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2018/06/13

黄金時代のデューク・エリントン 1940〜1942

原盤レーベルはすべてヴィクター(ブルーバード他でも発売された)。パーソネルと録音時期は以下のとおり。

Duke Ellington (piano, aranger, leader)
Wallace Jones, Cootie Williams (trumpet)
Ray Nance (tp, violin, vocal) replaces Williams beginning with December 28, 1940 session
Rex Stewart (cornet)
Tricky Sam Nanton, Lawrence Brown (trombone)
Juan Tizol (valve trombone)
Barney Bigard (clarinet)
Chauncey Haughton (clarinet) replaces Bigard on the final session, July 28, 1942
Johnny Hodges (alto sax, soprano sax, clarinet)
Otto Hardwick (alto sax, bass sax)
Ben Webster (tenor sax)
Harry Carney (bariton sax, alto sax, clarinet)
Billy Strayhorn (piano, arranger) on some tunes
Fred Guy (guitar)
Jimmy Blanton (bass)
Junior Raglin (bass) replaces Blanton beginning with December 2, 1941 session
Sonny Greer (drums)
Ivy Anderson, Herb Jeffries (vocal)

〜〜〜〜〜

March 6, 1940, Chicago
'You, You Darlin' 〜 'So Far, So Good'

March 15, 1940, Chicago
'Conga Brava' 〜 'Me And You'

May 4, 1940, Hollywood
'Cotton Tail' 〜 'Never No Lament'

May 28, 1940, Chicago
'Dusk' 〜 'Blue Goose'

July 22, 1940, New York
'Harlem Air Shaft' 〜 'Rumpus In Richmond'

July 24, 1940, New York
'My Greatest Mistake' 'Sepia Panorama'

September 5, 1940, Chicago
'There Shall Be No Night' 〜 'Five O'clock Whistle'

October 17, 1940, Chicago
Warm Valley'  'The Flaming Sword'

October 28, 1940, Chicago
'Across The Track Blues' 〜 'I Never Felt This Way Before'

December 28, 1940, Chicago
'The Sidewalks Of New York'  'The Girl In My Dreams Tries To Look Like You'

February 15, 1941, Hollywood
'Take The "A" Train' After All'

June 5, 1941, Hollywood
'Bakiff' 〜 'The Giddybug Gallop'

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October 1, 1940, Chicago
Duke Ellington (piano) & Jimmy Blanton (bass) duo
'Pitter Panter Patter' 〜 'Mr. J.B. Blues'

~~~~~~~~~~~~

alternate takes
'Ko-Ko' 〜 'Jump For Joy'

~~~~~~~~~~~~

June 26, 1941, Hollywood
'Chocolate Shake' 'I Got It Bad (And That Ain't Good)'

July 2, 1941, Hollywood
'Clementine' 〜 'Moon Over Cuba'

September 26, 1941, Hollywood
Five O'clock Drag' 〜 'Bli-Blip'

December 2, 1941, Hollywood
'Chelsea Bridge' 〜 'I Don't Know What Kind Of Blues I Got'

January 21, 1942, Chicago
'Perdido' 〜 'Moon Mist'

February 26, New York
'What Am I Here For?' 〜 'Someone'

June 26, 1942, Hollywood
'My Little Brown Book' 〜 'Johnny Come Lately'

July 28, 1942, Chicago
'Hayfoot Strawfoot' 〜 'Sherman Shuffle'

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写真左(or 上)がぼくの持つ CD 三枚組(1989)だけど、Spotify にあるのは右(or 下)。リマスターされた同内容のやはり三枚組(2003)。しかし違っている部分もある。全体が録音順に並んでいるにもかかわらず、2003年盤では上記のように「ピター・パンター・パター」から「ミスター JB ブルーズ」までの四曲がデューク&ジミー・ブラントンのデュオ録音。このデュオは、違うアルバムで別テイクもすべてまとめられているので、ここに差し込まれている意味はない。

また続く「コ・コ」から「ジャンプ・フォー・ジョイ」までの五曲は別テイクなのでこれも除外して問題ないもの。しっかしそれら計9トラックをどうしてこんな真ん中に入れちゃうのだろう?どうしてもっていうんなら、おしりにまとめておけばいいのに。そもそもそんな必要すらないオマケだ。

まあいい。最上段のリンクからそれら九つを外したデューク・エリントン楽団1940〜42年録音完全集計66曲から絞りに絞って、25曲のセレクション・プレイリストをつくっておいた。枠の基準は、もし CD-R にでも焼くとするならば一枚におさまるようにということ。ネットで聴くんだから意味のない考えだ、とは思わない。

⟼⟼⟼⟼⟼


この時期のデューク・エリントン楽団を決定づけた要素は三つ、というか三人。ビリー・ストレイホーン、ジミー・ブラントン、ベン・ウェブスターだ。ストレイホーンの正式加入、というか楽団専属の作編曲者兼ピアニストになった時期は、正確には判明しない。だが、1939年に楽団が欧州ツアーから帰国した直後あたりらしい。その前年に出会っているが、ストレイホーンは最初、作詞の仕事をするため雇われたのだった。

アメリカの全音楽における全ベース史上最大の革命児、ジミー・ブラントンがエリントン楽団に加入しての初公式録音は1939年11月のブランズウィックのためのセッション。その後は1942年7月に亡くなるまでずっとデュークといっしょに仕事をした。ブラントンの本領発揮は、やはり1940年からのヴィクター・セッションにこそあるというべき。

コールマン・ホーキンス系のテナー・サックス奏者、ベン・ウェブスターは1940年1月に楽団正式加入。もっとも、1935年8月19日に三曲、1936年7月29日に三曲と、もっと早くにゲスト参加で演奏してはいる。デュークは1940年のウェブスターまでまったくテナー奏者をレギュラー・メンバーとして起用しなかった。これはいったいなぜだろう?ちょっと謎だ。その後は、たとえばポール・ゴンザルヴェスみたいなテナー奏者もいるのだが。

これら三者、ビリー・ストレイホーン、ジミー・ブラントン、ベン・ウェブスターが楽団にもたらした効果は相乗的で、ある意味、三位一体でデュークの音楽を最高レヴェルにまで引き上げたのだった。ストレイホーンは主に西洋クラシック音楽の印象派ふうな和音構成やオーケストレイションを、ブラントンは推進力を、ウェブスターは楽曲のテンポのいかんにかかわらずたゆたうような豊穣なサックス・サウンドを、それぞれ加えたということになっている。

がしかし、1940〜42年のデュークの音楽は、それらが不可分一体だったのだ。もともとデュークもデビュー期からしばらくのあいだはブルーズ・ベースのシンプルな楽曲かポップ・ソングが多く、しばらくしてそれに濁ったグルーヴ、すなわちジャングル・サウンドを足して独自のスタイルを確立し、さらにみずからも好きだった西洋印象派ふうなバラード調の作品も出てくるようになる。

1940年に再開されたヴィクター・セッション以後は、たぶんストレイホーンの貢献も大きくて和声面での精緻さが増し、オーケストレイションも高度で緻密になった。しかもそれは(世間一般で言われるように)「ムード・インディゴ」系の曲、たとえば今日のセレクションだと「ダスク」「ブルー・グース」「オール・トゥー・スーン」「ブルー・サージ」「チェルシー・ブリッジ」などだけにおよんでいたのではない。

たとえば「ジャック・ザ・ベア」「コ・コ」「コンチェルト・フォー・クーティ」「ハーレム・エア・シャフト」「テイク・ジ・A・トレイン」「レインチェック」「メイン・ステム」みたいな、ジミー・ブラントンが当時のウッド・ベーシストとしてはありえない感じで楽団をぐいぐいスウィングさせるグルーヴ・チューン(「メイン・ステム」のベースはブラントンじゃないが)でも随所に表れている。

ときどきそれは従来型のデュークお得意であるジャングル・サウンドだったりするのだが(たとえば「コ・コ」)、ハーモニーとアンサンブルとそのなかにはめ込むソロとのバランス含めての入り組んだ構成が、それ以前には聴かれない完璧さに到達している。デュークもみずから学んだだろうが、ビリー・ストレイホーン抜きではむずかしかった面もある。

言及した曲群のうち、「チェルシー・ブリッジ」「テイク・ジ・A・トレイン」「レインチェック」はストレイホーンが単独の作曲者として版権登録されている。がしかし、それだけじゃないのだ。共作とかコラボとか、そういったレヴェルじゃない。デュークとストレイホーンは一体化していた。ストレイホーンはデュークの「影」だった。

ストレイホーンが単独の作者となっているものとそうでないものとを比べ、作風や曲調や和音構成、メロディやアンサンブルの組み立てかたに差異が聴きとれないことを踏まえれば、このことは間違いないだろうと思う。クレジットはされなくても、ストレイホーンがかなり仕事をしている。どの曲がそう?どこまでどう?みたいなことは、もはやわかりようがない。ニュー・ジャージーの倉庫で手書き譜でも発見できない限りは。

ジミー・ブラントンのことは一度詳しく書いたので、今日は繰り返さない。ウッド・ベースでここまでのホーン・ライクなメロディ・ラインを弾けたという点ばかり強調されるがそれだけじゃない。その管楽器かピアノかっていうようなベース・ラインを、しかも野太い音色で弾いて、デュークのバンドに強い推進力を与えたことで、バンドのリズムが相互にからみあってリズム面でもサウンド面でもテクスチャーが多彩・豊富になっている点が、重要なブラントンの貢献だ。
だからつまり、ストレイホーンの加入で楽団のハーモニーやサウンドがカラフルになったのをジミー・ブラントンは最低部で支え、楽団全体のサウンド、リズムと不可分になり渾然一体と化していた。しかもあんなホーン・ライクなラインでジャンプするもんだから、というかそれができたベーシストであるためにそんな譜面をデュークが書いたので、たとえば「ジャック・ザ・ベア」「コ・コ」「イン・ア・メロウ・トーン」のようなアンサンブルが可能となったのだ。

アンサンブル・ハーモニーとリズムが豊富精緻で多彩になったことは、ベン・ウェブスターのソロが活きるスペースを生み出す結果ともなった。ソロはもちろんジョニー・ホッジズ(アルト・サックス)、ローレンス・ブラウン(トロンボーン)、クーティ・ウィリアムズ(トランペット)、レックス・スチュワート(コルネット)らも、以前より一層輝きを増しているが、ウェブスターのリリシズムは群を抜いている。

この1940〜42年のデュークの楽団では、たぶんベン・ウェブスターとローレンス・ブラウンが二大リリシストじゃないかと思うんだけど、ウェブスターはそれだけじゃなくてグイグイと激しくグルーヴもするし、リード楽器セクションのソリ(合奏)がカラフルさを増す役目もはたしている。「コットン・テイル」を聴いてほしい。

楽曲形式が定型12小節ブルーズで、リズムとサウンドが濁ったアフロ・アメリカンなジャングル・スタイルで、激しくグルーヴし、落ち着かない不穏でダークでファンキーなサウンドを奏で、それと一体化してジミー・ブラントンが躍動し、サックス・ソリのトーンが豊かで、しかも全体的なアンサンブルのハーモニー(とリズム・テクスチャー)が豊穣であるっていう、そんな至高の黒い宝石が、セレクション2曲目の「コ・コ」だ。
この「コ・コ」だってエキゾティックなのだが、もっとわかりやすい異国要素にも触れておこう。全集にあるものはぜんぶ選んでリストに入れておいた。アフロ・キューバンな「コンガ・ブラヴァ」「ザ・フレイミング・ソード」「ムーン・オーヴァー・キューバ」。それから、中近東ふう(?)東洋ふう(?)の劇場音楽みたいな「バキフ」。

アフロ・キューバン・ナンバーのことについては書いておく必要がないはず。「コンガ・ブラヴァ」とかはブルーノ・ブルムもアンソロジーのトップ・バッターに置いたくらいだ(フレモー&アソシエ盤『キューバ・イン・アメリカ 1939-1962』)。「ムーン・オーヴァー・キューバ」もわかりやすいファン・ティゾル節の曲。ファンの名前がクレジットされていない(が関係していたはず)「燃える剣」は、しかしもっと野趣あふれるもので、いちばん楽しいんじゃないかな。

「バキフ」はこれなんだろう?ずっとのちの1964年『極東組曲』を先取りしたみたいなものだよね。1940年代のデュークにこんな曲想はこれ一つだけのはず。これも作曲者がファン・ティゾルになっているんだけど、鮮明なプエルト・リカン・ナンバーではない。ソニー・グリーアがタムで叩くパターンがラテン・タッチではあるけれど。

ファン・ティゾルがもたらしたエキゾティズムでデュークとビリー・ストレイホーンが刺激されてどっかへ(脳内)旅行しちゃったみたいな、そんな多国籍音楽だよなあ、この「バキフ」。ヴァイオリンのソロを弾いているのがレイ・ナンスで、そのあいだはハンガリアン・ラプソディーみたいでもある。曲のコーダ部における多調性にも驚く。

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