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2018/05/12

フィーリンの誕生


という、原題が『Canta Solo Para Enamorados』であるエル・スール盤 CD アルバムがあって、2007年リリース。その後、シリーズ化して2012年の『フィーリンの真実』(Escribe Solo Para Enamorados)、2013年の『フィーリンの結晶』(Usted...el amor...y: José Antonio Méndez Vol. III) がある。キューバ人でメキシコで活動したホセ・アントニオ・メンデスがメキシコ RCA に残したレコード三枚を復刻するのが主眼だったんじゃないだろうか。


ホセ・アントニオのメキシコ時代の(基本)ギター弾き語りのスタジオ録音を収録した LP 分12曲が『フィーリンの真実』の後半にあるし、さらにこっちは完全にギター弾き語りでのライヴ録音14曲が、『フィーリンの誕生』と『フィーリンの結晶』に七曲ずつ分割収録されている。

つまりこれでエル・スール盤のそれら三枚があれば、メキシコ時代のホセ・アントニオのレコード音源全五枚が揃うことになるみたいなんだよね。1927年生まれのホセがメキシコに渡ったのが1949年。その後約10年間メキシコで音楽活動を行ったのち、キューバに帰還。もちろんキューバ時代にもアルバムがあって CD 化もされているものは僕も聴いているが、やはりメキシコ時代を重視しなくちゃね。

エル・スール盤『フィーリンの誕生』は、その後(2014年?もっと最近だったような?)リマスターされて蘇り、いまでもふつうに買えるし、上記のような事情なので、『フィーリンの真実』『フィーリンの結晶』と三枚セットのトリロジー的なものだから、ご興味のあるかたはぜひとも揃えていただきたい。

世界初 CD 化だった『Canta Solo Para Enamorados』(フィーリンの誕生)のばあい、全19曲のこのアルバムにおけるオリジナル・レコード分は12曲目まで。13〜19曲目が上記のとおりホセひとりでのギター弾き語りライヴの収録。12曲目までのスタジオ録音によるレコード分は Spotify にあった。これがオリジナルだ。
僕のちょっとヘンな(でもない?)見方によれば、端的に言ってフィーリンとは、キューバ/ラテン・ミュージック界における自作自演スタイルのムーヴメントだったということになるんだけど、違うかなあ。つまり、ホセ・アントニオもシンガー・ソングライターなのだ。しかし、この見方はなかなか実証しにくい面もある。

書いているように、すべて自作曲の弾き語りライヴ音源が、エル・スール盤 CD『フィーリンの誕生』『フィーリンの結晶』に分割収録されていて、ホセ・アントニオの代表曲はぜんぶあるし、このひとの書く楽曲スタイルや、歌いかた、ギターの弾きかたなどもよくわかるものだ。ファミリアーな雰囲気もよく伝わってくる空気感で、僕も好き。

だがしかし、それらギター弾き語りライヴ音源では、あの魅惑的なボレーロの8ビート・リズムが、ない。ないんだ。あれはバンドでの演奏スタイルだから当然なんだけど、弾き語り14曲ぜんぶが、なんというかフワ〜、ボワ〜っとしていてテンポ・ルパートで、ギターもヴォーカルもうまいんだけど、あのチャカチャカっていう8ビートのリズム・スタイルこそが僕にとってはボレーロとフィーリンをつなぐ生命線だから(っていう考えかたもおかしいのか?)、じゃあフィーリンってなんなんでしょう?僕の頭のなかというか、趣味嗜好が狂っているのかということになってしまう?

ホセ・アントニオもスタジオ録音だと、あの8ビート・ボレーロのリズムがちゃんとある。弾き語りライヴ・ヴァージョンだとそれがない「至福なる君」(La Gloria Eres Tu)も「あなたがわたしをわかってくれたなら」(Si Me Comprendieras)も「君が欠けていた」(Me Faltadas Tu)も、スタジオ・ヴァージョンなら、あのリズム・スタイルなんだ。つまりボレーロ。

ちょっと脱線するが、これら三曲こそホセ・アントニオ・メンデスの自作曲のなかでは至福なるものじゃないだろうか。そう考えているのは僕だけじゃないはず。ホセ自身によるスタジオ録音なら、「至福なる君」が『フィーリンの誕生』に、「あなたがわたしをわかってくれたなら」が『フィーリンの真実』に、「君が欠けていた」が『フィーリンの結晶』に収録されている。

ほかの曲もぜんぶそうなんだけど、それらはつまり甘いラヴ・ソングなんだよね。だから、キューバ恋愛歌の一つの究極のかたちとして(ボレーロから)フィーリンがあるのだと僕は考えている。あの8/8拍子の定常ビートが心臓の恋愛鼓動を刻むかのようで、その上でそっとやさしく小さな声でささやきかけるようにホセ・アントニオが歌う。伴奏サウンドもあくまでやわらかく。そしてお洒落でモダンに。ラヴ・ソングだからセクシーさもある。

それが(あくまで)僕にとってのフィーリン。個人的には一種のムード・ミュージックとか BGM みたいなものでもあって、だから自室内でそっと、大きすぎない音量で流していれば、それでなんとなくの雰囲気を味わっていれば、それでオーケーなのだ。それが僕のフィーリンの楽しみかた。ちょっとのクールな官能が適切で、ちょうどいい。

恋愛とは個人的な事情だから、シンガー・ソングライター化するのはとてもわかりやすいことなんだよね。北米合衆国でだってそうだもん。キューバ(〜メキシコ)のホセ・アントニオ・メンデスのことを僕はそういうふうに捉えている。

しかしここでまたひるがえると、『フィーリンの誕生』のオリジナル・レコード分12曲には、ホセの自作ナンバーが少ない。1「至福なる君」、3「最愛の女性」(Novia Mia)、6「もっと苦しみなさい」(Sufre Mas)、8「わたしの最高の歌」(Mi Mejor Cancion)の四つだけしかない。ほかはキューバやメキシコの音楽仲間の書いた他作のものばかり。

『フィーリンの結晶』のレコード・アルバム分12曲のなかにも自作は3曲しかない。こう見てくると、フィーリンとはキューバの恋愛歌謡におけるシンガー・ソングライター運動だという僕のテーゼは否定されるしかないものだ。それら二枚では、自作/他作の別なく、同じような出来栄えになっているからなあ。

二作目『フィーリンの真実』だけはレコード・アルバム分の12曲がぜんぶ自作ナンバーで、しかも SP 用とか EP 用とかの録音・発売品をのちに LP にまとめたとかではなく、最初から LP アルバム用のレコーディング・プランだったようだし、だからこのオール自作自演の『フィーリンの真実』こそ、ホセ・アントニオ・メンデスの代表作にして最高傑作と呼ぶべきものなんだろうね。実際そういう評価になっていると思う。

フィーリンというものがなんだったのか、簡単に言えばこうだと、今日、僕なりに書いたつもりなんだけど、でも曲やアルバムの具体的な中身には踏み込んでいないなあ。あの8ビートのちゃかちゃかっていうボレーロ・リズムが、個人的にはホント魅惑的に感じるものなんだけど、それが存在しないギター弾き語りこそホセ・アントニオ・メンデスの真骨頂で、だからやっぱり彼はシンガー・ソングライターだという、それがフィーリン・ミュージックのひとつの本質だという、今日の僕の意見は、なんだかディレンマ?アンビヴァレンス?う〜〜ん…。

ホセ・アントニオ・メンデスの曲や歌やギター演奏などの具体的な中身については、また別の機会にジックリ考えてみるしかない。しばしお待ちを。

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