤の『マイルズ・アヘッド』『クワイエット・ナイツ』まで続いているんだしね。

2017/12/28

ムーンライダーズな原田知世 〜 原田知世と鈴木慶一の世界(2)

このリンクにあるように、以前『GARDEN』のことを書いたけれど、その後なんども聴いているうちにだんだんと、原田知世&鈴木慶一のコンビ作品では1995年の『Egg Shell』のほうがいいかもしれないと思えてきたのだった。たぶんこの『Egg Shell』は、原田知世やアイドル・ポップスやふつうの歌謡曲リスナーのみなさんよりも、ムーンライダーズのファンのみなさんのほうが親しみやすく感じるんじゃないかと思う。

『Egg Shell』のどのへんがムーンライダーズなのかっていうのは説明する必要がないと思う。原田知世をプロデュースした鈴木慶一自身、ムーンライダーズ作品よりも力が入っているんじゃないの〜?とか言いたくなるほどなんだよね。でもなんだかシャンソンというかフレンチ・ポップスみたいなのが複数あるのは、たいしたムーンライダーズ・ファンじゃない僕にはよく分らないが、これは鈴木慶一のアイデアだったのか、それとも知世のアイデアだったのか?それらもアレンジはもちろん鈴木がやっているが。

たとえば一曲目「Une belle histoire」は、日本ではサーカスがやった「Mr. サマータイム」としてかなりよく知られている。これももとはシャンソン楽曲だ。また六曲目「Attends ou va-t'en」はセルジュ・ゲインズブールの曲。アルバム・ラストの「T'EN VA PAS」はリミックス・ヴァージョンで、『Egg Shell』の前作『カコ』ですでにやっていた曲。これら3トラック、特になんだか暗いというか陰な「Une belle histoire」だって好きな僕だけど、でも『Egg Shell』にはもっといいものがたくさんあるよね。

たとえば二曲目「月が横切る十三夜」。これ、超カッコイイぞ〜。ムーンライダーズそのまんまだ。しかし作詞も作曲も原田知世自身で、だからアレンジとかプロデュースとかサウンド創りの段階で鈴木慶一が思い切りリキを入れたってことかなあ〜?しかしアレンジャーには知世だって名を連ねているから、この「月が横切る十三夜」には知世自ら、たんに曲を書いただけじゃなかったんだろうなあ。それでここまでムーンライダーズになってしまうのは、知世の側からも意識したってことかなあ?たんに鈴木が頑張ったということだけじゃなくって?

そのへんのちゃんとしたことは分らないのだが、とにかく「月が横切る十三夜」はいい曲で、ノリよくグルーヴィで、素晴らしくムーンライダーズな原田知世だ。いいなあこれ。コンガの音もポンポン気持いいし、リズム演奏全体も快活で、上に乗る知世のヴォーカルも、エフェクターを使って一部声を加工してあるけれど、舌ったらずなところがぜんぜんなく歯切れよくリズムに乗る素晴らしさ。徳武弘文の弾くアクースティック・ギターなんかサイコー!この「月が横切る十三夜」は、僕の作ったマイ・ベスト・知世・セレクションの二曲目に入れてある。
マイ・ベスト・知世に『Egg Shell』からもう一つ入れてあるのが、九曲目の「UMA」。この曲のグルーヴが僕は大好き。ベース音は、弦エレキ・ベースではなくシンセサイザー・ベースで、それがブンブン低い音で反復されるのがいいよね。そういえば、このアルバム『Egg Shell』ではそうやって弦ベースではなくシンセ・ベースを使ってあるものがけっこうある。「UMA」だと、このエレキ・ギターは鳥羽修らしい。そのカッティングもかなりイイ。ネットに音源がないのでご紹介できないのが残念だが、「月が横切る十三夜」とほぼ同系の曲なんだよね。

そう、僕はこういった「月が横切る十三夜」「UMA」といったノリのいいうねるようなグルーヴ・チューンが大好きなんだ。しかも「UMA」のほうだって原田知世の作詞作曲で、アレンジもやはり鈴木慶一と共同でやっている。ってことはこの1990年代半ばの知世自身の持つ音楽性ってこういうものだったのか?あるいは鈴木との化学反応でこうなっていたのか?どなたか教えてください。

しかしこれら二曲が『Egg Shell』ではいちばんいいっていうのは、たぶん僕の個人的趣味だけでのことなんだよね。ふつうは五曲目「野営(1912 からずっと)」、七曲目「のっぽのジャスティス・ちびのギルティ」、八曲目「夜にはつぐみの口の中で」あたりが最もいいものだってことになるはず。そして原田知世がムーンライダーズのリード・ヴォーカリストになっているのも、これら三曲でこそだってことになるはず。

これら三曲とも作詞作曲編曲のぜんぶを鈴木慶一がやっていて、も〜う、どこからどう聴いたってムーンライダーズに原田知世が客演し歌っているのだとしか思えない出来上がりのサウンド。知世の作詞作曲である「月が横切る十三夜」「UMA」とあわせると、これら五曲は鈴木慶一の原田知世ムーンライダーズ化が最もいい感じに成功していると言えるんじゃないかな。そして聴いていて、実際、僕も楽しい。

『カコ』はカヴァー集なのでちょっと外したんだけど、鈴木慶一プロデュースの原田知世では『GARDEN』も『Egg Shell』も、本来の知世というより鈴木の世界にグイッと引きずりこんだような音楽かもしれないが、知世自身もハマってそれを楽しんで自由に泳いでいるような雰囲気がある。知世はプロデューサーやアレンジャーやサウンド・メイカーの意図を汲み取って表現するのに長けている歌手だ、とは先週も書いたが、言い換えれば音創り次第で姿を変える変幻自在の歌手なのかもしれないよなあ。ハメてみて、ハマってみて、気持いいっていう、そんな世界が『Egg Shell』にもあるみたいだ。

2017/12/27

マジック・サムの「あの時代」

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いまでは複数あるマジック・サムのライヴ・アルバム。だが長年ずっとこの二枚組『マジック・サム・ライヴ』しかなかったのだった。CD では米デルマーク盤は一枚ものだけど、それはちょっとオミットしてある曲があって、日本の P ヴァイン盤はオリジナル LP どおりにぜんぶ収録の二枚組。二枚は複数の異なる意味を持つもの(?)だから、やっぱり二枚組で聴いたほうが分りやすい(かも?)。しかしこのレコードだって1981年とマジック・サムの死後リリースだったよなあ。

僕のばあい、『マジック・サム・ライヴ』はレコード発売とほぼ同時に買って聴いている。こりゃ不思議だ。でもそうだというハッキリ間違いない記憶があるんだよね。ジャズばかり買っていた大学生のころに自分ですすんで買ったブルーズ・ミュージックのライヴ・レコードは、まず B.B. キングの『ライヴ・アト・ザ・リーガル』、次いで『マジック・サム・ライヴ』だった。当時どうしてレコード・ショップでサムのこれに手が伸びたのかは忘れてしまった。

思い出話は今日はよしておいて、いま『マジック・サム・ライヴ』を聴いてどう思うかということだけ記しておきたい。しかし、これ、もとは二枚組の LP セットで僕も聴いてきていて、いま CD でも P ヴァインがそのままのコンプリートな二枚組 CD で出しているにもかかわらず、僕が持っているのは一枚物のデルマーク盤 CD だけなんだよね。デルマークは1981年に『マジック・サム・ライヴ』を発売したシカゴの名門ブルーズ・レーベル。たった二枚だけサムの生前にリリースされたアルバム『ウェスト・サイド・ソウル』も『ブラック・マジック』もデルマーク盤だ。その前にシングル盤ならデビュー期にコブラなどから出ていた。

『マジック・サム・ライヴ』だと、ヴォーカルよりも自然にギター・プレイに耳が行くものだから、P ヴァイン盤の解説文は、やはりこれまた小出斉さん(本業はブルーズ・ギタリスト)あたりがお書きなんじゃないだろうか?そっちも買っておけばよかったかもなあ。なんだかブルーズ・アルバムの日本語解説文って、どれもこれもぜんぶ小出さんが書いているんじゃないかなあ〜(笑)。これは嫌味とか皮肉とかなんかじゃぜんぜんなくって、僕は小出さんの文章が大好きで、しかも本業を活かしたギター・プレイ解説など、本当にお世話になっているので感謝しきり。みんなそうだよね。

『マジック・サム・ライヴ』。一枚物のデルマーク盤 CD しか僕は持っていないのでそれに沿って話をする。むかし一枚目だった1963/64年のゲットー・クラブでの録音が1〜9曲目。10曲目以後が1969年のアン・アーバー・ブルーズ・フェスティヴァル出演時のもので、バンド編成だってかなり違うし、だいいち録音年から言って、1963/64年はまだサムのアルバムがない時期だし一般的な人気もまだまだということで、いわば雌伏期みたいなもんだった。アン・アーバー・ブルーズ・フェスでやった69年には大きく羽ばたいていた。もっともっと先の未来があったはずだったのだが…。

さらに一番重要かな(?)と思うのが、1〜9曲目はアレックス・クラブというシカゴはウェスト・サイドの黒人街バーに出演したときのパフォーマンスで、だからこれはいわばブルーズの内的「現場」をとらえたレコーディングなんだよね。デビュー前と書いてある文章も見つかったが、上記のとおりシングル盤なら出ていたので、それはおかしい。でも間違いなく雌伏期ではあったのだ。そんな時期に、すでにテナー・サックス入りの編成で、少しリズム&ブルーズっぽいフィーリングの、というか要はちょっとソウル・ミュージック的なニュアンスもとりいれたブルーズ・ライヴを、すでにマジック・サムはやっていた。

そう考えると、その後デルマークと契約してリリースした上記のとおりのスタジオ録音アルバム二枚では、そんなソウル・ブルーズみたいな路線を展開するものの、直後の1969年アン・アーバー・ブルーズ・フェスティヴァルでは、自身のギター&ヴォーカルと、あとはベーシストとドラマーだけというシンプルなトリオ編成だから、ストレート・ブルーズをやっているのか?と思いきや、実はこっちでもけっこうソウルフルだというのが面白い。もう1969年だったんだからなあ、当然と言えば当然か。

だから今回聴きなおして実感したのは、マジック・サムの雌伏期にシカゴのゲットー・クラブでやった1963/64年録音分と、アルバムもリリース後の69年にフェスティヴァルの大きめの舞台で大勢の観客を前にして行ったパフォーマンスに、さほど大きな差がなかったということだ。これは僕のばあい今回の新発見だった。みなさんが一枚目と二枚目は意味が違うぞとおっしゃるので、なにも分ってない僕は長年ずっとそうなんだと思い込んで分けて聴いていたのだが、一枚物 CD で続けて『マジック・サム・ライヴ』を聴くと、あんがいそうでもないじゃないかって、そんな気がしてきたんだよね。

違っているのはバンド編成だけじゃないかなあ。もちろん主役のヴォーカルやギターの円熟味は1969年録音分のほうが増しているように僕にも聴こえ、こりゃまた69年のマジック・サムのブルーズってかなりの高みに到達していたんだなと思うものの、音楽的にはそこまで強調するほど大きな差はなかったのかもしれない。1963年にはすでにこの人の(ソウルふうの)ブルーズはちゃんしたレベルにあったんじゃないかとも感じたのだった。

黒人街のゲット・バーでのパフォーマンスということで、やっぱり僕みたいに「現場」の内側に分け入ったことのない人間はこの前半(二枚組なら一枚目)に聴き入って、ちょっとある意味、憧れるものなんだけど、マジック・サムのばあいは、アン・アーバー・ブルーズ・フェスティヴァルみたいな「外側」に開かれた場所でも、音楽性の変化は小さかったんだよね。たしかに1950年代後半のシングル盤でオリジナル・ヴァージョンをリリースしたレパートリーは深化しているけれど、63年だとそれがもう完成に近づいていたということかもしれない。

もう一つだけ書いておく。『マジック・サム・ライヴ』は、クラブ・パフォーマンスもフェスティヴァル・パフォーマンスも録音状態が悪い。もっとクリアな音で聴きたかったと僕だって思うんだが、しかしこれはこれでかえって面白いもかもしれないような気がする。このロー・ファイなサウンドがあんがいいいんだ。かえっていい感じのガレージ感を出すことにつながっていて、まるでパンク・ブルーズみたいに聴こえる部分があるからだ。

リズム&ブルーズのフィーリングとマナーをとりいれたソウル・ブルーズをやりながら、『マジック・サム・ライヴ』では、それがガレージ・パンク・ブルーズみたいに聴こえたりもするから、いかにも1960年代だというようなサウンドじゃないか。もちろんそれは狙ったものではなく、たんに録音状態が悪いだけなんだけど、結果的にはやっぱり「あの時代の」音楽になっているっていう、なんというか、あの当時のアメリカのロック・ミュージックやインディ・フリー・ジャズなんかとのシンクロ感がある。と僕は感じたんだけど、違うかなあ?自信はぜんぜんありません。

2017/12/26

新しいまゆちゃんの未来に向けて

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僕がブログで書くのもちょっと違うのかという気もして。だって僕は AKB48関連のガール・タレントのみなさんのことはほぼなにも分っていないんだから、とは思うものの、これ一つだけはやっぱり2017年のうちに上げておきたかったので、どうか熱心なファンのみなさん、笑って見逃してほしい。

今年いっぱいで AKB48を卒業する渡辺麻友(僕のなかでの勝手な呼びかたが「まゆちゃん」、でもふつうは「まゆゆ」)。20歳を超えたごろからどんどんチャーミングな女性に成長していて、ここ最近はもうホントに可愛くて、テレビや、また紙や電子の写真などでも姿を眺めているだけで僕は嬉しい気分なんだよね。

以前も書いたが、AKB48関連の女性タレントのなかでの僕の最愛の人物が、”わさみん”こと歌手である岩佐美咲で、ひとりの女としてなら篠田麻里子がベスト(ってどういう意味だ?^^;;)ということになって、そんでもって最近グングンと”らぶたん”こと多田愛佳も大好きになってきているので、だから渡辺麻友があんなに可愛くても、僕のなかでは三番目か四番目だ、って、わ〜〜っ、まゆちゃん、ゴメンナサ〜イ。でもマジで可愛くてチャーミングで、それにくわえて最近はセクシーさだって出てきていて、Twitter なんかで”ゆきりん”こと柏木由紀といっしょに「まゆゆきりん〜」とかってペアで写っている写真も素晴らしいと思う。

そんなまゆちゃんの AKB48卒業が今年六月に発表されて、年内で活動は終わるそうだ。10月31日には卒業コンサートもさいたまスーパーアリーナで開催され、AKB48としての最終シングル「11月のアンクレット」も11月22日にリリースされた。さらに、いまこの文章は12月15日に書いているので未発売だが、五日後の20日にソロ・シングル集も発売予定となっている。

まあ僕はとにかくまゆちゃんが可愛いなあ〜って思っているだけなんだけど、上で書いたわさみんとマリコさまのことは、卒業後に熱心なファンになったので、グループに在籍活動中のことや、卒業にまつわるいろんなことは分っていなかった。アイドル・ポップ・グループ在籍中に大好きになって応援していたというと、僕のばあい、やぐっちゃん(矢口真里さん)がそうだったんだけど、やぐっちゃんはモーニング娘。を「卒業」というかたちじゃなかった。

あのときは、やぐっちゃんと、ある男性俳優との熱愛スクープが報道されることになって、事実だったらしいのだが、その出版物が出ると分ったら、即日、やぐちゃんはそのまま姿を消してしまったんだよね。女性でも男性でもアイドルとして活動しているタレントにとっては宿命みたいなもんなのか、とにかくやぐっちゃんはモーニング娘。をちゃんと卒業はしなかった。雲隠れしたわけじゃないが、そのまま、即日、まったくなんにもなしで脱退ということになってしまったんだ。

それでも脱退後のやぐちゃんは、モーニング娘。出身者としては最も成功しているタレントと言われるほど大活躍していて、そりゃあんなに可愛くてチャーミングで面白いし笑いもとれて、しかもセクシーな魅力だってあるし、当然だよなあと僕は嬉しくて、テレビでやぐっちゃんが出演する番組は本当にことごとくぜんぶ見ていた。楽しかったなあ。結婚後のあの不倫問題で芸能界を干されるようになるまでは…。

やぐっちゃんのときは、そんなわけでモーニング娘。を正式卒業じゃないので、それにまつわることはなんにも一切なく、だからそんな思い出も当然ぜんぜんなく、なんだかある日突然姿を消したみたいだったから、グループをサヨナラすることを僕たちファンもかみしめることなどもできるわけがなかった。そこだけがちょっと悔しかったんだよね。

いま僕がまゆちゃんの AKB48卒業をかみしめたい、それでちょっとしたものを書いて公開し残しておきたいという気分になっているのは、こういうこともあるんだよね。やぐっちゃんのときにできなかったことを、今度はちゃんとやりなおしたい。といっても、やぐっちゃんのあの突然のサヨナラのときと違って、いま僕は地方都市に住んでいるので、だから CD や DVD やその他リリース商品を買って自宅で楽しんで、まゆちゃんの写真でも眺めながら歌を聴き、じっくりと卒業をかみしめるしかできることがない。だからそうしているんだ。今年いっぱいなんだからさ、AKB48での渡辺麻友は。

11月22日に発売された渡辺麻友のいる AKB48のラスト・シングル「11月のアンクレット」は、六種類だったかな?あるけれど、僕が買ったのはタイプ A だけ。もちろん AKB48の「11月のアンクレット」があって、そんでもってぜんぶの種類に渡辺麻友がソロで歌うラスト・ナンバー「サヨナラで終わるわけじゃない」がカップリングされている。そのほかは内容が異なっているみたい。

「11月のアンクレット」はかなりいい曲だけど、僕にとってはまゆちゃんが一人で歌う二曲目の「サヨナラで終わるわけじゃない」が本当に素晴らしいって思うんだ。これはたんにまゆちゃん好きだから言っている、さらにいかにもな卒業ソングだから言っている、という部分を否定しないけれど、いったん音楽マニアの僕として立場を置きなおして聴いても、「サヨナラで終わるわけじゃない」は本当にイイ。

「サヨナラで終わるわけじゃない」はバラード。いや、バラード調だけどバラードじゃない、卒業をテーマにした曲だと言われるかもしれないが、たしかに直接的にはそうであっても、この歌詞は恋愛歌、いわば前向きの別れ歌として解釈し受け止めることだってできる内容だと僕には聴こえる。むろん僕はいまだれか女性との別れに直面してはいないのだが、過去の体験や、将来にもあるだろう(なんらかの意味での)別れを想像し、まゆちゃんがソロで歌う「サヨナラで終わるわけじゃない」を聴いてシンミリし、そして前向きに歩んでいこう、将来どなたと別れることがあってもそうしようと、それは終わりじゃないんだって、そう思って心を強く持つことができている。

「サヨナラで終わるわけじゃない」はサウンドだっていい。作詞はもちろん秋元康で、岩崎哲也が作曲、Yasutaka Ishio がアレンジとのクレジットがあるが、歌詞のことは書いたのでサウンド面を言うと、かなりシンプルで落ち着いた大人のバラードっていうような曲調と楽器編成とアレンジだ。

ひょっとしてアクースティック楽器しか使われていないんじゃないかと思うほどなんだけど、でもこのストリングスのサウンドはデジタル・シンセサイザーによるものなんだろう。ドラムスの音も打ち込みかもしれないが、無機的な機械臭さがなく、まあでもそれは最近のポップ・ミュージックはどんどんそうなっているので、「サヨナラで終わるわけじゃない」に限った話じゃない。

それでもこのアクースティックでオーガニックな質感のサウンドはなかなか素晴らしいと僕には聴こえるなあ、「サヨナラで終わるわけじゃない」。ピアノの音ではじまって、アクースティック・ギターが小さくからみドラムスも入って、まゆちゃんがしっとりと歌いはじめる、その瞬間に、まず一回目に聴いたときの僕は、ちょっぴり涙腺がヤバ目になってしまった。でも崩壊はせず、涙も出なかったのは、前向きの歌だからで、まゆちゃんの声と歌いかたにも肯定感が漂っているからじゃないかなあ。

うん、本当にサヨナラで終わるわけじゃない。いまはまゆちゃんの AKB48卒業をシンミリかみしめている真っ最中の僕だけど、まゆちゃん自身に「終わりじゃないんだよ、ぬくもりに甘えたら新しい自分になれないんだ」と歌われて。うんうんそうだ、彼女自身が、そして関連のガール・タレントたちがいちばんこのことをグッとこらえてかみしめている真っ最中に違いないんだから、そこで強く前へ向いた歌を届けてくれるまゆちゃんに、今後も頑張って、もっともっと輝いていってねと、届くわけもない応援のエールを僕も心のなかでそっと、しかし強く、送りたい。

【MV】サヨナラで終わるわけじゃない Short ver. 〈渡辺麻友卒業ソング〉 / AKB48[公式]
AKB 渡辺麻友卒業コンサート映像

2017/12/25

2017年私的音楽ベスト・テン

毎年恒例、僕のばあい1995年からいままで一年も欠かさず書きつづけている音楽作品の年間ベスト・テン。今年もここ数年の慣例どおり、本日12月25日に発表する。これも毎年書いているが、僕の年間ベスト・テンはその年のリリース作品とは限らない。対象は今年「入手できて聴いた」というものだ。あまり何年も前の作品だと選びにくいけれど。

ではまず最初に、以下で書くベスト・テンの新作篇、リイシュー・発掘篇をあわせ、Spotify で聴けるものはぜんぶいっしょにして並べた自作プレイリストを作ったので、それからご紹介しておこう。今年の僕の趣味、音楽ライフがどんなものだったか、ご存知ないかたがたにも手っ取り早く理解していただけるんじゃないだろうか。いちばん聴いた岩佐美咲がここにないのがちょっとあれだけど。
どうですか?

さあ、新作篇とリイシュー・発掘篇に分けて、それぞれ10個ずつ書いておこう。


【新作篇】

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(1)岩佐美咲 / 3rd.コンサート〜笑顔・心・感謝で繋ぐ…至福の2日間〜(DVD)

岩佐美咲と、二位で書く原田知世との出会いが、今年の僕の音楽ライフ最大の事件。人生でも最大級のものというに近い。岩佐も本当に素晴らしい歌手。もうすでに完成に近づいているけれど、もっともっと磨きをかけていって成長すればいったいどれほどの歌手になるのか想像もできない。おそろしい存在だ。そんな、現下でも実力ナンバー・ワンと言える岩佐の最新作品を選んでおいた。この DVD ならオリジナル楽曲も絶品カヴァーもすべてあるので。
(2)原田知世 / 音楽と私

上で書いたように原田知世との出会いも、2017年に、いや僕の人生55年間で、とても大きな意味を持つものだった。もっとも知世のばあいは、僕も1980年代前半の角川期から耳に、目に、していたはずだ。けれど、伊藤ゴローという大きな力を得て、ここまで成熟したヴォーカリストになっていたのを知らなかったのは、僕の完全なる不覚。いやあ、参りました。完璧脱帽の美しさ。この世にこんなにも美しい世界があるのか…。
(3)Paulo Flores / O País Que Nasceu Meu Pai
アンゴラのセンバも今年初めて意識して聴いて、ぞっこん惚れてしまった。僕にとってはセンバ = パウロ・フローレスみたいな感覚すらある(のはちょっとおかしいのかもしれないが)。このアルバム以後二枚をリリースしていて、両方ともすでに聴いているが、衝撃だった出会いの一枚をチョイスしておいた。音楽作品としての完成度を考えたら、最新作がいちばんいいとは思う。
(4)Vijay Iyer/ Far From Over
ジャズ系の作品ではこれが今年ナンバー・ワンかな。ジャズに耳が寄っている人間ならこれを選ぶと思う。インド系のヴィジェイ・アイヤーがインド古典音楽と西アフリカ音楽の両方のリズムを、まるでミルフィーユみたいに重ねた多層ポリ・グルーヴは、本当にすごい。ヴィジェイの作編曲のペンの冴えも、各人のソロも、パッショネイトで素晴らしい。それにしても ECM 盤って音量小さいな(笑)。
(5)Yola Semedo  / Filho Meu

これもアンゴラ音楽のアルバムで、こっちは女性歌手。こんなジャケット写真だけど、ピアノは弾いていないヴォーカリストだ。キゾンバかセンバか、そのへんはよく分らないんだけど、キューバン〜ラテンな(特にサルサふうの)音楽要素もあって、ノリのいいカッコよさは格別の味わいだ。さらにシットリ系バラードでもうまい。
(6)Hiba Tawaji 30

レバノン人女性歌手が30歳記念で30曲ぴったりを歌った充実の二作目。一作目『ヤ・ハビビ』よりもグンと一段よくなったし、サイード・ダルウィーシュみたいなアラブ古典にも目配せしながら、同時に西洋クラシカルだったりジャジーだったりボサ・ノーヴァふうだったりするウサマ・ラハバーニのアレンジとプロデュースに一歩も引けを取らないヒバのヴォーカル。本当に素晴らしい。
(7)Meddy Gerville / Tropical Rain

ジャズ・アルバムを二枚入れるのはどうかとも思ったんだけど、これもなんとか入れておきたい。ほかは泣く泣く外したんだから。トニー・シャスールもトニー・アレンも入れられなかったけれど、レユニオンのメディ・ジェルヴィルだけは、もうちょっとみなさん騒いでくれてもいいんじゃないかと思うので。
(8)Sheila Majid / Boneka

日本でも知名度の高いマレイシアの女性ベテラン・ポップ・シンガー。今年の新作は軽くソフトで、快活なリズムに乗りながらサラリと舞っているのが素晴らしい。いっぽうバラードで聴けるシーラの味わい深さも聴きごたえがあって、繰返し楽しめる充実作。
(9)Nancy Vieira / No Ama

これは2011年の作品だから、六年も前のアルバムはちょっと入れたらいけないのかもな…、って思ったんだけど、僕がこのカーボ・ヴェルデの女性歌手があまりにも素晴らしいことに気がついたのがようやく今年のことで、だからこのアルバムもほんの二ヶ月ほど前に買って聴いたばかりだから、なんとか許してほしい。聴いてみたら、最高にチャーミングだったもんね。
(10)坂本冬美 / ENKA II ~哀歌~

坂本冬美のことは前から好きだったけれど、今年10月末リリースのこれを聴いたら、冬美さん、とうとうこんな境地にまで達してしまったんですね、とため息しか出ない素晴らしさ。フィーリンみたいにソフトで軽いアレンジでエイモス・ギャレットが弾いていたりするっていうサウンドもいいけれど、なんたって冬美のヴォーカルのさりげなさがすごい。こんなさりげなさ、落ち着きっぷりこそ円熟の歌と呼びたい。
【リイシュー、発掘篇】

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(1)原田知世 / 私の音楽 2007-2016

伊藤ゴローのプロデュースした原田知世のうち、昨年までのもののなかから選ばれたベスト盤。だからやっぱりリイシューみたいなもんだ。一曲目の2007年版「時をかける少女」(『music & me』から)で、一瞬にして、僕はこの女性に骨抜きにされてしまったのだった(「骨抜き」ってすごい言葉だよなあ)。もちろん知世がいいんだけど、アルバム全体では伊藤ゴローの仕事っぷりにも注目してほしい。
(2)とうようズ・チョイス・スペシャル

僕が特になにも言う必要のないものだ。中身の音源じたいに物珍しいリイシューはない。だけど、こうやって CD 二枚組にまとまっていると、田中勝則さんの『中村とうよう 音楽評論家の時代』を読む際の格好のお供になる。

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(3)Palmwine Music Of Ghana, From Palmwine Music To Guitar Band Highlife

これについてちゃんと僕が書けるのは来年のことになりそうだ。深沢美樹さんの個人コレクションで実現したパームワイン・ミュージックのヴィンテージものアンソロジー。世界的な大事件に違いない。

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(4)Benny More Con Perez Prado / El Gran Encuentro

このアルバムに収録されているのはベニー・モレー名義のレコード音源なんだし、実際ベニーが主役なんだし、だからそれをちゃんと書かないといけないのに、幼少期のマンボ、というかペレス・プラード楽団刷り込み体験のせいでそれが抜きがたい僕には、こんな文章しか書けなかった。
(5)Zaire 74: The African Artists

ボクシング好きなら全員知っているあのキンシャサの奇跡。もともとあれの前夜祭という位置づけで開催された音楽フェスティヴァルは、いわばブラック・ウッドストック。アフリカ音楽新世代もいいんだけど、こういったものを聴くと感動のレベルが違うような気がするなあ。
(6)Bob Marley & The Wailers  / Exodus: Fortieth Anniversary Edition

『エキシダス』オリジナル・アルバムから40年ということで、息子のジギーが手がけたニュー・ヴァージョンの『エキシダス』。これはもちろん意義深い面白いものだった。レゲエ音楽作品としては、その『エキシダス 40』に軍配が上がると心から納得する。けれどもやっぱり僕は一曲目が「ナチュラル・ミスティック」で、それがクレッシェンドで入ってくるっていう、あのアルバム・オープニングが忘れられないんだよね。
(7)Chansons d'Exiles d'Afrique du Nord

北アフリカのマグレブ地域から、なんらかの理由で脱出したり、あるいは追放、放逐されてフランスに渡ったアラブ音楽の歌手たちは多い。故郷を出て(出ざるをえず)異国で暮らす人間の歌う望郷、つらさ、哀しみの表現に、そんな経験などないのに僕が激しく共感してしまうのはどうしてなんだろう?ひょっとしてスアド・マシに漂う強いメランコリーもこれ?
(8)The Rough Guide to Hillbilly Blues

1920年代にアメリカで商業録音がはじまったころ、レイス(race)・レコードとして販売されていた黒人ブルーズと、それとははっきり分けて売られていた白人のヒルビリー・ミュージックは、実は本質的に同じものを共有していた。21世紀にあっても、それらが「違うもの」だと考えている人たちは、あのころの商慣習にいまだに惑わされているだけ。
(9)渡辺貞夫 / ムバリ・アフリカ

傑作ライヴ。いまでこそ分りやすいソフト・フュージョンの人か、そうじゃなかったらチャーリー・パーカー直系のビ・バップ・アルト・サックス奏者だと思われている貞夫さんだけど、1974年に、しかもオール日本人メンツで、こんなすごいアフリカン・ジャズをやっていた。こういうのがあったからこそ、貞夫フュージョンはあんな感じになっているんだよね。
(10)Canciones de Amor Desde Cuba (キューバ恋歌集)

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2017/12/24

レイディ・サンタからのプレゼント 〜 ハッピー・クリスマス 2017



サンタ・クロースはきっといるんだと僕は思う。正確には、いるのかいないのか科学的に証明できない。実証できないことについては、どうだか分らないとして判断を保留するのが理性的な態度というものだろう。サンタ・クロースなんてガキのものじゃないかと大人は笑ってバカにするかもしれないが、それは冷静でロジカルな姿勢じゃないのかも。

少なくとも僕にとっては音楽の贈り物があるるんだもんね。毎年毎年楽しいプレゼントがある(ってか自室にて自分で掘り起こして聴くわけだけど)。今2017年のクリスマスは、いちばん上でご紹介した Spotify のプレイリストが僕へのクリスマス・プレゼントだ。届けてくださったのはしぎょういつみさん。もちろんこれは公開されてあるプレイリストなので、しぎょうさんはみんなにこのクリスマス・プレゼントを配ってくださっている。立派なレイディ・サンタ・クロースじゃないか。みなさん、ちょっと聴いてみて、このクリスマス・ポップ・ソング集を。

これはポップ・フィールドにある曲ばかりなので、純宗教的な分野にある賛美歌などはない。クリスマスをテーマにしたもののなかから、あくまでポップ・ソングに限定し全30曲をチョイスしてある。ふつうの(ジャズっぽい)ポップス、ロック、ソウル、カントリー、ラテン、アイリッシュ、ポルカまで、彩り鮮やかで、本当に楽しい。色彩感の豊かさはまるでオーナメントがたくさん付いたクリスマス・トゥリーを眺めているような気分じゃないか。

もちろんいろんな曲があって、たった一人ぼっちのクリスマスに、だれかを、 なにかを思い出しているようにシンミリしていたり、社会的なメッセージを投げかけたり(サンタ、貧民街へ行け)、バック・ドア・サンタ(意味は調べてね)になったり、刑務所で過ごすクリスマスや、最悪のクリスマスだと嘆いたり、クリスマスにその誕生を祝福される人物は社会的反逆者だったんだからと言って、資本社会の深い問題を突いたり、などなど。

それでもまずは賑やかで楽しいキンクスの「ファーザー・クリスマス」で幕開け。ダンサブルでいいね。まるでクリスマス・パーティで騒いでいるような気分だ。ファズの効いたエレキ・ギターが派手に鳴って、僕、こういうの大好きだ。次がビーチ・ボーイズだが、三つ目のジョニ・ミッチェル「リヴァー」で僕はシンミリ。これはたぶんロスト・ラヴ、ロスト・ホームのクリスマス・ソングだよね。ピアノだけで弾き語るジョニの声は陰影に富み、シットリしてていいなあ。寂しい曲だということはちょっとおいておこう。音楽美の話だ。

ジョニの「リヴァー」が収録された『ブルー』のことを僕もどれほど好きかってことは今日の話題に関係ないので、また来年にでも。しかしこのプレイリストで三つ目にこれが流れてきたとき、僕は本当に聴き入っちゃって、う〜ん、このころこうやって歌うジョニってマジで素晴らしかった、美しかったと、いまさらながら惚れなおしたんだよね。ジャコ・パストリアス時代もいいけれど、『ブルー』はマジで美しい。

こんな調子で全曲書いていくわけにはいかないので、かいつまんで。6曲目のパティ・ペイジ「ブギ・ウギ・サンタ・クロース」と14曲目のドリス・デイ「シルヴァー・ベルズ」が、僕の個人的音楽趣味からすればいちばんの好物。パティ・ペイジのやつは中村とうようさん編纂のクリスマス・ソング・アンソロジーにも入っているので、みなさんご存知のはず。もともとアメリカでは「テネシー・ワルツ」SP の B 面だった。

ジェイムズ・ブラウンのやダニー・ハサウェイのやつも楽しいが飛ばして、9曲目、盲目の歌手ホセ・フェリシアーノが歌う「フェリス・ナビダード」。スペイン語で「メリー・クリスマス」の意だが、ホセは英語もまぜて歌っている。軽いラテン調があって、ホーン・アンサンブルも楽しいオール・アクースティック編成での演奏。

個人的にもっとよかった、というかこんなにチャーミングな歌手だっけ?と新鮮な発見だったのが、続く10曲目のオリヴィア・ニュートン・ジョン「クリスマス・オン・マイ・レイディオ」。声がさぁ、ほっんと〜っにカワイイんだよ〜。いままでルックスばかりチャーミングだとか見ててごめんなさい。三連のダダダ、ダダダというリズム・パターンに乗ってオリヴィアが可愛く、そしてちょっとセクシーに、さらにソウルフルなフィーリングすら持って歌うクリスマス・ソングだ。曲終わりでの “turn up the radio” に続く「ンン〜」でやられてしまいました。好きです、オリヴィアさん(って、だれのことでも好きなんやな、戸嶋くんは)。

ポルカでやる11曲目ジム・リーヴズ「ザ・メリー・クリスマス・ポルカ」も楽しい。間奏で左チャンネルからアコーディオンが聴こえる。ジム・リーブズはナッシュヴィル・サウンドでやるカントリー畑のアメリカ人歌手だけど、北米だけでなく中南米でも、ヨーロッパ大陸から入ってきたポルカは非常に重要な役割を果たしていた。ロックだってショーロだってそうなんだよ。

「毎日がクリスマスだったらいいのに」と歌うウィザードのグラム・ロック(っぽくなくて、オールド・ロックンロールみたいだが、この曲は)な13曲目もいいし、15曲目のイーグルズもイイ。イーグルズの「プリーズ・カム・ホーム・フォー・クリスマス」は、これまた三連パターンのリズムに乗って、歌っているのはたぶんグレン・フライかなあ?そんな声に聴こえるけれど、違っているかもしれない。

16曲目のポーグズはアイルランドとイギリス合体のケルト・ロック・バンド。でもここでカースティ・マッコール(でいいの?Kirsty の読みは?)を迎えてやる「フェアリーテイル・オヴ・ニュー・ヨーク」は、カースティが出る直前からトラディショナルな6/8拍子のアイリッシュ・ジグになる。このリズムはアメリカのゴスペルやリズム&ブルーズやソウル・ミュージック、さらにアフリカ音楽にも多い。

18曲目ジェスロ・タルのクリスマス・ソングのことは、僕も昨年、一昨年とクリスマス記事で書いたので省略。とにかく大好きです、僕は、あのタルの『クリスマス・アルバム』がね。ラテンな20曲目のことにもちょっとは触れておこう。グラン・コンボのクリスマス・ソング集から一曲目の「ノ・アイ・カーマ・パ・タンタ・ヘンテ」。エネルギッシュなサルサで賑やかなクリスマスになっていいね。みんな来ちゃって寝る場所ないよって歌だ。

あぁ、大好きなジャクスン5のや、いままでそれほどでもなかったが聴いてみたら好きになったゾンビーズのや、ザ・バンドのや、また上のほうでも触れたがシリアスに社会問題を突くジャクスン・ブラウンの「ザ・レベル・ジーザス」や、そんなこんな、書いている余裕がないよ。

とにかく楽しい音楽クリスマスになりました。しぎょういつみという名のレイディ・サンタさん、本当にありがとう。

2017/12/23

このメランコリーはなんだろう?〜 スアド・マシの三作目が素晴らしい





毎週土曜日になると、最近スアド・マシばっかり書いているような気がする。そうでなくたってマイルズ・デイヴィスのことはあいかわらずどんどん書くし、それ以外のことも気に入ったマイ・ブームみたいなものばかり続けて書くようになっているここのところの僕。抑制が効かなくなっているのかもしれない。多いですね、フランク・ザッパとか岩佐美咲とか原田知世とか、そのへんばかりが。ちょっとのあいだご辛抱ください。

スアド・マシの三作目は2005年のアルバム。僕が CD で持っているものは英語題のほうが先に来ていて『honeysucke (mesk elil)』。ジャケット裏でもブックレットでも、曲題だって英語文字のほうが大きい。だがしかしそれと中身が同じものはネット配信ではまったく見つからないのだった。Spotify には少しずつ内容の異なる『メスク・エリル』が三つあるが、僕の持つ CD と同内容のものがない。

あ、ちょっと待って、アラブ系音楽はこっちのほうが…、と思い Anghami で探してみたら、ありました同じやつが…、と思ってよく見たら、たしかに曲順は同じだが(Spotify にあるものは曲順がだいぶ違うんだよね)、あれっ?、一曲足りないや。10曲しかないじゃないか。英語題で歌詞も英語が多い「テル・ミー・ワイ」がオミットされている。アラブ音楽ファン向けの配信サーヴィスだからかなあ?いやあ、関係ないよなあ。

というわけで、曲順が違っているものの、曲そのものは結局ぜんぶある(そんでもって、ボーナス・トラックみたいなものが入っているばあいもある)Spotify のものを使って、曲順を僕の持つ『ハニーサックル(メスク・エリル)』と同じになるように並べかえたのがいちばん上でリンクを貼った自作プレイリストだ。本当はこっちの(ワールド向け?)CD のほうがおかしいのかもしれないが。

それから Spotify にあるもののばあい、付記されているのは英語ではなくフランス語。同じ意味の言葉が書かれてあるけれど、ひょっとしてこのスアド・マシの2005年作は、アラブ圏向け、フランス国内向け、ワールド向け(は CD だけ?)と、三種類違うものをリリースしてあるのかなあ?スアドのばあいもアルジェリアを追われフランスに亡命してきたんだそうで、そこいらへん、ちょっとややこしい事情があるのかもしれないが、まったく知らない。

でも音楽は音楽だ。スアドのばあいもそんな個人的事情や、脱出した母国への郷愁の念、あるいは、これはサウンドと声のトーンに聴きとれるから、歌詞の意味は分らないが、間違いなくあるんだと僕は思うなんらかの政治的戦闘姿勢を示すメッセージ性 〜 これらが音楽と不可分一体になっているんだろうけれど、音楽は自律美だ。これが僕の不変の信念で、だからサウンドやリズムに<音の意味>を聴きとりたいと思う。いつも、だれにかんしても、ずっとそうしてきた。

スアドは、『ハニーサックル(メスク・エリル)』というこの三作目でかなり大きな音楽的充実を見せているように、僕には聴こえる。こないだ書いた二作目よりも一作目のほうが個人的には好きだという僕だけど、この三作目は先立つ二作の毛色の異なる部分をうまく合体融合させて、より一段高いレベルに持ってきて、さらに拡大し、そして…、なんだかずっと一層メランコリックになっているように…、聴こえる。曲調やスアドの声の色合いに深い深いメランコリーを僕は感じる。このあまりにも深い憂いはなんだろう?

スアドが『ハニーサックル(メスク・エリル)』で表現するメランコリーは、音楽的にはアラブ・アンダルースのそれがずっと保ってきたものを引き継いでいるように聴こえる。みなさんご存知のとおり、アルジェリアで花開いたアラブ・アンダルース音楽は、もとはイベリア半島で誕生したものだ。そしてスアドの『ハニーサックル(メスク・エリル)』には、スペイン音楽みたいな要素もまた色濃くあって、さらにアフロ・セントリックな音楽要素が前二作よりも強くなっている。あいかわらずフォーキーな部分はあるけれど、みなさん(特にオフィス・サンビーニャさん)、フォーキーって言いすぎじゃないでしょうか?

ジョーン・バエズみたいな米英フォーク・ミュージックっぽいものって、スアドの『ハニーサックル(メスク・エリル)』だと一曲もないに等しいんだもんね。アクースティック・ギター弾き語りでちょっとそれっぽい感じになっている6曲目「my grandfather's house (dar dgedi)」だってヘヴィな感じの打楽器が聴こえる。たぶんダルブッカじゃないかと思うサウンドだけど、参加ミュージシャン一覧のクレジットとは一致しない。そこだけでなく、またこのアルバムだけでもなく、スアドのフィジカル・リリースでは、楽器クレジットと聴こえる音に違いが多いんだよね。

ドラム・セットも使われている「my grandfather's house (dar dgedi)」だけど、中盤のアクースティック・ギターのソロがこれまたずいぶんと濃い影を落としているし、全体の曲調も暗くメランコリックで、曲題から察するに(ひょっとして亡くなった?)祖父への思い、それはアルジェリアにあるんだろうから、そんな部分から来ているのだろうか?

7曲目の「there's worse (hagda wala akter)」だって、基本、アクースティク・ギター弾き語り&ヴァイオリンで、そこまでなら米英フォークっぽいが、ここまでの深いメランコリーはそういった世界でなかなか聴けない。ここでもやはり北アフリカ系の打楽器が入っている。さらにボワ〜っとスペイシーなサウンドが聴こえ、エコーなど録音効果だけのことかもしれないが、シンセサイザーかなにかで音を足してあるかもしれない。まあでもスアドもアルペジオをフィンガー・ピッキングで弾きながら歌っているしで、巷間言われるような形容詞が付くのは理解できないでもないのだが。

4曲目のアルバム・タイトル曲「honeysuckle (mesk elil)」なんか、ジョーン・バエズじゃなくてジェイン・バーキンだもんね。だから似ているといえば似ているのだが。でもこの曲ではストリング・アンサンブルがサウンドに彩りを添えていて、ちょっぴりゴージャスな感じにも聴こえ、フォーク・ミュージックの素朴感からはかなり遠い。ウード(リュートとのクレジットだが、この音はウードだろう?)もいい感じでオブリガートやソロを弾く。そこはいかにも北アフリカのアラブ音楽、ことにシャアビっぽく聴こえて、楽しい。

ウード(だよね?リュートじゃなくて?だってクレジットが信用できないから)のサウンドといえば、アルバムのオープナー「soon (kilyoum)」で、いかにもなマグレブ音楽ふうにウードが鳴りはじめ、リズムも強くグルーヴィでノリがいい。基本的にはシャアビなんだろうけれど、フラメンコみたいなフィーリングもあるし、またモルナっぽい要素も聴きとれるのが面白い。この曲は相当いいなあ。アルバム『ハニーサックル(メスク・エリル)』では、これが二番目にいいんじゃないの?一曲目になっているおかげで、こないだ聴きなおしたとき、再生開始と同時にこ〜りゃイイネ!って嬉しかった。いやあ、スアド・マシってこんなにも素晴らしい音楽家なんじゃないですか(って、いまごろか、僕は)。

ウード(?)は続く二曲目「that's life (denya wezmen)」でも大きくフィーチャーされていて、しかもここでは典型的なアラブ音楽スタイルのストリングスも伴奏で参加。典型的っていうのは、たとえばエジプトのウム・クルスームの音楽で聴けるようなスタイルのストリング・アレンジじゃないかって意味なんだけどね。ネイ(笛)も使われている。しかしウムにはないアンダルース風味がスアドにはある。僕はどっちも好きで、そりゃウムの大きさといまのスアドは比較すらできないけれども。

3曲目の「inspiration (ilham)」はサハラ以南のブラック・アフリカの音楽みたいな要素があって、ちょっぴり砂漠のブルーズみたいだったり、ちょっぴりサリフ・ケイタみたいだったりするように聴こえる。ここでのドラマーのシンバルの使いかた、すなわち裏拍でカンカン入れるっていうやりかたが僕はかなり好きなんだよね、どんな音楽でもね。

5曲目「i won't foeget my roots - manensa asli (miwawa)」はモーリタニアのダビー・トゥーレとのデュオ。男性歌手とデュオで歌うものは、ほかに8曲目「tell me why」(パスカル・ダナエと)、「 let me (khalouni)」(ラバ・ハルファと)がある。三つともどっちかというとスアドよリも男性歌手を聴かせるようなアレンジで、ある時期以後の一部のアフリカ音楽でも目立ってきているネオ・アクースティック路線みたいな感じだ。

そして、ここまで書いてきたことぜんぶ終わっての、アルバム10曲目「why is my heart sad (malou)」が、とってもとっても素晴らしい。上で1曲目がアルバムで二番目にいいと書いたが、一番素晴らしいのがこの10曲目だ。も〜う、このメランコリーはなんなのだ?こんなにも深い哀しみや苦しみを抱えたまま(って、スアドになにがあるのかぜんぜん知りませんが、音と声のカラーからそう感じているだけ)それを身悶えするようでもなく、ただひたすら淡々としっとり歌うことのできる人間って、相当なメンタルの強さじゃないかと僕は思うんだけどね。「マァルー」って繰返すこの言葉の意味は僕には分らないが、なんだかそのたびに聴いているこっちまで…。いったいスアドになにがあるんだろう?

2017/12/22

シンプルで分りやすいマイルズ入門のワン・ホーン・カルテット盤

これまたマイルズ・デイヴィスのプレスティジ盤で、『マイルズ・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』同様、内容は上等であるにもかかわらずまったく顧みられることのない一枚『ザ・ミュージング・オヴ・マイルズ』。日本のいまのこの時期、どんどん寒くなっている季節にもピッタリ来るし、なかなかのオススメ盤なんだよね。たったの35分しかないけれど、アナログ・レコードってこんなもんだったじゃないか。

ボーナス・トラックなどないので CD でもたった35分の『ザ・ミュージング・オヴ・マイルズ』は、最初から12インチ LP で発売されたもの。1956年のリリースで、これがマイルズ初の12インチ LP となった。これ以前のものは、まず最初キャピトルに録音したものが、オリジナルはぜんぶ SP 盤で、それが10インチの LP に、その後12インチにまとめられた。プレスティジやブルー・ノートへの録音も、ずっとすべてオリジナルは10インチ。僕は12インチの印象しかないんだけど。マイルズの10インチ盤って、熱心に探せばいまでも入手できるんだろうか。できるのかもなあ。でも僕にその気はない。

とにかく1955年6月7日録音で翌56年発売のプレスティジ盤『ザ・ミュージング・オヴ・マイルズ』が、この音楽家の人生初の12インチ LP だった。そしてそれ以上に中身がいい。マイルズ以外にはピアノ・トリオだけのワン・ホーン・カルテットというシンプルな編成で、アルバム丸ごと一枚ぜんぶがこの編成だというのは、マイルズの全作品中これだけなんだよね。

その伴奏のピアノ・トリオが、レッド・ガーランド、オスカー・ペティフォード、フィリー・ジョー・ジョーンズで、もしベースがポール・チェインバーズだったら、そのままファースト・レギュラー・クインテットのリズム・セクションになっていたところ。ジョン・コルトレインをくわえたこのレギュラー・バンドがいつ発足したのか、正確なことは僕には分らない。記録に残っている限りでは、その五人で1955年10月18日に NBC テレビの番組収録をやっている。

そのへんのいきさつについては、マイルズ初のコロンビア盤『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』とその表題曲をやった1955年7月17日のニュー・ポート・ライヴをからめて、一度まとめてみようと思っている。なんにせよ55年の10月あたりに、あのファースト・レギュラー・クインテットが誕生していたのは間違いないんだろう。

そのクインテット結成前に、同じレッド・ガーランドとフィリー・ジョー・ジョーンズを迎えて録音された『ザ・ミュージング・オヴ・マイルズ』。1955年6月7日というたったワン・デイトでアルバム収録の全六曲を収録し、しかもこの日、ニュー・ジャージーはハッケンサックのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオではそれらしか録音していない。ってことは、この当時のマイルズ・スタジオ録音の慣例に反し、最初からアルバムとしての企画、準備があったということかもなあ。それにしては貧相な顔で写っているけれどね。

『ザ・ミュージング・オヴ・マイルズ』はマイルズのワン・ホーン・カルテットなので、当然ボスのトランペットがいちばんたくさん吹いていて管楽器がそれだけだから、嫌でもこの人の楽器に集中して聴くことになる。すると、あんがいいいんだよなあ(って、失礼でしょうか?)。以前、僕はマイルズが自分のトランペット表現スタイルを確立したのは1956年と書いたことがあったけれど、う〜ん、ちょっと考えを改めなくちゃいけないね。そういえばどこかで油井正一さんが、それは1954年だと書いていたよなあ。どこだっけ?マジで忘れた。

アルバム中三曲目の「アイ・ディドゥント」だけがマイルズのオリジナル曲で、あと、五曲目(A 面二曲目)「チュニジアの夜」はスタンダード化しているが、これまたジャズ・オリジナル(ディジー・ガレスピー作)だ。アルバム・ラストの「グリーン・ヘイズ」は作曲者がマイルズとなっているが、テーマなんかないふつうの12小節定型ブルーズだ。いちおう版権登録しなくちゃいけないだけのことであって、レッド・ガーランドが即興で弾き出している。

これら三つがアルバムの半分で、残り半分がポップ・チューン。つまり歌詞のあるヒット・ソングで、それらのうち二曲をハーマン・ミュートをつけて吹くっていうマイルズお馴染のスタイルがもうすでに完成している。どうして一曲目マット・デニスの「ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン?」でだけオープン・ホーンなんだろう?これもかなりチャーミングでポップだから、やっぱりミューティッドなほうがよかったんじゃないかなあ?

マット・デニスの「ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン?」って曲のことを僕がどれだけ好きかっていうのは、歌詞のないインストルメンタル演奏であるマイルズ・ヴァージョンでは伝わりにくいかもしれないので、今日は省略するしかない。でもこのトランペッターはいつも必ず原歌詞を頭のなかで思い浮かべるようにして吹いていた。まるで女性にしゃべりかけるような心持ちで、「(なにがあっても)やっぱり僕といっしょにいてくれる?」(だれが日本語におけるマイルズの一人称を「俺」にしたんだ?)

二曲目の「アイ・シー・ユア・フェイス・ビフォー・ミー」、四曲目(B 面一曲目)の「ア・ギャル・イン・キャリコ」ではハーマン・ミュートをつけて繊細に、か細く、言い換えればやさしくフェミニンな感じでもって(だから「俺」にしないで)トランペットで語りかける。ファースト・レギュラー・クインテットでも、たとえば「ユア・マイ・エヴリシング」(あなたは僕のすべて、『リラクシン』収録)や、その他いろいろあるバラードでは、コルトレインはオミットされてのカルテット編成で録音したばあいが多いから、ってことは全面カルテット編成の『ザ・ミュージング・オヴ・マイルズ』で、すでにそんな方向が見えているんだと捉えることも可能だ。

それから四曲目の「更紗を着た女の子」ってかなりチャーミングでイイ曲だよねえ。これも二曲目「アイ・シー・ユア・フェイス・ビフォー・ミー」同様アーサー・シュウォーツの書いた曲で、そういえばデビュー盤(レーベル名)『ブルー・ムーズ』でもシュウォーツの曲をやっているし、マイルズはこの人の曲が好きだったのかもしれない。「更紗を着た女の子」ではスウィンギーに乗り、しかし可愛くて、かなりイイ。アルバム『ザ・ミュージング・オヴ・マイルズ』のなかで最も魅力があるのがこの曲だろうと僕は思う。

「ア・ギャル・イン・キャリコ」だけでなくアルバム全体にわたってあてはまることだけど、いちばん演奏時間が長いのがやっぱりボスのトランペットだけど、ソロとしてはその次に長い(ってあたりまえですけれども)レッド・ガーランドのピアノがかなり素晴らしい。この1955年6月だとほぼ無名の新人というに近かったピアニストだけど、もうすでに立派なもんじゃないか。プレスティジ・マイルズでは名高い進行形四部作でたくさん聴けるスタイルができあがっている。玉のように転がるシングル・トーンで鈴を鳴らすがごとく弾き、ソロ後半部はブロック・コードで盛り上げるっていう例のやつ。『ザ・ミュージング・オヴ・マイルズ』ですでにやっているよね。

アルバム・ラストのブルーズ「グリーン・ヘイズ」も僕は大好き。なんでもないごくごくふつうのありふれている12小節定型ブルーズで、なんの変哲もない演奏なんだけど、ジャズ・ブルーズ好きならこういうブルージーなの、聴かない人、いないんだよね。なんだかジャズも最近、特に2010年代は新しい扉だかを開いたとかなんとかで、ブルーズ(的なもの)をヤッキになって否定にしにかかっているみたいだけど、なにもそんな、まるで親の仇でも見るように頭から湯気出してムキになることないだろ?

2017/12/21

The Beauty 〜 原田知世と伊藤ゴローの世界(7)


この Spotify のプレイリストは自作の原田知世ベスト・コンピレイションだが、伊藤ゴローのプロデュース作に限定せざるをえなかった。それ以前の知世の歌はほぼないに等しいというほどなんだもんね。本当だったら鈴木慶一が手がけたものも入れたかったのだが、う〜ん、残念だ。

だから僕の iTunes にある原田知世ベスト・セレクション・プレイリストでは、鈴木慶一プロデュースのものも五曲入っている。『ガーデン』から三曲、『エッグ・シェル』から二曲。そして、Spotify のやつには七曲入れた洋楽カヴァー集のほうの『恋愛小説』からは、 iTunes のほうには一つもなしなんだよね。入れたかったが長くなりすぎてしまうし、それにやっぱり知世は日本語で歌ったもののほうが僕は好き。

しかしながら、みなさんと少しでもこの原田知世という歌手の美しさをシェアしたいと、それができれば素晴らしいことだと、そう考えて上掲のような Spotify プレイリストができあがった。1曲目を、リリース順や英語/日本語を無視して「September」(竹内まりや)にしてあるが、知世ヴァージョンのあの出だし、あれがオープニングにぴったりな雰囲気じゃないだろうか?グルーヴィだしね。

それで幕を開けたあと、洋楽カヴァー集の『恋愛小説』から続けて並べてある。個人的にはハイ・サウンド・ソウルになっている3「ドント・ノー・ホワイ」と、ボサ・ノーヴァな4「ナイト・アンド・デイ」、もとから官能性の強い曲だからそう仕上がっていることの多いバート・バカラック・ナンバーだけど色気をグッと抑制したアレンジと歌いかたでやっている7「恋の面影」(The Look of Love)あたりが僕好み。

あとは5「イフ・ユー・ウェント・アウェイ」は、聴くとつらいので入れておいた。つらいと同時にすごく美しくて、だから嬉しい音楽だ。6「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は、僕だとジャズ・スタンダードとして馴染があるものだけど、若いみなさんだと1995~1996年放送のテレビ・アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のエンディング・テーマに用いられたのでご存知のかたが多いと思って、やっぱり入れることに。それもちょっぴりボサ・ノーヴァふうなアレンジだ。

ほとんどハープ一台だけというに近い伴奏で曲題と歌詞内容どおりゆったりおだやかにやるエルヴィス・プレスリーの「やさしく愛して」で洋楽カヴァー・パートはおしまい。その後続いて歌謡曲カヴァー篇とオリジナル楽曲篇の順番で持ってきた。まず『恋愛小説 2 - 若葉のころ』から、僕が特に大好きでたまらない三曲だけを。

もちろんこのアルバムにある「木綿のハンカチーフ」が、曲じたいとしてはいちばん好きなんだけど、あの原田知世ヴァージョンのアレンジと歌いかたはしっとりしすぎているように僕は感じる。あの曲は太田裕美がやったように、もっとアッサリと心的距離も置いて突き放して軽いフィーリングで歌ったほうがもっといいと思うんだよね。

歌謡曲カヴァー篇三曲のなかでいちばん好きなのが「年下の男の子」。年上女性に歌ってほしいナンバー・ワン楽曲で僕好みだ。キャンディーズの三人もみんな僕より年上だったから本当に素晴らしかった。原田知世は僕より年下の女性だけど、そこをメイク・ビリーヴさせてくれているように聴こえるのが、歌の、芸の、言い換えればフィクションの、持つ力なんだろうね。いやあ、「♩あいつはあいつは可愛い、年下の男の子♪」なんてのを眼前で、それもこんなふうに知世さんみたいに歌っていただけたら素晴らしいことじゃないですか。

松田聖子の「SWEET MEMORIES」もつらくてとっても美しい内容なので入れておいた。う〜ん、いやあ、マジで美しいよなあ。ここまではほかの歌手の持ち歌を原田知世がカヴァーしたものの話。続いてオリジナル楽曲篇は、プレイリスト・ラストの「時をかける少女」を2007年『music & me』から取ったのを除き、それ以外はすべて今2017年の新作『音楽と私』ヴァージョンを入れておいた。いずれにせよぜんぶ伊藤ゴローと組んで解釈しなおして歌いなおしたものばかりだ。

それが12〜17までの全六曲だけど、も〜う、どれもこれも美しすぎて、言葉が出ない。なにも書くことなんてないだろう。このプレイリストでの曲順にはちょっぴりだけ気を配ったが、中身の音楽、すなわち曲そのものの良さ、伊藤ゴローのアレンジ&プロデュース・ワーク、主役女性歌手のヴォーカル表現、これら三者があいまって、いまの僕にはこの世のものではない天上美にしか聴こえない。あぁ、なんて美しいんだろう…。いったい僕はどうしたらいいんだろう…。言葉を失い、意識も失いそうになって、ただただその美しさに身も心もくねらせるだけだ。

詳しいことは昨日までの文章で書いたつもりなので、あまりつけくわえることもない。ただ聴いてほしい。そういうわけで、なかでも特にこれら五曲が美しすぎる、あまりの美しさで、聴いていたらなにもできず(マジです、やっていることの手をハッと止めてしまっています)ボ〜ッとするしかないっていうものだけ五曲で、もう一つの Spotify プレイリストを作っておいた。こんなにも美しい、そしてそれゆえにおそろしい世界がこの世にあったんだなあ。困っています。

2017/12/20

しっとり落ち着いた大人の歌手になった原田知世と、伊藤ゴローの世界(6)

この Spotify にある原田知世の今2017年の新作『音楽と私』。CD に入っているラスト11曲目の「雨のプラネタリウム」だけがグレイ・アウトしていて再生できない。なにか権利関係で問題があるのだろうか?この曲は秋元康作詞、後藤次利作編曲で、1986年6月発売のシングルだったのがオリジナルなんだけど…、う〜ん、残念だ。三拍子でグルグル廻って面白いんだけどなあ。しょうがない。それを聴きたい人は CD を買ってください。

『音楽と私』は、CD 部分(DVD も附属するものを僕は買った)の全11曲が原田知世自身の過去曲の再演で、伊藤ゴローとのコラボレイションで新しく解釈しなおしてアレンジ、プロデュースもやりなおし、知世が歌いなおしたものだというのは、僕も前から書いているので、これ以上書かない。なかには1980年代初期にデビューしたころの曲もあり、というかそういう初期曲のセルフ・カヴァーが『音楽と私』の主眼じゃないかと、僕には見える。

それらのオリジナルと『音楽と私』での新ヴァージョンを聴き比べると、歌手自身が実年齢を重ね経験を積んだことから来ているものなのかどうか分らないが(そんな失礼な推測はできないだろう)、原田知世のかなり大きな成長を「歌のなかに」聴きとることができる。もちろん(最初は2004年の冬のパリでだったという)伊藤ゴローというこの俊英との出会いが、知世をグッと一段高いレベルに押し上げたことは間違いないと思う。

今日は今年の新作『音楽と私』だけに限定して書くのだが、そんな原田知世と伊藤ゴローとの出会いは、この二名のコラボ第一作である2007年の『music & me』からすでに大きな成果をもたらしていたのだった。このアルバムのいちばん最後に、一昨日書いた「時をかける少女」の美しすぎる再演がある。昨日は、これまた天上美である「天国にいちばん近い島」のことを書いた。

その新ヴァージョンの「天国にいちばん近い島」が最新作『音楽と私』のなかにあるわけで、「時をかける少女」の最新版もあると一昨日書いた。またこれも新ヴァージョンが収録されている「うたかたの恋」のこともしばらく前に書いた。だからこれ以下は、それら三日間で書かなかったものについて少しだけ記しておきたい。なかでも僕にとっていいのが4曲目「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」、6曲目「ときめきのアクシデント」、10曲目「くちなしの丘」、11曲目「雨のプラネタリウム」だ。

それら以外は、原田知世自身によるオリジナルとさほど大きな違いが僕には聴きとれないような気がしたんだよね。曲はいいものなんだけど(特に「ロマンス」とか「地下鉄のザジ(Zazie dans le metro)」とか、チャーミングな曲だ)、特に記しておきたい部分は小さい。オリジナルと大きく違い、伊藤ゴローの新アレンジが冴え、原田知世のヴォーカル表現も著しく成長していて美しいと僕が感じたものについてだけ、少しだけ触れておこう。

それは四曲。「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」「ときめきのアクシデント」「くちなしの丘」「雨のプラネタリウム」。これらのなかで僕にとって一番ヤバいのが「ときめきのアクシデント」だ。オリジナルは来生えつこ作詞、来生たかお作曲、星勝アレンジで、1982年10月にシングル発売されたもの。原田知世のデビュー二作目。それはふつうのアイドル・ポップ・チューンで、それだけ聴いている分には、僕はこの曲の魅力に気がつかなかったかもしれない。

『音楽と私』ヴァージョンの「ときめきのアクシデント」は、これまた伊藤ゴローのクラシカル・ギター一本だけの伴奏。つまり2007年版の「時をかける少女」とほぼ同じ。そっちにはいちおうシェイカーの音も入っていたが、こっちはマジでギターだけ。それだけ。伊藤ゴローはやはりボサ・ノーヴァのスタイルで弾いているが、それは「時をかける少女」のように鮮明ではない。

そして伊藤ゴローの完璧に伴奏に徹したギターよりも、っていうかそのおかげでってことか、原田知世の声の、なんといったらいいのか、生々しさ、ブレス(息継ぎ)の音もはっきり聴こえ、それは録音が極上なせいだろうが、そのブレスの瞬間瞬間にフ〜ッと漏れるそれが、はっきり言っちゃうがかなりセクシーだ。まるで自分の耳に息を吹きかけられているような気分になってしまう。昨日書いたように、「天国にいちばん近い島」だともっとそうなんだけどね。ブレスのときに息を吸う音まではっきり聴こえたもんなあ。

しかもその原田知世のそんな息遣いまで鮮明に聴きとれる極上録音で聴く「ときめきのアクシデント」のヴォーカルは、ティーンのころのヴァージョンにはない、う〜ん、なんというかつまり、迫力というか、ある種のおそろしさすら僕は感じる。だってね、歌い出しの歌詞が「あなたの心ぜんぶ、覗いてみたい気分」なんだけど、1982年ヴァージョンでは僕は特に感じない、背筋がゾクゾクするようなおそろしさ = セクシーさ、大人の女性の持つ静かで落ち着いた雰囲気での迫力があると思うんだよね。

しかも2コーラス目は「あなたの心ぜんぶ、奪ってみたい気分」と歌い出すんだけど、こんな言葉をこんなハスキー・ウィスパー(に僕には聴こえる、「天国にいちばん近い島」もね)でセクシーにささやかれたら、ふつうの男はおそろしい気分になって背筋が凍るだろう。いま2017年の原田知世のヴォーカルはそこまでの魔力を持っている。もちろんそっと可愛くやさしくささやいているだけなのに、こんな表現ができるなんて。あぁ、僕はどうしたらいいんだろう?

放っておくと、僕のばあい、2007年版の「時をかける少女」と2017年版の「天国にいちばん近い島」「ときめきのアクシデント」の三つばかりリピート再生してしまい、実際、ここのところ毎日そうしているし、聴きながら廃人同然状態になってしまうので、ちょっとはほかの曲の話もしておかないとね。

『音楽と私』のなかの上記四曲では、次に「くちなしの丘」(辻村康文作詞作曲)が素晴らしい。これはオリジナルからして伊藤ゴローのプロデュースでやった『music & me』収録のものだった。それに比べると新ヴァージョンでは楽器数をグッとおさえてある。生楽器は原田知世自身の弾くクラシカル・ギターだけで、それにほんの少し伊藤ゴローのプログラムが入っているだけ。プログラムといってもピアノなどふつうの鍵盤楽器の音に聴こえるんだけど、どうして生楽器演奏にしなかったのかを想像するに、伊藤ゴローは知世だけの弾き語りで録音したかった、彼女をそれに集中させたかったということかなあ?

そのせいで最新ヴァージョンは、2007年ヴァージョンの「くちなしの丘」よりも落ち着きを増し、歌手の声もおだやかで静かなフィーリングだ。さらにここでもちょっぴりセクシーなハスキー・ウィスパー。原田知世の声ってこんなハスキーなんだっけ(ってまあさほどでもありませんが)?まるで一部の女性ジャズ歌手みたいな発声と歌いかただよなあ、『音楽と私』では。いや、『恋愛小説』のころからそうなっていたかなあ?

『音楽と私』のなかでは「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」も松任谷由実の作詞作曲、松任谷正隆のアレンジで、1983年7月にシングル発売されたもの。これなんかオリジナルとはもうぜんぜん違うもんね。曲そのものが変貌しているとまで言いたいくらい。ちゃんと言うと、松任谷由実の書いたこの曲が、同じくユーミンの筆になるものでありかつ伊藤ゴローが蘇らせた「時をかける少女」同様、もとからそうなるべくしてなるような可能性を秘めていた、つまり曲じたいに大きさ、深さがあったということなんだろう。ソングライターとしてのユーミンってすごいんだなあ(っていまごろこんなこと言うの、間違いなく僕だけだ)。

それでもしかし、いくら曲じたいがもとからそんな深くスケールの大きなものだったとしても、原田知世の成長がなかったらそれは出せなかった、表現しえなかったものじゃないかと思うんだよね。その成長をうながしたのが、(多くのばあい)ソプラノ・サックスを印象的に使う伊藤ゴローのプロデュースとアレンジだったと思うんだよね。 原田知世と伊藤ゴローの世界、本当に素晴らしい。そしてものすごく美しい。どれもこれも恋情を歌ったものだから身に沁みすぎて、僕は嬉しかったり切なかったり哀しかったりして、ウットリ聴き惚れながら泣くしかないんだよね。

2017/12/19

天国にいちばん近い声 〜 原田知世と伊藤ゴローの世界(5)

(五曲目)

あぁ、なんて美しいんだろう。原田知世の2017年最新作『音楽と私』五曲目の「天国にいちばん近い島」。聴いていて、そのあまりの美しさに惚れ惚れしてため息しか出ないので、なにか冷静に書き綴るなんてことは無理だ。だからふだんみたいに落ち着いて分析した論考など絶対に不可能なので、ただただ褒め称えることだけしたい。も〜う、ホント!それくらい美しい音楽だよ、これは。

これも大林宣彦がメガホンをとった角川映画『天国にいちばん近い島』の主題歌だったらしい原田知世の曲「天国にいちばん近い島」。オリジナルのシングル盤は1984年10月発売で、昨日も触れたが、このころの知世80年代シングル・ナンバーを収録したベスト盤みたいなものですら、いまや入手がやや難しめなんだよね。僕がアマゾンで探したときには『シングルコレクション '82~'88』(これの中古しか入手可能なものがなかった)というものに中古プレミア価格が付いていたが、地元のレンタル CD ショップでレンタル落ち品を安価で買うことができた。

だから昨日書いた「時をかける少女」のオリジナル・ヴァージョンも、その『シングルコレクション '82~'88』で聴いているんだけど、これに「天国にいちばん近い島」や、また「ときめきのアクシデント」「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ~」「地下鉄のザジ(Zazie dans le metro)」(は『バースデイ・アルバム』収録が初出だっけ?、とにかく猫の歌)「雨のプラネタリウム」といった、今2017年の新作『音楽と私』で生まれ変わった曲のオリジナル・シングル・ヴァージョンが収録されている。

「天国にいちばん近い島」のオリジナルはこれ。Spotify など正規ネット配信では見つけられなかった。またこれ以外にも、当時のテレビ歌番組に出演して歌ったものが YouTube にたくさんアップロードされているので、興味のあるかたはぜひ。
「天国にいちばん近い島」。歌詞は康珍化、曲は林哲司が書いて、オリジナル・ヴァージョンは萩田光雄がアレンジをやっている。萩田光雄って、以前、太田裕美にかんする文章で名前を出して仕事が素晴らしいと書いたけれど、中森明菜もたくさんやっているし、ホントたくさんいいアレンジを書いている人だよねえ。康珍化もこのころ売れっ子だったので、僕だってこの、なんと読んだらいいのか分らない名前の表記をかなり頻繁に目にしていた。

オリジナルが1984年である「天国にいちばん近い島」も、とうぜん原田知世はまだ10代だったころだけど、昨日書いた「時をかける少女」で聴けるような不安定さや情緒の揺らぎは、この時点ですでにあまりないように思う。これはそれら二つの曲の持つ歌詞の意味合いとか曲のフィーリングとかの差異から来るものなんじゃないかと僕は思う。

こうに違いないと最近考えるようになっていることがあって、それは歌手としての原田知世は、自分のために用意されたオリジナル楽曲や、セルフ・カヴァーの新アレンジや、あるいはほかの人のための楽曲だったものをとりあげるときでも、それらの作者、編者、製作者の意図を汲み取る能力がかなり高い人なんじゃないかと思うってことだ。意図を把握して、それを的確に表現できる能力の持主だろう。僕はまず最初、伊藤ゴローのプロデュース作品で、知世のこの才能を感じたのが、その後、鈴木慶一作品やトーレ・ヨハンソン作品で同じことを感じ、さらにさかのぼると1980年代の角川期でもすでにそうだったと、僕でもようやく分ってきた。

「時をかける少女」は、愛する人を失いたくない、どこにも行かないで、という内容だけど、翌年の「天国にいちばん近い島」は、愛する対象を神だと、そこは天国だとあがめる内容で、ひたすら対象を敬愛し自らを捧げる内容だから、こういったメンタリティの違いで、ヴォーカル表現の違いも発生しているんだろうと僕は思う。音程も後者だとそんな不安定じゃないし、このころからストレートでノン・ヴィブラートでコブシなんかはぜんぜん廻さないやりかただった声の出しかたも歌いかたも、スーッとナチュラルに伸びている。

アイドル(やロックの)ヴォーカルは上手くなくていい下手でいいんだとか、純技巧的に上手いだけが歌(や楽器)の魅力じゃないんだとか、こういったたぐいの話はまた別の機会にまとめてみるつもりでいる。だけれども(特に角川期の)原田知世はアイドルだったかもしれないが、その歌は、純技巧的な意味でも決して下手だとは言えない。下手だと決めつけたいみなさんは、それはそれでいいんじゃないでしょうか。僕は歌を聴いてその瞬間、アッ!と感動しただけだった。

上のほうで Spotify(のアルバムの五曲目)にあるのをご紹介した2017年最新ヴァージョンの「天国にいちばん近い島」は、そんな、一発で聴き手を虜にしてしまうような魔力を持った歌じゃないだろうか。伴奏のサウンドもまたそうだ。アクースティック・ピアノ一台だけ。それを弾くのはジャズ・ピアニストの坪口昌恭。菊地成孔との仕事が有名なのでそのあたりの音楽、特にジャズ・ファンにもお馴染の名前だよね。

新ヴァージョンの「天国にいちばん近い島」では、坪口昌恭が淡々と美しく弾くピアノ一台だけの伴奏に乗って、原田知世がこれより輝いているものはない天上の美を表現している。坪口のピアノ伴奏サウンドも、知世のヴォーカルも、そしてこの独特のエコーの効いた異常に質のいい音響も、なにもかもすべてが美しすぎる。あぁ〜、どうすればいいんだろう?この「天国にいちばん近い島」で聴ける知世のこの声、それでこんな歌詞を歌われるんだから、ホント、僕はどうしたらいいの?「宝石に変え」られたのは、知世さん、あなたの声です。「天国にいちばん近い島」とは、知世さん、あなたのこの歌のことです。知世さん、好きです。

特にワン・フレーズ歌い終わり次に行く前に息を吸う音がすごく生々しくて、セクシーで、そのブレス(息継ぎ)の瞬間に漏れ聴こえるス〜ッっていうかフ〜ッっていう音の、その極上の色気に、僕はもうたまらない。もちろんそこまではっきり録音するようにとのプロデューサー、伊藤ゴローの指示でこんな極上録音になっているわけだけど、う〜ん、こりゃ素晴らしい音だ。天国の声、天国の息遣いだとしか思えない。

原田知世が歌い終わってもしばらく弾くエンディング部で、坪口昌恭がピアノの消音ペダルを踏んでミュートする瞬間のその音まではっきり聴こえる極上録音なんだけど、そのペダルでパッと音が途切れた瞬間に、僕は天国にいた夢から覚めてしまって、とってもとってもつらいんだ。あぁ、どうすればいいんだろう?もう一回聴こう。もう一回夢の続きを見たい。新ヴァージョンの「天国にいちばん近い島」をなんどもなんども聴いて、天国にいる夢を見続けて、そのまま天国のなかで僕は死にたい。

あぁ、なんて美しい音楽なんだ…。

2017/12/18

大人へと脱皮した(時をかける)少女 〜 原田知世と伊藤ゴローの世界(4)

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以前、原田知世「うたかたの恋」のオリジナルとセルフ・カヴァーのことについて書いて、それでブログを更新したというツイートをしたら、すかさずあるかたから、待ってました、次は「天国にいちばん近い島」でお願いします、というリクエストがあって、嬉しかった。ですけれど、僕としてはこっちを先に書きたかったので。いずれにしても更新を心待ちにして読んでくださっているかたがいると分り、僕はこの上なく幸せです。

まず、いまの僕の気分を。できることならば、アルバム一枚丸ごとぜんぶが原田知世のヴォーカルと伊藤ゴローのクラシック・ギターのたった二人だけでやるデュオ作品というものを創ってくれないかなって、そう強く思う。それくらいこのボサ・ノーヴァな「時をかける少女」は素晴らしく美しい。こんなにも美しい音楽って、この世にはなかなかないよなあ。
この「時をかける少女」は、2007年リリースの原田知世のアルバム『music & me』のラストに収録されているものだ。それが初出。その後、今2017年にリリースされたベスト盤『私の音楽 2007-2016』のトップにも再録されているのが効果絶大なんだよね。僕のばあい『music & me』で聴いていたはずなのに、『私の音楽 2007-2016』を鳴らしはじめた瞬間に、あぁ、なんて美しい女性なんだ、とため息をもらしてしまったんだよね。オリジナル・アルバムではラスト、ベスト盤ではトップ。これはかなり強く意図された曲順だよなあ。

「時をかける少女」は1983年の曲で、松任谷由実の作詞作曲。同名の角川映画の主題歌になったオリジナル・ヴァージョンは松任谷正隆のアレンジ。その後、上で書いた2007年『music & me』ヴァージョン以前に二種類のセルフ・カヴァーがあり、また今年リリースの新作『音楽と私』でふたたび再演。それはアレンジも歌も新しいニュー・ヴァージョンだ。

ってことは、いままで CD など公式音源化されている原田知世自身による「時をかける少女」はぜんぶで五つあることになる。五つのうち最初の三つ 〜 オリジナル83年版、新川博アレンジの83年版、後藤次利アレンジの87年版 〜 は、いわばジュヴナイル・ポップスだ。三つとも知世自身10代だったころに歌ったもの。

それらは言ってみれば思春期を表現したようなものの典型みたいなものだった。正直に告白すると、1980年代の僕はそういうのを横目でチラ見してはケッ!とか思ってバカにしていたので(いまでもそういう人たちが多いはず)、リアルタイムでの思い入れはゼロだ。だが、2007年にボサ・ノーヴァ化した「時をかける少女」のあまりの美しさにマジで本心からゾッコン惚れてしまい、それら三つの過去ヴァージョンもぜんぶ買ったのだ。ちょっと苦労しちゃったよ。

原田知世自身が1980年代にやった三種類の「時をかける少女」は、Spotify だと上でご紹介したように一個しかなく、それは後藤次利アレンジの87年ヴァージョンだ。それ以前の二つはとてもよく似ている。ほぼ同じと言ってさしつかえないんじゃないかと思うほどで、二つ目をやった新川博は、オリジナルの松任谷正隆アレンジをほぼ踏襲しているのは間違いないと思う。同じ年だし、あまりイジれなかったということなのか、あるいはいまでは僕もこう考えているのだが、オリジナル・ヴァージョンの完成度が高く、隙がないんだよね。
いずれにしても1980年代の原田知世の「時をかける少女」は、サウンド・アレンジだっていかにも80年代 J ポップスという趣で、嫌いな人は嫌いだろうが、まあ僕もはっきり言うとそんなに好きなサウンドではなかったのだ、ちょっと前までは。ただ、松任谷由実の書いた歌詞と旋律はかなり魅力的。サウンドも声もああだから、当時からのアイドル・ポップス好きのみなさん以外にはイマイチに聴こえるだろうと思う。だけど、知世のジュヴナイル・ヴォイスと不安定な音程が、かえってこの曲の表現する不安感というか、若年女性の感情の揺れをうまく出すことにつながっていて、結果的に大正解なんじゃないかな。思春期特有の不安定な情緒がかなりうまく表現されているよね。

ところがその後年月が経過して(原田知世自身が封印していたらしい)、2007年に伊藤ゴローのアレンジとプロデュースでやった久々の再演ヴァージョンの「時をかける少女」では、ガラリと様子が変化している。伴奏に使われている楽器は、伊藤ゴローの弾くクラシカル・ギター(とのクレジット)と伊藤葉子の鳴らすシェイカーだけ。シェイカーの音量は聴こえにくいような小さなものだから、事実上、ギターとヴォーカルのデュオだと言ってもいい。

聴いてみても分ることなんだけど、アレンジとプロデュースをやった伊藤ゴローは、自身が敬愛するジョアン・ジルベルトの音楽をかなり意識したんじゃないかと思う。これは間違いないと思うんだよね、アレンジもヴォーカル・アドヴァイス(は間違いなくやっているはず)もギターの弾きかたも、それからこの独特の音響も。こだわって録音してミキシングしたに違いない。

イメージが一新された2007年の「時をかける少女」で聴ける歌の主人公は、もちろんもはや少女ではなく中年になった大人の女性。1980年代ヴァージョンで表現していたふらつき揺れる心情も、ここでは安定感をグッと増している。これは歌手自身の実人生での年齢のことを指して言っているのではなく、伊藤ゴローのアレンジが落ち着いたシットリしたもので、それに乗って歌う原田知世の声と歌いかたも、成熟した精神的成長のフィーリングをはっきりと表現しているように思うってことだ。ここで聴きとれる不安感は思春期のものではなく、人類普遍の恋情から来るものだよね。

すると、これの次の2017年最新ヴァージョンの「時をかける少女」は、それも伊藤ゴローがてがけたものだけど、これまたふたたびイメージを刷新していて、シンフォニックなストリングス演奏から入って、リズム伴奏もかなり活発で、原田知世のヴォーカルはさらにもっと落ち着きを増し、それだからこそ楽しくはしゃいでいるようなフィーリングもあって。この最新ヴァージョンはどう聴いたらいんだろう?もはや感情はまったく揺れておらず、不安感も焦燥感もぜんぜんなく、なんだか愉快ですらあるように聴こえるじゃないか。サウンドだけでなく原田知世の声も。

これが人間の成長というものか。

2017/12/17

アフロ・フュージョンのようでいて、あんがいメインストリーム・ジャズっぽい『Sadao Watanabe』

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こっちもアフロ・ジャズ・フュージョン作品に位置付けていいのかもしれない渡辺貞夫さんの1972年作『Sadao Watanabe』。CD では僕のばあい2014年に再発された(のはやっぱり初 CD 化ではない?)ものを持っているのだが、これ、むかしから大好きなんだよね。

でもずっと以前に書いたようにレコードで自宅に持っていた貞夫さんのアルバムは、日本中で一躍ブレイクした『カリフォルニア・シャワー』(ダサいといえばダサいな、このタイトル)と、その次の『モーニング・アイランド』だけ。『Sadao Watanabe』のことを憶えているのは、保守的傾向のジャズ喫茶でも頻繁にかかっていたからだ(昨日書いた『ムバリ・アフリカ』もそう)。そしてジャケットは一度見たら忘れられないデザインじゃないか。

そう、貞夫さんの『Sadao Watanabe』はジャズ保守層にも受け入れられていたんだよね。ジャズ・ジャーナリズムでもかなり高い評価を得ていたように記憶している。いま CD で聴きかえすとむべなるかなと思う。だってこのアルバムは、わりとふつうのジャズっぽいもんね。その上、昨日も触れたが1960年代ジョン・コルトレイン・ミュージックからそのまま流れてきているような音楽に聴こえる部分も大きい。

ジョン・コルトレインが1960年代にやっていた音楽を、電気楽器を使って音を増幅したり歪めたりしてリズムもファンク化すれば、70年代の先端アフロ・ジャズ・ファンクになる、というのが最近の僕の考えだっていうのは、70年代のああいったジャズ系のものを理解するためだけでなく、一時期ひどく文学的に、というか精神論みたいな語られかたばかりがはびこっていた60年代トレイン・ミュージックの真の理解へもつながるものだと、僕は信じている。

だけど、貞夫さんの1972年『Sadao Wanatabe』は、エレキ・ギターで高柳昌行が参加していることを除き(高柳以外のサイド・メン四人は当時のレギュラー・バンド)、バンド・サウンドは電化されていないし、そうでなくたってわりとメインストリームのジャズに近いような内容だよなあ。録音の二年前に初のアフリカ訪問を果たし、たくさん吸収して帰ってきての新作で、アルバム収録の全九曲もスワヒリ語題で…、とかっていうのは、肝心の音を聴くと意外な印象すら持つかもしれないメインストリーム・ジャズだよね。いい意味で。

アルバム一曲目「SASA」は、テンポ・ルパートの男声コーラスの祈りの声みたいなものだけに乗って貞夫さんがアルト・サックスで、これもやっぱり祈りを捧げているかのような演奏を聴かせる。こういうのもアフリカから持ち帰った成果なんだと思うんだけど、こうした、なんというかモーンっていうか敬虔な宗教的詠唱みたいなものは、アメリカのジャズ界にだって前からあるものだ。

それよりも二曲目「MTOTO」でテンポ・インしてからのグルーヴが素晴らしくカッチョエエ〜。ドラムスの倉田在秀もたった一人でポリリズムを叩き出していて、まるでアメリカのエルヴィン・ジョーンズみたいだ。貞夫さんがソプラニーノで熱情的なソロを吹くあいだも、高柳昌行がソニー・シャーロックみたいなフリーキー・トーンをギターで出して貞夫さんにからんでいる。ソロになってからの高柳の演奏はかなりの聴きもの。このアルバムを録音した六人のなかでは、いちばんフリー・ジャズ寄りのスタイルを持つ人だ(伝統的な弾きかたもできる)。

二曲目「MTOTO」ではリズムが本当にファンキーで、しかもワイルドなんだけど、二本の管楽器合奏部も含め、かなり丁寧にアレンジされてもいる。事前の口頭打ち合わせだけではちょっと演奏が難しそうな部分も散見するので、やはり譜面があってのことか、相当なリハーサルを積んだか、あるいは『Sadao Watanabe』を無人のイイノホールで一発録音する前に銀座のジャズ・クラブでライヴをやってそのまま臨んだんだそうだから、かなり練りこまれていたんだと思う。

三曲目「MTELENKO」では貞夫さんはフルートだけど、この曲を録音した1972年当時のウェザー・リポートのサウンドにソックリ。板橋文夫のフェンダー・ローズがいかにもあのころのジョー・ザヴィヌルっぽくて、ベースとドラムスもぐいぐい進むというよりは、泉の水が湧き出ながら一箇所でたたずんでいるかのごときグルーヴを表現しているのがウェザーっぽいんだよね。もしウェイン・ショーターがフルートでも吹いていたら、こりゃ区別不能だ。

四曲目「PORPMOKO LA MAJI」は、1960年代前半ごろのジョン・コルトレインのバンドにもしトロンボーン奏者が参加していたらこうなっただろうという、そのまんまなコルトレイン・スタイルのジャズ演奏で、貞夫さんの吹くソプラニーノも、まるでトレインのソプラノ・サックスだ。板橋文夫のピアノだってかなりのマッコイ・タイナーぶり。まあやっぱりあのへんのトレインの影響力が1972年の日本でもかなり大きかったんだろう。

でも五曲目「KIJIJI」は約三分と短いが、ちょっと従来路線でもないところがあって面白い。それは同じ一定パターンの反復で成り立っているというところ。リズム・セクションもそうだが、トロンボーンの福村博が最初から最後まで短い同一フレーズをただひたすらリピートしている。その上に貞夫さんのフルート・ソロが乗っかるという、ちょっとしたファンク・マナー・ピースなんだよね。アルバム『Sadao Watanabe』でそんなのはこれだけ。

六曲目「BARABARA」は10分近くあってアルバムでは一番の長尺ナンバーだし、貞夫さんも力を入れて、これを聴いてほしいという一曲だったんだろう。リズム・フィールにアフリカンだとかカリビアンだとかいったものは薄いように思うけれど、それでも倉田在秀が複雑なパターンを叩き出しているし、高柳昌行もからみながら貞夫さんがアルト・サックスで表現するのは、かなりの激情。ここまで鮮烈にほとばしっているような貞夫さんは、このあと少なくなっているように僕は思うんだけど、違うかなあ?

福村博の短いトローンボーン・ソロをはさんでの高柳は、まるで空洞ボディのジャズ・ギターでクリーン・トーンを弾くカルロス・サンタナといった趣で、かなりイイよ。そのギター・ソロ終盤から板橋文夫のピアノ・ソロ部あたりでの倉田のドラミングもめっちゃアツイ。

そのアツサは、1960年代(フリー・)ジャズ的なものから来ているんじゃないかと僕は思うんだけどね。貞夫さんがアフリカを意識して作曲し演奏したというのは、音の表層に分りやすくは出現していない。結果的に、あるいはルーツ的には、通底するものがあるわけだけどね、60年代(フリー・)ジャズとアフリカ志向は。だから六曲目「BARABARA」だけじゃなく、アルバム『Sadao Watanabe』にそれを読みとるのは可能だ。たしかにリズムが縦に多層的な重なり合っているところなんかはアフリカ音楽的だし。

アルバム『Sadao Watanabe』は、板橋文夫のピアノ伴奏だけで貞夫さんが淡々と美しくフルート(じゃなくてピッコロみたいな音に聴こえるが、やっぱりフルートだろう)を吹くバラード、なのかなんなのか、とにかく短いがリリカルで美しい八曲目「UPEPO」(いや、マジで素晴らしく綺麗です)をはさみ、ラストの「UMEME」でストレート・アヘッドな4/4拍子のジャズ演奏をやって締めくくられる。これはふつうの1950年代のハード・バップみたいなモダン・ジャズだ。

2017/12/16

慶事!渡辺貞夫のアフリカン・ジャズ傑作ライヴ、再発さる!

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と思い、こりゃ初 CD リイシューじゃないかぁ〜!って喜んで飛びついて速攻で買った2017年11月29日発売の渡辺貞夫さんの二枚組ライヴ盤『ムバリ・アフリカ』。届いて聴いて、うん、やっぱりこれはすごいよねと感動しきりの翌日、あるかた(も貞夫さんファン)にお尋ねして、自分でもネットで調べてみたら、どうやらいままでにも CD 化はされていたみたいだ(^_^;)。しかしそれでも僕が CD で貞夫さんの『ムバリ・アフリカ』を聴いたのは、ついこないだが初なので、やはり記しておかなくちゃね。しかも今回はソニーその他がやっているなんちゃら1000とかいう廉価盤シリーズでの再発なので、買いやすいと思うんだよね。正規ネット配信では聴けないアルバムだし。

貞夫さんの『ムバリ・アフリカ』は1974年9月20日、東京は郵便貯金ホールでのライヴ録音。メンバーは、コンサートの第一部を収録した一枚目が渡辺貞夫(アルト・サックス、ソプラニーノ、フルート、フェンダー・ローズ)、本田竹曠(ピアノ、フェンダー・ローズ)、鈴木勲(ウッド・ベース)、日野元彦(ドラムス)、富樫雅彦(パーカッション)。第二部を収録の二枚目では、この五人にくわえ日野皓正(トランペット、フリューゲル・ホーン)、宮田英夫(テナー・サックス)、渡辺香津美(ギター)、岡沢章(エレクトリック・ベース)が参加している。

『ムバリ・アフリカ』一枚目は1960年代ジョン・コルトレインと1970年代初期ウェザー・リポートを足して二で割ったような音楽で、といっても親指ピアノが使ってあったりして(富樫雅彦だろうか?)面白いんだが、そういうものも60年代コルトレインの延長線上にあると、いまの僕は考えている。コルトレイン・ミュージックをそういうものとして認識する方向に僕は傾いている。

しかし、このアルバム『ムバリ・アフリカ』が本当にすごいことになるのはコンサート第二部を収録した二枚目でだから、人員を拡充した二枚目のことに限定して今日は話をする。全部で計7トラック。そのうち、複数曲?モチーフ?即興?がメドレー形式になっていたり、最後の「TANZANIA E」はアンコールとして、3トラック目でやったのをもう一回やっているものだ。

『ムバリ・アフリカ』二枚目。(1トラック目「TANU SONG」のことは書き忘れてしまいましたので)2トラック目「MASAI SONG / MASAI STEPPE」は、曲題どおりタンザニアの合唱みたいなもの。約11分間のこのトラックでは、途中までパーカッション類以外の楽器は一切使われていない。富樫雅彦と日野元彦だけでなく、おそらくほかの全員も小物打楽器をやって、同時に複数(全員?)が歌っている。しかしアフリカン・ポリフォニーみたいには聴こえず、ふつうのユニゾン合唱だけど、でもこれ、完全即興じゃないかなあ?打楽器と合唱だけでアフリカっぽいものをなにかやろうぜっていう、それしか決めていなかったと思う。
「MASAI SONG / MASAI STEPPE」中盤で本田竹曠がアクースティック・ピアノを弾きはじめるところから「MASAI STEPPE」部になっているということだろうか?三本の管楽器アンサンブルがあって、その後まず日野皓正のトランペット・ソロもめちゃめちゃアツい。こんなヒノテルはなかなか聴けないよなあ。ふつうのジャズ・マナーというよりも、一部のアフリカ音楽的なパッションを僕は感じる。

日野皓正のそんなソロも、直接的には1960年代フリー・ジャズ(っぽいような熱情)から来ているんだと思うけれど、60年代のあんなふうになっていたジャズの指向性がアフリカに向いていたということだから、それであんな具合になっていたということに違いないから、1970年代中盤〜後半以後もっとグッと整理されて聴きやすい明快でポップなアフロ・ジャズ・フュージョンとなる前のこんな貞夫ミュージックも、もちろんそんなものだよなあ。

日野皓正のソロ、二番手でテナー・サックス・ソロを吹く宮田英夫の背後で、日野元彦がかなりのポリリズムを叩き出し、富樫雅彦のパーカッションとあいまって、複雑だがストレートに気持いい(特に元彦のシンバル)グルーヴを産み出している。いやあ、すごいよなあ。1974年の東京で、しかも全員日本人で、こんなことやってたなんてなあ。このあと現在に至るまで、貞夫さんの『ムバリ・アフリカ』二枚目以上のアフリカン・ジャズなんて、ないじゃないか。

3トラック目の「TANZANIA E / FUNKY TANZANIAN」は、アルバム・ラストに同じ曲をやるアンコールの「TANZANIA E」も収録されているが、2トラック目のこれはソロみたいなものがなく、前半「TANZANIA E」部ではホーン・アンサンブルが、なにかの呼び声のように合唱するのをリピートし、その背後で打楽器群が動く。後半の「FUNKY TANZANIAN」部になって貞夫さんのソプラニーノ・ソロも出る。その部分は強靭なアフリカン・ビートで、しかも2トラック目と違ってかなりタイトで鋭く締まっている。ほぼファンク・ビートだ。ソロ部以外は、前半と同じ大地のコールみたいなホーン・アンサンブル。
4トラック目「SABA SABA」が、個人的には貞夫さん『ムバリ・アフリカ』二枚目のクライマックスだ。ここでは一番手で渡辺香津美がギター・ソロを弾くのもカッコいい。バックでホーン・アンサンブルのリフが入るが、それはちょっとギル・エヴァンズのビッグ・バンドのマナーに近い響き。二番手、日野皓正のトランペット・ソロは、ソニー・ロリンズの「セント・トーマス」を引用。そこでハッとだれでも思い当たるはず。カリビアン・ジャズ(・ファンク)だって、アフロ・セントリックなんだもんね。皓正のソロのあいだで富樫雅彦が叩くコンガがポンポン気持よくて最高だ。このカリビアン〜アフロ・ジャズみたいな「SABA SABA」では、香津美と皓正しかソロをとっていない。
5トラック目「HABARI YAKO」は、1970年代後半以後の貞夫フュージョンを予告したみたいな親しみやすいポップなフィーリングで、陽気なアフロ・ジャズ・フュージョンだ。でも打楽器奏者二名、特に日野元彦のドラミング、それもシンバルの使いかたが入り組んでいて、そういうのはその後数年で貞夫さん自身も消して音楽を明快にしていたような部分がある。この4トラック目でのソロは貞夫さんのアルトと本田竹曠のアクースティック・ピアノだけ。本田のソロも快活陽気なフュージョン路線に近づいているが、まだまだアフリカっぽい。
6トラック目「MBALI AFRICA」がそのままアルバム・タイトルになっているわけだけど、このアルバムでの「MBALI AFRICA」は、半分以上がメンバー紹介のための BGM みたいなもので、実際、貞夫さんが一名一名呼び上げて、これで今日のコンサートは終わりですとか言っている。がしかしここでも曲「MBALI AFRICA」の、あの1981年作『オレンジ・エクスプレス』でもアルバム・ラストで再演されたこの名曲の、東アフリカ的なメロディの動きは素晴らしい。まずインプロヴィゼイションから曲がはじまって、 MC が終了したあとでその主旋律が出てくる。いやあ、ホント〜ッに「MBALI AFRICA」のメロディってカッコイイよなあ。それをたった一回だけ演奏して終わる。
7トラック目「ENCORE:TANZANIA E」では、3トラック目でやる同曲よりもグルーヴィになっていて、エレベの岡沢章の弾くリフもはじけてていいし、本田竹曠のフェンダー・ローズもエフェクターを使って音を歪ませてあってカッコイイね。ジャズふうなソロらしいソロはほとんどないが、バンド全体のグルーヴ・オリエンティッドな演奏こそに持味がある。それこそが気持いいんだよね。

2017/12/15

『アマンドラ』ってわりといいじゃん

予告どおり、これも以前の余滴(その二)。正直に告白すると、あのときまで僕はマイルズ・デイヴィスの1989年リリース作『アマンドラ』をそんなにいいとは思っていなかった。1986年のワーナー移籍後では、第一作の『TUTU』がいちばん好きで内容もいいとずっと感じていて、あとは死後リリースになった『ドゥー・バップ』もいいじゃんとか、そんな感じだった。僕のばあい最初から CD で買った『アマンドラ』は、なんだか平凡で地味な作品だなあという印象が続いていたんだよね。

その印象がついこないだひっくり返ったのだった。いちばんいいのは、そのとき(http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/3-81-9723.html)も書いたがリズムだよね。シンセサイザーもたくさん使ってあるし、なんだか軽くてポップなものを敬遠していた時期が長い僕だから、そういうサウンドの表面的な軽さに惑わされて警戒心が働いていたんだろうなあ。

同じマーカス・ミラーとの全面コラボレイションでやった1886年の『TUTU』はもっとずっしり来るというか、あれはベーシック・トラックのだいたいの部分がマーカス一人で創ったものだけど、スタジオ録音の際の晩年のマイルズにとってのバック・バンドとは、すなわちイコール、カラオケ伴奏だったから、あれでオッケーだと僕は思っていて、いろんな楽器奏者がわりとたくさん参加している『アマンドラ』は、かえって面白くないとか、そう感じていたのかなあ?

『アマンドラ』もサウンド創りの基本は『TUTU』と同じだけど、ワーナー移籍後のマイルズにしてはスタジオとライヴとの差が最も小さい作品だ。生楽器奏者がたくさん参加しているせいで生のグルーヴが生まれていることもあるけれど、それはボス自身がバンドでスタジオ録音したかった、作品創りしたかったという願望の現れだったのかもしれない。つまり、まだまだハードなスケジュールをこなしていたライヴ・ツアーのようなフィーリングで、そのまま。

そのままといっても、もちろん基本的にはマーカス・ミラーが一人で曲を考えてサウンドの方向性も決めて、ものによっては一人多重録音でベーシック・トラックも創りなどしている『アマンドラ』だけど、しかし『TUTU』みたいに本当にマーカスとマイルズの二人だけでっていうのが多いというような曲は、『アマンドラ』には実は一個もない。一人、二人なんてもんじゃなく、けっこうたくさんのミュージシャンが、曲によってメンツを替えながら、どんどん参加して演奏している。

最大のものは、当時のレギュラー・バンドのサックス奏者ケニー・ギャレットがかなりたくさん参加してアルトでソロを吹いていることだ。当時のマイルズ・バンドのライヴを現場でも録音でも体験したことのあるかたなら、ケニーのアルトがビッグ・ヴォイスだったことをご存知のはず。ハッキリ言ってしまうと、晩年のマイルズには、もうそんなに大きな体力も残っていなかったし、吹奏技巧も衰えていたしで、ライヴ(全体は長尺のばあいも多かった)ではトランペットをチョロチョロっと吹いてはすぐにケニーのサックスやフルートや、フォーリーのリード・ベース(という名のギター)に長めのソロをやらせていた。

スタジオ作『アマンドラ』だと、フォーリー(は音楽活動で本名は使わない人だから書いちゃダメ)は少ししか参加がないが、ケニー・ギャレットがたくさんアルト・サックスで吹いている。ライヴと違って時間的制約が厳しいから尺は短いが、生演奏のアルトでソロを吹くだけでなく、ボスのトランペットにもどんどんからんでいる。これはマイルズのほうの意向だったみたいだよ。ライヴ・ステージでも自ら吹きながらケニーのところに歩み寄って(81年復帰後から無線電波で音を飛ばす装置を使用)掛け合いでやるように促していた。フォーリーともそうやっていたが、そっちは『アマンドラ』では聴けない。

エレベはぜんぶマーカス・ミラーが弾くけれど、『TUTU』みたいにリズム・トラックのすべてまで自分で創るってことはほぼなくて、「カテンベ」、「コブラ」(はマーカスも参加だが、ジョージ・デュークが主導)、「ジョ・ジョ」の三曲以外は、ぜんぶ生演奏ドラマーが叩いてリズムを創っているのが、いまとなってはかなりいい感じに聴こえる。

なかにはアル・フォスターが叩くものだって一曲だけあるもんね。アルバム・ラストの「ミスター・パストリアス」がそれ。マイルズとジャコ・パストリアスに接点はなかったはずだから、やっぱりマーカスの先輩ベーシストで憧れの存在でもあったからこういう曲名にしてあるんだろう。演奏の中身もなんだかレクイエムみたいなものだしなあ。マーカスは演奏後ボスに、「曲題が気に入らなかったら変えましょうか?」と聞いたらしい。

しかもその「ミスター・パストリアス」は、あとからマーカス・ミラーがキーボード類で音を足してはいるものの、ベーシック・トラックはマイルズ、マーカス、アル・フォスターの三人同時生演奏の即興で収録したものだ。マーカスが4/4拍子のラニング・ベースを弾く部分もある。こういうジャジーな曲調だと、ほかの曲で叩いているオマー・ハキム(はマーカスのお気に入りだったみたい)やリッキー・ウェルマン(は当時のマイルズ・バンド・レギュラー)よりも、アル・フォスターのほうがハマる。なんでもないふつうのジャズだけれどね、この「ミスター・パストリアス」は。みんなイイって言うけれど、ちょっとそれは感傷に流されているかもしれないと思う。

こういうのじゃなくて、また似たようなバラード調の六曲目「アマンドラ」(でピアノを弾くのがジョー・サンプル)でもなくて、だって実際僕にはあまり面白くないからこういうのではなく、以前書いたようにカリブのアフロ・クレオール・ミュージックであるズークっぽくて、隠しテーマとしてアフリカ大陸を見据えているようなグルーヴを持つもののほうがいいんじゃないかなあ。

ってことは全八曲のアルバム『アマンドラ』では、残りの六曲となって、しかし二曲目の「コブラ」はイマイチだ。七曲目の「ジリ」は、演奏でも参加のジョン・ビガムの書いた曲で、これはこれでなかなか面白い。ジョン・ビガムという人はパーカッショニストとしてほんのちょっとだけマイルズ・バンドのライヴ・ツアーに帯同していたこともあって、ブートレグでなら聴けるけれど、基本的にはエレクトロニック・パーカッショニストなんだよね。だからなのかどうなのか、コンピューターや鍵盤シンセなどもやる。

しかも「ジリ」には生演奏ドラマーのリッキー・ウェルマンが参加して叩いている上に、ジョン・ビガムのプログラミングによるドラム・マシンも使われていて、かなり面白いビートなんだよなあ。かなり強くシンコペイトし、リッキーが本領であるゴー・ゴー(ワシントン D.C.の黒人音楽) のパターンを叩きながらも、曲全体のノリはヒップ・ホップ・ジャズを一瞬思わせるところもある。この「ジリ」は、マーカス・ミラーよりもジョン・ビガムが主導権を握っての製作だったかもしれない。

そのほかだと、一曲目「カテンベ」、三曲目「ビッグ・タイム」、四曲目「ハニバル」、五曲目「ジョ・ジョ」となるけれど、以前からみんながいちばん注目するのは「ハニバル」だった。理由は二つあって、一つはこの曲でのマイルズの感情表現の入れ込みようがなんだかずいぶんとディープだし、本当、このころのマイルズにしてはありえないと思うほど演奏に没入しているから。もう一つは最晩年の重要レパートリーとなって、ライヴでは必ず演奏されたからだ。

たしかに四曲目「ハニバル」は素晴らしい。でもだいたいみんなマイルズのことしか言わないけれど、僕はボスだけじゃなくて、アルトのケニー・ギャレットも、そして伴奏も、強いパッションを感じるものだと思うよ。曲じたいがそういうものだと僕には思える。書いたマーカス・ミラーはどうしてこんなパッショネイトな曲を持ってきたんだろうなあ?ここで叩くオマー・ハキムのドラミングもポリリズミックで激しくてイイなあ。ずっと鳴っているスティール・パンみたいなサウンドはマーカスのプログラムなのか、パーカッション担当のポーリニョ・ダ・コスタの生演奏なのか、どっちなんだろう?バンドの演奏するキメもシャープでカッコイイ。

でも「ハニバル」はあからさまに盛り上がりやすい曲だから、まだ分りやすいんだ。だからマイルズもライヴでの定番演奏曲にしたんだろうし。でもアルバム『アマンドラ』だと一曲目の「カテンベ」のほうが、僕にとっては楽しいんだよね。マイルズのソロのあいだに背後で入るエレキ・ギター・カッティング(はマーカスの演奏)と、複数本サックスのリフが入るところがかなり気持いいんだよね。ケニー・ギャレットも参加しているが、たぶんマーカスの吹くソプラノ・サックスと一緒に音を重ねてあるんだろう。

しかし「カテンベ」に専門ドラマーはいない。ドラムスもマーカスの演奏で、ボスを除く演奏メンツもかなり少ない四人。四人というのは、たった三人の上述「ミスター・パストリアス」の次に少ないんだよね。それで「カテンベ」ではこんな面白いグルーヴに仕上がっているわけだから、じゃあやっぱり結局同時生演奏こそで出せるナマのビート感ってなんだったんだ?ってことになってしまって、上のほうで僕自身が書いたことと自家撞着を起こしてしまった。いつもいつも、計画や組み立てなしで書き進むからこうなるんだよね。いやでもホント、「カテンベ」ってカッコイイって思わない?ソロがじゃなくて、リズムとサウンド・アレンジがさ。

2017/12/14

ヴォーカリスト坂本冬美の才覚

先月、坂本冬美の新作『ENKA II ~哀歌~』について書いた。これは一種のフィーリン(キューバ音楽の一種)演歌だとして。
しかしこの文章ではもっぱらアレンジの素晴らしさにフォーカスしていた。ふわ〜っとソフトなフィーリンみたいなサウンドが心地良いのは間違いないけれど、やっぱりいちばんすごいのは坂本冬美のヴォーカルなので、それを書いておかないとね。いくらフィーリン・アレンジがよくたって肝心の歌手がうまくなかったら、音楽として総合的にこんなに素晴らしく聴こえないわけだから。

だから今日はアレンジについてではなく坂本冬美の歌について、『ENKA II ~哀歌~』のことを少し書いてみたい。ヴォーカリストとしての冬美の才覚、優秀性、円熟味みたいな部分について。でもって結局それはつまり、フィーリンふうに抑制の効いたクール・ヴォーカルだってことにやっぱりなってしまうんだけどね。

さて、ちょっと戯れにネット検索してみたが、やるだけ時間のムダだった。坂本冬美の『ENKA II ~哀歌~』について、まだだれも書いていない。僕の書いた文章しか出てこないなんて、ちょっとヘンだなあ。だいたいこのアルバムがリリースされてもう一ヶ月以上が経過しているのに、ほとんど話題になってないってどういうことなんだろう?たしか『ミュージック・マガジン』で宗像明将さんが記事をお書きだったが、それだけなんじゃないかなあ。

宗像明将さんのその記事は坂本冬美本人にインタヴューする内容で、見開き2ページという簡素なものだけど、『ENKA II ~哀歌~』にかんしての冬美本人の発言が読めるし、それとからむ宗像さんの発言も、それから地の文も含め、短くてもポイントはしっかりおさえてある。簡にして要を得たもので素晴らしい。

僕は僕自身の感想を書いておこう。『ENKA II ~哀歌~』で聴ける坂本冬美のヴォーカル表現はさらりアッサリ味で、(いかにも演歌歌手だといった)コブシを廻さず、過剰な感情移入を避け、というかほとんどガッツリは行っていないようなフィーリングでの歌いかたで、一聴した表面的な印象では、かなり淡白なものだと受け取られるかもしれない。

がしかしそこがいいんだよね。どうも演歌の世界がどんどん衰退していっているかのように見えているのは、グリグリとディープにやりすぎるからなんじゃないかと、それも一因なんじゃないかと僕は思っている。発声法や節回しなど、濃厚すぎるフィーリングが、軽めのポップス愛好家のみなさんにとっては <おかしい> <ヘン> なものだと思われて、敬遠されるようになっている部分もあるんじゃないだろうか?

もちろんべつにそんな強く張った発声でヴィブラートをたっぷり効かせコブシを廻しまくるような演歌歌手は時代遅れだとか評価できないなどと言っているのではない。僕自身の個人的趣味だけでなら、むかしからの演歌ファンと同じ気持もあるし、ああいった演歌歌手のみなさんの歌はいまでも大好きだ。

それでも演歌界が今後生き延びるためには、新規ファンを獲得して層を拡大しないといけない。いまのままではある一定年齢以上の日本人が死滅すると同時に演歌界も消滅してしまう。そんな先のことは知らんぞ、俺は俺の趣味の世界に生きるんだというのが大勢の考えかもしれないが、まあまあそこは…、やっぱり面白い世界だし、素晴らしい曲もたくさんあるし、それに前から繰返すように、演歌は(日本の伝統文化なんかじゃない)モダン・ポップスで、ふつうの J-POP との本質的な違いはないんだからさ。だから(一部の愛好家じゃないみなさんにも)聴かれてほしい。僕はやっぱりふつうに存続してほしいんだ、演歌も。

若手演歌歌手なかには新鮮な表現法をとる人もいるのだが、坂本冬美はベテランと呼ばれる部類だろう。むろん冬美は以前から、たとえば八代亜紀もそうなんだが冬美も、たんなる演歌の世界には括れない幅広い活動をしていて、ひろく歌謡曲全般を歌っている。例の『LOVE SONGS』シリーズがそうだ。そのなかにいわゆる演歌のレパートリーは一つもない。ふだん和服を着ている歌手が、それを脱いで洋装に着替えたようなものだった。

そんな洋装での、フレッシュでみずみずしくソフトなフィーリング、アレンジもそういう路線でやって、その上に坂本冬美のふんわりヴォーカル乗せるという試みは、たしかに『LOVE SONGS』シリーズではじまったものだけど、『ENKA II ~哀歌~』ではそれが格段に円熟味を増していて、しかも今回のレパートリーは演歌が多い。ドロドロ濃厚な怨念ソングみたいな曲もとりあげてあんな出来にしているのは、アレンジャー坂本昌之の貢献も大きいが、やっぱり冬美のヴォーカル・スタイルこそがいちばんのポイントだっただろう。

たとえばアルバム二曲目の「骨まで愛して」。曲題だけでも分るようにガッツリ濃厚にグリグリ行きたいものだけど、そこを坂本冬美はグッと気持をおさえて、つまりこらえて、感情移入しすぎずサラリと歌って、かといってしかしドライになりすぎない情緒をしっかり残している。アレンジもいいのだが、冬美のヴォーカル表現がきわめて絶妙なバランスの上で成立し、美を放っているんだよね。アッサリ味だけど、だからこそかえって「骨まで愛してほしいのよ」という歌詞の意味と感情がより一層ディープに伝わってくるような、素晴らしい絶品ヴォーカルじゃないか。

一曲目「雨の慕情」、三曲目「酒よ」、五曲目「おもいで酒」、七曲目「アカシアの雨がやむとき」、そしてちょっとニュアンスが違うものの僕は好きな九曲目「圭子の夢は夜ひらく」などでは、そんな坂本冬美の、いわば新境地に達した円熟味のあるヴォーカルをたっぷり味わうことができる。円熟も円熟、これは完璧に老練な(失礼!)大人の女の世界だ。

『ENKA II ~哀歌~』で、ここまで書いてきたような曲群での坂本冬美の絶妙きわまりない情感の抑えかた、というか軽さ、さりげなさ、は格別の味わいだ。ちょっと聴いた感じの第一印象では、ガッツリ行った歌を聴きたい演歌ファンのみなさんには物足りなく感じるものかもしれないが、こうやって感情を表面的にぶつけすぎない表現のほうが本当は深くて、本当は濃厚なフィーリングをなかに秘めたようなもので、内なる炎のゆらめきをしっかり感じとることができるものなんじゃないかな。

純技巧的に聴いても、一つだけ書いておくと、音程のコントロールだってマジ100%完璧なんだよね。たとえば「おもいで酒」の「おもいで酒に、酔うばかり」。ここの「ばかり」は「ばぁ〜かぁ〜りぃ〜」となるんだけど、そこの部分はかなり細かい音程の動きかたで、正確にピッチをヒットしながら廻すのが難しい。実際、どんなうまい歌手も少し外していて、みんななんとなくやりすごしている。ところが『ENKA II ~哀歌~』での坂本冬美はまったくズレがなく完璧。

いやあ、本当に素晴らしいよねえ。こんな歌手に成長したなんて。坂本冬美。いま、日本中を見渡しても、こんな歌いかたができる演歌歌手って、いやいや、いろんな種類の音楽のぜんぶの歌手のなかでも、だれかほかにいるのだろうか?

2017/12/13

師走はさすがに忙しい 〜 坂田明を礼賛す

謎なのは渡辺香津美がどうして坂田明を使わずにデイヴィッド・サンボーンにしたのか?ってことだ。主役を持っていかれてしまうと危惧した、ということしか考えられる理由はない。つまりそれだけ坂田を畏れた、あるいはサンボーンなら大丈夫だろうと軽く見た、というと言いすぎかもしれないが、あの1985年『MOBO SPLASH』での「師走はさすがに忙しい」(US リリース時の英題が ‘Busiest Night’) は、僕にとってはイマイチ。

それくらい前1984年のライヴ・ヴァージョン「師走はさすがに忙しい」での坂田明がもんのすごかったんだよね。いちばん上でリンクを貼った YouTube 音源で、ぜひみなさんも聴いてほしい。説明文に書いてあるように、これは山下洋輔が主役のリサイタルからの一曲で、ラジオ番組『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』からのエア・チェック・テープをもとに、自分でデジタライズした。

残念なのはエレベ奏者がだれなのかがいくら調べてても分らないこと。あの日の深夜の FM 東京のその番組でも演奏者名は言わなかったように記憶している。判明しているメンツは、テープに残されている山下洋輔のステージ上での紹介の声から聴きとっているだけなんだよね。このラジオ番組にかんしては、詳しい情報を記したところがネットにあるのにパーソネルだけ記載がないのは、そのせいだと思う。1984年というのだって放送年がそうだから録音年もそうだと自分で判断しているだけだ。あの『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』で流れる貞夫さんのやほかの人のライヴ音源は、ぜんぶ収録してあまり間をおかずに放送していたので、そうなんだろうと。

「師走はさすがに忙しい」は、もちろん渡辺香津美の曲。正式スタジオ録音が上述の『MOBO SPLASH』に収録されているわけだけど、その前の年に山下洋輔主宰のリサイタルで、香津美自身もギターで参加してライヴで披露したんだよね。もちろん山下がピアノ、ドラムスは村上ポンタ秀一で、エレベはホントだれなんだ?演奏を聴いてもエレベは完全に100%脇役の堅実地味な弾きかただから、分らなくてもさしつかえないような気もするけれど。五人とも健在だから(ってベース奏者は知りませんが)、お尋ねすれば憶えていらっしゃるんじゃないかなあ。僕が直接聞けるチャンスはないと思う。

渡辺香津美1985年『MOBO SPLASH』ヴァージョンの「師走はさすがに忙しい」をほとんど憶えていないので、その前年の山下洋輔クインテットのこのライヴ・ヴァージョンの話しかできないが、勘弁してほしい。香津美の書いたテーマは、グルグル廻るようなギター・リフから入って、そのまま主旋律になって、それはいかにも12月の年の瀬で忙しいというようなフィーリング。このころ香津美はたしかスタインバーガーのギターを使っていたんじゃないかなあ?記憶違いかもしれない。

サビ部分から坂田明のサックスも鮮明な音で合奏で参加。その後ブリッジ部分みたいな反復があったのち、パッとリズムが止まって香津美のギターが独りで静かにたたずむパートが来る。この動/静のコントラストは、そのまま山下洋輔、渡辺香津美、坂田と三人のソロでも使われている。というかはっきり言うと、リズム・セクションがぜんぜん伴奏しないその<静>部分での無伴奏ソロのほうが、どっちかというと聴きものなんじゃないかなあ。

リズムはまあその〜、村上ポンタ秀一がシモンズ・ドラムスを叩いているのが、いかにも1980年代というチープな感じで、シモンズ・ドラムスってあのころみんな使っていたけれど、いま聴くとこりゃちょっとどうにもなあ…。ポンタもこの日のリサイタルで「師走はさすがに忙しい」の前にやったデューク・エリントン・ナンバー「コットン・テイル」(はテナー・サックスが松本英彦、ウッド・ベースが吉野弘志だと山下洋輔が紹介しているカルテット編成)では、ふつうのドラム・セットを叩いているから、「師走はさすがに忙しい」は、たぶん1984年の時代の最先端サウンドにしたいということで、渡辺香津美の出したアイデアでシモンズ・ドラムスを叩いたのか?あるいはポンタ自身の意向だったのか?

時代の最先端サウンドといっても、山下洋輔、坂田明の二名の演奏は、むかし森山威男とのトリオで活動していた1970年代前半となんら変化がない。そんでもって、時代の先端流行サウンドを追った渡辺香津美の1985年作『MOBO SPLASH』ヴァージョンの「師走はさすがに忙しい」をはるかに凌駕しているんだから、だから、音楽の進化??ってなんなのさ〜?変化してつまらなくなるだけだったら、そんなものいらないでしょ〜。

このライヴでの「師走はさすがに忙しい」では、まず一番手の山下洋輔のピアノ・ソロからすでに素晴らしく、かなり活躍しているよね。特に 2:17 〜 2:21 でのリズミカルなワン・ノート反復や、そのあとでの、やはりあいかわらずの不協和で不穏なブロック・コード連打など、聴きどころは多い。<静>パートのピアノ独奏になると、バラード調で美しくリリカルに弾いている。最後に一発ブロック・コードをゴ〜ンとやっておしまい。しかも曲の演奏での山下は、伴奏に廻っているときの貢献度だって大きい。

二番手、渡辺香津美のギター・ソロは、いかにもこの時代の彼らしい音色のつくりかたとその変化のさせかた(エフェクターを使ってなんどもチェンジしているよね)で、フレイジングも予測不能な突拍子もなさ。後半部の伴奏リフを坂田明が入れている。<静>パートのギター独奏で、またふたたび音色をチェンジ。ファンシーなサウンドでディズニー・ソング「星に願いを」の一節を弾いたかと思うと、次の瞬間にまた音色をかえてレッド・ツェッペリンの「ハートブレイカー」を引用する。

問題は、ではなくてこのライヴの「師走はさすがに忙しい」での最大の聴きものは、その次に入ってくる坂田明のアルト・サックス・ソロだ。伴奏陣のパターン・チェンジなどそのほか委細かまわず、坂田自身の信ずる道をただひたすらに突っ走っている。アトーナルなフリーキー・トーンの連発で、バンドのリズム、和音構成などかまわずに吹きたいことを吹くという、真の意味でのフリー・ジャズ演奏だ。終盤で一瞬、山下洋輔のピアノの音が大きくなりすぎてサックスの音が聴こえなくなるが、山下はすぐに気づいて、即、修正。

そのあと例によっての<静>パートの無伴奏アルト・ソロになると、坂田明のアルト・サックスのあまりの美しさに息を飲み、聴き惚れちゃうよなあ。ところどころ米ブラック・ミュージック・ルーツに立ち返ったような吹きかたをするのも僕は大好きだ。フリーキー・パートも含め、フリー・ジャズにおけるパッションの表現とはこうやるもんだという、まるで教科書のようなサックス吹奏だ。最終テーマを合奏し曲全体の演奏が終了すると、思わずドラムスの村上ポンタ秀一が興奮しスティックを鳴らして賞賛。リーダーの山下洋輔も感極まったような声で「坂田明でした!坂田明!!」と叫んでいる。

そりゃあそうだよ〜。渡辺香津美が坂田明を使わずデイヴィッド・サンボーンにした気持が、ほんのちょっとだけ分ってきたような、そうでもないような…。

2017/12/12

ほのかな望みもなく 〜 ボビー・ハケット

ボビー・ハケットはジャズ・コルネット奏者。トランペットは吹かなかったはずだ。ハケットのアイドルだったビックス・バイダーベックもコルネット。そしてザ・マスター・オヴ・マスターズのルイ・アームストロングもコルネットを吹いた場合が多い。でもこのコルネット/トランペットの区別にこだわるのにあんまり意味はないと思う。これはコルネット、これはトランペットとクレジットされているものをジックリ聴き比べても、僕には音の違いがゼロだもんね。サッチモだってこの二つの違いを問われて、「ケースに入れたときの隙間がどれだけできるかの違いだけ、ホントにそれだけなんだよ」と言っていた。

でもアメリカのジャズ界では、ある時期以後コルネットというクレジットは見かけなくなったよなあ。戦前ジャズの世界にはあんなにたくさんいたのに不思議だ。音が同じだから、各種の理由(たとえば修理の際扱ってもらいやすいとかってあるのかなあ?)でかどうか分らないが、トランペット・オンリーにシフトしたのだろうか?でもたとえばブラジルのショーロ界だと、いまでもコルネット奏者がいるよねえ。このへん、考えてみたら面白いのかもしれないが、僕はやりません。

ボビー・ハケットのばあい、ある時期以後西海岸に移住してイージー・リスニング・ミュージックをどんどん手がけるようになって以後のほうが、経済的には安定したはず。そんな時代でもときどきジャズを演奏することがあったそうで、一度だけジャズ・マンとして来日もしている。つまり日本でもある世代以上にはそれくらい人気だったんだよね。いまやだれも話題にしないし、僕も思い入れがある世代じゃないないのに、どうしてだかボビー・ハケット、大好きなんだなあ。

でもって今日もこれまたエピック・イン・ジャズのシリーズ(ぜんぶ猫ジャケ)からボビー・ハケット名義の『ザ・ハケット・ホーン』のことを書いておこう。このジャズ・コルネット奏者が注目されるようになったのは、例の1938年ベニー・グッドマン楽団のカーネギー・ホール・コンサートに出演し、ビックス・バイダーベックの役割で「アイム・カミング・ヴァージニア」を吹いたあたりからじゃないかなあ。ハケット自身のリーダー名義録音がはじまるのがちょうどその38年からだから。

その後、ルイ・アームストロングの例の1947年タウン・ホール・コンサートに出演したあたりが、ボビー・ハケットのジャズ・コルネット奏者としてのピークだったのかもしれない。もっとも僕自身はもう少しあと、1950年録音のリー・ワイリー『ナイト・イン・マンハッタン』での、えもいわれぬ情緒をかもしだすあのハケットのコルネットが素晴らしく聴こえ、この女性歌手のヴォーカルにオブリガートでからんだりソロを吹いたりしているのではじめて名前と演奏を知ったんだった。それで大好きになったんだよね、このコルネット奏者と女性歌手のことが。大学生になった最初のころの話だ。やっぱりシティ・ポップスが好きなんだよなあ、僕は。

そのリー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』で僕がいちばん好きなのが A 面二曲目の「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」と三曲目の「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」。歌手もいいが、ボビー・ハケットのコルネットが、も〜う、絶品だ。どういう曲なのか、歌詞内容を考え込むといまの僕にはとってもつらい、というか真に迫りすぎてしまうので、音源だけご紹介しておく。ハケットのコルネットは、リー・ワイリーの歌う歌詞内容をしっかり踏まえたからみかたとソロの吹きかただ。あぁ〜、マジでヤバいなあ…。特に「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」がとってもダメだ。
ボビー・ハケット名義のエピック盤『ザ・ハケット・ホーン』にも「ア・ゴースト・オヴ・ア・チャンス」がある。現行CD だと六曲目。いちばん上でリンクを貼った Spotify のアルバムは、まだ全12曲だった時代のものをベースにしてあるので四曲目になっている。だからご存知ないかたのため、『ザ・ハケット・ホーン』現行 CD のコンテンツを以下に記しておこう。

1 At The Jazz Band Ball
2 That Da-Da Strain
3 Jammin' The Waltz
4 Clementine
5 Blue And Disillusioned
6 (I Don't Stand) A Ghost Of A Chance With You
7 Poor Butterfly
8 Doin' The New Low-Down
9 That's How Dreams Should End
10 Ain't Misbehavin'
11 Sunrise Serenade
12 Embraceable You
13 Bugle Call Rag
14 Ja-Da
15 Clarinet Marmalade
16 Singin' The Blues (Till My Daddy Comes Home)

録音年月日とパーソネルの細かいことは、一曲ごとにかなり食い違っていて、それはいろんなセッションからの寄せ集めアルバムだからだ。エピック・イン・ジャズのシリーズはどれもぜんぶそうなんだよね。つまり第二次大戦後になって、しかも記録音楽販売メディアの主流が LP レコードに移行したのちに、戦前の(コロンビア系録音の)ジャズってこんな感じだったんですよ〜ってことで編まれた、言ってみればお手軽入門アンソロジーのシリーズだってこと。『ザ・ハケット・ホーン』のレコード発売は1956年だった。

でもそんなお手軽紹介盤だったからといってバカにしないでほしい。いわゆるアルバムの単位ではエピック・イン・ジャズのシリーズでしか聴けなかった SP 音源も多いし、それは実を言うといまだにそういう部分がかなりある。だからファンは聴いておかないとね。裏返せば、親会社コロンビア、というかソニーか、がいまだにいかに古典復刻に不熱心かということをも物語っている。

『ザ・ハケット・ホーン』もそんな一枚なので、一曲づつぜんぶのデータを記すのが難儀なので、それは今日はやめておく。いちおう録音は1938年2月16日から1940年2月1日までで、ぜんぶがヴォキャリオン原盤。コルネットのボビー・ハケット以外の演奏メンツは、有名どころだけ書いておくと、たとえばクラリネットのピー・ウィー・ラッセル(1、2、5、12曲目)、ピアノのジョー・ブシュキン(3、4曲目)、そしてこいつこそ大物、ギターのエディ・コンドン(1、2、5、12曲目)。彼ら以外のミュージシャンは、無知な僕にはいまいちピンとこないので〜(^_^;)。

Spotify にあるのでも、また CD でお持ちのかたはそれでお聴きになって分るように、『ザ・ハケット・ホーン』はジャズ・コンボ編成のものとビッグ・バンド編成のものが入り混じっているので、サウンドの統一感みたいなものは薄い。しかも全体的にホットでシリアスというよりも、スウィートでムーディだよね。でもこれ、ボビー・ハケットがそんな資質のジャズ・マンだったからということ以上に、そもそもあのころのジャズの多くは雰囲気最重視の BGM であって、ダンスの伴奏に使ったり、どこかで流し聴きしたりで、みんなそれで楽しんでいたんだよね。

かのサッチモだって、またあるいはあんなに上昇、芸術志向が強かったデューク・エリントンの音楽でさえ、そうだったんだよね。こんなところも、大層な芸術品として崇め奉られるようになったモダン・ジャズ以後のものこそが「ジャズ」だとお考えのリスナーのみなさんには受けが悪い要素なんだろうと想像する。フリー・ジャズなんかの熱心な聴き手だったら、たとえば今日話題にしたボビー・ハケットなんかに一瞥もくれないはず。

僕のばあい、ビ・バップとかフリー・ジャズみたいな真剣勝負の世界も大好きだけど(ハード・バップはやっぱりムード重視じゃないの?)、そのいっぽうで、たとえば『ザ・ハケット・ホーン』で聴ける音楽とか、あるいはその主役コルネット奏者が参加したリー・ワイリーのアルバムとかの、あんなふうに甘くてソフトで雰囲気だけみたいなジャズ(じゃない?)だってかなり好きだなあ。

あと、これは上のほうでベニー・グッドマン関連で匂わせたから書かなくていいと思ったんだけどいちおう触れておくと、『ザ・ハケット・ホーン』でも聴けるボビー・ハケットのコルネット・スタイルを一言で指摘すると、<ニュー・ビックス・バイダーベック>。もうこれに尽きる。ハケットはビックスのイミテイターなんだよね。といってもいまの21世紀、サッチモですらほとんどだれも語らないのに、ビックスの模倣者だと言ってみたところで、そのビックスがぜんぜん聴かれていないのかもしれないから、伝わっていかないかもしれないが。

2015年9月3日に音楽ブログをはじめて(これもアナクロだが)、それでもってサッチモその他の、1920〜30年代末のジャズ録音のことをこれだけ熱心に書いている僕って、たんなる奇特なヤツってことなんだろうか?まあいいや、それでも、だれにも振り返ってもらえなくたって、今後も僕は僕なりの愛情を綴っていく。つまり “A Ghost of A Chance” 。

2017/12/11

ハウリン・ウルフにはどうしてこんなにラテン・ブルーズが多いのか?





という文章を書こうと思いハウリン・ウルフをよくよく聴きかえしてみたら、あんがいそうでもないなあ。だから「ウルフはラテン・ブルーズばっかり」、とまではさすがに思っていなかったが、なんだか多いぞという僕のこの印象は間違っていた。なんとなくイメージが強いとか、あるいはなんらかの偏った見方、つまり僕がラテン好きだというこの嗜好が色眼鏡になっていただけなんだろう。

といっても今回僕が聴きかえしたのは、単独盤での三枚だけ(うち、一枚は2in1)。そんでもって告白すると、単独盤 CD で持っているハウリン・ウルフは、UK ロック勢とセッションした例の『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』(は通常盤もデラックス盤も持っている)を除くと、英 ace がリリースした初期音源集の『シングズ・ザ・ブルーズ』と、あとはチェス原盤の MCA 盤『ハウリン・ウルフ』『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』の2in1で一枚、『ザ・リアル・フォーク・ブルーズ』と、たったこれだけの計三枚。

あとは復刻専門の英 Charly がリリースした、権利関係ちょっとヤバめ?のチェス録音全集 CD 七枚組を持ってはいるが、あまりふだんからどんどん聴くというものじゃないよなあ。今回もほとんど聴きかえさなかった。それは『ザ・コンプリート・レコーディングズ 1951 - 1969』だから、69年以後のチェス録音はもちろんない。今回も聴きかえさなかったに等しいのであまり言えないが、しかし附属のディスコグラフィが完璧だから、そこはじっくり読みかえした。

というわけで三枚『シングズ・ザ・ブルーズ』『ハウリン・ウルフ+モーニン・イン・ザ・ムーンライト』『ザ・リアル・フォーク・ブルーズ』で聴くと、ハウリン・ウルフのラテン調ブルーズって、まず最初の一枚にはぜんぜんなく、二枚目に五曲、三枚目に四曲と、たったこれだけとはいえ、いちおうあったから、それを入れたプレイリストを Spotify で作っておいたのが、この文章いちばん上のリンクだ。録音順に並べたので、その年月日だけ以下に記しておく。

1. Evil (1954/5/25)
2. Forty Four (ibid)
3. Who's Been Talkin' (1956/1)
4. Shake For Me (1961/6)
5. Down In The Bottom (1961/5)
6. Three Hundred Pounds Of Joy (1963/8/14)
7. Killing Floor (1964/8)
8. Ooh Baby, Hold Me (1965/4/15)

しかしたったの八曲かぁ〜。これが多いのか少ないのかなんとも言えないが、もっと多いと勝手に思い込んでいた。とはいえハウリン・ウルフにラテン・ブルーズの印象が強いのは、僕のばあいは間違いないことだった。最大の理由は、やっぱり「キリング・フロア」と「フーズ・ビン・トーキン」だろうなあ。この二曲も UK ブルーズ・ロッカー連中がよくやるものだからね。ラテン臭をデオドラントしてあることもあるけれど、曲じたいに馴染み、聞き憶えがあった僕は、ウルフのレコードを買ってもそれらを中心に熱心に聴いていた。あとは「ザ・レッド・ルースター」とか「アイ・エイント・スーパースティシャス」とか「シティング・オン・トップ・オヴ・ザ・ワールド」とか、そのへんだよなあ。よ〜くお分りでしょう、みなさん。ブルーズ・ロック好きのかたがたならば、かなり共感していただけるはず。

ってことはしかしラテン・ブルーズだけってわけがないし、ハウリン・ウルフのオリジナルはラテン調でも、たとえばレッド・ツッェペリンの「ザ・レモン・ソング」(『II』)みたいにキレイにそれを消してあったりもするしで、じゃあウルフのレコード買って聴くようになって、どうしてラテン・ブルーズの人だという思い込みが発生したのか、ますますわかんなくなっちゃった…。

たんにこういうことかなあ。アメリカ黒人ブルーズの世界だってラテン調がはっきりあるわけで、最近この思いがどんどん強くなってきている「すべてのアメリカ音楽とはラテン音楽の一種である」という事実がハウリン・ウルフのブルーズにもあるってだけの話なんだろうなあ。日本では油井正一さんの言葉で有名化している「ジャズはラテン音楽の一種」だという説を僕なりに敷衍、拡大してみたのと、それからここ数ヶ月の僕の文章で、もはやみなさんお気づきでしょう、僕は北米合衆国のいろんな音楽に中南米要素を見出すことばかりするようになっている。自認しているのは、これは僕の思い込み、偏向というよりも、アメリカ音楽の(一面の)真実だ。

どんどんそんな方向へ傾いているので、そのうちそれを大きく発展させられたらなあ。でも死ぬまでにできるのか…、僕は…、「アメリカ音楽とは、これすなわちラテン音楽」説の開陳を。僕だってもうあと30年もしたらこの世から消滅すると思うんだけど(つまりあとそのくらいはしぶとく生きるつもりで、生きているあいだは前を向いて進みたい)、でもあと10年か15年でなんとかしないといけないのかもなあ。インターネットとかブログとかって10〜15年後もまだあるかなあ。

どうでもいい話だった。ハウリン・ウルフのラテン・ブルーズ。印象が強いのは確かだ。僕だけの思い込みかもしれないが、面白いと思うよ。だってさ、ウルフと同世代で、やはり南部出身で、同じころのシカゴで活躍し、同じチェス・レーベルに録音したもう一人の大物ブルーズ・マン、マディ・ウォーターズに、こんな感じのラテン・ブルーズはあまりないもんね。マディとウルフを二大巨頭としてとらえたら、やっぱりウルフはラテン・ブルーズの人だっていうことになるんじゃないの〜?

でもここはみなさんあまり言っていない。僕の持つ、いまや数少ない紙情報と、膨大にある電子情報を、英日両語でササっと読みあさってみたが、だれひとりとしてハウリン・ウルフのブルーズにあるラテン・リズムに触れてすらもいない。だいたいみんな、あのダミ声でのうなり節と、それからみんなが異口同音に「野蛮だ」「野生的だ」「荒々しい」と言っているが…。ウルフのブルーズがそういう印象になるのは、大変によく理解できるものではあるけれども。

いちばん上でご紹介した Spotify のプレイリストでぜひ聴いていただきたい。1950年代半ば前後から、それも3・2クラーベ、いわゆるボ・ディドリー・ビートではない、もっと複雑にシンコペイトするラテン・ブルーズをやったブルーズ・マンって、ハウリン・ウルフだけじゃないの?ほかにいますか?ちょうどロックンロールが全米で爆発せんとする前夜あたりのことだ。

以前から、たとえばビッグ・ママ・ソーントンの記事でも書いたし、ほかにいくつもあるのだが、ロック以前にそれの母胎となったアメリカ黒人音楽には鮮明に跳ねるラテン・ビートがあった。ただ、アメリカの1950年代半ば以後のロッカーでも、あるいは1960年代以後のイギリスのロック音楽家たちでも、すぐには米黒人ブルーズやリズム&ブルーズにあるラテン要素をそのまま色濃くは反映させなかったかもしれない。だが徐々に確実にしみだしてきているじゃないか。

ロッカーたち、特に1960年代にデビューした UK ブルーズ・ロック連中にとっては、ハウリン・ウルフは最大のお手本だったんだもんね。もちろん上でご紹介したようなウルフのブルーズにあるようなラテン・フィーリングの面白さ、特にドラマーが表現するシンコペイションにはぜんぜん匹敵できていないけれどもさ。むしろ同じ米シカゴの後輩、オーティス・ラッシュあたりのラテン・ブルーズに直接流れているのかもしれないね。

プレイリストでは、四曲目の「シェイク・フォー・ミー」と、それからやっぱり七曲目の「キリング・フロア」が最高に楽しいよなあ。シンバルとスネアのリム・ショットでチャカチャカかやっているのは、だれあろうサム・レイだ。あっ!そういえば彼が叩いていたころの初期ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドには、鮮明なラテン調があったような気がする。さぁ、聴きなおそうっと。

2017/12/10

メンドくせえやつら(っていう僕がいちばんメンドくさい)

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戦前の古いものはダメ、ビッグ・バンドものはダメ、ウィズ・ストリングスものはダメ、ヴォーカルものはダメ、甘いものもダメなら、ラテンやファンクやロックなどほかの音楽と合体してもやはりダメ。ジャズ・ファンでこんなことを言う連中こそ、音楽愛好世界では最もメンドくさいやつらだ。近づきたくないのだが、そうもいかない。書いたようなものには理解を示さないとしても、それ以外のことではかなり面白いし信用できるし貴重な情報源だし。

だからケース・バイ・ケースでというか是々非々でというか、これらの人たちはこうこうこうなのだと決めつけず、仲間だ味方だ/敵だみたいな党派的な発想を持たず、個々の発言に一つ一つ個別に対応していけばいいと思う。だけど、やっぱりジャズ愛好の世界はチョ〜メンドくせえ。ほかのいろんな音楽リスナーのみなさんを見ていると、ここまで偏狭なオヤジ連中が跋扈する世界はジャズ・ファン界だけだ。しょうがないよなあ。

今日書きたいと思っていることは、以前も二度ほど書いたことの繰返しだ。

一度は「ジャズ進化幻想」の回で書き、
もう一度は「ジャズ・ファンは内ゲバも外ゲバもやめろ」の題で書いた。
また同じことを言わなくちゃいけないのだが、しつこく繰返し書き続けるしかないんだよね。上の二つの記事で僕の考えはだいたい全部書いたので、今日は手短にやろう。

ジャズ・ファンの大半は戦前の古い録音を聴くのを「お勉強」だとしか思っておらず、そうではなく面白いから聴くというかたでも、ほぼ100%近くが「現代性」を獲得できているかどうかという視点でしかものを言わない。いまの時代、21世紀の新しい音楽の潮流にどうつながっているか、こうこうこんな具合につながっている、新しい章への流れがある、だから古いものもこういう具合に聴くと面白いとか、そんなことしか言っていない。あくまで「現代」の真っ只中に身を置いて古い音楽も語っている。

がしかし、この視点「しかない」っていうのは僕に言わせればちょっとどうかと思うんだ。ひょっとしてあるいは僕だけの考えかたかもしれないが、録音もスタイルも古い戦前のジャズに「現代性」なんか、これっぽっちも求めていないんだよね。それがないと面白く聴こえないってことだろ〜?みんな〜?そうじゃないと21世紀に聴く価値はゼロだとか、思ってない?絶対にそう思っているよね。

そうじゃあないんだ。古かろうが新しかろうが、音楽はそれじたいに意味があってそれじたいが自立して美しく輝いているのであって、だからそれは不変・普遍性ってことだけど、それは新しさとかいうものとはちょっと違う。現代への連続とかいうことでもない。時代をいくら重ねても美しさが変化しないという意味ではたしかにコンテンポラリーな意味を持つものだろうけれど、たとえば1917年のジャズの史上初録音を、その時代に寄り添わず、あくまで2017年の「いま」にどうつながっているか、100年の連続性とはなにか?という視点でしか語らないのは、僕に言わせればヘンなんだよね。

そう、いま書いたように、僕は古い音楽のその録音当時の時代にピッタリそのまま寄り添いたいんだ。できうれば仮想的にメンタル面だけでもタイムスリップせんばかりの気分で、古い音楽も聴いている。21世紀の音楽は、いま僕も生きている時代だから特にその必要がないだけだ。たとえばルイ・アームストロングが活躍した1920年代の米シカゴのウェスト・サイドを、気分的になんとなく、リアルタイムで歩いて呼吸している雰囲気に、内心、ひたって、たとえば「ポテト・ヘッド・ブルーズ」(1927)だって僕は聴くんだぞ。

だから古い録音のジャズを聴くさいの僕には、現代性、現代的視点なんてまったく必要ない。そんなもの、これぽっちもいらない。ただただそのレコード(の音源をCD リイシューしたもの)で流れてくる音の、ただその音だけの、つまりスピーカーが起こす空気の振動に身をゆだね、それを1920年代の蓄音機で当時のリスナーが聴いていたであろうと想像する気分で、その時代の空気にそのまま寄り添って、僕はその音楽美を味わいたい。現代性とか、おかしなこと、言わないでよ。

みなさんここまでお読みになってすでにお分りのように、今日の僕のこの文章は、今2017年がジャズ録音開始以後ぴったり100周年にあたるので、年末に向けてそれ関係の文章がちょっと出てきているそれらを読んで、こりゃアカン!と思ったところから来ている。唯一、あの時代の空気感、あるいは皮膚感覚に寄り添わんとする気持を示していたのは、『ERIS』20号の瀬川昌久さんだけだった。ほかに一個も見当たらないのは世代のせいなのか?瀬川さんらの世代は、失礼ながら、ご存命でご活躍中のかたが少ない。あるいは若輩55歳にしてこんなことを言う僕の時代感覚が狂っているだけなのか?

ちょっと違うことも書いておこう。最初に書いたもののうち、多ジャンルとの融合はダメという面と、甘さとストリングスものがダメという面。これは実のところ一体化しているものなんだよね。え〜っと、しかし他ジャンルとの融合はダメだっていうピュアリズムは、そんなかたがたが愛好している<純な単一種の>音楽が、もとから混血種だということに気が付いていないだけだよね。多文化的混交のもとでしかポピュラー・ミュージックは誕生しないんじゃないの?

音楽ピュアリストはどこの国にでも、どんな種類の音楽愛好世界にも存在する。いまの日本で、そして世界的に見ても、「異」「他」をどんどん排除しようという動きが活発化しているように見えているのと、これはまったく無関係なことだろうか?音楽純粋主義者はおおむかしからいるものだから、いまのこの時代の不寛容さとは必ずしも縁はないものかもしれない。でもなんだか、僕はちょっと陰鬱な気分だ。あれもダメ、これもダメってさ。中国人や朝鮮半島人は出ていけ!と声高に叫んだり、嫌悪感を露骨にぶつけて、ちょっとでも反論するとたちまち「反日」かとか、あるいはアンタは中国人かなどと僕もなんどか言われている。このブログのコメント欄でも一度「中国人ですか?」と言われたんだけど(大西小百合議員のときに)、面白いので削除せず、そのままさらしてある。

音楽の大甘さがダメっていうのは、ジャズのウィズ・ストリングスものがダメだということと同じことだよね。中村とうようさんなんか、厳しくハードでシビアな音楽を追求するいっぽうで、キューバのフィーリンみたいなソフトでスウィートな音楽のこともどんどん話題にしていたし、歴史的に見て注目すべき重要な動きだったと強調している。しかしながらそのとうようさんにしてからが、フランク・シナトラを「凡庸な歌手」の一言で切り捨てていたから、う〜ん、こりゃちょっと困っちゃうんだよね。歌をあんなにしっかり表現できる歌手はそうそういないのに。ナット・キング・コールも大甘のポップ歌手になって以後については、とうようさん、なにも言わなかったなあ。

サム・クックなんかをとうようさんはどう聴いてどう評価していたんだろうなあ。ああいったある時期以後のナット・キング・コールをイミテイトしたような、スムースで流麗で甘く、しかし内面の厳しさを兼ね備えていたような歌手たちのことをさ。黒人歌手が、白人の一般聴衆層に受け入れられやすいように砂糖をドバドバッと入れただけだと言うのなら、サッチモことルイ・アームストロングのことだって本当は理解できていないってことになっちゃうぜ。サッチモは、戦後特にポップ・エンターテイナー化したような感じに見えたかもしれないが、彼の拠って立つ屋台骨のアティテュードは、デビュー期から1920年代を経てその後亡くなるまでずっと同じだった。すなわち:

音楽とはポップ・エンターテイメントである。

これに尽きる。

自分の歌や演奏を聴く一人でも多くのお客さんに喜んで楽しんでもらい笑顔で帰宅してほしい、とにかくみんなの喜ぶところが見たい、人を嬉しがらせるのこそが自分が音楽でやるべき使命のすべてだ、そのためだったらステージ上でニコニコ笑い白い歯を見せて顔をクシャクシャにして、大甘な音楽になったり、ロックでもリズム&ブルーズでもソウルでも、なんだってとりいれる。自分が歌い演奏すれば、最終的には結局のところ、サッチモの音楽 = ジャズになるのだから。

これが20世紀アメリカ音楽史上グレイテスト・アイコンだったサッチモの考えかただ。

僕はこのサッチモのこの気分、この考えかたにピッタリはりつきたいんだ。そしてさらに言えば、いまのポール・マッカートニーは、ライヴ・ステージで、まさにこんなふうになってきているように僕には見える。ポールのサッチモ化。素晴らしいことだ。これについての文章は、機会を改めたい。

2017/12/09

二作目で大きくはじけたスアド・マシ

サウンドも歌いかたもかなり違うけれど、特別アラブ歌謡だぁ〜っ!っていうように強くグリグリとコブシを廻さずとも、ごく自然にアラブ香味がじんわりとにじみ出てくるような歌唱、すなわち端正さにおいてだけは、レバノンのフェイルーズに相通ずるものがあるかもしれないアルジェリア(出身)のスアド・マシ。

そんなスアド・マシのデビュー作『Raoui』 については以前書いた。
順番に一作づつとりあげていこうと思うので、今日は二作目2003年作。しかしこれ、アルバム題を書きにくいんだよね。どうしてかって、そのままカタカナ書きすると、日本語を解する女性に向けることのできないものになってしまうから。音楽にもスアドにもぜんぜん関係ない話だが、僕は女性にこう言ったことはいままで一度もない。言ってはいけないというポリティカル・コレクトネスみたいなことでではなく、マジでそんなこと言いたくないんだよね。僕はふくよかな女性のほうが好みだし(痩せている女性はちょっと…)、そうでなくても女性にそんなこと言うなんて…。

いやホントまったく関係ない話だった。スアド・マシのアルバムは、この2003年作から英題が付記されるようになっていて、いままでのところぜんぶそう。アルバム題も曲題もそうなっている。これって、この二作目からワールド・セールスを意識するようになったということなんだろうなあ。ご本人もそうなのか、あるいは会社 Wrasse の方針なのかは分らないのだが。そういえば一作目の『Raoui』でも、歌詞のなかに一部英語がちょこっとだけ出てきてたようなそうでなかったような。どうだっけ?

2003年作品以後は、ひょっとしたら英題が附属するものとそうでないものとで、内容を変えてリリースしているのかもしれない。ワールド向けとアラビア語音楽ファン層向けで販売を分けているかもしれないなあ。それに今日はじめて気が付いたのだ。どうしてかって Spotify で ”Deb” という文字列だけで検索すると、同じ歌手の同じジャケットのものが出てきたが、中身が今日いちばん上でご紹介したものとは違っているんだ。もちろん曲題にも英語が附属しない。以下がそう。
これのことは諦めて、今日のところはいちばん上でリンクを貼った、僕が CD でも持っている英語題附属のものを対象にして話をするしかないのだった。

そんなわけでスアドの二作目2003年作のワールド向けは『デブ(ハート・ブロークン)』が正式題。この「心やぶれて」っていうのは、恋愛関係なのか、あるいはもっと別の社会的な意味合いも含んでのことなのか?附属ブックレットにも、この作品以後は歌詞の英訳が載るようになっているけれど、アラビア語で歌っているのを聴きながら英語を読むと、僕のばあいかなり混乱し、しかしかといって音楽再生をストップして文字だけ読むなんて言語道断だと僕は考えている。歌詞はあくまで音楽と同時に、その刹那刹那に把握できなくちゃ。だから、結局スアドのアルバム『デブ(ハート・ブロークン)』でもなにを歌っているのか、把握できていない。

その上で音だけ聴いて、メロディの動きやアレンジや、サウンドやリズムや、使われている各種楽器がどうだとか、そんなことばかり聴いている僕。でもですね、アルバム『デブ(ハート・ブロークン)』の三曲目のタイトルが 「Ech Edani (I Shouldn't Have Fallen In Love With You)」 になっていて、「あなたと恋に落ちるべきではなかった」って、こりゃちょっと…、う〜ん、つらいなあ…。

それでもその三曲目「Ech Edani (I Shouldn't Have Fallen In Love With You) 」がかなり素晴らしいグルーヴを持っているんだよね。最初、ウードを弾きながら男性が歌っている(と思うんだけどなあ、これ、弾き語りじゃないの?)部分は導入で、その詠唱みたいなのが終わるとアクースティック・ギターとリズムが入ってきて、スアドが歌いはじめる。しかもタブラとハンド・クラップがかなり派手に使われているもんね。素晴らしいリズムだ。

これ、だれかに恋い焦がれる熱情のグルーヴの激しさってことかなあ?歌詞が分らないのでなんとも言えないが、男性歌手もかなり歌っている。というよりこの三曲目では、スアドよりそのだれだか分らない男性歌手がメインだ。タブラ・ソロ、ギター・ソロ、ウード・ソロも短いが入っていていいよなあ。いや、このリズムです。タブラはほかにも使われている曲がアルバムには複数ある。

そんなマグレブ〜アフロ・ポップ・チューンみたいな三曲目が異様に輝いているが、スアドのアルバム『デブ(ハート・ブロークン)』には、ほかにも例えば五曲目「Yawlidi (My Little Boy)」のリズムもハードだし、これはアルジェリアン・ロックといってさしつかえないような出来。アラブ色はほぼないなあ。だからマグレブ〜アラブ音楽好きにしてロック嫌いなリスナーのかたにはオススメできない。

がしかしスアドの『デブ(ハート・ブロークン)』にはフラメンコならあるんだよね。七曲目「Houria (Freedom)」がそう。スパニッシュなフラメンコ・ギタリストも(たぶん)二名参加していて、同時演奏でかなり派手に弾きまくる。曲前半は、スパニッシュ・ギターをかきならすその音に乗ってスアドが歌うのだが、徐々にフラメンコ・スタイルの手拍子が入り、手拍子がずっと入ったまま情熱的なギター・ソロがあり、そのまま曲が終わる。二台(じゃないかなあ?)のフラメンコ・ギターと手拍子とスアドのヴォーカルと、それだけで構成されている。

そんなふうなのは前作の『Raoui』にはなかったから、この二作目でスアドの音楽はかなり幅を広げて色彩豊かになったんだよなあ。実際、世界でけっこう売れて、スアド・マシという歌手がいるぞ、かなりいいぞ、ということが大きく広まったらしい。でもアルバム『デブ(ハート・ブロークン)』でも、基本的には少人数編成での渋い落ち着いたシットリ路線だけどね。少しだけ派手でポップでハードな感じもくわえて、たしかに音楽作品としての魅力は上がっただろう。僕は素直にこれを称賛の気持で言っている。

ただし個人的趣味嗜好だけのことを言えば、一作目『Raoui』の、あのジワジワ〜っとアラブ色がにじみ出てきたり、ばあいによってはごくたまにそれが激しくなったりするという、全体的にはあくまで激渋だった路線のほうが、いまではいいんだよね。もちろんあのままではスターになれなかっただろうけれど。

2017/12/08

1969年前後にファンキーだったマイルズ





今週と来週は以前の余滴。前に1965年以後のマイルズ・ミュージックにあるカリブ〜ラテン〜アフリカのことを書いたでしょ。そのときその65年以後91年までの音源をじっくり聴きかえしたのだ。それで書いたわけだけど、書かなかった部分で思いがけない余剰収穫があったので、それを二週にわたり出そうと思う。今日は68〜70年ごろのマイルズに相当カッチョええファンキーな演奏があるぞってことを、いまさらながら再確認したので、そのことだ。

そのあたり、1969年前後のマイルズ・ミュージックで、いちばんファンキーでいちばんカッコいいのは1970年の録音。シャープでタイトだもんね。リアルタイム・リリースだと、アルバム『ジャック・ジョンスン』になったあたりだ。でもその二年前の冬からすでに素晴らしかった。そこいらへん、僕の選ぶものは多くがボックス物の収録音源だから、特にマイルズ・マニアではない一般の音楽リスナーのみなさんは買いにくいだろうと最近までずっと思ってきたのだが、いまやそれらぜんぶ Spptify にあるもんね。だから僕もプレイリストを作っていちばん上でご紹介した。ちょっと聴いてみて。

順番を入れ替えて一番カッコいい1970年の録音にまず触れておくと、上のプレイリストで6曲目の「ジョニー・ブラットン(テイク4)」から下、最後までがそう。そのうち、10曲目の「ライト・オフ(テイク10)」は、リアルタイムでもアルバム『ジャック・ジョンスン』の A 面になったので、お馴染のものだ。こっちは未編集のセッション・テイクで、グルーヴが生な感じがいいんじゃないだろうか。

それも含め、プレイリスト6〜11までは、以前『”アナザー”・ジャック・ジョンスン』の話をしたときにぜんぶ書いて、もうそれ以上付け加えることもないので、その過去記事をご覧いただきたい。
この「アナザー」・シリーズ、『イン・ア・サイレント・ウェイ』篇、『ビッチズ・ブルー』篇、『ジャック・ジョンスン』篇、『オン・ザ・コーナー』篇、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』篇と、ぜんぶで五つ書いたのだが、そのときに Spotify のプレイリストを自作してご紹介すればよかったと激しく後悔している。

そんでもってですね、僕もいつこの世から消えるか分らないし(病気でとかじゃなく、交通事故死とか、あるいは人間、だれだっていつなにがあるか分らないんだからさ)、だから「次」とか「今度」とか「明日」とかは来ないものと考えて毎日生きていかなくちゃいけないだろう。いまのうちに出せるもの、できること、与えられるものはすべてやっておかないいといけないんだと、人生ってそういうものなんだと、最近思うようになっている。僕が死んでも Spotify のプレイリストはそのままなんでしょ?なにか残して死にたいよ。子供もいなけりゃ、本も音楽作品も、僕はまだなにも残せていない。この世に生きたという証がまだない。

なんだか大層なことを言っているように見えるかもだけど、要するに後悔を取り戻そうと、「アナザー」篇五作のプレイリストを作成したので、それを今日ここにご紹介しておきたかったってだけなんだ。みなさんに聴いてほしいと思います。

アナザー・イン・ア・サイレント・ウェイ

アナザー・ビッチズ・ブルー

アナザー・ジャック・ジョンスン

アナザー・オン・ザ・コーナー

アナザー・ゲット・アップ・ウィズ・イット

これはこれとして。

今日の話題である1969年前後、正確には68年暮れから70年春ごろまでのマイルズで、70年録音分については、上述のとおりなにもくわえることがないから、それ以前の68〜69年録音分について、それもいままであまりちゃんと書いていなかったものについてだけ、少し書いておく。なるべく繰返しにならないよう心がけたいので、詳しくは過去記事を参照してほしい。

プレイリスト一曲目の「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」については、しかしこれも以前しっかり述べたつもりなので、以下をご覧あれ。いやあ、マジでカッコエエ〜〜!
この過去記事を書いた時点では気づけてなかったこただけ。それはもっとあとの70年録音まで、今日いちばん上でご紹介したプレイリストでぜんぶを繰返し聴きかえすと、いや、ばあいによっては75年録音までぜんぶをひっくりめても、この「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」が一番カッコイイのかもしれないんだよね。特に右チャンネルでフェンダー・ローズを弾くハービー・ハンコック(だと思う)とトニー・ウィリアムズがファンキーなことこの上なし!こんな「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」が未発表のままだったんだから、不思議だよなあ。だって、マイルズの全音楽中、最もカッコイイものかもしれないのに。

プレイリスト二つ目の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」は、編集前のオリジナル・セッション・テイクを選んでおいた。理由は二つ。まず一つ、1969年にアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』の B 面となって発売された編集済みのものはすでに耳タコだろう。もう一つ、このセッション・テイクの、ジワジワ〜っとゆっくり盛り上がっていくフィーリングがなかなかいいなあって、最近思うんだ。

もちろん音楽の完成品としては、セッション・テイクでは尻尾のほうにあるマイルズのソロ終盤部(9:43 〜 10::24)をいちばん最初に持ってきて(いるし、エンディングでもそのままもう一回出る)、しかもそれを曲「イン・ア・サイレント・ウェイ」で挟んでできあがった、編集済みヴァージョンのほうが素晴らしい。もとの演奏じたいは同じものなのに、編集効果だけでこれだけグルーヴが違って聴こえるからマジックだよなあ。

でも最近は、まずジョー・ザヴィヌルのオルガンとリズム・セクションの演奏、そして一番手でジョン・マクラフリンのギター・ソロではじまるオリジナル・セッション・テイクのこの感じ、まだ火がついてない状態から弱火になって、それでゆっくりじっくり盛り上がるでもなくスローな感じで進んでいき、だんだんと熱を帯びてきてマイルズのトランペット・ソロ部で大きく激しくうねり爆発するっていう、このフィーリングがマジでいいなあって、僕は思うんだよね。繰返すけれど、音楽作品の完成度としては1969年既発マスターのほうが上だ。

プレイリスト三曲目の「ザ・ゲトー・ウォーク」も『イン・ア・サイレント・ウェイ』関連の未発表音源。でもこれ、ちょっと長すぎるよなあ。だから入れようかどうしようか迷ったけれど、ファンキーでカッコイイ瞬間はマジで最高なので、いちおうやっぱりね。四曲目の「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」は、このまま『ビッチズ・ブルー』に収録されているので省略するが、ゆったりしたテンポでグルーヴィだよなあ。

五曲目の「ザ・リトル・ブルー・フロッグ」は、『ザ・コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』にマスター・テイクも収録されている。といってもそれも完全未発表だったものだけど、聴いた感じ、この別テイクのほうがグルーヴィでファンキーじゃん。ハーヴィー・ブルックスのエレベがいいなあ。この、ロック・ファンならだれでも知っているエレベ奏者がマイルズのセッションで弾いたもののなかではいちばんファンキーなラインだ。

しかも左チャンネルでジョン・マクラフリンが弾くギター・リフがぐちゅぐちゅと、まるでインヴィクタス/ホット・ワックス系のソウル・チューンみたいなカッティングだし、やはり左で聴こえるラリー・ヤングのオルガンも素晴らしいノリ。ボスもこの時期にしては珍しく、ハーマン・ミュートをつけて吹く。リアルタイムでは1968年の『キリマンジャロの娘』からこっち、電気トランペットを導入するまで、ぜんぶオープン・ホーンのものしかリリースされていなかった。いま考えたら、これは間違いなく製作者側のイメージ戦略だったな。

いやあ、ほんとマジでカッチョエエのんが、この1969年前後のマイルズ・ミュージックにはいっぱいありましたで〜、ホンマに。1973〜75年のギター・バンド時代こそ最高だ、いちばん好きだと信じてきた僕も、じわじわとだんだんこのあたり、1968〜70年が本当はいちばんよかったかもしれないと感じるようになってきましたで〜。

それが余滴の一。

2017/12/07

ダン・ペンは最高の白人ソウル・シンガーだ(&データ一覧)

ダン・ペンといえば、1973年以後は自分で歌う作品も発表するようになって、それが人気の渋い歌手みたいな印象かもしれないが、この人の1960年代はソウル界で最もすぐれた白人ソングライターだったのだ。これはもちろんみなさんご存知の事実。たくさんの人が歌ったあの「ザ・ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート」や、アリーサ・フランクリンの「ドゥー・ライト・ウーマン、ドゥー・ライト・マン」などなど、ダン・ペンが(ほかの人と組んで)書いたソウル名曲がたくさんあるよね。

それらを聴くと、曲を書いたダン・ペンが白人だなんて信じられないくらいなのだが、この事実をもっとシンジランナ〜イものにする一枚の CD を2012年に英 ace がリリースしたのだ。ダン・ペン名義の『ザ・フェイム・レコーディングズ』だ。全24曲、すべてがダン・ペンの自作自演なのだ。アルバム題どおり、アラバマはマスル・ショールズにあるフェイムのスタジオでの録音で、1964〜66年(と CD パッケージには記載だが?) のもの。そう、この60年代半ばにしてすでにダン・ペンは歌っていた。それも黒人顔負けのソウルフルなヴォーカルでね。

それらはソングライターとしてのダン・ペンが、だれか黒人歌手に歌ってもらうためのガイドとして録音したデモみたいなものではない。ちょっとだけデモや、デモに毛が生えたようなものも混じっているが、24曲のほぼすべてが、ダン・ペンのシングル盤として発売するために録音した完成品なんだよね。しかしこれら24曲で、当時レコード・リリースされたのは21曲目の「テイク・ミー(ジャスト・アズ・アイ・アム)」だけ。残りの23曲ぜんぶが未発表のままだった。ええ〜っ、なんてこった!

そういえばずいぶん前の話だが、『スウィート・ソウル・ミュージック』のなかでピーター・ギュラルニックが、「ダン・ペンで聴くべきものはデモである」と言っていた。えぇ〜、でもデモって、そんなの知らないよなあ〜、だいたい聴けないんだろうし、どんなのだろう?っていうかマジでリリースされていなかったわけだから、聴くべきなんて言われたって僕ら一般のファンには無理な話だぜと、僕だけじゃなくみんなが思っていたはず。

ところが2012年になってエイス・レーベルがやってくれたんだ。しかもそれらは書いたように大半がデモではない完成品で、シングル盤となるべくレコード・カットを待つばかり…、という状態だったのかどうなのか分らないが、しかしどうしてこれほどのものがレコード発売されなかったのか?これはフェイム史における最大の謎の一つだ。と言えるほど『ザ・フェイム・レコーディングズ』で聴けるダン・ペンのヴォーカルは素晴らしい。渋くもない。フレッシュで情熱に満ちていた若きダン・ペンのみずみずしいソウル・ヴォーカルが満載なのだ。曲がいいのは、いまさら僕が言う必要なんてぜんぜんない。

なかには22曲目「アイム・リヴィング・グッド」でサム・クックへのオマージュ的な模倣をやっていたりするものがある。これは本当にマジでそのまんまのサム節ミミックでウォウウォウとやりまくっているので、笑えてくるほどなんだけど。まるで歌真似芸人が本家の特徴を誇張して大げさにやってそれでウケを狙うような感じで、「アイム・リヴィング・グッド」でのダン・ペンはサム・クックの真似をやる。YouTube にはないみたいだが、上でリンクを貼った Spotify にあるアルバムでお聴きいただきたい。

『ザ・フェイム・レコーディングズ』24曲のほぼすべてが、ダン・ペンが完成させていたにもかかわらずそれは発売されず、その後、フェイム・スタジオで黒人歌手が歌ったものが<オリジナル>として、当時発売されていた。『ザ・フェイム・レコーディングズ』でのダン・ペンのヴォーカルを聴くと、それじたいが素晴らしいばかりか、黒人歌手たちも間違いなくそれをガイドのようなものとして聴いて参考にしただろうと思える出来なんだよね。

さて、ダン・ペンの『ザ・フェイム・レコーディングズ』。僕が持っているのはオリジナルの英エイス盤だけど、パッケージやブックレットのどこにも、以下の情報が一覧になっていないので、僕は自分でつくっておいた。愛好家のみなさんの一助となれば幸いに思う。

Dan Penn - The Fame Recordings

曲名(作者)
ダン・ペンの録音年月日、版権登録年月日、当時発売の”オリジナル”歌手

1. Keep On Talking  (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/8、1965/10/11、James Barnett

2. Feed The Flame (Dan Penn & Spooner Oldam)
late 1965、1966/4/19、Billy Young(も未発売)で、Ted Taylor

3. Far From The Maddening CrowdWD (Dan Penn & Marline Greene)
1965/7、1965/7/5、The Drifters

4. Uptight Good Woman (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965、1966./2/5、Spencer Wiggins

5. Come Into My Heart (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/7、1967/11/22、none

6. Don't Lose Your Good Thing (Dan Penn & Spooner Oldam)
summer 1966、unknown、Jimmy Hughes

7. Come On Over (Dan Penn & Spooner Oldam)
late 1965、1967/4/5、Ben Atkins & The Nomads

8. Rainbow Road(Dan Penn & Donnie Fritts)
1964/2、1964/2/7、Bill Brandon

9. Unfair(Dan Penn)
1964/2、1964/2/11、Barbara Lynn

10. The Thin Line (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/7、1989/5/31、none

11. I Need A Lot Of Loving (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/1、1965/10/11、Ovations

12. Take A Good Look (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/1、1965/10/11、James Barnett

13. Strangest Feeling (Dan Penn & Spooner Oldam)
spring 1963、1969/1/16、Bill Brandon

14. Power Of Love (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/4、1967/3/28、Double Image

15. It Tears Me Up (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/1、1966/5/21、Percy Sledge

16. I Do (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/7、unknown、Vel Tones

17. Everytime (Dan Penn & Spooner Oldam)
summer 1966、unknown、Linda Carr

18. Do Something (Even If It's Wrong) (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/7、196/.5/29、Swingin' Yo Yo's

19. You Left The Water RunningNG (Dan Penn, Rick Hall, & Oscar Frank)
late 1964、1965/4/8、Otis Redding

20. Slippin' Around With You (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/4、1965/2/5、Art Freeman

21. Take Me (Just As I Am) (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/5、1965/5/4、(Dan Penn as) “Lonnie Ray”

22. I'm Living Good (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/4、1965/7/20、Ovations

23. Long Ago (Dan Penn & Buddy Killen)
summer 1966、unknown、Bobby Patterson

24. The Puppet AKA I'm Your Puppet (Dan Penn & Spooner Oldam)
1965/8、1965/11/1、Dan Penn (MGM)

2017/12/06

「コンピューター・ブルー」と、プリンスの父の歌 〜 『パープル・レイン』拡大盤二枚目

YouTube にプリンスがない!YouTube にプリンスを!ちょこっと試聴できるようにしてくれ!と、 そればっかり言い続けてまいりましたが、プリンスの公式音源はすでに Spotify で聴けるようになっておりますので、プリンスの素晴らしい音楽をみなさんとシェアできないという悩みは解消しております。また YouTiube のほうにもプリンス公式チャンネルができておりまして、そちらにもどんどん音源、というかミュージック・ヴィデオがアップロードされております。これで僕のかねてよりの苦悶は解消されております。プリンス(の遺族のかたがた)さん、ワーナーさんはじめレコード会社関係者のみなさん、そして Spotify や YouTube 運営者のかたがた、本当にありがとうございます。

そんなわけで、上でリンクを貼ったように『パープルレイン』拡大盤四枚組のうち、CD は三枚であるその全35曲、Spotify で問題なくぜんぶ聴けるので、CD で買っていないみなさんもぜひ聴いてほしい。ただ、この Spotify のアルバムでは三枚分がズルズルぜんぶひっついている。CD だと一枚ずつテーマがあって分割されているので、そこだけがちょっとあれだから、書いておこうっと。

一枚目は『パープル・レイン』1984年のオリジナル・アルバムなので(いちおうプリンス本人がやった2015年リマスター・ヴァージョン)、どこまでがそれかは言う必要がないはず。問題は、CD では「From The Vault & Previously Unreleased」と銘打たれた二枚目と「Single Edits & B-Sides」と銘打たれた三枚目の境目だなあ。Spotify で見る20曲目の「ファーザーズ・ソング」までが CD では二枚目となっている。ってこれも、その次21曲目が「ウェン・ダヴズ・クライ」の7インチ・シングル・エディットと明記があるので、不要な情報だったな。

そんでもってオリジナル・アルバム分については、もはや僕が言葉をつけくわえる必要などまったくないし、三枚目のシングル集も、アルバムにある曲のシングル・エディットはイマイチだし、B 面曲とかその他少ししか聴きどころがないように思うから、それも省略して、今日は未発表蔵出し音源集の二枚目「フロム・ザ・ヴォールト&プリーヴィアスリー・アンリリースト」についてだけ、感じることを少し書いておこう。

二枚目を通して聴いた僕の最大の印象は二つ。記事題にもしてあるが、一つはこのころからすでにプリンスはファンかーだったこと。もう一つはこの二枚目の隠しテーマは「コンピューター・ブルー」なのか?ってことだ。いや、隠してもないのか、わりとはっきり出ているよなあ。二枚目のぜんぶで11曲のうち2曲が「コンピューター・ブルー」だもんね。といっても一個は「ファーザーズ・ソング」という曲名だけど。

この「父の歌」ってのがどういう意味なのか、最初、僕には分からず。たしかにプリンスの父ジョン・L ・ネルスンはミュージシャンだったけれど(ジャズ・マンだっけ?たしか)、それとどう関係があるんだろう?オリジナル・アルバムの「コンピューター・ブルー」で聴ける、後半部のギター・ソロをそのままピアノで弾いているけれど、これってどういうこと〜?って思ってたんだよね。

ところで僕はそのオリジナル・アルバム A 面四曲目の「コンピューター・ブルー」後半部のインストルメンタル部分がむかしからかなり好きだ。全体でも約四分しかない曲なんだけど、出だしいきなりのウェンディとリサのエロ・トークはどうってことなくて、本編がはじまってプリンスが歌いはじめてからもイマイチなんだけど、2:16 でそれが終わってパッとチェンジしてギター・ソロになってからのパートが、本当に大好き!ギターで弾かれるあの旋律がね。もっともそのまま切れ目なく、次のこっちはマジで正真正銘のエロ・ソングである「ダーリン・ニッキ」がはじまってしまうけれど。あの曲がきっかけで、アメリカでレコードや CD パッケージに貼る “Parental Advisory” シールができちゃったんだそうだ。

「コンピューター・ブルー」は、同じ曲題で、内容が大きく拡充された「ホールウェイ・スピーチ・ヴァージョン」が、『パープル・レイン』拡大盤二枚目にも収録されている。オリジナル・アルバムにあるのと同じ曲はこれだけ、曲題もそのままで、また書いたように後半部でパッとチェンジして、あのギター・ソロが出てくるパターンも同じ、ギターで弾かれる旋律も同じで、まあそれ以外では違っている部分も大きいものの、一枚目と二枚目で同じ曲はこれ一個だけなんだよなあ。

しかもですよ、その後半のギター・ソロ部と同じものが二枚目ラストの「ファーザーズ・ソング」でもあって、というか約五分のその「ファーザーズ・ソング」は、その旋律だけで成り立っていて、アクースティック・ピアノで弾くその同じ旋律は、「コンピューター・ブルー」後半部のなかで聴くとそうでもないが、「ファーザーズ・ソング」ではなんだか相当つらく哀しそうだ。さめざめと泣いているように僕には聴こえる。リズム伴奏が一切ない、ピアノとシンセサイザーだけの演奏だから、そう感じるんだろうか?

それで、これはいったいなんだろう?と思って、カラー・デザインとサイズが小さすぎるフォントのせいで(ふだん常用している老眼鏡ではダメで、ルーペを使わないと読めなかった)メチャメチャ読みにくいブックレットのそこだけ読むと、この「ファーザーズ・ソング」は作者クレジットが父ジョン・L ・ネルスンとなっていた。あわててずっと前に買った一枚ものの『パープル・レイン』オリジナル・アルバムのリイシュー CD を見てみたら、しっかりジョン・L ・ネルスンの名前が書いてあるじゃないか。いまのいままででぜんぜん気が付いていなかった(^_^;)。

映画ではどうだったのか僕はもう完全に忘れているのだが、父ジョン・L ・ネルスンの書いたこのフラグメントを息子プリンスは、「コンピューター・ブルー」後半部のギター・ソロとしてたぶんそのまま転用したってことだろうなあ。今日上で書いたことだけど、僕はあのギター・ソロ部の旋律が本当に美しいなあと思って、好きで好きで、本当に。そこだけが。それは拡大盤二枚目にあるホールウェイ・スピーチ・ヴァージョンでもまったく変えずに出てくるから、息子のプリンス本人だってやっぱり好きだったんだろうね、「父の歌」が。

父ジョン・L ・ネルスンは2001年に亡くなっているので、シンセサイザー伴奏も入るピアノ・ソロで83年11月に録音した(と記載がある)息子プリンスは、これをまるでオードみたいなものとして、みたいなものっていうか本当に追悼の頌歌として捧げたんだろうなあ。しかしその息子さえも、もはやこの世にいなくなってから、その「ファーザーズ・ソング」が公式リリースされるなんて…。

ありゃりゃ〜、いかんいかん、ファンカー・サイドについてもごくごく手短に触れておこう。二枚目の一曲目「ザ・ダンス・エレクトリック」、七曲目の「ワンダフル・アス」(ひどい曲名だよね)は、正真正銘のファンク・チューンだ。前者は、ずっと以前に触れたように、1986年のアルバム『パレード』の B 面一曲目にある(スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「スタンド!」みたいな)「マウンテンズ」のグルーヴにそっくりだ。しかも「マウンテンズ」にはないトーキング・ドラムが入っていて、それがまるでナイジェリアのキング・サニー・アデの音楽で聴けるみたいに、ヒュンヒュンって飛ぶんだよね。面白いなあ。しかもこの曲では、ぜんぶの楽器と声がプリンスひとりの密室作業で重ねられている。

七曲目の「ワンダフル・アス」はミディアム・グルーヴのファンク・チューンで、こんな感じのものが数年後からプリンスのなかでもどんどん増えてきて、アルバムにも収録されるようになる。エレキ・ギターのカッティングがチョ〜気持イイ。この曲ではウェンディとリサも参加しているみたい。そういえばそのカッコいいギター・カッティングはウェンディが弾いてんの?「KISS」のパターンに似ているじゃん。

2017/12/05

女々しくレイド・バックするクラプトンのブルーズがいい

この Spotify にあるアルバム、もちろんエリック・クラプトンの『461・オーシャン・ブルヴァード』のデラックス・エディションで、二枚組の CD は2004年の発売。むかしから大好だから僕も速攻で買った。オリジナル・アルバムの音質もよくなっているし、それ以外にも大幅拡充していて、かなりいいと思うなあ。

二枚目のライヴ・サイドは1974年12月4、5日、ロンドンはハマースミス・オディオンでのライヴで、ってことはスタジオ・アルバム『461・オーシャン・ブルヴァード』を米マイアミで録音したのが同年4、5月で、発売が7月だったので、それをひっさげてのライヴ・ツアーだったんだろう。以前も『E..C. ワズ・ヒア』関連で書いたけれど、このクラプトン74年バンドはマジでいいぞ〜。
『461・オーシャン・ブルヴァード』デラックス版二枚目のロンドン・ライヴは、MC に続くオープニングが、かのチャールズ・チャップリンの「スマイル」で(この曲の歌詞付きヴァージョンの初録音、発売はナット・キング・コールです)、「心が痛んでいるときも笑え、張り裂けそうでも笑え」っていう歌詞を、クラプトンが実に女々しく歌い、女々しくギターを弾く。ブルーズでもなんでもないふつうのポップ・ソングだが、こういった女々しさ、弱々しさ、メロウでポップなフィーリングこそ、このエリック・クラプトンという音楽家本来の持味じゃないかということも、以前書いた。「スマイル」はわりとよくやっているらしい。
僕はこういうのを聴くのがかなり好きなんだ。まるで自分の代弁をしてくれているみたいでさ。僕もわりとよく弱音を吐いてすがったり懇願したりする。「男は弱音を吐くな」的なおかしな男性観/女性観なんて、男らしさ/女らしさなんて、あんまりそんなのにしがみつかないほうがいいんじゃないかっていうのが、僕の考えかただからさ。性別に関係なく、泣いてすがって弱音を吐けばいいじゃないか。だいたいクラプトン最大の有名曲「レイラ」なんて、頼むよ〜〜って泣いて膝にすがりついて、「僕のこの悩める心をなんとかなぐさめてくれよぉ〜」と懇願する内容だもんね。

そんな女々しさ、弱々しさ、弱音を吐いて女性に懇願しているかのようなフィーリングが、アルバム『461・オーシャン・ブルヴァード』ではブルーズ楽曲にもあって、オリジナル・アルバムにも収録されている。かつて B 面トップだったエルモア・ジェイムズ・ナンバー「アイ・キャント・ホールド・アウト」だ。ぜひ上の Spotify アルバムで聴いてほしい。YouTube にだってあるだろうが、権利関係のちゃんとした正規ネット音源で聴いたほうがいいんじゃないだろうか。

ビート感の強いブギ・ウギ・シャッフルでやっているエルモアのオリジナル・ヴァージョンとの共通点は、ギターでスライド・プレイを聴かせているっていうことだけじゃないかと思うくらい違っているよね。エルモアのは YouTube にあるのをご紹介しておこう。
このテレフォンなんちゃらの歌かもしれないブルーズ・ソング、クラプトンのはもんのすごくレイジーな仕上がりになっている。レイド・バックの極地みたいな演奏と歌で、なによりヴォーカルが気だるすぎると思うほど。まるでなにかしているときにもらすため息まじりの声みたいじゃないか。ギター・スライドのサウンドもそれに拍車をかけている。この「アイ・キャント・ホールド・アウト」(もう辛抱できないよ)を、クラプトン生涯ナンバー・ワンのブルーズ演唱にあげる人もいるみたいだ。ある意味、僕もそれに同意できる部分がある。

『461・オーシャン・ブルヴァード』オリジナル・アルバムにあるほかの三曲のブルーズには、ここまでレイド・バックしたフィーリングはない。しかし二枚組デラックス・エディション一枚目で、オリジナル・アルバム分のあとにボーナスで収録されているセッション・アウト・テイク五曲。それがぜんぶブルーズで、しかもどれもすごく気だるそうで、演奏も強烈にレイド・バックしているのが、僕はけっこう好きだ。

そのアウト・テイク五曲。ジミー・リードの「エイント・ザット・ラヴィン・ユー」は分るけれど、ほかの四曲は僕のばあい初耳だった。たとえば「ミート・ミー(ダウン・アト・ザ・ボトム」がウィリー・ディクスン(戦後のシカゴ黒人ブルーズ界の裏ボス)にクレジットされているが、ディクスンにこんな曲あったっけ?聴いたことないよなあと思って、ディクスンの曲一覧みたいなのが載っているウェブ・サイトで見ても、やっぱり出てこないなあ。

またボーナス・トラック一曲目のフル・アクースティック・ブルーズ「ロンサム・ロード・ブルーズ」の作者クレジットはまったく知らない Paul Levine & Alan Musgrave という名前になっていて、調べてみても音楽の人じゃないみたいだし、う〜ん、これはクラプトンのオリジナルなんじゃないの?どなたか事情をご存知のかた、教えてください。

これら三曲以外は作者クレジットもクラプトン本人になっていて、たぶんジミー・リードのやつ以外は、本当はクラプトンの曲だろうし?、ジミー・リードのだってぜんぜん仕上がりが違うもんね。ジミー・リードのやつは、やはり彼らしい米南部ふうのイナタいブギ・ウギで、楽しく陽気なフィーリング。ところがクラプトンの「エイント・ザット・ラヴィン・ユー」はささやくみたいに小さくか細い声で、曲調もスローな完全レイド・バック・ブルーズ。

しかもこの「エイント・ザット・ラヴィン・ユー」ではギターで三名がクレジットされている。ボスとバンドのジョージ・テリーにくわえ、デイヴ・メイスンがいるんだなあ。でも右と左チャンネルで一本ずつ、計二本しかギターは聴こえない。左のほうは、上で触れた「アイ・キャント・ホールド・アウト」でのそれに似たセクシーなレイジー・スタイルでのスライドだから、それがクラプトンじゃないのかなあ?じゃあ右のサイド・ギターはジョージ・テリー?デイヴ・メイスン?どっち?スタイルとしてはテリーに近い気がするんだけど?

『461・オーシャン・ブルヴァード』デラックス版一枚目のボーナス五曲は、どれもこれもそんなふうな気だるくレイジーにレイド・バックするものばかりで、ギターもそうだが、クラプトンの声の出しかた、歌いかたも実に弱々しく女々しい。歌詞内容もそうだから、そんなヴォーカル表現をとったということもあるんだろうね。

なかには最後のふたつ「エリック・アフター・アワーズ・ブルーズ」「B ・マイナー・ジャム」みたいな完全即興のブルーズ・インストルメンタル・ジャムもある。その二つのジャムも楽しく賑やかにやっているのではなく、まさにアフター・アワーズといった、本番終わりで疲れて、なんとなくちょこっと気だるく音出ししてみましたっていうだけのものだ。ふだん肩に力が入りすぎるところのあるクラプトンだから、いい感じにリラックスできているほうが演奏内容もいいと、僕には聴こえる。よくなくたって、僕にはこういうのがかなり好きなんだぞ。

2017/12/04

ジョージア・ブルーズの一方の雄、バーベキュー・ボブ




特にアメリカ黒人音楽好きというわけではないふつうの日本人、いや、アメリカ人にとっても、南部ジョージア州アトランタのイメージは、たぶんコカ・コーラ、デルタ航空、そして CNN の本社がある都市ということになるんだろう。僕を含む音楽愛好家にとっては、戦前からのジョージア・ブルーズの世界、そして戦後のサザン・ロックの世界ですっかりお馴染み。そしてこれら二つは、オールマン・ブラザーズ・バンドらが結びつけた。

オールマンズで最もよく知られているかのフィルモア・ライヴ一曲目「ステイツボロ・ブルーズ」は、もちろんブラインド・ウィリー・マクテルの曲だ。オールマンズは、直接的にはタジ・マハールの解釈を参考に、っていうかそのまま下敷きにしたのだとはいえ、米南部ジョージア州アトランタという街を代表するブルーズ・マンであるマクテルをとりあげるのは、サザン・ロックのバンドなんだぜ!っていう自認と誇りの表現でもあっただろう。「ホトランタ」っていう曲もあるよね。

でも今日はブラインド・ウィリー・マクテルの話ではなく、ジョージア・ブルーズのイメージをマクテルと二人で代表したもう一人、バーベキュー・ボブのことについて書きたい。しかしそれにしても、マクテルのほうはオールマンズがやったり、1990年代にボブ・ディランもやったり(『奇妙な世界に』)したし、そうでなくたってブルーズ名人だしで、いまでもかなり聴かれている(よね?)と思うんだけど、同じく戦前のジョージア・ブルーズを象徴したバーベキュー・ボブのほうは、一曲を除き、ほぼ忘れられてしまっているかもしれないよなあ。

その例外的一曲とは「マザーレス・チャイル・ブルーズ」で、どうしてこれだけ?かっていうとエリック・クラプトンがやってくれているからだ。1974年の『461・オーシャン・ブールバード』の一曲目も「マザーレス・チルドレン」という曲名だが、ややこしいことにそれは別の曲で、1993年のブルーズ・アルバム『フロム・ザ・クレイドル』の11曲目に「マザーレス・チャイルド」がある。以下にそのクラプトンのアルバムの Spotify にあるやつをご紹介するので、上の Spotify にあるアルバムでのバーベキュー・ボブのものと聴き比べてみてほしい。YouTube にもあるが、権利関係がクリアされていて音楽家にお金が行く正規音源のほうがいいでしょ。
クラプトンのはバーベキュー・ボブのヴァージョンそのまんまだと分るよね。『フロム・ザ・クレイドル』というアルバムはどの曲もそうで、悪いく言えばモロパクリで、しかもかなりの劣化コピーなんだけど、まあまあいつもそんな悪口ばかり僕も言わないで、こうやってオリジナルそのままでカヴァーしてくれたおかげで、もとのアメリカ黒人ブルーズ・メンも注目されることだってあったかもしれないから、クラプトンには功績もあると認めないといけないよなあ。少なくともバーベキュー・ボブだなんて、このクラプトンのカヴァーがなかったら、完全に人びとの記憶から跡形なく消えていたかもしれないんだし。

いちばん上で Spotify にあるのをご紹介したバーベキュー・ボブのアルバム『チョコレイト・トゥ・ザ・ボーン』を、僕は CD で持っていて、まったく同じものなんだけど、それは Yazoo 盤。1992年のリリースと記載がある。僕がこの戦前ジョージア・ブルーズ・マンをはじめて知ったのがこの92年で、だからクラプトンのカヴァーはそのすぐあとだったみたいなイメージ。しかしヤズー盤(でも Spotify にあるのでも)『チョコレイト・トゥ・ザ・ボーン』は全20曲で、「マザーレス・チャイル・ブルーズ」以外にも面白いブルーズがたくさんあるんだよね。

たとえば四曲目「ミシシッピ・ヘヴィ・ウォーター・ブルーズ」は、例の1927年ミシシッピ大洪水が題材。同じ題材だと、二年後にメンフィス・ミニーがやったレコードが有名なはず。それをもとにレッド・ツェッペリンが四枚目のアルバムでやったし、だからロック・ファンもみんな知っているものだ。この題材だとベシー・スミスがやったのがいちばん早かったんだよ。やはりああいった1920年代の北部の都会派女性ブルーズ歌手と、南部のカントリー・ブルーズと、ロック・ミュージックは連続しているよなあ。

バーベキュー・ボブのアルバム八曲目には「聖者の行進」がある。もちろんいろんなニュー・オーリンズ・ジャズ・メンもやっている超有名黒人宗教歌。曲じたいがあまりにも有名であるがゆえに、かえってバーベキュー・ボブのオリジナル・スタイルがよく分るのではないだろうか?特にギター。叩きつけるように、というか強くはじくようにパーカッシヴで、しばしばスラッピングを入れる弾きかたは独特だ。そのリズムは強靭で、グイグイ進むような迫力がある。低音弦でそのスラップを使ってボンボンとベース・リフを弾くのもイイ。

その「聖者の行進」のコードの響きを聴くと、たぶん普通の6弦ギターだと思うんだけど、バーベキュー・ボブは6弦も弾くものの、12弦ギターこそがトレード・マークなんだよね。この12弦ギターを頻用するのはブラインド・ウィリー・マクテルも同じだったから、これはジョージア・ブルーズの特色の一つだったのかもしれない。バーベキュー・ボブのほうの低音弦ベースはジョージア・スタイルではなく、おそらくミシシッピ・デルタ・ブルーズから吸収したんだろうと思えるスタイルだ。

アルバム一曲目の「マザーレス・チャイル・ブルーズ」や、また五曲目「カリフォルニア・ブルーズ」なんかで特に12弦だとクッキリ分るコードの響きがしているよね。特に「カリフォルニア・ブルーズ」でのリズム表現、グルーヴ感は鮮烈、強烈で、しかもまったく戦前ブルーズとは思えないほどモダンなフィーリングだ。それからこの曲は “How long, how long, how long my train’s been gone” と歌い出しているけれど、何年録音なんだろう?ヤズー盤 CD ではどこにも記載がないのが残念。バーベキュー・ボブの初録音は1927年。リロイ・カーのそれは28年のレコードなんだけど…。関係ないふつうの言いかたではあるけれど。

三曲目の「ヨー・ヨー・ブルーズ」が、バーベキュー・ボブのアルバム『チョコレイト・トゥ・ザ・ボーン』のなかでは最も素晴らしい圧巻の出来だと僕は思うんだけど、いやあホントすごいよなあ。ザクザク刻みながら低音弦でスラッピング・ベースを入れつつ、高音弦で繊細微妙なスライド・プレイを聴かせ、しかもデルタのサン・ハウスみたいなよく響く声でモーンする。影響関係はあるだろう。スライド奏法にだってサン・ハウスっぽい要素は聴きとれることだし。

しかしバーベキュー・ボブのばあい、そのブルーズはあまり重くなりすぎず引きずらず、全体的にはどっちかというと軽妙な味で、陽気でポップなんだよね。いわばホウカム調だ。ギターもヴォーカルもうまいけれど、そんなに超絶技巧ではなく、わりと親しみやすい身近さがあって聴きやすいのが、この人の特長じゃないかなあ。そんなところを Spotify でも CD でも『チョコレイト・トゥ・ザ・ボーン』で聴きとっていただけると思う。

実際、サイド・ギターとハーモニカをくわえたトリオでやる11曲目「ディドゥル・ダ・ディドゥル」なんか、タンパ・レッドのやるパターンにそっくりだ。この曲名と同じフレーズが歌詞に出てくるが、それもダーティ・ダズン的な言葉遊びで、ルイ・アームストロングらニュー・オーリンズ(出身)のジャズ・メンや、その影響下にあったキャブ・キャロウェイあたりにもつながっているよねえ。

2017/12/03

チャチャチャな「キャラヴァン」

Ellaanddukeatthecotedazure








上のアルバム・ジャケット、スマホでちゃんとご覧になれるだろうか?パソコンで見たばあいの僕のブログは、文字が書いてあるベース地の色をクリーム色というか薄茶色みたいにしてあるので問題なく見えるはずだが、スマホだとどうなんだろう?(追記 〜 iPhone だと問題ないが、Mac でのほうが見えにくいじゃ〜ん^_^;;。)

っていうのはパソコン閲覧のときのこの僕のブログは、さまざまな色やサイド・バーの様子などその他デザインをちょこっとだけ工夫してあるのだが、スマホ、っていうか僕はiPhone しか持っていないので iPhoneの Safari でだが、それで見ると、そんなこんながじぇ〜んぶナシということになってしまってダメなんだ。iPhone を使うようになり、ブログのアクセス解析を見ると、読んでくださる総数の五割方以上がスマホやタブレット類であると知って、もはやデザインなんかどうでもいいや〜〜っ!

そんなことはいい。1998年にヴァーヴから出たものは CD 八枚組というサイズの大きなデューク・エリントン楽団とエラ・フィッツジェラルドの『コート・ダジュール・コンサーツ』。もとはレコードでそれら二者の共演分にのみスポットライトが当たっていたもので、それは1966年録音翌67年リリースの LP 二枚組『エラ・アンド・デューク・アト・ザ・コート・ダジュール』。

リイシュー CD でも二枚組のものがあって、それはオリジナル LP どおりのものにちょっとだけボーナス・トラックを足したもの。それら追加分はエラが歌わないエリントン楽団単独の演奏だけど、たった二曲だけだから、やっぱりあくまでエラとエリントンの共演をこそ聴くべきものだ。実際、素晴らしい内容だしね。でも今日はそれには触れない。

CD 八枚組となった『コート・ダジュール・コンサーツ』は、七枚目までが1966年7月26日から29日までのフル・コンサートの収録で、最後の八枚目には、ラストの一曲だけが27日の録音でエリントンのピアノ独奏(これはなんだろう?)であるのを除き、すべて28日の楽団リハーサルの模様が収録されている。七枚目までにはエラ・フィッツジェラルドとの共演分も当然すべてあるが、エリントン楽団単独の演奏もたっぷりすぎるほど聴けて、そのなかにはかなり面白いものがあるんだよね。

八枚全部の話を一度にするのは無理なので、一枚目、それも今日は一曲にだけ絞ってちょっと書いておきたい。二曲目の「キャラヴァン」のことだ。それはチャチャチャなんだよね。プエルト・リカンである当時のエリントン楽団員だったファン・ティゾールの書いた(版権登録名義はボスとの共作)、もとからアフロ・キューバンなジャズ・ナンバーで、初演はエピック盤『ザ・デュークス・メン』収録のコンボ編成録音。名義がバーニー・ビガード&ジャズ・ストンパーズで、1936年12月19日録音のヴァライアティ原盤(コロンビア系)。
これをキューバ音楽のなかに位置付けるとどういうものになるのかを言うことは難しい。はっきり言ってしまうと、あんまりアフロ・キューバンなフィーリングじゃないよね。でも1936年時点での北米合衆国ジャズとしてはエキゾティックだ。ジャズの誕生時からキューバを含むカリブ音楽要素ははっきりあるが、この1936年の「キャラヴァン」は、ちょっとそうとも言いにくい面がある。ここで長年、僕の心のなかにだけ置いてあったこと出してしまうが、このオリジナル・ヴァージョンの「キャラヴァン」には、曲名どおり隊商がサハラ砂漠を旅しているかのようなアラブ音楽テイストがある。と僕は思うけれど、どうだろう?

「キャラヴァン」という、聴き手に一瞬でチャームの魔法をかけてしまうような曲が、その後どういうさまざまな新解釈でどんなふうに展開されたのか、それもエリントン楽団だけでなく、種々のカヴァー・ヴァージョンでどうなっているかなんて話は、到底僕一人の手では扱えないことだ。どなたか「キャラヴァン」専門家(なんているの?いそうだよね、ヴェンチャーズあたりから)のかたにお任せしたいのだが、僕は僕なりにそのうち一つまとめてみようと思っている。

今日はとにかくコート・ダジュール・コンサートでの「キャラヴァン」のことだけだ。上で書いたように、この1966年7月26日のエリントン楽団がやった「キャラヴァン」はチャチャチャにアレンジされている。チャチャチャというキューバ音楽は日本でもかなり有名なので、どんなものか説明はしない。とにかくまずそのエリントン楽団のチャチャチャな「キャラヴァン」の音源をご紹介。
僕が自分で勝手にアップロードしたこれをお聴きになれば、なにが行われているのかは説明不要だ。エリントンの紹介をともなって、(ベースもあるが基本は)打楽器ばかり一個ずつ入ってくるその順序どおりにパーソネルも上から書いておいた。ドラムス、(ベース、)マラカス、クラベス、ギロで、後半の三つは管楽器奏者たちが管をおいて、代わりに叩いたり刻んだりしているものだ。彼ら三人は、この「キャラヴァン」では本来の管楽器に戻ることなく最後までパーカッションを担当しているのが、はっきりと聴こえる。

演奏終了後にエリントンが紹介する声が入っているので説明不要だけど、クラリネット・ソロはジミー・ハミルトン、トロンボーン・ソロはローレンス・ブラウン。ボスもピアノ・ソロを弾く。がしかしこの「キャラヴァン」では、そんなソロ演奏内容は大事なことじゃない。大事なのはリズム演奏のスタイルとフィーリングなんだよね。

ジミー・ハミルトンのクラリネット・ソロのあとに出てくる、二回目のローレンス・ブラウンのソロの途中で少しだけ4/4拍子になってしまうのがいまの僕は残念だ。曲全体をこのチャチャチャ・リズムでやってくれていたら完璧な一曲となっていたところ。ドラマー以外の三人の打楽器奏者のなかでは、特にバスター・クーパー(は本来ヴァルヴ・トローンボニスト)の刻むクラベスのサウンドがかなりクッキリと目立っていて、演奏の最後まで、基本、3・2クラーベのパターンをやっている。ちょっとのあいだの4ビート部分でだけそれが消えているので、やっぱりもったいなかったよなあ。

全米でのチャチャチャの流行って、何年ごろだったんだろうなあ?ちゃんとしたことは調べてみないと言えないが、やっぱり北米大陸上陸は1950年代半ば以後だったんじゃないかなあ?どうやらもとはヴェネスエーラ発祥のものらしいと読んだけれど、僕はその時代のことは知らないし聴いたこともない。知っているのはマンボの亜種としてキューバで演奏されるようになって以後だ。

マンボは1940年代末ごろに誕生日があるみたいだし、ダンソーン・マンボの一形態としてチャチャチャが発生したのは、だから50年代初頭あたりか?1958年のキューバ革命完遂後は、この国と北米との関係は冷えてしまったので、それ以前にやはり流入していたはずだ。エリントンの南仏コート・ダジュールでのコンサートが1966年なわけだけど、そのころにはアメリカでもあたりまえのものになっていたんだろうね。

なんだっけ?、日本の歌謡曲にもあったよな。え〜っと…、「黒猫のタンゴ」じゃなくって、え〜っとえ〜っと、あっ、そうそう、「おもちゃのチャチャチャ」だ!何年だっけとネット検索し、1962年の眞理ヨシコのレコードらしいと知り、翌63年の日本レコード大賞童謡賞をもらったとあるが、えっ、それって僕がまだ一歳のときじゃないか。

僕の記憶が芽生えるあたりの時期までテレビ番組などで流れたり、(ほかの歌手も?)歌ったりしていたんだろうね、「おもちゃのチャチャチャ」を。間違いない。そう記憶している。ってことは、日本でも1960年代前半にヒットしたくらいなんだから、1966年のアメリカ合衆国の音楽家、それも戦前からずっとアフロ・キューバンを熱心に取り入れているようなエリントンにとっては、だいたいがカリビアンなフィーリングのジャズ楽曲である「キャラヴァン」を、1966年にチャチャチャにアレンジするくらい、朝飯前だったのかもしれない。

だから、いまでも聴けるような音源として商品化はされてなくても、「キャラヴァン」をいろんな中南米音楽ふうにアレンジして実際に演奏していたんじゃないかと、僕は想像している、というか信じている。もちろんその根拠は、今日音源もご紹介した公式盤『コート・ダジュール・コンサーツ』で、チャチャチャな「キャラヴァン」が聴けることだ。リリースは1998年になったとはいえ、1966年の演奏としてこういうのが残っているんだから、ホントマジでいろんな「キャラヴァン」をやっていたはずだよ、デュークはね。

2017/12/02

ウー・ティン・トリオの演唱が本当に素晴らしい

Utin2017








以前、ビルマに現存する最高のギター名手、ウー・ティンについて書いた。「謎の変態ビルマ・ギター」だとして。
コメント欄をご覧になれば分るように bunboni さんがおっしゃるには、同じシリーズの第二弾がリリース予定だとなっていた。それがついこないだ(でもないか?ちょっと前(^_^;))、発売されたのだった。最初そのときは、ギター独奏だった前作や、またそれより先に発売されていたアウン・ナイン・ソーのやはりギター独奏アルバムと同様にインディ販売みたいなかたちでしか出回っていなかったウー・ティンの二作目だが、いまやその素晴らしさを地下販売みたいにしたままではあまりにもったいないということか、一般流通品となっているらしいのが、すごく喜ばしい。

一作目がほぼ全曲ギター独奏だった(最後の曲でだけ歌ってもいる)ウー・ティンだけど、こないだリリースされた二作目『Music OF Burma Virtuoso OF Burmese Guitar, Man Ya Pyi U Tin And His Bama Guitar』(長すぎっ)は、歌手と竹琴(パッタラー)奏者も参加のトリオ編成。だからヴォーカリスト、ラミンがあくまでメインで、ギターのウー・ティンとパッタラーのマウン・タンエーはほぼ伴奏役だ。

だからギタリストやギター専門家やギター・マニアみたいなかたがたには、ひょっとしたら一作目のほうが面白く聴こえるのだろうか?だがしかしビルマの大衆音楽の世界では、こんなふうなギターとパッタラーが歌手の伴奏をやるほうがふだんの姿なんだそうだ。それに、いままでまったくの摩訶不思議変態世界だとしか聴こえていなかったビルマ・ギターへの入門としても、むしろこっちのトリオ編成録音のほうが理解しやすいかも?

いやいや、理解だなんて、もちろん僕などには到底おぼつかない。ただただ面白い、楽しいと思って耳を傾けているだけで、CD 附属解説文の荻原和也さんが末尾で「聴き手のミャンマー音楽理解度が試される、コワいアルバムだ」などとお書きなもんだから、おそろしくて、ぜんぜん理解などしていないと自覚している僕なんか、あの文言を読んでしまったので、今日のこの文章だって、いちおう書きはするものの、公開できるかどうかおそろしくて。公開しない可能性だってある。『ミュージック・マガジン』最新号でのレヴュワーさんもビクビクしているのが行間に漂っていた。萩原さん、あんなこと、書かないほうがいいと思います〜+-。(^_^ *) 。

まあともかく、その萩原さんの解説分が素晴らしくて、しかもスリリングで刺激的。だからウー・ティンの新作に、今日の僕のこの文章で、ひょっとしてあるいは興味を持って買ってくださるかたでも出現したならば、音楽を聴いて、萩原さんの音楽的解説文(は世界のギター・ミュージック愛好家必読だ)と、ウー・ティンのお弟子さんである日本人、柳田泰さんのウー・ティンへの敬愛にあふれている紹介文をお読みになれば、僕のことなど忘れていただきたい。

音楽のことを書こう。ウー・ティン(ギター)、マウン・タンエー(パッタラー)、ラミン(ヴォーカル)の三人が繰り広げる全10曲は、4曲目が古典なだけで、ほかはぜんぶビルマ大衆歌謡みたいだ。リーフレットにそう記載があるのでそうかと思うだけの僕で、実際に聴いてみても、その古典ということになっている4曲目「Pale Myeit Son」と、ほかの9曲のあいだに違いが聴きとれない。これは僕の耳がヘボだってだけのことなんだろうな、きっと。

だからぜんぶいっしょくたにして書く。ギターやパッタラーはソロを演奏することもあるけれど、だいたいいつも歌の伴奏役だ。そしてギターもパッタラーも歌の旋律にピッタリと寄り添って離れない。パッタラーのほうは竹製なので、打楽器だという面もあって、実際、そんな響きがあって、パーカッシヴに聴こえたりもする。ポコポコパカパカって、僕の好きなサイン・ワインの音色にもちょっと似ている。

あっ、それを言ったらウー・ティンのスライド・ギターだってかなりパーカッシヴだよなあ。というと不正確だが、弾き出しのあの強烈なアタック音と、その後の音色と、フレイジングの組み立てが、なんというか硬質で、リリシズムや甘い情緒が入り込んで流麗になるような部分がなく、ハードでシャープで厳しい。そんなサウンドだよね、このスライド・ギターは。僕の耳にはそう聴こえる。

しかもそれでいて、ディープなフィーリングをギター・スライドでしっかり確実に出している。そのディープさは、ビルマの(古典&大衆)歌謡がもとから持っているものなんだと思う。ウー・ティンにしろほかのだれにしろ、それを楽器に移し替えてそのまま表現しているってことじゃないかなあ。だから歌の世界が時代とともに変化すれば、たとえばビルマ・スライド・ギターの演奏も、具体的にはフレイジングのニュアンスなど、特に弾きはじめと弾きおわりの部分で変化するということなんだろう。それだから、ウー・ティンとアウン・ナイン・ソーの、あのフィーリングの違いがあるのかもしれない。

パッタラーのことはおいといて、ウー・ティンのギターの話に専念するが、ビルマ歌謡のヴォーカリストと共演した新作で、そのギター・フレーズの創りかたが、一作目のギター独奏アルバムよりも一層はっきりした。これは間違いなくヴォーカル・フレーズを移植したギター表現だ。世界のどんな音楽でもヴォーカルのばあいは、(西洋音楽でいう)半音以下の細かな音の移動や表現や、また声を切ったり伸ばしたりも歌手の力量次第で自在にできる。

ところが、たとえばギターだと、ふつうのやりかたでは、音量も小さい楽器だし、ふつうは半音単位のフレットで区切られているから、指で押弦するばあいはそれ以下の細かい音は出しにくい(ぜんぜん出せないことはない)し、サステインも効かず音は伸びない。ハワイから流入したギターに最初から反響板が付いていたかどうか、僕には分らない。ハワイ音楽の世界的ブームとギターの拡散は1920年代だから、ビルマにもそのころ入ってきたと思うので、スライド奏法は同時に輸入されただろうが、そのときにリゾネイター・ギターも輸入されたかどうか?

そのあたりは萩原さんの解説文でも明言がないし、僕なんかに推測できるわけもない。ただウー・ティンもリゾネイター・ギターとふつうのアクースティック・ギターの両方を弾くので、う〜ん、どうなんだろう?まあとにかく電化アンプリファイはしない世界らしいので、音量の大きさとサステインを得るには、反響板のついたリゾネイター・ギターが最適だ。

それをスライドで弾けば、音量と音の伸びとともに、半音以下の細かなフレイジングも容易となる。ビルマ歌謡のヴォーカリストも微妙に音程が、西洋音楽的にいえば「外れている」。正確にはちょっとずつフラット気味になっている部分があって、もとから七音音階を使うので、それとあいまってまるでフラフラと船酔いするかのごとき眩暈を感じ、気持悪くなってしまう人もいるんだそうだ。ウゲェ〜と吐きそうになってしまうリスナーがたくさんいると聞いた。

だがしかしこれがビルマ音楽の独自の魔力だ。僕のばあい、ソーサーダトンがこの国の音楽初体験だったのだが、そんな気持悪さをまったく覚えなかったのはどうしてだったんだろう?彼女の声のチャーミングさで、あの摩訶不思議な旋律の違和感も消し飛んだのか?あるいは以前も書いたサイン・ワインのパカパカッっていうあの音色の虜となってしまったせいか?けっこうたくさんのアメリカ(発祥の)産音楽を聴いているつもりの、つまり西洋音楽の和声体系や、ブルーズを表現するペンタトニック・スケールにかなり馴染があるつもりの僕だったけれど、ビルマ音楽初体験のソーサーダトンにぜんぜん違和感がなく、アァ〜こんな音楽大好きだぁ〜って、そう感じたのが不思議だ。

そんなことも振り返って、今回やはり女性ヴォーカリストとの共演作アルバムを創った、ビルマ・ギター・ヴァーチュオーゾ、ウー・ティンの演奏を考えると、まったくの謎、変態、不思議世界に聴こえていたのが(それはなまじギターを使った音楽だったからだろう)、女性歌手ラミンの歌う旋律を、まるでなぞるように弾いているウー・ティンを聴き、ばあいによってはユニゾンで同時演唱したりしているので、あぁ、こういうことかと僕なりに得心がいったのだった。

もちろん謎はぜんぜん解けていない。理解もしていない。僕はね。ただウー・ティンとビルマ・スライド・ギター世界の面白さが拡大しただけだ。これでギター独奏アルバムだったウー・ティンの一作目や、あるいはほかのいろんなビルマ音楽 CD の聴こえかたも変化してくるはずで、これからの楽しみが増えた。

2017/12/01

ベルリンの街に舞い落ちる枯葉





まず、この全七トラックのプレイリストについて、データを書いておこう。曲はもちろんぜんぶ「枯葉」で、トランペットも当然すべてマイルズ・デイヴィス。

(1)モノラル・ヴァージョン。1958年3月9日、ニュー・ジャージーのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオ録音。
キャノンボール・アダリーのアルバム『サムシン・エルス』収録。
ジュリアン・キャノンボール・アダリー(アルト・サックス)、ハンク・ジョーンズ(ピアノ)、サム・ジョーンズ(ベース)、アート・ブレイキー(ドラムス)。

(2) ステレオ・ヴァージョン。それ以外はぜんぶ(1)と同じ。

(3)1961年4月22日 、サン・フランシスコのブラックホークでのライヴ録音。
2003年リリースの CD 四枚組『イン・パースン・フライデイ・アンド・サタデイ・ナイツ・アト・ザ・ブラックホーク、コンプリート』収録。
ハンク・モブリー(テナー・サックス)、ウィントン・ケリー(ピアノ)、ポール・チェインバーズ(ベース)、ジミー・コブ(ドラムス)。

(4)1963年7月27日、フランス、アンチーブでのライヴ録音。
『マイルズ・イン・ユーロップ』収録。
ジョージ・コールマン(テナー・サックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)。

(5) 1964年2月12日、ニュー・ヨークのフィルハーモニック・ホールでのライヴ録音。
2004年リリースの CD 七枚組『セヴン・ステップス:ザ・コンプリート・コロンビア・レコーディングズ 1963-1964』収録。
ジョージ・コールマン(テナー・サックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)。

(6) 1964年9月25日、西ドイツ、ベルリンでのライヴ録音。
アルバム『マイルズ・イン・バーリン』収録。
ウェイン・ショーター(テナー・サックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)。

(7) 1965年12月23日、シカゴのプラグド・ニッケルでのライヴ録音。
1995年発売の CD 七枚組『ザ・コンプリート・ライヴ・アト・ザ・プラグド・ニッケル 1965』収録。
ウェイン・ショーター(テナー・サックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)。

なにかオーディオ関係のことを新しくしたり、修理したり、とにかくなにか変えたときのチェック用に、僕はキャノンボール・アダリー名義の1958年ブルー・ノート盤『サムシン・エルス』一曲目の「枯葉」を使う癖がある。もう大学生の時にそうなって以来、いままでずっとぜんぶそうなのだ。まず確かめるのが左右2チャンネルの接続が正しくできているかどうか。ところが……。

Spotify を(部分的に)使うようになって、そのときどの装置で聴くかをセッティングしたり、その後また変えたりもしたので、それでやっぱりこれで、と思ってキャノンボールの『サムシン・エルス』を探して、あ、そうそう、このジャケットだよと思い聴いてみたら、モノラル・ヴァージョンのアルバムだったから、左右2チャンネルのチェックができなかった。

そう、つまりあの『サムシン・エルス』にはモノラル盤があるんだよね。というと多くのジャズ・リスナーは驚くか、驚かないまでも聴いたことがない、どこで入手したんだ?と思うかもしれないよね。でもまあ驚きはしないのかな、1958年に録音、発売されたアルバムだから。大手コロンビアなんかですらまだまだモノラル盤が標準、というかそれしか売っていなかった時代だから、インディのブルー・ノートはもちろんモノラル・アルバムしか売っていなかっただろう。

でもこれはどこにも明確な記載がないことだ。だから僕は1998年の、ルディ・ヴァン・ゲルダー自ら手がけた『サムシン・エルス』リイシュー CD を、店頭で買うときにはやはりどこにもステレオだかモノだか記載がなかったはずなのだが、家に帰って聴いてみてビックリするまで、ま〜ったくこの事実、すなわちこのアルバムにモノラル・マスターがあったということを知らなかった。

Spotify にあるキャノンボールの『サムシン・エルス』は、そのルディ・ヴァン・ゲルダー・リマスターのモノラル・エディションなんだよね。えぇ〜それじゃあちょっと…、まあ音質はこっちのほうがいいと CD で聴いて知ってはいたが、左右2チャンネルのチェックができないじゃ〜ん。ってことで、オーディオ・チェックには違うアルバムを使った。その後 Spotify でよく探すと、同じキャノンボールの『サムシン・エルス』でも、やっぱり長年ずっと標準だったステレオ・エディションもちゃんとあったのだが、なんだかおかしなジャケットなんだよなあ。すぐには見つけられなかった。

そんなわけで今日のプレイリスト1トラック目(モノ)と2トラック目(ステレオ)があるといういうわけ。もちろん演奏は同じ内容だし、それについてはもはや語る内容もないよう〜。ちょっとだけ付記しておくと、この印象的な冒頭部のアレンジは、マイルズが好きだったジャズ・ピアニスト、アーマッド・ジャマルのアレンジをそのままパクったものだが、それをマイルズ自身は引き継がなかった。やはりそこは名義上だけとはいえキャノンボールがボスなので、あのアレンジは、独立後のキャノンボールのバンドのものとなって、実際、ライヴ・アルバムで聴ける。

マイルズも「枯葉」はその後のライヴでやるものの(公式盤収録は上の五つでぜんぶ)、上のプレイリストでお聴きになって分るように、イントロもなしでいきなり自分が吹きはじめるというパターンをとった。アレンジなしみたいに聴こえるかもしれないが、演奏全体、特にソロ部分背後でのリズム・セクションの動きはアレンジされているか、あるいは自然発生的だとしてもバンドの統一感、一体感が生まれていて、たんなるスポンティニアスな演奏というだけでなく、繊細微妙な構築美が聴ける部分もある。

マイルズが自己のレギュラー・コンボでのライヴではじめて「枯葉」をやったのは、1960年後半の、サックスがソニー・スティットだった時期だけど、それはブートレグでしか聴けず。だから今日はいつものとおりとりあげない。公式盤収録は、上記のとおり1961年のブラックホーク・ライヴのものが、録音時期はいちばん早い。がしかしそれは2003年リリースだから、リアルタイム・リリースでの初登場は、新バンドになった『マイルズ・イン・ユーロップ』だ。1964年のレコード発売。

しかしここでまた問題があって、オリジナルの『マイルズ・イン・ユーロップ』収録の「枯葉」は、約二分短く編集されていた。たしか20世紀と21世紀の変わり目あたりに再発された同アルバムの CD から、ノー・カットのフル・ヴァージョンになったんだよね。『マイルズ・イン・ユーロップ』で短く編集されているのは、「枯葉」以外にも二曲あるが、今日の話題じゃないので省略。アナログ・レコード収録可能時間の問題だった。それら短縮編集ヴァージョンは Spotify には存在しない。いまや CD もふつうには買えませんから〜。

『マイルズ・イン・ユーロップ』の「枯葉」で短くなっているのは、二番手でソロをとるジョージ・コールマンのテナー・サックス・ソロだ。チョ〜メンドくさかったが聴き比べて確認した。フル・ヴァージョンにおける(曲全体の)4:53 〜6:37 がなくなっていて、その前後をピッタリくっつけてあるんだなあ。しかしこれ、短縮ヴァージョンで長年ずっと僕も聴いていたが、気がつかなかった。かなり巧妙なテープ編集だなあ。

しかしそのアンチーブでの編集版「枯葉」は二分以上も短かった。だからどこかほかのところ、確かめていないがたぶんハービー・ハンコックのピアノ・ソロもどこかをちょっとだけカットしてあると思う。さすがにマイルズのソロは切りにくいだろうし、ジョージ・コールマンのソロ部分は慎重に聴き比べて判断したので、そうなんだろうと思う。

ここまでモノラルかステレオか、編集済みか未編集かなどと、瑣末なことだった。すでに長くなってしまっているが、音楽内容にも少しは触れておこう。マイルズ・バンドがライヴでやる「枯葉」で、いちばん素晴らしいと僕が信じているのが、上記プレイリスト六曲目のベルリン・ライヴ。その次が四曲目のアンチーブ・ライヴ。1961年の旧バンドでのブラックホーク・ライヴも湿度の高い情緒があって好きだけど、きわめて残念なのがマイルズのソロ演奏途中から収録されていることだ。コンプリートだったら一位に選んでもいいくらい好きなんだけど…。う〜ん、残念だ。

そう、マイルズ・バンドの1960年代は情緒がどんどん乾いていったんだよね。新バンド、すなわちリズムがハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズになって以後は。これは「枯葉」だけのことでもライヴ演奏のことだけでもなく、一般的に言えることなんだよね。リリシズムがありはするものの、ふつうの意味でのいわゆるリリカルさではなくなった。それが好きかどうかは個人個人の好みの差だ。いいとか悪いとかじゃあない。

そうしてフィーリングが乾いていった新バンドでのライヴにおける「枯葉」だけど、それでもこのバンドのライヴ録音盤初お目見えだった1963年アンチーブ・ライヴでは、まだ少し湿っているよね。マイルズの吹きかたは61年のブラックホーク・ライヴと大差ない、というかほぼまったく変化なしだけど、このトランペッターはバックのリズム・セクションのフィーリングの変化に左右される、むしろ好んで左右されようと、それでもって自分の音楽を刷新しようとしていった人だ。だから、新しいリズムになったアンチーブ・ライヴでは、トランペット・ソロ内容が違って聴こえるのが面白い。

1963年アンチーブ・ライヴではジョージ・コールマンも健闘しているが、やっぱりちょっとなあ…。ハービーのピアノ・ソロは、64〜65年のライヴと比較すると、まだまだ完成度が低いように感じる。そういうわけでサックスがウェイン・ショーターに交代した時代の、スタジオでもライヴでも正真正銘初の公式録音である1964年9月25日、ベルリン・ライヴでの「枯葉」。これは絶品だ。むかしから、大学生のころから、この印象派ふうな「枯葉」が僕は大好きなんだよね。

ベルリン・ライヴでの「枯葉」。一番手のマイルズがソロを吹く背後でのリズム・セクション三人の動きに注目して聴いてほしい。特にブラシを使うトニー・ウィリアムズの叩きかた、いや、撫でかたが素晴らしい。ハタハタ、ヒラヒラと、まるで枯葉が落ちていき舞うのが目の前に見えるようなドラミングじゃないか。ハービーの右手シングル・トーンによるフレイジングもそうだ(特に 3:29 〜 3:47)。そのあいだロンがしっかり2/4拍子で支えていて、この三人が一体となって、ボスのハーマン・ミュート・トランペットによる、緊密に構築された美を放つソロを際立たせている。いやあ、素晴らしいよなあ。

二番手ウェインのテナー・サックス・ソロになると、また違った独特の鋭角的なフィーリングがあって、マイルズの印象派ふうなリリシズムとはかなり違うが、三番手ハービーのピアノ・ソロとあわせ、内容はかなりいい。(サックス奏者は変わっても)この新バンドによる「枯葉」でのソロのなかで、ふたりともいちばんいいのがこれだ。ウェインのテナー・ソロ終盤部でワン・コードになってチェンジせず、そのまましばらく吹き続けてグイグイ盛り上がっていくあたりはスリリングで息を飲む。そしてそのワン・コード部をウェインが吹き終えたら、そのままハービーの、右手の転がるようなシングル・ノーツが印象的なピアノ・ソロになる。

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