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2018/03/25

朝日のようにさわやか…、ですかこの曲?

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ジャズ・スタンダードとしてもお馴染みの「朝日のようにさわやかに」(Softly, As In A Morning Sunrise)。失恋を悔いる歌だって、知ってましたか?僕はついこないだまでまぁ〜ったく知らなかった(^_^;)。邦題に惑わされていたわけじゃないんだけど、でもなんだかさわやかな曲調じゃないよなあ、なんとなくのビターネスを感じるぞと思ってはいたのだけど。

この「朝日のようにさわやかに」、歌詞を歌っているヴァージョンをまったく聴いたことがなかったもんね。そもそもあるんだろうか?と思っていた…、なんてのはウソで、もちろんこの曲の出自を知ってはいたものの、歌入りヴァージョンを見かけなかったというのが事実だ。

歌入りヴァージョンを聴くと、この「朝日のようにさわやかに」という曲における「さわやか」とは、うんまあ “softly” だからさわやかっていうのはすこし違うよねとは思っていたけれど、歌をちゃんと聴いてみて、はじめて意味が理解できた。朝日が昇ったり夕日が沈んだりするときのようにそっとひそやかに、つまり目で見てはそうなったと変化が確認できないほどゆるやかに、愛がはじまったり終わったりするんだという…、つまりこんなビターネスはないっていうほどの歌だ。

だから “softly” が「さわやかに」となっている邦題はかなりミスリーディングだよね。あえて言えば「ひっそりと」「そっと静かに」とかのほうがいいなあ。説明的に言えば「すぐにそうとは気づかないけれど、いつの間にやらそうなった(愛が終わった)のが、しばらく経って確実にわかるかのように」ってことだ。朝日や夕日の昇降と同じく。

しかしジャズ楽器奏者の演奏ならかなり多いこの「朝日のようにさわやかに」、そんな内容を歌っているジャズ歌手は?というと、ほとんど見当たらないように思う。検索するとアビー・リンカーンのが見つかったけれど、マジでこの人だけじゃないの?ほかにだれかジャズ・シンガーは歌ってる?
しかしこれを聴いても、この曲のビターネスはよくわからないような気が、個人的にはする。モダン・ジャズのばあいは、歌手も演奏家もだいたいこうやって、甘いも苦いも酸っぱいも情緒を中和して、純(?)音楽的にやるというか、抽象化するというか、音楽表現として高度なのかどうかわからないが、それがいいなあと思ったり、う〜んイマイチだと感じたり。

じゃあ1928年のオペレッタ『ザ・ニュー・ムーン』で使われた曲なんだからと思って探しても、戦前のジャズ・シンガーやそれっぽいポップ・シンガーが「朝日のようにさわやかに」をやっているのは見つからなかった。不思議だ。ジャズ・インストルメンタル・ヴァージョンも、ほぼない。どうしてだろう?モダン・ジャズには楽器演奏ヴァージョンがあんなにあるのに。だれかのなにか、きっかけになるヴァージョンがあったのかもしれないよなあ。1938年にアーティ・ショー楽団のやったのがヒットしてからかなあ?
それで、と思って YouTube でうろついてみると、古いヴァージョンかつ歌入りで、曲「朝日のようにさわやかに」の、そんなゆるやかに変化したことにあとになって気が付いて(まあそうなっても、もはや失くなったんだから遅いということか)っていう苦味を表現しているのが、いくつか見つかった。

それらは、ぜんぶタンゴだ。知ってましたか?この「朝日のようにさわやかに」がもとはタンゴ楽曲だってことを?このことも僕はちっとも知らなかったよ。そもそも初出のオペレッタ『ザ・ニュー・ムーン』でタンゴとして紹介されたものなんだそうで、その後、いくつかタンゴ・ヴァージョンのレコードが出ているようだ。

オリジナル(がどんなのか聴けないわけだけど)に似たタンゴ・ヴァージョン「朝日のようにさわやかに」。歌入りだと、たとえばこんなの。何年録音かなあ?
インストルメンタル・ヴァージョンだと、こんなのもある。初出のオペレッタの翌1929年録音だ。
これもインスト。1947年となっているから戦後だけど、オールド・スタイルだ。
これらのヴァージョンだと、たしかにこの「朝日が昇るがごとく、そっとひそやかに」という曲がもともと持っているビターネスを噛みしめているような悔恨のフィーリングがよく伝わってくる。それで、繰り返しになるけれど、この曲がどんどん演奏、録音されるようになったモダン・ジャズ界にあるどんなヴァージョンも、それが伝わってこない。

もちろんこれは短調の曲だし、それを変えちゃうとちょっとあれだから、なんとなくのそんなフィーリングがあるようには思うんだけど、それはそれでいいんだ。それがモダン・ジャズの持ち味、特長、いいところなんだから。僕がいちばん好きなモダン・ジャズ・ヴァージョンの「朝日が昇るがごとく、そっとひそやかに」は、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)の解散コンサートを収録した二枚組レコード『ザ・ラスト・コンサート』(1974年録音)のものだった。
この演奏はこの1975年発売のレコードのオープニング・ナンバーなんだよね。これ、なかなかいいじゃん。もはや MJQ のことはなんとも思っていない僕だけど、たま〜〜っに聴くとわりといいなと感じる…、こともある。MJQ 自身、だいぶ前にスタジオ録音している曲だけど、このラスト・コンサート・ヴァージョンのほうがいいなあ。

ちなみに僕はこの MJQ の『ザ・ラスト・コンサート』、レコードは愛聴盤だったけれど、CD では買っていない。一曲目の「朝日が昇るがごとく、そっとひそやかに」がかなりよかったという記憶だけ持ち続けていて、YouTube で探してみただけだ。Spotify にもあるはずだが、フル・アルバムで聴きたい気分は、もはや、ない。

この MJQ ヴァージョンだと、邦題どおりの「さわやか」感があるような気がする。イントロ部とアウトロ部で、ジョン・ルイスお得意のバロック音楽ふうアレンジが施されているせいかもしれないが、テーマ演奏部、ミルト・ジャクスン、ジョン・ルイス二名のソロ部にも、悔恨を経てのなんだか割り切ったようなサッパリ感が漂っているような気がする。それでなのかどうか、大学生のころ、僕は好きだった。

そのほか、ソニー・ロリンズの例のヴィレッジ・ヴァンガード・ライヴ(1957年録音、58年発売)・ヴァージョンとか、ジョン・コルトレインの、これまたヴィレッジ・ヴァンガード・ライヴ(1961年録音、62年発売)とか、むかしもいまもわりと好き。特にロリンズ・ヴァージョンは、本テイクのほうのドラマーがエルヴィン・ジョーンズで、それもいいんだよね。コルトレインのもエルヴィンだけど、そっちでは意外にストレートな叩きかただ。
去年だったかな?買って聴いたフレモー&アソシエの三枚組『ジャマイカ・ジャズ 1931-1962』には、ピアニスト、セシル・ロイドがトリオ編成でやる「朝日が昇るがごとく、そっとひそやかに」がある。1958年のキングストン録音。ちょっとユーモラスでクールにスカしたような感じと、ややおどろおどろしい雰囲気が合体していて、かなりおもしろいよ。以下の YouTube にあるやつは、僕の持つ CD 収録ヴァージョンとすこしピッチが違うような気がするんだけど。でも同じやつだ。
最後に。この曲「朝日が昇るがごとく、そっとひそやかに」がちょっとモタモタしていてまどろっこしく、あまりおもしろくもないし、邦題みたいにさわやかでもないなあと感じていた最大の元凶は、ピアニスト、ソニー・クラークのブルー・ノートへのトリオ録音ヴァージョン(1957年録音、58年発売)なのだった。以前書いたように、やっぱりブルー・ノートのピアノの音は斬れ味が鈍いなあと思うんだけど、いま聴きかえすと、そのもっさり感のせいで原曲のビターネスがあると感じるから不思議。
1960年録音、61年発売のルー・ドナルドスン『サニー・サイド・アップ』にあるヴァージョンも淡々としていてなかなかいい。トランペットはビル・ハードマン。ピアノはホレス・パーラン。
マイルズ・デイヴィスも、例の1961年ブラックホーク・ライヴでやっているけれど、それはウィントン・ケリーのピアノをフィーチャーしたトリオ演奏で、マイルズはまったく吹いていない。ちょぴり似合いそうな気がするのに。

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