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2018/02/02

1970年、ワイト島フェスにおけるマイルズ

1970年8月29日、英国はワイト島でのジ・アイル・オヴ・ワイト・フェスティヴァルのステージに立ったマイルズ・デイヴィス・バンド。総勢七人編成。ワイト島フェスはロック・ミュージックが中心のものだけど、あのころからマイルズは、主催者側から呼ばれてなのかコロンビア側の売り込みだったのか、ロックのステージに立つことがよくあった。

1970年というのが一つのブレイク・スルーの年になっていて、みなさんご存知のように70年には東海岸、西海岸両方のフィルモア・オーディトリアムで演奏している。それも定期出演というほど何度も繰り返し出演しているんだよね。コロンビアはかなりの数(ひょっとしてぜんぶ?)のフィルモア・マイルズを公式録音したらしいという話だが、当時リリースされたのは『アット・フィルモア』だけ。フィルモア・イーストでの70年6月の四日間で録音され、同年10月に二枚組 LP で発売された。

その後、1970年4月10日のフィルモア・ウェスト公演が73年になって、しかも当初は日本でだけ、LP 二枚組で公式リリースされた。現在では70年3月7日のフィルモア・イースト公演も同じく CD 二枚組で公式発売済み。また、上記70年6月17〜20日の四日間のフィルモア・フル・セットが CD 四枚組になって公式リリースされている。つまり、70年のフィルモア・マイルズは、公式盤だと計三種類。

しかしまだまだあるみたいなんだよね。実際、ブートレグならもっとたくさん聴けるし、それらは音質だって公式録音が流出したとしか思えないものだし、コロンビア/レガシーさんには頑張っていただいて、かなり(ぜんぶ?)あるという噂の、録音したフィルモア・マイルズを、すべて発売していただきたい。

フィルモア・オーディトリアムというロックの殿堂みたいな場所で、1970年に、マイルズ・バンドが、ある意味、定期出演していたという事実は、この時代のジャズとロックの関係を考える際にはとても重要なことになってくると僕は思うのだが、もっとちゃんと聴いて(同時代のロックも含め)じっくり考えてみないと、まだまだ書けない。ある夜は、一部がマイルズ・バンド、二部がニール・ヤング&クレイジー・ホースだったりもしたんだよね。

今日は最初に書いたとおり、1970年夏のワイト島フェスでのマイルズ・バンドについてだけとりあげたい。この日のマイルズ・バンドの出演は、そのまえがジョニ・ミッチェル、そのあとがテン・イヤーズ・アフターで、その後、エマースン、レイク&パーマー、ドアーズ、ザ・フー、スライ&ザ・ファミリー・ストーンと続いていた。

マイルズ・バンドの出演時間は約40分ほど。しかしこのフル・ステージがなかなか発売されなかったんだよね。何年ごろだったか、ワイト島フェスの模様を収録したアンソロジーが発売されて、そのなかにこの日のマイルズ・バンドもあったみたいだけれど、テオ・マセロが編集して、半分以下の十数分程度になっていた。

ネットで調べてみたら、まず最初は1971年に LP 三枚組の『ザ・ファースト・グレイト・ロック・フェスティヴァルズ・オヴ・ザ・セヴンティーズ - アイル・オヴ・ワイト/アトランタ・ポップ・フェスティヴァル』というものが出たらしい。CD にもなっているみたいだが、僕は聴いたことがない。マイルズ・バンドの収録時間は、やはり17分程度の模様。

二番目が僕も買った1997年の CD 二枚組『メッセージ・トゥ・ラヴ』。もともとこれは1970年ワイト島フェスのドキュメンタリー映画のサウンドトラック盤として発売されたものだ。その映画は僕はいまだに観ていないが、CD にはマイルズ・バンドが収録されていると聞きつけて、そのときまだ聴いたことがなかったので、速攻で飛びついて買った。しかし『メッセージ・トゥ・ラヴ』二枚目にあるマイルズ・バンド分は、上記よりさらに短い 14:56(こっちは持っているので正確だ)。

三番目がとうとう出たコンプリート・ヴァージョン。しかしそれは音源だけじゃなくライヴ映像付きのもので、約73分間の公式 DVD『マイルズ・エレクトリック:ア・ディファラント・カインド・オヴ・ブルー』という2004年盤。これの11個目のトラックでようやく約40分のワイト島フェスでのフル・コンサートが出てくる。その前のトラックまでは見聴きしてもしなくてもどっちでもいいような内容の退屈な DVD で、73分間のうち半分以上がワイト島フェスでのマイルズ・ライヴなんだから、それを発売するのが目玉だったのだろう。

それがコレ。
カッコイイよねえ。ワイト島フェスのステージでのバンドの面々の演奏模様もばっちりわかる。この1970年ごろのマイルズ・バンドのステージ動画はこれでしか観られないんだよね。だからすごく貴重だ。ご覧になっておわかりのように、70年8月は、まだチック・コリア&キース・ジャレットのツイン鍵盤体制。同様である6月のフィルモアとの唯一の違いは、サックス奏者がスティーヴ・グロスマンからゲイリー・バーツに交代していることだ。

「コール・イット・エニイシング」とあるのは、この一続きの、なんというかいつでもポプリみたいに、この1970年ごろから75年までなっていたマイルズ・バンドの演奏トラックが、長らくそう呼ばれていたからだ。70年8月29日のステージに上がる直前にフェスの関係者から(録画録音するので)「演奏曲名を教えてくださいませんか?」と聞かれたマイルズが「なんとでも呼べばいいじゃん」(Call It Anything)と返事したのからそのまま引っ張ってきている。

しかしですよ、前々から繰り返すように、僕は音源だけでもほしいんですよ。どんな音楽家でも演唱シーンがないとわからないことがあるとはいえ、音だけをじっくり聴き込みたいタイプの僕としては、これ、どうして CD でも発売してくれなかったんだろう?という歯がゆい思いもあったのだ。

CD ではじめて公式リリースされたワイト島マイルズのフル・コンサートは、しかし単独発売盤ではなかった。マイルズのコロンビア録音全集『ザ・コンプリート・コロンビア・アルバム・コレクション』という、当然サイズはバカでかいはずと思っていたら、届いたものはあんがいコンパクトで拍子抜けした2009年の米ソニー盤ボックスのなかに一枚、『アイル・オヴ・ワイト』というタイトルで入っていたんだよね。

計53作品のマイルズのコロンビア全集というにしてはかなり安価だった『ザ・コンプリート・コロンビア・アルバム・コレクション』。99%は所有音源なのにどうして買ったかというと、その『アイル・オヴ・ワイト』が CD でほしかったのと、最後に一枚、未発表音源の DVD がくっついていて、1967年10月と11月の欧州公演があったからだった。あるいはこの二つがなくてもいちおうのコレクションとして買ったかもしれない。

マイルズのワイト島フェスも(DVDの)67年欧州公演も、いまではそれぞれ単独盤で発売されている。欧州公演については、グッと内容を拡充した CD 三枚+DVD 一枚の『ライヴ・イン・ユーロップ 1967』が2011年に発売されたのでそれは買ったが、ワイト島フェスのフル・コンサート分の単独盤を新たには買っていない僕。『ザ・コンプリート・コロンビア・アルバム・コレクション』にある『アイル・オヴ・ワイト』で事足りる。それ以外のものはぜんぜん必要ないもんね。

さて、1970年8月29日のワイト島フェスでの肝心のマイルズ・バンドの音楽内容。でもだいたい6月のフィルモアとあまり変化なしだもんね。そのフィルモアについては、いままでたくさん書いてきた。しかし6月と違って、母国で演奏するデイヴ・ホランドは全面的にエレベに専念。ドラムスのジャック・ディジョネットとの二人で、ファンキーでタイトなリズムを演奏する。

特にデイヴ・ホランドがここまでヒプノティックにファンキーなベース・ラインを、ライヴのマイルズ・バンドで演奏したことはない。スタジオ・セッションでなら、同じ1970年の前半でかなりカッチョイイことをエレベでやっていて、まるでスライのところのラリー・グレアムみたいになってるぞとは、以前しっかり書いたつもり。ライヴ演奏でなら、このワイト島フェスでのエレベがいちばんイイ。
ここまでのエレベ・ラインを、本来はアップライト型のウッド・ベーシストである英国人デイヴ・ホランドが、ライヴでも演奏したという一因には、1970年4月、すでにマイクル・ヘンダスンがレコーディング・セッションに呼ばれて録音もしたということもあったかもしれない。あの「ライト・オフ」(『ジャック・ジョンスン』)でのマイクルのエレベを、たぶんデイヴもテープで聴いた可能性があるよね。それでバンドのレギュラーだったデイヴも、こりゃヤベエ〜、オラもやらないと!ってなった部分があったんじゃないかなあ。

いや、まあそのへん、ほぼ根拠のない憶測、下衆の勘繰りだ。2トラック目の「ビッチズ・ブルー」がかなりブルージーになっているのにも要注意。ブルージーというより、これはほぼブルーズ演奏だ。あの曲「ビッチズ・ブルー」は、約一年前、1969年8月録音のスタジオ・オリジナルからして、抽象化されたブルーズみたいなもんだった。

3トラック目「イッツ・アバウト・ザット・タイム」、5トラック目「スパニッシュ・キー」も、六月ごろまでのライヴで聴けたのとは違うヘヴィさ、ファンキーさを出すように変貌していて、同1970年12月のセラー・ドア・ライヴのヘヴィ・ファンクを予告しているかのようだ。セラー・ドアではエレベがマイクル・ヘンダスンに交代しているのだが、まだデイヴ・ホランドだった八月のワイト島から、マイルズの音楽はそういう方向へと変わりつつあった。

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