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2018/07/21

多様社会の寛容と愛好を 〜 ライのメルクマール 1998

(フランスがサッカーW杯で優勝したばかり、それもキリヤン・ンバペが主役級の大活躍でスターダムにのしあがったばかりだから、すこしの期待を込めて、でもジネジーヌ・ジダンを擁し1998年にも一度優勝したけれど…)

といっても、ライ歌手と呼べるのはハレドだけだし、披露されているレパートリーも多彩だけど、ハレドと、ラシード・タハ、フォーデルの三人をフィーチャーし、1998年9月26日、パリのベルシー総合体育館で行われた記念碑的コンサートを収録した CD+DVD『1、2、3 ソレイユ』(1998)。あのころのフランスはいまとはすこし違っていた。

21世紀に入ったころからか、フランスだけじゃなく(日本も含め)世界が不寛容になってしまっていて、異・他質なひと・ものを排除し、多様性を認めないようになっているが、すくなくともあの1990年代末ごろのフランスで『1、2、3 ソレイユ』みたいな大規模コンサートが成功したという事実だけをもってしても、あのころはまだ…、と思ってしまう。この発言を後ろ向きの懐古主義と思わないでほしい。社会とはそういうものなんだから。一国、一民族、同様、同質などという<純粋主義>は、ありもしないたんなる幻想に過ぎない。

1998年9月26日のベルシーでの主役は、やはり当時の最大級スターだったハレドかな。実際(CD だと)全13曲のうち最もたくさん歌ってフィーチャーされている。ラシード・タハもすでにスターだった。フォーデルはまだ新人というに近い存在だったよね。ところでフォーデルくん、この DVD で観る当時はかなりイケメンでカッコイイが、最近は…。

まあ見た目はどうでもよろしい。歌にかんしては、当時すでにフォーデルも一級品だった。彼ひとりがフィーチャーされている(CD だと)10曲目の「Tellement N'brick」でも、そのコクのある喉を堪能することができる。ライ歌手に分類されることもあるフォーデルだけど、この曲はライじゃない。冒頭部はシャアビっぽい。そのテンポ・ルパート部でアラブ歌謡のコブシをぐりぐり廻していて、いいなあこれ。フォーデルの声のトーンは塩辛く、それも魅力的だ。テンポ・インしてからはライっぽくなるね。

ぜんぜんライとかすりもしないのが(CD だと)4曲目の「N'Ssi N'Ssi」。ハレドの歌だけど、フレンチ・ポップスみたいなものだ。ハレドがこんなふうに歌わずフランス白人がやれば、なんでもない一曲になっていたかもしれないものだ。フランスに移住したある時期以後のハレドは、賛否あるとはいえ音楽性の幅がひろがったので、こういった歌もこなしたのだった。しかし喉とコブシ廻しにしっかり(オランの)ライ印が読みとれる。ハード・ロックなエレキ・ギター・ソロはスティーヴ・ヒレッジかな。DVD を観返せばわかることだけど。

スティーヴ・ヒレッジは、もちろんラシード・タハ人脈で参加したのだろう。この日のコンサート・イヴェント全体のトータル・プロデューサー役も務めているのがしっかりクレジットされている。イギリス人ロック・ギタリストなんだけど、ラシードはヒレッジと組んで活動してきていたのだった。

ライのばあい、ふつうは打ち込みビートとシンセサイザー(と生演奏打楽器)を中心に組み立てることが多いけれど、『1、2、3 ソレイユ』だと(たぶん)ほぼすべてが人力の生演奏で、リズム・セクションやギターはもちろん、ストリングスもホーンズも全員生演奏。これは豪華だ。いまだったら考えられないよなあ。それらのアレンジをぜんぶスティーヴ・ヒレッジが手がけている。

ってことは、この日のコンサートの内幕は、ハレドというよりも、二歳年上のラシード・タハがある程度まで主導権を握っていたという可能性があるだろうか。そのあたりの詳しいことはぼくにはなにもわからないのだった。ラシードはライ歌手でもシャアビ歌手でもなく、というかアラブ音楽歌手とも言いにくいひとで、ロッカーみたいな感じだよね。だから(カルト・ド・セジュール以後は一貫して)スティーヴ・ヒレッジと組んだんだろう。

しかしそんなラシード・タハにだってアラブのアルジェリア・ルーツに回帰したような伝統路線のアルバムもある。そんななかからの最大のヒットとなり、曲じたいリヴァイヴァルしたのが「ヤ・ラーヤ」(Ya Rayah)。言う必要もないが、ダフマーン・エル・ハラシの書いたシャアビ最大のスタンダードだ。

その「ヤ・ラーヤ」が、『1、2、3 ソレイユ』でもクライマックスだ。コンサートの一番最後に、彼ら在仏マグレブ移民のシグネチャー・ソングとして(っていうかモロそういう内容の歌だ)披露されている。伴奏スタイルは、ラシード・タハ・ヴァージョンに即しているが、そもそもそれがエル・ハラシらのシャアビ古典マナーにのっとったものだったよね。

スーパー・スタンダートを、トラディショナル・スタイルでそのままやって、しかしそれが1998年の時代に訴えかけるパワーとモダンさを獲得し、いやいや、そうじゃない、2018年といういまのこの不寛容な世界にすらもアピールもしているような、そんな演唱に聴こえないだろうか。ぼくはそう感じるんだけどね。

1997年には、ぼくがマグレブ音楽、ひいてはアラブ音楽にハマっていくきっかけをつくってくれた衝撃の ONB(オルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス)デビュー・ライヴ・アルバムもあった。あれの中身は1996年のフランスはエヴリのアゴラ劇場におけるコンサート。やはり人種混交の多彩音楽で、1996年の ONB ライヴも1998年の『1、2、3 ソレイユ』コンサートも、北アフリカ系のひとたち、黒人たち、フランスなど欧州系白人たちがみんないっしょくたになって、あわせて踊ったのだった。

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