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2018/01/27

初期フェイルーズを聴く

Fairuz20112








息子のジアード・ラハバーニがプロデュースしたフェイルーズを毎土曜続けて書いてシリーズ化するようなことを言いながら、いや、もちろんそれらはどんどん聴きかえしていて、文章も準備中だけど、先週書いた2010年作『望み』(Eh Fi Amal)のなかに「シャラビーヤの少女」(El Bent El Shalabiah)があったでしょ。それは若い時分にフェイルーズも歌ったものの再演だからと思って、その初期ヴァージョンも聴きなおしたのだった。

若いころのフェイルーズ「シャラビーヤの少女」は、日本では中村とうようさん編纂、解説のエル・スール盤『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』(2011)で聴ける。当時の新作『望み』と同じ曲が収録されたのは偶然なのかどうなのか。むろんたまたまのことなんだろうけれど、おもしろい。『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』は、『望み』リリース前から準備が進んでいたそうで、だからとうようさんも関係なく「シャラビーヤの少女」をチョイスしたあったんだろう。そこにタイミングよく新作がリリースされただけだ。でもなんだか偶然でもないような…。ちょっとこわいよねえ。

そんなわけで『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』一枚ぜんぶを通して聴きかえした僕。すると、2011年に買って繰り返し聴いていたころには見えていなかったことがちょっとだけ見えてきたりして、またフェイルーズの原点をいちおうおさえておいたほうがいいかもしれないとも思うようになったので、フェイルーズ&ジアード作品シリーズ第二回の前に、これを置いておく。

日本以外の国で、この1950年代ごろのフェイルーズの歌が、いまどういうかたちで聴けるのか、どんな CD でもなんでもアルバムになっているのか、僕にはわからない。『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』に収録されているのは1951(たぶん)〜59年(確定的)の録音で、主役女性歌手の年齢なら15〜24歳。実はこのころがフェイルーズにとってもいちばんよかったのかもしれないが、日本国外でのまとめられかたを知りたい。解説文のとうようさんによれば、フェイルーズの初期音源を一枚の CD にまとめて復刻するのは、『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』が世界初だとのことなんだけど。

これ以下、だいたいのことはとうようさんの解説文にあるとおりなので、CD『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』のブックレットをお持ちのかたは特にお読みになる必要はないと思われます。がしかしいちおう僕なりにパラフレイズして、事実関係やフェイルーズのヴォーカルや、曲のおもしろさや、ラハバーニ兄弟のアレンジ、プロデュース・ワークなどについて書いておこう。

フェイルーズがラハバーニ兄弟と出会ったのは1951年10月1日。とうようさんも、こんな事実がここまでくっきりと残っているということに少し驚いている。たしかに収録曲の録音年月日などが鮮明でないばあいがあるにもかかわらず…、と僕も思うけれど、こんなものかもしれないなあ。この1951/10/1以前に少し録音があるとのことなんだけど、とうようさんも聴いたことがないそうで、いまはなんらかのかたちで聴けるんだろうか?

つまりフェイルーズのレコーディング・キャリアは、そもそも最初からラハバーニ兄弟とのコラボレイションではじまり展開したというに近い。そのうち兄のアッシーとフェイルーズは1954年に結婚して、そして産んだ子供のうちの一人ジアードが、のちに母の音楽をプロデュースするようになるが、とうぜんずっと先の話だ。

ラハバーニ兄弟と組んだフェイルーズの初録音も1951年らしく、『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』の1、2曲目にそのなかから収録されている。1「ホナイナよ」(Ya Honaina [Bolero])、2「シャラビーの娘」(Albint Elchalabiya [Baion])。副題はどっちも最初のレコード発売から附属するもので、たぶんフェイルーズ本人というよりもラハバーニ兄弟の音楽志向だったんだろう。

ボレーロとかバイオンとか、つまりラテン・リズムなわけで、たしかに「ホナイナよ」「シャラビーの娘」の二つを聴くとそれらしきものを感じることができる。ほかにもタンゴだとかマンボだとかあるんだそうだけど『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』には未収録。でもこの1950年代初頭に、アラブはレバノンの音楽家だってラテン・リズムに興味を示していた。

というかそのもっと前からアラブ歌謡のなかにもラテン・テイストはあるので、ラハバーニ兄弟もその路線にしたがっただけなんだろう。それは端的に言ってダンス・ミュージック、踊れる要素ということだったんだと思う。ラハバーニ兄弟も、レバノンの音楽、アラブ民謡的なものをダンサブルにして、さらに国際化して、世界に通用する普遍的なポップ・ミュージックに仕立て上げたいという目論見があったんだろう。フェイルーズは、兄弟プロデューサーのそんな方向性に乗って、レバノン出身の世界的大スターになっていく。だから最初からそんな道がつけられていた。

『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』1曲目の「ホナイナよ」はウードを使ったしっとり系バラード調の佳曲で、主役歌手はまだ15歳だけど、ここまでの表現力があっても僕はちっとも驚かない。音楽、芸能の世界における15歳は充分オトナだ。美空ひばり、リトル・エスター(エスター・フィリップス)、鄧麗君、マイケル・ジャクスンなど、いくらでも類例をあげることができる。だから解説文でとうようさんがお書きの言葉には僕は納得しない。
2曲目「シャラビーの娘」だと、サウンドはもっとグッと洗練されてモダンでインターナショナルなものになる。エレキ・ギターが最初から聴こえ、1951年だとヨーロッパでも流行していたブラジルのバイオンのリズムやアコーディオンも取り入れて、はずんだリズムに乗って歌うフェイルーズの声にはすでに立派な艶や色気や表現力があるよね。これは見事な一曲で、だから、その後ほとんどだれも知らないレコードになってしまったので、約60年後に彼女自ら再演した気持ちは、僕にはとてもよくわかる。とうようさんは「実に不思議」とお書きだが。
3曲目「とがめ」(Etab)。1952年録音のこれがこれがアラブ圏で大ヒットして、フェイルーズの真のデビュー曲だと言われ、歌手として確固たるポジションを築くことになったものだそうだ。そりゃ当然そうだと僕も心から納得できる。素晴らしい曲(ラハバーニ兄弟作)だし、フェイルーズの歌い廻しもアラブ古典にのっとった、まあちょっと古めかしいものかもしれないが、僕はこの「とがめ」にとても大きな魅力を感じる。長く美しい曲の旋律といい、それを見事にこなす歌手の表現といい、本当に素晴らしいと心から感動するけれどね。
たしかに現代的でもないし国際的でもないこの「とがめ」。だからふつう一般の、アラブ圏以外の(って僕もそうですが)音楽リスナーにとってはとっつきにくい、聴きにくい、魅力を理解するのがむずかしいものなのかもしれない。だけどしかしこういうのがアラブ歌謡の魅力というものだと僕は信じているんだよね。テンポなしでゆったりと詠唱するかのような、聖なのか俗なのか区別できないような歌というか詠というか吟みたいものが、僕は大好き。アラブ圏に限った話じゃない。

アラブ古典伝統みたいな曲は、『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』のなかにはその後もある。いちばんハッキリしているのが6曲目「土地よ」(Ya Rabi’)。だいぶ年上のウム・クルスームみたいなエジプト起源の一曲で、韻律をともなう古典詩に装飾をつけてフェイルーズが歌う。これが!ホント〜ッに!すんばらしい。とうようさんも大絶賛している。僕もこれが2018年現在でも、フェイルーズの全キャリアを通してのトップ、最高至宝の歌唱に違いないと考えている。いやぁ、こりゃすごいね。
こんなすごいの聴いちゃったら、7曲目以下についてなにか書こうって気にならなくなった。がしかし10曲目「私たちはきっと帰る」(Sanarjiou)はこれまた最高だ。ラハバーニ兄弟の作詞作曲らしい。たしかにポップで聴きやすいが、しかしちょっとしたシリアスさ、深みがあるものだ。メロディやサウンドはラハバーニ兄弟らしい西洋クラシックぽいスタイルのモダンさだけど、そこはかとなくアラブやレバノン臭も漂うもの。フェイルーズ&ラハバーニ兄弟のオリジナルでは終生の名曲と言えるはず。

この「私たちはきっと帰る」は代表作となってその後も繰り返し歌われたので、『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』収録のオリジナル・ヴァージョンが YouTube などで見つからないけれども、同じ歌手が同じ曲をやるほぼ同様のものがたくさん出てくる。ぜひとも “Fairuz Sanarjiou” で検索して聴いてほしい。陽と陰が入り混じる素晴らしい一曲だ。

『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』12曲目からラストまではぜんぶライヴ録音で、1957〜59年録音。57年から年に一回のバールベック音楽祭にフェイルーズは(ラハバーニ兄弟のプロデュースで)出演するようになり、同音楽祭最大の目玉となり、50年代末〜60年代を通しフェイルーズのキャリアを代表する活動となった。それはまた、レバノンやアラブの伝統と西洋クラシック音楽などを高次元で一体化した音楽劇を展開するもので、その後のレバノンやアラブ世界の音楽の作風の基礎となった。

そんな音楽祭が開催されていたバールベックは、シリア国境近くのレバノン内陸部にあるベガー高原の古代ローマ遺跡。ここでの音楽フェスティヴァルは1955〜74年までの開催。クラシック界の音楽家も出演したし、またアメリカの黒人ジャズ演奏家マイルズ・デイヴィスも出演経験がある。そんななかでフェイルーズこそが最大の呼びものだった。1957年以後、バールベック出演がフェイルーズの活動の象徴みたいなものとなった。

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