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2018/05/11

エモーショナル・グラヴィティ

昨日書いたジェイムズ・ブラウンのセレクション。JB だけじゃなく、だいたいいつでもこの手のものは、Spotify で作成したり文章化したりするかなり前から iTunes で作ってあって、ふだんから聴いてきたというもの。しかし今回 JB のそれを聴きなおし、はじめてアッ!と気が付いたのが今日の文章。

それは、一時期の JB って、ホント頻繁に「ゲット・アップ!ゲット・アップ!」 言うとりますやろ〜。直截的な意味はよくわからないけれども、これってやっぱり、黒人としての人権意識高揚みたいなことも含まれていたよねえ、間違いなく。黒人よ、立ち上がれ!と拳を突き上げるようなことじゃないかな。歌詞だけじゃなく曲題にだって多いもんね、「ゲット・アップ」ってさ。

マイルズ・デイヴィスの1974年リリース作『ゲット・アップ・ウィズ・イット』。このアルバム題はだれが考えたのか、それは僕にはわからない。マイルズ?テオ・マセロ?あるいはコロンビアのだれか?いずれにしても、マイルズのこれは、ひょっとしたら JB のあんな感じからそのまま直接もらったのかもしれない。

ってことに、昨日ようやく気がついた鈍感すぎる僕。1971年リリース作『ア・トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンスン』も同じような人権意識高揚に言及したアルバム・タイトルだ。といってもこれのばあいはジャック・ジョンスンのドキュメンタリー映画のサウンドトラックだからというのが直接の由来。でも、黒人初のボクシング重量級チャンピオンで、黒人であることを押し出して、だから激しい差別を受けながら活動したジャック・ジョンスンなんだから、録音セッションそのものは無関係だったとはいえ、アルバム・リリース時には、やはりそんな意味が込められていたはずだ。

1972年リリース作『オン・ザ・コーナー』も、大都会のゲットーで暮らす黒人の日常に根ざしたいというタイトル。だがしかし、『ジャック・ジョンスン』はともかく、『オン・ザ・コーナー』のばあい、題名はそうであっても中身の音楽が、必ずしもそのとおりにはなっていなかったように思う。

そのあたり、前から言っているが、マイルズというひとは中流のボンボンだったわけで、音楽志向もヨーロッパふうな洗練を志向する部分も強かった。ブラック・ミュージックが本来的にあわせ持っているストリート感覚などマイルズの音楽にはなく、知的に組み立てて音創りしていくタイプ。『ジャック・ジョンスン』には高揚感があるとはいえ、どっちかというとロック・ミュージックだし。
むろん『ゲット・アップ・ウィズ・イット』にも、黒人ゲットーに根ざしたようなストリート感覚など、ない。がしかしそれでもこの二枚組だけは、ちょっと特別だ。その音楽のどす黒さというか、マイルズもアメリカにおけるあの世代の黒人として生きたのだという、そのとぐろを巻くようなまがまがしい感情の重さが、これでもかというほど前に出ていて、ストレートに表現されている。

そう、かなり重いんだ、この二枚組は、音楽的な意味でね。そしてその重力をともなって立ち上がらんとする、そして黒人同胞にそれを促さんとする、そんな人権意識高揚のフィーリングがあるように感じるんだよなあ。その根底には、打ちのめされている絶望感もある。重さとはそれなのか。

しかしマイルズも落ち込んでいるばかりではない。明るくというんじゃないけれど、高まっていく、上昇する気分も表現されている。この重さと高揚感とが音のなかに表裏一体になって表現されている部分こそ『ゲット・アップ・ウィズ・イット』がブラック・ミュージックとして大きな意味を持つものなのだろう。

たとえば1曲目のデューク・エリントン追悼曲「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」でも、曲のほぼぜんぶが暗く落ち込んだような荘厳な鎮魂歌だけど、荘厳であるからゆえにただ下を向いているだけではない。同じく音楽的な意味でもブラック・パワーを讃えた偉大なる先達の意思を引き継いで自分も前に進むのだというフィーリングが、曲後半のリズムやトランペット・サウンドに聴きとれるよね。

2曲目「マイーシャ」は当時の恋人の名をタイトルにしたラヴ・ソングだから多幸感がはっきりあるけれど、恋愛を表現するとは、人間としての喜び、肯定感の表出だから、ここにもアメリカで黒人として生きているという意識が、とてもポジティヴな意味で表出されている。曲後半でサウンドとリズムにやや影が指すけれど。

4曲目「レイティッド X」ではトランペットを吹かずオルガンに専念し、セドリック・ローソンとのツイン鍵盤であの不穏なサウンドを周囲に撒き散らし満たそうとするような感じ。この曲なんかも、約七分間のノン・ストップ・アングザイエティだ。不協和なブロック・コードとリズム・セクションのぶつかり合いが、それを増幅する。

5曲目「カリプソ・フレリモ」は、アルバム『ゲット・アップ・ウィズ・イット」のなかで最もストレートに人権意識高揚のための社会活動を音楽で表現したものだ。フレリモとはモザンビーク解放戦線(Frente de Libertação de Moçambique)のことだから。ポルトガル植民地支配に対してモザンビーク独立戦争を戦った武装抵抗組織。

マイルズによる「カリプソ・フレリモ」の録音は1973年9月だから、モザンビークでは闘いの真っ只中。ポルトガルでの政権交代(カーネーション革命)ののち和平が達成されたのが1974年9月。アルバム『ゲット・アップ・ウィズ・イット』のリリースは74年11月。曲題が録音時からあったものかどうかはわからない。

曲「カリプソ・フレリモ」は三部構成で、まさに戦闘中という激しいフィーリングでのファンク・ミュージックが続き、その間マイルズの電気トランペットのサウンドもいつになくパワフル。この1970年代前半は、というかシビアな脚の手術をした1972年以後は体調がすぐれなかったマイルズだけど、とてもそうとは思えないほどの力強い音だ。

中間部では沈んだ暗さと影が表現されているけれど、しかしこれは暗さというよりもむしろ黒いパンサーが跳躍前にかがんで伏せているような、そういうフィーリングかもしれないと、いまの僕の耳には聴こえるようになっている。うん、そうだね、これは落ち込んでいるわけじゃない。ふたたびハードなフィーリングになる第3パートには喜びがあって、達成感が聴けると思う。

アナログ・レコードでは D 面だった6〜8曲目の三つなんか、はっきりしとたブラック・イズ・ビューティフル宣言だもんね。三曲ともどす黒いファンク(・ブルーズ)だけど、大きな重力をともないながらも快活に跳ね、肯定的なグルーヴを奏でている。明るさに満ちている、は言いすぎかもしれないが、ジェイムズ・ブラウンの表現を借りれば、「わたしは黒人だ、そしてそれを誇りに思う、と声を大にして言おう」というのを、マイルズなりに音化したものじゃないかな。

マイルズの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』にかんしては、以前、三週連続シリーズで書いたことがある。

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