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2018年7月

2018/07/31

スペインとアラブ(2)〜 リズムもね

在仏カビールの三人組バンド、アムジーク(Amzik)の2016年盤『Asuyu N Temzi』がすごくいい。一聴しただけで好きになっちゃった。ぼく的にはこれもスペインとアラブ(圏にあるもの)との共通性を感じさせるアラブ・アンダルースの音楽だ。そんでもって、20世紀末からずっと大好きでありつづけているアマジーグ・カテブ(グナーワ・ディフュジオン)の音楽にかなり近いようにも感じる。在仏カビールだから?

そのへんのことは今度また考えてみるとして、アムジーク(ってのは音楽 muzique にひっかけてある?)の『Asuyu N Temzi』は、カビール・フラメンコ作品だ。というのがぼくのとらえかた。旋律はもちろんよくて、そうなんだけど、なによりリズムのこのグルグルまわるダンサブルさ。それがスペインのフラメンコだなって思うわけ。おかしな聴きかたかなあ?

いやいや、もちろんフラメンコじゃなくてカビール・シャアビの持つリズムなんだけど、でもさあこのアムジークの『Asuyu N Temzi』では、そのリズム回転ぶりが、ふつうのシャアビとかカビール歌謡とか、アルジェリアとかマグレブの音楽よりも、いっそう強いように思うんだよね。気のせいかなあ?とにかくぼくにはスペインのフラメンコっぽく聴こえるし、もっと言えばこのアムジークの音楽は汎スパニッシュ(or 汎アラブ・アンダルース)音楽のひとつの結実でもあるかもしれない。

だからぼく的に3曲目「Ilemzi」からあとがずいぶんすばらしく聴こえる。1曲目、2曲目は、なんだかこう、あれっ、清廉な爽やかネオ・アコースティック系みたいにはじまったぞって思っちゃう。それがよくないっていうことじゃなくて、3曲目以後は、あのイベリア半島にある独特の翳りとか憂いが「表面的にわかりやすく」表出されているのがぼく好み。その哀感は強いダンス・リズムをともなっているからこそ、強調されている。だからつまり、フラメンコのパッションに近いじゃないか。

3曲目「Ilemzi」、4曲目「yenna-d w ul」、5曲目「Amek ara-3icagh」とカビール・フラメンコが続くけれど、リズム・アレンジはずいぶんと凝っている。生演奏ドラマーが参加しているけれど、パーカッショニストも複数名いて、ベンディールやデルブッカのような典型的なものだけでなく、(あまり聴こえないが)カホンやタールやシェイカーも演奏しているとのクレジット。

そしてこのアルバムのリズムはそんな打楽器系のものばかりでなく、というよりもむしろ弦楽器のめくるめくフレイジングでこそ表現されているというのも、スパニッシュ・フラメンコのやりかただ。アムジークのばあい、ギター奏者もいるがそれはゲストで、バンド・メンバーとしてはバンジョー/マンドールをヒルディーン・カティが弾いているのが、最高にリズミカルなんだよね。

バンジョーかマンドール&打楽器群の織りなすこのリズムこそ、ぼくにとってのアムジーク『Asuyu N Temzi』におけるいちばんの聴きどころで、最初に書いた「一聴で好きになっちゃった」っていうのはここなのだ。5曲目「Amek ara-3icagh」では、しかし同時にディスコっぽくもあるよね。

ちょっとした驚きは6曲目「Ifen」だ。これはタンゴなんだよね。一曲全体ではないものの、まず出だしでタンゴを演奏するし、その後カビール・シャアビにチェンジしてからもまたふたたびタンゴのリズムが出てきたりして、混交折衷しているようなフィーリング。うまく溶け合っておらずかみあっていないのかもしれないが、おもしろい実験だと思うなあ。

タンゴはアルゼンチン発祥だけど、キューバのアバネーラにルーツがあって、それはセバスチャン・イラディエールの手によってスペインでも花咲いた。アラブ・アンダルース音楽がイベリア半島で花咲いたのはその数百年も前の話だが、ちょっとワクワクしない?

7曲目「à tin hemlagh」は、1曲目同様アクースティック・ピアノの音ではじまるけれど、ストリングス(はシンセサイザーだろう、演奏者明記がない)のあと、マンドールが入ってきて以後は、やはり強いダンス・ビート・ナンバーに変貌。そこからが大好き。まあ、有り体に言っちゃってシャアビなんだけど、でもちょっぴりフラメンコふうじゃない?

シャアビといえば、8曲目「Azaglu」と10「Ibabur」は典型的なそれ。トラディショナル・マナーにのっとって、アムジークの三人とゲスト・ミュージシャンたちもやっている。そこらへんのふつうのシャアビ古典アンソロジーを手にとればいくらでも聴けそうなものだけど、オジサンであるぼくちんはこういうのがホ〜ント大好きなんですよ。この二曲に確たるフラメンコっぽさは聴きとれない。でもこの旋律の動きがマジでいいんだよ、シャアビはね。美しい。

ベンディールのサウンドで幕開けする9曲目「ger layas d usirem」が、このアムジークのアルバム『Asuyu N Temzi』での個人的クライマックス。一箇所でグルグル回転しながらすこしずつ前に進むみたいなリズム・フィールと、兄弟デュオがユニゾンで歌うアラブ・アンダルースのメロディ展開と、このふたつが溶け合った最高の一曲だ。泣けちゃうなあ。なおかつ同時に、ロック・ミュージック的な推進力と快感もぼくは感じるよ。

2018/07/30

ジャズとソウルを昇華するアリーサ

アリーサ・フランクリン2007年のライノ盤二枚組『レア&アンリリースト・レコーディングズ・フロム・ザ・ゴールデン・レイン・オヴ・ザ・クイーン・オヴ・ソウル』。しっかしなんだこのフル・タイトルの長さは?こんなの、短文レビューだったらアルバム題で字数の半分がうまっちゃうぞ(笑)。

どうでもいいことだった。タイトルどおりアリーサのアトランティック時代の未発表&レア音源集で、1966年の「アイ・ネヴァー・ラヴド・ア・マン(ザ・ウェイ・アイ・ラヴ・ユー)」から1973年の「アイム・イン・ラヴ」まで、全35曲。こ〜れが!とうていレアだとか未発表だとか、到底考えられないクォリティの高さ!本当にデモ、アウトテイク、シングル B 面、別ミックス、別テイクなのか??!!まったく信じられない。

この1960年代後半〜70年代前半にソウルの女王として君臨したアトランティク時代のアリーサにもオリジナル・アルバムがたくさんあるし、しかもどれもだいたい傑作で、だから入り口に立って「どこから入ればいいの?」と戸惑っていらっしゃるかたとか、あるいはとっくにファンであるみなさんでも、今日ちょっとアリーサを味見したいがどれにしようかな?という向きとか、要は "全員" に、迷わずこの『レア&アンリリースト・レコーディングズ』を手にとってほしいとオススメする。

つまり、この二枚組は蔵出し音源集なのに、それと同時に、宝石が並んだベスト盤なんだよね。掛け値なしだ。こんな信じられない事態がほかの音楽家でありうるだろうか?アリーサ自身だってこの時期の音源でしかなしえないことだ。いやあも〜う、ものすごいの一言に尽きる。とにかく、この『レア&アンリリースト・レコーディングズ』を聴いてほしい。

このアルバム、フィジカルだと二枚組で、一枚目だってすばらしいけれど、今日ぼくが言いたい趣旨からすると二枚目のほうがピッタリ来る。それに、個人的事情だが今日はちょっと時間の余裕がないんだ。だから、今日だけは『レア&アンリリースト・レコーディングズ』二枚目に話題を限定したい。そのうちフル・アルバムでもとりあげたいと思っている。

今日ぼくが強調したいこと、それはこの時期のアリーサに「ゴスペル」だ「ジャズ」だ「ブルーズ」だ「ロック」だ「ソウル」だなどとの区別がなかったということ。簡単にいま言いましたが、実際の歌でそれを実証するのはなかなかの至難事じゃないだろうか。『レア&アンリリースト・レコーディングズ』を、特に二枚目を聴いていると、アリーサにはこの区別を無効化するパワーとテクニックがあったのだと痛感する。

前から繰り返しているが、アトランティック時代のアリーサはもちろんすごいが、きわめて個人的にはその前のコロンビア時代がかなりの好物であるぼく。まあジャズとかブルーズとかが大好きな人間だからなんだけど、たったそれだけの理由なんだけど、『レア&アンリリースト・レコーディングズ』二枚目でのアリーサにはけっこうジャズ(っぽいものも含め)・ナンバーがあるし、ゴスペル・ソング(レイ・チャールズと共演するデューク・エリントン楽曲) だってある。

なんだかんだ言って、でもやっぱり『レア&アンリリースト・レコーディングズ』二枚目のオープナー「ロック・ステディ」別ミックスがあまりにもかっこよすぎて、超絶グルーヴィで、この曲、ここまでカッコよかったっけ?ここまでのソウル・ナンバーだったんだっけ?とびっくりしちゃったのは、ぼくの認識不足のせいだ。でも、マジでこの別ミックスはカッコよすぎるぞ。『ヤング、ギフティッド・アンド・ブラック』収録の本ミックスよりいいんじゃないかな。

その後もやっぱりソウル・ナンバー中心で進むけれど、そのなかに、たとえば「アイ・ウォント・ビー・ウィズ・ユー」「アット・ラスト」「ラヴ・レターズ」「アー・ユー・リーヴィング・ミー」といった、あまりにも沁みすぎるジャズ・ナンバーが含まれているんだよね。

それらは正確にはジャズ・ナンバーとは言えない。全体的に『レア&アンリリースト・レコーディングズ』で聴くアリーサのヴォーカル&ピアノは、ジャズでもソウルでもなんでもない、もっと違う次元の普遍性を獲得しているのだ。ちょっと聴くと、コロンビア時代のジャズ・シンギングに戻ったかのような印象の曲も含まれているけれど、そうじゃない。

素地にゴスペルを持ちつつジャズやブルーズ・ナンバーを中心に歌ったコロンビア時代と、その後、ソウルの女王となったアトランティック時代のその経験を踏まえ、ジャズ・ソングやジャジーにやるポップ・ナンバーでも、ジャズとソウルを合体吸収し昇華した、ありえない高みにアリーサは到達しているんだよね。ぼくにはそう聴こえる。これはジャズでもソウルでもない。しかし、ほかのなんでもありえない。

『レア&アンリリースト・レコーディングズ』で聴けるアリーサのやるものとは、ただの "歌" なのだ。それもとてつもなくすばらしすぎる、歌なんだよね。これらを前にすると、ジャズだソウルだロックだなんだかんだとやかましく言いたてる(わが)行為の愚かさが身にしみる思いだ。アリーサはなにもかも超えて、普遍的な歌のポピュラーさに、ほかのだれも到達しえない高次元で、到達している。

その結果、アリーサの歌は、わかりやすさ、とっつきやすさ、親しみやすさを獲得し、しかし同時になんぴとをも寄せつけない威厳と誇り、接近できないおそろしさをもまとっている。それは歌というものが、ひいては人間というものが、みんな持つ、存在としてのポップさとプライドみたいなもの、すなわち「真実」というものなのだろう。

そんなことを、『レア&アンリリースト・レコーディングズ』でのアリーサの歌を聴いていて、思ったんだ。

2018/07/29

わたしはタイコ 〜 ハービー 94

ハービー・ハンコックが、いや、ジャズ畑の音楽家が、最もアフリカに接近したのが1994年の『ディス・イズ・ダ・ドラム』(マーキュリー)。冒頭二曲がカッコよすぎて死にそうだよ。それ以後もすごいしな。11曲目までが全世界共通で、それ以後のボーナス・トラック(はリミックス)は流通国によって変わるみたい。ぼくが持っているのは「コール・イット・95」と「モジュバ」のリミックスが収録されている日本フォノグラム盤だけど、そんなわけで今日の話題は11曲目までに限定したい。

ビル・ラズウェルのマテリアルと組んだ1983年の『フューチャー・ショック』以来、ハービーはメインストリーム・ジャズと並行して、エレクトロ・ファンク、またはヒップ・ホップ・ジャズ、あるいはインストルメンタル・ヒップ・ホップとでも言えるものをずっと追求し続けていたが、その路線の最高傑作が、私見では『ディス・イズ・ダ・ドラム』。

しかも最初に書いたように、『ディス・イズ・ダ・ドラム』はかなりアフリカ的というか、アフリカ音楽の、特に打楽器サウンドに侵入しているよね。図らずも、いや、わかっていてやったのだろう、ヒップ・ホップ・ミュージックの持つアフロ特性をあばきだす結果ともなっているのがかなりおもしろい。それは結局、ジャズ・ミュージックが本来的に備え持つアフロ性でもあるのだろう。

未聴のかたも、いちばん上の Apple Music のリンクをぜひ踏んでいただきたいのだが(Spotify にはないようだ)、とにかく頭の二曲「コール・イット・95」「ディス・イズ・ダ・ドラム」がすばらしすぎる。聴きどころはリズム、というかグルーヴ構成とそのフィールだ。ソロらしいソロといえるものはほぼなし。ハービーが弾いたり、ウォレス・ルーニーのトランペットもあるが、ジャズ的な意味ではソロとも呼びにくい。

ちょっと先に付記しておくと、このアルバムでのトランペッターは故マイルズ・デイヴィスだ。ウォレス・ルーニーなんだけど、彼は1991年にマイルズがモントルーでビッグ・バンドを伴奏にギル・エヴァンズのスコアを再現した際のライヴ・コンサートで影武者役をやって以後、マイルズになってしまった。

は、まあ言いすぎなんだけど、ウォレス自身、強く意識するようになったのは、その後の活動内容を聴くと間違いない。ハービーがアルバム『ディス・イズ・ダ・ドラム』でウォレスを起用したのも、マイルズ似であることを活かしたかったから。その上で、さらにあえて似せて吹けと指示したに違いないとぼくには聴こえる。1985〜88年ごろのマイルズのことを思い出してほしい。

つまり、ジャズ界からアフリカに接近する際のキーとして、ハービーもマイルズに吹いてほしかった。が、もはや故人だったからということじゃないかと思うんだよね。かつてのボス、マイルズが1968年以後なにをやったのか、1994年のハービーは検証しなおして、アルバム『ディス・イズ・ダ・ドラム』の四曲(1「コール・イット・95」、8「ハンプ」、10「ラバー・ソウル」、11「ボ・バ・ベ・ダ」)にマイルズを、じゃなくてウォレスを起用した。

それはそうとどんどん話がずれていくが、その10曲目「ラバー・ソウル」っていう曲題は、やっぱりビートルズを意識したものだよねえ。rubber sole じゃないんだし。曲を聴いても、音楽的にあのアルバムとの直接的な関連性はなさそうだけど。それは抜きにして、この曲のリズムの大きなノリは気持ちいい。曲題といい、3曲目のビート・トラック「Shooz」と呼応してんのかなあ。

その「ラバー・ソウル」でも「シューズ」そうだし、ほかのほぼすべての曲でもなんだけど、ビル・サマーズが各種のタイコを担当している。それも西アフリカ由来のものばかり。ジェンベ、バタ、シェケレ、ビリンバウ(は太鼓じゃないのか)、コンガなど、あるいは all sorts と書いてある部分もある。特にバタが多く使われている。

バタ(ヨルバ系打楽器)は、たとえば7曲目「ジュジュ」では、うんこの曲題だけでも示唆的なんだけど(ウェイン・ショーターへの言及でもある?)、バタ奏者がビル・サマーズを含め三人もいる。アルバムのほほ全編で、リズム・アレンジもビル・サマーズが(ハービーと共同で)やり、そもそも打楽器アンサンブルとリズムのノリが主役のアルバムで、いかにアフリカのほうを向けるか?が主題の作品なんだから、ある意味、主役はビル・サマーズなんだ。ほぼ共作というに近い。

1曲目「コール・イット・95」は、それでもまだまだアメリカン・エレクトロ・ファンクに近いなと思うんだけど(しかしもんのすごくカッコイイよね!)、2曲目「ディス・イズ・ダ・ドラム」以後はアフリカ大陸へ、各種タイコをチケット役にして、ぐいぐい踏み込んでいく。その色が薄い4曲目「ザ・メロディ(オン・ザ・デュース・バイ・44)」、6曲目「バタフライ」(1974年『スラスト』からの再演で、今回のフルートはベニー・モウピンじゃなくヒューバート・ロウズ)、8曲目「ハンプ」は例外的だ。それらはかなりプリンスっぽい。カッコイイね。

それら以外の収録曲では、あくまでこのリズム、特に各種ドラム群(いわゆるドラム・セットや、叩くものではないパーカッション類を含む)の織りなすアフリカン・グルーヴこそが聴きもので、音楽の肝だ。上で書いたようにビル・サマーズがかなり貢献しているが、ビル以外にもいろんな人物が音創りにかかわっているみたい。しかし最終的にはハービーにしかできない音楽に仕上がっているのが、この(ジャズ系)鍵盤奏者の深さ、デカさなんだよなあ。

いつでもあくまで知的で冷静で、クールで熱くはならず、ハメも外さずぐいぐい迫りまくらないハービーだけれど、だからこそこんな『ディス・イズ・ダ・ドラム』みたいなアフロ・キューバン&アフロ・ブラジレイロな、いや直截的にアフリカンな、ジャズ・ヒップ・ホップ作品を完成させることができたんだとぼくは考えている。

特に2曲目「ディス・イズ・ダ・ドラム」、5曲目「モジュバ」、7曲目「ジュジュ」、11曲目「ボ・バ・ベ・ダ」、これらに匹敵しうるほどのカッコいいアフリカン・ジャズ・ヒップ・ホップって、1994年時点でほかにあったのかなあ。なかったよね。すごいなあ、ハービー!

2018/07/28

ラテンな『ポップ・スンダ』〜 ウピット・サリマナ

ディスコロヒアの『インドネシア音楽歴史物語』にも一曲収録されている、西ジャワの歌手、ウピット・サリマナ。エル・スールからこの『ポップ・スンダ』が発売されるまで、たぶん名前も聞いたことがなかった。エル・スール・レーベルや同系のものや、オフィス・サンビーニャもの(ライス、ディスコロヒアなど)は、なにか出たら即ぜんぶ買うと決めているからウピットの『ポップ・スンダ』もすぐ買っただけ。

めくら撃ちみたいなもんなんだけど、そうやって知らない領域に踏み込んでいかないと世界がひろがらないもんね。結果というか成果というか、ぼくなりにちゃんと得られたものがあると思っている。実際、クォリティは高い。マレイシア(?)のサローマにだって、そうじゃないとぼくは出会えなかったか、もっとずいぶん遅くなったはずだ。その他たくさんあるぞ。

それはいい。西ジャワのウピット・サリマナ『ポップ・スンダ』。この歌手のことや曲のこと、スンダ歌謡のことなど、ぼくはマジでまったく知らないのに、日本語か英語で読める情報があまりにもすくなくて、だから結局のところ、買ったエル・スールさんのサイトに書いてあること、CD-R をはさんである紙パッケージ裏に記載されてある短文、あとは検索したらこれまた bunboni さんのブログ記事が出てきたのでそれ、と、要はこれだけ。吉岡修さんはどこかでお書きじゃないのかな?

それらによれば『ポップ・スンダ』に収録されている26曲は1960〜70年代の LP レコードから抜粋したベスト・セレクションみたいな内容らしく、しかも日本でこれだけまとめてウピット・サリマナのポップ・スンダが聴けるのはこの CD 発売時が初だったらしい。その後も便りを聞かないので、ないんだよね、きっと。インドネシア本国にもこんなアルバムはないとのこと。

伴奏楽器には多くのばあい(たぶんアメリカ音楽から流入した)ポピュラーな楽器がメインで使われている。エレキ・ギター、ベース、ドラム・セット、電気鍵盤などなど。ところどころインドネシア現地の?民俗楽器かな?と思うようなサウンドも聴こえるが、例外的だと言っていいかも。音の重ね方もアメリカン・ポップス、から来た東南アジア・ポップス流儀?に近い。それにしても、ギタリストのこういった弾きかたは汎東南アジア的なのかなあ?

さらに楽器編成で特別ぼくの耳にとまったのはトランペットの使いかた。たくさんの曲でどんどん入っているが、ほとんどのばあいミュート器を使ってある。それがえもいわれぬ情緒をかもしだしているのがぼく好み。こういったミューティッド・トランペットのオブリガートは、あまり聴かないなあ、ぼくは(って、東アジア歌謡のこと、日本のもの以外、なにも知りませんが、でもアメリカン・ポップスにもあまりない流儀だ)。

ご存知のようにぼくはマイルズ・デイヴィスがこの世でいちばん好きな人間なので、だからトランペットの音が聴こえてくると、やはりどうなっているのか耳をそばだててしまう。ウピット・サリマナの『ポップ・スンダ』でこれだけどんどん同じようなミューティッド・トランペットが使われているということは、専属アレンジャーか、専属でなくとも同一アレンジャーが手がけたということがあるかもしれない。

この件でオッと思うのは2曲目「Gambang Karawang」。ここでのトランペットはソン(キューバ音楽)のスタイルだね。ミュートはつけておらずオープン・ホーンで吹いている。こころなしか曲全体もキューバン・ソングのよう。に聴こえるのはぼくがラテン・ミュージック好きで東アジア歌謡無知だからってだけ?

いやいや、そうとばかりも言えないよ。ウピット・サリマナの『ポップ・スンダ』にはラテン調のスンダ歌謡がかなりたくさんある。どの曲がそうか?などとお聞きになる必要すらない。それほど質量ともにしみ込んで増幅している。1960〜70年代なら西ジャワのスンダのなかにもラテン・ミュージックが入りこんでいて当然だ。遅く見ても1950年代あたりまでには、全世界にラテン音楽、特にキューバのそれが大拡散しまくっていたんだから。

そんなわけで日本の歌謡曲だってラテン・タッチばかりだと前から強調しているが(たぶん直接の起因は、日本の歌謡作曲家もジョルジュ・ビゼーの「カルメン」を聴きまくったことにあるんだろう、それは1864年の作品で、その起源がスペインの作曲家セバスチャン・イラディエールの「ラ・パローマ」で、だからやっぱりキューバ起源のアバネーラ)、同じくラテン音楽の影響が色濃いウピット・サリマナの『ポップ・スンダ』に、日本の歌謡曲、特にあの1960年代あたりのものと類似しているものが多いのも当然なのか?

『ポップ・スンダ』だと、特に13曲目「Orde Baru」以後が日本の歌謡曲に似て聴こえる。あのころの日本にもこんな歌、実にた〜くさんあったよなあ。あるいはインドネシアから日本に流入しているとか、その逆とか、相互方向の交差影響があっただとか、地理的にもさほど遠くないんだし、そんなことだって想定できるかも。

ちょっとビックリは『ポップ・スンダ』6曲目「Sampeu」がレゲエっぽいことだ。世界のいろんな音楽におけるレゲエ爪痕は、たいていのばあいエレキ・ギターで表現される裏拍の刻みだが、このウピット・サリマナのはオルガンが裏拍でビャッ、ビャッと入れているのがユニーク。こんなの、聴いたことないよ。楽しい。トランペットだって南洋ふう。

12曲目「Kongkorong Hajum」の途中ではアフリカン・リズム(っぽいもの)になっているのもおもしろい。アフリカンは言いすぎかもしれないが、それくらい打楽器ビートが中間部でものすごい。特にシンバルの叩きかたに着目してほしい。ポリリズムに近づいているのではないだろうか。

レゲエにしろアフリカン・ビートにしろ、全世界でそれが頻用され一般化するのはもっと時代が下ってのことじゃなかったっけ?ウピット・サリマナの歌う曲をだれがアレンジしていたのか、本当に知りたいぞ。15曲目「Dikantun Tugas」はキューバン・ボレーロっぽいしね。近年、ヴェトナムの女性歌手たちの多くが、こういうボレーロな抒情歌謡を得意とするようになっているけれども。

そんなレー・クエン(現在 No. 1 のヴェトナム歌手 in my 私見)の2018年新作も、ぼくだってそろそろ買えそうなのだが(エル・スール原田さんに送ってくださいと告げるだけ状態)、バラディアーだとかボレーロ歌いではないものの、インドネシアは西ジャワのウピット・サリマナの楽しさ、ほんわかする抒情味と暖かみ、庶民的(ある意味、農民的?)な親しみやすさなど、いま一度、再確認しておきたい。ラテン・テイストとともに。

2018/07/27

マイルズ・クインテットで暖まろう(真夏なのに)

マイルズ・デイヴィスのプレスティジ四部作のなかでいままでいちばん聴いていないのが『スティーミン』で、しかしこれ、特に理由といった理由はないなあ。むかしちょこちょこっと聴いて第一印象がイマイチなだけだったんだろう。いま聴きかえすと、マイルズとリズム・セクションの演奏内容はいいもんね。むかしのぼくには耳がなかったんだね。いまもそうか…。

『スティーミン』ってアルバム題からもジャケット・デザインからも内容からも、冬の音楽っていう感じがしていたのも事実。しかしこの印象だって、いまこの猛暑の季節に聴いてやっぱり悪くないから、くつがえる。そりゃ冬のセッションで録音されたものでもなければ、冬向け商品としてリリースすべく発売企画されたものでもないから、あたりまえみたいな話だ。

『スティーミン』全六曲のなかには、ジョン・コルトレインがまったく吹いていないものが二つある。A 面ラストの「サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト」と B 面ラストの「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」。このふたつ、歌の内容は真逆だけど、どっちもリリカルに美しく演奏しないとサマにならないものだから、トレインを外したんだね。

ところで「サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト」は本当につらく苦しい失恋歌だけど、他方、ぼくが恋に落ちたらそれは永遠にだ、そうじゃなきゃ決して恋なんかしないぞという「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」っていう曲、ぼくは本当に本当に大好きだ。歌詞もメロディの動きもどっちもいいけれど、インストルメンタル・ヴァージョンをたくさん聴いては感動してきた身としては、やはりこの旋律の動きがいいという印象なのかなあ。

いや、あるいはやっぱり歌詞内容を知っているからこそ、それを表現するメロディ・ラインの美しさが身に沁みるということかなあ。どっちだかわからないが、ここで正直に告白します。あまり好きじゃないキース・ジャレットのスタンダーズ(with ゲイリー・ピーコック&ジャック・ディジョネット)。1995年に CD 六枚組のブルー・ノートでのライヴ・ボックスが出たのを、ぼくは持っている。

なぜそれを持っているのかというと、21世紀に入ったころからしばらくあいだ、深夜によくネット・ラジオを聴いていたが、そのときふと真夜中にピアノ・トリオでやる「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」が流れ来たのだった。聴けばキース・ジャレットのタッチだとわかるし、かのスタンダーズ・トリオの演奏だともわかる。こ〜れが、美しかったんだ、マジで。

どのアルバムに収録されているとかは番組で言わなかったように思うのでネット検索し、このトリオによるこの曲は、『キース・ジャレット・アット・ザ・ブルー・ノート:ザ・コンプリート・レコーディングズ』六枚組に収録されていると知り、買ったんだよね。あのあまりにもリリカルな「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」をもう一度聴きたくて。まるで街の通りでふとすれちがっただけのきれいな女性に一目惚れし、探して逢いに行くかのように。この六枚組、ほかの収録曲はひょっとして一度も聴いてないかもな。
キース・ジャレットの話はここまでにして、マイルズ・クインテットのやる「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」。1950年代だから、こういったバラード(やトーチ・ソング)なら例外なくハーマン・ミュートをつけて吹いていたマイルズで、ここでもその本領を発揮している。

マイルズがワン・コーラスのテーマを吹いたらレッド・ガーランドのソロに交代する。レッドもきれいに決めているが、その後ふたたびマイルズに戻りテーマを演奏し、終了。ってことはつまり、この曲でマイルズはアド・リブ・ソロなし。実はこのファースト・クインテット(やその後もすこし)ではよくあることで、ボスはテーマをひたすらきれいに(薄くフェイクしながら)吹くだけ。アド・リブ・ソロはサイド・メンに任せるっていうパターン。よくある。

これはマイルズに限らず、ジャズ・メン、特にホーン奏者、それもワン・ホーン・カルテット演奏にはしばしばあることなんだ。リリカルすぎるバラード吹奏では常套手段で、アド・リブ・ソロはサイドのピアニストによる<間奏>みたいなものだけにする。ホーン奏者のボスが "ソロ” をとっていないとは言えないと思うよ。『スティーミン』の「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」でのマイルズも、格別の美しさだよね。やっぱりロマンティストなんだね、このひとは。しかも内面にややフィーメイルな部分もある。乙女心?

『スティーミン』A 面ラストの「昨晩見た夢」はつらいので割愛し、たとえばアルバム・トップの「サリー・ウィズ・ザ・フリンジ・オン・トップ」。この曲そのものの演奏もたくさんあるスタンダードだけど、そのメロディの一部がほかの曲の演奏内で引用されることのほうがもっとずっと多いような気がしているのはぼくだけ?やはりきれいに吹くマイルズに次いで、無骨で未熟なトレインが入ってくるのはイマイチかもしれないが、チャーリー・パーカー・コンボ時代のマイルズだって逆な意味で雰囲気を壊していた。三番手レッドのピアノ・ソロは立派だ。

ピアノ・ソロといえば、『スティーミン』では B 面のセロニアス・モンク・ナンバー「ウェル、ユー・ニードゥント」でのものがかなりいいよね。以前『リラクシン』の記事で、「オレオ」でのレッドのソロが壮絶で迫力満点と褒めたけれど、この「ウェル、ユー・ニードゥント」でも似たような感じで左手の低音部を強調。実にいいね。『スティーミン』ではこの曲だけが10月録音で(だからトレインがよくなっている)、ほかはぜんぶ5月のセッション。それからこの「ウェル、ユー・ニードゥント」は事前にアレンジされている。

『スティーミン』にあるハード・グルーヴ・ナンバーはもう一個、A 面の「ソルト・ピーナッツ」。ビ・バップ・スタンダードだけど、1956年時点ではもはや時代にそぐわないというか、あまりおもしろく聴こえない。ここでのマイルズ・ヴァージョンはフィリー・ジョー・ジョーンズのショウケースで、でもそれしか聴きどころがないよなあ。マイルズはあまりドラマーにソロをとらせないひとで、実際、このトランペッターの望む音楽性のなかでは存在理由が小さかったような気がする。

2018/07/26

いまならわかる (^_^;)ゼップ『プレゼンス』のファンクネス

最近はアイオナ・ファイフ(スコットランドの新人バラッド歌手)を聴けばなんでもオッケーなんだけど、前までムシャクシャするとレッド・ツェッペリンの『プレゼンス』(1976)をものすごい大音量で聴いていた。高校〜大学生のころからのずっと変わらない習慣で、特になにかの鬱憤や嫌な気分を晴らしてスッキリしたいというときにゼップの『プレゼンス』を超爆音で聴いていた。そうでなくとも、ハード・ロックはそう聴かなくっちゃ。

しかしですね、この『プレゼンス』、むかしのぼくはオープナーの「アキレス・ラスト・スタンド」しか眼中(耳中?)になかったかもしれない…、なんてのはウソで、いまでもはっきり憶えているが高校生のときにやっていたゼップ・コピーのスクール・バンドでいちばん得意にしていた曲が『プレゼンス』のラスト前「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」だったんだよ。もちろん「ロックンロール」とか「コミュニケイション・ブレイクダウン」とか「移民の歌」とか「ハートブレイカー」などだってたくさん歌ったけれど。

いま CD(やネット音源)で『プレゼンス』を聴きかえすと、「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」はなんでもない一曲のように思える。正直言って高校生のころだって似たような感想を持っていたかもしれないが、じゃあなぜこの曲を?というと、このアルバムのなかでアマチュア高校生四人バンドのギタリストくんがコピーしやすいから。多重録音がさほどでもないもんね。ヴォーカル・ラインもイージーだ(と思っていた)。あと、すこしコミカルな感じがするところも好きだったが、この部分はいまでも感じる。ストップ&ゴーのあのフィーリングもいいね。

ストップ&ゴーといえば、アルバム4曲目「ノーバディズ・フォールト・バット・マイン」。むかしもいまもすごくいいと感じるし大好きだ。曲題と歌詞はもちろんブラインド・ウィリー・ジョンスンのかの有名ゴスペルからコピペしているが、曲はゼップ四人のオリジナルだ。それにしてもこの曲のストップ&ゴーは合わせにくいんじゃないのかなあ。特に止まってから再開するタイミングはどうやって計っているんだろう?ぼくら高校生にはむずかしかった。

このへんまでは個人的思い出と直結した部分の話だが、関係なくアルバム『プレゼンス』が異様な輝きを放っているのは間違いない。しかもゼップの全作品中ユニークでオリジナルだ。つまりほかにこんなのはほかに例がない。まず鍵盤楽器がまったく使われていない。これは正真正銘だ。アクースティック・ギターもいっさいなし。というとウソで、5曲目「キャンディ・ストア・ロック」のベーシック・リズム・トラックで使われているのが、いま聴ける完成品でも痕跡があるよね。でもほとんど聴こえないというに近い。

結局『プレゼンス』はエレキ・ギターのみでサウンド・メイクをしたギター・オリエンティッドな一枚なんだよね。と、これだけ読むとハード・ロック・バンドとのイメージが強いからあたりまえじゃんと思われるかもしれないが、このバンドの音楽性はなかなか多彩で、アクースティック/エレクトリックな弦/鍵盤/管の楽器が種々使われていて、曲想もヴァラエティに富む。

この事実を踏まえると、『プレゼンス』がゼップの全キャリア中唯一無二の異質な存在であることがわかるはず。書いたようにエレキ・ギターだけで組み立てたサウンドの質感もアルバム・トータルで均質なら、曲想も均質で、そして、これから書くことが今日ぼくのいちばん言いたいことなんだけど、ファンク・リズムが活用されたヘヴィ・グルーヴをどの曲も持っていて、この点でもアルバム全体に統一感がある。

そう、ファンクなんだよね、『プレゼンス』の(ほぼ)全曲のリズム、特にジョン・ボーナムのドラミングが表現するものは。ゼップの音楽のなかには、たぶん『聖なる館』(1973)の「クランジ」あたりからかな、明確にファンク志向が顕在化するようになっていたが、ああいった(変態拍子だけど)ストレートなジェイムズ・ブラウン・トリビュート的なものからじょじょに消化され、バンドの音楽全体のなかに溶け込んだ最高到達地点が『プレゼンス』だと思う。

1曲目のギリシア神話の英雄譚に歌詞の題材をとった「アキレス・ラスト・スタンド」でも、颯爽と爆進する疾走感満点なナンバーでありながら、ひきずるような重さ、粘り気、跳ねるシンコペイションがあるよね。もとは別な二つの曲だったのを、ギター・オーヴァー・ダブしまくって力技でくっつけちゃったジミー・ペイジのプロデュース・ワークも見事だが、そのせいか関係ないのか、リズム変化の多彩さも聴き逃せないところ。それにしてもこの曲、こういった題材だからというんじゃなく、サウンドがホント〜ッにヒロイックでカッコイイよなあ。聴いていて夢想して惚れちゃうよ。歌詞とサウンドの英雄像に。

2曲目「フォー・ユア・ライフ」はグッと重心を落とした、これはモロそのまんまなファンク・チューン。まあファンク・ロックと言うべきか。やはり主役はジミーのギター・ワークとボンゾのドラミング。というかだいたいアルバム全体でこの二名を聴くべき作品で、ロバート・プラントのヴォーカルはたいしたことないし、ジョン・ポール・ジョーンズのベースなんて聴こえない(ごめん、ウソ、でもそれくらいのもんだ)。

「フォー・ユア・ライフ」でジミーが弾くギター・リフの反復パターンが快感で、このリピートされるマイナー・エクスタシーに、曲後半の同リフではメイジャー・コードをフレーズ終わりで重ねてあるのも大好き。その多調性のおかげで、ハーモニーがジャンプしている。リズムはもちろん(重たいとはいえ)ファンキーに跳ねている。

3曲目「ロイヤル・オーリンズ」。バンドが米ニュー・オーリンズで定宿にしていたホテルの名前から曲題をもらったらしいが、それは歌詞には出てこず、出現するのはソウル歌手、バリー・ワイト。でも音楽的には強い関係がなさそう。それよりもやはりニュー・オーリンズ・ファンクみたいなジャンピーさを持っていることに着目したい。同時に沈み込む感じがあるところも似ている。大サビで(バーボン・ストリートがどうたら…ってところから)パーカッション群が派手に使われているのもニュー・オーリンズふうカリブ性。

5曲目「キャンディ・ストア・ロック」は、基本、1950年代の米ロカビリー・ナンバーだけど(たぶんジミーというよりロバートの趣味だね)、この複雑なシンコペイションとポリリズムはロカビリーにはない。またサビに入るとパッとパターンがチェンジしてカリビアンになるところもファンクネスの発揮だ。ゼップのルーツたるロカビリー/ロックンロールを土台にして、なおかつ同時代的なファンク・ミュージックと、さらにカリブ音楽のニュアンスも取り込んで、陰影に富む多義な一曲に仕上げている。

2018/07/25

キューバ革命でしぼんだ黄色いさくらんぼ

「黄色いさくらんぼ」。

この曲、ぼくの世代だとゴールデン・ハーフの歌(1970)で知っているわけだけど。あのころ、つまりぼくが小学校高学年で、大人のお色気なんかわかるはずもないとしごろに、テレビの歌番組でゴールデン・ハーフがどんどん歌った(彼女たちはぜんぶカヴァー曲で、オリジナルはない)あんなちょっと軽めで健全セクシー路線の歌謡曲はホント楽しかったなあ。もちろん歌の中身のことはなんにもわかっていなかったが、もしわかっていたならば、小学生なら気持ち悪いとすら感じたかもしれない。

そんな(小学生には)気持ち悪く(大人には)たいへん楽しいお色気ムンムンの歌謡曲をやったのが、「黄色いさくらんぼ」を初演したガール・グループ、スリー・キャッツ。三人組。彼女たちのやる「黄色いさくらんぼ」はすごいぞ。放送禁止ギリギリの線だ。あ、いや、実際当時の NHK では放送禁止になったらしい。歌っていると親に怒られたとかいうエピソードも各所で読む。

上で「軽めで健全セクシー路線」と書いたがゴールデン・ハーフ・ヴァージョンの「黄色いさくらんぼ」に言及しているからであって、スリー・キャッツのオリジナルは不純異…、あ、いや、なかなかその〜…、うんまあ、べつになんでもありません。エロやセックスはまったく健全で純なものだしね。性は生。あたりまえのことだから、とやかく言うことはない。

スリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ」は、松竹映画『体当たりすれすれ娘』(1959年8月公開)の主題歌として歌われたものらしい。ぼくはもちろん知らない。この映画の主人公が歌い踊る女性三人組で、そのアテレコ(歌だけ別な歌えるひとが吹き込んで映像にあてはめる)をやった三人組が、映画のトリオと同名のスリー・キャッツとしてレコード・デビュー。

だからやっぱり「黄色いさくらんぼ」がデビュー・シングルなのかな。たぶん映画『体当たりすれすれ娘』のなかでほかにも歌が出てきたんじゃないかと思うんだけど、チョチョっと調べてみただけではそのへんがわからない。とにかくぜんぶがシングル・レコードかアルバム用に録音したのかも判明しないんだけど、現在、一枚の CD『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』(コロムビア、2007年)に計16曲が収録されている。

この CD アルバムは二枚のレコードを、いわゆる 2in1 化したリイシューもので、前半部が『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』(第1集、1959年12月5日発売)。後半が『スリー・キャッツのセクシイ・ムード 〜桃色の風〜』(1960年5月15日発売)。だから、ウィキペディアの記載は部分的に間違っている。

二枚目に「桃色」とあるわけだけど、ところで「桃色」とか「ピンク」とか「赤(紅)」とかって、日本語ではエロにつながっている。英語だとこの系統の色は共産党の連想をひきおこすものだ。エロ関係の色は blue。日本歌謡界だと、たとえばピンク・レディーなんていう命名も、ちょっとしたセクシー路線みたいな意味合いがあったんだろうなあ。

CD『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』。全体的にはお座敷小唄みたいなもんかな。いま聴くとイマイチだなと、ぼくの世代でも感じるばあいがあるが、そうでない曲もわりとある。そうでない、つまりいまでもおもしろく楽しめると思うものは、ラテン(中南米)音楽ふう、はっきり言えばキューバン・スタイルのセクシー歌謡になっているもの。

CD『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』からそんなラテン・ソングを抜き出すと、以下の九曲となる。

・黄色いさくらんぼ
・チョンチョン娘
・ピンク・ムーン
・あの時帰れば
・こんな私じゃなかったに
・おへその曲り角
・甘ずっぱい夜
・いい感じ
・パパ恋人にあって

これらのなかでも特に傑出していると感じるのが以下の三曲。

・黄色いさくらんぼ
・おへその曲り角
・パパ恋人にあって

二枚目の LP レコードが1960年5月に出ているわけだから録音はそれより前だが、フィデル・カストロらによるキューバ本国での革命は1959年完遂。以前から書いているが、誤解をおそれずに言えば、あの革命後、キューバ音楽に潤いが弱くなっていた時期が長い。どうも音楽とか芸能とか芸術とかって、政治や社会の倫理や正義と相反するようなかたちで美を発揮したり失ったりすることもあるよなあ。ねじれてて、残念だけど、事実だ。

そんなことも含め、また、ちょうど革命前あたりの1950年代キューバ音楽と昭和エロ歌謡との関係についても、以前一度書いた。スリー・キャッツの名前も出してある。
20世紀初頭か19世紀後半からキューバ音楽は全世界に拡散していて、アラブ音楽にもトルコ音楽にも、もちろん日本の流行歌、演歌、歌謡曲、J-POP(と、あえて分別してみた)のなかにも色濃いラテン・テイストがある。ラテンというよりもだいたいはキューバ音楽風味だけど、ときにはブラジル音楽に接近したりもした。

ボサ・ノーヴァとか MPB とか最近のものの話じゃないんだよ。生田恵子っていう歌手が1950年代に活躍した。彼女はバイヨン歌いだ。また、美空ひばりの歌のなかにもラテン・ソングがかなりあるじゃないか。それもティーネイジャーのころに。
実際、日本の歌のなかにあるラテンなフィーリングはどうにもこうにも抜きがたい。21世紀の新世代演歌歌手、岩佐美咲のなかにだってあるんだもんね。
キューバ現地の音楽テイストや新潮流の勢い・拡散力が弱くなってからでもどんどんあるわけだから、ましてや全世界に拡散しまくっていた革命前はさぞや波は大きかったはずだ。スリー・キャッツのなかにも、だからあって当然のものだとはいえ、しかし彼女たちのばあいは、格別にキューバン・テイストが強調されているように思う。その目的はセクシーさ、官能性をお茶の間でも楽しめるようなポップ・エンターテイメントとして歌謡曲化するためだったと思う。

CD『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』収録の16曲は、大部分を浜口庫之助が書いている。編曲もそう。ばあいによっては歌詞も浜口だったりするが、しかし星野哲郎であることが多い。それであんな歌詞とメロディとあのサウンドやリズムで、セックスにわりとはっきり言及し、だからテレビで聴いたのを子供が真似して鼻歌でくちずさんでいると注意されたり、NHK で放送禁止になったり。
この直前のリンクでは山本リンダについて書いてあるが、リンダが爆発的ブームになって国民的歌手となり、その後の日本歌謡界でもあんなセクシーなアクション歌謡がふつう一般の流れになったのも、ラテン/キューバ音楽のパワーを借りてのことだったと、それも指摘してある。

スリー・キャッツのばあい、お座敷小唄系と上で書いたが、実際、オーディエンスは踊るというよりも座って聴いて、演者のお色気を楽しむというような趣に仕上がっているよね。山本リンダ以後みたいに踊り狂い飛ばせば卑猥さはなくなる、というか(猥雑ではあっても)別次元に到達し昇華されるわけだけど、スリー・キャッツの歌は、濃厚なエロみがそのままいやらしく表出されている。

上で抜き出したスリー・キャッツのキューバン歌謡九曲のなかに、強いダンス・フィーリングを持つものは「パパ恋人にあって」だけ。だからこの歌に直截的なセックス表現は感じられない。それ以外の八曲はミドル〜スロー・テンポで、ゆったりじっくり雰囲気を昂めていくようなものばかり。

歌詞の中身を具体的に説明しないほうがいいが、サウンドだって、たとえば金管がしばしばプランジャー・ミュートを付けてあのグロウリング・サウンドを出して「わぁ〜わぁ〜」と言っているよね。ラテン・パーカッション群も盛んに入り、リズムにアクセントをつけ、いい刺激になっている。

1970年のゴールデン・ハーフ・ヴァージョンの「黄色いさくらんぼ」は、テンポを上げ疾走する感じに再アレンジし、軽快かつスピーディで爽快な一曲に変貌していた。あの時代にはピッタリ来るフィーリングに解釈しなおしたってことだね。彼女たちのは歌はどれもそうだ。

でもその約10年ほど前には、同じ歌でスリー・キャッツのものみたいに淫靡(美)な世界を展開していたってことも忘れられないことなんだよね。たんなる懐メロとかなんとか、そんなことで片付けないでほしい。ぼくだってリアルタイムでは知らないんだから。たんにヴァーチャルな懐古趣味かもしれないが、ラテン音楽、特に革命でしぼむ前のキューバ音楽と、その影響下にあった世界の歌謡界では大きくふくらんでいたものがあったのは間違いないんで、そんな時代があったからこそ今の21世紀歌謡があるんじゃないかと思うんで。

2018/07/24

スティーヴィ『インナーヴィジョンズ』のポップネス

バート・バカラックと化している『インナーヴィジョンズ』 (1973)になると、スティーヴィの音楽はソウル/ファンクという枠を超えて、もはや黒人音楽でもなく、分別できないひろく一般的で普遍的なポップ・ミュージックとして聴こえてくる。一作飛び越えて、1976年の『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』に近づいている。ただしこのことがはたしていいことなのかどうかは、判断がむずかしいばあいがあるかもしれないけれど。

つまり元レーベル・メイトのマイケル・ジャクスンと同じ次元に、先にスティーヴィのほうが到達しつつあった。彼らのあとには(レーベルは違えど)プリンスがいたということになる(スティーヴィひとり存命とは…)。ぼくはだ〜いすきだけどね、こういった『インナーヴィジョンズ』みたいな音楽が。まあモータウンのカラーみたいなもんでもあった。

スティーヴィにしろマーヴィン・ゲイにしろ、1970年代初頭にセルフ・プロデュースのできる自立した大人の音楽家としてモータウンと再契約して新音楽を展開したけれど(いわゆるニュー・ソウル)、結局のところ、1960年代にこのレーベルが持っていたのと同じようなポップネスにたどりついた(戻った?)んだという見方だってできるのかも。モータウンがえらいのか?スティーヴィやマーヴィンは苦闘の末自力で到達できたからえらいということなのか?

まあいい。『インナーヴィジョンズ』。三部作とぼくが勝手に把握している『トーキング・ブック』『インナーヴィジョンズ』『フルフィリングネス・ファースト・フィナーレ』のうち、やはりこれがいちばん音楽性の幅がひろく、というのはいろんなカラーの曲があって多彩だとかいうことではなく、パーソナルであると同時に社会や世界のユニヴァーサルな問題に同時に踏み込んでいるから(歌詞面だけでなく)。それと、収録曲の調子やサウンドが世に受け入られやすいわかりやすさを発揮しているからだ。

実際、『インナーヴィジョンズ』に、黒人音楽でのいわゆるファンキーさ、ブルージーさ、ソウルフルなフィーリングなどは、ふつうの意味ではほぼ聴きとれないように思う。かろうじて5曲目の「ハイアー・グラウンド」がブギ・ウギだなと思うけれど、しかしここにリズム&ブルーズなどにも直結したあの粘っこい黒人感覚は薄いよね。と、ブギ・ウギ好きのぼくなら感じるんだけど。まあでもこの「ハイアー・グラウンド」は、ちょっぴりだけ黒っぽいのかも。

それはそうと「ハイアー・グラウンド」と次の6曲目「ジーザス・チルドレン・オヴ・アメリカ」の二曲は宗教ソングなのだろうか?歌詞はそうでも、しかしここにもいわゆる黒人ゴスペルみたいなサウンドやリズムはないし、キリスト教的内容のようでいて、サウンドのわかりやすいポップさとあいまって、もっと普遍的な人間の考えかた、ありようを歌っているんだと受けとったほうがいいんだろう。2曲目の「ヴィジョンズ」もそうかな。

このことと密接な関係があるが、『インナーヴィジョンズ』には社会や政治の問題を歌ったものが三曲もある。麻薬中毒問題を扱った1曲目「トゥー・ハイ」、黒人差別など社会や街のことを歌った3曲目「リヴィング・フォー・ザ・シティ」、当時の米大統領リチャード・ニクスンを皮肉った9曲目「ヒーズ・ミストラ・ノウ・イット・オール」。

しかしながらこれら三つも、曲調やサウンドやリズムにシリアスな様子はなく、明るく楽しく跳ね回っているようなフィーリングの演唱になっていて、もちろんスティーヴィはすべて用意周到に計算づくでそんなふうに仕上げている。シリアスな社会派的内容を楽しく美しい曲に仕立てるのは、やはり上で書いたように『キー・オヴ・ライフ』の先取りでもあったんだよね。

直接的には『インナーヴィジョンズ』の次作となる『ファースト・フィナーレ』で社会派アプローチが薄くなって、恋愛問題や個の人生のことを歌った内容が多く、それは歌詞だけじゃなく曲全体のあのフィーリングがそうなっていると思うんだけど、そういうのは、もちろん『インナーヴィジョンズ』にもある。4曲目「ゴールデン・レイディ」、7曲目「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」、(ちょっと違うかもしれないが)8曲目「ドント・ユー・ワリー・バウト・ア・シング」。

8曲目「ドンチュー・ワリー・バウト・ア・シング」はラテン・タッチというか、わりとはっきりしたサルサ・ナンバーで、もしソウル曲だといえるとすればサルサ・ソウル(すごい言いかただ)。これも『キー・オヴ・ライフ』での白眉たる本編ラストの「アナザー・スター」の先駆けだ。
「アナザー・スター」は、あんなに強靭でファンキーなサルサ・グルーヴに乗せてロスト・ラヴを歌った内容だった(「ぼくにはあなたの瞳の輝きしか見えないが、そんなとき、あなたには別のもっと輝ける星があるんだね」「ぼくの心を引き裂くひとのことを好きになってしまった」)けれど、暗く落ち込む歌ではなく激しくダンスしまくることで、ある種のポジティヴさを獲得できていたような一曲だった。

『インナーヴィジョンズ』の「ドンチュー・ワリー・バウト・ア・シング」はもっと明るい。気に病んだってなんにもならないんだからさと歌うと同時に、これは失恋歌ではなく、"もしも" のときはぼくがそばにいるんだから心配すんなと語りかけている内容なんだよね。サルサ・ナンバーにして、同時に、上で言及したマイケル・ジャクスンの歌った「アイル・ビー・ゼア」「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」と同列のテーマなんだよね。いいなあ、これ。ラテン・タッチでこう歌うんだから。

「ゴールデン・レイディ」「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」の二曲のラヴ・バラードは、もちろん女性を称えたり愛の美しさを賛美したりする普遍的な内容。それでも「ゴールデン・レイディ」のほうはスティーヴィ節だし、まだすこし黒人音楽っぽいファンキーなノリがあるかなと思わないでもないが、「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」にいたっては、上で書いたようにバート・バカラックの書く官能ラヴ・ソングと同次元に到達している。すごいの一言に尽きる。

スティーヴィは、実は以前からそうだし、この1970年代前半も、それ以後現在も、黒人らしさ(ってなんのことだか、本当はよくわからないものなんだけどね)とか、人種差別や関連の社会問題を歌うことが多くても、彼本来の持つ資質、音楽性はもっと普遍的でポップなんだよね。バカラックのことを引き合いに出したけれどフランク・シナトラにも似ているし、同じ黒人音楽家でいえばナット・キング・コールやサム・クックらと同じ地平に立っているのだろうと実感している。20世紀アメリカン・ポップスの最良の部分が、1970年代前半だとスティーヴィひとりに凝縮されているんだよね。くどいようだが、その後はそれをプリンスが引き継いだ。

2018/07/23

no. 9... no. 9... no. 9...

Following is a depiction of the soundscape 'Revolution 9' from the album "The Beatles" aka "The White Album" (1968) by The Beatles.

•0:00 (dialogue)
Bottle of claret for you if I'd realised.
Well, do next time.
I'd forgotten all about it, George, so I'm sorry. Will you forgive me?
Yes.

Cheeky bitch.

•0:09 (piano sounds: kind of a theme in B minor)

•0:11(speaking: also sounds like keynotes)
Number 9, number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9, number 9, number

•0:24 to the end (sound collage, much of which consists of tape loops)
(including sampled concrete natural sounds, human voices, speakings, monologues, dialogues, laughs, cryings, shouts, and excerpts from some music works, piano sounds)


•1:00
Then there's this Welsh Rarebit wearing some brown underpants
About the shortage of grain in Hertfordshire
Every one of them knew that as time went by
They'd get a little bit older and a little bit slower but
It's all the same thing, in this case manufactured by someone who's always
Umpteen times
Your fibres giving it diddly-i-dee
District was leaving, intended to pay for

(human laughs)

•1:56
Number 9, number 9...

• 2:00
Who's to know?
Who was to know?

(baby crying)
(a bit Indian music = prob. guitar notes sampled)

•2;11
Number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9, number 9

•2:16
I sustained nothing worse than
Also spoken for
Whatever you're doing
A business deal falls through
I informed him on the third night
When fortune gives

•2:35
Number 9, number 9, number 9

•2:42
Right, right
Right, right, right, right
Right, right

•2:59
9, number 9, number 9, number 9

•3:02
I've missed all of that
It makes me a few days late
Compared with, like, wow!
And weird stuff like that
Taking our sides sometimes
Floral bark
Rouge doctors have brought this specimen
I have nobody's short-cuts, aha...

•3:38
9, number 9

•3:47
With the situation
They are standing still
The plan, the telegram

Ooh ooh

•3:57
Number 9, number

Ooh

•4:03
A man without terrors from beard to false
As the headmaster reported to me
My son he really can try as they do to find function
Who could tell what he was saying, and his voice was low and his hive was high
And his eyes were low

•4:13
All right!

•4:27
Number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9

•5:03
So the wife called, and we'd better go to see a surgeon
Or whatever to price it

•5:08
Right!

•5:11
Yellow underclothes
So, any road, we went to see the dentist instead
Who gave her a pair of teeth which wasn't any good at all
So I said I'd marry, join the bloody Navy and went to sea
In my broken chair, my wings are broken and so is my hair
I am not in the mood for wearing

•5:48
Um da
Aaah

•6:00
How?
The dogs were dogging, the cats were catting
The birds were birding, and the fish were fishing
The men were themming, and the when were whimming
Only to find the night-watchman
Unaware of his presence in the building
Onion soup

•6:31
Number 9, number 9, number 9,
number 9, number 9, number 9

•6:34
Industrial output
Financial imbalance

Thrusting it between his shoulder blades

The Watusi
The Twist

El Dorado

•6:53
Take this, brother, may it serve you well

Maybe it's nothing
Aaah
Maybe it's not that; it's
What? What? Oh

•7:05 (Yoko speaks)
Maybe even then
Exposures in London
It's a difficulty being
By exposure
Because it's almost like being naked

•7:52
If you become naked

•7:55
That line
Hold that line
Hold that line
Hold that line
Hold that line

Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick
Block that kick

2018/07/22

ウェザー・リポートの熱帯地上舞踏音楽トリロジー(3)〜『ヘヴィ・ウェザー』

今日が三週目の完結編。
それでも『ブラック・マーケット』までは、アルバム・トータルで聴くと突出している曲があったりイマイチだったするものも混じっていたけれど、1977年3月発売の『ヘヴィ・ウェザー』には一分の隙もない。完璧なんだよなあ。いやあ、こんなアルバム、どんな音楽世界にもなかなかないもんだよ。

オープナーの「バードランド」や、ジャズ視点からは実はあんがいこっちのほうがすごいクローザーの「ハヴォナ」(大傑作!)などだけでなくぜんぶがいいし、また A面B面の差もなく、B 面トップのライヴ音源だって有効に機能しているし、片面四曲づつの構成が見事なら、全八曲すべて曲創りも演奏も文句をつけるところがない。レコードで盤面ひっくり返して聴いて完璧だったけれど、CD(やネット配信)でトータル連続再生でも完璧っていう、こんなアルバム、ほかにあるのか?

ふつうのジャズ・ファンやウェザー・リポート好きがいちばんアレッ?って思うのが、たぶん7曲目の「ザ・ジャグラー」(ジョー・ザヴィヌル作)なんだよね。この曲だけはやっぱりイマイチなんじゃないの?って思われそうだけど、ラテン・アメリカ音楽視点からは興味深いもの。この曲の土台はアフロ・ペルー音楽だ。アンデス音楽とも通じていそう。これら二点、二年以上前に recio y romantico さんにご教示いただきました。感謝します。
『ヘヴィ・ウェザー』を録音した当時のこのバンドのレギュラー・ドラマーはアレックス(アレハンドロ)・アクーニャ。周知のとおりペルー出身の打楽器奏者。「ザ・ジャグラー」の作者はジョー・ザヴィヌルだけど、アレックスが持ち込んだものがかなりありそうだ。『幻想夜話』『ブラック・マーケット』と、二つの記事でも書いてきたが、ジョーとウェイン・ショーターのワールド・ミュージック志向がこのころからジャズ・フュージョンのなかに溶け込んでくるようになって、その後もずっと続いている。

「ザ・ジャグラー」のばあいは、(たぶんかなり直接的に)アレックス・アクーニャからの流入があったと思うんだけど、ウェザー・リポートが取り組む前から独自にブラジル音楽と融合したウェイン(『ネイティヴ・ダンサー』、1974)がバンドに還元したものや、ジョーの独自開拓したものだってたくさんある。だからアレックスの教示がなくてもたどりついた可能性は高い。

アフロ・ペルー音楽というとマリネーラ、ランドー、フェスティーホあたりかな。ウェザー・リポートの「ザ・ジャグラー」のばあい、アンデス音楽的なペンタトニック・スケールを使ってあるけれど、リズムの三拍子はフェスティーホ系のものかもしれない。しかしかなりシンプルなビートにしてある。マリネーラもランドーもフェスティーホも、もっと複雑なポリリズムなんだけど、ジャズ・フュージョン化するにあたりジョーが整理したのかもしれない。ジョーはギターとタブラも演奏している。

祝祭のダンス・ビートといえば、『ヘヴィ・ウェザー』には5曲目に「ルンバ・ママ」があるよね。1976年夏のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ録音。マノロ・バドレーナとアレックス・アクーニャの打楽器デュオ演奏で、特に後半 1:37 あたりから二名がシンクロして猛烈にグルーヴしはじめてからはすごい快感だ。だからあっという間に終わってしまう。

しかし次の瞬間に6曲目「パレイディアム」冒頭の轟音が響きわたり、ジャコ・パストリアスがラインを刻みはじめたら、さらにまた違う快感が来る。この曲ではウェインもかなり活躍しているが、ジョーのアレンジ、オーケストレイションも見事だ。オーバーハイム・ポリフォニック・シンセサイザーを使えるようになったので、まるでビッグ・バンド・アンサンブルのような広がりが…、っていうのは先週きっちり書いたので省略。でもなんだかんだ言って、ジョーはまだまだ ARP 2600とフェンダー・ローズをメインに使っている。

それからアクースティック・ピアノの響きが格別美しいってことも『ヘヴィ・ウェザー』の特長の一つだ。それを痛感するのがおなじみ1曲目「バードランド」。印象からするとエッ?と思われるかもしれないが、このスタジオ・オリジナルでいちばん目立って活躍する鍵盤楽器はグランド・ピアノなんだよね。重厚なアンサンブル部ではもちろんオーバーハイム・ポリフォニック・シンセとウェインのサックスを重ねてある。

「バードランド」(や「ア・リマーク・ユー・メイド」「ティーン・タウン」)の魅力については語られ尽くされているように思うので多言無用だ。ただ一つ、あの印象的な導入部(と中間各所)のシンセ低音。ARP 2600で出していると思うんだけど、これ、1976年末〜77年初頭の録音だ。ってことは、たとえば楽器はすこし違ってもスティーヴィ・ワンダーなんかがまったく同様のシンセ・ベースを使っているアルバムが発表済みだった。スティーヴィはムーグ・ベース(シンセ)なんだけどね。

ジャズ・ファンのみなさんには、スティーヴィの『トーキング・ブック』(1972)〜『フルフィリングネス・ファースト・フィナーレ』(1974)をぜひちょっと覗いてみてほしいんだよね。ジョーが「バードランド」でやっている低音シンセの使いかたと同じものが、すでにある。ジャズ界でも、っていうか、1970年代半ばまでにはふつうのシンセ活用法となっていた。

あっ、そういえば、チューバやスーザフォンなど管ベースと、弦ベースと、(オルガンなどの)フット・ペダル・ベースと、こういった鍵盤シンセ・ベースと、これら四者の関係を考えてみたらおもしろいかもしれないよね。

「ア・リマーク・ユー・メイド」については、以前詳しく書いた。
アルバム・ラスト「ハヴォナ」。上でも書いたがジャコ作のこの一曲は、ある意味アルバム『ヘヴィ・ウェザー』でいちばんすごい演奏だ。白眉と言ってもいい。かなりジャジーで、4/4拍子を基調としているし、順にソロまわしが続くという組み立てもストレート・ジャズに近いアレンジ構成。そして、ジャコのベースが!とんでもないね!

ベース・ソロ部分できわめてリリカル(このひとのベース・プレイ最大の特徴だ、スペイシーさとあわせ)で美しく、間の活用も見事。ストラヴィンスキーを引用したり、細かいパッセージを弾く部分と大きく乗る部分とのコントラストも完璧で、もう文句なしの絶品じゃないか。「ティーン・タウン」よりすごいぞ。

さらにジャコは自分のソロのあいだだけじゃなく、ジョーやウェインのソロの背後でもベース・ソロを弾いている(ようなもんだ)し、それはアンサンブル部分でも同じ。ジャコもほかの三人も(そう、「ハヴォナ」ではマノロのいないカルテット演奏)、ソロといい合わせる部分といい、この完璧さをかんがみるに、ジョーがかなりな部分までアレンジしてあったとは思う。だけどそれでも、ここまでのスポンティニアスさを持ちかつ構成のトータリティも美しい音楽にはなかなか仕上がらないもんだよなあ。

2018/07/21

多様社会の寛容と愛好を 〜 ライのメルクマール 1998

(フランスがサッカーW杯で優勝したばかり、それもキリヤン・ンバペが主役級の大活躍でスターダムにのしあがったばかりだから、すこしの期待を込めて、でもジネジーヌ・ジダンを擁し1998年にも一度優勝したけれど…)

といっても、ライ歌手と呼べるのはハレドだけだし、披露されているレパートリーも多彩だけど、ハレドと、ラシード・タハ、フォーデルの三人をフィーチャーし、1998年9月26日、パリのベルシー総合体育館で行われた記念碑的コンサートを収録した CD+DVD『1、2、3 ソレイユ』(1998)。あのころのフランスはいまとはすこし違っていた。

21世紀に入ったころからか、フランスだけじゃなく(日本も含め)世界が不寛容になってしまっていて、異・他質なひと・ものを排除し、多様性を認めないようになっているが、すくなくともあの1990年代末ごろのフランスで『1、2、3 ソレイユ』みたいな大規模コンサートが成功したという事実だけをもってしても、あのころはまだ…、と思ってしまう。この発言を後ろ向きの懐古主義と思わないでほしい。社会とはそういうものなんだから。一国、一民族、同様、同質などという<純粋主義>は、ありもしないたんなる幻想に過ぎない。

1998年9月26日のベルシーでの主役は、やはり当時の最大級スターだったハレドかな。実際(CD だと)全13曲のうち最もたくさん歌ってフィーチャーされている。ラシード・タハもすでにスターだった。フォーデルはまだ新人というに近い存在だったよね。ところでフォーデルくん、この DVD で観る当時はかなりイケメンでカッコイイが、最近は…。

まあ見た目はどうでもよろしい。歌にかんしては、当時すでにフォーデルも一級品だった。彼ひとりがフィーチャーされている(CD だと)10曲目の「Tellement N'brick」でも、そのコクのある喉を堪能することができる。ライ歌手に分類されることもあるフォーデルだけど、この曲はライじゃない。冒頭部はシャアビっぽい。そのテンポ・ルパート部でアラブ歌謡のコブシをぐりぐり廻していて、いいなあこれ。フォーデルの声のトーンは塩辛く、それも魅力的だ。テンポ・インしてからはライっぽくなるね。

ぜんぜんライとかすりもしないのが(CD だと)4曲目の「N'Ssi N'Ssi」。ハレドの歌だけど、フレンチ・ポップスみたいなものだ。ハレドがこんなふうに歌わずフランス白人がやれば、なんでもない一曲になっていたかもしれないものだ。フランスに移住したある時期以後のハレドは、賛否あるとはいえ音楽性の幅がひろがったので、こういった歌もこなしたのだった。しかし喉とコブシ廻しにしっかり(オランの)ライ印が読みとれる。ハード・ロックなエレキ・ギター・ソロはスティーヴ・ヒレッジかな。DVD を観返せばわかることだけど。

スティーヴ・ヒレッジは、もちろんラシード・タハ人脈で参加したのだろう。この日のコンサート・イヴェント全体のトータル・プロデューサー役も務めているのがしっかりクレジットされている。イギリス人ロック・ギタリストなんだけど、ラシードはヒレッジと組んで活動してきていたのだった。

ライのばあい、ふつうは打ち込みビートとシンセサイザー(と生演奏打楽器)を中心に組み立てることが多いけれど、『1、2、3 ソレイユ』だと(たぶん)ほぼすべてが人力の生演奏で、リズム・セクションやギターはもちろん、ストリングスもホーンズも全員生演奏。これは豪華だ。いまだったら考えられないよなあ。それらのアレンジをぜんぶスティーヴ・ヒレッジが手がけている。

ってことは、この日のコンサートの内幕は、ハレドというよりも、二歳年上のラシード・タハがある程度まで主導権を握っていたという可能性があるだろうか。そのあたりの詳しいことはぼくにはなにもわからないのだった。ラシードはライ歌手でもシャアビ歌手でもなく、というかアラブ音楽歌手とも言いにくいひとで、ロッカーみたいな感じだよね。だから(カルト・ド・セジュール以後は一貫して)スティーヴ・ヒレッジと組んだんだろう。

しかしそんなラシード・タハにだってアラブのアルジェリア・ルーツに回帰したような伝統路線のアルバムもある。そんななかからの最大のヒットとなり、曲じたいリヴァイヴァルしたのが「ヤ・ラーヤ」(Ya Rayah)。言う必要もないが、ダフマーン・エル・ハラシの書いたシャアビ最大のスタンダードだ。

その「ヤ・ラーヤ」が、『1、2、3 ソレイユ』でもクライマックスだ。コンサートの一番最後に、彼ら在仏マグレブ移民のシグネチャー・ソングとして(っていうかモロそういう内容の歌だ)披露されている。伴奏スタイルは、ラシード・タハ・ヴァージョンに即しているが、そもそもそれがエル・ハラシらのシャアビ古典マナーにのっとったものだったよね。

スーパー・スタンダートを、トラディショナル・スタイルでそのままやって、しかしそれが1998年の時代に訴えかけるパワーとモダンさを獲得し、いやいや、そうじゃない、2018年といういまのこの不寛容な世界にすらもアピールもしているような、そんな演唱に聴こえないだろうか。ぼくはそう感じるんだけどね。

1997年には、ぼくがマグレブ音楽、ひいてはアラブ音楽にハマっていくきっかけをつくってくれた衝撃の ONB(オルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス)デビュー・ライヴ・アルバムもあった。あれの中身は1996年のフランスはエヴリのアゴラ劇場におけるコンサート。やはり人種混交の多彩音楽で、1996年の ONB ライヴも1998年の『1、2、3 ソレイユ』コンサートも、北アフリカ系のひとたち、黒人たち、フランスなど欧州系白人たちがみんないっしょくたになって、あわせて踊ったのだった。

2018/07/20

『ソーサラー』『ネフェルティティ』に聴くマイルズ・ブーガルー

このマイルズ・デイヴィスのプレイリストには『E. S. P.』『マイルズ・スマイルズ』からも選んであるが、それらについてはいままでそこそこ詳しく書いてきているつもりなので省略し、今日は『ソーサラー』(1967.10)『ネフェルティティ』(1968.1)の二作だけに話題を限定して、マイルズ・ブーガルーのことをメモしておきたい、自分用に。

というのは、そういう聴きかたをすれば、ぼくにも『ソーサラー』『ネフェルティティ』はおもしろく聴こえるようになってきているということ。最近までどう思っていたかという話はしない。大学生のころからリズムが楽しい曲も含まれているぞとボンヤリ感じていたが、今年六月ごろから執拗に書いているレーベル公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』 #BlueNoteBoogaloo のおかげで鮮明になってきた。遅すぎ?

しかし『ネフェルティティ』には「ライオット」一曲しかない。でもこれ、かなりおもしろいよね。曲の作者はハービー・ハンコック。トニー・ウィリアムズのドラミングが、上記プレイリスト収録曲のすべてでもそうだが、変形ラテン・ビートを叩きだしているのが、とてもいい。「ライオット」でもかなりすごいよなあ。8ビートだけど、同時にメインストリームな4/4拍子も(主にハイ・ハットで)維持している。

「ライオット」でもほかのものでも、マイルズ、ウェイン、ハービーのソロ内容そのものをそんなには重視していない。ロン・カーターとトニー・ウィリアムズ二名の伴奏が鬼のようにカッコイイと感じて、そればかりに耳がいく。タイトなトニーと違って、ロンはどこを弾いてどこにいるのか、どこへ行きたいのか、フワフワしていて、よくわからない不穏な感じなのが、またいい。

『ソーサラー』には鮮明な変形ラテン・ビート、というかマイルズ・ブーガルーが三曲もある。そのうち「リンボ」(ウェイン作)は、しばらくのあいだブーガルーとは気づかない。このクラシカル・ワーク二枚でみなさんもぼくも最も強く感じている典雅で静的な感じではじまって、しばらく続く。

しかし二管でのテーマ演奏中からトニーがじょじょに熱を帯び、ソロ・パートに突入すると俄然8ビート・ブーガルーへと変貌するんだよね。それが続いているあいだは(ぼくは)気持ちいい。ロンはほんとなにやっているんだろう?どの曲でも、今日選ばなかったものだってそうだけど、浮遊感が強い。ここでのトニーはフリー・ジャズ・ドラミング的でもある。

「プリンス・オヴ・ダークネス」「マスクァレロ」(どっちもウェイン作)の二曲だと、どこからどう聴いてもブルー・ノート・ブーガルーと共通する、というかそのままじゃないか。8ビートの変形ラテンで、いやあ〜、カッコよく楽しいですよねえ〜。トニーのドラミングにはロック・ビート由来だと聴きとれる要素もあるぞ。ところで、この後のライヴで「マスクァレロ」は頻演されたけれど、どうして「プリンス・オヴ・ダークネス」はやらなかったのだろう?

こういったものを重視するのは、その後のマイルズの歩みを考えてのこと。アクースティックなレギュラー・クインテット演奏であるとはいえ、「スタッフ」(『マイルズ・イン・ザ・スカイ』)「フルロン・ブラン」(『キリマンジャロの娘』)などに直結しているし、『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』などの大傑作や、また1970年代のマイルズ・ミュージックのことを考えてふりかえれば、どなただっておもしろいとお感じになるんじゃないだろうか。

参考までに、公式プレイリスト『ブルー・ノート・ブーガルー』。
https://open.spotify.com/user/bluenoterecords/playlist/1OAOMYbP4EDgKstUio9FdD?si=Z1lFcI3_SP-_7NmC1xje1w

こっちはマイルズ・ブーガルー。
http://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-479a.html

2018/07/19

エキゾティック・ディラン 〜『欲望』

ローリング・サンダー・レヴューと題したボブ・ディランのかのライヴ・ツアー。1975年分と76年分と二回あったが、この2レグのあいだにリリースされたスタジオ録音作が『欲望』(1976年1月)。録音時期は1975年7〜10月。

公式発売されている CD 二枚組の『ライヴ 1975:ザ・ローリング・サンダー・レヴュー』は、1975年11月&12月のツアーからの収録で、だから翌年一月発売の『欲望』はすでに録り終え完成もしていた。実際、前者ライヴ・アルバムにも、(登場順に)「ロマンス・イン・ドゥランゴ」「アイシス」(英語だから)、「ハリケーン」「コーヒーもう一杯」「セアラ」がある。これら『欲望』からの新曲は、1975年ツアーの観客にとっては未知のものだったはず。

そんなライヴ・ヴァージョンもそうだけど、もともとのスタジオ・オリジナルだってにぎやかでエキゾティックな雰囲気があって、本当に楽しいんだよね。アルバム『欲望』は、ひょっとしてディランのスタジオ作品のなかで最も色彩感豊かでワイワイやっている一枚かもしれないよ。ぼくも本当に大好きだ。多国籍的だしね。

だからアルバム『欲望』では、ぼく的には1曲目「ハリケーン」、4「コーヒーもう一杯」、7「ロマンス・イン・ドゥランゴ」がすごく魅力的だということになる。「アイシス」「モザンビーク」「セアラ」もかなりいいなあ。それら以外は、実はイマイチだったりすることもある。だから、そういう曲の話は今日はしない。

『欲望』のなかで、ぼくもいちばん好きだし多くのみなさんも同意見を表明なさっているし、日本のバンド、たまも麦茶にしてカヴァーしているしで、やっぱり魅力的に聴こえていることが多いんだろう、間違いないと思うのが「コーヒーもう一杯」。たまのも下に貼っておく。
ディランのオリジナルのほうには、ヴァイオリンのスカーレット・リヴェラが参加しているのと、女性サイド・ヴォーカリストとしてエミルー・ハリスがいるのとがかなり大きな特徴&特長だけど、それはこの曲だけでなく、アルバム『欲望』のほぼ全編でそう。この二名がくわわっているのが、このアルバムの色彩感とエキゾティズムを増幅する役目を果たしている最大要因かも。

エミルー自身はべつにエキゾティックな歌手じゃないだろうが、ディランがみずからのリーダー作品で、しかもかなりたくさん、ほぼ新人の女性歌手と寄り添いながら歌ったことはそれまでなかった。混声でヴォーカル・ラインが進むばあいが多いことで、カラフルで楽しく、しかもポップなニュアンスだって出せていると思うんだ。

スカーレット・リヴェラのヴァイオリンは、やはり異国ふうなニュアンスを『欲望』に与えることになっているとぼくは聴いている。むろんヴァイオリン、というかフィドルは、ディランがそれまでやってきていたような音楽には特別な楽器じゃない。だけど、このアルバムでのスカーレットの弾くオブリガート(ソロはないはず)は、ディラン(+エミルー)の歌のラインと対位的に、離れつつ近寄って、多国籍的サウンドの拡大をもたらしている。

「コーヒーもう一杯」は曲そのものがやや中近東ふうだから、っていうのが最大の要因だろうけれどもね。でもスカーレットが弾く、たとえば1曲目「ハリケーン」にも、ストレートなロック・ストーリーテリングというだけじゃない異・他な音楽ニュアンスがあると思うよ。コンガが入っているからでもあるけれど。

7曲目「ロマンス・イン・ドゥランゴ」も相当に好きな一曲。テックスメックスっぽいよね。マリアッチふうな雰囲気もあるよ。ディランの音楽のなかにはメキシカンなラテン要素がかなりあるぞと、以前記事にした。そのときとりあげたカヴァー・アルバム『アイム・ナット・ゼア』に「ロマンス・イン・ドゥランゴ」はない。「コーヒーもう一杯」はあるので、ぜひ。
複数の曲でアコーディオンもあるし、マンドリンや、あるいはブズーキ(ギリシアの弦楽器)だって入っているものがある。アルバム・ラストの「セアラ」(か「セイラ」、でも「サラ」と発音している箇所もあり)は、当時の妻セアラに、どうか行かないでくれと懇願しているような歌で、これにもスカーレットがヴァイオリン・オブリガートでからんでくれているおかげで、ただのラヴ・ソングというだけでない多彩性を帯びている。でも、ふつうのラヴ・ソングとしてだけ聴いても、ディランの書いた最高のひとつじゃないだろうか。大好きだ。

2018/07/18

ブルー・アイド・メンフィス・ソウル 〜 ボズ・スキャッグス『カム・オン・ホーム』

1曲目「イット・オール・ウェント・ダウン・ザ・ドレイン」を聴いて、なんとも言えない気持ちになっちまった。「ぼくの人生、なにもないじゃないか」「カラッポだ」「すべて流れていってしまったよ」というこのアール・キング作の曲を歌いギター・ソロを弾くのがボズ・スキャッグズ。アルバム『カム・オン・ホーム』(ヴァージン、1997)のこと。

アルバム・リリース時にこれいいぞと(たぶん、るーべん aka 佐野ひろしさんから)うかがって買ったけれど、ネット活動開始二年後の1997年というと、ぼくは仕事も私生活も超充実していた時期で、かなり多忙だったし、「ぼくの人生、カラッポだ」なんて歌を切なく渋くやられたって、なんのこっちゃぜんぜん意味わかんなかったのだ。アルバムのほかの曲もほぼ同傾向で、だから、ごく最近まで CD ラックのなかで放ったらかしにしてあった。

それが、ついこないだ、ふとあるきっかけで思い出し、というのはなにかというと、もうすぐ似たような傾向の新作リリース予定があるそうだというネット情報を目にしたからで、それでちょっと聴きなおしてみようと引っ張り出してかけたら、こうだよ。もうダメだ。涙腺崩壊を起こしてしまった。歳月を重ねると自分も、音楽も、変わるんだよなあ。あたりまえのことだけど。

ボズの『カム・オン・ホーム』収録の全14曲中、新しいものはたぶん五曲だけ。たぶん、っていうのは、五つのうち四つまではボズの自作で間違いなくアルバムのための新曲だけど、ウィリー・ミッチェル&アール・ランドル作とある5曲目「カム・オン・ホーム」も書き下ろしじゃないかと思うんだよね。このソングライター・コンビにこんな曲、過去にあったっけ?

それら以外の九曲はブルーズ、リズム&ブルーズ、ソウル・ソングのカヴァーで構成されている。歌はもちろん全曲ボズだけど、ギターも弾き、ソロだって多くのばあい彼自身のようだ。そのクレジットがない9曲目「アーリー・イン・ザ・モーニング」(サニー・ボーイ・ウィリアムスン I 世)でだけ、ギター・ソロはスティーヴ・フルーンド。

ギターといえば、この『カム・オン・ホーム』にはかなりたくさんフレッド・タケットが参加している。そう、リトル・フィートのギタリストだ。このアルバムではフレッドはソロは弾かない。あくまで脇役に徹し、それもコード・ワーク中心で、堅実に渋く地味にボズのこのオールド・ファッションドな回顧集を支えている。

ウィリー・ミッチェルが(たぶん)新曲を提供していると書いたが、それだけじゃなくホーン・セクションもウィリー・ミッチェル・ホーンズ(は全員ブックレット末尾に参加人物名が記載されている)が多くの曲でどんどん参加。ウィリーはアレンジとか、あるいはプロデュース・ワークにもかかわっていそうだ。

ウィリー・ミッチェル参加のおかげか、あるいはもともとボズがメンフィス・ソウル好きで、若き日々に聴いて感銘を受けた曲の数々や、そこからの影響でこの新作用にと雰囲気を合わせて書いた新曲などをやってみたというだけか、どっちにしても同じことなのか、『カム・オン・ホーム』というアルバム全体にメンフィス・ソウルの香りが強く漂っている、ようにぼくには聴こえる。

だから、やはり都会の音楽で、洗練されていて、ある意味 AOR 的な部分もあるようにぼくは感じるんだよね。曲の出自そのものはダウン・ホーム感覚があって土臭いというものだってあるけれど、ボズらはとりあげたそういうのでも、ブルージーさは残しつつ、ど田舎ふうなダーティさは消してある。やっぱりボズって、そういう資質の音楽家だよね。

一曲、ジャズ歌手もよくやるスタンダードがある。7曲目の「ラヴ・レターズ」。ダイナ・ワシントンの歌で有名だし、アリーサ・フランクリンも(しかもアトランティック時代に)歌った。ボズはこの歌を、孤独でわびしいひとりの男性の、まるで空想か妄想の、つまりあのファッツ・ウォラーの有名曲みたいな心持ちでアレンジし歌っている。これは、沁みるなあ。

13曲目に「アフター・アワーズ」ってのもあるから、あれかなと思うと違って、これはボズの書いた新曲だった。でも曲題どおり、すなわちエイヴリー・パリッシュ作のスタンダード・ソング同様(あれってヴォーカリーズ・ヴァージョンとか、あるの?)、リラックスしたレイド・バック・ブルーズにしてボズもやっている。

この「アフター・アワーズ」でおもしろいのは、これも12小節定型ブルーズなんだけど、コード・チェンジが、かのいわゆる<ストマン進行>ってやつを使ってあることだ。そんな T・ボーン・ウォーカー・ソングもこのアルバムにあって、11曲目の「T・ボーン・シャッフル」。これにわびしさはなく、楽しいうきうきジャンプ・ナンバーだ。

ボビー・ブランドの2曲目「アスク・ミー・バウト・ナシン(バット・ザ・ブルーズ)」もいいし、4曲目「ファウンド・ラヴ」は、オリジナルどおりジミー・リード・スタイルのイナタいブギ・ウギで歩くテンポ。くつろげる。これ以外の曲でも入るハーモニカ・ソロには若干のダウン・ホーム感があるなあ。

ウィリー・ミッチェル作の(たぶん)新作、5曲目「カム・オン・ホーム」がアルバム・タイトルにもなっているわけで、これのサウンドや歌詞など考慮すると、どうもボズ自身の若き日にちょっとゲット・バックしてみようじゃないか、そこにぼくはいたんだし、結局、いまもいるんだから、っていうような音楽なのかなあ、このアルバムは。

2018/07/17

ファンクな失恋歌集 〜 スティーヴィ『トーキング・ブック』

スティーヴィ・ワンダーの『トーキング・ブック』(1972年10月発売)。いつも1曲目「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オヴ・マイ・ライフ」イントロのフェンダー・ローズが聴こえただけでホッコリ気分になる。(エフェクターなどを使わず)そのまま弾けばそんな音色を出しやすいこともある楽器だしってこともあるかもだけど、やっぱりそんな内容のハッピーなラヴ・ソングだからなんだろうなあ。いやあ、いいなあ、この曲。

この1曲目では、スティーヴィ本人の歌はサビ部分から出るので、最初に耳にしたときには、あれ、これだれ?しかも女声もあるぞ、あれれっ?とかって思ってたんだよね。アルバム中ほかの曲では、ゲスト・ヴォーカリストはバック・コーラスだけで、こんなふうにフィーチャーされていない。アルバム幕開けが本人の声じゃないんだから、狙いに狙ったものだよなあ。

『トーキング・ブック』、しかし2曲目以後は、つらく苦しく悲しいロスト・ラヴの歌ばかり。でもなくてハッピーなラヴ・ソングが一つ(3「ユー・アンド・アイ)、社会派ソングも一つ(7「ビッグ・ブラザー」)ある。さらに失恋といっても歌詞内容がそうだというだけで、曲調やサウンドやリズムまで沈んでいるようなものはほとんどない。

8曲目「ブレイム・イット・オン・ザ・サン」だけがしっとり系の、いかにもなトーチ・ソング。ぼくの愛はどこに行った?どうやって生きていけばいい?きっと太陽が悪いんだ、そうだきっとそうだ、っていうもので、バラードふうのゆったりテンポで、アクースティック・ピアノの音を中心に、いかにも泣いているような曲。でも、これだけだよね。

『トーキング・ブック』におけるスティーヴィが失恋ばかり歌っているのは、時期的にどうもシリータ・ライトとの破局が影響していたんだと思うけれど、それでも、上で書いた「ブレイム・イット・オン・ザ・サン」を共作しているんだし、ほかにもある。イヴォンヌとの共作だってあるし、音楽的パートナーシップはこの後も続いたので、私生活はそれ、ビジネス関係はまた別、と割り切っていたんだろう。だから悲しいばかりの破局とは言えないのかも。

そんなこともあってか、だから「ブレイム・イット・オン・ザ・サン」以外の失恋歌は、決して暗く落ちんではいない、ばかりか強靭なファンク・ビートに乗せて、強く粘っこく演奏・歌唱しているよね。だいたい『トーキング・ブック』最大の有名曲は「迷信」じゃないか。この曲はあまりにも知られているので、ぼくが今日書くことなんてないはずだ。クラヴィネットって、いやあ、本当にカッコよくファンキーな音色の楽器だなあ。

クラヴィネットのことは、この数年前からスティーヴィは使っているが、フル起動させるようになったのは『トーキング・ブック』からかな。たとえば2曲目「メイビー・ユアー・ベイビー」でも非常に粘り気の強いファンキーな強靭さを表現していて、これも「迷信」同様、ファンク・チューンだなあ。

ファンクといえば、この「メイビー・ユア・ベイビー」では、ゲスト・ギタリストのレイ・パーカー Jr. がずっとソロを弾き続けている。スティーヴィが歌っているあいだも休んでいるあいだもずっとぜんぶ。つまり曲をエレキ・ギター・ソロでラッピングしているわけだけど、これってファンカデリックの手法だよね。スティーヴィはこれを録音する数年前からファンカデリックの名前は出していたらしい。

基本的に(一部例外を除き)『トーキング・ブック』は粘っこいファンクの衣をまとった失恋歌集なんだけど、4曲目「チューズディー・ハートブレイク」(サックスは無名時代のデイヴッド・サンボーン)もそうだね。5曲目「ユーヴ・ガット・イット・バッド・ガール」と9曲目「ルッキング・フォー・アナザー・ピュア・ラヴ」(では「迷信」で曰く因縁のジェフ・ベックが弾く、実にいい感じだ、大好きなギタリスト)は、そんな粘っこいファンクネスは薄いかもしれないが、明るくて前向きのサウンドを持つロスト・ラヴ・ソングで、本当に大好き。

アルバム・ラストの10曲目「アイ・ビリーヴ(ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ・イット・ウィル・ビー・フォーエヴァー)」は、やっぱりファンク・チューンっぽい。けれど、かなりポップなフィーリングもある。熱愛を告白するハッピー・ソングじゃなくてその逆なのに、まるで1曲目「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オヴ・マイ・ライフ」に通じるものがあるような気がするよ。

2018/07/16

ウェザー・リポートの熱帯地上舞踏音楽トリロジー(2)〜『ブラック・マーケット』

地上の熱帯楽園で賑やかで楽しそうに踊っているような音楽をやるようになったウェザー・リポートの三部作。二回目は1976年3月リリースの『ブラック・マーケット』。大学生のころのぼくは A 面しかたぶん聴いてなくて、それも真ん中2曲目「キャノン・ボール」をスキップして「ブラック・マーケット」「ジブラルタル」ばかり好きだったような記憶がある。

それがいまや嗜好が変化して、B 面の、それも1曲目「エレガント・ピープル」が最高にカッコイイと感じるんだよね。B 面だと、あとは3曲目の「バーバリー・コースト」。A 面2曲目の「キャノン・ボール」も大好きになっているが、これら三曲がいいぞと心から思えるようになったのは、ここ25年くらいの話だ。それ以前はな〜んじゃこりゃ?と感じていた。

そんな話はあとでするとして、1曲目のアルバム・タイトル曲。ウェザー・リポートにとっても「バードランド」と並ぶシグネチャー・ソングになったものだけど(だからこそ、ある時期以後はライヴで演奏しなかったし、再演するようになってからもヒット・メドレーみたいなファン・サーヴィスでしかやらなかった)、サウンドの広がりとカラフルさが、前作『幻想夜話』と比べても、もう全然違っている。

特に「ブラック・マーケット」で、音量の小さいイントロ部(はジョー・ザヴィヌルのシンセサイザー中心)を経てブリッジみたいなもの(日本のコメディ集団ドリフターズのコントで使われていたあのパターンによく似ている)を経て、2:28 あたりでブワ〜ッと分厚いサウンドが広がるけれど、それまでのウェザー・リポートにはなかったものだ。

それを可能にしたのがこの作品から使えるようになったオーバーハイムのポリフォニック・シンセサイザー。これのおかげで多層的な、まるでビッグ・バンドのホーン・セクションみたいな、厚みのあるアンサンブルがジョーは使えるようになって、しかもそれにウェイン・ショーターのサックスを同時進行で重ねたりなど、アレンジの幅が急激に拡大した。

『ブラック・マーケット』以後も、テクノロジーの進展とともにジョーの書くアンサンブルは変化したけれど、このポリフォニック・シンセサイザーの登場ほどウェザー・リポートの音楽を激しく劇的に変貌させたものはほかにない。かなりカラフルで、だからポップにも響くので、それまでのフェンダー・ローズ中心の鍵盤サウンドがお好きなみなさんには、『ブラック・マーケット』以後のウェザーはちょっとね…、みたいな否定感をお持ちかもしれない。

商業的にこのバンドが大成功したのは『ブラック・マーケット』と『ヘヴィ・ウェザー』二作のポップ&ファンキー路線によってだし、個人的大好物だし、またぼく的には音楽性の可能性も表現領域も広がって、より聴きやすく、しかも高次元へと到達しているように感じている。だからかなり高く評価しているんだよね。

1曲目「ブラック・マーケット」と3曲目「ジブラルタル」は同じ路線の曲だ。ジョーは当初「ジブラルタル」をアルバム・タイトルに持ってこようとしていたらしく、それくらい出来に自信があったんだろうなあ。大学生のころはこの地理名称ナンバーがアルバムでいちばん好きだったぼくだけど、いま聴きかえすと、ちょっと大げさかな?くどいかもなあ?特に終盤のリピートが…、とかって感じないでもない。う〜ん、まあ正直に言えば、いまではあんまりちょっと…。

これよりは(LP では B 面だった)次の4曲目「エレガント・ピープル」が最高に魅力的・魅惑的だなあと思ういまの、というか25年ほど前からのぼく。これはウェインの書いた曲だけど、ジョーがかなりペンを入れていると、聴けばわかる。しかも、この「エレガント・ピープル」の旋律とか、リズム・パターンって、エキゾティックだよなあ。またテナー・サックスで吹くショーターのラインも、これは一種のアラブふう?

アラブふうかどうかイマイチはっきりしないが、アメリカ音楽から見た際には間違いなくエキゾティックなこの流麗なメロディ・ラインを際立たせるために、(たぶんジョーのアレンジで)アクースティック・ピアノとドラムスで「だだ、だっだっ、だだ、だっだっ」のリズム・シンクロ・パターンを演奏し、これにパーカッションが有機的にからむ。特にティンバレスがカンカン入る瞬間は快感だ。

こんな B 面1曲目「エレガント・ピープル」が本当に大好きだけど、B 面だと2、4曲目は個人的には飛ばして、3曲目の「バーバリー・コースト」。いきなりサウンドが大変貌しているが、これがジャコ・パストリアス初参加の一曲だった。曲もジャコが書いている。ベース・ラインは、すでにおなじみのジャコ節全開だ。曲はどうってことないかなと思う。

これに比べたら、同じくジャコの弾くA 面2曲目「キャノン・ボール」は、まだジャコらしさがフル発揮はされていないように思う。アルバム『ブラック・マーケット』では、これら二曲以外のベースはアルフォンソ・ジョンスンで、この交代期にレコーディングが進行した。「キャノン・ボール」は、前後の「ブラック・マーケット」「ジブラルタル」と連続していて違和感があまりないもんね。ジャコがまだまだ?アルフォンソがナイス・ワーク?

ところでこの「キャノン・ボール」という曲題は、やっぱりジョーのかつてのボスに捧げたものだったのだろうか?そのあたりの事情みたいなものを読んだことがないのだが、キャノンボール・アダリーは1975年8月死去で、『ブラック・マーケット』の録音は1975年12月〜76年1月だから、たぶん間違いないと思うんだけど。

2018/07/15

哀しみと難渋をこんなふうにビート化した、パウロ・フローレスの2017年作

パウロ・フローレス。こっちの2017年作『Kandongueiro Voador』のほうはずいぶんと落ち着いた(というのは表面的なことだけか)雰囲気だ。ダンサブルなリズムを持つ曲も多いものの、踊るよりもじっくり聴きこむといったような趣のアルバム。しかも悲哀感がアルバム全体でとても強い。

1曲目「Donde Estás Caetano」はバラード、じゃなくて泣いている歌だけど、なんなんだろうこの雰囲気は?最初にこのアルバムを聴いたとき、ちょっと直視できないかと思ったほど。ビートも効いていないし、ヴォーカルの伴奏は自身の弾くアクースティック・ギターと、もう一名によるカヴァキーニョとバンドリンだけ。

2曲目以後はダンサブルなビート・ナンバーが続くんだけど、音楽の本質として、この一曲目の持つフィーリングにビートを付加してグルーヴを生み出し拡大しているもののように聴こえる。リズム感だけを取り出せば快活だけど、陽気さはまったく感じられないばかりか、その逆だ。7曲目「Mariana Yo」だけが例外かな。

ダンス・ナンバーは2曲目「Semba da Benção e da Consolação (feat. Prodígio)」以後ずっと最後まで続く。女性ヴォーカリスト Rayra をフィーチャーした9曲目「Xinti」だけがゆったりしっとり系かな。この曲にはちょっぴりジャジーな雰囲気もある。しかも打ち込みのエレクトロ・ビートだ。キゾンバっぽいと言っていいのかな。

1曲目とこの9曲目を除き、パウロの『Kandongueiro Voador』は本当にぜんぶが強いダンサブルなビートを持っているんだけど、そのグルーヴ感は踊れるという感じよりも、じっくり聴き込むといったものに近い。またなかにはカーボ・ヴェルデ音楽のスタイルに近いものだってある。たとえば4曲目「Cise Nos Rainha」はコラデイラ、8曲目「Yaya Massemba」はモルナだ。

それら以外はだいたいセンバだと言っていいのだろうか?パウロはこの最新作でセンバのグルーヴに哀感を強く込め、音楽の深みを増し、聴き手の感情のひだに入り込み、心を揺さぶる。ここまでの音楽は、個人的にはそんなにたくさんは体験していない。こんなの聴いたら号泣するしかないんだけど、しかし涙をふりはらい、あ、いや、泣きながら、ぼくは踊っている、というか膝や腰は部屋のなかで動かして、やっぱり身体をゆすっているんだよね。

アイオナ・ファイフ(スコットランド)の一枚がなかったら、これが今年のナンバー・ワン作品かもなあ。その上に岩佐美咲がいるけれど。

2018/07/14

さりげない哀しみ 〜 パウロ・フローレスの2016年作

アンゴラのパウロ・フローレス。2016年の『Bolo De Aniversário』、2017年の『Kandongueiro Voador』と立て続けに新作がリリースされているが、ぼくが(CD を)買ったのはどっちも今年になってからこと。前者はなぜか Spotify になくエル・スールにも入荷せず、しかしアマゾンで実に楽に買えたというのもなんだか不思議…、でもない?

今日は『Bolo De Aniversário』の話だけほんのすこし、したいのだが、わりといい作品だなと思っている。全体的にダンサブルな曲が多く、快活ではあるけれど、しかし陽気か?というと、ぼくはそうとは感じない。ポルトガル由来のサウダージなのか、あるいはこれはパウロ独自の個性なのか、哀感がアルバム全体にうっすらと漂っている。2017年作『Kandongueiro Voador』ではそれがフル展開されているので、比較すればたしかに明るく聴こえる。

『Bolo De Aniversário』。全11曲、やはり生楽器演奏中心かな、と思って聴き、クレジットも見ていると、あんがいそうでもない。コンピューターを使ったプログラミングも随所で聴きとれるし、プログラマー名の記載もある。そんな曲や部分でも、しかしパウロはうまく有機的に活かすことができているなと感じる。

特にリズムの創りがデジタルなものであることが垣間見える。上物のホーン・セクションなんかはやはり生演奏楽器のようだ。たとえば9曲目「Just」は打ち込みのチープなビートだけど、その上に乗るピアノとパウロのヴォーカルの哀感は、背後が安っぽい感じだからこそ、かえっていっそう悲観として強く感じる、こともある、かも。

またクレジットがぼくにははっきりせず、音を聴いても判断が難しいアルバム・ラスト11曲目「Bolo De Aniversário」。これは生演奏ビートか?打ち込みビートか?わからないが、かなりいい曲だなあ。ビート感は強く快活だけど、パウロの声と歌は泣いている(ように感じるけれど)。フルートが入るのが効果的だ。

曲調じたいはやはり陽気に跳ねるものが多いことはたしかなんだけど、この旋律の動き。それに強い(一般的なものなのかパウロだけのものか、判断できない)サウダージ、というか哀感が流れているように思う。が、そうでない明るめの曲もありはする。

2曲目「Trabalho」(大編成ホーン群が活躍)、3曲目「Rumba Anos 80」(アコーディオンが印象的だが、teclas ってのがそれ?)、4曲目「Semba Vadio」(パーカッション群によるイントロ部もいい)、7曲目「Isso É Que É Economia」(ソプラノ・サックスが印象的なカリブふう) は、明るく陽気な曲だけど、底抜けか?っていうと、必ずしもそうとは感じない。パウロの声から悲哀を消し去るなんて、どうやったってできないのだった。

アルバムで個人的に最も強く印象に残った佳曲は、1曲目「Semba Pra Luanda」、5曲目「Recolher Obrigatório」、10曲目「Farrar」の三つ。これらでは強靭なビートに乗せて、サラリとさりげないが、だからこそかえって心にじんわり沁み込む哀しみがこもっているのを、ぼくは聴きとっている。

2018/07/13

クールの再誕 〜 マイルズ1981年復帰作

マイルズ・デイヴィスの1981年復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』については以前一度記事にした。シカゴ人脈を起用した二曲のことだけについてだ。A 面ラストの「シャウト」と B 面2曲目の「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」。
シカゴ人脈といっても、録音はもちろんニュー・ヨーク・シティで行われている。マイルズの甥(姉の息子)ヴィンス・ウィルバーン Jr.、ランディ・ホール、ロバート・アーヴィング III 世、フェルトン・クルーズらで成るこのバンドは、甥がシカゴでやっているというので、たぶんそれでマイルズも血縁を頼り、復帰に際してのウォーム・アップ用バンドとしたというのが、まずは当初の動機だったかもしれない。

このシカゴ・バンドは数年経過しての1984年来、マイルズのレギュラー・バンドの中核となり重要な音楽的貢献をすることになる。 また、この二曲で起用され、その後音楽プロデューサーとしても成功したランディ・ホールとマイルズの関係についてはここで書いた。1985〜86年の俗称ラバーバンド・セッションのこと。
復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』にある二曲「シャウト」「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」と、ほかの四曲とは、完全に性格が異なっている。今日はそれら四曲のことについて、すこし突っ込んで考えてみたい。アルバム全体がどうにもこうにもおもしろくないというのが九割以上のみなさんの意見だけど、なかなかどうして、聴きようによってはそうでもないぞ。あるいは、惚れた弱みであばたもえくぼ。

それら四曲は、マイルズ、ビル・エヴァンズ(サックス)、バリー・フィナティ(ギター)、マーカス・ミラー(ベース)、アル・フォスター(ドラムス)、サミー・フィゲロア(パーカッション)の編成での演奏。アルバム・オープナーの「ファット・タイム」でだけギターはマイク・スターン。録音は1981年1月と、「ファット・タイム」だけ同年3月(日付はどちらも不明)。

たぶん1曲目の「ファット・タイム」のことだと思うけれど、村井康司さんがおもしろいことを書いていた。引用しておく。

じわじわと遠くからこちらに向かってくるようなリズム、70年代バンドより隙間が多くてクールなサウンド、そして空間の上に慎重に音を置いていくマイルスのトランペット。
(『あなたの聴き方を変えるジャズ史』p. 242)

そう、クールだ。クールネスをぼくも感じるんだよね。特に「ファット・タイム」にそのフィーリングが強いが、シカゴ・バンドでやったのではない四曲では、すべてにある。例外はB 面1曲目「アイーダ」だけじゃないかな。この(『ウィ・ウォント・マイルズ』での呼び名だと)ファスト・トラックは、テンポだけじゃなく曲調そのものがゲキアツな感じ。でもこの一曲だけだ。

いままでも強調してきているが、マイルズという音楽家は節目節目でかなり静的でクールな作品を発表しつづけてきていた。1949年(録音)『クールの誕生』、1959年『カインド・オヴ・ブルー』、1969年『イン・ア・サイレント・ウェイ』と。1981年の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』をこの同列に並べるのはオカシイのだが、似た傾向の音楽性を発揮しているとは思う。まあ、つまんないといえばつまんないんだけど、「あらさがしをするな、救済をさぐれ」。

アルバム1曲目「ファット・タイム」の雰囲気は、上で引用した村井康司さんのことばで言い尽くされている。ぼくが付け加えるとすれば、この曲は「フラメンコ・スケッチズ」(『カインド・オヴ・ブルー』)と似た創りになっているなということ。テーマはなく、あらかじめには複数のコード/モードしか用意されていない。さらに、両曲ともスパニッシュ・スケールが活用されている。

「フラメンコ・スケッチズ」ではモードが五つ並び、その四つめがスパニッシュ・スケール。「ファット・タイム」では、これはたぶんコード・ネームだけ指示されていたんだと思うんだけど、それが三つ。順に Cマイナー、A7、B7。A7 部分がスパニッシュというかフラメンコ調だ。ソロをとるマイルズ、ビル・エヴァンズ、マイク・スターン三人ともこの三つのコードをこの順で使っている。

マイルズのソロのことは村井さんのことばにお任せして、特筆すべきはやはりマイク・スターン(ビル・エヴァンズの紹介で参加)のギター・ソロだ。アルバム『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』でギター・ソロが入るのはこの「ファット・タイム」だけだもんね。マイクのソロは、ジャジーであると同時にハード・ロック・ギターのスタイルでもある。

ブルーズ・ベースのハード・ロック・ギター、ちょうど1960〜70年代のジェフ・ベックやジミー・ペイジを思わせるところが「ファット・タイム」のマイク・スターンのソロにはあるから、だからぼくは大好きなんだ。そんなブルーズ・(ロック・)ギターを弾いたかと思うと、次の瞬間にはクロマティックに展開しジャジーになったりもする。

アルバム2曲目「バック・シート・ベティ」。大好きな一曲だ。導入部と中間部でファンファーレみたいにバリー・フィナティがコード・ワークを聴かせるのはやや大げさかな?と思うんだけど、リズム・セクションが刻みはじめてマイルズがソロを吹くようになってからのアフロ・クリオール・グルーヴがいい。しかも熱くなくクールネスが漂っているよね。淡々としているっていうかさ。

「バック・シート・ベティ」のこのクールなミドル・テンポ・グルーヴは、カム・バック・バンドで毎回必ず演奏したライヴ・ヴァージョンでは失われている。ハードで激アツなトラックに仕上がっているんで、ふつう一般のジャズ(系)リスナーのみなさんはそっちのほうがお好きなはず。公式にはこれも『ウィ・ウォント・マイルズ』で聴ける。
オリジナルの「バック・シート・べティ」では、中間部のファンファーレが入るとマイルズがミュート器を外しオープン・ホーンでソロ吹きはじめるが、その中間ファンファーレが終わってからソロ開始までの短い時間がとてもいい感じ。4:32 〜 4:51。ギターの残響音を残しつつ、マーカスのエレベとアルのドラムスが表現するこのグルーヴが心地いい。マイルズが吹きはじめると、アルがハーフ・オープン・ハイ・ハットを叩くあのバシャバシャっていうサウンド は、1970年代からおなじみのものだけど、ホ〜ント好きなんだ。

ビル・エヴァンズのソロで、サックスもバンドもやや熱くなったかと思っていると、終わったらふたたびクールネスを取り戻す。1950年代からマイルズ・バンドは(一部例外を除き)だいたいいつもそう。ボスがカッコよく決めたあとでサックス奏者がハードにブロウするそのコントラストで聴かせてきたのが、1981年のこの復帰作にもある。

アルバム・ラストの「アーシュラ」(ウルスラ)。これは以前ちょろっと触れたが、電化新主流派ジャズみたいな演奏だよね。これも「ファット・タイム」「バック・シート・ベティ」同様、テーマ・メロディは存在せず(「シャウト」「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」にはあり)、しかも「アーシュラ」はスタジオ・セッションでの突発的な出来事の記録なんじゃないかと思う。

頭をカットしてあるんだろうけれど、マーカスがたぶんふとした思いつきでその場でちょっと4/4拍子のラニング・ベースを弾きはじめ、即座にアルが呼応して、すぐにマイルズが吹くっていう(その後、ビル・エヴァンズのソロもある)、ただそれだけのお遊び即興ジャムだったはず。バリー・フィナティはなかなか出てこないが、出現するとコード・ストロークで転調する。

1981年のエレクトリック・バンドでも、ちょっとした4ビート演奏をやると、1960年代半ば〜後期の、つまり『ソーサラー』『ネフェルティティ』あたりと似たようなものが仕上がるというのは、なかなか興味深い事実じゃないだろうか。ギター入りなのとベースが電化されているだけでさ。

だから考えれみれば、1970年代以後のマイルズ・ミュージックは、たとえばトランペットとサックスのソロは1960年代の手法そのままで、バック・トラックのリズムとサウンドを一変させただけだったと見ることだって可能なんだよね。スタジオでの不意の即興4ビート演奏でこんな真相?が漏れ出ているってことかもしれないからおもしろい。

2018/07/12

美しく屹立するユッスーの『アイズ・オープン』を

ユッスー・ンドゥールというと、最高傑作はインターナショナル盤の1990年『セット』だということになっていて、これの話が中心になっているけれど、一つの単独の音楽作品としてだけとらえると、個人的実感としてはその次の1992年作『アイズ・オープン』のほうが、実はもっといいんだ。

『アイズ・オープン』も音楽の基本線は『セット』のものを踏襲していて、だからまず最初に、国際的な商品としてそれを確立して送り出したという『セット』の偉大さを微塵も否定しないのだが、次作『アイズ・オープン』には、なんというかこう、張り切りすぎていないところが聴きとれて、それがすごくいいなあ。

自然体というか、余裕というか、余分な肩の力が抜けているというか、『セット』に強く漂うテンションの高さにとってかわって、『アイズ・オープン』ではリラクシングな雰囲気が聴けて、だからなのか音楽のスケールも大きくなっているように思うんだ。中身の音そのものだけでなく、ユッスーというひとりの音楽家としての成熟も感じる。

メッセージ性だって強烈な『アイズ・オープン』なんだけど、この作品でぼくが感心するのは、たとえば1曲目「ニュー・アフリカ」、2「ライヴ・テレヴィジョン」、7曲目「カップルズ・チョイス」、9曲目「シュルヴィ」、10曲目「アム・アム」、13曲目「ザ・セイム」、14曲目「シングズ・アンスポークン」といった、このアルバムの中核をなすグルーヴ・ナンバーの色が明るくて、前向きの希望にあふれたサウンドになっているところ。

ユッスーのこの肯定感を下支えしているものがなんなのか、ぼくにわかるわけもないが、それを声高に叫ぶというのでもなく、ゆったり落ち着いてリラックスした前向きの曲調とやわらかいサウンドで表現できているところに強い共感を覚える。しかもリズムというか底流のグルーヴは激しい。強いものをやわらかい衣でまとってみせているように聴こえる。

しかもなんだか、とってもカッコイイよね。という書きかたをすると、ユッスーはいつもカッコイイじゃないか!と突っ込まれそうだけど、ぼくの言いたい『アイズ・オープン』のカッコよさとは、そういう普遍的なことじゃなくて、こうなんというかキリリと直立した爽やかさみたいなものを感じるんだけどね。それなのに肌触りはやわらかい。1「ニュー・アフリカ」、13「ザ・セイム」が特にそうだと感じるんだけど、ぼくの言いたいこと、伝わりますか?音に漂うこの屹立している?感じ。とても美しい(音の)立ち姿だ。

アクースティック・ナンバーもある。3曲目「ノー・モア」。ギターはラミーヌ・フェイエ。これがすんごく上手いので聴きほれる。生ギターと打楽器とユッスーの声だけで構成されていて、おなじみのエレクトリック・ンバラじゃないのだが、ぼくは大好きな一曲。歌詞はかなり強烈な訴えかけのようだ。

イスラム音楽みたいなものも『アイズ・オープン』にはあって、8曲目「Yo Le Le (Fulani Groove)」がそう。なんだか詠唱みたいな声もあるし、このリズムの感じも、打楽器アンサンブルも、シンセサイザーの奏でる伴奏メロディも、アラブっぽい。こっちはなんの歌かわからないが、好きだなあ。

こんな色彩感の豊かさや、あるいは上で書いたように余裕のある自然体を見せているところなど、『セット』で成功したというゆとりがそれをユッスーにもたらしたのか、別なことなのか、複合要因か、サッパリわからないが、『アイズ・オープン』という音楽は、ユッスーが確立したンバラをワールド・ワイド向けにもっとポップにし、アメリカ産のロックやファンク、中南米のラテン・ミュージックなども噛み砕きながら有機的に吸収し、しかも必要以上に高いテンションは抜いて、聴きやすくしてある。

だから、ユッスー・ンドゥールというセネガルの音楽家を、有名だから名前は知っているがどこから聴けばいいの?という入り口に立っていらっしゃるかた向けには、『アイズ・オープン』はとてもいいと思うんだよ。ポップで聴きやすくわかりやすいって、専門家の一部やマニアは重視しないことだけど、音楽の質を薄めずにむしろ高めた状態でそうなっているものは、手放しで推薦したらいいんじゃないかな。

最後に。『セット』の国際的成功を受けてということなのか、『アイズ・オープン』でのユッスーは、アメリカ黒人映画監督のスパイク・リーと契約し、そのレーベル(コロンビア傘下)からこの作品はリリースされた。アルバム題も(多くの)曲題も(一部の)歌詞も英語になっているのは、このためかもしれない。1991年に来日公演があったので、日本ではその記念盤という位置付けもあった。

2018/07/11

スペインの音階とアラブの音階

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には共通するところがあるのだろうか?楽理的なことがサッパリわからないので聴感上の大雑把な印象だけど。ときどきわからなくなってくるのは、たとえばアラブ・アンダルース音楽などを聴いていると、これはスペイン音階なのか?アラブ音階なのか?わからないっていうことだ。どっちなんだ?同じなのか?いやいや、もちろん違うでしょうが、なにもわかりませんがゆえの素人の雑感。

もちろんアラブのマカームはたくさんある。かなり雑に分類しても、東アラブのものと西アラブ(アラブ・アンダルース)のものとに分かれるみたいだし、それぞれのなかにまたいろんなのがあるようだ。スペイン音階は、たぶんフリジアン・モード(のちょっとした変形)一種類じゃないんだろうか。違うのかなあ?

東アラブの音楽というか、たとえば歌手ウム・クルスーム(エジプト)の録音を聴いても、それがいわゆるスペイン音階に似て聴こえるってことはあまりないなあ。でも、じゃあたとえば田中勝則さん編纂の『マグレブ音楽紀行 第1集:アラブ・アンダルース音楽歴史物語』に収録されているものは、ぼくにはイベリア半島を思わせるものがあって(当然だけど)、それがウムなどエジプトの音楽と著しく違っているのか?っていうと、そんなには違わないようにも聴こえる。

たったいま上で(当然だけど)と書いたように、主にアルジェリアで花開いた現代大衆音楽、たとえばシャアビなどのポピュラー・ミュージックの基礎となったアラブ・アンダルース古典音楽は、イベリア半島で成立したものだ。具体的にはジルヤーブ(789-858)がイスラム帝国時代のイベリア半島で成し遂げたことだったようだ。ジルヤーブは素人のぼくだって前から名前だけ見てきている。

当時のイスラム世界では、西の大都市がコルドバだけど、東の中心地はバグダッドだった。といってもバグダッドはアッバーズ朝で、コルドバはウマイヤ朝で、そこにアッバーズ朝の支配は及んでいなかったけれどね。そして、ジルヤーブはバグダッドの人間で、後ウマイヤ朝のラハマーン二世が、文化交流のために東方から招いた人物の一人。関係ないかもしれないが、ジルヤーブは黒人だ。

ジルヤーブがイベリア半島で成立させたとされるアラブ・アンダルース古典音楽は、たとえばペルシャ音楽の手法も導入している。しかしながら、アラブ東方から持ち込んだものも多かっただろうが、イベリア現地の民俗音楽伝統だって流入していたはずだ(が、このあたりは田中勝則さんの解説文にはない)。

ここからもみなさんご存知の事実だが、キリスト教徒はこの件でもよくないこと、不寛容なことを、すくなくとも三つやった。一つはいわゆるレコンキスタ。イベリア半島からムスリムを追い出したことだ。これはいわゆる十字軍とも結びついているのが二つめ。三つめは時代が飛ぶが、アラブ・アンダルース音楽の担い手たちが移動した北アフリカ地域、マグレブを19世紀以後植民地支配して、(そのせいもあったとぼくは思っているんだけど)アラブ人たちと、そうでないが同じ音楽をやっているカビールやユダヤの迫害につながったこと。

とにかく、イベリア半島で誕生・発展したアラブ・アンダルース音楽は北アフリカ地域へと亡命し、そこからさらに東へと進んだりもし、ユダヤ人たちのなかにはトルコまで行って住んだり(アナトリア半島は、ある時期、イスラム世界の文化中心地だった)など、地中海エリアに逃亡したりもした。いわゆるセファルディ。

北アフリカや地中海沿岸地域で行われていたアラブ・アンダルース音楽は、ある時期、オスマン古典音楽とも、したがって出会ったことになる。結合・融合した部分だってあっただろう。そういったことが盛んだったアナトリアは文化混交の地で、結果的にいわゆるトルコ古典歌謡となるものを産む母胎ともなった。

トルコ古典歌謡を聴いて、そこにスパニッシュ・スケールのもたらすあの響きと共通するものがあるのかどうかを指摘することは、微妙だなあ。たとえばアラトゥルカ・レコーズがリリースしている音楽を聴き、そこにたとえばフラメンコなどとの旋律の類似性があるのかどうか、ぼくにはわからない。あるような気もするし、ないような気もする。

ここまで書いたような周知の歴史的事実を踏まえれば、スペイン音階が聴き手にもらたす心的効果と同様のものをアラブ・アンダルース大衆音楽(マグレブ音楽)に感じるのは、至極当然だと言える。楽理的な分析ができないぼくだけど、この聴感上の強い印象は拭えない。間違いない共通性があると思うし、そうだとアラブ・アンダルースの歴史が教えている。

そういったことが、東アラブ、つまりエジプトや中近東地域のアラブ音楽やペルシャ音楽やトルコ音楽と、どう関係があるのかってことだよなあ。ふだん聴いていてのぼくのいいかげんな感想だと、なんだかやっぱり相通ずる旋律の動きがあって、聴いていて似たようなフィーリングにおちいるというのが事実なんだけどね。哀しげで切なくて、寂しげで、孤独と寂寥が強くにじみでているよなあ。同時にきわめて美しい。孤高の屹立するキリリとした美というかさ。

スパニッシュ・スケール(変形フリジアン ・モード)が大学生のころから大好きなぼくで、マイルズ・デイヴィスがまず最初の夢先案内人だったんだけど、たくさん聴くようになり、その後20世紀末ごろにマグレブ音楽に出会ってハマり、必然的に?もっと東のアラブ音楽にも、っていうか要はイスラムの音楽が大好きになってしまった。コーラン(クアルーン)詠唱が根底にあったりするのかな。

いずれにせよ、たんなる偶然みたいなものとは思えないんだけどね、ぼくのこの嗜好。あるいはスペイン、イベリア半島、アラブ・アンダルース、アラブ古典音楽とかなどの関連性をも超えて、たとえばポルトガルやポルトガル語圏音楽にある、あのサウダージとも相通じているのかとか、また、スペイン音階は中南米の音楽にもあるんだし、あのフィーリングはやっぱり…、とか考えはじめるとキリないね。

2018/07/10

エリック・クラプトンの転回

本日2018年6月30日、五十嵐正さんのツイートで、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』50周年記念盤とかなんとかいうのが出る(出た?)とかいうのを知り、それきっかけで聴きなおし書こうとしているエリック・クラプトンのソロ第一作『エリック・クラプトン』(1970)。

ぼくはこれを二種類持っている。一つはオリジナルのレコード通りにリイシューされた一枚物 CD(発売年記載なし)。もう一つは2006年の UK ポリドール盤二枚組デラックス・エディション。え〜っと、このアルバムは何種類あるんだっけ?情報によれば2010年エディションとかってのもあるらしく、それはなんだろう?Wikipedia を読むと「エッセンシャル・コレクターズ・トラックス」というのが入っているそうだけど。

それはわからないので無視して、2006年盤『エリック・クラプトン』には、1970年オリジナル・リリースのトム・ダウド・ミックスと、二枚目にディレイニー・ブラムレット・ミックスがあって、また一枚目二枚目それぞれ末尾に追加マテリアルも収録。追加トラック計七つは、今日は話題にする必要がない。というか、どんなときでもそんなには考慮に入れなくてもいいもののように思う。

だから2006年盤二枚組『エリック・クラプトン』一枚目のトム・ダウド・ミックス(が1970年リリースのオリジナル)と、それに先立って完成していたらしい二枚目収録のディレイニー・ブラムレット・ミックスに話題を絞ったのでオーケーなはず。もう一種類、エリック・クラプトン自身のミックスというのが、それら二つの中間時期にあったんだそうだけど、フルで聴くことはいまだ叶わず(たしか「イージー・ナウ」だけ、トム・ダウドはクラプトン・ミックスを採用している)。

どうして三種類もあるんだ?とか、そうなったいきさつとかは、附属ブックレットに詳しいし、お持ちでないかたでもたぶんネットのどこかでお読みになれそうな気がするので省略。ザ・バンドの『ビッグ・ピンク』きっかけで…、と今日最初に書いたのは、1960年代末のクラプトンにとっては、『ビッグ・ピンク』が最初の大きな一つの目覚め、転回の契機だったんじゃないかと思うからだ。

ザ・バンドの『ビッグ・ピンク』は1968年7月1日リリース。それまでエリック・クラプトンは弾きまくり天才ギター・ヒーロー、一種のギター・イコンとしてみんなに受け止められていたし、自身もそんな自覚があったはずだ。ヤードバーズ、ブルーズ・ブレイカーズ、クリームとそんな路線で突っ走ってきて、その後のブラインド・フェイスで方向性が微変化した。そこへ、『ビッグ・ピンク』の衝撃が来たんだよね。

ザ・バンドの、闊達な楽器技巧の披露を控えストーリーテリングに徹したあの音楽。演奏も歌唱もテクニックは物語をつむぐためにだけ最大限に、だから控えめに、発揮されている。歌詞も、全体の曲想も、サウンド構築のトータリティも、グループ一体表現も、最大限に重視。それらだいたいクリームまでのクラプトンが<素材>としてしか扱ってこなかったものだ。

衝撃だったと思う。自省したはずだ。クラプトンはそれまでの自分のミュージカル・キャリアを考えなおし、ザ・バンドのような、なんというかソング・オリエンティッドな音楽を目指そうと、そんな転回が芽生えはじめたところに、1969年8月に終わるブラインド・フェイスのツアーの前座として、ディレイニー&ボニーがやってきて、決定的にクラプトンは変貌した。

ザ・バンドとディレイニー&ボニーの音楽性は共通している部分が大きい。ゴスペル・ベースかつカントリー/ブルーズ/ソウルの三位一体のオーガニック・ロックみたいなものを志向し、実際の音楽的成果もあげていた。『ビッグ・ピンク』体験の翌年にクラプトンがディレイニー&ボニーのライヴに接することとなったのは、まるで神の差配のようだ。

クラプトンは、当初、ザ・バンドに加入したいと思ったらしいのだが(苦笑)、ブラインド・フェイスを放棄して、結果的には、まずセッション・ギタリストとしてアメリカ西海岸で(いわゆる)スワンプ系ロッカーたちとのスタジオ・ワークをこなす。そのあと、ディレイニー&ボニー&フレンズの一員として、UK、ヨーロッパ、スカンジナビアを1969年末にツアーする。これは『オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン』となって発売され、いまは四枚組ボックスもある。ご承知のとおり。

それで、ディレイニー&ボニーとその関連人脈を起用して、初のソロ名義デビュー・アルバム『エリック・クラプトン』が企画され、録音された。最終的にロス・アンジェルスでディレイニーが仕上げたミックスは10曲で、(中間のクラプトン・ミックスは不明だが)トム・ダウドはもう一曲「アイヴ・トールド・ユー・フォー・ザ・ラスト・タイム」を追加、ミックスも曲順も変更し、リリース商品となった。

比較すると、ディレイニー・ミックスとトム・ダウド・ミックスで異なっている部分もかなりある。書いたように「イージー・ナウ」はダウドがクラプトン・ミックスを採用したらしく(といってもぼくには実証できないが)、また「スランキー」はディレイニー・ミックスをそのまま使ってある。しかしほかの曲、たとえば「アフター・ミッドナイト」「レット・イット・レイン」なんかも一聴瞭然たる違いがあるよね。

そんな聴いてすぐわかる部分だけでなく、クリーンな感じがするトム・ダウド・ミックスに比べ、ディレイニー・ミックスは全体的にモコモコしていて、土臭くファンキーな様子。またホーン・セクションの音量が大きめだ。リオン・ラッセルのピアノも聴こえやすい。がしかし個々の楽器音が分離したり、だれかが特別目立つことなく、バンド・サウンド全体の一体感が増している。

トム・ダウド・ミックスは、なんだかんだいってまだまだクラプトンにフォーカスし、その英雄像を残してあるように聴こえるんだよね。クラプトン転回の導師ディレイニーは、それをなるたけ表面には出さず、ソング・オリエンティッドなグループ一体のオーガニック・サウンドへと脱皮しようとしているクラプトン本人の意思を汲みとって活かしたような仕上がりのミックスだと、ぼくには聴こえる。

アルバム『エリック・クラプトン』にブルーズ楽曲は一個もない。そう、ないんだ。「ブルーズ・パワー」なんていう曲題のものだってブルーズ形式ではないんだから。それまでイコンですらあったクラプトンの売り、ギター・ソロもほぼなし。「レット・イット・レイン」でだけちょっとだけ従来型のクラプトンらしいソロがフィーチャーされるが、1960年代ものと比較すればほとんどなしとしても過言ではないほど。

つまり『エリック・クラプトン』での主役はギターを弾きまくらない。ギター自己顕示もギター自我の押し出しも消えている。(ディレイニーと共同で)曲を書き、練り、バンド・サウンドをどうするか考えて、だれのソロも目立たせず、また、正直で真摯に歌っている。自分の歌もギター演奏もバンド演奏も含め、できあがりのサウンド全体に、(悪い意味で)格好つけた偽りがない。音楽のオネスティを感じるよね。

1960年代にはあんなにギラギラして弾きまくっていたクラプトンなのにねえ。転回、変貌したんだ。正直言ってアルバム『エリック・クラプトン』は、その最初の告白みたいなものであって、名盤だとか傑作だとかいうものじゃないようにぼくは思う。(諸事情関係ない)一個の自律した音楽作品としての完成度は、個々の曲もアルバム全体でも、まだそんなに高くない。

しかしこんなクラプトンの決心が、次にほぼ同一メンバーでのレギュラー・バンド、デレク&ザ・ドミノスにつながって大傑作を産み、それは短命だったがその後の1970年代の、曲創りと歌と楽器演奏との三者のバランスの(比較的)取れた、充実の音楽活動につながったのは間違いないことだ。プリテンシャスな姿勢は、消えた。

2018/07/09

生きているというだけで奇跡的ですばらしく

(これ、Spotify でちょっとしか聴けないのはどうしてだろう?)

自分で買ったアナログ・レコードで聴いていたスティーヴィ・ワンダーは『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』(1976)と『ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート』(1963)だけだから、そのほかはぜんぶ CD リイシューされたのを買ってはじめてちゃんと聴いた。

そうしてみると、長いあいだ『キー・オヴ・ライフ』がぼくにとっての No. 1 スティーヴィだった(ってか、それしか知らんかったわけだけど)のが変わって、その前の『インナーヴィジョンズ』(1973)『フルフィリングネス・ファースト・フィナーレ』(1974)のほうがもっといいって知っちゃったよなあ。さらに前の『トーキング・ブック』(1972)もいいなあ。これらが三部作というか、グレイト3ってことでいいの?

ちゃんとしたことはわからないが、とにかく一週に一作づつとりあげてメモしておこう。リリース年順に『トーキング・ブック』からにしようと思いつつ、これら三作を一個のプレイリストにまとめたものをお風呂で聴いていたら、ふと不意に流れてきた「トゥー・シャイ・トゥ・セイ」で泣いてしまい、『ファースト・フィナーレ』から書くしかないとなったのだ。

レコードで聴いていないんだから実感がないのだが、ぼくにとっての『ファースト・フィナーレ』は A 面が完璧すぎて、すばらしすぎて、あまりにも美しくはかなく、つらく切なく哀しくて 〜〜 っていうのは歌詞がじゃなくてメロディ・ラインやサウンドやグルーヴがそうだなあって思うわけ。B 面のことをどうこうって意味じゃないんだよ。立派だ。だけど、この A 面はなんですか、きれいすぎるじゃないですか。

1曲目「スマイル・プリーズ」はまあふつうかなあ、っていうか『トーキング・ブック』オープナーの「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オヴ・マイ・ライフ」と同傾向の曲かもね。ほぼすべての楽器をスティーヴィひとりが多重録音でこなしている。それは『ファースト・フィナーレ』全体で、またこのころのほかの作品でもそうだ。ちょこちょこっとゲスト演奏家やサイド・ヴォーカリストがいるけれども。

この点では、1970年代末にデビューしたプリンスの先駆けだった。『ファースト・フィナーレ』だとゲスト演奏家は本当にどうってことないような気がするけれど、でもサイド・ヴォーカリスト、特に女性はかなり効果的なスパイス役になっている。個人的に特に好きなのがミニー・リパートン。5曲目「クリーピン」でのミニーとのハモりは、実に沁みるよなあ。

先に行きすぎた。アルバム1曲目の「スマイル・プリーズ」はふつうのラヴ・ソングかな、そんなサウンドとリズムだなあ、でもこのラテン・パーカッション、特にコンガはかなりいいぞ、1970年代前半のアメリカ音楽ではこういうのあたりまえだったけれど見事だとか思う、と、サラリと通り過ぎよう。
2曲目「ヘヴン・イズ・10・ジリオン・ライト・イヤーズ・アウェイ」(1000億光年の彼方)が流れ来ると、もう泣きそうだ。なんて美しく、なんてはかない歌なんだ。いやあ、すばらしい。ところでこの曲題はローリング・ストーンズを意識したってことはないの?関係ない?わからないが、ホント〜っにきれいな歌だ。
歌詞も泣きそうなんだけど、それ以上にこのメロディの動きかたとサウンドだ。鍵盤楽器はたぶんクラヴィネットだと思うんだけど、まるでハープシコードみたいな、あるいは聴きようによってはエレキ・ギターでアルペジオを弾いているみたいな、そんな音色だよね。このクラヴネットの音色創りとそれで弾くアルペジオ・パターンがたまらない。ベース・ラインはここでもムーグ・ベース。とっても気高い曲だ。

後半はちょっとにぎやかめのサウンドになって盛り上がり気味になる「1000億光年の彼方」だけど、次の3曲目「シャイだから言えなくて」は最後までしっとり静かな落ち着いた路線の楽曲。これと「1000億光年の彼方」の前半部が、いま2018年6月末のぼくにとってのベスト・スティーヴィだね。というか、たぶんこれは終生の伴侶になる。この二曲と、死ぬまでともに歩みたい。

「トゥー・シャイ・トゥ・セイ」にはサウンド・エフェクト的にペダル・スティール・ギターが入っていて、さらにモータウンのジェイムズ・ジェマースンがアクースティック・ベースを弾いているみたいだけど、正直言ってぼくにはスティーヴィ独りでのピアノ弾き語りでよかったと思うほど。もしもピアノが弾けたなら…。
個人的問題は、3曲目「トゥー・シャイ・トゥ・セイ」から4曲目「ブギ・オン・レゲエ・ウーマン」へと切れ目なくつながっていることだ。あのしっとりすぎるバラードが終わったら、ちょっとだけでいいから無音で余韻を味わいたかった。スティーヴィはそれを許さず次のセックス賛歌に入ってしまう。それも楽しいんだけど。ムーグ・ベースの音がかなり大きく目立っている。
ところで「ブギ・オン・レゲエ・ウーマン」は、曲題にレゲエとあるせいかジャマイカの音楽レゲエと結びつけて考えて書いてある文章がほとんどだけど、どこがだろう?これ、どこにも音楽のレゲエ要素はないような…。アメリカン・ファンク・チューンじゃない?すんごくカッコイイけれどね。ハーモニカ・ソロがいいなあ。クロマティックはテン・ホールズとは別物だから、断念せざるをえなかった。

『ファースト・フィナーレ』A 面ラストの「クリーピン」もしっとり路線ですんごくいい。夢のなかに忍び込むとかなんとかっていう歌詞も最高だけど、このリズムだよリズム、いいのは。ここではかの TONTO シンセサイザーってやつを使ってあるのかな? ミドル・テンポでゆったりと、本当にそっと近寄ってくるようで近づかない、このテンポとリズムのフィーリング。ミニー・リパートンが入ってきた瞬間に涙腺が崩壊しそうになるが、その後のハーモニカ・ソロはもっと切ない。双手をあげて賞賛したい。
見事な展開の組曲となっているこの A 面五曲の『ファースト・フィナーレ』さえあれば、ほかになにもなくていいという気分にすらなるほどだ。絶品の美しさじゃないだろうか。だから、はかなく、すぐ消える。

2018/07/08

ウェザー・リポートの熱帯地上舞踏音楽トリロジー(1)〜『幻想夜話』

1975年の『幻想夜話』(テイル・スピニン)から、あからさまにウェザー・リポートの音楽性が変化した。それまでのスペイシーでユートピア志向みたいなサウンドから脱却し、地底探検とまではいかないが(それはマイルズ・デイヴィスがやった)、大地の上で笑いながらダンスしているような熱帯志向へと激しく様変わりしたよね。

そこになにがあったのかは、またジックリ考えてみる。『幻想夜話』の前作『ミステリアス・トラヴェラー』(1974)から、一部、その傾向はあった。「ヌビアン・サンダンス」なんかはモロそうだし、ほかにもある。もう一個前の『スウィートナイター』(1973)1曲目の「ブギ・ウギ・ワルツ」あたりが、こういったファンキー路線の最初かなあ。しかしアルバム全体で鮮明になったのは、やはり『幻想夜話』からだ。

その後はポップさも増し、この路線をグングン進んだウェザー・リポートなので、だからたとえばジョー・ザヴィヌルが「バードランド」(『ヘヴィ・ウェザー』)みたいな曲を書いても意外じゃない、とぼくなら思うのだが。ウェザーのばあい、『幻想夜話』『ブラック・マーケット』(1976)『ヘヴィ・ウェザー』(1977)の連続する三作で、ポップ/ファンキー路線のトリロジーだったとぼくはみなしているので、今週から一枚づつとりあげていくつもり。

『幻想夜話』のばあい、たぶんいちばん有名な曲は B 面トップだった「バディア」だよね。なぜかといえば、その後のライヴでの定番レパートリーとなって実に頻繁に披露され、しかも「ブギ・ウギ・ワルツ」とのメドレーだった。しかし、この「バディア」っていう曲はおもしろいのだろうか?ぼくには退屈だけどなあ。ちなみにウェイン・ショーターは不参加の一曲。

「バディア」じゃなくて、ウェザー・リポートのメロディ、サウンド、リズムがポップ/ファンキー/タイトになっていったというトリロジー視点からすれば、A 面トップの「マン・イン・ザ・グリーン・シャート」、B 面2曲目の「フリージング・ファイア」がすごくいいっていうことになる。A 面のほかの二曲「ルジタノス」「ビトゥウィーン・ザ・サイズ」も似た傾向の楽曲で、『ブラック・マーケット』以後に近い。

やはり「マン・イン・ザ・グリーン・シャート」「フリージング・ファイア」の二曲が抜きに出てすばらしく、またカッコよく、しかもかなりダンサブルでポップで楽しいよね。ホントいきなりどうしたんだろうなあ、こんなキャッチーな曲がウェザー・リポートのなかに出てくるなんて、って思っちゃうよね、ずっと聴いてきていたたみなさんなら。

しかし、ぼく(らの世代)のばあい、こういった路線の「ブラック・マーケット」「バードランド」やなんかから先に聴いている。だからウェザー・リポートとはこういった楽しいバンドなんだなというイメージが最初に焼きついたので、すこし経ってから聴いたデビュー作から『スウィートナイター』あたりまでは、実はいまでもあんまりちょっと…、まあその〜……。『ミステリアス・トラヴェラー』からはなんとかそのねえ〜〜。

熱帯地上舞踏音楽と繰り返しているが、熱帯と言えないまでも、ラテン・アメリカやアフリカ志向が出てきたおかげでこんな路線に進めたというのが実際のところなんだろう。ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターのワールド・ミュージック傾倒がこのころから顕著になってきた。ひとつには1974年にウェインがソロ作『ネイティヴ・ダンサー』をやったのも大きなことだったんだろう。ジョーやウェザー・リポートの音楽に還元された。

「マン・イン・ザ・グリーン・シャート」を聴いても「フリージング・ファイア」を聴いても、そこにラテン・アメリカン、というかブラジリアン・ミュージック要素、またそれと関係のあるアフロ・ポップ要素などはハッキリ聴きとることができるはず。躍動的で色彩感に満ちている。こんな音楽は、それまでこのバンドはやらなかった。こうなってからのほうがぼくは好きだ。

「マン・イン・ザ・グリーン・シャート」も「フリージング・ファイア」も、スピーディで迫力満点、グルーヴの疾走感だって強い。しかもタイトでシャープだ。最大の要因はベーシストの全面交代にあったかもしれない。前作『ミステリアス・トラヴェラー』の途中でミロスラフ・ヴィトウスがやめ、アルフォンソ・ジョンスンになった。アルフォンソはファンキーなオスティナートを弾けるひとだから、彼の貢献も大きい。

ドラマーも『幻想夜話』ではヌドゥグ・レオン・チャンクラー。特に「フリージング・ファイア」ではヌドゥグの活躍が目立つ。1960年代的フリー・ジャズ・ドラミングの痕跡がしばらく残っていたこのバンドから、それをサッパリきれいにこそげ落とし、手数も控え、シンプルでタイトなリズムを叩き出しているよね。

つまり、リズムもサウンドも整理されたのが『幻想夜話』以後。整理できたので、色彩感はシンプルだけど、より原色を鮮やかに際立たせる方向へと向かえたんじゃないかなと思っている。そう、原色そのままの輝きを表現する 〜 これが1975年からのウェザー・リポート・トリロジーではっきりしている熱帯地上ダンス音楽の目論見だった。

今日特筆している「マン・イン・ザ・グリーン・シャート」と「フリージング・ファイア」のふたつも、1975年ごろのライヴではよく演奏されたので、公式盤だと2002年の『ライヴ&アンリリースト』の一枚目にどっちも収録されている。それは75年11月のロンドン・ライヴで、ベースはアルフォンソだが、ドラムスがチェスター・トンプスンなのがいいんだよなあ。最高にカッチョイイぞ!

2018/07/07

むかしサニアデいまはフェミ

ジャケットには Femi Oorun Solar and His Sunshine Jasa Band と書かれているフェミ・オルン・ソーラー(ナイジェリア)の2016年作『Mercy Beyond...Aanu To Tayo』。この後も快調にリリースがあって、今2018年もこないだエル・スールに新作が(二度)入っていたが人気で、ぼくはたちまち買い逃して再入荷待ち。
いまフェミは絶好調なんじゃないだろうか。その快進撃ぶりといい、同国だし、音楽の中身も、かつてのキング・サニー・アデを彷彿とさせるものがあるように思う。ぼくのワールド・ミュージック体験は、修士課程在籍二年目(23歳)のときに深夜の寮の一室の FM ラジオから流れてきたサニー・アデの「シンクロ・フィーリングズ ー イラコ」で背筋に電流が走ったことではじまったのだが…、と思って、フェミの『Mercy Beyond』に続けてサニー・アデの『シンクロ・システム』を聴いてみたら、やっぱりフィーリングが似ているよねえ。

みなさんがどうなのかわからないけれど、すくなくともぼくは1985年にキング・サニー・アデを聴き、アフリカン・ポリリズムの真髄とはこういうものなのか!と衝撃的に思い知ったのだった。とか言っているのはおおげさで、いまだになにひとつわかっていないけれど、新鮮すぎる体験で世界が一変したことは間違いない。

近年のフェミ・オルン・ソーラーのアルバムを聴いていると、そんな気分が蘇ってくる。あのフィーリングをもう一回味わえるとはね。『Mercy Beyond』の話しか今日はしないけれど、これ一枚でも、未聴のかたは耳を傾ける価値があるものだし、個人的に感想を記しておく必要があると信じて、雑にちょこっとだけ走り書きしておく。

『Mercy Beyond』は全4トラックだけど、1と3が長尺、2と4がどっちも五分もない短さで、やっぱり1「Mercy Beyond」(13:08)と3「Oorun N'tana」(20:01)が聴きどころなのかなあ。といっても短尺な2と4にはゲスト・ヴォーカリストがいて、リズムもカラフルだし、アルバム全体でいい緩急の付け具合になっているのもたしかだ。

全4トラック、すべて複数のトーキング・ドラムを中心に組み立てられている。聴こえてくる音しか判断できる材料がないが、かなりの人数が参加していそうだ。しかもその大編成トーキング・ドラム・アンサンブルは、それだけでじゅうぶん色彩感豊かで、っていうかカラフルすぎるだろうと思うほどのサウンドを構成していて、しかも分厚い。実際、トーキング・ドラム奏者は何人くらいいるんだろう?と思うと、bunboni さんによれば八人とのこと。それはバンドの写真をご覧になってとのことだけど、アルバム『Mercy Beyond』にそのまま参加しているのだろうか?
曲によっては、いわゆるドラム・セットが使われている時間もあるみたいだけど、それは一部で、あくまでフェミの『Mercy Beyond』も大編成トーキング・ドラム・アンサンブルだけ(?)が、リズム&サウンドの中核を形成し、まるでめまいがしそうなほどクラクラして気持ちいい。1トラック目「Mercy Beyond」ではバンバン決まるブレイクも最高だ。
エレキ・ギター(スティール・ギター含む)もあり、またホーン・アンサンブルもリフを決めているがシンセサイザーらしい。しかしソプラノ・サックスのサウンドなんかは生演奏じゃないだろうか。打ち込みのドラムス・サウンドも混じっている。あとは主役フェミのヴォーカルと、バック・コーラスかな。バック・コーラスは混声。3トラック目ではゴスペルのマス・クワイアのよう。フェミの歌い口はソフトで洗練されている。声そのものがやわらかい。このへんもちょっとサニー・アデっぽいなあ。薄くてなめらかな布地をまとっているかのような気分で、上々。
このアルバムを2016年の新作ベスト10第六位に選出した際、そのコメントで「激しくダンサブルで豪快なように聴こえて、その実かなり繊細なパーカッション・アンサンブルに乗り、フェミの軽快なヴォーカルが舞う」とぼくは書いている。今日こうやって文章にしていて、それにつけくわえることがないんだなあ〜と思うと、我ながら進歩がないのか、買ったときにちゃんと聴けていたのか、どっちなのかわからないが、後者なんだと勝手に思い込んでおこう。
とにかく、パーカッション群を中心とするフェミのこのリズム!これがいいんだ。カラフルで分厚くて、しかし軽快で、しなやかに跳ねていて、襲いかかるかのようでいてフワリと舞い降りそっと触れ、自在に動いて折り重なっているよね。

2018/07/06

マイルズの1961年カーネギー・ライヴ

CD 二枚組の完全版になったのは1998年だったマイルズ・デイヴィスの『マイルズ・デイヴィス・アット・カーネギー・ホール』。ギル・エヴァンズ編曲・指揮のオーケストラとの共演で1961年5月19日に開催されたコンサートを収録したもの。二枚組ではこの夜のコンサート前半が一枚目、休憩をはさんだ後半が二枚目に収録されている。このライヴ・アルバムは疑似ステレオ状態でずっと発売されていたのも、1998年以後はちゃんとモノラルに修正された。そういうマイルズのアルバムはほかにも複数ある。

1961年のカーネギー・ホールでは、マイルズ&ギルのコラボでないレギュラー・クインテットだけでの演奏もたくさんある。抜き出してみると、「テオ」「ウォーキン」「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」「オレオ」「ノー・ブルーズ」(プフランシング)「アイ・ソート・アバウト・ユー」。あれっ?ってことは CD2ではラストの「アランフエス協奏曲」だけだなあ、二者のコラボものは。

またコンサート全体のオープナー「ソー・ワット」でもオーケストラ演奏は最初のほうにちょこっと入るだけで、聴きどころはクインテットでのスウィング感だから、ってことは『アット・カーネギー・ホール』におけるマイルズ+ギルのコラボ・パフォーマンスと言えるのは、一枚目にある「スプリング・イズ・ヒア」「ザ・ミーニング・オヴ・ザ・ブルーズ/ラメント」「ニュー・ルンバ」、二枚目の「アランフエス協奏曲」と、たったこれだけ。

それらコラボ演奏は、一曲を除きスタジオ録音ヴァージョンが発売もされていて、それのお披露目なだけ。ギルのアレンジもマイルズのソロも、カーネギー・ライヴならではという部分があまりないように思う。だから「スプリング・イズ・ヒア」だけが新鮮な素材だけど、これはたぶんビル・エヴァンズ・トリオのヴァージョン(『ポートレイト・イン・ジャズ』)をそのまま採用し、オーケストラ・アレンジに移植したものだろう。

ちょっとそのビル・エヴァンズ・トリオによる「スプリング・イズ・ヒア」も貼り付けておこう。カーネギー・ヴァージョンのギルのアレンジも前で吹くマイルズも、間違いなくこれを下敷きにしているように思うんだけどね。メロディ・ラインのたどりかた、(オーケストラの)コード・ヴォイシングなどなど。
有名な話だが、ビル、スコット・ラファーロ、ポール・モチアンのトリオとの共演計画をマイルズは持っていた。ベーシストの急死で実現はしなかったが、本当に心から気に入ったサイド・マンのことは終生決して忘れないひとで、自分のバンドを脱退してからもフォローし続けていた。

とにかく、1961年5月19日のカーネギー・ホール・ライヴの収録盤で、二者のコラボに耳を傾ける意味があるのは「スプリング・イズ・ヒア」だけ。だからこの二枚組での主役はあくまでマイルズ・クインテットなのだ。そして、実際すばらしい演奏ぶりじゃないか。ウィントン・ケリー、ポール・チェインバーズ、ジミー・コブのリズム隊が熟練の極みにあって、さらにテナー・サックスのハンク・モブリーもこの夜はかなりいい。

この編成のマイルズ・クインテットの活動は、この1961年5月19日のカーネギー・ホール・コンサートでもって全面終結した。べつにそのつもりはなかったんだろう、結果的にそうなっただけだと思うけれど、ライヴ演奏経験を積むにつれ、たとえば同61年4月のサン・フランシスコはブラックホークでのライヴと比較しても円熟味を増している。

演奏されたレパートリーは、四月のブラックホークと五月のカーネギー・ホールとでほぼ同じ。「ウォーキン」「ノー・ブルーズ」といった定型12小節ブルーズもスウィング感が向上しているし、「アイ・ソート・アバウト・ユー」みたいなロマンティックなバラードでも絶品のリリカルさ。

二枚目トップの二曲「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」「オレオ」については説明が必要だ。この日のカーネギー・ホール・コンサートは、アフリカン・リサーチ・ファウンデイションという組織への資金供与が目的で行われたものだったのだが、この組織にはちょっとした問題もあったらしい。

その欺瞞体質を指摘せんとして、インターミッションをはさんでコンサート第二部の演奏を「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」ではじめてマイルズがソロを吹いている真っ最中に、マックス・ローチがその旨を記した抗議のプラカードを持ってステージに上がってしまった。

それに立腹したマイルズは、お聴きのようにソロの途中で演奏をやめてしまい、袖に引っ込んでしまったのだ。それでこの「サムデイ・プリンス・ウィル・カム」はこんなに短く、しかも突然の中断状態で終わっている。アフリカン・リサーチ・ファウンデイションという組織のいかんにかかわらず、音楽の邪魔をされるのがマイルズの最も嫌ったことだ。

ステージに戻るように説得されて再開したマイルズは、演奏をはじめた「オレオ」(これも演奏冒頭部は録音に失敗し、切れていると思う)で、激しい感情をハーマン・ミュートをつけたトランペットで表現しているよね。かなりアグレッシヴだ。この夜、マイルズがいちばん上気しているのがこの「オレオ」じゃないかな。

その後、「ノー・ブルーズ」「アイ・ソート・アバウト・ユー」と次第に落ち着きを取り戻しているのもわかるし、そのままの雰囲気でこの夜のラスト・メニュー「アランフエス協奏曲」が演奏された。がまあそれじたいは上でも書いたがあんまりちょっとねえ…。やはりマイルズ・クインテットこそが主役だった。

その点でも、この日のカーネギー・ホール・ライヴで出色の出来なのが、一枚目にあるモーダル・ナンバー二曲「ソー・ワット」と「テオ」だ。スパニッシュ・スケールを使った「テオ」は、初演のスタジオ録音(『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』)ではジョン・コルトレインをゲストとしてフィーチャーしていたもの。

それがこのカーネギー・ホールでのライヴ・ヴァージョンではどうだろう、ハンク・モブリーが大健闘じゃないだろうか。一番手マイルズは安定的だが、二番手モブリーがかなりいい。コルトレインと比較することはできないが、6/8拍子のスパニッシュ・スケール演奏で、聴き手をじゅうぶん満足させるサックス・ソロだ。いやあ、かなりいいぞ、このモブリーは。

もっといいのがコンサート・オープナーの「ソー・ワット」だ。冒頭部のギル・エヴァンズの書いたイントロ(『カインド・オヴ・ブルー』のと同じ)でオーケストラがやわらかくクラシカルに奏で、ポール・チェインバーズがあの音列を弾きはじめた瞬間に、オーラストラ・ヒットが鳴る(タイミングがずれているが)。

その次の瞬間からのクインテット五人の猛烈なスウィング感がたまらない。1963年以後の新リズム・セクション(ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)をしたがえての各種ヴァージョンと比較しても、ぼくはこのカーネギー・ライヴの「ソー・ワット」がいちばん好きだ。最高の出来だと個人的には信じている。

トランペット、テナー・サックス、ピアノと三人のソロ内容もかなりすぐれているが、なんたってそのあいだのポール・チェインバーズ、ジミー・コブの支えかたがすごい。いや、ソロ内容も、ボスの演奏だってふだんよりも熱く、その証拠に高音域で猛烈だし、二番手モブリーのサックス・ソロもすごいが、三番手ウィントンのピアノ・ソロのジャンピーなグルーヴ感がすばらしすぎる。その終盤でブロック・コード連打になって、ぼくはいつも昇天。

2018/07/05

もしもギターが弾けたなら 〜「マゴット・ブレイン」

ジョージ・クリントン率いるパーラメントとファンカデリックは同じもの。最初、ザ・パーラメンツ名で活動したかったらしいが権利関係でこのバンド名ではレコード発売できないとわかり、やむなくまずファンカデリックで一枚リリース。その後、録音済みだったマテリアルをパーラメントで出した。それも同じ年に。二者の役割分担みたいなことが言われるが、そんなに大きな違いがあるだろうか?

それからPファンクとの言いかたは Parliament Funkadelic だからだけど、P はそれだけでもないよなあ。たとえば Psychedelic なんかもひとつとしてあるかも。そのほかいくつか思い浮かぶことがあるけれど、あまり詳しいことはぼくにはわからないので。ある時期以後は、事実、一体化したので、やっぱりパーラメントとファンカデリックをそんなに区別しなくたっていいよなあ。

でもしかしそんなこと言ったって、ファンカデリック名義の三作目『マゴット・ブレイン』(1971)は、やっぱりいかにもファンカデリックだという音楽で、当時のパーラメントでは聴けないものだ。これ、現行 CD には三曲のボーナス・トラックがあるんだね。Spotify で見てはじめて知って聴いた。Apple Music でも同じ。

そのボーナス三曲はどうってことない気がする。目玉は曲「マゴット・ブレイン」の別ミックスだけど、この程度だったら聴いても聴かなくてもいっしょだなあ。「マゴット・ブレイン」では、録音済みのいろんな楽器の音を、ジョージ・クリントンの判断で、抜いて、1971年にリリースされたようなかたちになった。そのマスター・ヴァージョンと追加されている別ミックスにさほどの違いはないように思う。素材は同じだし。

1971年のオリジナル・アルバム『マゴット・ブレイン』では、トップとラストの「マゴット・ブレイン」と「ウォーズ・オヴ・アルマゲドン」が抜きに出た聴きもので、っていうかまあはっきり言えば1曲目のギター・ピースだけでぼくなんかにはもう充分すぎるほど。アルバム名でもあるんだし、これの話だけでいいんじゃないかと今日は思う。

もちろん2曲目以後を踏まえないと、アルバム『マゴット・ブレイン』を理解することにはならないし、曲「マゴット・ブレイン」がどうしてこんなふうな治らない傷のように血を流しつづけているのかもわからない。端的に言えば、1960年代の公民権運動と、あの時代後半の、特に西海岸の、いわばスライ・ストーン的な黒白混交文化の多幸感とその崩壊と、それからヴェトナム戦争の泥沼と 〜〜 それらがアルバム『マゴット・ブレイン』の底流たる色調だ。

ジョージ・クリントンは、そんな1971年に、みんな恐怖を捨てて困難を克服しユナイトしようじゃないかと語りかけているのかもしれない。最終戦争と黙示録。それが音楽アルバム『マゴット・ブレイン』の基本のトーンとテーマじゃないかという気がする。

そんなことをおさえておいた上で、アルバム・オープナーの曲「マゴット・ブレイン」だけの話をする。ずっと前に、フランク・ザッパの「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」とふたつ並べて、この世のありとあらゆるギター・ミュージックのなかでの個人的最高峰、双璧だと書いたことがある。いまでもこの気持ちに微塵のゆるぎもない。ふたつとも最高じゃないか。この世に存在しているとは思えない美しさだ。

ザッパの「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」が、諦観に裏打ちされた希望みたいなものを表現している肯定感、というか、この音楽、このギター・ソロ、ぼくの頭のなかにだけイマジナリーなものとして存在するこれだけを脳内で鳴らしながら生きていくんだという、う〜ん…、まあやっぱり絶望か、でもサウンドは陰鬱で暗いものじゃないなあ。

いっぽうファンカデリックの、というよりもエディ・ヘイゼルの「マゴット・ブレイン」のばあいは、上でも書いたが血を流し続けている。涙を流し続けている。そんな10分間。否定的なトーンしか漂っていない。ある種のレクイエム、鎮魂歌のようにも響く。ジミ・ヘンドリクスに対しての。人類に対しての。

ミックス済みの「マゴット・ブレイン」には、基本、二人の音しかない。左チャンネルでギター・アルペジオを弾き続けるトール・ロスと、右チャンネルでソロを弾くエディ・ヘイゼルだけ。まずエディが弾きはじめる最初の二音がものすごい。こんな悲哀がこもったギター・ノーツを聴いたことがない。その後もエディはこの最初の二音を拡大増幅させるかのようなソロを展開する。

曲「マゴット・ブレイン」でのエディ・ヘイゼルのフレイジングは、いつも音程がきっちり上がりきらず、各フレーズ終わり終わりで常にややフラット気味。というのはぼくの耳がおかしいのかなあ、なんだかそんなふうに聴こえるけれど。そのせいで一層ブルージーさが増している。このばあいのブルージーさとは、必ずしもブルー・ノート的なということではなく、憂鬱そうで哀しげなという意味。

空間を鋭く切り裂いたり、闇のなかで沈鬱にたたずんだりしている、「マゴット・ブレイン」でのエディ・ヘイゼルのギター。どうしてこんな演奏ができるのか?こんなふうにギターが弾けたらなあ〜って、いつも心からそう思うのが、この「マゴット・ブレイン」オリジナル・ヴァージョン。

だからぼくはいつもこれを聴いてメイク・ビリーヴし、他人からしたらすごく気持ち悪い妄想の自己陶酔にひたっている。エディ・ヘイゼルの「マゴット・ブレイン」を聴きながら、これはぼくがひとり部屋のなかで弾いているんだと、自己をスピーカーから聴こえてくる音に投射すれば、いい気分になれるんだ。

つまり、現実に空間で鳴っている音で、しかもぼくだけじゃなくて世のみんなが聴けて体験を共有できる曲「マゴット・ブレイン」だけど、ぼくにとってはこれもある種の個人的なイマジナリー・ギター・ソロなんだ。聴きながらこの世で生きていくよりどころとなるもの、それが空想の脳内ギター・ピース「マゴット・ブレイン」。

2018/07/04

最高の米国人女性歌手ダイナの真骨頂はここ

ベシー・スミスの威風とビリー・ホリデイの愛嬌を併せ持つダイナ・ワシントン。しかもダイナには強いセクシーさがある。かつ、チャーミング。こんな歌手がほかにいるのだろうか?あのころはジャンプ・ブルーズ歌手にしてジャズとリズム&ブルーズの中間あたりで歌った、アポロへの12曲を除く1943年から53年までのシングル・コレクションである CD 四枚組『ザ・ファビュラス・ミス D!:ザ・キーノート、デッカ・アンド・マーキュリー・シングルズ 1943-1953』(Hip-O、2010年)。全107曲。これがあまりにもすばらしすぎる。ダイナの真髄はここにあると言いたい。

『ザ・ファビュラス・ミス D!』収録曲の並び順はオリジナル・シングル・レコードのリリース順で、それは必ずしも録音順ではない。そのへんも、附属解説文とディスコグラフィなどなど&CD スリーヴとぜんぶが一体化しているパッケージ(は SP レコード体裁を再現)に、すべてきちんと記載されてある。豪華でぜいたくで、もちろんダイナの歌が最高だし、もうどこにも文句なんか全然ないね。

そう、四枚組『ザ・ファビュラス・ミス D!』に収録されているのは、すべて元は78回転のシングル・ナンバー。すなわち SP 盤でまずは発売されたもの。それなのに107曲と奇数なのは、1947年発売のデッカ盤「ブロウ・トップ・ブルーズ」(Decca 23792)の B 面はダイナの歌っていないライオネル・ハンプトン・セプテットの「ロビンズ・イン・ユア・ヘア」だったから。

『ザ・ファビュラス・ミス D!』には、ほかにも新曲は一つだけだったレコードが二枚あるけれど(「ウー・ウィー・ウォーキー・トーキー」「ザッツ・ワイ・ア・ウーマン・ラヴズ・ア・ヒール」)、それらのマーキュリー盤はほかのダイナ・シングとあわせて両面で発売された。当時はダブりというか、片面は再発だったわけだけど。ダブったのは「エンブレイサブル・ユー」と「ウェン・ア・ウーマン・ラヴズ・ア・マン」。オリジナル・イシューではこの二曲が Mercury 2053(1946年発売)の両面だった。

デッカ録音の「ブロウ・トップ・ブルーズ」の話をしたからまず書いておくと、この1945年5月21日録音47年発売の曲と、それに先行するダイナの初録音、キーノートへの四曲「イーヴル・ギャル・ブルーズ」「ソルティ・パパ・ブルーズ」「アイ・ノウ・ハウ・トゥ・ドゥ・イット」「ホームワード・バウンド」(1943年12月29日録音、44年発売)の、計五曲。これらが本当に至高の宝石なんだ。

ダイナをキーノート・レーベルに紹介しレコード・デビューのきっかけをつくったのはイギリス出身のジャズ批評家レナード・フェザー。ダイナはライオネル・ハンプトン楽団に加入して1943年2月にニュー・ヨークのアポロ・シアターに登場しているが、レナードはどうもダイナのソロ・アクトに接する機会があったようだ。

とにかく1943年12月にもハンプトン楽団+ダイナはアポロ・シアターに出演。レナードは同年同月にキーノートへのダイナの録音機会を設けることに成功し、12月29日に四曲録音された。その伴奏セプテットはハンプトン楽団からのピック・アップ・メンバーだ。

しかし、これは以前も書いたことだけど、当時のハンプトンはデッカと専属契約があったため、ほかの会社のレコードでリーダーとして登場してはまずかったにもかかわらず、キーノートは初回プレス分に "ザ・ライオネル・ハンプトン・セクステット・ウィズ・ダイナ・ワシントン” と記載してしまう。これにデッカが抗議して、キーノートは "セクステット・ウィズ・ダイナ・ワシントン” とラベリングを変更した。このへんも附属解説文に詳しく記載がある。

ダイナが歌うハンプトン楽団のデッカへの公式レコーディングがまったくなく、少人数コンボ編成でたった一曲だけ、「ブロウ・トップ・ブルーズ」しか録音・発売されなかったというのは、このあたりのイザコザが原因に違いない。その後、ハンプトン楽団を離れマーキュリー・レーベルにおいてビッグ・バンドの伴奏で歌ったダイナの歌のすばらしさを聴くにつけ、これはアメリカ音楽史上最大の痛恨事と思わざるをえない。

それでも、ハンプトン楽団からの、メンツは違えど同じ七人編成メンバーでダイナが歌ったキーノートの四曲とデッカの一曲は、まだまだ円熟味は足りないものの、ダイナの声の張りとみずみずしさ、すでに強く漂う艶と色気、粘っこさなど&伴奏サウンドのジャンピーな見事さ、さらにこれら五曲だけなんだ!と思う貴重さと愛おしさもあいまって、もうたまらない気分だ。何回聴いてもいつ聴いても、すばらしいとため息しか出ない。

特にデッカの「ブロウ・トップ・ブルーズ」が出色の出来じゃないだろうか。イントロのテナー・サックス(アーネット・コブ)からして、このジャンプ感覚を内側に折り込んだようなスローな粘り気が見事。それにハンプトンのヴァイブがからみダイナが歌いはじめ、ウェンデル・カリーのミューティッド・トランペットがオブリガートをつけると、もう最高の気分だ。その後、アンサンブルになって、そのあいだを縫うようにハンプがヴァイブ・ソロを弾きダイナが歌う。ダイナのヴォーカルはすでにセクシーだ。

キーノートの四曲でのボス、ハンプトンはなにを演奏しているのか、実はよくわからない場合が多い。これはやはり専属契約外の仕事だったので配慮したということなんだろうか?『ザ・ファビュラス・ミス D!』附属のディスコグラフィでは、「イーヴル・ギャル・ブルーズ」「ソルティ・パパ・ブルーズ」でヴァイブとなっているが、聴こえない。「アイ・ノウ・ハウ・トゥ・ドゥ・イット」ではドラムス、「ホームワード・バウンド」ではピアノとなっているが、後者で聴こえるブロック・コードはやっぱりミルト・バックナーなんじゃないだろうか?シングル・トーンはハンプの二本指ピアノだろうけれど。

ハンプがドラム・セットを叩いているとの「アイ・ノウ・ハウ・トゥ・ドゥ・イット」では、1943年12月録音にしてすでにリズム&ブルーズの感覚が出はじめているのも興味深い。特にドラマー、ハンプの叩きかたがかなりジャンピーで、バンド全体もノリのタメが深くなっているように感じる。このフィーリングが二年後の「ブロウ・トップ・ブルーズ」でさらに深化しているんだよなあ。

しかしダイナのヴォーカルは、1945年にハンプトン楽団を離れ翌46年1月にマーキュリーと複数年契約を結びどんどん録音するようになって以後もっとぐんぐん上昇している。ジャズ・サイドというよりも(ジャンプ・ベースの)リズム&ブルーズにじょじょに近づいて、ある時期はまさにそれそのものを歌っていた。そのあたりを(私的な)ダイナ黄金時代とみなしたい。

たとえば、1946年1月14日のマーキュリー初録音の四曲のなかに、「ジョイ・ジュース」みたいな曲がもうすでにある。伴奏はガス・チャペル楽団。このノリのディープさが最高にいいね。
1946年だと4月6日に「ウー・ウィー・ウォーキー・トーキー」があり、10月3日に「ア・スリック・チック」(見事!)「ポストマン・ブルーズ」「ザッツ・ワイ・ア・ウーマン・ラヴズ・ア・ヒール」がある。どれも R&B フィールが出てきているんじゃないだろうか。
1947年秋(としか判明しない)には、以前ホット・ワックス/インヴィクタスのソウル歌手ローラ・リーの話のときに書いた曲「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」があり、同じ日にルイ・ジョーダンの「アーリー・イン・ザ・モーニング」も録音しているが、伴奏サウンドとダイナの歌そのものは特筆すべきものではない気がする。

時代が飛ぶがソウル/ロック・ミュージック界とのストレートなつながりで言えば、『ザ・ファビュラス・ミス D!』の三枚目17曲目には、かのポール・バタフィールズ・ベター・デイズもやったパーシー・メイフィールドの「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」がある。1951年2月27日録音。ダイナのだって、どう聴いてもソウル・ミュージックに近づいているリズム&ブルーズ歌唱だろう。
この同じ1951年2月27日には、ベシー・スミスも歌った「エイント・ノーバディーズ・ビジネス・バット・マイ・オウン」もあってそれも R&B フィールだし、「ファイン・ファイン・ダンディ」なんていう直截的なセックス・ソングを色気たっぷりに歌うものもあるしで、この1950年代初頭ごろはまさしくダイナの絶頂期だった。後述したい。
1940年代に話を戻し47年12月末(30日か31日)に二曲と、48年9月か11月に二曲、クーティ・ウィリアムズ楽団と共演している。ちょうどこのオーケストラが濃厚なジャンプ・ミュージックを追求し切ってリズム&ブルーズに最接近していた時期で、ダイナがいっしょに四曲やったうち「レゾルーション・ブルーズ」がかなりいい。このグロウリング・トランペットはもちろんクーティ本人だろう。いやあ、いいですねえ〜。
1949年3月4日の「ベイビー・ゲット・ロスト」や、同年夏の「アイ・チャレンジ・ユア・キス」(はふつうのジャズ・シンギングだけど)、同年9月27日の「ジュース・ヘッド・マン・オヴ・マイン」とか、このあたりまで来ると、ダイナのヴォーカルはもはや完璧だ。発声の艶やかさ、フレイジングが細やかで丁寧で、音程をなめらかにスラーさせながら歌詞の意味を歌い込む絶妙さ、濃厚なセクシーなどなど、欠点がどこにもない。迫力と威厳があるが、決して遠い感じではなく親しみやすいコケッティシュな雰囲気もあるよね。アメリカ大衆音楽女性歌手史上最高の存在だなあ。
と直前で書いたのは、まだすこし時期尚早なのだ。1950年になると、5月9日に「ビッグ・ディール」「アイル・ネヴァー・ビー・フリー」「アイ・ワナ・ビー・ラヴド」「ラヴ・ウィズ・ミズリー」という四曲の超絶品歌唱があるからだ。四つぜんぶすばらしすぎるのでご紹介しておくが、なかでも特に四つめの「ラヴ(・ミー・)ウィズ・ミズリー」は手放しで絶賛するしかないものだ。いやあ〜、こりゃすごい。これこそ比喩でもハッタリでもない正真正銘のベスト・フィーメイル・シンガー・イン・アメリカだ。
1951年からダイナの伴奏にピアノでウィントン・ケリーがつくようになり、しばらく経ってドラマーもジミー・コブになる。そのままジミー・コブ・オーケストラとクレジットされるようになって、テナー・サックスにベン・ウェブスターとワーデル・グレイが参加。この編成でダイナが歌った、たとえば1952年1月18日録音の「トラブル・イン・マインド」がかなりいい。エタ・ジェイムズだと言ってもさしつかえないほどのソウルフルさだな。実際、6/8拍子で三連基調のソウル・グルーヴ。
ほぼ同じ編成の伴奏による同1952年5月6日の「ピロウ・ブルーズ」「ダブル・ディーリング・ダディ」、同年夏の「ギャンブラーズ・ブルーズ」、53年初頭の「ユー・レット・マイ・ラヴ・グロウ・コールド」「エイント・ナッシング・コールド」など、ブルージーかつジャジー&ソウルフルで、筆舌に尽くしがたいすばらしさ。
やはりウィントン・ケリーとジミー・コブがいる似たような編成で、新たにポール・クィニシェットが加わっての1953年6月10日の四曲では、もはやロックンロールだと呼びたいくらいのはじけかた。ダイナひとりの1943年から10年間のシングル曲を追うだけで、(ジャンプ・)ジャズからロック誕生に至るまでの道程を、実際の音源で、克明にたどることができちゃうんだね。
最後四つめの「ネヴァー、ネヴァー」にはドゥー・ワップ・コーラスが参加しているが、だれなのか判明しないのが残念。ダイナはもっと前、1951年10月25日録音の二曲でレイヴンズと共演しているのが『ザ・ファビュラス・ミス D!』にも収録されている。フランク・ザッパのときにも書いたが、ドゥー・ワップはロックンロールと同時期流行の音楽だったんだよね。

また上掲四曲のいちばん上、「ファット・ダディ」がラテン・ソングであることにも注目したい。アメリカ黒人音楽におけるこんなカリビアン要素はよくあることだけど、リズム&ブルーズ〜ロックにおけるそんな様子を、ダイナでもまた再確認する。『ザ・ファビュラス・ミス D!』ラストの107曲目「シンス・マイ・マン・ハズ・ゴーン・アンド・ウェント」はカリプソ R&B ナンバーで、こういうのはルイ・ジョーダンから来ているものなんだね、きっと。
四枚組『ザ・ファビュラス・ミス D!』では、最後のほうに「サイレント・ナイト」「ザ・ローズ・プレイヤー」という二曲の教会ソングがあるのにも触れておかなくちゃ。1953年録音。シカゴの教会で10歳から歌っていたダイナで、レコーディング・デビュー後もその強力な発声とフレイジングはゴスペル由来のものだった。ジャズ界でゴスペル・タッチが一般的になるのは1950年代後半からだ。

2018/07/03

パット・マシーニーのシンフォニー 〜『スティル・ライフ』

パット・マシーニー(メセニー)の1987年作『スティル・ライフ(トーキング)』。パット・マシーニー・グループ名義で(といってもソロ名義作品とそんなにたいした違いはないだろう、一部を除き)、これが ECM レーベルを離れ、パットがゲフィンと契約しての第一作。

この移籍は理解できる。ポップなほうへ向かっていたので ECM では居心地がイマイチになっていたんじゃないかと思うんだよね。以前、1995年の『ウィ・リヴ・ヒア』が大の個人的愛好品だと記事にしたが、私見では、あの作品で大きく花開き完成したパットのポップでファンキーなブラジリアン・ジャズ・フュージョン交響楽路線を、明確に示した最初の傑作が1987年の『スティル・ライフ』だと思っている。

だから、CD だと末尾二曲、6「ディスタンス」、7「イン・ハー・ファミリー」はあまりおもしろく聴こえないんだよね。この二曲はモヤとか霧などがたてこめているような、そんな音楽で、クラシカルな雰囲気。曲も演奏内容もかなりいいんだけどね、ECM サウンドで。うん、美しいには違いない。

しかしぼくのような趣味嗜好の人間にとっての音楽の美しさの一端は、パットの『スティル・ライフ』だと、1〜5曲目までのポップでメロウで、折々センティメンタルで、またときに激しくグルーヴするアフロ〜ブラジリアン・リズムとサウンドを吸収、表現しているところにもある。

やっぱりそういうのが好きなんだよね。三名のヴォーカリスト(アーマンド・マーサル、デイヴィッド・ブレイマイアーズ、マーク・レッドフォード)が参加して、きれいでありかつ躍動的で楽しい<歌>をどんどん聴かせてくれているところも大のお気に入り。そう、ペドロ・アズナールがいないが、グループを脱退したわけではなく、レコーディング時に別の仕事でたまたま参加できなかっただけらしい。

特にミナス派などブラジル音楽の影響が、パットの『スティル・ライフ』ではかなり色濃く出ているよね。ミナス嫌いのぼくだけど、それはいま2010年代にみなさんが持ち上げるようなもののことであって、パットのこういった音楽に溶け込んでいるのはかなり好きだ。米ジャズ界では、ミルトン・ナシメントと共演したウェイン・ショーターの『ネイティヴ・ダンサー』(1974)らへんが嚆矢だったのか?

パットの『スティル・ライフ』1曲目「ミヌアノ」でも、グランド・テーマはヴォーカルによって提示され、その後も繰り返されているが、ブラジリアン・リズムに乗って歌われるその主題がとても美しい。その前のイントロ部は幽玄な感じで、シェイカー(?)が刻みはじめ、リズムが入ってギターと(だれかの)口笛みたいなものとの、その後ギターとヴォーカルとの、ユニゾン・デュオになる。

パットのソロが入って、そのへんからかなりリズムが快活になっていく。ギター・ソロが終われば、このシンフォニー「ミヌアノ」のクライマックスに入っていく。そこからの壮大で劇的な組み立てと展開は見事の一言に尽きる。これを聴けば、パットをいちギタリストとして扱うのが間違いだとわかる。ギター・ヴァーチューゾにして、ここまでの作編曲能力を持つ人物が、はたして米ジャズ界にほかにいるのだろうか。

1曲目「ミヌアノ」の次に『スティル・ライフ』で文句なしにすばらしいのが5曲目の「サード・ウィンド」。これら二曲は演奏時間も長く、このアルバムの中核を成す目玉に違いない。「サード・ウィンド」のほうでもヴォーカリストが大胆に起用されているが、こっちは(ブラジリアンでありかつ)もっとアフリカのほうを向いた曲創りになっているように思う。

リズム・アレンジがそうだなと感じるんだけどね。クレジットされているパーカッショニストはアーマンド・マーサルひとりだけど、打楽器演奏にはもっと複数人が参加しているように聴こえる。アーマンドひとりなら相当オーヴァー・ダブしてある。パットのギター・ソロも終わっての 3:20 〜 5:11 までの躍動感と、そこからパッとかたちが変化して鮮明なアフロ・リズムになっている 5:11 〜 5:36 が鬼すごい。

祝祭が終わるとまた落ち着いて、ふつうのアメリカン・ジャズ・フュージョンに戻っていて、その後はパットのギター・シンセサイザー・ソロもあったりするが、やはりそれにミナスふうなヴォーカルがからみついている。この「サード・ウィンド」の組み立てもやはりシンフォニックだ。いやあ、すごいね。

ぼくもいまだに大好きなアルバム3曲目「ラスト・トレイン・ホーム」はおなじみの人気曲。パットは(ギター型の)エレクトリック・シタールを弾いている。たしかに名曲に違いない。トレイン・ピースであることはリズムが、特にポール・ワーティコのブラシ演奏がよく表現している。シタールのビビる音色が、パットのばあい、感傷を出すのによく似合い(ギターのチョーキングによるスクイーズにも似ている)、後半はやはり複数のヴォーカリストが参加して、快速で一気に駆け抜ける。

2018/07/02

ロビーの変態ギターを満喫しよう 〜 ディラン『プラネット・ウェイヴズ』

ボブ・ディランの『プラネット・ウェイヴズ』(1973年録音74年発売)。大好きなんだよね。ひとによっては1967年『ジョン・ウェズリー・ハーディング』以来の新作だとか、そんなことになるらしいが、賛同できない意見だ。だってたとえば「オン・ア・ナイト・ライク・ディス」みたいな曲は、『ナッシュヴィル・スカイライン』(1969)なんかにもあったような気がするよ。声が違うから、ってことなんだろうかなあ。

あ、そういえばアルバム全体のつくりも、ほぼストレートなラヴ・ソングばかりで、そこも『ナッシュヴィル・スカイライン』と同じだ。『プラネット・ウェイヴズ』のほうにはひどく否定的で暗い恋愛歌も複数あるけれど、それらもサウンドがしっとりいい感じに響く。

さらに、ディランが(いわゆる)ザ・バンドといっしょにやった作品のなかでは、これが最高傑作。すくなくともぼくはいちばん好きだ。っていうか、これら二者だけの組み合わせでアルバムを創るのは『プラネット・ウェイヴズ』が初だよね。意外な気がしないでもない。ザ・バンドがこうと名乗るようになってから初というだけじゃない。

『プラネット・ウェイヴズ』。二者の全面タッグで創り上げた、というか、音楽性はザ・バンド寄りになっているかも。そう聴こえる。ディラン節と言えるのは、ラスト11曲目のギター弾き語り「ウェディング・ソング」だけじゃないかな。

このアルバム以後は、ザ・バンドとの共演作じゃなくたってディランのなかで似たような音楽になっているケースがある。だから、最初はホークスがディランからたくさん学んだだろうけれど、ある時期以後は逆流もあって、相互影響みたいになっていたんだろう。「ヘイゼル」みたいな曲はその後いくつかある。『欲望』(1976)ラストの「セアラ」もそう。大好きな曲なんだよなあ。

『プラネット・ウェイヴズ』では、特にロビー・ロバートスンのギターが目立って活躍しているように思う。いやあ、すばらしい、楽しいサウンドだなあ。本当にロビーはすごい。なにを隠そう、ザ・バンドの諸作やそのほかいろいろ含めても、ぼくのいちばん好きなロビーがここにいる。

そしてこのアルバムでのロビーは、いつにも増して変態的だ(褒め言葉)。むろんふだんからこんな弾きかたをすることの多いギタリストだけど、『プラネット・ウェイヴズ』では、な〜にやってんの〜?って笑いさえこみあげてくるほどの妙チクリンさ。特に2曲目「ゴーイン・ゴーイン・ゴーン」がすごい。

イントロ部からしてすでにかなり印象的だが、ディランが一連歌い "I'~~m goin~, I'm goin', I'm gone" とやった瞬間にビョ〜〜ン!と下降して、次の瞬間にカッカッカッ!っていう、そんなオブリガートを入れる。ナンダヨ〜?これ〜(笑)。このやりかたは "I'~~m goin~, I'm goin', I'm gone" と歌われるたびに毎回入るオブリガートだ。

ディランがぜんぶ歌い終わるとロビーのアウトロ・ソロになっているが、そこもふだんよりいっそう変態的だ。そのまま「ゴーイン・ゴーイン・ゴーン」という曲が終わってしまうから、これはたぶんぼくだけじゃなく多くのリスナーのみなさんも同様だと思うんだけど、この曲だとディランのヴォーカルや歌詞の深刻さよりも、ロビーのギターの変態ぶりばかりが焼き付いてしまう。こんな危ない内容の歌だから、いい中和役になっていると聴くこともできる。

死(というか自殺か)を歌った危険な内容は、『プラネット・ウェイヴズ』8曲目「ダージ」もそう。dirge って葬送歌って意味だけど、これも自分自身を送る歌なのかなあ?こっちのサウンドはかなりシリアスな雰囲気を盛り上げちゃっているので、う〜ん…。ところでこの曲のピアノはディラン自身だよね?そうとクレジットはないが、リチャード・マニュエルじゃない気がする。それにからむアクースティック・ギターがロビー?とにかくデュオ作品だ。

ロビーのギターの妙味云々では、この要素はザ・バンドでも随所で聴けるエキゾティック・テイスト、はっきり言えば中国ふうな音階を弾いている部分が、『プラネット・ウェイヴズ』にもいくつかあるよね。例えば、このアルバムのなかの曲で最も有名なのは間違いなく「フォーエヴァー・ヤング」だけど、本来のものである6曲目スロー・ヴァージョンでのロビーは、やはり中国ふうなニュアンスを出している。かと思うと、同時にハワイアン・スタイルの痕跡か?と受けとれるフシもあるからおもしろい。そうそう、この「フォーエヴァー・ヤング」では、リック・ダンコのエレベがまるでコンガの音みたいに聴こえるよね。

ロビーのギターの中国ふうエキゾティズムは、5曲目「サムシング・ゼア・イズ・アバウト・ユー」でも10曲目「ネヴァー・セイ・グッバイ」でも聴ける。また、中国ふうじゃないが9曲目「ユー・エンジェル・ユー」みたいなこれまた楽しいはじけるラヴ・ソングでも、異な雰囲気を出している。おかげで「ゴーイン・ゴーイン・ゴーン」でそうだと言ったのとは逆の意味で、これまた中和役なギター。

だいたいがふだんからロビーのギター・フレイジングはふつうじゃないわけだけど、『プラネット・ウェイヴズ』では、なにがどうしてだかその変態ぶりがかなり煮詰められていて、楽しいよねえ。そのせいかどうか、たとえばファスト・テンポでやっているリプリーズの7曲目「フォーエヴァー・ヤング」なんかでもちょっとふつうのストレート・ロックには聴こえない。

しかしそれでもなんだかんだ言って、『プラネット・ウェイヴズ』でぼくがいちばん好きな時間は、1曲目「オン・ア・ナイト・ライク・ディス」だけどね。特に幕開け部。イントロでかなり音量小さくディランがアクースティック・ギターがほんのすこしだけチャカチャカっと刻み、それがたった二秒で終わってパッとブレイクになって、次の瞬間に「おんなないらいくでぃ〜す!」と歌いはじめたらガース・ハドスンのアコーディオンとリズムが入ってくる、あそこだ。リヴォン・ヘルムがブラシを使っているのもいい。ウキウキして最高に楽しい。

2018/07/01

これの8ビートもビリー・ヒギンズだよ 〜 ハンク・モブリーの #BlueNoteBoogaloo (4)

ハンク・モブリーの1965年録音66年発表作『ディッピン』。プロ・ライターですらみんなふつう2曲目の「リカード・ボサ・ノーヴァ」のことしか言わないが、うん、たしかにそれもいいんだけど、1曲目の「ザ・ディップ」がもっといいんじゃないの〜。これ、最高じゃん。いままでモブリーのことをあまり褒めないで来て、ゴメンなさい。心から謝ります。

「ザ・ディップ」。8ビートのブーガルー・ジャズ、っていうかまあジャズ・ロックなんだけど、カッコイイよなあ。これを書いたのがモブリーだっていうことで、う〜ん、ホントいままで気づかずにいたなんて、ダメだなあ、ぼくは。ブロック・コード・リフをピアノで叩くのがハロルド・メイバーン。そして、これまたビリー・ヒギンズのブーガルー・ドラミング!

むろんビリー・ヒギンズはボサ・ノーヴァふうなものだってうまいんで、だから「リカード・ボサ・ノーヴァ」みたいな演奏が仕上がったわけだけど、これはジャルマ・フェレイラの書いた有名ソングだ。モブリーのこの録音前年にイーディー・ゴーメが歌ったレコードが出ていて(曲題は「ザ・ギフト」)、これは日本でもいまだにファンが多い。モブリーもそれがきっかけでとりあげようと思ったんじゃないかな。

たしかにモブリーの「リカード・ボサ・ノーヴァ」もチャーミングだ。しかしいまのぼくには1曲目「ザ・ディップ」がこのアルバム『ディッピン』のすべてだとしても過言ではない。それほど今年五月初旬来、ブルー・ノート・ブーガルーにハマりこんでいる。だぁ〜って、楽しいもん〜〜。

アルバム3曲目「ザ・ブレイク・スルー」はふつうの12小節定型ブルーズ。こういった感じのジャズ・ブルーズは、ハード・バップ界にはほんと〜っにた〜っくさ〜んあるので、だからこの演奏について、まあカッコイイけれど、特に書いておかないといけないことなんてないな。6曲目「ボーリン」はワルツ・ナンバー。

4曲目「ザ・ヴァンプ」は、あれっ?これはモーダル・ナンバーだなあ。曲の作者はモブリーとなっている。1965年の録音だから珍しがることもないけれど、モブリーはかつてのボス、マイルズ・デイヴィスから学んだのがきっかけでこういうのをやるようになったのかなあ?

マイルズといえば、このアルバム『ディッピン』には興味深い一曲がある。五つ目のチャーミングなラヴ・バラード「アイ・シー・ユア・フェイス・ビフォー・ミー」だ。アーサー・シュウォーツの書いたスタンダードなんだけど、まずモブリーがきれいにそのメロディを吹きはじめ淡々とやっているところはふつうの感じだ。ふつうだけど、でもきれいでいいなあ、これは。

おもしろいのは二番手で出るリー・モーガンのトランペット・ソロだ。ハーマン・ミュートを使ってあるよね。ハーマン・ミュートはべつにマイルズの専売特許なんかじゃないけれど、それでもイメージが強いのもたしか。さらにマイルズは、プレスティジ盤『ザ・ミュージング・オヴ・マイルズ』(1955年録音56年発売)で、このラヴ・バラード「アイ・シー・ユア・フェイス・ビフォー・ミー」をやっているんだよね。
おわかりのようにこのマイルズはハーマン・ミュートを使っているよね。これを踏まえた上でモブリー・ヴァージョンでのリー・モーガンの演奏を聴いてほしい。間違いなく先輩を意識しているように聴こえる。ハーマン・ミュートを付けてトランペットを吹くとみんな似た感じのサウンドになるだとかいう次元を超えたオマージュ意識を、ぼくは感じるけれどね。

それにしてもアルバム1曲目の「ザ・ディップ」。こんなカッコイイ曲だったなんてなあ。「ウォーターメロン・マン」「ザ・サイドワインダー」をやったビリー・ヒギンズがここでもいい仕事をしている。後者の主役だったリー・モーガンも活躍。ハロルド・メイバーンはもとからこんな叩きかたをするファンキー・ピアニストではあるけれど、やっぱりハービー・ハンコック流儀のブーガルー・ブロック・コードを踏まえて叩いているよなあ。

ソロ内容だっていい。リー・モーガンとハロルド・メイバーンはこういったスタイルのジャズ・ロックならお得意でみなさんご存知のものだけど、あんがいモブリーがすごい。あんがいとか言っちゃあ失礼か、ぼくの認識が足りなかったというだけだ。いやあ、ファンキー・テナーだ。曲もいいが、テナー・サックス演奏もいい。ホーン二管のテーマ・アンサンブルもリズムもいい。これ、ぜんぶモブリーの仕事でしょ。いやあ、いままで本当にゴメンナサイ。素直にカッコイイと心から認めます。

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