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2018/04/06

フィルモアのマイルズ 1970

マイルズ・デイヴィス・バンドのフィルモア出演は、以下でぜんぶのようだ。コロンビアはこれらを残さず録音したはず。公式リリースされている日の右には * 印、公式盤はないがブートレグでなら聴ける日の右には + 印を付けた。印の右がその公式盤タイトルとリリース年。日付の下は当日の同じステージに立ったバンド。いわゆる対バンってやつ。マイルズは必ず前座だった。

1970年

East

3/6
3/7 * Live At The Fillmore East (March 7, 1970): It's About That Time (2001)
(ニール・ヤング&クレイジー・ホース、スティーヴ・ミラー・バンド)

West

4/9
4/10 * Black Beauty (1973)
4/11 * (partially) Miles At The Fillmore: Miles Davis 1970: The Bootleg Series, Vol. 3 (2014)
4/12
(グレイトフル・デッド、ストーン・ザ・クロウズ)

East

6/17 *+
6/18 *+
6/19 *+
6/20 *+
Miles At The Fillmore: Miles Davis 1970: The Bootleg Series, Vol. 3
(ローラ・ニーロ)

West

10/15 +
10/16
10/17 +
10/18 +
(リオン・ラッセル、シー・トレイン)

1971年

West
5/6
5/7 +
5/8
5/9
(エルヴィン・ビショップ・グループ、マンドリル)

フィルモアではないが、マサチューセッツにあるビル・グレアムのタングルウッドへの出演がある。

1970/8/18 * Bitches Brew: 40th Anniversary Deluxe Edition (2010)
(サンタナ)

言うまでもなく、上記2014年リリースの四枚組に収録されている1970/6/17〜20は、もとは編集されて一日あたり LP 片面となり、二枚組で1970年10月に発売されている。それが『マイルズ・デイヴィス・アット・フィルモア』。

さて、マイルズのフィルモア(など)出演のきっかけは、コロンビアのクライヴ・デイヴィスが、前1969年8月録音の二枚組『ビッチズ・ブルー』のプロモート活動として、フィルモアのビル・グレアムに売り込んだというのが真相のようだ。1970年いっぱいのフィルモアなど出演は、要はそんな宣伝活動の一環だった。それくらい『ビッチズ・ブルー』に力が入っていた。ロック・マーケットにアピールするために。

『ビッチズ・ブルー』のアメリカでのリリースは1970年3月30日。だからその直前、3月のフィルモア・イースト出演は、この二枚組発売のいわば<予告>をクライヴ・デイヴィスがやったようなものだった。このメガ・ヒット・レコードが発売された正確な日付はそうだけど、まあ4月リリースとして差し支えない程度の時期だよね。

1970年4月リリースの『ビッチズ・ブルー』と、相前後しそれにともなう一連のフィルモア出演は、マイルズによるザ・シックスティーズ決算とロックの時代への突入を意味するという面もあった。ここで言う the 60s とは、その10年間のことではなく、あの時代のことだ。公民権運動やジョン・F・ケネディ暗殺やヴェトナム戦争や、そしてロック/ポップスのサブカルチャーがのしてきたあの時代のことだ。

ビル・グレアムのフィルモアというロック・ヴェニューは、まさにそんな時代のサブカルチャー・ミュージックの殿堂だったんだよね。グレイトフル・デッド、オールマン・ブラザーズ・バンド、フランク・ザッパのマザー・オヴ・インヴェンション。だからそこへ連続出演したマイルズは、ザ・シックスティーズ・サブカルチャーへの侵入を試みたと解釈してもいいんじゃないかな。マイルズ・インヴェイジョン。

デッド、オールマンズ、マザーズの三者の名前をあげたのは、1970年前後にロック・フィールドでインプロヴィゼイション・ミュージックをやっていた代表格として、そして三者ともその時期にフィルモアでライヴ収録したアルバムをリリースしているからというのが理由だ。マイルズ・バンドも同じ場所に出演し、これら三者と同じような領域、世界に踏み込もうとした。

上記三者もそうであるように、ロックの多くがギター、それもアンプリファイされたエレキ・ギターの、しかも歪ませたサウンドを中心に据えて音楽を構成していたのは言うまでもないが、マイルズ・バンドのばあい、レギュラー・メンバーとしては1972年のレジー・ルーカスまで専属ギタリストはいない。

これはいま考えたらやや意外な気もする。以前詳述したようにマイルズという音楽家は、和音楽器としてはどうもギターよりもピアノやシンセサイザーなど鍵盤楽器のほうを重用していたと思えるフシがあるよね。それでも1968〜75年のマイルズ・ミュージックは、ジェイムズ・ブラウン/スライ&ザ・ファミリー・ストーン/ジミ・ヘンドリクス期と言ってもいいくらいなんだから、もっと早くにギター中心のサウンド創りをしてもよかったような気がする。
その代わりにというか1970年3月のフィルモア・イースト初出演から、フェンダー・ローズのチック・コリアはリング・モジュレイターを頻用するようになる。いちばん上のプレイリストで聴いていただいてもおわかりいただけると思うけれど、エレピのサウンドにエフェクターをかませ歪ませたり飛ばしたり。フィルモア期のロック・マイルズでは、これがエレキ・ギターの代用・補充だった。

特に『ブラック・ビューティ』になっている1970/4/10のフィルモア・ウェスト公演。ここでのチックのフェンダー・ローズのサウンドはものすごい。まんま超ナスティーでダーティーだ。ひとによったら、いままで聴いた全フェンダー・ローズ・サウンドのなかでもいちばんだとか、 "Sick!!!!! This is the nastiest rawist fender roads sound I've EVER heard" "This is heavier than some guitar sounds of that era" だとかいうことになるらしい。
それでもハード・ロック好きの僕から言わせてもらえれば、ファズ(ディストーション)を使ったエレキ・ギターのエフェクト・サウンドには、やっぱりナスティさで敵わないよなと思うんだけど、この1970/4/10のチックのフェンダー・ローズは、なんだかんだ言ってジャズ・サイドに置かれる音楽で聴けるものだから、そう考えれば、たしかに nastiest なのかもしれない。

少なくとも1970年ごろのロック・バンドにおいてエレキ・ギターが果たしていた役割を、70年のマイルズ・バンドではリング・モジュレイターを使ったチックのフェンダー・ローズが担っていたというのは間違いない。このあと二年で実際にエレキ・ギタリストを常用するようになるマイルズだけど、けっこう保守的なこの音楽家にしては1970年時点で精一杯頑張ってここまで持ってきているってことかなあ。

フェンダー・ローズにリング・モジュレイターをかませるのは、でもたぶんボスの指示じゃなくチックのほうのアイデアだったかもしれないと僕は考えている。マイルズに電気トランペットを提案したのもチックらしいから、1970年前後にバンドのエレクトリック・サウンド化、ロック化に、ある意味、チックが主導権をすこしとっていた可能性があるかもしれない。

ベースは、1970年の上記フィルモア出演分でいうと、10月からファンカー、マイクル・ヘンダスンに交代している。しかしその前の3〜8月までのデイヴ・ホランドも、6月のフィルモア・イーストまではまだウッド・ベースも併用するものの、それはジャジーな4ビート・ナンバーでだけで、ロック/ファンク・テイストの曲ではエレベしか弾かなくなっているよね。

ドラムスのジャック・ディジョネットは3月のフィルモア・イーストではまだまだジャジー。ジャズ界における1960年代ふうのフリー/アヴァンギャルド系のドラミングに近い。ところがそんなジャックも、これまた『ブラック・ビューティ』になった4/10ウェスト公演からはタイトでソリッドなロック・ドラミングに変貌。

オープニング・ナンバーの「ディレクションズ」(ジョー・ザヴィヌル作)がわかりやすいので聴き比べてほしい。『ブラック・ビューティ』の4/10フィルモア・ウェスト公演におけるジャック・ディジョネットは、手数を控えシンプルに叩いて明快なグルーヴを生み出しているよね。特にスネアをバン、バンと入れるのがロックで、ノリもいい。それがチックのナスティなフェンダー・ローズ・サウンドとからんで、この上ない快感なんだよね、僕は。

当日の演奏曲じたいも、1969年のいわゆるロスト・クインテットでのライヴで演奏していたものと、ほぼレパートリーは変化していないのに、中身の演奏はまるで違う曲をやっているかのようだ。70年でも3月のフィルモア・イーストと4月のウェスト以後ではかなり違う。4月にはリズムもシャープに締まり、ストレートに直進疾走しているよね。

それらとは異なるバラード・タイプの曲や、また「ビッチズ・ブルー」「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」のようなミドル・テンポのブルーズ・ナンバーでは、それまでのフリー・ジャズ・バラードな側面が消えて、ブルージーなロッカバラードに変貌しているじゃないか。

そしてそれらすべて、結局、フロントで吹く主役トランペッターがかっさらっている。フレイジングじたいは1960年代末ごろからのクロマティック・スケール中心の組み立てとほぼ違わないが、トーンに力強さや荒々しさが増し、先週も書いた言葉だが英単語の形容詞 fierce がピッタリ来るような吹きかただ。まあバンド全体が fierce なんだけど。

そんな荒れ狂うようなバンド・サウンドやトランペットの吹きかた。これまた先週書いた1960年代前半の公民権運動と強く共鳴していたようなあのトーンを、ここ1970年のフィルモアでもまだマイルズ(・バンド)は持っていたように聴こえる。今日、上のほうでも書いたように、あのザ・シックスティーズへのシンパシーを、ここでもマイルズは<音楽で>表現したと言えるんじゃないかな。

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