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2018/05/04

マイルズとビル・エヴァンズの1958年

長年ステレオ盤であるかのような顔をし続けているが、実はモノラルしかない『1958 マイルズ』。まず1974年に日本の CBS ソニーがリリースしたのがオリジナル。いまではアメリカでも(世界的にも?)販売されているはずだ。僕はむかしから大好きな一枚で、まずなんたって池田満寿夫が手がけたジャケット・デザインがいいよね。

ジャケットだけじゃなく中身もいい。いいだけじゃなく貴重でもある。なにがかって、ビル・エヴァンズがマイルズ・デイヴィス・コンボにレギュラー在籍していた時期のスタジオ録音は『1958 マイルズ』収録の四曲しかない。意外だろうか?

つまり、1958年5月26日録音の「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」「フラン・ダンス」「ステラ・バイ・スターライト」「ラヴ・フォー・セール」。これしかない。こっちもビル・エヴァンズ大活躍の59年春録音『カインド・オヴ・ブルー』セッション時には、すでにビルはマイルズ・バンドを脱退していた。一時ゲストとして呼び戻されただけだ。

1958年5月26日のビル・エヴァンズ(とジミー・コブ)は、マイルズ・バンドへの加入後初録音だったんだけど、ビルにとっては結局それで終わってしまったことになる。スタジオ録音を時系列でたどると、「ラヴ・フォー・セール」の次が1959年3月2日の「フレディ・フリーローダー」(『カインド・オヴ・ブルー』)。これのピアノはウィントン・ケリーだ。同日に「ソー・ワット」「ブルー・イン・グリーン」も録音していて、それらでは臨時にビル・エヴァンズだけどね。

ビル・エヴァンズがマイルズ・コンボに加入したのは1958年4月で、脱退が11月。録音記録で言うと、58年5月3日から9月9日まで。ボスがたいへん気に入っていたにもかかわらずそんな短期間だった理由は、どうやら黒人バンドにひとりだけ白人が混じっているということで逆人種偏見に遭って、居心地がかなり悪かったらしい。ナイト・クラブなどの生演奏現場では、理不尽なことを数々言われたそうだ。

本論に入る前にもう一個書き添えておく。1958年5月26日収録の四曲のうち、「フラン・ダンス」の別テイクが公式リリースされているが、「ステラ・バイ・スターライト」も別テイクが(いっときだけ)公式リリースされていた。それは以下のジャケットの米コロンビア/レガシー盤『'58 セッションズ、フィーチャリング・ステラ・バイ・スターライト』に入っていた。しかし、その後、どんなリイシュー盤にもコンプリート・ボックスにも収録されないところを見ると、会社の公式見解としては存在しないことにしたいんだろう。

Miles_davis__1958_miles_reissue_cov










だから、この1991年リリース盤『'58 セッションズ』に収録の「ステラ・バイ・スターライト」テイク7は、たぶんそのときの発売プロデュースのミスとか勘違いみたいなものでウッカリ出てしまったものだったんだろうなあ。『1958 マイルズ』の初 CD 化よりも、アナログは存在しない『'58 セッションズ』リリースのほうが先だった(ような気がするが?)ので、僕は飛びついて買って、「ステラ・バイ・スターライト」のマイルズのソロ部で、オリョ?となったのだ。

調べてみたら、「ステラ・バイ・スターライト」のマスターは、テイク3とテイク7の合体ということらしい。そんなわけで「ステラ」一曲だけの微細な差異しかないしジャケットもあれだけど、『'58 セッションズ』のほうだって、いまだに処分できないんだよね。ちょっとしたミスがこぼれ出るってこわいよねえ。できたらまた公式発売してほしい。

取るに足らないトリヴィアだった。ビル・エヴァンズのマイルズ・バンド正式在籍時唯一の公式スタジオ録音である四曲「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」「フラン・ダンス」「ステラ・バイ・スターライト」「ラヴ・フォー・セール」のマスター・テイクの話をしよう。

マイルズがレッド・ガーランドとフィリー・ジョー・ジョーンズをクビにしたのは、端的に言えば素行不良ということで(詳しいことは調べればすぐ出るはず)、ライヴ出演などの音楽活動に支障をきたすようになったから。それでジミー・コブのことはよく知らないけれど、ビル・エヴァンズのほうは、ジョージ・ラッセルとの仕事を聴いてマイルズが着目していた。

だから1958年2月(同月の『マイルストーンズ』録音セッション直後あたりか)、ブルックリンのコロニー・クラブにマイルズ・バンドが出演する際、ジョージ・ラッセルはマイルズの要請でビル・エヴァンズを差し向けた。ビルはそのとき、これがライヴ・オーディションなんだとわかっていたらしい。以前も1974年の『ダーク・メイガス』関連で書いたが、マイルズの新人オーディションってライヴのぶっつけ本番でやったりすることもあって、厳しいよなあ。

ジョージ・ラッセルとの仕事で着目したくらいなんだから、マイルズがビル・エヴァンズに期待したのが調性面でのアプローチだったことは間違いない。例のリディアン・クロマティック・コンセプトっていうやつ。(多くの音楽で一般的な)ふつうのメイジャー・スケールよりもリディアン・モードを使ったほうがトーナリティの自由度が高く、したがってメロディ展開が拡大できるというもの。

そもそもマイルズがコーダルな表現からモーダルな手法に進んだのだって、直接的にはジョージ・ラッセルの活動からヒントを得ていたものに違いないから、そこのピアニストに注目していたのは当然だ。むろんもっと前からマイルズは、機能和声にもとづくコード分解をあまりやらず、水平的な旋律展開が好きなトランペッターだったけれど、本格的にモーダルなアプローチに取り組むようになったときには、ラッセルとの関係があった。

マイルズがビル・エヴァンズに期待したのは、したがって調性面での(簡素化と同時の)拡大自由化と、ヴォイシングの魅力と、それと一体化しているリリシズムだったので、ハードにスウィングするという面からはやや遠ざかっていた。1958/59年のマイルズは、やはり静的な音楽を志向していたと言える。

しかしマイルズ以外のバンド・メンバーは、必ずしもそういう気持ちじゃなかった部分があったかもしれない。特にアルト・サックスのジュリアン・キャノンボール・アダリーは、ファンキーなブルーズで粘っこくハードにブロウするのが得意なジャズ・マンだから、レッド・ガーランドのほうが好きだったはずだ。コーダル/モーダルといった調性展開の変化を理解するのにも、すこし時間がかかっていた。

そんなキャノンボールも、しかしすこし経って自分のリーダー・アルバムでビル・エヴァンズを起用して似たような方向に向くこともあったので、最終的にはビルの持つ、特にあのコード・ヴォイシングに大きな魅力を感じていたんだろうね。ジョン・コルトレインはテナー・サックスでコードを吹きたいともがくほどの人物だから言うに及ばず。

上記四曲「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」「フラン・ダンス」「ステラ・バイ・スターライト」「ラヴ・フォー・セール」の並びは当日の録音順だけど、アルバム『1958 マイルズ』での並び順でもある。1974年のリリースにあたりプロデュースしたテオ・マセロ(録音時にはまだプロデューサーではない)も、録音順でそのまま並べれば、美的にもちょうどいい感じになると判断しただろう。

実際、オープナー「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」の出来がかなりいい。1958年5月26日録音のこれら四曲のなかではいちばんいいよね。まずイントロを弾くビル・エヴァンズはテンポ・ルパートで、ゆらゆら漂うようなソフト・タッチで、印象派ふうのラプソディックなフレーズを奏で、雰囲気をつくる。

雰囲気=アトモスフィアというか、要はムードだ。ムード=モード。といっても「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」も、ほかのスタンダード二曲も、マイルズの自作「フラン・ダンス」も、モーダルなコンポジションではない。通常のコード進行がある。しかしそれらでもモーダルというに近い調性展開をアレンジしてある部分も聴ける。

特に「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」。主旋律部に入ってしばらくチェンジせず、ワン・コードで進む。そのあいだ、ベースのポール・チェインバーズがワン・ノートを反復しているじゃないか。1961年録音の「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」と同じやりかただけど、1958年5月におきすでにやっていた。

「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」がベースのワン・ノート反復によりワン・コードで進むあいだは、アド・リブ・ソロをとる三人(+キャノンボールで四人なんだが)は、従来型のコード分解による即興ではできない、自由度の高いメロディ展開を見せているよね。

一番手の簡素で抑制の効いた美を放つマイルズと、二番手の、ちょうどシーツ・オヴ・サウンズ手法が円熟しつつあったジョン・コルトレインの音密度の高いソロも、いいコントラストだ。四番手のビル・エヴァンズは終始ブロック・コードでソロを弾くが、その響きがきれいだね。ブルージーやファンキーになれず、ハードにスウィングもしないビルだけど、こういったヴォイシングの美しさは絶品だ。

コード・ソロというとこの四曲でのビル・エヴァンズは、「ラヴ・フォー・セール」でだけ右手のシングル・トーンでソロを弾くけれど、それ以外はぜんぶコード弾きでのソロを聴かせている。ボスの指示があったかもしれないが、そういうわけでもないんだと僕は思う。ビル自身のリーダー作でもたくさん聴けるやりかただから。

「ステラ・バイ・スターライト」のイントロも玄妙でいいよなあ。ポール・チェインバーズのアルコ弾きとビル・エヴァンズのリリカルなタッチとの合奏で、ちょっとあの「ソー・ワット」の玄妙なイントロに似ているような気がしないでもない。ここではアルトのキャノンボールはオミットされて、ソロは三人。雰囲気のあるラヴ・バラードだからか、コルトレインも抑制を効かせていてちょうどいい。

そして三番手でやはりブロック・コードで弾くビル・エヴァンズのソロが出るが、たまらなく美しい。マイルズもきれいだが、だから同じようにラヴ・バラードをきれいにリリカルに演奏できるビル・エヴァンズのことが、やっぱり好きだったんだよなあ。アウトロ部でイントロと同様の演奏になる。

ただし、マイルズに強くあるもういっぽうの音楽志向であるスウィンギーなハード・ブロウを、ビル・エヴァンズは得意としなかった。「ラヴ・フォー・セール」はそんな急速調にアレンジしてあるので、ビルではイマイチ物足りないよね。ピアノ・ソロ部が、というだけじゃなくホーン三人のソロ部でのバッキングでも、どうもプッシュが弱い。

こんな部分は、さすがにマイルズもやや不満があったらしい。最終的には1963年にハービー・ハンコックという、リリシズム&ハーモニーの豊富さ/ファンキーなハード・スウィングの、どっちも完璧にこなせる人材を見つけて問題が解決したことになる。そこへ至る前の、過渡期ではないけれど、ちょうど調性の自由化とメロディ展開の拡大という新表現をやっていた際の助力として、ビル・エヴァンズは最好適だったんだね。

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コメント

ぼくは、ラブ・フォー・セールのイントロが好きだな。そして、あのジャケットを探してレコードを若い頃買ったんだ。でも友達に貸したらマクドナルドに置き忘れて無くなってしまったんだよ。やれやれ…

うん、あのイントロは僕もとても好き。でも本編に入ってからは、同じマイルズの1958年ものなら、かの『サムシン・エルス』にも「ラヴ・フォー・セール」があるよね。比べたら、やっぱり違うんじゃない??

たしかにそうだけれど、こちらの録音ではマイルスが演奏しているときのバックのビル・エヴァンスが好きだな、テンポも良い♫

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