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2017/12/11

ハウリン・ウルフにはどうしてこんなにラテン・ブルーズが多いのか?





という文章を書こうと思いハウリン・ウルフをよくよく聴きかえしてみたら、あんがいそうでもないなあ。だから「ウルフはラテン・ブルーズばっかり」、とまではさすがに思っていなかったが、なんだか多いぞという僕のこの印象は間違っていた。なんとなくイメージが強いとか、あるいはなんらかの偏った見方、つまり僕がラテン好きだというこの嗜好が色眼鏡になっていただけなんだろう。

といっても今回僕が聴きかえしたのは、単独盤での三枚だけ(うち、一枚は2in1)。そんでもって告白すると、単独盤 CD で持っているハウリン・ウルフは、UK ロック勢とセッションした例の『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』(は通常盤もデラックス盤も持っている)を除くと、英 ace がリリースした初期音源集の『シングズ・ザ・ブルーズ』と、あとはチェス原盤の MCA 盤『ハウリン・ウルフ』『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』の2in1で一枚、『ザ・リアル・フォーク・ブルーズ』と、たったこれだけの計三枚。

あとは復刻専門の英 Charly がリリースした、権利関係ちょっとヤバめ?のチェス録音全集 CD 七枚組を持ってはいるが、あまりふだんからどんどん聴くというものじゃないよなあ。今回もほとんど聴きかえさなかった。それは『ザ・コンプリート・レコーディングズ 1951 - 1969』だから、69年以後のチェス録音はもちろんない。今回も聴きかえさなかったに等しいのであまり言えないが、しかし附属のディスコグラフィが完璧だから、そこはじっくり読みかえした。

というわけで三枚『シングズ・ザ・ブルーズ』『ハウリン・ウルフ+モーニン・イン・ザ・ムーンライト』『ザ・リアル・フォーク・ブルーズ』で聴くと、ハウリン・ウルフのラテン調ブルーズって、まず最初の一枚にはぜんぜんなく、二枚目に五曲、三枚目に四曲と、たったこれだけとはいえ、いちおうあったから、それを入れたプレイリストを Spotify で作っておいたのが、この文章いちばん上のリンクだ。録音順に並べたので、その年月日だけ以下に記しておく。

1. Evil (1954/5/25)
2. Forty Four (ibid)
3. Who's Been Talkin' (1956/1)
4. Shake For Me (1961/6)
5. Down In The Bottom (1961/5)
6. Three Hundred Pounds Of Joy (1963/8/14)
7. Killing Floor (1964/8)
8. Ooh Baby, Hold Me (1965/4/15)

しかしたったの八曲かぁ〜。これが多いのか少ないのかなんとも言えないが、もっと多いと勝手に思い込んでいた。とはいえハウリン・ウルフにラテン・ブルーズの印象が強いのは、僕のばあいは間違いないことだった。最大の理由は、やっぱり「キリング・フロア」と「フーズ・ビン・トーキン」だろうなあ。この二曲も UK ブルーズ・ロッカー連中がよくやるものだからね。ラテン臭をデオドラントしてあることもあるけれど、曲じたいに馴染み、聞き憶えがあった僕は、ウルフのレコードを買ってもそれらを中心に熱心に聴いていた。あとは「ザ・レッド・ルースター」とか「アイ・エイント・スーパースティシャス」とか「シティング・オン・トップ・オヴ・ザ・ワールド」とか、そのへんだよなあ。よ〜くお分りでしょう、みなさん。ブルーズ・ロック好きのかたがたならば、かなり共感していただけるはず。

ってことはしかしラテン・ブルーズだけってわけがないし、ハウリン・ウルフのオリジナルはラテン調でも、たとえばレッド・ツッェペリンの「ザ・レモン・ソング」(『II』)みたいにキレイにそれを消してあったりもするしで、じゃあウルフのレコード買って聴くようになって、どうしてラテン・ブルーズの人だという思い込みが発生したのか、ますますわかんなくなっちゃった…。

たんにこういうことかなあ。アメリカ黒人ブルーズの世界だってラテン調がはっきりあるわけで、最近この思いがどんどん強くなってきている「すべてのアメリカ音楽とはラテン音楽の一種である」という事実がハウリン・ウルフのブルーズにもあるってだけの話なんだろうなあ。日本では油井正一さんの言葉で有名化している「ジャズはラテン音楽の一種」だという説を僕なりに敷衍、拡大してみたのと、それからここ数ヶ月の僕の文章で、もはやみなさんお気づきでしょう、僕は北米合衆国のいろんな音楽に中南米要素を見出すことばかりするようになっている。自認しているのは、これは僕の思い込み、偏向というよりも、アメリカ音楽の(一面の)真実だ。

どんどんそんな方向へ傾いているので、そのうちそれを大きく発展させられたらなあ。でも死ぬまでにできるのか…、僕は…、「アメリカ音楽とは、これすなわちラテン音楽」説の開陳を。僕だってもうあと30年もしたらこの世から消滅すると思うんだけど(つまりあとそのくらいはしぶとく生きるつもりで、生きているあいだは前を向いて進みたい)、でもあと10年か15年でなんとかしないといけないのかもなあ。インターネットとかブログとかって10〜15年後もまだあるかなあ。

どうでもいい話だった。ハウリン・ウルフのラテン・ブルーズ。印象が強いのは確かだ。僕だけの思い込みかもしれないが、面白いと思うよ。だってさ、ウルフと同世代で、やはり南部出身で、同じころのシカゴで活躍し、同じチェス・レーベルに録音したもう一人の大物ブルーズ・マン、マディ・ウォーターズに、こんな感じのラテン・ブルーズはあまりないもんね。マディとウルフを二大巨頭としてとらえたら、やっぱりウルフはラテン・ブルーズの人だっていうことになるんじゃないの〜?

でもここはみなさんあまり言っていない。僕の持つ、いまや数少ない紙情報と、膨大にある電子情報を、英日両語でササっと読みあさってみたが、だれひとりとしてハウリン・ウルフのブルーズにあるラテン・リズムに触れてすらもいない。だいたいみんな、あのダミ声でのうなり節と、それからみんなが異口同音に「野蛮だ」「野生的だ」「荒々しい」と言っているが…。ウルフのブルーズがそういう印象になるのは、大変によく理解できるものではあるけれども。

いちばん上でご紹介した Spotify のプレイリストでぜひ聴いていただきたい。1950年代半ば前後から、それも3・2クラーベ、いわゆるボ・ディドリー・ビートではない、もっと複雑にシンコペイトするラテン・ブルーズをやったブルーズ・マンって、ハウリン・ウルフだけじゃないの?ほかにいますか?ちょうどロックンロールが全米で爆発せんとする前夜あたりのことだ。

以前から、たとえばビッグ・ママ・ソーントンの記事でも書いたし、ほかにいくつもあるのだが、ロック以前にそれの母胎となったアメリカ黒人音楽には鮮明に跳ねるラテン・ビートがあった。ただ、アメリカの1950年代半ば以後のロッカーでも、あるいは1960年代以後のイギリスのロック音楽家たちでも、すぐには米黒人ブルーズやリズム&ブルーズにあるラテン要素をそのまま色濃くは反映させなかったかもしれない。だが徐々に確実にしみだしてきているじゃないか。

ロッカーたち、特に1960年代にデビューした UK ブルーズ・ロック連中にとっては、ハウリン・ウルフは最大のお手本だったんだもんね。もちろん上でご紹介したようなウルフのブルーズにあるようなラテン・フィーリングの面白さ、特にドラマーが表現するシンコペイションにはぜんぜん匹敵できていないけれどもさ。むしろ同じ米シカゴの後輩、オーティス・ラッシュあたりのラテン・ブルーズに直接流れているのかもしれないね。

プレイリストでは、四曲目の「シェイク・フォー・ミー」と、それからやっぱり七曲目の「キリング・フロア」が最高に楽しいよなあ。シンバルとスネアのリム・ショットでチャカチャカかやっているのは、だれあろうサム・レイだ。あっ!そういえば彼が叩いていたころの初期ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドには、鮮明なラテン調があったような気がする。さぁ、聴きなおそうっと。

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