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2017/12/30

これがベスト!〜 スアド・マシのアクースティック・ライヴ

いったいぜんたい僕はいままでスアド・マシのなにを聴いていたんだろう?こんなに素晴らしい音楽家のことをちょっと苦手だなあって思っていたのが、いまでは自分でもぜんぜん理解できない。どこからどう聴いても僕好みじゃないか。自分の愛好対象になるかどうかすら、気づくのにこんなに時間がかかる僕って、なんて鈍感でなんてダメなんだろう…。もう自分で自分のことがまったく信用できない。自分の耳がそんなにバカだと思いたくないのだが、それが事実だなあ。

ってことを最近スアドのアルバムをどんどん聴きなおして強く実感しているわけだけど、四作目にあたるライヴ・アルバム2007年の『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』を聴くと、その本当に素晴らしい音楽に、これが苦手だなんてちっとも思えない僕だから、買っただけでぜんぜん再生すらしていなかったんだと信じたい。まあ苦手苦手と思いながら、2015年の最新作までぜんぶ CD を買って持っていて処分もしていなかったのが、不思議なような僕らしいような…。

『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』以後は、いままでのところスタジオ録音作が二枚あるスアドだけど、これ以前の三作もぜんぶひっくるめてのスアドの全アルバム中、このライヴ盤がいちばん音楽的に魅力的で、すぐれていると僕は感じる。ライヴは2007年1月29日と30日に、フランス東部の街サン・ルイにあるテアトル・クポールで収録したとブックレットに記載がある。

「ベスト」という言葉は、たんにそれまでの三作からそのままチョイスして再録したわけじゃなく、それらからレパートリーだけをベスト的にチョイスして、それをライヴで披露して収録したっていう意味だろうなあ。録音は当時の最新だ。しかもアルバム題どおり、楽器もオール・アクースティック編成で、米英における例の MTV アンプラグド・ライヴみたいなもんかな。あれも出演する音楽家は代表曲をやるばあいが多いよね。

スアドの『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』。収録の12曲すべてがそれまでの三作品からの曲で、今回順番に聴いてきた僕は、この素晴らしいライヴ演唱で、なんだか大団円というか一つの結論めいたものをもらったような気分だ。といっても、書き続けているようにスアドの声に色濃く漂うメランコリーの、その正体はやっぱり分らないのだが、アクースティック・ライヴ・ヴァージョンでは深い憂いだけでなく、ライヴならではの、なんというか華やかさがあるんだよね。メランコリックではあるんだけど活き活きと躍動している。特にスアドの声の色に艶があって、アクースティックな楽器伴奏でそれが一層輝いている。暗いことは暗いんだけど、深く沈み込んではいない。

それまでのスタジオ録音三作品では、エレキ・ギターやエレベやシンセサイザーなどの電気、電子楽器と、それからドラム・セットも使ってあったりするばあいが多かった。そんな編成とアレンジでやった曲も、『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』ではもちろん生楽器オンリーなので、アレンジをかなり変えてある。しかも伴奏は、スアド自身の弾くギターのほかは、たった三人だけ。ギターが一名、ウード(これまたリュートとのクレジットだが?)かバンジョーが一名、ダルブッカかほかの打楽器が一名。これだけ。

だから当然アレンジは変えなくちゃやれないんであって、それはたぶんスアド自身が考案しているものと思う。スタジオ録音作のオリジナルではロック・ナンバーみたいだったり、やっぱり世間で言われるようにフォーキーだったりするものも、ガラリと様子を変えていて、言ってみればアルジェリアのアラブ・アンダルース音楽色が濃く出ている。これは僕好みだね。

アラブ・アンダルース古典や大衆音楽のシャアビなども、トラディショナルなマナーでやるときの楽器編成はシンプルだ。そこからポップ化してやっているミクスチャー・バンドもたくさんあるけれど、スアドの『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』では、なんだかこういった伝統の原点に立ち返っているような音楽になっているんだよね。

スアド自身がそれを意図したものなのか、あるいはレコード会社側の「アクースティックな少人数編成で」という企画が先にあって、その結果としてそんな音楽になっただけなのか、それは僕には分らない。だがアルバム『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』のできあがりだけを聴いて判断するに、スアドは2007年のコンテンポラリー色というよりも、アラブ・アンダルースの伝統を表現している。ように僕には聴こえるけれどね。

もちろん先週指摘したように、ある時期以後の(たとえば一部のアフリカ音楽などにもある)ネオ・アクースティックとかオーガニック・サウンドとかっていう新潮流があるので、レコード会社もスアドとしても、そんなものの流れにちょっと乗っかって(先取りして?)ベスト的選曲で、しかもそれをライヴで、っていうこともあったんだろう。だけど、僕にはこのアルバムは伝統回帰路線に聴こえるんだよね。たんなる古典、伝統好き人間の妄言だろうか?

伴奏陣では、特にウード(じゃないかなあ、この音は?loot との記載だが)を弾くジュアラ・ハミッドが素晴らしい。アルバム・オープニングの一曲目「Denya Wezman - That's Life」の出だしでいきなり弾き出すこのウードのスタイルは、完璧にアラブ・アンダルース〜シャアビの伝統マナーにのっとっているものだ。ハミッドのそんなウードはアルバム全編をとおし、最も目立つサウンドになっていて、実際オブリガートでもソロでもいちばんたくさん弾いているし、音も大きいし、このアルバムのスアドの音楽の主成分になっている。

そんなウードに、スアドのとジャン・フランソワ・キルナーのと二本の六弦アコギと、ラバ・ハルファのダルブッカがからんでいるというのが、アルバムのメイン・サウンド。弦楽器が三本同時に鳴っているわけだけど、カラフルな印象は薄い。飾り気のない落ち着いたフィーリングになっていて、なんだか渋い。しかも、特にウードの音色やフレイジングがそうだけど、伴奏全体のサウンドもメランコリックだ。

そんなサウンドの上に乗るスアドのヴォーカルも、基本、メランコリック。さらにたとえば11曲目の「Ech Edani - I Shouldn't Have Fallen In Love With You」。これは『デブ』でやっていたスタジオ録音ヴァージョンと同じくシャアビふうなウード独奏に続き男声の詠唱があって(このライヴではダルブッカのラバ・ハルファが歌っている模様)、その後テンポ・インして走り出す、のは間違いないが、スタジオ・ヴァージョンにはあったエレベとドラム・セットがないせいか、あるいは解釈変更なのか、さほどの激情グルーヴではなく、やや落ち着いたフィーリングだ。

じゃあアルバム『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』全体をとおし、スアドのヴォーカルも伴奏サウンドも暗いのか?というと、それもさほどではなく、上で書いたように華やかさがあるし、まあそれは観客を前にしたライヴ・パフォーマンスであるがゆえかもしれないが、同じ曲をやっても、自己の音楽に向かうスアドの姿勢にやや変化のニュアンスを僕は感じ取っているんだよね。

あんなに深い深いメランコリーを色濃く表現してたスアドだけど、『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』では、それが暗すぎず派手すぎず賑やかすぎず激情的すぎず、また落ち着きすぎもしておらず、ちょうどいい中庸どころにおさまったような音楽になっているんじゃないだろうか?

たんに代表作をアクースティク・ライヴでやりましたというだけの意味であろう『アクースティック:ザ・ベスト・オヴ・スアド・マシ』。だけど、これは違う意味でもスアドのベスト作、いちばんの傑作だと僕は言いたい。素晴らしい。

最初にスアドのどのアルバムを、いつ、買ったのかも忘れ、その後ずっと苦手だなあ〜と思い続けてまいりましたが、それでも新作が出るたびにぜんぶ買い続けてきておりまして、いまごろようやくこの女性音楽家の素晴らしさに気がつきましたので、いままでの軽視を詫びる意味でも、またその音楽を賞賛したい意味でも、やっぱりこりゃフランスまで行ってスアド・マシさんご本人に頭を下げたい気持です。

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