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2017/12/27

マジック・サムの「あの時代」

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いまでは複数あるマジック・サムのライヴ・アルバム。だが長年ずっとこの二枚組『マジック・サム・ライヴ』しかなかったのだった。CD では米デルマーク盤は一枚ものだけど、それはちょっとオミットしてある曲があって、日本の P ヴァイン盤はオリジナル LP どおりにぜんぶ収録の二枚組。二枚は複数の異なる意味を持つもの(?)だから、やっぱり二枚組で聴いたほうが分りやすい(かも?)。しかしこのレコードだって1981年とマジック・サムの死後リリースだったよなあ。

僕のばあい、『マジック・サム・ライヴ』はレコード発売とほぼ同時に買って聴いている。こりゃ不思議だ。でもそうだというハッキリ間違いない記憶があるんだよね。ジャズばかり買っていた大学生のころに自分ですすんで買ったブルーズ・ミュージックのライヴ・レコードは、まず B.B. キングの『ライヴ・アト・ザ・リーガル』、次いで『マジック・サム・ライヴ』だった。当時どうしてレコード・ショップでサムのこれに手が伸びたのかは忘れてしまった。

思い出話は今日はよしておいて、いま『マジック・サム・ライヴ』を聴いてどう思うかということだけ記しておきたい。しかし、これ、もとは二枚組の LP セットで僕も聴いてきていて、いま CD でも P ヴァインがそのままのコンプリートな二枚組 CD で出しているにもかかわらず、僕が持っているのは一枚物のデルマーク盤 CD だけなんだよね。デルマークは1981年に『マジック・サム・ライヴ』を発売したシカゴの名門ブルーズ・レーベル。たった二枚だけサムの生前にリリースされたアルバム『ウェスト・サイド・ソウル』も『ブラック・マジック』もデルマーク盤だ。その前にシングル盤ならデビュー期にコブラなどから出ていた。

『マジック・サム・ライヴ』だと、ヴォーカルよりも自然にギター・プレイに耳が行くものだから、P ヴァイン盤の解説文は、やはりこれまた小出斉さん(本業はブルーズ・ギタリスト)あたりがお書きなんじゃないだろうか?そっちも買っておけばよかったかもなあ。なんだかブルーズ・アルバムの日本語解説文って、どれもこれもぜんぶ小出さんが書いているんじゃないかなあ〜(笑)。これは嫌味とか皮肉とかなんかじゃぜんぜんなくって、僕は小出さんの文章が大好きで、しかも本業を活かしたギター・プレイ解説など、本当にお世話になっているので感謝しきり。みんなそうだよね。

『マジック・サム・ライヴ』。一枚物のデルマーク盤 CD しか僕は持っていないのでそれに沿って話をする。むかし一枚目だった1963/64年のゲットー・クラブでの録音が1〜9曲目。10曲目以後が1969年のアン・アーバー・ブルーズ・フェスティヴァル出演時のもので、バンド編成だってかなり違うし、だいいち録音年から言って、1963/64年はまだサムのアルバムがない時期だし一般的な人気もまだまだということで、いわば雌伏期みたいなもんだった。アン・アーバー・ブルーズ・フェスでやった69年には大きく羽ばたいていた。もっともっと先の未来があったはずだったのだが…。

さらに一番重要かな(?)と思うのが、1〜9曲目はアレックス・クラブというシカゴはウェスト・サイドの黒人街バーに出演したときのパフォーマンスで、だからこれはいわばブルーズの内的「現場」をとらえたレコーディングなんだよね。デビュー前と書いてある文章も見つかったが、上記のとおりシングル盤なら出ていたので、それはおかしい。でも間違いなく雌伏期ではあったのだ。そんな時期に、すでにテナー・サックス入りの編成で、少しリズム&ブルーズっぽいフィーリングの、というか要はちょっとソウル・ミュージック的なニュアンスもとりいれたブルーズ・ライヴを、すでにマジック・サムはやっていた。

そう考えると、その後デルマークと契約してリリースした上記のとおりのスタジオ録音アルバム二枚では、そんなソウル・ブルーズみたいな路線を展開するものの、直後の1969年アン・アーバー・ブルーズ・フェスティヴァルでは、自身のギター&ヴォーカルと、あとはベーシストとドラマーだけというシンプルなトリオ編成だから、ストレート・ブルーズをやっているのか?と思いきや、実はこっちでもけっこうソウルフルだというのが面白い。もう1969年だったんだからなあ、当然と言えば当然か。

だから今回聴きなおして実感したのは、マジック・サムの雌伏期にシカゴのゲットー・クラブでやった1963/64年録音分と、アルバムもリリース後の69年にフェスティヴァルの大きめの舞台で大勢の観客を前にして行ったパフォーマンスに、さほど大きな差がなかったということだ。これは僕のばあい今回の新発見だった。みなさんが一枚目と二枚目は意味が違うぞとおっしゃるので、なにも分ってない僕は長年ずっとそうなんだと思い込んで分けて聴いていたのだが、一枚物 CD で続けて『マジック・サム・ライヴ』を聴くと、あんがいそうでもないじゃないかって、そんな気がしてきたんだよね。

違っているのはバンド編成だけじゃないかなあ。もちろん主役のヴォーカルやギターの円熟味は1969年録音分のほうが増しているように僕にも聴こえ、こりゃまた69年のマジック・サムのブルーズってかなりの高みに到達していたんだなと思うものの、音楽的にはそこまで強調するほど大きな差はなかったのかもしれない。1963年にはすでにこの人の(ソウルふうの)ブルーズはちゃんしたレベルにあったんじゃないかとも感じたのだった。

黒人街のゲット・バーでのパフォーマンスということで、やっぱり僕みたいに「現場」の内側に分け入ったことのない人間はこの前半(二枚組なら一枚目)に聴き入って、ちょっとある意味、憧れるものなんだけど、マジック・サムのばあいは、アン・アーバー・ブルーズ・フェスティヴァルみたいな「外側」に開かれた場所でも、音楽性の変化は小さかったんだよね。たしかに1950年代後半のシングル盤でオリジナル・ヴァージョンをリリースしたレパートリーは深化しているけれど、63年だとそれがもう完成に近づいていたということかもしれない。

もう一つだけ書いておく。『マジック・サム・ライヴ』は、クラブ・パフォーマンスもフェスティヴァル・パフォーマンスも録音状態が悪い。もっとクリアな音で聴きたかったと僕だって思うんだが、しかしこれはこれでかえって面白いもかもしれないような気がする。このロー・ファイなサウンドがあんがいいいんだ。かえっていい感じのガレージ感を出すことにつながっていて、まるでパンク・ブルーズみたいに聴こえる部分があるからだ。

リズム&ブルーズのフィーリングとマナーをとりいれたソウル・ブルーズをやりながら、『マジック・サム・ライヴ』では、それがガレージ・パンク・ブルーズみたいに聴こえたりもするから、いかにも1960年代だというようなサウンドじゃないか。もちろんそれは狙ったものではなく、たんに録音状態が悪いだけなんだけど、結果的にはやっぱり「あの時代の」音楽になっているっていう、なんというか、あの当時のアメリカのロック・ミュージックやインディ・フリー・ジャズなんかとのシンクロ感がある。と僕は感じたんだけど、違うかなあ?自信はぜんぜんありません。

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