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2018年3月

2018/03/31

アフロ・バイーアの祝祭 〜カエターノ『プレンダ・ミーニャ』

カエターノ・ヴェローゾのライヴ・アルバム『プレンダ・ミーニャ』(1998)。こういうのを聴くと、サンバだ、ボサ・ノーヴァだ、MPB だとか区別するのが、本当にアホらしくなってくる。要するに、鍵はバイーアにありってことじゃないかなあ。

『プレンダ・ミーニャ』については、すこしまえ、マイルズ・デイヴィス&ギル・エヴァンズ関連ですこし触れた。カエターノのこれが、北米合衆国のこの二名コラボの『クワイエット・ナイツ』を強く意識したトリビュート作という側面を持っているのは間違いないと思う。
このことにかんしては、だから今日はこれ以上あまり言わないことにする。瀟洒なアンサンブルの上で軽くヒラリとカエターノが舞うクールネスがいいね。そしてアルバム『プレンダ・ミーニャ』は、あたかもそれとは正反対そうに思える熱情や祝祭感をも表現していて、どっちかというと、後者のほうがこのライヴ・アルバムでのカエターノ最大の目論見だったんじゃないかと思うんだよね。

それは CD 附属ブックレットに掲載されているステージ写真を一瞥するだけでもわかる。この「リーヴロ・ライヴ」と題されたツアー・メンバーではパーカッショニストが最も多い。同時に四名が演奏。さらに曲によっては息子のモレーノも参加して五名になったりする。

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対してジャキス・モレレンバウムの得意領域である管弦隊はというと、ホーンが三名だけ。あとはリズム・セクション、そしてギター&ヴォーカルのカエターノだけなんだよね。だから「リーヴロ・ライヴ」では打楽器群の華やかな躍動にこそフォーカスしていたというのは間違いないはず。

アルバム『プレンダ・ミーニャ』は、しかしスタジオ作『リーヴロ』に続く「リーヴロ・ライヴ」と題されていたものからとったにもかかわらず、それを収録したライヴ・アルバムに『リーヴロ』からやった曲はいっさい収録しないと明言されていた。僕の持つ CD で二曲それがあるのは、インターナショナル向けのものだからだ。いちばん上の Spotify にあるアルバムではそれらがないので、ブラジル盤をもとにしているってことなんだろうか。

念のため。Spotify にあるのは全18曲だけど、僕の持つ CD『プレンダ・ミーニャ』は全20曲。20のうち14曲目「オンジ・オ・リオ・エ・マイス・バイアーノ」と17曲目「ノン・エンシ」がブラジル盤にはない。つまりその二つが『リーヴロ』からの曲だ。しかし僕が今日書きたい内容からしたら、それら二曲が必要なんだよね。後述する。ブラジル人ならみんな知ってるあたりまえのことだから国内向けでは省いてもオーケーってことだったのかなあ。

以下はインターナショナル盤 CD『プレンダ・ミーニャ』に沿っての話。これは大まかに三つのパートに分かれている。1〜5曲目は序章みたいなもんかなあ。でも4曲目の「テラ」はアルバム中最も長い八分以上あるし、ドラマティックな展開を見せて、タブラが聴こえたりもし、ある意味クライマックスでもあるけれど、しかしそのもっと後ろを聴くと、あくまで序章のなかでのピークに過ぎないとわかる。

6〜11曲目はカエターノひとりでのギター弾き語りセクション。正確に言うと6トラック目は自著の朗読なんだけど(ブックレットに写真がある)、7〜11曲目はその自著朗読の内容に沿って選曲され進んでいるような展開にも聴こえる。でもこの6〜11曲目の弾き語りパートは、カエターノのライヴではおなじみのものだから、いまさらどうってことないような気がしないでもない。

やっぱり素晴らしいのは13〜20曲目の怒涛のアフロ・バイーア祝祭路線だ。バンドが戻ってきてのその前の12曲目「エッシ・カーラ」では、ふたたびジャキスがアレンジのギル・エヴァンズっぽいアンサンブルが聴こえ、カエターノがマイルズみたいに歌い、間奏でジャキスのチェロ・ソロがあったりする。この「エッシ・カーラ」はマリア・ベターニアのための曲で、女性が歌うべく書かれたもの。カエターノはそのまま<女歌>として歌っているのが似合っている。

がしかし13曲目の「ミエル(メル)」からリズムが躍動しはじめ、大勢のパーカッション隊が活躍するんだよね。この曲の間奏でトランペット・ソロがあって歌に戻りしばらくすると、カエターノはスペイン語にチェンジして歌うんだけど、そこはニュー・ヨーク・サルサの雄ウィリー・コローン・ヴァージョンの歌詞を使っている(と僕が聴解できているわけもなく、ブックレットの歌詞欄に名前がある)。この「ミエル(メル)」は、バイーアふうでもありサルサふうでもあって、なかなかおもしろいよね。

問題は、じゃなくてものすごいことになるのは、ブラジル盤になく Spotify にもない次の14曲目「オンジ・オ・リオ・エ・マイス・バイアーノ」だ。「リオがいちばんバイーアである場所」という意味のこの曲、まるでカーニヴァル・サンバのような感じに聴こえるよね。アルバム19曲目のマンゲイラ賛歌(1994年のカーニヴァルで本当に歌われた)がカエターノ、ベターニア、ジルベルト・ジル、ガル・コスタというバイーア四人組を称える内容だったのに対する返礼としてカエターノが自作したものなんだよね。

だからさ、上で書いたように、リオのカーニヴァルが日常である本国人にとっては説明不要なわけだし、『リーヴロ』収録曲だし、ライヴでやってもアルバムには収録せずとも問題ないだろうけれど、僕ら日本人には14曲目の「リオがバイーア」云々だとかいう曲が、『プレンダ・ミーニャ』を理解するのに必要なんじゃないかな。

ジャヴァンがやった15曲目「リーニャ・ド・エクアドール」を飛ばして、16曲目の「オダーラ」、17曲目の「ノン・エンシ」、18曲目「ア・ルス・ジ・チエタ」からは、もうとんでもないアフロ・バイーア・ファンクの連続攻撃に突入。これには耐えられない。腰が動いてしかたがなく、超快感だ。14「リオがバイーア」と違って、17「ノン・エンシ」のほうは、ブラジル盤にも収録してよかったんじゃないかなあ。どうして入っていないんだろう?

アルバム『プレンダ・ミーニャ』全体をとおしても、この16〜18曲目あたりが真の絶頂で、開放感と祝祭感に満ちあふれ、主に五人のパーカッション・アンサンブルがそれを華やかに表現している。上でブックレット掲載のステージ写真をご紹介したけれど、『プレンダ・ミーニャ』にも DVD がある。かつてはそれもよく観ていたんだけど、本当ににぎやかで楽しいんだよね。

このあとが、上述の19曲目、マンゲイラ賛歌の「アトラス・ダ・ヴェルジ・イ・ローザ・ソ・ノン・ヴァイ・ケン・ジャ・モレウ」になる。緑とバラで象徴されるこのエスコーラが、実際にサンバ・カーニヴァルで歌った曲で、カエターノ作じゃないが、アルバム『プレンダ・ミーニャ』の意図を鮮明にすべくクライマックス的に収録してあるんだろう。つまり、お祭り騒ぎ、祝祭の時間と空間。演奏だっていかにもカーニヴァル・サンバふう、というかそのまんまだ。

次のアルバム・ラスト20曲目「ヴィーダ・ボーア」はバイーアのカーニヴァル・ナンバーで、アルマンジーニョらが書いたもの。19曲目までのリオのカーニヴァルのものとはノリというかグルーヴが違っているのもおもしろい。後半部の打楽器オンリーのアンサンブル・パートはマジでものすごいね。そのまま終わるんだけど、リオのサンバ(や音楽)はルーツがバイーアにあるんだとカエターノは指し示し、アフロ・バイーアの祝祭である『プレンダ・ミーニャ』は幕を閉じる。

2018/03/30

マイルズと公民権運動 〜『’フォー’&モア』の真実

1964年2月12日のニュー・ヨークはリンカーン・センターにあるフィルハーモニック・ホールのステージに立ったマイルズ・デイヴィス・クインテット。2セットで計13曲14トラック(クロージング・テーマが二回)やったなかから、当時、二枚のレコードが発売された。発売順に1965年5月の『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』、翌66年1月の『’フォー’&モア』。

この二枚に分けた目論見は当時からみんな知っていることなので書くことはない。スロー・バラード中心の『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』のほうではあまり聴けないと思うんだけど、ファスト・ナンバー中心の『’フォー’&モア』にはかなり猛々しいようなフィーリングがあるよね。これもみなさんご存知のとおり。

『’フォー’&モア』のあの猛々しさやパワー、英単語の fierce っていうのがピッタリ来るあの感じを、たんに純音楽的なものだと考えてはいけないのかもしれない。あれには社会時代背景があるんだ。1964年2月のパフォーマンスであることを踏まえれば、もうだいたいのかたが想像できるはず。そう、公民権運動の真っ只中、ちょうどその熱がピークに達していたあたりでのライヴ・コンサートだったんだよね。

マイルズがふだん政治や社会やいわゆる black lives matter にさほど深い関心がないかのように音楽にのめり込んでいたのは、表面的にそう装っていただけで、もちろん黒人差別を我が身で体験している。1959年夏のバードランド殴打事件なんかが最有名かな。休憩に出たクラブのすぐ外で、白人警官に、なんの理由もなく警棒で頭を殴られて激しく出血、病院行きとなり、裁判で最終的に勝利するまで二年かかっている。

こんなのは氷山のほんの一角で、あの世代のアメリカ黒人ならみんな体験していたことだ。ある時期以後は音楽内容そのものや、曲題、アルバム題などでも<直截的に>人権意識高揚や差別問題告発などをやるようになったマイルズだけど、1960年代末ごろにソウルやファンク・ミュージックに接近するまでは、あんなに音楽的に直截ってことはあまりなかったのだ。一部例外を除き。

その例外が『’フォー’&モア』(と『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』も入れるべきか?)なんだよね。この1964年2月12日の2セットのコンサートは、忘れられつつあるが、マイルズによるベネフィット・コンサートだったんだよね。もちろん公民権運動を支持し、それを推し進める団体とその活動に資金供与するための慈善活動として行われたコンサートだったんだよ。

正確には主催者側がマイルズに話を持ちかけて、この黒人音楽家が了承したベネフィット・コンサートだった。だいたい(当時の名称)フィルハーモニック・ホールはリンカーン・センター内にあるよね。これはマンハッタンのリンカーン・スクエアに建設されたのが直接の命名由来だけど、そもそもそのリンカーン・スクエアが、あのエイブラハム・リンカーンにちなんで付けられた名前だ。

1964年2月12日のマイルズ・バンドによるフィルハーモニック・ホール公演は、NAACP(National Association for the Advancement of Colored People 黒人地位向上協会)、CORE(Congress of Racial Equality 人権平等会議)、SNCC(Student Nonviolent Coordinating Committee 学生非暴力調整委員会)の三団体が共同でやっていた、ルイジアナとミシシッピの黒人有権者登録を推し進めるための基金活動への資金供与が目的だったんだよね。

あの日のフィルハーモニック・ホール公演、場所も場所だけにチケットも高額で、一枚(当時の金額で)50ドルもしたらしい。だから本来だったらマイルズと四人のバンド・メンに支払われる報酬も悪くなかったんだろうと思うんだけど、企画に賛同したマイルズはその報酬全額(つまり、1964年だから、かなりの額)を上記基金へ寄付すると決め、なんと四人のサイド・メンにも同じことを要求した。

要求というか、そもそもボスがその権利を握っていわけだから、四人はなにも言えなかったはずだ。しかもですよ、マイルズ本人は寄付することをあらかじめ了承した上でコンサート出演をオーケーしたのだが、ほかの四人は、当日会場に到着してはじめて報酬が与えられないと告げられた。

これで、ステージに上がる前にマイルズと四人のサイド・メンのあいだで一悶着、どころか大喧嘩があったそうだ。そりゃあそうだよね。ボスはすでに大物だから問題なかったかもしれないが、ジョージ・コールマン、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズは、まだデビューして年月の経っていない新人の部類だったから、仕事の量も報酬もそんなに大きなものじゃなかったはず。

だからフィルハーモニック・ホールみたいな超大舞台でやれるとなったら、お金もたくさんもらえるんじゃないかと期待した可能性が高いと思う。それなのに、マイルズは部下には一言も告げず了解も得ずに、五人全員の寄付行為を決めてしまったんだよね。このことを当日の会場に到着してからサイド・メンに告げて、さらに、この条件を飲まないと自分のバンドにはいられないぞと迫った。

全員がもう会場に到着していて開演が間近なんだから、拒否したらコンサート開催じたいが危ぶまれることになってしまう。ボスの顔を潰さないためにも(あるいは公民権運動をサポートしたい考えに共鳴もして?)四人はおそらく泣く泣く了解し、フィルハーモニック・ホールのステージに上がったんじゃないかなあ。内心、怒ってんだぜ、マイルズ、コノヤロー!金くれー!と思っていたかもしれないよ。

想像するに、アルバム『’フォー’&モア』で聴ける急速テンポの曲にあるあの獰猛感、スリル、強い緊張感、丁々発止のやりとり、そういったものの大きな部分が、このマイルズの報酬寄付行為と、開演直前になってそれを強要されたバンド・メンのあいだに飛び交った(かもしれない)fierce なメンタリティに起因するんじゃないのかと思う。

1964年2月12日の2セットから急速ナンバーばかりをピック・アップして並べたアルバム『’フォー’&モア』の、あの荒れ狂ったようなハードな演奏には、そういった演奏者たちの内心から湧き出た、それでもやっぱり音楽そのものの持つパワフルさがあるじゃないか。公民権運動の真っ只中で、黒人たちが拳を突き上げて「われわれは立ち上がる!」と強く叫んでいる、あのフィーリングが、「ソー・ワット」にも「ウォーキン」にも「フォー」にもある。

特に「フォー」だよなあ。レコードだと B 面トップだったこの曲、プレスティジ時代に二度スタジオ録音していて、二回目のほうはファースト・レギュラー・クインテットによるもの(『ワーキン』収録)だが、この日のライヴ・ヴァージョンは、もっとずっと強く激しい高揚感に満ちている。ある意味、マイルズのアルバム『’フォー’&モア』における公民権運動サポートのシグネチャーに聴こえるよなあ。

だから、レコード発売時にプロデューサーのテオ・マセロや会社コロンビアも、「フォー」をアルバム題に出して、『’フォー’とその他』というタイトルにしたんじゃないかと、僕は2018年になっていまごろようやく気づいたんだけど、こんなに鈍感なのって僕だけなんだよね、きっと(^_^;)。

ちなみに、マイルズ・クインテット、1964年2月12日のフィルハーモニック・ホール・コンサートをフル・セットでプレイリストにしておいたので、興味のあるかたはご参照あれ。これは CD だと2004年リリースの七枚組ボックスでしか聴けない。

2018/03/29

ベアズヴィルのボビー・チャールズ

2011年リリースの日本盤紙ジャケ CD で持っているボビー・チャールズのベアズヴィル盤『ボビー・チャールズ』(1972)。ザ・バンドのサウンドにあまりにも似ているよなあ思って聴いていたら、これ、ロビー・ロバートスンを除くザ・バンドの全員が参加しているのか。いまはじめて知った(^_^;)。だれがどこで演奏しているのか、まったく記載がないもんなあ。

『ボビー・チャールズ』では、実際、パーソネルの詳細が判明していないようだ。ギタリストを除くザ・バンドの面々が参加していると知りネットを漁ってみたものの、やはり正確な情報は見つからない。諸々突き合わせると、ヴォーカルはもちろんボビーで、いっしょにプロデュースもやっているリック・ダンコがベースも弾いているはず。プロデュースにはジョン・サイモンも参加しているので、このピアノもそうかなあ。

でもドクター・ジョンが参加しているらしいよ。リチャード・マニュエルも。どこまでがジョン・サイモンでどれがドクター・ジョンでどこがリチャードなのか、僕には聴解できない。ドラムスはやっぱりリヴォン・ヘルムか。オルガンとアコーディオンもガース・ハドスンだね。ガースは間違いなく彼のサウンドだと僕でもわかる。でもオルガンはドクター・ジョンも弾いているのかなあ?

ベン・キース、エイモス・ギャレット、ジェフ・マルダーらも参加しているとのことで、まあエイモスはスタイルが判別しやすいギタリストなので、これもわかる。ソロらしきソロはないものの、ボビーのヴォーカルにからむオブリガートでいかにもエイモス節だというのが聴ける。三曲目「アイ・マスト・イン・ア・グッド・プレイス・ナウ」とか十曲目「テネシー・ブルーズ」とか。

またアルト・サックスが八曲目「グロウ・トゥー・オールド」で聴こえるが、どうやらデイヴッド・サンボーンらしい。本当に彼だとしたら、まだぜんぜん無名時代だよなあ。でもそう言われて聴きなおすと、たしかにアルト・フレイジングのすすりあげかたがサンボーンっぽいスタイルだね。

ドクター・ジョンやデイヴィッド・サンボーンの参加がどう関係あるのか、僕は無知にしてわからないが、アルバム『ボビー・チャールズ』は、ご存知ないかたもここまで書いてきたことでおわかりのように、いわゆるウッドストック・サウンドど真ん中みたいな音楽で、実際、ボビーがアルバート・グロスマンと出会ったことで誕生した作品みたい。グロスマンはベアズヴィル・レコードのオーナーで、ウッドストック・ムーヴメントの元締めのような存在。

1971年末にアルバム『ボビー・チャールズ』を録音し、翌72年に発売したあと、アルバート・グロスマンとボビーは別れてしまい、またベアズヴィルの配給元だったワーナーもそれをやめてしまったので、結局ボビーにとっては『ボビー・チャールズ』一枚だけが(ほんのいっときの)奇跡の宝石のような、はかない輝きを放つ結果となっている。

とはいえ、ボビー自身はもちろんそのずっと前から音楽活動をやっていて、この人はそもそもルイジアナ州の出身で、自ら歌うだけでなく、ルイジアナや同州ニュー・オーリンズの黒人歌手に曲を提供したりもして、白人にして(それなのにチェスと契約したりもした)重要なニュー・オーリンズ R&B の俊英みたいな存在だった。

だからニュー・ヨーク州ウッドストックに来て、1960年代末〜70年代初頭のウッドストック・サウンド、すなわち(米南部を中心とする)カントリー、ブルーズ、リズム&ブルーズ、ゴスペルなど、アメリカン・ミュージックの根幹を見直して再評価し、ふたたび取り込んでかみくだき、白人ロッカーたちの滋養とする動きに、ボビー・チャールズがピッタリはまったのは納得だ。

アルバム『ボビー・チャールズ』では、三曲目「アイ・マスト・イン・ア・グッド・プレイス・ナウ」、六曲目「スモール・タウン・トーク」、十曲目「テネシー・ブルーズ」の三つが特に素晴らしいなあと僕は思うんだ。特に「テネシー・ブルーズ」はルイジアナ・サウンドそのもの。ガース・ハドスンだろう、アコーディオンの音が、まさにケイジャン・スワンピー。テネシーなどと言いながら、曲も湿地帯の香りプンプンで、大好き。

2018/03/28

人間の声ってこんなにすごいんだぜ 〜 入門ゴスペル・サウンド

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ジャケット・デザインがこんなうっす〜い感じだから、中身のものすごさが伝わっていない気がするゴスペル入門のアンソロジーでは最高のものの一つ『ザ・ゴスペル・サウンド・オヴ・スピリット・フィール』。CD は1991年リリースだが、LP が何年のものかわからない。編者はかのアンソニー・ヘイルバットだ。つまり、著書『ゴスペル・サウンド』で有名な人だけど、その音教材ってことなんだろうか?
いや、ホントこれ、もっとこうパンチの効いた強力なジャケット・デザインにしていれば、もっと知名度が上がったはずだと思うんだけどね。中身は文句なしに素晴らしくパワフルなんだから。僕だって1990年代初期にどこかの CD ショップ店頭で見て、う〜ん、これはなんだろう?あんまり買う気になれないなと感じつつレジに持っていって、帰って聴いて、ブッ飛んだよ。

なんたってまずオープニングのシスター・ロゼッタ・サープ「99 1/2」(1949)!とんでもなくスウィンギー!いや、強力にドライヴしていて、その快感に抗うことなど不可能だ。どうです、この声!冒頭から聴こえるピアノと、ロゼッタと一体化してからみあっている女性ヴォーカリストは母、ケイティ・ベル・ヌビン。いや〜、こりゃあ〜、すごいねぇ!
自分のなかにイヤなことやつらいことがあっても、このシスター・ロゼッタ・サープ娘母の「99 1/2」を聴くと、そんなもん、ぜんぶ吹っ飛んでいってしまうっていう、そんな歌だよね。そういうのがまさにゴスペル・ソング、すなわち宗教歌の果たす役割、もららす効果じゃないかな。僕はいつもこれを聴いて腰や膝や手が動き、それで癒されている。

CD アンソロジー『ザ・ゴスペル・サウンド・オヴ・スピリット・フィール』にはもう一つ、五曲目にもシスター・ロゼッタ・サープの「キャント・ノー・グレイヴ・ホールド・マイ・バディ・ダウン」(1947)も収録されている。ちょっとテンポ・ダウンしただけの「99 1/2」みたいなもんで、ほぼ似たパターンだ。

シスター・ロゼッタ・サープの本質は伝統的なギター・エヴァンジェリストなんだけど、女性でギターを弾きながらゴスペルを歌う存在はやはり珍しかった。この人の弾くギターには飛ぶように軽快なスウィング感もあって、しかしヴォーカルのほうには強い粘り気とパワー、そして(世俗の)色気が漂っている。

それなもんだから、たぶん彼女自身の意向でもあっただろうけれど、1930〜40年代の(ジャンプ系)ジャズ・バンドがしばしばシスター・ロゼッタ・サープと共演し、公式録音も多く残っているよね。ある意味、ロックンロールの祖母ともいうべき存在なんだよね。ラッキー・ミリンダー楽団も、それからキャブ・キャロウェイ楽団も彼女と共演した。

そんなキャブ・キャロウェイは、アルバム『ザ・ゴスペル・サウンド・オヴ・スピリット・フィール』の13曲目「ブレスト・アシュアランス」(1951)を歌うマダム・エミリー・ブラムをスカウトしようとしたらしい。エミリーが断ったそうだ。ネットでこのサヴォイ録音が見つからないが、なんというパワフルで威厳に満ちた声なのか。俗なセクシーさがプンプン香るシスター・ロゼッタ・サープと違って崇高さに満ちているが、そのピュアさゆえにかえってダーティな美しさをも獲得しているかのようだ。

アルバム『ザ・ゴスペル・サウンド・オヴ・スピリット・フィール』に収録されている歌手たちのなかでゴスペルの代名詞的な最有名人は、3、9曲目と二つ収録されているマヘリア・ジャクスンに違いない。1947年と50年のアポロ録音で、いずれもソロで歌う。力強く声を張る部分とデリケートさと、隅々にまで配慮が行き届いた、一つの宇宙とも言うべき歌唱だ。

「アイ・ゲイヴ・アップ・エヴリシング」https://www.youtube.com/watch?v=ZoeY8AxjI4M

ソロ・シンガーでいうと、このアンソロジー収録のうち、7曲目「ウィ・シャル・ウォーク・スルー・ザ・ヴァリー」(1948)、19「アイ・サンキュー・ロード」(1957)のアーネスティン・ワシントンは重くきしむような声質で、聴いている部屋の空気がビリビリ震え、大きな存在感を見せつける。
ところで、上の動画のうち、教会のマス・クワイアの入るライヴ録音の後者「アイ・サンキュー・ロード」の説明文に "Church Of God In Christ"とあるでしょ。これは略称 COGIC というホーリネス系教会のことで、上のシスター・ロゼッタ・サープもそうなんだよね。アルバムの11、25曲目のシスター・ジェシー・メエ・レンフォも COGIC 系だ。

アルバム『ザ・ゴスペル・サウンド・オヴ・スピリット・フィール』収録のソロ・シンガー。15、17曲目と二つ収録のクラーラ・ワード、21、27曲目と二つ収録のメアリオン・ウィリアムズも素晴らしいが、ことに17曲目、マリー・ナイト(メアリーじゃないはず)の「キャーヴァリー」(1953)が相当おもしろい。
このネット動画ではシスター・ロゼッタ・サープの名があって写真もツー・ショットだが、たしかにデュオで人気だったけれど、この「キャーヴァリー」はロゼッタと関係ないんだ。誤解を招きやすいなあ。それはいいとしておもしろいのは、この曲、ラテン・ゴスペルなんだよね。はっきりいえばタンゴだ。エコーも深めにかかっていて、かなりエキゾティックな雰囲気。聖なる空気感からやや遠い。ただのいち音楽ファンである僕には楽しいだけ。

カルテット・スタイルのものや、ゴスペル・シンガーズ、マス・クワイアなどなど、このアンソロジー『ザ・ゴスペル・サウンド・オヴ・スピリット・フィール』に収録されているほかのゴスペル歌唱について述べる余裕が少なくなった。カルテットなら、4曲目「カナン」(1947)のソウル・スターラーズも絶品。R・H・ハリス時代のもので、ハリスのなめらかで自在な表現が聴ける。
14、26曲目と二つ収録のディキシー・ハミングバーズ、16、22曲目とこれまた二つ収録のセンセイショナル・ナイティンゲイルズ、いずれもモダン・カルテットの名門。10曲目のスピリット・オヴ・メンフィスも18曲目のフェアフィールド・フォーもそうだ。なかでもディキシー・ハミングバーズの14曲目「プレイヤー・ウィール」(1953)でリードをとるアイラ・タッカーのブルージーさとリズム感は抜群。
クワイアものは、アルバム収録のなかから一つ、音源だけご紹介しておこう。二曲目「ルック・フォー・ミー・イン・ヘヴン」(1948)をやるロス・アンジェルスの聖ポール・バプティスト教会クワイア。リードはプロフェッサー・アール・ハイン。これは当時のラジオ放送音源のようだ。そりゃそうだよね、ゴスペルだもん、ラジオ・チャンネルがあって、よく流すものだ。

2018/03/27

君のともだち

マイケル・ジャクスンがモータウン時代に歌ったヴァージョンがいちばん好きな「君のともだち」(You’ve Got A Friend)。キャロル・キングのこの曲は、ジェイムズ・テイラーが歌ったものがヒットしたというのは周知の事実だが、そもそもこの曲の誕生の経緯がテイラーに関係するものだったとは、つい最近知ったばかり。

そのあたり、この「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」という曲誕生のいきさつや由来、キャロルがいったいどういうわけでこれを書いたのかなどは、ネットで調べればわかるので、英語だけど簡単なものだから読めるはず。ご存知なかったかたはぜひご一読いただきたい。要はキャロル・キングとジェイムズ・テイラーの両ヴァージョンは不可分一体だってことみたいだ。

それにしてもオリジナルであるはずのキャロル・キング『タペストリー』の録音も1971年、ジェイムズ・テイラーのアルバム『マッド・スライド・スリム・アンド・ザ・ブルー・ホライズン』も同年録音で、どっちも1〜2月のスタジオ・ワーク。発売は前者のほうが一ヶ月ほど早いけれど(二月)、製作時期はほぼ同時進行みたいなものだったよなあ。もっと細かいデータがないかネットで探してみたけれど、僕は見つけられなかった。

キャロル・キングの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド 」もシングル発売されたものの、なんといってもビッグ・ヒットになったのは1971年4月発売のジェイムズ・テイラーのシングルのほうだ。ビルボードのポップ・チャート首位。そのおかげで、キャロルもグラミーのソング・オヴ・ジ・イヤーを受賞できた。

ジェイムズ・テイラー・ヴァージョンは、キャロル・キングのものとはかなり雰囲気が違っている。後者はもちろんピアノ中心、前者はアクースティック・ギター中心というのはあたりまえだが、テイラー・ヴァージョンは歌詞もすこし変えている。ドラマーは控えめで、打楽器はコンガの音のほうが目立つ(同じラス・カンケルの演奏)。そのコンガ・サウンドがかなりおもしろいよね。

コンガと、ジェイムズ・テイラー&ダニー・クーチマー二名のアクースティック・ギターと、このトリオ・アンサンブルのサウンドに、僕は、僕だけでしょうけれども、ちょっとしたほんのりラテン・タッチを感じる…、んですけど、ホント、僕だけですかぁ〜?特にコンガだ。コンガだからラテンだとか言っているんじゃない。リズムがシンコペイトして、やや跳ねている、ような気がする。

ジェイムズ・テイラーの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」にラテン・タッチがある、そしてほんわかファンキーだとか、こんなこと言うやつは世間で僕だけかもしれない。ラテン・ミュージックが好きで聴きすぎで、耳がおかしくなっているんだろう。でもさぁ、ラテン好きの音楽ファンのみなさん、一度じっくりジェイムズ・テイラー・ヴァージョンの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を聴きなおしていただけませんか。

そんなおもしろい部分を個人的には感じるジェイムズ・テイラーの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」。もちろん直接的にはテイラーの私生活に即した曲をキャロル・キングが書き、自分にはだれもいないと落ち込む彼の孤独感を少しでも癒そうとしてできあがった曲みたいだから、淡々と静かに心情を綴り、優しく寄り添うような曲に違いない。たしかにそんな曲調だし、メロディも伴奏サウンドもそう。

そんなキャロル・キングとジェイムズ・テイラーが、1971年当時ライヴで共演してこの曲をやったものがあるよね。以前も触れたキャロルのカーネギー・ライヴである『ザ・カーネギー・ホール・コンサート - ジューン、18、1971』。発売は1996年だった。六月というと、テイラー・ヴァージョンのシングル盤が大ヒットのさなかだったはず。

音楽的には、そのカーネギー・ライヴでの二名の共演による「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」が、そんなにすごくおもしろいとは思えない。この曲にかかわって密接だったこの二人の、しかも1971年6月というホットな時点でのライヴ共演ヴァージョンで、心の交流がサウンドにも出ているなと感じるのが素晴らしいけれど、サウンドやリズム・ニュアンスのおもしろさは薄いよなあ。

その後のいろんな歌手のカヴァーによる「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、僕はそんなにたくさん聴いてなくて、いちばん上で書いたマイケル・ジャクスンのと、二種類のダニー・ハサウェイ・ヴァージョンと、アリーサ・フランクリンがゴスペル・ライヴで宗教曲化して歌っているのと、それらだけだ。

そんななかでは、ロバータ・フラックとの共演でのスタジオ録音と単独でのライヴ録音の二種類があるダニー・ハサウェイのヴァージョンは、きわめてキャロル・キングのオリジナルに近い。同じ鍵盤楽器奏者だから、ピアノとフェンダー・ローズの違いはあっても、似たようなサウンドになるという面もあるんだろう。

でもそれだけじゃない。それ以上に、キャロル・キングとダニー・ハサウェイはかなり似た資質の音楽家なんだろうと思える、聴こえるんだよね。二人ともプライヴェイトやそれにまつわる諸事を淡々と綴る1970年代初期のシンガー・ソングライターだという点で共通している。ダニーはいわゆるニュー・ソウル・ムーヴメントのなかに位置付けられるけれど、でもたとえばあのころのマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーなどとはちょっと印象が違うよね。

ダニー・ハサウェイは、むろん社会派な面も音楽的にあるけれど、もっとこう、グッと卑近な日常に接して寄り添っているような気がする。ダニー自身がどんな人だったのか知らないが、少なくとも音楽的には、聴き手の私生活にソフト・タッチでそっと近づきやさしく語りかけるような、そんなニュアンスをあのサウンドやヴォーカル・トーン、歌いかた、フェンダー・ローズの弾きかたに僕は感じる。

そんな資質だからこそダニーは、キャロル・キングの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」やジョン・レノンの「ジェラス・ガイ」などをあんなにいい感じで弾き語ることができたんだと思うんだけどね。「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」は、スタジオ録音ヴァージョンだとロバータ・フラックと二人での男女の友情を綴ったようなフィーリングだけど、『ライヴ』ヴァージョンでは後半部が観客のマス・クワイアになって、大きな連帯を表明しているかのようになっている。

ジェイムズ・テイラー・ヴァージョンはリズムがシンコペイト気味でラテンふうだと書いたけれど、それを引き継いでいるのがマイケル・ジャクスンのヴァージョンだ。1972年1月発売のモータウン盤アルバム『ガット・トゥ・ビー・ゼア』収録。意外なことにシングル・カットされていない。正確な録音時期もわからない。

このマイケルの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」のサウンドとリズムがかなりいいよね。チャーミングだ。もちろんピュアな天使が、困って、弱っているのなら僕の名前を呼んで、すぐに行くから、と歌うあの声がいちばん素晴らしいものなんだけど、サウンド面では特にリズム、なかでもエレベがいいなあ。かなり跳ねてシンコペイトしている。

マイケルだけじゃなくてモータウン音源のばあいよくあるけれど、演奏パーソネルがわからない。だからマイケルの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」の、あの強力に跳ねるエレベをだれが弾いているのか不明なのが悔しい。カッコイイのになあ。さらにかなりいいサウンドだと思うストリングス・アンサンブルをだれが書いたのかもわからないよなあ。知りた〜い!ストリングス・リフ反復がこんなにファンキーに聴こえるなんて、P ファンクを除き、ほかにあるのだろうか?

僕の持つ「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」のうち、残すは強烈なゴスペル・ソングと化しているアリーサ・フランクリンの1972年1月の教会でのライヴ『アメイジング・グレイス』ヴァージョン。これについては以前、僕なりにちゃんと書いたつもりなので、以下をお読みいただきたい。感動的です。

2018/03/26

音楽は「みんな」のものだ 〜 ネット聴きについて

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4月21日にある事実を確認できたら、同じ意味のことをもう一度書くつもりです。

ああいった複数のかたがたの考えかたは、一見、反対方向を向いているかのようでいて、僕から言わせてもらえれば、同じだ。つまり、音楽は一般庶民を含むみんなのものじゃない、限られた特定少数のマニアックな愛好家のためのものだというお考えなのかもしれない。大衆音楽を扱っているはずなのに、ちょっとおかしいような気がする。

もともとのありようが一部特権階級の楽しみのために作曲、演奏されたものである近代西洋音楽(クラシック音楽)と違って、ポピュラー・ミュージックはあくまで一般大衆のもの、みんなのものとして誕生し、いままで来た。「みんな」と僕が言うときには、そこに大金持ちも中流層も貧乏庶民も、一文無しのホームレスも、音楽を聴く気持ちと手段があるひとならば文字どおり全員を含めたい。

生演唱をその場で体験するというのは、やはりむかしもいまもスペシャルな体験だ。コンサート・ホールなりライヴ・ハウスなりレコード・ショップ店頭なり、とにかくどこかへ出かけていかないと聴けない(ばあいがほとんど)わけだから、それがなかなか可能にならないひとは日本中に、世界中に、いる。いまもいるぞ。僕だってそうだ。愛媛県大洲市で開催される音楽コンサートなんて、ない。

だからそういう生現場は非日常のものなんだ。僕にとってはね。たぶん多くのみなさんにとっても。しかし音楽を聴かないと生きていけないような人間にとって、音楽はいつでもどこででも常に触れていたいというものじゃないかなあ。少なくとも僕はそうだ。だから、ふだん聴くのは商品化された(されてなくても)録音物。

それは長らくレコードだった。19世紀末ごろの発明品で、20世紀に入ってから大規模産業化して、全世界でどんどん音楽レコードが流通するようになり消費された。大量消費される録音音楽商品という姿が、はたして音楽にとって幸せなのかどうかという問題は、今日はいったんおいておく。(多くのばあい)流通商品じゃないと、たくさん入手してふだんからどんどん聴くことはむずかしいんだから、この判断は保留するしかない。

音楽を文字どおりの日常の娯楽品として、まるで空気を吸う、水を飲むかのごとくどんどん取り込み呼吸したいという人間にとって、再生方法は簡便であればあるほどいいはず。そこはなるたけ可視化されないほうがいいんだ。本当に透明な空気のように、そこに音楽が鳴っていてほしい。僕は心の底から強くそう願い、実行しているつもり。

大金持ちではない一般庶民にとっては、そんな録音音楽商品をどんどん入手して聴きたいばあい、再生方法もなるべく簡便で透明であってほしいし、さらに購入単価は安ければ安いほどいい。そのほうがどんどんたくさん買って聴けるわけだから。そうすれば、未知の音楽に出会う可能性も上昇するじゃないか。

べつに音楽に限らず、衣料でも食品でもそのほかなんでもそうだけど、同じものを同じ質で同じ量だけ享受できるのであれば、その入手価格は安ければ安いほどいい、できうれば無料がいい。これが庶民感覚というものだ。安価だと、タダだと、あるいは簡便にすぎると、ありがたみが薄れる、なくなるというお考えのかたがいらっしゃるとすれば、それは貴族感覚だ。

録音音楽の販売、再生の歴史は、この簡便化、低価格化の一途をたどってきた。これは歴史の真実だから、いまさら変えられない。否定もできない。変えたい、否定したいならば、修正主義者と呼ばれる種類だ。蝋管、円盤型SP、EP、LP、CD と、この途をずっと歩んできているじゃないか。それがちょっと前からネット・ストリーミングになりつつあるだけだ。ダウンロード購入は CD とそんなに価格が変わらないばあいが多い(ときどきフィジカルより高価)ので、簡便な手段ではあるけれど、今日の話題の外におく。

ストリーミング再生で音楽を聴く。この種のサーヴィスはいくつかあって、最大手が Spotify かな。そのほか Apple Music や Amazon Music や、アラブ圏だと Anghami もある。僕が活用しているのは Spotify と Anghami なので、この二つだけで言うと、無制限利用するために支払う月額は、前者が980円、後者は500円。

980円か500円を支払うだけで、CD とまったく違わない音質で、しかも無制限に聴けるんだよ。サーヴィスで提供されれている音源ならば、いくらたくさん聴いてもこれ以上一円もかからない。980円か500円で、はたして LP や CD の新品をどれだけ買えるのか?考えてみてほしい。キリなくたくさん聴きたいばあい、どっちが経済的か?考えてみてほしい。

最近は CD をリリースせず、LP とネット(ダウンロード&ストリーミング)でだけしか販売しないというレーベルもある。ばあいによってはプラネット・イルンガみたいにアナログ・レコードしか生産、販売しないというところもあるんだが、なにか取り違えているような気がする。CD 生産よりも LP の限定生産のほうが経費がかからないから、CD 不況のいまの時代、しかたがないんだ、理解できるというかたもいらっしゃるんだけど、それだったらもっと経費がかからないはずのネット販売をどうしてやらない?

という疑問を、ある著名なアフリカ音楽愛好家のかたに Twitter で向けてみたら、関係ないツイートもしばらくピタリと止まってしまった。そのかたはプラネット・イルンガやハイヴ・マインドがおもしろい、楽しい、素晴らしいとおっしゃっていて、そのとき、僕がこないだ記事にしたモロッコのマアレム・マフムード・ガニアのレコード(ハイヴ・マインド)を聴いていらっしゃった。

マアレム・マフムード・ガニアのハイヴ・マインドはまだいい。LP だけじゃなくネット配信があるから、アナログ・レコードを再生するターンテーブルをいまや手放したままの僕でも問題なく聴けた。感じ悪いのはプラネット・イルンガだ。LP しか売ってないんだもんなあ。これって、いちばん上で書いた「音楽は一部のマニアックな愛好家だけのもの」であるという考えかた(=貴族意識、選民思想)にもとづいているんじゃないの?

大衆音楽なんだよ。一人でも多くの一般の大衆のところに届けなくていいの?一部のマニア(特権階級)の玩具みたいになるんだったら、ポピュラー・ミュージックの看板降ろしてくれよ。マジョリティは、アナログ・レコードの再生なんていまや方法すら知らないんだからさ。レコードがいい、おもしろいというのがブームだみたいに言われているのを、世間一般の主流であるかのように勘違いするなよな。

レコードだけじゃない。CD だっていまや再生方法を知らない、そもそも CD ってなに?そんなものがあるの?というひとたちが世間では増えているというのが事実。音楽はネットで(スマホにイヤフォンやヘッドフォンで)聴くものだとしか思っていない、というかそれ以外になにがあるの?わからない、という層がメイジャーになっているんだよね。

それをフィジカル愛好家が嘆いても、なにもはじまらない話だ。話が前へ向かない。たんにその状況を嘆き悲しんで、いっぽうでフィジカル愛を乱発するだけなら、それはたんなる後ろ向きのレトロ趣味じゃないかなあ。音楽の買いかた、聴きかたが時代錯誤なのに、音楽の中身だけは時代の最先端を追って、新しさ、進化を賞賛するなんて、逆立ちしているよね。

僕はべつに CD(や LP など)を聴くべきはないとか、手放せとか、これからはネット・ストリーミングで音楽を聴くべきだなどと、全員に向けて言っているんじゃない。そうじゃないんだ。僕だっていろんな理由で(たぶん最大のものは世代と、近年の現場体験の欠如と渇望感)今後もCD があるものは買える範囲でそれを書い続けると思う。たぶん、死ぬまで。

だけど、LP しか生産せずネット販売もなしのレーベルを賞賛したり、LP とネット販売だけのものは現実的選択肢としてネットで聴くしかないんだからそうしているのをヤイヤイ言われたりなんてのは、金輪際ごめんこうむりたい。ネット聴きと対比させるかたちでのフィジカル愛だなんて言葉もちょっとどうかと思う。

現実的に、あるいは全面的に、ネットでしか聴けないものは、ネットで聴けばいいじゃないか。それのどこが悪いんだ?どうして文句言われたり、「怒」なんて文字を向けられなくちゃいけないんだ?まるでこっちが犯罪行為でもはたらいているかのようじゃないか。繰り返すが僕は CD を買う。いまも買っている。これはみなさんよくご存知のはず。だけど、CD があっても買わずストリーミングで聴くひとたち、CD を買うための参考としてネットで試聴する人にだれも文句はつけられないはずだ。

安いんだし、音質も同じだし、Spotify だと月額980円(12ヶ月なら9800円と割安)の定額で何千万曲と無限に聴けるんだよ。ポピュラー・ミュージックは一般大衆のものなんだよ。そのなかには CD 一枚分もお金を出せない、食べるので精一杯だという貧困層もいるんだってことを忘れないでほしい。昨年12月、僕はあるかたに Spotify というサーヴィスがありますよと Twitter で紹介したんだけど、そのかたは無料期間で大いに楽しんで、それが終わるときに、翌月からの数百円の支払いが困難だと深刻に悩んでいらっしゃった(が、結局いまも支払ってお聴きらしい)。いわんや CD をや。

なんども言うようだけど、音楽好きのどんな状況下にあるどんな人間のところにも届けたい、不特定多数の一般大衆のもとへ届いてほしいという意思がないのなら、一部の特定少数にだけこの音楽商品のフィジカルは届けばいいんだという考えの音楽家やレーベルや、そういう考えを支持するリスナーのみなさんなら、ポピュラー・ミュージック愛好の看板を降ろす「べき」だと僕は思うね。フィジカルへのこだわりすぎは、もはや「ポピュラー」じゃないから。

2018/03/25

朝日のようにさわやか…、ですかこの曲?

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ジャズ・スタンダードとしてもお馴染みの「朝日のようにさわやかに」(Softly, As In A Morning Sunrise)。失恋を悔いる歌だって、知ってましたか?僕はついこないだまでまぁ〜ったく知らなかった(^_^;)。邦題に惑わされていたわけじゃないんだけど、でもなんだかさわやかな曲調じゃないよなあ、なんとなくのビターネスを感じるぞと思ってはいたのだけど。

この「朝日のようにさわやかに」、歌詞を歌っているヴァージョンをまったく聴いたことがなかったもんね。そもそもあるんだろうか?と思っていた…、なんてのはウソで、もちろんこの曲の出自を知ってはいたものの、歌入りヴァージョンを見かけなかったというのが事実だ。

歌入りヴァージョンを聴くと、この「朝日のようにさわやかに」という曲における「さわやか」とは、うんまあ “softly” だからさわやかっていうのはすこし違うよねとは思っていたけれど、歌をちゃんと聴いてみて、はじめて意味が理解できた。朝日が昇ったり夕日が沈んだりするときのようにそっとひそやかに、つまり目で見てはそうなったと変化が確認できないほどゆるやかに、愛がはじまったり終わったりするんだという…、つまりこんなビターネスはないっていうほどの歌だ。

だから “softly” が「さわやかに」となっている邦題はかなりミスリーディングだよね。あえて言えば「ひっそりと」「そっと静かに」とかのほうがいいなあ。説明的に言えば「すぐにそうとは気づかないけれど、いつの間にやらそうなった(愛が終わった)のが、しばらく経って確実にわかるかのように」ってことだ。朝日や夕日の昇降と同じく。

しかしジャズ楽器奏者の演奏ならかなり多いこの「朝日のようにさわやかに」、そんな内容を歌っているジャズ歌手は?というと、ほとんど見当たらないように思う。検索するとアビー・リンカーンのが見つかったけれど、マジでこの人だけじゃないの?ほかにだれかジャズ・シンガーは歌ってる?
しかしこれを聴いても、この曲のビターネスはよくわからないような気が、個人的にはする。モダン・ジャズのばあいは、歌手も演奏家もだいたいこうやって、甘いも苦いも酸っぱいも情緒を中和して、純(?)音楽的にやるというか、抽象化するというか、音楽表現として高度なのかどうかわからないが、それがいいなあと思ったり、う〜んイマイチだと感じたり。

じゃあ1928年のオペレッタ『ザ・ニュー・ムーン』で使われた曲なんだからと思って探しても、戦前のジャズ・シンガーやそれっぽいポップ・シンガーが「朝日のようにさわやかに」をやっているのは見つからなかった。不思議だ。ジャズ・インストルメンタル・ヴァージョンも、ほぼない。どうしてだろう?モダン・ジャズには楽器演奏ヴァージョンがあんなにあるのに。だれかのなにか、きっかけになるヴァージョンがあったのかもしれないよなあ。1938年にアーティ・ショー楽団のやったのがヒットしてからかなあ?
それで、と思って YouTube でうろついてみると、古いヴァージョンかつ歌入りで、曲「朝日のようにさわやかに」の、そんなゆるやかに変化したことにあとになって気が付いて(まあそうなっても、もはや失くなったんだから遅いということか)っていう苦味を表現しているのが、いくつか見つかった。

それらは、ぜんぶタンゴだ。知ってましたか?この「朝日のようにさわやかに」がもとはタンゴ楽曲だってことを?このことも僕はちっとも知らなかったよ。そもそも初出のオペレッタ『ザ・ニュー・ムーン』でタンゴとして紹介されたものなんだそうで、その後、いくつかタンゴ・ヴァージョンのレコードが出ているようだ。

オリジナル(がどんなのか聴けないわけだけど)に似たタンゴ・ヴァージョン「朝日のようにさわやかに」。歌入りだと、たとえばこんなの。何年録音かなあ?
インストルメンタル・ヴァージョンだと、こんなのもある。初出のオペレッタの翌1929年録音だ。
これもインスト。1947年となっているから戦後だけど、オールド・スタイルだ。
これらのヴァージョンだと、たしかにこの「朝日が昇るがごとく、そっとひそやかに」という曲がもともと持っているビターネスを噛みしめているような悔恨のフィーリングがよく伝わってくる。それで、繰り返しになるけれど、この曲がどんどん演奏、録音されるようになったモダン・ジャズ界にあるどんなヴァージョンも、それが伝わってこない。

もちろんこれは短調の曲だし、それを変えちゃうとちょっとあれだから、なんとなくのそんなフィーリングがあるようには思うんだけど、それはそれでいいんだ。それがモダン・ジャズの持ち味、特長、いいところなんだから。僕がいちばん好きなモダン・ジャズ・ヴァージョンの「朝日が昇るがごとく、そっとひそやかに」は、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)の解散コンサートを収録した二枚組レコード『ザ・ラスト・コンサート』(1974年録音)のものだった。
この演奏はこの1975年発売のレコードのオープニング・ナンバーなんだよね。これ、なかなかいいじゃん。もはや MJQ のことはなんとも思っていない僕だけど、たま〜〜っに聴くとわりといいなと感じる…、こともある。MJQ 自身、だいぶ前にスタジオ録音している曲だけど、このラスト・コンサート・ヴァージョンのほうがいいなあ。

ちなみに僕はこの MJQ の『ザ・ラスト・コンサート』、レコードは愛聴盤だったけれど、CD では買っていない。一曲目の「朝日が昇るがごとく、そっとひそやかに」がかなりよかったという記憶だけ持ち続けていて、YouTube で探してみただけだ。Spotify にもあるはずだが、フル・アルバムで聴きたい気分は、もはや、ない。

この MJQ ヴァージョンだと、邦題どおりの「さわやか」感があるような気がする。イントロ部とアウトロ部で、ジョン・ルイスお得意のバロック音楽ふうアレンジが施されているせいかもしれないが、テーマ演奏部、ミルト・ジャクスン、ジョン・ルイス二名のソロ部にも、悔恨を経てのなんだか割り切ったようなサッパリ感が漂っているような気がする。それでなのかどうか、大学生のころ、僕は好きだった。

そのほか、ソニー・ロリンズの例のヴィレッジ・ヴァンガード・ライヴ(1957年録音、58年発売)・ヴァージョンとか、ジョン・コルトレインの、これまたヴィレッジ・ヴァンガード・ライヴ(1961年録音、62年発売)とか、むかしもいまもわりと好き。特にロリンズ・ヴァージョンは、本テイクのほうのドラマーがエルヴィン・ジョーンズで、それもいいんだよね。コルトレインのもエルヴィンだけど、そっちでは意外にストレートな叩きかただ。
去年だったかな?買って聴いたフレモー&アソシエの三枚組『ジャマイカ・ジャズ 1931-1962』には、ピアニスト、セシル・ロイドがトリオ編成でやる「朝日が昇るがごとく、そっとひそやかに」がある。1958年のキングストン録音。ちょっとユーモラスでクールにスカしたような感じと、ややおどろおどろしい雰囲気が合体していて、かなりおもしろいよ。以下の YouTube にあるやつは、僕の持つ CD 収録ヴァージョンとすこしピッチが違うような気がするんだけど。でも同じやつだ。
最後に。この曲「朝日が昇るがごとく、そっとひそやかに」がちょっとモタモタしていてまどろっこしく、あまりおもしろくもないし、邦題みたいにさわやかでもないなあと感じていた最大の元凶は、ピアニスト、ソニー・クラークのブルー・ノートへのトリオ録音ヴァージョン(1957年録音、58年発売)なのだった。以前書いたように、やっぱりブルー・ノートのピアノの音は斬れ味が鈍いなあと思うんだけど、いま聴きかえすと、そのもっさり感のせいで原曲のビターネスがあると感じるから不思議。
1960年録音、61年発売のルー・ドナルドスン『サニー・サイド・アップ』にあるヴァージョンも淡々としていてなかなかいい。トランペットはビル・ハードマン。ピアノはホレス・パーラン。
マイルズ・デイヴィスも、例の1961年ブラックホーク・ライヴでやっているけれど、それはウィントン・ケリーのピアノをフィーチャーしたトリオ演奏で、マイルズはまったく吹いていない。ちょぴり似合いそうな気がするのに。

2018/03/24

オクシタン(&アラビアン)・スリル

“Sirventés” は古オック語で「シルヴェンテス」という音になるらしいので、オック語のことがぜんぜんわからない僕だけど、ネット情報にしたがって以下そのように表記したい。だからこのアルバム名は『シルヴェンテス』と書く。曲名もフランス語の綴りじゃないし、オック語なんだろうと思うけれど、そこまでぜんぶ発音を調べられないから、それらは原表記のままとする。

そのシルヴェンテスとは、いまのフランス南部、中世オクシタニアおける吟遊詩人(トゥルバドゥール)が古オック語で詠んだ抒情詩のいちジャンル名だ。南フランスはマルセイユの音楽シーンにおける大物マニュ・テロンは、そんなシルヴェンテスをとりあげて、現代ふうにアレンジし、自らの歌&ウード&パーカッションのトリオ編成で聴かせてくれた。

それがフランスのレーベル、アコール・クロワゼから2014年にリリースされたアルバム『シルヴェンテス』だ。名義は三人の共作というか、三名が連記されている。ヴォーカルのマニュ・テロン、ウードのグレゴリー・ダルジェント(Dargent)、パーカッションのユセフ・ビシッチ(Hbesich)。グレゴリーはアルジェリア、ユセフはパレスティナの出身らしいので、姓のカタカナ表記がこれでいいのかどうか、よくわからない。どなたか、ご指摘ください。

シルヴェンテスという中世オクシタニアにおける抒情詩がどんなものなのか?それはマニュ・テロン本人が書いた解説文に詳しくあるので、僕が説明などする必要はない。英訳も付いている。また『シルヴェンテス』は日本盤があるようなので(アコール・クロワゼ盤はぜんぶあるよね?)、日本語でも解説が読めるのかもしれない。

端的に言えば、古オック語で詠むオクシタニアにおけるトゥルバドゥールたちは、当初、恋愛関係などをあつかっていたらしいのだが、やがて政治的、社会的抑圧に対する反抗の歌を詠むようになったらしい。マニュ・テロンは後者、すなわちプロテスト・ソングの数々を、古オック語のままで歌っているそうだ。

「そうだ」というのは、聴いても古オック語の歌詞が僕には理解できない。CD 附属のブックレットに、古オック語、フランス語、英語の三ヶ国語で歌詞が掲載されているので、今回は英語とフランス語分をササッと読んでみた。それで、ああそうだなと納得できただけで、マニュの歌を聴いて理解できているわけじゃないから、歌詞を理解したとは言えない。

でもそれはアルバム『シルヴェンテス』を聴く世界の多くの音楽好きにとっても同じなんじゃないかなあ。歌詞の意味内容だけに寄りかかって音楽の意味を見出そうとすると、世界を狭めてしまう。言葉の意味を聴解できる音楽しか扱えないことになってしまうからだ。それじゃあさびしいよね。

だから僕は今日も歌声のトーンや、楽器の音色や、サウンドやリズムや、そういったものを聴いて考えて、アルバム『シルヴェンテス』の魅力を書いておきたい。そうなると、僕にとってのこのアルバムの美点とは、3ピース・バンドでのタイトかつソリッドでスピーディで鮮烈なグルーヴ感ということになる。

3ピース・バンドといっても、うち一つはヴォーカルなので、楽器はウードとパーカッションの二つだけ。どっちも多重録音されている可能性がある。少なくともパーカッション・サウンドはオーヴァー・ダブされて複数楽器が同時に鳴っている。あるいはもう一名パーカッショニストが参加しているのかもしれないが?(エティエンヌ・グルエル?)。

ウードは多重録音なしのグレゴリーの一発演奏かもしれない。でもときどき、低音部でまるでベースのようにリフを弾くと同時に中高音域でちょろっと聴こえるような気がするような…。勘違いかもしれない。そしてグレゴリーは、アルバム『シルヴェンテス』の音楽的中心となっているような気がするんだよね。

古オック語のシルヴェンテスをアダプトしたのはあくまでマニュ・テロンだけど、それを現代的な音楽としてアレンジした音楽監督的役割をグレゴリーが果たしているのかもしれない。できあがりのアルバム全体のサウンドを聴くと、そんな気がするんだけどね。どう聴いても演奏のリーダーシップをグレゴリーのウードが握って進行しているしね。

アルバム『シルヴェンテス』のなかには、ミドル・テンポでゆっくり進む、あるいはよどむかのようなリズムで演奏されるものもある。四曲目「Farai un vers de dreit nien」、五曲目「S'anc fui bela ni prezada」、六曲目「Non m'agrada inverns ni pascors」、九曲目「Per espassar l'ira e la dolor」はそうだ。

このアルバムは全十曲とはいえ、そのうち二つは次の曲への導入、前奏なので、実質的には八曲。だからゆったりしたミドル・テンポのものと、疾走感にあふれるスピーディなものとがちょうど半分づつ混じっていることになる。上の段落で書いたゆったりナンバー四曲のうち、六曲目の「Non m'agrada inverns ni pascors」はかなりの聴きものだ。

マニュの(ほぼ)ア・カペラ歌唱がしばらく続き、そこは、まあアルバム全体でそうだけど、強い張りのある堂々とした発声で、まるでヌスラット・ファテ・アリ・ハーン(パキスタン)やアリム・ガスモフ(アゼルバイジャン)を彷彿とさせる見事なもの。かなり強靭、強烈なんだよね。

そして徐々にグレゴリーのウードが目立ちはじめ、だんだんと主導感を握り、中盤の四分半すぎあたりからウードとパーカッションの即興デュオ演奏になる。そうなってからのグレゴリーのウード演奏が本当に素晴らしい。陰影が深く、厳しいリリカルさがある。アルバム『シルヴェンテス』の音楽としての真のハードさを、こんなところにも僕は感じる。

これら以外の四曲は疾走感あふれるアップ・テンポのソリッド・グルーヴ・ナンバーだ。それらで聴けるドライヴ感はものすごい。トリオ編成の3ピース・サウンドということもあってか、僕はジミ・ヘンドリクスのバンドなどを思い浮かべるんだよね。マニュら三名の『シルヴェンテス』でジミヘンやクリームなどのハード・ロックを連想するのはヘンかもしれないが、ちょっと似ているような気がするんだなあ。

なんど聴いてもすごいと僕がシビレるのが、アルバム・ラスト十曲目「Un sirventés novel vuelh comensar」だ。冒頭からウードがロックにおけるエレベのように低音リフをぶんぶん演奏し、同時にパーカッションが刻んで、二人で超絶グルーヴィ!0:13 におけるパーカッションのおかずが、まるでロック・ドラマーの演奏するフィル・インそっくりで、そのフィル・インが入ったと同時にマニュが歌いはじめる。

その瞬間のスリルたるや!本当に鳥肌が立つんだよね。カッコイイ〜!音楽を聴いてこんなにゾクゾクする体験も、僕のばあい、そんなにたくさんはない。しかも間奏のウード・ソロは、なにかエレクトリック(or エレクトロニック)なエフェクトを使って音を歪めてある。ウードでのそんなエフェクトは聴いたことがない。最高に気持ちいいよなあ。

2018/03/23

カエターノ越しのマイルズとジョアン 〜 『クワイエット・ナイツ』

フル・アルバムとしては(といってもオリジナル・レコードは合計26分程度しかないから片面相当なんだけど)マイルズ・デイヴィスとギル・エヴァンスのはっきりクレジットされているコラボレイション最終作『クワイエット・ナイツ』。現行 CD などでは末尾におまけとして「ザ・タイム・オヴ・ザ・バラクーダズ」が収録されているが、なんの関係もないので外そう。これがなんなのかは、以前詳述した。
さらにオリジナル収録分でラストの「サマー・ナイト」も関係ないので外すことにする。この一曲はマイルズが新クインテットを結成する直前に、ヴィクター・フェルドマンらとハリウッドで録音したセッションからのアウトテイクで、つまりアルバム『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』の半分と同じときのものだ。ギルはまったく関わっていない。

となると1962年7〜11月にかけてマイルズとギルのコラボでやった<オリジナル>の『クワイエット・ナイツ』分は、全六曲でトータル再生時間21分しかない。マイルズもギルもこれはリリースされるべきではなかったものだと発言しているし、1964年にテオ・マセロが無断で発売したことにマイルズは立腹し、66年10月(『マイルズ・スマイルズ』の録音セッション)まで口を利かなかったそうだ。

だけど、そのたった21分間の『クワイエット・ナイツ』は、なかなか興味深い。音楽は創りだす音楽家、製作者の意図、意思とは関係なく自律するものだ。音楽じたいは音楽家の手にすら負えないものだと思うんだよね。『クワイエット・ナイツ』はなんとなく(なんちゃって)ボサ・ノーヴァふうのムード、ぬるめのお湯につかっているような心地よいムード・ミュージックで、その点だけでもいい感じで楽しめるんだけど、それだけじゃない。あっ、そういえば以前ムード・ミュージックそのものに否定的なことを言う人もいたなあ。アホかいな。

アルバム『クワイエット・ナイツ』のことが、僕にもおぼろげに見えてきたのは、カエターノ・ヴェローゾのライヴ盤『プレンダ・ミーニャ』(1998)を知ったころだ。このカエターノのライヴ盤、マイルズ(&ギル)好きだったら、オッ!エッ?と思う仕掛けがいくつかある。

まず『プレンダ・ミーニャ』の一曲目「ジョルジ・ジ・カパドーシア」の冒頭部でカエターノがギターを弾きながら複数の人名をあげている。こういう人たちの曲をこのコンサートではやりますよ、こういう演目でこういったライヴになりますよという紹介ってことかなあ。まず「伝承曲」(ドミーニョ・プブリコ)、次いでジョルジュ・ベン以下何人か名前を出しているなかで「マイルズ・デイヴィス」とはっきりしゃべっているんだよね。
そのときは、えっ?なんでマイルズ?と疑問にしか思わないんだけど、謎が解けるのは二曲目の「プレンダ・ミーニャ」を聴いたときだ。これはマイルズ『クワイエット・ナイツ』一曲目の「ソング No. 2」と同じものなんだよね。1998年にこのカエターノ・ヴァージョンを最初に聴いたときは、ええっ〜?と思った僕。だって『クワイエット・ナイツ』ではマイルズとギルの自作とクレジットされているんだもんね。
カエターノの種明かしによれば、この曲がドミーニョ・プブリコで、ブラジル南部リオグランジ・ド・スル州で歌い継がれてきた伝承曲だとのこと。カエターノはたぶんジョアン・ジルベルト由来でこの曲を知った可能性がある。ジョアンは最初リオグランジ・ド・スルで音楽生活を送っていたからだ。録音はないはず。

ジョアンというのも、マイルズ&ギルの『クワイエット・ナイツ』においてはキー・パースン。アルバムにある「コルコヴァード」(英題が「クワイエット・ナイツ」)はアントニオ・カルロス・ジョビンの書いた曲だけど、ジョアンがレコーディングしているのはご存知のとおり。さらにアルバム三曲目の「アオス・ペス・ダ・クルス」はマリノ・ピントの曲で、これもジョアンがやっているんだよね。

つまり、マイルズ&ギルの『クワイエット・ナイツ』はジョアンに触発されて、曲をアダプトしたのはたぶんマイルズじゃなくてギルだと思うんだけど、いくつものボサ・ノーヴァ楽曲やそれと関係のある伝承曲などをやったものだ。しかし「コルコヴァード」を除き、僕はカエターノの『プレンダ・ミーニャ』を聴くまで、ま〜ったく気づいていなかったよ。いまでもマイルズ専門家やジャズ・ファンは、これ、だれも言ってないよね。

しかも『クワイエット・ナイツ』の「ソング No. 2」はマイルズ&ギルの自作とクレジットしているんだから、このことだけはちょっとダメだ。マイルズがこういった傾向のある人だとはみんな知っているが、このブラジル南部の伝承曲をアダプトしたのはギルに違いない。う〜ん、こりゃちょっと…。

さらに、アルバム四曲目の「ソング No. 1」も自作扱いになっているが、これだってスペインのフランシスコ・タレーガのギター・ピース「アデリータ」なんだよ。イカンよなあ、ギル…。
こういったたぐいのことは、『クワイエット・ナイツ』のレコーディング・セッションがうまく運ばなかったことの証左でもある。そもそもこれの発端はシングル盤のための企画で、1962年7月27日に「アオス・ペス・ダ・クルス」と「コルコヴァード」の二曲だけを録音。これが45回転のシングル盤となって発売されたのだ。

コロンビア側としては、1960年代初期というとちょうど北米合衆国でもボサ・ノーヴァがブームになっていたので、それに便乗してマイルズとギルにちょっとなにか、軽く二曲、やってくれないか、それをシングル盤で発売したいというだけのプロデュースだったんだろう。もっともそのシングル盤はまったく売れなかったそうだけど。

それで引き続き同じような路線で何曲か録音して、アルバムにでもできれば御の字みたいな、そんな作業で1962年8月と11月に散発的にレコーディングが進行したんだろう。だが、当のマイルズとギルは気乗りせず、素材も見つかりにくいし自作もできにくいというんで、上記二曲「ソング No. 2」と「ソング No. 1」が、上で書いたようなことになっているんだと推測する。

そんでもってアルバム『クワイエット・ナイツ』にある、ここまで書いてきたもの以外は北米合衆国の職業作曲家が書いたスタンダード・ナンバー「ワンス・アポン・ア・サマータイム」「ウェイト・ティル・ユー・シー・ハー」で、つまりこのアルバムにあるのはぜんぶ他作曲だ。

と、ここまでお読みになると、あたかも僕がアルバム『クワイエット・ナイツ』を否定的に見ていると受け取られそうな気がするが、それは逆だ。実際、ファンも多いし、僕だってこのフワ〜っとしたなんちゃってボサ・ノーヴァな(まがいもの的)ムード・ミュージックがわりと好き。リラックスできて心地いいもんね。

しかしもっとおもしろいのは、「ソング No. 2」がキューバのアバネーラのリズム・パターンを使ってあるってことだ。だれひとりとしてこれを指摘した人はいないけれどね。三拍子系のリズムを潜在させながらシンコペイトし、ゆったり跳ねて大きくうねる二拍子じゃないか。これはカリブ音楽の、つまりアフロ・クレオールのグルーヴだ。

こういったアフロ・クレオールな汎カリブ〜ラテン・グルーヴは、アルバム『クワイエット・ナイツ』の随所で聴けるものだ。こういった音楽要素を、マイルズ(がギルとのコラボで)が取り入れ表現した、間違いなく最初の一例。

こんなことが1967年末ごろからのマイルズ・ミュージックにあるカリブ〜ラテン〜アフリカ路線へとつながっているんじゃないかと思うんだよね。ボサ・ノーヴァなんてマイルズにないとか、マイルズ自身もボサ・ノーヴァは好きじゃないとか発言しているが、1974年の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』にある「マイーシャ」は鮮明なボサ・ノーヴァだよ。そのほかこの二枚組にはラテン路線がいくつもある。

電気楽器と8/16ビートを導入しファンク化して以後のマイルズの音楽は、1991年に亡くなるまでずっと間違いなくアフロ・クリオール路線だったんだから、そんな志向の端緒だった62年録音のアルバム『クワイエット・ナイツ』は、たんなる心地いいムード・ミュージックというだけにとどまらないんじゃないかなあ。重要性が見えてきたような気がする。

最後にカエターノ・ヴェローゾのことをすこしだけ。カエターノのライヴ・アルバム『プレンダ・ミーニャ』は、ある意味、『クワイエット・ナイツ』で聴けるマイルズ&ギルへのオマージュ的な作品なんだよね。「ソング No. 2」になった「プレンダ・ミーニャ」だけじゃない。アルバム全体をとおし、ギル・アレンジの上でマイルズが吹くがごとく、ジャキス・モレレンバウムのアレンジでカエターノが歌っている。

カエターノとジャキスがマイルズ&ギルの『クワイエット・ナイツ』を強く意識したのは間違いないと思う。オマージュ作だと宣言しているようなもんだ。そうじゃなくちゃ「プレンダ・ミーニャ」をアルバム・タイトルに持ってこないだろうし、一曲目でマイルズ・デイヴィスという名前をカエターノがしゃべらないだろう。ジャキスのアレンジだって、ギルのペンに酷似している。特にブラス群の使いかた。

2018/03/22

ジャズ・ピアノ界のインフルエンサー 〜 ウィリー・ザ・ライオン・スミスの優雅な気品

二つの世界大戦のあいだに花開いたジャズ・ピアノ音楽。それがハーレム・ラグタイム・スタイル、またの名をストライド・ピアノという。ハーレム・ストライド・ピアノ界では三人の偉大な存在の名をあげることができる。ジェイムズ・P・ジョンスン、ファッツ・ウォラー、そしてウィリー・ザ・ライオン・スミスだ。

これら三巨頭のうち、ファッツ・ウォラーはたんなるいちピアニストというにとどまらない大きな存在で、録音も完全集ボックス・シリーズが JSP からリリースされている。それは四枚組×4+五枚組、すなわちぜんぶで21枚というデカいサイズなので、二年ほど前に買い揃えた僕は、たぶんまだほとんど聴いてないな(^_^;)。折に触れちょこちょこと参照はするけれど。ふだん聴きのファッツは CD 二枚組のベスト盤アンソロジーだ。

だけど、それで済ませるわけにはいかない音楽家なので、ファッツ・ウォラーについては、そのうちしっかり取り組んでみようと思っている。ジェイムズ・P・ジョンスンとウィリー・ザ・スミス・ライオンについては仏クラシックス・レーベルが年代順の全集を出しているのだが、僕は持っていない。もはや手遅れだ。中古価格が一枚あたり5000円とか7000円とかそれ以上になっている。

だからジェイムズ・P・ジョンスン、ウィリー・ザ・ライオン・スミスは簡便なアンソロジーで、フィジカルなら我慢するしかないので、それを持っている。二人とも Spotify には全集があってぜんぶ聴けるので、音源そのものを聴くだけなら不自由しない。ここで歌っているのはだれ?このギターはだれ?とかがすぐにわからないのは不便だが。

今日はウィリー・ザ・ライオン・スミスの話だけしたい。このウィリーこそ、三巨頭のなかで最大のインフルエンサーだったかもしれないので。その後のジャズ・ピアノ界でウィリーの影響を受けていない存在は皆無に等しいと言いたいほど。かのデューク・エリントンもその一人。デュークはキャリアの最初から最後までウィリーへの敬意を言葉でも音楽でもはっきりと表現している。

デュークのピアノ・スタイルはモダン・ジャズのピアニストたちにも影響を与え、かのセロニアス・モンクなんかはデュークの直接のイミテイターにして、かつ、それもあってかなくてかハーレム・ストライド・スタイルからもはっきりと流れ出てきている。2018年現在モンクが再脚光を浴びているのはコンポジションのおもしろさゆえだけど、その作曲技法とピアノ・スタイルは不可分一体のものじゃないか。

ってことは、2018年にウィリー・ザ・ライオン・スミスの話をするのは、あながちレトロ趣味だとばかりも言えないような気がする。それにウィリーにはオリジナル・コンポジションがたくさんある。それらは自身のピアノ・スタイルがそうであるように気品と格調に満ちていて、デュークやモンクのあんなありようはウィリーが地ならしをしてくれたようなもんなんだよね。

ウィリー・ザ・ライオン・スミスのオリジナル曲と有名ポップ・ソング・カヴァーの両方を、ウィリーの持ち味がいちばんわかりやすいやりかたのソロ・ピアノで演奏し、一枚のアルバムの(もとはそれぞれ LP の片面ずつに)収録したものがある。それがウィリー入門に好適だと思うんだよね。

1989年のコモドア盤(直接の配給元は別のところだけど)CD『ピアノ・ソロズ:オリジナル・コンポジションズ・アンド・インタープリテイションズ、プラス・トゥー』。全16曲のこのアルバムの<プラス2>はオマケであって、ソロ・ピアノじゃなくバンド形式でやっているもので、本編とはなんの関係もないから、今日の話題から外そう。

すると全14曲となるコモドア盤『ピアノ・ソロズ:オリジナル・コンポジションズ・アンド・インタープリテイションズ』。もとの LP では A 面だったオリジナル曲が八曲、B 面のポップ・カヴァーが六曲。 録音は全曲1939年1月10日(この事実は Spotify で見るまでわかりませんでした、CD 商品のどこにも記載がありませんので)。しかしこの CD もとうのむかしに廃盤で、いまや入手不可だ。

ファッツ・ウォラーにしてもジェイムズ・P・ジョンスンにしてもウィリー・ザ・ライオン・スミスにしても、あるいはアール・ハインズにしてもだれにしてもみんなそうなんだけど、活動のメインは歌手の伴奏やバンドでの活動であって、そのなかでちょろっと数小節ソロを弾くだけなんだから、したがって残っている録音もそういうものが中心。それらではいちピアニストとしてのスタイルや偉大さはわかりにくいんだ。

CD が事実上入手不可能に近いから Spotify にある全集で聴くと、ウィリー・ザ・ライオン・スミスのばあいもヴォーカルが入ったり入らなかったりするバンド編成の録音がずっと続いていた。コモドアのボス、ミルト・ゲイブラーはそれではあまりにもったいないと考えて、自らのコモドア・レーベルで発売するためにウィリーにソロ・ピアノでの録音セッションを提案して実現したのが、1939年1月10日だったんだよね。この日には上記の14曲が録音され、39年当時は SP 盤で発売されたはず。

それが何年ごろになってのことか、LP レコードになってやはりコモドアから発売されたんだよね。LP 発売年はどこにも記載がないしネットで調べてもわからないが、おそらく1950年代あたりじゃないかなあ。LP になったというのは間違いない。なぜならば CD『ピアノ・ソロズ:オリジナル・コンポジションズ・アンド・インタープリテイションズ』の解説文に “side one” とか “side two” という表現が出てくるからだ。だからレン・リヨンズと署名のあるこの解説文は、LP 発売時に書かれて掲載されたものをそのまま印刷してあるに違いない。

もとは A 面のオリジナル曲集と B 面だったポップ・ソング解釈集を聴き比べると、どうもやはり八曲のオリジナル・コンポジションのほうがグッと素晴らしく聴こえるし、ストライド・ピアノのスタイルもわかりやすい。自身の弾きかたを最大限に活かし表現できるように作曲しただろうから当然だ。そんな部分はデュークやモンクにも受け継がれている。

トラック・リストはいちばん上の自作プレイリストをご覧いただきたい。Spotify でのそれは、一枚ずつバラで存在するウィリー・ザ・ライオン・スミスのコンプリート集から、CD『ピアノ・ソロズ:オリジナル・コンポジションズ・アンド・インタープリテイションズ』と同じになるようにピック・アップして、曲順も並び替えたものだ。「フィンガー・バスター」までが(旧 A 面の)オリジナル曲。CD がとうのむかしに廃盤でいまや入手不可だから、お持ちでないかたはこれで聴くしかないんですよ。

この1939年1月10日録音に先立ってバンド編成で録音済みだった曲が多いのだが、特に一曲目「モーニング・エア」、二曲目「エコーズ・オヴ・スプリング」あたりは本当に名曲だよなあ。美しい。孤独な気高さ、それと表裏一体の楽しさ、エレガントな気品があって、しかもピアノ一台で見事に完結し、自律美を放っている。

これら二つに、たとえば四曲目の「フェイディング・スター」などもあわせると、ウィリー・ザ・ライオン・スミスのピアノ・スタイル(=作曲法)を理解するこの上ない好例となるだろう。繊細微妙なデリカシーと(リズムの)力強さが見事に一つに溶け合っている。録音年順にいうと、ジェイムズ・P・ジョンスンの「スノウィ・モーニング」やファッツ・ウォラーの「ハンドフル・オヴ・キーズ」などに続くものだが、ウィリーのこれらはもっとグッと洗練の度を増している。

ここまでの三曲だけの話じゃないのだが、ウィリーのピアノにおけるパワフルさは、左手の強力なパターンと、右手によるテーマの反復と、両手によるリズムの正確さに起因する。いや、左手・右手と分割して聴くのは実はおかしい。両者が合体演奏されているし、ストライド(またぐ)というくらいで、左手が右手で弾く鍵盤のより右側を叩くべく、しばしば飛び越えて演奏され、左右両手の同時演奏で、モダン・ジャズのピアノ演奏にはないトータル・パワーをもたらしている。

「エコーズ・オヴ・スプリング」における右手で弾く繊細なメロディ・ライン。そのデリカシーは、たぶんクラシック音楽の印象派作品に由来するものなんじゃないかと思う。ウィリー自身、後年、この曲のメロディ・ラインを思いついたときの公園でのある光景と体験を語っている。つまり一種の風景描写なんだよね。それが心情の表現にもなっているという、つまりは(ジャズ・ファンなら)デューク・エリントンでお馴染みのパターンだが、デュークのああいった作風はウィリーから学んだものだ。

八曲目「フィンガー・バスター」で聴ける左手も、実に典型的なハーレム・ストライド・スタイルだ。ストライド・ピアノとはどういうものか?と問われれば、この曲を差し出せばいい。実にわかりやすいよね。しかもこの曲での左手の技巧は、右手で弾くラインから独立している。リズム表現だけど、同時に(活動開始期にはまだマイクロフォン拡声が一般的ではなかったので)スピード感を失わずに音量を得るための工夫でもあった。

五曲目「パッショネイト」でも左手のカウンターポイントが特筆すべき見事さだ。演奏前によく練り込まれたコンポジションだとわかる。右手で弾くメロディを補完してその美を際立たせるだけでなく、左手のその対位法的リズムじたいが強力に美しく、楽しい。

七曲目「スニークアウェイ」では、おもしろいことにブギ・ウギのパターンをウィリーが弾いている。1939年録音だからあって当然のものだけど、そんな同時代性だけでなく、ブギ・ウギとハーレム・ストライド・ピアノと、それらのそもそもの源流たる19〜20世紀の変わり目ごろに大流行したラグタイム・ピアノと、それら三者の密接な関係を考えることにもつながるはずだ。

2018/03/21

『舞妓はレディ』からヒット・ソングは生まれるか?

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ブロードウェイ・ミュージカルで、映画にもなった『マイ・フェア・レイディ』(原作はジョージ・バーナード・ショーの『ピグメイリオン』) からはたくさんのヒット曲が誕生しました。スタンダード・チューン化しているものがいくつもあって、だからジャズ音楽家もよくとりあげますよね。アンドレ・プレヴィンがピアノを弾くシェリー・マンのアルバムとか、有名なんじゃないでしょうか。

福岡は博多座でのミュージカル『舞妓はレディ』。3月20日の千秋楽公演を観に行ってきました。「まいこはれでぃ」というこのタイトルだけでも察せられるとおり、この、もとは周防正行監督映画だったのを舞台化した作品は、『マイ・フェア・レイディ』のパロディなんです。和製オリジナル・ミュージカルという謳い文句は、まあ看板です。

この事実は、いままでのところ、一名のかたしか指摘なさっていません。大都会ロンドンを舞台にした『マイ・フェア・レイディ』(Mayfair lady のコックニーなまり)がどんな内容なのか、みなさんご存知でしょう。『舞妓はレディ』も日本の大都会である京都の、それも花街を舞台にして、田舎(鹿児島)から出てきた若い女性(鹿児島言葉と津軽言葉をしゃべる)に、京言葉やしぐさや芸事など諸々の文化を教え込んで、大舞台で立派に通用する一人前の舞妓に教育し、デビューさせるというお話です。

だから『マイ・フェア・レイディ』でそうだったように、『舞妓はレディ』にも言語学者、京野(平方元基)が登場し、弟子の秋平(土屋シオン、Act I では常に MacBook を抱えている(^_^;)とともに、鹿児島から京都にやってきた春子(唯月ふうか)に京言葉を教え込み、またお茶屋の千春(榊原郁恵)、里春(湖月わたる)、百春(蘭乃はな)ら周囲が協力して、小春を舞妓に仕立て上げるべく修行させます。

またこの春子の生い立ちは京の花街と関係があって、どうして鹿児島からやってきたのか、それなのにどうして津軽言葉もしゃべるのかは、舞台の最終盤ではっきりと明かされます。どうして京の街で舞妓になりたいという夢を抱いて、文字どおり「上京」したのかも、このことと関係があるんです。

お芝居の最終盤で、見事、舞妓デビューした春子の姿が、ミュージカル『舞妓はレディ』のクライマックスですが、お芝居のことはなにも知らない僕ですから、これについては言えません。僕は音楽こそが好きなので、またミュージカルですから音楽というか歌が、ある意味、主役なわけです。だから『舞妓はレディ』で聴けた歌について、以下、すこしだけ記しておきます。なにぶん一回しか(観)聴きしていません。音楽を聴くことこそが僕のやるべきことだと思い定めて、博多座の客席で一生懸命に聴き、焼き付けたつもりですが、忘れていたり間違っている部分がかなりあります。許してください。

ミュージカルだから実にたくさん聴けた『舞妓はレディ』のなかの歌。曲「舞妓はレディ」が全体の共通テーマ・ソングになっています。通奏低音といいますか。なかで、たしか ACT II のほうでだったと思うんですが、短調にリアレンジされて、なにかの歌のなかに挿入されていました。なんだっけなあ?お芝居全体で本当になんどもなんども出てきます。

曲「舞妓はレディ」じたいはメジャー・キーのふつうの華やかなポップ・ソングなんですが(宝塚ふう)、それ以外の曲のなかにはいろんなおもしろいケースが多かったです。僕にとっていちばん印象深かったのは、ラテン・アレンジ、特にリズムがそうなっていたり(部分的にタンゴ調)、またスパニッシュ・スケールを使ってあったり、4/4拍子のメインストリーム・ジャズだったり、フィル・スペクター・スタイルのポップ・チューンだったりしたところです。

フィル・スペクターふうポップ・ソングの話からしましょう。アルバイト舞妓の福葉(多田愛佳)と福名(片山陽加)が、この二人は Act I から II までぜんぶ必ず二人いっしょに登場し、だいたいのばあい動きもシンクロしながらデュオでユニゾンしたりハモったりするんですが、Act II で、舞妓のアルバイトをやめて東京でアイドルになると告げるシーンがあります。

その場面でこの福葉と福名がデュオで歌うのが「アイドルになりたい」。これがフィル・スペクター流儀のアイドル・ポップ・ソングなんです。カーテン・コールで片山さんも多田さんも(しゃべり順)言っていましたが、パン・パパン、パン・パパンという、 あのパターン。歌にあわせて手を叩く音が観客席から大きく聴こえました。カーテン・コールでのお二人によれば「オタク拍手、秋葉原系手拍子をありがとうございます」ということなんですが、僕に言わせたら、あのパターン、ずっとまえの日本のアイドル・ソングから聴けるパン・パパンで、そのルーツはフィル・スペクターが創ったロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」です。

もうそんなパターンは、日本の歌謡曲、(男女問わず)以前からアイドル・ソングのなかにもかなり多いので、どれがそうだなんて指摘することは不可能です。原田知世、松田聖子にも多いし、う〜んと、でも山口百恵の歌のなかにはなかったんでしたっけ?いま手許の Mac の iTunes にぜんぶありますが、確認する必要なんて、ないです。でも「アイドルになりたい」は、主に1980年代ふうだったかもしれません。

多田愛佳や片山陽加が活躍した AKB 系のガール・ポップ・アイドルの世界を僕はなにも知りませんが、とにかくカーテン・コールでのお二人のお話からも、あぁ、あのフィル・スペクター・パターンは多いんだなと推測できました。そんな二人が『舞妓はレディ』にアルバイト舞妓役で出演し、それをやめてアイドルになるんだと決意して、アイドル・ソングを歌い、お芝居のなかでしばらく経ってから、赤(多田)、緑(片山)のドレスに着替えて再登場、舞妓あがりのテレビ・アイドルとしてインタヴューを受けるシーンもあったりするのは、かなりおもしろいですね。

多田愛佳や片山陽加の二人は『舞妓はレディ』にあるコメディ要素をかなり担っていました。まあお芝居全体がコメディなんですが。さて、それ以外の歌は、もはや記憶がどんどん薄れゆく一方で、だれが歌ったなどをもう忘れているんですが、たしか Act I で歌われた「京都盆地に雨が降る」。これはスパニッシュ・スケールを(一部)使ったボレーロ(だったと思う)です。

関係あるのかないのか、この「京都盆地に雨が降る」は、『マイ・フェア・レイディ』の劇中歌「スペインの雨(は主に平地に降る)」(The Rain in Spain [stays mainly in the plain}、舌噛むがな ^_^;)のパロディなんですね。それだから「京都盆地に雨が降る」でもスパニッシュ・スケールを使ったのかどうか、僕にはわかりません。作、編曲は周防義和、佐藤泰将です。「京都盆地に雨が降る」もスパニッシュ・ボレーロみたいだったような…。つまり、キューバン・アバネーラ(混交表現)。「ラ・パローマ」おそるべし。

この「京都盆地に雨が降る」が歌われる前のシーンに、タンゴ調をメインとするラテン歌謡があったと思うんですが、忘れました。前じゃなくて後でだっけなあ?最初、タンゴではじまって、すこし経ってからアフロ・キューバン・リズムみたいになって、その後ふたたびタンゴのザクザクと刻むリズムになったと思うんですが、どの曲だったのかもうわかりません(DVD か CD か、出してほしい)。

イタリアかぶれのキザなやつ、高井(谷口浩久)と縁を切りたい里春が高級イタリアンの席を用意して、そこで小春が覚えたての京言葉をしゃべり、結果的に高井と里春に恥をかかせることになってしまう場面で、高井が歌う「ティ・アーモの鐘」は、もちろんラテン系の歌なんですよ。

お芝居の Act I ラストでは、なかなか上達しない小春が京言葉イップスにかかってしまい(イップスはゴルフ用語、恐怖などでそれができなくなること)、言葉を発することすらできなくなってしまうところで終わります。休憩をはさんでの Act II はその場面で再開するのですが、そこで「悪い夢」という歌を小春が歌います。これは…、え〜っと、なんだっけ?もう忘れちゃいましたが、かなりラテン調だったような気がするんです。

あぁ〜、もうホントいろいろ忘れた!その「悪い夢」のあとで、上記の「アイドルになりたい」が登場しますが、そのあと、女将の千春が初恋の思い出を語るシーンがあって、そこで「Moonlight」という歌がありました。これはストレート・ジャズです。というか、そもそもそんなジャズ・ソングの源流の一つたるブロードウェイ・ミュージカルを観劇しているような気分そのままでした。

う〜〜んと、タンゴとかラテン調だとかメインストリーム・ジャズだとか、ほかにもあったように思うんですが、たくさん次々と歌われては消えていくので、それを一回しか(観)聴いていない僕が克明に記すことなんて、不可能です。『舞妓はレディ』最終盤では、それまでに登場した多くの曲が、メドレー形式のリプリーズで再登場し、つながるように再アレンジされたのがどんどん歌われて大団円となりました。

お芝居で使われたものではない<純>音楽アルバムでも、終盤で「リプリーズ」と副題がついて再登場するのは珍しいことではありません。かのビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』もそうですよね。つまり、音楽とお芝居(映画なども)とは切り離せないものなんです。

2018/03/20

ジミヘン『エレクトリック・レイディランド』をつまみ食い

ジミ・ヘンドリクスの最高傑作とされる1968年10月発売の『エレクトリック・レイディランド』。僕もこの評価に全面同意しているのだが、スタジオ・ジャムや、当時のロックとしては実験的、前衛的だったりするものもあったりして、実は内心イマイチだと感じているリスナーも多いんじゃないかなあ。

僕のばあい一番親しみやすいのはジャズとブルーズなので、ジミヘンの『エレクトリック・レイディランド』でも、今日はそれらとその周辺だけちょこっとつまみ食いしておきたい。人間どうせ全員つまみ食いしかできないんだからさ。つまみ食いで終わるだけなのはいけないなどとおっしゃるかたがたも、制限かけないとキリないんだとか、別の場所ではおっしゃっていたりもする。つまり、あなたがたも、僕も、みなさんも、<つまみ食い>しかしていないでしょうが〜。<全貌>を聴いている一個人なんているんですかねぇっ?

ジミヘンの『エレクトリック・レイディランド』で、僕にとっていちばんわかりやすいのは四曲目の「ヴードゥー・チャイル」だ。完璧なるブルーズ楽曲。おどろおどろしくトグロを巻くようなスロー・ブルーズでエグ味満点。こりゃ最高だ。冒頭のギター弾きだしはジョン・リー・フッカーそのまんまだが、ギターでワン・コード・リフを弾きながら歌いはじめてからはマディ・ウォーターズの「ローリン・ストーン」(1950)そっくりになる。

しかしジョン・リー・フッカーやマディと違っているのは、ジミヘン同様におどろおどろしく弾くハモンド・オルガンが入っていて大活躍していることだ。弾いているのはスティーヴ・ウィンウッド。ここでは歌ってはいないが、このハモンドの弾きかた!カッチョエエ〜〜。ジミもいいがこのオルガン・サウンドも最高だ。 天才だとしか思えないね。

「ヴードゥー・チャイル」はこのアルバムで最も長い15分もあって、そのあいだほぼワン・コードでチェンジなし。いちおう歌の部分のおしりの四小節でだけブルーズ定型12小節のラスト4小節の進行になっているが、この曲のなかでは例外的なことで、ヴォーカル部分もインストルメンタル部分もずっと同じコードでワン・グルーヴという、ここだけとりだせば米ノース・ミシシッピのヒル・カントリー・ブルーズみたいでもある。

そういえばジミヘンは、これより前、ライヴで「キャットフィッシュ・ブルーズ」も録音しているんだった。ロバート・ペットウェイのヴァージョンなんかでもお馴染みのミシシッピ・ブルーズの伝承定番曲で、これもワン・コード、ワン・グルーヴ。そして「キャットフィッシュ・ブルーズ」を改作(というかそのまんまだが)したのがマディの「ローリン・ストーン」なんだもんね。

ってことはジミヘンも1960年代末における新時代の新世代ロック・ミュージシャンのような感じではあったけれど、根底にはかなり古くからのブルーズの伝統が流れていて、それは意図せず産まれながらに音楽的 DNA を受け継いでいるかのようになんてもんじゃなく、自覚的にブルーズ伝統を学習していたってことだよなあ。

ジミヘンの「ヴードゥー・チャイル」は15分もあるし、たった一つのパターンで変化なく延々とやっているルーズなブルーズ・ジャムみたいなもんで、緊張感もないかのように聴こえる可能性がある。だからシャキッと締まったタイトでソリッドな演奏がお好きなら、ロック・ファンにだってウケないかもしれないよね。

でもジミヘンのギター&ヴォーカルとスティーヴ・ウィンウッドのハモンド・オルガンと、およそこの三者が「ヴードゥー・チャイル」での主役だが、そのからみあいかたには抜き差しならない張り詰めた糸がピンと張られているように僕には聴こえるよ。ルーズに聴こえるならそれでもいい。僕はこういった、ひゅ〜どろどろ〜っっていうような感じのスローなブルーズ・ジャムが大好きなんだ。

しかも「ヴードゥー・チャイル」は演奏時間の長さといい、あたかもただジャムっているだけみたいなやりとりといい、演奏者も聴き手も気持ちがどっかへ飛んで行ってしまうようなスピリチュアルな雰囲気といい、サイケデリック・ロックみたいでもあるよね。録音がたぶん1967(or 68)年だったんだろうから、さもありなん。

1960年代後半〜70年代前半のロック(もジャズも)演奏時間が、主にライヴの場で長尺化し、しばしば精神旅行をもたらすようなサイケデリックなフィーリングで音楽をやっていたのと、スタジオ・ジャムではあるけれどジミヘンの「ヴードゥー・チャイル」は相通じている。つまり、長尺サイケ・ロックはブルーズの再解釈だったのかもしれない(…、と前から書いているような…)。

アルバム『エレクトリック・レイディランド』では、ラストの曲題もほぼ同じの「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」で、こっちはハード・エッジなロック・ナンバーだけど、曲の構造やギターの弾きかたにはブルーズから来ているものがかなりある。というかこれも定型ブルーズの亜種だよなあ。そのほか共通点は多いので、アルバム四曲目の「ヴードゥー・チャイル」のヴァリエイションンに違いない。

いやあ、それにしてもワウをフル活用した15曲目「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」のギターってカッコイイよなあ。こんなにエレキ・ギターがカッコいい曲って、全人類音楽史上でほかにあるのだろうか?きっと、ないよね。これがナンバー・ワンだ。まるで激しい嵐に襲われて、そのまん真ん中に立っているような気分に、聴いているとなって、爽快だ。

同じ曲のヴァリエイションといえば、このアルバムにはもう一種類あって、10曲目の「レイニー・デイ、ドリーム・アウェイ」と13曲目の「スティル・レイニング、スティル・ドリーミング」。前者はサックスも入るややジャジーなシャッフルで、だから僕はかなり好き。ギター・サウンドだけはハードだけど。終盤ではまるでトーク・ボックスを使っているようなワウのかませかたで、それもおもしろい。

後者「スティル・レイニング、スティル・ドリーミング」では冒頭からトーク・ボックスみたいなワウの使いかたでギターをハードに弾いているジミヘン。10曲目と同じ曲なので、それじたいはやはりちょっとジャジーな雰囲気もあるシャッフル。13曲目のほうがロック・ファンには聴きやすいはず。ギターもより一層活躍している。

オリジナルの作演唱者であるボブ・ディランも「この曲の権利の半分くらいはジミのものだ」と激賞したカヴァー15曲目「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」や、3「クロスタウン・トラフィック」や、5「リトル・ミス・ストレインジ」、8「ジプシー・アイズ」などなどのロック・ナンバーのことは、僕なんかが書きくわえることなんてないんだろう。

だからあともう二つだけ記しておく。7曲目「カム・オン(レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール)」は、ニュー・オーリンズのリズム&ブルーズ・マン、アール・キングの曲だ。これも「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」同様、ジミヘン・オリジナルみたいに変貌していてカッコイイね。12小節定型ブルーズなんだけど、ジミヘンがやると、まあなんの曲でもそうだけど、エッジの立ったシャープなハード・ロックになっていて、素晴らしい。ヴォーカル部分にはヒンヤリした醒めたフィーリング(=ジャイヴ風味)もあるのが、英米白人ハード・ロッカーとの違いだ。

もう一つ。9曲目の「バーニング・オヴ・ザ・ミッドナイト・ランプ」。これのイントロ。ジャズ音楽家ギル・エヴァンズがジミヘン曲集アルバムをやった際にジミのバラード「エンジェル」をとりあげて、ギルはその後のライヴでも必ずデイヴィッド・サンボーンのアルト・サックスをフィーチャーしてこの曲をなんども演奏していたが、そんなギル・ヴァージョンの「エンジェル」のイントロは、このジミヘンの「バーニング・オヴ・ザ・ミッドナイト・ランプ」から持ってきているっていうことだよね?ジミヘンのオリジナル・ヴァージョンの「エンジェル」にあんなイントロはないもんね。

ギル・エヴァンズ・アレンジの「エンジェル」はこれ。

2018/03/19

色が変わるようにコードは変わる

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調性変化とは色調変化だ。調性体系はコード(和音)だけじゃないが、まあなんでもだいたいコードみたいなもんなので(えっ?!)、今日はとりあえずコードと言うことにする。乱暴だけど、許してください。

ずいぶん前、といっても Twitter 上のやりとりでのことなので十年も前のことじゃないのだが、あるセミ・プロのジャズ演奏家のかた(たしかリード楽器奏者だったはず)が、楽器をやらない素人さんたちは、コードが変わったとか、II→IV とか、ブルーズ進行とか循環とか、わかるもんなんでしょうか?という、悪意のない素朴な問いかけをなさっていたことがある。

僕への問いではなくみんなに向けてお書きだったのだ。僕は答えなかったのだが、もちろんなんの楽器を触ったこともない素人音楽リスナーだって、コード・チェンジはわかるもんなのだ。聴くだけで、わかる。これは間違いない。なぜかって僕がそうだから。いちおうギターだけは触ったりした経験があるが、僕程度の楽器経験ではゼロに等しい素人なのだ。

それにそもそもギターを触るようになる前から音楽のコードの聴こえかたは同じだった。あっ、いま変わったぞとか、戻ったとか、こことここは同じコードだとか、ブルーズ進行だとか、そんなのはちっとも楽器を触ったことがなくたってみんなわかる。リズム変化もサウンド変化も当然わかる。何小節進んだとかも数えるだけだから、小学校低学年の算数と同じだ。だいたい音楽の考えかたって数学的だよね。

こういったこと、特にコード(と言っているが、モードでもなんでもトーナリティの)の変化は聴いて瞬時にだれでもわかるのは、色の変化と同じだからだと僕は思うんだよね。視覚障害がなければ、たとえばライヴ・コンサートを観聴きしていて、照明がパッと変わった瞬間に気づくでしょ。それと同じでコードの変化も聴いていれば、チェンジした瞬間にだれでもわかる。

ライヴ・コンサートの舞台照明がパッとチェンジするのを引き合いに出したのは偶然の思いつき。でも書いてみてハッと気が付いた。意味があることだよなあ。 ああいったステージ・ライティングの演出は、演唱される内容にあわせて計画されていると思うからだ。一曲終わったら白色系で明るくなったり、次の曲でまた違った色を使ったり、さらに一つの曲のなかでも(コードを含む)パターンが変化するところ、たとえばサビに入るところで照明の色をサッと変えたりするじゃないか。

ふつうの歌もののサビでコードが変わらないなんてことはまずありえない。ひょっとしてゼロ%じゃないの?コードの変化で曲のトーンに変化を持たせ、だからそこでステージの照明の色も変えて、コード・チェンジにともなう曲調変化をより一層鮮やかに観客に聴かせたい、見せたいという演出だよね。音楽コンサートではあたりまえのことなので、ジャズとかクラシックとかそういったステージ演出があまりないものを除けば、みなさん経験がおありのはず。

和音の変化が色の変化だというのは、自室かどこかで録音物を聴いているときでも同じことを感じるはずなんだよね。コードが変わった瞬間に(心情)風景が変化するじゃないか。見た目じゃなくて聴界の風景がパッと変化する。ばあいによっては視界も変わる。「あっ、変わったね」ってだれでも気づく。それが和音変化。(耳に)差し込む光の色が変わったんだから、素人だろうとみんなわかることなんだ。

もちろん素人には色の変化の「中身」はわからない。科学的になにがどうなって目に入る色が違って見えるのかはわからないんだ。それでも見えかたが変わったことじたいには気がつく。音楽のコードの変化も、響きの違いはだれだって気づくものだけど、構成音がどう変化したからっていう楽理的なことはわからない。わかる必要などないと僕は思うんだよね。

これはある有名ジャズ・トランペッター MD さんが言っていたことなんだけど、リスナーは私たち演奏家みたいにコードやモードやエレクトロニクスなど音楽の専門的なことについて知識は持っていない、だからこそ(私の)音楽を聴いて驚いたりビックリするんだ、音楽を聴いて驚きを体験できるなんて素晴らしいことじゃないか、と。

この発言は、しかし、音楽的な専門知識がなくたって、聴いて驚けるはずだ、つまりコードやモードやそのほかなんでも、つまりサウンドのありようや変化は、一般の素人リスナーたちだって聴きとれて体感できているはずだ、聴いてわかるからこそ驚きを感じるんだからみんな「理解して」いるはずだという大前提に裏打ちされているよね。

コードやモードの構成音が具体的にわからなくたって、あっ、変わったぞ、ここのコードとあそこのコードは同じだ、これはブルーズのコード進行だとか、こういったたぐいのことはすべて色調変化なんだから、だれだって感じとることができるもので、楽理的に理解できなくたって、聴きとれればいいんだよね。

コード・チェンジで色の変化を感じとる。たとえば照明の色が変わるように、あるいは紙や布や絵の具の色を変えるように、次の日には違う色や形の洋服に着替えるように、和音変化による気分(ムード=モード)の変化を感じとる。それが音楽家じゃない僕の聴きかただ。そしてただそれだけのことで、長調、短調、ブルーズ、スパニッシュ、アラブなどなど世界の調性の違いや同一性は聴いてわかるのだ。(ステージ上の照明などの)色の違い、同一性なんだから、そりゃみんな気づくさ。

2018/03/18

悲哀と沈痛の音色 〜 ブッカー・リトル

ブッカー・リトルのベスレヘム盤『ブッカー・リトル・アンド・フレンド』。大学生のころに好きで聴いていたレコードはこういうジャケット・デザインとアルバム・タイトルじゃなかったような気がするけれど、ネットで調べても判然としないのでしょうがない。でも当時からの記憶がいまでもハッキリとしているのは、アルバム・オープナーが哀切感に満ちた「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」…、だったはずなんだけど…。

ところがどのリイシュー CD でも Spotify にあるのでも『ブッカー・リトル・アンド・フレンド』の一曲目は「ヴィクトリー・アンド・ソロー」で、「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」は四曲目。おっかしいなァ〜と思って調べてみると、このバラード(ふうの曲)は B 面の一曲目だったようだ。ってことは僕はこのレコード、B 面ばっかり聴いていたのかなあ?

僕の持つ『ブッカー・リトル・アンド・フレンド』CD は日本コロムビアが1993年にリイシューしたもので、これを買う当時、僕はあの切々たる「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」をもう一回聴きたいと思うものの、上記のようにアルバム名とジャケット・デザインを忘れていて、どこかの CD ショップ店頭でうろついて、あっ、このアルバムにその曲が入っているからたぶんこれじゃないかな、と思ってレジに持っていったのだ。

以前から書いているが、僕がアルバム全体を一続きのものとして連続再生するようになったのは CD時代になってからのことで、それ以前はレコードを片面再生し終わったら別のアルバムをかけていた(というジャズ喫茶の習慣がなかなか抜けなかった)。いまでも CD 複数枚でできているアルバムを連続再生することはあまりないんだ。iTunes と Spotify で聴くときだけが例外かもしれない。

そんなことで、ネット情報を漁っても『ブッカー・リトル・アンド・フレンド』のアナログ・レコードはどれもぜんぶ「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」が B 面一曲目だったようなので、きっと僕はこのアルバムの B 面しか聴いておらず、その印象がかなり強かったってことなんだろう。あるいは A 面と書いてあるところに B 面相当分が収録されているなんていうミスもむかしはあったことだけど。

とにかく『ブッカー・リトル・アンド・フレンド』は、CD や Spotify にあるものでの四曲目になるスタンダード・チューン「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」(If I Should Lose You) が最高なんだ。この曲題だけで、どんな歌なのかご存知ないかたも想像できることと思う。それを、ブッカー・リトルはまるで歌詞をそのまま歌っているかのようなフィーリングで吹いている。も〜う、大学生のころから僕はそれの虜なんだよね。

特に音色だよなあ。ブッカー・リトルしか持っていなかった(ちょっぴりチェット・ベイカーも?)この独特の暗く湿った哀切感あふれるくぐもったような翳ったサウンド。どうやればトランペットでこんな音色が出せるのか、吹いたことのない僕にはサッパリわからないが、同じような音色を持つ存在がほかにほぼひとりもいないことだけはわかっている。

しかもこの「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」ではブッカー・リトルだけが吹いていて、編成はピアノ・トリオが伴奏するだけ。ブッカー以外はピアニストもだれもソロをとらず、ブッカーひとりが哀感に満ちた暗い音色で、このバラード(?)を切々と吹いている。フレイジングも同じ。この曲の歌詞を考えれば、これ以上ピッタリくるフィーリングでこのスタンダード曲を演奏したり歌ったりしたミュージシャンはいないはずだ。

レコードでの B 面相当分ではほかの三曲でも、あ、いや、リイシュー CD で初めて自覚的に耳に入れた A 面相当分でも、ブッカー・リトルのトランペット・サウンドには暗い哀切感がある。そんな音色でもって、「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」以外はぜんぶブッカーのオリジナルである、決して明るくなく躍動的でもないような、暗い部屋でよどんでいるような曲を、淡々と吹くんだよね。

アルバム・ラストの「マティルド」(はマチルダの変形名だろう)では、ほかの曲同様トロンボーン奏者とテナー・サックス奏者が参加しているがアンサンブル部分だけでのことで、ソロはブッカー・リトルしかとっていない。この「マティルド」も悲しそうというか沈痛な雰囲気だ。トランペット・ソロもそうだし、ブッカー自身による三管とリズムのアレンジもそうじゃないか。

アルバム『ブッカー・リトル・アンド・フレンド』では、これら「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」と「マティルド」が異様に(鈍く暗く)輝いていて、いったいこの1961年夏(としか判明していない)このベスレヘムへのレコーディング・セッション近辺でなにがあったのか?ブッカーはどうしたんだ?この数ヶ月後に尿毒症にて若くして亡くなってしまうのを、死が間近であるのを、自覚していたのか?と思ってしまう。

アルバムのほかの曲でも、たとえば一曲目「ヴィクトリー・アンド・ソロー」のテーマ演奏部のサビではアフロ・キューバンなラテン・リズムを使っているのだが、陽気さとか快活さとはおよそほど遠いものだ。ただ三管アンサンブルといいリズムといい、作編曲者としてのブッカー・リトルの腕前は、この1961年夏に成熟していたということが間違いなく言える。テンポの自在な変化、リズムの使い分け、それに応じたホーン・アンサンブルの出入り、緩急のつけかたなども見事だ。

そうだけれど、僕としてはブッカー・リトルのあの独特の哀切感あふれる沈痛な音色に魅力を感じ聴き入ってしまうので、そこにこそ、このジャズ・トランペッター最大の美点があると信じているので、クリフォード・ブラウンの継承者的位置付けと期待されていたとか、ハード・バップ語法の爛熟期にデビューし、その限界を知り、新たなる表現に取り組んだ(結果、エリック・ドルフィーに出会った)とかっていうことは、眼中にないんだよね。まあでも一つの時代の終わり(と自身の死?)にあって、その暮れていくフィーリングをも、そのトランペット・サウンドでよく表現できているなという見方もできる。

2018/03/17

フィーリンのフィーリング

Feelingfeelin

あるいはご存知ないかたのために念押しすると、表題の「フィーリン」(Feelin、Filin など)とは、もちろん英語の feeling から来ている言葉。だけど、キューバで誕生し、同地やその周辺エリアである時期に流行した歌謡音楽の1スタイルを指すものだ。ジャンル名とは言いにくいかもしれない。語源どおり、感じかた、フィーリングのことだから、それまでとはちょっと違ったふうにやってみようというだけのもので、確固たる別形式があったとも言いにくい。

フィーリンが、キューバかあるいはキューバ人が渡ったメキシコあたりで誕生したのは1940年代末ごろとみなしていいんだろうか?でも流行するようになったのは50年代後半以後だよね。その後、59年のキューバ革命を経て60年代初頭にも歌われたけれど、62年の例の米ソ対立のキューバ危機ののちの64年の国営レコード会社エグレムの設立あたりで全盛期は終わったようだ。

だからフィーリンの流行期は1950年代末〜60年代初頭ということになるね。そのころのキューバや周辺国、もちろん北米合衆国(USA)も含んでの共通する動きを一枚の CD にまとめた好アンソロジーがある。エル・スールの原田尊志さん編纂でエル・スール・レコードからリリースされた『フィーリンを感じて』だ。

ご覧になればおわかりのように、2018年現在品切れ状態で再プレス待ちとなっているのだけが残念。一般流通品なので、2012年以後、ふつうの CD ショップやネット通販でも売っていた。あるいは店頭在庫が残っている場所があるかもしれないので、可能なかたは地道に路面店にあたってほしい。だってね、おもしろいアンソロジーだもんね。

フィーリンの代表格は、キューバ人で主にメキシコで活動したホセ・アントニオ・メンデスということになっているのだが、エル・スール盤『フィーリンを感じて』を聴くと、もっと広い共通傾向が、ある時期に生まれていたのだと気づく。それはラヴ・ソングをとりあげて、モダンな感覚でアレンジしなおして、ソフトにふわっと甘美にやさしく歌って、ある種のムードを出す 〜 そんな動きがあちこちで発生していたかもしれないようだ。

音楽の新潮流とは、まあ音楽に限らない話だが、たったひとりの天才的独創で誕生することなんてあまりない。フィーリンのばあいも同じ。1940年代末〜50年代にかけて、それまでの甘いラヴ・ソング、たいていはキューバの主たる恋愛歌スタイルであったボレーロを、いろんな音楽家や歌手たちが再解釈して、伴奏の楽器編成も見なおしてハーモニー感覚もモダンにし、歌も軽くフワリと乗せるようにして、決して声を張りすぎたり叫んだりしない歌唱法で、なんというか全体的にクールで抑制の効いた新感覚のボレーロというかラヴ・ソングをやりだした。

それがフィーリンの正体。だからこれは方法論であって、楽曲じたいの新形式、新ジャンルではない。エル・スール盤『フィーリンを感じて』には、主に1950年代末〜60年代初頭というフィーリン全盛期の録音が収録されているので、このアルバムを聴くと完成形としてのこの(キューバ)歌謡が聴けるのか、というと、実はもっといろんな種類のものが収録されているのが興味深い。

録音時期はたしかにぜんぶそのあたりなんだけど、たとえばアルバム・ラスト26曲目の「幸せになれない」(No Puedo Ser Feliz)を歌うボラ・デ・ニエベはフィーリン歌手なのかどうか判断がむずかしい。先駆者だと位置付けられるものの、もうちょっとだけ早い人だという見方が主流じゃないかな。「幸せになれない」はアドルフォ・グスマンの曲で、この人もフィーリンのなかに位置づけるよりも、先駆け的な人だったと見るべきだろう。

そんなアドルフォ・グスマンの「幸せになれない」をボラ・デ・ニエベがピアノ弾き語りでやるのをフィーリン・アンソロジーの末尾に収録しているのには、原田尊志さんの強い意思、目論見を僕は感じる。こういったちょっと軽くてモダンな、いわばジャズ・ソングとかシャンソンをやるみたいな感じの方法に、キューバにおいて従来様式にとらわれないラヴ・ソングをやろうという動きの予兆があったことを読みとってほしいということだろう。
ピアノ一台での弾き語りは典型的フィーリン・サウンドではないが、ちょっと新しめの、それまでとは違った歌謡表現法を感じとることができて、アルバム・ラストのここからリピート再生して一曲目のフランク・ドミンゲス「君の教え」(Tu Me Ascostumbrastes)へ戻ると、それもピアノ弾き語り(+ヴァイブラフォンなど)だし、通底するものをたしかに感じることができる。ヴォーカルのやわらかさはドミンゲスのほうがずっと洗練されている。
こんな感じのヴァイブラフォンの使いかたは、アルバム『フィーリンを感じて』全体を通し頻出する。ヴァイブラフォン+ピアノ+オルガン+ギター、みたいなのがフィーリン伴奏の主要サウンドだったんじゃないだろうか。それにくわえ甘美で流麗なストリングスとか、そんな感じかな、フィーリン・サウンドって。その上に(北米合衆国での言いかたなら)クルーナー・タイプのなめらかでソフトなヴォーカルを乗せればフィーリンっぽくなる。

だから北米合衆国の歌手でもそんなタイプの一人だったナット・キング・コールも、エル・スール盤『フィーリンを感じて』には収録されている。12曲目の「うらぎり」(Perfidia)。最高なんだよね。ヴォーカル技巧の上手さという点で判断すると、このアルバム中群を抜いて素晴らしい。声のなめらかさ、ポルタメントの美しさ、発声の輝き、正確なディクションなどなど完璧だ。これぞ<歌>だよ。
も〜う、なんど聴いてもこの甘さにとろけてしまう。ナット・キング・コールって素晴らしい歌手だよなあ。ところでこの「うらぎり」で聴けるリズム・パターンがあるでしょ。コンガやボンゴが細かくチャチャチャと刻んでいながらも、同時に全体的には大きくゆったりとウネるようなグルーヴ。これがキューバのボレーロのパターンで、フィーリンにもそっくりそのまま受け継がれている。こういうのが僕はだ〜いすきなんです。

こんなボレーロ/フィーリンのリズム・パターンは、アルバム『フィーリンを感じて』ではいたるところにあって、というかそうじゃない曲を探すほうがむずかしいので、これぞキューバン・ラヴ・ソングのリズム表現だと言ってさしつかえないのかもしれない。2曲目のオマーラ・ポルトゥオンド「わたしのせいじゃない」(No Hagas Cancion)もそう。アルバムに二曲収録されているフィーリンの女王エレーナ・ブルケも、24曲目の「失恋」(Presiento Que Me Perdi)はギター1台の伴奏だけど、バンド伴奏の4曲目「あなたの理由」(Tu Razon) は同じリズムだ。後者だけご紹介しておく。甘さに流れすぎない味と気高さ、気品が宿る声で、絶品だ。
キューバのフィーリンは北米ジャズとの関係が深いだろうと思うんだけど、アルバム『フィーリンを感じて』のなかにはメインストリームなジャズ・ビートである4/4拍子が部分的に使われているものだってある。6曲目、ボビー・ヒメネースの「あるお祭りの歌」(Cancion De Un Festival)、10曲目、ルベーン・リオスの「あきらめ」(La Renuncia)、18曲目、フェリペ・ドゥルサイデス&クァルテートの「恋のゲーム」(Juego De Amour)、19曲目、セルヒオ・フィアジョの「アヴァンチュール」(Aventura)がそう。

さらにセルヒオ・フィアジョの「アヴァンチュール」では、イントロ部でニュー・オーリンズ・スタイルのピアノ演奏が聴けておもしろい。プロフェッサー・ロングヘアみたいなやつ。ニュー・オーリンズというよりルンバ・ジャズみたいなもんなのかな。それにビヒャ〜とオルガンがからみ、リズム&ブルーズっぽい感じもある。フィーリンとしてはかなり異色だ。
そんな物珍しさを言わなくたって、たとえば仄暗い妖しさをヴォーカルで出す5曲目、ドリス・デ・ラ・トゥーレの「想いの中」(Imagenes)とか、ジャジーなアレンジの斬新さがまさにフィーリン・サウンドの決定版みたいな8曲目、ルーシー・ファベリーの「静かなあなた」(Silenciosa)とか、ホセ・アントニオ・メンデスの書いた超有名曲をやる13曲目、ヘルマーン・バルデースの「至福なる君」(La Gloria Eres Tu)とかも最高だ。

またキューバ〜ラテン界の大物シンガーである17曲目、ティト・ロドリゲスの「不信」(Desconfianza)や、やはりビッグ・ネームの21曲目、ボビー・カポーの「わたしを責めて」(Reprochame)なども、かなりフィーリン寄りだよね。少なくともリズム・パターンが上で書いたボレーロのそれで、きわめてロマンティックで甘く、ソフトでやわらかいサウンドと歌い口。

これも大物、メキシコ人である23曲目、アグスティン・ララの「君を想う」(Estoy Pensando En Ti)。歌いかたにフィーリンっぽさは聴きとれないものの、このダンソーン・ボレーロを淡々とピアノ弾き語り(+ヴァイブラフォン&リズム)で歌うそのシンプルな姿に、フィーリン歌手たちにつながるものを感じられるかもしれない。この曲も、リズムは例のあの(ボレーロ・)パターンだ。

2018/03/16

スパニッシュ・マイルズ(3)〜 「ジャン・ピエール」

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マイルズ・デイヴィスの自作曲「ジャン・ピエール」。これが、いつごろ、どうやってできあがったものなのか、いまだにだれも知らない。この曲のオリジンについてはまったくわかっていないんだ。マイルズに限らずこういうことって、実はあまりないことなんじゃないかなあ。

しかも「ジャン・ピエール」は1981年のカム・バック・バンドのライヴで演奏されて以後、1991年にマイルズが亡くなるまでずっと絶えず演奏された定番レパートリーだ。こないだも書いたが、他作曲なら「タイム・アフター・タイム」「ヒューマン・ネイチャー」という二つのバラードがあったのだが、自作ジャズ・オリジナルでの晩年のマイルズのシグネチャー・ソングといえるのは、「ジャン・ピエール」なんだよね。

それなのにここまでなにもわかっていないとはなあ。「ジャン・ピエール」の初演は、記録に残っている限りでは1981年の復帰初ステージとなった1981年6月26〜29日、ボストンにあるクラブ、キックスにおいて。メンツはみなさんご存知のカム・バック・バンドで、そのまま来日公演もやったので説明不要だ。このボストンでのクラブ・ギグは先行カム・バックという位置付けで、大舞台へ向けての予行演習みたいなものだった。

本格的には1981年7月5日、ニュー・ヨークのリンカーン・センターにあるエイヴリー・フィシャー・ホールで行ったコンサートが大舞台でのマイルズ本格復帰だった。ここでまたいつものように愚痴を書くけれども、コロンビアはボストンはキックスでの四日間フル・ステージ、エイヴリー・フィシャー・ホールでのフル・コンサートと、これらすべて公式録音しているのに、どうしていまだに未発売のままなのか?

録音済みなのは各種マニアックな情報をチェックしないかたがただっておわかりのはず。1982年リリースの LP 二枚組ライヴ・アルバム『ウィ・ウォント・マイルズ』に、ボストンの6月27日分から二曲、エイヴリー・フィッシャー・ホール分から一曲、収録されているんだ。収録分しか録音していないなんてありえない。1981年マイルズ復帰の貴重なドキュメンタリーなんだから、早くボックスにして全貌を公式リリースしてほしい。

これらにくわえ、同1981年の来日公演時に東京は新宿のいまはなき西口広場でやった10月4日のライヴからも『ウィ・ウォント・マイルズ』には収録されている。その新宿公演分が「ジャン・ピエール」で、『ウィ・ウォント・マイルズ』に収録されて発売されたのが、このスパニッシュ・ナンバーの初音源化だった。

しかしスパニッシュ・ナンバーといっても、『ウィ・ウォント・マイルズ』収録の1981年ライヴ・ヴァージョンでは、それがわかりにくいんじゃないかなあ。と、僕は素人だからそう思うんだけどね。ここ二、三週書いているように、マイルズはスパニッシュ・スケールを使ってあっても、露骨にスペイン風味を打ち出さないばあいもある。

しかし「ジャン・ピエール」にはテーマ・メロディというか、はっきりしたリフ or モチーフみたいなものがある。これはマイルズが書いたというか事前に用意したものだ。ブルーズ・スケールとスパニッシュ・スケールを用いた演奏をやる際にはそういうコンポジションをあらかじめ用意しないで取り組んできたことの多いマイルズなのに、これはやや意外だ。

(テーマ・)メロディだと解釈できるようなものが演奏に先立って用意されている、それがマイルズの自作である、しかもスパニッシュ・スケールを使ってある、1981年以後91年に亡くなるまでのシグネチャー・ソングになった 〜 これら四点において「ジャン・ピエール」は重視するべきものだ。

ここ数週書いているように、スパニッシュ・スケールを使った作曲、演奏の最大の魅力とは、それによって生み出される旋律美、エキゾティックで魅惑的なメロディの動きだと僕は思う。1969〜75年まではリズムとサウンドの双テクスチャーを徹底的に突き詰める方向へマイルズ・ミュージックは向かっていたので、メロディ重視路線は、まあ自己の過去への回帰ではあるけれど、1980〜90年代のマイルズを端的に特徴づけるものだ。「タイム・アフター・タイム」「ヒューマン・ネイチャー」などもここへ位置付けられる。

だから1981年夏前のカム・バック・バンドでのライヴ当初から、先行するスタジオ録音オリジナルがない(と、いまの時点では判断するしかない)にもかかわらず、スパニッシュ・ナンバーの「ジャン・ピエール」を用意して演奏し、亡くなるまでずっと(12小節定型のスロー・ブルーズとともに)ライヴでは欠かさずやり続けたのには、意味があったと思うんだよね。

要するに12小節定型のスロー・ブルーズにしても、「タイム・アフター・タイム」「ヒューマン・ネイチャー」の二つのポップ・バラードにしてもそうなんだけど、1981年復帰後のマイルズは、美しくチャーミングなメロディ重視の演奏にはっきりと傾いた。この人のキャリア全体を見渡すと、1961年ごろまでの姿勢に回帰した。63年ごろからその後は75年まで、旋律の組み立ては抽象化の一途をたどったから。

「ジャン・ピエール」のテーマ・モチーフは、しかしかなり純朴なというか童謡ふうだよね。これは1981〜91年のどのライヴ・ヴァージョンを聴いてもそうだ。鼻歌で軽く口ずさめるようなチープな調子のもので、あのカム・バック・バンドのころ、あんなにハードでファンキーだったマイルズがこれを…、と思うと意外だった。
これは『ウィ・ウォント・マイルズ』収録の新宿公演ヴァージョン。同アルバム収録の短いほうはたぶんラジオ放送用にということだと思うんだけど編集されているが元演奏は同じものだ。マイルズ自身のソロは、童謡ふうなモチーフをそのままヴァリエイションで繰り返し演奏しているだけみたいな簡単なもので、弱々しい音色といい、さほどの聴きごたえはないよね。

ところが二番手で出てくるマイク・スターンのギター・ソロがかなりいいと僕は思う。評者によってはアルバム『ウィ・ウォント・マイルズ』のなかで聴ける最もいいソロだとするくらいで、それはちょっと褒めすぎだと思うけれど、でもかなりいい。ボスがダメだったあの1981年の来日公演だけど、かえってそのせいもあってか、バンドはかなり健闘していたよね。

あとはやっぱりマーカス・ミラーのエレベ・リフだよなあ。冒頭からまずいきなり聴こえはじめるそれが、この曲「ジャン・ピエール」の根幹を形成している。このベース・リフは本当に素晴らしい。このエレベのパターン、同じ音程をブン、ブンとリピートするのが、マイルズの指示なのかマーカスの着想なのかはわからない。

わからないがしかし、この同一音程をブン、ブンとエレベで(ときに低音シンセサイザーで)反復するのは、その後マイルズ・バンドの全員がそっくりそのまま継承していて、ただの一つも例外がない。そして素朴で童謡ふうなモチーフはそのままに、しかし1983年ごろからはスパニッシュ・スケールをフル活用するようになっていく。

いちばんはっきりと「ジャン・ピエール」がスパニッシュ・ナンバーだとわかるのは、1983年の来日公演分(はブートレグしかない)と、84年と85年のモントルー公演分(は公式音源)あたりかな。

1984年モントルー(昼)https://www.youtube.com/watch?v=sPrgAwng9lA
1984年モントルー(夜)https://www.youtube.com/watch?v=GQHMT36rCqU
1985年モントルー(昼)https://www.youtube.com/watch?v=p5dO3nIkw8E
1985年モントルー(夜)https://www.youtube.com/watch?v=cPh9hy575fo

マイルズも完璧なスパニッシュ・タッチのソロを吹くが、続くギター・ソロも素晴らしい。1983年のはマイク・スターン、84、85年はジョン・スコフィールド。マイクなんか81年公演ではあんな感じでスペインふうなところなんてなかったのに、83年は先行するボスのソロ内容に触発されて同じくスパニッシュ・タッチで弾いている。

1984、85年だとボスのトランペット・ソロもさることながら、二番手で出るジョン・スコフィールドのギター・ソロが本当にいい。情熱的というか激情的というかパッションがほとばしっているよねえ(ぜんぶ同じ意味だが)。まさにスパニッシュ・フラメンコみたいなギター・ソロだなあ。

あんな童謡ふうなテーマ・モチーフの曲なのにこんな内容のソロを展開できるのは、ひとえにスパニッシュ・スケールを使ってあるからで、そのスケールにもとづいてソロを演奏しているからなんだけどね。「ジャン・ピエール」、その後はテンポが少し速めになったり、リズムの感じが変化したり、アレンジがくわわったり、スパニッシュ・タッチが薄くなったりしていることもある。

2018/03/15

暖かくなってきたのでサンバの教科書を

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これぞまさにサンバの教科書というような『すばらしきサンバの仲間たち』(Encontro com a Velha Guarda)。これってブラジル盤があるんだろうか?あるってことだよね。見たことないけど。僕は中村とうようさんが解説文を書いている1990年リリースの日本フォノグラム盤 CD を持っているだけ。それは新星堂配給、つまりオーマガトキだ。

『すばらしきサンバの仲間たち』の録音は1976年らしい。日本で最初にこのレコードが出たのは1980年だっけ?当時それを知っていたとして、買って聴いたとしても僕におもしろさが理解できたかどうか、疑わしい。あのころの僕は派手に電気を使ったハードなジャズ・ファンクや、古いものなら戦前のニュー・オーリンズ/ディキシー/スウィング・ジャズに夢中だったから。

でもそのころから『すばらしきサンバの仲間たち』は、これぞ本物のサンバ・ミュージックのレコードだとして、日本のファンのあいだでも評価も人気も高かった一枚なんだそうだ。1976年録音というと、ブラジルにおけるサンバ復興が頂点に達していたころじゃないかなあ。60年代から盛り上がり、70年代に入ってエスコーラの古老たちに録音の機会が与えられるようになり、70年代半ばがピークだったはず。

『すばらしきサンバの仲間たち』はアナログ・レコードとしても短い29分程度しかない。しかしこのアルバムで聴ける地味だけど滋味深いサンバ・ミュージックは味わい満点で、美味の一言。エスコーラの古老によるサンバ録音というと、僕のばあいたぶんカルトーラのテイクオフ盤 CD が最初のきっかけだったんだけど、『すばらしきサンバの仲間たち』は、一曲ごとにサンビスタ一名ずつによる名義の音楽が続く。

だから『すばらしきサンバの仲間たち』は、あるいは編纂盤なのかもしれない。そうじゃないのかもしれない。中村とうようさんの解説文にそこらへんのことは書かれていないのだ。フロントで歌う歌手が一曲ごとに入れ替わるだけで、伴奏やバック・コーラス陣は同じ面々が務めているのかもしれない。そうだとすれば編纂盤じゃなくて、一つの企画のもとに録音計画があったものだということになる。

アルバムのサウンドを聴くと、う〜んと、たしかに伴奏陣はひょっとしたら全曲同一メンツかもしれない。そんなところも明記がないんだ。打楽器がスルドとパンデイロとクイーカだけで、それにくわえ弦楽器がギターとカヴァキーニョだけ(?、あるいはそれぞれ複数台?)という感じに聴こえ、全十曲、その同じサウンドで統一されているといえるかもしれない。

バック・コーラス隊もカーニヴァルにおけるエスコーラのサンバを再現した、まあまあ大編成の混声合唱が聴こえる。これも全曲同じメンツかも。え〜っと、じゃあやっぱりこのアルバム『すばらしきサンバの仲間たち』は一個の企画で録音された一つの単独アルバムだったってことか。

フロントで歌うサンビスタも、たしかに一曲ごとに入れ替わるものの、味わいは似ている。最有名人は、間違いなく七曲目の「最後の審判(Juizo Final)」を歌うネルソン・カヴァキーニョだ。サンバ・サークル外にも知名度の高い存在で、生え抜きでないとはいえマンゲイラの最重要人物の一人として活躍。

一曲目「懐かしいあのころ(Saudade Do Passado)」を歌うマノ・デシオ・ダ・ヴィオーラも有名人かな。インペリア・セラーノの大物。この曲でアルバムの幕開けとしているのはわかりやすい。本物のサンバ・ミュージックとはどういうものなのか、手っ取り早く理解しやすい典型的パターンだからだ。
パンデイロ(タンバリンみたいなもの)に続き、すぐに弦楽器カヴァキーニョ(ウクレレのブラジル版)が刻みはじめ、コーラス隊が出て、スルド(はフロア・タムに相当)が入り、デシオが歌いはじめる。ギター(ヴィオーラという)を含む弦楽器群が細かくビートを刻みながら、スルドは大きくゆったりと入り、デシオもコーラス隊も大きくうねるように歌っている。このさざなみのような混交グルーヴがサンバだ。

こういったパターンのノリの創りかたはサンバに共通するものなので、アルバム『すばらしきサンバの仲間たち』でも全曲同じ。四曲目でイズマエール・シルヴァが歌う「恩知らず(Ingratidao)」、六曲目、ワルテル・ローザ「こんなもんさ(E Por Aqui)」だけはテンポがやや遅めだけど、ほかの八曲も含め、ほぼ中庸テンポでのグルーヴは同じだ。

アルバムのオープナーが「懐かしいあのころ」だったのに呼応するように、クローザーがペラード・ダ・マンゲイラの歌う「素晴らしいバイーア(Reliquias Da Bahia)」であるのには意味があるんだろう。「懐かしいあのころ」はオールド・サンバ賛歌みたいな曲だけど、「素晴らしいバイーア」もペラードの書いたサンバ・エンレード(カーニヴァルのためのサンバ)で、バイーア(ブラジル北東部)賛歌だ。

2018/03/14

ブギ・ウギ・ギタリストとしてのロバート・ジョンスン

ロバート・ジョンスンが典型的なデルタ・ブルーズ・マンではないことを証明する大きな理由の一つが、ブギ・ウギ・パターンの多さだ。そりゃあもうムチャクチャに多いのだ。ロバートが残した全録音をマスター・テイクだけにすると、全29曲。そのうち、あのぶんちゃぶんちゃというブギ・ウギのパターンをギターで表現しているものは、ザッと見渡すだけでも14曲。つまり全録音の約半分はギター・ブギだ。

いっぽう典型的なデルタ・カントリー・スタイルだと指摘できるものはたったの五曲しかない。少ないから録音順に列挙すると、「テラプレイン・ブルーズ」「ウォーキン・ブルーズ」「プリーチン・ブルーズ」「イフ・アイ・ハッド・ポゼッション・オーヴァー・ジャジメント・デイ」「トラヴェリング・リヴァーサイド・ブルーズ」。これだけ。

しかもそれらデルタ・ブルーズだと言えるものでも、かなり洗練されたスタイルで演唱しているのがわかる。師匠格だったサン・ハウスみたいに徹頭徹尾ごりごりハードに突き進むようなものは、それら五曲のなかに一つもない。特にイントロ部でかなりデリケートなギターの弾きかたで入り、それでちょろっと雰囲気をつくっておいて、しばらく経ってからデルタ・スタイルに入っている。

デルタ・スタイル部でもあまりハードにスウィングせず、ザクザクと激しく刻んだりするようなところが聴かれない。しかもコード弾きでのリズムと、スライド・バーを使ってのシングル・トーン滑りの双方を同時に演奏し混交させて、複雑微妙なビートの陰影を生み出しているよね。

ヴォーカルのほうはもっとわかりやすい。デルタ・スタイルの曲ですら、大きく強く張りのある声を響き渡らせることなんて、ロバート・ジョンスンのブルーズにはない。あえて言えばスキップ・ジェイムズみたいなピッチの高い、ややフェミニンな声質で、やさしく、ときにはそっと置くように、ときにはちょっとだけ激情的に、しかし全体的には手の込んだデリケートな歌いかたをしていて、豪放磊落なんて部分はぜんぜんないんだ。

デルタ・スタイルのブルーズをやるときですら、こんなふうな都会的洗練を聴かせているロバート・ジョンスンで、だからシティ・ブルーズの1スタイルであるブギ・ウギのパターンでやっているものは、さらに繊細で洗練されていて、言ってみればまあ弱々しいというか、なよなよしたというか、めそめそしているようにというか、そんなブルーズ表現を聴かせているよね。ギターもヴォーカルも。

ブギ・ウギはもちろんダンス・ミュージックだ。この名称じたい、もとは音楽名じゃなくてダンス名だ。そしてそれは一般的にはピアノでやるブルーズのスタイルとして知られている。あるいはピアノ・ブルーズだとしか思われていない可能性が大だが、そんなことはないのかもしれない。
ひょっとしたらピアノでやりはじめたんじゃないのかもしれないんだが、リンクを貼った上の記事で書いたのでご一読を。でもロバート・ジョンスンがブギ・ウギのパターンを憶えたのは、間違いなくブギ・ウギ・ピアニストのレコードや生演奏に接してのことだったんだろう。ロバートがブルーズに目覚めたのは、リロイ・カーの1928年のレコード「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」でだったらしいが、ブギ・ウギの史上初レコードも同じ28年の「パイン・トップス・ブギ・ウギ」(パイン・トップ・スミス)。

まあホント、リロイ・カーみたいな洗練された大都会のシティ・ブルーズを聴いて、自分もブルーズをやりたいとと思うくらいなんだから、ロバート・ジョンスンってハナからそんな資質の音楽家だったんじゃないかな。そんでもってリロイ・カーの出現とブギ・ウギ・ピアノのレコード発売開始がほぼ同時なんだから、ロバートはどっちも聴いていたということは疑いえない。

ロバート・ジョンスンの音楽的魅力のうち最大のものは吸収・合体力であって独創力じゃないんだ。うんまあ、そんな能力もオリジナルなものだし、ワン・アンド・オンリーであったことにだれも異を唱えることはできないから独創的には違いない。だけど音楽的に切り分けると、ブギ・ウギ、リロイ・カー的都会派ブルーズ、デルタ・スタイルなどなど、先輩連中から吸収して自分ひとりのギター弾き語りのなかに合体させ、アウトプットした 〜 これがロバート・ジョンスンだ。

ロバート・ジョンスンがそんな先輩ブルーズ・ミュージシャンたちから受け継いで自分の養分にしたうち最大のものが、ほかならぬブギ・ウギだったんだよね。なんでもいいからブギ・ウギ・ピアノの1920年代末とか30年代とかの演奏をちょっと聴いてみて。と言っただけで突き放すんじゃ愛想がないから、いくつかすこしご紹介しておこう。

まずエポック・メイキングなパイン・トップ・スミスの「パイン・トップス・ブギ・ウギ」(1928)。
これも左手でのブギ・ウギ・パターンがわかりやすいスペックルド・レッドの「ザ・ダーティ・ダズン No. 2」(1930)。
これはブギ・ウギ・ピアノ史上に残る名演であろうミード・ルクス・ルイスの「ホンキー・トンク・トレイン・ブルーズ」(1935)。
こういった人たちにブギ・ウギ・ピアノの手ほどきをして尊敬を集めていた先輩ジミー・ヤンシーがパイオニアのひとりなのかもしれないんだが、ヤンシーのばあいは、1938年にミード・ルクス・ルイスがヤンシーの曲「ヤンシー・スペシャル」を録音、発売し、それが無名だったヤンシーを世に紹介するかたちとなって、ようやく1939年になってヤンシーの録音が開始されるので、録音時期だけからしたらロバート・ジョンスンよりも遅かった。

さて、こういったブギ・ウギ・ピアニストたちが左手でブンチャブンチャと8ビートで刻むパターン。ロバート・ジョンスンのブギ・ウギものをいちばん上の Spotify プレイリストで一つにしておいたので、ちょっとつまみ食いしていただきたい。ロバートがギターの低音弦で演奏するパターンがまったく同じだとわかっていただけるはず。

いちばん典型的なのは超有名な「スウィート・ホーム・シカゴ」かな。あまりにもそのまんまのブギ・ウギだ。ロバート・ジョンスンがレコードや生演奏で聴き憶えたに違いないブギ・ウギ・ピアニストの左手の、8/8拍子の、いわゆるウォーキング・ベースのパターンを、そっくりそのままギターに移植しているじゃないか。

そのほか上掲プレイリストではぜんぶそうなので枚挙にいとまがないほど。最高傑作は僕の見るところ「ラヴ・イン・ヴェイン・ブルーズ」かなあ。この曲はリロイ・カーの、それもブギ・ウギ・パターンではない曲「(イン・ジ・イヴニング)ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」(1935)の焼き直しなんだけど、ロバート・ジョンスンはそれをブギ・ウギ・スタイルで解釈しなおして、自己流に仕立て上げた。
こんな具合なんだから、ロバート・ジョンスンについてあんなにみんなたくさん言うのなら、本当だったらブギ・ウギ・ピアニストたち(とリロイ・カーらシティ・ブルーズ・メン)についてもっと言ってくれなくちゃおかしいんだよね。あまり言ってくれてないような気がする。ロバート・ジョンスンにあるブギ・ウギ要素については「徹底的にピアノ・ブギを吸収した」とかの一言で片付けられていて、まるでデルタ・スタイルのオマケ、余興であるかのような扱いなんだけど、逆だよ、逆。

1938年の後半、かのジョン・ハモンドがロバート・ジョンスンを探し、同年開催予定の第一回『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサートに出演させようとしたことと、同コンサートでブギ・ウギ・ピアニストたちがフィーチャーされ、はじめてブギ・ウギ・スタイルの音楽が全米に拡散するようになったのは、たんなる偶然だとも言い切れないようが気がするんだよね。

2018/03/13

音楽の桃源郷 〜 ソーサーダトン

僕にとってのミャンマー音楽初体験だった女性歌手ソーサーダトンの『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』(2012年か13年?)。Soe Sandar Tun という名前だってソーサーダトンと表記するというのは、紹介してくださるみなさんがそうお書きだから真似しているだけで、僕なりの根拠なんかぜんぜんない。アルバム名の読みかたはいまだにわからない。

ソーサーダトンのこの仏教歌謡集『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』がミャンマー音楽との出会いだったのはかなりの幸運だったと思う。日本ではいまだに知名度ゼロのソーサーダトンで、一部で、っていうかはっきり言えば主に渋谷エル・スールとその周辺界隈だけ(?)で熱狂的に支持される歌手だけど、おそらく今後も日本で一般的人気が出ることなどありえないだろう。

がしかし、『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』はかなりいい内容の音楽アルバムなんだよね。ミャンマー音楽のことを文字どおりなにも知らなかった僕が初体験で好きになってしまったくらいなんだから、今日の今日までソーサーダトンをご存知なかったかたがただって可能性は大いにあると思う。CD 現物がなかなか入手できなくなっているが、一番上でご紹介したように Spotify にあるんだ。だからみなさん、ぜひちょっと聴いてみて。

ソーサーダトンの『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』がミャンマー音楽入門にもいいんじゃないかというのは、一聴で好きになってしまった僕の個人的体験から来るオススメ言葉ではあるけれど、一歩引いて考えてみても、合理的な理由が見当たりそうだ。

一つは伴奏の楽団編成。サイン・ワイン(パッ・ワインともいう環状太鼓)、サウン(竪琴)、フネー(チャルメラ)というミャンマー伝統音楽の通例的な楽団編成にくわえ、西洋楽器のピアノ奏者も参加している。三種類のミャンマー伝統楽器だけじゃなく、ピアノまでもが西洋音楽的な弾きかたの枠から抜け出して、独自の奏法を編み出して実践していることもおもしろい。緬西折衷というよりも、ピアノも含めて全面的にミャンマー音楽に即している。

しかしピアノはご存知のとおり西洋音楽平均律の権化みたいな楽器であって、12音平均律における半音までしか表現できない(ばあいが多い)。ソーサーダトンのヴォーカル表現や、三種のミャンマー伝統楽器のサウンドを聴いてもわかるのだが、もっと小さな音程も使うんだよね。いわゆる微分音を頻用する。それを意図的に、さらに正確にヒットする。

だからそこにピアノのような(固定音しか出せない?)楽器を混ぜてうまく違和感なく聴かせるのはなかなかむずかしいことだと思うんだ。ソーサーダトンの『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』で弾いているピアニストがだれなのかわからないが、まず和音は弾かず、シングル・ノートで、かつ打楽器的に弾き、めくるめくような万華鏡のようなフレーズを奏でて、たとえばサイン・ワインの打音と溶け合っている。その結果、歌手ソーサーダトンのヴォーカル・ラインを際立たせているんだよね。

CD をお持ちでないかたはぜひ上の Spotify 音源で聴いてほしい。ソーサーダトンは米欧音楽でいう歌ものとはまったく異なる器楽的でメカニカル(だと僕の耳には響いてしまうのがミャンマー音楽素人の証拠か?)なメロディ・ラインを、しかも西洋的な音階にもとづいていない独自旋律を、その上に装飾的で細かなコブシをくわえながら、さらに微分音を正確にヒットしつつ、デリケートかつ張りのある声で、完璧に歌いこなしている。

極めて高度なヴォーカル表現じゃないかなあ。しかしそんな超高度なヴォーカル・テクニックを駆使しながらも、できあがりの歌を聴くと、むずかしさ、とっつきにくさがぜんぜんない。逆に庶民的で親しみやすい表情を見せているじゃないか。ソーサーダトンはポップ歌手というのとも少し違う伝統歌手なんだそうだけど、歌だけ聴くと(歌詞がわかりませんから)ポピュラー音楽の歌手っぽいよね。

そんなソーサーダトンの伴奏をする三種のミャンマー楽器とピアノ。加えてなんだか金属音というか、仏式葬儀でのおりんの音に似た鐘みたいなものを鳴らす音も聴こえるが、それらは天然自然のアヴァンギャルドさにも聴こえる。米欧の大衆音楽的な視点で言えばね。当人たちは通例的な伝統歌謡の伴奏をごくふつうにやっているだけだろうから、僕のこの言いかたは的外れかもしれない。

以前、サイン・ワインのことは詳しく書いた。僕にとって、ソーサーダトンの『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』でいちばん耳を惹いた伴奏サウンドがその環状太鼓だ。パカッパカッとのどかな音色で、しかし細かく複雑なパーカッション・フレーズを叩きこなしている。
ソーサーダトンの歌にしてもそうなんだけど、どうもそういった複雑難解なテクニックを駆使しながらも、できあがりは身近でフレンドリーな日常に聴こえるというのが、ミャンマー音楽の(東南アジア音楽の?)最大の魅力なのかもしれないなあ。しかもすぐそこでやっているような生々しい情感もたっぷりある。

仏教歌謡集だというのはおそらく歌詞で表現されているんだろうから(まあジャケット・デザインもそんな感じだけど)、ミャンマーの言葉がわからない僕にはなにも言えない。音楽好きの多くの日本人もそうじゃないかな。だから、ただひたすらソーサーダトンの声のキラメキ、可愛らしさ、高度な歌いまわしのテクニックなどを、華麗できらびやかな伴奏サウンドといっしょに楽しめばいいんだ。

ミャンマーの伝統派(でありかつ現代ポップスにも聴こえる)歌手、ソーサーダトンの『Sae Koe Lone Nae` Aung Par Sae』。これこそ音楽の万華鏡、桃源郷じゃないだろうか。いままでミャンマー音楽と無縁でいらっしゃったみなさんにも、ぜひにと推薦しておきたい。そしてまたふたたび CD が日本で買えるようになるといいなあ。

2018/03/12

コルトレインの話をしつつ…

実はソニー・ロリンズのことも話しているんじゃないかというのが僕の見方であるグラント・グリーンの1964年作『トーキン・アバウト!』。これ、かなりいいアルバムなんだよね。すくなくとも僕は大学生のころから大好きで、いまだに聴き続けているブルー・ノート盤だ。

時系列で見ると、このアルバムの録音セッションなどがきっかけでラリー・ヤングの『イントゥ・サムシン』に結びついたということになって、それが重要視されているはず。しかし僕にとってはそんなこと関係ないのだった。僕はたんにグラント・グリーンのギターが好き。そんでもっていわゆるオルガン・トリオ編成(ギター+オルガン+ドラムス)が大好き。それだけ。

あっ、そうだ、ラリー・ヤングのことだけど、あまり知られておらず重要でもないトリヴィアを書いておこう。この1940年生まれのジャズ・オルガニストの父もジャズ・オルガニストで、名前も同じラリー・ヤング。だから区別できないんだよね。シニア、ジュニアと呼び分けるしかない。がしかし、シニアのほうは無名なので、まあそんな必要もなく、「ラリー・ヤング」とだけいえば、ふつうはジュニアのほうになるけれどね。

ラリー・ヤングのオルガンは新世代のものということになっていて、僕のばあいたとえばマイルズ・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』でフェンダー・ローズを弾いているのではじめて知った名前だけど、マイルズとラリーの共演はあれだけだし、あの作品にだけどうしてラリーが参加しているんだろう?ジョン・マクラフリンの起用と同じく、トニー・ウィリアムズのコネだったのかもなあ。あのマイルズの二枚組にトニーはいないけれど。

そんなラリー・ヤングはオルガンを弾くジョン・コルトレインみたいに言われたりもするし、『トーキン・アバウト!』のドラマーもいつものようにエルヴィン・ジョーンズだし、1964年9月11日録音だし、一曲目のタイトルが「トーキン・アバウト・J.C.」だしで、このアルバムはグラント・グリーンとしては頑張って時代の潮流に乗ろうとしたものだとされることが多い。

でもそれって本当なんだろうか?まだお聴きでないみなさんも、LP か CD か、またはネット・ストリーミングに抵抗のないばあいは上の Spotify にあるもので聴いていただきたいのだが、1964年の時代のサウンドだっていう印象は持たないんじゃないかなあ。少なくとも僕にはそれがない。エルヴィンひとりがポリリズミックに叩いているようだけど、基本の4/4拍子からさほど大きく離れていない。

ラリー・ヤングだってオルガンのコルトレインなどと呼ばれたりするけれど、実はあんがいソウル・ジャズ寄りの演奏を聴かせることだって多いんだよね。活動経歴からロック・ファンにも知名度があるしね。そんなむずかしい演奏をするオルガニストじゃないのかも。特に『トーキン・アバウト!』ではシンプルにジャジーで黒っぽく、ソウルフルだ。

主役のグラント・グリーンはというと、コルトレイン・スタイルのモーダルな演奏法にトライして…、なんて書いてある文章がネット上にいくつかあるけれど、本当かなあ?ふだんどおりのコーダルなハード・バップ・ギターじゃないか。そしてこのギタリストはいつもそうだけどシングル・トーンでしかソロを弾かず、ブルージーで、しかもダーティ(というにしては都会的洗練もあるのはジャズだから)だ。

アルバム『トーキン・アバウト!』収録曲では、みんなが注目する一曲目「トーキン・アバウト・J.C.」、三曲目「ラリーズ・チューン」(どっちもラリー・ヤング作)はもちろんイイ。特に一曲目ではラリーのハモンド・オルガンがびゃ〜って鳴りだしただけで、僕はイイ気分。以前も言ったけれど、それくらいハモンド B-3のサウンドが僕は大好きなんだよね。

しかしジョン・コルトレインに捧げた一曲目でも、グラント・グリーンはいつもの自分の居場所をしっかり保って自分の仕事をしている。ソロの途中で「朝日のようにさわやかに」を引用しているよね。エレキ・ギターとハモンド・オルガンのサウンドが相性いいっていうのはわかっていることだけど、それでもグラントの単音弾きソロにラリーがからみ、背後でエルヴィンが細かく刻むという、それだけで文句なしに十分楽しい。

アルバム『トーキン・アバウト!』では、それら二曲以外がポップ・ソングで、意外なところは二曲目の「ピープル」かな。同じ1964年のブロードウェイ・ミュージカル『ファニー・ガール』でバーブラ・ストライザンドが歌ったもの。だから最新のポップ・ヒットみたいなもんだった。ふつうのバラードをふつうに綺麗に弾くグラント・グリーンが素晴らしい。なにもむずかしいことはしていないし新しくもないが、音楽の美しさとは関係ないことだ。

これを除くと、残り二つのポップ・ソングはジャズ・ファンのあいだでもかなり有名。四曲目「ユー・ドント・ノウ・ワット・ラヴ・イズ」、五曲目「おいらは老カウボーイ」(I’m An Old Cowhand)。そしてこの二つで僕はソニー・ロリンズを連想しちゃうんだよね。おかしなことかもしれない。1964年以前にロリンズがやったことがあるというだけのことなのに。

説明不要だが「ユー・ドント・ノウ・ワット・ラヴ・イズ」は1956年のプレスティジ盤『サクソフォン・コロッサス』で、「おいらは老カウボーイ」は57年のコンテンポラリー盤『ウェイ・アウト・ウェスト』でロリンズがやっている。でもそんなことはグラント・グリーンがとりあげたのと、そんな強い関係はないのかも。有名ポップ・ソングだからやってみたということだったんだろう。

だからそれら二曲、たんに僕はロリンズ・ヴァージョンが好きだというだけの話で、それで連想がおよんじゃうってだけだ。いやいや、でも「おいらは老カウボーイ」のほうはやっぱりロリンズの影響もあるんじゃないかなあ。ジャズ・プロパーな演奏家の世界でこの曲をはじめてとりあげたのが『ウェイ・アウト・ウェスト』のロリンズだったのかもしれないから。

だからそんなわけで、こっちはマジでいい曲で有名曲だからみんながやっているだけの「ユー・ドント・ノウ・ワット・ラヴ・イズ」もあわせてロリンズのことを考えて…、っていうのはやっぱりジョン・コルトレインへのトリビュート的な側面が強いアルバムだからからこそ、同じ楽器のライヴァル的存在だったロリンズを僕は意識してしまうんだよね。

ロリンズ・チューンみたいな側面もある「おいらは老カウボーイ」でのエルヴィンが、アルバム中いちばんポリリズミックに叩いているのもおもしろい。エルヴィン・スタイルの、この細かく込み入ったビートを刻むドラミングって素晴らしいよね。ロリンズ・ヴァージョンでは馬のひずめのパカパカっていう音をシェリー・マンが模していて、ゆっくりひょこひょこ歩むようなユーモラスなリズムだったのが、このグラント・グリーン・ヴァージョンではすっかり様変わり。それでも原曲の持つウェスタン・コメディふうなニュアンスもエルヴィンは残している。

ってことはジョン・コルトレインの話をしよう、なんていうような格好をしながらも、グラント・グリーン以下三名は、それと同時にあんがいソニー・ロリンズの話もしようとしていたかもしれないぞ…、とかっていうのは僕の妄想なんだろうか?やっぱりきっと勘違い?

2018/03/11

Tiny Playlist For The Killer Presidents

I just want you to listen!

#Ghouta
#save_Ghouta

Syriapasttopresenteasternghoutafana







Following is the tracklist for those who don’t use Spotify.

1 Chimes Of Freedom (Youssou N'Dour)
2 What's Going On (Marvin Gaye)
3 What's Happening Brother (Marvin Gaye)
4 Save The Children (Marvin Gaye)
5 Masters of War (Dub) (Anika)
6 Saturn (Stevie Wonder)
7 Jean Pierre/You're Under Arrest/Then There Were None (Miles Davis)
8 Blowin' In The Wind (Stevie Wonder)
9 You've Got A Friend (Roberta Flack & Donny Hathaway)
10 With God On Our Side (Neville Brothers)
11 Love's In Need Of Love Today (Stevie Wonder)
12 Where Are You? (Christian McBride)

2018/03/10

これはホンマもんのルーツ・グナーワだ 〜 マアレム・マフムード・ガニア

モロッコのマアレム(グナーワ名人)であるマフムード・ガニア(Mahmoud Gania、Guinia、Guinea、など)。僕のばあい bandcamp をブラついていての偶然の出会いだった。昨年リリースのアルバム『カラーズ・オヴ・ザ・ナイト』の存在を、ついこないだ知ったばかり。
それでこのマアレムについて調べてみると、米英大衆音楽家と共演してポップ・ミュージック寄りになった(?、聴いていませんから)作品が前からあって、それでもってそこそこ知名度はあるらしい。ビル・ラズウェル、ファラオ・サンダーズ、ペーター・ブロッツマン、ハミッド・ドレイクらとの共演作があるとの情報が出てくる。

がまあしかし『カラーズ・オヴ・ザ・ナイト』からこのマアレムを聴いちゃったから、そういう共演作に耳を傾けてみようという気にまったくならなかった僕。そりゃそうなんだよ。モロッコのグナーワ・ミュージックはこういったディープなルーツ志向の、夜の儀礼音楽として演唱されるときが最も魅力的だもんね。

『カラーズ・オヴ・ザ・ナイト』は全八曲だけど、マフムードのゲンブリ(三弦のベース様楽器)&ヴォーカル、カラケブ(金属製カスタネット)、バック・コーラス隊とたったそれだけで構成されている。いちおう六曲目「Sidi Sma Ya Boulandi」においてだけ、スーッと垂れ込める幕のようにストリングスっぽいサウンドが聴こえるが、シンセサイザーだろう。このシンセ・サウンドだけが『カラーズ・オヴ・ザ・ナイト』では例外的だ。

だけどその六曲目「Sidi Sma Ya Boulandi」。冒頭部でゲンブリが鳴りはじめ、そこにスーッとシンセサイザーが聴こえ、カラケブがカシャカシャやりはじめたら、もう完全に気持ちを持って行かれてしまう。しばらく経ってマフムードとバック・コーラスとのコール&レスポンスになりどんどん高揚していくと、聴いている僕までトリップしそう。

アルバム『カラーズ・オヴ・ザ・ナイト』全体をとおし、どの曲もグルーヴのパターンは一様だ。アルバム一枚で <一つの曲> みたいな感じ。悪く言えば変化がなく平坦だということに、米英大衆音楽の聴きかたからすればなるけれど、ディープなルーツ・グナーワではむしろ逆だ。ワン・グルーヴが延々70分間以上続くことでトランス感も持続するんだよね。だから、ポップなおもしろみはない。

ぜんぜんポップじゃなくたって、アルバム『カラーズ・オヴ・ザ・ナイト』一曲目「Sadati Houma El Bouhala」冒頭で、いきなりゲンブリ一台の野太いど迫力のサウンドが聴こえはじめた瞬間に、もうそれだけでだいたいみなさんシビレて興奮するはずだ。カラケブの音とバック・コーラスとのやりとりがはじまったらクラクラして、もう虜だ。

グナーワはやはり宗教的な儀礼音楽なわけだけど、ご存知ないみなさんが聖なる儀礼音楽というので想像なさるのは、たぶんスロー・テンポでおごそかで静かな雰囲気のものなんじゃないかなあ。でもたとえばアメリカの黒人教会音楽がそんなものばかりではないように、モロッコのグナーワも多様で、スローなものもあるがアップ・テンポで激しくグルーヴし、振動する躍動感に満ちたものも多い。

マアレム・マフムード・ガニアの『カラーズ・オヴ・ザ・ナイト』は、どっちかというと激しく興奮するようなグナーワのタイプに属しているように聴こえる。グナーワ儀礼のことなどまったくなにも知らない、モロッコと無縁な僕だって、このアルバムを聴くと心が打ち震え、後頭部から背筋にかけて熱を帯びてジ〜ンとしてくるような感覚に襲われるんだよね。

マフムードのゲンブリのサウンドは超野太いが、しかしフレイジングはしなやかで、複雑に入り組んだベース・ラインを奏でグナーワ音楽の根幹をかたちづくり、そこにチャカチャカとカラケブが同様にトランシーなメタリック・ビートを刻み入れ、なかば歌いなかば詠んでいるような主役のうなり声と、コーラス隊とのコール&レスポンスで圧倒する。

真にヒプノティックな音楽としてのディープなルーツ・グナーワの姿がここにある。マアレム・マフムード・ガニアの『カラーズ・オヴ・ザ・ナイト』、 LP とネット(ダウンロードもストリーミングもある)で聴ける。CD はないが、問題ないんじゃないだろうか。こんなすんごい音楽を前にしたらメディアの種類なんて関係ないよ。

2018/03/09

スパニッシュ・マイルズ(2)

1968年電化後のマイルズ・デイヴィスにもスパニッシュ・ナンバーが多い。75年一時隠遁前までで探すと見つかりにくいのは、スパニッシュ・スケールを使ってあっても、スペインというより中南米音楽に接近していることが多いからだろう。だからラテン・ジャズ・ファンクみたいなものも含めれば、総数は多い。

1975年の一時隠遁までで中南米音楽ふうではないスパニッシュ・タッチの曲はというと、「スパニッシュ・キー」(『ビッチズ・ブルー』)と「ロンリー・ファイア」(『ビッグ・ファン』)だけってことになる。前者は、しかしやはり一聴してスパニッシュ・スケールを使ってあるとはわかりにくいものだ。後者ははっきりとした電化『スケッチズ・オヴ・スペイン』路線。

スパニッシュ・スケールを使ってあっても露骨にスペインふうを打ち出さない「スパニッシュ・キー」方式は、1981年復帰後の「ファット・タイム」「ジャン・ピエール」にも継承された。後者はマイルズが亡くなるまで頻繁に演奏していて、他作曲なら「タイム・アフター・タイム」「ヒューマン・ネイチャー」という二つのシグネチャー・ソングがあった晩年のマイルズだけど、自作曲では「ジャン・ピエール」だったんだよね。

そんな「ジャン・ピエール」。1985年のアルバム『ユア・アンダー・アレスト』に、どこもスパニッシュじゃない近未来ふうな SF ソングにアレンジされ収録されているのを除き、いままでのところ、ライヴ・ヴァージョンしかリリースされていない。オリジナル・スタジオ録音があるのかどうかすらわかっていない。ライヴではしばしば強くスペインふうになったりもした。重要曲だし、「ジャン・ピエール」のことは別個にまとめたいので、機会を来週に改めたい。

上で書いた「ロンリー・ファイア」のほうは鮮明なスパニッシュ・タッチだけど、後半部になるまでずっとテンポ・ルパートで同じモチーフを反復しダラダラとおもしろくないような感じ。10:55 で右チャンネルのチック・コリアが活発なリフを弾きはじめて以後リズムが効いて、曲としてもおもしろくなる。チックは一瞬「ラ・フィエスタ」みたいな旋律を弾いているよね。

がしかし「ロンリー・ファイア」のばあい、マイルズやウェイン・ショーターら管楽器奏者はずっと同じモチーフを反復するばかりで、いわゆるアド・リブ・ソロらしきソロはほぼない。同一モチーフ反復の背後での複数のフェンダー・ローズ隊、打楽器隊、シタールとタブラのインド楽器隊によるサウンドとリズムの双テクスチャーの変化を楽しむべき作品だ。

つまり、以前書いた「オレンジ・レディ」(ジョー・ザヴィヌル作)と同じ手法なんだよね。「オレンジ・レディ」は1969年11月19日録音。「ロンリー・ファイア」は翌70年1月27日録音。前者になぜか演奏での参加がないザヴィヌルだけど、後者では参加。左チャンネルのフェンダー・ローズがザヴィヌルだ。

そのほか、1968年の曲「ネフェルティティ」あたりから、69年「イン・ア・サイレント・ウェイ」を経て、ずっと75年あたりの一部の曲まで、どうもこの手法をマイルズは好んで試していたと思えるフシがある。ザヴィヌルも噛んでいたかもしれない。ソロ内容そのものじゃなくて、バンドの演奏するサウンドとリズムを聴かせるような方向へ向いていたかもしれないよね。

スパニッシュ・スケールを用いたスパニッシュ・ナンバーの魅力とは、やっぱり旋律のエキゾティックな美しさにあると僕は思うので、そんなこともあってか、リズム重視志向だった1968〜75年のマイルズ・ミュージックに露骨なスペインふう楽曲が少ないのかもしれないよね。そうなんじゃないかと僕は考えているんだけど。

1981年復帰後のマイルズは、当初こそまだまだリズム重視の姿勢があったものの、どんどんメロディの綺麗なものを演奏したいという方向へ向いて、というか回帰していったように見えているので、そんなわけで81年復帰後にふたたび鮮明なスパニッシュ・ナンバーが顔を出すようになったのかも。

そう、先週も書いたことだけど、スパニッシュ・スケールのおもしろさとは、書かれたものでも即興演奏でも、メロディ・ラインの動きが魅惑的だということじゃないかなあ。エキゾティックで、ちょっぴり(アラブ・)アンダルースふうで、だから中近東音楽を思わせる部分もあるっていう旋律美。

だからそういったスパニッシュ・スケールは、アルジェリアのシャアビといったアラブ・アンダルース音楽に、ほんの少しだけ関係があるのかもしれない。全然ないのかもしれない。わからない。僕がはやくからマイルズのスパニッシュ・ナンバーが好きで、だいぶ経ってからアラブ・アンダルース音楽にハマったのも関係あるのかないのか、わからない。

1981年復帰後のマイルズで、アクースティック・ジャズ時代の『スケッチズ・オヴ・スペイン』に相当するものが一枚ある。マーカス・ミラーとの全面コラボでやったワーナー作『ミュージック・フロム・シエスタ』(1987)だ。アルバム題で推察できるように映画のサウンドトラック盤。渋谷の映画館で観たあのスペイン映画はどこにも取り柄がない退屈さだったので、省略する。

CD『シエスタ』に附属のリーフレットには “This album is dedicated to GIL EVANS The Master” と記されているのだが、これはたんなるトリビュート作というだけの意味ではない。ギル自身がレコーディング・セッション(1987年1〜5月)にある程度関わっていたんだよね。ギルは1988年3月に亡くなっていて、だから僕の知る限り、マイルズの作品にギルがタッチした最後のものだったはず。

『シエスタ』はスペイン映画だから、音楽を依頼されたマーカスとマイルズもスパニッシュ・タッチで行こうと決めたというだけのことだったかもしれないが、マーカスはこれの前作『TUTU』でも、一曲「ポーシア」というスパニッシュ・ナンバーを用意して、マイルズに吹かせている(1986年2月13日完成)。

その「ポーシア」にかんし『TUTU』リリース後のインタヴューでマーカスは「マイルズはスパニッシュ・タッチが大好きだとわかっていたから、一つ用意したんだ、曲創りにあたっては、マイルズと組んだときのギル・エヴァンスのアレンジを勉強して、自分なりに活かした、特に『スケッチズ・オヴ・スペイン』をね」と明言していたのを僕は憶えている。

『TUTU』だと「ポーシア」の前の「トマース」(Tomaas)も若干スペインふうなニュアンスがあるんだけど、そっちは今日は書かないでおこう。アナログ・レコードの『TUTU』を買って帰り、自室で A 面三曲目だった「ポーシア」でマイルズが吹きはじめ、と同時にシンセサイザーがヴェールのごときやわらかい幕のようにスーッと垂れ込めた瞬間、その美しさに僕は感動したんだよね。

「ポーシア」では後半部、マーカスの一人多重録音によるリフ反復が激しくなって盛り上がり、その上にオーヴァー・ダブしたマイルズのトランペット・ソロも熱を帯びる。ちょうど『スケッチズ・オヴ・スペイン』の白眉であるアルバム・ラストの「ソレア」におけるソロと伴奏のホーン・セクションの動きに酷似している。

「ポーシア」はその後のマイルズ・バンドによるライヴでも繰り返し演奏された。いつもスパニッシュ・スケールをこれでもかというほど活用して、マイルズが哀愁と孤高の境地を表現していたよなあ。マーカス・ミラーとしては(マイルズも?)、そんな「ポーシア」の成功に気を良くしたもかもしれない。だから、スペイン映画のサウンドトラック盤でなくとも、コラボ二作目をスパニッシュ・ナンバー中心にした可能性はある。

音楽アルバム『シエスタ』の中身じたいは断片的なスケッチの連続で、楽曲として聴き込めるものが少ないのは残念。短いものは一分もなく、マイルズがまったく参加していないものも複数ある。だけど、部分的に何曲もナイロン弦のスパニッシュ・ギター(ジョン・スコフィールドとアール・クルーによる)を大胆に使って、マーカスもスペイン音楽のニュアンスを出そうとやっているのはよく理解できる。

『シエスタ』でマイルズが参加してあんな感じでソロを吹いているものだと、1トラック目「ロスト・イン・マドリード、パート1」(これがアルバム全体の共通モチーフ)、2トラック目の第1パート「シエスタ」、3トラック目の第1パート「テーマ・フォー・オーガスティン」、8トラック目第1パート「クレア」などでのトランペット演奏はなかなかいい。

マイルズが吹かないものでも、マーカスの丁寧な作業によって、アルバム『シエスタ』全体にサウンドの統一感があって、どれもこれもスパニッシュ・スケールを用い、またスペイン音楽、特にフラメンコで使われる楽器を多用しているからというだけかもしれないが、寂しくて暗い色調が全体を支配していて、マイルズの、ずっと前からのあんなトランペット・サウンドを、彼が吹いていなくてもよく表現できているように思う。

2018/03/08

われわれは決してあとずさりしない

以前、プリンスの『グラフィティ・ブリッジ』のことをとりあげて、このアルバムにメイヴィス・ステイプルズが参加していると書いたでしょ。あのころプリンスはメイヴィスにかかわっていて、メイヴィスのアルバムのプロデュースをやったりもした。それでちょっとメイヴィスのことを思い出して、ちょっと一枚聴きなおそうと取りだしたのが2007年の『ウィール・ネヴァー・ターン・バック』。

『ウィール・ネヴァー・ターン・バック』はプリンスのプロデュースではなく、ライ・クーダーがてがけたアルバムだ。演奏にもライは全面的に参加。またそのほか、たとえばジム・ケルトナーなどライ人脈が加わって録音されたアルバムだが、全12曲のほとんどが古い伝承曲や、あるいは1950〜60年代に創られ、それらあわせてすべてそのころにメイヴィス自身、ステイプル・シンガーズの一員として歌ったものだ。

つまりカヴァー・ソング集なんだけど、2007年にそんな曲ばかりをとりあげてメイヴィスが歌ったのには、その二年前のあのハリケーン・カトリーナがきっかけだったんじゃないかと僕は思っている。他国の天災や社会問題などを日本にいながらにして身近でリアルに感じるのは、僕のばあい、なかなかむずかしいのだが、それでも特に親近感を持っているアメリカ音楽の世界にもカトリーナの爪痕がその後どんどん出現したので、その意味でだけ、なんとなく感じている。

ハリケーン・カトリーナではアメリカ南部が甚大な被害をこうむったのだが、より深刻だったのは二次被害というか、表面的にはそれまで隠されていたような感じだったのが一気に噴出したのもの、すなわち南部における貧困層や黒人たちに対する差別的扱いだ。黒人音楽家であるメイヴィス・ステイプルズは、歌でふたたびこの問題をとりあげようと思ったんじゃないかな。

ステイプル・シンガーズの一員として <あの時代> に歌ったプロテスト・ソングの数々を、もう一回、21世紀にね。メイヴィスは社会活動家、かつての公民権運動の推進者としても名を知られている。だから、ハリケーン・カトリーナがふたたびむきだしにしてしまったアメリカ(南部)の深刻な人種問題を、あの当時の歌の数々に託して歌いたかったんだと僕は思うんだよね。

古いブルーズやゴスペルなどのアメリカン・ルーツ・ミュージック、そして1960年代の社会や音楽にも通じているライ・クーダーをプロデューサーに迎えたのは、だからとてもよくわかることだ。実際、アルバム『ウィール・ネヴァー・ターン・バック』で聴けるライの仕事っぷりは見事だ。

メイヴィスとライは、しかし古い曲をただそのまま21世紀に再演しているだけではない。表面的には1960年代前半の公民権運動の時期に、黒人(や差別されている者)たちが拳を力強くふりあげて、われわれは決して負けない、屈服しない、前へ向いて進むんだとシャウトしていたようなものと似たような音楽に聴こえるかもしれない。

しかし2007年の『ウィール・ネヴァー・ターン・バック』には、一貫して強い誇りや自尊心が感じられ、それは1960年代の高揚するフィーリングというよりも、もっとグッと落ち着いた静かな感触に、サウンドも歌も仕上げられている。メイヴィスのその静けさには、わたしたちがずいぶん前の1960年代にあれだけ活動したのがまだまったく変わっていないじゃないですかという、一種の諦観めいたものすら感じる。

メイヴィスの『ウィール・ネヴァー・ターン・バック』では、歌の歌詞内容にというよりも、メロディやハーモニーやリズムなどといったサウンド面に、そういった諦観あってこその落ち着いたフィーリングに姿を変えた力強さが聴きとれるんじゃないかと思うんだよね。メイヴィスのヴォーカル・トーンもそうだけど、特にライのギターとジム・ケルトナーのドラムスが刻むリズムもいいよね。この前進するビート感こそ「われわれは決してあとずさりしないんだ」という宣言になっているのかもしれない。

2018/03/07

5 petites belles fleurs pourpres

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まずはプレイリストから。これも肝心なものが、一部、ネットにない。

1) Do U Lie? (Parade)
2) Starfish And Coffee (Sign O' The Times)
3) LoveSign (Crystal Ball)
4) Extraordinary (The Vault: Old Friends 4 Sale)
5) Goodbye (Crystal Ball)

さほど目立たずだれも話題にしない小品のなかにも美しい花があるプリンスの音楽。プリンス特集の最後にそんなものを五つだけ並べてご紹介しておきたい。上記五曲は、まずだれも褒めない。話題になっていることなんてちっともない。だけど、美しいんだ。僕が愛する花がここにある。

一曲目の「ドゥー・U ・ライ?」。アルバム全体としてはきわめて評価の高い『パレード』のなかで最も評価が低いどころかまったくだれにも相手にしてもらえないのがこれだ。たしかにねぇ、うんまあ。これはもとの映画『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』がフランスに関係するものだったせいか、冒頭部で少女の声がフランス語をしゃべっていて、その後、男声で「ありがとう」と聞こえる。プリンスも歌の冒頭部で少しフランス語で歌う。

音楽的に「ドゥー・U ・ライ?」がフランスと関係あるのか?というと、すこしあるように思う。アコーディオンの使いかたがシャンソンふうじゃないか。またちょっとした小唄みたいな感じで、軽いジャズ系の古いポップ・ソングみたいでもある。ドラマーは(基本)ブラシでやさしく撫で、リズムもフラットな2/4拍子。

このなんでもない小さなポップ・ソングみたいな「ドゥー・U ・ライ?」のことが、ジャズ・ファンである僕はずっとずっと前からかなり好きなんだよね。あのアルバム『パレード』のなかではチェンジ・オヴ・ペース、小休止的なワン・トラックで、これだけ抜き出して聴いて好きだとかいうファンは、まずいないよね。ぜんぜんいない?

でも「ドゥー・U ・ライ?」、なかなかチャーミングで愛らしい、可愛い、プリティな一曲だと思うなあ。この曲を聴いていると、背の低いキュートな女の子を眺めているような、そんな気分に僕はなる。

二曲目「スターフィッシュ・アンド・コーヒー」のことは、以前『サイン・オ・ザ・タイムズ』の記事で書いた。ここには汚れない無垢な美しさがあると思うんだ。それがゆえに、聴いているとかえって少しだけこわい気分にもなってしまうことがある。でもホッと癒されるよなあ、これは。

三曲目「ラヴサイン」。隠れた名曲じゃないだろうか。『クリスタル・ボール』では曲名のあとに「リミックス」とあるので、別のオリジナル(?)・ミックスみたいなものが既発だったということなのか?それは知らない僕。いずれにしても隠れてしまっているのがもったいない、美しく素晴らしい名曲だよね。都会的で夜のムードがある。

四曲目「エクストローディナリー」のことは、以前これが収録されたアルバム『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』の記事でしっかり書いたつもり。だいたいあれはなかなかいいアルバムなのに、これまただれも真剣に相手してくれないじゃないか。蔵出し音源であるせいなのか?実にもったいない。なかでもアルバム・ラストのこのバラードは、ハッと息を飲むような美しさ。こういうのを「美」っていうんだ。
五曲目「グッバイ」も『クリスタル・ボール』の記事でちゃんと書いたつもりだ。
この「グッバイ」は、プリンスのほぼ全音源を(僕なりに)しっかり聴きなおしてからは、生涯のベスト・ワン・バラードだったに違いないと信じるようになっている。失いつつある愛を嘆く内容だから、正確にはバラードじゃなくてトーチ・ソング的だけど、そんな歌詞内容なんて、なにも失くしていない僕には関係ないんだ。

歌詞じゃなくて、メロディの動きが本当に美しいと思うんだよね。サウンドも綺麗だ。コンピューターで創ってあるビートもちょうどいい。プリンスの一人多重録音でのヴォーカル・コーラスも効果満点。メイン・ヴォーカルはお得意のファルセット唱法でやっていて、あの美しいメロディをとろけるような甘さ、切なさで綴る。

また特にコーラス部分での “For that matter, whatever to make you reconsider / Is there truth when you make love to a lie?” と歌うところでの、上昇しながら反復し、たたみかけるメロディの動きは、いまだになんど聴いてもそのあまりの素晴らしさに、ため息しか出ない。この「グッバイ」が、いまの僕にとってのザ・ベスト・オヴ・プリンスだ。

2018/03/06

プリンスのカミーユにかんする一考察

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フル・アルバムとしては、いまだ未発売のままであるプリンスの『カミーユ』。もとは1986年10月にレコーディング・プロジェクトが発足したものらしい。この前後は、リアルタイムで発売されたもの、されなかったものなどいろいろと込み入っていて面倒なので、ちょっと整理しておきたい。

(1)『パレード』に続き、『ドリーム・ファクトリー』という LP を計画。1986年7月ごろに二枚組として完成した模様。しかしこれをプリンス本人が破棄。

(2)直後あたりにレギュラー・バンドのザ・リヴォルーションを解散。

(3)1986年10月末ごろからスーザン・ロジャーズとともに『カミーユ』の録音にとりかかる。まず「ハウスクエイク」から開始し、約十日ほどでアルバム一枚分を完成させる。

(4)1986年11月5日には『カミーユ』のマスタリングも終了。多数のテスト盤もカットされた模様だが、発売前に中止を決める。

(5)『カミーユ』発売中止を決めたあと、それに収録予定だった曲と、その他の未発表曲(『ドリーム・ファクトリー』のものなど)なども含め、LP 三枚組の『クリスタル・ボール』を計画。しかし三枚組という規模をワーナーに反対され、発売は断念せざるをえず。

(6)予定だった三枚組『クリスタル・ボール』からサイズ・ダウンして LP 二枚組にして、1987年3月に『サイン・オ・ザ・タイムズ』がワーナーから公式発売される。

(7)『カミーユ』収録予定だった曲は、『ドリーム・ファクトリー』にも存在した。リアルタイムでの公式リリースでは数曲が『サイン・オ・ザ・タイムズ』に入り、またシングル B 面になったり(「フィール・U・アップ」「ショカデリカ」)などした。

(8)ワーナーが1994年に発売した『ザ・ブラック・アルバム』に、一曲、『カミーユ』セッションからの曲が入っている。

(8)1998年1月に NPG レーベルからリリースされた CD 三枚組『クリスタル・ボール』にも『カミーユ』セッションから少し収録されている。この公式発売された『クリスタル・ボール』は、1986年に予定されて未発のままになった『クリスタル・ボール』とは大きく内容が異なっている。

(9)その後21世紀になってネット配信オンリーかなにかで、『カミーユ』からの一曲「リバース・オヴ・ザ・フレッシュ」がリリースされたらしいが、おそらくはもはや入手不可能なのではないだろうか?

(10)したがって、種々のアルバムに少しずつ収録され散発的に公式リリースされている『カミーユ』は、以下の四つの CD アルバムにすべて入っている。ほかにあったとしても入手できないはずだ。以下、リリース順。

1. Sign O' The Times
2. The Hits/The B-Sides
3. The Black Album
4. Crystal Ball

これらからカミーユを拾っていくと、以下のようなプレイリストができあがる。

1 Housequake
2 U Got The Look
3 If I Was Your Girlfriend
4 Strange Relationship
5 Feel U Up
6 Shockadelica
7 Scarlet Pussy
8 Rockhard In A Funky Place
9 Crystal Ball
10 Dream Factory
11 Good Love

またネット上の情報によれば、1986年に計画していた LP アルバム『カミーユ』のトラック・リストはこうだったらしい。

Side 1

1 Rebirth of the Flesh
2 Housequake
3 Strange Relationship
4 Feel U Up

Side 2

1 Shockadelica
2 Good Love
3 If I Was Your Girlfriend
4 Rockhard in a Funky Place

ってことは、「リバース・オヴ・ザ・フレッシュ」だけを僕は入手できていないが、その一曲を除けば未発アルバム『カミーユ』収録曲は、すべて公式リリースされていることになる。ほかにそれらにくわえ、上記のようにカミーユが一部聴けるものが三曲あり、上記の11曲でトータル再生時間約53分。CD なら問題なく一枚におさまる。

さて、カミーユとはなんだったのか?プリンスは1985年のフランス映画『ル・ミステール・アレクシーナ』を観て知って興味を持ったんじゃないかと思う、その作品の主人公のモデルである19世紀のフランス人、エルキュリン・バルバン(カミーユ・バルバン)。この人はインターセックスだったらしい。

プリンスは、たぶん、ここから音楽のオルター・エゴであるカミーユを思いつき、両性具有的なハイ・ピッチな声で歌っているとなるように曲創りをし、そんな(中性的な)声で歌った、というかそうなるように(テープ回転速度を上げるかピッチシフターを用いて)加工して完成品にした。

そんなカミーユ・ヴォーカルで創りあげた曲だけでアルバム一枚丸ごとぜんぶとし、さらにそのアルバム名も『カミーユ』と命名し、そしてその作者、歌手、演奏家、プロデューサーなどもすべてカミーユとクレジットし、したがってレコード発売時にはプリンスの名を完全に伏せて、カミーユとしてリリースするという予定を立てた。

そんな『カミーユ』がマスタリングも終了し、多数のテスト盤も出回ったにもかかわらず販売中止となったのには、やはり一つにはワーナーの圧力もあったんだろう。商品のどこにも「プリンス」の名前がないものを発売するのに強い難色を示すのは当然のことだから、ワーナーの態度は理解できる。

会社側の反対が『カミーユ』発売中止にいたる直接の最大要因だったとしても、いっぽうプリンスの側にも音楽的な理由でとりやめたいという部分があったかもしれないと思う。ハイ・ピッチ・ヴォイスの両性具有的なオルター・エゴがアルバムのなにもかもぜんぶをやったとし、「プリンス」名はいっさい伏せるのには抵抗があったんじゃないかという気が少しするんだよね。

しかし、いま2018年においてジェンダー・フリーな考えかたも浸透しつつあるような世界になってきている(と思うんだけど?)わけだから、各種公式リリース作品からカミーユ楽曲を拾って集めて並べ、擬似的にアルバム『カミーユ』を作成し楽しむことは、意味のあることなのかもしれないよね。

プリンスいわくカミーユはフィーメイルで、善人格、良心、ライト・サイドだとのこと。このへんはどうなんだろう?カミーユ・ソングをまとめて続けて聴いても、正直なところそのことは僕にはピンと来ない。音楽的には声のピッチが高いんだなと思うことだけなのと、あとリズムというかグルーヴのパターンに、多くのカミーユ・ソングは共通性がある。

そのグルーヴの共通性をとりだして考えてみても、善人格だとかっていうのはぜんぜんわからないことだよなあ。たとえば「ハウスクエイク」と「ショカデリカ」はビート・メイキングが瓜二つで、まったく同じと言ってもさしつかえない。またその同一パターンに「ロックハード・イン・ア・ファンキー・プレイス」「フィール・U ・アップ」もよく似ている。

がしかしそれら四曲はハードなストレート・ファンクで(ビートはコンピューターで創っている)light どころかけっこう evil なサウンドだよなあ。evil という単語は、録音順なら次作にあたる『ザ・ブラック・アルバム』についてプリンス自身が使ったものだけど、音楽的には『カミーユ』も『ザ・ブラック・アルバム』も根本的には違わない。少なくとも明/暗、ポジティヴ/ネガティヴみたいな区分は不可能だと思える。

カミーユとスプーキー・エレクトリック(『ザ・ブラック・アルバム』を形成する悪魔的なオルター・エゴ) は一枚の紙の表裏。カミーユがスプーキー・エレクトリックを招き入れた。少なくとも作品として公式リリースされているものを聴くと、本質的に違わないダークなハード・ファンクで同一路線だ。

そのあいだ、1986年前後に、プリンスのなかでなんらかの意味で(何度か?)音楽自我が変貌する経験があって、音楽精神的な直感を得て、それで一度は『カミーユ』『ザ・ブラック・アルバム』を産んだものの、もう一度、次いで今度はこの二枚を棚上げして発売中止にしたってことかもしれないよね。それでその次のポジティヴな賛歌的大傑作『ラヴセクシー』につながったと、そう考えることもできそうだ。

2018/03/05

プリンスのギターがカッコイイやつ

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カッコワルイ記事題だ。

プリンスがギターをいい感じに弾きまくっているのだけを集めて聴きたいなと思って、それで思い出せるのだけだとそんなに数が多くなくて、あれっ〜、もっともっとあったはずだと(ほぼ)すべてのアルバムをもう一回聴きかえしていたのが、ここ最近のプリンス特集の理由なのだ。結局それでもギター・スタッフはそんなにたくさんは見つからず意外だったのだが、副産物的にいろいろと書けたので、まあいいや。

それでもこれを書きたくてプリンスの(ほぼ)ぜんぶを聴きかえしたんだから、やっぱりギターをカッコよく弾き倒しているものの曲の話もしておきたい。さらに明日、明後日ともう二つ、副産物があるので、それも書けたら書いてみようっと。今日から三日間はそんなに音楽内容に突っ込まず、事実関係の指摘となんとなく感じることだけ、短めに記しておく。

まずはプレイリストから。ぜんぶが Spotify その他ネットにあるわけじゃない、というかこれこそ聴いてほしいという肝心要の曲に限って見つからないので、そのままネットで聴けるものとしてプレイリストを作成することは諦めた。CD などでお持ちでないみなさんは、なんらかの方法で入手してほしい。括弧内は収録アルバム。

1 Guitar (Planet Earth)
2 I'm Yours (For You)
3 Let's Go Crazy (Purple Rain)
4 Computer Blue (Purple Rain)
5 When Doves Cry (Purple Rain)
6 Purple Rain (Purple Rain)
7 Sign O’ The Times (Sign O' The Times)
8 Play In The Sunshine (Sign O' The Times)
9 I Could Never Take The Place Of Your Man (Sign O' The Times)
10 Rockhard In A Funky Place (The Black Album)
11 Crucial (Crystal Ball)
12 She Gave Her Angels (Crystal Ball)
13 I Like It There (Chaos And Disorder)
14 Everlasting Now (One Nite Alone...Live!)
15 Purple House (Power Of Soul: A Tribute To Jimi Hendrix)
16 The Ride (Crystal Ball)
17 Peach (The Hits/The B-Sides)

この並びは、ラストのブルーズ三連発を除き、基本的にリリース順だ。しかしトップにそれを無視して「ギター」を持ってきた僕の意図は説明する必要がないはず。こないだも書いたけれど「君のことは、ギターを愛するほどには愛せない」という、プリンスのギター・アンセムみたいな一曲だから。実際、カッコよく弾きまくっているハード・ロック・ナンバーで、僕は好き。

あっ、そうそう、ハード・ロックといえばですね、ロック嫌悪症のみなさんに言っておきたいんですが、ハード・ロックほどギターをキメられる音楽はこの世にないと思いますので。上のリストでは13曲目の「アイ・ライク・イット・ゼア」もストレートなハード・ロック・ナンバー。アルバム『ケイオス・アンド・ディスオーダー』全体がそんな音楽だと、こないだ書いた。創り込みすぎないラフなタッチもたまにはいいんだよ、ロックはね。

1978年のデビュー作『フォー・ユー』にすでにそんな路線はしっかりあったと気づいたので2曲目の「アイム・ユアーズ」を入れておいた。しかしその後はあまり見つかりにくく、1984年の『パープル・レイン』でギターが大炸裂している。特に目立つ四曲だけ入れておいたが、なかでもやはり「レッツ・ゴー・クレイジー」と「パープル・レイン」は、プリンスのギター生涯を代表する曲だよね。

1987年の『サイン・オ・ザ・タイムズ』も、ある種、ギター・アルバムみたいなところがある。アルバム・オープナーの「サイン・オ・ザ・タイムズ」中盤でエレキ・ギターが鳴りはじめる瞬間のスリルといったら、いまでも背筋がゾクゾクするほどカッコイイが、個人的にはその次の「プレイ・イン・ザ・サンシャイン」での演奏がもっと好きだ。愉快で楽しいもんね。

1998年リリースのアルバム『クリスタル・ボール』にもギターが素晴らしいものがたくさんある。プレイリスト11曲目の「クルーシャル」の終盤部はその代表格。フェイド・アウトしなけりゃよかったのに。12曲目「シー・ゲイヴ・ハー・エンジェル」終盤部でドラムスの派手なフィル・インに続き出るギター・ソロは、音色もなにもかも号泣しているよね。マイテとのあいだにできた子供を亡くしたことを題材にした曲なんだそうだ。

プレイリスト14曲目「エヴァーラスティング・ナウ」。ライヴ盤『ワン・ナイツ・アローン...ライヴ!』のメイン・アクトの最終盤で、アンコールのピアノ・バラード・メドレー部になる前の本編ラスト・ナンバーであるこれ。これにおけるギター・ソロが!ラテンふうなんてもんじゃなく、カルロス・サンタナ真っ青の完璧ラテン・ギターだっ。これこそ生涯ナンバー・ワンだったんじゃないかなあ。少なくとも僕はこのラテン・ギター・ソロが、全プリンス・ギターでいちばん好き!!

だからこのプレイリストのクライマックスとしてそんな「エヴァーラスティング・ナウ」を置き、その後はアンコール部みたいにストレートな12小節定型のブルーズ・ナンバーを入れておいた。上でロックでこそギターは、と書いたけれど、ロックにおけるそんな要素はブルーズから引き継いだものなんだからね。

2018/03/04

プリンスのブルー(Brew)

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プリンスのライヴ・アルバム『インディゴ・ナイツ / ライヴ・セッションズ』(2008)。以前も書いたようにこれは音楽アルバムの CD 単体では販売されていない。かなりサイズの大きい写真集みたいな本『21ナイツ』の付録品であって、本のバック・フリップにディスクだけが貼り付いているから、ジャケットなんかも当然なし。

まあでもジャケットなしというか、そもそもその写真集が絢爛豪華なジャケットみたいなもんなのだ。しかしプリンスの写真とか、ライヴの模様を文字で書いてあったりとか、印刷された歌詞とか、そういうたぐいのものにはほぼ興味のない僕で、この人の生み出す音だけをこそ心から強く愛しているわけなんだから、CD だけをどうして売ってくれないのか?とちょっと恨みに感じつつ、しぶしぶその写真集を買い、届いたら速攻でディスクだけ剥がして、本のほうはめくりもせず部屋の片隅に。

音楽アルバム『インディゴ・ナイツ』はかなりいい内容だから、う〜ん、じゃあちょっと…、と写真集『21ナイツ』のほうもなにが載っているか知らないままめくってみたら、これがあんがい楽しかったね。音楽を楽しむのに必須かどうかわからないが、そのへんはあまりくどくど言わないことにする。ただ、このライヴ音楽 CD『インディゴ・ナイツ』についての各種データが巻末にしっかり記されているのにはじめて気が付いて、大いにありがたかった。ここだけはもっと早く見るべきだったと反省。

写真集『21ナイツ』は、2007年8&9月にロンドンの O2アリーナで、文字通り21夜連続で公演を行った際に撮影されたもので構成されている。そのあいだ、というかずっと前からそうらしいんだけど、プリンスは派手なメイン・アクト終了後、小さめのクラブみたいなところで、それも濃く長いアフター・ショウをやっていたらしい。

アフター・ショウといえば、2002年のライヴ・アルバム『ワン・ナイト・アローン...ライヴ!』の三枚目も「アフター・ショウ」だったよね。長時間のメイン・アクトであれだけのパフォーマンスを見せたあと、アフター・ショウも濃厚なので、プリンスの精力にみんなビックリするんだそうだ。

プリンスの公式ライヴ CD としては『ワン・ナイト・アローン...ライヴ!』に続く二作目で、これら二つしかない(ほかにも DVD とネット配信オンリーで一個つずつあるが)。 音楽アルバム『インディゴ・ナイツ』は、O2アリーナ附属のクラブ The IndigO2 での2007年9月17日と22日のアフター・ショウから抜粋されて編集されている模様。この日付は零時を回ってからのもの。

音楽アルバム『インディゴ・ナイツ』は巧妙な編集で、一夜の一回性のアフター・ショウを聴いているような気分にひたることができる。全体的にプリンスの音楽としても相当にリラックスしているような演唱で、いつも漂っている強い(強すぎる)緊張感がないのは、かえって美点になっている。だからふだん聴きにはかなりいいムードを部屋のなかでつくってくれるライヴ・アルバムなんだよね。

いつものプリンスと違っている点がもう二つある。一つは曲じたいとしても自作曲のなかへの挿入素材としても、カヴァー・ソングが多いこと。たぶんプリンスの全音楽アルバム中、最もカヴァー(曲、素材)が多いのが『インディゴ・ナイツ』だ。もう一つは女性ヴォーカリストが三曲フィーチャーされている。

フィーチャーされている女性ヴォーカリストは、8曲目「ロック・ステディ」のビヴァリー・ナイト。12「ミスティ・ブルー」、13「ベイビー・ラヴ」のシェルビー・J。シェルビー・J のほうはこの当時のプリンス・バンドのレギュラー・サイド・ヴォーカリストだった。ビヴァリーは英国の黒人ソウル歌手。アリーサ・フランクリンなどからの影響が濃いので、アリーサの「ロック・ステディ」を歌うのは当然の成り行きだ。プリンスというよりビヴァリーの選曲だった可能性もある。

12、13曲目とアルバム終盤で登場するシェルビー・J は、このライヴ CD 終盤の目玉みたいな感じで歌っている。プリンスも大きな声で、「シェルビー・J!スター誕生!スター誕生!」と繰り返し叫び、観客に拍手をうながしている。歌っている「ミスティ・ブルー」も「ベイビー・ラヴ」もカヴァー・ソングで、プリンスの曲ではない。前者はスウィート・ソウル・バラード、後者はアップ・テンポのファンク・ジャンパー。

これら女性歌手がフィーチャーされプリンス本人はまったく歌わない三曲では、いつものプリンスの音楽とはやや趣が異なっているのか?と思うと、そんなこともない。まさしくプリンス印が押されているようなナイト・ショウの一部で、ギターの音すらあまり聴こえないものだが、そこにプリンスが立っているという強い存在感があるよなあ。カリスマティックな支配とはそういったものなんだろう。

もう一曲の鮮明なカヴァーは9曲目のレッド・ツェッペリン「胸いっぱいの愛を」(Whole Lotta Love)。しかしここではギター・インストルメンタルになっていて、ヴォーカルはなし。ギター・ソロもさほど聴きごたえがあるような内容じゃないような…。大のツェッペリン・ファンの僕としてはあの超有名リフをプリンスが弾いているんだと思うだけで気分はいい。がまあ、これはちょっとなあ。

またアルバム『インディゴ・ナイツ』には未発表曲というか新曲(?)があって、7曲目の「ベギン・ウーマン・ブルーズ」、11曲目の「インディゴ・ナイツ」。しかしそれらだって新曲といえるかどうか?まず後者はインストルメンタルなラテン(サルサ)・ジャムだから、曲というより即興演奏だ。

前者「ベギン・ウーマン・ブルーズ」は、カズン・ジョーの「ベギン・ウーマン」とルイ・ジョーダンの「スリー・ハンディッド・ウーマン」を合体させたもので、原曲どおりブルーズ・ナンバー。プリンスが珍しくかなりレイド・バックして歌っているのが、いかにもアフター・ショウでのブルーズといった雰囲気満点で、聴いていると心地いい。

ブルーズといえば、その前の6曲目「サティスファイド」もそうじゃないか。アルバム『3121』にオリジナルが収録されているが、そのころブルーズ・ナンバーだと気が付いていなかった僕。『インディゴ・ナイツ』ヴァージョンは、しかしかなり雰囲気が違う。これも強烈にレイジーでセクシー。「ベギン・ウーマン・ブルーズ」同様、強くジャジーでもあって、1940〜50年代のジャンプ〜リズム&ブルーズのスロー・ナンバーに似ている。

そのほかそこかしこにいろんな古い曲の引用があるので、CD(というか本というか) をお持ちのみなさんは探してみてほしい。たとえば1曲目「3121」には、スコット・ジョップリンの「ジ・エンターテイナー」が使われていて、そのメロディをホーン・セクションが演奏するのがイントロになっている。アフター・ショウからの抜粋だけど、ライヴ・アルバムの幕開けにこのラグタイム・ナンバーを持ってきたのはかなり意図的だよね。

プリンスの『インディゴ・ナイツ』。1曲目からラスト15曲目まで、まるで煮込みに煮込んだトロトロの濃厚スープみたいなファンク・ミュージック(&かなりジャジー)で、だから素材は溶けて原型をとどめていない。本の巻末に記されている曲名を眺めながら聴いていて、あっ、そうだその曲だねとわかる断片的なモチーフみたいなものとしてしか原曲は機能しないんだが、そんな醸成(brew)された状態が、この『インディゴ・ナイツ』では美味になっていると思うんだよね。

2018/03/03

フェイルーズとジアードのアラブ&ジャズ・フュージョン(4)

フェイルーズの1987年発表作『愛しきベイルート』(Maarifti Feek)。僕が持つのはオルター・ポップ盤(というか輸入盤の日本仕様ってやつで、本体はギリシア EMI 盤だけど)なので、ジャケットはこれになる。ライスからリリースされたものはジャケットも曲順も違い、上の Spotify にあるものと同じみたいだ。そっちがオリジナル?そのへん僕は知らないので、どなたか教えてください。

オルター・ポップ配給の『愛しきベイルート』は全16曲だが、12曲目以後、録音状態も音楽的にもあらかさまに変化する。どう聴いても11曲目までとは違うよなあと思って日本語解説文を読むと、その12〜16曲目はオリジナルの『Maarifti Feek』にあったものではなく、88年リリースの『Chat Iskandaria』収録のもので、どうやら1960年代にラハバーニ兄弟と組んでやっていたころの録音だとのこと。

それら五曲も気軽に楽しめばいいとは思うんだけど、11曲目までの『愛しきベイルート』オリジナル分には、はっきりしたプロデュース意図があって、歌手フェイルーズもこういったことを歌いたいという鮮明な気持ち、いわばコンセプトを僕だって聴くと感じる。だから、いわばボーナス・トラックみたいな五曲のことは今日は外して話をしたい。

すると全11曲、というか11トラックでトータル再生時間たったの39分間。短いようだがかなり濃密なので、お腹いっぱいになってしまう。『愛しきベイルート』のプロデューサーも息子ジアード・ラハバーニだけど、録音は1983年ごろに終了していたらしい。まだ元夫のアッシ・ラハバーニは生きている時期だけど、離婚を機に音楽面でもコラボレイションは解消されたようだ。

音楽内容的には『愛しきベイルート』がフェイルーズの真の輝きのラストだったと見ていいのかなあ。まだそんなに高齢でもなかったけれど、どうもその後は歩みの速度が急激に落ちた。ライヴ・コンサートなどはヨーロッパでも盛んにやって大きな会場を満員にして聴衆を魅了するものの、新作アルバムにそんな魅力が薄くなっている。

『愛しきベイルート』がフェイルーズ最後の傑作だったとして、その後の音楽創造意欲が急落下したとするならば、このアルバムで聴ける内容にその答えがあるように思う。それは故国レバノンとベイルートを取り巻く状況の著しい悪化だ。内戦の銃砲がやまず、一般民衆は苦しむばかりというのを目にして、レバノンとアラブ音楽世界を代表する存在であるフェイルーズは強く悩み心を痛め、それを音楽に込めて『愛しきベイルート』で歌い込み、それでその後は沈黙に近い状態になってしまったのだと、そう考えることもできる。

5、6トラック目と連続で出てくるアルバム・タイトル・ナンバー「Maarifti Feek」。6トラック目はリプリーズでインストルメンタルだし、まるで違う曲みたいなものがたったの一分程度であっという間に終わってしまうので、5トラック目だけに絞ると、ちょっとトーチ・ソング(失愛歌)みたいに僕には聴こえる。歌詞のアラビア語聴解能力がゼロの僕だから怪しいもんだけど。

それは男女関係を歌ったものかもしれないが、ダブル・ミーニングで歌手とレバノン、ベイルートとの関係をも織り込んでいるのかもしれないよなあ。しかもその五曲目「Maarifti Feek」はかなりジャジーだ。そもそもアラブ歌謡だという趣はほぼなくて、ふつうのユニヴァーサルなポップ・ソング、あえて言えばシャンソンとかジャズ・ソングとか、そういったものに近いメロディやコードやリズムの動きかただ。

ゆったりとフワフワ漂うようなテンポで、リズムはまったく快活じゃなく、しかしジアードのペンになるオーケストラとリズム・セクションはゴージャスな雰囲気で演奏する。たった三分もないけれど、そこにドラマ性を感じることができる。途中で一ヶ所、1:31〜1:39 でフェイルーズと伴奏のピアノ(はたぶんジアードが弾いているんだろう)がわざと音を外しているかのように不協和な響きになるところがある。ジャズでいうスケール・アウトしているような動き。それは二回リピートされ、三回目は外れていないので、なんらかの意図があって故意にやっているんだよなあ。小さく弱く四回目もある。

音を故意に外すことによって、歌手と伴奏者の不安感が強調されていると僕は思うんだよね。音楽家側の不安な気持ちを表現すると同時に、聴き手の側もちょっと心が揺れるんだ。あれっ、これ、どうしたんだろう?って。だからフェイルーズとジアードは、愛するもの(人、国、都市)を失いつつあるその状況、メンタリティ、不安感を、そんな外れた音、スケール・アウトがもたらす不協和に込めたってことかもしれないなあ。

七曲目のタイトルがそのまま「Li Beirut」だけど、このメロディはスペインのホアキン・ロドリーゴの書いた「アランフエス協奏曲」第二楽章アダージョをそのまま使っている。旋律の動きだけで十分孤独感や寂寥感が伝わってくるものだけど、だからジアードもフェイルーズもこれを選んだのかもしれない。アラビア語の歌詞はジアードが書いたのだろうか?聴いても意味はわからないが、ベイルートの戦禍を嘆き平和があらんことをという内容なのだろうか?どなたか、アラビア語がおわかりのかた、教えてください。

しかしこれら「Maarifti Feek」「Li Beirut」以外の曲には、快活さと言えないが激しさもある。打楽器(ドラム・セット&パーカッション類)が強くビートを刻み、ときにそれはインストルメンタル・ナンバーだったりもするけれど、フェイルーズも強い調子で、決してフワフワせずにしっかりと歌いこんでいるよね。

その強いヴォーカル表現には、嘆き、悲しみと裏腹の怒りみたいなものが感じられるよね。それでも声の美しいなめらかさが失われていないのも素晴らしい。シルク・スムースななめらかさを保ったまま、そこに以前よりも強い激情、怒りを込めて炎をゆらめかせ、歌で表現している。

そんなヴォーカル表現の輝きは、やはりこのあと1990年代以後は弱くなっているかもしれないので、この『愛しきベイルート』がフェイルーズの最後の傑作だったということになるのだろうか?

アルバムの特に十曲目「Oudak Rannan」ではエレベのスラップ音まではっきりと聴こえるというかフィーチャーされているような使われかたで、しかしながら曲じたいは古典的なアラブ歌謡ふうのもの。アラブの楽器もたくさん使われているし、フェイルーズの声もこの曲での表現が最も素晴らしい。全体的には欧米音楽にかなり寄っている『愛しきベイルート』のなかではやや異色だが、この一曲がアルバムでいちばん素晴らしいと僕は思う。

その十曲目「Oudak Rannan」の最終盤では、打楽器の強い乱打に混じっているのでわかりにくいが、機関銃を乱射する音が挿入されている。そこまで特にそんな予兆はないし、「Oudak」とあるのでたぶんこれは弦楽器ウードのことを歌っているものなんだろう。実際、その音は目立っているしね。だから最終盤での機関銃乱射の音は脈絡なく唐突に入っているようなものだ。

しかしこんな、曲じたい強く激しいグルーヴを持つアラブ歌謡の「Oudak Rannan」の最終盤でそんな音を挿入するのだけでも、フェイルーズとジアードの込めた(裏の)意味、意図が鮮明に読みとれるじゃないか。パーカッションの乱打音と混合させているのは、もちろん故意にやっているんだろう。

2018/03/02

スパニッシュ・マイルズ(1)

マイルズ・デイヴィスがあれだけこだわったスパニッシュ・ナンバー。彼が録音史上はじめてスパニッシュ・スケールを使ったのは、僕が気づいている範囲では1959年4月22日の「フラメンコ・スケッチズ」だ。お馴染み『カインド・オヴ・ブルー』のラストに収録され、リアルタイムで発売された。この日録音の別テイク(テイク1)も、いまでは公式リリースされている。

しかしそれ以前からスペインへの言及があるにはあった。はっきりしているのは1957年10月21日発売のコロンビア盤『マイルズ・アヘッド』収録の二曲「カディスの娘たち」(57.5.6.録音)「ブルーズ・フォー・パブロ」(57.5.23.録音)。前者(Les filles de Cadix)を書いたレオ・ドリーブはフランス人コンポーザーだが、カディスとあるようにこの曲はスペインを意識して書かれたもの。原曲はリズムもスパニッシュ・ボレーロだ。ジャズ界ではマイルズ以前にベニー・グッドマン七重奏団もとりあげている(1947)。

「ブルーズ・フォー・パブロ」はギル・エヴァンズのオリジナル・ナンバーだけど、このパブロとは画家ピカソへの言及に違いない。でもこっちの曲のほうは特にスパニッシュ・タッチも感じないし、曲題通りの12小節定型ブルーズ・ナンバーだ。だけど、この『マイルズ・アヘッド』にあるこれら、すなわちスペインふうとブルーズという二つは、マイルズのなかでは関係があったのかもしれない。

どんどんスパニッシュ・スケールを使った曲をやるようになって以後のマイルズは、インタヴューで「スペイン人にとってのフラメンコは、僕たち黒人にとってのブルーズに相当するものだ」と発言している。アメリカ黒人ブルーズの世界はちょっとだけ知っているつもりの僕だけど、フラメンコのほうはつまみ食いだから、マイルズの言わんとするところはわからないようなわかるような…、う〜ん、どうだろう?

というのはマイルズが1959年の「フラメンコ・スケッチズ」以後どんどんやったスペインふう楽曲を聴いてスパニッシュ・スケールがどんな効果を生み出しているかを判断すると、一種の孤独感、寂寥感、哀愁とか、そういったものを強く感じるよね。これはたぶん僕だけじゃなくてリスナーのみなさんはだいたいそうだろうと思うんだけど、これはスパニッシュ・スケールがいつでも持ちうる特徴なのだろうか?

もう一つ、スパニッシュ・スケールにはちょっとした中近東ふうなニュアンス、オリエンタル・ムードというか、エキゾティックな雰囲気があるんじゃないかなあ。スペイン人にとってすらも。僕はそう感じるんだけど、勘違いかもしれない。正確にはアンダルシア要素ということなんだろう。だったらアラブ音楽方向と無縁なわけじゃない。

マイルズが(アラブ・)アンダルシア音楽まで意識してスパニッシュ・スケールを使っていたのかはぜんぜんわからない。たぶんそこまでは意識していなかったような気がする。北アフリカや中近東の音楽要素は、直接にはマイルズのなかにぜんぜんない。でもなんとなくのエキゾティックな響きをこのスケールに感じ取って使ってはいたんだろう。

異国の荒野をたったひとりで歩んでいるかのような孤独感。これがマイルズのやるスパニッシュ・ナンバーに僕が最も強く感じるものだ。だからまあ、ブルーズ(・スケール)と共通するニュアンスがあるからと、マイルズもそう感じとってスパニッシュ・スケールに染まったんだと思うんだよね。

マイルズ初のスパニッシュ・スケール・ナンバーである1959年の「フラメンコ・スケッチズ」は、しかし五つのスケール(モード)が順番に出てくるという曲で、スパニッシュ・スケールは四つ目。この順番で五つぜんぶを使いさえすれば、各々のスケールで何小節ソロをとっても OK という指示だった。しかも、この曲はマイルズの録音史上、ブルーズ楽曲を除けば、はじめてテーマ・メロディが存在しない。あらかじめにはスケールしか用意されていなかった。

つまり要するに、ブルーズでならそんなやりかたをマイルズもずっと前からとっていた。マイルズだけじゃなくほとんどのアメリカ人ミュージシャンがブルーズをやるときはほぼ同じ。テーマ・メロディがあるばあいでもあまり参照されず、キーやスケールだけに基づいて演奏されるのがブルーズ。

そんなやりかたをブルーズ曲以外でマイルズがはじめてやったのが「フラメンコ・スケッチズ」だったんだよね。しかもですよ、この曲では上でも書いたように小節数が決められていない。ワン・コーラスが短くても長くなってもいい、っていうか五つのスケールを並べただけでワン・コーラスという考えかたもしていないという曲は、それまでの通例的なジャズ演奏にはほとんどない。

ここでだいたいのみなさんがお気づきだと思うけれど、1959年というとちょうどオーネット・コールマンが出現したあたりじゃないか。ブルーズ・ベースのモーダル・ミュージック(だからオーネットは無調じゃないんだ)で、小節数とかワン・コーラスという考えかたなしでジャズ演奏を繰り広げる新時代の新演奏家とされていた。

いっぽうマイルズはどっちかというと守旧派で(そう、ここはあんがい勘違いされていて、革新的音楽家だとされているが、本当は違うんだ)、オーネットとかアヴァンギャルド派、フリー・ジャズ一派には明確に否定的な言辞を繰り返していた。だけどこう考えてくると、1959年というあの時代のそもそものはじまりのころからマイルズとオーネットたちは同じ方向を向きつつあったのかもしれない。

「フラメンコ・スケッチズ」のばあい、五つのスケールが並んでいる四番目でスパニッシュが出てくるので、一層そこでグイッとエキゾティックなニュアンスが強まっているように、いまの僕には聴こえる。むかしはもっと全体がスペインふうだったらよかったのに、と僕は感じていたのだが、嗜好が変化しつつあるかもしれない。

そんなわけで、『カインド・オヴ・ブルー』の次作にあたるギル・エヴァンズとのコラボレイション作『スケッチズ・オヴ・スペイン』だと全面スパニッシュだから、ここまで二人が本格的にスペイン音楽を追求したという意味を強く感じはするものの、できあがりはちょっと大げさで、う〜んなんだかこれはなぁ〜。たまに聴くなら、そう、五、六年に一回程度ならとても素晴らしく聴こえる。いつもいつもは遠慮したい気分。

特に一曲目のホアキン・ロドリーゴ作「アランフエス協奏曲」(Aranjuez は「アランフェス」?「アランフエス」?)の大上段に構えすぎなカッコ悪さたるや。しかしながら、このマイルズ&ギル・ヴァージョンの評価が高く人気もあるおかげで、ジャズ・ファンだってみんなあの曲の第二楽章アダージョを知っているし、多くのジャズ・メンがこの曲をとりあげるきっかけになったのは間違いない。

以前もマイルズのベスト10曲という記事で選んだように、アルバム『スケッチズ・オヴ・スペイン』では(オリジナル・レコードの)ラストに置かれた「ソレア」(ギル作)がいちばんいいと僕は思うんだよね。マイルズのソロも情熱的だし、独り異国の荒野を行くみたいな寂寥感、哀愁がよく出ていて、しかもその背後で入るギル・アレンジのホーン・アンサンブルも効果的。これ、ホントかなりいいよね。

しかも「ソレア」ではリズム・アレンジだっていいよなあ。ドラムスはエルヴィン・ジョーンズなんだけど、エルヴィンがマイルズと公式共演したのはこのアルバムだけのはず。しかし「ソレア」のリズムはエルヴィンがドラムスで表現するだけじゃなく、ホーン群、というかブラス・セクションが入ってくるその反復でもかたちづくられている。これもギルのペンの素晴らしさだ。

「ソレア」は全面的にスパニッシュ・スケールを用いてギルが用意した曲で、しかしこの曲でもやはりテーマ・メロディがない。冒頭部にテンポ・ルパートでファンファーレみたいにマイルズが吹いているメロディはギルの書いたものだろうけれど、アド・リブ部のベースにはなっていない。リズムが入ってきてアド・リブ・ソロをマイルズが吹く部分のトーナリティはそれとは関係ないんだよね。そこでマイルズがソロを吹く土台としてギルがあらかじめ用意していたのは(スパニッシュ・)スケールだけだったんだよね。

『スケッチズ・オヴ・スペイン』以後、マイルズのレギュラー・コンボでやるスパニッシュ・ナンバーというと、いますぐパッと思い当たるのが1961年5月21日録音の「テオ」(『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』)と、65年1月22日録音の「ムード」(『E.S.P.』)。ほかにもいくつかあった気がするけれど、確かめないと思い出せない。つまりこの二曲は僕にとって印象がかなり強い。

これら二曲ともテーマなんてなく、演奏前にはスケールが示されていただけ。しかもアルバム『E.S.P.』のラストに収録されたその曲のタイトルは「ムード」じゃないか。そう、モード(=スケール)とはムードなんだよね。色合いを決めたり変えたりするもので、スパニッシュ・スケールはそれ独自の色調とかムードを出すからというんで、マイルズも好んでいたんだろう。ちょうどブルーズ・スケールがそうであるように。

そしてコーダルというよりモーダルな作曲演奏法を追求するようになった時期とスパニッシュ・スケールをどんどん使うようになった時期は、マイルズのなかでは一致しているもんね。

2018/03/01

君のことをギターほどには愛せない 〜 プリンス『プラネット・アース』

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これもポップなロック・アルバムみたいなプリンスの2007年作『プラネット・アース』。コロンビアと契約していた時期の作品なのでさぞや売れて…、っていうと、たしかに売れたけれど、なんでも一騒動あったらしい。これは僕もリアルタイムな記憶があるのだが、この CD をプリンス本人はふつうに売らず、イギリスではタブロイド紙のオマケとして無料配布してしまい、それ以外の地域ではふつうに売ったはずだけど、その騒動がニュースになっていた。

イギリスでだけどうしてそうしたのか?そういえば、この前後あたり、プリンスは通常のフィジカル・メディアを流通商品としては考えない方向に傾いていたかもしれないよねえ。ネットで配信してもいたそうじゃないか。当時からそんな情報を僕も見ていたから、まだまだネットで音楽を聴くという習慣がなかったあのころ、ふつうに CD 買いたいなと思う僕なんか、なんかやっぱりちょっとメンドくさいやつなのか?とプリンスのことを考えていた。

いずれにせよ、自身の CD を売らずに無料配布品とするなんて、いかにライヴ・ツアーで潤っていたかっていう証拠だよねえ。それだからプリンスはほとんどライヴ・アルバムを出さなかったのだろうか?CD(など)はスタジオ録音で行って、生演唱が聴きたいみなさんはライヴへどうぞっていう、そんな売り分けポリシーだったの?日本に住んでいたんじゃあ、よっぽど気合いが入ってないとむずかしい話だ。

2007年作『プラネット・アース』。これ以後亡くなるまでに計六作あるオフィシャル CD がイマイチな感じに僕には聴こえてしまうので、ここでハッキリ言っちゃうが、これがプリンスの生涯ラストの…、あ、いや、わかりませんが、なんだかそんな気が個人的にはしてしまい…、あ、でもいや、やっぱり明言するのはやめときます。

しかもスタジオ録音作だと、『プラネット・アース』の前が『3121』で、その前が『ミュージコロジー』、その前の『N.E.W.S.』は飛ばして、もう一個前が『ザ・レインボウ・チルドレン』だから、なんだかんだ言って21世紀もかなり充実していたプリンス作品群。だから〜、まあその〜、『プラネット・アース』ってなんだか小粒なっていうか目立たないっていうか、あまり評価は高くないよねえ。

でも『プラネット・アース』は聴きやすくとっつきやすいポップ・アルバムで、重たいものは敬遠したい気分のときはこれもなかなかいいんだ。粘り気のあるファンク・ミュージックを期待すると裏切られるけれど、軽いロックやポップスやバラードや、陽気に盛り上がるにぎやかなアッパー・スウィンガーはわりといいと思う。

全体を通して聴くと、『プラネット・アース』は、どっちかというと甘美な(ファルセットでやる)R&B バラードに重点が置かれているのかなという印象。三曲目「サムウェア・ヒア・オン・アース」、五曲目「フューチャー・ベイビー・ママ」、六曲目「ミスター・グッドナイト」、七曲目「オール・ザ・ミッドナイツ・イン・ザ・ワールド」、宗教曲だからバラードとは言いにくいものの八曲目「ライオン・オヴ・ジューダ」と、数も多い。

それらのなかでも特に三曲目「サムウェア・ヒア・オン・アース」と五曲目「フューチャー・ベイビー・ママ」が美しい。前者ではアナログ・レコードを再生する際のスクラッチ・ノイズがサンプリングされて入っているけれど、曲調もなんだかレトロ。ちょっとスモーキー・ロビンスンが書きそうな曲だ。しかもハーマン・ミュートを付けたトランペットのオブリガートとソロもかなり印象的。

五曲目「フューチャー・ベイビー・ママ」も素晴らしい。プリンスのファルセット・バラード集でも作るとするならば、これは個人的に欠かしたくないと思うほどイイ。リズムは100%打ち込みのデジタル・ビートだけど、効果的にエレキ・ギターや鍵盤楽器がキレイに入り、バック・コーラスはプリンス一人の多重録音か、あるいはちょっと女声っぽいものも混じっているみたいだけど、どうだろう?それにしても、この曲でのファルセットの冴え渡りかたはすごい。聴きながら曲に身を委ねていると、心までとろけそう。

それら R&B バラード以外だと、八曲目の「チェルシー・ロジャーズ」が派手派手ゴージャスなファンク・チューン(オールド・スタイルのディスコっぽくも聴こえる)なのだけが例外(メイン・ヴォーカルはシェルビー J)で、そのほかはポップなロックばかり。なかにはかなりメッセージ性の強い曲もある。

アルバム一曲目のタイトル・チューンでも地球の環境問題を歌い、上でも触れたバラード系だけど歌詞は宗教的内容の八曲目「ライオン・オヴ・ジューダ」とか、ラスト十曲目「リゾルーション」も、曲調はアッサリしたポップスだけど、中身は戦争などの問題を解決するために人々に呼びかけるというもの。そういえば、ずっと前の1981年『コントロヴァーシー』に「ロニーよ、ロシアと話し合え」という曲があったよなあ(ロニーはレーガン大統領)。

それらのメッセージ・ソング。一曲目の「プラネット・アース」は歌詞内容だけで勝負したいかのようなおもしろくないもので、メロディもリズムも取り柄がなく、ラスト50秒ほどになるまではぜんぜん盛り上がりもなく、う〜ん、こりゃ、どこがいいの?暗くて沈鬱で、やたら仰々しくドラマティックではあるけれど、音楽としての楽しさが薄いよなあ。う〜ん、困った。でもこれ一個だけだ。ほかのものは音楽的に聴きどころがちゃんとある、と上でも指摘したとおり。

そのおもしろくない曲「プラネット・アース」のおもしろいラスト50秒はなにか?というと、プリンスのエレキ・ギター弾きまくりパートなんだよね。そう、ギター。ギターこそがこのアルバム『プラネット・アース』の隠しテーマ。影の主役だ。いや、隠れたり影になったりしていないのか?、二曲目のタイトルが「ギター」だもんね。

その曲「ギター」は、プリンスのギター・バカ宣言みたいなもので、歌詞も「君を愛しているけれど、僕のギターほどには愛せない」というのがテーマ。しかしそんなテーマは歌詞内容というよりもこのサウンドで表現されている。派手でケバい歪み系エフェクターを深くかけてエレキ・ギターを弾きまくるプリンスのその姿にこそ、彼のギター愛宣言が込められているんだよね。

曲「ギター」。これはギター愛宣言であるからして、つまり音楽愛宣言だ。ギターを弾くしか、音楽を愛するしか能のないバカの一途な思いをそのまま表白したもので、僕は心の底から激しくこの曲に共感する。なんでもないただのギター弾きまくりハード・ロックだけど、プリンスの揺るぎないギター愛、身じろぎもしない音楽愛がストレートに伝わってきて、僕は嬉しい気分なんだよね。

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