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2018年1月

2018/01/31

渡辺貞夫ポップ・フュージョン再評価(3)

昨日だったか一昨日だったか、CD では初めて買って聴いた渡辺貞夫さんのポップ・フュージョン作品四枚のうち、1979年の『モーニング・アイランド』だけはイマイチかも?と書いたんだけど、とんでもない話だった。繰り返し聴くうち、かなりいいぞ間違いないと確信できるようになった。

どうしてイマイチに感じたかっていうと、それはたぶんカリブ中南米やアフリカ音楽の要素が、直接的には薄くなっているからだ。1970年代前半のはっきりしたアフリカン・ジャズ・フュージョン(のなかに鮮明な60年代フリー・ジャズの残滓がある)をやっていた貞夫さんって、昨年末ごろからまたふたたびすごいすごいと、あらためて感嘆の声をあげるようになっている僕なので、77年『マイ・ディア・ライフ』、78年『カリフォルニア・シャワー』まではそれがわりと聴きとれて、やっぱりいいじゃ〜んと感じたんだった。

『モーニング・アイランド』からは、いくつかの点で大きな違いが出てきている。まず録音場所がそれまでの西海岸ロス・アンジェルスから東海岸ニュー・ヨークに移り、レコーディングには前作までのデイヴ・グルーシン一人だけを連れていき、残りの面々は東海岸のフュージョン人材を起用している。

だから、たとえばドラマーがスティーヴ・ガッドになっているし、またゲスト参加で二曲、エリック・ゲイルがギターを弾く。これだけでも推測できることだけど、貞夫さんの1979年『モーニング・アイランド』の中身は、要するにスタッフがやっていたようなフュージョンなんだよね。つまりインストルメンタル R&B 〜ソウルみたいな音楽としてのフュージョン。

そんなスタッフみたいな音楽にカリブやブラジルやアフリカがないのか?と問われればもちろんあるけれど、それでもやっぱり直接的には弱くなっているよね。しかし正直に告白すると、大学生のころに二枚だけレコードを自分で買って聴いていた『カリフォルニア・シャワー』と『モーニング・アイランド』では、僕はどっちかというと後者の方が好きで、繰り返し聴く頻度もより高かった。

この話はすぐにノスタルジーにつながって、いまでもはっきり憶えているいろんな思い出がどんどん蘇ってきてちょっとメンドくさいので、今日はやめておく。僕は、しかしその後、ラテン音楽やアフリカ音楽方向に傾いて、しかしそれでもアメリカン・ブラック・ミュージックがいちばん好きであり続けているけれど、ちょっとだけ嗜好が変化したまま現在まで来ているんだよね。

だから『モーニング・アイランド』を久々に聴いて、最初、イマイチかも?って感じたんだろうね。しかしちゃんと聴くと、これはかなりファンキーで愉快な音楽だ。そして、書いてきているようなラテン/アフロ・ミュージック要素が、もはやそれとはわからないほどまでに溶け込んでいるのも聴きとれるようになってきた。

音楽的な要素の大半はファンキーなインストルメンタル・ソウルみたいなアルバム『モーニング・アイランド』。たとえばエリック・ゲイルがゲストでギターを弾く二曲目「ダウン・イースト」、五曲目「ホーム・ミーティング」なんかは、どう聴いてもアメリカン・ブラック・ミュージックだよね。インストルメンタル・ソウルだ。カッコイイじゃん。

しかしエリック・ゲイルが参加していないほかの曲、一例をあげれば四つ目の「ウィ・アー・ザ・ワン」なんかも完璧に同趣向のファンキー・ミュージックなんだよね。前作に引き続きデイヴ・グルーシンのアレンジと指揮による、やや大がかりなホーン隊とストリングス隊が参加しているので、できあがりの肌触りは聴きやすいポップ・ミュージックだが、リズムは強靭で粘っこくファンキー。こういうのを叩くときのスティーヴ・ガッドはマジでうまいよねえ。スタッフでの仕事と同じ。

「ウィ・アー・ザ・ワン」にギター・ソロはないが、七曲目「サンバ・ド・マルコス」出だしのテンポ・ルパート部分でのギター・サウンドがいい。まるで黒っぽくブルージーでありかつ都会的洗練で弾くエイモス・ギャレットみたいだから、僕はついこないだまでエリック・ゲイルに違いないと思っていたんだけど、ちゃんとクレジットを見たら違った。ジェフ・ミロノフなんだよね。

しかしそのイントロ・パートがまるでスタッフそっくりじゃんねえと思っていると、すぐに曲題どおりサンバふうなリズム演奏が入ってきてビートが効きはじめる。そこからがデイヴ・グルーシンの書いた曲である「サンバ・ド・マルコス」の聴かせどころ。サンバふうといっても前作の『カリフォルニア・シャワー』までだってそうだったようにソフト・タッチで、本場ブラジルのものには遠いような感じだ。泥臭さがなくてオシャレに洗練されているのは、デイヴ・グルーシンが書いたからというのもあるだろうけれど、貞夫さんの持ち味でもあるはず。

一曲目のアルバム・タイトル・ナンバー。これだってレゲエだけどまったく沈み込まず、いまでは見るのがちょっと気恥ずかしいようなジャケット・デザイン同様、大都会ニュー・ヨークの摩天楼を背景に、どこかのホテルで朝食をとっているときにピッタリ来そうなソフィスティケイティッド・ムード。レゲエだけでなく、ラテン・タッチだったりアフロだったりする要素も、薄くだけど、しっかりある。しかしそれら、もはやそうとはわからない。悪口として向けられることの多いセリフだけど<爽やかフュージョン>だよね。貞夫さんがフルートを吹いているせいもあってさ。

バラードに佳曲が多いのも『モーニング・アイランド』の特長。3曲目「セレナーデ」、6「プチ・ヴァルス・プール・サダオ」、ラストの8「イナー・エンブレイス」。どれも美しい。三つともまさに “ど”フュージョン路線のバラードで、かつて貞夫さんもときどきやっていたなにかの野生のチャントみたいな部分はぜんぜんない。

それら三曲のなかでは、特にデイヴ・グルーシンが書いてどうしてだかフランス語題をつけた「プチ・ヴァルス・プール・サダオ」がいい。リズム・セクションは一切演奏せず、デイヴのアクースティック・ピアノとストリングスの伴奏だけで、貞夫さんがフルートをただひたすら美しく吹く。これはたぶん即興ではなく作曲されたメロディをそのまま吹いているだけだと思うんだけど、綺麗なものは綺麗だ。

昨日だか一昨日だかにも書いたが、1970年代に入ってからのジャズ・シーンは、それまでの(行きすぎた?)アド・リブ真剣勝負一本槍志向から脱却して、よく練られたアレンジを比較的重視するようになっていたと僕は思うんだけど、そのこととリズムのファンキー化が一体化して、ジャズ・ロックやジャズ・ファンクやフュージョンにつながっていたと、僕には見えているんだよね。

だから書いたようにアド・リブなしで譜面どおりの演奏があったり、ソロがあっても必ずしも長く複雑ではなく、ちゃんとしたアレンジの合間合間にうまくはめ込まれるようになっていて、だから曲全体が緊密に構成されたものになっている。こんな事実は1970年代に大活躍したジャズ・ロック/フュージョン界の音楽家(含むマイルズ・デイヴィス)にだいたいあてはまるんだよね。

貞夫さんのポップ・フュージョン作品だと、1979年の『モーニング・アイランド』は、77年『マイ・ディア・ライフ』、78年『カリフォルニア・シャワー』よりも、一層アレンジ/ソロ比におけるアレンジへの傾斜が強くなっている。はめこまれるソロも、曲想や全体の雰囲気にうまく沿うように抑制されて軽く演奏されて、フリー(的)・ジャズのそれみたいにハミ出したりはしない。といってもソロは貞夫さん、デイヴ・グルーシン、ギタリストの三つだけ。

ほかの面々は完璧なる脇役に徹しているけれど、こういうのはヴォーカリストを前面に打ち出したポップ・ソングの世界ではむかしからふつうのことだ。歌手の表現をどれだけうまく際立たせるかだけにこそ腐心して、真剣に、ある意味ソロでのハード・ブロウよりも一生懸命に、演奏する。練り込まれ、ばあいによっては譜面化されているものを。

だからさ、アメリカのバンド、スタッフの本質が歌手のバック・バンドだったというのと似て、貞夫さんのポップ・ミュージックだって似たようなもんだったと思うんだ。ああいった米日のフュージョン・ミュージックって、要はヴォーカルのないポップ・ソングみたいなものだってことだ。いろんなポップ・ソングに親しみ、回帰するようになって、僕は最近ようやくわかってきた。

大学生のころの僕はあんなにもフュージョン好きで、しかも17歳になるまでは日本のポップ・ソング(つまり歌謡曲とか演歌とか)が大好きでどんどん聴いていた僕だけど、な〜んだ、そういうことかっ。

スタッフではときどきメンバーが歌うこともあったように、貞夫さんも、自分では歌わないがプロ歌手を起用するようになっていくんだよね。もうしばらくすると。

2018/01/30

渡辺貞夫ポップ・フュージョン再評価(2)

『マイ・ディア・ライフ』の次、1978年のアルバム『カリフォルニア・シャワー』になると、あの当時、一曲目のアルバム・タイトル・ナンバーを日本で知らない人はいないんじゃないかと思うほどだったよね。もちろん言いすぎだけど、それくらいヒットしたのは間違いない。ジャズとかフュージョンとかになんの興味もない人たちだって知っていたんだよ。

どれくらい人口に膾炙していたかというと、日本テレビのドラマ『太陽にほえろ』の何年ごろだったか、でも間違いなくあのころの放送回だったもののなかに、「渡辺貞夫、カリフォルニア・シャワー」という台詞が、脈絡なくふと突然、出てきたもんね。たぶん1978年か79年あたりだったっけなあ。でもテレビでその言葉を聞いたとき、僕はアッ!と思ったから、すでに貞夫さんのその曲を知っていたことになる。だから79年か、その少しあとだろう。

石原裕次郎やその他七曲署の刑事たちが言う台詞ではなく、たしかクルマのなかでだれかの刑事と、すでに捕まえた犯人との会話があって、そのなかで男性俳優演じる犯人が、自分はこうこうこうしてこんな犯罪に走ってしまったと、その前後の人生も含め訥々と告白するなかに「刑事さん、渡辺貞夫の “カリフォルニア・シャワー” って曲、知ってるか?俺はあれを聴くと心が休まって…」とかなんとか、かなりいい加減な記憶でアヤフヤだが、そういう場面があったのは間違いないと憶えている。

それでその瞬間に貞夫さんの曲「カリフォルニア・シャワー」が流れた…、というとウソであって、流れたかもしれないが流れなかったかもしれず、そこらへんにかんしてはまったく記憶がない。でも、ジャズやフュージョン楽曲の名前が、なんの関係もない刑事ドラマに前後の文脈なしで、しかもあの当時の『太陽にほえろ』は全盛期だったから人気番組だったわけで、そのなかの一話でフッと出てくるなんて、空前絶後だよなあ。うん、絶後かどうかはまだこの先わからないが、たぶん、ありえないんじゃないかな。

ネットでちょっと調べてみたら、曲「カリフォルニア・シャワー」と貞夫さんがあのころどんどん露出があって人気も急上昇で、日本人ジャズ・マンといえば、イコール、ナベサダだみたいな印象が焼き付けられていったらしい。アルバム『カリフォルニア・シャワー』も、あの当時だけで100万枚以上売れたそうで、どこの国のどんなジャズ・アルバムでも、いっときだけでそんなに売れたという例を、ほかに僕は知らない。

ある時期以後の僕は、売れること=正義だみたいな考えかたに傾いていて、音楽に限らずなんでもそうだけど、今日はジャズ・フュージョンだけの話。そんなにも売れた貞夫さんの『カリフォルニア・シャワー』だから、売れることは悪徳だ、商業主義に走った愚かな拝金主義だみたいな考えが、当時もあったと思うけれど、いまでもたぶんしつこくあるのかもしれない。だから一部の熱心な硬派のジャズ・リスナーや専門家たちからは、貞夫さんはどんどん疎ましく思われるようになったはず。

それでも貞夫さんが頑として譲らず、ああいったポップ・フュージョン路線をどんどん続けていったのは、ご自身のなかに確固たる信念があったからだと、いまでは僕もそう思う。一つには、昨日も書いたけれど、硬派なジャズ・リスナーたちにだって受け入れられていた1970年代前半のハードでシリアスなアフリカン・ジャズからの必然的な発展系だったこと。

もう一つは、自分たちの信じる音楽が、日本でも世界でも、一人でも多くのひとたちのところに届いてほしいという願望。受け入れられたいという承認欲求みたいなものじゃなく、これは本当に楽しくていい音楽なんですよ、まだまだ認知度は低いかもしれないが、こんなポップな音楽だったらみなさんも楽しめるんじゃないでしょうか?みなさんを楽しませたいだけなんですっていう、これは前から書いているように僕の言葉では <サッチモ化> ということになるんだけど、ルイ・アームストロングが持っていて生涯変わらず実践したエンターテイメント性を、貞夫さんも強く持つようになって、発揮するようになったということじゃないかなあ。

音楽が一部の(硬派)愛好家だけの玩具みたいになってしまうのは、実は音楽家にとっても、それから聴いている(硬派な)ファンにとっても、不幸なことだと思うんだよね。ジャズの世界はこりゃまたそうなりやすい世界で、だから貞夫さんの売れに売れたポップ・フュージョン路線もまた、サッチモが貫いたような愉快でノリやすい娯楽音楽なんだと、僕だったらそう考えて、肯定的に再評価したい。意識してかせずか、1978年の『カリフォルニア・シャワー』前後から、アルバム・ジャケットに写るものでもライヴ・ステージで観るときでも、貞夫さんは満面の笑みを浮かべるようになっていて、まさにサッチモなんだよね。

アルバム『カリフォルニア・シャワー』の中身の音楽についても、ちょっとは触れておこう。書いてきたようなポップなジャズ・フュージョン志向を、貞夫さんは米バークリー留学時代にゲイリー・マクファーランド(1971年没)から学んだ。実は今回僕が CD では初めて買ったアルバム『カリフォルニア・シャワー』に、むかし LP パッケージのなかにはさんであった大判の紙が縮小コピーされて附属しているのだが、それに印刷されている貞夫さん自身の言葉にも、ゲイリー・マクファーランドのことが出てくる。

貞夫さんとゲイリー・マクファーランドとのことはわりと有名なので省略。肝心なのはアルバム『カリフォルニア・シャワー』のなかに、一つ、ゲイリーの曲があるんだよね。A 面ラストだった「デザート・ライド」。ご存知ないかたは、上の Spotify リンクで聴いてほしい。メロディが美しく、ちょっとした哀愁(サウダージ?)もある、リズムは軽いブラジリアン・テイストの、かなりいい曲なんだよね。

リズムに細かく刻ませておいて上物はゆったりと乗る、ちょっとソフト・サンバみたいなもので、こういうのがゲイリー・マクファーランドの音楽志向だった。それがアメリカ留学時代の貞夫さんに大きな影響を与え、その後のアフリカン〜ブラジリアン・ジャズ・フュージョン路線への礎となったものなんだよね。貞夫さんヴァージョンの「デザート・ライド」は、ソプラニーノで綺麗に、しかも哀しげに吹いているが、デイヴ・グルーシンの弾くフェンダー・ローズの響きもチャーミングじゃないか。リー・リトナーもソフトなサウンドでギターを弾く。

大学生のころのはじめての出会い以来、最初から僕はこの A 面三曲目だった「デザート・ライド」がいちばん好きで、美しいなあと感じて繰り返しこればっかり聴いていたが、今回リイシュー CD で久しぶりに聴いても同じ感想だ。イイネ、この曲は。もとから曲がいい。それをまったく激しくないおだやかなソフト・タッチで演奏する貞夫さんとバンドも素晴らしい。メンツは前作『マイ・ディア・ライフ』とだいたい同じだ。

同じじゃないのは『マイ・ディア・ライフ』までの貞夫ミュージックに登場したことのない(はずだよね?)やや大がかりなホーン・セクションとストリングスが参加していることだ。バンド編成だけでやる曲と半々くらいで、たとえば二曲目「デュオ・クリエイティクス」、四曲目「セヴンス・ハイ」、五曲目「ターニング・ペイジズ・オヴ・オヴ・ウィンド」(なんて美しいバラードだろう)、七曲目「マイ・カントリー」には管弦が参加。

それでサウンドが豊かになって、ジャズ・ファンというわけじゃないふつう一般のちょっと音楽を流して楽しむ多くのみなさんにとっては、1978年ごろもいまも、そういったもののほうが聴きやすいんじゃないかと思う。貞夫さん自身のアイデアか、あるいは主導していたデイヴ・グルーシンの発案だったのかはわからない。管弦サウンドは、ある時期以後ポリフォニック・シンセサイザーで(ある程度は)代用できるようになったので、ライヴ・ツアーでの貞夫さんもそうやってそんな曲を演奏している。

アルバム『カリフォルニア・シャワー』には、しかしカリブ〜ブラジルの中南米音楽テイストとアフリカ志向が、かなり消化(昇華)されているのでちょっと聴いただけじゃわかりにくいのだが、それでもしっかりある。っていうかさ、中南米やアフリカの音楽もポップだろ。複雑ではあっても明快にダンサブルでノリやすいリズムと、とっつきやすいサウンドがあるじゃないか。ヴォーカルを抜けば『カリフォルニア・シャワー』みたいにならないかな。

全体の六曲目「ンゴマ・パーティ」は曲題からしてアフリカンだけど、しかしだれだか名前を見ても僕はわからないアメリカ人トロンボーニストが参加しての二管サウンドはブラジル音楽ふうでもある。リズム・フィールはそんなにポリリズミックじゃなく、シンプルなものだけど、中盤部でサックス&トロンボーンの二管アンサンブルでリフを演奏するところでリズム・ブレイクがなんどか入る。そこで打楽器オンリーの演奏になるパートがあるんだけど、スリリングで楽しいね。しかもそのあとはフルート&スティール・パンの合奏みたいな?音が聴こえるが、そうなんだろうか?シンセサイザーか?生演奏ならば、フルートは貞夫さんだとして、スティール・パンはポリーニョ・ダ・コスタかなあ?どっちにしてもカリビアン・テイストだ。

二曲目「デュオ・クリエイティクス」もリズムはアフリカンだけど、すぐに大編成ストリングスが入ってくるのでやわらかくなって、ちょっと見えにくくなっているだけなんだ。しかもこの曲後半でパッと転調した瞬間にリー・リトナーが弾きはじめるのはブルーズ・ギターじゃないか。かなりブルージーで、ハード・ロックっぽい感じもあるので、1960年代後半〜70年代前半のギター・ロックがお好きなみなさんだって気に入ってもらえるかも。

肝心のアルバム・トップ「カリフォルニア・シャワー」は鮮明なレゲエだよね。リズムのかたちだけ借りてきたもので、レゲエ・ミュージックの持ちやすい深刻なメッセージ性は皆無。ポップでとっつきやすく、クールにスカしたようなやや暗めの色調も聴きとれない。スカッと明るい。メロディも誰だって口ずさめる親しみやすさ。こんなメロディ・ラインを書けた当時の貞夫さんのセンスは、やっぱり図抜けて素晴らしかった。デイヴ・グルーシンのアレンジも隙がない完璧さだ。

曲「カリフォルニア・シャワー」には、こんなライヴ・ヴァージョンもあるんだよ。奇をてらったり難しがったり深刻さを装ったりせず、心から楽しめて、はじけるような音楽がいいんじゃないかなあ。

2018/01/29

渡辺貞夫ポップ・フュージョン再評価(1)

四日連続シリーズの一回目。

昨年暮れごろに渡辺貞夫さんのアフリカン・ジャズ方面のことを書いたでしょ。きっかけは、初 CD リイシューじゃなかったとはいえ僕は初めて CD で久々に再会した1974年のライヴ・アルバム『ムバリ・アフリカ』が2017年11月29日に再発されたこと。ホントに嬉しくて、これの先鞭的な作品だった72年の『Sadao Watanabe』も聴きなおし夢中で書いた。いやあ〜、大好きなんだよね、僕は、あのへんの貞夫さんが。

それで貞夫さん熱がぶり返すようになって、ちょっと Spotify で探してみたら、ちょっとはあるんだ、貞夫さんのフュージョン作品が。特に1977年の『マイ・ディア・ライフ』、78年の『カリフォルニア・シャワー』、79年の『モーニング・アイランド』が揃っているのがいい。どうして81年の傑作『オレンジ・エクスプレス』がないのか?これのエレベはマーカス・ミラーで、タイトル曲でギター・ソロを弾くのはジョージ・ベンスンなんだけどなあ、とか思うけれど、ないものねだりしてもしょうがない。

それ以後のものも含め Spotify でどんどん聴いていたら、かなりおもしろいぞと感じるようになった。特にいいのが1977年『マイ・ディア・ライフ』、78年『カリフォルニア・シャワー』、81年『オレンジ・エクスプレス』だ。79年の『モーニング・アイランド』はいまではイマイチかなあとか思ったけれど、それら四枚、結局ぜんぶ CD を買った。

だからそれら四枚について、今日から四日間にわたり、貞夫さんのポップ・フュージョン作品関連を書いていきたい。だいたい貞夫さんのあのへんのソフトでとっつきやすくキャッチーで、憶えやすいからつい鼻歌みたいに口ずさめるようなフュージョンのことは、音楽的側面からは、いまだかつてだれもマトモな文章にしてくれていない。フュージョン・ミュージック全体がそういう扱いで、いまのいままでちゃんと聴いて向き合った文章は皆無だ。僕なんかに、ちゃんと向き合ったマトモな文章が書けるかどうかわからないが、だれもやらない、ひとつもないんだから、僕がちょっとくらいなにか書いたっていいでしょう。

ソフトでとっつきやすくキャッチーで、憶えやすいからつい鼻歌みたいに口ずさむような音楽と書いたけれど、1977年の『マイ・ディア・ライフ』は、実を言うとアルバムの大半がまだそうでもない面もある。親しみやすい曲は、貞夫さんの人生最大の代表曲になった、アルバム・ラストの「マイ・ディア・ライフ」だけで、ほかはけっこうハードでゴリゴリ来るシビアなアフリカ(or ブラジル)&ジャズ・フュージョンという面もあるんだよね。

しかもその親しみやすい曲「マイ・ディア・ライフ」だって、このアルバムに収録されているヴァージョンは、そんな側面ばかりじゃない。そういう印象になっているのは、この後の各種ライヴ・ヴァージョンなど、いろんなそのほかのヴァージョンによるものなんじゃないかとわかってきた。1977年スタジオ録音の「マイ・ディア・ライフ」はけっこうアフリカンで、しかもマイルズ・デイヴィスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」みたいでもあるっていう。

アルバム『マイ・ディア・ライフ』が貞夫さんのポップ・フュージョン路線第一作だとみなされている最大の理由は、これがアメリカ西海岸のロス・アンジェルス録音で、現地のアメリカ人フュージョン・ミュージシャンを起用した最初のものだからだよね。録音は1977年の4月と6月で、このあとしばらく貞夫さんの作品でレギュラー起用されるようになるデイヴ・グルーシン(鍵盤)、リー・リトナー(ギター)、チャック・レイニー(ベース)、ハーヴィ・メイスン(ドラムス)らが揃っている。パーカッションはスティーヴ・フォーマンで、彼もその後の貞夫さん作品に参加しているものがある。このメンツは基本的にリーのアルバム『ジェントル・ソーツ』の面々をそのまま起用したもの。

もう一人、『マイ・ディア・ライフ』にはトロンボーンの福村博が参加している。福村は1970年代初期からずっと貞夫さんバンドのレギュラーだった。LA 録音に貞夫さんが連れて行った格好だけど、このアルバム録音が福村の貞夫さんバンドでのラストになった。でも貞夫さんはわりとトロンボーンが好きだったみたいだよね。ブラジル音楽の影響じゃないかと思う。向井滋春(も新宿ピットインでよく聴いた僕)なんかと相性良さそうだけど、共演があるのかどうかは知らない。

ロス・アンジェルスとかアメリカ人フュージョン・ミュージシャンたちとか、こういった録音場所とパーソネル起用は、貞夫さんの音楽キャリア初だったはずだ。なにがきっかけでどうしてそうなって、その後どんどんそれが加速することになったのか、僕にはいまだによくわからない、というか事情を知らないのでなにも書けないが、キャリアでの嚆矢となったのは間違いない。

アルバム『マイ・ディア・ライフ』は、ジャケット・デザインだってアフリカを思わせるものだし、中身を聴けば、四曲目の「L.A. サンセット」(ロスのサンセット大通りのことかなあ?)と五曲目の「浜辺のサンバ」を除くと、すべてアフリカン・ジャズ・フュージョンみたいで、つまり上で書いた1972〜74年作あたりの流れがまだかなり残っている。

曲題だけでも見ればそれはわかる。1曲目「マサイ・トーク」、2「サファリ」、3「ハンティング・ワールド」、7「マライカ」。曲題だけなら関係なさそうな6「ミュージック・ブレイク」は、やっぱりあまりアフリカンではないブラジル方面を向いたサンバ/ボサ・ノーヴァっぽいフィーリングで、つまり5「浜辺のサンバ」と同系だ。

一曲目「マサイ・トーク」は貞夫さんのフルートで静かにはじまり、そこは以前も書いたアフリカン・チャントみたいなもの。しばらくテンポ・ルパートでそれが続いたあと、リズムが入ってきて、貞夫さんはソプラニーノにチェンジして、バンドもファンキーになり、しかもアフリカふうなポリリズムっぽい。貞夫さん、デイヴ・グルーシン、リー・リトナーと各人のソロ内容もいいけれど、リズム・フィールと、練られたアレンジが素晴らしいと僕は思う。

リズムと整ったアレンジ。この二つは1960年代ジャズでは必ずしも重視されていなかったように見える。70年代になって、ジャズ・ミュージック界でもリズムがファンキーでポリリズミックになっていき、その上で緊密に構成されたアレンジを演奏するようになったというのは、一つの大きな変化だったと思うんだよね。いつもいつもリズムを聴き、アレンジド・ミュージックが好きな僕が言っているだけの話だが、ジャズ界が60年代フリー・ジャズを総括し70年代のジャズ・ロック、ジャズ・ファンク、フュージョンへ向かったときの、一つの大きな傾向だと考えている。

そんな傾向、方向性を、1969年ごろからのアメリカ人(ジャズ系)ミュージシャンにも読みとることができると思うんだよね。貞夫さんにしても60年代フリー・ジャズの残滓があったような72年の『Sadao Watanabe』や74年の『ムバリ・アフリカ』から大きく変化してポップになったのには、こんなような音楽展開があったと、『マイ・ディア・ライフ』を聴くと、そう思う。でもまだまだそんなにポップすぎず、書いたようにちょっぴりハードなアフリカン・ジャズっぽいけれどね。

アフリカでもブラジルでもないみたいな四曲目のバラード「L.A. サンセット」。これはしかしかなり美しい。リー・リトナーがアクースティック・ギター(ナイロン弦?)を弾く、その一台だけの伴奏で貞夫さんがフルートを吹く。ロスの夕暮れどきに、ちょっとどこかで一人たたずんでいるかのような瞑想的な曲想。これ、僕、大好きだなあ。今回(たぶん生まれてはじめて)アルバム『マイ・ディア・ライフ』をフルで聴き通し、いちばん感動的だったのが、この「L.A. サンセット」だ。

アルバム・ラストの曲「マイ・ディア・ライフ」のことは、上でほぼ書いてしまったような気もするが、貞夫さん自身のそれまでのキャリアでいうと、1974年の曲「ムバリ・アフリカ」の流れを汲んでいるように、今回、僕の耳には聴こえた。リズムのこの感じとか、ソプラニーノで演奏するこのメロディの東アフリカ音楽っぽい動きとかさ。

「ムバリ・アフリカ」https://www.youtube.com/watch?v=kSNBXPKinz4
「マイ・ディア・ライフ」https://open.spotify.com/track/6sBFxevwPRYZYSCDWPUObR

「マイ・ディア・ライフ」のほうはかなり整理されているよね。それでやや親しみやすい少し平易な感じになっていると思うんだけど、音楽の根幹には通底するものがたしかにある。「マイ・ディア・ライフ」は、デイヴ・グルーシンのフェンダー・ローズ・ソロの途中でドラマティックに転調し、その後ふたたび貞夫さんがテーマ・メロディを奏でる部分にトロンボーンの福村博がポリフォニー的にからんでいる。ほんの少しのあいだだけど、そのトロンボーンとソプラニーノがからんでいるときに、すごく気持ちイイ!って思っちゃう。

しかも上でも書いたが曲「マイ・ディア・ライフ」は、ジョー・ザヴィヌルが書いてマイルズがやった曲「イン・ア・サイレント・ウェイ」によく似ている。前者と違って後者に定常ビートはないが、メロディのどこか懐かしい、郷愁を誘うような動きには共通するものがあるのかもしれない。曲題の意味だって似ているじゃないか。曲想が似ているんだから。

しかしザヴィヌル/マイルズのそれにアフリカを聴きとった人は、たぶんいないよなあ。少なくとも文章化はされていないはず。通底するものがあるように、今回、僕には聴こえた貞夫さんの曲「マイ・ディア・ライフ」が、もとは「ムバリ・アフリカ」路線の発展、整理系のものなんだから、それが「イン・ア・サイレント・ウェイ」にも似て聴こえるというのは、これはいったいどういうことになるのだろう?

2018/01/28

フェイルーズを歌うドルサフ・ハムダーニの端正な美しさ



今日の文章はフェイルーズ・シリーズの余滴というか横道というか、余剰収穫だ。

チュニジア出身で、いまはフランスで活動する女性歌手ドルサフ・ハムダーニ。やっぱりアラブ歌謡こそが本領なんだろうけれど、この人のばあいシャンソンを歌っても同じように聴かせる歌唱力があって、うん、それはアレンジの勝利なのかもしれないが、アルバム『バルバラ・フェイルーズ』を聴くと、どうもそれだけじゃないヴォーカルの魅力だってあるんじゃないかなあ。すごくうまいし、端正だ。僕はそう思うんだけどね。

でもまあドルサフはアラブ歌謡が中心であるには違いない。彼女はいままでにフル・アルバムを二枚リリースしていて、どっちもアコール・クロワゼ盤の2012年『アラブ歌謡の女王たち』(Princesses du chant arabe)と2014年の『バルバラ・フェイルーズ』(Barbara Fairouz)。この二枚に共通するレパートリーがレバノンのフェイルーズだ。

一枚目の『アラブ歌謡の女王たち』はフェイルーズ、アスマハーン、ウム・クルスームを歌ったもので、フェイルーズは二曲だけ。だからどっちかというとアスマハーンとウムのほうに力が入っているアルバムのように思う。二枚目『バルバラ・フェイルーズ』はタイトルどおりバルバラ(フランス)とフェイルーズを、しかもアルバム内で一曲ずつ交互に歌って並べたもの。フェイルーズは六曲ある。

ってことはいままでにアルバムでドルサフが歌ったフェイルーズの曲はぜんぶで八曲。それをぜんぶ並べたのが上の自作 Spotify プレイリストだ。それを聴きながら、彼女がフェイルーズのレパートリーをどう解釈し、どう歌いこなしているのか、少しだけ書いておきたい。でも僕はフェイルーズの世界に通じているわけではないので、自信はない。かといって、僕のこの気持ち、なにも書かずにこのまま置いておくこともできない。

『アラブ歌謡の女王たち』にあるフェイルーズ・ナンバーは、どっちも映画挿入歌とか劇中歌とか、そんなものみたいだ。アルバム一曲目「リマ、おやすみなさい」(Yallah tnam Rima)は、どうやら子守唄なんだろう。ドルサフは無伴奏のア・カペラで歌いはじめていて、その後もほぼ楽器伴奏なし。だが途中からテンポ・インする。かすかに聴こえるのはカヌーンかなあ?

この曲はフェイルーズ・ヴァージョンも同じような感じだったようだ。映画のなかで彼女自身がこんなふうに歌っている。何年ごろの映画かなあ。1960年代末あたり?フェイルーズもア・カペラで歌っていて、アラビア語の歌詞の意味がわからないが、映像から子守唄なんだろうと推測できる。
ドルサフのアルバム『アラブ歌謡の女王たち』二曲目「愛よ、われらは戻った」(Rajeen ya hawa)だと、いかにもアラブ古典といった趣の楽器編成と伴奏スタイルで、ウード、カヌーン、ネイ、ダルブッカがクラシカルに演奏するなかで、ドルサフもきわめて端正にきっちりとこの歌をこなしている。

フェイルーズのはこんな感じで、これもやはりなんらかの(テレビ?)劇中歌。歌が出る前にやや長めの楽器伴奏がある。歌い口もクラシカルだが、僕の耳には下のフェイルーズのヴォーカルのほうが、ドルサフよりもモダンでポップに聴こえる。いずれにしてもメロディもリズムの感じもアラブ古典伝統だ。
ただしフェイルーズのばあいは、この「愛よ、われらは戻った」でもそうだが大がかりなストリングスが入っている。その他ほとんどのばあい壮大なオーケストラ伴奏があって、リズム・セクションなどはアラビアン・インストルメンツのアラビアン・スタイルかもしれないが、そこに、まず最初はラハバーニ兄弟の手によって、ゴージャスな西洋管弦楽や、ジャジーなものや、さらにラテン・リズムが混交している。フェイルーズの歌の伴奏はだいたいいつもそう。

そんなサウンドと彼女自身のきわめてなめらかな発声と歌いかたで、フェイルーズの音楽は世界的に人気のあるユニヴァーサルなポップ・ミュージックとなった。本当に素晴らしいことだと思う。ドルサフは、そんな壮大で劇的なサウンドを持つフェイルーズの歌をとりあげて、しかしサウンド面ではそれをまったく引き継いでいない。

ドルサフは常に少人数のコンボ編成でやっているんだよね、『アラブ歌謡の女王たち』では、それでもまだ五人の伴奏者が入るばあいが多いが、次の『バルバラ・フェイルーズ』では、ほとんどの曲が二、三人だけ。きわめて地味で、フェイルーズのあの重厚な絨毯のようなサウンドとは正反対なんだよね。ドルサフは、しかし、そうやることで、かえってフェイルーズの曲の旋律の美しさ、哀しさ、切なさを際立たせることに成功していると、僕は聴いている。

そんなふうに褒めてある文章が出てこないので、ただたんに僕がドルサフ好きだというだけかもしれないが、ドルサフの歌うフェイルーズが、僕は少なくとも大好きだ。なにかこう、僕個人の琴線に触れる、なんてもんじゃなくて、激しく揺さぶりまくってしまうものがあるんだ。う〜ん、やっぱりこれは嗜好というだけのことなのか…。高く評価できると思うんだけど、どなたもおっしゃいませんね…。

僕にとっていちばんヤバいのが、二作目『バルバラ・フェイルーズ』にある二曲目「笛と歌をください」(Atini Nay Wa Ghanni)だ。前からこの曲のこのドルサフ・ヴァージョンのことは書いているが、もうたまらない。ときどき泣く。今朝も聴きかえしながら今度は号泣してしまった。なにがあるんだろう?聴きながらでは歌詞がわからないから、そこに共感しているのではない。なにか、この曲の旋律の動きがヤバいんだろうなあ。それをいかにも切々と歌うドルサフのヴォーカルに心動かされている僕。

しかしそうはいうものの、『アラブ歌謡の女王たち』でも『バルバラ・フェイルーズ』でも、フェイルーズを歌うときのドルサフは、声の質、トーンがそっくりなんだよね。ここまでというのは、わざと似せているのか?と思うほど瓜二つで、存命だとはいえアラブ歌謡世界ではあまりにも偉大すぎる先輩歌手だから、かえってこんな似せかたはやりにくいんじゃないかと思うんだけどなあ。

それはドルサフなりの敬意と覚悟の示しかたなのか、あるいはフェイルーズを歌うとどうしてもそうなってしまうという一種の宿命みたいなものなのか、わかりませんが、たとえば iTunes で同じ曲を連続再生してみると、同じ歌手が続けて流れてきたのか?と思うほど。伴奏サウンドがぜんぜん違う加減なので、さすがに僕でも気づきますが、もし声だけ取り出せれば、これは判別不能というに近い。

聴くたびに僕が激しく感動する「笛と歌をください」(Atini Nay Wa Ghanni)でも、フェイルーズ・ヴァージョンだとこんな感じなんだよね。これはライヴ録音だなあ。いつものようにかなり大がかりな伴奏が入っている。バック・コーラスもある。主役女性歌手の歌いかたは文句なしに素晴らしい。
ところがこれをドルサフのヴァージョンは、ご存知ないかたや CD を取り出すのが面倒なかたは上の Spotify プレイリストで聴いてほしいんだけど、声と歌いかたは同じものをそのままなぞったような感じだが、サウンドがあまりにも違いすぎるほど違うよね。さらに、これも前から言っているが、間奏その他で入るハーモニカの音で泣けすぎる。なんですか?この哀しげなたたずまいは?う〜ん、でもやっぱりそんなソックリ瓜二つというだけじゃないなあ。ドルサフの歌い口には、フェイルーズにはない工夫も聴ける。しかしホントいったいどういった歌なんでしょう?曲題から察するに、音楽について歌った曲でしょうか?

このドルサフの「笛と歌をください」(Atini Nay Wa Ghanni)では、スティール弦のアクースティック・ギターがポロポロと弾くフレーズがちょっとしたリズムを創っていて、かなりゆっくりトボトボ歩いているようなフィーリングで、その上でドルサフが、なんの歌かわからないが、かなりしっかりと端正な発音で歌っているのが美しい。

そう、端正というかクラシカルに美しいというのが、フランス語で歌うときでもドルサフの長所だと僕は考えている。アラビア語はぜんぜんわからないからなんにも言えないが、ほかのいろんなアラブ圏女性歌手の発音と比較して、意味はサッパリだが、なんだかかっちりキレイに聴こえるぞという個人的な感想を僕は持っている。正調アラビア語と各方言があるそうなのでやっぱりわからないんだが、ドルサフの発音は端正なたたずまいに聴こえませんか?今日の話題じゃないが、フランス語は完璧だ。

ホントわからないだが、フェイルーズのレパートリーを歌うときのドルサフは、発音が古典的に美しい(って、アラビア語わからないのに、よく言えるよね)。きっちりかっちりとした発音、おそらく女性として、人間としても相当にちゃんとしているであろうと想像しているそんなドルサフの歌が、伴奏の地味で落ち着いたフィーリングといっしょになって、フェイルーズ・ヴァージョンだと派手でゴージャスに盛り上がる曲を、ヴォーカル・スタイルは同じなのに、かなり違った美を放つものとして聴かせてくれる。僕にはね。

う〜ん、またまた長くなってしまった。本当はこの半分くらいしか書けないはずだった。ドルサフがとりあげた曲でここまでご紹介していないもののフェイルーズ・ヴァージョンを、以下にご紹介しておく。みなさんも聴きくらべてみてください。

「シャラビの娘」(Al Bint El Chalabeya)
「いつもあなたが頭のなかに」(Baadak Ala Bali)
「ズルニ」(Zourouni)
「なんと多くのひとでしょう」(Addeysh Kan Fi Nas)
「イェルサレム」(Jerusalem [Zahrat Al Madaen])

2018/01/27

初期フェイルーズを聴く

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息子のジアード・ラハバーニがプロデュースしたフェイルーズを毎土曜続けて書いてシリーズ化するようなことを言いながら、いや、もちろんそれらはどんどん聴きかえしていて、文章も準備中だけど、先週書いた2010年作『望み』(Eh Fi Amal)のなかに「シャラビーヤの少女」(El Bent El Shalabiah)があったでしょ。それは若い時分にフェイルーズも歌ったものの再演だからと思って、その初期ヴァージョンも聴きなおしたのだった。

若いころのフェイルーズ「シャラビーヤの少女」は、日本では中村とうようさん編纂、解説のエル・スール盤『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』(2011)で聴ける。当時の新作『望み』と同じ曲が収録されたのは偶然なのかどうなのか。むろんたまたまのことなんだろうけれど、おもしろい。『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』は、『望み』リリース前から準備が進んでいたそうで、だからとうようさんも関係なく「シャラビーヤの少女」をチョイスしたあったんだろう。そこにタイミングよく新作がリリースされただけだ。でもなんだか偶然でもないような…。ちょっとこわいよねえ。

そんなわけで『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』一枚ぜんぶを通して聴きかえした僕。すると、2011年に買って繰り返し聴いていたころには見えていなかったことがちょっとだけ見えてきたりして、またフェイルーズの原点をいちおうおさえておいたほうがいいかもしれないとも思うようになったので、フェイルーズ&ジアード作品シリーズ第二回の前に、これを置いておく。

日本以外の国で、この1950年代ごろのフェイルーズの歌が、いまどういうかたちで聴けるのか、どんな CD でもなんでもアルバムになっているのか、僕にはわからない。『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』に収録されているのは1951(たぶん)〜59年(確定的)の録音で、主役女性歌手の年齢なら15〜24歳。実はこのころがフェイルーズにとってもいちばんよかったのかもしれないが、日本国外でのまとめられかたを知りたい。解説文のとうようさんによれば、フェイルーズの初期音源を一枚の CD にまとめて復刻するのは、『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』が世界初だとのことなんだけど。

これ以下、だいたいのことはとうようさんの解説文にあるとおりなので、CD『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』のブックレットをお持ちのかたは特にお読みになる必要はないと思われます。がしかしいちおう僕なりにパラフレイズして、事実関係やフェイルーズのヴォーカルや、曲のおもしろさや、ラハバーニ兄弟のアレンジ、プロデュース・ワークなどについて書いておこう。

フェイルーズがラハバーニ兄弟と出会ったのは1951年10月1日。とうようさんも、こんな事実がここまでくっきりと残っているということに少し驚いている。たしかに収録曲の録音年月日などが鮮明でないばあいがあるにもかかわらず…、と僕も思うけれど、こんなものかもしれないなあ。この1951/10/1以前に少し録音があるとのことなんだけど、とうようさんも聴いたことがないそうで、いまはなんらかのかたちで聴けるんだろうか?

つまりフェイルーズのレコーディング・キャリアは、そもそも最初からラハバーニ兄弟とのコラボレイションではじまり展開したというに近い。そのうち兄のアッシーとフェイルーズは1954年に結婚して、そして産んだ子供のうちの一人ジアードが、のちに母の音楽をプロデュースするようになるが、とうぜんずっと先の話だ。

ラハバーニ兄弟と組んだフェイルーズの初録音も1951年らしく、『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』の1、2曲目にそのなかから収録されている。1「ホナイナよ」(Ya Honaina [Bolero])、2「シャラビーの娘」(Albint Elchalabiya [Baion])。副題はどっちも最初のレコード発売から附属するもので、たぶんフェイルーズ本人というよりもラハバーニ兄弟の音楽志向だったんだろう。

ボレーロとかバイオンとか、つまりラテン・リズムなわけで、たしかに「ホナイナよ」「シャラビーの娘」の二つを聴くとそれらしきものを感じることができる。ほかにもタンゴだとかマンボだとかあるんだそうだけど『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』には未収録。でもこの1950年代初頭に、アラブはレバノンの音楽家だってラテン・リズムに興味を示していた。

というかそのもっと前からアラブ歌謡のなかにもラテン・テイストはあるので、ラハバーニ兄弟もその路線にしたがっただけなんだろう。それは端的に言ってダンス・ミュージック、踊れる要素ということだったんだと思う。ラハバーニ兄弟も、レバノンの音楽、アラブ民謡的なものをダンサブルにして、さらに国際化して、世界に通用する普遍的なポップ・ミュージックに仕立て上げたいという目論見があったんだろう。フェイルーズは、兄弟プロデューサーのそんな方向性に乗って、レバノン出身の世界的大スターになっていく。だから最初からそんな道がつけられていた。

『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』1曲目の「ホナイナよ」はウードを使ったしっとり系バラード調の佳曲で、主役歌手はまだ15歳だけど、ここまでの表現力があっても僕はちっとも驚かない。音楽、芸能の世界における15歳は充分オトナだ。美空ひばり、リトル・エスター(エスター・フィリップス)、鄧麗君、マイケル・ジャクスンなど、いくらでも類例をあげることができる。だから解説文でとうようさんがお書きの言葉には僕は納得しない。
2曲目「シャラビーの娘」だと、サウンドはもっとグッと洗練されてモダンでインターナショナルなものになる。エレキ・ギターが最初から聴こえ、1951年だとヨーロッパでも流行していたブラジルのバイオンのリズムやアコーディオンも取り入れて、はずんだリズムに乗って歌うフェイルーズの声にはすでに立派な艶や色気や表現力があるよね。これは見事な一曲で、だから、その後ほとんどだれも知らないレコードになってしまったので、約60年後に彼女自ら再演した気持ちは、僕にはとてもよくわかる。とうようさんは「実に不思議」とお書きだが。
3曲目「とがめ」(Etab)。1952年録音のこれがこれがアラブ圏で大ヒットして、フェイルーズの真のデビュー曲だと言われ、歌手として確固たるポジションを築くことになったものだそうだ。そりゃ当然そうだと僕も心から納得できる。素晴らしい曲(ラハバーニ兄弟作)だし、フェイルーズの歌い廻しもアラブ古典にのっとった、まあちょっと古めかしいものかもしれないが、僕はこの「とがめ」にとても大きな魅力を感じる。長く美しい曲の旋律といい、それを見事にこなす歌手の表現といい、本当に素晴らしいと心から感動するけれどね。
たしかに現代的でもないし国際的でもないこの「とがめ」。だからふつう一般の、アラブ圏以外の(って僕もそうですが)音楽リスナーにとってはとっつきにくい、聴きにくい、魅力を理解するのがむずかしいものなのかもしれない。だけどしかしこういうのがアラブ歌謡の魅力というものだと僕は信じているんだよね。テンポなしでゆったりと詠唱するかのような、聖なのか俗なのか区別できないような歌というか詠というか吟みたいものが、僕は大好き。アラブ圏に限った話じゃない。

アラブ古典伝統みたいな曲は、『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』のなかにはその後もある。いちばんハッキリしているのが6曲目「土地よ」(Ya Rabi’)。だいぶ年上のウム・クルスームみたいなエジプト起源の一曲で、韻律をともなう古典詩に装飾をつけてフェイルーズが歌う。これが!ホント〜ッに!すんばらしい。とうようさんも大絶賛している。僕もこれが2018年現在でも、フェイルーズの全キャリアを通してのトップ、最高至宝の歌唱に違いないと考えている。いやぁ、こりゃすごいね。
こんなすごいの聴いちゃったら、7曲目以下についてなにか書こうって気にならなくなった。がしかし10曲目「私たちはきっと帰る」(Sanarjiou)はこれまた最高だ。ラハバーニ兄弟の作詞作曲らしい。たしかにポップで聴きやすいが、しかしちょっとしたシリアスさ、深みがあるものだ。メロディやサウンドはラハバーニ兄弟らしい西洋クラシックぽいスタイルのモダンさだけど、そこはかとなくアラブやレバノン臭も漂うもの。フェイルーズ&ラハバーニ兄弟のオリジナルでは終生の名曲と言えるはず。

この「私たちはきっと帰る」は代表作となってその後も繰り返し歌われたので、『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』収録のオリジナル・ヴァージョンが YouTube などで見つからないけれども、同じ歌手が同じ曲をやるほぼ同様のものがたくさん出てくる。ぜひとも “Fairuz Sanarjiou” で検索して聴いてほしい。陽と陰が入り混じる素晴らしい一曲だ。

『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』12曲目からラストまではぜんぶライヴ録音で、1957〜59年録音。57年から年に一回のバールベック音楽祭にフェイルーズは(ラハバーニ兄弟のプロデュースで)出演するようになり、同音楽祭最大の目玉となり、50年代末〜60年代を通しフェイルーズのキャリアを代表する活動となった。それはまた、レバノンやアラブの伝統と西洋クラシック音楽などを高次元で一体化した音楽劇を展開するもので、その後のレバノンやアラブ世界の音楽の作風の基礎となった。

そんな音楽祭が開催されていたバールベックは、シリア国境近くのレバノン内陸部にあるベガー高原の古代ローマ遺跡。ここでの音楽フェスティヴァルは1955〜74年までの開催。クラシック界の音楽家も出演したし、またアメリカの黒人ジャズ演奏家マイルズ・デイヴィスも出演経験がある。そんななかでフェイルーズこそが最大の呼びものだった。1957年以後、バールベック出演がフェイルーズの活動の象徴みたいなものとなった。

2018/01/26

津軽をわたり天城を越える

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「毎晩同じ音楽を繰り返し繰り返し演奏する、オルゴールみたいな生活は嫌だ。」(『マイルス・デイビス自叙伝 I』p. 191)

「昨日と同じ服を着る気になれない。きのうと同じ音楽をプレイする気にもなれない。退屈だからな。」(『マイルスに訊け』p. 107)

音楽家本人の言葉をそのまま文字どおり額面どおりに受けとって鵜呑みにする人は少ないと思うんだけれど、それにしてもマイルズ・デイヴィスの発言にはウソが多い。ウソが言いすぎなら、見栄や虚勢を張ったりなど、そんな態度が非常に強く見てとれる。僕がこう断言するのは、肝心のマイルズの音楽も各種発言も、少しだけ深めに接してきているという自負があるからだ。そうすると音楽と各種発言内容との食い違いがかなり見えてくるんだよね。

いままでもこういった音楽と発言の食い違いをマイルズについても散発的に指摘してきた。やっぱりね、<真実は音にあり>。これですよ。音楽家がなにを考え、どういう方針で、どんなことをやろうとして、その結果どうなったのかは、ぜんぶ、音のなかに読みとるべきものだ。肝心の音をしっかり聴かずして本ばっかり読んでいるようなヤツはダメですね。

今日は上で二つ引用したことについて。すなわちオルゴールになるのは嫌だ、実際、僕はそうはなっていないというマイルズの発言について、これが実行した音楽と大きく食い違うのだということを少し書いておきたい。といってもみなさんおわかりのように、一人の音楽家の一定期間内での演唱レパートリーなんて限られているわけだから、毎晩毎晩ライヴをやっていれば、自ずと同じものばかり繰り返すことになるはずだ。これがマイルズのばあいも真実。だからくどくど説明する必要はないのかも。

マイルズは生涯を通しずっとライヴ活動をしているが、公式ライヴ録音数が最も多いのが1960年代なので、この時代の公式ライヴ音源だけぜんぶを一つのプレイリストにしてみたら、計20時間以上。1961〜67年までだ。いちおう69年録音のものでも公式リリースのライヴ盤があるけれど、すでに電化されていて、バンドのサウンドも演奏レパートリーも変化しているので外しておいた。

その計20時間超の1960年代マイルズ・ライヴ・プレイリストでは、もううんざりだというほど繰り返し繰り返し同じ曲が出てくるんだよね。またまた今夜も「ソー・ワット」「ウォーキン」「ラウンド・ミッドナイト」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「ノー・ブルーズ」「枯葉」…、その他いくつか。もうこればっかり。1961〜67年まではね。67年には「フットプリンツ」とか「ジンジャーブレッド・ボーイ」みたいな新たな曲もやっているが、一回のステージ全体から見ればそれはごく一部で、やっぱりスタンダード曲が九割方だもんね。

もちろん1961〜67年までレギュラー・バンドのメンツは変化しているので、それにあわせて演奏スタイルも変化しているということは言っておかないといけないな…、と思って、20時間超をぜんぶは聴きかえせないのでチョコチョコつまみ食いしてみたら、あ〜ら不思議、そんな強調するほどの大きな差は聴きとれなかったもんね。特にハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズの三人を起用して以後のライヴだと、1963〜67年まで、表現はもちろん深化しているが、音楽の本質としては同じなんだよね。

しかも、たとえば1965年のシカゴはプラグドニッケルでのライヴなんて、12月22日の3セット、12月23日の4セットと二日間で計7セットを、毎回毎回ぜんぶ似たようなレパートリーでやって、しかも演奏スタイルだって変化なしだ。二日間にわたる7回ステージが <同じ> なんだよ。これがオルゴールでないとしたら、なんなのだ?

1961〜67年までのマイルズ・ライヴでは、演奏曲目も同じものばかりなら、演奏スタイルもあまり変化しないわけだから、延々と判で押したような同じことの繰り返し = オルゴールを聴いているようなもんだよ。すまん、ちょっと言いすぎた。でもまあだいたいそんなようなもんだから、冒頭で引用した、僕はオルゴールみたいな音楽生活は嫌だとか、昨日と同じ音楽をプレイする気になれないよっていう本人の発言はなんなんでしょう?

ここまで1960年代に限定しているが、それは最もたくさんの公式ライヴ盤があるからというだけで、公式でもブートレグでもライヴ収録の少ない1950年代、ライヴじたいは活発だったが公式収録は必ずしも多くない70年代前半、やはりかなり活発にライヴをやっていたのに公式発売がほぼないに等しい(と言えるほどライヴじたいはかなりたくさんやった)1981年復帰後だって、マイルズのこんなオルゴール生活は変わっていないんだ。

要するにマイルズ・デイヴィスのライヴ活動とは、3〜5年くらいのタイム・スパンで見れば、ほぼオルゴールそのもの。がしかしこれは悪口なんかじゃない。上でも触れたがマイルズに限ったことじゃないしね。一人の歌手や演奏家が一定期間内で行うライヴは、毎回チョコチョコっと新機軸を試してみたりするものの、それ以外はだいたい同じことの繰り返しだろう。世の音楽家に共通する普遍の真実なんじゃないかと思う。

しかしですね、ここからが肝心なんだけど、そんな真実(すなわち、音楽はオルゴールである)を、僕は必ずしも否定的にはとらえていない。以前、ボブ・ディランのボックス『ザ・1966・ライヴ・レコーディングズ』36枚組について僕は書いて、36枚どんどん聴いてもだいたい同じだが、しかし音楽が完成され洗練されたらそういう具合になるんだから、ネガティヴに考えるんじゃなく、落語や漫才の定番を聴くように古典的芸能表現として十分楽しめるじゃないかと指摘した。
ディランだってマイルズだって、一定の期間、その音楽が洗練を極め完成しきっていたころはオルゴールになっているんだし、このコロンビア所属二大スターだけじゃなく、音楽家、芸能者、あるいは表現者一般か?ってみんなそうなんじゃないかと思うんだよね。レパートリーも表現様式も、一人がそんなにたくさん持つなんてまずほぼ不可能だ。音楽がオルゴールになるのを、聴く側のファンだけでなく、歌手や演奏家本人の側も、あまり否定的に考えすぎないほうが僕は健全だと思うんだ。

どうしてかというと、そんなふうにオルゴールになっても拒否されないのは、歌や演奏が真に大衆のものとなっている、ポピュラーな日常の音楽としてみんなに受け入れられているという証拠だからだ。大衆音楽のありようとは、みんなのふだんのものになるというのが理想なんじゃないかなあ。毎回「違う景色」とかよそ行きのものじゃなく、いつもいつも同じ曲を同じように歌い演奏して、つまり同じ景色を見せて、それが普段着になって、リスナーも日常的にそれを聴いて、やっぱり楽しめるっていう、そういうのが大衆の音楽ってことだと思うよ。そういうことが可能になっているのは、歌や演奏に深みがあるからですよ。古典的洗練の粋ってことですよ。

2018/01/25

前田敦子は麻薬である


うまく言えないんだが、前田敦子のヴォーカルを聴くと、心がヒリヒリしたりザワザワしたりする。っていうかあっちゃんの声そのものがヒリヒリザワザワしているように聴こえる。しかしそれは、だからといって聴いている僕の気持ちを不安にさせるものではなく、その正反対に癒されて、慰撫されて、なんだか落ち着いてリラックスできて、その反面、ウキウキした気分にもなったりするっていうものだ。

不思議な声の持ち主だなあ、前田敦子って。声そのものはどう訓練しても変えられるものじゃないから、天賦の才なんだろうね。つまり天才ヴォーカリストだ、あっちゃんは。純技巧的な意味では決して上手いとはいえないあっちゃんで、だから AKB48関連の歌手たちのなかで僕が最も高く評価する岩佐美咲とはタイプが違う。美咲は超上手いもん。

そんなわけで前田敦子か岩佐美咲か、それはタイプが違うんだから、同じ線の上に並べて論じるのは意味のないことだ。どっちが No.1 でどっちが二線級だとかいう言いかたは、個人的にはあまり感心しない。まぁあれだ、僕は美咲ちゃんにゾッコンなわけだから、そりゃあ美咲ちゃんを上に置いているんだけど、それは絶対に変わらないんだけど、あっちゃんの声にも惚れちゃったいま、もうどうしたらいいのかわからない。麻薬なんだよね、あっちゃんの声そのものが。

みなさんがいろいろとおっしゃるけれども、僕に言わせりゃ(クラシック音楽の声楽家とは違って)ポピュラー音楽の歌手の魅力の99%は声そのもので決まる。声は持って生まれたものだ。訓練で上達する部分、すなわちこう「なる」というものと、どうにも育てられない部分、すなわちこう「生まれる」というものがあるだろう。スポーツ選手だって、どんなに優秀な指導者をもってしても教えられない、変えられない、成長させられない能力ってものがあるだろう。同じことだ。

ポピュラー音楽の歌手のばあい、そういった訓練では成長させられない生得的資質の最大のものが、声そのものに宿るチャームだ。前田敦子はそれをたっぷり持って生まれてきた女性。言い換えれば、歌ってみんなを慰めたり癒したり、励ましたりする、つまり一言で表現すれば、魂を揺さぶるために生まれてきた天才歌手。それがあっちゃん。その声が持つ麻薬成分。

まだご存知ないみなさんもじっくりと耳を傾けていただきたいのだが、特に楽器伴奏があまり派手じゃなく、抑えたバックで歌うものだと、前田敦子の声がどんなものなのか、わかりやすいと思う。ソロ・アルバム『Selfish』なら、たとえば「やさしいサヨナラ」「冷たい炎」「Flower」「頬杖とカフェ・マキアート」「右肩」などかなあ。

楽曲の魅力と前田敦子の声の魅力が一体化したチャーミングさなら、ほかにも「タイムマシンなんていらない」とか「君は僕だ」なんかも素晴らしい。僕の好みだけならほかにも「コンタクトレンズ」「壊れたシグナル」「I'm free」なんかもイイネ。またアルバムには未収録だけど、EP『Flower』収録の「夜明けまで」はとてもいい。

もっとも「夜明けまで」は、そのオリジナル・ヴァージョンもさることながら、僕が本当に降参しちゃっているのは、たとえば次のようなライヴ歌唱だ。本当に素晴らしい。これはピアノ一台だけの伴奏で歌ったもので、その意味でも、ヴォーカリスト前田敦子のどこらへんに魅力があるのか、わかりやすいと思う。
そのほか、YouTube にたくさんある前田敦子の歌から、本当に少しだけ紹介しておくと

「Flower」
「Flower」神戸夜公演
「愛しすぎると」 (Accoustic ver.)
「右肩」with 高橋みなみ 
僕の聴くところ、前田敦子の声には独特のカスレがあるようだ。ふつうに声を出して歌っているだけなんだけど、そのとき歌声と同時にちょっとしたノイズ成分もいっしょに出ているように思う。カスれてハスキーでザワッとしたような混じり気が、あっちゃんの声というかヴォーカルにはあるんだよね。

三味線のサワリだとか、世界にいろいろある楽器の出すビリビリいうノイズ成分は、<本来の>楽器音と同時に鳴ることで、僕たちポピュラー音楽ファンにはたまらない快感を与えてくれるものだよね。これはもう、理屈じゃない。シンプルに気持ちいいんだ。聴いていて心が落ち着いて慰撫されるような楽器サウンド。それがちょっとしたノイズ混じりの音じゃないかなあ。

楽器奏者じゃななくても、声にそんなような混じり気を持っていて、歌うと、リスナーに快感と脳の安らぎを与えてくれる歌手だっているよね。ここ最近の20代日本人歌手なら前田敦子はそんな歌手だろう。繰り返しになるが、こういった声は訓練してこうなれるというようなもんじゃないよ。もとから持って生まれるしかないものだ。だから、あっちゃんは天才だっていうんだよ。

そしてやっぱりこれがサイコーだ。

前田敦子「タイムマシンなんていらない」
なお、AKB48の楽曲で前田敦子がソロで歌うとか、部分的にソロ・パートがあるとかってものは、今日はとりあげなかった。まだそこまではちゃんと聴けていない。もっともっと時間が必要だ。ものすごくのんびりと待っていてください。そのうちなんとか…。

2018/01/24

ウェイン・ショーターのアクースティック・ジャズでは、実はこれが最高傑作


1969年の『スーパー・ノーヴァ』以前の、ストレート・アヘッドなジャズをやるウェイン・ショーターのリーダー作というと、デビュー期のヴィー・ジェイ盤三枚以後はぜんぶブルー・ノート盤で八枚ある。がしかしそのうち二枚は、当時録音されていたにもかかわらずお蔵入りしていた。1965年録音79年リリースの『ザ・スースセイヤー』と、同65年録音80年リリースの『エトセトラ』。

『エトセトラ』のほうにはギル・エヴァンズの作編曲もあったりするのでおもしろいのだが、ふつうのメインストリーム・ジャズとして聴くぶんには、僕なら『ザ・スースセイヤー』のほうが好き。そしてこの時期のブルー・ノート盤ウェインだと、高名な『ジュジュ』『スピーク・ノー・イーヴル』『アダムズ・アップル』などのリアルタイム盤を超える最高傑作が、実は『ザ・スースセイヤー』なんじゃないかと僕は考えている。

だれもそんなことを言わないのは、『ザ・スースセイヤー』が当時未発売だったからに違いない。リリースされた1979年というとウェインはウェザー・リポートの一員で、しかもこのバンドが全盛期で大活躍の真っ只中。いちばん充実していたころだったというあたりなので、そんな時期にひっそりと?リリースされた蔵出し音源なんか、当時もいまも、高く評価しないということなんじゃないかなあ。

でも『ザ・スースセイヤー』にちゃんと耳を傾けてほしい。僕はといえば発売直後あたりに買って、これはすごくいいなあと気に入って、もちろんウェザー・リポートに夢中だったころだけど、あのバンドのあのころはウェインのソロ・パートがかなり少なくなっていたから、テナー・サックスを吹きまくるふつうのジャズ・アルバムとして、『ザ・スースセイヤー』が好きになったのだ。

そしてなにを隠そう、僕がはじめて買ったウェインのソロ・リーダー作品が『ザ・スースセイヤー』だったのだ。間違いなく当時の新リリース作品だったからだよなあ。ジャケットも店頭で見て気に入った。いまの日本盤リイシュー CD では違うジャケットに変更されているものもあって、どうしてそんなことするのかわからないが、ご存知ないかたは要注意。『預言者』というアルバム題どおり、神秘の壺?みたいなイラストのものがオリジナルで、こっちじゃないと雰囲気出ないんだ。

ふつうのメインストリーム・ジャズだと書いた『ザ・スースセイヤー』だけど、参加メンバーがバリバリ豪快にソロを取っているのかというと、実はそうでもない面がある。三管編成だから、アンサンブル部分はかなりアレンジされている。1959〜64年のウェインはアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに在籍していて、三管だった時期にもアレンジを書いていたよね。あのころはウェインが音楽監督だった。だから三管アレンジは問題なくこなせるんだろう。

その三人のホーン奏者は、ウェインのテナー・サックス以外には、フレディ・ハバードのトランペット、ジェイムズ・スポルディングのアルト・サックス。スポルディングはやや知名度が低いかもしれないが、1960年代のブルー・ノート・セッションでは影の立役者みたいな存在だったんだよ。といってもぜんぶサイド・マンとしていろんな人の作品で聴けるだけ。リーダー作は1970年代に入って以後、ブルー・ノートじゃないところにある。

このジェイムズ・スポルディングの参加がおもしろいんだよね。アンサンブルが三管で分厚くなるだけでなく、そのアルト・ヴォイスがいい。正直言ってウェインやフレディ・ハバードのソロより僕は好きなほどだもんね。こんなアルト奏者がいるんだってことは『ザ・スースセイヤー』ではじめて知った僕だけど。アルトの音色にソニー・クリスみたいな湿り気というか色気と艶があって、しかしときどき、それと裏腹なエリック・ドルフィーふうのサウンドやフレイジングだったりするっていうおもしろさ。

さらにリズム・セクション三人。ピアノはマッコイ・タイナーだけど、ベースとドラムスがロン・カーターとトニー・ウィリアムズで、『ザ・スースセイヤー』が録音された1965年3月4日には、活動休止中のマイルズ・デイヴィス・クインテットのレギュラー・メンバーだ。特にトニーに着目すべき。トニーがウェインのブルー・ノート盤に参加して叩いているのは『ザ・スースセイヤー』だけなんだよね。ほかはぜんぶエルヴィン・ジョーンズかジョー・チェインバーズ。特にチェインバーズと出会って以後のウェインは、このドラマーがお気に入りになったみたい。

だけど、1965年3月時点ならいちばん素晴らしいのがトニー・ウィリアムズだったんじゃないと僕は思う。どうしてウェインのほかのアルバムに参加していないのか、あるいは唯一参加した『ザ・スースセイヤー』がどうして長年未発売のままだったのか、そのあたりはやっぱりどうも三人のボスだったマイルズの契約先であるコロンビアに気を遣ったってことだったんだろうか?わかりませんが、なんとなくそうだったんじゃないかなって気がする。

トニー・ウィリアムズが参加していることで、ウェインの『ザ・スースセイヤー』は、これ以外のアルバムとリズムの感じが少し違うんだよね。こんなこともあって僕はこのアルバムがベストだって上で書いたんだ。特にハード・ブロウするもの、たとえば二曲目「アンゴラ」、四曲目「ザ・スースセイヤー」なんかではトニーだからこそというプッシュぶりで、ちょっとポリリズムっぽくなりかけてもいて、そうでないとしても、少なくとも複雑で細かいビートを刻んでいる。そこがいいよなあ。

曲「ザ・スースセイヤー」は、曲としてもおもしろいもので、出だしのこの素っ頓狂にヒョコヒョコとやっている感じもいい。コンポーザーとしてのウェインの才能が、この時期にしてはかなりよく出ている。ソロも一番手のアルト奏者ジェイムズ・スポルディングが軽快に飛ばしていて、いいよねえ。フレディ・ハバードもウェインもマッコイもいい。アルバム題にしてあるだけあって、この曲の演奏はかなりの聴きものだ。

しかし僕にとっては、曲としても演奏としても、そしてトニー・ウィリアムズのドラミングを聴くという意味でも、オリジナル・レコードではラストだった六曲目「ヴァルセ・トリステ」(悲しきワルツ)がいちばん好き。フィンランドの作曲家ジャン・シベリウスの書いたもので、ジャズ演奏家がこれをとりあげたものが、ウェインのこの1965年録音以前にあったかどうか、僕は知らない。

しかしウェインのこの「ヴァルセ・トリステ」は、シベリウスの原曲とは違って、聴いてもあまり悲しい気分にならない。なんというか中庸なというか中性的なというか、情緒が適度に乾いているよね。ウェインってそういう資質の演奏家じゃないかと以前から僕は考えているんだけど、この「ヴァルセ・トリステ」でもそうなっている。好きかどうかはまた別問題だが、演奏の出来はかなりいいと僕は思う。

そんな湿りすぎない中庸情緒をもたらす大きな原因の一つが、ウェインの資質のほか、トニー・ウィリアムズのドラミングにもあると、僕には聴こえるんだよね。最初ちょろっと原曲どおりワルツで出るのだが、途中から6/8拍子で叩いているよね。そこがおもしろいと僕は感じている。シベリウスの原曲の悲しい持ち味はやや消え気味だけど、そんなこと言ったらウェインは2002年の『フットプリンツ・ライヴ!』でこのシベリウスの「ヴァルセ・トリステ」を再演して、それは情緒なんか木っ端微塵に完全消滅していて、からっからだもんね。だからまあやっぱり、ウェインってそんな持ち味の人なんじゃない?

ジャズ演奏家がやるシベリウスの「ヴァルセ・トリステ」といえば、アート・ペッパー1977年のヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ・アルバムにも収録されている。たしかむかしは LP 三枚組だったと思うんだが、いま CD では買い直していない。だからリイシュー CD がどうなのかは知らないが、毀誉褒貶ある復帰後のペッパーにして、この「ヴァルセ・トリステ」だけはとてもとてもいい。ドラマーはエルヴィン。
こっちはシベリウスの原曲の持つ悲しみをよく表現しているよね。ペッパーがときおりエリック・ドルフィーになりかける瞬間もあるが、この曲ではそんなことしないほうがよかった。この悲しく美しいメロディを淡々とそのとおりに吹いてくれていればもっとよかった。ウェインとは真反対の湿りに湿った資質のサックス奏者アート・ペッパーの持ち味全開となったはず。でもほぼ全開に近いこのペッパーのライヴ・ヴァージョンにはすごく湿った悲しみを感じられて、これはいい。

2018/01/23

よく知っているが初体験の、この快感!〜 細野晴臣

細野晴臣の昨2017年の新作『Vu Jà Dé』。超快感だ。これは1940年代のサウンドだね。間違いない。一枚目のアメリカン・ソング・カヴァー集に、その時代の同国でできた、あるいは録音されたレパートリーが多いというだけじゃない。録音とミックスがそうなのだ。それはオリジナル・ソング集の二枚目もそうで、細野自身が1940年代の SP 録音のサウンドにこだわって、マイクロフォンを含む録音機材の選定も、録音も、ミックスもやっているみたい。

たぶん、その時代の SP 音源(のリイシュー盤など)で聴ける音楽が、細野晴臣自身、いい感じに聴こえる、特にヴォーカルがポンッと前に出ていて音楽の主役で、背後の各楽器のバランスもよく、また中音域がふくよかで全体に暖かみがあると当然知っているから、自分でも同じように仕上げたいという目論見があったんじゃないかと思う。

もちろん録音はほとんどがここ二、三年の最新録音なので、音質じたいは極上だ。1940年代アメリカの SP を模したようなやりかたで、しかも極上の音質なんだから、これ以上の音響快感がありますかって〜の。もうそれを耳に入れているだけで気持ちよくて、ひたすら身を任せていたい気分。そんでもって、実際、僕はそうやって時を過ごしていることが、まず最初 Spotify で聴いていたころから多かった。

しかし細野晴臣の『Vu Jà Dé』が快感なのは、音質がそういうふうに仕上がっているというだけでなく、曲の演唱スタイルや、一枚目ならレパートリーも、そんな時代のもの、すなわち1940〜50年代アメリカ音楽を再現したようなものであることにも大きな原因がある。だから、僕のばあいは、やっぱりカヴァー集の一枚目「Eight Beat Combo」のほうがおもしろい。

したがって僕と似通った趣味の、すなわち1940〜50年代の、基本、ジャズでありながら、ちょっぴりラテンもあるブギ・ウギや8ビート・シャッフルや、ややジャンピーだったりするものや、あるいはプリ・ロカビリーみたいなものが大好きだという人であれば、『Vu Jà Dé』の一枚目に間違いなく最高の快感を感じていただけるはず。二枚目も同じスタイルの自作曲音楽なんだけど、僕のばあい、カヴァー集のディスク1がサイコーなんだ。

『Vu Jà Dé』の附属ブックレットには、一枚目も二枚目も、全曲、細野晴臣自身の書いた紹介文が記載されてあるので、一曲ごとの演奏パーソネルとあわせ読み、さらにブックレット末尾には録音についての言葉も見開きであるので、いろいろわかっておもしろい。すると、一枚目のカヴァー・ソング集のばあい、この曲に細野がいつ出会ったとか、どんな歌だと考えて録音に臨んだかなど知れて、曲を聴く楽しみが、僕のばあいは増した。

一曲目の「Tutti Frutti」は、ロックンローラー、リトル・リチャードがあんなに鮮烈なヴァージョンをやっちゃたのでそのイメージが強烈で、またそのヴァージョンをカヴァーしたエルヴィス・プレスリーのものなど、多くのみなさんもそういったものでご存知のばあいが多いと思うんだけど、オリジナルは1938年のスリム&スラム(スリム・ゲイラード&スラム・スチュワート)だよね。
ただし、細野晴臣はこのスリム&スラム・ヴァージョンじゃなくて、同じ年にレオ・ワトスンが歌ったジーン・クルーパのバンドのヴァージョンで知ったらしい。しかしながら、細野『Vu Jà Dé』ヴァージョンの「Tutti Frutti」は、それでもやっぱりスリム&スラム・ヴァージョンに近いと僕は思うんだけどね。サウンドが。なお、スリム・ゲイラードもオーケストラ編成で再録音はしている。下はレオ・ワトスン・ヴァージョン。
とにかく「トゥティ・フルティ」は、ジャイヴィなオリジナルから、リトル・リチャードやエルヴィスのロックンロール・ヴァージョンまでぜんぶ僕は大好きだ。果物の歌なんだけど、ナンセンス・シラブルの連発がいかにもスリム・ゲイラードっぽく、ロックもそんな音楽だってわかるよねえ。ビートルズもカヴァーしたリトル・リチャードの「ロング・トール・サリー」(これ大好き!)って、そういう流れで誕生したんだと思う。

細野晴臣『Vu Jà Dé』の二曲目「Ain't Nobody Here But Us Chickens」は完璧なブギ・ウギ・コンボ録音。この二枚組アルバムの音楽的性格をとてもよく表現しているものなんじゃないかなあ。ピアニストが典型的なブギ・ウギ・リフを弾いて軽快なジャンプ・ミュージックに仕上がっているけれど、この曲の初録音は1946年のルイ・ジョーダンだもんね。ルイのそっちのほうがあまり跳ねずスムースに流れている。
四曲目の「Angel On My Shoulder」はシェルビー・フリントの1960年の曲。このアルバムのカヴァー・ソングのなかではいちばん最近のもの。細野晴臣はどこにもその旨書いていないが、これはそのちょっと前の1950年代のルイジアナ・スワンプ・ポップなんだよね。リズム&ブルーズというべきか、要するにファッツ・ドミノのスタイルそのまんまなんだよね。ダダダ、ダダダっていう三連パターンの反復。間違いなく細野は意識してファッツを真似している。だってさ、シェルビー・フリントのヴァージョンってこれだからね。
ちょっとした変わり種は、一枚目ラスト八曲目「El Negro Zumbon (Anna)」だ。これはバイオン(ブラジル音楽)なんだよね。『アンナ』という1951年の伊仏合作映画のことは、記載されている細野晴臣の言葉ではじめて知った僕。アルバム『Vu Jà Dé』一枚目は、基本、ブギ・ウギ・シャッフルやプリ・ロカビリーや、それに類するもので通しているから、ラテンというかバイオンで締めくくるのは、意外なようでいて、しかし的を射たおもしろい選曲だ。

アルバム二枚目のことはまた別の機会に話をしたいと思う。我慢できないものだけちょっと触っておくと、六曲目「Neko Boogie」(Vu Jà Dé ver.)。これは完璧に一枚目と同じ趣向の音楽で、バンドのサウンドも細野晴臣の歌いかたも一枚目と同じで、僕はこれが二枚目のなかではいちばん好き。Spotify のにはないみたい。

しかもネコってあるから〜、え〜、と思ったら、この「Neko Boogie」は、しょこたんこと中川翔子が歌うために書かれたもので、しょこたんが歌ったのがオリジナルだそうだ。猫好きで、やはり猫狂人間のしょこたんファンの僕なのに、ぜんぜん気がついていなかった。ブックレットにはしょこたんと細野晴臣とのツー・ショット写真も掲載されていて、それもいい雰囲気なんだよね。

2018/01/22

Brown-Eyed Beauty

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ついこないだまで僕はコーヒーを淹れるのに、ペーパー・ドリップ(右)でやっていました。しかし Twitterでなかよくさせていただいているサム・クックきちがいお二人のうちのおひとかたに、三年くらい前かな?コーヒーはフレンチ・プレス(左)で淹れたらいちばん美味いですぞと教えていただいていました。

そのころ、僕はペーパー・ドリップ用のフィルターの買い置きが文字どおり山ほどあったので、フレンチ・プレスの器具を買うのも後まわし。

つい数日前にようやくフィルター・ペーパーがなくなりかけてきたので、フレンチ・プレスの器具を買いました。これで紅茶を淹れるのを、以前から見ることがあるので、マシンじたいは見慣れたものです。

挽いた豆を入れます。

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熱湯を注いで少し待って蒸らします。

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お湯を注ぎきったところ。

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コーヒー液が好みの濃度になったら、ゆっくりゆっくり押し下げます。

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数度、フレンチ・プレスでコーヒーを淹れて飲んでみたのですが、これが実に美味いです。紙でもネルでもドリップ方式との違いは、大きく言って四つ。

(1)抽出時間はフレンチ・プレスのほうがちょっとだけ長いか、いや、でもほぼ同じですかね。自宅でのコーヒーは暇なときにゆったりとした気分で淹れて飲むので無問題。急いですぐ淹れてすぐ飲みたい日常もありますが、使い分ければいいだけです。

(2)ドリップ方式では、コーヒー豆にある油分は濾過されずフィルター上に残ってしまいますが、だからその分さっぱりした飲み口のコーヒー液になるわけですが、フレンチ・プレス方式だと、液に油分もいっしょに溶け出すので、コクや旨味は一段とアップします。油分だけでなく、コーヒー豆の持ち味100%をすべて液に出せているように思います。だから下手にやると雑味まで出てしまいそう。淡白がいいか濃厚がいいかは、そのときどきの気分と体調で淹れ分けることにします。

この写真では、油分も溶け出しているのがわかりにくいですね。

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これでどうでしょうか?おわかりいただけますか?

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(3)ただし、抽出したコーヒー液を飲むときに、フレンチ・プレス方式だと、コーヒー・パウダーの細かいもの(は、自宅のハンド・ミルだと、粗挽きにしてもまあまあ出ます)まで出てくるので、カップの底にそれが沈みます。したがって、カップに注いだ液体を最後までぜんぶ飲み切ることはできません。ターキッシュ・コーヒーにちょっとだけ似ていますね。

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(4)淹れ終わったあとのコーヒー豆カスの処分は、ペーパー・ドリップ方式がいちばんラクチン。細かくなった豆までぜんぶ紙でくるまれているような状態になっていますから、それをポイっと捨てればいいだけです。フレンチ・プレスだと、豆カスがガラス器具の底に沈んでいるので、それも洗い流す必要があります。

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これら四点のうち(3)と(4)は今後の研究課題ですね。どなたかお詳しいかた、こうやるといいよとご存知のかたがいらっしゃれば、ぜひ教えてください。

できあがりのコーヒー液の味は、フレンチ・プレスで淹れたほうがグンと美味いので、あとは現実的な手間との兼ね合いですね。また、ペーパー・ドリップの紙は一回使ったら終わりの消耗品で、僕のばあいどんどん淹れるのでどんどんなくなりますが、フレンチ・プレス方式だとそのコストがないのは助かります。

五人でいっしょに 〜 モータウン時代のマイケル(5 完結篇)


モータウンとマイケル・ジャクスンは(ほぼ)同い年だってこと、知ってましたか?僕はずっと気づいてなくて、2008年にマイケルが50歳になったとき、モータウンが会社創立50周年記念(前身のタムラが58年創設だから)ということでいろいろと企画して賑やかにやっていたそのとき、はじめてモータウン・ヒストリー = マイケル・ヒストリーだ(ってのは言いすぎだけど、ある種、シンボリックな意味で)と知ったのだ。それで2008年にマイケル名義のコンピレイション・アルバム『ザ・モータウン・イヤーズ』リリースされた。それが上の Spotify にもあるアルバムで、僕は当時、CD を買った。

『ザ・モータウン・イヤーズ』は CDだと三枚組。三枚目はソロ名義のマイケルの歌が収録されているので、僕としてはもう書き切ってしまった気分。二枚目までがジャクスン5の音源。CD 三枚というサイズで、マイケルのグループでの歌とソロでの歌のなかでのベストがセレクトされた格好のアンソロジーじゃないかな。モータウンもやるときはやる。そしてこれは世界各国でそれぞれ現地仕様で発売されたものらしい。だからいま僕の手許にあるのは日本のユニバーサル盤で、解説文は泉山真奈美さんがお書きになっている。マイケル死去は翌2009年で、享年50。

マイケルのソロ名義のものだけが収録された三枚目についてはもう書くことがないので、二枚目までのジャクスン5の音源について今日は書いておきたい。ってことはぜんぶで34曲で計2時間2分。そのなかにはリード・シンガーがマイケルじゃなくジャーメイン(がマイケル以外では最もたくさん歌った)やその他だったり、またマイケルの声がほぼ聴こえないかも?というような曲も含まれているが、おもしろいものについては書くつもり。

『ザ・モータウン・イヤーズ』一枚目はお馴染み「ABC」で幕開け。そのほか二枚を通し「アイル・ビー・ゼア」とか「帰ってほしいの」(I Want You Back)とか「小さな経験」(The Love You Save)みたいな、これらぜんぶ大ヒットになって、音楽チャート一位になったものなどについては、いまさら僕が書き加えることなんかないよなあ。それらはどれもマイケルがリード・シンガーだけど、その変声期前のキラキラしたブリリアント・ヴォイスの魅力に抗うことなどできない。少なくとも僕には、いや世界のみなさんもそうだが、不可能だ。

特に 2-1「帰ってほしいの」。これもマイケルがリード・シンガーだが、その元気で楽しく跳ねるヴォーカルも素晴らしいポップさだが、なんたって楽器イントロがすごい。いまでも聴くたびに、いまだになんど聴いても、あのイントロが流れてきただけで心がはやる、たぎるものがあるよ、僕たちはね。

それはこの兄弟ヴォーカル・グループを1968年にヴィデオ・オーディションしたモータウンのベリー・ゴーディにしたってそうだったみたい。のちのデビュー時にジャクスン5と名がついた彼らがオーディションで歌ったのは、ジェイムズ・ブラウンの当時のヒット曲「アイ・ガット・ザ・フィーリン」だったらしいが、それを現地に行けなかったのでヴィデオでチェックしたゴーディは、一発で契約を決めたらしい。

それによりベリー・ゴーディ主導で、ジャクスン5用の曲を書きアレンジしプロデュースする “ザ・コーポレイション” というチームが立ち上がり(内実はベリー・ゴーディ、アルフォンソ・ミゼル、ディーク・リチャーズ、フレディー・ペレン)、実際、初期のジャクスン5やソロのマイケルの曲の多くを手がけた。のちにはザ・コーポレイションに代わってハル・デイヴィスのプロデュースが中心になってくる。

書いたような、たとえば「ABC」「帰ってほしいの」みたいなはじけるポップ・チューンは、バブルガム・ソウルって言えばいいのかなあ、それまでのいわゆるモータウン・サウンドと、巷で流行のバブルガム・ポップ(プリ・ティーンやティーネイジャー向けの明るくキャッチーで明快なポップ・ソング)を組み合わせた新しい黒人音楽を体現していた。それを主導したのがザ・コーポレイション。

ジャクスン5や、その主たるリード・シンガーであるマイケルのソロ録音は、こんな具合にザ・コーポレイションが、ということはつまり社長ベリー・ゴーディが、どんな曲を用意するか、どんなサウンドにするか、どう歌わせるかなどの方向性を決めていたので、そこからはみ出るような路線には社長ゴーディが難色を示したらしい。明るくキャッチーな「ABC」「帰ってほしいの」みたいな元気はつらつとしたものなら売れるだろうが、ちょっと大人びて哀しげなバラード調みたいなものには、最初、ゴーディは首をかしげていたようだ。

そこをヴォーカルの実力で説き伏せたのがマイケルだった。たとえば「アイル・ビー・ゼア」とか、それはまだ求愛歌だけど、「さよならは言わないで」(Never Can Say Goodbye)みたいなトーチ・ソングなんかだと、ベリー・ゴーディはレコード化に猛反対したと伝えられている。大人っぽすぎるという理由で。あくまでバブルガム世代向けの同世代シンガーであるマイケルのはじける元気な姿を売り出したい、しかもテレビ番組でも五人で溌剌と歌い踊ったりしているのが人気だったわけだから。

しかし、聴いていただきたい。「アイル・ビー・ゼア」はこないだから散々書いている素晴らしさだが、「さよならは言わないで」みたいな曲でも、マイケルのリード・ヴォーカルが素晴らしい表現力を見せているじゃないか。たかがプリ・ティーン・シンガーじゃないかと、特に<大人の>音楽をこそとおっしゃるかたがたはバカにしてとりあっていただけないような気がするが、歌手や演奏家の、つまり音楽の、そして芸能の、世界はそういうもんじゃないと思います。

<大人っぽすぎる> 曲の録音、発売に猛反対だったベリー・ゴーディを説得したのはまずマイケルの歌の表現力だが、モータウン社内ではハル・デイヴィスだったみたい。実際、発売してみたらレコードが売れるので、ゴーディも納得したようだ。大人っぽいバラードみたいな路線は、それら「アイル・ビー・ゼア」「さよならは言わないで」以外にも、たとえば 1-11の「きっと明日は」(Maybe Tomorrow)もある。この曲ではシタールも使われているよね。

シタール(といっても、ギター型の電気シタール)の使用は、1960年代後半〜70年代初頭の米英大衆音楽で一般的だったので、特別視することはできない。このころのロックやジャズやポップ・ミュージックでシタールが聴こえても、エキゾティックな感じはしないよね。ちょろっと使ってサウンドのスパイス的味付け役だった。

しかし、やはり同じようにシタールが効果的な1-8の「君のことばかり」(All I Do Is Think Of You)。シングル盤のリリースは1975年8月のエピック移籍後で、リード・ヴォーカルもマイケルではないが、これが素晴らしく甘いスウィート・ソウル・バラードだ。さながら激甘茶ソウルみたいな趣で、一時期のプリンスがやったらピッタリ似合いそうな曲だよねえ。シタールもそのまま使って、アレンジも変えずにやったら似合ったんじゃないかあ、プリンス。

甘茶のソウル・バラードは『ザ・モータウン・イヤーズ』にはほかにも数個あるが、2-14「ララは愛の言葉」(La La Means I Love You)にも注目したい。もちろんデルフォニクスのあれ。こっちはプリンスが CD 三枚にわたる愛絵巻『イマンシペイション』でカヴァーした。ジャクスン5ヴァージョンではマイケルが歌い、10代前半という年齢からは、ふつうの人たちからしたら、考えられないほどの成熟したヴォーカル表現を聴かせている。

また『ザ・モータウン・イヤーズ』にはファンク・チューンや、そこから展開したディスコ調を先取りしたような曲もある。たとえば 1-9「アイ・アム・ラヴ」(I Am Love)。前半はゆったりとメロウだが、パート2になる後半部から突如猛烈にグルーヴしはじめ、前半から聴こえていたファズの効いたエレキ・ギターが、今度は激しく弾きまくる。これは P ファンクの音楽に近いようなものだよねえ。歌はマイケルじゃない。

2-2「ダンシング・マシーン」(Dancing Machine)も、曲名だって暗示しているがディスコ・チューンみたいなもので、2-5「ハム・アロング・アンド・ダンス」(Hum Along And Dance)もファンクからディスコになりかけみたいな曲で、かなりおもしろい。もちろんこの世にまだディスコと呼ばれるものは存在していなかった1970年代初頭ごろのレコードだ。

サザン・ソウルもあるんだよ。1-15「フーズ・ラヴィン・ユー」(Who's Lovin' You)。これの歌はマイケルだが、歌が出る前のイントロ部で弾く左チャンネルのエレクトリック・ピアノがえらくブルージーだなと思っていると、マイケルが歌いはじめると同時にリズムが三連のパターンを演奏する。切なく盛り上がるエモーションを表現するマイケルとリズム。いやあ、素晴らしい。マイケルは明らかに1960年代ふうなサザン・ソウル・シンガーの歌いかたを意識していると聴きとれる部分もあるよね。

かなりおもしろいのが 2-12「ママズ・パール」(Mama's Pearl)。マイケルの歌だが、これは 3・2 クラーベのパターンを鮮明に使ってあるラテン〜カリビアン・バブルガム・ソウル/ポップみたいな一曲だ。ジャクスン5やマイケルのソロ楽曲で、ここまで露骨なクラーベが聴けるのはこれだけだと思うんだけど、やっぱりあるよね、こういうのが、ジャクスン5にだってさ。

関係あるのかないのか、パール(Pearl)って言葉。ジャズ・ピアニスト、ジェリー・ロール・モートンの1920年代のソロ・ピアノ録音に「ザ・パール」っていう一曲があって、それはモートン自身が “Spanish tinge” と形容した、カリビアンなアバネーラふうに左手がシンコペイトするものなんだよね。そのモートンの「ザ・パール」は、ライ・クーダーがアルバム『ジャズ』のなかでとりあげた。真珠って、南洋ふうなイメージと関係あるの?宝石類のことはなにも知らないが、天然真珠が暖かい地域の貝からしか採れないということがあるんだろうか?ぜんぜん知りません。

マイケルとジャクスン5の『ザ・モータウン・イヤーズ』では、2-16「ハレルヤ・デイ」(Hallelujah Day) も興味深い。これの歌詞はたぶん終わりつつあったヴェトナム戦争への言及だよね。クリスマス・アルバムもあるジャクスン5だけど、それにこの曲は収録されていないし、実際、クリスマス・ソングでもない。反戦歌とまでは言えないかもしれないが、意識はしている。しかもそんな内容をこんなに明るくさりげなく、マイケルもほかのジャクスンズも軽く歌ってイイネ。当時人気絶頂だったからこそなしえた曲だ。

2018/01/21

呼んでくれればそっちに行くよ 〜 モータウン時代のマイケル入門ならこれ一枚で決まり!(4)




この Spotifyプレイリスト。ご覧になっておわかりのように、僕の自作だ。こういうアルバムがあるわけじゃない、ネット音源としてはね。でも CD ならあるんだよ。日本のユニバーサルが2009年にリリースした『メロウ・マイケル・ジャクソン』。コンパイラーとして Soul Source Production という名前の記載がある(が僕は知らない)。

この『メロウ・マイケル・ジャクソン』は、マイケルがチャーミングだったモータウン時代の音源に絞り、ソロ録音を中心に、ジャクスン5での歌も五曲含むベスト的コンピレイション盤なんだよね。これがなかなかいい。先週書いた Hip-O がリイシューした CD 三枚組全集『ハロー・ワールド:ザ・モータウン・ソロ・コレクション』ではサイズが大きすぎるという向きには、もしフィジカルで買うモータウン・マイケル入門なら、これがいちばん好適。

しかしそれ一枚でも CD を買うのはちょっと…、というかたがた向けに、約一時間程度だからと思って、アルバムとしては Spotify にないけれど、曲の音源じたいはもちろんぜんぶあるはずだからと思って、一個一個拾っていって、プレイリストを作っておいた。ちょっとでもいいから耳を傾けてもらえませんか?ホント〜っにチャーミングだと僕らは思っています。もしエピック時代のマイケルしかご存知なければ、ぜひお願いします。

ただしこの自作プレイリストは、CD『メロウ・マイケル・ジャクソン』より一曲多い。ラストにジャクスン5のオリジナル・ヴァージョンの「アイル・ビー・ゼア」を加えておいたからだ。なぜならば、この CD 三曲目にある「アイル・ビー・ゼア」は “マイナス・ミックス” で、いろんな楽器の音が抜いてある。21世紀の最新リミックス・ヴァージョンだったものなんだよね。

楽器音を最小限にまで減らしたミックスにして、マイケルとジャーメインとバック・コーラスという三つのヴォーカルにフォーカスを当てたことで、彼ら、特にマイケルが録音時のスタジオで歌詞を一ヶ所間違えたにもかかわらず(”Look over your shoulders, honey!” は本当は “shoulder”)、そのあまりの素晴らしいヴォーカル・パフォーマンスに圧倒された立ち会いのモータウンのベリー・ゴーディもやりなおしを求めなかったという逸話まで残っている、そんなマイケルの歌にだけ耳を傾けられるというメリットはあるリミックスだけどね。

しかし「アイル・ビー・ゼア」は、ジャクスン5最大のヒット・チューンなんだよね。これこそジャクスン5を、そしてマイケルを象徴する代表曲なんだ。こないだ書いたように、マイケル初のソロ・アルバム『ガット・トゥ・ビー・ゼア』は、この「アイル・ビー・ゼア」の世界を拡大したものだと言えるほどなんだもんね。呼んでくれればそっちに行くから、きみのところに行かなくちゃ、きみには友だちがいるんだよ、困っていたら呼んで、行くから、っていうやつだ。

だから、たぶんあまりにも知られすぎている有名曲だからたまには違うヴァージョンを、というので『メロウ・マイケル・ジャクスン』にはマイナス・ミックスが選ばれたんだろうけれど、ベスト盤としてオススメしたい僕としては、それだけってわけにはいかないんだよね。それで僕が自作したプレイリストでは、アルバム・ラストに「アイル・ビー・ゼア」のオリジナル・ヴァージョンも入れておいた。

それ以外は、ジャクスン5での歌を除き、先週三日間にわたって書いたものばかりなので、それ以上特に言わないといけないことなんてないんじゃないかな。メロウと銘打ったコンピレイションだけど、そういうバラード系のものばかりじゃなくて、快活なジャンプ・ソウルみたいなものだって多い。バランスが取れていて、やっぱり格好の入門盤なんだよね。

先週詳しくは書かなかった曲についてだけ少し触れておこう。4曲目「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」。もちろんキャロル・キングの超有名曲だが、僕の個人的趣味だと、このマイケル・ヴァージョンこそが No. 1。ジェイムズ・テイラーのでもダニー・ハサウェイのでも、またゴスペル・ライヴでやるアリーサ・フランクリンのでもなく、この100%ピュアな天使から言われているようなマイケルの「きみの友だち」こそが至高のものだ。

5曲目「マイ・ガール」、6曲目「ロッキン・ロビン」と跳ねるような快活なナンバーが続く。「ロッキン・ロビン」のことは先週書かなかった。1958年にボビー・デイが歌ってヒットになったのがオリジナル。これをとりあげた会社側の、選曲もアレンジも、いかにも可愛いキッズ・シンガーとしてソロでも売りたいという意図がよくわかる。実際、かなりキュートに仕上がっていて楽しい。

これも先週書かなかった17曲目「ウィングズ・オヴ・マイ・ラヴ」。三連のソウル・バラードで、かなりロマンティック。ストリングスのアレンジが流麗かつドラマティックで、それも聴きものだが、やっぱりマイケルのストレートなヴォーカル表現が美しく、それにため息が出ちゃうね。

19曲目「マリア」もちゃんと書いていなかったっけ。これだけは書いたはずだがマイケルのソロ・デビュー・シングル「ガット・トゥ・ビー・ゼア」の B 面だった。冒頭からハープシコードが使ってあるが、これは23曲目「ハッピー」でもそうだし(これにはシタールもある)、またなんたってジャクスン5の「アイル・ビー・ゼア」がそうじゃないか。たぶん、アレンジとプロデュースは三つともぜんぶハル・デイヴィスだろう。

えぇ〜っと、これら以外はすべて先週書いたはずだ。もはやなんにも書き加えることはないね。

モータウン時代のマイケルは、ジャクスン5でもソロでも、まるでダイアモンドのように声がキラキラ輝いていて、しかも悪い意味での sophistication がなく純で、いや、そんなことないのか、あんなに人気があって大活躍していたから、もうすでに世間ずれしていたかもしれないが、ヴォーカル・トーンはそれが聴きとれないほどの可愛らしさじゃないか。

これほどまでにチャーミングなボーイ・シンガーがこの世にほかにいるだろうか?きっといない。

2018/01/20

まだ希望はある 〜 フェイルーズとジアードのアラブ&ジャズ・フュージョン(1)

(1)とか銘打っていますが、かりに書けたとしても(3)か(4)までだと思います。

それから、昨2017年リリース作で大きな話題を呼び評価も高い、同じレバノンの大後輩ヒバ・タワジの『ヒバ・タワジ 30』。あのサウンドや歌いかたやたたずまいは、今日も書く予定の1980年代半ば〜2010年ごろまでのフェイルーズ・サウンド、すなわちジアード・ラハバーニがプロデュースのものにも大きく影響され、それを継承せんとしているんじゃないかという気がします。
さて

フェイルーズの2010年作『望み』(Eh Fi Amal)。当時75歳だったこの女性歌手に、まだ衰えは聴けなかった。昨2017年の『Bebalee』では思い切り ”終焉” を感じるようなできばえだったが、あれはあれで一つの覚悟でありメッセージだった。メッセージの正体がなんなのかわかるには、もう少し時間が必要かもしれないが。

それに比べて前作『望み』でのフェイルーズは、まだ現役感バリバリなんだよね。75歳でのレコーディングとは思えないほど声に艶と色気があり、むろん若いころのようなヴェルヴェットの張りは弱くなってはいるが、それでもまだまだ官能的で素晴らしい。2017年の『Bebalee』を傑作と呼ぶわけにはいかないが(でも僕は好きだ)、七年前の『望み』はフェイルーズ最後の傑作だとして間違いないと思う。

アルバムの楽曲創り、アレンジとプロデュースは1979年以後多くのばあいいっしょにやってきている息子のジアード・ラハバーニ。ジャズのフィールドで活動してきていた人だけど、そんなジアードのキャリアやセンスや手法は、1987年リリースの名作『愛しきベイルート』にも持ち込まれ発揮されている。ジアードの父兄弟が成し遂げていたアラブ古典と西洋音楽やその他ジャズやラテンなどとの融合一体化路線が、録音は83年だった『愛しきベイルート』で一気に完成し華やかに花開いたような感じだったのはみなさんご存知のとおり。

それ以後フェイルーズはジアードと組むことがあって、そんななかでは、たとえば1991年の『Kifak Inta』とか、21世紀リリースの作品なら2002年の『Wara Kif』などといった一級の作品がいくつかある。『望み』は『Wara Kif』以来八年ぶりの新作で、僕のなかでは、つまり個人的趣味嗜好だけを言えば、フェイルーズ+ジアード作品群のなかではいちばんグッとくるものだ。傑作ヴォーカル・アルバムだと言いたい。

といってもアルバム『望み』にはフェイルーズのヴォーカルなしのインストルメンタル・トラックが二つある。8曲目「バクルの大地」(Dyar Bekr)とラスト12曲目「ザッターの丘」(Tal El Zaatar)で、ジャズ・ファンにしてインストルメンタルものにまだまだ愛着がある僕からしたら、この二つだって大好きなんだよね。ライヴ録音らしい12曲目のほうは、アラブ&欧米合体のモダン・ポップスみたいな趣で、こういったゴージャス・サウンドはラハバーニ兄弟以来の流れだけど、イイネ。素晴らしい。二分半すぎからドラム・セットが入ってビートが効きはじめ、かなりジャジーになって、しかもボサ・ノーヴァ・テイストも濃くある。

このアラブ+ジャズ+欧米管弦楽+ボサ・ノーヴァという四要素が、アルバム『望み』で聴けるサウンドの正体に違いないと思う。いかにもジアードのプロデュースというものだ。同じインストルメンタル・ナンバーでも8曲目のほうはもっとアラブ民謡寄りのもので、これもジアードが書いた曲かなあ?ちょっと違うような気がしないでもないが、アレンジは間違いなくジアードがやっているとわかるジャジーな演奏。ピアノ・ソロの内容なんかモダン・ジャズだもんね。曲全体もスリリングにスピーディで、アラブ伝統弦楽器をフィーチャーしつつ、西洋のシンフォニック・サウンドを混ぜている。

これの次の9曲目「シャラビーヤの少女」(El Bent El Shalabiah)は、少し驚きのレパートリー。60年ほど前の1951年にフェイルーズ自身もとりあげて歌った古い伝承曲で、その51年ヴァージョンは、日本では『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』で聴くことができる。またこの曲は2013年暮れリリースだったドルサフ・ハムダーニの『バルバラ・フェイルーズ』でもとりあげられている。僕は傑作だったと信じている在フランスのチュニジア出身女性歌手の作品で、フェイルーズのレパートリーなら得意な女性歌手だ。

「シャラビーヤの少女」を、1951年ヴァージョン(『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』)と、2010年ヴァージョン(『望み』)で聴き比べると、ジアードのアレンジは、51年のものを、基本、踏襲しているが、バックの管弦楽アンサンブルやピアノの転がしかたなどで聴けるモダンさは51年のものにはない。しかし主役女性歌手の声や歌いかたに違いがあまり聴きとれないのはすごいことだ。フェイルーズの51年ヴァージョンや、それを下敷きにしたドルサフ・ハムダーニの2013年ヴァージョンがかなり好きな僕だけど、『望み』ヴァージョンだってほぼ劣っていない。

1951年に自ら歌った古いレパートリーをそのままもう一度再演するのは、フェイルーズのある種の自信みたいなものの表現なんじゃないかと僕は思う。若かったころにやったものを75歳でもう一回、しかもアレンジの基本線もほぼ同じで行ってふたたび歌うというのは、私はまだまだ現役第一線なんですよ!むかしと変わっていないんですよ!と、原点に立ち返りつつ、堂々と見せ(聴かせ)つけるようなことなんじゃないかなあ。実際、違いがほぼないんだしね。すごい貫禄と存在感だ。

そんな「シャラビーヤの少女」に続く10曲目「そう、まだ望みはある」(Eh Fi Amal)。アルバム・タイトル・ナンバーだけど、これはワルツ・ナンバーで、フェイルーズ母子は、どうやらたぶんフランスのシャンソンを意識した一曲なんじゃないかと僕は思う。だからまあその〜、個人的にはこういうのはその〜、あんまりちょっと…。これ以上は言わないでおこう。決して曲や歌唱の出来がおもしろくないなんてことはない。フェイルーズの声に色気が漂っているのを、ここでも僕はしっかり聴きとれる。75歳ですから驚異の素晴らしさじゃないだろうか。

その次の11曲目「あなたがたの名前を書く」(Baktob Asamihon)こそが、僕個人の意見を言えば、アルバム『望み』ではいちばんの傑作ナンバーだ。少なくとも僕はこれがいちばん好き。ジアードの曲ではなく、ラハバーニ兄弟の書いたものだけど、『望み』のこれはアラビアン・ボサ・ノーヴァなんだもんね。フェイルーズの声は、おそらく多重録音して重ねてあるのかなあ、ボサ・ノーヴァふうに軽く漂う感じの歌いかたをしつつ、そういう録音や処理をしてあるということかわからないが、1949年レコード・デビューにして、50年代末ごろからアラブ歌謡の女王として君臨してきたフェイルーズがここまでフワッと軽く歌えるのがすごいことだよねえ。ジアードのアレンジもひときわ素晴らしい。

1〜7曲目までについてまだぜんぜん触れていないが、1「そして彼は言った」(Al Ayel)。曲の旋律はアラブ民謡風ながら、アレンジ、特にリズムがラテンふう。だがこういうのはむかしからある。フェイルーズ自身だってラテンとかバイオンとか1950年代から録音している。アラビアン・フォークと(ブラジル含め)ラテンと西洋サウンドとの三位一体は、そのころすでにやっていた。だから『望み』のこれも新機軸とはいえないが、しかし声に余裕と貫禄が増しているのは特筆すべき点だ。

アラビアン・ジャズ・バラードみたいな二曲目「大した話じゃない」(Ossa Zghiri Ktir)、もっとストレートにジャズをやっている三曲目「いつもその言葉が」(Kel Mal Haki)とか、いかなフェイルーズでも歌いこなすのが難しそうな複雑なメロディとコード展開だけど、軽々とクールに舞っているのに目をみはる。

フェイルーズ2010年の『望み』(Eh Fi Amal)。決して masterpiece じゃないという声も聞いたけれども、やはりこれは傑作に違いないと僕は信じている。これは僕自身のジャズやボサ・ノーヴァ寄り嗜好というものを超えているに違いない素晴らしい作品だよ。たぶん、女神の生涯最後の。

最初にも書いたが、こんな路線を昨2017年の『30』でヒバ・タワジは引き継いだと僕は聴いている。『望み』日本盤附属解説文の田中勝則さんは、2010年の文章だから当然だけど、こういうの(たとえばボサ・ノーヴァ)をアラブで歌えるのはフェイルーズだけとお書きだけど、『ヒバ・タワジ 30』で意見を修正なさったかもしれないと思う。

2018/01/19

僕だって人間なんだ 〜 マイケルとマイルズの孤独




マイケル・ジャクスンからマイルズ・デイヴィスに直接つなげるんだったらこの曲しかない。「ヒューマン・ネイチャー」。問答無用のメガ・ヒット・アルバム『スリラー』の B 面三曲目で、シングル・カットもされたらしいが、そっちでは僕は聴いていない。というかそもそもあの『スリラー』で「ヒューマン・ネイチャー」を、当時、レコードで聴いていたという記憶がない。ほかの曲なら繰り返し聴いたんだけど。特に A 面一曲目のファンク・チューン「ワナ・ビー・スターティン・サムシン」。カッコイイもんねえ。

だからバラード(でいいのか?)曲「ヒューマン・ネイチャー」をすごく強く意識するようになったのは、もちろんマイルズがすごく強く意識していたからだ。まず最初1984年12月のスタジオ録音が翌85年リリースのアルバム『ユア・アンダー・アレスト』に収録され発売された。その後はシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」同様、ライヴ・コンサートでこれをやらなかったことは、ただの一度もないと言ってさしつかえないほど。

綺麗でチャーミングでセンティメンタルなラヴ・バラード好きというのがマイルズという人の(一時期を除く)終生変わらぬ資質だったから、「タイム・アフター・タイム」のほうは理解しやすいが、「ヒューマン・ネイチャー」はラヴ・バラードなのかどうなのか?非常に判断が難しい。たぶんそうじゃないよなあ。

マイケルのオリジナル・ヴァージョンを聴きなおしていただきたいのだが、「彼女」がどうのこうのという表現もあるけれど、この曲におけるそれは擬人化された大都会なんだよね。歌詞を書いたのは、カーペンターズの仕事で有名なヴェテランのプロ作詞家ジョン・ベティス。曲は『スリラー』で大活躍している TOTO のメンバー、スティーヴ・ポーカロが書いたものだ。

「ヒューマン・ネイチャー」の歌詞はちょっとわかりにくいので僕は自信がないのだが、ジョン・ベティスの書いたこれは、大都会でひとりぼっちのスーパー・スターの孤独を描いたものじゃないかなあ。歌詞はもともとスティーヴ・ポーカロが書いたものがあったらしいのだが、プロデューサーのクインシー・ジョーンズがこのメロディがいいと目をつけて、マイケルの新作アルバム用にとなった際に、ジョン・ベティスにあらためて依頼したんだそうだ。

ってことは、曲のメロディは(読みかじる情報では)ポーカロの日常的なテープ録音にあったもので、特にマイケルのためにと準備して書いたとかいうものじゃないそうだけど、少なくとも歌詞は、当時すでにかなり大きな存在になっていたマイケルの新作用にと、クインシーが専業のプロ作詞家に書いてもらったものだ。そんなわけでジョン・ベティスは、当時のマイケルが置かれていた境遇を思って、彼の孤独を描こうとしたんじゃないかと思う。

マイケルの歌う「ヒューマン・ネイチャー」は、しかしそんな歌詞もさることながら、やっぱり曲のメロディと、それからサウンドのハーモニーも綺麗でいいよねえ。そんなことにも1982年ごろの僕はぜんぜん気づいてなくて無視して、アルバム『スリラー』の B 面もなんとなく通りすぎていた。マイルズがやってくれるまでは。

マイルズは楽器演奏者だから、やっぱりメロディのチャーミングさやハーモニーの美しさに目をつけたという部分があったのは間違いないはずだ。けれど前々からいつもいつも書いているように、1950年代からずっと変わらず、マイルズが歌詞のあるポップ・ソングをカヴァーする際は、原曲の歌詞に共感できたかどうかが最大のポイントだったんだよね。

じゃあマイルズがマイケルの歌う「ヒューマン・ネイチャー」の歌詞のどこにそんなに深く、とにかく1985年以来1991年に亡くなるまで、コンサートではまったく欠かさず演奏していたというほど深く、共感したのかというと、上で書いたようにスーパー・スターになってしまったがゆえの孤独を描いた部分じゃないかと思うんだよね。好きなように夜の街に出歩くことすらかなわず、「四方は壁」(Four walls) のなか 〜 滞在先のホテル?〜 でジッとたたずんでいるしかないっていうマイケルの歌う境遇に強く強く共感したのかもしれない。

1980年代以後だとマイケルもマイルズもそんな環境にあったことは説明する必要がないだろう。マイルズはそんな曲「ヒューマン・ネイチャー」をとりあげて、しかし最初のころは、ただストレートに美しいメロディを、ほんのかすかにカリビアン・テイストを効かせたシンコペイションをともなって、チャーミングに演奏していただけだ。1986年まではギター・ソロが入ることがあっても、基本、マイルズしかフロントで演奏していない。

変化しはじめるのが1987年からで、演奏後半部でケニー・ギャレットのアルト・サックス・ソロを大きくフィーチャーするようになった。87年だとそれででもまだ曲全体の演奏時間は八分程度だけど、88年に入ってから、これが長尺化する。長くなっている唯一の原因がケニーのアルト・ソロなんだよね。

あの当時はまだあのころのマイルズ・バンドのライヴを収録したアルバムなんて、ブートレグですらないに等しかったから僕はぜんぜん知らなかったが、1988年の来日時、京王線の下高井戸まで行って、そこから東急世田谷線に乗って現地にたどりついた三軒茶屋の人見記念講堂での単独コンサートで、あんなに長尺化している「ヒューマン・ネイチャー」を初体験した。あまりの長さに、正直に言うと呆れて、ずっと前に書いたがこのときの二時間半ノン・ストップ・コンサートで、そうなるとは知らず開演前にコーラをたくさん飲みすぎた僕はオシッコを我慢できなくなって、そしてトイレに駆け込んだのが、その「ヒューマン・ネイチャー」後半のケニーのアルト・ソロ部でのことだったんだ。

いま CD などで音源化されている「ヒューマン・ネイチャー」は、公式盤では短めに編集されているばあいもあって、しかしそれでも1988年以後のライヴでは、最低でも12〜13分はある。当時、現場で体験していたころの生実感だと、もっとずっと長かったような気がしていた。延々20分以上もやっていた、それもその2./3程度がケニー・ギャレットのアルト・ソロだったと思っていたんだけど、確かめたらブートレグでもそんなに長いものはないから不思議だ。現場体験の記憶ってあまりアテにならないなあ。確認しても18分程度のものまでしかない。

でもそんな十数分間にわたる曲全体の演奏時間の大半がケニー・ギャレットのアルト・サックス・ソロだという記憶は正しかった。いちばん上でご紹介した Spotify のプレイリストに1988年11月5日のオーストリア公演だけ(アルバム『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』から)しか入れていないのは、Spotify ではこれしか見つからないからだ。公式収録だと、例のモントルー・ボックス20枚組に1985年分以後が毎回ぜんぶあるので、つまり公式なマイルズ・ライヴ録音での「ヒューマン・ネイチャー」は、計八つになる。

公式収録がない1987年から、どうしてだかマイルズは「ヒューマン・ネイチャー」後半部でケニー・ギャレットのアルト・サックスを大きくフィーチャーするようになって、亡くなるまでそれが変わらなかった。自身のトランペット・ソロ部終盤から転調し別のスケールを用いて、その状態でケニーとの掛け合いをやってそのままケニーの長尺すぎるソロに突入し、最後はボス自ら大きな音で一つパラッと吹いて突然強制終了させる。ずっとこのやりかただったんだよね。

しかも上の1988/11/5、オーストリア公演分でも確認できることだけれど、最初ケニーはフルートでマイルズにからんでいて、そのへんは「ヒューマン・ネイチャー」という曲がもともと持っているプリティなチャーミングさ、リリカルさを表現しているみたいに聴こえるが、後半のアルト・サックス・パートでは、一転、ほとばしる激情みたいなものを表現しているよね。

リズム・セクションの演奏もどんどんと熱を帯びてきて、ケニー・ギャレットのパッショネイトな表現を盛り立てている。どこまで行くのか…、これをボスはステージ上で黙って見守っていたんだよね。こんなサックス激情の劇場を。マイケルの歌う原曲とは似ても似つかない曲調の「ヒューマン・ネイチャー」の展開。あんなマイルズの1988年以後の「ヒューマン・ネイチャー」 は、いったいどういうことだったんだろう?寂寥感きわまっての爆発的表現??

2018/01/18

変化の兆しと、あの時代 〜 モータウン時代のマイケル(3)

一昨日、昨日と(もっとずっと前にも一度)書いてきているマイケル・ジャクスンの CD 三枚組『ハロー・ワールド:ザ・モータウン・ソロ・コレクション』。これでジャクスン5ものを除き、ソロでのモータウン・マイケルがぜんぶ聴けるのだが、なかなかそんな三枚組だなんて…、とおっしゃるみなさん、上の Spotify リンクを踏んでください。同じものです。残さずぜんぶあるコンプリート集です。

まあこうやって CD などフィジカルがどんどん売れなくなっていく、というかすでにもうそうなっているのかもしれないが、金銭的あるいは精神的な余裕がないなど、そのほかいろんな理由で物体を買うことがままならないとか、気がまわらないとか向かないとか面倒くさいとかいうかたがた向けに、買って持っていて中身が素晴らしいと知っている僕が、こうやって紹介することくらい、ちょっとでいいから認めてほしい。認めないなら CD 買って。

まあそんなことで上の Spotify リンクでぜんぶ聴けるわけだけど、アルバム単位でいうと、一昨日の『ガット・トゥ・ビー・ゼア』、昨日の『ベン』に続くマイケルのソロ作品は、モータウン在籍時にはあと二枚だけ。1973年4月発売の『ミュージック&ミー』、75年1月リリースの『フォーエヴァー、マイケル』。同75年8月のエピック移籍後にも、ビッグ・バン的宇宙規模の爆発的スーパー・スターになっていったマイケル人気にあやかって、モータウンは三枚のアルバムをリリースしている。

リリース順に言うと、1981年5月の『ワン・デイ・イン・ユア・ライフ』。これはレーベルのいかんにかかわらず1980年代初マイケルだったのだが、しかしただのコンピレイションだから、今回は話題から外している。未発表曲で構成された”オリジナル”・アルバムは二枚。84年5月リリースの『フェアウェル・マイ・サマー・ラヴ』、86年2月リリースの『ルッキング・バック・トゥ・イエスタデイ』。

モータウンへの録音でも、1980年代にリリースされたものは、エピック移籍後のマイケルの姿、売れに売れまくっている音楽性に合わせるかのように、70年代前半に録音されているにもかかわらず、懇切丁寧な、いわばお化粧が施されている。つまりリミックスし、もともと入っていた楽器の音を一部抜き、新たに別の楽器を足したりなどして、時代のサウンドにフィットするようにモータウンも苦心して発売していた。

というようなことが、上の Spotify リンクだと 3 の16〜24曲目になる『フェアウェル・マイ・サマー・ラヴ』、3 の1〜12曲目になる『ルッキング・バック・トゥ・イエスタデイ』で聴きとっていただけるかもしれない。しかもそれらの収録曲録音時期は、明確ではないが1973/4年ごろらしいので、マイケルの声も変化している。変声期を経て、声に落ち着きが出ているよね。10代半ばごろの、でもやはりまだ若いけれど、それでも深みと翳りが少しあるように僕は思う。

いやいやもちろん、マイケルのヴォーカルに聴きとれる翳りとか不安感とかある種の妖しい雰囲気は、13歳ごろのあのピチピチした輝きのなかにこそあるのであって、あんなキラキラしたハイ・トーンのなかにこそ、どうしようもない救えない孤独感とか寂寥感を僕も感じる。そこが神秘的魅力なんだよね。だからちょっと言いかたを換えないといけないが、変声期を経たマイケルの声のトーンには、う〜んと、揺らぎみたいなものがあるね。良くも悪しくも。

これはモータウン在籍時リリースの『ミュージック&ミー』『フォーエヴァー、マイケル』からしてそうなんだけど、声が変わりつつあったことだから、そのせいで不安定な揺らぎが聴きとれるということもある。たぶんマイケル自身も、そしてもちろん会社モータウンとしてももちろん、この声の変化をどう扱うかという悩みがあったはずだ。

もう一点、同じモータウンのレーベル・メイトだったスティーヴィ・ワンダーやマーヴィン・ゲイといった音楽家たちが、1970年代に入ると大きく変貌していったということに影響されたか、少なくとも意識はしたということもあったはず。もちろんいわゆるニュー・ソウル・ムーヴメントのことで、ニュー・ソウルとは、有り体に言えば、社会派黒人シンガー・ソングライターのことだから、マイケルも、本当だったら自作曲を書きたかったんじゃないかと思うんだよね。

実際にそう試みたという話も読むんだけど、それまでのマイケルのイメージが崩れる、すなわち売り上げに響くかもしれないとしてそれを嫌ったモータウンは、マイケルの自作を許さなかったらしい。そんな音楽家としての、ある種の目覚めとか、自我が確立しつつあったマイケルは、1970年代半ばという時代の変化と、自分自身の喉の変化と、この二つで、やや苦しい時期を送っていたのかもしれないよね。

モータウンでのソロ・アルバムの最初の二枚『ガット・トゥ・ビー・ゼア』『ベン』と比較して、その後の四枚の光はやや鈍いように僕は感じるんだけど、あるいはひょっとして書いたような変化と苦悩に一つの原因があったかもしれないと思う。最初の二枚がまるで完璧な宝石だから、輝きすぎているから、というのもあるんだけどね。

それでも『ミュージック&ミー』以後のもののなかにだって、アルバム単位だとちょっとあれかもだけど、一曲単位で抜き出すと、相当に素晴らしいものがある。括弧内は上記 Spotify アルバムでの場所だが、「ハッピー」(2の4)、「ドギン・アラウンド」(2の6)、「モーニング・グロウ」(2の9)、「ミュージック&ミー」(2の10)は、アルバム『ミュージック&ミー』のなかにある宝石だ。

アルバム『フォーエヴァー、マイケル』からだと、「ワン・デイ・イン・ユア・ライフ」(2の13)、「ジャスト・ア・ビット・オヴ・ユー」(2の16)などは文句なし。ここまで書いた曲、ときにアクースティックでメロウなサウンドに乗せて歌うチャーミングなバラードだったり、ときにとびきりブルージーなブルーズだったり、ときに快活でファンキーなリズムに乗るダンス・チューンだったり。

1975年夏のエピック移籍後に、それ以前に録りだめてあったお蔵入り音源からモータウンがアルバムに仕立てたものだと、ウルトラ・スーパー・スターになったマイケルの音楽性の萌芽みたいなものが聴きとれるのもおもしろい。もちろん上記のとおり大胆なリミックス作業によって、そう聴こえるようにお化粧されていたのではあるけれど。

たとえばスモーキー・ロビンスンの「ユーヴ・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー」(1の22、3の17)や、あるいは「フェアウェル・マイ・サマー・ラヴ」(2の22、3の21)の二つは、当時未発表だったオリジナル・ミックスと、あのころアルバムに収録されて発売されたお化粧済みミックスとの両方が収録されているので、聴き比べるとそのあたりがよくわかっておもしろい。

そうやってメイクで化けたような面がありはするものの、 しかしクレンジングしてもなお1970年代初期に比べるとやはりマイケルは変わりつつあったのだ。たとえばアルバム『フォーエヴァー、マイケル』に収録されてモータウン在籍時に発表されていたものだけど、「ウィア・オールモスト・ゼア」(2の11)。モータウンのホランド兄弟の書いた曲で、グイグイ迫り込み上げてくるようなバック・トラックに乗って、エモーションを大きく解き放つかのような歌いかたのマイケルは、やはりエピック時代を予告しているだろう。

エピックでのビッグ・セラー『スリラー』B 面にあった名バラード「ヒューマン・ネイチャー」(はマイルズ・デイヴィズもカヴァーした)をちょっぴり思わせるようなサウンドや、ディスコ〜ブラック・コンテンポラリーの流れを予告したようなものもあって、ニュー・ソウル的黒人シンガー・ソングライターにはなれなくても、マイケルはマイケルなりに、モータウン在籍時から <時代> をつくりつつあったのだ。

2018/01/17

ネズミだけが僕の仲良し 〜 モータウン時代のマイケル(2)

マイケル・ジャクスンのモータウン時代二作目のソロ・アルバム『ベン』。一作目『ガット・トゥ・ビー・ゼア』と同じ1972年のリリースで、そのリリースの間合いは七ヶ月。しかも同じ「イン・アワ・スモール・ウェイ」がどっちにも収録されていて、それはどう聴いても再録音とかじゃなく同じテイクの使いまわし(『ベン』ヴァージョンには冒頭にカウントする声が入っているという違いだけ)。

ってことは、『ガット・トゥ・ビー・ゼア』収録曲も『ベン』収録曲も、録音はほぼ同時期だった可能性があるよね。モータウンでのソロのマイケルの初リリース作品は、シングル盤「ガット・トゥ・ビー・ゼア/マリア」で、アルバムに先立つ1971年10月の発売だった。つまりそれ以前に少なくともこの二曲は完成していたわけだし、二曲しか録音していなかったかどうか、ちょっと僕には判断できない。

昨日も書いたが、そもそもマイケルのソロ・デビューは、ジャクスン5在籍時に、たぶん会社側というか、まあベリー・ゴーディのお遊びというか、ちょっとした試みとして、つまりジャクスン5がどんどん売れるので、その主たるリード・ヴォーカリストに一人でやらせてみたらどうか?っていうだけのものだったんじゃないかと思うんだよね。

だからソロ・デビュー曲の「ガット・トゥ・ビー・ゼア」と B 面の「マリア」の二曲しか録音しなかった可能性もあるかもしれないと僕は想像している。一般の音楽家だったらあまりそんなことはないのかもしれないが、マイケルもアイドルだったんだし、アイドル歌手のばあい国と時代を問わず、シングル盤だけをリリースして、そのシングル発売に向けては、それ用のレコーディングしかしないケースもあるんじゃないかなあ?いや、わかりませんが。

僕の言いたいことは、アルバムの発売年月日ならはっきりとわかっている『ガット・トゥ・ビー・ゼア』と『ベン』の、それぞれの収録曲の録音時期が明確じゃないってことなんだよね。僕の持つ CD 三枚組の Hip-O 盤『ハロー・ワールド:ザ・モータウン・ソロ・コレクション』のブックレットにも、この二作についてはその記載がまったくない。つまりモータウンが記録に残していなかったんだろう。

だからほぼ根拠のない憶測だけど、いちばん上の段落で示唆したように、アルバム『ベン』の収録曲も、アルバム『ガット・トゥ・ビー・ゼア』収録曲とほぼ同時期にできあがっていた可能性があるように思うんだよね。しかしアルバムになったものを聴き比べると、この二枚にはハッキリした違いもあるように思うから、選曲しアルバムに仕立てあげた際にはモータウンになんらかの意図、すなわちマイケルをこんなイメージで売りたいという目論見みたいなものがあっただろうと思う。

その違いを簡単に言うと、一作目『ガット・トゥ・ビー・ゼア』にはハードさがほぼなくて、可愛くプリティにチャーミングな、いわばメロウ・マイケルを前面に押し出していたように思うんだけど、二作目『ベン』での主役は、元気はつらつで少しファンキーに躍動するエナジェティック・マイケルみたいに聴こえるんだよね。こういった制作販売意図が会社モータウンにあったんだろうという僕の推測は、アルバムのできあがりだけを聴くなら、間違いない。

それでもアルバム一曲目の「ベン」は、やっぱり可愛くしっとりした、ちょぴりヨーロッパふうの哀愁もあるバラード・ソングだけどね。ホント〜に、このころのこんなマイケルのこんな声でこんな歌を聴くのは、いまでも素晴らしい体験だ。文句なしに降参するしかない。曲単位でマイケルの全生涯ベスト・ワン・ソングを選ぶべと言われたら、僕なら昨日書いた「ガット・トゥ・ビー・ゼア」か、あるいは「ベン」を選ぶ。

しかしこの「ベン」っていう曲はネズミの歌なんだ。マイケルは私生活でも、この1972年当時からかな?亡くなるまでずっと動物といっしょに暮らしていたが、曲「ベン」では、歌の主人公が、僕の友人はベンという名のネズミ、君だけだよ、どうか僕と仲良くしてねと語りかける内容なんだよね。同名映画の主題歌だったものだ。

それで音楽アルバム『ベン」のオリジナル・ジャケットは、写真左 or 上のようにネズミがあしらわれていたのだが、わりと早くにネズミ駆除が行われ、すぐに写真右 or 下のようなジャケット・デザインに変更になった。僕は長年そっちのネズミなしのジャケット・デザインしか知らなかったんだよね。 ハリウッド映画『ベン』がどんなもので、シリーズとしての前作『ウィラード』がどんな内容の映画だったのかは、書かないでおこう。

シングル盤で発売されたマイケルの「ベン」は自身初のチャート一位に輝いたので、この曲こそエピック移籍前のマイケルにとってはシグネチャー・ソングみたいなものだったかもしれない。ネズミとの交流云々もさることながら、歌のメロディとアレンジがいいよね。エレベ以外はフル・アクースティクなサウンドで、まずギターのアルペジオに乗って13歳のマイケルがソフトに歌いはじめると、その声のトーンのキラメキに胸が苦しくなるほどだ。もちろんネズミだけが僕の親友だから、ほかにだれもいないから、という歌詞あってこそ、僕の胸は締めつけられるんだけど。

アルバム『ベン』では、しかしこんな感じのセンティメンタルなバラードはこれ一曲だけ。といっても曲「ベン」が輝きすぎているから、もうそれだけで十分だという気分にすらなる僕だけど、気を取り直して二曲目以後に耳を傾けると、上で指摘したようにわりと元気なんだ。哀愁とかメロウネスみたいなものは薄く、ファンキーに躍動しているものが多い。

ミディアム・チューンの二曲目「グレイテスト・ショウ・オン・アース」では、特にリフレイン部分で空を駆け抜けていくかのごとき伸びやかなヴォーカル表現だし(曲の旋律もそうだけど)、四曲目「ウィーヴ・ガット・ア・グッド・シング・ゴーイング」も明るく跳ねていて元気そうだ。続く五曲目「エヴリバディズ・サムバディズ・フール」はライオネル・ハンプトン楽団1950年のヒット曲。これは絶対にベリー・ゴーディのチョイスだよね。モロに趣味が出ているもん。でもスウィート・ソウルふうにアレンジしなおしたのが素晴らしく聴こえる。

六曲目「マイ・ガール」は、「ベン」こそが代表曲だというのとは違った意味で、アルバム『ベン』のトーンを象徴する一曲。もちろん問答無用のテンプテイションズ・ナンバーで、1964年の大ヒット・チューン。モータウンって、自社曲をしばらく経ったのちの自社歌手に歌わせるという傾向というか、これは一種のしきたりみたいなもんなのか、社風なのか、そういう部分があるよね。だからマイケルが「マイ・ガール」を歌うのもまた、モータウンではあたりまえのことだったんだろう。

アルバム『ベン』で聴けるマイケルの「マイ・ガール」は本当に元気で、溌剌としていて、こんな女の子ができたよ、まるでドンヨリしていた日に陽光が差し込んでみたいだよ、うれしい〜!っていう歌詞の中身を、これ以上なく気持ちいいフィーリングで歌ってくれている。テンプテイションズ・ヴァージョンはエレガントだけど、マイケルのはキッズ・ソウルみたい感じのポップさで跳ねている。こういう「マイ・ガール」もいいんじゃない?ガキの歌じゃないかって笑わないで。どんなに歳取っても、だれかを好きになったときって、こんな気分だと思うんだ。

九曲目スティーヴィー・ワンダーの「シュー・ビ・ドゥー・ビ・ドゥー・ダ・デイ」でもやっぱり元気はつらつと躍動し、しかもファンキーだ。サウンドもリズム・アレンジもほぼファンク・チューンというに近い。三曲目「ピープル・メイク・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド」は、ほぼ同時期のスタイリスティックスの曲で、これはちょっと社会派ソング。オリジナルに忠実なアレンジだけど、マイケルはじっくりと、しかし題材を素直にストレートに歌っている。

2018/01/16

きみに会いにいかなくちゃ 〜 モータウン時代のマイケル(1)

アフリカ系アメリカ人、すなわちアメリカ黒人のなかで世界で最も有名な存在は、間違いなくマイケル・ジャクスンだ。あ、いや、バラク・オバーマかな?でも音楽家に限定すれば、MJ こそ最有名人だとだれも疑わないはずだ。疑う人は、アメリカ音楽のことをちゃんと把握できていない。

もちろんマイケルがそれほどまで大きな存在になったのは、1975年の(ジャクスン5での)エピック移籍後のことで、ソロとしてクインシー・ジョーンズと組んでのアルバム『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』をリリースしてからのことだ。エピック移籍後のソロのマイケルがものすごいパフォーマーだったということを、僕だって微塵も疑っていない。本当に素晴らしかったと心の底から信じて賞賛している。

だがしかし、一人のシンガーとしては、モータウン時代のマイケルのほうがより一層チャーミングに聴こえる、少なくとも僕はそう感じるというのも事実。モータウン時代のジャクスン5がコンプリート集みたいなかたちでまとめられているかどうかわからないので、僕は CD 三枚組全50曲のアンソロジーでもっぱら愛聴している。それの三枚目にソロのマイケルも16曲収録されていて、実を言うと、それでソロでのマイケルの歌も代表的なものはだいたい揃ってしまうのだが。
 
ですがね、モータウン時代のマイケルのソロ歌唱はぜんぶで71曲あって、それらにヒジョ〜に強い愛着を感じる僕は、モータウン音源のリイシューを手がける Hip-O が2009年にリリースした CD 三枚組『ハロー・ワールド:ザ・モータウン・ソロ・コレクション』も買ったのだった。これは一生の宝物。アルバムやシングルのリリースでいえば1972年から86年だが、75年のエピック移籍後のリリースも録音はもちろんそれ以前。ブックレット記載では73年録音のものがラストとなっているが、ネットで調査すると74年録音もあるらしい。

モータウン在籍時にマイケルがソロでリリースしたアルバムはぜんぶで四枚。『ガット・トゥ・ビー・ゼア』(1972/1)、『ベン』(72/8)、『ミュージック&ミー』(1973/4)、『フォーエヴァー、マイケル』(75/1)。

ジャクスン5がエピックに移籍したのは75年の8月だったので、1月リリースのアルバムではすでにもうこの事実がわかっていて、モータウンもこんなアルバム題にしたということかもしれない。モータウン時代のマイケルのソロ録音からは、エピック移籍後も二枚、『フェアウェル・マイ・サマー・ラヴ』(84/5)、『ルッキング・バック・トゥ・イエスタデイ』(86/2)がリリースされている。

それら録音時期だったら1971〜74年となるマイケルは13〜16歳。コドモの歌なんか…、とお考えのみなさんにはこの際ハッキリと言わせていただきますが、歌というものの、歌手というものの、ありようをご理解いただけていないのだと僕は思う。



71〜74年、13〜16歳のマイケルのヴォーカルは、たしかにジュヴナイル・ヴォイスだけど、全然コドモじみていないし、もちろん幼稚だなんていう世界からはおよそほど遠い魅力がある。チャーミングの一言に尽きるのだ。この時期のマイケル以上にチャーミングなボーイ・シンガーがこの世にいるだろうか?きっと、いない。

さて、今日は一枚目の『ガット・トゥ・ビー・ゼア』のことだけをとりあげるのだが、このファースト・ソロ・アルバムには確固たる一つの傾向がある。一言で指摘すれば1970年発売のジャクスン5でのシングル・ナンバー「アイル・ビー・ゼア」の世界を拡大し、ソロ・アルバム一枚にわたりその世界を展開したってことだ。言い換えれば、君のいるところに行かなくちゃ、困っていたり悩んでいるんなら、呼んでよね、そっちに行くからっていうもの。それと裏腹な失恋を歌ったものもある。

どの曲がそうだなんて指摘する必要もないはずだ。もしまだお聴きになったことのないかたは、いちばん上でリンクを貼った Spotify のアルバムでちょっと覗いてみてほしい。曲題だけでもだいたいわかるはずだ。このころのマイケルとは縁遠いみなさんだってお馴染みの有名曲カヴァーだってなかにはある。

一曲目「エイント・ノー・サンシャイン」(ビル・ウィザーズ)、十曲目「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」(キャロル・キング)の二つはあまりにも有名だが、それ以外にも八曲目「マリア」はジミー・ラフィンが歌い(マイケルと同時進行だっけ?)、九曲目「ラヴ・イズ・ヒア・アンド・ナウ・ユア・ゴーン」はシュープリームズが歌ったもので、アメリカ黒人音楽ファンなら知っている。

それにしてもアルバム『ガット・トゥ・ビー・ゼア』がビル・ウィザーズの「エイント・ノー・サンシャイン」で幕開けになるっていうのは、これもモータウンのベリー・ゴーディの遊び心だったのだろうか。アルバム・リリース時の1972年には人気絶頂で、ジャクスン5で大活躍し、また一人でのテレビの冠番組もあったりして、そんなマイケルのソロ・デビュー作のトップに、こんなにも渋いトーチ・ソングを置くなんて。

あの時期、ソロでアルバムを出すというのも、最初はマイケル自身というより会社の意向ではじまった企画だったのかもしれないが、歌や芸能の世界ってそんなことが多くても、そこでどれだけ自分の実力を発揮できるかが勝負だ。自らがこれをやりたいと思ってすすんで実行したとしても、それだからそれは音楽家自身の意思だからいいんだとか、逆に会社や事務所が決めたレパートリーは押し付けられたもので、歌手の意思に反し、やりたいものをやらせてもらえなかったなどと考えて否定的にとらえるのは、歌や芸能の世界にウブなんじゃないかと思う。

実際、『ガット・トゥ・ビー・ゼア』で聴けるマイケルのヴォーカルの伸びやかさ、(まだ変声期前だったことも手伝っての)キラキラしたハイ・トーンの宝石のような輝き、パワフルさ、の裏腹のデリケートなガラスのようなもろさと繊細さなどなど、一人のヴォーカリストとしてこんなにキラめいている存在を聴けることは、まずありえない。百歩譲って、滅多にない。

「エイント・ノー・サンシャイン」だけでなく、シュープリームズの「恋ははかなく」もトーチ・ソングで、歌詞内容だけ聴けば、到底13歳の少年なんかに真に迫るようなリアリティをもって歌いこなせないだろうと思われそう。だがもし本気でそんなふうにお考えのみなさんが、あるいはひょっとして1%でもいらっしゃるとすれば、上でも書いたことだが、歌の世界というものを舐めている。

13歳のマイケルが歌う「エイント・ノー・サンシャイン」も「恋ははかなく」も立派な表現力をともなっているじゃないか。その声は大人びているという文章も見つかったのだが、そういったたぐいの意見には僕はくみしないのだ。やっぱり声の質というかトーンはいかにも変声期前という子供っぽいものだと僕は思う。

しかしそんなジュヴナイル・ヴォイスだからこそ、かえって大人の(?)失恋歌をやって、独特の甘い艶やかさみたいなものが出ているんじゃないかと僕には聴こえるんだよね。どんな恋愛にもいつでもともなう危険な香りが漂っているように聴こえる。これがこのころのマイケルに対する僕の見方だ。

さて、そういったものではない、ストレートな求愛歌みたいなもの、すなわち上で指摘したように、ジャクスン5の「アイル・ビー・ゼア」の流れをくむようなものだと、このころのマイケルが持っていたそんなような特質、すなわち可愛らしいが、しかし、いや、そうだからこそ甘く危険でメロウに聴こえるという美点が最大限に発揮されていて、たまらなくチャーミングで絶品だ。

二曲目「アイ・ワナ・ビー・ウェア・ユー・アー」、五曲目「ガット・トゥ・ビー・ゼア」、十曲目「きみの友達」なんかは、この世のあらゆる女性、いや、老若男女みんなが、こう語りかけてほしいと思うくらいのものなんじゃないかなあ。マイケルの声がキラキラ輝いていて、こういう内容をこんな声で歌われたらたまらないでしょう。このころのマイケルにだったら。僕だってこう言われたい。

特に素晴らしいのが「ガット・トゥ・ビー・ゼア」。マイケルが生涯に残した録音で最も美しい曲だといっても過言ではないほどの名曲じゃないかなあ。なにが美しいって、曲のメロディも綺麗だが、マイケルのこの声だ。リード・ヴォーカルをマイケルの一人二重唱にしてあって、それはビートルズもよくやったダブル・トラッキングとかじゃなくて、もう一回再録して重ねたユニゾンだと思う。

その二つのテイクの微妙なズレが生むキラキラとしたガラス細工のような輝きは、まるで天上から舞い降りた天使の歌声といったような美しさに聴こえないだろうか。こんなふうに、ダイアモンドに光を当てたときのようなまぶしく乱反射するような輝けるヴォーカルを、ほかのだれのどの歌で聴けるっていうんだろう?

2018/01/15

黄昏どきに聴くニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」がいい

以前、ウアクチのビートルズ曲集の話をしたときに、2001年の映画『アイ・アム・サム』のサウンドトラック盤もビートルズ・カヴァー集として僕は好きだと書いて、文章の最後にほんのちょっとだけ、ニック・ケイヴのやる「レット・イット・ビー」に触れた。
すると、あるかたがすかさず “ニック・ケイヴ” に反応してくださって、コメントしてくださったのだ。記事は2016年7月のものだから、ずいぶんとお待たせしたことになる。といっても申しわけないが、僕はそのリクエストにお応えしようとこの文章を書くのではない。最近の僕にとって、『アイ・アム・サム』サントラのラストでニック・ケイヴがやる「レット・イット・ビー」がどんどんと沁みすぎるほど沁みるようになってきているからというのが大きな理由なんだよね。

アルバム・ラストで、と書いたけれど、調べてみたらそれはオリジナルのアメリカ盤だけのことで、韓国盤、欧州盤、日本盤など、すべて内容の異なるボーナス・トラックが附属するみたいだ。これはちょっとどうなんだろう?いろんな歌手がやるいろんなビートルズ・カヴァーを聴いたあと、最後の最後にニック・ケイヴのあのシンミリした、ゴスペルふうな荘厳さのまったくない、実に淡々と冷ややかに心情を綴るような「レット・イット・ビー」が流れてきて、それがアルバムのクローザーになるからこそ、素晴らしい時間を過ごしたということになるのに。

ニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」の話をする前に、映画とアメリカ盤サントラ全体のことについてもちょっとだけ触れておこう。

映画『アイ・アム・サム』は、ショーン・ペンが知的障害のある父を演じるジェシー・ネルスン監督作品。どんな映画だったのかを詳しく書くとネタバレみたいになってしまうので、 Hulu とかアマゾン・プライムで観ることができるし、DVD だってきっとあるはずだから、興味をお持ちのかたはご覧あれ。

映画そのものが泣かせるものだったこととは別に、『アイ・アム・サム』は、映画好きでなくともロック・ファンなら知っているだろう人が多いと思う。全編でビートルズの楽曲が使われているからだ。といってもぜんぶ最近の音楽家によるカヴァー・ヴァージョンだけどね。きっかけは、映画製作にあたり取材した障害者施設にいる多くの人がビートルズ好きだったことにあるんだそうだ。

そこで監督ジェシー・ネルスンは、オリジナルのビートルズ・ヴァージョンを映画で使いたかったそうなんだけど、そりゃ、僕たちだって難しいとわかる。大きな金額と手間がかかってしまうはずだ。なのでそれは諦めて、ビートルズのソング・ブックをいろんな人にカヴァーさせたものを映画で使うことにしたみたい。映画のなかでどうだったのかは観なおさないと忘れたが、サウンドトラック盤は、映画で使われたものとそこからインスパイアされてサントラ盤 CD 用にはじめて演奏、録音されたものとが混じっているみたい。

僕の持つアメリカ盤『アイ・アム・サム』はぜんぶで17曲。エイミー・マンとマイケル・ペンのやる「トゥー・オヴ・アス」(『レット・イット・ビー』)、ウォールフラワーズのやる「アイム・ルッキング・スルー・ユー」(『ラバー・ソウル』)だけがちょっぴり地味で知名度が低めかも?と思うだけで、それ以外はぜんぶビートルズ・ファンでなくたってよくご存知のものばかり。えっ?そうじゃなくって、ビートルズの曲はすべてが超有名ですって?スミマセン。

サウンドが派手だったり、ファズの効いたエレキ・ギターがギュンギュン鳴ったり、ヴォーカリストが激しくシャウトしたりするのは、この『アイ・アム・サム』にはあまり似合わないと僕は思う。あの映画を思い出すのにもちょっぴり邪魔だ。だから11曲目ブラック・クロウズ「ルーシー」、12曲目チョコレート・ジーニアス「ジュリア」、13曲目ヘザー・ノーヴァ「ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト」、16曲目グランダディ「リヴォルーション」あたりは、それだけ取り出して聴くのならいいんだけど。

しかし派手めの16曲目「リヴォルーション」は、次にくる17曲目ニック・ケイヴ「レット・イット・ビー」への格好の前振りにはなっているなあ。だから、アルバム『アイ・アム・サム』の前半がずっとアクースティック中心のサウンドで落ち着いて静かなたたずまいを見せているのに、11曲目からちょっと派手めのエレキ・サウンドが続くのは、ニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」をラストに置いて際立たせるためのアレンジだったと、僕はそう思うことにしている。だからこれがアルバム・ラストじゃないと、やっぱり。

それほど、17曲目でニック・ケイヴのやる「レット・イット・ビー」の、まずピアノが聴こえてきた瞬間に、ここのところの僕は激しく感動してしまう。そのピアノ・フレーズもそうだし、続いて出るニックのヴォーカルも、素晴らしいさりげなさだ。ポール・マッカートニーの書いた歌詞の持つ、なんというか人生の諦観とほんの小さな希望みたいなものを、ここまで淡々とさりげなく、つまり感情なんか込めていないかのごとく冷ややかに歌えるニック・ケイヴは本当に素晴らしい。

サウンドだって落ち着いている。アクースティック・ピアノ、オルガン、アクースティック・ギター、かなり小さい控えめの音量で演奏するドラムス、これも音量が小さい女声バック・コーラスと、たったこれだけ。ベースは聴こえない。入ってないかも?クレジットを読めれば確認できるはずなんだけど、このブックレットはなんですか?この文字の小ささは?老眼鏡かけても無理だから諦めるしかない。

弾ける人だとは知ってはいるが、たぶんニック・ケイヴがピアノを弾きながら歌っているのではなく、おそらくはほかのピアニストが参加して弾いていると思う(ブックレットが読めませんから〜、根拠なしの憶測です)。そのピアノをメインに据えたサウンドもいいんだけど、ニック・ケイヴの、この、まるでしゃべっているような、僕はいまこんな心境だと、目の前で個人的に語りかけてくれているかのような歌いかたが、文句なしに沁みすぎる。

僕は以前、曲「レット・イット・ビー」のことをとりげて、これはゴスペル・ソングだと指摘して、アリーサ・フランクリンのやる、まさしく教会で歌うゴスペル・ソングへと変貌しているヴァージョンの荘厳さを絶賛し、もともとポールもアリーサのために書いたというのがこの曲の発祥らしいと記事にした。
ポールの歌うビートルズ・ヴァージョンの「レット・イット・ビー」も盛り上がりのあるアレンジだし、アリーサのなんか、輝かしすぎるくらいの気高さ、迫力で、もちろんそんな部分こそがこのアメリカ黒人女性歌手の美点なんだけど、それらに比べるとニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」は投げやりなというか、もはや人生を放り出しているかのような退廃すら感じるような歌いかたじゃないか。

しかしニック・ケイヴの歌う「レット・イット・ビー」は、決して人生を諦めきって100%投げ出したりなどはしていない。こういった、あたかもそう聴こえるかのような淡々とした心情、人生も半ばをすぎて終末のことをそろそろ考えはじめなくちゃいけないんだろうか?という気分になりつつある人間の持つ諦観と、その裏に張り付いたほんのかすかな希望みたいなものを、僕はニック・ケイヴの歌うこの「レット・イット・ビー」に感じている。

もはや人生は暮れかけていて、風景は暗くなりはじめている。そこに助けがあって一筋の、細いものかもしれないが、光が差し込むことだって、たまにはあるのかもしれない。いろいろ諦めなくちゃいけないんだろうが、それでも静かに落ち着いて淡々と前を向いて歩んでいこう。そんなメンタリティにこのニック・ケイヴの「レット・イット・ビー」以上にふさわしい音楽はないと思う。
音楽は、ときとして、こうやって人生に寄り添ってくれる。

2018/01/14

オールド・ジャズの面影を残すディジーのニューポート・ライヴ 1957



オリジナルが SP 盤で発売されたものは別として、最初から LP アルバムで発売されたディジー・ガレスピーの作品では、1957年のヴァーヴ盤がいちばん好きな僕。57年7月6日のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでのディジーのビッグ・バンドのライヴ演奏を収録したもの。サイコーなんだよね。

ディジーのアルバムでこれがいちばん好きだというのにはいくつか理由がある。ブルーズ・ナンバーが多いこと。しかしそれでもディジー最大の代表曲ともいうべき「マンテカ」「チュニジアの夜」があること(後者は CD リイシュー時の追加トラックだけど、同じライヴから)。こないだも書いたが大好きなホレス・シルヴァーの「ドゥードゥリン」もあれば、これまた大好きな、このときのディジー楽団の一員だったベニー・ゴルスンの「アイ・リメンバー・クリフォード」もあること。そしてなによりエンターテイニングだということに尽きる。

この最後の理由、すなわち最高の娯楽品であるというのは、ふだんからディジーが発揮していた資質の反映だけど、ビ・バップ以後のモダン・ジャズはこの要素をほぼ失ったように僕には見える。いやいや、そんなことはない、最高のアートこそ最高のエンターテイメントなんだと言われるだろうし、それはそのとおりだと僕も信じている。でもですね、僕は考えかたやものごとのとらえかたが浅薄な単細胞人間なもんで、こういった「娯楽品」「エンターテイメント」という言葉を音楽作品に対し使うばあいは、表面的に面白おかしく、愉快で、笑えて、踊れて、はしゃぐことができるという、そういう意味なんだよね。

ジャズ界に限定すると、そんな、つまり fun であるような要素は戦前のジャズが色濃く表現していたし、戦後でもジャンプ系のものが盛んだったあたりまではしっかりと残っていた。しかしそのジャンプ・ミュージックから派生した二大音楽、ビ・バップとリズム&ブルーズはふた道に分かれてしまった。相通ずる要素もあったけれど、ジャズ界はビ・バップ(のなかにはまだまだジャイヴ・ミュージックな風味もしっかりあったけれど)の持つシリアスさをひた走るようになって、その後いっこうに戻らないまま2018年まで来ている。だから、まあ、やっぱりジャズってそういう音楽なんだろうな、基本。

ジャンプ系のジャズまではしっかりあったお楽しみ要素はリズム&ブルーズのほうにより強く受け継がれ、それがロックへとつながって、ロックもやはりそういう部分を音で表現しているじゃないか。ところがディジーのばあい、直前でも触れたようにビ・バッパーはまだまだわりと芸能的な、はっきりいえばステージ芸人みたいな要素も残していたからなのか、あるいはそんなことと関係なくハナからそんな愉快な人間なのか、自分のやる音楽で芸能要素を強く打ち出しているばあいがある。

このあたり、ジャズとはシリアスな鑑賞芸術品なのだとお考えのみなさんには、きっとディジーも評判が悪いに違いない。しかもディジーのばあい、そんな愉快な芸能エンターテイメント性とアフロ・キューバン志向が分かちがたく一体化している。ブルーズを演奏する際のアティテュードもそうだ。ってことは『ディジー・ガレスピー・アト・ニューポート』が僕のいちばんの好みである理由として上で挙げた四要素は、ぜんぶひとくくりなんだよね。それがディジーというジャズ・マンだ。

『ディジー・ガレスピー・アト・ニューポート』。LP では「クール・ブリーズ」までの全六曲だった(A 面は「ドゥードゥリン」まで)。いま僕の手許にあるのは1992年の米ポリグラム盤のリイシュー CD で、三曲というか3トラックが追加収録されている。

そのなかでメアリー・ルー・ウィリアムズ(ディジーの紹介の声では完全に「メリー」だが)が客演して、彼女自身の代表作『ゾディアック組曲』から「乙女座」「天秤座」「牡羊座」をやり、またメアリー・ルーのピアノで「キャリオカ」をやっているのは、彼女にとって数年の半引退状態からの復帰ステージだったということ以外に、意味はあまりないと思う。それらでだけアレンジャー名の記載がないのは、きっとメアリー・ルーのペンによるものなんだろう。デューク・エリントン楽団のサウンドみたいで好きなんだが、ディジーの楽団でそれを聴く意味は弱い。

ラストの「チュニジアの夜」ではふたたびウィントン・ケリーがピアノを弾いて、しかもこの曲でだけトランペット・ソロが楽団員のリー・モーガンだ。これはかなりいい。がしかしそれでもアフロ・キューバン(なのにどうして北アフリカの地名なんだろう?)な風味は、四曲目の「マンテカ」のほうが色濃いし、このニューポート・ライヴに限らず、僕は「マンテカ」のほうが好きなんだよね。1947年のオリジナルではチャノ・ポゾと共演していたものだ。最高だよ。

『ディジー・ガレスピー・アト・ニューポート』四曲目の「マンテカ」では、リズムと(それにあわせて、どうしてだか “I never go back to Georgia!” と楽団員が合唱していて、おもわずディジーが “What?!” と言っているね、ワッハッハ)ホーン・アンサンブルに続き吹きはじめるディジーのトランペット・トーンも素晴らしく輝いている。この人のばあい、吹奏技巧も最高で音色もブリリアントだけど、ほんのちょっとだけデリカシーが足りないような部分がサウンドにあるような気がして、そりゃあ僕がマイルズ・デイヴィスを聴きすぎなだけかもしれないが、たまにこれはちょっと…、と感じてしまうときもある。

だから『ディジー・ガレスピー・アト・ニューポート』でも、五曲目の「クリフォードを忘れない」で、天才後輩(と、曲紹介でディジーもはっきりと言っている)のことを吹くディジーは、かなりいいとは思うんだけど、う〜ん、まあなんか、僕にはちょっとですね、まぁあれなんです、翳り、憂いが薄いと言いますか…、エレジーなんですから〜。このニューポート・ライヴのときのディジー楽団にはリー・モーガンがいたんですけどねえ…、って、もうやめておこう。

「マンテカ」ならそんな心配をする必要もない。ディジーが陽気で愉快に輝かしく吹きまくってくれているのが文句なしに最高だ。楽団のラテン・ サウンドも楽しすぎる。あ、そういえば、ディジーのトランペット・サウンドって、キューバのソンの楽団で吹くトランペッターの音にちょっと似ているよなあ。ソンとかマンボとか、その他キューバン・ミュージックでもトランペットは欠かすことのできない重要楽器なんだよね。

このニューポート・ライヴでの「マンテカ」。クラベスも聴こえるし、その他キューバ由来の小物打楽器のサウンドが複数聴きとれるが、クレジットは一切ない。チャーリー・パーシップのドラムスしか打楽器奏者は記載がないが、そんなわけあるか〜い。間違いなく聴こえる。しかもその間バンドだってフル・メンバーでアンサンブルを奏でている。不思議だ。じゃあゲスト・パーカッショニストみたいなのがいたのかなあ?あるいは管楽器などを演奏しながら小物打楽器も同時にやったってこと?う〜ん、わからない。どなたか教えてください。

『ディジー・ガレスピー・アト・ニューポート』にあるブルーズ楽曲は、一曲目「ディジーズ・ブルーズ」、二曲目「スクール・デイズ」、三曲目「ドゥードゥリン」、六曲目「クール・ブリーズ」。しかもどれもぜんぶジャンプ・ブルーズっぽいような粘っこい跳ねかたのノリで、1957年のモダン・ジャズ・メンがやっているとは思えないほどの愉快さで、ダンサブル。実際、僕は聴きながら部屋の中で踊っている。少なくとも肩や膝はゆする。思わず自動的にそうなっちゃうもんね。

「スクール・デイズ」ではディジーがヴォーカルも担当しているが、歌詞といってもまとまりのないもので、パラパラと適当に言葉の断片を並べるだけだから、たぶんこれは即興ヴォーカルだよね。日本では「メリーさんの羊」で知られている曲の歌詞も断片的に出てくるが、それにしたってその場で思いついて歌っているんじゃないかなあ。「スクール・デイズ」とかっていうチャック・ベリーの歌みたいなのをさ。1957年だからね。ディジーならきっとチャック・ベリーも聴いていたはず。曲もブギ・ウギ・シャッフルな8ビートなんだしね。

レコードではこれで終わりだった六曲目の「クール・ブリーズ」はタッド・ダメロンの書いたブルーズ。最後のほうまでふつうの4/4拍子のメインストリームなジャズ・ビートで進む。ディジーのトランペット・ソロも斬れ味抜群で素晴らしい。それから、このアルバムにあるすべてのブルーズ・ナンバーで言えることだけど、やっぱりウィントン・ケリーにブルーズを弾かせたら旨味だよなあ。素晴らしい。フル・バンドで迫る怒涛のサウンドも圧巻。さらに、「クール・ブリーズ」では最終盤でディープなタメの効いたノリのスローなリズム&ブルーズに変貌するのがいい。一瞬だけなんだけどね。

2018/01/13

ティト・パリスの新作は渋ボレーロ・アルバムだってこと?





いまの僕は路面店をあてなくぶらついて偶然の出会いを求めることなんて不可能な環境にいるので、新鮮な偶然の邂逅は、いかにネットでブラブラするかにかかっている。だから暇さえあれば行くあても目的もなくネット徘徊しているのだ。音楽だと、いろんな通販サイトや iTunes Store や YouTube などや、そして昨2017年半ばからは Spotify その他だ。そうしないと、ブロガーなどどなたか情報を持つ詳しいかたの文章で知るだけで、そうじゃない発見なんてありえないんだ、いまの僕にはね。

そんなわけで、昨2017年暮れごろ、あてなく Spotify を徘徊していて偶然発見したティト・パリス(カーボ・ヴェルデ/ポルトガル)の新作。リリースされていることを僕はまったく知らなかった。こういったリリース情報って、みなさん、どこで入手なさっているのでしょう?僕のばあい、たとえば Twitter で音楽家やレコード会社がアナウンスしてくれるばあいはそれで知る。Facebook も情報源になるよね。オフィシャル・サイトとかもだ。

しかし Twitter にティト・パリスのオフィシャル・アカウントはないよなあ…、と思ってちょっと Facebook で検索してみたらあるじゃないか。Facebook を情報源として活用するなら問題ないわけだから、ティトを含め何人かオフィシャル・ページをフォローしておいた。もっと早くそうしていれば、あの日の深夜 Spotify で偶然発見した新作『ミン・イ・ボ』だって、もっと早くリリースを知ることができたかもしれない。

Spotify でなんどか聴いたティト・パリスの2017年新作『ミン・イ・ボ』。はっきり言ってジャケットを一瞥しただけで、これはきっと中身もいいんじゃないかと直感したけれど、実際、素晴らしい内容だった。と思って聴いていた数日後、エル・スールに CD が入荷したので、そのまま買った。ネット配信で問題なく聴けるものをフィジカルでも買うっていう僕は、いったいなにをやっているのでしょう?そもそも僕のばあいみなさんとは逆で、CD をどんどん買って聴いて、よかったものだけ Spotify で探して、見つかればそのアルバム・リンクをシェアして、みなさんにご紹介するとか、そんな Spotify の使いかたなんだもんなあ、オカシイぜ、これ(^_^;)。

エル・スールから届いた CD でもやっぱりなんども聴いたティト・パリスの『ミン・イ・ボ』。Spotify にあるものと中身は完璧に同一だから、CD ならではの新たな感慨みたいなものはない。やっぱりジャケットを手にとって眺めて愛でられるから、内容のいい音楽アルバムについては愛着が深くなるということはあるなあ。あと、やっぱり曲の作者、演奏者名一覧とか、その他プロダクションに関係する諸情報を得られる、それではじめてわかってくる部分はたしかにあるから、やっぱり僕はフィジカルを今後も書い続けると思う。だからエル・スール原田さん、ご安心ください。

ティト・パリスの『ミン・イ・ボ』。これってひょっとしたらキューバン・ボレーロのアルバムだってことなんだろうか?もちろんぜんぜんボレーロでもキューバンでもない曲だってわりとある。そういうものは、ブラジル音楽ふうだったりカーボ・ヴェルデのフナナーだったりで、ブラジル&カーボ・ヴェルデ音楽からやっぱり来ているようなものかもなあ。でもアルバム全体をとおし、やや多めなんじゃない?ボレーロとかキューバ音楽が。

以前からメロウな要素が持ち味であるティト・パリスだから、ラテン音楽のなかでも格別甘いものであるボレーロを複数やっていても別に驚くことじゃない。それが新作『ミン・イ・ボ』のなかではかなりいい感じに聴こえてくる。しかもティトの声は、みなさんご存知のとおりの渋さというかしわがれかたというか、ひび割れている塩辛いものだ。だからクルーナー・タイプの歌手がやったのと違って、ティトのボレーロは甘すぎず、センティメントに流れすぎないのがちょうどいい頃合いで、これなら甘い音楽は苦手だとおっしゃる向きにも受け入れてもらえるんじゃないかな。

ボレーロ・アルバムとまで呼ぶのが言いすぎならば、適度な甘さと苦味がブレンドされたラヴ・ソング集には違いないティト・パリスの『ミン・イ・ボ』。キューバ音楽テイストというかサルサ風味というようなものが、一部のブラジル〜カーボ・ヴェルデ音楽スタイルものを除き、わりと強い。特にリズム・スタイルと金管楽器群、なかでもトランペットの使いかたに、それが鮮明に聴きとれると思う。

CD でお持ちでないかたは、いちばん上でご紹介した Spotify のリンクでぜひちょっと聴いてみてほしいのだが、たとえば1曲目「チダデ・ヴェーリャ」からして、特にボレーロではないかもしれないが、キューバン・ソングには違いない。しかもトランペッターの吹くオブリガートのフレーズにはジャズっぽいものだって聴きとれるよね。リズムのスタイルはどう聴いてもキューバ音楽。ヴォーカル・コーラスの入りかたや、曲後半部でブラス・セクションがスタッカート気味のリフを反復するあたりなどもキューバン・スタイルだ。しかもやっぱり甘い。スウィートなボレーロ風味がちょっとはあるよなあ。ボレーロふうサルサ?いや、サルサ・ロマンティカ?

ボレーロだとかキューバン・ミュージックだとか言っているけれども、新作アルバム『ミン・イ・ボ』でいちばん多いティト・パリスの自作曲も、そうじゃない他作の曲も、ぜんぶ曲題も中身の歌詞もポルトガル語だけどね。だから歌詞じゃなく、曲調とかサウンドとかリズム・フィールとかを僕は、いつもいつものことながら、聴いているわけなんだよね。

アルバム2曲目「セル・マズ・クリチェウ」では流麗なストリング・アンサンブルが入ってきて、実に甘くて僕は大好き。しかも木管が聴こえるなあ、これはオーボエじゃないの?と思ってブックレット記載を見たら、どうやらそれはソプラノ・サックスみたいだ。こんなところはフィジカルじゃないとはっきりしない。だがしかしその木管サウンドは、ちょっとソプラノ・サックスっぽくない音色なんだよね。リズムのかたちは、やっぱりキューバン、というかこれはボレーロでしょ?でも甘いというより暗く陰で、つらそうなフィーリングだ。少なくとも濃い翳りがある。歌詞の意味がわからないが、失恋歌??

その後も3曲目「ニャ・チャルメ」(フルート・アンサンブルがある、クレジットは未確認だが、これは間違いない)も同様の翳ったキューバン・ボレーロみたいな感じだが、4曲目「ガッタ・モレーナ」はかなり面白い。キューバン・サルサとカーボ・ヴェルデ音楽が混交したようなフィーリングで、ブラス・セクションのリフやヴォーカル・コーラスはどう聴いてもサルサなのに、リズム・セクションの演奏はフナナーみたいにやっている。一部のブラジル音楽にも似ている。

ティト・パリス同様に渋い男性ゲスト・ヴォーカリストが参加する5曲目「レスポンスタ・ジ・セグレド・ド・マール」も、基本、カーボ・ヴェルデのモルナみたいでありながら、ブラジルのサンバ・カンソーンみたいなフィーリングもあって、その上、やっぱりキューバン・ボレーロにもちょっと似ている甘いコクだって感じとれる。しかしそれにしても、渋い。渋すぎるぞ、これは。

6曲目「ボ」にも男性ゲスト・ヴォーカリストが参加して、こっちはラップを披露している。この曲はサルサみたいな感じだなあ。あ、いや、リズムの跳ねかたがちょっと違う。やっぱりカーボ・ヴェルデ音楽のグルーヴ・タイプだ。快活にジャンプするようなもの。和音構成はちょっと陰というかマイナー調だけど、リズムのノリは明るい。

曲題に反してファドには聴こえない7曲目「ファド・トリステ」、カーボ・ヴェルデ音楽に違いない8、9曲目をはさんで、10曲目「ミンデル・ドノーヴァス」がやっぱりボレーロふう。ストリングスや木管の使いかたなんて、まさしくボレーロ〜フィーリンのやりかただ。でも決して愛を告白したり語りあったりはしていない曲のように思う。っていうか、そういう調子に感じるというだけで、歌詞がわかりませんから〜、間違っているかも。

アルバム中最も鮮明なボレーロなのが、快活な11曲目が終わったあとの終盤12曲目「ドーチェ・パイション」。これはどう聴いても完璧なキューバン・ボレーロだ。メジャー・キーとマイナー・キーの使い分けというか移行のやりかたといい(特にサビへ行く部分)、ボンゴを中心とするリズムの創りかたといい、主役男性歌手の声がひび割れているから甘く聴こえず、渋みがまさっているけれど、これは素晴らしいボレーロに違いないと、どなたでも納得していただけるはず。この12曲目は、僕、すごく好きだなあ。まあたんなるメロウ・ボレーロ好き人間だというだけかもですが。

アルバム・ラスト13曲目「サンティアーゴ・アモール」にも男性ゲスト・ヴォーカリストがいて、ティト・パリスとのデュオで歌う。しかもこの13曲目はピアノ一台だけが伴奏だ。あまりにも渋いというか、なんだろう?この人生の年輪を重ねすぎたみたいなサウンドと歌声は?ティト・パリスって僕より年下なんだけど、精神的ガキである僕なんかよりは、少なくとも音楽的には、はるかに熟している。たんに声がこんな感じだというだけの話じゃないよなあ。

2018/01/12

カナ書き談義 2018

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僕の名前「戸嶋 久」も正しく発音していただけないばあいがある。ファースト・ネームは問題なく「ひさし」とだれでも呼んでくれるけれど、ファミリー・ネームのほうは「とじま」「こじま」になることが多いんだよね。そんなこともあってか、僕はネット活動をずいぶん長く「としま」名でやってきた。漢字表記の固有名詞の読みって、地名もそうだけど、なかなかむずかしい場合があるのは事実だけど。

とまあ、ちょっと思うところあって、昨年末ごろからネット活動の文字どおりすべてを実名の漢字「戸嶋 久」表記でやるようになっている僕。そのこととはぜんぜん関係ないことだが、アメリカ人ジャズ・トランペッター兼鍵盤奏者の Miles Davis も日本語のカナ書きの際は問題がある。いまだにかなりある。まあついこないだまで「マイルス」表記だった人間に言えた義理ではありませんが、いちおう考えを改めましたので。

実はこんなことすべて、油井正一さんの『生きているジャズ史』にぜんぶ書いてある。東京創元社刊の『ジャズの歴史』時代からあった。もとの雑誌原稿が何年に執筆されたものかわからないが、少なくともこの本の初版は1957年。しかしそのなかの一章「カナ書き談義」は、1967年の三訂版で書き加えられたものだ。その「カナ書き談義」での油井さんは、一面、外国人名のカナ書きをなるべくちゃんとやれと言いつつ、反面、でもあまりやりすぎても意味がないとも言っている。

やりすぎるのは無意味だとは、つまり発音体系も表記システムもまったく異なる言語をカナ書きするわけだから自ずと限界があって、どう書いたって原音どおりになんかなりゃしないんだ、不可能なんだから、どんなに近づけた忠実なカナ書きでも、そのまま発音したんじゃ母語話者には通じない、だからこだわってやりすぎるのは意味がないと、ハッキリと明言している(立東社文庫版 p. 213)。

しかしそのいっぽうで、原音とあまりに食い違いすぎる表記を放置したままなのはやはり感心しないとも書いているんだよね。ロック・ミュージックの世界でも、お馴染み物議の Duane Allman とか Delaney Bramlett とか The Faces とか、そのほか本当にいっぱいあるけれどね。もちろん英語圏だけでなく、外国人名一般にあてはまることだ。こだわるかたは、音がわかっているからこそ漢字かな交じり文のなかでも原文字表記のまま書いているばあいもある。僕のポリシーなら、それをやるのは、どう読むのか見当もつかない名前その他だけだ。

それはいい。「カナ書き談義」のなかで油井さんは、いろんなアメリカ人ジャズ音楽家名のカナ書きをとりあげて、これはおかしいとか、これはこうあるべきだとか書いてあるなかで Miles Davis のことにも触れているんだよね。主に Davis のほうの表記にかんしていろいろとお書きだ。大学生のころに読んだときは、「デビス」と ”ビ ” にアクセントを置いて発音するジャズ喫茶族がいるということを、僕ははじめて知った(立東社文庫版 p. 215)。

デイビス、デービス、デイヴィスの三種類の表記を油井さんはとりあげて、まあどれでもいいんじゃないかというのが本音みたいなんだよね。しかし油井さんはそのあとでハッキリ書いている。問題はそこではなく Miles のほうだと。アメリカではマイルズと濁るのだとちゃんと書いてあるんだよね。遅く見ても1967年に書いた文章だから、ジャズ関係のライターさんの文章のなかにマイルズ表記なんてまったくなかったんじゃないかなあ。ぜんぶマイルスだったはずだ。

さらにさらに油井さんは、しかしマイルズと濁点を付けるのも実は問題があるのだとも書いているんだよね。それは日本語話者のばあい、濁音があるとそれを意識してしまう傾向があって、だからマイルズ表記だとズがやや強めに発音されるかもしれない、しかし Miles の語尾の s は消え入るように弱くなるもので、スでもズでも似たような聴こえかた程度なのだから、そこに注意が行かないよう配慮してマイルスと清音の表記なんですよとも書いてあるんだ(立東社文庫版 p. 215)。

Miles の語尾の s にはアクセントなどない、語末で消え入るように弱くなってほぼ聴こえず、「マァ〜ルッ」みたいになっているというのは、ずっと以前に僕もそう書いたし、実際にいろんな録音物で聴くと、やっぱりちゃんと語尾まで聴こえにくいばあいが多いんだよね。それで、油井さんの表現をお借りすればズに注意が行ってしまうのを「避け」(p. 215)る目的もあって、マイルス表記で僕もずっと30年以上通してきた。しみついた怠惰な習慣で、というだけの面もあったと認めておきたい。

それを昨年からマイルズに修正したのは、Miles というスペリングからすればマイルズとなるのはわかっていることだから、英語教師としての僕の心のなかで長年この矛盾がどんどん大きくなってきていて、まるで身体をむしばむ癌のごとく痛むので、それを切除したいという一心だったんだよね。だってマイルスでは間違っていると知っているんだもん。もう到底我慢できなかった。ほかのみなさんがマイルスとお書きになるのはなんとも思わないが、僕自身の表記だけは正しくしたいと決めた。日本語で書くマイルズ専門家のなかでは、たぶん僕が史上第一号だ。

それに、最近まであまりちゃんと聴いていなかった、というか意識していなかったんだけど、マイルズの各種ライヴ・アルバムで英語母語話者であろう司会者が、語尾まではっきりと聴こえるように発音して、すると濁音で「マイルズ・デイヴィス」と紹介しているじゃないかという現実の証拠もいくつか確認できるようになっているしね。

まあその〜、できうることならば、日本のレコード会社のかたがたには、正しく「マイルズ」表記に修正していただきたいと僕は考えている。レコード会社、特にいちばん数の多いソニーさんがマイルズ表記にすれば、世の音楽ジャーナリズムや音楽ライターのみなさんも追随するだろう。これは間違いないと目に見えている。キャピトル、プレスティジ、ブルー・ノート、ワーナーとあって、それぞれ Miles Davis のカナ書き表記は少しづつ揺れているけれど、ファースト・ネームのほうが「マイルズ」になっているのはまだ一社もない。

マイルズ関係のカナ書きではおかしいことがほかにもいっぱいあって、ひどいのがアルバム名や曲名のカナ書きだ。それも固有名詞であるとはいえ、もとは一般の普通名詞から取っているものだから、マイルスか?マイルズか?なんていうレヴェルじゃないよなあ。いちばんひどかったのが、むかしの CBS ソニー盤 LP 題『ライブ・エビル』!

”Live-Evil” のことなんだけど、エビルってなんだよ?!エビルってさ!?全地球がどうひっくりかえっても Evil はエビルになりえない。これがしかしアナログ・レコード時代はずっとこのままだったんだよね。さすがにいまのリイシュー CD ではちょっと修正してあって『ライヴ・イヴル』になっているけれど、まだダメじゃないか。エビル時代を長く体験してきている僕だから我慢できる範囲内かな?と思わないでもないが、一度は修正する機会があったんだから、どうしてそのときに『ライヴ・イーヴル』にできなかったんだ、ソニー?!

“Bitches Brew” もなかなかひどかったよなあ。これもいまではちょっとだけ修正してあって(だからさ、どうせ修正するんなら、どうして一度にちゃんとしないんだ?ソニー?!)、現行の日本盤 CD は『ビッチェズ・ブリュー』になっている。しかしこの「ェ」とか「リュ」ってなんだよ〜!どこからこんなもん、出てくるんだ?さぁ〜っぱりワケわからんじゃないか。

1998年にこのアルバムのボックス・セットが出て、その際『レコード・コレクターズ』誌が特集を組んだ。そのころの編集長は寺田正典さん。さすがは中村とうようさんが創刊した雑誌だけあって、ちゃんと『ビッチズ・ブルー』表記に統一されていた。これはどなたか執筆者の意向がおよんでとかじゃなかったんだよ。編集部の確固たる方針だった。寺田さんはかねてよりローリング・ストーンズ関連のカナ書き表記の問題を指摘なさっていた。チャーリー・ワッツは本当は「ウォッツ」だけど、いまさら直せませんよねえとか、僕にもおっしゃっていたことがある。

だからその『ビッチズ・ブルー』ボックス特集号をきっかけに『レコード・コレクターズ』にしばらく書いていた僕も、なるべく原音どおりにと考えて、いろんな(マイルズ関係ではないものも含む)原稿で実行していたんだけど、ほかのジャーナリズムや日本のレコード会社はやっぱり修正しないもんね。退社して九州にお戻りになって以後、寺田さんは、東京時代にそのへん頑張ってなんとかならないかとやっていましたが、力がおよびませんでした、無駄な努力だったのかもしれませんとおっしゃっていた。

今日僕が書いてきたことは、もちろんマイルズ関係のことだけの問題ではないし、ジャズやロックやなどアメリカ産の英語音楽に限ったことなんかじゃない。すべての外国語のカナ書きについて言えることだ。発音がこうなのだとハッキリわかっているものならば、なるべくそれに即して書きたい。ほかのかたのことはいざ知らず、僕はね。発音がどうだかわからない言葉のばあいは可能な範囲で調査して、そして上でも触れたが漢字かな交じり文のなかに不意に外国語文字が出現するのを日本語使用者しては避けたいので、こうかなと判断できるものは判断したカナ書きにしている。

どうにもこうにも音がわからないばあいは、そのまま書けるばあいはそのまま書くしかないと思ってそうしているのだが、キリル文字やアラビア文字やビルマ文字や、そのほか世界に各種ある、ラテン文字アルファベットではない文字表記は、タイピングするのが僕のばあい容易ではないから、まあなんとなくやりすごしてごまかすしかないと思って、そうしてきている。該当する外国語をちゃんと勉強すれば済む、できるようになる、というような話じゃないような気がする。

2018/01/11

遠くかすんだ眼差し

ローリング・ストーンズがいちばんよかったのはミック・テイラーが在籍していた時期だと、いまではほぼ衆目の一致するところじゃないかと思う。だけど、聴きやすいかどうかはまた別の問題らしく、また特に1970年代にリアルタイムでストーンズを追いかけて聴いていた先輩方にとっては、どうやらロニー・ウッド参加後の『ブラック・アンド・ブルー』(1976)、『女たち』(1978)などがいちばん馴染みがあって、いまでもいちばんよく聴くものだということになるみたい。

僕だと1981年の『刺青の男』がストーンズとの初邂逅だったわけだから、あまりそのあたりのことがよくわからないんだよなあ。正直な本音だが、最初に出会ったときから『ベガーズ・バンケット』『スティッキー・フィンガーズ』『エクサイル・オン・メイン・ストリート』の三つが本当に素晴らしいなあって、心の底からそう感じ、いままでずっと来ていて、そしてそれらがいちばん聴きやすい。『レット・イット・ブリード』はいまでこそ最高だけど、むかしはイマイチで、また『ゴーツ・ヘッド・スープ』『イッツ・オンリー・ロックンロール』(後者は頭の三曲なら大好きだが)だと、いまでもイマイチな感じが拭えない。

ところがここ数年、どうも僕のなかで、『ブラック・アンド・ブルー』はもうちょっと時間がかかりそうだけど、その次の『女たち』(Some Girls) が本当に楽しいと感じるようになってきている。このアルバム、2011年に二枚組のデラックス・エディションが出ているが、僕は買っていない。二枚目は当時の同じセッションからのアウトテイク集だけど、2011年当時のストーンズのサポート・ミュージシャンたちも参加して音を加えているので、これは蔵出し音源集というよりも、2011年の<新作>だよねえ。それはちょっとなあ…。

だから一枚ものしか持っていない『女たち』。ここで音楽の中身には関係のない思い出話を書いておきたい。僕がいまでもよく聴くストーンズの CD は、1993年にこのバンドがヴァージン・レコードと配給契約を結び、そのときにリイシューされた紙ジャケットものだ。ぜんぶ渋谷の HMV で買った。いまでは考えられないことだけど、紙ジャケット製のものが、一廻り大きいプラスティック・ケースに後生大事に入っていたんだが、当時はこういうもんなんだろうと思って店頭でなんの不思議も感じなかった。

しかし渋谷 HMV 店頭で見かけて買ったというのはやや不正確。ちゃんと書くと、1993年にストーンズがヴァージンと契約を結んだ際に一枚のベスト盤がリリースされたんだよね。ローリング・ストーンズ・レーベルを立ち上げてからは、違う会社と新たな配給契約を結ぶたびに、まずベスト盤をリリースするのがこのバンドのお決まりになっているんだよね。だから93年にヴァージンの配給で『ジャンプ・バック』というコンピレイションが出た。

僕はその『ジャンプ・バック』を、当時の勤務先だった國學院大學渋谷キャンパスの生協で見つけて買った。大学教師のばあい、学校にいるあいだも空き時間が多いもんだから、授業準備だけでなく、研究室で本を読んだり同僚と話をしたり、いろいろとやる。國學院大學の渋谷キャンパスも改築して以後はこうじゃなくなったので書くと、改築前は外国語研究室(通称「語研」)というかなりの大部屋が一つあるだけなのが、当時の國學院大學の外国語外国文学教師にとっての、文字どおり唯一の ”研究室”。だから個別の研究室なんか一つもなかった。

英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、中国語というメインの五つの常勤教師だけでなく、非常勤でやってくるそれらの言語の教師も、またやはり非常勤のロシア語やラテン語、古典ギリシア語などなどの教師、そしてそれらの各国語の言語学や文学の教師たち、つまり<全員が同じ部屋で>大きな長椅子に腰掛けて、授業の空き時間にどんどんしゃべっていた。書庫にはそれらにかんする辞書などリファレンス類が整っていて大部屋のとなりにあったので、気になれば数歩で調べに行けた。

だから、一個の同じテーマについて各国語横断縦断で話が展開するというのが日常だったんだよね。手っ取り早く言えば、大学内で軽んじられて、疎んじられていたということだけどね、個々の研究室がないっていうのはさ。だって國學院大學は、この名のとおり国学の研究教育を旨として設立された大学で、現代においても日本文学、日本史、神道学などについてのことこそが重視されているから、それ以外の、たとえば外国語関連の教師連中なんて一つの大部屋に全員いっしょくたに放り込んでおけばオッケーだろうみたいな、いわばかなりぞんざいな扱いを受けていた。よそ者、のけ者扱いってことだ。僕が退職後の現在のことは知らない。

僕たちはそれを逆手に取るなんていう意識もなく(たまにそれを口にする人もいるにはいたが)、大部屋に諸外国語関連の全員がゴッタ煮で放り込まれている状況を楽しんでいたんだよね。実際、本当にしゃべってて楽しかったし、かなり勉強になった。英語だって怪しい僕だけど、それ以外の外国語のことは完全に門外漢だから、英語文学に関連するほかの外国語のことなどでも、諸外国語専門教師のみなさんに、ほ〜んと〜っにたくさん教えてもらえるのがすごくうれしく、すごく楽しかった。

そんなことが、特にどなたの部屋に行くこともなく(だってそんな部屋はないから)、また特定の話題で別個に質問するでもなく、全員が長椅子というかソファーか、それが四つか五つ、サークル状に並んでいる場所にみんな腰掛けて、なんとなくの流れのなかで話していたから、自然に聞いたり教えてもらったりできたんだよね。言葉のことも文学のことも。僕がどなたかに教えることでもあったとするならば、それは音楽関連かサッカー関連のことだけだったような気がする(^_^;)。

まったくストーンズとは関係ない話だった。ゴメンナサイ。そんな大部屋に「出勤」して、講義の時間なんてちょっとだから空き時間のほうが長いわけだから、ときたま息抜きとか休憩の意味で大学生協の購買部で本や CD のコーナーをあてなくぶらつくこともあって、そんなときに1993年にヴァージンからリリースされたストーンズのベスト盤『ジャンプ・バック』を発見したんだよね。それを僕はなんとなくの気分で買った。ご存知のように学生、教師、職員であれば、ちょっと割引価格になるんだよね。だからまあまあ買ったよ、大学生協で、CD も本も。

話がどんどん『女たち』から離れて行っているので、もうやめとこう。生協で買って帰った『ジャンプ・バック』の一曲目「スタート・ミー・アップ」で、僕は自宅で腰を抜かしたんだ。なんだ!?この音は!?ぜんぜん違う!どう違ったのかも鮮明に記憶しているが、それはまた改めて書いてみるので、しばらく待ってください。とにかくほかの収録曲もぜんぶ音がかなり違うのに驚いた僕は、ストーンズのばあい、それまでも配給先を変えた際にまずベスト盤が出て、次いでオリジナル・アルバムのリイシューがあるとわかっていたので、じゃあこの『ジャンプ・バック』の音質で『スティッキー・フィンガーズ』以後の作品がぜんぶ聴けるようになるんだ!と興奮したんだよね。

ようやく話を戻せるけれど、そんなわけで1994年の渋谷 HMV に僕はいたっていうわけ。ヴァージンから発売された(間違いなく新たにリマスターされた新音質の)ストーンズの、『スティーキー・フィンガーズ』以後のアルバムをそこでぜんぶ買ったんだよね。どうしてだか紙ジャケットが大きなプラスティック・ケースに入っていたけれどさ(笑)。この1994年ヴァージン盤で僕はすっかり満足したまま今まで来ているので、ストーンズについては、その後はよほど思い入れのあるアルバム以外、買い直しや買い増しをしていない。

ってなわけで、いまの僕の自室にある『女たち』も紙ジャケットの1994年製。これ一枚だけ。このアルバムのジャケットは、たとえばレッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』も同趣向だけど、ジャケットに穴が空いていて、ディスクを入れる内袋に印刷されてあるいろんな顔がその穴から見えて、内袋の表裏を替えると穴から見えるものも違ってくるというお遊び仕様。このジャケット仕様が『女たち』のばあい CDで 初めて再現されたのが1994年のヴァージン配給盤だったんだよね。そんな意味でも思い入れがある。

肝心の音楽の中身のことをまだぜんぜん書いていないのに、もうここまで長くなった。アメリカン・ブラック・ミュージック好きの僕だから、ストーンズの『女たち』でも、たとえば一曲目の「ミス・ユー」(ディスコ)、三曲目の「ジャスト・マイ・イマジネイション」(テンプテイションズのカヴァー)、九曲目の「ビースト・オヴ・バーデン」(カーティス・メイフィールド化したストーンズ)などがいちばんのお気に入りなんだろう、と思われそうだ。

もちろんそれらは大好きだ。しかしもっともっと好きなものがある。(レコードでは B 面一曲目だった)六曲目の「ファー・アウェイ・アイズ」とアルバム・ラスト十曲目の「シャタード」だ。この二つは、心の底から大好きでたまらない。一般に前者がベイカーズフィールド・スタイルのカントリー・ソング、後者が1978年当時の英パンク・ロック・ムーヴメントへの古参バンドからの回答だと考えられている。

それはそのとおりだろう。だけど、僕は最初にアルバム『女たち』を聴いたころ、そんなことはちっとも意識しなかったよ。そりゃそうだろう、カントリー・ミュージックもパンク・ロックもまだ知らなかったんだもん。ただただ、「ファー・アウェイ・アイズ」はいいサウンドだなあ、のどかで心休まるなあと、「シャタード」はカッコいいノリの曲だなあ、リズムがいいぞって、漠然とそう感じて、大好きになって、その気分が2018年までずっと変わらず続いている。

たしかに文句なしのベイカーズフィールドなカントリー・ナンバー「ファー・アウェイ・アイズ」。キース・リチャーズもアクースティック・ギターでとぼとぼ田舎町を歩いているかのようなカッティングを聴かせ、といっても歌詞ではクルマを運転していることになっているから、低速度で、カー・ラジオを聴きながらゆっくり走らせているようなフィーリング。ロニー・ウッドもペダル・スティールでうまいプレイを聴かせる。アクースティック・ピアノも聴こえ、また少しだけど効果的にエレキ・ギターも使われている。

そんなサウンドに乗ってミック・ジャガーはアメリカ南部訛りの英語で、歌うでもしゃべるでもないスタイルのヴォーカルを聴かせてくれるのが大の僕好み。米南部英語のアクセントでっていうのはまあまあ重要なことかもしれない。しかしそこにあまり突っ込むと、英語関連でメンドくさがられそうな話になってしまう。とにかくアメリカのカントリー・ミュージックを模した歌をイギリスの連中がやって、その歌のリード・ヴォーカリストが米南部訛りのトーキング・ヴォーカルを聴かせているっていうのが、音楽的にも意味のあることじゃないかなあ。

アルバム・ラスト十曲目の「シャタード」でも、ミックの歌はトーキング・スタイル。描写しているのはたぶんニュー・ヨーク・シティの日常風俗だけど、そんな歌詞内容はこの曲ではどうってことないよなあ。キースが弾く二つのコード(トニックとドミナントだけ)を交互に鳴らすエレキ・ギターのカッティング・スタイルが、カッコいいグルーヴを生んでいるのが僕は大好きで、パンク・ムーヴメントに対しどうのこうのっていうのはあまりよくわからないからなにも言えない。ノリがカッコイイと思って聴くだけなんだ。

「シャタード」でのミックは、基本、しゃべりながら、ときどきなんどか同じ言葉をたたみかけるように反復し、そのことにより、その部分でのヴォーカルのビート感が強調されているのもカッコイイよなあ。意味があったりなかったりする言葉の音をリピートしている部分があるよね。2:46 〜 2:48の up, up, up, up, up とか、2:51〜53のタタタタタとか、カッチョエエ〜。大好きだぁ。そんでもって、突然ぶった切るように幕切れとなるが、その瞬間、エコーで残るシンバルの残響音までいとおしい。

2018/01/10

夢で教わった「ドゥードゥリン」




これも見た夢の話だが、今朝とか昨晩のとかではなく、十日か二週間ほど前だ。おもしろかったから、その朝、ちょっと一言メモしておいたんだよね。「ドゥードゥリン、ヒップ・ホップ」と。これだけでぜんぶ思いだせるほど鮮明な記憶がいまでもある。その朝、ベッドのなかで眠りながら僕は、夢でだれかがヒップ・ホップ・ジャズに仕立てたホレス・シルヴァーの曲「ドゥードゥリン」をやっているのを聴いた。

記憶に間違いがなければ、その夢での僕はニュー・ヨークにいた。そしてたしか時は夕方。日が暮れかけて仄暗くなってきてやや黄色に街も染まってきたころに、僕はどこかの野外でだれかがやるヒップ・ホップ仕立ての「ドゥードゥリン」にあわせて踊っていた。しかし野外であるにもかかわらずレコードを廻すターンテーブルの姿があったのを憶えている。DJ がスクラッチ・プレイしながら、べつのだれかがラップを披露していた。

その「ドゥードゥリン」、リズムの感じは間違いなく今様のヒップ・ホップ・ジャズのノリで、記憶ではたしかふつうのいわゆる歌はなく、しかし管楽器とかピアノとかのソロもなかったように思う。ただビートを創って、その上でラッパーがなにかしゃべりまくっていたのだった。それでも「ドゥードゥリン」だと判断できたんだから、ホレス・シルヴァーの書いたあの印象的にユーモラスな、つまりファンキーなテーマは、その夢でも聴いたんだろうな。

つまり、僕の知る限りまだこの世に存在しないけれど、ホレスのあの曲「ドゥードゥリン」は、もとからそんなような深さ、奥行き、広さ、大きさを持つものなんじゃないかなあ。2010年代のヒップ・ホップ・ジャズにもなりうるような懐の深さを、ホレスによるオリジナル・レコーディングの1954年の時点ですでに持っていたんだよ。なんてことも夢のなかでそれを聴くまで、僕はちっともわかっていなかったけれど。

朝起きて、こんなことを考えて、ちょっとイイかもしれないぞとメモしておいたんだけど、しかし正直に言うと夢を見ている最中や目覚めた直後の僕は、あの曲がなんだったのか、すぐには思い出せなかったんだよね。な〜んかむかしからよく知っているお馴染みのものだけけど、なんだっけなあ〜?と、しばらくもどかしかった。でもなにか現実の音楽を鳴らすとたちまち霧散しそうなので、なにも聴かずに、その<幻の>曲を脳内再生しつつウ〜ンウ〜ンとうなって、それであっ!ホレスの「ドゥードゥリン」じゃん!とようやく気がついた。そんなこと、よくあるんだよね、僕は。夢で聴いた曲をなかなか思い出せないってことが。

気がついて、上で書いたようなメモをしたってわけ。それでその日の朝はやらなくちゃいけないことがたくさんあって、のんびりプレイリストでも作って各種の「ドゥードゥリン」を聴きかえすことがかなわかったので、そのメモだけ残して、プレイリストは夕方に作成して聴いてみたんだんだよね。しかし僕の iTunes ライブラリ内を検索しても、「ドゥードゥリン」は三つしか出てこなかった。

三つとは、ブルー・ノート盤ホレスの1954年オリジナル。アトランティック録音レイ・チャールズの1956年ヴァージョン。ヴァーヴ盤ディジー・ガレスピーの1957年ニューポート・ライヴ・ヴァージョン。編成はホレスのが二管のクインテット、レイのが四管+ピアノ・トリオ編成、ディジーのはビッグ・バンド。アレンジャーはホレスのはホレス自身、レイのはクインシー・ジョーンズ、ディジーのはアーニー・ウィルキンス。

いちばん上でご紹介した自作プレイリストには、最後にもう一個、ヴォーカリーズものを入れておいた。最初にやったのはランバート、ヘンドリクス&ロスだけど、チョイスしたマンハッタン・トランスファーのヴァージョン(2004年『ヴァイブレイト』収録)のほうが面白いんじゃないかなあ。ホレスの書いた「ドゥードゥリン」本来の滑稽味が少しは出ているんじゃないかと思う。マンハッタン・トランスファーって、そんな第二次大戦前のアメリカン・コーラス・グループが持っていたユーモラスなセンス、言い換えればジャイヴィな要素があるよね。と僕は思うんだけど。

でもやっぱり歌入りヴァージョンではなかなかこの「ドゥードゥリン」の持ち味をフルに発揮するのは難しいのかもしれない。’Doodlin’’ という言葉の意味が歌詞付きヴァージョンだと鮮明にわかるんじゃないかという意味もあって入れておいたんだよね。あと、やっぱり楽器演奏ばかりじゃなくって、歌声が聴こえたほうが楽しいんじゃないかな?そうでもない?

Spotify や iTunes Store や YouTube で探すと、楽器演奏の「ドゥードゥリン」がいろいろと出てきたので、ササっとぜんぶ流し聴きしたけれど、1954年ホレス、56年レイ、57年ディジーの三つにはおよばないように僕には思えたので、プレイリストには一切入れなかった。それら三つで十分このファンキー・ナンバーの持ち味、それも2010年代最新ジャズみたいにもなりうるような先見味も聴きとれるはずだと思う。

ホレスの曲「ドゥードゥリン」は12小節のブルーズ・ナンバー。ただし、ほかのいろんなジャズ・メン or ウィミンがやるブルーズとは違っていて、というのはそれらはだいたいキーとテンポだけ決めて即興で演奏しはじめるか、シンプルな音型パターンを反復するだけというのが多いんだけど、「ドゥードゥリン」は作曲の才に長けたホレスらしいちょっと込み入ったテーマ・メロディを持っているよね。その旋律のヒョコヒョコと上下するところが滑稽味をかもしだしている。しかも1954年ホレスのオリジナルでは、演奏冒頭でテーマを三回演奏。その三回目は違うメロディを用意してある。

その後の各人のソロは、ふつうのジャズ・ファンとは違って僕はそんなに重視していないんだ。一番手で出る作曲者自身のピアノ・ソロは、テーマ旋律の持つユーモラスなファンキーさの延長線上にあるなあと思うだけで、テナー・サックスのハンク・モブリー、トランペットのケニー・ドーラム、ドラムスのアート・ブレイキー三人のソロは、別にどうってことはないような…。ヒップ・ホップ・ジャズに化けうるかも?と思うグルーヴ感も、テーマ演奏部以外では薄い。

うん、そうなんだ、この「ドゥードゥリン」のそんなグルーヴは、あのテーマ・メロディの滑稽なフィーリングによってもたらされているのかもしれないよね。といってもだれがやってもそうなるかというとそうはなっていないから(流し聴きしただけですが)、う〜ん、難しい。それでもやっぱりあのテーマの動きかた、上下にヒョコヒョコ動きながら一定パターンを二回反復し、最後の四小節で落とすというか泣かせるというか、笑わせるというこの展開、流れがグルーヴを産むんだ。

1956年のレイ・チャールズ・ヴァージョンでも、ピアノや管楽器のソロじゃなくてクインシー・ジョーンズの書いたアレンジが面白いと思うんだよね。基本、ホレスのパターンを踏まえつつ、そこから大きく引き伸ばし別の展開を見せている。最初と最後のテーマ演奏部における小節ごとの管楽器の使い分けかたなんか、クインシーの手が込んでいるよなあ。ソロのあいだに入れる伴奏リフも楽しい。ホレスもここまではやらなかった。さすがはクインシーだ。1990年代以後のクインシーの音楽は、あたかも「ドゥードゥリン」のヒップ・ホップ・ヴァージョンでもやっているかのような部分もあるじゃないか。

ディジー・ガレスピーの1957年ニューポート・ライヴでの「ドゥードゥリン」。ディジーはご存知のとおりあんなユーモア感覚の持ち主で、ライヴ・ステージでもそれを発揮していたのが、この「ドゥードゥリン」でも聴ける。特に演奏に入る前のおしゃべりでそうだ。 ここのディジーのライヴ・ヴァージョンでは、ホレス、レイのヴァージョンよりもテンポが落ちて、ゆっくり歩いているようなフィーリング。ファンキーなユーモア感覚はこれくらいのテンポがいちばん出しやすいし、アレンジの勝利だ。楽しい〜。

しかもこのディジーのライヴ・ヴァージョンでは、途中からリズム&ブルーズふうな深いノリになるもんね。ドラマーのチャーリー・パーシップもそんな叩きかたをしているように聴こえる。1957年のパフォーマンスだから、そんなテイストがあってもあたりまえのことだ。ディジーの紹介どおり、バリトン・サックスのピー・ウィー・モーが活躍。ソロでというより、随所随所でブワッと尾篭なサウンドを出しているのがおもしろいよなあ。テナー・サックスでいえばホンキングだ。

あっ、ホンク・テナーと書いたいまこの瞬間に思いがおよんだけれど、このディジーの1957年ライヴの「ドゥードゥリン」には、かなりジャンプ・ブルーズっぽいフィーリングが聴きとれるよね。僕はそう思う。約10年遅れのビッグ・バンド・ジャンプみたいなサウンドで、演奏のディープなノリの深さも素晴らしく黒い。ホーン・アンサンブルの音色にも色気があってイイ。

ってことは、やっぱり「ドゥードゥリン」という曲は、ここから約60年後くらいのジャズの新潮流にもつながっているような気がするよねえ。うん、間違いない。

そんなことを夢が僕に教えてくれた。

2018/01/09

神様、サラのものはサラのものです、返してあげてください

サラ・タヴァレスのライヴ DVD『アライヴ・イン・リスボン』。CD が二枚附属しているが、それはこないだ書いたようにダブるものだから、 DVD だけ一枚でリリースしてくれていたら完璧に文句なしだった。あるいは同じライヴ音源を CD 二枚組でもリリースしてもらえたらうれしいんだけどなあ。でも DVD になっている2007年3月27日のリスボン・ライヴは本当にキラキラしていて素晴らしいんだよね。サラが最高にチャーミングだ。

サラのリスボン・ライヴはぜんぶで13曲。トータルで1時間20分程度だから、音楽ライヴの DVD 作品としてはちょっと短めだ。でも観聴きすると、たぶん2007年3月27日のライヴのオープニングからラストまでフル収録されているのかも?思う。パフォーマンスが行われたリスボンのシネマ・S ・ジョルジュがどこだかわからないが、いずれにしても DVD に映し出される観客席を見ると、岩佐美咲がコンサートをやってきたのとピッタリ同じくらいのキャパの会場だね。

オープニングの1曲目「バルキーニョ・ダ・エスペランサ」はサラひとりでの弾き語り。といっても楽器はギターではなく親指ピアノだ。両親がカーボ・ヴェルデ移民だとはいえ、サラはリスボン生まれのリスボン育ちでポルトガル人。でもアフリカン・ルーツ志向みたいな部分を、こんなオープニングにも見てとれるんじゃないかと思うんだよね。親指ピアノ一台だけでやる「バルキーニョ・ダ・エスペランサ」は本当に素朴で純で、一部のアフリカ音楽が保ってきている要素と同時に、(このころまでの)サラの持つ、そんなストレートに素直で屈折していない内面をも表現しているように感じる。

そういえば、このライヴ・アルバムでは、サラの弾くギターのスタイルが、西アフリカのンゴニやコラの奏法をなぞったような弾きかたにときどき聴こえるんだけど、僕の耳がおかしいのかなあ。ばあいによっては親指ピアノのフレーズの創りかたをギターで表現しているの?と思ったりもするんだけど、こっちは僕の考え違いだろう。でも特にコンサート前半でのサラのギターは、たしかに西アフリカの弦楽器を移植したみたいじゃないだろうか。

2曲目「リスボン・クヤ」からサラもナイロン弦のアクースティック・ギター(といっても、ブラジル人などもよくステージで使うやつで、サウンド・ホールはふさいであって、ピエゾ・ピックアップで音を拾ってアンプにつないでいるもの、各種調節スライダーも見える)を弾き、バック・バンドも入ってくる。バンド・メンは、ドラムス、エレベ、パーカッション、ギター&パーカッション、(完全クリーン・トーンの)エレキ・ギター。

彼らのなかにはサラのこのころのスタジオ録音作品でもお馴染みの面々もいるみたい。アンゴラのンドゥ(ドラムス)、ギネア・ビサウのゴギ・エンバロ(ベース)、カーボ・ヴェルデのミローカ・パリーシュ(パーカッション)、ポルトガルのリカルド・アウヴェス(ギター、パーカッション)、セネガルはダカール生まれのカーボ・ヴェルデ人、ボイ・ジ・メンデス(エレキ・ギター)。そしてリカルド・アウヴェスやボイ・ジ・メンデスが歌う曲や、また全員がバック・コーラスも担当。

3曲目「チューバ・ジ・ヴェロン」の後半からリズムが強く快活になってきて、とたんに激しくグルーヴしはじめるのが快感だ。サラもスタジオ作同様に可愛くチャーミングな声でありながら、スタジオ作では強調しない強靭な張りのある伸びる声で、ややシャウト気味に歌ったりもして、本当に楽しそう。

3曲目が終わると同時にははじまる4曲目「バランセ」。お馴染みの曲だが、このリスボン・ライヴでの「バランセ」があまりにも素晴らしすぎる。極上のチャーミングさじゃないか。サラの弾くギターもすごくうまい。声はそっとやさしく、しかし同時に強い。サラのルックスや弾きかた、歌いかた、仕草、表情、歌のフレーズの合間合間に入れる声など、なにもかも可愛いし、美しい。ものすごく楽しそうだ。演唱の出来も文句なしのスウィング感で、この4曲目の「バランセ」は、このライヴ盤『アライヴ・イン・リスボン』の個人的クライマックスにして、サラのいままでの音楽人生でも最高のワン・トラックなんじゃないかなあ。

4曲目「バランセ」では、伴奏陣も文句なしのサポートでサラを支えている。後半からエンディングにかけて何度か入るリズム・ブレイクのキメも抜群にシャープな斬れ味。「♪ば〜らんせ〜♫」と小さくやわらかい声で入れるバック・コーラスも絶妙だ。ボイ・ジ・メンデスのギター・オブリガートやソロも素晴らしい。リズム隊のグルーヴもタイトだ。サラがここまでチャーミングに軽くスウィンギーに躍動するこんな「バランセ」聴いちゃったら、感嘆のため息しか出ないよなあ。僕は今回も口を開けて眺めているだけだった。この「バランセ」が永遠に続けばいいのに…。

サラひとりのギター弾き語りでやる5曲目の「グイザ」はあくまでしっとりと。ボイ・ジ・メンデスが歌う6曲目の「ミラグレ」(では後半サラもヴォーカルを取る)だと、徐々にジンワリと盛り上がっていく。7曲目「プラネタ・スクリ」は快活なグルーヴ・チューンで、ここでもサラとのデュオでボイ・ジ・メンデスがかなり歌っている。エレキ・ギターも決して派手には弾きまくらないが、ツボだけを確実に外さずおさえていく名人芸。7曲目では演奏も後半から賑やかになっていく。

8曲目「ノヴィダージ」から、ドラマーとパーカッショニスト以外、ステージ上のみんなが立ち上がり、サラもそれまで膝にかかえて弾いていたギターにストラップをつけて肩から掛けて弾く。サラは観客にしゃべりかけ、一緒に盛り上がりましょうみたいなことを言っている。実際、サラとオーディエンスとのコール&レスポンスになっている。バンドのリズムのグルーヴィさと斬れ味が素晴らしい。サラのヴォーカルも楽しそうに躍動している、っていうかまぶしすぎるほどの輝き、キラメキで、ちょっと直視できないかと思うくらいの光を放っている。歌のワン・フレーズの合間合間に入れるしゃべりというか叫ぶような声のいちいちぜんぶで、僕は毎回やられてしまうんだ。

9曲目の「ミ・マ・ボ」、10曲目の「ボン・フィーリング」からリズムがヘヴィになる。特にベース・ドラムとエレベの低音が強くずっしりと効きはじめ、グルーヴもカーボ・ヴェルデ系とかポルトガルのなにかというよりも、アメリカのヒップ・ホップ・ミュージックみたいなノリだよなあ。強い低音やギター・フレーズが短い同一パターンを反復し、サラのヴォーカル・スタイル、フィーリングもそれにあわせ変化している。そうかと思うとアフリカ系のリズムみたいに聴こえる部分もある。

11曲目の「ワン・ラヴ」が18分以上もあって、このライヴ盤ではいちばんの長尺だし、盛り上がりかたも最高ということになるはずだ。サラは「椅子に座ってないで、みんな立ち上がって踊って!」と観客にうながしている。サラは本当に楽しそうに、ステージで踊りながらギターを弾き歌っている。歌もダンスしているじゃないか。バンドの演奏もかなりアツイ。リカルド・アウヴェスが歌ったり、エレベ・ソロもあり、また打楽器オンリーのアンサンブルで激しく盛り上がるパートもある。一時期のサンタナ・バンドのライヴ後半部での盛り上がりかたにも少し似ている。

この「ワン・ラヴ」の異様な興奮が、このサラ・タヴァレス2007年3月27日リスボン・ライヴのクライマックスに違いない。いやあ、素晴らしい。その後、サラがふたたび座ってギターを弾きながら歌う12曲目「ニャ・クレチェウ(ミウ・アモール)」はラヴ・バラード。そしてラスト13曲目は「バランセ」のリプリーズ。「リミックス」と記載があるが、生演奏だ。

「バランセ・リミックス」は、軽快に舞っていた4曲目と違ってグッと重心を落とし、ずっしり来る重たいグルーヴで、しかもこれは明らかにレゲエだ。エレベとギターのパターンがはっきりとレゲエを刻んでいる。空間のあるクールにスカしたノリにアレンジしなおしてある。サラも4曲目とは歌いかたをかなり変えてノッているのがわかる。後半部で、リズム・ブレイクをともないながらやるキメも、フィーリングが変化している。

そのまま「バランセ・リミックス」の演唱後半途中で DVD のエンディング・クレジットが流れてきて、この楽しい楽しい2007年のサラ・タヴァレス2007年のリスボン・ライヴは終幕となってしまう。

2018/01/08

サラ・タヴァレスの絶望と希望と、この時代

2009年の『シンティ』以来八年ぶりに、昨2017年にリリースされたサラ・タヴァレスの新作『フィーチャドゥ』(でいいんだろうか?)。聴けば、前からのサラ好きだったらビックリするはず。その音楽のあまりのダウナーさぶりに。暗く落ち込んでいてあまりにも重く、『バランセ』『シンティ』で聴けたような華やかな明るさ、ヒラヒラと蝶のように軽く舞い、しかもそっと聴き手の心情にやさしく降り立つソフト・タッチがどこにもない。消えてしまっている。

僕にはこれがサラ・タヴァレス版『暴動』に聴こえたのだった。もちろんアメリカのファンク音楽家スライ&ファミリー・ストーンのあれだ。共通点は多い。書いたような暗さ、落ち込み、重さなどはもちろんそうだ。だがそれだけじゃない。中音域がなく、妙に低域を強調したヘヴィ・サウンドの質感もかなり似ている。主役ヴォーカリトは軽く舞うことなんて、もちろんないが、叫んだりもせず、下に落とすのようにボソボソとつぶやくだけ。

これがあのサラ・タヴァレスなのか?だれだって戸惑うはずだ。八年のブランクはキャリア初だし、なにがあったんだろう?と思うと、2009年の『シンティ』発表後サラは脳腫瘍をわずらって、いっときは歌手生命を断念せざるをえないようなところに置かれたそうだ。歌手生命どころか人間としての生命すら危うかったのかもしれない。少なくともその覚悟はしたのかもしれない。

サラ・タヴァレスが脳腫瘍の除去手術を受けたのが2010年2月初旬。人生を深く考え込まざるをえない病におかされたんだから、新作『フィーチャドゥ』でこんな姿に変貌するのは当然だったんだろう。例にあげたスライ・ストーンのばあいは病ではなく、1960年代のアメリカ西海岸のあんな毎夜の陽気なパーティみたいな空気を完全に打ち破られてしまった、それも黒人としてアメリカで生きるという意味を深刻に考え込まざるをえなかったという挫折感が、あの『暴動』のダウナーさにつながっていると思うんだけど、サラのばあいは生物学的な絶望に直面していた。

スライのばあいも1960年代は、というか70年のシングル曲「サンキュー」までは、あんなにアッパーな気分で陽気に楽しく跳ねまわっていたのが一変したわけだけど、サラ・タヴァレスの変貌はもっと深刻なものだったんだろう。それを知ってからは、新作『フィーチャドゥ』で聴けるあんなダウナー・ミュージックもサラの正直な表現なのだと戸惑いは消えて、これを僕たちも受け止めなくちゃと心から納得できるようになった。

ただ、いつもいつも僕は言っていることだけど、(音楽だけでなく)作品と作家の実生活とをあまりにも深く結びつけすぎてしまう傾向には、僕はちょっと反対なんだよね。そんなこと言ったってサラ・タヴァレスの脳腫瘍と新作とを結びつけずに聴けますかって〜の!というのが僕も偽らざる心境なんだけど、それでも少し落ち着いて自分を取り戻しいつもの僕に戻って、自律美としての音楽作品としてサラの『フィーチャドゥ』を考えてみたい。

アルバムの全12トラックのうち(12個目は4曲目「コイザス・ブニタス」のリミックス)、 オープニングから7トラック目の「テル・ペイト・イ・エスパソ」までは本当に暗い音楽だ。かなりダウナーに沈み込む。昨日だったか一昨日だったか、サラ・タヴァレスのばあい低域はあまりズッシリ来ないと僕は書いたんだけど、この新作では真逆のサウンドだ。ベース・ドラムとエレベの低音がかなり強調され、音楽全体に重い重い空気が漂っている。

シンセサイザーだろうか、スーッと幕が降りるかのごときサウンドも、そんな重たい空気感に拍車をかけている。まるで闇のなかを歩んでいるかのような黒いサウンドで、その暗さは、強調されているボトムスと幕のようなシンセ音と、それからサラ・タヴァレス自身の弾くアクースティック・ギターが決して跳ねず、ヘヴィなリフを反復するようなところからも来ている。主役の歌いかたもコケティッシュでキュートな部分が100%消え失せて、ボソッとつぶやくような、あるいはつらそうにしぼりだすような、そんな歌いかた。ヴォーカル・コーラスも背後で聴こえるが、それはファーダ・フレディのあの『ゴスペル・ジャーニー』で聴けるものにとてもよく似た響きのダウナーさじゃないか。

あっ、そうだね、いま僕はどうしてファーダ・フレディという文字を指がタイプしたのか自分でもわからない。なんだか自動的にそう書いてしまったんだけど(そんなことはわりとある)、うん、サラ・ラヴァレスの『フィーチャドゥ』とファーダ・フレディの『ゴスペル・ジャーニー』はたしかに分かち持っているものがあるかもなあ。書いてみて自分でもはじめて気がついた(なんてことも多い)。スライの『暴動』じゃなくて、こっちか。いや、それらが三枚がトライアングルになっているのか。

つまりサラ・タヴァレスの新作『フィーチャドゥ』は、直接的にはもちろん彼女自身の病気体験から来るパーソナルな音楽だけど、アルバムとしてできあがったものは、もはやそんな次元を超えている。リリースされた2017年という時代の閉塞感、絶望感、人類が直面している危機感をもとらえ音楽化してくれているかのように僕には聴こえてくる。その意味でも、やっぱりスライ『暴動』、ファーダ・フレディ『ゴスペル・ジャーニー』と、サラの『フィーチャドゥ』が三位一体になっているよなあ。三枚とも僕にはそんな音楽に響く。

サラ・タヴァレスの『フィーチャドゥ』だと、ダブふうな音処理が施されているのも聴き逃せない。特にドラムスのサウンドにそれがわりとハッキリ聴けるじゃないか。ダブとまでは言えなくても音響が独特で、妙なエコーがかかっていたり、音の空気感、質感がふつうじゃなかったりするもんね。そのほか、電気、電子楽器、コンピューター・プログラミングも多用されているし、ここまで加工されていると<添加物>たっぷりで、サラの持ち味だったオーガニックなテイストは失われていると僕は思う。

オーガニックでなくなっていても、否定的な意味で僕は言っているわけじゃない。プライヴェイトで死の危機に瀕し、結果、できあがった作品としては、社会や世界の闇、人類の落ち込みをも表現したかのようなサラ・タヴァレスの『フィーチャドゥ』では、そんな加工されたサウンドが、かえって聴き手の心を鷲掴みにするリアリティがあると思うんだよね。アンゴラのパウロ・フローレスを迎えてやっている11トラック目「フルトゥアール」がアフロビートにアレンジされているのも、そんな路線を強調することにつながって意義深いように思う。

しかしサラ・タヴァレスの新作『フィーチャドゥ』では、8トラック目の「チクソン・ボム」から明るい光が差し込むんだよね。もちろん音楽的な意味で。「チクソン・ボム」がアッパーで陽気で快活な雰囲気の曲だし、サウンドもサラのヴォーカルも、ちょっとだけかつての軽さを取り戻しているように聴こえるチャーミングなもの。しかもスネアのリム・ショット・サウンドがやっぱりダブふうだ。

続く9トラック目「フィーチャドゥ」、10「パラ・センプレ・アモール」、11「フルトゥアール」と重く暗い雰囲気はありながらも、自分(や世界)の絶望的なありようを受け入れ、それを踏まえて立ち上がって前向きに歩んでいこうという(明るいというのとは違うんだろうが)しっかりした肯定感が聴きとれると僕は思う。

だからアルバム・ラストで、いまのところ CD などフィジカルでは聴けない12トラック目「コイザス・ブニタス(リミックス)」を、4トラック目になっている同じ曲とはかなり違う感じのサウンドに仕上げているのは、ハッキリ狙ったものに違いない。ビート創りの基本は同じだけど、4トラック目の冒頭にあったファーダ・フレディの『ゴスペル・ジャーニー』ふうな教会コーラスを12トラック目では外して、ドラムス・サウンドから入り、全体のグルーヴ感もシンプルさと前向きなジャンピーさをより強調する方向にリミックスしてある。

2018/01/07

このころのサラ・タヴァレスほど魅力的な音楽家がこの世にいるものか(2)〜 『シンティ』






カーボ・ヴェルデ移民二世だとはいえ、サラ・ラヴァレスの音楽の基本は、やはりニュー・ソウルと MPB にあるんだろう。それも(自身の弾くうますぎるほどのギターを中心とする)アクースティックなサウンドをメインに据えて、デジタルな音や処理はなるべく控えめかつ効果的に配し、その上にまるで鳥のさえずり声のようなチャーミングでキュートでコケッティッシュなヴォーカルを乗せるっていう、そういうものだよなあ(ちょっとナンシー・ヴィエイラみたいでもあるんだけど)。

がしかし僕はそのなかにたしかにはっきりとカーボ・ヴェルデ系だという出自を、音楽的な意味で聴きとっているんだよね。昨日は2006年の『バランセ』について書いたが、DVD でリリースされたライヴ・アルバム(附属の CD 二枚はスタジオ録音の過去作だから、そこだけはガッカリだったが、DVD のリスボン・ライヴは素晴らしい)をはさんでの2009年『シンティ』だと、こういったオーガニックなニュー・ソウル+ MPB +カーボ・ヴェルデ音楽のブレンド具合が一層進んでいて、それらが一体となって溶け込んで、もはやどこがどれと指摘することが不可能なほどの高みにまで昇華されている。

サウンドがそうなっているだけでなく、サラ・タヴァレスのソングライティングもグンとよくなっていて、本当にセンスのいいチャーミングな曲がどんどん並び、しかもヴォーカルだってキラメキを増している。こんなに可愛らしく、しかも反面強靭さがピッタリはりついたようなヴォーカル表現ができる人って、もう少なくなっちゃったなあ。サラはそれを実現していた稀有な天才の一人だった。

一例をあげると、アルバム『シンティ』の11曲目「ヴォス・ディ・ヴェント」。風の声っていう意味の曲題だけど、冒頭で、たぶんサラ・タヴァレスの声だと思うんだけど、風というより小鳥がさえずるようなヒュイっていうかクイッってキュキュッっていうか、うまく表現できないが、これは本当にサラが野の小鳥になっているんだろう。自身でアクースティック・ギターを弾きながらそうさえずって、その後歌いはじめてからも、そっとやさしく大切なものを丁寧に置くように語りかけている。その声のソフトさ、柔和な表情、落ち着きっぷりは、まるで熟年女性が持つメンタリティを思い起こさせるほどのものなんだよね。当時サラは20代だったんだけど。

たとえばその次の12曲目「エザラ」。これはサラ・タヴァレスのヴォーカル&ギター&パーカッションにくわえ、ピアニストだけ参加しているもので(いちおうエレキ・ギタリストもいて弾いているが、ほぼ聴こえない程度のサウンド・エフェクトみたいなもんだ)、ほぼテンポがないようなゆったりモルナ系。いや、カーボ・ヴェルデのモルナでもないようなものなのか、ニュー・ソウルでも MPB でもいいが、普遍的なバラードをかなりしっとり聴かせてくれる。な〜んてチャーミングなんだぁ、サラ〜、好きだぁ〜!

続く13曲目「フンジ・ク・ミ」は、本当にサラ・タヴァレス一人しかいない、アルペジオでのアクースティック・ギター弾き語りで、12曲目よりも一層落ち着きとシットリ感を増し、全編テンポ・ルパートで、う〜ん、こりゃまあ歌詞の意味がわからないから見当はずれかもしれないが、愛をささやいている、あるいはひそかにやさしく祈っているようなものなんじゃないかなあ。それもサラと僕とたった二人だけの部屋のなかで(妄想が過ぎるので、もうやめときます)。でもホント、声と歌いかたがチャーミングなやさしさにあふれていて、この2009年ごろのサラほど魅力的に歌える歌手って、そうはいないよなあ。

続くアルバム・ラストの14トラック目「マンソ・マンソ」もやはりサラ・タヴァレス一人で、しかし人混みというか街の雑踏みたいな音が冒頭から聴こえるなあと思ってブックレットを見たら、サンプラーを彼女が担当しているんだね。しかも前半部では歌っておらず(ちょっとハミングするだけ)、アクースティック・ギター独奏なんだよね。ギターのインストルメンタル・サウンドに雑踏音のサンプルを混ぜて、これがかなりイイ。ギターもうまいが、サウンド創りがもっとうまい。

しかも14トラック目では、それが四分ちょいで終わったあとかなり長い無音部分があって、しかし再生時間表示が進むから隠しトラックが出てくるんだろうと思ってジッとしていると、五分過ぎごろから今度はビートの効いた曲がはじまるんだよね。その部分では(クレジットはないが)パーカションの音がずっとハッキリ鳴っているのはサラ・タヴァレス自身かもしれないが、その上に鍵盤楽器やアコーディオンの音なども去来するので、参加しているミュージシャンがいるんだろうと思う。この14トラック目後半部の隠しトラック部分でのビート感なんかは、間違いなくアフロ・クレオール・ミュージックのそれだ。だからカーボ・ヴェルデ音楽とも、直接ではないにしろ、関係は深いと言えるはず。

アルバム『シンティ」でここまで書いてきたものじゃない十曲だとけっこう賑やかに、というか少し派手めにいろんな楽器が聴こえる場合が多い。アクーティックじゃない楽器もある。エレベとドラム・セットがたいてい入っているし、聴こえる音もクレジットを見てもたくさん参加しているのだが、しかしオーガニックなサウンドの質感をぜんぜん損なっていないのは素晴らしい。

電気楽器(やデジタルな処理も?)を使ってあっても、プロデューサーも自分でやっているサラ・ラヴァレスがアクースティック・サウンドを中心に組み立てているからという量的な側面と、質的にもアレンジやサウンドの組み立てかたがきわめてナチュラルでスムースなんだよね。フワリと軽いサウンドで、ひょっとしたらボトムスの低音が物足りないのかなぁ?っていうのはあったりするけれど、それが気にならないほどの心地良さ。その上に乗るサラのヴォーカルが鳥のように自由に舞っていて…、はもう説明しなくていいだろう。

カーボ・ヴェルデ音楽や、その他いろんなアフロ(・クレオール)・ミュージックとの関連だけ、もう少しだけ付記しておく。『シンティ』一曲目「クアンド・ダス・ウム・ポウコ・マイス」にはコラデイラっぽいようなリズム・フィールが薄くあるように僕には聴こえる。レゲエ成分も混じっているんじゃないかなあ。二曲目「スマナイ」は西アフリカ音楽っぽい。特にエレキ・ギターのサウンドにそれを感じる。

五曲目「ペ・ナ・ストラーダ」の歌詞のなかには funana と歌っているように聴こえる(と思うんだけど?)ところがあるが、しかしこの曲にカーボ・ヴェルデ音楽のフナナーを感じることは僕には難しい。だがなにか関係があるのかもしれないので、そこらへんはちゃんとおわかりのかたに教えていただきたいと思います。六曲目「ブエ(ヴォセ・エ…)」は間違いなくサンバレゲエ(サンバヘギ)だね。

七曲目「ジ・アルマ」はどう聴いてもカーボ・ヴェルデのリズムだ。コラデイラに間違いないと僕は思う。たとえばナンシー・ヴィエイラのこれ。これはみなさんもコラデイラだと言っているものだけど、サラ・タヴァレス「ジ・アルマ」のノリと同じではないだろうか。
リカルド・アルヴェスを迎えてやる九曲目「ソ・ディマジナ」が、ある意味、このサラ・タヴァレス『シンティ』のクライマックスなんだろう。快活にノルようでいて同時にゆったりバラード感もあるこの曲の土台は、コラデイラ+フナナー+モルナぜんぶを混ぜたようなリズム・フィールに、サウダージ感を足したようなもの。ウクレレが使ってあって、それはたぶんブラジル音楽でのカヴァキーニョみたいな役割をやらせているんだろう。ヴァイオリン奏者も参加。サラのヴォーカルも一段グンと深みを見せる。曲創りもサウンド・プロデュースも、そしてやっぱりヴォーカルが素晴らしい。

2018/01/06

このころのサラ・タヴァレスほど魅力的な音楽家がこの世にいるものか(1)〜 『バランセ』


天然コットン100%。そんな柔らかく肌触りのいい音楽をやるサラ・タヴァレス(ポルトガル)。『バランセ』(2006)とか『シンティ』(2009)あたりだと、そのままなんどもなんどもいくら続けて聴いても、飽きたりいやになったり、ちょっとほかの音楽を聴きたいと思ったり…、なんてことがないもんなあ。あまりにも心地良いから、文字どおりいくらでも聴き続けていたいし、実際、僕はそうしている。

『バランセ』でサラ・タヴァレスを知って、大好きになっちゃって、だから(ライヴ DVD をはさみ) 次の『シンティ』も当然買った僕。でもそのころはまだ iTunes をほとんど活用していなかったし、使うといえば自分でなにかのコンピレイション CD-R を作成したいときだけで、CD からインポートして編集してディスクに焼いたら、Macの内蔵 HDD 容量を気にしてそのままオーディオ・ファイルを削除していたもんなあ。

だからサラ・タヴァレスの『バランセ』『シンティ』も iTunes で聴くようになったのはわりと最近の話。この二枚を一つにしたプレイリストを、文字どおり、上で書いたようになんどもなんども自動リピート設定にして、たとえば深夜の自室などで何時間続けて聴いても、本当に素晴らしさが減らないから、マジでそればかり延々と聴いているばあいだってある。心地良いしくつろげるから、ベッドへ行く前の格好の入眠剤にもなりうる。

サラ・タヴァレスの『バランセ』『シンティ』は、音楽が好きだという趣味の人であれば、まず間違いなくひとり残らず全員が気に入ってくれるだろうって思うような、それくらいの強い、そして普遍的な魅力を持った音楽アルバムだよなあ。声も歌いかたもキュートで可愛くてコケティッシュ。でも浮ついたところはなく、しっかり地に足つけたフィーリングで、そして違う意見もあるけれど、僕の耳には両親の出身地たるカーボ・ヴェルデの音楽がかなり影響しているように聴こえる。

それから、最近世間で言われるオーガニック・サウンドってやつ。あのころのサラ・タヴァレスなんか、まさにこれなんだけど、音楽についてオーガニックと表現するのはいつごろはじまったんだろう?少なくとも僕は20世紀のあいだには見なかった。21世紀、あるいはここ10年ほどの表現なんじゃないかなあ。オーガニック、すなわち(添加物なしの)有機的なサウンドってだれも定義しないから、僕なりに考える「(音楽の)オーガニックとは?」は以下のようになる。

電気楽器、電子楽器、コンピューターを使ったデジタル・サウンドやエフェクトをなるべく使わない。録音後の音加工や処理などもなるべくやらない。生に近い音、っていうかアクースティック楽器中心(ばあいによってはそれだけ)のサウンドで、なおかつナチュラルな素の感覚を兼ね備えたようなもの。

そんな楽器面、録音面だけでなく、スロー・テンポでゆったりとした曲調。やさしくささやくようなヴォーカル。しかし一部で、地味ながら効果的に激しい演奏をしたりデジタルなサウンドが入ってきたりする、そしてできあがりを聴くと、洗練されていてなんとなくオシャレで透明な感じがする。

そんなこんなで、歌手(音楽家)の息遣いが感じられる生の歌唱や演奏が活かされているような音楽。それでやさしくて、結果的に聴いている僕たちまにで心の平安をもたらしてくれて、ゆったりリラックスできる。そんな音楽がオーガニック・ミュージック。

…なのかなあ。

でもほかの音楽家もそうだけど、サラ・タヴァレスの音楽は内面にかなりの激しさ、厳しさを感じるもので、そうじゃなかったら、ただサウンドや声の質感が心地良いだけでここまで好きになっちゃったりしないもんなあ。サラ好きのみなさんそうだと思うけれど、細やかな漏れる息遣い、ブレスの音のひだのひだまで愛おしいんだから、もはや音楽家として好きだというだけのレベルじゃないような気がする。好きだぁ〜、サラ〜!

『バランセ』『シンティ』(とそのあいだに出たライヴ・アルバム)に夢中だったころはそんな感じだったサラ・タヴァレスへ向かう僕の気持ち。『シンティ』を2009年にリリースしたあと新作情報がパッタリと途絶え、昨2017年に久方ぶりのニュー・アルバム『フィーチャドゥ』(でいいの?『FITXADU』の読みは?)が出て、Spotify でまず繰り返し聴いた。ずいぶん感じが変わっちゃったなあと思うんだけど、なんでも死をも覚悟しなくちゃいけないほどの重い病で手術までしたらしい。そのときまだ30歳だったから、そんな若い年で自分は死ぬのかも?と覚悟しなくちゃいけなかった体験が、サラの声まで変えちゃったんだなあ。

新作はついいましがた(2017/12/27、正午過ぎ) CD が届いたので、これもそのうち書こうと思っている。今日と明日は、サラ・タヴァレスがいちばんキュートだった2006年『バランセ』、2009年『シンティ』について、もうちょっとだけ書いておく。いやあホント同じことばかり言ってもうしわけないけれど、このころのサラだったら、間違いなくみんな好きになってくれると思うんだよね。Spotify とかにないから CD 買ってほしい(って、まだふつうに売ってるの?)。

サラ・タヴァレスの『バランセ』。附属ブックレットに一曲ごとの参加メンバーと使用楽器が記載されているのを見ると、どうやらやっぱりコンピューターなどのデジタル・サウンドはなしみたいだ。でもいわゆるふつうの意味での楽器としては使っていなくても、ところどころデジタルな質感の音処理をしているんじゃないかと聴こえるんだけど、僕の気のせいかなあ。でもそれ以外は電子楽器なしで、電気楽器だってエレキ・ギターとエレベがちょろっと入るだけ。ほかはマジでぜんぶアクースティック・サウンド。

オーヴァー・ダビングも、サラ・タヴァレスのヴォーカルは幾重にも録ってバック・コーラスにしてあるのと、自身のパーカッションとだけで、それ以外はぜんぜん僕にはわからない。してないんじゃないかなあ。そんなサウンドにサラのやさしくささやくような声が、しかし強く芯のある表現で(聴感上は)そっと乗ってきて、それがまるでキュートな鳥の声みたいで、『バランセ』というアルバム全体が、本当にコットン100%な触り心地。しかも音楽としてこんなにチャーミングに(かつ激しく)迫ってくるものはなかなかないから、だからメディアはあまりそうは言ってくれないけれど、サラの『バランセ』なんかを音楽のオーガニック名作、代表作として扱ってくれてもいいんじゃないの〜?

ご存知ないかたがたのために書いておくと、サラ・タヴァレスはヴォーカルだけでなくギターを弾き、各種パーカッションもやる。特に自身が弾くアクースティック・ギターはかなりうまい。なんて言いかたはサラに失礼きわまりないのであって、一流の腕前なんだよね。弾きながら歌っている動画があるので、ぜひ観てほしい。YouTube にもたくさんあるので、ぜひ。 アルバムを聴いたらやっぱり声と歌いかたがキュートで極上のチャーミングさだなと思う僕だけど、ライヴ・シーンを観れば、同時にギター演奏にも惚れてしまう。たとえばこういうのはどう?
アルバム『バランセ』だと、たとえば3曲目の「リスボア・クヤ」は、ほぼサラ・タヴァレスひとりでのアクースティック・ギター弾き語り。7曲目の「アモール・エ」もそう(だけどカラバスター・ドラムの音もしっかりある)。12曲目の「ムナ・シェイア」がギター弾き語りにピアノだけ入るもの。アナ・モウラがゲスト参加のラスト13曲目「ディ・ヌア」では、二人のヴォーカル以外にはパーカッションだけで、それ以外なにもなし。

これら四曲が、僕にとってはサラ・タヴァレスの『バランセ』では傑出して素晴らしいように聴こえるんだよね。ゆっくりゆったりじんわりジワジワと来るやさしいサウンドとヴォーカルで(んん〜と、パーカッションだけでやるラスト13曲目はそうでもないか)、しかもリズムのノリというかフィーリングは、やっぱりいかにもカーボ・ヴェルデ系だと僕は感じるんだけどね。ブラジル音楽ふうな、というかポルトガルのものか、サウダージ横溢でありながら、やっぱりアフロ・クレオールなグルーヴがあるじゃないか。コラデイラとかフナナーに近いようなリズムがあるよ。3曲目とか7曲目とか10曲目とか。モルナみたいなものだってある。4曲目とか9曲目とか12曲目とか。

アクースティック・ピアノだけがゲスト参加のその12曲目「ムナ・シェイア」が、も〜う最高にすんばらしい。こんなにしっとりしたバラード(調)の曲で、おだやかに歌い、サウンドも静かなゆったりしたものだけど、アクースティック・ギターで弾き語るサラ・タヴァレスはまるで二人っきりの部屋のなかか、あるいはだれも見ていない海辺の夕刻に、僕だけに愛をやさしく語りかけてくれている。好きだぁ〜、サラ〜!でも後半からピアノが入ってきて、するとしかし音楽としてはもっとよくなる。

6曲目「ボカ・テーハ」では、メロ D(アンゴラ出身の在ポルトガル男性)がヴォーカル&ラップで参加。この曲はヒップ・ホップ・ソウルでありながら、同時にアフロビートとアンゴラのセンバも混ぜてあるようなもの。このへんだったら、あんまり落ち着きすぎない音楽のほうが好きだという、しかも新しい傾向の音楽が好きだという向きにもイイって思ってもらえそう。

2018/01/05

アフリカのほうを向きつつジミヘンを聴く 〜 マイルズの最高傑作『キリマンジャロの娘』

な〜んか耳馴染みのあるコード・ワークだなあと思いつつなんだかわからず長年聴いてまいりましたマイルズ・デイヴィスの「マドモワゼル・メイブリー」(『キリマンジャロの娘』ラスト)。ワタクス、たったいま気がつきましたでござります。こりゃ、ジミ・ヘンドリクスの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」(1967年シングル、『アー・ユー・エクスピアリエンスト』US 盤 B 面一曲目、現行 CD 16曲目)じゃあ〜りませんか!

ハッとこれに気がついた2017年12月25日深夜、iTunes でこの二曲を連続再生設定にしてリピートすること三回、どこからどう聴いてもおんなじものだ。うん、「マドモワゼル・メイブリー」がなにかに似ている、どこかで聴きおぼえたよく知っているリズム&ブルーズ・フィールだ、しかしこれなんだろう?と思い出せないまま、もう30年近く悶々と、というか「これ、なんだっけ?よ〜く知っているものだけど、思い出せないなあ」と悩みつづけてきて、本当に自力でたったいま気が付いたんだけど、いまごろこんなことになっているのは僕だけだろう。このマイルズとジミヘンの関係のことは後述する。

さて、マイルズ・デイヴィスの1968年作『キリマンジャロの娘』。どうして全曲フランス語題なんだろう?ちょっとした異国ふうな感じを出したかっただけかなあ?と思ってよくよく調べてみると、Filles de Kiimanjaro とはタンザニアのコーヒー豆を輸入するビジネスであるキリマンジャロ・アフリカン・コーヒーという社名に由来するもので、それはマイルズの友人が経営。マイルズ自身も出資していたものらしい。それで、ほかの曲も合わせてフランス語題にしてみたというだけなのかもしれない。つまり自身も出資するこのコーヒー豆輸入会社の宣伝かなにかだったんだな。な〜んだ。

それでもマイルズのアルバム『キリマンジャロの娘』が大変におもしろいアルバムで、というかいまの僕にとってはこの音楽家の全作品中いちばんおもしろいのがこの一枚で、はっきり言っちゃうが大傑作だと考えるようになっている。つまり1949〜91年に録音したマイルズのすべての作品のなかでの最高傑作が1968年の『キリマンジャロの娘』というのが僕の最近の考え。『カインド・オヴ・ブルー』でも『イン・ア・サイレント・ウェイ』でも『ビッチズ・ブルー』でもなく、これこそナンバー・ワンだ。僕にとってだけかもしれないが。

直接的には自身も出資するタンザニアのコーヒー豆輸入会社に由来してフランス語を使ってあるだけなんだろうが、アルバム『キリマンジャロの娘』の中身(はやっぱり英語題でもよかったような気がちょっとする)は、タンザニアとはいかないが、南アフリカ音楽方面への言及と、それからかなり露骨なジミ・ヘンドリクスからの借用がある。そしてアフリカのほうを向きつつジミヘンを聴くという、この二つは関係があるよなあ。つまり、マイルズの音楽はここ1968年において、かなり大きく変化したんだった。

そういうわけだから、アルバム『キリマンジャロの娘』でおもしろいのは、一曲目「フルロン・ブラン」、四曲目「キリマンジャロの娘」、五曲目「マドモワゼル・メイブリー」の三つだ。あとは二曲目「トゥー・ドゥ・スイート」の冒頭部と終盤部もかなりいい。ふつうのジャズ・ナンバーである三曲目「プチ・マシャン」は、一般のジャズ・リスナーならこれがいいと思うに違いないが、1968年のマイルズ・ミュージックとしてはイマイチだよなあ。

アルバム『キリマンジャロの娘』収録曲には、ギル・エヴァンズがかなり深く関わっていたことが、いまではわりとよく知られている。全五曲のうちいちばん先に録音されたのがギルの書いた「プチ・マシャン」で(1968/6/19)、アルバム・リリース時にはマイルズの名前しか作曲者として記載がなかったが、その後ギルが自身のバンドで「イレヴン」として演奏したのが、アルバム『スヴェンガリ』に収録されている。マイルズの『キリマンジャロの娘』でも、いまではさすがに共作扱いの記載だが、たぶんギルがひとりで書いたものに違いない。これはでもふつうのジャズだからなあ。

録音順だとこれの次が1968年6月20日の「トゥー・ドゥ・スイート」(いまでは別テイクも聴ける)。イントロ部とエンディング部のディープなブルージーさがいいのに、アド・リブ・ソロを展開する部分ではコードもリズムもパッと変わったまま進んでしまう。ハービー・ハンコックのフェンダー・ローズ・ソロ最終盤でちょろっとブルージーになってふたたび冒頭部と同じディープ・ブルーズになって終わる。これも三人のアド・リブ部はふつうのジャズ・ファン向けだ。

そして1968年6月21日の「キリマンジャロの娘」。これがかの五人(マイルズ、ウェイン・ショーター、ハービー、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)編成のレギュラー・バンドでの最終録音になった。LP レコードでは B 面一曲目のこれが、マイルズがいちばん最初にはっきりとアフリカ音楽のほうを向いた曲だ。実際、かなり面白い。そして、上の Spotify リンクでちょっと聴きなおしていただきたいのだが、ソロに入る前のテーマ(?)演奏みたいな部分が、時間も長いが、かたちも相当に入り組んでいる。これは口頭での事前打ち合わせだけでは不可能だから、間違いなく譜面があったはずだ。

そして、曲「キリマンジャロの娘」のテーマ(?)みたいな部分の譜面を書いたのがやっぱりギルだったんだよね。これもいまや確認が取れている事実だ。上で書いた「トゥー・ドゥ・スイート」のコード・ワークにもギルが手を貸していると判明している。というか、そもそもアルバム『キリマンジャロの娘』の音楽プロデューサーはギルなんだよね。名義上はテオ・マセロだから、ギルは音楽監督というかサウンド・クリエイターというかそんな役目でアルバム全体にかかわっていた。当時もいまもどうしてクレジットされないのか、ちょっと不可解だ。

だからアルバム『キリマンジャロの娘』だって、本当はマイルズ&ギルの共作名義で発売しなおすべきだ。もはやいまからそれは難しいことだけど。とにかく曲「キリマンジャロの娘」のテーマ(?)は七つのフラグメントで構成されていて、それがぜんぶ少しずつ異なった旋律を持っている。リズム・パターンも綿密にアレンジされている。それをギルが(百歩譲ってマイルズとのコラボで)書いた。

ちょっと付記しておきたいが、ギルとマイルズのどっちが先にロック・ミュージック(特にジミヘン)や、あるいはアフリカ音楽に深い関心を寄せ、どっちが先にそれを自分の音楽に取り入れはじめたのかっていうと、ギルの方が少しだけ先だったんだよね。1968年初頭あたりからギルとマイルズがふたたび密着して1970年あたりまで過ごしたのは間違いなく、その約二年間にジミヘンもからんでのトライアングルを形成していて、しかもそこにベティ・メイブリーがいっちょかみしているっていう。

アフリカ音楽に、まずギルが先に深い関心を持つようになっていたので、1968年6月21日のマイルズのレコーディング・セッションにそれを持ち込んで、曲「キリマンジャロの娘」に結実したというのが真相じゃないかと僕は思う。もちろんマイルズだって1965年ごろから中南米、ことにカリビアン・ミュージックを取り入れて、実際、成果をいくつか出している。ブーガルー・ブルーズみたいな「エイティ・ワン」以後、「フリーダム・ジャズ・ダンス」「ジンジャーブレッド・ボーイ」「フットプリンツ」「マスクァレロ」「プリンス・オヴ・ダークネス」「ライオット」。そして特に(当時は未発表だった)「ファン」「ウォーター・オン・ザ・パウンド」。

しかしそれらだってギルが一部助力しているんだもんなあ。なかでもアルバム『マイルズ・スマイルズ』収録曲はそうだったと判明している。電気楽器の使用だってギルのほうが早かった。ってことは1967年末ごろからのマイルズ・ミュージックの電化、ロック&ファンク化、中南米アフリカ志向、これらすべてギルと一緒に歩んだものだったってことになるなあ。ばあいによっては、マイルズはぜんぶギルから教えてもらっていたのかもしれない。

そんなわけで、曲「キリマンジャロの娘」や、アルバムだとオープナーになっている1968年9月24日録音の「フルロン・ブラン」(ここからチック・コリア&デイヴ・ホランドが参加した新バンドになる)なんかができあがったんだろう。サウス・アフリカン・ジャズというか、ズールーのクウェラ /ムバカンガ・マイルズみたいなものが。「キリマンジャロの娘」「フルロン・ブラン」ほど鮮明なアフリカン・ジャズは、マイルズのなかにはほかにない。

しかも録音が先で、バンドも長年やってきたレギュラー・クインテットによる「キリマンジャロの娘」よりも、新編成でやった「フルロン・ブラン」のほうがおもしろいんじゃないだろうか。わかりやすく鮮明にアフリカ音楽に近いのは前者のほうで、メロディは明るくオプティミスティック。だけどビートは揺れずシンプルなものを定常的に刻んでいる。ところが後者ではかなりポリリズミックになっているもんね。チック、デイヴ、トニーの三人がからみながら進んでそうなっているわけだけど、特に右チャンネルのトニーがすごい。それにぶつけるようにエレクトリック・ピアノで不穏なブロック・コードを叩くチックにもシビレる。

つまり同じアフリカン・ジャズであっても、「キリマンジャロの娘」はコード・ワークとメロディ展開にそれを聴きとるべきようなもの。いっぽう F のブーガルーである「フルロン・ブラン」はポリリズミックなグルーヴ一発が命みたいな曲、というか演奏で、そこがいまの僕には最高なんだよね。出だし 0:00 でまず右からトニー、0:01で左からチックが入ってきた瞬間が、いまの僕は最高の快感で、も〜う!背筋がゾクゾクするもんね。直接的にはジェイムズ・ブラウン「コールド・スウェット」のリズム・パターンだけど、JB のそれにはこんなに強いアフリカン・テイストはない。

「フルロン・ブラン」(ブラウン・ホーネット)とは、これすなわち当時の恋人(録音後の同じ九月に結婚する)ベティ・メイブリーへの言及なんだけど、言うまでもなくアルバム・ラスト「マドモワゼル・メイブリー」がそのまんまの捧げものだ。そして今日いちばん上で書いたように、これはジミヘンの曲「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」からそのまま借用している。

上のほうで、ジミヘンの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」も、音源リンクをご紹介してあるので、ぜひ聴き比べてほしい。直接には「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」の冒頭三つのコード・ワークを転用してある。でもマイルズ・ヴァージョンではそれをちょっと変えてあるよね。その再解釈、リワークをしたのがやっぱりギル・エヴァンズだったんだよ。

ジミヘン「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」の冒頭部のコード進行は E / F / F♯。いっぽうマイルズ「マドモワゼル・メイブリー」だと F / E♭ / E になっている。この動きかたはとても似ている。具体的にどのコードをどう使ってあるかわからなくても、これら二つの曲を聴けば、類似性、というよりも同一性はだれでも鮮明に理解できるものだ。

マイルズの「マドモワゼル・メイブリー」では、その後、コード・ワークを含む曲全体のコンポジションがジミヘンの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」からは離れていっているが、そんな展開もギルのペンになるアイデアだったんだよね。ギルはマイルズよりも先にジミヘンを聴いていた。特にここがギルらしい着目点だが、ジミヘンのソングライティング能力というか、コンポーザーとしてかなりおもしろいと考えるようになっていた。マイルズがベティの勧めで聴きはじめるよりも前にギルがジミヘンに親しんでいた。

「マドモワゼル・メイブリー」の録音も、「フルロン・ブラン」と同じ1968年9月24日。この日、ギルがこの曲を持ち込んだということは、当然すでにジミヘンの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」をギルは聴いていたわけだよね。アメリカでもその一年以上前の67年6月19日に「パープル・ヘイズ」の B 面でシングル盤が発売されているし、英国盤とは違い、同年8月23日発売のアルバム『アー・ユー・エクスピアリエンスト』のアメリカ盤だと、B 面一曲目だったんだし、情報によれば、ラジオなんかでも頻繁に流れていたそうだ。だから、マイルズだって耳にしていただろうが。

しかもジミヘンの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」は、メアリーがミドル・ネームのキャシー・エッティンガムというジミヘンのガールフレンドへの言及なんだよね。マイルズの「マドモワゼル・メイブリー」だってガールフレンドへのストレートなトリビュート題なんだし。ってことはこのマイルズの曲はジミヘンへのオマージュとしてギルがリワークして創ったものだから、ジミと同じようにマイルズも自分の恋人の名前を持ってくることにしたんだろうね。そんな曲題の付けかたはマイルズのオリジナル・アイデアだったかもしれない。

ジミヘンの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」はチャーミングなロッカ・バラードだけど、それから(ギルが)転用したマイルズの「マドモワゼル・メイブリー」は、かなり気だるそうにレイド・バックしたディープなスロー・ブルーズで、黒く、しかも強く官能的なフィーリングが漂っている。

2018/01/04

音楽でここまでカッコイイことってあるのか? 〜 ザッパ「リジプシャン・ストラット」

Zappa_sleep_dirt


https://open.spotify.com/album/6YLmrvxSMKegzeQYnJRDGo


(この Spotify のはヴォーカルなしのですから LP どおりってこと?以下の文章は CD を聴きながら書いたものです。修正する時間なし。)


もともとは LPで発売されていたものをリイシュー CD でしか聴いていないと、やっぱりときどき問題があって、フランク・ザッパのばあいはそれがかなりややこしいことになっているらしい。「らしい」としか言えないよ、だってレコードでどんなだったかぜんぜん知らないんだもん。そのうちザッパ・オフィシャルさんはオリジナル LP 音源どおりの内容の全作品リイシューをやってくれてもいいんじゃないだろうか?まあザッパに限った話でもありませんが。

だからレコードでは1979年にリリースされたザッパの『スリープ・ダート』だって、CD でしか中身を知らない僕だから、全七曲中三曲が女性ヴォーカル入りなもんで、『ホット・ラッツ III』感がちょっと薄くなっているんだもんね。しかも、そのタナ・ハリスという歌手って、どこがいいんだろう?ちょっと安っぽいそこいらへんの場末のキャバレー歌手みたいに聴こえるんだが、しかしそれがザッパの狙いだったのかもしれないから、う〜ん…、ちょっとどうなんですか、このヴォーカルは?

しかし読みかじる情報では『スリープ・ダート』収録曲の一部は、もとからヴォーカル入りの楽曲としてプランがあったということだから、ザッパ自らが手がけた CD リイシューの際に、女性ヴォーカル(や一部のドラムス)をオーヴァー・ダブし、大元の計画通りに内容を変更、というか取り戻したというか、そういうことかなあ。だいたいザッパのばあい、 CD リイシューの際の 1993 FZ 公認マスターで、内容が LP からかなり変更されているらしく、楽器の差し替えなどもけっこうあるみたいだけど、なにぶん僕はレコードでどんなだったか知らないから、なんにも言えない。

『スリープ・ダート』に関係するところで、『レザー』関連のことは、また別の記事にするしかない。書くこと、いくらでもあるな、ザッパは。

CD で『スリープ・ダート』をはじめて聴いたときの僕の第一印象は、大雑把に言って四つ。

一つ、上でも書いたがこの女性ヴォーカルはあってもなくてもいい。

一つ、やっぱりザッパがギターを弾きまくるインストルメンタル中心のジャズ・ロック作品だ(からたしかに『ホット・ラッツ』系)。

一つ、四曲目の「リジプシャン・ストラット」が超絶カッコイイ、ってかカッコよすぎる、この世において音楽でこんなにカッコイイってことがあんのか!?

一つ、ザッパがアクースティック・ギターを弾いているじゃないか。

僕は最初から『スリープ・ダート』を買おうとして買ったのではない。だってさ、こんなジャケット・デザインだから僕の趣味じゃないんだよね。でもザッパのアルバムにはこの手のアメリカン・カートゥーン・アニメみたいなのが多いよね。中身の音楽もそれに近いような部分があって、最初しばらく僕は馴染めない部分もあったんだよね。しかし『スリープ・ダート』の中身は、基本、ジャズ・ロックなインストルメンタル・ミュージックだから、このジャケット・デザインはやめておいたほうが…、と思うと、これもリリースにまつわるザッパと会社ワーナーとのいざこざがあったらしい。メンドくさいから今日は省略だ。

とにかくこんなジャケット・デザインだから、店頭で見てもなかなか買う気になれなかった『スリープ・ダート』を買ったのは、例のザッパのクラシカル・ミュージックのベスト盤『ストリクトリー・ジェンティール:ア・クラシカル・イントロダクション・トゥ・フランク・ザッパ』に「リジプシャン・ストラット」が収録されていたからだ。ずっと前にも書いたが、僕はあの『ストリクトリー・ジェンティール』が大好きなんだよね。

『ストリクトリー・ジェンティール』は、ザッパがやった西洋クラシック音楽の管弦楽作品のベスト盤のはずなのに、『スリープ・ダート』みたいなものや、そのほかポップ・フィールドにあるアルバムからけっこう曲がチョイスされて、名実とものクラシカル・ミュージックと混ぜこぜに並んで違和感がちっともない。このことの意味を考えてほしいんだよね。今日の話題には直接関係ないので、これ以上は書かない。

と〜にかく!『ストリクトリー・ジェンティール』を聴いて二つ目に「リジプシャン・ストラット」が流れてきたとき、そのあまりのカッコ良さに KO されちゃった僕。ドラマーがタムをヘヴィな音で連打するのに続き(フロア・タムは曲中ずっと使われている)、金管楽器群がブワ〜ッと入ってきて、エレベがぶんぶん鳴って、その後トロンボーンがソロで吹き、マリンバがからむ。その間もタムがずっと鳴っている。アクースティック・ピアノもキレイに聴こえて、も〜う!そのあたりで降参するしかない。

いやホント、音楽でここまでカッコイイってことがあるのか?!ただでさえほぼぜんぶカッコいい曲ばかりのザッパだけど、そのなかでも「リジプシャン・ストラット」の颯爽感、爽快感って、一、二を争う素晴らしさじゃないか。なんども同じことばかり言ってもうしわけないが、音楽でここまでカッコイイものって、ほかにあるんですか?

そんなわけでベスト盤『ストリクトリー・ジェンティール』で「リジプシャン・ストラット」が大好きになった僕は、それはアルバム『スリープ・ダート』からの選曲だと記載があるのを見て、はじめて CD ショップであの気乗りのしないジャケット・デザインのやつを買ったんだよね。持って帰って聴いたら、四曲目の「リジプシャン・ストラット」があいかわらず何曲目に入っていても素晴らしく聴こえるが、ほかにもすごい曲があって、な〜んだ、いいアルバムじゃ〜ん、こんなジャケットじゃなけりゃあなぁ、って気持はやっぱり持ったのだった。

「リジプシャン・ストラット」以外で『スリープ・ダート』にあるもののうちいちばん印象的だったのは、六曲目のアルバム・タイトル・ナンバーだ。フランク・ザッパってアクースティック・ギターはあまり弾かない、というかひょっとしたら少数の例外を除きぜんぜん弾いていないかもしれないよなあ。あれほどのギター名人にしては珍しいことじゃないだろうか?その数少ない例外がの一つが曲「スリープ・ダート」なんだよね。

曲「スリープ・ダート」もインストルメンタル・ナンバーだけど、ザッパとジェイムズ・ユーマンとのアクースティック・ギター・デュオ演奏。約三分程度と短いが、これもキレイな曲だ。しかもこれは完全即興だよなあ。はじまる前にザッパが「エ〜〜フ」と言っているので、キーの F だけ決めて二人で即興アコギ・デュオをやったんだろう。終了後にもちょろっと会話が聴こえる。スタジオでの息抜き的演奏だったのかもしれないが、うまいし美しい。ブルーズのようにも西洋クラシック音楽のギター・ピースのようにも聴こえる。

アルバム一曲目「フィルシー・ハビッツ」(はたしか来日公演時の一曲目じゃなかったっけ?)、ラスト七曲目「ジ・オーシャン・イズ・ジ・アルティミット・ソリューション」の二つにはヴォーカルもなく、完璧に『ホット・ラッツ』系のジャズ・ロック・ナンバー。ザッパが弾きまくるギターが最大の聴きものだ。いんやあ〜、うまいよねえ。

いちばんカッコいい「リジプシャン・ストラット」ではザッパはギターを弾かず、パーカッションとのクレジットだけどそれも演奏しているのかいないのかわからないから、コンポジションの素晴らしさを聴くべきもの。それ以外は、女性ヴォーカルが入るものでも、それは LP 発売時にはなかったものでインストルメンタルだったんだし、やっぱりボスがカッコよくギターを弾いていていいぞ。

ただそれでもヴォーカルものとインストものとのコントラストみたいな部分が少しだけ面白く聴こえたりするのも事実。上で書いたようにタナ・ハリスの持つ場末のキャバレー感、安っぽい歌手みたいな感じが、オールド・ジャズふうな雰囲気をかもしだしていて、そのせいかどうか関係ないのか、それら三曲では演奏全体も古臭いジャジーさがあって、なかなか悪くない…、かもしれない。

いっぽうインストルメンタル曲では、1970年代のプログレッシヴ・ジャズ・ロッだから、この1920〜30年代ジャズふうなのと70年代ジャズ・ロックふうなのが混在することで、う〜ん、うまく言えないが、なんとなくの素敵な感じが出ている…、のかもしれない。

ヴォーカルの入る古臭いジャズがこの上ない大好物である僕だけど、でもそれでもやっぱりザッパの『スリープ・ダート』は、御大がギターをカッコよく弾き倒す「フィルシー・ハビッツ」「ジ・オーシャン・イズ・ジ・アルティミット・ソリューション」とか、御大がギターは弾かない「リジプシャン・ストラット」の、曲としてのもんのすごいカッコ良さを聴くべきアルバムだなあ。カッコイイあいだは、マジで鳥肌立つほどカッコイイので。なんども言うが「リジプシャン・ストラット」のブラス群とトロンボーン(はぜんぶブルース・ファウラーの演奏)とリズム、これを書いたザッパの筆がカッコイイんだもんなあ。

2018/01/03

僕たちのザッパのロック・アクロバティック 〜 ロキシー・ライヴ

フランク・ザッパの音楽って、まさに「僕たちのもの」じゃないか。ブルーズ、ロック、リズム&ブルーズ、ドゥー・ワップ、ジャズ、現代音楽など、そのほかいろんなものがいっしょくたになってゴッタ煮で融合一体化しているんだから、これ以上の音楽家ってなかなかいないんだぜ。なかなかっていうか、ザッパ以外にこんな音楽家っているの?ぜんぜんいないんじゃないの?だから、ザッパこそ<ザ・ベスト>なんだよね、僕たちにとってはね。

そんなザッパにもいくつかあるライヴ・アルバムのうち、ロックというかポップ・フィールドにあって、ザッパ自身もギターを弾きまくるもののなかでの最高傑作が『ロキシー&エルスウェア』じゃないかと僕は思う。前からなんども繰り返しているように、僕は CD でしかザッパを聴いたことがないので(最近は Spotify でも聴くが)、LP 二枚組だったという事実は実感がない。もちろんそこを踏まえないと、もとの各面冒頭に置かれるように入っているザッパのおしゃべりの意味がちょっとぼやけちゃうんだが、しょうがないことだよなあ。

ロキシーはロス・アンジェルスにあって、そこでやった1973年12月のライヴ・パフォーマンスを収録したのが、もちろん『ロキシー&エルスウェア』の中心。それにくわえほかの場所(エルスウェア)でやったものが少しだけあって、ばあいによっては混ぜて編集してあったりもするので、このアルバム題になっている。「エルスウェア」とはシカゴとペンシルヴェニア(どっちも1974年5月の収録)。

どこをどう混ぜて編集してあるのか僕にわかるわけないので、完成品になって1974年に LP 二枚組で発売され、僕は CD で持っている『ロキシー&エルスウェア』を、ただそのまま受け取って聴いて楽しんでいるだけ。1973、74年のライヴということは、例のあの時期のマザーズなわけで、これがロック・バンドとしてザッパが率いたレギュラー・バンドでは最高のものだったかもしれないよなあ。ジョージ・デューク、トム・ファウラー、ルース・アンダーウッド、ナポレオン・マーフィー・ブロック、チェスター・トンプスンらお馴染みの面々が揃っている。

実際、『ロキシー&エルスウェア』で聴ける演奏は超絶的にすごいの一言。ライヴ収録後、スタジオで音を追加、編集してある部分もあるらしいが、それを差し引いてもこのバンドの演奏能力はおそろしく高い。(CD の話しかできませんが)特に五曲目「エキドナズ・アーフ・オヴ・ユー」以後、ラスト「ビ・バップ・タンゴ(オヴ・ジ・オールド・ジャズメンズ・チャーチ)」までは、ちょっとシンジランナ〜イっていうような演奏なんだよね。

五曲目「エキドナズ・アーフ」はヴォーカルなしのインストルメンタル・ナンバーで、しかしジャズ・ミュージックふうなアド・リブ・ソロみたいものがなく(ジャズ・ファンのみなさん、ご不満でしょうか?)、約四分間、ザッパの書いた難譜面をバンド・メンが一糸乱れず演奏する。そのまま切れ目なく六曲目「ドント・ユー・エヴァー・ウォッシュ・ザット・シング」に突入。こっちもインストルメンタルで、こっちにはソロらしいソロがある。これら二つは八人編成でのザッパ/マザーズによるロキシーでの収録。

ソロがあまりないといっても、これら「エキドナズ・アーフ」「ドント・ユー・エヴァー・ウォッシュ・ザット・シング」(後者のほうにはソロがあるけれど)でのあんな演奏をこなすのは並大抵のことじゃないんだよね。譜面を書いて演奏するよう要求したザッパも鬼だが、それをライヴでこなしてしまうマザーズ連中も鬼だ。もちろん本番前にかなりなリハーサルを積んだものだってのは間違いないよね。

「ドント・ユー・エヴァー・ウォッシュ・ザット・シング」のほうには、後半、これは間違いなくインプロヴィゼイションであるザッパのギター・ソロが出る。それもかなりの聴きものなんだよね。しかもそれが出る直前にバンドの演奏するリズムがパッとチェンジして、ファンキーなブラック・ミュージックふうのものになるのもイイ。ボスのギター・ソロはたっぷりブルージーだ。

「ドント・ユー・エヴァー・ウォッシュ・ザット・シング」が終わって、次の B 級怪獣映画がテーマらしい?「チープニス」に行く前に音が途切れ少しだけ無音パートがあるので、ここは LP で面が変わるところだったんだろう。調べてみたら LP では「チーピンズ」から二枚目だったらしい。一枚目のクライマックスは、間違いなく六曲目の「ドント・ユー・エヴァー・ウォッシュ・ザット・シング」だなあ。僕ならそう言う。

でもそこに行く前の(むかしのアナログ・レコードでの) 一枚目にはけっこう面白いものが、それもザッパのギター・ソロがカッコイイものが複数曲あって、それも聴きどころだ。リズム&ブルーズ楽曲みたいな、っていうかそういうものである一曲目のブルーズ「ペンギン・イン・ボンデージ」で聴けるギター・ソロもイイ。三曲目「ダミー・アップ」だと、ザッパはライヴでは珍しくクリーン・トーンで弾き、ザッパの出身地?の歌らしい四曲目「ヴィレッジ・オヴ・ザ・サン」では…、あれれっ?ギター・ソロがない(^_^;)。

それはそうと、だいたいこのワン・サイズ・マザーズとか呼ばれるらしいこの時期のザッパのレギュラー・バンドは、しなやかに黒っぽい演奏をするよね。かといって雑なところなんてぜんぜんなくて繊細で、変拍子使いまくりのリズムの上で光速フレーズでぴったり合奏するという難度の高い演奏を破綻なくこなしながら、出来上がりは実にスポンティニアスでナチュラルな即興演奏に聴こえるっていう夢のような、が言いすぎなら、次元の高すぎるロック・バンドなんだよね。そんでもって黒いフィーリングがある。

(むかしの LPでいう)二枚目に行くと、もっとすごいギター・ソロが聴ける。最大のものが(CD 全体の)八曲目「サン・オヴ・オレンジ・カウンティ」におけるそれだ。歌詞の中身は政治家風刺だが、演奏はやっぱりまろやかな黒さがあるのが大きな魅力。そんな曲で弾くザッパのギター・ソロが素晴らしい。このアルバム『ロキシー&エルスウェア』ではボスがギター・ソロをたくさん弾きまくっているので、それを聴くのが最大の目玉かもしれないアルバムなんだけど、そんななかでもいちばんの聴きものが八曲目「サン・オヴ・オレンジ・カウンティ」なんじゃないかな。あんまりこういう言いかたはしたくないが、気合いというか、いちばん魂こもってますね、この「サン・オヴ・オレンジ・カウンティ」でのザッパのギター・ソロは。

そのまま切れ目なく次の九曲目「モア・トラブル・エヴリ・デイ」に突入するが、この曲でもふんだんに聴けるザッパのギター・ソロが素晴らしすぎる。どうしてこんな弾きかたができるんだぁ〜?こっちのギター・ソロのほうがもっと魂こもっているかもなあ。この九曲目の盛り上がりかたは、なんだか聴いていてハラハラするような危険な感じもあって、そこもイイ。残念なのはこれが LP 二枚目 A 面のラストだったので、最終盤でいよいよこれから壮絶に…、と思うところでスッとフェイド・アウトしちゃうんだ。このあたり、リリースが公式アナウンスされている来たる『ロキシー』ボックスだと最後までぜんぶ聴かせていただけるのでしょうか?

問題はアルバム・ラスト「ビ・バップ・タンゴ」だ。ビ・バップと曲題にあるように、いや、そうでなくなってザッパの書く旋律がメカニカルに細かく上下するのが、ジャズの一つのスタイルであるビ・バップ由来だというのは、だいたいみなさんご存知のはず。ビ・バップなんちゃらとかいう言葉が、ザッパの書く曲名とか曲中によく出てくるよね。「ビ・バップ・タンゴ」も演奏するのが難しく、実際、この『ロキシー&エルスウェア』でも演奏前のしゃべりで御大が、 “this is a hard one to play” と言っているもんなあ。ザッパはサド気質なのだろうか。また「ジャズは死んでいない、ちょっとおかしく聴こえるようになっているだけなんだ」とか言っているのも面白い。

しかも「ビ・バップ・タンゴ」は、曲じたいはぜんぜんタンゴではなく、かなりのジャズ・ナンバーなんだよね。ところどころストレートな4/4拍子のメインストリームのジャズ・ビートになったりもしている。細かい光速メカニカル・ラインを歌いながら鍵盤楽器とのユニゾンでやるジョージ・デュークもすごい。しかしこの曲での超絶演奏は、ぜんぶダンスのための伴奏 BGM なんだよね。ちゃんとしたことは映像がないとわからないが、音だけ聴いても、ボスが観客をステージに上げてダンス・コンテストをやっている様子が聴きとれるだろう。

あれっ、「ビ・バップ・タンゴ」、ちょろっとジョージ・デュークが鍵盤楽器とのユニゾンで、なにかのジャズ・スタンダードを歌ったぞ。なんだっけ〜、このよく知っているやつは?と思ったら、セロニアス・モンクの「ストレイト、ノー・チェイサー」じゃ〜ん。

ザッパのロキシー・ライヴ、楽しいなったら楽しいな。二月にボックスが出れば、もっと楽しいんだろうなあ。

2018/01/02

心休まるとき 〜 原田知世と伊藤ゴローの世界(8)

原田知世&伊藤ゴローで組んだ作品が一曲だけなにかの企画盤に入っていたりするものは、2017年リリースのベスト盤『私の音楽 2007-2016』でまとめて聴ける。だけど、せっかくだから、っていうか知世のことが本当に好きになってしまったので、それら企画盤みたいなものも調べてぜんぶ買ってしまった。ほかにもあるのかどうなのか、ネットで調べてもわからないので、「きっと言える」「フール・オン・ザ・ヒル」「フロスティ・ザ・スノーマン」「ヴィヴォ・ソニャンド」以外にもあるんだというのなら、どなたかお詳しいかた、ぜひ教えてください。ぜんぶ買います。

それらを除くと原田知世&伊藤ゴロー作品は、すべて知世名義のアルバムに収録されている。僕自身のためにリリース順に整理しておくと

music & me (2007)
eyja (2009)
noon moon (2014)
恋愛小説 (2015)
恋愛小説2 - 若葉のころ (2016)
音楽と私 (2017)

となる。『恋愛小説』以下の三枚は、昨年僕なりに書いたつもりだから、今年はそれ以前の三作のことを一個づつ書いておこう。今日は『noon moon』のことを話題にしたい。どうしてこれからか?というと、僕が原田知世のことが好きになったきっかけは、カヴァー集の『恋愛小説』二枚なんだけど、それでそれ以前の作品も買って聴いてみて、第一印象がいちばんよかったのが『noon moon』なんだよね。それで昨2017年の新作『音楽と私』リリース(のちょっとあとにベスト盤『私の音楽 2007-2016』が出たんだったはず)と、それら過去作と、買ったのはほぼ同じころだったようなそうでもないような…。もう忘れちゃいました。

とにかく『noon moon』を一聴してのファースト・インプレッションがかなり素晴らしかったのだ。『恋愛小説』二枚以前の三枚のなかではこれがいちばんいいなあ〜って、そう思ったんだよね。その後、2007年の『music & me』はもっといいかも?アルバム・ラストの「時をかける少女」がキラーだよなあという気がしている。でもアルバム全体では、いまでもやっぱり『noon moon』のほうが好きかもなあ。

キラーは『noon moon』にもある。二曲目の「うたかたの恋」だ。この曲のことは、2017年の新ヴァージョンといっしょに記事にしておいたので、上のリンクの(3)をご覧あれ。そこに書いてある以上のことは、僕にはまだ書けない。それもいいんだが、アルバム・オープナーの「青空の月」が本当に素晴らしい。原田知世のヴォーカルもいいが、イントロからのサウンドがマジ最高に心地良い。こんなにも心地良い世界にひたりっぱなしだと、音楽リスナーとしてダメになってしまうんじゃないかと危険な気もするが、まだまだ抜けられない。

そんな「青空の月」のその出だしは、アクースティック・ギターとフェンダー・ローズで創ってあるんじゃないかと思うんだけど、その両者が見事に溶け合っている、なんてもんじゃないくらいサウンドの判別不可能な一体化を聴かせる。この二つにブラシでスネアを叩く音とクイーカ(ブラジリアン・パーカッション)でぜんぶかな。ソフトでまろやかでコクがあって、原田知世の歌が出てこなくてもいい、永遠にこのサウンドが続いてほしいと願うほど気持いいもんね。

こんな心地良い「青空の月」がアルバムの幕が開くから、もうそれだけで『noon moon』全体の素晴らしさが保証されたようなもんだと期待値が高くなって、実際、続く二曲目以後も内容がいい。二曲目「うたかたの恋」のことは省略して、こういったふんわりやわらかいサウンドとヴォーカルは、たとえば四曲目「A Moment Of Clarity」、六曲目「My Dear」、七曲目「LOVE」、八曲目「レモン」、九曲目「名前が知りたい」、ラスト十曲目「Brand New Day」などでも、少しづつ様子を変えながら同じように続いている。

それらは、一言で表現するなら<ザ・心の平安>。そう、原田知世&伊藤ゴローの世界を聴くと心の底から安心する。心が落ち着いて安らかな気分になれるんだよね。それで、ふだん僕という人間のなかにときどき出現する他者への攻撃性、好戦的資質、不安、焦燥などなどがほぼキレイに消えて、おだやかで静かな気分でいられるんだよね。これこそ、原田知世&伊藤ゴローの世界が、音楽じゃない部分の僕の生活にもたらす最大の美点なんだよね。夜、ベッドに入る前の時間とかにくつろぎたい、心を落ち着かせて平安な気分でなめらかに眠りに落ちたいというときは、小さめの音量で聴く原田知世&伊藤ゴローがベストなんだ。

ややリズムが快活な感じの三曲目「Double Rainbow」、五曲目「走る人」だと少し強靭なノリもあって、ドラマーも派手めに叩き、たとえばエレクトリック・ピアノがダダダダと強くブロック・コードのリフを入れていたりする。それはフェンダー・ローズに聴こえるんだけど、ところで伊藤ゴローって、いっぽうでデジタル・プログラミングも控えめながら駆使しつつ、生演奏やこういったヴィンテージ楽器のサウンドにこだわっているよね。たぶん本物のフェンダー・ローズを弾かせていると思うんだけど。

そういったアクースティック+エレクトリックで生演奏楽器のヴィンテージもの楽器のサウンドにこだわりながら、同時にコンピューター・プログラムも効果的に使うっていう、もちろんいまやあたりまえのことになっているけれども。こんなオーガニック・サウンドで室内楽というか箱庭音楽というか、そんなふうな音の上に、やっぱりこっちも大声量の持ち主じゃないからマイクに口を密接させるようにしないと活きない原田知世の声、ストレートでノン・ヴィブラートな知世のヴォーカルがフワッと漂うように乗っている『noon moon』。しかしながらそれでも、知世の声のトーンや歌いかたには、僕のばあい、かなりしっかりしたメンタリティも「音のなかに」感じるのだった。そうだからこそ、こんなふうに心穏やかに、なんでもないみたいに軽く歌えるんだと思うんだけどね。

2018/01/01

岩佐美咲の歌ぢから

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来たる2月27日の新曲リリースが公式発表されている岩佐美咲。ってことは DVD を除き、どこでも買えるパッケージ商品化されている、すなわち CD でリリースされている美咲の曲としては41トラック目になる。曲じゃなくてトラックというのは、同じ曲の別ヴァージョンもあるからだ。

そう、いままでに CD 商品化されている岩佐美咲のソング・トラックはぜんぶで40個(のはず)。iTunes で美咲全曲集のプレイリストを作成してあるので、一瞬でわかる。トータルの再生時間が2時間46分。たったこれだけなのか…。美咲の歌がいいから、二時間ちょいなんてあっという間なんだよね。もっとほしい。もっともっとくれ。

ないものをねだってもしょうがないので、あるものを繰返し聴くわけだけど、昨年二月来、僕の音楽ライフはすっかり岩佐美咲一色に染まってしまったと言っても過言ではない。いや、ちょっと言い過ぎかな。原田知世も昨年はじめてちゃんと出会って、やっぱり美しくてゾッコン骨抜きにされてしまった僕。そのほか、いろいろと聴いていることは聴いているが。それで書いているのだが、僕のなかで最重要音楽家となっているのが(最近、僕は「わさみさん」と呼んでいる)岩佐美咲ちゃんと知世ちゃん。

本当に毎日聴く岩佐美咲なんだけど、聴いていて素晴らしいと感心、感動している自分が、美咲のあのヴォーカル表現があるからこそそうなっているのか、それとも歌本来の魅力が大きいがゆえそうなっているのか、わからなくなってくることが多い。これは悪い意味ではない。美咲はそういう歌手なんだよね。

もうたったこれだけで、熱心な岩佐美咲ファンでありかつ僕の文章を読んでくださっているみなさんは、ま〜たまた同じことを今日も書くのか、もうよくわかっているんだからそれ以上言わなくていいぞ、と思われるだろうなあ。新作リリースが、昨年10月の三枚目 DVD 以来まだなくて、そして書いたように CDだとぜんぶで40個のソング・トラックしかないので、やっぱり同じことを書く以外ないんだよね。それにたいへん重要なことだから、何度でも繰返しておかなくちゃいけない。

岩佐美咲のばあい、その歌唱法は、表面的には無個性なものだと言える。強く激しく自己主張し、これが私の歌なのよ!と訴えかけるような部分がない。だれにも真似できない強烈な表現法というか、一度聴いたら耳に焼き付いて離れないというような部分は、美咲の歌にはない。しかしこれは、あとのほうで書くつもりだが、そんな美咲の歌唱法こそ、本当はだれにとっても不可能な、真似のできない、すごいものなんだけどね。

中村とうようさんは『ポピュラー音楽の世紀』(岩波文庫)のなかでテレサ・テンの素晴らしさを説明する際、中国大陸での「テレサには個性がない」という評価に真っ向から反論し、「テレサの歌は個性などというケチくさいアメリカ的基準を超えて、もっと大きな水準に達していた。それは、聞き手を慰撫する仏の境地だったと、ぼくは思っている。」(p. 139)と書いた。

かなり重要なことだし、そっくりそのまま岩佐美咲の歌のやりかたにもあてはまる褒め言葉なので、やや長くなるがとうようさんの『ポピュラー音楽の世紀』からしっかり引用しておこう。

(テレサ・テン以前の中国歌謡は)ぼくの印象では、どうもレコード歌謡に徹することができず、聴衆の目の前で歌うときの感覚から抜けだせなくて、不自然に大きく歌い上げがちな傾向がある。片方に京劇、他方に上海キャバレーの舞台の伝統があまりにも重くて、しかも国内経済の遅れでレコード市場の裾野も広がらず、ラジオなども普及しなかったから、自分の部屋でひとりでレコードに耳を傾ける聞き手をイメージして歌いかける感触が歌手たちによくつかめなかったのかもしれない。ここでも、歌手と聴衆の間合いの取り方の問題をぼくは感じてしまう。
 そんな限界を脱却して本物のレコード歌謡のスタイルを中国世界に確立したのが、七〇年ごろに台湾に登場するテレサ・テンだ。レコード・デビューが十四歳のときだが、初めから素直で伸びやかな歌いぶりに大器の資質を発揮した。台湾から香港、東南アジア、日本と活動の場所を広げ、わが国では日本語の歌謡曲で親しまれたが、本領がチャイニーズ・ソングだったのは言うまでもない。七〇年代後半から八〇年代前半にかけてのそれらの歌は、世界のポピュラー・ソングでも比べるものの少ない高い水準に達していた。繊細な節回しがかもし出すナイーヴな叙情は聞き手をやさしく歌で包み込む。アメリカの歌手たちの押しつけがましさの対極に位置するこういう歌こそ、アジア歌謡ならではの境地だ。
 テレサ急逝後に出た粗雑な追悼本に《個性が歌から伝わってこない》とかいう一中国人(かなり欧米カブレした人物らしい)のテレサ批判が引用されているが、こういうとらえ方がいちばん無意味である。個性をポピュラー歌手の評価の基準にするのは、6章で触れたとおり芸能の本質を見えなくしたアメリカ音楽産業の歪みに汚染された考え方だ。テレサの歌は個性などというケチくさいアメリカ的基準を超えて、もっと大きな水準に達していた。それは、聞き手を慰撫する仏の境地だったと、ぼくは思っている。
(pp. 138 -139)

どうですか?岩佐美咲の歌をちゃんと耳に入れているかたがたであれば、あぁ〜、こりゃまったく美咲のことを言っているじゃないか!と心の底から納得できるはずだ。特に「素直で伸びやかな歌いぶりに大器の資質を発揮」とか、「繊細な節回しがかもし出すナイーヴな叙情は聞き手をやさしく歌で包み込む」とか、「押しつけがましさの対極に位置するこういう歌」とかのくだりは、とうようさん、美咲の登場を予告したんですか?と思いたくなるほどピッタリあてはまる。

言いかたを換えるならば、とうようさんも激賞したテレサや、またやはり高く評価した同資質のアメリカ人女性歌手パティ・ペイジらと、本質的に同じものを岩佐美咲は持っている。同じ表現法をとっているんだよね。すなわち押し付けがましい個性を消して、というかそもそも最初から歌は個性的自己表現だなどとは考えてもおらず、歌の持つ魅力をそのままストレートにリスナーに伝えることこそが唯一の使命だと信じ、それに徹さんとするから、そのためには邪魔になる表現法を排した。

これが岩佐美咲のヴォーカル・スタイルの正体だ。彼女自身このやりかたがいちばん「歌が伝わる」からと、ちゃんとしっかり考えてやっているんだということを、僕は微塵も疑わない。むろん生得的天才資質もあるだろうが、それに磨きをかけんとして考えて訓練して、ああいった歌ができあがっているんだよね。テレサもパティ・ペイジもきっとそうだったはずだ。美咲はこの二人と同じ資質の歌手なんだよね。

そうだから、上のほうで岩佐美咲の歌は無個性だと僕は書いたが、もちろんこういった意味でのことであって、称賛の言葉なのだ。一聴してだれにも真似できなさそうな強く激しい個性的な歌唱は、実は歌の中身が聴き手に染み込まない。歌が、聴き手も含めた「みんなのもの」にならないからだ。逆にだれにでもできそうなスムースで素直な歌で、曲の持つ本質をストレートに表現するやりかたのほうが、本当ははるかに難しいことで、だれにも真似できない唯一無二の<個性>なんじゃないかな。こっちのほうがすごいぞ。

岩佐美咲って、そういう歌手なんだよね。

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