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2018/06/01

マイルズと白人たち

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マイルズ・デイヴィス。ときどき逆人種差別なのか?と受け取られかねないほどの白人に対する発言があったりもするけれど、こと音楽にかんしてはまったくその種の偏見がなかった。それどころか、むしろどんどん白人(など)を積極的に起用したほうだよね。黒人ミュージシャンについても「黒人だからスウィングするとかなんとかいうのは大間違い」と(いう意味のことを)明言している。

マイルズの音楽生涯を大きく変貌させたとまでいえる白人音楽家は四人。ギル・エヴァンズ、ビル・エヴァンズ、ジョー・ザヴィヌル、テオ・マセロだ。このうち、テオが楽器演奏や作編曲などで直接かかわりあったことはあまりない。テープ編集などで作品化したものが元音源と大きく異なっているばあいがあるのは周知の事実だから繰り返さない。

がしかし録音したマテリアルからテオが編集する過程や編集後に作品化したものをマイルズが聴いて、その後の作品創りやバンド編成の工夫などに活かしたのではないかと思える形跡だってあるんだよね。特に電気楽器導入後は、録音後の加工をやるのがアタリマエになったので、処理中や処理後のサウンドをマイルズが聴いて、そうかそういうふうにやればいいんだなとヒントを得たかもしれないというフシがある。

たとえば主に1973/74年録音曲で形成されている『ゲット・アップ・ウィズ・イット』。発売が74年11月だったが、作品化のどの段階でマイルズがどうかかわったのか、正確なことはわかっていない。だが、そのプロセスや完成品をマイルズが耳にして、トランペットの音やバンド・サウンド全体にもエフェクトがかかっていたり、ドラマティックな構成に編集されていたりするのを目(耳?)の当たりにして、その後の、たとえば1975年2月の来日公演盤『アガルタ』『パンゲア』など、ノン・ストップのライヴ・アルバムで聴きとれるバンドの生の姿にそれが反映されているのを聴きとることができるよね。特にワン・ステージ全体(が「一曲」)の構成に活かされている。

また1981年復帰当時のカム・バック・バンドのギターはマイク・スターン一人だったのだが、そのバンドでやったライヴ音源で構成された『ウィ・ウォント・マイルズ』(1982)では、テオの処理でギターの音が左右に飛んでいるトラックがある。あたかもツイン・ギター体制みたいに聴こえるんだけど、ほどなくしてマイルズはマイクにくわえジョン・スコフィールドを雇って二名編成にした。

テオも白人で西洋クラシック音楽の素養があったのだが、上記のほかの三名、ギル、ビル、ジョーは、もとからそんな志向があったマイルズ・ミュージックに近代クラシック音楽の要素を明確に打ち込んだ。このうちビル・エヴァンズは、その和声面での貢献が大きかったとはいえ、マイルズ・ミュージックのその部分にしか貢献しなかったかもしれない。絶大だったのではあるけれど。

だがギルとジョーの二名は、西洋クラシック音楽ふうなオーケストレイションと同時に、ブラック・ミュージックのグルーヴ感などもマイルズとともに追求したと言える。ジョーのほうは1968年暮から70年初頭までのほんの一時期だけ、ギルのほうが1948年以来終生という大きな違いがあるものの、マイルズとトータルな音楽的方向性で同じ道をたどったと言えるはず。

特にギルだよなあ。そもそも(チャーリー・パーカー・コンボを卒業した)マイルズのソロ・キャリアは、カナダ系白人ギルとのコラボレイションではじまった。お馴染み『クールの誕生』につながった例の九重奏団によるロイヤル・ルースト出演と、それに向けての準備段階。

その後は1988年にギルが亡くなるまで親交が途絶えることなどなかったのだ。人種の枠を超えた(音楽的)双生児とまで言われるほど、マイルズとギルの音楽は「同じ」だった。強調しておかないといけない点が二つ。一つ。ギルがマイルズ・ミュージックに直接かかわったものの多くが、いまだにクレジットなしだ。

もう一つ。マイルズ&ギルの関係においては、マイルズが「主」、ギルが「従」であるかのように語られることが多いんだけど、実際にはギルのほうがマイルズを引っ張っていた。和声面でのアプローチ、オーケストレイション法、エレクトリック・サウンドの導入、ロック/ファンク・ビート化 〜 マイルズ・ミュージックにおけるこれらすべて、ギルが先に導入しマイルズは後追い、というか教えてもらっていたんだよね。

マイルズはあんなやつだからプライドが良くも悪しくも強くて、だから認めないんだけど、ギルがマイルズの師匠格だったとさえしても過言ではないほどなんだ。そんなギルの手ほどきは、コラボでやったオーケストラ作品や、ばあいによってはいまだノー・クレジットだけど両名が深くかかわりあって創りあげた作品におよんでいただけじゃない。

マイルズはギルのやりかたに学び、体良く言えばヒント、インスピレイションを得て、ギルが直接関係していないマイルズのレギュラー・バンドでの音楽にも大きく活かしたのだった。それがはっきりしてくるのが1963年に雇った新しいリズム・セクション(ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)による一連のライヴ・アルバム・シリーズ以後だ。

ああいったライヴ・アルバムでは、たとえばバラード演奏の際、マイルズやサックス奏者のソロ時間、ばあいにとってはハービーのソロ時間でも、リズム・セクションが出たり入ったりしているよね。曲全体の構成と局面局面でのケース・バイ・ケースで考えて、どんなサウンド、リズムがいいか、メンバーが瞬時に判断してそうしている。特にトニーのドラミングにこの傾向が強いが、ほかの二名もそれに連動し、色彩や陰影や緩急をつけている。

それと同じように、先に発表されている、マイルズがギルとのコラボでやった、たとえば『ポーギー・アンド・ベス』や『スケッチズ・オヴ・スペイン』などで、一曲のなかでサウンドの様子が同様の変化を見せるのを聴きとれるので注意してほしい。コラボによるオーケストラ作品ではリズムだけでなく大編成ホーン群の出入りもあるが、1963年以後の新リズム・セクション以後は、明らかにギルの手法を学習して、コンボ演奏に応用したんだよね。

その後はこんな手法がマイルズのコンボ・ミュージックでも日常茶飯になったから、ふだん強く意識することは僕もないけれど。それらはマイルズの指示もあっただろうけれど、バンド・メンバーが自発的にギルとのコラボ作品を研究して応用した部分がかなりあるはず。

ジョー・ザヴィヌルとマイルズの関係を今日は割愛したが、ジョーとマイルズのことはいままで散々書いてきたので、ぜんぶ繰り返しになってしまうからだ。これにかんしてはいまのところ僕に新知見はないので、過去記事をお読みいただきたい。たとえばこんなの。ほかにもいくつかあるはず。検索しないと、僕も憶えていない。

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